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日本企業のコーポレート・ガバナンス問題(その3)機関投資家の役割、「愛社精神」 [企業経営]

日本企業のコーポレート・ガバナンス問題については、昨年8月23日に取上げた。最近は、オプト、クックパッド、セブン&アイなどで、問題が頻発している。今日は、個社の問題に入る前に、一般論を整理するため、 (その3)機関投資家の役割、「愛社精神」 として取上げよう。

先ずは、経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏が、1月27日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「機関投資家は会社経営に貢献しない」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽日本版スチュワードシップ・コードの理想と現実 機関投資家との「対話」は役に立つのか?
・年金基金や運用会社のような他人のお金をまとめて運用する「機関投資家」は、株主として会社経営に貢献できるのだろうか。 「貢献できる」と考えている人が作ったのが「日本版スチュワードシップ・コード」だろう。そして、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)をはじめとする大きな年金基金や共済、さらにこうした機関投資家を顧客としている運用会社などが、同コードの趣旨に賛同する旨を発表している。
・日本版スチュワードシップ・コードは、詳しくは「『責任ある機関投資家』の諸原則<日本版スチュワードシップ・コード>」(日本版スチュワードシップ・コードに関する有識者検討会。2014年2月26日)にまとめられている。
・同コードはスチュワードシップ責任を、「『スチュワードシップ責任』とは、機関投資家が、投資先企業やその事業環境等に関する深い理解に基づく建設的な「目的を持った対話」(エンゲージメント)などを通じて、当該企業の企業価値の向上や持続的成長を促すことにより、「顧客・受益者」(最終受益者を含む。以下同じ)の中長期的な投資リターンの拡大を図る責任を意味する」と定義する。
・機関投資家は、「企業価値の向上」や「持続的成長」をもたらす「対話」の相手たり得るのだろうか。 機関投資家が投資先の企業に対して明確な影響力を持つのは、株式の議決権行使の際だが、同コードは「原則」の5番目で、「機関投資家は、議決権の行使と行使結果の公表について明確な方針を持つとともに、議決権行使の方針については、単に形式的な判断基準にとどまるのではなく、投資先企業の持続的成長に資するものとなるよう工夫すべきである」とうたっている。
・なお、日本版スチュワードシップ・コードは、「コンプライ・オア・エクスプレイン」と呼ばれるアプローチを採っており、原則を実施するか、実施しない場合にはその理由を説明するかのいずれかであればいいとしている。つまり、原則の中に、自らの個別事情に照らして実施することが適切でないと考えるものがあれば、『実施しない理由』を十分に説明することにより、一部を実施しないことも可能だという建て付けだ。だが例えば「個々の企業の経営に介入することになるので、原則5は実施しない」というなら、日本版スチュワードシップ・コードなど全くの骨抜きの空文と言うしかない。
・しかるに、「投資先企業の持続的な成長に資する」対話や議決権行使といった立派なことが、年金基金であれ、運用会社であれ、機関投資家に可能なのだろうか。 元ファンドマネジャーとして筆者個人の感想を率直に言うと)。はっきり言って「プロの投資家」は「ビジネスの素人」である。彼らとの対話が本当に参考になると思うようでは、プロの経営者として相当に問題のあるレベルだろう。
・もっとも、上場会社の経営者にとっては、対外的には「対話がためになる」と言っておくのが正解なので、この言葉自体を批判しても仕方のないことではある。また、後述のように経営者にはもっとしたたかな狙いがある。
▽難問「アンダーウェイト株主問題」 株式価値が上がると利害に反する!?、「投資家との対話がためになる」と経営者が言うのを聞くと、ぞっとする。経営の素人である機関投資家と話している暇があったら、もっと真面目にビジネスそのものに時間を使え、と思う(同様のことは、運用者にも言える。顧客・投資家と触れ合っている間は、運用に時間を割いていない
・少々唐突だが、トヨタ自動車(コード番号7203)は1月25日現在で約22兆8000億円の株式時価総額を持っており、東証一部全体の時価総額、約520兆円の約4.4%を占めている。一方、TOPIXは東証一部の時価総額を元に計算される株価指数で、機関投資家の国内株式の運用パフォーマンスを測る際の比較相手になる代表的な「ベンチマーク」だ。細かいことを言うと、TOPIXは大株主の持ち分を取り除く調整をした「浮動株ベース」で算出されるので、トヨタがTOPIXに占める比率は厳密には4.4%ではないが、仮に「トヨタはTOPIXの4.4%を占める」としよう。
・さて、この場合に、自分が運用する国内株式ポートフォリオの中で、トヨタの比率が4.4%未満の運用者(「トヨタをアンダーウェイト」している運用者)は、トヨタの株式にどうなってほしいと思うだろうか?
・例えば、トヨタの株式を2%組み入れて巨額の株式ポートフォリオを運用しているファンドマネジャーがいるとしよう。他の銘柄の影響を一定とすると、彼は、トヨタの投資リターンがTOPIXを下回った場合に、ベンチマークを「アウトパフォーム」することができる。つまり、よくやったと評価されるはずだし、ビジネス上の競争にも勝つのだ。極端な仮定を言うと、トヨタの株価がゼロになって倒産するような事態があれば、ベンチマークに大勝ちできるのだ。
・彼にとって、トヨタとの「対話」や「議決権行使」に当たって、トヨタの株式価値が上がるように行動することは、ビジネス上の利害に反することになる。さて、彼は、どうしたらいいのだろうか。
▽「お前が消えて喜ぶ者に お前のオールを任せるな」
・上記のトヨタのようなケースに限らず、市場平均よりも「良い」と思っていない銘柄でもアンダーウェイトで組み入れることは、ポートフォリオのリスクの観点から合理的な場合が十分あるし、運用技術上はむしろ必要なことだ。上場企業の株式を対ベンチマーク比アンダーウェイトで保有する機関投資家は多いはずだし、保有されている企業の株式も相当の量になるはずだ。
・ 「アンダーウェイト保有の株式の議決権行使はどうあるべきか?」というこの問題は、実は、元証券業界の尊敬する先輩に教えてもらったのだが、なかなか考え甲斐のある難問だ。
・この問題を考えると、いつも筆者の頭の中には、中島みゆき氏の「宙船」(そらふね)という歌の一節が鳴り響く。「お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるな」というフレーズが繰り返し聞こえてくる。 とはいえ、「ベンチマーク比でアンダーウェイトする株主は、我が社の株を持つな」と会社なり資金の預け手なりが言って、機関投資家がそのルールに従ったとすると、巨大な売り圧力が発生するだろうし、ポートフォリオは方々で滅茶苦茶になるだろう。
・正解(と筆者が思うもの)はあえて書かないが、どうしたらいいか、読者も考えてみてほしい。 一つ、確実に言えそうなのは、機関投資家株主の経営関与がプラスに働くと期待するのは、過剰に楽観的であるということだろう。
▽機関投資家株主は利用されるサクラ 真に得をするのは自身の利益を得る経営者
・一見、経営者は、機関投資家株主との「対話」を、仕方なく受け入れているように見える。しかし、よく考えると、日本の経営者たちはもっとしたたかだ。 機関投資家が要求するのは、「無駄なキャッシュを持つな(≒自社株を買え、増配せよ、等)」、「ROEを上げよ」、「コストを厳しく削減して利益を上げよ」といった、株主にとって利益となるような経営をせよという原則論だ。
・彼らは、他方で、彼らの望むような経営を行う経営者の報酬を上げることに対しては、それほど敵対的ではない。 経営者にとっては、ここに、株主の意向を盾に賃金の抑制など経営効率の改善を進める一方で、自分では役員報酬やストックオプション、自社株などから利益を得るチャンスがある。さらに、機関投資家株主が好む「社外取締役」は、しばしば、経営者の報酬を上げることに対して「お墨付き」を与える役割を果たしてくれている(委員会等設置会社の報酬委員会が典型的だ)。
・日本の経営者は、株主・投資家のプレッシャーを受けているような顔をしながら、ちゃっかり自分の報酬を増やそうとしているのである。他方、株主・投資家にとっても、経営者が短期的に株式のリターンを上げることに関与できるのだとすると、報酬を上げることで経営者をいわば買収できるなら、悪い話ではないようにも見える。
・大まかには、機関投資家が経営者と企株主・投資家と経営者の相互利用関係ができているようでもあるが、この関係で一時的にリターンを嵩上げして真に得をしているのは、資産を長期に運用しなければならない投資家よりも、任期に限りがある経営者の方だろう。
・経営者の報酬水準を上げることが必ずしも悪いケースばかりではないと思うが、機関投資家が経営者と企業の成長に資する対話をして経営に関与し、議決権行使も行うという一連の儀式は、企業や経済の成長に与える影響が不確かであやふやである一方で、経営者には都合良く利用されている面があることに、投資家も、そろそろ気づいてもいい頃合いではないだろうか。もちろん、心ある経営者の中にも、問題に気づいている方がおられるだろう。
http://diamond.jp/articles/-/85240

次に、経営共創基盤の冨山和彦CEOが2月4日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「愛社精神」という、日本独自の不毛な発想 半沢直樹の苦悩は欧米人には理解できない」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・カネボウやJALを再生させた日本のガバナンス経営の第一人者が、日本の企業統治の問題点や、今後求められるガバナンスのあり方を解説する。
・東芝は組織ぐるみで長年不正会計を行ってきたが、ひとりくらい、「こんなことはよそう」と反対する人がいなかったのだろうかという疑問がわく。実際問題として、そういう声はなかなか上がらないのが日本の組織だ。その背景には、自分の人生や生活と会社を重ね合わせ、過剰な共同体意識や愛社精神を持ってしまう、日本人的な性(さが)がある。
・日本の会社は世界の組織のなかでも最も同一的で同質的な集団である。そして、このような集団では、入社してすぐ背番号がつけられ、一生それを背負っていくことになる。そうした集団で長く過ごしていると、その集団内の規範が社会的規範を凌駕するのだ。おそらく、東芝の経営陣の間でも、不正は悪いことだと認識しつつ、「これは会社を存続させるために必要なことなんだ」という空気が醸成されていたと思われる。
▽『沈まぬ太陽』『半沢直樹』で描かれた日本独自の苦悩
・そういう共同体では、裏切り者が密告したりすることは基本的に少ない。もしあったとしても、その代償は所詮、ムラの中での「左遷ごっこ」にすぎないことが多い。
・作家・山崎豊子氏の『沈まぬ太陽』では、日本航空がモデルと思われる航空会社を舞台に権力闘争の激しさが描かれている。映画化もされ、多くの日本人サラリーマンの共感を得た小説だが、冷静になって考えてみると、ずいぶんドラマチックに書かれているものの、結局は終身雇用の枠の中でやっている「左遷ごっこ」「出世ごっこ」にすぎない。
・仮に権力争いに負けて失脚したところで、殺されるわけではない。会社をクビにすらならない。せいぜいナイロビに飛ばされるだけ。しかも、飛ばされたところで当時の日本航空のご立派な年金はもらえるのだ。引退したプロ野球選手や選挙に負けた政治家のように、いきなり食うに困るようなシビアな世界に追いやられるわけでもない。
・近年大ヒットしたドラマ『半沢直樹』もそうだ。筆者も大好きなこの作品では、主人公やその仲間が会社の不正と戦い、窮地に立たされるのだが、どんなに最悪の場合でもその銀行のどこかの部署、あるいは関連企業に在籍することは認められている。つまり、どこまでいっても共同体の中の話なのだ。
・こうしたドラマでは、その共同体の枠から飛び出すかどうかで主人公が悩むわけだが、それがドラマチックな話として成立するのは日本だけだろう。なぜなら、海外ではみんなしょっちゅう会社を変わるからだ。特にエリートほど会社を移るから、なぜ優秀な半沢直樹がそこまで会社のために戦い、苦悩するのか理解されないだろう。
・こうした日本人独特の共同体意識が、時には「愛社精神」と称されることもある。しかし、愛社精神が強い人が多くいる会社ほど、「東芝型」の不正を起こしやすいとも言えるだろう。
・筆者はかねがね、愛社精神というものに疑問を抱いている。一緒に汗を流した「仲間」を愛するのはいい。自分の「仕事」や携わる「事業」に誇りを持つこともいい。しかし、「会社」を愛するとはどういうことなのだろうか。東芝という「会社」は、見ることも触ることもできない抽象的なものであり、多くの人が会社と聞いてイメージするのは、単なる本社の建物である。それは建築物であり、会社ではない。
・会社とは何か。事業という目的のためにつくられた、法律的なフィクションである。愛したり、社会規範に背いてまで守るものではない。
▽会社のために事業があるのではない
・日本はたまたま景気のいい時代が長く続いたため、会社というものが、社員の生活をゆりかごから墓場まで保証してくれる存在のように思われてきた。しかしそれは本来、国のやるべきことである。
・ところが今の日本では、会社がいつの間にか、それを自己目的にしてしまっている。本来なら会社は事業を行うための器であり、競争力のある事業を行うことで結果的に、会社はそこで働いている人たちに給料を払えるのだ。その因果関係がひっくり返ってしまい、「社員の人生を保証するために会社がある」「会社を存続させるために事業がある」というように誤解されていることがある。
・こうなると会社は、「事業をするために人を雇う」のではなく「人を養うために事業をする」ことになる。たとえそれが、収益を生まなくなった事業であってもだ。不採算事業であってもリストラをしない会社は、ともすると人間を大事にする経営をしていると好意的に受け止められることがある。
・果たしてそうであろうか。残念ながら世の中は、会社(共同体)の論理よりも、事業の論理で動く。そして、事業の論理は冷徹である。事業の論理ですでに結論が出ていることを、会社の論理で覆すことは不可能なのだ。
・筆者は、日本の共同体を全否定するわけではない。事業の運営は、共同体の論理で進めてもかまわないと考える。その代わり、会社は事業という単位を超えて共同体を保証するものではないと、はっきりさせるべきだと考えている。会社というものはあくまでも、リスクのある事業を長期的に経営するために作り上げた法的なフィクションなのだから。
・経営者も社員ひとりひとりも、この原点に立ち返り、共同体の単位を「会社」ではなく「事業」単位で捉えることが、今求められているのではないだろうか。
http://toyokeizai.net/articles/-/102436

山崎氏の指摘、『「投資家との対話がためになる」と経営者が言うのを聞くと、ぞっとする。経営の素人である機関投資家と話している暇があったら、もっと真面目にビジネスそのものに時間を使え、と思う(同様のことは、運用者にも言える。顧客・投資家と触れ合っている間は、運用に時間を割いていない)』は、運用のプロならではのまさに正論だろう。日本版スチュワードシップ・コードに関する有識者検討会などでは、建前論ばかりで、山崎氏のような本音の議論がなかったのは残念だ。「アンダーウェイト株主問題」も確かに考えさせられる問題だ。また、『株主・投資家と経営者の相互利用関係ができているようでもあるが、この関係で一時的にリターンを嵩上げして真に得をしているのは、資産を長期に運用しなければならない投資家よりも、任期に限りがある経営者の方だろう』との指摘も、その通りだろう。
冨山氏の「左遷ごっこ」「出世ごっこ」、さらには、『愛社精神が強い人が多くいる会社ほど、「東芝型」の不正を起こしやすいとも言えるだろう』も確かにその通りだ。
ただ、『共同体の単位を「会社」ではなく「事業」単位で捉える』ようにしていくと、企業と従業員の関係もドライになり、「滅私奉公」など、従来型の日本的企業の「強み(?)」とされてきたものも、消えてゆくような気がする。或いは、ひところの猛烈なリストラの嵐のなかで、既に消え去っているので、心配することはないのかも知れない。
明日は、オプト、クックパッドの問題を、明後日はセブン&アイの問題を取上げる予定である。
タグ:日本企業のコーポレート・ガバナンス問題 (その3)機関投資家の役割、「愛社精神」 山崎 元 ダイヤモンド・オンライン 機関投資家は会社経営に貢献しない 日本版スチュワードシップ・コード 「貢献できる」と考えている人が作った 有識者検討会 深い理解に基づく建設的な「目的を持った対話」(エンゲージメント)などを通じて 企業価値の向上や持続的成長を促すことにより、「顧客・受益者」(最終受益者を含む。以下同じ)の中長期的な投資リターンの拡大を図る責任を意味 コンプライ・オア・エクスプレイン 「プロの投資家」は「ビジネスの素人」 彼らとの対話が本当に参考になると思うようでは、プロの経営者として相当に問題のあるレベル アンダーウェイト株主問題 極端な仮定を言うと、トヨタの株価がゼロになって倒産するような事態があれば、ベンチマークに大勝ちできる トヨタとの「対話」や「議決権行使」に当たって、トヨタの株式価値が上がるように行動することは、ビジネス上の利害に反することになる 機関投資家株主の経営関与がプラスに働くと期待するのは、過剰に楽観的 機関投資家株主は利用されるサクラ 真に得をするのは自身の利益を得る経営者 機関投資家が経営者と企業の成長に資する対話をして経営に関与し、議決権行使も行うという一連の儀式 企業や経済の成長に与える影響が不確かであやふやである 経営者には都合良く利用されている面があることに 冨山和彦 東洋経済オンライン 「愛社精神」という、日本独自の不毛な発想 半沢直樹の苦悩は欧米人には理解できない 東芝 織ぐるみで長年不正会計 剰な共同体意識や愛社精神を持ってしまう、日本人的な性( 同一的で同質的な集団 「左遷ごっこ」「出世ごっこ」 日本人独特の共同体意識が、時には「愛社精神」と称されることもある 愛社精神が強い人が多くいる会社ほど、「東芝型」の不正を起こしやすいとも言えるだろう 会社のために事業があるのではない 会社は事業という単位を超えて共同体を保証するものではないと、はっきりさせるべきだと考えている 共同体の単位を「会社」ではなく「事業」単位で捉えることが、今求められているのではないだろうか
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