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教育(その7)奨学金破産問題 [社会]

昨日に続いて 教育(その7)奨学金破産問題 を取上げよう。昨日は、6月2日付けNHKクローズアップ現代を紹介するとしたが、むしろ奨学金問題を幅広く取上げた以下の3つの記事を紹介することとした。

先ずは、1月26日付け東洋経済オンライン「奨学金が「貧困ビジネス」と言われる根本原因 日本の「教育の機会平等」がはらむ歪みとは?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「50歳を越えても返済が続く。とてもではないが、結婚や出産は考えられない」 「返済のためにアルバイト漬けになってしまうので、大学を中退せざるをえなかった」  奨学金の貸与を受けた人から、こうした悲痛な声が上がっている。本来人生を豊かにするはずの教育への投資が、逆に人生の選択肢を狭めることになっているという、深刻なものだ。
・奨学金と言えば、世界標準ではスカラシップ、すなわち返済不要の給付型のものを指すのが一般的だ。しかし、日本の場合は海外留学向けのもの以外は原則として貸与。平たく言えば、学生個人が負う借金である。
・日本において、高等教育における費用は、それぞれの家庭が負担することが普通だ。もし家庭に経済的余裕がなければ、学業と平行して自力で資金を捻出しなければ、学生生活を送ることは難しい。日本の奨学金事業の9割近くを担う独立行政法人日本学生支援機構は、「『奨学金』は、自分の力で有意義な学生生活を送り、将来の夢をかなえるための貴重な手段です」と学生向けガイドブックの中で強調する。
▽奨学金制度は、ビジネスと化しているのか
・しかし、奨学金問題対策全国会議事務局長の岩重佳治弁護士は「日本の奨学金制度は、利用者である学生のためのものではなく、『貧困ビジネス』となっている」と批判する。一般的に、「貧困ビジネス」とは、貧困層をターゲットにした、貧困を固定化するビジネスモデルである事業のことをいう。教育に対する援助としての位置づけであるはずの奨学金制度が、どうしてここまで罵倒されてしまうのか。
・そこには、利息がつく貸与金の増大や、延滞金というペナルティの存在、日本学生支援機構の回収に対する考え方など、いくつかの構造的な原因が見えてくる。
・日本学生支援機構が提供する奨学金には、2つのタイプがある。 特に優れた学生で、経済的理由により著しく修学困難な人に貸与する、無利息の第一種奨学金と、よりゆるやかな基準で貸与される、利息(上限は3%)が付く第二種奨学金だ。奨学金は、当初、無利子のものしかなかったが、大学への進学者の増加に対応するため、1984年から無利子の第一種奨学金を補完するものとして、有利子の第二種奨学金を創設した。
・第一種奨学金は、国の一般会計からの政府貸付金と返還金を財源としているから、無利子での貸与が可能だが、事業規模の拡大は簡単ではない。一方、第二種奨学金の財源は、財政融資資金等、民間からの資金が主であるため、ニーズに対する柔軟な対応が可能だ。政府の方針に基づき、1999年度からは貸与基準は大幅に緩和され、基準に合致する者全員への貸与が可能となるように、事業規模についても拡大した。その結果、利息付きで貸し出す第二種奨学金の割合は右肩上がりで激増し、現在では貸与額全体の3分の2に迫る。
・さらに、特に問題だと批判されるのが、返還期日を過ぎた場合のペナルティである、延滞金の存在だ。ペナルティの利率は10%だったものが、2014年に5%に下がったが、その負担はまだまだ大きい。延滞に陥る人の多くは、返したくても返すあてがないわけだが、こうした延滞金を付加されてしまえば、負債額が膨らんで先が見えない状況に追い込まれてしまう。そもそも、教育の機会均等を目的とするはずの奨学金に、ペナルティとしての延滞金を課すこと自体に反発の声も大きい。
▽奨学事業は金融事業へ変貌
・また、第二種奨学金は、高校で平均以上の学力があれば、無審査で貸与することになっており、貸し付け前の選別はできない。そうすると、大学は出たけれど、社会に出て経済的リターンを確保することができず、返還に困る人が出てくることも、ある意味必然と言える。こうした状況の中、2004年に旧日本育英会から日本学生支援機構に改編されてからは、延滞率の抑制を目指して回収の強化が進められてきた。奨学金の問題に詳しい聖学院大学の柴田武男教授は、次のように話す。 「2001年に日本育英会債券を発行したことが、金融機関としての性格を決定づけることになった。信用リスクの評価という市場からの洗礼を受けるようになったからだ。そして、日本育英会から日本学生支援機構へと組織変更されて独立行政法人になることによって、奨学事業は完全に金融事業へと変わった」
・そして、その回収のやり方にも批判が強い。延滞が4カ月になった時点で、債権回収会社(サービサー)に回収業務を委託し、延滞9カ月でほぼ自動的に裁判所を利用した支払督促まで進む。また、時効にかかった債権があっても、相手から積極的な主張がなければ減額することなく主張してくるという。さらに、一般的な金融業者とも異なり、債権のカットなどにもほとんど応じない。
・日本学生支援機構は、どうしてここまでして回収にこだわるのだろうか。 日本学生支援機構の担当者に取材すると、「公的資金が入っている以上、きちんと返還をしている人との公平性という観点も重要」という答えが返ってきた。確かに、以前は返還が可能なのに返そうとしない人が一定数存在し、モラルハザードが大きな問題になっていたことは事実だ。
・また、機構は「返還が厳しい事情がある方は、猶予制度を活用して欲しい」と繰り返す。逆に言えば、猶予の対象でなく、督促に対して連絡がなければ、訴訟による回収を前提とした行動を取るという姿勢が鮮明だ。しかし、岩重弁護士は「猶予制度の案内は、全く分かりにくく、不親切だ。案内についても外部の業者に委託されており、機構から丁寧な説明がなされているとは言えない」と批判する。 実際、日本学生支援機構での調査でも、延滞者の53.6%が、猶予制度の仕組みについて「知らなかった」と回答しているのだ(平成25年度奨学金の延滞者に関する属性調査結果)。日本学生支援機構の遠藤勝裕理事長も、「正直に言って、この組織は役人体質が根強かった。とにかく書いてあればいいという感じだったことは否定できない。今後は発信の方法も改善していく」と、問題があったことを認めている。
▽セーフティネットは機能しているのか
・返済猶予制度のようなセーフティネットが確実に機能していなければ、貸与を受けて教育を受けたものの、何らかの事情によって貧困に陥った人達に、追い打ちをかける構図が発生する。 こぼれ落ちてしまった人たちをフォローすることなく形式的な「公平性」を貫けば、奨学金制度が貧困の固定化を招く要因になることは事実だろう。回収によって得た延滞金は、学生支援機構の運営に当てられることもある。結果として、貧困層になってしまった要返還者を相手にした「ビジネス」的な要素が出てくる点も、確かに否定できない。
・ただ、そもそも、独立行政法人は、行政の企画立案部門と執行部門を分離し、執行部門に法人格を与えることによって、業務の効率性と質の向上を図るという目的で作られたものだ。日本学生支援機構が、独立行政法人として金融事業の考え方に基づいて効率性を重視して行動していることは、むしろ趣旨に沿ったものとも言える。一方で、民間企業のように利潤の拡大を追求しているわけではなく、「貧困ビジネス」とまで言い切れるかは疑問だ。
・もし、高等教育の資金援助といった公益性の高い業務で、効率性をミッションにすることがおかしいと批判するのであれば、そもそも独立行政法人に任せるべきでなく、国がやるべきということが真剣に議論されなければならない。柴田教授は、「入口は奨学金事業の性格を持ちながら、出口は金融の論理で行われているというねじれ現象が、奨学金問題の本質」と指摘する。ただ、国が直接運営すれば、弾力的な財務運営や柔軟な人事管理は困難になり、効率化・サービス向上のインセンティブも働きにくくなるというデメリットもある。
・また、奨学金事業に割り当てられる予算が少なすぎるのではないかという根本的な問題もある。限られた予算で運営している以上、ニーズを満たす資力がなければ、結局、給付にすることはおろか、無利子貸与である第一種奨学金の枠も少なくなることは当然だ。結果として、外部から資金調達をする金融的な手法を使わざるを得なくなる、というのが現実だろう。
▽奨学金が金融事業から切り離される日は来るか
・日本学生支援機構も、予算が増えれば金融的手法を積極的に用いることを望んでいるわけではなく、「まずは、第一種奨学金について、基準を満たす希望者全員への貸与の実現を目指す。厳しい財政状況ではあるが、意欲と能力のある学生等が進学等を断念することがないよう、今後も引き続き努力したい」とコメントしている。
・学校教育は、私たち一人一人が、人格を形成して、有意義な社会的生活を送るために欠かせないもので、営利を目的とする事業とは異なる。奨学金制度は、できる限り金融事業の考え方から切り離すべきだろう。
・日本学生支援機構の遠藤理事長も、「奨学金制度は原則として返還の不要な給付制を目指すべき。現在の日本の高等教育に対する予算が貧弱であることは、疑いようのない事実」と認める。
・しかし、給付型奨学金について以前から導入に積極的な姿勢を示していた馳浩文部科学大臣は、1月21日の参院決算委員会で、「まずは所得連動型返還制度の導入から進めていく」としてトーンダウン。安倍晋三首相も現時点での導入には否定的な見解を示している。奨学金制度が「事業」から脱却する日は、まだまだ遠いだろう。
http://toyokeizai.net/articles/-/102020

次に、NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹氏が6月2日付け東洋経済オンラインのインタビューに答えた「「給付型」奨学金が日本の貧困層には不可欠だ 成績だけで決めるべきでない本質的理由」を紹介しよう(▽は小見出し、――は質問、+は回答のなかの段落)。
・2016年に入ってから、奨学金をめぐる問題に関心が集まっている。これまで貸与型の奨学金しか存在しなかったことが特に問題視され、ついに政府も重い腰を上げた。返済不要の給付型奨学金について、「『ニッポン1億総活躍プラン』の中で『創設に向けて検討』することが明記され、閣議決定される予定になっている」(文部科学省)という。
・このテーマについて問題を提起し、世論をリードしてきたのは、奨学金問題対策全国会議だ。奨学金の返済に苦しむ人は、構造的に生み出されている「被害者」であると主張して、論陣を張ってきた。 一方、NPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹氏は、現場に身を置く立場から、これまでとは少し視点を変えて、この問題について世論を形成していくことを目指しているという。貧困に陥っている人には、なぜ給付型の奨学金が必要なのか。インタビューの前編である今回は、合理的な経済人を前提とするのではなく、現実の人間がどのように選択・行動し、その結果どうなるかを究明する行動経済学の観点から話を聞いた。
▽議論を「コップの中の嵐」にしないために
――これまでされてきた主張と、具体的にどの点が違うのでしょうか。
・「給付型奨学金を導入するべき」という主張の内容はおおむね同じです。しかし、これまで奨学金問題を取り上げていた人たちは、「今の奨学金制度はとても悪いから、給付型にせよ」というロジックのように見える。 こうした主張も善意からされているものだし、当然、リスペクト(尊敬)する気持ちはあります。しかし、今の与党はどちらかというと右派なので、左派系からの言説だけだと届きづらい面も出てきてしまい、議論が「コップの中の嵐」になりがちです。経済界の方々も賛成しうるような、行動経済学の見地からのロジック立てが必要だと考えました。
――進学を決める時点で貧困であっても、高等教育を受けて将来的にリターンを取ることができるなら、貸与でいいのではないかという声も根強い。
・そういった考え方はよく聞きますが、それは「持てる者」の論理です。どのような状況に置かれた人でも、「大学に行ったら、これくらいの所得が望めるから、借りても大丈夫だ」と合理的に計算できるという前提で語られています。 しかし、貧困にある人が経済合理的に考えることは、簡単ではありません。奨学金という名の何百万円もの借金を背負う選択を取ることは、普通しないんですよ。貧困者ほど、行動経済学的にいうと、「トンネリング」を起こしている。
――「トンネリング」とは?
・トンネルの中を走っていると、外のことはまったく見えず、出口に見える光しかわからない状況ですよね。短中期的なことに精いっぱいになって、長期的に合理的な行動ができなくなる、視野狭窄状態のことを「トンネリング」といいます。こうした知見の蓄積があるのが、国家が発展するプロセスを分析して低所得国の発展戦略を明らかにする、開発経済学の分野です。
▽命を守るはずの保険が、貧困層には売れない
・インドでの事例を挙げてみます。日照りが起きると畑が壊滅してしまい、作物が取れなくなることで、結果として人々は死に至ります。この問題を解決するために、先進国からNGOが現地に進出し、天候によるリスクに備えた保険を提供することにしました。しかし、これが貧困層には人気がなく、全然、売れなかったのです。 普通に考えれば、この保険に加入しておけば、いざという時に死ななくて済むわけです。小額の掛け金を払うことにためらうことはないはずですよね。そこで、彼らは「貧困状態にある人は、そもそも経済合理的な行動を取ることができないのではないか」と気づいたのです。
――日本の高等教育への進学の場面でも、同じことが起きていると。
・30年くらいの長期的な視点に立ってみれば、大学に進学して就職活動したほうが正社員になる確率も上がるから投資しても大丈夫なはず。しかし、借金をしてでもいいから教育に投資するべき、とは考えられない現実がある。
+しかも、かつては大学を出れば正社員になる道はある程度確保されていましたが、今は4割が非正規雇用。大学を出ても、必ずしも正社員になれる時代ではない。投資が合理的に返ってくるか不透明になっていて、リスクが高くなっているので、なおさら投資を行うことが難しくなっている。
――「トンネリング」を解決するための事前の情報提供に予算を使うことでは、解決できないのか。
・事前の情報提供は、そこそこ効果があるため、もちろん取りうる手段です。しかし、もっとあからさまにやることがよいという実験結果もある。 これはアフリカの事例ですが、文字を読めたほうが確実に所得が上がるということで、現地の子供たちのために無料で学校を作りました。中長期的には小学校に行けば先々のリターンが大きいことは明白です。当然、人々は子供をここに通わせるだろうと考えられました。しかし、今日の食べるものにも困る状況では、親は子供に、「学校に行くより、目の前の畑作業をやってくれ」となってしまい、思ったほどに進学率は伸びなかった。 そこでどうしたかというと、授業だけでなく、給食も無料で提供することにした。「学校に行けば、子供が食事にありつけることができる」という意識が出て初めて、進学率の大幅な向上に成功したのです。
▽「経済合理的な思考」を促すサポートが必要
――貧困に陥っている人に対しては、想定以上にわかりやすいインセンティブを提示しなければならない。
・「トンネリング」を起こしている人たちには、一歩踏み込んで、中長期的な合理性に導くというパターナリズムが必要なのです。しかし、合理的な考え方をする先進国では、こうした考え方をなかなか取りづらい。「どうしてお前のためにいろいろ提供しているのに、さらに別のお駄賃をあげないといけないんだ」といった発想になってしまう。
――奨学金についても、「貸与さえあれば十分だ」という主張をする人もこうした発想が前提になっているように感じます。
・そこを乗り越えていくことが、われわれの課題です。日本の福祉には、行動経済学の視点が全然生かされていません。ルールを決める人は貧困ではないことが普通で、「できる人」の目線でしか考えられない。「トンネリング」のことをそもそも知らないことが多いし、貧困者とか低所得者層がどういう状況に置かれているかの知見も、あまりない。
+「貧困層は経済合理的に行動することを期待できない」という話を啓発して、「そうなんだ。じゃあ、システムを変えなきゃ」となって、実際に変わるまでには、タイムラインとしてかなり時間がかかってしまうのが現実ですね。
――財源は限られていますが、給付にするとしたらどういった基準でラインを引くべきでしょうか。
・制度設計については、悩ましい面もあります。基本的には学びたい気はあるけど、親の所得によってあきらめざるをえない人に対して、給付型奨学金を希望にしてほしい、という考え方を取りたい。 成績を基準にすることも考えられますが、それではすくい取れない側面が出てきてしまうと思います。貧困層にいる時点で、さまざまなビハインドがあります。人生で早い段階でビハインドを負っていると、それが雪だるま式に増えていくもの。貧困だけど成績的に優秀ということは、統計的に少なくならざるをえない。
+だからといって、「誰でもOK」とすると問題が生じることは否定できない。そうすると、答えはバランスをとって中間くらいに設定することになる。ある程度の成績は見つつ、貧困層をすくい取っていくことが基本になるでしょう。
▽使途自由の給付型は弊害も大きい
――事前に渡し切る形の給付にすると、モラルハザードが起きる可能性も指摘されています。
・使途自由の形で奨学金を渡すと、問題が起きる可能性があることは理解しています。現在の貸与型奨学金でも、現金をその子の口座に支給すると、学生が遊びに使ってしまうということもある。また、低所得者層であればあるほど、家庭崩壊している可能性も高まります。振り込まれた奨学金を、親にパチンコで使われてしまうというリスクもあるんですよね。使途を学費に限定して、日本学生支援機構から大学に直接振り込むという選択肢もある。
――「トンネリング」に陥らない程度の所得層は、給付型奨学金はいらない?
・日本がどういう国になりたいか、という視点から逆算していくと、当然、教育そのものにおカネがかからないほうがいいに決まっている。万民に対して普遍的に、教育におカネがかからないという形になることがよいとは思っていますよ。ただ、現時点では財源にも限界がある。ある程度の所得者層に対して、給付型奨学金にする優先順位はとても低いでしょう。
http://toyokeizai.net/articles/-/120579

第三に、上記に続きである6月3日付け東洋経済オンライン「奨学金問題の根本原因は教育・雇用の歪みだ 高すぎる大学の学費は、少子化も加速させる」を紹介しよう(▽は小見出し、――は質問、+は回答のなかの段落)。
・将来への負担感を感じさせない給付型奨学金の必要性を強調する、NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹氏。貧困層は「トンネリング」と呼ばれる視野狭窄状態に陥っていることが多く、未来への投資を行う経済合理性を期待するのは難しいことを、導入の主な根拠としている(前編:「給付型」奨学金が日本の貧困層には不可欠だ)。
・しかし、同時に奨学金の問題は、それだけをみると本質を見失いがちだとも指摘する。硬直的な労働市場のあり方が、「大卒」を目指す人々のマインドに大きく影響しているし、高額の学費を受け取る大学が提供している、教育内容の問題も見逃すことはできない。インタビューの後編では、こうした奨学金に連関する問題点に迫った。
▽進学費用は、大学関係者の人件費が重い
――日本では、教育費は親が稼いで調達するのが当然という風潮、強いですよね。しかし、高等教育にかかる費用はとても高い。
・1人の子供について、大学を卒業させるまでには最低でも2000万円かかるんですよね。そのうちの半分が大学関係費用で、さらにその半分が大学関係者の人件費なんです。
――奨学金が、大学への追加の「補助金」化しているのではないかという批判もある。
・ここは明確にしておきたいのですが、私はどのような大学でもいいから、誰もが進学するべきだとは思っていません。いわゆる「Fランク大学」に入って卒業しても、きちんとした教育を受けられずに奨学金を返せるメドが立たないことになるなら、意味がない。
+そういう大学は、教育機関として失格だと思いますし、税金によって助ける必要なんてない。潰れるべき大学もまだまだあると思いますが、相当数、残っていますね。
――大学教育のクオリティが低いままで、給付型奨学金に予算を投入するのはいかがなものか、という意見も根強い。
・今だと、すべての文系大学で「マクロ経済A」を教えているけど、中には教え方がすごく下手な人もいるのが現実ですよね。僕の大学では竹中平蔵先生が担当されていたので、それなりにわかりやすかったけど、違う学部だと教授が黄ばんだノートを見ながらぶつぶつ教壇で独り言を言っていたり……。そういう人は極端な話、研究だけしてもらえればいいと思います。
+教えることに長けている先生の講義をビデオで撮って、インターネットで見られるようにすれば、それを基にディスカッションだけ大学でやるという形だってありえるかもしれない。そうすれば、教えるのが上手くない先生の人件費は減らせると思うんですよね。
――これまでの「大学」の形に縛られる必要はない、と。
・これからの教育現場では、学びを促進することがうまい、ファシリテーター的な人が求められてくる。教壇で独り言をつぶやいているような教授の人件費を削減できれば、日本の大学が家計に与える負担は下げられるし、日本の少子化問題にもポジティブです。
▽少子化問題の元凶なのではないか
・大学の問題は、学費の関係で貧困層にアクセスが閉じられているだけではありません。中間層にとっても、「子供をたくさん産もう」というインセンティブを減らす大きな要因になっている。そういう意味で、高い大学費用は少子化問題についても、とても罪深い存在なんですよね。
――それでも、「大卒」のシグナルがなければ、人生の選択肢は大きく変わってしまうという指摘もあります。
・高卒者が非正規になる割合が高くて、貧困に陥りやすい可能性が高いのは事実。「大卒」というシグナリング効果はまだまだ大きくて、相対的に貧困から脱する可能性が高くなるから、その道を残したほうがいいというのが給付型奨学金の話なのですが……。本質的には商業高校とか工業高校の改革をしないと、ダメなんですよね。
・ヨーロッパでは、高校が職業訓練校としての意味もあって、社会で通用する技能が学べるから、高卒でもなんらビハインドがない。日本でも、そうした技能に応じて給料も上がるなら、高卒であっても問題ないのですが、今の段階では、商業高校は偏差値の低い子が行くところ、みたいな状況になってしまっている。真のプロフェッショナル教育が行われていないという状況も問題です。
――新卒時点で大卒か高卒かで硬直的にコースが決まるということを、変えていく必要がある。
・本来、報酬や昇進は、その人の能力や履歴によって判断されるべき。その評価だって、労働市場に入ってから、いくらでもリカバリーできるようにしないといけないはずです。
+2011年8月に、ニューヨーク・タイムズでデューク大学の研究者、キャシー・デビッドソン氏の研究が発表されたのですが、そこには「米国で2011年度に入学した小学生の65%は、大学を卒業する時、今は存在していない職に就く」と書かれていました。 つまり20年くらいで産業構造が変わり、今までなかった仕事が生まれてくる。われわれは20年後にどうやって稼いでいけばいいかわからない、という状況に身を置かなければならない。そこで、重要になるには「学び直し」。つまり生涯教育です。
――いつでも「学び直し」ができる環境であれば、求職活動をするときに、高卒か大卒かは、そこまで意味をなさなくなるかもしれないですね。
・アメリカにはコミュニティカレッジとかがあって、社会人になった後も勉強している。私も留学してたときに、大人も学校に行って勉強している光景を見て、新鮮な感覚を抱きました。日本では、「勉強は若いときにするもの」ということで、いったん社会に出たらそれを食い潰して残りの人生を送るかたちになってしまっている。今の日本の生涯学習率は、世界的に見ても絶望的に低い。
▽企業に福祉を押しつけることは、もう限界
・正社員としてだと、週5で働くしか選択肢がない。4日働いて、1日学校に行くとか、なかなか難しいわけですよね。硬直的な働き方しかできないから、全年代における学びというもののアクセスが閉ざされている。そのことが、結局、「大卒」というシグナリング効果を有効たらしめているのではないかと思います。
――しかし、その正社員の立場を得ることで、初めて安定した社会保障を得ることができて、将来が見通せるようになるというのが現実。
・そもそも、日本では、企業が福祉を担う面があることを前提に設計されてきました。しかし、この「日本型福祉」とも言える特殊な枠組みは、今後も崩壊し続けます。早い段階で、企業が福祉を手放さざるをえないという現実を受け入れる必要がある。
+本来、福祉は社会全体で支えるものであって、国民に対しては政府がセーフティネットをきちんと張るべきです。そして、企業はグローバル競争に勝ち残ることに集中するかたちに転換しないといけない。そうしないと、世界の中で日本企業の競争力が相対的に落ちていくことは、避けられません。
――高校教育やワークスタイル、社会保障の問題と、奨学金の問題はよくよく考えると密接につながっているのですね。
・給付型奨学金を語ると、それさえあればすべて解決するかのように聞こえてしまうかもしれないけど、「大卒」というシグナリング効果を残存させる原因になっている労働市場や高校・大学の教育のあり方は、それぞれ改革が必要になります。
+ただ、目の前の貧困に陥っている子供たちをどう支援していくかということも、同時に考えていく必要がある。今は大学を出たほうが貧困から脱出できる可能性は高まるし、教育にアクセスがしにくい人は「トンネリング」(視野狭窄)に陥っている低所得者層の子のほうが相対的に多いから、給付型奨学金が必要だというロジックになるわけです。
▽教育にこそ、絶対に投資するべき
・これから日本では労働人口が減り、安いものをたくさん作るだけでは、世界で太刀打ちできない。そこで、イノベーションと知的付加価値で食べていく必要があるわけですが、教育が受けられない層の割合が増えると、イノベーションを生み出す確率も減っていくし、労働力の劣化も起きてくる。
+しかし、給付型奨学金の話をすると、すぐに「財源はどこから出すんだ」という話になる。でも、よく考えてみてください。年金で約50兆円、医療で約40兆円もの予算をかけている。一方で、極端な話、日本のすべての大学を無料化した場合でも、2兆~3兆円くらいあれば足りる。ケタが全然違うわけですよね。そうすると、やれることはまだまだたくさんある。
+この問題を単純化すれば、公的支出のポートフォリオをどう変更するかという話でしかないともいえる。日本は資源もない国ですから、人材こそが命です。先々のことを考えるなら、教育にこそ絶対に投資するべきなのです。
http://toyokeizai.net/articles/-/120610

第一の記事にあるように、『本来人生を豊かにするはずの教育への投資が、逆に人生の選択肢を狭めることになっているという、深刻なものだ』、はその通りだろう。『利息付きで貸し出す第二種奨学金の割合は右肩上がりで激増し、現在では貸与額全体の3分の2に迫る』というのでは、確かに奨学金破産も出てくる訳だ。『柴田教授は、「入口は奨学金事業の性格を持ちながら、出口は金融の論理で行われているというねじれ現象が、奨学金問題の本質」と指摘する』というのは言い過ぎの面があるにしても、やはり給付型奨学金、次善の策としては第一種奨学金の拡充を図るべきだろう。
第二の記事にある、『経済界の方々も賛成しうるような、行動経済学の見地からのロジック立てが必要』、というのは結構なことだ。『貧困者ほど、行動経済学的にいうと、「トンネリング」を起こしている』、として、『「経済合理的な思考」を促すサポートが必要』、というのはその通りだろう。
第三の記事にある、『大学の問題は、学費の関係で貧困層にアクセスが閉じられているだけではありません。中間層にとっても、「子供をたくさん産もう」というインセンティブを減らす大きな要因になっている。そういう意味で、高い大学費用は少子化問題についても、とても罪深い存在なんですよね』、『先々のことを考えるなら、教育にこそ絶対に投資するべきなのです』、もその通りだ。
ひところ深刻化した消費者金融問題は、貸金業法改正で落ち着いた。債務者の「借り過ぎ」、業者の「貸し過ぎ」は、世帯ごとの借入額に総量規制を導入したことで是正された。現在の奨学金破産問題の背景にも同じ事情がある筈である。ところが、日本学生支援機構のホームページ(下記)を見ても、「借り過ぎ」のリスクを説明するようなページはなさそうだ。これは、「罪作り」な話だと思う。
http://www.jasso.go.jp/
さらに、奨学金問題は、大学のあり方、雇用なども含む極めて広範な問題だ。安部首相の関心は残念ながら低いようだが、もはや待ったなしの問題であり、野党はもっと積極的に取上げることで、存在感を示すべきだろう。
タグ:日本の奨学金制度は、利用者である学生のためのものではなく、『貧困ビジネス』となっている」と批判 第二種奨学金の割合は右肩上がりで激増し、現在では貸与額全体の3分の2に迫る 利息がつく貸与金の増大や、延滞金というペナルティの存在、日本学生支援機構の回収に対する考え方など、いくつかの構造的な原因 無利息の第一種奨学金 奨学金と言えば、世界標準ではスカラシップ、すなわち返済不要の給付型のものを指すのが一般的だ 本来人生を豊かにするはずの教育への投資が、逆に人生の選択肢を狭めることになっているという、深刻なものだ 奨学金 返済のためにアルバイト漬けになってしまうので、大学を中退せざるをえなかった 有利子の第二種奨学金 50歳を越えても返済が続く。とてもではないが、結婚や出産は考えられない 奨学事業は金融事業へ変貌 延滞金の存在 東洋経済オンライン (その7)奨学金破産問題 教育 「奨学金が「貧困ビジネス」と言われる根本原因 日本の「教育の機会平等」がはらむ歪みとは? 日本育英会から日本学生支援機構へと組織変更されて独立行政法人になることによって、奨学事業は完全に金融事業へと変わった 債権回収会社(サービサー)に回収業務を委託し、延滞9カ月でほぼ自動的に裁判所を利用した支払督促まで進む 一般的な金融業者とも異なり、債権のカットなどにもほとんど応じない 猶予制度 延滞者の53.6%が、猶予制度の仕組みについて「知らなかった」と回答 柴田教授は、「入口は奨学金事業の性格を持ちながら、出口は金融の論理で行われているというねじれ現象が、奨学金問題の本質」と指摘 給付型奨学金 安倍晋三首相も現時点での導入には否定的な見解 駒崎弘樹 「「給付型」奨学金が日本の貧困層には不可欠だ 成績だけで決めるべきでない本質的理由 経済界の方々も賛成しうるような、行動経済学の見地からのロジック立てが必要 貧困者ほど、行動経済学的にいうと、「トンネリング」を起こしている 視野狭窄状態 「経済合理的な思考」を促すサポートが必要 奨学金問題の根本原因は教育・雇用の歪みだ 高すぎる大学の学費は、少子化も加速させる 進学費用は、大学関係者の人件費が重い いわゆる「Fランク大学」に入って卒業しても、きちんとした教育を受けられずに奨学金を返せるメドが立たないことになるなら、意味がない そういう大学は、教育機関として失格だと思いますし、税金によって助ける必要なんてない。潰れるべき大学もまだまだあると思いますが、相当数、残っていますね 大学の問題は、学費の関係で貧困層にアクセスが閉じられているだけではありません。中間層にとっても、「子供をたくさん産もう」というインセンティブを減らす大きな要因になっている。そういう意味で、高い大学費用は少子化問題についても、とても罪深い存在なんですよね 、「大卒」のシグナルがなければ、人生の選択肢は大きく変わってしまうという指摘もあります 教育にこそ、絶対に投資するべき 「借り過ぎ 貸し過ぎ」 消費者金融問題 総量規制を導入 本学生支援機構のホームページ 、「借り過ぎ」のリスクを説明するようなページはなさそうだ
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