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格差問題(その6)(日本の劣化が止まらない 「所得格差」が人の心と社会を破壊する、新型コロナが浮き彫りにした格差社会の危険な先行き、コロナ後の共同体意識の高まりは「富の偏り」を是正できるか 「コロナ後の世界」特集(5)) [社会]

格差問題については、昨年9月12日に取上げた。今日は、(その6)(日本の劣化が止まらない 「所得格差」が人の心と社会を破壊する、新型コロナが浮き彫りにした格差社会の危険な先行き、コロナ後の共同体意識の高まりは「富の偏り」を是正できるか 「コロナ後の世界」特集(5))である。

先ずは、昨年12月2日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したNagata Global Partners代表パートナー、パリ第9大学非常勤講師の永田公彦氏による「日本の劣化が止まらない、「所得格差」が人の心と社会を破壊する」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/221985
・『昨今日本でも、非人道的な暴力事件が目立つこともあり、人の心や社会の状態が悪くなっていると感じる人が多いといいます。確かにこうした劣化を示すデータは多くあります。その背景にあるのが格差の拡大です。格差は、人と社会の健康を蝕みます。そして今世界各地で見られているように社会の分断、暴動、革命、戦争に発展します。既に劣化の段階に入っている日本…このファクトを認識し、格差是正に向けた国民的議論が期待されます』、興味深そうだ。
・『所得格差の大きさと社会問題の発生は正比例する  「所得格差」と「人と社会の健康状態」の相関関係を示した調査研究は多くあります。その中で本稿では、体系的かつ国際的なものとして、英国の経済学者で公衆衛生学者でもあるリチャード・ウィルキンソンの研究を示します。 すでにご存じの方もいると思いますが、図1は、2009年に彼のチームが発表したデータです。横軸は、所得格差で、右に行くほど格差が大きい国です。縦軸は人と社会の健康状態で、上に行くほど悪く、社会問題が深刻な国です(枠線内のさまざまな指標を用い総合的に算出)。 これを見ると、「所得格差」と「社会問題」が見事に正比例していることがわかります。調査対象国中、最も格差が少なく人の健康も社会の状態も良いのが日本、その正反対にあるのがアメリカです。 ◆図1 所得格差が大きくなるほど、人の健康も社会問題も悪化する(リンク先参照)』、「「所得格差」と「社会問題」が見事に正比例している」のは確かなようだ。
・『小格差国から中格差国へ、そして超格差国の仲間入り?  図2は、図1の所得格差(横軸)を対象国別にならべたものです。上位20%の富裕層の平均所得を下位20%の貧困層の平均所得で割った所得倍率です。情報源は、国連開発計画・人間開発報告書で示された2003~06年のデータです(ウィルキンソン氏に確認済み)。 そこで、筆者が同じ情報源にある最新データ(2010~17年)を用いて、所得格差を国際比較したのが図3です。日本は3.4倍から5.6倍と、10年たらずで格差が広がり、右側の高格差国に仲間入りしていることがわかります。 ◆図2 所得上位20%の人は、下位20%の人より、どれほど金持ちなのか?(2003~06年データ)(リンク先参照) ◆図3 所得上位20%の人は、下位20%の人より、どれほど金持ちなのか?(2010~17年データ)(リンク先参照)』、「日本は3.4倍から5.6倍と、10年たらずで格差が広がり、右側の高格差国に仲間入りしている」、急速に高格差国になったことがここまでキレイに図示されるとは驚かされた。
・『日本は3.4倍から5.6倍と、10年たらずで格差が広がり、右側の高格差国に仲間入りしている  ウィルキンソン氏の研究結果に従うと、日本では格差が拡大した分、人の健康も社会問題も悪化しているはずです。これを同氏が当時使った統計データの最新版で確かめたいところです。しかし残念ながら継続的にとられていないデータも多く、変化を正しく捉えられないため、別のデータに目を向けてみることにしましょう。 すると、確かに昨今の日本の劣化を示すものは多くあります。例えば、精神疾患による患者数は、2002年の約258万人から2017年には419万人に(厚生労働省・患者調査)、肥満率も、1997年の男性23.3%・女性20.9%から2017年には男性30.7%・女性21.9%と増えています(厚生労働省・国民健康栄養調査)。 ここ20年間(1996年~2016年)の刑法犯の認知件数を見ると、戦後最多を記録した2002年以降は全般的に減少傾向にあるものの、犯罪別では悪化しているものが多くあります。傷害は約1万8000件から約2万4000件に、暴行は約6500件から約3万2000件に、脅迫は約1000件から約4000件に、強制わいせつが約4000件から約6000件に、公務執行妨害が約1400件から約2500件に、住居侵入が約1万2000件から約1万6000件に、器物損壊が約4万件から約10万件に、それぞれ増加しています。 また2013年あたりから振り込め詐欺の増加に伴い、詐欺事件が約3万8000件から約4万3000件に増えています(法務省・犯罪白書)。こうした犯罪の増加も影響してか、他人を信用する割合も、2000年の40%から2010年には36%に低下しています(World Values Survey)。さらに、日本人の国語力や数学力の低下を指摘する調査や文献も多くでてきています』、確かに「人の健康も社会問題も悪化している」ようだ。
・『格差はやがて社会の分断、暴動、革命に発展  格差の拡大は、人々の倫理観の低下を招き、犯罪、暴力やハラスメント事件を増やし、ストレスと心の病を持つ人を増やします。それに伴い、社会全体が他人を信用しない、冷たくギスギスしたものになることは前述したとおりです。また、格差が人の幸福感を低くするという研究もあります(Alesina et al 2004, Tachibanaki & Sakoda 2016等) 。 さらに格差が、社会の分断、暴動や革命を引き起こすことを示す歴史上の事実は多くあります。例えばフランス革命です。国民のわずか2%の権力者(王室家系、高僧、貴族)が国の富と権力を握り続けたあげくに起きた、社会のあり方を大きく転換させた歴史的な出来事です。 また所得格差が異なる宗教、民族、地域アイデンティティ、政治的イデオロギーと重なるとさらに厄介です。紛争が起きる可能性、そのパワーや社会へのインパクトが、一気に高まるからです(オスロ国際平和研究所調査2017)。 例えば、今の香港はその典型例です。一昨年には過去45年間で格差が最大に広がっています(所得格差を表す指標の1つジニ係数が、アメリカの0.411を超え0.539まで拡大)。これに、地域アイデンティティ(香港人と中国人)、政治的イデオロギー(自由民主主義と一党独裁社会主義)という2つの要素が重なるため、問題が根深いのです。 この点では、日本も他人事ではいられません。個人間の格差は前述の通り短期間で拡がっています。また、「大都市圏と地方」、「正規と非正規雇用者」などグループ間格差も顕著になっています。もしこれが日本以外の国ならば、暴動や革命が起きてもおかしくない状態です。今こそ、こうした格差と社会の劣化を客観的かつ真剣に捉え、国民的議論を起こすべきではないでしょうか。なぜならば、民主主義社会における変革は、国民的議論と意思表示が出発点になるからです』、説得力溢れた主張で、全面的に同意したい。

次に、本年3月24日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「新型コロナが浮き彫りにした格差社会の危険な先行き」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00067/?P=1
・『「感染症は不平等のリトマス試験紙」──。 これは米ミシガン大学の疫学の助教、ジョン・ゼルナー氏の言葉 である。 先週、「ナショナル・ジオグラフィック」の記事で引用されたものだ。ここでは新型コロナウイルスの今回アウトブレイクや過去の研究から、医療従事者や介護職など特定の職業に就く人や、低所得者層の感染リスクと予防の難しさを伝えている。 例えば、米国の新型コロナによる死者が、ワシントン州最大都市シアトルで多い最大の理由を、「ホームレスの多さにある」と分析。ホームレスの大半は屋外で寝起きし、多くが高齢者や慢性的な健康問題を抱えている人々のため重症化しやすいとした。 また、低所得者は比較的混み合った環境で暮らし、未治療の基礎疾患があり、休めない仕事に就いてる人が多いと指摘。 「家の中にこもるにしても、食料品店には行かなければなりません。では、食料品店で働いているのは誰でしょうか。必要なものをネットで注文すれば、外出せずに済むでしょう。しかし、誰がその荷物を運ぶのでしょうか」 ゼルナー氏は、こう疑念を呈したという』、「感染症は不平等のリトマス試験紙」とは言い得て妙だ。
・『金のあるなしで命に格差の現実  トランプ大統領が国家非常事態宣言をし、最大500億ドル(約5兆4000億円)の連邦政府予算を検査や治療の拡充に充てると発表したのも「医療保険未加入の人への無料検査、食料支援」を行うためだ。支援策には「2週間の有給疾病休暇」や「最大3カ月の有給介護休暇」「すべての学生ローンの利息の帳消し」など、低所得者層への幅広い救済策が予定されている。 所得格差が医療格差に直結してる国ゆえの緊急支援策。そう捉えることができる。 しかしながら、これは米国の話であって、米国の話だけではない。 「何言ってるんだ!日本は国民皆保険だろ!」。そう思われる人もいるかもしれないけど日本も事情は同じ。“目に見えてない”だけだ。 経済的理由から病院に行けない人は、2008年のリーマン・ショック以降、たびたび報告されてきた。2009年に全日本民主医療機関連合会が、加盟医療機関を対象に行った調査では、経済的な理由から受診が遅れ死亡に至った事例は、2009年の1年間だけで少なくとも47件もあった。 2018年7月には、北海道民医連が、「2017年経済的事由による手遅れ死亡事例調査」の結果報告の記者会見を行い、「国民皆保険といわれながら、困窮する中で受診を控えて手遅れになるという事例が毎年発生している。金のあるなしによって、命に格差が持ち込まれることがあってはならない」と訴えた。 調査結果によれば、2017年の道内の死亡事例63件のうち、男性が8割、年齢は50~70代が8割で、雇用形態は無職や非正規雇用が約7割だった。約半数が正規の保険証を持っていたのに、受診できずに亡くなっていたという。 年代は前後するが、2014年に行われた「非正規第一世代」の氷河期世代を対象にした調査で、壮年非正規雇用者の15.9%が「お金がなくて病院に行くのを我慢したことがあった」と答えていることからも、“目に見えない格差”が身近に存在することが分かるはずだ(独立行政法人 労働政策研究・研修機構「壮年非正規労働者の仕事と生活に関する研究」より)。 そして、今。この時間にも、「大丈夫かなぁ」と不安を感じながらも病院にも検査にも行けない人がいる可能性はある。 が、今回、私が最も危惧してるのは「この先」だ。 既に、非正規やフリーランスの人たちの収入が激減したり、途切れたり、雇い止めにあうなど困窮している状況は伝えられているが、彼らはもともと“リソースの欠損”という、極めてストレスフルな状況に慢性的に苦しんでいる人たちだ(リソースについては後で説明する)。そして、今は「持てる人」の集団にいる人の中にも、ギリギリの“リソース”で生きている人たちがいる』、「国民皆保険といわれながら、困窮する中で受診を控えて手遅れになるという事例が毎年発生」、確かに「格差」は「医療」面にまで及んでいるようだ。
・『1万2000円の現金バラマキに効果はあるのか?  政府は「厳しい状況の経済をV字回復させなければならない」として、国民1人当たり1万2000円以上の現金給付を検討しているようだが、こんなバラマキにいったいどんな効果があるのか。私には全く理解できない。 まずは、社会経済的に弱い立場の人たちへの支援に集中すべきだ。だいたい「今後仕事はどうなるのだろう?ちゃんと稼げるのだろうか?」と不安定な状況にある非正規やフリーランス、利用者が激減している旅館やレストラン経営をしている人たちが1万2000円もらっても、焼け石に水だ。 選挙対策ではなく本気の新型コロナ対策なら、困窮している人、先が見通せない人に集中的にお金を使わないと、“持たざる人”の心身はどんどんとむしばまれる。景気対策だのなんだのと言う前に、命を救うことが先決じゃないのか。 これはあおっているわけでも、悲観的に考えているわけでもない。日本には“見えない格差”が確実に存在しているのだ。普通に暮らしている人の影で、普通に暮らせない人たちが確実に増えているのだ。そして、それは想像以上に深刻である。 ここで集中的に支援しないと日本の土台は崩壊し、日本社会そのものが「自然死」するかもしれないのである。 そもそも私たちの「健康」を決定するのは、遺伝子などの生物学的因子だけではない。所得、職業、学歴、家族、社会的サポートなどの、社会経済的因子によるものが極めて大きい。この世に誕生してから命が絶えるまで、私たちはさまざまなストレスに遭遇する。ストレスは人生にあまねく存在し、人生とは「ストレスへの対処」の連続である。 その対処の成否を左右するのが、“リソース”だ。 今後さらに深刻になるであろう格差問題は、健康社会学的に捉えればリソースの問題である。リソースは、専門用語ではGRR(Generalized Resistance Resource=汎抵抗資源)と呼ばれ、世の中にあまねく存在するストレッサー(ストレスの原因)の回避、処理に役立つもののこと。 「Generalize=普遍的」という単語が用いられる背景には、「ある特定のストレッサーにのみ有効なリソースではない」という意味合いと、「あらゆるストレッサーにあらがうための共通のリソース」という意味合いが込められている。平たく言い換えれば、「いくつもの豊富なリソースを首尾よく獲得し、保持していくことが重要」であり、リソースは生きる力の土台となる。 お金や体力、知力や知識、学歴、住環境、社会的地位、サポートネットワークなどはすべてリソースである。リソースは対処に役立つことに加え、ウェルビーイング(個人の権利や自己実現が保障され、身体的、精神的、社会的に良好な状態)を高める役目を担っている。例えば、貧困に対処するにはお金(=リソース)が必要だが、金銭的に豊かになれば人生における満足感も高まるといった具合だ』、「国民1人当たり1万2000円以上の現金給付を検討」、その後、10万円の特別定額給付金となった。「ストレスへの・・・対処の成否を左右するのが、“リソース”だ・・・いくつもの豊富なリソースを首尾よく獲得し、保持していくことが重要」であり、リソースは生きる力の土台となる。お金や体力、知力や知識、学歴、住環境、社会的地位、サポートネットワークなどはすべてリソースである。リソースは対処に役立つことに加え、ウェルビーイング・・・を高める役目を担っている」、なるほど、重要な概念のようだ。
・『ストレスに耐えるリソースの大元はカネ  一方、リソースの欠損は、慢性的なストレスになる。前回「慢性的なストレスにさいなまれている人は、突発的なストレスに襲われたときにダイレクトにダメージを受ける。これはストレス学の定説だが、今回の新型コロナウイルス騒動でも全く同じ現象が起こっている」と書いたのも、リソースの欠損の根深さを意味している。 既にお気づきの通り、「カネ」の欠損状態が、さまざまなその他のリソースを複合的に欠損させる。非正規やシングルマザーなど、所得が低い人たちはもともとリソースが欠損しているのに、新型コロナ騒動で経済的にも窮地に追いやられている。 そして、その影響は子供にも伝播する。 貧困の最大の問題は「普通だったら経験できることができない」という、機会の略奪だが、とりわけ幼少期の「機会奪略」はその後の人生の選択にも大きな影響を与え、リソースの欠損に直につながっていく。 教育を受ける機会、仲間と学ぶ機会、友達と遊ぶ機会、知識を広げる機会、スポーツや余暇に関わる機会、家族の思い出をつくる機会、親と接する機会……etc.etc。 私たちは幼少期にこういったさまざまな経験を積む中で、80年以上の人生を生き抜く「リソース」を獲得する。ところが低所得世帯の子供はそういった機会を経験できず、進学する機会、仕事に就く機会、結婚する機会など、「機会略奪のスパイラル」に入り込み、「貧困の連鎖」が拡大するのだ。 今、すぐにでも集中的にお金をつぎ込まないと、子供たちの未来にも影響を及ぼすことになりかねない。景気拡大より、経済支援。一律じゃなく集中的に。「10万円貸し出す」だの「1日4100円支給する」だの言ってないで、必要な人に衣食住に最低限困らない生活を保障するくらいしてもいいのではないか。 しかも、リソースの欠損は「孤独感」と背中合わせだ。孤独感は、家族といても、職場にいても、「『社会的つながりが十分でない』と感じる主観的感情」と定義され、「外的なリソース」への認知を意味している。 社会的動物である私たちは他者と協働することで、生き残ってきた。共に過ごし信頼をつなぐことで安心を得てきた人間にとって、共に過ごす他者の欠如は絶え間ない不安をもたらし、大きなストレスになる』、「低所得世帯の子供はそういった機会を経験できず、進学する機会、仕事に就く機会、結婚する機会など、「機会略奪のスパイラル」に入り込み、「貧困の連鎖」が拡大するのだ」、「リソースの欠損は「孤独感」と背中合わせだ・・・社会的動物である私たちは他者と協働することで、生き残ってきた。共に過ごし信頼をつなぐことで安心を得てきた人間にとって、共に過ごす他者の欠如は絶え間ない不安をもたらし、大きなストレスになる深刻な状況だ」、確かに放置することが許されないような状況だ。
・『ストレスは体の健康を壊す  ストレスを慢性的に感じていると身体の免疫システムが弱まり、心臓病や脳卒中、がんのリスクを高めるほど心身をむしばんでいく。うつ傾向になったり、認知機能が低下したりする場合もある。 孤独を感じる大人、孤独を感じる高齢者、孤独を感じる子供たちが増えないよう、経済的支援に加え社会的なサポート=つながりを充実させる仕組みも不可欠なのだ。 既にNPOやボランティアの方たちが、小中高一斉休校で孤立しがちな低所得者層の子供たちに支援をしてくださっているけれど、もっと地方自治体が積極的に関わった方がいい。 例えば、台風などの自然災害のときに、返礼品なしのふるさと納税を取り入れた地方自治体があり、私も少額ながら寄付させていただいたけれど、同じことをやってはどうだろうか。 仕事がなくて困っている人が、介護の現場など人手が足りない現場のサポートのアルバイトをしたり、家に閉じ込められている高齢者を散歩に連れ出すテンポラリーのバイトなどを自治体が実施し、その財源の一部にふるさと納税を使うというやり方だってあるのではないか。 少々ややこしい話ではあるが、「カネの欠損がリソースを複合的に欠損させる」ことに間違いないのだけど、カネさえあればいいってわけでもない。以前、「食べるのに困る家は実際はない。今晩、飯を炊くのにお米が用意できないという家は日本中にない。こんな素晴らしいというか、幸せな国はない」とのたまった政治家さんがいたけど、貧困とは金の問題であって、金だけの問題ではないのである。 「自分には信頼できる人がいる。自分にほほえんでくれる人たちがいる」という確信を、社会が、「私たち」がつくっていくことも格差問題に向き合うには大切なのだ。 そして、もう一つ。この先に懸念されることを話しておく。 格差問題では、相対所得による影響も考える必要があるってこと。 所得格差が大きい社会では、個人の所得水準や年齢、学歴、婚姻状態に関係なく、「主観的な健康感の低い人」が増え、そういった人たちの死亡率が高くなることが多くの国内外の研究で確認されている』、「所得格差が大きい社会では、個人の所得水準や年齢、学歴、婚姻状態に関係なく、「主観的な健康感の低い人」が増え、そういった人たちの死亡率が高くなる」、「相対所得」がこんな影響も与えているとは初めて知った。
・『後手に回った介護分野への対応  主観的な健康感は、「あなたの健康状態はどうですか?」という問いに、「(まあ)いい」か「(あまり)よくない」で答えるもの。病は気からとはよく言ったもので、病気を患っている人でも「いい」と答えた人は、「よくない」と答えた人より、予後がいいという報告は以前からあった。 ところが、所得格差の大きい国や地域では、肉体的に健康な人でも「よくない」と答える人が増えることが分かった。その背景にあるのが、「相対的所得格差」。平たくいうと「なんであの人はあんなにもらってるのに、自分はこれだけしかないんだ」という不満だ。 日本では、1990年代のデータではそういった関連が一切認められなかったが、非正規雇用などが増え、所得格差が広がった2000年代のデータを使った分析では関連が見いだされている。 比較するのは同じ会社の中の他者だったり(正社員vs非正規社員)、会社規模による他者だったり(大企業vs中小企業)、同級生だったり、同じ地域に住む近隣の人々だったり、時にはメディアで頻繁に見る人だったりすることがある。 どんなに格差なき社会を追求したところで、格差が完全になくなることはない。だが、格差が広がることは、人が健全に暮らすためのリソースの欠損につながる。格差社会は「持てる人」の健康をも脅かす凶器になる。 では「私」にできることは何か? まずはストレスの「冷たい雨」に降られている人を想像すること。そして、他者のリソースの一つになる「私」を考えることだと思う』、新自由主義的な自己責任論を排して、思いやりのある温かい社会に変革していく必要がありそうだが、百年河清を待つようなことかも知れない。

第三に、6月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したBNPパリバ証券経済調査本部長チーフエコノミストの河野龍太郎氏による「コロナ後の共同体意識の高まりは「富の偏り」を是正できるか 「コロナ後の世界」特集(5)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/241360
・『コロナで強まった連帯意識 経済格差の是正が始まる  新型コロナウイルスのパンデミック危機では、あらゆる所得階層が危機に直面している。 そのため、最終的には1930年代の大恐慌時と同じように、人々が共同体的な紐帯意識に強く目覚め、フランクリン・ルーズベルト大統領が進めたニューディール政策のように、所得再分配が見直されるだろう。 グローバル化やITデジタル化などで過去30年間に広がった経済格差の是正に手が付けられる、ということだが、それは単に富裕層の税金が増え、社会保障などを通じて、低所得者に移転される、という経路だけではないと筆者は考えている。 「知識経済」における付加価値の源泉はアイデアにあるが、その帰属や富の分配についての踏み込んだ再検討がされる可能性がある』、どいうことだろう。
・『「知識経済」化は加速するが 工業社会での制度が残る  過去四半世紀、付加価値を生み出す主役である知識を基盤とした経済への移行が著しく進んだ。 この「知識経済」化が始まったのは1970年代からだが、ITデジタル技術の進展によって、1990年代後半以降、加速した。 かつて付加価値の源泉は、資本(設備)や土地、労働力などの物的資本にあったが、「知識経済」の下では、特許や商標、ノウハウといった無形資産、いわばアイデアや技術など、情報や知識が富を生み出す経済に移行した。 その変化にうまく対応できなかったことが、日本経済の過去30年余りの低迷の原因でもある。 1970年代末には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれる全盛期を迎えたが、その当時のモノの大量生産や大量消費による成長を前提にした経営思想(フォーディズム)(注)から抜け出せていないのである。 ただ、「知識経済化」は、世界的にもさまざまな不適合を生み出している。 それは、私たちの経済制度や社会制度が、物的資本が中心だった時代に作られているからだ。 持続的な経済成長の時代が始まったのは、農業社会から工業社会へ移行した19世紀初頭だったが、多くの制度の基本設計は19世紀後半に整えられた』、「「知識経済化」は、世界的にもさまざまな不適合を生み出している」、その通りだ。
(注)フォーディズム:ヘンリー・フォードが自社の自動車工場で行った生産手法や経営思想のこと(Wikipedia)
・『リモートワーク広がれば伝統的な銀行業も時代遅れに  例えば、近年、日本だけでなく、世界中の銀行業の融資が増えず、金融市場で過大なリスクテークが行われていたのは、銀行業がアイデアの時代に適合できなくなったためだ。 物的資本が付加価値を生み出す時代なら、それを担保に貸し出しを増やせばよかったが、無形資産に対する投資は莫大な資金を必要とせず、担保を取ることも難しい。 パンデミック危機はこうした伝統的な銀行業の時代遅れを一層、際立たせるだろう。 コロナ禍が長引き、リモートワークが一般化すれば、広いオフィスも不要となり、都市への企業などの集積が以前ほど進まなくなる可能性もある。 そうなると、担保としていた不動産の価格も価値が失われ、伝統的な銀行業はますます経営が厳しくなる。 あるいは今回のパンデミックをきっかけに、危機に直面した企業に融資ではなく、出資を広く行うことで、銀行業は生まれ変わるだろうか。 無形資産の研究の権威であるジョナサン・ハスケル・インペリアル・カレッジ・ビジネススクール教授らの分析する通り、無形資産への投資は融資ではなく出資がフィットするが、銀行は自らビジネスに参加しリスクを取るといった発想転換ができるだろうか。 民間の銀行だけでなく、中央銀行も時代にそぐわない存在になりつつある。 第一に、「中央銀行が利下げをすれば設備投資が増え、景気が刺激される」というのは、物的資本の時代の発想だ。 前述した通り、無形資産投資には多大な資金は不要であり、さらにその担い手であるITデジタル企業は潤沢な資金を持っている。 近年、中央銀行が利下げをしても、企業は社債を大量に発行して資金を調達はするものの、増えるのは設備投資ではなく、自社株買いやM&Aであり、株価など資産価格ばかりがかさ上げされていた。 確かに株高による資産効果で富裕層などの消費は刺激されたかもしれないが、その代償として中央銀行は経済格差を助長している』、「リモートワークが一般化すれば、広いオフィスも不要となり・・・担保としていた不動産の価格も価値が失われ、伝統的な銀行業はますます経営が厳しくなる」、既に日立製作所のように「リモートワーク」を恒常的措置とする企業も現れつつあり、不気味なシナリオだ。
・『アイデアの出し手に所得が集中 資本の出し手は不遇の時代  ただそれでも、中央銀行は経済格差を広げた「脇役」にすぎない。 格差拡大の主たる原因の一つが、イノベーションにあることは、ダイヤモンド・オンラインのコラム「経済分析の哲人」(2020月4月8日付『新型ウイルス危機は「所得分配」を変えるゲームチェンジャーか』)で筆者が紹介した仮説である。 「知識経済」の下でアイデアの出し手に所得が集中しているのである。 労働分配率が趨勢的に低下しているため、表面的には資本の取り分が増えている。しかし、金利そのものはゼロまで低下しており、資本の出し手にとってはこれほど不遇の時代もない。 一方でアイデアの出し手であるビジネスの創設者が無形資産の形で資本を提供し、その対価を配当などで受け取っているため、資本分配率が上昇しているのだ。 資本の原資そのものは、中央銀行の資金供給によって余剰となる一方、アイデアは相変わらず希少だからこそ、株価が信じられないほどの高値を付けているのである。 しかし、再検討が必要なのは、アイデアがもたらす付加価値の最終的な帰属先である。 物的資本が生み出す付加価値の帰属先は明白だ。物的資本は、所有権が法律で守られているだけでなく、厳格な占有が可能なため、他者の利用を基本的には排除できる。 しかし、アイデアについては占有は難しい。確実に占有するためには、秘密にしておくことだが、それでは法的な保護は得られない。また、特許や知的財産権が認められるといっても、どこの国でもそうだが、永遠ではない。 アイデアの法的保護は社会制度や社会慣行に大きく依存し、それが生み出す付加価値の帰属先は、物的資本のように明白とはいえないのである。 スタンフォード大学のポール・ローマー教授は「内生的成長理論」で、経済の中で、アイデアなどによって技術進歩がいかにして生まれ、経済の持続的成長にいかにつながるかを解明した。 それまでの新古典派の成長理論では、アイデアは経済とは別のところで外生的に決まるとされていた。だがローマー教授らが解明した通り、アイデアが特殊なのは、その「非競合性」にある。 アイデアは物的資本と異なり、ある人が利用しても消費されず、同時に複数の人が利用できる。簡単に複製もできる。 アイデアのそうした特性ゆえに、規模の経済が強く働き、実際にGAFAは巨万の富を築いたのである』、「アイデア」の「非競合性」が、GAFAの「巨万の富」につながったというのは、面白い見方だ。
・『企業のマークアップ率高まったが全体の潜在成長率は上がらず  しかし、あるアイデアは過去の他の人のアイデアを基に発展したものが少なくない。もちろん、新たなアイデアの創出を促し、イノベーションを可能とすべく、特許権や知財権によってアイデアは保護されてきた。 英国で最も早く産業革命が可能になったのは、所有権が早くから確立し権力者に財産を奪われなくなったこともさることながら、発明などに対し、最も早く特許権を認めたことがある。 ただ、一方であまりに強く保護し過ぎると、アイデアの利用が制限され、経済厚生が阻害される。独占の弊害が現れるのである。 「知識経済」の下で、そのアイデアによって成功したビジネスモデルの代表ともいえるプラットフォーマーについて考えてみよう。 プラットフォーマーたるGAFAらは、自らが作り上げたドミナント・デザインが新興企業の新たなビジネスモデルに脅かされるのを避けるため、潤沢なキャッシュフローに物を言わせ、それらの企業を買収して、新たなビジネスモデルを葬り去っていたことが露見している。 近年、米国企業のマークアップ率(付加利益率、原価に対する利益の割合)はGAFAなどにけん引されるように上昇傾向が続き、超過利潤も趨勢的に改善している。 企業がもうけるようになったのは悪いことではないが、一方で米国経済全体の潜在成長率が高まっているわけではない。 つまり、単に分配構造が変わっただけ、ともいえる。むしろ寡占や独占の弊害で、本来ならアイデアのおかげで可能になっていたはずの経済成長が抑えられていた可能性も排除できない。 やはり株高は経済全体の活況を示すわけではなかったということである。 さらに、プラットフォーマーが利益の源泉とするビッグデータは、利用者である我々一人一人がインプットした個人情報を基にしたものである。 グーグルやフェイスブックが提供するサービスを世界中の何十億人の人々が無料で楽しんでいる。しかし、プラットフォーマーは、ユーザーが作り出したデータの対価を一切支払わず、データが生み出す利益を独り占めにしている。 我々は娯楽のつもりだが、実はプラットフォーマーのために働いていたということだ。 筆者は、2010年代初頭に今回のデジタル革命の再加速が始まったとき、利用者が同時に生産者となる“プロシューマー”の時代が訪れるのだと無邪気に考えていた。 当時のテクノロジー文明論は理想的なデジタル民主主義社会の到来の可能性を強調し、その負の側面はほとんど語られていなかった』、「プラットフォーマーは、ユーザーが作り出したデータの対価を一切支払わず、データが生み出す利益を独り占めにしている」、法外な儲けを上げられる筈だ。
・『「テクノロジー封建主義」を超えられるか  しかし現状は、デジタル民主主義には程遠いどころか、イェール大学のマイクロソフト首席研究員で経済学・法学の研究者であるE・グレン・ワイル氏らが「テクノロジー封建主義」と呼ぶ状況に陥っている。 中世では、封建領主が農奴の安全を守る一方で、農奴は土地を耕す。封建領主は生きるために必要最低限の穀物を農奴に残す代わりに、保護の見返りとしてそれ以外の農産物を収奪する。 それを「知識経済」の今に当てはめると、我々ユーザーがせっせとデータのインプットを行い、SNSで楽しむのを許される代わりに、利益の大半は現代の封建領主たるプラットフォーマーが全部持ち去るというイメージだろうか。 グーグルのチーフエコノミストであるハル・ヴァリアン教授は、アダム・スミスが提起した「水とダイヤモンドの問題」のアナロジーを持ち出し、ビッグデータへの対価の支払いは不要だと論じていた。 スミスは役に立たないダイヤモンドの方が役に立つ水より価値が高いことを疑問視したが、アダム・スミス後に経済学が明らかにしたのは、水は大いに役立つが、希少性に欠けるため限界的な効用はゼロに近い、ということである。 ダイヤモンドは役には立たないが、希少性が大きいため限界的な効用は極めて高い。 ビッグデータは前者に当てはまり、それ故、データの供給者である利用者に対価を支払わなくてもよい、というロジックである。 しかし、その後もAI技術が進歩し、ビッグデータが巨大になり、ある臨界点を超えると、例えばかつては不可能だった画像認識などが可能となり、新たなサービスと需要が生み出される。自動翻訳も音声認識も同様の経路をたどりつつある。 つまりビッグデータがある閾値を超えると質的な転換が起こり、ビッグデータから得られるリターンの水準が大幅に切り上がる。正にアイデアが収穫逓増をもたらすというローマー教授の内生的成長論が予想した通りの展開だ。 ビッグデータは水ではなく、「水とダイヤモンドの問題」のアナロジーは当てはまらない』、「我々ユーザーがせっせとデータのインプットを行い、SNSで楽しむのを許される代わりに、利益の大半は現代の封建領主たるプラットフォーマーが全部持ち去る」、との「テクノロジー封建主義」は面白い考え方だ。「グーグルのチーフエコノミストであるハル・ヴァリアン教授」の「データの供給者である利用者に対価を支払わなくてもよい」との考え方は、手前勝手な屁理屈だ。
・『アイデアを持つ者への「富の偏在」是正が課題に  工業社会から「知識経済」に移行が進む中で、コロナ後の所得再分配の見直し、新たな制度設計は、こうしたアイデアを持つ者への富の偏在に対しても当然、行われることになるはずだ。 すでにOECDなどを舞台に、プラットフォーマーに対しては、デジタル課税の導入などが検討されているが、プラットフォーマーが我々に適切な対価を支払うことになれば、より公正な資本主義が可能となるのではないか。 パンデミック危機は多くのサービスセクターに負の生産性ショックをもたらし、多くが苦戦しているが、プラットフォーマーはリモート社会の到来によって、手にする利益がますます増えている。 現在より利益が減るとイノベーションが進まなくなる、ということもないはずだ』、「デジタル課税の導入」には米国が強く反対しているようだが、欧州中心に導入論が強いようだ。「より公正な資本主義」構築のためには避けて通れない課題のようだ。
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