宗教(その5)(創価学会60余年の「政治秘史」 池田大作氏による“天下取り構想”の実像、創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機、実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想) [社会]
宗教については、昨年9月13日に取上げた。今日は、(その5)(創価学会60余年の「政治秘史」 池田大作氏による“天下取り構想”の実像、創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機、実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想)である。
先ずは、昨年12月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの高橋篤史氏による「創価学会60余年の「政治秘史」、池田大作氏による“天下取り構想”の実像」を紹介しよう。
・『1954年11月、創価学会の第2代会長の戸田城聖氏が「文化部」を設置し政治活動に乗り出してから、はや六十余年がたった。その間、池田大作氏が検挙された“大阪事件”などを経て、今や公明党は政権与党の座に就いている。特集『創価学会 90年目の9大危機』(全16回)の#15では、その知られざる政治史をジャーナリスト、高橋篤史氏が斬る』、「60余年の」歴史で何があったのか、振り返る意味は大きそうだ。
・『1954年に創価学会が政治活動を開始 2年後の56年に参議院議員に当選 第2代会長・戸田城聖の下、創価学会が「文化部」を設置して政治活動に乗り出したのは1954年11月のことである。 当時、学会は「折伏大行進」をスローガンに信者数を急激に伸ばし始めていた。とはいえ、同年末の世帯数はまだ16万世帯。現在の公称世帯数の50分の1にすぎなかった。 翌55年4月、学会は早くも議会に足掛かりを得る。理事長としてナンバー2の座にあった小泉隆が東京都議会議員、財務部長の森田悌二が横浜市議会議員にそれぞれ当選。さらに56年7月には、青年部を率いた辻武寿ら3人が参議院議員に当選し国政への進出を果たした。 当時、学会は日蓮正宗の在家信徒団体の中でも最も急進的な勢力だった。他宗教・他宗派を「邪宗」と決め付け、道場破りまがいの攻撃に明け暮れていた。もともと日蓮正宗の宗祖である鎌倉時代の高僧、日蓮は「立正安国論」で知られるように政治への関与に積極的だった。仏教経典の一つ、法華経を基にした政治こそが国家安寧をもたらすと説いたのである。 そのため学会の政治進出は必然の流れであり、「広宣流布」、つまりは信者を獲得し日蓮正宗の教えを広めるための有力な手段と位置付けられた。目標としたのは「王仏冥合」の実現であり、その象徴となる「国立戒壇」の建立である。 前者は日蓮仏法が世俗の法律(=王法)の基礎となる政治体制の実現であり、後者は総本山、大石寺に安置され信仰の対象となってきた「弘安2年の大御本尊」(文字曼荼羅を板に彫刻したもの)を収める国立施設を造るものだ。 初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件)。池田氏が保釈された日に開かれた集会の場で政治活動の意義を問われた戸田はこう明言していた。 「日蓮大聖人様が国立戒壇を作らにゃあならんとこう仰せられた。それを今実行しようとしているだけなんだ。何も政権なんかに関係ないよこっちは」(57年7月21日付「聖教新聞」) 大阪事件では数十人に有罪判決が下った一方、池田氏は無罪となった。このことはその後、同氏のカリスマ性を高めるまたとない逸話に転化していくことになる』、「初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件)」、現在の大人しい姿勢からは考えられないような激しさだ。
・『「王仏冥合の大理念」から一転 文言の削除、国立戒壇論の撤回へ 58年4月に戸田が死去すると、学会きっての選挙のプロである池田氏は総務に就任し、組織を事実上取り切る立場となった。そして60年5月、32歳の若さで第3代会長に就任する。政治活動は一段の加速を見せた。61年11月に政治団体「公明政治連盟」を事実上結成、翌62年7月には参議院内に会派「公明会」を立ち上げた。そして64年11月、公明政治連盟を「公明党」として政党に格上げする。 この時点でもなお学会と党は一体だ。党委員長に就いた原島宏治は学会理事長を兼ね、党副委員長の辻と書記長の北条浩(後に第4代会長)は学会副理事長だった。党の綱領が高々と掲げたのは「王仏冥合の大理念」。紛うことなき宗教政党だった。 そんな中、池田氏は重要方針を発表していた。前述した「政権なんかに関係ないよ」との発言に見られる戸田の参議院・地方議会専念論を引っ込め、衆議院進出を宣言したのである。ある種の天下取りに向けた動きだ。 67年1月の総選挙で公明党は25人の当選を果たす。さらに69年12月の総選挙では47人にほぼ倍増、第3党に躍進した。当然、他党の警戒感は増す。そんな中で起きたのが言論出版妨害問題だった。 学会批判本の出版を巡り、学会副会長昇格を控えた秋谷栄之助氏(後に第5代会長)ら幹部が著者や出版社などに圧力をかけたのが事の発端だ。国会では政教一致批判が巻き起こり、世間一般にも広がった。学会の政治活動は大きな転機を迎えることとなる。 70年5月、池田氏は言論問題を謝罪するとともに学会と党の人事・組織分離を約束。党の綱領から王仏冥合の文言を削除、国立戒壇論を撤回した。この後、学会幹部が議員を兼ねることはなくなった。中央官僚や弁護士など世間的に見栄えが良い人物を信者の中から選抜し、緻密な選挙戦術で当選に導く方式が確立されていく。 今日、学会は反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い。会長就任前の59年12月、日米安全保障条約の問題が沸騰する中、池田氏は信者に向けこう発言していた。 「安保改定に賛成するか、反対するか、別に御書(=日蓮が書き残した文献)に書いてないんです(笑い)。……それよりか、もっと本質的に大事なことは、邪宗改定であると叫んでおきたいのであります。(大拍手)」(60年6月4日付聖教新聞)』、「党の綱領から王仏冥合の文言を削除、国立戒壇論を撤回した」のは、「国会では政教一致批判」が背景だったようだ。「反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い」、なるほど。
・『政治活動の目的は組織拡大と防衛のため 「党より学会が上」の不都合な真実 あくまで政治活動の底流にあるのは組織拡大や組織防衛だ。言論問題後の71年1月、外郭企業の社長を集めた「金剛会」の場で池田氏はこう種明かしをしている。 「公害問題とか社会問題を取り上げるのは折伏の為なんだよ」 また、同年7月、池田氏は同じ場でこんな本音を漏らしている。 「公明党と学会との関係は、絶対にこちらが上だ。世間は馬鹿だから、議員が偉いと思っている」 この間の人事・組織分離方針により党内では衆院議員1期生である竹入義勝氏や矢野絢也氏の力が強まり、遠心力が働いた。74年暮れに学会が共産党との間で秘密裏に結んだ協定(創共協定)は、イメージ戦略と党に対するけん制を兼ねた池田氏一流の権力掌握術だったとみることも可能だ。 結局、協定は竹入・矢野両氏らの反発で空文化したが、30年後に突如始まった両氏に対する批判キャンペーンは「党より学会が上」という不都合な真実を如実に物語っている。 池田氏の天下取り構想は93年8月に発足した細川非自民連立政権への公明党の参画で一部実現したわけだが、同年暮れごろから再び政教一致批判が巻き起こる。後に「四月会」と呼ばれることになる動きが亀井静香氏ら自民党の中から起きたのである。 池田氏の国会喚問まで取り沙汰されたこのバッシングに対し、学会側は青年部長だった谷川佳樹氏(現主任副会長)が中心となった緊急集会を開くなど防戦を強いられた。このときのトラウマが自民党との接近を生んだとの見方は少なくない。 94年12月、再び野党となった公明党は解党し新進党に合流。その後、紆余曲折の末、98年11月に再結成される。直後から学会内では「天鼓」なる怪文書がばらまかれ始め、翌年7月まで15回にもわたり浅見茂副会長への批判がなされた。 当時、実力者だった同氏は新進党路線(つまりは非自民路線)を主導していたとされるが、天鼓事件を機に失脚。そして99年10月、公明党は自民党、自由党との連立政権に参画し、今日まで続く自公連立路線が始まることになった。 この間、学会の教学面では大事件があった。90年に勃発した宗門との全面戦争がそれだ。91年11月、学会は宗門から破門され、完全にたもとを分かつ。これにより大石寺への登山など主たる宗教行事はなくなり、池田氏のカリスマ性のみが際立つ学会からは日蓮仏法さえ後退していった。代わりに組織の求心力を維持する最大の仕掛けとなったのが選挙活動だ。 「選挙への関心は高いが、政策への関心は低い」(元学会本部職員)――。今日、一般信者はこう評されることが多い。当初の政治目標や教学を失い、組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン――。それが創価学会である』、「選挙への関心は高いが、政策への関心は低い」、「組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン」、政治勢力としては歪な構造を抱えているようだ。
次に、本年1月4日付けダイヤモンド・オンライン「創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機」を紹介しよう』、興味深そうだ。。
・『『週刊ダイヤモンド』1月9日号の第一特集は「創価学会 90年目の9大危機」です。昨年11月18日、会員世帯数827万(公称)を誇る巨大宗教団体、創価学会が創立90周年の節目を迎えました。ですが、“勝利”への道は決して平たんではありません。「100年目の学会は、今とは全く違う姿になっているだろう」と嘆く学会員は少なくないのです。90年目を迎えた学会が直面する危機を明らかにします。(ダイヤモンド編集部「創価学会取材班」)』、「90年目の9大危機」、とは興味深そうだ。
・『創立90周年の節目を迎えた創価学会に迫りくる弱体化 2020年は、会員世帯数827万(公称)を誇る巨大宗教団体、創価学会にとって極めて特別な年であった。5月3日に池田大作名誉会長の会長就任60周年、そして11月18日には創立90周年という大きな節目を迎えたからだ。 学会の機関紙「聖教新聞」は創立記念日の翌日の1面で、「2030年の創立100周年へ、共に励まし、勝利の行進!」と高らかに宣言した。だが、“勝利”への道は決して平たんではない。20年は同時に、コロナ禍によって対面を主としてきた学会員の活動が大幅に制限され、また、当の聖教新聞からして自力配達を断念するなど、教勢の衰えが露呈した一年でもあったからだ。実際、「次の節目となる100周年での学会は、今と全く違う姿になっているだろう」と嘆く学会員は少なくない。 世間の目は、希代のカリスマである池田氏が存命なのか否かに注がれがちだが、それはもはや現在の学会を見る上で本質ではない。 池田氏が表舞台から姿を消したのは2010年までさかのぼる。これまで、学会執行部はカリスマ頼みから脱却すべく、極めて官僚的な「集団指導体制」への移行を着々と進めてきた。実際、19年に再任された現会長(4期目)の原田稔氏を池田氏と同様に考える学会員は皆無に近い。 この池田氏の神格化の集大成ともいえるのが、17年11月に制定された学会の新たな最高規約「会憲」だ。その中で、故牧口常三郎初代会長、故戸田城聖第2代会長、そして、存命する第3代会長、池田氏の3人を「広宣流布の永遠の会長」と位置付け、その敬称を「先生」で統一。さらに、翌18年9月8日には、聖教新聞紙上で四半世紀にわたって連載された池田氏の小説『新・人間革命』が完結を迎え、「カリスマ時代の終わり」を学会員に印象付けた。 つまり、池田氏の“神格化”は、とうに完了したとみるべきなのだ。その意味で、卒寿を迎えた学会が現在直面している危機は、ポストXデー、池田氏の死による求心力の低下などではなく、より根深い構造的な問題である。 ダイヤモンド編集部は学会を襲う危機を九つに分類してその内実を追ったが、それらは個別に独立した問題ではなく、その根底にほぼ共通の原因がある。すなわち、少子高齢化に核家族化、世代間の価値観の断絶といった、日本社会全体が直面している危機だ。) 大阪商業大学が例年実施している「生活と意識についての国際比較調査」に、「信仰する宗教(本人)」という質問項目がある。その質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した』、「「信仰する宗教(本人)」・・・の質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した」、「聖教新聞からして自力配達を断念」、とは深刻な党勢の弱まりだ。
・『実際の学会員数は177万人? 有識者が衝撃の試算 著名な宗教学者、島田裕巳氏は20年に上梓した著書『捨てられる宗教』(SB新書)の中で、先の調査に基づいて日本の総人口に占める実際の学会員数を177万人と算出した。この数字はそれ以前と比べると、一気に100万人ほど学会員が減ったことを示す。 島田氏はダイヤモンド編集部の取材に、「18年調査の1.4%という数字は単年の結果で、より正確な分析には今後の調査を待つ必要がある」としつつ、こう続けた。 「それまで2%台前半という数値で安定していた理由は、信仰2世、3世など世代交代に成功したためとみられるが、学会入会者は、半世紀以上前の1960年代が特に多い。それ故、当時の入会者の死亡や高齢化により、ある時を境に急減しても不思議ではない」 そして、20年9月、その学会に“神風”が吹いた。菅義偉政権の発足である。菅首相と学会の佐藤浩副会長には、菅氏の官房長官時代から“盟友”と称されるほど太いパイプがあることはよく知られている。 「菅政権の発足で、安倍晋三前首相時代以上に、自公連立は強固になるだろう」と、複数の学会幹部や学会に詳しいジャーナリストは口をそろえる。だが、その言葉にはただし書きがある。それは「学会の集票力が維持される限りにおいて」だ。前出の島田氏は言う。 「19年の参院選では、(学会の支持団体である)公明党の得票数は16年の参院選と比べて100万票以上減らしており、学会員数の減少と関係している可能性が高い。信仰2世や3世は、価値観もかつての学会員とは大きく異なる。21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」 最強といわれてきた集票力に陰りが見えれば、20年以上にわたる自公連立の土台が崩れる。そして、もしそうなれば、Xデー以上に学会の教勢に致命的なダメージとなるだろう。学会に残された猶予はおそらく想像以上に少ない。学会が直面する9つの危機を具体的に明らかにする』、「21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」、とは「衆院選」の数少ない楽しみの1つだ。
・『創価学会への理解なしには日本の政治・社会は分析不可能 特集では、数兆円規模と言われる「S(創価)経済圏」に迫る危機や、コロナで急ブレーキがかかった学会活動の苦境、混迷の度を深めるカリスマ不在の後継者争いの行方、配達の外部委託に踏み切った聖教新聞の裏事情、さらには「歴史的大敗」も懸念される次期衆院選のゆくえなど、盛りだくさんのテーマに迫ります。 そのほか、学会本部も存在を知らないであろう往年の池田氏や大幹部、第2代会長の戸田城聖氏の縁者などの秘蔵写真を発掘、学会のキーマンを網羅した内部文書なども大公開します。 そして、インタビューには、昨年10月、600ページに及ぶ大著『池田大作研究』を上梓した作家、佐藤優氏が登場。「学会が世界宗教化する理由」を語ってもらいました。 その佐藤氏は「学会を知り、理解しなければ、日本の政治や社会を分析することはできない」と断言します。学会員もそうでない人も必読です。 (ダイヤモンド編集部「創価学会取材班」』、一頃は「向かうところ敵なし」だった「創価学会」を取り巻く環境は、厳しさを増したようだ。
第三に、1月19日付け東洋経済オンラインが掲載した宗教学者/作家の島田 裕巳氏による「実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/403893
・『子供が生まれたときの初参りや七五三、必勝悲願や安全祈願など、神社は私たちの日常の暮らしの中にしっかりと根づいている。「神社について知ることは日本を知ること」と説くのは宗教学者の島田裕巳氏だ。では、日本における「神」とは何か。島田氏の新著『教養として学んでおきたい神社』を一部抜粋・再編集して掲載する』、「島田氏」の「見解」とは興味深そうだ。
・『本居宣長が定義した日本の神様 日本における神の定義として最も有名なものは、江戸時代に国学者の本居宣長が行ったものである。宣長は、当時、読むことが難しくなっていた古事記の注釈を試み、それを『古事記伝』という書物にまとめている。その第3巻の最初の部分で、神とは何かについて述べている。それは、次のようなものである。 凡(すべ)て迦微(かみ)とは古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云(い)はず、鳥獣(とりけもの)木草のたぐひ海山など、其与(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き(かしこ)物を迦微とは云なり。〔すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり。 宣長は、同じ『古事記伝』の第6巻で、「貴きも賤きも善も悪も、死ぬればみな此ノ夜見ノ国に往」くとし、誰もが死んだら、伊邪那美命(いざなみのみこと)が赴いた黄泉(よみ)の国(夜見ノ国)へ赴くとしていた。 そのうえで、「世ノ中の諸の禍事をなしたまふ禍津日ノ神(まがつひのかみ)は、もはら此ノ夜見ノ国の穢より成坐るぞかし」と述べている。 世の中に悪をもたらすのは、古事記に登場する禍津日ノ神であるとされる。この神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻ってけがれをはらったときに生まれている』、「すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり」、誠に不思議な定義だ。
・『神学者や哲学者を苦しめる一神教の難問 一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題である。神が善であるなら、その創造にかかる世界に悪が存在するはずはない。 ところが、現実には、さまざまな悪が存在している。この問題をどのように解決すればいいのだろうか。少し考えてみれば分かるが、問いとしてとてつもなく難しい。神学者や哲学者は、この難問に苦しめられてきた。 その点、宣長が考えたような形で神をとらえれば、そうした難問にぶちあたらない。日本では特別な働きをしたものが神として祀られてきた。 宣長が『古事記伝』の執筆を開始したのは、明和元(1764)年のことで、書き上げたのは寛政10(1798)年のことだった。脱稿までに34年の歳月が流れている。宣長は71歳で亡くなっており、人生の半分を『古事記伝』執筆に費やしたことになる。 宣長は、中国文明の影響を受ける前の日本人の精神性を古事記に求め、そこに記されたことを真実として受けとめている。 死者は黄泉の国に赴くと古事記に書かれている以上、宣長としては、それを受け入れるしかなかった。この世に悪が生じる原因を、古事記が禍津日ノ神に求めるなら、そう考えるしかなかった。宣長にとっては、古事記に書かれていることがそのまま真実だったのである。 しかし、これはあまりに受動的な考え方である。また、これでは死んだ後のことについていっさい希望を抱くことはできない。死後は、仏教が説く浄土に赴くこととは比べようもないほど惨めなものになってしまう。 また、この世で悪いことに遭遇したとしても、それは悪神の仕業で、人間の側からすれば、どうしようもなかった。宣長は、禍津日ノ神の引き起こす悪事をいかに防ぐかということについて、何の示唆も与えてはくれなかった。この宣長の考え方が、どの程度、日本の社会に受け入れられたかは判断が難しいところである。 まず、死後、自分は黄泉の国に赴くと考えている人は少ないだろう。また、何か悪いことが起こったとき、それを禍津日ノ神の仕業と考える人はいないはずだ。そもそも禍津日ノ神のことは一般には知られていない。 ただ、宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ。 そこからは、「諸行無常」ということばが思い起こされる。これは仏教の用語だが、この世にあるものは変転をくり返していく。仏教ではそれを法としてとらえる。宇宙の法則だとしているのである』、「一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題」、確かに難問だ。「宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ」、なるほど。
・『仏教と国学の考え方の違いと共通点 悪の起こる原因を法に求めるのか、それとも悪神に求めるのか。その点で、仏教の考え方と宣長の国学の考え方とは異なる。だが、悪に対して、人間にはなすすべがないとしているところでは、両者は共通している。 一神教の世界では、この世に起こるあらゆる事柄は神によって定められたことで、そこには意味があるとされる。 これに対して、国学も仏教も、そこに意味があるとは考えない。それが、一神教の西洋とは異なる、多神教の東洋の思想ということになる。 日本では、多くの神が祀られているわけだが、なかには疫病をもたらしたり、たたりを引き起こしたりしたことがきっかけになっているものが少なくない。 左遷されたまま亡くなった菅原道真が天神として祀られたことがすぐに思い起こされるだろうが、天照大神(あまてらすおおかみ)であっても、最初は宮中に祀られていて、疫病などを引き起こしたことで、伊勢に祀られることとなったのだ。 日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである。 神社のことを考えるうえで、こうした日本の神のあり方を無視することはできない。神に善と悪の両方の側面があることで、祀り方、いかに祀るかが重要なものになってくる。その点を念頭において、私たちは神社のことを考えていかなければならないのである』、「日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである」、ただ、多くの日本人は「宣長の国学の考え方」ではなく、「仏教の考え方」に依っているのではなかろうか。
先ずは、昨年12月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの高橋篤史氏による「創価学会60余年の「政治秘史」、池田大作氏による“天下取り構想”の実像」を紹介しよう。
・『1954年11月、創価学会の第2代会長の戸田城聖氏が「文化部」を設置し政治活動に乗り出してから、はや六十余年がたった。その間、池田大作氏が検挙された“大阪事件”などを経て、今や公明党は政権与党の座に就いている。特集『創価学会 90年目の9大危機』(全16回)の#15では、その知られざる政治史をジャーナリスト、高橋篤史氏が斬る』、「60余年の」歴史で何があったのか、振り返る意味は大きそうだ。
・『1954年に創価学会が政治活動を開始 2年後の56年に参議院議員に当選 第2代会長・戸田城聖の下、創価学会が「文化部」を設置して政治活動に乗り出したのは1954年11月のことである。 当時、学会は「折伏大行進」をスローガンに信者数を急激に伸ばし始めていた。とはいえ、同年末の世帯数はまだ16万世帯。現在の公称世帯数の50分の1にすぎなかった。 翌55年4月、学会は早くも議会に足掛かりを得る。理事長としてナンバー2の座にあった小泉隆が東京都議会議員、財務部長の森田悌二が横浜市議会議員にそれぞれ当選。さらに56年7月には、青年部を率いた辻武寿ら3人が参議院議員に当選し国政への進出を果たした。 当時、学会は日蓮正宗の在家信徒団体の中でも最も急進的な勢力だった。他宗教・他宗派を「邪宗」と決め付け、道場破りまがいの攻撃に明け暮れていた。もともと日蓮正宗の宗祖である鎌倉時代の高僧、日蓮は「立正安国論」で知られるように政治への関与に積極的だった。仏教経典の一つ、法華経を基にした政治こそが国家安寧をもたらすと説いたのである。 そのため学会の政治進出は必然の流れであり、「広宣流布」、つまりは信者を獲得し日蓮正宗の教えを広めるための有力な手段と位置付けられた。目標としたのは「王仏冥合」の実現であり、その象徴となる「国立戒壇」の建立である。 前者は日蓮仏法が世俗の法律(=王法)の基礎となる政治体制の実現であり、後者は総本山、大石寺に安置され信仰の対象となってきた「弘安2年の大御本尊」(文字曼荼羅を板に彫刻したもの)を収める国立施設を造るものだ。 初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件)。池田氏が保釈された日に開かれた集会の場で政治活動の意義を問われた戸田はこう明言していた。 「日蓮大聖人様が国立戒壇を作らにゃあならんとこう仰せられた。それを今実行しようとしているだけなんだ。何も政権なんかに関係ないよこっちは」(57年7月21日付「聖教新聞」) 大阪事件では数十人に有罪判決が下った一方、池田氏は無罪となった。このことはその後、同氏のカリスマ性を高めるまたとない逸話に転化していくことになる』、「初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件)」、現在の大人しい姿勢からは考えられないような激しさだ。
・『「王仏冥合の大理念」から一転 文言の削除、国立戒壇論の撤回へ 58年4月に戸田が死去すると、学会きっての選挙のプロである池田氏は総務に就任し、組織を事実上取り切る立場となった。そして60年5月、32歳の若さで第3代会長に就任する。政治活動は一段の加速を見せた。61年11月に政治団体「公明政治連盟」を事実上結成、翌62年7月には参議院内に会派「公明会」を立ち上げた。そして64年11月、公明政治連盟を「公明党」として政党に格上げする。 この時点でもなお学会と党は一体だ。党委員長に就いた原島宏治は学会理事長を兼ね、党副委員長の辻と書記長の北条浩(後に第4代会長)は学会副理事長だった。党の綱領が高々と掲げたのは「王仏冥合の大理念」。紛うことなき宗教政党だった。 そんな中、池田氏は重要方針を発表していた。前述した「政権なんかに関係ないよ」との発言に見られる戸田の参議院・地方議会専念論を引っ込め、衆議院進出を宣言したのである。ある種の天下取りに向けた動きだ。 67年1月の総選挙で公明党は25人の当選を果たす。さらに69年12月の総選挙では47人にほぼ倍増、第3党に躍進した。当然、他党の警戒感は増す。そんな中で起きたのが言論出版妨害問題だった。 学会批判本の出版を巡り、学会副会長昇格を控えた秋谷栄之助氏(後に第5代会長)ら幹部が著者や出版社などに圧力をかけたのが事の発端だ。国会では政教一致批判が巻き起こり、世間一般にも広がった。学会の政治活動は大きな転機を迎えることとなる。 70年5月、池田氏は言論問題を謝罪するとともに学会と党の人事・組織分離を約束。党の綱領から王仏冥合の文言を削除、国立戒壇論を撤回した。この後、学会幹部が議員を兼ねることはなくなった。中央官僚や弁護士など世間的に見栄えが良い人物を信者の中から選抜し、緻密な選挙戦術で当選に導く方式が確立されていく。 今日、学会は反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い。会長就任前の59年12月、日米安全保障条約の問題が沸騰する中、池田氏は信者に向けこう発言していた。 「安保改定に賛成するか、反対するか、別に御書(=日蓮が書き残した文献)に書いてないんです(笑い)。……それよりか、もっと本質的に大事なことは、邪宗改定であると叫んでおきたいのであります。(大拍手)」(60年6月4日付聖教新聞)』、「党の綱領から王仏冥合の文言を削除、国立戒壇論を撤回した」のは、「国会では政教一致批判」が背景だったようだ。「反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い」、なるほど。
・『政治活動の目的は組織拡大と防衛のため 「党より学会が上」の不都合な真実 あくまで政治活動の底流にあるのは組織拡大や組織防衛だ。言論問題後の71年1月、外郭企業の社長を集めた「金剛会」の場で池田氏はこう種明かしをしている。 「公害問題とか社会問題を取り上げるのは折伏の為なんだよ」 また、同年7月、池田氏は同じ場でこんな本音を漏らしている。 「公明党と学会との関係は、絶対にこちらが上だ。世間は馬鹿だから、議員が偉いと思っている」 この間の人事・組織分離方針により党内では衆院議員1期生である竹入義勝氏や矢野絢也氏の力が強まり、遠心力が働いた。74年暮れに学会が共産党との間で秘密裏に結んだ協定(創共協定)は、イメージ戦略と党に対するけん制を兼ねた池田氏一流の権力掌握術だったとみることも可能だ。 結局、協定は竹入・矢野両氏らの反発で空文化したが、30年後に突如始まった両氏に対する批判キャンペーンは「党より学会が上」という不都合な真実を如実に物語っている。 池田氏の天下取り構想は93年8月に発足した細川非自民連立政権への公明党の参画で一部実現したわけだが、同年暮れごろから再び政教一致批判が巻き起こる。後に「四月会」と呼ばれることになる動きが亀井静香氏ら自民党の中から起きたのである。 池田氏の国会喚問まで取り沙汰されたこのバッシングに対し、学会側は青年部長だった谷川佳樹氏(現主任副会長)が中心となった緊急集会を開くなど防戦を強いられた。このときのトラウマが自民党との接近を生んだとの見方は少なくない。 94年12月、再び野党となった公明党は解党し新進党に合流。その後、紆余曲折の末、98年11月に再結成される。直後から学会内では「天鼓」なる怪文書がばらまかれ始め、翌年7月まで15回にもわたり浅見茂副会長への批判がなされた。 当時、実力者だった同氏は新進党路線(つまりは非自民路線)を主導していたとされるが、天鼓事件を機に失脚。そして99年10月、公明党は自民党、自由党との連立政権に参画し、今日まで続く自公連立路線が始まることになった。 この間、学会の教学面では大事件があった。90年に勃発した宗門との全面戦争がそれだ。91年11月、学会は宗門から破門され、完全にたもとを分かつ。これにより大石寺への登山など主たる宗教行事はなくなり、池田氏のカリスマ性のみが際立つ学会からは日蓮仏法さえ後退していった。代わりに組織の求心力を維持する最大の仕掛けとなったのが選挙活動だ。 「選挙への関心は高いが、政策への関心は低い」(元学会本部職員)――。今日、一般信者はこう評されることが多い。当初の政治目標や教学を失い、組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン――。それが創価学会である』、「選挙への関心は高いが、政策への関心は低い」、「組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン」、政治勢力としては歪な構造を抱えているようだ。
次に、本年1月4日付けダイヤモンド・オンライン「創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機」を紹介しよう』、興味深そうだ。。
・『『週刊ダイヤモンド』1月9日号の第一特集は「創価学会 90年目の9大危機」です。昨年11月18日、会員世帯数827万(公称)を誇る巨大宗教団体、創価学会が創立90周年の節目を迎えました。ですが、“勝利”への道は決して平たんではありません。「100年目の学会は、今とは全く違う姿になっているだろう」と嘆く学会員は少なくないのです。90年目を迎えた学会が直面する危機を明らかにします。(ダイヤモンド編集部「創価学会取材班」)』、「90年目の9大危機」、とは興味深そうだ。
・『創立90周年の節目を迎えた創価学会に迫りくる弱体化 2020年は、会員世帯数827万(公称)を誇る巨大宗教団体、創価学会にとって極めて特別な年であった。5月3日に池田大作名誉会長の会長就任60周年、そして11月18日には創立90周年という大きな節目を迎えたからだ。 学会の機関紙「聖教新聞」は創立記念日の翌日の1面で、「2030年の創立100周年へ、共に励まし、勝利の行進!」と高らかに宣言した。だが、“勝利”への道は決して平たんではない。20年は同時に、コロナ禍によって対面を主としてきた学会員の活動が大幅に制限され、また、当の聖教新聞からして自力配達を断念するなど、教勢の衰えが露呈した一年でもあったからだ。実際、「次の節目となる100周年での学会は、今と全く違う姿になっているだろう」と嘆く学会員は少なくない。 世間の目は、希代のカリスマである池田氏が存命なのか否かに注がれがちだが、それはもはや現在の学会を見る上で本質ではない。 池田氏が表舞台から姿を消したのは2010年までさかのぼる。これまで、学会執行部はカリスマ頼みから脱却すべく、極めて官僚的な「集団指導体制」への移行を着々と進めてきた。実際、19年に再任された現会長(4期目)の原田稔氏を池田氏と同様に考える学会員は皆無に近い。 この池田氏の神格化の集大成ともいえるのが、17年11月に制定された学会の新たな最高規約「会憲」だ。その中で、故牧口常三郎初代会長、故戸田城聖第2代会長、そして、存命する第3代会長、池田氏の3人を「広宣流布の永遠の会長」と位置付け、その敬称を「先生」で統一。さらに、翌18年9月8日には、聖教新聞紙上で四半世紀にわたって連載された池田氏の小説『新・人間革命』が完結を迎え、「カリスマ時代の終わり」を学会員に印象付けた。 つまり、池田氏の“神格化”は、とうに完了したとみるべきなのだ。その意味で、卒寿を迎えた学会が現在直面している危機は、ポストXデー、池田氏の死による求心力の低下などではなく、より根深い構造的な問題である。 ダイヤモンド編集部は学会を襲う危機を九つに分類してその内実を追ったが、それらは個別に独立した問題ではなく、その根底にほぼ共通の原因がある。すなわち、少子高齢化に核家族化、世代間の価値観の断絶といった、日本社会全体が直面している危機だ。) 大阪商業大学が例年実施している「生活と意識についての国際比較調査」に、「信仰する宗教(本人)」という質問項目がある。その質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した』、「「信仰する宗教(本人)」・・・の質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した」、「聖教新聞からして自力配達を断念」、とは深刻な党勢の弱まりだ。
・『実際の学会員数は177万人? 有識者が衝撃の試算 著名な宗教学者、島田裕巳氏は20年に上梓した著書『捨てられる宗教』(SB新書)の中で、先の調査に基づいて日本の総人口に占める実際の学会員数を177万人と算出した。この数字はそれ以前と比べると、一気に100万人ほど学会員が減ったことを示す。 島田氏はダイヤモンド編集部の取材に、「18年調査の1.4%という数字は単年の結果で、より正確な分析には今後の調査を待つ必要がある」としつつ、こう続けた。 「それまで2%台前半という数値で安定していた理由は、信仰2世、3世など世代交代に成功したためとみられるが、学会入会者は、半世紀以上前の1960年代が特に多い。それ故、当時の入会者の死亡や高齢化により、ある時を境に急減しても不思議ではない」 そして、20年9月、その学会に“神風”が吹いた。菅義偉政権の発足である。菅首相と学会の佐藤浩副会長には、菅氏の官房長官時代から“盟友”と称されるほど太いパイプがあることはよく知られている。 「菅政権の発足で、安倍晋三前首相時代以上に、自公連立は強固になるだろう」と、複数の学会幹部や学会に詳しいジャーナリストは口をそろえる。だが、その言葉にはただし書きがある。それは「学会の集票力が維持される限りにおいて」だ。前出の島田氏は言う。 「19年の参院選では、(学会の支持団体である)公明党の得票数は16年の参院選と比べて100万票以上減らしており、学会員数の減少と関係している可能性が高い。信仰2世や3世は、価値観もかつての学会員とは大きく異なる。21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」 最強といわれてきた集票力に陰りが見えれば、20年以上にわたる自公連立の土台が崩れる。そして、もしそうなれば、Xデー以上に学会の教勢に致命的なダメージとなるだろう。学会に残された猶予はおそらく想像以上に少ない。学会が直面する9つの危機を具体的に明らかにする』、「21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」、とは「衆院選」の数少ない楽しみの1つだ。
・『創価学会への理解なしには日本の政治・社会は分析不可能 特集では、数兆円規模と言われる「S(創価)経済圏」に迫る危機や、コロナで急ブレーキがかかった学会活動の苦境、混迷の度を深めるカリスマ不在の後継者争いの行方、配達の外部委託に踏み切った聖教新聞の裏事情、さらには「歴史的大敗」も懸念される次期衆院選のゆくえなど、盛りだくさんのテーマに迫ります。 そのほか、学会本部も存在を知らないであろう往年の池田氏や大幹部、第2代会長の戸田城聖氏の縁者などの秘蔵写真を発掘、学会のキーマンを網羅した内部文書なども大公開します。 そして、インタビューには、昨年10月、600ページに及ぶ大著『池田大作研究』を上梓した作家、佐藤優氏が登場。「学会が世界宗教化する理由」を語ってもらいました。 その佐藤氏は「学会を知り、理解しなければ、日本の政治や社会を分析することはできない」と断言します。学会員もそうでない人も必読です。 (ダイヤモンド編集部「創価学会取材班」』、一頃は「向かうところ敵なし」だった「創価学会」を取り巻く環境は、厳しさを増したようだ。
第三に、1月19日付け東洋経済オンラインが掲載した宗教学者/作家の島田 裕巳氏による「実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/403893
・『子供が生まれたときの初参りや七五三、必勝悲願や安全祈願など、神社は私たちの日常の暮らしの中にしっかりと根づいている。「神社について知ることは日本を知ること」と説くのは宗教学者の島田裕巳氏だ。では、日本における「神」とは何か。島田氏の新著『教養として学んでおきたい神社』を一部抜粋・再編集して掲載する』、「島田氏」の「見解」とは興味深そうだ。
・『本居宣長が定義した日本の神様 日本における神の定義として最も有名なものは、江戸時代に国学者の本居宣長が行ったものである。宣長は、当時、読むことが難しくなっていた古事記の注釈を試み、それを『古事記伝』という書物にまとめている。その第3巻の最初の部分で、神とは何かについて述べている。それは、次のようなものである。 凡(すべ)て迦微(かみ)とは古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云(い)はず、鳥獣(とりけもの)木草のたぐひ海山など、其与(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き(かしこ)物を迦微とは云なり。〔すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり。 宣長は、同じ『古事記伝』の第6巻で、「貴きも賤きも善も悪も、死ぬればみな此ノ夜見ノ国に往」くとし、誰もが死んだら、伊邪那美命(いざなみのみこと)が赴いた黄泉(よみ)の国(夜見ノ国)へ赴くとしていた。 そのうえで、「世ノ中の諸の禍事をなしたまふ禍津日ノ神(まがつひのかみ)は、もはら此ノ夜見ノ国の穢より成坐るぞかし」と述べている。 世の中に悪をもたらすのは、古事記に登場する禍津日ノ神であるとされる。この神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻ってけがれをはらったときに生まれている』、「すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり」、誠に不思議な定義だ。
・『神学者や哲学者を苦しめる一神教の難問 一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題である。神が善であるなら、その創造にかかる世界に悪が存在するはずはない。 ところが、現実には、さまざまな悪が存在している。この問題をどのように解決すればいいのだろうか。少し考えてみれば分かるが、問いとしてとてつもなく難しい。神学者や哲学者は、この難問に苦しめられてきた。 その点、宣長が考えたような形で神をとらえれば、そうした難問にぶちあたらない。日本では特別な働きをしたものが神として祀られてきた。 宣長が『古事記伝』の執筆を開始したのは、明和元(1764)年のことで、書き上げたのは寛政10(1798)年のことだった。脱稿までに34年の歳月が流れている。宣長は71歳で亡くなっており、人生の半分を『古事記伝』執筆に費やしたことになる。 宣長は、中国文明の影響を受ける前の日本人の精神性を古事記に求め、そこに記されたことを真実として受けとめている。 死者は黄泉の国に赴くと古事記に書かれている以上、宣長としては、それを受け入れるしかなかった。この世に悪が生じる原因を、古事記が禍津日ノ神に求めるなら、そう考えるしかなかった。宣長にとっては、古事記に書かれていることがそのまま真実だったのである。 しかし、これはあまりに受動的な考え方である。また、これでは死んだ後のことについていっさい希望を抱くことはできない。死後は、仏教が説く浄土に赴くこととは比べようもないほど惨めなものになってしまう。 また、この世で悪いことに遭遇したとしても、それは悪神の仕業で、人間の側からすれば、どうしようもなかった。宣長は、禍津日ノ神の引き起こす悪事をいかに防ぐかということについて、何の示唆も与えてはくれなかった。この宣長の考え方が、どの程度、日本の社会に受け入れられたかは判断が難しいところである。 まず、死後、自分は黄泉の国に赴くと考えている人は少ないだろう。また、何か悪いことが起こったとき、それを禍津日ノ神の仕業と考える人はいないはずだ。そもそも禍津日ノ神のことは一般には知られていない。 ただ、宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ。 そこからは、「諸行無常」ということばが思い起こされる。これは仏教の用語だが、この世にあるものは変転をくり返していく。仏教ではそれを法としてとらえる。宇宙の法則だとしているのである』、「一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題」、確かに難問だ。「宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ」、なるほど。
・『仏教と国学の考え方の違いと共通点 悪の起こる原因を法に求めるのか、それとも悪神に求めるのか。その点で、仏教の考え方と宣長の国学の考え方とは異なる。だが、悪に対して、人間にはなすすべがないとしているところでは、両者は共通している。 一神教の世界では、この世に起こるあらゆる事柄は神によって定められたことで、そこには意味があるとされる。 これに対して、国学も仏教も、そこに意味があるとは考えない。それが、一神教の西洋とは異なる、多神教の東洋の思想ということになる。 日本では、多くの神が祀られているわけだが、なかには疫病をもたらしたり、たたりを引き起こしたりしたことがきっかけになっているものが少なくない。 左遷されたまま亡くなった菅原道真が天神として祀られたことがすぐに思い起こされるだろうが、天照大神(あまてらすおおかみ)であっても、最初は宮中に祀られていて、疫病などを引き起こしたことで、伊勢に祀られることとなったのだ。 日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである。 神社のことを考えるうえで、こうした日本の神のあり方を無視することはできない。神に善と悪の両方の側面があることで、祀り方、いかに祀るかが重要なものになってくる。その点を念頭において、私たちは神社のことを考えていかなければならないのである』、「日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである」、ただ、多くの日本人は「宣長の国学の考え方」ではなく、「仏教の考え方」に依っているのではなかろうか。
タグ:宗教 (その5)(創価学会60余年の「政治秘史」 池田大作氏による“天下取り構想”の実像、創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機、実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想) 「創価学会60余年の「政治秘史」、池田大作氏による“天下取り構想”の実像」 高橋篤史 ダイヤモンド・オンライン 特集『創価学会 90年目の9大危機』(全16回)の#15では、その知られざる政治史をジャーナリスト、高橋篤史氏が斬る』 1954年に創価学会が政治活動を開始 2年後の56年に参議院議員に当選 「折伏大行進」をスローガンに信者数を急激に伸ばし始めていた 学会は日蓮正宗の在家信徒団体の中でも最も急進的な勢力 他宗教・他宗派を「邪宗」と決め付け、道場破りまがいの攻撃に明け暮れていた 日蓮は「立正安国論」で知られるように政治への関与に積極的 学会の政治進出は必然の流れであり、「広宣流布」、つまりは信者を獲得し日蓮正宗の教えを広めるための有力な手段と位置付けられた 目標としたのは「王仏冥合」の実現であり、その象徴となる「国立戒壇」の建立 57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件) 初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件) 「王仏冥合の大理念」から一転 文言の削除、国立戒壇論の撤回へ 「国会では政教一致批判」が背景だ 「反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い 政治活動の目的は組織拡大と防衛のため 池田氏の国会喚問まで取り沙汰されたこのバッシングに対し、学会側は青年部長だった谷川佳樹氏(現主任副会長)が中心となった緊急集会を開くなど防戦を強いられた。このときのトラウマが自民党との接近を生んだとの見方は少なくない 選挙への関心は高いが、政策への関心は低い 「組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン」、政治勢力としては歪な構造を抱えているようだ 「創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機」を紹介しよう』 「創価学会 90年目の9大危機」 創立90周年の節目を迎えた創価学会に迫りくる弱体化 「「信仰する宗教(本人)」・・・の質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した 「聖教新聞からして自力配達を断念」、とは深刻な党勢の弱まりだ 実際の学会員数は177万人? 有識者が衝撃の試算 島田裕巳 『捨てられる宗教』 際の学会員数を177万人と算出した。この数字はそれ以前と比べると、一気に100万人ほど学会員が減ったことを示す 21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」、とは「衆院選」の数少ない楽しみの1つだ 創価学会への理解なしには日本の政治・社会は分析不可能 『池田大作研究』を上梓した作家、佐藤優氏 「学会が世界宗教化する理由」 一頃は「向かうところ敵なし」だった「創価学会」を取り巻く環境は、厳しさを増したようだ 東洋経済オンライン 島田 裕巳 「実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想」 本居宣長が定義した日本の神様 すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり」、誠に不思議な定義だ 神学者や哲学者を苦しめる一神教の難問 一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題」、確かに難問だ 「宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ 仏教と国学の考え方の違いと共通点 日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである」 ただ、多くの日本人は「宣長の国学の考え方」ではなく、「仏教の考え方」に依っているようだ
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