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パンデミック(経済社会的視点)(その23)(中国ゼロコロナ政策)(中国のゼロコロナ固執で露呈した 「習近平国家主席は絶対正しい」の限界、習近平の「ゼロコロナ」への固執が招いた上海ロックダウン地獄絵図 コロナは個人独裁の綻びの始まり・前編、習近平コロナ失政に「無関心」で高まる李克強の存在感が意味すること コロナは個人独裁の綻びの始まり・後編) [パンデミック]

パンデミック(経済社会的視点)については、4月22日に取上げた。今日は、(その23)(中国ゼロコロナ政策)(中国のゼロコロナ固執で露呈した 「習近平国家主席は絶対正しい」の限界、習近平の「ゼロコロナ」への固執が招いた上海ロックダウン地獄絵図 コロナは個人独裁の綻びの始まり・前編、習近平コロナ失政に「無関心」で高まる李克強の存在感が意味すること コロナは個人独裁の綻びの始まり・後編)である。

先ずは、5月3日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「中国のゼロコロナ固執で露呈した、「習近平国家主席は絶対正しい」の限界」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/302579
・『中国は、最初に新型コロナウイルスが感染拡大した国だ。しかし、徹底した都市封鎖と行動制限の「ゼロコロナ政策」によって感染拡大を抑え込んだ(本連載第236回)。しかし、今、その政策が限界を迎えつつある。国民からの不満も爆発しているのに「ゼロコロナ」から脱却できない。権威主義的体制の根本的な問題は何か』、中国が直面するジレンマとは興味深そうだ。
・『一歩先を進んでいたはずの中国、世界から置きざりに?   「ゼロコロナ」によって感染拡大を抑え込むことができた中国では、企業が、他国に先駆けて、生産を再開することができた。2020年、中国はG20の中で、唯一のプラス成長2.3%を達成している。中国政府は、「新型肺炎のまん延を最も包括的に、厳格に、徹底的に抑え込んだ」と自画自賛した。 欧米諸国や日本など感染封じ込めに失敗したかにみえた自由民主主義諸国と対比して、中国の権威主義的な政治体制の優位性を強く主張し、「感染が広がる他の国に支援する用意がある」とアピールした(本連載第263回)。 この成功体験から、中国政府は「『ゼロコロナ』こそが、ベストのコロナ対策」と訴え、新型コロナの徹底的な封じ込めを指示し続けた。 ところが、その後新型コロナはアルファ株やデルタ株、オミクロン株など、次々と変異を繰り返したことで、世界の対応に変化が起きる。 欧米諸国などは次々と「ゼロコロナ」の実現を放棄。新型コロナの消滅は不可能だという前提で、ワクチン開発・接種、治療薬の開発によって、ウイルスと共存・共生しながら社会を正常化していく方針に転換したのだ』、『ゼロコロナ』の「成功体験」に囚われて、「欧米諸国など」が「ウイルスと共存・共生しながら社会を正常化していく方針に転換した」のに取り残されたようだ。
・『英国は「日常へ移行」し、他国も「ウィズコロナ」を覚悟  デルタ株が猛威を振るっていた昨年7月、英国ではジョンソン首相が、集会や飲食店の制限の解除など、感染抑制のための制限措置の大半を解除し、経済・社会を正常化すると決断した。さらに、今年2月24日に新型コロナ対策のすべての法的規制を撤廃した。新型コロナ陽性者の最短5日間の自主隔離の義務などが廃止された。 ただし、ジョンソン首相は、「このウイルスはなくならない。そのため、今日は新型コロナに対する勝利宣言できる日ではない」と発言した。一方で、ジョンソン首相は「感染のピークは過ぎて感染者数は減少している」とも指摘した。英国は新型コロナ感染再拡大や新たな変異株への備えをしつつ、「日常への移行」を完了すると宣言した(BBC NEWS「英イングランド、コロナ規制を全廃へ 隔離措置は24日に廃止」)。 4月1日からは、「新型ウイルスの影響を最も受けやすい人」を除き、一般市民を対象とした無料の大規模症状検査は終了となった。 英国と同様に、他の欧米諸国や日本などは、ワクチン接種で重症化防止措置を取れば、あとは手洗い、消毒、マスク着用で感染を防止し、社会活動、経済活動を平時に戻していくという「ウィズコロナ」の方向性に向かっている。 中国でも、感染力の強いデルタ株やオミクロン株の感染を抑えることができなかった。しかし、「ゼロコロナ」を世界に誇っていた中国は、習近平国家主席の強力な指導力による「ゼロコロナ政策」を貫き通そうとした。 2022年冬の北京五輪を成功させなくてはならないという国家目標があったからだ』、「英国と同様に、他の欧米諸国や日本などは、ワクチン接種で重症化防止措置を取れば、あとは手洗い、消毒、マスク着用で感染を防止し、社会活動、経済活動を平時に戻していくという「ウィズコロナ」の方向性に向かっている」、「「ゼロコロナ」を世界に誇っていた中国は、習近平国家主席の強力な指導力による「ゼロコロナ政策」を貫き通そうとした」、思い上がった「ゼロコロナ」の罠に囚われたようだ。
・『「ゼロコロナ」に執着、プライドのため国民の不満もスルー  2021年夏の東京五輪は、無観客開催という変則的な形となったが、中国は、北京大会を完璧な形で成功することで、国家としての威信と力量を世界に示そうとした(田中信彦「『ゼロコロナ』の呪縛から逃れられるか 中国の政策に見るナショナリズムの変化」NEC Wisdom)。 だが、結局はデルタ株の感染拡大に直面して、昨年9月に海外からの観客受け入れを断念した。大会直前の今年1月には、オミクロン株の感染拡大で、チケットの一般販売を行わず、観客を限定して受け入れると変更せざるを得なくなった。 3月、中国の新型コロナ感染者数は、重症者数は英国など諸外国と比べて大きなものではなかったが、中国各地の都市でロックダウンや厳しい行動制限が実施された。 人口2400万人都市の上海でロックダウン(都市封鎖)も長期化している。吉林省長春市、陝西省西安市や河南省鄭州市など、中国の45都市で移動制限などなんらかの封鎖措置が取られているという情報もある(朝日新聞デジタル「中国『ゼロコロナ』政策 なぜ苦境 習指導部の『堅持』、リスクにも」)。 「ゼロコロナ」政策は、ある都市でわずかな感染が発生しただけでも、その全市民にPCR検査が行われ、自宅待機、厳格な外出制限を実施する。不要不急の企業活動、飲食店、商業施設、娯楽施設の営業、学校や公共交通機関の停止、幹線道路の封鎖といった都市封鎖を徹底的に行うというものだ。 だが、その厳格さにもかかわらず、感染拡大が収まる気配を見せない。市民が食料の調達に苦労し、病院をたらい回しにされる医療ひっ迫の危機にあるという。市民の不満が次第に高まり、SNS上には当局に抗議する市民の動画が流れたりしている(AERA.dot 「『物資をよこせ!』中国ゼロコロナで困窮する人たち 『私がゼロにされる』批判投稿も」)。 しかし、中国政府は、市民の不満に応えようとしない。「ゼロコロナ」政策は、中国が新型コロナ対策で世界を指導する地位にあること、中国の政治体制が自由民主主義より優れていることをアピールする政策であったので、その変更は極めて難しいのだ。 むしろ、中国政府は「ゼロコロナ」政策をより徹底的に行うことを指示している。3月以降、ゼロコロナ政策の遂行に失敗したとして、120人以上の地方政府や党の幹部が更迭などの処分を受けているという情報もある(西日本新聞「『ゼロコロナ』中国に逆風 経済打撃、市民に不満『独り負けに』」)。 だが、ゼロコロナの徹底でも、新型コロナの感染拡大は止まらず、状況は好転しない。上海市で、新規感染者の少ない区画では、段階的に外出制限を緩める方針を示していた。しかし、再び外出制限を厳格化する方針を決めた。感染の深刻な地域では、PCR検査をあらためて徹底する方針を決めざるを得なくなっている(日本経済新聞「上海市、外出制限を再び厳格化 感染増加地域で」)。 要するに、英国など欧米諸国を中心に、多くの国がウイルスとの共存・共生を目指す「ウィズコロナ」戦略に転じる中、「ゼロコロナ」政策を貫いてきた中国が、新型コロナの感染拡大に苦心惨憺しているのだ』、「「ゼロコロナ」政策は、中国が新型コロナ対策で世界を指導する地位にあること、中国の政治体制が自由民主主義より優れていることをアピールする政策であったので、その変更は極めて難しいのだ。 むしろ、中国政府は「ゼロコロナ」政策をより徹底的に行うことを指示している」、「「ゼロコロナ」政策を貫いてきた中国が、新型コロナの感染拡大に苦心惨憺している」、科学的視点より政治的視点を重視したツケだ。
・『間違いを修正できない!身動きが取れなくなった中国  この連載で主張してきた、ロシアや中国のような「権威主義的体制」の弱点を端的に示している(第220回)。権威主義的体制は、指導者は絶対に間違うことがないという「無謬(むびゅう)性」を前提としている。指導者は常に正しく、常に勝利し国民を導いていく。これが、指導者の「権威」と「権力」の基盤である。 だから、権威主義的体制では、自由民主主義体制では当たり前に行われる、国民の声を聴いて妥協し、政策を修正するということは、それ自体が権威を揺るがすことになるため絶対に認められないのだ。 そして、重要なことは、うまくいかなくなったら、うそを重ねて権威を守ろうとする。これは、「ゼロコロナ」政策に固執する、現在の中国の状況に完全に当てはまるのではないだろうか。 中国は、迅速な意思決定が可能であるとして権威主義的体制の優位性を主張してきた。だが、その主張は間違っている。実際には、政策の修正が必要な局面になると、とたんに非効率的となる。必要な決断を遅らせる、コストの高いものであることが明白だ。 権威主義的体制では、指導者の政策の間違いを正すには、政権を倒す体制変革、最悪の場合武力による革命が必要になる。重要なことは、そのとき、多くの人々の生活や生命が犠牲になってしまうことなのだ。 欧米や日本の自由民主主義体制ならば、指導者の政策の間違いを修正するのは、それほど難しいものではない。基本的に情報がオープンであることを通じて国民は指導者の間違いを知ることができるからだ。 そして、間違いは選挙を通じてやり直すことができる。それが、一見地味ではあるが、自由民主主義にあって他の政治体制にはない最大のメリットであると、何度でも強調しておきたい。 現在、ウクライナ侵攻の停戦協議が進まず泥沼化している。それは、突き詰めればロシア・プーチン大統領が「戦争遂行に失敗した」という形では、戦争を終えられないからだ。失敗を認めることは、プーチン政権の権威と正統性を失わせることになるのだ(第299回)。 中国の新型コロナ対策も、習主席の「ゼロコロナ」政策が誤っていたという形には絶対にできない。だから、「ゼロコロナ」政策が正しかったという形を作るまで、政策を転換することができない。中国は、習主席の無謬性という「権威」を守るために、政策を変えることができず、身動きが取れなくなってしまっているということなのだ』、「権威主義的体制では、指導者の政策の間違いを正すには、政権を倒す体制変革、最悪の場合武力による革命が必要になる。重要なことは、そのとき、多くの人々の生活や生命が犠牲になってしまう」、「欧米や日本の自由民主主義体制ならば、指導者の政策の間違いを修正するのは、それほど難しいものではない。基本的に情報がオープンであることを通じて国民は指導者の間違いを知ることができるからだ。 そして、間違いは選挙を通じてやり直すことができる。それが、一見地味ではあるが、自由民主主義にあって他の政治体制にはない最大のメリットであると、何度でも強調しておきたい」、完全に同感である。

次に、5月2日付け現代ビジネスが掲載した在日評論家の石 平氏による「習近平の「ゼロコロナ」への固執が招いた上海ロックダウン地獄絵図 コロナは個人独裁の綻びの始まり・前編」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94861?imp=0
・『怒りに満ちあふれる閉鎖都市・上海  日本のメディアでも連日報じられているように、中国屈指の大経済都市・上海は3月27日からロックダウンされることとなった。当初は市中心部を東西に分けて2段階的にロックダウンを始めていたが、4月5日あたりから全面的なロックダウンが実施された。 ロックダウン期間がすでに1ヵ月ほどが経った、この原稿を書いている4月27日現在、解除される見通しはいっさい立っていない。 そしてこの1ヵ月間、都市封鎖の上海市内はまさに阿鼻叫喚の地獄と化している。物流の中断や小売店の休業などによって生活物資が決定的に不足して食糧難も起き、文字通りの飢餓の蔓延が現実に起きた。 さらに、極端な強制隔離措置が取られた中では、重病となっていても病院へ行けないケースや小さな子供が親から切り離されて隔離施設へ送られるような人道上の災難も多発した。 このような状況に対し、多くの上海市民の不満が爆発寸前となった。一部の区域では市民による局部的な騒乱や抗議活動が勃発し、封鎖された市内を視察した上海市党委員会書記が市民に面罵されるという共産党政権下ではめったにない珍光景が見られるまでになった。 こうした中で、「上海人の忍耐は極限に達している」とする憤慨のブログ文が4月初旬にネット上で流布されると2000万回以上の閲覧され、全国で大きな反響を呼んだ。 4月22日からは、市民の怒りと悲しみの肉声を拾った短編動画の「四月の声」が通信アプリの「微信」上にアップされて大量に転載、拡散された。動画は当局により直ちに削除されたが、市民らは別の通信アプリやQRコードを使うなどして拡散を続け、団結して検閲に対抗した』、「市内を視察した上海市党委員会書記が市民に面罵されるという共産党政権下ではめったにない珍光景が見られるまでになった」、確かに驚くべきことだが、市民の怒りの強さを示しているようだ。
・『効果なしの無駄政策  このように、この1ヵ月間、上海史上初めてのロックダウンによって市内が大混乱に陥り、市民には多大な犠牲と不便が強いられている。そしてその結果、市民の反発と憤りがいよいよ頂点に達しつつある。その一方、2600万人の大経済都市である上海の長引くロックダウンの、上海の経済だけでなく中国経済全体に与えるダメージの大きさは計りきれない。 コロナ感染の拡大云々というよりも、感染拡大を封じ込めるための手段であるはずのロックダウンそのものは、上海と上海市民にとっての大災難となっているのである。 問題は、それほどのコストを払って強行された上海ロックダウンは果たして、コロナ感染拡大の封じ込めという当初の目的を達成しているかである。4月27日現在の状況からすれば答えはやはり「NO」である。というよりもむしろ、ロックダウンの中で感染拡大は酷くなる一方である。 3月26日、ロックダウンされた前日の上海市内で確認された感染者数は45名で、無症状感染者数が2631名であった。しかし、ロックダウンされて約1ヵ月が経った4月25日、同じ上海市内で確認された新規感染者数が1661名、無症状感染者数が1万5319名である。 つまり、数字を見る限り、ロックダウンによって感染者数が減らされたのではなくむしろその逆である。まさに前代未聞の厳しいロックダウンの中において、実は感染者数と無症状感染者数の両方は大幅に増えているわけである。 その原因についての探求は本論考の範囲外であるが、一つ確実に言えるのは、要するにロックダウンという措置は上海市内の感染拡大の封じ込めに全く役に立っていない、ということだ。この1ヵ月のロックダウンは単に、副作用としての大災難こそを招いた効果なしの無駄策だったのである』、「ロックダウン」が成功した武漢市は、人口1180万人と、「上海」の「2600万人」より小粒で、「オミクロン変異株」のように複雑化してなかった。
・『誰の責任かはよくわかっている  ここまできたら、ロックダウンを目玉とする政府当局のコロナ対策は、もはや完全に失敗していると言わざるを得ない。そしてこの失敗はすなわち、中国の独裁者である習近平主席その人の失敗でもある。 3月25日掲載の「もはや“アリ地獄”…『ゼロコロナ政策』に固執する習近平の思考回路」で指摘したように、上海など大都市でロックダウンという厳重措置が取られたことの背後には、習主席の主導下で推し進められてきた「ゼロコロナ」政策がある。 今までは、コロナウイルスの完全撲滅を目指すこの極端な政策の貫徹こそが、中国におけるコロナの封じ込めを成功へと導いた最大の要因であったから、「ゼロコロナ」政策はいつの間にか習近平政権の一枚看板の政策となっていて、「社会主義制度の優越性」の印にさえなっているのである。 それだからこそ、習主席は今になっても「ゼロコロナ」政策の堅持に異様なほどに固執している。だが、問題は、感染力の非常に強いオミクロン変異株の出現によって、コロナの完全撲滅はすでに不可能となっていて、「ゼロコロナ」政策自体は現実性を失っていることである。 それでも習主席は、自らの看板政策を守るべく、ゼロコロナ政策の継続にあくまでも固執し、中央と各地方政府にこの政策の貫徹を強要している。 実際、上海ロックダウンの実施はまさに中央から派遣された「督査組」の強い指導下で始まったものである。政治局員・副首相の孫春蘭氏が「習主席指示の貫徹」と称して数回にわたって上海入りして陣頭指揮をとったことは周知の通りである。 つまり、中国における「ゼロコロナ」政策推進の司令塔が習主席本人であることと、上海ロックダウンを指示したのが習主席自身であることは、今の中国では周知の事実である。習主席=「ゼロコロナ」政策、ゼロコロナ政策=ロックダウンは中国国内の常識とさえなっている。 しかしその結果、この乱暴にして極端な「ゼロコロナ」政策の推進が習主席自身のイメージダウンにつながるだけでなく、その政策の失敗もまた、習主席の権威を大きく傷つけて彼の「バカ殿ぶり」を天下に晒し出しているのである』、「この乱暴にして極端な「ゼロコロナ」政策の推進が習主席自身のイメージダウンにつながるだけでなく、その政策の失敗もまた、習主席の権威を大きく傷つけて彼の「バカ殿ぶり」を天下に晒し出しているのである」、「彼の「バカ殿ぶり」を天下に晒し出している」、もう日本国籍を取得した筆者ならではの遠慮のない書きぶりだ。
・『批判押さえ込みの大キャンペーン  こうした中で、ロックダウンによって多くの苦難を強いられた上海市民の不満と憤りのその矛先の向かう先が、まさに習主席その人であるとは言うまでもない。上海市共産党委員会の書記でロックダウンの現地責任者の李強氏が、習主席の側近幹部として上海に送り込まれたことからしても、市民の憤りがもっぱら習氏に向かっていくのはなおさら当然のことであろう。 独裁者を公然と批判することはできないが、「あのバカのせいでこうなった!」と多くの上海市民が思っているのであろう。 流石の習主席も、自らの主導する「ゼロコロナ」政策に対する国内の反感・反発の強さを感じ取ったのだろうか。 4月13日、習主席は視察先の海南島でコロナ対策に言及して、「ゼロコロナ」政策の堅持を改めて強調した。そして、それに呼応するような形で、同じ4月13日からは、新華社通信、人民日報、中央テレビ局などの共産党宣伝部直轄下の中央メデイアは一斉に、「動揺せずに“ゼロコロナ”政策を堅持せよ!」、「“ゼロコロナ”政策を堅持し、動揺せず躊躇わず」と題する論説や記事を大々的に掲載して、「“ゼロコロナ”政策万々歳!」の宣伝キャンーペンを始めたのである。 中国の政治を熟知している人ならばよく分かるように、「ゼロコロナ」政策擁護の宣伝キャンーペンがこうして一斉に展開され始まったことは、まさにこの政策に対する国内の批判が高まっていることの裏返しであって、政策が失敗に終わろうとしていることの証拠である。 共産党中央宣伝部部長の黄坤明氏は、習主席の福建省・浙江省勤務時代からずっと主席に追随してきた腹心の一人でもあるから、上述のゼロコロナ政策擁護キャンペーンの展開は、習主席陣における危機感の高まりの現れでもあろう。 このままでは、ボスの習主席のさらなる権威失墜は必至だから取り巻きの人々も必死である。しかし、習主席陣営が守りに入って自分たちの政策の「防衛戦」を強いられるようなこと自体はむしろ、強固に見える習近平独裁体制がボロを出していることの証左であろう。 このことは秋の党大会に向け政治闘争に発展しかねない事態である。そして、この空前の失政を横目に党内で存在感を増している人物がいる。李克強首相である。 その静かな政治パフォーマンスのあり方と水面下での対立構造を、後編「習近平コロナ失政に『無関心』で高まる李克強の存在感の意味すること」で明らかにしていきたい』、早く続きを読みたいものだ。

第三に、この続きを、5月2日付け現代ビジネスが掲載した在日評論家の石 平氏による「習近平コロナ失政に「無関心」で高まる李克強の存在感が意味すること コロナは個人独裁の綻びの始まり・後編」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94862?imp=0
・『李克強首相の深謀遠慮  1ヵ月前から続いている中国・上海の都市封鎖は、経済活動や住民の生活に名状しがたい混乱を与えながら、肝心のコロナ感染を全く制圧できていないという、大失策となっている。 前編「習近平の『ゼロコロナ』への固執が招いた上海ロックダウン地獄絵図」で解説したように、秋の党大会を見すえて実績作りに狂奔した習近平国家主席の失態だが、その一方、このコロナ対策における習主席の大失敗・失態を横目にして、自らの管轄する領域で存在感を発揮している指導者もいる。党内における習主席最大のライバルであって対抗勢力筆頭の李克強首相である。 上海がロックダウンされている中で、李首相はどのような動きをしているのか。それを時間順に追って見ていけば実に興味深いものがある。 まずは上海ロックダウンが始まった直後の3月29日、李首相は国務院常務会議を主宰したが、会議のテーマは特大交通事故の防止や経済上の投資拡大の促進であってコロナ対策や「上海」とは全く無関係であった。 そして4月7日、李首相は再び国務院常務会議を主宰した。今度の議題は年金政策・失業対策の調整と研究であって、やはり「コロナ」とも「上海」とも関係はない。4月9日、李首相は「経済情勢に関する専門家・企業家座談会」を主宰し、参加者たちの声に耳を傾けたが、コロナのことも上海のことも一切話題に出ていない。 そして4月11日、李首相は視察先の江西省で「一部地方政府責任者座談会」を主宰し、参加者たちと共に経済成長の維持について討議した。江西省の党委員会書記・省長がリアルで参加した以外に、遼寧省・浙江省・広東省・四川省4省の省長はオンライン参加した。 4月13日、李首相はまたもや国務院常務会議を主宰し、「消費促進」などに関し具体策を討議しそれを決定した。4月14日、李首相は来る洪水・旱魃期における「洪水対策・旱魃対策」に関して、関連中央官庁と各地方政府に「重要指示」を出した。そして4月25日、李首相は「国務院第5回廉政会議」を主宰、「清廉潔白の政治」の実現について参加者たちと討議して「重要講話」を行なったという』、コロナの話題を避けたのはまさに見事だ。
・『上海ロックダウンには一言も触れず  このように、上海ロックダウンの1ヵ月を通して、李首相は地方視察をしたり一連の会議・座談会を主宰したりして精力的に動き回っていることがわかる。これを見る限り彼の首相としての存在感は十分に示されていると思うが、その反面、この一連活動において、首相の彼が見事と言って良いほど、コロナ対策の話と上海ロックダウンの話に一切ノータッチの姿勢を貫いていることは特徴的である。 上述の一連の会議・座談会では李首相は、喫緊のコロナ感染拡大のことに一切触れず、コロナ対策についても一言も語らない。そして、上海という2600万人の大都会がロックダウンされているという国家の一大事に関しては、李首相は、ただ見て見ぬふりしているのである。 普段ではそれはあり得ない話である。李首相の立派な「職務放棄」であるとも言えよう。それでも李首相が、そんなことは百も承知の上でコロナ対策と上海のことに一切触れない姿勢を貫いたのは、彼なりの政治上の深謀遠慮があるのであろう。 彼がこのような姿勢をとった狙いの一つはやはり、国民から大きな反感を買っている「ゼロコロナ」政策を自分自身から完全に切り離して、首相としての自分はこの不人気な政策に一切関わってないことを国民に明確に示すことにあるのであろう。つまり彼は全国民に向かって、「俺がこんな馬鹿げた政策には全く無関係だぞ」と言いたかったのであろう。 それと同時に彼はまた、自分が「ゼロコロナ」政策にも上海のロックダウンにもむしろ反対していることを暗に示唆しているのである。首相として独裁者習主席の看板政策に公然と異を唱えることはできないが、「ゼロコロナ」政策に一切ノータッチする態度を徹底的に貫く彼の言動は誰から見ても、この政策に対する反対姿勢の表れでしかない』、「「ゼロコロナ」政策に一切ノータッチする態度を徹底的に貫く彼の言動は誰から見ても、この政策に対する反対姿勢の表れでしかない」、その通りだ。
・『秋の党大会に向け政治闘争の予感  その一方、李首相は、経済成長・消費拡大・失業対策などの課題で連日会議を開いて具体的対策を講じ、国民の関心に答えて国の実情に沿った政策を進める政策派・実務派首相として存在感を発揮している。 4月12日、中国銀行所属の著名経済学者の管濤氏は「毎日経済新聞」の関連記事に登場して、「専門家・企業家座談会」を主宰した李首相については、「首相は各業界の抱える問題と困難を詳しく把握しており、問題のポイントをきちんと押さえている。人々は中央上層部が当面の情勢を把握していないのではないかとの心配があったが、李首相は実情をきちんと理解しているだけでなく、具体的対策も持っているから心が強い」と語った。 党中央のメデイアで「習近平崇拝」が圧倒的な論調となっている中て、上述のような赤裸々な「李克強礼讃」が著名経済学者の口から堂々と吐かれて新聞紙にと登場するようなことは中国では滅多にない。 捉えようによっては、「実情に通じる実務派首相」の李氏に対する称賛はまさに、「実情を無視してゼロコロナ政策強行」の習主席に対する当て付けでもあるのである。 言ってみれば、習近平の失敗を横目に、李首相は自らのイメージアップ作戦に成功して株を上げているが、ひょっとしたら李首相は、今後も続く習主席のコロナ対策の失敗とそれに伴う主席自身の権威失墜を見据えて、それに取って代わる指導者としての自分自身の地歩を固めているのかもしれない。 秋の党大会に向かっての党内闘争が今後どういう展開を見せてくるのかはいまだ未知数であるが、一つ確実に言えることはすなわち、自らの主導する「ゼロコロナ」政策の失敗によって習主席の個人独裁体制はすでに綻び始めていることである』、北京でも自宅待機が要請され始めたようだ。上海に加え、北京まで「ロックダウン」とでもなれば、事態はさらに混乱の度合いを増す。一時は「習主席」は圧倒的に優位だったが、「「ゼロコロナ」政策の失敗によって習主席の個人独裁体制はすでに綻び始めている」、面白い展開になってきた。
タグ:石 平氏による「習近平の「ゼロコロナ」への固執が招いた上海ロックダウン地獄絵図 コロナは個人独裁の綻びの始まり・前編」 現代ビジネス 「権威主義的体制では、指導者の政策の間違いを正すには、政権を倒す体制変革、最悪の場合武力による革命が必要になる。重要なことは、そのとき、多くの人々の生活や生命が犠牲になってしまう」、「欧米や日本の自由民主主義体制ならば、指導者の政策の間違いを修正するのは、それほど難しいものではない。基本的に情報がオープンであることを通じて国民は指導者の間違いを知ることができるからだ。 そして、間違いは選挙を通じてやり直すことができる。それが、一見地味ではあるが、自由民主主義にあって他の政治体制にはない最大のメリットである 「「ゼロコロナ」政策は、中国が新型コロナ対策で世界を指導する地位にあること、中国の政治体制が自由民主主義より優れていることをアピールする政策であったので、その変更は極めて難しいのだ。 むしろ、中国政府は「ゼロコロナ」政策をより徹底的に行うことを指示している」、「「ゼロコロナ」政策を貫いてきた中国が、新型コロナの感染拡大に苦心惨憺している」、科学的視点より政治的視点を重視したツケだ。 「英国と同様に、他の欧米諸国や日本などは、ワクチン接種で重症化防止措置を取れば、あとは手洗い、消毒、マスク着用で感染を防止し、社会活動、経済活動を平時に戻していくという「ウィズコロナ」の方向性に向かっている」、「「ゼロコロナ」を世界に誇っていた中国は、習近平国家主席の強力な指導力による「ゼロコロナ政策」を貫き通そうとした」、思い上がった「ゼロコロナ」の罠に囚われたようだ。 『ゼロコロナ』の「成功体験」に囚われて、「欧米諸国など」が「ウイルスと共存・共生しながら社会を正常化していく方針に転換した」のに取り残されたようだ。 中国が直面するジレンマとは興味深そうだ。 「ロックダウン」が成功した武漢市は、人口1180万人と、「上海」の「2600万人」より小粒で、「オミクロン変異株」のように複雑化してなかった 「市内を視察した上海市党委員会書記が市民に面罵されるという共産党政権下ではめったにない珍光景が見られるまでになった」、確かに驚くべきことだが、市民の怒りの強さを示しているようだ。 上久保誠人氏による「中国のゼロコロナ固執で露呈した、「習近平国家主席は絶対正しい」の限界」 北京でも自宅待機が要請され始めたようだ。上海に加え、北京まで「ロックダウン」とでもなれば、事態はさらに混乱の度合いを増す。一時は「習主席」は圧倒的に優位だったが、「「ゼロコロナ」政策の失敗によって習主席の個人独裁体制はすでに綻び始めている」、面白い展開になってきた。 「この乱暴にして極端な「ゼロコロナ」政策の推進が習主席自身のイメージダウンにつながるだけでなく、その政策の失敗もまた、習主席の権威を大きく傷つけて彼の「バカ殿ぶり」を天下に晒し出しているのである」、「彼の「バカ殿ぶり」を天下に晒し出している」、もう日本国籍を取得した筆者ならではの遠慮のない書きぶりだ。 早く続きを読みたいものだ。 「「ゼロコロナ」政策に一切ノータッチする態度を徹底的に貫く彼の言動は誰から見ても、この政策に対する反対姿勢の表れでしかない」、その通りだ。 コロナの話題を避けたのはまさに見事だ。 石 平氏による「習近平コロナ失政に「無関心」で高まる李克強の存在感が意味すること コロナは個人独裁の綻びの始まり・後編」 ダイヤモンド・オンライン (その23)(中国ゼロコロナ政策)(中国のゼロコロナ固執で露呈した 「習近平国家主席は絶対正しい」の限界、習近平の「ゼロコロナ」への固執が招いた上海ロックダウン地獄絵図 コロナは個人独裁の綻びの始まり・前編、習近平コロナ失政に「無関心」で高まる李克強の存在感が意味すること コロナは個人独裁の綻びの始まり・後編) パンデミック(経済社会的視点)
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