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随筆(その5)(養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ 子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』) [人生]

随筆については、本年2月24日に取上げた。今日は、(その5)(養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ 子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』)である。

先ずは、先ずは、2021年12月30日付け日刊ゲンダイ「養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/299062
・『社会が狭くなっている。息苦しく、剣呑で、逃げ場もない。そんな閉塞感のなか、コロナ後の生き方を模索するサラリーマンらに対して、解剖学者の養老孟司氏(84)は新著「ヒトの壁」(新潮新書)でこう喝破する。 《今は人間関係ばかり。相手の顔色をうかがいすぎていないか》 ベストセラー「バカの壁」で、話せばわかるなんて大嘘、耳を貸さない相手には通じないという壁の存在を示した。だからこそ、その壁を共通理解して、それを乗り越えようというメッセージでもあった。その刊行から約20年、壁は取り除かれるどころかますます高くなり、ヒトそのものがヒトの障壁となって立ちはだかっているというのである』、「壁は取り除かれるどころかますます高くなり、ヒトそのものがヒトの障壁となって立ちはだかっている」、確かにその通りだ。
・『評価を気にするのをやめる  「やはり世界は狭くなったのでしょう。地球全体に広がったグローバリゼーション、というと聞こえがいいんですけど、地球の広さが分かったというか、抜け道が無くなっちゃった。人によっては、無理して宇宙まで行ったりしてますけれども、たとえ月に住めるようになったとしても、東京の高層ビルとあんまり変わらないだろうって皆、わかっているんじゃないですか。また鬱陶しさが募るだけでしょうし、もう、いくところまでいくしかないかも知れない。ただ、個人のレベルではもうちょっと世界をもう少し広げる、広くすることができるんじゃないかと思う。そのためにも、他人や共同体の評価ばかり気にするのをやめる。そうすると、ヒトじゃないものに目がいくようになりますから、人生にその部分を増やし、それを楽しんでいくといいと思います」(Qは聞き手の質問、Aは養老氏の回答) Q:ネットで欲しい情報がすぐに入り、便利になった一方、SNSは悪口雑言で溢れ、名誉棄損どころか自殺者まで出ています。デジタル社会の反動も実社会に悪影響を与えているように見えます。 A:「ある考え方で社会をつくっていくと、どうしても特定の社会、ルールができてしまう。そうすると、非常に多くのヒトがそこから漏れ、外れてしまう。いまはアタマ、理屈の世の中ですけど、人間、理屈で生きているかというと、そうでもない。そう割り切れるものでもないんです。そこらへんのバランスが徹底的に崩れてしまった。感覚が伴っていないから、色々おかしなことになっている。最も割りを食っているのは、自然に近いものです。そんな社会の影響を受けないで、世の中に新しく入ってきた若い人たちも非常に戸惑うと思います。自分が全面的に持っていたもののほんの一部を突出させ、理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと。一番、世の中変わったのはその変じゃないですかね」』、「個人のレベルではもうちょっと世界をもう少し広げる、広くすることができるんじゃないかと思う。そのためにも、他人や共同体の評価ばかり気にするのをやめる。そうすると、ヒトじゃないものに目がいくようになりますから、人生にその部分を増やし、それを楽しんでいくといいと思います」、「人間、理屈で生きているかというと、そうでもない。そう割り切れるものでもないんです。そこらへんのバランスが徹底的に崩れてしまった。感覚が伴っていないから、色々おかしなことになっている。最も割りを食っているのは、自然に近いものです。そんな社会の影響を受けないで、世の中に新しく入ってきた若い人たちも非常に戸惑うと思います。自分が全面的に持っていたもののほんの一部を突出させ、理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと。一番、世の中変わったのはその変じゃないですかね」、「理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと」、なんとも生き難い世の中になったものだ。
・『社会の役に立たなくてもいい  Q:その結果が、対人偏向の歪な社会だと。 A:「ある種の考え方が煮詰まっちゃって、にっちもさっちもいかない。変なルールを正面にたてるからいけないんで。職場の女性との関わり方も、親切にすれば、セクハラ。厳しくすればパワハラだって。そういうことを言っているから、相手をするだけでも大変になってしまう。素直に接することができなくなってしまうのでしょう」 Q:ウイルスといい、人智を超える自然や世界を制御しようすること自体、たかがヒトという分際をわきまえていない、と。 A:「スマートシティの議論なんか聞くと、よく分かります。交通事故が起こったらどうする、誰が責任持つんだと、予め全部を考えようとする。ああすれば、こうなる。理屈の世界では可能ですけど、それを突き詰め、理性的に予測したからといって、自分たちに都合よく物事をアレンジすることなんてできませんわ。コンピューター、今の情報社会は、実際に生きているというプロセスを無視して、アタマだけでやろうとする。AかBか。いまやっているAIも、ヒトのつくるものですから、ヒトに似てくる。というより、ヒト自体がAI化してますね」 Q:凶悪事件だけでなく、電車のホームでも、いい歳をした人が肩をぶつけて罵ったり、怒ったりする姿がそここにあるのは、そんな社会に限界が来ているのでしょうか。 A:「ヒトが怒る脳科学的なプロセスは、恐れと酷似しているんです。不安で、にっちもさっちもいかなくなっているのは間違いないでしょうね。そうすると、じゃあ、どうするんだと聞いてくる。だから、それが駄目なんだっていうんです。人生は本来、不要不急なんです。社会、共同体からのモノサシでみると、不要不急だと駄目で、役に立たないといけないと思ってしまう。当たり前だけど、そんなことないよと言いたい。また今のヒトは空気を読めというけれど、実はそういうヒトこそ、きちんと考えてなくて、空気で動いているだけだったりする。一部のヒトはこうした方がいいんじゃないの、が、しなきゃ駄目になって、どんどん感情的になっていく。コロナ禍では自粛警察が現れましたね。もともと日本国民には戦時中といい、そういうのがありましたけど、不安で、考えも丸めて、絶対的に自分が正しいと思い込んでしまうのでしょう」』、「「ヒトが怒る脳科学的なプロセスは、恐れと酷似しているんです。不安で、にっちもさっちもいかなくなっているのは間違いないでしょうね。そうすると、じゃあ、どうするんだと聞いてくる。だから、それが駄目なんだっていうんです。人生は本来、不要不急なんです。社会、共同体からのモノサシでみると、不要不急だと駄目で、役に立たないといけないと思ってしまう。当たり前だけど、そんなことないよと言いたい。また今のヒトは空気を読めというけれど、実はそういうヒトこそ、きちんと考えてなくて、空気で動いているだけだったりする。一部のヒトはこうした方がいいんじゃないの、が、しなきゃ駄目になって、どんどん感情的になっていく。コロナ禍では自粛警察が現れましたね。もともと日本国民には戦時中といい、そういうのがありましたけど、不安で、考えも丸めて、絶対的に自分が正しいと思い込んでしまうのでしょう」、「人生は本来、不要不急なんです」、言い得て妙だ。
・『定年まであと3年のところで辞めたワケ  Q:そんな社会にどっぷり漬かるのではなく、自分で楽しみを見つけ、楽しむ。 A:「そうです。好きこそものの上手なれ、と言いますが、論語ではさらに、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず、となる。人生、楽しんで生きているかが大切なんです。日本の社会だと、楽しんでいるというと不真面目だと考えてしまう。そうではなくて、やっていること自体が、楽しいかどうか。そんなこと言ったら、サラリーマンなんか、ほとんど全員、会社辞めちゃうんじゃないかとも思いますが。楽しむことに恐怖心すら感じるかも知れませんね。実際のところ、行きたくて会社行っているサラリーマンがどれだけいるか。いないとすると、むしろそっちのほうがおかしいわけで。まあ、僕も若い頃、東大病院で先輩の顔を見ると皆、機嫌悪いんですよ。ああはなりたくないと思ったものですけど、なってましたね。だから辞めたんです」 Q:そうしたくても、なかなかできません。 A:「定年まで3年というときに教授会で辞めると発表したとき、よく不安になりませんねとの声がありました。僕は言ってやったんです、『あなたいつお亡くなりになりますか。不安じゃないですか』って。同じですよ。先が見える道と見えない道があって、見えない道にはよりリスクがあって当たり前。でも、それが生きるということだし、思わぬ発見が自分に対してあったり、おもしろいでしょう。あのときは空が青くてね。どれだけ自分のものでもないものを背負いこんでいたか知りました。背負い、引き受け、常にやらなきゃならないと思い、長いこと本当に一生懸命でしたから。もういくところまでいっちゃった。会社勤めも、楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていたと、ゆくゆく気が付くと思いますよ」』、「先が見える道と見えない道があって、見えない道にはよりリスクがあって当たり前。でも、それが生きるということだし、思わぬ発見が自分に対してあったり、おもしろいでしょう・・・会社勤めも、楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていたと、ゆくゆく気が付くと思いますよ」」、自分を振り返っても、現役時代は「楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていた」のは確かだ。 

次に、6月19日付け現代ビジネスFRaUが掲載した編集者の横川 浩子氏による「養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ、子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』を紹介しよう。
・『人間は、ハエ1匹さえ創りだせない  虫をひたすら見ているだけで、さまざまな気付きがあると養老先生は言います。虫とはつまり、自然のこと。自然はまさにセンスオブワンダー、驚きに満ちた世界です。 「人間は、宇宙にロケットを飛ばせるようになっても、小さなハエ1匹さえ創り出せない」と養老さんは話します。自然の中で身体を使い、様々なことを感じれば、人の力の及ばない自然の偉大さを知り、想像力や他人に対しての優しさにも結び付くのではなかろうか、というわけです。 出前授業や保育園の理事長などで、長年にわたって子どもと関わる機会のあった養老先生は、80代半ばに達したいま、改めて、子どものことが心配になってきたそうです。身体を使って自然とかかわる機会がますます減ってきた子どもたちに、わたしたち大人ができることは何でしょうか? 2022年6月4日の『虫の日』に出版された、養老先生はじめての絵本『「じぶん」のはなし』には、「大人ができること」への気づきが散りばめられています。 絵本のストーリーは、分かりやすくシンプル。山に虫を探しにいく子どもたちのお話です。 ガイドはもちろん、養老先生です。  集合場所で子どもたちに「山にはどんな虫がいるんですか?」と聞かれた先生はこう答えます。 「なにがいるのか、わかっていたら おもしろくないよ。わからないから、いくんです」 どこへ行くにもネットで調べ、その結果を確かめるのが目的になりがちな昨今ですが、自然は答え合わせができません。そして驚きや感動は未知との遭遇から生まれるもの。私たち大人にとっても気付きの多い絵本です』、「どこへ行くにもネットで調べ、その結果を確かめるのが目的になりがちな昨今ですが、自然は答え合わせができません。そして驚きや感動は未知との遭遇から生まれるもの。私たち大人にとっても気付きの多い絵本です」、その通りだ。
・『養老先生が子どもだったとき  絵本には、電子顕微鏡をのぞきこみながらピンセットを動かす先生が描かれています。虫の標本を作っているところでしょうか。その足元には養老家で17年間ともに暮らし、2年前に永眠した愛猫「まる」が……。 まるの姿をできるだけ生前の様子に近づけたいと、絵を担当した横山寛多さんは何度も描き直してこの絵を完成させました。フンコロガシに夢中なのは子ども時代の孟司少年。作品中、2場面だけ登場しています。 この絵を見て養老先生は、自分が子どもだったころのことを話してくれました。 「小学校1年生の時のことです。あるとき家の前の路地に犬のフンが落ちていて、そこに虫が来ていました。しゃがんでそれを見ていると、家から出てきた母親に『何してるの』と訊かれたのです。 仕方がないから『イヌのフン』と答えたら、『フーン』と言って行ってしまいました。 そこから離れて1時間くらい経ったのですが、虫がどうなったか気になったので、また戻ってフンを見ていると、ちょうど母親が帰ってきました。母親は、私がずっとフンを見ていたのだと思い込んだようです。 子どものころから、小さな虫が元気よく動き回っているのを見ると、不思議で仕方がなかったんです。『何をしているのだろう』と思いました。いまでもそう思います。のろのろしている虫でも、ちょっと触ったりすると、だしぬけに元気よく動き出したりします。『えっ』と驚くんですが、そこが面白いんですね。 そうやって虫に関心を持っているうちに、どういう虫がどういう場所にいるのかわかってきます。名前も覚えるようになって、クワガタムシとかカミキリムシとか、グループの名前がわかるようになったんです。横山さんの絵を見ていると、その頃のことがひとりでに想い出されて、懐かしい気がします」』、「子どものころから、小さな虫が元気よく動き回っているのを見ると、不思議で仕方がなかったんです。『何をしているのだろう』と思いました。いまでもそう思います。のろのろしている虫でも、ちょっと触ったりすると、だしぬけに元気よく動き出したりします。『えっ』と驚くんですが、そこが面白いんですね。 そうやって虫に関心を持っているうちに、どういう虫がどういう場所にいるのかわかってきます。名前も覚えるようになって、クワガタムシとかカミキリムシとか、グループの名前がわかるようになったんです。横山さんの絵を見ていると、その頃のことがひとりでに想い出されて、懐かしい気がします」、本当に好奇心旺盛だったようだ。
・『鎌倉ゆかりの著者コンビ  作中の絵には実際に初夏の鎌倉で見られる虫たちが、細かく描きこまれています。風景も鎌倉の山がモデルです。 絵を担当した横山さんも養老先生と同じ鎌倉で生まれ育ち、虫とりが大好きです。また、横山さんは、養老先生が子どもたちと昆虫観察会を行うときに、助手として参加することもあります。親子以上に歳の離れたおふたりですが、山でも絵本でも息の合ったナイスコンビ! 絵本の見返しには、登場する虫や鳥などの名前も紹介していますので、あわせて読んでみてくださいね』、「絵を担当した横山さんも養老先生と同じ鎌倉で生まれ育ち、虫とりが大好きです。また、横山さんは、養老先生が子どもたちと昆虫観察会を行うときに、助手として参加することもあります。親子以上に歳の離れたおふたりですが、山でも絵本でも息の合ったナイスコンビ!」、偶然とはいえ、本当に「ナイスな」「コンビ」が生まれたものだ。
・『自分の頭で考える  さて、絵本で子どもたちと共に山に向かった養老先生。到着すると、ガイド役の先生も虫に夢中です。ときには朝から夜まで虫を見ていることもあると話す先生に、子どもたちからはこんな質問が。 「どうして先生は、そんなに虫が好きなんですか?」 先生は、きっぱりとこう答えました。 「好きなことに、理由は必要ありません。好きなことがあるだけで幸せになります」) お昼のお弁当を食べ終えると、今度は先生がみんなに問いかけます。 「みんなのからだが大きくなるための材料は、なんだと思う?」 うーん、と考えて、自分が食べたものかな? と答えた子どもたちに、そうだねと先生はうなずき、さらに続けました。 ――たんぼも じぶん。はたけも じぶん。 ――やまも じぶん。うみも じぶん。 「じぶん」は何からできているのでしょうか。先生が入れた、1本のメス。ここからみなさんは、どんなことを思い浮かべますか? 自然を感じることは、ぐるっとまわって自分自身を考えること。 絵本のページをめくりながら親子で一緒に「じぶん」を考えたら、本を閉じて、ぜひ外へ! 自然の中で五感を発揮すれば、子どもたちはみずから、生きる力を身につけていくでしょう。大人が子どもにできるのは、答えを与えることではなく、そこに至る機会や環境を用意することだけかもしれません』、我が家では一番小さな孫でも既に小学校6年生、まして重要な役割を果たすべき父親がモーレツ社員で、その役割は余り期待できそうもない。残念ながら、買って送るのは断念せざるを得ないようだ。
タグ:随筆 (その5)(養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ 子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』) 日刊ゲンダイ「養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる」 「ヒトの壁」(新潮新書) 「壁は取り除かれるどころかますます高くなり、ヒトそのものがヒトの障壁となって立ちはだかっている」、確かにその通りだ。 「個人のレベルではもうちょっと世界をもう少し広げる、広くすることができるんじゃないかと思う。そのためにも、他人や共同体の評価ばかり気にするのをやめる。そうすると、ヒトじゃないものに目がいくようになりますから、人生にその部分を増やし、それを楽しんでいくといいと思います」、 「人間、理屈で生きているかというと、そうでもない。そう割り切れるものでもないんです。そこらへんのバランスが徹底的に崩れてしまった。感覚が伴っていないから、色々おかしなことになっている。最も割りを食っているのは、自然に近いものです。そんな社会の影響を受けないで、世の中に新しく入ってきた若い人たちも非常に戸惑うと思います。自分が全面的に持っていたもののほんの一部を突出させ、理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと。一番、世の中変わったのはその変じゃないですかね」、「理性で生きなければならな いのですから。感情で動いたら駄目だと」、なんとも生き難い世の中になったものだ。 「「ヒトが怒る脳科学的なプロセスは、恐れと酷似しているんです。不安で、にっちもさっちもいかなくなっているのは間違いないでしょうね。そうすると、じゃあ、どうするんだと聞いてくる。だから、それが駄目なんだっていうんです。人生は本来、不要不急なんです。 社会、共同体からのモノサシでみると、不要不急だと駄目で、役に立たないといけないと思ってしまう。当たり前だけど、そんなことないよと言いたい。また今のヒトは空気を読めというけれど、実はそういうヒトこそ、きちんと考えてなくて、空気で動いているだけだったりする。一部のヒトはこうした方がいいんじゃないの、が、しなきゃ駄目になって、どんどん感情的になっていく。 コロナ禍では自粛警察が現れましたね。もともと日本国民には戦時中といい、そういうのがありましたけど、不安で、考えも丸めて、絶対的に自分が正しいと思い込んでしまうのでしょう」、「人生は本来、不要不急なんです」、言い得て妙だ。 「先が見える道と見えない道があって、見えない道にはよりリスクがあって当たり前。でも、それが生きるということだし、思わぬ発見が自分に対してあったり、おもしろいでしょう・・・会社勤めも、楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていたと、ゆくゆく気が付くと思いますよ」」、自分を振り返っても、現役時代は「楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていた」のは確かだ。 現代ビジネスFRaU 横川 浩子氏による「養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ、子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』 「どこへ行くにもネットで調べ、その結果を確かめるのが目的になりがちな昨今ですが、自然は答え合わせができません。そして驚きや感動は未知との遭遇から生まれるもの。私たち大人にとっても気付きの多い絵本です」、その通りだ。 「子どものころから、小さな虫が元気よく動き回っているのを見ると、不思議で仕方がなかったんです。『何をしているのだろう』と思いました。いまでもそう思います。のろのろしている虫でも、ちょっと触ったりすると、だしぬけに元気よく動き出したりします。『えっ』と驚くんですが、そこが面白いんですね。 そうやって虫に関心を持っているうちに、どういう虫がどういう場所にいるのかわかってきます。名前も覚えるようになって、クワガタムシとかカミキリムシとか、グループの名前がわかるようになったんです。横山さんの絵を見ていると、その頃のことがひとりでに想い出されて、懐かしい気がします」、本当に好奇心旺盛だったようだ。 「絵を担当した横山さんも養老先生と同じ鎌倉で生まれ育ち、虫とりが大好きです。また、横山さんは、養老先生が子どもたちと昆虫観察会を行うときに、助手として参加することもあります。親子以上に歳の離れたおふたりですが、山でも絵本でも息の合ったナイスコンビ!」、偶然とはいえ、本当に「ナイスな」「コンビ」が生まれたものだ。 我が家では一番小さな孫でも既に小学校6年生、まして重要な役割を果たすべき父親がモーレツ社員で、その役割は余り期待できそうもない。残念ながら、買って送るのは断念せざるを得ないようだ。
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