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資本主義(その11)(資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム、トマ・ピケティ氏とは? 資本主義と格差問題への提言を考える、崩壊している資本主義の後に来るものは何なのか 「ラグビーワールドカップ」でわかる国家の行方) [経済]

資本主義については、本年5月28日に取上げた。今日は、(その11)(資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム、トマ・ピケティ氏とは? 資本主義と格差問題への提言を考える、崩壊している資本主義の後に来るものは何なのか 「ラグビーワールドカップ」でわかる国家の行方)である。

先ずは、5月11日付け東洋経済オンラインが掲載した経済人類学者のジェイソン・ヒッケル氏による「資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/663945
・『環境破壊、不平等、貧困……今、世界中で多くの人々が、資本主義が抱える問題に気づき始めている。 経済人類学者のジェイソン・ヒッケル氏によれば、資本主義は自然や身体をモノと見なして「外部化」し、搾取することで成立している、「ニーズを満たさないことを目的としたシステム」であるという。 そしてヒッケルは、「アニミズム対二元論」というユニークな視点で、資本主義の歴史とそれが内包する問題を白日の下にさらし、今後、私たちが目指すべき「成長に依存しない世界」を提示する。 今回、日本語版が4月に刊行された『資本主義の次に来る世界』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする』、興味深そうだ。
・『資本主義に対する誤謬  数か月前、わたしは生放送されるテレビ討論会のステージにいた。テーマは資本主義の未来だ。観客(オーディエンス)が注視する中、論敵は立ち上がってこう言った。――資本主義自体には、問題はまったくない。問題は、強欲なCEOと金で動く政治家のせいで資本主義が腐敗していることだ。わたしたちがすべきことは腐ったリンゴを取り除くことだ。そうすれば、すべてうまくいく。 資本主義とは、突き詰めれば市場で物を売り買いしている人々のことだ。地元のファーマーズマーケットであれ、モロッコの青空市場(スーク)であれ、彼らは、自分の技能を活かして生計を立てている罪なき人々だ。それのどこが間違っていると言うのか?) 聞こえのいい話だし、筋が通っているように思える。しかし、ファーマーズマーケットやスークの小さな店は、資本主義とは何の関係もない。その喩えは間違っている。しかも資本主義がなぜ生態系を破壊しているのかを理解するためには何の役にも立たない。 資本主義の仕組みを本当に理解したいのであれば、もっと深く掘り下げる必要がある。 その第一歩は、人間の歴史の大半を通じて、経済は「使用価値」〔人間の必要(ニーズ)を満たす有用性〕を中心に回っていたことを理解することだ。 農家が梨を育てたのは、そのみずみずしい甘さが好きだから、あるいは午後の空腹を和らげるためだった。 職人が椅子を作ったのは、ポーチでくつろぐ時やテーブルで食事をとる時に座るためだった。彼らが梨や椅子を売ることにしたのは、庭で使う鍬(くわ)や娘のためのポケットナイフといった別の有用な物を買う資金を得るためだった。 今日でも多くの人はこうした形で経済に参加している。わたしたちが店に行くのは、夕食の材料や冬の寒さをしのぐためのジャケットなど、自分にとって有用な物を買うためだ』、「経済は「使用価値」〔人間の必要(ニーズ)を満たす有用性〕を中心に回っていたことを理解することだ」、「わたしたちが店に行くのは、夕食の材料や冬の寒さをしのぐためのジャケットなど、自分にとって有用な物を買うためだ」、なるほど。
・『資本家のいない経済システム  この種の経済は次のように表すことができる。Cは商品(梨や椅子)、Mはお金を表す。 C1→ M→C2 一見、これは資本主義を「個人間で有用な物を自由に交換すること」として、うまく説明しているように見える。ファーマーズマーケットやスークでの売買と同じだ。 しかし、ここに「資本家」は存在しない。人間の歴史のどの時代、どの場所でも、経済システムはおおむねこのようなものであった。それらと資本主義が異なるのは、資本家にとって価値の意味がまったく異なるからだ。 資本家は梨や椅子の有用性を認めるだろうが、彼らが梨や椅子を生産するのは、午後のおやつや座るための場所を得るためではなく、売って得たお金で他の有用な物を買うためでもない。目的はただ一つ、利益を生むことだ。) このシステムで重要なのは、物の使用価値ではなく、「交換価値」だ。それは次のように説明できる。 プライム(’)は量の増加を表す。 M→C→M’ これは使用価値経済とは正反対だ。だが、ここからが本題だ。 資本主義のもとでは、安定した利益を生むだけでは足りない。目標は、利益を再投資して生産プロセスを拡大し、前年より多くの利益を生むことだ。表すと次のようになる。 M→C→M’→C’→M”→C”→M’”……』、「資本主義のもとでは、安定した利益を生むだけでは足りない。目標は、利益を再投資して生産プロセスを拡大し、前年より多くの利益を生むことだ」、なるほど。 
・『地元のレストランと大企業の違い  ここで起きていることを理解するために、2つのタイプの企業を例に挙げよう。 1つは地元のレストランだ。その店は年末の収支決算では黒字になっているが、オーナーは毎年ほぼ同じ利益を出すことで満足している。家賃を支払い、家族を養い、夏の休暇に旅行するには十分な金額だ。 このビジネスは、「賃金を支払い、利益を出す」という資本主義論理の要素になっているかもしれないが、それ自体は資本主義ではない。 なぜなら、その利益は使用価値の概念に基づいているからだ。中小企業の大半はこうしたやり方で経営されており、このような店は資本主義が生まれる数千年前からあった。 では次に、エクソンモービル、フェイスブック、アマゾンといった大企業について考えてみよう。それらの企業の経営のあり方は、地元のレストランが好むような安定した手法ではない。 アマゾンの利益はジェフ・ベゾスの食卓に食べ物を並べるためだけでなく、会社を大きくするために使われる。競合他社を買収し、地元の小売店を廃業に追い込み、新しい国に進出し、より多くの支店をつくり、人々に不必要なものを買わせる広告キャンペーンを打つ。すべては、年々利益を増やし続けるためだ。) これは自己強化のサイクルであり、加速し続けるランニングマシンだ。お金は利益になり、その利益がより多くのお金をもたらし、そのお金がさらに多くの利益になる。 これが資本主義の特徴であることに、わたしたちは気づき始めている。要するに資本家にとって利益は、単に特定の必要(ニーズ)を満たすためのお金ではなく、資本なのだ』、「地元のレストランだ。その店は年末の収支決算では黒字になっているが、オーナーは毎年ほぼ同じ利益を出すことで満足している。家賃を支払い、家族を養い、夏の休暇に旅行するには十分な金額だ。 このビジネスは、「賃金を支払い、利益を出す」という資本主義論理の要素になっているかもしれないが、それ自体は資本主義ではない。 なぜなら、その利益は使用価値の概念に基づいているからだ。中小企業の大半はこうしたやり方で経営されており、このような店は資本主義が生まれる数千年前からあった」、「・・・アマゾンといった大企業について考えてみよう。それらの企業の経営のあり方は、地元のレストランが好むような安定した手法ではない。 アマゾンの利益はジェフ・ベゾスの食卓に食べ物を並べるためだけでなく、会社を大きくするために使われる。競合他社を買収し、地元の小売店を廃業に追い込み、新しい国に進出し、より多くの支店をつくり、人々に不必要なものを買わせる広告キャンペーンを打つ。すべては、年々利益を増やし続けるためだ。) これは自己強化のサイクルであり、加速し続けるランニングマシンだ。お金は利益になり、その利益がより多くのお金をもたらし、そのお金がさらに多くの利益になる。 これが資本主義の特徴である」、なるほど。
・『資本は永遠に自己増殖を求め続ける  重要なこととして、資本はさらなる資本を生み出すために再投資されなければならない。このプロセスは決して終わらず、ひたすら拡大し続ける。 地元のレストランが具体的な必要を満たすことを目指すのと違って、交換価値を蓄積するこのプロセスに明確な終点は存在しない。 それは根本的に人間の必要という概念から切り離されたものなのだ。 3つ目の公式を見れば、資本はウイルスに少々似たふるまいをすることがわかる。 ウイルスは自己複製するようプログラムされた遺伝子から成るが、それ自体は自己複製できない。自分を複製するには、宿主細胞に感染して、自分のDNAのコピーを作らせなければならない。 そうしてできたコピーが他の細胞に感染し、より多くのコピーを作らせる。ウイルスの唯一の目的は自己増殖だ。 資本もまた自己増殖の遺伝子から成り、ウイルスと同じように、触れるものすべてを自己増殖する自らのコピー、すなわち、より多くの資本に変えようとする。 このシステムは、永遠に拡大し続けるようプログラムされた圧倒的な破壊者、ジャガノート(注)になる』、「資本はさらなる資本を生み出すために再投資されなければならない。このプロセスは決して終わらず、ひたすら拡大し続ける」、「ウイルスの唯一の目的は自己増殖だ。 資本もまた自己増殖の遺伝子から成り、ウイルスと同じように、触れるものすべてを自己増殖する自らのコピー、すなわち、より多くの資本に変えようとする」、なるほど。
(注)ジャガノート:「止めることのできない巨大な力」「圧倒的破壊力」(Wikipedia)

次に、6月12日付け日経ビジネスオンライン「トマ・ピケティ氏とは? 資本主義と格差問題への提言を考える」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00081/010500499/
・『著書『21世紀の資本』で注目を集めたフランスの経済学者トマ・ピケティ氏。資本主義世界が自然発生的に格差を生み出すというピケティ氏の指摘は世界中で大きな反響を呼び、日本でも「ピケティ現象」を巻き起こした。ここではピケティ氏が指摘した格差問題について、過去記事から振り返っていく』、興味深そうだ。
・『資本主義が生む格差社会を指摘するトマ・ピケティ氏  トマ・ピケティ氏は、1971年生まれのフランスの経済学者だ。ピケティ氏が2013年に出版した『21世紀の資本』(英語版と日本語版は14年出版)は学術書としては異例の大ベストセラーとなり、ノーベル賞学者や米国の元財務長官からも絶賛された。 『21世紀の資本』でピケティ氏は、世界の約300年間の財務データから「資本主義の世界は格差を自然発生的に生み出す可能性がある」ことを実証した。そして格差是正のため国境を越えた「資産への累進課税」制度の導入を訴えている。 こうした提言は日本でも反響を呼び、15年にピケティ氏が初来日した際は「ピケティ現象」と呼ばれるブームを巻き起こした。 この記事ではピケティ氏が指摘する国内外の格差問題を取り上げた過去記事や、ピケティ氏のインタビュー記事を紹介していく』、「格差是正のため国境を越えた「資産への累進課税」制度の導入を訴えている」、筋が通った主張だ。
・『「市場で再分配が可能」という前提を疑え  ピケティ氏の『21世紀の資本』などをきっかけに、日本でも経済格差への新たな認識が広がりつつある。その認識とは、資本主義世界では政府による適切な介入や「何らかの大きな変革」がない限り、格差はますます拡大していくというものだ』、「再分配」は政府の役割だ。
・『「市場で再分配が可能」という前提を疑え  日本を含め、いま世界各国で貧富の格差や不平等への関心が高まっている。その認識とは、資本主義世界では政府による適切な介入や「何らかの大きな変革」がない限り、格差はますます拡大していくというものだ』、「政府による適切な介入」が必要だ。
・『「税金格差解消への処方箋」  社会問題となっている格差の中には「徴税の格差」もある。年収1000万円前後の給与所得者という「取りやすいところから取る」税制システムは日本の産業競争力にも影響すると考えられており、ピケティ氏の提言をきっかけに注目を集める「富裕税」の検討を求める声も上がりつつある』、「「取りやすいところから取る」税制システム」からの脱却が必要だ。
・『ピケティ氏×吉川洋教授「富の集中より重要な問題がある」  ピケティ氏は「高所得層には正直、あまり関心がない」と語る。世界中の格差問題において、高所得層の富のシェアがどの程度増えるかより、低所得層のシェアが減っていくことのほうが問題と考えているためだという』、「低所得層のシェアが減っていくことのほうが問題と考えている」、その通りだ。
・『文革から半世紀の分配政策  海外に目を向けると、特に格差の拡大が課題になっているのが中国だ。習近平(シー・ジンピン)氏は「共同富裕」を掲げて社会主義路線への回帰を進めるものの、上位1%の富裕層が国全体の富の約30%を占めるなど、格差は米国と同水準にまで広がっているという』、「上位1%の富裕層が国全体の富の約30%を占めるなど、格差は米国と同水準にまで広がっている」、中国は予想以上に「格差」が大きいようだ。
・中国が「新常態」に突き進む必然  ピケティ氏も「中国には経済が発展するほど格差が広がってしまう歴史的な構造要因がある」と指摘する。その上で「今のところ中国には格差を解消する手段がない。あったとしても不十分」とし、「税制度を改正して所得、不動産、相続に関する税の累進性を強化」することを提言している』、「税の累進性を強化」は格差解消の有力な手段だ。
・『「想定外」を生んだ米国の必然  格差問題が深刻な米国では、その影響が大統領選にまで及んでいる。16年にトランプ氏が「想定外」の勝利を収めた背景には、日本、韓国、中国などとの国際競争に苦しめられた白人低所得者層の怒りがあるという指摘もある』、その通りだ。
・『コロナ禍で広がる格差をどう是正するか  新型コロナウイルス禍において格差はますます広がっている。GAFA(米グーグル、米アップル、米フェイスブック=現メタ、米アマゾン・ドット・コム)に代表されるグローバルIT企業の時価総額は異常なほどの上昇を見せる中、観光業界や外食業界など対面サービスを基本とするサービス業では致命的なダメージを受ける企業が相次いでいるためだ』、「格差是正」は確かに重要な課題だ。
・『最後に  ピケティ氏が指摘した格差は、その後も解消に至らないどころか、コロナ禍でますます拡大している。格差問題の放置は経済界、ひいては国力にも深刻な影響を与えるだけに、ピケティ氏が提唱した累進課税制度はもちろん、ベーシックインカム(最低所得保障)などさまざまな政策の検討が必要だ。日本政府の動きにも引き続き注目していきたい』、「日本政府」は「格差問題」には残念ながら冷淡だ。
・『「市場で再分配が可能」という前提を疑え 「税金格差」解消への処方箋 ピケティ教授×吉川洋教授「富の集中より重要な問題がある」 文革から半世紀の分配政策 中国が「新常態」に 突き進む必然 「想定外」を生んだ米国の必然 コロナ禍で広がる格差をどう是正するか  さらに詳しい記事や、会員限定のコンテンツがすべて読める有料会員のお申し込みはこちら)』、「再分配」は政府の重要な役割で、「市場」に任せる訳にはいかない。

第三に、10月22日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で慶應義塾大学大学院教授の小幡 績氏による「崩壊している資本主義の後に来るものは何なのか 「ラグビーワールドカップ」でわかる国家の行方」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/710010
・『今回は、ラグビーワールドカップの話から始める。 この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら フランス大会も、準決勝が終われば、あとは10月29日の決勝(日本時間)を残すだけである。 私の印象に残っているのは、15日に行われた準々決勝の「アイルランド対ニュージーランド」。最後の10分、とくに約5分間の息もつかせぬ連続攻撃のアイルランド、しのぎ続けるニュージーランドの死闘はすばらしかった』、日本のマスコミは「日本」の対戦中心の偏った報道だ。
・『なぜ「つまらない日本戦」に国民の多くが感動したのか  一方、日本はアルゼンチンに負けてグループステージでの敗退となったが、これがつまらない試合だった。双方ノックオンなどミスの嵐だった。後半、疲れた日本は、底力の違いで完敗した。某民放のテレビ中継が、アナウンサーも解説者も騒ぎ立てる応援をしているのを見て、げんなりしてしまった。 しかし、このように日本戦がつまらなかったと言っているのは、日本では私だけで、多くの国民は感動の嵐に包まれたようだ。いったいなぜだろうか。 それは、私は「ラグビーの試合を見ていた」が、日本の国民の多くは「ワールドカップにおける日本を応援したいだけだったから」である。つまり、試合の内容など二の次、ラグビーでもサッカーでもバスケットボールでも何でもいい。日本代表が世界と戦っていればいいのである。 もちろん、オリンピックはこの状況が最高に盛り上がるイベントである。人間の肉体の限界を見たいのではなく、日本の選手が金メダルをとるのを見たいのである。 しかし、今後はこんな古臭い国家への愛着などとっくに消えうせ、これからはスポーツそのものを見ることだけに集中するような、成熟したエンターテインメント消費活動の形になっていくだろう。 と信じたいが、実際はむしろ逆だ。 ラグビーワールドカップは、年を追うごとに世界的な盛り上がりを高めているし、バスケットボールのワールドカップも始まった。もはや、3月にワールドベースボールクラシックで日本が優勝して国民が感動したのが忘れられかけているぐらい、毎日毎日、スポーツ観戦というエンターテインメント分野において、国家代表を応援して楽しむという消費活動がますます盛んになっているようだ』、「毎日毎日、スポーツ観戦というエンターテインメント分野において、国家代表を応援して楽しむという消費活動がますます盛んになっているようだ」、なるほど。
・『「国家代表が対決する世界大会」はすばらしいビジネス  なぜか。もちろん、それは、主催者側と広告代理店などのイベント屋が努力して動員を仕掛けているからである。この「国家代表が対決する世界大会」というイベントは盛り上がるし、何より儲かる。 なぜなら、すべての試合に一定数以上の観客が集まるからである。すなわち、日本戦であれば、日本の消費者は見る。フランス開催でフランス戦なら、スタジアムは超満員である。 しかし、スポーツだけを見るとなると、「日本対チリ戦」などという結果が見えている実力差のある試合など、ほとんど誰も見ない。「結局、今大会で楽しめた試合は『アイルランド対ニュージーランド戦』だけだった」ともなりかねない。 オリンピックの柔道なら、決勝戦だけ見ればいい。しかし、それではほとんどの試合がガラガラになってしまう。視聴率もゼロになってしまう。 一方、日本を応援して熱狂したい人々は、日本戦はすべて見る。ラグビーとしては接戦でなくとも、応援しているチームが圧倒的に勝つのを見るのは爽快である。だから、むしろみんな見るし、満足度も高い。盛り上がる。 各国代表それぞれに各国民がいるから、すべての試合がそうなる。だから、すべての試合で儲かる。そして、決勝戦はもちろん儲かる。すばらしいビジネスである。 オリンピックはまさにすばらしい発明である。1984年のロサンゼルスオリンピックは「商業五輪」の原点と言われるが、2002年のソルトレークシティーオリンピックなどは、IOC(国際オリンピック委員会)の理事のほとんどが賄賂をもらっていることが判明したにもかかわらず、公務員でないため罪にならず、辞職で済んでしまった。 2021年の東京オリンピックでも壮大な汚職が明らかになったが、大半の人々はオリンピックというエンターテインメントを失いたくないから、都合の悪い事件は忘れてしまい、オリンピックは依然盛り上がる。2030年の冬季オリンピックは、再びソルトレークシティーになる可能性もあるようだ。) つまり、国というのは、ビジネスにとって非常に便利なものなのである。国民国家とは、共同体という世界から抜け出すために生み出されたものであるにもかかわらず、なぜか強い「共同体的な」意識として、ビジネス界の権力者によって都合よく利用できるものとなっている』、「2021年の東京オリンピックでも壮大な汚職が明らかになったが、大半の人々はオリンピックというエンターテインメントを失いたくないから、都合の悪い事件は忘れてしまい、オリンピックは依然盛り上がる」、「国民国家とは、共同体という世界から抜け出すために生み出されたものであるにもかかわらず、なぜか強い「共同体的な」意識として、ビジネス界の権力者によって都合よく利用できるものとなっている」、なるほど。
・『なぜ国民国家が生まれ、今も残り続けているのか  そう考えると、国、国民国家というものはわれわれを知らず知らずのうちに不幸にしているものなのではないか。マルクス的な表現になるが、われわれを気づかないうちに搾取する手段にすぎないのではないか。 なぜ、こんな国民国家というものが生まれ、永続的と思えるまでに残り続けているのか。現代のわれわれから見ると、近代資本主義が誕生したときに、国民国家を受け入れてしまった近代欧州の人々は愚かだったのではないか。 すなわち、「ムラ」という共同体に所属するということは、中世の欧州では逃れられないしがらみでがんじがらめになることだと思われていた。それゆえ、中世の共同体的な社会から抜け出したのはすばらしいことのはずなのに、近代資本主義社会が始まると、中世までの共同体とは別の共同体にすぎない国民国家という新しいシステムに、なぜ「彼ら」は喜んで属してきたのだろうか。 しかし、逆に過去の「彼ら」からも、われわれは以下のような批判を受けるだろう。 君ら現代人こそ愚かではないか。オリンピックやワールドカップで、国別対抗世界選手権の祭りに動員され、金(カネ)を直接的(税金など)、間接的(CMを見ることにより洗脳される)に搾取されているのに、むしろそれを喜び、興奮している。馬鹿ではなかろうか、と。 しかも、21世紀の君たちは、もはや国民国家など必要ないはずだ。近代においては国民国家という枠組みがなければ、すぐに近隣の国民国家に取り込まれてしまう。国民国家という枠組みを超えた「帝国」に支配されてしまう。 国民国家は、自衛のための最強・最善の手段だったのだ。われわれはそういう必要性に基づき、国民国家を受け入れたのだ。君たちは国民国家というものを忘れている。いや、税金を取られたり、マスクをすることを強いられたり、面倒なことを強制される邪魔なものだと思っている。) しかし、法律には服さなければならず、それにもかかわらず、その法律を制定する議員たちも、そのトップの首相や大統領も、信用できない。好きでないどころか、支持すらできない。 不幸にも、19世紀か20世紀前半であるかのように勘違いした君主(あるいは帝国の皇帝)が武力で攻め込んできて、初めて国民国家の枠組みが必要であることを思い出す。しかし、そういう事件のない国の、平和ボケの人々や企業は、国境は邪魔で「なければいいのに」と思っている。国は経済活動を制約するだけの邪魔なものにすぎない。 それにもかかわらず、国民たちは、邪魔でいやなものだと思っている国民国家というものを、憂さ晴らしに(その憂鬱も国民国家という枠組みからきているかもしれないのに)、エンターテインメントの道具として、手っ取り早くストレス発散できる道具として活用している。 オリンピック、ワールドカップを楽しく使って、それが終わったら、首相の文句をいい、国というしがらみなんてなければいいのに、国籍なんて邪魔だという思いに戻る』、「平和ボケの人々や企業は、国境は邪魔で「なければいいのに」と思っている。国は経済活動を制約するだけの邪魔なものにすぎない。 それにもかかわらず、国民たちは、邪魔でいやなものだと思っている国民国家というものを、憂さ晴らしに・・・エンターテインメントの道具として、手っ取り早くストレス発散できる道具として活用している。 オリンピック、ワールドカップを楽しく使って、それが終わったら、首相の文句をいい、国というしがらみなんてなければいいのに、国籍なんて邪魔だという思いに戻る」、なるほど。
・『「近代資本主義」の本質とは何か  しかし実際には、たまに役に立つと思って利用しているワールドカップのときも、ビジネス権力を持つイベント会社やIOCに経済的に搾取されているだけなのだ。 こう考えてくると、戦争のために国民国家は必要なだけで、それ以外の局面では邪魔なだけになっているのではないか?人々を不幸にしているだけではないのか? 国民国家とは戦争のための動員手段であるというのは、高校の世界史教科書には出てこないが、それに近い常識であるから、今さらここで強調すべきことではない。 今、重要なのは、戦争以外の国家としての活動の意義を見いださない国民が大多数となっており、彼らはたまに国民のメリットを味わうが、そのときこそ国家君主による戦争への動員と同様に、ビジネス権力者によって搾取される被害が甚大になっていることに気づいていない、ということだ。 この事実こそが強調するように、国民国家という枠組みを利用して、ビジネス権力者が消費者かつ労働者である「国民」と名づけられた市民を搾取するというのが、近代資本主義の本質(の少なくとも1つ)なのである。) これは、さらに壮大な近代資本主義の構造を示唆している。すなわち、「国民国家」を要素の1つとして成立している近代資本主義とは、「ビジネス権力者」、もっと伝統的な言葉を使えば「資本家」が、国家を利用して、資本をさらに増大するシステムとして利用されてきたもののことである。 国民国家同士が戦争をすれば、兵隊と武器が必要となり、それらを調達するには金(カネ)が必要となる。そのカネを供給することで、資本家は戦争の勝敗を決定した。どの国家も資本を渇望したから、国家と資本の力関係は資本に圧倒的に有利だった。 だから、資本は増大し、戦争は続いた。経済成長も兵隊を増やし、兵隊となりうる国民の満足度、現代で言えば従業員満足度を上げるための手段であったから、資本は武器調達や傭兵というような目に見える資本調達を超えて、国家の命運を左右した』、「国民国家同士が戦争をすれば、兵隊と武器が必要となり、それらを調達するには金(カネ)が必要となる。そのカネを供給することで、資本家は戦争の勝敗を決定した。どの国家も資本を渇望したから、国家と資本の力関係は資本に圧倒的に有利だった。 だから、資本は増大し、戦争は続いた。経済成長も兵隊を増やし、兵隊となりうる国民の満足度、現代で言えば従業員満足度を上げるための手段であったから、資本は武器調達や傭兵というような目に見える資本調達を超えて、国家の命運を左右した」、なるほど。
・『近代資本主義、国民国家、民主主義が機能不全に  そして、これは武力による戦争以外でも同じことで、金融市場とは、まさに資本をどれだけ呼び込めるか、味方につけられるかで勝負は決まってきた。これがすべての面で成立してきた。 さらにいえば、民主主義というものもきれいなものとして人々に教え込まれているが、見方を変えれば、王侯貴族・旧領主層からブルジョワジーが権力を奪うために、民衆を「国民」と名付けて動員した仕組みと捉えられる。だからこそ、資本主義と民主主義は手に手を取って、同時期に発展してきたのである。 近代資本主義とは、市民を国民国家という形で君主が自分の国のために動員し、その国家を利用して資本が増殖していくという現象のことだった。市民は国家に搾取され、国家は資本に搾取された。そして、19世紀には資本家が労働者を搾取していることに悲鳴が上がったが、現代においては消費者は資本に直接搾取されても無自覚になってしまっているのである。 今や、近代資本主義と国民国家、この2つのシステムは同時に崩壊しかかっている。さらに民主主義も、明らかに機能不全に陥っている。) システムには寿命がある。しかも、資本主義は資本家たちが利用する中で形づくられてきたもので、制度設計をされて設置されたものではない。便宜上、システムと呼んで議論してきたが、それはシステムではなく、「設計図のない、事実上の擬似システム」にすぎないのである。だから、自然に経年劣化で崩壊していく。それが今起きているのだろう。 では、そのあとはどうなるのか。大混乱、アナーキズム(無政府主義)、カオス(渾沌状態)となるのだろうか。 私は、違うと思う。 人々は、ラグビーワールドカップで自国チームの選手を応援するのが大好きだ。しかし、国の代表選手は国籍は無関係に選ぶことができる。すなわち、(1)その国・地域で出生、(2)両親または祖父母のうち1人がその国・地域生まれ、(3)直前の5年間継続居住(2021年末までは3年間だった)、(4)通算10年居住――のうち、どれか1つを満たせば、その国の代表選手になれる。 しかも、1回限りではあるが、選手は所属する国を変更できるのである。つまり、過去にA国代表だった選手が、B国代表として出場でき、A国を倒して、B国の国民から喝采を浴びるのである。滅茶苦茶だ。しかし、国民たちは誰もそんなことは気にしない。この形での日本代表を喜んで応援するのである』、「システムには寿命がある。しかも、資本主義は資本家たちが利用する中で形づくられてきたもので、制度設計をされて設置されたものではない。便宜上、システムと呼んで議論してきたが、それはシステムではなく、「設計図のない、事実上の擬似システム」にすぎないのである。だから、自然に経年劣化で崩壊していく。それが今起きているのだろう。 では、そのあとはどうなるのか。大混乱、アナーキズム(無政府主義)、カオス(渾沌状態)となるのだろうか。 私は、違うと思う。 人々は、ラグビーワールドカップで自国チームの選手を応援するのが大好きだ。しかし、国の代表選手は国籍は無関係に選ぶことができる・・・しかも、1回限りではあるが、選手は所属する国を変更できるのである。つまり、過去にA国代表だった選手が、B国代表として出場でき、A国を倒して、B国の国民から喝采を浴びるのである。滅茶苦茶だ。しかし、国民たちは誰もそんなことは気にしない。この形での日本代表を喜んで応援するのである」、なるほど。
・『疲弊した資本主義の次に来るもの  これは何を意味するか。人々は、共同体に所属するのが大好きなのである。ただし、ご都合主義のいいとこ取りで、勝手に自由自在に共同体を都合よく変形し、次々と乗り換えるのである。SNSコミュニティーなどを見てもわかるように、便利な共同体を自由自在に好きなときに(大概は一時的にのみ)利用したいのである。 したがって、次の社会体制は、柔軟なローカルコミュニティー、国家は要らないが、ローカルでフレキシブルにしがらみと共感をバランスよく使い分けられる、小さな共同体から構成されるものとなるだろう。 国民国家は要らない。便利な共同体は要る。その結果、「コンビニエンス・コミュニティー・システム」という社会が、資本主義の次に来ることになるだろう。 (本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「次の社会体制は、柔軟なローカルコミュニティー、国家は要らないが、ローカルでフレキシブルにしがらみと共感をバランスよく使い分けられる、小さな共同体から構成されるものとなるだろう。 国民国家は要らない。便利な共同体は要る。その結果、「コンビニエンス・コミュニティー・システム」という社会が、資本主義の次に来ることになるだろう」、小幡氏らしいユニークな問題提起だ。私自身は途中からついてゆけなくなった。ただ、頭の体操としては、極めて興味深いと感じる。
タグ:「再分配」は政府の重要な役割で、「市場」に任せる訳にはいかない。 「政府による適切な介入」が必要だ。 「再分配」は政府の役割だ。 「格差是正のため国境を越えた「資産への累進課税」制度の導入を訴えている」、筋が通った主張だ。 日経ビジネスオンライン「トマ・ピケティ氏とは? 資本主義と格差問題への提言を考える」 (その11)(資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム、トマ・ピケティ氏とは? 資本主義と格差問題への提言を考える、崩壊している資本主義の後に来るものは何なのか 「ラグビーワールドカップ」でわかる国家の行方) (注)ジャガノート:「止めることのできない巨大な力」「圧倒的破壊力」(Wikipedia) 「資本はさらなる資本を生み出すために再投資されなければならない。このプロセスは決して終わらず、ひたすら拡大し続ける」、「ウイルスの唯一の目的は自己増殖だ。 資本もまた自己増殖の遺伝子から成り、ウイルスと同じように、触れるものすべてを自己増殖する自らのコピー、すなわち、より多くの資本に変えようとする」、なるほど。 がより多くのお金をもたらし、そのお金がさらに多くの利益になる。 これが資本主義の特徴である」、なるほど。 「・・・アマゾンといった大企業について考えてみよう。それらの企業の経営のあり方は、地元のレストランが好むような安定した手法ではない。 アマゾンの利益はジェフ・ベゾスの食卓に食べ物を並べるためだけでなく、会社を大きくするために使われる。競合他社を買収し、地元の小売店を廃業に追い込み、新しい国に進出し、より多くの支店をつくり、人々に不必要なものを買わせる広告キャンペーンを打つ。すべては、年々利益を増やし続けるためだ。) これは自己強化のサイクルであり、加速し続けるランニングマシンだ。お金は利益になり、その利益 「地元のレストランだ。その店は年末の収支決算では黒字になっているが、オーナーは毎年ほぼ同じ利益を出すことで満足している。家賃を支払い、家族を養い、夏の休暇に旅行するには十分な金額だ。 このビジネスは、「賃金を支払い、利益を出す」という資本主義論理の要素になっているかもしれないが、それ自体は資本主義ではない。 なぜなら、その利益は使用価値の概念に基づいているからだ。中小企業の大半はこうしたやり方で経営されており、このような店は資本主義が生まれる数千年前からあった」、 「資本主義のもとでは、安定した利益を生むだけでは足りない。目標は、利益を再投資して生産プロセスを拡大し、前年より多くの利益を生むことだ」、なるほど。 資本主義 「システムには寿命がある。しかも、資本主義は資本家たちが利用する中で形づくられてきたもので、制度設計をされて設置されたものではない。便宜上、システムと呼んで議論してきたが、それはシステムではなく、「設計図のない、事実上の擬似システム」にすぎないのである。だから、自然に経年劣化で崩壊していく。それが今起きているのだろう。 では、そのあとはどうなるのか。大混乱、アナーキズム(無政府主義)、カオス(渾沌状態)となるのだろうか。 「経済は「使用価値」〔人間の必要(ニーズ)を満たす有用性〕を中心に回っていたことを理解することだ」、「わたしたちが店に行くのは、夕食の材料や冬の寒さをしのぐためのジャケットなど、自分にとって有用な物を買うためだ」、なるほど。 「日本政府」は「格差問題」には残念ながら冷淡だ。 「格差是正」は確かに重要な課題だ。 「税の累進性を強化」は格差解消の有力な手段だ。 『資本主義の次に来る世界』 「低所得層のシェアが減っていくことのほうが問題と考えている」、その通りだ。 「「取りやすいところから取る」税制システム」からの脱却が必要だ。 ジェイソン・ヒッケル氏による「資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム」 小幡氏らしいユニークな問題提起だ。私自身は途中からついてゆけなくなった。ただ、頭の体操としては、極めて興味深いと感じる。 東洋経済オンライン 小幡 績氏による「崩壊している資本主義の後に来るものは何なのか 「ラグビーワールドカップ」でわかる国家の行方」 「次の社会体制は、柔軟なローカルコミュニティー、国家は要らないが、ローカルでフレキシブルにしがらみと共感をバランスよく使い分けられる、小さな共同体から構成されるものとなるだろう。 国民国家は要らない。便利な共同体は要る。その結果、「コンビニエンス・コミュニティー・システム」という社会が、資本主義の次に来ることになるだろう」、 私は、違うと思う。 人々は、ラグビーワールドカップで自国チームの選手を応援するのが大好きだ。しかし、国の代表選手は国籍は無関係に選ぶことができる・・・しかも、1回限りではあるが、選手は所属する国を変更できるのである。つまり、過去にA国代表だった選手が、B国代表として出場でき、A国を倒して、B国の国民から喝采を浴びるのである。滅茶苦茶だ。しかし、国民たちは誰もそんなことは気にしない。この形での日本代表を喜んで応援するのである」、なるほど。 「上位1%の富裕層が国全体の富の約30%を占めるなど、格差は米国と同水準にまで広がっている」、中国は予想以上に「格差」が大きいようだ。 「国民国家同士が戦争をすれば、兵隊と武器が必要となり、それらを調達するには金(カネ)が必要となる。そのカネを供給することで、資本家は戦争の勝敗を決定した。どの国家も資本を渇望したから、国家と資本の力関係は資本に圧倒的に有利だった。 だから、資本は増大し、戦争は続いた。経済成長も兵隊を増やし、兵隊となりうる国民の満足度、現代で言えば従業員満足度を上げるための手段であったから、資本は武器調達や傭兵というような目に見える資本調達を超えて、国家の命運を左右した」、なるほど。 オリンピック、ワールドカップを楽しく使って、それが終わったら、首相の文句をいい、国というしがらみなんてなければいいのに、国籍なんて邪魔だという思いに戻る」、なるほど。 「平和ボケの人々や企業は、国境は邪魔で「なければいいのに」と思っている。国は経済活動を制約するだけの邪魔なものにすぎない。 それにもかかわらず、国民たちは、邪魔でいやなものだと思っている国民国家というものを、憂さ晴らしに・・・エンターテインメントの道具として、手っ取り早くストレス発散できる道具として活用している。 「国民国家とは、共同体という世界から抜け出すために生み出されたものであるにもかかわらず、なぜか強い「共同体的な」意識として、ビジネス界の権力者によって都合よく利用できるものとなっている」、なるほど。 「2021年の東京オリンピックでも壮大な汚職が明らかになったが、大半の人々はオリンピックというエンターテインメントを失いたくないから、都合の悪い事件は忘れてしまい、オリンピックは依然盛り上がる」、 「毎日毎日、スポーツ観戦というエンターテインメント分野において、国家代表を応援して楽しむという消費活動がますます盛んになっているようだ」、なるほど。 日本のマスコミは「日本」の対戦中心の偏った報道だ。
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