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日銀の異次元緩和政策(その33)(日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ、独立した中央銀行が直面する 物価安定目標がもたらす罠) [経済政策]

日銀の異次元緩和政策については、5月13日に取上げた。今日は、(その33)(日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ、独立した中央銀行が直面する 物価安定目標がもたらす罠)である。

先ずは、6月10日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で慶應義塾大学大学院准教授 の小幡 績氏による「日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/355472
・『前回の「安倍政権の経済政策は、日本を必ず弱体化させる」では、新型コロナショックに対する大規模な景気刺激策やマクロの需要喚起策は不要であり、無効であることを述べた。 では、金融政策はどうか。同じである。需要刺激策としての、金融政策は不要である。なぜ不要なのか。何をすればいいのか』、「小幡氏」の切れ味鋭い批判をみてみよう。
・『「イールドカーブコントロール」は矛盾をはらむ  まず、日銀が当たり前のようにやっている長期国債の買い入れから見ていこう。これも本来は不要である。 国債買い入れの目的は、金利を低下させることである。だが、本来であれば、これは短期金利のコントロールのための手段である。だから、伝統的には世界中の中央銀行が長期国債を買い入れることはせず、超短期のコール市場の金利のコントロールの補助として、短期国債を買い入れてきたのである。むしろ、本来の呼び方である「オペ」(オペレーション)という言葉がふさわしい。 しかし、リーマンショック以降、世界では量的緩和が長期国債の買い入れを意味するものとして定着してしまった(もともと「量」とは民間銀行の日銀への当座預金の量であり、長期国債の買い入れとは無関係である)。 ただ、現実的な効果としては強力で、民間における投資活動への直接的な金利の影響は、長期金利によるものであるから、短期金利をコントロールして長期金利に間接的に影響を与えるという、伝統的な金融政策を超える絶大な力を持った。 再び、しかし、日銀は、この強力な手段も使い果たしてしまい、長期金利を直接目標にしてコントロールを図る、イールドカーブコントロールに移行した。目標を「10年物の金利をゼロとする」と宣言してしまっているから、長期金利低下効果(上昇させる場合も今後ありうるから正確な用語としてはターゲット効果)はさらにより直接的である。 実は、これは長期国債の買い入れ目標額とは矛盾があった。買い入れ額と金利の2つのターゲットがあるのは両立し得ないからだ。その矛盾は、今回コロナショック対応として、買い入れ額の目標額を中断し無制限に買い入れるとしたことで、図らずも矛盾が解消した。その結果、現在は10年物国債の利回りをゼロに、という目標と長期国債の買い入れ額は無制限とする、という2つの長期国債に関する政策があり、一方で、短期金利はマイナス0.1%というマイナス金利政策も残っている。 これをどうするか。基本的な考え方はリスクを減らす、ということである。これに尽きる。そのためにどうするか』、どのような「リスク」があるのだろう。
・『「長期国債買い入れ無制限」はリスクが高い  まず、マイナス金利は無用の長物なので、廃止する。今後の金融機関の最大のリスクは、直接であれ間接であれ、新型コロナショックで不良債権が増加することである。これに対する資本強化という意味では、マイナス金利は害でしかない。もともと効果がなく弊害だけのものなので、この際、廃止する。 次に「長期金利ターゲットのゼロ%付近」は維持する。これは金融政策として本質的な意味を持つ直接長期金利をコントロールするものだからである。それを人々が将来に対する予想が冷静にできないときに変更することは適切でなく、リスクを高めるだけだ。 しかし、「長期国債買い入れ額無制限」は変更する。名目は同じであるが、この政策の実質的な意味を変更する。変更する理由は、現在の日本経済において、金融政策にとどまらず、すべての政策の中で、これこそがもっともリスクの高いものだからだ。 なぜか。 「無制限」という言葉は「額を決めない」、というものとはまったく異なっており「無限」と誤解される、または「確信犯的に解釈されるもの」だからである。 すでにそれは始まっている。中央銀行は、財政ファイナンスではない(政府の借金を直接引き受けているのではない)と強調しつつも、政府の発行する国債の新発市場において、円滑な取引が行われるよう全力を挙げる、というような趣旨の説明をしている。 特に、アメリカのFRB(米連邦準備制度理事会)は顕著だ。長期国債の保有残高を減らしていたところからのスタートだったこともあるが、グラフをみると、まさに保有残高が、スカイロケットのように、連邦政府の発行額に連動して増えている。実質的には、アメリカも日本も財政ファイナンスを行っているのは誰の目にも明らかであり、建前として、否定しているだけのことだ。 問題は、それが長期にわたるのか、コロナショックへの緊急避難的な一時的なものにとどまるのか、ということだ。 まだアメリカはメリハリが利いている。だから建前を捨てる勢いで、実質的な財政ファイナンスになってもいいから、全力で買い支える。しかし、タイミングが来たらすぐに止める、というスタンスだろう。 一方、日本は、これまでも、財政ファイナンスではないと強く否定してきた。それでいながら、政府の政策や意向に合わせて、大量の国債購入を続けてきた。それだけでなく、加速度的に拡大してきた。 建前はかろうじて守られているものの、この7年間、実質財政ファイナンスを行ってきた。景気がよくなっても、出口には向かわず、国債保有残高を増やし続けた』、「日本」では「この7年間、実質財政ファイナンスを行ってきた」だけに、「「長期国債買い入れ無制限」はリスクが高い」、同感だ。
・『なし崩し的に政府に押し込まれる可能性が高い  この経緯からすると、足元では、財政出動の規模がアメリカ政府よりも日本政府のほうが小さいことから、実質的な財政ファイナンスであると半ば認めたような米FRBのようなスタンスはとらないだろう。だが、いや、だからこそ、なし崩し的に政府に押し込まれる可能性が高い。 実際、MMT(現代貨幣理論)という、世界的には眉唾物の経済理論およびさらに悪いことにそれに基づいた、かつ誤った拡大解釈で「インフレにならなければ、いくらでも財政赤字は増えてかまわない。それどころかインフレにならないのだから、財政赤字を増やさなければならない」、という暴論が、日本だけで蔓延していた。これが、さらに力を増して、加速している雰囲気が、ネット論壇(そういうものが存在するとすれば)に見られる。 しかも、コロナ対策としては、国民が「とにかく何でも金を配れ」、という雰囲気にあることから、歯止めが利かなくなる恐れがある。これが財政破綻を招き、日本経済と日本社会を真の危機に陥れる、というのが、現在の日本における最大のリスクである。 したがって、無制限の国債購入という文言を変更する必要がある。無制限ではなく、国債購入の方針として、量の明示はしない、という見解を公式に発表する。それが現在の日銀の最優先課題である。 論理的には非常に明快だ。イールドカーブコントロールで、長期金利をゼロに固定する目標がある、だから、量はそれに応じて結果として決まってくる。しかも目安を設けることですら、かえって、政策の予見不可能性を増やし、リスクを増やすことになる。イールドカーブコントロールだけに、「名実ともに一本化します」、と宣言すればよい。 「コロナショックが連鎖的な倒産を招き、危機が拡大したらどうするのか」、という質問にも、そのときは量のターゲットは関係ない。「10年物の利回りをゼロにするまで、買い入れるだけのことです」、と答えるだけのことだ』、「MMT」の「誤った拡大解釈で「インフレにならなければ、いくらでも財政赤字は増えてかまわない。それどころかインフレにならないのだから、財政赤字を増やさなければならない」、という暴論が、日本だけで蔓延していた」、確かにリスクの火種は強い。
・『「建前」を再度前面に押し出す効果がある  むしろ、逆側からの質問があるだろう。結局、ほとんど変化がないのだから、「実質的に変更なし」と言えばいいのではないか、という疑問があるはずだ。 そのとおりかもしれない。だが、単純だが、変更すればもっとも重要な直接的な効果として、無制限の買い入れというイメージを払拭し、財政ファイナンスはしない、という建前を再度前面に押し出す、ということである。 それでも政府の要求や世論(エコノミストを含む)からの圧力により、実質財政ファイナンスに陥る可能性も十分にある。しかし、それは残念だが仕方がない。ただ、無制限を残したままでは抵抗もできず、正論として議論することもできず、ただ財政ファイナンスになってしまうし、可能性も高くなってしまうだろう。それを抑えるということだ。 しかし、ここで議論したいのは、もっと理論的なことだ。 それは、「量的緩和」を理論的にも廃止するべきだ、ということだ。すなわち、金融政策において、「量」という概念を消去することである。「量的緩和」および「量」のターゲット一般を撲滅するということである。 なぜ廃止すべきなのか。 それは、間違っているからだ。 そもそも、金融政策は経済学の教科書では、量をターゲットにしたものは出てこない。すべて金利だ。中央銀行の金融政策とは、金利を上げ下げするものである。さらに、実体経済に影響するのは、金利だけだ。したがって、20世紀にはいわずもがなだったのだが、金融政策とは「金利を動かす政策」なのである。 日本銀行が量的緩和を2001年に発明してしまったため、話がややこしくなった。だが、やはりこれは理論的には誤りで、今回を契機に廃止するべきである。 私の主張は、理論的には「間違いだ」、と言われる可能性がある。なぜなら、数式だけを見れば、手段が金利であれ、マネーの量であれ、資金の需給で金利が決まるのであれば、金利を操作変数かつ直接ターゲットにするのと、資金量を操作変数として金利をターゲットにするのと結果は同じだからだ。 しかし、狭い意味での理論、数式モデルの上ではそうかもしれないが、現実の金融市場と金融政策の関係から行くと、量を操作変数またはターゲットをすることで、大きな害が生まれる』、どういうことだろうか。
・『「量」の「3つの害悪」とは?  量をターゲットとすることで、生じる害悪は3つある。 第1に、「貨幣数量説」が当てはまるかのような錯覚を生み出すことだ。 実は、これはもともとの金融政策の狙いとして、経済学の教科書に書いてある。つまり、金融緩和をしたところで、経済主体はそれを予想して行動を変えてしまうから、効果はないはずだ。 もし効果があるとすれば、経済主体が貨幣錯覚に陥って、目の前の価格変化にだけ気を取られて、経済全体の物価水準も上昇して、実質価格は変化していないことに気づかない場合だけだ。金融政策が、効果があるとすると、この貨幣錯覚しかない、というような文脈で語られる。つまり「貨幣錯覚を狙って金融政策をする」というのは、理論的にはあり得る。 しかし、現実には、これは害悪でしかない。市場と経済にリスクをもたらすだけの政策となってしまう。なぜなら、錯覚を起こそうとしても、起こせるかどうか不確実であり、さらに問題なのは、起こしたい錯覚は起こせず、起こしたくない錯覚が制御できないほどに起きてしまう可能性があるからだ。) 端的な例で言えば、異次元緩和においては、実体経済において貨幣錯覚を起こし、物価水準を上昇させたかったわけであるが、人々の消費行動は変化しなかった。一方、資産市場では錯覚は起こる必要はなかったのだが、量的緩和の拡大ということが、マネーが市場にあふれるという想像を膨らませ、リスク資産価格が急上昇した。 これは株価と地価を上げるために金融緩和をしたのなら、成功ということになる。しかし、実体経済に物価を通じて影響を与えようとしたのだとすると失敗である。資産価格が金融緩和によって上がり始めると、供給したマネーは上昇の流れのできたリスク資産市場に回ってしまうからだ。要は、バブルの流れができてしまうと、その後の金融緩和はすべてバブルを膨らませる方へ向かってしまうからである。 誠実な中央銀行はバブルを起こさないように努めるから、これは失敗といえる。政府の圧力で株価上昇のために金融政策を行ったのであれば(アベノミクスやトランプ政策はその可能性が大きいが)、中央銀行としては、政府の圧力に屈したことになり、独立性を自ら放棄するものであり、将来の金融政策に対して禍根を残すことになるから、大失敗である』、「バブルの流れができてしまうと、その後の金融緩和はすべてバブルを膨らませる方へ向かってしまう・・・誠実な中央銀行はバブルを起こさないように努めるから、これは失敗といえる」、その通りだ。
・『「人々は催眠術にかかる」と本気で思っていた人たち  第2の害悪は、資産バブルリスクとも関係するが、「期待に働きかける」というアプローチは危険だということである。期待にアプローチする手法は、論理的にも望ましくない。市場の現実としても政策運営の考え方としても、リスクが大きすぎる。 日銀の異次元緩和においては、インフレ期待を起こすことによって実体経済における現実のインフレを起こそうとした。しかし、実際には、現実のインフレが起こせないどころか、インフレ期待すら高めることはできなかった。前代未聞の国債買い入れ、株式の大量購入を行っても、だ。 理由は簡単で、インフレ期待がどのように起きるか、誰にもわかっていないからである。中央銀行がインフレを起こす、あるいはインフレが起きるまで金融緩和を続ける、という呪文を唱えると、人々は催眠術にかかったかのように、物価が上がると信じ込むはずだ、ということを、冗談ではなく、本気で信じていたようだ。それは黒田東彦総裁だけでなく、アメリカの著名経済学者たちもそうだったから、こちらのような普通の人間としては驚くばかりであった。だが、普通の感覚がない人たちには、普通の世界で何が起こるのかわからないのだろう。 そもそも、インフレそのものの生成構造もわからない。しかも、それはマクロ的な概念であるから、ミクロに生きる個々の経済主体にはわかりようがない。その経済主体がどのようにインフレに対して期待を形成するかはさらに謎というか、わかりようがない。本人たちもわからないし、背景となる構造もわからないし、何もわからないなかで、中央銀行が「インフレを起こします」、と宣言すれば、人々が起きると信じて、起きる前提で行動し、さらに、その行動がインフレを実際に起こす、ということが起きるはずがない。「起きる」と考えるほうが、どうかしている。 期待に働きかけるアプローチは効果がゼロであり、混乱させるという意味では、大きなマイナスである。「期待を動かせる」と期待させることにより、混乱が広がる。混乱に乗じて、乱高下で儲ける投機家たちが資産市場を荒らす。最悪である。異次元緩和という短期決戦のコストのかかる政策で効果がゼロというだけで、十分悪い政策ということだが、さらに投機家による資産市場の不安定化、というのは非常に大きな害である。 第3に、インフレが最終的な目標であるような誤解を与えることだ。金利がターゲットであれば、金利がコントロールできていればよい、ということになる。 一方、金利をターゲットにするのが直接的な目的であるし、手段も持っているということで、何の紛れも誤解も生じない。ところが、国債の買い入れ量をターゲットにすると、それにより金利をコントロールするのであれば、回りくどすぎて、あえてやる必要がないはずで、何か別の目的があるはずだ、ということになる。さらに、デフレ、物価上昇ということを強調しすぎたこととあいまって、国債の買い入れ量をターゲットにして、物価を引き上げるということが最終目標のようなイメージが形成されてしまうことだ。 実際、メディアやエコノミストの議論も、「日銀がインフレを起こせない」ということに異次元緩和の最初の5年は終始してしまった。黒田総裁が2期目になって、ようやく「それは不可能、夢物語、最初から虚構だった・・・」、いずれの解釈をとるにせよ、要は「インフレは起こせないし、起きないし、そしてそれは重要でない」、というコンセンサスが確立した』、「インフレ期待がどのように起きるか、誰にもわかっていないからである。中央銀行がインフレを起こす、あるいはインフレが起きるまで金融緩和を続ける、という呪文を唱えると、人々は催眠術にかかったかのように、物価が上がると信じ込むはずだ、ということを、冗談ではなく、本気で信じていたようだ」、確かに暴論が大手を振って通用していた。「期待に働きかけるアプローチは効果がゼロであり、混乱させるという意味では、大きなマイナスである。「期待を動かせる」と期待させることにより、混乱が広がる。混乱に乗じて、乱高下で儲ける投機家たちが資産市場を荒らす。最悪である」、同感だ。
・『「インフレ夢物語」終了後、ただの市場の材料に  そうなると、今度は、量を買い入れる、ということは「物価ではなく、金(カネ)が資産市場へ流れ込むかどうか」ということになり、株式市場の材料にだけされることになった。まったく金融政策として意味がない。無意味なものになってしまったのである。 これと関連して、株式とJ-REITの買い入れも、資産市場のリスクを増やすだけのもので、金融政策としては誤りである。日銀の説明としては、リスクプレミアムに働きかけるということだが、目的が物価にせよ、需要喚起にせよ、リスクプレミアムに働きかけても、実体経済は動かない。 なぜなら、実体経済におけるリスクプレミアムが低下すれば、リスクの高い設備投資、新しい事業への参入が起きるという因果関係が成立しなければ、株式市場のリスクプレミアムの縮小が金融政策として意味のあるものにはなりえない。実際、株式を日銀が購入することで、直接的に株価が上昇するきっかけをつくることにはなったが、これが実体経済にどのように影響したかは、議論が分かれるところである。 まず、個人投資家のキャピタルゲイン、あるいは株式含み益による資産効果で、個人消費が増えるというルートがある。しかし、これは将来株価が下落してしまえば、逆資産効果が働くことになるため、効果としてはニュートラルである。日銀の買い入れにより株価を押し上げるのであれば、永遠に買い続ける必要があり、それは不可能である。 次に、企業の投資が積極的になるという効果がある。ただし、アメリカの研究でもわかっていることだが、株価上昇に対して、実物の設備投資を増やすのは、もともと株価と設備投資が従来から連動していた企業に限られる。あるいは、株式で実物投資のための資金調達を主に行っている企業に限られる。しかし、このような企業は日本においては極めて少ない。ほとんどが銀行借り入れか社債または自己資金である。 唯一、効果が認められるのは、企業買収M&Aである。株価が高くなると、株式交換での企業買収が容易になるので、より積極的になる。これは実際に影響があったように見受けられる。ただし、「日本市場だけではジリ貧」というムードにより、海外企業の買収にあせって参入した企業も多く見られたので、一長一短とも言える。 総括すると、株式およびJ-REITの日銀の買い入れは、資産市場の価格を直接押し上げる効果を狙っていない限り、実体経済に対する政策としては意味がないことになる。一方、株価対策の政策としては成功したといえる。金融政策でそれをやるべきかどうかはかなり疑問だが、成功は成功だ。 ここでの問題は、今後、どうするかである。 出口戦略も深刻な問題だ(株式は国債と違って満期がないため、どこかで売却しないといけない)。 問題は「いつ買い入れをやめるべきか」、ということである。 今しかない』、思い切った提言だ。
・『今こそ「本質的な政策」に転換すべき時  国債買い入れ額の量的な目標(あるいは目処)の撤廃と合わせて、こちらも量の目標を撤廃して「無制限」に近い、額は決めないこととする。なぜなら、もともとの目的がリスクプレミアムの低下を促すことにあるから、これが金利のターゲットと同じ役割を果たすはずであり、買い入れ額の目標やメドとは対立する。ここで、リスクプレミアムを低下させる、という本質のほうに一本化するのである。 そもそも、日銀がいつ株式ETF(上場投資信託)を買い入れるか、というのは投資家(投機家)の間で常に憶測を呼んでいた。「午前中に下がったときに買う」とか、「日経平均株価が1万8000円を割ったら買う」とか、まさに適当に(願望で)憶測し、それをニュースメディアに分析として憶測を流布していた。それを明確化することになる。 すなわち、リスクプレミアムが高まったら、それに働きかけるために、買い入れを行うということである。それ以外の時には買わないということである。 こうなると、暴落のときの最後の買い手としての出動となり、中央銀行というよりは、まさに政府ファンドによるPKO(株価維持政策)になってしまうが、リスクプレミアムの低下を促すという目的からすれば、「8兆円買い入れる」と量のメドを設定するよりは正論である。 ここに、日銀の金融政策は大きく転換する。 「量」はすべて廃棄するのである。「量的緩和」を廃棄するのであり、量的・質的金融緩和から、普通の金融緩和に戻るのである。量という目標が異常であるから、あえて量的・質的といわなければいけなかったが、量がなくなれば、それはもちろん質的に金融政策を見るのであるから、質的、という言葉も要らないのである。 これは原点回帰であるが、21世紀の日銀の政策としては、大転換である。量を捨てて、金利という価格に戻り、インフレ、物価は指標であり、金利とリスクプレミアムを直接のターゲットとするのである。 これこそが、単なる出口戦略にとどまらない、新しい日常的な金融市場と経済に対応する、新次元の金融政策である』、「量を捨てて、金利という価格に戻り、インフレ、物価は指標であり、金利とリスクプレミアムを直接のターゲットとするのである。 これこそが、単なる出口戦略にとどまらない、新しい日常的な金融市場と経済に対応する、新次元の金融政策である」、画期的な提言で、全面的に賛成したい。

次に、8月5日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したBNPパリバ証券経済調査本部長チーフエコノミストの河野龍太郎氏による「独立した中央銀行が直面する、物価安定目標がもたらす罠」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/245011
・『低インフレゆえに日本銀行が金融緩和を続けバブルを醸成した80年代  人はとかく忘れやすい動物だ。 物価安定は大事だが、金融政策運営において、過度にインフレ率にウエートを置き過ぎると金融的不均衡の蓄積につながり、結果として、低い潜在成長率をもたらし経済厚生を引き下げる、というのが80年代後半のバブルの教訓だったはずだ。 インフレ率が低いから中央銀行が国債購入を続けるというのは、結果として、財政の中央銀行依存をさらに強め、一段と低い成長率をもたらすことになるのではないか。 インフレーション・ターゲット論が唱えられ始めた初期の頃、多くの人が懸念したのは、インフレ目標の達成にこだわるあまり、金融を引き締め過ぎることで実体経済を悪化させ、完全雇用を維持できなくなることだった。 そうした批判に対し、主流派経済学は、インフレーション・ターゲットは政策決定の透明性と説明責任を高めるためのツールであって、物価安定のための厳格なルールではなく、雇用など実体経済に十分配慮した「限定された裁量」であると解説していた。 しかし、主要中央銀行が導入する頃には、すっかりインフレの時代は終わっていた。過去20~30年にわたって繰り返された問題は、インフレ目標を達成するために、金融を引き締め過ぎることの弊害ではなかった。 掲げた目標まで現実のインフレ率が上がらないため、金融緩和を続けることで、金融的不均衡が蓄積され、結果として低い潜在成長率と低いインフレ率がもたらされたことだった。 実は、インフレーション・ターゲット前史の日本銀行が最初にこの問題に直面した。1980年代後半に低インフレの下で、日本銀行は金融緩和を続け、それがバブルの醸成につながった。 もちろん、プラザ合意後の急激な円高を回避するため、あるいは、ブラックマンデー後の国際金融の安定を図るため、日本銀行が強い緩和プレッシャーを受けたのは事実である。 しかし、当時、インフレ率そのものが極度に低かったから、物価安定を重視してきた日銀は利上げを正当化することができなかったのである』、忘れ易い我々にとって、金融政策を振り返る意味は大きい。
・『追加財政繰り返すも潜在成長率低下で過剰ストック・債務解消せず金融危機へ  バブルが崩壊すると、金融システムに大打撃をもたらし、信用配分が機能しなくなるため、潜在成長率の足を大きく引っ張るとともに、総需要の低迷でインフレ率は低下した。 金融機関に貸出債権の厳格な資産査定を迫り、必要な引き当てを要請し、金融機関の資本が不足する場合には、市場で調達するか、それが不可能な場合には、公的資金を注入する。そのような処方箋が現在の金融論の教科書には書いてある。 しかし、当時は中々、そうした結論には至らなかった。90年代初頭のバブル崩壊後に選択されたのは、総需要の急激な落ち込みを回避するために、財政、金融政策で、総需要をかさ上げし、バブル期に積み上がった過剰ストックや過剰債務を、時間をかけて解消することだった。潜在成長率が低下しているという認識がなかったため、誤った政策が選択されたのである。 先送り政策(forbearance policy)が選択され、問題企業を整理しない、というメッセージが政策当局者から発せられたと確信した民間金融機関は、追い貸しを続けた。そのことは、成長しない分野に経済資源を滞留させることを意味した。 競争力を維持するための研究開発投資や人的資本投資は削られ、潜在成長率は低下の一途をたどり、インフレ率も低下が続いた。低迷する民間支出を補うために、伝統的な追加財政が繰り返されるが、そのことも成長分野への経済資源の移行を阻害した。 伝統的な公共投資が選択されたのは、総需要かさ上げの即効性が重視されたこともあるが、過剰ストックと過剰債務を抱えた建設業、不動産業、小売業へのミルク補給になると考えられたからでもある。潜在成長率とインフレ率の低下が続いたため、周知の通り、過剰ストックと過剰債務は解消されず、90年代の終わりには、金融危機が訪れた』、「先送り政策
」は必ずしも悪くなかったが、1997年の橋本内閣による消費増税・社会保障負担の引き上げが、回復しかけた日本経済を不況に引きずり込んだというのが、私の認識である。
・『有効性を失った金融緩和 財政依存高まり いわゆる“日本化”が定着  実際には、それ以前の90年代半ばに、自然利子率の低下とインフレ率の低下から、金融緩和は既に有効性を失っていた。不良債権問題で、金融緩和のトランスミッション(波及経路)・メカニズムが毀損したことも無視できないが、同時に、名目金利の実効下限制約から、実質金利を自然利子率以下に下げられなくなっていたのである。 総需要を十分刺激できず、総供給を下回る状況が続くと、問題を抱えていなかったはずの企業も、生産性を向上させるための物的投資や無形資産投資、その源泉である人的資本投資を躊躇するようになる。そのことはITデジタル革命が始まった90年代後半に、日本企業がビジネスモデルを変革するチャンスを逸した点で日本経済への大きな打撃となった。 マクロ安定化政策については、金融政策にもはや効果が期待できないから、追加財政が繰り返される。そのことは経済低迷を一時的に避けることができるとしても、TFP(全要素生産性)上昇率の回復を妨げ、潜在成長率と自然利子率の一段の低下をもたらすから、総需要ショックに脆弱になり、追加財政にますます頼るようになる。 これらの結果、低成長、低インフレ、低金利、膨張する公的債務といういわゆるジャパニフィケーション(日本化)が90年代後半以降に定着していった。 一度、金融的不均衡を醸成すると、容易に抜け出せないネガティブ・スパイラルに陥る。そのことを強く反省した日銀が2006年3月の量的緩和解除の際、インフレ目標の前身である「物価安定の理解」とともに、金融政策の運営方針を決定する際の観点として導入したのが第一の柱(蓋然性の高い見通しが物価安定の下での持続的な経済成長の経路をたどっているか)と第二の柱(金融的不均衡など、第一の柱で取り上げる見通し以外の金融政策を運営する上でのさまざまなリスク)だった。 それは、物価安定を目標としつつ金融政策運営を行うものの、金融的不均衡の蓄積が始まると、たとえインフレ率が低くても、政策変更を行うことが意図されていた。政治的独立性を与えられた専門家集団が同じ失敗を繰り返すのは許されない。 インフレーション・ターゲット固有の弱点を補うスキームが組み込まれていたのである。当時、2%インフレが掲げられなかったのは、そもそも日本ではゼロインフレが長く続き、一気にインフレ予想を引き上げる手段が存在しないと認識されていたからである。名目金利が実効下限制約に直面していることは変わりなかった』、「名目金利の実効下限制約から、実質金利を自然利子率以下に下げられなくなっていたのである。 総需要を十分刺激できず、総供給を下回る状況が続くと、問題を抱えていなかったはずの企業も、生産性を向上させるための物的投資や無形資産投資、その源泉である人的資本投資を躊躇するようになる」、これ以降の認識は、河野氏と概ね同じである。
・『日本企業は10年に1度の危機に備えて IT投資・人的投資抑制し資本確保  結局、運が悪かったのか、それとも企業経営が悪かったのか、あるいは、政策運営がやはり悪かったのか。ジャパニフィケーションをさらに強固にするショックが立て続けに日本を襲った。 まず時計の針を90年代末に戻すと、金融システムの瓦解で貸し渋りが一気に広がり、企業は手元資金をため込むことの重要性を認識する。その後、ITブームで輸出が急伸し、日本経済は一息ついたと思われたが、今度はITバブルが崩壊し、マクロ経済は再び不安定化、日銀は2001年3月に量的緩和を導入せざるを得なくなった。 この間の不確実性に直面した日本企業は、棄損した資本を修復するため、コストカットの追求を続け、人的投資も物的投資も無形資産投資も抑え込んだ。 前述した通り、ようやく2006年3月に量的緩和が解除されるが、それを可能にしたグローバル経済の活況は、後知恵で考えると、米国を中心としたクレジット・バブルの急膨張がもたらしたものだった。 欧米からの強い需要と超円安を背景に、輸出セクターは、借り入れを増やし、国内で生産拠点を増やした。超円安が進んでいたのは、欧米経済がバブルで沸いていたからでもあるが、それだけでなく、その間も日銀が超低金利政策を続けることで、円安圧力を醸成したからである。 しかし、クレジット・バブルが崩壊すると、海外需要は蒸発し、円高進展も相まって、日本の輸出企業は存続が危ぶまれるほどの資金不足に直面した。いまだに政策当局者すら気が付いていないが、時間軸政策(フォワードガイダンス)による円安効果は、不況期に円高という形で完全に相殺される。 過去10年間、日本企業がもうかっても賃金を増やさず、ITデジタル投資も積極化しなかったのは、10年に一度やってくる危機が大きなトラウマになっていたからである。それ故、日銀が異次元緩和の笛を吹いても、多くの企業は、それに踊らされることはなかった。 元々、実効下限制約に直面していたのだから、いかに大規模な量的政策を追求しても、もはや金融政策には継続的にインフレを押し上げる効果は残っていなかった。企業は貯蓄を続け、人件費を抑えたために、個人消費に波及することもなかった。 例外は、グローバル経済の拡大と円安傾向の継続を背景にインバウンド・ブームが起こり、宿泊関連や都市再開発関連で過大な投資を進めたことである。2010年代後半は、AIによるディープラーニングやリモート技術などITデジタル革命が新たなフェーズに突入したが、日本の産業界はそれらと無縁なままであった』、「10年に一度やってくる危機が大きなトラウマになっていた」、といえば聞こえはいいが、本当は経営者が企業家精神を失ってしまったためではなかろうか。
・『パンデミック危機で日本企業はさらに資本積み上げ強まる“日本化”  そこに今回のパンデミック危機が訪れた。日本企業が恐れていた10年に一度の危機が訪れたのである。過大な債務を抱えていた欧米企業にとっては、売り上げ激減は直ちに存続問題をもたらした。 各国の政府、中央銀行は流動性支援とは言うが、売り上げが激減したのであるから、実際に不足しているのは流動性ではなく、資本である。ただ、日本の大企業については、むしろ過大な資本を積み上げていたため、ショックが集中する一部のセクターを除くと、多くが問題を乗り切ることが可能なようにみえる。 ショックが集中した小売業や外食産業で早くも業界再編が始まっているのは、厚い資本を持つ企業が存在することの表れであろう。大企業が倒産を避けられれば、失業の大幅な増加も避けられる。 マクロ経済の短期的な落ち込みが避けられるのは明らかに望ましいことだが、そのことは、過去20年の停滞をもたらしたジャパニフィケーションをより強固にする可能性が高い。 日本生産性本部の調査によると、パンデミック危機でリモートワークに移行した企業で、生産性が低下したと認識する従業員が過半を占めていた。言うまでもなく、前述したITデジタル投資の不足がその背景にある。 パンデミック危機をきっかけにITデジタル投資の必要性に気づいた企業も少なくないが、これが方向転換につながるかと問われると、疑問を持たざるを得ない。厚い資本のおかげで乗り切った今回の危機が誤った成功体験となり、企業は次なる危機に備え、成長のための人的資本投資やITデジタル投資を抑え、貯蓄を続ける恐れがある。 慢性的人手不足で、人的資本投資は多少再開されつつあったが、今後も総需要の回復が限られるため、その流れが滞る可能性が高い。民間投資は増えず、賃金も抑え込まれるため、消費回復も遅れる。マクロ経済の低迷が続くため、追加財政が繰り返され、政府部門の拡大で、ますます、潜在成長率が低下する。 公的債務の膨張が続くため、効率性の悪化で、いずれインフレが上昇し、ジャパニフィケーションは続かないと考える人も少なくない。ただ、低い経済の稼働率が続くため、経済が回復を始めても、まず訪れるのは物価下落圧力である。 また、企業も家計も支出を行わず、予備的動機で貯蓄を続けるとすれば、追加財政はそれを吸収するにすぎないから、インフレ圧力は簡単には生じない。パンデミック危機の収束が遅れ、追加財政が繰り返されても、それは家計や企業の貯蓄となる。 流動性制約に直面する家計は、支出に振り向けるであろうが、多くは本来得られるはずだった所得が補填されるだけだから、追加的な支出に振り向けられるわけではない。資金の多くは金融機関を通じて、国債購入に向かう。金利上昇圧力が高まれば、中央銀行が購入するが、それは統合政府で見れば、国債と当座預金を交換するに過ぎない』、「厚い資本のおかげで乗り切った今回の危機が誤った成功体験となり、企業は次なる危機に備え、成長のための人的資本投資やITデジタル投資を抑え、貯蓄を続ける恐れがある」、困った悪弊だ。
・『公的債務拡大がもたらすもう一つの罠 潜在成長率のさらなる低下  財政ファイナンスという批判に対し、日銀は、政治的に独立した機関として、あくまで低いインフレ、低い成長率に対して、YCC(イールドカーブコントロール)を通じ低い金利に誘導すべく長期国債を購入していると論じる。 パンデミック危機は、少なくとも国内的には、誰か特定の主体に責任がある訳でないため、社会基盤を守るため、家計や企業をサポートし拡張財政を継続することに反対は出ていない。 追加財政がもたらす金利上昇を中央銀行が放置すれば、総需要はさらに悪化し、インフレ目標の到達はますます遅れる。それ故、独立した中央銀行が自らの目標を達成すべく、YCCを通じて国債購入を続けている、という日銀の説明には一理ある。 しかし、である。過去25年間もそうであったように、潜在成長率や自然利子率が低迷を続けているのだから、仮に国債購入を続けたとしても、インフレ率をそもそも引き上げることはできない。 ジャパニフィケーションが続く中で、物価安定を理由に国債の大量購入を続けることは、財政の中央銀行依存をますます強め、制御できない公的債務の膨張をもたらすリスクを高めるだけである。ジャパニフィケーションの下で、中銀の独立性を強調するだけでは、一国経済が財政膨張の罠に陥る。 公的債務の膨張で筆者がより強く懸念しているのは、高率のインフレが訪れることではない。究極的にはFTPL(物価水準の財政理論)的なメカニズムでインフレが訪れる可能性は排除できないが、それ以前にまず確実に生じることは、資源配分をますます歪め、一段と低い潜在成長率をもたらすことである。 潜在成長率が低下すれば、ますます、追加財政が繰り返され、同時に財政の中銀依存はさらに増す。物価安定を強調し、国債購入を続けるだけでは、バブル時と同じ過ちを繰り返すことになりはしないか。 既に公的債務が未曽有の水準に膨らんでいるため、金融市場に大きなショックが訪れた際、これまで以上に、中央銀行は財政の持続可能性に配慮した行動を取らなければならない。一国経済の安定を考えると、物価安定より金融市場の安定を優先せざるを得ない状況にあることは明らかである。 低いインフレ率を解消するために漫然と国債購入を続けるのではなく、制御不能な公的債務の膨張を回避することと、潜在成長率の一段の低下を避けることを意識し、自覚的に国債管理の一翼を担うことが重要ではあるまいか。既に金融政策と財政政策の境界は曖昧になっているが、規律を組み込んだ一体運営のための枠組みを考えるべきだと思われる』、「物価安定より金融市場の安定を優先せざるを得ない状況」、には違和感がある。「物価」に上がる気配が出てきた瞬間に、長期金利は急騰する筈で、「物価安定」の維持が、「金融市場の安定」につながる筈だ。どちらを「優先」するか、といった問題ではないと思う。
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