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外国人問題(その10)(埼玉県川口市や蕨市に住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」が ついに重い口を開いた!県警の機動隊まで出動した「クルド人騒動」…そのウラで起きていたこと、埼玉の川口市や蕨市に移り住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」がはじめて明かした 「壮絶すぎる過去」、「殺されるかもしれない…」埼玉県川口市や蕨市で暮らす「ワラビスタン」の「ビッグボス」が感じた恐怖と「たった一つの願い」) [社会]

昨日に続いて、外国人問題(その10)(埼玉県川口市や蕨市に住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」が ついに重い口を開いた!県警の機動隊まで出動した「クルド人騒動」…そのウラで起きていたこと、埼玉の川口市や蕨市に移り住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」がはじめて明かした 「壮絶すぎる過去」、「殺されるかもしれない…」埼玉県川口市や蕨市で暮らす「ワラビスタン」の「ビッグボス」が感じた恐怖と「たった一つの願い」)を取上げよう。

先ずは、本年10月8日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの野田 洋人氏による「埼玉県川口市や蕨市に住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」が、ついに重い口を開いた!県警の機動隊まで出動した「クルド人騒動」…そのウラで起きていたこと」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/117032#lnsjwlofps6ozmm46g
・『前の記事「『アパートの共用廊下には食べ残しの弁当が放置され、腐敗臭が…埼玉県川口市や蕨市の「ワラビスタン」に怯えて暮らす、在日クルド人たちの意外すぎる「日常生活と本音」』では、クルド人がひそかに抱える苦悩について紹介した。 この記事では、『埼玉県川口市、蕨市…通称「ワラビスタン」!日本に暮らす2000人以上のクルド人をまとめる「ビッグボス」の正体』で触れた、「ビッグボス」への接触に成功、そのインタビューを公開する』、「ワラビスタン」の「ビッグボスへの「インタビュー」とは興味深そうだ。
・『なぜ彼らの多くは解体業に従事するのか  日本に住むクルド人の多くは、解体業を主な仕事としている。埼玉県川口市内には解体業を専門とした会社が多数設立され、その多くがクルド人による経営という。 なぜ、解体業にクルド人が集まるのか。 外環道に近い一帯(赤芝新田)には、解体業者の集まったエリアがある。起伏に富んだ土地には学校や個人の住宅、造園業者の敷地もあるが、一際目を引くのが、背の高い金属のプレートで周囲を覆って内部を見ることができないようにした、通称「ヤード」と呼ばれる解体業者の資材置き場である。 彼らに取材をかけたが、明らかにこちらを敵視した様子のまま、話を聞くことができなかったので、その地域に長年居を構える日本人住民に声をかけてみた』、「背の高い金属のプレートで周囲を覆って内部を見ることができないようにした、通称「ヤード」と呼ばれる解体業者の資材置き場である」、何やら取材には勇気が入りそうだ。
・『「日本ではないみたいな光景」  「15年くらい前から彼らが入ってきたのですよ。もともとは畑しかなかったこの地域に、外国人の乗る車が増えてきた時には驚きましたよ。彼らはすぐ近くに住んでいるわけではないので、あいさつをする程度。話すことはしていません。 朝の5時頃になると、従業員たちがどんどん集まります。その光景はまるで日本ではないみたいです。あの高い塀があるので中がどうなっているのか、詳しい様子は分かりませんが、重機やダンプ、砂利などが積んでありました。 朝の出勤前と夕方の仕事終わりの時間帯には、ダンプやトラック、乗用車も入り乱れるものだから、このあたりは激しく渋滞します。歩く人はそれほどいないけれど、時間帯によっては学校に通う子どもたちの通学路にもなりますので、事故がないかヒヤヒヤしています。 それと、音楽はうるさいね。何もない静かなところでしょう。週末や平日の仕事終わりに大音量で音楽をかけてお肉かなんかを焼いて食べたりしているのです。そんな音楽を耳にしていると、日本も変わってきたなと心から思いますよ。少子高齢化で外国人の力を借りなければならないのですよね。 その彼らを『追い出せ』という日本人もいますが、それは違うのではないかと思いますよ。安い賃金で働いてくれる彼らの代わりなど、いないでしょう。しっかりと税金も納めてくれてますしね。 地域に住んでいる我々にとっては、過激な排斥運動など、在日のクルド人と衝突をするのはやめてほしい。そういう活動をしている連中は地元の人間ではないし、決して責任取りませんからね。お願いだからこのまま静かにしてほしいですよ」 川口市内の工務店社長もこう語る。) 「解体屋をやっているのは、ほとんどクルド人です。日本の業者より安いし、仕事が早いからどんどん増えていった。危ないし、利益を出すことが難しいから、日本人はやりたがらないのです。奴らは力も強いし、重機の扱いも上手い。どこかで親玉がいるはずだよ」 なかなかクルド人に接触できない中、「解体業の会社を川口で最初に始めたクルド人が今もいるらしい」といった情報が、市内のある金融関係に従事する男性から寄せられた。 「若い人は別かもしれませんが、川口のクルド人の中で彼を知らない人などいないはずですよ。彼らは横のつながりが濃密ですからね。クルド人のほぼ全ての男性が解体業関係で働いています。その解体業を最初に始めた人です』、「クルド人のほぼ全ての男性が解体業関係で働いています。その解体業を最初に始めた人」、なるほど。
・『一大産業の礎を築き上げた「ビッグボス」  国内に住むクルド人であれば、彼の存在を知らない者はほとんどいないという。 1990年代初頭に入国し、川口市に居住したクルド人の第1世代。日本人女性と結婚し、多くの職を渡り歩いた末に、自ら起業した。クルド系初の解体業の会社の経営者となってから約15年――。 多くのクルド人が彼の会社で経験を積み、独立起業した。その数は100社を超える。そのほぼ全てが、川口市に本社や資材置き場を置いている。まさに一大産業の礎を築き上げた張本人ということになる。 あるクルド人は彼を「ビックパパ」と呼び、またあるクルド人は「ビックボス」と称した。 そんな彼と、川口市内にある彼の会社のヤード(資材置き場)で会うことになった』、「1990年代初頭に入国し、川口市に居住したクルド人の第1世代。日本人女性と結婚し、多くの職を渡り歩いた末に、自ら起業した。クルド系初の解体業の会社の経営者となってから約15年――。 多くのクルド人が彼の会社で経験を積み、独立起業した。その数は100社を超える。そのほぼ全てが、川口市に本社や資材置き場を置いている。まさに一大産業の礎を築き上げた張本人ということになる」、まさに「ビックボス」だ。
・『中肉中背で瞳は薄いグリーン  何度か断られたが、彼に近い複数の人物に話を通してから、話を伺いに行きたいこと、もし、断るならそれで構わないことを伝えてもらい日時を決め、足を運んだ。 約束の時間前に到着すると、「ビッグボス」はすでに待機していた。筆者が名刺を差し出すと、彼も日本式の挨拶をしながら名刺を差し出した。諸般の事情があって、彼の名前を出すことはできない。入り口からヤードに入ると、ユンボやダンプが視界に入る。解体で使われる道具類は整理され、棚に収納されていた。 中肉中背の「ビッグボス」は、薄いグリーンの瞳でジッとこちらの目を見て「何を聞きたいの?」と口にした。 先日の事件のこと、その後緊張状態にあるクルド人と日本人との関係について、在日クルド人を代表して話を聞きたいと伝えた。 彼はしばし考えた後、「どうぞ」と静かに記者を椅子に座らせると、ゆっくりとした口調で話し始めた』、なるほど。
・『喧嘩を止めるために集まっていた  「あの事件のことですね。ここで結婚をしていたクルド人夫婦がいたのです。二人はとても仲が良かったのです。でも、女性が別のクルド人男性を好きになってしまって、(その男性と)二人で埼玉から神奈川に逃げてしまいました。 その後、時間が経って女性はトルコに帰り、男性だけが川口に戻ってきた。彼は私のところで勉強して、3年くらい前に親族と一緒に会社を作った人です。彼が戻って来たことを知った女性の弟とその親族が、彼を追いかけてナイフを使ったわけです。 クルド社会では日本よりも男女の関係には厳しいのです。それと、帰ってきた男性のお金に関わるトラブルもあって、その両方の原因があって喧嘩になったのです。 マスコミでは、病院前でクルド人100人が乱闘騒ぎをしたという報道になっていますが、本当は、それ以上の喧嘩にならないよう、双方の親族や友人たちが集まったのです。 喧嘩を止めるために集まったのに、大勢で喧嘩をしたという逆の報道になってしまった。その場で警察がたくさん出てきて、互いに興奮した結果があの騒ぎだと思ってます。 もちろん病院や川口市民に迷惑をかけてしまったことは心から申し訳ないと考えています。事件後、すぐに関係者を通じてクルド人を代表して病院や役所の関係者に謝りに行きました」』、「マスコミでは、病院前でクルド人100人が乱闘騒ぎをしたという報道になっていますが、本当は、それ以上の喧嘩にならないよう、双方の親族や友人たちが集まったのです。 喧嘩を止めるために集まったのに、大勢で喧嘩をしたという逆の報道になってしまった。その場で警察がたくさん出てきて、互いに興奮した結果があの騒ぎだと思ってます」、「マスコミが表面的な報道だけだったのは残念だ。 「もちろん病院や川口市民に迷惑をかけてしまったことは心から申し訳ないと考えています。事件後、すぐに関係者を通じてクルド人を代表して病院や役所の関係者に謝りに行きました」、群れを作るのはよくない。また、ナイフなどの刃物を持ち歩くのも、日本では危険で避けるべき習慣だ。
・『ビッグボスの「本当の気持ち」  「日本人に対して申し訳ないです。ごめんなさい。でも、これ本当の私の気持ち。日本のメディアはクルド人のことであれば、ほんの小さなことでも大きく報道します。内容が事実ではなくても、クルド人が悪いように報道します。 それはどういうことかというと、クルド人に対する日本マスコミの考え方なのだと思います。クルド人に話を聞いていないことも理由です。 もちろん、ナイフを使って喧嘩をしたことはよくないことです。彼らも話し合って解決すればよかったのです。そうしたらあんなことにはならなかった。喧嘩はどこの国でもありますが、よくないことです。 怒ってしまったまま、我慢できないまま、それを止められない人同士が喧嘩になります。悲しいことですが、クルド人の中にもそういう人がいたのです。喧嘩の後、病院に大勢で集まったこともよくない事でした。そのことについても心から謝ります。ごめんなさい。 私たちクルド人の中にも、良くない人はいます。私は以前から日本に住むのであれば、この国のルールを守るよう、みんなに伝えています。車のルールや日本の法律のことなどを教えていますが、守らない人もいる。そういう人は日本から出ていけばいいとも思います。 真面目に仕事をして暮らしているクルド人も迷惑をしています。そういう真面目な人がほとんどなのです。このことでクルド人全体を悪い人たちだと考えないでほしいのです」・・・・・ 次の記事『埼玉の川口市や蕨市に移り住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」がはじめて明かした、「壮絶すぎる過去」』では、トルコから日本に逃れたあと、いまや日本に暮らす2000人以上のクルド人をまとめるまでの存在となった「ビッグボス」の、現在に至るまでの日々をさらに紹介します』、「クルド人に対する日本マスコミの考え方なのだと思います。クルド人に話を聞いていないことも理由です」、当事者の話も聞かずに記事にするては問題だ。「怒ってしまったまま、我慢できないまま、それを止められない人同士が喧嘩になります。悲しいことですが、クルド人の中にもそういう人がいたのです。喧嘩の後、病院に大勢で集まったこともよくない事でした。そのことについても心から謝ります。ごめんなさい。 私たちクルド人の中にも、良くない人はいます。私は以前から日本に住むのであれば、この国のルールを守るよう、みんなに伝えています。車のルールや日本の法律のことなどを教えていますが、守らない人もいる。そういう人は日本から出ていけばいいとも思います」、なるほど。

次に、この続きを10月8日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの野田 洋人氏による「埼玉の川口市や蕨市に移り住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」がはじめて明かした、「壮絶すぎる過去」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/117029#lnsjxcorerqirgys3tj
・『この前の記事『埼玉県川口市や蕨市に住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」が、ついに重い口を開いた!県警の機動隊まで出動した「クルド人騒動」…そのウラで起こっていたこと』では、今年7月に埼玉県・川口市の救急指定病院前で起きた、約100人のクルド人による騒動発生の「本当の理由」について紹介した。 この記事では、トルコから日本に逃れたあと、いまや日本に暮らす2000人以上のクルド人をまとめるまでの存在になった「ビッグボス」が明かした、壮絶な過去を紹介します』、興味深そうだ。
・『どこまでいっても「外人」  「日本のメディアはクルド人に対して、悪い気持ちのまま報道してしまうのではないかと思います。私たちは犯罪者ではないです。自分たちの国がなくて普通に暮らすことができなかったから日本に来たのです。 もちろん迷惑をかけるために来たのではないです。日本語は難しいです。私は仕事を通じて話が出来るようになりましたけれど、言葉の出来ないクルド人もたくさんいます。 勉強をしたくても、その機会を得られないクルド人もたくさんいます。この国に暮らすのであれば、日本人達との関係を大事にしなければならない。 でも、日本人と同じようなことをしてはダメですよ。この国で働いて、税金を納めているから、何をしてもいいということは違うの。 日本語を話せても、日本人と結婚していても、一緒に仕事をしていても、友だちになっても、どこまでいっても『外人』なのです。日本はアメリカやヨーロッパとは違うのです。日本ではいつまでたっても『外人』のままなのです。そういう気持ちが、どうしてもたくさんの日本人の中にはあるのだと思う。 あくまで『外人』なのです。悲しいです」』、「この国で働いて、税金を納めているから、何をしてもいいということは違うの。 日本語を話せても、日本人と結婚していても、一緒に仕事をしていても、友だちになっても、どこまでいっても『外人』なのです。日本はアメリカやヨーロッパとは違うのです。日本ではいつまでたっても『外人』のままなのです」、「あくまで『外人』なのです。悲しいです」、なるほど。
・『いちばん考えていたのは「生きること」  「一緒に働いていても、私が外国人ですから、日本人は差別をします。でも、それは当たり前なのかもしれない。私が働くことで、日本人たちの仕事を奪っていることになりますから。 仕事をするときには時間を守ることは当たり前です。決められた時間前に現場について準備をします。ゴミなどを残したりしないで早く、丁寧に仕事をします。 少しでもミスをすると『外人だから』と言われてしまう。仕事をもらうためには、少しのミスもなくしっかりとやらなければ。すぐに暇になってしまう。だから必死に働きます。 私はこの国に来て間違えたと思っています。ごめんなさい。でも仕方がなかったのです。 私は、1990年代初頭に日本に来ました。23歳でした。トルコからマレーシアに行き、それから日本に来ました。日本のことはほとんど知らなかった。 一番考えていたのは生きること。仕事をして、普通の生活をしたかったのです。ビザのことなど何も知らなかったです。難民という言葉も知らなかった。日本では入管に行くことなども何も知らなかった。 私より少しだけ先に(来た親戚の)おじさんが日本にいました。彼はイランにいて、ヨーロッパから日本に来たのです。 当時、イラン人がたくさん日本に来ていて、『やさしい国だ』と聞いていて、それで来たのです。おじさんも生活をするところが必要だった。それは私も同じ。おじさんはいま、日本を離れてトルコとは別の国で生活をしています」』、「私は、1990年代初頭に日本に来ました。23歳でした。トルコからマレーシアに行き、それから日本に来ました。日本のことはほとんど知らなかった。 一番考えていたのは生きること。仕事をして、普通の生活をしたかったのです。ビザのことなど何も知らなかったです。難民という言葉も知らなかった。日本では入管に行くことなども何も知らなかった。 私より少しだけ先に(来た親戚の)おじさんが日本にいました。彼はイランにいて、ヨーロッパから日本に来たのです。 当時、イラン人がたくさん日本に来ていて、『やさしい国だ』と聞いていて、それで来たのです・・・おじさんはいま、日本を離れてトルコとは別の国で生活をしています」、なるほど。
・『トルコでは普通に暮らすのが難しい  「トルコでは普通に暮らすことが難しかった。目の前でクルド人の知り合いが殴られたり、殺されたりするのはいつもでした。 生活をするための仕事をすることも難しかった。私のいた村では半年分の食糧を貯蔵します。貯蔵したら、すぐに軍隊が来て食糧も家も潰してしまうこともありました。いくつもの村が潰されました。 命を守るために山に逃げることもありました。そのあたりのことは、日本人には分からないと思う。『普通に生活できますよ、差別などありませんよ』という人もいると思いますが、もしそうであれば、これだけ世界中にクルド人が移動して問題が広がらないでしょう。世界の中でクルド人だけが難しい立場のままです。 日本の空港に着いた時には、荷物は小さなものが一つだけ。成田空港から東京駅までバスで向かいました。東京駅は大きな駅です。バスターミナルを降りると、どこに行けば良いか分かりませんでした。 日本語も何も分かりません。日本語の看板を見ても、何もわからない。東京に着けばなんとかなるだろうと思っていたのです。たくさんの人が忙しそうにしていました。誰も私のことを知らないですし、日本の言葉も分かりませんので、話しかけても無駄でした。 携帯電話のない時代でした。親戚がいる場所を探そうと思ってもどこに行けば良いのか分かりませんでした。このまま駅の近くで寝ようと思っていたところで、一人のパキスタン人から声をかけられました。 英語で彼に話をすると、『自分の住んでいるところに来て探したらいい』と提案をしてくれました。それが川口でした。それから叔父を探すことになりました。 川口にいる外国人に声をかけて、クルド人を探しました。当時はほとんどクルド人は住んでいませんでした。おじさんを探し出すのに、3ヵ月間かかりました。その間、パキスタンの彼は私からお金をとることなく、寝る場所と食事を与えてくれました。本当に感謝をしています」』、「世界の中でクルド人だけが難しい立場のままです」、国を持たない「クルド人」には本当に同情する他ない。「東京駅は大きな駅です。バスターミナルを降りると、どこに行けば良いか分かりませんでした。 日本語も何も分かりません。日本語の看板を見ても、何もわからない。東京に着けばなんとかなるだろうと思っていたのです。たくさんの人が忙しそうにしていました。誰も私のことを知らないですし、日本の言葉も分かりませんので、話しかけても無駄でした。・・・このまま駅の近くで寝ようと思っていたところで、一人のパキスタン人から声をかけられました。 英語で彼に話をすると、『自分の住んでいるところに来て探したらいい』と提案をしてくれました。それが川口でした。それから叔父を探すことになりました。 川口にいる外国人に声をかけて、クルド人を探しました。当時はほとんどクルド人は住んでいませんでした。おじさんを探し出すのに、3ヵ月間かかりました。その間、パキスタンの彼は私からお金をとることなく、寝る場所と食事を与えてくれました。本当に感謝をしています」、親切な「パキスタン」人に助けてもらったのは幸運だった。
・『心から感謝している日本人  「おじさんと出会ってから、仕事を探しに毎日歩きました。たまたま出会った日本人の親方夫妻がとてもやさしくしてくれて、私に仕事を与えてくれました。建設業です。家をつくる大工さんでした。 仕事はきつかったですし、休みはありませんでしたが、生活のためのお金を与えてくれました。それまでそういう仕事をしたことはありませんでしたが、朝から夜まで休みなく働きました。 親方の奥さんは、私のために食事や衣服の世話などをしてくれて、日本語や日本のルールなども教えてくれました。仕事が終わって、夜に部屋に帰るときに洗濯をしてくれたものを渡してくれたり、とても良くしてくれました。 今でも親交がありますが、心から感謝しています。心のやさしい日本人がいたので、今の私がいるのだと思います。たくさんの日本人は私のことを奴隷のように使いました。でも中には親方の奥様のように、人間の気持ちのある方もいたのです。 建築の仕事が暇になると、下水管の埋設の仕事などをしました。肉体労働です。労働はきつく、朝早くから夜まで働きました。怪我をすることもありました」』、「親方の奥さんは、私のために食事や衣服の世話などをしてくれて、日本語や日本のルールなども教えてくれました。仕事が終わって、夜に部屋に帰るときに洗濯をしてくれたものを渡してくれたり、とても良くしてくれました。 今でも親交がありますが、心から感謝しています」、「日本語や日本のルールなども教えてくれました」、というのは本当にラッキーだった。
・『日本にはいい人もいるけど、悪い人もいる  「日本人の中には、私のことを『外人だから』ということで馬鹿にする人が多かったです。同じ人間として認めてくれない。いい人もいるのだけれど、悪い人の方が多い。 仕事はしっかりとやらなければならないです。手を抜くとすぐに仕事がもらえなくなります。いくら仕事をしても、騙されてお金をもらえない時もありました。このままこの国にいては死んでしまう。『身体は元気でも、心が死んでしまう』と思った時期が続きました。 15年前に独立して自分で仕事をしようと思ったきっかけは、日本人の女性と付き合い、結婚をしたことが大きかったです。 解体業は建設関係の中でも日本人のいやがる仕事です。もともと外国人が働くことも多かったです。きつくて危険な仕事ですが、だからこそ真面目にやればいいのではないかと考えました。 アルバイトで少しだけ経験もありましたし、とにかく生きるために必死でした。日本の友人たちも協力をしてくれて会社を設立することができました」』、「15年前に独立して自分で仕事をしようと思ったきっかけは、日本人の女性と付き合い、結婚をしたことが大きかったです。 解体業は建設関係の中でも日本人のいやがる仕事です。もともと外国人が働くことも多かったです。きつくて危険な仕事ですが、だからこそ真面目にやればいいのではないかと考えました・・・日本の友人たちも協力をしてくれて会社を設立することができました」、なるほど。
・『川口にあるクルド人の解体業者は100社以上!  「一人で会社を設立しても仕事をもらわないとお金になりません。毎日、『仕事はありませんか』と尋ねて回りました。ほとんど無駄に終わりましたが、中には仕事を回してくれる人もいました。 私はこの国では外国人ですし、日本人以上に真面目に仕事をしないと信用してもらえません。時間を守ること、現場のルールを守ること、嘘をつかないで丁寧に仕事をしました。私にはそれしかなかったのです。 だんだんと私の仕事のやり方を分かってくれる人が多くなりました。それで仕事の量が増えていったのです。今は営業しなくても、日本の会社から仕事の依頼がたくさん来ます。 私の会社だけでなく、私のところから独立した会社にも仕事を回しています。ここ川口では、クルド人の会社だけで100社以上の解体業の会社があります。みんな私のところで経験を積んで独立をしました。 連載最終回となる記事『「殺されるかもしれない…」埼玉県川口市や蕨市で暮らす「ワラビスタン」の「ビッグボス」が感じた恐怖と「たった一つの願い」』では、「ビッグボス」が明かした「恐怖の理由」と「唯一の願い」について、詳しくお伝えします』、「私はこの国では外国人ですし、日本人以上に真面目に仕事をしないと信用してもらえません。時間を守ること、現場のルールを守ること、嘘をつかないで丁寧に仕事をしました。私にはそれしかなかったのです。 だんだんと私の仕事のやり方を分かってくれる人が多くなりました。それで仕事の量が増えていったのです。今は営業しなくても、日本の会社から仕事の依頼がたくさん来ます」、大したものだ。「ここ川口では、クルド人の会社だけで100社以上の解体業の会社があります。みんな私のところで経験を積んで独立をしました」、のれん分けした「会社だけで100社以上の解体業の会社があります」、これも立派なものだ。

第三に、この続きを、10月8日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの野田 洋人氏による「「殺されるかもしれない…」埼玉県川口市や蕨市で暮らす「ワラビスタン」の「ビッグボス」が感じた恐怖と「たった一つの願い」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/117031#lnsjy2x11mcmmjbauxk
・『前の記事『埼玉の川口市や蕨市に移り住む「ワラビスタン」の「ビッグボス」がはじめて明かした、「壮絶すぎる過去」』では、クルド人としてトルコから日本に逃れたあと、いまや日本に暮らす2000人以上のクルド人をまとめるまでの存在になった「ビッグボス」の過去について、紹介した。 これまで5回にわたってお届けしてきた「ワラビスタン」連載の最終回となるこの記事では、そんな「ビッグボス」が明かした「恐怖の理由」と「たった一つの願い」について、お伝えします』、興味深そうだ。
・『「日本の親方は怒鳴るが、私は怒鳴らない」  「解体の仕事は簡単ではありません。たくさんの危険がありますし、とても疲れます。日本の会社では親方が怒鳴ったりすることが多くありますが、私のところではそういうことはありません。 仕事のやり方がわからない人には、知っている人が丁寧に教えます。決められた期間内に、なるべく早く安全に仕事が終わるようにします。そのためには、機械の扱いやチームワークを大切にしています。一人で普通の日本人の3人分以上の仕事ができるように教育します。 個人の住宅だけではなく、大きな工場やパチンコ屋、ビルの解体もやります。500坪、1000坪単位の大きな現場もあります。最初は私も目で見て仕事を覚えました。機械の使い方、現場での動き方、誰も教えてくれないから全て自分で覚えました。 そして、自分で学んだことをどんどんクルドの仲間に教えました」』、「日本の会社では親方が怒鳴ったりすることが多くありますが、私のところではそういうことはありません」、どならないとは大したことだ。「機械の扱いやチームワークを大切にしています。一人で普通の日本人の3人分以上の仕事ができるように教育します」、「一人で普通の日本人の3人分以上の仕事ができるように教育」とは素晴らしい。 「最初は私も目で見て仕事を覚えました。機械の使い方、現場での動き方、誰も教えてくれないから全て自分で覚えました。 そして、自分で学んだことをどんどんクルドの仲間に教えました」、やはりon the jobで「教えている」ようだ。
・『「仕事のできない人」はクルド人にも日本人にもいる  「現場で出るゴミは、ルールに従ってお金を払って処分しなければなりません。そういう手続き(各種申請書など)など、クルド人には難しいこともあります。 私の会社には日本人も働いています。彼らの助けがあって仕事ができているのです。よい仕事をしたら、それだけお金を支払います。だからクルド人以外の人も働いています。彼らの生活のためにも仕事には手を抜かないで、誰からも文句を言われないように気をつけています。 在留資格を持っていても外人、クルド人ですから、少しのミスもしないように気をつけています。何度教えても理解しない人は、クルド人にも日本人にもいます。そういう人には辞めてもらいます。生きるための仕事です。遊びではありません。だから真剣なのです。 人間は何もすることがないと悪い方に物事を考えてしまいます。どんなにいい人でも、いいことを考えられなくなるのです。私だけでなく、他のクルド人も日本人もそうだと思います。 私にはこの仕事しかなかった。だから寝る時間を削って頑張ります。この仕事以外の仕事は出来ませんから。本当は先生になったり別の仕事もしたかったです。 でも、それは日本では許されない」』、「在留資格を持っていても外人、クルド人ですから、少しのミスもしないように気をつけています。何度教えても理解しない人は、クルド人にも日本人にもいます。そういう人には辞めてもらいます。生きるための仕事です。遊びではありません。だから真剣なのです」、「仕事」に対する姿勢は大したものだ。
・『「殺されるかもしれない」恐怖  「仕事が終わると、眠るまでが自分の自由な時間になります。私たちは仲間同士で話しをすることを何よりも大切に思っています。仕事のこと、悩みのこと、これから先の不安のこと、家族のことなど話す事はたくさんあります。 お酒は飲まないですし、お店に入るとお金がかかるので、外で話すことが多いです。夜まで話すことも多いので、そういう姿が日本人にはいやなのかもしれません。 私たちもできるだけこの国のルールを守ろうとしていますが、話をしているだけで警察が来て「どいてください」と邪魔に扱われることも多いです。ただ、話しをしているだけです。それでも日本の人は私たちを嫌います。どんな人でも楽しみは必要です。 日本の人の中には、『早くトルコに帰れ』と言う人もいます。この30年で、私は親に会うために2回トルコに帰りました。どちらの時にも空港で逮捕されました。10日間くらい刑務所に置かれました。 『もしかしたらこのまま自由になれないかもしれない』『トルコにいる家族と二度と会えないかもしれない』『もしかしたら殺されてしまうかもしれない』と考えてしまって、本当に怖かったです。 日本の人は、『トルコはいい国で普通に暮らせるだろう』と言います。日本人にはそうだと思います。でもクルド人には違うのです」』、「お酒は飲まないですし、お店に入るとお金がかかるので、外で話すことが多いです。夜まで話すことも多いので、そういう姿が日本人にはいやなのかもしれません。 私たちもできるだけこの国のルールを守ろうとしていますが、話をしているだけで警察が来て「どいてください」と邪魔に扱われることも多いです」、夜、大勢で集まっておしゃべりするのは、日本人にとっては耐え難そうだ。
・『自分たち以外に信用できなくなったワケ  「トルコではいつも危険がありました。いつ家族が殺されるか分からないし、家畜のように殴られたり、蹴られたりすることもありました。人間として認めてくれなかったのです。テロリストのように扱われることもあります。 クルド人の苦しみは、一部の日本人が私たちの代わりに話をしてくれていますが、経験をしていないと本当のところは分からないのだと思います。 日本は昔、戦争があって、それからは平和な国になっています。殺される危険もなく、普通に仕事ができて、友だちと自由に話ができて、家族と暮らすことができます。 でも、クルド人はいつも力のある国に利用され、捨てられてきました。長い時間、そうだったので自分たちの他に誰も信用できなくなってしまったのかもしれません。 日本人でもトルコ人でも、いろいろな考えがある。でもみんな、生きなければならないのです。どこの国でも温かい人はいます。これまでは仕事をして頑張ってきました。 でも、それは私の家族のためでした。本当に大事なのはクルド人全体のことを考えて行動することです。それができなかったら、私の人生に意味などありません。 生活はできるようになりましたが、子供たちのために学校も作りたいですし、もっと平和になるように頑張りたいです。クルド人だけでなくて、日本人もみんなが幸せになって暮らしてくことが大事です。一人だけで生きていくことなど意味がありません」』、「クルド人はいつも力のある国に利用され、捨てられてきました。長い時間、そうだったので自分たちの他に誰も信用できなくなってしまったのかもしれません・・・クルド人だけでなくて、日本人もみんなが幸せになって暮らしてくことが大事です。一人だけで生きていくことなど意味がありません」、なるほど。
・『「クルドの国ができるなら、いつ死んでもいい」  「どんなときでもできることがあります。クルド人、あと5年たつと、人口がもっと増えます。世界のクルド人がもっと増えれば、発言力が大きくなって、少し自由になるかもしれません。いつかはクルド人の国ができるといいです。 今はまだ世界のどこに行ってもクルド人は差別されます。だからいつかはクルド人の国をつくらなければならないと思います。安心して自由に暮らせる国が欲しい。それは当たり前のことなのです。私は解体の仕事もなくしてしまってもいいと思っています。 クルドの国ができるならいつ死んでも、命もいらない。 今、日本から出て行くクルド人も多いです。ドイツなどに移動するクルド人も多いです。私は世界中にいるクルドの仲間と連絡を取り合っています。 日本は数年前から国の力が階段を降りるように落ちています。観光客以外の外国人が日本に来ることはありますが、大きく数が減りました。彼らは日本以外の国を選ぶようになっています。そういう状態はこれからも続きます。 日本人が国を世界の中でどうしたらいいのか、真剣に考えた方がいいと思います。私は自分が生きるために日本に来ました。必死に働いて、結婚して、会社をつくって、クルド人が多いけれど、日本人などたくさんの人を雇って頑張ってきました。自分のためだけの会社ではないのです。 奥さんには大きな迷惑をかけました。私がクルド人だからということで、彼女の人生にも大きく迷惑をかけてしまった。そのことがあるので、私が生きている限りは彼女のためにも生きます」』、「今、日本から出て行くクルド人も多いです。ドイツなどに移動するクルド人も多いです。私は世界中にいるクルドの仲間と連絡を取り合っています・・・奥さんには大きな迷惑をかけました。私がクルド人だからということで、彼女の人生にも大きく迷惑をかけてしまった。そのことがあるので、私が生きている限りは彼女のためにも生きます」、なるほど。
・『「ビッグボス」の言葉をどう受け止めるか  「ビッグボス」による告白は以上である。 昨今、批判を浴びているクルド人の中にも、彼のような人物がいた。身体一つで異国に降り立ち、言葉を覚え、才覚のみを頼りにこの日本で人生を切り開いてきたのだ。 その生き方は多くのクルド人に尊敬され、地域住民との関係も良好に保っている。これまで彼は日本人に対して自らのことを語ってこなかった。今回、正直な気持ちを吐露してくれたのは、日本人との間で急速に顕在化した軋轢がきっかけである。 昨年2月のトルコ大地震、そして10月の入国規制の緩和以降、多くのクルド人が川口エリアを目指している。生活のスタイルを変えない彼らを受け入れる地域住民は、忍耐を強いられる場面もあるだろう。 「異質」を受け入れがたい日本人は、彼らの存在を拒絶するかもしれない。すでにその兆しはあるが、感情に端を発した排斥運動ほど、醜いものはないと思う。 日本各地で移民問題が起きている。「多様性」や「共生社会」を目指すのであれば、国も現実を直視し、取り締まりの強化だけでなく共生を促す仕組みを真剣に考えるべきなのだ。 これまでも「移民排斥」は世界のあらゆる場所で行われてきた。明治以降、日本人も南北アメリカ大陸やハワイなどへ移民として海を超えていった。現地では安価な労働力として需要が増し、人口も増えていった。 その結果、人種的偏見などから差別され、日本人排斥運動にまで高まることとなった。排斥運動の背景には、ナショナリズムの台頭と不況からくる生活苦が存在する。現在、その条件は整っている。 自分の国がない人々の気持ちを理解することは難しい。だが、彼らの育った環境を想像し、共感することは我々にもできるだろう。今後も国内には隣人として多くの外国人が住み続けることになる。彼らとの生活を円滑に進めていくためにも、改めて自分の中の差別意識を意識し、確認しておきたい』、「移民」のなかでも「クルド人」は帰る祖国もない気の毒な存在だ。「彼らの育った環境を想像し、共感することは我々にもできるだろう。今後も国内には隣人として多くの外国人が住み続けることになる。彼らとの生活を円滑に進めていくためにも、改めて自分の中の差別意識を意識し、確認しておきたい」、同感である。
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