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アベノミクス(その5)少子化対策としての三世代同居推進策 [国内政治]

昨日に続いて、アベノミクスを(その5)少子化対策としての三世代同居推進策 として取上げたい。

最近は頻繁に引用しているコラムニストの小田嶋隆氏が、10月30日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「人の値段が安いから「大家族」になる」を紹介しよう。
・第3次安倍改造内閣が発足して間もない10月10日、石井啓一国土交通相は、就任にあたって行われた報道各社とのインタビューの中で、次のように述べた
・「少子化対策のために、祖父母・親・子供の三世代の同居などを促進する住宅政策について早期に実施が可能なものは着手したい」
・奇妙なプランだ。少なくとも、公明党選出の新任の国交相がいきなり持ち出してくるような話ではない。  果たして、アイディアの出どころは安倍晋三首相だった
・石井大臣は、同じ会見の中で「安倍総理大臣からは、希望出生率1.8の実現を目指し大家族で支え合うことを支援するため祖父母・親・子供の三世代が同居したり近くに住んだりすることを促進するような住宅政策を検討・実施するよう指示があった」と明かしている
・なるほど、そういうことだったのか。 と一応納得はしたものの、まさか、少子化対策として三世代同居を推し進めるみたいな住宅政策が、本当に実行に移されるとは思っていなかった
・だって、あまりにも的外れだからだ。 寒さに負けない子供を育てるために散歩好きな犬を飼うみたいな話の方が、まだいくぶん効果がありそうに思える
・少子化改善のために三世代同居を推進するというプランは、虫歯対策のために穴の空いた靴下を奨励する施策と同じぐらいバカげて見える。確かに、冬の間も穴の空いた靴下をはいていれば、寒くて歯を食いしばる機会が増える関係で、もしかしたら、その分だけ歯が丈夫になるかもしれない
・でも、本当に少子化を食い止めたいのなら、地味なようでも正攻法でコトに当たるのが本筋だと思う。保育園を充実させ、子育て世代を支援する減税を実施し、若い労働者の正規雇用を促進する策を講じれば、少しずつでも事態は改善するはずだ。…と思っていたところ、つい2、3日前、具体策が出てきた。三世代同居のための住宅改修に対して、所得税を優遇するのだという
・「住宅改修、三世代同居で所得税優遇へ 政府、出生率低下に歯止め」という記事に概要が載っている。  なんと、真正面から三世代同居を押し出してきた。 驚きだ
・断言しておくが、私は、三世代同居が少子化傾向の改善に寄与するとは思っていない。子供を持つことが期待される若い世代の多数派が三世代同居を望んでいるとも考えない
・この記事(SankeiBiz 10月26日)の中に、 《内閣府の調査では、希望する子供数を実現するための必要要素として、3割を超える女性が「父母や義父母の協力」を挙げた。》  という記述があるが、ここで言う「父母や義父母の協力」は、無論のこと、ストレートに「同居」を意味する言葉ではない
・子供の預け先や経済的な援助の源泉として、実家や義父母に期待している若い女性は、少なくないはずだ。が、その彼女たちが同居という暮らし方を望んでいるのかといえば、それはまた別の話になる。「同居」の希望を問う質問を別立てでぶつけてみれば、「イエス」と答える若妻は、到底3割にはとどかないだろう
・もうひとつ気になるのは、記事の中で、同居に向けた住宅の改修工事などの費用の一部を所得税額から控除するプランについて、「所有者の子供または孫が中学生以下であることが条件…」と書かれている点だ
・この文言を言葉通りに受け止めると、援助の対象は、「既に子供を持っている家庭」に限られていることになる。とすると、効果はなおのこと限定される
・いずれにせよ、国交省が打ち出そうとしている、三世代同居推進の施策は、少子化の歯止めにはなってくれそうにない。 にもかかわらず、安倍首相がこのプランにことのほか前のめりであるように見える。 なぜだろうか
・首相の胸には少子化云々とは別の狙いがあるのだと思う。第3次安倍改造政権の20人の閣僚のうち、17人が「神道政治連盟国会議員懇談会」に所属し、12人が「日本会議国会議員懇談会」の会員であることは、以前、当欄でも触れた。その「日本会議」の事務総局が平成22年の9月にリリース(改訂)した文書がある
・「夫婦別姓に反対する 守ろう!家族の絆 --日本の家庭・家族の価値から考える--」 と題されたその小冊子は、現在でも、PDFファイルの形でネット上に公開されている
・このパンフレットを見ると、安倍政権の有力な支持母体である「日本会議」が、夫婦別姓に反対する流れの中で、「親夫婦と子供夫婦の家族が共に居住する《三世代家族》」を「日本人の倫理の源泉」「理想的な家族形態」として強力にプッシュしていることがうかがえる
・安倍首相ご自身も、その著書『新しい国へ 美しい国へ 完全版』の中で、《お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」という家族観と、「そういう家族が仲良く暮らすのがいちばんの幸せだ」という価値観は、守り続けていくべきだと思う》 第七章:「家族、この素晴らしきもの」という価値観 より) と述べている
・つまりこういうことだ。 安倍首相ならびに政権の中枢を占める人々は、少子化対策とは別に、彼らの考える「日本の伝統的な家族形態」の復活と防衛のために明らかに舵を切りはじめたのである
・もっとも、首相周辺には彼らなりの成算があるのかもしれない。 というのも、彼らの中では、現在進行しつつある「少子化」を「戦後社会が推進した個人主義とジェンダーフリー教育の結果」であると見なす考えが共有されているからだ
・してみると、核家族化の流れを逆行させ、戦後社会に蔓延する個人主義的な思想を改めることこそが根本的な少子化対策であるという信念は、首相の言う「日本を取り戻す」というスローガンを支えるど真ん中の哲学であるのかもしれない
・「保育園を作れって言うけどね。昔は、子供のことはぜんぶ母親がやっていたんだ。母親の目が届かない部分は、兄弟や姉妹が手伝った。そうやってみんな忙しくて目が回りそうな中で5人6人の子供を育てていたんだよ」  という団塊以前の世代に色濃く残っているこの態度は、自民党の憲法草案が、すべての条文の中から「個人」という言葉を削除して、代わりに「人」という言葉を代置している、反個人主義の思想にリニアにつながっている
・つまり、自民党のコアな支持層の中には、少子化をはじめとする現代日本を覆う亡国的な兆候を「行き過ぎた個人主義」の責任に帰する問題意識を抱いた人々がたくさんいるということだ。 この感慨は、当然、少子化に対しても向けられている
・彼らは、「若い女性が、母であることよりも、女性であることや個人であることを大切にする考え方を抱いているからこそ、彼女たちは素直に子供を産もうとしない」 ぐらいに考えている
・この見方が的を射ているかどうかはともかく、彼らはそう思い込んでいる。 人混みにベビーカーを持ち込む母親への冷淡な視線も、働きながらの子育てのために保育園の増設を訴える人々への反発も、大筋ではこの考え方から発している。つまり彼らは、若い母親が「甘ったれている」と考えているのである
・事実、日本の歴史の中で一番子供が多かったのは、多くの国民が貧困にあえぎ、公的な社会保障や保育園設備がほとんど整備されていなかった戦後の10年ほどの間のことだった。  このことは取りも直さず、戦後社会が復興に向かい、経済が豊かになり、核家族化と女性の社会進出が進み、保育園が整備され、人権意識が高まり、教育が高度化するにつれて、若い男女が子供を持つことを選ばなくなったことを意味している
・この「豊かになった結果、少子化が進んだ」事実を、どんなふうに説明するのかによって、少子化対策は、180度違ったものになる
・日本会議の中心的なメンバーは、おそらく「日本人が豊かになり、国民の人権が尊重され、女性の地位が向上したことで、若い母親がわがままになった」ことが、少子化の根本原因だと考えている。 だからこそ彼らは、社会保障の充実や働く女性のサポートに対して熱意を示さない。 どちらかといえば、彼らの考える「伝統的な家族観」の復活と、「母」という物語の復興を少子化対策の基本であると考えている
・個人的な見解を述べるなら、私は、この何十年か一貫して進行している少子化の原因を、「高度成長期以降の若い日本人が身勝手な個人主義を奉ずるようになったからだ」というふうには考えていない。 飢餓線上の貧困が克服され、個人の人権が尊重されるようになった民主主義国家では、どこの国であれ、少子化傾向が顕在化することになっている。少子化は「先進国」と呼ばれるようになった国が共通して直面せねばならない宿命のようなものだ
・一般に、社会が成熟し、産業が高度化すると、個々の労働者が身に付けるべき知識や技能は、それだけ高度なものになる。特に21世紀に入ってからは、情報化が進んだ結果、仕事の内容も、より複雑になっている。このことは、一人の人間が一人前の労働者として完成するまでの年月(および教育コスト)が、大きくなったことを意味している
・昭和前期のように「中学を出たら自分の力で食って行け」と、子供を突き放すタイプの子育ては、現代にあっては貫徹しにくい。国自体が高度経済成長期にあった時代であれば、学歴の低い労働者にも仕事があったし、出自が貧しくとも、真面目に働いてさえいれば、誰もが家を持って自立する夢を見ることができた。が、現代の社会状況では、15歳で社会に出た労働者は、浮かび上がるのは難しいかもしれない
・とすれば、教育投資を無視して、子供の成長は、社会の波に揉まれることによる結果に委ねる20世紀中盤までの子育ては、今の時代には採用しにくいわけで、子供を持つためには、巨大な投資への決意と覚悟が不可欠になる。当然の展開だ
・8歳の姉が2歳の弟をおんぶしながら畑仕事をしていた「おしん」の時代とは、そもそも「子供」の持つ意味が違っている。「子育て」の様相も意義も様変わりしている
・ほんの三世代か四世代前の、われわれの祖父母の世代は、「小僧奉公」「女中奉公」という言葉が普通に使われる社会で育った人々だった。そのまた数世代前の人々は、「口減らし」や「子売り」が日常的だった時代を生きている。 当時、「人権」という言葉は発明されていなかった。 まして子供に人権があるとはほとんど誰も考えていなかった。 子供は、労働力として使役され、時には商品として売買され、女の子であれば見も知らぬ人間の家に嫁に出される存在だった。そして、その「人としてのコストの低さ」こそが、子沢山の理由にもなっていた
・もちろん、安倍首相が取り戻そうとしているのは、そういう時代の日本ではないのだろうし、彼が次世代の子供たちに期待しているのも、基本的人権の保障されない世界で育つことでもないはずだ
・が、時代の変化は、あらゆる社会的条件の変化とセットになっているものだ。 少なからぬ数の中高年層が、戦後社会を壟断している「行き過ぎた個人主義」の弊害を憂慮していることはよくわかる
・その一方で、個人主義は、基本的人権や民主主義と一体化した戦後社会の柱のひとつだ。 民主主義や人権思想に手をつけずに、個人主義だけを昔に引き戻すことはできない。  基本的人権を制限し、民主主義的な制度を部分的にせよ後退させないと、“行きすぎた個人主義”の引き戻しはできないはずだ。 私は、それを懸念している
・安倍さんとその周辺の人々が、戦後社会の個人主義を攻撃するために、基本的人権や民主制に手を加えようとすることを、だ。  安倍さんが、少子化の主たる原因を「家族観」の問題だと考えているのだとしたら、はやめに改めた方が良い。  なぜなら、それは、戦後社会憎さのゆえに育まれた思い込みだからだ
・国民の半数以上が農家であり、ほとんどが貧困層であった時代、子供の労働力はバカにならなかった。  そういう社会では、子育ては経済的な負担である以上に、労働力の再生産だったし、その時代に三世代同居が機能していたのは、社会全体が、農業を基盤とした協働社会であったからだ
・では、現代のような個人の意思が尊重されている社会で、三世代同居にインセンティブが与えられることは、実質的に、どういう意味を持つのだろうか。おそらく、一般的な暮らしをしている普通の国民にとって、あまりポジティブな意味を持たない
・ただし、ギリギリの貧困層と、資産家階級においては、ある程度効果があるかもしれない
・まず、若い夫婦に経済力が欠けている場合、「いずれかの両親の家に厄介になる」暮らし方は、家賃や子育てへの援助から考えて、かなり有力な選択肢になる。特に夫婦がともに十代であるようなカップルの場合だ
・もうひとつ、資産家の家庭では、まったく別の意味で、三世代同居を視野に入れることができる。 というのも、資産家の一族が暮らしている家には広大な敷地があり、別棟を建てる経済的な余裕があり、各世代の夫婦のプライバシーを確保するに足る条件があらかじめ備わっているからだ。 ということになると、「庭にある池の対岸に若夫婦用の別棟を建てる」であるとか「渡り廊下でつながっている離れに、老夫婦のための隠居所を建て増しする」といった措置も可能になるだろうし、庭に子供たちのための遊戯施設を作ることだって出来ない相談ではなくなる
・いずれの場合も、普通の暮らしをしている若いカップルには現実的な選択肢ではない。 ということはこの先、貧富と教育の格差が拡大する近未来がやってくれば、三世代同居は、多くの国民(貧困層、富裕層いずれの場合であれ)にとって有効な施策になっているかもしれない
・昭和の高度成長社会の前提を支えていた、一億総中流の建前が崩壊し、基本的人権の尊重と男女共同参画の社会像が崩れ去れば、あるいはもしかして、昔と同じように、若い夫婦が子供を5人も6人も産み育てる世の中がやって来るのかもしれない
・が、それは、貧困と格差の存在を前提としている。 安倍首相は、『新しい国へ』完全版の中で、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を観た感想について以下のように述べている
・《舞台となるのは昭和三十三年、建設中の東京タワーのそばの下町だ。みんなが貧しいが、地域の人々はあたたかいつながりのなかで、豊かさを手に入れる夢を抱いて生きていく様子が描かれる。--中略-- この映画は、昭和三十三年という時代を記憶している人だけでなく、そんな時代を知るはずのない若い人たちにも絶賛された。いまの時代に忘れられがちな家族の情愛や、人と人のあたたかいつながりが、世代を超え、時代を超えて見るものに訴えかけてきたからだった。》
・この安倍さんの見方を真っ向から否定するつもりはない。 が、あの映画で描かれていた「昭和三十三年」は、復興期の一面ではあっても、あの時代の実相そのものではなかった。あの時代、東京の下町で暮らしていた人々が互いに助けあって暮らしていたことは事実だ。地域のつながりや家族の絆が、現在よりも強かったこともその通りだと思う
・が、昭和三十年代の東京の下町の人間たちが助けあって暮らしていたのは、必ずしも彼らの心が今よりきれいだったからではない。むしろ、互いに貧しくよるべない暮らしをしていたからこそ、助け合わざるを得なかった、というのが正しい
・家族の絆が強かったのも、昭和の家族たちが黄金の心を持っていたからではない。 あの時代の家族が強い力で互いを縛っていたのは、家族がひとかたまりになって団結していないと吹き飛ばされてしまうほど、世間の風が冷たかったからだと私は思っている
・そういう時代の家族や町に関するあれこれを懐かしがる気持ちはわかる。 が、ああいう町や家族を復活させるためには、貧困と不衛生と治安の悪さも含めて、あの時代の負の部分を丸ごとよみがえらせないとならないはずだ。個人的には、そんなのはたくさんだ
・前半部分でリンクを張った「日本会議」のパンフレットの中に、わが国の「婚外子の比率の低さ」を示すデータが出てくる。そのグラフを、パンフレットの書き手は、国民の規範意識の現れとして誇る文脈で紹介している
・このリンクに、世界各国の婚外子の割合とその変化を示すグラフが掲載されている。 データを見ると、フランスでは、社会に占める婚外子の割合は、戦後一貫して増加しており、2008年現在で実に52%に達している
・見逃せないのは、フランスが、少子化からの脱却にある程度成功していることだ。リンク先のデータに付された解説文では、 《フランスの昨年の合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子供の数)は 1.98で、アイルランドの1.90を上回り、欧州連合(EU)で最高となった。 EU平均は1.52だった。フランスの合計特殊出生率は93年に1.66まで落ち込んだ後、上昇に転じた。3歳児から公立保育園に入れるなど出産・育児への行政支援が手厚く、子供の数に応じた税の優遇措置も上昇に寄与したとされる。初産の平均年齢は29.8歳と、年々上昇している。》 と紹介されている
・婚外子が増えれば少子化が脱却できると、一概に決めつけるわけにはいかないが、さまざまな形式の家族が自由に共存できる社会が実現できれば、子供を作ることをためらっている若い男女が出産を決意する可能性はある程度高まる。フランスの事例は、このことを物語っていると思う
・もっともいま私が言った「多様な形式の家族が自由に共存する社会」は、日本会議的な倫理観で評価するなら「伝統的な家族の絆や、社会的規範が崩壊した危機的な社会」ということになる。 おそらく、婚外子の割合が10%を超えるようなことになると、彼らは日本社会の崩壊を叫びはじめるはずだ
・安倍首相が、三世代同居を推進するプランを通じて成し遂げようとしているのは、少子化の進行を食い止めることそのものではないと思う。  安倍さんとしては、「あらまほしき日本の家族の形」をアピールしたいのだろう。これは、『新しい国へ』の中でも再三語られているお話で、つまるところ、安倍さんは、日本の家族形態を、戦前的な大家族主義の設定に戻したいのではないか
・もっとも、安倍さんが想定している「伝統的な家族」は、わが国の社会にはるか古代から伝わっている伝統とは別のものだ
・具体的には、明治から戦前昭和にかけての大日本帝国憲法下の日本の家族の伝統、すなわち、全国民が「天皇の赤子」と見なされ、日本中の小学校の教室で毎朝「教育勅語」が唱和されていた時代の伝統だ。  「夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉己ヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ…」という、あの時代の家族が、安倍さんの取り戻そうとしている「日本」だということになる
・私は、戦前の少国民の間に世にも稀な覚悟と団結心があったことを否定しないし、それらが一面において美しい心情であり得たことを否定するつもりもない。 ただ、それらは、人権と自由を制限した強烈な集団主義的と対になった心情であり、社会的な圧力がもたらした奇跡的な覚悟でもあったわけで、とてもではないが、現代に望めるものではない
・水を換えないで魚だけを持ってくることはできない。 鰓呼吸のできる国民を育てたいのなら、もういちどこの国を金魚鉢みたいな閉鎖世界に戻さねばならないはずだ
・私はごめんだ。 そういうことになったら真っ先に溺死したいと思う。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/102900017/?P=1

いつもながら鋭く深く、ユーモアにあふれた内容だ。「少子化改善のために三世代同居を推進するというプランは、虫歯対策のために穴の空いた靴下を奨励する施策と同じぐらいバカげて見える」は、秀逸である。
「父母や義父母の協力」は、ストレートに「同居」を意味する言葉ではないにも拘らず、三世代同居の根拠にすり替える官僚の悪知恵には、驚く他ないが、それを追及しない野党やマスコミも情けない限りだ。
「戦後社会の個人主義を攻撃するために、基本的人権や民主制に手を加えようとする」ような動きが仮にもっと強まっても、現在の野党やマスコミには多くを期待できそうもなさそうなのは、困ったことだ。
ただ、「日本の歴史の中で一番子供が多かったのは、・・・公的な社会保障や保育園設備がほとんど整備されていなかった戦後の10年ほど」の部分は、復員した軍人が久方ぶりに「はげんだ」という特殊要因があった点を見落としているのは、本筋には影響しないとしても、若干、残念だ。
フランスのような「多様な形式の家族が自由に共存する社会」は、私も総論としては支持するが、各論としての我が子や孫には、できれば「普通の形式」のなかに収まって欲しいと願っているのは、「身勝手」なのだろうか。
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