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リニア新幹線(その2)撤退できない日本のエリートたち(小田嶋の2013.9.20コラム) [経済政策]

昨日に続いて、リニア新幹線を取上げよう。今日は、コラムニストの小田嶋隆氏が出版した「超・反知性主義入門」(日経BP社)のうち、「時速500キロの「直線的な夢」」のポイントを紹介しよう。なお、これは、日経ビジネスオンラインの2013年9月20日に掲載されたものだが、出版されたためか、既に同社のホームページからは削除されている。

・リニア(Linear)は、そのまま日本語に直すと、「直線の」「線形の」ぐらいな言葉に該当する。で、私の目には、このリニアの計画が、文字通り、リニアに突つ走ってしまっているように見えるのだ。リニアモーターカーによる新しい陸路輸送が発案された当時(おそらく1970年代)、スピードは絶対善だった。でなくても、JR東海の社内に「リニア対策本部」が発足した1978年の段階では、東京・大阪間を1時間で結ぶリニア新幹線構想は、十分に「夢いっぱいの」プランだった。
・ところが、21世紀になった現在の時点で再評価してみると、東京・名古屋間が40分で結ばれることは、「夢のような未来」というほどのものではない。少なくとも、1970年代の子供であった私が考えておたよりは、ずっと色あせている。 速度の向上や時間の短縮といった効果からは驚きも喜びもどんどん薄れていく。ネットの通信速度に例えるとよく分る。かつて我々はNTTのISDNの「速さ」に狂喜・・・いや、これはたとえが古過ぎるかもしれない。たった15年前の話ではあるのだが。
・ともあれ、東名間の所要時間1時間40分を、各停で1時間12分にするために、9兆円をかけ、ほぼ地下のみのルートを取り、人気の少ない場所に切符売場のない駅を作ってまで直線ルートにこだわる、というリニアっぷりには「そこまでしなくても」と思う人が、40年前よりはかなり増えていると思う。
・にもかかわらず、計画は進んでいる。何十年も取り組んできた目標から撤退することが容易なミッションではないという事情はよくわかる。一度掲げた看板を下ろすことは、関係者が多ければ多いほど大きな痛みと犠牲を伴う作業だからだ。とはいえ、スピードが絶対善である度合いは、計画が発足した当初から比べて、ずっと低くなっている。
・それでもリニア計画は一歩も引かない。私は、この「撤退できなさ」に、エリートの不自由さを感じる。さよう、エリートは撤退しない。安易に撤退することを潔しとしない。別の見方をするなら、彼らは、撤退しないからこそ、エリートになった人々でもある。 さらに、エリートは、ひとたび集団を形成するや、決して後戻りしなくなる。
・私自身、実は、中学生ぐらいまでは、エリートの卵だった。少なくとも、優秀な子供ではあった。小中学校時代というのは、いまでもおそらく変わっていないと思うのだが、勉強の出来不出来がとても大きな意味を持っている年頃だ。言いかえれば、誰であれ、小中学生であった時代は、「学校の勉強が一番大切です」という命題を、大まじめに信じ込んだまま暮らしていたはずということだ。 そういう中で、「勉強ができる」ことは、非常に有利な条件だった。学業成績の優秀な生徒は、あらゆる面で優遇され、すべても場面で一目置かれる存在だった。で、優等生は、この時期に自意識を確定させる。実にやっかいなことだ。
・さてしかし、勉強の出来不出来が巨大な圧力をもって同世代の人間をまるごと支配しているのは、おおまかに言って15歳までだ。15歳をすぎると、人生は多様になり、その中で生きる人間の価値観もまたバラけてくる。と、それまで、子供たちを呪縛していた、「偏差値」という物差しは、大きな意味を持たなくなる。
・このこと(偏差値信仰が崩れて人生が多様化すること)は、優等生の側から見ると、「転落」ないしは、端的に「世界の崩壊」に見える。価値が多様化するということは、かつて自分を崇拝していた同級生たちが対等にふるまうことになることであり、学業成績において優等だった生徒が、相対的に言って「ただの人」に格下げになる経験だからだ。
・優等生にとって、偏差値信仰は、自分が類まれな価値を持った人間であることを保証する、至極快適な思想だ。だからこそ、デキのよい生徒は、なかなかこの思想から外に出られない。彼が、偏差値信仰の呪縛から解放されるためには、本人の自覚や努力だけでは、足りない。現実的には、堕落や挫折といった、外部的な刺激が必要になる。
・一方、優等生でなかった組の生徒たちは、あるタイミングで、偏差値信仰を比較的あっさりと捨て去る。  「なんで自分を敗北者と定義付けるようなタイプの思想を信仰する必要があるんだ?」 「だよな。くだらねえ」 てなわけで、彼らは、大人になるとともに、「人生は色々だよ」という、考えてみれば大変にまっとうな思想の方にシフトして行く。つまり、彼らは、大人になるわけだ。
・意外な展開だ。 われわれは、人間の多様性を認めるのはもっぱら知的な人で、他方、知的に劣った人々は単純な人間観を抱きがちだというふうに思い込んでいたりする。しかしながら、こと「偏差値」に関する限り、優秀とされている人間の方が、幅の狭い考え方に囚われている。 というよりも、小学生の頃に優等生だった人間は、一生涯小学生の頃の考え方を手放したがらないわけで、これは、意外というよりも、どうにも不幸ななりゆきなのである。
・優等生は大人にならない。これは、実に困った傾向だが、事実だ。私程度の半端優等生であっても、自分の「アタマの良さ」を相対化するのには、それなりの苦労が要った。 「そりゃたしかに、オレはテストみたいなことは得意だったし、丸暗記も上手だったけど、そこから先には行けなかった男だしなあ」と、クールに考えられるようになったのは、40歳を過ぎてからのことだ。してみると、私よりずっと優秀だった本格派のエリートの皆さんは、たぶん、死ぬまで小学生の価値観から外に出られないと思うのである。
・ということはつまり、彼は、アタマの良い人間が一番偉くて、人間には生まれつきの出来不出来があって、オレは最高にアタマが良くて、目標は一度決めたら絶対に撤退すべきじゃなくて、オレなら必ずできるはずみたいな、そういう考え方を抱いたまま、50歳になり、そのまま老人になって行くわけだ。本人は良い気分なのかもしれないが、これは、周囲にとっては相当にめんどうくさいタイプの人間と言わねばならない。
・個人的に何人か行き来したことのある猛烈に優秀な人たちの中には、どことなく不毛な感じを与える人々が混じっている。これは、必ずしも彼らが人間として無意味だということではない。彼らの従事している作業が、私の目から見ると、不毛に見えるということだ。 具体的に言ってしまうと個人が特定されそうなので、あいまいな言い方をすることを許してもらいたいのだが、どういうことなのかというと、そういう優秀な人々のうちのかなりの部分の人々は、ものすごく切れ味の良いナイフで、大量の古新聞を切り刻むみたいな世にもくだらない業務に従事しているのだ。また、別の組の人たちは、せっかくの素晴らしいナイフをコンクリートの柱を削るみたいなひどい仕事に振り向けなければならず、そのことに疲弊している。にもかかわらず彼らは、断固として撤退しないのだ。
・ナイフが刃こぼれしようが折れようが一直線に進む。なんという才能の浪費だろうか。 私がこんなふうに思っているのは、もしかすると、私が、エリートの従事している専門的な業務を理解できずにいるというだけの話なのかもしれない。 でも、ともあれ、せっかくあんなにアタマが良いのに、どうしてこんな重箱の隅っこにマッチ棒のお城を作るみたいなことに熱中しているのだろうか。と、私は、極めて優秀な官僚やマーケティング関係の人間を見る度に、そう思わずにはいられないのである。
・あるいはこれは、われわれの社会の側に、優秀な人間を適切に遇する回路が整っていないということなのか、でなければ、優秀な人間を使いこなすに足る、より視野の広い人材が欠けているということなのか、真相がいずれにあるのであれ、なんとも空しいことだ。
・原発があきらめられなかったり、リニアから撤退できなかったりすることの主要な原因は、企業の論理や集団の力学に求めるべきで、こういうところに「撤退経験なきエリート」みたいな思いつきを持ち込むのは、話を混乱させるだけなのかもしれない。 とはいえ、単純な話として、「これ、無理してないかなあ」「こういうのって、いいかげん無駄じゃね?」という素朴な感想が、トップの判断に反映されないことの不思議さは、やはり誰かが指摘しておかなければならないのだと思う。
・優秀な専門家は、素人の疑問を相手にしない。で、芝刈り機にレースカーのエンジンを搭載するみたいなプランを立案する。まあ、そういうスーパー芝刈り機ができたらそれはそれで良いのかもしれないけど、その芝刈り機に仕事場を与えるために、直線4000メートルの芝トラックを造成するということになると・・・私は何を言っているのだろうか。  子供の頃に優秀だった人間は、実に長い時間をかけて「自分はアタマが良い」(「情報処理能力の高さ」と言った方がより実態に近いかも知れない)という夢から醒める。
・これは、けっこうつらい作業でもある。本筋のエリートは、優秀である分なかなか自分の限界に気づかない。しかも偉くなるにつれ、周囲が失敗から彼らを遮断するので、目覚めるチャンスが与えられない。だから彼らは、大人になれない。 子供たちのまっすぐな夢は素敵なものだし、できれば大事にしてやりたい。 でも、それを醒ましてやるのも大人の勤めだ。いやな役割だが、仕方がない。
・優秀で熱意もある君たちが、夢を現実にできることは分っている。 だけど目がさめた時に、まわりに誰もいなかったらさびしいぞ。

『エリートは、ひとたび集団を形成するや、決して後戻りしなくなる』、 『こと「偏差値」に関する限り、優秀とされている人間の方が、幅の狭い考え方に囚われている。 というよりも、小学生の頃に優等生だった人間は、一生涯小学生の頃の考え方を手放したがらないわけで、これは、意外というよりも、どうにも不幸ななりゆきなのである』、『優等生は大人にならない』、との指摘は確かにその通りだろう。『私程度の半端優等生であっても、自分の「アタマの良さ」を相対化するのには、・・・40歳を過ぎてからのことだ』、には私にも思い当たる節があると、微笑みを禁じ得なかった。『原発があきらめられなかったり、リニアから撤退できなかったりすることの主要な原因は、企業の論理や集団の力学に求めるべきで、こういうところに「撤退経験なきエリート」みたいな思いつきを持ち込むのは、話を混乱させるだけなのかもしれない。 とはいえ、単純な話として、「これ、無理してないかなあ」「こういうのって、いいかげん無駄じゃね?」という素朴な感想が、トップの判断に反映されないことの不思議さは、やはり誰かが指摘しておかなければならないのだと思う』、さらに、『子供たちのまっすぐな夢は素敵なものだし、できれば大事にしてやりたい。 でも、それを醒ましてやるのも大人の勤めだ。いやな役割だが、仕方がない』、は至言だと思う。撤退できない日本のエリートたちというのは、原発やリニア新幹線だけでなく、第二次大戦での降伏の遅れが、広島・長崎の悲劇を招いたことにも共通するようだ。
タグ:リニア新幹線 (その2)撤退できない日本のエリートたち(小田嶋の2013.9.20コラム) 小田嶋隆 超・反知性主義入門 「時速500キロの「直線的な夢」 発案された当時(おそらく1970年代)、スピードは絶対善だった 1978年の段階では、東京・大阪間を1時間で結ぶリニア新幹線構想は、十分に「夢いっぱいの」プランだった 現在の時点で再評価してみると ずっと色あせている 速度の向上や時間の短縮といった効果からは驚きも喜びもどんどん薄れていく 東名間の所要時間1時間40分 各停で1時間12分にするために、9兆円をかけ、ほぼ地下のみのルートを取り そこまでしなくても」と思う人が、40年前よりはかなり増えている 「撤退できなさ」に、エリートの不自由さを感じる エリートは、ひとたび集団を形成するや、決して後戻りしなくなる 学業成績の優秀な生徒は、あらゆる面で優遇され、すべても場面で一目置かれる存在だった 優等生は、この時期に自意識を確定させる 15歳をすぎると、人生は多様になり、その中で生きる人間の価値観もまたバラけてくる それまで、子供たちを呪縛していた、「偏差値」という物差しは、大きな意味を持たなくなる 優等生にとって、偏差値信仰は、自分が類まれな価値を持った人間であることを保証する、至極快適な思想だ。だからこそ、デキのよい生徒は、なかなかこの思想から外に出られない 等生でなかった組の生徒たちは、あるタイミングで、偏差値信仰を比較的あっさりと捨て去る 大人になるとともに、「人生は色々だよ」という、考えてみれば大変にまっとうな思想の方にシフトして行く こと「偏差値」に関する限り、優秀とされている人間の方が、幅の狭い考え方に囚われている 優等生は大人にならない 私程度の半端優等生であっても、自分の「アタマの良さ」を相対化するのには、それなりの苦労が要った クールに考えられるようになったのは、40歳を過ぎてからのことだ 私よりずっと優秀だった本格派のエリートの皆さんは、たぶん、死ぬまで小学生の価値観から外に出られないと思うのである せっかくあんなにアタマが良いのに、どうしてこんな重箱の隅っこにマッチ棒のお城を作るみたいなことに熱中しているのだろうか 原発があきらめられなかったり、リニアから撤退できなかったりすることの主要な原因は、企業の論理や集団の力学に求めるべきで、こういうところに「撤退経験なきエリート」みたいな思いつきを持ち込むのは、話を混乱させるだけなのかもしれない とはいえ、単純な話として、「これ、無理してないかなあ」「こういうのって、いいかげん無駄じゃね?」という素朴な感想が、トップの判断に反映されないことの不思議さは、やはり誰かが指摘しておかなければならないのだと思う 子供たちのまっすぐな夢は素敵なものだし、できれば大事にしてやりたい。 でも、それを醒ましてやるのも大人の勤めだ。いやな役割だが、仕方がない
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