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沖縄問題(その5)NHKスペシャル 沖縄 空白の1年 ~“基地の島”はこうして生まれた~ [国内政治]

沖縄問題については、3月10日に取上げた。今日は、(その5)NHKスペシャル 沖縄 空白の1年 ~“基地の島”はこうして生まれた~ である。

8月20日付けの「NHKスペシャル 沖縄 空白の1年 ~“基地の島”はこうして生まれた~」は大変見応えのある番組だったので、そのポイントを紹介しよう。
・ 1945年8月15日、本土の人々が太平洋戦争の終わりを告げる玉音放送を聞き、悲嘆に暮れる中、沖縄では、人口のおよそ9割が「収容所」に入れられるなど、全く別の「戦後」がはじまろうとしていた。 今回NHKは、アメリカ軍の占領直後―――「1945年6月から1946年にかけて」の映像や、米軍の機密資料、未公開の沖縄の指導者たちの日記等を入手した。資料を詳細にみていくと、この時期、アメリカの占領政策は揺れており、まさに沖縄が「これからどうなるか」が決められていく期間でもあったことが分かってきた。沖縄はこの時期、アメリカでもなく日本でもない、“空白の状態”に置かれながら、次第に「基地の島」へと変貌させられていったのだ。戦後、本土が平和と繁栄を謳歌する一方、その代償として重い負担を背負った沖縄。「空白の1年」を通して、沖縄の戦後の歩みと今を考える。
(以下は私のメモ)
・沖縄戦に勝利した米軍は住民の9割近くを収容所に入れた。アメリカ側では、占領継続を主張する統合参謀本部と、占領継続に反対し非武装化した上で日本への返還を主張する国務省・海軍が対立。駐留していた陸軍部隊は前者の指揮下。住民統治は、国務省に近い海軍が海軍軍政府を設立。メンバーは軍人ではなく本国から学者たちが派遣。より充実した民主主義を実現すべく、まずは社会と政治の再構築に取り組む。本土との潜在的な溝に着目、自治を後押しするため、戦前の教育者・政治家など15人の委員で沖縄諮詢会を設立、収容所の30万人の住民の意見や要望を海軍軍政府に伝える。
・8月15日には、諮詢会の委員を選挙で選出、女性にも参政権。45年10月に住民の再定住計画が決定、46年1月までに完了する予定だったが、現実にはまだ12.5千人が収容所に留め置かれたまま。これは撤退する筈だった軍が動かなかったため。
・参謀本部は、共産勢力拡大に対抗する前線基地として飛行場を整備・拡張。日本政府は吉田外相の下に外務省内の平和条約問題研究幹事会が、国際社会復帰の道筋を探る。結論としては、沖縄を最重要拠点とするマッカーサーが沖縄を簡単には手放さないので、アメリカが沖縄を日本の領土として認めるなら、基地化に反対せずと決定。
・沖縄はいやが上でも基地中心の社会になってゆく。米軍は住民を労働力化。労働力化を促すため、食糧配給を有償化、通貨として、B円を発行。この結果、住民の殆どが軍の作業に従事。他方、日本本土では民主改革。マッカーサーは本土の沖縄人が極貧状態にあるので、本土復興の妨げになるとして、沖縄に戻そうとした。海軍軍政府は引揚げ計画に反対したが、参謀本部はマッカーサーを支持、海軍軍政府は解散、アメリカに帰国させられた。
・46年4月24日、諮詢会の親米派を中心に沖縄民政府発足。46年8月には本土の沖縄人10万人が引揚げ。港湾荷役などにつかされる。引揚げてきた彼らは、本土の民主改革との落差に驚く。
・マッカーサーは、「日本人は米軍による沖縄占領に反対しない。何故なら沖縄人は日本人ではないのだから」と主張。
・その後、沖縄は朝鮮戦争、ベトナム戦争の出撃拠点に。本土の高度成長から取り残された。空白の1年に生まれた溝は、何故70年経っても埋めることが出来ないのか。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160820

殆ど、知らなかった内容で、大きな衝撃を受けた。沖縄戦で、沖縄は本土防衛の捨て石にされたことは知っていたが、戦後もこのようなことがあったとは・・・。『住民の9割近くを収容所に入れた』、のであれば、住宅や田畑を基地にするのも容易だったのだろう。当初のアメリカ側には、住民に親和的な海軍軍政府があったが、マッカーサーに敗れて、解散させられた。報道にはなかったが、沖縄民政府発足の影では、住民らの激しい対立もあったのだろう。吉田茂外相が、『アメリカが沖縄を日本の領土として認めるなら、基地化に反対せずと決定』、として、事実上、沖縄を切り捨てた。マッカーサーからも、『「日本人は米軍による沖縄占領に反対しない。何故なら沖縄人は日本人ではないのだから』、とたかをくくられた日本人は情けない限りだ。沖縄の人々の本土に対する”怒り”の一端が見えた気がする。
タグ:占領継続に反対し非武装化した上で日本への返還を主張する国務省・海軍が対立 諮詢会の親米派を中心に沖縄民政府発足 マッカーサーは本土の沖縄人が極貧状態にあるので、本土復興の妨げになるとして、沖縄に戻そうとした。海軍軍政府は引揚げ計画に反対したが、参謀本部はマッカーサーを支持、海軍軍政府は解散、アメリカに帰国させられた 沖縄を最重要拠点とするマッカーサーが沖縄を簡単には手放さないので、アメリカが沖縄を日本の領土として認めるなら、基地化に反対せずと決定 占領継続を主張する統合参謀本部 日本本土では民主改革 食糧配給を有償化、通貨として、B円を発行 、“空白の状態”に置かれながら、次第に「基地の島」へと変貌 米軍は住民を労働力化 本土の高度成長から取り残された 、「日本人は米軍による沖縄占領に反対しない。何故なら沖縄人は日本人ではないのだから」 マッカーサー (その5)NHKスペシャル 沖縄 空白の1年 ~“基地の島”はこうして生まれた~ NHKスペシャル 沖縄 空白の1年 ~“基地の島”はこうして生まれた~ 住民統治は、国務省に近い海軍が海軍軍政府を設立 吉田外相 本土が平和と繁栄を謳歌する一方、その代償として重い負担を背負った沖縄 人口のおよそ9割が「収容所」に入れられるなど、全く別の「戦後」がはじまろうとしていた 共産勢力拡大に対抗する前線基地として飛行場を整備・拡張 沖縄諮詢会 住民の再定住計画 充実した民主主義を実現すべく、まずは社会と政治の再構築に取り組む 沖縄問題 国際社会復帰の道筋を探る 基地中心の社会になってゆく 外務省内の平和条約問題研究幹事会
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