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中国国内政治(その3)(洪水を防げぬ三峡ダム、「万里の長城」お粗末な修復) [世界情勢]

中国国内政治については、昨年10月7日に取上げた。1年以上経った今日は、(その3)(洪水を防げぬ三峡ダム、「万里の長城」お粗末な修復) である。

先ずは、7月22日付け日経ビジネスオンライン「洪水を防げぬ三峡ダムで私腹を肥やしたのは誰か 長江氾濫で広がる被害、国家的愚行の深刻」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・7月17日付の“中国天気網(ネット)”は、「増水期に入って以来、“長江(=揚子江)”流域では降水量がすこぶる多く、多数の地域で累積の降水量が平年同期の水準を遥かに上回っている。昨日(15日)から大雨がまたもや長江流域を襲っているが、この雨は17日まで持続し、今日、明日の両日、南部地方の5省では一部地区で大雨または暴風雨になる可能性があり、現地では大雨がもたらす二次災害の警戒と洪水防止活動の強化に注意が必要」と報じた。
・最近の1か月間、長江流域では累積の降水量が多いだけでなく、降水日数も多かった。特に湖北省西南部、湖南省西北部、江蘇省西部、安徽省南部、浙江省北部などの長江の中・下流域では、6月15日から7月14日までの1か月間に降水日数が20日を上回った。このうち、湖北省“武漢市”では当該1か月間の降水日数19日のうち6日が大雨で、降水日数に対する大雨日数の比率は32%に達した。また、同様に安徽省“合肥市”では降水日数18日のうち7日が大雨で大雨日数の比率は39%、江蘇省“南京市”では降水日数17日のうち9日が大雨で大雨日数の比率は53%に達した。
▽洪水頻発の長江
・それでは長江流域の降水量はどれほどなのか。7月15日付の“中国気象網(ネット)”は「梅雨入り以来、長江流域の平均降水量は1949年以来同期で最多」と題して次のように報じた。
 【1】今年の梅雨入り(6月19日)から7月13日までの長江流域における平均降水量は249mmで1949年以来最も多く、平年および1998年<注1>の同期に比べてそれぞれ46%と17%多かった。目下、長江の中・下流域は新たな暴風雨の影響を受けており、梅雨が依然として続くものと予想されることから、長江の洪水防止の状況は楽観を許さない。  <注1>中国では1998年の夏に長江、東北地方の“松花江”や“嫩江”などの主要河川で大規模な洪水が発生し、死者4150人、直接経済損失2551億元(約4兆816億円)を出した。この時に長江で発生した洪水は20世紀で2番目の規模で、1954年に次ぐものだった。
 【2】今年、長江流域の増水期入りは早く、流入する水量が多く、増水が急激であるなどの特徴がある。長江流域でも中・下流域の平均降水量は298mmと突出して多く、平年および1998年の同期に比べてそれぞれ65%と47%多く、1954年以来最も多かった。江蘇省南部と浙江省北部の境界にある太湖の流域では、梅雨入り以来の平均降水量は340mmで平年同期に比べて76%多く、1999年以来最も多かった。
・上記を総合してみると、今年の梅雨入り以来、長江の中・下流域では豪雨に見舞われる日数が多く、平均降水量は298mmに達し、平年同期の平均降水量を遥かに上回ったのみならず、1998年夏に大規模洪水が発生した時の平均降水量をも大幅に上回ったという事が分かる。この結果がどうなったのかと言うと、長江の中・下流域に連日のように降った雨水は一斉に長江へ流れ込み、長江沿いの各地で氾濫による大規模な洪水を発生させた。
・7月5日に安徽省“民政庁”が発表したところによれば、7月5日午前9時までの統計で、安徽省の累計被災人口は1053万人に上り、死者は29人、直接経済損失は220億元(約3520億円)を上回った。また、湖北省武漢市“防汛指揮部(洪水防止指揮部)”の責任者は、6月30日20時から7月6日10時までの武漢市における豪雨の累積降水量は561mmに達したと述べた。この降水量は、武漢市が気象記録を取り始めて以来最大の週間降水量であった、1998年7月17日から23日までの累積降水量539mmを上回った。
・7月6日12時までの時点で、豪雨により武漢市では12の市街区で75.7万人が被災し、延べ16万7897人が安全な場所に避難し、8万207人が依然として避難場所に留まっていた。農作物の被害は9万7404ヘクタール(ha)に及び、そのうち3万2160ヘクタールは収穫が絶望となった。倒壊家屋は2357戸の5848部屋、重大な損壊家屋は370戸の982部屋、一般的な家屋損壊は130戸の393部屋に及んだ。直接経済損失は23億元(約368億円)で、死者14人、行方不明は1人だった。
・7月11日に中国政府“民政部”が発表した統計によれば、6月末から7月10日までの長江の洪水による被災者は3100万人で、死者164人、行方不明者26人、直接経済損失670億元(約1兆720億円)であった。
▽最大効能は洪水防止?
・こうした洪水による被災状況を知るにつれ、中国国民が疑問を投げかけたのは“三峡大壩(三峡ダム)”である。三峡ダムは2000億元(約3兆2000億円)もの巨資を投じて建設された、中国が世界に誇る巨大プロジェクトであり、秦の始皇帝が建設した万里の長城に匹敵する壮大な建設事業であるが、建設に当たってのうたい文句は「1万年に一度の大洪水をも防ぎ止めることが可能な三峡ダム」ということではなかったのか。
・2006年5月6日、“中国工程院(The Chinese Academy of Engineering)”の“院士(アカデミー会員)”で、“長江水利委員会”の“総工程士(技師長)”でもある“鄭守仁”は、三峡ダム建設工事完成の記者会見で、「三峡ダムの最大の効能は洪水防止である」と何回も強調して次のように言明したのだった。すなわち、三峡ダムが完成した暁には、その洪水防止能力は百年に一度の大洪水を食い止めるまで引き上げられるが、三峡ダムの洪水防止能力は1000年に一度の洪水防止基準に基づいて設計してあり、たとえ1万年に一度の特大洪水が起こったとしても、三峡ダムは補助的な措置を採ることにより防ぎ止めることができる。
・但し、これは鄭守仁が口から出まかせを言った訳ではなかった。これより3年前の2003年6月1日に国営通信社の“新華社”は、「三峡ダムは“固若金城(守りがこの上もなく堅固)”であり、1万年に一度の洪水を防ぎ止めることができる」と題する文章を発表していた。ところが、上述した鄭守仁の発言から1年後の2007年5月8日に新華社が発表した文章では『三峡ダムは今年以降千年に一度の洪水を防ぐことができる』になり、1万年だったはずの洪水規模が千年に縮小された。さらに、2008年10月21日に新華社が発表した文章では「三峡ダムは百年に一度の特大洪水を防ぎ止めることができる」になり、千年の洪水規模が百年に縮小された。そして、2010年7月20日に“央視網(中央テレビネット)”が報じたのは「三峡ダムの“蓄洪能力(洪水防止のための貯水能力)”には限りがあり、希望の全てをダムに託すな」であった。
・“北京大学”法学部教授の“賀衛方”は、「当時の論証では三峡ダムの長所は下流の水量を有効的に調整できるとされた。しかし、現在の状況は正に逆で、長江の下流が干ばつの時は、三峡ダムは貯水を必要とし、下流に水害が発生した時は、三峡ダムは増水により水門を開いて放水をする必要がある」と述べているが、これは現実を的確に言い当てている。
▽現実は逆
・要するに、現実の三峡ダムは建設当初の最大目的であったはずの洪水防止機能を全く果たしていないのである。長江の中・下流域に大雨が降れば、中流域に所在する三峡ダムは満水により水門を開けて放水することを余儀なくされる。下流域はただでさえも大雨による増水で氾濫直前にあるのに、三峡ダムから排出された膨大な水量が加わることで、長江沿いの地域に甚大な洪水被害をもたらしているのだ。一方、長江の下流が干ばつに襲われて水を必要とする時期には、三峡ダムは一定の水量を貯水しておく必要性から放水を行っておらず、下流域の水不足を知りながら見殺しにしているのが実情である。
・三峡ダムの建設費は主として「三峡プロジェクト建設基金」(以下「三峡基金」)によってまかなわれた。三峡基金は全国の電気料金をキロワット・アワー(kwh)当たり4厘(約0.064円)引き上げることで調達されたもので、国民から強制的に徴収したものだった。2013年6月7日に“国家審計局(日本の会計検査院に相当)”が発表した「長江三峡プロジェクト竣工財務決算草案検査結果」によれば、2011年12月末までに投入された三峡プロジェクト建設資金は2079億元(約3兆3264億円)で、そのうちの78%に相当する1616億元(約2兆5856億円)を三峡基金が占めた。その後、1000億元(約1兆6000億円)以上の三峡基金が追加投入されたことから、三峡ダムの建設に当たっては中国国民が負担した金額は1人当たり200元(約3200円)という計算になる。それにもかかわらず、三峡ダムが完成すれば安くなるという話だった電気料金は逆に高くなったのだった。
・三峡ダムを建設するために、200万人近い人々が移転を余儀なくされただけでなく、完成した三峡ダムの貯水湖周辺では土砂崩れや陥没が多発し、汚泥の沈殿や水質汚染が進んでいる。また、従来は長江の渇水期でも水をたたえていた“洞庭湖”や“鄱陽湖”などの湖沼は干上がることが多くなったばかりか、増水期には例年のように洪水が発生している。最終的には3000億元(約4兆8000億円)もの巨資を投じて建設した三峡ダムが最大目的であったはずの洪水防止機能を果たせないなら、その建設は一体何のためだったのか。<注2>  <注2>一口に4兆8000億円と言うが、当時の人民元の価値は日本円に換算すれば10倍の値打ちがあったので、実質的な総工事費は48兆円と考えることができる。
・三峡ダムの建設は1994年12月14日に着工された。これを推進したのは、1989年6月4日に発生した“六四事件(天安門事件)”の直後に開催された中国共産党第13期中央委員会第4回全体会議で“中央委員会総書記”に選出された“江沢民”だった。当時すでに中国共産党“中央政治局常務委員”で“国務院総理”の地位にあった“李鵬”は党総書記となった江沢民と同盟を結び、江沢民・李鵬のコンビは権力をほしいままにした。
▽5大目標の百年夢想
・1989年6月に総書記に就任した江沢民は、1991年頃から総理の李鵬と手を組んで三峡ダムの建設に向けて活動を開始した。1991年7月6~14日、江沢民の意を受けた李鵬は国務院の名目で「三峡プロジェクト事業化検討会」を招集したが、その席上で江沢民は三峡プロジェクトの建設支持を表明し、それを契機に党“宣伝部”に命じて三峡ダム建設の利点を大いに言いはやした。その論法は、「三峡ダムを建設して洪水をダムに封じ込めれば、下流に洪水はなくなると言ったのは“毛沢東”である。歴史的に見ても、長江と洪水は切っても切れない関係にあるが、三峡ダムを建設しさえすれば、洪水の制御は可能となる」というもので、三峡ダムは中国の“百年夢想(百年の夢)”であり、その建設は洪水防止、発電、水上輸送、“南水北調”<注3>および地域発展という5大目標の達成を可能にするという良いこと尽くめの宣伝を行ったのだった。 <注3>南方にある長江の水を北方へ引いて、水不足の解消に役立てること。
・江沢民を中核とする三峡ダム建設賛成派に対して建設反対を表明した専門家たちは言論を封殺され、文章を発表することも、意見を述べることも妨げられた。著名な水利専門家で“清華大学”教授の“黄万里”は、地質、環境、生態などの観点から三峡ダムの建設に反対し、中国政府に対して幾度となく意見書を提出したが一切無視された。こうして反対派を黙殺する形で三峡ダム建設の世論形成を図った江沢民と李鵬は、1992年4月3日に第7期全国人民代表大会第5回全体会議で『三峡プロジェクト建設に関する決議』を67%の賛成票で通過させることに成功した。但し、これはラバースタンプと揶揄される中国の議案票決では史上最低の賛成率であった。
・1993年1月3日、国務院に三峡プロジェクトの最高政策決定機関である「三峡プロジェクト建設委員会」が設立されたことにより、三峡プロジェクトは本格的に動き出すこととなった。しかし、それでも頑なに三峡ダム建設の危険性を憂いた黄万里は、1993年の2月と6月に江沢民を始めとする国家指導者宛に書状を送り、三峡ダム建設を再考するよう訴えたが、返書が届くことはなく、1994年12月14日に三峡プロジェクトは着工された。
・2006年5月18日付の“新華網(ネット)は、「李鵬:三峡プロジェクト決議の内幕を披露」と題する文章を掲載したが、その中で李鵬は、「江沢民が総書記就任後に最初の地方視察を行った場所は三峡ダムの予定地だった。1989年以降の三峡プロジェクトに関する重要政策の決定は全て江沢民主宰の会議で決定されたものだった」と言明し、江沢民が三峡ダム建設にいかに執着していたかと述べると同時、三峡ダム建設に対する自身の責任を回避した。
▽有責必問、問責必厳?
・江沢民が三峡ダム建設に並々ならぬ情熱を持っていたことは、総書記就任後の最初の地方視察地に三峡ダム建設予定地を選んだことからも分かるが、彼を三峡ダム建設に突き動かした物は何だったのか。筆者は1995年から2000年まで商社の駐在員として中国に滞在し、三峡プロジェクト関連の国際入札にも関与した経験を持つが、三峡プロジェクトを江沢民や李鵬を筆頭とする国家指導者から末端の地方役人までが私腹を肥やす絶好の機会と見て、それぞれの地位や身分に応じた形で賄賂を受け取り、公金を横領していたと考える。三峡プロジェクトに関わる機材の国際入札で、日本企業の受注が確定したと聞いて、当該企業のトップが事業主に御礼の挨拶に出向いたら、急きょフランス企業の受注に変更となっていたというような話は多々あった。「地獄の沙汰も金次第」とは良く言ったもので、そうした大型入札の背後には国家指導者の影が見え隠れしていた。
・江沢民や李鵬が三峡プロジェクトを通じてどれほどの富を得たかは定かではないが、彼らが三峡ダム建設反対派の意見に耳を貸さずに建設に邁進した理由は明らかに私腹を肥やすためだった。1992年に「三峡プロジェクト建設に関する決議」が全国人民代表大会を通過してから24年が経過した現在、中国国民は三峡ダムの役割に疑問を投げかけている。
・2014年10月23日、中国共産党第18期中央委員会第4回全体会議はコミュニケを発表して、重大政策決定の責任追究制度および責任遡及原則を制定して全面的に行政執行責任制度を実施する旨を表明した。これを踏まえて、2016年6月28日、総書記の“習近平”が主宰する中国共産党中央政治局会議は審議を経て「党内問責条例」を採択したが、これは問責制度の強化を意味し、“有責必問、問責必厳(責任があれば必ず追及し、責任を追及したら必ず厳しく罰する)”という強いシグナルなのだという。習近平が最大の目的であった洪水防止に役割を果たさない三峡ダムの建設を強引に推し進めた江沢民と李鵬にその責任を問う可能性は極めて小さいが、中国国民は責任の所在が誰に有るかを知っている。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/101059/072100058/?P=1

次に、9月28日付け日経ビジネスオンライン「「万里の長城」の修復は、なぜ“お粗末”なのか 保護求める声の一方、地元民による破壊という現実も」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・中国といえば万里の長城、という人も多いだろう。その万里の長城の修復があまりにもお粗末だということで、国内外から非難の声が轟々と上がっている。
・万里の長城というと、八達嶺や慕田峪、司馬台あたりが観光地として有名だろうが、野長城と呼ばれる、修復の手がほとんど入っていない山間部に残る長城跡がほとんどである。だがこれも大変風情があって美しい。山歩きの好きな人は、あえてそういう人気のない、荒れた野長城を訪れることを好むし、いくつかのツアー会社ではそういった野長城ツアーもある。結構、険しい山の稜線にあり、秋口などは遭難の危険性もあるので、単独、ガイドなしでは絶対行ってはいけない。ちなみに、野長城は条例で、眺めるのはよいとしても勝手によじ登ると200元から500元の罰金が科される。ただ、この法律は有名無実化していて、北京郊外の野長城には年間20万~30万人が勝手に登っているとか。
▽長城保存、力を入れる方向が違う
・万里の長城とはそれほど、ロマンを掻き立てる屈指の石造文化遺産なのである。それだけに、中国文化当局は長城保存に力を入れているのだが、その力の入れる方向がなんか違う。いったい、なぜこうなるのか。
・野長城の修復問題が中国のネットで話題になったのは、2014年に修復された遼寧省中綏中県の小河口長城の写真が9月21日以前、現地を訪れた野長城愛好者のユーザーによってインターネットのSNSの微博にアップされたことがきっかけだった。この写真に写っていた修復部分は、崩れかけた石積の上を平たんに埋め立てるという単純なもので、修復後は明時代の磚(せん=煉瓦)は白いコンクリート状の層の下に隠れ、美観も風情も台無しであった。
・ネットユーザーらの間で「最も美しい野長城をコンクリートで埋め立てた!」と非難の声が上がり、新京報など中国メディアも文化財破壊だという文脈で報じ始めた。CCTVなど中央メディアもこの件を報じ、海外メディアも注目、もともと、一部の野長城マニアにしか知られていなかった小河口長城は、一気に「修復」と言う名のもとで景観を破壊された野長城として国内外に知られるようになった。
・ネットでは「爆破するよりひどい修復」「こういう仕事をする低能官僚がいるから、地元経済がよくならない」「これもワイロの結果か!」「ちゃんと(修復プロジェクトを)審査したのか? どのようにお金を使ったのか? 誰が審査し、誰が施行したのだ?」と、当局に対する激しい非難の声があふれた。
▽荒涼とした趣はコンクリと白灰土の下に
・小河口長城は、遼寧省と河北省の省境に残る明時代の長城の主幹線であり、険しい燕山山脈の稜線に長さ8.9キロ、31座の敵楼、18座の戦台、14座の烽火台を残している。明の洪武14年(1381年)に青磚と白灰土で修繕され、防衛能力や軍用物資備蓄能力といった機能もさることながら、堅牢な外観に、敵台などの門枠に掘られた精緻な花紋など、芸術性も備わった歴史的遺跡だ。
・2014年の修復前は、低木に覆われる稜線上に、崩れかけた石積がかろうじて残るような状態の部分が多く、それはそれで、700年間、人の手が入っていない荒涼とした趣があり、そこにたどり着くまでの険しい山道の疲れをかみしめながら悠久の歴史に思いをはせるには絶好の風景である。 だが、長城の風化が激しく、1メートル以上の石積みの壁は大雨などが降ればいつ崩れるかもわからぬ危険もあり、放っておけば長城の消失にもつながるとあって、修繕の必要性が指摘されていた。
・問題は修繕の仕方だった。新京報によれば、施工者は「白灰土とコンクリートで壁面と路面を固める」という発注を受けていた。修繕の目的は倒壊崩落の危険を防ぐと説明されていたという。問題の写真に写っていた部分は、1、2キロの稜線に連なる野長城で、修繕前は磚は砕け、地面が露出し、壁部分は崩れていた。
・3か月にわたる工事終了後は、もともとあった崩れた壁や青磚の残骸は全部のっぺりしたコンクリートと白灰土の舗装路に変わっていた。ただ崩落防止のために固めたというには、その舗装路の表面は非常に薄く、棍棒でたたくとすぐはがれるような代物で、最も薄い舗装部分は爪ぐらいの薄さ、という指摘もある。
・新京報は修理に当たった専門家も取材している。その言い分をまとめると、国家文物局、遼寧省文物局、地元県文物局及び文化財修復施工業者四社の関係者による調査チームが現地調査に当たり修繕・修復方法を検討。すでに破損が激しく青磚や石材もなくなっていたので、原貌回復が不要と言う意味ではなく、最小の関与で現状保存する応急処置として、砕けていた磚などを集めて白灰土で固める修復案をとった。
・新しい石はまったく使っていない、という。一番上の部分を保護するため厚さ平均12センチの白灰土3、コンクリート7の割合で作った保護層をかぶせたのでのっぺりした舗装路のような外観になった、と説明している。だが、風の強い稜線で、白灰土は3~5年の時間が経てば風化し、下の長城の砕けた磚は露出し、もともとの風景に近いようになるという。爪くらいの薄さ、と指摘されたのは、すでに保護層が風化したところだろうか。
▽注目と非難が高まり、反論も必死
・遼寧省文物局長の丁輝は「修繕保護しなければ、大雨などが降れば、危険なだけでなく、かろうじて残った城壁も消失してまう。…破損部分に一層の保護層をかぶせる修繕方法を採択した。修繕部分全長8キロのうち、一部は修復し、一部は固定し、一部は保護した。…全部コンクリで平らに塗り固めたわけではない」と弁明している。
・修繕方法は、国家文物局が2014年に批准し、(外観を元通りにする)修復は不可能で、ただ保護修繕しかできないと、専門家も判断した。「確かに見た目は悪くなったが、これが専門家たちが決めた唯一のやり方だ」と丁輝はその合法合理性を主張した。これだけ世間で批判の声が高まれば、下手をすれば当局関係者の処分もありうるので、彼らの反論も必死だ。
・だが中国の著名な長城研究家であり、中国長城学会副会長の董耀会の見方は厳しい。長城修復の問題点をやはり新京報など中国メディア上で訴えていた。 「このような粗暴な長城修復は、長城の文化と歴史を傷つけることになる。人民と文化遺産の対話の断絶させる荒唐無稽な行為だ」「長城修繕は合理合法的で手続き上は問題ないということだが、結果的に文化財の風貌を破壊する原因になっている。目下全国の長城修繕の在り方に統一した方法はなく、その基準も操作可能だ」 つまり地方によって長城の修復のレベルというのは相当差があり、統一した修復基準や、施工、管理などの原則も決まっていないことが、そもそもの問題だという。
・かつて新聞社の奈良支局で文化財担当だった経験を振り返れば、確かに700年前の石造文化遺産を保護するというには、ずいぶん雑で荒っぽい方法をとったものだという気がする。そもそも、保護層がすぐ風化するようなもろいものならば、景観をそこまで損なう保護層など本当に必要あるのだろうか。経年劣化そのものに文化遺産の価値を高める魅力がある石造文化遺産の保存修復は、風化プロセスのモニタリングや経年劣化の定量化測定も含め、土木工事というよりは科学技術の分野であり、もう少し繊細なものではなかったか、と思う。
▽でか過ぎる。早過ぎる。持ち去られる…
・もっとも長城保護の問題は、普通の石造文化遺産保護のやり方では通用しない困難な問題もある。 まず、遺跡がでかすぎる。 総延長2万1196.18キロ、世界最大の歴史的建造物遺構の文化遺産である長城は、もともと秦の始皇帝の時代に建設が始まった。そのほとんどは風化しており、もっとも最近に作られた明時代の部分の6259キロ中、残存部は2500キロ以下で、比較的保存が良好で景観をとどめている部分が513.5キロ。さすがに、この残存長城すべてを、最先端の科学技術でもって保存するということは財政的にも不可能だろう。
・長城保護条例を国務院が発布したのは2006年。今年でちょうど10年目だ。以来、毎年1億元が野長城保存に投入されているという。2000年から2016年まで北京市は45キロの野長城を修繕したが総額3.67億元がかかっている。専門家によれば1メートルの危険個所を固定するだけで1万元以上、1メートル分の磚を修繕するだけで2万元かかるとか。北京など比較的財政に余裕のあるところはまだいいが、野長城が残っている地域はだいたい貧困地域。河北省張家口の長城遺構は約1800キロに及ぶが長城管理署職員はわずか3人。これでは保護保存もくそもない。
・もう一つの問題は、長城の消失スピードの早さだ。1984年に万里の長城残存部を踏破したという董耀会によれば、その当時から約20年の間に約2000キロ、つまり明時代遺跡の3分の1が消失したという。 消失の原因は、壁全体の倒壊、烽火台の磚脱落、風雨の浸食などに加えて、非常に中国的な理由がある。地元民らによる長城の破壊だ。つまり長城から磚を勝手にはがして、住居や家畜小屋の建築資材として持ち去ったり転売したりする問題が深刻で、改革開放以降の30年あまりで消失した万里の長城の約半分は、この農民の磚、石材持ち去りが原因とみられている。
・特に、普段観光客もいなければ、管理人もいない野長城の被害が深刻だった。石造文化遺産の修繕保護という課題に対し、景観保存よりも、白灰土コンクリの保護層で磚を覆って隠してしまうやり方は、ひょっとすると、農民らの磚の盗掘を防止する発想が先にあるかもしれない。
▽文化財保護と観光資源化が混沌
・そもそも、中国では、文化財保護、景観保護という意識がまだまだ低く、万里の長城の落書き問題、ゴミのポイ捨て問題など、文化財修復技術問題以前のモラルの問題もある。野長城も勝手に登っては罰金という条文があるにもかかわらず、そういった法律は完全に無視されている。長城愛好家で、野長城を大切に思って慎重に登るならまだ許せるとして、そこで脱糞したり飲料ペットボトルを捨てて帰る不届きものも少なくない。
・また、文化遺産保護の概念自体が、統一されていない部分もある。文化官僚に文化財保護と観光資源化を混同している人も多いようで、世界遺産に指定されたとたん、テーマパークのような人工的な修復がされ、ネオンと土産物屋とガイドがあふれ、景観や風情を台無しにしてまうという問題が中国にはありがちだ。こういった感覚が、長城の修繕や保護の在り方にずれを生じさせるのかもしれない。
・今回の修復に関しては、あまりにも騒ぎになったので中央当局も、修繕プロジェクトに不正がなかったか調査するという。だが責任を負う官僚をあぶりだすだけでは本当の長城保護にはつながるまい。最終的には、一人ひとりの市民や観光客による、文化遺産や歴史との向き合い方が問われる話なのだと思う。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/092600065/?P=1

長江流域の水害は日本でもたまに報じられ、温暖化ガス排出規制に消極的だった中国も異常気象に襲われたことで、排出規制に前向きになってくれればいいといった程度に考えていた。しかし、有名な三峡ダムはきちんと防災の役割を果たしていると思っていたら、この記事では何ら役割を果たさず、むしろ渇水や洪水の度合を大きくしているらしいので、驚いて紹介した次第である。江沢民と李鵬が、『反対派の意見に耳を貸さずに建設に邁進した理由は明らかに私腹を肥やすためだった』、との理由づけで納得である。
「万里の長城」お粗末な修復については、最近、日本のテレビでも放映されたが、苦笑いを禁じ得なかった。番組では詳しい説明がなかったので、いいかげんに工事をしたのかと思っていたが、『国家文物局、遼寧省文物局、地元県文物局及び文化財修復施工業者四社の関係者による調査チームが現地調査に当たり修繕・修復方法を検討』、したのであれば、国内からも批判されているとはいえ、しようがないのだろう。「野長城」が人為的な補修でまで失われていくのは残念だが、『でか過ぎる』ので、やむを得ないのだろう。ただ、せめて『持ち去られる』モラルの低さは、何とかならないものだろうか。
タグ:日経ビジネスオンライン 中国国内政治 (その3)(洪水を防げぬ三峡ダム、「万里の長城」お粗末な修復) 洪水を防げぬ三峡ダムで私腹を肥やしたのは誰か 長江氾濫で広がる被害、国家的愚行の深刻 洪水頻発の長江 三峡大壩(三峡ダム 2000億元(約3兆2000億円)もの巨資を投じて建設 中国が世界に誇る巨大プロジェクト 万里の長城に匹敵する壮大な建設事業 1万年に一度の大洪水をも防ぎ止めることが可能な三峡ダム 洪水規模が千年に縮小 百年に一度の特大洪水を防ぎ止めることができる 三峡ダムの“蓄洪能力(洪水防止のための貯水能力)”には限りがあり、希望の全てをダムに託すな 長江の下流が干ばつの時は、三峡ダムは貯水を必要とし、下流に水害が発生した時は、三峡ダムは増水により水門を開いて放水をする必要がある 洪水防止機能を全く果たしていないのである 三峡プロジェクト建設基金 全国の電気料金をキロワット・アワー(kwh)当たり4厘(約0.064円)引き上げることで調達 三峡ダムが完成すれば安くなるという話だった電気料金は逆に高くなったのだった。 200万人近い人々が移転を余儀なくされただけでなく 貯水湖周辺では土砂崩れや陥没が多発し、汚泥の沈殿や水質汚染が進んでいる 江沢民・李鵬 建設反対を表明した専門家たちは言論を封殺 彼らが三峡ダム建設反対派の意見に耳を貸さずに建設に邁進した理由は明らかに私腹を肥やすためだった 「「万里の長城」の修復は、なぜ“お粗末”なのか 保護求める声の一方、地元民による破壊という現実も 万里の長城 野長城 野長城ツアーもある 現地を訪れた野長城愛好者のユーザーによってインターネットのSNSの微博にアップされたことがきっかけだった 修復後は明時代の磚(せん=煉瓦)は白いコンクリート状の層の下に隠れ、美観も風情も台無しであった。 「最も美しい野長城をコンクリートで埋め立てた!」と非難の声 爆破するよりひどい修復 修繕の目的は倒壊崩落の危険を防ぐと説明 白灰土とコンクリートで壁面と路面を固める」という発注 国家文物局、遼寧省文物局、地元県文物局及び文化財修復施工業者四社の関係者による調査チームが現地調査に当たり修繕・修復方法を検討 風の強い稜線で、白灰土は3~5年の時間が経てば風化 このような粗暴な長城修復は、長城の文化と歴史を傷つけることになる。人民と文化遺産の対話の断絶させる荒唐無稽な行為だ でか過ぎる。早過ぎる。持ち去られる… 文化財保護と観光資源化が混沌
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