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「安倍晋三記念小学校」(森友学園)への国有地払い下げ問題(その6)(小田嶋氏の見解) [国内政治]

「安倍晋三記念小学校」(森友学園)への国有地払い下げ問題については、3月12日に取上げた。今日は、(その6)(小田嶋氏の見解) である。

コラムニストの小田嶋隆氏が3月10日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「なあなあの善意」という感染症」を紹介しよう。
・前回はインフルエンザを理由に、お休みをいただいた。 このたび私が罹患したインフルエンザは、B型というタイプで、症状と経過は、最初に診断してくれた医師の説明通りで、具体的に申し上げると、A型に比べてそれほど高い熱が出ない(今回私が記録した発熱は、何度か到達した38.9℃止まりだった)半面、タミフルが効きにくく(実際、ほとんど効果を実感することができなかった)、症状が一進一退で、完治に時間がかかったということだ。
・おかげで、まるまる5日間、発熱と頭痛で苦しんだ。まあ、私が暗示にかかりやすいということだったのかもしれない。 そんなこんなで、先週は、当欄をはじめ、週内に設定されていたスケジュールをまるごとキャンセルして、1週間仕事をしなかった。
・で、休養十分でリフレッシュできたのかというと、それがそういうことにもなっていない。 むしろ、休んだ分だけ、再起動が億劫になっている。 これは、毎度、正月やお盆休みの度に経験することだ。私は、休めば休むほどあらためて仕事に復帰することがつらくなるタチの人間であるらしく、長く休むと、それだけ社会復帰に苦労する。あるいは、毎年、夏休み明けの9月に登校拒否気味の無気力状態に陥っていた小学生時代の設定が、いまだに更新されていないのかもしれない。
・正直な話をすると、いまだに、仕事に取り組む意欲が湧いて来ない。 結局、ふだんから自転車操業の勢いで仕事をこなしている人間は、あんまり休むべきではないのだろう。 次の機会に、長い休みを取ったら、たぶん、私は二度と歩き出すことができなくなると思う。長い上り坂のてっぺんで立ち止まったロバみたいに、私はまだ坂の途中にある荷車に引きずられて、後ろ向きにどこまでも後退することになるだろう。一度、落ち始めたら、もう前に進むことは不可能だ。そんなふうにして、私たちは働いている。
・休んでいる間は、テレビも見ず、ツイッターもろくに閲覧しなかった。 熱が出ている間は、動く画面や文字を読むと、嘔吐感がこみあげてくるからだ。 なので、熱の下がることの多い午前中の時間帯に、メールとツイッターをチェックして、あとはほとんど丸一日横になって過ごしていた。
・休んでいる間、よく見ていたのは、森友学園関連のニュースだ。 このニュースに強く惹きつけられていたからではない。 私が、このニュースのチェックに多くの時間を費やしていたのは、単にこの10日ほど、ネットと言わずテレビと言わず、世間の話題がこのニュースでもちきりだったからに過ぎない。
・私個人は、森友学園のニュースから伝わってくる空気の不潔さに、むしろうんざりしていた。 なにより、登場人物のいちいちがどうも見苦しい。彼らを告発している側の人間のマナーにも、美しくない所作が見え隠れしている。 思うに、この瑞穂の國記念小學院の設立をめぐる一連の出来事には、わたくしども日本人がひとかたまりの集団として統一行動を取る時に顕在化しがちな、特有の浅はかさのようなものが、非常に典型的なカタチで露呈している。
・今回は、森友学園の周辺で起こった出来事について、私が寝たり起きたりしながら考えていたことを書き起こしておくつもりでいる。 結論を提示したり、分析を試みるための原稿ではない。 どちらかといえば、ウィルス感染症の諸症状を列挙するみたいなまとまりを欠いたテキストになると思う。 われわれの病気の原因が那辺にあって、どうすれば健康を取り戻せるのかは、簡単には言えない。 しかし、ただ、見たままに症状を伝えることはできる。 というのも、われわれは、もう長い間、特定の病に冒されていて、われわれのやること為すことのほとんどは、症状と区別がつかなくなっているからだ。
・森友学園をめぐる一連の騒動を、メディアは、いまのところ、もっぱら、国有地が不当に安い価格で民間に払い下げられた事件として報道している。 たしかに、違法行為として告発するつもりなら、そこのところが本丸になるのだろう。 贈収賄なり背任なり政治資金規正法なりを視野に入れて立件する場合でも、本筋は、やはりお金の流れだ。
・今後、引き続き本件を取材するつもりでいる人たちは、とにかく、事件に関連して出てきた金額を、ひとつずつチェックして、その金額の出どころや根拠について、粘り強くウラを取って行く作業を続行することになるのだと思う。 すべての金額や数値について、関係者の証言と裏付けを確認して行けば、いずれ、どこかのほころびから、真相に迫る証言が得られるはずだ。
・報道に携わる人々には、そこのところの謎の解明を期待している。 ただ、一ニュース視聴者である私の目から見ると、このニュースの眼目は、必ずしも、お金の流れだけに限らない。 むしろ、お金以前の、人々の関わり合い方のだらしのなさの方が、私には印象深い。 とにかく、金の流れを云々する以前に、すべての関係者が、あらゆる事態を曖昧に処理しているそのデタラメさが、あまりにも突出している。
・なにしろ、そもそも土地の売買の記録が残っていないのである。 こんなべらぼうな話があるだろうか。 このほか、見積もりの詳細も、ゴミがどことどこにどれだけあったのかという記録も、工事の経過も、ほとんど何一つ記録らしい記録が出て来ていない。
・たとえば、去る2月24日の衆院予算委員会で、財務省の佐川宣寿理財局長は、共産党の宮本岳志氏の質問に答えて、昨年6月の売買契約を巡る売り主の近畿財務局と学園側の交渉や面会の記録が、既に廃棄されていることを明言している。
・なんと、既に廃棄、だ。捨てた。残っていない。私は知らない、と彼は言うのだ。 佐川氏は、記録は同省の文書管理規則で保存期間1年未満に分類されるとし、 「売買契約の締結をもって、事案は終了した。記録は速やかに廃棄した」 と説明している。 信じられるだろうか。 彼の言葉を借りると、事態は 「売買契約の締結をもって、事案は終了した。記録は速やかに廃棄した」 でおしまい。はいさようなら、一件落着忘れてくれよベイベーってなことになる。これが、高級官僚が国会で述べた言葉なのである。あきれるではないか。
・宮本氏は、この回答に対して共産党の議員さんらしく 「契約と同時に破棄したのでは調査しようがない。隠蔽(いんぺい)と言われても仕方がない」 と、凛々しく批判の言葉をぶつけている。が、無いものは仕方がない。  どう批判したところで、「捨てた」と言われたら、どうしようもない。
・佐川氏は、約1週間後、今度は参議院に舞台を変えて、さらに驚くべき回答を繰り出している。 3月2日の参議院予算委員会において、佐川氏は、民進党の杉尾秀哉議員の 「森友学園の関係者が財務局で面会をしていれば、庁舎の入館記録に記録が残っているはずだがどうか」 という問いかけに対して、以下のように回答している。 「記録はあったが、警備の人間が入退庁を確認して、翌日すべて廃棄する規程になっていると記憶している」
・なんと、翌日廃棄だ。ヨクジツハイキ。ほとんどシュールなパンクロックのリフみたいだ。ヨクジツハイキ。 翌日に廃棄するなら、いったい何のために記録を取る必要があるというのだろうか。 入庁した人間が、確かにその日のうちに退庁していれば、机の下で死んでいたりすることがない点だけは確認できるわけだからそれはそれで有意義な確認になるってなことで、入退庁記録を記録して廃棄した意味がありましたとか、そういう話だろうか。
・このほか、森友事案は、私の目には、ひたすらにだらしのない人間たちがワサワサと集まってはどこまでもだらしのないもたれ合いを繰り返していた世にも気持ちの悪い祭りのようなものに見える。 だらしがないというのは、つまり、「なあなあ」の、「尻抜け」の、「馴れ合い」の、「もたれ合い」の、「かばい合い」の、「口約束」の、「目配せ」の、「以心伝心」の、「阿吽の呼吸」の、「ツーカー」の、「魚心あれば水心」の、「同調と協働と思いやりと寄り添いとふれあいとシンクロと融合と共鳴と支え合いと抱きしめ合い」がいっしょくたになった、べたべたの甘々のびしょびしょのちいちいぱっぱということだ。
・安倍晋三首相は3月1日の参院予算委で、共産党の小池晃議員から昭恵夫人と森友学園の籠池泰典理事長との関係を聞かれると 「妻は私人なんですよ。いちいちですね、妻をまるで犯罪者扱いするのは極めて不愉快ですよ」 と、強い口調で反発している。 小池議員は、単に、昭恵夫人と籠池理事長が知り合った時期を尋ねただけだ。 それが、「犯罪者扱い」なのだろうか。
・つまり、安倍首相の判断では、籠池理事長と知り合うことは、犯罪に類する出来事に相当するのだろうか。 それ以上に、首相の言う「私人」という言葉の意味するところが私にはもうなんだかよくわからない。 私人のプライバシーを国会の場であれこれあげつらうことが、場合によっては不適切であることはその通りだと思う。 その意味では、首相夫人と言えども、国民の前で明らかにできる範囲はおのずと限られている。そこまではわかる。
・ただ、ご本人が「安倍総理大臣夫人・安倍昭恵」という肩書を明記して、名誉校長を引き受けている学校法人の理事長と知り合った時期について尋ねられたことは、コトの性質上、「私人」のプライバシーという理由で簡単にはねつけられる話でもないはずだと私は愚考する。
・安倍昭恵さんには、5人の秘書官に当たる公務員が影のように付き従っている。 2015年の9月、安倍昭恵さんが塚本幼稚園を訪れて講演をした際には、その5人の政府職員が同行したことがわかっている。 この5人の同行について、当初、内閣官房は、国会での質問に答えて、職員が同行した日は土曜日で「勤務時間外で、私的な行為として同行していたということはあると考える」 などと答弁していた。
・ところが、彼らは3月8日になって、これまでの答弁を翻す。 政府は、この日の衆院経済産業委員会で、学校法人森友学園の国有地払い下げ問題に絡み、安倍晋三首相夫人の昭恵さんが法人運営の幼稚園を訪れた際に同行した政府職員が「私的活動」だったとする以前の答弁を、「公務」と修正した。土生栄二内閣審議官が「答弁の準備ができていなかった。おわびして訂正する」と陳謝した。
・一時が万事、この調子だ。 公私の区別も、日当の支給先も、交通費の出どころも、休日であるか否かの判断も、昼飯に何を食えば良いのかについての多数決の結果も、すべては後づけで、書類上行き違いが出ないように、恣意的に判断され、上から押し付けられ、随時陳謝の上、翻されるのである。
・昭恵夫人が「公人」なのか「私人」なのか、彼女の講演が、「公務」の色彩を帯びた活動なのか、それともまったくの「私人」としての私的な活動にすぎないのか。また、その昭恵夫人に同行した、5人の政府職員の活動は、果たして「公務」に当たるのか。もし「公務」に当たるのだとすると、「日当」は誰が負担し、「休日出勤」の処理はどんなふうに為され、「交通費」は、いったいどこから支出されたのか。
・最終的に、出勤簿や、残業や、交通費や、休日出勤についての処理をどんなふうに処置するのかはともかく、現場では、昭恵さんの行動は、記録されず、定義されない中で、あくまでも「なあなあ」で、「その場の流れ」で処理されていたのだろう。 同行する公務員たちは、その日の自分たちのお付きの仕事が、果たして通常業務なのか、休日出勤なのか、プライベートのお付き合いなのかについて、はっきりとした自覚を持って(指示を受けて)いたのだろうか。大いに疑問だ。
・これに限らず、森友学園に関係する事務処理は、推薦者に名を連ねていた人間の肩書も、講演に駆けつけた文化人ギャラも、すべてのはその場の雰囲気で、乾杯の音頭みたいな調子で処理されていたのだと思う。 これは、幼稚園児に「教育勅語」を朗唱させたりなどしつつ日本の心の教育を再興するという、森友学園がざっくりと掲げている「主旨」に大筋で賛同した人々は、公私の別や報酬の多寡や、肩書の硬軟や大小や真偽にたいしてこだわることなく、ごくごく大雑把に「森友学園を応援する人々の環」に加わっていた、ということではないか。
・政治家も、官僚も、文化人も、学者も、誰もが皆、理事長の経歴や人物像や当該の学校法人の財務状況にさしたる注意を払うこともなく、「日本を取り戻す」という大いなる善意において協働していたのである。漠然とした理想になんとなく共感した人々が、できる範囲で曖昧な協力をした、そんなところではないだろうか。
・私にとってひたすらに不気味に感じられるのは、森友学園という世にもだらしのないツッコミどころだらけのザルみたいな学校法人を中心に何十人もの知名有名な人々を団結たらしめていたその当のモノが、陰謀でも欲心でもなく、出世欲でもなければ名誉欲でもない、ただただ「善意」であったらしい点だ。
・教育勅語の何が、いったい彼らをこれほどまでに魅了してやまないのか、正直な話、私はまったく理解できずにいる。 「戦争に負けた」ということの屈辱が効いているのだろうか。 一度真剣に考えてみなければならないと思っている。
・インフルエンザで寝込む前の、3月1日、私は、以下のようなツイートを投稿した。 《首相夫妻が共鳴する教育機関の認可設立のために、一丸となって助力した政治家や官僚は、言ってみれば「安倍首相頑張れ」という宣誓文を唱和していた幼稚園児の成人版なわけで、この話のキモは、国民全体をあの幼稚園の園児みたいな「思想の容れ物」に変貌させようとする意図の存在だと思う。》(こちら)
・この感想は、5日間の闘病を経て、少し変わってきている。 残念なことだが、私は、首相夫妻が共鳴する教育機関の認可設立のために一致団結して協力した政治家や官僚の気持ちを、私のような人間が理解するのは、とてつもなく難しそうだ。
・というのも、この国をこの先動かして行くのは、一致団結して協力することが三度のメシよりも大好きな人たちなのであって、その彼らにとって大切なのは、協力の先に何があるのかということよりも、とにかく日本人が、なあなあのうちに一致団結して協力すること、そのものだったりするのだろうからだ。
・善意からなのだと思うが、すまない、私はごめんだ。 できれば、隔離してくれるとありがたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/030900084/?P=1

小田嶋氏は、一連の問題を、『お金以前の、人々の関わり合い方のだらしのなさの方が、私には印象深い』、として、『「なあなあの善意」』、と茶化して捉えている。同氏のもともとの斜めから斬るスタイル(私もそれを目指してはいるが・・・)からすればやむを得ないのだろうが、場合によっては犯罪が成立する可能性があるお金の問題を避けたのは、残念だ。 『安倍晋三首相は3月1日の参院予算委で、共産党の小池晃議員から昭恵夫人と森友学園の籠池泰典理事長との関係を聞かれると 「妻は私人なんですよ。いちいちですね、妻をまるで犯罪者扱いするのは極めて不愉快ですよ」 と、強い口調で反発』、との安倍首相の異様な感情的対応には不自然さを感じた。何かよほど後ろめたいものを隠しているのではないか、との疑いを抱かす答弁だった。国土交通省による値引き決定過程、さらには大阪府が私学審議会の認可への消極的姿勢を覆して、認可を決定した事実も、まだ不明な点が多いとはいえ、少なくとも「善意」を通り越したものを感じる。
現在は稲田朋美防衛相の虚偽答弁がクローズアップされているが、およそ弁護士出身とは思えない脇の甘さだ。今後の注目点の1つとされる会計検査院による検査については、会計検査院は財務省の出島のような位置付けなので、財務省に不都合な点があっても、見過ごされてしまう懸念があるのは残念でならない。
タグ:小田嶋隆 日経ビジネスオンライン 安倍晋三首相 安倍晋三記念小学校 森友学園 国有地払い下げ問題 (その6)(小田嶋氏の見解) 「なあなあの善意」という感染症 一連の出来事には、わたくしども日本人がひとかたまりの集団として統一行動を取る時に顕在化しがちな、特有の浅はかさのようなものが、非常に典型的なカタチで露呈 私の目から見ると、このニュースの眼目は、必ずしも、お金の流れだけに限らない。 むしろ、お金以前の、人々の関わり合い方のだらしのなさの方が、私には印象深い 金の流れを云々する以前に、すべての関係者が、あらゆる事態を曖昧に処理しているそのデタラメさが、あまりにも突出している 土地の売買の記録が残っていない 佐川宣寿理財局長 交渉や面会の記録が、既に廃棄 入館記録 記録はあったが、警備の人間が入退庁を確認して、翌日すべて廃棄する規程になっていると記憶している ひたすらにだらしのない人間たちがワサワサと集まってはどこまでもだらしのないもたれ合いを繰り返していた世にも気持ちの悪い祭りのようなものに見える 参院予算委で、共産党の小池晃議員から昭恵夫人と森友学園の籠池泰典理事長との関係を聞かれると 「妻は私人なんですよ。いちいちですね、妻をまるで犯罪者扱いするのは極めて不愉快ですよ」 と、強い口調で反発 「私人」のプライバシーという理由で簡単にはねつけられる話でもないはずだと私は愚考する 同行した政府職員が「私的活動」だったとする以前の答弁を、「公務」と修正 森友学園に関係する事務処理は、推薦者に名を連ねていた人間の肩書も、講演に駆けつけた文化人ギャラも、すべてのはその場の雰囲気で、乾杯の音頭みたいな調子で処理されていたのだと思う
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