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原発問題(その7)(司法の露骨な原発再稼働後押し、現地医師が見た避難の健康への影響) [社会]

原発問題については、昨年12月17日に取上げたが、今日は、(その7)(司法の露骨な原発再稼働後押し、現地医師が見た避難の健康への影響) である。

先ずは、元裁判官で明治大学教授の瀬木 比呂志氏が4月1日付け現代ビジネスのインタビューに応じた「司法が露骨に原発再稼働を後押し! 大阪高裁「反動判決」の意味 再稼働容認がドミノ倒しのように…」を紹介しよう(▽は小見出し、ーーは聞き手の質問、+は回答内の段落)。
・2月28日、大阪高裁は、高浜原発稼働を差し止めた大津地裁の仮処分決定をあっさりと取り消し、関西電力に再稼働を認める決定を出した。 実はこうした動きをピタリと予見していた小説がある。司法の「闇」を描いて話題の『黒い巨塔 最高裁判所』(瀬木比呂志著)だ。ここに描かれた近未来予測が、いままさに現実のものになろうとしているのだ。 それもそのはず、作者の瀬木氏は元エリート裁判官。一般にはうかがい知ることのできない司法の世界、そして裁判官という人種を知り抜いている。これまでも、日本の裁判所と裁判のいびつな構造を次々に告発してきた。
・そこで今回の大阪高裁の決定をどう読み解けばよいのか、瀬木氏に緊急インタビューした。彼は、今後、原発再稼働を容認する判断がドミノ倒しのように続く可能性が高いと悲観的な予測をする。
▽原発事故前に逆戻り
ーー昨年3月、大津地裁(山本善彦裁判長)が、滋賀県の住民が、関西電力高浜原子力発電所3、4号機の運転差止めを求めた仮処分申請を認め、原発の稼働を差し止める仮処分を出しました。 しかし、大阪高裁は、この画期的な決定を簡単に覆しましたね。瀬木さんは以前から、原発稼働差し止めを認める判決・決定はむしろ例外的なもので、福島第一原発事故後の司法、政治、「空気」がこのまま変わらないならば、今後は国、電力会社寄りの判断が増える可能性が高いと予想されていました。結果的に瀬木さんの予測が当たったわけですね。
・瀬木 『黒い巨塔』においては、架空のパラレルワールド小説という形で、原発訴訟の方向についての一つの詳細なシミュレーションを提示したわけですが、どうも、現実の流れは、そのまま小説をなぞっているような気がしますね。 原発に反対する人々は、大阪高裁の担当裁判官はこれまで比較的リベラルな判決を出してきたとして、高裁でも差止めの判断が維持されることをと期待していたようですが、私は、かなり懐疑的でした。
+福島第一原発事故以降、司法研修所で、原発訴訟についての裁判官研究会が2回開催されています。  1回目は、原発事故から約10ヵ月後の2012年1月です。この研究会では、事故前の原発訴訟のあり方が世論に強く批判されていたことから、電力会社寄りの露骨な誘導はなく、むしろ、世論の猛反発に、ある程度統制の手綱をゆるめるような方向が示されていました。
+しかし、これからさらに1年余り後の、2013年2月に行われた2回目の研究会では、強力に「国のエネルギー政策に司法が口を差し挟むべきではない。福島原発事故以前の最高裁伊方原発訴訟判決の枠組みにより、しかし、より『ていねいに』判断すべきだ。ことに仮処分については消極」という方向性がはっきりと打ち出されています。
+僕の入手している資料でも、シンポジウム形式のパネラー発言者(講師)である学者等の氏名が黒塗りされているのですが、名前を出したらその学者等の評価はたちまち地に墜ちるだろうと思われるような露骨な、国、電力会社寄りの誘導発言をしている人が大半なのです。 また、1回目の研究会とは異なり、裁判官たちの発言は限られ、講師らの発言に迎合的なものが多いです。
+こうした研究会の結果、ことに1回目のそれと2回目のそれの落差については、原発訴訟を担当している裁判官たちも当然承知しており、最高裁の態度が「運転差止め消極」の方向に定まったのは、ヒシヒシと感じているはずです。 報道された決定要旨を読む限りでは、大阪高裁の決定は、2回目の研究会の方向に沿うもの、最高裁の意向を汲んだものになっています。
+福島第一原発事故後のそういう方向の判断の集大成という感がありますね。大筋は、「原子力規制委員会の新規制基準に適合していれば再稼働は問題ない」というロジックです。新規制基準の合理性まで一応判断しているところが「ていねい」ということなのでしょう。
+つまり、「最高裁の伊方判決の判断枠組みに戻り、国の判断に合理性があるか否かという観点から審査を行う。被告側は安全性について一応の立証を行えば足りる。判断自体はていねいに行うが上記の判断手法は変えない。新規制基準が不合理だと立証する必要は原告側にある。ことに仮処分については消極」というロジックですね。 それを集大成している。
――『黒い巨塔』では、最高裁長官が「原発は止めん。それがわしの意志だ!」と断言して、露骨かつ巧緻な誘導工作を強力に展開してゆきますが、リアルワールドでは、私たちは、最高裁内部でどのような議論が行われているのかはわかりません。 しかし、客観的事実を見る限り、大阪高裁決定は、最高裁の意向に沿ったものとなっているようです。まさに瀬木さんが小説世界で想定されていたとおりですね。
・瀬木 今回の高裁判断は、差止めを認めた地裁判断についての初の高裁判断、しかも東京高裁と並ぶ大高裁の判断ということで、私も非常に注目していましたが、やはり、差止め消極方向のものでしたね。 差止め判断が高裁で覆ったことで、今後の原発訴訟の方向性にも暗い影が差した印象です。
▽露骨な人事で現場に圧力
――今後、ドミノ倒しのように同様な判断が相次ぐのでしょうか?
・瀬木 その可能性もありますね。
――最近の最高裁は、瀬木さんが『絶望の裁判所』や『ニッポンの裁判』で詳細に分析されたとおり、権力、原発訴訟でいえば政権や電力業界におもねるような露骨な誘導を行っているように感じます。
・瀬木 かつての最高裁には、権力との間に一定の緊張関係を保っている部分もあったと思うのです。しかし、2000年代以降は、より直截的に権力におもねり、むしろそれを利用するような方向性が出てきていますね。
――そうですね。典型的なのが、最高裁事務総局に勤務した裁判官に原発訴訟を担当させた2015年の人事です。
・瀬木 はい。高浜原発についての、福井地裁の樋口英明裁判長によるもう一つの差止め仮処分(2015年4月)を取り消した決定(同年12月)に至っては、異動してきた3人の裁判官すべてが、最高裁事務総局勤務経験者だったのには、本当に驚きました。 これが偶然的なものだとしたら、宝くじ上位当選レヴェルの確率です。実に露骨。
+これまでにも、最高裁は、内部の人間、それも最高裁の内情や権力の仕組みをよく知っているような人間にしかわからないようにカモフラージュした巧妙な人事や議論誘導で、裁判官や判決をコントロールし続けてきましたが、こと原発訴訟については、外部の人間でも一目でわかるようなストレートかつ乱暴な人事を強行する傾向があり、この人事はその典型です。 メディアがこれを批判しないのもおかしいですね。
――ネットでは、ある弁護士が、今回の判決を出した担当裁判官は次期大阪地裁所長になる可能性もある人物だと予想しています。こうしたポジションにある裁判官がもし差止め判断を出せば、その後の出世を棒に振る可能性がありますね?
・瀬木 差止めの判断を出せば、人事面で不遇になるのは避けられないでしょう。大地裁の所長や高裁長官にはまずなれないでしょうね。 福井地裁の樋口裁判官は、大飯原発差止め判決を出して名古屋家裁に異動になり、異動の直後に、職務代行で高浜原発差止めの仮処分を出しました。
+樋口裁判官のこの異動は、この人のこれまでの経歴を考えれば、非常に不自然です。地裁裁判長を続けるのが当然のところで、急に家裁に異動になっているのですから。 キャリアのこの時期に裁判官が家裁に異動になる場合は、いわゆる「窓際」的な異動の例が多いのです。また、そういう裁判官については、過去の経歴をみても、あまりぱっとしないことが多い。
+しかし、樋口裁判官の場合には、そういう経歴ではなく、この家裁人事は、「青天の霹靂(へきれき)」的な印象が強いものだと思います。
――瀬木さんがおっしゃったとおり、第一に地裁の裁判の現場から引き離す、第二に見せしめによる全国の裁判官たちへの警告、という2つの意図がうかがわれますね。
・瀬木 はい。この人事の本質は、全国の裁判官、とりわけ原発訴訟担当裁判官に対しての、はっきりとした「警告」でしょう。 この異例の人事のもつ意味は、どんな裁判官でも、ことに、人事異動や出世にきわめて敏感な昨今の裁判官ならなおさら、瞬時に理解します。原発稼働を差し止める判決、仮処分を出すような裁判官は、人事面で報復を受ける、不遇になる可能性が高いのだと。
+その名前が広く知られ、支持されることになった先の樋口裁判長でさえ、しかも直後の異動で、それをやられているのです。こうした状況で、差止めの判決、決定を書くには、自分の未来を賭す覚悟が必要です。
▽「絶望の最高裁判所」が作り出す絶望の連鎖
――今後は、差止め判決、決定はもう出なくなるのでしょうか?
・瀬木 原発事故の前後を通じ、これまでに差止めの判断を行ってきたのは、いわゆる東京系の裁判官たちではない、また、勇気ある人々です。 そういう人々もまだ存在するとは思いますから、皆無になるとまでは思いませんが、難しくなることは確かでしょう。いわゆる官僚裁判官では、絶対に差止め判決は書けませんからね。
+原発訴訟に限った話ではありませんが、定年の65歳までもうそれほど長い任期は残っていない50代半ばくらいより上の裁判長でないと、広い意味での「統治と支配の根幹」に関わるような裁判について勇気ある判決が出しにくい。これだけは、日本の裁判所の厳然たる事実です。
――原発差止めの裁判(判決、決定)についても、いずれ最高裁で新たな司法判断が下ることになると思いますが、いかがでしょう。
・瀬木 司法研修所で行われた2回目の研究会の内容や、原発訴訟をめぐる裁判官人事から推測すると、最高裁で差止めが認められる可能性は、きわめて低いといわざるをえないでしょうね。 そして、やがて、原発再稼働を正面から認める最高裁判決が出れば、それに反する判断はさらに出しづらくなるでしょう。
+日本の原発の構造は基本的に同じで、立地や技術上の問題点も共通していますから、原発が違っても、司法判断を下す上での基本的な考え方、法的な枠組みや論理構成はほぼ同じなのです。 したがって、差止め判決が高裁や最高裁でオセロゲームのように覆されるのを目の当たりにすれば、気概のある裁判官でも、現状に絶望して、差止めを認容する判決、決定をしなくなるかもしれません。
――まさに「絶望の裁判所」ですね。大阪高裁の決定は、原発訴訟の分水嶺となる重要なものと思われますが、メディアや世論の反応はかなり鈍いようですね。
・瀬木 福島第一原発事故から6年が経ち、鮮烈だった記憶も薄らいできているのでしょうか。山本七平氏のいうところの「空気」が変わってきた。メディアも、判決の要旨と反対派の意見を淡々と紹介する程度です。  最高裁は、今回の大阪高裁の判断が世論からどのように受け止められるのか、固唾を呑んで見守っているはずです。
▽勇気ある裁判官を見殺しにするな
――もし、特段の反発もないようであれば、今後は、原発再稼働を認める判決、決定を次々に出すように誘導していく可能性もありえますね。その意味で、今はきわめて重要な時期だと思うのですが。
・瀬木 はい。世論やメディアの批判が必要ですね。 僕は、原発に関しては、推進派、反対派などといった二項対立的な図式で色分けして考えるべきではないと思っています。
+唯一の問題は、「日本の原発が、まずは間違いなく安全であるといえるか。再び悲惨な事故を起こさないといえるか」という問いであり、この問いに明確にイエスといえるような状況ができているか否かだけが、問題だと思います。 僕自身、元裁判官の学者ですから、そうした観点から、また、白紙の状態から、客観的に、この問題を考えてきました。
+そういう検討を経て、僕は、福島第一原発事故は、日本の原発に関するずさんな安全対策、危機管理の結果としての人災という側面が大きく、また、その原因究明も不十分、にもかかわらずなし崩しの再稼働への動きが進んでいるというように、現在の状況をみています。
+また、原子力規制員会の新規性基準が「日本の原発が、まずは間違いなく安全である」といえるほどに厳格なものなのかにも、疑問を抱いています。 「全電源喪失は30分以上続かない、日本では過酷事故は起こらない、日本の原発の格納容器は壊れない」などという、欧米の知識人が絶句してしまうような日本の原子力ムラの「常識」は、はたして根本的に改められたのだろうかということです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51347

次に、南相馬市立総合病院外科医の澤野 豊明氏が4月14日付けJBPressに寄稿した「原発事故の知られざる大問題:避難との因果関係 弁護士の見解に目から鱗、東電・国は真摯な対応をせよ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・私は南相馬市立総合病院で外科医として研修をする傍ら、地域住民や地域の復興に従事する作業員の健康相談に参加したり、放射線災害を中心に災害が健康に及ぼす影響に関して研究している一医師だ。
・先日「原発慰謝料増額、東電と1人和解」という原発事故前に浪江町に居住されていた方の記事が日本経済新聞の社会面の端に載っていた。 東京電力が福島第一原発事故の損害賠償を巡り、ADR(原子力損害賠償紛争解決手続)や裁判を通して被災した住民と争っているケースを少なからず抱えているということを報道などで見聞きはしていた。しかし、このことに関して詳しく知るようになったのはつい最近のことだ。
・そういった法的紛争に関して、実際に身近に触れる機会となったのは当院内科・坪倉正治医師といわき市の渡辺淑彦弁護士が主宰する勉強会だ。
▽原発事故で避難を余儀なくされた人たちの死
・2016年6月から行なっているその勉強会では、原発事故がきっかけで避難が必要となり、その避難が影響で亡くなられたり、後遺障害が生じたと考えられる人やその家族が東京電力に対して起こした法的紛争の中で、医学の専門的な知識が必要となった事例に関して弁護士の方々からご相談を受ける場となっている。  専門の異なる医師と弁護士が協力し、実際に原発事故がどのように亡くなられた方々に影響を与えたかに関して議論する。
・2011年3月11日の東日本大震災での地震と津波によって福島第一原発事故が引き起こされたことは周知の事実であり、原発事故による直接の死者がいなかったことはもちろん不幸中の幸いである。 しかし、その事故によって生じた避難の影響で多くの方が命を落としたということは意外と知られていない。
・震災当時、最も原発事故の影響を被った福島県相馬地方および双葉地方(以下、相双地区)では、双葉郡内にあった6つの病院すべてと相馬郡内にあった10病院中7病院で入院患者が避難を強いられた。 重症の患者は自衛隊ヘリなどで移送されたが、ほとんどの患者は着の身着のまま、バスに詰め込まれ、十数時間にも及ぶ移動を強いられた。バスに乗り込んだ患者の中にも、座位が保てない寝たきりの患者や、普段点滴をしているのに外されてしまった患者もいた。
・そもそも入院が必要な状態の患者を移動させたために、移動中に命を落としてしまったケースや長時間の移動により体調を崩しその後亡くなったケースもままあった。 ここで私たちの勉強会で取り扱った原発事故によって生じた避難がきっかけとなりその後亡くなってしまったと考えられるケースを提示したいと思う。前もって断っておくが、私たちの勉強会は個人情報の取り扱いには細心の注意を払って開催されている。
・福島第一原発が位置する福島県浜通り地方にある市町村に住み、もともと腎臓疾患、認知症を患っていた90代の女性は褥瘡と腎臓疾患の悪化に伴い震災直前に地元の病院に入院となった。 震災の発生に伴い、物資不足のため点滴の中止や食事の回数制限などに加え、原発事故による避難指示の影響で転院が必要となり、震災後1週間程度で群馬県内の病院に転院となった。
・転院先の病院で腎機能の急激な悪化が確認され、即日、転院先と同じ地域内の透析可能な別の病院へ転院、翌日から透析治療開始となった。しかし腎機能は回復せず、5月になり慢性腎不全のため、逝去された。
▽弁護士と医師で思考に大きな差
・勉強会でこの事例の紹介を受けたとき、私は弁護士と医師に思考の違いに面食らった。 というのも、たいていの医師がこの事例の紹介を受ければ、そもそもこの女性の年齢や基礎疾患を考慮すると、この患者の腎機能が悪化し透析導入されたことに対して何ら不思議はなく、避難がなくてもいずれ悪くなったのではないか、という感情を持つだろう。
・しかし、弁護士の方々の話を聞くにつれ、法的紛争においては「因果はある事象が生じた際に影響を与えた可能性あるものを広く含むことがある」ということが分かり、段々と考え方に変化が生じていった。 つまり、避難がなければこの女性は腎機能が悪化することがなかったかもしれないし、あるいは腎機能の悪化があったとしてももっと遅くなっていたかもしれないという考え方だ。
・言い換えれば、原発事故による避難がもともと悪かった腎臓を回復できない状態へ導く「最後の一撃」になったかもしれないということだ。 法律の世界ではこの「最後の一撃」が原発事故に起因していることが立証できれば、すなわち原発事故とこの女性の死との間に社会的にみて相当な因果関係が認められれば、(賠償内容が十分かどうかはともかく)損害賠償が認められることがあるというのである。
・そもそも医師は一般の診療をするにあたって、好発年齢や性差、そして基礎疾患という概念を持って臨む。 噛み砕いて言うと、「このような状況にある人にはこういった疾患が起こりやすい」と考えながら診療を行っている。 なぜそのように診療に当たるかというと、例えば救急車で患者さんが運ばれて来た際にこの患者さんに何が起こっているかを瞬時に判断するための材料となるからだ。だから、この能力は医師にとって必須と言えるし、あるいはこのような思考回路でないと論理的思考による診断を下すことできない可能性すらある。
・上記の考え方をしていると、話を聞き始めた当初はなかなか弁護士の方々のおっしゃる原発事故による避難とそれがきっかけとなった死や障害とを結びつけて考えることが難しかった。 一般診療と同じように、「この透析導入は原発事故がなくても起こったかもしれない」と考えてしまっていたのだ。
▽原発事故の問題を後世に残す責任
・しかし、法律家の損害賠償の世界では必ずしも同じではない。しかも、その損害賠償の世界での重要な証拠として、私たち医師の作成した診断書が利用されているので、私たちの判断や責任は重大だ。 自分が、患者個々の法的な因果関係の問題と、臨床的に認められる集団のバックグラウンドとを当初同じように考えていると気がついた際に私は絶句した。
・また、同時に、このような事態が原発事故の避難の現場で起きていたことを後世に残さねばならないと強く感じた。なぜなら避難と疾患の因果を論理的に説明するのは私たち医療関係者でないと難しいからだ。  ご紹介した事例の女性に関しては、東京電力側からの提示では原発事故が影響したのは10%とされていた。
・そもそも避難がどれほどその後遺障害や死に対して影響を与えたかいうことに関して、割合を出すのもおかしな話だが、避難の影響は最終的には20%程度とされたようだ。私たちも避難がどのように腎機能を急激に悪化させるかに関して、論理立てて説明できるように弁護士の方へ助言を行った。
・私たちはこう言った事例に上がる人たちはもともと年齢が高く、基礎疾患も多い中ギリギリの状況で生きていた人たちが多いのではないかと推測する。 そもそも周りのサポートが正常に機能している状況でなければ命に危険がある方々、健康弱者であったのだと思う。
・私たちのように健康に働いている世代が、例えば数時間バスに乗り、座った状態移動が必要になれば、もちろん疲れるだろうが命の危険は非常に小さいだろう。しかし状態が悪いために病院のベッドで生活している人に同じことを体験させればどうなるだろうか。 もちろん、病院が原発災害の渦中に患者の避難を決めたことを責めることはできないが、それが命を危険に晒すことになるであろうと想像することはそれほど難しくはない。
・そういった避難が人体に及ぼす影響の大きさに関しては震災後に行われた研究からも明らかになってきている。 東京大学・野村周平助教らが南相馬市で行った研究では、市内の介護施設にいて長距離の避難を余儀なくされた高齢者は死亡率が震災前の2.7倍高く、避難方法や避難先のケア状態が悪い場合、死亡率がさらに高かった。
▽人生最後の一撃となった避難
・また避難した施設としなかった施設を比較した福島県立医科大学・村上道夫准教授らの研究から、初期被曝を避けて急いで避難した場合、ゆっくり避難した場合に比べて約400倍余命が短くなり、結果的には放射線被曝があっても受け入れ態勢が整うのを待った方がリスクは低いと考えられた。
・しかし、その一方で、相馬中央病院・越智小枝医師の研究によれば、東日本大震災の直後に、放射線災害の影響を受けた相馬地域では医療スタッフも急激に減少し、医療を維持することができなかったことが知られている。 その結果、相馬中央病院の森田知宏医師らの研究によれば、震災後1か月間に、相馬市および南相馬市で津波や地震の揺れ以外の要因で死亡した75歳以上の高齢者が、震災前の同時期の約1.5倍に増えた。 特に肺炎で亡くなるケースが多く、避難に伴い介護が必要な高齢者が歯磨きなど口腔ケアを受けられなくなり、誤嚥性肺炎による死者が増えたと考えられている。
・避難の必要性や賠償金を考えるにあたって、何が正しいかと言うことを私は言及する立場にはない。しかし原発事故が起こったことで生じた強制避難が多くの方の運命に変化をもたらした、場合によってはそれが「最後の一撃」となってしまったことは今までの研究の結果に鑑みても紛れのない事実だと思う。
・東京電力や国は、それを正確に認識したうえで深く反省し、「それは避難の影響は小さかったので賠償の対象になりません」と答えるのではなく、誠実に対応していただきたいのだが、そうならないのが現実だ。  そのような状況の中で、私たちが行っている勉強会は、避難の健康への影響を検証することの一助となっていると思う。こういった検証を通じてこの経験を次の災害に生かすことが亡くなられた方への弔い、遺族の心の安寧につながるのではないだろうか。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49700

瀬木氏が指摘する、最高裁の実質的な指揮権行使ぶりは信じられないほどひどい。 『2013年2月に行われた2回目の(裁判官)研究会では、強力に「国のエネルギー政策に司法が口を差し挟むべきではない。福島原発事故以前の最高裁伊方原発訴訟判決の枠組みにより、しかし、より『ていねいに』判断すべきだ。ことに仮処分については消極」という方向性がはっきりと打ち出されています』、というのはまだしも、 『高浜原発についての、福井地裁の樋口英明裁判長によるもう一つの差止め仮処分(2015年4月)を取り消した決定(同年12月)に至っては、異動してきた3人の裁判官すべてが、最高裁事務総局勤務経験者だったのには、本当に驚きました』、 『こと原発訴訟については、外部の人間でも一目でわかるようなストレートかつ乱暴な人事を強行する傾向があり、この人事はその典型です。 メディアがこれを批判しないのもおかしいですね』、とここまで露骨にやるのかと、日本の司法制度のひどさとメディアのふがいなさを改めて痛感した。
澤野氏の医者の見方と弁護士の見方の違いは、なるほどと思わされた。 『原発事故の避難の現場で起きていたことを後世に残さねばならないと強く感じた。なぜなら避難と疾患の因果を論理的に説明するのは私たち医療関係者でないと難しいからだ』、と後世に残す努力には頭が下がる思いだ。「健康弱者」にとっては、『人生最後の一撃となった避難』、というのは、原発が立地している地域は、「健康弱者」が多いだけに、避難計画などの策定にも織り込んでもらいたいものだ。
タグ:健康弱者 人生最後の一撃となった避難 このような事態が原発事故の避難の現場で起きていたことを後世に残さねばならないと強く感じた。なぜなら避難と疾患の因果を論理的に説明するのは私たち医療関係者でないと難しいからだ 原発事故の問題を後世に残す責任 そもそも医師は一般の診療をするにあたって、好発年齢や性差、そして基礎疾患という概念を持って臨む 法律の世界ではこの「最後の一撃」が原発事故に起因していることが立証できれば、すなわち原発事故とこの女性の死との間に社会的にみて相当な因果関係が認められれば、(賠償内容が十分かどうかはともかく)損害賠償が認められることがあるというのである 弁護士と医師で思考に大きな差 原発事故で避難を余儀なくされた人たちの死 原発事故の知られざる大問題:避難との因果関係 弁護士の見解に目から鱗、東電・国は真摯な対応をせよ JBPRESS 澤野 豊明 「全電源喪失は30分以上続かない、日本では過酷事故は起こらない、日本の原発の格納容器は壊れない」などという、欧米の知識人が絶句してしまうような日本の原子力ムラの「常識」は、はたして根本的に改められたのだろうかということです 原子力規制員会の新規性基準 勇気ある裁判官を見殺しにするな 「絶望の最高裁判所」が作り出す絶望の連鎖 第一に地裁の裁判の現場から引き離す、第二に見せしめによる全国の裁判官たちへの警告、という2つの意図 福井地裁の樋口裁判官は、大飯原発差止め判決を出して名古屋家裁に異動 こと原発訴訟については、外部の人間でも一目でわかるようなストレートかつ乱暴な人事を強行する傾向があり、この人事はその典型です。 メディアがこれを批判しないのもおかしいですね 福井地裁の樋口英明裁判長によるもう一つの差止め仮処分(2015年4月)を取り消した決定(同年12月)に至っては、異動してきた3人の裁判官すべてが、最高裁事務総局勤務経験者だったのには、本当に驚きました 露骨な人事で現場に圧力 2013年2月に行われた2回目の研究会では、強力に「国のエネルギー政策に司法が口を差し挟むべきではない。福島原発事故以前の最高裁伊方原発訴訟判決の枠組みにより、しかし、より『ていねいに』判断すべきだ。ことに仮処分については消極」という方向性がはっきりと打ち出されています 原発訴訟についての裁判官研究会が2回開催 今後は国、電力会社寄りの判断が増える可能性が高いと予想 『黒い巨塔 最高裁判所』(瀬木比呂志著) 高浜原発稼働を差し止めた大津地裁の仮処分決定をあっさりと取り消し、関西電力に再稼働を認める決定 大阪高裁 司法が露骨に原発再稼働を後押し! 大阪高裁「反動判決」の意味 再稼働容認がドミノ倒しのように… 現代ビジネス 瀬木 比呂志 (その7)(司法の露骨な原発再稼働後押し、現地医師が見た避難の健康への影響) 原発問題
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