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司法の歪み(その2)(アディーレの不適切業務めぐる「処分」の重み、美濃加茂市長への逆転有罪判決問題2)   [社会]

司法の歪みについては、昨年12月3日に取上げた。今日は、(その2)(アディーレの不適切業務めぐる「処分」の重み、美濃加茂市長への逆転有罪判決問題2) である。

先ずは、弁護士法人アリスト代表弁護士/溝の口法律事務所所長の田畑 淳氏が4月15日付け東洋経済オンラインに寄稿した「アディーレの不適切業務めぐる「処分」の重み 懲戒の段階によって影響は断然変わってくる」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「過払い金の返還。あなたも対象かもしれません。着手金無料!成功報酬制!お電話ください」  テレビをよく見る人なら、1度はこんなCMを見掛けたことがあるでしょう。法律事務所としては珍しく、大々的にテレビCMを仕掛けて一躍有名になったのが弁護士法人「アディーレ法律事務所」です。
▽「今だけ無料」は景品表示法に違反と議決
・そのアディーレに対して東京弁護士会を含む3つの弁護士会の綱紀委員会が、弁護士法人としてのアディーレと石丸幸人弁護士、複数の所属弁護士について、「懲戒審査が相当」とする議決をしていたことが判明しました。
・消費者庁は昨年2月、アディーレがホームページ上で行っていた、着手金を全額返還するキャンペーンを、実際は5年近くの長期にわたって行っていた事実に反し、1カ月間の期間限定でのキャンペーンと宣伝していたことが景品表示法に違反するとして、措置命令を出しています。それを受けて、同事務所や所属弁護士への懲戒請求が各地の弁護士会で起こされた結果、3つの弁護士会が今回の判断を出しました。
・今回の事件は対象となったアディーレがいわゆる過払い事件をきっかけに成長してきた「新興大手事務所」の最大手であることもあり、懲戒審査の行方が注目されています。
・「弁護士の懲戒」というとどんな状況を想像されるでしょうか。近年は弁護士による横領事件などがメディアにより取り上げられることもありますし、「暴力団やアウトローの手先」に堕した弁護士を想像する方もいらっしゃるでしょう。 実際の懲戒はいわゆる弁護過誤、事件を処理せず放置するなどの事例から、依頼者への虚偽の報告、過大な報酬、弁護士会の会費滞納、弁護士の行方不明なども含め多岐にわたります。いわば問題のある業務活動を行った弁護士にペナルティを与える、最大にして万能の方法として運用されているものです。
▽弁護士自治において中核になる制度
・実は懲戒制度がなぜ重要なのかという点は「弁護士自治」と深くかかわっています。たとえば他の士業である司法書士の監督官庁は法務省、行政書士は総務省、公認会計士は金融庁、税理士は国税庁……と弁護士を除くほとんどすべての士業は何らかの形で省庁の監督を受けています。 しかしながら、時に国家権力と対峙する弁護士については独立が守られ、監督官庁はなく、弁護士会自身が弁護士を処分しています。これは過去、治安維持法に反対した弁護士が資格を剥奪されたような歴史に基づくものであり、懲戒処分制度は弁護士自治において中核になる制度の1つなのです。
・簡単に弁護士会の懲戒制度について説明すると、まず懲戒の手続きは誰でも行える懲戒請求(弁護士法58条1項)によりスタートします。
 (1)弁護士会は、懲戒請求があったとき(または弁護士会があると思料するとき)は、綱紀委員会に事案の調査をさせます(弁護士法58条2項)。
 (2)綱紀委員会は、上記の調査により、対象弁護士等について、懲戒委員会に事案の審査を求める旨判断した時には、懲戒委員会に事案の審査を求め、審査が開始します(弁護士法58条3項)。 
・つまり、本件についての懲戒の審査はまず所属弁護士会の中での調査と審査の2段階のうち、1段階目の調査を終了した状況といえます。 たとえば2016年についてみると、懲戒の請求の総数は3480件、これについて調査が行われています。そのうち審査を求める旨の判断が出ている、つまり(1)の段階を突破したのが191件、さらに(2)の段階も審査をもってして懲戒相当という判断が出たケースが114件となります。
・つまり数字で見るかぎり、(1)の段階から(2)に進んだ事件は、過去の統計上は半数~半数強ほどの件について最終的に懲戒処分が行われているといえます。最終的な処分は委員会の判断を待つことになりますが、客観的なHP上の表記については争いのなさそうな本件について(1)の綱紀を突破した以上、(2)でも懲戒処分相当という判断が出る可能性は相当程度あると言ってよいでしょう。
・なお、弁護士法人に対する懲戒は、法人自身に対する懲戒ですので、懲戒の効力は法人を構成する社員である弁護士や使用人である弁護士に直接及ばず、本件では「法人・石丸弁護士・その他複数の弁護士」がそれぞれ懲戒請求されています。本件では後述するように「法人」が懲戒されると、極めて大きな影響が出る場合があります。
・2016年の統計では全懲戒事案114件のうち、60件が戒告処分、47件が業務停止、3件が退会命令、4件が除名処分となっています。この中でおよそ半数を占める「戒告」処分は不名誉な記録が残り、一定の制限を受けることがあるものの、業務そのものが大打撃を受ける程の効果はありません。一般的に戒告レベルの事件は報道されないことも多いため、多くの読者の方にとってはイメージしにくい懲戒処分かもしれません。
▽業務停止となった場合
・それより重い「業務停止」については、たとえ1カ月という短いものでも弁護士法人にとっては大打撃となりかねません。 弁護士・弁護士法人は業務停止期間中、一切の弁護士業務ができません。それは「すでに受けて裁判を行っている事件」でも「顧問契約」でも同じです。
・となると、業務停止処分を受けた弁護士は、いったんすべての事件、すべての顧問業務について辞任しなくてはならないのです。これは個人で営業を行っている弁護士でも場合により100件近い事件について別の弁護士を探して引き継ぎを行わねばならず、大変な業務となります。
・それに加え、本件は百数十人の弁護士を擁する日本屈指の大事務所であるところ、法人の業務が停止されれば法人名で受任している業務をすべて辞任しなければなりません。これは想像を絶する手間と時間を要することになりそうです。
・この点について、「業務停止期間中、事務所の中で懲戒を受けていない弁護士が新事務所を立ち上げ、その新しい事務所が暫定的にすべての事件を引き継ぐ」という応急処置で対応するケースで業務が滞ることは防げる、という実例もあるようですが、上記の混乱をすべて回避することは難しいでしょう。
・では業務停止が明けた後は前と同じ状態に戻れるのかというと、これも簡単な問題ではありません。業務停止を受けたことに不信感を持ち、弁護士を解任する依頼者や顧問先もいるでしょう。莫大な金額がかかっているといわれる広告費について、集客できない期間が挟まることは資金繰りの点からしても危険です。融資の継続においてもマイナス要因になるでしょう。タイミングと長さ次第では業務停止が事実上事務所を倒産させ、結果多くの依頼者を混乱させるということも十分ありえます。
・今回の件はどの程度重い処分になるのでしょうか。確かに、法律事務所が消費者庁から行政処分を受けたことは業界にとっても驚きで、多くの弁護士を擁しながら数年間問題のある状況を続け、ここに至ったことは問題が大きいとも言えます。高い倫理性を要求される法律事務所が行政処分を受けた、という未曾有の事態であることを重く見るなら処分は重くなると言えそうです。
・ただ、本件は倫理上の問題はあっても、実際に着手金は取っていないわけで、深刻な被害を受けた人がいるケースと比較し、あまり重く罰するのはどうかという意見もあります。 相場観が問われそうですが、実は弁護士による広告は長く規制されており、これが解禁されたのは2000年。そこから現在に至るまで、広告についての懲戒というのは全期間を通して数件と極めて数が少なく、本件とピンポイントで類似する事案は存在しません。また懲戒が弁護活動の広い範囲の問題をカバーする以上、どの程度の処分を科すかについては客観的、一義的な基準がありません。
・本件は、「戒告」で済むのか、「業務停止」になるのかで、その後の影響に大きな差が出る事件です。 また、懲戒の重さとは別に懲戒対象の範囲、「ボスの(事務所の)問題に巻き込まれて懲戒対象となる若手弁護士」の扱いについても、業界内外の注目点でしょう。 アディーレ側は、懲戒された石丸弁護士以外のアディーレ所属弁護士について「広告にかかわっていない」として懲戒しないよう求めていると聞いています。若手弁護士の離反や退職を防いで事務所を守ろうとする経営側の事情も想像できます。
▽責任の所在はどこに?
・今回のケースについて責任の所在を実質的に考えるなら、アディーレで「広告戦略を誰が決定していたのか」という点が問題になりそうです。アディーレ内部の権限分掌については現在明らかではありません。事情に詳しい関係者に聞くかぎり、広告戦略はごく2~3人のトップが判断しており、かつ実際に広告戦略にかかわっていた幹部が懲戒対象になっていない一方、まだ若手で権限のない弁護士が懲戒請求の対象となっている可能性もあるようです。
・おそらく懲戒請求に当たって、懲戒請求者はアディーレ内部での権限分掌を調査できないでしょうから、そうした齟齬(そご)は十分ありえます。とはいえ、どの所属弁護士もアディーレのHP、広告内容は見られるわけですから、それをやめさせるよう事務所のトップに働きかけることはできたともいえます。となると、責任の所在についてはある程度形式的に判断せざるをえません。具体的には通常の会社で取締役に相当する「社員」はより責任が重くなるといえます。
・ただ、昨今の若手弁護士を取り巻く就業環境は決して余裕のあるものではありません。解雇されたら明日の生活はどうしようと考えている若手弁護士も現在は多いと聞きます。名だたる名門事務所ですら上司の命令は絶対であり、上司の問題行為に巻き込まれ、懲戒の憂き目に遭っていると思われる若手の弁護士がいることは事実です。
・アディーレにおいて、事実上若手の弁護士がトップに広告方針を変えさせるような進言をすることができたかについて慎重に考え、形式面を見るとしても「社員」に就任している弁護士がどこまで権限を持っていたのか、いわゆるブラック企業の「名ばかり管理職」のような観点も必要だと感じます。 具体的に申し上げると、弁護士法人が支店を出す際、どの支店にも必ず「社員」を置かねばならないことから、事務所内で権限を有していなくても、とりあえず地方の支店に配置した若い弁護士が「社員」として登記されることは珍しくないことなのです。
・「どの弁護士も専門家で独立した存在である」という考え方は建前としてあっても現在の状況には必ずしも当てはまりません。アディーレのように、組織化してサービスを展開する法律事務所では、弁護士であっても、上司の命令に逆らえない弱い立場の部下とならざるを得ない局面もあったでしょう。そうした点を考慮に入れず、実質的な役割の精査なく形式的に責任ある立場とする判断は、あまり望ましいとはいえません。
・上司に逆らうだけの力がなく誤った行動をとってしまった弁護士は、専門家でありつつ他方社会的には弱者としての側面も有しています。懲戒すべき事実については厳正に審査を行うべきでしょう。一方で、若手の弁護士に弁護士人生を通して記録が残る「懲戒歴」という烙印を押すこと、また手続きの中途であり、本来非公開である綱紀の段階で情報がどのように発表されるかというあり方については、より慎重を期すという考え方もあろうかと思います。
http://toyokeizai.net/articles/-/167663

次に、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が5月18日付け同氏のブログに掲載した「美濃加茂市長事件、弁護団はなぜ”逆転無罪”を確信するのか」を紹介しよう(▽は小見出し)。郷原氏らしく長文であるが、事件の重大性に鑑みて、お付き合い頂きたい。
・全国最年少市長だった藤井浩人市長が、受託収賄等で逮捕、起訴された美濃加茂市長事件。昨年11月28日に名古屋高裁が言い渡した「逆転有罪判決」に対して、藤井市長は、即日上告していたが、5月16日、弁護団は、最高裁判所に上告趣意書を提出した。
・同日午後1時から、東京地方裁判所の司法記者クラブで、主任弁護人の私と、上告審で新たに弁護団に加わった原田國男弁護士、喜田村洋一弁護士に、藤井市長も駆けつけて記者会見を行った(記者会見に参加したジャーナリストの江川紹子氏のyahooニュースの記事【「日本の司法を信じたい」~美濃加茂市長の弁護団が上告趣意書提出】)。 藤井市長は、会見で、「私が潔白であるという真実が明らかにされることを確信している」と述べたが、我々弁護団も、上告審での“再逆転無罪”を確信している。
▽日本の刑事裁判の「三審制」の構造
・上告趣意書は全文で128頁に上る。記者会見では、説明用に抜粋版(50頁)を作成して配布した。これとほぼ同様の内容の抜粋版を、私の法律事務所のHPに掲載している(【上告趣意書抜粋版】)。 抜粋版の内容を中心に、我々弁護団が、最高裁で“再逆転無罪”を確信している根拠を挙げることとしよう。
・その前に、日本の刑事裁判における「三審制」の構造と、その中で、上告審がどのように位置づけられているのかを説明しておく。 検察官の起訴を受けて、第1審(地裁)では、公訴事実について、白紙の状態から事実審理が行われる。被告人・弁護人が無罪を争う事件であれば、検察官の請求によって、公訴事実を立証するための証人尋問等の証拠調べが行われ、被告人質問で、被告人の弁解や言い分も十分に聞いた上で、第1審判決が言い渡される。判決に対して不服があるときは、つまり有罪であれば被告人・弁護人側、無罪であれば検察官側が、控訴の申立てをし、裁判は、控訴審に移ることになる。
・控訴審(高裁)は、基本的には、「事後審査審」と言われ、第1審判決の事実認定や訴訟手続に誤りがあるか否かという観点から審理が行われる。特に誤りがないと判断されれば控訴は棄却され、誤りがあると判断された場合には、第1審判決が破棄され、第1審で審理のやり直しが命じられたり(差戻し)、控訴審自ら判決の言い渡し(自判)が行われたりする。このように、第1審判決の見直しに関して、必要に応じて、控訴審での事実審理が行われる。こうして出された控訴審判決に対して、不服があれば最高裁判所への上告が行われることになる。
・上告審(最高裁)は、三審制の「最後の砦」であるが、上告理由は、「憲法違反、判例違反、著しく正義に反する事実誤認・法令違反」に限定されている。控訴審までに行われた事実審理や法律適用が、国の根本規範である憲法や、刑事裁判のルールと言うべき「最高裁判例」に違反した場合や、事実認定や訴訟手続に重大な誤りがあって、そのまま確定されることが「著しく正義に反する」という場合でない限り、上告審で控訴審判決が覆されることはない。
▽上告趣意書で主張した3点の上告理由
・美濃加茂市長事件で、弁護人が上告理由として主張したのは、以下の3点である。 第1に、原判決(控訴審判決)は、「1審が無罪判決を出したとき、控訴審が、新たな証拠調べをしないまま1審判決を破棄して有罪判決を下すことができない」とする最高裁判例(昭和31年7月18日大法廷判決・刑集10巻7号1147頁)及び「第1審判決が、収賄の公訴事実について無罪を言い渡した場合に、控訴裁判所が、事件の核心をなす金員の授受自体についてなんら事実の取調を行うことなく、訴訟記録及び第1審で取り調べた証拠のみによつて犯罪事実の存在を確定し、有罪の判決をすることは違法」とする最高裁判例(昭和34年5月22日第二小法廷判決・刑集13巻5号773頁)に違反する(以下「判例違反①」)。
・第2に、原判決は、「控訴審が1審判決に事実誤認があるとして破棄するためには、1審判決の事実認定が論理則・経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要」とする最高裁判例(平成24年2月13日第1小法廷判決・刑集66巻4号482頁「チョコレート缶事件判決」)に違反する(以下「判例違反②」)。
・第3に、原判決は、重大な事実誤認により、被告人を無罪とした1審判決を破棄して被告人を有罪としたものであり、無辜の被告人を処罰の対象とした点で、著しく正義に反するものである。
▽1審無罪判決を破棄して有罪自判するために必要な証拠調べ
・第1の判例違反①の主張は、原判決が、第1審無罪判決を破棄して有罪の自判をすることについての判例のルールに違反したというものだ。このルールというのは、証人尋問や被告人質問等を直接行って、供述者の態度や表情等も含めてその信用性を判断する第1審(このようなプロセスを経た裁判所の判断を重視することを「直接主義」「口頭主義」と言う)と、その結果を記録した書面だけで判断する控訴審とは大きく異なるのであるから、控訴審が、一審無罪判決を覆して有罪判決を言い渡すためには、自ら新たな証拠調べをしなければならない、というものだ。しかも、その証拠調べも、単に、「やれば良い」というものではなく「事件の核心に関するもの」でなければならない。その結果、公訴事実が認定できると控訴審が判断した場合にのみ、有罪の自判をすることができる、というのが判例である。
・ところが、本件の名古屋高裁での控訴審では、この新たな証拠調べが「事件の核心」である現金授受に関して行われたとは到底言えない。 控訴審では、贈賄供述者の中林本人の証人尋問が職権(裁判所自らが必要と判断して実施すること)で行われた。それは、中林の一審証言に際して「検察官との入念な打合せ」が行われ、証言に大きな影響を与えたと思われたことから、検察官との打合せ等に影響されない中林の「生の記憶」を確認するために、事前に資料等を全く渡さない状態で、中林の「生の記憶」を確かめようとしたものだった。ところが、ブログ【控訴審逆転有罪判決の引き金となった”判決書差入れ事件”】でも書いたように、融資詐欺・贈賄の罪で服役中の中林に、今回の証人尋問の実施について裁判所から正式の通知が届くよりも前に、中林自身の裁判で弁護人だった東京の弁護士から、尋問に関連する資料として、藤井市長に対する一審無罪判決の判決書等が送られるという想定外の事態が起こった。中林は、自分の捜査段階での供述や一審での証言内容などがすべて書かれている判決書を事前に読んで、証言を準備していたのである。
・中林は、一審証言とほぼ同じ内容の証言を行ったのだが、判決書を事前に読んでいたのだから当たり前であり、少なくとも、中林証言の信用性を認める証拠としては意味のないものだった。原判決も、当裁判所としても予測しなかった事態が生じたことから、当裁判所の目論見を達成できなかった面があることは認めざるを得ない。したがって、当審における中林の証言内容がおおむね原審(1審)公判証言と符合するものであるといった理由で、その信用性を肯定するようなことは当然差し控えるべきである。 と判示している。
・それ以外に、控訴審で行われた新たな証拠の取調べは、中林の取調べを行った中村警察官の証人尋問だけだった。ところが、それは、「中林の供述経過」だけにしか関係しない証拠で、しかも、中林の取調べを担当した警察官という捜査の当事者であり、中林証言の信用性が否定されることに重大な利害関係がある人物の証言なので、証拠価値が極めて低い。このような証拠調べが、控訴審での「新たな証拠調べ」として評価されるものではないことは明らかである。
・そうなると、控訴審で、一審無罪判決を覆す判断をしようと思えば、最低限必要なことは、被告人質問で、現金の授受という「事件の核心」について、被告人から直接話を聞くことであった。しかし、被告人の藤井市長は、公判期日すべてに出席していたのに、裁判所は、被告人質問を一切行わず、直接話を聞くことを全くしないまま結審し、逆転有罪判決を言い渡したのである。
・しかも、原判決は、ブログ【村山浩昭裁判長は、なぜ「自分の目と耳」を信じようとしないのか】でも述べたように、直接見聞きしたわけでもなく、裁判記録で読んだだけの一審被告人質問での供述について、「中林が各現金授受があったとする際の状況について、曖昧若しくは不自然と評価されるような供述をしている」という理由で、証拠価値がないと判示したのである。現金は全く受け取っておらず、一緒に昼食をしただけだと一貫して述べている藤井市長が、1年半も前に、誰かとファミレスで短時間、昼食を一緒にした時のことについて、資料をもらったか否か、どのような話をしたのかなど具体的に覚えていないのが普通であり、その点について記憶が曖昧だということは、被告人供述の証拠価値を否定する理由には全くならないことは言うまでもないが、原判決は、この被告人供述について、「被告人が記憶のとおり真摯に供述しているのかという点で疑問を抱かざるを得ない」などと、藤井市長の供述態度まで批判しているのである(その供述を直接見聞きしたわけでもないのに!)。
・このような原判決が、第1審の無罪判決を破棄して有罪を言い渡す場合の判例のルールに違反していることは明白である。
▽控訴審での事実誤認の審査と1審の論理則・経験則違反の指摘
・判例違反②の根拠としている「チョコレート缶事件判決」は、控訴審における事実誤認の審査の方法について、最高裁が平成24年に示した判断である。それまでは、第1審裁判所が、直接証人尋問等を行って得た「心証」と、控訴審裁判所が、事件記録を検討して得た「心証」とが異なっていた場合に、控訴審判決が、第1審判決を事実誤認で破棄することについて特に制約はなかった。しかし、裁判員制度が導入され、それまで以上に、刑事裁判の審理を1審中心にすることの必要性が高まる中で、最高裁は、 第1審において,直接主義・口頭主義の原則が採られ,争点に関する証人を直接調べ,その際の証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され,それらを総合して事実認定が行われることが予定されていることに鑑みると,控訴審における事実誤認の審査は,第1審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきもの  と判示し、論理則・経験則違反が具体的に指摘できない場合には、第1審判決を事実誤認で破棄することができない、としたのである。
・原判決でも、第一審判決の事実認定を批判する中で、「論理則・経験則違反」という言葉を多数、使ってはいる。しかし、その内容は、1審判決が論理則・経験則に照らして不合理であることを具体的に指摘したものではなく、控訴審の誤った「心証」に基づく判断を「論理則・経験則」と言い換えているだけである。
・個別の判示についての記述は、証拠関係の詳細にわたるので「抜粋版」では省略したが、典型的な一例を挙げよう。 本件では、現金授受があったとされる現場に、常にTが同席していたこと、そのTが「自分が見ているところで現金授受の事実はなかった。席も外していない。」と証言していることが、現金授受を認定する上での最大の問題であった。
・その点に関連して、最初にとられた中林の警察官調書では、1回目の現金10万円の授受があったとされた「ガスト美濃加茂店」での会食について、Tは同席せず、被告人と中林の二人だけだったように記載されているのに、その後、検察官調書で、Tも含めて3人の会食だったとされていることから、弁護人は、「当初、二人だけの会食だったと供述していた中林が、ガスト美濃加茂店の資料で3人だったことが判明したため、事後的に辻褄合せをしたものだ」と主張し、その点を、中林供述が信用できないことの根拠の一つとしていた。それに対して、中林は、一審公判で、「警察官調書作成後、メール等の詳しい資料を熟読するうちに、平成26年3月末頃から同年4月上旬頃、被告人が到着するのをガストの駐車場でTと一緒に待っていた情景等を思い出した。」と供述して、Tが同席していたことを自分で思い出したように証言していた。
・これに対して、1審判決では、 中林は、すでに3月27日付け警察官調書において、被告人とガストの駐車場で待ち合わせたこと自体は供述しているし、4月2日午前中に被告人と中林との間でやり取りされたメールを見ても、Tを同行していた事実を推測させるような記載は見当たらないことからして、前記資料等を見たことをきっかけに前記情景等が思い出されたとする中林の説明はそのまま首肯し難い。 と指摘していた。
・これに対して、控訴審判決(原判決)は、 確かに、メールの履歴をみる限り、Tに関する記載は無いものの、記憶喚起のあり方として、Tの存在を直接示す記載が無くても、メールを見ながら当時の状況について記憶喚起している中で、Tがいた情景を思い出すということは、経験則上あり得ることであり、この点も特に不自然ではない。 と判示し、まさに、1審判決の指摘が経験則に反しているかのように判示した。
・しかし、1審判決は、記憶喚起の経過として、「メールにTの存在を直接示す記載が無いのにメールを見ながら当時の状況について記憶喚起している中で、Tがいた情景を思い出すこと」があり得ない、と述べているのではない。中林は、警察官調書で、被告人とガストの駐車場で待ち合わせたこと自体は供述しているのだから、「被告人が到着するのをガストの駐車場でTと一緒に待っていた情景等を思い出した」という「記憶喚起の経過についての説明内容」が不合理であることを指摘しているのである。
・しかも、この点について、中林は、控訴審での証人尋問で、「Tがガストに同席していたことを思い出したきっかけ」について裁判所から質問され、「刑事さんに頼んで、カードの支払の明細を取寄せてもらったところ、しばらくして、それが来て、3人分のランチの支払があったので、Tがいたことがわかった。」と証言しており、中林は、控訴審では、「被告人が到着するのをガストの駐車場でTと一緒に待っていた情景等を思い出したこと」という1審での証言を、自ら否定している。
・また、前述したように、控訴審で証人尋問が行われた中林の取調べ警察官の中村も、「中林は4月2日ガストでのT同席を、自分で思い出したのではなく、4月13日頃にガスト美濃加茂店の資料を示されて思い出した。」と証言しており、一審の中林証言は、中村証言とも相反している。
・このように、Tの同席を思い出した経緯についての1審中林証言を、「首肯しがたい」とした1審判決の指摘が正しかったことは、控訴審における証拠調べの結果によっても裏付けられているのである。 ところが、原判決は、自ら行った証拠調べ(中林証人尋問)の結果を完全に無視し(この点に限らず、原判決が控訴審での中林証人尋問の結果を全て無視したことは前述した。)、1審中林証言について《この点も特に不自然ではない。》などと判示して、一審判決の指摘が誤っているかのように言っているのである。
・これは、原判決の指摘が「1審判決の論理則・経験則違反の指摘」に全くなっておらず、余りにも杜撰なものであることの典型例であるが、それ以外の点も、証拠に基づいて仔細に検討していくと、中林の捜査段階からの供述経過や、関係者の供述を無視したり、1審判決の指摘の趣旨を誤ってとらえたり、全くの憶測で中林の意図を推測して中林証言の不自然性を否定したりするなど、1審判決の事実認定に対する批判として的外れなものばかりである。このような原判決は、最高裁判例で言うところの、「一審判決の論理則・経験則違反を指摘」したとは到底言えず、上記判例に違反していることは明白である。
▽著しく正義に反する重大な事実誤認
・そして、第3の上告理由が、中林証言の信用性を肯定し、現金授受があったと認定したことの「著しく正義に反する重大な事実誤認」である。 証拠の詳細にわたる内容なので、「抜粋版」では省略したが、上告趣意書では、原判決が、証拠評価に関して多くの重大な誤りを犯していることを徹底して指摘した。証拠評価に関して、不当に過大評価したのが中林の知人のAとIの証言、不当に過少評価したのが、現金授受があったとされる会食に同席したTの証言だ。
・Aは、1審公判で、「平成25年4月24日頃、中林から、被告人にお金を渡したいから50万円貸してくれないかと頼まれた。」と証言した。また、Iも、1審公判で、「浄水プラントの実証実験が始まった後の同年8月22日、中林とともに西中学校に浄水プラントを見に訪れた際、中林に、『よくこんなとこに付けれたね』と言ったのに対して、中林が、『接待はしてるし、食事も何回もしてるし、渡すもんは渡してる』と発言し、何百万か渡したのかと聞いたら、中林が『30万くらい』と答えた。」旨証言した。
・これらの証言について、1審判決は、A証言を「中林において被告人に対して現金供与の計画を抱いていたとの事実の裏付けにはなり得るものの、それ以上に第2現金授受の存在を直接に裏付ける事実となるものではない」、I証言を「その性質上伝聞証拠に当たり、中林の公判供述の信用性に関する補助事実に過ぎない上、Iの公判供述における中林の発言内容は曖昧な内容である」と述べて、極めて簡潔な判示で証拠価値を否定した。
・ところが、原判決は、Aが証言する中林の発言が、「Aに依頼した時点で、被告人に対し金銭を供与することを企図していたことを推認させる事実」だとし、Iが証言する中林の発言が、各現金授受に関する中林証言と金額も含めて整合している」とし、AとIの証言を、後から作為して作り上げることのできない事実であるという意味において、「中林証言の信用性を質的に高めるもの」と評価したのである。
・1審判決が、A、Iの証言の証拠価値を当然のごとく否定したのは、もともと、その証言が、「中林の発言」を聞いたという間接的なもので、「伝聞証拠」であり、証拠としての価値が低いことに加えて、その「中林の発言」の内容も、信用性を高めるようなものではないからである。Aが証言するように、中林がAに借金を依頼する際に、その理由について「被告人に金を渡したい」と発言した事実があったとしても、Aから頻繁に高利で金を借りていた中林が借金を依頼する口実にしたに過ぎないと考えるのが常識であろう(実際に、控訴審での検察官の主張も、A証言は、中林の供述経過に関する証拠にしようとしただけで、Aが証言する「中林発言」が信用性を高めるとは言っていない)。また、Iが証言する、美濃加茂西中学校を中林とともに訪れた際の会話というのも、それまで実績がほとんどなかった中林の会社が美濃加茂市の中学校に浄水プラントを設置したことについて、中林が、会社の実績を上げたように誇大に説明する中で(実際には、この設置は「実証実験」であり、費用もすべて中林側が負担しているのであるが、Aはそのことは知らされていない。)、「それなりのことはしている」と言ったという程度の「他愛のない世間話」に過ぎないと考えるのが常識的な見方だろう。
・それに加え、1審裁判所は、彼らの証言態度や中林とA、Iとの関係などから、凡そ証拠として評価するに値しないと判断したものと考えられる。 A、Iは、かねてから中林と深い関係があるほか、本件や中林の融資詐欺の捜査の進展によって利害を受ける立場にあり、全くの第三者による証言とは質的に異なる。
・Aは、中林が会社を設立した際には発起人となり、「見せ金」として設立資金を一時的に提供するなど同社に深く関わっていた。しかも、中林が金融機関から騙し取った金の多くは、Aの中林への貸付金の返済としてAに渡っていた。そのため、当然のことながら、Aは、中林の逮捕後、融資詐欺の共犯の嫌疑で捜査を受けており、多数回にわたって警察の取調べを受け、自宅や所有自動車等の捜索も受け、自宅から多額の現金も発見されていたことは、同人も証言している。ところが、Aが「被告人に渡す金として中林に50万円を貸した」旨の供述を行い、その後、中林が、Aから借りた金で20万円を被告人に供与した旨供述して以降、愛知県警捜査二課の捜査は、中林と被告人との贈収賄に集中し、Aに対する融資詐欺の共犯の捜査もうやむやのまま終わり、Aは逮捕されることも処罰を受けることもなく終わっている。ある意味では、中林の贈賄供述により、中林以上に恩恵を受けたのがAだったと言える。
・Aは、中林が被告人への現金供与を供述するより前に、警察の取調べで聴取対象とされていた融資詐欺の共犯の容疑とは全く無関係の上記供述を始めた。少なくとも、その後、警察捜査が、中林を贈賄者とする本件贈収賄事件の方向に進展したことは、Aに対して有利に働いた。そして、Aは、本件公判で、中林から被告人に現金を渡した旨の報告を受けたことなど、検察官に有利な証言を行っている。
・また、1審の証人尋問で、検察官の主尋問にはすらすらと答えていたIは、弁護人の反対尋問になると態度が急変し、中林とともに設置された浄水プラントを見に行く理由となったプラントの設置と自分の仕事との関係についても曖昧な説明しかできず、弁護人からの反対尋問で、「渡すもんは渡した」という中林の発言を聞いたことを最初に話した相手や、警察との関係などについて質問されて、証言が二転三転し、意味不明の言葉を発するなど、明らかに不自然な証言態度だった。
・このようなA、I証言のいかがわしさ、不自然さは、少なくとも、1審でのA、Iの証言を直接見聞きした人の目には明らかだったはずだ。実際に、1審公判をすべて傍聴した江川紹子氏は、控訴審判決後に、【美濃加茂市長まさかの逆転有罪 名古屋高裁に棲む「魔物」の正体】と題する記事(週刊プレイボーイ2016年12月26日号[第52号])で、1審で明らかになった中林とA、Iとの関係に言及した上、 彼らは、中林社長とは金銭を媒介した利害関係人であり、背景は闇に包まれている。ふたりの証言を直接聞いた一審はこれを重視しなかったが、高裁はその速記録を読んで、いとも簡単に信用した。 と書いている。
・原判決が、A、I証言を外形だけでとらえて、「中林証言の信用性を質的に高めるもの」と評価したのは、凡そ論外と言わざるを得ない。
▽同席者Tの証言の証拠価値の否定
・一方、原判決が、不当に証拠価値を過少評価したのが、T証言だ。現金授受があったとされる2回の会食に同席し、現金の授受は見ていないこと、会食では席を外していないことを明確に述べるTの証言は、現金授受の事実は全くないという被告人供述に沿う有力な証拠であり、控訴審において、現金授受を認める方向で1審判決が覆される可能性はないと確信していた根拠の一つだった。ところが、原判決は、このT証言を、捜査段階からの供述に「変遷」があるとして証拠価値を否定したのである。
・その大きな理由とされたのが、Tの取調べが開始された直後に作成された検察官調書の次のような記述だった。 中林は、4月2日にガストで会ったときと、4月25日に山家で会ったときの2回、藤井にお金を渡していると聞いています。しかし、私は、そのとき、中林が藤井にお金を渡している場面は、見た記憶がありません。ですから、仮に、中林が藤井に金を渡しているとするなら、私がトイレや携帯などで席を外した際に渡しているのではないかと思います。
・原判決は、この供述調書の記載から、「Tが、捜査段階で、両方の席で席を外した可能性があることを前提とした供述をしていた」と言って、公判証言との間で「変遷」があるというのである。 Tは、被告人が任意同行を求められ逮捕された平成26年6月24日の早朝、被告人とほぼ同時に警察に任意同行を求められ、その後、同月28日までの5日間、連日、長時間にわたり警察の取調べを受け、「被告人と中林との会食の際に席を外していないか」と聞かれて「ない」と答えると、「絶対にないか、そう言い切れるか」と長時間にわたって執拗に質問され、威迫的言辞も交えた取調べが続けられた結果、28日には、身体を痙攣が襲い、椅子から転げ落ちて意識を失うほどの状況にまで追い込まれ、Tが依頼した弁護士の抗議により警察での取調べは中止されることになった。その間の26日に、名古屋地検で、検察官の取調べを受けた際に作成された供述調書が、上記の供述調書なのである。
・そのような供述調書が作成された状況について、Tは、1審公判で、 「見ていないところで渡ったというのであれば、席を外したときしかない」ということは検察官から言われたと思います。僕は席を外していないということは一貫して言っておりましたので。 と証言している。 警察での取調べの状況からしても、「会食の際に席を外した」という供述を引き出すことに最大の目的があったのは明白であり、同日の取調べにおいて、Tが自発的に「席を外した可能性がある」と言っているのであれば、それこそ、検察官がまさに獲得しようとしていた供述そのものなのであるから、検察官は、そのままの供述を検察官調書に記載したはずであり、「仮定的」形態で供述を録取する必要など全く存在しない。
・にもかかわらず、これに真正面から回答する記載ではなく、「仮定的内容」の記載になっているのは、Tが証言するように、同日の取調べにおいては、いずれの会食に関しても離席の可能性を否定していたからとしか考えられない。 警察での拷問的な取調べ、検察での欺瞞的な調書作成等、捜査機関が手を替え、品を替え、なり振り構わない姿勢で、Tから「席を外した」旨の都合の良い供述を得ることに腐心していたことは、1審の記録上も明らかである。ところが、原判決は、その中で作成された上記検察官調書の記載だけを取り上げて、「席を外した可能性があることを前提とした供述」ととらえているのである。
▽判例のルールに反することと重大な事実誤認
・これまで述べてきたことは、128頁にわたる上告趣意書で述べたことのほんの一端に過ぎない。極めて丁寧な審理で適切な証拠評価・事実認定を行った1審判決を否定した原判決が、表面的には「控訴審判決」の外形を取り繕っていても、その内容は凡そ「刑事裁判」とは言えない杜撰極まりないものだ。
・今回、上記の3つの上告理由を内容とする上告趣意書を作成し、取りまとめる過程で、改めて感じたのが、そこで引用した二つの最高裁判例が、実質的にも、刑事控訴審についての適切なルールであり、そのルールに反すると、事実認定に関しても重大な誤りを犯すことにつながるということだ。
・原判決が「控訴審は、『事件の核心』について新たな証拠調べをしないまま1審無罪判決を破棄して有罪判決を下すことができない」という判例①、「控訴審が1審判決に事実誤認があるとして破棄するためには、1審判決の事実認定が論理則・経験則等に照らして不合理であること具体的に示すことが必要」とする判例②に忠実にしたがった審理を行って判決に至っていれば、一審無罪判決を破棄して不当な有罪判決を出すことはあり得なかったはずだ。
・日本の刑事裁判の三審制で、「最後の砦」としての上告の理由が、原則として判例違反に限定されているのも、本件の判例と原判決の事実誤認の関係を見ると、十分に理由があることのように思われる。 今回の上告に対する裁判として、訴訟手続の問題である判例違反①との関係からは、理論的には高裁又は地裁への「差戻し」というのもあり得る。しかし、我々弁護団の一致した意見で、求める裁判は、「原判決破棄」「検察官の控訴を棄却する」だけに絞った。
・一審で十分に審理が尽くされ、さらに、控訴審での事実審理の結果からも、1審の無罪判決が極めて正当なもので、それを不当に破棄した原判決が誤りだということは明らかだ。
・記者会見冒頭の挨拶を、藤井市長は、以下のように締めくくった。 本日、弁護団の先生方に、最後の司法判断に向けて、最高裁判所への上告趣意書を提出して頂きました。 私の言い分を一言も聞くことなく、有罪を言い渡した控訴審判決が、全くの誤りであること、私にかけられた容疑が無実無根で、私が潔白であることを、完璧に論証していただいたと思っております。 私は、日本の司法の正義を信じたいと思います。 今回の上告趣意書を最高裁でしっかり受け止めて頂き、私が潔白であるという真実が明らかにされることを、そして、私の無実を信じ、市長として信任してくださっている美濃加茂市民の皆様に良い御報告ができることを確信しています。
・「司法の正義を信じる」という若き市長の言葉に応える最高裁の適切な判断が出されることを、主任弁護人の私も固く信じている。
https://nobuogohara.com/2017/05/18/%E7%BE%8E%E6%BF%83%E5%8A%A0%E8%8C%82%E5%B8%82%E9%95%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%81%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%9B%A3%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%86%8D%E9%80%86%E8%BB%A2%E7%84%A1%E7%BD%AA/

アディーレのテレビコマーシャルは、消費者庁から処分を受けた後も、引き続き「しつこい」ぐらい大量に流し続けている。 『「弁護士自治」』、というのは確かに重要なものだ。 それに基づく 公正な『懲戒処分』を期待したい。ただ、『業務停止』、は公認会計士と同様に、確かに混乱をもたらしかねないが、 『「業務停止期間中、事務所の中で懲戒を受けていない弁護士が新事務所を立ち上げ、その新しい事務所が暫定的にすべての事件を引き継ぐ」という応急処置で対応するケースで業務が滞ることは防げる、という実例もあるようです』、との裏ワザで対応するほかなさそうだ。
『美濃加茂市長事件』の控訴審は、こんな裁判があるのかと驚いたほど、不当極まりないものだ。藤井市長については、控訴審での有罪判決を受けて一旦、辞任、1月30日の市長選挙で再任、5月には任期満了で辞任、市長選挙には無投票で3選されたようだ。市民も信任しているようだ。T氏の取り調べで、 『5日間、連日、長時間にわたり警察の取調べを受け、「被告人と中林との会食の際に席を外していないか」と聞かれて「ない」と答えると、「絶対にないか、そう言い切れるか」と長時間にわたって執拗に質問され、威迫的言辞も交えた取調べが続けられた結果、28日には、身体を痙攣が襲い、椅子から転げ落ちて意識を失うほどの状況にまで追い込まれ、Tが依頼した弁護士の抗議により警察での取調べは中止されることになった』、という警察での拷問的取り調べも、こんなことがいまだに行われているというのは、空恐ろしいことだ。さらに、 『検察での欺瞞的な調書作成』、控訴審での判断、も信じられないほど不合理なものだ。 『「司法の正義を信じる」という若き市長の言葉に応える最高裁の適切な判断が出されることを、主任弁護人の私も固く信じている』、私も信じたい。ただ、こうした警察や検察の強権的姿勢は、共謀罪の危険性を改めて示すものだ。
タグ:司法の歪み (その2)(アディーレの不適切業務めぐる「処分」の重み、美濃加茂市長への逆転有罪判決問題2) 田畑 淳 東洋経済オンライン アディーレの不適切業務めぐる「処分」の重み 懲戒の段階によって影響は断然変わってくる 過払い金の返還 あなたも対象かもしれません。着手金無料!成功報酬制!お電話ください 大々的にテレビCMを仕掛けて一躍有名になったのが弁護士法人「アディーレ法律事務所」 「今だけ無料」は景品表示法に違反と議決 弁護士会の綱紀委員会 懲戒審査が相当 消費者庁 景品表示法に違反 措置命令 弁護士自治において中核になる制度 懲戒処分相当という判断が出る可能性は相当程度ある 業務停止となった場合 弁護士・弁護士法人は業務停止期間中、一切の弁護士業務ができません。それは「すでに受けて裁判を行っている事件」でも「顧問契約」でも同じです いったんすべての事件、すべての顧問業務について辞任しなくてはならないのです 業務停止期間中、事務所の中で懲戒を受けていない弁護士が新事務所を立ち上げ、その新しい事務所が暫定的にすべての事件を引き継ぐ」という応急処置で対応するケースで業務が滞ることは防げる、という実例もある 、「戒告」で済むのか、「業務停止」になるのかで、その後の影響に大きな差が出る事件 郷原信郎 美濃加茂市長事件、弁護団はなぜ”逆転無罪”を確信するのか 藤井浩人市長 受託収賄等で逮捕、起訴された美濃加茂市長事件 名古屋高裁 「逆転有罪判決 上告趣意書 控訴審(高裁)は、基本的には、「事後審査審」と言われ、第1審判決の事実認定や訴訟手続に誤りがあるか否かという観点から審理が行われる。特に誤りがないと判断されれば控訴は棄却され、誤りがあると判断された場合には、第1審判決が破棄され、第1審で審理のやり直しが命じられたり(差戻し)、控訴審自ら判決の言い渡し(自判)が行われたりする 上告理由は、「憲法違反、判例違反、著しく正義に反する事実誤認・法令違反」に限定 原判決(控訴審判決)は、「1審が無罪判決を出したとき、控訴審が、新たな証拠調べをしないまま1審判決を破棄して有罪判決を下すことができない」とする最高裁判例(昭和31年7月18日大法廷判決・刑集10巻7号1147頁)及び「第1審判決が、収賄の公訴事実について無罪を言い渡した場合に、控訴裁判所が、事件の核心をなす金員の授受自体についてなんら事実の取調を行うことなく、訴訟記録及び第1審で取り調べた証拠のみによつて犯罪事実の存在を確定し、有罪の判決をすることは違法」とする最高裁判例(昭和34年5月22日第二小法廷 原判決は、「控訴審が1審判決に事実誤認があるとして破棄するためには、1審判決の事実認定が論理則・経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要」とする最高裁判例(平成24年2月13日第1小法廷判決・刑集66巻4号482頁「チョコレート缶事件判決」)に違反 原判決は、重大な事実誤認により、被告人を無罪とした1審判決を破棄して被告人を有罪としたものであり、無辜の被告人を処罰の対象とした点で、著しく正義に反するものである 控訴審では、この新たな証拠調べが「事件の核心」である現金授受に関して行われたとは到底言えない 裁判所は、被告人質問を一切行わず、直接話を聞くことを全くしないまま結審し、逆転有罪判決を言い渡したのである 原判決が、不当に証拠価値を過少評価したのが、T証言 5日間、連日、長時間にわたり警察の取調べを受け、「被告人と中林との会食の際に席を外していないか」と聞かれて「ない」と答えると、「絶対にないか、そう言い切れるか」と長時間にわたって執拗に質問され、威迫的言辞も交えた取調べが続けられた結果、28日には、身体を痙攣が襲い、椅子から転げ落ちて意識を失うほどの状況にまで追い込まれ、Tが依頼した弁護士の抗議により警察での取調べは中止されることになった 「見ていないところで渡ったというのであれば、席を外したときしかない」ということは検察官から言われたと思います。僕は席を外していないということは一貫して言っておりましたので 警察での拷問的な取調べ、検察での欺瞞的な調書作成等、捜査機関が手を替え、品を替え、なり振り構わない姿勢で、Tから「席を外した」旨の都合の良い供述を得ることに腐心していたことは、1審の記録上も明らかである 司法の正義を信じる」という若き市長の言葉に応える最高裁の適切な判断が出されることを、主任弁護人の私も固く信じている
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