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「闇営業」(その4)(吉本興業<上>政府有識者懇談会メンバー・大崎会長の実像、<下>資本金125億円を1億円に減資したミステリー、小田嶋氏:お笑いブームの寂しい着地点) [社会]

「闇営業」については、8月16日に取上げた。今日は、(その4)(吉本興業<上>政府有識者懇談会メンバー・大崎会長の実像、<下>資本金125億円を1億円に減資したミステリー、小田嶋氏:お笑いブームの寂しい着地点)である。

先ずは、ジャーナリストの有森隆氏が8月28日付け日刊ゲンダイに掲載した「吉本興業<上>政府有識者懇談会メンバー・大崎会長の実像」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/260910
・『2019年4月21日。吉本興業の大﨑洋会長とNTT(日本電信電話)の澤田純社長は沖縄県那覇市で共同会見に臨み、教育向け動画配信通信事業を始めると発表した。子供を対象にスマートフォンやタブレット端末などを使って遊びながら学べる教育コンテンツを配信する。国内だけでなくアジアを中心に海外進出を狙っている。 共同出資で「ラフ&ピース マザー」(那覇市)を設立。両社に加え、官民ファンドのクールジャパン機構(海外需要開拓支援機構)が新会社に最大100億円出資する。10月以降、事業を開始する、という内容だ。 大﨑洋会長は「日本発で世界に発信できるプラットフォームにしたい」と語った。 吉本興業は、これまでも、クールジャパン機構と組んで事業を進めてきた。14年、吉本は同機構の出資を受け、電通、ソニー・ミュージックエンタテインメントなどとMCIPホールディングスを立ち上げた。アジア全域にアイドルなど日本のポップカルチャーのコンテンツを届ける』、「クールジャパン機構」が「最大100億円出資する」、とは政府との関係もかなり深そうだ。
・『今年2月には吉本とクールジャパン機構の共同出資で、クールジャパンパーク大阪がオープンした。大阪城公園内に新歌劇「KEREN(けれん)」を常設。日本の伝統芸能とデジタル技術を組み合わせた演出で訪日観光客も楽しめる観光スポットを目指す。安倍晋三首相公認の“吉本劇場”と、永田町では噂される。 吉本は同機構と二人三脚で歩みを進めるとともに、安倍政権との結び付きを強めていった。 安倍首相は今年4月20日、6月に開く主要20カ国・地域(G20)首脳会議で使う大阪迎賓館などを視察。その際、「なんばグランド花月」で吉本新喜劇に「経済に詳しい友人」という役どころで飛び入り出演し、G20への協力を呼びかけた。 中国最大のメディア企業、華人文化グループ(チャイナ・メディア・キャピタル)と20年春、上海にエンタメ業界の人材を育成する専門学校を開設する。エンタメ人材育成の学校設立は安倍首相が訪中した折に決まった「日中の第三国における経済協力」の事実上の第1号案件といわれている』、「吉本興行」と安倍政権との結び付きは「べったり」といっていいほどのもののようだ。
・『沖縄に目をつけた理由は  大﨑会長は今年6月、沖縄県の普天間基地や那覇空港など返還が見込まれる米軍施設・区域の跡地利用に関する政府の有識者懇談会のメンバーに選ばれた。 同氏は、吉本が10年以上にわたって運営している沖縄国際映画祭の企画責任者である。沖縄国際映画祭は、ずっと赤字が続いたが、それでもやめなかったのは「沖縄でカジノ利権への参入を狙っているから」と地元で報じられてきた。 「『沖縄国際映画祭』がスタートしたのは沖縄がカジノ誘致を始めた時期。メインスポンサーであるパチンコメーカー『京楽』と共に、カジノ事業に食い込むために沖縄に目をつけた――という説が濃厚です」(「FRIDAY DIGITAL」18年5月21日付) 普天間基地跡地は沖縄のカジノ誘致の有力候補といわれている。「大﨑氏の有識者懇のメンバー入りは、吉本のカジノ参入のシナリオが進んでいる証拠と取り沙汰されている。“第2の加計問題”になりかねない」(永田町筋)との指摘もある。 その最中に、所属芸人が反社会的勢力のパーティーで会社を通さない「闇営業」をしていた問題が浮上した。当初、闇営業で金銭受け取りを否定する虚偽の説明をした芸人に非があることは明らかだが、7月22日の岡本昭彦社長の会見があまりにお粗末すぎて、吉本の企業体質がコンプライアンス(法令順守)とまったく離れた地平にあることが浮き彫りになった。 クールジャパン機構の北川直樹社長は、吉本興業と立ち上げる新会社への100億円融資は継続する方針を示した。宮腰光寛沖縄・北方担当相は大﨑氏を有識者懇のメンバーから外さないと明言した。 吉本興業の実力者は大﨑会長だ。09年に社長に就いたが、2000年代初めから事実上、会社を仕切ってきた。10年以上にわたり、最高実力者として君臨してきたワンマン体制の歪みが一気に噴出した』、大﨑氏は「吉本が10年以上にわたって運営している沖縄国際映画祭の企画責任者である。沖縄国際映画祭は、ずっと赤字が続いたが、それでもやめなかったのは「沖縄でカジノ利権への参入を狙っているから」と地元で報じられてきた」、「沖縄でカジノ利権への参入」は、沖縄国際映画祭での10年以上の赤字を補って余りあるおいしい利権なのだろう。

次に、上記の続きを、8月29日付け日刊ゲンダイ「吉本興業<下>資本金125億円を1億円に減資したミステリー」を紹介しよう。
・『2009年9月11日、吉本興業は上場廃止を宣言した。元ソニー会長の出井伸之が社長を務めるクオンタムリープが組成した投資ファンド、クオンタム・エンターテイメントがTOB(株式公開買い付け)を実施。TOBが成立し、10年2月24日に上場廃止となった。ファンドは吉本興業を吸収合併し、新生・吉本興業に生まれ変わった。 ファンドにはフジ・メディア・ホールディングスなど在京キー局5社のほか電通、BM総研(ソフトバンクの子会社)など13社が出資し、買い付け代金は506億円。出資金240億円と300億円の銀行借入金で賄った。 非上場化を決断したのは、09年6月に11代目社長に就いた大﨑洋だ。1973年、関西大学卒業後、吉本興業に入社。大﨑は若い頃から上司とぶつかり、幾度となく左遷された。 大﨑自身、「アンチ吉本」を掲げ、独自路線を突き進む。 07年、吉本は創業家と経営陣の対立に揺れた。主役は中興の祖と呼ばれた(故)林正之助の一人娘の林マサ。息子の正樹を社長に据えたいという野望が発端とされる。 大﨑の自伝的小説「よしもと血風録」(常松裕明著、新潮文庫)には、裏社会からのさまざまな要求を拒否するシーンが生々しく描かれている。世に言う「大﨑副社長脅迫事件」である。お家騒動は、漫才師の中田カウスと林マサの告発合戦が週刊誌を舞台に繰り広げられ、燎原の火のように燃え盛った。 09年1月には、経営陣の“防波堤”となっていた吉本の最高顧問・中田カウスが襲撃された。社長の吉野伊佐男への嫌がらせもあった。自宅横にある空き地にブルドーザーが運び込まれ、連日、掘っては埋める作業が繰り返された。 吉野のあまりの憔悴ぶりを見かねた大﨑が、「吉野さん、もう僕が社長をしましょうか?」と言うと、「そうか! うん! 頼むわ、頼むわ!」』、「吉本は創業家と経営陣の対立に揺れた」時代があったとは初めて知った。
・『修羅場に強い(と評判の)大﨑が社長に就いた。大﨑がまず手を付けたのが林マサの影響力を封じ込め、内紛に介入してきたややこしい株主を一掃するため、吉本興業を非上場にすることだった。 新生・吉本興業は筆頭株主となったフジ・メディアHD(出資比率12.13%)など在京キー局5社が経営をバックアップする体制を敷き、林家の影響力は排除された。世襲に執念を燃やし続けた林マサは、TOB成立直後の09年10月27日に死去した。享年65。彼女の死は吉本のひとつの時代の終わりを象徴した。 大﨑が目指したのは、エンターテインメント企業に脱皮すること。そして、反社会的勢力との決別だった。 沖縄国際映画祭や京都国際映画祭を主催。劇場の舞台にすら立てない若手芸人を「住みます芸人」と銘打ち、全国47都道府県に派遣する地域密着型プロジェクトを始めた。海外に進出し、主要都市に「よしもと劇場」を造った』、「大﨑がまず手を付けたのが林マサの影響力を封じ込め、内紛に介入してきたややこしい株主を一掃するため、吉本興業を非上場にすることだった」、いまでいうMBO(マネジメント・バイ・アウト)で非上場化したとは上手い手だ。
・『非上場のため決算書を開示していないが、15年3月期は官報に決算公告を載せた。125億円の資本金を1億円に減資したためだ。税法上、資本金1億円以下の中小企業の区分となった。 18年3月期には資本準備金20億円の減少公告を出した。18年3月期の利益剰余金は116億円のマイナス。上場廃止後、長らく赤字経営が続いてきたことを意味する。上場会社なら経営責任を問われかねない決算だった。 クールジャパン機構の出資を受けて、海外で番組制作を手掛ける会社を設立するなど、猛烈な勢いで事業を拡張。教育事業にも進出する。 19年6月21日の定時株主総会で吉本興業は吉本興業ホールディングスに社名を変更。所属タレント(6000人)を管理するよしもとクリエイティブ・エージェンシーの社名を、吉本興業に変更した。吉本興業HDの会長に大﨑洋、社長に岡本昭彦が就いた』、減資は「中小企業」のメリットを受けるためというよりは、バランスシートの痛みを是正するためだったようだ。
・『新・吉本興業の資本金は、わずか1000万円で吉本興業HDが100%出資。社長は岡本昭彦が兼務した。 新体制がスタートした直後に「闇営業」問題が社会問題となった。舞台やテレビの枠を飛び越え、安倍政権との距離を縮め企業規模は膨張した。その一方で、旧態依然のままの企業体質が浮き上がってきた。 日本最大のお笑い王国は難局を迎え、立ち尽くしているかのように映る』、どうでもいい話だが、「沖縄でカジノ利権への参入」については、在沖縄米軍は余りいい顔をしないのではなかろうか。

第三に、コラムニストの小田嶋 隆氏が10月4日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「お笑いブームの寂しい着地点」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00039/?P=1
・『この半月ほど、お笑いタレントが舞台やネット動画コンテンツの中で披露したネタが炎上するケースが連続している。 まず話題になったのは、女性コンビのAマッソのケースだ。9月22日に開催されたお笑いライブのステージで、「大坂なおみに必要なものは」「漂白剤」といったネタがあったとして、ネット上で批判が集中し、所属事務所のワタナベエンターテインメントが謝罪。大坂側にも謝罪したと報じられた。 この騒動が呼び水となった形で、「もっとひどいネタがあるぞ」「こっちは問題じゃないのか」といった声とともに引用されて炎上したのが吉本興業所属の芸人「金属バット」の漫才だ。 こちらのケースは動画がそのままアップされていることもあって炎上の度合いは、より激しいものになった。 内容は、わざわざ書き起こす気持ちになれない。リンクした記事の中で詳しく紹介されているので興味を持った読者は参照してほしい。動画の方もひと工夫して検索すればまだ見つかると思う。確認のために視聴したい向きはサルベージしてみるのもよいだろう。 もう一つ、これまた吉本興業所属の「ナインティナイン」のメンバーである岡村隆史氏による、執拗な素人いじりが蒸し返されて話題になっている。 これについても、詳しくはリンク先の記事を読んだ方がベターだ。私自身もこんなネタに手間をかけたくない。うんざりだ。 ほんの半月ほどの間に、お笑いの関係者による差別の話題が立て続けに3件も炎上を呼んでいる。 異様な状況だ。 本稿では、個々のネタの差別性をネチネチと指摘することは避けて、にわかに炎上案件が続発している理由について考えてみようと思っている。 お笑い関係者やお笑いのファンの人々が異口同音に拡散しているのは、 21世紀にはいって、コンプライアンスやらポリティカル・コレクトネス(以下「PC」と略称します)やらの基準がやたらときびしくなって、芸人は思い切ったネタをやりにくくなっている。 インパクトのある笑いを提供できない現在のメディアの状況は、まさに芸人殺しだ。 といった感じの、炎上の原因を、お笑いをめぐる外部環境の変化に求めるご意見だったりする。 これは、はっきりと否定しておきたい。 確かに、20世紀のテレビでは普通に流れていた「保毛尾田保毛男」のコントが、2017年に回顧ネタとしてオンエアされた時に大炎上したケースを見ても分かる通り、地上波テレビにおけるPCの基準は、時代の要請に沿って厳格化している。 ただ、これは、演芸なりメディアなり時代思潮なりを観察するタイムスケールを調節すれば済む話で、時代によってタブーや禁制の基準や厳しさが変化するのは当然だ。早い話、江戸時代には「道徳」だった「仇討ち」は、現代の法制度のもとでは明らかな「犯罪」になっている。武士の矜持を示すべく、娘を岡場所に売ったカネで謂われのない借金を返済する落語の「柳田格之進」のような噺も、現代の聴衆が素直に「美談」として受け止めにくくなっている事情も、仕方のないことだ。時代が進めば、国民感情や義理人情のみならず、倫理道徳や人権感覚も変化する。であるからして、その変化にともなって、舞台上でウケるネタも変わるという、それだけの話ではないか。 ……というここまでの話は、とはいえ、お約束の建前論だ。 えらい有識者の先生方がすでに色々なメディアから発信している話を繰り返してごらんにいれたにすぎない。 私が、本当にお伝えしたいのは、この先の話だ』、どのように料理して見せてくれるのだろう。
・『なんというのか、「時代が進めば国民感情や義理人情のみならず、倫理道徳や人権感覚も変化する。であるからして、その変化にともなって、舞台上でウケるネタも変わる」 と、つい何行か前に自分で書いたその一文の指し示している内容が、必ずしも一様ではなくなっている状況を分析しないと、本当のところは結局分からないということだ。 コンプライアンスは、確かに厳しくなっている。PCの基準も20年前とは比較にならない。 で、その状況を受けて、お笑いファンがより政治的に正しくてコンプライアンスを順守したセーフティーなお笑いを求めているのかというと、まるでそんなことはない。そんなヌルいネタを求めているのは、炎上にあたってスポンサーに謝罪しなければならない立場にいるメディア企業内部の大卒の社員だけだ。観客も芸人も、もっと「ヤバい」「ハラハラさせるような」ネタを渇望している。 今回の一連の騒動が、地上波のテレビ番組のような規制の厳しい場所で発生したものではなくて、いずれもクローズドなライブや、ネット配信のコンテンツの内部で展開されていたネタであることからもうかがえる通り、よりビビッドでトンがった自由な笑いを求める観客(芸人も)は、すでにテレビのようなマスメディアを見限っている。 テレビは要するにヌルくて間抜けな、顔のない視聴者に向けて、自分たちの知名度を広告する媒体にすぎないのであるからして、ああいうステージにはちいちいぱっぱの手加減したネタをぶつけておけば十分だ。自分たちの本当の勝負の場所は、ものの分かった客だけが集まる小屋であり、観客と至近距離で勝負できる少人数の舞台だ……という感覚が、おそらくは、意識の高い芸人の中に育ちつつあるのだと思う。 その感覚自体は否定しない。というよりも、テレビ桟敷の無料入場者を無視して、自腹でチケットを買ってくれる客に向けたナマのライブを足場に芸を磨こうとする態度は、表現に関わる人間の態度として立派でさえある。 ただ、こうした芸人の「覚悟」と、観客の「需要」を突き詰めた結果出てきたものが、結局のところ「差別」だったというのが、この話のどうにも寂しいところで、だからこそ、私たちは、このたびの一連の騒動を、うまく消化できずにいるのだと思う。 思うに、この9月に起こったいくつかの炎上事案は、メディアの側の問題ではない。コンプライアンスやPCに付随する問題だとも考えていない。私個人は、大げさに言えばだが、これらは、この何十年かにわたってうちの国の大衆文化の中核を担ってきた「お笑い」という大衆文化運動がいよいよ最終的な死を迎えるにあたって発信している、断末魔の叫びであるというふうに受け止めている。 炎上そのものは、芸人たちが「地上波では無理だ」「テレビにはかけられない」と思っている「トンがったネタ」が、彼ら自身の思惑とは別の場所で、インターネット動画として全世界に配信された結果としてもたらされたものだ。 ただ、これは、メディアの側の仕組みの話で、炎上の真の原因ではない。 炎上を招いた真の理由は、ごく単純に言って、ネタの差別性にある。 そして、芸人たちがその「差別性」そのものを、「トンがった」「勝負している」「ギリギリの」「リミッター外した」「本質突いた」「最先端の」笑いだと思い込んでいて、観客の方もまた、芸人が舞台から投げかけてくるその物騒で意表を突く危険で残酷な言葉たちを「テレビではとても観られない」「ホンネの」「ぶっちゃけの」「本物の」「リアルな」「オブラートで包んでいない」「正真正銘の」「コンテンポラリーでラディカルな」ネタだと思って、そのナマのスリルが横溢するヒリヒリするようなパフォーマンスに直接触れることのできた自分たちの幸運を祝福している……という、おおよそこんな調子の勘違いの構造の中で、「差別」ネタは披露されたわけだ。 私のようなもはやお笑いファンを名乗れない立場の人間が、いくつかのお笑いライブで起こった出来事を、3歩ほど離れた地点から観察していて感じるのは、一連の「差別」は、偶然でもなければ事故でもなくて、「構造」としてそこにあらかじめ固定されていたものだということだ。そして、「構造」である以上、それは今でも同じ場所に同じ形で残存しているはずなのだ』、「おおよそこんな調子の勘違いの構造の中で、「差別」ネタは披露されたわけだ・・・一連の「差別」は、偶然でもなければ事故でもなくて、「構造」としてそこにあらかじめ固定されていたものだということだ」、問題の本質を鋭く指摘している。
・『何より問題なのは、芸人たち本人、並びにそのネタで笑っていた観客や、舞台を取り仕切っていた人々も含めて、関係者が、いずれも「差別」を「差別」として特段に意識していない点だ。 そして、この種の問題が起こるたびに毎度繰り返される「自分たちが差別を意識していないのだからこれは差別ではない」という謎の理屈が、またしても様々な立場の人々の口からいとも無邪気に発信されている次第だ。 補って言えば、「自分たちは、差別の意図があってこの言葉を使ったわけではない」「特定の誰かを攻撃したり中傷したりするために差別用語を使ったのではない」「ただ、自分は、この言葉が差別用語であるという世間の基準について無知だっただけだ」「そういう意味で空気が読めていなかった点は反省しなければならない」「技術が劣っていたと言われればそれも認める」「ただ、差別はしていない」という感じだろうか。 実際、Aマッソの件でも、最も早い時期に登場した解説記事は、朝日新聞出版が提供しているウェブメディアに掲載された、ラリー遠田氏の手になる 「Aマッソの発言に相次ぐ批判 背景にあるのは『芸人差別』か」という文章だった。 ちなみに、この記事は、掲載直後から批判が殺到したため、「弊社として不適切な表現を掲載したことは誤りでした。」という「朝日新聞出版AERA dot.編集部」名義の謝罪文を掲載した上で、すでに削除されている。 余計なことかもしれないが、私は、朝日新聞出版AERA dot.編集部が、記事を削除した判断に不満を持っている。というのも、当該の記事のどの部分にどんな不適切さがあったのかを検証し、後日の教訓とするためには、記事を残しておくべきだと考えるからだ。あいまいなお詫びの言葉を残して、文書をまるごと亡きものにしてしまう態度は、「隠蔽」「逃亡」と言われても仕方がないものだ。さらに言えば、あいちトリエンナーレへの補助金の不支出を決断した会議の議事録が「無い」旨を伝えてきた文化庁の態度とそんなに変わらないと申し上げてもよい。 ひとたび作成された資料、文書、記事は可能な限り保管・公開されるべきだ。まして、言論機関が一度は一般に向けて公開した記事であるのなら、誤記や不適切表現に注記を施すなどの処置をした上で、自分たちの過誤の記録として公開を続けるのがメディアとしての義務であるはずだ。 ちなみに、当該の記事は、元のサイトからは消滅しているが、ニュースアプリをたどっていくとまだ記事が残っている場合がある。いつまでリンクが生きているかは分からないが、とりあえずまだ読めるリンク先として以下のURLを紹介しておく。 これを読むと、筆者のラリー遠田氏は 「―略― 率直に言って、黒人差別とは多くの日本人にとってまだそれほど身近なテーマではない。日本を訪れる外国人の数は年々増えているとはいえ、一部の大都市や観光地や黒人コミュニティーがある地域を除けば、日本人が日常で黒人と接する機会はそれほど多くはないだろう。黒人差別が根深い社会問題となっているのは、アメリカをはじめとする欧米諸国である。そこではいまだに黒人に差別心を持っている人が存在している。もちろんその背景には奴隷制という負の歴史がある だが、日本人の多くにはもともとそういう感覚がない。アメリカなどで白人のレイシストが持っているような本物の差別心を、黒人に対して抱いている日本人はめったにいないだろう。だから、Aマッソの今回の発言も、彼女たちの内なる差別心の発露ではないと考えるのが自然だ。つまり、これは事件ではなく事故である。差別心から発した本物の差別発言ではなく、無知や誤解からたまたま生じた差別発言なのだ。―略―」 と、見事に見当はずれな理屈を展開している。 ひどい誤解だ』、「この種の問題が起こるたびに毎度繰り返される「自分たちが差別を意識していないのだからこれは差別ではない」という謎の理屈が、またしても様々な立場の人々の口からいとも無邪気に発信されている次第だ」、こんなお粗末な「理屈」をマスコミは取り上げるべきではないが、よりにもよって「朝日新聞出版AERA dot.編集部」までが掲載したとは、呆れ果てた。
・『「頻繁な交流がないから差別心が一般化しない」という認識が、まずどうかしている。 交流が希薄な分、差別に遭遇したり差別を発動したりしてしまう機会が少ないということはあるだろう。しかし、交流が希薄な分、当然、差別に対して無知であったり、自分たちの差別意識に無頓着になったりする傾向は高まる。というのも、差別対象との接触が希薄なら、差別構造の学習機会もまた希薄になるからだ。 さらに筆者は、「だから、Aマッソの今回の発言も、彼女たちの内なる差別心の発露ではないと考えるのが自然だ。つまり、これは事件ではなく事故である。」と、これまたスジの悪い擁護論を展開している。 まるで違う。差別は、差別者が自分で差別を意識していない時にこそむしろ野放図に表現されるというふうに考えなければならない。 こんな話は、差別論の「いろは」に属する話なので、今さら私がえらそうな顔で説教を垂れるのは気が引けるくらいなものなのだが、この程度のことも承知していない人間が、商業メディアに寄稿していた事実には、やはり失望を感じる。 もっとも、百歩譲って読んであげれば、ラリー遠田氏の擁護のキモは、せいぜい「そんなに悪気はなかったのだよ。わかってあげてくれ」といったあたりあるのだと思うし、その点について言えば彼の言う通りではある。 実際、Aマッソの二人には、「悪気」はなかったのだと思う。もちろん、大坂なおみさんを攻撃したり中傷したりする意図も持っていなかったはずだ。 ただ、問題は、彼女たちの側の「つもり」ではない。 問題はむしろ、公的な場所で発言するパブリックな立場の人間が、何の悪気もなく無邪気に発言した言葉の中に、凶悪かつ有害な差別意識が露呈してしまっている「構造」の中にあるわけで、つまり、今回のこの事案は、お笑いという、芸人と観客の間でやりとりされているコール&レスポンスの内部に、その「差別構造」ないしは「差別意識」が、前提として強固に共有されていたことの深刻さにこそ、私たちは、目を向けなければならないのだ。 結局のところ、芸人も、事務所も、観客も、多くのメディア関係者や舞台人たちも、ここで展開されていた「差別」の意味を理解していないわけだ。 だからこそ、東洋経済オンラインの記事の中で筆者のバイエ・マクニール氏が指摘しているように  彼らは、大坂なおみさん個人に謝罪してそれでよしとする、見当はずれな対応を取っている。あの漫才ネタの中で発信された差別は、大坂なおみという特定個人に向けられた個別の攻撃だったわけではない。無論、彼女自身も傷ついたとは思うが、差別の矢は、「黒人であること」が意味する「黒人性」「黒い肌」一般に向けて広大かつ全般的に発信されている。ということは、アフリカ系にルーツを持つ人々や、インド亜大陸、ミクロネシア、メラネシア、その他全体として「濃い色の肌」を持つ人々は、あの漫才の中に出てきた「漂白剤」という言葉に、いたく感情をかき乱されたに違いない。そう考えなければならない。とすれば、謝罪すべき対象は、すべてのカギカッコつきの「黒人」ということになる。これは、彼女たちが考えているほど簡単な話ではないし、些細な「事故」でもないのだ。 「デブ」を笑ったり相方の「ハゲっぷり」をネタにして笑いを取ったりすることについても同様だ。笑われているのは、特定のデブではないし、個人としてのハゲでもない。デブを嘲笑するネタは、全世界の肥満傾向にある人間ならびに、体重超過を気に病んでいる人間をあからさまに侮辱攻撃するものだし、ハゲのハゲっぷりを指摘するところから生まれる笑いは、全世界のハゲた頭の内部に確実に届いている』、「発信された差別は、大坂なおみという特定個人に向けられた個別の攻撃だったわけではない」、「謝罪すべき対象は、すべてのカギカッコつきの「黒人」ということになる。これは、彼女たちが考えているほど簡単な話ではないし、些細な「事故」でもないのだ」、私は「特定個人に向けられた個別の攻撃」と単純に捉えていたので、問題の深刻さを教えられた。
・『結論を述べる。 私は、前世紀の半ば過ぎまでは「芸能の周縁」に置かれていた「お笑い」という演芸が、1980年代以降、「高尚かつ知的な文化的営為」にいつしか格上げされたことが、そもそもの間違いだと思っている。 というのも、笑いは高度な文化だという思い込みが、かえってお笑いを低俗な娯楽に誘導した結果が、今われわれが見せられている21世紀の寒々とした差別的な笑いの現状だと考えるからだ。 笑いはそもそも、「誰かを貶めるところから派生する批評性」の部分を余儀なく含んでいるものだ。 であるから、笑いは諸刃の剣で、敵対勢力や権力の横暴と闘う際の武器にもなれば、弱者を迫害する鞭にもなる。時には自分自身を切り刻むカミソリにもなる。 その意味で、地上波民放のテレビ局のみならず公共放送たるNHKまでが、MCやレギュラー出演者としてお笑い芸人を重用しているこの10年ほどの顕著な傾向に、私は強い警戒感を抱いている。 というのも、テレビ全局のバラエティーを席巻しつつあるお笑い芸人なる人々は人を「いじる」ことの専門家で、さかのぼれば、「いじり」ないしは「いじめ」を笑いに転化することの技術革新が、この何十年かのお笑いブームが行き着いた着地点でもあるからだ。 しかも、その「いじり」は、「多数者が少数者を笑う」という、スクールカースト発の閉鎖された教室から引き継がれたマナーを多分に含んでいる。 特に吉本興業が提示する笑いには、この「スクールカースト発ヤンキー経由任侠行き」のホモソーシャル要素を強く感じる。 ついでに言えばだが、この傾向の共有こそが、現政権と吉本興業の親密さの理由であり、この親和性の高さがあったればこそ、お国はクールジャパン機構を通じて、吉本興業に対して100億円もの資金を提供する決断を下したのだとも思っている。 私たちの世代の人間が学生時代に読んだ本の中には、「笑いは反体制の旗手だ」「笑いを生む表現こそが権力への抵抗の第一歩だ」「笑いほどアナーキーでラディカルな芸術はほかにない」てなことがあちこちに書かれていたものだった。それゆえ、私も、若い頃は、その種の文言を鵜呑みにしていたものだし、ほんの20年ほど前までは、まだ、頭の中のどこかに秘蔵してもいた。 とはいえ、現在のお笑い芸人たちの芸を見て、それが「体制」や「権力」と戦っている姿だとは思わない。 お笑いの関係者が「戦っている」「勝負している」「ギリギリまで突き詰めてやる」といったような言葉を使う時、彼らの仮想敵は、「コンプライアンス」であり「PC」であり、ヘタをすると「人権思想」や「良識」そのものだったりする。そういう例を私はこの10年、山ほど見てきた。 つまり、芸人は、「反良識」「反人権」「反反差別」「反フェミニズム」あたりを志向して芸を磨いた方が、より本格派らしく見えるということで、だとすれば、彼らの「毒舌」が、いつしか弱者や被差別者に向けられようになったのは当然の帰結だったのである。 寂しい結論になった。 差別を含まない笑いを新たに考案するのは、おそらく、とてつもなく困難な作業だと思う。 私自身は、他人を笑わせることは当面あきらめて、しばらくの間は、一人で笑おうと思っている。 ネタは誰にも教えない。一番効率的な笑いだ』、「「お笑い」という演芸が、1980年代以降、「高尚かつ知的な文化的営為」にいつしか格上げされたことが、そもそもの間違いだと思っている」、全面的に同意したい。「特に吉本興業が提示する笑いには、この「スクールカースト発ヤンキー経由任侠行き」のホモソーシャル要素を強く感じる」、鋭い指摘だ。ただ、「ついでに言えばだが、この傾向の共有こそが・・・」はうがち過ぎとの気もする。「芸人は、「反良識」「反人権」「反反差別」「反フェミニズム」あたりを志向して芸を磨いた方が、より本格派らしく見えるということで、だとすれば、彼らの「毒舌」が、いつしか弱者や被差別者に向けられようになったのは当然の帰結だったのである」、お笑い芸人がテレビを占拠する時代が一刻も早く終わってほしいものだ。
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