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終末期(その4)(ドイツ終末期ケアの実態 歴史あるホスピスに学ぶ「尊厳ある死」、日本人への安楽死適用が難しい理由 Nスペ安楽死のジャーナリストが語る、1000人の看取りに接した看護師が教える 最期を迎える人によく起こる 不思議な現象とは) [社会]

終末期については、4月25日に取上げた。今日は、(その4)(ドイツ終末期ケアの実態 歴史あるホスピスに学ぶ「尊厳ある死」、日本人への安楽死適用が難しい理由 Nスペ安楽死のジャーナリストが語る、1000人の看取りに接した看護師が教える 最期を迎える人によく起こる 不思議な現象とは)である。

先ずは、福祉ジャーナリスト(元・日本経済新聞社編集委員の浅川澄一氏が6月26日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「ドイツ終末期ケアの実態、歴史あるホスピスに学ぶ「尊厳ある死」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/206703
『約50年の歴史を誇るドイツ初のホスピス「ハウス・ホーン」  100万人都市ケルンから西へ車で1時間半、人口24万人のアーヘンに向かった。ベルギーとオランダの国境に近いドイツの古都である。かつてのフランク王国の都だった。ここにドイツで初めて誕生したホスピスがあると聞き訪ねることにした。高齢者施設を運営する「ハウス・ホーン」が1968年に開設した。約50年の歴史を誇る。 6月11日から始めた今回のドイツの高齢者ケア視察のテーマの一つは看取り、終末期の対応であり、ホスピスは格好の訪問先である。 1968年に創業されたカトリック系の宗教団体「ハウス・ホーン」は、老人介護施設や高齢者集合住宅を手掛けてきた。その後、近代ホスピスの創始者、英国のシシリー・ソンダースの考え方に共鳴してホスピスの開設に取り組みだした。 代表者、マンフレッド・フィーベグさんは「当時は病院や老人ホームで、入居者たちを閉じこめ、尊厳を無視するような死の迎え方が一般的だった。そこへうちの神父がホスピスの必要性を訴えた」と語る。 死が間近な人を集める新しい発想の施設への住民の反対運動は強かった。「病気を治すところではありません。病状から起こる苦痛などを改善するところです」と、神父たちは説得し、やっと開設へこぎつける。教会系事業者でも実現までは一筋縄ではいかなかったようだ。 「ゲスト」と呼ばれる入居者は、当時53人の定員でスタートした。3分の2は2人部屋だった。その後に「家族的雰囲気で」とする法律ができて定員は16人以下とされたことに伴い、2011年に12の個室に改装した。現在はその個室で12人が暮らしている。 高齢者住宅や介護保険の介護ホームとつながった廊下の先に、ホスピスの部屋とリビングルームや食堂が並ぶ。リビングルームでは、テーブルを囲むようにして入居者たちが中年男性のボランティア・スタッフに見守られながら談笑している。 天井まで届く大きなガラス窓の向こうでは、小さな子どもたちが遊具で遊ぶ。同じ敷地内に建つ幼稚園の子どもたちだ。声は届かないが、その元気いっぱいの様子を毎日眺められる。 ゲストたちは、病院や家庭医(GP)から疾病金庫に「ホスピスでのケアが必要」とする証明書が提出されて入所が決まる。疾病金庫とは、ドイツの医療保険のことで、介護は、同じ組織が介護金庫として運営。ホスピスへの入所が決まると、本人にかかる費用の95%は疾病金庫が担い、残りの5%をホスピスが負担する。したがって、ゲスト本人は費用がかからない。それも年齢を問わず、だ。というのも、ドイツの医療保険や介護保険は年齢で区切られていないからである。 介護保険の入所施設では、入居料のうち20万~30万円ほどは自己負担を強いられる。ドイツの介護保険は「部分保険」のため、利用料の全額を賄えることはないからだ。それに比べると雲泥の差である。 ゲストの病状で最も多いのは、やはり「がん」である。神経系統や心臓関連が最近増えてきた。がんの治療効果が高まってきたためだ。昨年の平均年齢は73歳。「若い人は病院を選ぶから」だという。2018年の死亡者は80人で、平均滞在日数は54日だった。 疼痛管理などの技術を持つホスピスで働く人は19人。常勤換算で13.5人と、やはりかなり手厚い配置となっている。 ゲストの緩和ケアは看護師の業務。医療面は家庭医が外からやってくる。自宅で長年付き合いの深い医師が終末期まで関わる。その点でも、日本とは大きく異なる。 オランダや英国ほどには家庭医制度が根を張っているとは言い難いが、それでもほとんどのドイツ人は地域の家庭医を決めている』、ドイツでも、「当時は病院や老人ホームで、入居者たちを閉じこめ、尊厳を無視するような死の迎え方が一般的だった」、ドイツといえどもやはりそういう時期があったようだ。
・『ドイツ2番目の「聖フランシスコ・ホスピス」 宗教問わず、あらゆる人を受け入れる  次に向かったのは、デュッセルドルフを経由し、その北東のレックリングハウゼン市にあるホスピス「聖フランシスコ・ホスピス」であった。このホスピスは、1969年に開設されたというから、「ハウス・ホーン」の翌年である。つまりドイツで2番目に古いホスピスだ。 直線が縦横にスッと伸びるモダンな造りの外観。今風の洗練されたデザインに目を奪われる。住宅地の中でひときわ目立つ。6年前に新築したという。ずっと以前の開設時の苦労はこの建物からは感じられない。 イタリアの有名聖人の名称から、カトリック団体の運営と分かる。近隣者から寄贈された3階建ての民家を改装して、入居者8人のこぢんまりとしたホスピスとして発足したという。 開設の経緯についてスライドを使って説明してくれたのは、ホスピスの代表者で、すぐ近くのエリザベス病院の経営者だったノーベルト・ホーマンさん。自身も含めて同病院の理事や職員たち12人のグループがホスピス開設に動いた。 「病院では、末期がん患者への対応が十分ではないことが分かっていた。何とかしなければと考えていた」と話し出す。 英国のシシリー・ソンダースさんのことはよく知っていたが、あえて病院の敷地外での開設を目指していたという。ホスピスを運営する組織も病院とは別の形態を採った。「どこの科の医師でも来てもらえるようにした」と話す。 理念としては、聖フランシスコの考え方、生き方を取り入れた。12世紀末のイタリア、アッシジで育ったフランシスコは、裕福な親の意向に反して、キリスト精神に忠実な清貧生活に徹して、賛同者を集めフランシスコ会を作り上げた。すなわち、(1)お金ではなくまず行動すること、(2)本人だけでなく家族と共に活動する、(3)原則としてボランティア活動、(4)服役者など素性にかかわらず誰でも受け入れる――ということだ』、「「聖フランシスコ・ホスピス」 宗教問わず、あらゆる人を受け入れる」、超オープンな姿勢には驚かされた。
・『当初の開設計画には、やはり反対も多かった。 「良いことだという証明がしにくかったこともあり、教区の司教もなかなか同意してくれなかった」(ホーマンさん)。 ホスピスに理解のあったアーヘンの司教が、ここの地区の司教を説得してくれたこともあった。「ローマ法王が、ホスピスの考え方はキリスト教にふさわしいと話したのは1992年ですから」とホーヘンさん。主要政党からもすぐには賛意が得られなかった。 ホスピスの建物を提供してくれたのは、診療所として使っていたジーバース医師夫妻。自宅でもあった。「暮らしているこの家で亡くなりたい」というのが夫妻の望みだった。実際、2人の願望はその後かなえられた。 家賃はエリザベート病院が負担することで合意。階段にリフトを設けたが、民家なので入浴場は地階にひとつしか取れなかった。聖フランシスコをまつる礼拝堂はしっかり設けた。 やっとの思いで開設した日に大衆紙が「ドイツ初の死の家」と報じた。その誌面をスライドで説明しながら、ホーマンさんは感慨深げだ。 それから43年後の2013年に、現在のホスピスが竣工した。地元の教会の所有地に建てたので、礼拝堂は教会の所有となっている。総建設費は235万ユーロかかり、そのうち80万ユーロは自己負担しなければならなかった。 ホスピスの居室は12室。11人が暮らしており、1室は緊急用に空けている。コの字型に4室ずつ並ぶ。その居室はホテルの一室のようなモダンな造りだ。ベッドの先には2つの椅子と四角いテーブル、それに壁掛けテレビ。クローゼットの下部には、キャスター付きの小引き出しがあり、引っ張り出して使える。 トイレとシャワー、洗面所を一緒に備えたタイル張りの水回り空間は広い。車いすで入っても十分ゆとりがありそうだ。欧米の介護施設に共通することだが、この広さに改めて感心させられる。部屋全体の4分の1ほどの広さだ。 この水回りへの扉を操作しながら、所長のハイケ・レンツェさんは「引き戸にして扱いやすくしました」と説明する。 食堂の隣のリビングルームもゆったりした空間だ。小机にソファなどが置かれ、普通の家の雰囲気である。目を引いたのは片隅の古いミシン。世界中で一世を風靡した「シンガー」である。若いころに子ども服を作るためにこのミシンを踏んだ高齢者は多く、当時を懐かしく思い出しそうだ。認知症高齢者への回想法として効果があるといわれるが、昔なじんだ家庭用品が目の前にあれば誰でもうれしいだろう。 実は、このホスピスでも隣に幼稚園があった。北側の4室とリビングルームから窓越しに子どもたちが遊具を使って遊ぶ光景がよく見える。 玄関フロアーで、ハイケ・レンツェさんが1つのオブジェを前に話し出した。 「これはキリスト教徒とユダヤ教徒、それにイスラム教徒の一体性を表していて、私たちの考え方そのものです」』、「昔なじんだ家庭用品」があったり、「隣に幼稚園」があるというのはいいことだ。
・『敬虔なカトリック教徒が立ち上げたホスピスだが、今では宗教の区別なく入居者を受け入れていることがよく示されている。 身体面でも寛容な姿勢を知ることができた。病院で処置された延命治療のための経管栄養の管を付けたままの人でも受け入れるという。「断るホスピスもありますが、入所してしばらくすれば、自ずと外されていきますから」とレンツェさんは言う。かなりおおらかだ。 「ホスピスですからアクティブな延命行為はしません。でもそれ以外は、入居者が望んでいれば何でも応じたい。そのためには、何よりも話し合いが大事だと思います」(レンツェさん) その通りだろう。話し合いの中で「医師にも誠実さが求められる」と強調する。 「近い将来の状態をきちんと伝えるべきでしょう。抗がん剤の副作用などを含めて、心身に与える影響を正直に話さないといけないと思います」(レンツェさん) 入居者の中で、自身の意思を表明した事前指示書を持っている人が増えているという。話し合いの前提になる。最期の時の意思決定をゆだねられる人を決めておく人も増えたという。 「ドイツの国民全体が死に関心を持つようになったのは確かです。これはとても良いことだと思います。私は以前、病院の集中治療室で勤務していましたが、事前指示書はほとんど知られていませんでした。大きく変わりました」(レンツェさん) 確信に満ちた言葉が強く印象に残った。 入居者の平均滞在日数は4~6週間。訪問した数日前にも1人亡くなった。その方の部屋のドアノブには赤い花が飾られていた。玄関の美しいオブジェには火が灯されていた』、「事前指示書」が広がってきたのもいい傾向だ。
・『「死にゆく人」に寄り添う2つのホスピスと緩和ケア  以上の2つのホスピスは「入所型ホスピス」といわれる。入所型とわざわざ名乗るのは、もう1つのホスピス、「訪問型」があるからだ。それは「在宅ホスピス」(Ambulanter Hospizdienst)と称している。自宅や高齢者施設を訪ねていくホスピス活動である。それも、ボランティア活動として成り立っている。日本には全くない活動である。 「ハウス・ホーン」でも、「聖フランシスコ・ホスピス」でも「在宅ホスピス」が主要事業の1つであると聞かされた。ケルン市にはこの在宅ホスピスが13団体あり、その1つ「ケルン北部在宅ホスピス」の話を聞くことができた。 コーディネーターとして2人が専属職員として勤務しており、現場の担い手は30人ほどのボランティアである。「死にゆく人」への対応を100時間の研修で学び、訪問活動に入る。利用者から要望がくると、まずコーディネーターがその本人や家族と会ってからボランティアに引き継ぐ。 「最も重要なのはその人の傍らにいてあげることです。そして傾聴ですね」とコーディネーターのソニア・ミューラーさん。「一緒にいることで、不安が消えることが多いですから」と言う。 活動内容は幅広い。ペットの世話や通院同行、写真の整理、買い物、散歩同行、本を読む、思い出の場所への同行など日々の暮らしの伴走者となる。 ケルンで在宅ホスピスが始まったのは1995年。ドイツではその10年ほど前から活動していた団体があるという。「死」に対してのこうした市民レベルでの地道な活動が広がり、病院を巻き込んだ「緩和ケア」システムが確立していったようだ。 その象徴的な運動が「2008年にまとめた死期を迎えた人のための憲章だろう」と力説するのはアーヘン大学病院のロマン・ロボギー教授である。市民が自ら作り、広めていった。8年間の普及活動は、1000に達する団体と1万7000人の署名として実を結んだ。それが、政治を動かし、2015年に在宅ホスピス緩和ケア法の成立に至る。 同法によって、財政面からの支援が本格的になる。それまでは入所型ホスピスの事業者負担が10%だったが、5%へ削減されることに。これでホスピス活動に弾みがついたという。「とても小さな市民グループから始まった運動が、大きな成果をもたらした」と教授は振り返る。 現在、全国の病院の中で緩和ケア病棟を持つのはほぼ15%、300ほどに達した。「ただ、病棟はなくても、緩和ケア部門を備える病院も多い。緩和ケア部門がないと患者は来なくなるし、時代の流れに追いついていけなくなる」と教授はみている。それほど普遍化しつつあるということだ。 強い痛みを緩和する病院の役目が終わると、患者は入所型ホスピスに移る。さらに余命が1年を超えると判断されると、自宅や集合住宅、施設に移る。そこで在宅ホスピスのサービスを受けたり、ドイツ独特のSAPVやAAPVという在宅医療・介護チームが関わったりする。自宅で過ごすのが最もいいが、当然逆の流れもある。 2017年には在宅で死ぬことが国民の権利として認めた法律が施行されている。人生の最終段階について、症状に合わせて緩和ケアや暮らしを営む場所が合理的にシステム化されているようだ』、さすがドイツは先進的だ。「在宅ホスピス」については、日本でも導入を検討すべきなのではなかろうか。

次に、ジャーナリストの草薙厚子氏が7月8日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「日本人への安楽死適用が難しい理由、Nスペ安楽死のジャーナリストが語る」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/207969
・『6月2日(日)に放送されたNHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』はあまりにも衝撃的な内容だった。放送からかなりの時間が経過した今でも、安楽死を選んだ女性がまるで眠るように亡くなっていくシーンが脳裏に焼き付いて離れない。NHKが安楽死をテレビで報じるのは、約20年ぶりだったというが、大きな反響を呼んでいるようだ。NHKのスタッフとともに彼女に密着取材し、『安楽死を遂げた日本人』(小学館)を上梓した宮下洋一氏に話を聞いた』、私も番組を観て衝撃を受けた。
・『深刻な病状の女性にどう接するべきか苦悩した  6月上旬、スペイン在住のジャーナリスト宮下洋一氏から『安楽死を遂げた日本人』(小学館)の出版案内が届いた。宮下氏はNHKのスタッフとともに、彼女に密着して取材したという。 安楽死は日本では認められていない。たとえ患者側が医師に「安楽死」を要求したとしても、実行した場合、刑法199条の「殺人罪」で死刑か無期、もしくは5年以上の懲役となる可能性がある。また、安楽死の協力者や仲介者も、刑法202条の「自殺関与及び同意殺人」に抵触するのだ。 宮下氏が小島ミナさん(当時50歳)から連絡を受けたのは、2018年8月。直接会ったのは9月だったという。彼女は「多系統萎縮症」という難病にかかっていた。小脳などの変性によって徐々に身体機能が奪われていく病気で、ゆっくりと確実に進行し、やがて四肢が動かなくなり、言葉も話せなくなり、思考以外のすべての機能が奪われて寝たきりとなる。現状では根治療法はない。 「小島さんが連絡してきた理由は、私にスイスの自殺幇助(ほうじょ)団体『ライフサークル』への仲介役を頼むためでした。私はジャーナリストであって、家族でもないし医師でもありませんから、知っていることをお伝えはしますが、スイスへ行くためのお手伝いもできませんと、はっきり断ったんです。これまでも安楽死をしたいという考えは尊重しますが、決して勧めることはしないし、仲介もアドバイスもしないという方針を貫いてきました。しかし、小島さんの訴えが切実で、病状も深刻だったため、彼女とどのような距離感で接すればいいのかという葛藤がありました」(宮下氏)』、確かに「ジャーナリスト」にとって、取材対象との「距離感」は悩ましい問題だろう。
・『外国人でも安楽死できる世界で唯一の国・スイス  このスイスにあるライフサークルは、エリカ・プライシックという女性医師が2011年に設立した自殺幇助団体で、年間約80人の自殺幇助が行われている。自殺幇助とは「医師から与えられた致死薬で、患者自身が命を絶つ行為」で、安楽死の1つである(医師自身が致死薬を投与する「積極的安楽死」と呼ばれる方法もある)。 法的に安楽死を認めている国は他にもあるが、外国人にも適用できるのはスイスだけだ。会員は世界中に1660人いて、そのうち日本人は17人(2019年4月時点)。ライフサークルに登録したからといって、すぐに自殺幇助を受けられるわけではない。団体から患者として承認されるためには「医師の診断書」と「自殺幇助を希望する動機書」を英・仏・独・伊いずれかの言語で送り、審査を受ける必要がある。審査の基準は「耐えがたい苦痛がある」「回復の見込みがない」「代替治療がない」「本人の明確な意思がある」の4つだ。 「これまでに日本人が同団体で安楽死を施行した例は、1件もありませんでした。世界中から応募者が殺到しているため、半年でできればまだいい方で、そもそも施行できること自体が珍しいのです。最終的には女性医師の判断によりますが、小島さんの場合、このタイミングを逃したらもうできないとわかっていることや、待機リストの人が亡くなったりして、申請してわずか3ヵ月弱の11月に奇跡的に施行できることになったのです」(宮下氏) 日本では認められていない安楽死であるが、国内では治療不可能な難病を抱えていて、家族や病院の献身的な看護の下、日々死に向き合っている人も多い。そんな中、日本人で初めて安楽死を選んだ女性の最期に立ち会った宮下氏は、安楽死という概念をどう捉えているのか。今後、日本にも浸透していくのだろうか』、「年間約80人の自殺幇助」とは案外少ない感じを受けるが、「審査」の厳しさが影響しているのかも知れない。
・『「自分の意思」がハッキリしていない日本人に安楽死を適用する難しさ  「日本ではとりあえず尊厳死(海外では消極的安楽死と呼ばれる)、つまり延命治療の中止、手控えを進めようという動きがあって、それらを法制化しようとする動きがあります。ただし尊厳死と、積極的安楽死や自殺幇助は、まったく次元の異なる話です」(宮下氏) 今の日本の社会で、尊厳死や安楽死の区別が認知されないまま、議論されることは危険だと、宮下氏は強調する。 「日本は、同調圧力が強い国だといわれます。例えば自ら安楽死したいと思った時、それは本当に自分がそう思っているのか、または思わされているのか、そこが重要です。欧米人の意思というのは、本当に個人の意思に近いのです。子どもがそうしてくれと言ったら親は認め、尊重します。逆に親が安楽死を選んでも、子どもも親の考え方を尊重して、わかったと言います」(宮下氏) お互いが相手の意思を尊重するという文化があるからこそ、成り立つのが安楽死。しかし、日本の場合だとそうならないケースも想像できる。 「子どもに迷惑をかけるから、そろそろ死んだ方がいいかなと思うことは、本当に自分がそう思っているのか、迷惑をかけて申し訳ないと思って自分をそう仕向けているのか、わからないわけです。そうなると、本当の自分の意思による死ではないのかもしれない。安楽死を審査する4つの基準『本人の明確な意思』に当てはまらなくなるのです」(宮下氏) 日本では年老いた親が子どもに対して「迷惑をかけているからもういい、呼吸器を抜いてくれ」と嘆願したりするが、欧米では「まだ生きたいから、迷惑をかけるけれど面倒を見てくれ」と、はっきり意思表示をするという。日本は空気を読む文化でもあるため、法制化されて「そろそろ死にたいんです」と言ったとき、本当にその人が死にたいと思っているのかどうか、判断するのはかなり難しいだろう』、確かに日本では、意思確認は至難の業だろう。
・『安楽死を望む人に共通する3つの特徴とは  「法律があれば、あなたがそう決断したんですね、ではやりましょうと医師が言えば実施できてしまいます。本当にその人の意思なのかを確認するのは非常に難しい。極端な例ですが、子どもから保険金目当てでそう仕向けられているというケースだってあるかもしれない。そういったことを考えても日本では法制化はすごく危険だと思います」(宮下氏) 安楽死は、そもそも独立心が強い人でないと望まないという。わがままな人、お金があり教養がある人、子どもがいない人。この3つが世界でも共通しているという。小島さんの場合は独身で子どもはいなく、また、高学歴だったということもある。もちろん、最期を見届けるまでの彼女の姉妹の葛藤も大きかっただろうし、今後の心理的なケアも必要かもしれない。 「たぶん私は、末期がんだったら安楽死は選んでいないと思うよ。だって期限が決まっているし、最近なら緩和ケアで痛みも取り除けるといわれているでしょ?でも、この病気は違うの。先が見えないのよ」 小島さんはそう語っていた。そして宮下氏に、自分のような患者がいることを伝えることで、安楽死の議論に一石を投じてほしいと訴えた。衝撃的な最期のシーン、自らの手で投薬のふたを開け、静かに、そして平和に自らの人生の幕を閉じた。 「テレビの反響としては、小島さんの死に対して肯定的な人はすごく多いですね。衝撃的、重い、見たくなかったけど見ちゃった、でも見てよかった、という感じです。いやだって思うけど、見てしまったからにはやはり考える。ここが重要だと思います。法制化うんぬんの前に、自らや家族の死について考えるということを、この国はもっとしなきゃいけないんです」(宮下氏) 少子化に拍車がかかり、超高齢時代を迎える日本は「いかに死ぬか」について、正面から向き合わなければならない時がやってきた。「重い」の一言で片付けてはならない問題なのは間違いない』、「安楽死は、そもそも独立心が強い人でないと望まないという。わがままな人、お金があり教養がある人、子どもがいない人。この3つが世界でも共通している」、私は「子ども」がいるので、望む人の類型には入らないようだただ、「「いかに死ぬか」について、正面から向き合わなければならない」、さしあたり、準備しているエンディング・ノートを見直してみよう。

第三に、正看護師でBLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター・看取りコミュニケーターの後閑愛実氏が8月10日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「1000人の看取りに接した看護師が教える、最期を迎える人によく起こる、不思議な現象とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/210964
・『人は自分の死を自覚した時、あるいは死ぬ時に何を思うのか。そして家族は、それにどう対処するのが最善なのか。 16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に関わってきた看護師によって綴られた『後悔しない死の迎え方』は、看護師として患者のさまざまな命の終わりを見つめる中で学んだ、家族など身近な人の死や自分自身の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいことを伝える一冊です。 「死」は誰にでも訪れるものなのに、日ごろ語られることはあまりありません。そのせいか、いざ死と向き合わざるを得ない時となって、どうすればいいかわからず、うろたえてしまう人が多いのでしょう。 これからご紹介するエピソードなどは、『後悔しない死の迎え方』から抜粋し、再構成したものです。 医療現場で実際にあった、さまざまな人の多様な死との向き合い方を知ることで、自分なら死にどう向き合おうかと考える機会にしてみてはいかがでしょうか』、興味深そうだ。
・『死にゆく人は第六感が鋭くなる  どう見ても昏睡状態で意識がないと思われるのに、家族が部屋にいるときは脈や呼吸が安定し、家族がいなくなると脈や呼吸が不安定になるという人がよくいます。 視覚、味覚、触覚、嗅覚、聴覚の「五感」が働かなくなると、その代わりに五感以外の「第六感」のようなものが鋭くなって何かを感じるのかもしれません。 ある高齢の男性患者さんは、脳梗塞の後遺症で寝たきりとなっていました。 しゃべることも自分で身体を動かすこともできません。 ほとんどの時間を目を閉じてすごしていました。 ときどき息子さんがお見舞いにやって来ます。 息子さんはいつもお父さんに少し声をかけると、あとは何も言わずにそばで小説を読んでいました。 そのときの患者さんは、呼吸が安定していて、とても穏やかな表情をされるのでした。 寝たきり、しかも脳梗塞で麻痺があったりすると、拘縮といって身体の関節が固まっていったり筋肉が緊張した状態になりがちなのですが、この患者さんには拘縮もほとんどなく、筋肉も緊張していませんでした。 きっと、安心感に包まれてすごされていたからだと思います。 第六感が働き、息子さんがそばにいてくれたのがわかっていたのかもしれません』、「「五感」が働かなくなると、その代わりに五感以外の「第六感」のようなものが鋭くなって何かを感じるのかもしれません」、「1000人の看取りに接した看護師」の言葉だけに、重みがある。
・『別の意識のない女性患者さんは、そばで息子さんが 「なんで病院に預けているのに具合がよくならないんだ!」と医療関係者に声を荒らげていたとき、それまでの穏やかな表情が一変して、急に脈や呼吸が乱れ不安定になることがありました。 この患者さんも、意識はなくとも第六感で周囲の様子を感じていたのだと思います。 この段階の患者さんに対しては、何かをしてあげるとかではなく、家族が穏やかにいつもどおりの気持ちでそばにいてあげるのが、本人にとっていちばんいいのではないでしょうか。 「死なないで! 頑張って!」今にも張り裂けそうなほどの緊張の中で患者さんを見守り続けている家族がいるときも、患者さんにその緊張が伝わっているように感じることがあります。 場合によっては、さんざん頑張ったのだから、もう解放してあげては……などと思うこともあるのですが、患者さんは遺されるご家族を案じて頑張っているのだろうなと考えると、命の偉大さ、家族の絆の強さを感じることもあります。 そんなとき患者さんは、家族がちょっと席を外した隙に、ようやくホッとしたかのようにして逝くこともあれば、「自分がいなくても家族のことはもう心配がいらないのだ」と確信できてから逝ったのだな、と感じるような患者さんもいました。 「死ぬときは第六感が鋭くなるのかもしれない」という話をしたら、友人がこんなことを教えてくれました。 「父が亡くなるちょっと前、病室に見舞いに行ったとき、ベッドは仕切りのカーテンをぴったり閉められていた状態だったんだよ。 まだ俺の顔が見えていないはずなのに、『カズオか』って声をかけられたんだよね。 『なんでわかった?』って聞いたら、『足音でわかった』って言うんだ。 先生や看護師さんたちと俺とじゃ、足音が違ったらしい。 目が見えなくなって、意識も朦朧としているはずなのに、聴覚が鋭くなっていたのかもね」 とても興味深い話です。 五感が薄れてきて、新たに第六感が鋭くなるものかと思っていたのですが、聴覚が鋭くなって敏感に感じ取っている場合もあるのかもしれません。 身体の機能が衰えて視覚、味覚、触覚、嗅覚が鈍っても、聴覚は最後まで残るともいわれていますから。 そういえば、ある女性患者さんは、息子たちのこんな声を聞いて息を吹き返しました。) 呼吸と呼吸の間が長くなっていき、そのうち呼吸をしなくなったので、もう息が止まったと思われました。 その場にいた二人の息子さんも、そう感じたことと思います。 そのとき急に、息子さん二人が遺産をめぐってケンカを始めたのです。 「長男だから多くもらう」と主張するお兄さんに対して、「お母さんを実際に介護していた自分が多くもらって当然」と言う次男さん。 私は言葉を失いました。何もこんなときにこんな場所で……。 そう思っていたら、患者さんの呼吸が再開したのです。 二人は、「えっ!?」という表情で母親を見つめていました。 最後の最後で、息子さんたちのことが心配になってしまったのでしょうか。 その患者さんは、その後2時間くらい呼吸を続けてから亡くなりました。 この女性患者さんに限ったことではなく、患者さんは最期まで何かを感じ取っているのだと思っています』、「患者さんは最期まで何かを感じ取っているのだと思っています」、見舞いに行ってどうせ聞こえやしないと悪口などを口にするのは禁物のようだ。
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