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アフガニスタン問題(その1)(アフガン撤退で最大の危機 バイデン政権に向けられる3つの批判、タリバン「最速の無血入城」は米軍植民地統治の当然の帰結、日本の「アフガン退避作戦」こんなにも遅れた理由 アフガン人を大量救出した韓国と何が違った?) [世界情勢]

今日は、アフガニスタン問題(その1)(アフガン撤退で最大の危機 バイデン政権に向けられる3つの批判、タリバン「最速の無血入城」は米軍植民地統治の当然の帰結、日本の「アフガン退避作戦」こんなにも遅れた理由 アフガン人を大量救出した韓国と何が違った?)を取上げよう。

先ずは、8月25日付け日経ビジネスオンラインが掲載した元外交官でキヤノングローバル戦略研究所 研究主幹の宮家 邦彦氏による「アフガン撤退で最大の危機、バイデン政権に向けられる3つの批判」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00023/082300279/
・『8月15日、アフガニスタンの首都・カブールがあっけなくタリバンの手に落ちた。たまたま米国出張から帰国後2週間の「自宅検疫」期間中だった筆者は、久しぶりに寝る間も惜しんで情報収集にいそしんだ。その際、多くの方々からこんな質問を受けた。「なぜタリバンはこれほど早く全土を掌握できたのか?」「なぜ30万人を擁するアフガン政府軍は機能しなかったのか?」。理由は簡単だ。アフガニスタン政府軍はタリバンと戦う前に「蒸発」してしまったからである。 アフガン政府軍兵士が臆病だったわけでは決してない。それどころか、彼らは自分の家族や部族のためなら命を賭けてでも勇敢に戦う人々である。今回、政府軍が「蒸発」した最大の理由は、ガニ大統領率いる中央政府に不正・腐敗がまん延していたからだ。だが、そんなことは現場を知る米軍関係者なら誰でも知っていたこと。ワシントンの政策決定者はアフガン政府関係者にまんまとだまされたのだろうか。 何よりも気になるのはアフガニスタンに取り残された米国人、同盟国人、外国人ジャーナリスト、アフガン人協力者たちの脱出状況だ。今も現地からは悲しくも恐ろしい情報が連日大量に流れてくる。個人的には現地の在留邦人の安否も気になる。今後アフガニスタンにはいかなる政権ができるのか。同国が再び国際テロの出撃基地となるのだろうか。不安は尽きないが、この点については内外の専門家に任せることにしよう。 タリバンという組織が対外広報、対米交渉、国内政治などの面で戦術的に進化したことは事実だ。しかし、それはタリバンの勝利というより、腐敗した中央政府が自滅した結果であり、その意味でカブール早期陥落の理由はほぼ出尽くしている。されば、今回は視点を変えて、カブール陥落後に米国内で巻き起こったバイデン政権に対する批判に焦点を当て、同政権の将来を占ってみよう。毎度のことながら、以下はあくまで筆者の個人的分析である。 バイデン大統領に対する批判は大きく3つに分類できる』、「今回、政府軍が「蒸発」した最大の理由は、ガニ大統領率いる中央政府に不正・腐敗がまん延していたからだ」、なるほど。ただ、「何よりも気になるのはアフガニスタンに取り残された米国人、同盟国人、外国人ジャーナリスト、アフガン人協力者たちの脱出状況だ」、その後30日から31日に切り替わる寸前に最後の米軍輸送機がカブール空港を離陸したので、かなりが脱出した可能性がある。
・『事後批判する無責任な結果論者  第1は無責任な結果論である。米語にMonday Morning Quarterback(月曜朝のクオーターバック、QB)という言葉がある。QBとはアメリカンフットボールなどで、攻撃する選手にプレーを指示する「司令塔」の役割を果たすポジション。米国のフットボールの試合はおおむね土日開催なので、月曜日朝のQBとは、ごひいきチームの試合の結果を、「あれはだめだった」「こうすればよかった」などと素人が無責任に批判する結果論者のことを指す言葉だ。 8月15日からの米国内報道を見ていると、今一番多いのはこの種の結果論的な事後批判だ。当然ながら、共和党保守系メディアは今回の対応を「破滅的失敗」とこっぴどく報じている。さらに、バイデン政権に優しいあのCNNですら、「バイデン政権のアフガニスタン撤退判断は正しかったとしても、その手法は拙速だった」といった厳しい批判を続けている。バイデン大統領は就任後最大の政治的困難に直面していると言ってよいだろう。 ワシントンにはIntelligence failureという言葉もある。直訳すれば「諜報(ちょうほう)の失敗」、すなわち、情報機関が正しい情報(諜報、インテリジェンス)を政策決定者に提供しなかったという批判だ。バイデン政権批判にも聞こえるが、実はこれ、「政治判断の失敗」という批判に反論するため、ホワイトハウス側が意図的に流す決まり文句でもある。「間違った」のは「情報機関」であって、自分たちホワイトハウスではないという毒のある言葉だ。 こうした状況を象徴する以下のやりとりが8月20日のバイデン大統領の記者会見で見られた。 (記者)バイデン政権は、タリバンがアフガニスタンを短期で制圧する力を見誤ったのではないか? (中略)現地大使館からタリバンによる早期制圧を警告する公電があったと聞くが… (大統領)その種の公電やアドバイスはたくさんあった。具体的時期を示さず、単にカブールは「陥落するだろう」とする内容から、政権は「当面持つだろう」「年末までは続くだろう」という内容まで、幅があった。私は決断を下した。責任は私にある。自分はコンセンサスの意見を採用した。コンセンサスとは、実際には、本年後半まで陥落は起きないというものであり、それが私の決断だった。 苦しい説明だが、アフガニスタンの実態をそれなりに知る筆者は同情を禁じ得ない。そもそも、米国の情報機関はつい1カ月ほど前まで、「アフガン政権はもって2年」「いや年末までは」「90日間は」「60日間」は、などと言っていたではないか。アフガン政府軍の「蒸発」は大半の関係者にとり予測不能だった。ここで完璧な脱出作戦を計画・実行することは容易ではない。無責任な「月曜朝のQB」の政治的批判の多くは「ないものねだり」である』、「無責任な「月曜朝のQB」に似た存在は日本にもいるので、万国共通の現象なのかも知れない。
・『何のために戦い、傷付き、死んだのか  次に「月曜朝のQB」よりも深刻な批判が、一部軍人、特にアフガニスタン帰還兵や戦死者の家族などから出ている。「Sacrifice for Nothing?」。すなわち「自分たちは何のために自己犠牲したのか?」という素朴な疑問だ。 青春の最も輝く時期に、彼らはアフガニスタンに派遣され、過去20年も戦った成果が、カブール陥落により雲散霧消し始めた。彼らが不満の声を上げるのは当然であろう。 米国では、戦後の日本とは異なり今も、国のために戦った軍人に敬意を払う伝統が生きている。もちろん、米軍人は最高司令官である大統領の命令に服従する。しかし、命令に従うことと、その命令が正しいか否かを退役後に判断することは別問題だろう。退役軍人が発するこうした批判は決して軽くない。この点はCNNですら例外ではなく、何人ものアフガン帰還兵がバイデン政権を批判するインタビューを番組内で流していたのが印象的だった』、「何のために戦い、傷付き、死んだのか」は、確かに「「月曜朝のQB」よりも深刻な批判」だ。「青春の最も輝く時期に、彼らはアフガニスタンに派遣され、過去20年も戦った成果が、カブール陥落により雲散霧消し始めた。彼らが不満の声を上げるのは当然」、その通りだろう。
・『米国には道義的義務がある  それでも、アフガン帰還兵が米国の全国民に占める割合は小さい。今回筆者が最も多く耳にし、かつ最も米国人の胸に響いたと思われるバイデン政権批判は「Moral Obligation」という言葉だ。要するに、米国のために、米軍人や外交官などと共に文字通り命を賭けて戦ってきたアフガン人に対し、米国には一定の責任があり、彼らを助けるのは「道義上の義務」だというのである。 確かに、カブール陥落後、現地から届く報道は心が痛むものばかりだ。特に、空港で輸送機に群がるアフガン人群衆、リレーされた赤ん坊を引き上げ空港敷地内で保護する米海兵隊兵士、タリバンに見つからないよう息を潜め「いつ殺されるか分からない」と米国による保護を懇願するアフガン人通訳や女性権利活動家のことが繰り返し報じられた。 確かに、一般米国人の琴線に触れる感情的な問題かもしれない。しかし、彼らの多くが、バイデン政権は「一体何をやっているのだ」と思うのは当然である。この関連では、バイデン大統領が「言い訳」がましく、「compassionateでない」つまり「思いやり」が足りない、との批判も聞かれた。今後、米国人の脱出はもちろんだが、アフガン人協力者の救出も含め、この作戦のどこかで悲劇が起きれば、バイデン政権の評価は急落する可能性がある。 バイデン大統領の支持率は? 6月1日 54%。7月1日 52%。8月1日 51%。8月20日 49%―― これはCNNが報じた、過去3カ月におけるバイデン大統領の支持率である。瞬間的に50%を切ったからといって、大統領に対する支持が急落したわけでは必ずしもない。また、同じくCNNによれば、海外で重大事件が発生したときの歴代米大統領の対応振りに関する支持率は次のとおりである。現状がバイデン政権にとって危機的状況であるとは言い切れないだろう。 2021年 バイデン大統領 アフガニスタン撤退時 41%  2011年 オバマ大統領  イラク撤退時 48%  1991年 ブッシュ大統領 湾岸戦争勝利時 83% 1984年 レーガン大統領 レバノン撤退時 39%  これらの数字が暗示するのは、海外での戦争に大勝利して支持率が一時8割を超えても、結局再選されなかった(ブッシュ)大統領もいれば、逆に海外で大失敗して支持率が一時40%を切っても、再選された(レーガン)大統領もいるということ。されば、今回の件でバイデン政権の将来を占うのは時期尚早だろう。All politics is local。全ての政治はローカルであり、海外での重大事件が中長期的に政権を左右するわけでは必ずしもない、ということか』、「海外での戦争に大勝利して支持率が一時8割を超えても、結局再選されなかった(ブッシュ)大統領もいれば、逆に海外で大失敗して支持率が一時40%を切っても、再選された(レーガン)大統領もいる」、「全ての政治はローカルであり、海外での重大事件が中長期的に政権を左右するわけでは必ずしもない、ということか」、なるほど。

次に、8月26日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した軍事ジャーナリストの田岡俊次氏による「タリバン「最速の無血入城」は米軍植民地統治の当然の帰結」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/280338
・『タリバンが10日で制圧 米軍協力者全員の脱出は困難 日本の1.7倍の面積を有するアフガニスタンでは、8月6日にタリバンが攻勢に出てから足掛け10日で、カブールに15日に無血入城、全土を平定という世界の戦史上例のない早さで勝利を収めた。 「9・11テロ」を契機に米国が介入し支配をしてきた約20年間、主として米国が育成してきたアフガン政府軍と国家警察隊はほとんど無抵抗で逃走し、米国が2.2兆ドル(約250兆円)を投じて築いた体制は「砂上の楼閣」のように崩壊した。 バイデン大統領は8月20日の記者会見で、「米国人1万3000人を避難させた。今後救出が必要な米国人は1万ないし1万5000人、アフガン人の米国への協力者が5万ないし6万5000人」と述べた。その後、1日2000人以上が脱出している様子だが、空前の大脱出劇の成否は見えていない。 ベトナム戦争の最後、1975年4月30日に北ベトナム軍が、南ベトナムの首都だったサイゴンに無血入城した際には、米国人1373人、ベトナム人など他国人5595人がヘリコプターで脱出、米空母に収容された。 それとは比べようもないぐらいの大脱出劇が展開されている。 タリバンも外国人の脱出を認め、輸送機が離着陸することは許し、対米協力者だったアフガン人が空港に殺到するのもほとんど見逃している。反タリバン分子を国外に追い出す方が新政権の安定、治安維持に得策だからだろう。 だが、カブール以外の各地にいる米国人も少なくなく、米国に協力していたアフガン人は多い。日本を含め同盟諸国が脱出支援で協力しているとはいえ、全員を脱出させるのは極めて困難だ。悲惨な大混乱が続くだろう』、「米国が介入し支配をしてきた約20年間、主として米国が育成してきたアフガン政府軍と国家警察隊はほとんど無抵抗で逃走し、米国が2.2兆ドル(約250兆円)を投じて築いた体制は「砂上の楼閣」のように崩壊した」、確かに余りにもあっけなかった。
・『タリバンの規律は維持されている 他国からの早期承認を得る思惑  いま米軍は残っていた兵員約2000人に加え、最大6000人を投入して空港警備を続け、協力者らの国外避難を助ける構えだが、空港以外に派遣することは計画していない。 米軍など外国軍が各地に出動すれば衝突が起きてアフガン戦争の再燃となりかねないが、すでにアフガン政府軍と国家警察、計公称30万人は霧消し、大量の武器、弾薬、車両7万6000両はタリバン軍が接収している。勝利を収めたタリバン軍に加わる者は多いから、以前よりはるかに悪い状況下でもう一度戦うことになるからだ。 幸いタリバン側の規律は保たれているようだ。 首都カブール制圧の際も、8月14日にカブールの玄関口に迫ったが、乱入して略奪などが起きないよう進撃を一時停止、翌日、粛々と無血入城した。 20年間の戦いでやっと政権を奪回したタリバンにとって、まずは国内を安定させ、他国の承認を得て、財政、経済を再建することが最大の命題だからだろう。 タリバンは元政府軍人や対米協力者に対する「恩赦」を宣言している。現状では国内の統治にある程度の自信を持っているのではないか』、「首都カブール制圧の際も、8月14日にカブールの玄関口に迫ったが、乱入して略奪などが起きないよう進撃を一時停止、翌日、粛々と無血入城」、自制の利いた「タリバン」の姿勢には安心した。
・『士気も練度も低い「傭兵」の政府軍 民心をつかめなかった米国  もともと米軍などによる統治は根付いたものではなかった。 タリバンとの戦いには、米軍9万人のほか、英、独、仏など49国が加わり、最大期には14万人の兵力が投入された。 米軍の攻撃開始から2カ月後の、2001年12月には南部のタリバンの拠点カンダハルを陥落させ、タリバンは壊滅したように思われた。 だがタリバンは武器を携えて故郷に戻ったりパキスタン国境地帯の拠点にひそんだだけだった。 2003年にはゲリラ攻撃を始めて勢力を次第に回復し、地方ではもめ事の裁定をタリバンに頼むこともあったようだ。 タリバンの戦闘員は4万5000人ないし6万人余りとみられ、これに対してアフガン政府軍は約20万人、国家警察隊は10万人と公称され、数の上では圧倒的な優位だった。 だが、政府軍や警察の経費は、日本を含む「国際社会」が全額を負担し、装備を米国が供与、指揮と訓練も米軍が行ったから事実上の「傭兵」だった。 占領軍の指示の下、自国民と戦わされる政府軍兵士の士気は低く、政府軍幹部らが兵の数を水増ししていて給与をポケットに入れるのが常態化していた。 カブールの米国大使館は巨大な建物で、職員は現地雇用者を含め4000人もいた。通常は、駐在国との外交が任務の大使館は多くても数十人の館員がいる程度だ。 4000人もいたのは、アフガニスタンの政治、軍事、行政をすべて指導していたためで、」、米大使館はまるで植民地の総督府だった。 これでは民心を掌握できるはずがない。今回タリバンの一斉蜂起が起こると大半の州都で政府軍兵が抗戦せず、知事から大統領までが逃亡したのも当然だった』、「タリバンの戦闘員は4万5000人ないし6万人余りとみられ、これに対してアフガン政府軍は約20万人、国家警察隊は10万人と公称され、数の上では圧倒的な優位」だったが、「政府軍や警察の経費は、日本を含む「国際社会」が全額を負担し、装備を米国が供与、指揮と訓練も米軍が行ったから事実上の「傭兵」だった。 占領軍の指示の下、自国民と戦わされる政府軍兵士の士気は低く、政府軍幹部らが兵の数を水増ししていて給与をポケットに入れるのが常態化していた」、のが米国側の努力を水に流してしまったようだ。
・『地方に拠点を確保 住民の信頼を得たタリバン  1979年に起きたイランのイスラム革命はアフガニスタンに波及し、その社会主義政権は風前の燈となったため、ソ連が介入したがゲリラに勝てず89年に撤退した。社会主義政権はその後3年間はもったものの1992年に崩壊した。するとかつてソ連軍と戦ったアフガンゲリラは8派に分かれて勢力争いの内戦を始めた。無秩序の部族兵は各地で物資懲発や略奪を続け国民は悲惨な状態に置かれた。 隣国パキスタンにとってもアフガニスタンの混乱は迷惑だっからパキスタン西部に多いパシュトゥン人と同民族のイスラム神学校の学生を中心とする軍事組織の結成を支援し、タリバンが誕生した。 信心が深いだけに規律が正しいタリバンは住民の支持を得て、内戦を収束させ1996年に政権を確保した。 イスラム原理主義を掲げ、古来の慣習や道徳を重視する学生主体のタリバンの堅苦しさに閉口する人もアフガニスタン国民の中にはいたと思われるが、内戦を終わらせ平和と規律をもたらしたことで一定の信頼を得ていたようだ。 8月15日のタリバンのカブール制圧後、欧米のメディアはカブールで英語を話せる女性をインタビューし、「タリバンによる女性差別が復活する。将来が不安」などという反応を報道していた。 だが米軍の爆撃、侵攻で始まった20年間の戦争の死者は敵、味方双方で17万人余り、民間人の死者は4万7000人余りとされ、夫、子ども、親、兄弟、姉妹などを失ったアフガニスタンの女性は多い。戦争中に国外に逃れた難民は260万人。国内避難者は400万人以上といわれる。 女性が占領軍、政府軍に恨みを抱くのは避けがたく、長い戦争がタリバンの勝利で終わったことを祝う女性の方がはるかに多いのではないかと考えられる』、「パシュトゥン人と同民族のイスラム神学校の学生を中心とする軍事組織の結成を支援し、タリバンが誕生した。 信心が深いだけに規律が正しい」、「規律の正しさ」の背景が理解できた。
・『対米協力者への報復、迫害 フランスでは対独協力者狩りが発生  この戦争で死んだアフガン人は14万人以上だから、タリバン政権が対外関係の好転と国内の安定を目指し、占領軍への協力者の恩赦を唱えても恨みを晴らしたいアフガン人が私的に対米協力者に報復、迫害をすることを完全に防げるとは考え難い。 第2次世界大戦ではドイツ軍が敗退した後のフランスで対独協力者狩りが起きた。 1940年6月にフランスを降伏させたドイツ軍は約4年間、フランス国土の約60%に当たる北部と大西洋岸地域を占領、南部の40%は右翼の親独派ヴィシー政権に統治させた。 これに対して一部のフランス人が「レジスタンス」(抵抗活動)を行った一方で、ドイツへの協力者が大勢を占めた。 1944年8月にパリが解放され、ドイツ軍が一掃されると、民衆は「コラボ」と称された対独協力者の摘発に興奮し、ドイツ将兵と親密だった女性を捕らえて丸刈りにし、市中を引き回した後、一部は処刑することが続発した。私刑の対象となった女性は数千人といわれている。私刑で殺された男女は推定約9000人、公式の裁判でも1560人の政治家、官僚、軍人、警察官などが死刑に処された。 タリバンが恩赦を宣言しても、私的報復がアフガニスタンでも起こる可能性はあるから米軍は協力者の避難を助けるため、予定の8月末より撤退の延期をタリバンに打診している。だがいずれ撤退することは確実だ』、なるほど。
・『タリバン政権のカギを握る中国 イスラム過激派、波及を防ぐ思惑  日本の刑法でも外国と通謀して日本に対し武力を行使させたものはすべて死刑と定め、武力行使が起きた後に、それに加担した者は、死刑、無期、2年以上の懲役としている。 米国が敗退した後のこの地域の安定をどう確保するかも大きな問題だ。とりわけ注目されているのが、中国だ。 中国政府は、新疆ウイグル自治区でテロ活動をする「東トルキスタンイスラム運動」などのイスラム過激派が、タリバンの勝利に勢いづき提携することを防ごうとしている。タリバン政権の承認や財政支援と引き換えに、新疆ウイグルの安定、治安維持への協力を求めている。 タリバンもそれに応じる姿勢を示している。元々凶悪な「イスラム国」とは対立していたのだ。米国がタリバンに圧力をかけようとしアフガニスタン政府の預金を凍結すれば、タリバンは一層、中国に頼ることになるだろう。 アフガニスタンには天然ガスや原油、銅鉱山など未開発の鉱物資源があり、中国はすでにアフガニスタン北部の油田開発で協力を始めている。 ロシアも国内のチェチェン独立派などイスラム過激派の行動が再び活発になることを警戒し、タリバンに接近を図っている。 だが旧ソ連時代、アフガニスタンに侵攻したもののイスラム過激派に敗北して1989年に撤退。結局、ソビエト連邦自体が崩壊することになった。 この教訓はロシア指導部には残って、タリバンとは良好な関係を築くことに努めるはずだ。 タリバンが多民族国家アフガニスタンの統治を続けられるか否かは、世界の不安定要因になるだろう』、「イスラム国」関連では先日の首都カブールで起きた自爆テロは、「イスラム国(IS)」傘下の「ホラサン州(IS-K)が犯行声明」、と健在のようだ。
・『ベトナム後は慎重だった米国 対中強硬世論、沈静化か  タリバンに敗れた米国が、協力者を見捨てる形で撤退すれば、世界の指導者を自負した威信を失うのは不可避だ。その腹いせに他国の協力を得てタリバン政権を締め上げようとしても、負け惜しみとの冷笑を招いて傷を大きくすることになりかねない。 ソ連はアフガニスタンのイスラムゲリラと戦って敗れ、1989年に完全撤退したが、東欧支配国と国内統治の要だった軍事的威信を失い、91年に崩壊した。だが、米国は旧ソ連のように軍事的威信だけが頼りではない。 米国は昨年末で1460兆円という途方もない対外純債務を抱える最大の債務国(日本は純債権が356兆円で最大の債権国)だが、米国の金融機関は他国から預かった資金を運用して世界の金融を牛耳る力を持ち続けている。 CNNテレビやAP通信などのメディアは世界に影響力を持つから、旧ソ連のようにアフガニスタンでの敗戦で超大国の地位を失うことはありそうにない。 ただ米国も1973年にベトナムから完全撤退した後、10年間は武力行使に慎重だった。 次に戦争をしたのは1983年カリブ海の島国、グレナダの侵攻だった。人口10万人、面積は東京都の16%の小国に左派の「人民革命政府」が生まれ、飛行場を建設していたことが「米国の安全保障をおびやかす」という被害妄想的な論が侵攻の口実になり、米国は空母や6000人の兵力を投入、1週間で制圧した。 大人が幼児を相手にするような戦いだったが米国人は「大勝利」に熱狂し、レーガン大統領の支持率は一気に高まった。ベトナムに負けて以来の屈辱感が久々に晴れた、ともいわれる。 今回の失敗から米国は何を学ぶのか。米国の覇権が崩れることはないにしても、米国世論が中国との軍事的対決に慎重になれば、アフガン20年戦争の教訓は生きる。 日本にとっても米中の衝突に巻き込まれて、最大の中国市場を失って経済に致命的打撃を受け、安全保障も危うくなる事態を避けられるかしれない』、「グレナダの侵攻」はどう考えても大義名分のない露骨な侵略戦争だったが、「米国人は「大勝利」に熱狂し、レーガン大統領の支持率は一気に高まった」、とはいいかげんなものだ。米国ともほどほどの距離を保っておく必要がありそうだ。

第三に、9月1日付け東洋経済オンラインが掲載した『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員 のレジス・アルノー氏による「日本の「アフガン退避作戦」こんなにも遅れた理由 アフガン人を大量救出した韓国と何が違った?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/451919
・『自衛隊にとっては歴史的な任務だった。8月23、24日に、数百人の自衛隊員が拍手に送られ、行進しながら3機の軍用機に乗り込んだ。指をズボンの縫い目に当て、まるで戦地に向かうかのようだった。最終目的地はアフガニスタンのカブール。目的は現地に残る数人の日本人を帰還させ、日本に関係する約500人のアフガニンスタン人を国外退避させることだった』、全く恥さらしな出来事だった。
・『約500人のアフガン人を保護する予定だった  今回の退避作戦が成功していれば、自衛隊による初の外国人救援になっていただろう。救援したアフガニスタン人に対して、定住者ビザを発行していれば、移民の受け入れについては世界からかなり後れをとって批判されている日本のプラスになったかもしれない。 日本が保護することを考えていたアフガニスタン人500人は、通常時の約16年分の亡命件数(2005年から511件)に相当する。2020年に日本が許可した数が47件だったことを考えるとかなりの数だ。 だが、残念ながら作戦は完全に失敗に終わった。このためにパキスタンに3機の自衛隊機を送ったが、脱出させることができたのは日本人1人だった。このほか14人のアフガニスタン人を搭乗させたが、彼らはアメリカ人に雇われていた人たちであり、今回の作戦の対象となった人は誰1人カブール空港にでさえ到着できなかったのだ。 「考えうる最悪の退避オペレーション。派遣された自衛隊員、米軍兵士らに責任はない。限界以上のことをしている。各政府の見通しと計画の問題」と、紛争の予防に尽力する国際NGO、REALsの瀬谷ルミ子理事長はツイッターにこう書いた。「搭乗予定だった数百名の個人情報は検問を通るためという理由でタリバンに提出されている。それが何に使われるか」。 今回の成果は、韓国と比べてもかなり見劣りする。韓国人に雇われたアフガニスタン人とその家族391人は8月26日にソウルに到着し、長期滞在許可証を取得する予定だ。 いくつかの報道によると、自衛隊は日本に雇用されているアフガニスタン人をその場で脱出させようと試みた。26日、十数台のバスをカブール市内の各所でチャーターしたが、輸送と同時に空港付近でテロが起こったため、その任務を中止せざるを得なくなったのだ。今回帰国した唯一の日本人である共同通信社の安井浩美氏は、ジャーナリスト用にカタールがチャーターしたバスになんとか乗ることができたという。 この失敗から学べる教訓はあるだろうか。自衛隊法第84条の3または第84条の4は、邦人、および外国人を避難させるための法的根拠である。これらの条項は、現地当局の同意、または活動状況の安全性が確かであることを求めているが、今回の場合、例えばタリバンの同意を得ることは現実的ではないなど、法律の限界を指摘する声も少なくない。 だが、瀬谷理事長が述べている通り、今回の失敗は軍事ではなく、政治的な失敗だ。「カブールが陥落したのは15日だが、政府がアフガニスタン入りを決めたのは23日。日本のアフガニスタン入りは遅すぎたし、行動を起こすのも遅すぎた」と、安全保障問題に詳しい慶應義塾大学総合政策学部の鶴岡路人准教授は指摘する。 自衛隊の動きが遅かったのは今回だけではない。「2013年にフィリピンでハイエン台風が起こり、日本が『緊急援助隊』をフィリピンに送った時、自衛隊は大災害の2週間後に到着した。自衛隊はあまり多くの人々を救助できなかった」と、ある外国の軍事関係者は振り返る。 「自衛隊は8月25日に到着した。アメリカ軍撤退予定日のわずか1週間前だ。フランスの最後の飛行機はその1週間前に到着している」と、フランスの軍事関係者も話す。 なぜ日本政府が動くのはこんなにも遅かったのか。残念ながら、日本政府は日本人に協力してきたアフガニスタン人について何も考えてなかったように見える。 実際、日本大使館の職員12人は8月17日にイギリスの軍用機を利用して国外退避した。この時、アフガニスタン人のスタッフが1人も同乗していない。 「いったん外交官の退避が終わると、『任務は完了した』という安堵感が漂った」と、鶴岡准教授は指摘する。「政治家たちの注意力は低いままだったが、自民党議員に背中を押され、他国の作戦を目の当たりにしてやっと、政府はアフガニスタン人の同僚たちも救出されるべきではないかと気がついた」。 岡田隆駐アフガニスタン大使は、ガニ政権崩壊までにアフガニスタンを離れていたと伝えられている。イギリスやフランスの大使が、最後まで残って業務を続けたのと対照的だ』、「駐アフガニスタン大使は、ガニ政権崩壊までにアフガニスタンを離れていた」、「日本大使館の職員12人は8月17日にイギリスの軍用機を利用して国外退避」、日本人は現地職員に余りに冷た過ぎる。
・『フランスは今春から退避計画をしていた  アメリカ軍が撤退することはすでに前トランプ大統領時に決められていた。タリバンによる全土掌握が予想以上に早かったとはいえ、日本政府が事前に準備することはできなかったのだろうか。 「そもそもフランスが本国への送還を始めたのは、この状況が予測できるようになってきた今春のことだった。まず、大使館の現地職員とその家族を脱出させ、7月には残りのフランス人を送還するための特別便を計画した。このため、8月15日以降の避難活動は、アフガニスタンの一般市民と、7月の便での帰国を拒否した一部のフランス人が中心となっている」と、フランス人らの退避に携わったフランスの外交官は説明している。 日本大使館や日本の関係機関へ協力してきたアフガニンスタン人は今も危機にさらされている。日本政府にはこうした人たちを救うために、引き続き尽力してもらいたい』、現地人職員の忠誠を確保するためにも彼らの安全確保に最大限、努力すべきだ。さもないと、「日本」は国際社会のもの笑いの種になるだろう。
タグ:全く恥さらしな出来事だった。 「日本の「アフガン退避作戦」こんなにも遅れた理由 アフガン人を大量救出した韓国と何が違った?」 レジス・アルノー 東洋経済オンライン 「グレナダの侵攻」はどう考えても大義名分のない露骨な侵略戦争だったが、「米国人は「大勝利」に熱狂し、レーガン大統領の支持率は一気に高まった」、とはいいかげんなものだ。米国ともほどほどの距離を保っておく必要がありそうだ。 「イスラム国」関連では先日の首都カブールで起きた自爆テロは、「イスラム国(IS)」傘下の「ホラサン州(IS-K)が犯行声明」、と健在のようだ。 「パシュトゥン人と同民族のイスラム神学校の学生を中心とする軍事組織の結成を支援し、タリバンが誕生した。 信心が深いだけに規律が正しい」、「規律の正しさ」の背景が理解できた。 「タリバンの戦闘員は4万5000人ないし6万人余りとみられ、これに対してアフガン政府軍は約20万人、国家警察隊は10万人と公称され、数の上では圧倒的な優位」だったが、「政府軍や警察の経費は、日本を含む「国際社会」が全額を負担し、装備を米国が供与、指揮と訓練も米軍が行ったから事実上の「傭兵」だった。 占領軍の指示の下、自国民と戦わされる政府軍兵士の士気は低く、政府軍幹部らが兵の数を水増ししていて給与をポケットに入れるのが常態化していた」、のが米国側の努力を水に流してしまったようだ。 「首都カブール制圧の際も、8月14日にカブールの玄関口に迫ったが、乱入して略奪などが起きないよう進撃を一時停止、翌日、粛々と無血入城」、自制の利いた「タリバン」の姿勢には安心した。 「米国が介入し支配をしてきた約20年間、主として米国が育成してきたアフガン政府軍と国家警察隊はほとんど無抵抗で逃走し、米国が2.2兆ドル(約250兆円)を投じて築いた体制は「砂上の楼閣」のように崩壊した」、確かに余りにもあっけなかった。 「タリバン「最速の無血入城」は米軍植民地統治の当然の帰結」 田岡俊次 ダイヤモンド・オンライン 「海外での戦争に大勝利して支持率が一時8割を超えても、結局再選されなかった(ブッシュ)大統領もいれば、逆に海外で大失敗して支持率が一時40%を切っても、再選された(レーガン)大統領もいる」、「全ての政治はローカルであり、海外での重大事件が中長期的に政権を左右するわけでは必ずしもない、ということか」、なるほど。 「何のために戦い、傷付き、死んだのか」は、確かに「「月曜朝のQB」よりも深刻な批判」だ。「青春の最も輝く時期に、彼らはアフガニスタンに派遣され、過去20年も戦った成果が、カブール陥落により雲散霧消し始めた。彼らが不満の声を上げるのは当然」、その通りだろう。 「無責任な「月曜朝のQB」に似た存在は日本にもいるので、万国共通の現象なのかも知れない。 事後批判する無責任な結果論者 「今回、政府軍が「蒸発」した最大の理由は、ガニ大統領率いる中央政府に不正・腐敗がまん延していたからだ」、なるほど。ただ、「何よりも気になるのはアフガニスタンに取り残された米国人、同盟国人、外国人ジャーナリスト、アフガン人協力者たちの脱出状況だ」、その後30日から31日に切り替わる寸前に最後の米軍輸送機がカブール空港を離陸したので、かなりが脱出した可能性がある。 「アフガン撤退で最大の危機、バイデン政権に向けられる3つの批判」 宮家 邦彦 日経ビジネスオンライン (その1)(アフガン撤退で最大の危機 バイデン政権に向けられる3つの批判、タリバン「最速の無血入城」は米軍植民地統治の当然の帰結、日本の「アフガン退避作戦」こんなにも遅れた理由 アフガン人を大量救出した韓国と何が違った?) アフガニスタン問題 現地人職員の忠誠を確保するためにも彼らの安全確保に最大限、努力すべきだ。さもないと、「日本」は国際社会のもの笑いの種になるだろう。 「駐アフガニスタン大使は、ガニ政権崩壊までにアフガニスタンを離れていた」、「日本大使館の職員12人は8月17日にイギリスの軍用機を利用して国外退避」、日本人は現地職員に余りに冷た過ぎる。
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