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資本主義(その5)(「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代、「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる、斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊2題:#1「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」、#2コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界”) [経済]

資本主義については、昨年10月14日に取上げた。今日は、(その5)(「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代、「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる、斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊2題:#1「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」、#2コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界”)である。

先ずは、本年1月1日付け東洋経済オンラインが掲載したNHKエンタープライズ制作本部番組開発エグゼクティブ・プロデューサーの丸山 俊一氏による「「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/398342
・『資本主義が抱える本質的な問題を世界の知性とともに多角的に考察する番組「欲望の資本主義」。新春恒例となった異色の教養エンタメ番組で、『欲望の資本主義4スティグリッツ×ファーガソン不確実性への挑戦』など、書籍化もされている。今回特に注目されるのが「無形資産」と格差拡大だ。コロナ禍でデジタルテクノロジー主導の経済がますます存在感を増している中、日本と世界はどこへ向かうのかを追った元日放送の「BS1スペシャル欲望の資本主義2021~格差拡大社会の深部に亀裂が走る時~」の見どころをお届けする。 一方、そうしたバーチャルな経済が増殖する中で注目されている番組が、「ネコメンタリー」と「魂のタキ火」だ。一見、つながりのないように見える3番組に通底する問題意識について、番組を企画したNHKエンタープライズ番組開発エグゼクティブプロデューサーの丸山俊一氏に伺った』、残念ながら両方とも見逃したので、この記事はとりわけ興味深い。
・『火が、炎が、人々の心を開放する  「魂のタキ火」なる番組を始めた。 冒頭からカメラはひたすら燃える火を捉え、炎のアップの映像が延々と続く。ナレーションはない。パチパチと薪がはぜる音、風の音、遠く過ぎゆく電車の音もうっすらと鼓膜に響く。そして画面には、炎が相変わらず揺れ続ける……。 いったいこれは「番組」なのか、たまたまテレビを点けて、この映像に遭遇した方はその唐突な出会いに一瞬戸惑われることだろう。しかし同時に、少しずつ時の流れの感じ方が変わり、感覚の変容を覚えるという方も少なくない。 そのうちに炎の向こうから 聞こえてくる、とりとめのない言葉、素朴な声、洒脱な会話……。ようやく、さまざまなジャンルの3人のゲストたちがタキ火を囲み、言葉を交わすさまが描き出される。台本はもちろんない。炎を囲むことで、たまたま居合わせたかのような3人に、日常から少し自由になって、心の底に眠る思いを吐露してもらおうというわけだ。 そして、もう1つ特筆すべき点があるとすれば、「主役は炎とあなたです」というコピーを番組HPにも沿わせているように、ゲストの皆さんの話から刺激を受けた視聴者の方々も、自由に想像力の世界に遊んでほしいという思いがそこにはある。 話の行間から想起された思いを、それぞれが炎に投影させる。もちろん番組というものはどなたにもどのようにでも自由に見ていただくもの、すべての企画が「主役はあなた」なのだが、そのことをあらためてど真ん中に考えた企画だともいえるのかもしれない。 こんな番組を毎週火曜の夜にお送りしているわけだが、別に奇をてらって考えたわけではない。企画したのは1年以上前のこと、さらに言えば30年以上前と言ったら呆れられるだろうか。 駆け出しのディレクターだった頃、ひたすら滝や炎をカメラが捉える番組は……などと口にして、プロデューサーたちに「テーマは何か?それで何を狙うのか?」と問い詰められ、言葉に窮した記憶がある。 ゆらめく炎、流れ落ちる滝、寄せては返す波、木々を揺らす風……、 そうした揺らぎを捉えた映像は今でこそ、このYouTube時代、「癒やし」の名の下に広がりを見せ珍しくなくなり、「コンテンツ」として立派に成立する時代となった。 皮肉なことにこのコロナによる不透明な状況の中、「安らぎ、静かな落ち着けるひととき」とご好評をいただいている。 なぜ今、火、炎なのか?つかまえられない揺らぎを宿し、すべてを燃やし尽くす炎は、原初の存在、文明の始まりでもある。そして「町の火を消してはならない」などと表現されるように、小さくともその存在をなくすべきではないものにたとえられることがある。 怖くて偉大で大切さの象徴たる火は、私たちの本能を刺激する。そしてそれは、実は現代社会の大いなる欠落の象徴でもあるのではないだろうか?』、「すべての企画が「主役はあなた」なのだが、そのことをあらためてど真ん中に考えた企画だともいえるのかもしれない」、その通りなのだろう。
・『デジタルテクノロジーが招く無形資産の時代  現代の社会をあらためてフラットに眺めたとき、デジタルテクノロジーの進化、デジタル技術がもたらした変貌ぶりは見落とすわけにはいかないだろう。この四半世紀の間、IT、ビッグデータ、AI、そして今DXと語られる資本主義の「最前線」は、その多くをデジタル技術に負い、人々のコミュニケーション様式も、ビジネスの作法も、生活スタイルも大きく変わった。 人々の心、精神、思考などのかけがえのない人間らしさとされてきたものも、いつの間にか易々と数量化、データ化され、アルゴリズムで表現できるというストーリーがまことしやかに語られるようになった。 本当に人間のすべてがデジタルに解析できるか否か、その問題を今ここで俎上に乗せようとは思わないが、ここで重要なのは、それが錯覚であれ、あたかもすべてが解析されてしまうかのごとき感覚を持つ人間の性である。そしてそれは、自らの精神による主体性への懐疑を生み、ある種の無力感を生んでいるようにも思える。 ちなみに私はそれを「デジタル・アパシー」と勝手に呼んでいるのだが、悲喜劇的な事態ではある。私たちの生活を豊かにするための手段だったはずの技術がいつの間にか目的化、人間がシステムに合わせている倒錯的な状況は、日常さまざまなところで多くの人々が経験しているのではないだろうか? 自分で設定したパスワードが思い出せずに冷や汗をかくぐらいはご愛嬌だが、「人が選択するよりデータに基づく選択のほうが正しい」「AIに人生の目的を設定してもらうほうが楽だ」といった声まで聞くようになると、少し恐ろしくなる。実際、現在のデジタルテクノロジーによる資本主義は私たちに不思議な「夢」を見させるのだ。それは、希望なのか?悪夢なのか?そこでも私たちは立ち止まり、安易な二元論の選択に乗らないことだ。 2016年春に始まり、翌年以降新春恒例の番組となった「欲望の資本主義」の中にあっても、このデジタルテクノロジー主導の経済の変化については、毎年重要な問題の1つとしてきた。新たに2021年元日にお送りする新作も、この混迷する状況の中にあって技術の問題は避けて通れそうにない。 もちろん今回はパンデミックという思わぬ事態の影響から語り始めることになるが、コロナが浮き彫りにしたのは従来からの本質的な問題であり、構図は変わらず、状況をさらに加速させただけともいえる。デジタル資本主義による格差の拡大、ゲーム、オンラインなどの伸び……、失業、倒産などの憂き目に遭う人々を尻目に、ネット空間の中の「バーチャル」経済は躍進する。 そこで注目を浴びているのが「無形資産」なる概念だ』、「私たちの生活を豊かにするための手段だったはずの技術がいつの間にか目的化、人間がシステムに合わせている倒錯的な状況は、日常さまざまなところで多くの人々が経験しているのではないだろうか?』、確かにその通りだ。
・『「無形資産」が生み出す渦巻きその力が及ぶのは…?  「見えない資産」とも言われ、英インペリアル・カレッジ・ビジネススクールのジョナサン・ハスケル教授らによって示された「無形資産」なる概念が、現代の資本主義にあっては企業価値を左右するものになっている。 無形資産とは、モノとして実態の存在しない資産だ。例えば特許や商標権や著作権などの知的資産、人々の持つ技術や能力などの人的資産、企業文化や経営管理プロセスなどがこれにあたる。 これは実体を伴わない資産であることから、会計制度上では原則として資産として計上することはできなくなっているが、そこを見直していく気運も高まっているようだ。現金、証券、商品、不動産など実態の存在する資産である「有形資産」とは異なり、計測の仕方が難しいであろうことは想像にかたくない。 しかし、この文字どおり形を持たない資産、ソフト、ブランド、アイデアなどが、今、経済を動かす主力となっている。GAFAの強大化に象徴されるように、その求心力になっているのは、情報であり、インテリジェンスであり、未来への可能性なのだ。) 今、人々はモノではなく夢に投資する。そしてそれは、「見えない資本」による資本主義、一見「資本のない」資本主義が世界に、ネット空間を介して広がっていることを物語る。確かに古くはすでに1970年代から『脱工業社会の到来』(ダニエル・ベル)、『第三の波』(アルビン・トフラー)など、モノの生産を主軸とする工業化の後にやってくる経済の潮流について語られ日本のビジネス論壇でも話題となっていたが、その引き起こす変化、与える影響の大きさが、今切実なものとなってきているということだろう。 商品は、情報、知識、感性……、さらに進めば、共感、感情、精神、イメージ……。デジタルテクノロジーの複製技術は、そうした「幻影」も「複製」「増幅」「拡散」させていくことにも長けている。コロナの中、人々が直接の接触を避け、いよいよネットの海の中に埋没する時代に、「無形資産」は大きな渦巻きの中心にあるかのようだ。そこから生み出される波は、現代社会の岸壁にも打ち寄せ、徐々に浸食、いつの間にか社会の構図を変えていくように見える。変化は静かに確実に押し寄せる』、「いよいよネットの海の中に埋没する時代に、「無形資産」は大きな渦巻きの中心にあるかのようだ」、上手いこと言うものだ。
・『現代はトキ消費、イミ消費の時代  モノからコト、コトからトキ、あるいはイミへ……。現代はトキ消費、イミ消費の時代ともいわれるようになってからもすでに久しい。ユーザーのゲーム内での滞留「時間」を重視しある種の「囲い込み」を狙う戦略や、人々が商品に見いだすそれぞれの物語における「意味」の発見にこそ付加価値があるとする発想がそうしたトレンドを支えている。そこで商品となっているのは、「アイデア」であり、「創造性」であり、「人生の時間」なのだ。 それはある意味、従来の生産手段に囚われることなく、無限の「生産」「消費」を可能にする資本主義ともいえる。しかし同時に、フランスの知性ダニエル・コーエンがかつて番組内でも用いた表現を引けば、すべてのプレーヤーに「創造的であれ、さもなければ、死だ!」(「欲望の資本主義2018」)と宣言するような過酷な社会でもあるのだ。 そこには功罪、光と影がある。資本主義の常として、成長が、生産性の向上が至上命題となるとき、このデジタルテクノロジー主導の「資本のない」資本主義にあっての「成長」とは?「生産性」とは? 工業化の時代と同じように「成長」も「生産性」も定義できないとするならば、私たちはどこかで間違ったのか?それは資本主義がはらむ根源的な不安定性なのか?それとも……?まるでメビウスの輪のように反転しながら原点へと回帰しつつ、問いは続く。 コロナが加速化させるのは、単に格差問題というにとどまらず、こうした社会の歪な構造変化なのではないだろうか?「富を生む構造」を経済理論のみならず、社会哲学的にも解明する必要があるゆえんである。そしてそれは、「経済」現象を抽象化することに対して極めて注意深くあらねばならない探究であると、あらためて思う。 そして、この「無形資産」にこそ、ある意味究極的な「欲望の資本主義」の課題がある。毎回冒頭に「やめられない、止まらない、欲望が欲望を生む……」というナレーションをリフレインしてきたが、それは強欲批判というより、際限なく自己増殖する人の欲望、資本の運動性に着目しての表現だった。 「未来の可能性」という幻想を貨幣に抱くのと同様、「無形資産」=形なきものへの欲望も始末に負えなさそうだ。「夢」なしでも「夢」だけでも生きられない人間の性。世界を覆う自然の脅威の中、「欲望が欲望を生む」資本主義は、社会は、どこへ向かうのか?) 今回の「欲望の資本主義2021」では、こうした状況を、先にあげたジョナサン・ハスケル他、ノーベル賞受賞の重鎮でいつもユニークな視点を世に問うているイェール大学のロバート・シラー教授、フランスの異才エマニュエル・トッド氏、さらに経済発展や民主制の研究で世界的に知られ最近は新たな経済学のスタンダードとなる教科書を執筆した気鋭のマサチューセッツ工科大学のダロン・アセモグル教授、マイク・サヴィジ氏、グレン・ワイル氏ほかさまざまな世界の知性へのインタビューに、多面的な考察を織り成し考えていく。 無形資産が生み出す異形の資本主義。その運動性を渦巻きにたとえて表現してみたわけだが、渦であるなら中心もあるはずだ。台風ならば、中心は無風にして穏やかな青空が広がっているだろう。 その新たな資本主義の「台風の目」に、冒頭で触れた、静かに揺れて燃える炎をイメージすると言ったら、驚かれるだろうか?現代に至るまで高度な文明を発展させてきた人類は、今その原点に帰りたいと、どこかで無意識に思っていると見えなくもないのだから』、「現代に至るまで高度な文明を発展させてきた人類は、今その原点に帰りたいと、どこかで無意識に思っていると見えなくもないのだから」、なるほど。
・『炎と猫と資本主義欲望の行方は?  意識か無意識か、原点への回帰を志向する現代人。その視点で、もう1つ重なる問題意識で発案した企画がある。 「ネコメンタリー猫も、杓子も。」まさに「猫も杓子も」猫ブームの中、「もの書く人」と愛猫の日常をそっとカメラで記録、その関係性を描き出そうという一風変わった、柔らかなタッチのドキュメンタリーを「ネコメンタリー」と名付けた。漱石以来、多くの作家たちが猫に投影させてきたさまざまな心情が、現代の「もの書く人」と愛猫の姿を通して描かれる。 幼さと老成が同居し、あくまでもマイペースでアマノジャクな存在である猫は、ものごとをさまざまな角度から切りとろうと企む作家、表現者たちと、もともと相性がいい。 とはいえ、この何年にもわたる猫ブームの中、その関係性から現代の何が見えてくるのか?現代人が猫という存在に何を託しているのか?あらためて映像を通して考察しようというわけだ。そこにも、野生への憧憬であり、文明化の中である種の欠落を埋めようとする私たち自身の姿が見え隠れするように思われるのだ。漱石以来の、私たちの猫への想いの投影は続く。 企画のテーマは、いつも時代との対話だと思っている。日々、日常の些末な一場面から大衆的な人気を獲得する社会風俗まで、聖俗、硬軟、すべてつながっている。そうしたあらゆるものを同時代の現象として捉え、みなさんとともに考えるきっかけとすることができるのが、映像という媒体の可能性だといつも思う。 炎を眺め、猫と戯れながら、資本主義の本質へ……。 2021年が始まる』、「幼さと老成が同居し、あくまでもマイペースでアマノジャクな存在である猫は、ものごとをさまざまな角度から切りとろうと企む作家、表現者たちと、もともと相性がいい」、このシリーズも見逃したのは本当に残念だ。

次に、5月6日付けダイヤモンド・オンライン「「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる【橘玲の日々刻々】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/270251
・『「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」などというと、なにを血迷ったことをと思われるだろうが、エリック・A・ポズナーとE・グレン・ワイルは『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』(東洋経済新報社)でそう主張している。それもポズナーは著名な法学者、ワイルは未来を嘱望される経済学者だ。原題は“RADICAL MARKET: Uprooting Capitalism and Democcy for a Just Society(公正な社会のために、資本主義と民主政を根底から覆す)”  この大胆(ラディカル)な理論を紹介する前に、著者たちのバックグラウンドについて触れておこう。 エリック・ポズナーは55歳で、シカゴ大学ロースクールの特別功労教授。法や慣習(社会規範)をゲーム理論を用いて分析する「法と経済学」を専門にしている。名前に見覚えがあると思ったら、保守系リバタリアンの法学者で、共和党を支持しながら、ドラッグ合法化や同性婚、中絶の権利を認めるリチャード・ポズナー(連邦巡回区控訴裁判所判事)の息子だった。 リチャード・ポズナーには、『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』(東洋経済新報社)など、経済学者ゲイリー・ベッカーとの多数の共著がある(もともとは2人でブログを書いていた)。ノーベル経済学賞を受賞したベッカーは「20世紀後半でもっとも重要な社会科学者」とされ、ミルトン・フリードマンらとともにシカゴ経済学派(新自由主義経済学)を牽引し、レーガン政権の政策に大きな影響を与えた。 もう一人の著者であるグレン・ワイルは1985年生まれの若干36歳で、プリンストン大学で博士号を取得、ハーバード大学、シカゴ大学での教職を経て、現在はマイクロソフト・リサーチ社の首席研究員だ(マイクロソフトCEOのサティア・ナデラが本書の推薦文を書いている)。イェール大学で「デジタルエコノミーをデザインする」というコースを教えてもいる。 Wikipediaのワイルの人物紹介では、「両親は民主党支持のリベラルだったが、アイン・ランドとミルトン・フリードマンの著作に触れてから市場原理主義(free market principles)に傾倒していく」とされている。 本書の謝辞には、「グレン(・ワイル)にとっては、この非常に大胆なアイデアを追求すれば、研究者としてのキャリアを犠牲にするリスクがあり、出版するのも困難だったのだが、そんな状況の中でゲイリー・ベッカー(略)が強く背中を押してくれた」とある。ベッカーは2014年に世を去っているから、シカゴ大学で最晩年のリバタリアン経済学者の知己を得たのだろう。リチャード・ポズナーの息子エリックとも、ベッカーの縁で知り合ったのかもしれない。 このようなことをわざわざ書いたのは、グレン・ワイルが考案した「ラディカル・マーケット」のデザイン(設計)が、一見、リバタリアニズムの対極にあるからだ。なんといっても、ワイルは私有財産を否定しており、それによって「共同体(コミュニティ)」を再生しようとしている。孫のような若者のそんなラディカルなアイデアを、新自由主義経済学の大御所ベッカーが後押ししたというのはなんとも興味深い』、「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」、「グレン・ワイルが考案した「ラディカル・マーケット」のデザイン(設計)が、一見、リバタリアニズムの対極にあるからだ。なんといっても、ワイルは私有財産を否定しており、それによって「共同体(コミュニティ)」を再生しようとしている」、とは面白い。 
・『「真の市場ルール」を阻む「私有財産」という障害  ポズナーとワイルは、現代の先進国が抱える問題は「スタグネクオリティ(stagnequality)」だという。スタグネーションstagnationは「景気停滞」のことで、これにインフレ(inflation)を組み合わせると、経済活動の停滞と物価の持続的上昇が併存する「スタグフレーション(stagflation)」になる。 それに対して景気停滞に「不平等inequality」を組み合わせた造語がstagnequalityで、「経済成長の減速と格差の拡大が同時に進行すること」だ。その結果、アメリカではリベラル(民主党支持)と保守(共和党支持)が2つの部族(党派)に分かれ、互いに憎悪をぶつけあっている。 この混乱を目の当たりにして、近年では右も左も「グローバル資本主義」を諸悪の根源として、資本主義以前の人間らしい共同体(コミューン、コモンズ、共通善)をよみがえらせるべく「共同体主義(コミュニタリアニズム)」を唱えている。 だが著者たちは、こうした「道徳と互酬性、個人的評判による統治(モラル・エコノミー)」は、狩猟採集社会や中世の身分制社会ではそれなりに機能したかもしれないが、現代の巨大化・複雑化した資本主義+自由市場経済では役に立たないという。「取引の範囲が広がり、規模が大きくなると、モラル・エコノミーは崩れてしまう」からで、「大規模な経済を組織するアプローチとして、市場経済に対抗する選択肢はない」のだ。  「脱資本主義」の代わりに提案されるのが「メカニカル・デザイン」で、「オークションを生活に取り込む」よう市場を再設計することだ。なぜならオークションこそが、市場を通した資源配分の機能をもっとも効果的にはたらかせる方法だから。これはオークションをデザインした経済学者ウィリアム・ヴィックリーの思想を現代によみがえらせることでもある。 著者たちは、「真に競争的で、開かれた、自由な市場を創造すれば、劇的に格差を減らすことができて、繁栄を高められるし、社会を分断しているイデオロギーと社会の対立も解消できる」として、これを「市場原理主義」ではなく「市場急進主義」と呼ぶ。真の市場ルールは「自由」「競争」「開放性」で、次のように定義される。 +自由:自由市場では、個人がほしいと思う商品があるとき、その商品の売り手が手放す代償として十分な金額を支払う限り、それを購入することができる。また、個人が仕事をしたり、商品を売り出したりするときには、こうしたサービスが他の市民に生み出す価値どおりの対価を受け取らなければいけない。そのような市場では、他者の自由を侵害しない限りにおいて、あらゆる個人に最大限の自由が与えられる。 +競争:競争市場では、個人は自分が支払う価格や受け取る価格を与えられたものとして受け入れなければいけない。経済学者のいう「市場支配力」を行使して価格を操作することはできない。 +開放性:開かれた市場では、すべての人が、国籍、ジェンダー・アイデンティティ、肌の色、信条に関係なく、市場交換のプロセスに加わることができて、お互いが利益を得る機会を最大化できる。 そんなことは当たり前だと思うだろうが、じつは「真の市場ルール」を阻む重大な障害がある。それが「私有財産」だ。 私的所有権こそが自由な市場取引の基礎だとされているが、「再開発や道路の拡張を阻む頑迷な地権者」を考えれば、いちがいにそうともいえないことがわかる。この地権者は、開発業者が「十分な金額」を払うといっても拒否し、「市場支配力」を行使して適正な取引を妨害し、「お互いが利益を得る」機会をつぶしているのだ。 これはけっして奇矯な主張ではなく、アダム・スミスやジェレミー・ベンサム、ジェーミズ・ミルなどは封建領主の特権と慣習が財産の効率的な利用の障害だと考えていた。「限界革命」を主導した「近代経済学の3人の父」のうち、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズは「財産とは、独占の別名にすぎない」と述べ、私有財産制を深く疑っていた。レオン・ワルラスも「土地は個人の所有物であると断じることは、土地が社会にとって最も有益な形で使われなくなり、自由競争の恩恵を受けられなくなることだ」と書いている。 ワルラスは、「土地は国家が所有して、その土地が生み出す超過利潤は「社会的配当」として、直接、あるいは公共財の提供を通じた形のいずれかの方法で公共に還元するべきだ」と述べ、これを「総合的社会主義」と呼んだ。マルキシズムとのちがいは、ワルラスが中央計画を「計画者自身が独占的な封建領主になるおそれがある」として敵視し、「土地は競争を通じて社会が管理するようにし、その土地が生み出す収益は社会が享受したい」と考えていたことだ。  「私有財産否定」はマルクス経済学の専売特許ではなく、近代経済学のなかにもその思想は脈々と流れているのだ』、「レオン・ワルラスも「土地は個人の所有物であると断じることは、土地が社会にとって最も有益な形で使われなくなり、自由競争の恩恵を受けられなくなることだ」と書いている。 ワルラスは、「土地は国家が所有して、その土地が生み出す超過利潤は「社会的配当」として、直接、あるいは公共財の提供を通じた形のいずれかの方法で公共に還元するべきだ」と述べ、これを「総合的社会主義」と呼んだ」、恥ずかしながら初めて知った。

第三に、7月19日付け文春オンラインが掲載した斎藤 幸平氏と堀内 勉氏による対談「「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」 斎藤幸平がマルクスから見つけた、労働問題の“答え” 斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊 #1」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/47022
・『晩期マルクスの思想の新解釈から、気候変動などの環境危機を脱するヒントを探り、30万部のベストセラーとなった『人新世の「資本論」』(集英社)の著者の斎藤幸平さん。そして、不安定な時代を生き抜くためのブックガイドである『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)を上梓した堀内勉さん。「知の水先案内人」であるお二人に、先行きの見えない時代を生き延びるための教養・ビジネス書について語っていただいた。(全2回の1回目) 斎藤幸平(以下、斎藤) 堀内さんは、日本興業銀行でMOF担(旧大蔵省担当)をなさり、ゴールドマン・サックス証券に転職、森ビルのCFO(最高財務責任者)も務めたというご経歴ですよね。まさに資本主義の最前線でキャリアを積まれたわけです。一方、私は『人新世の「資本論」』で痛烈に資本主義を批判し、脱成長まで提案している。そんな私ですが、さまざまな名著をベースにして、今日は堀内さんといろいろお話ししたいと思っています』、キャリアが好対照の人物の対談とは興味深そうだ。
・『これからの社会が生き延びるために読むべき本(堀内勉(以下、堀内)  「堀内さんはずっとエリート街道を歩まれてきましたよね」と言われることがあるのですが、実際は挫折の連続で、結局はシステムの歯車として働いていたに過ぎません。とても充実した人生と言えるようなものではなく、自分の仕事に対する疑問を払拭できず、銀行も証券会社も退職することになります。そして、自分を取り巻くシステムである資本主義について、独学で研究を始めました。 しかしながら、「資本主義」という人間存在そのものに関わるテーマは壮大過ぎて、ビジネスや経済の分野からだけでは解明できない。必然的に、哲学、歴史、科学へと関心領域が広がっていき、古典から現代の名著まで200冊を紹介してまとめた『読書大全』まで書いてしまいました。 こうした私の目に、改めて資本主義のその先を展望する斎藤さんの著作『人新世の「資本論」』は、とても新鮮に映りました。特に、斎藤さんが次にどのような社会を構想なされているのかとても興味があります。本日は、われわれがこれからの社会が生き延びるために読むべき本を挙げつつ、資本主義のその先を考えていければと思います』、なるほど。
・『資本主義における労働は不断の競争に駆り立てる  斎藤  となれば、まず取り上げたいのは、マルクスですね。『資本論』でもいいのですが、今日は『経済学・哲学草稿』(カール・マルクス著)、いわゆる「経哲草稿」を紹介したい。これは彼が20代のときに書いた若さみなぎる作品で、まさに資本主義の歯車として働くことの「疎外感」を論じたものです。その中で彼は、資本主義における労働は、お互いを不断の競争に駆り立てる楽しくないものだ、と述べています。競争の激化によって、労働が、ご飯とお金を得るためだけの手段になっていて、人間が持っている様々な能力を失っていき、貧しい人生を送らざるをえない。本来の人間らしい自己実現や豊かさからは、程遠くなっていることを批判したのです。 私は大学生の頃にこの本を読んだのですが、みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えないという、自分自身が社会に対して感じていた違和感をずばり見事に説明してくれていることに感銘を受けました。 堀内 サラリーマンとして経済社会を生きていた昔の私も、まさに同じ疎外感を感じていました』、「資本主義の歯車として働くことの「疎外感」」、は多くが一度は感じるものだ。
・『社会や地球環境を維持するには相互扶助が必要  斎藤 私たちの人生の時間の多くは労働にあてられるので、労働が疎外されていれば、幸せになれないのはいわば当然です。でも、こうした競争システムは人間の本性だから、仕方がないと割り切らなくてはならないのでしょうか。その問いに答えてくれるのが『相互扶助論』(ピョートル・クロポトキン著)です。競争によって自然淘汰されて人間が生き延びてきたというダーウィン的な理解は間違っていて、むしろ自然の脅威を前にして人間はお互いに助け合って進化してきた、とこの本は、主張しています。人間の本質には、相互扶助が間違いなくあるというわけです。 ところが、資本主義社会、とりわけ新自由主義がいまだに猛威をふるう世界では、過当な競争ばかりがもてはやされています。クロポトキンの問いかけは、新自由主義のもとで相互扶助が忘れられたせいで、私たちの社会を発展させていくための可能性が抑圧されているのではないか、ということです。事実コロナ禍でも明らかとなっているように、社会や地球環境を維持していくには、相互扶助が絶対に必要です』、「クロポトキンの問いかけは、新自由主義のもとで相互扶助が忘れられたせいで、私たちの社会を発展させていくための可能性が抑圧されているのではないか、ということです」、同感だ。
・『エリート職に多い“ブルシット・ジョブ”  斎藤 労働の疎外との関連で、3冊目に挙げたいのは『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(デヴィッド・グレーバー著)。昨年亡くなった文化人類学者の著作で、世界的なベストセラーになっていますが、これはマルクスの疎外論を現代に蘇らせたといってもいいでしょう。 堀内 ブルシット・ジョブとは、ホワイトカラーによくある意味のない仕事のことですね。弁護士、コンサルタント、広告代理店など高給なエリート職に多いそうです。今振り返ってみると、私の仕事も銀行勤めのときは95パーセントがペーパーワークやハンコ仕事などの、何の付加価値も生み出していないブルシット・ジョブでした。でも、頑張ってエリートコースに乗るためには、意味のないことを承知で取り組まなければならなかったのです』、人間の緊張感は長続きしないので、「行勤めのときは95パーセントがペーパーワークやハンコ仕事などの、何の付加価値も生み出していないブルシット・ジョブでした」、というのは丁度いいのかも知れない。
・『重要な仕事なのに軽視されている「ケア労働」「ケア階級」  斎藤 グレーバーは、そんなブルシット・ジョブと対比して、エッセンシャルワーカーが担う「ケア労働」「ケア階級」を重視しています。そして、介護や看護、教育や清掃、バスや鉄道の運転手などのケア労働は、われわれの社会を支えている重要な仕事なのに、報酬も社会的地位も低いことを指摘します。私自身も、コロナ禍のもとエッセンシャルワーカーの方々に過剰な負荷をかけているのを心苦しく思っています。 この問題とつながるのが、『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』(ジョアン・C・トロント著)です。これまでは、男性中心の製造業や金融が高く評価され、ケア労働は女性に押しつけられてきましたが、ケアこそが人間の本質的な活動であり、社会の中心に据えられるべきである、とこの本は訴えています。ちょうど私自身もコロナ禍で子育てをしながら、その負担をしばしばパートナーに押し付けてきたという自覚と反省を深めました。 それ以外にも、健全な民主主義が機能するためには、ケアが必要というトロントの視点が重要です。民主主義とは他者を論破し、支配するものではなく、意見の違う他者の存在を尊重し、様々な困難を抱えている人々の問題解決に共に取り組むことだからです』、なるほど。
・『いま求められる新しいモデル  堀内 今はケアも商品化されていて、お金持ちであればなんでもお金で買えますという社会になっていますね。けれども一方で、お金を稼ぐしか自分を守る術がないというのは、恐ろしいなと感じます。かつてのサラリーマンは会社に守られていましたが、いまや日本の会社システム自体が壊れはじめています。もはやわれわれには、愕然とするくらい拠って立つものがない。そのため、地域社会をはじめとするコミュニティを取り戻そうという動きも出てきていますね。 斎藤 まさにその通りです。さらに言うと、男性正社員中心の会社コミュニティや、若者を排除し女性に負担を強いるような年長男性のための地域コミュニティとは違った、新しいモデルが求められています。いま注目しているのが、バルセロナ市政などが旗振り役になっているミュニシパリズム(自治体主義)です。これは5冊目に挙げた『なぜ、脱成長なのか』(ヨルゴス・カリス他著)にくわしいです。 堀内 ミュニシパリズム、ですか』、どんなものなのだろう。
・『人々の〈コモン〉(共有財産)を増やそうとする挑戦  斎藤 EUという巨大組織の新自由主義的な動きに対抗して、住民のための街づくりをしようという革新的な自治体の運動のことです。 たとえば、スペインのバルセロナは、リーマンショックで打撃を受け、さらにはオーバーツーリズムによる物価上昇で市民は疲弊していましたが、大企業に地域の富を吸い取られるだけの社会を変えたいという市民運動が巻き起こり、その運動をベースにした地域政党の女性市長が2期目に入っています。 『人新世の「資本論」』でも紹介していますが、彼らの取り組みはたとえば、水道の再公営化を目指すことだったり、民泊に規制をかけ公営住宅を増やすことだったりします。人々の〈コモン〉(共有財産)を増やそうとする挑戦ですね。また、気候危機に関しても独自の非常事態宣言を発出し、二酸化炭素排出量削減のために、飛行場の拡張や高速道路の新設を禁止し、市内中心部でも自動車の進入できないスーパーブロックを拡充するなど、将来世代のための革新的なチャレンジをしています。 こうした試みの知恵をアムステルダムなど別の大都市とも共有しながら進めているのがミュニシパリズムです。 堀内 戦後、アメリカという教師を表面的に真似して、トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』で指摘したように、資本主義の本場であるアメリカでもそれなりにコミュニティが残っているのに、それ以上にコミュニティを消失してしまった戦後の日本に戦慄していたのですが、バルセロナの話を聞いて希望を持ちました』、「コミュニティ」の「消失」は「日本」が一番酷いようなので、その再構築が必要なようだ。

第四に、この続きを、7月19日付け文春オンライン「コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界” 堀内勉さんが勧めるビジネス・経済書5冊 #2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/47023
・『「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」 斎藤幸平がマルクスから見つけた、労働問題の“答え” から続く 晩期マルクスの思想の新解釈から、気候変動などの環境危機を脱するヒントを探り、30万部のベストセラーとなった『 人新世の「資本論」 』(集英社)の著者の斎藤幸平さん。そして、不安定な時代を生き抜くためのブックガイドである『 読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊 』(日経BP)を上梓した堀内勉さん。「知の水先案内人」であるお二人に、先行きの見えない時代を生き延びるための教養・ビジネス書について語っていただいた。(全2回の2回目) 斎藤 『 人新世の「資本論」 』にもくわしく書いた通り、今まさに資本主義の限界や気候変動という危機的な状況にあります。興銀、ゴールドマン・サックス、森ビルCFOの経歴を持つ堀内さんに、是非お聞きしたいことがあります。果たして資本主義サイドには、われわれサイドへの歩み寄り、もしくは変革の動きはあるのでしょうか』、どうなのだろう。
・『「人間らしさ」に即した見方こそ経済社会の出発点  堀内 はい。じつはビジネスや経済の領域においても、人間らしさを考えることに注目が集まっています。私が『 読書大全 』のなかで最初に紹介した『 道徳感情論 』(アダム・スミス著)から説明させてください。アダム・スミスが前提としているのは、古典的な経済学で想定される単なる合理的経済人ではなく、相手に「共感」や「同感」するリアルな人間です。スミスは、秩序というものは抽象的な「べき論」ではなく、相手との生身のやりとりや共感を通して出来ていくのだ、とします。だから、トマス・ホッブズが言うように、「法という社会契約を結ばないと、血で血を洗う『万人の万人に対する闘争』になる」と、ことさらに言い立てる必要はない。これはいわゆるイギリス経験論の考え方ですが、人間をきめ細かくかつ深く観察している。私はこうした人間の現実に即した見方こそが、すべての経済社会の出発点であるべきだと思っています。 2冊目は『 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 』(マックス・ヴェーバー著)です。ここでは、プロテスタンティズムの世俗的禁欲主義が、資本主義の精神に合致していることが、逆説的に説明されています。これが現代の労働観のもととなっている一方で、いまや当時の宗教色は完全に失われ、利潤追求だけが自己目的化しています。3冊目は『 経済学は人びとを幸福にできるか 』(宇沢弘文著)です。シカゴ大学で数理経済学者として大活躍していた宇沢先生。けれども日本帰国後は、リアルな人間がどうしたら幸せになれるかを考える、より現場に近い活動家としての経済学者に変わっていくのです』、「宇沢先生」が「日本帰国後は、リアルな人間がどうしたら幸せになれるかを考える、より現場に近い活動家としての経済学者に変わっていく」、変わらなかったらシカゴ学派のゴリゴリのままだったのだろう。
・『現在のSDGsに通じる考え方  斎藤 宇沢さんは、社会的共通資本という概念も提案していますね。私の考える〈コモン〉(共有財産)とも近い考え方です。 堀内 はい。水や空気や山などの自然、道路や電力などのインフラ、教育や医療などの制度を、社会的共通資本と呼んでいます。これらは、国家や市場に任せるのではなく、専門的知見があり、職業倫理をもった専門家が管理・運営すべき、と言っています。現在のSDGs(持続可能な開発目標)の考え方にも通じるものですね。 そんな宇沢先生と対極にあるのが、新自由主義の象徴とされる経済学者ミルトン・フリードマンです。フリードマンは、人間の自由の重要性を強調して、全てを市場にまかせるべきだとして、「べき論」を追求します。人間のリアリティを超越して、市場という万能のシステムを作ってそれをうまく動かせば世の中がうまく回る、と提唱しています。けれどもこうした考えだと、そこに組み込まれる個々の人間は、必ず疎外されてしまいます。 斎藤 まさに、マルクスが指摘した疎外に通じますね』、「市場という万能のシステムを作ってそれをうまく動かせば世の中がうまく回る、と提唱しています。けれどもこうした考えだと、そこに組み込まれる個々の人間は、必ず疎外されてしまいます」、その通りだ。
・『人間的なものに目を向けるという教育  堀内 4冊目は『 イノベーション・オブ・ライフ 』(クレイトン・M・クリステンセン他著)です。イノベーションのジレンマで有名なハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の教授が、最終講義で学生に伝えたメッセージです。クリステンセン教授は、エンロンのCEOになったHBSの同級生が不正会計事件を起こして刑務所に入ったことに衝撃を受けたそうです。それだけでなく、職業的な成功にもかかわらず不幸になる卒業生が同校にはあまりに多い。本当の人生の意味を問いかけたこの本もひとつのきっかけとなり、リーマンショック後、HBSは徳や人格を重視する人格教育へ舵を切ったそうです。 斎藤 人間的なものに目を向けるという教育ですね。堀内さんは、人間のリアリティをきめ細かく観察するビジネス書・経済書の系譜が好きなのですね。 堀内 ええ。人間へのリアリティが前提にないと、どんなシステムを作っても必ず人間疎外が起きます。そして、システムをうまく利用する数パーセントだけが勝ち組になり、残りの大半の人たちは負け組になる。 斎藤 市場というシステムが暴走すると、働いている労働者たちの幸福も、人間として持っている資質も、歪められてしまいますよね。資本主義を野放しにすれば、暴利をむさぼる人たちばかりになってしまう傾向がある』、「資本主義を野放しにすれば、暴利をむさぼる人たちばかりになってしまう傾向がある」、その通りだ。
・『いくらお金を刷っても富裕層へ流れてしまう構造  堀内 5冊目『 21世紀の資本 』(トマ・ピケティ著)がその答えとなると思います。今の資本主義が暴走している理由は、「金融」資本主義だからです。お金がお金を勝手に稼ぐこのシステムが異常なのです。今回、コロナ対策として各国政府が巨大な予算を組み、市中に流しました。けれどもリーマンショックのときと同じで、いくらお金を刷ってもそれが満遍なく人びとに行き渡ることはなく、ほとんどが富裕層へと流れていってしまう構造になっています。富裕層は低率のキャピタルゲイン課税の恩恵を受けているだけでなく、ほとんどがタックスヘイブン(租税回避地)を使っているので、実際の税率がすごく低い。ピケティは、国際的な課税条約を締結して税逃れを取り締まるべきだと主張しています。 斎藤 逆に言うと、金融資本主義の部分を取り払えば、今よりもすごく細った資本主義になって、もはや資本主義ではないものになるんじゃないかな、と思いませんか。 堀内 そうだと思います。暴走しない控えめな「資本主義」ですね』、「暴走しない控えめな「資本主義」」とは面白い表現だ。
・『もっと平等になるのも悪くない  斎藤 それを私は、社会主義と呼んでいます。ピケティが昨年刊行した本、そのタイトルがなんとTime for Socialism。もちろん、ソ連時代に戻ろう、すべて計画経済にしよう、と言っているわけではありません。働いていない人たちが不労所得を得て、そのお金を倍増させる。実体経済と関係ないところで、実際のニーズを満たさないものを大量に買って地球環境を破壊している。それはもうやめにして、人々の生活を安定させたり、意味のないものを作るのをやめて労働時間を減らして人間らしい生活を送った方がいい。そのためにもっと平等になるのも悪くないよ、ということです。 堀内 資本主義サイドからも、格差拡大や地球環境破壊を食い止めようという問題意識から、SDGs、ESG投資、サステナブル経営、パーパス経営などの動きが出ています。 斎藤 私自身はSDGs企業の9割はウォッシュ(まやかし)と思っていますが、残りの1割に期待しています。資本主義の真ん中を歩んできた堀内さんと、マルクス研究者の私とでは、バックグラウンドがかなり違います。でも、堀内さんが思い描かれている社会は、ソーシャリズム的な理念に近いと感じました。僕の本のなかでは、それを〈コモン〉に基づく社会、つまりコミュニズムと呼んでいます。立場は違えど、意外に共通点もあるのかも知れませんね』、「SDGs企業の9割はウォッシュ(まやかし)と思っていますが、残りの1割に期待しています」、「堀内さんが思い描かれている社会は、ソーシャリズム的な理念に近いと感じました」、確かに「斎藤」氏と「堀内」氏の理想が近いのには驚かされた。 
タグ:「SDGs企業の9割はウォッシュ(まやかし)と思っていますが、残りの1割に期待しています」、「堀内さんが思い描かれている社会は、ソーシャリズム的な理念に近いと感じました」、確かに「斎藤」氏と「堀内」氏の理想が近いのには驚かされた。 「暴走しない控えめな「資本主義」」とは面白い表現だ。 「資本主義を野放しにすれば、暴利をむさぼる人たちばかりになってしまう傾向がある」、その通りだ。 「宇沢先生」が「日本帰国後は、リアルな人間がどうしたら幸せになれるかを考える、より現場に近い活動家としての経済学者に変わっていく」、変わらなかったらシカゴ学派のゴリゴリのままだったのだろう。 「コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界” 堀内勉さんが勧めるビジネス・経済書5冊 #2」 「コミュニティ」の「消失」は「日本」が一番酷いようなので、その再構築が必要なようだ。 人間の緊張感は長続きしないので、「行勤めのときは95パーセントがペーパーワークやハンコ仕事などの、何の付加価値も生み出していないブルシット・ジョブでした」、というのは丁度いいのかも知れない。 「クロポトキンの問いかけは、新自由主義のもとで相互扶助が忘れられたせいで、私たちの社会を発展させていくための可能性が抑圧されているのではないか、ということです」、同感だ。 「資本主義の歯車として働くことの「疎外感」」、は多くが一度は感じるものだ。 キャリアが好対照の人物の対談とは興味深そうだ。 「「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」 斎藤幸平がマルクスから見つけた、労働問題の“答え” 斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊 #1」 斎藤 幸平氏と堀内 勉氏による対談 文春オンライン 「レオン・ワルラスも「土地は個人の所有物であると断じることは、土地が社会にとって最も有益な形で使われなくなり、自由競争の恩恵を受けられなくなることだ」と書いている。 ワルラスは、「土地は国家が所有して、その土地が生み出す超過利潤は「社会的配当」として、直接、あるいは公共財の提供を通じた形のいずれかの方法で公共に還元するべきだ」と述べ、これを「総合的社会主義」と呼んだ」、恥ずかしながら初めて知った。 「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」、「グレン・ワイルが考案した「ラディカル・マーケット」のデザイン(設計)が、一見、リバタリアニズムの対極にあるからだ。なんといっても、ワイルは私有財産を否定しており、それによって「共同体(コミュニティ)」を再生しようとしている」、とは面白い。 「「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる【橘玲の日々刻々】」 ダイヤモンド・オンライン 「幼さと老成が同居し、あくまでもマイペースでアマノジャクな存在である猫は、ものごとをさまざまな角度から切りとろうと企む作家、表現者たちと、もともと相性がいい」、このシリーズも見逃したのは本当に残念だ。 「現代に至るまで高度な文明を発展させてきた人類は、今その原点に帰りたいと、どこかで無意識に思っていると見えなくもないのだから」、なるほど。 「いよいよネットの海の中に埋没する時代に、「無形資産」は大きな渦巻きの中心にあるかのようだ」、上手いこと言うものだ 「私たちの生活を豊かにするための手段だったはずの技術がいつの間にか目的化、人間がシステムに合わせている倒錯的な状況は、日常さまざまなところで多くの人々が経験しているのではないだろうか?』、確かにその通りだ 「すべての企画が「主役はあなた」なのだが、そのことをあらためてど真ん中に考えた企画だともいえるのかもしれない」、その通りなのだろう。 残念ながら両方とも見逃したので、この記事はとりわけ興味深い。 丸山 俊一 「「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代」 東洋経済オンライン (その5)(「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代、「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる、斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊2題:#1「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」、#2コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界”) 資本主義
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