SSブログ

幸福(その3)(脳科学者・中野信子が「人生では正解を選んではいけない」と言い切る理由 「幸せホルモン」を味方にする方法、「一家の大黒柱がしんどい」世界で唯一 女性より男性の幸福度が低くなる日本の特殊事情 なぜ男性のネガティブ感情が高いか、際立つ「40~50代未婚男性」幸福度の低さの背景 しあわせは「幸せ」ではなく「仕合わせ」である) [人生]

幸福については、2019年10月30日に取上げた。今日は、(その3)(脳科学者・中野信子が「人生では正解を選んではいけない」と言い切る理由 「幸せホルモン」を味方にする方法、「一家の大黒柱がしんどい」世界で唯一 女性より男性の幸福度が低くなる日本の特殊事情 なぜ男性のネガティブ感情が高いか、際立つ「40~50代未婚男性」幸福度の低さの背景 しあわせは「幸せ」ではなく「仕合わせ」である)である。

先ずは、昨年11月3日付けPRESIDENT Online /PRESIDENT BOOKSが掲載した脳科学者・医学博士の中野 信子氏による「脳科学者・中野信子が「人生では正解を選んではいけない」と言い切る理由 「幸せホルモン」を味方にする方法」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/40006
・『「不安心理」が広く世の中を覆っています。迷いや葛藤に押しつぶされることなく、「幸せ」を感じながら生きられるようになるにはどうしたら……。脳科学者の中野信子さんは「幸せホルモン」とも呼ばれる「オキシトシン」を上手に活用することを勧めます。セブン-イレブン限定書籍として刊行された『引き寄せる脳 遠ざける脳』(プレジデント社)から、そのコツを紹介します。 ※本稿は、中野信子『引き寄せる脳 遠ざける脳』(プレジデント社)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。。
・『「幸せを感じる」ことは、脳と体の相互作用  脳科学の観点で見ると、「幸せを感じる」という営みは、脳と体が絶えず行う相互作用に過ぎません。 そのとき、脳で分泌される神経伝達物質である「オキシトシン」の作用が、幸せの感情をもたらすことが明らかになっています。オキシトシンは「幸せホルモン」とも呼ばれ、まだそのすべてが解き明かされていない“謎多き物質”ですが、幸せのカギを握るたくさんの可能性があるとわたしは見ています。 そして、人の「幸せ」についての考え方は主観的なものであり、ひとつのものさしで測ることはできません。 見る人から見れば、たとえバカ騒ぎとしか思えない振る舞いでも、当の本人たちは仲間とわいわい騒ぐことで「みんなから愛されて幸せだ」と感じ、それによってオキシトシンがたくさん出る人もいるわけです』、「人の「幸せ」についての考え方は主観的なものであり、ひとつのものさしで測ることはできません」、なるほど。
・『「幸せのものさし」は人それぞれ  その一方で、ひとりきりの空間で心地良い服を着て、自分の好きな音楽を聴きながらリラックスすることで、オキシトシンが分泌される人もいるでしょう。 人それぞれ好みもちがえば、オキシトシンが出やすい環境もちがうということ。「あの人はいつも“ぼっち”でかわいそう」などと、一概にはいえないわけですね。 幼少期に培われた人間関係のなかで、愛着の対象や自分自身のことをどう思っていたかによって、幸せの価値観もそれぞれちがってくるのです』、「幼少期に培われた人間関係のなかで、愛着の対象や自分自身のことをどう思っていたかによって、幸せの価値観もそれぞれちがってくる」、「幼少期」の影響があるとは驚いた。
・『あなたの選んだ選択肢に「間違い」はない  他者と幸せの大きさを競うことに、ほとんど意味はありません。 たとえば、世の中には多動的な人がいて、彼らは多くの人と広く浅く交流し、たくさんの情報を交わし合うことによろこびを感じ、そんな自分を肯定して生きています。とくに、いまの時代はSNSなどで情報過多になっているため、そうした交流をうまくやっている人が目立ったり、「幸せ」に見えたりもします。 でも、そうでない人たちが不幸せかというと、まったくそうとはいえません。むしろ、わたしは「幸せの基準はたくさんある」ことを、救いに思ったほうがいいと考えています。 「わたしはあの人よりも幸せじゃないかも」「自分もあの人のように前向きに生きなければダメなんじゃないか」 もし、いまそんな思いや迷いを感じている人がいたら、わたしは脳科学者として、ひとりの人間として、このようにいいたいです。 「あなたの選んだ選択肢で生きることに、なにも間違いはないんだよ」と』、「あなたの選んだ選択肢に「間違い」はない」、嬉しいことで、もっと以前から知っていればよかった。
・『人間は成人するまでに14万8000回もの否定的な言葉を聞かされる  人はなぜ、自分と他人を比べて思い悩むのでしょうか? それは、おそらくわたしたち日本人が、子どものころから「正解を選ぶ人生」というものに、あまりに慣らされてしまっているからだとわたしは見ています。 人間は成人するまでに、約14万8000回もの否定的な言葉を聞かされるとする説もありますが、これと同じように、わたしたちはあまりにも、「次のなかから正解を選びなさい」といわれ過ぎているのではないかと感じます』、「人はなぜ、自分と他人を比べて思い悩むのでしょうか? それは、おそらくわたしたち日本人が、子どものころから「正解を選ぶ人生」というものに、あまりに慣らされてしまっているからだ」、面白い見方だ。
・『選んだ答えを「正解」にしていくのが人生  しかし、大人になれば「選んだ答えを正解にする力」こそが試されることになる。 「甲斐性のない亭主を選んだけれど、なんとかわたしが出世させてやる」「自分で選んだ奥さんだから、もう自分好みに仕立てるしかない!」 例として適切でないかもしれませんが……現実には、人生にはさまざまな「正解の仕方」があるわけです。 むしろ、選んだ答えを「正解にする」ことのほうがずっと大切ではないでしょうか。実際に自分が本当に正解を選んだかどうかは、死ぬまで、いや、死んでもわからないのです。「歴史にifはあり得ない」というのは、そういうことです。 本来、誰もが自分の好きなように生きていいのです。自分が感じる幸せの基準にもっと正直になって、そのうえでバランスをうまく取ればいいのです』、「選んだ答えを「正解」にしていくのが人生」、とは能動的で、面白い見解だ。
・『「自分の正解の基準」を見つけよう  そして、そんな自分をある程度肯定することも大切です。
 とくに女性の場合、なんだかんだと婚活を話題にされることがありますが、「この人が相手で本当にいいのだろうか」と、多くの人が悩むでしょう。そのときに、「みんなが正解だと思う人」を選びたくなる傾向がどうも強いようです。 でも、あたりまえですが、「自分が正解だと思う人」を選ぶべきです。なぜなら、その選択には誰も責任を取ってくれないからです。本来は自分で選べる力を持ったはずの人でも、あまりに正解を求めるくせがついてしまっていることで、多くの人が苦しんでいるように見えます。 そんな自分の考え方のくせを乗り越えていくには、自分の正解の基準を、丁寧に自分の気持ちと向き合いながら見つけていくことだと思います。地味な作業ですが、これはとても大切なことです。 そして、その基準に則って選択をする自分を、自分で肯定するのです』、「自分の正解の基準を、丁寧に自分の気持ちと向き合いながら見つけていくこと」、その通りだろう。
・『日本人は不安傾向が強い  繰り返しになりますが、その「肯定力」が心許なく感じるくらい、わたしたちは間違いを選ぶことを許さないように育てられてきたのかもしれません。 また、「とされています。日本には自然災害が多く、それに備えるには楽観的な性質よりも、不安傾向の高いほうが生き延びやすい環境であったわけです。 自分の決断をなかなか正解と思いにくく、曖昧であったり、迷ったりしがちなことが日本人の性質を表しています』、「日本人はもともと不安傾向の高い人が多い遺伝子プールである」、「自分の決断をなかなか正解と思いにくく、曖昧であったり、迷ったりしがち」、厄介な性格だ。
・『「迷うこと」は人生の幅の広さの証明  でも、考えてみれば、「迷える」ということは、それだけ自分の可能性が残されていると捉えることもできます。 「この人で良かったのかな」「この仕事で合っているのだろうか」 そのように人は迷いますが、迷うこと自体が、これからの人生の幅がまだまだ広いことを証明しているわけです。 自分なりの幸せを築いていくなら、まず自分の選択や決断をなにより重視する。 そして、迷ったとしても、その迷うことすら自分の「幸せ」の可能性を広げてくれるものとして、堂々と受け入れていく必要があるのでしょう』、「迷うことすら自分の「幸せ」の可能性を広げてくれるものとして、堂々と受け入れていく必要がある」、極めて前向きな考え方で、大いに参考になる。

次に、7月9日付けPRESIDENT Online が掲載した統計探偵/統計データ分析家の本川 裕氏による「「一家の大黒柱がしんどい」世界で唯一、女性より男性の幸福度が低くなる日本の特殊事情 なぜ男性のネガティブ感情が高いか」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/47667
・『「幸福度」を国別・男女別にみると、先進国や発展途上国を含むほとんどの国は女性のほうが男性より低い。一方、日本は逆に男性のほうが低い。統計データ分析家の本川裕氏は「OECDの統計を分析すると、世界のスタンダードは『女性・高齢・低学歴の者ほど幸福度が低い』が、日本人はこれにすべて反している」という――』、興味深そうだ。
・『世界の中で日本人の幸福度は低いのか高いのか  本連載で以前、「世界120位『女性がひどく差別される国・日本』で男より女の幸福感が高いというアイロニー」(2021年4月7日公開)というテーマを扱い、反響が大きかった。 今回はこの時とは別のデータを使い、やはり日本人の幸福度は、世界の傾向とは反対に女性の方が高い点を示すとともに、男女別だけでなく、年齢別、学歴別といったその他の属性でも日本人の幸福度は世界の傾向に反していることを紹介することにしよう。 本題に入る前に、まず、「日本人の幸福度は全体として高いのか低いのか」という点について確認しておこう。 OECD(経済協力開発機構)の幸福度白書の最新版(「How’s Life? 2020」)では、旧版と同様、幸福度を構成するさまざまの指標のひとつとして主観的幸福度(Subjective Well-being)のデータを掲載している。 私は、幸福度を論じる場合、幸福を左右すると思われる所得や生活環境、災害などに関するさまざまな指標を総合化して判定する方法では、どんな指標を使うかウエイトづけから恣意的になりがちなので、むしろ、この主観的幸福度そのものを重視すべきだと考えている。 同白書によれば「OECDのガイドライン」は主観的な幸福度の測定方法として以下の3つを区別している(※1)。 ①生活評価(生活満足度など生活の全体評価) ②感情(喜怒哀楽など、機嫌の良し悪し) ③ユーダイモニア(Eudaimonia)(人生の意味や目的、生きがい) ※1 同白書では、①として0~10までの段階別に答えさせた「生活満足度」、②として回答者の感情状態から作成した「ネガティブ感情度」のデータを掲げ、分析を行っている。①では日本や米国は該当する公式統計がないので比較対象から除外されている。③は国際比較できる高品質データがないとしてそもそも非掲載である。 まず、「日本人の幸福度の程度は」という疑問を解くために、4月7日の記事でも使った世界価値観調査の「幸福感」(※2)と、OECD幸福度白書が掲載している「ネガティブ感情度」(※3)という両方のデータで幸福度の各国比較を試みることにしよう。 ※2「幸福かどうか」の設問に「非常に幸せ」及び「やや幸せ」と答えた割合の計 ※3 調査日前日の感情状態についてネガティブな回答(怒り、悲しみ、恐れなど)がポジティブな回答(くつろぎ、喜び、笑う、など)を上回っている割合を指し、ギャラップ世界調査の結果からOECDが算出』、なるほど。
・『日本人の幸福度は、韓国やコロンビア、ポーランドなどよりも低い  図表1には、OECD諸国の幸福度ランキングを「幸福感」と「ネガティブ感情度」の両方で示した(※4)(図表1はリンク先参照)。後者では、指標値の低いほうが幸福度は高く、指標値の高いほうが幸福度は低いと解した。 ※4 一般に、先進国と途上国では事情や背景が大きく異なるので、生活レベルが一定水準以上の先進国だけで比較したい場合、先進国クラブと称されるOECD諸国のランキングが用いられることが多い。OECD諸国に関しては、統一基準で収集されたデータベースが整備されていて、相互比較の信憑性が高い点もOECD諸国比較が多用される一因となっている。ここでもそうした点を考慮してOECD諸国のデータを用いている。もっとも、最近、OECDの新規加盟国が増え、メキシコ、コロンビアといったラテンアメリカやスロベニア、エストニアといった東欧圏に属する必ずしも先進国とは言えない国々も含まれるようになっているので、その点にも分析上の配慮が必要である。 日本のOECD諸国の対象31カ国における幸福度ランキングは、世界価値観調査の「幸福感」では20位と低いほうである一方で、ギャラップ世界調査を用いた「ネガティブ感情度」では5位と高いほうである』、「幸福感」は低く、「ネガティブ感情度」は高いというのは、あまりいいことではなさそうだ。
・『主要先進国(G7)の中で日本と似ているのは、ドイツ  主要先進国(G7)の中で日本と似ているのは、ドイツであり、幸福感(表左側)では23位と低いが、ネガティブ感情度(表右側)からは13位とそれほど低くない(ネガティブ度が日本より低い)。主要先進国の中では、英国、フランスなどは、日本やドイツは逆に、幸福感は高いもののネガティブ感情度ではずっと低くなっている。 この結果を私なりに総括すると、 日本やドイツ:ふだんの機嫌がよいにもかかわらず幸福をあまり感じていない 英国やフランス:ふだんの機嫌が悪くても幸福を感じてはいる国民 の2タイプがあるのではないか。一方、 米国やイタリア:幸福に関する感情と幸福の自己理解にあまり齟齬が見られない 主観的な幸福度だけでも測り方によってかなり変わってくる点が興味深い』、「日本やドイツ」が似ているというのは、なんとなく感じる実感に近い。
・『「女性のほうが幸福度が低い」という世界の通例に反する日本人  ここからは、「ネガティブ感情度」を使って、男女、年齢、学歴といった属性別の幸福度の各国比較を見ていこう。原データはこれまでと同じ国ごとに毎年1000サンプル程度で行われているギャラップ調査であるが、結果のばらつきを抑えるため、長期間の平均値(2010~18年)が使用されている。 経済環境や文化の違いがあるため主観的幸福度の値を国民間で比較するのはやはり少し無理がある。感情面を指標化した「ネガティブ感情度」は、幸せかどうかを直接聞いた結果の「幸福感」より客観的であるとはいえ、やはり、国民性に多少左右されざるを得ないであろう。 しかし、考え方や感じ方を共有する同じ国民の間における男女、年齢、学歴といった属性間の比較は、全体としての幸福度ランキングより、むしろ、信憑性、有
効性が高いと考えられる。 結論から言ってしまうと、世界のスタンダードは「女性・高齢・低学歴の者ほど幸福感が低い」というものだが、日本人は、これにすべて反している。日本は世界的に見て、特殊な国民であるということが見てとれる。 まず、男女差(ジェンダー差)から見ていこう(図表2参照)(図表2:「女性の方が否定的な感情に陥りがちだが、日本人は例外的に逆」は(リンク先参照)』、私は一般的問題では、「日本人」特殊論には組しないが、この調査の結果は認めざるを得ない。
・『女性の方が否定的な感情に陥りがちだが日本人は例外的に逆  うつ病は、男性より女性のほうが多いというのが世界の通例であることからも類推できるように、ネガティブ感情度の男女比(男性÷女性)は、日本を除くすべての対象国で、1以下である。すなわち、女性のほうがネガティブで「マイナスの感情」を抱きがちである。 こうした世界的傾向について、ジェンダー論者は、男女差別によってこれが引きおこされていると速断しがちである。自殺がうつ病とは逆に男性のほうが多いのが世界の通例であることからもうかがえるように、ことは、そんなに単純ではない。 例えば、北欧諸国は一般的に男女平等意識が高いが、同じ北欧諸国でも、ノルウェー、デンマークでは、女性のほうが、ネガティブ感情度がかなり高くなっている(図表2、縦軸0.8以下」)のに対して、フィンランド、アイスランドでは、むしろ、男女比が1に近くなっており(男性も女性と同様にネガティブ感情度が高い傾向にある)、状況にかなり差があるのである。 それより何といっても、最も特徴的なのは、日本人だけ男性のネガティブ感情が女性を上回っている点(しかも14%も)である。これは、世界価値観調査などの幸福感でも日本人の幸福度の女性優位が目立っているのと軌を一にする現象であるといえる』、「日本人だけ男性のネガティブ感情が女性を上回っている」、要因は以下にあるようだ。
・『“世界で唯一”なぜ日本は女性よりも男性がネガティブな感情を抱くのか  なぜ、日本人の男性は女性よりもネガティブな感情を抱きやすいのか。 理由として考えられるのは、女性が男性と比べて個人的、社会的に尊重されていてネガティブな感情に陥る場合が少なくなっているから、あるいは、男性だけがネガティブな感情に陥りがちな特殊な社会環境があるか、のどちらかであろう。 私は、後者の側面が大きいと考えている。 本連載の4月7日の記事でも述べた通り、日本では、相続や選挙権に関する制度的な男女平等が戦後実現したのと並行して、現代では、かつてに比べて儒教道徳から女性がかなり解放されたのに対して、男性のほうは「男は一家の大黒柱」あるいは「男はか弱い女性を守らなければならない」といったような旧い道徳観になお縛られていることが多いから、こうした結果が生じているのではないかと感じるが、どうだろうか。男は、男(自分)への期待感が大きい。それだけ幸福度を感じにくくなっているのである。 なお、同じような状況にある韓国でも(日本の男性ほどネガティブな感情を抱いていないが)、やはり、OECD諸国の中でネガティブ感情度の男女比が3位と高い点もこの点を裏づけていると考えられる。 世界的に権威があるはずの「OECD幸福度白書」のこのデータを日本のジェンダー論者が参照することは、まず、ないだろう。しかし、男性が幸福になれなければ女性も幸福になれないと仮定した場合、図表2で客観的に表した深い真実を直視しない限り、日本における本当の男女平等は永遠に実現できないかもしれない』、日本人の「男は、男(自分)への期待感が大きい。それだけ幸福度を感じにくくなっているのである」、納得した。
・『高齢者、低学歴者ほど幸福度が低いという通例が当てはまらない日本人  次に、年齢差とネガティブ感情度(幸福度)に関してみていこう(図表3参照)。(図表3:「若者は幸せで高齢者は気持ちがネガティブになる場合が多いが日本人は例外」はリンク先参照)(表の「●」は50歳以上、「ー」は30~49歳、「▲」は15~29歳の数値だ(数値が高いほどネガティブ感情度が高い)。男女差ほど決定的ではないが、世界的には、若者のほうが高齢者よりネガティブ感情度が低いのが通例である。若者には未来があり、死が遠くない高齢者は病苦で苦しむ者も多いのであるから当然ともいえる。 年齢差が大きい国はといえば、図の左側の国、すなわち途上国的な性格を残している国である。途上国の高齢者は生活していくだけでも心労が絶えないのである。一方、図の右側、すなわち、日本を含む、比較的所得水準の高い国では年齢差は目立たなくなる。社会保障が充実して、高齢者でも生活苦や病苦で悩むことが少なくなるからである。 こういう見方でグラフを眺めると、若者だけで比較した場合、各国のネガティブ感情度は、国による違いがかなり小さいことに気がつく。どんなに生活が苦しくても若者には未来があるのである。一方、高齢者のネガティブ感情度の差は大きく、高所得国ほど低くなっていることが分かる(左端のリトアニアは30超、日本は10弱)。 そして、働き盛りの年齢(「―」の数値)では、ネガティブ感情度は若者と高齢者の中間である場合が一般的である。 しかし、米国より右に位置する国では、おおむね、若者や高齢者の両方より働き盛り年齢のネガティブ感情度のほうが高くなる傾向にある。これは、子どもや高齢者を大切にする社会保障の発達した国でも、仕事や子育て、介護などに伴う働き盛りの年齢の悩みは消えない(あるいはむしろ大きくなる)からだと考えられる』、なるほど。
・『<消極的に天命に安んじる態度には、我々は懐しみを覚えさせられる>  さて、改めて日本の位置を確認しよう。高齢者のネガティブ感情度は最も低いほうから2番目である。高齢者のネガティブ感情度は、高福祉社会と言われる北欧諸国が世界で最も低く、それに伴って年齢差も最も低くなっているが、日本もこれに伍しているのである。 少なくとも感情の状態からは、日本は高福祉社会の域に十分達しているといえよう。しかも、日本の高齢人口の割合は世界でもっとも高い点を考慮すれば、よくやっていると評価せざるをえない。 もっとも日本の社会保障の充実度が北欧並みと考えるのは少し行き過ぎの見方かもしれない。むしろ、諦観という日本人の習性に理由を見出すべきなのかもしれない。 正宗白鳥は永井荷風を論じた評論のなかで荷風を含め老境にある日本人について、こう言っている。 「外国人のうちには、老境に達して落伍しても、天を怨まず人を嫉まず、与えられた境遇を楽む者は甚だ稀なようだが、日本では古来都鄙を通じて、そういう気持の老人が少なくなかった。伝統的日本気質の現れであって、この消極的に天命に安んじる態度には、我々は懐しみを覚えさせられるのだ」(『作家論』岩波文庫、p.331)』、「高齢者のネガティブ感情度は、高福祉社会と言われる北欧諸国が世界で最も低く、それに伴って年齢差も最も低くなっているが、日本もこれに伍しているのである」、これは「日本の社会保障の充実度が北欧並みと考えるのは少し行き過ぎの見方かもしれない。むしろ、諦観という日本人の習性に理由を見出すべきなのかもしれない」、その通りなのだろう。
・『学歴による格差が幸福度の差に結びつかないようなメカニズム  最後に、学歴とネガティブ感情度(幸福度)について見てみよう(図表4参照)。 (図表4:「高学歴の者ほど感情がネガティブでない国民が多い中で日本人は例外」はリンク先参照) 日本は、中等教育卒業者のネガティブ感情度(「―」の数値)がメキシコに次いで低く、初等教育卒業者(「▲」の数値)の場合は最も低くなっている。そして、こうした状況によって学歴差が最も小さい国の一つである。また、初等教育卒業者のほうが高等教育卒業者(「●」の数値)よりネガティブ感情度が低いという国は日本だけである。 学歴と階級・職種・所得は密接に関係しており、これを背景に、世界ではネガティブ感情度は低学歴の者ほど高く、高学歴の者ほど低いというのがスタンダードである。ところが、ここでも日本は学歴の差が幸福度に比例しないという例外的な特徴をあらわしているのである。 理由としては、実際に学歴による所得や生活水準の格差が小さいからかもしれないし、あるいは、学歴による格差があってもそれが幸福度の差に結びつかないようなメカニズムが働いているからかもしれない。私は、年齢差の場合と同じように、日本の場合は、前者だけでなく後者の側面も大きいのではないかと考えている。 いずれにせよ、以上のように、「感情状態」から見た幸福度について、男女差、年齢差、学歴差を見る限り、日本人ほど“よい方向”に世界の常識が当てはまらない国民はいないのだといえよう。こうしたデータからは、日本は「奇跡の国」と見なされてもおかしくはないのである』、確かに「日本は「奇跡の国」と見なされてもおかしくはない」ようだ。

第三に、9月16日付け東洋経済オンラインが掲載した独身研究家・コラムニストの荒川 和久氏による「際立つ「40~50代未婚男性」幸福度の低さの背景 しあわせは「幸せ」ではなく「仕合わせ」である」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/455386
・『幸福度は、未婚者より既婚者のほうが高く、男性より女性のほうが高い。 これは世界的にも割と共通した傾向で、2017~2020年の「世界価値観調査」においても、調査対象77カ国中、未婚者より既婚者の幸福度が高い国は70%を超え、男性より女性の幸福度が高い国も53%あります。 日本もその多数派に属します。それどころか、既婚者の幸福度が高い順では日本は5位、女性の幸福度が高い順では3位とトップグループにランクインします』、第二の記事を「日本」中心にみたもののようだ。
・『40~50代未婚男性の幸福度の低さ  日本における年代別でみてもその傾向は顕著ですが、私が2020年に国内で調査した以下のグラフにもあるとおり、とくに気になるのは40~50代の未婚男性の幸福度の際立つ低さです。逆にいえば、未婚の40~50代男性の不幸度がいちばん高いということになります。これは2016年から継続調査の推移を見ても同様の傾向です。 未婚男性の幸福度が突出して低い理由として、すぐ思いつく要因としては「未婚男性は低年収だから」というものがあります。 実際『「金がないから結婚できない」と嘆く人の大誤解』の記事でも考察しましたが、東京や大都市圏においては「金がないから結婚できない」という問題は確かに存在します。しかし、未婚男性の低い幸福度は年収だけのせいなのかというとそうでもないのです。 年収別に幸福度を20~50代未既婚で比べると、未婚も既婚も年収が上がるごとに幸福度は増しますが、同じ年収でも未婚と既婚とでは幸福度に大きな差があります。年収100~900万円の間ではほぼ20ポイントの差が均等にあります。 むしろ、未婚男性は1000万円の年収で幸福度が頭打ちになり、それ以降は下がる傾向すら見られます。これを見る限り、年収より未婚か既婚かの配偶関係のほうが幸福度に強く影響を与えていると考えられます』、「男性」の場合、「年収より未婚か既婚かの配偶関係のほうが幸福度に強く影響を与えている」、興味深い結果だ。
・『恋愛経験との関係は?  次に、恋愛経験と幸福度の関係についてみてみます。 以下のグラフは、「現在恋人がいる」「今はいないが過去には恋人がいた」「今まで一度も付き合った相手がいたことがない」という状況別に未婚男女での幸福度を比較したものです。「幸福だ」と感じる割合だけではなく、「不幸だ」と感じる割合もあわせてみるために、幸福と不幸の割合の差分にて比較してみることとします。 こちらも男女差が明確に出ます。未婚男性は「現在恋人がいる」群ではすべての年代で幸福が不幸を上回りますが、「今まで一度もいない」群はすべてマイナス(不幸割合が幸福割合を上回る)という結果となりました。 女性も同じような傾向はありますが、40代の「今まで一度もいない」群を除けば、すべて幸福割合のほうが上回ります。つまり、恋愛経験があるかないかで幸不幸の影響を最も受けているのが、「一度も恋愛経験のない」未婚男性たちということになります。 一般的に、「恋愛=幸せ」の図式は女性にあてはまるものと考えられがちですが、既婚より未婚の幸福度が低い結果とあわせると(既婚者は少なくとも恋愛経験を経ている)、男性の幸せにおいて重要な因子は、むしろ年収より恋愛なのではないかという仮説も成り立ちます。 だからといって、「恋愛すれば幸福になれる」「結婚すれば幸福になれる」などという因果はありません。当然、恋愛経験なしの中には、そもそも「恋愛や結婚に興味がない」層も一定数います。恋愛をしていない人=不幸と断じるつもりもありません。しかし、マクロ的に見れば、多くの未婚男性の低い幸福度は、「恋愛を望んでいるにもかかわらずそれが実現できない」という環境にあるともいえるでしょう。 一方で、恋愛経験がなくても幸福度が高い群も存在します。『「オタクは結婚できない」という大いなる誤解』という記事で紹介したように、何かしらのオタク趣味をもつ未婚男性の幸福度は、「現在恋人がいる」未婚男性のそれに匹敵します。恋愛をしていなくてもオタク趣味がある未婚男性は十分幸せなのです』、「男性の幸せにおいて重要な因子は、むしろ年収より恋愛なのではないかという仮説も成り立ちます」、面白い結果だ。
・『幸せとはいったい? そもそも、幸せとはなんでしょうか?  もともと、「幸」という文字は「手かせ」つまり「手錠」の象形であると言われています。手錠でつながれて不自由な状態がしあわせというのは一体どういう意味なのでしょう? この解釈については、諸説ありますが、「手錠をはめられている状態から解放されると幸せだから」という説もあります。また、「幸」に「丸」と書くと「執」になります。「執」という漢字を使った熟語には、「執着」「固執」など、あまりいい意味は感じられません。 そもそも、この「丸」という漢字は、ひざまずいて両手を前に差し出す人の姿を現します。差し出した先が「幸」という手錠ですから、これはどう考えても、逃げられない不自由な状態にさせられた人間を表しているでしょう。どうやら「幸」という字は本来あまりいい意味ではないようです。 しかし、実は「幸せ」という表記になったのは江戸時代以降の最近の話で、もともとは「仕合わせ」と表記していました。中島みゆきさんの歌の「糸」で使われているのも、この「仕合わせ」という漢字です。 さらに語源をたどれば「仕合わせ」とは「為し合わす」でした。「為す」とは動詞「する」で、何か2つの動作などを「合わせる」こと、それが「しあわせ」だという意味です。つまりは、「誰かと何か行動をする」こと自体が「しあわせ」ということなのです。もともとは動詞であったことから、「しあわせ」とは状態ではなく「しあわせる」という行動そのものだったことがうかがえます。 結婚しているとか、いい会社に就職しているとか、さらにはお金を所有しているという状態にしあわせはありません。結婚にしても、就職にしても、そこで誰と何をするのかがしあわせなのであり、お金や時間に関して言えば、そのお金と時間を使って誰と何をするのかがしあわせなのだろうと思います。 いうまでもなく、その誰かとは異性に限らず、同性の友人であってもいいし、初対面の相手であってもいい。つまりは、しあわせとは「人のつながり」であり、「つながった人と何をするのか」が問われているのです。 こんな場面を想像してみてください。 公園などにあるシーソー。そのシーソーの片側に自分だけが座っていても、何も動きません。どんなにもがいても、自分1人だけではシーソーは動きません。そこに必要なのが人とのつながりなのです。 多くの人は、自分が下にいる状態が不幸なのだと考えてしまうでしょう。そうではありません。 反対に、シーソーが上がって自分の身体が頂点に達したときだけが幸せでもありません。それでは、自分の幸せのために誰かの犠牲を要求することになります。「しあわせ」とは、シーソーが上に行ったり下に行ったりする過程の中で、刹那生じる中間地点にあります。誰かと何かを「なしあわせる」ことで生まれる一瞬のバランス状態。これが「しあわせ」の瞬間です。 よって「しあわせ」とは静止状態で享受できるものではなく、つねに動的状態で、繰り返し訪れるもの。寄せては返す波のようなものです。「しあわせ」を感じる過程で、有頂天になったり、どん底の気分を味わうこともあるでしょう。でも、それこそが真ん中の状態を通り過ぎるための力点の1つになるわけです。 そして、シーソーをこぐ相手はいつも一緒の人である必要もありません。あなた自身も通りすがりで誰かのシーソーにいったん座っていることもあるでしょう。幸と不幸、光と闇というように二項対立で捉えがちですが、そう区別できるものではないのです。すべてが流れの中にあり、すべてが循環し、つながっています』、「「しあわせ」とは静止状態で享受できるものではなく、つねに動的状態で、繰り返し訪れるもの。寄せては返す波のようなものです」、面白い見方だ。
・『生きている限り誰かとシーソーをする  そう考えれば、未婚に比べて既婚の幸福度が高いのは、配偶者や子どもといったつねに「しあわせる」相手と何かをしていることによるものですし、未婚でも恋愛相手がいる人の幸福度が高いのも同じことでしょう。男性より女性のほうが全体的に幸福度が高いのも配偶関係によらず、女性のほうがコミュニケーションをとる回数が多いということかもしれません。 恋愛相手がなくても、オタク未婚男性の幸福度が高いのも、オタク趣味を通じて、誰かとつながり、誰かの役に立っている実感が得られるという、いわば「擬似恋愛・擬似子育て」行動だからでしょう。 「結婚すれば幸せになれる」「お金持ちになれば幸せになれる」という状態依存にとらわれていると、ますます自分を不幸に陥れます。「そういう状態にない自分は幸せではないのだ」と自己暗示にかけているようなものだからです。 私たちは、生きている限り、無意識に誰かとつかの間のシーソーをしています。仕事でも買い物でも、あなたの行動は何かしら誰かに影響を与えているものです。それもまた人とのつながりです。 人とのつながりは、最初は小さな点でしかありません。でも、その小さな点もつながりが増えることによって、1本の糸になります。さらにつながりが広がると、糸が交錯して、大きな布になります。まさに、中島みゆきさんの曲「糸」の歌詞そのままです。 「Be happy」ではなく「Do happy」へ。「幸せ」から「仕合わせ」へ。「幸せ」という手錠をいったん外して、本来の「仕合わせる」行動をしてみてはどうでしょうか?』、「「幸せ」という手錠をいったん外して、本来の「仕合わせる」行動をしてみてはどうでしょうか?」、面白く新鮮な幸福論だ。
タグ:(その3)(脳科学者・中野信子が「人生では正解を選んではいけない」と言い切る理由 「幸せホルモン」を味方にする方法、「一家の大黒柱がしんどい」世界で唯一 女性より男性の幸福度が低くなる日本の特殊事情 なぜ男性のネガティブ感情が高いか、際立つ「40~50代未婚男性」幸福度の低さの背景 しあわせは「幸せ」ではなく「仕合わせ」である) 幸福 PRESIDENT Online /PRESIDENT BOOKS 中野 信子 「脳科学者・中野信子が「人生では正解を選んではいけない」と言い切る理由 「幸せホルモン」を味方にする方法」 『引き寄せる脳 遠ざける脳』(プレジデント社) 「人の「幸せ」についての考え方は主観的なものであり、ひとつのものさしで測ることはできません」、なるほど。 「幼少期に培われた人間関係のなかで、愛着の対象や自分自身のことをどう思っていたかによって、幸せの価値観もそれぞれちがってくる」、「幼少期」の影響があるとは驚いた。 「あなたの選んだ選択肢に「間違い」はない」、嬉しいことで、もっと以前から知っていればよかった。 「人はなぜ、自分と他人を比べて思い悩むのでしょうか? それは、おそらくわたしたち日本人が、子どものころから「正解を選ぶ人生」というものに、あまりに慣らされてしまっているからだ」、面白い見方だ。 「選んだ答えを「正解」にしていくのが人生」、とは能動的で、面白い見解だ。 「自分の正解の基準を、丁寧に自分の気持ちと向き合いながら見つけていくこと」、その通りだろう。 「日本人はもともと不安傾向の高い人が多い遺伝子プールである」、「自分の決断をなかなか正解と思いにくく、曖昧であったり、迷ったりしがち」、厄介な性格だ。 「迷うことすら自分の「幸せ」の可能性を広げてくれるものとして、堂々と受け入れていく必要がある」、極めて前向きな考え方で、大いに参考になる。 PRESIDENT ONLINE 本川 裕 「「一家の大黒柱がしんどい」世界で唯一、女性より男性の幸福度が低くなる日本の特殊事情 なぜ男性のネガティブ感情が高いか」 「幸福感」は低く、「ネガティブ感情度」は高いというのは、あまりいいことではなさそうだ。 「日本やドイツ」が似ているというのは、なんとなく感じる実感に近い。 私は一般的問題では、「日本人」特殊論には組しないが、この調査の結果は認めざるを得ない。 「日本人だけ男性のネガティブ感情が女性を上回っている」、要因は以下にあるようだ。 日本人の「男は、男(自分)への期待感が大きい。それだけ幸福度を感じにくくなっているのである」、納得した。 「高齢者のネガティブ感情度は、高福祉社会と言われる北欧諸国が世界で最も低く、それに伴って年齢差も最も低くなっているが、日本もこれに伍しているのである」、これは「日本の社会保障の充実度が北欧並みと考えるのは少し行き過ぎの見方かもしれない。むしろ、諦観という日本人の習性に理由を見出すべきなのかもしれない」、その通りなのだろう。 確かに「日本は「奇跡の国」と見なされてもおかしくはない」ようだ。 東洋経済オンライン 荒川 和久 「際立つ「40~50代未婚男性」幸福度の低さの背景 しあわせは「幸せ」ではなく「仕合わせ」である」 第二の記事を「日本」中心にみたもののようだ。 「男性」の場合、「年収より未婚か既婚かの配偶関係のほうが幸福度に強く影響を与えている」、興味深い結果だ。 「男性の幸せにおいて重要な因子は、むしろ年収より恋愛なのではないかという仮説も成り立ちます」、面白い結果だ 「「しあわせ」とは静止状態で享受できるものではなく、つねに動的状態で、繰り返し訪れるもの。寄せては返す波のようなものです」、面白い見方だ。 「「幸せ」という手錠をいったん外して、本来の「仕合わせる」行動をしてみてはどうでしょうか?」、面白く新鮮な幸福論だ。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。