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女性活躍(その26)(187票差で杉並区初の女性区長 岸本聡子さんの異色経歴 「男社会に風穴あけなきゃダメ」、日本人の「女性は家を守る」呪縛の根源は?専業主婦と働く女性の論戦が勃発、「女子アナ」は"人生の成功者"だという最大の誤解 ドラマ「エルピス」が描く彼女たちの生きづらさ) [社会]

女性活躍については、7月19日に取上げた。今日は、(その26)(187票差で杉並区初の女性区長 岸本聡子さんの異色経歴 「男社会に風穴あけなきゃダメ」、日本人の「女性は家を守る」呪縛の根源は?専業主婦と働く女性の論戦が勃発、「女子アナ」は"人生の成功者"だという最大の誤解 ドラマ「エルピス」が描く彼女たちの生きづらさ)である。

先ずは、8月19日付けAERAdot「187票差で杉並区初の女性区長、岸本聡子さんの異色経歴 「男社会に風穴あけなきゃダメ」」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2022081700072.html?page=1
・『「学生時代に、週刊朝日でバイトしたことがあったんですよ。まだ携帯がない時代で、何かあった時に記者のポケベルを鳴らして呼び出す仕事をしていたんです。懐かしいな」 気さくな笑みを浮かべて話すのは、2022年6月に東京都杉並区長選で初当選した岸本聡子さん(47)だ。大学卒業後、オランダとベルギーで約20年暮らし、国際シンクタンクの職員として公共政策の研究に携わった。区長選への出馬を表明したのは今年4月。区内に移り住んだのも同月だ。行政職や議員の経験もなく、一見無謀に見える挑戦。だが、支援者らと繰り広げた草の根の選挙活動が注目を集め、投票日前日にはその氏名がTwitterでトレンド入りするほどの話題に。最終的に現職の区長をわずか187票差で破り、接戦を制した。 たとえ区民であっても、区議選挙に出たり、ましてや区長に立候補する発想は浮かびづらいものだ。「区長って、誰でもなれるんでしょうか?」そんな記者の素朴な問いかけも、軽んじることなくまっすぐに答える。 「25歳以上であれば、誰でもなれますよ。私自身、選挙に出る前は公職選挙法も読んだことがありませんでした。選挙上の細かいルールを学ぶ必要はありますし、『供託金』という預け金も必要になってきます。でも、それはどちらかといえばテクニカルな話。選挙を通して実現したいことが明確であれば、誰にでも門戸は開かれています」 岸本さんの「区長への道」は、いかにして開かれたのだろうか。 東京都大田区に生まれ、大学時代までを横浜市で過ごした。日本大学文理学部に入学すると、環境NGO「A SEED JAPAN」に入り、若者たちによる地球温暖化防止キャンペーンなどに邁進する。4年時に代表に就任し、卒業後はそのまま、団体の専従スタッフとなった。当時から政治への関心は高かったのだろうか。 「いえいえ、それはもっともっと後の話です。環境運動にも生物多様性、気候変動、オゾン層と色んなテーマがあって、提言をしたりイベントを開いたりと、『運動』というよりサークル活動に近い感覚でした。みんなで一つの事を成し遂げることが楽しくて、会社に入ることも全然考えられなくて。今思えば、行政職を目指す道もあったと思いますが、そんな計画性もなかったです」』、「オランダとベルギーで約20年暮らし、国際シンクタンクの職員として公共政策の研究に携わった」、「区長選への出馬を表明したのは今年4月。区内に移り住んだのも同月だ」、「支援者らと繰り広げた草の根の選挙活動が注目を集め、投票日前日にはその氏名がTwitterでトレンド入りするほどの話題に。最終的に現職の区長をわずか187票差で破り、接戦を制した」、大したものだ。
・『環境NGOでの活動を通じ、「環境的レイシズム(環境的人種差別)」という概念に出会い、衝撃を受けた。有色人種、女性、子どもなど、経済力の弱い社会的マイノリティほど、原子力発電所や軍事基地の近くに住まざるを得ない傾向が高く、汚染や健康の被害も集中しやすいという考え方だ。環境問題を考えるうえで、科学的要因に限らず政治的な力関係への着目が重要だと気づいた経験は「運動を続けた原動力でもあり、その後の政治活動にもつながった」と振り返る。 01年、長男の出産を機にパートナーの母国であるオランダのアムステルダムに移住。10年代に入り、地域から民主主義を志向する「ミュニシパリズム」と呼ばれる運動がアルゼンチン、スペイン、イタリアなど世界各国で広がる様子を目の当たりにし、地方自治に関心を持つようになった。「外国人」として地域活動に関わることができる範囲への限界を感じていた折、杉並区政の刷新を考える住民らが立ち上げた市民団体「住民思いの杉並区長を作る会」から、区長選出馬の打診を受ける。 「面白いことに、選挙権は3カ月住民票がないと与えられないんですが、立候補は住民票さえあればいつでもできるんです。最初は『杉並区に住んでるわけでもないし、無理無理』と何度も断っていたんですが、支援者の方々がネットで調べて『出られるよ』と教えてくださって。選挙時期もかなり近づいていたので、とりあえず住民票を杉並に移して住み始めたという感じです」 約20年間の海外生活を経て、暮らし始めたのは東京・西荻窪。駅周辺に個人経営の飲食店や雑貨店が立ち並び、「ニシオギ」の愛称で親しまれる人気のエリアだ。 「うちからちょっと歩くと昔ながらの豆腐屋や肉屋が並んでいて、タイムスリップしたような衝撃を受けました。元々、東京にはあまりいいイメージがなかったんですが、一発で街が好きになりました」 選挙戦では、区立施設の統廃合や駅前再開発、大規模道路拡幅計画など、住民の合意が得らない計画の抜本的な見直しを訴えた。 「(政策については)私がゼロから考えたわけではありません。住民思いの杉並区長を作る会が何年も議論をしてできていた政策集があり、まずはそこから出発しました。土台があったとはいえ、伝え方は試行錯誤でした。選挙は正解がない世界。何の経験もないから、これはやるべきかことか、正しいことをやっているのか、何もかもがわからないんです」』、「01年、長男の出産を機にパートナーの母国であるオランダのアムステルダムに移住。10年代に入り、地域から民主主義を志向する「ミュニシパリズム」と呼ばれる運動がアルゼンチン、スペイン、イタリアなど世界各国で広がる様子を目の当たりにし、地方自治に関心を持つようになった」、「杉並区政の刷新を考える住民らが立ち上げた市民団体「住民思いの杉並区長を作る会」から、区長選出馬の打診を受ける」、「(政策については)私がゼロから考えたわけではありません。住民思いの杉並区長を作る会が何年も議論をしてできていた政策集があり、まずはそこから出発しました」、選挙の中心は「市民団体」だったようだ。
・『それでも、毎日街頭に立って演説をしていると、立ち止まってもらったり、質問をされたりすることも増えていく。街宣と街宣の間には「タウンミーティング」という名前で地域住民とディスカッションを重ねながら、政策集をバージョンアップしていった。 無名の新人候補を支援すべく、歴史教科書問題、児童館廃止などの問題に関わってきたグループ、環境カフェ、地域の保育士など様々な団体や個人が連なり、ともにアイデアを練った。その中で生まれたのが「サポメンひとり街宣」。岸本さんが街頭宣伝に出ているときは、支援者の誰かが、代わりに駅前で応援演説に立つというスタイルだ。 「(ひとり街宣は)自然発生的に生まれたものです。選挙戦が始まった時、支援者の方々には『無名候補なんだから、とにかく住民に顔を知ってもらうことが大切』と言われていて。そんな状態を見かねて、その中のお一人が『それなら私がポスター持って立っています』と申し出てくださったんです。そうしたら『じゃあ僕も、私も』とスタイルが広がって行きました」 演説時はマイクを回して聴衆が質問や意見を述べる時間を作るなど、傾聴と対話を大切にした。学生時代、「A SEED JAPAN」で岸本さんと活動したファシリテーターの青木将幸さんは、選挙初日、永福町駅前で岸本さんの演説を聞いた際の印象をこう語る。 「同じ団体で活動していた時代から、さっちゃん(岸本さん)は先輩後輩関係なく、どんな人にも対等に話ができる人でした。聴衆の中には初めてマイクを握る方も多く、初めは戸惑う様子もありましたが、候補者に聞く姿勢があることがわかり、だんだん『この人は話して大丈夫だな』という、安心感のようなものがその場に広がっていきました」 こうした姿勢の理由を、本人はこう話す。 「選挙では、たとえ誰も聞いていなくても人前で話すという、拷問のようなことを何週間もやらないといけません。今までもレクチャーや会議で話すことはありましたが、目の前には人がいたので、最初は苦痛でした。足を止めて聞いてくださる方が増えていくにつれ、せっかくなので皆さんから質問を出してほしいなと思ったんです。例えば教員なら教育、保育士なら保育、看護士なら医療と、それぞれの分野で話したいことがある。マイクを回していくと、もうなんでもかんでも話題が出てくるんですよね。そうした中で、少しずつスタイルが出来上がっていきました」』、「「サポメンひとり街宣」」は「無名候補」の選挙戦術としては有効だったようだ。
・『当選後の今、勝因をこう振り返る。 「とにかく色んな立場の人たちが関わってくれた選挙でした。その人たちにとって『自分ごと』になったということが一番大きかったと思っています」 就任後の報道では、「杉並区初の女性区長」という点も強調された。過去に記者が取材をした中では、性別にのみ注目が当たることを当の本人が快く思っていないケースもあった。「岸本さんの場合はどうですか?」と聞いてみると、あっけらかんと答えた。 「むちゃくちゃ強調したいです(笑)。こないだ、省庁発の学習イベントに参加したんですが、講師は25人全員が男性だったんです。もしこれが国際的な会合であれば、性別はもちろんのこと、人種のバランスも考慮しないといけない。でも、日本の社会はこの状態が当たり前に粛々と続いてきたんだなと思ったのね。そのくらい男社会なんだから、風穴あけなきゃダメでしょ、ぐらいの気持ちでいます」 当選後は日本外国特派員協会で会見を開くなど、海外メディアからの関心も高い。杉並区というローカルな単位から、今後どのような変革が起こるのか。いま、世界からの注目が集まる』、「省庁発の学習イベントに参加したんですが、講師は25人全員が男性だったんです・・・そのくらい男社会なんだから、風穴あけなきゃダメでしょ、ぐらいの気持ちでいます」、今後の活躍に期待したい。

次に、10月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「日本人の「女性は家を守る」呪縛の根源は?専業主婦と働く女性の論戦が勃発」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/311884
・『「専業主婦」vs「働く女性」、女性同士で煮え切らない思い  専業主婦は24時間休みなく働いているので、家事育児代行の時給に照らし合わせると、年収1314万円分の仕事をしている――。 先日、ある市長選に立候補予定の女性が、こんな内容のツイートをした。ほどなくして削除されてしまったが、この主張についてはさまざまな議論がわきあがった。タレントのフィフィさんもそのひとりで、こんなツイートをして話題になった。 <専業主婦の労働を時給にすると1,500円で、24時間働いていることになるから…って算出して、私たちは大変なの!ってツイート見たけど、稼ぎたいなら外で働けばいいじゃない。家事も育児も独りでやって、さらに外で働いている私からしたら、こうした愚痴を何のためにツイートしているのかが分からない。>(参照) これには大きくうなずく、「外で働く女性」も多いのではないか。ブラック労働ぶりでいえば、男性が家事や育児を手伝わないワーキングマザーの方が専業主婦よりもはるかに過酷だからだ。 フルタイムで働いて退社してから、保育園まで自転車をすっ飛ばして子どものお迎えをして、スーパーで買い物をして、食事を作って子どもに食べさせる。そこから、洗濯や掃除をして、子どもを寝かせつけてから、夜遅くまで会社の仕事をして、わずかな睡眠時間で朝食をつくって再び満員電車へ…なんて女性は今や日本中にあふれている。 総務省によれば2021年の共働き世帯は1247万世帯で、専業主婦世帯は566万世帯となっている。つまり、冒頭で言う「年収1314万円換算の専業主婦」よりもはるかにハードに働く女性などゴマンといるのだ。) 専業主婦の仕事が年収1314万円というのなら、ワンオペ家事・育児をしながら、外でストレスフルに働く「兼業主婦」の年収はいくらになるのか。いや、そもそも自分が選んだ専業主婦という生き方を「カネ」に置き換えるのもおかしな話ではないか。 そんな声が多く聞かれ、フィフィさんの今回の一連の投稿には約7万の「いいね」が付いている』、「男性が家事や育児を手伝わないワーキングマザーの方が専業主婦よりもはるかに過酷だからだ。 フルタイムで働いて退社してから、保育園まで自転車をすっ飛ばして子どものお迎えをして、スーパーで買い物をして、食事を作って子どもに食べさせる。そこから、洗濯や掃除をして、子どもを寝かせつけてから、夜遅くまで会社の仕事をして、わずかな睡眠時間で朝食をつくって再び満員電車へ…なんて女性は今や日本中にあふれている」、「共働き世帯は1247万世帯で、専業主婦世帯は566万世帯となっている。つまり、冒頭で言う「年収1314万円換算の専業主婦」よりもはるかにハードに働く女性などゴマンといるのだ」、その通りだ。
・『「女性は家庭を守る」という思想に追い詰められている  もちろん、批判の声もある。中でも多いのは、フィフィさんのようなことを言うのは、心ない「専業主婦叩き」だというものだ。 ご存じの方も多いだろうが、今や衰退の一途をたどっている専業主婦の皆さんは近年、ネットやSNSでボロカスに叩かれることがある。代表的なものは「年金払ってない」というものだ。 会社員の妻で、パートなどの収入も少ない場合、「第3号被保険者」という扱いになるので、国民年金の保険料を支払わなくても将来は満額の年金を受け取る事ができる。これが一部のワーキングマザーから「特権」ではないかとかねてから批判されているのだ。 そこでこの“専業主婦バッシング”へのカウンターとして、「専業主婦はブラック労働」「自分を犠牲にして夫や子どもを支えることほど過酷で尊い仕事はない」という訴えをする人も増えている。「主婦の仕事を時給換算すると年収1314万円」という主張もこのようなムードの中で生まれたものだ。 つまり今、日本では、女性活躍だ、ジェンダー平等だ、などとカッコいいことを掲げているが、専業主婦と兼業主婦が「家事や育児をバカにするな」「そんなのこっちは働きながらやってんだよ」なんて感じで、激しくののしり合っているというのが実態なのだ。 では、なぜこうなってしまうのか。いろいろなご意見があるだろうが、筆者は「女性は家庭を守る」という思想が、日本人の頭にさながらマインドコントロールのように刷り込まれてしまっていることが大きいと考えている。 一口に「専業主婦」と言ってもさまざまな人がいる。家庭の事情などで、働きたくても働けない専業主婦の方もいらっしゃるだろう。 しかし、中には「女性は家庭を守らなくてはいけない」という強い思い込みがあって、専業主婦という生き方を選んでいる人もいるのではないか。そういう考えに基づいて、あれもこれもすべて自分で背負い込んでしまう人というのは、夫を甘やかしてしまっている部分もある。いい歳こいて仕事以外、料理も洗濯もできない、自分のシャツがどこにあるのかもわからない「子供のようなオッサン」を日本社会に大量につくってしまっている。 「兼業主婦」側も、「女性は家庭を守る」という思想を引きずっていると、苦しめられるケースが多い。「女性は家庭を守らなくてはいけない」という罪悪感がある人は、ハードに働きながらも、家事や育児も「自分がやらなくては」と頑張ってしまう。 さらに事態を悪化させるのが、夫側がイクメンを気取りながらも、実は心の奥底で、「女性は家庭を守らなくてはいけない」という考えを持っている場合だ。家事分担と言っても、食器洗いやゴミ出しくらいしかしないので、「共働き」なのに女性側の負担ばかりが重くなる。 つまり、我々が無意識のうちに受け入れてしまっている「女性は家庭を守る」という「教義」こそが、専業主婦や兼業主婦の皆さんを苦しめている諸悪の根源なのだ』、「あれもこれもすべて自分で背負い込んでしまう人というのは、夫を甘やかしてしまっている部分もある。いい歳こいて仕事以外、料理も洗濯もできない、自分のシャツがどこにあるのかもわからない「子供のようなオッサン」を日本社会に大量につくってしまっている」、「子供のようなオッサン」とは言い得て妙だ。「我々が無意識のうちに受け入れてしまっている「女性は家庭を守る」という「教義」こそが、専業主婦や兼業主婦の皆さんを苦しめている諸悪の根源なのだ」、その通りだ。
・『ジェンダー平等の時代に呪縛から逃れられないのはなぜ  「いやいや、今どき女性は家庭を守るものなんて考えているヤツはいないって」という人もいるだろうが、そんなことはない。 「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という考えには、アメリカの熱烈なトランプ支持者同様に「岩盤支持層」がいるのだ。 内閣府の男女共同参画社会に関する世論調査では、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という意識について聞いている。 令和元年9月では「賛成」「どちらかといえば賛成」は合わせて35%もいた。3年前の平成28年9月には40.5%だったので確実に減少しているが、それでもまだ日本人の3分の1は、「女性は家を守れ」と考えているということなのだ。 しかも、女性蔑視の男たちがそのように押し付けているわけでもない。令和元年調査を性別で見ると、「賛成」をしている女性は31.1%にも及んでいるのだ。 では、ジェンダー平等、女性活躍などと言われて久しいのに、「女性は家庭を守る」という役割に固執する女性が多いのか』、「「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という意識について聞いている。 令和元年9月では「賛成」「どちらかといえば賛成」は合わせて35%もいた。3年前の平成28年9月には40.5%だったので確実に減少しているが、それでもまだ日本人の3分の1は、「女性は家を守れ」と考えているということなのだ」、「令和元年調査を性別で見ると、「賛成」をしている女性は31.1%にも及んでいるのだ」、やはり「女性は家庭を守る」との伝統的考え方は根強いようだ。
・『自民党の独特の思想が、令和の時代も奇妙に存在  「それが日本人の伝統だ!」「母親が家庭にいるのは当然だ」と主張される人も多いだろうが、実はこれは戦後80年にわたって日本人の教育を牛耳ってきた、自民党の「家庭長」という独特の思想によるところが大きい。 1979年、自民党が「家庭基盤の充実に関する対策要綱」というものを発表した。その中では、結婚した女性は、家庭の長として、家族経営を采配する存在であると定めて、「家庭長」と呼んでいる。 ちなみに、こういう考え方は、日本古来の伝統とかは一切関係ない。江戸時代まで庶民は「家庭」など意識せず、今より自由に結婚・恋愛をしていた。所帯を持っても共働きが一般的だったのだ。 では、いつから「専業主婦」が生まれたのかというと、明治以降だ。富国強兵を実現するために「家父長制度」というものが広まった。その流れの中で既婚女性を「家庭」に強固に縛りつけるようになるきっかけがあった。戦争だ。 男たちが兵役に出たことで、未婚女性は労働力として動員されたが、既婚女性だけは免除された。アメリカなど他国では戦争になると既婚女性も工場で働いたり、中には軍隊に入るケースもあったが、日本はなぜか「家庭を守れ」と家から出ることを許さなかった。 個人的には、この戦時中の女性の扱いが、「女性は家庭を守る」という奇妙な表現のルーツになったと思っている。)  冷静に考えれば、家事や育児をしていることを「守る」と表現するのはおかしい。泥棒や自然災害から家庭を守るというのなら、肉体的にも男性の方が向いている。にもかかわらず、なぜ女性が「家庭を守る」ことを求められたのかというと、夫が徴兵された間に「銃後を守る」というところから来ているのではないか。 いずれにせよ、自民党の専業主婦を「家庭長」とする思想、つまりは「女性は家庭を守る」という考え方は令和の今も健在だ。だから、「こども庁」が土壇場で「こども家庭庁」に変更される。子どもは家庭長(母)が守る、「家庭の付属物」というような扱いなので、欧米のように、子どもを「1人の独立した人間」と見ることに強い抵抗があるのだ。 選択的夫婦別姓に反対しているのも同じだ。家庭を守るべき家庭長(妻)が、夫と異なる姓を名乗るなど、自民党的国家観・家族観からすれば許されることではない。そういう思想が根っこにあるので、自民党議員は、女性を「産む機械」などと呼んだり、「女性がいる会議は長い」なんて失言をしてしまう。「女は家庭に入って子どもを産んで育てろ」が本音なのだ』、「いつから「専業主婦」が生まれたのかというと、明治以降だ。富国強兵を実現するために「家父長制度」というものが広まった。その流れの中で既婚女性を「家庭」に強固に縛りつけるようになるきっかけがあった。戦争だ」、「アメリカなど他国では戦争になると既婚女性も工場で働いたり、中には軍隊に入るケースもあったが、日本はなぜか「家庭を守れ」と家から出ることを許さなかった。 個人的には、この戦時中の女性の扱いが、「女性は家庭を守る」という奇妙な表現のルーツになったと思っている」、「自民党の専業主婦を「家庭長」とする思想、つまりは「女性は家庭を守る」という考え方は令和の今も健在だ。だから、「こども庁」が土壇場で「こども家庭庁」に変更される。子どもは家庭長(母)が守る、「家庭の付属物」というような扱いなので、欧米のように、子どもを「1人の独立した人間」と見ることに強い抵抗があるのだ」、「家庭長」というのは初めて知ったが、「自民党」が「女性は家庭を守る」という考え方が強い理由の一端はここにあるのだろう。
・『旧統一教会とウマが合う自民党、「女性」の役割においても一致  自民党が「家庭長」と言い出した1979年というのは、約2年続いた福田赳夫内閣が終わったタイミングだ。選挙では日本共産党が39議席と大躍進して、自民党としては「共産主義勢力」に対して危機感を強めていた時だ。 そこで自民党の選挙で心強い味方となっていたのが、共産主義との戦いを掲げて、岸信介、福田赳夫という政治家との距離をつめていた旧統一教会系の政治団体「国際勝共連合」である。 この5年前の1974年5月7日、文鮮明氏が帝国ホテルに1700人を集めて開催された「希望の日晩餐会」では、岸信介元首相が名誉実行委員長を務め、当時大蔵大臣だった福田赳夫氏がこうスピーチした。 「アジアに偉大なる指導者現る。その名は文鮮明である」 偶然かもしれないが、そんな偉大な指導者も、「世界平和は真の家庭から」ということを強く主張していた。5年前に自分を褒め称えて福田氏率いる自民党が、「家庭長」構想を公表した時は、さぞ喜んだに違いない。 さて、現代に戻ろう。10月20日、世界平和統一家庭連合の記者会見で、スーツ姿の男性17人がズラッと並んだ。これは教会改革を主導的に進めていく男性たちで、2世信者問題の対応にもあたるという。ただ、この様子を見ていた紀藤正樹弁護士はバッサリ切り捨てた。 「女性がいない。これは統一教会の教義である男尊女卑を表している」 そういえば、第2次岸田改造内閣では女性の入閣は2人しかいない。自民党4役を務める女性議員はゼロになった。旧統一教会と何十年も蜜月だったのは、やはりこういうところもウマが合ったのだろう。 陰謀論の世界では、「戦後の自民党を裏で操っていたのは旧統一教会」なんて話がまことしやかにささやかれている。が、この政党の「女性」と「家庭」に対するスタンスを見ていると、あながちデタラメではないような気もしてしまう。 旧統一教会と縁を切っても、自民党には「家庭」の重要性を説く支持団体が山ほどある。ということは、自民党政権が続く限り、残念ながら、日本人の「女性は家庭を守る」という病も治らないのではないか』、「旧統一教会とウマが合う自民党、「女性」の役割においても一致」、「自民党政権が続く限り、残念ながら、日本人の「女性は家庭を守る」という病も治らないのではないか」、誠に残念だ。

第三に、11月15日付け東洋経済オンラインが掲載したライター/「チェリー」編集長の霜田 明寛氏による「「女子アナ」は"人生の成功者"だという最大の誤解 ドラマ「エルピス」が描く彼女たちの生きづらさ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/632822
・『これほどまでに“女子アナの生きづらさ”に焦点を当てた作品が、かつてあっただろうか。狭き門を通り抜けて女子アナとなり、“人生の成功者”のように扱われる彼女たちのもう一方の姿——。 関西テレビ(以下、カンテレ)制作のドラマ『エルピス—希望、あるいは災い—』は、それを生々しく描いている。月曜22時という、かつての『SMAP×SMAP』の時間に放送されるエンターテインメント作品でありながら、冤罪の死刑囚を救おうと奮闘するテレビ局員の姿を描くなど、東海テレビのドキュメンタリーかと感じるくらいに重厚だ。 論点は多く存在するが、長澤まさみが演じる女性アナウンサーの姿に、彼女たちの“生きづらさ”が集約されているように感じた。『エルピス』を通して見える、女子アナが置かれている状況、彼女たちとジャーナリズムとの距離、就職活動における選抜の段階から本来の役割を見失わせてしまう構造などについて論じていきたい。(文中敬称略)』、興味深そうだ。
・『女子アナが抱える「生きづらさ」  筆者は2009年にテレビ局の就活に関する著書を出して以来、各企業や大学の主催する就活講演はもとより、自身の運営する就活セミナーで多くの学生をアナウンサーとして輩出してきた。その数は100名以上に及ぶが、現在の彼女たちの年齢は20代~30代半ばあたりになる。彼女たちが抱える生きづらさと、主人公の抱えるものに重なりを感じたのである。 第2話「女子アナと死刑囚」の序盤に、こんなシーンがある。長澤まさみ演じる浅川恵那は「エナーズ・アイ」というニュースを紹介するコーナーを担当している。しかし、扱うニュースの題材を決めるのに自分の意見は取り入れられない。自分の本当に注目したニュースを提案すると、番組の男性プロデューサーに否定され、こうたしなめられる。 「浅川恵那が何に注目してるかを決めるのは、浅川恵那じゃねえの。浅川恵那は、“俺らが浅川恵那が注目してることにしたいニュース”を、あたかも本当に注目してるみたいに“読む”ための人」) このセリフに、女子アナの置かれている状況が集約されている気がした。若くて美しい人形として、局の上層部の考えたことを、その口を通して喋らされている――。花形の職業に見られがちな彼女たちだが、このシーンが象徴するように、彼女たちの局内での立ち位置は意外にもそう高くはない。 ニュース番組を担当すると、女子アナがキャスターと呼ばれることもあるが、彼女たちは決してジャーナリストではない。いち会社員であり、局の代弁をさせられている。そんなことを考えさせられるのが、同じ第2話のラストのシーンである。 かつてキャスターを務めていた浅川は「自分があたかも真実かのように伝えたことに、本当の真実がどれだけあったのか……」と悩み始める。そして現在、その苦悩が体調にも表れてきたことに対し、「私には今バチが当たっているんだと思います」と語り、過去の番組内での自分を思い出す。 福島第一原発事故を受けて「問題ありません」と言う専門家に頷く自分。東京オリンピックの招致活動で安倍晋三首相が「原発はコントロール下」とプレゼンする、いわゆる“アンダーコントロール”発言をニュースとして伝える自分。東京五輪開催決定時、福島に行って「被災地の復興にもはずみになる」と笑顔で子どもたちを煽る自分……。 権力の監視がメディアの仕事であるとすれば、女子アナたちがさせられているのは監視ではなく、笑顔での権力容認では――とも思えるシーンだ。ジャーナリストであれば、そこに意見をすることもできるかもしれないが、彼女たちにその権限はない。むしろ、その選択肢を持った人間が、ニュース番組のキャスターとして抜擢される例はほぼ存在しないと言っていいだろう』、「扱うニュースの題材を決めるのに自分の意見は取り入れられない。自分の本当に注目したニュースを提案すると、番組の男性プロデューサーに否定され、こうたしなめられる。 「浅川恵那が何に注目してるかを決めるのは、浅川恵那じゃねえの。浅川恵那は、“俺らが浅川恵那が注目してることにしたいニュース”を、あたかも本当に注目してるみたいに“読む”ための人」 このセリフに、女子アナの置かれている状況が集約されている気がした。若くて美しい人形として、局の上層部の考えたことを、その口を通して喋らされている」、「女子アナたちがさせられているのは監視ではなく、笑顔での権力容認では――とも思えるシーンだ」、確かにその通りだ。
・『入社試験のために「競馬」や「麻雀」を始める就活生  入社試験でも「気になるニュース」程度のことは聞かれるが、そこでも強い問題意識は求められておらず、そこから関連して自分の人となりがわかるような話にすり替えるか、仮に意見を述べるとしてもその意見は強すぎないほうがウケがいい。 面接ではニュースに対する知識や関心よりも、立場が上の局員たちにうまく笑顔で話をあわせる力を求められている。それを察知し、そのために、わざわざ競馬や麻雀をやり始める就活生まで出始める始末だ。 アナウンサー試験は、アイドルレベルのルックスを持ちながら「アイドルでは終わりたくない」と考えている女性、ルックスだけではなく、大学まで通ったその知性を少しでも活かした職業につきたいと考えている女性が多く受ける傾向にある。 そんな“外見的にも内面的にも優秀な女性たち”が、入社後、この構造に取り込まれていく。給料面などの待遇は悪くない彼女たちが、ときに国連職員といった仕事に転職するのはその反動といってもいいかもしれない。逆に、その構造に馴染むことができれば、国葬の司会にだって上り詰めることができる。政府の代弁者としての仕事の完成形である。 女性誌などで、“働きながら自己実現をする女性”の代表のような取り上げ方をされることも多い女子アナたち。だが、驚くほど発言の自由度は少なく、最近は個人のSNSも局内で監視されている状況で、その実“テレビ局という男性社会が望んだ女性像”の枠をはみ出ることが許されていないのが現状と言っていいだろう』、「女子アナたち。だが、驚くほど発言の自由度は少なく、最近は個人のSNSも局内で監視されている状況で、その実“テレビ局という男性社会が望んだ女性像”の枠をはみ出ることが許されていないのが現状」、寂しい限りだが、これが現実だろう。
・『「弘中綾香」という存在  “女子アナらしくない”を売りにして名を売る人もいるじゃないか、という反論もあるかもしれない。たとえば近年、象徴的な存在のひとりとされるのがテレビ朝日アナウンサーの弘中綾香だろう。 彼女の主戦場はバラエティ番組で、経費削減の最中にあるテレビ局の“出演料のかからないタレント”という側面もある。辛辣な言い方かもしれないが、タレントが言ったら、それなりな発言を、女子アナが言うから面白く聞こえたりもする。視聴者の中に無意識に存在する“女子アナ”という枠がどれだけ強固だったかを再確認させられる。 制作者たちにとって弘中綾香という存在は、これまで自分たちで決めてきた“女子アナ”という枠を少しはみ出したが、全体に脅威を及ぼすほどではない――という絶妙さがあると筆者は感じる。“枠の外だけれども安全地帯”がどこにあるかの掴み方はうまいと言えるが、女子アナのあり方や概念を覆すような事例ではない。 ここまで、厳しく考察してしまったが、では“女子アナ”として働く彼女たちの多くは何も考えていないのだろうか? もちろん、女子アナの中にもいろいろなタイプがいる。もともと自身の考え自体がない者、考えはあったがSDGsなどに代表される “流行の正しさ”を口にすることで満足してしまった者、考えはあるが出自が恵まれているがゆえの強者の論理を強固にする者……とさまざまだ。 『エルピス』の浅川のように、正しさへの感覚が鋭敏なほど、悩んでしまう傾向がある。結局、真剣に考える人ほど病んでいく構造になっているのだ。 その点、フジテレビが掲げた「楽しくなければテレビじゃない」とは、局員が健やかに生きていくために、“楽しくないもの”から目を逸らすための道標にもなっている、極めて秀逸なキャッチコピーである。) とはいえ、『エルピス』はカンテレが制作だが、フジテレビ系列で放送されている。そもそもプロデューサーの佐野亜裕美はTBSの局員だったが、TBSでは実現できなかった本作をカンテレが制作するということで同局に移籍したのだという。 キー局ではこのドラマの企画が通らなかったという事実自体が、「正しさを追求した」取材内容がなかなか放送できないドラマの登場人物たちと重なる。自分たちにブーメランのように返ってくる可能性もあるこの作品にGOを出したカンテレをはじめ、この役を受けた長澤まさみや、脚本家・プロデューサーといったスタッフの覚悟に心からの賛辞をおくりたい。 だからこそ、例えば「長澤まさみの色気にメロメロ」といったような記事が多く出回ることは本人たちも不本意だろうし、もし実際に女子アナたちが何らかのメッセージを訴えたとしても、結局は彼女たちの表面にしか大衆の関心はたどり着かないのではないだろうか、という諦めにも繋がってしまう』、「プロデューサーの佐野亜裕美はTBSの局員だったが、TBSでは実現できなかった本作をカンテレが制作するということで同局に移籍したのだという。 キー局ではこのドラマの企画が通らなかったという事実自体が、「正しさを追求した」取材内容がなかなか放送できないドラマの登場人物たちと重なる。自分たちにブーメランのように返ってくる可能性もあるこの作品にGOを出したカンテレをはじめ、この役を受けた長澤まさみや、脚本家・プロデューサーといったスタッフの覚悟に心からの賛辞をおくりたい」、「自分たちにブーメランのように返ってくる可能性もあるこの作品にGOを出したカンテレをはじめ、この役を受けた長澤まさみや、脚本家・プロデューサーといったスタッフの覚悟に心からの賛辞をおくりたい」、その通りだ。
・『女子アナたちの思いを“ないもの”としていいのか  だが、それでも――女性アナウンサーたちの中にある思いを“ないもの”のようにしてしまうのはマズいのではないだろうか。 実際に存在するのに、誰かにとって不都合なものが“ないもの”のようにされる。そのうちに、誰も目の届かないところに置かれ、人々は忘れてしまう。 それこそ、このドラマで扱われている死刑制度にも通じるものがある。実際に行われているにもかかわらず、多くの人はその詳細を知らない。大衆が無関心なばかりか、その執行の責任者たる法務大臣までもが「はんこを押す」「地味な仕事」という感覚になる。 仮に権力者にとって不都合なものだったとしても、ちゃんと“ある”のならば、その存在を提示する――それこそが、マスメディアの役割ではないだろうか。 本作の脚本を務める渡辺あやは、人間には“不都合な欲望”があると語る。昨今はそれを〈「見えるところには置かないようにしましょう」という風潮がある。これが果たして本当にいいことなんだろうか……というのが、ずっと思っているところ〉なのだと言う(「文春オンライン」2022年10月31日)。 隠されているけれど、実際は存在するものを、ちゃんと“ある”と提示すること。同じテレビ局の中でも、ジャーナリズムの前にドラマが体現しているのは皮肉なことかもしれない。 『エルピス』で浅川は、マスコミが犯した罪を、自分が犯した罪かのように謝罪する。組織に所属していると、“私の罪”を“私たちの罪”に薄めようとする者が多い中で、彼女は“私たちの罪”を“私の罪”ととらえて謝るのだ。 主語を大きくすることで、見えなくなることがある。本稿でもわかりやすく“女子アナ”と括ってしまったが、その実はさまざまだ。浅川のように逆に主語を狭め、“私たちの罪”を“私の罪”と自覚する人が増えることが、何かが変わる希望になるのではないか、と信じている』、「主語を大きくすることで、見えなくなることがある。本稿でもわかりやすく“女子アナ”と括ってしまったが、その実はさまざまだ。浅川のように逆に主語を狭め、“私たちの罪”を“私の罪”と自覚する人が増えることが、何かが変わる希望になるのではないか、と信じている」、同感である。
タグ:AERAdot「187票差で杉並区初の女性区長、岸本聡子さんの異色経歴 「男社会に風穴あけなきゃダメ」」 女性活躍 (その26)(187票差で杉並区初の女性区長 岸本聡子さんの異色経歴 「男社会に風穴あけなきゃダメ」、日本人の「女性は家を守る」呪縛の根源は?専業主婦と働く女性の論戦が勃発、「女子アナ」は"人生の成功者"だという最大の誤解 ドラマ「エルピス」が描く彼女たちの生きづらさ) 「オランダとベルギーで約20年暮らし、国際シンクタンクの職員として公共政策の研究に携わった」、「区長選への出馬を表明したのは今年4月。区内に移り住んだのも同月だ」、「支援者らと繰り広げた草の根の選挙活動が注目を集め、投票日前日にはその氏名がTwitterでトレンド入りするほどの話題に。最終的に現職の区長をわずか187票差で破り、接戦を制した」、大したものだ。 「01年、長男の出産を機にパートナーの母国であるオランダのアムステルダムに移住。10年代に入り、地域から民主主義を志向する「ミュニシパリズム」と呼ばれる運動がアルゼンチン、スペイン、イタリアなど世界各国で広がる様子を目の当たりにし、地方自治に関心を持つようになった」、「杉並区政の刷新を考える住民らが立ち上げた市民団体「住民思いの杉並区長を作る会」から、区長選出馬の打診を受ける」、 「(政策については)私がゼロから考えたわけではありません。住民思いの杉並区長を作る会が何年も議論をしてできていた政策集があり、まずはそこから出発しました」、選挙の中心は「市民団体」だったようだ。 「「サポメンひとり街宣」」は「無名候補」の選挙戦術としては有効だったようだ。 「省庁発の学習イベントに参加したんですが、講師は25人全員が男性だったんです・・・そのくらい男社会なんだから、風穴あけなきゃダメでしょ、ぐらいの気持ちでいます」、今後の活躍に期待したい。 ダイヤモンド・オンライン 窪田順生氏による「日本人の「女性は家を守る」呪縛の根源は?専業主婦と働く女性の論戦が勃発」 「男性が家事や育児を手伝わないワーキングマザーの方が専業主婦よりもはるかに過酷だからだ。 フルタイムで働いて退社してから、保育園まで自転車をすっ飛ばして子どものお迎えをして、スーパーで買い物をして、食事を作って子どもに食べさせる。そこから、洗濯や掃除をして、子どもを寝かせつけてから、夜遅くまで会社の仕事をして、わずかな睡眠時間で朝食をつくって再び満員電車へ…なんて女性は今や日本中にあふれている」、 「共働き世帯は1247万世帯で、専業主婦世帯は566万世帯となっている。つまり、冒頭で言う「年収1314万円換算の専業主婦」よりもはるかにハードに働く女性などゴマンといるのだ」、その通りだ。 「あれもこれもすべて自分で背負い込んでしまう人というのは、夫を甘やかしてしまっている部分もある。いい歳こいて仕事以外、料理も洗濯もできない、自分のシャツがどこにあるのかもわからない「子供のようなオッサン」を日本社会に大量につくってしまっている」、「子供のようなオッサン」とは言い得て妙だ。「我々が無意識のうちに受け入れてしまっている「女性は家庭を守る」という「教義」こそが、専業主婦や兼業主婦の皆さんを苦しめている諸悪の根源なのだ」、その通りだ。 「「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という意識について聞いている。 令和元年9月では「賛成」「どちらかといえば賛成」は合わせて35%もいた。3年前の平成28年9月には40.5%だったので確実に減少しているが、それでもまだ日本人の3分の1は、「女性は家を守れ」と考えているということなのだ」、「令和元年調査を性別で見ると、「賛成」をしている女性は31.1%にも及んでいるのだ」、やはり「女性は家庭を守る」との伝統的考え方は根強いようだ。 「いつから「専業主婦」が生まれたのかというと、明治以降だ。富国強兵を実現するために「家父長制度」というものが広まった。その流れの中で既婚女性を「家庭」に強固に縛りつけるようになるきっかけがあった。戦争だ」、「アメリカなど他国では戦争になると既婚女性も工場で働いたり、中には軍隊に入るケースもあったが、日本はなぜか「家庭を守れ」と家から出ることを許さなかった。 個人的には、この戦時中の女性の扱いが、「女性は家庭を守る」という奇妙な表現のルーツになったと思っている」、 「自民党の専業主婦を「家庭長」とする思想、つまりは「女性は家庭を守る」という考え方は令和の今も健在だ。だから、「こども庁」が土壇場で「こども家庭庁」に変更される。子どもは家庭長(母)が守る、「家庭の付属物」というような扱いなので、欧米のように、子どもを「1人の独立した人間」と見ることに強い抵抗があるのだ」、「家庭長」というのは初めて知ったが、「自民党」が「女性は家庭を守る」という考え方が強い理由の一端はここにあるのだろう。 「旧統一教会とウマが合う自民党、「女性」の役割においても一致」、「自民党政権が続く限り、残念ながら、日本人の「女性は家庭を守る」という病も治らないのではないか」、誠に残念だ。 東洋経済オンライン 霜田 明寛氏による「「女子アナ」は"人生の成功者"だという最大の誤解 ドラマ「エルピス」が描く彼女たちの生きづらさ」 関西テレビ(以下、カンテレ)制作のドラマ『エルピス—希望、あるいは災い—』 「扱うニュースの題材を決めるのに自分の意見は取り入れられない。自分の本当に注目したニュースを提案すると、番組の男性プロデューサーに否定され、こうたしなめられる。 「浅川恵那が何に注目してるかを決めるのは、浅川恵那じゃねえの。浅川恵那は、“俺らが浅川恵那が注目してることにしたいニュース”を、あたかも本当に注目してるみたいに“読む”ための人」 このセリフに、女子アナの置かれている状況が集約されている気がした。 若くて美しい人形として、局の上層部の考えたことを、その口を通して喋らされている」、「女子アナたちがさせられているのは監視ではなく、笑顔での権力容認では――とも思えるシーンだ」、確かにその通りだ。 「女子アナたち。だが、驚くほど発言の自由度は少なく、最近は個人のSNSも局内で監視されている状況で、その実“テレビ局という男性社会が望んだ女性像”の枠をはみ出ることが許されていないのが現状」、寂しい限りだが、これが現実だろう。 「プロデューサーの佐野亜裕美はTBSの局員だったが、TBSでは実現できなかった本作をカンテレが制作するということで同局に移籍したのだという。 キー局ではこのドラマの企画が通らなかったという事実自体が、「正しさを追求した」取材内容がなかなか放送できないドラマの登場人物たちと重なる。自分たちにブーメランのように返ってくる可能性もあるこの作品にGOを出したカンテレをはじめ、この役を受けた長澤まさみや、脚本家・プロデューサーといったスタッフの覚悟に心からの賛辞をおくりたい」、 「自分たちにブーメランのように返ってくる可能性もあるこの作品にGOを出したカンテレをはじめ、この役を受けた長澤まさみや、脚本家・プロデューサーといったスタッフの覚悟に心からの賛辞をおくりたい」、その通りだ。 「主語を大きくすることで、見えなくなることがある。本稿でもわかりやすく“女子アナ”と括ってしまったが、その実はさまざまだ。浅川のように逆に主語を狭め、“私たちの罪”を“私の罪”と自覚する人が増えることが、何かが変わる希望になるのではないか、と信じている」、同感である。
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