SSブログ

異次元緩和政策(その42)(《挑発的発言で140円までドーンと下落》日銀OBが「言わんこっちゃない」と苦笑する黒田総裁のマーケット評、三菱UFJ銀行・平野氏 日本総研・翁氏「政府・日銀はアベノミクス時代の指針を見直せ」、日銀・植田新総裁による金融政策「修正プロセス」を大予想&カンタン解説、「数式を普通の文章のように読む」 日銀新総裁・植田和男氏の天才エピソード、教え子が“酒豪ぶり”も証言) [経済政策]

異次元緩和政策については、昨年4月26日に取上げた。今日は、(その42)(《挑発的発言で140円までドーンと下落》日銀OBが「言わんこっちゃない」と苦笑する黒田総裁のマーケット評、三菱UFJ銀行・平野氏 日本総研・翁氏「政府・日銀はアベノミクス時代の指針を見直せ」、日銀・植田新総裁による金融政策「修正プロセス」を大予想&カンタン解説、「数式を普通の文章のように読む」 日銀新総裁・植田和男氏の天才エピソード、教え子が“酒豪ぶり”も証言)である。

先ずは、昨年12月29日付け文春オンラインが掲載した「《挑発的発言で140円までドーンと下落》日銀OBが「言わんこっちゃない」と苦笑する黒田総裁のマーケット評」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/59541
・『大企業と労組が結託し、若い世代が犠牲になった――。東京財団政策研究所主席研究員・早川英男氏による「賃上げを阻む『97年労使密約』」(2023年1月号)を一部転載します。 今、日本人が何よりも懸念しているのは、目の前の物価高なのではないでしょうか。2022年10月の消費者物価指数は前年同月比でプラス3.6%、40年8カ月ぶりの上昇率を記録しました。 物価高の発端は、2022年に始まったグローバルインフレです。新型コロナで傷んだ経済を回復させるため、各国は経済対策にじゃぶじゃぶとお金を流してきましたが、その結果として物価が急激に上昇。さらに同年2月にはウクライナ戦争が勃発し、資源・食料価格が高騰し、その波が日本にも直撃しました。 追い打ちをかけたのが、同時期に進行した円安です。年明けから1ドル115円前後で動いていた為替相場は、春以降に円安方向へと動きます。10月には1ドル150円を突破し、32年ぶりの安値を更新しました。輸入物価が押し上げられ、国内の食料・エネルギー価格に上乗せされています。 日本の物価高は「グローバルインフレ」と「円安」の二重苦と言われてきましたが、現在は主に円安が物価高に大きく影響しています。円安対策については日銀の金融政策が注目を集めました。ところが肝心の黒田東彦総裁は金融緩和を続ける方針を示し、金利を上げようとはしません。その頑なな態度が国民やメディアの反発を招き、日銀は無策だと批判を浴びることになりました。 私は1977年に日本銀行に入行し、在職中は調査統計局長(2001〜07年)、理事(2009〜13年)などを務めました。今回はOBの立場から、日銀が金融緩和を続ける理由、この10年の金融政策の問題点などを分析し、今後の日本経済への処方箋についても考えてみたいと思います』、早川氏は日銀きってのエコノミストとして鳴らした人物だ。
・『円高になりにくい構造  まずは、現在の状況を整理しましょう。 進行中の円安について、私は2つの要因があると考えています。 1つ目は先ほども触れたように、内外金利差の拡大です。アメリカがあれだけ金融引き締めをしているのに、日本はいまだに大規模緩和に集中している。日米の金利差は4.5%まで広がりましたから、円安圧力が高まるのは当然です。) 2つ目には、日本の対外収支構造の変化が挙げられます。 かつての日本は工業製品を大量に輸出して、巨額の貿易黒字を抱えていました。最近の日本の貿易収支はトントン、今のようにエネルギー価格が上がると赤字の状態です。ところが経常収支で見ると、相変わらずかなりの黒字を維持している。実は日本は、海外投資からの利益・配当である投資収益収支で稼ぐようになり、貿易大国から投資大国へと変貌しているのです。 最近の投資収益は、金融機関ではなく製造業の海外現地法人の儲けが大半を占めています。問題は、帳簿上では収益を親会社に移転して連結決算にも反映するのですが、資金の大部分は現地に置きっぱなしで円転しないのです。一方で貿易の支払いはあるから、どうしても日本全体としてはドル不足に陥ってしまう。需給の関係でドルは上がり、円は下がることになるのです。 このような対外収支構造が根底にあることを考えると、現在の日本は円高になりにくく円安が進みやすい状態であると言えます。2011年には、1ドル70円台の超円高時代がありましたが、あの水準まで戻ることはもはや考えられません。 とはいえ、現在の円安は明らかに行き過ぎの感がある。ビッグマックひとつ買うのに米国では5.15ドルも払わなければいけないのに対して、日本では2.83ドルで買える。購買力平価(全く同一の商品を買うことができる購買力)で比較すると、1ドル=100円くらいが適正だろうとみられます。 ですから、過剰な円安はいずれ調整されて戻っていく。ここまで異常な状態が、この先何年も続くとは思いません。 円相場を占ううえで注目すべきは、やはりアメリカの今後の動向です。FRB(米連邦準備制度理事会)は「ある程度は景気を犠牲にしてでも、絶対にインフレを抑え込む」との強い意志のもと、0.75%もの大幅な利上げを4回連続でおこなう、異例の対応をとりました。インフレはしぶとく続いており、利上げの効果が表れるまではある程度時間がかかりますが、あと半年もすれば経済指標に反映されてくるでしょう。少なくとも来年中には、利上げのピークが見えてくるはずです。 それに伴い多少は円高が進み、1ドル100円まではいかないにしても、最終的には120円程度に落ち着くのではないかと思います』、「帳簿上では収益を親会社に移転して連結決算にも反映するのですが、資金の大部分は現地に置きっぱなしで円転しないのです。一方で貿易の支払いはあるから、どうしても日本全体としてはドル不足に陥ってしまう。需給の関係でドルは上がり、円は下がることになるのです」、「このような対外収支構造が根底にあることを考えると、現在の日本は円高になりにくく円安が進みやすい状態」、「購買力平価・・・で比較すると、1ドル=100円くらいが適正だろうとみられます。 ですから、過剰な円安はいずれ調整されて戻っていく。ここまで異常な状態が、この先何年も続くとは思いません」、なるほど。
・『日銀が唯一とれる手は?  インフレに対応すべく各国の中央銀行が金融引き締めに走るなか、日銀だけが利上げをせずに金融緩和を続け、孤立を深めました。 なぜ日銀は大規模な金融緩和を続けているのか、黒田総裁にはどのような思惑があるのかを、ここからは考えていきたいと思います。) 最初に申し上げておくと、私自身は日銀の対応には概ね賛成です。各国の中央銀行が金利を上げているからといって、現在の金融緩和を根本的に変えて引き締め政策に移るのは、時期尚早だと考えます。欧米と日本ではインフレの種類が異なるので、何でも同じにすればいいわけではありません。 日本では物価上昇率が3%台まで上がり、2022年度は、日銀が物価安定の目標として掲げてきた前年比2%を達成するかもしれません。ただし、このところの物価上昇は、世界的な資源高が引き起こした一時的な現象です。特に日本は欧米と違って、賃金が上昇する気配がまだありません。実質賃金が下がれば個人消費も伸び悩むため、常識的に考えれば、23年の物価上昇率は徐々に下がっていくことが予想される。そこで金融引き締めをおこなえば、もともと危うかった景気が一気に悪化してしまいます。 金融政策の大枠は変えられませんが、円安対策で何一つ手がないわけではない。日銀がとりうる最も自然な手段として、私も含め多くの関係者が予想していたのが、長期金利の運用の弾力化でした。 現在の日銀は長期金利の変動許容幅をプラスマイナス0.25%程度に設定し、国債買入れによって金利の上昇を力ずくで抑え込んでいます。これが必要以上に円安を促しており、「日銀が金利操作にこだわっているぶん10円くらい余計に円安になっているのでは」と話すマーケット関係者もいるほどです。 例えばですが、この長期金利の変動許容幅をプラスマイナス0.5%程度にまで拡大し、ある程度の弾力性を持たせる。そうすれば、円安の進行を止めるまではいかないにしても、多少は勢いを和らげることが出来たはずなのです。 しかしながら、皆さんもよくご存知のとおり、肝心の黒田総裁が全く動こうとしませんでした(苦笑)。 長期金利を見直すことはおろか、定例会見では「当面金利を引き上げることはない」「(緩和継続は)数カ月ではなく2、3年の話」と、頑なな態度をとり続けています。 マーケットを挑発しているように見られてしまうきらいもあり、一時期は黒田さんが何か喋るたびに円安が進んでいました。ある時、会見を見ていたら「えっ、こんな挑戦的な物言いをするの?」と驚く場面があった。直後に140円までドーンと下落したので言わんこっちゃないと。どうしてあそこまで頑固な態度をとるのか不思議でたまりません』、現実には、「日銀」は12月19-20日の金融政策決定会合で、10年物国債金利の許容変動幅について、プラスマイナス0.5%に拡大することを決めた。しかし、「黒田総裁」の「頑なな態度」は問題だ。
・『黒田さんのラストチャンス  「なぜ黒田さんはここまで頑なになっているのか」 「金利を上げられない理由があるのではないか」 国民やメディアは疑心暗鬼に陥り、市場関係者の間でも様々な説が流れました。私もいろいろと考えてみたのですが、一番納得がいくのは、黒田さんが土壇場で“ラストチャンス”を狙っているという説です』、「土壇場で“ラストチャンス”を狙っている」とはどういう意味なのだろうか。「許容変動幅」「拡大」をした以上はどうでもいいのだろうか。

次に、本年2月9日付け文春オンライン「三菱UFJ銀行・平野氏、日本総研・翁氏「政府・日銀はアベノミクス時代の指針を見直せ」」を紹介しよう。
・『2013年3月の就任以来、2年で物価上昇率2.0%実現の目標を掲げ、「異次元緩和」を続けてきた黒田東彦日銀総裁。その背景には、就任直前に第二次安倍政権と日銀との間で取り決められた「共同声明」の存在がある。 デフレからの早期脱却と物価安定下での持続的な経済成長を目指したアベノミクスを実現するため、政府と日銀が果たすべき役割が明記された共同声明だが、 来たる日銀総裁人事を前にその見直しをすべきか否か、議論が活発化している。 令和国民会議(通称:令和臨調)運営幹事を務める平野信行氏(三菱UFJ銀行特別顧問)と翁百合氏((株)日本総合研究所理事長)は、『文藝春秋』3月号に寄稿し、「新たな共同声明」作成の必要性を説きつつ、民間企業の責任を指摘した』、興味深そうだ。
・『日銀の「独り相撲」で2%は無理  積年の構造改革課題の解決に向け、経済界・労働界・学識者などの有志で発足した令和臨調の共同座長も務める二人は、共同声明の意図には賛同しつつ、異次元緩和についてはこう評価する。 〈この10年というスパンで振り返ってみると、2年という短期間で2.0%の物価上昇率を達成することはそもそも難しかったと思われます。政府は、経済の競争力と成長力の強化、持続的な財政構造の確立を掲げましたが、現在に至るまで実現できていません。安定的な物価上昇は、日銀が独り相撲で達成できるものではないのです〉 一方で、民間企業の問題を無視することはできないという。2012年から16年まで三菱東京UFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)の頭取を務めた平野氏は「自戒しつつ」と述べながら、その問題点を指摘する。) 〈日本経済の低迷の責任を政府と日銀だけに押し付けるのは間違っています。根本的な原因は、民間企業が新しいビジネスモデルの構築やイノベーションへの挑戦、そして何よりも投資を怠ってきたことにある。長く銀行の経営に携わってきた平野も自戒しつつ、日本の経営者が過去30年に亘りとってきた事業経営戦略には大きな問題があったと考えています。端的に言えば、日本の経営者は守りに入ってしまったのです』、「日本経済の低迷の責任を政府と日銀だけに押し付けるのは間違っています。根本的な原因は、民間企業が新しいビジネスモデルの構築やイノベーションへの挑戦、そして何よりも投資を怠ってきたことにある。長く銀行の経営に携わってきた平野も自戒しつつ、日本の経営者が過去30年に亘りとってきた事業経営戦略には大きな問題があったと考えています。端的に言えば、日本の経営者は守りに入ってしまった」、その通りだ。
・『政府と日銀は「新たな共同声明」を打ち出すべき  民間企業の新たな投資先の多くが国内ではなく海外に向けられている点についても、率直にこう書いている。 〈平野も国内での事業成長に対して十分な展望を持つことができず、アメリカ、タイ、ベトナム、フィリピン、インドネシアの銀行への出資や買収など、グローバル化の流れの中で海外への投資を続けました。もちろんビジネスですから成果が見込める市場へ投資を行ったこと自体、判断は間違ってはいなかったと考えています。しかし、海外と比べると国内で新たなビジネスを創造するための投資は十分だったとはいえません。この傾向は三菱UFJフィナンシャル・グループだけではなく、メーカーも含めた日本の多くのグローバル企業に共通することです。ですから日本の経営者は国内経済の低迷を止める努力を怠ったと自戒を込めて指摘しておきたいと思います〉 その上で平野、翁の両氏は、 〈政策連携の開始から既に10年経ち、元々企図していた成果は必ずしも出ていないのですから、民間の提案も参考にして、政府と日銀は新総裁の下で集中的に議論を行い、「新たな共同声明」を打ち出すべき〉 と主張する。 「新たな共同声明」の内容を含む「脱アベノミクス宣言」の全文は、「文藝春秋」2023年3月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されている』、「政府と日銀は新総裁の下で集中的に議論を行い、「新たな共同声明」を打ち出すべき〉 と主張」、同感である。

第三に、2月21日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した多摩大学特別招聘教授の真壁 昭夫氏による「日銀・植田新総裁による金融政策「修正プロセス」を大予想&カンタン解説」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/318075
・『政府は2月14日、4月で任期満了となる日本銀行の黒田東彦総裁の後任に、経済学者で元日銀審議委員の植田和男氏を充てる人事案を国会に提示した。そもそも、日本の金融政策はどうして行き詰まったのか。日銀の金融政策の「あるべき姿」とは?植田新総裁下で想定される金融政策の「修正プロセス」をひもといていく』、「金融政策の「修正プロセス」をひもといていく」とは興味深そうだ。
・『植田新総裁は緩和策の修正に積極的?  2月10日、政府は日銀の次期総裁に元審議委員の植田和男氏を起用する方針を固めたと報じられた。副総裁には氷見野良三前金融庁長官と内田真一日銀理事が起用されるようだ。 この報道直後、外国為替市場では一時、1ドル=131円50銭台から129円80銭台まで円は買い戻された。日経平均株価は一時400円安まで売り込まれた。この市場の反応を見ると、植田新総裁は、現在の緩和策の修正に積極的とみたようだ。 ただ、本当に植田新総裁が政策修正に積極的に行動できるかは、今後の経済や政府との関係を注視する必要がある。政策修正はそれほど単純なことではない。 わが国の金融政策は限界を迎えつつある。どこかで、これまでの金融政策を修正することは避けられない。1998年から7年間、植田氏は日銀の審議委員として、わが国の金融政策の策定に参画した。同氏は、金融政策の柔軟性、持続性を重視したといわれている。 現在、わが国の銀行などの金融システムは健全だが、日銀の多額購入で国債市場の流動性枯渇は深刻だ。また、いつまでもマイナス金利を続けるわけにはいかない。これから日銀は植田新総裁の下、時間をかけ金融政策の正常化のタイミングを計り、あるべき政策への回帰を目指すことになるはずだ』、「これから日銀は植田新総裁の下、時間をかけ金融政策の正常化のタイミングを計り、あるべき政策への回帰を目指すことになるはずだ」、その通りだ。
・『日本の金融政策はどうして行き詰まったのか  現在、わが国の金融政策に関する問題はかなり複雑化している。1990年代初めに資産バブルが崩壊して以降、わが国経済は長期停滞に陥った。わが国は構造改革の推進よりも、金融緩和を強化することによって景気の浮揚を目指した。 95年以降、無担保コール翌日物の金利は0.5%程度で推移した。すでに緩和的な金融環境下、97年には金融システム不安が起きた。日銀は徐々に鮮明となったデフレ経済からの脱却を目指して金融緩和をさらに強化した。 99年2月には「ゼロ金利政策」が開始され、2000年8月にいったん解除された。それでも景気は上向かず、01年3月には量的緩和策が開始された。その後、米国の住宅バブルの発生などによって世界経済は上向いた。06年には一時的に量的緩和策が解除された。 しかし、リーマンショック後、世界経済の低迷などによってわが国の景気停滞は深刻化した。13年1月に日銀は政府との“アコード”を結び、「デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のために連携する」と宣言した。このとき、日銀の独立性は低下したといえる。同年4月に「量的・質的金融緩和」が開始された。 過去30年近くの金融政策に一貫するのは、日銀が長い時間軸をもって金融緩和を強化するスタンスをより鮮明にしたことだ。これにより主要投資家の金利上昇不安は和らぐ。加えて、日銀は、社債、株式ETFや不動産投資信託(J-REIT)などリスク資産も購入し、投資家のリスクテイクを上向かせようとした。 さらに、国債買い入れの増加によって、事実上、金融政策は財政ファイナンスに踏み込んだ。そうした状況下、一時、国内の景気が上向き、構造改革の推進機運が高まる場面はあった。 しかし、政府は構造改革の推進よりも日銀による一時的な需要喚起を優先し、金融政策の持続性は低下している。多くの投資家は金利の上昇に慣れていない』、「政府は構造改革の推進よりも日銀による一時的な需要喚起を優先し、金融政策の持続性は低下している」、残念ながらその通りだ。
・『日銀の金融政策「あるべき姿」とは  わが国の金融政策は、基本的な役割を見直し、原点回帰を目指すときに来ている。足元、国債流通市場の流動性は枯渇している。そして目先、物価はまだ上昇しそうだ。22年12月の金融政策決定会合では、そうした事情を背景に長期金利の変動幅が拡大された。さまざまな議論があるものの、政府も日銀も金融緩和の限界を認識しつつあるのだろう。 日銀の本来のマンデート(責任)は、経済と金融市場の環境に合わせて通貨および金融を調整し、金融システム安定と物価の安定を図ることにある。そのため、理論的に中央銀行は政府から独立している必要がある。多くの主要先進国の中央銀行も同じ理念に基づいて金融政策を運営している。 具体的には、中央銀行は翌日物などの短期金利を政策金利に設定する。短期金利の目標水準の変更に沿って、中央銀行は国債買い入れなどのオペレーションを実施し、実体経済と金融市場の環境に見合った金融環境を目指す。 一連の金融調節は家計、企業、金融機関などの資金繰り、投資計画、先行きの予想などに影響を与え、主として市場原理に基づいて中長期の金利は形成されやすい。また、理論上、金利はゼロ以下にはできない。マイナス金利は経済と金融市場にさまざまな弊害を与えるからだ。 しかし、わが国全体で金融緩和による景気浮揚を求める考えが強まり、日銀はマイナス金利政策に踏み込んだ。さらに、10年国債の流通利回り上限が0.50%など特定の水準に打ち付けられる(ペッグされる)状況が続き、金融市場における価格発見メカニズムは弱まっている。インフレ圧力が強い状況下で金融緩和が続くと、通貨の価値は下落する。 原油価格の動向などを踏まえると、米国の物価上昇ペースが追加的に低下するかは不確実だ。内外金利差が想定以上に拡大すれば、22年秋ほどではないにせよ、円はドルなどに対して減価し、物価上昇圧力は長引くかもしれない。 このように異次元緩和が経済にプラスよりも、マイナスのインパクトを与える恐れは増している』、「内外金利差が想定以上に拡大すれば・・・円はドルなどに対して減価し、物価上昇圧力は長引くかもしれない。 このように異次元緩和が経済にプラスよりも、マイナスのインパクトを与える恐れは増している」、「マイナスのインパクト」とは困ったことだ。
・『新総裁下で想定される金融政策の修正プロセス  植田・新日銀総裁の一報が出た2月10日の海外時間、国債先物の価格は下落した。続く13日の東京時間、国債先物は幾分か値を戻した。一方、国内株価は下落して引けた。報道直後の一時的な円の買い戻しも加味して考えると、今すぐではないにせよ、日銀は新総裁の下で金融政策の追加修正を進めると考える投資家は増えている。 3月19日、2人の副総裁は任期を迎える。追加的に日銀のリフレ色は薄まるだろう。日銀は独立性の回復を目指し、独自の立場から経済全体にとって長期的に有効な政策を立案、実行すべき局面を迎えている。日銀は徐々に金融政策の正常化を進めようとするだろう。 日銀によると20年4~6月期から22年7~9月期まで、わが国のGDPギャップはマイナスだった。ただ、ここにきてマイナス幅は縮小している。それは重要な変化だ。今後の賃上げなど国内経済の展開次第では、需要が供給を上回る可能性はある。 新総裁の指揮の下、日銀は金融システムの健全性の維持と物価の安定のために、慎重かつ段階的に金融政策の追加修正を進めるだろう。修正のプロセスとしては、以下のような流れが想定できる。 まず、日銀は異次元緩和の効果、副作用などを総括的に検証する。その上で、新しい金融政策の枠組みに移行し、金融政策の追加修正を進める。具体的な取り組みとして、最初に、長期金利の上限引き上げ、あるいは撤廃を目指すだろう。 その際、急激な長期・超長期金利のボラティリティー上昇を防ぐために、市場とのコミュニケーションも促進される公算は高い。その上で、中小企業や家計への打撃を緩和しつつ、マイナス金利からの脱却が目指されるだろう。 マイナス金利政策からの脱却は、コロナ禍で実質、無利子・無担保で融資(ゼロゼロ融資)を受けてきた中小企業の事業運営に負の影響を与えると懸念される。イールドカーブ・コントロール政策の(段階的)撤廃以上に、マイナス金利政策からの脱却には時間がかかりそうだ。 そうした金融政策の修正に伴い、中期的に国内の金利上昇圧力が増すことは間違いない。それが現実味を帯びてくると、わが国の低金利時代の終焉が近いことになる』、「マイナス金利政策からの脱却は、コロナ禍で実質、無利子・無担保で融資(ゼロゼロ融資)を受けてきた中小企業の事業運営に負の影響を与えると懸念される。イールドカーブ・コントロール政策の(段階的)撤廃以上に、マイナス金利政策からの脱却には時間がかかりそうだ」、その通りだ。

第四に、2月22日付けデイリー新潮「「数式を普通の文章のように読む」 日銀新総裁・植田和男氏の天才エピソード、教え子が“酒豪ぶり”も証言」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/02220557/?all=1
・『日本銀行の新総裁として白羽の矢が立った東京大学名誉教授の植田和男氏(71)。戦後初の学者出身の総裁であり、元教え子は「数式を普通の文章のように読む」と天才ぶりに舌を巻く。一方で相当な酒豪として知られ、六本木や銀座のクラブに頻繁に通っていたという意外な素顔も。 著名人が数多く住むことで知られる都内のさる高級住宅街。細い路地が交差する一角にひときわ瀟洒な2階建ての一軒家がある。 今月9日夜、その玄関近くに集っていた記者団の前で家主の男性は前日までのピリピリした雰囲気から一転、憑き物が落ちたかのように上機嫌だった。そして男性は記者団を気遣うようにこう語りかけた。 「明日は雪が降るらしい、みんな暖かくしてよ」 余裕を感じさせる口調は“前触れ”だったのか。かくして翌日、都内で大雪警報が発せられる中、日経新聞が打った一報に世界はくぎ付けになる。 〈日銀総裁に植田和男氏〉 この報道には国内の関係者も度肝を抜かれた。何しろ新総裁の本命とされ、大手メディアが遮二無二追いかけていた冒頭の男性、雨宮正佳・日銀副総裁がトップの座に就かないことが明確になったからだった。 「誰もが予想しえなかったサプライズ人事でした」 とは経済部デスク。 「約10年もの長期間、日銀のトップだった黒田東彦(はるひこ)総裁の後任が誰になるかは、世界的な関心事でした。その有力候補の一人が雨宮さんだった。黒田体制の下、2018年から現在まで副総裁を務め、その金融政策を熟知しているというのが主たる理由でした。そして、もう一人が中曽(なかそ)宏・大和総研理事長。同じく13年から18年まで副総裁だった方です。次期総裁は二人のいずれかだといわれていましたが、どちらも昨年から最近に至るまで、就任を固辞しているという情報が漏れ伝わってきていたのです」』、「異次元緩和」は取り組む時よりも、手仕舞いする出口の方が遥かに難しいので、貧乏クジを引きたくないのだろう。
・『雨宮氏が辞退した理由  次の総裁は黒田総裁が進めてきた異次元の金融緩和の出口戦略という、国民生活を左右する非常に困難なタスクの遂行を求められる。有力候補の二人も「やりたくない」というのが本音だったのだろう。しかし、6日には日経新聞が「政府が雨宮氏に就任を打診」と報じた。 自民党幹部が語る。 「雨宮さんは昨年秋の時点で“総裁はやらない”とはっきり断言していました。黒田さんの異次元緩和を推進してきた人ですから、これから金融政策が変わるときに、続けちゃいけないという気持ちがあり、さらに“世界の潮流として中央銀行総裁は学者なんです”とも言っていた。日本の場合、総裁は伝統的に日銀と財務省の出身者が交互に務める、たすきがけ人事になっています。雨宮さんはその伝統を廃し、次の総裁は学者に、という思いがあった。この話は昨秋の時点で私から総理に伝えています」 日銀総裁を打診されて断るケースは前代未聞。日銀が大量の国債を買い入れ、維持してきた緩和について、当事者らが「もうこれ以上は無理。責任を取りたくない」と本心を吐露したようなもので、財界には「あり得ない」と衝撃が走った』、「日銀が大量の国債を買い入れ、維持してきた緩和について、当事者らが「もうこれ以上は無理。責任を取りたくない」と本心を吐露したようなもので、財界には「あり得ない」と衝撃が走った」、確かに「あり得ない」ことではある。
・『英語の本を読みながら数キロ歩く勉強好き  結局、官邸の秋波に最後まで首を縦に振らなかった雨宮氏。代わって白羽の矢が立ったのが、全くノーマークだった東京大学名誉教授の植田和男氏(71)だった。 植田氏は静岡県牧之原市出身。東京教育大学附属駒場高校(現・筑波大学附属駒場高校)を卒業後、東京大学理学部を経て、同大経済学部に学士入学している。 植田氏の叔父で牧之原市に住む植田六郎氏によれば、 「和男の祖父は牧之原市で郵便局長をやっていました。昔は郵便局に電話の交換台があった関係で、和男の父は電電公社で働くことになったと聞いています。和男は子どもの頃から東京で暮らしていました」 中学生までは休みになると、静岡に帰省することもしばしばだった。 「和男は頭が良くてね、小学生の時はトランジスタラジオを持ってきて、それを聞きながら英語の勉強をしていました。また、親戚宅までの海岸沿いの道を英語の本を読みながら数キロも歩いていた。勉強が好きだったんでしょう」』、「トランジスタラジオを持ってきて、それを聞きながら英語の勉強をしていました。また、親戚宅までの海岸沿いの道を英語の本を読みながら数キロも歩いていた。勉強が好きだったんでしょう」、本当に「勉強が好き」なようだ。
・『「数学が異常にできていた」  生まれながらの秀才は高校進学後も力を発揮した。同級生が語る。 「理数系科目では圧倒的なトップでした。特に数学が異常にできていた印象があります。高校2年生の時だったかな、同じ模擬テストを2年生と3年生合同で行ったことがあったんですが、その時に全体で3本の指に入っていました。ガリ勉というか、地頭がいいタイプですね」 当時、陸上部に所属していたとは別の同級生の談。 「多摩川の河川敷を走る校内のマラソン大会で1位になっていました。1500メートル走も得意だったみたいです。私たちの代は例年と比べて頭の良い代で卒業生の8割は東大に進学、その他の2割も他大学の医学部に、というような感じでした」』、「「理数系科目では圧倒的なトップでした。特に数学が異常にできていた印象があります」、さすがだ。
・『「文章を読むように数式を…」  植田氏もほかの生徒と同様に東大に進学。理学部で数学を学び、経済学部へと転じた変わり種。アベノミクスの理論的支柱で、当時、東大に在籍していた浜田宏一氏(現・米イェール大学名誉教授)のゼミに参加していたという。 1980年に米マサチューセッツ工科大学で博士課程を修了した後、カナダの大学の助教授、大蔵省財政金融研究所の研究官などを経て、89年に東京大学の教壇に立つことになる。 当時「植田ゼミ」1期生として、植田氏の薫陶を受けたのが、関東学院大学教授の中泉拓也氏(ミクロ経済学)だ。 その中泉氏が言う。 「植田先生は数学ができる方で、その点では誰もかなわないのではないかと思います。例えば数式にしても、普通の文章を読むようにして読み解いてしまうんです。経済学の研究というのは、突き詰めていくと高度な数学が扱えないと難しい。ですから、数学を学んで経済学へ、というルートは自然ではあります。また、植田先生は英語も堪能。普段は寡黙なんですが、英語になるとはつらつとお話しになります」 卒論指導は厳しかった、と続ける。 「データやエビデンスを非常に大事にする方で、詰め切れていない論点や根拠があやふやな箇所は“ここはおかしいですよ”“これはどうしてこうなるのですか”と厳しく指導されました」』、「数式にしても、普通の文章を読むようにして読み解いてしまうんです」、「英語も堪能。普段は寡黙なんですが、英語になるとはつらつとお話しになります」、数学・英語に圧倒的強味があったようだ。
・『バブル崩壊を予言  印象に残っているのは、「バブル崩壊」にまつわるエピソードだという。 「私が卒論を見てもらっていた1990年はバブル崩壊直前です。日本全体がどこか浮かれている中、植田先生は“経済状況を分析するとこれはバブルだから長続きしません”と予言していました。後から“あれはバブルだった”と言うのは簡単でも、国がまるごと浮かれているときに“おかしい”と指摘するのは簡単なことではありません」 そうした分析によるものなのか、こんな一面も。 「90年代には日本株の空売りをやっていたと本人が言っていました。結構儲かったんじゃないですかね。自分の理論を試したくなるみたいで、控えめな性格なのに空売りなんて、と驚いた記憶があります」(先の同級生)』、「バブル崩壊を予言」、「90年代には日本株の空売りをやっていた」理論を株式投資で実証したようだ。
・『赤プリのスイートルーム  中泉氏は当時「こんなに酒が強い人がいるのか」と驚嘆したという。 「ゼミの飲み会になると酒に酔ったような素振りを見せるのに、その実、全く酔っていない。泥酔したのを見たことがありません。ビールにブランデー、日本酒まで何でも飲みます。当時、草津や千葉の白子などへゼミ旅行に行くと、先生が一番酒が強いので深夜まで飲んでいる。カラオケもお好きでした。よく高橋真梨子さんの『桃色吐息』を歌っていて、その後、ゼミ仲間との飲み会ではその曲が先生の十八番ということになりました。ただ、さすがにいまは激しい飲み会はやっていないでしょうね」 別のゼミ生によれば、 「当時あった赤坂プリンスホテルのスイートルームを取って、ゼミ生と植田先生、差し入れを持ってきてくれるOBと朝まで夜通し飲む会が年に1回ありました。支払いは基本割り勘で先生が多く出すという感じ。学生は就職を控えているので、特に怪しいこともなく健全な会でしたが」』、「ゼミ旅行に行くと、先生が一番酒が強いので深夜まで飲んでいる」、さすがだ。
・『「生きた金融政策を語っていた」  植田氏は98年から05年まで、日銀政策委員会の審議委員を務めている。バブル崩壊後、日本経済が低迷にあえぎ、当時の速水優総裁により、ゼロ金利政策が導入された時期だ。 00年8月の金融政策決定会合では「ゼロ金利政策解除」に植田氏は反対票を投じている。結果的に、ゼロ金利は解除されるも、直後から景気が悪化。日銀は猛烈な批判を浴びた。 「言うべきことは的確、かつ最低限の言葉でお話しになる方でした」 とは当時の日銀副総裁だった藤原作弥氏。 「政策委員会の会議は日銀内の俗称“丸テーブル”で行われます。総裁がいて、脇に副総裁、そのまわりを審議委員で囲む。植田先生はいつも私の隣でした。何かの拍子でお互いに酒好きということが分かりまして、何度かご一緒し、植田先生行きつけのバーに行った記憶もあります。酔っても決して饒舌になったりはしないんですよね」 別の委員とアカデミックな論争になることもあった。 「植田先生は世界中の中央銀行のこともご存じでしたので、生きた金融政策を語っていました。例えば、(ゼロ金利政策を長期間にわたって行うと予告する)時間軸政策という概念を最初に提唱したのは彼なんです」(同)』、「時間軸政策という概念を最初に提唱したのは彼」、さすがだ。
・『銀座や六本木のクラブに頻繁に繰り出し…  審議委員時代には、“醜聞”が書かれたことも。 00年に週刊ポストは、植田氏が日銀の公用車で六本木のクラブのホステスと同伴し、クラブをはしごして連夜、豪遊していたと報じている。 「夜のお店は昔から好きみたいで、銀座や六本木のクラブに頻繁に通っていたと聞きます。飲み仲間に野村総研のエコノミストだった政治経済学者の植草一秀さんもいたそうです。04年に女子高生のスカートの中を手鏡でのぞこうとして現行犯逮捕され、“ミラーマン”として騒動になった植草さんです。植田さんとは大蔵省の財政金融研究所で机を並べていた関係でした」(植田氏の知人) 当の植田氏に都内の自宅前で話を聞いた(qは聞き手の質問、Aは植田氏の回答)。 Q:よく銀座や六本木のクラブで飲まれていた。 A:「当時の知り合いの方に連れて行ってもらった感じだと思います。支払いは割り勘の時もありましたし、私が払った時もありました」 Q:植草さんとそういったお店に行かれていた。 A:「はいはい、植草くん。40年前とかですよ。クラブではなく、居酒屋に行っていましたね」 Q:かつて株の空売りをしていたこともあった。 A:「空売りはあまりしていませんが、株の売買をしたことはあります。学者だったので、単に空理空論ではなく実践した経験も必要かなと思って始めたんです」 と、朴訥(ぼくとつ)と語る。一方の植草氏は大要こう回答した。 「週刊ポストの記事の件については当方では事情を承知しておりません。植田先生とは食事をごちそうになり、その後に、お酒を飲める場で懇談させていただいたことが1度あります。そのお礼にお誘いし、やはりお酒を飲める場で懇談をさせていただき、これと別に、新宿のバーのようなところで、亡くなられた西部邁先生とご一緒に懇談させていただきました。プライベートな接触はこの3回だけだと思います」 ともあれ、この植田氏に日本経済の行く末が託されることになる』、「植田さんとは大蔵省の財政金融研究所で机を並べていた関係」、「クラブではなく、居酒屋に行っていましたね」、庶民的な「居酒屋」にも行くようだ。
・『先進国から脱落してしまう  安倍政権時代に内閣官房参与としてアベノミクスを推し進めた元大蔵官僚の本田悦朗氏が、 「植田さんの名前を聞いた時はビックリしましたけど、他の先進国では中央銀行のトップに高度な専門知識を持った人物が就くのは当たり前です」 と、植田氏の印象を語る。 「参与だった当時、消費税を8%に上げる前に、非公開で専門家による点検会合を行ったことがありました。植田さんにも来ていただき、アベノミクス推進側に好意的な発言をされ、“仲間がいた、うれしいなあ”と感じたのを覚えています」 一方で、今後の展開は注視しているという。 「経済の正常化、つまり物価上昇率が安定的に2%に近づいた時は、長期金利をぐっと抑え込んでいるYCC(イールドカーブコントロール)と呼ばれる黒田さんが進めていた政策を外すことになります。YCCを外して初めてアベノミクスは成功といえる。しかし、外すのが早すぎると経済の腰折れを招きますし、逆に外せないと日本はおしまいです。経済が衰退し、先進国から脱落してしまうでしょう」(同)』、「YCCを外して初めてアベノミクスは成功といえる。しかし、外すのが早すぎると経済の腰折れを招きますし、逆に外せないと日本はおしまいです」、その通りだ。
・『木原官房副長官は蚊帳の外  難しい舵取りを迫られる「植田日銀」。先述の通り、日銀審議委員時代はゼロ金利解除に反対するも、インフレターゲット政策には慎重な意見を表明するなど臨機応変な提言を行っていた。今後は金融緩和策を徐々に修正していくものとみられるが、共同歩調をとる岸田政権も大いなる不安を抱えている。 「自民党幹部によると、今回の植田さんの人選は、岸田総理が財務省の元事務次官・岡本薫明さん、神田真人財務官と相談して決めたようです」 とは政治ジャーナリストの青山和弘氏。 「最側近として知られ、財務省出身の木原誠二官房副長官は蚊帳の外で、この件に限らず総理との間に距離が生まれています。防衛増税についても事前に聞いておらず、木原さんは周囲に、“岸田さんから遠ざけられている”と嘆いている。総理は長男で秘書官の翔太郎さんにも政治的な相談はしないので、自民党幹部や官邸スタッフの中でも“総理が何を考えているのかわからない”という声が上がっています」 当の総理は今月11日に、全身麻酔をかけて慢性副鼻腔炎の手術を行った。だが、鼻詰まりが良くなっても、官邸内の目詰まりまでは解消できず。夜に強い新総裁が船出しようというのに、岸田政権は“桃色吐息”ならぬ“青息吐息”になるばかりである』、「岸田政権は」「“青息吐息”になるばかりである」、上手い比喩だ。さて、「植田新総裁」のお手並み拝見である。
タグ:異次元緩和政策 (その42)(《挑発的発言で140円までドーンと下落》日銀OBが「言わんこっちゃない」と苦笑する黒田総裁のマーケット評、三菱UFJ銀行・平野氏 日本総研・翁氏「政府・日銀はアベノミクス時代の指針を見直せ」、日銀・植田新総裁による金融政策「修正プロセス」を大予想&カンタン解説、「数式を普通の文章のように読む」 日銀新総裁・植田和男氏の天才エピソード、教え子が“酒豪ぶり”も証言) 文春オンラインが掲載した「《挑発的発言で140円までドーンと下落》日銀OBが「言わんこっちゃない」と苦笑する黒田総裁のマーケット評」 早川氏は日銀きってのエコノミストとして鳴らした人物だ。 「帳簿上では収益を親会社に移転して連結決算にも反映するのですが、資金の大部分は現地に置きっぱなしで円転しないのです。一方で貿易の支払いはあるから、どうしても日本全体としてはドル不足に陥ってしまう。需給の関係でドルは上がり、円は下がることになるのです」、「このような対外収支構造が根底にあることを考えると、現在の日本は円高になりにくく円安が進みやすい状態」、「購買力平価・・・で比較すると、1ドル=100円くらいが適正だろうとみられます。 ですから、過剰な円安はいずれ調整されて戻っていく。ここまで異常な状態が、この先何年も続くとは思いません」、なるほど。 現実には、「日銀」は12月19-20日の金融政策決定会合で、10年物国債金利の許容変動幅について、プラスマイナス0.5%に拡大することを決めた。しかし、「黒田総裁」の「頑なな態度」は問題だ。 「土壇場で“ラストチャンス”を狙っている」とはどういう意味なのだろうか。「許容変動幅」「拡大」をした以上はどうでもいいのだろうか。 文春オンライン「三菱UFJ銀行・平野氏、日本総研・翁氏「政府・日銀はアベノミクス時代の指針を見直せ」」 「日本経済の低迷の責任を政府と日銀だけに押し付けるのは間違っています。根本的な原因は、民間企業が新しいビジネスモデルの構築やイノベーションへの挑戦、そして何よりも投資を怠ってきたことにある。長く銀行の経営に携わってきた平野も自戒しつつ、日本の経営者が過去30年に亘りとってきた事業経営戦略には大きな問題があったと考えています。端的に言えば、日本の経営者は守りに入ってしまった」、その通りだ。 「政府と日銀は新総裁の下で集中的に議論を行い、「新たな共同声明」を打ち出すべき〉 と主張」、同感である。 ダイヤモンド・オンライン 真壁 昭夫氏による「日銀・植田新総裁による金融政策「修正プロセス」を大予想&カンタン解説」 「金融政策の「修正プロセス」をひもといていく」とは興味深そうだ。 「これから日銀は植田新総裁の下、時間をかけ金融政策の正常化のタイミングを計り、あるべき政策への回帰を目指すことになるはずだ」、その通りだ。 「政府は構造改革の推進よりも日銀による一時的な需要喚起を優先し、金融政策の持続性は低下している」、残念ながらその通りだ。 「内外金利差が想定以上に拡大すれば・・・円はドルなどに対して減価し、物価上昇圧力は長引くかもしれない。 このように異次元緩和が経済にプラスよりも、マイナスのインパクトを与える恐れは増している」、「マイナスのインパクト」とは困ったことだ。 「マイナス金利政策からの脱却は、コロナ禍で実質、無利子・無担保で融資(ゼロゼロ融資)を受けてきた中小企業の事業運営に負の影響を与えると懸念される。イールドカーブ・コントロール政策の(段階的)撤廃以上に、マイナス金利政策からの脱却には時間がかかりそうだ」、その通りだ。 デイリー新潮「「数式を普通の文章のように読む」 日銀新総裁・植田和男氏の天才エピソード、教え子が“酒豪ぶり”も証言」 「異次元緩和」は取り組む時よりも、手仕舞いする出口の方が遥かに難しいので、貧乏クジを引きたくないのだろう。 「日銀が大量の国債を買い入れ、維持してきた緩和について、当事者らが「もうこれ以上は無理。責任を取りたくない」と本心を吐露したようなもので、財界には「あり得ない」と衝撃が走った」、確かに「あり得ない」ことではある。 「トランジスタラジオを持ってきて、それを聞きながら英語の勉強をしていました。また、親戚宅までの海岸沿いの道を英語の本を読みながら数キロも歩いていた。勉強が好きだったんでしょう」、本当に「勉強が好き」なようだ。 「「理数系科目では圧倒的なトップでした。特に数学が異常にできていた印象があります」、さすがだ。 「数式にしても、普通の文章を読むようにして読み解いてしまうんです」、「英語も堪能。普段は寡黙なんですが、英語になるとはつらつとお話しになります」、数学・英語に圧倒的強味があったようだ。 「バブル崩壊を予言」、「90年代には日本株の空売りをやっていた」理論を株式投資で実証したようだ 「ゼミ旅行に行くと、先生が一番酒が強いので深夜まで飲んでいる」、さすがだ。 「時間軸政策という概念を最初に提唱したのは彼」、さすがだ。 「植田さんとは大蔵省の財政金融研究所で机を並べていた関係」、「クラブではなく、居酒屋に行っていましたね」、庶民的な「居酒屋」にも行くようだ。 「YCCを外して初めてアベノミクスは成功といえる。しかし、外すのが早すぎると経済の腰折れを招きますし、逆に外せないと日本はおしまいです」、その通りだ。 「岸田政権は」「“青息吐息”になるばかりである」、上手い比喩だ。さて、「植田新総裁」のお手並み拝見である。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。