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”右傾化”(その5)(気鋭の保守論客 古谷 経衡氏によるネット右翼十五年史(1)~(4)) [国内政治]

”右傾化”については、7月5日に取上げたが、今日は、(その5)(気鋭の保守論客 古谷 経衡氏によるネット右翼十五年史(1)~(4)) である。4本もあるので、長目になったが、大変参考になる記事なので、我慢して読んで欲しい。

先ずは、文筆家の古谷 経衡氏が8月8日付け現代ビジネスに寄稿した「<ネット右翼十五年史>なぜ、彼らは差別的言説を垂れ流すのか 日本の「空気」を作る人々の研究」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・日本のインターネットの中で、未だに無視することのできない勢力を保ち続けている「ネット右翼」。その活動はネット上だけにとどまらず、街宣活動やデモと、現実世界にも侵食を始めて久しい。彼らの主張はどのように生まれるのか? いつ、誰がこうした言説を発信し始めたのか? 気鋭の保守論客がその知られざる歴史を解き明かす本連載。今回は序論として、「ネット右翼とは何か」をまず考察・定義する。
▽「右傾化」では言い尽くせない
・思想的内戦――。この言葉が、現下の日本社会を形容するうえでぴったりくる。右翼と左翼の対立がここまで激化した時代、そしてそれがネット空間を苗床として、いまや至る所で頻発するのは、日本史上初めてのことかもしれない。この原因の一端が、「ネット右翼」(ネトウヨ)にあることは言うまでもない。
・2002年の日韓共催W杯を契機に、インターネット世界に繁茂しだしたネット右翼。その歴史は、今年でもう十五年になる。 インターネット上の掲示板やSNSを観れば、未だに中国や韓国、或いは民進党への呪詛で溢れている。ネット「だけ」を覗けば「日本は右傾化した」と観測されるのも仕方がない。その「右傾化」の中核を担ってきたのが、ネット右翼と呼ばれる一群の人々である。
・実際には、彼らの数的実力は限定されている。よって「右傾化」とはネット空間の中にのみ限局されたものだ。しかし、国民皆ネット社会になり、彼らネット右翼の言説が時として実勢を大きく上回る力を得るようになったこともまた事実である。 何故、彼らネット右翼はここまで伸長したのか。あるいは、逆に言えば何故「この程度」でその影響は頭打ちになったか。ネット右翼は外部から見ると巨大に思えるが、内部から見ると実寸に見える。この奇妙なねじれは如何にして発生したか。
・真相は、「右傾化」という三文字では到底説明することのできない歴史の積み重ねに求められる。  ネット右翼誕生から、十五年。この数字的区切りの良さを一つの奇貨として、この発生から現在に至るまでの期間を、ひとつの通史として総覧し、纏め、世に問うてみたい、という思いで出発するのが本稿である。
▽実は激しい「内部対立」
・私はこれまで、数えきれないほどのネット右翼と呼ばれる人々と接してきた。当初は、私自身も些かネット右翼的性質を持っていたがために、寧ろ彼らを微温擁護する「身内の側」としての立場で、言い換えれば単純な知人・友人関係に近い、同じ目線での付き合いであった。
・しかし、やがて数年を経て私は彼らの思考的狭隘性、偏向性を痛感し、彼らと距離を置きだし、むしろ彼らの特異な世界観を格好の分析対象・観察対象とするようになった。本稿は、ネット右翼との関係性が切り替わることとなった、私のここ十年弱の個人的体験をも踏まえてのものである。何故私と彼らネット右翼の関係性がこのように変化したのかは、長躯となるので後述する。
・まず今回、通史に入る前に、基礎的ないくつかのネット右翼にまつわる前提、「了解事項」を整えておこう。結論から言えば、ネット右翼は「保守系言論人や文化人」の理論に寄生する熱心な消費者のことを指す。 巷間の「通説」では、ネット右翼とは、「インターネット上で右派的、保守的な世界観を開陳し、盛んに発信する人々のことを言う」といった教科書的解説がなされる場合があるが、私はこの定義を採用していない。
・これではあまりにも雑駁で、もはや古典化したネット右翼の定義づけに過ぎない。「ネット右翼=ネット上で右派的なことを述べる人々」という粗雑な定義では、彼らの実情を十分に捉えることはできない。いまやネット右翼といっても、必ずしもインターネット世界の中に自閉した存在ではないのだ。
・それが根拠に、ゼロ年代中盤ごろから「行動する保守」と自称するネット発の運動団体が結成され、街に繰り出し、嫌韓(嫌在日コリアン)・反中の怪気炎を上げる各種示威的デモをくり返すようになった。無論、これらはそれに反対する人々の社会的圧力によって2013年頃より急速に下火になったのだが、ともあれこうした事実は、ネット右翼が上記「インターネット上で……」の範疇を遥かに超える実態を伴うようになったことを示している。
・また、「右派的・保守的な世界観を開陳……」という部分にも、あまりにも広いグラデーションがあって一緒くたにできない。 広く共通するのは「嫌韓(嫌在日コリアン)・反中」という対外姿勢であるが、例えば経済政策についてはネット右翼の中でも意見が細分化され、それぞれがまるで性質を異にしている。
・かつての自民党田中派→平成研が推し進めた所謂「土建国家」を良とし、「保護貿易」「移民反対」を至上の価値と唱える国家社会主義的な勢力がいれば、一方かつての自民党福田派→清和会→小泉純一郎政権に代表される新自由主義的な構造改革路線、小さな政府を良とするものまで幅広い。そして彼らは広義の「ネット右翼」として一つにくくられながらも、実際にはお互いに対立し、反目する関係にある。
・さらに、皇統に関する見解でも内紛は絶えない。天皇の後継者に「万世一系」の神話を当て嵌め、男系男子に頑なに固執する一派もあれば、他方で女系天皇(女性天皇にあらず)を容認する一派、さらには女性宮家の創設に肯定的な一派も存在する。畢竟こちらも相互の罵詈雑言の応酬が絶えないのだ。
・このように、もはやネット右翼を一言で定義するのは困難なほど、ネット右翼誕生からの十五年にわたる年月は、良い意味でも悪い意味でも彼らを「多様化」の方向に向かわせた。
▽受け売りし、寄生する
・繰り返すように私は、ネット右翼とは「保守系言論人や文化人の理論に寄生する烏合の人々」であると定義している。「保守系言論人や文化人」とは、保守系の大学教授や、保守系の論壇誌等々に登場する保守界隈の常連たちである。或いはそこには現職・元職を問わない国会議員経験者等も含まれる。要するにかいつまんで言えば、保守界隈の著名人、有名人ということである。
・著名な人物を例示してみると、たとえば内外共に「保守系言論」として認知されているジャーナリストの櫻井よしこ氏。氏の主張は様々だが、慨すると「親米=日米同盟重視、反中・嫌韓、公人の靖国神社参拝賛成、東京裁判史観打破、道徳教育の復活、原発推進、皇統は男系男子で女系は容認せず」となろう。
・こういった氏の思想をそのまま受け売りするのがネット右翼である。曰く「櫻井よしこ先生が言っていた」ということを理論的支柱として、ネット空間で櫻井氏の言と同じことを、簡素化して繰り返すのだ。 こういった現象は、櫻井氏だけに見られるものではない。我が国に於ける「保守系言論人や文化人」とネット右翼の間には、程度の大小はあれど、それぞれ全く同じような関係性が築かれている。
・ネット右翼とは、彼ら言論人・文化人がネット動画チャンネルやSNS、ブログ、テレビ番組で喋った内容のYouTubeへの転載動画(これらは厳密には違法なのだが)を視聴して、彼らの時に頓狂で、時に粗雑な理屈に「寄生」する存在である、とした方がより理解が深まるであろう。
・ネット右翼は、彼ら自身が何か独自の理論体系や言葉を持っているわけではない。彼らの知識体系はいわば虫食い状態であり、また基礎的な史学、社会科学の素養もないので、彼らのより上位に存在する保守系言論人や文化人の言説を「受け売り」するという特性を常に持っている。これを私は、あえて「寄生」と呼んでいるが、ネット右翼の大部分は、まさにこの「寄生」という言葉に相応しい状況を呈している。
・保守系言論人Aが右といえば右、左といえば左と受け売りする。ネット動画やSNSを中心に、数多の保守系言論人や文化人が生まれては消え、現在その数はとても数え切れないほどに達しているが、とどのつまりネット右翼とは、その中の一人ないし複数に対する「熱心なファン」に過ぎず、数多保守系言論人や文化人を宿主として、彼らの言説に寄生しているにすぎない。
・彼らが「自分の意見」として開陳するもののほとんどすべては、その源流を辿れば「保守系言論人の理屈」に行き着く。ネット右翼とは、「感情論」としての嫌韓(嫌在日コリアン)・反中、及び既存のマスコミへの呪詛が辛うじて一本の支柱として存在するものの、それ以外——いやむしろ、それを含めて——自前の理論や理屈、言葉を持たぬ人々のことを指すのである。彼らは自前の理論や理屈を持たないからこそ、保守系言論人や文化人に「寄生」するしかないのだ。
▽寄生される側の「メリット」
・一方、寄生される側の宿主、つまり保守系言論人や文化人は、理論と言葉を持たない烏合の衆、つまりはネット右翼に寄生されることにより、物心両面で大きなメリットを得ることができる。それは第一には「自著の売り上げ」や「動画の再生」といった商業的・金銭的成果であり、第二にはブログやSNSに対する好意的反応であり、第三には前述二つによって得られる自己肯定感と、それに伴う自尊心の充足、そして「承認」の快感である。
・これを私は、保守系言論人や文化人とネット右翼の「共依存関係」と捉えてきた。宿主は、寄生者が如何にも好みそうな単純明快な陰謀論やトンデモ論をばら撒く。一方、それを受容する寄生者たちは、自らに都合の良いように宿主の言説を解釈し、それをネット空間のみならず実生活でも流布するようになる。
・実際、一部の事例を除いて、保守系言論人や文化人の著作や言説の中に、直接的で深刻な差別的記述は「そこまで」頻繁には登場しない。書籍のタイトルや目次が煽情的なことや、内容がトンデモ・陰謀論に偏重していることはままあるが、まだ辛うじて「言論」と呼ぶに耐えうるレベルであることが少なくないのだ。
・前述した櫻井氏がその典型であるように、こうした言論人・文化人には元来が新聞記者やニュースキャスター、大学教師やライター、テレビ業界関係者など知的労働に従事してきた者も多い。その論は粗雑で単純な場合もあれど、体系的な何かは、辛うじて確立されている状態にある。 そうして彼らは、決まって「差別ではなく事実を言っているだけ」と逃げる。実際そうなのだ。例えば『呆れた韓国社会』という論考があるとしても、その中に「韓国人を皆殺しにせよ」とは、流石に書かれていない。
・しかし、それこそが問題の核心の一つなのである。彼らに寄生するネット右翼は、宿主の著す書籍・記事のタイトルや文脈、時として差別と言論のギリギリの境界線上にある「舌鋒鋭い」発言の行間を針小棒大に解釈し、宿主の社会的権威(大学教授、講師、作家、評論家、〇〇の子孫等)をそのコピー言説の正当性の根拠の一つとして、無思慮に独自の「差別的味付け」を施して拡散させていく。
・そこで、例えば「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も皆殺し」等といった差別的・暴力的言説が生まれる(実際、これらの軽蔑すべき言説は、ネットで検索すればいくつも見受けられる)。
▽自らの言葉を持たない人々
・ネット右翼の差別的言動の温床は、間違いなく保守系言論人や文化人にその根本的責任があるが、ネット右翼に寄生される側である当の宿主本人は、その点を追及されると「私はそこまでひどい差別的発言はしていない」と言う。ここに彼ら特有の「逃げ道」が設定されていると思う。 例えば有名アーティストが、ライブの舞台上で「俺、納豆あんまり好きじゃないんだよね」と言ったとする。それを耳にした熱心なファンが、水戸の納豆メーカーに放火しに行く。刑事的にはアーティストに責任はない。逮捕も起訴もできぬであろう。しかし確実に放火の「理論的支柱」の一端はその人物にある。
・「2.26事件」における陸軍皇道派と北一輝ほどの繋がりはないにせよ、保守系言論人や文化人に寄生するネット右翼は、このように差別と言論の境界にあるきわどい権威的かつ排外的な言説を終始拡大再生産して、ネット空間のみならずリアル社会にも憎悪の種を頒布するに至っている。 くり返すようにネット右翼とは、自ら体系的な理屈や、自らの言葉を持たない人々である。そして彼らの誕生と栄枯盛衰には、必ず「既存の」保守系言論人や文化人の存在がある。
・思い浮かべていただきたい。巨大なクジラが海中を遊弋している。そのクジラの背部や下腹部に当たる死角には、必ず小魚たちがクジラに寄生するように共に遊弋しているだろう。この場合、クジラは保守系言論人や文化人であり、その背部や下腹部に隠れ、まるでクジラに寄生するように共に泳いでいるのがネット右翼である。
・私はネット右翼をこのように定義した上で、この前提条件のもと、本稿を進めていきたい。もっとも近年では、クジラ本体の体積よりも、共に遊弋する小魚=ネット右翼の方が黒山のように大きく見えたり、クジラ本体の航海方針が、本来追従者に過ぎないはずの魚たちの意見に左右されたりする場合が増えてきているのだが。
▽寄生しているのはどちらなのか?
・となると、必然、本稿での言及は有象無象のネット右翼たちに限ったことではなくなってくる。彼らの宿主である保守系言論人や文化人の具体的な名前にも、その筆致は及ばざるを得まい。実際、単に過去十五年間のネット右翼を追いかけるだけでは、十五年にわたるネット右翼史の全容を辿ることはできない。
・ネット右翼が本格的に勃興することとなる21世紀に入って、日本の内閣は自民党政権だけで7回も変わり、民主党への政権交代も起こった。アメリカでは二つの巨大ビルがテロ攻撃で潰え、日本では未曾有の巨大地震と、有史以来経験したことのない原発過酷事故が現在でもその影響を大としている。
・この間、我が国の保守系言論人や文化人は、その都度、或る事象にYESといい、時としてNOといった。それに寄生するネット右翼は、そのYESとNOをそのまま拡声器のように喧伝するだけでなく、それらに時として、より「強烈なYES」、より「強固なNO」と味付けすることで彼らに寄生していった。
・そして悲しいかな、いまや寄生者と一体となった宿主が、誤解の余地もないほどストレートな差別的言説を、主にSNS上で垂れ流す事態も出来してきている。こうなると、どちらが宿主で、どちらが寄生者か分からなくなってくる。ここ十五年におけるネット右翼の歴史は、このようにひとくちに括ることのできない、複雑怪奇の道程を辿るのである。
・次回以降は本格的に、保守系言論人や文化人の言論の変遷、そこに寄生する烏合のネット右翼の歴史を時系列的かつ有機的に捉えることで、わが国全体を巻き込む大きな社会問題となったネット右翼の実像を明らかにしてゆきたい。
・「第1回」となる次回は、ネット右翼が勃興する切っ掛けとなった2002年から時間をさらに巻き戻し、90年代後半からミレニアム前後にかけての我が国の政治情勢、およびネット右翼の形成に決定的な影響を与えることとなった小林よしのり氏の一連の作品群が大ヒットした時代ーーつまり「ネット右翼誕生前夜=Dawn of the Online right-wingers」の胎動を書き示すこととする。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52434

次に、上記の続きを8月24日付け「「ネット右翼」は日本に何万人いるのかを測る、ひとつの試み 彼らの職業、年齢構成は?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・前回記事の最後に、不肖筆者は〈「ネット右翼誕生前夜=Dawn of the Online right-wingers」の胎動を書き示す〉と予告をしてしまったが、これを撤回したい。本格始動を行う前に今一度、読者諸賢と共有しておくべき前提条件が他にもありすぎると感じたからだ。 大変申し訳ないが、本格的にネット右翼史に入るまでに、ネット右翼に関する基礎的な了解事項をもう少しだけ整理しておこう。
▽「ネット右翼=社会的底辺層」説の嘘
・ネット右翼が勃興し始めた2002年から、今年2017年で15年の区切りとなることを奇貨としてスタートした本連載だが、この間、現在に至るまで都市伝説的に信仰されている「ネット右翼=社会的底辺層」説を今一度点検し、これを否定しておこう。
・「ネットで差別的な言動を取るネット右翼の正体は、無知文盲の低学歴・低収入の貧困層である」という風説は、未だにちらほらと噴出してくる。これは明白な嘘であると言わなければならない。 例えば2013年に筆者が行った調査(詳細は拙著『ネット右翼の終わり』晶文社などに詳述)によると、ネット右翼の平均年収は約450万円(日本人の平均年収と同程度)、四大卒(中退者を含む)は6割を数え、その平均年齢は38歳強、男女比はおおむね3:1程度、主に東京・神奈川を中心とした首都圏在住者が全体の2/3に迫る。最も多い職業は「自営業者」であり、会社員であっても「管理職」といった他の労働者に対して指導的立場にある者が多かった(表1)。(表1 ネット右翼の平均的人物像(調査・作成は筆者)はリンク先参照)
・これをみると、ネット右翼とされる人々の社会的位置づけは、底辺というよりも、一言で言えば「大都市部に住むアラフォーの中産階級」である、となる。 差別的発言、排外的発言を開陳するネット右翼は、その言葉遣いだけを見ると無知文盲のごとく観測されるので、ネット右翼の社会的イメージは「低学歴、低収入の貧困層=社会的底辺層」とされがちだが、それは大きな間違いなのである。
・第1回でも述べたが、数えきれないネット右翼と実際に接してきた私でも、この調査結果は皮膚感覚と符合する。 「朝鮮人を日本から追い出そう」「シナの工作員がテレビ局に入り込んで反日工作に勤しんでいます」などの、差別発言やトンデモ・陰謀論を開陳するネット右翼の中には、医者、税理士、中小企業経営者、個人事業者、不動産業、会計士、学校教員、地方公務員など、社会的に相応の立場にある人々がなんと多かったことだろうか。
・学歴や年収の高い、つまり社会的地位の高い者はネット右翼になるわけがない。彼らは差別的な発言やトンデモ陰謀論を信じたりはしない――という根拠なき信仰こそが、「ネット右翼=社会的底辺」説を常に支えているのだが、繰り返すようにこのような思い込みは何の根拠もない。
▽「中間階級」がファシズムの担い手になる
・政治学者の丸山眞男は戦前の日本型ファシズムを支えた主力を、「中間階級第一類」とした。それはすなわち、中小の自営業者、工場管理者、土地を持つ独立自営農民や学校教員、下級公務員であり、企業でいえば中間管理職や現場監督などの下士官に相当する中産階級である。 これに対して「中間階級第二類」とは、大学教授や言論人などの文化人や、フリージャーナリストなどの知的労働に従事するインテリ階級であり、こちらは日本型ファシズムに対し終始冷淡であった、としている。
・現在のネット右翼は、丸山眞男の定義する日本型ファシズムを支えた主力、つまり「中間階級第一類」に驚くほど酷似しているといわなければならない。彼らこそが、政府・大本営の発表を鵜呑みに、翼賛体制の一翼を担って「鬼畜米英」を唱え、一方唱えぬものを「非国民」と呼ばわらしめた社会の主力だったのである。
・右傾化の主力は「貧困層、社会的底辺層」であるとか、「貧困であるがゆえの鬱憤を差別発言によって発散している」などというのは根拠なき幻想であり、いつの時代でも、常に右傾化を支える主力は社会の中間を形成する中産階級なのである。 そして現代の「中間階級第一類」たるネット右翼は、なまじの中産階級であるがゆえに、可処分所得や可処分時間が多く、インターネットの世界にのめり込んでいく。さらにお気に入りの保守系言論人・文化人に寄生し、彼らの著作や会員制の有料サービスを購入する、という購買力を持つのである。
・もしネット右翼が社会的底辺であり、貧しき弱者の存在であるなら、保守系言論人・文化人に「寄生」と「(著書購入等の)見返り」の関係で共依存している関係性を説明することはできない。 彼らの小ブルジョワ的無数の購買力が、彼らに「寄生」される保守系言論人・文化人の生活を支えているのである。
▽ネット右翼は全国にどれだけいるのか
・一時期のような猛烈な勢いは失われつつあるものの、未だにネット上に跋扈(ばっこ)し、またそれがゆえにネット世論の右傾化をリードしているようにも思えるネット右翼の全国的趨勢は、いかばかりなのだろうか。つまりネット右翼は全国に何人くらい、何万人ぐらいいるのだろうか。これは、彼らを語るうえで避けて通ることのできぬ前提事項である。
・ネット右翼の実数は、近年まで謎のベールに包まれていた。日頃ネット右翼が極めて右派的、保守的な思想傾向を「宿主」である保守系言論人・文化人に寄生することで開陳しているのは、すでに第1回の記事で述べたとおりであるが、彼らの実数をうかがい知ることは困難であった。 なぜなら最も有力な指標となる国政選挙において、ネット右翼の投票行動のほとんどは自民党票に吸収されてしまい、全国的概数を知ることができなかったからだ。
・これが、「日本の左派(左派寄りの無党派層を除く)の実数はどの程度か」という質問ならわかりやすい。彼らの思想傾向を代弁する国政政党、日本共産党と社会民主党の全国比例区での総得票数が、おおむねだがその答えを教えてくれる。投票率にもよるが、おおよそ前者は400~600万人、後者は100~150万人である。
・ある種の宗教団体がバックとなって設立された政党の比例代表の総得票数をもって、その教団の信徒数の概数を推察できるのと同様、ネット右翼のそれも、本来であれば彼らの思想傾向を代弁する国政政党の比例代表総得票数を以ってその実数を推し量ることができるはずだ。 しかし、前述の理由によりネット右翼の思想傾向を代弁する全国政党は存在せず、長年の間そのほとんどが自民党への投票に紛れてしまっていたため、分別は困難であった。
・このような状況が一変したのが、2014年11月の衆議院総選挙である。 この選挙を控えた同年7月、主に日本維新の会から分派して「次世代の党(現・日本のこころを大切にする党)」が結成された。同党は「自民党よりも右」を標榜して、ネット右翼に圧倒的な人気を誇った田母神俊雄元航空幕僚長などを擁立し、積極的にネット右翼層への浸潤を図った。ネット右翼の持つ思想的傾向を、初めて国政レベルで代弁する党こそが、この「次世代の党」であった。
・総選挙の結果、「次世代の党」は比例代表で総得票数約141万5000票を獲得したものの、公示前の19議席から17議席を減らして2議席となる壊滅を喫した。 一方で筆者は当時、同年1月に行われた猪瀬直樹東京都知事辞任を受けての出直し都知事選挙で、ネット右翼から圧倒的な支持を集め立候補した田母神氏が約60万票を獲得したことを受け、ネット右翼が首都圏に偏重していることを加味して、ネット右翼の全国的実数をおおむね200~250万人と予想していた。
・「次世代の党」の総選挙における比例代表総獲得票数も、投票率が50%強であったことを加味すると、やはりその支持層の全体は概ね200〜250万人として差し支えなく、この選挙においてはじめて、ネット右翼の全国的実数の概要が判明したのである。
▽減っているわけではないが…
・続く2016年7月の参議院通常選挙において、既に党勢がかたむきつつあった「次世代の党」は、「日本のこころを大切にする党」と名を変えたが、全国比例区における総得票数は約73万4000票と半減してしまった。しかし、この間約2年弱でネット右翼の実数が半分になったのかというとそうではない。ネット右翼の全国的実数が約200〜250万人であることはむしろ補強されたのである。
・というのも、「日本のこころを大切にする党(旧次世代の党)」が2014年衆院選における比例総得票数を半減させた分、ネット右翼の投票行動は彼らが個人的に嗜好する保守系言論人・文化人への投票に向かったからだ。 例えば同参議院選挙で自民党から立候補した、元共同通信記者の青山繁晴氏は、ネット右翼から圧倒的な支持を集める保守系言論人・文化人の筆頭格に位置づけられるが、自民党個人名得票堂々第2位の約48万票を獲得する。 さらに「旧次世代の党」から自民党に転属した山田宏氏が約15万票、「日本のこころを大切にする党」から「おおさか維新の会」に復帰した三宅博氏は約2万票を獲得した。これら「旧次世代の党」の立候補者に対する個人獲得票数を合わせると、結局、138万9000票と、2014年におけるネット右翼層の投票総数と大差ない数になる。
・つまり「旧次世代の党」の得票が半減した分、他のネット右翼が好む立候補者の個人票に流れたのである(表2)。(表2 2014年衆院選、2016年参院選におけるネット右翼層の投票行動分析はリンク先参照) これら直近二つの国政選挙を通じて、「ネット右翼の全国的実数は200~250万人程度である」という筆者の説はますます補強された。この200万人余の人々の書き込みやヘイトスピーチがネット上に溢れ、まるでインターネットの世界がすべて右傾化しているように観測させ、さらにはそれが日本の世論のごとき錯覚を与えているのであるが、実数は最大でも200万人程度と、そこまで多くはない。 インターネットの世界では肥大化して見える彼らの「勢力」の実際は、この程度なのである。
▽恐れる必要はないが、無視もできない
・このようにして、ネット右翼の正しい全国的実数を知れば、ネット右翼が日本の世論を代弁しているわけでは決してない、ノイジー・マイノリティであることがわかるだろう。ネットだけを観測し、「彼らの声こそ世論だ」とするのは、誤解を通り越して錯覚、錯誤の類であるといわなければならない。
・ネット右翼からの批判を恐れて口をつぐむ者がいるとすれば、彼らの実数を不当に過大評価しているからである。実際には、日本のネット人口をざっと1億人とすれば、残り9800万人はネット右翼ではないのだから、何ら恐れる必要はないのである。
・むろん200万人という数は、マイノリティではあるが無視できるものではない。なにせ政令指定都市の札幌市(人口約195万人)や長野県や岐阜県(人口約200万人)と同等以上の規模なのだから、まったく無視してよいほどの規模というわけではない。 ネット右翼とはいったいどのような人々なのか、そして彼らはこの国にどの程度の数存在しているのか。正しい知識を持ったうえで、さていよいよ次回からは本当に、〈「ネット右翼誕生前夜=Dawn of the Online right-wingers」の胎動を書き示す〉こととしよう。読者諸兄におかれては、長駆お付き合いのほどを、何卒お願い申し上げる所存である。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52663

第三に、上記の続きを10月3日付け「ネット右翼の「思想的苗床」となった『戦争論』を再検証する ネット右翼十五年史(3)1998年夏」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽『戦争論』とデジタル時代の黎明
・ここに一冊の漫画本がある。初版は1998年6月。漫画家・小林よしのりによる『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(小学館)略して『戦争論』である。 当時、私は高校一年生になりたてであった。私も、そして少し政治や社会や歴史に関心のある学友は、みなこの『戦争論』と同『ゴー宣』シリーズを貪るように回し読みしたものである。 私は当時、19世紀プロイセンの将校クラウゼヴィッツの書いた同名書があることも知らない無垢の少年であった。
・結果、『戦争論』は総発行部数90万部を突破して記録的なベストセラーとなった。漫画本とはいえ総頁数381という広辞苑なみの分厚さの本を読破した、というのが、当時の「亜インテリ少年」たちにとってある種の勲章となった。 まだインターネットが広範に普及する前のこの90年代末期、いや正確には、ネット接続は「iモード」を筆頭とした移動体通信によるものが若年層の中で定着していたこの時期にあって、各家庭にあるパソコンからのネット接続環境は劣悪であった。
・アナログ回線の速度は理論値で56kbps。自宅が基地局から遠ざかれば遠ざかるほどこの速度は減衰した。まだしもマシだったのは、当時NTTが全世帯に普及させようとしていたデジタル回線であるISDN。これが64kbpsで、さらに午後11時から翌朝にかけて通話料が廉価で定額になる「テレホーダイ」が勃興する。 IT(2000年に総理大臣となった森喜朗は「イット」と発音した)に長けたものは、さっそく親に頼み込んでこのISDN+「テレホーダイ」でネットサーフィンを楽しむ、というのが最先端を行く若者のネット接続環境であった。 それでも、クラスを見渡しても、そうした「恵まれた」ネット環境を有する高校生は40人中、2人いればよいほうである。そんな時代だった。
・この時代は、まだ当然「ネット右翼」などという言葉は存在せず、若年層で主流だった移動体通信からのネット接続は情報量の少ないテキスト主体のサイト(「魔法のiらんど」など)や、メールに限局されていた。映像記録の主流はVHSであった。そうしたアナログ時代の終末期に颯爽と登場したのが小林の『戦争論』である。
▽土台としての「架空戦記」もの
・クラウゼヴィッツの同名書を知らなかった無垢の私とて、やおら直情的に『戦争論』を読んで天啓を受け、保守思想に目覚めたわけではない。その前史として、1980年代後半から世紀を跨ぐまで、この国では「架空戦記」が密かなブームとなっていたことを指摘せねばなるまい。 「架空戦記」とは、先の大戦に「歴史のif」要素を加味するSF小説や漫画のことで、その筋書きは「敗北するはずの日本海軍が連合軍に快勝する」というモノがほとんどである。代表としては檜山良昭の『大逆転! 幻の超重爆撃機富嶽』シリーズ。遅れて荒巻義雄の『紺碧の艦隊』『旭日の艦隊』(艦隊シリーズ)が一世を風靡し、後者はアニメ化までされて若年層にも頒布された。
・私は、90年代の中盤に、このような「負けたはず」の日本軍が痛快無比に米軍を屠る(米西海岸を占領したり、マッカーサーを爆殺したり、ヨーロッパの連合軍を日本軍が爆撃する)戦記SFが大好きな少年であった。 むろんこの時期、架空戦記ブームに対しては内外から批判の声があった。戦勝国であるアメリカの識者から、「過去の歴史を直視せず、第二次大戦の結果を無視するものだ」という苦言が呈せられた、という新聞報道もあったほどである。しかし概ね、この架空戦記はSFという一分野の中で消費され、現在のように「歴史修正主義」などという汚名を着せられることはそれほどなかった。
・特に荒巻義雄の『艦隊』シリーズは、ラバウル上空で死んだはずの山本五十六元帥が転生し「高野五十六」として「後世世界」で歴史をやり直す、という荒唐無稽な筋書きだったため、多くのファンを生んだ半面、取るに足らないSFとして看過された面もあった。しかもその内容は、「日本が枢軸から脱却してヒトラーと対決し、迫害されていたユダヤ人を解放する」というモノで、あくまで日本の国策の過ちを「連合国側史観を元に修正する」というストーリーであった。
・『宇宙戦艦ヤマト』で仇敵であるガミラス帝国がナチス風に描かれたり、『機動戦士ガンダム』でも敵方のジオン公国の政体がナチスを彷彿とさせる選民(コロニー)国家であったり、といった世界設定を見ても明瞭なように、戦後日本で流行した「架空戦記」の特徴は、あくまで「先の戦争で日本が掲げた大義=アジアの解放および大東亜共栄圏の建設」は「間違ったもの」そして「間違った事を前提としてやり直すべきもの」として、「二度と同じ轍は踏まぬ」反省の材料とされていることだ。
・こうした作品の中では、史実における日本の同盟国・ドイツは常に敵役として何らかのデフォルメが加えられて登場し、より合理的で民主的な日本軍が、戦後民主主義的な考え方の下、歴史をやり直すという一貫した世界観が存在していた。
▽今、読み返してみると…
・当時、「日本の戦争大義は正しかった」などとは、口が裂けても言い出せない時代状況であった。1993年の河野談話。続いて1995年村山談話発表。1994年の細川政権瓦解を受けて急遽発足した羽田孜内閣において、法務大臣を務めた永野茂門は、毎日新聞の記者に対し「南京大虐殺はでっち上げだと思う」と発言したことを契機に、法相を事実上罷免された。この発言は当時の日本社会で大問題に発展した。
・「日本の戦争大義は正しかった」とか、「過去の日本軍の行いにも良い面はあった」などという思想の開陳は、かろうじて「合理的で民主的な日本軍が活躍するSF=架空戦記」という表現空間においてのみ許されていた時代だったのである。 そんな架空戦記の薫陶を受けていたいっぷう風変わりな少年たる私は、SFや架空といった迂遠な枕詞を置かず、正面から「日本の戦争大義は正しかった」と漫画の中で主張するくだんの『戦争論』に良い意味で衝撃を受けたクチであった。
・当時高校1年生であった私は、小学館編集部(小林)あてに個人的にファンレターすら書いたほどであった(その後、十数年を経て私は直接小林にこの事実を告げたが、当然小林が手紙を読んで居るはずもなかった)。 しかし小林の『戦争論』刊行から20年弱が過ぎ、改めて同書を再読してみると、当時の私、即ち高校生の私に「良い意味での精神的ショック」を与えた同書の内容は、すでに当時の保守論壇で使い古されていた陳腐な歴史観の漫画化に過ぎない、という厳然たる事実を認めざるを得ない。
・小林の『戦争論』の末尾には、「引用・参考文献一覧」の頁がある。本編のみを貪り読んで居た高校生の私は、当時この一覧には目もくれないでいた。だがこの部分にこそ、その後に世紀を跨ぎネット右翼が勃興する黎明期、まさしくネット右翼「予備軍」たる有形無形の(丸山真男曰く、「日本型ファシズム」を支えた中間階級第一類である)「亜インテリ」の思想的苗床となった、土壌のようなものが見えてくる。
・この『戦争論』の背景にある、いや『戦争論』の「元ネタ」と呼んで差し支えないであろう「保守本」こそが、地下茎のように菌糸が縦走する腐海の森のごとく、現在に至るネット右翼の常識を形成したことを考えると、慄然とするのである。
▽保守サロンの「定型文」を漫画化した
・『戦争論』の元ネタとなった「保守本」とはいったい何なのであろうか。 それは同書の「引用・参考文献一覧」の中で、ひときわ目を引く「保守言論界の大物」による著作である。上智大学教授で保守言論界の重鎮中の重鎮とされた、渡部昇一著『かくて昭和史は甦る――人種差別の世界を叩き潰した日本』(クレスト選書、初版は1995年5月。文庫版が『かくて昭和史は甦る 教科書が教えなかった真実』として、2015年にPHP研究所から出版)だ。
・改めて冷静な視点で両書を読み比べると、小林の『戦争論』は、ほとんどすべてこの渡部昇一の『かくて昭和史は甦る』を下敷きにしていると明瞭に判断できる。つまり『戦争論』の元ネタの大部分を同書が占めているのである。 いや、むしろ小林の名誉のために書くならば、1990年代当時の「保守界隈」に、もっと言えば戦後の右翼・保守全般に満ち満ちていた先の戦争に対する「歴史観」を、権威ある学者である渡部が1995年、『かくて昭和史は甦る』にまとめたに過ぎない、と言うこともできる。
・だから小林の『戦争論』には、当時、産経新聞や雑誌『正論』とその周辺だけに自閉していた「保守というサロン」の中の空気を、初めて漫画化した作品であるという評価を与えなければならない。しかし読者の側は、産経新聞はおろか(当時、私の住む北海道では産経新聞の購読はエリア外につきほぼ不可能であった)『正論』の存在も、その名称が朧げに頭の中にあるだけだった。
・産経新聞と雑誌『正論』の読者が支える戦後の保守層は、既にこの時から高齢化し、相互の連絡は集会か封書という古典的手段によってのみ維持されていた。それゆえ、インターネット社会の到来前、彼らの世界観は彼ら「保守」というサロンの中にのみ共有されていた「ジャーゴン」(組織内言語)であった。
・小林の『戦争論』が画期的だったのは、『かくて昭和史は甦る』にみられるような「保守」に蔓延する、あの戦争に対する「知られざる違和感」を初めてそのサロンの外に、しかも漫画という若年層に親しみやすい媒体で喧伝した点であった。つまり小林の『戦争論』は、自閉的な当時の「保守」というサロンのジャーゴンを、分かりやすく部外者に伝達する漫画版のパンフレットのようなものであったといえる。
・しかし、当時の私のような無垢で未熟な若年層読者には、『戦争論』の中身がとうに使い古された「保守」のジャーゴンである、という認識は無い。ここに、後年のネット右翼興隆に繋がる悲劇の一端がある。
▽ゴー宣の「ネタ本」を検証しよう
・話を元に戻そう。小林の『戦争論』の大きな元ネタともいえる渡部の『かくて昭和史は甦る』において、あの戦争への歴史的評価は、大別すると概ね次の9項目のようになる。 この「渡部昇一史観」ともいうべき歴史観を、簡潔に点検していこう。一部順不同となるが、ご容赦願いたい。(『かくて昭和史は甦る』の9項目の要旨はリンク先参照)
・渡部昇一史観の核となっているのは、まず第一に(1)「第一次大戦の講和条約(パリ講和会議)において、日本側から提出された人種差別撤廃条約が、アングロサクソン(白人)の西欧列強によって拒絶された」という人種対立である。
・このテーゼは小林の『戦争論』でも繰り返し登場し、のちの「大東亜共栄圏」の正当化にもつながる大義名分として描かれている。「有色人種唯一の工業国」たる明治国家・日本の面目躍如という歴史の1ページとしてだ。小林の『戦争論』は、渡部のこの指摘から引用しているためか、どうしても「白人vs.有色人種(日本)」という図式を、第二次大戦前の時代の国際潮流から導き出しがちである。
・では、この指摘はどれほど妥当性のあるものなのだろうか。 まず、パリ講和会議後に人種差別撤廃提案が日本から国連(国際連盟)に提出されたのは事実だが、この提案に植民地大国のフランス、そしてリビアやイタリア領ソマリランドを領有していたイタリアが賛成票を投じていた事実は、両書では一切言及されていない。 そもそもこの提案がなされた当時、日本は同じ有色人種の住む台湾(日清戦争勝利の結果)、および朝鮮(日露戦争勝利の結果)を植民地支配していた。片手で人種差別撤廃をうたいながら、片手で同じアジア人種を植民地にしていたという明治国家の二枚舌の矛盾を、渡部は一切説明していない。
・さすがにこれでは分が悪いと思ったのか、渡部は(6)日本の朝鮮統治は良かった論を述べて、決して日本は同じアジアの民から搾取したのではない――という理屈を展開する。つまり、1910年の朝鮮併合から始まり、1945年の終戦による朝鮮半島の「解放」まで都合35年間、日本は慈悲の心でもって朝鮮を統治したのであり、それは民族差別でも植民地的搾取でもなかった、として(1)を補強しているのである。
▽「日本の植民地はいい植民地」理論
・しかし、渡部は明治日本国家の帝国主義的傾向と、植民地支配から日本が得た利益には一切言及していない。日清戦争によって清国から割譲せしめた台湾島と澎湖諸島は、明治国家にとってはじめての対外植民地(樟脳、サトウキビ、コメ類等)とされ、植民地統治開始から7年の投資でその経営は黒字になり、台湾銀行は本国日本へ植民地経営の余剰金を送金している。明治国家にとって台湾支配は「金のなる木」であった。
・朝鮮については、確かに持ち出しの方が大きかったものの、その後同地は大陸への進出(満州事変)への重要な軍事的橋頭堡として機能したのだから、単純に植民地からの収奪の多寡を以て善政・悪政を判断するのは論外である。
・さらに言えば、20世紀のこの時代、西欧列強の植民地はほとんどが持ち出し方の赤字経営である。アメリカの実質的な植民地であったフィリピンは、アメリカから民主主義と(制限的ではあるが)自治権を与えられ、スペイン統治時代(米西戦争の1898年まで)とは比較にならぬほどインフラ整備が進んだ。 当時のフィリピンでは、反米抗争が徹底した武力で取り締まられる一方、学校、教会、道路、鉄道、病院、電信電話網等が整備された。第二次大戦前には東南アジア随一の栄華を誇るマニラへ、その賃金の高さを当て込んで日本からの出稼ぎ労働者や娼婦(からゆきさん)が殺到したというほどである。
・それと引き換えに、アメリカはルソン島を極東におけるアメリカ進出の前衛とするべく、コレヒドールやバターン半島を要塞化し、ルソン島中部のクラークフィールドには一大空港を建設して、来るべき対日戦や中国進出の橋頭堡確保に勤しんだ。支配する側が経済的に損をしていれば植民地経営も許されるというならば、多くの西欧列強もまた、その免罪の対象になるであろう。
・渡部昇一史観によると、損得勘定で損をした植民地というのは植民地ではなく、朝鮮半島の支配も大義(内鮮一体=朝鮮半島を日本本土と一体化しようという朝鮮総督のスローガン)ある善政であり植民地支配ではない、というのだから罪深い。 その理屈なら、日本側が黒字なら植民地ということになり、台湾は植民地ということになるが、どうもネット右翼はこうした不都合な事実についてはだんまりを決め込んでいる。
・小林はくだんの『戦争論』において、「わしらも誇りにしようじゃないか 差別主義者の白人と戦った祖父を持つことを!」(P.150)と意気揚々と結んでいるが、何のことはない当時の日本も、同じアジア人種たる台湾から搾取し、朝鮮半島を土足で統治し、同じアジア人種たる中国大陸を侵略していた差別主義国家なのであった。
・現在でも、多くのネット右翼が「日本の朝鮮統治にあっては、日本側の持ち出しの方が多く赤字だったのだから、現在の韓国人はそれに感謝していない忘恩の匪賊」という固定観念を叫ぶ。彼らの世界観を遡れば、こうした「渡部史観」に直結しているのではないか。 渡部史観とは、まさにのちのネット右翼の思想的源流というべき歴史観であり、小林が『戦争論』によって、この渡部史観をはじめて漫画化したのである。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52990

第四に、上記の続きを10月12日付け「「日本は負けたけど勝った」――現実を見ない「自称保守」の淵源 ネット右翼十五年史(4)」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・1990年代末の日本を席巻し、のちの「ネット右翼」の誕生を導くことになった小林よしのり氏の『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』。その思想的な拠り所が、保守の論客・渡部昇一氏の『かくて昭和史は甦る――人種差別の世界を叩き潰した日本』にあることが、前回の考察で明らかになった。その続きとなる今回は、いまなお決まり文句のように語られる「慰安婦問題免罪論」、そして「大東亜戦争肯定論」の淵源を両書から探る。
※バックナンバーはこちら⇒http://gendai.ismedia.jp/list/author/tsunehirafuruya
▽「直接やってない」から免罪?
・日本の朝鮮支配に関する渡部史観のトンデモは、1990年代後半に話題沸騰となっていた、前述のいわゆる河野談話、村山談話にも向けられることになる。 無辜の朝鮮人女性が、経済苦から慰安婦に転落していった事実を、渡部は同書の中で、「慰安婦は日本軍が直接集めたものではない(中略)たしかにコリア人で『軍』慰安婦になった人はいたであろう。しかし、その人たちを集めたのは、日本軍ではない。それをやったのは、おそらくコリア人の売春斡旋業者なのである」(『かくて昭和史は甦る』P. 187、原文ママ) として、つまり「慰安婦を直接集めたのは日本軍ではないのだから問題はない」という論法を提起しているのである。だがそもそも、渡部の言う「コリア人」というのがお門違いで、1910年の日韓併合より1945年の敗戦に至るまで、朝鮮半島の人々は大日本帝国の臣民である。
・ちなみにこの本で渡部は、一貫して中国大陸の人々を「シナ人」と呼称し、冒頭の付記でも「中国という語は、東夷・西戎・北狄・南蛮といった蔑称に対する概念として用いられる美称であり、日本においては拒否されるべき」(P. 6)と記している。 「『中国』と呼称すると中華思想(中華=中国を頂点とした主従関係)を認めることになるから、中国ではなくシナ(支那)と呼称するほうが正しいのだ」というこの理屈は、現在のネット右翼の間でも「シナ人が~」の呼称が一般的なように、極めて普遍的にみられる倒錯した用法である。既にこの時点で、のちのネット右翼につながる無根拠なヘイト的世界観の片鱗が存分に伺えるのである。
・18〜19世紀に西欧世界で行われた奴隷貿易も、アフリカ沿岸や内陸において奴隷狩りに直接手を下したのは、スペイン・ポルトガル、オランダやイギリス政府ではなく、そのような西欧列強に協調的な現地部族というケースが多かった。 「直接手を下さなかったのだから免罪」という上記のトンデモ論法を認めるならば、西欧列強の奴隷貿易も免罪となって然るべきであろう。もっとも仮にそうなれば、前回も触れた「有色人種たる日本人は正義、白色人種は不正義で悪辣」という渡部史観の主張そのものとも明らかに相矛盾する。(9項目の要旨はリンク先参照)
・売春を管理する胴元が日本軍である限り、慰安婦の募集においては「日本軍における広義の強制」が成立する。確かに、「済州島で無辜の婦女子を日本軍のトラックに詰めて強制連行した」という、千葉県の吉田清治なる詭弁家の「証言」は、報じた朝日新聞もそれを嘘と認めて撤回するにいたった。しかし忘れてはならないのは、朝日新聞も「広義の強制性」までは撤回しなかったという事実である。
・当たり前のことだが、慰安婦の「最終消費者」が日本兵である限り、朝鮮人慰安婦の問題は1965年の日韓基本条約で解決済みだとしても、日本は一端の道義的責任を負わないわけにはいかない。だからこそ、これまで安倍政権下でも各種様々な元慰安婦救済措置が講じられてきたのだ(朴槿恵政権との日韓合意など)。
・一方の渡部史観では、「直接手引きをしたのが朝鮮の業者なのだから、慰安婦問題で日本は免罪」となる。後に勃興するネット右翼も、見事なまでにこの論法を用いる。が、直接・間接の強制は慰安婦問題の核心ではない。慰安婦の最終消費者が、管理された下での日本軍将兵だった(=管理売春)ことが問題なのである。
・この事実関係は、実際に南方に従軍し、慰安所を「P(ピー)屋」と呼称してその実態を克明に漫画化している水木しげるの戦記物作品に詳述されているから、これに優る証言はない。戦時中、空襲の少ない山形で少年時代を過ごしていた渡部と、南方奥地、メラネシアのニューブリテン島で英軍の猛爆撃に遭い、左腕をもぎ取られた水木の言の、どちらを信用すべきかは言うまでもなかろう。
▽「大東亜の解放」は実現したのか
・渡部史観と小林の『戦争論』がとりわけ明白な重複を見せるのは、日米戦争と日中戦争、南京事件に関する記述である。 まず渡部史観では、日本の真珠湾奇襲攻撃を「自存自衛のための戦争(ABCD包囲網の結果)」であるとして、日本の戦争大義を正当化している。小林の『戦争論』でも、この「自衛戦争論」が目立つ。
・そしてこの「自衛戦争論」は、戦時中の日本の大義「大東亜共栄圏」「八紘一宇」を正当化し、「日本は人種平等の旗印のもと白人世界に挑戦を挑んだ」という渡部史観の(1)と、「日本は軍事的には敗北したが、先に挙げた日本の戦争大義――つまりアジアの解放が、アジア各国が戦後次々と独立することによって達成された」という渡部史観の(9)「負けたけど勝ったんだ論」に接続されていく。
・この「負けたけど勝ったんだ論」をさらに詳述すると以下のようなものだ。 戦時中、「大東亜戦争」の大義の下、日本軍は東南アジアの資源地帯に進出した。日本が戦争に敗れた後も、東南アジア諸国では「宗主国である米英蘭仏が、日本軍によって一度は打倒された」という記憶があったため、独立戦争が促され、結果的に戦後の東南アジア独立を日本が助けることになった。 つまり、日本は戦争に負けたが、所期の戦争目的である大東亜の解放は、日本の敗戦によって達成された。だから、戦争目的の大義は正しいものであり、結果的に日本は戦争に勝ったも同然である――。
・小林の『戦争論』も、この「大東亜の解放」という日本の戦争大義を正面から正当化している。  実際には、当時の日本は日米開戦と同時に東南アジアの資源地帯を電撃占領した(南方作戦)。その中でも、特段の資源産出が期待できないビルマは早期に独立させたが、対米長期戦に備えて石油、ボーキサイト、ゴムなどが産出される重要な資源地帯の蘭印(オランダ領インドネシア)は最後まで独立させず、日本軍の直接軍政下に置いた。
・「アジア解放」というスローガンは美辞麗句に過ぎず、実際には南方資源地帯の占領による資源の収奪が当時の日本の目的であった。日本が「アジア解放」よりも軍事的実利を優先した証拠である。  あるいは1930年代の時点で、米議会において1946年の独立が確約されていたフィリピンには、日本軍が土足で入り込んで強引な軍政を敷いたために、地元経済がずたずたに破壊された。日本軍はフィリピン住民にコメの作付を強制したが、現地の風土に合わず餓死者が続出する始末であった。それゆえ、東南アジアの日本軍占領地域において、フィリピンでは最も熾烈な反日ゲリラが跋扈するようになり、戦後の日比賠償交渉に暗い影を落としたのである。
・このように『戦争論』では、当時の政府・大本営の都合の悪い部分はすべて捨て置かれ、日本側にとって直視したくない「大東亜共栄圏の実相」には一言も言及されていない。そのうえで小林は、 「東アジアのすべての国が欧米の植民地と化していたあの時に… 日本だけが独立国だった 日本だけが欧米と戦えたのである 戦う責務があった そして日本がその戦いを終えた時、アジアからアフリカまで独立の機運は伝播していった 世界地図は一変したのだ 帝国主義の時代が終わりを告げた 
・大東亜戦争はそのあまりにも奥深く壮大なスケールのゆえに ついていけない頭脳の者たちに単純な自虐史観で割り切られやすい しかしいつの日かこの戦争こそが人類のなしえた最も美しく もっとも残酷な そして崇高な戦いだったと評価される日が来るだろう」(『戦争論』 P. 368-369) などと、無根拠なまでに感動的な筆致で締めくくるのである。何のことはない。当時の日本帝国も、その帝国主義者の一員であったのに…。
▽沖縄のゲリラ戦はどう説明するのか
・当時高校一年生の私は、これらの小林の主張が、独自の研究や調査のもとになされた画期的なものに違いないと感動したのだが、今からすれば単に渡部史観の漫画化に過ぎない。そして繰り返すように、この渡部史観は、当時の、そして現在の「保守界隈」に広く頒布され、使い古された保守のジャーゴン(組織内言語)的常識なのである。
・さらに確信犯的な記述は、日中戦争における日本軍の正当性である。この部分において、渡部史観の要点は下記の二つだ。 (A)日中戦争は共産主義者の陰謀である=渡部史観(4) (B)敵である蒋介石が、国際法を無視した便衣兵作戦という卑怯な戦術を採った=渡部史観(3)
・(A)について、渡部は前掲の『かくて昭和史は蘇る』でこう述べている。 「盧溝橋事件については、戦後になって重大な事実が明らかになってきた。それは、この事件が中国共産党の仕組んだワナだったということである。つまり、日本軍と国民党政府軍の間に、中共軍のスパイが入り込んで、日本軍に向けて発砲したということ(中略)やはり、日本軍は盧溝橋事件に”巻き込まれた”のである」(P. 272)
・さらに渡部は、(B)の蒋介石率いる国民党政府が駆使した便衣兵(一般人の服を着て偽装した国民党兵士)をハーグ陸戦協定に基づいて銃殺したのは至極妥当であり、むしろ便衣兵戦術を採った蒋介石が悪く、日本の殺戮は正当であると強弁する。 小林の『戦争論』にも、これと全く同じ話が出てくる。 「この戦い(日中戦争)は近代戦の歴史の中でも 日本が初めて経験した便衣兵との戦いであった。便衣兵――つまりゲリラである。軍服を着ていない民間人との区別がつかない兵である。国際法ではゲリラは殺してよい。ゲリラはおきて破りの卑怯な手段だからである」(『戦争論』P. 118)
・「便衣兵についての事実を紹介しよう(中略)(中国国民党)兵が同胞の一般市民の服をはぎ取って化ける!何という卑劣さ!」(前掲書 P. 129、括弧内筆者) これを論じるならば、質で日本軍に劣る中国国民党軍が、苦肉の策として国際法を無視したゲリラ戦を仕掛けたのは戦法の常道である。事実、沖縄戦の末期には、米軍に追い詰められた一部の日本兵も、沖縄県民の衣服を借りて偽装しゲリラ戦を展開したことが知られている。これは沖縄守備隊第三十二軍司令部唯一の生き残り、矢原弘道高級参謀が戦後、手記の中で明らかにしていることだ。
・矢原参謀は軍服を脱ぎ捨て、民間人の姿に偽装し、米軍の監視を擦り抜けて沖縄本島北方の国頭地区まで逃げ、そこでゲリラ戦を展開しようと画策していた。追い詰められた弱者の戦法を採ったものは「殺されても仕方がない」と喝破するなら、沖縄戦での米軍による民間人虐殺、陵虐をも正当化する理屈になるのではないのだろうか。
▽痕跡は「田母神論文」にも
・ついでに指摘しておけば、(A)の「日中戦争は中国共産党の仕組んだワナであり、日本はそれに巻き込まれたに過ぎない」という無根拠な二段論法は、2008年に大手ホテルチェーン・APAグループが主催する「真の近現代史懸賞論文」で大賞に選ばれた、元航空幕僚長・田母神俊雄によるいわゆる「田母神論文」にも、その少ない文字数の中にはっきりと痕跡をうかがうことができる。 「実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった(中略)我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである」(田母神論文より)
・ちなみに「政府見解と異なる」として、空幕長を事実上更迭された田母神のこの懸賞論文の内容は、これ以外にも徹頭徹尾、前述渡部史観の踏襲のオンパレードであることを付け加えておく。 「第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである」(同論文、渡部史観(1)に同じ) 「戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。(中略)これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。(中略)人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである」(同論文、渡部史観の(1)(6)に同じ)
・「日本が(中略)遂に日米戦争に突入し三百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた」(同論文、渡部史観の(2)(4)に同じ)
・「大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、二百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ」(同論文、渡部史観の(9)に同じ)
・細部を点検するときりがない(1990年代の言説には「コミンテルン」という言葉は出てこないが、21世紀には「中国共産党」が「コミンテルン」に言い換えられている点など)が、つまり1995年の時点で確立されていた渡部史観は、その後1998年の小林よしのり、2008年の田母神論文に至るまで、20年余りにわたって全く形を変えることなく温存されてきた「保守」界隈におけるトンデモ的世界観なのである。
▽こうして「培地」ができあがった
・このように、1990年代終末期から世紀を跨ぐ時代に、閉ざされた言語空間=保守界隈で常識とされていたジャーゴンが、小林の『戦争論』を経て外部に漏出していった。このことが来るべきネット右翼誕生の年・西暦2002年(日韓W杯)までの間、まるで種苗がその殻から発芽するまでの培地のように、徐々にだがその養分を供給したのだった。
・1990年代末、インターネットはまだ原始太陽系のごとく塵や小天体が交錯するばかりで、巨大で秩序だった惑星系が生まれるにはまだ機が熟していなかった。ネット右翼が本格的に爆発する「ビッグバン」までは、まだ数年の時間を待たなければならない。
・なおこの間、「保守」の運動面では「新しい教科書をつくる会」(1996年)、「日本会議」(1997年)などの団体が創設され、保守運動の中にも新しい潮流の兆しが見え始めていた。しかしこれらはあくまで「保守運動」という狭いサロンの中の胎動であり、後年都合200万人を巻き込むネット右翼とは、まだ無縁の運動であった。
・実際、小林よしのりは、前述「つくる会」の運動に自ら参画している。「自虐史観」に支配された既存の検定教科書の内容是正を目的に作られた「つくる会」の活動は、小林自身の内部レポートという形で毎週『ゴー宣』にて逐一報告される格好となったが、当時の読者にはあまり影響を与えているように思えない。
・なぜなら、読者にとってみれば「自虐史観に支配された既存の検定教科書の内容是正」は、皮肉にも当の小林による『戦争論』によって達成されており、そこ(運動)に目新しい知見はなかったためである。その後、やがて「つくる会」は分裂する。しかし読者にとってこういった保守運動の内紛は、あまり興味の湧かない付録的出来事に過ぎなかった。
・さて、最後に渡部史観の核心とも言える(8)「残虐なアングロサクソンと道徳的な世界に誇れる日本人」を検証しよう。何故この(8)が核心なのかと言えば、現在のネット右翼が共通して有する「日本人は紳士的で道徳的であり、対して朝鮮人やシナ人はうそつきで不道徳である」という多幸的な「日本アゲ」の空気感を、渡部が見事に言語化しているからである。特徴的なのは以下のくだり。
・「1944年8月5日、オーストラリアのカウラ市内にあった捕虜収容所から日本兵が脱走を企てたとき、オーストラリア兵は無差別に砲火を浴びせ、実に234人を射殺し、108人に重軽傷を負わせたのである。これに対して、長崎市にも戦時中、捕虜収容所があり、オーストラリア兵が収容されていた。アメリカが投下した原爆で収容所が破壊されると、連合軍憎しの極限状態でさえ、日本人は何ら彼らに危害を加えなかったのである」(『かくて日本史は蘇る』P. 302)
・つまり渡部は、アングロサクソンは血も涙もない鬼畜であるが、それに対して日本人は原爆を投下されてもなお、敵兵を撃つことも、打擲することすらない、温厚で平和な菩薩のごとき道徳的モラルを誇っていたのだ――と言うのである。 この話の真贋はともかく、捕虜収容所からの脱走兵を射殺するのは軍紀上当然のことであり、日本軍側も撃墜したB29の搭乗員を即時裁判で銃殺刑にしている事例が多々あるのだから、オーストラリア兵の銃撃を蛮行と決めつけることはできない。捕虜が脱走すれば射殺はやむを得ない。余りにも極論を針小棒大に喧伝している。
・何より渡部は、広島に原爆が投下された折、西部軍管区司令部地下(畑俊六元帥隷下、広島城に置かれていた)に収容されていた連合軍兵士が、憎しみを抱いた被爆者に引き回され、集団リンチの末に陵虐死しているという、広島被爆者の何人もが見分し複数人が絵にまで残した厳然たる事実には一切触れていない。もっとも、これは渡部の単なる無知であろう。
▽むやみな「日本美化」の原型
・それとも渡部は、敵兵への報復という、いわば当たり前の動物的本能に突き動かされる者は野蛮で、親や赤子を焼き殺した米兵をも面前で許すのが道徳者であるという、怒りの感情の「去勢」こそが、人のあるべき姿であるとでも言いたいのだろうか。 アングロサクソンは鬼の如く非道徳的で残虐極まりないが、日本人は核を落とされても怒りすら覚えず、そっと微笑んで敵を許す――。こんな嘘八百の「戦時美談」が、「戦前の日本人の道徳的精神の高潔さ」を称揚し、教育勅語復活の動きにも見られるような、日本人の精神性や風紀を根拠なく礼賛する、昨今のむやみな「日本美化」の風潮にも接続しているのではないか。
・「怒り」の感情を去勢することが美徳という歪んだ日本人観が、ここにはある。そして片手ではアメリカ人の非道を言いながら、心底ではアメリカの戦時国際法違反(原爆、大空襲など)を許すことこそが日本人の美徳であると読者に刷り込むことにより、戦後における日米関係、つまり日米同盟を肯定し、親米保守の対米敵愾心を喪失させることに巧妙に誘導しているところが、この渡部史観(8)の核心である。
・「一時のアメリカは不道徳だった。だが、それを許すのが美徳である」として、親米保守の世界観を逆説的に補強し、渡部曰く「より不道徳で罪深い」「コリア人」や「シナ人」への憎悪へ誘導しているところが興味深い。 ちなみに小林は『戦争論』の末尾に、次のごとく当時の日本を憂う一文を乗せている。
・「倫理も道徳も エゴと消費者の前に崩壊していくしかない日本…」(前掲書 P. 376) 筆者がもう何遍も、何十遍も、いや何百遍も、全国津々浦々の「保守」集会の枕詞で聞いてきた、現代日本を嘆く彼らの定型句だ。 「倫理も道徳も崩壊していくしかない日本 その元凶は○○だ(GHQの洗脳、日本国憲法9条、中国・韓国の工作員、日教組、マスゴミetc)」。
・現代日本では、戦前よりも、また戦後の一時期よりも明らかに殺人事件や強姦事件は減っている。これは統計的にもはっきりした事実だ。一体どこが、「倫理も道徳も崩壊していくしかない日本」なのだろうか。
・自称「保守」の論客たちは、何かというとすぐに「倫理」とか「道徳」といった言葉を使い、その崩壊が進んでいる現下日本を憂えてみせる。しかしそういった御仁に限って、不倫、贈収賄、隠し子、恐喝、暴行、詐欺、なんでもござれの末法の体現者だったりすることを私は身をもってよく、よーく知っているのだ。 「倫理」や「道徳」を声高に謳い上げる人間に碌なやつは居ない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53153

まず全体を通じて、これが保守論客の分析とは思えないような厳しい批判をしていることに驚かされた。 第一の記事で、 『ネット右翼は「保守系言論人や文化人」の理論に寄生する熱心な消費者のことを指す』、『広く共通するのは「嫌韓(嫌在日コリアン)・反中」という対外姿勢であるが、例えば経済政策についてはネット右翼の中でも意見が細分化され、それぞれがまるで性質を異にしている』、『保守系言論人や文化人とネット右翼の「共依存関係」と捉えてきた。宿主は、寄生者が如何にも好みそうな単純明快な陰謀論やトンデモ論をばら撒く。一方、それを受容する寄生者たちは、自らに都合の良いように宿主の言説を解釈し、それをネット空間のみならず実生活でも流布するようになる』、 『いまや寄生者と一体となった宿主が、誤解の余地もないほどストレートな差別的言説を、主にSNS上で垂れ流す事態も出来してきている。こうなると、どちらが宿主で、どちらが寄生者か分からなくなってくる』、などの鋭い指摘は、なるほどと納得させられる。
第二の記事で、『ネット右翼とされる人々の社会的位置づけは、底辺というよりも、一言で言えば「大都市部に住むアラフォーの中産階級」である、となる。差別的発言、排外的発言を開陳するネット右翼は、その言葉遣いだけを見ると無知文盲のごとく観測されるので、ネット右翼の社会的イメージは「低学歴、低収入の貧困層=社会的底辺層」とされがちだが、それは大きな間違いなのである』、『現在のネット右翼は、丸山眞男の定義する日本型ファシズムを支えた主力、つまり「中間階級第一類」に驚くほど酷似しているといわなければならない』、『ネット右翼の全国的実数が約200〜250万人』、などの指摘で、なるほどと目からウロコが剥がれた気がする。
第三の記事で、筆者が少年時代に強い影響を受けた小林よしのりによる『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』は、『ほとんどすべてこの渡部昇一の『かくて昭和史は甦る』を下敷きにしていると明瞭に判断できる』、『小林の『戦争論』は、自閉的な当時の「保守」というサロンのジャーゴンを、分かりやすく部外者に伝達する漫画版のパンフレットのようなものであったといえる』、『ゴー宣の「ネタ本」を検証しよう』、などの指摘もさすがである。
第四の記事で、渡部史観、それを受けての田母神論文に対する批判は、胸がすくほど徹底している。最後の 『自称「保守」の論客たちは、何かというとすぐに「倫理」とか「道徳」といった言葉を使い、その崩壊が進んでいる現下日本を憂えてみせる。しかしそういった御仁に限って、不倫、贈収賄、隠し子、恐喝、暴行、詐欺、なんでもござれの末法の体現者だったりすることを私は身をもってよく、よーく知っているのだ。「倫理」や「道徳」を声高に謳い上げる人間に碌なやつは居ない』、については、よくぞ言ってくれたと拍手喝采したいところだ。
タグ:渡部史観の要点は下記の二つだ。 (A)日中戦争は共産主義者の陰謀である=渡部史観(4) (B)敵である蒋介石が、国際法を無視した便衣兵作戦という卑怯な戦術を採った=渡部史観(3) 渡部昇一史観 総発行部数90万部を突破して記録的なベストセラー 当時の「亜インテリ少年」たちにとってある種の勲章 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 慰安婦 「日本の植民地はいい植民地」理論 ゴー宣の「ネタ本」を検証しよう 小林の『戦争論』が画期的だったのは、『かくて昭和史は甦る』にみられるような「保守」に蔓延する、あの戦争に対する「知られざる違和感」を初めてそのサロンの外に、しかも漫画という若年層に親しみやすい媒体で喧伝した点であった 「保守系言論人や文化人」とは、保守系の大学教授や、保守系の論壇誌等々に登場する保守界隈の常連たち 小林よしのり 日本会議 親米=日米同盟重視、反中・嫌韓、公人の靖国神社参拝賛成、東京裁判史観打破、道徳教育の復活、原発推進、皇統は男系男子で女系は容認せず 次世代の党 「旧次世代の党」の得票が半減した分、他のネット右翼が好む立候補者の個人票に流れた 政治学者の丸山眞男は戦前の日本型ファシズムを支えた主力を、「中間階級第一類」とした。それはすなわち、中小の自営業者、工場管理者、土地を持つ独立自営農民や学校教員、下級公務員であり、企業でいえば中間管理職や現場監督などの下士官に相当する中産階級である 『旭日の艦隊』 小林の『戦争論』には、当時、産経新聞や雑誌『正論』とその周辺だけに自閉していた「保守というサロン」の中の空気を、初めて漫画化した作品であるという評価を与えなければならない ネット右翼とされる人々の社会的位置づけは、底辺というよりも、一言で言えば「大都市部に住むアラフォーの中産階級」である 「ネット右翼の「思想的苗床」となった『戦争論』を再検証する ネット右翼十五年史(3)1998年夏」 「大東亜の解放」は実現したのか より合理的で民主的な日本軍が、戦後民主主義的な考え方の下、歴史をやり直すという一貫した世界観が存在 「「日本は負けたけど勝った」――現実を見ない「自称保守」の淵源 ネット右翼十五年史(4)」 渡部昇一著『かくて昭和史は甦る――人種差別の世界を叩き潰した日本』 渡部昇一史観によると、損得勘定で損をした植民地というのは植民地ではなく、朝鮮半島の支配も大義(内鮮一体=朝鮮半島を日本本土と一体化しようという朝鮮総督のスローガン)ある善政であり植民地支配ではない、というのだから罪深い 『紺碧の艦隊』 奴隷貿易も、アフリカ沿岸や内陸において奴隷狩りに直接手を下したのは、スペイン・ポルトガル、オランダやイギリス政府ではなく、そのような西欧列強に協調的な現地部族というケースが多かった 先の戦争で日本が掲げた大義=アジアの解放および大東亜共栄圏の建設」は「間違ったもの」そして「間違った事を前提としてやり直すべきもの」として、「二度と同じ轍は踏まぬ」反省の材料とされていることだ 現在のネット右翼は、丸山眞男の定義する日本型ファシズムを支えた主力、つまり「中間階級第一類」に驚くほど酷似しているといわなければならない ネット右翼の全国的実数をおおむね200~250万人と予想 即ち高校生の私に「良い意味での精神的ショック」を与えた同書の内容は、すでに当時の保守論壇で使い古されていた陳腐な歴史観の漫画化に過ぎない、という厳然たる事実を認めざるを得ない 土台としての「架空戦記」もの 「慰安婦は日本軍が直接集めたものではない(中略)たしかにコリア人で『軍』慰安婦になった人はいたであろう。しかし、その人たちを集めたのは、日本軍ではない。それをやったのは、おそらくコリア人の売春斡旋業者なのである」 「直接手を下さなかったのだから免罪」という上記のトンデモ論法を認めるならば、西欧列強の奴隷貿易も免罪となって然るべきであろう 現代ビジネス 古谷 経衡 第一には「自著の売り上げ」や「動画の再生」といった商業的・金銭的成果であり、第二にはブログやSNSに対する好意的反応であり、第三には前述二つによって得られる自己肯定感と、それに伴う自尊心の充足、そして「承認」の快感である 「<ネット右翼十五年史>なぜ、彼らは差別的言説を垂れ流すのか 日本の「空気」を作る人々の研究」 皇統に関する見解でも内紛は絶えない ネット右翼は「保守系言論人や文化人」の理論に寄生する熱心な消費者のことを指す (その5)(気鋭の保守論客 古谷 経衡氏によるネット右翼十五年史(1)~(4)) 保守系言論人や文化人は、理論と言葉を持たない烏合の衆、つまりはネット右翼に寄生されることにより、物心両面で大きなメリットを得ることができる ネット右翼は、彼ら自身が何か独自の理論体系や言葉を持っているわけではない。彼らの知識体系はいわば虫食い状態であり、また基礎的な史学、社会科学の素養もないので、彼らのより上位に存在する保守系言論人や文化人の言説を「受け売り」するという特性を常に持っている 経済政策についてはネット右翼の中でも意見が細分化され、それぞれがまるで性質を異にしている 広く共通するのは「嫌韓(嫌在日コリアン)・反中」という対外姿勢 「行動する保守」 「右傾化」の中核を担ってきたのが、ネット右翼 ”右傾化” 櫻井よしこ 「寄生」 実は激しい「内部対立」 「アジア解放」というスローガンは美辞麗句に過ぎず、実際には南方資源地帯の占領による資源の収奪が当時の日本の目的であった いまや寄生者と一体となった宿主が、誤解の余地もないほどストレートな差別的言説を、主にSNS上で垂れ流す事態も出来してきている。こうなると、どちらが宿主で、どちらが寄生者か分からなくなってくる 新しい教科書をつくる会 痕跡は「田母神論文」にも 負けたけど勝ったんだ論 むやみな「日本美化」の原型 自称「保守」の論客たちは、何かというとすぐに「倫理」とか「道徳」といった言葉を使い、その崩壊が進んでいる現下日本を憂えてみせる。しかしそういった御仁に限って、不倫、贈収賄、隠し子、恐喝、暴行、詐欺、なんでもござれの末法の体現者だったりすることを私は身をもってよく、よーく知っているのだ。 「倫理」や「道徳」を声高に謳い上げる人間に碌なやつは居ない 残虐なアングロサクソンと道徳的な世界に誇れる日本人 沖縄のゲリラ戦はどう説明するのか 保守系言論人や文化人とネット右翼の「共依存関係」 「ネットで差別的な言動を取るネット右翼の正体は、無知文盲の低学歴・低収入の貧困層である」という風説は、未だにちらほらと噴出してくる。これは明白な嘘 保守系言論人や文化人に寄生するネット右翼は、このように差別と言論の境界にあるきわどい権威的かつ排外的な言説を終始拡大再生産して、ネット空間のみならずリアル社会にも憎悪の種を頒布するに至っている 「ネット右翼=社会的底辺層」説の嘘 「「ネット右翼」は日本に何万人いるのかを測る、ひとつの試み 彼らの職業、年齢構成は?」 ネット右翼はこうした不都合な事実についてはだんまりを決め込んでいる
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