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新自由主義(その3)(集集中連載 今考える「新自由主義」 第3回 日本の生産性を押し下げる低賃金 米国型コーポレート・ガバナンス導入が病巣=中岡望、なぜ「経済的に恵まれない人」が「新自由主義を支持する」のか? 社会心理学が明らかにしたこと) [経済政策]

新自由主義については、6月21日に取上げた。今日は、(その3)(集集中連載 今考える「新自由主義」 第3回 日本の生産性を押し下げる低賃金 米国型コーポレート・ガバナンス導入が病巣=中岡望、なぜ「経済的に恵まれない人」が「新自由主義を支持する」のか? 社会心理学が明らかにしたこと)である。

先ずは、2月11日付け週刊エコノミスト Online「集集中連載 今考える「新自由主義」 第3回 日本の生産性を押し下げる低賃金 米国型コーポレート・ガバナンス導入が病巣=中岡望」を紹介しよう。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220209/se1/00m/020/003000d
・『「新しい資本主義」を議論するには、米国のネオリベラリズムの背景にある思想性、理論性、歴史性を理解する必要がある。 同時に日本においてネオリベラリズム政策やネオリベラリズムに基づくコーポレート・ガバナンスがどう導入されたかを明らかにしない限り、意味のある議論はできない』、興味深そうだ。
・『真の狙いは労働市場の自由化  日本にネオリベラリズムの政策を導入したのは小泉政権である。バブル崩壊後の長期低迷を打開する手段として「規制緩和」や「競争促進政策」が導入された。 だがネオリベラリズム政策の最大の狙いは、米国同様、労働市場の規制緩和であった。労働市場の自由化によって非正規労働や派遣労働の規制が大幅に自由化された。それは企業からすれば、大幅な労働コストの削減を意味した。 労働市場の自由化によって非正規雇用は大幅に増加した。1984年には非正規雇用は15.3%であったが、2020年には37.2%にまで増えている。非正規雇用のうち49%がパート、21.5%がアルバイト、13.3%が契約社員である(総務省「労働力調査」)。賃金も正規雇用と非正規雇用では大きな格差がある。 2019年の一般労働者の時給は1976円であるが、非正規労働者の時給は1307円である。600円以上の差がある。なお短期間労働に従事する非正規労働者の時給は1103円とさらに低い(厚生労働省「賃金構造基本統計調査」)。岸田首相は最低賃金1000円(全国加重平均)を実現すると主張しているが、米国ではバイデン大統領は連邦最低賃金15㌦を目標に掲げている。 現在の為替相場で換算すると、約1700円に相当する。日米で時給700円の差がある。かりに最低賃金1000円が実現しても、非正規雇用は社会保険費など企業負担がなく実質手取りは1000円を下回り、とても最低賃金でまともな生活を送れないのが実情である』、実際の「最低賃金」は「全国加重平均」で31円引上げ、961円にすることになった(8月6日付け日経新聞)。
・『労働市場自由化の弊害を軽視した小泉改革  米国型コーポレート・ガバナンスの導入も日本に大きな影響を与えた。戦後の日本経済の成長を支えてきた「日本的経営」はバブル崩壊後、有効性を失ったと主張された。日本型経営では最大のステークホールダーは従業員であり、メインバンクであり、取引先であった。 株主は主要なステークホールダーとはみなされていなかった。だが米国型コーポレート・ガバナンスは株主中心に考えられ、日本でも企業価値、言い換えれば株価を上げることが経営者の責務と考えられるようになった。労働者は「変動費」であり、経営者は従業員の雇用を守るという意識を失っていった。 かつて経営者の責務は従業員の雇用を守ることだと言われていた。米国型コーポレート・ガバナンスは、日本の労使関係を根底から変えてしまった。同時に経営者は米国と同様に巨額の報酬を手にするようになる。 米国や英国では1900年代にはネオリベラリズム政策の弊害が目立ち始めていた。貧富の格差は急速に拡大し、深刻な社会問題を引き起こしつつあった。だが小泉改革では、そうした弊害について真剣に検討することなく、労働市場の自由化が強引に進められていった。 同時に終身雇用は破綻したとして、雇用の流動化が主張された。雇用の流動化は、言葉は魅力的だが、最も大きな恩恵を得るのは企業であって、従業員ではない。企業は高賃金の従業員に早期退職や転職、副業を勧めることで、大幅に労働コストを削減できる。 米国と違って日本では整備された転職市場が存在せず、さらに「同一労働同一賃金」や米国の401(k)のような「ポータブルな企業年金制度」などもなく、転職の負担はすべて従業員に掛かってくる』、「米国型コーポレート・ガバナンスの導入も日本に大きな影響」、「米国型コーポレート・ガバナンスは、日本の労使関係を根底から変えてしまった。同時に経営者は米国と同様に巨額の報酬を手にするようになる」、なるほど。
・『日本の企業内組合は交渉力を発揮できない  岸田首相がどのような「新しい資本主義」を構想しているのか定かではない。成長すれば、その成果が労働者にも及ぶという供給サイドの経済学が主張する“トリクルダウン効果”論は歴史的にも、理論的にも破綻している。 成長すれば、最終的に恩恵はすべての人に及ぶというのは幻想である。企業は常に賃金上昇を抑えようとする。決して温情で賃上げをするわけではない。過去の企業行動を見れば、日本で行われている「成長」と「分配」を巡る議論は空論そのものであることが分かる。 賃上げをした企業に税の優遇措置を講ずるという報道もなされている。かつて安倍晋三首相は経済団体に賃上げを行うよう要請したことがあるが、企業は応じなかった。経営者は従業員に対する“温情”から賃上げを実施することはないだろう。 従業員と労働者が正当な賃金を得るには、企業と拮抗できる組織と仕組みが必要である。日本の企業は正規社員を減らし、非正規社員を雇用することで労働コストを大幅に削減して利益を上げてきた。米国同様、その利益の多くは株主配当に向けられるか、内部留保として退蔵されてきた。 さらに経営者の報酬も大幅に引き上げられた。本来なら組合は正当な労働報酬を受け取る権利がある。米国の労働組合は産業別組合で企業との交渉力を持っているが、日本の労働組合は企業内組合では、企業に対する交渉力を発揮することは難しい。 日本の時間当たりの付加価値は世界23位(低賃金は生産性向上を妨げる。本来なら企業は賃金上昇によるコストを吸収するために生産性を上げる努力を行う。だが低賃金労働が使える限り、企業は資本コストの高い合理化投資を積極的に行わない。 企業は労働コストが上昇すれば、競争力が低下するために合理化投資を行わざるを得ない。大胆に言えば、日本企業の生産性が低いのは、賃金が安いからである。 先進国の中で日本の生産性は最も低い。2020年の1人当たりの日本の労働生産性はOECD38カ国のうち28位(7万8655㌦)で、24位の韓国(8万3378㌦)よりも低く、ポーランドやエストニアと同水準である(「労働生産性の国際比較2021、日本生産性本部」)。 また。日本の時間当たりの付加価値は49.5㌦で、23位である。1位のアイルランドは121㌦、7位の米国は80㌦である。韓国は32位で43㌦である。なぜ、ここまで低いのか』、「低賃金労働が使える限り、企業は資本コストの高い合理化投資を積極的に行わない。 企業は労働コストが上昇すれば、競争力が低下するために合理化投資を行わざるを得ない。大胆に言えば、日本企業の生産性が低いのは、賃金が安いからである」、その通りだ。
・『経営者報酬と配当を増やす経営が日本を弱くした  日本特有の給与体系も影響している。日本では基本給の水準が低いため、残業手当が付かなければ、十分な所得を得られない。その結果、同じアウトプットを生産するために、残業を増やして長時間労働を行うことになる。 それこそが低生産性の最大の要因の一つである。昨今、「働き方改革」で残業を削減する動きがみられるが、残業時間の短縮は残業の減少と所得の減少を意味する。短時間で同じ労働成果を上げることができれば、それは生産性向上を意味し、基本給の引き上げで従業員に還元されるべきものである。 だが、企業は所得が減った従業員に副業を推奨するという奇妙な議論が横行している。「労働の流動化」を口実に賃金引き下げと雇用の安定性が損なわれている。労働賃金を低く抑え、生産性向上投資を抑制し、目先の利益を増やし、経営者報酬と配当を増やし、株価を上げるという経営は、日本経済を間違いなく弱体化させてきた』、「短時間で同じ労働成果を上げることができれば、それは生産性向上を意味し、基本給の引き上げで従業員に還元されるべきものである。 だが、企業は所得が減った従業員に副業を推奨するという奇妙な議論が横行している。「労働の流動化」を口実に賃金引き下げと雇用の安定性が損なわれている」、「労働賃金を低く抑え、生産性向上投資を抑制し、目先の利益を増やし、経営者報酬と配当を増やし、株価を上げるという経営は、日本経済を間違いなく弱体化させてきた」、同感である。
・『存在価値を無くした日本の労働組合が低賃金の要因  米国と同様に日本でも労働組合参加率は低下の一途をたどっている。戦後の1949年には労働組合参加率は55%であった。その後、参加率は低下し、1980年代に20%台にまで低下した。 2021年の参加率は16.9%にまで低下している(労働組合基本調査)。米国ほどではないが、労働組合は急激に衰退し、社会的影響力の低下は目を覆うべき状態である。その背景には労働組合幹部が「労働貴族」となって特権を享受しているという“反労働組合キャンペーン”が行われたことが影響している。 労働組合は国民の支持を失い、現在では社会的存在感するなくなっている。日本の労働組合運動の衰退は世界でも際立っている。全くと言っていいほど企業に対する交渉力を失っている』、「連合」が立憲民主党と共産党の共闘に水を差し、他方で自民党にもシッポを振っているのは、連合の戦闘力喪失を表している。
・『日本で“スト”はもはや死語  高度経済成長期に賃金上げをリードしてきた「春闘方式」が崩壊し、企業内組合を軸とする労働組合は企業に取り込まれ、十分な交渉力を発揮できなくなった。労働組合運動は連合の結成で再編成されたが、連合はかつてのような影響力を発揮することができない。 目先の政治的な思惑に振り回されている。賃上げに関して十分な“理論武装”をすることもできず、ほぼ賃上げは経営者の言いなりに決定されているのが実情である。 労働組合の弱体化は「労働損失日」の統計に端的に反映されている。2018年のストによる労働損失日は日本ではわずか1日であるのに対して、米国は2815日、カナダは1131日、英国は273日、ドイツは571日、韓国が552日である(労働政策研修機構『データブック国際労働比較2019』)。日本と同様に組合参加率が大幅に低下している米国ですら、賃上げや労働環境を巡って労働組合は経営と対立し、要求を実現している。 日本では“スト”はもはや死語となっている。格差是正や賃上げを要求する「主体」が日本には存在しないのである。その役割を政府に期待するのは、最初から無理な話である。それが実現できるとすれば、日本は社会主義国である』、「2018年のストによる労働損失日は日本ではわずか1日」、というのは初めて知ったが、情けないことだ。
・『税制、最低賃金、非正規問題の構造的な見直し  労働市場で個人が企業と向かい合い、交渉することは不可能である。両者の間には圧倒的な力の差がある。だからこそルーズベルト大統領は労働者の団結権と団体交渉権を認め、全国労働関係委員会に労働争議の調整役を委ねたのである。小手先の制度改革ではネオリベラリズムの弊害を断ち切ることはできない。 バイデン大統領は中産階級の失地回復こそが格差是正の道であり、繁栄に至る道であると主張している。そのためには労働組合が企業に対して十分な交渉力を持つ必要があると説いている。 一人ひとりの働く人が、誠実に働けば、家族を養い、子供を教育し、ささやかな家を購入するに足る所得を得る制度を再構築することが必要である。非正規とパート労働で疲弊した国民は決して幸せになれない。平等な労働条件、公平な賃金、雇用の安定を実現することが「新しい資本主義」でなければならない。 貧富の格差拡大は社会を分断し、深刻な貧困問題を引き起こす。長期的には経済成長を損なうことになる。そうした事態を回避するには現在の制度の構造的な見直しが要である。 税制の見直しや最低賃金の引き上げに加え、正規労働者と非正規労働者に二分された労働市場の見直しも不可欠である。労働者や消費者などさまざまな立場の人の意見を反映させるようなコーポレート・ガバナンスを構築する必要がある』、「労働市場で個人が企業と向かい合い、交渉することは不可能である。両者の間には圧倒的な力の差がある。だからこそルーズベルト大統領は労働者の団結権と団体交渉権を認め、全国労働関係委員会に労働争議の調整役を委ねたのである。小手先の制度改革ではネオリベラリズムの弊害を断ち切ることはできない。 バイデン大統領は中産階級の失地回復こそが格差是正の道であり、繁栄に至る道であると主張している。そのためには労働組合が企業に対して十分な交渉力を持つ必要があると説いている」、「貧富の格差拡大は社会を分断し、深刻な貧困問題を引き起こす。長期的には経済成長を損なうことになる。そうした事態を回避するには現在の制度の構造的な見直しが要である。 税制の見直しや最低賃金の引き上げに加え、正規労働者と非正規労働者に二分された労働市場の見直しも不可欠である。労働者や消費者などさまざまな立場の人の意見を反映させるようなコーポレート・ガバナンスを構築する必要がある」、同感である。
・『ネオリベラリズムは「既得権構造」に浸透  ネオリベラルの発想から抜け出す時期に来ている。そのためには、労働規制、税制、コーポレート・ガバナンス、労働組合の役割などの見直しは不可欠である。特にコーポレート・ガバナンスに労働者や消費者などの意見が反映できるようにコーポレート・ガバナンスの改革は不可欠である。 米国におけるネオリベラリズムの検討でみたように、その背後には明確な国家観の違いが存在している。そうした大きな枠組みの議論抜きには、新しい展望は出てこないだろう。 ネオリベラリズムは既得権構造に深く組み込まれている。それを崩すには、社会経済構造を根底から変える必要がある。激しい抵抗に会うのは間違いない。これからの議論で岸田首相の“本気度”と“覚悟”が問われることになるだろう。 最後に一言、小泉改革以降のネオリベラリズムの政策で日本経済の成長率は高まっていない。経済成長はGDPの約80%を占める需要によって決まるのである。日本の長期にわたる低成長はネオリベラリズム政策や発想がもたらした必然的結果なのである』、「岸田首相の“本気度”と“覚悟”が問われる」、とあるが、それは期待し過ぎだ。立憲民主党から建設的な意見が出てきてほしいものだ。

次に、8月5日付け現代ビジネスが掲載した東洋大学社会学部社会心理学科教授の北村 英哉氏による「なぜ「経済的に恵まれない人」が「新自由主義を支持する」のか? 社会心理学が明らかにしたこと」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/98183?imp=0
・『自分にとって抑圧的な環境、不都合な状況なはずなのに、なぜかそこに適応してしまう。こうした態度を「自発的隷従」と呼ぶことがある。こうした自発的隷従のような態度について、社会心理学の見地から分析した、ジョン・ジョスト『システム正当化理論』(ちとせプレス)が刊行された。訳者の一人である東洋大学教授の北村英哉氏がその読みどころを解説する』、なるほど。
・『なぜ政権党は勝ち続けるのか?  まさに今の時代に合っている。ジョン・ジョストが提唱する「システム正当化理論」、そんな風に考えた。この理論は、「なぜだか現状維持に走ってしまう人々」の生の現実的な姿をつかむことに長けている。 システム正当化理論は、社会心理学の理論である。これまでの社会心理学の理論では、多くの場合、人々は自分自身が属する内集団を好み、自集団の有利を期待し、その利得に合致する方向で行動するものだとされていた。しかし、システム正当化理論は、こうした従来の理論とは反対に、自分の利得にならない行動をする人々について、うまく説明することができるのである。 現在、そうした「自分の利得にならない行動」が目立っているように見える。たとえば、日本の場合、おおまかに語れば自民党などの政権党は、経営者や大企業などのすでに日本社会の中で、有利な地位を得ている人たちの利益代表であり、「金持ち」「貧しい」という二分法で言えば、明らかに富む者のための政策を行う集団である。 したがって合理的には、社会階層の高い者たちが自民党を支持し、社会階層が低い者たちは野党を支持するはずである。そして、階層の高い者、豊かな者は社会全体から見れば少数であるから、大多数のお金持ちではない庶民は野党を支持しないと原理的にはおかしいということになる。) しかし、7月におこなわれた選挙でも、そうした結果にはなっていない。必ずしも豊かとは言えない人々も自民党に票を入れていなければ、比例区において自民党が最大割合(35%ほど)を獲得するという結果にはならないだろう。 SNSでは、野党を支持する人たちから、こうした選択について「愚かな選択」だとか、「分かっていない」などの発言が繰り返される。近年のリベラル層には、「正しくはリベラル的な政党を支持すべきだ。それが分からないのは知識がないのか、考え間違いなどをしているか、愚かなことである」といった意見も見られる。 しかし、ある意味、自民党を政権党にするという選択は、ほぼ一貫して第二次大戦後の日本社会のデフォルトの通常風景であり続けた。70年以上、例外的な時期を除けば、現在の政権党にあたる勢力を全体としては、支持し続けているのである。 こうなってくると、そうした選択を単なる「間違い」で済ませるわけにはいかない。むしろ、そうした結果になってしまう理由を考えるべきであろう。それこそが、理性的な思考となるのではないか。 そして、その理由を考えるのに役に立つのが「システム正当化理論」である』、「自民党を政権党にするという選択は、ほぼ一貫して第二次大戦後の日本社会のデフォルトの通常風景であり続けた。70年以上、例外的な時期を除けば、現在の政権党にあたる勢力を全体としては、支持し続けているのである。 こうなってくると、そうした選択を単なる「間違い」で済ませるわけにはいかない。むしろ、そうした結果になってしまう理由を考えるべきであろう。それこそが、理性的な思考となるのではないか。 そして、その理由を考えるのに役に立つのが「システム正当化理論」、興味深そうだ。
・『人は現状維持を望む傾向がある:安全を求めて  人は現在の社会のあり方をそのまま受け入れ、維持する傾向がある。これをジョン・ジョストは「システム正当化」と呼んだ。今こうであることには意味があり、それが正しいことであると正当化してしまうのだ。 このシステム(≒現状)を正当化しようという動機の基盤には、「認識論的欲求」「実存的欲求」「関係的欲求」があるという。 その仕組みを理解するために、システムを認めず、正当化をしなかったらどうなるか考えてみよう。 ある種の社会では政治的な現状に異議申し立てを行い、現在の政府を批判すると弾圧を受けるような場合もある。あからさまな弾圧は存在しない民主主義の国であっても、すでに多くの人が現政権を支持する状態に生まれ育てば、それを支持しないと周囲の人たちから非難されるかもしれない。たとえもし、現在の政治が正しくなく、変えるべきであると考えて行動したとしても、その先、どうなるかはわからない。 実際、日本においても、2009年に政権交代が実現し、民主党政権ができたが、十分に国民の期待に応えた政策を実行できたかどうかまだよくわからない状態で、政権維持に行き詰まり、事実上、最後は政権を投げ出すような行いを示した。 もちろん、それまで数十年もの間自民党の長期政権が続いてきたという環境では、長期間にわたって自民党と強固に連携してきた行政組織や経済団体と、関係を容易に「交代」できるわけではなく、その抵抗にあえば、行政的に行き詰まりやすい。 政権交代がよい結果をもたらすかどうかは、結果論的にあとを待たないと分からない。常に未来は不透明である』、「日本においても、2009年に政権交代が実現し、民主党政権ができたが、十分に国民の期待に応えた政策を実行できたかどうかまだよくわからない状態で、政権維持に行き詰まり、事実上、最後は政権を投げ出すような行いを示した」、「政権交代がよい結果をもたらすかどうかは、結果論的にあとを待たないと分からない」、ただ、「政権交代」が起きたメカニズムについての説明がないのは残念だ。
・『「世の中が変わらなければ、生きていける」  以上の話には、先に述べた「3つの欲求」がすべて含まれている。 まずは認識論的欲求である。どうなるか見通しがわからない、認識的に不分明・不確実な状態は、認識論的欲求として「わかりやすい」「すでにあった」「今までどおりのやり方」への志向性を高めてしまう。わかりやすく言えば、「自分はこれまで生きてきた世の中が今のまま何も変わらなければ、明日も生きていけるだろう」という確実性への欲求が、現状維持、すなわち、システム正当化を志向させるのだ。 つぎに、実存的欲求について。現状を支持する限り、周囲からは何の圧力もかからないだろう。周囲と軋轢を生まなければ安全を脅かされることはない。声高に反対を表明したり、デモに参加したりすることは、職場によっては反感を買ったり、評価を下げたり、出世を妨げたりすると考える人もいるだろう。 逆に言えば、政権に対して反対の意思を示すのは、いくらかの勇気と決断力、そして、組織などから見放されても自分の力で生きていける自信がないと、チャレンジしにくいことである。日本人は概ね自己評価が低い。自己評価の低い者にとって、安全を捨てて、危険のなかに飛び込むのは、言ってみれば「映画のなかだけの出来事」であり、現実の自分が行うことは決してないのである。 特に日本ではリスクが嫌われる。リスクをとる覚悟で何かをやるのは、日本社会では「少し変わった人」である。多くの平凡な人たちは、「変わった人」になる勇気など持ってはいない。「ふつうが一番」なのである。そしてその「ふつう」とは政権党を支持することである。この「自身の安全を守りたい」という気持ちが、実存的欲求である。 「ふつう」でいないと職場や所属集団で「浮く」かもしれない。若者も「意識高いね」と皮肉られるのを嫌う。現在、「空気を読む」という傾向が若者の間で強まっていることを示す、筆者の調査データもある。そもそもとがった意見を言うこと、何かを批判することについて、日本では免疫に欠ける。 欧米のデータでさえ、この「関係的欲求」に基づき大勢の人はシステム正当化を行うというのがジョン・ジョストたちのデータだ。日本においても、同様に周囲の人たちから無難に受け入れられるようにシステムを正当化する様子が見られる。 以上がいつまでも政権党(自民党)が勝ち続ける理由だ。こうして記してみると、すでに誰もがわかっているだろう、実にシンプルな常識ではないだろうか。だが、このシステム正当化理論をおいてほかにこれをきちんと整理して、理論化した考え方がなかったのだ』、「特に日本ではリスクが嫌われる。リスクをとる覚悟で何かをやるのは、日本社会では「少し変わった人」である。多くの平凡な人たちは、「変わった人」になる勇気など持ってはいない。「ふつうが一番」なのである。そしてその「ふつう」とは政権党を支持することである。この「自身の安全を守りたい」という気持ちが、実存的欲求である」、「そもそもとがった意見を言うこと、何かを批判することについて、日本では免疫に欠ける。 欧米のデータでさえ、この「関係的欲求」に基づき大勢の人はシステム正当化を行うというのがジョン・ジョストたちのデータだ。日本においても、同様に周囲の人たちから無難に受け入れられるようにシステムを正当化する様子が見られる」、ただ、日本での「政権交代」は事実として述べただけで、メカニズム的な作用につては、説明がないのは残念だ。
・『「この集団を脱したい」という思い  自分が属する集団を「内集団」、自分が属さない集団を「外集団」という。この関係性を重視する社会的アイデンティティ理論では、人は自身の属する内集団をひいきすることが幾度も語られてきた。しかし、この点についても、システム正当化理論は異なる角度から社会を見つめる。そしてそこにも、自身が必ずしも得をしない政策を推進する政党を支持してしまったりする現象を説明する手がかりがある。 日本ではアメリカのスラムと異なり、貧困地区が明瞭に他と区別されるように存在することは減ってきているが、たとえばスラムに住む者が全員「自分たちの集団はすばらしい集団だ」と皆が考えるとは限らない。「いずれこの集団を脱出したい」と考える者たちもいることだろう。 ジョン・ジョストはこのように、人は自分が属する集団を必ずしも好むわけではないという、それまでの社会的アイデンティティ理論とは対立する現実に着目した。スラムのなかには「いつか成功してお金持ちになる」と思っている人もいる。彼らは、リッチな人々という、現在の時点では「外集団」である存在に憧れ、それらを好ましく思うのだ。一般の庶民であった者が芸能人に憧れ、いつか有名人になってリッチになることを夢見る場合も同様である。 自身が困難な状況にあるほど、そこから脱して望ましい状態に至ろうとする人もいるだろう。その場合、彼らにとって、恵まれた集団は「目標」であって、「批判」する対象とはならない。恵まれた人々(≒社会的に力を持っている人々)を批判したところで、結局、そのあと自分自身がどうなるかは認識論的に不確実であると考えられるからだ。 もちろん、狭い集団の範囲で見れば、内集団をひいきし、外集団を貶めたほうが、安全が守られるかもしれない。しかし、より広い社会を視野に入れた場合、恵まれた人々を批判すると、実存的にも安全が脅かされ、関係的にも(より広い範囲の)周囲から煙たがられ、嫌われるおそれ、可能性があるからだ。 女性の初期の社会進出の際、男性社会に同化するように、「男並み」の働きを目指して、結婚や家庭を持つことを犠牲にしてきた先駆者がいたのと同じ仕組みが働いているのである。この本ではこうしたジェンダーの問題も取り上げている。) そこで、恵まれない人々、不利な人々(の一部)は、恵まれた人々を目標として、努力することになる。こうして努力が成功を生むという神話が支持されることとなり、これは反転して、成功を得られなかった時に、「自分は努力が足らなかった。だから自己責任である」という自己責任論を招くことにもなるのだ。 日本において、いまほど、自己責任論が猛威を振るっている時代はなかっただろうと思われる。自己責任論は、経済的な自由や競争を重視する新自由主義的な考え方と相性がよい。自己責任論で自身の境遇を捉える限り、そこから新自由主義を否定する論理は立ち上がりにくい』、「自己責任論は、経済的な自由や競争を重視する新自由主義的な考え方と相性がよい」、その通りだ。
・『「外集団ひいき」のような状況  この不思議な「外集団ひいき」と言ってよいような状況、すなわち、本来ならば成功した長者が支持することの多い新自由主義に、経済的に恵まれない人たちが絡め取られていく様子を、システム正当化理論は描いている。 ちなみに、「システム」とひと口で言っても、実のところ、そこには政治システムのほかに、経済システムや社会文化システムがある。経済システムの正当化への志向性を測定する尺度項目には、「経済格差は不可避であり、それどころか自然なものでさえある」という認識がその中心的なものとして含まれている。 その尺度によって人々の考えを測定した研究によれば、格差によって不利な状態にあり、いわば虐げられているものでさえ、今の仕組みは公正で正当であり、だから今の自分の境遇は仕方のないことと認めてしまうのである。これが自発的な隷従であるとジョン・ジョストは指摘している。 かつて奴隷制があった時でさえ、それに反発して立ち上がった者のほうが、声をあげなかった者たちよりも圧倒的に少数である。フランス革命など世界史的な革命は、体制をくつがえす人間の力を証明するものとして注目を浴びるが、それ以前のずっとずっと長い間、人々は奴隷制や王政への隷従に堪え忍んできたわけであり、ある意味そうした格差社会に驚くべき順応を示してきたのである。 「システム正当化理論」では、歴史上、圧倒的多数の人々が反乱よりも屈服を選び、従属状態に順応してきたことが指摘されている。インドのカーストにおいて下層にある者がそれを当然と考えていたこと、西アフリカの事例においてもカーストに類する制度が廃止された後も、「ご主人さまから呼ばれたら、当然のようにすぐ飛んでくる」といった日常のあり方が続いたことが示されている。人々は現状である日常を「当然のものとして」受け入れ、そのなかで生きているという現実がある。 そして、社会文化的側面においても、システムを正当化する人たちは、これまでの習慣を守ろうとする。それは、夫婦同姓という制度であったり、男尊女卑の伝統的性役割であったりもする。フェミニズム運動も若い女性たちから嫌われる傾向が指摘されている。いまだに玉の輿のように、「幸せな結婚」を望む女性たちは巷にあふれている。 自ら差別状態に入っていっても、差別されているという実感を持たない不利な立場の人たちもいる。差別されている事実に気づくこと自体が、自分の心を傷つけてしまうからだ。 私たち日本で暮らしている人々も、こうした現状において「隷従を続けている」との描写を否定できるだろうか。批判的精神を獲得するには、自身のなかにある認識論的、実存的、関係的不安をまず克服しなければならないのである。そうした安全感覚は、今の日本で広く与えられているであろうか』、「「経済格差は不可避であり、それどころか自然なものでさえある」という認識がその中心的なものとして含まれている。 その尺度によって人々の考えを測定した研究によれば、格差によって不利な状態にあり、いわば虐げられているものでさえ、今の仕組みは公正で正当であり、だから今の自分の境遇は仕方のないことと認めてしまうのである。これが自発的な隷従であるとジョン・ジョストは指摘」、「「システム正当化理論」では、歴史上、圧倒的多数の人々が反乱よりも屈服を選び、従属状態に順応してきたことが指摘されている」、その面では確かに正しいようだ。ただし、「システム正当化理論」では、政権交代が発生したことは説明し切れないようだ。原典では、アメリカ人が書いているので、きちんと書き込んでいるのかも知れないが、翻訳する段階でそうした部分を飛ばしている可能性もある。いずれにしても、翻訳されたものは、政権交代をきちんと説明しておらず、「理論」とよぶには問題があるようだ。
タグ:(その3)(集集中連載 今考える「新自由主義」 第3回 日本の生産性を押し下げる低賃金 米国型コーポレート・ガバナンス導入が病巣=中岡望、なぜ「経済的に恵まれない人」が「新自由主義を支持する」のか? 社会心理学が明らかにしたこと) 新自由主義 週刊エコノミスト Online「集集中連載 今考える「新自由主義」 第3回 日本の生産性を押し下げる低賃金 米国型コーポレート・ガバナンス導入が病巣=中岡望」 実際の「最低賃金」は「全国加重平均」で31円引上げ、961円にすることになった(8月6日付け日経新聞) 「米国型コーポレート・ガバナンスの導入も日本に大きな影響」、「米国型コーポレート・ガバナンスは、日本の労使関係を根底から変えてしまった。同時に経営者は米国と同様に巨額の報酬を手にするようになる」、なるほど。 「低賃金労働が使える限り、企業は資本コストの高い合理化投資を積極的に行わない。 企業は労働コストが上昇すれば、競争力が低下するために合理化投資を行わざるを得ない。大胆に言えば、日本企業の生産性が低いのは、賃金が安いからである」、その通りだ。 「短時間で同じ労働成果を上げることができれば、それは生産性向上を意味し、基本給の引き上げで従業員に還元されるべきものである。 だが、企業は所得が減った従業員に副業を推奨するという奇妙な議論が横行している。「労働の流動化」を口実に賃金引き下げと雇用の安定性が損なわれている」、「労働賃金を低く抑え、生産性向上投資を抑制し、目先の利益を増やし、経営者報酬と配当を増やし、株価を上げるという経営は、日本経済を間違いなく弱体化させてきた」、同感である。 「連合」が立憲民主党と共産党の共闘に水を差し、他方で自民党にもシッポを振っているのは、連合の戦闘力喪失を表している。 「2018年のストによる労働損失日は日本ではわずか1日」、というのは初めて知ったが、情けないことだ。 「労働市場で個人が企業と向かい合い、交渉することは不可能である。両者の間には圧倒的な力の差がある。だからこそルーズベルト大統領は労働者の団結権と団体交渉権を認め、全国労働関係委員会に労働争議の調整役を委ねたのである。小手先の制度改革ではネオリベラリズムの弊害を断ち切ることはできない。 バイデン大統領は中産階級の失地回復こそが格差是正の道であり、繁栄に至る道であると主張している。そのためには労働組合が企業に対して十分な交渉力を持つ必要があると説いている」、「貧富の格差拡大は社会を分断し、深刻な貧困問題を引き 「貧富の格差拡大は社会を分断し、深刻な貧困問題を引き起こす。長期的には経済成長を損なうことになる。そうした事態を回避するには現在の制度の構造的な見直しが要である。 税制の見直しや最低賃金の引き上げに加え、正規労働者と非正規労働者に二分された労働市場の見直しも不可欠である。労働者や消費者などさまざまな立場の人の意見を反映させるようなコーポレート・ガバナンスを構築する必要がある」、同感である。 「岸田首相の“本気度”と“覚悟”が問われる」、とあるが、それは期待し過ぎだ。立憲民主党から建設的な意見が出てきてほしいものだ。 現代ビジネス 北村 英哉氏による「なぜ「経済的に恵まれない人」が「新自由主義を支持する」のか? 社会心理学が明らかにしたこと」 「自民党を政権党にするという選択は、ほぼ一貫して第二次大戦後の日本社会のデフォルトの通常風景であり続けた。70年以上、例外的な時期を除けば、現在の政権党にあたる勢力を全体としては、支持し続けているのである。 こうなってくると、そうした選択を単なる「間違い」で済ませるわけにはいかない。むしろ、そうした結果になってしまう理由を考えるべきであろう。それこそが、理性的な思考となるのではないか。 そして、その理由を考えるのに役に立つのが「システム正当化理論」、極めて興味深そうだ。 「日本においても、2009年に政権交代が実現し、民主党政権ができたが、十分に国民の期待に応えた政策を実行できたかどうかまだよくわからない状態で、政権維持に行き詰まり、事実上、最後は政権を投げ出すような行いを示した」、「政権交代がよい結果をもたらすかどうかは、結果論的にあとを待たないと分からない」、その通りだ。 「特に日本ではリスクが嫌われる。リスクをとる覚悟で何かをやるのは、日本社会では「少し変わった人」である。多くの平凡な人たちは、「変わった人」になる勇気など持ってはいない。「ふつうが一番」なのである。そしてその「ふつう」とは政権党を支持することである。この「自身の安全を守りたい」という気持ちが、実存的欲求である」、「そもそもとがった意見を言うこと、何かを批判することについて、日本では免疫に欠ける。 欧米のデータでさえ、この「関係的欲求」に基づき大勢の人はシステム正当化を行うというのがジョン・ジョストたちのデ 「自己責任論は、経済的な自由や競争を重視する新自由主義的な考え方と相性がよい」、その通りだ。 「「経済格差は不可避であり、それどころか自然なものでさえある」という認識がその中心的なものとして含まれている。 その尺度によって人々の考えを測定した研究によれば、格差によって不利な状態にあり、いわば虐げられているものでさえ、今の仕組みは公正で正当であり、だから今の自分の境遇は仕方のないことと認めてしまうのである。これが自発的な隷従であるとジョン・ジョストは指摘」、「「システム正当化理論」では、歴史上、圧倒的多数の人々が反乱よりも屈服を選び、従属状態に順応してきたことが指摘されている」、その面では確かに正し
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