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女性活躍(その26)(「ベテラン女性記者」が「夜のサシ取材」に気を使わなくてよくなった瞬間 感じた「少しの寂しさ」、管理職は自分が成長できるチャンス 健康社会学者・河合薫が説く「10のうち7」を割り切る考え方、日本の理系女子割合はOECDで最低…「理数好き」も文系を選ぶ残念な理由【おすすめ本紹介】 ~『なぜ理系に女性が少ないのか』(横山 広美 著)を読む、安藤優子氏が説く 古すぎる自民党の女性認識や家族観はどこから来て なぜ頑迷なのか) [社会]

(はじめに)昨夜はSo-netのサーバートラブルできちんと更新が出来なかったので、まず、昨日分を更新する)

女性活躍については、本年3月18日に取上げた。今日は、(その26)(「ベテラン女性記者」が「夜のサシ取材」に気を使わなくてよくなった瞬間 感じた「少しの寂しさ」、管理職は自分が成長できるチャンス 健康社会学者・河合薫が説く「10のうち7」を割り切る考え方、日本の理系女子割合はOECDで最低…「理数好き」も文系を選ぶ残念な理由【おすすめ本紹介】 ~『なぜ理系に女性が少ないのか』(横山 広美 著)を読む、安藤優子氏が説く 古すぎる自民党の女性認識や家族観はどこから来て なぜ頑迷なのか)である。

先ずは、本年3月26日付け現代ビジネスが掲載した毎日新聞論説委員の佐藤 千矢子氏による「「ベテラン女性記者」が「夜のサシ取材」に気を使わなくてよくなった瞬間、感じた「少しの寂しさ」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/104659?imp=0
・『日本一の「オッサン村」ーー永田町の非常識、政治メディア の実態。 全国紙初の女性政治部長が克明に記す「男社会」のリアル。 なぜ、永田町と政治メディアにオッサンが多いのか? 幾多の「壁」に直面してきた政治記者が男性優位主義の本丸で考えた、日本社会への処方箋。 *本記事は、佐藤千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書)を抜粋・再編集したものです』、「全国紙初の女性政治部長」とは大したものだ。
・『夜の「サシ」取材  1993年夏に自民党が野党に転落した後、私は厚生省(現在は厚生労働省)や外務省など官庁取材を経て、1996年に橋本政権ができるとまた梶山官房長官番になるのだが、そのあたりの詳しい話は、繰り返しになるので省こうと思う。 ただ、このころになると中堅・ベテラン記者になるため、違う問題が生じてくる。 女性の政治記者にとってのハードルの中に、政治家、政治家の秘書、官僚らとの「サシ」取材の問題がある。夜のサシ取材はなかなか気を遣う。 例えば、夜中に男女が2人で焼き肉を食べていたら、男女関係があると見られがちだが、記者の場合はそうではない。それが日常的な仕事だ。 こちらが気にしなくても、相手が写真誌などを警戒して嫌がることも多い。正当な取材なのに、あたかも男女関係があるように見せかけ、はめようと思えば、いくらでもできる。そういうことを警戒するのは、政治家よりも官僚に多かった。「誰かに見られると困るから、個室か半個室がいい」と言われることもよくある。 もちろん日中に取材できれば、それに越したことはないが、忙しい中で相手が早朝や深夜にしか時間を取れないという場合はどうしてもある。電話やメールですむ取材ならそれでいいが、重要な取材は昔も今も対面が基本だ。新型コロナウイルスの感染拡大で、対面取材が制限され、オンライン取材や電話取材に軸足を移さざるを得なかった時期もあるが、オンラインや電話では政治の機微に触れる話はしにくいし、やはり重要なニュアンスが抜け落ちてしまう。) 若いころは、サシ取材には本当に気を遣った。男女という要素をほとんど気にせずにサシ取材ができるようになったのは、政治部でキャップ、デスクなど責任ある立場を任されるようになってからだ。こちらにも自信が出てくるし、相手も粗雑な扱いはしなくなる。 ほんの5年ぐらい前のことだが、政治家の秘書が、ある女性記者からサシで飲みに行こうと誘われ、悩んでいた。その秘書は政局の筋読みが正確で、重要な取材対象だった。 「どうしようかな、やっぱりまずいかな。○○ちゃんとサシはまずいよな」と言っている。 「もう1人、誰かを誘ったら」とアドバイスしたら、「そうだね。それじゃあ、あいつを誘おう」と、他社の男性記者に声をかけていた。その男性記者には気の毒なことだ。いや、女性記者を利用して楽に取材機会が得られるのだから、「儲けもの」と思う男性記者もいるかもしれない。このあたりは、記者の個人的な力量と感性によって差がある。 その後、数週間して、私もその秘書に聞きたいことがあり、一緒に飲みながら話をしようかということになった。しかし、先日の様子を見ていたので「誰か誘おうか。サシがまずければ」と言うと、「なんでまずいの。いいじゃん。2人で行こうよ」とあっさり言われた。 私は「○○ちゃん」のように、相手が取材を受ける時にウキウキするような女性記者ではなくなっていた。年齢と立場の違いが大きいだろう。「ああ、これで夜のサシ取材にピリピリと気を遣わなければならない、長い間の苦労がようやく終わったんだな」と感慨深く思うと同時に、少し寂しくもあった。 さらに連載記事<「女性がいると会議が長引く」森喜朗元首相の女性蔑視発言に共鳴して噴出した、オッサンたちの「とんちんかんな本音」>では、著者が実際に体験した「オッサンの壁」について詳しく語ります。 本記事の抜粋元『オッサンの壁』(講談社現代新書)では、永田町の「驚きのエピソード」や政治記者の「過酷な競争」について、著者の実体験をもとに詳しく語っています。ぜひ、お買い求めください』、「私は「○○ちゃん」のように、相手が取材を受ける時にウキウキするような女性記者ではなくなっていた。年齢と立場の違いが大きいだろう。「ああ、これで夜のサシ取材にピリピリと気を遣わなければならない、長い間の苦労がようやく終わったんだな」と感慨深く思うと同時に、少し寂しくもあった」、「女性」を卒業した筆者の悲哀がにじみ出ている。
・『永田町 「驚きのエピソード」 ・総理秘書官の抗議 「首相の重要な外遊に女性記者を同行させるとは何ごとだ!」 ・夜回り取材時、議員宿舎のリビングで、いきなり抱きついてきた大物議員 ・いつも優しい高齢議員が「少しは休みなさい」と布団を敷き始めた……さて、どうする? ▽政治記者の「過酷な競争」 ・事実無根の告げ口をされ、梶山静六に激怒される 「あんたが漏らしたのかっ!」 ・空恐ろしかった一言 「女性で声が一人だけ高いから、懇談の場の空気が乱れるんだよ」 ・毎朝の「ハコ乗り」競争、夜の「サシ」取材……入浴時間を削って働く激務の日々』、それぞれ説明が欲しいところだが、空想を膨らますほかないようだ。

次に、3月26日付けAERAdot「管理職は自分が成長できるチャンス 健康社会学者・河合薫が説く「10のうち7」を割り切る考え方」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/aera/2023032300079.html?page=1
・『負担の大きさから敬遠されがちな管理職だが、発想の転換でそのとらえ方も変わってくる。鍵を握るのは自分の成長だ。900人以上のビジネスパーソンに取材した健康社会学者・河合薫さんが解説する。AERA 2023年3月27日号の記事を紹介する。 私は900人以上の管理職を取材してきましたが、「世の中で最も大変な仕事じゃないか」と思うこともあります。管理職のポストは減っていく中で任される仕事は増え、年々過酷になっている。昔は他部署の上司との「斜めの関係」で助言を得たりもできたけど、いまは許されない。「課長にならなきゃよかった」「管理職にはなりたくない」という声も聞きます。 会社側にも責任があります。管理職とはプレーヤーとは明らかに別の、人をマネジメントしつつ経営的なところに関わっていく仕事。「管理職は何のためにあるのか」を明確に意味づけするメッセージを出しつつ、ヒューマンスキルの向上も含めた十分なトレーニング(研修)が必要なのですが、決定的に欠けている。学ぶ機会があれば「大変さ」の中でも、「管理職などできないと思っていたけど、できるな」などと実感でき、自分が変わり、成長するチャンスにできると思います。 「上と下にはさまれた苦労」もよく言われます。ただ、考えてみれば上司があなたに難しいことを言ってくるのは、「その上司の上司」に評価されないから。「上司の顔を立てる」ことも組織で生き残るためには大切です。10のうち7くらいは上司の出世に役立つことをやると割り切り、残りの3割で管理職のポジションと裁量権を「利用して」、自分が成長できそうなことを仕事人に徹して一生懸命やってみる。1か10かではなく、発想の転換で管理職のとらえ方も変わってくるはずです。 「部下が言うことを聞かない」も、「聞かせよう」がすでに驕りです。ここも「上司に7、自分に3」と同じで、部下がやりたいと思っていることを引き出しつつ、「だったらこれをやってみれば」と、部下の仕事の役に立つことを言ってあげるように心がける。心の距離が縮まったら、「ちょっと協力してもらえないかな」と持っていく。 部下を成長させるには、現場で熱くなった経験が一番大事。ただ、部下の世代の価値観に合ったやり方で熱くさせる工夫が必要です。そこも考えつつ学び、考え、挑戦してみる。他企業の管理職とも意見交換してみる。そんな過程で、「部下を動かす」ことが逆に面白くなってくるのではないかと思います』、「管理職とはプレーヤーとは明らかに別の、人をマネジメントしつつ経営的なところに関わっていく仕事」、課長クラスでは、プレイング・マネジャーの性格が強い場合も多い。「10のうち7くらいは上司の出世に役立つことをやると割り切り、残りの3割で管理職のポジションと裁量権を「利用して」、自分が成長できそうなことを仕事人に徹して一生懸命やってみる。1か10かではなく、発想の転換で管理職のとらえ方も変わってくるはずです」、「「部下が言うことを聞かない」も、「聞かせよう」がすでに驕りです。ここも「上司に7、自分に3」と同じで、部下がやりたいと思っていることを引き出しつつ、「だったらこれをやってみれば」と、部下の仕事の役に立つことを言ってあげるように心がける。心の距離が縮まったら、「ちょっと協力してもらえないかな」と持っていく」、なかなか巧みな処世術だ。

第三に、3月31日付けダイヤモンド・オンライン「日本の理系女子割合はOECDで最低…「理数好き」も文系を選ぶ残念な理由【おすすめ本紹介】~『なぜ理系に女性が少ないのか』(横山 広美 著)を読む」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/320362
・『視野を広げるきっかけとなる書籍をビジネスパーソン向けに厳選し、ダイジェストにして配信する「SERENDIP(セレンディップ)」。この連載では、経営層・管理層の新たな発想のきっかけになる書籍を、SERENDIP編集部のチーフ・エディターである吉川清史が豊富な読書量と取材経験などからレビューします。今回取り上げるのは、OECD加盟国で最下位という、日本の理系学生における「女性比率の低さ」の原因を探り、ジェンダーバイアスの実態に迫る一冊です』、意欲的な本のようだ。
・『思考停止につながる「そういうものだ」という固定観念  今年3月24日に最終回を迎えたテレビ東京系列のドラマ『今夜すきやきだよ』は、主人公二人のウィットに富む会話や、シンプルながら魅力的な料理の映像が毎回楽しめる良作だった。 谷口菜津子作の同名漫画を実写化したこのドラマは、性格が正反対のアラサー女性2人の共同生活を通して、現代の結婚観や友情のあり方を描いていた。特にハッとさせられたのが、トリンドル玲奈演じる主人公の一人・浅野ともこが、語気を強めて「私、『そういうもの』という言い方が大っ嫌い!」と言い放つ場面だった。 ここで言う「そういうもの」とは、例えば「なぜ結婚したら妻が料理を作らなくてはならないのか」「なぜ結婚したら女性が姓を変えなくてはいけないのか」といった疑問に答えるときに使われるものだ。 「そういうものだからだよ」と。 他者に恋愛感情を抱きづらいアロマンティック(注)として描かれるともこは、作中一貫して「そういうもの」に抵抗し続けた。 「そういうもの」とは、たいてい根拠のない固定観念を表している。もっと強い言い方をするならば「思考停止」した言葉といえる。ジェンダー差別にもつながりかねない思考や行動を問題視し、悪習を改めないまま残すことになるからだ。 こうした思考停止が、学問やビジネスの場面でもイノベーションの妨げになるのは言うまでもない。 今回紹介する書籍『なぜ理系に女性が少ないのか』は、「女性は理系の学問に不向き」といった「そういうもの」、すなわち固定観念が染み付いた日本の社会風土の実態を、各種調査データや先行研究などから明らかにしている。 そしてそれを踏まえ、高等教育機関(大学・大学院など)の理系学生における女性割合が「OECD加盟国の中で最低」である日本の現状を改善するために何をするべきかを論じている。 著者の横山広美氏は、東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構副機構長・教授などを務めており、科学技術社会論を専門とする女性研究者である』、「今回紹介する書籍『なぜ理系に女性が少ないのか』は、「女性は理系の学問に不向き」といった「そういうもの」、すなわち固定観念が染み付いた日本の社会風土の実態を、各種調査データや先行研究などから明らかにしている。 そしてそれを踏まえ、高等教育機関(大学・大学院など)の理系学生における女性割合が「OECD加盟国の中で最低」である日本の現状を改善するために何をするべきかを論じている」、興味深そうだ。
(注)アロマンティック:他人に恋愛感情を抱かないセクシュアリティ(JocRainbow)。
・『女子学生の選択肢を狭めかねない「ステレオタイプ脅威」とは?  横山教授は、日本は理系大学生の女性割合が低いだけでなく、そもそも大学進学においても男女格差が大きい国であるという事実を指摘。その背景には「(学問的な)優秀さは男性のものであり、女性には不要である」という、日本固有の社会風土があると考察している。 本書では、その社会風土の存在を裏付ける一つのエピソードが紹介されている。 OECD主催の「PISA」という15歳の生徒が受ける国際学力テストにおいて、2018年の数学の成績は、男女ともに日本がトップクラス。日本の生徒の中では男子の成績が女子を上回ったが、その差はわずかだった。 横山教授の共同研究者が、このデータを国内の某大学の学生に見せたところ、「日本はやはり、男子の方が成績の良い国なんですね」という反応が複数あったそうだ。 「日本は男女ともに他の国よりも成績が良い」ということではなく、わずかな差を捉えて「やっぱり男子の方が優秀」という感想を漏らすのは、前述の「優秀さは男性のもの」といった日本の社会風土が根強いことを示していると、横山教授は考えている。 だが実際はもちろん、数学が得意な人も苦手な人も、男女を問わず存在する。 そもそも数学の学力の男女差が「生まれながら」なのか、「育ちによる」のか、という論争は国内外で長年にわたり続いており、決定的な結論は出ていないという。 そして、昨今の生物学的要因に着目した研究では、数学の得意・不得意を左右する要因は「性差」よりも「個人差」が大きいとする結論に傾きつつあるようだ。 「生まれ」よりも「育ち」が重要であることが分かってきたにもかかわらず、日本で理系に進む女性が少ないのはなぜか。その要因として挙げられるのが「ステレオタイプ脅威(stereotype threat)」だ。 ステレオタイプ脅威とは、「男性は○○に向いていない」「女性は○○が苦手」といったネガティブな固定観念が人々の心に刷り込まれた結果、実際に当人のパフォーマンスが低下してしまうことだ。 本書の内容からは外れるが、広島大学大学院の森永康子教授も、このテーマの研究に力を入れている人物だ。 森永教授らの論文によると、数学の試験で好成績を収めた女子生徒に「女の子なのに算数ができてすごいね」と声をかけると、当人は「女の子なのに」という言葉に気持ちがそがれてやる気をなくす、といった事象があったそうだ。) 本書の著者である横山教授も、物理学や数学に「男性が得意とする科目」というイメージが強いことから、「思春期を迎えた女子生徒が男っぽく見られるのを嫌って、理系科目に苦手意識を持つこともある」と推測している。 ステレオタイプ脅威は、まさに冒頭で触れた「そういうもの」の弊害といえるだろう。 ちなみに、筆者の同僚の女性の娘さん(小学1年生)は「好きな教科は算数!」と言っているそうだ。「そのまま数学や理科が得意になって理系に進めば素敵なことだ」と同僚は考えているそうだが、ステレオタイプ脅威が将来の選択肢を狭めないことを祈りたい』、「ステレオタイプ脅威とは、「男性は○○に向いていない」「女性は○○が苦手」といったネガティブな固定観念が人々の心に刷り込まれた結果、実際に当人のパフォーマンスが低下してしまうことだ」、「物理学や数学に「男性が得意とする科目」というイメージが強いことから、「思春期を迎えた女子生徒が男っぽく見られるのを嫌って、理系科目に苦手意識を持つこともある」と推測」、確かにありそうな話だ。
・『日本にはもっと理系女子のロールモデルが必要  横山教授は本書で、日本と英国における自身の研究を踏まえ、日本には理系女性研究者のロールモデルが足りないと指摘。もっと若手の女性物理学者や女性数学者たちが注目されるべきだと主張している。 その研究では、日本と英国(イングランド)在住の、20歳から69歳までの男女約1000人(男女比はほぼ半々)を対象に「数学と物理学」にまつわる質問を行った。 質問内容は「当該分野の男性的カルチャー」「幼少時の経験」「自己効力感の男女差」「性差別についての社会風土」に関するものだ。 その結果、イングランドでは「物理学における女性のロールモデルが思いつかない」と答えた人ほど「物理学に対して男性のイメージが強い」という傾向が見られた。一方で、日本ではこの項目に有意な結果が出なかったという。 この文面だけを見ると、「日本では物理学に対するステレオタイプが希薄であり、意外とジェンダー差別がない」と思えるかもしれないが、実際はそうではない。 日本ではロールモデルそのものが現状ほとんどないために、物理学とジェンダーを結び付けて考える人のサンプル数も少なく、有意な結果として表れなかったのだ。 ここからは私見だが、理系女子学生や女性研究者を「リケジョ」と呼ぶのが一時期流行した。筆者も当時関わった媒体で、横山教授を含む何人かの「リケジョ」を取材したことがある。 「リケジョ」という呼称には、ジェンダー差別を助長するものとして批判の声もある。理系に女性が希少であるゆえの呼称ではあるが、女性が多い看護学部や文学部の男子学生を「カンダン」「ブンダン」と呼ぶことはない。「女性は理系科目が苦手」という意識の裏返しの揶揄(やゆ)的な呼称ともいえるのは確かだ。 しかしながら、横山教授が主張するように、当面めざすべきは「理系女性のロールモデル」の可視化だとすれば、そのためにプラスの意味で「リケジョ」という呼称を用いるのは有効な手段となるのではないだろうか。 女性が「理系を選んだ少数派」ではなく「憧れの存在」として「リケジョ」を見るようになるのが理想的だ。 「リケジョにならない」のが普通であり、世の中の大多数が「そういうもの」だと思っていたら、将来の貴重な人材の可能性をつぶすことにもなりかねない』、「横山教授が主張するように、当面めざすべきは「理系女性のロールモデル」の可視化だとすれば、そのためにプラスの意味で「リケジョ」という呼称を用いるのは有効な手段となるのではないだろうか。 女性が「理系を選んだ少数派」ではなく「憧れの存在」として「リケジョ」を見るようになるのが理想的だ」、その通りだ。
・『社会風土が変わり「リケジョは当たり前」になってもいい  そうした状況を変えるために、われわれにできることは、世の中に「そういうもの」があるという事実を受け止めた上で、そのどこが間違っていて、どこまでが正しいのかを知ること。そして、しっかりとした判断軸、いわば「自分の物差し」を持つことではないか。 「リケジョになること」も魅力的な選択肢であり、女性が理系に進むのも当たり前である――。そうした価値観を多くの人が共有できれば、社会風土も変わっていくはずだ。 本書は単に「理系に女性が少ない理由」を学べるだけでなく、人々の意識の根底に潜むステレオタイプとの向き合い方についても考えさせられる一冊だ。 ジェンダーに限らず、日本社会の「そういうもの」に一度でも疑問を持ったことがある方は、ぜひ手に取って見識を深めていただきたい』、「世の中に「そういうもの」があるという事実を受け止めた上で、そのどこが間違っていて、どこまでが正しいのかを知ること。そして、しっかりとした判断軸、いわば「自分の物差し」を持つことではないか。 「リケジョになること」も魅力的な選択肢であり、女性が理系に進むのも当たり前である――。そうした価値観を多くの人が共有できれば、社会風土も変わっていくはずだ」、同感である。

第四に、4月10日付け日刊ゲンダイが掲載したキャスター・ジャーナリストの安藤優子氏による「安藤優子氏が説く 古すぎる自民党の女性認識や家族観はどこから来て、なぜ頑迷なのか」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/321150
・『岸田首相の同性婚に対する認識や首相秘書官のLGBTQへの差別発言には、自民党の「伝統的家族観」が透けて見える。先月末、「たたき台」が出された少子化対策も、政権与党の家族や女性に対する意識が変わらなければ効果が出ないだろう。そんな中、注目されているのが「自民党の女性認識 『イエ中心主義』の政治指向」という一冊。著者は、長年のテレビキャスター業の中で抱いた疑問を大学院で研究、博士論文にまとめたという。古すぎる自民党の家族観は、どこから来て、なぜ頑迷なのか(Qは聞き手の質問、Aは安藤氏の回答)』、安藤優子は保守的過ぎて、好きではないが、自民党の考えを探るには適任だ。「博士論文にまとめた」というのも大したものだ。
・『Q:LGBTQや同性婚、少子化の問題がクローズアップされ、著書が注目されています。昨夏に刊行された際、自民党から反応があったそうですね。 A:最初は「えっ」って。でも、意外に興味を示してもらえて。自民党の中でも早期に夫婦別姓を実現する議員連盟などから、話を聞かせてほしいというリアクションがありました。決してアゲンストな反応ではなく、そういう考え方もあるのかと捉えていただけたのは良かったです。 Q:著書のタイトルに「イエ中心主義」とあります。自民党の女性認識や家族観について、どんなことが分かったのでしょう? A:研究の出発点は「なぜ日本はこんなに女性の国会議員が少ないのか」でした。そして、女性に注がれている「らしくあるべき」などの社会の目線がどこから来たのか、という疑問にたどり着いた。研究を進めていくと、それは、突然降って湧いたりとか、誰かが種をまいて芽を出し、ふんわりとしたところで植えつけられたものではなく、一定の意図を持って再生産されてきたということが分かった。 自民党は長らく政権与党としてこの国の政治を牽引し、同時に日本の政治文化をつくってきました。それには、役割分担論も含まれます。まず母親、良き妻として頑張れとか、子どもを産んで育てて一人前とか。そうした価値観は、自民党の経済政策として、1970年代に再評価されたものが戦略的に再生産され続けてきた、ということを本の中で解き明かしているんです』、「自民党は長らく政権与党としてこの国の政治を牽引し、同時に日本の政治文化をつくってきました。それには、役割分担論も含まれます。まず母親、良き妻として頑張れとか、子どもを産んで育てて一人前とか。そうした価値観は、自民党の経済政策として、1970年代に再評価されたものが戦略的に再生産され続けてきた」、その通りだ。
・『個の尊重が欠落した「枠の保守」  Q:伝統的な家族観は、そもそも経済政策だったんですか。 A:1970年代、女性に「家庭長」という奇妙な役割を与えて、家庭内安全保障を機能させたのです。女性が家庭長として、子どもをちゃんと育て、夫を元気で送り出し、おじいちゃんおばあちゃんの面倒をつつがなく見て、家庭の中の安全保障を担えば、ひいては国の福祉予算が減免されるという経済政策です。つまり、家庭長という形で女性に無償の労働負担を強いたわけで、女性は家庭長たる者が最も美徳とされる価値観が強調されるようになっていきました。女性は家の構成員としては認識されても、個人として認識されず、常に誰かに従属するものとされてきた。私はこれを「女性の個人としての認識の放置」と呼んでいます。 Q:今もその状態が続いている? A:女性に対する認識は一度たりとも変更や見直しが行われていません。政治の無作為の作為です。個人を尊重しないのは人権問題であり、LGBTQや夫婦別姓の問題の根源と、ものすごくリンクする。自分の性や指向に対しての自由は、人権そのものじゃないですか。常に家を中心とした価値観みたいなものが、個の尊重を阻んでいます。今の対立の構図そのものですよね。例えば、岸田さんは同性婚について「社会が変わってしまう」とおっしゃった。 パパとママがいて、2人の子どもがいてという、今やどこに行ってしまったか分からないような、税金計算する時のモデルケースみたいな家庭の形が、社会だとおっしゃりたいのかもしれない。しかし、「形が変わってしまう」のは枠組みであって、そこで圧倒的に欠落してるのが、パパもママもひとりの人間なんだよっていう個の尊重です。LGBTQの問題も夫婦別姓の問題も、別に全員にそうしろと言っているわけじゃない。選択の自由をくださいと言っているのであって、すべて禁止でなければならないという考え方は「枠の保守」なんだと私は考えています』、「家庭長という形で女性に無償の労働負担を強いたわけで、女性は家庭長たる者が最も美徳とされる価値観が強調されるようになっていきました。女性は家の構成員としては認識されても、個人として認識されず、常に誰かに従属するものとされてきた。私はこれを「女性の個人としての認識の放置」と呼んでいます」、「女性に対する認識は一度たりとも変更や見直しが行われていません。政治の無作為の作為です。個人を尊重しないのは人権問題であり、LGBTQや夫婦別姓の問題の根源と、ものすごくリンクする」、「岸田さんは同性婚について「社会が変わってしまう」とおっしゃった・・・今やどこに行ってしまったか分からないような、税金計算する時のモデルケースみたいな家庭の形が、社会だとおっしゃりたいのかもしれない。しかし、「形が変わってしまう」のは枠組みであって、そこで圧倒的に欠落してるのが、パパもママもひとりの人間なんだよっていう個の尊重です。LGBTQの問題も夫婦別姓の問題も、別に全員にそうしろと言っているわけじゃない。選択の自由をくださいと言っているのであって、すべて禁止でなければならないという考え方は「枠の保守」なんだと私は考えています」、その通りだ。
・『女性が輝く社会」は女性政策とは呼べない  Q:確かに、正社員の夫、専業主婦の妻、子ども2人のモデル家庭が、年金計算などでまだ使われています。非正規雇用は女性が多いですしね。 A:1970年代の文献に「家庭長としての役割をきちっと果たした上で働くのであればパートタイムが望ましい」と書いてあるんですよ。当時はそれをもって社会進出と呼んでいた。そこから今、どれだけ前に進んだのでしょうか。働く環境や同一労働同一賃金など、制度や政策を整えようとしていますが、根底にある女性に対する認識が本当に変わったのかどうか。女性がこうあるべきみたいな意識は、私たちが思うより根深いですよね。 Q:意識改革は政治の世界が最も遅れています。男女平等参画に関する内閣府の世論調査でも、そんな結果が出ました。 A:例えば女性政策でいうと、安倍政権の「女性が輝く社会」をまず頭に浮かべます。でも、あの「女性が輝く社会」って、ほとんどが女性を労働市場に戻すための経済政策、もしくは労働政策です。だったら「女性が働ける社会」と直訳した方がいい。女性が働ける社会のために、待機児童ゼロや育休の奨励などいろいろありました。最近は男性の育休も奨励していますが、あれは「子どもがいても女性が働ける社会の実現」であり、私は女性政策とは呼ばない。もっと人権に配慮したものを女性政策と呼んでほしい。 Q:人権に配慮した女性政策とは? A:人権というと、なにか小難しいことのように捉えられてしまいがちですが、相手と自分の違いをお互いに容認し、許容するのが人権を尊重すること。そんな大仰なものじゃない。人権に配慮した女性政策とは、例えば、病気の時に誰かに相談するシステムづくりとか、子育てに行き詰まった時に、その女性がたったひとりでも生きていけるように援助する政策。現状は、妻として生きる女性が子どもを育てながら仕事をすることを前提にしているじゃないですか。そうではなく、非正規雇用だろうが正規雇用だろうが、結婚していようが、結婚していまいが、女性がひとりで生きていく時にそれを支えるのが本来の女性政策だと思います』、「1970年代の文献に「家庭長としての役割をきちっと果たした上で働くのであればパートタイムが望ましい」と書いてあるんですよ。当時はそれをもって社会進出と呼んでいた。そこから今、どれだけ前に進んだのでしょうか。働く環境や同一労働同一賃金など、制度や政策を整えようとしていますが、根底にある女性に対する認識が本当に変わったのかどうか。女性がこうあるべきみたいな意識は、私たちが思うより根深いですよね」、「人権に配慮した女性政策とは、例えば、病気の時に誰かに相談するシステムづくりとか、子育てに行き詰まった時に、その女性がたったひとりでも生きていけるように援助する政策。現状は、妻として生きる女性が子どもを育てながら仕事をすることを前提にしているじゃないですか。そうではなく、非正規雇用だろうが正規雇用だろうが、結婚していようが、結婚していまいが、女性がひとりで生きていく時にそれを支えるのが本来の女性政策だと思います」、その通りだ。
・『男女共闘しないと厚い壁を乗り越えられない  Q:女性の生き方に直結するような? A:もっと言えば、例えば、子どもを託児所に預けて働いているお母さんがいるとします。でも、お母さんはお母さんじゃなくて、ひとりの女性に戻りたい時間もあるわけですよね。妻でもなく、母でもない、ただの自分に戻りたい。たぶん、今の日本でそういうことを言うと、ぜいたくだとか、わがままだとか言われるんです。男性にとっても同じことだと思うんですよね。先日、ある政党の女性議員たちとの会合で「男性が育児をする楽しさを奪ってはいけない」とおっしゃった方がいて、うまいこと言うなあ、と。男女共闘するくらいの気持ちじゃないと、厚い壁をなかなか乗り越えられないと思っています。 Q:自民党はLGBTQの理解増進法ですら前に進められない。どんなアプローチが必要でしょう? A:夫婦別姓の問題もそうなんですよ。日本政府は国連から「これは人権の問題だから、ちゃんと取り組んでね」と3回も勧告されている。ずっと棚上げしてきて、法案自体がもう30年間塩漬け。あるものを通せばいいだけなのに、なぜそこまでかたくなになるのか。(推進派の)自民党議員も「本当に人権としての意識が足りない」とおっしゃっていました。 LGBTQの理解増進担当の首相補佐官・森雅子さんは、こういう問題に積極的に取り組んでいらっしゃる方だと思っているので、具体的な一歩を示してほしい。岸田政権にとって存在感を見せられる絶好のチャンスですよ。女性問題に本気で具体的に取り組み、なおかつLGBTQに対してもこれだけ踏み込んだ解釈をするんだとなれば、今までの政権と差別化できるじゃないですか。やりがいのあるテーマだと思います。(安藤優子氏の略歴はリンク先参照)』、「夫婦別姓の問題もそうなんですよ。日本政府は国連から「これは人権の問題だから、ちゃんと取り組んでね」と3回も勧告されている。ずっと棚上げしてきて、法案自体がもう30年間塩漬け。あるものを通せばいいだけなのに、なぜそこまでかたくなになるのか。(推進派の)自民党議員も「本当に人権としての意識が足りない」とおっしゃっていました。 LGBTQの理解増進担当の首相補佐官・森雅子さんは、こういう問題に積極的に取り組んでいらっしゃる方だと思っているので、具体的な一歩を示してほしい。岸田政権にとって存在感を見せられる絶好のチャンスですよ。女性問題に本気で具体的に取り組み、なおかつLGBTQに対してもこれだけ踏み込んだ解釈をするんだとなれば、今までの政権と差別化できるじゃないですか。やりがいのあるテーマだと思います」、同感であるが、現実には、旧安倍派に気がねする「岸田政権」には難しそうだ。
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