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教育(その30)(「ギフテッド」ゆえに無視され、孤立した小中時代 40歳フォトグラファー女性が経験した“高い知能”こその苦難、知能が高すぎる「ギフテッド」で精神を病んだ40歳女性が見つけた希望 自ら望んで「閉鎖病棟」へ入った理由、36歳「ギフテッド」男性が社会で味わった絶望 「頭が悪い」「使えない」と上司や医師が人格否定〈dot.〉、人生に失望した36歳「ギフテッド」男性はなぜ転職先で成果を出せたのか 「社会性が低い」の誤解) [社会]

今日は、一昨日に続き、教育(その30)(「ギフテッド」ゆえに無視され、孤立した小中時代 40歳フォトグラファー女性が経験した“高い知能”こその苦難、知能が高すぎる「ギフテッド」で精神を病んだ40歳女性が見つけた希望 自ら望んで「閉鎖病棟」へ入った理由、36歳「ギフテッド」男性が社会で味わった絶望 「頭が悪い」「使えない」と上司や医師が人格否定〈dot.〉、人生に失望した36歳「ギフテッド」男性はなぜ転職先で成果を出せたのか 「社会性が低い」の誤解)を取上げよう。

先ずは、5月27日付けAERA「「ギフテッド」ゆえに無視され、孤立した小中時代 40歳フォトグラファー女性が経験した“高い知能”こその苦難」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2023052600027.html?page=1
・『さまざまな領域で特別な才能を有する「ギフテッド」と呼ばれる若者たち。だがその能力の高さゆえに、周囲からねたまれたり、いじめにあったり、無視されたりするなど、生きづらい人生を送ることも多い。フォトグラファーの立花奈央子さん(40)もそんなギフテッドのひとりで、かつてつらい体験をしたという。彼女はどのような学生時代を過ごし、フォトグラファーとして活躍できるようになったのか。その軌跡を紹介する。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集>』、興味深そうだ。 
・「やっと光をあててくれた」  金髪の女性が歩いてきた。青い蛍光色のスタジャンを羽織り、スーツケースを引いている。「こんにちは」。明るい声で呼びかけられた。待ち合わせた人だと気づくのが遅れた私に、立花奈央子さん(40)は陽気に笑いかけてきた。 東京・新宿で写真スタジオを営むフォトグラファー。20代後半から、女装する男性を美しく撮ることをライフワークとし、これまで数々の写真展を開いたり、タレントのマネジメントをしたりしてきたという。他にもアイドルプロデュース、SNSブランディングなど、多彩な仕事を手がけている。 私が立花さんを知ったのは2022年春。立花さんが投稿サイト「nоte」に、「ADD(注意欠陥障害)を疑って調べたら、高IQ(ギフテッド)だった話」という文章を載せていたのを読んだ。「ギフテッド」とオープンにしている人は珍しい。インタビューを申し込んだ。 立花さんは「やっと光をあててくれて嬉しい」と言ってくれた。インタビューは2時間を超えた。生い立ちから、家族のこと、社会人になり心を病んだことなど、立花さんは質問の意図を的確に理解し、少々早い口調で、ざっくばらんに話してくれた』、「社会人になり心を病んだことなど」、「高IQ(ギフテッド)」には通常の人間には理解できない悩みがあるようだ。
・『一度読めばわかる教科書  立花さんは1982年、千葉市で生まれた。千葉市といっても沿岸の都市部ではなく、内陸部の田畑や牧場に囲まれた農村地帯。父は工務店を営み、母が店を手伝った。4人きょうだいの長女で、自宅には父の見習いの青年も住み込みで働いていた。幼児のころから読書とお絵かきが大好きな子どもだったという。) ただ、親や周りの評価は「変わった子」。目に入るものすべてに興味を示すからだ。例えば、活字を読んでいないと落ち着かず、ごはんを食べながら、食品のパッケージに書かれた栄養成分表示や、新聞を隅から隅まで読んでいたという。「全部目に入れてましたね。情報を吸収していないと気が済まない子でした」と立花さん。 小学校は、当時はまだ1クラス40人の大人数学級。立花さんは、授業は毎日、とても退屈に感じていたという。教科書をひととおり読めばだいたい理解できるのに、先生は、同じことを黒板に何度も書いたり説明したりする。「答えがすぐわかる問題をわざわざ出すのはなぜだろうと常々思っていました」。 授業中は、プリントの裏に落書きをして時間をつぶしていたという。鉛筆回しもよくやった。先生からは「態度が悪い」「もっと授業をちゃんと聞きなさい」と叱られたことを覚えている。学年が上がるごとに、退屈な授業や学校生活を、苦痛に感じるようになっていった。 勉強はしなくても、テストはいつも満点をとった。通知表は、体育以外はすべて「◎」。その代わり、同級生とは話が合わなかった。勉強していないのにできるからだろうか、いつの間にか嫌われていたという。 「無視されたり、工作でつくった作品を隠されたりしましたね。遠足の班分けは、いつも自分だけ最後まで残っていました。だんだん、自分が悪いことをしているからいじめられるのだと思うようになっていきました」 ただ、両親は学校に行くのは当たり前だという考えだったため、理由がなければ学校は休めない。「おなかが痛い」「頭が痛い」と言って学校を休むようになった。 中学ではさらに孤立した。同級生が話すアイドルや恋愛話にはまったく興味が湧かなかった。友達がいないと学校生活はつらいことばかりで、無理に話を合わせることもあった。だが、一人で「石に意識はあるのか」というテーマで漫画を描いたり、宇宙や時間についての専門書を読みふけったりすることのほうが楽しかったという。学校に行くよりも、母が買ってくれたパソコンで自身のサイトを立ち上げたり、当時はまっていた漫画「封神演義」のファンの集まりに行ったりするほうがよっぽど楽しかった。 小中学校ではどんな子どもでしたか。私が聞くと、立花さんはしばらく考えた。「みんなの『わからないこと』がわからず、浮いた存在でしたね。自分を否定されたくないからなんとか話を合わせようとはしていました。でも、心の中ではずっと生きづらさを抱えていました」) そんな息苦しさから解放されたいと、高校は「中学の同級生が誰も行かない」という理由で、千葉県内の進学校を選んだ。電車やバスを乗り継ぎ、通学に1時間以上かかる女子校。小中学時代を知る人はおらず、新しい友達はできた。見える世界も広がった。だが、勉強をすることが嫌いになっており、成績は良くなかった。 「ギフテッドといっても、勉強しなければ当然わかりません。周りは受験勉強を一生懸命しているので、どんどん差がつきました」 そもそも、立花さんには大学へ行く選択肢はなかった。父から「大学に行かせる金はない」と言われていたためだ』、「勉強はしなくても、テストはいつも満点をとった。通知表は、体育以外はすべて「◎」。その代わり、同級生とは話が合わなかった。勉強していないのにできるからだろうか、いつの間にか嫌われていたという」、「高校は「中学の同級生が誰も行かない」という理由で、千葉県内の進学校を選んだ。電車やバスを乗り継ぎ、通学に1時間以上かかる女子校。小中学時代を知る人はおらず、新しい友達はできた。見える世界も広がった。だが、勉強をすることが嫌いになっており、成績は良くなかった。 「ギフテッドといっても、勉強しなければ当然わかりません。周りは受験勉強を一生懸命しているので、どんどん差がつきました」、「勉強しなければ当然わかりません」、ただ、少しの「勉強」で理解できるので、凡人とは違う筈だ。
・『心を削り続けた職場  最終学歴が中学の父は根っからの職人気質。また、4人きょうだいで、家計の苦しさから、父は娘を大学へ行かせようとは思っていなかったそうだ。「公務員になれ。自衛隊でもいい」。そんなことを父から言われていた立花さんは、言われるがまま高校3年で就職活動をし、東京都内の区役所に採用された。「自分のやりたいことよりも、相手が求めているものに合わせるような人間になっていました。自分が何をしたいのかは考えなくなっていた」という。 当時を、「泥の中にいるような感覚だった」と表現する立花さん。「他人とうまくいかないのは自分が悪いからだと思っていたんですよね。だから、いつのまにか自分のことを過小評価する人間になっていた」とも言った。 就職して一人暮らしを始めても、自分の居場所は見つけられなかった。 若手職員として、区のスポーツのイベント企画や高齢者福祉などを担当した。「公務員にあるべき服装を無理して考え、地味なスーツやブラウスを嫌々着ていましたよ」と笑う。 選挙の事務の仕事をして臨時の収入が入った時は、どう使おうか考えた末に、胸にタトゥーを彫った。だが、職場でそれが見えて上司や同僚に知られると、白い目で見られた。自分の好きなことをしても否定され、周りの視線や雰囲気に合わせ仕事をする日々が繰り返された。 1年ほど働いた19歳のある時、立花さんは心を病んで休職した。「公務員としてこうあるべきという枠にきちっと入らなければと思えば思うほど、自分の心を削っていっていたのだと思います」。(年齢は2023年3月時点のものです)』、「言われるがまま高校3年で就職活動をし、東京都内の区役所に採用された。「自分のやりたいことよりも、相手が求めているものに合わせるような人間になっていました。自分が何をしたいのかは考えなくなっていた」という」、「1年ほど働いた19歳のある時、立花さんは心を病んで休職した。「公務員としてこうあるべきという枠にきちっと入らなければと思えば思うほど、自分の心を削っていっていたのだと思います」、なるほど。

次に、この続きを、5月27日付けAERA「知能が高すぎる「ギフテッド」で精神を病んだ40歳女性が見つけた希望 自ら望んで「閉鎖病棟」へ入った理由」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2023052600028.html?page=1
・『知能が高さゆえに周りから浮いてしまうことも多い「ギフテッド」。【前編】では、何事もできすぎるあまり小中学校ではいじめられ、勉強が嫌いになっていった立花奈央子さん(40)が社会人になるまでを紹介した。高卒で公務員になった立花さんは、いつしか精神を病み「うつ病」になっていた。そこで彼女が取った選択は、自らの意思で精神科病院の閉鎖病棟に入ることだった。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集> 【前編】<「ギフテッド」ゆえに無視され、孤立した小中時代 40歳フォトグラファー女性が経験した“高い知能”こその苦難>より続く』、「自らの意思で精神科病院の閉鎖病棟に入る」とはずいぶん思い切ったことをしたものだ。 
・『自ら望んで閉鎖病棟に3カ月間  躁状態の時は、ストレス解消や現実逃避のため、デパートで好きな服を大量に買った。しかし、家に帰ると、いつのまにか買い物をした記憶がなくなっている。 一方、気持ちが沈んでいる時は、「死にたい。トラックが突っ込んできてほしい」と願う。精神科に行った。「うつ病」「解離性遁走」と診断された。突然どこか遠くへ行ってしまい、気がつくと自分がなぜそこにいるのかわからないことが続いた。しまいには知らない場所で警察に保護されていた。 「このままではだめになる。徹底的に治さなければ」と、精神科病院の閉鎖病棟に自ら望んで入った。約3カ月間すごし、外で生きられない患者たちの姿を目の当たりにした。外部から遮断され、あらゆる自分の時間が、他人によって管理されている中には、これ以上いたくないと思った。 今変わらなければこのまま人生が終わると思った。この閉鎖病棟での3カ月間で、自分の気持ちに向き合おうと決めた。 自分が本当に好きなことは何か、自分にとって大事な人は誰か、本来の自分とは何者か。突き詰めて考えた。 哲学や宇宙など、自分が興味のある話を、とことん人と語り合える時間が最も楽しい。そんな気の合う人たちとの時間を大切にしたい。自分の気持ちを抑えつけるのはやめようと決めた。) まず、区役所をやめた。自分を偽り、親が望む人間になろうという思いも捨て、退院後に身を寄せていた実家も出た。渋谷駅のハチ公前で、ストリートアートをしていた人たちに話しかけた。自分も一緒に描いたり、路上ミュージシャンと友達になったり。どんどん周りに自分の好きな人たちが増えていった。すると、ライターや撮影、ヘアメイクなどの仕事がフリーでできるようになっていった』、「突然どこか遠くへ行ってしまい、気がつくと自分がなぜそこにいるのかわからないことが続いた。しまいには知らない場所で警察に保護されていた。 「このままではだめになる。徹底的に治さなければ」と、精神科病院の閉鎖病棟に自ら望んで入った。約3カ月間すごし、外で生きられない患者たちの姿を目の当たりにした。外部から遮断され、あらゆる自分の時間が、他人によって管理されている中には、これ以上いたくないと思った。 今変わらなければこのまま人生が終わると思った。この閉鎖病棟での3カ月間で、自分の気持ちに向き合おうと決めた。 自分が本当に好きなことは何か、自分にとって大事な人は誰か、本来の自分とは何者か。突き詰めて考えた」、通常では「精神科病院の閉鎖病棟」に「入院」すると、入院生活の方に気を取られてしまうが、「外部から遮断され、あらゆる自分の時間が、他人によって管理されている中には、これ以上いたくないと思った。 今変わらなければこのまま人生が終わると思った。この閉鎖病棟での3カ月間で、自分の気持ちに向き合おうと決めた」、とはさすがだ。
・『ようやく解けた「本当の私」  実家の父から久しぶりに電話がかかってきたのは、2019年。36歳になっていた。1歳下の弟が、知能検査を受け、発達障害だと診断されたとのことだった。立花さん自身も、自分が発達障害やADD(注意欠陥障害)かもしれないと思っていたため、一度検査を受けてみることにした。 「WAIS-IV」という知能検査を受けた。その結果、全般的なIQ(知能指数)が平均を大きく超える137だった。また、同検査の四つの指標のうち、ことばの理解力や推理力、思考力を示す「言語理解」はIQ130、目で見た情報から形を把握し推理する「知覚推理」はIQ128、情報を一時的に記憶する力の「ワーキングメモリー」がIQ131、作業の速度を測る「処理速度」がIQ130と、指標のすべてが平均を超える高い数値となっていた。 驚いた。臨床心理士からは「発達障害の可能性はほぼない。単に、知能が世の中の人より高いだけの健常者ですね」と言われた。立花さんはそれまで、自分の生きづらさは発達障害のせいだ、となんとなく思っていたが、それは間違っていたことがはっきりした。この時、初めて自分の特性が何なのかを知りたい、と思った。 結果を知人に言うと、「ギフテッドじゃん」と言われた。初めて聞く言葉だった。「ギフテッド」に関する専門書を片っ端から読んでみた。 特徴として書かれていた「情報を素早く理解」「いつも何かにのめり込み徹底的に調べる」という良さだけでなく、「注意散漫に見える」「同級生との関係づくりが下手」といった弱点までが、いちいち自分に当てはまった。「これ私のことだ」と思うと、胸がすっとした。) 普通と違う私。他人に合わせ、ずっと生きづらさを抱えてきた私。子どものころから、本当の自分は何なのかと思ってきた疑問が、ようやく解けた気がした。「パズルのピースがはまるような感覚だった」という。 立花さんは言う。「私は、自分のことを『天才』とは思いません。ただIQが高いという個性があるのだということがわかりました。そのせいで、これまで息苦しさや孤独を抱えていたのだと理解できて本当に良かったです」。 そしてこう思った。きっと、同じような仲間がいるのではないか。自分の特性を理解してくれたり共感してくれたりする仲間ともっと話がしたい、と。もし、子どもの時から知っていたら? 「MENSA」という国際組織を知人が教えてくれた。IQの上位2%の人だけが入会でき、日本支部があるという。さっそく入会した。 MENSAは、1946年にイギリスで創設された国際組織だ。世界100カ国以上に13万人以上の会員がいるとされる。日本支部には約4700人の会員がおり、定期的に開かれるミーティングで話し合ったり、趣味や考えが合う会員同士がオフ会などで交流したりしているという。入会するには、独自の入会テストを受けて一定のスコアを出すか、知能検査の結果を示さなければならない。 立花さんは、MENSAで出会った人たちと、「性とは何か」「既成の価値観に縛られていないか」といった深い話をすることが楽しい。人のつながりが増え、好奇心があふれ、知的欲求が満たされるという。 ようやく好きなことを仕事にし、仲間にも巡り会えたという立花さん。ただそれはたくさんの回り道をして得たものだった。「もっと早くに知能検査を受けておけばよかったという後悔はないか」と聞くと、立花さんは「後悔はない」とはっきり言った。過去のつらい時期があったからこそ、充実した今があると思っているから、と。 ただ、どうしても考えてしまうことは、あるという。「もし、子どものころに自分の特性を知り、それを理解した教育や子育てをしてもらっていたら、あんなつらい経験をせず、もっと様々なことを学べたのではないか」と。いま後悔していないと言えるのは、浮きこぼれていてもはい上がることができたからではないか。自分と同じように生きづらさを抱えたまま悩んでいる人が、今もきっといるはずだ』、「結果を知人に言うと、「ギフテッドじゃん」と言われた。初めて聞く言葉だった。「ギフテッド」に関する専門書を片っ端から読んでみた。 特徴として書かれていた「情報を素早く理解」「いつも何かにのめり込み徹底的に調べる」という良さだけでなく、「注意散漫に見える」「同級生との関係づくりが下手」といった弱点までが、いちいち自分に当てはまった。「これ私のことだ」と思うと、胸がすっとした。 普通と違う私。他人に合わせ、ずっと生きづらさを抱えてきた私。子どものころから、本当の自分は何なのかと思ってきた疑問が、ようやく解けた気がした」、もっと早くから分かっていたら、入院したり苦しむ必要もなかっただろう。
・『ゴールデン街の会員制バーで  そんな思いを強くした立花さんが始めたのが、「サロン・ド・ギフテッド」だ。19年ごろから週1回、フォトグラファーの仕事のかたわら、東京・歌舞伎町の新宿ゴールデン街にあるバーで開いている。 22年12月中旬、私はそのバーを訪れた。毎週火曜日、オーナーから店を間借りした立花さんが、カウンターに立っている。 重い木製のドアを開けると、立花さんの「いらっしゃーい」という明るい声が聞こえてきた。カウンター席が6席だけのこぢんまりとした店。すでに5人の先客が、立花さんが出すビールやハイボールを飲みながら、会話を楽しんでいた。 サロンは、IQ130以上の条件がある会員制。特別に参加させてもらった私の隣に座っていたのは、この日初めて来たという東京大学に通う女性だった。理路整然とした話しっぷり。ただ子どものころは学校になじめず「つらかった」と吐露した。「だって、先生は私のこと全然理解してくれなかったから」と女性。今はギフテッドの子どもやその保護者を支援する団体に入って活動をしているという。 IQが150ありながら、会社の上司とコミュニケーションがうまくとれず退職したという男性もいた。話すスピードが速すぎて変人と思われないかという不安があり、自分のことを知らない人とは話をするのが怖くなったという。他にも、地下アイドルを「推す」中年男性や、マクドナルドで働く母親など、個性豊かな人たちが胸の内を語り合っていた。 立花さん自身にとっても、他人は他人、自分は自分と実感できる場所だという』、「フォトグラファーの仕事のかたわら、東京・歌舞伎町の新宿ゴールデン街にあるバーで開いている。 22年12月中旬、私はそのバーを訪れた。毎週火曜日、オーナーから店を間借りした立花さんが、カウンターに立っている。 重い木製のドアを開けると、立花さんの「いらっしゃーい」という明るい声が聞こえてきた。カウンター席が6席だけのこぢんまりとした店。すでに5人の先客が、立花さんが出すビールやハイボールを飲みながら、会話を楽しんでいた。 サロンは、IQ130以上の条件がある会員制」、「IQが150ありながら、会社の上司とコミュニケーションがうまくとれず退職したという男性もいた。話すスピードが速すぎて変人と思われないかという不安があり、自分のことを知らない人とは話をするのが怖くなったという。他にも、地下アイドルを「推す」中年男性や、マクドナルドで働く母親など、個性豊かな人たちが胸の内を語り合っていた」、実にバラエティーに富んだ人たちだ。
・『「ほっといてほしい」  さて、立花さんのトークを収録した朝日新聞ポッドキャストは、22年12月上旬に配信された。「同級生と話が合わない」「なじめたことは一度もない」「授業はクソつまらない」。そんな立花さんの率直な語りぶりが、多くのリスナーの好評を得た。 収録の終盤、司会者が立花さんに「自分の経験を踏まえ、どんな世の中になればいいと思うか」と聞いた。 「ほっといてほしいですね」 即答だった。立花さんが生きやすさを感じたタイミングは、高校生になって行動範囲が広がったり、社会人になって使えるお金が増えたりするなど、自分で選択できることが増えた時だったという。 「子どものころは大人の見守りは当然必要だと思いますけど、普通と違うからと枠にはめようとしたり、周りの子どもと比較したりするのは、やめてほしいですね。ましてや、ギフテッドだから才能をのばさないといけないとか、才能を見過ごしてはもったいない、といった考えは大きなお世話です。その人が、その人らしく生きられるような社会になることが大事なのだと思います」 立花さんのそんな言葉が、多くの人に届くといいと思った。(年齢は2023年3月時点のものです)』、「立花さんのトークを収録した朝日新聞ポッドキャストは、22年12月上旬に配信された。「同級生と話が合わない」「なじめたことは一度もない」「授業はクソつまらない」。そんな立花さんの率直な語りぶりが、多くのリスナーの好評を得た。 収録の終盤、司会者が立花さんに「自分の経験を踏まえ、どんな世の中になればいいと思うか」と聞いた。 「ほっといてほしいですね」 即答だった」、「ほっといてほしいですね」とは言い得て妙だ。

第三に、6月18日付けAERA「36歳「ギフテッド」男性が社会で味わった絶望 「頭が悪い」「使えない」と上司や医師が人格否定〈dot.〉」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2023061600067.html?page=1
・『高い知能や、さまざまな領域で特別な才能を有する「ギフテッド」。世間では「天才児」のイメージも少なくない。しかし現実には、さまざまな才能があるがゆえに、周囲との軋轢に悩みながら社会を生きる当事者もいる。吉沢拓さん(36)は小学生時代、算数オリンピックの全国大会に出場し、学校でも前例がないほどの高IQを出した。自由な校風の中高、研究に没頭できる大学時代を経て、社会に出たところ、そこで、会社の上司や同僚との人間関係に絶望するほどの苦難を味わった。その半生を紹介する。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集> 』、興味深そうだ。
・『沈黙の全校集会  学校になじめないギフテッドを取材してきたが、会社ではどのような苦労があるのだろうか。そう考えていた時に、出会ったのが吉沢拓さん(36)だった。 ブログやツイッターで情報発信されている吉沢さんは、壮絶な経験をつづっていた。社会人になってから3度の長期休暇、自殺未遂を経験した。周囲との「ずれ」は、自分ができないからなんだ――。そう絶望した中で、自身がギフテッドであると知ったという。ぜひ会って話を聞きたいと思い、取材を依頼した。 初めて吉沢さんと出会ったのは、クリスマスムードに包まれた2022年12月のことだ。勤務先のIT企業は、東京の高層ビルにある。若者でごった返す道をかき分け、オフィスにたどりついた。 無人の受付機で来館の手続きを済ませると、すぐに吉沢さんが駆け寄ってきてくれた。細身の黒いスーツに身を包み、きれいにセットされたパーマヘア。清潔感あふれる姿からは、都会のビジネスパーソンのにおいがした。 「普段はこんな格好しないんですよ」 はにかみながらそう教えてくれた。 苦難の連続である社会人生活の前に、幼少期の吉沢さんについて、まず聞いてみた。 小学校低学年の時は、折り紙に没頭。大人向けの難しい本を見ながら、80センチ四方の紙から巨大な作品を作り上げた。習い事のピアノではソナタを弾けるものの、耳で聞いたものを再現するやり方で、譜面は読めないままだったという。) そして、小学生の時から、周囲との「ずれ」を感じていたという。算数オリンピックでは全国大会に出場し、出題されたある問題に魅了された。「こんな問題がこんなシンプルな方法で解けた。僕はそれが素晴らしいと思った」と全校集会で報告すると、聞いていた児童たちは黙り込んだ。算数の解き方をうれしそうに力説するものの、その内容は同級生には理解できなかったのかもしれない。 「それが初めて盛大にスベった経験で、すごくよく覚えています」 吉沢さんはそう言って苦笑いする。 小学校で行われたIQテストの結果は、80年の歴史がある小学校の児童でも前例がないほどの高い数値で、母親が学校に呼び出されたという。理解がゆっくりの児童に合わせた授業の進め方が合わず、いつの間にか学校が嫌いになっていた。 「なんとなく、周りとは合わないな、うまくいかないなと思っていました。自分が面白いって思うことを言うと、怪訝な顔をされたこともあります」 そんなことが積み重なり、授業中に教室を飛び出すことが何回もあった。屋上に行って、一人で泣いていたこともある。高学年のころから、学校にはあまり行かなくなったという。 一方で、自分で教材を進める方針の塾ではぐんぐんと吸収していき、10歳で中学の範囲までの勉強を終わらせた。楽しかった塾が居場所となり、模試では全国ランキングに入る点数を取り、表彰された』、「算数オリンピックでは全国大会に出場し、出題されたある問題に魅了された。「こんな問題がこんなシンプルな方法で解けた。僕はそれが素晴らしいと思った」と全校集会で報告すると、聞いていた児童たちは黙り込んだ。算数の解き方をうれしそうに力説するものの、その内容は同級生には理解できなかったのかもしれない」、「自分で教材を進める方針の塾ではぐんぐんと吸収していき、10歳で中学の範囲までの勉強を終わらせた。楽しかった塾が居場所となり、模試では全国ランキングに入る点数を取り、表彰された」、「塾」という自分を伸ばせる場があったことはラッキーだ。
・『自由な中高、楽な大学から一転  中学受験で、校則がなく自由な校風の進学校に合格。数学がおもしろくなくなり、勉強に割く時間は徐々に減っていったものの、数学や物理は自然と点数が取れた。日本史や世界史は苦手だったが、成績は学年の中で真ん中くらい。 「中高の時は、周りに賢い子がいっぱいいたので、会話のレベルがずれるというのはありませんでした。でも、クラスや部活ではなじめない。絡んでくる相手に『なんや!』と神経質な態度で接してしまうこともあった」と話す。) だが、自分の「居場所」が他にあった。インターネットで知り合った年上の友人たちのおかげで寂しい思いはしなかった。インターネットでやり方を調べて独学でサイトを作り、ゲームに熱中。多くの時間をインターネットで過ごすようになったのだという。 大学では、情報工学系のコースに進学した。 「授業も自分で選べ、他人に気を使わなくていい。生活が自分で完結していて、授業の単位を取れば文句を言われることもない。自分一人で研究でき、とても楽だった」 自分が興味を持ったシステムをつくることが評価の対象となり、とんとん拍子で卒業した。「社会をのぞいてみたい」と思い、研究職ではなく、就職を選んだ。 社会人生活では、視野の広さを活かした仕事ぶりが評価される一方、従来通りのやり方を踏襲する上司や同僚からは疎まれることもあった。学生時代の話をテンポ良く語ってくれた吉沢さんの表情が、真剣になっていった』、「自分が興味を持ったシステムをつくることが評価の対象となり、とんとん拍子で卒業した。「社会をのぞいてみたい」と思い、研究職ではなく、就職を選んだ。 社会人生活では、視野の広さを活かした仕事ぶりが評価される一方、従来通りのやり方を踏襲する上司や同僚からは疎まれることもあった」、「研究職」を選ばなかったのは敗因なのかも知れない。
・『上司の「当たり前」が理解できず……  社会人になりたてのころは順調だったという。研修では、チームを組んでシステム開発をする場面があった。システムエンジニアとして入社していた吉沢さんはチームのメンバーを牽引してプログラムを作成。最優秀のリーダーとして、表彰された。 変化があったのは、現場に配属されてから。「配属されると、『半沢直樹』で見た世界が広がっていました。お気に入りとそうでない部下への扱いの差が大きく、『お前本当に使えないな』と言われることもありました」 自分以外の人が怒鳴られる場面も我慢できなかった。上司が大声で誰かの名前を呼び出すたびに吉沢さんも席を外し、トイレに逃げ込んだ。 システムエンジニアといっても、やることは議事録の作成や委託先の管理だった。議事録をつくるにも、上司やチームに「お伺い」を立てないといけない社風だった。上司から言われた通りに委託先へ依頼すると、委託先の人たちが倒れていく。どうすれば委託先の人も作業がしやすいのかを考え、働きやすい環境を提案。すると、委託先からは感謝された。 次第に、社内での調整や人間関係が複雑な社風についていけなくなった。上司が思い描いている通りの行動をしないと怒られ、上司の言う「当たり前」が理解できない。「自分はダメな人間なんだ。頭が悪いからわからないんだ」と考えるようになり、精神科を受診した。「うつ状態」と診断され、薬を飲んでも回復しない。長期休暇をとり、どんどん投薬の量が増えていった。 人事コンサルティングの会社に転職しても、順調とはいかなかった。「前例踏襲」を当たり前とする会社にとって、「前例」にとらわれずにより良い成果を求める吉沢さんの発想は、歓迎されなかったようだ。 より効率の良いシステム管理の方法を委託先と検討していると、不要な作業や発注方法に問題があることがわかった。その問題を解決することで委託先の品質が改善し、信頼係を築いた。本質的な解決に導けたことに手応えを感じていたが、「どっちの味方なんだ。厳しく取引先を管理しろと言っただろう。言われたことをやってない」と上司から怒られた』、「次第に、社内での調整や人間関係が複雑な社風についていけなくなった。上司が思い描いている通りの行動をしないと怒られ、上司の言う「当たり前」が理解できない。「自分はダメな人間なんだ。頭が悪いからわからないんだ」と考えるようになり、精神科を受診した。「うつ状態」と診断され、薬を飲んでも回復しない。長期休暇をとり、どんどん投薬の量が増えていった。 人事コンサルティングの会社に転職しても、順調とはいかなかった。「前例踏襲」を当たり前とする会社にとって、「前例」にとらわれずにより良い成果を求める吉沢さんの発想は、歓迎されなかったようだ」、「より効率の良いシステム管理の方法を委託先と検討していると、不要な作業や発注方法に問題があることがわかった。その問題を解決することで委託先の品質が改善し、信頼係を築いた。本質的な解決に導けたことに手応えを感じていたが、「どっちの味方なんだ。厳しく取引先を管理しろと言っただろう。言われたことをやってない」と上司から怒られた」、「本質的な解決に導けたことに手応えを感じていたが」、それを理解できない「上司」の壁は厚かったようだ。
・『がんばった時ほど「頭が悪い」  自分のアイデアや課題を解決するための踏み込んだ思考をもとに主体的に動くと、上司や先輩たちの考えと合わなくなり、低評価を受ける。「人の気持ちが理解できない」「思考能力がない」「自分の頭が悪いことを受け入れろ」とののしられることもあり、体調が悪化。休職した。経緯を聞いた重役と他の上司からは「あなたのような人材が会社に必要だ」と言ってもらえた。嬉しい半面、「だったら、なぜ守ってもらえないのか」という悔しさも入り交じった。 上司と吉沢さんの間には、見えている視点や仕事のやり方に大きな違いがあった。吉沢さんには、保身のためにやり方を変えようとしない上司の思考が見て取れた。一方で、上司や周囲の人には、会社やグループ企業全体のことを考えて提案する吉沢さんの考え方は理解できなかったのかもしれない。 吉沢さん自身は、上司や同僚と衝突するたびに悩んだ。「自分は正しいことをしているはずという思いと、自分ができないから悪いんだという葛藤をずっと続けてきた」という。) 自分の能力を発揮できたと感じた時ほど「頭が悪い」「使えない」と批判された。既存の方法にとらわれずに効率の良い方法を考えようとすると、受け入れてもらえない。そんな思いがずっと頭をめぐった。 休職した時には、産業医にも相談へ行ったという。すると5分も話さないうちに「あなたはきっと境界性パーソナリティー障害で、人に興味のない人格障害」と言われた。それをかかりつけ医に相談すると、精神科病院への入院を勧められた。その診断に納得できず、外部の心理検査を受診。周囲とのなじめなさの原因は、境界性パーソナリティー障害などではなく、吉沢さんのIQの高さにあると判明した。 仕事場でも、医師からも、自分の人格や能力を否定されることを言われ続け、自分を支えることが難しくなってきた吉沢さん。このころには、趣味の音楽でイベントを開催してなんとか自分を保っていた。計画的に人をまとめて動かすのは得意だったため、手応えも感じていた。多くの人に楽しんでもらえる場を作れることに、喜びを見いだしていた。しかし、心身への負担も大きく、酸素が足りないなか、海面でもがくような感覚だったという。(年齢は2023年3月時点のものです)』、「自分の能力を発揮できたと感じた時ほど「頭が悪い」「使えない」と批判された。既存の方法にとらわれずに効率の良い方法を考えようとすると、受け入れてもらえない。そんな思いがずっと頭をめぐった。 休職した時には、産業医にも相談へ行ったという。すると5分も話さないうちに「あなたはきっと境界性パーソナリティー障害で、人に興味のない人格障害」と言われた。それをかかりつけ医に相談すると、精神科病院への入院を勧められた。その診断に納得できず、外部の心理検査を受診。周囲とのなじめなさの原因は、境界性パーソナリティー障害などではなく、吉沢さんのIQの高さにあると判明した。 仕事場でも、医師からも、自分の人格や能力を否定されることを言われ続け、自分を支えることが難しくなってきた吉沢さん。このころには、趣味の音楽でイベントを開催してなんとか自分を保っていた」、「かかりつけ医」の「診断」に納得できず、外部の心理検査を受診。周囲とのなじめなさの原因は、境界性パーソナリティー障害などではなく、吉沢さんのIQの高さにあると判明」、「外部の心理検査を受診」してようやく正しい「診断」に辿り着いたとは、本当に大変だったろう。「精神科病院への入院」していたら、抜け出すのにまた大変な苦労をしたことだろう。

第四に、6月18日付けAERA「人生に失望した36歳「ギフテッド」男性はなぜ転職先で成果を出せたのか 「社会性が低い」の誤解」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2023061600068.html?page=1
・『高い知能や、さまざまな領域で特別な才能を有する「ギフテッド」。その1人、吉沢拓さん(36)はギフテッドのことをこう話す。「スポーツカーで公道を走ろうとすると、ブレーキを踏みながらヨロヨロと走ることになります。走りやすい道を用意してくれる人や、助手席に乗ってくれる人など、アクセルを踏み続けられる環境が必要」 彼は高度な洞察力や正義感ゆえに人間関係に苦悩し、自殺未遂にまで至った経験がある。そんな彼がどのようにして自分の特性を認め、前を向くことができたのか。その背景には、自分を肯定してくれたある人物との出会いがあった。<阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)より一部抜粋・再編集> ※【前編】<36歳「ギフテッド」男性が社会で味わった絶望 「頭が悪い」「使えない」と上司や医師が人格否定>より続く』、「自分を肯定してくれたある人物との出会い」とはどんなものだったのだろう。 
・『能力ゆえの悩み、初めて肯定された  人間関係に苦しみ、3社目の会社に転職。人事データの分析を担った。自身の存在意義を探し求めるため、まっすぐ自分の道を進んで何が起きるか見届けようとした。 上司が吉沢さんの考えをよく思っていないからなのか、すでに経営層まで承認を得た企画を進めようとすると、上司から計画を変更するよう圧力をかけられた。自分の成果を横取りされたこともあった。多様性と公正をうたう会社の理念に従って、「人として間違っている」と感じた行動には異議を主張し会社にも訴えた。だが、「あなたは間違っていないし、周囲に問題があるのはわかるが、対応するこちらの立場と労力も考えてほしい、うまくやってくれ」と突き放され、状況は変わらなかった。 別の同僚からは「私は静かに業務をしたいので、あなたが上司や同僚と衝突するのは迷惑だ。私は『サラリーマン』ができる」とも言われた。面談の内容がねじ曲げられ風評を流されることもあった。匿名で行っていた発信活動を同僚に発見され、アウティング(注)の被害にも遭った。 「人間には自分のための能力と社会のための能力があります。その中で自分の行動基準や能力は、社会に向けたものに偏ってしまっていると感じます」と吉沢さん。 「自分の能力で社会に役立てられている部分はあると感じていますが、なかなか自分には返ってきません。遠くの人に喜ばれ、近くの人に嫌われます。遠くからは応援されるが、みんな近づいてきてはくれません。そういう世の中の構図に失望しましたが、それを自身で確かめられたことに満足もしました」 苦しくても、正しいと思う行動を取り続けることができた。そんな自分の矜持を保てているうちに死のうと考えた。 2020年12月、自殺を企てた。未遂となり、翌日から仕事を休職した。 「最期まで魂の形を保ちたい、胸を張れる自分でいたい」。その思いから、遺書にはつらかったことや恨みではなく、周囲への感謝だけを書き残した。 もともとは、人間とは、社会とは、自分とは――。そういった抽象的な問いかけを探求するために、自分をいろいろな企業に投げ込んで実験してきた。その答えを出した以上、もはや何のために生きているのかわからず、頭は真っ白な状態だった。心理検査やカウンセリングを経て、自分とは何か、どのような特性なのかを調べているうちに、ギフテッドにたどりついた。 東京大学大学院総合文化研究科で「ギフテッド創成寄付講座」を開いている池澤聰さんに出会った。そこで初めて、吉沢さんの悩みが「能力があるからこその悩みなんです」と言われた。 「初めて自分を肯定してくれる人で、とにかく『助かった』という感覚でした。少しずつ自分を許していってもいいかなと思えるようになりました」』、「「自分の能力で社会に役立てられている部分はあると感じていますが、なかなか自分には返ってきません。遠くの人に喜ばれ、近くの人に嫌われます。遠くからは応援されるが、みんな近づいてきてはくれません。そういう世の中の構図に失望しましたが、それを自身で確かめられたことに満足もしました」 苦しくても、正しいと思う行動を取り続けることができた。そんな自分の矜持を保てているうちに死のうと考えた。 2020年12月、自殺を企てた。未遂となり、翌日から仕事を休職した」、「心理検査やカウンセリングを経て、自分とは何か、どのような特性なのかを調べているうちに、ギフテッドにたどりついた。東京大学大学院総合文化研究科で「ギフテッド創成寄付講座」を開いている池澤聰さんに出会った。そこで初めて、吉沢さんの悩みが「能力があるからこその悩みなんです」と言われた。 「初めて自分を肯定してくれる人で、とにかく『助かった』という感覚でした。少しずつ自分を許していってもいいかなと思えるようになりました」、「ギフテッドにたどりついた」のはラッキーだ。 
(注)アウティング:人の性自認、性的指向を本人の了承を得ずに他の人に暴露すること。2020年には、厚生労働省がアウティングをパワハラ行為と定めている(ELEMINIST)
・『自分の「取り扱い説明書」を渡す  そこから、ギフテッドについて調べ、自分がこれまで周囲と折り合えずに苦悩してきたのは、ギフテッドゆえの特性からくるものだとわかった。 頭も心もセンサーが敏感で、正義感が強い。視野が広く、日常にある疑問や矛盾に気がつきやすい。説明書は読まず、触って覚える。枠の中にはめ込まれるのが苦手で、自分で創造するのが得意。自分の特性とはどういうものなのかがクリアになっていった。 休職中でどん底の状態だったが、勤務先に戻ることは現実的でなかったため、転職活動を始めた。開き直って、履歴書には、心に負荷がかかって休職していること、自身にギフテッドという特性があるということも書き加えた。 IT企業の1次面接を受けることになり、面接担当者からは、ギフテッドについて聞かれた。ギフテッドというのはどういう特性なのか。能力を発揮するためには、どういう支援が必要なのか。吉沢さんは、正直な思いを伝えた。 「自分が過去に成功したのは、いずれも人とやり方は違ってでも、勝手に動かせてもらえた時でした。不躾なお願いですが、もしご一緒することになったらそうさせてほしいです」 最終面接でもギフテッドの話題になり、面接担当者からは「会社にもそういう人はたくさんいると思うよ」と言われた。吉沢さんは、「当たり前の存在として見てもらえる」と安心できたという。 入社してからは、自分の取り扱い説明書を渡した。 自分はプロジェクトのようなチームを組む動きより、人より先を一人で突っ走って成果を形にします。つなぎ役はそれが得意な人にお願いします」と伝えた。そうした吉沢さんの得意分野を活かしたことで、成果も出ている。社内の個人MVPにノミネートされたり、人事データを分析する外部のコンペで表彰を受けたりした。 ただ、こうした能力の発揮の形を会社に認めてもらうのには課題を感じた。長所を活かし短所を周りにフォローしてもらうという働き方が減点対象となり、周囲と同じ働き方を目指すことがキャリアとして求められた。今後、社内で多様な能力が活かされるためのモデルケースになれるよう対話を続けているが、まだまだ壁は厚いと感じている』、「吉沢さんの得意分野を活かしたことで、成果も出ている。社内の個人MVPにノミネートされたり、人事データを分析する外部のコンペで表彰を受けたりした。 ただ、こうした能力の発揮の形を会社に認めてもらうのには課題を感じた。長所を活かし短所を周りにフォローしてもらうという働き方が減点対象となり、周囲と同じ働き方を目指すことがキャリアとして求められた。今後、社内で多様な能力が活かされるためのモデルケースになれるよう対話を続けているが、まだまだ壁は厚いと感じている」、なかなか難しいものだ。
・『なじまなくたっていい  ギフテッドは、「知能が高くて、社会性が低い」という誤ったイメージを持たれがちだ。「本当に頭が良い人は周囲とうまくやるはずだ」という批判を向けられることもあるかもしれない。しかし、知能が高く、視野が広いからこそ、方法や目指すゴールが周囲と異なるのかもしれない。) ギフテッドの特性として、複雑で論理的な洞察力や正義感などがあることがこれまでの研究で指摘されている。吉沢さんの仕事の目的は、上司の顔色をうかがうことや社内政治をすることではなく、会社や社会が良い方へ向かうこと。まっすぐに最適な方法を模索することを周囲が理解できなかったのではないか。 吉沢さんはギフテッドをスポーツカーで例えてくれた。 「スポーツカーで公道を走ろうとすると、ブレーキを踏みながらヨロヨロと走ることになります。走りやすい道を用意してくれる人や、助手席に乗ってくれる人など、アクセルを踏み続けられる環境が必要」だという。「自由に走れる環境があれば、勝手に走る」。それがギフテッドなのだという。 なんでもバランスよくできる優等生に憧れるかもしれないが、それを目指す必要はない。大谷翔平選手が将棋を指せる必要はないし、藤井聡太さんが時速160キロのボールを投げられる必要もない。 「多様性」をうたう会社も多いが、本当の意味で「人と違う」ということを認めてくれる会社はそう多くはないのかもしれない。扱いづらい、周囲の意見を理解できないなどとすでに排除されているギフテッドもいれば、自身が周囲から浮くことを恐れて才能を隠しているギフテッドもいるかもしれない。 これからギフテッドが浸透し、採用しようという会社が出てきた時には、ギフテッドの特性や得意不得意があるということを知ってほしいという。 「ギフテッドはなんでもできる夢の人材ではありません。優秀なのではなく、特殊ということを知ってもらいたいです。扱いづらい点もあるかもしれません。会社として必要な能力と思ってもらい、能力を守って活かす方法を考えてもらえれば、お互いに良い結果を与え合う関係になれるのではないでしょうか」 現在は、東京大学大学院のギフテッド創成寄付講座で、当事者として研究協力をしたり、講演会で適応に苦しんだ体験を話したりしている。自分と同じように苦しむ人を減らすため、第三者が声をかけやすいよう名前と顔を出すことを選んだ。 「人と違うことは決して悪いことではない。だから人と同じになろうとするのではなく、人と違う自分のことを認め、嫌いにならずにいてあげてほしい。そして、周囲の方々には、伸ばそう、教えようとするのではなく守ってあげることを大事にしてほしい」(年齢は2023年3月時点のものです)』、「「ギフテッドはなんでもできる夢の人材ではありません。優秀なのではなく、特殊ということを知ってもらいたいです。扱いづらい点もあるかもしれません。会社として必要な能力と思ってもらい、能力を守って活かす方法を考えてもらえれば、お互いに良い結果を与え合う関係になれるのではないでしょうか」、「周囲の方々には、伸ばそう、教えようとするのではなく守ってあげることを大事にしてほしい」、「東京大学大学院のギフテッド創成寄付講座」などで「取り扱い説明書」を作成・配布するなどして、有効な働き方を指導してもらいたいものだ。
タグ:教育 (その30)(「ギフテッド」ゆえに無視され、孤立した小中時代 40歳フォトグラファー女性が経験した“高い知能”こその苦難、知能が高すぎる「ギフテッド」で精神を病んだ40歳女性が見つけた希望 自ら望んで「閉鎖病棟」へ入った理由、36歳「ギフテッド」男性が社会で味わった絶望 「頭が悪い」「使えない」と上司や医師が人格否定〈dot.〉、人生に失望した36歳「ギフテッド」男性はなぜ転職先で成果を出せたのか 「社会性が低い」の誤解) AERA「「ギフテッド」ゆえに無視され、孤立した小中時代 40歳フォトグラファー女性が経験した“高い知能”こその苦難」 阿部朋美・伊藤和行著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版) 「社会人になり心を病んだことなど」、「高IQ(ギフテッド)」には通常の人間には理解できない悩みがあるようだ。 「勉強はしなくても、テストはいつも満点をとった。通知表は、体育以外はすべて「◎」。その代わり、同級生とは話が合わなかった。勉強していないのにできるからだろうか、いつの間にか嫌われていたという」、 「高校は「中学の同級生が誰も行かない」という理由で、千葉県内の進学校を選んだ。電車やバスを乗り継ぎ、通学に1時間以上かかる女子校。小中学時代を知る人はおらず、新しい友達はできた。見える世界も広がった。だが、勉強をすることが嫌いになっており、成績は良くなかった。 「ギフテッドといっても、勉強しなければ当然わかりません。周りは受験勉強を一生懸命しているので、どんどん差がつきました」、「勉強しなければ当然わかりません」、ただ、少しの「勉強」で理解できるので、凡人とは違う筈だ。 「言われるがまま高校3年で就職活動をし、東京都内の区役所に採用された。「自分のやりたいことよりも、相手が求めているものに合わせるような人間になっていました。自分が何をしたいのかは考えなくなっていた」という」、 「1年ほど働いた19歳のある時、立花さんは心を病んで休職した。「公務員としてこうあるべきという枠にきちっと入らなければと思えば思うほど、自分の心を削っていっていたのだと思います」、なるほど。 AERA「知能が高すぎる「ギフテッド」で精神を病んだ40歳女性が見つけた希望 自ら望んで「閉鎖病棟」へ入った理由」 「自らの意思で精神科病院の閉鎖病棟に入る」とはずいぶん思い切ったことをしたものだ。 「突然どこか遠くへ行ってしまい、気がつくと自分がなぜそこにいるのかわからないことが続いた。しまいには知らない場所で警察に保護されていた。 「このままではだめになる。徹底的に治さなければ」と、精神科病院の閉鎖病棟に自ら望んで入った。約3カ月間すごし、外で生きられない患者たちの姿を目の当たりにした。外部から遮断され、あらゆる自分の時間が、他人によって管理されている中には、これ以上いたくないと思った。 今変わらなければこのまま人生が終わると思った。この閉鎖病棟での3カ月間で、自分の気持ちに向き合おうと決めた。 自分が本当に好きなことは何か、自分にとって大事な人は誰か、本来の自分とは何者か。突き詰めて考えた」、通常では「精神科病院の閉鎖病棟」に「入 院」すると、入院生活の方に気を取られてしまうが、「外部から遮断され、あらゆる自分の時間が、他人によって管理されている中には、これ以上いたくないと思った。 今変わらなければこのまま人生が終わると思った。この閉鎖病棟での3カ月間で、自分の気持ちに向き合おうと決めた」、とはさすがだ。 「結果を知人に言うと、「ギフテッドじゃん」と言われた。初めて聞く言葉だった。「ギフテッド」に関する専門書を片っ端から読んでみた。 特徴として書かれていた「情報を素早く理解」「いつも何かにのめり込み徹底的に調べる」という良さだけでなく、「注意散漫に見える」「同級生との関係づくりが下手」といった弱点までが、いちいち自分に当てはまった。「これ私のことだ」と思うと、胸がすっとした。 普通と違う私。他人に合わせ、ずっと生きづらさを抱えてきた私。子どものころから、本当の自分は何なのかと思ってきた疑問が、ようやく解けた気がした」、もっと早くから分かっていたら、入院したり苦しむ必要もなかっただろう。 「フォトグラファーの仕事のかたわら、東京・歌舞伎町の新宿ゴールデン街にあるバーで開いている。 22年12月中旬、私はそのバーを訪れた。毎週火曜日、オーナーから店を間借りした立花さんが、カウンターに立っている。 重い木製のドアを開けると、立花さんの「いらっしゃーい」という明るい声が聞こえてきた。 カウンター席が6席だけのこぢんまりとした店。すでに5人の先客が、立花さんが出すビールやハイボールを飲みながら、会話を楽しんでいた。 サロンは、IQ130以上の条件がある会員制」、「IQが150ありながら、会社の上司とコミュニケーションがうまくとれず退職したという男性もいた。話すスピードが速すぎて変人と思われないかという不安があり、自分のことを知らない人とは話をするのが怖くなったという。他にも、地下アイドルを「推す」中年男性や、マクドナルドで働く母親など、個性豊かな人たちが胸の内を語り合っていた」、実にバラ エティーに富んだ人たちだ。 「立花さんのトークを収録した朝日新聞ポッドキャストは、22年12月上旬に配信された。「同級生と話が合わない」「なじめたことは一度もない」「授業はクソつまらない」。そんな立花さんの率直な語りぶりが、多くのリスナーの好評を得た。 収録の終盤、司会者が立花さんに「自分の経験を踏まえ、どんな世の中になればいいと思うか」と聞いた。 「ほっといてほしいですね」 即答だった」、「ほっといてほしいですね」とは言い得て妙だ。 AERA「36歳「ギフテッド」男性が社会で味わった絶望 「頭が悪い」「使えない」と上司や医師が人格否定〈dot.〉」 「算数オリンピックでは全国大会に出場し、出題されたある問題に魅了された。「こんな問題がこんなシンプルな方法で解けた。僕はそれが素晴らしいと思った」と全校集会で報告すると、聞いていた児童たちは黙り込んだ。算数の解き方をうれしそうに力説するものの、その内容は同級生には理解できなかったのかもしれない」、 「自分で教材を進める方針の塾ではぐんぐんと吸収していき、10歳で中学の範囲までの勉強を終わらせた。楽しかった塾が居場所となり、模試では全国ランキングに入る点数を取り、表彰された」、「塾」という自分を伸ばせる場があったことはラッキーだ。 「自分が興味を持ったシステムをつくることが評価の対象となり、とんとん拍子で卒業した。「社会をのぞいてみたい」と思い、研究職ではなく、就職を選んだ。 社会人生活では、視野の広さを活かした仕事ぶりが評価される一方、従来通りのやり方を踏襲する上司や同僚からは疎まれることもあった」、「研究職」を選ばなかったのは敗因なのかも知れない。 「次第に、社内での調整や人間関係が複雑な社風についていけなくなった。上司が思い描いている通りの行動をしないと怒られ、上司の言う「当たり前」が理解できない。「自分はダメな人間なんだ。頭が悪いからわからないんだ」と考えるようになり、精神科を受診した。 「うつ状態」と診断され、薬を飲んでも回復しない。長期休暇をとり、どんどん投薬の量が増えていった。 人事コンサルティングの会社に転職しても、順調とはいかなかった。「前例踏襲」を当たり前とする会社にとって、「前例」にとらわれずにより良い成果を求める吉沢さんの発想は、歓迎されなかったようだ」、「より効率の良いシステム管理の方法を委託先と検討していると、不要な作業や発注方法に問題があることがわかった。 その問題を解決することで委託先の品質が改善し、信頼係を築いた。本質的な解決に導けたことに手応えを感じていたが、「どっちの味方なんだ。厳しく取引先を管理しろと言っただろう。言われたことをやってない」と上司から怒られた」、「本質的な解決に導けたことに手応えを感じていたが」、それを理解できない「上司」の壁は厚かったようだ。 「自分の能力を発揮できたと感じた時ほど「頭が悪い」「使えない」と批判された。既存の方法にとらわれずに効率の良い方法を考えようとすると、受け入れてもらえない。そんな思いがずっと頭をめぐった。 休職した時には、産業医にも相談へ行ったという。すると5分も話さないうちに「あなたはきっと境界性パーソナリティー障害で、人に興味のない人格障害」と言われた。それをかかりつけ医に相談すると、精神科病院への入院を勧められた。 その診断に納得できず、外部の心理検査を受診。周囲とのなじめなさの原因は、境界性パーソナリティー障害などではなく、吉沢さんのIQの高さにあると判明した。 仕事場でも、医師からも、自分の人格や能力を否定されることを言われ続け、自分を支えることが難しくなってきた吉沢さん。このころには、趣味の音楽でイベントを開催してなんとか自分を保っていた」、 「かかりつけ医」の「診断」に納得できず、外部の心理検査を受診。周囲とのなじめなさの原因は、境界性パーソナリティー障害などではなく、吉沢さんのIQの高さにあると判明」、「外部の心理検査を受診」してようやく正しい「診断」に辿り着いたとは、本当に大変だったろう。「精神科病院への入院」していたら、抜け出すのにまた大変な苦労をしたことだろう。 AERA「人生に失望した36歳「ギフテッド」男性はなぜ転職先で成果を出せたのか 「社会性が低い」の誤解」 「自分を肯定してくれたある人物との出会い」とはどんなものだったのだろう。 「「自分の能力で社会に役立てられている部分はあると感じていますが、なかなか自分には返ってきません。遠くの人に喜ばれ、近くの人に嫌われます。遠くからは応援されるが、みんな近づいてきてはくれません。そういう世の中の構図に失望しましたが、それを自身で確かめられたことに満足もしました」 苦しくても、正しいと思う行動を取り続けることができた。そんな自分の矜持を保てているうちに死のうと考えた。 2020年12月、自殺を企てた。未遂となり、翌日から仕事を休職した」、「心理検査やカウンセリングを経て、自分とは何か、どのような特性なのかを調べているうちに、ギフテッドにたどりついた。東京大学大学院総合文化研究科で「ギフテッド創成寄付講座」を開いている池澤聰さんに出会った。そこで初めて、吉沢さんの悩みが「能力があるからこその悩みなんです」と言われた。 「初めて自分を肯定してくれる人で、とにかく『助かった』という感覚でした。少しずつ自分を許していってもいいかなと思えるようになりました」、「ギフテッドにたどりついた」のはラッキーだ。 (注)アウティング:人の性自認、性的指向を本人の了承を得ずに他の人に暴露すること。2020年には、厚生労働省がアウティングをパワハラ行為と定めている(ELEMINIST) 「吉沢さんの得意分野を活かしたことで、成果も出ている。社内の個人MVPにノミネートされたり、人事データを分析する外部のコンペで表彰を受けたりした。 ただ、こうした能力の発揮の形を会社に認めてもらうのには課題を感じた。 長所を活かし短所を周りにフォローしてもらうという働き方が減点対象となり、周囲と同じ働き方を目指すことがキャリアとして求められた。今後、社内で多様な能力が活かされるためのモデルケースになれるよう対話を続けているが、まだまだ壁は厚いと感じている」、なかなか難しいものだ。 「「ギフテッドはなんでもできる夢の人材ではありません。優秀なのではなく、特殊ということを知ってもらいたいです。扱いづらい点もあるかもしれません。会社として必要な能力と思ってもらい、能力を守って活かす方法を考えてもらえれば、お互いに良い結果を与え合う関係になれるのではないでしょうか」、「周囲の方々には、伸ばそう、教えようとするのではなく守ってあげることを大事にしてほしい」、 「東京大学大学院のギフテッド創成寄付講座」などで「取り扱い説明書」を作成・配布するなどして、有効な働き方を指導してもらいたいものだ。
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