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終末期(その8)(3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」、『バカの壁』から20年…ここにきて 養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ、72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 、「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え、「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない [人生]

終末期については、昨年5月1日に取上げた。今日は、(その8)(3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」、『バカの壁』から20年…ここにきて 養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ、72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 、「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え、「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと)である。

先ずは、昨年5月9日付け東洋経済オンラインが掲載した医師の小澤 竹俊氏による「3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/585077
・『仕事も友人や家族との人間関係もうまくいかない、つらいことがあり苦しいという人ほど「自分をわかってくれる誰か」の存在が救いになるとホスピス医の小澤竹俊さんは言います。 どんな状況でも前向きに自分らしく生きるためのヒントを、小澤さんの著書『あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる』より一部抜粋、再編集してご紹介します』、『あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる』とは興味深そうだ。
・『人は「自分をわかってくれる」誰かが必要  苦しみや痛みを抱え、弱い状態にある人はみな、「自分の気持ちをわかってくれている」と思える誰かを求めています。 もちろん、相手が100%、自分の気持ちをわかってくれているかどうかは、誰にもわかりません。 ただ、「誰かにわかってもらえた」と感じることで、多くの人は苦しみの中でも穏やかさを取り戻し、前向きに生きるきっかけをつかむことができます。 以前、実家の家族とも、妻や子どもともうまくいかず、仕事もなかなか長続きせず、古いアパートで1人で年金を頼りに暮らし、70歳をすぎてから末期がんと診断された患者さんと関わったことがあります。 最初に訪問に伺ったとき、その患者さんは「自分の人生を早く終わらせたい」「早く楽になれる薬はないのか」など、一方的にご自分の苦しみを訴えるばかりでした。 そのような人に、「そんなことを言わないでください」「あなたの気持ちはとてもよくわかります」「生きていればいいことがあります」といった言葉はまったく響きません。 それどころか「健康なお前に、俺の気持ちがわかるか」「他人事だと思って、適当なことを言うな」と、心を閉ざされてしまうでしょう。) その患者さんに対して私たちがしたことは、ただひたすら、丁寧に話を聴くことでした。 故郷のこと、曲がったことや人から指図されることが嫌いなご自身の性格のこと、病気の苦しみ……。 話をしているうちに、おそらく患者さんは、私たちのことを「自分の気持ちをわかってくれている」と感じてくださったのでしょう。 表情が徐々に穏やかになり、「苦労の多い人生ではあったけれど、自分を曲げてまで生きるよりはよかった」と口にされるようになりました』、「「誰かにわかってもらえた」と感じることで、多くの人は苦しみの中でも穏やかさを取り戻し、前向きに生きるきっかけをつかむことができます」、なるほど。カトリックで死ぬ前に、神父に告白するのもこの一環だろう。
・『ありのままの自分でいられる方法  自分の気持ちをわかってくれていると思える誰かの存在は、ありのままの自分でいられる強さを与えてくれます。 これまでに私たちが関わった患者さんの中には、体にたくさんの管をつけながら、本当に動けなくなるギリギリの瞬間まで仕事をしていた方もいらっしゃいました。 末期のがんになり、ご自身も大変な中で老々介護をし、夫を見送った後で亡くなられた方もいらっしゃいました。 「そんな体で仕事をするのはやめなさい」「夫の介護は施設に任せなさい」という人もいるかもしれませんが、私たちには、その患者さんたちにとって、仕事をすること、夫の介護をすることこそが、ありのままの自分でいられることであり、病気の苦しみの中で生きる支えになっていると、私たちには感じられました。 私たちは、仕事に、介護にいのちを燃やすお2人を静かに見守り、ときには丁寧に話を聴きました。 やがて、その患者さんたちは、満足しきった穏やかな表情でこの世を旅立たれました。 人それぞれ、大事にしたいことも、望む「ありのまま」の形も異なります。 世間でいいとされていること、大事にするべきだとされていることが、必ずしもその人にとっていいわけではなく、大事なものであるともかぎりません。 そして、親でもパートナーでも友人でも、あるいはペットや先に亡くなった誰かでも、自分の気持ちをわかってくれていると思える存在がいるとき、私たちは安心して、ありのままでいることができます。 私たちが自分らしくいられるのは、誰かがわかってくれるからなのです。 ですから、多くの人は、大変な時間と労力、エネルギーを割いて、自分をわかってくれる人を探そうとします。) もし、あなたが自分を理解してくれる人と共に生きることができているのなら、それは本当に幸せなことです。 人は「自分の時間を大切な人、大切なことのために使うことができた」と感じたとき、自分の生きる意味を見いだしやすくなり、後悔の少ない人生を送ることができるからです』、「自分の気持ちをわかってくれていると思える存在がいるとき、私たちは安心して、ありのままでいることができます。 私たちが自分らしくいられるのは、誰かがわかってくれるからなのです・・・人は「自分の時間を大切な人、大切なことのために使うことができた」と感じたとき、自分の生きる意味を見いだしやすくなり、後悔の少ない人生を送ることができるからです」、なるほど。
・『「誰か」を自ら探しに行ってみる  しかし、人はみな、基本的には自分のことで精いっぱいです。 あなたが、どれほど深刻な悩みを抱え、どれほど苦しみ、「誰かに自分の気持ちをわかってもらいたい」「誰かに話を聴いてもらいたい」と思っても、なかなかそんな相手には巡り会えないかもしれません。 そのような場合は、自分の気持ちをわかってくれると思える誰かをただ待つだけでなく、自ら探しに行ってみるのはどうでしょうか。 まず自分が相手の話を聴いてみるのです。 一見、遠回りのように見えても、それがわかってもらえる誰かに出会う、そして本当の意味で幸せになるための近道だと、私は思っています。 『新約聖書』(新共同訳、日本聖書協会)の「ルカによる福音書6章38節」には、「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる」と書かれています。 自分の何かをほかの人に与える人は、実はいろいろなことを与えられるのです。 苦しみをわかってほしいあなたが、まず、苦しんでいる誰かの話を聴く。 すると、その誰かの心が穏やかになり、今度はあなたの話を聴いてくれる。 苦しみを抱える者同士が信頼関係で結ばれ、そのように助け合い、支え合って生きていくことで、幸せの輪はどんどん広がっていくはずです。 方法はもうひとつあります。「自分の気持ちをわかってくれる人が誰もいない」と感じている人は、ぜひ一度、丁寧に過去を振り返り、良かったこと、楽しかったことを思い出してみてください。 誰かといて心の安らぎを感じたことはありませんでしたか? 誰かの言葉に「この人は自分の気持ちをわかってくれた」と喜びを感じたりしたことはありませんでしたか? その相手はもう連絡が取れない人、この世にいない人かもしれません。 でも、「もしあの人が近くにいたら、自分にどんな言葉をかけてくれるだろう」「もしあの人が生きていたら、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」「頑張っている自分に、『それで良い』と言ってくれるかもしれない」と思うことができたら、それだけで十分に救いになり、今の苦しみが和らぐのではないでしょうか』、「そのような場合は、自分の気持ちをわかってくれると思える誰かをただ待つだけでなく、自ら探しに行ってみるのはどうでしょうか。 まず自分が相手の話を聴いてみるのです。 一見、遠回りのように見えても、それがわかってもらえる誰かに出会う、そして本当の意味で幸せになるための近道だと、私は思っています」、「方法はもうひとつあります。「自分の気持ちをわかってくれる人が誰もいない」と感じている人は、ぜひ一度、丁寧に過去を振り返り、良かったこと、楽しかったことを思い出してみてください。 誰かといて心の安らぎを感じたことはありませんでしたか? 誰かの言葉に「この人は自分の気持ちをわかってくれた」と喜びを感じたりしたことはありませんでしたか? その相手はもう連絡が取れない人、この世にいない人かもしれません。 でも、「もしあの人が近くにいたら、自分にどんな言葉をかけてくれるだろう」「もしあの人が生きていたら、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」「頑張っている自分に、『それで良い』と言ってくれるかもしれない」と思うことができたら、それだけで十分に救いになり、今の苦しみが和らぐのではないでしょうか」、なるほど。

次に、本年3月31日付け現代ビジネスが掲載した養老 孟司氏による「『バカの壁』から20年…ここにきて、養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/107629?imp=0
・『ものがわかるとは、理解するとはどのような状態のことを指すのでしょうか。 この度『ものがわかるということ』を上梓した養老孟司氏は、子どもの頃から「考えること」について意識的で、一つのことについてずっと考える癖があったことで、次第に物事を考え理解する力を身につけてきたそうです。 『バカの壁』の大ヒットから20年。そんな養老先生が自然や解剖の世界に触れ学んだこと、ものの見方や考え方について、脳と心の関係、意識の捉え方についての「頭の中身」を明かします。 ここにきて、養老孟司が「やっても頭が良くならない学習法」を断言…「これでは壊れたロボットです」という納得のワケ』、興味深そうだ。 
・『人間自体が情報になった  「自分に適した仕事」「自分探し」と言うような人は、どこかで西洋的な「私」を取り入れているのでしょう。自分は自分で変わらない。だからその自分に合った仕事がある。変わらない自分を発見することが大切だ。そう思い込んでいるのです。 1910年代に、フランツ・カフカという小説家が『変身』という変な小説を書きました。主人公のグレゴール・ザムザは、普通の勤め人です。いまのサラリーマンと思えばいいでしょう。そのザムザが朝起きてみると、自分が等身大の大きな虫に変わっている。 そのとき、ザムザ本人はどう思っているか。相変わらず自分はグレゴール・ザムザだと思っています。何がそう主張するんでしょうか。意識です。虫になっても、「私は私である」という意識は変わらない。不思議なことです。 朝目が覚めると、ああ、俺は俺だ、と思う。今日は昨日の続きである。それは意識が戻ったということです。意識は寝るととりあえず消えますが、朝になると戻る。その都度私たちは、私は私だと確認する。もちろんそこの確認自体はほとんど無意識になされます。意識は勝手になくなって、勝手に戻ってくるんです。 カフカはちゃんとわかっていました。当時の社会の常識を延長していけば、自分の身体が虫になったって、意識は私は私だと主張するだろう、と。いまはカフカの言う通りになりました。それが私たちの現代社会、情報化社会です。 なぜ情報化社会と言うんでしょうか。ほとんどの人はこう考えます。コンピュータが普及して、テレビやパソコンのない家はなくなって、誰でもスマホやケータイを持っていて、毎日おびただしい情報が流れるからと。 私は情報化社会という言葉を、違った意味で使います。人間自体が情報になったのです。情報化したのは人間です。「同じ私」とは、変わらない私です。変わらない私とは、情報としての私です』、「朝目が覚めると、ああ、俺は俺だ、と思う。今日は昨日の続きである。それは意識が戻ったということです。意識は寝るととりあえず消えますが、朝になると戻る。その都度私たちは、私は私だと確認する。もちろんそこの確認自体はほとんど無意識になされます」、「私は情報化社会という言葉を、違った意味で使います。人間自体が情報になったのです。情報化したのは人間です。「同じ私」とは、変わらない私です。変わらない私とは、情報としての私です」、なるほど。
・『死ぬことを理解できない日本人  情報化社会では、情報と人間がひっくり返しに錯覚されるようになりました。自分は名前つまり情報ですから、いつも「同じ」です。 自分が情報になり、変わらなくなると、死ぬことがおかしなことに感じられます。死ぬとは、自分が変わるということです。同じ私、変わらない私があるなら、死ぬのはたしかに変です。だから現代人は死ぬことが理解できなくなりました。 仏教で生老病死のことを「四苦」と言います。四苦は、人の一生が変化の連続だということを示しています。それがすべて「変なこと」になってしまいました。それと同時に、教育が何をすることなのか、わからなくなってしまった。変わらない自分が素晴らしいとなるのだから、当然です。 人が変わらなくなった社会で、一番苦労するのは子どもです。なぜか。子どもとは一番速やかに変化する人たちだからです。育つ、つまり変わっていくこと自体が、言ってみれば、子どもの目的みたいなものです。 ところが情報化社会になると、情報はカチンカチンに固まって止まっていて、子どもまで固めてしまう。その延長で、個性を伸ばせとか、自分を探せとか言われてしま う。そんな自分なんてあるわけありません。だって探している当の自分がどんどん変 わっていくんですから。 じゃあ、個性って何なのか。個性を伸ばす教育とはどういうことでしょう。) 誰だって、あなたを他人と間違えません。そそっかしい人なら別ですが。どうして間違えないかというと、顔が違う、立ち居振る舞いが違う、つまり身体が違うからです。 どのくらい身体が違うかというと、たとえばあなたの皮膚を取って、親に移植したと思ってください。つきません。逆に親の皮膚をもらって、自分につけてもらっても、やっぱりつきません。移植した皮膚は間もなく死んで、落ちてしまいます。 誰も教えたわけではないのに、身体は自分と他人を、たとえ親であっても、区別しています。それが個性です。そこまではっきり区別するもの、親子ですら通じ合えないもの、それこそが個性です。 だから個性とは、実は身体そのものです。でも普通は、個性とは心だと思われています。ここに大きな誤解があります』、「自分は名前つまり情報ですから、いつも「同じ」です。 自分が情報になり、変わらなくなると、死ぬことがおかしなことに感じられます。死ぬとは、自分が変わるということです。同じ私、変わらない私があるなら、死ぬのはたしかに変です。だから現代人は死ぬことが理解できなくなりました」、「教育が何をすることなのか、わからなくなってしまった。変わらない自分が素晴らしいとなるのだから、当然です。 人が変わらなくなった社会で、一番苦労するのは子どもです。なぜか。子どもとは一番速やかに変化する人たちだからです。育つ、つまり変わっていくこと自体が、言ってみれば、子どもの目的みたいなものです。 ところが情報化社会になると、情報はカチンカチンに固まって止まっていて、子どもまで固めてしまう」、「身体は自分と他人を、たとえ親であっても、区別しています。それが個性です。そこまではっきり区別するもの、親子ですら通じ合えないもの、それこそが個性です。 だから個性とは、実は身体そのものです。でも普通は、個性とは心だと思われています。ここに大きな誤解があります」、なるほど。

第三に、5月5日付け東洋経済オンラインが掲載した看取りの医者の平野 国美氏による「72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/669651
・『「治さない医者」を自認する訪問診療専門の医師・平野国美氏は、これまで2700人の最期を看取るなかで、「後悔なく」生きる秘訣は、「正しいわがまま」にこそあると会得した。どこでどのような最期を迎えたいのか、その意思表示をしておくことは、自分も周囲も幸せにするわがままだ。さらには、「誰と最後の時間を過ごすのか」も、大事なポイントとして、考えることをすすめる。著書『70歳からの正しいわがまま』から、一部抜粋してお届けする』、興味深そうだ。
・『最後の瞬間に「誰と」いたいか考えてみる  自宅をはじめとした好きな場所で最期を迎えることが、患者当人にとってはもっとも幸せらしいという確信のもと、私は常々「自宅で死のうよ」と言ってきた。 もちろん、患者の周囲の状況が、それを成せるかどうかがカギになるから、その準備をすること、自分も、看取る側も覚悟を決めておくことは必要になる。 どこで死ぬか同じように「誰に看取られるか」も、もはや自分で決めていいのではないかと、私は思っている。 既存の社会的な関係性や保守的なしがらみを超えて、「本当にこの人といたい」「最期はこの人に寄り添ってほしい」と思える、その誰かを選ぶわがままも、どこで死にたいのかと同様の、正しいわがままだと思うのだ。 末期がんの告知を受けた72歳の男性がいた。 結婚はしておらず、子どももいない。 「今日、病院で自分の病気の説明があるから、ついてきてくれないか」 天涯孤独の身の彼が、そうやって声をかけたのは、親類でも、内縁関係にある者でもない。男性が付き添いを依頼したのは、高校時代のヨット部の仲間たちだったのだ。 海洋冒険家・堀江謙一さんの『太平洋ひとりぼっち』に感銘を受けた世代。茨城県の、当時の高校生たちにとっても、霞ヶ浦から太平洋に漕ぎ出すことは、1つのステータスだったに違いない。) そんな、眩しい青春の時間をともに過ごした仲間たちに、男性はある意味、とても無茶な頼み事をしたのだ。 そのとき、医師から告げられたのは、主に2点だった。 本人が末期のがんであること。そして、もはや病院で施す治療は何もなく、「この先は自宅か施設で過ごしていただくことになる」ということだった。 しばしの沈黙が流れた。 やがて、自分自身の運命を受け入れた男性は、不意にすぐ隣で押し黙ったままでいた後輩の手を握って、頭を下げた。「よろしく頼むよ」と』、「末期がんの告知を受けた72歳の男性がいた。 結婚はしておらず、子どももいない。 「今日、病院で自分の病気の説明があるから、ついてきてくれないか」 天涯孤独の身の彼が、そうやって声をかけたのは、親類でも、内縁関係にある者でもない。男性が付き添いを依頼したのは、高校時代のヨット部の仲間たちだったのだ」、「高校時代のヨット部」の活動がよほど濃密だったのだろう。
・『ヨット部仲間たちと「青春再来」を味わい尽くす  いくら、10代の多感な時代、ともに汗を流した仲間からの頼みとはいえ、親兄弟でもない人の世話なんて……。 ごく普通の感覚の持ち主なら、そう思うかもしれないが、驚いたことに、彼らは違った。なんと、末期がんの男性の介護を、仲間全員で引き受けるという一大プロジェクトを敢行するのだ。 手を握られた後輩は苦笑いを浮かべつつ、正直にこう告白した。 「あの瞬間は、『な、なんで俺?』と思いましたよ。親の介護すら、経験したこともなかったですから」 それでも、彼らは、男性のために走り回った。 すぐに入居できる施設を探し回り、あっという間に彼の〝終の住処〟を見つけてきた。会計を担当する者、必要な物資をそろえる者、ただ、毎晩のように施設に通ってきては、寄り添い続ける者……。仲間たちは役割を分担し、それぞれができることを精一杯やりながら、男性の最後の時間を支えた。 仲間のなかには女性の姿もあった。聞けば、国体のセーリング競技で優勝経験もあるという猛者だった。 そんな女性がかいがいしく彼のことを介護する姿を目の当たりにして、私は勝手に思い込んでいた。2人は過去に男女の関係があったのではないかと。ある日、その疑問を彼女にぶつけると、彼女は笑ってこう返した。) 「ない、ない、あるわけないでしょ。そんな、ややこしい過去があったら、いまこうしてパンツ下ろしたり、おむつ替えたりなんてできんわ」 そんなものかと思う半面、過去に何もなかった男性の、下の世話なんてできるものだろうか、と思ったりもした』、「彼らは、男性のために走り回った。 すぐに入居できる施設を探し回り、あっという間に彼の〝終の住処〟を見つけてきた。会計を担当する者、必要な物資をそろえる者、ただ、毎晩のように施設に通ってきては、寄り添い続ける者……。仲間たちは役割を分担し、それぞれができることを精一杯やりながら、男性の最後の時間を支えた。 仲間のなかには女性の姿もあった。聞けば、国体のセーリング競技で優勝経験もあるという猛者だった」、「2人は過去に男女の関係があったのではないかと。ある日、その疑問を彼女にぶつけると、彼女は笑ってこう返した。 「ない、ない、あるわけないでしょ。そんな、ややこしい過去があったら、いまこうしてパンツ下ろしたり、おむつ替えたりなんてできんわ」 そんなものかと思う半面、過去に何もなかった男性の、下の世話なんてできるものだろうか、と思ったりもした」、なるほど。
・『血縁に頼れない時代  彼らを見ていると、これからは血縁に頼れない時代なのだと、つくづく思い知らされた。 核家族化が進み、誰にも高齢独居の可能性がある現在、死期の迫った患者の介護をしている人というのは、配偶者や子どもばかりではない。 先にいくつもの例を紹介してきた内縁関係にある人が介護を担うケースはお伝えしたとおりだが、親類でもない者や、子や親族には決して歓迎されてはいない者……。 こんなことを書くと、保守的な人たちから集中砲火を浴びそうだが、私は当事者同士に強い絆があるのならば、そんな内縁関係の誰かが、生い先短い患者の面倒を見ることは、大いに結構なことだと考えている。 不倫も内縁も大歓迎。部活仲間が看取るというケースは多くはないが、部活仲間たちに見送られるなんて、人生の最終末を、青春時代の思い出とともに結ぶようで、実にすがすがしいものに感じる。 死に場所を自由に選びたいと考えること、それと同じように、その瞬間を、誰に寄り添ってもらいたいのかも、もっと旅立つ人の意思が尊重されていい。 件の男性は、がん告知から3カ月を経たある夜、仲間たちに囲まれながら、静かに息を引き取った。 私は死亡診断書を書きながら思った。彼に対して、私たち医療者が果たした役割は、じつに微々たるものだった、と。彼の最期を、わずかでも幸せな時間にしてくれたそのすべては、彼の仲間たちがもたらしたものだった。 死後、彼の遺骨は、仲間たちの手で霞ヶ浦に散骨された。 そこは、高校時代に皆でヨットを浮かべた入江。 半世紀を経て、部活でともに汗を流した水辺は「別れの場所」になり、かつての仲間は葬儀の参列者となったのだ』、「人生の最終末を、青春時代の思い出とともに結ぶようで、実にすがすがしいものに感じる・・・件の男性は、がん告知から3カ月を経たある夜、仲間たちに囲まれながら、静かに息を引き取った・・・彼の遺骨は、仲間たちの手で霞ヶ浦に散骨された」、うらやましい限りだ。私は、病院は東京警察病院に行っているが、「看取り」を依頼できるようなホームドクターも作っておくべきだと思った。

第四に、7月21日付け現代ビジネス「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家」を紹介しよう。
・『笹倉明さんの考え:「できるかな」「なかなか難しいな」そうやって、いろいろなことに挑戦して、人は成長する。そして人生の最後に挑む壁が「死」だ。亡くなったあの人たちは、どんな思いでそれを乗り越えたのか。 1つめの記事『「裕次郎のようには達観できないんだよ、俺は」…【死】に先人たちはどう向き合い、寄り添ったのか 石原慎太郎と裕次郎兄弟のケース』より続く』、興味深そうだ。
・『「楽な死に方」「苦しい死に方」はあるのか?  「だが、あがけばあがくほど、死の苦しみは増すのではないか?」多くの人は、そう不安になるだろう。在宅医療で多くの患者を看取ってきた中村伸一医師が語る。 「末期の苦しみは、亡くなる病気にもよります。例えば、がんの場合は麻薬で痛みをコントロールできるので、それほど苦しまないことが多い。 胃がん・大腸がん・膵臓がんが肝臓に転移するとアンモニアが体内で作られ肝性脳症といって頭がボーっとします。そうなると、それほど麻薬を使わなくても楽に亡くなる方もいます。一方で、慢性の肺疾患や心不全は、苦しまれる方も多いですね」 自宅で亡くなる場合も、余計な延命治療をしないので、比較的穏やかな最期を迎えやすいという。 「在宅医療では高度なことができません。でも逆に余計なことをしないというメリットもあります。 一般の医療は足し算です。酸素を投与する、脱水なら水を入れる、痛みには痛み止めを使うという医療です。しかし、低酸素や脱水になると、ボーっとした意識になり、痛みも感じないままに逝けるのです。 それを無理に酸素投与や点滴をすると、意識がシャンとして、痛みを感じるので麻薬を増やすことになる」(中村医師) 終末期はあまり余計な医療行為をほどこさないほうが、穏やかに過ごせるのだ。 そのあたりのことは、主治医とよく話しあって、どういう最期を迎えたいのか『エンディングノート』に書いておくことです。家族が『延命してほしい』と口を出すことがありますが、私なら患者と書面の約束があれば、そちらを優先します。 私は患者さんが元気なうちに、『判断能力がなくなったら、できるだけ長く生きることを優先順位のトップにしますか。それとも苦しまないこと、あるいは自分の尊厳を優先しますか』と尋ねるようにしています」』、「「在宅医療では高度なことができません。でも逆に余計なことをしないというメリットもあります。 一般の医療は足し算です。酸素を投与する、脱水なら水を入れる、痛みには痛み止めを使うという医療です。しかし、低酸素や脱水になると、ボーっとした意識になり、痛みも感じないままに逝けるのです。 それを無理に酸素投与や点滴をすると、意識がシャンとして、痛みを感じるので麻薬を増やすことになる」(中村医師) 終末期はあまり余計な医療行為をほどこさないほうが、穏やかに過ごせるのだ」、なるほど。
・『死の瞬間はそれほど苦しくないのではないか  直木賞作家で、'16年にタイのチェンマイの寺院で出家した笹倉明さんは、死に対する恐れが徐々に薄れてきたという。 「タイでは葬式で泣いている人がいないんです。死は悲しむべきものではなくて、むしろ現世の苦しみから解放されて、来世に行くというのがタイ人の考え方です。無論、死は喜ぶべきものではありませんが、悲しみ恐れるべきものでもなく、万人に訪れる宿命なのです。 私も、おそらく死ぬ瞬間はそれほど苦しくないのではないか、と思っています。どんな死に方であろうと、死が迫ったときの人間は、非常に安らかな状態になるのではないでしょうか。実際、私も、眠るように息を引き取る人たちばかりを見てきました」 いずれは誰もが通る道だ。ジタバタしようが達観しようが、自分なりの向き合い方をすれば、それでいい。 3つめの記事『「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと』につづく』、「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです。死は悲しむべきものではなくて、むしろ現世の苦しみから解放されて、来世に行くというのがタイ人の考え方です。無論、死は喜ぶべきものではありませんが、悲しみ恐れるべきものでもなく、万人に訪れる宿命なのです。 私も、おそらく死ぬ瞬間はそれほど苦しくないのではないか、と思っています。どんな死に方であろうと、死が迫ったときの人間は、非常に安らかな状態になるのではないでしょうか。実際、私も、眠るように息を引き取る人たちばかりを見てきました」、なるほど。

第五に、7月21日付け現代ビジネス「「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/113380?imp=0
・『「できるかな」「なかなか難しいな」そうやって、いろいろなことに挑戦して、人は成長する。そして人生の最後に挑む壁が「死」だ。亡くなったあの人たちは、どんな思いでそれを乗り越えたのか。 2つめの記事『「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え』より続く』、興味深そうだ。
・『死の間際に考えること  思想家の内田樹さんは、コラムニストの小田嶋隆さん(享年65)が亡くなる11日前に、小田嶋さんの家を訪ねた。 「ちょうどいまから1年ほど前のことです。小田嶋さんから電話があって、『そろそろですから……』という感じでしたので、友人の平川君(文筆家で実業家の平川克美さん)と連絡を取り合い、ご自宅にうかがいました。 亡くなった後に『小田嶋さんから電話があった』という話はいろいろな方から聞きました。ベッドから最後のあいさつをされたのです。なんと細やかな気の使い方だろうと思いました。奥さんに伺ったら、声も出せないほど苦しい状態のときもあったのだけれど、薬が効いていて話ができる体調になると電話に手を伸ばし、最後のあいさつをしていたそうです」 死を間際に、小田嶋さんがいちばんに考えたことは、友人たちにきちんと別れのあいさつをするということだった。小田嶋さんには親友でクリエイティブ・ディレクターの岡康道さんが急逝したときに、別れのあいさつができなかったことをずっと悔いていたので、自分の友人たちにはそんな思いをさせまいと、限りある体力をふりしぼって電話をしたのである』、「死を間際に、小田嶋さんがいちばんに考えたことは、友人たちにきちんと別れのあいさつをするということだった。小田嶋さんには親友でクリエイティブ・ディレクターの岡康道さんが急逝したときに、別れのあいさつができなかったことをずっと悔いていたので、自分の友人たちにはそんな思いをさせまいと、限りある体力をふりしぼって電話をした」、大したものだ。
・『満足できる「最後の話」  「僕たちが見舞いに行ったときは、ベッドに横臥して、点滴を打ちながら、息も絶え絶えという様子でしたが、それでも、かすれる声で『今いちばんしたいことはバカ話なんです』といわれました。 『それじゃあ』と、平川君と奥さんを交えて4人でしゃべっているうちに、面白いもので、小田嶋さんの顔色がどんどんよくなってきたんです。最初のうちは痰を吐きながら、かろうじてかすれる声でしゃべっていたのが、どんどん滑舌がよくなって、そのうちに上半身を起こして、熱く文学について語りはじめました」 「バカ話」といいながら、最後に熱弁をふるったのは、橋本治の文学史的な重要性についてだった。そんな話ができて小田嶋さんは満足そうだったという。 「そういう場では、どうしても深刻になりがちです。でも彼は『最後に言い残すことはありますか?』なんて訊かれたくないわけです。これまで会っていたときと同じように、笑いながら、普通のおしゃべりがしたかったのでしょう。小田嶋さんのその気持ちがよくわかります」』、「最初のうちは痰を吐きながら、かろうじてかすれる声でしゃべっていたのが、どんどん滑舌がよくなって、そのうちに上半身を起こして、熱く文学について語りはじめました」 「バカ話」といいながら、最後に熱弁をふるったのは、橋本治の文学史的な重要性についてだった。そんな話ができて小田嶋さんは満足そうだったという」、なるほど。
・『あふれ出る感謝の念  内田さんが小田嶋さんに会ったのは亡くなる10日ほど前だったが、息を引き取る直前に、人はどんな言葉を発するのだろうか。 前出の中村伸一医師が語る。 「最後は意識もあいまいになって、言葉も不明瞭になるケースがほとんどです。しかし、稀に感謝の気持ちをはっきりと口にする人もいます。 おとなしいけれど、芯が強かった男性がいました。小さな会社で定年を2度も延長して勤め続け、最後はボランティアをしていたのですが、亡くなる直前は衰弱して飲み込む力も弱くなっていました。奥さんが、なにがほしいかと訊いたところ、『味噌汁がええな。あの一杯でどれだけ救われたことか』と言ったそうです。 無口な人で会社の愚痴を家でこぼす人ではなかったけれども、現役時代には我慢することもあったでしょう。いろいろな思いを胸に秘めて奥さんの味噌汁をすすっていたことがよくわかります」 他にも、頑固で家族も訪問診療で訪れる医師も手こずらせた男性が、妻に「いままでおおきに。家で死ねていい人生やった。お前も先生に看取られてここで死ねよ」と言い残したこともあった。 「私にとっても最高の褒め言葉で、最後にこんなことを言われるのなら、もっと優しくしておけばよかったと思いました」(中村医師) 最後の最後まで、意識が明確でいられる保証はない。ましてや、思った通りに話をするのは難しいだろう。伝えたいことがあるのなら、早めに素直な気持ちを口にしておきたい。 4つめの記事『「いままで、ありがとうな」…アントニオ猪木さんの弟が、腕も上げられない兄の最期を看取ることができて「本当に良かった」と語る理由』につづく』、「最後の最後まで、意識が明確でいられる保証はない。ましてや、思った通りに話をするのは難しいだろう。伝えたいことがあるのなら、早めに素直な気持ちを口にしておきたい」、その通りだ。
タグ:(その8)(3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」、『バカの壁』から20年…ここにきて 養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ、72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 、「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え、「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない 終末期 東洋経済オンライン 小澤 竹俊氏による「3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」」 小澤さんの著書『あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる』 「「誰かにわかってもらえた」と感じることで、多くの人は苦しみの中でも穏やかさを取り戻し、前向きに生きるきっかけをつかむことができます」、なるほど。カトリックで死ぬ前に、神父に告白するのもこの一環だろう。 「自分の気持ちをわかってくれていると思える存在がいるとき、私たちは安心して、ありのままでいることができます。 私たちが自分らしくいられるのは、誰かがわかってくれるからなのです・・・人は「自分の時間を大切な人、大切なことのために使うことができた」と感じたとき、自分の生きる意味を見いだしやすくなり、後悔の少ない人生を送ることができるからです」、なるほど。 「そのような場合は、自分の気持ちをわかってくれると思える誰かをただ待つだけでなく、自ら探しに行ってみるのはどうでしょうか。 まず自分が相手の話を聴いてみるのです。 一見、遠回りのように見えても、それがわかってもらえる誰かに出会う、そして本当の意味で幸せになるための近道だと、私は思っています」、 「方法はもうひとつあります。「自分の気持ちをわかってくれる人が誰もいない」と感じている人は、ぜひ一度、丁寧に過去を振り返り、良かったこと、楽しかったことを思い出してみてください。 誰かといて心の安らぎを感じたことはありませんでしたか? 誰かの言葉に「この人は自分の気持ちをわかってくれた」と喜びを感じたりしたことはありませんでしたか? その相手はもう連絡が取れない人、この世にいない人かもしれません。 でも、「もしあの人が近くにいたら、自分にどんな言葉をかけてくれるだろう」「もしあの人が生きていたら、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」「頑張っている自分に、『それで良い』と言ってくれるかもしれない」と思うことができたら、それだけで十分に救いになり、今の苦しみが和らぐのではないでしょうか」、なるほど。 現代ビジネス 養老 孟司氏による「『バカの壁』から20年…ここにきて、養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ」 「朝目が覚めると、ああ、俺は俺だ、と思う。今日は昨日の続きである。それは意識が戻ったということです。意識は寝るととりあえず消えますが、朝になると戻る。その都度私たちは、私は私だと確認する。もちろんそこの確認自体はほとんど無意識になされます」、 「私は情報化社会という言葉を、違った意味で使います。人間自体が情報になったのです。情報化したのは人間です。「同じ私」とは、変わらない私です。変わらない私とは、情報としての私です」、なるほど。 「自分は名前つまり情報ですから、いつも「同じ」です。 自分が情報になり、変わらなくなると、死ぬことがおかしなことに感じられます。死ぬとは、自分が変わるということです。同じ私、変わらない私があるなら、死ぬのはたしかに変です。だから現代人は死ぬことが理解できなくなりました」、「教育が何をすることなのか、わからなくなってしまった。変わらない自分が素晴らしいとなるのだから、当然です。 人が変わらなくなった社会で、一番苦労するのは子どもです。なぜか。子どもとは一番速やかに変化する人たちだからです。育つ、つまり変わっていくこと自体が、言ってみれば、子どもの目的みたいなものです。 ところが情報化社会になると、情報はカチンカチンに固まって止まっていて、子どもまで固めてしまう」、「身体は自分と他人を、たとえ親であっても、区別しています。それが個性です。そこまではっきり区別するもの、親子ですら通じ合えないもの、それこそが個性です。 だから個性とは、実は身体そのものです。でも普通は、個性とは心だと思 われています。ここに大きな誤解があります」、なるほど。 平野 国美氏による「72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 」 著書『70歳からの正しいわがまま』 「末期がんの告知を受けた72歳の男性がいた。 結婚はしておらず、子どももいない。 「今日、病院で自分の病気の説明があるから、ついてきてくれないか」 天涯孤独の身の彼が、そうやって声をかけたのは、親類でも、内縁関係にある者でもない。男性が付き添いを依頼したのは、高校時代のヨット部の仲間たちだったのだ」、「高校時代のヨット部」の活動がよほど濃密だったのだろう。 「彼らは、男性のために走り回った。 すぐに入居できる施設を探し回り、あっという間に彼の〝終の住処〟を見つけてきた。会計を担当する者、必要な物資をそろえる者、ただ、毎晩のように施設に通ってきては、寄り添い続ける者……。仲間たちは役割を分担し、それぞれができることを精一杯やりながら、男性の最後の時間を支えた。 仲間のなかには女性の姿もあった。聞けば、国体のセーリング競技で優勝経験もあるという猛者だった」、 「2人は過去に男女の関係があったのではないかと。ある日、その疑問を彼女にぶつけると、彼女は笑ってこう返した。 「ない、ない、あるわけないでしょ。そんな、ややこしい過去があったら、いまこうしてパンツ下ろしたり、おむつ替えたりなんてできんわ」 そんなものかと思う半面、過去に何もなかった男性の、下の世話なんてできるものだろうか、と思ったりもした」、なるほど。 「人生の最終末を、青春時代の思い出とともに結ぶようで、実にすがすがしいものに感じる・・・件の男性は、がん告知から3カ月を経たある夜、仲間たちに囲まれながら、静かに息を引き取った・・・彼の遺骨は、仲間たちの手で霞ヶ浦に散骨された」、うらやましい限りだ。私は、病院は東京警察病院に行っているが、「看取り」を依頼できるようなホームドクターも作っておくべきだと思った。 現代ビジネス「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家」 「「在宅医療では高度なことができません。でも逆に余計なことをしないというメリットもあります。 一般の医療は足し算です。酸素を投与する、脱水なら水を入れる、痛みには痛み止めを使うという医療です。しかし、低酸素や脱水になると、ボーっとした意識になり、痛みも感じないままに逝けるのです。 それを無理に酸素投与や点滴をすると、意識がシャンとして、痛みを感じるので麻薬を増やすことになる」(中村医師) 終末期はあまり余計な医療行為をほどこさないほうが、穏やかに過ごせるのだ」、なるほど。 「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです。死は悲しむべきものではなくて、むしろ現世の苦しみから解放されて、来世に行くというのがタイ人の考え方です。無論、死は喜ぶべきものではありませんが、悲しみ恐れるべきものでもなく、万人に訪れる宿命なのです。 私も、おそらく死ぬ瞬間はそれほど苦しくないのではないか、と思っています。どんな死に方であろうと、死が迫ったときの人間は、非常に安らかな状態になるのではないでしょうか。実際、私も、眠るように息を引き取る人たちばかりを見てきました」、なるほど。 現代ビジネス「「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと」 「死を間際に、小田嶋さんがいちばんに考えたことは、友人たちにきちんと別れのあいさつをするということだった。小田嶋さんには親友でクリエイティブ・ディレクターの岡康道さんが急逝したときに、別れのあいさつができなかったことをずっと悔いていたので、自分の友人たちにはそんな思いをさせまいと、限りある体力をふりしぼって電話をした」、大したものだ。 「最初のうちは痰を吐きながら、かろうじてかすれる声でしゃべっていたのが、どんどん滑舌がよくなって、そのうちに上半身を起こして、熱く文学について語りはじめました」 「バカ話」といいながら、最後に熱弁をふるったのは、橋本治の文学史的な重要性についてだった。そんな話ができて小田嶋さんは満足そうだったという」、なるほど。 「最後の最後まで、意識が明確でいられる保証はない。ましてや、思った通りに話をするのは難しいだろう。伝えたいことがあるのなら、早めに素直な気持ちを口にしておきたい」、その通りだ。
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