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日本の構造問題(その30)(国家の劣化はたった1人の政治家が引き起こす 日本など先進国を没落させる哲学なき政治家の罪、なぜ経済学者も政治家もバカになったのか? 今、日本に本当に必要な経済政策とは何なのか)

日本の構造問題については、本年7月29日に取上げた。今日は、(その30)(国家の劣化はたった1人の政治家が引き起こす 日本など先進国を没落させる哲学なき政治家の罪、なぜ経済学者も政治家もバカになったのか? 今、日本に本当に必要な経済政策とは何なのか)である。

先ずは、8月15日付け東洋経済オンラインが掲載した哲学者・経済学者の的場 昭弘氏による「国家の劣化はたった1人の政治家が引き起こす 日本など先進国を没落させる哲学なき政治家の罪」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/694294?display=b
・『2023年8月15日、また今年も終戦記念日がやってきた。戦後80年近くにもなろうとしている。もはや戦争を知る戦中世代のほとんどが鬼籍に入りつつある中で、形骸化した終戦記念日が伝統行事のように繰り返されている。 一方で豊かであったあの日本は風前の灯火で、日本の疲弊がはじまって久しい。それを衰退というか、堕落というか。表現はまちまちであろうが、いかに外見を繕ってみたところで、日本が今没落しつつあることは、残念ながらだれも否定できない事実である。 もちろん、これは日本だけに限らない。先進国といわれる国々は、どこも大同小異同じ運命を辿りつつあるのかもしれない』、興味深そうだ。
・『モンテスキューも嘆いた政治の堕落  2016年にフランスで、ニコラ・バベレという人の『ベナン人の手紙』という小説が出版された。その内容は2040年のフランスの話で、フランスは国家衰退の危機に瀕し、IMF(国際通貨基金)から派遣されたアフリカのベナン人が、その衰退したフランスの様子を妻に手紙で語るというものだ。 これは2040年という近未来の話で、その頃はアフリカの国々が勃興し、政治、経済、モラル、文化、あらゆる面で先進国となっていて、フランスは、すべての点で後進国になりさがっているというのである。 その冒頭に、フランスの哲学者であるモンテスキュー(1689~1755年)の『ペルシア人の手紙』(1721年)の154番目の手紙の一節が引用されている。その文章はこうである。 「君も御存じのように僕は長い間インドを歩きまわった。そのくにでは、私は一人の大臣の示した悪例のおかげで、生まれつき寛大な国民が一瞬のうちに最下級の国民から最上級の人たちまで堕落したのを実見に及んでいる。寛大、清廉、無邪気、信仰の徳が永年の間国民性となっていた国民が突然、最下等の国民になってしまった。つまり、弊風が伝搬し最も神聖な人たちさえそれに染まり、最も有徳の人が悪事を働き、ほかの連中もやっているとつまらぬ口実にかくれて、正義の第一原則を破って顧みなくなったのを私は見て来た」(『ペルシア人の手紙』大岩誠訳、岩波文庫下巻、200~201ページ)。 18世紀のモンテスキューも、フランス社会の危機を憂い、ペルシア人の名を借りて当時のフランス王政の堕落を批判したのである。一国の衰退は、政治の悪化で一気に進んでいくというのだ。政治の悪化が、国民のモラル低下を導き、だれもが悪徳の民となり、国は衰退の一途を辿るのである。) この後起こるフランス革命という嵐の中、フランスはその衰退を免れ、再び繁栄の基礎を築いたのだが、その代償はあまりにも大きなものであった。現在のフランスは、どうであろう。政治や経済の混迷とともに、あらゆるものが狂い始めている。今のところ、この衰退を救ってくれる白い騎士たるすぐれた政治家が現れていない。 そのフランスという西欧を範としてきた日本の衰退は、フランス以上に疲弊しているともいえる。政治のモラル低下や腐敗は、もはや事件として取り上げる気も起こらないほど頻繁化し、それとともに経済分野における日本の地盤沈下もとどまることを知らない。 その一方で、日本礼賛論が巷で横行し、国民は相変わらず経済成長日本の時代の夢から出ることができないでいる』、「政治のモラル低下や腐敗は、もはや事件として取り上げる気も起こらないほど頻繁化し、それとともに経済分野における日本の地盤沈下もとどまることを知らない」、なるほど。 「その一方で、日本礼賛論が巷で横行し、国民は相変わらず経済成長日本の時代の夢から出ることができないでいる」、嘆かわしい。
・『未来の世代を苦しめる国家の劣化  こうした衰退を、国家劣化ともいう。モンテスキューによれば、国家劣化は1人の悪徳政治家によって簡単に起こると述べているが、国家は人間と違い1つの世代で死に絶えるのではなく、その次の世代、またその次の世代とずっと受け継がれていくのであるから、ある世代による国家の衰退は次の世代の人々をずっと苦しめ続けるのである。 その意味で、ある世代のたった1人の政治家による悪行は、末代まで影響するといってよい。 ハーバード大学教授のニーアル・ファーガソンは『劣化国家』(櫻井祐子訳、東洋経済新報社、2013年)の中で、この世代間に継続される劣化した国家の問題を、やはり18世紀のイギリスの思想家エドマンド・バーク(1729~1797年)の『フランス革命についての省察』(1790年)の有名な言葉を使って、「世代間の協働事業(パートナーシップ)の崩壊」と述べている。 このバークの言葉とは、次のような言葉である。 「というのは国家は、ただひととき存在して滅んでいく(人間という)粗野な動物的存在だけに役立っているものではないからです。国家はすべての学問についての協働事業によって、すべての技芸についての協働事業によって、すべての徳とすべての完璧さについての協働事業によって作られるのです。こうした協働事業の目的は何世代続いても実現できないものなので、生きているひとびとだけが結ぶ協働事業ではすみません。それは生きているひとびととすでに死んだひとびととの間で、またこれから生まれてくるひとびとの間で結ばれる協働事業なのです」(エドマンド・バーク『フランス革命についての省察』二木麻里訳、光文社古典新訳文庫165ページ。引用訳ではパートナーシップは協力協定となっているが、ここではあえて協働事業と訳しかえてある) なるほど、多額の赤字国債の発行や、国民の財産の多くを破壊する戦争などを、ある世代の政治家が気まぐれに行えば、そのツケは末代まで及ぶといってもよい。だからこそ、今のわれわれの世代だけに国家を劣化させる権利はないのである。すべての世代に豊かな世界をその後の世代に伝える義務が、すべての世代にあるのだ。 これと同じような趣旨のことを、日本を代表する経済学者の1人であった森嶋通夫(1923~2004年)も、『なぜ日本は没落するか』(岩波書店、1999年)と『なぜ日本は行き詰ったか』(同、2004年)という2つの書物で、われわれにすでに20年前に語ってくれていた。 森嶋は2004年に亡くなっているので、この2つの書物は彼のわれわれに残した遺書とも言うべきものである。戦中世代として、われわれ戦後世代に彼が伝えたかったことは、まさにこの「協働事業」という問題である。長い間イギリスで暮らしていた森嶋は、まさにバークの見解に似たことを述べている。 森嶋は、『なぜ日本は没落するか』の中で、2050年の日本を予想している。彼は当時の13歳から18歳の子供たちの様子を見て、50年後日本を背負っている彼らが日本をどう動かしているかという発想から、2050年の日本を予測しようというのだ。 国家は世代によって引き継がれていく。戦後は戦争を遂行した戦前世代が牽引し、そして戦中世代、戦後世代にバトンタッチしてきた。だから今の豊かさは前の世代の豊かさでの結果であり、今の世代は次の世代にその豊かさをバトンタッチしなければならない。こうして連綿と歴史は、世代間で引き継がれていく。 森嶋は、この戦後のバトンタッチこそ大きな問題点を含むものであったという。戦後アメリカによる教育改革は、戦前世代との断絶を生み出したと指摘する。アメリカによる急激なアメリカ流教育は、民主教育を非民主的な戦前、戦中世代が教えるというちぐはぐな問題を生み出した。 それによって戦後民主主義は形骸化し、また戦後世代はそれまであった日本の伝統的儒教的教育を受けられなかったことで、戦後世代はアジア的伝統とも断絶することになったという。戦後世代とは、私のような昭和20年代生まれの世代のことである。そして2050年を担う世代とは、その戦後世代の子供たちや孫の世代のことである』、「戦後アメリカによる教育改革は、戦前世代との断絶を生み出したと指摘する。アメリカによる急激なアメリカ流教育は、民主教育を非民主的な戦前、戦中世代が教えるというちぐはぐな問題を生み出した。 それによって戦後民主主義は形骸化し、また戦後世代はそれまであった日本の伝統的儒教的教育を受けられなかったことで、戦後世代はアジア的伝統とも断絶することになったという。戦後世代とは、私のような昭和20年代生まれの世代のことである。そして2050年を担う世代とは、その戦後世代の子供たちや孫の世代のことである」、なるほど。
・『国際的評価を得られない「哲学なき政治家」  菅義偉、安倍晋三、岸田文雄といった政治家はすべて戦後世代である。この戦後世代に欠けているものを、森嶋はエリート意識の欠如、または精神の崩壊といっている。価値判断をもたない無機的な人々を生み出したのは、この戦後の中途半端な教育にあったと述べているが、あながち間違いではない。それが顕著に現れるのは政治という舞台の上である。 政治家は国を代表し、対外折衝をするがゆえに、自ずと国際的評価の対象となる。しかし、日本の政治家の中にそうした国際的評価を得るレベルの政治家が少ないのも、事実である。 私はこうした政治家を「哲学なき政治家」と呼ぶ。森嶋は、政治、産業、教育、金融あらゆる部門にわたって、日本の荒廃を分析しているが、政治家の様子を見ただけでも、日本の荒廃のおよその検討はつく。 冒頭のモンテスキューの言葉が示す通り、1人の悪徳政治家が存在したおかげで、それまで続いた豊かな国家もたちどころに疲弊していったとすれば、そうした政治家にあふれている日本に豊かな未来はないであろう。森嶋は、こう結論づけている。 これは重い言葉だ。森嶋は教育者であり、こうした悲惨な未来を避けるために教育改革を盛んに訴えているが、それには私も賛成だ。 「政治が悪いから国民が無気力であり、国民が無気力だから政治は悪いままでおれるのだ。こういう状態は、今後50年は確実に続くであろう。そのことから私たちが引き出さねばならない結論は、残念ながら、日本の没落である。政治が貧困であるということは、日本経済が経済外的利益を受けないと言うことである。それでも「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り狂うしか慰めがないとしたら、私たちの子供や孫や曾孫があまりにも可哀想だ」(『なぜ日本は没落するか』岩波現代文庫、146ページ)。 偏差値型ロボット教育(受験勉強)と価値判断を欠いた無機的教育(問題意識の欠落)を一刻もはやくなくさねばなるまい。とりわけ海外、欧米偏重ではないアジアとの交流をにらんだ教育体系の確立であろう。日本はアジアから孤立しているばかりではない。憧れている西欧からも利用しやすい愚かなアジアの国としてしか、相手にされていないのだ。 今後世界の中心となるアジア・アフリカの中で活路を見いださねば、未来はないであろう。次の世代のために今こそ立ち上がるべきときである』、「森嶋は、政治、産業、教育、金融あらゆる部門にわたって、日本の荒廃を分析しているが、政治家の様子を見ただけでも、日本の荒廃のおよその検討はつく・・・森嶋は、こう結論づけている。 これは重い言葉だ。森嶋は教育者であり、こうした悲惨な未来を避けるために教育改革を盛んに訴えているが、それには私も賛成だ。 「政治が悪いから国民が無気力であり、国民が無気力だから政治は悪いままでおれるのだ。こういう状態は、今後50年は確実に続くであろう。そのことから私たちが引き出さねばならない結論は、残念ながら、日本の没落である。政治が貧困であるということは、日本経済が経済外的利益を受けないと言うことである。それでも「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り狂うしか慰めがないとしたら、私たちの子供や孫や曾孫があまりにも可哀想だ」、「日本はアジアから孤立しているばかりではない。憧れている西欧からも利用しやすい愚かなアジアの国としてしか、相手にされていないのだ。 今後世界の中心となるアジア・アフリカの中で活路を見いださねば、未来はないであろう。次の世代のために今こそ立ち上がるべきときである」、なるほど。

次に、9月30日付け東洋経済オンラインが掲載した慶應義塾大学大学院教授の小幡 績氏による「なぜ経済学者も政治家もバカになったのか? 今、日本に本当に必要な経済政策とは何なのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/705360
・『経済学者と政治家は、いつからこんなにバカになってしまったのだろうか。それは、世界的にも第2次世界大戦後、徐々に進んでいる現象だ。日本ではとくに、高度経済成長が終わり、1980年代のバブルで加速化し、アベノミクスによって決定的に壊滅した』、興味深そうだ。
・『バブルにまったくこりていない世界と日本  この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら 今回は日本に関しての議論が中心になるが、世界でも同じである。 アメリカでは、2000年には「ITの発達で景気循環がなくなり、リスクが低いニューエコノミーとなって、株価は新たな高みに行く」といわれた瞬間にITバブル(テックバブル)が崩壊し、さらに2001年のエンロン事件、同時多発テロによって、株価も経済も混乱、低迷した。 それにもかかわらず、バブルにまったくこりずに、1930年代の大恐慌の経験をねじ曲げて解釈し、「悪かったのは中央銀行が金融を早く引き締めすぎたからだ。バブルは潰してはいけない。崩壊してから、その後の混乱を大規模金融緩和で処理すればよい」という「FED VIEW」(中央銀行の見解)なるものが確立していた。 だが、2008年のリーマンショックで、それはまったくの間違いであることが判明した。つまり、100年かけて「進歩ゼロ」だった。 さらに、1990年代から2000年にかけては、日本が先進国では珍しいデフレに陥り、ゼロ金利に追い込まれ、苦肉の策として量的緩和なるものが発明された。このときも「ジャパナイゼーション」と呼んで、日本と日本銀行をバカにし、「俺たちはそんな間抜けなことはしないもんね、デフレもゼロ金利にもならないようにちゃんとするから」と言っていた。) だが、リーマンショック後、欧米諸国はみなゼロ金利で量的緩和を行い、欧州に至ってはマイナス金利幅を拡大していった。日本の経験からも学ばず、量的緩和をQEと呼んでバカにしていたが、FEDも結局QE3と呼ばれたように、3回も量的緩和を実施する羽目になった。 この経験によって「21世紀はデフレの時代だ。もはやインフレは問題となりようがないから、インフレターゲットなどを2%よりも高くして、3~4%に目標を引き上げて、21世紀の長期停滞に対処すべき」とまじめに議論した瞬間に、コロナ危機となった。 終わってみると、とてつもないインフレが加速し、ゼロ金利から一気に5%以上まで金利を引き上げるという大不始末をしでかした。しかも、インフレが急速に高まってから1年以上も放置して「これは一時的だから心配ない」と言い続けたあとに、「インフレ抑制が最優先、景気がどうなろうとまずインフレを抑え込むことが必要だ。インフレ抑制こそが中央銀行の最大の使命」などと、1年前とは180度違うことを声高に叫ぶという、とてつもない恥辱の政策転換を行った』、「バブルは潰してはいけない。崩壊してから、その後の混乱を大規模金融緩和で処理すればよい」という「FED VIEW」・・・なるものが確立していた。 だが、2008年のリーマンショックで、それはまったくの間違いであることが判明」、「1990年代から2000年にかけては、日本が先進国では珍しいデフレに陥り、ゼロ金利に追い込まれ、苦肉の策として量的緩和なるものが発明された。このときも「ジャパナイゼーション」と呼んで、日本と日本銀行をバカにし、「俺たちはそんな間抜けなことはしないもんね、デフレもゼロ金利にもならないようにちゃんとするから」と言っていた。) だが、リーマンショック後、欧米諸国はみなゼロ金利で量的緩和を行い、欧州に至ってはマイナス金利幅を拡大していった。日本の経験からも学ばず、量的緩和をQEと呼んでバカにしていたが、FEDも結局QE3と呼ばれたように、3回も量的緩和を実施する羽目になった」、節操のなさもここまでくると目も当てられない。
・『経済学はいまだ未熟な学問  なぜ、こんなに間違ってしまったのか。要は、経済学には、いまだに経済が全体のシステムとしてどうなっているかがわかっていないからだ。 それなのに、1968年にノーベル賞に経済学が追加され、実力以上に世の中で偉くなってしまい、また自分たちも偉いと思ってしまったからである。さらに、1970年代からは合理的期待仮説旋風が吹き荒れ、経済主体が合理的に将来を予想しているとされてしまった。この数学的モデル化が便利な魔法のツールを武器に、経済学は数学的モデルと統計的にテクニカルな実証分析の学問となってしまった。 少なくとも第2次大戦前までは、どの経済学者も自分自身の経済システムへの見方があり、「リカード体系」「ワルラス体系」「ケインズ体系」などがあった。だが、こうした体系への理解も情熱も1970年以降は失われ、モデルの数学的精緻化、統計的な有意性の検証に明け暮れてしまった。 また、経済学が偉くなったことにより、業績争いが加速し、その結果、論文による業績競争となり、これを公平に評価するという名の下に、細部の厳密性を執拗にほじくり返されるために、経済学の論文はすべて部分的な限定的な非常に狭いトピックをそれぞれ検証するようになった。 とりわけミクロ経済学系統では、ヴィジョン(全体像の把握や展望)がまったく失われてしまった。一方、世間の人々や政治家たちは経済学への期待を高め(あるいはそうしたふりをして)、「著名な経済学者のお墨付きをもらった」などと言って自分たちの望ましい政策の正当性を主張するようになった。ここに、世論も政治家も、経済学の中身を理解しないまま悪用を、たとえ無意識にせよ、行うようになってしまった。 経済学者は、「手元にある道具」をより研ぎ澄まして、細分化によって、より適する鋭利な刃物を仕上げていったが、全体像を把握するのとは逆方向にどんどん進んでいった。21世紀になると、この傾向は加速度的に強まり、経済も経済学も世の中も、ただ混乱してきているのである。) 日本は、さらにひどい。1980年代のバブル期には「日本の不動産価格、株価はバブルではない」ということを、無理やり経済理論モデルで説明しようとしていた。流通などの非効率性も、長期的な関係を、ゲーム理論などを用いながら必死に「つじつまが合う」と主張してきた』、「経済学者は、「手元にある道具」をより研ぎ澄まして、細分化によって、より適する鋭利な刃物を仕上げていったが、全体像を把握するのとは逆方向にどんどん進んでいった。21世紀になると、この傾向は加速度的に強まり、経済も経済学も世の中も、ただ混乱してきているのである。) 日本は、さらにひどい。1980年代のバブル期には「日本の不動産価格、株価はバブルではない」ということを、無理やり経済理論モデルで説明しようとしていた」、なるほど。
・『日本の混迷を決定づけたのは「リフレ派」  結局、これらは1990年代末から膨大なコストをかけて処理していくことになった。21世紀になると、日本の経済停滞を、アメリカのポール・クルーグマン氏(現ニューヨーク市立大学大学院センター教授)が、日本の現実をまったく知らないままに(知ろうともせずに)たまたま思いついた「トイモデル」(おもちゃのような理論モデル)で自慢げに分析してみせた。 アメリカの有名経済学者についていくことが最も進んだ経済学者の証しだと思い込んでいる同国コンプレックスの多くのマクロ経済学者は、これを絶賛し、日本政府の政策を責めたてた。 政治家も世論も自分では何も確かめようともせずに、有名経済学者の話を鵜呑みにし、現在でも、そのときの常識がそのまま残ってしまって、それを土台に議論が行われている。 日本の経済問題の核心は、人口減少や地方の衰退などの構造的な問題であることは明らかなのに、すべてはデフレ、緩やかな価格下落、あるいは価格が上がらないこと、つまりインフレにならないことが諸悪の根源とされた。いまだに、日本国中を挙げて、これをなんとか変えようとしている。 日本でも、前述のアメリカの経済学の混迷と同じ構造が根底にはあるが、この経済学と政治による経済政策の大混乱を決定づけたのは、アベノミクスであり、その元はリフレ派という謎の理論であった。 これは拙著『リフレはヤバい』でも解説したのだが、日本では世論も政治家も皆ぐうたらで、めんどくさがりである。したがって「日本経済はもう終わりだ」などと悲壮な叫びを上げながら、これを解決するために一発大逆転を望むのだ。 難しい議論はいやなので、単純な1つの理屈で一挙にすべてを解決する政策しか望まれないのである。この「一挙解決願望症候群」が政治家も世論をも覆っており、まじめに丁寧に問題を解きほぐす論者や理論は政策マーケットから駆逐される(というより無視される)。「これが問題だから、これをぶっ壊せばすべて解決」という主張しか生き残らなかったのである。) 政治家が好きな「ガラガラポン」というふざけた言葉が国会の論戦でも頻出し、「もうガラガラポンするしかない」とまじめ腐った顔で語り、すぐに平成維新とか、ゼロクリアの革命を求める議論やネーミングが流行るのである。 「すべて財務省が悪い」というのが昭和や平成の前半に使われた論理だが、平成の後半と令和においては、スケープゴート(贖罪の山羊)は日本銀行となっている。そして、リフレ派は「インフレになれば、すべての停滞が一気に解決する」と主張し、そのためには「ただマネーをばらまけばよい」と主張したのである。 政治的には「デフレ脱却」「デフレマインド脱却」がキラーフレーズ(殺し文句)となり、とにかくインフレにすればすべてが解決するということになってしまった。そして、こともあろうに、日銀自身までが「悲願の物価上昇率2%達成が目前」とまで言い出す始末となっている。 つまり、似非(えせ)エコノミストだけでなく、まともなマクロ経済学者、マクロ金融学者、日銀エコノミストまでが、物価上昇がすべてという議論にはまってしまっているのである』、「21世紀になると、日本の経済停滞を、アメリカのポール・クルーグマン氏・・・が、日本の現実をまったく知らないままに(知ろうともせずに)たまたま思いついた「トイモデル」・・・で自慢げに分析してみせた。 アメリカの有名経済学者についていくことが最も進んだ経済学者の証しだと思い込んでいる同国コンプレックスの多くのマクロ経済学者は、これを絶賛し、日本政府の政策を責めたてた。 政治家も世論も自分では何も確かめようともせずに、有名経済学者の話を鵜呑みにし、現在でも、そのときの常識がそのまま残ってしまって、それを土台に議論が行われている。 日本の経済問題の核心は、人口減少や地方の衰退などの構造的な問題であることは明らかなのに、すべてはデフレ、緩やかな価格下落、あるいは価格が上がらないこと、つまりインフレにならないことが諸悪の根源とされた。いまだに、日本国中を挙げて、これをなんとか変えようとしている・・・リフレ派は「インフレになれば、すべての停滞が一気に解決する」と主張し、そのためには「ただマネーをばらまけばよい」と主張したのである。 政治的には「デフレ脱却」「デフレマインド脱却」がキラーフレーズ(殺し文句)となり、とにかくインフレにすればすべてが解決するということになってしまった。そして、こともあろうに、日銀自身までが「悲願の物価上昇率2%達成が目前」とまで言い出す始末となっている。 つまり、似非(えせ)エコノミストだけでなく、まともなマクロ経済学者、マクロ金融学者、日銀エコノミストまでが、物価上昇がすべてという議論にはまってしまっているのである」、なるほど。
・『「証拠に基づく政策立案」による改善効果は?  一方、ミクロの経済学者はどうしていたのか。彼らは、この乱暴な「政策マーケット」の議論に腹を立て、エビデンスベースの政策決定を声高に主張した。EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング。証拠に基づく政策立案)というやつである。この結果、今度は「詳細なミクロデータがある政策だけが正しい」という風潮が高まった。 その結果、どうなったか。昔から繰り返し行われている政策については、多少の改善が見られた。エビデンスなしに、なんとなくイメージで効果があると思われていた政策の一部が「効果が薄い」として縮小していったのである。 これ自体はすばらしいことである。しかし、それは政策全体の1%未満の領域での改善にすぎない。なぜなら、多くの政策は、効果があるかどうかではなく、政治家あるいは利害関係者がやりたい政策を行っているだけであるから「効果が薄い」といわれても、意に介さない。「マイナスではない」「これで助かっている国民が1人でもいる以上、廃止するわけにいかない」という論理で、多くの予算が割かれているものについては何の改善も見られなかった。) しかし、本当の害悪は、まじめなミクロ経済学者たちがその視野の狭さにより、自分の領域におけるエビデンス立証だけに夢中になり、世の中全体で起きている最も重要なイシュー(課題や論点)を無視してしまったということである』、「本当の害悪は、まじめなミクロ経済学者たちがその視野の狭さにより、自分の領域におけるエビデンス立証だけに夢中になり、世の中全体で起きている最も重要なイシュー(課題や論点)を無視してしまったということである」、なるほど。
・『「常識による政策の不在」で日本は静かに衰退し続ける  世の中で最も重要なことは、今までにない問題が起きたとき、どう解決するかである。現在の経済は変化も激しいし、複雑で、次から次へと今までに経験しなかった問題が起こる。これに対処するのにも、エビデンスの有無、学問的、実証分析的論拠を求めたため、自ら発言する力を失ってしまったのである。 未体験ゾーンには、エビデンスなど原理的に存在しない。そこにどうやって立ち向かうか。丁寧で視野の広い観察を先入観なく行い、それに論理と常識を当てはめることで、何とか道を見出すという努力が必要なのに、その努力さえも行わなくなってしまったのである。 つまり、前出の政治家や世論の乱暴な一挙解決願望、具体的に言えば、コロナ対策やインフレ対策の給付金などである。これらも丁寧な仕組みの構築と手間を惜しんで、「とにかくパッーと一気にばらまくしかないだろう」という議論をしてしまう。 こうした乱暴な議論と、その一方で、これまた極端な詳細なエビデンスを求める、まじめな視野の狭い学者先生たち。この極端な二極化により、常識による政策が不在になってしまったのである。この結果、思考停止となり、政治家も経済学者も阿呆にしか見えない行動をとり続け、日本の経済は政策無策で、静かに衰退し続けているのである。) では最後に、私が常識による政策を提示しよう。 まず、インフレ。インフレになれば、手持ちの貯金、給料の価値は目減りする。だから、消費を控え、節約するしかない。悪いのはインフレである。物価が上がらないのは、むしろ生活者にとって望ましいことである。 デフレスパイラルという、物の値段が際限なく下落していく世界は恐怖である。だが、大恐慌のときと違って、今は街に失業者もあふれていないし、物価は上がらなかっただけで、暴落したわけではないのだ』、「悪いのはインフレである。物価が上がらないのは、むしろ生活者にとって望ましいことである。 デフレスパイラルという、物の値段が際限なく下落していく世界は恐怖である。だが、大恐慌のときと違って、今は街に失業者もあふれていないし、物価は上がらなかっただけで、暴落したわけではないのだ」、その通りだ。
・『円安を止めれば、ほとんどの問題は解決する  では、円安はどうか。海外旅行に行けない。海外の投資家に大事な土地も企業も人材も買い尽くされて奪われてしまう。しかも、日本は貧しくなる。 韓国よりも所得が低いのは、円安だけのせいだ。そして、現在起きているインフレも、半分以上は円安が原因だ。だから、過度な円安を解決し、妥当といわれる1ドル=90円前後まで円が戻れば、ほとんどの問題は解決してしまう。 景気はどうか。日本の景気はよい。デフレギャップすら存在しない(そもそもデフレギャップは、つねに存在する方向にバイアスがかかっているデータである)。失業率はきわめて低い。誰もが、人手不足で困っている。鹿児島でも、青森でも、大都市だけでなく、日本中で働き手が消えている。 景気は問題でない。景気対策は一切要らない。需要も消費も喚起する必要はない。問題は実質所得の目減りであり、それは円安を止めれば、インフレも軽減され、問題は解決する。 物価と賃金の好循環はどうか。そういうものは存在しない。世界中の経済の歴史において、物価主導で賃金がそれを上回って上昇し、経済がよくなったことは一度もない。ありえない。いちばんよくてスタグフレーション(景気低迷下の物価上昇)である。 そもそも勤労所得のない消費者が、日本国民の半分である。物価が上がれば、国民全員が困る。賃金は転職などにより交渉により企業からもぎ取るものである。インフレが賃金上昇をもたらす理由は、交渉なしでは1つもない。インフレだから、という交渉材料がふえるだけのことだ。) もちろん、ただでさえ原料高に苦しんでいる企業は、賃金を上げるとさらにコスト高になる。だから、物価上昇率以上の賃金上昇が経済全体で起こる理由はゼロである。逆だ。必ず、実質賃金は下落する』、「景気は問題でない。景気対策は一切要らない。需要も消費も喚起する必要はない。問題は実質所得の目減りであり、それは円安を止めれば、インフレも軽減され、問題は解決する。 物価と賃金の好循環はどうか。そういうものは存在しない。世界中の経済の歴史において、物価主導で賃金がそれを上回って上昇し、経済がよくなったことは一度もない」、なるほど。
・『インフレを抑制、実質賃金を上げるには?  実際、現在の日本は、インフレが始まってから、実質賃金は16カ月連続で下落し、下落幅は拡大している。実質賃金を上昇するためには、インフレをなくすしかない。そのうえで生産性を上げることが個々の労働者にできれば、賃金は上がる。だから、インフレを止めること、物価を下げることが実質賃金上昇への唯一の道なのである。 現実世界を見れば一目瞭然だが、アメリカ、さらに悪いのは欧州である。中でも英国は、物価上昇からの賃金上昇は最悪の悪循環で、これを断ち切るために死に物狂いになっている。もちろん賃金はどこでも物価に追いつかないし、好循環だという人はひとりもいない。それどころか、最強の悪循環だという認識を全員がもっている。 最後に日銀の金融政策はどうか。マイナス金利終了、イールドカーブコントロール(長短金利操作)終了。この2つを直ちに行うべきだ。 円安の原因の1つは日銀の異常な緩和策による。だから、やめるべきだ。だが、「金融政策は為替に影響を与えてはいけない、だから円安を理由に政策変更すべきでない」と、大真面目に言う優秀な経済学者がいる。 わかっていない。現実を見よ。日銀の金融政策があまりに異常であるため円安が起きているのであり、金融政策が為替市場を歪めているのである。それこそ中央銀行が最もやってはいけないことだ。中央銀行の金融政策が為替を歪めていれば、それを普通に戻すのは当然どころか、義務だ。 まあ、きりがないので、これでやめておこう。(本編はここで終了です。このあとは競馬好きの筆者が競馬論や週末のレースの予想をするコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「インフレを止めること、物価を下げることが実質賃金上昇への唯一の道なのである。 現実世界を見れば一目瞭然だが、アメリカ、さらに悪いのは欧州である。中でも英国は、物価上昇からの賃金上昇は最悪の悪循環で、これを断ち切るために死に物狂いになっている。もちろん賃金はどこでも物価に追いつかないし、好循環だという人はひとりもいない。それどころか、最強の悪循環だという認識を全員がもっている・・・最後に日銀の金融政策はどうか。マイナス金利終了、イールドカーブコントロール(長短金利操作)終了。この2つを直ちに行うべきだ。 円安の原因の1つは日銀の異常な緩和策による。だから、やめるべきだ。だが、「金融政策は為替に影響を与えてはいけない、だから円安を理由に政策変更すべきでない」と、大真面目に言う優秀な経済学者がいる。 わかっていない。現実を見よ。日銀の金融政策があまりに異常であるため円安が起きているのであり、金融政策が為替市場を歪めているのである。それこそ中央銀行が最もやってはいけないことだ。中央銀行の金融政策が為替を歪めていれば、それを普通に戻すのは当然どころか、義務だ」、植田総裁のYCCの一層の弾力化は市場を失望させたようだ。もっと踏み込んだ手直しが求められているようだ。
タグ:小幡 績氏による「なぜ経済学者も政治家もバカになったのか? 今、日本に本当に必要な経済政策とは何なのか」 今後世界の中心となるアジア・アフリカの中で活路を見いださねば、未来はないであろう。次の世代のために今こそ立ち上がるべきときである」、なるほど。 こういう状態は、今後50年は確実に続くであろう。そのことから私たちが引き出さねばならない結論は、残念ながら、日本の没落である。政治が貧困であるということは、日本経済が経済外的利益を受けないと言うことである。それでも「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り狂うしか慰めがないとしたら、私たちの子供や孫や曾孫があまりにも可哀想だ」、「日本はアジアから孤立しているばかりではない。憧れている西欧からも利用しやすい愚かなアジアの国としてしか、相手にされていないのだ。 「森嶋は、政治、産業、教育、金融あらゆる部門にわたって、日本の荒廃を分析しているが、政治家の様子を見ただけでも、日本の荒廃のおよその検討はつく・・・森嶋は、こう結論づけている。 これは重い言葉だ。森嶋は教育者であり、こうした悲惨な未来を避けるために教育改革を盛んに訴えているが、それには私も賛成だ。 「政治が悪いから国民が無気力であり、国民が無気力だから政治は悪いままでおれるのだ。 戦後世代とは、私のような昭和20年代生まれの世代のことである。そして2050年を担う世代とは、その戦後世代の子供たちや孫の世代のことである」、なるほど。 「戦後アメリカによる教育改革は、戦前世代との断絶を生み出したと指摘する。アメリカによる急激なアメリカ流教育は、民主教育を非民主的な戦前、戦中世代が教えるというちぐはぐな問題を生み出した。 それによって戦後民主主義は形骸化し、また戦後世代はそれまであった日本の伝統的儒教的教育を受けられなかったことで、戦後世代はアジア的伝統とも断絶することになったという。 「政治のモラル低下や腐敗は、もはや事件として取り上げる気も起こらないほど頻繁化し、それとともに経済分野における日本の地盤沈下もとどまることを知らない」、なるほど。 「その一方で、日本礼賛論が巷で横行し、国民は相変わらず経済成長日本の時代の夢から出ることができないでいる」、嘆かわしい。 的場 昭弘氏による「国家の劣化はたった1人の政治家が引き起こす 日本など先進国を没落させる哲学なき政治家の罪」 東洋経済オンライン (その30)(国家の劣化はたった1人の政治家が引き起こす 日本など先進国を没落させる哲学なき政治家の罪、なぜ経済学者も政治家もバカになったのか? 今、日本に本当に必要な経済政策とは何なのか) 日本の構造問題 「バブルは潰してはいけない。崩壊してから、その後の混乱を大規模金融緩和で処理すればよい」という「FED VIEW」・・・なるものが確立していた。 だが、2008年のリーマンショックで、それはまったくの間違いであることが判明」、「1990年代から2000年にかけては、日本が先進国では珍しいデフレに陥り、ゼロ金利に追い込まれ、苦肉の策として量的緩和なるものが発明された。 このときも「ジャパナイゼーション」と呼んで、日本と日本銀行をバカにし、「俺たちはそんな間抜けなことはしないもんね、デフレもゼロ金利にもならないようにちゃんとするから」と言っていた。) だが、リーマンショック後、欧米諸国はみなゼロ金利で量的緩和を行い、欧州に至ってはマイナス金利幅を拡大していった。日本の経験からも学ばず、量的緩和をQEと呼んでバカにしていたが、FEDも結局QE3と呼ばれたように、3回も量的緩和を実施する羽目になった」、節操のなさもここまでくると目も当てられない。 「経済学者は、「手元にある道具」をより研ぎ澄まして、細分化によって、より適する鋭利な刃物を仕上げていったが、全体像を把握するのとは逆方向にどんどん進んでいった。21世紀になると、この傾向は加速度的に強まり、経済も経済学も世の中も、ただ混乱してきているのである。) 日本は、さらにひどい。1980年代のバブル期には「日本の不動産価格、株価はバブルではない」ということを、無理やり経済理論モデルで説明しようとしていた」、なるほど。 「21世紀になると、日本の経済停滞を、アメリカのポール・クルーグマン氏・・・が、日本の現実をまったく知らないままに(知ろうともせずに)たまたま思いついた「トイモデル」・・・で自慢げに分析してみせた。 アメリカの有名経済学者についていくことが最も進んだ経済学者の証しだと思い込んでいる同国コンプレックスの多くのマクロ経済学者は、これを絶賛し、日本政府の政策を責めたてた。 政治家も世論も自分では何も確かめようともせずに、有名経済学者の話を鵜呑みにし、現在でも、そのときの常識がそのまま残ってしまって、それを土台に議論が行われている。 日本の経済問題の核心は、人口減少や地方の衰退などの構造的な問題であることは明らかなのに、すべてはデフレ、緩やかな価格下落、あるいは価格が上がらないこと、つまりインフレにならないことが諸悪の根源とされた。いまだに、日本国中を挙げて、これをなんとか変えようとしている ・・・リフレ派は「インフレになれば、すべての停滞が一気に解決する」と主張し、そのためには「ただマネーをばらまけばよい」と主張したのである。 政治的には「デフレ脱却」「デフレマインド脱却」がキラーフレーズ(殺し文句)となり、とにかくインフレにすればすべてが解決するということになってしまった。そして、こともあろうに、日銀自身までが「悲願の物価上昇率2%達成が目前」とまで言い出す始末となっている。 つまり、似非(えせ)エコノミストだけでなく、まともなマクロ経済学者、マクロ金融学者、日銀エコノミストまでが、物価上 昇がすべてという議論にはまってしまっているのである」、なるほど。 「本当の害悪は、まじめなミクロ経済学者たちがその視野の狭さにより、自分の領域におけるエビデンス立証だけに夢中になり、世の中全体で起きている最も重要なイシュー(課題や論点)を無視してしまったということである」、なるほど。 「悪いのはインフレである。物価が上がらないのは、むしろ生活者にとって望ましいことである。 デフレスパイラルという、物の値段が際限なく下落していく世界は恐怖である。だが、大恐慌のときと違って、今は街に失業者もあふれていないし、物価は上がらなかっただけで、暴落したわけではないのだ」、その通りだ。 「景気は問題でない。景気対策は一切要らない。需要も消費も喚起する必要はない。問題は実質所得の目減りであり、それは円安を止めれば、インフレも軽減され、問題は解決する。 物価と賃金の好循環はどうか。そういうものは存在しない。世界中の経済の歴史において、物価主導で賃金がそれを上回って上昇し、経済がよくなったことは一度もない」、なるほど。 「インフレを止めること、物価を下げることが実質賃金上昇への唯一の道なのである。 現実世界を見れば一目瞭然だが、アメリカ、さらに悪いのは欧州である。中でも英国は、物価上昇からの賃金上昇は最悪の悪循環で、これを断ち切るために死に物狂いになっている。もちろん賃金はどこでも物価に追いつかないし、好循環だという人はひとりもいない。それどころか、最強の悪循環だという認識を全員がもっている ・・・最後に日銀の金融政策はどうか。マイナス金利終了、イールドカーブコントロール(長短金利操作)終了。この2つを直ちに行うべきだ。 円安の原因の1つは日銀の異常な緩和策による。だから、やめるべきだ。だが、「金融政策は為替に影響を与えてはいけない、だから円安を理由に政策変更すべきでない」と、大真面目に言う優秀な経済学者がいる。 わかっていない。現実を見よ。日銀の金融政策があまりに異常であるため円安が起きているのであり、金融政策が為替市場を歪めているのである。それこそ中央銀行が最もやってはいけないことだ。中央 銀行の金融政策が為替を歪めていれば、それを普通に戻すのは当然どころか、義務だ」、植田総裁のYCCの一層の弾力化は市場を失望させたようだ。もっと踏み込んだ手直しが求められているようだ。
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