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日本型経営・組織の問題点(その14)(日本のカイシャは もうダメだ! 世界ランキング劣後の情けない理由 世界の動向知らず 意志決定もベタ後れ、「現場を管理しすぎる会社」が没落する必然3大理由 「失われた30年」最大の被害者は「現場」だ!、パナソニックはなぜテスラになれなかった?精神科医・和田秀樹の答え) [経済政治動向]

日本型経営・組織の問題点については、4月30日に取上げた。今日が、(その14)(日本のカイシャは もうダメだ! 世界ランキング劣後の情けない理由 世界の動向知らず 意志決定もベタ後れ、「現場を管理しすぎる会社」が没落する必然3大理由 「失われた30年」最大の被害者は「現場」だ!、パナソニックはなぜテスラになれなかった?精神科医・和田秀樹の答え)である。

先ずは、10月16日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「日本のカイシャは、もうダメだ! 世界ランキング劣後の情けない理由 世界の動向知らず、意志決定もベタ後れ」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/100971?imp=0
・『世界競争力ランキングで、日本企業の地位が惨憺たる状態だ。全体では世界の中間あたりなのだが、項目によっては、なんと世界最低になっている。時価総額でみても、上位100社にはトヨタ1社しか入らない。どうしたらこの状態から脱却できるか?』、興味深そうだ。
・『「デジタル競争力」で日本は「世界最低」!  スイスのIMD(国際経営開発研究所)が作成する「デジタル競争力のランキング2022年版が9月28日に公表された。 日本は、63カ国・地域中29位と、昨年より順位が下がった。 評価項目ごとに日本の順位を見ると、「国際経験」と「企業の俊敏性」とでは、63位。つまり、「世界最下位」だ。 これを普通の言葉で言えば、「日本企業は世界で何が起きているかをしらず、動きがのろい」ということになる。 また、「ビッグデータ、アナリティクスの活用」で63位、「デジタル・テクノロジースキル」でも62位だ。これを普通の言葉で言えば、「世界のどの国の人も使えるデジタル技術を、日本人は使えない」ということになる。 すべての項目で「最低」となっているわけではないが、重要度の高い項目で最低だ。少なくとも、先進国の中で最低であることに間違いない。惨憺たる状態としか言いようがない。 改めて言うまでもなく、これは、「とんでもないこと」だ。尋常なことではない。非常事態だ』、「「デジタル競争力」で日本は「世界最低」!」、ではなく、「63カ国・地域中29位」だ。ただ、「「ビッグデータ、アナリティクスの活用」で63位、「デジタル・テクノロジースキル」でも62位だ」、と「重要度の高い項目で最低だ」。
・『日本企業はアフリカやモンゴルの企業と同列  IMDが公表しているもう一つのランキングである「世界競争力のランキング」の2022年版(6月14日に公表)では、日本の順位は、63カ国・地域のうちで34位だった。 アジア・太平洋地域で見ると、14カ国・地域中10位で、マレーシアやタイより順位が低い。 このランキングは、「経済状況」、「政府の効率性」、「ビジネス効率性」、「インフラ」という4つの項目について評価を行なっている。そのうちの「ビジネス効率性」において、日本は、世界第51位まで落ち込んでしまった(図表1参照:なお、スペースの制約で、図表1には一部の国しか示していない)。(図表1 IMDによるランキング(ビジネス効率性)はリンク先参照) 日本企業は、アフリカの企業やモンゴルの企業とほぼ同列の存在になってしまったのだ! 「ビジネス効率性」の細分類を見ると、「労働生産性評価」では59位、「企業の効率性に対する評価」では、大企業が62位、中小企業が61位だ。そして、「デジタル化を活用した業績改善」では60位だ。 「経営プラクティス」の項目では、「企業の意思決定の迅速性」、「変化する市場への認識」、「機会と脅威への素早い対応」、「ビッグデータ分析の意思決定への活用」、「起業家精神」の5項目の全てで、最下位(63位)だ(三菱総合研究所のホームページによる。なお、同研究所は、日本のデータをIMDに提供している)』、「「世界競争力のランキング」の2022年版では、「63カ国・地域のうちで34位」、「「ビジネス効率性」において、日本は、世界第51位まで落ち込んでしまった」、「アフリカの企業やモンゴルの企業とほぼ同列の存在になってしまった」、「細目を見ると、「「経営プラクティス」の項目では、「企業の意思決定の迅速性」、「変化する市場への認識」、「機会と脅威への素早い対応」、「ビッグデータ分析の意思決定への活用」、「起業家精神」の5項目の全てで、最下位(63位)だ」、誠に屈辱的な結果だ。
・『時価総額100位内に、米は62社、日本は1社  付加価値を生み出す経済活動を行なうのは企業だ。だから、企業がどれだけの競争力を持っているかは、その国の現在と未来の世界における地位を決める。 上述のようなデータを見ていると、日本企業はもうダメなのではないか、と思えてくる。 そこで、株式市場がどう評価しているかを見るために、時価総額のランキングを見ることにしよう(以下の数字は、Largest Companies by Market Capによる。なお、時価総額は、2022年10月初めの値。株価の変動に伴い、日々変動する)。 株価は企業の将来の成長度を反映していると考えられるので、時価総額は、企業の未来を表していると考えてよい。 (図表2 時価総額でトップ100位までに入る企業数はリンク先参照) 時価総額で上位100社に入る企業数を国別に見ると、図表2のとおりだ。 アメリカが62社と圧倒的に多い。つぎに中国の12社がくる。イギリス、フランス、オランダなどでは、それぞれ2、3社だ。人口では小国であるアイルランドに2社もあることが注目される(同国の人口は、約500万人。東京都の人口約1400万人の3分の1強)。 日本企業で世界の上位100社に入るのは、トヨタ自動車だけだ(42位、1883.8億ドル)。 ドイツには、1社もない。ドイツの時価総額トップは、ソフトウエアサービスのSAPで、世界115位だ。 これに比べれば日本はマシだが、人口あたりでみれば、日本の上位100社企業数は、韓国や台湾に比べてずっと少ない。それに、時価総額の金額も少ない(韓国トップのサムスン電子は27位・2678.4億ドル、台湾のTSCMは、13位・3641.8 億ドル)』、「時価総額」が「日本企業で世界の上位100社に入るのは、トヨタ自動車だけ」、「人口あたりでみれば、日本の上位100社企業数は、韓国や台湾に比べてずっと少ない」、情けない限りだ。
・『日本企業はEVやファブレスへの移行に対応できるか?  ドイツで時価総額100位以内がなくなったのは、自動車会社が順位を落としたからだ。 これまで フォルクスワーゲンが世界の100位内に入っていたが、いまでは158位だ(768.6億ドル)。メルセデスベンツやBMWも順位を落としている。 こうした変化が起きるのは、今後、EVへの転換が生じることが確実だからだ。 実際、テスラ(第6位・7491.5億ドル)や中国のBYD(125位・936.3 億ドル)などのEVメーカーの順位が上昇している。テスラの時価総額はフォルクスワーゲンの約10倍になっているし、新興の自動車メーカーであるBYDの時価総額が、いまやフォルクスワーゲンを抜いてしまった。 その反面で、一般に自動車メーカーの順位が下がっている。アメリカGM(277位・507.9億ドル)、フォード(279位・502.9億ドル)といった具合だ。伝統的な自動車会社の中で時価総額トップ100に入っているのは、いまやトヨタ自動車だけになってしまった。 日本の最重要産業は自動車だ。それが、上記のような条件下で、順位を落としている。ホンダ(402位・382.3 億ドル)や日産(1145位・126.8 億ドル)は、今後どうなっていくのだろうか? EVへの転換は、事業内容の大幅な転換を伴うので、経営上の決定が難しいと言われる。日本の自動車メーカーがこうした大きな変化に対応しているかどうかが、今後試されることになる。 「世界で何が起きているかを知らず、動きがのろい」と評価された日本企業にそれができるのかどうか、心配だ。自動車は例外と祈りたいが、そうなるかどうか?』、「テスラの時価総額はフォルクスワーゲンの約10倍になっているし、新興の自動車メーカーであるBYDの時価総額が、いまやフォルクスワーゲンを抜いてしまった」、「EVへの転換は、事業内容の大幅な転換を伴うので、経営上の決定が難しいと言われる。日本の自動車メーカーがこうした大きな変化に対応しているかどうかが、今後試されることになる」、その通りだ。
・『製造業のファブレス化に対応できない日本  電機メーカーの時価総額も大きく変動している。ソニーは時価総額が大きいが、これは、モノヅクリから脱皮しているからだ。従来タイプの製造業である日立、東芝、などの時価総額は低迷している。 世界の製造業は、ファブレス(工場なし)に向かっている。時価総額世界1のがその代表だ。 アメリカには、この他に、NVIDA、Qualcomm、Broadcom、MediaTek、AMDなど、時価総額が大きいファブレス半導体企業が登場している。 日本では、キーエンスなどを除くと、ファブレス企業ほとんどない。ここでも、日本企業は変化に対応できていないのだ。 「世界最低」と評価された経営の決定の遅さから、何とか脱却してほしい』、「世界の製造業は、ファブレス(工場なし)に向かっている」、「アメリカには」、「アップル」、「NVIDA、Qualcomm、Broadcom、MediaTek、AMDなど、時価総額が大きいファブレス半導体企業が登場している」、「日本では、キーエンスなどを除くと、ファブレス企業ほとんどない。ここでも、日本企業は変化に対応できていないのだ」、「ファブレス」は根強いモノづくり神話からの脱却が必要になるが果たして出来るだろうか。

次に、11月9日付け東洋経済オンラインが掲載したシナ・コーポレーション代表取締役の遠藤 功氏による「「現場を管理しすぎる会社」が没落する必然3大理由 「失われた30年」最大の被害者は「現場」だ!」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/631256
・『『現場力を鍛える』『見える化』など数多くのベストセラーがあり、経営コンサルタントとして100社を超える経営に関与してきた遠藤功氏は、「GAFAMにあって日本企業にないのは『カルチャー』だ。組織を強くするには『現場からのカルチャー変革』が極めて重要」だと主張する。 このたび、その「カルチャー」を真正面から解説し、「組織を劇的に強くする方法」を1冊にまとめた『「カルチャー」を経営のど真ん中に据える 「現場からの風土改革」で組織を再生させる処方箋』が発売され、発売後たちまち大増刷するなど、話題を呼んでいる。 その遠藤氏が、「『現場を管理しすぎる会社』がどんどん劣化する3つの必然理由」について解説する』、「遠藤氏」はコンサルタントとしては、珍しく「現場」重視だ。ただ、「GAFAM」はその対極にある筈だ。
・『現場による「自主管理」が進まない悪循環  いま、多くの日本企業が置かれた状況は深刻である。 「イノベーションが生まれない」「労働生産性が低いまま」、さらには「不正や不祥事が頻繁に起こる」といった事態に直面している。 かつては日本企業の誇りの源泉だった現場が、不正や不祥事の温床になるほど傷んでしまった。 この状態を抜け出すには、組織の「現場力」を再強化するしか道はない。 しかし、ここで大切なのは、現場力とは、たんに組織能力(ケイパビリティ)ではないということだ。 「健全な組織風土」と「独自の組織文化」によって形成される「カルチャーとしての現場力」と、その土壌の上に形成される高い実行能力、すなわち「ケイパビリティとしての現場力」の二層構造によって「現場力」は成り立っている。 やみくもに現場を管理するのではなく、健全な組織風土、組織文化、つまり「カルチャー」を十分に整えることが先決である。 それによって、現場で働く人たちの心理的環境を整え、「現場起点」「現場主導」で進めることがきわめて重要なのである。 「現場を過剰に管理する会社」は、なぜ劣化してしまうのか。その理由について考察しながら、「カルチャーとしての現場力」を鍛えるためのヒントを探っていきたい。) 現場を過剰に管理する会社が劣化する1つ目の理由は、「受け身体質」が強くなってしまうということだ。 【1】「受け身体質の現場」になってしまう  不正や不祥事を起こした企業に共通するのは、「受け身体質が強い」ということである。 自分たちからは動こうとしない、言われたことしかやらない、やるべきことがわかっていても指示や命令を待っている……。現場の「主体性」の欠如が、活気を減退させ、組織風土を劣化させる大きな原因となっている。 「さまざまな問題」は現場で起きている。本来なら、問題が見えている現場自らが主体的に問題解決に取り組まなければならない。 また、「新たなビジネスチャンス」も現場に潜んでいる。チャンスに気づいた現場自らが能動的にチャンスを追いかけなければならない。 しかし、そんな「主体性の高い現場」は、この国から消えつつある』、「自分たちからは動こうとしない、言われたことしかやらない、やるべきことがわかっていても指示や命令を待っている……。現場の「主体性」の欠如が、活気を減退させ、組織風土を劣化させる大きな原因となっている」、「「主体性の高い現場」は、この国から消えつつある」、残念なことだ。
・『「失われた30年」の最大の被害者は現場  もちろん、そんな現場にしてしまったのは、現場だけのせいではない。平成の「失われた30年」の最大の被害者は現場である。 人やコストはギリギリまで削られ、非正規社員が増える、重要な業務まで平気で外注化する、要員や設備投資だけでなく、教育費まで切り詰められる、そしてミスをすれば厳しく叱責される。 こんなことが繰り返されれば、現場は自ら動こうとしなくなる。 その結果、本社・本部任せの何も考えない「思考停止」の現場になってしまう。 また、現場管理職の管理業務は膨れ上がり、本来やるべき業務が滞り、部下の声に耳を傾けたり、育成に費やしたりする時間が奪われ、その悪循環によっても、現場はやせ細っていくのだ。 多くの日本企業で現場の管理強化が強まるなかで、実質の伴わない「現場管理」ばかりが増え、その結果、「現場力が弱まる」という悪循環を招いてきたのも事実だ。 【2】「形だけの現場重視」に陥ってしまう  平成に入り、日本企業は「ガバナンス強化」という名目で、アメリカ流の管理手法をあまり深く考えずに導入した。 内部統制、コンプライアンス、ハラスメント防止、ISOなどの管理手法が矢継ぎ早に導入され、現場管理者や監督者の管理業務や報告業務は増加の一途を辿っている。 そして、事故や不手際が起これば、すべて現場のせいにされ、また管理が強化されるという悪循環に陥った。 こうした管理手法が無意味だ、必要ないと言うつもりはない。 しかし、「本社や本部が現場を精緻に管理する」というマイクロマネジメントが広がることによって、日本企業の根底にあった「現場自らが管理する」という「自主管理」の気風は消滅してしまった。 経営において「現場管理」は必要不可欠だが、その基本は現場による「自主管理」でなければならない。 現場自らが自分たちをしっかり管理できれば、本社や本部による管理は比較的軽く済む。「自主管理」できない現場を放置するから、「過剰な管理強化」につながるのだ』、「本社・本部任せの何も考えない「思考停止」の現場になってしまう。 また、現場管理職の管理業務は膨れ上がり、本来やるべき業務が滞り、部下の声に耳を傾けたり、育成に費やしたりする時間が奪われ、その悪循環によっても、現場はやせ細っていくのだ。 多くの日本企業で現場の管理強化が強まるなかで、実質の伴わない「現場管理」ばかりが増え、その結果、「現場力が弱まる」という悪循環を招いてきた」、「現場自らが自分たちをしっかり管理できれば、本社や本部による管理は比較的軽く済む。「自主管理」できない現場を放置するから、「過剰な管理強化」につながるのだ」、その通りだ。
・『ほんどの経営者は「現場」に関心がない  また、経営者と現場の「溝」も深くなった。 ほとんどの経営者は「現場」に関心がなく、気が向いたときにふらっと訪れるだけだ。しかも、現場責任者からおざなりの報告を受けるだけで、現場の実態など知ろうともしない。 そんな状況が30年も続いた現場が「受け身」になるのは、ある意味では当たり前のことだ。 さらに、短期的な経済合理性だけを追い求めるあまり、 本来であれば自分たちでやるべき機能や業務を外部に「丸投げ」する動きが進んだことも、現場力が衰えた大きな理由と言える。 【3】安易な「外注化」によって「自立性」が失われる  あまり問題視されていないが、私は平成の「失われた30年」において多くの日本企業が犯した「大きな間違い」のひとつが、過度な「脱自前」の動きだったと思っている。 その結果、外部に依存しなければ運営できないほど「自立性」を失い、組織の空洞化を招いてしまった』、「ほとんどの経営者は「現場」に関心がなく」、「現場責任者からおざなりの報告を受けるだけで、現場の実態など知ろうともしない」、「短期的な経済合理性だけを追い求めるあまり、 本来であれば自分たちでやるべき機能や業務を外部に「丸投げ」する動きが進んだことも、現場力が衰えた大きな理由」、「外部に依存しなければ運営できないほど「自立性」を失い、組織の空洞化を招いてしまった」、その通りだ。
・『人材開発を「丸投げ」する会社の大問題  たとえば人材育成・人材教育は、その顕著な例である。 外部の研修会社やビジネススクールに頼り、経営の本丸とも言える人材開発を「丸投げ」している会社がじつに多い。ITやデジタル化も同様である。 これが「組織風土の劣化」に多大な影響を与えている。 組織風土を実現するうえで大事なことは、「自分たちでできることは何でも自分たちでやる」という意欲と熱意、努力を取り戻すことである。 「安易で過度な外注化、外部依存」から脱却し、「自前化」に大きく舵を切ることは、現場が「主体性」と「身体性」を取り戻すために極めて重要である。 過度な管理強化により、現場の活力が失われていくプロセスをここまで見てきた。現場力という競争優位は、「現場の主体性」から生まれることを再認識し、「現場主導の動き」を開始し、広げ、大きくしていくことが肝心だ。 そのためには、次の3つのことを現場に取り戻したい。 ① 【自主性】自分の「力」で考え、行動する ② 【自発性】物事を自らの「意志」で進んで行う ③ 【自律性】自分の立てた「規範」に従って、自らの気持ちや行動をコントロールする (「現場の主体性」を形成する3つの要素 の図はリンク先参照) 社員一人ひとりが自らの「力」で考え、行動し、自らの「意志」を持ち、自らの「規範」で律するようになれば、個から「大きな活力」が生まれてくる。 そして、そんな個が連携し、チームを組めば、そこから生まれる活力は最大化される。それこそが「カルチャーとしての現場力」である。 「意志なき現場」はロボットや機械と同じである。「こうしたい」「こういうふうに変えたい」「こういうことをやってみたい」……。現場の「意志」こそが「気」となり、大きな「活力」となることを忘れてはならない』、「組織風土を実現するうえで大事なことは、「自分たちでできることは何でも自分たちでやる」という意欲と熱意、努力を取り戻すことである。 「安易で過度な外注化、外部依存」から脱却し、「自前化」に大きく舵を切ることは、現場が「主体性」と「身体性」を取り戻すために極めて重要である」、なるほど。
・『現場こそが、会社の「主役」であり「エンジン」  「カルチャーとしての現場力」の核心は、現場こそが会社の「主役」であり、「エンジン」であることを会社で再認識することである。 「誰が価値を生み出しているのか」「誰が汗をかき、実行しているのか」「誰が稼いでいるのか」ということをあらためて全員で確認し、「現場を会社の主役に据える」ことなしに、「カルチャーとしての現場力」は高まらない。 主体性や身体性は「プライド」から生まれる。現場で働く一人ひとりが自分の仕事に誇りを持ち、チームの一員であることに喜びを感じ、会社に対して忠誠心を持つ。これは何物にも代えがたい会社の「財産」である。 だからこそ、「現場の努力」「現場の知恵」「現場の成果」を、時に他者が認め、褒め称える「他者承認」がとても大切である。 「よくやってるね」「ずいぶんとよくなったな」「着実に進化しているね」といった何気ない幹部や上司の言葉は、現場にとっては「百人力」である。リスペクトを感じた現場は、「強烈なプライド」を持ち、「とてつもなく大きな力」を発揮する。 このようにして、現場の「心理的環境」、すなわち「カルチャーとしての現場力」を整えることから、現場の「自主管理」能力を高め、自立し、自走する現場を取り戻すことがなにより大切なのである』、「「よくやってるね」「ずいぶんとよくなったな」「着実に進化しているね」といった何気ない幹部や上司の言葉は、現場にとっては「百人力」である。リスペクトを感じた現場は、「強烈なプライド」を持ち、「とてつもなく大きな力」を発揮する。 このようにして、現場の「心理的環境」、すなわち「カルチャーとしての現場力」を整えることから、現場の「自主管理」能力を高め、自立し、自走する現場を取り戻すことがなにより大切」、「何気ない幹部や上司の言葉は、現場にとっては「百人力」」、とは初めて知ったが、重要なようだ。

第三に、11月30日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した精神科医の和田秀樹氏による「パナソニックはなぜテスラになれなかった?精神科医・和田秀樹の答え」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/312971
・『パナソニックは世界に先駆けてEV(電気自動車)を量産できる会社だったと思います。電池がつくれて、モーターもつくれるのですから、技術はそろっています。しかし現在、同社がしているのは、アメリカのEVメーカーであるテスラに電池を売ることです。それを喜んでいていいのでしょうか。「EVそのものをつくれたはずなのに」と悔しがるべきではないでしょうか。 ※本稿は、和田秀樹『50歳からの「脳のトリセツ」』(PHPビジネス新書)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『日本経済の停滞も「思い込み」が原因  日本の国際競争力の低下が、長年問題となっています。もうこの言葉がすっかり耳に馴染んだという方も多いでしょう。 しかしそんなことに慣れるのは、きわめて異常な事態です。ほかの先進国や新興国を見渡してみて、日本だけが数十年にわたって成長していないことに、なぜ誰も疑問を抱かないのでしょうか。 成長しないどころか、今や円相場は1ドル150円近く(2022年10月20日現在)。急激に進んだ円安は、日本の価値がいよいよ急激に落ちてきたことの証です。 ここに至った主な理由は、これまで述べた通り、新しいことへの挑戦を怠ってきたことです。 円は1995年に、一時1ドル80円を切るまでに高くなりました。1ドル360円の時代が終わり、円高が進むなかで、日本企業は「円高でも売れるもの」をつくるべきでした。しかし、日本企業が実際にしたことは、中国や東南アジアなどに工場を移転するなど、徹底したコストカットによって安い製品をつくり続けることでした』、「日本企業は「円高でも売れるもの」をつくるべきでした。しかし、日本企業が実際にしたことは、中国や東南アジアなどに工場を移転するなど、徹底したコストカットによって安い製品をつくり続けることでした」、その通りだ。
・『「加工貿易国」という意識から抜け出せなかった  メルセデス・ベンツもポルシェも、ユーロがどれだけ高くなっても売れる車をつくっています。エルメスやシャネルもしかりです。ユーロ高のときに価格を下げるようなこともしません。海外のハイブランドが持つこうした強気さ、「高くても欲しい」と消費者が思うものをつくろうという気概が、日本企業には欠けていました。その気概を持つタイミングを逸した、とも言えます。 ひたすらコストカットに励んだ結果、日本経済は成長せず、一転して円安に振れても、そのメリットを生かすことができない体質になってしまったのだと思います。 これは、「加工貿易国」という意識から抜け出せなかったからでしょう。 私が子どもだった1960年代ごろ、日本は加工貿易国でした。安い人件費で大量にものをつくって海外に輸出する新興国です。最近までの中国や、今ならばベトナムなども加工貿易国にあたります。 加工貿易は、通貨が安いときほど盛んになります。逆に言うと、新興国から先進国になり、通貨の価値が上がれば、加工貿易国から卒業するタイミングです。高くても売れるものづくりへと、つくり手が意識を変えなくてはなりません。その発想転換をできた企業が、どれだけあったでしょうか。 大多数の企業が「良質で安いものづくり」に最大の力点を置き続けたことも、日本経済の停滞を招いた要因だと私は考えています。 かつて日本製品がアメリカで大量に売れたのは、加工貿易国だった日本が安い製品を輸出していたからです。 「日本製=安い」というイメージは、私がアメリカに留学した1991~94年にはだいぶ変わってきていました。ソニーやホンダは高級品と見なされていたのです。 当時は、日本で家庭用のビデオカメラが発売された時期です。留学中の私は、周囲の購買傾向を丹念に観察していたのですが、日本の新製品の値段はまだ高いと思われていました。1000ドルまで下がらない限り、誰も買おうとしませんでした。そして、そこまで値段が下がると飛ぶように売れました。品質への信頼は世界最高水準でも、あこがれを持たれるようなイメージはつくれなかったから、大量生産で安くなるまで待とうと思われたのでしょう。 そのイメージをつくろうという意識が日本人に芽生えていなかったとも思われます。アメリカで売るために値下げをしたのですから。 その一方で、消費者としての日本人の意識には、「高くても欲しい」いう動機が、購買行動の一パターンとして確実に根づきました。特にバブル期までは、私たちの周りにもそうした商品がたくさんありました。 しかしそれらの高級品をイメージするとき、パッと思い浮かぶものは海外のブランドでしょう。腕時計やバッグなどの服飾品で、同じくらいの訴求力を持つ日本のブランドは思い当たりません。 服飾品だけではありません。ダイソンの掃除機も「高額な掃除機など誰も買わない」という巷の予想に反して大ヒットした商品です。日本の消費者にも「高くても欲しい」という気風が残っていたということです。ダイソンはイギリスの会社です。日本の電機メーカーになぜ同じことができなかったのか、歯がゆさを感じずにいられません』、「ダイソンの掃除機も「高額な掃除機など誰も買わない」という巷の予想に反して大ヒットした商品です。日本の消費者にも「高くても欲しい」という気風が残っていたということです。ダイソンはイギリスの会社です。日本の電機メーカーになぜ同じことができなかったのか、歯がゆさを感じずにいられません」、「ダイソン」は「掃除機」の他にもスタイリッシュな扇風機で人々を驚かせた。
・『「パナソニックのEV」はなぜできなかったのか  たとえばパナソニックなら、ダイソンと同じものがつくれたはずです。ついでに言うと、パナソニックは世界に先駆けてEV(電気自動車)を量産できる会社だったと思います。電池がつくれて、モーターもつくれるのですから、技術はそろっています。 しかし現在、同社がしているのは、アメリカのEVメーカーであるテスラに電池を売ることです。世界に冠たるテスラのEVに装着できる電池をつくり、向こう数年でさらに増産するという情報を、同社や報道記事は明るいトーンで伝えています。しかし、それを喜んでいていいのでしょうか。「EVそのものをつくれたはずなのに」と悔しがるべきではないでしょうか。 未知の分野への参入とはいえ、社運を懸けるほどの危ない橋ではなかったでしょう。電池だけでなくモーターもつくっているのですから。また、家電量販店は車のディーラーより広い駐車場を持っているので、そこで売ることも可能だったはずです。もし10年前にパナソニックが「EVをつくる」と発表していれば、テスラのように時価総額も上がっていたでしょう。今は「期待」で会社の価値が上がります。初期投資にかかったお金を実売で取り返して、利益を出さなければ株価が上がらなかった時代よりも、恵まれた環境です。 と言ったところで、時すでに遅し。EV市場には今、老舗の自動車メーカーも参入してテスラを猛追中。中国の新興企業も目覚ましい勢いでシェアを伸ばしています。その中で、日本の自動車メーカーは軒並み苦戦しています。業界外からは、ようやくソニーが名乗りを上げたという状況です。 立ち上がりの遅さにおいて、日本は群を抜いています。世界最高レベルの技術力がありながら、生かせていないのです。 誰かがつくったイノベーティブなものについて「自分もつくれた」と言う日本人はよくいます。ITの黎明(れいめい)期、技術系の人と話すたび、「自分でも検索エンジンはつくれた」という言葉をよく聞きました。「自分も同じコンセプトを考えた」と語った人もいましたが、考えついただけで行動には移さずじまいだったのでしょう。 どうやら日本人は、アイデアの創出力が足りないだけでなく、アイデアを実行に移すエネルギーも足りないようです。どちらも、前頭葉の弱さを如実に表しています』、「もし10年前にパナソニックが「EVをつくる」と発表していれば、テスラのように時価総額も上がっていたでしょう」、とあるが、ソニーも長年研究してきて、漸く自動運転に乗り出したようだが、「パナソニック」にとっては、やはり自動車を作るには、大きな技術のギャップを乗り越える必要があった筈であり、それほど簡単なことではなかったと思う。
タグ:「時価総額」が「日本企業で世界の上位100社に入るのは、トヨタ自動車だけ」、「人口あたりでみれば、日本の上位100社企業数は、韓国や台湾に比べてずっと少ない」、情けない限りだ。 「「世界競争力のランキング」の2022年版では、「63カ国・地域のうちで34位」、「「ビジネス効率性」において、日本は、世界第51位まで落ち込んでしまった」、「アフリカの企業やモンゴルの企業とほぼ同列の存在になってしまった」、「細目を見ると、「「経営プラクティス」の項目では、「企業の意思決定の迅速性」、「変化する市場への認識」、「機会と脅威への素早い対応」、「ビッグデータ分析の意思決定への活用」、「起業家精神」の5項目の全てで、最下位(63位)だ」、誠に屈辱的な結果だ。 「「デジタル競争力」で日本は「世界最低」!」、ではなく、「63カ国・地域中29位」だ。ただ、「「ビッグデータ、アナリティクスの活用」で63位、「デジタル・テクノロジースキル」でも62位だ」、と「重要度の高い項目で最低だ」 野口 悠紀雄氏による「日本のカイシャは、もうダメだ! 世界ランキング劣後の情けない理由 世界の動向知らず、意志決定もベタ後れ」 現代ビジネス 日本型経営・組織の問題点 (その14)(日本のカイシャは もうダメだ! 世界ランキング劣後の情けない理由 世界の動向知らず 意志決定もベタ後れ、「現場を管理しすぎる会社」が没落する必然3大理由 「失われた30年」最大の被害者は「現場」だ!、パナソニックはなぜテスラになれなかった?精神科医・和田秀樹の答え) 「テスラの時価総額はフォルクスワーゲンの約10倍になっているし、新興の自動車メーカーであるBYDの時価総額が、いまやフォルクスワーゲンを抜いてしまった」、「EVへの転換は、事業内容の大幅な転換を伴うので、経営上の決定が難しいと言われる。日本の自動車メーカーがこうした大きな変化に対応しているかどうかが、今後試されることになる」、その通りだ。 「世界の製造業は、ファブレス(工場なし)に向かっている」、「アメリカには」、「アップル」、「NVIDA、Qualcomm、Broadcom、MediaTek、AMDなど、時価総額が大きいファブレス半導体企業が登場している」、「日本では、キーエンスなどを除くと、ファブレス企業ほとんどない。ここでも、日本企業は変化に対応できていないのだ」、「ファブレス」は根強いモノづくり神話からの脱却が必要になるが果たして出来るだろうか。 東洋経済オンライン 遠藤 功氏による「「現場を管理しすぎる会社」が没落する必然3大理由 「失われた30年」最大の被害者は「現場」だ!」 「遠藤氏」はコンサルタントとしては、珍しく「現場」重視だ。ただ、「GAFAM」はその対極にある筈だ。 「自分たちからは動こうとしない、言われたことしかやらない、やるべきことがわかっていても指示や命令を待っている……。現場の「主体性」の欠如が、活気を減退させ、組織風土を劣化させる大きな原因となっている」、「「主体性の高い現場」は、この国から消えつつある」、残念なことだ。 「本社・本部任せの何も考えない「思考停止」の現場になってしまう。 また、現場管理職の管理業務は膨れ上がり、本来やるべき業務が滞り、部下の声に耳を傾けたり、育成に費やしたりする時間が奪われ、その悪循環によっても、現場はやせ細っていくのだ。 多くの日本企業で現場の管理強化が強まるなかで、実質の伴わない「現場管理」ばかりが増え、その結果、「現場力が弱まる」という悪循環を招いてきた」、 「現場自らが自分たちをしっかり管理できれば、本社や本部による管理は比較的軽く済む。「自主管理」できない現場を放置するから、「過剰な管理強化」につながるのだ」、その通りだ。 「ほとんどの経営者は「現場」に関心がなく」、「現場責任者からおざなりの報告を受けるだけで、現場の実態など知ろうともしない」、「短期的な経済合理性だけを追い求めるあまり、 本来であれば自分たちでやるべき機能や業務を外部に「丸投げ」する動きが進んだことも、現場力が衰えた大きな理由」、「外部に依存しなければ運営できないほど「自立性」を失い、組織の空洞化を招いてしまった」、その通りだ。 「組織風土を実現するうえで大事なことは、「自分たちでできることは何でも自分たちでやる」という意欲と熱意、努力を取り戻すことである。 「安易で過度な外注化、外部依存」から脱却し、「自前化」に大きく舵を切ることは、現場が「主体性」と「身体性」を取り戻すために極めて重要である」、なるほど。 「「よくやってるね」「ずいぶんとよくなったな」「着実に進化しているね」といった何気ない幹部や上司の言葉は、現場にとっては「百人力」である。リスペクトを感じた現場は、「強烈なプライド」を持ち、「とてつもなく大きな力」を発揮する。 このようにして、現場の「心理的環境」、すなわち「カルチャーとしての現場力」を整えることから、現場の「自主管理」能力を高め、自立し、自走する現場を取り戻すことがなにより大切」、「何気ない幹部や上司の言葉は、現場にとっては「百人力」」、とは初めて知ったが、重要なようだ。 ダイヤモンド・オンライン 和田秀樹氏による「パナソニックはなぜテスラになれなかった?精神科医・和田秀樹の答え」 和田秀樹『50歳からの「脳のトリセツ」』(PHPビジネス新書) 「日本企業は「円高でも売れるもの」をつくるべきでした。しかし、日本企業が実際にしたことは、中国や東南アジアなどに工場を移転するなど、徹底したコストカットによって安い製品をつくり続けることでした」、その通りだ。 「ダイソンの掃除機も「高額な掃除機など誰も買わない」という巷の予想に反して大ヒットした商品です。日本の消費者にも「高くても欲しい」という気風が残っていたということです。ダイソンはイギリスの会社です。日本の電機メーカーになぜ同じことができなかったのか、歯がゆさを感じずにいられません」、「ダイソン」は「掃除機」の他にもスタイリッシュな扇風機で人々を驚かせた。 「もし10年前にパナソニックが「EVをつくる」と発表していれば、テスラのように時価総額も上がっていたでしょう」、とあるが、ソニーも長年研究してきて、漸く自動運転に乗り出したようだが、「パナソニック」にとっては、やはり自動車を作るには、大きな技術のギャップを乗り越える必要があった筈であり、それほど簡単なことではなかったと思う。
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経済学(その6)(【ギリシャ元財務大臣が解説する】「なぜ経済を学ぶ必要があるのか?」に対する納得の回答、「高額紙幣の廃止」で犯罪撲滅を図った国の末路 インドと北朝鮮がやらかした壮大な経済失策、ノーベル経済学賞バーナンキ氏 実証と実行が後の理論を先導) [経済政治動向]

経済学については、5月3日に取上げた。今日は、(その6)(【ギリシャ元財務大臣が解説する】「なぜ経済を学ぶ必要があるのか?」に対する納得の回答、「高額紙幣の廃止」で犯罪撲滅を図った国の末路 インドと北朝鮮がやらかした壮大な経済失策、ノーベル経済学賞バーナンキ氏 実証と実行が後の理論を先導)である。

先ずは、9月13日付けダイヤモンド・オンライン「【ギリシャ元財務大臣が解説する】「なぜ経済を学ぶ必要があるのか?」に対する納得の回答」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/309147
・『混沌を極める世界情勢のなかで、将来に不安を感じている人が多いのではないだろうか。世界で起きていることを理解するには、経済を正しく学ぶことが重要だ。とはいえ、経済を学ぶのは難しい印象があるかもしれない。そこでお薦めするのが、2015年のギリシャ財政危機のときに財務大臣を務めたヤニス・バルファキス氏の著書『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』だ。本書は、これからの時代を生きていくために必要な「知識・考え方・価値観」をわかりやすいたとえを織り交ぜて、経済の本質について丁寧にひも解いてくれる。2022年8月放送のNHK『100分de名著 for ティーンズ』も大きな話題となった。本稿では本書の内容から、なぜ経済を学ばなければならないのかという理由を伝えていく』、「バルファキス氏」の解説は平易で分かり易い。
・『「格差」はどんどん広がっている  「どうして世の中にはこんなに『格差』があるのか?」と疑問に思ったことはないだろうか。 世界には一国の国家予算よりも大きな富を持つ金持ちがいる。反面、食べるものが手に入らず、今日1日生き延びるのが精一杯なほど貧しい人がいる。この格差は年々広がっているとすら言われている。 大金持ちと貧しい人との格差がなければ、誰もがあくせく働かなくても豊かな生活を楽しめるようになるかもしれない。 みんな最初は裸一貫で生まれてくるのだから本来平等であるはず。だから、嫉妬も争いもない良い社会が築けると信じて疑わない人もいる。 いずれにせよ、格差があることに怒っている人は多そうだ』、「格差があることに怒っている人は多そうだ」、その通りだ。
・『みんなが経済を学ぶことでより良い社会ができる  世界の格差は、経済的な理由によるものである。「なぜ格差が生まれるのか」を理解することは、良い社会をつくる第一歩。 それには経済をきちんと学び、みずから考え、意見を言うことが重要になる。 誰もが経済についてしっかりと意見を言えることこそ、いい社会の必須条件であり、真の民主主義の前提条件だ。(P.2)』、「誰もが経済についてしっかりと意見を言えることこそ、いい社会の必須条件であり、真の民主主義の前提条件だ」、その通りだ。
・『経済は意外なところから生まれた  経済について学ぶにあたって、経済の誕生から振り返ってみよう。 歴史をひもといてみると、経済が生まれたのは1万2000年前に人類が農耕をはじめたことに由来する。 人々が農耕をはじめたのは、食糧が底をついて多くの人が飢えて死にそうになったから。生き延びるために必死に土地を耕して、作物を育てるしかなかった。 人類が農耕を「発明」したことは、本当に歴史的な事件だった。1万2000年経った今、振り返ってみるとその大切さがよくわかる。それは、人類が自然の恵みだけに頼らずに生きていけるようになった瞬間だったからだ。(P.27) その後、試行錯誤を繰り返し、農耕の技術は洗練されていく。おかげで効率的に大量の穀物を収穫できるようになり、人々は飢えから解放された。 そして、農耕技術が発展により効率的に農作物を収穫できるようになると、余剰が生まれるようになった。 この「余剰」が経済の基本になる。農耕の発展により農作物の余剰が生まれ、余剰を増やしていく過程で経済が大きく動き出していく』、「農耕の発展により農作物の余剰が生まれ、余剰を増やしていく過程で経済が大きく動き出していく」、言われてみれば、確かに「余剰」がなければ、「経済」は成長しない。
・『余剰が通貨を生み、余剰が国家を生んだ  人類が農耕をするようになると、最初のうちは食べる分と来年植える種以外のものが余剰だった。そのうち計画的に余剰を増やし、別の地域と別の種類の食糧と交換するようになる。 そのやりとりは物々交換だったが、次第に通貨を使ってやり取りすることでグローバルな規模で貿易ができるようになる。 通貨を使うにあたって、数字や文字、債務という便利なものも人類は使うようになり、経済は高度になっていく。 さらに農作物の余剰を守るために軍隊が配備され、国家という概念が生まれた。農耕で余剰が生まれたからこそ、国家が生まれたといえる。 このように、経済とは農作物の余剰を守るところからはじまっている』、「計画的に余剰を増やし、別の地域と別の種類の食糧と交換するようになる。 そのやりとりは物々交換だったが、次第に通貨を使ってやり取りすることでグローバルな規模で貿易ができるようになる。 通貨を使うにあたって、数字や文字、債務という便利なものも人類は使うようになり、経済は高度になっていく。 さらに農作物の余剰を守るために軍隊が配備され、国家という概念が生まれた」、「経済とは農作物の余剰を守るところからはじまっている」、「余剰」がここまで経済発展の源になっているとは、感心させられた。
・『「当たり前」を疑うことが大切  経済を学ぶ際に重要なことは「当たり前」を疑うこと。 アフリカの飢餓に苦しむ人々の映像を見て憐れむと同時に、その理不尽な状況に怒りを感じることもあるだろう。 しかし、彼らが安い賃金で栽培してくれた綿花の洋服を、私たちは当たり前のように着ているかもしれない。 知らない間に彼らから搾取して、豊かな生活をしていることに気づいていない可能性がある。人は自分が持っているものを当たり前だと思い込む傾向があるからだ。 「当たり前」の裏には格差の種が潜んでいるかもしれない。なぜ格差があるのかを理解して、自分はどうすべきかを考えて行動することが重要だ。 今の怒りをそのまま持ち続けてほしい。でも、賢く、戦略的に怒り続けてほしい。機が熟したらそのときに、必要な行動をとってほしい。この世界を本当に公正で理にかなった、あるべき姿にするために。(P.43) そのためにも経済の本質を学ばなければならない』、「賢く、戦略的に怒り続けてほしい。機が熟したらそのときに、必要な行動をとってほしい。この世界を本当に公正で理にかなった、あるべき姿にするために」、「必要な行動」とは投票行動なのだろうか。
・『経済を自分の問題として捉える――訳者より  本書は、ギリシャで財務大臣を務めたヤニス・バルファキスが、十代半ばの娘に向けて、「経済についてきちんと話すことができるように」という想いから、できるだけ専門用語を使わず、地に足のついた、血の通った言葉で経済について語ったものです。 本書を原書で読み、「圧倒された」というブレイディみかこさんは、「優しく、易しく、そして面白く資本主義について語った愛と叡智の書」と評しています。 その語りは、娘からの「なぜ格差が存在するのか」という問いに、著者なりの答えを出していくかたちで進んでいきます。その過程で、経済がどのように生まれたかにさかのぼり、金融の役割や資本主義の歴史と功罪について、小説やSF映画などの例を挙げながら平易な言葉で説いていきます。 原書の評判は経済を論じた本らしくなく、「一気読みしてしまった」「読むのを止められない」といった声が多数あがっていますが、実際、本書はまるで小説のように章を追うごとに話が深まっていき、ついついページをめくり続けてしまうみごとな構成になっています。 バルファキスは本書で、「誰もが経済についてしっかりと意見を言えること」が「真の民主主義の前提」であり、「専門家に経済をゆだねることは、自分にとって大切な判断をすべて他人にまかせてしまうこと」だと言っています。 大切な判断を他人まかせにしないためには、経済とは何か、資本主義がどのように生まれ、どんな歴史を経ていまの経済の枠組みが存在するようになったのかを、自分の頭で理解する必要があるのです。 本書のバルファキスのこの言葉を、私も若い人たちに贈りたいと思います。 「君には、いまの怒りをそのまま持ち続けてほしい。でも賢く、戦略的に怒り続けてほしい。そして、機が熟したらそのときに、必要な行動をとってほしい。この世界を本当に公正で理にかなった、あるべき姿にするために」』、「大切な判断を他人まかせにしないためには、経済とは何か、資本主義がどのように生まれ、どんな歴史を経ていまの経済の枠組みが存在するようになったのかを、自分の頭で理解する必要がある」、その通りだ。

次に、9月19日付け東洋経済オンラインが掲載したSWIFT社 元CEOのゴットフリート・レイブラント氏、 SWIFT社 元コーポレートアフェアーズ部門責任者の ナターシャ・デ・テラン氏による「「高額紙幣の廃止」で犯罪撲滅を図った国の末路 インドと北朝鮮がやらかした壮大な経済失策」を紹介しよう。
・『現金は追跡が困難であることから、百ドル札などの高額紙幣は、日常生活ではそれほど頻繁に使われず、むしろ犯罪など地下経済で重宝されている。であれば、高額紙幣を廃止すれば犯罪を減らせると考えることは自然だが、事はそう簡単ではない。決済オタクであり、SWIFT(国際銀行間通信協会)の元CEOでもあるゴットフリート・レイブラント氏の新刊『教養としての決済』(ナターシャ・デ・テランとの共著)から、高額紙幣を廃止して国内で混乱を巻き起こした事例を紹介する』、「高額紙幣を廃止して国内で混乱を巻き起こした事例」とは興味深そうだ。
・『犯罪者にとって都合がいい高額紙幣  高額紙幣の量と使用状況のデータに基づいた試算の中には、アメリカのような先進国においてさえ、地下経済の規模はGDPの25%にまでおよぶとするものもある。そこには脱税のほか、麻薬や人身売買などの犯罪行為もふくまれる。 アメリカの麻薬経済の規模は年間1000億~1500億ドルと推定され、そのほとんどは現金で支払われており、そのうちの大部分が高額紙幣であると考えられる。ところが興味深いことに、アメリカの紙幣の90%にコカインの形跡が残っているのに対して、百ドル札ではその割合が著しく低い。 高額紙幣が麻薬の支払いに用いられる一方で、小額紙幣にはまったく異なる用途があるらしい。 経済学者たちは、各国政府がマネーロンダリングに対して厳しい体制を敷いている一方で、 高額紙幣を刷っていることの本質的な矛盾について長らく指摘してきた。 高額紙幣は明らかに、犯罪者にとって都合がいい。100万ドルを一ドル札で用意すれば重さが1トン以上、体積が1立方メートル以上になるが、百ドル札で用意すればおよそ10キログラム(22ポンド)になり、ブリーフケースひとつにきれいにおさまる。 さらに高額な五百ユーロ札の場合は、同じ100万ドルが、重さはたったの2キロになり、小さいバッグ──あるいは大きな胃袋──におさまるようになる。実際、2004年に不運な「ユーロ運び屋」がコロンビアへの道中で捕まったが、彼は胃袋の中に20万ユーロ分の五百ユーロ札をおさめていた。) とはいえ、犯罪者なら誰しも高額紙幣にこだわるというわけではない。コロンビアの運び屋が400枚の五百ユーロ札を飲み込む20年前、よく知られているように、オランダの醸造王フレディ・ハイネケンが誘拐された。ハイネケンはオフィスを出て家に帰る途中、お抱えの運転手とともにさらわれた。オランダの中央銀行からわずか200メートルの場所での出来事であった。 誘拐犯たちは、追跡されやすく交換が難しいのではないかという懸念から、千ギルダー札(500ドル超の価値)を敬遠した。代わりに、かれらは前代未聞の3500万オランダ・ギルダー(およそ2000万ドル)の身代金を、4つの通貨の中位の額の紙幣で支払うように要求した。不運にも、この選択もまた、身代金を扱いにくくするものだった。身代金が、約400キロもの重さになったからだ。 実にオランダ人らしく自転車で逃走することにしたこの一味は、アムステルダム郊外の林に戦利品を埋めるはめになり、ほんの4分の1ほどを回収したところで、散歩中の人に隠し場所を発見されてしまった。まちがいなく恐ろしい経験をしたであろうにもかかわらず、ハイネケンは21日間の監禁生活を生きのび、話し上手としての名声すら保った。 というのも、彼は後にこの経験についてこう語ったのだ。「犯人たちは私を拷問した……カールスバーグを飲まされたんだ!」』、「アメリカの麻薬経済の規模は年間1000億~1500億ドルと推定され、そのほとんどは現金で支払われており、そのうちの大部分が高額紙幣」、「アメリカの紙幣の90%にコカインの形跡が残っているのに対して、百ドル札ではその割合が著しく低い」、「高額紙幣は明らかに、犯罪者にとって都合がいい。100万ドルを一ドル札で用意すれば重さが1トン以上、体積が1立方メートル以上になるが、百ドル札で用意すればおよそ10キログラム(22ポンド)になり、ブリーフケースひとつにきれいにおさまる」、確かに「高額紙幣は明らかに、犯罪者にとって都合がいい」。「ハイネケンは21日間の監禁生活を生きのび」、「彼は後にこの経験についてこう語ったのだ。「犯人たちは私を拷問した……カールスバーグを飲まされたんだ!」商売敵の「カールスバーグ」を飲まされたとは、「ハイネケン」氏にとっては「拷問」」なのだろう。
・『なぜ政府は手をこまねいているのか?  スタンダードチャータード銀行の元最高経営責任者ピーター・サンズは、『悪者たちにより困難に』(Making it Harder for the Bad Guys)の中で、状況を簡潔に要約してみせた。彼は高額紙幣を「現代経済における時代錯誤」と形容し、「正規の経済活動ではほとんど役割を果たしていないが、地下経済においては重要な働きをしている。皮肉なことに、犯罪者たちが利用するそのような紙幣は、国家が用意しているのだ」と述べた。 では、なぜ一部の国々では、かつてないほど厳格なマネーロンダリング防止規制を銀行に課しながら、自国の高額紙幣が脱税、犯罪、テロ、汚職に使われることには目をつぶっているのだろうか?) たしかに、高額紙幣を見直そうとしている政府もある。しかし、現金──ないしあらゆる類の決済──を廃止することは、口で言うほど簡単なことではない。感情は昂り、愛着は強く、慣習はびくともしないように見える。そしてロジスティクスも容易ではない。 カナダは2000年に千カナダ・ドル札の発行を、シンガポールは2014年に一万シンガポール・ドル札の発行を終了したが、ユーロ圏ではそう簡単に物事は進まなかった』、「彼は高額紙幣を「現代経済における時代錯誤」と形容し、「正規の経済活動ではほとんど役割を果たしていないが、地下経済においては重要な働きをしている。皮肉なことに、犯罪者たちが利用するそのような紙幣は、国家が用意しているのだ」と述べた」、「カナダは2000年に千カナダ・ドル札の発行を、シンガポールは2014年に一万シンガポール・ドル札の発行を終了したが、ユーロ圏ではそう簡単に物事は進まなかった」、「ユーロ圏」では現金志向が強いのだろうか。
・『紙幣に対する信頼が揺らぐ  同年、ユーロ圏の19の中央銀行のうち17行が悪名高き五百ユーロ札の印刷を終了した。現金の利用が盛んなドイツとオーストリアも、抗議がなかったわけではないが、2019年にこれに続いた。 当時、ドイツ連邦銀行総裁のイェンス・ヴァイトマンは、この紙幣を段階的に廃止することは「犯罪対策にはほとんどならず、ユーロに対する信用を傷つけるだけだ」として異議を唱えた。五百ユーロ札はもはやほかのユーロ圏の国々(およびイギリス)では通用せず、交換もできないものの、ドイツとオーストリアではいまだ法定通貨となっており、商業銀行での交換や再流通が可能である。この2つのドイツ語圏の中央銀行が新しい五百ユーロ札の発行を停止したため、理論的には五百ユーロ札はやがて姿を消すことになる。 このような妥協によって問題が一挙に解決されることはないかもしれないが、もっとひどい結果──現金に対する信頼を損なうこと──を回避することはできる。これがヴァイトマンの主張の要であった。 すなわち、五百ユーロ札を受理しなくなることで、ほかの紙幣にも同様の措置が適用されるのではないかと人々を不安にさせる可能性がある、ということだ。その不安から、人々は二百ユーロ札、ひいては百ユーロ札さえも使うのを拒否するようになるかもしれない。 何より、これはとくにドイツ語圏の国々において、現金に対する絶対的な信頼を維持することが中央銀行にとって重要であることを示している』、「五百ユーロ札は」「ドイツとオーストリアではいまだ法定通貨となっており、商業銀行での交換や再流通が可能である。この2つのドイツ語圏の中央銀行が新しい五百ユーロ札の発行を停止したため、理論的には五百ユーロ札はやがて姿を消すことになる」、「五百ユーロ札を受理しなくなることで、ほかの紙幣にも同様の措置が適用されるのではないかと人々を不安にさせる可能性がある、ということだ。その不安から、人々は二百ユーロ札、ひいては百ユーロ札さえも使うのを拒否するようになるかもしれない」、これはとってつけたようなヘリクツのような印象を受ける。
・『比較的高額な紙幣に対してもっと大胆な行動をとった場合には、すさまじい混乱が生じることがある。 2016年、インド政府は「グレーマネー」を表に駆り出すことを目的として、流通している紙幣のうち最も高額な2つ──五百インドルピー(7.5ドル)と千インドルピー(15ドル)──の通用を廃止した。当時、この2つの紙幣が現金通貨の86%を占めていたが、実際には残りの14%を占める小額紙幣が、日常的な仕事の大半を担っていた。 その年の11月8日、ナレンドラ・モディ首相は、この厄介者の紙幣を午前零時──すなわち、わずか4時間後──に使用禁止にすることをテレビの生放送で発表し、国中を震撼させた。通用が廃止された紙幣を銀行で新紙幣に交換するために数週間の猶予が与えられたが、新紙幣の印刷は間に合っていなかった。 結果として貨幣危機が発生し、何千万ものインド人が、現金がない状態に陥るか、あるいはすこしの現金を手に入れるために毎日何時間も列に並ぶはめになった。事態が落ち着くまでには数週間を要し、GDPにもかなりの悪影響が及んだ。 その間、インドで通貨の代替品として好まれている金の価格は、20~30%上昇した。この施策の最終的な成功は、きわめて限定的なものであった』、「インド」での「五百インドルピー」と「千インドルピー」「の通用を廃止」は、準備不足などやり方が余りにお粗末だ。
・『グレーマネーは撲滅できたのか?  紙幣の追放の根拠となった考えは、現金の出所を正当化できる人々だけが旧紙幣を新紙幣に交換することになるので、グレーマネーの保有者の手元には無価値の紙幣だけが残るはずだ、というものであった。 しかし2年にわたる徹底した会計検査の後、インド準備銀行は、廃止された紙幣の実に99.3%が、追放されることなく銀行システムに戻ってきたと報告した。グレーマネーはモディが想定していたよりもすくなかったのか、あるいはインドのマネーロンダリングのしくみは、紙幣を追放するしくみよりも有能なのであろう。) そして、北朝鮮である。この「隠者の王国」の政府がポジティブな国内向けニュースを流すことに特化している一方で、同国にまつわるネガティブなニュースを伝えることに力を注ぐ海外勢力もある。 どちらのニュースも慎重に受け止める必要があるが、それでもなお、同国の直近の通貨切り下げに関する報道を見る限り北朝鮮が悲惨な状況にあることはまちがいない』、「インド」では「廃止された紙幣の実に99.3%が、追放されることなく銀行システムに戻ってきた」、「グレーマネーはモディが想定していたよりもすくなかったのか、あるいはインドのマネーロンダリングのしくみは、紙幣を追放するしくみよりも有能なのであろう」、なるほど。
・『突然の北朝鮮ウォンの切り下げ  現在の最高指導者の父、金正日は、2009年11月、北朝鮮ウォンの切り下げを突然命じた。政府はただちに紙幣からゼロを2つ切り落とし、旧紙幣を法定通貨からはずし、新紙幣に交換できる旧紙幣の量を制限した。 これによって巨額の貯蓄が失われただけでなく、新紙幣が流通する1週間前に旧紙幣が引き揚げられたため、その間、経済の大部分が停止するにいたった。この動きは、窮地に陥ったウォンを強化するどころか、政府が発行する貨幣に対する国民の信頼を失わせ、人々が外貨の保有に殺到するという事態を引き起こした。結果としてめったに起きない国内の反乱が生じ、1ドル30ウォンから約8500ウォンへと通貨が劇的に暴落した。 2013年には、同国の215億ドルの経済圏のなかで推定20億ドルのアメリカドル紙幣が流通していた。アンクル・サム〔アメリカ〕にとっては好都合だが、金一家にとってはそうでもない』、「北朝鮮ウォンの切り下げ」は、「政府が発行する貨幣に対する国民の信頼を失わせ、人々が外貨の保有に殺到するという事態を引き起こした。結果としてめったに起きない国内の反乱が生じ、1ドル30ウォンから約8500ウォンへと通貨が劇的に暴落した。 2013年には、同国の215億ドルの経済圏のなかで推定20億ドルのアメリカドル紙幣が流通していた。アンクル・サム〔アメリカ〕にとっては好都合だが、金一家にとってはそうでもない」、これも余りにお粗末な事例の1つだ。

第三に、10月21日付け日経ビジネスオンラインが掲載した東京大学大学院経済学研究科教授の青木 浩介氏による「ノーベル経済学賞バーナンキ氏、実証と実行が後の理論を先導」を紹介しよう。
・『2022年のノーベル経済学賞は「銀行と金融危機に関する研究」に対してベン・バーナンキ、ダグラス・ダイヤモンド、フィリップ・ディビッグの3氏に授与された。 ダイヤモンド氏とディビッグ氏は銀行に関する標準理論モデル「ダイヤモンド・ディビッグ・モデル」を構築したことが評価された。銀行が資金の「満期変換機能」を果たしていることをこのモデルは理論的に示している。 満期変換機能とは、銀行が預金者からいつでも引き出せる「要求払い預金」を集め、それを使って企業の長期投資に資金を融通することをいう。また、その機能を果たしているが故に銀行は不安定な存在であり、取り付け騒ぎのリスクにさらされることを示した。一方、バーナンキ氏は、20世紀初頭の大恐慌における銀行危機の役割を解明したことが評価された。 大恐慌が歴史上まれに見るほど深刻な不況になったのは、多くの銀行が倒産したからだということを実証的に示した。 本稿はバーナンキ氏に関するものである。ダイヤモンドとディビッグ両氏に関しては、本シリーズ2022年10月17日掲載の植田健一教授の寄稿をご参照いただきたい。また、バーナンキ氏は2006年から2014年までは米連邦準備理事会(FRB)議長を務めた。2009年に発生した世界金融危機時に米国金融政策のかじ取りをしたことを、多くの読者がご存じだろう。 しかし、本稿ではバーナンキ氏の政策担当者としての側面ではなく、授賞理由となった学術研究の解説をする。最後に、バーナンキ氏が米プリンストン大学教授だったときに、筆者は大学院生として講義を受け、博士論文の審査委員も引き受けていただいた(指導教員は、現在は米コロンビア大学のマイケル・ウッドフォード教授であった)。その時のエピソードも紹介したい』、「プリンストン大学教授だったとき」を中心に「紹介」してくれるとは、興味深そうだ。
・『銀行危機により恐慌が長く深刻に  世界大恐慌は、1920年代終わりから30年代に発生した、非常に深刻かつ世界的な景気後退である。多くの経済学者が大恐慌を理解すべく努力してきた。マクロ経済学の生みの親ジョン・メイナード・ケインズの代表作は36年刊行の『雇用・利子および貨幣の一般理論』(翻訳書は岩波文庫)であるが、これも大恐慌に強い影響を受けている。 バーナンキ氏自身、「大恐慌はマクロ経済学における聖杯である」と述べている(参考文献1)。聖杯(the holy grail)とは「非常に探すのが難しいもの」、「非常に高い目標」という意味だ。 バーナンキ氏は、銀行危機の発生こそが大恐慌を深刻かつ長い不況にしたということを明らかにした。銀行危機により経済の金融仲介が損なわれ、特に農家、中小企業や家計といった銀行への依存度が高い経済主体の消費・投資支出が大きく減少したことを実証的に示した。 現在の視点では、それは当たり前ではないかと思うかもしれない。読者が当たり前と思うという事実こそ、バーナンキ氏の研究成果が直接的、間接的に、広く人々の間に知られていることの証左だと思う。 授賞理由の主要業績に挙げられているバーナンキ氏の1983年の論文は「Nonmonetary effects of the financial crisis in the propagation of the Great Depression」(参考文献2)という題名である。この「Nonmonetary effects(非貨幣的な効果)」という部分にバーナンキ氏の新規性がある。 バーナンキ氏の論文以前の主流な仮説はミルトン・フリードマン氏とアンナ・シュワルツ氏のものである。両氏の研究は、大恐慌時における貨幣量の急激な減少に注目した。標準的なマクロ経済理論によれば、貨幣量が減少すると消費や投資などの総需要が減少し、物価が下落する。両氏によれば、貨幣量が急激に減少し、それに対して当時の連邦準備銀行が有効な政策を実行しなかったから大恐慌が深刻化した。 フリードマン、シュワルツ両氏も銀行危機の影響に注目しているが、バーナンキ氏の視点は異なる。フリードマン、シュワルツ両氏によれば、銀行危機とそれに伴う預金流出が急激な貨幣量の減少につながったとされる。注目しているのは貨幣量減少の効果、すなわち「Monetary effects」である。 一方、バーナンキ氏は銀行危機がもたらした金融仲介機能の毀損こそが、大恐慌を深刻なものにしたと考えた。金融仲介とは、貯蓄をする家計から資金を集め、必要とする企業へ資金を貸し付けることである。企業へ資金を提供する際には、企業の投資案件の審査や企業のモニタリングが必要であり、通常はそれを銀行が効率的に担っている。 そこで、銀行危機により、ある企業と通常取引している銀行が倒産したとしよう。その企業は倒産した銀行の代わりに資金を貸してくれる銀行を探すか、代替的な資金調達手段を探さなければならなくなる。代わりの銀行が見つかったとしても、普段取引をしていなかった銀行なので貸出金利が高くなるかもしれない。もしくは、借り入れそのものができなくなったりするかもしれない』、「バーナンキ氏は銀行危機がもたらした金融仲介機能の毀損こそが、大恐慌を深刻なものにしたと考えた」、なるほど。
・『金融部門と実体経済の連関を実証  この効果は資金調達を銀行に大きく依存している中小企業や家計で顕著になる。また、一度損なわれた銀行と借り手の関係は修復するのに時間がかかる。その結果、不況の回復も時間がかかる。これらのことが、バーナンキ氏の言う「Nonmonetary effects」である。氏はこれらを歴史資料と計量経済学を使って、厳密に実証した。 より広い見方をすると、バーナンキ氏の研究は、経済変動において金融市場が持つ役割についての我々の考え方を変えた。従来は、金融部門は実体経済を単に反映したものであり、金融部門の問題が実体経済の停滞に波及しているわけではないという考え方が根強くあった。例えば、貸出量が減少しているのは、生産量や投資量が減少した結果、資金需要が減少したからだという考え方である。 それに対するバーナンキ氏の考え方は、金融部門と実体経済は相互に連関しているというものである。さらに、金融部門の問題は実体経済の変動を増幅する効果があるとされる。これらは、「フィナンシャル・アクセレラレーター」もしくは「クレジット・チャネル」と呼ばれており、金融政策の波及経路の研究にも取り入れられている。バーナンキ氏の研究はこれらの考え方の先駆的なものとして認識されている。 ▽「マクロ経済学では色々な分野の勉強を」(バーナンキ氏は、79年に米マサチューセッツ工科大学(MIT)で経済学の博士号(Ph.D.)を取得後、85年に米プリンストン大学経済学部教授に就任。2002年にFRB理事として転出する前は学部長も務めていた。 筆者がプリンストン大学大学院に入学した時、1年目のマクロ経済学の講義をバーナンキ氏とウッドフォード教授が担当しており、初回講義はバーナンキ氏が担当だった。彼は冒頭、マクロ経済学がどのような学問であるかについて説明した。彼が次のように話したことをよく記憶している。 「マクロ経済学は色々な分野の応用なので、色々な分野を勉強しなければならない。失業を研究したいならば労働経済学を勉強する必要がある、インフレーションを研究したいならば貨幣経済学、経済成長ならば経済発展論、マクロ経済政策ならば公共経済学……景気循環は、マクロ経済学固有の研究課題だが、経済史とつながっている」。ここで、経済史を学ぶことの重要性を学生に説いていたことが非常に印象に残っている。 大恐慌の研究を現代経済の理解と後々の金融政策運営に生かしたバーナンキ氏のこだわりが、この冒頭講義に表れていると思う。講義では黒板に数式を多く書くことはあまりなかった。むしろ、経済理論や実証方法を直観的な言葉で説明していくスタイルだった。) バーナンキ氏は学生に対しては大変親身になって指導していた。論文の草稿を渡すとわずか2、3日のうちに詳細なコメントが返ってくるのには、大変ありがたく思ったと同時に「いつ自分の研究をしているのだろう?」と驚いた』、「バーナンキ氏が」、「次のように話したことをよく記憶している。 「マクロ経済学は色々な分野の応用なので、色々な分野を勉強しなければならない。失業を研究したいならば労働経済学を勉強する必要がある、インフレーションを研究したいならば貨幣経済学、経済成長ならば経済発展論、マクロ経済政策ならば公共経済学……景気循環は、マクロ経済学固有の研究課題だが、経済史とつながっている」。ここで、経済史を学ぶことの重要性を学生に説いていたことが非常に印象に残っている」、「マクロ経済学は色々な分野の応用なので、色々な分野を勉強しなければならない」、とは大変だ。
・『日本の金融政策にも独自の見解  博士論文の口述試験の日のこともよく覚えている。00年初夏のことである。口述試験が終わり、バーナンキ氏の研究室にお礼の挨拶に行った。そこで、「日本の金融政策はどうすればよいと思いますか?」と質問した。当時日本はすでに名目金利がゼロ下限に達しており、利下げの余地はもはやなかった。筆者の質問に対して氏は「いくらでもすることはあるよ。色々な資産を買えばよいのだ」と答えた。 当時主流となりつつあった「ニューケインジアン経済学」の理論は、名目金利が下限に達したときの金融政策として、人々の将来利子率に関する予想への働きかけを重視していた。今の言葉で言うと「フォワードガイダンス(先行き指針)」である。その一方で、資産購入政策の有効性については懐疑的な見方をする理論だった。 バーナンキ氏自身、ニューケインジアン経済学の分野でも重要な学術的貢献をしている。そのニューケインジアン経済学の分野で博士論文を完成させたばかりの当時の筆者は、恥を忍んで告白すると、「習った理論と違うことをおっしゃるなあ」と感じたことを覚えている。 世界金融危機が発生したとき、バーナンキ氏が連邦準備銀行議長として様々な資産購入政策を導入したことは周知の通りである。後日、「量的緩和の問題は、実際には効くのですが理論的には効かないということなのですよ」という言葉を残している(参考文献3)』、「量的緩和の問題は、実際には効くのですが理論的には効かないということなのですよ」、難し過ぎて、理解不能だ。
・『理論・事実・経験の絶妙なバランス  しかし、その言葉の後、彼は実際には日本の経験や大恐慌から学んだこと、フリードマン、シュワルツ、ウッドフォード、ポール・クルーグマンなどの研究者の名前を挙げながら、金融政策立案は学術研究の蓄積にも依存していることを強調している。同時に、金融政策は学会と政策当局が互恵関係にある典型的な例であるとしている。 1983年の論文が発表された当時、銀行理論はまさに開発されつつあった段階で、それを組み込んだマクロ経済モデルはほとんどなかった。同様に、世界金融危機の後になって、中央銀行の資産購入政策を分析する理論枠組みが本格的に開発され、ニューケインジアンモデルに組み込まれていった。 これらのことを考えると、バーナンキ氏は、その時々に支配的な理論の枠組みだけにとらわれることなく、理論、実証的事実、経験の全てにバランスをとりながら柔軟に物事を考える学者だったと思う。そのことによって、研究者時代は新たな領域を切り拓き、政策当局者としてその学術的知見をいかしながら新たな政策を立案した、まれな人物と言えよう』、「バーナンキ氏は、その時々に支配的な理論の枠組みだけ にとらわれることなく、理論、実証的事実、経験の全てにバランスをとりながら柔軟に物事を考える学者だったと思う」、お弟子さんが書いたとはいえ、やはり偉大な人物のようだ。 
タグ:「「高額紙幣の廃止」で犯罪撲滅を図った国の末路 インドと北朝鮮がやらかした壮大な経済失策」 「プリンストン大学教授だったとき」を中心に「紹介」してくれるとは、興味深そうだ。 青木 浩介氏による「ノーベル経済学賞バーナンキ氏、実証と実行が後の理論を先導」 「バルファキス氏」の解説は平易で分かり易い。 日経ビジネスオンライン 「北朝鮮ウォンの切り下げ」は、「政府が発行する貨幣に対する国民の信頼を失わせ、人々が外貨の保有に殺到するという事態を引き起こした。結果としてめったに起きない国内の反乱が生じ、1ドル30ウォンから約8500ウォンへと通貨が劇的に暴落した。 2013年には、同国の215億ドルの経済圏のなかで推定20億ドルのアメリカドル紙幣が流通していた。アンクル・サム〔アメリカ〕にとっては好都合だが、金一家にとってはそうでもない」、これも余りにお粗末な事例の1つだ。 「インド」では「廃止された紙幣の実に99.3%が、追放されることなく銀行システムに戻ってきた」、「グレーマネーはモディが想定していたよりもすくなかったのか、あるいはインドのマネーロンダリングのしくみは、紙幣を追放するしくみよりも有能なのであろう」、なるほど。 「誰もが経済についてしっかりと意見を言えることこそ、いい社会の必須条件であり、真の民主主義の前提条件だ」、その通りだ。 (その6)(【ギリシャ元財務大臣が解説する】「なぜ経済を学ぶ必要があるのか?」に対する納得の回答、「高額紙幣の廃止」で犯罪撲滅を図った国の末路 インドと北朝鮮がやらかした壮大な経済失策、ノーベル経済学賞バーナンキ氏 実証と実行が後の理論を先導) 経済学 「格差があることに怒っている人は多そうだ」、その通りだ。 「彼は高額紙幣を「現代経済における時代錯誤」と形容し、「正規の経済活動ではほとんど役割を果たしていないが、地下経済においては重要な働きをしている。皮肉なことに、犯罪者たちが利用するそのような紙幣は、国家が用意しているのだ」と述べた」、「カナダは2000年に千カナダ・ドル札の発行を、シンガポールは2014年に一万シンガポール・ドル札の発行を終了したが、ユーロ圏ではそう簡単に物事は進まなかった」、「ユーロ圏」では現金志向が強いのだろうか。 確かに「高額紙幣は明らかに、犯罪者にとって都合がいい」。「ハイネケンは21日間の監禁生活を生きのび」、「彼は後にこの経験についてこう語ったのだ。「犯人たちは私を拷問した……カールスバーグを飲まされたんだ!」商売敵の「カールスバーグ」を飲まされたとは、「ハイネケン」氏にとっては「拷問」」なのだろう。 ナターシャ・デ・テラン ゴットフリート・レイブラント 東洋経済オンライン 「大切な判断を他人まかせにしないためには、経済とは何か、資本主義がどのように生まれ、どんな歴史を経ていまの経済の枠組みが存在するようになったのかを、自分の頭で理解する必要がある」、その通りだ。 「賢く、戦略的に怒り続けてほしい。機が熟したらそのときに、必要な行動をとってほしい。この世界を本当に公正で理にかなった、あるべき姿にするために」、「必要な行動」とは投票行動なのだろうか。 「計画的に余剰を増やし、別の地域と別の種類の食糧と交換するようになる。 そのやりとりは物々交換だったが、次第に通貨を使ってやり取りすることでグローバルな規模で貿易ができるようになる。 通貨を使うにあたって、数字や文字、債務という便利なものも人類は使うようになり、経済は高度になっていく。 さらに農作物の余剰を守るために軍隊が配備され、国家という概念が生まれた」、「経済とは農作物の余剰を守るところからはじまっている」、「余剰」がここまで経済発展の源になっているとは、感心させられた。 「農耕の発展により農作物の余剰が生まれ、余剰を増やしていく過程で経済が大きく動き出していく」、言われてみれば、確かに「余剰」がなければ、「経済」は成長しない。 「インド」での「五百インドルピー」と「千インドルピー」「の通用を廃止」は、準備不足などやり方が余りにお粗末だ。 「アメリカの麻薬経済の規模は年間1000億~1500億ドルと推定され、そのほとんどは現金で支払われており、そのうちの大部分が高額紙幣」、「アメリカの紙幣の90%にコカインの形跡が残っているのに対して、百ドル札ではその割合が著しく低い」、「高額紙幣は明らかに、犯罪者にとって都合がいい。100万ドルを一ドル札で用意すれば重さが1トン以上、体積が1立方メートル以上になるが、百ドル札で用意すればおよそ10キログラム(22ポンド)になり、ブリーフケースひとつにきれいにおさまる」、 「高額紙幣を廃止して国内で混乱を巻き起こした事例」とは興味深そうだ。 「バーナンキ氏は、その時々に支配的な理論の枠組みだけ にとらわれることなく、理論、実証的事実、経験の全てにバランスをとりながら柔軟に物事を考える学者だったと思う」、お弟子さんが書いたとはいえ、やはり偉大な人物のようだ。 「量的緩和の問題は、実際には効くのですが理論的には効かないということなのですよ」、難し過ぎて、理解不能だ。 その不安から、人々は二百ユーロ札、ひいては百ユーロ札さえも使うのを拒否するようになるかもしれない」、これはとってつけたようなヘリクツのような印象を受ける。 「五百ユーロ札は」「ドイツとオーストリアではいまだ法定通貨となっており、商業銀行での交換や再流通が可能である。この2つのドイツ語圏の中央銀行が新しい五百ユーロ札の発行を停止したため、理論的には五百ユーロ札はやがて姿を消すことになる」、「五百ユーロ札を受理しなくなることで、ほかの紙幣にも同様の措置が適用されるのではないかと人々を不安にさせる可能性がある、ということだ。 ここで、経済史を学ぶことの重要性を学生に説いていたことが非常に印象に残っている」、「マクロ経済学は色々な分野の応用なので、色々な分野を勉強しなければならない」、とは大変だ。 「バーナンキ氏が」、「次のように話したことをよく記憶している。 「マクロ経済学は色々な分野の応用なので、色々な分野を勉強しなければならない。失業を研究したいならば労働経済学を勉強する必要がある、インフレーションを研究したいならば貨幣経済学、経済成長ならば経済発展論、マクロ経済政策ならば公共経済学……景気循環は、マクロ経済学固有の研究課題だが、経済史とつながっている」。 「バーナンキ氏は銀行危機がもたらした金融仲介機能の毀損こそが、大恐慌を深刻なものにしたと考えた」、なるほど。 ダイヤモンド・オンライン「【ギリシャ元財務大臣が解説する】「なぜ経済を学ぶ必要があるのか?」に対する納得の回答」
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日本の構造問題(その28)(冨山和彦「日本経済を蝕む"昭和的グダグダ"が何度となく繰り返されてしまう根本原因」 政府が"ゾンビ企業"の延命にカネを配り続けている、ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか) [経済政治動向]

日本の構造問題については、7月20日に取上げた。今日は、(その28)(冨山和彦「日本経済を蝕む"昭和的グダグダ"が何度となく繰り返されてしまう根本原因」 政府が"ゾンビ企業"の延命にカネを配り続けている、ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか)である。

先ずは、8月22日付けPRESIDENT Onlineが掲載したHONZ代表の成毛 眞氏と経営共創基盤(IGPI)グループ会長の冨山 和彦氏による「冨山和彦「日本経済を蝕む"昭和的グダグダ"が何度となく繰り返されてしまう根本原因」 政府が"ゾンビ企業"の延命にカネを配り続けている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/60781
・『今の日本では「個人の力」の前に「個人の学ぶ力」を求められる  一人ひとりの日本人が「個人の力」を身につけ、生かしていこうとするとき、やはりそこでも壁として立ちはだかるのは、新陳代謝が進まず固定化した産業構造、社会構造だ。 これからの時代に求められる力は、新しい力である。しかし、古くて固定化した産業構造に身を置いても、あるいは、そこに向けて用意されている古い教育システムに身を置いても、それだけでは新しい力は身につかない。 長年にわたり、あれだけSTEM(ステム)(※1)が大事だと言われながら、相変わらずIT人材が足りない、AI技術者が育たないと嘆いている根本原因は、まさに人材教育、人材投資に関わる仕組みが古い構造に固定化されていることにある。 だから、ここでも自らの頭で考え、自らの頭で判断して、自分にフィットした「個人の力」を身につける道筋を探索しなくてはならない。「個人の力」の前に「個人の学ぶ力」を求められるのが、今の日本なのである。 GDPとは、要するに「付加価値の総計」である。付加価値をつくる能力がなければ、経済成長率も上がらないし、国民所得も増えない。日本のような成熟した先進国において、キャッチアップ型、コストと価格競争力勝負の大量生産工業への先行投資で付加価値が生まれる余地は小さい。しかも、付加価値創出はデジタル化とグローバル化による破壊的イノベーションに牽引される時代だ。 イノベーションの時代の付加価値の源泉は、一人ひとりの人間がもつ発想力、創造力、行動力である。そんな個がチームとなって相乗力が生まれ、新しい企業、さらには産業となってスケールする(※2)。 時代の移り変わりによって付加価値を生み出す力を失った古い産業構造のなか、古い組織のルール、古いお作法のなかでは、新しい付加価値を創造する個が輝くのは難しい。サッカーの天才も野球チームにいる限り、才能を開花させられないのは当たり前の話だ。 そこで古い産業構造が固定化して居座りを決め込めば、新しい付加価値が芽吹き大きく成長するスペースは、なかなか生まれない。 政府がお題目としてベンチャー支援を唱えても、他方で古い産業、古い企業の存続をあの手この手で支援すると、効果は相殺され、結果は現状維持となってしまうのだ。そして日本経済の付加価値創出力は停滞を続ける』、「イノベーションの時代の付加価値の源泉は、一人ひとりの人間がもつ発想力、創造力、行動力である。そんな個がチームとなって相乗力が生まれ、新しい企業、さらには産業となってスケールする」、「付加価値を生み出す力を失った古い産業構造のなか、古い組織のルール、古いお作法のなかでは、新しい付加価値を創造する個が輝くのは難しい・・・そこで古い産業構造が固定化して居座りを決め込めば、新しい付加価値が芽吹き大きく成長するスペースは、なかなか生まれない。 政府がお題目としてベンチャー支援を唱えても、他方で古い産業、古い企業の存続をあの手この手で支援すると、効果は相殺され、結果は現状維持となってしまうのだ。そして日本経済の付加価値創出力は停滞を続ける」、ある意味で真相を突いている。
・『経済危機のたびにゾンビ型企業延命メカニズムが働く理由  ちなみに、2008年のリーマンショックのような経済危機が起こっても、打撃の規模の割に、日本で倒産する企業は世界に類を見ないほど少ない。直近のコロナ禍でも、現在の倒産件数は、日本史上で見ても最低水準で推移している。 倒産する企業が少ないと聞くと、いいことのように思えるかもしれない。しかし、これは政府が巨大な支出をして倒産を回避しているだけの話だ。 要は、この国は個人を直接救う公助能力があまりにも低いのである。制度も弱いし、デジタル化も進んでいないので、有事に迅速に手を差し伸べられない。 だから毎回、企業内共助システム、「二重の保護」構造に頼らざるを得ない。そこで必死に融資や助成金で企業を支えるしか、困窮した国民を支える方法がないのだ。 これしかないので局面的にはやむを得ないのだが、すでに触れたように、この仕組みは大きな副作用を伴う。 すなわち、突然襲ってくる危機的状況において、どこでピンチになっているかわからない困窮者の生活、人生を救うには、とりあえず規模の大小、競争力の強弱、生産性の高低に関係なく、すべての企業を支えるしかない。 すると企業の新陳代謝は妨げられ、しかもここで分不相応に大きな借金を抱えて生き延びた企業の多くが過剰債務企業、すなわちゾンビ企業になってしまう。そしてその後も政府の支援に頼るようになる。結果的に、産業構造の固定化がさらに進んでいくのである』、「突然襲ってくる危機的状況において、どこでピンチになっているかわからない困窮者の生活、人生を救うには、とりあえず規模の大小、競争力の強弱、生産性の高低に関係なく、すべての企業を支えるしかない。 すると企業の新陳代謝は妨げられ、しかもここで分不相応に大きな借金を抱えて生き延びた企業の多くが過剰債務企業、すなわちゾンビ企業になってしまう。そしてその後も政府の支援に頼るようになる。結果的に、産業構造の固定化がさらに進んでいくのである」、その通りだ。
・『政府が無差別にカネを配ってしまった事業の末路  欧米でもコロナ禍に際してかなり大きな政府支出で緊急経済対策を打っているが、失業率も倒産件数も相応に増えている。 もともと、どの国も平時から起業率も廃業率も日本より高いのである。コロナ明けを想定すると、長い目で見ると産業の新陳代謝がさらに進み、デジタル技術を駆使した新しい業態、新しい企業への世代交代が進むだろう。歴史的にも、経済危機の後はイノベーションが加速する場合が多い。 しかし、日本では、むしろ古い産業がゾンビ化したまま生き残り、産業構造の固定化が進んでしまう傾向がある。バブル崩壊の後も、リーマンショックの後もそうだった。 原因が何であれ、稼げない企業は淘汰とうたされるのがビジネスの理ことわりだ。そういう意味では、倒産企業が少ないことは、長期的な経済発展という観点からは決して歓迎すべきことではないのである。 実際、コロナ禍でも、まったく同じ構図になりつつある。2020年に73兆円、2021年には55兆円の巨大な経済対策予算が組まれ、一般的には、10万円の個人向け給付金やGo Toキャンペーンなどが注目された。しかし、実はいろいろな形で企業にも巨額の資金が流れているのだ。 キャッシュ・イズ・キング。名目が補助金だろうが、給付金だろうが、融資だろうが、キャッシュが回っている限り、どんなに大赤字になっても企業は潰れない。だから、企業倒産件数は史上最低水準で推移しているのだ。 しかし、無差別にカネを配った結果、企業のなかにはその使い道がなく、預金額ばかりがどんどん積み上がってしまっているところも多い。 「このままでは潰れるかもしれない」という危機感がなければ、何かを変えよう、新しいことをやってみようという機運も高まりにくい。むしろ政府がいくらでも金を出してくれるのだから、危機が収まるまではじっとしていようと考えるのが人情だ』、「名目が補助金だろうが、給付金だろうが、融資だろうが、キャッシュが回っている限り、どんなに大赤字になっても企業は潰れない。だから、企業倒産件数は史上最低水準で推移しているのだ。 しかし、無差別にカネを配った結果、企業のなかにはその使い道がなく、預金額ばかりがどんどん積み上がってしまっているところも多い。 「このままでは潰れるかもしれない」という危機感がなければ、何かを変えよう、新しいことをやってみようという機運も高まりにくい。むしろ政府がいくらでも金を出してくれるのだから、危機が収まるまではじっとしていようと考えるのが人情だ」、その通りだ。
・『大企業は「戦略的グダグダ」ではなく「真正グダグダ」である  しかし、コロナ禍が去ってみると、企業間の格差、産業間の実力格差は広がっているだろう。そして、赤字補塡ほてんの借金を積み上げる一方で未来投資をためらっていた企業はゾンビ化していく可能性が高い。 ゾンビにいくら鮮血を注いでもゾンビとして生きながらえるだけであり、人間には戻らない。それと同じように、生産性の低い企業が、利益を上げる本来あるべき企業として蘇るのではなく、生産性が低いまま延命してしまうことになる。 私は20年前の金融危機に際し、産業再生機構(※3)を率いる立場になった時、現場のプロフェッショナル300名とともに公的資金10兆円を産業と金融の一体再生のために駆使したが、ゾンビ企業の延命にはカネを使わなかった。 そのことで多方面から矢のような非難を浴びたが、企業をゾンビ状態で延命させるべきではない。政府が救うべきはゾンビ企業ではなく、稼ぐ力が残っている事業であり、そこで働く人間なのだ。だから、むしろ経済危機に際して起きる企業の新陳代謝を止めるべきではない。 政府は企業の退出に伴う社会的コストの最小化、すなわちオーナー経営者の個人破産の回避や、労働者の転職や職業訓練、リカレント教育(※4)にこそ金を使うべきだと主張してきた。 要は社会全体として、過度な企業内共助の仕組みを脱却しよう、政府は企業、産業の新陳代謝を前提とした、公助共助連動型の包摂的なセーフティネットを整備すべきと主張してきたのである。 しかし、その後も企業内共助依存と「二重の保護」構造の転換は進まず、ひとたび経済危機が起こって企業が風前の灯になりかけると、毎回、政府が巨額のばらまきで救済する。 そんなズブズブの官民関係が続いているのだ。 バブル崩壊後の金融危機、ITバブルの崩壊、リーマンショック、東日本大震災、そしてコロナ禍と、この20年間、日本経済は何度も危機を経験してきた。 そこで淘汰による新陳代謝が起こるなり、徹底的な自己改革によって付加価値生産性が上がるなりしていれば、日本の産業はもっと活発でおもしろいものになっていたかもしれない。 しかし、それを結果的に妨げてきた「二重の保護」構造は政治的にきわめて強固で、これからもなかなか崩せないだろう。官にも民にもその仕組みに寄りかかっている人がたくさんいて、特に、少子高齢化で数はたくさんいる上の世代の選挙民自身に、この構造のまま自分たちは逃げ切れるのではないか、という動機づけが強烈に働いているのだから。 産業再生機構の当時から感じていたのは、政府であれ、大企業であれ、日本の古典的なエスタブリッシュメント組織の体質をひとことで言うなら「グダグダ」であるということだ。すべてが固定的で旧時代的。何かというと「ことなかれ」の保身に走る。悪しき「昭和」である。 のらりくらりと世間の雑音をかわしつつ、やるべきことをしたたかに着々とやる、といった「戦略的グダグダ」ではない。本質的なことを考えていないから有効策を講じられない、大きな効果が見込める政策を断行する勇気もないという、いわば「真正グダグダ」である』、「産業再生機構」で「ゾンビ企業の延命にはカネを使わなかった」と大言壮語しているが、ダイエーは丸紅をスポンサー企業として渡した後も、結局、上手くゆかず、イオンが引き取る形で最終的に処理した。「戦略的グダグダ」はついに実行されなかったようだ。
・『「有事はない」という建前が崩壊し続けた失われた30年  昭和的グダグダ感の根っこの1つには、敗戦後にできた日本国憲法の成立から引き継がれてきた「有事というものは存在しない」という建前路線があるように思う。 憲法はその前文と第9条において、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して戦争放棄を規定している。この憲法が成立した1946年当時は吉田茂内閣の時代だ。吉田は英国流のプラグマティストで自由主義者である。 彼はその後の東西冷戦の時代において、むしろこの憲法を盾に、米国の核の傘の下で軽武装経済重視の国家再建を進めることになる。 いわば、美しい建前を利用して、国家再建という現実政策をプラグマティックに推し進めたのである。 実際、第二次世界大戦が終結してからの20世紀後半、世界はおおむね平和だった。1950年に始まる朝鮮戦争や、1960年代半ばから泥沼化していくベトナム戦争などの局地戦争はあるものの、世界的な戦争は起こっていない。少なくとも日本が当事者として大きな戦争に直接巻き込まれる事態は起きなかった。 そして戦後の日本は、明治時代の「富国強兵」路線マイナス強兵の加工貿易立国による富国路線によって、敗戦による荒廃からみごとに立ち直っていった。 そして長きにわたる平和と経済的繁栄によって、最初はあくまでも建前だった「有事はない」が、40年、50年と経つうちに実体的な前提になっていったのである。 目をつぶれば何も見えないのと同じで、この国のあらゆる仕組みが「有事はない」前提でつくられるようになっていく。 しかし、それほど長期間にわたり平時が続くことのほうが、本来は異常なのだ。現に20世紀末期から21世紀にかけて、元号が昭和から平成に変わると、バブル経済が崩壊し、1995年の阪神淡路、2011年の東日本という2つの大震災が起こり、原発事故も起き、コロナ禍というパンデミックが起こった。 米中対立の動向など国際情勢もきな臭くなる一方だ。南海トラフ地震や富士山噴火と、巨大規模の災害が高い確率で起こる可能性も指摘されている』、「「有事はない」という建前が崩壊し続けた失われた30年」、は安全保障の問題と災害の問題を混同しており、違和感がある。
・『日本の潜在的危機は深まっていく  このように「有事がない」なんてことはありえない。万が一、諸国民が公正で信義に溢れる人たちばかりでも激甚な天災は起きるし、新しいウイルスは人間の言うことを聞いてはくれない。 日本も「例外的に有事がなかった時代」が終わり、「いつでも有事が起こりうるという通常の状態」に戻ったのである。 そんなさなかに、この国は、政府もメディアも、ある意味、多くの日本国民さえも、未だに「有事がないという建前は現実でもある」という世界観から脱却できていない。 そんな縁起でもないこと、あってはならないことは起きない、だからそれを前提にした制度や仕組みもあってはならない、という現実歪曲わいきょく空間に閉じこもったままだ。 その結果、有事に直面するたびに有効策を講じられず、大きな効果が見込める施策を断行する勇気もないため、「グダグダ」なパターンを繰り返す。 高度成長期以降の「昭和元禄」天下泰平の時代がもたらした「昭和的グダグダ感」が続く限り、この国の潜在的危機が深まっていく』、平和主義を「現実歪曲わいきょく空間に閉じこもったまま」と批判するのは、安直だ。「高度成長期以降の「昭和元禄」天下泰平の時代がもたらした「昭和的グダグダ感」が続く限り、この国の潜在的危機が深まっていく」、観念的視点からの浮ついた批判で、読むに堪えない。 この後編も8月24日付けであるが、紹介は止めておく。

次に、9月17日付け東洋経済オンラインが掲載した慶應義塾大学大学院准教授の小幡 績氏による「ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/619077
・『円安が1ドル=145円にタッチしそうなまでに進み、世間では「日本経済は終わった」「この世の終わりだ」といったような雰囲気になっている。ある月刊誌などは「日本ひとり負けの真犯人は誰か」などという特集まで組んでいる』、元気になる記事を書いてくれるようで、興味深い。
・『日本は世界と「真逆」  この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら 180度逆だ。ついに「日本がひとり勝ちするとき」がやってきたのだ。 当然だ。説明しよう。 世界は何をいま騒いでいるか。インフレである。インフレが大変なことになり、慌てふためいて、欧米を中心に世界中の中央銀行が政策金利を急激に引き上げている。 その結果、株価が暴落している。世中の中央銀行の量的緩和で膨らんだ株式バブルが崩壊している。実体経済は、この金利引き上げで急速に冷え込んでいる。一方、インフレは収まる気配がないから、いちばん嫌なスタグフレーション(経済が停滞する中での物価高)が確実になっている。世界経済は、「長期停滞」局面に入りつつあるのである。 一方、日本はどうか。世間が「ひとり負け」と騒ぐぐらいだから、日本だけが世界と正反対の状況になっている。 まず、世界で唯一と断言できるほど、インフレが起きていない。企業物価は大幅に上昇しているが、それが消費者物価に反映されるまで非常に時間がかかっており、英国の年率10%、アメリカの8%とは次元が違う2%程度となっている。 英国では、一家計あたりの年間エネルギー関連の支出が100万円超の見込みとなり、文字どおりの大騒ぎとなっている。新しく就任したリズ・トラス首相は、補助金をばらまくことによって、実質20万円以下に抑え込む政策を発表した。 だが、これによる財政支出は約25兆円にもなると言われており、これだけで「英国は財政破綻するのではないか」と言われるありさまだ。 これに比べると、日本の岸田政権のバラマキはバラマキでも低所得世帯へ各5万円程度、総額で1兆円弱であり、何の問題もなく見えてくるのである。 日本では、政策的に、電力会社が電気料金の引き上げを徐々にしかできないように規制しており、これが電気代の安定化に寄与している。日本では2%ちょっとの物価上昇でも、一時は大騒ぎになったが、インフレーションが加速するようなことが起きにくい構造になっているのである。 このような物価が安定した経済においては、中央銀行は急いで政策金利を引き上げる必要はない。だから、日本銀行は、世界で唯一、金融政策を現状維持して、のんびりできているのである』、日本だけ利上げに取り残され、円は暴落傾向だったのを、円売り介入で食い止めている状況で、「日本銀行は、世界で唯一、金融政策を現状維持して、のんびりできている」というのは言い過ぎだ。
・『賃金が上がらない経済のほうが望ましい理由  これに対して、大多数のエコノミストたちは、「欧米は物価も上がっているが、賃金も上がっている。賃金が上げられる経済だから、物価が上がっても大丈夫であり、日本のように賃金が上げられない経済は最悪だ」として、日本経済を「世界最悪だ」とこき下ろしている。 間違いだ。 1973年に起きたオイルショックのときは、その後の労使交渉が友好的にまとまり、賃金引き上げを社会全体で抑制できた。これにより経済の過熱を抑え、世界で日本だけがインフレをすばやく押さえ込み、1980年代には日本の経済が世界一となった。 これと同じで、賃金が上がらない経済のほうが、現状では望ましい。アメリカなどはそれこそ賃金上昇を死に物狂いで政府を挙げて抑え込もうとしている。つまり、賃金の上がらない日本経済は、現在のスタグフレーションリスクに襲われている世界経済の中では、うらやましがられる存在であり、世界でもっとも恵まれているのである。 消費者物価が上がらないのも、消費者が貧乏性であることが大きい。そのため、少しの値上げでも拒絶反応が大きく、企業側が企業間取引価格は引き上げても、小売価格を引き上げられない。しかし、このようなインフレが最大の問題となっている状況では、ショックアブソーバーが完備された「安定した経済、消費財市場」であり、望ましいのである。 だから、日本の中央銀行だけが金融政策を引き締めに転じる必要がなく、景気が急速に冷え込む恐れがなく、非常に安定して穏やかな景気拡大を続けており、非常にマクロ経済として良好な状態を保っているのである。 いったい、このような世界でもっとも恵まれた状況の日本経済に何の不満があるのか。 現在、日本を騒がせているのは、円安である。これは、異常な規模と特異な手段で行っている異次元金融緩和を、普通の金融緩和にすれば、直ちに解消する。 「連続指値オペ」という、日銀が毎日10年物の国債金利を指定する利回り(上限0.25%程度)で原則無制限に買う政策は、金融市場を完全に殺すものであり、異常なので、直ちに取りやめる。 また、イールドカーブコントロールと呼ばれる「10年物の金利をゼロ程度に抑え込むことをターゲットとする」という、これまた歴史上ほとんど類を見ない政策をやめれば、異常な円安は直ちに解消する。 要は今の円安で困っているのは、日銀の単純なテクニカルな手段のミスである。特異なことをやめ、普通に金融緩和を続けるだけで異常な円安も解消し、金融緩和も続けられるので、日本経済にはまったく問題がない、ということになる。 しかし、有識者たちは「真の日本経済の問題はもっと根深い。いちばんの問題は、この10数年、アメリカでは高い経済成長率を実現したのに、日本は低成長に甘んじたことだ。賃金、物価が上がらない、つまり変化が起こりにくい、ダイナミズムが不足しているのではないか」と懸念する。「アメリカには圧倒的に差をつけられ、中国にも抜かれてしまった。日本経済からダイナミズム、イノベーション、そして経済成長が失われてしまったことが大問題なのだ」と嘆く』、「円安」「は、異常な規模と特異な手段で行っている異次元金融緩和を、普通の金融緩和にすれば、直ちに解消する。 「連続指値オペ」という、日銀が毎日10年物の国債金利を指定する利回り(上限0.25%程度)で原則無制限に買う政策は、金融市場を完全に殺すものであり、異常なので、直ちに取りやめる。 また、イールドカーブコントロールと呼ばれる「10年物の金利をゼロ程度に抑え込むことをターゲットとする」という、これまた歴史上ほとんど類を見ない政策をやめれば、異常な円安は直ちに解消する」、これを止めるべきというのは正論だが、代わりに長期金利が上昇するのは放置する必要がある。
・『「日本の安定性」にもっと積極的な評価を  確かにこれは、日本経済の弱点と言える。良くはない。しかし、何事も、長所と短所がある。 日本の有識者や世間の議論の悪いところは、世界でいちばんのものを持ってきて「それに日本が劣る」と騒ぎたて、「日本はダメだ、悪い国だ」と自虐して、批判したことで満足してしまうことだ。社会保障はスウェーデンと比較し、イノベーションはアメリカと比較し、市場規模は中国と比較する。そりゃあ、さすがに勝ちようがない。 日本経済の特徴は、流動性に欠け、変化やダイナミズムは少ないが、その一方で、抜群の安定性がある。オイルショックでも物価高騰を抑え込み、リーマンショックでもコロナでも、失業率の上昇は、欧米に比べれば、無視できるほどだ。 21世紀になっても給料が上がっていないことを指摘されるが、その理由は3つある。第1に1990年時点の給料がバブルで高すぎたこと、第2に正規雇用と非正規雇用という不思議な区別があり、1990年時点の前者のグループの給料が高すぎた。そのために、後者のグループを急増させたため、2つのグループを合わせた平均では下がることが必然であることだ。第3に、雇用の安定性を良くも悪くも最重要視していること、である。 第1の問題は賃金が上がらないことが解決策であり、第2の問題は日本のマクロ経済の問題ではなく、日本社会制度の問題であり、非正規雇用というものを消滅させ、すべて平等に扱うことが必要だ。第3の問題は、日本人が、社会として歴史的に選択してきた結果である、ということである。 物価が上がりにくいことは、ある状況の下ではすばらしいことであり、その一例がオイルショックであり、今の2022年である。そして、私の主張は、そういう状況がいずれ21世紀の世界経済を覆うことになるのではないか、ということだ』、「物価が上がりにくいことは、ある状況の下ではすばらしいことであり・・・今の2022年である」、「今の2022年」は決して「すばらしいこと」ではなく、経済の弱みになっていると思う。
・『「膨張しない時代」が始まる  つまり、第2次世界大戦後、世界はずっとバブルだったのである。バブルという言葉がいやならば、膨張経済の時代だった。その下で、1990年の冷戦終了により、金融バブルが始まった(これは誰がなんと言おうとバブルだ)。 そして、そのバブルが膨張と破裂を繰り返し、いよいよ最後の「世界量的緩和バブル」が弾けつつあったところに、今度はコロナバブルが起きた。そして、それが今インフレにより、激しく破裂するのではなく、着実に萎み始めているのである。そして、萎んだ後は、長期停滞、膨張しない経済、膨張しない時代が始まるのである。 この「膨張しない時代」においては、日本経済と日本社会の安定性、効率性という強みが発揮されることになるのである。 そもそもイノベーションとは何か。すばらしい技術革新により、新しい必需品、生活になくてはならないものを作るのは、すばらしいイノベーションといえる。 だが、今世の中にあふれているのは、「新しい」必要でないものを生み出し、それを消費者に「欲しい」と思わせることである。次々と新しい「ぜいたく品」、要は余計なものを欲しいと思わせ、売りつけ、それにより人々は「造られた欲望」を満たし、幸せになった気でいるのだ。 しかし、これらは不必要なエンターテイメント物だから、すぐに飽きる。だから、作る側は次の「新しい」ぜいたく品を売りつけるのであり、それがやりやすい。それを繰り返していくのが、生活必需品が満たされた後の豊満経済であり、現代なのである。飽食により生活習慣病になるのと同じく、豊満で飽食で食傷気味になりつつあるのが現代経済なのである。) これらは、人々がすぐ飽きる、よく考えると無駄なぜいたく品、流行物であるから、まだいい。害は無駄というだけにすぎない。現在のイノベーションの大半、特にビジネスとして大成功しているものは、「麻薬」を生み出している企業である。 つまり、本来は不必要なものを必要だと人々に思わせ、そしてみんなで使っているうちに、なくてはならないものにしてしまっている「必需な」ぜいたく品である。そして、その多くは、必需と思わせるために、中毒になりやすい、嗜好を刺激するものになっている。ゲームであり、スマホであり、SNSである。 そして要は広告で儲ける。テレビも、報道からすぐに役割はエンターテイメントに変わった。そして広告ビジネスとなった。それがインターネット、スマホにとって変わられただけだ。しかし、中毒性は強まっており、人間社会を思考停止に追い込み、退廃させる「麻薬度」においては、「新しい」イノベーションであるために、より強力になっている』、「その多くは、必需と思わせるために、中毒になりやすい、嗜好を刺激するものになっている。ゲームであり、スマホであり、SNSである。 そして要は広告で儲ける。テレビも、報道からすぐに役割はエンターテイメントに変わった。そして広告ビジネスとなった。それがインターネット、スマホにとって変わられただけだ。しかし、中毒性は強まっており、人間社会を思考停止に追い込み、退廃させる「麻薬度」においては、「新しい」イノベーションであるために、より強力になっている」、これに関しては、異論はなく、その通りだ。
・『「膨張しない経済」の営みの本質とは?  しかし、この時代は終わりつつある。なぜ、いま、インフレになっているか。ぜいたく品と「麻薬」を作りすぎて、必需品の生産に手が回らなくなったからである。 優秀な大学を卒業し(またはしなくても)、金を稼ごうとする人々は、みなぜいたく品を作る側に回る。ブランド企業、独占力のある企業、他にない余計なものを作る企業に就職する。象徴的なのは、広告産業である。いらないものを欲しいと思わせる。それで稼ぐのである。 なぜ唯一無二のものはすべてぜいたく品か。「麻薬」か。それは必需品であれば、必要に迫られて、多くの人が作るからである。まず自分が必要なものは自分で作る。そのものを作るのが得意な人は、周りの人に頼まれて余計に作る。確実にニーズはある。あるに決まっている。必要に迫られている。それが村で評判になり、隣町で話題になる。それなら市場(いちば)で売ろうか、となる。 食料は、みなが必要である。だから作ろうとする人がたくさんいる。必需品は確実にニーズがあり、そして、今後もほぼ永遠に必要である。だから、作る人も多く現れる。人間が一生懸命工夫して作れば、世界でただ一人しか作れない、というものなどない。あってもそれはあきらめて、その次によい質のもの、良質の必需品で済ませる。 もしやる気があれば、必需品でよりよいものを作ろうとする。改善する。現在存在する必需品の延長線上で、よりよいものを作ろうとする。だが、これは一見イノベーションになりにくい。それでも社会に大きく貢献する。人々を確実に幸せにする。 しかし、大半は目新しくないから、今までとほとんど同じ値段でしか売れない。大儲けはできない。独占もできない。広告もあまりいらない。みんな使っているし、必要としているし、よりよいかどうかは使ってみないとわからないから、使ってみて、自分で判断するわけだ。) これが「膨張しない経済」における営みである。必需品の質が上がっていく。基礎的な消費の質が改善する。これが社会にとってもっとも必要であり、社会を豊かにし、社会を持続的に幸せにすることだ。格差は生まれにくい。質の差はあるが、その差に断絶はない。社会として一体性は維持されやすい。 驚くほどの経済成長、急速な規模的拡大はない。同じものを少しずつ改良しているのだから、ゆっくり持続的に質が上がっていく。この中で、景気が悪くなることもある。農業中心なら、干ばつ、洪水、気候変動であり、農業以外であっても、何らかの好不調はあるだろう。そのときに必要なのは、効率化である。苦しいときには、みんなが困らないように、少ないコストで、少ない労働力で、少ないエネルギーで同じものを作る。これは確実に社会に役に立つ。 日本企業は、こうした点は得意だ。改善と効率化。これが日本企業の真骨頂だ。そして、金にならない社会のためのイノベーションの代表格が、JR東日本が発行しているICカードの「Suica」である。 筆者に言わせれば、遅ればせながら、消費者の情報を「奪い取って」、消費者を利用して儲けることの可能性に気づいた。だが当初の目的は「キセル防止」「改札の混雑防止」などだった。社会に確実に役に立つ。みんながそれを求めていたからだ。儲けることはほとんど考えていなかった。情報を奪うこと、独占することなど思いもよらなかったはずだ。 配達をしてくれる人々、料理を作ってくれる人々、清掃員、介護者。別に高く売れるイチゴではなく、安全で普通においしい米、小麦を作ってくれる人々。今、社会では彼ら彼女らが不足している』、「改善と効率化。これが日本企業の真骨頂だ」、その通りだが、問題はイノベーションで新たなサービス・商品の価値を生み出すのが不得手な点だ。
・『日本が「持続目的経済」で「世界一」に  われわれは、必需品が作れなくなり、いらないぜいたく品が世の中に溢れ、人々は「麻薬」にお金を使っている。だから、新型コロナウイルスや戦争などなんらかの社会的なショックによって供給不足に陥り、必需品が目に見えて高騰してはじめて、ようやく「今まで必需品をつくることに手を抜いてきた社会」になっていたことに気づくのだ。 これからは、必需品を、資源制約、人材制約、環境制約の下で、効率的に作る。地道に質を改善していく。人々の地に足のついたニーズに基づいた改良を加えたものを作るために、改善に勤しむ。そういう、持続性のある、いや持続そのものが目的となる「持続目的経済」"eternal economy"の時代が始まりつつあるのである。その中では日本経済は、どこの経済よりも強みを発揮するだろう。 唯一の懸念は、この日本経済、日本社会の長所に気づかず、短所ばかりをあげつらい、他の国を真似て日本の長所を破壊しつつあることだ。それが、有識者がやっていることであり、エコノミストの政策提言であり、多くのビジネススクールで教えていることなのである。 もう一度、日本経済の長所を捉えなおし、それを活かす社会、経済、社会システムを構築することを目指す必要がある(ここで本編は終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「持続そのものが目的となる「持続目的経済」"eternal economy"の時代が始まりつつあるのである。その中では日本経済は、どこの経済よりも強みを発揮するだろう」、その通りなのかも知れない。面白い視点だ。
タグ:「その多くは、必需と思わせるために、中毒になりやすい、嗜好を刺激するものになっている。ゲームであり、スマホであり、SNSである。 そして要は広告で儲ける。テレビも、報道からすぐに役割はエンターテイメントに変わった。そして広告ビジネスとなった。それがインターネット、スマホにとって変わられただけだ。しかし、中毒性は強まっており、人間社会を思考停止に追い込み、退廃させる「麻薬度」においては、「新しい」イノベーションであるために、より強力になっている」、これに関しては、異論はなく、その通りだ。 「物価が上がりにくいことは、ある状況の下ではすばらしいことであり・・・今の2022年である」、「今の2022年」は決して「すばらしいこと」ではなく、経済の弱みになっていると思う。 代わりに長期金利が上昇するのは放置する必要がある。 (その28)(冨山和彦「日本経済を蝕む"昭和的グダグダ"が何度となく繰り返されてしまう根本原因」 政府が"ゾンビ企業"の延命にカネを配り続けている、ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか) PRESIDENT ONLINE 存続をあの手この手で支援すると、効果は相殺され、結果は現状維持となってしまうのだ。そして日本経済の付加価値創出力は停滞を続ける」、ある意味で真相を突いている。 元気になる記事を書いてくれるようで、興味深い。 「円安」「は、異常な規模と特異な手段で行っている異次元金融緩和を、普通の金融緩和にすれば、直ちに解消する。 「連続指値オペ」という、日銀が毎日10年物の国債金利を指定する利回り(上限0.25%程度)で原則無制限に買う政策は、金融市場を完全に殺すものであり、異常なので、直ちに取りやめる。 また、イールドカーブコントロールと呼ばれる「10年物の金利をゼロ程度に抑え込むことをターゲットとする」という、これまた歴史上ほとんど類を見ない政策をやめれば、異常な円安は直ちに解消する」、これを止めるべきというのは正論だが 日本だけ利上げに取り残され、円は暴落傾向だったのを、円売り介入で食い止めている状況で、「日本銀行は、世界で唯一、金融政策を現状維持して、のんびりできている」というのは言い過ぎだ。 日本の構造問題 平和主義を「現実歪曲わいきょく空間に閉じこもったまま」と批判するのは、安直だ。「高度成長期以降の「昭和元禄」天下泰平の時代がもたらした「昭和的グダグダ感」が続く限り、この国の潜在的危機が深まっていく」、観念的視点からの浮ついた批判で、読むに堪えない。 この後編も8月24日付けであるが、紹介は止めておく。 「「有事はない」という建前が崩壊し続けた失われた30年」、は安全保障の問題と災害の問題を混同しており、違和感がある。 「産業再生機構」で「ゾンビ企業の延命にはカネを使わなかった」と大言壮語しているが、ダイエーは丸紅をスポンサー企業として渡した後も、結局、上手くゆかず、イオンが引き取る形で最終的に処理した。「戦略的グダグダ」はついに実行されなかったようだ。 冨山 和彦氏による「冨山和彦「日本経済を蝕む"昭和的グダグダ"が何度となく繰り返されてしまう根本原因」 政府が"ゾンビ企業"の延命にカネを配り続けている」 成毛 眞氏 「イノベーションの時代の付加価値の源泉は、一人ひとりの人間がもつ発想力、創造力、行動力である。そんな個がチームとなって相乗力が生まれ、新しい企業、さらには産業となってスケールする」、「付加価値を生み出す力を失った古い産業構造のなか、古い組織のルール、古いお作法のなかでは、新しい付加価値を創造する個が輝くのは難しい・・・そこで古い産業構造が固定化して居座りを決め込めば、新しい付加価値が芽吹き大きく成長するスペースは、なかなか生まれない。 政府がお題目としてベンチャー支援を唱えても、他方で古い産業、古い企業の うと考えるのが人情だ」、その通りだ。 「名目が補助金だろうが、給付金だろうが、融資だろうが、キャッシュが回っている限り、どんなに大赤字になっても企業は潰れない。だから、企業倒産件数は史上最低水準で推移しているのだ。 しかし、無差別にカネを配った結果、企業のなかにはその使い道がなく、預金額ばかりがどんどん積み上がってしまっているところも多い。 「このままでは潰れるかもしれない」という危機感がなければ、何かを変えよう、新しいことをやってみようという機運も高まりにくい。むしろ政府がいくらでも金を出してくれるのだから、危機が収まるまではじっとしていよ 「突然襲ってくる危機的状況において、どこでピンチになっているかわからない困窮者の生活、人生を救うには、とりあえず規模の大小、競争力の強弱、生産性の高低に関係なく、すべての企業を支えるしかない。 すると企業の新陳代謝は妨げられ、しかもここで分不相応に大きな借金を抱えて生き延びた企業の多くが過剰債務企業、すなわちゾンビ企業になってしまう。そしてその後も政府の支援に頼るようになる。結果的に、産業構造の固定化がさらに進んでいくのである」、その通りだ。 小幡 績氏による「ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか」 東洋経済オンライン 「持続そのものが目的となる「持続目的経済」"eternal economy"の時代が始まりつつあるのである。その中では日本経済は、どこの経済よりも強みを発揮するだろう」、その通りなのかも知れない。面白い視点だ。 「改善と効率化。これが日本企業の真骨頂だ」、その通りだが、問題はイノベーションで新たなサービス・商品の価値を生み出すのが不得手な点だ。
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日本の構造問題(その27)(「絶滅する組織」と「生き残る組織」の違い 世界トップ2に選出された経営学者が徹底解説! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(前編、終身雇用とイエスマン人生 米著名経営学者が「日本企業のジレンマ」を徹底分析! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(後編)、岸田ブレーンが語る日本経済低迷の「真犯人」 村井英樹首相補佐官が語る「岸田政策」の裏側) [経済政治動向]

日本の構造問題については、5月27日に取上げた。今日は、(その27)(「絶滅する組織」と「生き残る組織」の違い 世界トップ2に選出された経営学者が徹底解説! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(前編、終身雇用とイエスマン人生 米著名経営学者が「日本企業のジレンマ」を徹底分析! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(後編)、岸田ブレーンが語る日本経済低迷の「真犯人」 村井英樹首相補佐官が語る「岸田政策」の裏側)である。

先ずは、5月17日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したニューヨーク在住ジャーナリストの肥田美佐子氏による「「絶滅する組織」と「生き残る組織」の違い、世界トップ2に選出された経営学者が徹底解説! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(前編)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/303242
・『ベストセラー『競争優位の終焉』の著者で、NYのコロンビア大学ビジネススクール教授であるリタ・マグレイス氏。「世界の経営思想家トップ50」の常連であり、2021年にはトップ2に選ばれた。競争優位とイノベーションの権威であるマグレイス教授は、『Seeing Around Corners: How to Spot Inflection Points in Business Before They Happen』(『曲がり角の先を見通す――ビジネスの変曲点を事前に見いだす』未邦訳、2019)の中で、企業の命運は「変曲点」を予見できるかどうかにかかっていると指摘。変曲点を見損なうと「破滅的結末」を迎える、と警告する同教授に話を聞いた(Qは聞き手の質問)、「ビジネスの変曲点を事前に見いだす」とは興味深そうだ。
・『「曲がり角の先」を見通せるリーダーだけが現代の市場で成功を手にできる  Q:教授のベストセラー『競争優位の終焉――市場の変化に合わせて、戦略を動かし続ける』(日本経済新聞出版)の原書が出版されてから約9年。テック企業による既存の業界の「破壊」やパンデミックによって、企業を取り巻く環境は過酷さを増しています。 2019年9月に上梓した『Seeing Around Corners』(『曲がり角の先を見通す』/未邦訳。企業におけるイノベーション研究における第一人者、故・クリステンセン教授が序章を担当した)では、「変曲点」が訪れる前にそれを予見し、その破壊的影響力を生かして自社の戦略的優位を築くことの重要性を、あなたは説いていますね。 (マグレイス氏の略歴はリンク先参照) この変曲点を見いだせるかどうかで、米アマゾン・ドット・コムや米ネットフリックスのように、既存の業界を「破壊」する企業になれるかどうかが決まる、と。変曲点を見いだせなければ、2010年に経営破綻した米ビデオレンタル大手・ブロックバスターのように「破滅的結末」を迎えることになると、あなたは警告しています。「曲がり角の先」を見通せるリーダーだけが、現代の市場で成功を手にできる、と。 ずばり、絶滅しそうな企業の特徴とは何でしょうか? リタ・マグレイス(以下、マグレイス) まず、「変曲点」とは、それまで当然だと思っていた状況が変化し、10倍の影響力を生み出すような大変革が起こる転換点のことです。長期的視野に立った投資に二の足を踏み、短期的視野でしか物事を見ていない企業は、変曲点に気づくことができません。 短期的視野が引き起こす弊害は2つ。まず、市場に出せるようなイノベーションを起こせないこと。次に、短期的視野に立った、間違っている前提に基づく投資決定を招くことです。苦境に陥っている企業は、代案を検討する時間を惜しむものです。 その典型的な例が、米ゼネラル・エレクトリック(GE)です。同社はかつて世界で最も称賛される企業でしたが、四半期ごとの決算を超えた視点に欠けていました。 GEは2015年11月、フランスの重電大手・アルストムのエネルギー事業を買収しました。向こう20年間は、再生エネルギーがコスト競争力のあるエネルギー源にはならないという見通しを立て、化石燃料がエネルギー源として持ちこたえられるという、誤った前提に賭けたのです。世界中の発電所にサービスを提供するというアイデアに基づく、大規模な買収でした。 ところが、GEの見立ては外れ、再生エネルギーの価格は下がり、気候変動対策が一大問題になりました。これは、企業が、到来する「変曲点」を見損なった代表例です。 次に、メディア企業を例に取りましょう』、「変曲点を見いだせるかどうかで、米アマゾン・ドット・コムや米ネットフリックスのように、既存の業界を「破壊」する企業になれるかどうかが決まる、と。変曲点を見いだせなければ、2010年に経営破綻した米ビデオレンタル大手・ブロックバスターのように「破滅的結末」を迎えることになると、あなたは警告」、「GEは2015年11月、フランスの重電大手・アルストムのエネルギー事業を買収」、「向こう20年間は、再生エネルギーがコスト競争力のあるエネルギー源にはならないという見通しを立て、化石燃料がエネルギー源として持ちこたえられるという、誤った前提に賭けた」、「「変曲点」を見損なった代表例」、なるほど。
・『既存の業界を「破壊する企業」と「破壊される企業」の3つの違い  私がコロンビア大学ビジネススクールで教え始めたのは1993年ですが、当時、ビデオメッセージを1億人に届けようと思ったら、大変な労力が必要でした。何人ものスタッフがアナログカメラで撮影し、テープを世界中に郵送しなければなりませんでした。まだデジタル化のはしりで、高速ブロードバンドのインターネット回線などなかったからです。 でも今や、ティーンエージャーが持っている安価な携帯電話にもメッセージを届けられる時代です。メディア企業にとって、ネットに接続できる誰もがライバルと化したのです。 30~40年前、大手テレビ局は1つの番組で60万~70万人の視聴者を魅了したものですが、状況は激変しました。コンテンツの数が増える一方で、視聴者層は、はるかに小規模化しています。人気のある番組でも、もはや60万人の視聴者を獲得することなどできません。 メディア事業全体の「経済学」が一変したのです。 Q:既存の業界を「破壊する企業」と「破壊される企業」の違いは何でしょうか? マグレイス 3つの大きな違いがあります。最大の違いは、「マインドセット」(発想・考え方)です。 2つ目は、リーダー層が、未知の実験に挑む度胸を持っていないことです。 現況はうまくいっていても、挑戦を怠るような「怠け者にはなるまい」という気概が大切です。新しいことを試し続けなければ、と駆り立てられるような「健全なパラノイア」精神とでも言ったらいいでしょうか。 リーダー層のあり方は極めて重要です。成功している企業では、リーダー層が、自分自身の利益と自社の利益のバランスをうまく取っています。でも、多くの企業のリーダー層は、そうではありません。自分たちの利益に固執する一方で、自社がうまくいっているか? 健全か? ということには無頓着です。 3つ目の大きな違いは、自社が属しているエコシステムとの関係をどのようにかじ取りするか? ということです。 多くの企業は、エコシステムとの関係など頭になく、自社のことだけを考えて計画を立てます。エコシステムが付加価値を与えてくれるとは考えないのです。 Q:企業を取り巻く環境が変化にさらされる中、経営陣は、手遅れになるまで問題の存在を認めないことが多いそうですね。経営陣が問題を頑(がん)として認めず、過去の競争優位にしがみつき、最悪の場合、自社を破滅的な結末に至らせるのはなぜでしょう? マグレイス 経営陣が変化の到来を認めたがらない理由はたくさんありますが、第1の理由は、「人間の特性」からくるものです。システムの刷新には「変革」という難題が伴い、新しいスキルや能力が必要になるからです。 2つ目の理由は、多くのリーダーが長期的視野で経営に臨んでいないことです。米国では、最高経営責任者(CEO)の在任年数は5年以下であることが多いため、在任期間以降も続くような変革には挑もうという気にならないのです。 本物の変革は長い年月を要します。5年で交代することが多いCEO には、10年かかるような変革への意欲など湧きません』、「メディア企業にとって、ネットに接続できる誰もがライバルと化したのです。 30~40年前、大手テレビ局は1つの番組で60万~70万人の視聴者を魅了したものですが、状況は激変しました。コンテンツの数が増える一方で、視聴者層は、はるかに小規模化しています。人気のある番組でも、もはや60万人の視聴者を獲得することなどできません」、「米国では、最高経営責任者(CEO)の在任年数は5年以下であることが多いため、在任期間以降も続くような変革には挑もうという気にならないのです。 本物の変革は長い年月を要します。5年で交代することが多いCEO には、10年かかるような変革への意欲など湧きません」、なるほど。
・『企業に求められるのは、許可不要の組織づくりと「ジグザグのキャリア」を持つリーダー  Q:『競争優位の終焉』や、「ハーバード・ビジネス・レビュー」2012年1~2月号に寄稿した「10年連続で好業績を続ける秘訣」(邦訳版はダイヤモンド社2013年1月号)で、あなたは、世界の企業4793社を対象にした研究を紹介しています。 2000~2009年にかけて、10年連続で純利益が年率5%以上増加するという異例の高成長を遂げた「アウトライヤー(外れ値)企業」は10社とのこと。日本企業では、ヤフー株式会社(当時)が入っていました。アウトライヤー企業の特徴として、リーダーシップと企業の価値観が安定していること、そして、たゆまぬイノベーションを挙げていますね。 マグレイス カギは、安定と、未来を見据えたイノベーションの組み合わせです。 絶えず何かを見直すことに、労力を費やす必要はありませんが、イノベーションの追求にどれだけ予算を組むかというダイナミックさも求められます。このバランスの取り方が難題なのです。 秘訣は、「過剰な変革を避けつつも、環境の変化に対応する」ことです。 リーダーは、従業員がイノベーションを目指して行動できるよう、(過剰な変化を抑えて)不確実性を和らげつつ、同時に、さらなる探求を奨励することが必要です。この2つのうち、いずれかを選べばいいという話ではないところがジレンマなのです。 不確実性のレベルが高まるにつれ、従業員が不確実性に立ち向かう後押しをし、「ある程度の確実性」を確保しなければなりません。 Q:不確実性が増す中、成功する企業に求められるものも変わりましたか? マグレイス この目まぐるしく変わるダイナミックな環境の下でうまくやっている企業のリーダーは、彼ら自身も往々にして、異なる環境下での経験が豊富です。 例えば、業務運営でキャリアをスタートさせ、マーケティングの分野に移り、またほかの分野に移行するといった具合です。機能的な理解の深さよりも、「ジグザグのキャリア」で体得した能力やスキルのほうが目立っています。 2つ目のポイントは、言わずもがな、デジタル全般に関する知識です。デジタル化により、人々の協働の仕方がどれだけ変わったかを理解していなければなりません。 3つ目のポイントが、迅速な意思決定を可能にする、「許可不要」の組織づくりです。組織構造自体が「競争優位」の源泉になり得るからです。 組織が多層構造から成り、上司から逐一、承認を得なければならないと、意思決定に時間がかかり、何か起こったとき、素早く対応できません。「許可不要の組織」を目指し、報告体制を刷新できれば、迅速な意思決定が可能です。 しかし、そのためには、戦略や目標を百パーセント明確にしておかねばなりません。上司の許可が要らない組織をつくるには、多くの条件を整え、その基盤を構築する必要があります。 例えば、アマゾンでは、意思決定の種類により、プロセスが異なります。 その決定が、重要な結果と高コストを招くものを「タイプ1の決定」とし、検討を重ねます。撤回できないため、時間をかけての、慎重な意思決定モデルです。 一方、「タイプ2の決定」は撤回が可能です。失敗しても、経営破綻に陥るような深刻な結果を招かないため、タイプ1のように時間をかけません。 ひるがえって多くの企業は、あらゆる意思決定を「タイプ1」として扱いがちです。5万ドルの実験の是非を問うプロセスも、6000万ドルの資本投資を決めるプロセスも同じなのです。 Q:米動画配信最大手ネットフリックスでも、上司の承認が要らないそうですね。 マグレイス そのとおりです。まず、有能な人材を雇い、同社が言うところの「能力密度を高める」企業文化を築き、何をなすべきかという指針を明確にし、裁量を与えるのがネットフリックスのやり方です。そうすれば、従業員が自ら状況の変化に適応してくれます。いわゆる「自由と責任」(F&R)文化です。 いちいち上司の承認を得る必要がない企業では、従業員が状況の変化に応じ、自ら戦略などを変えたりすることで、異なるチャンスが生まれます。そのため、多くの難題に直面しても、うまく乗り切れます。難局への対処法を熟知しているからです。 Q:アウトライヤー企業は、製薬からビール、建設、銀行まで、幅広い業界に及んでいます。 マグレイス 『競争優位の終焉』出版以降、競争が激しい分野について研究を重ねたところ、業界の垣根を超越した競争が繰り広げられていることが明らかになりました。アマゾンが好例です。 小売り企業でありながら、(米高級食品スーパーのホールフーズ・マーケット買収で)食品業界に進出し、(AWSなど)企業向けのサービスも展開し、ヘルスケア業界にまで事業を拡大しています。 つまり、今や企業を産業別にくくることなどできないのです。従来の企業戦略や、企業パフォーマンスの主要な決定要因としての「産業」という概念など、もはや通用しないのです。(後編へ続く)』、「まず、有能な人材を雇い、同社が言うところの「能力密度を高める」企業文化を築き、何をなすべきかという指針を明確にし、裁量を与えるのがネットフリックスのやり方です。そうすれば、従業員が自ら状況の変化に適応してくれます。いわゆる「自由と責任」(F&R)文化です。 いちいち上司の承認を得る必要がない企業では、従業員が状況の変化に応じ、自ら戦略などを変えたりすることで、異なるチャンスが生まれます。そのため、多くの難題に直面しても、うまく乗り切れます」、「「自由と責任」(F&R)文化」が出来上がれば、あとは楽だが、出来上がるまでには相当の困難もあるのだろう。

次に、6月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したニューヨーク在住ジャーナリストの肥田美佐子氏による「終身雇用とイエスマン人生、米著名経営学者が「日本企業のジレンマ」を徹底分析! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(後編)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/304675
・『ベストセラー『競争優位の終焉』の著者で、NYのコロンビア大学ビジネススクール教授であるリタ・マグレイス氏。「世界の経営思想家トップ50」の常連であり、2021年にはトップ2に選ばれた。競争優位とイノベーションの権威である同教授は、日本企業をどう見ているのか? 日本企業がポストコロナ時代を乗り切るには? パーパスやESG、従業員のウェルビーイングに無頓着な企業の末路は? リスクをチャンスに変える企業の特徴は? 落ち着いた口調と冷静な分析が印象的な経営学者、マグレイス氏が日本企業のリスクと強みを語る』、興味深そうだ。 
・『ダイバーシティが欠如する企業は現地市場の顧客のニーズを理解しにくい  Q:(前編から)大きな変化が到来する「変曲点」を事前に見いだせるかどうかで企業の命運が決まる、ということですが、教授の目から見て、存続が危ぶまれる日本企業はありますか? リタ・マグレイス(以下、マグレイス) 日本の金融システムに照らしてみると、企業は、自社の意思決定が引き起こす最悪の結果から守られることが多いように見えます。 とはいえ、日本企業は大きな問題を抱えています。それは、スピードが非常に重要な時代にあって、(意思決定などの)動きが遅いことです。 また、意思決定グループにダイバーシティ(多様性)がない点も、最も大きな問題の1つです。日本企業では、依然として、女性や日本文化に属していないアウトサイダーが発言権を持つのは至難の業でしょう? 意思決定者が日本人男性ばかりでは、例えば中南米やアフリカで製品を売ろうと思っても、まったくお門違いの品ぞろえになってしまいます。ダイバーシティの欠如により、多くの日本企業は、海外市場において現地の顧客のニーズを理解しにくいという、多大なリスクを抱えています。 一方、日本企業には強みもあります』、「日本企業では」、「意思決定グループにダイバーシティ(多様性)がない点も、最も大きな問題の1つです」、「多くの日本企業は、海外市場において現地の顧客のニーズを理解しにくいという、多大なリスクを抱えています」、なるほど。
・『日本が誇る「クオリティ」は他国に追い付かれつつある  意思決定に時間がかかる分、計画が熟考され周到に練られているため、いざ実行の段階になると、素晴らしい手腕を発揮します。日本企業にはもう希望がない、などとは決して思いません。 Q:『フォーブスジャパン』2015年5月号でインタビューした際、教授は日本企業について、コンセンサスの形成や質の高い製品・サービス、仕事の正確さといった、大きな長所があると称賛しました。一方で、そうした強みは遂行に時間を要するものばかりだと指摘しています。変化の速度が加速する中、それこそが「日本企業のジレンマ」だと。 また、日本企業には「イノベーション」への障壁が多すぎると分析。ベテランの男性社員が恩恵を受ける終身雇用制度や、厳格なヒエラルキーは、女性の進出にとってマイナスだ、という指摘もしています。現在も、日本企業に関する教授の分析は変わりませんか? マグレイス そうした日本企業の構造は、ちょっとやそっとでは変わらないと思います。変わるとしても、ごくゆっくりとしたペースでしょう。 一方、日本市場は依然として大規模であり、国内市場ではうまくやっています。その点で、日本企業にもまだ優位性があるのは間違いありません。ただ、日本は、かつて世界の企業を圧倒していた「クオリティー」の点で、他国に追い付かれつつあります。 その意味で、日本企業は、次に競争優位を築ける領域を探さなければなりません。 Q:イノベーションには、平均して数年~7年を要するといわれています。従業員の勤続年数が短い米国企業と違い、長期勤続が前提の日本企業は、従業員が腰を落ち着けてイノベーションに取り組めるという点で有利でしょうか? マグレイス そう思います。終身雇用制度は、柔軟性の欠如や従業員がリスクを取ろうとしないことなど、多くの問題がある一方で、長い年月をかけて知識や能力を高めることができるという良い面もあります。会社から会社へと転職していては、そうしたことは困難です。 ただ、終身雇用制度には、同制度特有のヒエラルキーに従わなければならないという、イノベーションの阻害要因があります。そのため、変化を起こしにくいのです。 Q:大企業の終身雇用制度には、イノベーションにとってマイナスな、硬直性や惰性・怠惰を招くリスクもあります。 マグレイス 別に意地悪な見方をしているわけではありませんが、終身雇用制度の下では、チーム内のメンバーに失礼な言い方をしたり、本当の意味で信頼に足る行動を取ったりといったことを避けがちです。そうした行動を取らないことで、初めてチームの一員として歓迎される、という恩恵を得られるからです。 社内で悪いニュースを察知しても見て見ぬふりをする傾向があり、嘘をついているとまでは言いませんが、真実を言わないことに対し、おとがめも受けません。「社内の人間関係と調和」が重視されるからです。 ずっと同じ会社でやっていかなければならないため、ことのほかこうした社内政治への気配りが、(出世などの点で)大きな利点につながってしまうんですね。 同じ会社で何十年も勤め上げるということには、悲しいかな、そうした側面があります。従業員は、会社という「社会」に適応することにひたすら心を砕くのです。1社で生涯やっていくには、気難しい人だと思われたり、何かと反論してくる人だと思われたり、不愉快な人だと煙たがられたりしたら、まずいからです。 その結果、何が起こるのか? 自分のキャリアに枠がはめられ、できることが限られ、誠実な言動も、お互いに異を唱え合うこともままならず、常に「イエス」を繰り返すばかりの仕事人生になりがちです。危険人物だと見なされないように、です』、「社内で悪いニュースを察知しても見て見ぬふりをする傾向があり、嘘をついているとまでは言いませんが、真実を言わないことに対し、おとがめも受けません。「社内の人間関係と調和」が重視されるからです。 ずっと同じ会社でやっていかなければならないため、ことのほかこうした社内政治への気配りが、(出世などの点で)大きな利点につながってしまうんですね。 同じ会社で何十年も勤め上げるということには、悲しいかな、そうした側面があります」、こうしたマイナス面があることも確かだ。
・『EVによる「アーキテクチャの変更」で日系グローバル企業の優位性が危ぶまれる恐れ  Q:現在も世界の市場で大きな成功を収めている唯一の主要日系グローバル企業、トヨタ自動車でさえ、「電気自動車(EV)時代を生き残れるのか? 」という声も聞かれます。 マグレイス トヨタが膨大なリソースと極めて有能な人材を抱えていることを考えると、大丈夫だとは思いますが、今後、テクノロジーで後れを取れば、どのような事態も起こり得ます。 というのも、EVは「アーキテクチャの変更」と言われる抜本的な構造変化をもたらしたからです。 例えば、ガソリン車などに比べ、メンテナンスが楽になりました。その結果、トヨタが長年誇ってきた自動車のクオリティーという大きな優位性が損なわれる可能性があります。 これまでは、車のクオリティが低いと、予想外の修理やメンテナンスにお金がかかりましたが、EVは部品の数自体が少ないため、従来の車ほどメンテナンスにコストがかかりません。ひとたびEVが自動車市場で主役を占めるようになったら、内燃エンジン車が主流だった時代に比べ、市場全体で修理の必要性が大幅に減るとみられています。 つまり、「うちの車を買えば、修理は不要ですよ」という、トヨタの売りや優位性がなくなる恐れがあります。それを避けるためには、テクノロジーへの投資が必須です。トヨタのことですから、すでに注力していると思いますが。 Q:日本企業がポストコロナ時代を乗り切るには、どうすればいいでしょうか? マグレイス もっとも重要なことは、企業のリーダーがどのようなアジェンダ(課題/計画)を持っているかです。 イノベーションや自社の成長、変革をアジェンダのトップに掲げることなく、「何でも自分で解決しなければ」というマインドセット(考え方)で日常の短期的な業務に忙殺されているようでは、リーダーとして有用な仕事をしているとは言えません。 重要なアジェンダに十分な時間を割くことができず、「未来」のために必要な投資を怠ることになるからです。 Q:リスクをチャンスに変える企業の特徴は? マグレイス 積極的に小さなリスクを取ろうとすることです。「答えは見えないが、小さな実験を重ね、そこから価値を見いだし、それをフルに生かそう」とする姿勢が大切です。小さなリスクを取って、そこから何かを学ぼうとする企業が成功を手にできます。 実験が失敗に終わり、思うような結果が得られなくても、その失敗が会社にとって許容範囲内で済むような、小さな実験を重ねることです。 成功している企業は最初から大きなリスクを取っていると考えがちですが、実際は違います。小さなリスクを数多く取って、実験やイノベーションを重ねることで成功をつかんだあと、大きなリスクを取ろうという決断に至るのです。 Q:小さなリスクを取って成功した企業の具体例を教えてください。 マグレイス 例えば、ブラインド販売専門の米EC(電子商取引)企業、Blinds.comが好例です(注:1996年創業のブラインズ・ドット・コムはテキサス州ヒューストンが本社で、もともとはカスタムメイドのブラインドを販売するスタートアップ系通販企業だったが、世界最大のブラインドEC企業に成長。米ホームセンター最大手のホーム・デポへ売却した)。 創業者で最高経営責任者(CEO)だったジェイ・スタインフェルド氏が折に触れて話していますが、彼はむしろリスク回避型で、小さな実験をたくさん行ったそうです。 「大きなリスクを取るタイプではない。大きな意思決定を迫られるような段階に至るまでには、数多くの小さなリスクを取るという経験を積んでいた」と。 スタインフェルド氏の新刊『Lead from the Core: The 4 Principles for Profit and Prosperity』(『基本理念にのっとって会社を率いる――利益と繁栄の4原則』未邦訳)にもあるように、彼はクレイジーで大きなリスクは取らず、用意周到に準備し、小さなリスクをいくつも取ったそうです』、「EVによる「アーキテクチャの変更」で日系グローバル企業の優位性が危ぶまれる恐れ」、由々しいことだ。「小さなリスクを数多く取って、実験やイノベーションを重ねることで成功をつかんだあと、大きなリスクを取ろうという決断に至るのです」、堅実なやり方だ。
・『利益一辺倒の組織はもはや生き残れない  Q:脱炭素戦略や気候変動への取り組みなど、企業のパーパス(存在意義)が重視されるようになりました。消費者を含めたステークホルダー(利害関係者)が企業にパーパスを求める中、利益一辺倒の組織は、もはや生き残れない時代になるのでしょうか? マグレイス そう思います。例えば、インスリン製剤を扱う米製薬会社は、企業の強欲が常軌を逸してしまった典型的な例です。(医療保険に入っていても)薬価の自己負担額が高すぎ、インスリンを買えず、(糖尿病患者などが)命を落とすケースも出ています。 その一方で、製薬会社は自社株を買い戻して株価を上げ、株主に大きな便益を図っています。もはや、非倫理的なボーダーラインを越えてしまっているのです。そうした企業は今後、人材の獲得やフランチャイズ事業の維持などに苦労することになるでしょう。 Q:パンデミックで社会や人々の価値観が急速に変わる中、最優良企業でさえ、パーパスや企業倫理、ESG(環境・社会・ガバナンス)、従業員のウェルビーイング(幸福/心身の健康)などに無頓着だと、今後は衰退の一途をたどることになるのでしょうか? マグレイス そうですね。企業は、社会に対して筋の通った行いをすることを前提に、事業を許可されているのですから、その基準にかなわない企業は衰退を余儀なくされます。   例えば、米国の電子たばこ会社は未成年の若年層をターゲットに大いにもうけるつもりでしたが、米政府が規制し、基本的に高収益を上げる道が閉ざされてしまいました。(社会問題化している)麻薬性鎮痛剤オピオイドの蔓延(まんえん)を引き起こした米製薬会社も同じです。 これらは、社会に有害な企業の行動を示す極端な例ですが、人々が耐えられないようなコストを課すような企業は、衰退の一途をたどるしかありません』、「企業は、社会に対して筋の通った行いをすることを前提に、事業を許可されているのですから、その基準にかなわない企業は衰退を余儀なくされます」、その通りだ。

第三に、6月25日付け東洋経済オンライン「岸田ブレーンが語る日本経済低迷の「真犯人」 村井英樹首相補佐官が語る「岸田政策」の裏側」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/599204
・『6月22日、参院選が公示され、7月10日の投開票日に向けた選挙戦が始まった。 岸田文雄政権が発足してから約8カ月が経過した。岸田首相の経済ブレーンとして知られ、国内経済その他特命事項担当の首相補佐官を務めてきたのが村井英樹議員だ。 官邸での経験から、日本の課題の根幹がどこにあると見定めたのか。出身元である財務省など霞が関への注文を含め、今後の政権運営を占ううえで重要となる考え方について聞いた(Qは聞き手の質問、Aは村井氏の回答)』、「首相補佐官を務めてきたのが村井英樹議員」、初めて知った。
・『最大の課題は「将来不安の軽減」  Q:物価上昇への批判などから足元では若干低下傾向にありますが、各種世論調査における内閣支持率は50〜60%程度と比較的高い水準を維持しています。7月10日の参院選後は、しばらく国政選挙の予定がなく、政治的に安定した「黄金の3年」になるとも言われています。 A:メディアの方は「黄金の3年」とおっしゃるが、そういう感覚はあまり持っていない。まずは、参院選をしっかりと戦うことが大前提だ。 政権運営の一端を担っている側からすれば、安全保障やコロナ対策、経済や社会保障の問題などの課題に、とにかく日々懸命に対応しているというのが正直なところだ。私は官邸の末席に名を連ねているが、それでも政権発足後の8カ月は、人生の中で最も長く感じた8カ月だった。 過去の政権を振り返っても、政権や政局が落ち着いている時期というものは本当にあったのかというのが、偽らざる実感だ。「永田町は、一寸先は闇」。参院選投開票日までのわずかの間も含めて、気を引き締めていかなければならないと日々感じている。 (村井氏の略歴はリンク先参照) Q:首相補佐官として、広く経済政策を担当してきました。日本経済の最大の課題はどこにあるのでしょうか。 A:一言でいうと、将来不安だ。日本においては、企業収益が増加しているにもかかわらず、その果実が成長分野への投資や賃金引き上げに十分に回らず、また、家計においても消費が低迷してきた。その根本には将来不安がある。 企業が将来の市場の不透明感から投資や賃上げを躊躇し、個人は将来不安から消費を控えてしまう。それが日本経済の長期低迷の原因だと思う。 Q:マインドを変えるのはなかなか難しい。どんな手を打ちますか。 A:将来の市場の不透明感に対しては、岸田首相もたびたび言及しているが、官か民かではなく、官が呼び水となって、民間の投資や消費を促すことが重要だ。例えば、グリーン分野では、10年間で150兆円の投資を実現するべく、政府が20兆円規模の大胆な政策支援を行うことを決めた。 また、賃上げについても、賃上げ税制の抜本的拡充や看護・保育士など公的に決まる賃金を引き上げることで、賃上げを促す環境を作ってきた。実際、今年の春闘の賃上げ率は現時点で2.09%と、ここ数年の低迷が一気に反転上昇した』、「将来の市場の不透明感に対しては、岸田首相もたびたび言及しているが、官か民かではなく、官が呼び水となって、民間の投資や消費を促すことが重要だ。例えば、グリーン分野では、10年間で150兆円の投資を実現するべく、政府が20兆円規模の大胆な政策支援を行うことを決めた」、なるほど。
・『年金を「見える化」し、不安を解消  Q:個人の将来不安を軽減するためには、どのような施策を考えていますか。 A:難しい課題だが、私はまずは「年金の見える化」が大切だと考えている。老後の生活の柱は公的年金だ。公的年金については、「どうせ将来もらえない」という方も依然として多いが、将来の年金受給の予定額をお知らせすると、実は多くの方、特に厚生年金加入の方からは「思ったより多いね」という反応がある。 将来不安解消に向けて、まずは公的年金について、できるだけ正しく認識していただくことが大切だと思う。 Q:3年前には「老後に2000万円が不足する」という金融庁の審議会報告書(その後、事実上撤回)が炎上しました。確かに乱暴な試算でミスリーディングなものでしたが、いずれにしても個人の老後不安は蔓延しています。 A:この問題の背景には、多くの方にとって、自分自身が将来どれくらい公的年金を受給できるかわからないということがあった。老後の生活の柱である公的年金が具体的にいくら受給できるかわからない中で、政府から「年金の制度は安心です、100年安心です」と言われても、将来不安が解消されないのは無理もない。 そのため、2022年4月に「公的年金シミュレーター」を公開した。これを使っていただければ、皆さんの将来の公的年金額が簡便にわかる。是非活用してほしい。) 加えて、岸田政権は今春、資産所得倍増を打ち出した。 所得には、大きく労働所得と資産所得がある。先ほど申し上げたとおり、労働所得を押し上げていくことはもちろんだが、資産所得も併せて増やすことが必要だ。 わが国個人の金融資産は約2000兆円と言われているが、その半分以上が預現金で保有されている。この結果、過去20年間でアメリカの家計金融資産が3倍、イギリスでは2.3倍になったのに対し、日本は1.4倍にとどまっている』、「「公的年金シミュレーター」を公開した。これを使っていただければ、皆さんの将来の公的年金額が簡便にわかる。是非活用してほしい」、「シミュレーター」を一度試してみたい。
・『国民運動で資産所得を倍増  Q:その差は、この間の経済成長力の差の結果と言ってしまえばそれまでですが、あえて資産所得倍増を打ち出した背景には「老後不安」の軽減という狙いもある? A:まずは、公的年金シミュレーターを多くの方に活用していただき、それをきっかけに老後の生活設計・資産形成に一歩足を踏み出していただきたい。 また、年末には、NISA(少額投資非課税制度)の拡充などを含めた「資産所得倍増プラン」を策定することとなっている。こうした施策を積み重ね、民間も巻き込んだ国民運動を展開することで、資産所得の倍増につなげていきたい。 Q:日本の企業や組織における課題も強調されていますね。 A:二極化が進んできているように思う。柔軟な組織構造を取り入れて、社員のやる気と挑戦を引き出しどんどん伸びる企業と、硬直的な組織文化を維持して、閉塞感にあえぐ組織だ。日本経済社会にとっては、前者のような企業を応援するとともに、後者のような組織に変革を促すことが重要だと思う。 私は、さいたま市で3人の息子を育てているが、子育て仲間のパパ友との話が非常におもしろい。伸びているベンチャー企業に勤めているようなお父さんは、なぜか時間に余裕があり、子育てにも積極的に参加していることが多い。 他方、役所や古式ゆかしい企業にお務めのお父さんは、なぜか帰りが遅く、子育ては「週末だけ」といったケースが多い。 Q:よくありがちな話ですが、企業の子育て支援とイノベーションの関係など、今後の政策を考えると興味深い話ですね。 A:よくよく聞いてみると、前者の企業は、時短・テレワークなど多様な働き方を積極的に認める、年齢・役職に関係なくおもしろいアイデアを採用するといったようなことをしており、働く側の満足度も総じて高い。 他方で、後者の企業は、年功序列を維持するなど、硬直的な組織になっていることが多いようだ。 民間に活性化を促す国の省庁自体が変わっているのか? Q:村井さんは、財務省出身ですが、やはり後者の組織になりますか。 A:残念ながら、後者の代表選手だと思います(笑)。昭和60年入省の財務省事務次官(事務方トップ)が退官するので、その次は昭和61年入省の人が財務事務次官といった、厳格な年功序列人事を、若手に至るまで、毎年やり続けている。 こうしたことをやる組織は、不思議と働き方も社員目線になっていない。実は最近、財務省時代の後輩から、民間企業で働くと連絡があった。非常に優秀な方だが、財務省的な働き方に疑問を感じたのも偽らざるところのようだ。 Q:霞が関は、全体として組織が硬直的ですね。 A:おっしゃるとおりだ。ただ実は、霞が関の中でも、働き方改革の進捗度・組織の硬直度は違いがあるように感じる。こうした組織改革は簡単ではないし、変に政治が出しゃばるとマイナスも大きいが、変革に向けた刺激を与え続けていきたいと思う。また、国会改革などを実行に移し、永田町が霞が関の働き方改革の足を引っ張っている部分を解消していかなければならない。 Q:冒頭で「黄金の3年」は否定されましたが、いずれにしろ課題は山積ですね。 A:何といっても、岸田政権を安定政権として、内憂外患ともいえるさまざまな課題に1つひとつ結果を出していくことだ。21世紀になって、森喜朗政権から、菅政権まで10の政権があったが、1年以上安定して政権運営できたのは、小泉純一郎政権と第2次安倍晋三政権の2つだけだ。それくらい、安定政権として腰を据えて政策課題に臨むことは簡単ではない。岸田首相を中心に、できるだけ多くの成果を上げていきたい』、「変革に向けた刺激を与え続けていきたいと思う。また、国会改革などを実行に移し、永田町が霞が関の働き方改革の足を引っ張っている部分を解消していかなければならない」、「霞が関の働き方改革」に向けた活躍を期待したい。
タグ:日本の構造問題 (その27)(「絶滅する組織」と「生き残る組織」の違い 世界トップ2に選出された経営学者が徹底解説! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(前編、終身雇用とイエスマン人生 米著名経営学者が「日本企業のジレンマ」を徹底分析! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(後編)、岸田ブレーンが語る日本経済低迷の「真犯人」 村井英樹首相補佐官が語る「岸田政策」の裏側) ダイヤモンド・オンライン 肥田美佐子氏による「「絶滅する組織」と「生き残る組織」の違い、世界トップ2に選出された経営学者が徹底解説! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(前編)」 「ビジネスの変曲点を事前に見いだす」とは興味深そうだ。 「変曲点を見いだせるかどうかで、米アマゾン・ドット・コムや米ネットフリックスのように、既存の業界を「破壊」する企業になれるかどうかが決まる、と。変曲点を見いだせなければ、2010年に経営破綻した米ビデオレンタル大手・ブロックバスターのように「破滅的結末」を迎えることになると、あなたは警告」、「GEは2015年11月、フランスの重電大手・アルストムのエネルギー事業を買収」、「向こう20年間は、再生エネルギーがコスト競争力のあるエネルギー源にはならないという見通しを立て、化石燃料がエネルギー源として持ちこたえ 「メディア企業にとって、ネットに接続できる誰もがライバルと化したのです。 30~40年前、大手テレビ局は1つの番組で60万~70万人の視聴者を魅了したものですが、状況は激変しました。コンテンツの数が増える一方で、視聴者層は、はるかに小規模化しています。人気のある番組でも、もはや60万人の視聴者を獲得することなどできません」、「米国では、最高経営責任者(CEO)の在任年数は5年以下であることが多いため、在任期間以降も続くような変革には挑もうという気にならないのです。 本物の変革は長い年月を要します。5年で交 「まず、有能な人材を雇い、同社が言うところの「能力密度を高める」企業文化を築き、何をなすべきかという指針を明確にし、裁量を与えるのがネットフリックスのやり方です。そうすれば、従業員が自ら状況の変化に適応してくれます。いわゆる「自由と責任」(F&R)文化です。 いちいち上司の承認を得る必要がない企業では、従業員が状況の変化に応じ、自ら戦略などを変えたりすることで、異なるチャンスが生まれます。そのため、多くの難題に直面しても、うまく乗り切れます」、「「自由と責任」(F&R)文化」が出来上がれば、あとは楽だが、 肥田美佐子氏による「終身雇用とイエスマン人生、米著名経営学者が「日本企業のジレンマ」を徹底分析! リタ・マグレイス教授(コロンビア大学ビジネススクール)インタビュー(後編)」 『競争優位の終焉』 「日本企業では」、「意思決定グループにダイバーシティ(多様性)がない点も、最も大きな問題の1つです」、「多くの日本企業は、海外市場において現地の顧客のニーズを理解しにくいという、多大なリスクを抱えています」、なるほど。 「社内で悪いニュースを察知しても見て見ぬふりをする傾向があり、嘘をついているとまでは言いませんが、真実を言わないことに対し、おとがめも受けません。「社内の人間関係と調和」が重視されるからです。 ずっと同じ会社でやっていかなければならないため、ことのほかこうした社内政治への気配りが、(出世などの点で)大きな利点につながってしまうんですね。 同じ会社で何十年も勤め上げるということには、悲しいかな、そうした側面があります」、こうしたマイナス面があることも確かだ。 「EVによる「アーキテクチャの変更」で日系グローバル企業の優位性が危ぶまれる恐れ」、由々しいことだ。「小さなリスクを数多く取って、実験やイノベーションを重ねることで成功をつかんだあと、大きなリスクを取ろうという決断に至るのです」、堅実なやり方だ。 「企業は、社会に対して筋の通った行いをすることを前提に、事業を許可されているのですから、その基準にかなわない企業は衰退を余儀なくされます」、その通りだ。 東洋経済オンライン「岸田ブレーンが語る日本経済低迷の「真犯人」 村井英樹首相補佐官が語る「岸田政策」の裏側」 「首相補佐官を務めてきたのが村井英樹議員」、初めて知った。 「将来の市場の不透明感に対しては、岸田首相もたびたび言及しているが、官か民かではなく、官が呼び水となって、民間の投資や消費を促すことが重要だ。例えば、グリーン分野では、10年間で150兆円の投資を実現するべく、政府が20兆円規模の大胆な政策支援を行うことを決めた」、なるほど。 「「公的年金シミュレーター」を公開した。これを使っていただければ、皆さんの将来の公的年金額が簡便にわかる。是非活用してほしい」、「シミュレーター」を一度試してみたい。 「変革に向けた刺激を与え続けていきたいと思う。また、国会改革などを実行に移し、永田町が霞が関の働き方改革の足を引っ張っている部分を解消していかなければならない」、「霞が関の働き方改革」に向けた活躍を期待したい。
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日本の構造問題(その26)(大前研一がトップだったマッキンゼーに見た「会社滅びてコンサル栄える」、日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶、日本はなぜ「成長を諦めた国」になっているのか 過剰なコロナ対策も購買力を大きく削いでいる) [経済政治動向]

日本の構造問題については、3月1日に取上げた。今日は、(その26)(大前研一がトップだったマッキンゼーに見た「会社滅びてコンサル栄える」、日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶、日本はなぜ「成長を諦めた国」になっているのか 過剰なコロナ対策も購買力を大きく削いでいる)である。

先ずは、3月22日付け日刊ゲンダイが掲載した評論家の佐高信氏による「大前研一がトップだったマッキンゼーに見た「会社滅びてコンサル栄える」」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/302758
・『マッキンゼーなどに頼む経営者は経営者失格なのではないかと私は思う。大前研一がトップだったころのマッキンゼーで喜劇的なことが起こったからだ。本質的には喜劇ではなく悲劇である。 ワンマンの磯田一郎が君臨した住友銀行やドンの川上源一が支配したヤマハがマッキンゼーにコンサルタントを依頼したが、腐敗や衰退の最大の元凶である磯田や川上にはまったく触れずに”改革”を進めたために、「向こう傷を恐れるな」という磯田イズムが住銀では温存され、イトマン・スキャンダルを結果した。また、ヤマハでも社長世襲の問題は棚上げしたために、若社長が”職場放棄”することになった。 磯田や川上が頼んでいるのだから、彼らの害を追及できるわけがない。本当はそこに踏み込んでこそのコンサルタントだろう。 大前の唱える「維新」が、サラリーマンにとっても、ためになるどころか有害なものであることは、彼を支持する経営者に京セラの稲盛和夫がいることでもわかる。 稲盛は大前をこう持ち上げた。 「大前さんのやろうとしていることが大きな実験であることは間違いない。この国は真の民主主義が定義できる国なのか。借り物の民主主義、えせ民主主義で終わるのか。それを証明する機会だと思う。一般の国民の間、一般社員の間では民主主義になっているが、会社も役所も上に行くほど民主主義ではないという不思議な国だ。大前さんの問いは官僚組織よりも国民一人一人に向けられているのだという自覚が、国民の間にどれくらいあるかが肝心だ。大前さんには冷静に、勇気を持って、初心を忘れずに、常に一歩控えめに事を進めてほしい」 こう言っている稲盛の京セラには「京セラ従業員の墓」という気持ち悪いものがある。そんな京セラならぬ狂セラに「借り物」だろうが、「えせ」だろうが、民主主義がないことははっきりしているが、稲盛にはその自覚がないのだろう。 もし、大前が民主主義の使徒なら、コンサルタントを頼まれた住銀やヤマハで、磯田や川上にレッドカードを突き付けたのではないか。マッキンゼーだけでなく、堀紘一のいたボストン・コンサルティングでも、そこまで徹底してコンサルタント会社が改革案を出した例を私は知らない。だから、これらは新しさを好む経営者が化粧代わりに使っているもので、まさに無用の長物なのである。皮肉を言えば、会社滅びてコンサル栄えるだ。 大前は日本の漁村の港が漁師しか使えないことを批判し、税金で立派にしたのに「一部の人だけの特権になっている」とわめいている。「レジャーボートなんか、とても置かせてもらえない」「これはどう考えてもおかしい」と言うのだが、レジャーボートを置こうとする大前のような人間の方が「一部の人」であることは明らかではないか』、「住友銀行」では「磯田イズムが住銀では温存され、イトマン・スキャンダルを結果した」、「ヤマハでも社長世襲の問題は棚上げしたために、若社長が”職場放棄”」、「コンサルタント会社」はトップの意向を受けてコンサルティングする制約が出たのだろう。「大前」が「「レジャーボートなんか、とても置かせてもらえない」「これはどう考えてもおかしい」」、などと批判したというのは墓穴を掘ったようなものだ。

次に、4月1日付けNewsweek日本版が掲載した経済評論家の加谷珪一氏による「日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2022/04/post-180_1.php
・『<順調に給料が上昇する諸外国と比べて、日本の賃金低迷はいよいよ顕著に。企業への賃上げ要求では解決不可能な根深い原因とその処方箋> 日本人の賃金が全くといってよいほど上昇していない。賃金の低下は今に始まったことではないが、豊かだった時代の惰性もあり、これまでは見て見ぬふりができた。だが諸外国との賃金格差がいよいよ顕著となり、隣国の韓国にも抜かれたことで、多くの国民が賃金の安さについて認識するようになっている。 OECD(経済協力開発機構)によると、2020年における日本の平均賃金(年収ベース:購買力平価のドル換算)は3万8515ドルと、アメリカ(6万9392ドル)の約半分、ドイツ(5万3745ドル)の7割程度。00年との比較では、各国の賃金が1.2倍から1.4倍になっているにもかかわらず、日本はほぼ横ばいの状態であり、15年には隣国の韓国にも抜かされた<参考グラフ:各国の平均賃金(年収)の推移>。 諸外国の賃金が上昇しているということは、それに伴って物価も上がっていることを意味する。食品など日本人が日常的に購入している商品の多くは輸入で支えられており、諸外国の物価が上昇すれば、当然の結果として輸入品の価格も上がる。日本人の賃金は横ばいなので、諸外国に対して買い負けすることになり、日本人が買えるモノの量は年々減少している。 日本の大卒初任給が20万円程度で伸び悩む一方、アメリカでは50万円を超えることも珍しくない。日本人に大人気のiPhoneは、高いモデルでは約15万円もするが、月収20万円の日本人と50万円のアメリカ人とでは負担感がまるで違う。このところ日本が貧しくなったと実感する人が増えているのは、こうした内外価格差が原因である』、「日本人の賃金」の伸び悩みは確かに深刻だ。なお、この記事でのグラフなどのリンクは記事にはない。
・『日本企業の内部留保は異様な水準  では、なぜ日本人の賃金は全くといってよいほど上がらないのだろうか。ちまたでよく耳にするのは、企業が内部留保をため込んでおり、社員の給料に資金を回していないという指摘である。21年3月末時点において日本企業が蓄積している内部留保は467兆円に達しており、異様な水準であることは間違いない。 だが内部留保というのは、賃金を含む全ての経費や税金を差し引いて得た利益(当期純利益)を積み上げたもので、本来は先行投資などに用いる資金である。内部留保が過剰に積み上がっているのは企業が先行投資を抑制した結果であって、内部留保を増やすために賃金を引き下げたわけではない。政府は企業に対して内部留保を賃金に回すよう強く求めたことがあったが、これは企業会計の原則を無視した議論であり、企業が応じることは原則としてあり得ない。 内部留保と並んでよく指摘されるのが、デフレマインドというキーワードに代表される日本人の価値観である。アベノミクス以降、デフレが日本経済低迷の元凶であり、デフレから脱却すれば経済は成長するという考え方が広く社会に浸透した。だが、この議論も先ほどの内部留保と同様、原因と結果を取り違えたものといってよいだろう。 一部の特殊なケースを除き、デフレ(物価の下落)というのは基本的に不景気の結果として発生する現象であり、デフレが不景気を引き起こしたわけではない。不景気でモノが売れず、企業は安値販売を余儀なくされ、これがさらに物価と賃金を引き下げている。高く売ることができる商品をわざわざ安く売っていたわけではない点に注意する必要がある。 一部の論者は最低賃金が低すぎるなど、制度に問題があると指摘している。日本の最低賃金が低すぎるのは事実であり、筆者も改善の余地があると考えているが、これが低賃金の直接的な原因になっているわけではない。ドイツではつい最近まで最低賃金制度が存在していなかったが、賃金は日本よりも圧倒的に高く推移してきた。 まともな賃金を払わない企業には人材が集まらないので、企業の側にも賃上げを行うインセンティブが存在する。企業が十分な利益を上げているのなら、最低賃金制度がなくても企業は相応の賃金を労働者に支払うはずだ』、「まともな賃金を払わない企業には人材が集まらないので、企業の側にも賃上げを行うインセンティブが存在する」、多くの企業が「賃上げ」を抑制しているなかでは、「インセンティブ」の「存在」は疑わしい。「企業が十分な利益を上げているのなら、最低賃金制度がなくても企業は相応の賃金を労働者に支払うはずだ」、も同様に疑わしい。「最低賃金」の引上げもプラスの効果を持つ筈だ。
・『低収益によって賃金が低迷する悪循環  以上から、日本企業は何らかの原因で十分に利益を上げられない状況が続いており、これが低賃金と消費低迷の原因になっていると推察される。収益が低いので高い賃金を払えず、結果として消費も拡大しないため企業収益がさらに低下するという悪循環である。そうだとすると、政府が取り組んでいる賃上げ税制も十分な効果を発揮しない可能性が高い。 岸田政権は企業に対して賃上げを強く要請するとともに、賃上げを実施した企業の法人税を優遇する措置を打ち出した。政府からの要請を受けて、企業が賃金を上げたとしても、企業の収益が拡大しない状況では確実に減益になる。企業は品質の引き下げや下請けへの値引き要求など別なところで利益を確保しようと試みるので、賃上げ分は相殺されてしまう。最初から賃上げをする予定だった企業が、節税目的で制度を利用するという、本来の趣旨とは異なる使われ方もあり得るだろう。) 法人税が高い状態であれば、減税もある程度の効果を発揮するかもしれないが、安倍政権は経済界の要請を受け、在任中に3回も法人減税を実施した。日本の法人税は度重なる減税によって大幅に下がっており、企業にとって減税は魅力的に映らない。というよりも、低収益に苦しむ経済界が政府に減税を強く要請したという図式であり、背後には慢性的な低収益という問題が存在している。 結局のところ日本企業が十分な収益を上げられず、これが長期的な低賃金の原因になっているのはほぼ間違いない。では日本企業というのはどの程度、低収益なのだろうか。 一般的に企業の収益力は当期純利益など最終的な利益率で比較されるが、これは賃金を支払った後の数字。人件費を極端に削減すれば利益を上げることができてしまうため、賃金について議論する場合、この指標を使うのは適切ではない。企業がどの程度、賃金を支払う能力があるのかは、企業が直接的に生み出す付加価値を比較することが重要である。 企業というのは、商品を仕入れ、それを顧客に販売して利益を得ている。製造業の場合には原材料などを仕入れ、組み立てを行って製品を顧客に販売している。 販売額と仕入れ額の差分が全ての利益の源泉であり、この根源的な利益のことを企業会計では売上総利益と呼ぶ。商売の現場では粗利(あらり)という言い方が一般的だが、経済学的に見た場合、企業が生み出す付加価値というのは、この粗利のことを指している。企業は付加価値の中から人件費や広告宣伝費などを捻出するので、付加価値が高まらないと賃金を上げることができない』、「付加価値」のなかで「人件費」が占める割合が低いのではなかろうか。
・『全業種で付加価値が低い日本  日本とアメリカ、ドイツにおける部門(業種)ごとの付加価値(従業員1人当たり)の違いを比較すると、その差は歴然としている。図2のグラフ<参考:日米独の部門(業種)ごとの付加価値の違い>は日本企業の付加価値を1としたときの相対値だが、アメリカは全ての部門において、ドイツもほぼ全ての部門において日本よりも付加価値が高い(つまり儲かっている)。日本企業の付加価値が低く推移している以上、日本企業は賃金を上げられないのが現実だ。 では、なぜ日本企業は高い付加価値を得られないのだろうか。会計的に言えば、付加価値(粗利)を増やすには、①売上高を拡大する、②価格を引き上げる、③仕入れ価格を引き下げる、という3つの方法しかない。このうち③の仕入れ価格の引き下げは、品質の低下や取引先企業への悪影響といったデメリットをもたらすので、積極的には選択されない。結局のところ、付加価値を増やすためには売上高を増やすか、価格を引き上げるかの2択となる。) 図3のグラフ<参考:日米の企業売上高の推移>は日本とアメリカの企業全体の売上高の推移を示したグラフである(80年を100としたときの相対値)。アメリカ企業はリーマン・ショックなどの例外を除けば、基本的にほぼ毎年、売上高を拡大しており、過去40年間でアメリカ企業の売上高は7倍近くに増えた。 売上総利益率(売上高に対する売上総利益の割合)は大きく変わらないので、売上高の絶対値が増えれば、その分だけ付加価値の絶対額も大きくなり、賃金を捻出する原資が増える。一方、日本は90年代以降、むしろ売上高を減らしている。売上高が増えていない以上、仕入れ価格を極端に下げるか、販売価格を引き上げない限り、付加価値は増えない。 では価格の推移はどうだろうか。経済圏全体で販売されている全ての製品価格を調べることは不可能だが、輸出に関しては統計的に価格の推移を追うことができる。日本の輸出品目の価格は80年を境に一貫して低下が続いている。国内でもファストフード・チェーンが過度な低価格競争を繰り返してきたことは多くの人が理解しているだろう。 結局のところ、日本企業は売上高を拡大することができず、価格を引き上げることもできていないという状況であり、これが低賃金の元凶となっている。売上高も価格も変えられないということは、企業の競争力そのものに問題があるとの結論にならざるを得ない』、「企業の競争力そのものに問題がある」、その通りなようだ。
・『なぜ日本企業の国際競争力は低いのか  では日本企業の競争力はなぜ諸外国と比較して低く推移しているのだろうか。国により主力となる産業は異なるのでタイプ別に考えてみたい。 昭和の時代まで、日本は輸出主導で経済を成長させてきた。輸出主導型経済において成長のカギを握るのは、輸出産業の設備投資である。海外の需要が拡大すると輸出産業は増産に対応するため工場などに設備投資を行い、これが国内所得を増やし、消費拡大の呼び水となる。 一方、アメリカのような消費主導型経済の場合、成長のエンジンとなるのは国内消費そのものである。消費が拡大すると、国内企業が商業施設などへの設備投資を増やし、これが所得を増やして消費を拡大させるという好循環が成立する。 GDPの支出面における比率を見ると、アメリカは個人消費が67.9%もあるが、日本は55.4%となっており、日本はアメリカと比較して消費の割合が低い。だが、ドイツやスウェーデン、韓国など、日本よりもさらに消費の割合が低い国はたくさんある。ドイツは今も昔も製造業大国であり、輸出産業の設備投資が経済に大きな影響を与えている。) 同じく製造業が強いスウェーデンに至っては個人消費の比率はわずか44.7%しかない。これらの国々はまさに輸出主導型経済と言ってよく、日本はどちららかというと輸出主導型経済と消費主導型経済の中間地点と見なせるだろう。 加えて言うと、同じ輸出主導型経済であっても、典型的な福祉国家のスウェーデンと、日本と同じく自助努力が強く求められ社会的弱者の保護に消極的な韓国とでは、政府支出の比率が大きく異なる。スウェーデンは、韓国よりも製造業の付加価値が高く、余力を社会保障に充当しているという図式であり、これが政府支出という形で経済に貢献している。 韓国はかつては外貨の獲得に苦しみ、海外への利払いや返済が企業経営の重荷となってきたが、リーマン・ショック以降、輸出が大幅に増え、国際収支は近年、劇的に改善している。企業資金需要の多くを国内貯蓄で賄えるようになり、豊かだった日本に近い状態となりつつある。 日本以外の先進諸外国は、日本がゼロ成長だった過去30年、順調に成長を続けることができたが、それは各国企業がそれぞれの経済構造に合致した形で、業績拡大の努力を続けたからである』、なるほど。
・『グローバル基準でも大手だった日本企業の現状  消費主導型経済であるアメリカの場合、経済をリードする企業はウォルマートやホーム・デポといった小売店、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)に代表される生活用品メーカーなどであり、一方、輸出主導型経済において成長のエンジンとなっているのは電機や機械、化学など典型的な製造業だ。 ドイツにはシーメンスやバイエルなど、グローバルに通用する巨大メーカーがたくさんあり、スウェーデンは小国でありながら、エリクソン、ボルボ、イケア、H&M、スポティファイといった著名企業がそろっている。韓国はサムスンとLGが有名である。 日本の大手企業は80年代まではグローバル基準でも大手だったが、30年間で様子は様変わりした。各国企業が軒並み売上高を拡大する中、日本企業だけが業績の横ばいが続き、多くが相対的に中堅企業に転落した。グローバル基準でも大手といえるのは、もはやトヨタや日立、ソフトバンクグループなどごくわずかである。 日本企業の凋落は全世界の輸出シェアを見れば一目瞭然だ。日本は80年代までは順調に世界シェアを拡大し、一時はドイツと拮抗していた。ところが90年代以降、日本企業はみるみるシェアを落とし、今では4%を割るまでになっている。) 90年代といえば全世界的にデジタル化とグローバル化が進んだ時代であり、日本メーカーはこの流れについていけず、競争力を大きく低下させた。かつては世界最強と言われた半導体産業がほぼ壊滅状態に陥ったのも、全世界的なデジタル・シフトに対応できなかったことが原因である。結果として日本の製造業の売上高は伸びず、単価が下がったことで収益力が低下し、賃金が伸び悩んだと考えられる。 豊かな先進国は通常、製造業の競争力が低下しても、国内の消費市場を活用して成長を維持できる。日本はアメリカほどではないが、相応の国内消費市場が存在しているので、容易に消費主導型経済に転換できたはずだが、国内産業も製造業と同様、業績を拡大できなかった。主な原因はやはりデジタル化の不備にある。 80年代から90年代前半にかけて、日本におけるIT投資の金額(ソフトウエアとハードウエアの総額)は、先進諸外国と同じペースで増加していた。ところが95年以降、その流れが大きく変化し、日本だけがIT投資を減らすという異常事態になっている(OECDの統計を基に筆者算定)。この間、アメリカはIT投資額を3.3倍に、スウェーデンは3.0倍に拡大させた<参考グラフ:各国のIT投資の水準>。 ITは企業の限界コスト(生産を1単位増やすために必要な追加投資の額)を引き下げる効果を持つので、デジタル化時代においてITを積極的に導入しない企業は経営効率が著しく低下する。日本企業の多くはITを活用した業務プロセスの見直しを実施せず、生産性が伸び悩んだ可能性が高い。生産性と賃金は比例するので、生産性が伸び悩めば当然、賃金も下がってしまう』、「日本企業の多くはITを活用した業務プロセスの見直しを実施せず、生産性が伸び悩んだ可能性が高い」、こうした「デジタル化投資」の遅れは生産性向上に致命的だ。
・『企業業績が拡大しないと賃金は上がらない  これまでの議論を整理すると、賃金というのは企業の付加価値が源泉であり、企業の業績が拡大しないと賃金は上がらないということが分かる。付加価値が低迷している状態で、無理なコスト削減(非正規労働者の拡大や、低賃金の外国人労働者の受け入れなど)を実施すると、さらに賃金が下がるという悪循環に陥ってしまう。 こうした状態から脱却するためには、企業の経営環境を根本的に見直す必要がある。意外に思うかもしれないが、日本は先進諸国の中で最も大手企業の経営者を甘やかす社会である。 アメリカはもともと株主の意向が強く、利益を上げられない経営者は容赦なく追放される。ドイツも90年代、当時のシュレーダー首相が中心となって企業経営改革を行い、企業は外部に対し明確な説明責任を負うようになった。ドイツの法律では債務超過を一定期間以上放置すると罰則が適用されるなど、経営者の甘えを許さない仕組みになっている。 債務超過に陥ったいわゆるゾンビ企業を税金を使って延命させたり、粉飾決算を行った経営者を処罰しない日本とは雲泥の差といってよいだろう』、「日本は先進諸国の中で最も大手企業の経営者を甘やかす社会である」、同感である。
・『日本の中小企業は大企業の隷属的な下請け  日本でも徐々にコーポレートガバナンス改革が強化されつつあるが、いまだに企業間の株式の持ち合いが行われているほか、経営能力があるのか疑わしい単なる著名人を社外役員に迎えるケースが散見されるなど、ガバナンスについて疑問視せざるを得ない企業が多い。揚げ句の果てには、政府が大手企業から要請を受け、株主総会に不正介入した疑惑まで指摘されるなど、先進国としてはあってはならない事態も起こっている。 日本では中小企業の多くが大企業の隷属的な下請けとなっており、慢性的な低収益に苦しんでいるが、これも先進諸外国ではあまり見られない光景である(アメリカやドイツの中小企業の利益率は大企業とほとんど変わらない)。 ガバナンスが不十分な社会では、企業経営者は非正規労働者の拡大や下請けへの圧迫など安易なコスト削減策に走りやすい。日本の社会システムは大手企業経営者を過度に甘やかす一方で、中小零細企業の経営者には事実上の無限責任を課すなど、中小企業の行動を大きく制約している。 上場企業に対するガバナンスを諸外国並みに強化し、中小企業の自立を促す金融システム改革を進めれば、日本企業の収益は大きく改善すると考えられる。同時並行で、あらゆる企業がITを導入せざるを得なくなるよう、政策誘導することも重要だ。一連の改革を実施し企業が自律的に成長できるフェーズに入れば、企業が生み出す付加価値は増えるので賃金も上昇していくだろう。最大の問題はこの改革をやり抜く覚悟が日本社会にあるのかどうかである』、「上場企業に対するガバナンスを諸外国並みに強化し、中小企業の自立を促す金融システム改革を進めれば、日本企業の収益は大きく改善する」、同感である。「あらゆる企業がITを導入せざるを得なくなるよう、政策誘導することも重要だ」、ただ、システム投資をベンダーへ丸投げするのではなく、中核的部分は出来るだけ自社でやるようにすべきだ。

第三に、5月25日付け東洋経済オンラインが掲載したみずほ銀行 チーフマーケット・エコノミストの唐鎌 大輔氏による「日本はなぜ「成長を諦めた国」になっているのか 過剰なコロナ対策も購買力を大きく削いでいる」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/591513
・『5月18日、内閣府から公表された2022年1~3月期の実質GDP(国内総生産)成長率(1次速報値)は前期比年率マイナス1.0%(前期比マイナス0.2%)と、高成長(前期比年率プラス3.8%、2次速報後改訂)の2021年12月期から一転してマイナス成長に転落した。2021年1~3月期から1四半期ごとに成長率はプラスとマイナスを繰り返しており、日本経済がパンデミック局面から抜け出せずに足掻い(あがい)ている様子がよくわかる』、興味深そうだ。
・『脱コロナを望まず、成長を諦める国民  もっとも、足掻いているという表現は適切ではないかもしれない。いまだに新規感染者の絶対水準に拘泥し、マスクの手放せない生活を続けていることは、世界的に見れば異様な光景だが、日本では日常だ。もちろん、マスクがあるから低成長なのではなく、マスクが象徴する過剰な防疫意識が消費や投資の意欲を削いでいることが重要である。 過去2年間、「経済より命」路線は確実に実体経済を破壊し続けているが、岸田政権の支持率から判断するかぎり、この状況を大多数の国民が肯定している。悪化ペースが緩やかなので、今を生きる人々が実感しにくいのかもしれない。現在と先行きの経済よりも健康を重視しがちな高齢者の割合が高いことも影響しており、結果的に政権は若者よりも高齢者を重視しているのだろう。後述するように、日本経済が置かれている状況は客観的に見て、先進国の中でそうとう劣後しているのだが、「成長を諦めた国」は国民が望んだ結果とも言える。 1~3月期のマイナス成長はオミクロン変異株の感染拡大を受けて再び政府が行動制限に踏み切ったためだが、個人消費はマイナスではなく横ばいにとどまり、今期の落ち込みをやや抑制した。これは意外であるが、オミクロン変異株の感染拡大は1~2月がピークだたっため、3月以降は行動制限解除を視野に個人が消費を回復させた可能性はある。 「もう、ポーズだけの行動制限措置にすぎない」と達観した人々が以前より自粛に協力しなくなっているという可能性もあろう。まん延防止等重点措置の期間も人出が減らないという報道が散見された。実際、内閣官房デジタル田園都市国家構想実現会議事務局が提供する地域経済分析システム(RESAS)のデータを見ると、オミクロン変異株の感染者数急増とともにまん延防止等重点措置を発出したにもかかわらず、人流が顕著に抑制されていない現実も確認できる。 なお、5月16日には大手飲食チェーン店が時短命令をめぐり、東京都に損害賠償を求めていた裁判で、「命令は特に必要と認められず、違法」との判決が出ている。飲食店への時短命令も行動制限措置の一環だが、違法な命令を下してまで効果の薄い防疫政策を打つことを、東京都が今後は自重することに期待したい』、「オミクロン変異株の感染拡大は1~2月がピークだたっため、3月以降は行動制限解除を視野に個人が消費を回復させた可能性はある」、その通りだ。
・『過剰な防疫対策で経済の自滅が続く  周知のとおり、まん延防止等重点措置は3月下旬に全面解除され、5月のゴールデンウィーク中の人出はかなりの程度回復した。GW前に警告が見られた「2週間後の感染拡大」は現時点では見られておらず、人流と感染拡大の因果関係はかなり怪しいものだと言わざるをえない。 このままいけば4~6月期は個人消費に牽引され、高い成長率に復帰できるだろう。エコノミストのコンセンサス予想である日本経済研究センターの「ESPフォーキャスト」によれば4〜6月期は前期比年率プラス5.18%まで加速する。 しかし、日本の過剰な防疫意識を前提にすれば、成長軌道はこの先も安定しないことになる。過去2年のパターンに従えば、仮に7~9月期以降に感染拡大が見られた場合、4~6月期の高成長を「気の緩み」と指差し、再び自滅的な低成長(行動制限)を選択する流れが想定される。その悪循環を脱却すべく現実的な政策を打つべきだが、「経済より命」路線に対する根強い国民の支持を踏まえれば、政府・与党もこの方針を変える理由がなく、同じことが繰り返される可能性は否定できない。 人々は感染対策のために生きているわけではないはずだ。だが、日本ではそうなってしまっている。主要国の実質GDP水準の推移を、2019年7~9月期を100として見てみよう。10~12月期ではなく7~9月期としているのは、10月に日本では消費増税と台風19号による大きな下押し圧力を受けており、その影響を除いて比較したいためだ。日本は当時の水準に対して依然としてマイナス4%ほど届いていない。これがいかに異様な姿なのかは下図を一瞥すればわかるだろう。 「成長を諦めた国」というのは大げさな形容ではなく、純粋な事実である。円が実効ベースで急落し、日経平均株価がその他主要国の株価指数にはっきり劣後している状況と無関係とは思えない。 なお、今の日本経済の実情をより正確に映し出すのは実質GDP(国内総生産)に交易条件の変化(=交易利得・損失)を加えた実質GDI(国内総所得)である。1~3月期の実質GDPが前期比年率マイナス1.0%であったのに対し、実質GDIは同マイナス2.7%と3倍弱の落ち込みになっている。 資源価格の高騰および円安によってそれだけ海外への所得流出が進み、日本経済としての購買力が失われたことを意味している。これまでも述べてきたように、実質GDPはプラスとマイナスを交互に繰り返しており「停滞」という形容が当てはまるが、実質GDIは「悪化」の一途をたどっている』、「成長を諦めた国」とは言い得て妙だ。
・『外部環境は厳しい、せめて国内の足枷を外せ  この間、円の実質実効為替相場(複数の通貨間の実力を見たもので、物価の影響を除く)が半世紀ぶりの円安を記録し「安い日本」の象徴として取りざたされたことは周知のとおり。実質GDIも「安い日本」ないし「貧しい日本」の一端を示すデータと言える。巷間言われる「悪い円安」論は結局、家計部門のコスト負担を端的に述べた議論だが、そうした現状を把握するには、国内の生産実態を捕捉する実質GDPよりも、所得実態を捕捉する実質GDIのほうが向いている。 問題は、過剰な防疫政策が修正され、何の行動規制も入らない状態になれば実質GDPは相応に回復しそうだが、高止まりする資源価格に起因する実質GDIの低迷は出口が見当たらないということだ。少なくともウクライナ危機に伴う資源価格上昇は2月下旬以降であり、交易損失拡大の影響がフルに顕現化するのは4~6月期以降の国民経済計算統計なのだろう。 今後の実質GDIは低迷し、結果として家計部門の消費・投資意欲は委縮しやすくなる。おそらく実質GDPの足枷にもなるはずだ。資源高に象徴される国外環境は不可抗力だが、せめて国内環境くらいは足枷をはめるような行為を止めてほしいと願うばかりである』、「「悪い円安」論は結局、家計部門のコスト負担を端的に述べた議論だが、そうした現状を把握するには、国内の生産実態を捕捉する実質GDPよりも、所得実態を捕捉する実質GDIのほうが向いている。」、「今後の実質GDIは低迷し、結果として家計部門の消費・投資意欲は委縮しやすくなる。おそらく実質GDPの足枷にもなるはずだ。資源高に象徴される国外環境は不可抗力だが、せめて国内環境くらいは足枷をはめるような行為を止めてほしいと願うばかりである」、同感である。
タグ:佐高信氏による「大前研一がトップだったマッキンゼーに見た「会社滅びてコンサル栄える」」 日刊ゲンダイ 「住友銀行」では「磯田イズムが住銀では温存され、イトマン・スキャンダルを結果した」、「ヤマハでも社長世襲の問題は棚上げしたために、若社長が”職場放棄”」、「コンサルタント会社」はトップの意向を受けてコンサルティングする制約が出たのだろう。「大前」が「「レジャーボートなんか、とても置かせてもらえない」「これはどう考えてもおかしい」」、などと批判したというのは墓穴を掘ったようなものだ。 「企業の競争力そのものに問題がある」、その通りなようだ。 「付加価値」のなかで「人件費」が占める割合が低いのではなかろうか。 「上場企業に対するガバナンスを諸外国並みに強化し、中小企業の自立を促す金融システム改革を進めれば、日本企業の収益は大きく改善する」、同感である。「あらゆる企業がITを導入せざるを得なくなるよう、政策誘導することも重要だ」、ただ、システム投資をベンダーへ丸投げするのではなく、中核的部分は出来るだけ自社でやるようにすべきだ。 (その26)(大前研一がトップだったマッキンゼーに見た「会社滅びてコンサル栄える」、日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶、日本はなぜ「成長を諦めた国」になっているのか 過剰なコロナ対策も購買力を大きく削いでいる) 「まともな賃金を払わない企業には人材が集まらないので、企業の側にも賃上げを行うインセンティブが存在する」、多くの企業が「賃上げ」を抑制しているなかでは、「インセンティブ」の「存在」は疑わしい。「企業が十分な利益を上げているのなら、最低賃金制度がなくても企業は相応の賃金を労働者に支払うはずだ」、も同様に疑わしい。「最低賃金」の引上げもプラスの効果を持つ筈だ。 「日本人の賃金」の伸び悩みは確かに深刻だ。なお、この記事でのグラフなどのリンクは記事にはない。 「「悪い円安」論は結局、家計部門のコスト負担を端的に述べた議論だが、そうした現状を把握するには、国内の生産実態を捕捉する実質GDPよりも、所得実態を捕捉する実質GDIのほうが向いている。」、「今後の実質GDIは低迷し、結果として家計部門の消費・投資意欲は委縮しやすくなる。おそらく実質GDPの足枷にもなるはずだ。資源高に象徴される国外環境は不可抗力だが、せめて国内環境くらいは足枷をはめるような行為を止めてほしいと願うばかりである」、同感である。 加谷珪一氏による「日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶」 「日本は先進諸国の中で最も大手企業の経営者を甘やかす社会である」、同感である。 順調に給料が上昇する諸外国と比べて、日本の賃金低迷はいよいよ顕著に。企業への賃上げ要求では解決不可能な根深い原因とその処方箋 Newsweek日本版 「成長を諦めた国」とは言い得て妙だ。 「日本企業の多くはITを活用した業務プロセスの見直しを実施せず、生産性が伸び悩んだ可能性が高い」、こうした「デジタル化投資」の遅れは生産性向上に致命的だ。 「オミクロン変異株の感染拡大は1~2月がピークだたっため、3月以降は行動制限解除を視野に個人が消費を回復させた可能性はある」、その通りだ。 唐鎌 大輔氏による「日本はなぜ「成長を諦めた国」になっているのか 過剰なコロナ対策も購買力を大きく削いでいる」 東洋経済オンライン 日本の構造問題
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東京一極集中(その1)(東京23区の人口減「テレワークで移住説」は本当か 25年ぶりに23区の「日本人人口」が転出超過に、「東京一極集中が日本を救っている」といえる理由 「東京が潤えば地方も栄える」の仕組みを解説) [経済政治動向]

今日は、東京一極集中(その1)(東京23区の人口減「テレワークで移住説」は本当か 25年ぶりに23区の「日本人人口」が転出超過に、「東京一極集中が日本を救っている」といえる理由 「東京が潤えば地方も栄える」の仕組みを解説)を取上げよう。

先ずは、本年2月16日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの山田 稔氏による「東京23区の人口減「テレワークで移住説」は本当か 25年ぶりに23区の「日本人人口」が転出超過に」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/511572
・『コロナ禍が長期化するなかで、東京の人口に異変が起きている。総務省が発表した2021年人口移動報告と東京都の住民基本台帳による世帯と人口(2021年1月1日現在)でみると、東京23区はついに年間の転出者が転入者を上回る転出超過となり、年間で人口が2万人以上も減少した。いったい、何が起こっているのだろうか』、興味深そうだ。
・『「脱23区」はファミリー層に多い  まずは、総務省の2021年人口移動報告をみてみよう。日本人のデータでみると、東京都の転入超過数は1万815人で、前年から半減だ。コロナ前の2019年は8万6575人だったから、87%もの大幅減である。それでも転入超過は続いている。 大きな異変が起きたのは東京都特別区部(23区)の転出入だ。外国人を含めた数値では、1万4828人の転出超過となり、外国人を含めた集計を開始した2014年以降初めて転出超過となった。日本人に限っても7983人の転出超過で、こちらは1996年以来25年ぶりだという。ちなみに23区の転出超過を世代別(日本人)にみると、30ー44歳の「子育て世代」が3万372人、0-14歳の「子ども世代」が16434人でボリュームゾーンを形成している。 それでは、区ごとの状況はどうだろうか。 転入超過は12区、転出超過は11区と半々だ。転入超過が多いのは ①足立区2224人②台東区1494人③葛飾区1258人 逆に転出超過が多いのは、①江戸川区3330人②世田谷区2755人 ③目黒区2581人 だった。 死亡数と出生数を加味した人口増減はどうか。東京都の日本人人口データ(2022年1月1日現在)で見ると、23区全体では21年の1年間で2万3462人の減少だ。20年は年間3万1248人の増加だったから、逆転現象が起きている。増加したのは中央区(0.66%増)、台東区(0.51%増)など6区だけで、17区は減少だ。減少数が多いのは江戸川区(4856人)、大田区(3949人)などだ。 ちなみに23区の人口増減をコロナ禍直前の20年1月1日時点と比較すると、それでも7786人の増加となっている。) では、23区が転出超過となった背景に何があったのか。今回のニュースを伝える多くのメディアは「コロナ禍でテレワーク移住進む」「テレワーク普及で近隣県への転出が増加」などと伝えている。本当にテレワークが最大の要因なのだろうか。 筆者の周辺で昨年、都心から転居した3家族の転居理由は、「自然豊かな環境で暮らしたい」(23区内から房総)、「転職」(23区郊外から神戸)、「子育てのため実家で父母と同居」(23区内から九州)だった。逆に週の半分程度がテレワークという知人の多くは23区内から動いていない。 テレワークで地方移住、郊外転居を実行した人が、いったいどれだけいるのだろうか。テレビでは、23区から千葉県流山市や神奈川県小田原市に引っ越した若い夫婦2組のケースを紹介していた。共にリモートワークだというが、2組ともにIT関連企業勤務だった。職場環境が恵まれているケースだ。毎日、現場に向かわなければならないエッセンシャルワーカーの方々には無縁の世界である。 コロナ禍は3年目に突入したが、テレワークの実施状況はどうなっているのか。東京都のテレワーク実施率調査(1月7日発表)によると、2021年12月の都内企業(従業員30人以上)のテレワーク実施率は56.4%で、前月比で0.8ポイントの減少だった。「週3日以上」は45.6%で同0.4ポイントの減少。もっとも多いのは「週1日」で35.3%で、「週5日」は16.6%にとどまっている。日本生産性本部の最新の調査(1月)では、首都圏1都3県の実施率は26.8%で10月調査よりも10.1ポイントも下がっている』、「東京都のテレワーク実施率」はいずれの調査でも低下したようだ。
・『マンション高騰も「脱出」原因か  こうした数字をみる限り、「テレワークで移住進む」はどうにも説得力に欠ける。楽観的過ぎるのだ。むしろ、他の要因があるのではないか。そこで住宅環境を調べてみると、仰天の事実が浮上してきた。東京23区の新築マンション価格の高騰である。 不動産経済研究所の「新築分譲マンション市場動向2021年のまとめ」によると、首都圏の発売戸数は3万3636戸、前年比23.5%増で、東京23区は1万3290戸(シェア39.5%)だった。気になる23区の平均価格は8293万円(1㎡当たり128.2万円)で前年比7.5%アップ。首都圏全体平均の6260万円よりも2000万円以上も高い。東京都下5061万円、神奈川県5270万円、埼玉県4801万円、千葉県4314万円と、23区の突出ぶりが分かる。 では、賃貸はどうか。不動産情報サービスのアットホーム株式会社が毎月公表している「全国主要都市の「賃貸マンション・アパート」募集家賃動向」を見てみよう。 コロナ直前の2020年1月の23区の「ファミリー向き(50~70㎡)」物件の平均家賃は186944円だったが、最新の2021年12月では191863円となっている。家賃は景気動向に左右されにくいと言われるだけあって、その差は5000円弱、上昇率は2.6%ほどだが、終わりの見えないコロナ禍において、都心に住む必要性のなくなった人たちにとっては受け入れがたいものだろう。 「都心部の住宅コストは高騰し過ぎています。一方、サラリーマン世帯の所得はそう増えていませんから、一握りの富裕層や資産家しか購入できないし、業者も購買層を絞っています。23区が転出超過になった要因が「テレワークの普及」というのはあくまでサブの話で、根本的には住宅コストが上がり過ぎて住めなくなってきているため郊外へ転出しているとみています」(不動産専門のデータ会社・東京カンテイの市場調査部の担当者)。 新築マンションが8000万円超、賃貸の家賃ですら上昇傾向。子育て世代には、今の23区の住宅環境は厳し過ぎる。子育てのための住宅購入を機に地方や郊外へ引っ越す。そんなサラリーマン世帯の姿が目に浮かぶようである。テレワークが引き金となったかもしれないが、やはり住宅価格の高騰が転出超過・人口減の最大の要因ではないだろうか』、「子育て世代には、今の23区の住宅環境は厳し過ぎる。子育てのための住宅購入を機に地方や郊外へ引っ越す」、「やはり住宅価格の高騰が転出超過・人口減の最大の要因」、なるほど。
・『都内の「休廃業・解散」した企業は大幅減  もう一つ、気になる現象がある。コロナ禍での〝不況〟である。帝国データバンクが発表した『全国企業「休廃業・解散」動向調査』の結果によると、意外にも休廃業・解散した企業数はコロナ前に比べて大幅に減少している。しかしその内実は、政府系・民間金融機関による資金提供やコロナ対応の補助金が貢献した結果で、実際、東京都に限ってみれば、1万2123件と前年より増え、全国で唯一1万件を超えている。 2021年12月の東京都の有効求人倍率(就業地別)は0.90倍で、年間を通じて1倍を下回った。一方、東京都の失業率は2021年7-9月平均で3.1%と全国 平均の2.8%を上回っている。コロナ前の2019年7-9月は同2.2%だったことを踏まえると、コロナ禍の経済状況悪化でリストラされたり、職を失ったりした人たちが東京から去っていった。そんなケースも相当数あるのではないだろうか。 データ上はもっとも23区への転入が多い若者層でも「大学がオンライン授業ばかりになったからアパートを解約して実家に帰った」とか、「バイトがなくなり23区内から私鉄沿線の郊外に引っ越した」といった声も聞く。このほかにも都心からの転居には、さまざまな事情があるだろう。 2021年1年間に東京23区から人口が流出したのは紛れもない事実だ。しかし、その一方でタワマンをはじめ新築マンションが年間に1万3000戸以上も販売され、22年の予測はそれを上回る。そして結果として、コロナ前と比べた23区の日本人人口は、依然として減少には至っていない。今年に入り感染拡大が続くなかでも、テレワーク実施率は低下傾向にある』、「コロナ禍の経済状況悪化でリストラされたり、職を失ったりした人たちが東京から去っていった。そんなケースも相当数あるのではないだろうか。 データ上はもっとも23区への転入が多い若者層でも「大学がオンライン授業ばかりになったからアパートを解約して実家に帰った」とか、「バイトがなくなり23区内から私鉄沿線の郊外に引っ越した」といった声も聞く」、確かにこれらが「23区の人口」への減少圧力になっているのだろう。
・『「都心を去る人」には2種類ある  「テレワークで移住進む」といった分析は、働き方改革や東京一極集中是正を掲げる政府にとっては、なんとも耳当たりのいいものである。しかし、現実はそんなに甘くはない。テレワーク環境が整備された企業で働き、都心から離れても生活できる人と、もはや暮らしていけないから都心を離れざるを得ない人のどちらが多いのか。今後の人口対策、少子化対策のためにもきちんとした分析、検証が必要だろう』、確かに「今後の人口対策、少子化対策のためにもきちんとした分析、検証が必要」、同感である。

次に、5月6日付け東洋経済オンラインが掲載した明治大学名誉教授 の市川 宏雄氏と不動産コンサルタントの 宮沢 文彦氏による「「東京一極集中が日本を救っている」といえる理由 「東京が潤えば地方も栄える」の仕組みを解説」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/582711
・『コロナ禍においても、都内各地の再開発プロジェクトの多くは進行しており、懸念されていた人々の地方移住も限定的で、「東京一極集中」の状態は続いています。東京にはなぜ、それほどのパワーがあるのか。そして東京には、これから先どんな未来が待ち受けているのか。 明治大学名誉教授の市川宏雄氏、株式会社ボルテックス代表取締役社長兼CEOの宮沢文彦氏の新刊『2030年「東京」未来予想図』から、東京の現在と未来を3回にわたって紹介します。 人口が東京に一極集中すること、その結果、ヒトだけでなくモノ・カネ・情報がすべて東京に集中してしまうことは、これまで社会の在り方として不健全だと考えられてきました』、「東京一極集中」を評価するとは、興味深そうだ。
・『ヒト・モノ・カネ・情報が集まる東京圏  地方に暮らす人々から見ると、東京圏にばかりヒト・モノ・カネ・情報が集まるのは、確かに不公平のように思えます。特に2000年代以降、「限界集落」や「地方消滅」といった問題が広く取り沙汰されるようになってからは、「東京一極集中こそが諸悪の根源」のようにもいわれてきました。 しかし1990年代以降、出口の見えないデフレ不況に突入し、きわめて低い経済成長率しか達成できていない日本が今日でも先進国の一員でいられるのは、実は"東京一極集中のおかげ"ともいえるのです。ヒト・モノ・カネ・情報が今のように東京に集中していなければ、日本はどこかの時点で、G7(主要先進7カ国)から脱落していたかもしれません。多少オーバーな言い方をすれば、東京一極集中こそが日本を救っているのです。 なぜ、そういう理屈になるのか。それは、現代が第3次産業全盛の時代であり、第3次産業は大都市でこそ繁栄する産業だからです。 自然界に直接働きかける産業を第1次産業といいます。具体的には農業・漁業・林業がこれにあたり、第1次産業で製品(収穫物・漁獲物)を生産(収穫・採取)するために必要な場所は、耕作地・漁場・山林になります。第1次産業で得た製品を使って加工する産業を第2次産業といいます。製造業・建設業がこれにあたり、第2次産業で製品を生産するために必要な場所は工場・一定の広さの土地になります。 では、第3次産業で製品を生産するために必要な場所とはどこでしょうか。第1次産業、第2次産業に含まれないすべての産業を第3次産業と呼びます。 具体的には、電気・ガス・水道業、情報・通信業、運輸業、卸売・小売業、飲食業、金融・保険業、不動産業、サービス業、公務など。第3次産業で生産される製品(サービス)は非常に多岐にわたりますが、その製品が生産される場所は明確です。人と人が自由に行き来でき、交流し合えるところ。つまり、交通網と情報網が整備され、多くの人々が居住しているところ、すなわち都市になります。 すべての産業をこのように第1次から第3次までに分類したのは、イギリスの経済学者コーリン・クラーク。彼はペティ=クラークの法則でも知られています。) この法則とは、一国の産業構造は経済発展の進度によって、第1次産業から第2次、第3次へと比重が移っていくというもの。 わが国の経済発展の歴史もまさにそのとおりで、産業別の就業者人口を1968年と50年後の2018年で比較してみると、第1次産業は19.8%から3.4%に、第2次産業は34.0%から23.5%に減少しているのに比べ、第3次産業は46.3%から73.0%へと大きく増加。いまや、日本で働いている人の10人のうち7人は第3次産業に従事しており、その大部分が都市部で暮らしていると推察できます。 この第3次産業に特徴的なのは、人口が集積すればするほどスケールメリットが働き、指数関数的に経済がより巨大に発展していくということ。人が集まれば集まるほど、そのニーズは多様化かつ巨大化していき、新たな市場が同時多発的に増殖されていくからです。 人口100万都市が生み出す経済的価値=都市GDPを10倍しても、人口1000万都市1個分の都市GDPには遠く及びません。人口1000万都市の都市GDPは、人口100万都市のGDPの20倍にも30倍にもなるからです』、「ヒト・モノ・カネ・情報が今のように東京に集中していなければ、日本はどこかの時点で、G7・・・から脱落していたかもしれません。多少オーバーな言い方をすれば、東京一極集中こそが日本を救っているのです」、一見したところ、もっともらしいが、首都圏への「集中」は、他の先進国に比べても日本では著しいので、もっと丁寧な説明が必要だ。
・『東京の経済規模はオランダGDP以上  たとえば、2019年度の世界各国のGDPを見ると、日本は5兆45億ドルで世界第3位ですが、驚くべきことに、東京都の巨大な経済規模は日本のGDPの約19%にあたる9654億ドル(都民経済計算平成30年度年報)に上り、オランダ、イラン、スイス、トルコといった国々のGDPを凌駕しています。一極集中によって巨大化した東京の経済力が、今日の日本経済を支えているといえるでしょう。 また東京には、地方都市では成立しにくいビジネスがいくつも成立しています。その良い例が、猫カフェ、ハリネズミカフェ、フクロウカフェなどの動物カフェでしょう。 それぞれ、その店に行けば猫、ハリネズミ、フクロウに触れ合えることがウリで、利用料金はハリネズミカフェで1人30分1500円程度。こうした動物カフェのような隙間ビジネスはそもそも、人口の少ない都市では成立しません。人口1400万人を有する東京だからこそ、「ハリネズミと触れ合いたい」と思う人々が一定数存在し、それらの人々を相手に商売することができるわけです。ちなみに、ハリネズミカフェは現在、東京都内に10店舗以上あるそうです。 秋葉原電気街、神田古書店街、かっぱ橋道具街など多くの専門店街が成立しているのも、巨大都市である東京ならでは。飲食店にしても、焼き芋専門店、マッシュルーム専門店、ポテトサラダ専門店、かつお節専門店、りんご飴専門店など、特定の食材や料理に特化したメニューだけを提供する店が数多く存在します。 さらに2021年6月から、飲食店デリバリーサービスのUber Eats(ウーバーイーツ)が東京都区内で徒歩配達をスタートさせました。徒歩によるデリバリーサービスがビジネスとして成立するのも、巨大な人口密集地である東京なればこそといえるでしょう。 もちろん私自身、「東京一極集中」を100%肯定的にとらえているわけではありません。人口が狭い地域に集中することは、ときに、さまざまなストレスや軋轢の要因となりえます。特に2020年に発生したコロナ禍においては、東京の過密さが感染拡大の大きなリスク要因になってしまいました。東京一極集中のデメリットは確かに存在します。 しかし、そのメリットもまた無視できないほど大きいものであるのも事実。私たちはそろそろ、東京一極集中のメリットについても真剣に語り合うべきではないでしょうか。 先ほど、東京にはヒト・モノ・カネ・情報が集積していると述べましたが、東京は、いわゆる大企業が集積していることでも知られています。 たとえば、「フォーチュングローバル500」(2020年)のデータによれば、世界で売上高上位500社に入るグローバル企業のうち、東京都に本社を置く企業は37社。これは北京市55社に次ぐ世界第2位の多さであり、3位のパリ市、ニューヨーク州16社を大きくリードしています』、「私たちはそろそろ、東京一極集中のメリットについても真剣に語り合うべきではないでしょうか」、なるほど。
・『東京の税収はスウェーデンの国家予算並み  また、日本の従業員数100人以上の事業所所在地を見ると、全体の37.0%が東京都に集まっています。以下、大阪府9.2%、愛知県5.9%、神奈川県4.7%の順。東京圏1都3県を合計すると、日本全体の46.9%が東京圏に集中している計算になります。 それだけに、東京都が毎年得ることのできる法人税などの税収は膨大であり、例年の予算規模約15兆円はスウェーデンの国家予算を上回ります。東京都が受け取るこうした莫大な税収の一部は、実は地方へも還元されます。本来、「東京などの大都市」と「地方」と「中央政府」の関係は、以下のようなものでした。 ○「地方」は「東京などの大都市」に労働力となる「人」を提供 ○「東京などの大都市」は企業による経済活動で税収を得て、「中央政府」に税を納付 ○「中央政府」は東京などが納めた税金から「地方」に地方交付税などの補助金を分配 ところが、1990年代前半にバブル経済が崩壊してから、この3者の関係は大きく変化しました。ごく大雑把にいえば、企業の業績悪化や不良債権問題で東京など大都市の税収が激減。中央政府の税収も激減しましたが、地方に補助金を支給しないと地方経済が破綻してしまうため、赤字国債を大量発行して急場をしのぎます。 しかし、そんな自転車操業がいつまでも続けられるわけもなく、中央政府は「平成の大合併」で全国3232市町村を1727市町村にまで削減。補助金の総量を減額すると同時に、「地方法人特別税」の制度を導入。制度の変更もありながら、現在は、東京都の法人事業税、法人住民税の税収のうち、9000億円超が地方に再分配されています。 このようにして、東京が一極集中によって得られた富は、直接的または間接的に、地方の各都市に配分されています。つまり、東京が潤えば地方も栄えるのです』、「東京が一極集中によって得られた富は、直接的または間接的に、地方の各都市に配分されています」、これは地方交付税の仕組みそのものだ。こんなことで、「東京が潤えば地方も栄える」とは間違えではないとはいえ、新たに発見した関係であるかのように誇らしげに強調するとは、お粗末だ。こんな記事を取上げるとは、東洋経済も落ちたものだ。私も、ざっと読んだ段階では、気づかなかったため、このブログの読者を巻き込んでしまったことを、ここに深くお詫びしたい。
タグ:東京一極集中 (その1)(東京23区の人口減「テレワークで移住説」は本当か 25年ぶりに23区の「日本人人口」が転出超過に、「東京一極集中が日本を救っている」といえる理由 「東京が潤えば地方も栄える」の仕組みを解説) 東洋経済オンライン 山田 稔氏による「東京23区の人口減「テレワークで移住説」は本当か 25年ぶりに23区の「日本人人口」が転出超過に」 「東京都のテレワーク実施率」はいずれの調査でも低下したようだ。 「子育て世代には、今の23区の住宅環境は厳し過ぎる。子育てのための住宅購入を機に地方や郊外へ引っ越す」、「やはり住宅価格の高騰が転出超過・人口減の最大の要因」、なるほど。 「コロナ禍の経済状況悪化でリストラされたり、職を失ったりした人たちが東京から去っていった。そんなケースも相当数あるのではないだろうか。 データ上はもっとも23区への転入が多い若者層でも「大学がオンライン授業ばかりになったからアパートを解約して実家に帰った」とか、「バイトがなくなり23区内から私鉄沿線の郊外に引っ越した」といった声も聞く」、確かにこれらが「23区の人口」への減少圧力になっているのだろう。 確かに「今後の人口対策、少子化対策のためにもきちんとした分析、検証が必要」、同感である。 市川 宏雄 宮沢 文彦 「「東京一極集中が日本を救っている」といえる理由 「東京が潤えば地方も栄える」の仕組みを解説」 「東京一極集中」を評価するとは、興味深そうだ。 「ヒト・モノ・カネ・情報が今のように東京に集中していなければ、日本はどこかの時点で、G7・・・から脱落していたかもしれません。多少オーバーな言い方をすれば、東京一極集中こそが日本を救っているのです」、一見したところ、もっともらしいが、首都圏への「集中」は、他の先進国に比べても日本では著しいので、もっと丁寧な説明が必要だ。 「私たちはそろそろ、東京一極集中のメリットについても真剣に語り合うべきではないでしょうか」、なるほど。 「東京が一極集中によって得られた富は、直接的または間接的に、地方の各都市に配分されています」、これは地方交付税の仕組みそのものだ。こんなことで、「東京が潤えば地方も栄える」とは間違えではないとはいえ、新たに発見した関係であるかのように誇らしげに強調するとは、お粗末だ。こんな記事を取上げるとは、東洋経済も落ちたものだ。私も、ざっと読んだ段階では、気づかなかったため、このブログの読者を巻き込んでしまったことを、ここに深くお詫びしたい。
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経済学(その5)(『人新世の「資本論」』30万部の斎藤幸平 若き経済思想家の真意、リーマン危機から世界を”救った”男:独占インタビュー①ケインズ経済学の神髄 宇沢弘文氏の教えから昇華、清滝教授の「独自モデル」、ビジネススクールでも教えてくれない 武器としての経済学) [経済政治動向]

経済学については、昨年5月16日に取上げた。今日は、(その5)(『人新世の「資本論」』30万部の斎藤幸平 若き経済思想家の真意、リーマン危機から世界を”救った”男:独占インタビュー①ケインズ経済学の神髄 宇沢弘文氏の教えから昇華、清滝教授の「独自モデル」、ビジネススクールでも教えてくれない 武器としての経済学)である。

先ずは、昨年6月16日付け日経ビジネスオンライン「『人新世の「資本論」』30万部の斎藤幸平 若き経済思想家の真意」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00290/061000005/
・『経済思想家・斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』(集英社新書)が30万部超の異例のヒットとなっている。 人類の経済活動が地球全体に影響を及ぼす時代=「人新世」。現代の環境危機の解決策を、マルクスの新解釈の中に見いだすという硬派な内容ながら、コロナ禍にあって売れ続けている。1987年生まれの若き思想家が本書を執筆した背景とは(Qは聞き手の質問、Aは斎藤氏の回答)。 (斎藤幸平 氏の略歴はリンク先参照) Q:ベストセラーとなっている『人新世の「資本論」』。ヒットの理由を著者としてどのように分析していますか。 A:これほど多くの人に手に取ってもらえたのは、「このままの生活を、将来にわたって維持することは可能なのか」という問題から、誰もが目をそらせなくなってきたからだと思います。 今の私たちが享受している豊かさは、環境負荷や劣悪な労働環境を途上国に押し付け、外部化することで成り立ってきました。しかし、気候変動の問題一つをとってみても、近年は日本も、スーパー台風や集中豪雨、夏の酷暑など、様々な形で危機に直面するようになりました。新型コロナなど未知のウイルスによる感染症の拡大も、元をたどれば、森林などを乱開発した資本主義に原因があります。「これはまずいんじゃないのか?」という気配が高まったことと、本書の発売のタイミングが合致したのは大きいと思います。 タイトルにある「人新世」という言葉が示す通り、現代はグローバル資本主義の下で人類の活動が地球全体にインパクトを与える時代です。新型コロナウイルスが物流や人の流れに乗り、極めて短期間で世界全体に広まっていったように、さらに問題のスケールが大きい気候変動についても同じことが生じている。先進国で排出された二酸化炭素や温室効果ガスの影響は、地球上のあちこちで山火事や水不足を引き起こし、被害は今のままでは拡大の一途です。 そうした環境危機を目の当たりにして、「資本主義そのものに緊急ブレーキをかける必要がある」という本書の主張を、頭ごなしに否定はできない時代になってきた。多くの人が時代の変化や問題の深刻化を意識し始めたことが、反響につながったと考えています』、出版不況のなかで、「30万部超の異例のヒット」とは大したものだ。「気候変動の問題一つをとってみても、近年は日本も、スーパー台風や集中豪雨、夏の酷暑など、様々な形で危機に直面するようになりました。新型コロナなど未知のウイルスによる感染症の拡大も、元をたどれば、森林などを乱開発した資本主義に原因があります。「これはまずいんじゃないのか?」という気配が高まったことと、本書の発売のタイミングが合致したのは大きいと思います」、なるほど。
・『エコロジストとしてのマルクスの発見  Q:マルクスの思想の中に、実は現在の環境問題にも応用可能なエコロジストの視点があったのだという、本書の柱になっているこのアイデアは、どのようなきっかけで見つけたのでしょう? マルクスというと、とりわけ一定年齢層以上の人にとっては、ソ連やスターリン主義、冷戦構造の中での共産主義の暗いイメージが強くありますよね。ソ連崩壊後、マルクス経済学は、大学でも教えるところが少なくなってきました。しかし一方で、その後もマルクス研究を続けていた人たちは、「ようやくソ連や冷戦から解放され、マルクスをマルクスとして純粋に読むことができるようになった」と、彼の思想を捉え返そうとしたんです。 そうした動きと並行する形で、近年「メガ」(MEGA=Marx-Engels-Gesamtausgabe)と呼ばれる新たな『マルクス・エンゲルス全集』の編纂が進められ、私も含め世界各国の研究者が参加するこの国際的全集プロジェクトによって、これまで埋もれていた手稿や研究ノートの読解作業が行われています。 その新資料をひもといていくことで、20世紀のマルクスの読まれ方というのは、ソ連のスターリン主義にどっぷり浸かってゆがめられたものであり、本来マルクスが考えていた思想から乖離していたことも分かってきました。また、マルクスの死後にエンゲルスが『資本論』の編集過程で切り捨てた部分も明らかになった。そうして見えてきた「本来のマルクス」の持っていた考えの一つが、環境と資本主義との関係に対する関心です。実はマルクスは、環境破壊に対して深い問題意識を持ち、自然科学を熱心に学んでいました。 今まで知られてこなかった、そうしたエコロジストとしてのマルクスの思想を掘り起こすことは、単に新たなマルクス像を示すばかりでなく、「人新世」の環境問題、つまり人類は資本主義の下での技術革新と経済成長だけで環境危機を突破できるのか、という最大の問題に対し、非常に重要な視点を与えてくれると私は考えました。 こうしたドイツでの「MEGA」の編纂を通じた発見を経て、帰国後はマルクスの研究を現代の文脈にどう生かしていくべきなのかという課題に取り組み、その中で『人新世の「資本論」』の執筆に取りかかったのです。) Q:マルクスを研究対象として選んだ経緯は? A:米国の大学に入ってすぐ、ハリケーン・カトリーナの被災地でボランティアをする機会がありました。そこで格差問題の深刻さを目の当たりにし、その頃からマルクスに傾倒し始めました。もう一つのきっかけは、ベルリンの大学院に入った直後に起きた東日本大震災と原発事故です。当時、ベルリンでも数十万人規模の反原発デモが起き、それを見ながら資本主義とエコロジーの問題を考えたいと思うようになりました。 Q:今、研究や執筆の最大の原動力となっているものは何でしょう。 A:真面目に働いているのに、生活が立ち行かないほど追い込まれてしまう人が大勢いる社会は、端的に言っておかしいですよね。一部の人たちが、本来不要なものをどんどん消費する一方で、必要なものにも事欠く人たちが大勢いる。しかもその無駄な消費のための労働で、地球環境を破壊し続けている。そうした矛盾した社会構造を生み出してしまう資本主義とは、本当に合理的なのか、問題提起をしていきたい。このような社会や経済を変えなければならないと強く思っているんです。 つまり、不合理に対する違和感や怒りが研究の原動力ですね。ドイツでは、先ほどお話しした大規模な反原発デモの後、メルケル首相が2022年までに国内の原発を止めると宣言しました。人々がデモによって社会を変えていく姿を目の前で見て、それが民主主義のあり方であり、力だと実感しました。私は理論の面から人々の運動を下支えしたいのです。 日本では民主主義というと、議会制民主主義のことしか思い浮かばないかもしれませんが、議会政治には限界があります。例えば、気候変動の問題で最も影響を受ける子どもたちや途上国の人たちは、自分たちの未来を左右する米国の意思決定のプロセスからは排除されている。だから、私たちは議会民主主義だけを民主主義だと捉えてはならず、民主主義を拡張していくためにも、デモや学校ストライキや、様々なアクションを起こして、政治家や企業を動かさなければならない。それこそが民主主義なんです。 A:大学で学生たちに教える中で、いわゆる「Z世代」(1990年代後半から2010年代にかけて生まれた世代)の中に、先行世代とは異なる新しい価値観が根付きつつあると感じることはありますか。 A:ハンガーストライキや環境危機を訴えるライブを開催するなど、実際にアクションを起こしている高校生・大学生が日本でも増えてきました。ただし、日本の若者たちがすべて、スウェーデンの環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんのような考え方を持っているかと言えば、無論そんなことはなく、彼らの多くはファストファッションやファストフードに囲まれて育ち、それが当たり前だと思ってきた者たちです。でもそれは、今まで深く考える機会がなかったから。私のゼミでも、学んでいく過程で、少なからぬ学生が気候変動や格差社会といった問題を「自分ごと」として考え始めています』、「実はマルクスは、環境破壊に対して深い問題意識を持ち、自然科学を熱心に学んでいました。 今まで知られてこなかった、そうしたエコロジストとしてのマルクスの思想を掘り起こすことは、単に新たなマルクス像を示すばかりでなく、「人新世」の環境問題、つまり人類は資本主義の下での技術革新と経済成長だけで環境危機を突破できるのか、という最大の問題に対し、非常に重要な視点を与えてくれると私は考えました」、「議会民主主義だけを民主主義だと捉えてはならず、民主主義を拡張していくためにも、デモや学校ストライキや、様々なアクションを起こして、政治家や企業を動かさなければならない。それこそが民主主義なんです」、なるほど。
・『SDGsは批判してはいけないという空気があった  Q:本の冒頭で、現在多くの企業が取り組むSDGs(持続可能な開発目標)について、気候変動に対して本質的な効果は無く、むしろ危機的な状況から目を背けさせる有害な「アリバイ作り」だと断じています。 この1年ほど、SDGsに代表されるように「環境問題に配慮しないとまずいよね」「途上国の人権問題についても、企業は責任を持たなければならないよね」といった考えが“ブーム”で、SDGsは批判しちゃいけないものだという空気になっている。けれど実際には、本書でもエビデンスを挙げて指摘したように、とりわけ今の日本で広まっているレベルのSDGsの認識では、気候変動に対して効果は無いんです。 むしろ、マルクスがかつて、宗教を資本主義が引き起こす苦悩を和らげる「大衆のアヘン」だと批判したように、「これをやっていれば大丈夫」という誤った認識を持ち、真に必要な大きなアクションから目を背けさせてしまう。 私が投げかけたやや挑発的な批判に対し、SDGsにうすうす疑問を抱いていた人は「ああ、やっぱりそうか」と納得し、SDGsの効果を信じていた人にとっては、認識が崩れるショックや憤りもあったでしょう。普段はマルクスの話には興味の無い読者層も含め、多くの方に手に取っていただけるきっかけとなったと思います。 Q:では、企業はSDGsに取り組まない方がいい……? 企業にいるビジネスパーソンは、自分の仕事として何をすべきだと考えますか。 A:SDGsをビジネスの商機と捉えている程度では、問題は全く解決しません。企業が今すぐにでも行うべきなのはむしろ、供給過剰の是正です。具体的には、生産量そのものを3割減らす。食品であっても衣料品であっても、現代ではあらゆる企業が過剰な在庫を抱えています。それを3割減らすだけでも、環境危機に対処するための時間稼ぎになる。本来不要なものを減らすわけですから、消費者に大きな影響は無いばかりか、技術革新も特に必要ない。今すぐにでも始められる取り組みです』、「今の日本で広まっているレベルのSDGsの認識では、気候変動に対して効果は無いんです」、「むしろ、「これをやっていれば大丈夫」という誤った認識を持ち、真に必要な大きなアクションから目を背けさせてしまう」、その通りだ。
・『技術の力のみで社会は変えられない  Q:フリマアプリ「メルカリ」のように不用品を手軽に売れるサービスや、ものを所有しないシェアリングエコノミーなど、そうした新たな消費の形について、エコロジーの観点からどう思いますか。 A:転売を簡単にするサービスが普及すると、「数回使ったら売って、また次のものを買おう」というマインドを醸成し、消費することへのハードルが下がっていきます。場合によっては、これまで以上に短いスパンで様々なアイテムが消費されていく原動力になり、結果として消費量や輸送量が増えていく。エコロジー的な視点から言えば逆効果とも言えます。 シェアリングエコノミーについては、確かに効率化や資源の有効活用ができて良い面もある。ただし、どのような社会関係の下で運用されるかによって、生み出される結果は大きく異なります。 極端な例を挙げると、プライベートジェットをシェアするサービスもある。飛行機を維持管理するのは高コストなので、資産家同士で共同所有しようというわけです。このようなサービスが普及し、個人が気軽にジェット機を飛ばせるようになれば、当然ながらさらに環境負荷は膨らみ、資源の有効活用とは真逆の結果を生み出します。また、Uberの配達員システムのような労働力のシェアの形が、格差社会を拡大している面もある。 シェアリングエコノミーはネット社会の中で発達したある種の「技術」であり、肝心なのは、技術によって資本主義の抱える問題の本質を変えられるわけではないということです。むしろ、気候変動や格差社会化を加速させる結果すら生む。技術の力のみで社会を変えていけるという技術信仰には、常にそうした落とし穴があります。 Q:別の社会システムに今すぐ移行できない以上、私たちは将来的にまだ資本主義社会を生きていかなければなりません。企業人としてはどうすべきか。 A:資本主義を一朝一夕にストップするのは不可能だと、もちろん私も思います。ただし、それは資本主義の抱える問題を、今すぐ是正しなくていいということではありません。今の社会では、大手企業で働いていても「毎日イケイケで楽しい!」という人たちはどんどん減って、多くの人が「つらいなぁ」と日々思いながら長時間労働をしたり、劣悪な雇用条件に不安を覚えたりしている。それを改善するためにも、企業の中にいてこそ変えていけることが多くある。その最も分かりやすい例として、労働組合が担うべき役割は今でもあるんです。 ところが今、労働組合の多くは、男性正社員たちの既得権益擁護団体のようなものになってしまっている。そうでなく、自分たちの製品の環境への影響や、同じ職場で働いている非正規雇用者、女性の待遇の不均衡といった問題に対して声を上げるべきです。資本主義社会の抱える問題は、そうした働き方も含め、互いにクロスしている。気候変動問題も、単に二酸化炭素や温室効果ガスを削減するというテクニカルな話だけではなく、それに付随する長時間労働やジェンダー差別、途上国への劣悪な労働の押し付けを同時に是正していかなければ、二酸化炭素がいくら減ったところで、よい社会にはなりません。 アクションを起こせば、最初はコンフリクト(衝突、対立、不一致)を生みますが、これからの時代に企業を生き残らせるためにも、立ち上がって価値観をアップデートすることは必要です。グレタさんたちの世代が、これから消費者となり、経営者となり、20~30年後には政治のリーダーになっていく。今の日本は、それでも昔の方法にしがみつこうとしていますが、世界的な潮流に取り残されないためには、そうした大きなトレンドの変化を押さえておかなければなりません。 著者が薦める本 カール・マルクス『資本論』 (国民文庫) 私自身の研究のモチベーションと同様、マルクス自身も現実の問題にコミットして研究を続けた学者でした。そうした彼の生きざまにも影響を受けました。資本主義の矛盾や、資本主義に代わり得る社会のビジョンをこれほど深く考え抜いた本は他に無い。19世紀に書かれた本でありながら、現代でも様々な問題を考えるうえで、まずはここに立ち返り、さらに思考を発展させていく土台となる座右の書です。(斎藤氏)技術の力のみで社会は変えられない Q:フリマアプリ「メルカリ」のように不用品を手軽に売れるサービスや、ものを所有しないシェアリングエコノミーなど、そうした新たな消費の形について、エコロジーの観点からどう思いますか。 A:転売を簡単にするサービスが普及すると、「数回使ったら売って、また次のものを買おう」というマインドを醸成し、消費することへのハードルが下がっていきます。場合によっては、これまで以上に短いスパンで様々なアイテムが消費されていく原動力になり、結果として消費量や輸送量が増えていく。エコロジー的な視点から言えば逆効果とも言えます。 シェアリングエコノミーについては、確かに効率化や資源の有効活用ができて良い面もある。ただし、どのような社会関係の下で運用されるかによって、生み出される結果は大きく異なります。 極端な例を挙げると、プライベートジェットをシェアするサービスもある。飛行機を維持管理するのは高コストなので、資産家同士で共同所有しようというわけです。このようなサービスが普及し、個人が気軽にジェット機を飛ばせるようになれば、当然ながらさらに環境負荷は膨らみ、資源の有効活用とは真逆の結果を生み出します。また、Uberの配達員システムのような労働力のシェアの形が、格差社会を拡大している面もある。 シェアリングエコノミーはネット社会の中で発達したある種の「技術」であり、肝心なのは、技術によって資本主義の抱える問題の本質を変えられるわけではないということです。むしろ、気候変動や格差社会化を加速させる結果すら生む。技術の力のみで社会を変えていけるという技術信仰には、常にそうした落とし穴があります。 Q:別の社会システムに今すぐ移行できない以上、私たちは将来的にまだ資本主義社会を生きていかなければなりません。企業人としてはどうすべきか。 A:資本主義を一朝一夕にストップするのは不可能だと、もちろん私も思います。ただし、それは資本主義の抱える問題を、今すぐ是正しなくていいということではありません。今の社会では、大手企業で働いていても「毎日イケイケで楽しい!」という人たちはどんどん減って、多くの人が「つらいなぁ」と日々思いながら長時間労働をしたり、劣悪な雇用条件に不安を覚えたりしている。それを改善するためにも、企業の中にいてこそ変えていけることが多くある。その最も分かりやすい例として、労働組合が担うべき役割は今でもあるんです。 ところが今、労働組合の多くは、男性正社員たちの既得権益擁護団体のようなものになってしまっている。そうでなく、自分たちの製品の環境への影響や、同じ職場で働いている非正規雇用者、女性の待遇の不均衡といった問題に対して声を上げるべきです。資本主義社会の抱える問題は、そうした働き方も含め、互いにクロスしている。気候変動問題も、単に二酸化炭素や温室効果ガスを削減するというテクニカルな話だけではなく、それに付随する長時間労働やジェンダー差別、途上国への劣悪な労働の押し付けを同時に是正していかなければ、二酸化炭素がいくら減ったところで、よい社会にはなりません。 アクションを起こせば、最初はコンフリクト(衝突、対立、不一致)を生みますが、これからの時代に企業を生き残らせるためにも、立ち上がって価値観をアップデートすることは必要です。グレタさんたちの世代が、これから消費者となり、経営者となり、20~30年後には政治のリーダーになっていく。今の日本は、それでも昔の方法にしがみつこうとしていますが、世界的な潮流に取り残されないためには、そうした大きなトレンドの変化を押さえておかなければなりません。 著者が薦める本 カール・マルクス『資本論』 (国民文庫) 私自身の研究のモチベーションと同様、マルクス自身も現実の問題にコミットして研究を続けた学者でした。そうした彼の生きざまにも影響を受けました。資本主義の矛盾や、資本主義に代わり得る社会のビジョンをこれほど深く考え抜いた本は他に無い。19世紀に書かれた本でありながら、現代でも様々な問題を考えるうえで、まずはここに立ち返り、さらに思考を発展させていく土台となる座右の書です。(斎藤氏)』、「フリマアプリ「メルカリ」のように不用品を手軽に売れるサービスや、ものを所有しないシェアリングエコノミーなど」、「技術の力のみで社会は変えられない」、「労働組合が担うべき役割は今でもあるんです。 ところが今、労働組合の多くは、男性正社員たちの既得権益擁護団体のようなものになってしまっている。そうでなく、自分たちの製品の環境への影響や、同じ職場で働いている非正規雇用者、女性の待遇の不均衡といった問題に対して声を上げるべきです」、その通りだろう。「人新世の「資本論」が売れているということは、日本もまだ捨てたものでもないのかも知れない。

次に、9月15日付け東洋経済Plus「リーマン危機から世界を”救った”男:独占インタビュー①ケインズ経済学の神髄 宇沢弘文氏の教えから昇華、清滝教授の「独自モデル」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/575314
・『世界的な金融危機が発生したあのとき、アメリカで1人の経済学者が重要な役割を果たした。希代の理論家が語った白熱の100分を全5回で配信。 中央銀行が大規模な金融資産の購入を通じてマーケットの流動性を高める「非伝統的な金融政策」。その理論化を主導し、2008年のリーマンショックの鎮火に貢献したのが、プリンストン大学の清滝信宏教授だ。 日本人初のノーベル経済学賞受賞も期待されている清滝氏が、恩師である宇沢弘文氏と自身の理論のつながり、アメリカ当局との関わり、そして日本経済への提言まで、すべてを語った(Qは聞き手の質問、Aは清滝氏の回答)。 Q:清滝さんにとって、経済学の研究はどのような問題意識から始まったのですか? A:よく「社会的分業」と呼ばれるが、私たち一人ひとりの生活は、ほかの人の経済活動に大きく依存している。 一人ひとりは、消費や生産を行うとき、自分の利益や周囲のことだけを考えてバラバラに決めているのに、社会的分業はこうした利己的で分権的な個人の決定とうまく調和している。これは考えれば考えるほど不思議で、アダム・スミス以来の大きなテーマだ。 【ワンポイント解説】アダム・スミス(1723〜1790年)イギリスの道徳哲学者、経済学者。当時の重商主義(輸出入関係の商人を重視)を批判し、年々の労働の生産物こそが国富であるとして、個々人の活動が「見えざる手」(市場機構)に導かれて生産の増大をもたらす過程を、社会的分業の観点から分析した。主著は「国富論」「道徳感情論」。 通常の経済学では、市場経済における価格メカニズムが、個々の主体が選択した多数の財の需要と供給を同時に均衡するように調整しているため、分権的な決定と社会的分業は両立すると考えている。 ところが、これを「異時点間」、資金の貸し借りを含めた、現在と将来の財(商品・サービス)の交換という場面まで拡張すると、市場経済はもっと微妙で複雑な動きをしているのではないかというのが、そもそもの問題意識だった。 Q:時間という要素が入ると、不確実性が生じて単純な話ではなくなりますね。 A:現在だけを対象にするなら、いま財を交換して取引は終わる。一人ひとりの意思決定を阻害する要因は入りづらい。 これに対して、資金の貸し借りは、現在の財と将来の財に対する請求権を交換することを意味するが、将来、資金を返す段階になって状況が変わったり気が変わったりすると、返済しないことがある。そうなると、現在と将来の財の交換を歪ませる要因になる。 現実の経済では、担保を取ることでこの問題にある程度対応している。もし返済が滞れば、借り手は担保資産を失う、あるいは担保資産によって借金を返済する。この担保資産は、土地や建物、機械などの有形資産であったり、評判などの無形資産であったりする。こういった要素が、個々の主体の決定と社会的分業を調和させるうえで重要な役割を持つようになる。 Q:通常の経済学より、もっと考えなければならない要素が増えると。 A:さまざまな資産(担保)価値、そしてその資産価値を左右する「将来の期待」が入ってくる。うまくいっているときは、普通の価格理論よりもっと精巧な動き方をしている姿を描き出せるし、逆に、それは複雑で微妙な仕組みだから、時にはうまくいかなくなることもある。 実は、貨幣理論も同じような構図にある。もし信用が完璧でみなが確実に約束を守るなら、お互いの財の貸し借りだけで済んでしまい、別に貨幣はなくてもよい。 しかし、みなが必ずしも約束を守らないので信用が制約されると、将来の必要時に備えてお金を貯めておくとか、借り入れが難しければ貯めたお金で賄うといった行動が出てくる。だから貨幣経済というのは、信用の制約と強く結びついているわけだ』、単純な経済モデルに、現実的な要素を入れることで現実に近づけようとする意欲的な取り組みだ。
・『宇沢弘文先生に大きな影響を受けた  Q:それはまさにケインズ経済学の神髄といった感じですが、大学生のときから、このような問題意識を持っていたのですか。 宇沢弘文先生のゼミに入っていた影響が大きい。宇沢先生のやり方は少し変わっていて、学生にケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』を読ませたうえで、「そのモデルを作れ」と言う。 【ワンポイント解説】宇沢弘文(1928〜2014年) 日本を代表する数理経済学者。世界的に評価の高い経済成長理論の2部門モデルなど多数の功績を残し、「社会的共通資本」の概念も提唱。後年は公害など社会問題にも取り組んだ。 普通、大学の学部生がそんなことをしても大抵うまくいかない。僕らはうんうんうなりながら、いろいろと一貫性のあるモデルを作ろうと努力した。そのときはほとんど失敗したが、「どうもケインズの理論は、完全競争モデルではなく、不完全競争モデルのほうが相性がいいのではないか」といった感じで、あの時期はとても多くのことを考えた。 【ワンポイント解説】ジョン・メイナード・ケインズ(1883〜1946年) 20世紀を代表するイギリスの経済学者。不確実性を基礎とした有効需要論を打ち立て、政府の金融・財政政策を支持した。その学説は1970年代以降、完全雇用を前提とする新古典派の復活でいったん下火になったが、リーマン危機以後は人気を取り戻した。 Q:清滝さんは「独占的競争」についても有名な論文を書かれていますが、それも当時からの問題意識によるものなのですね。 A:そうだ。独占的競争を想定すると、需要の制約が比較的すんなりと出てくる。 【ワンポイント解説】独占的競争 完全競争市場と独占市場の中間に位置する状態の1つ。①競合する多数の生産者がいる、②製品は差別化されている、③長期的には参入と退出は自由、の3つの条件で定義される。現実の多くの市場構造と近いと考えられる。 それと同時にあの時代に考えていたのは、「ケインズ理論とは価格が即座には調整されない価格硬直性を前提としたものだ」というアメリカ流のケインズ経済学の認識はどうも不十分だということ。 僕たちは、「金融と実物生産・雇用の間に密接な相互連関がある」とするところに、ケインズ理論の本質があると議論していた。当時のモデル作りはほとんど失敗したが問題意識は残っていて、アメリカに行ってから、「もっとうまく(ケインズ的な)モデルを作れないか」という思いが再び湧き上がってきた。そうした意味で、僕は宇沢先生にものすごく影響を受けた。) Q:アメリカ留学では、ハーバード大学の博士課程でオリヴィエ・ブランチャード教授などが指導教員になりました。 【ワンポイント解説】オリヴィエ・ブランチャード 1948年生まれ。フランス生まれのアメリカ経済学者。マクロ経済学の代表的な教科書を記し、2008〜2015年にはIMF(国際通貨基金)のチーフエコノミストとしても活躍した。現在はピーターソン国際経済研究所シニアフェロー。 ブランチャード先生から「おまえは何をやりたいのか」と聞かれ、私は「今のマクロ経済学に銀行や金融の制約という要素を入れて研究してみたい」と言った。すると、「そんなことできっこない。だいたい、おもしろいかどうかもわからない」と言われましたね(笑)。 ブランチャード先生はそのころ、私の関心に否定的だったが、おそらく「できっこない」というのは正しかったと思う。1980年代初めに、もし大学院生がそんなことをやったら、たぶんうまくいかなかっただろう。 代わりに取り組んだのが独占的競争の研究だ。このアプローチでケインズ理論を考えることは、当時のアメリカでもオリバー・ハートやマーティン・ワイツマンなどがやり始めていた。日本から持って行った問題意識と、アメリカで学んだ道具を一緒に合わせて博士論文を書き上げた。 Q:本当にやりたいことは、すぐにはできなかったのですね。 A:しばらく経って、やっぱりやるべきことはこれだけではないなと思い立ち、金融や借り入れの制約を取り入れた研究を始めたり、貨幣理論に取り組んだりした。それが、ランドル・ライト(現ウィスコンシン大学ビジネススクール教授)との仕事だ。 【ワンポイント解説】清滝=ライトモデル 清滝教授が共同研究で構築した貨幣理論の1つ。従来の経済学では明確に説明できなかった「貨幣が社会的に信用されるとそれがなぜ流通し、交換・生産・消費を活発にするのか」をサーチ理論を用いて数理モデルで説明した。 当時、僕が(助教授として)働いていたのがウィスコンシン大学で、そこにはマーク・ガートラー(現ニューヨーク大学教授)やケネス・ロゴフ(現ハーバード大学教授)らもいて、いろいろ議論できた。 さらにその後渡英して、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに行き、ジョン・モーア(現エディンバラ大学教授)と一緒に仕事をした。最初は「清滝=ライトモデル」を拡張するつもりだったが、そのうちに拡張するよりもっと信用のところに焦点を当ててモデルを作ろうということになった。 ただ、それはロンドンにいる間にはできず、僕がミネソタ大学に移ってから、モーアがミネソタに来たり、僕がロンドンに行ったりしながら共同研究を進めた。そうして1990年代初めにできたのが、いわゆる「清滝=モーアモデル」だ』、「宇沢弘文先生」が「ゼミ」で「学生にケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』を読ませたうえで、「そのモデルを作れ」と言う」、「僕らはうんうんうなりながら、いろいろと一貫性のあるモデルを作ろうと努力した。そのときはほとんど失敗したが、「どうもケインズの理論は、完全競争モデルではなく、不完全競争モデルのほうが相性がいいのではないか」といった感じで、あの時期はとても多くのことを考えた」、「やっぱりやるべきことはこれだけではないなと思い立ち、金融や借り入れの制約を取り入れた研究を始めたり、貨幣理論に取り組んだりした。それが、ランドル・ライト・・・との仕事だ」、さすが宇沢氏の指導は「清滝」氏に大きな影響を与えたようで、さすがだ。
・『信用と資産価値の相互作用を理論化  Q:清滝=モーアモデルは、清滝さんの論文の中でも最も注目されているものの1つです。詳しく教えてください。 標準的な経済学では、土地や建物、機械などの資産は生産要素としてだけ扱われてきた。しかし、「人は必ずしも約束を守らない」といった信用の制約がある経済では、そうした資産は担保としても有用だ。 すると、資産(担保)の価格が上がれば上がるほど、信用も大きくなると同時に、信用が大きくなればなるほど、市場を通じて資産価値にも影響を与えるという相互作用が生まれる。これを何とか理論化しようした。 具体例を挙げたほうがわかりやすいだろう。たとえば日本では、1980年代後半に円高不況を受けて金融緩和が進み、同時に日本経済の将来に関して楽観的な期待が広がり、株や不動産などの資産価格が上昇を続けた。そうすると、お金を借りている人は資産(担保)価値が上がれば信用枠が大きくなるため、よりたくさんのお金を借りられるようになった。 一方で「負債のテコ作用」というものもある。たとえば、資産の50%を借金で賄っている人は、資産価値が10%上がると、負債を除いた純資産価値(資産−負債)は大体20%上がることになる(金利を無視すれば負債価値は一定のため)。 通常の経済学では、価格が上がれば需要は減るのだが、以上の2つの作用(担保価値の上昇による信用力の向上と負債のテコ作用)から、資産価格が上がると、純資産価値はそれ以上に増えてもっと借りられるようになるので、信用枠いっぱいまで借りている主体では「価格が上がると、需要は増える」という逆説的なことが起こる。 そういう企業や家計が借り入れをして資産をどんどん購入すると、純資産価値は今期だけでなく、来期も再来期も増えるだろうという予想が生まれてくる。そして、それが今期の資産価格にさらに跳ね返ってくるという増幅作用が働く。こうしたことを理論化したのが、清滝=モーアモデルだ。) Q:このモデルは、資産デフレの説明にも使えますね。 A:上昇にも使えるし、収縮にも使える。たとえば、日本銀行がバブル経済に対応して1990年から金融引き締めを本格化すると、(価格上昇から価格下落へ)逆回転を始めた。 資産価格の上昇のことを「バブル」と考える人がいるが、先ほど話したように、僕たちはそれを増幅作用と、資産に担保価値が乗っているという形で考える。そして、信用枠いっぱいまで借りている主体の純資産が一度増えると、資産需要増が続くため、景気が持続する面もある。 それがマイナス方向の場合には、いったん信用を制約された主体の資産需要が縮小すると、回復に時間がかかる。資産需要の停滞が長引くと予想されると、信用の制約のない主体(たとえばウォーレン・バフェットなど)も価格が低くなければ買わないので、現在の資産価格は大きく下落する。 借り手の純資産はテコ作用でさらに大きく減少するため、資産価値の下落、信用や生産の縮小が進行してしまう。多分、日本の人々にはなじみが深いのではないか。 Q:いやというほど味わいました……。 A:(著名な官庁エコノミストの)香西秦さんには、「昔、自分がこうした話をすると理論に基づいていないと文句を言われたものだが、こうしてきちっと理論化してくれたのでとても助かる」と言っていただいたことがある。 今まで直感的に理解していたことを、目に見える形にして、何が前提条件でどこが肝心のメカニズムなのかということを示すのが重要だ。その分析を数式で表現し、理論的に整合的に説明したことが僕たちの貢献だと思う』、「バブル」は通常の経済学では説明がつかないが、「清滝=モーアモデル」なら説明できるというのは画期的だ。まさに、今後のノーベル経済学賞候補にふさわしいようだ。

第三に、本年5月2日付け日経ビジネスオンラインが掲載した大阪大学大学院経済学研究科准教授の安田 洋祐氏による「ビジネススクールでも教えてくれない、武器としての経済学」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00448/042500003/
・『最新の経済学は、米グーグルや米アマゾン・ドット・コムをはじめ、多くの米国企業で導入されています。しかし日本に目を向けてみれば、直感、場当たり的、劣化コピー、根性論で進められている仕事も少なくありません。なぜ米国企業は、経済学を積極的に採用しているのか。本当に経済学はビジネスの役に立つのか。役立てるにはどうしたらいいのか。『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。 仕事の「直感」「場当たり的」「劣化コピー」「根性論」を終わらせる』 から一部を抜粋し、著者の1人、安田洋祐氏がビジネスと経済学の掛け合わせによる新しい可能性を探ります。1回目は、従来、近くて遠い存在であった経済学とビジネスの新しい可能性について』、「ビジネスと経済学の掛け合わせによる新しい可能性」とは興味深そうだ。
・『経済学は、本当は仕事に役立つ学問  「経済学」という学問は、今、日本社会で活用されている以上に、本当はもっとビジネスに役立つ学問です。ただもしかしたら、みなさんの中には「学問は、ビジネスにはほとんど役に立たない」──もっというと「学問は、暮らしや社会には、直接的にも間接的にもほとんど関わりがない」と感じている方もいるのではないでしょうか。 特に、人文科学や社会科学の場合は、何かしらの学問分野を学び、「賢くなった」「ものの見方や考え方が変わった」という形で、得るものはあっても、それで自分の仕事がうまくいったり、日々の暮らしがよくなったりすることはないんじゃないか。そう感じる方も少なくないと思います。 学問というのは、机上で学ぶだけでなく、学んだことを実社会のなかで使ってこそ、その真価は発揮されます。一方で、多くの学問について、学んだ内容を役立てるために欠かせない、肝心な使い方まではきちんと伝わっていないようにも感じます。とりわけ、わたしが専門とする経済学は「実社会において非常に役立つ武器であるにもかかわらず、その真価をあまり発揮できていない学問」の最たるものではないか。そう強く感じています。 ここであえて「武器」という強い言葉を使いましたが、それはもちろん、他人を攻撃したり、何かを破壊したりするという意味ではありません。真意は「暮らしの改善や利益の拡大に役立つ心強いツール」ということです。あと、本物の武器と同じように、ライバルより先に使うと有利になるという意図も込められています』、「経済学は「実社会において非常に役立つ武器であるにもかかわらず、その真価をあまり発揮できていない学問」の最たるものではないか。そう強く感じています」、経済学者の責任でもあるのではなかろうか。
・『「経済学は役に立たない」と言われる理由  武器は、その仕組みや、それが何に使えるのかを知っているだけでは、役に立ちません。当たり前ですが、実際に使ってみて初めて役に立ちます。 この「使う」という視点は、経済学の教育で乏しいように思います。「知る」とか「理解する」でとどまっているのですね。経済データの扱い方を知るとか、市場の仕組みを理解するというように。いわば教科書できれいなサイエンスを学ぶことで止まっている。そこから一歩踏み込んで、現実の問題を解決していく。実は、経済学はそれができる段階にとっくに達しています。 もちろん現実で起こる出来事は、教科書に書かれていることと同じではありません。似ているものはあっても、完全に同じものはない。きれいなサイエンスは、現実を把握するための物差しとしては非常に有用ですが、それだけでは対処できないのです。 例えば、わたしはある野菜の市場設計に携わったことがあります。教科書の市場理論は、もちろん役に立ちます。しかし教科書のなかでは、どんな商品も一緒くたに「財」として扱われてしまう。野菜もボールペンも、どれも「財」として抽象的に扱われるのです。 しかし野菜の市場設計を考えるためには、野菜ならではの難しさを考慮しなければいけません。具体的には、野菜は放置すると腐るから、受け渡し場所は冷蔵施設があるところにしようとか。決められた納期を守るために、物流もきちんと確保しなければいけないとか。農家のなかにはIT機器の操作に慣れていない人もいるので、ごく簡単な操作で、それなりによい取引ができるルールにしようとか。 つまり、個別の問題に向き合って解決していく必要があるわけです。これはサイエンスというよりは、エンジニアリングという言葉のほうがしっくりきます。「サイエンスで問題に接近していき、エンジニアリングで解決する」というイメージですね。 現在の大学の経済学教育では、このエンジニアリングに関する要素が決定的に欠けているように感じます。ほとんど教えていない、という大学も少なくないでしょう。サイエンスは大切ですが、それだけではバランスがよくありません。 経済学を実社会において役立てるためには、「サイエンス」と「エンジニアリング」の両方が必須です。そして、経済に関する「サイエンス」と「エンジニアリング」を合わせたものが「武器としての経済学」なのです』、「経済に関する「サイエンス」と「エンジニアリング」を合わせたものが「武器としての経済学」なのです」、経済にも「エンジニアリング」があるとは初めて知った。
・『日本企業はなぜ経済学者を雇わないのか  自然科学では、エンジニアリングの重視は当たり前です。経済学は歴史が浅く、本格的に科学となったのはおそらく20世紀半ばくらいでしょうか。最近ようやくエンジニアリングを重視できる段階に入ったのだと思います。 細かいことをいうと、2002年にアルヴィン・ロス氏という学者が「The Economist as Engineer」という論文を公刊し、それが学界のムードを変えました。 「えっ、ムードってなに?」と思われるかもしれませんが、雰囲気って大切なんですよ。学問は人間がつくっているもので、自分はどういうものをつくるか、他者がつくったどういうものを評価するかに、学界のムードは大きく影響するんですね。 ロス自身、エンジニアリングな経済学を発展させてきた人です。彼は腎移植マッチングや研修医制度の設計などで多大な貢献をして、2012年にノーベル賞を授与されています。 話を戻しましょう。エンジニアリングな経済学の歴史はまだ若いです。特にいま日本社会の中枢にいる年代の人は、よほど学び続けている方でない限り、エンジニアリングな経済学をほぼご存じないでしょう。経済学部出身の方でも、ほとんどキャッチアップできていないのではないでしょうか。厳しい言い方になってしまうかもしれませんが、だからこそ、いまだに経済学が日本企業の武器になっていないのです。 わたしが残念に思うのは、もし企業が経済学博士を積極的に雇用したり、ビジネスパーソンと経済学者が幅広く人事交流する機会があったりしたら、エンジニアリングな経済学はもっと早く日本社会に広まっていたであろうことです。 もちろん、こうした流れを生み出せなかった責任は、サイエンス教育にばかり特化して、エンジニアリングを疎(おろそ)かにしてきた大学にもあります。この点では、日本は米国に少なくとも20年は後れをとっています。では、この状況を変えるためにどうすればよいのでしょうか』、「責任は、サイエンス教育にばかり特化して、エンジニアリングを疎(おろそ)かにしてきた大学にもあります。この点では、日本は米国に少なくとも20年は後れをとっています」、「米国に少なくとも20年は後れ」とは致命的だ。
・『まずは「ざっくりとした知識」で十分  このようにお伝えすると、「経済のサイエンスとエンジニアリングをいまから勉強する、の……?」と思って、ゲンナリされた方もいるかもしれません。 ですが、ご安心ください。足りなければ、すでに経済学のサイエンスとエンジニアリングを身につけている仲間を加えればいいのです。「経済学の父」とも呼ばれるアダム・スミスが説いた「分業の利益」を思い出してください。1人で、あるいは自社で全部行う必要はありませんし、それは多くの場合、むしろ非効率でしょう。「サイエンス」と「エンジニアリング」の両面から経済学をビジネスに役立てる、そのために経済学者がいるのです。 手前味噌に聞こえるかもしれませんが、経済学者を事業チームに引き入れるのは、現状を変える有効な手段です。役に立つ武器をもっている専門家を仲間にして、自分たちで使っていくわけですね。 その際には、経済学だけでなく、経済学者をうまく使うことが大切です。例えば、『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』の共著者のうち、唯一のビジネスパーソンで、わたしを含む多くの経済学者を使ってきた今井さんは、経済学者とビジネスパーソンとで、「先生と生徒」の関係にならないことが重要だと強調していました。つい経済学者を「先生」のようなポジションに置いてしまいがちですが、そうすると「生徒」側はビジネスの事情や性質を「先生」に教えにくくなってしまうといいます。 ビジネスパーソンに求められるのは、経済学や経済学者が、個別のビジネス課題に対して、どのような形で役に立つのか、そのざっくりとしたイメージをつかむこと。それができていれば、ニーズが生じたときに、適切な経済学者を見つける「仲間さがし」もきっとうまくいくはずです。 経済学がビジネスにとってどんな武器となり得るのか、経済学者がビジネスにどんな価値を提供できるのか、という少し具体的な提案は、これからのこの連載で、お伝えしたいと思います』、「経済学者とビジネスパーソンとで、「先生と生徒」の関係にならないことが重要だと強調していました。つい経済学者を「先生」のようなポジションに置いてしまいがちですが、そうすると「生徒」側はビジネスの事情や性質を「先生」に教えにくくなってしまうといいます」、なるほど。 「ビジネスパーソンに求められるのは、経済学や経済学者が、個別のビジネス課題に対して、どのような形で役に立つのか、そのざっくりとしたイメージをつかむこと」、「少し具体的な提案は、これからのこの連載で、お伝えしたいと思います」、今後の展開が楽しみだ。
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日本型経営・組織の問題点(その13)(見えない価値「非財務資本」こそが生死を分ける 日本企業がGAFAMの足元にも及ばない真の理由、「日本型経済システム」の成立条件が 完全なる終焉を迎えつつある根拠 『比較制度分析序説――経済システムの進化と多元性』(青木昌彦著)で読み解く、似た者同士で群れる日本人 リーダー量産するインド人とどう違う?) [経済政治動向]

日本型経営・組織の問題点については、昨年12月25日に取上げた。今日は、(その13)(見えない価値「非財務資本」こそが生死を分ける 日本企業がGAFAMの足元にも及ばない真の理由、「日本型経済システム」の成立条件が 完全なる終焉を迎えつつある根拠 『比較制度分析序説――経済システムの進化と多元性』(青木昌彦著)で読み解く、似た者同士で群れる日本人 リーダー量産するインド人とどう違う?)である。

先ずは、本年1月17日付け東洋経済オンライン「見えない価値「非財務資本」こそが生死を分ける 日本企業がGAFAMの足元にも及ばない真の理由」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/503177
・『「ウチの株価、どうしてこんなに低いんでしょうか。足元の業績も悪くないし、成長もしている。自己株買いだってやっているのに」――。ある東証1部上場企業のCFO(最高財務責任者)は、業績の良さとは裏腹に低迷する株価をみてうなだれる。 コロナ禍の大規模な金融緩和もあって、日本企業の株価はバブル期以降の低迷期を脱したようにみえる。しかし、足元では日経平均株価が3万円に届かないまま行ったり来たり。半導体や自動車のメーカーを中心に企業の業績は良くなっているのに、なぜか株価が思ったほど上がらない。 一方、株価が上昇し続けているのがアメリカの市場だ。GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック(現メタ)、アマゾン、マイクロソフト)など、巨大IT企業の株価が牽引し右肩上がりが続く。コロナショックからの回復期を経て、S&P500などアメリカ市場の代表的な株価指数はまだまだ最高値を更新し続けている。 アメリカ株の上昇を「バブルだ」と片付けてしまうのは簡単だ。しかし、日本株が低迷してきた過去30年間でも、アメリカ株は中長期で見て上昇基調を維持している。日米の企業価値の差は歴然である』、興味深そうだ。
・『過去の業績では株価は動かない  1月17日(月)発売の『週刊東洋経済』1月22日号(1月17日発売)では「企業価値の新常識」を特集。「非財務資本」を巡る、企業の混乱と対処法について、まとめている。 企業会計の専門家たちは、近年、時価総額が財務諸表に載っている業績データで説明できなくなってきていると指摘する。財務諸表に載っていない、見えない価値を説明するために出てきたのが、「非財務資本」という概念だ。 産業の中心が製造業だった時代には、工場の生産能力から将来生み出される製品の量が予測でき、そこから未来の企業業績を比較的簡単に計算できた。まさに財務諸表全盛期だ。 しかし、現在では産業の中心がITを活用したサービス産業に移行している。とくにネット系のビジネスではユーザーの数や顧客満足度が将来の稼ぎに大きく影響するが、こうした情報は財務諸表にはほとんど載っていない。 サービス産業への移行にうまく適応したのがアメリカの企業だった。 GAFAMを代表とするIT企業群は、ソフトウェアや優秀なエンジニア、働きやすい環境作りなどに積極的に投資し、財務諸表に載らない「非財務資本」をうまく蓄積してきた。 翻って、日本の企業は環境変化への対応や人材への投資を怠ってきた、と言わざるをえない。例えば人材への投資という点では、入社時や昇進時に数日程度の研修を行うことはあっても、従業員のスキルアップにつながるような投資を地道にしてきただろうか。 あるいはDX(デジタルトランスフォーメーション)が近年話題にはなってきたものの、単純な業務の「デジタル化」にとどまっている例は枚挙にいとまがない。インターネットやさらにその先の革新的な技術による新たな事業の創出に結びつくことは稀ではないだろうか。 数字からも日本企業の出遅れ感は明らかだ。PBR(株価純資産倍率)は、倍率が高いほど「非財務資本」が大きいことを表すが、日本企業のPBRは1倍付近で停滞している。アメリカの上場企業平均が約3倍なのに対し、明確に低い水準だ。東証1部でも1000社以上がPBR1倍を下回る、すなわち時価総額が純資産より少ない状態にある』、「従業員のスキルアップにつながるような投資を地道にしてきただろうか。 あるいは「DX」も「単純な業務の「デジタル化」にとどまっている例は枚挙にいとまがない」、こうした「日本企業の出遅れ感」が、「日本企業のPBRは1倍付近で停滞・・・アメリカの上場企業平均が約3倍なのに対し、明確に低い水準」、その通りだ。
・『企業価値を高める秘策とは何か  では企業価値を高めるにはどうすればよいか。いきなり非財務資本を高めよと言われても難しい。ただし、手がかりはある。 例えば、気候変動関連の開示への対応を進めること。足元で国際的な枠組みの策定が進み、4月にスタートするプライム市場の企業には、新たな枠組みでの開示が求められる。開示対応には2つのメリットがある。 まず、こうした開示への要求に積極的に対応すれば、投資家から再評価される可能性があることだ。預かった資産を中長期で安定して運用する責任のある機関投資家にとって気候変動のリスクは大きい。適切な開示を行う企業には、投資家が安心して資金を投じる可能性が高い。 また、新しい開示の枠組みに対応しようとすれば、例えば「2100年に地球全体の気温が産業革命以前と比べて4度上昇するとき、あなたの会社のビジネスにはどのような財務影響がありますか?」といった難しい質問にも、答えていることになる。少なくともそうした問題意識を持ち、取り組んでいる姿勢を投資家に示していると、評価されやすい。 投資家のためだけでなく、自社のためにもなる。こうした新しい開示の枠組みに少しずつでも対応していくことで、中長期で自社のビジネスモデルや戦略を見直すきっかけにもなるというわけだ。 企業価値を巡る考え方は、実体のあるモノをどれだけたくさん抱えているかということから、人材やノウハウ、ブランド、顧客満足度など、数えたり測ったりできない対象へ主眼が移っている。 こうした新しい企業価値の考え方に基づいた開示を行っている企業もある。エーザイ、キリンホールディングス、伊藤忠商事などだ。まずはこうした先行企業の事例から学び、企業価値の向上につなげてほしい』、「企業価値を巡る考え方は、実体のあるモノをどれだけたくさん抱えているかということから、人材やノウハウ、ブランド、顧客満足度など、数えたり測ったりできない対象へ主眼が移っている。 こうした新しい企業価値の考え方に基づいた開示を行っている企業もある」、「こうした先行企業の事例から学び、企業価値の向上につなげてほしい」、同感である。

次に、3月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したプリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役の秋山進氏による「「日本型経済システム」の成立条件が、完全なる終焉を迎えつつある根拠 『比較制度分析序説――経済システムの進化と多元性』(青木昌彦著)で読み解く」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/299512
・『日本経済の停滞ぶりが「失われた○○年」と形容され、「日本は変わらなければならない」と言われ続けて久しい。「変わらなければ」論者は、あるときは、資本主義社会においてより普遍的といわれているアメリカ型の組織やシステムを、またあるときは、先ごろまでは好調だった中国経済を対象に現象面を比較し、異なる点を見つけては、日本のあり方は間違っている、遅れていると自虐的に指弾する。 そうした「反省」に基づいて、さまざまな改革が実際に試みられた。コーポレート・ガバナンス改革、DX改革、ROE重視の経営や、ジョブ型雇用……。日本経済が遅れていて、ガラパゴスだという論は果たして100%正しいのか。それとも改革は流行に流されていて、意味のないものなのか。あるべき姿とはどのようなものなのか――。疑問を持つ人は多いに違いない。 これらの疑問への多大なヒントを与えてくれるのが、ノーベル経済学賞候補に名を連ねたこともあり、スタンフォード大学でCIA(比較制度分析)の講座を立ち上げた、青木昌彦氏の著書『比較制度分析序説――経済システムの進化と多元性』である。丁寧に解説していきたい』、興味深そうだ。
・『日本経済が脅威であった時代にいち早く提言された日本企業の課題  本書の単行本が出版されたのは1995年。バブル崩壊後、いまだ日本経済が他国にとっての脅威であり、日本異質論に対応して日本の経済システムを他の先進国と同様のものに変えなければならない、という外圧が強かった頃である。 本書は、当時経済分析のツールとして機能し始めた情報の経済学、ゲームや契約の理論などの分析言語を使って、新たな視点から一国経済を分析し、多くの人が普遍的だというアメリカ型の経済システムも、特殊だといわれた日本型の経済システムも、多様な均衡解(さまざまな状況や条件が重なって暫定的に最適解のように収まっている状態)のひとつであり、状況によっては均衡解でなくなることを、一般向けに解説している。 経済システムの多様な在り方や日本の経済システムの原型を理解することで、現在のシステムのゆらぎの把握や、この先に(少なくとも理論上は)あるはずのよりよい均衡点(よりよいシステムの在り方)への展開を感じることができる。それはマクロな国家の経済システムとミクロな組織と人の在り様の両方を接続して考えるうえで、非常に大きなヒントになる。 本書の基本的な考え方は、以下のようなものである。 経済主体の合理性の限界、人々のあいだでの情報の分配の非対称性、市場の不完全性などのゆえに、時空を超えて普遍的な規範的価値を持った経済システムなどというものは本来ありえない」(『経済システムの進化と多元性―比較制度分析序説』(青木昌彦、講談社学術文庫、以下引用はすべて同書) 人も企業も完全に合理的な意思決定はできない。また、人々の間には情報格差がある。さらには現在の市場は、欲しいものを欲しい人が適正な価格で得られるような完璧に合理的な売買ができるように動いてはいない。だから、いつ誰にとっても合理的で完璧な経済システムというのはあり得ない、と言っている』、「時空を超えて普遍的な規範的価値を持った経済システムなどというものは本来ありえない」、「いつ誰にとっても合理的で完璧な経済システムというのはあり得ない」、との考え方は納得できる。
・『炙り出された企業の生産性を左右する要素  青木はその前提に立って、企業組織が実際にどのように運営されているかを分析した。その結果、企業の生産性は、企業の業務や生産に携わる人々が持つ情報の量や質と、その情報を基にした決定の権限や義務の組織的配置に依存しているということを明らかにした。 企業で働く人の情報量と質がどんなものであるかということと、それを基に誰が何を決められるかによって生産性が変わるというのである。そして組織の基本型は、ある職場や組織のシステム全体の活動のコストや売り上げに影響を与えるシステム環境パラメータと、それぞれの職場の活動のコストや売り上げに個別に影響を与える個別環境パラメータの2つの視点で分けることができると考えた。 「企業組織のコーディネーションには五つの基本型(※)がありうることを示す。それらは、古典的・機能分権的・水平的ヒエラルキーと情報同化型、情報異化型である。(中略)そしてもっとも重要なことは、これらのタイプのどれが最も(情報)効率的であるかは、組織環境の活動のあいだの技術的・確率的関連性、社会に存在する個人の情報処理能力(技能)のタイプと水準の分布などに依存するのである」 ※2003年の青木の『比較制度分析に向けて』では、その後の研究では3つの基本型に収斂している。ヒエラルキー分割、情報同化、情報カプセル化である。 2つのパラメータを使って、5つの基本型が導き出される論理展開は大変興味深い。たとえば、アメリカの典型的な産業である石油化学工業と日本の典型的な産業である自動車産業における企業の意思決定では、最終製品の販売や個別の部品に関する直近の情報がどれだけ生かされる仕組みになっているか(システム環境パラメータ)、現場にどれだけ裁量があり、全体の状況から独立してどれだけ自由に意思決定できるか(個別環境パラメータ)の、2つ観点による違いが明確にされる。 ある事業で、どのような組織運営がふさわしいか(どのような情報をどのように生かすしくみにするか、ある事柄についての意思決定がどのように決まるのか――現場の裁量で行われるのか、中央で統一的に決めるのか)は、産業構造によって決まるということが証明されていく。 さらにそこに影響を与えるのが、産業勃興時の初期条件である。たとえばアメリカでは、第二次世界大戦中の軍需生産で生産性が増大し、科学的なシステマティックな経営管理が導入され、労働者を組織的に訓練し、明確に職務を切り分けて、職務ごとにマニュアルに沿って運営する分権的ヒエラルキーが精緻化されていた。一方、同時期に日本では、大量の徴兵で労働力が不足し、仕事を専門化することが不可能になったため、労働者と工場長などの職長、ブルーカラーとホワイトカラーの身分差別が急速に消失し、互いに情報共有する傾向が飛躍的に高まった』、「産業勃興時の初期条件」の日米の違いは、納得できる。
・『分権型の経営が得意な米国と水平型の経営が浸透する日本  アメリカでは「仕事の種類を切り分けて権限移譲する分権的ヒエラルキー」的要素が、日本では「みんなで情報共有する水平的ヒエラルキー」的な要素が組織の中に浸透していたのである。 その結果、日本においては産業構造的に水平的なすり合わせ(情報共有)を必要とすることで優位性を発揮できる(水平的な)、自動車産業、工作機械、電気機械などが優勢になった(下請けの部品工場がサイバーアタックを受けたら、グローバルで全社的な生産まで止まってしまうような自動車産業は、その典型的な例であろう)。 一方、すり合わせなしでも意思決定できる(分権的な)、アメリカが得意な石油化学工業などは、競争力を持たなかった。石油化学は買ってきた原油を集めて、一旦ナフサや重油や軽油に分ければ、あとは、ナフサ部門、重油部門、軽油部門などから細かく何十、何百もの部門に派生していって、それぞれの部門で複雑な製品の製造を行うので、分かれたあとには横の連携はほぼないのだ。 このように、産業ごとにふさわしい組織型は異なる。したがって本来は、産業ごとに水平的、分権的など、マッチした組織の型を採用して運営すればよい。しかし、そうはならないのである。 「ある経済では、いずれかの基本型が支配的になっている。たとえば、日本では情報共有型あるいはその進化型としての水平ヒエラルキーが支配的であるし、アメリカでは従来、分権的ヒエラルキーが支配的であった」) なぜそうなるのか。それは経済主体(人や組織)が市場の支配的な組織の型に合わせて、自己の投資戦略を決めるからである。たとえば日本にいれば、日本に多いタイプの組織で必要な能力を身に着けておいたほうが出世するし賃金も上がるから、その技能を身に付けようとするということである。 「各経済主体は、企業組織に参加する前に(すなわち企業を興すか、雇用される以前に)、情報処理能力の形成の方向性に関して選択を行わねばならない。ひらたくいえば、教育、技能訓練などによって、一定の方向性を持った技能への投資を行わねばならない。たとえば、どのような組織においても通用するような特殊機能の技能(機能的技量)に投資するか、あるいは特定の企業組織参加後にその文脈で有用な技能(文脈的技能)に磨きをかけるという展望を持って、まずは一般的な問題処理能力や組織的コミュニケーションの能力(可塑的技能)に投資しておくか、の二つの選択肢がありえよう」』、「産業勃興時の初期条件」の日米の違いから、「分権型の経営が得意な米国と水平型の経営が浸透する日本」に分かれたというのも、説得力がある。
・『機能的技量と可塑的技量ではどちらの投資リターンが高いか  機能的技量の投資のほうがリターンを得られる可能性が高い地域では機能的技量が、可塑的技量への投資のほうが高いリターンが得られる可能性が高い地域では可塑的技量を高める選択することが、合理的な戦略になるのだ。おおざっぱにいえば、特殊機能の技能(機能的技量)とは、日本の会社における専門職で必要な技能、文脈的技能、可塑的技能は、総合職で必要な能力と考えておけばいいだろう。 学生時代に特殊機能的な技能を習得し、そうした仕事を得てその領域で生きていくことが前提とされている社会では、戦略的に特殊機能的な技能への投資が行われるが、入社した後に何をするか、どのようなキャリアを歩むのかなどが予測できない場合は、一般的な問題処理能力やコミュニケーション能力といった文脈的技能、可塑的技能への投資を人は選択するのである。 専門的なスキルを磨いたほうが就職しやすく、その後の収入も保証されているなら、人は学生時代にそのような勉強をするし、新卒で有名企業に総合職で入れば一生安泰という二昔くらい前の日本であれば、新卒を一括採用する大手有名企業の内定を取るため(入試の学力試験が問題処理能力には直結しないとはいえ)5教科を勉強し、より偏差値の高い大学に入り、アルバイトやサークル活動で「コミュ力」を磨こうとするのである。 個々の経済主体(個人)の間で、文脈的技能の獲得が支配的になれば、本来は機能的技能を優先すべき石油化学産業にあっても、文脈的技能を重視する組織運営が支配的になってしまう(これは進化ゲームという分析によって明らかになる)。) どちらが先なのかわからない、鶏と卵のような話でもあるが、学生が偏差値的学力やコミュ力を磨くことが一般的になれば、専門スキルを重視すべき業界でも、偏差値的学力とコミュ力を企業は重視するようになる。事実、日本企業が新卒採用時に最も重視するのは専門的なスキルや知識(機能的技能)ではなく、問題処理能力、コミュニケーション能力や主体性(文脈的技能、可塑的技能)であり、日本の石油化学産業にもそうした能力が高い人材が送り込まれることになった。 さらに本書では、このような雇用システムに加え、他のシステム(メインバンクによるガバナンスと内部者による会社の支配など)が補完的に機能し合い、日本型の経済システムが構築され機能してきたと説明されている。個々のシステムが相互拘束し合い、一連の強固なシステムとして機能し始めると、多少一部でルールや制度が変わろうと、経済システムや組織運営方法の基本型は変化することなく継続する。 メインバンクや系列企業同士で株を持ち合って、お互いにがっちり縛り合い、どこかの制度を少しいじって表面的に成果給を入れてみたり、「株主による経営者の監視(コーポレートガバナンス)をこれからはしっかりしてください」と規則を厳しくしたりする程度の変革では、びくともしない日本型経済システムの体系が作り上げられたということなのである』、「新卒を一括採用する大手有名企業の内定を取るため(入試の学力試験が問題処理能力には直結しないとはいえ)5教科を勉強し、より偏差値の高い大学に入り、アルバイトやサークル活動で「コミュ力」を磨こうとするのである。 個々の経済主体(個人)の間で、文脈的技能の獲得が支配的になれば、本来は機能的技能を優先すべき石油化学産業にあっても、文脈的技能を重視する組織運営が支配的になってしまう」、「個々のシステムが相互拘束し合い、一連の強固なシステムとして機能し始めると、多少一部でルールや制度が変わろうと、経済システムや組織運営方法の日本型は変化することなく継続する」、道理で「日本的経済システム」が「強固」なわけだ。
・『偏差値的学力向上と「コミュ力」磨きが成功への近道だった日本の学生  このようなことから、多くの外圧、内圧に晒され、部分的な手直しが多発しながらも、日本的経済システムの基底はこれまでなかなか変わらなかった。最も重要なことは、すり合わせを中心とする水平型の組織運営こそが競争力の源泉である産業がビジネス界の中核にあり、そのため経済主体(個人)は可塑的技能に投資することが合理的であり、またそれが当たり前であると信じて疑わない人が、組織運営の中核を担ってきた。 カンバン方式、ジャストインタイムなどの自動車産業のように、水平的に緊密に連携し合うチームワークの組織こそが、ものづくりの素晴らしい組織だと神格化され、そういう社会で育った学生たちも、専門スキルよりは偏差値的学力向上と「コミュ力」を磨くことに力を入れることが、人生での「成功」の近道であり、それが当たり前だ思う人たちが、日本経済の中心にいたということである。 しかしながら、このように強固であった日本型の経済システムも、とうとう分水嶺をこえて、まだ姿の見えない新たなシステムに向けて、流動する時代に突入してしまったのではないかと思われるのである。 すでに、これまでも日本の大企業(上場企業)は、メインバンクによるモニタリングから、株主によるガバナンスの方向へと舵が切られ続けてきたし、その方向性はますます強まっている。メインバンクによるガバナンスのシステムは、企業が不振になり銀行の債権が脅かされない限りは、利益創出にそれほどこだわらない。 銀行さえ損をしなければ、企業の運営がどうなろうと知ったことではないのであるが、一方、株主ガバナンスは常に企業価値の向上を求める。時代の変化に合わず、価値を創出できない組織運営は許容されない。株主が求めるような利益を上げられない会社は、株主からノーと言われる。) 産業構造においては、エレクトロニクスやIT産業でソフトウェアのアプリケーションひとつで性能を変えられるような、入れ替え可能なモジュール化が進み、自動車産業においてもEVに切り変わっていく中で、これまでのすり合わせ(水平ヒエラルキー)重視の組織や組織間の関係が過去ほどの優位性を持てなくなり、利益創出がピンチを迎えている。 さらに、もうすぐIoTの時代に入るから、系列を超えて誰とでもどことも繋がることを前提にした、これまでとは異なる規格に基づいたオープンな情報コーディネーションの時代に入る。 さらには、日本発のグローバル大企業においては、すでに製造拠点の多くは日本になく、研究や開発、商品企画などにおいても日本国内でのみ行われるわけではなくなっている。外国の自社社員との協働も当たり前である。このような状況下にあっては、いまだに日本においてのみ水平的ヒエラルキーを前提に、可塑的技能(総合職的な問題処理力とコミュ力)への投資が支配的な人事制度を維持しているデメリットが大きい』、「強固であった日本型の経済システムも、とうとう分水嶺をこえて、まだ姿の見えない新たなシステムに向けて、流動する時代に突入してしまったのではないか」、「エレクトロニクスやIT産業でソフトウェアのアプリケーションひとつで性能を変えられるような、入れ替え可能なモジュール化が進み、自動車産業においてもEVに切り変わっていく中で、これまでのすり合わせ・・・重視の組織や組織間の関係が過去ほどの優位性を持てなくなり、利益創出がピンチを迎えている」、「IoTの時代に入るから、系列を超えて誰とでもどことも繋がることを前提にした、これまでとは異なる規格に基づいたオープンな情報コーディネーションの時代に入る」、「日本発のグローバル大企業においては、すでに製造拠点の多くは日本になく、研究や開発、商品企画などにおいても日本国内でのみ行われるわけではなくなっている。外国の自社社員との協働も当たり前である。このような状況下にあっては、いまだに日本においてのみ水平的ヒエラルキーを前提に、可塑的技能・・・への投資が支配的な人事制度を維持しているデメリットが大きい」、「日本型の経済システムも」「新たなシステムに向けて、流動する時代に突入」、いよいよ変化しつつあるようだ。
・『水平型ヒエラルキー的な働き方にダメ押しをしたリモートワークの定着  具体的に言うと、高い専門スキルを持った外国人エキスパートを、総合職的な能力重視で深い専門的技能を持っていない上司は、マネジメントできないのである。また、職務ごとに市場価格が定められる労働市場において、高い給与を出せないと優秀な人も採用できない状況に追い込まれるのである。そのようなことから、過去のように建前としてではなく、必要に迫られて機能的技能(専門的スキル)が重要視されるジョブ型雇用に転換する大企業が出現しているのである。 皆がいつも顔を合わせて、なんでも”ホウレンソウ“しながら決めていく水平型ヒエラルキー的な日本企業の仕事の進め方は、これまでも長時間労働の温床であるため、効率的な運用に変えることが求められてきた。さらには、有給休暇も消化し切ることが普通になり、残業時間も厳しく制限されるようになってきている。 そこに、コロナ禍によるリモートワークの定着である。皆が顔を合わせる時間は大幅に減り、自分の仕事を明確に定め、他の同僚や他部署との接続部分においてのみ仕事上のコミュニケーションを重点的に行う仕組みに、変えざるを得ない。この状況下では、その分野に高い能力を持つ上司が、仕事を適切に切り分けモジュール化して、個々人に分権的に仕事を割り振りながら、必要なところだけ互いの業務を調節する仕組みに変えたほうが、圧倒的に効果的かつ効率的である。従来の水平型のコミュニケーションを促進し、調整の場だけをつくって合意を形成する能力(可塑的能力)だけが高い非専門家の上司は、不要なのである。) このような大きないくつもの変化を背景に(コーポレートガバナンスの形式を整えるといった制度的な小手先の変革でなく)、企業の組織運営システム(水平型なのか分権型なのか、それ以外なのか)の在り方と、経済主体(人や組織)の意思決定そのものが変わらざるを得なくなりつつある。水平型を前提とした個人の可塑的技能への投資は、大きく変化するだろう。つまり総合職人材を育てる企業は少なくなるということである。 「ある一つの進化的均衡から他の進化的均衡への移行のために最低限必要な、突然変異の総人口に占める比率を、前者から後者への『移行費用』と呼ぶ。一つの進化的均衡から他の進化的均衡への移行はかなりのサイズを以って一塊の集団(critical mass)による『同時的』変異によってもたらされる」 あるシステムから別のシステムへの変更には、それなりの人数がそのシステムに一斉に鞍替えしなければ行われない(この一斉の鞍替えを移行費用という)。グローバル化によるジョブ型の導入とリモートワーク時代の到来という2つの力が同時に加わり、クリティカルマスは超えられた、つまり社会が変わるのに必要な程度の大多数の人がシステムの鞍替えをしようとしているのではないか』、「グローバル化によるジョブ型の導入とリモートワーク時代の到来という2つの力が同時に加わり、クリティカルマスは超えられた、つまり社会が変わるのに必要な程度の大多数の人がシステムの鞍替えをしようとしているのではないか」、あり得る話だ。
・『最適な均衡点はどこか? 模索が続く日本の経済システム  ただ、この先どのような均衡点に移動するのかは、まだ見えていない。本書では、旧来のアメリカ型でもなく、日本型でもないところに、どの産業セクターにとっても良いP均衡(パレート最適)と呼ばれる均衡点、すなわち、ちょうどよい状態の経済やシステムの状態が、理論上は存在していることが示されてはいる。 過去の均衡点からどこか別の均衡点に移動し落ち着くまでの間、日本の経済システムは相当大きな混乱に陥ることになるだろう。ただ、その混乱は政府の政策がまずいからでも、外国の陰謀でもなく、システムが形を変えて生き残るために避けては通れない道であり、肯定的に評価できるものなのである』、「旧来のアメリカ型でもなく、日本型でもないところに、どの産業セクターにとっても良いP均衡・・・と呼ばれる均衡点、すなわち、ちょうどよい状態の経済やシステムの状態が、理論上は存在していることが示されてはいる」、「P均衡」がどこに着地するのか大いに注目される。

第三に、4月28日付け日経ビジネスオンライン「似た者同士で群れる日本人 リーダー量産するインド人とどう違う?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00351/042600027/
・『中国出身の気鋭の経営学者、ジャクソン・ルー米マサチューセッツ工科大学(MIT)准教授は、日本人、中国人、韓国人といった東アジア系は、インド人のような南アジア系に比べ米国の組織でリーダーになりづらい理由を深く探ってきた。東アジア系の人々は他の人種よりも強く同質性を好むため、リーダーになりづらいと主張する。ルー氏に解説してもらった(Qは聞き手の質問)。 Q:東アジア系が米国の中で出世しづらいという「竹の天井」を検証した研究(注:2020年7月17日掲載「米国で東アジア系がインド人より出世できない理由」参照)の続編(注)を発表したそうですね。エスニックホモフィリー(同じ民族同士でつながりたがる傾向)が、東アジア系の人は南アジア系の人をはじめほかの民族より相対的に強いということです。これはどういうことですか。 ジャクソン・ルー米マサチューセッツ工科大学(MIT)経営大学院准教授(以下、ルー氏):英語にこんなことわざがあります。「類は友を呼ぶ」(Birds of a feather flock together)。古くからある言葉で、社会学研究でよく使われる概念です。つまり、人には住んでいる場所を問わず、自分と同類だと感じる人間同士で集まる傾向があるということです。 注:Lu, J. G. (2021). "A social network perspective on the bamboo ceiling: Ethnic homophily explains why East Asians but not South Asians are underrepresented in leadership in multiethnic environments.", Journal of personality and social psychology.』、「東アジア系が米国の中で出世しづらいという「竹の天井」を検証した研究」、とは興味深い。「竹の天井」とは初耳だ。
・『人間なら誰にでもある「似た者同士で群れる傾向」  ですからエスニックホモフィリーは、東アジア系だけの特徴というわけではありません。人種の多様性の高い環境、例えば米国のような環境では、どこに行っても多様な人種が暮らしています。見た目で黒人、白人、東アジア系の人、南アジア系の人と大体分かります。(ジャクソン・ルー氏の略歴はリンク先参照) 人種を問わず、人は見た目が似ている人を見かけると、ひょっとしたら自分に対して親切にしてくれるのではないかと無意識に反応して、その人に近づく傾向があるのです。 白人は白人同士で親しくなりやすい傾向がありますし、黒人はもちろん、南アジア出身の人も南アジア系の人と友達になりやすい。すべての人種にそうした傾向があるのですが、東アジア系の人はその傾向が一番強いということが、私の研究で確かめられたのです。 Q:確かに、日本、韓国、中国と自国にいるときは互いに距離があるのに、国外に住んでいると国籍を超えて東アジア系だけで集まるのが不思議な気はしていました。アジアの物を扱う小売店や市場でも、東アジアの様々な国の商品がごちゃごちゃで売っていたりとか。 ルー氏:例えばあなたが、MITスローン経営大学院のような米国のビジネススクールに入学し、初登校したとしましょう。あなたは、キャンパスに1人も知り合いがいない。そこでアジア系の学生を見かけると、見た目が似ているから、あの人なら私の考え方などを理解してくれそうだ、友達になろう、と無意識に行動するのです。 米国のような多様性の高い環境では当然ながら、リーダーになるためには自分と違う人種の人々ともしっかりつながる必要があります。エスニックホモフィリーが強く、仲間内だけでつながっているような人では、グループ全体の利益の代表になれないのです。 だから米国では選挙のときも、候補者は自分がたとえ白人であっても必死にスペイン語を使い、自分はラテンアメリカ人の利益に関心を持っているという姿勢をアピールするのです。 Q:すると今回の研究は、東アジア系のエスニックホモフィリーが米国で出世、あるいはリーダーになる上で妨げになっているという結論ですか。 ルー氏:その通りです。例えば特にビジネススクールなどの学校では、東アジア系の人が好んで集まっている様子が目に付くのです。学校以外でも、例えば米国や英国でも中華街のような地域がたくさんありますよね。一方、インドタウンのような地域はあまり見られません。 英語能力のレベルや出生地を統計的にコントロールして、2世である場合などの影響を勘案して分析しても、つまり米国で生まれ育った東アジア系の人であったとしても、やはりエスニックホモフィリーが高いという結果が出ました。) Q:東アジア系の人は人種的な仲間意識の度合いが他の人種よりも強いため、リーダーになりにくいということですね。これはイノベーションが起こせるかどうかの話にもつながりそうです。一匹おおかみの方が破壊的なイノベーションを起こしやすいと指摘する著名経営学者の話を聞いたことがあります。日本人は群れたがるから破壊的なイノベーションを起こせないという仮説も成り立ちそうな気がします。 ルー氏:東アジア文化圏の集団主義も(破壊的なイノベーションが起こしづらい)理由の1つだと思います。例えば日本では統計的に99%の人は同じ民族です。同様に韓国でも99%の人は同じような顔をしていますし、中国も92%は漢民族です。一方、南アジア、例えばインドとかパキスタンは、非常に多様な国です。 インドには公用語が22もあります。子供のころからそうした環境で育った人は、自分と見た目や習慣、育った環境の違う人と接することに慣れています。自分と違う人とつながる練習を積んでいます。だから、米国のような多様性の高い環境に移っても「よそ者」とのコミュニケーションに全く支障がありません』、「東アジア系」は「国外に住んでいると国籍を超えて東アジア系だけで集まる」傾向が強いようだ。「破壊的なイノベーションを起こせない」、というのも寂しい傾向だ。「日本では統計的に99%の人は同じ民族です。同様に韓国でも99%の人は同じような顔をしていますし、中国も92%は漢民族です。一方、南アジア、例えばインドとかパキスタンは、非常に多様な国です」、「インドには公用語が22もあります。子供のころからそうした環境で育った人は、自分と見た目や習慣、育った環境の違う人と接することに慣れています。自分と違う人とつながる練習を積んでいます。だから、米国のような多様性の高い環境に移っても「よそ者」とのコミュニケーションに全く支障がありません」、「「インドには公用語が22」、何と非効率だと思っていたが、「米国のような多様性の高い環境に移っても「よそ者」とのコミュニケーションに全く支障がありません」、と思わぬ効用があるようだ。
・『東アジア人同士の「圧」  一方、中国人や日本人は安全地帯から飛び出して、自分と違うタイプの人とコミュニケーションすることが苦手です。 米国で東アジア系の人同士が使う俗語で「バナナ」という表現をご存じですか。バナナの外皮は黄色い、でも中身は白いですね。東アジア系の人が白人社会に溶け込んでいる様子を見たとき、東アジア系のコミュニティーで、彼、彼女は東アジア系の顔をしているのに白人とばかり付き合っている、と言ったりする。 そこで登場するのが、この俗語です。これが日本人であれば、見た目は日本人なのになぜ日本人と付き合っていない、なぜ日本人とまず友達になれないのか、なぜ、白人と友達になるんだと皮肉を言うわけです。 文化的には、東アジア系であればコミュニケーションや文化の違いだけでなく、そうした周囲の目というプレッシャーもある。東アジア系だからまず東アジア系と友達になれ、そうでなければ裏切り者だ、といった「圧」ですね。だからこそバナナという表現が生まれるのです。 そのようなプレッシャーがあって、新しいグループや新しい環境にもう1人東アジア系の人がいると、では私たちがまず友達になりましょうという流れになるわけですね。) Q:ところで、東アジア出身の人が、実力があっても米国企業などで出世できないという「竹の天井」という言葉ですが、これは05年につくられた言葉ですね。女性が出世できないことを指す「ガラスの天井」から派生したものであると。 ルー氏:そうです、Jane Hyun氏が、『Breaking the Bamboo Ceiling: Career Strategies for Asians』という本を書いたのが始まりです。 言っていることは面白いし納得感があるのですが、研究に基づいて出した洞察ではありませんでした。そうした、納得はするけれどもエビデンスで検証されていないことを深掘りするのが、私たち研究者の役目です。 竹の天井の含意としては、東アジア系は自国民同士や同じ人種の仲間内だったらリーダーを目指せるけれど、多様な環境に入った途端に弱くなるということですね。仲間内の論理では強い。 ルー氏:そうですね。多様性の高い環境でリーダーになるには、いろいろな人とつながる力がないと難しいです。米国で面接すると、東アジア系の人はなぜみんないつも一緒にランチを食べるのですか、とよく聞かれます。 東アジア系は得てしてネットワークも内輪だけにとどまり、いつも同質なグループの人とばかり遊び、食事している。だから人事部門がリーダーとして候補に挙げにくいのです。 Q:そして今回の研究の結論もまた、以前の研究同様、多様性のある組織のリーダーはインド人などの南アジア系である、ということなわけですね。インド人は人口も多いですが、それも関係がありますか。 ルー氏:いえ、人口の問題ではないと思います。米国内でいえば、インド出身者の人口は東アジア系の人口の半分程度ではないですか。でも米ツイッターのCEO(最高経営責任者)も、仏シャネルのCEOもインドの方です。米マイクロソフト、グーグルを傘下に持つ米アルファベットもそう』、「米国内でいえば、インド出身者の人口は東アジア系の人口の半分程度」にも拘らず、有名企業のCEOになっているのは、確かに圧倒的だ。
・『東アジア系に立ちはだかる世界の壁  Q:東アジア系はどうすればリーダーになれるのでしょう。 ルー氏:多様性の高い環境でリーダーになるためには、自分とは違うタイプの人とつながることが大事です。 組織側の努力も必要です。東アジア系の人々が、米国の組織でリーダーになるハードルが傾向として高いということを認識した上で、じゃあ、どうすればサポートできるかと考えることです。多様な背景を持つ人々がつながる機会をつくることなどが考えられます。 米国の多様性を重視する大手企業では、東アジア系の人だからと東アジア系のメンターを付けたりはしないと聞いています。その代わりにもっと外から働きかける機会をつくります。 日本人なら日本人同士で毎日ランチを食べるのではなく、組織的にフリーランチなどの機会を設けて、東アジア系の人を他の人種の人と一緒にするなど、意図的につながる場をセッティングするのです。 Q:機会をつくって意図して訓練を重ねる。そうするとインド人のようにチャンスを得られるかもしれません。 ルー氏:人間というのは基本的に怠け者で、より楽で簡単な方を選ぼうとしてしまいます。心理的には、自分と同じ言語を話す人、自分と似た者同士と友達になりやすいのです。 その壁を乗り越えるには、やはり外からの強制が必要なときもあるのではないでしょうか。 Q:ところで、研究では東アジア系がリーダーになりづらいほかの理由の中に、アサーティブネス(自己主張)が足りないという指摘がありました。エスニックホモフィリーの克服とアサーティブネスの力を鍛えることは両立するのですか。両方を訓練して克服すれば東アジア系がリーダーになれる可能性があるということでしょうか。 ルー氏:東アジア系の人は、南アジア系の人と比べても集団の中で埋もれやすいということが研究でも分かっていますが、エスニックホモフィリーの強さとアサーティブネスの弱さはつながっていると思うのです。 アサーティブネスはコミュニケーションのスタイルの1つです。確かに、東アジア系の人はコミュニケーションするとき、あまり主張しない傾向があります。それも恐らく、エスニックホモフィリーが強い理由の1つなのだと思います。コミュニケーション上、アサーティブネスが低い人、つまりほかの東アジア系の人とより付き合いたい気持ちになってしまいやすいのです。 いずれにせよ、米国の企業や組織に東アジア系のリーダーは少なく、その一方でインド人のリーダーはたくさんいるという理由や背景を探る研究はまだまだ続けます。また、研究が完成したらお話ししたいと思います』、今後の「研究」の進展が楽しみだ。
タグ:日本型経営・組織の問題点 (その13)(見えない価値「非財務資本」こそが生死を分ける 日本企業がGAFAMの足元にも及ばない真の理由、「日本型経済システム」の成立条件が 完全なる終焉を迎えつつある根拠 『比較制度分析序説――経済システムの進化と多元性』(青木昌彦著)で読み解く、似た者同士で群れる日本人 リーダー量産するインド人とどう違う?) 東洋経済オンライン「見えない価値「非財務資本」こそが生死を分ける 日本企業がGAFAMの足元にも及ばない真の理由」 「従業員のスキルアップにつながるような投資を地道にしてきただろうか。 あるいは「DX」も「単純な業務の「デジタル化」にとどまっている例は枚挙にいとまがない」、こうした「日本企業の出遅れ感」が、「日本企業のPBRは1倍付近で停滞・・・アメリカの上場企業平均が約3倍なのに対し、明確に低い水準」、その通りだ。 「企業価値を巡る考え方は、実体のあるモノをどれだけたくさん抱えているかということから、人材やノウハウ、ブランド、顧客満足度など、数えたり測ったりできない対象へ主眼が移っている。 こうした新しい企業価値の考え方に基づいた開示を行っている企業もある」、「こうした先行企業の事例から学び、企業価値の向上につなげてほしい」、同感である。 ダイヤモンド・オンライン 秋山進氏による「「日本型経済システム」の成立条件が、完全なる終焉を迎えつつある根拠 『比較制度分析序説――経済システムの進化と多元性』(青木昌彦著)で読み解く」 「時空を超えて普遍的な規範的価値を持った経済システムなどというものは本来ありえない」、「いつ誰にとっても合理的で完璧な経済システムというのはあり得ない」、との考え方は納得できる。 「産業勃興時の初期条件」の日米の違いは、納得できる。 「産業勃興時の初期条件」の日米の違いから、「分権型の経営が得意な米国と水平型の経営が浸透する日本」に分かれたというのも、説得力がある。 「新卒を一括採用する大手有名企業の内定を取るため(入試の学力試験が問題処理能力には直結しないとはいえ)5教科を勉強し、より偏差値の高い大学に入り、アルバイトやサークル活動で「コミュ力」を磨こうとするのである。 個々の経済主体(個人)の間で、文脈的技能の獲得が支配的になれば、本来は機能的技能を優先すべき石油化学産業にあっても、文脈的技能を重視する組織運営が支配的になってしまう」、「個々のシステムが相互拘束し合い、一連の強固なシステムとして機能し始めると、多少一部でルールや制度が変わろうと、経済システムや組織 「強固であった日本型の経済システムも、とうとう分水嶺をこえて、まだ姿の見えない新たなシステムに向けて、流動する時代に突入してしまったのではないか」、「エレクトロニクスやIT産業でソフトウェアのアプリケーションひとつで性能を変えられるような、入れ替え可能なモジュール化が進み、自動車産業においてもEVに切り変わっていく中で、これまでのすり合わせ・・・重視の組織や組織間の関係が過去ほどの優位性を持てなくなり、利益創出がピンチを迎えている」、「IoTの時代に入るから、系列を超えて誰とでもどことも繋がることを前提に 「日本発のグローバル大企業においては、すでに製造拠点の多くは日本になく、研究や開発、商品企画などにおいても日本国内でのみ行われるわけではなくなっている。外国の自社社員との協働も当たり前である。このような状況下にあっては、いまだに日本においてのみ水平的ヒエラルキーを前提に、可塑的技能・・・への投資が支配的な人事制度を維持しているデメリットが大きい」、「日本型の経済システムも」「新たなシステムに向けて、流動する時代に突入」、いよいよ変化しつつあるようだ。 「グローバル化によるジョブ型の導入とリモートワーク時代の到来という2つの力が同時に加わり、クリティカルマスは超えられた、つまり社会が変わるのに必要な程度の大多数の人がシステムの鞍替えをしようとしているのではないか」、あり得る話だ。 「旧来のアメリカ型でもなく、日本型でもないところに、どの産業セクターにとっても良いP均衡・・・と呼ばれる均衡点、すなわち、ちょうどよい状態の経済やシステムの状態が、理論上は存在していることが示されてはいる」、「P均衡」がどこに着地するのか大いに注目される。 日経ビジネスオンライン「似た者同士で群れる日本人 リーダー量産するインド人とどう違う?」 「東アジア系が米国の中で出世しづらいという「竹の天井」を検証した研究」、とは興味深い。「竹の天井」とは初耳だ 「東アジア系」は「国外に住んでいると国籍を超えて東アジア系だけで集まる」傾向が強いようだ。「破壊的なイノベーションを起こせない」、というのも寂しい傾向だ。「日本では統計的に99%の人は同じ民族です。同様に韓国でも99%の人は同じような顔をしていますし、中国も92%は漢民族です。一方、南アジア、例えばインドとかパキスタンは、非常に多様な国です」、 「インドには公用語が22もあります。子供のころからそうした環境で育った人は、自分と見た目や習慣、育った環境の違う人と接することに慣れています。自分と違う人とつながる練習を積んでいます。だから、米国のような多様性の高い環境に移っても「よそ者」とのコミュニケーションに全く支障がありません」、「「インドには公用語が22」、何と非効率だと思っていたが、「米国のような多様性の高い環境に移っても「よそ者」とのコミュニケーションに全く支障がありません」、と思わぬ効用があるようだ。 「米国内でいえば、インド出身者の人口は東アジア系の人口の半分程度」にも拘らず、有名企業のCEOになっているのは、確かに圧倒的だ。 今後の「研究」の進展が楽しみだ。
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日本の構造問題(その25)(「成績良ければ医学部目指せ」が日本経済を悪化させる意外な理由、コロナで露呈した日本社会の欺瞞と脆弱性、上級国民が唱える「バラマキ立国論」では 庶民の賃金が上がらないシンプルな理由) [経済政治動向]

日本の構造問題については、1月17日に取上げた。今日は、(その25)(「成績良ければ医学部目指せ」が日本経済を悪化させる意外な理由、コロナで露呈した日本社会の欺瞞と脆弱性、上級国民が唱える「バラマキ立国論」では 庶民の賃金が上がらないシンプルな理由)である。

先ずは、2月3日付けダイヤモンド・オンライン「「成績良ければ医学部目指せ」が日本経済を悪化させる意外な理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/294257
・『「日本における医学部偏重は、経済悪化の一因になっているんです」。著書『お金のむこうに人がいる』で、「お金の流れ」ではなく「人の動き」で経済を見直す経済観を提示した元ゴールドマン・サックス金利トレーダーの田内学氏がある日、そうつぶやきました。「え? それどういうこと?」と、本人に訊きました。(構成:編集部/今野良介) 「諸君は国から4億円近くの出資を受けて医者になるのだ。コスパ最高とかラッキーで得したと思ってないか?(中略)そんな腐った根性の人間は医師になる資格がない。さっさと退学しろ」 これは、「グランドジャンプ」に連載中の漫画『Dr.Eggs ドクターエッグス』(三田紀房・作)の中のセリフです。 「成績が良い」という理由だけで国立大学医学部を受験し、見事入学を果たした医師の卵である主人公が、真の医師になるまでのリアルな学生生活を描いたマンガです。第一話では大学初日のオリエンテーションで、指導教官である古堂というキャラクターから、このきついセリフを投げかけられます。 『ドラゴン桜』で有名な三田紀房節とでも言いたくなるインパクトの強いこのセリフ。マンガでは主人公の覚悟を促すために使われていますが、私はこのセリフを見て、現在の日本社会における「優秀な人のタイトルコレクションによる経済損失」の問題をひと言で表していると感じました』、「優秀な人のタイトルコレクションによる経済損失」とは言い得て妙だ。
・『「医学部進学」という日本特有の勲章  日本は異常なまでの医学部偏重主義が蔓延していると言われています。多くの学校の先生が、成績の良い子にはとりあえず医学部を行かせようとしますし、医学部に進学する生徒数が多い高校ランキングなんかも発表されています。東大理三(主に医学部に進む)にでも合格しようものなら、子どもも親も勲章でも授かったかのような扱われ方をします。 「人を助けたい」という思いから医者を目指す学生がほとんどだと信じたいですが、周りからの評価を気にして医学部を目指す学生がいるのも事実です。そうした学生たちは、漠然と医者を目指しているために、医者ではない道に進むこともしばしばです。そして彼らの中には、次の勲章探しにと、医者にならずに就職活動を始める人たちもいます。 僕がゴールドマン・サックスのトレーダーだった当時、デスクの採用担当もしていたので、毎年多くの学生のエントリーシートを読みました。驚いたことに、たった100人しかいない東大医学部の学生のうちの数人が、毎年、ゴールドマン・サックスという一企業に就職を希望しました。 冒頭のセリフにもあるように、医学部で医者一人を育てるには多額のお金がかかると言われています。これには学生が支払う授業料だけでなく、国などからの援助も含まれています。 税金を使って医者の卵を育てても、医者にならずに別の道に進む人は毎年たくさんいることがしばしば問題として取り上げられ、「税金のムダ遣いだ」と言われることがあります。「さっさと退学しろ」と先生が言いたくなったとしても、無理はないでしょう』、確かに近年の「医学部」選好の高まりは異常だ。私の学生時代はここまで偏重してなかったと思う。
・『「ムダ遣い」は税金だけの話ではない  これは、税金が投入されている国立大学だけの問題ではありません。 私立大学の医学部であっても、「先生、医学部卒業したけど、僕は外資系金融で働きます」という学生に、「そうか! バリバリ稼いでこいよ!」と言える先生はなかなかいないのではないでしょうか。 せっかく手塩にかけて6年間育てた学生が医者にならなかったときに、「自分の労力がムダになったのではないか」と寂しく感じる。これは、国立私立関係なく同じだと思います。 医者を育てるときに必要なのは、4億円(金額については諸説あり)というお金ではありません。その金額が表しているのは、さまざまな人の労力の集合です。たとえば、学生を直接指導する先生や医療関係者の人件費。テキストや機材などの物の購入にもまた、その生産活動に携わる人すべてにお金が支払われています。 「経済」というと「お金の流れ」だけに目が行きがちですが、重要なのは、お金によって費やされた誰かの労力やその生産物が、社会にとって有効に使われるかどうかです。 そして、働く人がいなければ、お金を流す量を増やしてもどうにもなりません。昨年、医療サービスの提供が滞ったとき、どれだけ政府が予算を増やしても、医療従事者の人数を急に増やすことはできませんでした。 私は、昨年9月に『お金のむこうに人がいる』という本を書きました。実体経済を正しく把握するためには、お金の流れだけを見るのではなく、その向こう側にいる「人」に注目する必要があります。お金が流れていても、労力を有効に使えなければ、私たちの生活が豊かになることはないからです。 これから少子高齢化で働く人の数は減っていきます。労力を無駄にしないことや、未来の社会に必要な人材を育てることがますます必要になっていくと思います。 「税金がもったいない」「お金がもったいない」だけではなく、「労力がもったいない」と一人ひとりが思って行動を変えないと、社会全体がますます困窮していきます。 もちろん、医者を目指した人が、結果的に他の道に行くこと自体は悪いことではありません。目指す過程の中で、別のモチベーションが生まれることもあると思います。ただ、医学部の教職員の労力や、そこで学んだことをなるべく無駄にしないようにキャリアを積み上げられた方が、社会にとっても、自分にとっても幸せなことだとわたしは思います。 かくいう私自身、情報工学を専攻しながら、金融の世界に進みました。しかし、プログラミングで鍛えた論理的思考力が金融での仕事に活かされましたし、「社会のために役立つ仕事に就いてほしい」という教授の想いが、『お金のむこうに人がいる』という本を書く動機につながりました。S教授、ありがとうございました』、「情報工学」と「金融」は、金融工学が出現したように極めて近い領域だ。
・『「お金のむこうに人がいる」ことを考えた理由  お金のむこうに人がいる』という本では、お金にまつわる11個の「謎」を解いていきます。初めは自分の財布の中のお金について考え、徐々に財布を大きくしていきます。財布を社会全体まで広げたときに、新たな「謎」に気づきます。 この謎こそが、今の私たちが、社会を構成する一人ひとりが解かなければならない謎です。 【第1部】「社会」は、あなたの財布の外にある。 第1話 なぜ、紙幣をコピーしてはいけないのか? 第2話 なぜ、家の外ではお金を使うのか? 第3話 価格があるのに、価値がないものは何か? 第4話 お金が偉いのか、働く人が偉いのか? 【第2部】「社会の財布」には外側がない。 第5話 預金が多い国がお金持ちとは言えないのはなぜか? 第6話 投資とギャンブルは何が違うのか? 第7話 経済が成長しないと生活は苦しくなるのか? 【第3部】社会全体の問題はお金で解決できない。 第8話 貿易黒字でも、生活が豊かにならないのはなぜか? 第9話 お金を印刷し過ぎるから、モノの価格が上がるのだろうか? 第10話 なぜ、大量に借金しても潰れない国があるのか? 最終話 未来のために、お金を増やす意味はあるのか? おわりに 「僕たちの輪」はどうすれば広がるのか?)(田内学氏の略歴はリンク先参照)』、なかなかよく練られた内容のようだ。

次に、2月23日付け日刊ゲンダイが掲載した東大名誉教授の養老孟司氏と、精神科医の名越康文氏の対談「コロナで露呈した日本社会の欺瞞と脆弱性」を紹介しよう』、興味深そうだ。
・『【東大理Ⅲ信仰」の危うさが引き起こした悲劇  コロナ禍が3年目に突入し、今なお31都道府県が「まん延防止等重点措置」の適用下にある。この間、さまざまな事件、現象があり、あらためて現代社会が抱える諸問題が浮き彫りになった。賢者のおふたりにコロナ禍を振り返りながら、日本社会の本質について語り合っていただいた(Qは聞き手の質問)。 Q:昨年の秋以降、「京王線刺傷事件」「大阪クリニック放火殺人事件」「東大前刺傷事件」と、他人を巻き込んで自殺を図ろうとする事件が相次ぎました。 名越 事件後、いろんな人に「先生、取材が殺到して、大変でしょ」と言われるんですよ。ところが、最近は一切ないんですね。かつては異常な事件があると、精神科医に話を聞くということが当たり前でしたが、それがなくなってきている。なんか、地続き感というか、日常的な感じになってきていますね。 養老 東大前の事件でいうと「東大理Ⅲ信仰」みたいなものは、僕が現役(教授)のころから非常に気になっていましてね。要するに成績がある程度良い子は理Ⅲに行けるということで、そういう学生が入ってくるようになったんです。医者に適性があるとかないとか、関係ないんですよ。成績が良いからと。僕なんか生き物が好きだから医学部に行っているんだけれども、そうじゃない。で、どうなるかというと、物理とか化学とかは非常にできる。でも医学は物理や化学と違ってややこしくて、とくに解剖なんかは暗記ものばっかりですから、気の利いた学生はあまり評価しない。そんな子が増えちゃったから、「こんなところでやってけねえよ」と思うようになりましたね。 Q:最近はテレビ番組でも東大生をブランド化している風潮があります。 養老 なぜか知らないけど、理Ⅲは特別なものだってことになっている。今度の事件に関していえば、(東大を目指す受験勉強の中で)高2ぐらいからちょっとおかしくなってくるというのは、ごく普通にあるわけです。中学、高校でおとなしい優等生というのは一番気をつけなきゃいけない。ただ、僕らのころだと入学してから問題を起こしていました。今は入学する前になってしまっている。 名越 知識の集積を競う方法は、AIが社会を動かそうとしている現代において、もうかなり、むなしさが漂ってきている気がします。そもそも考えるとは何かとか、人生において意味のある発想の持ち方とは何か、ということを考えることで人間として自立していく、という過程が必要な気がします』、「僕らのころだと入学してから問題を起こしていました。今は入学する前になってしまっている」、なるほど。
・『コロナ禍で多用される「科学的根拠」の信憑性  Q:コロナ禍では専門家の方々、あるいは政治家の口から「科学的根拠」という言葉が頻繁に聞かれました。それを真に受ける人も少なくないと思いますが。 名越 コロナは怖い病気ということを論説している人もいれば、恐れる必要はないということを論説している人もいます。本当に同じ病気の解説なのかと思うぐらい内容が違うんですよ。普通だったら6割ぐらいはかぶるだろうに、もう本当にバラバラで、それ自体、十分興味深い現象が起きています。 養老 いま言われた「科学的根拠」というものが入ってきたら絶対に信用しない(笑い)。 名越 僕もね、いろいろ読んでたんですけど、だんだんと自分の頭が割れそうになってきて。これはもう、まとめたり単純化して統一しようとすると誤るなと思うしかないわけです。 Q:メディアの報じ方はいかがでしょうか。 名越 テレビに出ていて思ったのは、それまで一貫性がないことがメディアであって、だからこそ日に日に変わる情報の中で中立でいられるわけですし、我々も冷静でいられたのですが、コロナに関してはまったく反対で、一貫しなければならないという強迫性を感じます。たとえば、副反応という言葉。最初のころは「副作用」と言う人もいましたが、協定も結ばれていないのに1週間ぐらいですべてのテレビが「副反応」と呼びだしたという印象です。 養老 副作用だと薬についてということになる。副反応だと患者のせいだということになるからです。体が勝手に反応したんだ、薬のせいじゃないんだということです。これは裏がありますね。 名越 明らかに操作的ですね。 Q:科学的真実はどこにあるのか、どうやったら見極められるのでしょうか。 養老 分野によると思いますね。何もかも一緒にして科学的とやろうとするから、できない。「おまえ、科学的に生きているか」と聞かれたら、どう答えますか。私が若いときに一番悩んだ問題です。基礎科学をやっていたから生き方も科学的でなければならない。ところが現実は全然違う原理で生きているわけです。それを上手に割り切ることができる人、あるいは二重基準で生きられればいいのでしょうが、僕は不器用でそこはできない。そのストレスの中でほとんど暮らしてきたようなもので、そのストレスがいろんな本を生み出したのです。 「科学的根拠」をふりかざす日本社会の欺瞞と脆弱性が次々と露呈してきている。(つづく)(養老孟司氏の略歴はリンク先参照) (名越康文氏の略歴はリンク先参照)』、「副作用だと薬についてということになる。副反応だと患者のせいだということになるからです。体が勝手に反応したんだ、薬のせいじゃないんだということです」、「明らかに操作的ですね」、「副反応」にそんな意味があったとは初めて知った。続編はまだ公開されてないが、公開され次第、紹介するつもりである。

第三に、2月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「上級国民が唱える「バラマキ立国論」では、庶民の賃金が上がらないシンプルな理由」を紹介しよう。
・『「バラマキ」で上級国民だけが潤う  「とにかく今の日本はケチケチしないでカネをバラまきゃいいんだよ! 政府支出が増えれば経済は成長するってことが分かってるんだから」「その通り! 財政出動すればするほど、景気も良くなって自然と賃金も上がっていく! それを邪魔する財務省こそが日本のがんだ!」 そんな激アツの論争が今、永田町で盛んに交わされている。財政健全化なんてみみっちい話は忘れて、じゃんじゃん金を刷ってバラまけばあっという間に景気が上向いて、日本は再び黄金時代を迎える…と、言うなれば「バラマキ立国論」が空前のブームとなっているのだ。 きっかけは、昨年の自民党総裁選で「プライマリーバランス黒字化目標凍結」を掲げた、高市早苗政調会長である。昨年12月に財政政策検討本部を発足したことで、自民党内の「積極財政派」が一気に勢いづき、若手議員を中心に「責任ある積極財政を推進する議員連盟」も設立されている。 「バラマキ立国論」で唱えられている、日本復活シナリオは極めてシンプルだ。 政府がケチケチしないで金をバラまけば、公共事業やらさまざまな分野で需要が増す。それに対応する企業は設備投資をするので、生産性も上がる。そうなると黙っていても従業員の賃金も上がっていく。消費も活発になるので商品やサービスも値上げができる。それを受けてさらに賃上げという好循環が生まれて、あれよあれよという間に、「デフレ脱却、日本経済奇跡の復活」を果たして「めでたし、めでたし」というワケだ。 と聞くと、「なるほど! なんでこんな簡単な話に気づかなかったんだ!」と納得する方もいらっしゃるかもしれないが、残念ながらこのバラマキで潤うのは、ブームに熱狂している政治家をはじめほんのひと握りの「上級国民」の皆さんだけだ。われわれ一般庶民には、ほとんど恩恵はない』、「自民党内の「積極財政派」が一気に勢いづき、若手議員を中心に「責任ある積極財政を推進する議員連盟」も設立」、「きっかけ」は「高市早苗政調会長」のようだ。 
・『庶民は上級国民と反比例して貧しくなるのみ  まず、政治家にとってバラマキほどありがたいものはない、というのは先の衆院選を見れば明らかだろう。全国民への現金給付を公約に掲げた政党が多くあったように、バラマキは最強の選挙対策だ。また、バラマキは自治体や企業の間で熾烈な争奪戦になるので、「口利き」が本業である政治家は引く手あまたで、食いっぱぐれがない。 官僚や公務員にとってもバラマキは悪くない。公共事業や助成事業が増えれば、民間からの接待も増えるし天下りが拡大するからだ。会社経営者やコンサルタントもうれしい悲鳴が止まらない。国が中小企業への事業承継関連の補助金を増額したところ、中小企業経営者とこの分野のコンサルに“事業承継バブル”が起きたことからも分かるように、この手の人たちにとって、バラマキとは現金つかみ取りのボーナスタイムなのだ。 では、額に汗水垂らして働くわれら一般庶民もそんな恩恵を授かることができるのかというと、残念ながらほとんどの人は関係ない。 むしろバラマキによって、先進国最低レベルで韓国にまで抜かれてしまった低賃金が、これまで以上にビタッと「固定化」される恐れがある。「天からカネが降ってきた」とこの世の春を謳歌する「上級国民」の皆さんと対照的に、庶民はこれまで以上に、激安スーパーや激安グルメへ依存を強めて「安いニッポン」の深みへさらにハマってしまうのである。 なぜそんなことが断言できるのかというと、答えはシンプルだ。「バラマキによるバブルは末端の労働者の賃金にまで波及しない」というのは、さまざまなデータを見れば一目瞭然だからだ。 直近でわかりやすいのが、「協力金バブル」だろう。コロナ禍によって時短や休業を余儀なくされた飲食店を救済するという名目のバラマキで、このおかげで倒産を免れた事業者も多くいた。一方で平時の売り上げを軽く上回るほどの臨時収入となって、旅行や高級外車へ消えてしまったという話もあった。 では、そんな「協力金バブル」の恩恵は、飲食店で働く従業員まで届いたのかというと、賃金が上がったというデータもないように影響はほぼゼロだ。なぜかというと、従業員の生活のためにとバラまかれたはずのカネが、経営者のところでストップしてしまうからだ』、「バラマキによるバブルは末端の労働者の賃金にまで波及しない」、「「協力金バブル」の恩恵は、飲食店で働く従業員まで届いたのかというと、賃金が上がったというデータもないように影響はほぼゼロだ。なぜかというと、従業員の生活のためにとバラまかれたはずのカネが、経営者のところでストップしてしまうからだ」、なるほど。
・『コロナ禍で歴史的なバラマキも、庶民に還元なし  この構造的な問題の一端が分かるのが、20年11月に公表された野村総合研究所の調査だ。コロナで休業を経験した労働者がどれほど休業手当を受け取っていたのかを調べたところ、正社員(女性)は62.8%と、どうにか6割の人が休業手当を受け取れているのに対して、なんとパートやアルバイトで働く女性では、わずか30.9%にとどまっていることが分かったのである。 労働基準法では、企業に対して正規、非正規を問わず休業手当の支払いを義務付けている。新型コロナによる休業に関しても、事業者側が「コロナで客が減ったんで今月は給料払えないわ」と開き直らないよう、国が休業手当の一部を補償する雇用調整助成金や、中小企業で働く人向けの休業支援金・給付金という制度をつくって、金をバラまいた。 が、そのカネは経営者のところでストップして、パートやアルバイトで生計を立てる女性の7割は泣き寝入りをしていたというわけである。 断っておくが、これをもってして経営者側が「搾取」をしているなどと主張をしたいわけではない。 飲食店などの小さな事業者にとっては、とにかく「店をつぶさない」が最優先事項となる。なので、国から「このお金で従業員の賃金を上げてくださいね」とか「これで生産性向上に取り組んでくださいね」と金を渡されても、言われた通りの使い方にはならず、会社存続のための「運転資金」に消えてしまう。もしバラマキによって資金難を乗り越えて多少の余裕ができても、それは賃金には還元されない。現金給付を受けた国民の多くが「貯金」をしたように、飲食店などの零細事業者は、先行きが不安なので、何かあった時に備えておかなければいけないからだ。 つまり、事業者に対して行われるバラマキというのはどんなに注文をつけたところで、ほぼ100%、「会社存続」に注ぎ込まれるので、労働者には還」、「元されないものなのだ。 バラマキによって“死に体の事業者”が延命する一方で、そこで働く従業員の待遇はまったく改善されないという醜悪な現実は、2021年の「異常な倒産件数」を見ればよくわかる。 帝国データバンクによれば、なんと前年比23.0%減の6015件で、1966年に次いで過去3番目に少ない、歴史的な超低水準となったのだ。あれだけ経済が止まっていたのにこの結果ということは、歴史的なバラマキが行われたということだ。しかし、そのすさまじい額のカネは、末端の労働者にはゼロ還元だ。 厚生労働省が2月8日に発表した、2021年度の労働者1人当たりの平均現金給与総額は前年より0.3%増だったが、実質賃金指数は前年で横ばい。つまり、日本政府の歴史的なバラマキは、「つぶれそうな法人」を救っただけで、「低賃金にあえぐ個人」には何の恩恵もなかったのである』、「事業者に対して行われるバラマキというのはどんなに注文をつけたところで、ほぼ100%、「会社存続」に注ぎ込まれるので、労働者には還元されないものなのだ」、「日本政府の歴史的なバラマキは、「つぶれそうな法人」を救っただけで、「低賃金にあえぐ個人」には何の恩恵もなかったのである」、なるほど。
・『いざという時に、データを無視して論理が飛躍する日本  これは何もコロナ禍だけの話ではない。過去30年、政府は「日本企業の99.7%を占める中小企業が成長をすれば、日本経済も成長をする」というロジックで、中小企業に対して積極的なバラマキをしてきた。しかし、賃金は上がっていない。 中小企業白書2021年版の「企業規模別従業員一人当たりの付加価値額(労働生産性)の推移」を見てみても、中小企業の生産性は03年から19年まできれいに横ばいだ。この16年間、「ものづくり補助金」だなんだとさまざまなバラマキ政策を進めてきたのにもかかわらず、まったく効果が出ていない。 という話をすると、積極財政派の皆さんは「それはバラマキの量が足りないからだ! けた違いに金を刷って配れば経済成長する」というようなことを主張する。ほんのちょっとでも動きがあるのならまだ分かるが、これまで「効果ゼロ」なのに、なぜ「もっと増やせば効果がある」という話になるのかは理解に苦しむ。 そのあたりは、前政権の「経済ブレーン」も指摘している。バブル期の銀行アナリスト時代から30年にわたって、日本経済を分析してきたデービッド・アトキンソン氏は、人材への投資など明確な目標を持つ政府支出は必要だとしつつ、「インフレ率2%目標を達成するまで財政出動すべきだ」といった抽象的なバラマキ政策には賛同できないとして、このように述べている。 <1990年代に入ってから、日本政府は1000兆円以上の負債を増やしてきたにもかかわらず、GDPが横ばいで成長していない事実を深く考えるべきです。今まで政府支出を大きく増やしてきたのにGDPが成長していない中で、なぜ今「財政出動をすればGDPが成長する」と言えるのか、大変疑問に思います>(東洋経済オンライン22年2月3日) ただ、アトキンソン氏はご存じないかもしれないが、こういう論理の飛躍は、日本ではそれほど珍しくない。「国難」、を前にすると、それまで積み上げた客観的なデータがスコーンとどこかへ飛んでいって、どこからともなく、自分たちの都合のいい解釈が登場して、それにみんなが飛びついて大惨事――。ということが幾度となく繰り返されてきた』、「1990年代に入ってから、日本政府は1000兆円以上の負債を増やしてきたにもかかわらず、GDPが横ばいで成長していない事実を深く考えるべきです。今まで政府支出を大きく増やしてきたのにGDPが成長していない中で、なぜ今「財政出動をすればGDPが成長する」と言えるのか、大変疑問に思います」、との「アトキンソン氏」の主張はその通りだ。「「国難」を前にすると、それまで積み上げた客観的なデータがスコーンとどこかへ飛んでいって、どこからともなく、自分たちの都合のいい解釈が登場して、それにみんなが飛びついて大惨事――。ということが幾度となく繰り返されてきた」、「日本」の悪弊だ。
・『心地よいストーリーが好きな日本人、80年たっても変わらず  分かりやすいのが、太平洋戦争だ。開戦前、帝国陸海軍、そして政府のエリートたちが何度分析をしても、「アメリカにボロ負けをする」という結論は変わらなかった。アメリカの石油生産能力は日本の700倍、陸軍の「戦争経済研究班」も「対英米との経済戦力の差は20:1」と白旗を揚げていた。若手エリート官僚などを集めた「総力戦研究所」でも「緒戦は優勢ながら、徐々に米国との産業力、物量の差が顕在化し、やがてソ連が参戦して、開戦から3〜4年で日本が敗れる」とほぼ現実通りの敗戦シナリオまで読めていた。 しかし、この「日本必敗」の分析があるにもかかわらず、「先制攻撃をすれば勝てる」という主張が主流になっていく。真珠湾攻撃を立案した山本五十六は、海軍大臣への意見書でこう述べている。 〈日米戦争に於て我の第一に遂行せざるべからざる要項は開戦劈頭敵主力艦隊を猛撃撃 破して米国海軍及米国民をして救う可からざる程度に其の志気を喪失せしむること是なり〉(軍備に関する意見) 要は、「先制攻撃を仕掛けて壊滅的な被害を与えれば、アメリカ人は日本人と違って根性がないので、震え上がってすぐに降伏する」というわけだ。冷静に考えれば、なんともご都合主義で支離滅裂なロジックだが、これに軍部も政府も、そして国民もわっと飛びついた。 「何度シミュレーションしても日本は負ける」という話よりもはるかに単純明快で、明るい未来を抱けるので、心情的に支持しやすいからだ。 このように「科学的データより日本人にとって心地よいストーリーの方が好き」という国民性は80年たっても変わらない。 ということは、今の永田町のムードを見る限り、史上空前のバラマキ政策を掲げる積極財政派が自民党内で主導権を握れば、その勢いのまま参院選で大勝して、日本の「バラマキ立国論」をさらに加速していく可能性が高いということだ。 実際、岸田文雄首相との「冷戦」が伝えられる安倍晋三元首相も、「責任ある積極財政を推進する議員連盟」で講演を行うなど、党内の「反岸田勢力」が「積極財政」の旗のもとに続々と集結している。 「上級国民」の間でこういう「勢い」が出てきた政策は、もう誰も止められない。 対米戦争に関しても、当時のエリートたちは内心「負けるよなあ」と思いながら結局、誰にも止められなかった。戦後、昭和天皇は「私も随分、軍部と戦ったけれど勢いがああなった」(初代宮内庁長官・田島道治の『拝謁記』から)と振り返っている。 当時、陸海軍の最高指揮権を持っていた天皇でさえも食い止めることができないほど、心地よいストーリーに飛びついた時の日本人の「勢い」の暴走は恐ろしいものなのだ。 庶民には低賃金を固定化させるだけでなんのメリットもない「バラマキ立国論」だが、ここまで来るともはや覚悟を決めて受け入れるしかないのかもしれない』、「天皇でさえも食い止めることができないほど、心地よいストーリーに飛びついた時の日本人の「勢い」の暴走は恐ろしいものなのだ」、確かにその通りだ。
タグ:(その25)(「成績良ければ医学部目指せ」が日本経済を悪化させる意外な理由、コロナで露呈した日本社会の欺瞞と脆弱性、上級国民が唱える「バラマキ立国論」では 庶民の賃金が上がらないシンプルな理由) 「天皇でさえも食い止めることができないほど、心地よいストーリーに飛びついた時の日本人の「勢い」の暴走は恐ろしいものなのだ」、確かにその通りだ。 「1990年代に入ってから、日本政府は1000兆円以上の負債を増やしてきたにもかかわらず、GDPが横ばいで成長していない事実を深く考えるべきです。今まで政府支出を大きく増やしてきたのにGDPが成長していない中で、なぜ今「財政出動をすればGDPが成長する」と言えるのか、大変疑問に思います」、との「アトキンソン氏」の主張はその通りだ。「「国難」を前にすると、それまで積み上げた客観的なデータがスコーンとどこかへ飛んでいって、どこからともなく、自分たちの都合のいい解釈が登場して、それにみんなが飛びついて大惨事―― 「事業者に対して行われるバラマキというのはどんなに注文をつけたところで、ほぼ100%、「会社存続」に注ぎ込まれるので、労働者には還元されないものなのだ」、「日本政府の歴史的なバラマキは、「つぶれそうな法人」を救っただけで、「低賃金にあえぐ個人」には何の恩恵もなかったのである」、なるほど。 「バラマキによるバブルは末端の労働者の賃金にまで波及しない」、「「協力金バブル」の恩恵は、飲食店で働く従業員まで届いたのかというと、賃金が上がったというデータもないように影響はほぼゼロだ。なぜかというと、従業員の生活のためにとバラまかれたはずのカネが、経営者のところでストップしてしまうからだ」、なるほど。 「自民党内の「積極財政派」が一気に勢いづき、若手議員を中心に「責任ある積極財政を推進する議員連盟」も設立」、「きっかけ」は「高市早苗政調会長」のようだ。 窪田順生氏による「上級国民が唱える「バラマキ立国論」では、庶民の賃金が上がらないシンプルな理由」 ダイヤモンド・オンライン 「副作用だと薬についてということになる。副反応だと患者のせいだということになるからです。体が勝手に反応したんだ、薬のせいじゃないんだということです」、「明らかに操作的ですね」、「副反応」にそんな意味があったとは初めて知った。続編はまだ公開されてないが、公開され次第、紹介するつもりである。 「僕らのころだと入学してから問題を起こしていました。今は入学する前になってしまっている」、なるほど。 「コロナで露呈した日本社会の欺瞞と脆弱性」 名越康文 養老孟司 日刊ゲンダイ 「お金のむこうに人がいる」 「情報工学」と「金融」は、金融工学が出現したように極めて近い領域だ。 確かに近年の「医学部」選好の高まりは異常だ。私の学生時代はここまで偏重してなかったと思う。 「優秀な人のタイトルコレクションによる経済損失」とは言い得て妙だ。 ダイヤモンド・オンライン「「成績良ければ医学部目指せ」が日本経済を悪化させる意外な理由」 日本の構造問題
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日本の構造問題(その24)(「日本は負けた」系ニュースが急増しても事実を認めない人々の“負けパターン”、日本人は「円安」がもたらした惨状をわかってない 自ら危機意識を持って脱却する必要がある、日本が亡国の道を突き進む元凶 「やったふり」「先送り」キャリア形成の弊害) [経済政治動向]

日本の構造問題については、昨年12月1日に取上げた。今日は、(その24)(「日本は負けた」系ニュースが急増しても事実を認めない人々の“負けパターン”、日本人は「円安」がもたらした惨状をわかってない 自ら危機意識を持って脱却する必要がある、日本が亡国の道を突き進む元凶 「やったふり」「先送り」キャリア形成の弊害)である。

先ずは、12月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「日本は負けた」系ニュースが急増しても事実を認めない人々の“負けパターン”」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/290778
・『「日本は絶対に負けない!」と叫ぶほど負ける  最近、中国や台湾、さらには韓国にまで、日本が“負けた系ニュース”をやたらと多く見かけないだろうか。例えば、ざっと目についただけでもこんな調子だ。 ・『日本は「急速に力を失った」…韓国、台湾、中国に負ける“唯一最大の恐しい原因”』(幻冬舎ゴールドオンライン11月27日) ・『王者だった「ニッポン半導体」が負けた訳』(東洋経済オンライン12月1日) ・『日本は20年後に経済規模で韓国に追い抜かれる-その残念な理由とは』(現代ビジネス12月12日) ・『管理職の日韓給与比較」どの職種も大きく水をあけられ大敗北という現実』(プレジデントオンライン12月14日) 愛国心あふれる方たちからすれば、このような記事は「日本をおとしめたい反日マスゴミのデマ」ということなのだろうが、残念ながら、日本の経済力、技術力が衰退していることは、さまざまな客観的データが物語っている。 もちろん、世の中には「日本の賃金は安くない!中国や韓国からもたくさん労働者が来ているのがその証拠だ!」とか「労働生産性なんてのは欧米がつくった数字のトリックだ!」とか「中国や韓国の方が商売上手なだけで日本の技術は今も世界一だ!」なんて感じで、これらのデータ自体が捏造・デマだと主張される方たちもいらっしゃる。 人は自分が信じたいものを信じる。なので、このような考え方をされるのも自由だし、他人がとやかく言うことではない。が、「日本の国益」という視点では、「ジャパン・アズ・ナンバーワンだ!」というような考え方はあまりよろしくないのではないか。 歴史を振り返ると、日本という国はこれまで、自分たちに都合の悪い客観的なデータを否定して、「日本は絶対に負けない!」と叫べば叫ぶほど事態を悪化させるという「負けパターン」を繰り返してきたからだ』、「「日本は絶対に負けない!」と叫べば叫ぶほど事態を悪化させるという「負けパターン」を繰り返してきた」、困った悪弊だ。
・『10年前「自動車産業は負けない」と叫んでいた人たちと、今の現実  「日本は負けない!」と喉を枯らせば枯らすほど、現実逃避や問題先送りがおこなわれて大惨敗という皮肉な結果を招いてしまうというのが、日本のお決まりのパターンだ。 例えばわかりやすいのが、自動車産業である。実は今から10年ほど前、リーマンショックを受けた世界的な自動車販売台数の落ち込みや、中国など海外への生産・販売の依存が極端に高まってきたというデータを根拠に、一部のメディアから、そう遠くない未来、日本の自動車メーカーや関連産業はかなり厳しい環境に追いやられるのではないか、という悲観論が相次いだ。 しかし、愛国心あふれる方たちは、「マスコミってのは、日本がダメになるというストーリーが大好物で、不安ばかりをあおるバカだな」と鼻で笑った。ある研究者の方はネットメディアで「日本の自動車部品は絶対に負けない」と宣言し、世界的に、自動車産業は生産縮小を余儀なくされたとしも、高品質の日系部品メーカーには仕事がたくさん流れてきて、これから日本の大躍進の時代が来るとまで言い切った。 では、それから10年でどうなったか。 世界的な電気自動車(EV)シフトに加えて、中国など新興国でも国産自動車メーカーが着々と成長していることで、日本のお家芸だった自動車産業は窮地に追いやられている。特に深い傷を負っているのが、かつて「絶対負けない」と言われた自動車部品だ。EVシフトによる部品数減少で収益が悪化していたところにコロナ禍が直撃、「歴史ある2次サプライヤーが倒産、自動車部品業界の淘汰が加速か」(日刊自動車新聞20年9月15日)という動きも目立ってきている。10年前に「不安をあおるバカ」と罵られた側の警鐘が現実となりつつあるのだ』、「10年前に「不安をあおるバカ」と罵られた側の警鐘が現実となりつつある」、なるほど。
・『日本が誇る「白物家電」も、気づけば買収されていく有様  かつて世界一と言われた、「白物家電」もほぼ同じパターンだ。 2000年代前半、ハイアールなど中国の白物家電メーカーが海外進出を始めた時、日本の家電業界では、「日本が負けるわけがない」という“日本不敗論”が大多数を占めいていた。 一部の消費者は「中国製?まともに動くわけないじゃん?」と冷笑し、ジャーナリストたちも「日本メーカーのパクリ」などと完全に雑魚扱いしていた。 ところが、売り上げなどのデータで中国メーカーが成長していることが明確になったことで、一部からは「そろそろやばいんじゃない?」という不安の声が上がった。しかし、それでも日本の「不敗神話」が揺らぐことはなかった。 当時はまだ中国や韓国のブランドであっても、それらの家電の基幹部品は日本メーカーのものを使っていることも多かった、という実情もあって油断していたのだろう。肝心の技術の部分はこちらが握っているので、いくら「器」が売れたところで、「メイド・イン・ジャパン」の優位性が脅かされることはない、と高をくくっていたのである。 そして、評論家が「日本は技術力はすごいものがありますが、いかんせん売り方が下手なのです」なんて、のんきな解説をしている間に、海の向こうでは中国メーカーが完全に勝利して、ついに日本やアメリカのメーカーを買収できるようになってしまった。 2012年には、パナソニックがハイアールに三洋電機の洗濯機・冷蔵庫事業を売却。2016年には、東芝が白物家電事業をマイディア(中国)に売却、ハイアールが米・ゼネラル・エレクトリック(GE)の家電事業を買収した。また2018年には、東芝がテレビなど映像事業をハイセンス(中国)に売却した。 このような「負けパターン」は例を挙げればキリがない。鉄鋼、造船、映画、そして最近ではアニメなどもそうだが今、大慌てで国が支援をしている半導体などの場合、かなり早くから「日本の負け」が予見されていた』、「肝心の技術の部分はこちらが握っているので、いくら「器」が売れたところで、「メイド・イン・ジャパン」の優位性が脅かされることはない、と高をくくっていた」、こうした思い上がりは日本人の悪弊だ。
・『「日本の半導体は負ける」という28年前の警鐘をスルーしてきた  80年代、技術・売り上げともに世界一だった「日の丸半導体」は90年に入ると、インテルなど海外メーカーに抜かれていく。日本社会ではまだ「アメリカもやるじゃん」くらいだったが、半導体業界の良識ある人は「終わりのはじまり」を予感していた。93年には、名門・東芝の半導体技術研究システムLSI技術開発部の部長はこう述べている。 「日本企業は一度注文をもらったら製品は安定して供給することには秀でているが、独自の製品の開発は苦手だ。それでは生き残れない」(日経産業新聞1993年3月29日) 90年代初頭、現場の最前線にいた人には明確に「このままでは日本の半導体は惨敗だ」という悪い予感があった。しかし、そこで国も企業も何も効果的な手を打たなかった。 インテルなど海外勢が復活してきたとはいえ、まだ日本の世界シェアは40%もあったし、技術力にも自信があったからだ。「日本は負けない!」という大合唱が、先の部長のような警鐘をかき消して、「いたずらに不安をあおる人々」にしてしまったのだ。 だが、そこからの衰退はご存じの通りだ。現在、日の丸半導体の世界シェアは一桁台に落ち込み、2020年には東芝はLSI事業から撤退。政府は慌てて世界最大手「TSMC」に媚を売って、4000億円の税金を渡して熊本に工場を建設させているが、ここで開発される半導体は10年前の技術。台湾企業のグローバル戦略に利用されているだけで、「日の丸半導体復活」にはほとんど寄与しない。つまり、28年前に東芝の部長が「予言」していた通りのことが進行しているのだ』、「「日本は負けない!」という大合唱が、先の部長のような警鐘をかき消して、「いたずらに不安をあおる人々」にしてしまったのだ」、こうした楽観バイアスはやはり恐ろしいものだ。
・『「わかりきっている負け」に突っ込んだ日本  実は日本の組織には、こういう「負けパターン」が異様に多い。データなどから客観的に分析をすると、どうやっても「負け」が見えている場合、避けるためには、過去の成功体験をリセットして、従来の方法論や従来の組織をガラリと変えなくてはいけない。 しかし、そういう議論を始めるとどこからともなく、「待て!そんなことをしなくても日本が負けるわけがない!」という絶叫が聞こえてくる。従来の手法や組織を変えるということは、これまで投入してきた人やカネがすべて「ムダ」だったということを認めざるを得ないということだ。そんな屈辱を絶対に受け入れられない勢力との争いが勃発して、組織が機能不全に陥る。結局、何も決められず、何も変えられず、進退極まって「わかりきっていた負け」へと突っ込んでいく。 その代表が、ちょうど80年前の今頃起きている。そう、1941年12月7日にはじまった太平洋戦争だ。 ご存じのように、この戦争は始まるかなり前の段階から「日本の負け」はわかりきっていた。当時、アメリカの石油生産能力は日本の700倍、陸軍の「戦争経済研究班」も「対英米との経済戦力の差は20:1」と報告している。この国と戦争をしてもボロ負けする、というのは海軍、陸軍、内閣、そして天皇陛下まで共通の認識だった。 1941年4月、当時日本の若手エリート官僚などを集めた「総力戦研究所」で、データに基づいて客観的かつ科学的に分析しても「日本必敗」という結論は変わらなかった。しかも、「緒戦は優勢ながら、徐々に米国との産業力、物量の差が顕在化し、やがてソ連が参戦して、開戦から3〜4年で日本が敗れる」とほぼ現実通りの敗戦シナリオまで読めていた。 しかし、この8カ月後、日本は戦争を始める。そこでよく言われるのは、アジアの白人支配をもくろむ英米の謀略で、ABCD包囲網やハルノートという理不尽な要求を突きつけられたせいで、日本は戦争に突入させられた、という「日本、ハメられた説」だ。しかし、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏が、「太平洋戦争は本当に避けることができなかったのか」で指摘しているように、歴史を客観的に検証すれば、それはかなりご都合主義的な解釈だ。 日本政府と軍上層部が消極的に開戦に流れたのは、「これまでやってきたことの否定」を最後まで嫌がり、その責任を押し付けあっているうち機能不全に陥ったからだ』、「日本政府と軍上層部が消極的に開戦に流れた」様子は、腹が立つ。
・『社会全体の「日本は負けない!」の絶叫で戦争へ  アメリカ側が日本に要求していた、「中国からの完全撤兵」は陸軍としては絶対にのめなかった。日中戦争で約20万人の兵士を失い、国家予算の7割を注ぎ込んできたのに「手ぶら」で撤退すれば、陸軍内の責任問題に発展するだけではなく、陸軍そのものの存在も危ぶまれる大失態だ。そこに加えて、撤退という決断を下してしまうと、「戦争を望む国民」から政府や軍の幹部は壮絶な吊し上げにあって、本人や家族の命の危険もあった。 よくドラマなどで、太平洋戦争の開戦が描かれると、「軍靴の音が聞こえる」的な暗い世相で、ヒロインなどは軍国主義に翻弄されながら嫌々戦争に巻き込まれていくようなストーリーも多い。しかし、これはこの時代の「常識」と大きくかけ離れている。 当時、東京・四谷で生まれたばかりの赤ちゃんを育てていた女性は、真珠湾攻撃が成功したというニュースを受けて、個人の日記にこうつづっている。 『血わき、肉躍る思いに胸がいっぱいになる。この感激!一生忘れ得ぬだろう今日この日!爆弾など当たらないという気でいっぱいだ』(NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争 1941 第1回 開戦(前編)) この人は国粋主義者でもなんでもなく、当時のきわめてノーマルな国民感覚を持っている。実は多くの国民はこの当時、「アメリカに目にもの見せてやれ!」「なぜ戦争をしない!」と弱腰の政府や軍に不満を感じていた。そんな社会のムードを受けて、若い軍人たちもとにかく天皇陛下に早く開戦を決断していただきたいと「下」から突き上げていた。戦争の回避を主張することは「反日」であり、「国賊」だったのだ。 政府や軍の幹部、そしてエリートたちが国力や資源という客観的データをもとに分析をした「日本は負ける」という結論が、社会全体の「日本は負けない!」の絶叫によって見事にかき消されてしまった結果が、対米戦争の開戦なのだ』、「戦争の回避を主張することは「反日」であり、「国賊」だったのだ」、「政府や軍の幹部、そしてエリートたちが国力や資源という客観的データをもとに分析をした「日本は負ける」という結論が、社会全体の「日本は負けない!」の絶叫によって見事にかき消されてしまった結果が、対米戦争の開戦なのだ」、「社会全体の「日本は負けない!」の絶叫」を煽ったのはマスコミだ。
・『現場の危機意識を大事に…80年前に学ぶべき  これは他の「負けパターン」にも見事に共通する。先ほどの東芝の部長もそうだが、自動車産業でも白物家電メーカーでも、鉄鋼でも造船でも、現場の最前線で指揮を執っているようなリーダーたちは早くから「このままでは日本は負ける」という危機意識を抱くケースが多い。 しかし、いつの間にか沈黙をする。現場から離れたところにいる、専門家、評論家、そしてジャーナリストなどが、「日本は負けない」などと叫び始める。愛国心を刺激する主張なので、世論も支持しやすい。そして気がつけば、「負け」を口にするものは売国奴となって、「客観的なデータ」はないがしろにされ、数多の問題を先送りにしたまま「負け戦」に突っ込んでいく。こういうことを80年間繰り返してきた結果が、今の日本だ。 冒頭で触れたようなニュースが多いからかもしれないが最近やたらと、「日本は負けない!」的な主張が増えてきた。今こそ80年前の「負けパターン」に学ぶべき時ではないか』、「今こそ80年前の「負けパターン」に学ぶべき時ではないか」、同感である。

次に、1月10日付け東洋経済オンラインが掲載した大蔵省出身で一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏による「日本人は「円安」がもたらした惨状をわかってない 自ら危機意識を持って脱却する必要がある」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/500552
:中国の工業化に対処するため、日本は「安売り戦略」を志向し、円を著しく減価させた。その結果、輸出は増えたが、貿易収支は悪化した。また、賃金も上昇せず、企業も成長しなかった。 昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第60回。 韓国や台湾は、通貨を増価させた結果、貿易黒字が拡大した。それにより、経済成長率が高まり、賃金が上昇した。また、企業が成長した』、興味深そうだ。
・『中国工業化への対応:「安売り」か、「差別化」か  いま、韓国や台湾の賃金や1人あたりGDPが、日本に近づき、あるいは日本を追い越そうとしている。20年以上にわたる日本経済の停滞と、韓国・台湾の顕著な経済成長が、この結果をもたらすことになった。 なぜこうしたことが生じたのだろうか? それは中国の工業化への対処の違いによると考えられる。 1980年頃から始まった中国の工業化が、1990年代に本格化した。安い労働力を使って、それまで先進国の製造業が作っていた製品を、はるかに安い価格で作り、輸出を増大させた。 これによって、先進国の製造業は極めて大きな打撃を受けた。 中国の工業化に対応するのに、2つの方策がある。 第1は、輸出品の価格を切り下げて、中国の低価格製品に対抗することだ。これを「安売り戦略」と呼ぶことにしよう。 第2は、中国が作れないもの、あるいは中国製品より品質が高いものを輸出することだ。これを「差別化戦略」と呼ぼう』、なるほど。
・『日本は安売り戦略  日本は2000年頃以降、「安売り戦略」をとった。 国内の賃金を円ベースで固定し、かつ円安にする。これに「よって、ドル表示での輸出価格を低下させて、輸出を増大させようとした。) 十分に円安にすれば、輸出が増えるだけでなく、企業の利益を増やすことができる。 「ボリュームゾーン」と呼ばれた政策は、「安売り戦略」の典型だ。これは、新興国の中間層を対象に、安価な製品を大量に販売しようとするものだ。 この考えは、1996年度の『ものづくり白書』で取り上げられた。そして、2000年頃から顕著な円安政策が始まり、また、1990年代前半までは上昇していた賃金が頭打ちになった』、「日本」が「安売り戦略」を選択したのは、誤りで残念だ。「賃金が頭打ちに」なるのも当然だ。
・『韓国と台湾は、技術を高度化  この間に、韓国、台湾では国内の賃金が上昇した。また、為替レートが傾向的に減価することもなかった。 これは、少なくとも結果的に言えば、「差別化戦略」がとられたことを意味する。品質を向上させ、あるいは中国が生産できないものを輸出するか、新しいビジネスモデルを開発したのだ。 実際、下記の図に見られるように、韓国の場合、製造業輸出品に占めるハイテク製品の比率は、30%程度であり、最近では35%程度に上昇している。それに対して、日本の場合には20%程度であり、最近では低下している。 (外部配信先では図表や画像を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) 台湾では、鴻海が、中国の安い賃金を活用して、電子製品の組み立てを行うビジネスモデルを開発した。また、TSMC(台湾積体電路製造)は、最先端の半導体製造技術を切り開いた』、「日本」は「安売り戦略」で、「韓国と台湾は、技術を高度化」、とは本来の立場からすると逆であるべきだ。
・『日本では貿易黒字が減少し、貿易赤字に  以上の政策がとられた結果、何が起こったか? 日本では、2000年頃から輸出が増えた。しかし、輸入額も増大した。 輸入品の中には、原油など、価格弾力性の低いものがある。これらは、輸入価格が上昇しても輸入量を減らすことができないため、通貨が安くなれば、輸入額がさらに増える。 このため、貿易黒字は減少する。 実際、日本の貿易黒字は2005年頃から減少に転じ、さらに貿易収支が赤字化した。 貿易収支悪化は、リーマンショック後に顕著になった。2012年頃の原油価格高騰期には、とくにそうだった。 日本ではサービス収支が恒常的に赤字なので、貿易サービス収支が悪化する(2011年以降、2016、2017、2018年を除けば、赤字)。これを所得収支(対外資産からの収益)で賄う形になった。 これは、家計で言えば、退職後の人々と同じパターンだ。給料を得られないので、それまで蓄積した資産の収益で生活を支えるパターンとなる。) 韓国、台湾では、輸出の増加が輸入増加を超えたので、貿易収支の黒字が拡大した。 もともと韓国、台湾では、輸出に対する依存度が大きいので、この拡大は経済に大きな影響を与えたと考えられる。 なお、2000~2007年頃、アメリカの輸入が増加し、アメリカの経常収支赤字が拡大した。これは、アメリカ国内で消費が増加したためだ。これも、日本や韓国などの輸出増大に寄与した。 しかし、リーマンショックによって、このメカニズムが崩壊した。その後、日本も韓国も、輸出の伸び率は低下している。 ただし、日本の輸出が2007年頃以降ほとんど停滞してしまったのに対して、韓国、台湾の輸出は増加を続けた。 そして、日本の貿易収支が2011年後以降2015年まで赤字化したのに、韓国の貿易収支は黒字を続けた』、「韓国の貿易収支は黒字を続けた」、競争力が強かったためだろう。
・『韓国では、企業の時価総額が増加  韓国企業の成長は、時価総額の増加に現れている。 下図は、日本と韓国の国内企業の時価総額合計額の推移を示す。 2000年から2020年の間に、日本では、3.157兆ドルから6.718兆ドルに、2.13倍になっただけだ。 これに対して、韓国企業の時価総額合計額は、同期間中に、0.171兆ドルから2.176兆ドルへと、実に12.7倍になった。 この期間に、韓国企業の利益が顕著に増加したことを示している』、韓国の競争力の強さは、「企業の時価総額合計額」の急増にも表れている。
・『韓国と台湾に登場した巨大時価総額企業:サムスンとTSMC  韓国や台湾には、時価総額が巨大な企業が登場している。 韓国のサムスンの時価総額は、現在、4419億ドルで、世界ランキング第16位だ。 台湾のTSMCは、6239億ドルで、世界ランキング第10位だ。 これらはいずれも、日本で時価総額トップの企業であるトヨタの時価総額(2567億ドル、世界第41位)より大きい。 2010年頃に、日本の電機メーカーから、「打倒サムスン」の声が起きた。 しかし、実際には、打倒されてしまったのは、日本のメーカーだった。) 当時の日本を代表する総合電機メーカーの現在の時価総額は、次の通りだ。 ソニー:1567億ドル、日立:516億ドル、富士通:340億ドル、三菱電機:271億ドル、東芝:178億ドル、NEC:126億ドル、パナソニック:110億ドル。 これらすべてを合わせても3108億ドルで、サムスンの7割にしかならない。 これらすべてにトヨタを加えても、TSMCに及ばない。 半導体も、かつては、DRAMの分野で、日本メーカーが世界を制覇した。 いまは、台湾のTSMCが、世界のどのメーカーも追随できない製品を作っている。 日本政府は先頃、工場建設費の6割を負担してこの工場を日本に誘致することを決めた。 確実でない。 とりわけ、米中貿易戦争の影響は大きいだろう。 実際、韓国の貿易収支黒字は、2018年ごろから頭打ちになっている。これによって、経済成長も頭打ち気味だ。 また、TSMCの急成長も、半導体不足という短期的現象で増幅されている面がある(TSMCの時価総額は、2000年からわずか2年間で3倍以上になった)』、「サムスンとTSMC」の「時価総額」は一時的要因の押し上げはあるとしても、日本の電機メーカーに比べ圧倒的大きさだ。
・『通貨安に対する民族記憶がある韓国と、ない日本  韓国が通貨安政策を求めず、通貨高を実現させたのは、1990年代末のアジア通貨危機の影響と思われる。 この時、韓国は、ウォンの暴落で国が破綻する瀬戸際まで追い詰められた。この時の経験が民族的な記憶となって、通貨政策に反映しているのであろう。 これに対して日本では、そのような経験がない。 しかし、それが以上で見たような、「亡国の円安」の進行を許す結果となった。 いま、異常なまでの円安が進んでいるにもかかわらず、国民が危機意識を持たないのは、日本は韓国のような経験をしていないためだ。 この状況から、何とかして脱却する必要がある』、日本には異常なまでの円高恐怖症があることも大きな要因だ。

第三に、1月11日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「日本が亡国の道を突き進む元凶、「やったふり」「先送り」キャリア形成の弊害」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/292753
・『昨年は、コロナ禍によって「デジタル化の遅れ」をはじめ、日本社会のこれまであまり明らかになっていなかった問題が噴出した年だった。今後さらに新型コロナが感染拡大した場合、今の医療体制ではひとたまりもないことは明らかだが、政府は抜本的な医療改革には手をつけない。この日本の停滞の根源には、子どもの「受験」から始まる古いキャリア形成にあると考える』、興味深そうだ。
・『何事も動き出しが遅い日本はキャリアシステムに問題あり?  日本は政策が「Too Little(少なすぎる)」「Too Late(遅すぎる)」「Too Old(古すぎる)」だ(本連載第290回・p6)。  「コロナ禍」への対応では、感染拡大期に何度も医療崩壊の危機に陥った(第282回)。ワクチンについても、世界最先端の情報を得られず、諸外国に比べて確保も接種も初動が遅れてしまった(第279回・p3)。 後に、菅義偉首相(当時)の強い指揮でワクチン接種の遅れを取り戻し、感染者数・重症者数・死亡者数においては、欧米などと比べて低く抑えられている。だが、国民の政府のコロナ対策への評価は高くない。かろうじて医療崩壊を避けられても、今後強毒性の感染症のパンデミックが起こったら、今の医療体制ではひとたまりもないことは明らかだ。 だが政府は、抜本的な医療体制の改革には手を付けない。一体なぜなのか。 今回は、日本社会の「受験」「就職活動」から「年功序列」「終身雇用」の「日本型雇用システム」という、日本独特のキャリア形成のシステムに焦点を当てる』、「キャリア形成のシステム」がどのように問題を引き起こしているのだろう。
・『「学校では、塾通いを隠し、やったふりをしろ」が問題の原点  日本を動かしている政治家、官僚、財界人は、今の日本のキャリアシステムの頂点に君臨している人たちだ。 例えば、岸田文雄首相は「開成閥」とされている。開成高校の同窓である官僚、財界人が首相の脇を固めているというのだ。また、世襲議員や官界・財界の「麻布閥」が存在するともいわれてきた。 だが、このキャリアシステムが生み出したものは、「誰も結果を出そうとしない」社会だ。結果には「責任」が伴うが、それを嫌がり、誰も責任を取らない社会となっている。 まず、「受験」から考えてみたい。中学・高校・大学の「受験」は、学校の外部にある「塾」に通わなければ合格が難しい。学校で学ぶだけでは、難解な入試問題が解けないのだ。 私は子どもがいるので実際にみたことだが、親が子どもに「塾のことを学校でしゃべるな」という。学校の学びは塾より遅れていることが多く、子どもはすでに塾で学んだことを隠して、学校で勉強を「やったふり」をする。 運動会、学芸会などの学校行事も、受験勉強の妨げにならないように「やったふり」をする。親が、子どもをビデオ撮影する「思い出作り」の場となる。 学校では、塾通いを隠し、やったふりをしろ」という親の教えは、子どもに相当な悪影響がある。これが、「出るくいは打たれる」のを避けて、黙って静かに時が過ぎるのを待つ日本社会の風潮の原点になっていると思うのだ(第56回)。 これは、学校が「次のステップのためにいる場所」でしかないということを意味している。小学校は中学校の、中学校は高校の、高校は大学のためのステップだ。 大学も、就職のためのステップでしかない。あくまで「文系」の話と断っておくが、大学入学という「学歴」を得たら、1年生から就活(就職活動)の準備をするという学生が少なくない。 今の学生は、ゼミも、サークル活動も、ボランティアなど課外活動も、短期留学も、すべて就活のため、「履歴書」に記載するためだけにやっているように感じる。 私は大学で教員をしているが、ゼミやサークルでは「副リーダー」になりたがる学生がいる。履歴書に記載でき、実質的には何の責任がない役をやりたがるのだ。サークルは、4年間活動に没頭するよりも、就活に有利なところに籍を置くことを重視する。海外留学も「履歴書」でアピールできるものだ。短期のものが人気だが、それでは語学力がつかず、異文化も理解できない』、「ゼミも、サークル活動も、ボランティアなど課外活動も、短期留学も、すべて就活のため、「履歴書」に記載するためだけにやっているように感じる」、情けないが仕方ないのだろう。
・『無難に就職、無難な配属を選んで無難に「やったふり」  次に「就職活動」を考える。 自ら起業する学生が増えているというが、それは一握りにすぎない。結局、大多数の学生が「年功序列」「終身雇用」の会社に入社する。同じ会社に勤め続ければ、同期と横並びで出世していくシステムの中で、ローテーションでさまざまな業務を数年ずつ経験しながら、キャリアアップしていくことになる。 このシステムの特徴は、少なくとも表面的には、同期入社の出世は横並びということだ。ゆえに、何か問題が起きて、横並びの出世コースから外れると、元に戻るのが難しい。 だから、自分の担当部署が無難であることが何より重要になる。自分が担当の間、何か問題が起きても、それを解決するより、その問題をできるだけ隠して「先送り」し、別の部署に異動するときに、後任に渡そうとすることになる。 逆に、問題をわざわざ表沙汰にして、解決しようとしても評価されない。「先送り」をしてきた先人にとって都合が悪い。だから、そういう人は煙たがられる。組織の人事評価は、周囲と調和していく「穏健な人」が高く評価され、出世していく傾向になる。 要するに、学校から企業などに入社し、無事に定年退職まで勤め上げる間、成果を上げようとはしなくなる。静かに事を荒立てず、無難に「やったふり」をするのが出世の道なのだ』、「学校から企業などに入社し、無事に定年退職まで勤め上げる間、成果を上げようとはしなくなる。静かに事を荒立てず、無難に「やったふり」をするのが出世の道なのだ」、日本企業の生産性の低さにも大きく影響している筈だ。
・『海外では「公募」が基本、「やったふり」では生きられない  ところが、日本以外の社会では、「年功序列」「終身雇用」というシステムは基本的に存在しない。欧米だけではない。私の勤務校の大学院にはアジアの国々の公務員が留学しているが、彼らの国の制度では、公務員資格を持ち、さまざまな役所を渡り歩きながら、出世していくそうだ。 海外では、組織を移籍する時は、基本的に「公募」を使う。経営者でさえ「公募」で決まる。日本でいう「プロ経営者」だ。部長や課長なども、公募で決まる。内部昇格はあるが、「公募」を必ず行う。外部から応募してきた人材と比べて最適と審査された時のみ、内部昇格できる。要するに、役職に適合する人を組織内外に幅広く募り、最適な「専門家」を採用するのだ。 そういう社会で出世するには、「やったふり」で静かに待っているだけではいけない。「業績」を出し続けねばならないのだ。それを履歴書に載せて、次のポジションを求めて公募にチャレンジする。その繰り返しでキャリアアップしていくのだ。 日本と欧米の組織の違いを、官僚組織を事例に具体的に説明してみよう。 日本では、キャリア官僚は省庁で新卒一括採用される。「年功序列」「終身雇用」で、同じ省庁で退官するまで勤め続ける。その間、さまざまな部署をローテーションで経験し、ジェネラリストになっていく。 「政策」は、省庁内で対応可能な範囲内で立案されることになる。現在ある組織を前提にして、その枠を超える政策は作られない。他の省庁との協力も拒否する。複雑な問題は、「先送り」することになる(第183回)。 その端的な事例が、待機児童問題の解決策だった「幼保一体化」だ。厚生労働省の管轄する保育園と、文部科学省が管轄する幼稚園を一体化しようとしたが、厚労省と文科省の「縦割り」を打破することができず、待機児童問題の解決は「先送り」され続けている(第128回)。日本の行政では、適切な政策の実現よりも、各省庁の組織防衛が優先されるということだ。 一方、海外の官僚組織では、組織防衛よりも「政策」が優先される。既存の省庁で対応できない新しい政策課題は、新しい役所を設置し、専門的な人材を集めて政策立案をするのだ(第156回・p3)。 例えば、英国が2016年に「EU離脱」を決定した時、テリーザ・メイ首相が就任直後に、「EU離脱省」という新たな役所の設置を決断して、EUとの離脱交渉に臨むことにした。EU離脱によって生じる複雑な課題を、既存の省庁が個別に交渉するのではなく、新しい役所を設置し、専門家を新たに雇用して対応したのだ』、「既存の省庁が個別に交渉するのではなく、新しい役所を設置」、わざわざ新設までするかの是非は慎重に検討する必要がある。
・『コロナ禍で明らかになった日本の遅れ、根本に「先送り」  現在の、コロナ禍で明らかになった「デジタル化の遅れ」などの問題も、省庁、民間企業、政界で問題に真剣に取り組まず「やったふり」をして、解決を「先送り」し続けた結果ではないだろうか。 「デジタル庁」がようやく発足し、自民党は胸を張っているが、デジタル化は欧米から20年は遅れているのが現実だ(第202回)。 コロナ対策も問題だらけである。基本的に、コロナ対策を動かしているのは厚労省だ。政府の専門家会議、厚労省のアドバイザリーボードなど「審議会」に招集された御用学者は、省庁が決めた政策に「お墨付き」を与える存在でしかない。 だから、御用学者とは、現在世界の最先端の研究に取り組む若手ではない。すでに、第一線から引退状態の重鎮だ。彼らが「権威」として審議会に呼ばれ、政策に「お墨付き」を与え、省庁は政策の「正当性」を得る。 御用学者も、厚労省の官僚も、「学歴社会」「年功序列」「終身雇用」の日本社会の頂点に君臨する存在だ。その結果、コロナ対策は、「やったふり」「先送り」「縦割り」「組織防衛」ばかりの混乱状態となり、国民を不安に陥れた。 まず、ワクチンの入手・接種の遅れだ。専門家は、世界のワクチン開発の進捗を読み誤り、日本のワクチン入手は諸外国と比べて大幅に遅れた(第277回)。また、国内のワクチン利権を守ることが、ワクチン入手の障害になったという指摘もあった(選択12月号 『<<日本のサンクチュアリ>>国産ワクチンの「巨大利権」』)。 次に、何度も「緊急事態宣言」の発出を繰り返すことになった「医療体制崩壊の危機」だ。病床を確保するための議論は、専門家会議でほとんどなされなかった(第277回・p2)。それは、専門家会議に、感染症の専門家しかいなかったからだ。 彼らは感染症の予防・治療が専門でも、医療体制の確保は専門ではなかった。病床の確保は、他の疾病、糖尿病、心臓病、がん、脳卒中等の病床を分けてもらうしかない。だが、それらの疾病の専門家は会議にいないのだから、病床の確保の議論ができるわけがなかった。要するに、病床の確保は、医学界全体で取り組むべき課題だったが、医学界の「縦割り」が問題解決を妨げたのだ(第262回)。 結局、厚労省は「縦割り」「既得権」に手を付けないようにして、ひたすら国民に行動制限を求める対策に終始してしまったのではないだろうか。 私は、「受験」「就活」「年功序列」「終身雇用」の日本型のキャリアシステムそのものを変えていかなければ、今後も日本が直面するさまざまな課題について、その解決に正面から取り組まず、「やったふり」「先送り」が続くことになると考える。 日本の政界・官界・財界を動かす人たちは、このシステムの頂点にいるので、自らそれを変えることは難しい。彼らが組織内の論理で「やったふり」「結果を出さない」出世争いを続ける間に、世界は、日本を置き去りにして先に進んでいく。それは「亡国の道」である』、「日本の政界・官界・財界を動かす人たちは、このシステムの頂点にいるので、自らそれを変えることは難しい。彼らが組織内の論理で「やったふり」「結果を出さない」出世争いを続ける間に、世界は、日本を置き去りにして先に進んでいく」、外資系企業経営者、学者やジャーナリストなど、「このシステム」の周辺部にいる「人たち」が中心になって世界にキャッチアップしていく努力をするべきだ。
タグ:日本の構造問題 (その24)(「日本は負けた」系ニュースが急増しても事実を認めない人々の“負けパターン”、日本人は「円安」がもたらした惨状をわかってない 自ら危機意識を持って脱却する必要がある、日本が亡国の道を突き進む元凶 「やったふり」「先送り」キャリア形成の弊害) ダイヤモンド・オンライン 窪田順生 「「日本は負けた」系ニュースが急増しても事実を認めない人々の“負けパターン”」 「「日本は絶対に負けない!」と叫べば叫ぶほど事態を悪化させるという「負けパターン」を繰り返してきた」、困った悪弊だ。 「10年前に「不安をあおるバカ」と罵られた側の警鐘が現実となりつつある」、なるほど。 「肝心の技術の部分はこちらが握っているので、いくら「器」が売れたところで、「メイド・イン・ジャパン」の優位性が脅かされることはない、と高をくくっていた」、こうした思い上がりは日本人の悪弊だ。 「「日本は負けない!」という大合唱が、先の部長のような警鐘をかき消して、「いたずらに不安をあおる人々」にしてしまったのだ」、こうした楽観バイアスはやはり恐ろしいものだ。 「日本政府と軍上層部が消極的に開戦に流れた」様子は、腹が立つ。 「戦争の回避を主張することは「反日」であり、「国賊」だったのだ」、「政府や軍の幹部、そしてエリートたちが国力や資源という客観的データをもとに分析をした「日本は負ける」という結論が、社会全体の「日本は負けない!」の絶叫によって見事にかき消されてしまった結果が、対米戦争の開戦なのだ」、「社会全体の「日本は負けない!」の絶叫」を煽ったのはマスコミだ。 「今こそ80年前の「負けパターン」に学ぶべき時ではないか」、同感である。 東洋経済オンライン 野口悠紀雄 「日本人は「円安」がもたらした惨状をわかってない 自ら危機意識を持って脱却する必要がある」 「日本」が「安売り戦略」を選択したのは、誤りで残念だ。「賃金が頭打ちに」なるのも当然だ。 「日本」は「安売り戦略」で、「韓国と台湾は、技術を高度化」、とは本来の立場からすると逆であるべきだ。 「韓国の貿易収支は黒字を続けた」、競争力が強かったためだろう。 韓国の競争力の強さは、「企業の時価総額合計額」の急増にも表れている。 「サムスンとTSMC」の「時価総額」は一時的要因の押し上げはあるとしても、日本の電機メーカーに比べ圧倒的大きさだ。 日本には異常なまでの円高恐怖症があることも大きな要因だ。 上久保誠人 「日本が亡国の道を突き進む元凶、「やったふり」「先送り」キャリア形成の弊害」 「キャリア形成のシステム」がどのように問題を引き起こしているのだろう。 「ゼミも、サークル活動も、ボランティアなど課外活動も、短期留学も、すべて就活のため、「履歴書」に記載するためだけにやっているように感じる」、情けないが仕方ないのだろう。 「学校から企業などに入社し、無事に定年退職まで勤め上げる間、成果を上げようとはしなくなる。静かに事を荒立てず、無難に「やったふり」をするのが出世の道なのだ」、日本企業の生産性の低さにも大きく影響している筈だ。 「既存の省庁が個別に交渉するのではなく、新しい役所を設置」、わざわざ新設までするかの是非は慎重に検討する必要がある。 「日本の政界・官界・財界を動かす人たちは、このシステムの頂点にいるので、自らそれを変えることは難しい。彼らが組織内の論理で「やったふり」「結果を出さない」出世争いを続ける間に、世界は、日本を置き去りにして先に進んでいく」、外資系企業経営者、学者やジャーナリストなど、「このシステム」の周辺部にいる「人たち」が中心になって世界にキャッチアップしていく努力をするべきだ。
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