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日本の政治情勢(その12)(小田嶋氏のコラム;積極的棄権について考える) [国内政治]

日本の政治情勢については、10月11日に取上げたが、投票日も近づいた今日は、(その12)(小田嶋氏のコラム;積極的棄権について考える) である。

コラムニストの小田嶋隆氏が10月13日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「積極的棄権について考える」を紹介しよう。
・選挙が近づくとツイッターのタイムラインが荒れる。 なので、私は、この二週間ほどあまり積極的に書き込みをしていない。 興奮した人たちが険しい言葉で反論をしてきたり、言質を取るために質問を投げかけてくる展開が面倒だからだ。
・今回は、告示が終わって選挙運動期間に入ったこともあるので、個々の政党や候補者についての話題は避けて、自分が選挙を好きになれない理由について考えてみるつもりでいる。 ツイッター上では、さる有名人が今回の選挙に関連して「積極的棄権」を呼びかけたことが議論を呼んでいる。 議論というよりは袋叩きに近い。 積極的棄権を呼びかけているご当人が、各方面から叱責を浴びている感じだ。
・まあ、こういうご時世に、自分が投票しないというだけならまだしも、わざわざ不特定多数の一般人に向けて投票の棄権を呼びかけて署名運動まで展開しているのだから、非難論難叱責打擲されるのは仕方がないところだろう。 仮に、呼びかけの結果、投票率が落ちたのだとして、その投票率の低さを通して伝えられることになるメッセージが、いったいわれわれの社会にどんな好影響をもたらすというのだろうか。私は、その好影響の事例をひとつも思い浮かべることができない。
・引き比べて、低投票率がもたらすであろう政治的な効果は、ずっとはっきりしていて、しかも致命的だ。おそらく、一部のファナティックな人々の声が、よりファナティックなカタチで鳴り響くことになる。 つまり、声の小さい人たちが黙ることは、声の大きい人たちの声をより大きく響かせる結果を招くわけで、とすると、棄権は狂信者に力を与えるに違いないのだ。
・仮に、投票率が20%を切るみたいな極端な数字が出れば、さすがにその結果に危機感を抱く人が増えることにはなるのだろう。が、さかのぼって考えてみれば、そもそも投票率が20%を下回るということは、人々がそれだけ危機感を抱いていないことを意味しているわけで、ということは、このお話は、はじめから「交通信号を守るドライバーがほとんどいなくなって、道路が事故車と負傷者でいっぱいになれば交通ルールの大切さが実感できるのではないか」と言っているのと大差のない本末転倒の寓話なのであって、バカな選挙であることを訴えるために、選挙をバカにすることは、自分たちの住んでいる社会をバカな社会に作り変えること以外の意味は持っていないはずなのだ。
・もっとも、とことんまでバカな社会ができあがれば、さすがにその社会の構成員たちも自分たちのバカさを反省せざるを得ないのだろうし、そういう意味では、自分たちの社会を奈落の底に落とすことにも、まるで意味がないわけではないのだろうが、そこのところまで話を広げないと選挙のバカさを伝えられない論者は、あまりにも選挙民の洞察力をバカにしていると思う。こういう設定でものを考える人は、私にはバカであるとしか思えない。
・ただ、実際に棄権の呼びかけを展開することの是非はともかく、いまこの時期に、あえて「棄権」という選択肢を掲げて思考実験をしたことには、それなりの意味があったとは思う。 というのも、積極的棄権を呼びかけた哲学研究者に向けて、左右上下を問わないあらゆる立場の人々が投げつけている罵倒の、あまりといえばあまりに激越な調子の中に、私は、うちの国の社会の窮屈さというのか、若い人たちが、投票所に向かう気持ちを喪失する原因のひとつとなっているに違いないパターナリズムの臭気を感じ取るからだ。
・私自身、50歳になるちょっと手前までは、一度も投票に出かけたことのない人間だった。 このことを口にすると、どういう文脈で言った場合でも、必ずや全面的な攻撃を浴びることになっている。 「50歳になるまで投票に行っていなかったような無責任な人間がえらそうな口をきくな」 「百歩譲って、投票しなかった過去があること自体は、個人の自由で、他人が口を出すべきことではないのだとして、あなたのような影響力のある人間が、自分が投票に行かなかったことを誇らしげに語るとはなにごとか。若い人たちへの影響を考えないのか」 「要するに口だけの人間だということだ」  まあ、おっしゃる通りだ。
・この件について、いまさら弁解をしようとは思わない。棄権する自由についてあえて議論しようとも考えていない。 ただ、投票を市民の至高の義務であるかのように訴える人々の高飛車な物言いが、若い人たちの投票意欲をむしろ減退させている可能性については、この場を借りて、ぜひ注意を促しておきたい。
・「投票は社会人としての義務だ」 「有権者として与えられた政治的な権利を行使することこそが、市民として社会に対峙するための最低限の条件なのである」 「投票しない市民は演奏しない楽団員と同じでオーケストラにいる意味がないのだから、できれば退場してほしい」 「投票もしていない無責任な人間に政治を語る資格はない」 「若年層の投票率の低迷が政治家の若者軽視を促している」 てな調子の、選挙の度に繰り返される耳タコのお説教は、特段に政治に興味を持っていない人々を確実にうんざりさせている。
・若者に投票を促す人々は、政治に興味を持たない市民を、人として一段格が落ちると考えている人間に特有の調教師じみた命令口調を隠そうともしない。 聞かされている側としては、話の内容以前に、「どうしてそう上からなんですか?」 というそこのところに反発して、マトモに耳を傾ける気持ちにならない。
・世間の空気がそんなふうに硬直的だからこそ、例の五反田の哲学者は「積極的棄権」などという暴論をあえて持ち出してきたのではなかろうかと、彼の叩かれっぷりに憐憫を感じている私は、ついついそう考えてさしあげたくなるのだが、まあ、あの人は、案外マジであれを言っているのかもしれない。
・だとしたら、それはそれで見事なばかりの空気の読めなさだとは思うのだが、それでもなお、私は、彼の提言を論理と理知の面では全否定しつつ、心情的には、こういう時代だからこそ、ああいう空気を読まない人の的外れの提言みたいなものが必要なんではなかろうかなどと、どうしても、心の一部でそう考えることをやめることができずにいる。
・というのも、政治について、われわれの社会には明らかなダブルバインドがあって、「積極的棄権」という彼の破れかぶれの提言は、そのどうにも欺瞞的な二重基準が言わせたセリフではないかという気がするからだ。 どういうことなのかというと、私たちは、職場や地域社会や学校のクラスの中で、政治的な意見を控えることを求められている一方で、選挙の時には、投票に行くことを期待されているということだ。
・私たちは、一方で、政治的なふるまいを厳しく制限されていながら、他方では政治的な権利の行使を義務づけられている。要するに、われわれは、二つの矛盾する要求の間で引き裂かれているのだ。
・21世紀の日本では、憲法であれ、国防であれ、基本的人権であれ、その種の政治的で論争的で知的負荷の高い話題は、できれば公共の場には持ち出さないのが社会人としての基本的なマナーということになっている。 なぜなら、その種の話題は、その場の空気をよそよそしくし、人々を分断し、対立させ、空気を社交から論争に変えてしまう触媒だからだ。
・逆に言えば、日常の話題として、政治向きの話を持ち出してくる人間は、一般の社会の中では、自動的に 「めんどうくさい人」 「目のすわった人」 「なんかヤバそうな人」 と見なされることになっている。 政治向きの話題は、扱いとしては、下ネタに近い分類枠におさめられている。
・ごく親しい、気心の知れた、互いの許容範囲をあらかじめわかっている人間同士が集う内輪のサークル内なら、ある程度政治的な話題を共有してもかまわない。が、初対面であったり、儀礼的な部分を残していたりする付き合いの中にその種の話題を持ち込むことは、食卓で大腸検診の話を熱弁することや、営業会議で昨夜のご乱行ネタをカマすことと同様、場違いで、非礼で、アタマの悪い行為であるとされている。そういうことだ。
・私が長い間投票を無視してきたことも、学生時代に、政治的に過激な方向性を持つ人々に論争をしかけられたりしていやな思いをしたことと無縁ではない。 とにかく、右であれ左であれ運動であれ選挙であれ、政治には関わり合いたくなかった。 私は、政治への忌避感情をこじらせていたわけだ。
・若い人たちは、良い意味でも悪い意味でも潔癖で、ダブルバインドを許容することが苦手だ。 であるから、ふだんは政治的な話題を避けておいて、選挙の時にだけ政治のことを考えるといった調子で自分のアタマを使い分けるような手の込んだ行動基準を自分の生活の指針とすることを好まない。
・必ず選挙に行けというのなら、ふだんから政治的な話題を避けるなと言うべきだし、政治的な話題は控えろというのなら、投票にも行くなというべきだ。選挙に行けという同じ口で、職場で政治の話をするなと言うあなたは狂っている、と、彼らは考える。私には、その彼らの気持ちがわかる。われわれは狂っている。
・わが国の投票率が、先進国の中でもとりわけ低く、その中でも20代や30代の若い人たちの投票率が低迷する傾向にあるのは、単に選挙期間中の投票行動の問題ではない。 そもそも、われら日本人は政治の話題をきらっている。 きらっていなくても、明らかに避けようとしている。 そのことが、投票率の上昇をさまたげている。
・つまり、ふだんの生活の中で、政治的なふるまいを制限しておいて、投票日にだけ政治的な人間になれというのは、そもそも無理筋の注文なのである。 われわれが政治の話を嫌っている理由は、権力の陰謀だとか、そういう話ではなくて、おそらく、単に、わたくしども日本人が、他人と論争するタイプのコミュニケーションに慣れていないからだ。それほど、われわれは揉め事がきらいなのだ。
・だから、喧嘩両成敗などという奇妙な原則が、集団運営の隠れた鉄則になっている。 「喧嘩両成敗」によって、争っている当事者を裁く役柄の上位者は、喧嘩をしている両者の言い分を聞こうともせず、どちらが正しいのかを判定しようともせず、とにかく喧嘩をしていることそれ自体を悪だと決めつけて、両者を罰している。 こんな空気が蔓延している世の中で、誰があえて論争なんかをするだろうか。
・誰かが政治について論争をしていると、君らの言い分はともかく、論争というのが良くない、と、上司はどうせそう言って仲裁をして、言い分も聴かずに論争をおさめて乾杯させようとするに決まっている。そんな社会の中では、政治について真面目に考えようとする気なんて起こるものではない。
・私たちは、異なった意見が互いに対立することになる現場を恐れ、論争を恐れ、もしかしたら、生身の人間が真面目に対話することにすら、生理的な恐怖を抱いている。 ギリシアの市民は、われわれ日本人が天気の話や野球の話題を話す時みたいな調子で、ごく気軽に国防の話やEU離脱のような政治向きの話題を語り合っているという話を聞いたことがある。彼らは、カフェや路上で気軽に政治の話題を掲げ、時に激しい論争になったりしながらも、それでいて、後を引いて険悪な関係になることもなく、その場の議論を楽しんでいるのだという。 この話は、又聞きの又聞きみたいな話なので、実際のところ、自分が見たわけではない。
・ただ、日本の社会で政治向きの話題がタブーになっている点についていうなら、私が20代の若者だった1980年代とくらべてみても、その傾向が強まっていることはたしかだと思う。 昭和の時代は、政治向きの論争に限らず、社会の様々な場所で、軋轢や摩擦や喧嘩や論争がいまよりもずっと多かった時代で、それが良いことなのかどうかは別に、その時代に生きていた人間は、21世紀の人々よりも、ずっと争いごとに対してタフでもあれば無神経でもあった。
・その同じ日本人が、理由はわからないけれど、この20年ほど、表立った場所で声を張り上げて口論をすることの少ない人たちになっている。 私は、日本人が争いごとをますます嫌うようになっていることと、若い人たちの投票率が低迷していることには、何らかの因果関係があるのではないかと思っている。 たいした根拠のある話ではない。 エビデンスもない。 忘れてもらってもかまわない。
・ともかく、政治の話題がタブーになればなるほど、政治の話を持ち出すことのリスクは高くなり、また、政治的な場での論争が険悪な人格攻撃に着地するケースも増えるわけで、この負のスパイラルは、どうにも止めようがない。私たちは、とてもやっかいな局面に到達していると思う。
・2年前の7月にこんなツイートを書き込んだことがある。 《ふと気づいたんだが、相手が高校時代までに知り合った友だちだと、政治的な意見の違いはまるで気にならない。ネトウヨじみた言動があっても愛嬌のひとつぐらいにしか思わない。でも、これが大学以降に知り合った人間だと、そうはいかない。バカとは付き合いたくない。どうしてだろう。》(こちら)
・このツイートの中で言っている「高校時代の友人」というのは、15歳から20歳になるまでの間の丸々5年間ほどの期間を、毎日のようにツルんでいた人間で、それこそ家族構成から好きな食べ物から、女性の好みまで、すべてわかっている相手だ。 そういう相手の言うことであれば、たとえば、政治的に相容れない意見であっても耳を傾けることができる。 もちろん、それでこっちの考えが変わるということではない。が、それでも最低限 「なるほど、こいつはこういう考えなのだな」 と思って、相手の立場を尊重するぐらいのことはできる。政治的な考えが違うからといって、特に腹も立たないし、絶交しようとも思わない。
・なんというのか、親しい人間同士の間では、政治的な見解の違いは、そばが好きだとか、演歌がきらいだとか、ニンジンが食えないとか、クルマの運転がヘタだとか足がクサいだとかいった、あまたあるその人間の特徴のひとつとして受け容れられる、ということだ。 それが、社会に出てから知り合った人間だと、政治的に意見の合わない人間の話は、めんどうくさいのでできれば聞きたくないと思ってしまう。
・秘密はおそらくここのところにある。 つまり、われわれが、もっと普段から政治の話を自然に話し合える人間になれば、政治の話は、タブーではなくなるし、政治的な意見の違いも、決定的な対立につながらなくなるということだ。
・たとえば、音楽の好みや食べ物の好みが人それぞれ違っていて、自分と他人が同じでないことを、われわれはあたりまえのように、受け容れている。 自分がそば好きだからといって、誰もうどん好きの人間をこの世界から追放しようとは思わないし、ジャズのファンがクラシック音楽のファンを襲撃したという話も聞かない。 が、どうしてなのか、政治に関する話になると、われわれは、論敵や政敵を憎み、罵り、時には相手を滅ぼそうと躍起になって運動を展開する。
・これは、われわれが政治に対して未熟だから起こっていることなのだと思う。 われわれは、成熟することを通して、雨に腹を立てて怒鳴り散らすことがないように、政治についても怒鳴らなくてすむようになる……と良いのだが。
・結論を述べる。 われわれは、選挙に行けという前に、もっと政治の話をしろと言わなければならない。   そして、選挙中と言わず、食事中と言わず、どんどん政治の話題を振るべきなのだ。 もっとも、私自身は、初対面の人間と政治の話をすることの精神的な負荷に耐えられなかったりする。 若い人たちは、どんどん政治の話をしてください。 おっさんは、黙って耳を傾けることにします。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/101200114/

記事にある「積極的棄権」を呼びかけた哲学研究者は、ネット検索したところ、10月12日付けの朝日新聞によれば、出版社「ゲンロン」を経営する思想家の東浩紀さん(46)とのことだ。「メディアも選挙という『お祭り』に巻き込まれ、政局報道で盛り上がり、ポピュリズムを生むだけ。そんなに無理して投票すべきなのか」・・・「資本家と労働者といったわかりやすい階層があった時代は、選挙でそれぞれの主張を戦わせることが社会の融合につながった。今は各自が求めるものは複雑なのに、選挙ではワンイシュー(一つの問題)で『友か敵か』の選択を迫られ、市民が分断されている」、などと指摘しているようだ。しかし、これは、小田嶋氏が指摘する 『声の小さい人たちが黙ることは、声の大きい人たちの声をより大きく響かせる結果を招くわけで、とすると、棄権は狂信者に力を与えるに違いないのだ』、というのが正論だろう。 『そもそも、われら日本人は政治の話題をきらっている。 きらっていなくても、明らかに避けようとしている。 そのことが、投票率の上昇をさまたげている。 つまり、ふだんの生活の中で、政治的なふるまいを制限しておいて、投票日にだけ政治的な人間になれというのは、そもそも無理筋の注文なのである』、との指摘は、なるほどと納得させられる。なお、主要国の国政選挙の投票率(アサ芸プラス、「選挙に行かないと入獄も!世界各国の「投票率」、驚がくの裏事情」、2014年12月18日)をみると、確かに日本は低いが、国によっては、選挙に行かないと罰金や入獄などの罰則を設けているケースもあるようだ。ただ、選挙に行かないと罰則というのは、日本では行き過ぎだろう。
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20141218/Asagei_29967.html
 『自分がそば好きだからといって、誰もうどん好きの人間をこの世界から追放しようとは思わないし、ジャズのファンがクラシック音楽のファンを襲撃したという話も聞かない。 が、どうしてなのか、政治に関する話になると、われわれは、論敵や政敵を憎み、罵り、時には相手を滅ぼそうと躍起になって運動を展開する。 これは、われわれが政治に対して未熟だから起こっていることなのだと思う。 われわれは、成熟することを通して、雨に腹を立てて怒鳴り散らすことがないように、政治についても怒鳴らなくてすむようになる……と良いのだが』、とのくだりは、さすがの小田嶋氏も自信がなさそうだ。これは簡単な解決策などない、難しい問題のようだ。
タグ:選挙中と言わず、食事中と言わず、どんどん政治の話題を振るべきなのだ 選挙に行けという前に、もっと政治の話をしろと言わなければならない われわれは、成熟することを通して、雨に腹を立てて怒鳴り散らすことがないように、政治についても怒鳴らなくてすむようになる……と良いのだが われわれが政治に対して未熟だから起こっていることなのだと思う が、どうしてなのか、政治に関する話になると、われわれは、論敵や政敵を憎み、罵り、時には相手を滅ぼそうと躍起になって運動を展開する 自分がそば好きだからといって、誰もうどん好きの人間をこの世界から追放しようとは思わないし、ジャズのファンがクラシック音楽のファンを襲撃したという話も聞かない 日本人が争いごとをますます嫌うようになっていることと、若い人たちの投票率が低迷していることには、何らかの因果関係があるのではないかと思っている この20年ほど、表立った場所で声を張り上げて口論をすることの少ない人たちになっている 昭和の時代は、政治向きの論争に限らず、社会の様々な場所で、軋轢や摩擦や喧嘩や論争がいまよりもずっと多かった時代で、それが良いことなのかどうかは別に、その時代に生きていた人間は、21世紀の人々よりも、ずっと争いごとに対してタフでもあれば無神経でもあった 喧嘩両成敗などという奇妙な原則が、集団運営の隠れた鉄則になっている 日本人が、他人と論争するタイプのコミュニケーションに慣れていないからだ。それほど、われわれは揉め事がきらいなのだ ふだんの生活の中で、政治的なふるまいを制限しておいて、投票日にだけ政治的な人間になれというのは、そもそも無理筋の注文 わが国の投票率が、先進国の中でもとりわけ低く、その中でも20代や30代の若い人たちの投票率が低迷する傾向にあるのは ふだんは政治的な話題を避けておいて、選挙の時にだけ政治のことを考えるといった調子で自分のアタマを使い分けるような手の込んだ行動基準を自分の生活の指針とすることを好まない 若い人たちは、良い意味でも悪い意味でも潔癖で、ダブルバインドを許容することが苦手だ 21世紀の日本では、憲法であれ、国防であれ、基本的人権であれ、その種の政治的で論争的で知的負荷の高い話題は、できれば公共の場には持ち出さないのが社会人としての基本的なマナーということになっている 要するに、われわれは、二つの矛盾する要求の間で引き裂かれているのだ ダブルバインド 私たちは、職場や地域社会や学校のクラスの中で、政治的な意見を控えることを求められている一方で、選挙の時には、投票に行くことを期待されているということだ 投票を市民の至高の義務であるかのように訴える人々の高飛車な物言いが、若い人たちの投票意欲をむしろ減退させている可能性については、この場を借りて、ぜひ注意を促しておきたい 私自身、50歳になるちょっと手前までは、一度も投票に出かけたことのない人間だった 哲学研究者に向けて、左右上下を問わないあらゆる立場の人々が投げつけている罵倒の、あまりといえばあまりに激越な調子の中に、私は、うちの国の社会の窮屈さというのか、若い人たちが、投票所に向かう気持ちを喪失する原因のひとつとなっているに違いないパターナリズムの臭気を感じ取るからだ おそらく、一部のファナティックな人々の声が、よりファナティックなカタチで鳴り響くことになる。 つまり、声の小さい人たちが黙ることは、声の大きい人たちの声をより大きく響かせる結果を招くわけで、とすると、棄権は狂信者に力を与えるに違いないのだ 低投票率がもたらすであろう政治的な効果は、ずっとはっきりしていて、しかも致命的だ 議論というよりは袋叩きに近い 小田嶋隆 積極的棄権について考える さる有名人が今回の選挙に関連して「積極的棄権」を呼びかけたことが議論を呼んでいる 日経ビジネスオンライン
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金融業界(その1)(銀行は「生活習慣病」を患っている、銀行管理はもう時代遅れ?、ニッポンの老害「相談役・顧問」改革にみずほと三菱UFJが動く理由、金融庁が銀行にまたも「警告」 カードローンに続く標的とは) [金融]

今日は、金融業界(その1)(銀行は「生活習慣病」を患っている、銀行管理はもう時代遅れ?、ニッポンの老害「相談役・顧問」改革にみずほと三菱UFJが動く理由、金融庁が銀行にまたも「警告」 カードローンに続く標的とは) を取上げよう。

先ずは、9月19日付け日経ビジネスオンライン「もう銀行はいらない メガを蝕む「生活習慣病」:銀行は「生活習慣病」を患っている PwC田中氏の指摘から読み解く、銀行業界の現状と課題」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・長期化する低金利政策、伸びない銀行融資、さらには金融とIT(情報技術)が融合したフィンテックの台頭など、銀行を取り巻く環境は大きく変わった。日経ビジネスは9月18日号で「もう銀行はいらない」と題した特集を掲載し、その実相に迫った。
・いま訪れているのは「静かな危機」。バブル崩壊やリーマンショックのような金融危機を乗り越えてきた銀行業界だが、足元の状況はそれらの危機とは異質で、より深刻だ。その背景について、PwCインターナショナルの田中正明シニア・グローバル・アドバイザーに話を聞いた。田中氏は三菱UFJフィナンシャル・グループの元副社長で、現在は金融庁参与なども務める。国内外の銀行の内情に精通する実務家は、業界の現状について「生活習慣病にかかった患者のようだ」と指摘する。(田中氏のインタビュー全文は、日経ビジネス特集「使命はどこへいった 問われる存在意義(有料会員限定)に掲載)
・「銀行の国内事業の現状を一言で表現するなら、生活習慣病にかかった患者のようだ。見た目は健康だが、高血圧や糖尿病などを患っており、放置するといずれ、脳血管疾患や心臓病になりかねない。銀行の三大収益源である金利収入、手数料収入、トレーディング収入がいずれもじわじわと減少し続けており、生活習慣病が進行する様子と似ている。このままだと、今はまだ良くても、ある日、脳梗塞を起こしたように銀行が機能しなくなる懸念がある」
・直近の銀行の業績はそう悪くはない。例えば3メガバンクは年間で5000億~1兆円規模の純利益を計上している。しかし、その収益構造を見ると、マイナス金利によって貸し出しの利息収入などで構成される資金利益が大きく減り、長らく銀行の収益を下支えしてきた国債運用益も激減している。
・田中氏が指摘する通り、歴史的な水準まで落ち込んだ低金利などが、銀行の収益を圧迫しているのだ。銀行は焦げ付きのリスクを避けようとするあまり、リスクの小さい大企業向け融資に集中して金利のたたき合いに発展したり、余った資金を日銀の当座預金に積み上げたりしている。従来型のビジネスモデルが成り立たなくなっていることは、火を見るより明らかだ。
▽「健全な縮小均衡は悪くない」
・リーマンショック後の2009年頃から、各国の中央銀行はこぞって金融緩和に踏み切った。銀行の扱う商品はとどのつまり「お金」。緩和競争による金利の低下は、商品としての「お金」がコモディティー化していると言い換えることができるのかもしれない。
・「歴史的な視点に立って考えれば、扱う商品がコモディティー化した産業で企業再編が進むのは必然的な流れだった。鉄鋼業界や化学業界などがその例だ。その流れを後押ししたのはかつての銀行だった。もし、かつての銀行がいれば、今の銀行に対し、コスト構造にもっと切り込み、必要に応じて再編すべきだと指導するだろう。健全な縮小均衡を進めることは決して悪いことではない」
・今よりも金利が高く、日本経済の成長で企業の資金需要が強かった時代には、とにかく預金をたくさん集めさえすれば、それだけ収益を増やすことができた。しかし足元の状況下では、集めた預金を貸し出したり運用したりしようとしても、リスクに見合うだけのリターンが見込みにくい。だからこそ、田中氏は闇雲に規模を追いかけるのではなく、スリム化を進めて高収益体質に生まれ変わる必要性を説いている。
▽変えるべきはカルチャー
・田中氏が指摘する大きな問題の一つが、銀行業界に根強く残る上意下達のカルチャーとそれに基づいた人事・評価制度だという。戦後に始まった護送船団方式の時代以降、規模を増やすことがそのまま成長につながった時代が長かった。当時の感覚が多くの銀行の経営陣に残っており、時代に合った経営へと舵を切りにくい状況を生んでいるように見える。
・「経営目標を具体化する際に、『今年から来年にかけて右肩下がりになる』という計画は作りにくい。すると『テンション』とか『努力目標』とかいわれるような、根拠のない数字が各部門への粗利益目標に乗っかってくる。それを受け取った各部門は、根拠のない数字を基に支店に対して『これをやれ、あれをやれ』と指示することになる。それに対応できるかどうかは人事考課や賞与査定につながっていく。そうなると支店は目先の数字に追われて走り回り、お客さんの視点でものを考えるという原点を忘れがちになる。またそこには、軍隊のような反論を許さないカルチャーが入り込んでいる」
・護送船団方式の時代と違い、銀行経営に画一的な正解はない。制度疲労を起こしたビジネスモデルを変えるためには、何よりまず経営陣の意識を変えるしかないだろう。 メガバンクから中小の地方銀行まで、新しいビジネスモデルの構築に挑んでいる。だが、この難局を乗り越えるのは、ある意味で金融危機の時より難しいのかもしれない。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/091400164/091400001/?P=1

次に、9月25日付け日経ビジネスオンライン「もう銀行はいらない メガを蝕む「生活習慣病:「再建より債権」、銀行は変われるか 銀行管理はもう時代遅れ?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「晴れの日に傘を貸して雨の日に取り上げる」「再建に必要な資産まで売却させ、債権として回収してしまう」──。預金者から集めたお金を、事業性を判断した上で貸付という形で産業界に送り出し、経済発展に寄与することが使命のはずの銀行。だが、本当にそれが果たせているのかという批判は多い。その問いが最も端的に突きつけられるのが、経営危機に陥った企業の再建フェーズだ。
・企業の緊急時に発動する、日本経済を長年支えてきた仕組みが問われている。 「銀行管理」。企業が苦境に陥った際に、債権者である銀行が取締役などのポジションに人材を送り込み、経営を支配下におくことを指す言葉だ。過去にはダイエーや三洋電機などが、典型例として挙げられる。近年の代表例はシャープだ。2年連続の巨額赤字に沈んだ後、2013年にみずほフィナンシャルグループと三菱UFJフィナンシャル・グループが、それぞれ取締役を送り込んだことで事実上の銀行管理下に入ったが再建を果たせなかった。それから鴻海精密工業に買収されるまで3年以上を要している。
▽利益相反の構図も代替策がなかった
・銀行管理という形態はそもそも、ある重大な矛盾をはらむ。銀行からきた取締役は、当然のことながら出身行の債権回収を優先する。だが、取締役の役目は、企業価値向上を希望する株主の利益を代表することだ。すなわち、根本的に利益相反の構図にあるのだ。
・それでも、銀行管理が折に触れて発動されてきたのには、事情がある。株式持ち合いなどにより、日本企業の多くで株主によるガバナンスが事実上機能してこなかったからだ。企業が債務不履行のリスクを抱えるまでに経営が悪化する背景には、経営規律や能力に問題があった可能性が高い。そのため、強制的に外部監視者が送り込まれることには意味があった。
・利益相反の構造は望ましくないが、弊害が発生することが防げるなら直ちに問題とはいえない。企業と密接な関係を持つメーンバンクは、債権回収だけでなく再建にも目配りするであろうという理解のもとに、社会的にも不振企業を管理下に置くことが容認されてきた。問題は現在の銀行の姿勢が、債務回収に偏りすぎていることにある。その後の企業の成長する姿を描く前に、バランスシートを改善させることに主眼が置かれるため、資産の切り売りが加速しがちだ。
▽縮小均衡だけではグローバル競争に勝てない
・かつてエルピーダメモリ(現マイクロンメモリジャパン)が経営破綻した際に社長を務めていた坂本幸雄氏。会社更生法の適用を決めた背景には、技術の流出を食い止めなければ、再び成長はできなくなるとの認識があったという。「競争力につながる資産まで売却することは、企業再建という観点からは本末転倒。縮小均衡だけでは再建できたとしても、国内だけでしか生き残れない企業になり、結局はグローバル競争で飲み込まれる」(同)。
・これまで銀行に頼らざるを得なかった企業再建の状況が今、変わり始めた。2015年にコーポレートガバナンス・コードが制定され、株式持ち合いが解消に向かいつつある。東証によれば、東証一部上場企業の88%が、経営から独立した2人以上の社外取締役を選任するようになった。機関投資家の間で株主総会における議決権行使結果の開示が進み、経営者もより株主の目を意識するようになってきた。こうした状況を踏まえれば、「銀行管理」という手法は、徐々に時代にそぐわなくなりつつあると言えそうだ。
・「債権と再建」。銀行が最終局面で悩みながら選択を迫られ続けてきた古いテーマについて、新たなバランスを見つけるべき時が来ている。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/091400164/091400006/?P=1

第三に、10月7日付けダイヤモンド・オンライン「ニッポンの老害「相談役・顧問」改革にみずほと三菱UFJが動く理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・『週刊ダイヤモンド』10月14日号の第一特集は「初調査! ニッポンの老害 相談役・顧問」です。多くの上場企業にいる「相談役」や「顧問」。しかし、開示項目ではないため、その存在の有無や勤務実態、報酬などの情報はほとんど知られていませんでした。しかし2018年1月から任意の公開制度が始まります。ベールに包まれていた「奥の院」についに光が当たるのです。特集では、上場企業へのアンケートを通して、一足先にこの「奥の院」を覗いてみました。また、コーポレートガバナンス(企業統治)向上のために、「相談役」「顧問」制度を自ら改革しようと取り組むメガバンクの苦闘も紹介します。
▽劣等生から優等生へ変身 みずほFG、相談役・顧問を自ら公表へ
・メガバンクグループの一角、みずほフィナンシャルグループ(FG)が“フライング”に向けて最終調整を行っている。本稿を執筆している10月2日時点では未発表だが、2018年1月の相談役・顧問に関する開示制度開始を待たずして、10月中にも自ら公表する見通しだ。
・かつて、コーポレートガバナンス(企業統治)劣等企業だったみずほFGが生まれ変わったきっかけが、2013年に発覚した暴力団融資問題だ。その2年前には、東日本大震災のさなかにシステム障害も起こして批判を浴びていた。 陣頭指揮を執っていたみずほFGの佐藤康博社長は、相次ぐ不祥事の真因をガバナンス不全と見定め、大なたを振るう。
・みずほFGは、旧第一勧業銀行と旧富士銀行、旧日本興業銀行の3行が「対等」の名のもとに合併。その結果、グループ内の主要ポストを旧行で分け合い、自らの縄張りは死守する一方で、その外で起こる面倒事は見て見ぬふりをする企業文化が巣くってしまった。 さらに、頭取経験者をはじめとする重鎮OBは旧行ごとに存在するため、その数は普通の3倍。そのOBが毎年の人事異動のたびに「うちが割りを食った」と、旧行後輩の経営陣に不満をぶちまけるなど、昨今の相談役・顧問問題の先駆け的存在ですらあった。
・一つの会社とはいい難いこの状況を一掃するため、佐藤社長はOBの影響力排除に乗り出す。各旧行の出身幹部が自らの有力OBの元へ出向いて説得。生まれ変わることを宣言した。 また、みずほFGのガバナンスを「指名委員会等設置会社」という体制に一新。そして、社長・会長として日立製作所の再建を担った川村隆氏をはじめ、実力派の社外取締役を三顧の礼で迎えた。
・さらに、取締役の選任や解任を決める「指名委員会」を全て社外取締役で占めることにまで踏み切った。佐藤社長自身の進退も含めて、みずほFG本体やみずほ銀行などの中核子会社における人事権を社外に明け渡したのだ。 今のみずほFGには、「常にガバナンスで最先端を走る」(みずほFG幹部)という気構えを持っており、相談役・顧問に関する情報開示の“フライング”もその意識の表れだ。
▽銀行頭取の早期退任をきっかけに改革に着手した三菱UFJFG
・そんなみずほFGの後を追って相談役・顧問問題に着手しているのが、同じメガバンクグループ最大手の三菱UFJFGだ。 きっかけは今年5月、中核子会社である三菱東京UFJ銀行の小山田隆頭取(当時)が、体調不良を理由にわずか任期1年で退任したことだった。
・この時、三菱UFJFGでは、グループ内の旧行の縄張り争いやOB感情を逆なでする、事業再編や銀行名の変更の議論が進められていた。そのため、小山田氏の退任の裏側には、重鎮OBである相談役・顧問と会社の経営方針との板挟みがあったのではないかと取り沙汰されたのだ。
・というのも、図を見てほしい。三菱東京UFJ銀行は3メガバンクの中で唯一、相談役・顧問が現役経営陣と“同じ屋根の下”にいることからも分かるように、両者の関係が近い。 本店8階が役員フロアで、その上の9階が相談役・顧問のフロアとなっており、毎月、頭取や副頭取が有力OBに対して決算や個別案件の説明をする「相談役会」と称するものまである。さらに、相談役・顧問は車・個室・秘書の3点セット付きの終身制ときている。
・このままでは、相談役・顧問問題の事例の一つと疑われても仕方がないと思ったのだろう。三菱UFJFGは指名委員会において、相談役・顧問制度見直しの検討に入った。 事情に詳しい関係者によれば、「終身制」はなくなる見通しだが、三菱UFJFGの平野信行社長はメリットも感じているようで、「制度の撤廃まではしたくないようだ」という。
・また、制度の見直しを議論する指名委員会のトップである奥田務委員長が、どこまで切り込むことができるのかを不安視する声も挙がる。「自身も出身企業であるJ・フロントリテイリングの相談役なのに、他社の相談役・顧問制度を改革できるのか」(別の三菱UFJFG関係者)というわけだ。 「世間で言われるような、相談役・顧問からの経営介入はない」(三菱UFJFG幹部)という意見もあるが、今後それを疑われることがないような見直し結果が待たれる。
▽現社長の上司だった相談役・顧問 遠慮する時代ではなくなった
・元社長である相談役・顧問は、現経営陣にとっての元上司であることがほとんど。その元上司に対して、影響力排除のための仕組みを導入したり、または退任を促したりすることは、勇気のいることだ。 だが、もはや躊躇していられる時代ではない。2018年1月には任意ながら公開制度が始まり、投資家をはじめとしたステークホルダーの目はより厳しくなる。みずほFGや三菱UFJFGの経てきた改革への茨の道は、今後、多くの上場企業が歩む道なのかもしれない。
・『週刊ダイヤモンド』10月14日号「初調査! ニッポンの老害 相談役・顧問」特集では、制度の詳細や背景、世に存在する相談役・顧問のタイプ、アンケート結果など、相談役・顧問制度の実態を余すところなくお届けする。
http://diamond.jp/articles/-/144921

第四に、10月18日付けダイヤモンド・オンライン「金融庁が銀行にまたも「警告」、カードローンに続く標的とは」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「次の金融庁のターゲットは医療・介護分野向け融資だという。こうなると、いったいどこにカネを貸せというのか」。ある大手地方銀行の関係者は自嘲気味にそう語った。 今、銀行は新たな稼ぎ頭を探してさまよっている。日本銀行の金融緩和策によって超低金利の環境が続き、銀行の収益源である預金と貸出金の金利差が急激に縮小。中核事業である企業向け融資の収益性がジリ貧に陥っているからだ。
・そんな中、銀行にとって収益穴埋め策の一つである医療・介護分野向け融資に対して、銀行の監督官庁である金融庁が警鐘を鳴らしたというのだ。 金融庁が銀行の新たな稼ぎ頭の開拓に対して横やりを入れるのは、この数年間で一度や二度ではない。最初の標的は、銀行が窓口で販売する生命保険や投資信託などの金融商品だった。次に目を向けたのがアパート・マンション向けローン。投資信託や外国債券などの有価証券の運用にも懸念を示し、最近はカードローンもやり玉に挙がっていた。そこに医療・介護分野向け融資も加わるというのだから、前出の大手地銀関係者が途方に暮れるのも無理はない。
▽銀行の目利き姿勢にくぎ
・しかし、金融庁も見境なくアラートを発しているわけではない。今まで金融庁が問題意識を持ってきたものは大きく二つある。 一つは、顧客の利益や意向をないがしろにした銀行本位な姿勢が垣間見える事業。前述の金融商品の販売やアパマン・カードローンが当てはまる。もう一つは、有価証券の運用のように、不測の事態が起きたときにコントロールできないほど過度なリスクを抱える銀行が増えてしまった事業。今回の案件もこちらに分類されるようだ。
・複数の地銀関係者によれば、金融庁は地銀との会合において、医療・介護分野向け融資について、業界全体の融資が毎年5%前後増加しているという近年の傾向に触れたという。その上で、医療分野については病床数が過剰となる地域が多くなるという推計を引き合いに出した。介護分野についても業界内の倒産件数が増加中であると指摘。高齢社会の日本では需要が増えるとみられる2分野だが、各事業の将来性を適切に評価するように警告したという。
・ただし、今まで金融庁の“もぐらたたき”に遭ってきた銀行の収益穴埋め策と、今回の案件ではレベル感が違うようだ。「金融業界全体の動向を調査している部署から医療・介護分野に関するレポートが上がってきたので、一応アラートを出した」(金融庁関係者)という程度の問題意識だからだ。 とはいえ、「われわれが指摘したことは、銀行の皆さんも当然考慮して目利きしていますよね、という念押しでもある」(同)という。今回の一件でひやりとした銀行は、襟を正す必要があるだろう。
http://diamond.jp/articles/-/145784

第一の記事は、銀行界の第一人者である田中正明氏の指摘だけに正鵠を射たものだ。 『銀行の三大収益源である金利収入、手数料収入、トレーディング収入がいずれもじわじわと減少し続けており、生活習慣病が進行する様子と似ている。このままだと、今はまだ良くても、ある日、脳梗塞を起こしたように銀行が機能しなくなる懸念がある』、 『田中氏が指摘する大きな問題の一つが、銀行業界に根強く残る上意下達のカルチャーとそれに基づいた人事・評価制度だという。戦後に始まった護送船団方式の時代以降、規模を増やすことがそのまま成長につながった時代が長かった。当時の感覚が多くの銀行の経営陣に残っており、時代に合った経営へと舵を切りにくい状況を生んでいるように見える』、などの指摘はその通りだ。
第二の記事で、銀行管理が上手く機能してない例としてシャープを挙げているが、ダイエーの場合は産業再生機構という準公的機関が出動しても、債務負担を大幅に軽くしただけで、事業そのものは再生できず、スポンサーが丸紅から、イオンへと転々と変わり、いよいよブランド自体が消滅する方向にある。このように、もともと事業再生は、容易ではない。しかも、産業再生機構傘下に入るまでは、下位の銀行が融資を引き揚げた分を、メインバンクがかぶる「メイン寄せ」が、多くの不振企業で見られた。「利益相反」どころの騒ぎではなく、メインバンクでは株主代表訴訟のリスクを承知の上で、銀行管理したのである。 『コーポレートガバナンス・コードが制定され、株式持ち合いが解消に向かいつつある』、のはその通りだが、企業が危機に陥った場合には、コーポレートガバナンス・コードなどは何の役にも立たず、やはり銀行が債権者の立場から、銀行管理せざるを得ないのではなかろうか。
第三の記事で、相談役・顧問の影響力が過度に強いのは問題だが、強い権力を持つCEOの暴走へのブレーキ役として、ある程度意味があると思う。というのも、社外役員にはそこまでの役割は期待できないと思われるからだ。相談役・顧問に関する開示制度自体は、大いに徹底してもらいたい。
第四の記事で、 『最初の標的は、銀行が窓口で販売する生命保険や投資信託などの金融商品だった。次に目を向けたのがアパート・マンション向けローン。投資信託や外国債券などの有価証券の運用にも懸念を示し、最近はカードローンもやり玉に挙がっていた。そこに医療・介護分野向け融資も加わるというのだから、前出の大手地銀関係者が途方に暮れるのも無理はない』、と「逃げ場」を次々に潰される銀行経営者には同情する他ない。
タグ:もう一つは、有価証券の運用のように、不測の事態が起きたときにコントロールできないほど過度なリスクを抱える銀行が増えてしまった事業 一つは、顧客の利益や意向をないがしろにした銀行本位な姿勢が垣間見える事業 金融庁が問題意識を持ってきたものは大きく二つある 最初の標的は、銀行が窓口で販売する生命保険や投資信託などの金融商品だった。次に目を向けたのがアパート・マンション向けローン。投資信託や外国債券などの有価証券の運用にも懸念を示し、最近はカードローンもやり玉に挙がっていた 次の金融庁のターゲットは医療・介護分野向け融資 金融庁が銀行にまたも「警告」、カードローンに続く標的とは 現社長の上司だった相談役・顧問 遠慮する時代ではなくなった 劣等生から優等生へ変身 みずほFG、相談役・顧問を自ら公表へ ニッポンの老害「相談役・顧問」改革にみずほと三菱UFJが動く理由 ダイヤモンド・オンライン 、「銀行管理」という手法は、徐々に時代にそぐわなくなりつつあると言えそうだ 経営者もより株主の目を意識するようになってきた 機関投資家の間で株主総会における議決権行使結果の開示が進み 株式持ち合いが解消に向かいつつある コーポレートガバナンス・コード 問題は現在の銀行の姿勢が、債務回収に偏りすぎていることにある 利益相反の構図も代替策がなかった 鴻海精密工業に買収されるまで3年以上を要している 近年の代表例はシャープ 銀行管理 もう銀行はいらない メガを蝕む「生活習慣病:「再建より債権」、銀行は変われるか 銀行管理はもう時代遅れ? 戦後に始まった護送船団方式の時代以降、規模を増やすことがそのまま成長につながった時代が長かった。当時の感覚が多くの銀行の経営陣に残っており、時代に合った経営へと舵を切りにくい状況を生んでいるように見える 大きな問題の一つが、銀行業界に根強く残る上意下達のカルチャーとそれに基づいた人事・評価制度だという 闇雲に規模を追いかけるのではなく、スリム化を進めて高収益体質に生まれ変わる必要性 もし、かつての銀行がいれば、今の銀行に対し、コスト構造にもっと切り込み、必要に応じて再編すべきだと指導するだろう。健全な縮小均衡を進めることは決して悪いことではない このままだと、今はまだ良くても、ある日、脳梗塞を起こしたように銀行が機能しなくなる懸念がある 銀行の三大収益源である金利収入、手数料収入、トレーディング収入がいずれもじわじわと減少し続けており、生活習慣病が進行する様子と似ている 生活習慣病にかかった患者のようだ PwCインターナショナルの田中正明シニア・グローバル・アドバイザー 「静かな危機」 もう銀行はいらない メガを蝕む「生活習慣病」:銀行は「生活習慣病」を患っている PwC田中氏の指摘から読み解く、銀行業界の現状と課題 日経ビジネスオンライン (その1)(銀行は「生活習慣病」を患っている、銀行管理はもう時代遅れ?、ニッポンの老害「相談役・顧問」改革にみずほと三菱UFJが動く理由、金融庁が銀行にまたも「警告」 カードローンに続く標的とは) 金融業界
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企業不祥事(その14)電通(新入社員過労自殺6)(電通社長出廷で考えた「責任と責任」、電通過労死事件「罰金50万円」は軽すぎないか) [企業経営]

企業不祥事(その14)電通(新入社員過労自殺6)については、1月10日に取上げた。今日は、(電通社長出廷で考えた「責任と責任」、電通過労死事件「罰金50万円」は軽すぎないか) である。

先ずは、健康社会学者の河合 薫氏が9月26日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「電通社長出廷で考えた「責任と責任」 経営者と従業員、両方が果たして仕事は回る」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・今回は「責任と責任」について考えてみる。 ん? 「責任と義務」の間違いでは?? いいえ、これでいいのです。と、ちっとも答えになっていないのだが、とにかく書き進めます。
・先週の金曜日(9月22日)、電通の山本敏博社長が東京簡易裁判所に出廷した。 罪状は「労働基準法違反」。2015年12月に過労自殺した新入社員の高橋まつりさん(当時24歳)らに違法な残業をさせた、「違法残業事件」である。 スーツ姿で入廷した山本社長は、高橋まつりさんのお母様に向かって深く一礼し、緊張した面持ちで証言台に立った。
・検察側の冒頭陳述によれば「36協定」の上限を超える残業をした社員毎月1400人前後(2014年度)。東京オリンピック・パラリンピック関連業務を担当する機会を失わないために、36協定の上限時間を最大75時間から100時間に引き上げ、形式的に違反の解消を図るなど、極めて悪質だった。
・最終意見陳述で山本社長は、「社長として重大な責任を感じている」と謝罪。 「当社の最大の誤りは、『仕事に時間をかけることがサービス品質の向上につながる』という思い込みを前提にしたまま、業務時間の管理に取り組んでいたことにあると考えております」 と反省の弁を述べた。(以上のソースは朝日新聞のこちらとこちら)
・この“事件”の経緯をおさらいしておく。 起訴状によると、電通は2015年10~12月、高橋さんら社員4人に対し、労使間協定で定めた1カ月の残業時間の上限を最大で約19時間超えて働かせたとし、法人としての電通と当時の上司の部長を書類送検。上司らは不起訴処分にされる一方で、法人としての電通は労働基準法違反罪で略式起訴となった。
・しかし、東京簡裁には電通社員の出退記録など大量の証拠が押収されており、書面の審理だけでは不十分と判断。そこで今回の公開裁判となったのである。
▽法人の“顔”としての社長の出廷
・今回、“法人”という無責任な集合体に責任を科すだけではなく、山本社長というひとりの人間の出廷により「法人の顔」が明らかになったのは画期的だと思う。と同時に、なぜ、もっと早く今回のような裁判を行なわなかったのかが悔やまれてならない。 「いくら謝罪を受けても事実は消えない。娘が戻ってこないむなしさがある」 閉廷後の記者会見で高橋まつりさんのお母さんがこうコメントしたとおり、まつりさんは帰ってこないし、同社では何人もの命が失われている。
 +1991年に、電通に入社して2年目の男性社員(当時24歳)が、自宅で自殺。男性社員の1か月あたりの残業時間は147時間を超え、上司からのパワハラもあり、遺族が会社に損害賠償請求を起こした。裁判は遺族に1億6800万円の賠償金を支払うことで結審。
 +2013年には、当時30歳で病死した男性社員についても、長時間労働が原因の過労死として労災が認定された。
・法人の代表として、社長が裁判所に顔を見せるまでの26年間、トップにいた方たちは、この死をどう考えていたのか。 労働基準法が何のためにあるのか? 法律違反の責任が、誰にあるのか? 高橋まつりさんの事件が起きた2015年時のトップは、訃報をどんな気持ちで聞いたのか? 過労死ラインギリギリで働かされている人たちは、“トップであるアナタ”に、命を搾取されているということをどう考えているのか?
・聞きたいことは山ほどある。 だが、「現社長の山本氏が公開の法廷の場に立った」という事実が、日本中のトップの意識改革に繋がればいいと、心から願うばかりだ。 実は東京ではあまり報じられていなのだが、大阪では今年に入ってから略式起訴命令を不相応等とする判断が相次いでいる。
・4月には、全国規模でレストランを運営する企業が、従業員7人に月40時間超の違法残業をさせたとして、社長が出廷した。 「社員の勤勉さに甘えてしまった」 こうトップは謝罪したが、同社は過去7年間に長時間労働や残業代の未払いを理由に、労働基準監督署から18回もの改善指導を受けていたのだ。 ……いったいどれだけ甘えていたんだ? 
▽トップが個人的に責任を問われるケースも
・さらに、近畿や東海にスーパーマーケットを展開する企業も、法人として労働基準法違反罪に問われ、“顔”である社長が出廷。 「反省している」 とこちらも謝罪したけど、過去11年間で31回も、労働基準監督署から是正勧告を受けていたというのだから、開いた口がふさがらない。 ……いったい法律を何だと思っていたのだろう?
・ちなみに大阪でのこれらの裁判は、すべてひとりの裁判官によるものとの報道もある。 この裁判官はきっと「過労死や過労自殺を撲滅する責任がある」と考えてくれたのかも、と個人的には受け止めている。  「ま、まさか、これから先、経営者が法人の顔としてだけではなく、個人として罪を問われるなんてことはないよね?」 いいえ、ある、と思う。 だって、・2007年8月、居酒屋チェーン(従業員3000人超、東証一部上場企業)に入社した男性(24歳)が急性心不全で過労死し、両親が損害賠償の支払いを求めて会社と代表取締役ら役員4人を提訴。 地裁、高裁とも遺族の訴えを認め、会社と役員に約7860万円の支払いが命じられ、役員の個人責任が認められたのだ。  裁判で、この会社のトップは 「外食産業界においては(略)1カ月100時間とすることは、むしろ一般的」 と反論。
・同社は、「1年のうち6か月は月100時間を可能」とする労使協定を結んでいて、会社側が自ら提出した勤務時間の資料から、ほぼ全員が「月300時間働く状況」だったことが判明しているのに、 「(過労死した男性が勤めていた)店舗は、他と比べて特に忙しいわけではない。平均的な忙しさの店舗で、社員の負担も平均的な店舗だった」(by 社長) 「これは普通のこと」(by 社長)と言い張ったのである。
▽企業経営者らの無責任な発言
・それだけではない。 「労働時間の設定が過労死基準に縛られることは、取締役にとっては経営判断の放棄であり、むしろ会社に対する善管注意義務の懈怠とさえなりうる。[経営]判断の合理性と裁量の範囲は、その会社が属する業界の経営において通常求められる内容と程度が基準となるべき」 と、自らを正当とする論を展開した。
・さらに、亡くなった男性のご遺族によれば、お通夜に届いた社長の電報には、 「天命とは申せ、これからの人生が始まろうとしているのに、今日はお別れをしなくてはならい宿命に、涙尽きるまで流れる涙を止めることができません。辛いお別れですが、どうか早く生まれ変わりになられ、この世にかえられることをお祈り申しあげ、謹んで西の空を仰ぎ、合掌し、お見送りをいたします」 と書いてあり、長時間労働をさせていた責任の「せ」の字もなかったのである。
・「1年のうち6カ月は月100時間の残業を可能」とする労使協定。 「労働時間の設定が過労死基準に縛られること」への反論。 ふむ。実に勝手で、無責任極まりない言い草なのだが、これってどこかで見た事があるような気がしてならない……。
・そう、アレです、アレ。 「残業上限100時間」 「(残業の上限を決める制度は)企業への影響を考えれば容認できない」(by 榊原経団連会長)。 ……なんとも。今政府が進めようとしている「働き方」の内容とまったく同じ。 つまり、先の卑劣な“事件”をおこしたトップが必ずしも“特別に卑劣なトップ”とは言い切れない現実が、日本社会のど真ん中に蔓延っているのである。
・なんてことを書くと 「いつも経営者ばかり非難する!」  と口を尖らせるトップが必ずいるけど、なんのためのトップなのか? 経営者とは何なのか? むしろその答えを教えて欲しい。 だって日本で過労死や過労自殺が繰り返される理由が、そこにあるわけで。
・お国が変わればこういう経営者が殺人罪で罰せられるのは、極めて当たり前のことだったりもする。 たとえば、あのカルロス・ゴーン氏も、“殺人罪”に問われそうになったことをご存知だろうか? 2007年に自動車メーカー「ルノー」で、4カ月間に3人が自殺。 自殺者が残したメモには「会社が求める仕事のペースに耐えられない」と書かれ、遺族の証言から「毎晩、書類を自宅に持ち帰り、夜中も仕事をしていた」と、サービス残業が常態化してことも判明。 「日本の『過労自殺』という経営手法までフランスに持ち帰ったのか」と問題視され、ゴーン氏は早急に手を打ち、労働時間や職場環境を改善したのである。
▽超時間労働もパワハラも「トップの責任」という意識を
・「労働者である以前に人間である」ーーー。 この“当たり前”が徹底されている欧州では、長時間労働だけではなく、パワハラ(モラハラ)などすべての「労働者の人権を侵害する」企業側の行為が雇用者の責任になる。 トップは罪を問われ、罰金の支払いを命じられることが通例なのだ。
・つまり、日本ではやっと「長時間労働」の責任が、“法人の顔”である経営者に問われるスタート地点に立ったが、「パワハラ」も同じように問題にする必要がある。 過労死はいわゆる突然死で、カラダを酷使され限界を超えた末の死であるのに対し、過労自殺は長時間労働の影響以上に、パワハラなど職場でのストレス要因が強く関連する。
・たとえ過労死ラインに達していなくとも、効率だけを重視する企業経営は、過度なプレッシャーを従業員に与え、それに堪えられなくなったとき、人は「死」という悲しい選択をする。それが「過労自殺」だ。 長時間労働もトップの責任なら、パワハラもトップの責任。 「法人」という人格は、その顔であるトップに宿ることをもっともっと謙虚に捉え、アナタの一存で救える命があることを胆に銘じて欲しい。
・「社長になったときに、『こりゃあ困ったことになったぞ』と思いましたね。だって、社員と社員の家族が今の生活を守っていけるようにしなきゃいけないわけです。その責任の重さを考えるとね。うれしいなんて気持ちはなかったですよ。社員と家族が路頭に迷うようなことになったら、私の責任ですから……」 以前、対談した大手企業の社長さんはこのように話してくれたことがある。 そして、こう続けた。 「だからね、社員にも責任を果たして欲しいんです。私は入社式で『仕事が楽しくないとか戯言をいうな』と。『会社はお金をキミたちに払っている。カネをもらえて楽しめるところがあるなら、私にも紹介してくれ』とね」
・社長さんの言葉を部分的に取り上げると、「ブラック企業」と騒ぎ立てる人たちもいるかもしれない。 でも、「社長の責任に対し、社員は責任に答える」ーーー。これは至極当たり前のことだ。 と同時に、「社長も責任を負う、社員も責任を負う」ことは一貫性の経験であり、人間の生きる力であるSOC(Sense of Coherence)を育む大切な行為だ。 一貫性の経験とは「ルールや規律が明確で、価値観の共有」がなされている状態のことで、「職務保証(=job security)」と同義だ。
▽責任を「お互いが守る」と確信できること
・職務保証は、日本で広く理解されている終身雇用とは若干異なる。 「会社のルールに違反しない限り、解雇されない、という落ち着いた確信」 「その労働者の職種や事業部門が、対案も予知も計画もないままに消滅することはない、という確信」 といった2つの確信を労働者が持ったときに成立する。 つまり、「社員と社員の家族の今の生活を守ろう」という姿勢は、トップが「職務保証」を全うしようとする覚悟であり、雇用されている自分(=社員)も「ルールに違反しない」という責任を全うしなくてはならない。
・「会社を存続させる」という共通認識のもと、自らに課せられた責任を果たした結果、「昇進」や「昇給」が認められたり、自分の「能力を発揮する機会」を会社が準備してくれれば、それらがすべて働く人たちの「生きる力」「たくましさ」につながっていく大切なリソースなってゆくのだ。
・なんてことを書くと、なんだが「現実の日本の職場」とかけ離れている気がして、複雑な気持ちになってしまうのだが、仕事とは本来、人の生きる力を育む行為であり、職場とは「自律的な欲求充足に加えて、共同的な欲求充足をもたらすことが可能な貴重な場」であると私は信じているし、そのために経営者も従業員も、それぞれの責任を全うして欲しいと思う。
・だって、それが大切な人の命を守ることであり、働くことは本来楽しいことだから。 ニーチェは「職業は人生の背骨である」と言い、マズローは「仕事が無意味であれば人生も無意味なものになる」とした。私は「職場とは人生の明日をつくる」空間だと考えている。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/092500123/?P=1

次に、社会保険労務士/CFPの榊 裕葵氏が10月14日付け東洋経済オンラインに寄稿した「電通過労死事件「罰金50万円」は軽すぎないか 現行の労働法規では抑止力になりえない」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・社員に違法な残業をさせたとして労働基準法違反の罪に問われた裁判で、東京簡易裁判所は10月6日、電通に対し、「罰金50万円」の判決を言い渡した。
▽「罰金50万円」がペナルティになりうるのか?
・この判決に対して複数の知人に意見を聞いてみたところ、「電通規模の会社にとって50万円の罰金は軽すぎる」という感想で一致した。電通といえば、売上高8000億円超、本業の儲けを示す営業利益が1300億円を超える大企業である。私自身も、一市民としての感覚では同感である。
・労働基準法における罰則は、企業規模別に定められているわけではないので、現行法に照らし合わせた法的な意味では「罰金50万円」という判決は妥当になってしまう。とはいえ、実質的に考えると、刑事罰の本来の目的である「抑止力」という観点からしても、「罰金50万円」という処分は電通規模の会社に対して実効性があるとは言えない。
・この点、たとえば独占禁止法を見ると、罰金のほかに課徴金というペナルティ制度が設けられている。カルテルなどの違反行為を行った期間の売上高に対し、一定のパーセンテージを乗じて計算されるという、売上高比例で計算されて企業に科されるものである。だからこそ、企業規模に応じた実効性のあるペナルティとして機能している。
・国を挙げた「働き方改革」が叫ばれる中で、労働基準法においても、どのような基準や計算式になるかは議論を重ねなければならないが、売上高や従業員数など企業規模に応じた実効性のある罰金制度は必要かもしれない。企業規模に応じたペナルティを科せば、過重労働やパワハラなどに対する実質的な抑止力として機能するのではないだろうか。
・ただ、それが実現したとしても、過重労働やパワハラを防止するうえで、現状の労働基準法では根本的な抑止力になりきれない。それは、過重労働などを命じた「個人」に対する処罰が軽いからである。 今回の裁判で罰金50万円の判決が下ったのは、電通という「法人」に対してだ。労働基準法上の刑罰は「個人」と「法人」の両方に科することができるが、これまでの運用を見ると、「個人」が起訴されたり刑罰を科されたりした例は極めて少ない。 実際、電通事件において、過労自殺した新入社員の高橋まつりさん(当時24歳)の上司を含む幹部社員は「起訴猶予」という処分になり、法的には前科もつかない扱いとなった。
・このような実務上の運用に盲点がありそうだ。 現行の労働基準法の枠組みにおいても、部下に違法な長時間労働を命じた上司や、それを会社ぐるみで黙認した幹部社員には6カ月以下の懲役を求刑することができる。それにもかかわらず、司法手続きの実務運用として、ほとんどが起訴猶予処分として処理されるため、過重労働などに対する実質的な抑止力が働いていないということだ。
・もし、労働法の個人への罰則が厳格に運用されていて、高橋さんの上司が「こんな過酷な残業をさせて、高橋さんに何かがあったら、私は懲役刑を受けて刑務所に入らなければならないかもしれない」という認識を持っていたら、どこかで歯止めがかかり、高橋さんの命が救われたかもしれない。
▽個人の責任はどこへ?
・「法人」というのは法的に作り上げられた疑似人格であり、その法人に罰金が科されたとしても、法人の構成員は誰も直接的に痛みを感じることはない。電通事件に限らず、一般的に長時間残業を命じた上司は「立場上、仕方がなかった」などと、組織との関係を持ち出し、自己弁護に走ってしまいがちである。 もっと言えば、罪の意識すら持たない上司もいるようだ。私が過去にある個人から相談を受けたケースがある。彼は精神疾患で休職に追い込まれたが、追い込んだほうの上司から「君のメンタルが弱かったからこういうことになったのだ」と言われて非常にショックだったという話を聞いた。
・企業経営者や幹部社員に、部下の命や心身の健康を預かっているのだという自覚と責任を持って労務管理に取り組んでもらうよう、法的側面から促していくには、悪質性の高い労働基準法違反事件に対しては、法人に罰金刑を科すだけにとどめず、個人の責任をしっかりと問いただしていく必要がありそうだ。
・理想論としては、罰則などなくとも、「会社と社員」「上司と部下」が対等な立場でお互いを尊重し合い、働きやすい職場づくりが行われることである。
・しかしながら、現実的には「会社と社員」「上司と部下」には歴然とした力関係に差があり、すべての会社や上司が社員や部下のことを考えて労務管理を行っているとは言えないので、立場の弱い社員を守るためには法律の力が必要である。過重労働による心身の傷病や、過労自殺の被害者を1人でも減らすため、抑止力を高めるという観点での実効性を鑑みたうえでの労働法規の見直しは議論の余地がある。
http://toyokeizai.net/articles/-/192808

第一の記事で、 『法人としての電通は労働基準法違反罪で略式起訴となった。 しかし、東京簡裁には電通社員の出退記録など大量の証拠が押収されており、書面の審理だけでは不十分と判断。そこで今回の公開裁判となったのである』、というのは一歩前進ではある。ただ、 『大阪では今年に入ってから略式起訴命令を不相応等とする判断が相次いでいる』、最終的にどうなったのかの記述がないのが残念だ。 『過去には以下のような事件があり、社長が個人的な責任を問われた』、とあるが、ここでの社長の個人的な責任はあくまで、民事上の損害賠償責任であって、刑事上の責任ではない。電通事件では民事上の損害賠償請求は、私におぼろげな記憶では、まだこれからの段階にある筈。 『全国規模でレストランを運営する企業』、の社長の 『「労働時間の設定が過労死基準に縛られること」への反論』、が  『「(残業の上限を決める制度は)企業への影響を考えれば容認できない」(by 榊原経団連会長)。 ……なんとも。今政府が進めようとしている「働き方」の内容とまったく同じ。 つまり、先の卑劣な“事件”をおこしたトップが必ずしも“特別に卑劣なトップ”とは言い切れない現実が、日本社会のど真ん中に蔓延っているのである』、というのは、なんとも強烈な産業界トップへの皮肉である。 『カルロス・ゴーン氏も、“殺人罪”に問われそうになった・・・「ルノー」で、4カ月間に3人が自殺』、というのは初めて知った。どのように逃げ切ったのだろうか。  『超時間労働もパワハラも「トップの責任」という意識を』、との主張には大賛成だ。最後の 『責任を「お互いが守る」と確信できること』、というのはキレイ事過ぎる感もあるが、無難なまとめ方ではある。
第二の記事で、 『刑事罰の本来の目的である「抑止力」という観点からしても、「罰金50万円」という処分は電通規模の会社に対して実効性があるとは言えない・・・企業規模に応じたペナルティを科せば、過重労働やパワハラなどに対する実質的な抑止力として機能するのではないだろうか』、というのはその通りだ。 『実務上の運用に盲点がありそうだ。 現行の労働基準法の枠組みにおいても、部下に違法な長時間労働を命じた上司や、それを会社ぐるみで黙認した幹部社員には6カ月以下の懲役を求刑することができる。それにもかかわらず、司法手続きの実務運用として、ほとんどが起訴猶予処分として処理されるため、過重労働などに対する実質的な抑止力が働いていないということだ』、という運用も、思い切った判決で打破していく必要がある。ただ、「前例主義」に良くも悪くも囚われている司法の壁は相当高そうだ。 
タグ:違法残業事件 高橋まつりさん カルロス・ゴーン氏も、“殺人罪”に問われそうになった 東京簡易裁判所に出廷 山本敏博社長 電通 東洋経済オンライン 電通社長出廷で考えた「責任と責任」 経営者と従業員、両方が果たして仕事は回る 日経ビジネスオンライン 河合 薫 (その14)電通(新入社員過労自殺6)(電通社長出廷で考えた「責任と責任」、電通過労死事件「罰金50万円」は軽すぎないか) 企業不祥事 違法残業 今政府が進めようとしている「働き方」の内容とまったく同じ。 つまり、先の卑劣な“事件”をおこしたトップが必ずしも“特別に卑劣なトップ”とは言い切れない現実が、日本社会のど真ん中に蔓延っているのである 「残業上限100時間」 「(残業の上限を決める制度は)企業への影響を考えれば容認できない」(by 榊原経団連会長) 。[経営]判断の合理性と裁量の範囲は、その会社が属する業界の経営において通常求められる内容と程度が基準となるべき 労働時間の設定が過労死基準に縛られることは、取締役にとっては経営判断の放棄であり、むしろ会社に対する善管注意義務の懈怠とさえなりうる 全国規模でレストランを運営する企業 大阪では今年に入ってから略式起訴命令を不相応等とする判断が相次いでいる 榊 裕葵 上司らは不起訴処分 これまでの運用を見ると、「個人」が起訴されたり刑罰を科されたりした例は極めて少ない 現社長の山本氏が公開の法廷の場に立った」という事実が、日本中のトップの意識改革に繋がればいいと、心から願うばかりだ 「電通過労死事件「罰金50万円」は軽すぎないか 現行の労働法規では抑止力になりえない」 この会社のトップは 「外食産業界においては(略)1カ月100時間とすることは、むしろ一般的」 と反論 マズローは「仕事が無意味であれば人生も無意味なものになる」 同社では何人もの命が失われている 会社と役員に約7860万円の支払いが命じられ、役員の個人責任が認められたのだ 現行の労働基準法の枠組みにおいても、部下に違法な長時間労働を命じた上司や、それを会社ぐるみで黙認した幹部社員には6カ月以下の懲役を求刑することができる 企業規模に応じたペナルティを科せば、過重労働やパワハラなどに対する実質的な抑止力として機能するのではないだろうか 「36協定」の上限を超える残業 山本社長というひとりの人間の出廷により「法人の顔」が明らかになったのは画期的 東京簡裁には電通社員の出退記録など大量の証拠が押収されており、書面の審理だけでは不十分と判断。そこで今回の公開裁判となったのである 司法手続きの実務運用として、ほとんどが起訴猶予処分として処理されるため、過重労働などに対する実質的な抑止力が働いていないということだ 刑事罰の本来の目的である「抑止力」という観点からしても、「罰金50万円」という処分は電通規模の会社に対して実効性があるとは言えない 男性(24歳)が急性心不全で過労死し、両親が損害賠償の支払いを求めて会社と代表取締役ら役員4人を提訴 私は「職場とは人生の明日をつくる」空間だと考えている 居酒屋チェーン 法人としての電通は労働基準法違反罪で略式起訴 ニーチェは「職業は人生の背骨である」 責任を「お互いが守る」と確信できること 超時間労働もパワハラも「トップの責任」という意識を 近畿や東海にスーパーマーケットを展開する企業
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情報セキュリティー・サイバー犯罪(その2)(GDPR(EU一般データ保護規則)が遠い国の話で済まない理由、あなたのパソコンが危ない 追跡!謎の新型ウイルス) [科学技術]

情報セキュリティー・サイバー犯罪については、昨年11月1日に取上げた。今日は、(その2)(GDPR(EU一般データ保護規則)が遠い国の話で済まない理由、あなたのパソコンが危ない 追跡!謎の新型ウイルス) である。

先ずは、PwCコンサルティング パートナー サイバーセキュリティ・アンド・プライバシー・リーダー 山本 直樹氏が5月18日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「GDPR(EU一般データ保護規則)が遠い国の話で済まない理由――デジタル時代におけるプライバシー規制の潮流」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽GDPRがやってくる
・昨年春に欧州委員会にて採択されて以来、国内でもじわじわと注目を集めるGDPR(EU一般データ保護規則)。遠いヨーロッパのことだから日本の本社には関係ないという誤解もいまだに散見されるが、違反時には年間売上の4%または2000万ユーロのいずれか高い方という高額な制裁金が課される可能性があり、財務的なインパクトや評判リスクの大きさは計り知れない。また、ライバル企業の訴訟戦略に巻き込まれるリスクもあり、対応の遅れは命取りになる。
・GDPRの特徴の一つに「域外適用」という考え方がある。GDPRは、EUで成立したEUの法律であるにもかかわらず、日本を含むEU域外の企業にも適用されてしまうのだ。日本企業の中には、「ヨーロッパに拠点があり現地に従業員がいる」「ヨーロッパの消費者向けにサービスを提供している」「世界中の従業員情報をクラウドベースの人事システムで一元管理している」「ヨーロッパのデータセンターにある個人情報データベースに日本からアクセスしている」「もともと日本国内向けのサービスだったが、今ではヨーロッパからの訪日客も頻繁に活用している」等、さまざまな観点でGDPRの適用対象となる企業が多く存在するはずだ。
▽GDPRが生まれた背景
・ヨーロッパでは従来からプライバシーに対する意識が強かった。例えば、社員が業務時間中に会社のPCを使ってどのようなWebサイトにアクセスしているのか、システム上のログを取って会社が監視しようとする。これが日本であれば、社員側も、業務に関係ないことをすべきでないという意識が強く、予めルールさえ決めておけば大きな問題に発展することはない。
・ところが、ヨーロッパでは、会社から監視を受けること自体に大きな抵抗があるようだ。歴史を紐解けば、特定の宗教や民族が迫害を受けた暗い過去もあり、政府や企業等の強大な権力から、弱者である個人が監視を受けることに対して、過敏に反応する人が多いのは自然なことなのかもしれない。
・GDPRは、長年の議論の末、昨年ついに採択され、2018年5月施行という明確な期限が設けられた。これを機に、日本でもにわかに大きな話題となっているのだが、GDPRの前身である「一般個人データ保護指令」は、1995年の時点で採択されており、今から20年以上前には、GDPRの骨格はできあがっていたことになる。しかし、その規制をさらに強化しなければならなくなった昨今の事情を理解する必要がある。
▽プライバシー以上に保護すべきもの
・昨今、ヨーロッパにおいて保護すべきものは、プライバシーだけではなくなってきた。それは産業そのものだ。インターネットを最大限に活用したアメリカ型のビジネスが、国境を越えてユニバーサルなサービスを提供するようになった。現代のコンピューティングパワーを持ってすれば、企業のやりたいことは、大概何でも実現できてしまい、技術的な制約は存在しない。アイデア次第では、業界の勢力図が一夜にして塗り替えられ、場合によっては既存のオールドプレイヤーが一掃されてしまうという事態も起こりかねない。
・しかも、他国からやってきた新しいプレーヤーがヨーロッパ向けにサービスを提供する場合であっても、極端なケースでは、ヨーロッパに物理的な事務所を構えることなく、サービスだけが提供されてしまうこともある。利用者から見れば、もはや企業の国籍や国境など意識することなく、自らのライフスタイルにあった便利なサービスを選ぶだけである。しかし、既存の枠組みのままでは、これらの新プレーヤーに法人税を課すルールが不明瞭であったり、ヨーロッパでは雇用が創出されなかったりと、さまざまな問題が残る。
・欧州委員会がGDPRの成立を加速させた背景には、このような危機感があると見るのが自然だろう。EU居住者の個人情報を域外に移転することを規制し、重い制裁金を課すことによって、域外企業には好き勝手させないという意思が透けて見える。
▽日本企業は本当に デジタル化への舵を切れるのか
・日本企業にも目を向けてみたい。最近では、さまざまな業種の企業において、将来のデジタル戦略を検討する社内ワーキンググループが作られ、新しいビジネスモデルの模索が始まっている。しかし、これまでのところ、残念ながら、「IoT」や「AI(人工知能)」といったキーワードだけが先行し、世の中を一変させてしまうほどの破壊的な勢力は出てきていない。 
・今後、いくつかの企業において順調にデジタル化が進むとすれば、その企業はサービス産業に生まれ変わるだろう。 分かりやすい例として自動車を挙げてみよう。自動車産業は日本が世界に誇る産業であり、製造業の代表格だ。これまでのビジネスモデルは、簡単に言うと、自動車という製品を設計・製造し、販売店を通して市場に流通させるというものだ。この流れにおいては、製造元と顧客との直接的なコンタクトは、製品保証に関するやり取り程度に限られており、大半の顧客情報は販売店が独自に管理していた。
・しかし、コネクティッド・カー(つながるクルマ)と称される新しいサービス形態では、自動車を常時ネットワークに接続し、カーライフに関わる情報提供や安全走行に資するサービス等を提供し、製造者が製品の販売後も、引き続き顧客とつながりつづけるというサービスモデルにシフトしていく。 
・実はここでもGDPRを考えなければならない。GDPRにおける個人情報の定義は、日本の個人情報保護法のそれよりも広く、例えば、自動車の車両識別番号やGPSで取得した地理的位置情報等も該当する。万が一、企業がプライバシー対応を軽視してしまったら、デジタル化戦略も頓挫しかねない。
▽セキュリティがコストだった時代は過去の話
・今でもセキュリティ投資に後ろ向きな経営者はいる。口ではセキュリティが重要だと言っていても、本心では、単なるコストとしか見ておらず、そこから生み出される価値などないと感じているからだ。しかし、経営者がそのような感覚だと、残念ながらその企業はデジタル化の波に乗り遅れるだろう。先進的な企業では、セキュリティを戦略的な投資領域と位置付けている。GDPR対応は、企業のデジタル化に対する本気度合を計る試金石だとも言えよう。
・最近では、「セキュア・バイ・デザイン」あるいは「データプロテクション・バイ・デザイン」という言葉もよく耳にするようになった。新しいビジネスモデルやサービスを開発する際には、後からセキュリティの要素を付け加えるのではなく、企画段階から検討すべき重要な要素の一つとして、セキュリティを捉えるべきなのだ。
・事実、PwCがコンサルタントとして支援しているクライアントのGDPRプロジェクトの中には、全社的なコンプライアンス対応だけでなく、特定のデジタルサービスを対象とした事業部単位の取組みも多く含まれる。今後1~2年の期間でサービス提供を開始する新しいビジネスにとって、GDPRの要求事項が大きな影響を及ぼすため、そのためのコンプライアンス対応をすると同時に、セキュリティを差別化要素として位置づけてサービス開発を進めているのだ。
・GDPRを論じる際、域外適用という特殊性や重い制裁金等に注目が集まりがちである。もちろん、法律を適切に遵守するための取り組みは重要なことであるが、単なるコンプライアンス対応だと高を括って、文書策定等の形式的な対応に終始してしまうのは得策ではない。世界で起きているビジネスやテクノロジーの潮目を読み、自社のビジネス戦略を見つめ直す格好の機会を逃すべきではない。
・次回、2回目の寄稿では、『施行まで1年、秒読み段階に入ったGDPR(EU一般データ保護規則)に対して今からできること』と題し、企業におけるGDPR対応のポイントを解説する(細か過ぎるきらいがあるので、紹介は省略(リンク先は下記の2行目)
http://diamond.jp/articles/-/127360
http://diamond.jp/articles/-/134763

次に、8月3日付けNHKクローズアップ現代+「あなたのパソコンが危ない 追跡!謎の新型ウイルス」を紹介しよう(▽は小見出し、──は番組の進行役、+は発言内の段落)。
・今年5月の大量感染以来、世界中を断続的に襲う新型PCウイルスのサイバー攻撃。イギリスの病院、チェルノブイリの原発、日本の自動車工場や水道局も攻撃された。こうした社会インフラへの“無差別テロ”に対し、世界中で対策が始まっている。
・ホワイトハッカー(善良なハッカー)の手を借りてOSやソフトの膨大なプログラムから“脆弱性”を見つけ出す取り組みや、サイバー攻撃が行われても絶対に解けない“次世代暗号”を開発する動きも加速。明日自分を襲うかもしれない攻撃に、どう向きあえばよいのか?徹底取材で迫る。
▽あなたのパソコンが危ない 追跡!謎の新型ウイルス
── またもや、新手のコンピューターウイルスが、私たちの生活の基盤を揺るがしています。あなたのパソコンは大丈夫ですか?
・田中(キャスター):3月にこの番組で取り上げた「身代金ウイルス」によるサイバー攻撃。ある日突然、パソコンに感染して大切なデータや個人情報をロック。「元の戻して欲しければ金を払え」と脅してきます。そして今、世界中で被害が拡大し続けているのが、新型の身代金ウイルス「ワナクライ」です。
・日本では、自動車メーカーや鉄道会社などが攻撃を受け、操業停止に追い込まれる事態も起きました。被害は、ほかにも。チェルノブイリの原発事故現場では、放射線量の測定器が制御不能になり、手動で計測する事態に陥りました。また、インドでは、港で積み荷を管理するコンピューターが停止。船が出航できず、荷物を運んできたトラックが大渋滞。物流システムが大打撃を受けました。ワナクライの爆発的感染から見えてきたのは、私たちの生活を支えるパソコンにひそむ意外なもろさです。
── このウイルスの新たな脅威は、メールの添付ファイルを開くなどしなくても、インターネットにつながっているだけで感染の恐れがあることです。
▽あなたのパソコンが危ない 追跡!謎の新型ウイルス
・身代金ウイルスに感染した自治体の1つが、匿名を条件に取材に応じました。  「こちらのパソコンですね。」 5月、海外との連絡用に使っていたパソコン1台が、突然、ワナクライに感染。
・被害を受けた自治体の職員 「(朝の)8時くらいに電源を立ち上げたら、動かなくなってる。(ウイルスの画面が)出たときには非常に驚きました。」
・幸いこの1台は自治体内のほかのパソコンにはつながっていませんでした。もし、ライフラインなどを管理する1,000台のパソコンとつながっていれば、市民生活がマヒしかねなかったといいます。 被害を受けた自治体の職員 「インフラ系のサーバー等が、もしやられていたら、(市民生活の)すべての機能が止まるのではないか。その時は本当に肝を冷やしました。」
・一方、感染が組織全体に広がってしまった例もあります。全国に展開するこの書店では、100万円を超える被害が出ました。 被害を受けた書店の店員 「突然に大きなカギのマークが出て。」 
・最初に感染したと見られるのは、都内の店舗の1台のパソコン。英語の画面が表示されましたが、夜遅かったため、店員は仕事を切り上げてしまいました。3日後、店員は同僚からかかってきた電話に耳を疑いました。社内ネットワーク上にあった全国のパソコンがネットにつながっていたというだけで感染したというのです。
・被害を受けた書店の店員 「添付ファイルを開くとか、偽サイトに導くようなおかしなメールは一切やってない。なぜやられたんだろうと、不思議に思いましたね。」
・添付ファイルも偽サイトも開いていないのに、なぜ感染が広がったのか。分析の結果、ワナクライが持つ、従来のウイルスと全く異なる特徴が分かってきました。
・トレンドマイクロ社 岡本勝之さん「『ポート445』を使っているということが、今だいぶ分かってきました。」  ワナクライは、世界15億台のパソコンに搭載されている基本ソフト、ウィンドウズのぜい弱性を突くウイルスだったのです。ぜい弱性とは、プログラムの中にあるバグのこと。誤って書かれた、いわば壊れた部分です。今回狙われたぜい弱性は、ウィンドウズの中で通信のやり取りを担う部分でした。ウイルスはここを標的としてパソコンに侵入。さまざまなソフトを機能不全に陥れました。さらに、ネットワーク上にある、ほかのパソコンのぜい弱性も自動的に探し出して侵入。次々に感染を拡大させたのです。
・トレンドマイクロ社 岡本勝之さん「ワナクライはウィンドウズのぜい弱性(弱点)を使うことによって、同じネットワークにある他のパソコンにどんどん感染を広げることが出来る。侵入したところだけでなく、どんどん被害が広がってしまう。」
・この新たなウイルスは、世界各地に広がり、深い爪痕を残しています。 イギリス BBC(2017年5月12日) 「国の医療機関がサイバーテロの標的になりました。」 イギリスでは5月、国が運営する医療グループがワナクライに襲われ、47の医療機関で検査機器や救急システムがダウン。予定されていた手術や診察は中止に追い込まれ、20万人もの患者に影響が及びました。
・心臓の手術を中止された患者 「『手術中に血液が不足したら輸血できない、命は保証できない』と言われました。医師の言葉にショックで、頭が真っ白になりました。」 病院では、データベースがマヒし、今も手作業でカルテなどの復旧に当たっています。 
・ウイルス被害を受けた医師 「100%コンピューターに依存していたため、我々はなすすべがありませんでした。2か月以上たちますが、元に戻っていません。サイバー攻撃(の影響)は、今もまだ終わっていないのです。」
・驚異の感染力を持つこの新型ウイルスは、一体どこから来たのか。その謎の解明も急がれています。 セキュリティ会社 マーシン・クレチェンスキーさん「私たちは新型ウイルスの感染をリアルタイムで追いました。数千の都市に、瞬く間に感染が広がっていました。世界中どの国も、この攻撃から逃れられませんでした。」
・さまざまな説が飛び交う中、有力視されているのが、実は世界に名がとどろく、あの諜報機関が関わっているという説。 それは、アメリカのNSAです。NSAは、世界中の市民のパソコンに忍び込み、その活動を監視していたとされます。 “誰を監視しているんだ?”(映画『スノーデン』より) “世界中さ。”(映画『スノーデン』より))
・NSAは、ウィンドウズのぜい弱性を発見し、パソコンに忍び込む攻撃ツールを秘密裏に開発。しかし、この攻撃ツールがハッカー集団に盗み出され、それをもとにワナクライが作られたというのです。マイクロソフト社は、ワナクライの感染の直後、NSAを非難する声明を出しました。 ”米軍がトマホーク(巡航ミサイル)を盗まれたに等しい失態だ。” 今回のウイルス攻撃は、情報社会を支えるインフラとなったウィンドウズの穴を狙ったものでした。
・マイクロソフト社 澤円さん「ぜい弱性の情報は、常に出しています。」  実はマイクロソフトは、ワナクライの最初の攻撃が始まる2か月前に、このぜい弱性を把握。ウイルス感染を防ぐ更新プログラムを緊急で出していました。しかし、その対策を済ませていないパソコンは、いまだ世界中に数多く残されています。ここからウイルスによる新たな感染が広がり、被害が拡大し続けていることに危機感を募らせています。
・マイクロソフト社 澤円さん「今、世の中で起きている非常に大規模な攻撃は、サイバー犯罪に対する備えをしていない、修正プログラムをあてていないコンピューターが、実は攻撃の道具として大量に使われている。その人が被害にあっているというのは第一段階。第二段階としては、その人たちが攻撃者として使われてしまうというのも非常に多く見られる。」
▽あなたのパソコンが危ない 追跡!謎の新型ウイルス
・ゲスト 蔵本雄一さん(ホワイトモーション CEO/元マイクロソフト)
 ゲスト 高木剛さん(東京大学大学院 教授)
── 元マイクロソフトの技術者で、サイバーセキュリティーが専門の蔵本雄一さん。 感染したらどうすればいい?
・蔵本さん:まずは、皆さん、ウイルス対策のソフトをインストールされていると思うんですけど、まずはインストールされている対策のメーカーさんに相談していただくというのが、まず一番初めかなと。そういったメーカーさんとか、あとインターネットに暗号化されてしまったファイルを戻すようなツールを提供しているようなところもあるので、例えば、そういうのを使ってもらうとかというのは非常に大事ですね。
+(この身代金というのは、払わないほうがいい?)  払って戻るものとか、払っても戻らないものとか、いろいろありまして、やっぱり一番大事なのは、暗号化されて読めなくなっても困らないように、複製ですね、データの複製、バックアップを取っておいて、やられたとしても、それを戻すと。そうすることで、ビジネスも正常復旧するというのが大事かなと思います。
── 今回、多くの公共インフラが被害に遭っているわけだが、なぜウイルス対策をしていなかったのか?
・蔵本さん:対策を考える時に、新しいOSを使うとか、新しいOSを最新の状態にするというのは非常に大事なんですが、なかなか制御している、何かシステムを制御しているシステムとか、新しくしたくてもできない理由があるものもあるので、なかなか一概に、簡単に新しくすればいいというのは結構難しい。 (これまで使っていたソフトや機器が使えなくなることもある?) その可能性もあったりもしますね。
── ネットセキュリティーの暗号技術に詳しい、数学者の高木剛さん。ソフトウェアのぜい弱性をなくすことはできない?
・高木さん:現在、プログラムは複雑化、さらに高度化しているために、このぜい弱性をなくすということは、不可能と言われております。 (なかなか自分では見つけられない?)  実際、プログラムにあるぜい弱性を使って、新しいウイルスを発見されることによって、ぜい弱性があるのだということが見つかっている現状となっています。
── 仮に、バグが全くないプログラムを作ることができてもということは、全く安全ではない?
・高木さん:想定している利用方法ですと問題ないんですが、想定外の利用方法をすることによって、そのプログラムが予想以外の動きをすることによって、新しいバグが見つかるということもあります。
── 想定の範囲で動かしていればいいが、違う動かし方をすると、生じる矛盾を狙ってくるということなんですね。
・田中:プログラムのぜい弱性があるのは、ウィンドウズだけに限りません。スマホの基本ソフトやSNSアプリでも、個人情報の漏えいなどにつながるバグが毎日のように見つかっています。ぜい弱性を発見しようと、IT企業では、新たな対策が始まっています。
▽スマホアプリを守れ! ホワイトハッカーの闘い
・向かったのは、世界2億人が利用するLINE。 去年(2016年)、プログラムのぜい弱性を見つけ出すための新たな制度を導入しました。
・セキュリティ担当社員 「投稿機能において不備があった問題ですね。ぜい弱性として認定すべきじゃないかと。」 「報奨金は?」  セキュリティ担当社員 「500ドルですね。」
・それは、ホワイトハッカーの力を借りること。ぜい弱性を見つけ、バグの修正に協力するIT技術者に報奨金を支払うことにしたのです。背景には、ぜい弱性チェックにかかる手間が膨大で、自社だけではカバーしきれないという事情があります。
・田中:ぜい弱性というのは、どのようにして見つけるのですか?
・LINE株式会社 セキュリティ担当社 「ソースコードと呼ばれるプログラムのコードを、実際に目視で確認したり。」
・田中:目で確認?何行くらいあるんですか?
・LINE株式会社 セキュリティ担当社員 「LINE本体(のプログラム)でも数十万行。」
・田中:数十万行。
・ぜい弱性探しは、目視が基本。数十万行のプログラムから1、2語のバグを見つけ出す作業です。セキュリティー担当も、この2年で2倍に増やしました。それでも、個人情報の漏えいにつながりかねないバグが見つかるなど、危機的な状況に直面してきました。
・LINE株式会社 セキュリティ担当社員 「人間が書くものなので、プログラムというのは、やはりバグはどうしても生んでしまう。それをチェックするのも、やはり私たち人間ですし、どうしてもミスは生じてしまう。」 
・IT企業に勤めるこの男性は、ホワイトハッカーとしてLINEのバグ探しに協力。 これまで、2つの大きなバグを報告。合計100万円を手にしました。開発者でない第三者の視点が有効だといいます。
・IT企業社員 汐見友規さん「世の中で非常に重要とされるアプリケーションやソフトウェアに関して、自分が探したときに、何かあるのか確認したいという気持ちはあります。インターネットの世界を安全にするのに寄与できているのは、やりがいになる。」
▽PCもスマホも車も! ウイルスとの攻防
・田中:今、VTRでも出てきたような、正義のハッカーと呼ばれる「ホワイトハッカー」の需要が高まっています。総務省所管の情報通信機構は今年(2017年)4月、25歳以下の若手を対象に、ホワイトハッカー育成プログラムを始めました。これは、1年間かけて、情報セキュリティー技術を指導する世界に類を見ない試みなんです。背景にあるのは、情報セキュリティー分野の人材不足です。国の調査では、去年の時点で13万人が不足。サイバー攻撃の激化が予想される中、2020年には20万人足りなくなると見られています。ホワイトハッカーをはじめとするセキュリティー人材の養成は待ったなしです。
── そこまで人材が不足している状況というのは驚きだが、それだけ、今後もサイバー攻撃が拡大していく可能性があるということ? 
・蔵本さん:例えば今回、お話が出ているようなワナクライとかだと、いわゆるパソコンのファイルがターゲットなっているわけですけれども、それ以外にも、家電とか自動車とかも含めて、いろんなものを見回ってもコンピューターが組み込まれているので、攻撃者のターゲットがどんどん増えているというような状況ですね。
── 例えば、自動車が狙われると、どういうことが起きる?
・蔵本さん:自動車が狙われると、例えば、自動運転だとか、いろいろ出てきていますけど、そういったものに対しての攻撃というのが予測されてきます。なので、自動車メーカーは、そういったことがされないような対策というのが求められるということですね。 (単にパソコンが使えなくなるというだけではなく、まさに、この命を預かる車など、そういった身近なところが危機にさらされる可能性があるということ?) より身近なところの危機を気にする必要が出てきますね。
── ウイルスの攻撃対象が、車や家電にまで広がるということになりますと、その驚異は計り知れません。ぜい弱性を巡る攻防が続く一方で、新たな方法で、究極の安全を目指そうという動きが世界で始まっています。
▽ハッカーを撃退せよ! 究極の技術 暗号
・6月、オランダでサイバー攻撃への対策を話し合う国際会議が開かれました。会場を訪ねると…。  「ちょっとあなたたち、撮影を拒否する人たちが多いので、取材は慎重にしてくださいね。」  会場に集まっていたのはNSAなど、世界各国の諜報機関で働く人たちでした。参加者が熱心に耳を傾けているのは、もしや数学の講義? 実は、この会議の目的は、最先端の数学の理論を駆使して絶対に解読できない暗号を開発することなんだとか。それにしても、なぜ新たな暗号開発に世界が注目するのでしょうか。
・現在、インターネット上の重要な情報はウイルス攻撃などで盗み見られても読めないように暗号で守られています。その暗号は、数学の素数を、いわばパズルのように複雑に組み合わせたもの。しかしこの暗号が、解読の危機にあるというのです。その理由は、次世代コンピューターの開発競争で、計算能力が急速に向上しているからです。もしハッカーがこのコンピューターを悪用し、国家の情報機関などに侵入すれば、機密情報が読み取られてしまう。そうした事態を防ぐ、究極の技術が次世代の暗号なのです。
・アメリカ国立標準技術研究室 ダスティン・ムーディーさん「次世代コンピューターは、現在の暗号を破る能力があります。ですから、世界各国の研究機関や政府、企業が話し合い、今から協力して準備しなければなりません。」
・この次世代の暗号開発で世界から注目を集める日本人がいます。今日のゲスト数学者の高木剛さんです。 高木さんは、全く新しい暗号「格子暗号」の研究者です。ベクトルという数学の概念を使って、簡単には解けない暗号を編み出そうとしています。
・東京大学大学院 教授 高木剛さん「数字というのは一次元の方向しかないんですが、ベクトルになりますと、二次元以上の空間でいろいろな向きがあります。次元が上がると、その向きがいろいろな方向になるために、より高速な計算機でも簡単には解けない。」 何だか難しそうですが、スタジオでご本人に解説していただきます。
▽あなたのパソコンが危ない 追跡!謎の新型ウイルス
── というわけで、高木さん、これは、どういうものなんでしょうか?
・高木さん:現在普及している暗号は、素数といわれている数字を使って、それを組み合わせて安全性を保っています。例えば、15という数字は。
── これが暗号?
+これが暗号です。3と5という2つの素数をかけたものです。この桁数がずっと素数を大きくしていくと、現在の計算機では計算が追いつかず、安全といわれていたのですが。 (今までは、このxとyが分からなかったわけですね。) ところが、新しい計算機が出てくると、これが安全ではない可能性が出てきたということで、数字に代わり、今はベクトルという概念を使った暗号が作られています。
+こちらの02に当たるものが、15の暗号文に当たりまして、この隠れている2つのベクトル、aとbを探しなさいという問題になります。 (そのaの座標であるxとy、bの座標であるxダッシュとyダッシュ、これを編み出しなさいと。)  2次元の場合は、それほど難しくはないんですが、次元を上げていくと、桁違いに組み合わせの数が増えて、解読計算量が非常に高くなります。そのため、次世代の暗号でもっても解読が難しいと言われています。
── 今回、アメリカの諜報機関から盗み出された情報が、ウイルスのもとになっているとも言われているが、こうした暗号が出来れば、そうした事態を防ぐことにもつながる?
・高木さん:サイバーセキュリティーが高度化して、増え続ける漏えい問題が今、問題となっていますが、重要な情報にアクセスしたとしても、攻撃者は解読できない暗号技術が求められています。
── 今後、ますます高度化、巧妙化するサイバー攻撃に対して、どのように対応すればいい?
・蔵本さん:まずは、やっぱり何を守るかというのをはっきりさせる。これは、実際のパソコンとか、モノを使う使い手だけではなくて、作る方も、どういったものを守れば、何が一番大事なのかというのをしっかり定義して、それを守るようなものを作って、使っていくというのが非常に大事かと。例えば、自動車だと、ちゃんと走って、止まって、曲がれるというところをしっかり守る。これって非常に大事なことですけれども、そういうところをしっかりとやっていく。
+あとは、やっぱり攻撃する側が、どういう攻撃をしてくるのかとか、しっかり分析をして、相手が何を狙っているのか、どういうことをやるのかということを考えて、正しく怖がってもらう、正しく恐れるというのが、非常に大事なことかなと思います。 (今、さまざまなコンピューターを使ったシステム、ナビゲーションであるとか、自動運転であるとか、そういった部分と、基本的な走る、曲がる、止まるという部分を切り離せるようにしていくということが大事?) 仮に、そういう部分が侵害されたとしても、ちゃんと走って、止まって、曲がれるという機能を確保する。こういう設計のコンセプトとか、作りというのが、やはり非常に大事かなと。
── 高度な次の世代の技術と、それから、そういった考え方、整備していく必要があるということですね。
・ 企業の生産活動、行政サービス、医療、今やあらゆる分野を支えるコンピューターシステムへのサイバー攻撃、社会の基盤を揺るがす大きな脅威です。人材の育成、次の世代のセキュリティー技術の開発、対策は待ったなし
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4019/

第一の記事は、いかにもコンサルタントらしく、大きく振りかぶった割には、肝心なことは言わないので、読む方には、隔靴掻痒の感じを与える。それをあえて紹介したのは、 『GDPR(EU一般データ保護規則)・・・違反時には年間売上の4%または2000万ユーロのいずれか高い方という高額な制裁金が課される可能性があり・・・「域外適用」という考え方がある・・・2018年5月施行』、と決して他人事ではないためである。EUのみならず、米国でも制裁金や罰金が高額化しているだけに、要注意だ。
第二の記事は、 『新型の身代金ウイルス「ワナクライ」』、は、 『新たな脅威は、メールの添付ファイルを開くなどしなくても、インターネットにつながっているだけで感染の恐れがあることです』、というのは恐ろしいことだ。しかも、それが、NSA(アメリカ国家安全保障局が 『秘密裏に開発。しかし、この攻撃ツールがハッカー集団に盗み出され、それをもとにワナクライが作られた』、というのには、NSAの機密管理のズサンさに驚く他ない。更新プログラムは、個人のパソコンでは自動的にやるのが普通だが、企業などの大きな組織でLANサーバーがある場合には、 『何かシステムを制御しているシステムとか、新しくしたくてもできない理由があるものもあるので、なかなか一概に、簡単に新しくすればいいというのは結構難しい』、のが実情のようだ。 次世代の暗号については、 『2次元の場合は、それほど難しくはないんですが、次元を上げていくと、桁違いに組み合わせの数が増えて、解読計算量が非常に高くなります。そのため、次世代の暗号でもっても解読が難しいと言われています』、とのことらしい。ハッキングの「技術革新」とのイタチゴッコにならないよう祈るしかないようだ。
タグ:2次元の場合は、それほど難しくはないんですが、次元を上げていくと、桁違いに組み合わせの数が増えて、解読計算量が非常に高くなります。そのため、次世代の暗号でもっても解読が難しいと言われています ベクトルという数学の概念を使って、簡単には解けない暗号を編み出そうとしています 次世代の暗号開発 自動運転だとか、いろいろ出てきていますけど、そういったものに対しての攻撃というのが予測 正義のハッカーと呼ばれる「ホワイトハッカー」の需要が高まっています 何かシステムを制御しているシステムとか、新しくしたくてもできない理由があるものもあるので、なかなか一概に、簡単に新しくすればいいというのは結構難しい データの複製、バックアップを取っておいて、やられたとしても、それを戻すと。そうすることで、ビジネスも正常復旧するというのが大事 その対策を済ませていないパソコンは、いまだ世界中に数多く残されています 最初の攻撃が始まる2か月前に、このぜい弱性を把握。ウイルス感染を防ぐ更新プログラムを緊急で出していました ・マイクロソフト社 しかし、この攻撃ツールがハッカー集団に盗み出され、それをもとにワナクライが作られたというのです NSAは、ウィンドウズのぜい弱性を発見し、パソコンに忍び込む攻撃ツールを秘密裏に開発 2か月以上たちますが、元に戻っていません。サイバー攻撃(の影響)は、今もまだ終わっていないのです イギリスでは5月、国が運営する医療グループがワナクライに襲われ、47の医療機関で検査機器や救急システムがダウン 世界各地に広がり、深い爪痕 ウィンドウズのぜい弱性を突くウイルスだった 新たな脅威は、メールの添付ファイルを開くなどしなくても、インターネットにつながっているだけで感染の恐れがあることです チェルノブイリの原発事故現場では、放射線量の測定器が制御不能になり、手動で計測する事態に 自動車メーカーや鉄道会社などが攻撃を受け、操業停止に追い込まれる事態も 新型の身代金ウイルス「ワナクライ」 イギリスの病院、チェルノブイリの原発、日本の自動車工場や水道局も攻撃された あなたのパソコンが危ない 追跡!謎の新型ウイルス NHKクローズアップ現代+ 単なるコンプライアンス対応だと高を括って、文書策定等の形式的な対応に終始してしまうのは得策ではない GDPRにおける個人情報の定義は、日本の個人情報保護法のそれよりも広く 日本企業は本当に デジタル化への舵を切れるのか 域外企業には好き勝手させないという意思 EU居住者の個人情報を域外に移転することを規制 保護すべきものは、プライバシーだけではなくなってきた。それは産業そのものだ 2018年5月施行 ヨーロッパでは、会社から監視を受けること自体に大きな抵抗があるようだ 「域外適用」という考え方がある 違反時には年間売上の4%または2000万ユーロのいずれか高い方という高額な制裁金が課される可能性 昨年春に欧州委員会にて採択 GDPR(EU一般データ保護規則)が遠い国の話で済まない理由――デジタル時代におけるプライバシー規制の潮流 ダイヤモンド・オンライン PwCコンサルティング 山本 直樹 (その2)(GDPR(EU一般データ保護規則)が遠い国の話で済まない理由、あなたのパソコンが危ない 追跡!謎の新型ウイルス) サイバー犯罪 情報セキュリティー
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安倍政権のマスコミへのコントロール(その6)(「え?私が中国のスパイだって?」ドイツ紙の東京特派員が安倍政権から圧力を受けたと告白、前川喜平氏独白「NHKや読売新聞には同情する」「みんな組織で四苦八苦しながら生きている」、安倍官邸が民放テレビを「恫喝」?) [国内政治]

安倍政権のマスコミへのコントロールについては、昨年6月1日に取上げた。今日は、(その6)(「え?私が中国のスパイだって?」ドイツ紙の東京特派員が安倍政権から圧力を受けたと告白、前川喜平氏独白「NHKや読売新聞には同情する」「みんな組織で四苦八苦しながら生きている」、安倍官邸が民放テレビを「恫喝」?) である。

先ずは、やや古いが、2015年4月10日付けThe Huffington Post「「え?私が中国のスパイだって?」ドイツ紙の東京特派員が安倍政権から圧力を受けたと告白」を紹介しよう。
・安倍政権はメディアに圧力をかけている」――。4月2日、日本外国特派員協会(FCCJ)のウェブページにドイツ高級紙「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」で東京特派員を務めていた、カーステン・ガーミスさんのコラムが掲載された。
・ガーミスさんは民主党政権下の2010年に来日、特派員として2015年まで東京特派員として滞在。2011年の東日本大震災も取材した。2012年末に第二次安倍政権が発足した後に、圧力を受けるようになったという。
・外務省から攻撃されるのは、5年前では考えられなかったことだ。だが今ではある。私への直接的な攻撃のみならず、ドイツ本社への攻撃もあった。安倍政権の歴史修正主義に対して私が批判記事を書くと、日本政府の在フランクフルト総領事が本社に来て、担当編集者に抗議した。その抗議は「東京」からのものであり、中国がこの記事を反日プロパガンダに利用しているというのだ。
・事態はさらに悪化した。その冷えきった90分間の会談のあと、編集責任者は記事が間違えているという証拠を総領事に求めたが、ムダだった。ある役人は「金が絡んでいると考えざるをえない」と口にした。それは私への、編集者への、そして新聞全体への侮辱に他ならなかった。そして、私の記事の切り抜きをフォルダーから出し、中国のプロパガンダ記事を書かなければならないとはお気の毒に、と続けた。どうやら、私が中国からビザの承認が欲しいがために、そういった記事を書いていると考えているようだった。
・え? この私が北京に雇われたスパイだって? 私はビザを申請したこともなければ、中国に行ったことすらないというのに。 (中略)
・総領事と本紙編集者の歴史的会談から2週間前、私は外務省の役人たちとランチをしていた。そこで、私は「歴史を隠ぺいする」という言葉と、安倍首相のナショナリスト的な政策は、東アジアだけでなく、国際社会において日本を孤立させるだけだ、という考えを述べたが、それに対しても抗議された。説得しよう、わかってもらおうという姿勢ではなく、冷淡な口調で、憤然としていた。なぜ、ドイツのメディアが歴史修正主義には敏感なのかを説明したが、誰も耳を傾けなかった。(FCCJ - On My Watch 2015/04/02) 
・この他にも、2014年以降は直接的にガーミスさんに、記事に対して抗議をするようになったことも記されているほか、「政府が海外メディアに対してだけでなく、自国民に対しても秘密主義的だ」と批判、「さらに開かれた健全な民主主義を希望する」と、結ばれている。
・安倍政権とメディアを巡っては、テレビ朝日の「報道ステーション」でコメンテーターの古賀茂明氏が首相官邸からの圧力を訴えるなど、度々話題になっている。
【※15:40】外務省はハフポスト日本版編集部の取材に対し、「事実関係を確認する」とコメントした。得られ次第、追記する。
【※17:54更新】外務省は圧力をかけたことを否定した。「報道が批判記事を書くのは当然。ただ、事実関係が異なる場合は、申し入れをする。安倍政権が『過去の政権の歴史認識を引き継ぐ』と表明している点についてガーミスさんに誤りがあったので申し入れをした。ただしコラムに書かれているようなフランクフルト総領事とのやりとりはない」。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/10/carsten-germis-confession_n_7038596.html

次に、9月7日付け日経ビジネスオンライン「前川喜平氏独白「NHKや読売新聞には同情する」 「みんな組織で四苦八苦しながら生きている」」を紹介しよう(▽は小見出し、――は聞き手の質問、+は回答内の段落)。
・今年1月、文部科学省で、違法な再就職のあっせんを組織ぐるみで行っていた天下り問題の責任をとる形で、文科事務次官を退任した前川喜平氏。今年5月には、一連の加計学園問題について記者会見を開き、「行政のあり方がゆがめられた」などと語った。
・日経ビジネス8月28日号・9月4日号の「敗軍の将、兵を語る」では2号にわたり、「天下り問題」と「行政のゆがみを正すことができなかった」ことなどについて前川氏が真摯に思いを述べている。日経ビジネスオンラインでは、敗軍の将に収録できなかったメディア対応の経緯やメディアへの思いについて、インタビュー形式で紹介する。
――5月の記者会見で、「総理のご意向」などと書かれた文科省の内部文書を「本物」と認め、「公平公正であるべき行政のあり方がゆがめられた」「あったことをなかったことにすることはできない」などと証言したことが、結果として、加計学園問題をここまで大きくしました。
・前川:まさか、この問題で国会に出て答弁することになるとは思っていませんでした。行きがかり上、こうなってしまったというか、乗りかかった船でここまできちゃったところがあります。
――周到に準備を重ね、覚悟を持って告発に踏み切った、というわけではなかったと。
・前川:もちろん、行政がゆがめられている、これは不当なことだ、おかしい、国民が知るべき真実なのではないか、という気持ちは確かに持っていました。だからこそ、記者会見の前の段階でいくつかのメディアからアプローチを受けた時に、いろいろなことをお話ししたわけです。 私は、こういう事実があったんですよ、ということをありのままに述べておしまいだと思っていた。今でもそう思っているんですけれど、最初はそれを天下の公器であるNHKに話せばいいだろうと思っていました。
▽「黒塗り」で報じたNHKの意地
・一連の加計学園問題は、「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向」などと書かれた文科省職員が作成したとされる内部文書の存在が明るみになって以降、大きく発展していった。 この内部文書を、分かりやすい形で最初に報じたのは、5月17日の朝日新聞朝刊1面。同記事は、「『獣医学部新設に係る内閣府からの伝達事項』という題名の文書には、『平成30年(2018年)4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい』と記載。そのうえで『これは官邸の最高レベルが言っていること』と書かれている」と伝えた。 しかし前川氏は、この文書を最初に“スクープ”していたのはNHKだったと話す。
・前川:私へのアプローチが特に早く、一番取材していたのはNHKです。あれは、5月の大型連休前だったと思いますが、私の自宅前にNHKが待ち構えていて、私が家を出た時につかまえられ、そこで観念して、カメラの前で話しました。 NHKの記者さんはかなり早い時期に、恐らく現役の職員から内部文書を入手していたようで、その後に朝日新聞が確認に来た時に持っていたものも、それよりももっと詳しいものも持っていたわけです。
+そこで私は、一部の文書は私が見たものと同じだと言いましたし、それから、個人名は出しませんでしたが、内閣官房の複数の人から獣医学部新設について働き掛けがあった、ということもお話ししました。 それからしばらく時間が経って、NHKが初めて文書をちょろっとだけニュースに出したのが5月16日の夜。あれは、変なニュースでした。
+あのニュースは、加計学園の獣医学部新設に関して、文科省の大学設置審議会が審査しています。いろいろと課題があるので、とにかく実地調査をすることにしています。そんなニュースだったんです。 これは国家戦略特区で認められたものです、というようなただし書きというか、説明が付いていたと思うんだけれど、その最後の映像に、ちらっと「9月26日」の日付入りの文科省の内部文書が映っている。 映っているんだけれど、この文書が何であるかという説明はなくて、しかも、「官邸の最高レベルが言っている」という部分が黒塗りをされている。爆弾みたいな文書を、本当にさり気なくぱっと映したのです。
――なぜ、NHKは肝心の部分を黒塗りにして出したのでしょうか。
・前川:出せなかったのでしょう。上からの圧力があったのでしょう。私に接触してきた記者さんは、ものすごく悔しがっていました。それで、社会部の取材してきた人たちが、せめてこれだけは映してくれと言って、最後にちらっと映したと。自分たちは取材で先行している、という意地ですよね。それをめざとく見ていたのが朝日新聞です。
+朝日新聞も私のところに来ていました。その段階で、(NHKが持っていた)日付入りの文書そのものは持っていなかった。でも、別のサマリー版の方は持っていました。それは、私も含めて広く省内に行き渡っていたものなので、文書の真正性について本物だというふうに証言しました。それを朝日は5月17日の朝刊の紙面で出したんですね。
+そうしたら、菅(義偉)官房長官はその日の記者会見で、日付も入っていない、誰が作ったのかも分からない、怪文書みたいなものだ、というふうに仰った。そこで、朝日は恐らく猛烈に取材したのでしょう。 NHKが持っていた9月26日の日付入りの文書を入手して、翌18日の朝刊の紙面にそれを出した。今度は日付も入っている、誰が作ったのかも書いてある。しかしそれは、すでに16日の夜にNHKが映していたものと同じものだったのです。
▽NHKに頼まれた「記者会見」
・ここまで、前川氏は各メディアの取材に協力をしていたものの、各紙の紙面に名前が踊ることはなかった。唐突に名前が踊ったのは5月22日の読売新聞朝刊。「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」と題された記事は、こう書き出している。
・「文部科学省による再就職あっせん問題で引責辞任した同省の前川喜平・前次官(62)が在職中、売春や援助交際の交渉の場になっている東京都新宿区歌舞伎町の出会い系バーに、頻繁に出入りしていたことが関係者への取材でわかった。教育行政のトップとして不適切な行動に対し、批判が上がりそうだ」 
・前川氏はその3日後の5月25日、都内で記者会見を開き、「行ったのは事実」と認めた上で、「女性の貧困を扱う報道番組を見て、(出会い系バーに通う女性の)話を聞いてみたくなった」「実地調査の意味もあり、行政上、役に立った」などと話した。
――なぜ、歌舞伎町のその店舗に行ったのでしょうか。
・前川:テレビ番組で見た時に、関心を持ちました。番組で紹介されたお店があの店だったかどうかは定かではありません。だけど、ここかなと思い入ってみたら、こんな感じだったかなと。歌舞伎町を正面から入って目に付くところにある、分かりやすい場所です。 実地調査というのはあまり適切な言葉ではなかったと思っています。でも、私の知らない世界をいろいろと知ることができる、様々な事情を抱えた女性のリアルな話が聞ける、という点で、非常に興味を持ちました。
――キャバクラやクラブではなく、出会い系バーだった理由は?
・前川:私はキャバクラやクラブというのはあまり関心がなくて、要はすべてコマーシャルなものですよね。女の子が付いてその子が何か身の上話をしたとしても、結局それは商売ですよね。最後にはメールアドレスを教えてと言われ、教えた途端に毎週のように営業のメールが来るとかね。私も行ったことがないとは言いませんが、興味は持てません。
――出会い系バーへの入店自体が批判の的となりました。会見翌日の26日には、菅官房長官が「常識的に言って、教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りして、小遣いを渡すようなことは、到底考えられない」とコメントしています。
▽加計学園の獣医学部新設に関する主な経緯
・前川:まるで少女買春をしたみたいに言われていましたが、そんな事実は全くありませんし、この件については言い訳をするのも何かなと。法に触れるようなことをしたわけではなく、何が悪いんだと思っています。  愉快か不愉快かと言われると、不愉快です。こういう形で人格をおとしめるというやり方は、やっぱり非常に問題があると思います。
+メディアが公人に対して、プライバシーにかかわることを根掘り葉掘りやるのはいかがなものかと思わないでもないけれど、市民目線や国民目線で指弾するのはまだ許せるというか、分かります。しかし、権力を持っている人間がそれをやるのはおかしいと思う。 ただし、当初はこうした言い訳がしたくて記者会見を25日に開こうと決めたわけではありません。
――なぜ25日に記者会見をしたのか、という問いへの答えは端的に言うと何でしょうか。
・前川:それは、各メディアから求められたから、です。まず、NHKに頼まれました。数週間前に自宅前で応じたインタビューが放映されていなかったので、記者さんに「どうするのか」と聞きました(編集部注:その映像は未だにオンエアされていない)。 すると、「記者会見をしてくれないと、NHKは今まで取材したことを出せない。記者会見があれば、それはどこのメディアも報じるので、NHKもニュースにすることができる。だから記者会見をしてください」と言ってきました。 もう一つは、ちょっと話題になっている東京新聞記者の望月衣塑子さんからメディアを代表して頼まれた、ということもあります。
▽詩織さんのほうがよほど勇気がある
・前川:読売新聞の記事が出た22日の夜あたりから、私の自宅前にメディアが殺到している状態になってしまっていました。ですが、その時点で私はもう自宅を抜け出して、ホテル住まいをしていたのです。本当にもぬけの殻で、私は父親と一緒に住んでいるんだけれど、父親もホテルに行くと言って、誰もいない状態でした。
・誰もいない家の前で各社がずっとこのまま待ちぼうけを食わされるのはたまらないということで、望月さんが私の自宅前にいる各社の合意を形成し、代表して(元文部省官僚で京都造形芸術大学教授の)寺脇研さんに電話をかけ、「前川さんに記者会見をするように伝えてくれ。メディアの総意である」と言ってきたのです。
+寺脇さんが私にそれを伝えてきたのが24日の朝だったと思います。翌25日というのは、私が取材に応じた「週刊文春」の発売日です。これに合わせて、25日の朝日新聞朝刊に私のコメントが載ることも、それから25日夜にTBSの「ニュース23」でインタビューが放映されることも決まっていました。それらが一斉に出るので、同じ日に記者会見もしましょう、ということがバタバタと決まっていったというのが実情です。
+だから、何か勇気を出して発言したとか言われているけれど、私は大して勇気を出していない。 レイプ被害に遭った詩織さんという方が、官邸につながる警察の幹部を顔を出して告発されていますが、彼女の方が私よりも100万倍、勇気があると思います。私が現職中に加計問題を告発したとしても、それよりもよほど勇気がいることだと思いますし、彼女が問題提起をした権力の闇の方がずっと根深い気がします。
――一方で、NHKや読売新聞について、今、何を思いますか?
・前川:残念に思う半面、現場の記者さんにはシンパシーも感じるんです。要するに、大きな組織の中では、組織の論理で動かざるを得ないという。自分に重ね、ちょっと、同情したところもあるんです。みんな、組織の中で四苦八苦しながら生きているんだなと。
+読売新聞の社会部長も、心の底から、あの解説を書いたのかどうかは分かりません。組織の中で仕事をしている以上、しょうがないというところもあると思うんです。私だって、心にもないことを国会で答弁したことはありますから。 誰だって多かれ少なかれ、「面従腹背」で生きているわけです。ただ、面従腹背しているほうが、まだマシだと思います。
+身も心も組織にささげるというか、空っぽになって、言われるがままに動く。心を失ったロボットみたいになってしまっているような、そういう人も結構いますから。だから、それよりは、本当はそうじゃないと思い、苦しみながらも、苦しみを押し殺して仕事をしているような人のほうがいいな、と思います。
▽高校中退を防ぐことが貧困の解決に
――今は、何をしているのですか?
・前川:福島市や神奈川県厚木市の自主夜間中学に、定期的にボランティアで通っています。それから、中退防止に力を入れている高校では、「キッズドア」という団体がやっている土曜学習の支援ボランティアをしています。 ここは必ずしも成績のよくない生徒が来る高校なのですが、その生徒たちが自主的に自分たちの学力を高めたいと土曜日の午前中に集まってきて、勉強をしているわけです。その土曜日の学習会に参加して、生徒のいろいろな質問に答えてあげたり、分からないところを一緒に考えてあげたりする、そういうボランティアです。
+この高校は中退率がものすごく高かったのですが、キッズドアが支援するようになってからは、中退率が激減しています。やはり、自学自習のサポートが効いているんですよね。 高校中退を防ぐことは、ものすごく大事なことだと思っています。98%以上の子供が高校に進学していますが、そのうちの5%くらいは卒業できずにドロップアウトしている。高校中退というのは1つの人生の転落の始まりで、出会い系バーで出会った女性も、かなりの割合で高校を中退しています。
+出会い系バーでは、両親が離婚していると、高校中退をする率が高いということにも気がつきました。やっぱり、高校中退をいかに防ぎ、卒業させて社会に出してあげる。少なくとも、そういうふうにしてあげることが、貧困問題の解決につながっていくのだと思っています。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/090600730/?P=1

第三に、10月4日付けYahooニュースが選択10月号の記事を転載した「安倍官邸が民放テレビを「恫喝」?――選挙前に電波利用料引き上げ検討(選択出版)」を紹介しよう。
・総選挙を前にして、官邸中枢から電波オークション制度や電波利用料引き上げの検討という話が突然持ち上がったため、民放キー局が動揺している。
・菅義偉官房長官は9月13日の記者会見で「通信事業者の電波利用料は100億円から200億円なのに民放は数億円程度」と述べ、民放の利用料が安過ぎるとの認識を示した。9月11日から始まった規制改革推進会議でも、電波の有効利用が柱のひとつになっており、空いている電波の利用権をオークションにかける制度の導入も検討対象としている。
・あるキー局の幹部は「なぜ急に電波の話が浮上したのか」と官邸の意図を訝るが、「森友、加計問題で政権批判を繰り返した民放の報道にがまんできなくなった」(民放連幹部)との見方が大勢を占めている。首相周辺には、「政権批判ばかりするなら、(電波利用料を)引き上げればいい」との声があるという。
・菅氏が会見した9月13日には「すでに首相は臨時国会冒頭の解散を決めていた」(自民党執行部)という。安倍官邸には、電波利用料の引き上げをちらつかせて、民放に政権批判をさせたくないとの思惑があるようだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171004-00010000-sentaku-soci

第一の記事で、 『安倍政権の歴史修正主義に対して私が批判記事を書くと、日本政府の在フランクフルト総領事が本社に来て、担当編集者に抗議した。その抗議は「東京」からのものであり、中国がこの記事を反日プロパガンダに利用しているというのだ・・・ある役人は「金が絡んでいると考えざるをえない」と口にした。それは私への、編集者への、そして新聞全体への侮辱に他ならなかった。そして、私の記事の切り抜きをフォルダーから出し、中国のプロパガンダ記事を書かなければならないとはお気の毒に、と続けた。どうやら、私が中国からビザの承認が欲しいがために、そういった記事を書いていると考えているようだった』、と本社にまで在フランクフルト総領事が押し掛け抗議・誹謗したというのは、驚くべき、かつ恥じるべき行動だ。安倍政権のマスコミへのコントロールが、ここまで徹底していたとは、改めて驚いた。これだけの大問題を、取上げずに無視している日本のマスコミも腰抜けだ。
第二の記事で、前川氏の問題の全貌がよく理解できた。 『NHKが初めて文書をちょろっとだけニュースに出したのが5月16日の夜・・・最後の映像に、ちらっと「9月26日」の日付入りの文科省の内部文書が映っている。 映っているんだけれど、この文書が何であるかという説明はなくて、しかも、「官邸の最高レベルが言っている」という部分が黒塗りをされている。爆弾みたいな文書を、本当にさり気なくぱっと映したのです・・上からの圧力があったのでしょう。私に接触してきた記者さんは、ものすごく悔しがっていました』、第一線記者のはかない抵抗があったのを初めて知った。 『前川前次官 出会い系バー通い』、といった官邸がリークした人格攻撃材料を記事にした読売新聞は、マスコミというより政府のプロパガンダ機関になり下がったようだ。前川氏が現在、 『福島市や神奈川県厚木市の自主夜間中学に、定期的にボランティアで通っています。中退防止に力を入れている高校では、「キッズドア」という団体がやっている土曜学習の支援ボランティアをしています』、というのは、「もったいない」気もするが、官邸とあれだけの喧嘩をした以上、やむを得ないことなのだろうか。
第三の記事で、 『「安倍官邸が民放テレビを「恫喝」?――選挙前に電波利用料引き上げ検討』、というのは、余りに見え透いた行動だ。電波利用料そのものは確かに安過ぎるが、選挙前のタイミングで持ち出すのは、意図が見え見えだ。安倍政権のマスコミへのコントロールは、より直接的になってきたようだ。
総選挙の洗礼も、小池・前原の馬鹿な行動で、自民党優位は変わりそうもなくなったようだ。やれやれ・・・。
タグ:私への直接的な攻撃のみならず、ドイツ本社への攻撃もあった 安倍官邸には、電波利用料の引き上げをちらつかせて、民放に政権批判をさせたくないとの思惑 、「森友、加計問題で政権批判を繰り返した民放の報道にがまんできなくなった」(民放連幹部)との見方が大勢 なぜ急に電波の話が浮上したのか」と官邸の意図を訝る あるキー局の幹部 9月11日から始まった規制改革推進会議でも、電波の有効利用が柱のひとつになっており、空いている電波の利用権をオークションにかける制度の導入も検討対象 2012年末に第二次安倍政権が発足した後に、圧力を受けるようになったという 「通信事業者の電波利用料は100億円から200億円なのに民放は数億円程度」と述べ、民放の利用料が安過ぎるとの認識を示した コラム 日本外国特派員協会(FCCJ) 9月13日の記者会見 菅義偉官房長官 安倍官邸が民放テレビを「恫喝」?――選挙前に電波利用料引き上げ検討(選択出版)」 選択10月号 yahooニュース 高校中退を防ぐことは、ものすごく大事なことだと思っています 、「キッズドア」という団体がやっている土曜学習の支援ボランティア 福島市や神奈川県厚木市の自主夜間中学に、定期的にボランティアで通っています 組織の中で仕事をしている以上、しょうがないというところもあると思うんです 読売新聞の社会部長 レイプ被害に遭った詩織さんという方が、官邸につながる警察の幹部を顔を出して告発されていますが、彼女の方が私よりも100万倍、勇気があると思います 各メディアから求められたから 25日に記者会見 私の知らない世界をいろいろと知ることができる、様々な事情を抱えた女性のリアルな話が聞ける、という点で、非常に興味を持ちました 前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中 読売新聞 朝日は恐らく猛烈に取材したのでしょう。 NHKが持っていた9月26日の日付入りの文書を入手して、翌18日の朝刊の紙面にそれを出した 菅(義偉)官房長官はその日の記者会見で、日付も入っていない、誰が作ったのかも分からない、怪文書みたいなものだ、というふうに仰った 出せなかったのでしょう。上からの圧力があったのでしょう。私に接触してきた記者さんは、ものすごく悔しがっていました 最後の映像に、ちらっと「9月26日」の日付入りの文科省の内部文書が映っている。 映っているんだけれど、この文書が何であるかという説明はなくて、しかも、「官邸の最高レベルが言っている」という部分が黒塗りをされている。爆弾みたいな文書を、本当にさり気なくぱっと映したのです 加計学園の獣医学部新設に関して、文科省の大学設置審議会が審査しています。いろいろと課題があるので、とにかく実地調査をすることにしています。そんなニュース NHKが初めて文書をちょろっとだけニュースに出したのが5月16日の夜。あれは、変なニュースでした この文書を最初に“スクープ”していたのはNHK この内部文書を、分かりやすい形で最初に報じたのは、5月17日の朝日新聞朝刊1面 乗りかかった船でここまできちゃったところがあります 文科省の内部文書を「本物」と認め、「公平公正であるべき行政のあり方がゆがめられた」「あったことをなかったことにすることはできない」などと証言 文科事務次官を退任 前川喜平氏独白「NHKや読売新聞には同情する」 「みんな組織で四苦八苦しながら生きている」 日経ビジネスオンライン 冷淡な口調で、憤然としていた 私は「歴史を隠ぺいする」という言葉と、安倍首相のナショナリスト的な政策は、東アジアだけでなく、国際社会において日本を孤立させるだけだ、という考えを述べたが 私は外務省の役人たちとランチ 中国からビザの承認が欲しいがために、そういった記事を書いていると考えているようだった 私への、編集者への、そして新聞全体への侮辱 カーステン・ガーミス 東京特派員 ドイツ高級紙「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング ある役人は「金が絡んでいると考えざるをえない」と口にした 「「え?私が中国のスパイだって?」ドイツ紙の東京特派員が安倍政権から圧力を受けたと告白」 The Huffington Post (その6)(「え?私が中国のスパイだって?」ドイツ紙の東京特派員が安倍政権から圧力を受けたと告白、前川喜平氏独白「NHKや読売新聞には同情する」「みんな組織で四苦八苦しながら生きている」、安倍官邸が民放テレビを「恫喝」?) マスコミへのコントロール 本社に来て、担当編集者に抗議した。その抗議は「東京」からのものであり、中国がこの記事を反日プロパガンダに利用しているというのだ。 安倍政権 日本政府の在フランクフルト総領事 安倍政権の歴史修正主義に対して私が批判記事を書くと
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内部留保課税問題(その2)(企業内部留保の争点化、日本経済には「一歩前進」、「内部留保課税」は設備投資や雇用に全く効果がない) [経済政策]

内部留保課税問題については、2015年12月20日に取上げた。今回の総選挙で、希望の党の小池代表がこれを検討すると公約に掲げたので、にわかに注目を集めたが、本日の朝刊によれば、小池氏は内部留保課税「こだわらず」と軌道修正した。そこで今日は、議論を整理するために、(その2)(企業内部留保の争点化、日本経済には「一歩前進」、「内部留保課税」は設備投資や雇用に全く効果がない) を取上げよう。

先ずは、元ロイター副編集長の田巻 一彦氏が10月7日付けロイターに寄稿した「コラム:企業内部留保の争点化、日本経済には「一歩前進」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・企業の内部留保の増大をどのようにとらえるべきか──。この点が衆院選の争点の1つになりそうな情勢だ。私は、企業が利益剰余金を積み上げたままでは企業間競争に乗り遅れると思わせる国内市場の活性化や、規制緩和が必要だと考える。 「課税」という「直球」勝負の政策対応には数多くの異論がありそうだが、企業の内部留保に主要政党の関心が集まるなら、それは日本経済にとって「一歩前進」と考える。
・発端は、希望の党の公約に掲げられた「消費税凍結と内部留保の社会還元」という項目だ。そこには、消費増税の凍結とともに「300兆円の大企業の内部留保に課税することにより、配当機会を通じた株式市場の活性化、雇用創出、設備投資増加をもたらす」と明記されている。
・これに対し、安倍晋三内閣の主要閣僚は6日、一斉に反撃した。世耕弘成経済産業相は6日の閣議後の会見で「内部留保の増加自体を問題にするのは、会計学上正しくない」と指摘。 安倍政権になってから、内部留保に当たる企業の利益剰余金は101兆円増えている一方で、設備投資やソフトウエア投資も93兆円ほど増えており、「企業がもうかった分は、ある程度投資に回っていると考えている」と述べた。
・また、麻生太郎財務相は「二重課税になる」と述べ、否定的な見解を表明。茂木敏充経済財政担当相は「規模が分からないとプラス、マイナスを評価しにくい」と語った。
・希望の党の小池百合子代表(東京都知事)は6日の公約発表会見で、こうした批判を予期していたのか、二重課税の指摘に関連し、「米国や韓国、台湾でも既に実施されている」と説明。 さらに課税されないように企業が設備投資や企業内保育園の設立などに資金を充てれば、「ためられたお金が動くきっかけになる」とも語った。
▽4年超で114兆円の増加
・財務省の法人企業統計によると、2017年4─6月期の企業の利益剰余金は388兆円。前期の390兆円から2兆円減ったものの、第2次安倍内閣が発足した時期に当たる2012年10━12月期の274兆円から114兆円増加した。 この間、企業収益は増加基調を継続。日銀の大規模緩和の反射的効果として円安が進み、それが企業収益をサポートしたとすれば、114兆円の内部留保の増加はアベノミクスの果実とも言える。
・問題なのは、その間に企業の労働分配率が低下傾向を続け、国内設備投資もかつての景気拡大期のように増加していないことだ。企業が追い風を受けながら、その利益を抱えたままになっているのではないか、との「疑念」がわき起こる環境になっていた。 実際、麻生財務相も6日の会見で「設備投資などへの有効活用が必要」と述べている。
・ところが、この大きな問題について、これまで野党第1党の民進党があまり関心を示してこなかったこともあり、国会論戦をはじめ国政レベルで大きな問題として取り上げられることはなかった。 希望の党の公約に盛り込まれたことで争点化しつつあるが、「課税」という対応が果たして効果的なのかどうか。
・私は、課税されると分かっていて、企業がそのままキャッシュを利益剰余金として処理することはないだろうと予想する。 京都の町屋の間口が狭く、「ウナギの寝床」のようになっているのは、かつての課税基準が「間口の長さ」だったからだ。黙って課税されるような企業はないだろう。
・確かに設備投資や賃上げに資金を振り向ける企業もあるだろうが、リスクを伴う設備投資を回避し、合法的な資金のシフトをあれこれと検討する企業が多いと予想する。 私の目からは、「課税」は「北風」政策のように見える。「少子高齢化」などを投資しない理由として挙げる企業経営者を「焦らせる」ような環境を作るのが、「太陽」政策になるのではないか。
・たとえば陸運業界は運転手不足が深刻な問題になっているが、人工知能(AI)を使った渋滞回避のルート選定や、AIとITを駆使して荷物の移し替えを合理化するような設備投資はあまり進んでいない。 しかし、1社が導入すれば、競争上、不利になるので横並びでAI投資が進むだろう。その口火を切るような実験プランの導入などに政府や自治体が関与するケースは少ない。
・抽象的なペーパープランを見せられるだけでは、企業経営者の意欲は刺激されない。企業の意欲を刺激する鍵は「AI」と「人手不足対応」だと考える。 人手不足であればこそ、平時では「不安感」をもたらすビジネスの合理化が進めやすくなる。日本は他の先進国に比べ、AI投資をしやすい環境にあることを認識するべきだろう。
https://jp.reuters.com/article/column-election-idJPKBN1CB157

次に、元大手銀行の銀行員で久留米大学商学部教授の塚崎公義氏が10月13日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「小池新党の「内部留保課税」は設備投資や雇用に全く効果がない」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・突然の解散によって幕を開けた総選挙は、10月10日に公示日を迎え、ついに12日間の選挙戦に入った。東京都の小池百合子都知事が立ち上げた「希望の党」は、「内部留保課税」を公約に掲げる。その影響について、久留米大学の塚崎公義教授が解説する。
・東京都の小池百合子都知事(以下、小池代表)が立ち上げた「希望の党」は、消費税増税を凍結する一方、大企業の内部留保に課税することを検討している。 小池代表は、9月6日に行った公約発表の記者会見でも、「内部留保課税は、貯めに貯められたお金が流動的に動くきっかけになると考えている」と発言。内部留保課税を実施すれば、企業が内部留保を企業内保育園の整備や設備投資、株の配当金などに回すきっかけになると主張した。
・同党のホームページにも、「消費税増税を凍結し消費の冷え込みを回避する一方、300兆円もの大企業の内部留保に課税することにより、配当機会を通じた株式市場の活性化、雇用創出、設備投資増加をもたらす」とある。
・一方、報道によれば、自民党の麻生太郎副総理兼財務相も、内部留保課税に対しては「二重課税である」と批判しつつも、内部留保が積み上がっていることについては「金利のつかない金を貯めて何をするのか。給与や設備投資に回したらどうか」と指摘したようである。
▽内部留保は金庫の中の現金ではない
・しかし、これらはいずれも誤解があるようだ。それでは、まず内部留保とは何なのかから見ていくことにしよう。 企業は、営利活動を営むため、さまざまな資産を保有する。それは工場であったり、部品であったり、海外子会社の株式であったり、銀行預金であったりするが、それらは決算書のバランスシート(貸借対照表)の左側に記載される。
・企業がこうした資産を得るためには資金が必要であり、その資金は株券と引き換えに株主から調達するか、借用証書と引き換えに銀行から借りるのが基本である(支払い期日未到来の仕入れ代金である買掛金などもある)。
・加えて、もう一つの柱として、「利益が出ても株主に配当せず、会社の中に留保しておく」ものがある。これが「内部留保」である。 利益は、全額配当して必要金額を増資する、つまり株券を発行して引き換えに株主から資金を調達するか、追加で銀行から借り入れるという選択肢もあるが、面倒なので配当せずに内部留保しておくという企業は多い。つまり、内部留保というのは、どうやって資金を調達したかを示す「内訳金額」であり、バランスシートの右側に記されているのである。
・トヨタ自動車の2017年3月期の決算(連結決算)を見てみよう。バランスシートの資産は49兆円である。このうち30兆円は負債で調達されており、残りの19兆円は純資産(自己資本、株主資本と呼ばれることもある)として株主から調達されている。 この純資産のほとんどは、内部留保である。トヨタ自動車が過去に巨額の利益を稼ぎ、その一部を配当せずに事業資金として手元に置いておいたものである。
・当然ながら、内部留保は札束として金庫に眠っているわけではなく、工場設備になったり部品の仕入れ代金になったりしている。ちなみに、トヨタ自動車の保有している現金等は2兆円、定期預金は1兆円のみである。少なくともトヨタ自動車は、金利のつかない金を貯め込んでいるのではなく、設備投資等で既に有効に活用しているのである。
▽株主に分配するだけで設備投資には回さない
・大企業は資金調達が容易なので、もうかりそうな設備投資案件があれば実行するし、なければ実行しない。実行すると決めたら、必要な金額だけ調達する。調達方法は、増資か借り入れ、もしくは内部留保である。
・いずれを選択するかは、借入金利なども考慮しながら意思決定が行われることになる。これは、実はビジネススクールで教える重要事項の一つなのであるが、とりあえず今回は、「低金利なので設備投資資金は全額銀行から借りる」「利益の一部を配当し、残りは内部留保する。留保といっても札束を積み上げておくのではなく、借り入れの返済に用いる」としておこう。設備投資資金自体は銀行借入で賄われるが、毎年度末に利益が確定した時点で、一部は内部留保資金で返済するというわけである。
・設備投資額が決まると、資産総額(バランスシートの左側)が決まり、次に内部留保額が決まると純資産額が決まるので、資産総額から純資産額を差し引いた金額が借金の金額となるのである。
・内部留保に課税するとなると、大企業は内部留保を配当として株主に分配するであろう。その分だけ純資産が減るので、負債での調達が増えることになる。もっとも純資産が減って負債が増えると、少額の損失でも債務超過に陥ってしまうリスクが高まるなど企業経営が不安定になるので、場合によっては、「純資産が減りすぎるのを防ぐために内部留保を一部残して納税する」「純資産が減りすぎるのを補うために、借金ではなく増資が行われる」といったこともあろう。
・ただ、それだけである。決して設備投資が増えることはないのである。 将来金利が上昇した場合には、逆に内部留保課税が設備投資を減らす可能性さえある。「金利が高いので、借金して設備投資をしてももうからない」「内部留保課税さえなければ、内部留保を使って設備投資をすることも検討したのに、配当してしまったので使えない」というわけである。
・今回、課税対象は大企業ということだから影響は限定的だろうが、大企業といえども銀行融資が自由に引き出せるとは限らないので、留意が必要である。また、将来、金融の超緩和状態が是正されれば、大企業といえども銀行融資が受けにくくなるかもしれない。
・銀行融資が受けにくい企業にとって、内部留保は設備投資の重要な原資となる。それが課税対象となるならば、「利益を配当せずに内部留保して、設備投資に使おう」と考えていた企業が「利益は課税されないように全額配当しよう。設備投資の原資が足りなくなるので、設備投資はあきらめよう」と考えるかもしれない。  もちろん、非常に儲かりそうな設備投資案件があるならば、「内部留保に課税されても、残った資金で設備投資をしよう」「銀行が貸してくれないなら、新たに増資をしてでも設備投資をしよう」と考えるだろうが、少額の利益しか見込まれない設備投資はあきらめるしかなかろう。
▽雇用は内部留保と無関係で増やすとは考えにくい
・一方、内部留保課税が雇用を増やすことは、設備投資以上に考えにくい。最適な労働者数は、工場規模などが決まれば、内部留保課税とは無関係に決まるはずだからだ。 「内部留保を持っていると課税されてしまうから、無駄な人員を雇って給料として払ってしまおう」などと考える企業があるはずがない。したがって、投資が減れば、当然雇用も減ってしまう。
・従業員の賃上げは、以前ならあり得たかもしれない。「賃金を抑えて利益を上げても、内部留保が課税されるならばかばかしいから、賃金を上げて従業員に還元してしまえ」ということが考えられたからである。しかし、それも今では考えにくい。 かつての日本企業は「従業員の共同体」であり、利益は株主に還元するのではなく、社員に還元するべきだと考えていたからである。内部留保も、「今期の利益を今期の賃金に使うのではなく、工場を増設して大きく儲け、将来の大幅賃上げにつなげよう」と考えていたのである。
・しかし、バブル崩壊後、「グローバルスタンダード」などといった言葉に乗って、「企業は株主が儲けるための道具である」との考え方が浸透すると、利益は従業員にではなく株主に配当されるようになった。 つまり、今の企業はこう考えるのである。 「社員に賃上げしなくても労働者を確保でき、利益も確保できた。後は株主のものである利益を直ちに配当するか、株主のために内部留保するか、という選択だ。内部留保に課税されるなら、利益は内部留保せずに全額配当しよう」
▽配当が増えれば株式市場が活性化するか
・配当が増えれば株式市場が活性化する、と考えている人は多い。確かに、個人投資家が「配当利回りの高い株はお得感がある」と考えているのだとすれば、配当を増やすことで株式投資を増やせるかもしれない。  しかしそれは、毎月分配型投信と同じで「誤解に働きかけて株価を上げる戦略」である。配当すれば株主は現金を受け取ることができるが、企業の価値は配当分だけ減るので、配当してもしなくても株主の利益は原則として影響を受けないからだ。
・プロの投資家からも配当性向を高めるように要求が出されることがある。しかしそれは、企業と株主の利害の相違に基づくものであって、企業のためにならないものである。株主は、企業がリスクをとり、「大儲けするか倒産するか」という賭けに出ることを好む。「株主有限責任」があるため、倒産しても主に損するのは銀行であって、株主の損失は限定的だからである。 株主としては、企業が配当を増やしてその分だけ借金を増やせば、過去に出資した分は配当で回収してしまうことができるため、「今後、企業が儲かれば自分の得、損すれば銀行の損」という気楽な立場に立てるのである。
・しかし、これは企業の倒産確率を高め、日本経済のためにならない。株式市場の活性化と、日本経済の活性化は異なるのである。この点については、後日あらためて詳述する。
▽二重課税ではなく多重課税である
・他方、「内部留保課税は二重課税だ」という批判がある。しかし、二重課税は頻繁に行われているのが実態だ。法人税を支払った後で配当すれば投資家が受け取った配当金に課税させるし、役員報酬として支払われれば役員には所得税が課せられているからだ。
・問題は、配当金課税や役員報酬課税が1度だけである一方、内部留保課税は毎年なので、「二重課税ではなく多重課税だ」ということである。毎年の残高に2%課税されるということは、50年で全額が税として徴収され、企業には何も残らない(厳密にはゼロではなく0.98の50乗だけ残る)ということである。
・「企業もバカではないから、利益を50年間内部留保しておいて税務署に全額を貢ぐことはない」と考える人もいるかもしれないが、将来の銀行借入の金利が2%を上回るようになれば、内部留保は有力な選択肢となるはずだ。実際に多重課税が行われる可能性もあるのである。これも内部留保課税の問題点の一つ、と言ってもいいだろう。
・ちなみに小池代表も、こうした批判を意識してか、9月6日の日本経済新聞のインタビューで、「衆院選公約で掲げた内部留保課税の検討について修正もありうる」との認識を示したという。それも選択肢であろう。
http://diamond.jp/articles/-/145528

第一の記事は、 『企業の内部留保に主要政党の関心が集まるなら、それは日本経済にとって「一歩前進」と考える』、と一応、前向きに評価しつつ、 『確かに設備投資や賃上げに資金を振り向ける企業もあるだろうが、リスクを伴う設備投資を回避し、合法的な資金のシフトをあれこれと検討する企業が多いと予想する。 私の目からは、「課税」は「北風」政策のように見える。「少子高齢化」などを投資しない理由として挙げる企業経営者を「焦らせる」ような環境を作るのが、「太陽」政策になるのではないか』、として政策自体は別の形を提案する。
第二の記事は、内部留保課税を理論的に問題があると否定する。特に、 『二重課税ではなく多重課税である』、というのは、私も気づかなかった点を教えてくれた。全体としても、正論である。
冒頭に述べたように、本日付けの日経新聞では、小池代表が、『「課税にこだわらない」と明言した。「内部留保を世の中に還元することが狙いだ」と説明。消費増税凍結の代替財源として内部留保課税を充てる公約を事実上、修正。 「課税より企業統治指針に従うインセンティブにしたい」と述べ、積極的に投資した企業を優遇することを検討課題とした』、として、第一の記事の提案に近い形に軌道修正したようだ。ただ、希望の党の人気は失速気味なので、この問題は沈静化していくと思われる。
タグ:内部留保課税は毎年なので、「二重課税ではなく多重課税だ」ということである。毎年の残高に2%課税されるということは、50年で全額が税として徴収され、企業には何も残らない 二重課税ではなく多重課税である 配当すれば株主は現金を受け取ることができるが、企業の価値は配当分だけ減るので、配当してもしなくても株主の利益は原則として影響を受けない 配当が増えれば株式市場が活性化するか 雇用は内部留保と無関係で増やすとは考えにくい 決して設備投資が増えることはないのである 純資産が減って負債が増えると、少額の損失でも債務超過に陥ってしまうリスクが高まるなど企業経営が不安定になるので、場合によっては、「純資産が減りすぎるのを防ぐために内部留保を一部残して納税する」「純資産が減りすぎるのを補うために、借金ではなく増資が行われる」といったこともあろう 内部留保に課税するとなると、大企業は内部留保を配当として株主に分配するであろう。その分だけ純資産が減るので、負債での調達が増えることになる 内部留保は札束として金庫に眠っているわけではなく、工場設備になったり部品の仕入れ代金になったりしている 内部留保は金庫の中の現金ではない 小池新党の「内部留保課税」は設備投資や雇用に全く効果がない ダイヤモンド・オンライン 塚崎公義 、「課税」は「北風」政策のように見える。「少子高齢化」などを投資しない理由として挙げる企業経営者を「焦らせる」ような環境を作るのが、「太陽」政策になるのではないか 、リスクを伴う設備投資を回避し、合法的な資金のシフトをあれこれと検討する企業が多いと予想する その間に企業の労働分配率が低下傾向を続け、国内設備投資もかつての景気拡大期のように増加していないことだ 4年超で114兆円の増加 米国や韓国、台湾でも既に実施されている 二重課税になる 麻生太郎財務相 企業がもうかった分は、ある程度投資に回っていると考えている 内部留保の増加自体を問題にするのは、会計学上正しくない 世耕弘成経済産業相 消費税凍結と内部留保の社会還元 希望の党の公約 企業の内部留保に主要政党の関心が集まるなら、それは日本経済にとって「一歩前進」と考える 「コラム:企業内部留保の争点化、日本経済には「一歩前進」」 ロイター 田巻 一彦 (その2)(企業内部留保の争点化、日本経済には「一歩前進」、「内部留保課税」は設備投資や雇用に全く効果がない) 内部留保課税問題
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歴史問題(5)(731部隊の真実、対北朝鮮政策は、「満州事変の教訓」から学べ、ネット右翼の「思想的苗床」となった『戦争論』を再検証する) [国内政治]

歴史問題については、8月18日に取上げたが、今日は、(5)(731部隊の真実、対北朝鮮政策は、「満州事変の教訓」から学べ、ネット右翼の「思想的苗床」となった『戦争論』を再検証する) である。

先ずは、8月13日付けNHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」のポイントを紹介しよう。
・戦時中、旧満州で密かに細菌兵器を開発し実戦で使用した、731部隊。部隊が証拠を徹底的に隠滅、元隊員が固く口を閉ざしたため、その実像を知る手がかりは限られてきた。今回NHKは、終戦直後、旧ソ連で行われたハバロフスク裁判の音声記録を発掘。20時間を越える記録では、部隊中枢メンバーが、国防や国益のためとして細菌兵器を開発した実態、そして旧満州で日本に反発していた中国や旧ソ連の人々を「死刑囚」とし、細菌兵器開発の「実験材料」として扱っていた実態を、克明に語っていた。
・さらに、元隊員の資料や当時の学術界の膨大な記録からは、軍だけでなく学術界からも多くの研究者が部隊に参加していた実態が浮かび上がってきた。満州事変以降、学術界が軍と関係を深めていった過程、そして日本軍が旧満州で反発する人々を死刑にすることについて世論の支持が高まる中で「死刑囚」を研究に活用する動きが相次いでいた実態も明らかになってきた。731部隊はどのようにして生まれ、そして医学者たちは、どう関与していったのか。数百点にのぼる資料をもとに、731部隊設立の謎に迫る。
・731部隊は関東軍防疫給水部として、1936設立、ソ連軍への対抗として細菌兵器を開発。部隊長の石井四郎は、国際条約で使用が禁止されているが、防衛目的の研究は出来るとした。全国の大学から3000人の医学者(助手も含む数字?)ハルピン郊外20Kmに大規模な建物。実験用の囚人(マルタ)を収容する監獄も。
・ハバロフスク軍事裁判の記録・音声テープでは、軍医部長は、細菌兵器をもって攻撃をやるという研究、人体実験を行ったと証言。裁判記録は捏造との批判もあったが、音声テープで正しさが立証。日本に反発する中国人やロシア人を「匪賊」として捕え、逆スパイにならない者を実験材料に。生きたまま実験材料になった人は3000人、生きて監獄から出た人はいない。囚人は丸坊主にされ、杭に繋がれた。
・京大、東大などのエリート医学者が主導。戦友会名簿によれば、医学者の出身は京大11、東大6、慶応6・・・。技師と呼ばれ、将校扱い。チフス菌の研究者、田部井には軍から500万円が支払われていた。京大医学部長の戸田は、軍と結び付くことで多額の研究費をもらい、多くの研究者を送り込む。
・満州国建国で、医師派遣、ポスト争い。「今まで未開であったところの東洋の北部を開く指導者となることは、我々に与えられた一大試金石である」。 731部隊の予算は昭和15年度300億円。石井は京大医学部出身で、戸田の弟子。戸田は部隊を繰り返し視察・講演したが、東大の公式見解では「組織として積極的に係ったとは認識していない」。
・東大総長、長よ又郎も石井と接点があり、部隊を視察。東大であった微生物学会の集合写真には、石井も最前列。 京大の技師、吉村は教授から行けと命令、従わなければ破門と脅され、赴任。人体実験による凍傷の研究に従事、満州の医学会で発表も。田部井は、細菌爆弾を研究から実践使用へ。1回に10人以上の囚人に。杭に括りつけるのと歩かせるの2通り。
・部隊の研究を後押ししたのが、日本国内の世論。中国での日本軍の犠牲も増え、メディアは中国匪賊の暴虐ぶりをPR。世論は軍による処罰を支持。北大での研究発表では、生きたままの匪賊の染色体を研究したもの。染色体は死ぬと質が悪くなるので、生きたままに意味。「民族衛生資料」。「かわいそう」と言うと非国民扱いされるので、言えなかった(助手)。
・1940年代、細菌兵器の実戦使用に踏み切る。3回、都市に散布。民間人にも集落にの水源、井戸にバラ撒く。ペスト菌、コレラ菌、パラチフス菌。饅頭に細菌を入れ、食わせて解放。1945年8月9日、ソ連軍満州侵攻で、全囚人を殺害、焼却。施設は破壊。帰国しても箝口令。米軍は人体実験のデータ提供と引換えに、隊員を免責(現地で捕虜になった者は裁判で処罰)。
・京大医学部長だった戸田は金沢大学長として、医学会の重鎮に。田部井は京大教授、細菌学の権威に。吉村も、京大教授、「非人間的な実験はしていない」と主張。
・今年の日本学術会議では、大学の軍事研究のあり方が議論。「軍事研究=兵器研究ではない。軍事研究はもっと幅の広いものと認識」との意見も。会場では、731部隊が原爆と並んで取上げられた。「科学者が戦争を残酷化してきた歴史があると思います」との意見も。
・いつの間にか人として守る一線を越えていったこの国の姿。 細菌を培養した責任者の軍医 柄沢は、「自分が犯した罪の非常に大なることを自覚しております。始終、懺悔をし後悔しております。私は将来生まれ変わってもし余生がありましたならば、自分の行いました悪事に対しまして、生まれ変わった人間として人類のために尽くしたいと思っております」と裁判で供述、刑に服した後、帰国直前に自殺。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170813

次に、元伊藤忠商事社長・元中国大使の丹羽 宇一郎氏が9月18日付け東洋経済オンラインに寄稿した「対北朝鮮政策は、「満州事変の教訓」から学べ 86年前、なぜ日本は「暴走」したのか」を紹介しよう(▽は小見出し、+は段落)。
・弾道ミサイル発射・核実験を繰り返す北朝鮮。海洋進出を進める中国。日本の安全保障を不安視する声が大きくなっている。このような状況だからこそ知るべき戦争の教訓とは何か。戦争体験者や軍事専門家に話を聞いてまとめた『丹羽宇一郎戦争の大問題』を出版し、中国に精通している、元伊藤忠商事社長、元中国大使の丹羽宇一郎氏が解説する。
▽満州事変は「反中」の原点
・今日、9月18日は86年前(1931年)に「満州事変」が起きた日である。私が大使として中国に駐在したときの印象では、中国人にとっては満州事変よりも「支那事変」の発端となった盧溝橋事件(1937年7月7日)のほうがより強く意識されているようだった。しかし、彼らにとって抗日戦争(日中戦争)とは、満州事変から日本がポツダム宣言を受諾した1945年までの15年間の戦いである。
・満州事変は、日本と中国にとって15年にわたる長い戦争の幕開けだった。満州事変の翌年1月28日に起きた第1次上海事変、1933年3月の日本の国際連盟脱退は、満州事変をきっかけとして生じたことである。  満州国の建国によって、中国の対日ゲリラ攻撃(中国では抗日活動)はさらに頻発するようになる。中国政府との対立は深まり、当時の新聞には、「不法背信暴戻止まるところを知らぬ」と中国の行動を徹底的に非難する文言が躍った。
・昨年亡くなられた元陸軍参謀、三笠宮祟仁親王(1915~2016年)は、「支那事変に対する日本人としての内省」と題された論文の中で、日本人には「日清戦争頃よりの侮華思想」があるとし、日本人が内省すべき点であると指摘している。 当時の日本人は、中国人はわれわれよりも劣っている、劣っている彼らがわれわれに反抗するのは許せないという意識があった。事実、戦前の新聞は満州事変、日中戦争と事態が泥沼化するに従い、紙面に「膺懲(ようちょう)」の文字が躍った。「膺懲」とは実力行使で懲らしめるという意味である。「暴戻なる支那を膺懲すべし」「?政権を膺懲」という具合だ。
・今日風に言えば、「中国はけしからんから、懲らしめてやるべきだ」ということである。こうした論調は、今日でも一部のメディアに見られる傾向ではないだろうか。 拙著『戦争の大問題』の取材でお会いした、元海軍特攻隊員で立命館大学名誉教授の岩井忠熊氏は、「94歳になって、こういう日本の姿を見るとは嘆かわしい。現代の日本社会の様子は戦前の日本に似ている」と述べられ、自国賛美の歴史修正主義的風潮に警鐘を鳴らしている。戦争体験者で、いまの日本社会が戦前に似ていると言う人は多い。
▽ファクトよりフェイクを喜ぶ日本人
・当時の新聞は満州事変を快挙と報じた。独断で軍を満州に進めた朝鮮派遣軍司令官の林銑十郎(1876~1943年)の行動は、統帥権の干犯であったにもかかわらず新聞は「越境将軍」ともてはやした。そのため軍の中央も処分をためらい、林はその後、総理大臣にまで上り詰める。
・当時の新聞は、満州は「日本の生命線」であり、手放すことのできない重要な権益であると喧伝し、満州開拓移民を募り続けた。しかし、そのようにして資金と人を注ぎ込んだ満州の実態はどうであったのか。 「小日本主義」を唱えた石橋湛山(1884~1973年)は、「日本の生命線」の持つ経済的な矛盾を次のように指摘している。 「貿易上の数字で見る限り、米国は、朝鮮、台湾、関東州を合わせたよりも、我に対して、一層大なる経済的利益関係を有し、<中略>米国こそ、インドこそ、英国こそ、我が経済的自立に欠くべからざる国と言わねばならない」
・当時の朝鮮、台湾、関東州(満州)との貿易額は3地域を合わせて9億円弱である。湛山によれば同年のアメリカとの貿易額は14億3800万円、インドは5億8700万円、イギリスは3億3000万円だったという(金額はいずれも当時の金額)。 「我が国の総ての禍根は、しばしば述ぶるが如く、小欲に囚われていることだ。志の小さいことだ。〈中略〉朝鮮や台湾、支那、満州、またはシベリヤ、樺太等の、少しばかりの土地や、財産に目を呉れて、その保護や取り込みに汲々としておる。従って積極的に、世界大に、策動するの余裕がない。卑近の例をもって例えれば王より飛車を可愛がるヘボ将棋だ」
・朝鮮、台湾、満州などは投資が先行するばかりで、リターンの少ない赤字プロジェクトだったのである。それが「日本の生命線」の経済的実態だった。湛山はそれだけでなく、当時の日本が朝鮮、台湾、満州に投資するよりも、まだ日本国内の資本を豊かにすべき段階の国であることも指摘している。
・「資本は牡丹餅で、土地は重箱だ。入れる牡丹餅がなくて、重箱だけを集むるは愚であろう。牡丹餅さえ沢山出来れば、重箱は、隣家から、喜んで貸してくれよう」 つまり、満州経営は当時の日本の身の丈に合っていなかったということだ。しかし、湛山が指摘したこれらの事実に注目した日本人は少なかった。「満蒙は日本の生命線」(松岡洋右、1880~1946年)、「王道楽土」などのスローガンばかりが人口に膾炙(かいしゃ)した。戦前の日本人はファクトに目を向けず、フェイクニュースに踊らされていたのである。
▽満州で終戦を迎えた人々の悲劇
・「しかしてその資本を豊富にする道は、ただ平和主義により、国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩とに注ぐにある」という、石橋湛山の言葉とはまったく逆の道を戦前の日本はたどってしまった。その結果、石油やスクラップなど重要資源の輸入を止められた日本はアメリカとも開戦、第2次世界大戦へ突入し敗戦に至ることになる。
・ソ連に対する緩衝地帯という狙いもあったといわれる満州国は、終戦直前にソ連が参戦するとたちまち崩壊し、開拓民をはじめとする民間人に多くの犠牲者を出した。生きて日本へ帰った人も、満州から引き揚げる途中で塗炭の苦しみを味わった。
・軍人も終戦後ソ連に武装解除された部隊は、ほとんどがシベリアに送られ、極寒の地での過酷な労働によって多くの人々が死亡した。元大蔵省事務次官で衆議院議員だった相沢英之氏はシベリアに抑留され、幸いにも日本に帰って来られたひとりである。 シベリアでは最初の1年が最も死亡率が高い。死因のほとんどは栄養失調だった。同じくシベリアに抑留された元関東軍の工兵だった與田純次さんによれば、シベリア抑留の1年目に3割が栄養失調で死んだという。零下40度のシベリアでは遺体も凍る。死後硬直ではなく、遺体が凍って寝たままの状態でピーンと伸びて固まってしまうのだ。
・結局、満州事変によって建国された満州国は、日本を大戦へ向かわせるきっかけとなり、国際社会に認められないまま日本の敗戦とともに消滅する。 結果を知ったうえで、当時の日本の選択を批判するのは簡単だし、いささか卑怯(ひきょう)な気もするが、日本が大戦に至った経緯と敗戦時に満州に残された人々の苦労を思うと、なぜ日本は石橋湛山が主張するように満州を放棄できなかったのかという思いを抑え切れない。
▽現在に通じる満州事変の3つの教訓
・当時の日本の指導者たちが満州を放棄できなかった理由は3つあると思う。 
・理由1:指導者が現場を知らなかった
+伊藤忠商事に入って間もなく私はニューヨークに駐在した。そのとき役員であった瀬島龍造氏(1911~2007年)から次のようなアドバイスをもらった。 「もし問題が起こったら、すぐに飛行機に乗って現地に行きなさい。おカネなんか気にしなくていい。それで会社から文句を言われるようなら、私に言いなさい」 問題は現場で起こり、解決策もまた現場にある。「すべては現場に宿る」のである。遠い日本から満州の実情を聞いていても、正しい判断はできない。
+こういうと、満州国の中枢には日本人が多くいたし、関東軍も現地にいたのだから、現地を見ていなかったということはないではないかという異論があろう。しかし、国の政策を決定するのは日本国内の指導者たちである。彼らの耳には、現地の担当者からの報告しか入らない。
+私は経験的にいって、不良資産や赤字などの悪い話は実際の3分の1程度しか現場からは上がってこないと見ている。トップ自らが現場へ足を運び、「最後は私が責任を持つから、すべて出しなさい」と働きかけて、初めて全容がつかめるのだ。
+トップが何の働きかけもしなければ、現場は7割の悪い話は隠そうとする。むろん、隠そうとする現場に非があるのは間違いないが、隠させるトップにも非はある。 部下に隠しごとをさせるトップは、人に対する理解が足りないのだ。現場の人の気持ちがわからないということも、現場を知らないということである。当時の日本政府の中枢にいた指導者たちが、どこまで満州の実情を知っていたのか、大いに疑問である。
・理由2:覚悟と勇気が足りなかった
+一度始めた大型プロジェクトはなかなかやめられない。中止すれば、やめたトップの責任のみならず、プロジェクトの実行を決めたときのトップにも責任が及ぶ。責任を取るには覚悟と勇気がいる。私も伊藤忠商事の社長時代に、3950億円もの不良資産を処理したときには、もし、この結果、会社が倒産することになったら、私は一生後ろ指を指され続けることになると思ったものだ。 また、プロジェクトを中止すれば担当者からは強い抵抗を受ける。満州国にあっては、担当者は武装した関東軍である。政府中枢の要人といえども、場合によっては命にかかわるかもしれない。
+当時の日本の指導者たちに、並々ならぬ覚悟と勇気が求められたことは火を見るよりも明らかである。しかし、310万人ともいわれる死者を出した戦争のことを考えると、このとき国の指導者により強い覚悟と勇気があればと思わざるをえない。
・理由3:自らつくった世論に押し流された
+先述したように満州事変は快挙であり、満州は日本の生命線であると新聞は報じ、国民はそれに歓喜した。軍も政府も、そうした世論を半ば追認し、半ば自らあおって対外政策を進めてきた。 満州国の実態については、ファクトを隠し、夢のある話や景気のよいスローガンばかりを流して世論をつくり、国民をリードしてきた手前、いまさら満州国は赤字で手放したほうが国際社会との関係も改善できるとは言えなくなっていたのだ。
+国内には満州経営の不合理を見抜く識者もいた。当時の政府中枢周辺にも、湛山のような忠告をしてくれる人はいたはずである。しかし、そうした識者の意見は世論の勢いにかき消され、政策に反映されることはなかった。 世論をつくり、世論によって政治を進める手法は今日でも見られる。われわれは世論調査の支持率に目を向けるばかりでなく、世論調査の背景や世論の行き着く先についても注意を払うべきである。世論とは、一方で危ういものであるということも満州事変の教訓といえる。
▽力対力で解決しようとすれば必ず戦争になる
・先述したとおり、戦争体験者が日本の現状を危惧する背景には、形は違えど北朝鮮に対する日本や中国の対応が戦前を彷彿とさせるからだろう。 北朝鮮のミサイルと核は由々しき問題であるが、『戦争の大問題』で述べているように、問題を力対力で解決しようとすれば必ず戦争になる。それが先の大戦を体験した先人たちが、身をもってわれわれに教えてくれたことだ。
・北朝鮮に対しては圧力と制裁をもって臨むべきという意見が多い。かつて「対話と圧力」と言っていた人物まで、対話を忘れたかのように圧力と制裁が必要と繰り返している。確かに弾道ミサイルと核実験を繰り返す北朝鮮相手には、対話は手ぬるいように思えることもある。北朝鮮は周辺国に対して挑発的な態度を取り続け、対話のムードはみじんもない。われわれは、北朝鮮は言葉で言ってわかるような相手ではないと見限りがちだ。
・しかし、そもそも利害の対立する両国で、初めから意見が一致しているはずがない。言ってわからない相手は、力で懲らしめるというのでは、満州事変から日中戦争へと進んでいったときの日本人の意識にほかならない。意見の違いを乗り越え、妥協点を見いだすのが対話の目的である。初めから言ってわからない相手と見下していては、対話は成り立たない。
・お互いが相手を物わかりの悪い、話にならない国民と見下して、対話のための努力を放棄したのは戦前の姿そのものである。世論もそれに同調した。戦前の新聞紙面に躍った「不法背信暴戻止まるところを知らぬ」の文言や「膺懲」という文字は今日の新聞にはないが、論調はどこか似通っている。
・私は、仮にも2500万人の国民を率いるリーダーが、対話もできないような野蛮人ということはありえないと思っている。対話する余地があるのに相手に“力”をかけ、窮鼠(きゅうそ)に追い込み対話を放棄することは、とても危険なことである。
・日本は戦前の轍を踏んではならない。力対力は決して選んではいけない。日本人は、なぜ戦争が起こるのか、なぜ戦争を終わらせることが難しいのか、満州事変から終戦までの歴史をもう一度振り返る必要がある。それが、86年前に満州事変が起きた今日9月18日に、私が言いたいことである。
http://toyokeizai.net/articles/-/188321

第三に、文筆家の古谷 経衡氏が10月3日付け現代ビジネスに寄稿した「ネット右翼の「思想的苗床」となった『戦争論』を再検証する ネット右翼十五年史(3)1998年夏」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽『戦争論』とデジタル時代の黎明
・ここに一冊の漫画本がある。 初版は1998年6月。漫画家・小林よしのりによる『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(小学館)略して『戦争論』である。 当時、私は高校一年生になりたてであった。私も、そして少し政治や社会や歴史に関心のある学友は、みなこの『戦争論』と同『ゴー宣』シリーズを貪るように回し読みしたものである。 私は当時、19世紀プロイセンの将校クラウゼヴィッツの書いた同名書があることも知らない無垢の少年であった。
・結果、『戦争論』は総発行部数90万部を突破して記録的なベストセラーとなった。漫画本とはいえ総頁数381という広辞苑なみの分厚さの本を読破した、というのが、当時の「亜インテリ少年」たちにとってある種の勲章となった。
・まだインターネットが広範に普及する前のこの90年代末期、いや正確には、ネット接続は「iモード」を筆頭とした移動体通信によるものが若年層の中で定着していたこの時期にあって、各家庭にあるパソコンからのネット接続環境は劣悪であった。 アナログ回線の速度は理論値で56kbps。自宅が基地局から遠ざかれば遠ざかるほどこの速度は減衰した。まだしもマシだったのは、当時NTTが全世帯に普及させようとしていたデジタル回線であるISDN。これが64kbpsで、さらに午後11時から翌朝にかけて通話料が廉価で定額になる「テレホーダイ」が勃興する。
・IT(2000年に総理大臣となった森喜朗は「イット」と発音した)に長けたものは、さっそく親に頼み込んでこのISDN+「テレホーダイ」でネットサーフィンを楽しむ、というのが最先端を行く若者のネット接続環境であった。 それでも、クラスを見渡しても、そうした「恵まれた」ネット環境を有する高校生は40人中、2人いればよいほうである。そんな時代だった。
・この時代は、まだ当然「ネット右翼」などという言葉は存在せず、若年層で主流だった移動体通信からのネット接続は情報量の少ないテキスト主体のサイト(「魔法のiらんど」など)や、メールに限局されていた。映像記録の主流はVHSであった。そうしたアナログ時代の終末期に颯爽と登場したのが小林の『戦争論』である。
▽土台としての「架空戦記」もの
・クラウゼヴィッツの同名書を知らなかった無垢の私とて、やおら直情的に『戦争論』を読んで天啓を受け、保守思想に目覚めたわけではない。その前史として、1980年代後半から世紀を跨ぐまで、この国では「架空戦記」が密かなブームとなっていたことを指摘せねばなるまい。
・「架空戦記」とは、先の大戦に「歴史のif」要素を加味するSF小説や漫画のことで、その筋書きは「敗北するはずの日本海軍が連合軍に快勝する」というモノがほとんどである。代表としては檜山良昭の『大逆転! 幻の超重爆撃機富嶽』シリーズ。遅れて荒巻義雄の『紺碧の艦隊』『旭日の艦隊』(艦隊シリーズ)が一世を風靡し、後者はアニメ化までされて若年層にも頒布された。
・私は、90年代の中盤に、このような「負けたはず」の日本軍が痛快無比に米軍を屠る(米西海岸を占領したり、マッカーサーを爆殺したり、ヨーロッパの連合軍を日本軍が爆撃する)戦記SFが大好きな少年であった。 むろんこの時期、架空戦記ブームに対しては内外から批判の声があった。戦勝国であるアメリカの識者から、「過去の歴史を直視せず、第二次大戦の結果を無視するものだ」という苦言が呈せられた、という新聞報道もあったほどである。しかし概ね、この架空戦記はSFという一分野の中で消費され、現在のように「歴史修正主義」などという汚名を着せられることはそれほどなかった。
・特に荒巻義雄の『艦隊』シリーズは、ラバウル上空で死んだはずの山本五十六元帥が転生し「高野五十六」として「後世世界」で歴史をやり直す、という荒唐無稽な筋書きだったため、多くのファンを生んだ半面、取るに足らないSFとして看過された面もあった。しかもその内容は、「日本が枢軸から脱却してヒトラーと対決し、迫害されていたユダヤ人を解放する」というモノで、あくまで日本の国策の過ちを「連合国側史観を元に修正する」というストーリーであった。
・『宇宙戦艦ヤマト』で仇敵であるガミラス帝国がナチス風に描かれたり、『機動戦士ガンダム』でも敵方のジオン公国の政体がナチスを彷彿とさせる選民(コロニー)国家であったり、といった世界設定を見ても明瞭なように、戦後日本で流行した「架空戦記」の特徴は、あくまで「先の戦争で日本が掲げた大義=アジアの解放および大東亜共栄圏の建設」は「間違ったもの」そして「間違った事を前提としてやり直すべきもの」として、「二度と同じ轍は踏まぬ」反省の材料とされていることだ。
・こうした作品の中では、史実における日本の同盟国・ドイツは常に敵役として何らかのデフォルメが加えられて登場し、より合理的で民主的な日本軍が、戦後民主主義的な考え方の下、歴史をやり直すという一貫した世界観が存在していた。
▽今、読み返してみると…
・当時、「日本の戦争大義は正しかった」などとは、口が裂けても言い出せない時代状況であった。1993年の河野談話。続いて1995年村山談話発表。1994年の細川政権瓦解を受けて急遽発足した羽田孜内閣において、法務大臣を務めた永野茂門は、毎日新聞の記者に対し「南京大虐殺はでっち上げだと思う」と発言したことを契機に、法相を事実上罷免された。この発言は当時の日本社会で大問題に発展した。
・「日本の戦争大義は正しかった」とか、「過去の日本軍の行いにも良い面はあった」などという思想の開陳は、かろうじて「合理的で民主的な日本軍が活躍するSF=架空戦記」という表現空間においてのみ許されていた時代だったのである。
・そんな架空戦記の薫陶を受けていたいっぷう風変わりな少年たる私は、SFや架空といった迂遠な枕詞を置かず、正面から「日本の戦争大義は正しかった」と漫画の中で主張するくだんの『戦争論』に良い意味で衝撃を受けたクチであった。 当時高校1年生であった私は、小学館編集部(小林)あてに個人的にファンレターすら書いたほどであった(その後、十数年を経て私は直接小林にこの事実を告げたが、当然小林が手紙を読んで居るはずもなかった)。
・しかし小林の『戦争論』刊行から20年弱が過ぎ、改めて同書を再読してみると、当時の私、即ち高校生の私に「良い意味での精神的ショック」を与えた同書の内容は、すでに当時の保守論壇で使い古されていた陳腐な歴史観の漫画化に過ぎない、という厳然たる事実を認めざるを得ない。 小林の『戦争論』の末尾には、「引用・参考文献一覧」の頁がある。本編のみを貪り読んで居た高校生の私は、当時この一覧には目もくれないでいた。だがこの部分にこそ、その後に世紀を跨ぎネット右翼が勃興する黎明期、まさしくネット右翼「予備軍」たる有形無形の(丸山真男曰く、「日本型ファシズム」を支えた中間階級第一類である)「亜インテリ」の思想的苗床となった、土壌のようなものが見えてくる。
・この『戦争論』の背景にある、いや『戦争論』の「元ネタ」と呼んで差し支えないであろう「保守本」こそが、地下茎のように菌糸が縦走する腐海の森のごとく、現在に至るネット右翼の常識を形成したことを考えると、慄然とするのである。
▽保守サロンの「定型文」を漫画化した
・『戦争論』の元ネタとなった「保守本」とはいったい何なのであろうか。 それは同書の「引用・参考文献一覧」の中で、ひときわ目を引く「保守言論界の大物」による著作である。上智大学教授で保守言論界の重鎮中の重鎮とされた、渡部昇一著『かくて昭和史は甦る――人種差別の世界を叩き潰した日本』(クレスト選書、初版は1995年5月。文庫版が『かくて昭和史は甦る 教科書が教えなかった真実』として、2015年にPHP研究所から出版)だ。
・改めて冷静な視点で両書を読み比べると、小林の『戦争論』は、ほとんどすべてこの渡部昇一の『かくて昭和史は甦る』を下敷きにしていると明瞭に判断できる。つまり『戦争論』の元ネタの大部分を同書が占めているのである。 いや、むしろ小林の名誉のために書くならば、1990年代当時の「保守界隈」に、もっと言えば戦後の右翼・保守全般に満ち満ちていた先の戦争に対する「歴史観」を、権威ある学者である渡部が1995年、『かくて昭和史は甦る』にまとめたに過ぎない、と言うこともできる。
・だから小林の『戦争論』には、当時、産経新聞や雑誌『正論』とその周辺だけに自閉していた「保守というサロン」の中の空気を、初めて漫画化した作品であるという評価を与えなければならない。しかし読者の側は、産経新聞はおろか(当時、私の住む北海道では産経新聞の購読はエリア外につきほぼ不可能であった)『正論』の存在も、その名称が朧げに頭の中にあるだけだった。
・産経新聞と雑誌『正論』の読者が支える戦後の保守層は、既にこの時から高齢化し、相互の連絡は集会か封書という古典的手段によってのみ維持されていた。それゆえ、インターネット社会の到来前、彼らの世界観は彼ら「保守」というサロンの中にのみ共有されていた「ジャーゴン」(組織内言語)であった。
・小林の『戦争論』が画期的だったのは、『かくて昭和史は甦る』にみられるような「保守」に蔓延する、あの戦争に対する「知られざる違和感」を初めてそのサロンの外に、しかも漫画という若年層に親しみやすい媒体で喧伝した点であった。つまり小林の『戦争論』は、自閉的な当時の「保守」というサロンのジャーゴンを、分かりやすく部外者に伝達する漫画版のパンフレットのようなものであったといえる。 しかし、当時の私のような無垢で未熟な若年層読者には、『戦争論』の中身がとうに使い古された「保守」のジャーゴンである、という認識は無い。ここに、後年のネット右翼興隆に繋がる悲劇の一端がある。
▽ゴー宣の「ネタ本」を検証しよう
・話を元に戻そう。小林の『戦争論』の大きな元ネタともいえる渡部の『かくて昭和史は甦る』において、あの戦争への歴史的評価は、大別すると概ね次の9項目のようになる。 この「渡部昇一史観」ともいうべき歴史観を、簡潔に点検していこう。一部順不同となるが、ご容赦願いたい。
・(リンク先には本の目次の画像) 渡部昇一史観の核となっているのは、まず第一に(1)「第一次大戦の講和条約(パリ講和会議)において、日本側から提出された人種差別撤廃条約が、アングロサクソン(白人)の西欧列強によって拒絶された」という人種対立である。 このテーゼは小林の『戦争論』でも繰り返し登場し、のちの「大東亜共栄圏」の正当化にもつながる大義名分として描かれている。「有色人種唯一の工業国」たる明治国家・日本の面目躍如という歴史の1ページとしてだ。小林の『戦争論』は、渡部のこの指摘から引用しているためか、どうしても「白人vs.有色人種(日本)」という図式を、第二次大戦前の時代の国際潮流から導き出しがちである。
・では、この指摘はどれほど妥当性のあるものなのだろうか。 まず、パリ講和会議後に人種差別撤廃提案が日本から国連(国際連盟)に提出されたのは事実だが、この提案に植民地大国のフランス、そしてリビアやイタリア領ソマリランドを領有していたイタリアが賛成票を投じていた事実は、両書では一切言及されていない。 そもそもこの提案がなされた当時、日本は同じ有色人種の住む台湾(日清戦争勝利の結果)、および朝鮮(日露戦争勝利の結果)を植民地支配していた。片手で人種差別撤廃をうたいながら、片手で同じアジア人種を植民地にしていたという明治国家の二枚舌の矛盾を、渡部は一切説明していない。
・さすがにこれでは分が悪いと思ったのか、渡部は(6)日本の朝鮮統治は良かった論を述べて、決して日本は同じアジアの民から搾取したのではない――という理屈を展開する。つまり、1910年の朝鮮併合から始まり、1945年の終戦による朝鮮半島の「解放」まで都合35年間、日本は慈悲の心でもって朝鮮を統治したのであり、それは民族差別でも植民地的搾取でもなかった、として(1)を補強しているのである。
▽「日本の植民地はいい植民地」理論
・しかし、渡部は明治日本国家の帝国主義的傾向と、植民地支配から日本が得た利益には一切言及していない。日清戦争によって清国から割譲せしめた台湾島と澎湖諸島は、明治国家にとってはじめての対外植民地(樟脳、サトウキビ、コメ類等)とされ、植民地統治開始から7年の投資でその経営は黒字になり、台湾銀行は本国日本へ植民地経営の余剰金を送金している。明治国家にとって台湾支配は「金のなる木」であった。
・朝鮮については、確かに持ち出しの方が大きかったものの、その後同地は大陸への進出(満州事変)への重要な軍事的橋頭堡として機能したのだから、単純に植民地からの収奪の多寡を以て善政・悪政を判断するのは論外である。
・さらに言えば、20世紀のこの時代、西欧列強の植民地はほとんどが持ち出し方の赤字経営である。アメリカの実質的な植民地であったフィリピンは、アメリカから民主主義と(制限的ではあるが)自治権を与えられ、スペイン統治時代(米西戦争の1898年まで)とは比較にならぬほどインフラ整備が進んだ。 当時のフィリピンでは、反米抗争が徹底した武力で取り締まられる一方、学校、教会、道路、鉄道、病院、電信電話網等が整備された。第二次大戦前には東南アジア随一の栄華を誇るマニラへ、その賃金の高さを当て込んで日本からの出稼ぎ労働者や娼婦(からゆきさん)が殺到したというほどである。
・それと引き換えに、アメリカはルソン島を極東におけるアメリカ進出の前衛とするべく、コレヒドールやバターン半島を要塞化し、ルソン島中部のクラークフィールドには一大空港を建設して、来るべき対日戦や中国進出の橋頭堡確保に勤しんだ。支配する側が経済的に損をしていれば植民地経営も許されるというならば、多くの西欧列強もまた、その免罪の対象になるであろう。
・渡部昇一史観によると、損得勘定で損をした植民地というのは植民地ではなく、朝鮮半島の支配も大義(内鮮一体=朝鮮半島を日本本土と一体化しようという朝鮮総督のスローガン)ある善政であり植民地支配ではない、というのだから罪深い。 その理屈なら、日本側が黒字なら植民地ということになり、台湾は植民地ということになるが、どうもネット右翼はこうした不都合な事実についてはだんまりを決め込んでいる。
・小林はくだんの『戦争論』において、「わしらも誇りにしようじゃないか 差別主義者の白人と戦った祖父を持つことを!」(P.150)と意気揚々と結んでいるが、何のことはない当時の日本も、同じアジア人種たる台湾から搾取し、朝鮮半島を土足で統治し、同じアジア人種たる中国大陸を侵略していた差別主義国家なのであった。
・現在でも、多くのネット右翼が「日本の朝鮮統治にあっては、日本側の持ち出しの方が多く赤字だったのだから、現在の韓国人はそれに感謝していない忘恩の匪賊」という固定観念を叫ぶ。彼らの世界観を遡れば、こうした「渡部史観」に直結しているのではないか。 渡部史観とは、まさにのちのネット右翼の思想的源流というべき歴史観であり、小林が『戦争論』によって、この渡部史観をはじめて漫画化したのである。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52990

第一の731部隊の真実は、 『ハバロフスク裁判の音声記録・・・元隊員の資料や当時の学術界の膨大な記録』、などを基にしただけに、ずっしりと重いが非常に価値のあるドキュメンタリーであった。 『全国の大学から3000人の医学者(助手も含む数字?)』が参加したが、 『米軍は人体実験のデータ提供と引換えに、隊員を免責(現地で捕虜になった者は裁判で処罰)』、というのは戦争の裏面ではあり得る話だ。 『京大医学部長だった戸田は金沢大学長として、医学会の重鎮に。田部井は京大教授、細菌学の権威に』、というのは、確かに人体実験をしたのだから、学問的にも権威になったのだろう。他方で、 『細菌を培養した責任者の軍医 柄沢は、・・刑に服した後、帰国直前に自殺』、という良心的な人間も例外的にいたというのが、僅かながら救いになる。
第二の記事で、 『元陸軍参謀、三笠宮祟仁親王は、「支那事変に対する日本人としての内省」と題された論文の中で、日本人には「日清戦争頃よりの侮華思想」があるとし、日本人が内省すべき点であると指摘』、 『元海軍特攻隊員で立命館大学名誉教授の岩井忠熊氏は、「94歳になって、こういう日本の姿を見るとは嘆かわしい。現代の日本社会の様子は戦前の日本に似ている」と述べられ、自国賛美の歴史修正主義的風潮に警鐘を鳴らしている』、 『自らつくった世論に押し流された・・・国内には満州経営の不合理を見抜く識者もいた。当時の政府中枢周辺にも、湛山のような忠告をしてくれる人はいたはずである。しかし、そうした識者の意見は世論の勢いにかき消され、政策に反映されることはなかった。 世論をつくり、世論によって政治を進める手法は今日でも見られる。われわれは世論調査の支持率に目を向けるばかりでなく、世論調査の背景や世論の行き着く先についても注意を払うべきである。世論とは、一方で危ういものであるということも満州事変の教訓といえる』、 『日本は戦前の轍を踏んではならない。力対力は決して選んではいけない。日本人は、なぜ戦争が起こるのか、なぜ戦争を終わらせることが難しいのか、満州事変から終戦までの歴史をもう一度振り返る必要がある』、などの指摘は大いに心に留めるべきであろう。
第三の記事では、ネット右翼に大きな影響を与えた 小林の『戦争論』、さらにその大きな元ネタともいえる渡部昇一の『かくて昭和史は甦る』を紹介した上で、渡部昇一史観を痛烈に批判している。ただ、筆者の古谷氏が、小林の『戦争論』から大きな影響を受けながら、どのようにそれと決別するに至ったのか、について触れないのは残念な気がする。今後、この続編も適宜取上げていけば、その答えが出てくるかも知れないので、それに期待したい。
タグ:元陸軍参謀、三笠宮祟仁親王(1915~2016年)は、「支那事変に対する日本人としての内省」と題された論文の中で、日本人には「日清戦争頃よりの侮華思想」があるとし、日本人が内省すべき点であると指摘 総発行部数90万部を突破して記録的なベストセラー 漫画家・小林よしのりによる『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 ネット右翼の「思想的苗床」となった『戦争論』を再検証する ネット右翼十五年史(3)1998年夏 紙面に「膺懲(ようちょう)」の文字が躍った 部昇一史観によると、損得勘定で損をした植民地というのは植民地ではなく、朝鮮半島の支配も大義(内鮮一体=朝鮮半島を日本本土と一体化しようという朝鮮総督のスローガン)ある善政であり植民地支配ではない、というのだから罪深い 日本の朝鮮統治は良かった論 日本の植民地はいい植民地」理論 第一次大戦の講和条約(パリ講和会議)において、日本側から提出された人種差別撤廃条約が、アングロサクソン(白人)の西欧列強によって拒絶された」という人種対立 渡部昇一史観 小林の『戦争論』は、自閉的な当時の「保守」というサロンのジャーゴンを、分かりやすく部外者に伝達する漫画版のパンフレットのようなものであったといえる 小林の『戦争論』には、当時、産経新聞や雑誌『正論』とその周辺だけに自閉していた「保守というサロン」の中の空気を、初めて漫画化した作品であるという評価を与えなければならない 小林の『戦争論』は、ほとんどすべてこの渡部昇一の『かくて昭和史は甦る』を下敷きにしていると明瞭に判断できる すでに当時の保守論壇で使い古されていた陳腐な歴史観の漫画化に過ぎない、という厳然たる事実を認めざるを得ない 大逆転! 幻の超重爆撃機富嶽 土台としての「架空戦記」もの 読破した、というのが、当時の「亜インテリ少年」たちにとってある種の勲章となった 現代ビジネス 古谷 経衡 日本人は、なぜ戦争が起こるのか、なぜ戦争を終わらせることが難しいのか、満州事変から終戦までの歴史をもう一度振り返る必要がある 力対力で解決しようとすれば必ず戦争になる 世論をつくり、世論によって政治を進める手法は今日でも見られる。われわれは世論調査の支持率に目を向けるばかりでなく、世論調査の背景や世論の行き着く先についても注意を払うべきである。世論とは、一方で危ういものであるということも満州事変の教訓 満州国の実態については、ファクトを隠し、夢のある話や景気のよいスローガンばかりを流して世論をつくり、国民をリードしてきた手前、いまさら満州国は赤字で手放したほうが国際社会との関係も改善できるとは言えなくなっていたのだ 軍も政府も、そうした世論を半ば追認し、半ば自らあおって対外政策を進めてきた 理由3:自らつくった世論に押し流された 理由2:覚悟と勇気が足りなかった 理由1:指導者が現場を知らなかった 満州事変の3つの教訓 満州で終戦を迎えた人々の悲劇 戦前の日本人はファクトに目を向けず、フェイクニュースに踊らされていたのである 満蒙は日本の生命線 我が国の総ての禍根は、しばしば述ぶるが如く、小欲に囚われていることだ。志の小さいことだ。〈中略〉朝鮮や台湾、支那、満州、またはシベリヤ、樺太等の、少しばかりの土地や、財産に目を呉れて、その保護や取り込みに汲々としておる。従って積極的に、世界大に、策動するの余裕がない。卑近の例をもって例えれば王より飛車を可愛がるヘボ将棋だ 貿易上の数字で見る限り、米国は、朝鮮、台湾、関東州を合わせたよりも、我に対して、一層大なる経済的利益関係を有し、<中略>米国こそ、インドこそ、英国こそ、我が経済的自立に欠くべからざる国と言わねばならない 「小日本主義」を唱えた石橋湛山(1884~1973年)は、「日本の生命線」の持つ経済的な矛盾を次のように指摘 ファクトよりフェイクを喜ぶ日本人 、「中国はけしからんから、懲らしめてやるべきだ」ということである 戦争の大問題 こうした論調は、今日でも一部のメディアに見られる傾向ではないだろうか 当時の日本人は、中国人はわれわれよりも劣っている、劣っている彼らがわれわれに反抗するのは許せないという意識があった 満州事変は「反中」の原点 丹羽宇一郎戦争の大問題 対北朝鮮政策は、「満州事変の教訓」から学べ 86年前、なぜ日本は「暴走」したのか 湛山はそれだけでなく、当時の日本が朝鮮、台湾、満州に投資するよりも、まだ日本国内の資本を豊かにすべき段階の国であることも指摘 正面から「日本の戦争大義は正しかった」と漫画の中で主張するくだんの『戦争論』に良い意味で衝撃を受けたクチ 東洋経済オンライン 丹羽 宇一郎 刑に服した後、帰国直前に自殺 細菌を培養した責任者の軍医 柄沢 大学の軍事研究のあり方が議論 日本学術会議 田部井は京大教授、細菌学の権威に 京大医学部長だった戸田は金沢大学長として、医学会の重鎮に 米軍は人体実験のデータ提供と引換えに、隊員を免責(現地で捕虜になった者は裁判で処罰)。 帰国しても箝口令 ソ連軍満州侵攻で、全囚人を殺害、焼却。施設は破壊 1940年代、細菌兵器の実戦使用に踏み切る 世論は軍による処罰を支持 中国での日本軍の犠牲も増え、メディアは中国匪賊の暴虐ぶりをPR 1936設立 細菌兵器を開発 全国の大学から3000人の医学者(助手も含む数字?) 日本に反発する中国人やロシア人を「匪賊」として捕え、逆スパイにならない者を実験材料に 関東軍防疫給水部 学術界からも多くの研究者が部隊に参加していた実態 満州で日本に反発していた中国や旧ソ連の人々を「死刑囚」とし、細菌兵器開発の「実験材料」として扱っていた実態を、克明に語っていた 部隊中枢メンバーが、国防や国益のためとして細菌兵器を開発した実態 ハバロフスク裁判の音声記録を発掘 部隊が証拠を徹底的に隠滅、元隊員が固く口を閉ざした 731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~ NHKスペシャル (5)(731部隊の真実、対北朝鮮政策は、「満州事変の教訓」から学べ、ネット右翼の「思想的苗床」となった『戦争論』を再検証する) 歴史問題 「日本の生命線」の経済的実態 京大医学部長の戸田は、軍と結び付くことで多額の研究費をもらい、多くの研究者を送り込む ・京大、東大などのエリート医学者が主導 少し政治や社会や歴史に関心のある学友は、みなこの『戦争論』と同『ゴー宣』シリーズを貪るように回し読みしたものである 王道楽土 元海軍特攻隊員で立命館大学名誉教授の岩井忠熊氏は、「94歳になって、こういう日本の姿を見るとは嘆かわしい。現代の日本社会の様子は戦前の日本に似ている」と述べられ、自国賛美の歴史修正主義的風潮に警鐘を鳴らしている 満州を放棄できなかった理由 朝鮮、台湾、満州などは投資が先行するばかりで、リターンの少ない赤字プロジェクト 旭日の艦隊 小林の『戦争論』の大きな元ネタともいえる渡部の『かくて昭和史は甦る』
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アベノミクス(その25)(完全雇用なのに賃金が伸びない理由、「消費増税で教育無償化」の本末転倒、働く人を貧しくしたアベノミクスが総選挙で争われない理由) [経済政策]

アベノミクスについては、8月23日に取上げた。今回の総選挙では、さすがに殆どこれをPRしてないようだが、今日は、(その25)(完全雇用なのに賃金が伸びない理由、「消費増税で教育無償化」の本末転倒、働く人を貧しくしたアベノミクスが総選挙で争われない理由) を取上げよう。

先ずは、クレディ・アグリコル証券チーフエコノミストの森田京平氏が9月6日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「アベノミクスで完全雇用なのに賃金が伸びない理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・しばしばアベノミクスについては、雇用を改善させたことが成果とされてきた。本当にそうだろうか。確かに一部の業種では人手不足が問題になり、雇用統計は完全雇用に近いが、賃金は伸びていない。まずはアベノミクス下の労働市場で何が起きているかを見極めることが重要だ。その際の焦点は労働生産性である。労働生産性が上がれば、企業にとって賃金を上げやすくなるからだ。
▽労働生産性の伸びを伴わない雇用増では賃金は伸びない
・雇用増と賃金の伸びの関係はどうなっているのかを見てみよう。 企業にとって、賃金を上げることがメリットと認識されれば、放っておいても賃金は上がるはずだ。ところが賃金の上昇ペースは鈍い。実際、失業率(ここでは構造的な失業を除いた循環的失業を用いる)の水準に対応する賃金の上昇率はアベノミクスの前と比べると、後の方が明らかに低い(図表1参照)。
・なぜならば、労働生産性を念頭に置いたとき、雇用の増え方には2通りあることにを留意する必要があるからだ(図表2参照)。 1つ目が、経済成長あるいは景気回復を背景とする雇用の増加である。 この場合は、実質GDP(国民総生産)、つまり経済活動で生み出される付加価値自体が増える中での雇用増であるため、労働生産性の改善を伴いやすい。
・2つ目が、経済の軸が労働集約的な産業(例えば非製造業)に移る場合だ。 この場合は、一定のGDPを創出する上で必要となる労働量が増えるため、GDPが増えていなくても雇用は増える。ただし、GDPの伸びを伴わないため、一定の雇用量が生み出すGDP、すなわち労働生産性は伸びない。
・結局、雇用の増え方には、(1)経済成長を背景とする雇用の増加(=労働生産性の改善を伴いやすい雇用の増加)、(2)労働集約的な産業へのシフトを背景とする雇用の増加(=労働生産性の改善を伴いにくい雇用の増加)、という2通りがある。
▽アベノミクス下で伸び悩む労働生産性 雇用が増えたのは労働集約型産業
・このように整理した時、アベノミクス下の雇用の増加はどちらのタイプだろうか。 労働生産性を就業者1人当たりの実質GDPと定義すると、アベノミクスが始まった2012年末以降、労働生産性の伸びがピタリと止まっていることが分かる(図表3参照)。
・ここから、アベノミクス下の雇用の増加が2つ目のタイプ、つまり産業構造の軸が非製造業など労働集約的な産業に移ったことを背景とする、労働生産性の改善を伴いにくい雇用の増加だと、分析できる。 経済成長を裏付けとする第1のタイプとは異なるわけだ。
・これほどまでに労働生産性の伸びが欠けている中では、企業にとってベースアップという形で固定費を増やすことのハードルは依然、高いということだろう。これが雇用と賃金の関係、つまり「賃金版フィリップス曲線」(前出図表1)の形状や切片(y軸切片)の位置を変えたと考えられる。
・アベノミクス下での雇用の増加が、非製造業という労働集約的な産業への軸足のシフトを背景としたものだとすれば、そもそも賃金の伸びを失業率の改善などをもとに考えること自体に疑問が生じる。 なぜならば、非製造業の雇用形態は実に多様であり、「就業」(employment)と「失業」(unemployment:就業を希望しながらも就業できていない状態)という単純な二分法では、賃金の増勢を推し量ることはできなくなるからだ。
・雇用の軸が非製造業に移り、就業形態が多様化する中では、むしろ就業と失業の間にある「不完全雇用」(underemployment:正社員を希望しながらもパートでの就業を余儀なくされるなど、希望する形での就業に至っていない状態)が賃金の趨勢を見極める上でも重要性を増す。
▽宿泊・飲食サービス業で働く人は400万人か、480万人か?
・就業形態の多様化が顕著に進んでいる業種の一例として、「宿泊・飲食サービス業」に注目してみよう。  業種ごとの就業者数を捉える際、総務省『労働力調査』あるいは厚労省『毎月勤労統計』がしばしば参照される。 そこで、これら2つの統計を用いて宿泊・飲食サービス業の就業者数を捉えると、実に不思議な現象が浮かび上がる。
・総務省『労働力調査』によると、2010年頃に400万人弱であった宿泊・飲食サービス業の就業者数は、足元でもほぼ同水準にとどまっている(図表4参照)。 ところが、厚労省『毎月勤労統計』によると、宿泊・飲食サービス業の就業者数(常用労働者数)は、2010年は約370万人と労働力調査に近い水準だったが、足元では480万人と、労働力調査(400万人)よりも20%も多くなっている。
・これは何を意味するのだろうか。 ポイントは、『労働力調査』が家計(働く側)の調査であるのに対して、『毎月勤労統計』は事業所(雇う側)の調査だということにある。 例えば、Aさんは、午前中はレストランBで働き、午後はホテルCで働いているとしよう 。このとき、家計(働く側)を対象とする労働力調査では、あくまで宿泊・飲食サービス業で働いている人としてはAさん1人が計上される。ところが事業所(雇う側)を対象とする毎月勤労統計では、レストランBで1人、ホテルCで1人、合わせて2人が宿泊・飲食サービス業で働いていると計上される。
・その結果、同じ宿泊・飲食サービス業の就業者でも、労働力調査では1人、毎月勤労統計では2人として表れる。これが前出図表4に見る両統計の大幅な乖離の主因だ。 ただし、これは単なる統計上の問題ではない。それは、いわゆる「プチ勤務」などに代表される雇用形態の多様化を如実に映し出す経済現象そのものだからだ。
▽「就業」と失業」の二分法は単純すぎる 賃金の鍵を握る「不完全雇用」の動向
・宿泊・飲食サービス業など非製造業では、このように雇用形態が多様化しており、就業か失業かという単純な二分法では賃金の趨勢を捉えられない。 これは、労働市場において非製造業の存在感が高まっている中では、従来の失業率と賃金の関係を表した「賃金版フィリップス曲線」では、十分な分析ができないということと同義である。 今後は、賃金の趨勢を見定める上で、就業と失業の間に位置する「不完全雇用」水準や実態により注目する必要がある。
http://diamond.jp/articles/-/141124

次に、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミストの河野龍太郎氏が9月27日付けロイターに寄稿した「コラム:「消費増税で教育無償化」の本末転倒=河野龍太郎氏」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・安倍晋三首相は2019年10月の10%への消費増税について、その使途を広げ、幼児教育の無償化など、新たな歳出拡大の財源に充てる意向を示した。衆院選挙で国民の信を問うという。筆者がかねてより懸念していた通りの展開になってきた。
・しかし、驚いたことに、エコノミストの間でも、今回の見直し論に賛同する人が少なくないのだという。10%から先の増税の必要性を考えると、「希望の党」の小池百合子代表が主張する増税凍結など再度先送りに比べれば、まだましということなのだろうか。 あるいは、税収増の全てを新たな歳出の財源に充てるという民進党の大盤振る舞いの主張に比べればまだまし、ということなのだろうか。確かに皆が思い描いていた最悪の事態よりは、まだましな選択ということなのかもしれない。
・とはいえ、政治的に容易ではないとしても、あるべき最善の政策について提言をするのが、我々エコノミストの役割でもある。政治的に容易な政策にお墨付きを与えることであってはならない。 仮に目先の経済状況が改善しても、長期的な均衡から遠ざかり、あるいは社会制度の持続性が損なわれ、国民の経済厚生を低下させるような政策は何としても避けなければならない。今回は消費増税の使途変更について考える。
▽どこから見ても財政赤字による歳出拡大
・もともと、2012年の民主党政権(野田佳彦内閣)で取り決められた民主党・自民党・公明党の三党合意では、消費税率の5%から10%への引き上げによって得られる14.0兆円について、社会保障の充実として2.8兆円、基礎年金の国庫負担引き上げの財源として3.2兆円、後代への負担のつけ回しの軽減として7.3兆円、消費増税に伴う費用増として0.8兆円をそれぞれ充てることになっていた。
・今回、幼児教育の無償化など新たな歳出は、「後代への負担のつけ回しの軽減」に充てる財源を減少させて捻出するという。つまり、後代への負担のつけ回しで、新たな歳出を拡大するのである。言葉尻を捕らえたわけではない。新たな歳出拡大は、以下述べるように、文字通り、後代への負担のつけ回しとなる。
・報道の中には、借金返済(公的債務削減)に充てるはずの財源を新たな歳出に割り当てると、説明しているものもある。しかし、これはやや誤解がある。お金に色は付いていないが、そもそも日本のプライマリー収支は赤字が続いているのであって、このことは、経常収入によって経常費用が賄われていないことを意味する。
・利払い費などの国債費も借金によって賄われている。もともと、借金返済には充てられていないのだ。このため、正しくは、借金膨張(公的債務膨張)の抑制に充てるはずだった財源を新たな歳出に割り当てると説明すべきである。もちろん、どのような説明を行おうと、公的債務が新たに増えることに変わりはない。
・実際、プライマリー収支赤字が増大する最大の要因である社会保障関係費は、2000年度に17.6兆円だったが、2010年度は28.2兆円に達し、2017年度は当初予算で32.5兆円と見込まれている。この間、社会保障関係費の増大は、景気の循環的な拡大による税収増や2014年度の消費増税による税収増を除くと、財政赤字によって賄われてきた。 つまり、増大する社会保障関係費は、「後代への負担のつけ回し」で賄われてきたと言える。その「後代への負担のつけ回し」を軽減するというのが、5%から10%への消費増税を決めた三党合意の目的だった。
・しかし、今回、増税による税収増の一部を社会保障関係費に割り当てず、新たな歳出拡大の財源とすることは、文字通り、後代への負担のつけ回しによって、歳出を拡大することに他ならない。経常収入を新たに確保しないまま、経常費用を新たに決定することであり、どの角度から見ても、財政赤字による歳出の拡大である。
・消費税収を教育費に充てるのは、全てを社会保障関係費に限定するとした三党合意に反するという批判もあるが、それ以前の問題として、消費増税の使途見直しということ自体が、実は単なるレトリックなのである。幼児教育の無償化など次世代のための政策と言いつつ、負担を後代へつけ回ししていたのでは、本末転倒である。
▽「全世代型社会保障」が画餅に帰す恐れ
・念のために言っておくと、筆者自身、安倍首相が掲げる「全世代型社会保障」を目指すことの意義は大いに認める。グローバリゼーションが進む中で、現役世代でも困窮する人が増え、高齢者向けを中心とした現行の社会保障制度では、とっくの昔に対応できなくなっている。
・例えば、増大する非正規雇用に対し、セーフティーネットが不十分であるため、マクロ経済ショックが日本経済を襲うと、社会の最も弱い部分に大きな調整圧力が加わる。人々の将来不安を拭うことができないのは、社会全体でリスクを分担できなくなったからであり、それゆえ、所得が多少増えても、なかなか消費回復につながらないのである。財源が確保できるのなら、教育費を含めた上で、社会保障の対象を困窮する現役世代に広げるという発想は望ましい。
・また、成長戦略として、多くの人が迂遠だと退けてきた教育投資についても、筆者は、人的資本の蓄積が最も確実で効果的な生産性改善、ひいては実質所得の改善につながると常々主張してきた(とりわけ、大学院教育の普及による人的資本の底上げが有効というのが筆者の持論である)。  仮に設備投資を促す政策を行っても、単に労働が機械やソフトウェアに置き換わるだけなら、生産性が上昇しても、増加した付加価値のほとんどが資本の出し手に帰属することになるかもしれない。しかし、人的資本が増えた結果、新たな付加価値が増大するのなら、その多くを働く人が手にすることができる。
・もちろん、人的資本の底上げと言っても、大学教育や大学院教育がもたらすメリットはあくまで私的なものだから、費用を国がカバーすることについては相当慎重でなくてはならない。ただ、教育制度の基盤拡充にとどまらず、能力がありながらも財政的な余裕が十分ではない学生に対する資金の貸し付けであれば、機会均等の観点からも容認され得るのではないか。ばら撒きとならないよう警戒しつつ、数少ないワイズスペンディングとして検討する余地はある。
・しかし、いずれにしても問題は財源だ。既存の社会保障制度をこのまま放置したままでは、年金だけでなく、今後、医療費、介護費の大膨張が続く。そうなると、新たな歳出のための財源確保どころではなくなる。新たな歳出は今回の幼児教育の無償化に終わり、財源難を理由に、それ以外は頓挫し、「全世代型社会保障」は絵に描いた餅に終わりかねない。それだけでなく、このままでは、いずれ既存の高齢者を中心とした社会保障制度の存続も危うくなる。
・では、どうすればよいのか。唯一の解決策は、既存の社会保障制度を全面的に見直し、世代にかかわらず困窮した人をサポートすると同時に、世代にかかわらずゆとりのある人はサポートする側に回るという制度に移行することである。つまり、高齢者であっても、ゆとりのある人はサポートする側に回り、給付の抑制、負担増を甘受する。高齢者向け中心の既存の社会保障関係費が抑制されることで、財源が捻出され、現役世代向けの新たな歳出の拡大が可能となる。
・もちろん、大幅な見直しは容易ではないが、世代にかかわらず困窮した人をサポートするという社会保障制度の本来の理念に回帰しなければ、超高齢化社会の中で、日本の社会保障制度は存続できなくなる。 これまで論じたように、今回の消費増税の使途見直しの本質は、財政赤字、すなわち赤字国債による教育無償化に他ならず、筆者は反対である。時代が要請する新たな歳出であれば、財源として新たに課税するか、あるいは相対的に優先順位が低下した歳出を削減すべきだ。
・また、増税の度に、政治的理解を得るため、新たに歳出を広げていったのでは、増税を続けても、プライマリー収支の黒字化はいつまで経ってもおぼつかない。政治的に可能な消費税率の上限は存在する。 もし、今回は政治的にやむを得ないのだとしても、今後も「全世代型社会保障」を掲げるのなら、次回の新たな歳出の拡大の際には、同時に、世代にこだわらず困窮する人をサポートする制度への移行を開始しなければならない。
・いうまでもないことだが、日本には、ゆとりのある人をサポートする財政的余裕は存在しない。また、世代にかかわらず困窮する人をサポートするというのは、新たな財政健全化プランの理念となり得る。
▽景気拡大だけではプラマリー収支赤字は解消しない
・最後に言い添えれば、財政問題を論じる際、驚くことがあるのは、アベノミクスの成果でプライマリー収支が着実に改善しているのだから、公的債務問題を心配する必要がないと主張する政権関係者がいまだに少なくないことである。 確かに景気拡大が続いているから、税収は増え、プライマリー収支も、マイナスの領域ではあるが、改善傾向にある。もし、このまま景気拡大が続けば、多少後ずれしても、いずれ黒字化が達成できると考えているのだろうか。しかし、景気拡大は永続しない。拡大期もあれば、後退期も訪れる。
・世界経済の拡大はすでに丸8年が経過しており、今後何年も続くとは言えない状況にある。2016年度は景気拡大が続いていたにもかかわらず、円高が進んだことで、税収減となった。 もちろん、日本経済に大きなスラック(余剰)が残っているのなら、税収増はまだ期待できる。しかし、現在の日本経済はすでに完全雇用にあり、人手不足傾向は相当に強まっている。それにもかかわらず、2017年度のプライマリー収支は国内総生産(GDP)比でマイナス3.4%と推計されている。このことは、景気循環を調整した構造的なプライマリー収支は、現在よりかなり低い水準にあるということだ。
・2014年度の消費増税によって若干水準は改善したが、客観的事実として構造的プライマリー収支は大きな赤字のままであり、公的債務は明確な発散経路にある。つまり、過去5年間のアベノミクスの実験で明らかになったのは、循環的な景気拡大だけでは、プライマリー収支の赤字が解消できないという厳然たる事実である。
・念のために言っておくと、1980年代末から90年代初頭にGDPギャップが大きく改善し、税収も大幅に増えたのは、バブルだったからだ。バブルを醸成することは、当然にして解決策にはならない。
https://jp.reuters.com/article/column-forexforum-ryutaro-kono-idJPKCN1C1058

第三に、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問の野口悠紀雄氏が10月12日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「働く人を貧しくしたアベノミクスが総選挙で争われない理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・アベノミクスの評価は、働く人からの評価と、株式保有者や企業からの評価で、まったく違う。以下に見るように、家計の収入も消費も増えていないが、企業利益は著しく増加し、株価も顕著に上昇した。立場により評価が違うのだから、アベノミクスを継続すべきか否かは、政治的なイシューだ。だから、総選挙で重要な争点とすべきだ。 以下では、いくつかの側面で、アベノミクス以前と現在を比べてみることとしよう。
▽働く人の立場からの評価基準は消費支出が増えているか?
・まず働く人の立場から評価しよう。 評価の基準は、一言で言えば、「生活が楽になったか?」だ。 それには、消費支出を見るのがよい。 まず、家計調査で見ると、1世帯当たり1ヵ月間の消費支出の推移は、図表1のとおりだ。
・2000年以降、消費支出は長期的な減少傾向にあった。アベノミクスは、この傾向を逆転しただろうか?  12年から14年にかけては、消費支出は増加した。 しかし、15年から再び減少した。16年を12年と比べると、28万6169円 から28万2188円へと減少している。 家計調査の各項目の金額には、消費税が含まれている。この間に消費税の増税があったので、消費税分を除いた消費額は、上で見たよりもっと減ったことになる。
・16年から12年にかけて、世帯人員は3.07人から2.99人へと減っている。だから、1人当たりで見れば1.2%増えたことになる。しかし、消費税抜きで見れば、減少だ。 なお、GDP統計で見ると、名目家計最終消費は、12年度から16年度にかけて増加している。ただし、増加率は3.3%にすぎない。消費税増税の影響を除けば、ほとんど増加していないことになる。 以上から結論できるのは、「アベノミクスは、働く人の生活を豊かにしてはいない」ということだ。
▽主婦がパートで働きに出るが消費は伸びず
・図表2に示すように、名目賃金指数は、長期的に下落傾向にある。アベノミクスは、この傾向を逆転できただろうか? 年平均の指数は、2013年をボトムとして、その後は上昇している。しかし、上昇率はごくわずかだ。16年の指数100.6は、11年の100.8に及ばない。 そして、円安などによって消費者物価が上昇したため、労働者の実質賃金は減少した(実質賃金指数は、13年3月の91.8から17年3月の88.9まで低下した)。
・家計調査で、12年と16年を比較すると、1世帯当たりの有業人員(働く人の数)は、1.33人から1.34人に増えた。収入が増えないため、主婦がパートで働きに出るようになったのだ。実際、世帯主の配偶者のうち女性の有業率は、34.1%から36.7%に上昇している。 このことは、雇用統計で非正規労働者が増えたことを見ても確かめられる。家計の側のこうした努力にもかかわらず、上で見たように、消費が減少しているのだ。
▽「金融資産ゼロ世帯」と富裕層世帯が増えている
・「家計の金融行動に関する世論調査(二人以上世帯調査)」によると、金融資産を保有していない世帯の比率は、2003年以降12年までは20%台だった(12年では26.0%)。 ところが、図表3のように13年にこの比率が31.0%となり、それ以降16年まで30%台の数字が続いている。 資産保有について、貧しい世帯の比率が上昇しているのである。アベノミクスの成果が働く人に及んでいないのは明らかだ。
・他方で、金融資産保有額3000万円以上の世帯が金融資産保有世帯に占める比率は、増えている。この比率は、12年には13.6%であったが、13年に14.2%に上昇した。その後、14年に15.6%、15年に15.4%、16年に14.8%となっている。つまり、富裕層の比率も上昇しているのだ。
▽豊かな人はますます豊かになり二極化が進んだ
・高額資産保有者が増えたのは、株価が上昇したためだ。株式や株式投資信託の保有者は、労せずして利益を得たことになる。 実際の数字は、家計調査報告(貯蓄・負債編、2016年平均結果速報、二人以上の世帯)で見られる。それによると、株式・株式投資信託は、2012年から16年の間に、56.3%も増加した。 他方、これ以外の資産は、同期間で5.9%増加したにすぎない。
・同様の傾向は、日本銀行の資金循環勘定でも見られる。すなわち、家計が保有する株式・株式投資信託は、12年から16年の間に、38.1%増加した。 他方、これら以外は、同期間で6.6%増加したにすぎない。
・つまり、この期間に株や投信を持っていた人は資産を大幅に増やしたが、そうでない人の資産はほとんど不変だったわけだ。 一般に、株や投信の保有者は、資産が多い人だ。だから、金融資産ゼロ世帯と巨額の資産を持つ世帯の二極化が進行し、格差が拡大したことになる。
▽企業利益は大幅に増えた
・株価上昇の背後には、企業の利益増がある。 法人企業統計で見ると、企業の営業利益の推移は、図表4のとおりだ。2012年度から16年度にかけて、46.7%も増加した。 ところが、売上高は、図表5に見るように、この期間に増加はしたものの、増加率は5.9%と、それほど大きくない。 それにもかかわらず利益が大きく増えたのは、売上原価の増加率が3.3%に留まったからである。
・売上と原価の変化の差は、それほど大きくない。そのため、売上の増加率が低くても、原価の増加率がそれより低ければ、利益は大幅に増えるのである。 では、売上高が伸びたにもかかわらず、売上原価が増加しなかったのはなぜだろうか?
・第1の理由は、売上高の増加が円安によって生じたことだ。これは、製造業の輸出産業において顕著に働いた。 原材料の一部には輸入品が含まれており、円安は輸入物価の上昇を通じて原材料を引き上げる。しかし、輸入原材料は全体の一部でしかないので、売上高ほどには増加しないのだ。 さらに、14年秋からは、原油価格の下落により、原価の増加が抑えられた。 円安期に売上高も原価も増加するのは、04年からの円安期にも見られたことだ。今回は、原油価格下落の影響があったため、売上高の増加率に比べて原価の増加率が抑えられた。
▽産業構造を変えられないなら法人税引き上げが必要
・企業利益が増加した第2の要因は、原価の中に人件費が含まれており、これは円安の影響を受けないことである。 実は、従業員給与は、「増えない」というだけでなく、圧縮された。これが、輸出産業以外の分野で利益を増大させた大きな要因だ。 図表6に示すように、日本の企業の従業員給与は、長期的に減少傾向にある。 そして、アベノミクスは、この過程に影響を与えることができなかった。これが、図表2で見た名目賃金下落や図表1で見た消費支出減少の背後にある。
・「利益が増えたから賃金を上げよ」と要求しても無理だ。それは、経済合理性に反する要請であり、それに従えば、企業は倒産してしまう。 経済全体の賃金を引き上げるには、生産性の高い産業が登場するしか方法はない。 現在の産業構造が変えられないなら、法人税の負担を引き上げることが必要だ。 法人税の二重課税になってしまう内部留保課税ではなく、法人税率そのものを引き上げるべきだ。
▽多数の声、利害反映されない 政治的なバイアス
・単純な数で言えば、株式の保有者や大企業の経営者に比べて、一般労働者のほうがはるかに多い。そして、上で見たように、アベノミクスは前者の人々に恩恵を与え、後者の人々の生活を貧しくした。 だから、人々が自分の生活と経済政策の関係を正しく理解し、そして、人々の意向が正しく選挙結果に反映されるシステムになっていれば、多数決によってアベノミクスは否定されるはずである。
・それにもかかわらず、今回の総選挙では、金融緩和政策や円安政策に反対する声はほとんど上がっていない。 これは、働く人々が自分の生活と経済政策の関係を正しく理解していないからではなく、政治制度にバイアスがあるからだろう。 本当に働く人の立場に立つ政治勢力が存在しないのだ。「労働者側」を標榜する政治勢力は、実は大企業の組合をバックとしており、労働者一般の利害というよりは、大企業の利害に近い立場にいる。 日本の政治制度がこうしたバイアスを持っていることは、悲劇と言わざるを得ない。
http://diamond.jp/articles/-/145356?utm_source=daily&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor

第一の記事で、 『労働市場において非製造業の存在感が高まっている中では、従来の失業率と賃金の関係を表した「賃金版フィリップス曲線」では、十分な分析ができないということと同義である。 今後は、賃金の趨勢を見定める上で、就業と失業の間に位置する「不完全雇用」水準や実態により注目する必要がある』、という謎解きは見事だ。安部首相は、有効求人倍率の上昇などを成果として挙げるが、中身は低賃金の非製造業の雇用増加、ということでは、威張れた話ではない。
第二の記事で、 『政治的に容易ではないとしても、あるべき最善の政策について提言をするのが、我々エコノミストの役割でもある。政治的に容易な政策にお墨付きを与えることであってはならない。 仮に目先の経済状況が改善しても、長期的な均衡から遠ざかり、あるいは社会制度の持続性が損なわれ、国民の経済厚生を低下させるような政策は何としても避けなければならない』、との河野氏のスタンスはさすがである。 『問題は財源だ。既存の社会保障制度をこのまま放置したままでは、年金だけでなく、今後、医療費、介護費の大膨張が続く。そうなると、新たな歳出のための財源確保どころではなくなる。新たな歳出は今回の幼児教育の無償化に終わり、財源難を理由に、それ以外は頓挫し、「全世代型社会保障」は絵に描いた餅に終わりかねない。それだけでなく、このままでは、いずれ既存の高齢者を中心とした社会保障制度の存続も危うくなる・・・唯一の解決策は、既存の社会保障制度を全面的に見直し、世代にかかわらず困窮した人をサポートすると同時に、世代にかかわらずゆとりのある人はサポートする側に回るという制度に移行することである』、というのは、まさに正論である。個人的には負担増を迫られるのは、困るが、持続可能な制度にしていくためにはやむを得ない。
第三の記事で、 『現在の産業構造が変えられないなら、法人税の負担を引き上げることが必要だ』、というのは筋論としてはその通りだ。トランプ大統領が思い切った引下げを検討するなど、世界的には法人税引下げ競争になっているなかでは、政治的には難しいだろうが、筋論としてはあくまで日本の事情で引き上げるべきだろう。その場合、企業が海外に流出するのと議論は「脅し」に過ぎないと考えるべきだ。  『本当に働く人の立場に立つ政治勢力が存在しないのだ。「労働者側」を標榜する政治勢力は、実は大企業の組合をバックとしており、労働者一般の利害というよりは、大企業の利害に近い立場にいる。 日本の政治制度がこうしたバイアスを持っていることは、悲劇と言わざるを得ない』、というのは、立憲民主党も連合の支援があるという現状を顧みると、残念ながらその通りだ。
タグ:本当に働く人の立場に立つ政治勢力が存在しないのだ。「労働者側」を標榜する政治勢力は、実は大企業の組合をバックとしており、労働者一般の利害というよりは、大企業の利害に近い立場にいる。 日本の政治制度がこうしたバイアスを持っていることは、悲劇と言わざるを得ない 政治制度にバイアスがあるからだろう 法人税の二重課税になってしまう内部留保課税ではなく、法人税率そのものを引き上げるべきだ 産業構造を変えられないなら法人税引き上げが必要 企業利益は大幅に増えた 豊かな人はますます豊かになり二極化が進んだ 金融資産ゼロ世帯」と富裕層世帯が増えている 主婦がパートで働きに出るが消費は伸びず アベノミクスは、働く人の生活を豊かにしてはいない 2000年以降、消費支出は長期的な減少傾向 働く人を貧しくしたアベノミクスが総選挙で争われない理由 野口悠紀雄 景気拡大だけではプラマリー収支赤字は解消しない 既存の社会保障制度を全面的に見直し、世代にかかわらず困窮した人をサポートすると同時に、世代にかかわらずゆとりのある人はサポートする側に回るという制度に移行することである 問題は財源だ。既存の社会保障制度をこのまま放置したままでは、年金だけでなく、今後、医療費、介護費の大膨張が続く。そうなると、新たな歳出のための財源確保どころではなくなる。新たな歳出は今回の幼児教育の無償化に終わり、財源難を理由に、それ以外は頓挫し、「全世代型社会保障」は絵に描いた餅に終わりかねない。それだけでなく、このままでは、いずれ既存の高齢者を中心とした社会保障制度の存続も危うくなる 人的資本の底上げと言っても、大学教育や大学院教育がもたらすメリットはあくまで私的なものだから、費用を国がカバーすることについては相当慎重でなくてはならない 財源が確保できるのなら、教育費を含めた上で、社会保障の対象を困窮する現役世代に広げるという発想は望ましい 安倍首相が掲げる「全世代型社会保障」を目指すことの意義は大いに認める 幼児教育の無償化など次世代のための政策と言いつつ、負担を後代へつけ回ししていたのでは、本末転倒である 消費増税の使途見直しということ自体が、実は単なるレトリック その「後代への負担のつけ回し」を軽減するというのが、5%から10%への消費増税を決めた三党合意の目的だった 増大する社会保障関係費は、「後代への負担のつけ回し」で賄われてきたと言える 後代への負担のつけ回しで、新たな歳出を拡大するのである 幼児教育の無償化など新たな歳出は どこから見ても財政赤字による歳出拡大 仮に目先の経済状況が改善しても、長期的な均衡から遠ざかり、あるいは社会制度の持続性が損なわれ、国民の経済厚生を低下させるような政策は何としても避けなければならない 、政治的に容易ではないとしても、あるべき最善の政策について提言をするのが、我々エコノミストの役割でもある。政治的に容易な政策にお墨付きを与えることであってはならない 安倍晋三首相 新たな歳出拡大の財源に充てる意向 消費増税 幼児教育の無償化 消費増税で教育無償化」の本末転倒=河野龍太郎氏 ロイター 河野龍太郎 雇用の軸が非製造業に移り、就業形態が多様化する中では、むしろ就業と失業の間にある「不完全雇用」(underemployment:正社員を希望しながらもパートでの就業を余儀なくされるなど、希望する形での就業に至っていない状態)が賃金の趨勢を見極める上でも重要性を増す そもそも賃金の伸びを失業率の改善などをもとに考えること自体に疑問が生じる アベノミクス下で伸び悩む労働生産性 雇用が増えたのは労働集約型産業 労働生産性は伸びない 2つ目が、経済の軸が労働集約的な産業(例えば非製造業)に移る場合 労働生産性の改善を伴いやすい 1つ目が、経済成長あるいは景気回復を背景とする雇用の増加 雇用の増え方には2通りある アベノミクスについては、雇用を改善させたことが成果とされてきた アベノミクスで完全雇用なのに賃金が伸びない理由 ダイヤモンド・オンライン 森田京平 (その25)(完全雇用なのに賃金が伸びない理由、「消費増税で教育無償化」の本末転倒、働く人を貧しくしたアベノミクスが総選挙で争われない理由) アベノミクス
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日本の政治情勢(その11)(小田嶋氏のコラム;政治を語る人の通癖) [国内政治]

昨日に続いて、日本の政治情勢(その11)(小田嶋氏のコラム;政治を語る人の通癖) を取上げよう。なお、日本の政治情勢での小田嶋氏のコラムは、10月3日にも紹介した。

コラムニストの小田嶋隆氏が10月6日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「政治を語る人の通癖」を紹介しよう。
・今週も選挙の話題に触れなければならない。 あまり気がすすまない。 政治まわりの話題の中でも特に選挙の話は、必ずや興奮した人たちを呼び寄せるからだ。
・興奮している人たちは、他人と対話をすることができない。 そもそも政治とは、他人との対話を前提とした動作であるはずなのに、なぜなのか、政治に熱意を持っている人の多くは、相手の話に耳を傾けようとしない。
・それで、賢い人たちは政治の話をしたがらないのだと思う。 もっとも、賢明な人間が政治の話題を遠ざけているという私のこの観察自体、私の個人的な思い込みに過ぎない可能性はある。
・別の見方をする人たちもいる。 政治に熱中している人たちは、政治の話題に無反応な人たちを愚か者だと思っていたりする。 別の言い方をすれば、政治的な考えにとりつかれている人間は、他人を敵と味方に分類する形で世界に対峙しているということだ。彼らにとって、味方にも敵にも分類することのできない人間は、間抜けなのだろう。
・言うまでもないことだが、すべての人々がすべての事柄に詳しいわけではない。 ある人々はAに詳しい一方で、Bには詳しくない。 別の人々はBには精通しているものの、Aについてはろくな知識を持っていない。  どちらが賢いと言っているのではない。 人々の関心領域と知識量はそれぞれに偏っていて、相互に補完しあっているということだ。 であるから、科学に詳しい人が政治関連の話題に疎いというようなことはごく普通の話だし、だからといってその人間が知的に劣るわけではもちろんない。
・個人的には、持って生まれた知的な能力を政治とは無縁な方面に振り向けている人がいるのだとすれば、その人間はむしろ賢明なのだと思っている。 であるから、私は、自分が詳しくない分野については、信頼できる専門家の助言に従うことにしている。 もう少し率直に言うと、私は、自分で判断できなかったり、一から考えるのが面倒くさかったりする事柄や話題に関しては、信頼できそうな専門家の意見を鵜呑みにすることで間に合わせているということだ。
・ただ、SNSが明らかにしたことのひとつに、ある分野について信頼できる専門家が、別の分野ではまるで頼りにならないケースが珍しくない、ということがある。 というよりも、誰であれ専門家というのは、自分の専門分野以外では使いものにならないからこそ専門家としてやっていけているものなのかもしれないわけで、私自身、たとえば、ボクシングの世界の歴史や現在については、いつも素晴らしい見識やインスピレーションをもたらしてくれるのに、ほかのスポーツの話になるととたんにピント外れの話をはじめる人の例を知っている。
・ともあれ、政治のような総合的な話題については、全面的にあてにできる専門家はいないと考えておいた方が無難だ。 でなくても、われら素人には、専門家と扇動者の区別がつかない。工作員と研究者の区別もつかない。 とすれば、自前のアタマで考えるほかに方法がないではないか。
・今回の選挙については、いつにも増して、専門家の話があてにできないと思っている。 なぜなら、いま展開されている泥仕合は、しかるべきルールや昔ながらのパターンから外れたバトルロワイヤルであり、個々のプレイヤーが本能と反射神経だけで動いている「羅生門」じみたカオスだからだ。
・死者の頭髪を引き抜く老婆やその老婆の衣服を剥ぎ取って逃げる男の行動を分析するのに、まっとうな戦術論は適用できない。 まして、後付けの解釈ならともかく、進行形の時間の中にいると、現実は常に変転していて、定まった様相に落ち着くことがない。であるからして、昨日起きた出来事と、今現在目の前で展開されている状況のつながりが見えなかったりする。歴史というのは、未来の時点から時間を遡って見ているからこそ見える特殊な景色なのであって、船に乗っている人間にすべての港が見えないのと同じように、生きて動いている人間の目には、進行中の出来事や事物の間にある因果は見えない約束になっている。
・今回の選挙でも、ほんの3日前には現実に見えていた景色が、進行中の事態に上書きされて、意味を失い、あったことも、ありそうに思えたことも、言葉も、記憶も、約束も、希望も、すべてが不断に更新され、姿を変えながら、先に進んでいる。
・このどうにもあやふやな状況の中で、多少ともマトモな判断を下すためには、登場人物の言動をひとつひとつ時系列に沿って並べ直し、それぞれの言葉や出来事や約束や裏切りや変化を、いちいち関連付けて記録しておくしかない。 そうでないと有効な判断はできない。
・前半12分に味方のシュートがクロスバーを叩いたことや、後半の22分に不当な判定により敵方にPKが与えられたことも、0-3のスコアでゲームが終わってみれば、敗北のスコア以外のほとんどすべては記憶に残らない。 そしてそのスコアさえ、シーズンが終了して順位が確定してしまうとエクセルの一つのセルの中の数字以上のものではなくなる。 最終的な着地点からだけでは、主人公の言動の一貫性を見ることができないし、裏切りを予測することもできない。
・ひとつ、些末だが具体的な話をしよう。 希望の党が公認候補の入党希望者に署名を求めたといわれる「政策協定書(こちら)」の存在が明るみに出た(ツイッター上に流出した)10月2日の夜、私は、ツイッター上に、 «小池ショー よくよく見れば濃い化粧» というツイートを放流した(こちら)。
・案の定、 「明らかな女性差別ですね」 「ルッキズム(注1)です。削除してください」 「ミソジニー(注2)野郎と見て良いわけだな」 という感じの反応が押し寄せた。 まあ、こういう書き方をしたら、こういう反応が返ってくるのは仕方のないことだ。
(注1)ルッキズムとは見た目による差別、外見至上主義(Hatena Keyword)
(注2)ミソジニー (英: misogyny) とは、女性や女らしさに対する嫌悪や蔑視の事である。女嫌い、女性嫌悪、女性蔑視などともいう(Wikipedia)
・しばらく後になって、押し寄せたリプライに対して、脊髄反射の反論を試みた。 «だからこれはミソジニーだとか性差別だとかルッキズムだとか、そういう話ではなくて、本質を押し隠して選挙民を欺罔せんとする政治手法を「化粧」という言葉にたくして表現した……とかなんとか言っても、ムダなことはよくわかっているのですが、一応当方の言い分は言っておくことにします。»(こちら)
・このツイートがほんの一部分の弁明にしかなっていないことは、残念だが認めなければならない。 「仮にツイートの主旨が本質を糊塗する政治手法への批判なのだとしても、わざわざ語呂を合わせに行ってるわけだから、ついでであれなんであれ化粧の濃さを揶揄していることは否定しきれないだろ?」 「実際、濃いわけだし」
・おっしゃる通りだ。私のツイートの本旨は、あくまでも小池都知事の政治手法への疑念だが、わざわざ語呂を合わせた意図を問われたのでは、ひとたまりもない。はいそうです。意図的に揶揄いたしました。認めます。不当でした。思いついてしまったネタをどうしても黙っていることができませんでした。すみませんでした。
・個人的に面白かったのは、反発のリプライ以外に、 「こういう言い方は、かえって小池百合子氏を利することになるので、できればやめてほしい」 「石原のオヤジと同じで、こういううかつな攻撃は相手の得点になるよ」 という感じのアドバイスがいくつか寄せられたことだ。 なるほど。そういえば、たしかに昨年の都知事選では、石原慎太郎元都知事に「厚化粧の大年増」という言葉で罵倒されたことが、結果として、小池百合子氏にとって追い風になったものだった。
・もしかしたら、私のバカなツイートも、そのバカさゆえに、女性の進出を喜ばない男社会からの不当な弾圧と闘うジャンヌ・ダルクの物語を補強するケチな舞台装置になってしまうのかもしれない。 この点については、私のツイートに先立つ9月30日の段階で、斎藤環(注3)さんがそれとなく指摘している。 «小池さんのすごいところは、彼女に対するいかなる批判もミソジニー色に変換してしまう特殊能力(というか立ち位置)ではないか。もはや反論すら必要ないレベル。こんな強力な楯を手にした政治家に誰が勝てるというのか。»(こちら)
(注3)斎藤環氏は精神科医、批評家、漫画評論家(Wikipedia)
・この見方自体をミソジニーとする人々もきっといるはずだ。 私は、そうは思わない。 いまのところ、大筋において、斎藤さんの見方に同意している。 小池百合子氏の政治手法を記録し、批判するのに、わざわざ化粧の濃さに言及した態度は不適切かつ非礼だった。 この点に関しては、小池百合子さんに対してだけでなく、全女性、というよりも日常的に化粧をしているすべての人々に対して謝罪しなければならないと思っている。 申し訳ありませんでした。
・誰かが女性であることは、そのこと自体として、批判される理由にはもちろんならない。同時に、批判を控えるべき理由にもならない。つまり、大人として社会の中で生きている人間の業績や言動は、性別とは無縁な基準で評価されるべきだということだ。
・独裁的な手法で部下に対していることや、質問に答えないことや、前言を翻すことについては、男女を問わず、批判されなければならない。そういう意味で、私は小池百合子さんのこの一週間の言動には不信感を抱いている。 来週の火曜日に迫った公示日までに、小池さんが私のこの不信感を排除してくれることを願っている。まあ、対話してもらえるとは期待していないのだが。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/100500113/?P=1

『斎藤環さんがそれとなく指摘している。 «小池さんのすごいところは、彼女に対するいかなる批判もミソジニー色に変換してしまう特殊能力(というか立ち位置)ではないか。もはや反論すら必要ないレベル。こんな強力な楯を手にした政治家に誰が勝てるというのか。»』、との指摘は説得力がある。 小田嶋氏が、『独裁的な手法で部下に対していることや、質問に答えないことや、前言を翻すことについては、男女を問わず、批判されなければならない。そういう意味で、私は小池百合子さんのこの一週間の言動には不信感を抱いている。 来週の火曜日に迫った公示日までに、小池さんが私のこの不信感を排除してくれることを願っている』、としていたが、結局、公示日までに不信感が排除されることはなかったようだ。
タグ:(その11)(小田嶋氏のコラム;政治を語る人の通癖) «小池さんのすごいところは、彼女に対するいかなる批判もミソジニー色に変換してしまう特殊能力(というか立ち位置)ではないか。もはや反論すら必要ないレベル。こんな強力な楯を手にした政治家に誰が勝てるというのか。» 来週の火曜日に迫った公示日までに、小池さんが私のこの不信感を排除してくれることを願っている 斎藤環さんがそれとなく指摘 そういえば、たしかに昨年の都知事選では、石原慎太郎元都知事に「厚化粧の大年増」という言葉で罵倒されたことが、結果として、小池百合子氏にとって追い風になったものだった 反発のリプライ以外に、 「こういう言い方は、かえって小池百合子氏を利することになるので、できればやめてほしい」 「石原のオヤジと同じで、こういううかつな攻撃は相手の得点になるよ」 という感じのアドバイスがいくつか寄せられたことだ 私は、ツイッター上に、 «小池ショー よくよく見れば濃い化粧» というツイートを放流 いま展開されている泥仕合は、しかるべきルールや昔ながらのパターンから外れたバトルロワイヤルであり、個々のプレイヤーが本能と反射神経だけで動いている「羅生門」じみたカオスだからだ 今回の選挙については、いつにも増して、専門家の話があてにできないと思っている 賢い人たちは政治の話をしたがらないのだと思う 政治とは、他人との対話を前提とした動作であるはずなのに、なぜなのか、政治に熱意を持っている人の多くは、相手の話に耳を傾けようとしない 独裁的な手法で部下に対していることや、質問に答えないことや、前言を翻すことについては、男女を問わず、批判されなければならない。そういう意味で、私は小池百合子さんのこの一週間の言動には不信感を抱いている 政治を語る人の通癖 日経ビジネスオンライン 小田嶋隆 日本の政治情勢
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日本の政治情勢(その10)(:内閣官房「行政文書は発言すり合わせて」 不透明化加速も、小池都知事率いる「希望の党」に全く希望が見えない理由、“権力志向型”小池さんが率いる組織の運命は?) [国内政治]

日本の政治情勢については、10月3日に取上げたが、今日は、(その10)(:内閣官房「行政文書は発言すり合わせて」 不透明化加速も、小池都知事率いる「希望の党」に全く希望が見えない理由、“権力志向型”小池さんが率いる組織の運命は?) である。

先ずは、9月21日付け日刊ゲンダイ「内閣官房「行政文書は発言すり合わせて」 不透明化加速も」を紹介しよう。
・転んでもタダでは起きないヤツらだ。森友・加計疑惑をめぐり、真相解明につながる公文書が破棄されたり、そもそも作成されていなかったことが問題になった。これを受けて内閣官房は20日、「行政文書の管理において採るべき方策」を提示したが、批判を逆手に取って、政策決定の過程をますます不透明にする内容なのだから呆れる。
・「方策」では省庁が他の省庁や民間企業などと協議や打ち合わせを行った際は、相手側の発言内容を先方に確認した上で議事録などの記録を残すとしている。 加計学園の獣医学部新設疑惑では、文部科学省の課長補佐が「萩生田副長官ご発言概要」と題した文書を作成。官房副長官だった萩生田が「官邸は絶対にやると言っている」「総理は『平成30年4月開学』とおしりを切っている」などと迫ったことが生々しく記録されており、これがマスコミなどに流出して大騒ぎとなった。
・新たな「方策」が実施されれば、こうした生々しいやりとりは記録されず、きれいに調整された当たり障りのない文書しか作成されなくなる恐れが大だ。 問題発言は隠されてしまい、仮に不正が行われても疑惑解明は困難になる。モリカケの教訓に“逆行”している。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/213991

次に、政治ジャーナリストの黒瀬徹一氏が9月29日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「小池都知事率いる「希望の党」に全く希望が見えない理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・安倍総理が衆議院の解散を表明するやいなや、25日、小池百合子東京都知事が新党「希望の党」の立ち上げを発表した。そして、驚くことに、野党第一党である民進党が希望の党への事実上の合流を一方的に決めた。有権者にとって新しい選択肢が増えることは望ましいことかもしれないが、「改革保守」という抽象的な理念と「日本をリセットする」というふわふわとした目的を掲げ、現職議員が寄せ集まった新党に、果たして希望はあるのか。
▽よくわからない「国政への関与」の目的 小池都知事は何がしたいのか
・日本をリセットする――。  「希望の党」立ち上げの際に小池都知事の言葉を聞いた時、《どこかで聞いたことがあるな》と感じた。かつて大阪維新の会が国政に進出する際に掲げた「グレート・リセット」という言葉に酷似している。 リセットだけではない。その他にも「しがらみのない政治」など、どこかで聞いたことのある“使い古された言葉”のオンパレードだった。
・正直、小池都知事が何をしたいのか、よくわからない。何のために国政に関与するのか。 国政に勢力を持つことは「都政運営にもプラス」という意見もあるが、国政で与党になるならともかく、少数政党を国政に保持したところで、あまり意味がない。日本維新の会の歴史から見ても明らかなように、地方政治が国政の政局に左右されてしまい、むしろ都政の運営が困難になるだろう。
・例えば、2020年に控える東京オリンピック・パラリンピックの準備を円滑に進めるためには、政府との協調は欠かせない。新党を立ち上げたところで、国政で勝てる議員の数は限定的である。下手に少数政党を作っても、自民党からの“裏切り者”と一緒に選挙をかき乱せば、当然自民党・公明党との間に禍根を残してしまうだろう。
・都議会でも小池都知事の動きへの苦言が相次いだ。それはそうだ。都議選の後、「知事職に専念する」として都民ファーストの会の代表を退いたにもかかわらず、舌の根も乾かぬうちに、今度は「国政政党の代表をやる」と言い出したのだから。
・端から見れば、単に小池人気を背景にした政治屋たちの「議席とりゲーム」にしか見えない。もしくは、「実は、現職の衆議院議員の中に倒したい敵がいる」など、表に出せない裏目的でもあるのだろうか、と勘ぐってしまう。 正直、筆者は希望の党の設立、そして民進党との合流に全く希望を見いだしていない。その理由を論じたい。
▽改革保守とは何か 政治の世界に蔓延する抽象ワード
・小池都知事の会見では抽象ワードばかりが並んでいた。例えば、希望の党は「改革保守」らしい。 あたかも一般的な言葉のように普通な顔でシレッと説明していたが、「改革保守」とは何なのか。読者の中で、きちんと説明できる方がどれだけおられるだろう。もしおられたら、TwitterやSNS上ででも、ぜひ教えていただきたい。
・そもそも、日本を「リセット」するのに「保守」とは言葉そのものに矛盾を感じる。 保守という政治概念は、日本においては、戦後、自由民主党が結党される時に確立したと考えている。冷戦時代の1955年、分裂していた社会党が統一されたことに危機感を覚えた自由党と民主党が合併した、いわゆる「保守合同」である。ここで言う保守とは、あくまでも社会主義・共産主義が輝いていた(脅威として君臨していた)時代において、資本主義・自由主義体制を保守しようという意味の言葉であって、今の時代にはもはや死語と言っても過言ではないだろう。
・改革という言葉にしても、政治家というものは皆一様に「我こそが改革派」と謳うものだ。「我こそが既得権益」と名乗る人はいない。筆者はとある政党の候補者が「既得権益と戦う!」と駅前で演説しているのを聞いて、素朴に「既得権益って具体的に誰ですか?」と尋ねてみたことがある。その候補者は返答に困り、「いや…既得権益は、今の世の中で得してる人です」と抽象的なことしか答えなかった。
・新党が掲げる具体的な政策は「情報公開」くらい。しかし、築地・豊洲問題の決着に関する情報公開は、関係者が満足するレベルのものだったろうか。都知事選や都議選で掲げた具体的な大義と比べて、今回の国政進出における意義は全く見えない。
▽東京10区の仁義なき戦い 選挙調整に注目
・ところで、希望の党設立まで新党を模索していた若狭勝衆議院議員はどういった人物なのか。 若狭氏は、元検察官・弁護士の肩書きを持つ。2014年12月の衆院選では選挙区は持たず、比例単独で初当選した。その後、小池百合子都知事が東京都知事選挙へ出馬するため衆議院議員を辞任したことに伴って、空席となった東京10区で実施された補欠選挙で自由民主党から出馬し、当選した。
・したがって、議員歴は3年弱。東京10区での活動歴は1年にも及ばない。だから、知名度も低い。多くの方が「この人、誰?」と思ったのは自然の反応なのだ。 自由民主党からすれば、小池都知事に裏切られ、空席を埋めるために公認した若狭衆議院議員にも裏切られたことになる。東京10区は元小池都知事の選挙区だから、小池人気にあやかった方が選挙に強いという判断かもしれない。
・だが、ここで自民党が“刺客”を放てば、正直、勝負はわからない。前回の補欠選挙で若狭氏が獲得した票は7万5755票。一方、民進党は4万7141票を得ており、過去2回の衆院選を見てもこの票数は安定している。民進党が解党的に希望の党への合流を決定したことで、有権者がどう判断するかが全く予想できなくなったため、東京10区は激戦になるだろう。 去年自民党で当選したばかりの人が、今度は違う方の政党で出馬する。有権者はそのことをどれだけ許容できるだろうか。
▽政治屋たちの希望の党 自民党を倒す本気さは伝わるが…
・次に、若狭議員以外の新党に合流する議員の顔ぶれはどうなのだろうか。 まず、小池都知事の威光の恩恵を強く受ける東京から見てみよう。
 +東京3区(品川区、大田区、島嶼部)の松原仁衆議院議員。 +東京9区(練馬区)の木内孝胤衆議院議員。 +東京21区(八王子市、立川市、日野市、国立市、多摩市の一部、稲城市の一部)の長島昭久衆議院議員。
・この3人の議員の共通項は、元民進党という以外に、皆、小選挙区では勝てていない、ということが挙げられる。木内議員に至ってはほぼダブルスコアで敗退している。 確かに、東京都議会議員選挙で都民ファーストの会は大勝した。しかし、だからと言って、「民進党」から「希望の党」へ看板を変えたからと言って、国政における支持が集まるほど話は単純ではない。
・例えば、東京3区であれば、自民党の候補は石原宏高衆議院議員だ。知名度も高い石原議員を「希望の党」という看板だけで倒せると思うのは甘い考えだろう。 さらに、東京以外の選挙区となると、比例枠狙いの“政党サーファー”ばかり。埼玉県の行田邦子参議院議員は民主党からみどりの風を経てみんなの党へ渡った後、日本を元気にする会を経て希望の党へやってきた。
・日本のこころの中山恭子参議院議員は、元は自由民主党から比例で参議院議員に当選したが、夫の中山成彬が自民党から離党することを決めると、夫にくっついて自らも自民党を離党し、たちあがれ日本へ合流した。その後は、太陽の党、日本維新の会、次世代の党、日本のこころを経て希望の党へやってきた。
・行田議員と中山議員がよくわからない「改革保守」の旗印の下、並んで座っていること自体、筆者には全く理解できない。もはや政治信条は関係ないとしか思えない。 「なんとしても自民党を倒したい」という本気さは確かに伝わってくる。そのための選挙戦略としては取り得る中では、“最強の戦略”かもしれない。
・ただ、なんのために自民党を倒すのか、自民党の政策の何をどう批判しているのか、がさっぱりわからない。 「改革保守」とか「しがらみ脱却」やら、抽象的なキャッチコピーではなく、具体的な政策議論がほしい。政治屋にとっての希望は、有権者にとっては絶望でしかない。 選挙における主役は有権者だ。 誰の希望を叶える党なのか、具体的なビジョンを示してもらいたい。
http://diamond.jp/articles/-/144028

第三に、健康社会学者の河合 薫氏が10月3日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「“権力志向型”小池さんが率いる組織の運命は? リーダーと権力についての研究論文から」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・今回は「リーダーと権力」について考えてみる。 連日連夜の“情報劇”に、少々食傷気味かもしれないけれど、小池百合子都知事を巡る“騒動”から、権力について深堀りしようと思う。
・まずは、先週28日。小池氏は日本記者クラブで会見した際に、 「私が国政に戻るんじゃないか、と今日もテレビでは朝からそのことだらけ。『(都知事の)後継は誰が出る』までにぎわっている。だけど、私は今の国会が変わらない限りは、都政でしっかりと頑張る。でなければ、同じことを繰り返すだけ。私のエネルギーは都の方に置き、東京を引っ張っていくことが日本全体のプラスになっていく」 と言っていたけど、実はテレビがこぞって「小池百合子は国政に戻るぞ!」とフィーバーし始めた2日前の9月25日。 浜松町界隈では、既にその話題で持ち切りだった。
・25日といえば、午後から“子パンダ”が、夕方からは安倍首相が主役になる予定が、突然の希望の党立ち上げの記者会見で、“小池劇場”のゴングが鳴ったアノ日。 「選挙の公示日となる10月10日の前日の9日に、小池百合子都知事が、希望の党の比例区名簿トップで衆議院選に挑む」 という情報がいの一番に飛び込んできたのである。 情報ソースは、「インサイドライン」の編集長、歳川隆雄氏。
・「インサイドライン」とは、日本の政治、経済のインサイド(内幕)情報だけでなく、東アジア(中国・台湾、朝鮮半島)、ロシア、米国に関するインサイド情報を発信する日本唯一のニュースレターで、新聞・テレビなどマスメディアが伝えない(or 伝えられない)一次情報が盛り沢山…とされている(インサイドラインのホームページより)
・その日、私は毎週出演しているラジオ番組の生放送が15時半からのオンエアで、番組は小池氏の希望の党立ち上げの記者会見からスタート。 で、番組冒頭に電話出演した歳川氏が、“とっておきのネタ”として、先の「10月9日出馬表明」を伝えてくれたのだ。 歳川さん曰く、「女性初の総理大臣に絶対になりたい」という“野心”は半端なく強く、「これまでの行動はすべて“女性初の総理”になるための布石だった」と。
▽生放送スタジオは大興奮
・「小池さんはずっと、年齢も近いヒラリー・クリントンの戦い方を研究してきた。ヒラリーさんが昨年、トランプさんに破れたときの年齢が69歳。女性の年齢のことを言うのは失礼だが、小池さんは現在、65歳。つまり、国政に挑むラストチャンス。究極の後出しジャンケンで、公示日の前日の9日に、希望の党の比例名簿トップで衆議院に挑む」 と断言した。
・番組では当然ながら、小池氏への批判の嵐。 安倍首相の解散についてアレコレ議論する予定だったのが、突然の主人公の変更、マジか? と言葉を失う“事情通”の話に、番組も私も興奮モードで大いに盛り上がった。 改めて言うまでもなく豊洲も、築地も、でもってオリンピックも、何一つ解決していない状態で、「まさか本当じゃないよね。頼むから都知事の仕事、ちゃんと最後までやってくれよ」と、出演者もリスナーさんも呆れ果てた。
・が、その後時々刻々と情報が更新され、小泉元首相の都庁訪問、民進党との連携、連合との会談 etc etc……。  アウフヘーベン、インシャラーと、質問への回答を煙に巻き、リセットという若者が食いつきそうな言葉を乱用し……。 まだ、予測の段階ではあるけど、“念入りに練られた筋書き”に感服している。
・「勝負勘がすごい、女は恐い、女は度胸がある」――、 メディアにマイクを向けられた政治家たちのため息混じりのコメントも、 「小池さんが堂々と党首として出てくるべき」――、  といった他党の政治家たちのコメントも、 小池氏は、ずっとずっと前から、何十年も前から、政治家に用意された最後の椅子に座れるように、周囲がお膳立するストーリーが出来上がるように、虎視眈々と狙っていたんじゃないか、と。
・つまり、メディアも政治家も、そしてひょっとすると私たちも、小池氏にコントロールされているかも? なんて妄想までひろがり、あっぱれというかなんというか。ちっとも好意的に受け止めることにはできないのだが、「この混乱した状況で、次はどんな手を打ってくるのか」と、まるでドラマでも見ているような気分にさせられている。 (※上記の「比例名簿」の件は、28日(木曜日)に報ステも「空欄になっているので、小池さんが入るのではとの情報がある」と伝えていた)
・ちなみに小池氏の後任(都知事)に名前が上がっている希望の党のメンバーでもある前神奈川県知事で参議院議員の松沢成文さんは、件のラジオ番組に歳川さんのあとに電話出演し、 「小池さんの国政復帰は……さすがにないと思いますよ。ものすごい批判を浴びることはわかっているはずだし…。少なくとも私はそういった話は一切聞いた事がありません」 と、かなり動揺していた。 いずれにせよ、「希望を皆さんに抱いていただけるように経済への希望、政治への希望、暮らしへの希望、家計への希望、教育への希望、すべての希望をこれからしっかりと訴えたい」(28日 日本記者クラブの会見にて→こちら)――
▽権力者はたいてい狡猾だ
・ふむ。自分の希望がすべてなのだな、きっと。 そして、「都知事を途中で投げ出すなんて無責任だ!」と都民からいっせいに攻撃をされても、 「国政に関わることが、都政にプラスになる」 だのなんだのと、正当化するに違いない。 権力者は常に狡猾で、自分が自分の味方になる術も心得ていて、目的のためには手段を選ばないのではなく、あらゆる手段を吟味し、野心を果たすための「最適な手段」をチョイスする能力も高いのである。
・なんだか書いているだけでずっしり疲れてしまうのだが、権力者の狡猾さはいくつもの心理実験で確かめられている。 例えば、ある研究では「約束の時間に遅れそうだからスピード違反でクルマを走らせる」という行為について、「権力のある」グループと「権力のない」グループに分けて評価をさせたところ、権力のあるグループに属する人たちの多くが、「自分がスピード違反する行為」を「仕方がない」と回答。
・権力を持つ人間は、同じ行為を他者がやったときには、「法律に違反するなど、許せない行為だ!」と厳しく非難するのに、自らの行いには寛容であることが示されているのである。 今から15年ほど前の2003年。
“Power is the Great Motivator”というタイトルの論文が、話題となった。 筆者は米ハーバード大学名誉教授 D.C.マクレランド。
・長年、モチベーション研究に従事し、1976年に「作業場における従業員には、達成動機(欲求)、権力動機(欲求)、親和動機(欲求)の3つの主要な動機ないし欲求が存在する」という欲求理論を提唱した心理学者だ。 マクランド博士はこの論文で、優れたリーダーには「権力動機(欲求)」が必要不可欠と説き、「達成動機(欲求)」の高さこそが成功のカギとしてきたリーダーシップ理論に警鐘を鳴らした。
・「伝統的な組織心理学では、権威主義的なリーダーは悪弊とされてきたが、『権力を得たい、高い地位に就きたい』という欲求を持つ人こそが、リーダーとして成功者になる」とし、誰もがなんとなくわかっていたけど、なんとなく認めたくなかった現実を、実証研究で明らかにしたのである。
・調査は、米国の大企業25社の管理職500名を対象に実施。 まず最初に、職務に関する質問用紙に回答を記入してもらった。 さらに、さまざまな仕事の場面を示す絵についてストーリーを書いてもらい、これらをコード化し、得点を算出することで、以下の3つにリーダー分類した。
 モチベーション1:「親和欲求型」目標の達成より人とのつながりを大切にする。部下に好かれたい。
 モチベーション2:「目標達成型」掲げた目標を成し遂げようと行動することにやりがいを感じる。今まで以上の成果を出したい。
 モチベーション3:「権力志向型」仕事上の最大のモチベーションは権力を得ること、すなわち出世である。他人を動かす影響力を持ちたい。
・さらに、部下にもアンケート調査とヒアリングを行ない、さまざまな指標から上記の欲求タイプとチームの業績、組織内の影響力、目標達成、部下のやる気などとの関連を検証した。
▽ヒアリングでも意外? な結果が
・その結果、 調査対象となった管理職の70%が、一般の社員より権力欲求が高い。 親和欲求型は部下のやる気を低下させる傾向がある  権力欲求型は、業績、影響力、目標達成のすべてで、他の2タイプを上回った。
・また、部下のヒアリングからは、
 +「親和欲求型のリーダー」を持つ部下ほど、上司への不満が高い。このタイプのリーダーは、部下から好かれたいと思っているため、例外に走る傾向が高い。例えば、部下のひとりが病気の妻と子供を世話するので休暇を申し出たとする。それが規則では許可できないケースでも認めてしまうため、部下たちの不公平感をもたらす。
 +目標達成型のリーダー」は、何もかも自分でやり部下に任す事が出来ないので、部下のやる気が低下。部下たちは「自分は信頼されていない」と感じていた。
 「権力志向型のリーダー」を持つ部下は責任感が高く、自分は強いと感じている傾向が高い。
・つまり、優れたリーダーには「権力欲求」、俗っぽくいえば「野心」が必要不可欠。部下たちもまた、その野心家に魅せられ、モチベーションを高めることが詳細な調査で確かめられたのである。 ただし、例外がある。  マクランド博士は、「自己抑制力のない権力志向型は、組織を滅ぼす」と警告した。 「自己制御力の低いリーダーは、権力を組織のためではなく自分のために行使し、衝動的に権力を行使することも多い。彼らはしばしば他人に粗暴に振舞い、大酒を飲んだり、高級車を乗リ回すなど、個人的な威信を示すシンボルを集めたがる」(by マクランド)
・最近でいえば、Uberの前CEO、トラビス・カラニック氏がこのタイプだ。 この件についてはこちらをお読みいただければわかるが、想像を絶する数のセクハラやパワハラが問題となったとき、 「社内にはカラニック氏と親しい「Aチーム」と呼ばれる人たちがいて、ハイパフォーマーは何をやっても会社に容認されていたことが、明るみになった。社長がお墨付きを与えたハイパフォーマーには、人事部も手を出せず、黙認するしかなかった」とされている。
・そもそも、“権力者”は自分がいつも中心になるから、人の話を聞かなくなる。 次第に、“権力者”が法律となり、判断すべてが、“権力者”に委ねられ、人々は「考える」という、極めてめんどくさい作業と、「力のある人に意見する」という勇気のいる行動を、自ら放棄し、周辺もまた「権力者が権力を自分のために行使する」ことに結果的に荷担してしまうのだ。 例えば、モリカケ問題のように……。
▽リーダーに必要なのは、自分を支配する力だ
・つまり、リーダーに必要不可欠な“権力”とは、単なる個人的な権力とは全く別物で。 権力を欲しながらも溺れない自分をコントロールできる自制心を持つ人が、“真の権力者”となる。 自己を律する力(=自己制御力)なき権力者がリーダーとなった暁には、その先は暗雲が立ちこめていて、当人のみならず組織も悲惨な末路をたどる事になってしまうのである。
・さて、と。 「最高で最も困難な『ガラスの天井』は打ち破れませんでした。しかし、いつか誰かが、私たちが考えているよりも早く達成することでしょう」(by ヒラリー) という言葉を胸に都知事はどう戦うのだろうか。  野心家の都知事に自己制御力はあるのだろうか。 そういえばこんな興味深い研究結果もあるので紹介しておく。
▽専門家の意見を聞くプロセスは…
・権力者の中には「専門家の意見を聞く」プロセスを意思決定の場に組み込む者がいるが、この手法を好む権力者は社会を混乱させるリスクが高いとされている。 米国の心理学者のフィリップ・テトロックは、1980年代と1990年代に、数百人の専門家(政治家、政治学者、評論家など)を選び、ソ連崩壊、湾岸戦争、日本の不動産バブル、カナダのケベック州独立問題などの主要な出来事を予想させた。
・その結果、専門家の予想正解率は、偶然の一致より低かった。特に自分の予測に、自信を持っている専門家と、メディアに登場する回数が多い専門家の、予想正解率が極めて悪かった。また、専門家が、「絶対に起こらない」と予測した事象でも、そのうちの15%が実際に起こったという(著書『専門家の政治判断(expert political judgment)』)。
・さらに、1つの分野にだけ精通した専門家ほど、予想が当たらない傾向が高く、経験を重ねるたびに、予測精度が悪くなったのである。ところが困ったことに、どんなに予測が外れても、彼らは決して認めず、自己を正当化した。 そういえば、小池氏のブレーンは現在14人の外部顧問団との記事が、新聞に出ていましたっけね。
・「担当範囲は五輪や市場にとどまらず、入札改革から介護問題など幅広く、都幹部は『我々が説明をしても、聞いてもらえない』と嘆く」(こちら) 「国難」を乗り越え、「希望」に導くリーダーは、いったい誰なのか。考えれば考えるほど答えのない回答を求められているようで、うんざりしてしまうのであります。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/100200124/?P=1

第一の記事で、 『内閣官房は20日、「行政文書の管理において採るべき方策」を提示したが、批判を逆手に取って、政策決定の過程をますます不透明にする内容なのだから呆れる』、日本の官僚機構はいわば「焼け太り」を図った訳で、「敵」ながら「アッパレ」というしかない。
第二の記事で、 『改革保守とは何か 政治の世界に蔓延する抽象ワード』、小池都知事がまき散らす抽象的なキャッチコピーで騙される選挙民も残念ながらある程度いるのだろう。しかし、希望の党の肝心の候補者たちが、政治屋、“政党サーファー”ばかりというのでは、希望への「風」は当初の想定ほど吹かないのかも知れない。 『政治屋にとっての希望は、有権者にとっては絶望でしかない』、とは言い得て妙だ。
第三の記事で、 『マクランド博士はこの論文で、優れたリーダーには「権力動機(欲求)」が必要不可欠と説き、「達成動機(欲求)」の高さこそが成功のカギとしてきたリーダーシップ理論に警鐘を鳴らした』、 『優れたリーダーには「権力欲求」、俗っぽくいえば「野心」が必要不可欠。部下たちもまた、その野心家に魅せられ、モチベーションを高めることが詳細な調査で確かめられたのである。ただし、例外がある。 マクランド博士は、「自己抑制力のない権力志向型は、組織を滅ぼす」と警告した。 「自己制御力の低いリーダーは、権力を組織のためではなく自分のために行使し、衝動的に権力を行使することも多い』、などの指摘は面白い。さらに、 『“権力者”は自分がいつも中心になるから、人の話を聞かなくなる。 次第に、“権力者”が法律となり、判断すべてが、“権力者”に委ねられ、人々は「考える」という、極めてめんどくさい作業と、「力のある人に意見する」という勇気のいる行動を、自ら放棄し、周辺もまた「権力者が権力を自分のために行使する」ことに結果的に荷担してしまうのだ。 例えば、モリカケ問題のように……』、というのは、安部首相への強烈なあてつけだ。 『1つの分野にだけ精通した専門家ほど、予想が当たらない傾向が高く、経験を重ねるたびに、予測精度が悪くなったのである・・・小池氏のブレーンは現在14人の外部顧問団』、と小池氏にもあてつけているのが興味深い。
タグ:ダイヤモンド・オンライン 黒瀬徹一 新たな「方策」が実施されれば、こうした生々しいやりとりは記録されず、きれいに調整された当たり障りのない文書しか作成されなくなる恐れが大だ 省庁が他の省庁や民間企業などと協議や打ち合わせを行った際は、相手側の発言内容を先方に確認した上で議事録などの記録を残すとしている 判を逆手に取って、政策決定の過程をますます不透明にする内容なのだから呆れる 内閣官房は20日、「行政文書の管理において採るべき方策」を提示 真相解明につながる公文書が破棄されたり、そもそも作成されていなかったことが問題になった 森友・加計疑惑 小池氏のブレーンは現在14人の外部顧問団 内閣官房「行政文書は発言すり合わせて」 不透明化加速も 日刊ゲンダイ 小池都知事が何をしたいのか、よくわからない 、専門家の予想正解率は、偶然の一致より低かった。特に自分の予測に、自信を持っている専門家と、メディアに登場する回数が多い専門家の、予想正解率が極めて悪かった (その10)(:内閣官房「行政文書は発言すり合わせて」 不透明化加速も、小池都知事率いる「希望の党」に全く希望が見えない理由、“権力志向型”小池さんが率いる組織の運命は?) 日本の政治情勢 次第に、“権力者”が法律となり、判断すべてが、“権力者”に委ねられ、人々は「考える」という、極めてめんどくさい作業と、「力のある人に意見する」という勇気のいる行動を、自ら放棄し、周辺もまた「権力者が権力を自分のために行使する」ことに結果的に荷担してしまうのだ。 例えば、モリカケ問題のように……。 、「改革保守」という抽象的な理念と「日本をリセットする」というふわふわとした目的 そもそも、“権力者”は自分がいつも中心になるから、人の話を聞かなくなる よくわからない「国政への関与」の目的 小池都知事は何がしたいのか Uberの前CEO、トラビス・カラニック氏がこのタイプだ 「自己制御力の低いリーダーは、権力を組織のためではなく自分のために行使し、衝動的に権力を行使することも多い。彼らはしばしば他人に粗暴に振舞い、大酒を飲んだり、高級車を乗リ回すなど、個人的な威信を示すシンボルを集めたがる」(by マクランド) ただし、例外がある。  マクランド博士は、「自己抑制力のない権力志向型は、組織を滅ぼす」と警告した 優れたリーダーには「権力欲求」、俗っぽくいえば「野心」が必要不可欠。部下たちもまた、その野心家に魅せられ、モチベーションを高めることが詳細な調査で確かめられたのである 「伝統的な組織心理学では、権威主義的なリーダーは悪弊とされてきたが、『権力を得たい、高い地位に就きたい』という欲求を持つ人こそが、リーダーとして成功者になる」とし、誰もがなんとなくわかっていたけど、なんとなく認めたくなかった現実を、実証研究で明らかにしたのである マクランド博士はこの論文で、優れたリーダーには「権力動機(欲求)」が必要不可欠と説き、「達成動機(欲求)」の高さこそが成功のカギとしてきたリーダーシップ理論に警鐘を鳴らした ある研究では「約束の時間に遅れそうだからスピード違反でクルマを走らせる」という行為について、「権力のある」グループと「権力のない」グループに分けて評価をさせたところ、権力のあるグループに属する人たちの多くが、「自分がスピード違反する行為」を「仕方がない」と回答 権力者の狡猾さはいくつもの心理実験で確かめられている 権力者はたいてい狡猾だ 豊洲も、築地も、でもってオリンピックも、何一つ解決していない状態で、「まさか本当じゃないよね。頼むから都知事の仕事、ちゃんと最後までやってくれよ」と、出演者もリスナーさんも呆れ果てた リーダーと権力 「“権力志向型”小池さんが率いる組織の運命は? リーダーと権力についての研究論文から」 小池都知事率いる「希望の党」に全く希望が見えない理由 日経ビジネスオンライン 河合 薫 政治屋にとっての希望は、有権者にとっては絶望でしかない 中山恭子 行田邦子 築地・豊洲問題の決着に関する情報公開は、関係者が満足するレベルのものだったろうか 日本を「リセット」するのに「保守」とは言葉そのものに矛盾を感じる 改革保守とは何か 政治の世界に蔓延する抽象ワード 希望の党の設立、そして民進党との合流に全く希望を見いだしていない 都議会でも小池都知事の動きへの苦言が相次いだ どこかで聞いたことのある“使い古された言葉”のオンパレード
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