宗教(その12)(盗撮で逮捕の「山田養蜂場」専務が裏切った創価学会の教え 「実家は筋金入りの支援者で 熱心な政治活動も」、旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に、「安倍元首相の国葬」と「日本の宗教」について 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀が語り合う!) [社会]
宗教については、本年7月23日に取上げた。今日は、(その12)(盗撮で逮捕の「山田養蜂場」専務が裏切った創価学会の教え 「実家は筋金入りの支援者で 熱心な政治活動も」、旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に、「安倍元首相の国葬」と「日本の宗教」について 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀が語り合う!)である。
先ずは、8月30日付けデイリー新潮「盗撮で逮捕の「山田養蜂場」専務が裏切った創価学会の教え 「実家は筋金入りの支援者で、熱心な政治活動も」」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/08300556/?all=1
・『「パパ活」で知り合った27歳女性に入浴施設での盗撮を依頼していたなどとして逮捕された、「山田養蜂場」の山田満生専務取締役(33・8月14日付で役員から解任)。近隣住民が語る容疑者の素顔と、熱心な政治活動の内容とは――。 「お客様や弊社を支えてくださっている皆様に対し、申し訳ない気持ちしかございません」 と肩を落とすのは、山田養蜂場の広報担当者である。 お盆のニュースとなった同社の専務・山田容疑者の盗撮事件。容疑はSNSで知り合った女性に指示し、入浴施設の脱衣場で盗撮させ、動画を送らせたというもので、加えて、やはりSNSで知り合った17歳の女子高生にもわいせつ動画を送信させていたことが発覚。 「当社も報道で事件を初めて知ったんです」 と広報担当者が言う。 「お盆休みでしたが幹部が集まり、解任を決めました。本人にも連絡をしていますが、現状応答はありません。仕事ぶりに問題はなく、不自然な様子もなかったのでただただ驚いています」 容疑者は山田養蜂場の現社長・山田英生氏(66)の次男。同社は1948年創業のハチミツ製品製造・販売業者で、もともとは岡山県鏡野町に立つプレハブの小さな養蜂業者だったが、2代目の現社長が「ローヤルゼリー」の通信販売を手掛けて大ヒット。売り上げ約300億円を誇る優良企業になった。満生は2年前に専務に就任し、3代目としていずれ後を継ぐと見られていた。ちなみに子どもはいないが、既婚者である』、「広報担当者」のコメントはあるが、「現社長」のがないのは気になる。
・『屋根にドームと天体望遠鏡のある豪邸 「周りは農家ばかりだけど、あの家だけは金持ちでね」 とは、地元・鏡野町に住む容疑者の知人である。 「毎年夏には『山田養蜂場納涼祭』を主催し、最後に花火を打ち上げます。町に1億円を寄付したこともありましたよ。家もデカくて、満生が子どもの頃にお邪魔したことがあるけど、広い部屋にテレビが何台もあり、それぞれスーファミとかプレステとかゲーム機をつないで遊んでいましたね。トレーニング機器もジムみたいに並んでいましたよ」 同家は後に、隣地にも新たな“豪邸”を建設。ここには屋根にドームと天体望遠鏡があるという』、「屋根にドームと天体望遠鏡がある」のはともかく、「SNSで知り合った女性に指示し、入浴施設の脱衣場で盗撮させ、動画を送らせた」のは酷い話だ。
・『筋金入りの創価学会支援者 容疑者は、地元の小中学校を出た後、岡山を離れた。 「で、高校、大学を卒業後に戻り、お父さんの会社に入った。昔は素朴な少年でしたが、帰郷後は片手運転で愛車のプジョーを猛スピードで乗り回す、とっぽい男になっていてね。変わったなと思っていましたよ」 そんな矢先の事件だった。 「一家は昔から、創価学会の熱心な支持者でした」 と山田家の別の一面を明かすのは、さる地元の住民。 「初代の奥さんがハマってね。選挙の度に公明党議員への投票を呼び掛けていた。今の社長も若い頃は(学会の)青年部の会合に出ていたよ。満生も高校は関西創価高で、大学は創価大。筋金入りの支援者ですよ」 公明党関係者も言う。 「選挙になると、うちの候補者は山田さんの本社に行って応援をお願いしてきました。で、お土産に名簿やハチミツをもらうんです。創価大の卒業生もよく就職させてもらっていましたよ」 しかし創価学会は女性の権利擁護に熱心な団体だ。その教え子が「盗撮」でお縄とあれば、創価学会の尊い教えも、歪んだ性欲の前には無力だったということか。 山田養蜂場の広報は、 「当社は特定の政党を支援しておりません」』、「創価学会は女性の権利擁護に熱心な団体だ。その教え子が「盗撮」でお縄とあれば、創価学会の尊い教えも、歪んだ性欲の前には無力だったということか」、公明党も伸び悩んでいるが、本件は締まりのない話だ。
次に、9月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/328792
・「過払い金バブル」再びの機運 「あなたの払い過ぎたお金が戻ってきます!今すぐご確認を」 「ご家族の方でも大丈夫です、いつ払ったのか記憶が曖昧でも大丈夫です、今すぐお電話ください」 今からそう遠くない未来、テレビやラジオ、そしてネットやSNSでは朝から晩までこのような呼びかけが聞こえることになるだろう。弁護士や司法書士を介して払い過ぎたお金を取り戻す、いわゆる「過払い金返還」のCMが大量に流されるのだ。 「おいおい、そんなの今もバリバリ流れているよ」というツッコミが聞こえてきそうだが、未来の「過払金」請求先は、現在のような消費者金融やクレジットカード会社ではない。 日本全国にある宗教団体である。 近い将来、宗教団体に入信していた人が「だまされた」と訴えるだけで、これまで払った献金を過去にさかのぼって、簡単に取り戻せるような法整備がなされるかもしれない。今の「過払い金返還請求」のように、弁護士事務所で簡単な打ち合わせをして、事務員がマニュアルに沿って事務手続きをするだけで、献金やお布施が戻ってくる――。 もしこんな未来になったら、弁護士業界はウハウハだ。利益率が高いため、案件が多ければ多いほどもうかるので、冒頭のようなCMをバンバン流すはずだ。つまり、2010年頃から弁護士業界に巨額の利益をもたらした「過払い金バブル」が、今度は宗教団体をターゲットにして「再現」される可能性があるのだ。 何を根拠にそんな予想をするのかというと、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への解散請求がいよいよ秒読みになってきたからだ。 ●旧統一教会解散、請求の方針 政府、10月中旬で調整 近く過料申し立ても 地裁に(朝日新聞 9月3日) ●10月にも解散請求か 文科省が検討 7回質問権行使の旧統一教会に(FNNプライムオンライン 9月4日) 旧統一教会への解散請求が行われることが、なぜ冒頭で述べたような「過払い献金返還バブル」へとつながっていくのか。 わかりやすく言ってしまうと、「旧統一教会が組織的な違法行為をしていると国がお墨付きを与えると、ほとんどの宗教団体もアウトになる」からだ』、「近い将来、宗教団体に入信していた人が「だまされた」と訴えるだけで、これまで払った献金を過去にさかのぼって、簡単に取り戻せるような法整備がなされるかもしれない。今の「過払い金返還請求」のように、弁護士事務所で簡単な打ち合わせをして、事務員がマニュアルに沿って事務手続きをするだけで、献金やお布施が戻ってくる――。 もしこんな未来になったら、弁護士業界はウハウハだ。利益率が高いため、案件が多ければ多いほどもうかるので、冒頭のようなCMをバンバン流すはずだ。つまり、2010年頃から弁護士業界に巨額の利益をもたらした「過払い金バブル」が、今度は宗教団体をターゲットにして「再現」される可能性があるのだ』、「過払い献金返還」では、法律上の金利を超えるかという機械的判断が可能だったが、「だまされた」というのは、明確な判断基準が必要になり、それに即したものになるのだろう。出来たとしても、「過払い金」とは違って複雑だ。
・『旧統一教会への解散請求が通ると、アウトな団体は他にも続々? 旧統一教会だけが今回の解散請求に該当するのかどうかを、まず冷静に考えてみたい。 わかりやすいのは、元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏の見解だ。氏はかねてから旧統一教会の「組織的な違法性」を立証することが難しいと指摘してきた。 《旧統一教会に解散命令なら、電通も会社法に基づいて解散命令にしないと不公平。でも電通は解散すべきとはほとんどの人は言わないだろう。だから旧統一教会の解散も難しいと言ってきた》(23年2月2日) 《電通を解散させられないなら、民事の違法性、しかもほとんどが使用者責任の旧統一教会を解散することは困難》(同上) これはその通りで、これまでの解散請求は、地下鉄サリン事件を起こした「オウム真理教」と、詐欺罪で幹部が摘発された「明覚寺」の2件だけで、組織や幹部として明確な違法性が立証されている。これらの前例と、旧統一教会のケースはかけ離れている。 これまで旧統一教会幹部の逮捕者が出ていないことからもわかるように、本部が「霊感商法マニュアル」などを作成して、全国の信者に組織的な指示をしていたような証拠はどこにもない。 つまり、問題になっている霊感商法や高額な献金は、それぞれの信者が強すぎる信仰心を“こじらせた”結果であって、それをオウム真理教のような「組織的な違法性」と断罪するのは「拡大解釈」にもほどがあるのだ。 また、旧統一教会はマインドコントロールが悪質だと主張をしている人もいるが、お笑いコンビ・オセロ(現在はコンビ解散)の中島知子さんのことを思い出してみるといいだろう。彼女はかつて「占い師にマインドコントロールされた」とマスコミが大騒ぎをしていたことを振り返って「まったくデタラメ」と笑い話にして今は普通に地方でタレント活動をしている。つまり、マインドコントロールだなんだという批判・炎上は、反論しない人に対して、「言ったもん勝ち」的な側面が多々ある。 そもそも対象に心を奪われて、経済的に破滅するまでカネを突っ込むのは、ホストクラブにハマる女性やアイドルの追っかけでもよく見られる現象だし、創価学会などの他の有名宗教でも信仰のために、多額の献金をしたり、自宅や土地まで信仰のために捧げたりする人もいる。 「他の新興宗教は信仰心だけれど、旧統一教会は悪質なマインドコントロールだ」というのは、被害者などが感情的に訴える主張としてはわからなくもないが、それだけが解散請求の法的要件となるのは、さすがにありえない。 ただ、先ほども申し上げたように、既に政府は「解散請求ありき」で進んでいる』、「既に」、政府は「解散請求ありき」で進んでいる」、「法的要件」は固まった筈だが、どんなものだろうか。
・『宗教団体のビジネスモデル窮地? 森友・加計問題でも明らかになったように日本の官僚は、首相から直接命令を下されなくとも「忖度」をすることで、行政文書を改ざんするくらい優秀だ。だから、今回も「証拠」をこじつけるなど朝飯前だろう。 私の勝手な想像だが、「組織的な違法性の証拠はないけれど、組織的な違法性があると訴える被害者がいるということは、証拠にも匹敵するような証言なので解散請求できる」という方向性の見解が示されるのではないか。 これは世論的に拍手喝采で岸田政権の支持率もちょっぴり上向くかもしれない。しかし、全国の宗教団体からすれば、「死刑宣告」されたにも等しい暴論だ。 宗教団体というものは、神や仏だ、天国だ地獄だという超自然的な説法を信じる人々の寄付や献金によって運営されることが一般的だ。経済的な余裕のある信者や資産家の信者にはより多くの寄付を求める。これが基本的なビジネスモデルなので当然、信仰心をなくした人の中には「これまで金をだまし取りやがって」と被害を訴えることも少なくない。 誤解を恐れず言えば、あらゆる宗教団体には「被害を訴える人」がいる。信仰をやめた人は、その団体に不満や不信感があるからやめている。また、「今の自分」を肯定するには、過去の自分を「だまされていた」と否定しないとやっていられない。 だから、表立って被害者のいない宗教団体も、探して水を向ければ被害を訴えられる可能性がある。そういう被害者は、歴史が長くて信者数が多い教団ほど多いのだ』、「私の勝手な想像だが、「組織的な違法性の証拠はないけれど、組織的な違法性があると訴える被害者がいるということは、証拠にも匹敵するような証言なので解散請求できる」という方向性の見解が示されるのではないか・・・全国の宗教団体からすれば、「死刑宣告」されたにも等しい暴論だ」、これは行き過ぎで、もっと限定的にするべきだ。
・『他の宗教団体の元信者も「被害」を訴える可能性高まる さて、こういう構造的な問題がある中で、国が旧統一教会を「組織的な違法性あり」と法律的に認定すると、一体どういうことが起きるか。 他の有名宗教団体の元信者たちも「被害」を訴え始めるのではないか。 証拠がなくとも、「被害」を訴えるだけで教団を解散に追い込めると国が太鼓判を押したのだ。こんな心強い話を聞いて、黙っているわけがない。そうなると、弁護士も動く。「勝訴」が約束されているような戦いなので、広告などで「宗教被害者」の募集をかけて、宗教団体を相手どって、過去に払った献金を取り戻すなど集団訴訟を起こすのだ。 そして、判例が積み重なっていくうちに、手続きがもっと簡易になって、書類をやり取りするだけで宗教団体側も支払いに応じるようになる。かくして、冒頭で紹介した「過払い献金返還CM」が朝から晩まで流れるような弁護士業界の黄金時代が再びやってくる――というわけだ。 「宗教被害者を純粋に救済をしている弁護士さんたちが、この問題を過払い金バブルのような金もうけのネタにするわけがないだろ」というお叱りが飛んできそうだ。しかし、なぜ筆者がこのように考えるのかというと、まさしくその「過払い金バブル」がつくられていく時の弁護士業界のアクションや社会のムードが、現代の旧統一教会問題に対するそれらと、うり二つだからだ』、法理論抜きに「ムード」で立法するようなことはあり得ないし、また避けるべきだ。
・『「過払い金バブル」の前夜と今の空気が似ている そもそもなぜ「過払い金バブル」が起きたのかというと、2006年に最高裁判決で「グレーゾーン金利」が否定され、その後の貸金業法改正でも「廃止」されたからだ。 かつて消費者金融やカード会社は、利息制限法の上限金利(15〜20%)と出資法の上限金利(29.2%)間の高金利帯で貸し付けを行っていた。しかし、これによって返済ができず、いくつもの業者から借り入れをする多重債務者が増えた。このような「被害者」を救済する弁護士たちが「全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会」を設立して、国にクレーゾーン金利の廃止を訴えるとともに、消費者金融が多額の貸付ができない「総量規制」の法制化を求めていた。この背景には、消費者金融の武富士などの違法な取り立てが大きな社会問題になっていたことが大きい。 つまり、消費者金融と宗教団体という違いはあれど、「被害者」が社会的に関心を集めて、彼らを救済する弁護士グループが、政府に対して「被害者救済の法整備をせよ」とゴリゴリに求めていたという構図は現代とまったく同じだ。 しかも、「悪をぶっつぶせ」という社会ムードも似ている』、「政府に対して「被害者救済の法整備をせよ」とゴリゴリに求めていたという構図は現代とまったく同じだ。 しかも、「悪をぶっつぶせ」という社会ムードも似ている」、なるほど。
・『「日本は強盗とか流行しますよ」ヤミ金業者の言った通りに… 実はこの時代、筆者は月刊誌に寄稿したり、講演したりして、消費者金融への過度な規制を控えるべきだと警鐘を鳴らしていた。 当時、筆者は違法ビジネスやヤミ金によく取材をしていた。彼らは口をそろえて、グレーゾーン金利撤廃や総量規制を「ビジネスチャンス」だと語っていた。 年配の方ならわかるが、昔は「街金」と呼ばれる「無担保小口融資」の業者がいた。免許証などの本人確認だけで金を貸す。もちろん、貸す側もリスクがあるので出資法上限金利という高金利だ。ただ、こういう「無担保小口融資」をしているのは小さな業者なので、最高裁判決以降、過払い金返還請求でほとんど絶滅してしまった。 では、ここを利用をしていた人はどこへいくか。プロミスやアコムなどの消費者金融の大手は銀行傘下に入り、審査も厳しく総量規制で年収の3分の1しか借りられない。となると、「闇」に流れるしかないというわけだ。 2008年ごろに話を聞いたあるヤミ金業者は、「総量規制のおかげで大忙し」だとホクホク顔で語っていた。そして利息を払えなくなった者を、オレオレ詐欺の出し子などにあっせんしている、と笑っていた。 「これからの日本は強盗とか流行しますよ。私はやらせないけれど、やばい連中は金さえ回収できればいいんだから何でもやらせますよ。多重債務者の連中は、どこも金を貸してもらえないんだから、逆らえないでしょ」 確かに、彼らの言う通りになっている。昨今、大学生や無職の人がSNSで「闇バイト」に応募をして、詐欺や強盗のメンバーとして参加させられているが、なぜ「闇バイト」に応募をするのかというと、「低信用」でどこも金を貸してくれないからだ。学費や家賃で生活も困窮する中で、仕送りが何かの事情で途絶えたら、「闇バイト」に応募するしかない、というのが現実だ。 そんな話を、筆者は金融庁のヒアリングに呼ばれて報告もしたが、「難しい問題ですねえ」なんて言われて終わった。当時の金融庁幹部を、ヤミ金業者に実際ひき会わせて話を聞いてもらったりしたが、政策は特に変わらなかった。むしろ、そういうことをやればやるほど、「消費者金融からいくらもらっているんだ」とか「サラ金御用達ライター」とか叩かれるので、面倒臭くなってあきらめた。 今回も似た匂いがプンプンしている』、「なぜ「闇バイト」に応募をするのかというと、「低信用」でどこも金を貸してくれないからだ。学費や家賃で生活も困窮する中で、仕送りが何かの事情で途絶えたら、「闇バイト」に応募するしかない、というのが現実だ」、その通りだ。
・『「受け皿」がなくなると、「闇」に飲み込まれる人が増える 旧統一教会の解散請求をして、宗教法人格をはく奪したところで、税制上の優遇を受けられなくなるだけで、信者の多くは「じゃあカトリックに改宗するか」なんてことにはならない。活動が地下に潜るだけなので、被害者救済も難しくなるなどデメリットも多い。 こういう問題が生じる以上、宗教法人として解散すれば、めでたしめでたし…という単純な話ではない。教団改革の行方を見守っていくためにも、もっと慎重に判断したらどうかと言いたいのだが、ここでも「リテラシーのない旧統一教会御用達ライターは引っ込んでろ!」と叩かれる。 問題が指摘される世界の人々を「善」か「悪」でしか判断せず、存在を認めるか、抹殺をするか、という極論がまかり通っているムードが、「多重債務者救済のため、高金利の無担保小口融資を廃業に追い込め」と正義の弁護士が絶叫していたあの時代とそっくりだ。 弁護士業界は再び「過払い献金バブル」到来でうれしいかもしれないが、多くの宗教団体は経営難に追いやられるので、自主的に解散するところも出てくるだろう。しかし、神や仏に救い求める人たちは必ず存在するので、「新たな受け皿」として、「ヤミ宗教」が横行するかもしれない。宗教法人格を持たないので、行政や自治体のチェックも働かない。高額献金も霊感商法もやりたい放題だし、マルチ商法などとかけ合わせることも可能だ。 暴力団を使用者責任で規制したら、盃を受けない半グレが増えて結果、警察が把握しにくい「かたぎを利用した地下ビジネス」が広まったのと同じ構図が、宗教界でも起きるかもしれない。 旧統一教会を解散させたところで、宗教被害者は消えない。むしろ、宗教法人という「受け皿」をつぶしていけばいくほど、「闇」に飲み込まれる被害者が増えることを忘れてはいけない』、宗教法人一般を対象とせずに、悪質なものに限定して禁止するような形にすべきだ。
第三に、9月22日付け現代ビジネスが掲載した東京大学名誉教授・解剖学者の養老 孟司氏、脳科学者の 茂木 健一郎氏、批評家・作家の東 浩紀氏らの対談「「安倍元首相の国葬」と「日本の宗教」について、養老孟司・茂木健一郎・東浩紀が語り合う!」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/116054?imp=0
・『昨年9月、安倍元首相の国葬が、激しい議論のなか執り行われました。 それぞれの形で国葬に接した養老孟司・茂木健一郎・東浩紀の3氏が、「死を悼む」を切り口に、「戦後日本の歪み」について語り合いました。 【*本記事は、養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著『日本の歪み』(9月21日発売)から抜粋・編集したものです】』、興味深そうだ。
・『献花に訪れた人々の「無味乾燥」な長蛇の列 東 安倍晋三元首相の国葬の日、僕は九段下に一般向けの献花に訪れる人を見に行きました。献花台は靖国通りの武道館側の歩道に設けられていて、いちおう葬儀会場である日本武道館のほうに向いてはいたものの、かなり遠い。安倍さんの写真はあるものの、そもそも一日限りの金属の仮組みでしかない。 そこに花を手向けることでは心は満たされないのでしょう。人々がそのあとどうしたかと言えば、かなりの人が道路を渡って向かい側にある靖国神社に行っていたのが印象的でした。 安倍さんの死を悼みに来た人が靖国神社に参拝する。それが意味するのは、実質的に安倍さんは靖国神社に祀られてしまったということです。 ちょうどその前にイギリスのエリザベス女王が亡くなり、ウェストミンスター寺院で葬儀が行われました。国家元首の葬儀が宗教性を帯びるのは当然のことです。しかし日本ではそれができない。なぜできないかといえば、要は敗戦したからです。 戦後にGHQの草案で作られた憲法では、国家が宗教的活動をすること、公金を供することを禁じている。だから体育館で葬儀をやるしかない。でもそれには根本的に無理がある。だから人々は近くの神社に行く。宗教色をなくした追悼なんてできないんです。やっても機能しないんですよ。 炎天下に喪服を着てわざわざ九段下まで来て献花に並ぶ人たちは、それなりの強い気持ちをもって追悼に来ている。そういう一般弔問客をどう遇するかも、本来は国が考えなければいけないことです。しかし実際にはありふれた巨大イベントへ誘導するかのように、無味乾燥な長蛇の列に並ばせただけだった。 日本は死を悼む気持ちの受け皿すら作れないのだなと、その光景に日本の衰退を感じました。場当たり的な対応を繰り返し、なんとなくなんとかなっているように見えても、ベースのところで人心の荒廃が進んでいるように思います』、「そこに花を手向けることでは心は満たされないのでしょう。人々がそのあとどうしたかと言えば、かなりの人が道路を渡って向かい側にある靖国神社に行っていたのが印象的でした。 安倍さんの死を悼みに来た人が靖国神社に参拝する。それが意味するのは、実質的に安倍さんは靖国神社に祀られてしまったということです」、「炎天下に喪服を着てわざわざ九段下まで来て献花に並ぶ人たちは、それなりの強い気持ちをもって追悼に来ている。そういう一般弔問客をどう遇するかも、本来は国が考えなければいけないことです。しかし実際にはありふれた巨大イベントへ誘導するかのように、無味乾燥な長蛇の列に並ばせただけだった。 日本は死を悼む気持ちの受け皿すら作れないのだなと、その光景に日本の衰退を感じました。場当たり的な対応を繰り返し、なんとなくなんとかなっているように見えても、ベースのところで人心の荒廃が進んでいるように思います」、なるほど。
・『心の着地点が失われてしまった 茂木 僕は国葬の日、武道館で参列していましたが、儀式の形式を宗教的に中立的なものにすることで、何かが形骸化しているように感じました。そしてそれは、現代日本そのものの姿のように思いました。 私は科学者であり、現在得られている知見に照らして、知的な意味で全面的に肯定できる既存の宗教はないと感じています。一方で、生活人としての、あるいは関係性の中での自然な心の動きはその限りではない。宗教的なものを排除することで、心の着地点が失われてしまっている。 前に手塚治虫のトキワ荘マンガミュージアムに行ったときも、なんか落ち着かない感じがありました。「手塚治虫神社」があればよかったのかな(笑)。本来は心の落ち着かせ方の文化は土地ごとにそれぞれにあったはずですが、日本の場合にはそれが混乱しているのかもしれないですね。) 東 夏に盆踊りが小学校の校庭で行われたりしますが、あれも本当は神社とか森でやるべきものですよね。どういう理屈で校庭になったのかわかりませんが、神社でやると宗教行事で、校庭でやると自治体の無宗教行事になるんでしょうか。 いずれにせよ、戦後のこの国は、もともともっていた人の心を安定させるリソースのようなものを、かなり使えなくしてしまっているように思います。それが効率の悪さを生んでいる気がしてなりません』、「戦後のこの国は、もともともっていた人の心を安定させるリソースのようなものを、かなり使えなくしてしまっているように思います。それが効率の悪さを生んでいる気がしてなりません」、なるほど。
・『「家」制度が消えて、失われたもの 養老 非常に面白い視点でした。僕は、虫塚というのを作って六月四日の虫の日に供養しています。人間のほうも、最近、「墓じまい」などお墓の問題が出ていますが、その問題が出てきたのは家制度を壊したからですね。僕はこれは、戦後社会にとって九条より大きな問題だと思っています。 家制度を壊したことで個人が露出したわけですが、前に東さんが言ったように、元来、日本に「個人」はなかった。日本の民主主義は「家」の平等で、個人で成り立つものではなかったんです。それが「家」という制度が消えて、急に「個人」になったことで墓も先祖も繫がらなくなった。そうすると日常生活の時間的な存続を、どこに落ち着かせていいのかわからなくなります。 そういうことも考えて、虫塚を作りました。虫を供養するだけじゃなくて、虫が好きな人が死んだら、名札でも入れて一緒に供養したらどうかと。) 茂木くんの言う手塚神社じゃないけど、マンガ好きな人はそこに祀るとか、そういうものを作っていかなきゃいけない時代になったのかなと思います。家制度がもっていた時間的な継続性が消えてしまって、仏壇も神棚もないマンション暮らしでは、「いま」だけになるのは当然です。 東 そういえば、自衛隊の市ヶ谷駐屯地に職務中に殉職した方々を慰霊する場所があるのですが、そこの名前は「メモリアルゾーン」だそうです。カタカナなんです。 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著『日本の歪み』(9月21日発売)は、「考えたくなかった」戦後日本の論点を徹底討論!』、「元来、日本に「個人」はなかった。日本の民主主義は「家」の平等で、個人で成り立つものではなかったんです。それが「家」という制度が消えて、急に「個人」になったことで墓も先祖も繫がらなくなった。そうすると日常生活の時間的な存続を、どこに落ち着かせていいのかわからなくなります。 そういうことも考えて、虫塚を作りました」、なるほど。
先ずは、8月30日付けデイリー新潮「盗撮で逮捕の「山田養蜂場」専務が裏切った創価学会の教え 「実家は筋金入りの支援者で、熱心な政治活動も」」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/08300556/?all=1
・『「パパ活」で知り合った27歳女性に入浴施設での盗撮を依頼していたなどとして逮捕された、「山田養蜂場」の山田満生専務取締役(33・8月14日付で役員から解任)。近隣住民が語る容疑者の素顔と、熱心な政治活動の内容とは――。 「お客様や弊社を支えてくださっている皆様に対し、申し訳ない気持ちしかございません」 と肩を落とすのは、山田養蜂場の広報担当者である。 お盆のニュースとなった同社の専務・山田容疑者の盗撮事件。容疑はSNSで知り合った女性に指示し、入浴施設の脱衣場で盗撮させ、動画を送らせたというもので、加えて、やはりSNSで知り合った17歳の女子高生にもわいせつ動画を送信させていたことが発覚。 「当社も報道で事件を初めて知ったんです」 と広報担当者が言う。 「お盆休みでしたが幹部が集まり、解任を決めました。本人にも連絡をしていますが、現状応答はありません。仕事ぶりに問題はなく、不自然な様子もなかったのでただただ驚いています」 容疑者は山田養蜂場の現社長・山田英生氏(66)の次男。同社は1948年創業のハチミツ製品製造・販売業者で、もともとは岡山県鏡野町に立つプレハブの小さな養蜂業者だったが、2代目の現社長が「ローヤルゼリー」の通信販売を手掛けて大ヒット。売り上げ約300億円を誇る優良企業になった。満生は2年前に専務に就任し、3代目としていずれ後を継ぐと見られていた。ちなみに子どもはいないが、既婚者である』、「広報担当者」のコメントはあるが、「現社長」のがないのは気になる。
・『屋根にドームと天体望遠鏡のある豪邸 「周りは農家ばかりだけど、あの家だけは金持ちでね」 とは、地元・鏡野町に住む容疑者の知人である。 「毎年夏には『山田養蜂場納涼祭』を主催し、最後に花火を打ち上げます。町に1億円を寄付したこともありましたよ。家もデカくて、満生が子どもの頃にお邪魔したことがあるけど、広い部屋にテレビが何台もあり、それぞれスーファミとかプレステとかゲーム機をつないで遊んでいましたね。トレーニング機器もジムみたいに並んでいましたよ」 同家は後に、隣地にも新たな“豪邸”を建設。ここには屋根にドームと天体望遠鏡があるという』、「屋根にドームと天体望遠鏡がある」のはともかく、「SNSで知り合った女性に指示し、入浴施設の脱衣場で盗撮させ、動画を送らせた」のは酷い話だ。
・『筋金入りの創価学会支援者 容疑者は、地元の小中学校を出た後、岡山を離れた。 「で、高校、大学を卒業後に戻り、お父さんの会社に入った。昔は素朴な少年でしたが、帰郷後は片手運転で愛車のプジョーを猛スピードで乗り回す、とっぽい男になっていてね。変わったなと思っていましたよ」 そんな矢先の事件だった。 「一家は昔から、創価学会の熱心な支持者でした」 と山田家の別の一面を明かすのは、さる地元の住民。 「初代の奥さんがハマってね。選挙の度に公明党議員への投票を呼び掛けていた。今の社長も若い頃は(学会の)青年部の会合に出ていたよ。満生も高校は関西創価高で、大学は創価大。筋金入りの支援者ですよ」 公明党関係者も言う。 「選挙になると、うちの候補者は山田さんの本社に行って応援をお願いしてきました。で、お土産に名簿やハチミツをもらうんです。創価大の卒業生もよく就職させてもらっていましたよ」 しかし創価学会は女性の権利擁護に熱心な団体だ。その教え子が「盗撮」でお縄とあれば、創価学会の尊い教えも、歪んだ性欲の前には無力だったということか。 山田養蜂場の広報は、 「当社は特定の政党を支援しておりません」』、「創価学会は女性の権利擁護に熱心な団体だ。その教え子が「盗撮」でお縄とあれば、創価学会の尊い教えも、歪んだ性欲の前には無力だったということか」、公明党も伸び悩んでいるが、本件は締まりのない話だ。
次に、9月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/328792
・「過払い金バブル」再びの機運 「あなたの払い過ぎたお金が戻ってきます!今すぐご確認を」 「ご家族の方でも大丈夫です、いつ払ったのか記憶が曖昧でも大丈夫です、今すぐお電話ください」 今からそう遠くない未来、テレビやラジオ、そしてネットやSNSでは朝から晩までこのような呼びかけが聞こえることになるだろう。弁護士や司法書士を介して払い過ぎたお金を取り戻す、いわゆる「過払い金返還」のCMが大量に流されるのだ。 「おいおい、そんなの今もバリバリ流れているよ」というツッコミが聞こえてきそうだが、未来の「過払金」請求先は、現在のような消費者金融やクレジットカード会社ではない。 日本全国にある宗教団体である。 近い将来、宗教団体に入信していた人が「だまされた」と訴えるだけで、これまで払った献金を過去にさかのぼって、簡単に取り戻せるような法整備がなされるかもしれない。今の「過払い金返還請求」のように、弁護士事務所で簡単な打ち合わせをして、事務員がマニュアルに沿って事務手続きをするだけで、献金やお布施が戻ってくる――。 もしこんな未来になったら、弁護士業界はウハウハだ。利益率が高いため、案件が多ければ多いほどもうかるので、冒頭のようなCMをバンバン流すはずだ。つまり、2010年頃から弁護士業界に巨額の利益をもたらした「過払い金バブル」が、今度は宗教団体をターゲットにして「再現」される可能性があるのだ。 何を根拠にそんな予想をするのかというと、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への解散請求がいよいよ秒読みになってきたからだ。 ●旧統一教会解散、請求の方針 政府、10月中旬で調整 近く過料申し立ても 地裁に(朝日新聞 9月3日) ●10月にも解散請求か 文科省が検討 7回質問権行使の旧統一教会に(FNNプライムオンライン 9月4日) 旧統一教会への解散請求が行われることが、なぜ冒頭で述べたような「過払い献金返還バブル」へとつながっていくのか。 わかりやすく言ってしまうと、「旧統一教会が組織的な違法行為をしていると国がお墨付きを与えると、ほとんどの宗教団体もアウトになる」からだ』、「近い将来、宗教団体に入信していた人が「だまされた」と訴えるだけで、これまで払った献金を過去にさかのぼって、簡単に取り戻せるような法整備がなされるかもしれない。今の「過払い金返還請求」のように、弁護士事務所で簡単な打ち合わせをして、事務員がマニュアルに沿って事務手続きをするだけで、献金やお布施が戻ってくる――。 もしこんな未来になったら、弁護士業界はウハウハだ。利益率が高いため、案件が多ければ多いほどもうかるので、冒頭のようなCMをバンバン流すはずだ。つまり、2010年頃から弁護士業界に巨額の利益をもたらした「過払い金バブル」が、今度は宗教団体をターゲットにして「再現」される可能性があるのだ』、「過払い献金返還」では、法律上の金利を超えるかという機械的判断が可能だったが、「だまされた」というのは、明確な判断基準が必要になり、それに即したものになるのだろう。出来たとしても、「過払い金」とは違って複雑だ。
・『旧統一教会への解散請求が通ると、アウトな団体は他にも続々? 旧統一教会だけが今回の解散請求に該当するのかどうかを、まず冷静に考えてみたい。 わかりやすいのは、元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏の見解だ。氏はかねてから旧統一教会の「組織的な違法性」を立証することが難しいと指摘してきた。 《旧統一教会に解散命令なら、電通も会社法に基づいて解散命令にしないと不公平。でも電通は解散すべきとはほとんどの人は言わないだろう。だから旧統一教会の解散も難しいと言ってきた》(23年2月2日) 《電通を解散させられないなら、民事の違法性、しかもほとんどが使用者責任の旧統一教会を解散することは困難》(同上) これはその通りで、これまでの解散請求は、地下鉄サリン事件を起こした「オウム真理教」と、詐欺罪で幹部が摘発された「明覚寺」の2件だけで、組織や幹部として明確な違法性が立証されている。これらの前例と、旧統一教会のケースはかけ離れている。 これまで旧統一教会幹部の逮捕者が出ていないことからもわかるように、本部が「霊感商法マニュアル」などを作成して、全国の信者に組織的な指示をしていたような証拠はどこにもない。 つまり、問題になっている霊感商法や高額な献金は、それぞれの信者が強すぎる信仰心を“こじらせた”結果であって、それをオウム真理教のような「組織的な違法性」と断罪するのは「拡大解釈」にもほどがあるのだ。 また、旧統一教会はマインドコントロールが悪質だと主張をしている人もいるが、お笑いコンビ・オセロ(現在はコンビ解散)の中島知子さんのことを思い出してみるといいだろう。彼女はかつて「占い師にマインドコントロールされた」とマスコミが大騒ぎをしていたことを振り返って「まったくデタラメ」と笑い話にして今は普通に地方でタレント活動をしている。つまり、マインドコントロールだなんだという批判・炎上は、反論しない人に対して、「言ったもん勝ち」的な側面が多々ある。 そもそも対象に心を奪われて、経済的に破滅するまでカネを突っ込むのは、ホストクラブにハマる女性やアイドルの追っかけでもよく見られる現象だし、創価学会などの他の有名宗教でも信仰のために、多額の献金をしたり、自宅や土地まで信仰のために捧げたりする人もいる。 「他の新興宗教は信仰心だけれど、旧統一教会は悪質なマインドコントロールだ」というのは、被害者などが感情的に訴える主張としてはわからなくもないが、それだけが解散請求の法的要件となるのは、さすがにありえない。 ただ、先ほども申し上げたように、既に政府は「解散請求ありき」で進んでいる』、「既に」、政府は「解散請求ありき」で進んでいる」、「法的要件」は固まった筈だが、どんなものだろうか。
・『宗教団体のビジネスモデル窮地? 森友・加計問題でも明らかになったように日本の官僚は、首相から直接命令を下されなくとも「忖度」をすることで、行政文書を改ざんするくらい優秀だ。だから、今回も「証拠」をこじつけるなど朝飯前だろう。 私の勝手な想像だが、「組織的な違法性の証拠はないけれど、組織的な違法性があると訴える被害者がいるということは、証拠にも匹敵するような証言なので解散請求できる」という方向性の見解が示されるのではないか。 これは世論的に拍手喝采で岸田政権の支持率もちょっぴり上向くかもしれない。しかし、全国の宗教団体からすれば、「死刑宣告」されたにも等しい暴論だ。 宗教団体というものは、神や仏だ、天国だ地獄だという超自然的な説法を信じる人々の寄付や献金によって運営されることが一般的だ。経済的な余裕のある信者や資産家の信者にはより多くの寄付を求める。これが基本的なビジネスモデルなので当然、信仰心をなくした人の中には「これまで金をだまし取りやがって」と被害を訴えることも少なくない。 誤解を恐れず言えば、あらゆる宗教団体には「被害を訴える人」がいる。信仰をやめた人は、その団体に不満や不信感があるからやめている。また、「今の自分」を肯定するには、過去の自分を「だまされていた」と否定しないとやっていられない。 だから、表立って被害者のいない宗教団体も、探して水を向ければ被害を訴えられる可能性がある。そういう被害者は、歴史が長くて信者数が多い教団ほど多いのだ』、「私の勝手な想像だが、「組織的な違法性の証拠はないけれど、組織的な違法性があると訴える被害者がいるということは、証拠にも匹敵するような証言なので解散請求できる」という方向性の見解が示されるのではないか・・・全国の宗教団体からすれば、「死刑宣告」されたにも等しい暴論だ」、これは行き過ぎで、もっと限定的にするべきだ。
・『他の宗教団体の元信者も「被害」を訴える可能性高まる さて、こういう構造的な問題がある中で、国が旧統一教会を「組織的な違法性あり」と法律的に認定すると、一体どういうことが起きるか。 他の有名宗教団体の元信者たちも「被害」を訴え始めるのではないか。 証拠がなくとも、「被害」を訴えるだけで教団を解散に追い込めると国が太鼓判を押したのだ。こんな心強い話を聞いて、黙っているわけがない。そうなると、弁護士も動く。「勝訴」が約束されているような戦いなので、広告などで「宗教被害者」の募集をかけて、宗教団体を相手どって、過去に払った献金を取り戻すなど集団訴訟を起こすのだ。 そして、判例が積み重なっていくうちに、手続きがもっと簡易になって、書類をやり取りするだけで宗教団体側も支払いに応じるようになる。かくして、冒頭で紹介した「過払い献金返還CM」が朝から晩まで流れるような弁護士業界の黄金時代が再びやってくる――というわけだ。 「宗教被害者を純粋に救済をしている弁護士さんたちが、この問題を過払い金バブルのような金もうけのネタにするわけがないだろ」というお叱りが飛んできそうだ。しかし、なぜ筆者がこのように考えるのかというと、まさしくその「過払い金バブル」がつくられていく時の弁護士業界のアクションや社会のムードが、現代の旧統一教会問題に対するそれらと、うり二つだからだ』、法理論抜きに「ムード」で立法するようなことはあり得ないし、また避けるべきだ。
・『「過払い金バブル」の前夜と今の空気が似ている そもそもなぜ「過払い金バブル」が起きたのかというと、2006年に最高裁判決で「グレーゾーン金利」が否定され、その後の貸金業法改正でも「廃止」されたからだ。 かつて消費者金融やカード会社は、利息制限法の上限金利(15〜20%)と出資法の上限金利(29.2%)間の高金利帯で貸し付けを行っていた。しかし、これによって返済ができず、いくつもの業者から借り入れをする多重債務者が増えた。このような「被害者」を救済する弁護士たちが「全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会」を設立して、国にクレーゾーン金利の廃止を訴えるとともに、消費者金融が多額の貸付ができない「総量規制」の法制化を求めていた。この背景には、消費者金融の武富士などの違法な取り立てが大きな社会問題になっていたことが大きい。 つまり、消費者金融と宗教団体という違いはあれど、「被害者」が社会的に関心を集めて、彼らを救済する弁護士グループが、政府に対して「被害者救済の法整備をせよ」とゴリゴリに求めていたという構図は現代とまったく同じだ。 しかも、「悪をぶっつぶせ」という社会ムードも似ている』、「政府に対して「被害者救済の法整備をせよ」とゴリゴリに求めていたという構図は現代とまったく同じだ。 しかも、「悪をぶっつぶせ」という社会ムードも似ている」、なるほど。
・『「日本は強盗とか流行しますよ」ヤミ金業者の言った通りに… 実はこの時代、筆者は月刊誌に寄稿したり、講演したりして、消費者金融への過度な規制を控えるべきだと警鐘を鳴らしていた。 当時、筆者は違法ビジネスやヤミ金によく取材をしていた。彼らは口をそろえて、グレーゾーン金利撤廃や総量規制を「ビジネスチャンス」だと語っていた。 年配の方ならわかるが、昔は「街金」と呼ばれる「無担保小口融資」の業者がいた。免許証などの本人確認だけで金を貸す。もちろん、貸す側もリスクがあるので出資法上限金利という高金利だ。ただ、こういう「無担保小口融資」をしているのは小さな業者なので、最高裁判決以降、過払い金返還請求でほとんど絶滅してしまった。 では、ここを利用をしていた人はどこへいくか。プロミスやアコムなどの消費者金融の大手は銀行傘下に入り、審査も厳しく総量規制で年収の3分の1しか借りられない。となると、「闇」に流れるしかないというわけだ。 2008年ごろに話を聞いたあるヤミ金業者は、「総量規制のおかげで大忙し」だとホクホク顔で語っていた。そして利息を払えなくなった者を、オレオレ詐欺の出し子などにあっせんしている、と笑っていた。 「これからの日本は強盗とか流行しますよ。私はやらせないけれど、やばい連中は金さえ回収できればいいんだから何でもやらせますよ。多重債務者の連中は、どこも金を貸してもらえないんだから、逆らえないでしょ」 確かに、彼らの言う通りになっている。昨今、大学生や無職の人がSNSで「闇バイト」に応募をして、詐欺や強盗のメンバーとして参加させられているが、なぜ「闇バイト」に応募をするのかというと、「低信用」でどこも金を貸してくれないからだ。学費や家賃で生活も困窮する中で、仕送りが何かの事情で途絶えたら、「闇バイト」に応募するしかない、というのが現実だ。 そんな話を、筆者は金融庁のヒアリングに呼ばれて報告もしたが、「難しい問題ですねえ」なんて言われて終わった。当時の金融庁幹部を、ヤミ金業者に実際ひき会わせて話を聞いてもらったりしたが、政策は特に変わらなかった。むしろ、そういうことをやればやるほど、「消費者金融からいくらもらっているんだ」とか「サラ金御用達ライター」とか叩かれるので、面倒臭くなってあきらめた。 今回も似た匂いがプンプンしている』、「なぜ「闇バイト」に応募をするのかというと、「低信用」でどこも金を貸してくれないからだ。学費や家賃で生活も困窮する中で、仕送りが何かの事情で途絶えたら、「闇バイト」に応募するしかない、というのが現実だ」、その通りだ。
・『「受け皿」がなくなると、「闇」に飲み込まれる人が増える 旧統一教会の解散請求をして、宗教法人格をはく奪したところで、税制上の優遇を受けられなくなるだけで、信者の多くは「じゃあカトリックに改宗するか」なんてことにはならない。活動が地下に潜るだけなので、被害者救済も難しくなるなどデメリットも多い。 こういう問題が生じる以上、宗教法人として解散すれば、めでたしめでたし…という単純な話ではない。教団改革の行方を見守っていくためにも、もっと慎重に判断したらどうかと言いたいのだが、ここでも「リテラシーのない旧統一教会御用達ライターは引っ込んでろ!」と叩かれる。 問題が指摘される世界の人々を「善」か「悪」でしか判断せず、存在を認めるか、抹殺をするか、という極論がまかり通っているムードが、「多重債務者救済のため、高金利の無担保小口融資を廃業に追い込め」と正義の弁護士が絶叫していたあの時代とそっくりだ。 弁護士業界は再び「過払い献金バブル」到来でうれしいかもしれないが、多くの宗教団体は経営難に追いやられるので、自主的に解散するところも出てくるだろう。しかし、神や仏に救い求める人たちは必ず存在するので、「新たな受け皿」として、「ヤミ宗教」が横行するかもしれない。宗教法人格を持たないので、行政や自治体のチェックも働かない。高額献金も霊感商法もやりたい放題だし、マルチ商法などとかけ合わせることも可能だ。 暴力団を使用者責任で規制したら、盃を受けない半グレが増えて結果、警察が把握しにくい「かたぎを利用した地下ビジネス」が広まったのと同じ構図が、宗教界でも起きるかもしれない。 旧統一教会を解散させたところで、宗教被害者は消えない。むしろ、宗教法人という「受け皿」をつぶしていけばいくほど、「闇」に飲み込まれる被害者が増えることを忘れてはいけない』、宗教法人一般を対象とせずに、悪質なものに限定して禁止するような形にすべきだ。
第三に、9月22日付け現代ビジネスが掲載した東京大学名誉教授・解剖学者の養老 孟司氏、脳科学者の 茂木 健一郎氏、批評家・作家の東 浩紀氏らの対談「「安倍元首相の国葬」と「日本の宗教」について、養老孟司・茂木健一郎・東浩紀が語り合う!」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/116054?imp=0
・『昨年9月、安倍元首相の国葬が、激しい議論のなか執り行われました。 それぞれの形で国葬に接した養老孟司・茂木健一郎・東浩紀の3氏が、「死を悼む」を切り口に、「戦後日本の歪み」について語り合いました。 【*本記事は、養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著『日本の歪み』(9月21日発売)から抜粋・編集したものです】』、興味深そうだ。
・『献花に訪れた人々の「無味乾燥」な長蛇の列 東 安倍晋三元首相の国葬の日、僕は九段下に一般向けの献花に訪れる人を見に行きました。献花台は靖国通りの武道館側の歩道に設けられていて、いちおう葬儀会場である日本武道館のほうに向いてはいたものの、かなり遠い。安倍さんの写真はあるものの、そもそも一日限りの金属の仮組みでしかない。 そこに花を手向けることでは心は満たされないのでしょう。人々がそのあとどうしたかと言えば、かなりの人が道路を渡って向かい側にある靖国神社に行っていたのが印象的でした。 安倍さんの死を悼みに来た人が靖国神社に参拝する。それが意味するのは、実質的に安倍さんは靖国神社に祀られてしまったということです。 ちょうどその前にイギリスのエリザベス女王が亡くなり、ウェストミンスター寺院で葬儀が行われました。国家元首の葬儀が宗教性を帯びるのは当然のことです。しかし日本ではそれができない。なぜできないかといえば、要は敗戦したからです。 戦後にGHQの草案で作られた憲法では、国家が宗教的活動をすること、公金を供することを禁じている。だから体育館で葬儀をやるしかない。でもそれには根本的に無理がある。だから人々は近くの神社に行く。宗教色をなくした追悼なんてできないんです。やっても機能しないんですよ。 炎天下に喪服を着てわざわざ九段下まで来て献花に並ぶ人たちは、それなりの強い気持ちをもって追悼に来ている。そういう一般弔問客をどう遇するかも、本来は国が考えなければいけないことです。しかし実際にはありふれた巨大イベントへ誘導するかのように、無味乾燥な長蛇の列に並ばせただけだった。 日本は死を悼む気持ちの受け皿すら作れないのだなと、その光景に日本の衰退を感じました。場当たり的な対応を繰り返し、なんとなくなんとかなっているように見えても、ベースのところで人心の荒廃が進んでいるように思います』、「そこに花を手向けることでは心は満たされないのでしょう。人々がそのあとどうしたかと言えば、かなりの人が道路を渡って向かい側にある靖国神社に行っていたのが印象的でした。 安倍さんの死を悼みに来た人が靖国神社に参拝する。それが意味するのは、実質的に安倍さんは靖国神社に祀られてしまったということです」、「炎天下に喪服を着てわざわざ九段下まで来て献花に並ぶ人たちは、それなりの強い気持ちをもって追悼に来ている。そういう一般弔問客をどう遇するかも、本来は国が考えなければいけないことです。しかし実際にはありふれた巨大イベントへ誘導するかのように、無味乾燥な長蛇の列に並ばせただけだった。 日本は死を悼む気持ちの受け皿すら作れないのだなと、その光景に日本の衰退を感じました。場当たり的な対応を繰り返し、なんとなくなんとかなっているように見えても、ベースのところで人心の荒廃が進んでいるように思います」、なるほど。
・『心の着地点が失われてしまった 茂木 僕は国葬の日、武道館で参列していましたが、儀式の形式を宗教的に中立的なものにすることで、何かが形骸化しているように感じました。そしてそれは、現代日本そのものの姿のように思いました。 私は科学者であり、現在得られている知見に照らして、知的な意味で全面的に肯定できる既存の宗教はないと感じています。一方で、生活人としての、あるいは関係性の中での自然な心の動きはその限りではない。宗教的なものを排除することで、心の着地点が失われてしまっている。 前に手塚治虫のトキワ荘マンガミュージアムに行ったときも、なんか落ち着かない感じがありました。「手塚治虫神社」があればよかったのかな(笑)。本来は心の落ち着かせ方の文化は土地ごとにそれぞれにあったはずですが、日本の場合にはそれが混乱しているのかもしれないですね。) 東 夏に盆踊りが小学校の校庭で行われたりしますが、あれも本当は神社とか森でやるべきものですよね。どういう理屈で校庭になったのかわかりませんが、神社でやると宗教行事で、校庭でやると自治体の無宗教行事になるんでしょうか。 いずれにせよ、戦後のこの国は、もともともっていた人の心を安定させるリソースのようなものを、かなり使えなくしてしまっているように思います。それが効率の悪さを生んでいる気がしてなりません』、「戦後のこの国は、もともともっていた人の心を安定させるリソースのようなものを、かなり使えなくしてしまっているように思います。それが効率の悪さを生んでいる気がしてなりません」、なるほど。
・『「家」制度が消えて、失われたもの 養老 非常に面白い視点でした。僕は、虫塚というのを作って六月四日の虫の日に供養しています。人間のほうも、最近、「墓じまい」などお墓の問題が出ていますが、その問題が出てきたのは家制度を壊したからですね。僕はこれは、戦後社会にとって九条より大きな問題だと思っています。 家制度を壊したことで個人が露出したわけですが、前に東さんが言ったように、元来、日本に「個人」はなかった。日本の民主主義は「家」の平等で、個人で成り立つものではなかったんです。それが「家」という制度が消えて、急に「個人」になったことで墓も先祖も繫がらなくなった。そうすると日常生活の時間的な存続を、どこに落ち着かせていいのかわからなくなります。 そういうことも考えて、虫塚を作りました。虫を供養するだけじゃなくて、虫が好きな人が死んだら、名札でも入れて一緒に供養したらどうかと。) 茂木くんの言う手塚神社じゃないけど、マンガ好きな人はそこに祀るとか、そういうものを作っていかなきゃいけない時代になったのかなと思います。家制度がもっていた時間的な継続性が消えてしまって、仏壇も神棚もないマンション暮らしでは、「いま」だけになるのは当然です。 東 そういえば、自衛隊の市ヶ谷駐屯地に職務中に殉職した方々を慰霊する場所があるのですが、そこの名前は「メモリアルゾーン」だそうです。カタカナなんです。 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著『日本の歪み』(9月21日発売)は、「考えたくなかった」戦後日本の論点を徹底討論!』、「元来、日本に「個人」はなかった。日本の民主主義は「家」の平等で、個人で成り立つものではなかったんです。それが「家」という制度が消えて、急に「個人」になったことで墓も先祖も繫がらなくなった。そうすると日常生活の時間的な存続を、どこに落ち着かせていいのかわからなくなります。 そういうことも考えて、虫塚を作りました」、なるほど。
タグ:宗教 (その12)(盗撮で逮捕の「山田養蜂場」専務が裏切った創価学会の教え 「実家は筋金入りの支援者で 熱心な政治活動も」、旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に、「安倍元首相の国葬」と「日本の宗教」について 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀が語り合う!) デイリー新潮「盗撮で逮捕の「山田養蜂場」専務が裏切った創価学会の教え 「実家は筋金入りの支援者で、熱心な政治活動も」」 「広報担当者」のコメントはあるが、「現社長」のがないのは気になる。 「屋根にドームと天体望遠鏡がある」のはともかく、「SNSで知り合った女性に指示し、入浴施設の脱衣場で盗撮させ、動画を送らせた」のは酷い話だ。 「創価学会は女性の権利擁護に熱心な団体だ。その教え子が「盗撮」でお縄とあれば、創価学会の尊い教えも、歪んだ性欲の前には無力だったということか」、公明党も伸び悩んでいるが、本件は締まりのない話だ。 次に、9月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に:▽「過払い金バブル」再びの機運(「あなたの払い過ぎたお金が戻ってきます!今すぐご確認を」 「ご家族の方でも大丈夫です、いつ払ったのか記 ダイヤモンド・オンライン 窪田順生氏による「旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に 「過払い献金返還」では、法律上の金利を超えるかという機械的判断が可能だったが、「だまされた」というのは、明確な判断基準が必要になり、それに即したものになるのだろう。出来たとしても、「過払い金」とは違って複雑だ。 「既に」、政府は「解散請求ありき」で進んでいる」、「法的要件」は固まった筈だが、どんなものだろうか。 「私の勝手な想像だが、「組織的な違法性の証拠はないけれど、組織的な違法性があると訴える被害者がいるということは、証拠にも匹敵するような証言なので解散請求できる」という方向性の見解が示されるのではないか・・・全国の宗教団体からすれば、「死刑宣告」されたにも等しい暴論だ」、これは行き過ぎで、もっと限定的にするべきだ。 法理論抜きに「ムード」で立法するようなことはあり得ないし、また避けるべきだ。 「政府に対して「被害者救済の法整備をせよ」とゴリゴリに求めていたという構図は現代とまったく同じだ。 しかも、「悪をぶっつぶせ」という社会ムードも似ている」、なるほど。 「なぜ「闇バイト」に応募をするのかというと、「低信用」でどこも金を貸してくれないからだ。学費や家賃で生活も困窮する中で、仕送りが何かの事情で途絶えたら、「闇バイト」に応募するしかない、というのが現実だ」、その通りだ。 宗教法人一般を対象とせずに、悪質なものに限定して禁止するような形にすべきだ。 現代ビジネス 「「安倍元首相の国葬」と「日本の宗教」について、養老孟司・茂木健一郎・東浩紀が語り合う!」 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著『日本の歪み』 「炎天下に喪服を着てわざわざ九段下まで来て献花に並ぶ人たちは、それなりの強い気持ちをもって追悼に来ている。そういう一般弔問客をどう遇するかも、本来は国が考えなければいけないことです。しかし実際にはありふれた巨大イベントへ誘導するかのように、無味乾燥な長蛇の列に並ばせただけだった。 日本は死を悼む気持ちの受け皿すら作れないのだなと、その光景に日本の衰退を感じました。場当たり的な対応を繰り返し、なんとなくなんとかなっているように見えても、ベースのところで人心の荒廃が進んでいるように思います」、なるほど。 「戦後のこの国は、もともともっていた人の心を安定させるリソースのようなものを、かなり使えなくしてしまっているように思います。それが効率の悪さを生んでいる気がしてなりません」、なるほど。 「元来、日本に「個人」はなかった。日本の民主主義は「家」の平等で、個人で成り立つものではなかったんです。それが「家」という制度が消えて、急に「個人」になったことで墓も先祖も繫がらなくなった。そうすると日常生活の時間的な存続を、どこに落ち着かせていいのかわからなくなります。 そういうことも考えて、虫塚を作りました」、なるほど。