メディア(その32)(鮫島 浩ジャーナリスト:元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1) 朝日新聞政治部(1)、なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす、どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に、「日経テレ東大学」を潰し 看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力) [メディア]
メディアについては、昨年5月29日に取上げた。今日は、(その32)(鮫島 浩ジャーナリスト:元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1) 朝日新聞政治部(1)、なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす、どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に、「日経テレ東大学」を潰し 看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力)である。
先ずは、本年5月23日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95386?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓した『朝日新聞政治部』は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 今日から7回連続で、本書の内容を抜粋して紹介していく』、興味深そうだ。
・『夕刊紙に踊る「朝日エリート誤報記者」の見出し 2014年秋、私は久しぶりに横浜の中華街へ妻と向かった。息苦しい都心からとにかく逃れたかった。 朝日新聞の特別報道部デスクを解任され、編集局付という如何にも何かをやらかしたような肩書を付与され、事情聴取に呼び出される時だけ東京・築地の本社へ出向き、会社が下す沙汰を待つ日々だった。蟄居謹慎(ちっきょきんしん)とはこういう暮らしを言うのだろう。駅売りの夕刊紙には「朝日エリート誤報記者」の見出しが躍っていた。私のことだった。 ランチタイムを過ぎ、ディナーにはまだ早い。ふらりと入った中華料理店はがらんとしていた。私たちは円卓に案内された。注文を終えると、二胡を抱えたチャイナドレスの女性が私たちの前に腰掛け、演奏を始めた。私は紹興酒を片手に何気なく聴き入っていたが、ふと気づくと涙が溢れている。 「なぜ泣いているの?」 二胡の音色をさえぎる妻の声で私はふと我に返った。人前で涙を流したことなんていつ以来だろう。ちょっと思い出せないな。これからの私の人生はどうなるのだろう。 朝日新聞社は危機に瀕していた。私が特別報道部デスクとして出稿した福島原発事故を巡る「吉田調書」のスクープは、安倍政権やその支持勢力から「誤報」「捏造」と攻撃されていた。政治部出身の木村伊量社長は、過去の慰安婦報道を誤報と認めたことや、その対応が遅すぎたと批判する池上彰氏のコラム掲載を社長自ら拒否した問題で、社内外から激しい批判を浴びていた。 「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞社は創業以来最大の危機に直面していたのである。特にインターネット上で朝日バッシングは燃え盛っていた。 木村社長は驚くべき対応に出た。2014年9月11日に緊急記者会見し、自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明したのである。さらにその場で「吉田調書」のスクープを誤報と断定して取り消し、関係者を処罰すると宣告したのだ。 寝耳に水だった。 その後の社内の事情聴取は苛烈を極めた。会社上層部はデスクの私と記者2人の取材チームに全責任を転嫁しようとしていた。5月に「吉田調書」のスクープを報じた後、木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請した。ところが9月に入って自らが「慰安婦」「池上コラム」で窮地に追い込まれると、手のひらを返したように態度を一変させたのである』、「木村社長」が「態度を一変させた」とは酷い話だが、その背景には何があったのだろう。
・『私がどんな「罪」に問われていたか 巨大組織が社員個人に全責任を押し付けようと上から襲いかかってくる恐怖は、体験した者でないとわからないかもしれない。それまで笑みを浮かべて私に近づいていた数多くの社員は蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。 私は27歳で政治部に着任し、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家の番記者を務めた。39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである。 ああ、会社員とはこういうものか――。そんな思いにふけっているところへ、妻の声が再び切り込んできた。二胡の妖艶な演奏は続いている。 「なぜ泣いているの?」 なんでだろう……。たぶん厳しい処分が降りるだろう。懲戒解雇になると言ってくる人もいる。すべてを失うなあ……。いろんな人に世話になったなあと思うと、つい……」 妻はしばらく黙っていたが、「それ、ウソ」と言った。続く言葉は強烈だった。 「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」 紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。 「あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」 中国の皇帝とは、仰々しいたとえである。だが、妻の目に私はそのくらい尊大に映っていたのだろう。そして会社の同僚たちも社内を大手を振って歩く私を快く思っていなかったに違いない。私はそれにまったく気づかなかった。 「裸の王様」がついに転落し、我が身をあわれんで涙を流す姿ほど惨めなものはない。そのような者に誰が同情を寄せるだろうか。 私は、自分がこれから問われる「傲慢罪」やその後に盛られる「毒」を想像して背筋が凍る思いがした。泣いているどころではなかった。独裁国家でこのような立場に追い込まれれば、理屈抜きに生命そのものを絶たれるに違いない。今日の日本社会で私の生命が奪われることはなかろう。奈落の底にどんな人生が待ち受けているかわからないが、生きているだけで幸運かもしれない。 そんな思いがよぎった後、改めて「傲慢罪」という言葉を噛み締めた。「吉田調書」報道に向けられた数々の批判のなかで私の胸にストンと落ちるものはなかった。しかし「傲慢罪」という判決は実にしっくりくる。そうか、私は「傲慢」だったのだ! 政治記者として多くの政治家に食い込んできた。ペコペコすり寄ったつもりはない。権力者の内実を熟知することが権力監視に不可欠だと信じ、朝日新聞政治部がその先頭に立つことを目指してきた。調査報道記者として権力の不正を暴くことにも力を尽くした。朝日新聞に強力な調査報道チームをつくることを夢見て、特別報道部の活躍でそれが現実となりつつあった。それらを成し遂げるには、会社内における「権力」が必要だった――。 しかし、である。自分の発言力や影響力が大きくなるにつれ、知らず知らずのうちに私たちの原点である「一人一人の読者と向き合うこと」から遠ざかり、朝日新聞という組織を守ること、さらには自分自身の社内での栄達を優先するようになっていたのではないか。 私はいまからその罪を問われようとしている。そう思うと奈落の底に落ちた自分の境遇をはじめて受け入れることができた。 そして「傲慢罪」に問われるのは、私だけではないと思った。新聞界のリーダーを気取ってきた朝日新聞もまた「傲慢罪」に問われているのだ』、「39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである」、「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」との奥さんの批判は、手厳しいが本質を突いているようだ。
・『日本社会がオールドメディアに下した判決 誰もが自由に発信できるデジタル時代が到来して情報発信を独占するマスコミの優位が崩れ、既存メディアへの不満が一気に噴き出した。2014年秋に朝日新聞を襲ったインターネット上の強烈なバッシングは、日本社会がオールドメディアに下した「傲慢罪」の判決だったといえる。木村社長はそれに追われる形で社長から引きずり下ろされたのだ。 「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった。安倍政権は数々の権力私物化疑惑をものともせず、憲政史上最長の7年8ヵ月続く。 マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった。民主党政権下の2010年に11位だった日本の世界報道自由度ランキングは急落し、2022年には71位まで転げ落ちた。新聞が国家権力に同調する姿はコロナ禍でより顕著になった。 木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである。自らの新聞記者人生を見つめ直し、どこで道を踏み外したのかをじっくり考えた。本書はいわば「失敗談」の集大成である。 世の中には新聞批判が溢れている。その多くに私は同意する。新聞がデジタル化に対応できず時代に取り残されたのも事実だ。一方で、取材現場の肌感覚とかけ離れた新聞批判もある。新聞の歩みのすべてを否定する必要はない。そこから価値のあるものを抽出して新しいジャーナリズムを構築する材料とするのは、凋落する新聞界に身を置いた者の責務ではないかと思い、筆を執った。 この記事は大手新聞社の中枢に身を置き、その内情を知り尽くした立場からの「内部告発」でもある。 次回は「新人時代のサツ回りが新聞記者をダメにする」です。 登場人物すべて実名の内部告発ノンフィクション『朝日新聞政治部』は好評発売中。現代ビジネスでは紹介しきれない衝撃の事実も赤裸々に綴られています。 第一章 新聞記者とは? 1994―1998 第二章 政治部で見た権力の裏側 1999―2004 第三章 調査報道への挑戦 2005―2007 第四章 政権交代と東日本大震災 2008―2011 第五章 躍進する特別報道部 2012―2013 第六章 「吉田調書」で間違えたこと 2014 第七章 終わりのはじまり 2015― 終章 』、「「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった・・・マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった」、「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである」、なるほど。
次に、6月11日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95756?imp=0
・『元朝日新聞記者の鮫島浩氏は、2012年に政治部から「特別報道部」へ移り、東日本大震災・原発事故の調査報道でスクープを連発した。とりわけ、福島第一原発元所長の吉田昌郎氏の証言を独自入手した「吉田調書」報道は、社内外で大きな称賛を浴びた。 だが、あるきっかけで特別報道部、そして鮫島氏をとりまく状況は暗転する。前編「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露『朝日はこうして死んだ』」に続き、その一部始終を書籍『朝日新聞政治部』の内容も踏まえてお伝えする』、興味深そうだ。
・『突然の手のひら返し 「吉田調書」スクープは、'14年5月20日の朝刊1面と2面で大展開された。第一報では、「朝日新聞が吉田調書を独自入手したこと」、「吉田所長は第一原発での待機を命じていたのに、所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していたこと」が主に報じられた。 だが6月になり、「所長の待機命令に違反し、所員の9割が原発から撤退した」という表現をめぐり批判が寄せられるようになる。混乱の中で、待機命令に気づかないまま第二原発へ向かった所員もいた可能性もあるからだ。 「第一報で伝えた吉田調書の内容は事実ですが、『撤退』や『待機命令に違反し』という表現は不十分でした。そこで、あらためて読者に丁寧に説明した特集紙面をつくることを提案したのです」 だが、編集担当、広報担当、社長室ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれなかった。 「木村社長が『吉田調書報道を新聞協会賞に申請する』と意気込んでいて、第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」 結果的に吉田調書報道は受賞候補から早々に外れ、社内外での関心も薄れてしまった。事態は収まったかに見えた』、「「第一報で伝えた吉田調書の内容は事実ですが、『撤退』や『待機命令に違反し』という表現は不十分でした。そこで、あらためて読者に丁寧に説明した特集紙面をつくることを提案したのです」 だが、編集担当、広報担当、社長室ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれなかった。 「木村社長が『吉田調書報道を新聞協会賞に申請する』と意気込んでいて、第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」』、「経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」、「社長」が絶対で、「『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだ」とは、腐り切った組織だ。
・『ゲラを見て、社長は激怒した 急展開を迎えたのは、8月5日に朝日新聞が特集記事「慰安婦問題を考える」を掲載してからだ。ここで、戦時中に慰安婦を強制連行したとして、朝日新聞が紙面で報じてきた吉田清治氏の発言(吉田証言)を虚偽と判断し、過去の記事を取り消したのだ。訂正まで20年以上の時間がかかったことや、謝罪の言葉がないことに批判が殺到した。 その後、ジャーナリスト・池上彰氏のコラムが朝日新聞に掲載拒否されたことも週刊誌などで報じられた。慰安婦問題をめぐる朝日新聞の対応を批判する内容だったが、事前にゲラを見た木村社長が激怒したという。 朝日は、「吉田調書」「吉田証言」に加えて「池上コラム」で世論から猛烈な批判を浴び、経営陣は狼狽した。さらに、マスコミ他社や安倍政権からも「攻撃」を受けるようになる。菅義偉官房長官が「吉田調書を近いうちに公開する」と発表すると、各紙は朝日新聞に批判的な立場で吉田調書に関する報道を始めた。 過熱する朝日バッシングに経営陣は総崩れとなり、社長退任は避けられない事態となった。そして、政府が吉田調書を公開した9月11日、木村社長が緊急記者会見を行うこととなる。 それは鮫島氏にとって耳を疑いたくなるような内容だった。木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表したのだ。) 「吉田調書の第一報が不十分であったことは認めます。ただ、それ以上に記事を出した後の危機管理に問題があったことは間違いありません。木村社長は、私たちをスケープゴートにするために吉田調書報道だけを取り上げて、他の問題の責任を隠蔽しようとしたのです。 しかも、『吉田証言』と『池上コラム問題』は木村社長が深く関わった案件。保身のための会見だったとしか思えません」』、「木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表した」、「木村社長」がやろうとしたことは筋が通ってないのに、よくぞ社内的に通用したものだ。社内には「社長」のイエスマンしかいないのだろう。
・『懲戒解雇の噂まで…… 「吉田調書」のスクープをものにしたはずの鮫島氏ら取材班の記者たちは、異例の会見を経て「誤報記者」の烙印を押されてしまう。そして連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという。 「社内では私が懲戒解雇されるという噂も立っていました。上層部は様々な情報を流して私を精神的に追い込み、会社に屈服させようとしていたのです。信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」』、「連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという」、「信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」、その通りなのだろう。
・『読者にも見捨てられる 鮫島氏は停職2週間の懲戒処分を受けて、管理部門に「左遷」された。それよりも鮫島氏が解せなかったのは、吉田調書を独自入手した記者も処分されたことだった。 「管理職だった私が結果責任を免れないのは理解できます。ただ、経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」 鮫島氏は昨年5月に会社を去った。今はネットメディアを立ち上げ、本来の報道倫理に立ち戻った言論活動を行っている。 昨年6月、朝日新聞社は創業以来最大の約458億円の大赤字を出した。'90年代は約800万部を誇っていた発行部数も、いまや500万部を割っている。記者が失敗を恐れて萎縮し、無難な記事しか載らない紙面が読者に見捨てられつつあるのか。朝日新聞の凋落は、誰にも止められないかもしれない』、「経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」、確かにこれではやる気のある記者たちは、「失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう」、これでは、「朝日新聞が死んだ」のも当然だろう。
第三に、2月16日付け日刊ゲンダイ「どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/320160
・『まさか、放送法の政治的公平をめぐる解釈変更が国会で大炎上しているこのタイミングで──。驚きの会合が14日夜にあった。岸田首相が大手メディア上層部や大手メディア出身のジャーナリストと、東京・日比谷公園のフレンチレストランで約2時間にわたって会食したのだ。 首相動静によれば参加したメンバーは、山田孝男毎日新聞社特別編集委員、小田尚読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員、芹川洋一日本経済新聞社論説フェロー、島田敏男NHK放送文化研究所エグゼクティブ・リード、粕谷賢之日本テレビ取締役常務執行役員、政治ジャーナリストの田崎史郎氏の6人。 朝日新聞官邸クラブのツイッターが、会食終了後にレストランから岸田首相や参加者が出てくる様子を動画で撮影して投稿している。直撃された田崎氏は「中身はいろいろ……だな」と答えていた』、「朝日新聞」記者は参加しなかったようだ。これは、矜持を持っているためなのだろうか。
・『批判殺到、付ける薬ナシ これには、<放送法解釈が問題になっているときに、これ?? どんな感覚してるんだ?><大手メディアも政府広報の下請けに成り下がった感じですかね>など批判コメントが殺到だった。) 岸田首相はこの6人と昨年の参院選直後の7月15日にも会食している。 「安倍元首相時代からのメディアとのメシ食い情報交換を岸田首相も定例化して踏襲している形」(官邸関係者)らしく、日程もずいぶん前から決まっていたのだろう。だが、よりによって、である。 高市大臣が総務省が認めた「行政文書」について「捏造」と言い張ったことで、この問題に対する世論の関心は高まっている。報道の自由への不当な政治介入があったのかどうか、まさに政治とメディアの“距離感”が問われている真っただ中に、首相と複数のメディア上層部が“談合”よろしく親しく会食すれば世間にどう映るのか、子どもでも分かるはずだ。 「政治とメディアが徹底的に癒着していることを見せつけるもので、国民のメディア不信がますます高まる。ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」(政治評論家・本澤二郎氏) メディア懐柔に精を出す首相もホイホイ乗っかるメディアも、もはや付ける薬がない』、「ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」、同感である。
第四に、6月1日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの伊藤 博敏氏による「「日経テレ東大学」を潰し、看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/111118?imp=0
・『「これは人殺しと同じだわ」 登録者数が100万人を突破した人気YouTubeチャンネル「日経テレ東大学」は、なぜ打ち切りとなり、番組を企画して立ち上げ、進行役の「ピラメキパンダ」を務めた高橋弘樹プロデューサーは、なぜテレビ東京を退社したのか――。 テレビ東京ホールディングス(東証プライム)の株主総会は6月15日に開催されるが、筆者が最も注目しているのは、香港に本社を置く米国籍アクティビスト(物言う株主)のリム・アドバイザーズ(リム社、提案株主名義はLIM JAPAN EVENT MASTER FUND)が、この点を問題視して<日本経済新聞社との共同事業運営契約の開示>などを求めて株主提案していることだ。 「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した。 高橋氏は、「家、ついて行ってイイですか?」「空から日本を見てみよう」「吉木りさに怒られたい」と、低予算でも切り口と面白さで勝負する“テレ東らしさ”を持つプロデューサーである。 「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようで、決定を告げられ「これは“人殺し”と同じだわ」と思わずつぶやき、退社に至った。 経済の専門家だけでなく、菅義偉前首相、泉健太・立憲民主党代表、松井一郎・日本維新の会前代表、木原誠二・内閣官房副長官といった有力政治家が登場したのは、「意識的な人々」を引き付けているこの番組の影響力を承知していたからだろう』、「「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した」、面白そうだが、私は残念ながら1回も観ていない。「「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようだ」、「配信打ち切り」の理由は何なのだろう。
・『テレ東の天下り問題の「歪み」 テレビ局にとって番組改編の時、「諸般の事情」で打ち切りを決めるのは日常茶飯だ。だが、「日経テレ東大学」の場合、約32%の株式を保有してテレビ東京を「天下り先」としている日経新聞OBの経営陣が、後述するような理解できない事情で打ち切りの断を下し、それにリム社が噛みついた。 株主提案したリム社のポートフォリオ・マネージャーで日本投資責任者の松浦肇氏は、元日経記者として天下り問題の“歪み”を熟知している。日経の元上司がこう評する。 「証券部の記者としてマーケットの問題を鋭く突く優秀な記者でした。運用会社に転じて上場企業に注文をつけていますが、発想は新聞記者と同じで“歪み”を許さない。企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」 リム社のテレ東に対する株主提案は、昨年に次いで2回目である。昨年、約1%の株式を取得したリム社は、日経からの「天下り禁止」「社外取締役の選任」など7項目の株主提案を送り付けた。 テレ東社長は50年近く日経出身者が占め続け、昨年の総会でも小孫茂会長、石川一郎社長、新実傑専務とトップ3は日経OBだった。天下り禁止の株主提案の賛成率は8・15%。否決はされたものの、「日経の矛盾」はマーケットに示せた。 今年の提案は、冒頭の<共同事業運営契約の開示>を含む4項目の定款の一部変更と剰余金の処分を求めている。 なぜ日経との共同事業の開示を求めるのか。リム社は「提案理由」にこう書いている。 《(「日経テレ東大学」の)再生回数や製作本数などを鑑みるに、2022年10月~12月に約3500万円の税引き前利益を稼いだと推計できるが、提案株主がディスカウント・キャッシュフロー(DCF)方式で算定したところ、事業価値は約30億円に達した。》』、「企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」、確かにその通りだろう。
・『「日経テレ東大学」の担当役員が昇格 そして30億円の価値あるものを捨てた背景に疑問を呈している。 《現在も首脳陣4人が日経元幹部である。様々な分野で両者は事業を共同運営しているが、日経に有利な契約が結ばれている又は当社が契約にある権利を十分に生かしていないリスクが内在する。》 今年は「天下り禁止」といった直截な提案はしていない。そして小孫会長は退任するものの、石川社長、新実副社長というツートップを日経OBが占める。その体制ではテレ東の利益を毀損し、それが現われているのが「日経テレ東大学」の打ち切りだ、という主張である。しかも、直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった。 株主提案に書き尽くしたということか、松浦氏に株主提案理由を改めて尋ねたものの、「テレビ東京ホールディングス様の企業・株主価値向上に寄与する株主提案であると自負しております」と短く答えた。 テレビ東京は、「取締会意見」で「(株主提案が指摘する)利益及び事業価値には到底及ばない」と回答していたが、筆者が「到底及ばない根拠を示して欲しい」と質すと次のように答えた。 「利益及び人件費を含めた費用の実態が判断の根拠です。株主提案では、3カ月で約3500万円の税引き前利益を稼いだと推計できるとしていますが、実際にそのような利益は得られていません」(広報・IR部)』、「直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった」、なるほど。
・『日経新聞の嫉妬 だが、21年3月の配信からわずか2年で登録会員100万人を突破した優良コンテンツを捨て去らねばならない理由とは思えない。利益は出ているのだ。 高橋氏は軽妙なピラメキパンダとして、番組内で「テレ東が大好き。常務になるまで会社員を続ける」と広言していた。また、テレ東を退職したプロデューサー・佐久間宣行氏、JAXA退職の宇宙飛行士・野口聡一氏、朝日新聞退職の探検家・角幡唯介氏、日経新聞退職の経済ジャーナリスト・後藤達也氏らを招いて「なんで会社を辞めたんですか?」という番組を製作している。 安定を捨ててリスクを取るのはなぜなのか。高橋氏が「常務まで」というのは、上は日経OBの指定席だからだろうが、リスクを取るのは怖く、「でもそう“冒険”したい」と思っている視聴者=会社員の気持ちを代弁した。その高橋氏をテレ東が追い込んでしまった。損失以外の何ものでもない。 テレ東の現経営陣を知る日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」 後藤氏のことである。 新聞・テレビという旧来型の情報プラットフォームが、やがてYouTubeなどのSNSやチャットGPTに奪われ、衰退していくのはもはや自明だ。22年4月に日経新聞を辞めた後藤達也氏は、Twitterのフォロワー数が50万人超、YouTubeのチャンネル登録数約25万人、noteの優良読者(月500円)約2万人を誇る。 この3つのSNSを駆使して視聴者・読者に経済をわかりやすく伝え、「良いカメラを買った以外に新たな投資はない」といいつつ、note会員からだけでも月に約1000万円の収入がある。それにYouTubeや講演料なども加えると年間売り上げは2億円近いのではないか。もはや、メディアがひとつ誕生したといっていい。 日経もテレ東も、デジタルメディアをどう採り入れるか、優良コンテンツといっていい記者をどう活用するか、そして最大のライバルとなるチャットGPTにどう対抗するかを本気で考え、改革すべき時に来ている。なのに、打ち切り理由が「嫉妬」だとすれば嘆息するしかなく、もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない』、「日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」」、「日経新聞の嫉妬」とは驚かされた。こうしたことでは、「もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない」、その通りだ。
先ずは、本年5月23日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95386?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓した『朝日新聞政治部』は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 今日から7回連続で、本書の内容を抜粋して紹介していく』、興味深そうだ。
・『夕刊紙に踊る「朝日エリート誤報記者」の見出し 2014年秋、私は久しぶりに横浜の中華街へ妻と向かった。息苦しい都心からとにかく逃れたかった。 朝日新聞の特別報道部デスクを解任され、編集局付という如何にも何かをやらかしたような肩書を付与され、事情聴取に呼び出される時だけ東京・築地の本社へ出向き、会社が下す沙汰を待つ日々だった。蟄居謹慎(ちっきょきんしん)とはこういう暮らしを言うのだろう。駅売りの夕刊紙には「朝日エリート誤報記者」の見出しが躍っていた。私のことだった。 ランチタイムを過ぎ、ディナーにはまだ早い。ふらりと入った中華料理店はがらんとしていた。私たちは円卓に案内された。注文を終えると、二胡を抱えたチャイナドレスの女性が私たちの前に腰掛け、演奏を始めた。私は紹興酒を片手に何気なく聴き入っていたが、ふと気づくと涙が溢れている。 「なぜ泣いているの?」 二胡の音色をさえぎる妻の声で私はふと我に返った。人前で涙を流したことなんていつ以来だろう。ちょっと思い出せないな。これからの私の人生はどうなるのだろう。 朝日新聞社は危機に瀕していた。私が特別報道部デスクとして出稿した福島原発事故を巡る「吉田調書」のスクープは、安倍政権やその支持勢力から「誤報」「捏造」と攻撃されていた。政治部出身の木村伊量社長は、過去の慰安婦報道を誤報と認めたことや、その対応が遅すぎたと批判する池上彰氏のコラム掲載を社長自ら拒否した問題で、社内外から激しい批判を浴びていた。 「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞社は創業以来最大の危機に直面していたのである。特にインターネット上で朝日バッシングは燃え盛っていた。 木村社長は驚くべき対応に出た。2014年9月11日に緊急記者会見し、自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明したのである。さらにその場で「吉田調書」のスクープを誤報と断定して取り消し、関係者を処罰すると宣告したのだ。 寝耳に水だった。 その後の社内の事情聴取は苛烈を極めた。会社上層部はデスクの私と記者2人の取材チームに全責任を転嫁しようとしていた。5月に「吉田調書」のスクープを報じた後、木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請した。ところが9月に入って自らが「慰安婦」「池上コラム」で窮地に追い込まれると、手のひらを返したように態度を一変させたのである』、「木村社長」が「態度を一変させた」とは酷い話だが、その背景には何があったのだろう。
・『私がどんな「罪」に問われていたか 巨大組織が社員個人に全責任を押し付けようと上から襲いかかってくる恐怖は、体験した者でないとわからないかもしれない。それまで笑みを浮かべて私に近づいていた数多くの社員は蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。 私は27歳で政治部に着任し、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家の番記者を務めた。39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである。 ああ、会社員とはこういうものか――。そんな思いにふけっているところへ、妻の声が再び切り込んできた。二胡の妖艶な演奏は続いている。 「なぜ泣いているの?」 なんでだろう……。たぶん厳しい処分が降りるだろう。懲戒解雇になると言ってくる人もいる。すべてを失うなあ……。いろんな人に世話になったなあと思うと、つい……」 妻はしばらく黙っていたが、「それ、ウソ」と言った。続く言葉は強烈だった。 「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」 紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。 「あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」 中国の皇帝とは、仰々しいたとえである。だが、妻の目に私はそのくらい尊大に映っていたのだろう。そして会社の同僚たちも社内を大手を振って歩く私を快く思っていなかったに違いない。私はそれにまったく気づかなかった。 「裸の王様」がついに転落し、我が身をあわれんで涙を流す姿ほど惨めなものはない。そのような者に誰が同情を寄せるだろうか。 私は、自分がこれから問われる「傲慢罪」やその後に盛られる「毒」を想像して背筋が凍る思いがした。泣いているどころではなかった。独裁国家でこのような立場に追い込まれれば、理屈抜きに生命そのものを絶たれるに違いない。今日の日本社会で私の生命が奪われることはなかろう。奈落の底にどんな人生が待ち受けているかわからないが、生きているだけで幸運かもしれない。 そんな思いがよぎった後、改めて「傲慢罪」という言葉を噛み締めた。「吉田調書」報道に向けられた数々の批判のなかで私の胸にストンと落ちるものはなかった。しかし「傲慢罪」という判決は実にしっくりくる。そうか、私は「傲慢」だったのだ! 政治記者として多くの政治家に食い込んできた。ペコペコすり寄ったつもりはない。権力者の内実を熟知することが権力監視に不可欠だと信じ、朝日新聞政治部がその先頭に立つことを目指してきた。調査報道記者として権力の不正を暴くことにも力を尽くした。朝日新聞に強力な調査報道チームをつくることを夢見て、特別報道部の活躍でそれが現実となりつつあった。それらを成し遂げるには、会社内における「権力」が必要だった――。 しかし、である。自分の発言力や影響力が大きくなるにつれ、知らず知らずのうちに私たちの原点である「一人一人の読者と向き合うこと」から遠ざかり、朝日新聞という組織を守ること、さらには自分自身の社内での栄達を優先するようになっていたのではないか。 私はいまからその罪を問われようとしている。そう思うと奈落の底に落ちた自分の境遇をはじめて受け入れることができた。 そして「傲慢罪」に問われるのは、私だけではないと思った。新聞界のリーダーを気取ってきた朝日新聞もまた「傲慢罪」に問われているのだ』、「39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである」、「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」との奥さんの批判は、手厳しいが本質を突いているようだ。
・『日本社会がオールドメディアに下した判決 誰もが自由に発信できるデジタル時代が到来して情報発信を独占するマスコミの優位が崩れ、既存メディアへの不満が一気に噴き出した。2014年秋に朝日新聞を襲ったインターネット上の強烈なバッシングは、日本社会がオールドメディアに下した「傲慢罪」の判決だったといえる。木村社長はそれに追われる形で社長から引きずり下ろされたのだ。 「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった。安倍政権は数々の権力私物化疑惑をものともせず、憲政史上最長の7年8ヵ月続く。 マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった。民主党政権下の2010年に11位だった日本の世界報道自由度ランキングは急落し、2022年には71位まで転げ落ちた。新聞が国家権力に同調する姿はコロナ禍でより顕著になった。 木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである。自らの新聞記者人生を見つめ直し、どこで道を踏み外したのかをじっくり考えた。本書はいわば「失敗談」の集大成である。 世の中には新聞批判が溢れている。その多くに私は同意する。新聞がデジタル化に対応できず時代に取り残されたのも事実だ。一方で、取材現場の肌感覚とかけ離れた新聞批判もある。新聞の歩みのすべてを否定する必要はない。そこから価値のあるものを抽出して新しいジャーナリズムを構築する材料とするのは、凋落する新聞界に身を置いた者の責務ではないかと思い、筆を執った。 この記事は大手新聞社の中枢に身を置き、その内情を知り尽くした立場からの「内部告発」でもある。 次回は「新人時代のサツ回りが新聞記者をダメにする」です。 登場人物すべて実名の内部告発ノンフィクション『朝日新聞政治部』は好評発売中。現代ビジネスでは紹介しきれない衝撃の事実も赤裸々に綴られています。 第一章 新聞記者とは? 1994―1998 第二章 政治部で見た権力の裏側 1999―2004 第三章 調査報道への挑戦 2005―2007 第四章 政権交代と東日本大震災 2008―2011 第五章 躍進する特別報道部 2012―2013 第六章 「吉田調書」で間違えたこと 2014 第七章 終わりのはじまり 2015― 終章 』、「「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった・・・マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった」、「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである」、なるほど。
次に、6月11日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95756?imp=0
・『元朝日新聞記者の鮫島浩氏は、2012年に政治部から「特別報道部」へ移り、東日本大震災・原発事故の調査報道でスクープを連発した。とりわけ、福島第一原発元所長の吉田昌郎氏の証言を独自入手した「吉田調書」報道は、社内外で大きな称賛を浴びた。 だが、あるきっかけで特別報道部、そして鮫島氏をとりまく状況は暗転する。前編「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露『朝日はこうして死んだ』」に続き、その一部始終を書籍『朝日新聞政治部』の内容も踏まえてお伝えする』、興味深そうだ。
・『突然の手のひら返し 「吉田調書」スクープは、'14年5月20日の朝刊1面と2面で大展開された。第一報では、「朝日新聞が吉田調書を独自入手したこと」、「吉田所長は第一原発での待機を命じていたのに、所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していたこと」が主に報じられた。 だが6月になり、「所長の待機命令に違反し、所員の9割が原発から撤退した」という表現をめぐり批判が寄せられるようになる。混乱の中で、待機命令に気づかないまま第二原発へ向かった所員もいた可能性もあるからだ。 「第一報で伝えた吉田調書の内容は事実ですが、『撤退』や『待機命令に違反し』という表現は不十分でした。そこで、あらためて読者に丁寧に説明した特集紙面をつくることを提案したのです」 だが、編集担当、広報担当、社長室ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれなかった。 「木村社長が『吉田調書報道を新聞協会賞に申請する』と意気込んでいて、第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」 結果的に吉田調書報道は受賞候補から早々に外れ、社内外での関心も薄れてしまった。事態は収まったかに見えた』、「「第一報で伝えた吉田調書の内容は事実ですが、『撤退』や『待機命令に違反し』という表現は不十分でした。そこで、あらためて読者に丁寧に説明した特集紙面をつくることを提案したのです」 だが、編集担当、広報担当、社長室ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれなかった。 「木村社長が『吉田調書報道を新聞協会賞に申請する』と意気込んでいて、第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」』、「経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」、「社長」が絶対で、「『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだ」とは、腐り切った組織だ。
・『ゲラを見て、社長は激怒した 急展開を迎えたのは、8月5日に朝日新聞が特集記事「慰安婦問題を考える」を掲載してからだ。ここで、戦時中に慰安婦を強制連行したとして、朝日新聞が紙面で報じてきた吉田清治氏の発言(吉田証言)を虚偽と判断し、過去の記事を取り消したのだ。訂正まで20年以上の時間がかかったことや、謝罪の言葉がないことに批判が殺到した。 その後、ジャーナリスト・池上彰氏のコラムが朝日新聞に掲載拒否されたことも週刊誌などで報じられた。慰安婦問題をめぐる朝日新聞の対応を批判する内容だったが、事前にゲラを見た木村社長が激怒したという。 朝日は、「吉田調書」「吉田証言」に加えて「池上コラム」で世論から猛烈な批判を浴び、経営陣は狼狽した。さらに、マスコミ他社や安倍政権からも「攻撃」を受けるようになる。菅義偉官房長官が「吉田調書を近いうちに公開する」と発表すると、各紙は朝日新聞に批判的な立場で吉田調書に関する報道を始めた。 過熱する朝日バッシングに経営陣は総崩れとなり、社長退任は避けられない事態となった。そして、政府が吉田調書を公開した9月11日、木村社長が緊急記者会見を行うこととなる。 それは鮫島氏にとって耳を疑いたくなるような内容だった。木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表したのだ。) 「吉田調書の第一報が不十分であったことは認めます。ただ、それ以上に記事を出した後の危機管理に問題があったことは間違いありません。木村社長は、私たちをスケープゴートにするために吉田調書報道だけを取り上げて、他の問題の責任を隠蔽しようとしたのです。 しかも、『吉田証言』と『池上コラム問題』は木村社長が深く関わった案件。保身のための会見だったとしか思えません」』、「木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表した」、「木村社長」がやろうとしたことは筋が通ってないのに、よくぞ社内的に通用したものだ。社内には「社長」のイエスマンしかいないのだろう。
・『懲戒解雇の噂まで…… 「吉田調書」のスクープをものにしたはずの鮫島氏ら取材班の記者たちは、異例の会見を経て「誤報記者」の烙印を押されてしまう。そして連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという。 「社内では私が懲戒解雇されるという噂も立っていました。上層部は様々な情報を流して私を精神的に追い込み、会社に屈服させようとしていたのです。信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」』、「連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという」、「信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」、その通りなのだろう。
・『読者にも見捨てられる 鮫島氏は停職2週間の懲戒処分を受けて、管理部門に「左遷」された。それよりも鮫島氏が解せなかったのは、吉田調書を独自入手した記者も処分されたことだった。 「管理職だった私が結果責任を免れないのは理解できます。ただ、経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」 鮫島氏は昨年5月に会社を去った。今はネットメディアを立ち上げ、本来の報道倫理に立ち戻った言論活動を行っている。 昨年6月、朝日新聞社は創業以来最大の約458億円の大赤字を出した。'90年代は約800万部を誇っていた発行部数も、いまや500万部を割っている。記者が失敗を恐れて萎縮し、無難な記事しか載らない紙面が読者に見捨てられつつあるのか。朝日新聞の凋落は、誰にも止められないかもしれない』、「経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」、確かにこれではやる気のある記者たちは、「失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう」、これでは、「朝日新聞が死んだ」のも当然だろう。
第三に、2月16日付け日刊ゲンダイ「どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/320160
・『まさか、放送法の政治的公平をめぐる解釈変更が国会で大炎上しているこのタイミングで──。驚きの会合が14日夜にあった。岸田首相が大手メディア上層部や大手メディア出身のジャーナリストと、東京・日比谷公園のフレンチレストランで約2時間にわたって会食したのだ。 首相動静によれば参加したメンバーは、山田孝男毎日新聞社特別編集委員、小田尚読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員、芹川洋一日本経済新聞社論説フェロー、島田敏男NHK放送文化研究所エグゼクティブ・リード、粕谷賢之日本テレビ取締役常務執行役員、政治ジャーナリストの田崎史郎氏の6人。 朝日新聞官邸クラブのツイッターが、会食終了後にレストランから岸田首相や参加者が出てくる様子を動画で撮影して投稿している。直撃された田崎氏は「中身はいろいろ……だな」と答えていた』、「朝日新聞」記者は参加しなかったようだ。これは、矜持を持っているためなのだろうか。
・『批判殺到、付ける薬ナシ これには、<放送法解釈が問題になっているときに、これ?? どんな感覚してるんだ?><大手メディアも政府広報の下請けに成り下がった感じですかね>など批判コメントが殺到だった。) 岸田首相はこの6人と昨年の参院選直後の7月15日にも会食している。 「安倍元首相時代からのメディアとのメシ食い情報交換を岸田首相も定例化して踏襲している形」(官邸関係者)らしく、日程もずいぶん前から決まっていたのだろう。だが、よりによって、である。 高市大臣が総務省が認めた「行政文書」について「捏造」と言い張ったことで、この問題に対する世論の関心は高まっている。報道の自由への不当な政治介入があったのかどうか、まさに政治とメディアの“距離感”が問われている真っただ中に、首相と複数のメディア上層部が“談合”よろしく親しく会食すれば世間にどう映るのか、子どもでも分かるはずだ。 「政治とメディアが徹底的に癒着していることを見せつけるもので、国民のメディア不信がますます高まる。ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」(政治評論家・本澤二郎氏) メディア懐柔に精を出す首相もホイホイ乗っかるメディアも、もはや付ける薬がない』、「ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」、同感である。
第四に、6月1日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの伊藤 博敏氏による「「日経テレ東大学」を潰し、看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/111118?imp=0
・『「これは人殺しと同じだわ」 登録者数が100万人を突破した人気YouTubeチャンネル「日経テレ東大学」は、なぜ打ち切りとなり、番組を企画して立ち上げ、進行役の「ピラメキパンダ」を務めた高橋弘樹プロデューサーは、なぜテレビ東京を退社したのか――。 テレビ東京ホールディングス(東証プライム)の株主総会は6月15日に開催されるが、筆者が最も注目しているのは、香港に本社を置く米国籍アクティビスト(物言う株主)のリム・アドバイザーズ(リム社、提案株主名義はLIM JAPAN EVENT MASTER FUND)が、この点を問題視して<日本経済新聞社との共同事業運営契約の開示>などを求めて株主提案していることだ。 「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した。 高橋氏は、「家、ついて行ってイイですか?」「空から日本を見てみよう」「吉木りさに怒られたい」と、低予算でも切り口と面白さで勝負する“テレ東らしさ”を持つプロデューサーである。 「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようで、決定を告げられ「これは“人殺し”と同じだわ」と思わずつぶやき、退社に至った。 経済の専門家だけでなく、菅義偉前首相、泉健太・立憲民主党代表、松井一郎・日本維新の会前代表、木原誠二・内閣官房副長官といった有力政治家が登場したのは、「意識的な人々」を引き付けているこの番組の影響力を承知していたからだろう』、「「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した」、面白そうだが、私は残念ながら1回も観ていない。「「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようだ」、「配信打ち切り」の理由は何なのだろう。
・『テレ東の天下り問題の「歪み」 テレビ局にとって番組改編の時、「諸般の事情」で打ち切りを決めるのは日常茶飯だ。だが、「日経テレ東大学」の場合、約32%の株式を保有してテレビ東京を「天下り先」としている日経新聞OBの経営陣が、後述するような理解できない事情で打ち切りの断を下し、それにリム社が噛みついた。 株主提案したリム社のポートフォリオ・マネージャーで日本投資責任者の松浦肇氏は、元日経記者として天下り問題の“歪み”を熟知している。日経の元上司がこう評する。 「証券部の記者としてマーケットの問題を鋭く突く優秀な記者でした。運用会社に転じて上場企業に注文をつけていますが、発想は新聞記者と同じで“歪み”を許さない。企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」 リム社のテレ東に対する株主提案は、昨年に次いで2回目である。昨年、約1%の株式を取得したリム社は、日経からの「天下り禁止」「社外取締役の選任」など7項目の株主提案を送り付けた。 テレ東社長は50年近く日経出身者が占め続け、昨年の総会でも小孫茂会長、石川一郎社長、新実傑専務とトップ3は日経OBだった。天下り禁止の株主提案の賛成率は8・15%。否決はされたものの、「日経の矛盾」はマーケットに示せた。 今年の提案は、冒頭の<共同事業運営契約の開示>を含む4項目の定款の一部変更と剰余金の処分を求めている。 なぜ日経との共同事業の開示を求めるのか。リム社は「提案理由」にこう書いている。 《(「日経テレ東大学」の)再生回数や製作本数などを鑑みるに、2022年10月~12月に約3500万円の税引き前利益を稼いだと推計できるが、提案株主がディスカウント・キャッシュフロー(DCF)方式で算定したところ、事業価値は約30億円に達した。》』、「企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」、確かにその通りだろう。
・『「日経テレ東大学」の担当役員が昇格 そして30億円の価値あるものを捨てた背景に疑問を呈している。 《現在も首脳陣4人が日経元幹部である。様々な分野で両者は事業を共同運営しているが、日経に有利な契約が結ばれている又は当社が契約にある権利を十分に生かしていないリスクが内在する。》 今年は「天下り禁止」といった直截な提案はしていない。そして小孫会長は退任するものの、石川社長、新実副社長というツートップを日経OBが占める。その体制ではテレ東の利益を毀損し、それが現われているのが「日経テレ東大学」の打ち切りだ、という主張である。しかも、直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった。 株主提案に書き尽くしたということか、松浦氏に株主提案理由を改めて尋ねたものの、「テレビ東京ホールディングス様の企業・株主価値向上に寄与する株主提案であると自負しております」と短く答えた。 テレビ東京は、「取締会意見」で「(株主提案が指摘する)利益及び事業価値には到底及ばない」と回答していたが、筆者が「到底及ばない根拠を示して欲しい」と質すと次のように答えた。 「利益及び人件費を含めた費用の実態が判断の根拠です。株主提案では、3カ月で約3500万円の税引き前利益を稼いだと推計できるとしていますが、実際にそのような利益は得られていません」(広報・IR部)』、「直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった」、なるほど。
・『日経新聞の嫉妬 だが、21年3月の配信からわずか2年で登録会員100万人を突破した優良コンテンツを捨て去らねばならない理由とは思えない。利益は出ているのだ。 高橋氏は軽妙なピラメキパンダとして、番組内で「テレ東が大好き。常務になるまで会社員を続ける」と広言していた。また、テレ東を退職したプロデューサー・佐久間宣行氏、JAXA退職の宇宙飛行士・野口聡一氏、朝日新聞退職の探検家・角幡唯介氏、日経新聞退職の経済ジャーナリスト・後藤達也氏らを招いて「なんで会社を辞めたんですか?」という番組を製作している。 安定を捨ててリスクを取るのはなぜなのか。高橋氏が「常務まで」というのは、上は日経OBの指定席だからだろうが、リスクを取るのは怖く、「でもそう“冒険”したい」と思っている視聴者=会社員の気持ちを代弁した。その高橋氏をテレ東が追い込んでしまった。損失以外の何ものでもない。 テレ東の現経営陣を知る日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」 後藤氏のことである。 新聞・テレビという旧来型の情報プラットフォームが、やがてYouTubeなどのSNSやチャットGPTに奪われ、衰退していくのはもはや自明だ。22年4月に日経新聞を辞めた後藤達也氏は、Twitterのフォロワー数が50万人超、YouTubeのチャンネル登録数約25万人、noteの優良読者(月500円)約2万人を誇る。 この3つのSNSを駆使して視聴者・読者に経済をわかりやすく伝え、「良いカメラを買った以外に新たな投資はない」といいつつ、note会員からだけでも月に約1000万円の収入がある。それにYouTubeや講演料なども加えると年間売り上げは2億円近いのではないか。もはや、メディアがひとつ誕生したといっていい。 日経もテレ東も、デジタルメディアをどう採り入れるか、優良コンテンツといっていい記者をどう活用するか、そして最大のライバルとなるチャットGPTにどう対抗するかを本気で考え、改革すべき時に来ている。なのに、打ち切り理由が「嫉妬」だとすれば嘆息するしかなく、もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない』、「日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」」、「日経新聞の嫉妬」とは驚かされた。こうしたことでは、「もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない」、その通りだ。
タグ:メディア (その32)(鮫島 浩ジャーナリスト:元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1) 朝日新聞政治部(1)、なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす、どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に、「日経テレ東大学」を潰し 看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力) 現代ビジネス 鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」 『朝日新聞政治部』 「木村社長」が「態度を一変させた」とは酷い話だが、その背景には何があったのだろう。 「39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである」、 「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」との奥さんの批判は、手厳しいが本質を突いているようだ。 「「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった・・・マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった」、 「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである」、なるほど。 鮫島 浩氏による「なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす」 「経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」、「社長」が絶対で、「『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだ」とは、腐り切った組織だ。 「木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表した」、「木村社長」がやろうとしたことは筋が通ってないのに、よくぞ社内的に通用したものだ。社内には「社長」のイエスマンしかいないのだろう。 「連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという」、「信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」、その通りなのだろう。 「経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」、確かにこれではやる気のある記者たちは、「失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう」、これでは、「朝日新聞が死んだ」のも当然だろう。 日刊ゲンダイ「どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に」 「朝日新聞」記者は参加しなかったようだ。 これは、矜持を持っているためなのだろうか。 「ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」、同感である。 伊藤 博敏氏による「「日経テレ東大学」を潰し、看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力」 「「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した」、面白そうだが、私は残念ながら1回も観ていない 「「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようだ」、「配信打ち切り」の理由は何なのだろう。 「企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」、確かにその通りだろう。 「直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった」、なるほど。 「日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」」、「日経新聞の嫉妬」とは驚かされた。こうしたことでは、「もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない」、その通りだ。
NHK問題(その6)(NHK(上)続投を阻まれた前田前会長の無念…背後にチラつく財界サロン「四季の会」の影、NHK(下)「岸田vs菅」の壮絶バトルの末に決まったトップ人事、稲葉NHK新会長が職員へ異例のメッセージ 前田・前会長の“銀行員的改革”はなぜ不評だったのか、【NHKワクチン被害者遺族放送問題】3題:なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」、「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全 [メディア]
NHK問題については、2021年9月6日に取上げた。久しぶりの今日は、(その6)(NHK(上)続投を阻まれた前田前会長の無念…背後にチラつく財界サロン「四季の会」の影、NHK(下)「岸田vs菅」の壮絶バトルの末に決まったトップ人事、稲葉NHK新会長が職員へ異例のメッセージ 前田・前会長の“銀行員的改革”はなぜ不評だったのか、【NHKワクチン被害者遺族放送問題】3題:なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」、「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」、なぜNHKは「ワクチン死遺族の悲痛な声」を報じなかったのか…証言で浮かび上がった深層)である。
先ずは、本年2月8日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの有森隆氏による「NHK(上)続投を阻まれた前田前会長の無念…背後にチラつく財界サロン「四季の会」の影」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/318375
・『任期満了に伴い退任するNHKの前田晃伸会長(78)が1月10日、会長として最後の会見に臨んだ。 前田氏は、みずほフィナンシャルグルーブの会長などを務めた後、2020年にNHK会長に転じ、1期3年務め1月24日退任した。人事制度や受信契約の営業手法など大胆な改革を進めるとともに、徹底したコスト削減を図り、今年10月からの過去最大の受信料値下げを実現した』、興味深そうだ。
・『スリム化に尽力 会見で前田会長は3年の任期を振り返り、「スリムで強靱なNHKに生まれ変わるため、今までの会長が手をつけなかったところに全部着手した」と人事制度の改革を強調した。 総務省が求める①業務のスリム化、②受信料値下げ、③ガバナンス強化の「三位一体の改革」を推進し、銀行出身の前田氏はとりわけ、手慣れた組織のスリム化に力を入れてきた。 外部のコンサルタント会社に大胆に業務委託しながら効率化を図り、19年度に7163億円あった業務支出を21年度には6609億円まで削減した。コロナ禍で、改革が進めやすかった側面は確かにあるが、元バンカーらしいやり方をした。 前田会長は3年間の成果を強調したが、「実態は無念さをにじませた会見だった」(全国紙の記者)。前田氏は22年9月ごろまでは続投に意欲を燃やしていた。それが、総務族の政治家の手で、引きずり降ろされた悔しさは、隠しようがなかったからだ。 その間、何が起きたのか。 安倍晋三元総理は22年7月8日、選挙応援中の奈良で暗殺された(享年67)。その1カ月半ほど前の5月25日、葛西敬之JR東海名誉会長が間質性肺炎で亡くなった(享年81)。 葛西氏は安倍氏を、再度、総理に押し上げた財界サロン「四季の会」の主宰者として知られている。中部地区の主要企業のトップたちは、「怖い人だ」と隠れて言い合い、彼を敬して遠ざけた。葛西氏は最後のフィクサーの異名を持っていた。 葛西氏が安倍晋三・菅義偉両政権を通じて重視したのが「NHKの支配」だったとされる。源流は第1次安倍政権(06年9月~07年9月)の菅義偉総務大臣時代にさかのぼる。NHKの報道に不満をもつメンバーが重用され、NHKの会長などを決める経営委員長に安倍氏の強い意向で富士フイルムの古森重隆社長(当時)が送り込まれた。 ところが安倍政権はわずか1年の短命で終わった。これ以降、「四季の会」がNHKの会長人事を実質的に仕切ることになった、とみる関係者が多い。古森経営委員長はアサヒビール(現・アサヒグループホールディングス)の福地茂雄相談役をNHK会長(08年1月~11年1月)に任命した。福地氏も「四季の会」のメンバーだった。 09年、民主党政権が誕生したが、「四季の会」の勢いはとまらない。葛西氏は、元部下でJR東海の副会長だった松本正之氏を福地氏の後任としてNHK会長(11年1月~14年1月)に据えた。 この間、「四季の会」は“素浪人”となった安倍晋三氏を支え続けた。 12年12月、第2次安倍政権が発足した。20年9月に退任するまでの長期政権となった。歴代のNHK会長の選考では、葛西敬之氏らの考え方が色濃く反映された。 20年1月、元みずほフィナンシャルグループ会長の前田晃伸氏がNHK会長に就任した。前田氏は記者会見で記者に問われ、「四季の会」のメンバーであることを認めた。) 前田氏の心のうちをのぞいたわけではないが、みずほのトップとして実績を上げていないとの忸怩たる思いがあったことは間違いない。NHK会長の椅子を前田氏は自らの経歴のリベンジのために使おうとした節がある。 時は移ろいやすい。葛西氏も安倍氏も鬼籍に入った。菅氏も、いっときだった政権の座から滑り落ちた。権力構造の急激な変化に伴い、前田氏はNHK会長の続投を断念しなければならないと意識するようになる。こうした間隙を縫って、会長人事の大逆転が起きた。時系列でたどってみよう。 =つづく』、「葛西氏が安倍晋三・菅義偉両政権を通じて重視したのが「NHKの支配」だったとされる。源流は第1次安倍政権(06年9月~07年9月)の菅義偉総務大臣時代にさかのぼる。NHKの報道に不満をもつメンバーが重用され、NHKの会長などを決める経営委員長に安倍氏の強い意向で富士フイルムの古森重隆社長(当時)が送り込まれた」、「アサヒビール(現・アサヒグループホールディングス)の福地茂雄相談役をNHK会長(08年1月~11年1月)に任命した。福地氏も「四季の会」のメンバーだった。 09年、民主党政権が誕生したが、「四季の会」の勢いはとまらない。葛西氏は、元部下でJR東海の副会長だった松本正之氏を福地氏の後任としてNHK会長(11年1月~14年1月)に据えた」、「元みずほフィナンシャルグループ会長の前田晃伸氏がNHK会長に就任した。前田氏は記者会見で記者に問われ、「四季の会」のメンバーであることを認めた」、「葛西氏が実質的な仕切り役」だったようだ。
次に、2月9日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの有森隆氏による「NHK(下)「岸田vs菅」の壮絶バトルの末に決まったトップ人事」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/318439
・『NHKの会長は、表向きは経営委員会内に設置される指名部会が決めることになっている。だが、実際は違う。指名部会が開かれる1週間前には永田町や霞が関の根回しが終わっているものなのだ。相前後して報道各社の「スクープ合戦」となるが、今回は極めて異例な展開を見せた。 経営委員会委員長の森下俊三氏(NTT西日本元社長)が記者会見で指名部会を立ち上げたことを明かしたのは2022年7月末。当初は、20年1月にNHK会長に就いた前田晃伸氏の続投が有力視されていた。何より、前田氏自身が続投を望んでいたからである。 そこへ突然、「NHK次期会長人事、丸紅元社長の朝田氏で最終調整」というニュースが飛び込んできた。 東洋経済ONLINE(22年12月3日付)が、23年1月に任期満了を迎える前田氏の後任が丸紅元社長の朝田照男氏に絞り込まれたとスクープ(!?)を放ったのだ。 〈事情に詳しいNHK関係者によれば、前田会長は一時、2期目も務める意思を示していた。しかし、受信料の引き下げをめぐって自民党と対立。前田会長ら経営陣は23年から衛星契約のみを引き下げるべきと主張していたが、自民党に押し切られる形で、最終的には地上波契約・衛星契約ともに1割値下げすることを決めた。こうした経緯を踏まえて“ポスト前田”の後任の人選が進められた〉(要旨、表現は異なる)とした。) 人選は経済界を中心に進められ、数人の候補が浮上したが、前田氏の出身母体である、みずほフィナンシャルグループと親密な関係にあり、(しかも)経済団体などで親交のあった丸紅の朝田氏に白羽の矢が立ったと伝えた。 ところが、これが大誤報(!?)となる。経営委員会は12月5日、日本銀行元理事の稲葉延雄氏(72)を会長に任命することを決めた。 「本人もやる気満々だった」(丸紅関係者)といわれた朝田氏はなぜ敗れたのか?』、「日本銀行元理事の稲葉延雄氏(72)を会長に任命することを決めた」、背景には何があったのだろう。
・『岸田官邸が朝田案を阻止 「週刊現代」(22年12月24日号)は「NHK『トップ人事』をめぐる『岸田VS菅』壮絶バトルの内幕」を報じた。 〈そもそもNHKの会長人事は、放送行政を牛耳るドン・菅義偉前総理の意向が働いてきた。「菅氏は前田会長を支配下に置き、機構改革や番組内容にも影響力を及ぼしてきたと言われます」(NHK幹部)。前田氏は菅氏の威を借り続投を希望していたが、ある事件により道を断たれた。「菅さんと近い板野裕爾(専務理事)を再任しない人事案を出し、菅さんの怒りを買った」(別のNHK幹部)のである〉) 前田氏の代わりに菅氏が目をつけたのが朝田氏だった、朝田氏は前田氏に頭が上がらないため、菅氏は間接的に朝田氏をコントロールできると踏んだ、と伝わる。 〈ところが、菅氏のNHKへの影響力を削ぎたい岸田官邸が横槍を入れた。「岸田総理のいとこの宮沢洋一自民党税調会長が『日銀の元プリンスでいいのがいる』と稲葉氏を推した。それに総理が乗っかった」(NHK関係者)。岸田総理は菅氏に「稲葉会長案」を直談判。菅氏は難色を示したが「麻生(太郎自民党副総裁)さんが『会長はお飾りだ。実務者の副会長を取れよ』と菅さんをなだめて呑ませた」(自民党閣僚経験者)> NHKの会長人事は、いつでもそうだし、今回もまさに官邸、自民党、総務省がせめぎあう「政治案件」である。稲葉新会長は「やる気満々」だが、NHK経営委員会の森下俊三委員長は、稲葉氏に対して「改革で生じた副作用(=歪み)は直してほしい」と注文をつけた。 「スリムで強靱なNHK」を掲げ、人事制度や営業のやり方を強引に変えてしまった「前田改革」の、強烈な揺り戻しが始まった』、「菅氏のNHKへの影響力を削ぎたい岸田官邸が横槍を入れた。「岸田総理のいとこの宮沢洋一自民党税調会長が『日銀の元プリンスでいいのがいる』と稲葉氏を推した。それに総理が乗っかった」、「NHK経営委員会の森下俊三委員長は、稲葉氏に対して「改革で生じた副作用(=歪み)は直してほしい」と注文をつけた。 「スリムで強靱なNHK」を掲げ、人事制度や営業のやり方を強引に変えてしまった「前田改革」の、強烈な揺り戻しが始まった」、「「前田改革」の、強烈な揺り戻し」、とは見物だ。
第三に、3月7日付けデイリー新潮が掲載したコラムニスト・ジャーナリストの高堀冬彦氏による「稲葉NHK新会長が職員へ異例のメッセージ 前田・前会長の“銀行員的改革”はなぜ不評だったのか」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/03071100/?all=1
・『今年1月に就任したNHKの稲葉延雄新会長(72)が3月1日、職員向けに「改革の検証と発展へ」と題したメッセージを出し、組織内で不満が渦巻いている前田晃伸前会長(78)による改革を再検討する考えを示した。前会長による改革を新会長がたちまち見直すのは、極めて異例のこと。NHKの現状はどうなっているのか。 現在、NHKは毎月20~30人程度の職員が依願退職している。約1万人体制とはいえ、多い。そもそも離職率の低かった組織なのだ。前田体制になってから辞める職員が増えた。 前田氏は元みずほフィナンシャルグループ会長。2020年1月にNHK会長に就くと、今年1月の退任までの3年間に、ドラスティックな改革を行った。 まず人事。「役職定年制」を導入した。52歳以上の職員は職階に応じ、ある年齢に達したら役職を剥奪され、平社員になった。これにより管理職は3割も減り、人件費コストは大幅に削減された』、「毎月20~30人程度の職員が依願退職」、「役職定年制」で「管理職は3割も減り、人件費コストは大幅に削減された」、確かにドラスティックな改革だ。
・『「銀行屋の発想」50歳以上の職員を疎んじる傾向も それだけではない。職員によっては50代半ばから賃金が時給制になった。これに青ざめる職員が相次いだという。前田体制は職員たちの暮らしをどう考えていたのだろう。 「ベテラン職員には鬱屈が溜まり、若手や中堅の職員も未来に希望が持てなくなった。これでは退職者が増える」(職員) ベテラン職員たちを戸惑わせた改革はこれにとどまらない。幹部職員になるためには試験に合格しなければならなくなった。例えば水戸放送局、静岡放送局など地方局の局長も試験で決まるようになった。 試験で誕生した実績の乏しい40代の局長が、それに勝るキャリアと指導力を持つ50代の記者やディレクターたちに指示を与えるようになった。これでは組織に軋みが生じるはずだ。 職員たちは口々に「銀行屋の発想」と不満を漏らしたという。確かに、銀行界は経営陣に気に入られた一部エリートを除き、50歳以上の職員を疎んじる傾向がある。定年前に片道切符で出向させられる社員が多い』、「試験で誕生した実績の乏しい40代の局長が、それに勝るキャリアと指導力を持つ50代の記者やディレクターたちに指示を与えるようになった。これでは組織に軋みが生じるはずだ。 職員たちは口々に「銀行屋の発想」と不満を漏らしたという」、なるほど。
・『NHKから専門家がいなくなる 前田体制は大胆な組織改革も行った。これにも局内から不満や疑問の声が上がり続けている。 NHKは長らく放送総局(約3500人)の下に報道局と制作局などが置かれていた。さらに報道局の下部には取材センター、ニュース制作センターなどが置かれていた。制作局の中にはバラエティをつくるエンターテインメント番組部やドラマ番組部などがあった。 だが、前田体制は2022年4月に放送総局を廃止。新たにメディア総局を設けた。その下に制作局に代わるクリエイターセンターを設けた。「縦割りを廃するため」などと前田体制は説明した。 それにより、制作者たちが畑違いの番組も手掛けるようになった。専門性が削がれつつある。 また、大河ドラマ、連続テレビ小説以外のドラマは外注化が進んでいる。やはりコストカットが第一の目的だ。 「これではエキスパートが育ちにくく、番組の質が保てなくなる恐れがある。NHKが受け継いできた制作力が伝承できるのだろうか」(別の職員)』、「大胆な組織改革」では、「「縦割りを廃するため」などと前田体制は説明した。 それにより、制作者たちが畑違いの番組も手掛けるようになった。専門性が削がれつつある。 また、大河ドラマ、連続テレビ小説以外のドラマは外注化が進んでいる。やはりコストカットが第一の目的だ。 「これではエキスパートが育ちにくく、番組の質が保てなくなる恐れがある。NHKが受け継いできた制作力が伝承できるのだろうか」』、大胆過ぎたようだ。
・大掛かりな編成・番組改革も裏目に 前田体制は大掛かりな編成・番組改革も行った。これも裏目に出ているのが明らか。 前田体制スタートから1年半後の2021年10月第1週の視聴率はこうだった。まだ編成・番組改革の規模は小さかった。 〇プライム帯(午後7時~同11時):個人4.9%(世帯8.9%) 〇全日帯(午前6時~午前0時):個人3.0%(世帯5.7%) 翌2022年4月、大胆な編成・番組改革が行われた。「ガッテン!」などを打ち切り、平日午後10時45分から同11時30分を「若年層ターゲットゾーン」とした。民放ですら、あり得ない。 その大改革から半年が過ぎた同10月第1週の視聴率は次の通りだ。 〇プライム帯:個人4.1%(世帯7.3%) 〇全日帯:2.7%(個人4.9%) 週単位の平均値でこの数字だから、視聴率の下げ幅はかなり大きい。前田体制は受信料を1割下げたものの、NHKを観る人が減ったり、満足度が落ちたりしたら、値下げも意味が乏しい。 NHKは誰のものかというと、視聴者のものである。収入のほぼ全てが受信料で、それによって組織や機器、施設を整えてきたのだから。株式会社と株主の関係に近い。それなのに前田体制は視聴者ファーストで改革を行ったとは思えない。 また、株式会社であろうが、組織を支える社員の暮らしは守らなくてはならない。サラリーマンならご存じの通りである。前田体制は受信料値下げを図ろうとするあまり、過度なコストカットに走り、職員の生活をないがしろにしたのではないか。それでは番組づくりへの影響は避けられない』、「前田体制は受信料値下げを図ろうとするあまり、過度なコストカットに走り、職員の生活をないがしろにしたのではないか。それでは番組づくりへの影響は避けられない」、なるほど。
・『不祥事続発の遠因も前田改革? 昨年10月、阿部渉アナウンサー(55)の局内不倫が取りざたされた。今年2月にはアナの船岡久嗣容疑者(47)が後輩女性アナの邸宅に侵入した疑いで逮捕された。どちらも前田体制下のNHK内では厳しい立場のベテランだ。 2人の行為はもちろん自己責任だ。庇う余地はない。だが、不祥事の背景に改革の影響はないのか。組織は実績ある2人を大切にしていたのだろうか。 前田体制はベテラン職員に関わる人事制度を激変させただけでなく、新人採用の仕組みも大きく変えた。2022年4月入局組から、職種別採用を止め、一括採用にした。報道記者志望者もドラマ制作を目指す者も技術者志望者も一括りで採用するようになった。 報道記者志願者は朝日や毎日、読売などの新聞社との併願が多かった。ドラマ制作者や技術者になる可能性もあると、受験をためらう者もいるだろう。 ドラマ制作を希望する者も同じ。記者になるのを恐れ、映画会社や動画配信会社などに流れてしまうこともあるに違いない。「人材の宝庫」と言われ続けたNHKだが、クリエイターセンターへの移行や外注増加もあって、今後は危ういのではないか。 もっとも、職員たちの危機感や嘆きは日銀元理事の稲葉延雄会長も知っていた。今年1月25日の就任会見で、前田改革についてこう口にした。 「若干のほころびが生じているかもしれない」(稲葉会長)。新会長が就任するなり、前会長のやったことを否定するような発言をするのは前代未聞だった。 それから1カ月余。職員に向けて「改革の検証と発展へ」とするメッセージを出した。前田改革を見直すつもりに違いない』、「新会長」が「前田改革を見直すつもりに違いない」とはお手並み拝見だ。
・『NHKは真の公共放送になるしかない 前田体制下でNHKの報道や番組の魅力が落ちたためなのか、受信料を下げたにも関わらず、民営化やスクランブル化を求める声が高まっている。だが、それは視聴者にとってプラスなのだろうか。 まず民営化はマイナスが大きい。そうでなくても在京キー局が5局もあるのは多い。米国ですら4大ネットワークなのだ。民放ばかりになったら、俗な番組が増えるだけ。また、NHKがスポンサーを獲るのは簡単ではない。やったことがないのだから。 スクランブル化するくらいなら、いっそ廃局にしてしまったほうが良い。既に有料CS放送のニュースチャンネルや有料配信動画が数多くあり、そこにNHKが加わるだけで、意味がない。 ただし、受信料で築き上げられたNHKを失うのは勿体ない。現在、なぜ民営化論などが高まっているかというと、それはNHKが視聴者の手の届かないところにあるから。前田改革も視聴者は蚊帳の外だった。 NHKが進むべき道は視聴者のための公共放送になるしかない。「既に公共放送じゃないか」と言うなかれ。現在の形態は英国のBBCなど諸外国の公共放送とは似て非なるものだ。 まず全放送局が総務省の支配下から脱する。突飛な話ではない。先進国では政府がテレビ局を監督するほうが極めて異例なのである。テレビ局は報道機関であり、本来は政府を監視する側の立場なのだ』、「NHKが進むべき道は視聴者のための公共放送になるしかない。「既に公共放送じゃないか」と言うなかれ。現在の形態は英国のBBCなど諸外国の公共放送とは似て非なるものだ。 まず全放送局が総務省の支配下から脱する。突飛な話ではない。先進国では政府がテレビ局を監督するほうが極めて異例なのである。テレビ局は報道機関であり、本来は政府を監視する側の立場なのだ」、確かに「政府を監視する側の立場」なのに、「政府がテレビ局を監督」するとは不自然だ。
・『NHKを国営放送にする案はなぜ「論外」? テレビ局の監督はほかの先進国のように独立放送規制機関が行う。米国にはFCC、英国にはOfcom、フランスにはCSAがある。これらの組織は政府から独立している。 独立放送規制機関はテレビ局に対して強い権限を持つ一方、政治がテレビ局に介入することを許さない。テレビ局を厳正にチェックしながら、政治から守っている。米国のCBSや英国のBBCが厳しい政府批判が出来る背景には独立放送規制機関の存在がある。 また、NHK経営委員を事実上政府が選び、それに国会が同意するという悪しき仕組みはあらためるほかない。会長は経営委員会が決めているから、オーナーは視聴者であるにも関わらず、運営権は政権党が握るという不可思議な状態が続いている。 BBCの場合、経営委員会の代わりに、組織の方向性を決める理事会がある。経営委員の定員は12人だが、BBC理事会は14人。トップの理事長は公募制だ。理事長と4人の地域担当理事は公平性と透明性を確保した上で決められ、最終的には政府が任命する。残り9人の理事はBBCが任命する。会長はBBCが任命した理事から選ぶ。 経営委員会と理事会はまるで仕組みが違う上、Ofcomがあるから、BBCは独立性が極めて高い。NHKも海外の公共放送に倣うべきだ。 NHKを国営放送にするという案は論外だ。政権党の思う壺である。労せず受信料を徴収し、都合の良い主張を流せてしまうようになる。それもあり、国営放送の報道は海外で信用されない。 海外の国営放送は中国の中国中央電視台、ロシアのロシア1、北朝鮮の朝鮮中央放送など。大掛かりな国営放送を持つのは社会主義国か旧社会主義国ばかりなのである。 NHKを視聴者の手に届く存在にしない限り、いくら受信料を下げても視聴者側は納得しない。(高堀冬彦氏の略歴はリンク先参照)』、「テレビ局の監督はほかの先進国のように独立放送規制機関が行う。米国にはFCC、英国にはOfcom、フランスにはCSAがある。これらの組織は政府から独立している。 独立放送規制機関はテレビ局に対して強い権限を持つ一方、政治がテレビ局に介入することを許さない。テレビ局を厳正にチェックしながら、政治から守っている。米国のCBSや英国のBBCが厳しい政府批判が出来る背景には独立放送規制機関の存在がある」、「NHK経営委員を事実上政府が選び、それに国会が同意するという悪しき仕組みはあらためるほかない。会長は経営委員会が決めているから、オーナーは視聴者であるにも関わらず、運営権は政権党が握るという不可思議な状態が続いている。 BBCの場合、経営委員会の代わりに、組織の方向性を決める理事会がある。経営委員の定員は12人だが、BBC理事会は14人。トップの理事長は公募制だ。理事長と4人の地域担当理事は公平性と透明性を確保した上で決められ、最終的には政府が任命する。残り9人の理事はBBCが任命する。会長はBBCが任命した理事から選ぶ。 経営委員会と理事会はまるで仕組みが違う上、Ofcomがあるから、BBCは独立性が極めて高い。NHKも海外の公共放送に倣うべきだ」、「NHKを国営放送にするという案は論外だ。政権党の思う壺である。労せず受信料を徴収し、都合の良い主張を流せてしまうようになる。それもあり、国営放送の報道は海外で信用されない」、全く同感である。
第四に、5月26日付け現代ビジネス「なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#1】」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/110832?imp=0
・『5月15日に放送されたNHK「ニュースウォッチ9」のエンドロールで流れた映像がいま、問題となっている。コロナワクチン接種後に「副反応との因果関係が疑われる症状」で肉親を亡くした遺族たちの告白を「切り取って」放送していたのだ。なぜそうした事態に陥ったのか――関係者に話を聞いた』、信じ難いような話だ。
・『コロナ禍の3年を振り返る放送で 「NHKは番組の中で『偏向報道』をした事実については認めました。しかし、私たちが求めた『なぜそんな形で放送をしたのか』という意図については、説明すらされていない。謝罪はあった。しかし、いくら謝られたからといっても、遺族たちの怒りがおさまったわけではありません」 こう憤るのは、コロナワクチン被害者遺族会「つなぐ会」代表の鵜川和久氏だ。 5月15日に放送されたNHK『ニュースウォッチ9』のエンディング映像を巡り、NHKに抗議の声が集まっている。発端となったのは、新型コロナが第5類に移行することを受けて制作された「この3年を振り返る」という趣旨の、1分ほどの短い映像だ。 なぜこの短い映像が、騒動に発展したのだろうか――。まずはその映像を振り返ろう。 冒頭では、かつてクラスターが発生した「ダイヤモンドプリンセス号」の現在の姿が映り、「私たちの3年あまり」というテロップが流れる。そして、コロナ禍で肉親を失った3人の「遺族」が登場した。 まず、〈夫を亡くした河野亜樹子さん〉との字幕とともに、河野さんという女性が「いったいコロナって何だったんだろう」と語る。 次に〈父を亡くした宮城彰範さん〉との字幕と父親の写真を見つめる男性が映る。その背後からは「5類になったとたんにコロナが消えるわけではない」「風化させることはしたくない」との声が聞こえた。 最後は〈母を亡くした佐藤かおりさん〉が登場する。佐藤さんは涙ぐみながら「遺族の人たちの声を届けていただきたい」と語っていた。 そして動画は「戻りつつある日常」という声と共に現在の街の様子へと続いていく――。 問題となっているのはこの3人の紹介の仕方だ。 一見すると視聴者は、彼ら、彼女らを「新型コロナウイルス感染症にかかった肉親を失った遺族」ととらえるだろう。 だが、ここに登場した遺族全員が「肉親は、新型コロナのワクチン接種後の副反応による疑いで命を落とした」と主張している。決してコロナに感染して亡くなったわけではないのだ。 しかし、番組動画を見る限りでは、彼らは「コロナに感染して亡くなった」と受け止められるつくりになっている。ここに、遺族は憤っているのだ』、「ここに登場した遺族全員が「肉親は、新型コロナのワクチン接種後の副反応による疑いで命を落とした」と主張している。決してコロナに感染して亡くなったわけではないのだ。 しかし、番組動画を見る限りでは、彼らは「コロナに感染して亡くなった」と受け止められるつくりになっている。ここに、遺族は憤っているのだ」、「遺族」が「憤る」のも当然だ。
・『「ワクチン」には一言も触れていなかった 「放送を見て、『えー!?』って驚きました。私たちが訴えたかった『ワクチン死』については一言も触れられていなかった……」 取材を受けた一人、佐藤かおりさん(46歳)は悔しさを滲ませながら訴える。 佐藤さんの母親はワクチン接種直後に還らぬ人となった 佐藤さんは昨年11月に母・政美さんを亡くした(享年68)。5回目のワクチン接種後のことだった。夕飯の準備をしていたとき、急に体調が悪くなった政美さん。ちょっと休むと台所を離れた直後――。 「あかん!」 そう最後の言葉を残し、突然倒れた。救急搬送されるも目を覚ますことなく、還らぬ人となった――。 政美さんのCT画像をみると、肺に血が溜まり、気管まであふれている状態が映し出されていた。大病を患うことなく、亡くなる直前まで元気に家事をこなしていた政美さん。遺族は「ワクチン以外の原因が考えられない」と主張している(その詳しい状況については週刊現代2023年1月28日号でも伝えている)。 佐藤さんらはNHKから先の取材を受けた際、「肉親がワクチン接種直後に亡くなったこと」「遺族らはワクチン関連死であると思っていること」を、接種後の状況や死因などともに丁寧に伝えていた。しかし、そのほとんどが放送ではカットされ、ただ「コロナで亡くなった人々」という括りのなかで紹介されたのだ。 「私は母の死を無駄にしたくないと思い、ワクチン接種後に亡くなったという事実をしっかり伝えたくて取材に応じました。ワクチンの副反応で苦しんでいる方や、肉親を亡くしてどこに被害を訴えていいかわからない人もたくさんいます。役所や病院に被害を訴えても『さあ、わからない』と突き放された事実もあります。 そうした現状や遺族たちがいることをきちんと報道してほしい、遺族の声を届けてほしいんです……という趣旨を、カメラの前で話しました。ところが、放送で使われたのはその後半部分。亡くなったという事実だけ。その前段を伝えてもらいたかったのに、放送された映像はそうではなかった」(前出の佐藤さん) 取材を担当したNHKのディレクター・X氏らは、佐藤さんら遺族の話を神妙な面持ちで終始聞いていたという』、「取材を担当したNHKのディレクター・X氏らは、佐藤さんら遺族の話を神妙な面持ちで終始聞いていた」のに、「放送で使われたのはその後半部分。亡くなったという事実だけ。その前段を伝えてもらいたかったのに、放送された映像はそうではなかった」、余りに不自然だ。
・『「僕の気持ちとしてはちゃんと伝えたい」 「私たちの言葉をしっかり受け止め、哀しんでいた感じでした。彼は『今日、取材したことは時間の関係上一度に放送できない。上とのこと(社内での調整)もありますが、僕の気持ちとしてはちゃんと伝えたい。でも上の反応があるので、そのあたりはどうも言えない』というニュアンスの説明を私たちにしていました。 組織の問題はあるので、すべて流すことができないのは、十分承知しています。ただ、『ワクチンを打った後に亡くなったこと』を伝えたかったのに、その部分はまったく報じられないとは思っておらず、単に『コロナで亡くなった人』ということで放送されてしまったので、とても驚きました……」(前出の佐藤さん) 番組の時間は限られており、取材で話したことすべてを流せるわけではないことは、佐藤さんも理解していた。しかし、取材で話したことと放送内容がかけ離れていたことに、悔しさをにじませるのだ。 「取材に来た記者が、ワクチンについての話を最初から聞く気がなかったとも思いたくないし、彼らの様子が演技だと思いたくもない……」(前同) 一体、なぜこんな事態に発展したのだろうか――。 NHKサイドに佐藤さんら放送に登場した3人の遺族を紹介した、コロナワクチン被害者遺族会「つなぐ会」代表の鵜川和久氏に話を聞いた。『「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#2】』で続けて紹介する』、「「つなぐ会」代表」の見解は次の記事だ。
第五に、5月26日付け現代ビジネス「「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#2】」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/110833?imp=0
・『NHKが番組内でコロナ禍を振り返る映像に、コロナワクチン被害者遺族らから抗議が集まっている問題。なぜこうした事態に発展したのか――。 前半記事『なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#1】』から続けて紹介する』、興味深そうだ。
・『NHKからの依頼メールの全文公開 事の発端は、コロナワクチン被害者遺族会「つなぐ会」のホームページの問い合わせフォームを通して、NHKのX氏から取材の依頼が来たことだった。NHKサイドに佐藤さんら放送に登場した3人の遺族を紹介した、同会代表の鵜川和久氏に話を聞いた。 送られたメールには次のように書かれていた。 『先般から各社報道していますように、(新型コロナが※編集部注)5類移行となり、社会には明るい兆しが見えているようにも受け止められていますが、その実、非常に強い危機感を個人的に覚えずにいられません。 あった事をなかったようにされ忘れられていくのではないか、数えきれない嘆きの声が埋もれているのではないか。そして我々の報道の姿勢としてもこのままで良いのか。 歴史的にも非常に重要な意味を帯びるタイミングが現在であるとすら考えるのですが自分ではなかなか答えに辿りつけず、それでも番組でもどうにか取り上げて提起したい狙いから、厚労省や自治体にも取材をすすめていたところ、鵜川さまの活動に辿り着くことができました。 求めは長年活動されてきた鵜川さまのご意見をぜひ賜われないか、そしてご遺族の声を後年に残すことができないか、取材のご相談であります』 丁寧で熱い志を秘めた文面に好感を持った鵜川氏は、以後、X氏と複数回やり取りを重ねた』、「あった事をなかったようにされ忘れられていくのではないか、数えきれない嘆きの声が埋もれているのではないか。そして我々の報道の姿勢としてもこのままで良いのか」、ここまで「取材依頼」の「メール」内にここまで書かれていれば、「コロナワクチン被害者遺族会」側が大きく期待するのは当然だ。
・『3人のワクチン副反応死遺族に取材 「遺族をつなぎ、遺族の証言を残し、風化させないことを目的にしていることを彼は訴えていました。やり取りの中では『鵜川様との協議の通り、初手はワクチンの戒めを問うというより、コロナ禍を忘れさせないためのメッセージを帯びた放送を目指します。(編集部注:ワクチン死については)効果的に出すタイミングを綿密に測りつつ、鵜川様にもご意見を賜り、継続的に皆様に報います』と言っていました。 NHK側は、最初から私たちがワクチン接種後に副反応との因果関係が疑われる症状で肉親を亡くした遺族たちの会であること、活動内容を理解したうえで連絡をしてきているということです。『ワクチン遺族の会だということは知りませんでした』では通用しません」(鵜川氏) 取材は5月13日、京都府内で行われた。前述のX氏のほか、若いカメラマンと照明の3人が東京からやってきた。3人の遺族への取材は一人20~30分、計1時間ほど。故人の写真や思い出の品を持参し、生前のエピソードを明かした。そしてワクチン接種後に何が起きたのか、当時の状況、無念さ、悔しさ、そして接種した後悔について、ときおり声を詰まらせながら説明していた。 しかし、冒頭でも説明したように放送された映像では遺族らの意図に反し、「ワクチンについて訴えた場面」が使われることはなかった。 「X氏は取材時、『(ワクチン関連死)遺族のことは伝えなければならない』と涙を流しながら、遺族の声に耳を傾けてくれました。それなのにあの放送では、コロナ感染によって亡くなったようにしか見えない内容でした。肉親が『ワクチン接種後に亡くなった』という根幹部分が切り取られていたのです。彼のあの涙はいったい何だったのでしょうか」(前同)』、「「X氏は取材時、『(ワクチン関連死)遺族のことは伝えなければならない』と涙を流しながら、遺族の声に耳を傾けてくれました。それなのにあの放送では、コロナ感染によって亡くなったようにしか見えない内容でした。肉親が『ワクチン接種後に亡くなった』という根幹部分が切り取られていたのです」、「取材」から「放映」までの間で、NHKの姿勢が変化したのだろうか。
・『放送後には感想を求める電話が 放送終了、「なんだこの放送は……」と呆然としている鵜川氏の元に、X氏から番組の感想を求める電話がかかってきたという。鵜川氏は当然、抗議する。 「これワクチン遺族ではなく、コロナ感染死の遺族、ということになっていませんか?」 そう伝えるとX氏の声色が変わった。 「『あ、やべっ』と、言う感じでしたね。そこで事態の大きさに気が付いた様子でした」 X氏は「局に持ち帰り検討する」と伝え、その後、彼の上司が謝罪の電話をしてきたという。そして翌16日、同番組の最後に田中正良キャスターが「コロナウイルスに感染して亡くなったと受け取られるように伝え、ワクチンが原因で亡くなったというご遺族の訴えを伝えていませんでした」とし、映像について謝罪した。 謝罪さえすればすべてが終わるとNHKは踏んだのだろうか。だが、遺族の怒りはおさまらない。 「なぜこうした編集がされていたか、その経緯については説明がありませんでした。今後のNHK側の動きによってはBPO(放送倫理・番組向上機構)への提言含めてしかるべき措置を検討していくことになります」(前出の鵜川氏) 番組の放送時間の都合はあるにせよ、なぜNHKは「ワクチン死遺族」に取材し、入念に話を聞いておきながら、「コロナ死」という広い括りでその死に触れたのか。 そこにはNHKの内部事情が関係しているとみられる。 後半記事『なぜNHKは「ワクチン死遺族の悲痛な声」を報じなかったのか…証言で浮かび上がった深層【NHKワクチン被害者遺族放送問題#3】』では内情に詳しい関係者が明かす』、「NHKの内部事情が関係しているとみられる」、次の記事に移ろう。
第六に、5月26日付け現代ビジネス「なぜNHKは「ワクチン死遺族の悲痛な声」を報じなかったのか…証言で浮かび上がった深層【NHKワクチン被害者遺族放送問題#3】」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/110834?imp=0
・『NHKが番組内でコロナ禍を振り返る映像に、コロナワクチン被害者遺族らから抗議が集まっている問題。その内部事情について関係者が批判を含めて明かしてくれた。 「「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#2】」から続けて紹介する』、興味深そうだ。
・『最初から「コロナ死」として取材 最初から「ワクチン」に言及しないつもりであれば、NHKもコロナワクチン被害者遺族の会を取材しないはずだ。取材後に、「ワクチン死について報じるな」というなんらかの政治的な圧力でも働いたのだろうか――。 「政治的な圧力は働いていないと思います。むしろ最初からそうするつもりで取材をしていたと考えられます」 そう指摘するのはNHKでの勤務経験もある記者のA氏。 「あの企画は、遺族を取材した報道局映像センターのX氏自らが提案したそうです。5類になったからといって、新型コロナを風化させてはいけない、コロナで亡くなった遺族に話を聞き振り返りをしたい、と提案したものだった。若手からのやる気のある提案に、上層部も喜んでいた、と局内でも話題になっていました」 だが、取材を進めていく過程で、X氏の思惑通りにはいかない事態に直面した可能性をA氏は指摘する。 「当初X氏は、『コロナ感染』が原因で亡くなった方のご遺族を探していたのでしょう。でもなかなか見つからなかった。そんな中、放送日は刻一刻と近づいて来るし、上からのプレッシャーもあったのでしょう。 そこで、コロナ感染死ではなく、ワクチン接種後の副反応との因果関係が疑われる症状で亡くなった遺族の会(『つなぐ会』)に依頼を出したのではないか、と言われています」 つまり、当初はコロナに感染して亡くなった人の遺族を探していたが、見つからなかったため、「広い意味ではコロナで亡くなった方」ととらえて、ワクチンとの因果関係を訴える遺族に取材をしたのではないか、ということだ』、「当初はコロナに感染して亡くなった人の遺族を探していたが、見つからなかったため、「広い意味ではコロナで亡くなった方」ととらえて、ワクチンとの因果関係を訴える遺族に取材をしたのではないか」、ご都合主義的だ。
・『ワクチン死には触れられない事情 とはいえ、「コロナ感染死」と「ワクチンの副反応との因果関係が疑われる副反応死」とでは、その性質は大きく異なる。 「取材依頼をかける段階で、X氏は上層部には『ワクチン関連死を訴える遺族に取材する』とは伝えていなかったのでしょう。ワクチン死についてはさまざまな評価がありますし、局内でも医学的あるいは政治的な観点から、触れるべきではないという声も上がったでしょうから」(前出のA氏) 現にX氏から来た取材依頼のメールの文面では、意図的なのか、「ワクチン」という文言は使われていなかった。だが、つなぐ会のホームページに連絡してきたということは、ワクチン接種後に肉親を失い、関連性を訴える遺族たちの会であることは、天下のNHKの記者ならばわかっていたはずだ。 おそらくNHKの中ではX氏がワクチン死を訴える遺族を取材した後、その報告を受けて「ワクチン後遺症やワクチン死に触れるといろいろ面倒だ。広い意味では『コロナ禍で亡くなった方々』なのだから、ワクチンの部分を放送せず『遺族の証言』として放送できるだろう」という判断が下されたのだろう。 鵜川氏によると、17日にもNHKから改めて謝罪を受けたという。だが、それで憤りがおさまったわけではない。 「訂正放送も求めています」 しかし前出のNHK関係者は「訂正放送には応じないのでは」と見通しを明かす。 「先ほども言った通り、NHKの局内ではワクチン死はセンシティブな問題。遺族が主張する『ワクチンで亡くなった』という訂正放送をすることはできないでしょう。『今回の放送は放送倫理に反していました』と認めて謝罪するにとどめ、ワクチンに言及するのではなく、自分たちの番組作りを反省する流れに持っていきたいのではないか、とみています。 局内では今回のことをX氏とその上司の責任にし、チェック機能を強化して再発防止策を講じることで幕引きにしたいのでしょうね」』、「NHKの局内ではワクチン死はセンシティブな問題。遺族が主張する『ワクチンで亡くなった』という訂正放送をすることはできないでしょう」、「局内では今回のことをX氏とその上司の責任にし、チェック機能を強化して再発防止策を講じることで幕引きにしたいのでしょうね」、それにしても、「X氏」はどうしようもなく無責任だ。
・『NHKはどのように考えているのか ワクチン死の扱いの難しさもさることながら、訂正放送などすれば「NHKは信用できない」という声が高まり、受信料不払い運動につながるのでは――そんな懸念も胸の内にはあるのかもしれない。 NHKは、どのように考えているのだろうか。真偽を聞こうと質問を送ったところ、次のような回答がメールで寄せられた。全文を掲載する。 〈放送までの経緯などについては現在、詳細を調査中ですが、担当者は、NPO法人を通じてご遺族を紹介してもらい、取材の過程で、ワクチン接種後に亡くなった方のご遺族だと認識しました。番組は、コロナ禍で亡くなった方のご遺族の思いを伝えるという考えで放送しましたが、適切ではありませんでした。ご遺族に対してはNPO法人を通じて謝罪しました。 16日には、ニュースウオッチ9で、キャスターが、伝え方が適切ではなかったとお詫びしたほか、動画を載せたツイッターなどの投稿を削除した上で、お詫びの投稿を行いました。 ワクチンを接種後に亡くなった方のご遺族だということを正確に伝えず、新型コロナに感染して亡くなったと受け取られるような伝え方をしてしまったことは適切ではなく、取材に応じてくださった方や視聴者の皆さまに深くお詫び申し上げます。 取材・制作の詳しい過程をさらに確認し、問題点を洗い出した上で、再発防止策を徹底し、信頼回復に努めます〉 取材をしたこれまでのやり取りを振り返ると、X氏は当初から「コロナワクチンによる副反応死疑い死の遺族」だということをわかっていて取材依頼を出したことは明らかだ。しかし、NHKはあくまで「取材を進める中でそのことがわかった」としたいようだ。真偽も含めてX氏に直接コンタクトをとってみると……「今、たてこんでおりますので後ほどお電話いたします」との返答で、以後連絡はなかった。 NHKの取材に応じた、ワクチン接種後に母親を亡くした佐藤かおりさんはこう反応する。 「私たちがNHKに求めているのは『真実を伝えること』です。ワクチン死の訴えを聞き、取材の場では『このことを伝えたい』といったのですから、それを実行してほしい。 今回、NHKの取材に応じたのは、ワクチン被害や遺族についてきちんと報道してもらえるものと思ったからです。実名で顔を出してカメラの前に出ること……そこには期待と覚悟、さまざまな思いもありました。だからこそ、今回の放送はとてもショックでした。改めて、私たちの声を全国に問うてほしいのです」 「コロナ禍で亡くなった方の遺族」に取材をしなければ、番組が成立しない。しかし、意図したとおりに取材が進まない――その焦りからワクチン死を訴える遺族を取材したのだろうが、であるならば、取材前にその趣旨を伝え、遺族の了解を取るべきだったはずだ。自分たちが求めている部分しか放送では使わず、彼ら彼女らの真意を踏みにじったのなら、遺族が憤るのは当然である。 「関係者に聞いたところ、取材をしたX氏はワクチンで亡くなった旨をなんとか放送しようとしたみたいですけどね。ただ、上が『それでは通らない』と突っぱねたようです。放送すれば遺族とトラブルになることなどわかっていたはずですが、X氏にはどうすることもできなかった」(前出のA氏) 愛する肉親を突然亡くした遺族たちの痛みに寄り添うことなく、番組の都合に合わせて彼らの声を切り取り放送したNHK。信頼回復を言うのなら、まずは遺族の訴えにもう一度向き合うことが必要ではないか』、「取材をしたX氏はワクチンで亡くなった旨をなんとか放送しようとしたみたいですけどね。ただ、上が『それでは通らない』と突っぱねたようです。放送すれば遺族とトラブルになることなどわかっていたはずですが、X氏にはどうすることもできなかった」、やはりこれは、「遺族会」が「番組BPO」に訴えて、公開の場で責任を明らかにする他ないのではなかろうか。
先ずは、本年2月8日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの有森隆氏による「NHK(上)続投を阻まれた前田前会長の無念…背後にチラつく財界サロン「四季の会」の影」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/318375
・『任期満了に伴い退任するNHKの前田晃伸会長(78)が1月10日、会長として最後の会見に臨んだ。 前田氏は、みずほフィナンシャルグルーブの会長などを務めた後、2020年にNHK会長に転じ、1期3年務め1月24日退任した。人事制度や受信契約の営業手法など大胆な改革を進めるとともに、徹底したコスト削減を図り、今年10月からの過去最大の受信料値下げを実現した』、興味深そうだ。
・『スリム化に尽力 会見で前田会長は3年の任期を振り返り、「スリムで強靱なNHKに生まれ変わるため、今までの会長が手をつけなかったところに全部着手した」と人事制度の改革を強調した。 総務省が求める①業務のスリム化、②受信料値下げ、③ガバナンス強化の「三位一体の改革」を推進し、銀行出身の前田氏はとりわけ、手慣れた組織のスリム化に力を入れてきた。 外部のコンサルタント会社に大胆に業務委託しながら効率化を図り、19年度に7163億円あった業務支出を21年度には6609億円まで削減した。コロナ禍で、改革が進めやすかった側面は確かにあるが、元バンカーらしいやり方をした。 前田会長は3年間の成果を強調したが、「実態は無念さをにじませた会見だった」(全国紙の記者)。前田氏は22年9月ごろまでは続投に意欲を燃やしていた。それが、総務族の政治家の手で、引きずり降ろされた悔しさは、隠しようがなかったからだ。 その間、何が起きたのか。 安倍晋三元総理は22年7月8日、選挙応援中の奈良で暗殺された(享年67)。その1カ月半ほど前の5月25日、葛西敬之JR東海名誉会長が間質性肺炎で亡くなった(享年81)。 葛西氏は安倍氏を、再度、総理に押し上げた財界サロン「四季の会」の主宰者として知られている。中部地区の主要企業のトップたちは、「怖い人だ」と隠れて言い合い、彼を敬して遠ざけた。葛西氏は最後のフィクサーの異名を持っていた。 葛西氏が安倍晋三・菅義偉両政権を通じて重視したのが「NHKの支配」だったとされる。源流は第1次安倍政権(06年9月~07年9月)の菅義偉総務大臣時代にさかのぼる。NHKの報道に不満をもつメンバーが重用され、NHKの会長などを決める経営委員長に安倍氏の強い意向で富士フイルムの古森重隆社長(当時)が送り込まれた。 ところが安倍政権はわずか1年の短命で終わった。これ以降、「四季の会」がNHKの会長人事を実質的に仕切ることになった、とみる関係者が多い。古森経営委員長はアサヒビール(現・アサヒグループホールディングス)の福地茂雄相談役をNHK会長(08年1月~11年1月)に任命した。福地氏も「四季の会」のメンバーだった。 09年、民主党政権が誕生したが、「四季の会」の勢いはとまらない。葛西氏は、元部下でJR東海の副会長だった松本正之氏を福地氏の後任としてNHK会長(11年1月~14年1月)に据えた。 この間、「四季の会」は“素浪人”となった安倍晋三氏を支え続けた。 12年12月、第2次安倍政権が発足した。20年9月に退任するまでの長期政権となった。歴代のNHK会長の選考では、葛西敬之氏らの考え方が色濃く反映された。 20年1月、元みずほフィナンシャルグループ会長の前田晃伸氏がNHK会長に就任した。前田氏は記者会見で記者に問われ、「四季の会」のメンバーであることを認めた。) 前田氏の心のうちをのぞいたわけではないが、みずほのトップとして実績を上げていないとの忸怩たる思いがあったことは間違いない。NHK会長の椅子を前田氏は自らの経歴のリベンジのために使おうとした節がある。 時は移ろいやすい。葛西氏も安倍氏も鬼籍に入った。菅氏も、いっときだった政権の座から滑り落ちた。権力構造の急激な変化に伴い、前田氏はNHK会長の続投を断念しなければならないと意識するようになる。こうした間隙を縫って、会長人事の大逆転が起きた。時系列でたどってみよう。 =つづく』、「葛西氏が安倍晋三・菅義偉両政権を通じて重視したのが「NHKの支配」だったとされる。源流は第1次安倍政権(06年9月~07年9月)の菅義偉総務大臣時代にさかのぼる。NHKの報道に不満をもつメンバーが重用され、NHKの会長などを決める経営委員長に安倍氏の強い意向で富士フイルムの古森重隆社長(当時)が送り込まれた」、「アサヒビール(現・アサヒグループホールディングス)の福地茂雄相談役をNHK会長(08年1月~11年1月)に任命した。福地氏も「四季の会」のメンバーだった。 09年、民主党政権が誕生したが、「四季の会」の勢いはとまらない。葛西氏は、元部下でJR東海の副会長だった松本正之氏を福地氏の後任としてNHK会長(11年1月~14年1月)に据えた」、「元みずほフィナンシャルグループ会長の前田晃伸氏がNHK会長に就任した。前田氏は記者会見で記者に問われ、「四季の会」のメンバーであることを認めた」、「葛西氏が実質的な仕切り役」だったようだ。
次に、2月9日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの有森隆氏による「NHK(下)「岸田vs菅」の壮絶バトルの末に決まったトップ人事」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/318439
・『NHKの会長は、表向きは経営委員会内に設置される指名部会が決めることになっている。だが、実際は違う。指名部会が開かれる1週間前には永田町や霞が関の根回しが終わっているものなのだ。相前後して報道各社の「スクープ合戦」となるが、今回は極めて異例な展開を見せた。 経営委員会委員長の森下俊三氏(NTT西日本元社長)が記者会見で指名部会を立ち上げたことを明かしたのは2022年7月末。当初は、20年1月にNHK会長に就いた前田晃伸氏の続投が有力視されていた。何より、前田氏自身が続投を望んでいたからである。 そこへ突然、「NHK次期会長人事、丸紅元社長の朝田氏で最終調整」というニュースが飛び込んできた。 東洋経済ONLINE(22年12月3日付)が、23年1月に任期満了を迎える前田氏の後任が丸紅元社長の朝田照男氏に絞り込まれたとスクープ(!?)を放ったのだ。 〈事情に詳しいNHK関係者によれば、前田会長は一時、2期目も務める意思を示していた。しかし、受信料の引き下げをめぐって自民党と対立。前田会長ら経営陣は23年から衛星契約のみを引き下げるべきと主張していたが、自民党に押し切られる形で、最終的には地上波契約・衛星契約ともに1割値下げすることを決めた。こうした経緯を踏まえて“ポスト前田”の後任の人選が進められた〉(要旨、表現は異なる)とした。) 人選は経済界を中心に進められ、数人の候補が浮上したが、前田氏の出身母体である、みずほフィナンシャルグループと親密な関係にあり、(しかも)経済団体などで親交のあった丸紅の朝田氏に白羽の矢が立ったと伝えた。 ところが、これが大誤報(!?)となる。経営委員会は12月5日、日本銀行元理事の稲葉延雄氏(72)を会長に任命することを決めた。 「本人もやる気満々だった」(丸紅関係者)といわれた朝田氏はなぜ敗れたのか?』、「日本銀行元理事の稲葉延雄氏(72)を会長に任命することを決めた」、背景には何があったのだろう。
・『岸田官邸が朝田案を阻止 「週刊現代」(22年12月24日号)は「NHK『トップ人事』をめぐる『岸田VS菅』壮絶バトルの内幕」を報じた。 〈そもそもNHKの会長人事は、放送行政を牛耳るドン・菅義偉前総理の意向が働いてきた。「菅氏は前田会長を支配下に置き、機構改革や番組内容にも影響力を及ぼしてきたと言われます」(NHK幹部)。前田氏は菅氏の威を借り続投を希望していたが、ある事件により道を断たれた。「菅さんと近い板野裕爾(専務理事)を再任しない人事案を出し、菅さんの怒りを買った」(別のNHK幹部)のである〉) 前田氏の代わりに菅氏が目をつけたのが朝田氏だった、朝田氏は前田氏に頭が上がらないため、菅氏は間接的に朝田氏をコントロールできると踏んだ、と伝わる。 〈ところが、菅氏のNHKへの影響力を削ぎたい岸田官邸が横槍を入れた。「岸田総理のいとこの宮沢洋一自民党税調会長が『日銀の元プリンスでいいのがいる』と稲葉氏を推した。それに総理が乗っかった」(NHK関係者)。岸田総理は菅氏に「稲葉会長案」を直談判。菅氏は難色を示したが「麻生(太郎自民党副総裁)さんが『会長はお飾りだ。実務者の副会長を取れよ』と菅さんをなだめて呑ませた」(自民党閣僚経験者)> NHKの会長人事は、いつでもそうだし、今回もまさに官邸、自民党、総務省がせめぎあう「政治案件」である。稲葉新会長は「やる気満々」だが、NHK経営委員会の森下俊三委員長は、稲葉氏に対して「改革で生じた副作用(=歪み)は直してほしい」と注文をつけた。 「スリムで強靱なNHK」を掲げ、人事制度や営業のやり方を強引に変えてしまった「前田改革」の、強烈な揺り戻しが始まった』、「菅氏のNHKへの影響力を削ぎたい岸田官邸が横槍を入れた。「岸田総理のいとこの宮沢洋一自民党税調会長が『日銀の元プリンスでいいのがいる』と稲葉氏を推した。それに総理が乗っかった」、「NHK経営委員会の森下俊三委員長は、稲葉氏に対して「改革で生じた副作用(=歪み)は直してほしい」と注文をつけた。 「スリムで強靱なNHK」を掲げ、人事制度や営業のやり方を強引に変えてしまった「前田改革」の、強烈な揺り戻しが始まった」、「「前田改革」の、強烈な揺り戻し」、とは見物だ。
第三に、3月7日付けデイリー新潮が掲載したコラムニスト・ジャーナリストの高堀冬彦氏による「稲葉NHK新会長が職員へ異例のメッセージ 前田・前会長の“銀行員的改革”はなぜ不評だったのか」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/03071100/?all=1
・『今年1月に就任したNHKの稲葉延雄新会長(72)が3月1日、職員向けに「改革の検証と発展へ」と題したメッセージを出し、組織内で不満が渦巻いている前田晃伸前会長(78)による改革を再検討する考えを示した。前会長による改革を新会長がたちまち見直すのは、極めて異例のこと。NHKの現状はどうなっているのか。 現在、NHKは毎月20~30人程度の職員が依願退職している。約1万人体制とはいえ、多い。そもそも離職率の低かった組織なのだ。前田体制になってから辞める職員が増えた。 前田氏は元みずほフィナンシャルグループ会長。2020年1月にNHK会長に就くと、今年1月の退任までの3年間に、ドラスティックな改革を行った。 まず人事。「役職定年制」を導入した。52歳以上の職員は職階に応じ、ある年齢に達したら役職を剥奪され、平社員になった。これにより管理職は3割も減り、人件費コストは大幅に削減された』、「毎月20~30人程度の職員が依願退職」、「役職定年制」で「管理職は3割も減り、人件費コストは大幅に削減された」、確かにドラスティックな改革だ。
・『「銀行屋の発想」50歳以上の職員を疎んじる傾向も それだけではない。職員によっては50代半ばから賃金が時給制になった。これに青ざめる職員が相次いだという。前田体制は職員たちの暮らしをどう考えていたのだろう。 「ベテラン職員には鬱屈が溜まり、若手や中堅の職員も未来に希望が持てなくなった。これでは退職者が増える」(職員) ベテラン職員たちを戸惑わせた改革はこれにとどまらない。幹部職員になるためには試験に合格しなければならなくなった。例えば水戸放送局、静岡放送局など地方局の局長も試験で決まるようになった。 試験で誕生した実績の乏しい40代の局長が、それに勝るキャリアと指導力を持つ50代の記者やディレクターたちに指示を与えるようになった。これでは組織に軋みが生じるはずだ。 職員たちは口々に「銀行屋の発想」と不満を漏らしたという。確かに、銀行界は経営陣に気に入られた一部エリートを除き、50歳以上の職員を疎んじる傾向がある。定年前に片道切符で出向させられる社員が多い』、「試験で誕生した実績の乏しい40代の局長が、それに勝るキャリアと指導力を持つ50代の記者やディレクターたちに指示を与えるようになった。これでは組織に軋みが生じるはずだ。 職員たちは口々に「銀行屋の発想」と不満を漏らしたという」、なるほど。
・『NHKから専門家がいなくなる 前田体制は大胆な組織改革も行った。これにも局内から不満や疑問の声が上がり続けている。 NHKは長らく放送総局(約3500人)の下に報道局と制作局などが置かれていた。さらに報道局の下部には取材センター、ニュース制作センターなどが置かれていた。制作局の中にはバラエティをつくるエンターテインメント番組部やドラマ番組部などがあった。 だが、前田体制は2022年4月に放送総局を廃止。新たにメディア総局を設けた。その下に制作局に代わるクリエイターセンターを設けた。「縦割りを廃するため」などと前田体制は説明した。 それにより、制作者たちが畑違いの番組も手掛けるようになった。専門性が削がれつつある。 また、大河ドラマ、連続テレビ小説以外のドラマは外注化が進んでいる。やはりコストカットが第一の目的だ。 「これではエキスパートが育ちにくく、番組の質が保てなくなる恐れがある。NHKが受け継いできた制作力が伝承できるのだろうか」(別の職員)』、「大胆な組織改革」では、「「縦割りを廃するため」などと前田体制は説明した。 それにより、制作者たちが畑違いの番組も手掛けるようになった。専門性が削がれつつある。 また、大河ドラマ、連続テレビ小説以外のドラマは外注化が進んでいる。やはりコストカットが第一の目的だ。 「これではエキスパートが育ちにくく、番組の質が保てなくなる恐れがある。NHKが受け継いできた制作力が伝承できるのだろうか」』、大胆過ぎたようだ。
・大掛かりな編成・番組改革も裏目に 前田体制は大掛かりな編成・番組改革も行った。これも裏目に出ているのが明らか。 前田体制スタートから1年半後の2021年10月第1週の視聴率はこうだった。まだ編成・番組改革の規模は小さかった。 〇プライム帯(午後7時~同11時):個人4.9%(世帯8.9%) 〇全日帯(午前6時~午前0時):個人3.0%(世帯5.7%) 翌2022年4月、大胆な編成・番組改革が行われた。「ガッテン!」などを打ち切り、平日午後10時45分から同11時30分を「若年層ターゲットゾーン」とした。民放ですら、あり得ない。 その大改革から半年が過ぎた同10月第1週の視聴率は次の通りだ。 〇プライム帯:個人4.1%(世帯7.3%) 〇全日帯:2.7%(個人4.9%) 週単位の平均値でこの数字だから、視聴率の下げ幅はかなり大きい。前田体制は受信料を1割下げたものの、NHKを観る人が減ったり、満足度が落ちたりしたら、値下げも意味が乏しい。 NHKは誰のものかというと、視聴者のものである。収入のほぼ全てが受信料で、それによって組織や機器、施設を整えてきたのだから。株式会社と株主の関係に近い。それなのに前田体制は視聴者ファーストで改革を行ったとは思えない。 また、株式会社であろうが、組織を支える社員の暮らしは守らなくてはならない。サラリーマンならご存じの通りである。前田体制は受信料値下げを図ろうとするあまり、過度なコストカットに走り、職員の生活をないがしろにしたのではないか。それでは番組づくりへの影響は避けられない』、「前田体制は受信料値下げを図ろうとするあまり、過度なコストカットに走り、職員の生活をないがしろにしたのではないか。それでは番組づくりへの影響は避けられない」、なるほど。
・『不祥事続発の遠因も前田改革? 昨年10月、阿部渉アナウンサー(55)の局内不倫が取りざたされた。今年2月にはアナの船岡久嗣容疑者(47)が後輩女性アナの邸宅に侵入した疑いで逮捕された。どちらも前田体制下のNHK内では厳しい立場のベテランだ。 2人の行為はもちろん自己責任だ。庇う余地はない。だが、不祥事の背景に改革の影響はないのか。組織は実績ある2人を大切にしていたのだろうか。 前田体制はベテラン職員に関わる人事制度を激変させただけでなく、新人採用の仕組みも大きく変えた。2022年4月入局組から、職種別採用を止め、一括採用にした。報道記者志望者もドラマ制作を目指す者も技術者志望者も一括りで採用するようになった。 報道記者志願者は朝日や毎日、読売などの新聞社との併願が多かった。ドラマ制作者や技術者になる可能性もあると、受験をためらう者もいるだろう。 ドラマ制作を希望する者も同じ。記者になるのを恐れ、映画会社や動画配信会社などに流れてしまうこともあるに違いない。「人材の宝庫」と言われ続けたNHKだが、クリエイターセンターへの移行や外注増加もあって、今後は危ういのではないか。 もっとも、職員たちの危機感や嘆きは日銀元理事の稲葉延雄会長も知っていた。今年1月25日の就任会見で、前田改革についてこう口にした。 「若干のほころびが生じているかもしれない」(稲葉会長)。新会長が就任するなり、前会長のやったことを否定するような発言をするのは前代未聞だった。 それから1カ月余。職員に向けて「改革の検証と発展へ」とするメッセージを出した。前田改革を見直すつもりに違いない』、「新会長」が「前田改革を見直すつもりに違いない」とはお手並み拝見だ。
・『NHKは真の公共放送になるしかない 前田体制下でNHKの報道や番組の魅力が落ちたためなのか、受信料を下げたにも関わらず、民営化やスクランブル化を求める声が高まっている。だが、それは視聴者にとってプラスなのだろうか。 まず民営化はマイナスが大きい。そうでなくても在京キー局が5局もあるのは多い。米国ですら4大ネットワークなのだ。民放ばかりになったら、俗な番組が増えるだけ。また、NHKがスポンサーを獲るのは簡単ではない。やったことがないのだから。 スクランブル化するくらいなら、いっそ廃局にしてしまったほうが良い。既に有料CS放送のニュースチャンネルや有料配信動画が数多くあり、そこにNHKが加わるだけで、意味がない。 ただし、受信料で築き上げられたNHKを失うのは勿体ない。現在、なぜ民営化論などが高まっているかというと、それはNHKが視聴者の手の届かないところにあるから。前田改革も視聴者は蚊帳の外だった。 NHKが進むべき道は視聴者のための公共放送になるしかない。「既に公共放送じゃないか」と言うなかれ。現在の形態は英国のBBCなど諸外国の公共放送とは似て非なるものだ。 まず全放送局が総務省の支配下から脱する。突飛な話ではない。先進国では政府がテレビ局を監督するほうが極めて異例なのである。テレビ局は報道機関であり、本来は政府を監視する側の立場なのだ』、「NHKが進むべき道は視聴者のための公共放送になるしかない。「既に公共放送じゃないか」と言うなかれ。現在の形態は英国のBBCなど諸外国の公共放送とは似て非なるものだ。 まず全放送局が総務省の支配下から脱する。突飛な話ではない。先進国では政府がテレビ局を監督するほうが極めて異例なのである。テレビ局は報道機関であり、本来は政府を監視する側の立場なのだ」、確かに「政府を監視する側の立場」なのに、「政府がテレビ局を監督」するとは不自然だ。
・『NHKを国営放送にする案はなぜ「論外」? テレビ局の監督はほかの先進国のように独立放送規制機関が行う。米国にはFCC、英国にはOfcom、フランスにはCSAがある。これらの組織は政府から独立している。 独立放送規制機関はテレビ局に対して強い権限を持つ一方、政治がテレビ局に介入することを許さない。テレビ局を厳正にチェックしながら、政治から守っている。米国のCBSや英国のBBCが厳しい政府批判が出来る背景には独立放送規制機関の存在がある。 また、NHK経営委員を事実上政府が選び、それに国会が同意するという悪しき仕組みはあらためるほかない。会長は経営委員会が決めているから、オーナーは視聴者であるにも関わらず、運営権は政権党が握るという不可思議な状態が続いている。 BBCの場合、経営委員会の代わりに、組織の方向性を決める理事会がある。経営委員の定員は12人だが、BBC理事会は14人。トップの理事長は公募制だ。理事長と4人の地域担当理事は公平性と透明性を確保した上で決められ、最終的には政府が任命する。残り9人の理事はBBCが任命する。会長はBBCが任命した理事から選ぶ。 経営委員会と理事会はまるで仕組みが違う上、Ofcomがあるから、BBCは独立性が極めて高い。NHKも海外の公共放送に倣うべきだ。 NHKを国営放送にするという案は論外だ。政権党の思う壺である。労せず受信料を徴収し、都合の良い主張を流せてしまうようになる。それもあり、国営放送の報道は海外で信用されない。 海外の国営放送は中国の中国中央電視台、ロシアのロシア1、北朝鮮の朝鮮中央放送など。大掛かりな国営放送を持つのは社会主義国か旧社会主義国ばかりなのである。 NHKを視聴者の手に届く存在にしない限り、いくら受信料を下げても視聴者側は納得しない。(高堀冬彦氏の略歴はリンク先参照)』、「テレビ局の監督はほかの先進国のように独立放送規制機関が行う。米国にはFCC、英国にはOfcom、フランスにはCSAがある。これらの組織は政府から独立している。 独立放送規制機関はテレビ局に対して強い権限を持つ一方、政治がテレビ局に介入することを許さない。テレビ局を厳正にチェックしながら、政治から守っている。米国のCBSや英国のBBCが厳しい政府批判が出来る背景には独立放送規制機関の存在がある」、「NHK経営委員を事実上政府が選び、それに国会が同意するという悪しき仕組みはあらためるほかない。会長は経営委員会が決めているから、オーナーは視聴者であるにも関わらず、運営権は政権党が握るという不可思議な状態が続いている。 BBCの場合、経営委員会の代わりに、組織の方向性を決める理事会がある。経営委員の定員は12人だが、BBC理事会は14人。トップの理事長は公募制だ。理事長と4人の地域担当理事は公平性と透明性を確保した上で決められ、最終的には政府が任命する。残り9人の理事はBBCが任命する。会長はBBCが任命した理事から選ぶ。 経営委員会と理事会はまるで仕組みが違う上、Ofcomがあるから、BBCは独立性が極めて高い。NHKも海外の公共放送に倣うべきだ」、「NHKを国営放送にするという案は論外だ。政権党の思う壺である。労せず受信料を徴収し、都合の良い主張を流せてしまうようになる。それもあり、国営放送の報道は海外で信用されない」、全く同感である。
第四に、5月26日付け現代ビジネス「なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#1】」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/110832?imp=0
・『5月15日に放送されたNHK「ニュースウォッチ9」のエンドロールで流れた映像がいま、問題となっている。コロナワクチン接種後に「副反応との因果関係が疑われる症状」で肉親を亡くした遺族たちの告白を「切り取って」放送していたのだ。なぜそうした事態に陥ったのか――関係者に話を聞いた』、信じ難いような話だ。
・『コロナ禍の3年を振り返る放送で 「NHKは番組の中で『偏向報道』をした事実については認めました。しかし、私たちが求めた『なぜそんな形で放送をしたのか』という意図については、説明すらされていない。謝罪はあった。しかし、いくら謝られたからといっても、遺族たちの怒りがおさまったわけではありません」 こう憤るのは、コロナワクチン被害者遺族会「つなぐ会」代表の鵜川和久氏だ。 5月15日に放送されたNHK『ニュースウォッチ9』のエンディング映像を巡り、NHKに抗議の声が集まっている。発端となったのは、新型コロナが第5類に移行することを受けて制作された「この3年を振り返る」という趣旨の、1分ほどの短い映像だ。 なぜこの短い映像が、騒動に発展したのだろうか――。まずはその映像を振り返ろう。 冒頭では、かつてクラスターが発生した「ダイヤモンドプリンセス号」の現在の姿が映り、「私たちの3年あまり」というテロップが流れる。そして、コロナ禍で肉親を失った3人の「遺族」が登場した。 まず、〈夫を亡くした河野亜樹子さん〉との字幕とともに、河野さんという女性が「いったいコロナって何だったんだろう」と語る。 次に〈父を亡くした宮城彰範さん〉との字幕と父親の写真を見つめる男性が映る。その背後からは「5類になったとたんにコロナが消えるわけではない」「風化させることはしたくない」との声が聞こえた。 最後は〈母を亡くした佐藤かおりさん〉が登場する。佐藤さんは涙ぐみながら「遺族の人たちの声を届けていただきたい」と語っていた。 そして動画は「戻りつつある日常」という声と共に現在の街の様子へと続いていく――。 問題となっているのはこの3人の紹介の仕方だ。 一見すると視聴者は、彼ら、彼女らを「新型コロナウイルス感染症にかかった肉親を失った遺族」ととらえるだろう。 だが、ここに登場した遺族全員が「肉親は、新型コロナのワクチン接種後の副反応による疑いで命を落とした」と主張している。決してコロナに感染して亡くなったわけではないのだ。 しかし、番組動画を見る限りでは、彼らは「コロナに感染して亡くなった」と受け止められるつくりになっている。ここに、遺族は憤っているのだ』、「ここに登場した遺族全員が「肉親は、新型コロナのワクチン接種後の副反応による疑いで命を落とした」と主張している。決してコロナに感染して亡くなったわけではないのだ。 しかし、番組動画を見る限りでは、彼らは「コロナに感染して亡くなった」と受け止められるつくりになっている。ここに、遺族は憤っているのだ」、「遺族」が「憤る」のも当然だ。
・『「ワクチン」には一言も触れていなかった 「放送を見て、『えー!?』って驚きました。私たちが訴えたかった『ワクチン死』については一言も触れられていなかった……」 取材を受けた一人、佐藤かおりさん(46歳)は悔しさを滲ませながら訴える。 佐藤さんの母親はワクチン接種直後に還らぬ人となった 佐藤さんは昨年11月に母・政美さんを亡くした(享年68)。5回目のワクチン接種後のことだった。夕飯の準備をしていたとき、急に体調が悪くなった政美さん。ちょっと休むと台所を離れた直後――。 「あかん!」 そう最後の言葉を残し、突然倒れた。救急搬送されるも目を覚ますことなく、還らぬ人となった――。 政美さんのCT画像をみると、肺に血が溜まり、気管まであふれている状態が映し出されていた。大病を患うことなく、亡くなる直前まで元気に家事をこなしていた政美さん。遺族は「ワクチン以外の原因が考えられない」と主張している(その詳しい状況については週刊現代2023年1月28日号でも伝えている)。 佐藤さんらはNHKから先の取材を受けた際、「肉親がワクチン接種直後に亡くなったこと」「遺族らはワクチン関連死であると思っていること」を、接種後の状況や死因などともに丁寧に伝えていた。しかし、そのほとんどが放送ではカットされ、ただ「コロナで亡くなった人々」という括りのなかで紹介されたのだ。 「私は母の死を無駄にしたくないと思い、ワクチン接種後に亡くなったという事実をしっかり伝えたくて取材に応じました。ワクチンの副反応で苦しんでいる方や、肉親を亡くしてどこに被害を訴えていいかわからない人もたくさんいます。役所や病院に被害を訴えても『さあ、わからない』と突き放された事実もあります。 そうした現状や遺族たちがいることをきちんと報道してほしい、遺族の声を届けてほしいんです……という趣旨を、カメラの前で話しました。ところが、放送で使われたのはその後半部分。亡くなったという事実だけ。その前段を伝えてもらいたかったのに、放送された映像はそうではなかった」(前出の佐藤さん) 取材を担当したNHKのディレクター・X氏らは、佐藤さんら遺族の話を神妙な面持ちで終始聞いていたという』、「取材を担当したNHKのディレクター・X氏らは、佐藤さんら遺族の話を神妙な面持ちで終始聞いていた」のに、「放送で使われたのはその後半部分。亡くなったという事実だけ。その前段を伝えてもらいたかったのに、放送された映像はそうではなかった」、余りに不自然だ。
・『「僕の気持ちとしてはちゃんと伝えたい」 「私たちの言葉をしっかり受け止め、哀しんでいた感じでした。彼は『今日、取材したことは時間の関係上一度に放送できない。上とのこと(社内での調整)もありますが、僕の気持ちとしてはちゃんと伝えたい。でも上の反応があるので、そのあたりはどうも言えない』というニュアンスの説明を私たちにしていました。 組織の問題はあるので、すべて流すことができないのは、十分承知しています。ただ、『ワクチンを打った後に亡くなったこと』を伝えたかったのに、その部分はまったく報じられないとは思っておらず、単に『コロナで亡くなった人』ということで放送されてしまったので、とても驚きました……」(前出の佐藤さん) 番組の時間は限られており、取材で話したことすべてを流せるわけではないことは、佐藤さんも理解していた。しかし、取材で話したことと放送内容がかけ離れていたことに、悔しさをにじませるのだ。 「取材に来た記者が、ワクチンについての話を最初から聞く気がなかったとも思いたくないし、彼らの様子が演技だと思いたくもない……」(前同) 一体、なぜこんな事態に発展したのだろうか――。 NHKサイドに佐藤さんら放送に登場した3人の遺族を紹介した、コロナワクチン被害者遺族会「つなぐ会」代表の鵜川和久氏に話を聞いた。『「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#2】』で続けて紹介する』、「「つなぐ会」代表」の見解は次の記事だ。
第五に、5月26日付け現代ビジネス「「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#2】」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/110833?imp=0
・『NHKが番組内でコロナ禍を振り返る映像に、コロナワクチン被害者遺族らから抗議が集まっている問題。なぜこうした事態に発展したのか――。 前半記事『なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#1】』から続けて紹介する』、興味深そうだ。
・『NHKからの依頼メールの全文公開 事の発端は、コロナワクチン被害者遺族会「つなぐ会」のホームページの問い合わせフォームを通して、NHKのX氏から取材の依頼が来たことだった。NHKサイドに佐藤さんら放送に登場した3人の遺族を紹介した、同会代表の鵜川和久氏に話を聞いた。 送られたメールには次のように書かれていた。 『先般から各社報道していますように、(新型コロナが※編集部注)5類移行となり、社会には明るい兆しが見えているようにも受け止められていますが、その実、非常に強い危機感を個人的に覚えずにいられません。 あった事をなかったようにされ忘れられていくのではないか、数えきれない嘆きの声が埋もれているのではないか。そして我々の報道の姿勢としてもこのままで良いのか。 歴史的にも非常に重要な意味を帯びるタイミングが現在であるとすら考えるのですが自分ではなかなか答えに辿りつけず、それでも番組でもどうにか取り上げて提起したい狙いから、厚労省や自治体にも取材をすすめていたところ、鵜川さまの活動に辿り着くことができました。 求めは長年活動されてきた鵜川さまのご意見をぜひ賜われないか、そしてご遺族の声を後年に残すことができないか、取材のご相談であります』 丁寧で熱い志を秘めた文面に好感を持った鵜川氏は、以後、X氏と複数回やり取りを重ねた』、「あった事をなかったようにされ忘れられていくのではないか、数えきれない嘆きの声が埋もれているのではないか。そして我々の報道の姿勢としてもこのままで良いのか」、ここまで「取材依頼」の「メール」内にここまで書かれていれば、「コロナワクチン被害者遺族会」側が大きく期待するのは当然だ。
・『3人のワクチン副反応死遺族に取材 「遺族をつなぎ、遺族の証言を残し、風化させないことを目的にしていることを彼は訴えていました。やり取りの中では『鵜川様との協議の通り、初手はワクチンの戒めを問うというより、コロナ禍を忘れさせないためのメッセージを帯びた放送を目指します。(編集部注:ワクチン死については)効果的に出すタイミングを綿密に測りつつ、鵜川様にもご意見を賜り、継続的に皆様に報います』と言っていました。 NHK側は、最初から私たちがワクチン接種後に副反応との因果関係が疑われる症状で肉親を亡くした遺族たちの会であること、活動内容を理解したうえで連絡をしてきているということです。『ワクチン遺族の会だということは知りませんでした』では通用しません」(鵜川氏) 取材は5月13日、京都府内で行われた。前述のX氏のほか、若いカメラマンと照明の3人が東京からやってきた。3人の遺族への取材は一人20~30分、計1時間ほど。故人の写真や思い出の品を持参し、生前のエピソードを明かした。そしてワクチン接種後に何が起きたのか、当時の状況、無念さ、悔しさ、そして接種した後悔について、ときおり声を詰まらせながら説明していた。 しかし、冒頭でも説明したように放送された映像では遺族らの意図に反し、「ワクチンについて訴えた場面」が使われることはなかった。 「X氏は取材時、『(ワクチン関連死)遺族のことは伝えなければならない』と涙を流しながら、遺族の声に耳を傾けてくれました。それなのにあの放送では、コロナ感染によって亡くなったようにしか見えない内容でした。肉親が『ワクチン接種後に亡くなった』という根幹部分が切り取られていたのです。彼のあの涙はいったい何だったのでしょうか」(前同)』、「「X氏は取材時、『(ワクチン関連死)遺族のことは伝えなければならない』と涙を流しながら、遺族の声に耳を傾けてくれました。それなのにあの放送では、コロナ感染によって亡くなったようにしか見えない内容でした。肉親が『ワクチン接種後に亡くなった』という根幹部分が切り取られていたのです」、「取材」から「放映」までの間で、NHKの姿勢が変化したのだろうか。
・『放送後には感想を求める電話が 放送終了、「なんだこの放送は……」と呆然としている鵜川氏の元に、X氏から番組の感想を求める電話がかかってきたという。鵜川氏は当然、抗議する。 「これワクチン遺族ではなく、コロナ感染死の遺族、ということになっていませんか?」 そう伝えるとX氏の声色が変わった。 「『あ、やべっ』と、言う感じでしたね。そこで事態の大きさに気が付いた様子でした」 X氏は「局に持ち帰り検討する」と伝え、その後、彼の上司が謝罪の電話をしてきたという。そして翌16日、同番組の最後に田中正良キャスターが「コロナウイルスに感染して亡くなったと受け取られるように伝え、ワクチンが原因で亡くなったというご遺族の訴えを伝えていませんでした」とし、映像について謝罪した。 謝罪さえすればすべてが終わるとNHKは踏んだのだろうか。だが、遺族の怒りはおさまらない。 「なぜこうした編集がされていたか、その経緯については説明がありませんでした。今後のNHK側の動きによってはBPO(放送倫理・番組向上機構)への提言含めてしかるべき措置を検討していくことになります」(前出の鵜川氏) 番組の放送時間の都合はあるにせよ、なぜNHKは「ワクチン死遺族」に取材し、入念に話を聞いておきながら、「コロナ死」という広い括りでその死に触れたのか。 そこにはNHKの内部事情が関係しているとみられる。 後半記事『なぜNHKは「ワクチン死遺族の悲痛な声」を報じなかったのか…証言で浮かび上がった深層【NHKワクチン被害者遺族放送問題#3】』では内情に詳しい関係者が明かす』、「NHKの内部事情が関係しているとみられる」、次の記事に移ろう。
第六に、5月26日付け現代ビジネス「なぜNHKは「ワクチン死遺族の悲痛な声」を報じなかったのか…証言で浮かび上がった深層【NHKワクチン被害者遺族放送問題#3】」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/110834?imp=0
・『NHKが番組内でコロナ禍を振り返る映像に、コロナワクチン被害者遺族らから抗議が集まっている問題。その内部事情について関係者が批判を含めて明かしてくれた。 「「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#2】」から続けて紹介する』、興味深そうだ。
・『最初から「コロナ死」として取材 最初から「ワクチン」に言及しないつもりであれば、NHKもコロナワクチン被害者遺族の会を取材しないはずだ。取材後に、「ワクチン死について報じるな」というなんらかの政治的な圧力でも働いたのだろうか――。 「政治的な圧力は働いていないと思います。むしろ最初からそうするつもりで取材をしていたと考えられます」 そう指摘するのはNHKでの勤務経験もある記者のA氏。 「あの企画は、遺族を取材した報道局映像センターのX氏自らが提案したそうです。5類になったからといって、新型コロナを風化させてはいけない、コロナで亡くなった遺族に話を聞き振り返りをしたい、と提案したものだった。若手からのやる気のある提案に、上層部も喜んでいた、と局内でも話題になっていました」 だが、取材を進めていく過程で、X氏の思惑通りにはいかない事態に直面した可能性をA氏は指摘する。 「当初X氏は、『コロナ感染』が原因で亡くなった方のご遺族を探していたのでしょう。でもなかなか見つからなかった。そんな中、放送日は刻一刻と近づいて来るし、上からのプレッシャーもあったのでしょう。 そこで、コロナ感染死ではなく、ワクチン接種後の副反応との因果関係が疑われる症状で亡くなった遺族の会(『つなぐ会』)に依頼を出したのではないか、と言われています」 つまり、当初はコロナに感染して亡くなった人の遺族を探していたが、見つからなかったため、「広い意味ではコロナで亡くなった方」ととらえて、ワクチンとの因果関係を訴える遺族に取材をしたのではないか、ということだ』、「当初はコロナに感染して亡くなった人の遺族を探していたが、見つからなかったため、「広い意味ではコロナで亡くなった方」ととらえて、ワクチンとの因果関係を訴える遺族に取材をしたのではないか」、ご都合主義的だ。
・『ワクチン死には触れられない事情 とはいえ、「コロナ感染死」と「ワクチンの副反応との因果関係が疑われる副反応死」とでは、その性質は大きく異なる。 「取材依頼をかける段階で、X氏は上層部には『ワクチン関連死を訴える遺族に取材する』とは伝えていなかったのでしょう。ワクチン死についてはさまざまな評価がありますし、局内でも医学的あるいは政治的な観点から、触れるべきではないという声も上がったでしょうから」(前出のA氏) 現にX氏から来た取材依頼のメールの文面では、意図的なのか、「ワクチン」という文言は使われていなかった。だが、つなぐ会のホームページに連絡してきたということは、ワクチン接種後に肉親を失い、関連性を訴える遺族たちの会であることは、天下のNHKの記者ならばわかっていたはずだ。 おそらくNHKの中ではX氏がワクチン死を訴える遺族を取材した後、その報告を受けて「ワクチン後遺症やワクチン死に触れるといろいろ面倒だ。広い意味では『コロナ禍で亡くなった方々』なのだから、ワクチンの部分を放送せず『遺族の証言』として放送できるだろう」という判断が下されたのだろう。 鵜川氏によると、17日にもNHKから改めて謝罪を受けたという。だが、それで憤りがおさまったわけではない。 「訂正放送も求めています」 しかし前出のNHK関係者は「訂正放送には応じないのでは」と見通しを明かす。 「先ほども言った通り、NHKの局内ではワクチン死はセンシティブな問題。遺族が主張する『ワクチンで亡くなった』という訂正放送をすることはできないでしょう。『今回の放送は放送倫理に反していました』と認めて謝罪するにとどめ、ワクチンに言及するのではなく、自分たちの番組作りを反省する流れに持っていきたいのではないか、とみています。 局内では今回のことをX氏とその上司の責任にし、チェック機能を強化して再発防止策を講じることで幕引きにしたいのでしょうね」』、「NHKの局内ではワクチン死はセンシティブな問題。遺族が主張する『ワクチンで亡くなった』という訂正放送をすることはできないでしょう」、「局内では今回のことをX氏とその上司の責任にし、チェック機能を強化して再発防止策を講じることで幕引きにしたいのでしょうね」、それにしても、「X氏」はどうしようもなく無責任だ。
・『NHKはどのように考えているのか ワクチン死の扱いの難しさもさることながら、訂正放送などすれば「NHKは信用できない」という声が高まり、受信料不払い運動につながるのでは――そんな懸念も胸の内にはあるのかもしれない。 NHKは、どのように考えているのだろうか。真偽を聞こうと質問を送ったところ、次のような回答がメールで寄せられた。全文を掲載する。 〈放送までの経緯などについては現在、詳細を調査中ですが、担当者は、NPO法人を通じてご遺族を紹介してもらい、取材の過程で、ワクチン接種後に亡くなった方のご遺族だと認識しました。番組は、コロナ禍で亡くなった方のご遺族の思いを伝えるという考えで放送しましたが、適切ではありませんでした。ご遺族に対してはNPO法人を通じて謝罪しました。 16日には、ニュースウオッチ9で、キャスターが、伝え方が適切ではなかったとお詫びしたほか、動画を載せたツイッターなどの投稿を削除した上で、お詫びの投稿を行いました。 ワクチンを接種後に亡くなった方のご遺族だということを正確に伝えず、新型コロナに感染して亡くなったと受け取られるような伝え方をしてしまったことは適切ではなく、取材に応じてくださった方や視聴者の皆さまに深くお詫び申し上げます。 取材・制作の詳しい過程をさらに確認し、問題点を洗い出した上で、再発防止策を徹底し、信頼回復に努めます〉 取材をしたこれまでのやり取りを振り返ると、X氏は当初から「コロナワクチンによる副反応死疑い死の遺族」だということをわかっていて取材依頼を出したことは明らかだ。しかし、NHKはあくまで「取材を進める中でそのことがわかった」としたいようだ。真偽も含めてX氏に直接コンタクトをとってみると……「今、たてこんでおりますので後ほどお電話いたします」との返答で、以後連絡はなかった。 NHKの取材に応じた、ワクチン接種後に母親を亡くした佐藤かおりさんはこう反応する。 「私たちがNHKに求めているのは『真実を伝えること』です。ワクチン死の訴えを聞き、取材の場では『このことを伝えたい』といったのですから、それを実行してほしい。 今回、NHKの取材に応じたのは、ワクチン被害や遺族についてきちんと報道してもらえるものと思ったからです。実名で顔を出してカメラの前に出ること……そこには期待と覚悟、さまざまな思いもありました。だからこそ、今回の放送はとてもショックでした。改めて、私たちの声を全国に問うてほしいのです」 「コロナ禍で亡くなった方の遺族」に取材をしなければ、番組が成立しない。しかし、意図したとおりに取材が進まない――その焦りからワクチン死を訴える遺族を取材したのだろうが、であるならば、取材前にその趣旨を伝え、遺族の了解を取るべきだったはずだ。自分たちが求めている部分しか放送では使わず、彼ら彼女らの真意を踏みにじったのなら、遺族が憤るのは当然である。 「関係者に聞いたところ、取材をしたX氏はワクチンで亡くなった旨をなんとか放送しようとしたみたいですけどね。ただ、上が『それでは通らない』と突っぱねたようです。放送すれば遺族とトラブルになることなどわかっていたはずですが、X氏にはどうすることもできなかった」(前出のA氏) 愛する肉親を突然亡くした遺族たちの痛みに寄り添うことなく、番組の都合に合わせて彼らの声を切り取り放送したNHK。信頼回復を言うのなら、まずは遺族の訴えにもう一度向き合うことが必要ではないか』、「取材をしたX氏はワクチンで亡くなった旨をなんとか放送しようとしたみたいですけどね。ただ、上が『それでは通らない』と突っぱねたようです。放送すれば遺族とトラブルになることなどわかっていたはずですが、X氏にはどうすることもできなかった」、やはりこれは、「遺族会」が「番組BPO」に訴えて、公開の場で責任を明らかにする他ないのではなかろうか。
タグ:(その6)(NHK(上)続投を阻まれた前田前会長の無念…背後にチラつく財界サロン「四季の会」の影、NHK(下)「岸田vs菅」の壮絶バトルの末に決まったトップ人事、稲葉NHK新会長が職員へ異例のメッセージ 前田・前会長の“銀行員的改革”はなぜ不評だったのか、【NHKワクチン被害者遺族放送問題】3題:なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」、「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全 NHK問題 日刊ゲンダイ 有森隆氏による「NHK(上)続投を阻まれた前田前会長の無念…背後にチラつく財界サロン「四季の会」の影」 「葛西氏が安倍晋三・菅義偉両政権を通じて重視したのが「NHKの支配」だったとされる。源流は第1次安倍政権(06年9月~07年9月)の菅義偉総務大臣時代にさかのぼる。NHKの報道に不満をもつメンバーが重用され、NHKの会長などを決める経営委員長に安倍氏の強い意向で富士フイルムの古森重隆社長(当時)が送り込まれた」、 「アサヒビール(現・アサヒグループホールディングス)の福地茂雄相談役をNHK会長(08年1月~11年1月)に任命した。福地氏も「四季の会」のメンバーだった。 09年、民主党政権が誕生したが、「四季の会」の勢いはとまらない。葛西氏は、元部下でJR東海の副会長だった松本正之氏を福地氏の後任としてNHK会長(11年1月~14年1月)に据えた」、 「元みずほフィナンシャルグループ会長の前田晃伸氏がNHK会長に就任した。前田氏は記者会見で記者に問われ、「四季の会」のメンバーであることを認めた」、「葛西氏が実質的な仕切り役」だったようだ。 有森隆氏による「NHK(下)「岸田vs菅」の壮絶バトルの末に決まったトップ人事」 「日本銀行元理事の稲葉延雄氏(72)を会長に任命することを決めた」、背景には何があったのだろう。 「菅氏のNHKへの影響力を削ぎたい岸田官邸が横槍を入れた。「岸田総理のいとこの宮沢洋一自民党税調会長が『日銀の元プリンスでいいのがいる』と稲葉氏を推した。それに総理が乗っかった」、「NHK経営委員会の森下俊三委員長は、稲葉氏に対して「改革で生じた副作用(=歪み)は直してほしい」と注文をつけた。 「スリムで強靱なNHK」を掲げ、人事制度や営業のやり方を強引に変えてしまった「前田改革」の、強烈な揺り戻しが始まった」、「「前田改革」の、強烈な揺り戻し」、とは見物だ。 デイリー新潮 高堀冬彦氏による「稲葉NHK新会長が職員へ異例のメッセージ 前田・前会長の“銀行員的改革”はなぜ不評だったのか」 「毎月20~30人程度の職員が依願退職」、「役職定年制」で「管理職は3割も減り、人件費コストは大幅に削減された」、確かにドラスティックな改革だ。 「試験で誕生した実績の乏しい40代の局長が、それに勝るキャリアと指導力を持つ50代の記者やディレクターたちに指示を与えるようになった。これでは組織に軋みが生じるはずだ。 職員たちは口々に「銀行屋の発想」と不満を漏らしたという」、なるほど。 「大胆な組織改革」では、「「縦割りを廃するため」などと前田体制は説明した。 それにより、制作者たちが畑違いの番組も手掛けるようになった。専門性が削がれつつある。 また、大河ドラマ、連続テレビ小説以外のドラマは外注化が進んでいる。やはりコストカットが第一の目的だ。 「これではエキスパートが育ちにくく、番組の質が保てなくなる恐れがある。NHKが受け継いできた制作力が伝承できるのだろうか」』、大胆過ぎたようだ。 「前田体制は受信料値下げを図ろうとするあまり、過度なコストカットに走り、職員の生活をないがしろにしたのではないか。それでは番組づくりへの影響は避けられない」、なるほど。 「新会長」が「前田改革を見直すつもりに違いない」とはお手並み拝見だ。 「NHKが進むべき道は視聴者のための公共放送になるしかない。「既に公共放送じゃないか」と言うなかれ。現在の形態は英国のBBCなど諸外国の公共放送とは似て非なるものだ。 まず全放送局が総務省の支配下から脱する。突飛な話ではない。先進国では政府がテレビ局を監督するほうが極めて異例なのである。テレビ局は報道機関であり、本来は政府を監視する側の立場なのだ」、確かに「政府を監視する側の立場」なのに、「政府がテレビ局を監督」するとは不自然だ。 「テレビ局の監督はほかの先進国のように独立放送規制機関が行う。米国にはFCC、英国にはOfcom、フランスにはCSAがある。これらの組織は政府から独立している。 独立放送規制機関はテレビ局に対して強い権限を持つ一方、政治がテレビ局に介入することを許さない。テレビ局を厳正にチェックしながら、政治から守っている。米国のCBSや英国のBBCが厳しい政府批判が出来る背景には独立放送規制機関の存在がある」、 「NHK経営委員を事実上政府が選び、それに国会が同意するという悪しき仕組みはあらためるほかない。会長は経営委員会が決めているから、オーナーは視聴者であるにも関わらず、運営権は政権党が握るという不可思議な状態が続いている。 BBCの場合、経営委員会の代わりに、組織の方向性を決める理事会がある。経営委員の定員は12人だが、BBC理事会は14人。トップの理事長は公募制だ。 理事長と4人の地域担当理事は公平性と透明性を確保した上で決められ、最終的には政府が任命する。残り9人の理事はBBCが任命する。会長はBBCが任命した理事から選ぶ。 経営委員会と理事会はまるで仕組みが違う上、Ofcomがあるから、BBCは独立性が極めて高い。NHKも海外の公共放送に倣うべきだ」、 「NHKを国営放送にするという案は論外だ。政権党の思う壺である。労せず受信料を徴収し、都合の良い主張を流せてしまうようになる。それもあり、国営放送の報道は海外で信用されない」、全く同感である。 現代ビジネス「なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#1】」 信じ難いような話だ。 「ここに登場した遺族全員が「肉親は、新型コロナのワクチン接種後の副反応による疑いで命を落とした」と主張している。決してコロナに感染して亡くなったわけではないのだ。 しかし、番組動画を見る限りでは、彼らは「コロナに感染して亡くなった」と受け止められるつくりになっている。ここに、遺族は憤っているのだ」、「遺族」が「憤る」のも当然だ。 「取材を担当したNHKのディレクター・X氏らは、佐藤さんら遺族の話を神妙な面持ちで終始聞いていた」のに、「放送で使われたのはその後半部分。亡くなったという事実だけ。その前段を伝えてもらいたかったのに、放送された映像はそうではなかった」、余りに不自然だ。 「「つなぐ会」代表」の見解は次の記事だ。 現代ビジネス「「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#2】」 「あった事をなかったようにされ忘れられていくのではないか、数えきれない嘆きの声が埋もれているのではないか。そして我々の報道の姿勢としてもこのままで良いのか」、ここまで「取材依頼」の「メール」内にここまで書かれていれば、「コロナワクチン被害者遺族会」側が大きく期待するのは当然だ。 「「X氏は取材時、『(ワクチン関連死)遺族のことは伝えなければならない』と涙を流しながら、遺族の声に耳を傾けてくれました。それなのにあの放送では、コロナ感染によって亡くなったようにしか見えない内容でした。肉親が『ワクチン接種後に亡くなった』という根幹部分が切り取られていたのです」、「取材」から「放映」までの間で、NHKの姿勢が変化したのだろうか。 「NHKの内部事情が関係しているとみられる」、次の記事に移ろう。 現代ビジネス「なぜNHKは「ワクチン死遺族の悲痛な声」を報じなかったのか…証言で浮かび上がった深層【NHKワクチン被害者遺族放送問題#3】」 「当初はコロナに感染して亡くなった人の遺族を探していたが、見つからなかったため、「広い意味ではコロナで亡くなった方」ととらえて、ワクチンとの因果関係を訴える遺族に取材をしたのではないか」、ご都合主義的だ。 「NHKの局内ではワクチン死はセンシティブな問題。遺族が主張する『ワクチンで亡くなった』という訂正放送をすることはできないでしょう」、「局内では今回のことをX氏とその上司の責任にし、チェック機能を強化して再発防止策を講じることで幕引きにしたいのでしょうね」、それにしても、「X氏」はどうしようもなく無責任だ。 「取材をしたX氏はワクチンで亡くなった旨をなんとか放送しようとしたみたいですけどね。ただ、上が『それでは通らない』と突っぱねたようです。放送すれば遺族とトラブルになることなどわかっていたはずですが、X氏にはどうすることもできなかった」、やはりこれは、「遺族会」が「番組BPO」に訴えて、公開の場で責任を明らかにする他ないのではなかろうか。
新自由主義(その3)(『朝日新聞政治部』2題:「なぜ私はダメなんですか!」「お立場が違います」朝日の若手記者を怒らせた“政治取材の不条理” #1、「非正規労働は急増し 給料は上がらず 経済格差は急拡大した」竹中平蔵の片棒をかついだ元朝日記者の悔恨 #2) [メディア]
昨日に続いて、新自由主義(その3)(「朝日新聞政治部」2題:なぜ私はダメなんですか!」「お立場が違います」朝日の若手記者を怒らせた“政治取材の不条理” #1、「非正規労働は急増し 給料は上がらず 経済格差は急拡大した」竹中平蔵の片棒をかついだ元朝日記者の悔恨 #2)を取上げよう。
先ずは、昨年6月18日付け文春オンラインが掲載した朝日新聞政治部記者の鮫島 浩氏による「「なぜ私はダメなんですか!」「お立場が違います」朝日の若手記者を怒らせた“政治取材の不条理” 『朝日新聞政治部』 #1」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55063
・『1997年4月、大物政治記者が支局長を務める浦和支局に赴任した朝日新聞記者の鮫島浩氏。当時、若手の鮫島氏に「次期総理」の呼び声の高い自民党大物議員を取材するチャンスが訪れた。ところが、彼がそこで見たものは“政治取材の残念な実情”だった……。 登場人物すべて実名の話題の内部告発ノンフィクション、「吉田調書事件」の当事者となった元エース記者・鮫島浩氏による初の著書『朝日新聞政治部』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)』、興味深そうだ。
・『「大物政治記者」との出会い 大物政治記者が支局長を務めるという浦和支局へ私が赴任したのは1997年4月だった。その人、橘優さんは政治部デスクから浦和支局長へ異動し、次期政治部長に有力視されていた。私が初めて出会う政治記者だった。 橘さんは前年、1996年の衆院解散・総選挙の日程をスクープした「特ダネ政治記者」として知られていた。「○日に解散へ」「○日に衆院選投開票へ」「首相が方針固める」といった前打ち記事にどれほどの意味があるのか、当時の私には理解できなかったが、彼のスクープは社内だけでなく政界や各社政治部の中でも高く評価されていた。 奇怪だったのは、橘さんの「ネタ元」が当時の自民党幹事長で次期首相の筆頭候補だった加藤紘一氏であることが公然の秘密だったことだ。 新人記者は「取材源の秘匿」を厳しく指導される。警察取材で「ネタ元」がバレることは絶対にあってはならない。ネタ元の警察官は処分され、新聞記者は「記者失格」の烙印を押される。 政治取材の世界は違うようだった。次期総理の呼び声の高い加藤幹事長から総選挙日程の情報を漏らされるほど親しい政治記者であるという事実は、永田町の政治家や政治記者たちに尊敬とも畏怖ともつかぬ感情を抱かせ、橘さんの影響力を大きくしていた。 次期政治部長と言われるのは果たしてどんな人物なのか、私は興味津々で浦和支局へ向かった。初めて会った橘さんはカジュアルなチノパン姿だった。政治記者はスーツで身を固めていると思っていたから意外だった。 埼玉県下の記者を集めたその後の会議で橘さんが投げかけた言葉は新鮮だった。彼はその日の県版に掲載された小さな記事――雑木林の落ち葉を堆肥として利用する農家の試みを紹介する記事――を引き合いに出し、こう語ったのだ。 「埼玉の小さな農家もグローバル経済に晒されている。東南アジアから大量の木材が輸入され日本の雑木林は大きく変わっている。割り箸のリサイクルひとつから世界が見える。小さな記事を深く掘り下げれば世界を描く記事を書ける……」 茨城で新聞記者として過ごした3年、警察取材や記事の書き方を先輩諸氏から教わることはあっても、世界がどうだ、政治経済がどうだ、という話は聞いたことがなかった。とにかく取材相手に食い込んで特ダネをとれ、と言われるばかりだった。夜討ち朝駆けに奔走して特ダネを追い求め、「抜かれ」「特オチ」に怯えた。 同期の多くが同じ境遇だったろう。地方支局で接する先輩の多くは社会部系だ。政治経済は縁遠いテーマで、国政選挙の時期だけ多少話題にのぼるくらいだった。 でも、この大物政治記者は違う。話がグローバルでダイナミックだ』、「橘さんの「ネタ元」が当時の自民党幹事長で次期首相の筆頭候補だった加藤紘一氏であることが公然の秘密だったことだ。 新人記者は「取材源の秘匿」を厳しく指導される。警察取材で「ネタ元」がバレることは絶対にあってはならない。ネタ元の警察官は処分され、新聞記者は「記者失格」の烙印を押される。 政治取材の世界は違うようだった」、「ネタ元」の秘匿は「政治取材の世界は違うようだった」、なるほど。「浦和支局」長は、「大物政治記者」で「話がグローバルでダイナミックだ」、いい上司に恵まれたものだ。これも、優秀な若手記者を育てるコースなのかも知れない。
・『一度は「大物政治記者」に魅力を感じたが… 当時は政治家にも新聞記者にも携帯電話が普及していなかった。浦和支局にはしばしば「衆院議員の加藤です。支局長をおねがいします」と電話がかかってきた。橘さんは私たちに中央政界について「次はこうなる」と予想を披露し、それが引き起こす政策上の論点・課題を先取りして解説した。その予想は的中し、論点整理も明快だった。私は浦和支局にいながら、中央政界の動きを知っている錯覚に陥った。 それまで新聞記者は「過去に起きたこと」を取材して報じるものと思っていた。橘さんの話を聞くうちに、政治経済の「未来」を的確に見通す記事はとても重要だと気づいた。 当局発表を少し早くリークしてもらって他社より少し早く報じる自称「特ダネ」とは違う。新聞には、各方面の情報を総合的に分析して「次はこうなる」という見立てを読者に示し、権力側に主導権を奪われることなく政策アジェンダを設定する役割があるのではないか――。私はこれまで出会った新聞記者に感じたことのない魅力を「大物政治記者」に感じた』、「新聞には、各方面の情報を総合的に分析して「次はこうなる」という見立てを読者に示し、権力側に主導権を奪われることなく政策アジェンダを設定する役割がある」、さすが「大物政治記者」の下で働いただけのことがありそうだ。
・『「なぜ私はダメなのですか!」「お立場が違います」 その好感が反感に変わるまでさほど時間を要しなかった。 私はある時、埼玉県の自民党関係者から加藤幹事長が極秘で来県するという情報を得た。直接取材する絶好の機会と思い、立ち寄り先のビルの前で待った。ほどなく黒塗りの車が到着し、加藤幹事長がSPを従え降りてきた。私は駆け寄った。その黒塗りの車から降りてきた人物がもう一人いた。橘さんだった。 どこかで加藤幹事長と落ち合い同乗してきたのだろう。忙しい政治家をつかまえサシで話を聞く取材手法のひとつが、車に同乗する「箱乗り」だ。 自分が待ち構えていた政治家と同じ車の中から自分の上司が現れたのだから多少驚きはしたが、私は橘さんに目もくれず、加藤幹事長に向かって直進した。加藤幹事長は素早くエレベーターに乗り込んだ。SPに続き、橘さんも乗り込んだ。浦和支局で大きな顔をしている普段の橘さんと違って、この時の身のこなしは素早かった。私も続こうとしたその時、SPの太い腕が私を制した。 「なぜ私はダメなのですか! あの人は乗り込んだじゃないですか!」 私は橘さんを指さして叫んだ。加藤幹事長も橘さんも黙っていた。SPが沈黙を破った。 「お立場が違います」 これが政治取材の実像か――。私は静かに閉まるエレベーターの扉を睨みつけながら悔しくて仕方がなかった。何を聞くかではなく、誰が聞くのかが重要なのだ。こんな政治取材はおかしい、いつか変えてやる、と青臭く思ったものだ』、「忙しい政治家をつかまえサシで話を聞く取材手法のひとつが、車に同乗する「箱乗り」だ」、確かに便利で確実な「取材手法」だが、それが認められるには「大物政治記者」である必要がありそうだ。「こんな政治取材はおかしい、いつか変えてやる、と青臭く思ったものだ」、負け惜しみ以外の何物でもない。
次に、この続きを、6月18日付け文春オンライン「「非正規労働は急増し、給料は上がらず、経済格差は急拡大した」竹中平蔵の片棒をかついだ元朝日記者の悔恨 『朝日新聞政治部』 #2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55067
・『「竹中さんにくっついて一緒にいればいいよ。これは大きなチャンスだから」。2001年、上司の一声から竹中平蔵大臣に密着することとなった元朝日記者の鮫島浩氏。彼のボヤキを聞き、同じ釜の飯を食った鮫島氏が、今の竹中氏を見て「彼は既得権益側になった」と語る理由とは? 登場人物すべて実名の話題の内部告発ノンフィクション、「吉田調書事件」の当事者となった元エース記者・鮫島浩氏による初の著書『朝日新聞政治部』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む) 小泉政権が2001年春に発足した後、私は野党担当から官邸担当に移った。官邸クラブはキャップ、サブキャップ、官房長官番、官房副長官番、総理番が中心だが、私には明確な担当がなかった。さほど期待されていなかったのだろう。官邸キャップの渡辺勉さんから「明日から竹中平蔵大臣を回ってほしい」と告げられたのはそんな時だった。 渡辺さんは、自民党を担当する平河キャップの曽我豪さんと並んで朝日新聞の将来を担うと嘱望された政治部のエースだった。森喜朗政権では森首相の「神の国発言」を記者会見で激しく追及。理知的な雰囲気を漂わせながら強い正義感と大胆さを秘めた切れ味鋭い政治記者である。 竹中氏は慶応大教授から経済財政担当大臣に民間人として登用され、日が浅かった。小泉総理から構造改革の旗振り役として期待されていたが、自民党や霞が関に応援団は少なく苦戦していた。小泉・竹中構造改革に対する「抵抗勢力」が健在な時代で、官邸主導の政治は確立していなかった』、「上司の一声から竹中平蔵大臣に密着」、「竹中氏」は「小泉総理から構造改革の旗振り役として期待されていたが、自民党や霞が関に応援団は少なく苦戦していた」、「竹中氏」にもそんな時期もあったようだ。
・『「寂しいんだよ。だから政治部に泣きついてきた」 「経済はまったくの素人ですよ」と私は答えた。渡辺さんは「竹中さんにくっついて一緒にいればいいよ。これは大きなチャンスだから」と答え、背景を説明した。竹中大臣はその前夜、各社の官邸キャップを集めてオフレコ懇談を開いてこうぼやいたという。 「経済部の記者が私を担当しているのですが、誰も記者会見以外で取材してくれないんです。経済部は大臣より官僚を重視する。大臣が何を言っても事務次官が言うことを信じる。私はまったく相手にしてもらえないんですよ」 渡辺さんは「竹中さんは寂しいんだよ。だから政治部に泣きついてきた。経済はわからなくていいから、くっついて回って。そのうちわかるようになるよ」と言った。) 政治部と経済部の取材手法の違いはこの一言に凝縮されている。政治部は政治家に番記者を張りつけ、その政治家が直面する政治課題を一緒に追いかけさせる。内閣改造人事で閣僚の顔ぶれが一新したら、政治部記者もがらりと入れ替わる。 他方、経済部は役所ごとに担当記者を置き、役所の政策課題を追いかけさせる。いつまでその職にあるかわからない大臣よりも各省庁の官僚トップに上り詰めた事務次官のほうがおのずから重要となる。 竹中氏は官僚や経済部記者に見向きされず、持ち前の発信力をいかせずに孤立していた。後ろ盾は小泉首相ただ一人だった。今こそ政治部が食い込むチャンスだ――渡辺さんはそう考えた。各社の官邸キャップで竹中氏のSOSを感じ取り、ただちに「竹中番」を張り付けたのは渡辺さんだけだった。彼の独特の嗅覚がもたらした判断だった。のちに朝日新聞社を大きく揺るがすことになる渡辺さんと私の師弟関係はここに始まる』、「政治部は政治家に番記者を張りつけ、その政治家が直面する政治課題を一緒に追いかけさせる。内閣改造人事で閣僚の顔ぶれが一新したら、政治部記者もがらりと入れ替わる。 他方、経済部は役所ごとに担当記者を置き、役所の政策課題を追いかけさせる。いつまでその職にあるかわからない大臣よりも各省庁の官僚トップに上り詰めた事務次官のほうがおのずから重要となる」、「政治部」と「経済部」の取材手法の違いを初めて知った。「竹中氏は官僚や経済部記者に見向きされず、持ち前の発信力をいかせずに孤立していた。後ろ盾は小泉首相ただ一人だった。今こそ政治部が食い込むチャンスだ――渡辺さんはそう考えた。各社の官邸キャップで竹中氏のSOSを感じ取り、ただちに「竹中番」を張り付けたのは渡辺さんだけだった。彼の独特の嗅覚がもたらした判断」、凄い判断だ。
・『朝から夜まで竹中平蔵と付き合った日々 こうして私は竹中大臣の番記者になった。朝から夜までつきまとうのである。全社が張り付ける官房長官番や幹事長番と違って、竹中番は私一人だった。私は竹中氏と政務秘書官の真柄昭宏氏と3人で毎日会った。昼は国会の食堂で、日中は大臣室で、夜はファミレスで、とにかく話した。 当時の竹中氏は政治家や官僚、記者から軽んじられ、私を相手にする時間が十分にあった。政治家の名前と顔もよく知らず、国会でトイレに行くにも迷うほどだった。 政治記者4年目の私のほうが政界事情に詳しく「野中広務さんと青木幹雄さんは○○な関係で……」とありふれた政界解説をしていた。「素人3人組」が寄り添って、政官業の既得権の岩盤に挑む戦略をああでもないこうでもないと言い合う、漫画のような日々だった。 竹中氏の経済解説は非常にわかりやすく、面白かった。自民党や財務省と経済政策や規制緩和策について折衝する舞台裏を包み隠さず話し、「抵抗勢力」を打ち破るにはどうしたらよいか私に意見を求めた。 小泉首相は経済政策の司令塔として竹中氏を指名し、あとは任せっきりという政治スタイルだった。当時の竹中氏は政治的に非力だったが、立場上ディープな情報は集まっていた。何にも増して小泉首相の肉声に日々接していた。 私は竹中氏と毎日膝をつき合わせる取材を通じて日本の経済政策はどういうプロセスで決定されていくのかを生々しく理解するようになった。竹中氏は自らの改革に立ちはだかる財務省や自民党政調会長だった麻生太郎氏に対する不満を日増しに強めた。竹中氏の「財務省嫌い」や「麻生氏嫌い」は今も変わらない。 竹中氏は当初、敗れ続けた。だが、くじけなかった。自民党や財務省が水面下で主導する政策決定過程をオープンにして世論に訴えた。経済財政諮問会議の議事録を公開して「抵抗勢力」の姿を可視化したのだ。これは的中した。マスコミは次第に「抵抗勢力」を悪者に仕立て始めた。そして小泉首相は「竹中抵抗勢力」の闘いが佳境を迎えると歌舞伎役者よろしく登場し、竹中氏に軍配を上げたのだった。 政治の地殻変動が始まった。政策決定の中心が「自民党・霞が関」から「首相官邸」へ移り始めた。竹中氏の影響力は急拡大し、政治家や官僚が頻繁に訪れるようになった。竹中氏と真柄氏と私の素人3人組の作戦会議もファミレスから個室へ場所を移した。経産官僚だった岸博幸氏や財務官僚だった高橋洋一氏、学者から内閣府に入っていた大田弘子氏ら竹中氏を支える裏部隊も出来上がっていった』、「竹中氏は当初、敗れ続けた。だが、くじけなかった。自民党や財務省が水面下で主導する政策決定過程をオープンにして世論に訴えた。経済財政諮問会議の議事録を公開して「抵抗勢力」の姿を可視化したのだ。これは的中した。マスコミは次第に「抵抗勢力」を悪者に仕立て始めた。そして小泉首相は「竹中抵抗勢力」の闘いが佳境を迎えると歌舞伎役者よろしく登場し、竹中氏に軍配を上げたのだった」、「小泉首相」の立ち回りは確かに「歌舞伎役者」そのものだ。
・『彼の功と罪 ふと気づくと竹中氏は小泉政権の経済財政政策のど真ん中にいた。財務省からその立ち位置を奪ったのである。そして、政治部記者として竹中氏を担当していた私は、新聞社の長い歴史を通じて独占的に予算編成や税制改革を報じてきた経済部の財務省担当記者たちに取って代わり、予算や税制をめぐる「特ダネ」を連発した。 経済部記者が事務次官ら官僚をいくら回っても情報は遅かった。すべては竹中氏ら官邸主導で決まり、経済部記者が財務省取材でそれを知るころには私が朝日新聞紙面で報じていたのである。業界用語でいう「圧勝」の日々だった。各社の経済部は慌てて竹中氏を追いかけ始めたが、すでに遅かった。竹中氏は時間に追われ、初対面の記者といちから関係をつくる暇はなかった。 私は「竹中氏に食い込んだ記者」として知られるようになり、政治家や官僚、そして財界からも「竹中大臣を紹介してほしい」「竹中大臣の考えを教えてほしい」という面会依頼が相次いだ。経済知識もなく竹中氏と会食やお茶を重ねていただけなのに、わずか数ヵ月で私の境遇は様変わりしたのである。 これは権力に近づく政治部記者が勘違いする落とし穴でもある。私は茨城県警本部長に食い込んだ昔のサツ回り時代を思い出して自分を戒めるようにした。 朝日新聞社内で、政治部と経済部の関係は緊張した。私が予算や税制の特ダネを出稿するたびに財務省記者クラブを率いる経済部のキャップは「財務省は否定している」と取り下げを求めた。渡辺官邸キャップはそれを聞き流し、真夜中の1時を過ぎて新聞の印刷が始まるころ「そうは言っても、もう明日の新聞は降版しちゃったよ」と電話を切るのだった。 財務省は朝日新聞報道を追認していくようになる。財務省の言う通りに政策が決まらない新たな現実を、経済部はなかなか受け入れられないようだった。政策の主導権は明らかに自民党や財務省から首相官邸に移った。その意味で、小泉政権の誕生は「政権交代」といえた。省庁ごとの縦割りだったマスコミ各社の取材体制も変革を迫られたのである』、「政治部記者として竹中氏を担当していた私は、新聞社の長い歴史を通じて独占的に予算編成や税制改革を報じてきた経済部の財務省担当記者たちに取って代わり、予算や税制をめぐる「特ダネ」を連発した。 経済部記者が事務次官ら官僚をいくら回っても情報は遅かった。すべては竹中氏ら官邸主導で決まり、経済部記者が財務省取材でそれを知るころには私が朝日新聞紙面で報じていたのである」、「各社の経済部は慌てて竹中氏を追いかけ始めたが、すでに遅かった。竹中氏は時間に追われ、初対面の記者といちから関係をつくる暇はなかった」、「財務省は朝日新聞報道を追認していくようになる。財務省の言う通りに政策が決まらない新たな現実を、経済部はなかなか受け入れられないようだった。政策の主導権は明らかに自民党や財務省から首相官邸に移った。その意味で、小泉政権の誕生は「政権交代」といえた。省庁ごとの縦割りだったマスコミ各社の取材体制も変革を迫られたのである」、確かに画期的な変化だ。
・『突如終わった「竹中番」 私は竹中番記者である限り、特ダネを書き続けられる気がした。その日々は突如として終わる。私はある日、「抵抗勢力」のドンと言われた自民党の古賀誠元幹事長の番記者に移るように告げられたのだ。 背景には、政治部と経済部の「手打ち」があった。それまでは政局は政治部、政策は経済部という仕分けが成立していた。政治家は政局に明け暮れ、政策は官僚が担うという時代が続いたからだ。小泉政権はそのシステムを壊した。 政策は官邸主導に移り、総理が指名した竹中氏のような大臣が仕切る新たな政策決定プロセスが整いつつあった。その時代に「政局は政治部、政策は経済部」という縦割り取材は通用しなかった。 両部は、①国会記者会館の朝日新聞の部屋に両部のデスクを常駐させて連携を密にする、②官邸サブキャップに経済部記者を配置する――などの協力態勢で合意するとともに、確執の元凶であった私を「竹中番」から外すことで折り合ったようだ。この社内政治によって私は竹中番を卒業したのである。 私の竹中氏取材は、権力者の懐に食い込んで情報を入手する旧来型のアクセスジャーナリズムの典型である。竹中氏の提灯記事を書いたつもりはないが、竹中氏らが抵抗勢力との戦いを有利に進めるために番記者である私(朝日新聞)を味方に引き込み情報を流したのは間違いない。朝日新聞はそれを承知のうえで、情報の確度を精査して主体的に報道すべき事実を判断して記事化していたが、結果的に竹中氏を後押しする側面があったのは否めない。 旧来の政治・経済報道ではこのように取材相手と「利害を重ねる」ことで情報を入手できる記者が「優秀」と評価されてきた。しかし、アクセスジャーナリズム自体に厳しい視線が向けられる時代になった。 権力者への密着取材が不要とは思わないが、読者の不信を招かないように取材手法や取材経緯をできる限り透明化したうえで「このような記事を書くために密着取材している」と胸を張って言える権力監視報道を具体的に示し、読者の理解と信頼を得ることが不可欠になったと思う。) 竹中氏はその後、2004年参院選に出馬して当選し、2005年には担当大臣として郵政民営化を主導し、霞が関や経済界全体に絶大な影響力を誇るようになる。素人3人組が抵抗勢力を打ち負かす作戦を練るために集った日々がウソのようであった。 永田町・霞が関に単身で乗り込み、既得権の岩盤に挑んだ当初の竹中氏はチャレンジャーだった。規制緩和を中心とする新自由主義について私は批判的だが、他方、自民党の族議員と財務省などのエリート官僚によってベールに包まれてきたこの国の政策決定過程をこじ開け、透明化した彼の功績は大きいと思う。 竹中氏が強大な権力者になるにつれ、取り巻きは急増した。それに伴い、私は竹中氏と疎遠になった。竹中氏は小泉政権が終了した時点で大臣も参院議員も辞めたが、その後も今に至るまで大きな影響力を維持し続けている。当初は竹中氏と激突した霞が関や財界が「竹中化」したのだ』、「私はある日、「抵抗勢力」のドンと言われた自民党の古賀誠元幹事長の番記者に移るように告げられたのだ。 背景には、政治部と経済部の「手打ち」があった」、「既得権の岩盤に挑んだ当初の竹中氏はチャレンジャーだった。規制緩和を中心とする新自由主義について私は批判的だが、他方、自民党の族議員と財務省などのエリート官僚によってベールに包まれてきたこの国の政策決定過程をこじ開け、透明化した彼の功績は大きいと思う。 竹中氏が強大な権力者になるにつれ、取り巻きは急増した。それに伴い、私は竹中氏と疎遠になった」、なるほど。
・『竹中氏は挑戦者から「既得権益側」に変わった 竹中氏が労働市場の規制緩和を主導した後、人材派遣業界で急成長したパソナグループの会長になったこと、そのパソナが政府関連の業務を多く受注していることは象徴的である。挑戦者だった竹中氏は自民党や霞が関の既得権益を打ち破って勝者となり、挑戦を受ける既得権益側になったといえるだろう。 竹中氏が日本に持ち込んで実践したこの20年の構造改革がもたらしたものは何だったのか。株価はコロナ危機でもバブル期以来の高値を更新し、富裕層や大企業は潤い続けた。 一方で非正規労働は急増し、給料は上がらず、経済格差は急拡大した。対ロシア経済制裁による物価高や急速に進む円安のしわ寄せは、所得が低く弱い立場の人々ばかりに向かう。』、「挑戦者だった竹中氏は自民党や霞が関の既得権益を打ち破って勝者となり、挑戦を受ける既得権益側になった」、「竹中氏が日本に持ち込んで実践したこの20年の構造改革」で、「日本社会の健全さは損なわれ、活力は大きく衰えてしまった。 格差が広がる日本社会の曲がり角で、私は政権中枢に接近し「改革」の片棒を担いだのかもしれない」、きちんと総括しているのは、さすがだ。
先ずは、昨年6月18日付け文春オンラインが掲載した朝日新聞政治部記者の鮫島 浩氏による「「なぜ私はダメなんですか!」「お立場が違います」朝日の若手記者を怒らせた“政治取材の不条理” 『朝日新聞政治部』 #1」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55063
・『1997年4月、大物政治記者が支局長を務める浦和支局に赴任した朝日新聞記者の鮫島浩氏。当時、若手の鮫島氏に「次期総理」の呼び声の高い自民党大物議員を取材するチャンスが訪れた。ところが、彼がそこで見たものは“政治取材の残念な実情”だった……。 登場人物すべて実名の話題の内部告発ノンフィクション、「吉田調書事件」の当事者となった元エース記者・鮫島浩氏による初の著書『朝日新聞政治部』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)』、興味深そうだ。
・『「大物政治記者」との出会い 大物政治記者が支局長を務めるという浦和支局へ私が赴任したのは1997年4月だった。その人、橘優さんは政治部デスクから浦和支局長へ異動し、次期政治部長に有力視されていた。私が初めて出会う政治記者だった。 橘さんは前年、1996年の衆院解散・総選挙の日程をスクープした「特ダネ政治記者」として知られていた。「○日に解散へ」「○日に衆院選投開票へ」「首相が方針固める」といった前打ち記事にどれほどの意味があるのか、当時の私には理解できなかったが、彼のスクープは社内だけでなく政界や各社政治部の中でも高く評価されていた。 奇怪だったのは、橘さんの「ネタ元」が当時の自民党幹事長で次期首相の筆頭候補だった加藤紘一氏であることが公然の秘密だったことだ。 新人記者は「取材源の秘匿」を厳しく指導される。警察取材で「ネタ元」がバレることは絶対にあってはならない。ネタ元の警察官は処分され、新聞記者は「記者失格」の烙印を押される。 政治取材の世界は違うようだった。次期総理の呼び声の高い加藤幹事長から総選挙日程の情報を漏らされるほど親しい政治記者であるという事実は、永田町の政治家や政治記者たちに尊敬とも畏怖ともつかぬ感情を抱かせ、橘さんの影響力を大きくしていた。 次期政治部長と言われるのは果たしてどんな人物なのか、私は興味津々で浦和支局へ向かった。初めて会った橘さんはカジュアルなチノパン姿だった。政治記者はスーツで身を固めていると思っていたから意外だった。 埼玉県下の記者を集めたその後の会議で橘さんが投げかけた言葉は新鮮だった。彼はその日の県版に掲載された小さな記事――雑木林の落ち葉を堆肥として利用する農家の試みを紹介する記事――を引き合いに出し、こう語ったのだ。 「埼玉の小さな農家もグローバル経済に晒されている。東南アジアから大量の木材が輸入され日本の雑木林は大きく変わっている。割り箸のリサイクルひとつから世界が見える。小さな記事を深く掘り下げれば世界を描く記事を書ける……」 茨城で新聞記者として過ごした3年、警察取材や記事の書き方を先輩諸氏から教わることはあっても、世界がどうだ、政治経済がどうだ、という話は聞いたことがなかった。とにかく取材相手に食い込んで特ダネをとれ、と言われるばかりだった。夜討ち朝駆けに奔走して特ダネを追い求め、「抜かれ」「特オチ」に怯えた。 同期の多くが同じ境遇だったろう。地方支局で接する先輩の多くは社会部系だ。政治経済は縁遠いテーマで、国政選挙の時期だけ多少話題にのぼるくらいだった。 でも、この大物政治記者は違う。話がグローバルでダイナミックだ』、「橘さんの「ネタ元」が当時の自民党幹事長で次期首相の筆頭候補だった加藤紘一氏であることが公然の秘密だったことだ。 新人記者は「取材源の秘匿」を厳しく指導される。警察取材で「ネタ元」がバレることは絶対にあってはならない。ネタ元の警察官は処分され、新聞記者は「記者失格」の烙印を押される。 政治取材の世界は違うようだった」、「ネタ元」の秘匿は「政治取材の世界は違うようだった」、なるほど。「浦和支局」長は、「大物政治記者」で「話がグローバルでダイナミックだ」、いい上司に恵まれたものだ。これも、優秀な若手記者を育てるコースなのかも知れない。
・『一度は「大物政治記者」に魅力を感じたが… 当時は政治家にも新聞記者にも携帯電話が普及していなかった。浦和支局にはしばしば「衆院議員の加藤です。支局長をおねがいします」と電話がかかってきた。橘さんは私たちに中央政界について「次はこうなる」と予想を披露し、それが引き起こす政策上の論点・課題を先取りして解説した。その予想は的中し、論点整理も明快だった。私は浦和支局にいながら、中央政界の動きを知っている錯覚に陥った。 それまで新聞記者は「過去に起きたこと」を取材して報じるものと思っていた。橘さんの話を聞くうちに、政治経済の「未来」を的確に見通す記事はとても重要だと気づいた。 当局発表を少し早くリークしてもらって他社より少し早く報じる自称「特ダネ」とは違う。新聞には、各方面の情報を総合的に分析して「次はこうなる」という見立てを読者に示し、権力側に主導権を奪われることなく政策アジェンダを設定する役割があるのではないか――。私はこれまで出会った新聞記者に感じたことのない魅力を「大物政治記者」に感じた』、「新聞には、各方面の情報を総合的に分析して「次はこうなる」という見立てを読者に示し、権力側に主導権を奪われることなく政策アジェンダを設定する役割がある」、さすが「大物政治記者」の下で働いただけのことがありそうだ。
・『「なぜ私はダメなのですか!」「お立場が違います」 その好感が反感に変わるまでさほど時間を要しなかった。 私はある時、埼玉県の自民党関係者から加藤幹事長が極秘で来県するという情報を得た。直接取材する絶好の機会と思い、立ち寄り先のビルの前で待った。ほどなく黒塗りの車が到着し、加藤幹事長がSPを従え降りてきた。私は駆け寄った。その黒塗りの車から降りてきた人物がもう一人いた。橘さんだった。 どこかで加藤幹事長と落ち合い同乗してきたのだろう。忙しい政治家をつかまえサシで話を聞く取材手法のひとつが、車に同乗する「箱乗り」だ。 自分が待ち構えていた政治家と同じ車の中から自分の上司が現れたのだから多少驚きはしたが、私は橘さんに目もくれず、加藤幹事長に向かって直進した。加藤幹事長は素早くエレベーターに乗り込んだ。SPに続き、橘さんも乗り込んだ。浦和支局で大きな顔をしている普段の橘さんと違って、この時の身のこなしは素早かった。私も続こうとしたその時、SPの太い腕が私を制した。 「なぜ私はダメなのですか! あの人は乗り込んだじゃないですか!」 私は橘さんを指さして叫んだ。加藤幹事長も橘さんも黙っていた。SPが沈黙を破った。 「お立場が違います」 これが政治取材の実像か――。私は静かに閉まるエレベーターの扉を睨みつけながら悔しくて仕方がなかった。何を聞くかではなく、誰が聞くのかが重要なのだ。こんな政治取材はおかしい、いつか変えてやる、と青臭く思ったものだ』、「忙しい政治家をつかまえサシで話を聞く取材手法のひとつが、車に同乗する「箱乗り」だ」、確かに便利で確実な「取材手法」だが、それが認められるには「大物政治記者」である必要がありそうだ。「こんな政治取材はおかしい、いつか変えてやる、と青臭く思ったものだ」、負け惜しみ以外の何物でもない。
次に、この続きを、6月18日付け文春オンライン「「非正規労働は急増し、給料は上がらず、経済格差は急拡大した」竹中平蔵の片棒をかついだ元朝日記者の悔恨 『朝日新聞政治部』 #2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55067
・『「竹中さんにくっついて一緒にいればいいよ。これは大きなチャンスだから」。2001年、上司の一声から竹中平蔵大臣に密着することとなった元朝日記者の鮫島浩氏。彼のボヤキを聞き、同じ釜の飯を食った鮫島氏が、今の竹中氏を見て「彼は既得権益側になった」と語る理由とは? 登場人物すべて実名の話題の内部告発ノンフィクション、「吉田調書事件」の当事者となった元エース記者・鮫島浩氏による初の著書『朝日新聞政治部』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む) 小泉政権が2001年春に発足した後、私は野党担当から官邸担当に移った。官邸クラブはキャップ、サブキャップ、官房長官番、官房副長官番、総理番が中心だが、私には明確な担当がなかった。さほど期待されていなかったのだろう。官邸キャップの渡辺勉さんから「明日から竹中平蔵大臣を回ってほしい」と告げられたのはそんな時だった。 渡辺さんは、自民党を担当する平河キャップの曽我豪さんと並んで朝日新聞の将来を担うと嘱望された政治部のエースだった。森喜朗政権では森首相の「神の国発言」を記者会見で激しく追及。理知的な雰囲気を漂わせながら強い正義感と大胆さを秘めた切れ味鋭い政治記者である。 竹中氏は慶応大教授から経済財政担当大臣に民間人として登用され、日が浅かった。小泉総理から構造改革の旗振り役として期待されていたが、自民党や霞が関に応援団は少なく苦戦していた。小泉・竹中構造改革に対する「抵抗勢力」が健在な時代で、官邸主導の政治は確立していなかった』、「上司の一声から竹中平蔵大臣に密着」、「竹中氏」は「小泉総理から構造改革の旗振り役として期待されていたが、自民党や霞が関に応援団は少なく苦戦していた」、「竹中氏」にもそんな時期もあったようだ。
・『「寂しいんだよ。だから政治部に泣きついてきた」 「経済はまったくの素人ですよ」と私は答えた。渡辺さんは「竹中さんにくっついて一緒にいればいいよ。これは大きなチャンスだから」と答え、背景を説明した。竹中大臣はその前夜、各社の官邸キャップを集めてオフレコ懇談を開いてこうぼやいたという。 「経済部の記者が私を担当しているのですが、誰も記者会見以外で取材してくれないんです。経済部は大臣より官僚を重視する。大臣が何を言っても事務次官が言うことを信じる。私はまったく相手にしてもらえないんですよ」 渡辺さんは「竹中さんは寂しいんだよ。だから政治部に泣きついてきた。経済はわからなくていいから、くっついて回って。そのうちわかるようになるよ」と言った。) 政治部と経済部の取材手法の違いはこの一言に凝縮されている。政治部は政治家に番記者を張りつけ、その政治家が直面する政治課題を一緒に追いかけさせる。内閣改造人事で閣僚の顔ぶれが一新したら、政治部記者もがらりと入れ替わる。 他方、経済部は役所ごとに担当記者を置き、役所の政策課題を追いかけさせる。いつまでその職にあるかわからない大臣よりも各省庁の官僚トップに上り詰めた事務次官のほうがおのずから重要となる。 竹中氏は官僚や経済部記者に見向きされず、持ち前の発信力をいかせずに孤立していた。後ろ盾は小泉首相ただ一人だった。今こそ政治部が食い込むチャンスだ――渡辺さんはそう考えた。各社の官邸キャップで竹中氏のSOSを感じ取り、ただちに「竹中番」を張り付けたのは渡辺さんだけだった。彼の独特の嗅覚がもたらした判断だった。のちに朝日新聞社を大きく揺るがすことになる渡辺さんと私の師弟関係はここに始まる』、「政治部は政治家に番記者を張りつけ、その政治家が直面する政治課題を一緒に追いかけさせる。内閣改造人事で閣僚の顔ぶれが一新したら、政治部記者もがらりと入れ替わる。 他方、経済部は役所ごとに担当記者を置き、役所の政策課題を追いかけさせる。いつまでその職にあるかわからない大臣よりも各省庁の官僚トップに上り詰めた事務次官のほうがおのずから重要となる」、「政治部」と「経済部」の取材手法の違いを初めて知った。「竹中氏は官僚や経済部記者に見向きされず、持ち前の発信力をいかせずに孤立していた。後ろ盾は小泉首相ただ一人だった。今こそ政治部が食い込むチャンスだ――渡辺さんはそう考えた。各社の官邸キャップで竹中氏のSOSを感じ取り、ただちに「竹中番」を張り付けたのは渡辺さんだけだった。彼の独特の嗅覚がもたらした判断」、凄い判断だ。
・『朝から夜まで竹中平蔵と付き合った日々 こうして私は竹中大臣の番記者になった。朝から夜までつきまとうのである。全社が張り付ける官房長官番や幹事長番と違って、竹中番は私一人だった。私は竹中氏と政務秘書官の真柄昭宏氏と3人で毎日会った。昼は国会の食堂で、日中は大臣室で、夜はファミレスで、とにかく話した。 当時の竹中氏は政治家や官僚、記者から軽んじられ、私を相手にする時間が十分にあった。政治家の名前と顔もよく知らず、国会でトイレに行くにも迷うほどだった。 政治記者4年目の私のほうが政界事情に詳しく「野中広務さんと青木幹雄さんは○○な関係で……」とありふれた政界解説をしていた。「素人3人組」が寄り添って、政官業の既得権の岩盤に挑む戦略をああでもないこうでもないと言い合う、漫画のような日々だった。 竹中氏の経済解説は非常にわかりやすく、面白かった。自民党や財務省と経済政策や規制緩和策について折衝する舞台裏を包み隠さず話し、「抵抗勢力」を打ち破るにはどうしたらよいか私に意見を求めた。 小泉首相は経済政策の司令塔として竹中氏を指名し、あとは任せっきりという政治スタイルだった。当時の竹中氏は政治的に非力だったが、立場上ディープな情報は集まっていた。何にも増して小泉首相の肉声に日々接していた。 私は竹中氏と毎日膝をつき合わせる取材を通じて日本の経済政策はどういうプロセスで決定されていくのかを生々しく理解するようになった。竹中氏は自らの改革に立ちはだかる財務省や自民党政調会長だった麻生太郎氏に対する不満を日増しに強めた。竹中氏の「財務省嫌い」や「麻生氏嫌い」は今も変わらない。 竹中氏は当初、敗れ続けた。だが、くじけなかった。自民党や財務省が水面下で主導する政策決定過程をオープンにして世論に訴えた。経済財政諮問会議の議事録を公開して「抵抗勢力」の姿を可視化したのだ。これは的中した。マスコミは次第に「抵抗勢力」を悪者に仕立て始めた。そして小泉首相は「竹中抵抗勢力」の闘いが佳境を迎えると歌舞伎役者よろしく登場し、竹中氏に軍配を上げたのだった。 政治の地殻変動が始まった。政策決定の中心が「自民党・霞が関」から「首相官邸」へ移り始めた。竹中氏の影響力は急拡大し、政治家や官僚が頻繁に訪れるようになった。竹中氏と真柄氏と私の素人3人組の作戦会議もファミレスから個室へ場所を移した。経産官僚だった岸博幸氏や財務官僚だった高橋洋一氏、学者から内閣府に入っていた大田弘子氏ら竹中氏を支える裏部隊も出来上がっていった』、「竹中氏は当初、敗れ続けた。だが、くじけなかった。自民党や財務省が水面下で主導する政策決定過程をオープンにして世論に訴えた。経済財政諮問会議の議事録を公開して「抵抗勢力」の姿を可視化したのだ。これは的中した。マスコミは次第に「抵抗勢力」を悪者に仕立て始めた。そして小泉首相は「竹中抵抗勢力」の闘いが佳境を迎えると歌舞伎役者よろしく登場し、竹中氏に軍配を上げたのだった」、「小泉首相」の立ち回りは確かに「歌舞伎役者」そのものだ。
・『彼の功と罪 ふと気づくと竹中氏は小泉政権の経済財政政策のど真ん中にいた。財務省からその立ち位置を奪ったのである。そして、政治部記者として竹中氏を担当していた私は、新聞社の長い歴史を通じて独占的に予算編成や税制改革を報じてきた経済部の財務省担当記者たちに取って代わり、予算や税制をめぐる「特ダネ」を連発した。 経済部記者が事務次官ら官僚をいくら回っても情報は遅かった。すべては竹中氏ら官邸主導で決まり、経済部記者が財務省取材でそれを知るころには私が朝日新聞紙面で報じていたのである。業界用語でいう「圧勝」の日々だった。各社の経済部は慌てて竹中氏を追いかけ始めたが、すでに遅かった。竹中氏は時間に追われ、初対面の記者といちから関係をつくる暇はなかった。 私は「竹中氏に食い込んだ記者」として知られるようになり、政治家や官僚、そして財界からも「竹中大臣を紹介してほしい」「竹中大臣の考えを教えてほしい」という面会依頼が相次いだ。経済知識もなく竹中氏と会食やお茶を重ねていただけなのに、わずか数ヵ月で私の境遇は様変わりしたのである。 これは権力に近づく政治部記者が勘違いする落とし穴でもある。私は茨城県警本部長に食い込んだ昔のサツ回り時代を思い出して自分を戒めるようにした。 朝日新聞社内で、政治部と経済部の関係は緊張した。私が予算や税制の特ダネを出稿するたびに財務省記者クラブを率いる経済部のキャップは「財務省は否定している」と取り下げを求めた。渡辺官邸キャップはそれを聞き流し、真夜中の1時を過ぎて新聞の印刷が始まるころ「そうは言っても、もう明日の新聞は降版しちゃったよ」と電話を切るのだった。 財務省は朝日新聞報道を追認していくようになる。財務省の言う通りに政策が決まらない新たな現実を、経済部はなかなか受け入れられないようだった。政策の主導権は明らかに自民党や財務省から首相官邸に移った。その意味で、小泉政権の誕生は「政権交代」といえた。省庁ごとの縦割りだったマスコミ各社の取材体制も変革を迫られたのである』、「政治部記者として竹中氏を担当していた私は、新聞社の長い歴史を通じて独占的に予算編成や税制改革を報じてきた経済部の財務省担当記者たちに取って代わり、予算や税制をめぐる「特ダネ」を連発した。 経済部記者が事務次官ら官僚をいくら回っても情報は遅かった。すべては竹中氏ら官邸主導で決まり、経済部記者が財務省取材でそれを知るころには私が朝日新聞紙面で報じていたのである」、「各社の経済部は慌てて竹中氏を追いかけ始めたが、すでに遅かった。竹中氏は時間に追われ、初対面の記者といちから関係をつくる暇はなかった」、「財務省は朝日新聞報道を追認していくようになる。財務省の言う通りに政策が決まらない新たな現実を、経済部はなかなか受け入れられないようだった。政策の主導権は明らかに自民党や財務省から首相官邸に移った。その意味で、小泉政権の誕生は「政権交代」といえた。省庁ごとの縦割りだったマスコミ各社の取材体制も変革を迫られたのである」、確かに画期的な変化だ。
・『突如終わった「竹中番」 私は竹中番記者である限り、特ダネを書き続けられる気がした。その日々は突如として終わる。私はある日、「抵抗勢力」のドンと言われた自民党の古賀誠元幹事長の番記者に移るように告げられたのだ。 背景には、政治部と経済部の「手打ち」があった。それまでは政局は政治部、政策は経済部という仕分けが成立していた。政治家は政局に明け暮れ、政策は官僚が担うという時代が続いたからだ。小泉政権はそのシステムを壊した。 政策は官邸主導に移り、総理が指名した竹中氏のような大臣が仕切る新たな政策決定プロセスが整いつつあった。その時代に「政局は政治部、政策は経済部」という縦割り取材は通用しなかった。 両部は、①国会記者会館の朝日新聞の部屋に両部のデスクを常駐させて連携を密にする、②官邸サブキャップに経済部記者を配置する――などの協力態勢で合意するとともに、確執の元凶であった私を「竹中番」から外すことで折り合ったようだ。この社内政治によって私は竹中番を卒業したのである。 私の竹中氏取材は、権力者の懐に食い込んで情報を入手する旧来型のアクセスジャーナリズムの典型である。竹中氏の提灯記事を書いたつもりはないが、竹中氏らが抵抗勢力との戦いを有利に進めるために番記者である私(朝日新聞)を味方に引き込み情報を流したのは間違いない。朝日新聞はそれを承知のうえで、情報の確度を精査して主体的に報道すべき事実を判断して記事化していたが、結果的に竹中氏を後押しする側面があったのは否めない。 旧来の政治・経済報道ではこのように取材相手と「利害を重ねる」ことで情報を入手できる記者が「優秀」と評価されてきた。しかし、アクセスジャーナリズム自体に厳しい視線が向けられる時代になった。 権力者への密着取材が不要とは思わないが、読者の不信を招かないように取材手法や取材経緯をできる限り透明化したうえで「このような記事を書くために密着取材している」と胸を張って言える権力監視報道を具体的に示し、読者の理解と信頼を得ることが不可欠になったと思う。) 竹中氏はその後、2004年参院選に出馬して当選し、2005年には担当大臣として郵政民営化を主導し、霞が関や経済界全体に絶大な影響力を誇るようになる。素人3人組が抵抗勢力を打ち負かす作戦を練るために集った日々がウソのようであった。 永田町・霞が関に単身で乗り込み、既得権の岩盤に挑んだ当初の竹中氏はチャレンジャーだった。規制緩和を中心とする新自由主義について私は批判的だが、他方、自民党の族議員と財務省などのエリート官僚によってベールに包まれてきたこの国の政策決定過程をこじ開け、透明化した彼の功績は大きいと思う。 竹中氏が強大な権力者になるにつれ、取り巻きは急増した。それに伴い、私は竹中氏と疎遠になった。竹中氏は小泉政権が終了した時点で大臣も参院議員も辞めたが、その後も今に至るまで大きな影響力を維持し続けている。当初は竹中氏と激突した霞が関や財界が「竹中化」したのだ』、「私はある日、「抵抗勢力」のドンと言われた自民党の古賀誠元幹事長の番記者に移るように告げられたのだ。 背景には、政治部と経済部の「手打ち」があった」、「既得権の岩盤に挑んだ当初の竹中氏はチャレンジャーだった。規制緩和を中心とする新自由主義について私は批判的だが、他方、自民党の族議員と財務省などのエリート官僚によってベールに包まれてきたこの国の政策決定過程をこじ開け、透明化した彼の功績は大きいと思う。 竹中氏が強大な権力者になるにつれ、取り巻きは急増した。それに伴い、私は竹中氏と疎遠になった」、なるほど。
・『竹中氏は挑戦者から「既得権益側」に変わった 竹中氏が労働市場の規制緩和を主導した後、人材派遣業界で急成長したパソナグループの会長になったこと、そのパソナが政府関連の業務を多く受注していることは象徴的である。挑戦者だった竹中氏は自民党や霞が関の既得権益を打ち破って勝者となり、挑戦を受ける既得権益側になったといえるだろう。 竹中氏が日本に持ち込んで実践したこの20年の構造改革がもたらしたものは何だったのか。株価はコロナ危機でもバブル期以来の高値を更新し、富裕層や大企業は潤い続けた。 一方で非正規労働は急増し、給料は上がらず、経済格差は急拡大した。対ロシア経済制裁による物価高や急速に進む円安のしわ寄せは、所得が低く弱い立場の人々ばかりに向かう。』、「挑戦者だった竹中氏は自民党や霞が関の既得権益を打ち破って勝者となり、挑戦を受ける既得権益側になった」、「竹中氏が日本に持ち込んで実践したこの20年の構造改革」で、「日本社会の健全さは損なわれ、活力は大きく衰えてしまった。 格差が広がる日本社会の曲がり角で、私は政権中枢に接近し「改革」の片棒を担いだのかもしれない」、きちんと総括しているのは、さすがだ。
タグ:新自由主義 (その3)(『朝日新聞政治部』2題:「なぜ私はダメなんですか!」「お立場が違います」朝日の若手記者を怒らせた“政治取材の不条理” #1、「非正規労働は急増し 給料は上がらず 経済格差は急拡大した」竹中平蔵の片棒をかついだ元朝日記者の悔恨 #2) 文春オンライン 鮫島 浩氏による「「なぜ私はダメなんですか!」「お立場が違います」朝日の若手記者を怒らせた“政治取材の不条理” 『朝日新聞政治部』 #1」 鮫島浩氏による初の著書『朝日新聞政治部』 「橘さんの「ネタ元」が当時の自民党幹事長で次期首相の筆頭候補だった加藤紘一氏であることが公然の秘密だったことだ。 新人記者は「取材源の秘匿」を厳しく指導される。警察取材で「ネタ元」がバレることは絶対にあってはならない。ネタ元の警察官は処分され、新聞記者は「記者失格」の烙印を押される。 政治取材の世界は違うようだった」、「ネタ元」の秘匿は「政治取材の世界は違うようだった」、なるほど。「浦和支局」長は、「大物政治記者」で「話がグローバルでダイナミックだ」、いい上司に恵まれたものだ。これも、優秀な若手記者を育てるコースなのかも知れない。 「新聞には、各方面の情報を総合的に分析して「次はこうなる」という見立てを読者に示し、権力側に主導権を奪われることなく政策アジェンダを設定する役割がある」、さすが「大物政治記者」の下で働いただけのことがありそうだ。 「忙しい政治家をつかまえサシで話を聞く取材手法のひとつが、車に同乗する「箱乗り」だ」、確かに便利で確実な「取材手法」だが、それが認められるには「大物政治記者」である必要がありそうだ。「こんな政治取材はおかしい、いつか変えてやる、と青臭く思ったものだ」、負け惜しみ以外の何物でもない。 文春オンライン「「非正規労働は急増し、給料は上がらず、経済格差は急拡大した」竹中平蔵の片棒をかついだ元朝日記者の悔恨 『朝日新聞政治部』 #2」 「上司の一声から竹中平蔵大臣に密着」、「竹中氏」は「小泉総理から構造改革の旗振り役として期待されていたが、自民党や霞が関に応援団は少なく苦戦していた」、「竹中氏」にもそんな時期もあったようだ。 「政治部は政治家に番記者を張りつけ、その政治家が直面する政治課題を一緒に追いかけさせる。内閣改造人事で閣僚の顔ぶれが一新したら、政治部記者もがらりと入れ替わる。 他方、経済部は役所ごとに担当記者を置き、役所の政策課題を追いかけさせる。いつまでその職にあるかわからない大臣よりも各省庁の官僚トップに上り詰めた事務次官のほうがおのずから重要となる」、「政治部」と「経済部」の取材手法の違いを初めて知った。 「竹中氏は官僚や経済部記者に見向きされず、持ち前の発信力をいかせずに孤立していた。後ろ盾は小泉首相ただ一人だった。今こそ政治部が食い込むチャンスだ――渡辺さんはそう考えた。各社の官邸キャップで竹中氏のSOSを感じ取り、ただちに「竹中番」を張り付けたのは渡辺さんだけだった。彼の独特の嗅覚がもたらした判断」、凄い判断だ。 「竹中氏は当初、敗れ続けた。だが、くじけなかった。自民党や財務省が水面下で主導する政策決定過程をオープンにして世論に訴えた。経済財政諮問会議の議事録を公開して「抵抗勢力」の姿を可視化したのだ。これは的中した。マスコミは次第に「抵抗勢力」を悪者に仕立て始めた。そして小泉首相は「竹中抵抗勢力」の闘いが佳境を迎えると歌舞伎役者よろしく登場し、竹中氏に軍配を上げたのだった」、「小泉首相」の立ち回りは確かに「歌舞伎役者」そのものだ。 「政治部記者として竹中氏を担当していた私は、新聞社の長い歴史を通じて独占的に予算編成や税制改革を報じてきた経済部の財務省担当記者たちに取って代わり、予算や税制をめぐる「特ダネ」を連発した。 経済部記者が事務次官ら官僚をいくら回っても情報は遅かった。すべては竹中氏ら官邸主導で決まり、経済部記者が財務省取材でそれを知るころには私が朝日新聞紙面で報じていたのである」、 「各社の経済部は慌てて竹中氏を追いかけ始めたが、すでに遅かった。竹中氏は時間に追われ、初対面の記者といちから関係をつくる暇はなかった」、「財務省は朝日新聞報道を追認していくようになる。財務省の言う通りに政策が決まらない新たな現実を、経済部はなかなか受け入れられないようだった。政策の主導権は明らかに自民党や財務省から首相官邸に移った。その意味で、小泉政権の誕生は「政権交代」といえた。省庁ごとの縦割りだったマスコミ各社の取材体制も変革を迫られたのである」、確かに画期的な変化だ。 「私はある日、「抵抗勢力」のドンと言われた自民党の古賀誠元幹事長の番記者に移るように告げられたのだ。 背景には、政治部と経済部の「手打ち」があった」、「既得権の岩盤に挑んだ当初の竹中氏はチャレンジャーだった。規制緩和を中心とする新自由主義について私は批判的だが、他方、自民党の族議員と財務省などのエリート官僚によってベールに包まれてきたこの国の政策決定過程をこじ開け、透明化した彼の功績は大きいと思う。 竹中氏が強大な権力者になるにつれ、取り巻きは急増した。それに伴い、私は竹中氏と疎遠になった」、なるほど。 「挑戦者だった竹中氏は自民党や霞が関の既得権益を打ち破って勝者となり、挑戦を受ける既得権益側になった」、「竹中氏が日本に持ち込んで実践したこの20年の構造改革」で、「日本社会の健全さは損なわれ、活力は大きく衰えてしまった。 格差が広がる日本社会の曲がり角で、私は政権中枢に接近し「改革」の片棒を担いだのかもしれない」、きちんと総括しているのは、さすがだ。
メディア(その35)(新聞・放送の記者は公式発言をフォローする取り組みに消極的だが…CIAの仕事の9割は首脳発言の分析、「貧しいニッポン」報道が 日本の貧困化を加速化させてしまう皮肉なワケ、なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題 「記者クラブ」に頼る取材は行き詰まっている) [メディア]
メディアについては、昨年10月26日に取上げた。今日は、(その35)(新聞・放送の記者は公式発言をフォローする取り組みに消極的だが…CIAの仕事の9割は首脳発言の分析、「貧しいニッポン」報道が 日本の貧困化を加速化させてしまう皮肉なワケ、なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題 「記者クラブ」に頼る取材は行き詰まっている)である。
先ずは、昨年11月2日付け日刊ゲンダイが掲載したジャーナリストの立岩陽一郎氏による「新聞・放送の記者は公式発言をフォローする取り組みに消極的だが…CIAの仕事の9割は首脳発言の分析」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/313786
・『10月11日に報じられたCNNのバイデン米大統領の独占インタビュー。「プーチン氏が何を考えているのかはわからないが、彼は(ロシア軍は)ウクライナから撤退できる。そして恐らく彼は権力の座にとどまれる。『ウクライナ侵攻の目的を達した。ロシア軍が撤退する時期だ』と宣言して」と語った。 バイデン氏の発言をフォローしている私には、それは大きな変化と感じられる。これまでのバイデン氏の発言はプーチン氏の失脚を目指していたと考えられるからだ。「Go get him(やっちまえ)」と語った一般教書演説や、「彼はそのポストに残れない」といった発言とは明らかに異なる。プーチン氏の失脚を狙わずに、ウクライナからのロシア軍の撤退を目指す方向に舵を切ったということだろう。ある意味で現実的な選択とも言える。G7のオンライン会議の直後のインタビューだけに、独仏首脳とのやりとりの中でバイデン氏が方向を修正したということだろう。 私は「国際ジャーナリスト」と紹介されることが多い。NHKの社会部で事件記者として過ごした私が、そう紹介されるきっかけはトランプ前米大統領だ。トランプ氏の言動をアメリカでフォローしていた私が最初にテレビへの出演を求められたのはトランプ氏が(北)朝鮮に対して「炎と怒りで対応する」と語った直後だった。(北)朝鮮の「専門家」が「米朝対決」とあおる中で、番組で私は、トランプ氏は金正恩氏に親近感を持っており、米朝会談もあり得ると予想した。まだ米朝会談の噂さえない2017年の8月のことだった。) また、最初の米朝会談を前にトランプ氏が金正恩氏を屈服させると力説する「専門家」を前に、「トランプ氏が朝鮮半島情勢や東アジアの安全保障に関する明確な方針を語った事実はない」と話し、それ故に会談で成果は望めないと指摘した。「専門家」から、「あなたはトランプ大統領を見誤っています」と言われたが、さて、その「専門家」はその言動をどう総括しているのか。しかし、ここでそれを書きたいわけではない。 結果的に私が言った通りになっている状況は、別にヤマをはったわけでも「逆張り」をしたわけでもない。単純に首脳の言動を追って判断しただけのことだ。トランプ氏、バイデン氏の公式な発言は確認することができる。それをフォローし、整理することで、米首脳の考えを一定程度、分析することが可能だ。 実はこれは、アメリカの大学で同僚だった元CIAの情報分析官が語ったことにヒントを得ている。その同僚によると、CIAの仕事の9割は首脳の発言の分析だったという。その発言とは、傍受するなどの非公式なものではなく、誰でも確認できる公式のものだという。 残念ながら、新聞、放送の記者は、公式発言をフォローするという取り組みに消極的だ。誰も知らない極秘情報の入手に努める傾向が強いということもあるが、成果主義で地味で根気のいる作業が敬遠される部分もある。当然、私はこの地味な作業を今後も続けていく』、「米朝会談」が「結果的に私が言った通りになっている状況は、別にヤマをはったわけでも「逆張り」をしたわけでもない。単純に首脳の言動を追って判断しただけのことだ。トランプ氏、バイデン氏の公式な発言は確認することができる。それをフォローし、整理することで、米首脳の考えを一定程度、分析することが可能だ。 実はこれは、アメリカの大学で同僚だった元CIAの情報分析官が語ったことにヒントを得ている。その同僚によると、CIAの仕事の9割は首脳の発言の分析だったという。その発言とは、傍受するなどの非公式なものではなく、誰でも確認できる公式のものだという」、「新聞、放送の記者は、公式発言をフォローするという取り組みに消極的だ。誰も知らない極秘情報の入手に努める傾向が強いということもあるが、成果主義で地味で根気のいる作業が敬遠される部分もある」、残念なことだ。
次に、12月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「貧しいニッポン」報道が、日本の貧困化を加速化させてしまう皮肉なワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/315233
・『日本の貧しさを指摘しすぎると貧困化に拍車? 昨年(2021年)の今ごろ、経済ニュースの世界では「安いニッポン」が流行していたが、これからは「貧しいニッポン」の時代がやってきそうだ。 年の瀬に、景気の悪い話をして恐縮だが、日本の貧困化に警鐘を鳴らすようなニュースが、目に見えて増えてきている。筆者が目についただけでも、ざっとこんな感じだ。 ・日本人は外国人客急増の「貧しさ」をわかってない 円安と低成長で経済力低下、安い賃金に甘んじる(東洋経済オンライン12月25日) ・iPhoneが高すぎて買えない日本、30年でなぜこれほど貧しくなったのか? (ニューズウィーク日本版12月10日) ・働いても働いても貧乏から抜け出せない…経済大国ニッポンが「一億総貧国」に転落した根本原因(プレジデントオンライン 12月8日) また、このダイヤモンド・オンラインでも現在、『貧国ニッポン 「弱い円」の呪縛』という特集をやっている。多くのメディアや専門家の間で、「貧しいニッポン」という問題がのっぴきならない状況だというのが、いよいよ共通認識になってきたということなのだろう。 筆者もこの連載内で、18年ごろから日本の低賃金と貧困化について、度々指摘させていただいてきた。そういう意味では、このテーマが多くのメディアで取り上げられるようになって、議論が活発になってきていることは、素直にうれしい。 しかし、その反面で一抹の不安がある。「貧しいニッポン」報道が注目されることはいいのだが、そのことで逆に日本の貧困化に拍車がかかってしまう恐れもあるからだ』、「多くのメディアで取り上げられるようになって、議論が活発になってきている」のが、「日本の貧困化に拍車がかかってしまう恐れもある」、とはどういうことだろう。
・『大手マスコミを信じ込みやすい日本人がパニック 実は日本では、この手の「不安」を刺激されるような報道に過剰に反応をした人が、恐怖で冷静な判断ができずパニックになって、事態を悪化させてしまうケースが多い。わかりやすいのは、「トイレットペーパーデマ」だ。 忘れてしまった人も多いだろうが、新型コロナウィルスの感染拡大当初、SNSで「トイレットペーパーが品切れになる」という情報が拡散されたことがある。ほどなくデマだとわかって、拡散した人物が所属していた団体も謝罪し、一件落着となった。 しかし、ここで思わぬ事態が起きる。ワイドショーなど大手マスコミが「SNSでトイレットペーパーが品切れになるというデマが流されました」と大騒ぎをしたことを受けて、トイレットペーパーの買い占め騒動が起きたのだ。番組を見た視聴者は頭では「デマ」だと理解しているが、「もしかしたら本当に品切れするかも」と不安になって、ドラッグストアに押し寄せたのである。 そして、それをまたワイドショーが中継をして、「ご覧ください!あんな行列ができています!」と大ハシャギで報じて、それを観た視聴者が「乗り遅れてなるものか」とさらにドラックストアへ殺到…という悪循環となったのである。 なぜこんな不可解な現象が起きたのかというと、「報道」が群集心理をあおったからだと言われている。 実は、著名人や人気芸能人の自殺報道を朝から晩まで流すと、熱心なファンではない人まで後追い自殺をするという現象が世界中で確認されている。これは「アナウンス効果」と呼ばれるもので、WHO(世界保健機構)が報道機関に自制を求めているほど「効果」がある。 もうお分かりだろう。この「アナウンス効果」と同じことが、「トイレットペーパー・パニック」で起きたのである。 「マスゴミ」などと批判されることも多いが、実はマスメディアというのは、それくらい人々の行動にダイレクトに影響を及ぼす力を持っている。 特に日本人は先進国の中でも、異常なほどテレビや新聞を信用しているという国際比較調査もある。ほとんどの国では、マスコミというのは「偏向」して当たり前なので、受け取り手側が情報の真贋を見極めなければいけないと考えている人が多いが、日本人はなんやかんや文句を言いながら、「テレビや新聞は嘘をつかない」と頑なに信じているのだ』、「日本人は先進国の中でも、異常なほどテレビや新聞を信用しているという国際比較調査もある」、なるほど。
・『「貧しいから国が養え」という民意が強まるとどうなるか さて、このように異常なまでにマスコミを過度に信じる国民のもとに、「貧しいニッポン」という報道が朝から晩まで大量におこなわれたらどんなことになるだろうか。 「そっか、日本は貧しいのか」と納得をするまではいいとして、問題はその次の行動だ。 海外であれば、政権に不満をぶつけ、クーデターや暴動が起こる。しかし、日本人は国民性からしても、「自民党政権をぶっつぶせ!」なんてクーデターにはまずならない。岸田首相をボロカスに叩いても、なんやかんや次の選挙でも、多くの人は自民党に投票をするだろう。これまでもそうだった。 となると、日本人に残された道は、「国が面倒を見ろ」と喉をからして叫ぶしかない。 要するに、減税、補助金、バラマキなど、とにかく政府が金を国民に配って、貧しくならないように保護をしろという「民意」が強くなっていくのだ。 政治家のビジネスモデルは基本的に、そのような「民意」をくみ取ったスローガンを掲げて、選挙に受かって高収入を得るというものなので、おのずと「消費税をゼロに」「積極財政」を掲げる人がポコポコと当選していく。 ただ、社会保障が破綻している今の日本の財政的に減税は難しい。ということで、選挙に通った政治家ができることは、「増税しながら金をバラまく」という不毛な政策しかない。この「3歩進んで2歩下がる」的な政治スタイルが、日本をここまで停滞させた諸悪の根源だ。 つまり、「貧しいニッポン」報道は、「バラまき政治」を加速させて、日本をさらに貧しくしていくことにしかならないのだ。 「バラまきの何が悪い!今の日本に必要なのは増税ではなく積極的な財政出動だろ」と主張する人もいらっしゃるだろうが、実は日本ではこの30年間、1000兆円以上の政府の負債を増やしてきたが、「失われた30年」から脱することができなかったのだ。 つまり、日本経済の「病巣」はそこではないのだ』、「日本人に残された道は、「国が面倒を見ろ」と喉をからして叫ぶしかない。 要するに、減税、補助金、バラマキなど、とにかく政府が金を国民に配って、貧しくならないように保護をしろという「民意」が強くなっていくのだ」、「「貧しいニッポン」報道は、「バラまき政治」を加速させて、日本をさらに貧しくしていくことにしかならないのだ」、「実は日本ではこの30年間、1000兆円以上の政府の負債を増やしてきたが、「失われた30年」から脱することができなかったのだ」、その通りだ。
・『政府が「甘やかし保護してきた中小企業」に見る問題 日本経済が成長できなかったのはこの30年間、日本人の賃金がまったく上がらなかったからだ。そして、この問題は、大企業の春闘やベアがどうしたとかいう話はほとんど関係がない。 日本人労働者の7割が働いて、全企業の99.7%を占める中小企業の賃金がこの30年間ほとんど上がっていないからだ。では、なぜ上がらないのかというと、日本政府が中小企業を「保護すべき弱者」として過剰に甘やかしてきたからだ。 厳しい言い方だが、各種優遇策や補助金やらで手厚く保護されてきたことで、まるで生活保護を受けている経済的困窮者のようになり、成長・拡大をするように追い込まれなくなってしまったのである。もちろん、中には競争力があって成長をしていく中小企業もあるが、それはほんの一部で、大多数の中小企業は「現状維持型」なので従業員の賃上げができない。 なぜこうなるかというと、株主など外部の厳しい目にさらされることがないので、オーナー社長が好き勝手に経営ができてしまうからだ。自分が乗る高級車を社用車扱いにしたり、働いていない妻や子どもに役員報酬を払ったり、やりたい放題ができてしまう。 そんな「現状維持型の低賃金企業」があふれる日本の中小企業に、大量の補助金がバラ撒かれたところで、経済が成長するわけがない。コロナ禍で飲食店にバラまかれた協力金が、経営者の懐に入って、店で働くパートやアルバイトにほとんど還元されなかった構図と同じだ。 日本ではこのような「負のスパイラル」が30年間延々と繰り返されてきた。労働者の賃金よりも経営者の身分保障を優先してきた結果、格差が広がって消費が冷え込み、それを受けて企業は賃金を低く抑える…という悪循環が続いてきた。 本来はこれを断ち切らないといけない。しかし、「貧しいニッポン」報道があふれかえるとそれも不可能になる。 「貧しい」と言われてパニックになった群衆は、「貧しくならないようにもっと金をよこせ」と減税やバラマキを掲げる政治リーダーを求めていく。金をバラまいて経済が強くなった国など世界のどこにも存在しないが、貧しくなるという恐怖に支配されて、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。 なんてことを心配したところで、おそらくこの流れは食い止められない。 80年前、当時の軍部のエリートや、政府の人間が「アメリカと戦争をしたら100%負ける」という分析をしていたにもかかわらず、日本は無謀な戦争に突入した。 この件に関して、後世の日本人は「軍部が暴走した」「政治が悪い」の一言で片付けるが、実はそれは歴史の捏造だ。誰よりも戦争を望んでいたのは、実は「国民」である。当時、「アメリカを叩きつぶせ」と大衆は熱狂していて、政治家や軍部が「日米開戦を避けよう」なんて言えば、「腰抜けが!」と怒った。熱狂で冷静な判断ができなくなっていたのだ。実際、真珠湾攻撃をした時、日本はサッカーワールドカップでスペインを撃破した時以上のお祭り騒ぎだった。 こういう歴史の教訓に学べば「貧しいニッポン」は避けられないだろう。いよいよ来年は、我々も貧しい国なりの生き方を、模索していかなければいけないかもしれない』、「「貧しい」と言われてパニックになった群衆は、「貧しくならないようにもっと金をよこせ」と減税やバラマキを掲げる政治リーダーを求めていく。金をバラまいて経済が強くなった国など世界のどこにも存在しないが、貧しくなるという恐怖に支配されて、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。 なんてことを心配したところで、おそらくこの流れは食い止められない」、同感である。
第三に、1月2日付けPRESIDENT Onlineが掲載した上智大学文学部新聞学科教授の水島 宏明氏による「なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題 「記者クラブ」に頼る取材は行き詰まっている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/64957
・『2022年12月、陸上自衛隊での性暴力を告発した五ノ井里奈さんの記者会見が外国特派員協会(FCCJ)で開かれた。上智大学の水島宏明教授は「旧統一教会元2世信者や、TBS元記者から性被害を受けた女性が会見を開いたのも同じ場所だ。背景には、記者クラブ体制の機能不全がある」という――』、「記者クラブ体制の機能不全」とはどういうことだろう。
・『記者会見は各社が全国放送で報じた 12月19日(月)、テレビ各社が元陸上自衛官で所属部隊での“性暴力”“性被害”を顔出し実名で訴えている五ノ井里奈さんの記者会見の様子を報道した。 NHKとフジテレビ、テレビ東京は全国放送で報道しなかった。一方、日本テレビ、テレビ朝日、TBSは、夕方や夜の主要ニュース番組で、五ノ井さんが会見で語った「(男性隊員たちが)私に覆いかぶさり、腰を振る動作を繰り返していた」などの赤裸々な言葉を全国放送で報道した。この夜、こうした詳細を初めて報じた局もあった。テレビだけでなく、新聞各社もこの会見での五ノ井さんの言葉を翌朝の新聞に掲載した。 この記者会見が行われた場所は「外国特派員協会」(FCCJ)である。午後2時すぎに東京・丸の内のビルの一角で記者会見が行われた。 この外国特派員協会、実は、日本の主要メディア各社が運営する記者クラブではない。主体になっているのは欧米を中心にした世界の新聞・テレビなどの特派員たちで、いわば外国メディアのための記者クラブである』、「この記者会見が行われた場所は「外国特派員協会」」、どういうことなのだろう。
・『なぜ外国報道機関向けの記者クラブだったのか 五ノ井さんのケースは、日本での出来事なのになぜ日本のメディアが中心になっている国内報道機関が運営する記者クラブではなく、外国特派員協会という外国メディア向けの記者クラブで会見が行われたのだろうか。しかも、なぜ、それが国内の報道機関でのニュースになるのだろうか。 実は同じことが「宗教2世」の問題を告発している小川さゆりさん(仮名)の記者会見でも起きている。小川さんが外国特派員協会で記者会見したことで親が宗教団体に対して多額の寄付をするために生活がままならず極貧状態にあったり、子どもたちが宗教団体の決めた「養子縁組」で幼少期から家族がバラバラになったりする実態が大きく報道されることになった。 出入国在留管理庁の出先での人権侵害について会見が行われるのも多くが外国特派員協会だ。 なぜ、日本の記者クラブではなく、外国特派員協会なのか。その記者会見がなぜ日本のニュースに貢献しているのか。この問題を考えると、実はそこには日本の記者クラブが抱える問題が見え隠れしている』、「「宗教2世」の問題を告発している小川さゆりさん(仮名)の記者会見」、「出入国在留管理庁の出先での人権侵害について会見」も「外国特派員協会」で行われた。
・『報道機関の自律は記者クラブの基本だが… 外国特派員協会は、正式名称を「日本外国特派員協会」という。英語名The Foreign Correspondents' Club of Japanで略称はFCCJ。ホームページでは「世界で最も古く、最も権威のある記者クラブのひとつ」と自己紹介している。会員の資格として「日本を拠点とし、その記事の大部分が海外へ報道される記者」を対象にする組織だ。 米国のニューヨーク・タイムズ、CNN、英国のBBCなどの欧米の主要メディアの記者たちが所属している。記者クラブの自律的な判断でゲストを呼んで記者会見や講演会などを開いている。メンバーはそれぞれの会に自由に参加することができる。 日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブも同じように「自律的な判断」に委ねられているはずだが、なぜ既存の日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブでは、自衛隊内の性暴力問題や宗教2世の問題、それに入管での人権侵害の会見などが満足に行われないのだろうか』、「日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブ」にはどういう問題があるのだろうか。
・『「縦割り」が障壁になっている 日本の個別の記者クラブは、それぞれ中央省庁や政党、大企業ごとに「縦割り」になっていることが大きな障壁になっている。官庁などと同じように「縦割り」のため、防衛省の記者クラブ、文部科学省の記者クラブ、東京の裁判所や検察庁、弁護士会などを担当する司法クラブなど細かく分別されていて、所属する記者たちはそれぞれ担当する組織の官僚らと同じような問題意識になりがちだ。 記者たちは記者室など官公庁などの建物を「間借り」している状態で、記者会見の場に当該組織の広報担当者なども聞きに来ることができるため、記者会見で話をする当人にとっては無言の圧力を受けやすい。記者の側も日頃情報提供を受けている組織に対する遠慮や忖度そんたくなどが働きやすい。 そういう意味では、役所等の中にある記者クラブが完全に「自律的に運営」されているのかどうかはかなり疑問だ。 さらに、「縦割り」の担当であるがゆえに、記者たちの視野が極端に狭くなりがちである。防衛省の記者クラブにいる記者たちは最新兵器や防衛システム、「敵基地攻撃能力」などの法概念については防衛省の幹部や自衛隊幹部と同じくらいの専門的な知識を求められるため、そうした問題に対しては関心が人一倍強い。その一方で、「女性隊員への性暴力」のような問題については門外漢で、どれほどの重要性があるニュースなのか、記者自身が判断できない場合が少なくない』、「日本の個別の記者クラブは、それぞれ中央省庁や政党、大企業ごとに「縦割り」になっていることが大きな障壁になっている」、「記者たちは記者室など官公庁などの建物を「間借り」している状態で、記者会見の場に当該組織の広報担当者なども聞きに来ることができるため、記者会見で話をする当人にとっては無言の圧力を受けやすい。記者の側も日頃情報提供を受けている組織に対する遠慮や忖度そんたくなどが働きやすい。 そういう意味では、役所等の中にある記者クラブが完全に「自律的に運営」されているのかどうかはかなり疑問だ」、かなり深刻な問題だ。
・『横断的なテーマに対応できない 五ノ井さんが受けた「性被害」「性暴力」の問題は当該官庁だけでなく、社会全体にかかわるジェンダー問題でもある。 2017年に米国ハリウッドの映画界で内部告発が相次いだ「#MeToo運動」以降も、解決すべき問題が様々な分野で根強く残っている。 メディア業界自体も強固な「男性優位」が続く社会だ。そこで働く記者たちも日頃からこうした問題について敏感とはいえない。ジェンダーがからむ「被害」については、今なお、当事者同士の問題だと考えがちで、「組織の問題」としては捉えない傾向も根強い。 五ノ井さんが性暴力被害への公正な調査を求めて、野党の議員らと防衛省で申し入れを行ったのは、8月31日(水)だった。そのときは防衛省の記者クラブが通常会見を開く記者会見室ではなく、建物の玄関先で、立ったままの「ぶらさがり」という形式で記者たちの質問に答えている。 10月17日(月)、五ノ井さんは自分に“性暴力”を行った加害者側の男性隊員4人から謝罪を受けたとして、記者会見を行って加害者側の手紙を読み上げた。このときの会見場所も、防衛省記者クラブでも官邸記者クラブでもなく、参議院または衆議院の院内会議室と思われる部屋で会見には野党の国会議員たち数人が同席していた。』、「ジェンダーがからむ「被害」については、今なお、当事者同士の問題だと考えがちで、「組織の問題」としては捉えない傾向も根強い」、「8月31日(水)だった。そのときは防衛省の記者クラブが通常会見を開く記者会見室ではなく、建物の玄関先で、立ったままの「ぶらさがり」という形式で記者たちの質問に答えている」、本来は「防衛省の記者クラブ」が場所を提供すべきだ。
・『各社の熱の入り具合が一変した この会見については五ノ井さんを熱心に取材しているAERA dot.やTBSテレビは「覆いかぶさって腰を使った」などの「性被害」の詳細を報道した。しかし他の多くのメディアは「性被害」などと抽象的に短く表現しただけで詳細を伝えなかった。 12月15日(木)に性暴力の加害者側の自衛官5人が懲戒免職になったときも「性被害」でと各社が伝え、TBSテレビの「news23」だけが「キスを強要された」「胸を触られた」などの詳細を報じた。 ところが12月19日(月)に五ノ井さんが外国特派員協会で会見したときには状況が一変する。それまであまり詳しく報じていなかった日本テレビ「news zero」が「示談交渉で“呆れた言葉”」と見出しを打ち、(1人あたり30万円の示談を申し出た隊員側が)「個人責任を問われるか疑問だが」と発言して五ノ井さんが呆れ驚いたと伝えた。 さらに「性被害」の中身も「私に覆い被さり、腰を振る動作を繰り返していた」とそれまで以上に具体的に伝えた。テレビ朝日の「報道ステーション」も隊員側からの示談申し出の際の発言に五ノ井さんが呆れたことに付け加え、「セクハラ行為がまるでコミュニケーションの一部であるかのように感覚がまひしていた」と本人の言葉を伝えていた』、「五ノ井さんが外国特派員協会で会見したときには状況が一変する。それまであまり詳しく報じていなかった日本テレビ「news zero」が「示談交渉で“呆れた言葉”」と見出しを打ち、(1人あたり30万円の示談を申し出た隊員側が)「個人責任を問われるか疑問だが」と発言して五ノ井さんが呆れ驚いたと伝えた。 さらに「性被害」の中身も「私に覆い被さり、腰を振る動作を繰り返していた」とそれまで以上に具体的に伝えた
」、具体的に報道されると現実感が増す。
・『「日本記者クラブ」は会社ありき 外国特派員協会に匹敵するような組織が国内にないわけではない。 「日本記者クラブ」は国内メディアの記者向けに国内の報道機関が運営する組織だ。国政選挙の公示直前の党首討論や国際政治や軍事情勢、経済動向など大所高所からの大きなテーマについて専門家による情勢分析を中心にゲストを招いて話を聞くことが多い。 役所の縦割り主義に応じて縦割りの記者同士の担務になっている日本の記者クラブ制度は、守備範囲を決めにくい自衛官の性暴力などのテーマはどっちつかずになって手つかずになりがちな要因になっている。 こうした、いわゆる「記者クラブ」とは異なり、「日本記者クラブ」は横断的なテーマに対応している。 ところが、ここでも問題がある。ここに所属しているのは、基本的に各新聞社やテレビ局など大手メディアの論説委員や解説委員など一定の役職以上の人間だ。つまり、貴社各々が所属している報道機関に紐付いているような形態になっているのだ。 「会社」が何かと前面に出てくる日本のメディアが加盟する日本の記者クラブと比べると、それぞれのジャーナリストである「個人」が加盟するという個人主義の意識が強いのが外国特派員協会だ。その違いは対照的だ』、「「会社」が何かと前面に出てくる日本のメディアが加盟する日本の記者クラブと比べると、それぞれのジャーナリストである「個人」が加盟するという個人主義の意識が強いのが外国特派員協会だ。その違いは対照的だ」、「日本の記者クラブ」は余りに閉鎖的だ。
・『伊藤詩織さん事件でもそうだった 今回の五ノ井里奈さんのように性暴力の問題で日本の既存メディアの記者クラブが十分に対応できなかった前例はこれまでもある。ジャーナリストの伊藤詩織さんのケースだ。 伊藤さんは2015年、当時TBSのワシントン支局長だった山口敬之氏との食事中に昏睡こんすいさせられた末に「合意ないままに性行為を強要された」として、被害の実態と警察の捜査徹底を訴える記者会見を2017年5月29日に司法記者クラブで行った。当時は名字を伏せたが、下の名前と顔を出すかたちで会見した。 ところがこの会見が新聞やテレビなど主要な既存メディアで大きく報道されることはなかった。警察の幹部による、異例ともいえる逮捕の中止命令など、安倍政権中枢に近い「政治の力」が疑われるケースだったにもかかわらずだ。本人が顔を出して訴えたにせよ、片一方の当事者がこう言っているというだけにすぎないために記事にはできないと判断した社が多かったという事情もあったかもしれない。しかし、問題を深掘りしようとする記者がいなかったことは日本のメディアが抱える課題の深刻さを映し出しているように思う。 伊藤さんはその後、自分に起きた出来事をノンフィクション『Black Box』(文藝春秋)として上梓した。同時に2017年10月24日に外国特派員協会で記者会見を開き、以降、自分の性被害やSNSでのバッシング等に関する会見は主に外国特派員協会で行っている』、「警察の幹部による、異例ともいえる逮捕の中止命令など、安倍政権中枢に近い「政治の力」が疑われるケースだったにもかかわらずだ。本人が顔を出して訴えたにせよ、片一方の当事者がこう言っているというだけにすぎないために記事にはできないと判断した社が多かったという事情もあったかもしれない」、むしろ「加害者」のTBS幹部を庇う面もあった可能性がある。
・『国内ニュースに還流される構図がある 記者クラブはメディア側の「自律」が大切だが、実際には言葉が形骸化しているケースは少なくない。 官邸クラブでの会見を見ると、官僚が記者会見を進行していて、首相や官房長官が発表したいことを一方的に話すばかりで質問時間や回数も制限している。記者側の質問もまるで事前に用意した答弁を読み上げるだけの国会答弁のようで、政権への忖度やおもねりが見てとれる。形式上は記者会見となっているものの、その様子は台本のある儀式のようだ。 外国特派員協会では、そもそも忖度する先が存在しない。毎回、記者たちがその場で考えた質問をぶつけている。そんな真剣勝負の記者会見のやりとりはYouTubeでも公開されている。 それまで同じ問題で何度か会見を開いている人物でも、外国特派員協会では質問を受けてより深みがある言葉を引き出されていることも少なくない。 五ノ井里奈さんのケースを見ても、12月19日の日本テレビやテレビ朝日の報道のように、外国特派員協会での「自分に覆いかぶさって腰をふった」というような音声を使うことで、それまで実態が見えにくくなっていた問題を伝えることができていた。日本国内のニュースなのにそれが外国特派員協会という記者クラブでの記者会見を経由して、新たな付加価値が日本のメディアに「還流」していく構図があった』、忖度なしの「会見」により、「新たな付加価値が日本のメディアに「還流」していく構図があった」、なるほど。
・『レバノン逃亡後のカルロス・ゴーン氏も… テレビも新聞も「マスゴミ」などと若者たちに批判されることがもう珍しくもない時代になった。 これほど外国特派員協会での会見ばかりがニュースで使われるようでは、日本の従来の記者クラブ体制がもはや機能不全に陥っているのではないかと疑わざるを得ない。 日本の記者クラブがやらなかった人物を外国特派員協会が会見をセットした例として、日産自動車の元会長カルロス・ゴーンのケースがある。 2018年に特別背任罪などの容疑でたびたび逮捕され、2019年に保釈中にプライベートジェットで国外逃亡した。外国特派員協会は逃亡先のレバノンとオンラインで結んでゴーンの会見を実現させたのである。日本の刑事当局からみれば「容疑者」であり、「逃亡犯」であっても、なぜ日本から逃げたのか。彼の言い分は何なのか。それを聞いてみないことにはわからない。 内戦下のシリアで武装集団に拘束され、3年ぶりに解放されたものの「自己責任」だと非難にさらされたジャーナストの安田純平氏の会見もここで行われた。 同調圧力が強く、忖度し合う日本の記者クラブでは避けてしまいがちなゲストを選んでいる』、「日本の記者クラブ」は自ら墓穴を掘っているようだ。
・『ジャーナリズムの基本精神に立ち返るべき 象徴的だったのは2019年12月19日の記者会見のゲストの選定だ。この前日、伊藤詩織さんが元TBSの山口敬之氏を相手取って損害賠償を求めた民事訴訟で、東京地裁が伊藤さんの主張を認める判決を出している。この日、外国特派員協会は“被害者”として勝訴した伊藤詩織さんだけでなく、“加害者”として敗訴した山口氏もゲストとして会見させている。 できる限り、その出来事の当事者に話を聞いて真実に接近しようとする営みがジャーナリストの活動であるのなら、外国特派員協会はその精神に忠実だといえる。 比べると、日本の記者クラブは、取材先組織ごとの縦割り体制やメディア同士の常識に縛られて、視野が狭くなってはいないか。「会社」中心の発想で深掘りする刃が鈍っていないか。「個人」として実直な疑問をぶつけるものになっているのだろうか。改めて自己点検が必要だ』、「外国特派員協会は“被害者”として勝訴した伊藤詩織さんだけでなく、“加害者”として敗訴した山口氏もゲストとして会見させている。 できる限り、その出来事の当事者に話を聞いて真実に接近しようとする営みがジャーナリストの活動であるのなら、外国特派員協会はその精神に忠実だといえる」、立派な姿勢だ。日本の記者クラブも爪の垢でも煎じて飲むべきだ。
先ずは、昨年11月2日付け日刊ゲンダイが掲載したジャーナリストの立岩陽一郎氏による「新聞・放送の記者は公式発言をフォローする取り組みに消極的だが…CIAの仕事の9割は首脳発言の分析」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/313786
・『10月11日に報じられたCNNのバイデン米大統領の独占インタビュー。「プーチン氏が何を考えているのかはわからないが、彼は(ロシア軍は)ウクライナから撤退できる。そして恐らく彼は権力の座にとどまれる。『ウクライナ侵攻の目的を達した。ロシア軍が撤退する時期だ』と宣言して」と語った。 バイデン氏の発言をフォローしている私には、それは大きな変化と感じられる。これまでのバイデン氏の発言はプーチン氏の失脚を目指していたと考えられるからだ。「Go get him(やっちまえ)」と語った一般教書演説や、「彼はそのポストに残れない」といった発言とは明らかに異なる。プーチン氏の失脚を狙わずに、ウクライナからのロシア軍の撤退を目指す方向に舵を切ったということだろう。ある意味で現実的な選択とも言える。G7のオンライン会議の直後のインタビューだけに、独仏首脳とのやりとりの中でバイデン氏が方向を修正したということだろう。 私は「国際ジャーナリスト」と紹介されることが多い。NHKの社会部で事件記者として過ごした私が、そう紹介されるきっかけはトランプ前米大統領だ。トランプ氏の言動をアメリカでフォローしていた私が最初にテレビへの出演を求められたのはトランプ氏が(北)朝鮮に対して「炎と怒りで対応する」と語った直後だった。(北)朝鮮の「専門家」が「米朝対決」とあおる中で、番組で私は、トランプ氏は金正恩氏に親近感を持っており、米朝会談もあり得ると予想した。まだ米朝会談の噂さえない2017年の8月のことだった。) また、最初の米朝会談を前にトランプ氏が金正恩氏を屈服させると力説する「専門家」を前に、「トランプ氏が朝鮮半島情勢や東アジアの安全保障に関する明確な方針を語った事実はない」と話し、それ故に会談で成果は望めないと指摘した。「専門家」から、「あなたはトランプ大統領を見誤っています」と言われたが、さて、その「専門家」はその言動をどう総括しているのか。しかし、ここでそれを書きたいわけではない。 結果的に私が言った通りになっている状況は、別にヤマをはったわけでも「逆張り」をしたわけでもない。単純に首脳の言動を追って判断しただけのことだ。トランプ氏、バイデン氏の公式な発言は確認することができる。それをフォローし、整理することで、米首脳の考えを一定程度、分析することが可能だ。 実はこれは、アメリカの大学で同僚だった元CIAの情報分析官が語ったことにヒントを得ている。その同僚によると、CIAの仕事の9割は首脳の発言の分析だったという。その発言とは、傍受するなどの非公式なものではなく、誰でも確認できる公式のものだという。 残念ながら、新聞、放送の記者は、公式発言をフォローするという取り組みに消極的だ。誰も知らない極秘情報の入手に努める傾向が強いということもあるが、成果主義で地味で根気のいる作業が敬遠される部分もある。当然、私はこの地味な作業を今後も続けていく』、「米朝会談」が「結果的に私が言った通りになっている状況は、別にヤマをはったわけでも「逆張り」をしたわけでもない。単純に首脳の言動を追って判断しただけのことだ。トランプ氏、バイデン氏の公式な発言は確認することができる。それをフォローし、整理することで、米首脳の考えを一定程度、分析することが可能だ。 実はこれは、アメリカの大学で同僚だった元CIAの情報分析官が語ったことにヒントを得ている。その同僚によると、CIAの仕事の9割は首脳の発言の分析だったという。その発言とは、傍受するなどの非公式なものではなく、誰でも確認できる公式のものだという」、「新聞、放送の記者は、公式発言をフォローするという取り組みに消極的だ。誰も知らない極秘情報の入手に努める傾向が強いということもあるが、成果主義で地味で根気のいる作業が敬遠される部分もある」、残念なことだ。
次に、12月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「貧しいニッポン」報道が、日本の貧困化を加速化させてしまう皮肉なワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/315233
・『日本の貧しさを指摘しすぎると貧困化に拍車? 昨年(2021年)の今ごろ、経済ニュースの世界では「安いニッポン」が流行していたが、これからは「貧しいニッポン」の時代がやってきそうだ。 年の瀬に、景気の悪い話をして恐縮だが、日本の貧困化に警鐘を鳴らすようなニュースが、目に見えて増えてきている。筆者が目についただけでも、ざっとこんな感じだ。 ・日本人は外国人客急増の「貧しさ」をわかってない 円安と低成長で経済力低下、安い賃金に甘んじる(東洋経済オンライン12月25日) ・iPhoneが高すぎて買えない日本、30年でなぜこれほど貧しくなったのか? (ニューズウィーク日本版12月10日) ・働いても働いても貧乏から抜け出せない…経済大国ニッポンが「一億総貧国」に転落した根本原因(プレジデントオンライン 12月8日) また、このダイヤモンド・オンラインでも現在、『貧国ニッポン 「弱い円」の呪縛』という特集をやっている。多くのメディアや専門家の間で、「貧しいニッポン」という問題がのっぴきならない状況だというのが、いよいよ共通認識になってきたということなのだろう。 筆者もこの連載内で、18年ごろから日本の低賃金と貧困化について、度々指摘させていただいてきた。そういう意味では、このテーマが多くのメディアで取り上げられるようになって、議論が活発になってきていることは、素直にうれしい。 しかし、その反面で一抹の不安がある。「貧しいニッポン」報道が注目されることはいいのだが、そのことで逆に日本の貧困化に拍車がかかってしまう恐れもあるからだ』、「多くのメディアで取り上げられるようになって、議論が活発になってきている」のが、「日本の貧困化に拍車がかかってしまう恐れもある」、とはどういうことだろう。
・『大手マスコミを信じ込みやすい日本人がパニック 実は日本では、この手の「不安」を刺激されるような報道に過剰に反応をした人が、恐怖で冷静な判断ができずパニックになって、事態を悪化させてしまうケースが多い。わかりやすいのは、「トイレットペーパーデマ」だ。 忘れてしまった人も多いだろうが、新型コロナウィルスの感染拡大当初、SNSで「トイレットペーパーが品切れになる」という情報が拡散されたことがある。ほどなくデマだとわかって、拡散した人物が所属していた団体も謝罪し、一件落着となった。 しかし、ここで思わぬ事態が起きる。ワイドショーなど大手マスコミが「SNSでトイレットペーパーが品切れになるというデマが流されました」と大騒ぎをしたことを受けて、トイレットペーパーの買い占め騒動が起きたのだ。番組を見た視聴者は頭では「デマ」だと理解しているが、「もしかしたら本当に品切れするかも」と不安になって、ドラッグストアに押し寄せたのである。 そして、それをまたワイドショーが中継をして、「ご覧ください!あんな行列ができています!」と大ハシャギで報じて、それを観た視聴者が「乗り遅れてなるものか」とさらにドラックストアへ殺到…という悪循環となったのである。 なぜこんな不可解な現象が起きたのかというと、「報道」が群集心理をあおったからだと言われている。 実は、著名人や人気芸能人の自殺報道を朝から晩まで流すと、熱心なファンではない人まで後追い自殺をするという現象が世界中で確認されている。これは「アナウンス効果」と呼ばれるもので、WHO(世界保健機構)が報道機関に自制を求めているほど「効果」がある。 もうお分かりだろう。この「アナウンス効果」と同じことが、「トイレットペーパー・パニック」で起きたのである。 「マスゴミ」などと批判されることも多いが、実はマスメディアというのは、それくらい人々の行動にダイレクトに影響を及ぼす力を持っている。 特に日本人は先進国の中でも、異常なほどテレビや新聞を信用しているという国際比較調査もある。ほとんどの国では、マスコミというのは「偏向」して当たり前なので、受け取り手側が情報の真贋を見極めなければいけないと考えている人が多いが、日本人はなんやかんや文句を言いながら、「テレビや新聞は嘘をつかない」と頑なに信じているのだ』、「日本人は先進国の中でも、異常なほどテレビや新聞を信用しているという国際比較調査もある」、なるほど。
・『「貧しいから国が養え」という民意が強まるとどうなるか さて、このように異常なまでにマスコミを過度に信じる国民のもとに、「貧しいニッポン」という報道が朝から晩まで大量におこなわれたらどんなことになるだろうか。 「そっか、日本は貧しいのか」と納得をするまではいいとして、問題はその次の行動だ。 海外であれば、政権に不満をぶつけ、クーデターや暴動が起こる。しかし、日本人は国民性からしても、「自民党政権をぶっつぶせ!」なんてクーデターにはまずならない。岸田首相をボロカスに叩いても、なんやかんや次の選挙でも、多くの人は自民党に投票をするだろう。これまでもそうだった。 となると、日本人に残された道は、「国が面倒を見ろ」と喉をからして叫ぶしかない。 要するに、減税、補助金、バラマキなど、とにかく政府が金を国民に配って、貧しくならないように保護をしろという「民意」が強くなっていくのだ。 政治家のビジネスモデルは基本的に、そのような「民意」をくみ取ったスローガンを掲げて、選挙に受かって高収入を得るというものなので、おのずと「消費税をゼロに」「積極財政」を掲げる人がポコポコと当選していく。 ただ、社会保障が破綻している今の日本の財政的に減税は難しい。ということで、選挙に通った政治家ができることは、「増税しながら金をバラまく」という不毛な政策しかない。この「3歩進んで2歩下がる」的な政治スタイルが、日本をここまで停滞させた諸悪の根源だ。 つまり、「貧しいニッポン」報道は、「バラまき政治」を加速させて、日本をさらに貧しくしていくことにしかならないのだ。 「バラまきの何が悪い!今の日本に必要なのは増税ではなく積極的な財政出動だろ」と主張する人もいらっしゃるだろうが、実は日本ではこの30年間、1000兆円以上の政府の負債を増やしてきたが、「失われた30年」から脱することができなかったのだ。 つまり、日本経済の「病巣」はそこではないのだ』、「日本人に残された道は、「国が面倒を見ろ」と喉をからして叫ぶしかない。 要するに、減税、補助金、バラマキなど、とにかく政府が金を国民に配って、貧しくならないように保護をしろという「民意」が強くなっていくのだ」、「「貧しいニッポン」報道は、「バラまき政治」を加速させて、日本をさらに貧しくしていくことにしかならないのだ」、「実は日本ではこの30年間、1000兆円以上の政府の負債を増やしてきたが、「失われた30年」から脱することができなかったのだ」、その通りだ。
・『政府が「甘やかし保護してきた中小企業」に見る問題 日本経済が成長できなかったのはこの30年間、日本人の賃金がまったく上がらなかったからだ。そして、この問題は、大企業の春闘やベアがどうしたとかいう話はほとんど関係がない。 日本人労働者の7割が働いて、全企業の99.7%を占める中小企業の賃金がこの30年間ほとんど上がっていないからだ。では、なぜ上がらないのかというと、日本政府が中小企業を「保護すべき弱者」として過剰に甘やかしてきたからだ。 厳しい言い方だが、各種優遇策や補助金やらで手厚く保護されてきたことで、まるで生活保護を受けている経済的困窮者のようになり、成長・拡大をするように追い込まれなくなってしまったのである。もちろん、中には競争力があって成長をしていく中小企業もあるが、それはほんの一部で、大多数の中小企業は「現状維持型」なので従業員の賃上げができない。 なぜこうなるかというと、株主など外部の厳しい目にさらされることがないので、オーナー社長が好き勝手に経営ができてしまうからだ。自分が乗る高級車を社用車扱いにしたり、働いていない妻や子どもに役員報酬を払ったり、やりたい放題ができてしまう。 そんな「現状維持型の低賃金企業」があふれる日本の中小企業に、大量の補助金がバラ撒かれたところで、経済が成長するわけがない。コロナ禍で飲食店にバラまかれた協力金が、経営者の懐に入って、店で働くパートやアルバイトにほとんど還元されなかった構図と同じだ。 日本ではこのような「負のスパイラル」が30年間延々と繰り返されてきた。労働者の賃金よりも経営者の身分保障を優先してきた結果、格差が広がって消費が冷え込み、それを受けて企業は賃金を低く抑える…という悪循環が続いてきた。 本来はこれを断ち切らないといけない。しかし、「貧しいニッポン」報道があふれかえるとそれも不可能になる。 「貧しい」と言われてパニックになった群衆は、「貧しくならないようにもっと金をよこせ」と減税やバラマキを掲げる政治リーダーを求めていく。金をバラまいて経済が強くなった国など世界のどこにも存在しないが、貧しくなるという恐怖に支配されて、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。 なんてことを心配したところで、おそらくこの流れは食い止められない。 80年前、当時の軍部のエリートや、政府の人間が「アメリカと戦争をしたら100%負ける」という分析をしていたにもかかわらず、日本は無謀な戦争に突入した。 この件に関して、後世の日本人は「軍部が暴走した」「政治が悪い」の一言で片付けるが、実はそれは歴史の捏造だ。誰よりも戦争を望んでいたのは、実は「国民」である。当時、「アメリカを叩きつぶせ」と大衆は熱狂していて、政治家や軍部が「日米開戦を避けよう」なんて言えば、「腰抜けが!」と怒った。熱狂で冷静な判断ができなくなっていたのだ。実際、真珠湾攻撃をした時、日本はサッカーワールドカップでスペインを撃破した時以上のお祭り騒ぎだった。 こういう歴史の教訓に学べば「貧しいニッポン」は避けられないだろう。いよいよ来年は、我々も貧しい国なりの生き方を、模索していかなければいけないかもしれない』、「「貧しい」と言われてパニックになった群衆は、「貧しくならないようにもっと金をよこせ」と減税やバラマキを掲げる政治リーダーを求めていく。金をバラまいて経済が強くなった国など世界のどこにも存在しないが、貧しくなるという恐怖に支配されて、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。 なんてことを心配したところで、おそらくこの流れは食い止められない」、同感である。
第三に、1月2日付けPRESIDENT Onlineが掲載した上智大学文学部新聞学科教授の水島 宏明氏による「なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題 「記者クラブ」に頼る取材は行き詰まっている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/64957
・『2022年12月、陸上自衛隊での性暴力を告発した五ノ井里奈さんの記者会見が外国特派員協会(FCCJ)で開かれた。上智大学の水島宏明教授は「旧統一教会元2世信者や、TBS元記者から性被害を受けた女性が会見を開いたのも同じ場所だ。背景には、記者クラブ体制の機能不全がある」という――』、「記者クラブ体制の機能不全」とはどういうことだろう。
・『記者会見は各社が全国放送で報じた 12月19日(月)、テレビ各社が元陸上自衛官で所属部隊での“性暴力”“性被害”を顔出し実名で訴えている五ノ井里奈さんの記者会見の様子を報道した。 NHKとフジテレビ、テレビ東京は全国放送で報道しなかった。一方、日本テレビ、テレビ朝日、TBSは、夕方や夜の主要ニュース番組で、五ノ井さんが会見で語った「(男性隊員たちが)私に覆いかぶさり、腰を振る動作を繰り返していた」などの赤裸々な言葉を全国放送で報道した。この夜、こうした詳細を初めて報じた局もあった。テレビだけでなく、新聞各社もこの会見での五ノ井さんの言葉を翌朝の新聞に掲載した。 この記者会見が行われた場所は「外国特派員協会」(FCCJ)である。午後2時すぎに東京・丸の内のビルの一角で記者会見が行われた。 この外国特派員協会、実は、日本の主要メディア各社が運営する記者クラブではない。主体になっているのは欧米を中心にした世界の新聞・テレビなどの特派員たちで、いわば外国メディアのための記者クラブである』、「この記者会見が行われた場所は「外国特派員協会」」、どういうことなのだろう。
・『なぜ外国報道機関向けの記者クラブだったのか 五ノ井さんのケースは、日本での出来事なのになぜ日本のメディアが中心になっている国内報道機関が運営する記者クラブではなく、外国特派員協会という外国メディア向けの記者クラブで会見が行われたのだろうか。しかも、なぜ、それが国内の報道機関でのニュースになるのだろうか。 実は同じことが「宗教2世」の問題を告発している小川さゆりさん(仮名)の記者会見でも起きている。小川さんが外国特派員協会で記者会見したことで親が宗教団体に対して多額の寄付をするために生活がままならず極貧状態にあったり、子どもたちが宗教団体の決めた「養子縁組」で幼少期から家族がバラバラになったりする実態が大きく報道されることになった。 出入国在留管理庁の出先での人権侵害について会見が行われるのも多くが外国特派員協会だ。 なぜ、日本の記者クラブではなく、外国特派員協会なのか。その記者会見がなぜ日本のニュースに貢献しているのか。この問題を考えると、実はそこには日本の記者クラブが抱える問題が見え隠れしている』、「「宗教2世」の問題を告発している小川さゆりさん(仮名)の記者会見」、「出入国在留管理庁の出先での人権侵害について会見」も「外国特派員協会」で行われた。
・『報道機関の自律は記者クラブの基本だが… 外国特派員協会は、正式名称を「日本外国特派員協会」という。英語名The Foreign Correspondents' Club of Japanで略称はFCCJ。ホームページでは「世界で最も古く、最も権威のある記者クラブのひとつ」と自己紹介している。会員の資格として「日本を拠点とし、その記事の大部分が海外へ報道される記者」を対象にする組織だ。 米国のニューヨーク・タイムズ、CNN、英国のBBCなどの欧米の主要メディアの記者たちが所属している。記者クラブの自律的な判断でゲストを呼んで記者会見や講演会などを開いている。メンバーはそれぞれの会に自由に参加することができる。 日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブも同じように「自律的な判断」に委ねられているはずだが、なぜ既存の日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブでは、自衛隊内の性暴力問題や宗教2世の問題、それに入管での人権侵害の会見などが満足に行われないのだろうか』、「日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブ」にはどういう問題があるのだろうか。
・『「縦割り」が障壁になっている 日本の個別の記者クラブは、それぞれ中央省庁や政党、大企業ごとに「縦割り」になっていることが大きな障壁になっている。官庁などと同じように「縦割り」のため、防衛省の記者クラブ、文部科学省の記者クラブ、東京の裁判所や検察庁、弁護士会などを担当する司法クラブなど細かく分別されていて、所属する記者たちはそれぞれ担当する組織の官僚らと同じような問題意識になりがちだ。 記者たちは記者室など官公庁などの建物を「間借り」している状態で、記者会見の場に当該組織の広報担当者なども聞きに来ることができるため、記者会見で話をする当人にとっては無言の圧力を受けやすい。記者の側も日頃情報提供を受けている組織に対する遠慮や忖度そんたくなどが働きやすい。 そういう意味では、役所等の中にある記者クラブが完全に「自律的に運営」されているのかどうかはかなり疑問だ。 さらに、「縦割り」の担当であるがゆえに、記者たちの視野が極端に狭くなりがちである。防衛省の記者クラブにいる記者たちは最新兵器や防衛システム、「敵基地攻撃能力」などの法概念については防衛省の幹部や自衛隊幹部と同じくらいの専門的な知識を求められるため、そうした問題に対しては関心が人一倍強い。その一方で、「女性隊員への性暴力」のような問題については門外漢で、どれほどの重要性があるニュースなのか、記者自身が判断できない場合が少なくない』、「日本の個別の記者クラブは、それぞれ中央省庁や政党、大企業ごとに「縦割り」になっていることが大きな障壁になっている」、「記者たちは記者室など官公庁などの建物を「間借り」している状態で、記者会見の場に当該組織の広報担当者なども聞きに来ることができるため、記者会見で話をする当人にとっては無言の圧力を受けやすい。記者の側も日頃情報提供を受けている組織に対する遠慮や忖度そんたくなどが働きやすい。 そういう意味では、役所等の中にある記者クラブが完全に「自律的に運営」されているのかどうかはかなり疑問だ」、かなり深刻な問題だ。
・『横断的なテーマに対応できない 五ノ井さんが受けた「性被害」「性暴力」の問題は当該官庁だけでなく、社会全体にかかわるジェンダー問題でもある。 2017年に米国ハリウッドの映画界で内部告発が相次いだ「#MeToo運動」以降も、解決すべき問題が様々な分野で根強く残っている。 メディア業界自体も強固な「男性優位」が続く社会だ。そこで働く記者たちも日頃からこうした問題について敏感とはいえない。ジェンダーがからむ「被害」については、今なお、当事者同士の問題だと考えがちで、「組織の問題」としては捉えない傾向も根強い。 五ノ井さんが性暴力被害への公正な調査を求めて、野党の議員らと防衛省で申し入れを行ったのは、8月31日(水)だった。そのときは防衛省の記者クラブが通常会見を開く記者会見室ではなく、建物の玄関先で、立ったままの「ぶらさがり」という形式で記者たちの質問に答えている。 10月17日(月)、五ノ井さんは自分に“性暴力”を行った加害者側の男性隊員4人から謝罪を受けたとして、記者会見を行って加害者側の手紙を読み上げた。このときの会見場所も、防衛省記者クラブでも官邸記者クラブでもなく、参議院または衆議院の院内会議室と思われる部屋で会見には野党の国会議員たち数人が同席していた。』、「ジェンダーがからむ「被害」については、今なお、当事者同士の問題だと考えがちで、「組織の問題」としては捉えない傾向も根強い」、「8月31日(水)だった。そのときは防衛省の記者クラブが通常会見を開く記者会見室ではなく、建物の玄関先で、立ったままの「ぶらさがり」という形式で記者たちの質問に答えている」、本来は「防衛省の記者クラブ」が場所を提供すべきだ。
・『各社の熱の入り具合が一変した この会見については五ノ井さんを熱心に取材しているAERA dot.やTBSテレビは「覆いかぶさって腰を使った」などの「性被害」の詳細を報道した。しかし他の多くのメディアは「性被害」などと抽象的に短く表現しただけで詳細を伝えなかった。 12月15日(木)に性暴力の加害者側の自衛官5人が懲戒免職になったときも「性被害」でと各社が伝え、TBSテレビの「news23」だけが「キスを強要された」「胸を触られた」などの詳細を報じた。 ところが12月19日(月)に五ノ井さんが外国特派員協会で会見したときには状況が一変する。それまであまり詳しく報じていなかった日本テレビ「news zero」が「示談交渉で“呆れた言葉”」と見出しを打ち、(1人あたり30万円の示談を申し出た隊員側が)「個人責任を問われるか疑問だが」と発言して五ノ井さんが呆れ驚いたと伝えた。 さらに「性被害」の中身も「私に覆い被さり、腰を振る動作を繰り返していた」とそれまで以上に具体的に伝えた。テレビ朝日の「報道ステーション」も隊員側からの示談申し出の際の発言に五ノ井さんが呆れたことに付け加え、「セクハラ行為がまるでコミュニケーションの一部であるかのように感覚がまひしていた」と本人の言葉を伝えていた』、「五ノ井さんが外国特派員協会で会見したときには状況が一変する。それまであまり詳しく報じていなかった日本テレビ「news zero」が「示談交渉で“呆れた言葉”」と見出しを打ち、(1人あたり30万円の示談を申し出た隊員側が)「個人責任を問われるか疑問だが」と発言して五ノ井さんが呆れ驚いたと伝えた。 さらに「性被害」の中身も「私に覆い被さり、腰を振る動作を繰り返していた」とそれまで以上に具体的に伝えた
」、具体的に報道されると現実感が増す。
・『「日本記者クラブ」は会社ありき 外国特派員協会に匹敵するような組織が国内にないわけではない。 「日本記者クラブ」は国内メディアの記者向けに国内の報道機関が運営する組織だ。国政選挙の公示直前の党首討論や国際政治や軍事情勢、経済動向など大所高所からの大きなテーマについて専門家による情勢分析を中心にゲストを招いて話を聞くことが多い。 役所の縦割り主義に応じて縦割りの記者同士の担務になっている日本の記者クラブ制度は、守備範囲を決めにくい自衛官の性暴力などのテーマはどっちつかずになって手つかずになりがちな要因になっている。 こうした、いわゆる「記者クラブ」とは異なり、「日本記者クラブ」は横断的なテーマに対応している。 ところが、ここでも問題がある。ここに所属しているのは、基本的に各新聞社やテレビ局など大手メディアの論説委員や解説委員など一定の役職以上の人間だ。つまり、貴社各々が所属している報道機関に紐付いているような形態になっているのだ。 「会社」が何かと前面に出てくる日本のメディアが加盟する日本の記者クラブと比べると、それぞれのジャーナリストである「個人」が加盟するという個人主義の意識が強いのが外国特派員協会だ。その違いは対照的だ』、「「会社」が何かと前面に出てくる日本のメディアが加盟する日本の記者クラブと比べると、それぞれのジャーナリストである「個人」が加盟するという個人主義の意識が強いのが外国特派員協会だ。その違いは対照的だ」、「日本の記者クラブ」は余りに閉鎖的だ。
・『伊藤詩織さん事件でもそうだった 今回の五ノ井里奈さんのように性暴力の問題で日本の既存メディアの記者クラブが十分に対応できなかった前例はこれまでもある。ジャーナリストの伊藤詩織さんのケースだ。 伊藤さんは2015年、当時TBSのワシントン支局長だった山口敬之氏との食事中に昏睡こんすいさせられた末に「合意ないままに性行為を強要された」として、被害の実態と警察の捜査徹底を訴える記者会見を2017年5月29日に司法記者クラブで行った。当時は名字を伏せたが、下の名前と顔を出すかたちで会見した。 ところがこの会見が新聞やテレビなど主要な既存メディアで大きく報道されることはなかった。警察の幹部による、異例ともいえる逮捕の中止命令など、安倍政権中枢に近い「政治の力」が疑われるケースだったにもかかわらずだ。本人が顔を出して訴えたにせよ、片一方の当事者がこう言っているというだけにすぎないために記事にはできないと判断した社が多かったという事情もあったかもしれない。しかし、問題を深掘りしようとする記者がいなかったことは日本のメディアが抱える課題の深刻さを映し出しているように思う。 伊藤さんはその後、自分に起きた出来事をノンフィクション『Black Box』(文藝春秋)として上梓した。同時に2017年10月24日に外国特派員協会で記者会見を開き、以降、自分の性被害やSNSでのバッシング等に関する会見は主に外国特派員協会で行っている』、「警察の幹部による、異例ともいえる逮捕の中止命令など、安倍政権中枢に近い「政治の力」が疑われるケースだったにもかかわらずだ。本人が顔を出して訴えたにせよ、片一方の当事者がこう言っているというだけにすぎないために記事にはできないと判断した社が多かったという事情もあったかもしれない」、むしろ「加害者」のTBS幹部を庇う面もあった可能性がある。
・『国内ニュースに還流される構図がある 記者クラブはメディア側の「自律」が大切だが、実際には言葉が形骸化しているケースは少なくない。 官邸クラブでの会見を見ると、官僚が記者会見を進行していて、首相や官房長官が発表したいことを一方的に話すばかりで質問時間や回数も制限している。記者側の質問もまるで事前に用意した答弁を読み上げるだけの国会答弁のようで、政権への忖度やおもねりが見てとれる。形式上は記者会見となっているものの、その様子は台本のある儀式のようだ。 外国特派員協会では、そもそも忖度する先が存在しない。毎回、記者たちがその場で考えた質問をぶつけている。そんな真剣勝負の記者会見のやりとりはYouTubeでも公開されている。 それまで同じ問題で何度か会見を開いている人物でも、外国特派員協会では質問を受けてより深みがある言葉を引き出されていることも少なくない。 五ノ井里奈さんのケースを見ても、12月19日の日本テレビやテレビ朝日の報道のように、外国特派員協会での「自分に覆いかぶさって腰をふった」というような音声を使うことで、それまで実態が見えにくくなっていた問題を伝えることができていた。日本国内のニュースなのにそれが外国特派員協会という記者クラブでの記者会見を経由して、新たな付加価値が日本のメディアに「還流」していく構図があった』、忖度なしの「会見」により、「新たな付加価値が日本のメディアに「還流」していく構図があった」、なるほど。
・『レバノン逃亡後のカルロス・ゴーン氏も… テレビも新聞も「マスゴミ」などと若者たちに批判されることがもう珍しくもない時代になった。 これほど外国特派員協会での会見ばかりがニュースで使われるようでは、日本の従来の記者クラブ体制がもはや機能不全に陥っているのではないかと疑わざるを得ない。 日本の記者クラブがやらなかった人物を外国特派員協会が会見をセットした例として、日産自動車の元会長カルロス・ゴーンのケースがある。 2018年に特別背任罪などの容疑でたびたび逮捕され、2019年に保釈中にプライベートジェットで国外逃亡した。外国特派員協会は逃亡先のレバノンとオンラインで結んでゴーンの会見を実現させたのである。日本の刑事当局からみれば「容疑者」であり、「逃亡犯」であっても、なぜ日本から逃げたのか。彼の言い分は何なのか。それを聞いてみないことにはわからない。 内戦下のシリアで武装集団に拘束され、3年ぶりに解放されたものの「自己責任」だと非難にさらされたジャーナストの安田純平氏の会見もここで行われた。 同調圧力が強く、忖度し合う日本の記者クラブでは避けてしまいがちなゲストを選んでいる』、「日本の記者クラブ」は自ら墓穴を掘っているようだ。
・『ジャーナリズムの基本精神に立ち返るべき 象徴的だったのは2019年12月19日の記者会見のゲストの選定だ。この前日、伊藤詩織さんが元TBSの山口敬之氏を相手取って損害賠償を求めた民事訴訟で、東京地裁が伊藤さんの主張を認める判決を出している。この日、外国特派員協会は“被害者”として勝訴した伊藤詩織さんだけでなく、“加害者”として敗訴した山口氏もゲストとして会見させている。 できる限り、その出来事の当事者に話を聞いて真実に接近しようとする営みがジャーナリストの活動であるのなら、外国特派員協会はその精神に忠実だといえる。 比べると、日本の記者クラブは、取材先組織ごとの縦割り体制やメディア同士の常識に縛られて、視野が狭くなってはいないか。「会社」中心の発想で深掘りする刃が鈍っていないか。「個人」として実直な疑問をぶつけるものになっているのだろうか。改めて自己点検が必要だ』、「外国特派員協会は“被害者”として勝訴した伊藤詩織さんだけでなく、“加害者”として敗訴した山口氏もゲストとして会見させている。 できる限り、その出来事の当事者に話を聞いて真実に接近しようとする営みがジャーナリストの活動であるのなら、外国特派員協会はその精神に忠実だといえる」、立派な姿勢だ。日本の記者クラブも爪の垢でも煎じて飲むべきだ。
タグ:(その35)(新聞・放送の記者は公式発言をフォローする取り組みに消極的だが…CIAの仕事の9割は首脳発言の分析、「貧しいニッポン」報道が 日本の貧困化を加速化させてしまう皮肉なワケ、なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題 「記者クラブ」に頼る取材は行き詰まっている) メディア 日刊ゲンダイ 立岩陽一郎氏による「新聞・放送の記者は公式発言をフォローする取り組みに消極的だが…CIAの仕事の9割は首脳発言の分析」 「米朝会談」が「結果的に私が言った通りになっている状況は、別にヤマをはったわけでも「逆張り」をしたわけでもない。単純に首脳の言動を追って判断しただけのことだ。トランプ氏、バイデン氏の公式な発言は確認することができる。それをフォローし、整理することで、米首脳の考えを一定程度、分析することが可能だ。 実はこれは、アメリカの大学で同僚だった元CIAの情報分析官が語ったことにヒントを得ている。その同僚によると、CIAの仕事の9割は首脳の発言の分析だったという。その発言とは、傍受するなどの非公式なものではなく、誰でも確認できる公式のものだという」、「新聞、放送の記者は、公式発言をフォローするという取り組みに消極的だ。誰も知らない極秘情報の入手に努める傾向が強いということもあるが、成果主義で地味で根気のいる作業が敬遠される部分もある」、残念なことだ。 ダイヤモンド・オンライン 窪田順生氏による「「貧しいニッポン」報道が、日本の貧困化を加速化させてしまう皮肉なワケ」 「多くのメディアで取り上げられるようになって、議論が活発になってきている」のが、「日本の貧困化に拍車がかかってしまう恐れもある」、とはどういうことだろう。 「日本人は先進国の中でも、異常なほどテレビや新聞を信用しているという国際比較調査もある」、なるほど。 「日本人に残された道は、「国が面倒を見ろ」と喉をからして叫ぶしかない。 要するに、減税、補助金、バラマキなど、とにかく政府が金を国民に配って、貧しくならないように保護をしろという「民意」が強くなっていくのだ」、「「貧しいニッポン」報道は、「バラまき政治」を加速させて、日本をさらに貧しくしていくことにしかならないのだ」、「実は日本ではこの30年間、1000兆円以上の政府の負債を増やしてきたが、「失われた30年」から脱することができなかったのだ」、その通りだ。 「「貧しい」と言われてパニックになった群衆は、「貧しくならないようにもっと金をよこせ」と減税やバラマキを掲げる政治リーダーを求めていく。金をバラまいて経済が強くなった国など世界のどこにも存在しないが、貧しくなるという恐怖に支配されて、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。 なんてことを心配したところで、おそらくこの流れは食い止められない」、同感である。 PRESIDENT ONLINE 水島 宏明氏による「なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題 「記者クラブ」に頼る取材は行き詰まっている」 「記者クラブ体制の機能不全」とはどういうことだろう。 「この記者会見が行われた場所は「外国特派員協会」」、どういうことなのだろう。 「「宗教2世」の問題を告発している小川さゆりさん(仮名)の記者会見」、「出入国在留管理庁の出先での人権侵害について会見」も「外国特派員協会」で行われた。 「日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブ」にはどういう問題があるのだろうか。 「日本の個別の記者クラブは、それぞれ中央省庁や政党、大企業ごとに「縦割り」になっていることが大きな障壁になっている」、「記者たちは記者室など官公庁などの建物を「間借り」している状態で、記者会見の場に当該組織の広報担当者なども聞きに来ることができるため、記者会見で話をする当人にとっては無言の圧力を受けやすい。記者の側も日頃情報提供を受けている組織に対する遠慮や忖度そんたくなどが働きやすい。 そういう意味では、役所等の中にある記者クラブが完全に「自律的に運営」されているのかどうかはかなり疑問だ」、かなり深刻な問題だ。 「ジェンダーがからむ「被害」については、今なお、当事者同士の問題だと考えがちで、「組織の問題」としては捉えない傾向も根強い」、「8月31日(水)だった。そのときは防衛省の記者クラブが通常会見を開く記者会見室ではなく、建物の玄関先で、立ったままの「ぶらさがり」という形式で記者たちの質問に答えている」、本来は「防衛省の記者クラブ」が場所を提供すべきだ。 「五ノ井さんが外国特派員協会で会見したときには状況が一変する。それまであまり詳しく報じていなかった日本テレビ「news zero」が「示談交渉で“呆れた言葉”」と見出しを打ち、(1人あたり30万円の示談を申し出た隊員側が)「個人責任を問われるか疑問だが」と発言して五ノ井さんが呆れ驚いたと伝えた。 さらに「性被害」の中身も「私に覆い被さり、腰を振る動作を繰り返していた」とそれまで以上に具体的に伝えた 」、具体的に報道されると現実感が増す。 「「会社」が何かと前面に出てくる日本のメディアが加盟する日本の記者クラブと比べると、それぞれのジャーナリストである「個人」が加盟するという個人主義の意識が強いのが外国特派員協会だ。その違いは対照的だ」、「日本の記者クラブ」は余りに閉鎖的だ。 「警察の幹部による、異例ともいえる逮捕の中止命令など、安倍政権中枢に近い「政治の力」が疑われるケースだったにもかかわらずだ。本人が顔を出して訴えたにせよ、片一方の当事者がこう言っているというだけにすぎないために記事にはできないと判断した社が多かったという事情もあったかもしれない」、むしろ「加害者」のTBS幹部を庇う面もあった可能性がある。 忖度なしの「会見」により、「新たな付加価値が日本のメディアに「還流」していく構図があった」、なるほど。 「日本の記者クラブ」は自ら墓穴を掘っているようだ。 「外国特派員協会は“被害者”として勝訴した伊藤詩織さんだけでなく、“加害者”として敗訴した山口氏もゲストとして会見させている。 できる限り、その出来事の当事者に話を聞いて真実に接近しようとする営みがジャーナリストの活動であるのなら、外国特派員協会はその精神に忠実だといえる」、立派な姿勢だ。日本の記者クラブも爪の垢でも煎じて飲むべきだ。
ツイッター(その1)(ツイッターを解雇された幹部4人に総額200億円以上の退職金、イーロン・マスクが打ち出した「Twitterの大量解雇」があながち暴挙でもない理由、イーロン・マスク氏の発言に 首を傾げる Twitter 広告主たち、「共和党に投票を」イーロン・マスク氏がツイート 米中間選挙迫る中 波紋広がる、「この鳥は今や自由だ」と言うイーロン・マスクの「監視評議会」に願うこと) [メディア]
今日は、ツイッター(その1)(ツイッターを解雇された幹部4人に総額200億円以上の退職金、イーロン・マスクが打ち出した「Twitterの大量解雇」があながち暴挙でもない理由、イーロン・マスク氏の発言に 首を傾げる Twitter 広告主たち、「共和党に投票を」イーロン・マスク氏がツイート 米中間選挙迫る中 波紋広がる、「この鳥は今や自由だ」と言うイーロン・マスクの「監視評議会」に願うこと)を取上げよう。
先ずは、10月31日付けForbes「ツイッターを解雇された幹部4人に総額200億円以上の退職金」を紹介しよう。
https://forbesjapan.com/articles/detail/51540
・『調査会社Equilarによると、イーロン・マスクが解雇したツイッターのCEOを含む幹部4人は、総額1億4110万ドル(約208億円)の退職金パッケージを受け取る可能性があるという。 ツイッターの前CEOのパラグ・アグラワル5740万ドル、CFOのネッド・シーガルは4450万ドル、ポリシーチーフのビジャヤ・ガッデは2000万ドル、最高顧客責任者のサラ・パーソネットは1920万ドルを受け取ると予想されるとEquilarのディレクターのAmit Batishは10月28日のフォーブス宛ての声明で述べている。 この金額には1年分の給与と医療補助が含まれており、MarketWatchによると2021年の基本給は、アグラワルが62万3000ドルで、シーガルとガッテはそれぞれ60万ドルだったという。 MarketWatchが入手したツイッターの米証券取引委員会(SEC)への提出書類によると、アグラワル、ガッテ、シーガルの3人は、退職金の一部として、合計1億1960万ドル相当の権利確定済み株式も付与されるという。 アグラワルはツイッターに11年近く勤務した後、昨年11月に同社のCEOに就任し、ガッテは11年間同社の法務主任を務め、パーソネットは5年間の在籍期間中に1年間、CCOを務めていた。また、シーガルは2017年からCFOを務めていた。 ワシントンポストは、マスクが先週、投資家らに同社の従業員の75%を削減し、7500人から約2000人にする計画だと伝えたと報じていた。しかし、マスクは26日、ツイッターの社員らに対して、75%という数字は不正確だと述べ、この報道を否定したとされている。 現時点で、マスクがツイッターをどのように変えるのかは不明だ。世界一の富豪である彼は、ツイッターのポリシーを繰り返し批判したが、その一方でこのプラットフォームが「何でも投稿できる地獄絵図にはなり得ない」と述べている。 また、マスクは、ドナルド・トランプ前大統領のアカウントの永久追放を解除することを申し出ており、先週は、カニエ・ウェストのインスタグラムのアカウントが反ユダヤ的な発言で制限された後、ツイッターに彼を歓迎するとツイートしたが、その後ツイッターは、ウェストのアカウントを凍結した』、「同社の従業員の75%を削減」はその後、「50%」に圧縮された。「マスクは、ドナルド・トランプ前大統領のアカウントの永久追放を解除することを申し出ており」、他方で、「ツイッター」は「「何でも投稿できる地獄絵図にはなり得ない」と述べている」。新政策の詳細は未定なのかも知れない。
次に、11月6日付け東洋経済オンラインが掲載した調達・購買業務コンサルタント・講演家の坂口 孝則氏による「イーロン・マスクが打ち出した「Twitterの大量解雇」があながち暴挙でもない理由」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/630935
・『Twitterを個人で440億ドル(約6兆5000億円)を投じて買収した起業家のイーロン・マスク氏が前代未聞ともいえるリストラを進めている。10月31日付でTwitterの最高経営責任者(CEO)に就任すると同時に取締役を全員解任。11月4日には全世界の従業員7500人の半分に当たる約3700人に解雇を通告したと、主要メディアが報じている。 テスラをはじめ、これまでさまざまな企業の創設にかかわってきた起業家のイーロン・マスク氏はリベラルというよりもリバタリアン=完全自由主義者である。 本稿執筆時点では、部門や正確な人数が発表されておらず、さらに非上場企業になったために情報の完全な把握は難しい。ただ報道されている人員削減数を示すように、Twitter上で解雇されたとみられる元従業員らが自身や周囲の雇用状況について積極的に“つぶやい”ている』、「個人で440億ドル・・・を投じて買収」、これは銀行団から借入金で調達。
・『Twitterのコスト体質 2021年にTwitterが発表した財務データを見てみよう。ここからの記事中の数字はいずれも概算だ。2021年12月期の連結最終損益は、2億2140万ドルの赤字だったと知られる。これは円換算で332億円ほどになる。売上高は50億ドル=7500億円ほどを得ている。 しかし、その後に差し引かれるコストとして下記がある。 売上原価:18億ドル=2700億円 研究開発費:12億ドル=1800億円 販売費:12億ドル=1800億円 一般管理費:6億ドル=900億円 上記がそれぞれかかっている。これらに訴訟関連費用を減じると営業損失が出る計算だ。 (Twitterの2021年業績はリンク先参照) (外部配信先ではTwitterの収益状況を示した図表など画像を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) Twitterの財務レポートによれば、下記の通りの説明があり、それらは人件費の塊であるとわかる。つまり収益に対して人件費の重みが最終損益を赤字にしていたのだ』、これは、フェイクニュース防止のための事実関係のチェックなどに多くのスタッフを当てていることを反映したものだ。
・『人件費がひたすら重い 売上原価:インフラ、ソフトウェア、ネットワーク機器の減価償却費を含むが、一部がオペレーションチームへの報酬 研究開発費:研究開発に関わるエンジニアの報酬が大半 販売費:セールスやマーケティングにかかわる人材への報酬が大半 一般管理費:役員、財務、法務、人事等にかかわる人材への報酬が大半 赤字にいたる費用の多くは人件費であり、さらにコストへかなりの比率を占めるとわかる。 なお公平に付け加えておけば、この純損失と実際の現金の減少はイコールではない。Twitterが経営危機に陥っているわけではない。現金及び現金同等物は22億ドル(3200億円)ほどを有している。 ただしこれも付け加えておけば、営業活動(=本業によって稼いだキャッシュ)は2019年度に13億ドル(1900億円)だったところ、2020年度は9.9億ドル(1450億円)、2021年度は6億ドル(880億円)と減少していた。これは研究開発費等の増加による。 このような試算は机上の空論だが、もし半分の従業員を解雇しても同等の収益を上げられれば当然ながら利益もキャッシュフローも劇的に改善することになる。 買収したTwitterの人員整理の対象となるのは、検閲部門などではないか」という憶測が流れていた。しかし、実際はその憶測の範囲にとどまらないようだ。日本法人の従業員も含まれ、その数も相当数に上るとみられる。 本稿執筆時点では、部門や正確な人数が発表されておらず、さらに非上場企業になったために情報の完全な把握は難しい。ただ報道されている人員削減数を示すように、Twitter上で解雇されたとみられる元従業員らが自身や周囲の雇用状況について積極的に“つぶやい”ている。 イーロン・マスク氏は、なぜここまで一気に大量解雇へと打って出たのか。アメリカならばまだしも、解雇要件の厳しい日本でいきなりこうしたリストラを進めることについての疑義は労働問題に詳しい論者が論じてくれるだろう。また法律問題を越え、プライベートカンパニーにおける労働慣行についても誰かが語ってくれるだろう。ここでは、財務面からTwitterの解雇問題を見ていきたい』、なるほど。
・『Twitterのコスト体質 2021年にTwitterが発表した財務データを見てみよう。ここからの記事中の数字はいずれも概算だ。2021年12月期の連結最終損益は、2億2140万ドルの赤字だったと知られる。これは円換算で332億円ほどになる。売上高は50億ドル=7500億円ほどを得ている。) クールに語るのであれば、次のようになるだろう。 これまでのコスト構造が続けば、人件費が大半を占めるため、このままでは黒字化もキャッシュフローの向上も難しい。そこで企業価値アップのために人件費にメスを入れるのは必然だった、と。 もしTwitterの業績が改善すれば、今回解雇した人材の再雇用も考えられる。それは、これまでTwitter社に尽力してきた従業員の努力を無視してきた言い方に聞こえるかもしれない。実際には、突如解雇されたことによって、生活が不安定になってしまう従業員の方々もたくさんいるだろう。そこは前述のように法律問題に発展するケースもあるはずだ。また退職の条件交渉なども水面下で行われているに違いない』、「人件費」が削減できても、チェック部門が機能しなくなって、「ツイッター」が荒れるようになれば、広告主が逃げてゆくから、限界がある。
・『解雇されたTwitter従業員の反応 それにしてもなんということだろうか。確かに日本企業の中にも、人件費が重荷になっている企業があるとして、その人件費を削減すれば改革できると思っている日本の経営者はたくさんいる。とはいえ、退職割増金を加算したとしてもリストラを進めるということには、さまざまな困難が伴う。倫理的にも躊躇がある。 非上場企業であれば、解雇は日常茶飯事であり、かつ訴訟があっても、ほとんどの場合に解雇は問題にならない。ただ、Twitterほどの有名な企業であれば通常は、なかなかここまで大規模で大胆な解雇に踏み切れないはずだ。 ところで、今回の解雇についてざっとSNSを見る限り、声をあげているTwitter従業員の方の中には、不当だと怒りをぶつけるものがあるいっぽうで、私の知り合いは奇妙なほどさっぱりとした明るさに満ちていた。ワインを飲みながら自身や所属するチームの激務をねぎらう投稿もあった。これはアメリカ企業で働く方々の覚悟の表れだろうか。 イーロン・マスク氏の意図はわかる。だが、これ以降の業績はどうなるか。Twitterユーザーのわれわれも気になる問題だ』、むしろ、問題は「ツイッター」が現在の品質を維持できるか否かにあると思われる。
第三に、11月7日付けDIGIDAY「イーロン・マスク氏の発言に、首を傾げる Twitter 広告主たち」を紹介しよう。
https://digiday.jp/platforms/elon-musks-appeal-to-twitter-advertisers-leaves-many-with-questions/
・『イーロン・マスク氏は自称「チーフ・ツイット(Chief Twit、Twitterのトップの意)」として、Twitterをどう変えてしまうのか。そんな広告主らの懸念を、氏は早くもツイートを介して鎮めにかかっている。 10月第4木曜の午前中、マスク氏はTwitter広告主に向けたツイートにおいて、氏が同社のコンテンツモデレーション(注)ポリシーを緩和するのでは、との懸念に言及した。 「私がTwitterを獲得した理由は、街にある公共広場のデジタル版を持つことが、未来の文明にとって極めて重要だからだ」と、マスク氏は書いた。「多種多様な信念について、健全な形で、暴力に訴えることなく、討論できる場のことだ。世界には今、ソーシャルメディアが極右と極左に分裂し、各々がエコーチェンバーとなって憎悪を増幅させ、社会を完全に分断してしまうという、大いなる危機が存在している」』、
「マスク氏」の「ソーシャルメディアが極右と極左に分裂し、各々がエコーチェンバーとなって憎悪を増幅させ、社会を完全に分断してしまうという、大いなる危機が存在している」、というのは同意できる。 (注)コンテンツモデレーション:ネット上の書き込みをモニタリングする投稿監視(インターネットモニタリング)。
・『自身の言動と矛盾する発言 かの億万長者――ちなみに、氏はこの何カ月も、Twitter買収を取り止めようとしていた――はさらに、同プラットフォームは引き続き広告を受け入れる旨の発言をしており、これを氏が同ビジネスモデルを受け入れた証だと見る向きもある(Twitterは収益の約90%を依然、広告から得ている)。とはいえ、広告に関する具体的な展開について、マスク氏は自身の見解はいまだ発信しておらず、氏が治める街の広場が、広告の有無にかかわらず、どんな様相を呈するのか、不安視する者も少なくない。 あるエージェンシー幹部によれば、Twitterの社員らは同プラットフォームの広告機能をマスク氏に説いているという。ただその一方、同じ情報筋によれば、Twitterの上級幹部らは古株社員らの退社を懸念しており、一応は残った者たちも社の将来を不安視しているという。 マスク氏のツイートに、一部のマーケターは呆れ返った。マスク氏は一体、広告主がTwitterに求めるものを本当にわかっているのだろうかと、首を傾げるマーケターもいる。クリエイティブエージェンシー、R/GAのグローバルチーフストラテジーオフィサー、トム・モートン氏いわく、ビジネスリーダーや政治家からセレブやスポーツファンに至るまで、幅広いユーザーにリーチできる、という強みを活かしたプロダクトを開発できれば、Twitterには依然、高い潜在能力があるという。 「マスク氏はTwitterをひっくり返す前に、自分の手の中にあるものの隠れた強みを自覚するべきだ」と、モートン氏は話す。「イーロン・マスク氏による広告プラットフォームの所有には、大きな矛盾がある。自身の言・行動に対するいかなるルールも縛りも認めない男が、Twitterをユーザーおよび広告主を広く受け入れる場にしたいなら、ある程度のモデレーションを受け入れねばならないからだ」』、「イーロン・マスク氏による広告プラットフォームの所有には、大きな矛盾がある。自身の言・行動に対するいかなるルールも縛りも認めない男が、Twitterをユーザーおよび広告主を広く受け入れる場にしたいなら、ある程度のモデレーションを受け入れねばならないからだ」、「マスク氏」に対する手厳しい批判だ。
・『マーケターにとって優先度の低いプラットフィーム ブランド向けNFTプラットフォーム、ミント(Mint)のチーフマーケティングオフィサー/共同創業者マット・ワースト氏によれば、リーダーシップ、プロダクト、ポリシーに関する不安という「黄色信号」が出ているかぎり、広告主がTwitterに駆け寄ることはないだろうという。ただし、安定性を維持できれば、懸念は減るだろう、とも氏は言い添える。 ワースト氏いわく、「Twitterを広く牽引するリーダーシップチームは、同社の最大の強みだ。個人的には、現在の不安定が収まり、彼らリーダーたちが残り、以前どおりのフォーカスを保ってくれることを期待している」。 Twitterへの2022年度の広告費は、11%増と予想されている――調査グループWARCによれば、これは2021年の予想値42.5%を大きく下回るものであり、2023年度の成長はわずか2.7%とされている。ちなみに、WARCによれば、その成長率を下回る米プラットフォームはFacebookだけであり、2022年度は8.2%減、2023年度は8.6%減と予想されている。 Twitterは実際、マスク氏が買収を申し出る前からすでに、マーケターのなかでの優先順位が低かったと、WARCメディア(WARC Media)のトップ、アレックス・ブラウンゼル氏は話す。氏によれば、Twitterにはブランドセーフティに関する問題があり、一部の広告主はマスク氏が新オーナーになる前から「鼻をつまんでいた」という。同プラットフォームの効率改善や広告依存の解消に繋がる新収入源の開拓に努める、という話もあるが、Twitterについてはそもそも、未解決の商談やそれに伴う訴訟のせいで、多くは不安感を抱いていると、ブラウンゼル氏は話す。 ブラウンゼル氏いわく、「Twitterはしばらく宙ぶらり状態にあり、その間に他のメディア企業勢が遂げた巨大な革新を我々は目にしてきた。たとえば、TikTokが他を一気に追い抜いたように」』、「Twitterにはブランドセーフティに関する問題があり、一部の広告主はマスク氏が新オーナーになる前から「鼻をつまんでいた」という」、なるほど。
・『プランドセーフティの懸念が新たに生じるリスク 広告プラットフォームを改善し、収益の新形態を導入できたとしても、Twitterを「何でもありの地獄のような場」にはしない、というマスク氏の宣言は、この何カ月にもわたって氏が示唆してきたことに矛盾している、と見る向きもある。ソーシャルエンゲージメントプラットフォーム、オープンウェブ(OpenWeb)のCMOティファニー・シンウー・ワン氏は、モデレーションが緩くなれば、Twitterは「最も声高な、最も耳障りな物言いが支配する、無法地帯になりかねない」と話し、「言論の自由は、リーチの自由とは違う」、だからこそ「最も有害な声を最も声高にさせてはならない」と言い添える。 「それは実際、ブランドセーフティの構築に必要な行動の対極にある」と氏は続ける。「我々はモデレーションに、より健全な会話に、ユーザー間の、そしてコミュニティ、パブリッシャー、広告主間のなおいっそうの信頼にフォーカスする必要がある」。 また、Twitterの上場企業化に伴い、いわゆる抑制と均衡がなくなることで、広告主は同プラットフォームに関する説明責任を負うという、さらなるプレッシャーに直面させられる、と見る向きもある。 左派の監視グループ、メディア・マターズ(Media Matters)の長、アンジェロ・カーソソーニ氏いわく、Twitterにおけるブランドセーフティの懸念が新たに生じれば、それが何であれ、2020年のFacebookの場合と同じく、ブランド勢はTwitterへの支出を控えるべきではないか、との疑問をユーザーに抱かせることに繋がりかねないという。しかも、Facebookは当時、中小および地方企業の広告主からなる頑強な基盤のおかげで、その痛手を緩和できたが、Twitterは前者と違い、いわゆる一流どころの広告主に依存している。 「リスナーとのやり取りを中心とするトークラジオ番組はAppleのCMを流さないし、コカ・コーラ(Coca-Cola)のCMも流さない。いずれも極めて有害だと見なされているからだ」と、カーソソーニ氏は話す』、「Twitterにおけるブランドセーフティの懸念が新たに生じれば、それが何であれ、2020年のFacebookの場合と同じく、ブランド勢はTwitterへの支出を控えるべきではないか、との疑問をユーザーに抱かせることに繋がりかねないという。しかも、Facebookは当時、中小および地方企業の広告主からなる頑強な基盤のおかげで、その痛手を緩和できたが、Twitterは前者と違い、いわゆる一流どころの広告主に依存している。」、「Twitterにおけるブランドセーフティの懸念」は深刻にならざるを得ないようだ。
第四に、11月8日付けFNNプライムオンライン「「共和党に投票を」イーロン・マスク氏がツイート 米中間選挙迫る中、波紋広がる」を紹介しよう。
https://www.fnn.jp/articles/-/441857
・『ツイッター社のイーロン・マスクCEOは、アメリカの中間選挙で、無党派層の人に向けて共和党に投票するよう呼び掛ける投稿を行い、波紋を広げています。 7日、ツイッター社のマスクCEOは中間選挙の投開票が迫る中、無党派層の有権者に向けて「権力を2つの党が共有することで、最悪の行き過ぎた事態が抑制される。大統領が民主党であることを考えると、私は共和党の議員に投票することを勧める」とツイッターに投稿しました。 マスク氏は今年4月、「ツイッターが社会の信頼に値するためには、政治的に中立でなければならない」などと表明していたため、今回の投稿には矛盾を指摘するコメントが相次ぎました。 その後、マスク氏は「はっきりさせておくが、私はこれまで無党派で、実際に投票歴は今年までは完全に民主党だった」と投稿しています』、「マスクCEOは」、「これまで無党派で、実際に投票歴は今年までは完全に民主党だった」が、「中間選挙の投開票が迫る中、無党派層の有権者に向けて「権力を2つの党が共有することで、最悪の行き過ぎた事態が抑制される。大統領が民主党であることを考えると、私は共和党の議員に投票することを勧める」とツイッターに投稿」、「大統領」と「議員」を分けるのは筋が通ている。
第五に、11月15日付けNewsweek日本版が掲載した米プリンストン大学生命倫理学教授のピーター・シンガー氏による「「この鳥は今や自由だ」と言うイーロン・マスクの「監視評議会」に願うこと」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/11/post-100108_1.php
・『<「絶対的な言論の自由」を自称するマスクは、全従業員の約半数を解雇した。掲げる目標は立派だが、このままでは「健全な」議論を促進することはできない> 8500万の国民にはツイッターの使用を禁じておきながら、自分は好き勝手にツイートして女性を侮蔑するメッセージを発信し、小説『悪魔の詩』の著者サルマン・ラシュディに対する残虐な襲撃を美化している男がいる。 公共の場で自分の美しい髪を見せたいと願う若い女性たちを平然と殺している国、イスラム共和国イランの最高指導者アリ・ハメネイだ。 許せない、こんな男はツイッターから永久追放しろ。イラン系アメリカ人の活動家マシ・アリネジャドは何年も前から、そう要求してきた。実に頼もしい女性だ。 実際、イランの最高指導者に反旗を翻すには勇気が要る。この8月にはラシュディが、ニューヨーク州で襲撃されて重傷を負った。 ラシュディは1989年に、『悪魔の詩』をイスラムの教えに対する冒瀆と認定され、ハメネイの前任者であるホメイニから死刑宣告のファトワ(宗教令)を出されていた。 さて、そのツイッターをイーロン・マスクが買収した。ハメネイをツイッターから締め出したい人々は、当然のことながらマスクの出方を注視している。 マスクはツイッターの広告主に宛てた公開書簡に、自分がツイッターを買収したのは「文明社会の未来にとって、多様な信念を健全な態度で、暴力に頼らず議論できる共通のデジタル広場の存在は重要」と思うからだと書いた。 それを守れなければソーシャルメディア上の対話は「極右と極左の意見に分かれ、それぞれが増幅されて憎悪を生み出し、社会を分裂させる」ことになると警告してもいる。 そういう懸念は理解できる。自分の気に入らない主張を掲げる人を片っ端から攻撃するような議論は好ましくない。必要なのは見解の相違を超えた真の対話だ。 しかし問題は、それをどうやって実現するか。 ツイッターには毎秒6000件の投稿がアップされている。そんなに膨大な数の投稿をチェックするには、いくら人手があっても足りないだろう(それでもマスクは全従業員の約半数の解雇に踏み切った)。 人工知能(AI)で補えればいいが、あいにく今のAIでは「議論に有意な貢献をするツイート」と「憎悪や分断を促すだけのツイート」を的確に判別できない』、「必要なのは見解の相違を超えた真の対話だ。 しかし問題は、それをどうやって実現するか。 ツイッターには毎秒6000件の投稿がアップされている。そんなに膨大な数の投稿をチェックするには、いくら人手があっても足りないだろう(それでもマスクは全従業員の約半数の解雇に踏み切った)。 人工知能(AI)で補えればいいが、あいにく今のAIでは「議論に有意な貢献をするツイート」と「憎悪や分断を促すだけのツイート」を的確に判別できない」、やはり人手でやる他ないようだが、従業員を半減させては無理だろう。
・『「絶対的な言論の自由」を掲げるマスクは、ツイッターの買収後、同社の青い鳥のロゴにちなんで、「この鳥は今や自由だ」とツイートした。 だが投稿内容についての規制を全て廃止することは、大きく異なる信念を持つ人々の間での「健全な」議論を促進する方法にはならない。マスクのツイッター買収完了後に人種差別的なツイートが急増したことからも、それは明らかだ。 マスクの掲げる目標は立派だ。しかしそれを実現するためには、論拠と証拠に基づき人々の共感や理解を求める言説と、他人を非難して憎悪をあおろうとする言説を区別する必要がある。 おそらくマスクも、このことに気付いているのだろう。ツイッター買収後、彼は幅広い視点を持つ人々で構成する「コンテンツ監視評議会」を立ち上げるとツイートした。 女性の社会的地位をおとしめ、自分の信ずる宗教に対する冒瀆と見なされた文芸作品の著者に対する死刑宣告を擁護するような男にもツイッターの使用を認めるべきかどうか。この点こそ、新設される評議会には真っ先に検討してほしい。 ツイッターのようなプラットフォームを支配する人間は、極めて大きな権力と、それに伴う責任を手にすることになる。 マスク(と、彼の指名するコンテンツ監視評議会のメンバー)は、果たしてその重い責任を果たせるだろうか』、「ツイッターのようなプラットフォームを支配する人間は、極めて大きな権力と、それに伴う責任を手にすることになる。 マスク(と、彼の指名するコンテンツ監視評議会のメンバー)は、果たしてその重い責任を果たせるだろうか」、大いに注目したい。
明日は、イーロン・マスク氏を取上げる予定である。
先ずは、10月31日付けForbes「ツイッターを解雇された幹部4人に総額200億円以上の退職金」を紹介しよう。
https://forbesjapan.com/articles/detail/51540
・『調査会社Equilarによると、イーロン・マスクが解雇したツイッターのCEOを含む幹部4人は、総額1億4110万ドル(約208億円)の退職金パッケージを受け取る可能性があるという。 ツイッターの前CEOのパラグ・アグラワル5740万ドル、CFOのネッド・シーガルは4450万ドル、ポリシーチーフのビジャヤ・ガッデは2000万ドル、最高顧客責任者のサラ・パーソネットは1920万ドルを受け取ると予想されるとEquilarのディレクターのAmit Batishは10月28日のフォーブス宛ての声明で述べている。 この金額には1年分の給与と医療補助が含まれており、MarketWatchによると2021年の基本給は、アグラワルが62万3000ドルで、シーガルとガッテはそれぞれ60万ドルだったという。 MarketWatchが入手したツイッターの米証券取引委員会(SEC)への提出書類によると、アグラワル、ガッテ、シーガルの3人は、退職金の一部として、合計1億1960万ドル相当の権利確定済み株式も付与されるという。 アグラワルはツイッターに11年近く勤務した後、昨年11月に同社のCEOに就任し、ガッテは11年間同社の法務主任を務め、パーソネットは5年間の在籍期間中に1年間、CCOを務めていた。また、シーガルは2017年からCFOを務めていた。 ワシントンポストは、マスクが先週、投資家らに同社の従業員の75%を削減し、7500人から約2000人にする計画だと伝えたと報じていた。しかし、マスクは26日、ツイッターの社員らに対して、75%という数字は不正確だと述べ、この報道を否定したとされている。 現時点で、マスクがツイッターをどのように変えるのかは不明だ。世界一の富豪である彼は、ツイッターのポリシーを繰り返し批判したが、その一方でこのプラットフォームが「何でも投稿できる地獄絵図にはなり得ない」と述べている。 また、マスクは、ドナルド・トランプ前大統領のアカウントの永久追放を解除することを申し出ており、先週は、カニエ・ウェストのインスタグラムのアカウントが反ユダヤ的な発言で制限された後、ツイッターに彼を歓迎するとツイートしたが、その後ツイッターは、ウェストのアカウントを凍結した』、「同社の従業員の75%を削減」はその後、「50%」に圧縮された。「マスクは、ドナルド・トランプ前大統領のアカウントの永久追放を解除することを申し出ており」、他方で、「ツイッター」は「「何でも投稿できる地獄絵図にはなり得ない」と述べている」。新政策の詳細は未定なのかも知れない。
次に、11月6日付け東洋経済オンラインが掲載した調達・購買業務コンサルタント・講演家の坂口 孝則氏による「イーロン・マスクが打ち出した「Twitterの大量解雇」があながち暴挙でもない理由」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/630935
・『Twitterを個人で440億ドル(約6兆5000億円)を投じて買収した起業家のイーロン・マスク氏が前代未聞ともいえるリストラを進めている。10月31日付でTwitterの最高経営責任者(CEO)に就任すると同時に取締役を全員解任。11月4日には全世界の従業員7500人の半分に当たる約3700人に解雇を通告したと、主要メディアが報じている。 テスラをはじめ、これまでさまざまな企業の創設にかかわってきた起業家のイーロン・マスク氏はリベラルというよりもリバタリアン=完全自由主義者である。 本稿執筆時点では、部門や正確な人数が発表されておらず、さらに非上場企業になったために情報の完全な把握は難しい。ただ報道されている人員削減数を示すように、Twitter上で解雇されたとみられる元従業員らが自身や周囲の雇用状況について積極的に“つぶやい”ている』、「個人で440億ドル・・・を投じて買収」、これは銀行団から借入金で調達。
・『Twitterのコスト体質 2021年にTwitterが発表した財務データを見てみよう。ここからの記事中の数字はいずれも概算だ。2021年12月期の連結最終損益は、2億2140万ドルの赤字だったと知られる。これは円換算で332億円ほどになる。売上高は50億ドル=7500億円ほどを得ている。 しかし、その後に差し引かれるコストとして下記がある。 売上原価:18億ドル=2700億円 研究開発費:12億ドル=1800億円 販売費:12億ドル=1800億円 一般管理費:6億ドル=900億円 上記がそれぞれかかっている。これらに訴訟関連費用を減じると営業損失が出る計算だ。 (Twitterの2021年業績はリンク先参照) (外部配信先ではTwitterの収益状況を示した図表など画像を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) Twitterの財務レポートによれば、下記の通りの説明があり、それらは人件費の塊であるとわかる。つまり収益に対して人件費の重みが最終損益を赤字にしていたのだ』、これは、フェイクニュース防止のための事実関係のチェックなどに多くのスタッフを当てていることを反映したものだ。
・『人件費がひたすら重い 売上原価:インフラ、ソフトウェア、ネットワーク機器の減価償却費を含むが、一部がオペレーションチームへの報酬 研究開発費:研究開発に関わるエンジニアの報酬が大半 販売費:セールスやマーケティングにかかわる人材への報酬が大半 一般管理費:役員、財務、法務、人事等にかかわる人材への報酬が大半 赤字にいたる費用の多くは人件費であり、さらにコストへかなりの比率を占めるとわかる。 なお公平に付け加えておけば、この純損失と実際の現金の減少はイコールではない。Twitterが経営危機に陥っているわけではない。現金及び現金同等物は22億ドル(3200億円)ほどを有している。 ただしこれも付け加えておけば、営業活動(=本業によって稼いだキャッシュ)は2019年度に13億ドル(1900億円)だったところ、2020年度は9.9億ドル(1450億円)、2021年度は6億ドル(880億円)と減少していた。これは研究開発費等の増加による。 このような試算は机上の空論だが、もし半分の従業員を解雇しても同等の収益を上げられれば当然ながら利益もキャッシュフローも劇的に改善することになる。 買収したTwitterの人員整理の対象となるのは、検閲部門などではないか」という憶測が流れていた。しかし、実際はその憶測の範囲にとどまらないようだ。日本法人の従業員も含まれ、その数も相当数に上るとみられる。 本稿執筆時点では、部門や正確な人数が発表されておらず、さらに非上場企業になったために情報の完全な把握は難しい。ただ報道されている人員削減数を示すように、Twitter上で解雇されたとみられる元従業員らが自身や周囲の雇用状況について積極的に“つぶやい”ている。 イーロン・マスク氏は、なぜここまで一気に大量解雇へと打って出たのか。アメリカならばまだしも、解雇要件の厳しい日本でいきなりこうしたリストラを進めることについての疑義は労働問題に詳しい論者が論じてくれるだろう。また法律問題を越え、プライベートカンパニーにおける労働慣行についても誰かが語ってくれるだろう。ここでは、財務面からTwitterの解雇問題を見ていきたい』、なるほど。
・『Twitterのコスト体質 2021年にTwitterが発表した財務データを見てみよう。ここからの記事中の数字はいずれも概算だ。2021年12月期の連結最終損益は、2億2140万ドルの赤字だったと知られる。これは円換算で332億円ほどになる。売上高は50億ドル=7500億円ほどを得ている。) クールに語るのであれば、次のようになるだろう。 これまでのコスト構造が続けば、人件費が大半を占めるため、このままでは黒字化もキャッシュフローの向上も難しい。そこで企業価値アップのために人件費にメスを入れるのは必然だった、と。 もしTwitterの業績が改善すれば、今回解雇した人材の再雇用も考えられる。それは、これまでTwitter社に尽力してきた従業員の努力を無視してきた言い方に聞こえるかもしれない。実際には、突如解雇されたことによって、生活が不安定になってしまう従業員の方々もたくさんいるだろう。そこは前述のように法律問題に発展するケースもあるはずだ。また退職の条件交渉なども水面下で行われているに違いない』、「人件費」が削減できても、チェック部門が機能しなくなって、「ツイッター」が荒れるようになれば、広告主が逃げてゆくから、限界がある。
・『解雇されたTwitter従業員の反応 それにしてもなんということだろうか。確かに日本企業の中にも、人件費が重荷になっている企業があるとして、その人件費を削減すれば改革できると思っている日本の経営者はたくさんいる。とはいえ、退職割増金を加算したとしてもリストラを進めるということには、さまざまな困難が伴う。倫理的にも躊躇がある。 非上場企業であれば、解雇は日常茶飯事であり、かつ訴訟があっても、ほとんどの場合に解雇は問題にならない。ただ、Twitterほどの有名な企業であれば通常は、なかなかここまで大規模で大胆な解雇に踏み切れないはずだ。 ところで、今回の解雇についてざっとSNSを見る限り、声をあげているTwitter従業員の方の中には、不当だと怒りをぶつけるものがあるいっぽうで、私の知り合いは奇妙なほどさっぱりとした明るさに満ちていた。ワインを飲みながら自身や所属するチームの激務をねぎらう投稿もあった。これはアメリカ企業で働く方々の覚悟の表れだろうか。 イーロン・マスク氏の意図はわかる。だが、これ以降の業績はどうなるか。Twitterユーザーのわれわれも気になる問題だ』、むしろ、問題は「ツイッター」が現在の品質を維持できるか否かにあると思われる。
第三に、11月7日付けDIGIDAY「イーロン・マスク氏の発言に、首を傾げる Twitter 広告主たち」を紹介しよう。
https://digiday.jp/platforms/elon-musks-appeal-to-twitter-advertisers-leaves-many-with-questions/
・『イーロン・マスク氏は自称「チーフ・ツイット(Chief Twit、Twitterのトップの意)」として、Twitterをどう変えてしまうのか。そんな広告主らの懸念を、氏は早くもツイートを介して鎮めにかかっている。 10月第4木曜の午前中、マスク氏はTwitter広告主に向けたツイートにおいて、氏が同社のコンテンツモデレーション(注)ポリシーを緩和するのでは、との懸念に言及した。 「私がTwitterを獲得した理由は、街にある公共広場のデジタル版を持つことが、未来の文明にとって極めて重要だからだ」と、マスク氏は書いた。「多種多様な信念について、健全な形で、暴力に訴えることなく、討論できる場のことだ。世界には今、ソーシャルメディアが極右と極左に分裂し、各々がエコーチェンバーとなって憎悪を増幅させ、社会を完全に分断してしまうという、大いなる危機が存在している」』、
「マスク氏」の「ソーシャルメディアが極右と極左に分裂し、各々がエコーチェンバーとなって憎悪を増幅させ、社会を完全に分断してしまうという、大いなる危機が存在している」、というのは同意できる。 (注)コンテンツモデレーション:ネット上の書き込みをモニタリングする投稿監視(インターネットモニタリング)。
・『自身の言動と矛盾する発言 かの億万長者――ちなみに、氏はこの何カ月も、Twitter買収を取り止めようとしていた――はさらに、同プラットフォームは引き続き広告を受け入れる旨の発言をしており、これを氏が同ビジネスモデルを受け入れた証だと見る向きもある(Twitterは収益の約90%を依然、広告から得ている)。とはいえ、広告に関する具体的な展開について、マスク氏は自身の見解はいまだ発信しておらず、氏が治める街の広場が、広告の有無にかかわらず、どんな様相を呈するのか、不安視する者も少なくない。 あるエージェンシー幹部によれば、Twitterの社員らは同プラットフォームの広告機能をマスク氏に説いているという。ただその一方、同じ情報筋によれば、Twitterの上級幹部らは古株社員らの退社を懸念しており、一応は残った者たちも社の将来を不安視しているという。 マスク氏のツイートに、一部のマーケターは呆れ返った。マスク氏は一体、広告主がTwitterに求めるものを本当にわかっているのだろうかと、首を傾げるマーケターもいる。クリエイティブエージェンシー、R/GAのグローバルチーフストラテジーオフィサー、トム・モートン氏いわく、ビジネスリーダーや政治家からセレブやスポーツファンに至るまで、幅広いユーザーにリーチできる、という強みを活かしたプロダクトを開発できれば、Twitterには依然、高い潜在能力があるという。 「マスク氏はTwitterをひっくり返す前に、自分の手の中にあるものの隠れた強みを自覚するべきだ」と、モートン氏は話す。「イーロン・マスク氏による広告プラットフォームの所有には、大きな矛盾がある。自身の言・行動に対するいかなるルールも縛りも認めない男が、Twitterをユーザーおよび広告主を広く受け入れる場にしたいなら、ある程度のモデレーションを受け入れねばならないからだ」』、「イーロン・マスク氏による広告プラットフォームの所有には、大きな矛盾がある。自身の言・行動に対するいかなるルールも縛りも認めない男が、Twitterをユーザーおよび広告主を広く受け入れる場にしたいなら、ある程度のモデレーションを受け入れねばならないからだ」、「マスク氏」に対する手厳しい批判だ。
・『マーケターにとって優先度の低いプラットフィーム ブランド向けNFTプラットフォーム、ミント(Mint)のチーフマーケティングオフィサー/共同創業者マット・ワースト氏によれば、リーダーシップ、プロダクト、ポリシーに関する不安という「黄色信号」が出ているかぎり、広告主がTwitterに駆け寄ることはないだろうという。ただし、安定性を維持できれば、懸念は減るだろう、とも氏は言い添える。 ワースト氏いわく、「Twitterを広く牽引するリーダーシップチームは、同社の最大の強みだ。個人的には、現在の不安定が収まり、彼らリーダーたちが残り、以前どおりのフォーカスを保ってくれることを期待している」。 Twitterへの2022年度の広告費は、11%増と予想されている――調査グループWARCによれば、これは2021年の予想値42.5%を大きく下回るものであり、2023年度の成長はわずか2.7%とされている。ちなみに、WARCによれば、その成長率を下回る米プラットフォームはFacebookだけであり、2022年度は8.2%減、2023年度は8.6%減と予想されている。 Twitterは実際、マスク氏が買収を申し出る前からすでに、マーケターのなかでの優先順位が低かったと、WARCメディア(WARC Media)のトップ、アレックス・ブラウンゼル氏は話す。氏によれば、Twitterにはブランドセーフティに関する問題があり、一部の広告主はマスク氏が新オーナーになる前から「鼻をつまんでいた」という。同プラットフォームの効率改善や広告依存の解消に繋がる新収入源の開拓に努める、という話もあるが、Twitterについてはそもそも、未解決の商談やそれに伴う訴訟のせいで、多くは不安感を抱いていると、ブラウンゼル氏は話す。 ブラウンゼル氏いわく、「Twitterはしばらく宙ぶらり状態にあり、その間に他のメディア企業勢が遂げた巨大な革新を我々は目にしてきた。たとえば、TikTokが他を一気に追い抜いたように」』、「Twitterにはブランドセーフティに関する問題があり、一部の広告主はマスク氏が新オーナーになる前から「鼻をつまんでいた」という」、なるほど。
・『プランドセーフティの懸念が新たに生じるリスク 広告プラットフォームを改善し、収益の新形態を導入できたとしても、Twitterを「何でもありの地獄のような場」にはしない、というマスク氏の宣言は、この何カ月にもわたって氏が示唆してきたことに矛盾している、と見る向きもある。ソーシャルエンゲージメントプラットフォーム、オープンウェブ(OpenWeb)のCMOティファニー・シンウー・ワン氏は、モデレーションが緩くなれば、Twitterは「最も声高な、最も耳障りな物言いが支配する、無法地帯になりかねない」と話し、「言論の自由は、リーチの自由とは違う」、だからこそ「最も有害な声を最も声高にさせてはならない」と言い添える。 「それは実際、ブランドセーフティの構築に必要な行動の対極にある」と氏は続ける。「我々はモデレーションに、より健全な会話に、ユーザー間の、そしてコミュニティ、パブリッシャー、広告主間のなおいっそうの信頼にフォーカスする必要がある」。 また、Twitterの上場企業化に伴い、いわゆる抑制と均衡がなくなることで、広告主は同プラットフォームに関する説明責任を負うという、さらなるプレッシャーに直面させられる、と見る向きもある。 左派の監視グループ、メディア・マターズ(Media Matters)の長、アンジェロ・カーソソーニ氏いわく、Twitterにおけるブランドセーフティの懸念が新たに生じれば、それが何であれ、2020年のFacebookの場合と同じく、ブランド勢はTwitterへの支出を控えるべきではないか、との疑問をユーザーに抱かせることに繋がりかねないという。しかも、Facebookは当時、中小および地方企業の広告主からなる頑強な基盤のおかげで、その痛手を緩和できたが、Twitterは前者と違い、いわゆる一流どころの広告主に依存している。 「リスナーとのやり取りを中心とするトークラジオ番組はAppleのCMを流さないし、コカ・コーラ(Coca-Cola)のCMも流さない。いずれも極めて有害だと見なされているからだ」と、カーソソーニ氏は話す』、「Twitterにおけるブランドセーフティの懸念が新たに生じれば、それが何であれ、2020年のFacebookの場合と同じく、ブランド勢はTwitterへの支出を控えるべきではないか、との疑問をユーザーに抱かせることに繋がりかねないという。しかも、Facebookは当時、中小および地方企業の広告主からなる頑強な基盤のおかげで、その痛手を緩和できたが、Twitterは前者と違い、いわゆる一流どころの広告主に依存している。」、「Twitterにおけるブランドセーフティの懸念」は深刻にならざるを得ないようだ。
第四に、11月8日付けFNNプライムオンライン「「共和党に投票を」イーロン・マスク氏がツイート 米中間選挙迫る中、波紋広がる」を紹介しよう。
https://www.fnn.jp/articles/-/441857
・『ツイッター社のイーロン・マスクCEOは、アメリカの中間選挙で、無党派層の人に向けて共和党に投票するよう呼び掛ける投稿を行い、波紋を広げています。 7日、ツイッター社のマスクCEOは中間選挙の投開票が迫る中、無党派層の有権者に向けて「権力を2つの党が共有することで、最悪の行き過ぎた事態が抑制される。大統領が民主党であることを考えると、私は共和党の議員に投票することを勧める」とツイッターに投稿しました。 マスク氏は今年4月、「ツイッターが社会の信頼に値するためには、政治的に中立でなければならない」などと表明していたため、今回の投稿には矛盾を指摘するコメントが相次ぎました。 その後、マスク氏は「はっきりさせておくが、私はこれまで無党派で、実際に投票歴は今年までは完全に民主党だった」と投稿しています』、「マスクCEOは」、「これまで無党派で、実際に投票歴は今年までは完全に民主党だった」が、「中間選挙の投開票が迫る中、無党派層の有権者に向けて「権力を2つの党が共有することで、最悪の行き過ぎた事態が抑制される。大統領が民主党であることを考えると、私は共和党の議員に投票することを勧める」とツイッターに投稿」、「大統領」と「議員」を分けるのは筋が通ている。
第五に、11月15日付けNewsweek日本版が掲載した米プリンストン大学生命倫理学教授のピーター・シンガー氏による「「この鳥は今や自由だ」と言うイーロン・マスクの「監視評議会」に願うこと」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/11/post-100108_1.php
・『<「絶対的な言論の自由」を自称するマスクは、全従業員の約半数を解雇した。掲げる目標は立派だが、このままでは「健全な」議論を促進することはできない> 8500万の国民にはツイッターの使用を禁じておきながら、自分は好き勝手にツイートして女性を侮蔑するメッセージを発信し、小説『悪魔の詩』の著者サルマン・ラシュディに対する残虐な襲撃を美化している男がいる。 公共の場で自分の美しい髪を見せたいと願う若い女性たちを平然と殺している国、イスラム共和国イランの最高指導者アリ・ハメネイだ。 許せない、こんな男はツイッターから永久追放しろ。イラン系アメリカ人の活動家マシ・アリネジャドは何年も前から、そう要求してきた。実に頼もしい女性だ。 実際、イランの最高指導者に反旗を翻すには勇気が要る。この8月にはラシュディが、ニューヨーク州で襲撃されて重傷を負った。 ラシュディは1989年に、『悪魔の詩』をイスラムの教えに対する冒瀆と認定され、ハメネイの前任者であるホメイニから死刑宣告のファトワ(宗教令)を出されていた。 さて、そのツイッターをイーロン・マスクが買収した。ハメネイをツイッターから締め出したい人々は、当然のことながらマスクの出方を注視している。 マスクはツイッターの広告主に宛てた公開書簡に、自分がツイッターを買収したのは「文明社会の未来にとって、多様な信念を健全な態度で、暴力に頼らず議論できる共通のデジタル広場の存在は重要」と思うからだと書いた。 それを守れなければソーシャルメディア上の対話は「極右と極左の意見に分かれ、それぞれが増幅されて憎悪を生み出し、社会を分裂させる」ことになると警告してもいる。 そういう懸念は理解できる。自分の気に入らない主張を掲げる人を片っ端から攻撃するような議論は好ましくない。必要なのは見解の相違を超えた真の対話だ。 しかし問題は、それをどうやって実現するか。 ツイッターには毎秒6000件の投稿がアップされている。そんなに膨大な数の投稿をチェックするには、いくら人手があっても足りないだろう(それでもマスクは全従業員の約半数の解雇に踏み切った)。 人工知能(AI)で補えればいいが、あいにく今のAIでは「議論に有意な貢献をするツイート」と「憎悪や分断を促すだけのツイート」を的確に判別できない』、「必要なのは見解の相違を超えた真の対話だ。 しかし問題は、それをどうやって実現するか。 ツイッターには毎秒6000件の投稿がアップされている。そんなに膨大な数の投稿をチェックするには、いくら人手があっても足りないだろう(それでもマスクは全従業員の約半数の解雇に踏み切った)。 人工知能(AI)で補えればいいが、あいにく今のAIでは「議論に有意な貢献をするツイート」と「憎悪や分断を促すだけのツイート」を的確に判別できない」、やはり人手でやる他ないようだが、従業員を半減させては無理だろう。
・『「絶対的な言論の自由」を掲げるマスクは、ツイッターの買収後、同社の青い鳥のロゴにちなんで、「この鳥は今や自由だ」とツイートした。 だが投稿内容についての規制を全て廃止することは、大きく異なる信念を持つ人々の間での「健全な」議論を促進する方法にはならない。マスクのツイッター買収完了後に人種差別的なツイートが急増したことからも、それは明らかだ。 マスクの掲げる目標は立派だ。しかしそれを実現するためには、論拠と証拠に基づき人々の共感や理解を求める言説と、他人を非難して憎悪をあおろうとする言説を区別する必要がある。 おそらくマスクも、このことに気付いているのだろう。ツイッター買収後、彼は幅広い視点を持つ人々で構成する「コンテンツ監視評議会」を立ち上げるとツイートした。 女性の社会的地位をおとしめ、自分の信ずる宗教に対する冒瀆と見なされた文芸作品の著者に対する死刑宣告を擁護するような男にもツイッターの使用を認めるべきかどうか。この点こそ、新設される評議会には真っ先に検討してほしい。 ツイッターのようなプラットフォームを支配する人間は、極めて大きな権力と、それに伴う責任を手にすることになる。 マスク(と、彼の指名するコンテンツ監視評議会のメンバー)は、果たしてその重い責任を果たせるだろうか』、「ツイッターのようなプラットフォームを支配する人間は、極めて大きな権力と、それに伴う責任を手にすることになる。 マスク(と、彼の指名するコンテンツ監視評議会のメンバー)は、果たしてその重い責任を果たせるだろうか」、大いに注目したい。
明日は、イーロン・マスク氏を取上げる予定である。
タグ:むしろ、問題は「ツイッター」が現在の品質を維持できるか否かにあると思われる。 「人件費」が削減できても、チェック部門が機能しなくなって、「ツイッター」が荒れるようになれば、広告主が逃げてゆくから、限界がある。 これは、フェイクニュース防止のための事実関係のチェックなどに多くのスタッフを当てていることを反映したものだ。 「個人で440億ドル・・・を投じて買収」、これは銀行団から借入金で調達。 坂口 孝則氏による「イーロン・マスクが打ち出した「Twitterの大量解雇」があながち暴挙でもない理由」 東洋経済オンライン 「同社の従業員の75%を削減」はその後、「50%」に圧縮された。「マスクは、ドナルド・トランプ前大統領のアカウントの永久追放を解除することを申し出ており」、他方で、「ツイッター」は「「何でも投稿できる地獄絵図にはなり得ない」と述べている」。新政策の詳細は未定なのかも知れない。 Forbes「ツイッターを解雇された幹部4人に総額200億円以上の退職金」 (その1)(ツイッターを解雇された幹部4人に総額200億円以上の退職金、イーロン・マスクが打ち出した「Twitterの大量解雇」があながち暴挙でもない理由、イーロン・マスク氏の発言に 首を傾げる Twitter 広告主たち、「共和党に投票を」イーロン・マスク氏がツイート 米中間選挙迫る中 波紋広がる、「この鳥は今や自由だ」と言うイーロン・マスクの「監視評議会」に願うこと) ツイッター DIGIDAY「イーロン・マスク氏の発言に、首を傾げる Twitter 広告主たち」 「マスク氏」の「ソーシャルメディアが極右と極左に分裂し、各々がエコーチェンバーとなって憎悪を増幅させ、社会を完全に分断してしまうという、大いなる危機が存在している」、というのは同意できる。 (注)コンテンツモデレーション:ネット上の書き込みをモニタリングする投稿監視(インターネットモニタリング)。 「イーロン・マスク氏による広告プラットフォームの所有には、大きな矛盾がある。自身の言・行動に対するいかなるルールも縛りも認めない男が、Twitterをユーザーおよび広告主を広く受け入れる場にしたいなら、ある程度のモデレーションを受け入れねばならないからだ」、「マスク氏」に対する手厳しい批判だ。 「Twitterにはブランドセーフティに関する問題があり、一部の広告主はマスク氏が新オーナーになる前から「鼻をつまんでいた」という」、なるほど。 「Twitterにおけるブランドセーフティの懸念が新たに生じれば、それが何であれ、2020年のFacebookの場合と同じく、ブランド勢はTwitterへの支出を控えるべきではないか、との疑問をユーザーに抱かせることに繋がりかねないという。しかも、Facebookは当時、中小および地方企業の広告主からなる頑強な基盤のおかげで、その痛手を緩和できたが、Twitterは前者と違い、いわゆる一流どころの広告主に依存している。」、「Twitterにおけるブランドセーフティの懸念」は深刻にならざるを得ないようだ。 FNNプライムオンライン「「共和党に投票を」イーロン・マスク氏がツイート 米中間選挙迫る中、波紋広がる」 「マスクCEOは」、「これまで無党派で、実際に投票歴は今年までは完全に民主党だった」が、「中間選挙の投開票が迫る中、無党派層の有権者に向けて「権力を2つの党が共有することで、最悪の行き過ぎた事態が抑制される。大統領が民主党であることを考えると、私は共和党の議員に投票することを勧める」とツイッターに投稿」、「大統領」と「議員」を分けるのは筋が通ている。 Newsweek日本版 ピーター・シンガー氏による「「この鳥は今や自由だ」と言うイーロン・マスクの「監視評議会」に願うこと」 「必要なのは見解の相違を超えた真の対話だ。 しかし問題は、それをどうやって実現するか。 ツイッターには毎秒6000件の投稿がアップされている。そんなに膨大な数の投稿をチェックするには、いくら人手があっても足りないだろう(それでもマスクは全従業員の約半数の解雇に踏み切った)。 人工知能(AI)で補えればいいが、あいにく今のAIでは「議論に有意な貢献をするツイート」と「憎悪や分断を促すだけのツイート」を的確に判別できない」、やはり人手でやる他ないようだが、従業員を半減させては無理だろう。 「ツイッターのようなプラットフォームを支配する人間は、極めて大きな権力と、それに伴う責任を手にすることになる。 マスク(と、彼の指名するコンテンツ監視評議会のメンバー)は、果たしてその重い責任を果たせるだろうか」、大いに注目したい。
SNS(ソーシャルメディア、除くツイッター)(その12)(「ネトウヨかパヨクか」二元論の危うさ 安倍元首相の銃撃事件でSNSは混乱、大阪王将 舞妓…「SNSスクープ告発」後追い時代が来たマスコミの深刻、「浅草の人力車」の意外な救世主 「映えたい」女性たちと米Amazonが繋いだ商機) [メディア]
SNS(ソーシャルメディア、除くツイッター)につては、6月15日に取上げた。今日は、(その12)(「ネトウヨかパヨクか」二元論の危うさ 安倍元首相の銃撃事件でSNSは混乱、大阪王将 舞妓…「SNSスクープ告発」後追い時代が来たマスコミの深刻、「浅草の人力車」の意外な救世主 「映えたい」女性たちと米Amazonが繋いだ商機)である。
先ずは、7月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鎌田和歌氏による「「ネトウヨかパヨクか」二元論の危うさ、安倍元首相の銃撃事件でSNSは混乱」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/306902
・『140文字の文章の中では、どうしても分かりやすさが優先される。単純な二元論で示される分かりやすさに、私たちは長らく逃避していたのではないか』、SNSを文化論的にみるとは興味深そうだ。
・『安倍政権の時代と重なるSNS興隆期 安倍晋三元首相を狙った銃撃事件が、列島を激震させた。あってはならない最悪の暴力によって命を奪われた故人の冥福を祈るのは当然のことであるのは前提として、この原稿では、事件以降とそれ以前では変わらざるを得ないように見えるネット上の世相について言及したい。 2010年代以降の日本において、良くも悪くも圧倒的な存在感を持っていたのが安倍元首相だろう。数年ごとに首相が代わるのが当たり前だった日本において、歴代最長の在任期間だった。そして熱烈に支持される一方で、安倍元首相自身が「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と応戦したように、激しい反感を持つ人も少なくなかった。 コロナ禍でその座を退いてからも、現職の首相よりも支持されているように見えたし、同時に怒りの矛先を向けられてもいた。 安倍元首相の在任期間である2012年12月から2020年9月は、ネット上でSNSが盛り上がり、ハッシュタグ文化が生まれた時期と重なる。特にツイッターで、有名無名の個人が発信することが当たり前となった。 近年、政治的なイシューについては、右派・左派という二項対立でくくられやすくなっているが、現実はそう分かりやすくない。そのことに、今回の銃撃をきっかけに、多くの人が徐々に気づき始めているのではないか』、「政治的なイシューについては、右派・左派という二項対立でくくられやすくなっているが、現実はそう分かりやすくない」、その通りだ。
・『2010年代におけるツイッター文化の功罪 東日本大震災をきっかけに日本のツイッターユーザーは増えたといわれるが、当時はまだそれぞれが思い思いの独り言を投稿し、たまにそれに反応があるといった、文字通り「つぶやき」文化だった。 しかし、次第に同じ趣味や思考を持った人とつながるためや、フォロワー数を増やすため、あるいはビジネスにつなげるためといった「目的」を持って使い始めるユーザーが目立つようになった。そして、RT(リツイート)での「拡散」行為を狙ったツイートが目立ち始める。 ある程度ツイッターを使っていると、どんなツイートをすれば拡散されやすいかや、どのような層に響くか、反発を受けるか分かってくる。次第に自分のフォロワーにウケるようなツイートをする誘惑からは、多くの人が逃れられない。 そのためにツイートがより過激に、排他的になっていくさまが見られるようになった。 また、世代間格差、男女論、学歴、教育……といった特定のトピックは一つのエピソードに多くの人が引用RTでツッコミを入れるかたちでシェアされ、さながらオンライン上バトルの様相を呈していく。 さらに政治的なイシューについては、右派・左派という二項対立でくくられやすく、例えば「選択的夫婦別姓に賛成」とツイートした途端に「リベラル」というレッテルを貼られてしまう。 この傾向は近年、拍車がかかり続けていたと感じる。 「選択的夫婦別姓」に強く反対しているのは実際に自民党であるから、これに賛成している人にリベラルが多い傾向は実際にあるだろう。しかし、ツイッター上では「リベラル」に付随して「左翼」「パヨク」「反日」「護憲派」「増税反対」「反原発」「アベガー」「朝日新聞」などなどのレッテルが自動的に貼られてしまう傾向がある。 逆に「ネトウヨ」であれば、「嫌韓」「改憲派」「軍備拡大」「原発容認」「愛国」「朝日新聞嫌い」といった具合で、本来、党派性抜きに検討されるべき個々の課題まで一緒くたに関連づけられる状況になっている。 ひどい場合だと、例えば、入管問題に声を上げれば「日本から出ていけ」、議員の女性蔑視発言に抗議すれば「日本が嫌いな韓国人なのだろう」と言われるほどの飛躍が一部では見られる』、確かに機械的な「レッテル」貼りにはうんざりさせられる。
・『銃撃犯は「アベガー」ではなかった しかし、今回の銃撃事件をきっかけに、世の中はそれほど単純な二元論では分けられないという空気が次第に広がりつつあるように感じる。 もちろん、「そんなことは前から分かっている」という層もいるだろうが、近年のSNSでは何かにつけて対立構造が目立ち、それをあおるようなインフルエンサーもいた。 空気が変わりつつある理由は、二つある。 一つは、銃撃犯のものとされるツイッターアカウントが発見されたことだろう(現在は削除済みのそのアカウントは2019年10月に開設され、事件の9日前の投稿が最後だ)。 事件直後、犯行におよんだのは安倍元首相に批判的な人物であるとか、日本人ではないだろうといった臆測がSNSでは飛び交った。これは程なくして報道された「政治的な意味合いで狙ったのではない」という本人の供述や、元自衛隊という経歴によって否定された(自衛隊に入隊できるのは日本国籍を有する者のみ)。 しかし、それ以上のことが分からなかった中で、犯人のものとされたツイッターアカウントが発掘され、多くの人によって読み解かれた。 残されたツイートを読むと、供述通り、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)への恨みをつづった文章が多く、また韓国への嫌悪感情があることが分かる。旧統一教会が韓国で始まった宗教であり、「韓国はアダムで日本がイブ。日本は韓国に従属する国」といった教義を掲げていたことからの反発だと考えられる。 また、今年に入ってからも安倍元首相に批判的なツイートを引用して「下らないねえ」「安倍の味方する気もないが(以下略)」といった「安倍批判」に対する批判的なツイートをしている。 安倍元首相や自民党を全面的に支持しているようには見えないが、野党支持というわけでもなく、むしろ野党嫌いの「冷笑系」といった風に見える。日刊SPA!の「山上容疑者の全ツイートに衝撃。ネトウヨで“安倍シンパ”、41歳の絶望」では、タイトルにもある通り、「ネトウヨ」かのようなツイートも多いと分析されている。 ただし本人は、「ネトウヨとお前らが嘲る中にオレがいる事を後悔するといい。」(2019年12月7日)ともツイートしており、犯人自身が、ネトウヨだとみなされることもあると自覚しつつ、しかしそれほど単純な存在ではないと示したかったようにも見える。 銃撃犯のこのような自己認識は、単純二元論につかりきっていた層を混乱させるだろう。混乱のあまり、目を背けたくなる人もいるかもしれない。 これまでのネットの一部の論調では、安倍元首相を襲うほど憎む人は、「反日、野党支持、韓国には友好的」といった人物でなければならなかった』、「単純二元論」は現実の複雑性を度外視した空論に近いのだろう。
・『「日本はサタンの国」、旧統一教会と安倍氏の複雑な関係 単純な二項対立の世論から変わりつつあるもう一つの理由は、安倍元首相が旧統一教会にビデオメッセージを送るなど友好的に見える姿勢を示していたことだろう。祖父である岸信介元首相は「反共」で統一教会と思惑が一致し、近い関係にあったとも報道されている。 前述した通り、旧統一教会は韓国に始まる。その教えは、日本は「サタンの国」であり、贖罪(しょくざい)しなければならないと説く。 「ネトウヨ」の特徴の一つが「嫌韓」であることを考えると、これは彼らにとって大きな矛盾だろう。支持していた安倍元首相が、「反日」感情が強い韓国の宗教とつながっていたのだから。 ネット上でとうとうと語られてきた対立構造がいかに表面的で、実のないものだったか。その一端が、今回の事件以後に明らかになったのである』、「ネトウヨ」の論理破綻を見るのは心地よい。
・『「敵」「味方」の単純二元論に注意を 安倍元首相は、今年4月26日に第三者のツイートを引用する形で「相変わらずの朝日新聞。珊瑚は大切に。」とツイートした。 これは言うまでもなく1989年の朝日新聞サンゴ記事捏造事件を当てこすったもので、フォロワーからは絶賛を持って迎えられている。6月4日にも同じく「珊瑚を大切に」とツイートしたのは、この反応が良かったからだろう。 このように、フォロワーに対して分かりやすく「敵」を指し示す行為は、ツイッター上ではウケる。フォロワーにとっては「敵」に向かって団結することで忠誠心を示せるからだろう。 けれど本来、分かりやすく単純化して「敵」と「味方」に分けられることばかりではない。国葬に賛成か反対かにしても、賛成する人が全て「右寄り」というわけでも、反対する人が全て「左寄り」というわけでもない。 単純二元論の落とし穴にはまらずに、それぞれの個人が目の当たりにする複雑な現実をそのまま受け取り、どのように対話につなげていくか。どのように共通項を見いだせるか。これからの時代では、失われた対話を取り戻さなければならないと感じる。 ネット上では、安倍元首相と統一教会の関係を追及することに懐疑的な人に向かって「旧統一教会か」といった言葉が投げられているのも見かける。疑惑は追及されなければならないが、レッテル貼りは議論を幼稚にし、後退させることに気をつけたい』、「レッテル貼りは議論を幼稚にし、後退させることに気をつけたい」、同感である。
次に、8月5日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鎌田和歌氏による「大阪王将、舞妓…「SNSスクープ告発」後追い時代が来たマスコミの深刻」を紹介しよう。
・『自衛隊のセクハラ、京都・舞妓の未成年飲酒や性的接待、大阪王将ナメクジ騒動など、SNS上での「告発」が相次いでいる。少し前まで、一般人の告発といえば週刊誌への持ち込みがメインだったが、告発の手段が変わってきた。これから考えられる展開とは』、興味深そうだ。
・『SNSで告発、3人の共通点とは ナメクジが大量にいる――。 写真付きツイートが瞬く間に拡散されたのは、7月24日。大阪王将の仙台市内にある店舗の元従業員の男性が、勤務当時の不衛生さを訴えたのだ。ナメクジやゴキブリが大量発生していたことや、ネコを2年半にわたって飼育していた実態が明かされ、同社は7月27日にプレスリリースで謝罪した。 この元従業員男性は28日には顔出しで会見を行い、新聞社などの取材を受けている。また、7月末までに仙台保健所が、該当店舗に立ち入り検査を行ったことが報じられた。 飲食業にとって致命的とも言える衛生面についての告発とはいえ、これほどのスピードで企業側がある程度の事実を認め、対応が取られたのは驚きではないだろうか。 これがもしも内部告発であれば、根本的な対策は取られなかった可能性もある。実際、元従業員男性は、過去にあった保健所の衛生検査のあとも、環境改善には至らなかったと発言している。 告発が多くの人の目に止まり、企業が説明をしなければならない状況になったからこその対応であり、男性もそれを狙っていたはずだ。 これ以外にも、SNS発で世間を騒がす告発が相次いでいる。 元女性自衛官の五ノ井里奈さんが自衛隊在籍時代の壮絶なセクシュアルハラスメント被害を語った動画がアップされたのは6月末。この動画はツイッターなどで拡散され、五ノ井さんはその後もツイッターで自ら発信を続けている。 また、同じく6月末にツイッターで、京都・祇園で舞妓をしていた桐貴清羽さんが、宴席での未成年飲酒や「お風呂入り」と呼ばれる混浴など性的サービスが黙認されている状況があったと告発した。 五ノ井さんや桐貴さんの告発については、性的な被害が絡むためか主要紙は報道しておらず、週刊誌やウェブメディアが本人の告発を「後追い」をしている状況だ』、「五ノ井さん」の事件に関しては、9月29日に陸上自衛隊トップの陸上幕僚長が陳謝する形になった。
・『デジタルネイティブたちが選んだ告発手法 3人の「告発」には、共通点がいくつかある。 まず、3人とも20代前半と若いこと。いわゆるデジタルネイティブ世代であり、思春期の頃にはすでにSNSやウェブメディアに親しんでいたはずだ。 また、3人とも顔出しで会見や取材に臨んでおり、匿名の存在ではない。 これまでもツイッター上で告発やリークに近い投稿は見られたが、その多くは匿名であったり、あるいは拡散されるとアカウントごと消してしまうといったこともあった。 3人の場合は、最初から大きな問題に発展することを望んだ、覚悟の告発であることがうかがえる。SNSの使い方が身になじんでいるデジタルネイティブ世代が、共感も反発も受けることを覚悟した上で、なるべく大きなインパクトを与える手段を選んだように見える。 少し前まで、リークや告発、不祥事のスクープといえば週刊誌、それも週刊文春の独り勝ちという状況だった。ここへ来て、事件の当事者が自ら発信し、それをメディアが追いかける状況になりつつある。 ちなみに、世間を大きく騒がせた「センテンススプリング」騒動(人気女性タレントと人気バンドメンバーの不倫騒動)は2016年1月。すでに6年前であり、今回の告発者たち3人は10代後半だった時期である。30代〜40代以降にとっては当時のLINE漏洩はいまだに記憶に新しいが、当時10代だった若者たちの視点では、文春よりもSNSなのかもしれない』、確かにいまや「告発」の手段は「文春よりもSNSなのかもしれない」。
・『告発系インフルエンサーの「信頼感」 さらに、YouTuberら、ネット上のインフルエンサーの存在も見逃せない。 8月1日には、山口県阿武町の4630万円誤送金問題で起訴・保釈された田口翔被告の独占インタビューを人気ユーチューバーのヒカルが配信した。 田口被告は誤送金された給付金を使い込んでしまったものの、ことの経緯やその後明らかになった境遇などから同情も買い、注目度は高かった。一時はテレビ局もこぞって取り上げていた誤送金問題の被告を、「独占」でインタビューしたのがユーチューバーだったというのは、アラフォー以上の世代からすると時代の移り変わりを感じる出来事なのではないか。 あるいは、NHK党から出馬して当選し、あれよあれよという間に国会議員となったガーシーこと東谷義和氏は、自身のYouTubeで有名人の裏話を暴露し続けて大きな注目を集めた。多くは芸能人やYouTuberのうわさ話だったが、参院選前には楽天の三木谷浩史会長について連続で配信。動画が相次いで強制停止されたこともあって余計に話題となった。 このほかにも、ツイッターをメインとしてネット上では複数の告発系インフルエンサーが台頭し、それぞれのキャラクターによってファンを集めている。 特筆したいのは、彼らに対するタレ込みの多さである。 週刊誌などマスコミに情報をリーク、あるいは告発する人はこれまでもいたが、もともとマスコミにつながりがなければ心理的ハードルはやや高い。しかし毎日ネット上で個人発信を目にしているインフルエンサーならばその人柄がわかるし、ダイレクトメールですぐにコンタクトを取ることもたやすい。 インフルエンサー側でもそれがわかっているから、一見コワモテでありながら親近感を持たれやすく気さくな印象のキャラクターに見えるよう調整していくのだろう』、「ガーシーこと東谷義和氏」は、アラブ首長国(UAE)に滞在中で、国会からの帰国要請も無視して、詐欺容疑などでの逮捕を恐れて滞在を続ける意向だが、国会議員としての出席の義務を果たさない姿勢には、批判が高まっている。
・『個人、メディア、インフルエンサー…手段による長所短所 ここからは、個人によるネット上の告発、週刊誌などのメディアを通しての告発、あるいはインフルエンサーに情報をリークする形での告発、それぞれのメリットとデメリットについて考えてみたい。 個人が直接的にネット上で情報発信をし、なんらかの告発を行う場合のメリットは、まずはそのインパクトだろう。 メディアを通した場合、字数制限や媒体のフォーマットが踏まえられることから、良くも悪くも体裁が整えられ、情報が精査される半面、告発した当事者のリアルな語りがどうしても薄まりがちだ。 しかし、当事者の語りの細部に宿る生々しさを、受け手は見逃さない。本人がYouTube動画で語ったり、ツイートを投稿したり、あるいはブログに自らつづったりする行為により、それを見る人は当事者が差し出す情報をありのままに受け取る。 一方で、媒体を通さない告発は、発信者がその反応をダイレクトに受け取ってしまうデメリットもある。前述したように、それを最初から理解しての告発であればいいが、反響の大きさに恐れをなしてアカウントを消してしまうケースも過去にはあった。 また、個人での発信の場合、その責任を個人がそのまま引き受けることになる。媒体が取材をして記事にする場合、「これをそのまま書いたら名誉毀損で訴えられかねない」という箇所はあらかじめぼかしたり、その内容に触れなかったりすることがある。告発者が「それでも書いてほしい」という場合でも、媒体の都合でそれがかなわないことがある。 個人での発信の場合、責任は自分で引き受けるものの、出す情報を完全に自分でコントロールすることができる。リスクもある半面、当事者としては気持ちの折り合いがつけやすいだろう。 それではインフルエンサーによる告発やスクープの場合はどうか。インフルエンサーが当事者と受け手の間に入るクッションとなる。ファンの多いインフルエンサーが緩衝材となることで、賛否両論を受けやすい当事者のキャラクターを底上げすることができる場合がある。 「あのインフルエンサーが取り上げているのだから、ちょっと話を聞いてみよう」という気持ちになりやすく、親近感も湧きやすい。テレビで芸能人が一般人をインタビューするような企画のネットバージョンと言えるだろう』、「個人での発信の場合、責任は自分で引き受けるものの、出す情報を完全に自分でコントロールすることができる。リスクもある半面、当事者としては気持ちの折り合いがつけやすいだろう。 それではインフルエンサーによる告発やスクープの場合はどうか。インフルエンサーが当事者と受け手の間に入るクッションとなる。ファンの多いインフルエンサーが緩衝材となることで、賛否両論を受けやすい当事者のキャラクターを底上げすることができる場合がある」、その通りだ。
・『既存メディアはどう変わるべきなのか スクープはこれまで、週刊誌や新聞などメディアの専売特許だった。それが今やネット上のインフルエンサーに取って代わられつつあり、さらに当事者自らが声を上げ、それが当たり前のように受け取られるようになった。 この時代におけるメディアの役割として求められているのは、当事者が望む社会の変化をどう促していけるかだろう。これまではスクープそのものに価値が置かれていたが、スクープの担い手が大手メディアだけではなくなった今、メディアがつとめるべきは徹底した調査報道であり、ハラスメントや劣悪な労働環境をはらむ構造へのメスだ。 世論感情に訴えるすべであれば、インフルエンサーの方がたけているようにも見える。スポンサーやしがらみにとらわれた及び腰の報道姿勢では受け手に見抜かれるし、もはや告発系YouTuberに勝てない。 過去の実績にあぐらをかかず、つぶされることを恐れない報道が求められているのではないか』、「スクープの担い手が大手メディアだけではなくなった今、メディアがつとめるべきは徹底した調査報道であり、ハラスメントや劣悪な労働環境をはらむ構造へのメスだ」、「スポンサーやしがらみにとらわれた及び腰の報道姿勢では受け手に見抜かれるし、もはや告発系YouTuberに勝てない」、「過去の実績にあぐらをかかず、つぶされることを恐れない報道が求められているのではないか」、同感である。
第三に、10月20日付けダイヤモンド・オンライン「「浅草の人力車」の意外な救世主、「映えたい」女性たちと米Amazonが繋いだ商機」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/311547
・『東京・浅草といえば、浅草寺、仲見世、人力車のある風景を思い浮かべる人も多いだろう。しかし、コロナ禍で観光業界は大打撃を受け、人力車業者も窮地に追いやられた。乗せる観光客の姿が消え、辞める車夫たちも相次いだのだ。そんな浅草の街で立ち尽くす車夫たちを救ったのが、これまで人力車に乗ろうとしなかった東京近郊で暮らす人たちと若い女性たち、そしてインターネット通販最大手の米Amazon.comだった』、「車夫たちを救ったのが」「若い女性たち」はともかく、「米Amazon.com」とはどういうことなのだろう。
・『浅草に戻りつつある活気、人力車が再び走り出した 新型コロナ感染拡大で打撃を受けた東京・浅草の街に、この夏、観光客が戻ってきた。雷門前の広場では、人力車の車夫たちが通りかかる人に声をかけたり、記念撮影を手伝ったりしている。 浅草には人力車で観光案内をする事業者が20社ある。観光客が激減した浅草の街で再び人力車が走るまで、車夫たちは試行錯誤を続けてきた。 「去年、おととしはですね…本当に浅草も大変でした。われわれの業態だけじゃないですけど、いつも人が並んでいた浅草の人気飲食店でも、客が入らない。われわれもコロナ前は人力車を何十台も稼働していたのが、2台だけ稼働させる状況でした。それでも1日営業してお客は1組いるか…という状況でした」 こう語るのは、全国の観光地で200台以上の人力車を所有し観光案内などを行うえびす屋浅草の梶原浩介所長(40)。今年は浅草にも人出が徐々に戻り、8月中旬の36度を超える真夏日でも、車夫一人につき一日5~10組ほどの客を乗せて走った。 新型コロナウイルスが感染拡大するまではえびす屋浅草に130人ほどの車夫が所属していたが、緊急事態宣言が発令されて一時期、約30人に減ったという。 「飲食店や宿泊施設などと違って、うちは季節やイベントごとに従業員の数も変わるんですが、大体従業員のうち3割ほどは、学生アルバイトでした。アルバイトが大学を卒業すると同時に、毎年入れ替えが起こるんですね。それが、コロナ禍でアルバイトは出ていく一方になりました」 辞める車夫たちが相次ぎ、観光客が来ない浅草の街で立ち尽くす車夫たちを救ったのが、インターネット通販最大手の米Amazon.comと、東京近郊で暮らす人たちだった』、「えびす屋浅草に130人ほどの車夫が所属していたが、緊急事態宣言が発令されて一時期、約30人に減った」、かなり大きな影響だったようだ。
・『行き場を失った地元民と「映え」を求める若い女性たちのニーズ えびす屋浅草に所属する車夫歴17年のベテラン・平恒信さん(39)は、コロナ禍で観光客がいなくなった代わりに、今まで接することがなかった人たちが人力車に乗りにやってきたと話す。 「コロナ禍になってから、本当に東京、千葉、神奈川辺りに住むお客さんがめちゃくちゃ来てくれたんですよ。やっぱり遠くへ行けないっていうのもあると思うんですけれど、近場だけど今まで来たことがない場所に行く。そこで新しい発見があり、旅行気分に浸れて満足するという人が多いです。今までになかった流れです」 この流れは今も続いていて、地方からやってきた観光客の他に、都内周辺に住む人たちも人力車に乗り込むという。 さらに、東京都内や近郊に住む若い女性客が増えた。これまで20~30代の女性がメインだったのが、最近は10代から20代前半が増えてきている感覚があるという。実際、雷門の前や商店が並ぶ仲見世では、おそろいの浴衣や現代風にアレンジを加えた着物などを着て、スマホで撮影しながら歩く若い女性2人組が多くみられた。 「浅草で着物を着て、歩いて巡って食べて…っていうのが若い人たちの間で流行っているんですよね。インスタグラムでその様子を投稿したりしている人が多いようで、口コミで人力車の評判が伝わることが多いようです。友達におすすめされて乗りに来たという子もいます」(平さん) ちなみに、人力車の値段はコースによって異なるが、雷門から浅草寺付近を巡る一区間コース(12分)を2人で乗って4000円。高校生や大学生ら若い世代にとって決して安くはない金額だが、旅行やイベントに行きづらくなった今、近場で非日常的体験ができて、かつSNS映えするという魅力がある』、「コロナ禍で(外国人)観光客がいなくなった代わりに、今まで接することがなかった人たちが人力車に乗りにやってきたと話す。 「コロナ禍になってから、本当に東京、千葉、神奈川辺りに住むお客さんがめちゃくちゃ来てくれたんですよ」、「地方からやってきた観光客の他に、都内周辺に住む人たちも人力車に乗り込むという。 さらに、東京都内や近郊に住む若い女性客が増えた」、「「浅草で着物を着て、歩いて巡って食べて…っていうのが若い人たちの間で流行っているんですよね。インスタグラムでその様子を投稿したりしている人が多いようで、口コミで人力車の評判が伝わることが多いようです。友達におすすめされて乗りに来たという子もいます」」、なるほど。
・『米Amazonと進めたオンラインツアー、市場はグローバルに さらに、えびす屋は、観光客が少なくなったことで、人力車以外のサービスに力を入れ始めている。 「2020年からオンラインツアーを始めました。オンライン観光の需要がコロナ禍で高まったんです」(平さん) オンラインツアーに参加する客とは、主に米国に暮らす人たちだ。場所は浅草のみならず、上野や大手町方面に足を伸ばすこともあるという。多い時は一日30組ほどツアーを行ったそうだ。 車夫たちは作務衣などを着て、専用アプリが入ったスマートフォンを片手に英語で街案内をしながら、自らライブ中継して浅草などの街を歩く。人力車を使って巡るツアーもあるが、車夫が歩きながら街案内するものが多い。 「例えば、ツアー途中でお客さんは画面越しに、実際に仲見世のお店などで商品を買うことができます。お客さんのクレジットカードとアプリがひも付いているので、僕らが仲介に入ったりする必要もなく、アメリカで見ているお客さんが日本の店で買うことができるんです」 「浅草寺周辺のお買い物ツアー以外にも、歴史的なスポットを巡るツアーや、人力車に乗るツアーなど10種類ほどのツアーを用意し、車夫たちが1日何件か回っていたという感じです」(平さん) 今でもオンラインツアーは海外から人気が高いという。これまでの街で声をかけてお客さんを乗せるというアナログの営業スタイルから、一気にオンライン化が進み、グローバルに市場が広がった形だ。 実は、これはインターネット通販最大手の米Amazon.comのプラットフォームに参入したことで生まれたサービスだ。 「元々口コミサイトで弊社の人力車は海外の観光客にも高く評価されていました。そういう背景もあり、コロナ禍前からオンラインツアーの計画を進めていましたが、本格的にサービスをスタートできたのがちょうど2020年だったんです」(梶原所長) それから、オンライン事業部という部署も新設して、新たに人を雇用することもできたという』、「オンラインツアーに参加する客とは、主に米国に暮らす人たちだ。場所は浅草のみならず、上野や大手町方面に足を伸ばすこともあるという。多い時は一日30組ほどツアーを行ったそうだ。 車夫たちは作務衣などを着て、専用アプリが入ったスマートフォンを片手に英語で街案内をしながら、自らライブ中継して浅草などの街を歩く。人力車を使って巡るツアーもあるが、車夫が歩きながら街案内するものが多い」、「ツアー途中でお客さんは画面越しに、実際に仲見世のお店などで商品を買うことができます。お客さんのクレジットカードとアプリがひも付いているので、僕らが仲介に入ったりする必要もなく、アメリカで見ているお客さんが日本の店で買うことができるんです」、案内の「車夫」には語学力が求められる筈だが、以下にみるように、「車夫たちは元々海外での就業経験や留学経験を持つ人たちが多く、意欲的だった」、と問題なさそうだ。
・『車夫たちの一番の強みは「おもてなし精神」 新たな事業かつ英語を必ず使わなくてはいけないという状況に急転したわけだが、車夫たちは元々海外での就業経験や留学経験を持つ人たちが多く、意欲的だった。 「もともと海外で身に付けた英語スキルを落としたくないという理由で、人力車で働きたいという人が多くいました。飲食店や宿泊施設ではマニュアル的な英語しか使わないこともあるようですが、車夫は会話が多様で、コミュニケーション力が必要とされます。自分のことを信用してもらう必要があるし、お客さんの心にスッと入っていくような語学力やスキルが大事なんです」(梶原所長) 平さんも元々オーストラリアの語学学校に通った後、カフェで働いていた経験もあり英語は堪能。しかし、語学力以上に大事なのは「おもてなし精神」だという。 「どこからどこまで行けたから良かったというのではなく、お客さまを楽しませるっていうのが、僕たちの根底にある。自分自身が商品とも言える部分があるので、毎日地域の勉強をしたり、お客さまのためにどんなことができるか、“おもてなし”を研究したりしています」(平さん) コロナ禍を経て、なお現場に残っているのはモチベーションあふれる「精鋭」ばかりだ。厳しい時期に、観光再開に向けて着実に力を付けてきたからだ。 (コロナ禍になってからは)雷門の近くをみんなで掃除したり、オンラインで集まって、『僕はこういうルートが好きです』っていう発表会をしたり。どうやったらお客さんを楽しませることができるのかなっていう勉強会とかを(緊急事態宣言下の頃に)始めたんですよ。今の機会だからできることっていうのをみんなで模索してきたんですね。いつかまた観光ができる日に向けて、この2年間準備してきたわけです」 今、浅草観光のビジネス業態はコロナ禍前よりも広がったように見える。思えば、東京オリンピック・パラリンピックで最大限に発揮されるはずだった日本の「おもてなし」だが、コロナ禍をきっかけに想定外の進化を遂げ、発展していきそうだ。 ※この記事はダイヤモンド・オンラインとYahoo!ニュースによる共同連携企画です』、「コロナ禍を経て、なお現場に残っているのはモチベーションあふれる「精鋭」ばかりだ。厳しい時期に、観光再開に向けて着実に力を付けてきたからだ」、インバウンドが本格化を受けて、「人力車」等のサービスも急速に「発展」しているのだろう。
先ずは、7月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鎌田和歌氏による「「ネトウヨかパヨクか」二元論の危うさ、安倍元首相の銃撃事件でSNSは混乱」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/306902
・『140文字の文章の中では、どうしても分かりやすさが優先される。単純な二元論で示される分かりやすさに、私たちは長らく逃避していたのではないか』、SNSを文化論的にみるとは興味深そうだ。
・『安倍政権の時代と重なるSNS興隆期 安倍晋三元首相を狙った銃撃事件が、列島を激震させた。あってはならない最悪の暴力によって命を奪われた故人の冥福を祈るのは当然のことであるのは前提として、この原稿では、事件以降とそれ以前では変わらざるを得ないように見えるネット上の世相について言及したい。 2010年代以降の日本において、良くも悪くも圧倒的な存在感を持っていたのが安倍元首相だろう。数年ごとに首相が代わるのが当たり前だった日本において、歴代最長の在任期間だった。そして熱烈に支持される一方で、安倍元首相自身が「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と応戦したように、激しい反感を持つ人も少なくなかった。 コロナ禍でその座を退いてからも、現職の首相よりも支持されているように見えたし、同時に怒りの矛先を向けられてもいた。 安倍元首相の在任期間である2012年12月から2020年9月は、ネット上でSNSが盛り上がり、ハッシュタグ文化が生まれた時期と重なる。特にツイッターで、有名無名の個人が発信することが当たり前となった。 近年、政治的なイシューについては、右派・左派という二項対立でくくられやすくなっているが、現実はそう分かりやすくない。そのことに、今回の銃撃をきっかけに、多くの人が徐々に気づき始めているのではないか』、「政治的なイシューについては、右派・左派という二項対立でくくられやすくなっているが、現実はそう分かりやすくない」、その通りだ。
・『2010年代におけるツイッター文化の功罪 東日本大震災をきっかけに日本のツイッターユーザーは増えたといわれるが、当時はまだそれぞれが思い思いの独り言を投稿し、たまにそれに反応があるといった、文字通り「つぶやき」文化だった。 しかし、次第に同じ趣味や思考を持った人とつながるためや、フォロワー数を増やすため、あるいはビジネスにつなげるためといった「目的」を持って使い始めるユーザーが目立つようになった。そして、RT(リツイート)での「拡散」行為を狙ったツイートが目立ち始める。 ある程度ツイッターを使っていると、どんなツイートをすれば拡散されやすいかや、どのような層に響くか、反発を受けるか分かってくる。次第に自分のフォロワーにウケるようなツイートをする誘惑からは、多くの人が逃れられない。 そのためにツイートがより過激に、排他的になっていくさまが見られるようになった。 また、世代間格差、男女論、学歴、教育……といった特定のトピックは一つのエピソードに多くの人が引用RTでツッコミを入れるかたちでシェアされ、さながらオンライン上バトルの様相を呈していく。 さらに政治的なイシューについては、右派・左派という二項対立でくくられやすく、例えば「選択的夫婦別姓に賛成」とツイートした途端に「リベラル」というレッテルを貼られてしまう。 この傾向は近年、拍車がかかり続けていたと感じる。 「選択的夫婦別姓」に強く反対しているのは実際に自民党であるから、これに賛成している人にリベラルが多い傾向は実際にあるだろう。しかし、ツイッター上では「リベラル」に付随して「左翼」「パヨク」「反日」「護憲派」「増税反対」「反原発」「アベガー」「朝日新聞」などなどのレッテルが自動的に貼られてしまう傾向がある。 逆に「ネトウヨ」であれば、「嫌韓」「改憲派」「軍備拡大」「原発容認」「愛国」「朝日新聞嫌い」といった具合で、本来、党派性抜きに検討されるべき個々の課題まで一緒くたに関連づけられる状況になっている。 ひどい場合だと、例えば、入管問題に声を上げれば「日本から出ていけ」、議員の女性蔑視発言に抗議すれば「日本が嫌いな韓国人なのだろう」と言われるほどの飛躍が一部では見られる』、確かに機械的な「レッテル」貼りにはうんざりさせられる。
・『銃撃犯は「アベガー」ではなかった しかし、今回の銃撃事件をきっかけに、世の中はそれほど単純な二元論では分けられないという空気が次第に広がりつつあるように感じる。 もちろん、「そんなことは前から分かっている」という層もいるだろうが、近年のSNSでは何かにつけて対立構造が目立ち、それをあおるようなインフルエンサーもいた。 空気が変わりつつある理由は、二つある。 一つは、銃撃犯のものとされるツイッターアカウントが発見されたことだろう(現在は削除済みのそのアカウントは2019年10月に開設され、事件の9日前の投稿が最後だ)。 事件直後、犯行におよんだのは安倍元首相に批判的な人物であるとか、日本人ではないだろうといった臆測がSNSでは飛び交った。これは程なくして報道された「政治的な意味合いで狙ったのではない」という本人の供述や、元自衛隊という経歴によって否定された(自衛隊に入隊できるのは日本国籍を有する者のみ)。 しかし、それ以上のことが分からなかった中で、犯人のものとされたツイッターアカウントが発掘され、多くの人によって読み解かれた。 残されたツイートを読むと、供述通り、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)への恨みをつづった文章が多く、また韓国への嫌悪感情があることが分かる。旧統一教会が韓国で始まった宗教であり、「韓国はアダムで日本がイブ。日本は韓国に従属する国」といった教義を掲げていたことからの反発だと考えられる。 また、今年に入ってからも安倍元首相に批判的なツイートを引用して「下らないねえ」「安倍の味方する気もないが(以下略)」といった「安倍批判」に対する批判的なツイートをしている。 安倍元首相や自民党を全面的に支持しているようには見えないが、野党支持というわけでもなく、むしろ野党嫌いの「冷笑系」といった風に見える。日刊SPA!の「山上容疑者の全ツイートに衝撃。ネトウヨで“安倍シンパ”、41歳の絶望」では、タイトルにもある通り、「ネトウヨ」かのようなツイートも多いと分析されている。 ただし本人は、「ネトウヨとお前らが嘲る中にオレがいる事を後悔するといい。」(2019年12月7日)ともツイートしており、犯人自身が、ネトウヨだとみなされることもあると自覚しつつ、しかしそれほど単純な存在ではないと示したかったようにも見える。 銃撃犯のこのような自己認識は、単純二元論につかりきっていた層を混乱させるだろう。混乱のあまり、目を背けたくなる人もいるかもしれない。 これまでのネットの一部の論調では、安倍元首相を襲うほど憎む人は、「反日、野党支持、韓国には友好的」といった人物でなければならなかった』、「単純二元論」は現実の複雑性を度外視した空論に近いのだろう。
・『「日本はサタンの国」、旧統一教会と安倍氏の複雑な関係 単純な二項対立の世論から変わりつつあるもう一つの理由は、安倍元首相が旧統一教会にビデオメッセージを送るなど友好的に見える姿勢を示していたことだろう。祖父である岸信介元首相は「反共」で統一教会と思惑が一致し、近い関係にあったとも報道されている。 前述した通り、旧統一教会は韓国に始まる。その教えは、日本は「サタンの国」であり、贖罪(しょくざい)しなければならないと説く。 「ネトウヨ」の特徴の一つが「嫌韓」であることを考えると、これは彼らにとって大きな矛盾だろう。支持していた安倍元首相が、「反日」感情が強い韓国の宗教とつながっていたのだから。 ネット上でとうとうと語られてきた対立構造がいかに表面的で、実のないものだったか。その一端が、今回の事件以後に明らかになったのである』、「ネトウヨ」の論理破綻を見るのは心地よい。
・『「敵」「味方」の単純二元論に注意を 安倍元首相は、今年4月26日に第三者のツイートを引用する形で「相変わらずの朝日新聞。珊瑚は大切に。」とツイートした。 これは言うまでもなく1989年の朝日新聞サンゴ記事捏造事件を当てこすったもので、フォロワーからは絶賛を持って迎えられている。6月4日にも同じく「珊瑚を大切に」とツイートしたのは、この反応が良かったからだろう。 このように、フォロワーに対して分かりやすく「敵」を指し示す行為は、ツイッター上ではウケる。フォロワーにとっては「敵」に向かって団結することで忠誠心を示せるからだろう。 けれど本来、分かりやすく単純化して「敵」と「味方」に分けられることばかりではない。国葬に賛成か反対かにしても、賛成する人が全て「右寄り」というわけでも、反対する人が全て「左寄り」というわけでもない。 単純二元論の落とし穴にはまらずに、それぞれの個人が目の当たりにする複雑な現実をそのまま受け取り、どのように対話につなげていくか。どのように共通項を見いだせるか。これからの時代では、失われた対話を取り戻さなければならないと感じる。 ネット上では、安倍元首相と統一教会の関係を追及することに懐疑的な人に向かって「旧統一教会か」といった言葉が投げられているのも見かける。疑惑は追及されなければならないが、レッテル貼りは議論を幼稚にし、後退させることに気をつけたい』、「レッテル貼りは議論を幼稚にし、後退させることに気をつけたい」、同感である。
次に、8月5日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鎌田和歌氏による「大阪王将、舞妓…「SNSスクープ告発」後追い時代が来たマスコミの深刻」を紹介しよう。
・『自衛隊のセクハラ、京都・舞妓の未成年飲酒や性的接待、大阪王将ナメクジ騒動など、SNS上での「告発」が相次いでいる。少し前まで、一般人の告発といえば週刊誌への持ち込みがメインだったが、告発の手段が変わってきた。これから考えられる展開とは』、興味深そうだ。
・『SNSで告発、3人の共通点とは ナメクジが大量にいる――。 写真付きツイートが瞬く間に拡散されたのは、7月24日。大阪王将の仙台市内にある店舗の元従業員の男性が、勤務当時の不衛生さを訴えたのだ。ナメクジやゴキブリが大量発生していたことや、ネコを2年半にわたって飼育していた実態が明かされ、同社は7月27日にプレスリリースで謝罪した。 この元従業員男性は28日には顔出しで会見を行い、新聞社などの取材を受けている。また、7月末までに仙台保健所が、該当店舗に立ち入り検査を行ったことが報じられた。 飲食業にとって致命的とも言える衛生面についての告発とはいえ、これほどのスピードで企業側がある程度の事実を認め、対応が取られたのは驚きではないだろうか。 これがもしも内部告発であれば、根本的な対策は取られなかった可能性もある。実際、元従業員男性は、過去にあった保健所の衛生検査のあとも、環境改善には至らなかったと発言している。 告発が多くの人の目に止まり、企業が説明をしなければならない状況になったからこその対応であり、男性もそれを狙っていたはずだ。 これ以外にも、SNS発で世間を騒がす告発が相次いでいる。 元女性自衛官の五ノ井里奈さんが自衛隊在籍時代の壮絶なセクシュアルハラスメント被害を語った動画がアップされたのは6月末。この動画はツイッターなどで拡散され、五ノ井さんはその後もツイッターで自ら発信を続けている。 また、同じく6月末にツイッターで、京都・祇園で舞妓をしていた桐貴清羽さんが、宴席での未成年飲酒や「お風呂入り」と呼ばれる混浴など性的サービスが黙認されている状況があったと告発した。 五ノ井さんや桐貴さんの告発については、性的な被害が絡むためか主要紙は報道しておらず、週刊誌やウェブメディアが本人の告発を「後追い」をしている状況だ』、「五ノ井さん」の事件に関しては、9月29日に陸上自衛隊トップの陸上幕僚長が陳謝する形になった。
・『デジタルネイティブたちが選んだ告発手法 3人の「告発」には、共通点がいくつかある。 まず、3人とも20代前半と若いこと。いわゆるデジタルネイティブ世代であり、思春期の頃にはすでにSNSやウェブメディアに親しんでいたはずだ。 また、3人とも顔出しで会見や取材に臨んでおり、匿名の存在ではない。 これまでもツイッター上で告発やリークに近い投稿は見られたが、その多くは匿名であったり、あるいは拡散されるとアカウントごと消してしまうといったこともあった。 3人の場合は、最初から大きな問題に発展することを望んだ、覚悟の告発であることがうかがえる。SNSの使い方が身になじんでいるデジタルネイティブ世代が、共感も反発も受けることを覚悟した上で、なるべく大きなインパクトを与える手段を選んだように見える。 少し前まで、リークや告発、不祥事のスクープといえば週刊誌、それも週刊文春の独り勝ちという状況だった。ここへ来て、事件の当事者が自ら発信し、それをメディアが追いかける状況になりつつある。 ちなみに、世間を大きく騒がせた「センテンススプリング」騒動(人気女性タレントと人気バンドメンバーの不倫騒動)は2016年1月。すでに6年前であり、今回の告発者たち3人は10代後半だった時期である。30代〜40代以降にとっては当時のLINE漏洩はいまだに記憶に新しいが、当時10代だった若者たちの視点では、文春よりもSNSなのかもしれない』、確かにいまや「告発」の手段は「文春よりもSNSなのかもしれない」。
・『告発系インフルエンサーの「信頼感」 さらに、YouTuberら、ネット上のインフルエンサーの存在も見逃せない。 8月1日には、山口県阿武町の4630万円誤送金問題で起訴・保釈された田口翔被告の独占インタビューを人気ユーチューバーのヒカルが配信した。 田口被告は誤送金された給付金を使い込んでしまったものの、ことの経緯やその後明らかになった境遇などから同情も買い、注目度は高かった。一時はテレビ局もこぞって取り上げていた誤送金問題の被告を、「独占」でインタビューしたのがユーチューバーだったというのは、アラフォー以上の世代からすると時代の移り変わりを感じる出来事なのではないか。 あるいは、NHK党から出馬して当選し、あれよあれよという間に国会議員となったガーシーこと東谷義和氏は、自身のYouTubeで有名人の裏話を暴露し続けて大きな注目を集めた。多くは芸能人やYouTuberのうわさ話だったが、参院選前には楽天の三木谷浩史会長について連続で配信。動画が相次いで強制停止されたこともあって余計に話題となった。 このほかにも、ツイッターをメインとしてネット上では複数の告発系インフルエンサーが台頭し、それぞれのキャラクターによってファンを集めている。 特筆したいのは、彼らに対するタレ込みの多さである。 週刊誌などマスコミに情報をリーク、あるいは告発する人はこれまでもいたが、もともとマスコミにつながりがなければ心理的ハードルはやや高い。しかし毎日ネット上で個人発信を目にしているインフルエンサーならばその人柄がわかるし、ダイレクトメールですぐにコンタクトを取ることもたやすい。 インフルエンサー側でもそれがわかっているから、一見コワモテでありながら親近感を持たれやすく気さくな印象のキャラクターに見えるよう調整していくのだろう』、「ガーシーこと東谷義和氏」は、アラブ首長国(UAE)に滞在中で、国会からの帰国要請も無視して、詐欺容疑などでの逮捕を恐れて滞在を続ける意向だが、国会議員としての出席の義務を果たさない姿勢には、批判が高まっている。
・『個人、メディア、インフルエンサー…手段による長所短所 ここからは、個人によるネット上の告発、週刊誌などのメディアを通しての告発、あるいはインフルエンサーに情報をリークする形での告発、それぞれのメリットとデメリットについて考えてみたい。 個人が直接的にネット上で情報発信をし、なんらかの告発を行う場合のメリットは、まずはそのインパクトだろう。 メディアを通した場合、字数制限や媒体のフォーマットが踏まえられることから、良くも悪くも体裁が整えられ、情報が精査される半面、告発した当事者のリアルな語りがどうしても薄まりがちだ。 しかし、当事者の語りの細部に宿る生々しさを、受け手は見逃さない。本人がYouTube動画で語ったり、ツイートを投稿したり、あるいはブログに自らつづったりする行為により、それを見る人は当事者が差し出す情報をありのままに受け取る。 一方で、媒体を通さない告発は、発信者がその反応をダイレクトに受け取ってしまうデメリットもある。前述したように、それを最初から理解しての告発であればいいが、反響の大きさに恐れをなしてアカウントを消してしまうケースも過去にはあった。 また、個人での発信の場合、その責任を個人がそのまま引き受けることになる。媒体が取材をして記事にする場合、「これをそのまま書いたら名誉毀損で訴えられかねない」という箇所はあらかじめぼかしたり、その内容に触れなかったりすることがある。告発者が「それでも書いてほしい」という場合でも、媒体の都合でそれがかなわないことがある。 個人での発信の場合、責任は自分で引き受けるものの、出す情報を完全に自分でコントロールすることができる。リスクもある半面、当事者としては気持ちの折り合いがつけやすいだろう。 それではインフルエンサーによる告発やスクープの場合はどうか。インフルエンサーが当事者と受け手の間に入るクッションとなる。ファンの多いインフルエンサーが緩衝材となることで、賛否両論を受けやすい当事者のキャラクターを底上げすることができる場合がある。 「あのインフルエンサーが取り上げているのだから、ちょっと話を聞いてみよう」という気持ちになりやすく、親近感も湧きやすい。テレビで芸能人が一般人をインタビューするような企画のネットバージョンと言えるだろう』、「個人での発信の場合、責任は自分で引き受けるものの、出す情報を完全に自分でコントロールすることができる。リスクもある半面、当事者としては気持ちの折り合いがつけやすいだろう。 それではインフルエンサーによる告発やスクープの場合はどうか。インフルエンサーが当事者と受け手の間に入るクッションとなる。ファンの多いインフルエンサーが緩衝材となることで、賛否両論を受けやすい当事者のキャラクターを底上げすることができる場合がある」、その通りだ。
・『既存メディアはどう変わるべきなのか スクープはこれまで、週刊誌や新聞などメディアの専売特許だった。それが今やネット上のインフルエンサーに取って代わられつつあり、さらに当事者自らが声を上げ、それが当たり前のように受け取られるようになった。 この時代におけるメディアの役割として求められているのは、当事者が望む社会の変化をどう促していけるかだろう。これまではスクープそのものに価値が置かれていたが、スクープの担い手が大手メディアだけではなくなった今、メディアがつとめるべきは徹底した調査報道であり、ハラスメントや劣悪な労働環境をはらむ構造へのメスだ。 世論感情に訴えるすべであれば、インフルエンサーの方がたけているようにも見える。スポンサーやしがらみにとらわれた及び腰の報道姿勢では受け手に見抜かれるし、もはや告発系YouTuberに勝てない。 過去の実績にあぐらをかかず、つぶされることを恐れない報道が求められているのではないか』、「スクープの担い手が大手メディアだけではなくなった今、メディアがつとめるべきは徹底した調査報道であり、ハラスメントや劣悪な労働環境をはらむ構造へのメスだ」、「スポンサーやしがらみにとらわれた及び腰の報道姿勢では受け手に見抜かれるし、もはや告発系YouTuberに勝てない」、「過去の実績にあぐらをかかず、つぶされることを恐れない報道が求められているのではないか」、同感である。
第三に、10月20日付けダイヤモンド・オンライン「「浅草の人力車」の意外な救世主、「映えたい」女性たちと米Amazonが繋いだ商機」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/311547
・『東京・浅草といえば、浅草寺、仲見世、人力車のある風景を思い浮かべる人も多いだろう。しかし、コロナ禍で観光業界は大打撃を受け、人力車業者も窮地に追いやられた。乗せる観光客の姿が消え、辞める車夫たちも相次いだのだ。そんな浅草の街で立ち尽くす車夫たちを救ったのが、これまで人力車に乗ろうとしなかった東京近郊で暮らす人たちと若い女性たち、そしてインターネット通販最大手の米Amazon.comだった』、「車夫たちを救ったのが」「若い女性たち」はともかく、「米Amazon.com」とはどういうことなのだろう。
・『浅草に戻りつつある活気、人力車が再び走り出した 新型コロナ感染拡大で打撃を受けた東京・浅草の街に、この夏、観光客が戻ってきた。雷門前の広場では、人力車の車夫たちが通りかかる人に声をかけたり、記念撮影を手伝ったりしている。 浅草には人力車で観光案内をする事業者が20社ある。観光客が激減した浅草の街で再び人力車が走るまで、車夫たちは試行錯誤を続けてきた。 「去年、おととしはですね…本当に浅草も大変でした。われわれの業態だけじゃないですけど、いつも人が並んでいた浅草の人気飲食店でも、客が入らない。われわれもコロナ前は人力車を何十台も稼働していたのが、2台だけ稼働させる状況でした。それでも1日営業してお客は1組いるか…という状況でした」 こう語るのは、全国の観光地で200台以上の人力車を所有し観光案内などを行うえびす屋浅草の梶原浩介所長(40)。今年は浅草にも人出が徐々に戻り、8月中旬の36度を超える真夏日でも、車夫一人につき一日5~10組ほどの客を乗せて走った。 新型コロナウイルスが感染拡大するまではえびす屋浅草に130人ほどの車夫が所属していたが、緊急事態宣言が発令されて一時期、約30人に減ったという。 「飲食店や宿泊施設などと違って、うちは季節やイベントごとに従業員の数も変わるんですが、大体従業員のうち3割ほどは、学生アルバイトでした。アルバイトが大学を卒業すると同時に、毎年入れ替えが起こるんですね。それが、コロナ禍でアルバイトは出ていく一方になりました」 辞める車夫たちが相次ぎ、観光客が来ない浅草の街で立ち尽くす車夫たちを救ったのが、インターネット通販最大手の米Amazon.comと、東京近郊で暮らす人たちだった』、「えびす屋浅草に130人ほどの車夫が所属していたが、緊急事態宣言が発令されて一時期、約30人に減った」、かなり大きな影響だったようだ。
・『行き場を失った地元民と「映え」を求める若い女性たちのニーズ えびす屋浅草に所属する車夫歴17年のベテラン・平恒信さん(39)は、コロナ禍で観光客がいなくなった代わりに、今まで接することがなかった人たちが人力車に乗りにやってきたと話す。 「コロナ禍になってから、本当に東京、千葉、神奈川辺りに住むお客さんがめちゃくちゃ来てくれたんですよ。やっぱり遠くへ行けないっていうのもあると思うんですけれど、近場だけど今まで来たことがない場所に行く。そこで新しい発見があり、旅行気分に浸れて満足するという人が多いです。今までになかった流れです」 この流れは今も続いていて、地方からやってきた観光客の他に、都内周辺に住む人たちも人力車に乗り込むという。 さらに、東京都内や近郊に住む若い女性客が増えた。これまで20~30代の女性がメインだったのが、最近は10代から20代前半が増えてきている感覚があるという。実際、雷門の前や商店が並ぶ仲見世では、おそろいの浴衣や現代風にアレンジを加えた着物などを着て、スマホで撮影しながら歩く若い女性2人組が多くみられた。 「浅草で着物を着て、歩いて巡って食べて…っていうのが若い人たちの間で流行っているんですよね。インスタグラムでその様子を投稿したりしている人が多いようで、口コミで人力車の評判が伝わることが多いようです。友達におすすめされて乗りに来たという子もいます」(平さん) ちなみに、人力車の値段はコースによって異なるが、雷門から浅草寺付近を巡る一区間コース(12分)を2人で乗って4000円。高校生や大学生ら若い世代にとって決して安くはない金額だが、旅行やイベントに行きづらくなった今、近場で非日常的体験ができて、かつSNS映えするという魅力がある』、「コロナ禍で(外国人)観光客がいなくなった代わりに、今まで接することがなかった人たちが人力車に乗りにやってきたと話す。 「コロナ禍になってから、本当に東京、千葉、神奈川辺りに住むお客さんがめちゃくちゃ来てくれたんですよ」、「地方からやってきた観光客の他に、都内周辺に住む人たちも人力車に乗り込むという。 さらに、東京都内や近郊に住む若い女性客が増えた」、「「浅草で着物を着て、歩いて巡って食べて…っていうのが若い人たちの間で流行っているんですよね。インスタグラムでその様子を投稿したりしている人が多いようで、口コミで人力車の評判が伝わることが多いようです。友達におすすめされて乗りに来たという子もいます」」、なるほど。
・『米Amazonと進めたオンラインツアー、市場はグローバルに さらに、えびす屋は、観光客が少なくなったことで、人力車以外のサービスに力を入れ始めている。 「2020年からオンラインツアーを始めました。オンライン観光の需要がコロナ禍で高まったんです」(平さん) オンラインツアーに参加する客とは、主に米国に暮らす人たちだ。場所は浅草のみならず、上野や大手町方面に足を伸ばすこともあるという。多い時は一日30組ほどツアーを行ったそうだ。 車夫たちは作務衣などを着て、専用アプリが入ったスマートフォンを片手に英語で街案内をしながら、自らライブ中継して浅草などの街を歩く。人力車を使って巡るツアーもあるが、車夫が歩きながら街案内するものが多い。 「例えば、ツアー途中でお客さんは画面越しに、実際に仲見世のお店などで商品を買うことができます。お客さんのクレジットカードとアプリがひも付いているので、僕らが仲介に入ったりする必要もなく、アメリカで見ているお客さんが日本の店で買うことができるんです」 「浅草寺周辺のお買い物ツアー以外にも、歴史的なスポットを巡るツアーや、人力車に乗るツアーなど10種類ほどのツアーを用意し、車夫たちが1日何件か回っていたという感じです」(平さん) 今でもオンラインツアーは海外から人気が高いという。これまでの街で声をかけてお客さんを乗せるというアナログの営業スタイルから、一気にオンライン化が進み、グローバルに市場が広がった形だ。 実は、これはインターネット通販最大手の米Amazon.comのプラットフォームに参入したことで生まれたサービスだ。 「元々口コミサイトで弊社の人力車は海外の観光客にも高く評価されていました。そういう背景もあり、コロナ禍前からオンラインツアーの計画を進めていましたが、本格的にサービスをスタートできたのがちょうど2020年だったんです」(梶原所長) それから、オンライン事業部という部署も新設して、新たに人を雇用することもできたという』、「オンラインツアーに参加する客とは、主に米国に暮らす人たちだ。場所は浅草のみならず、上野や大手町方面に足を伸ばすこともあるという。多い時は一日30組ほどツアーを行ったそうだ。 車夫たちは作務衣などを着て、専用アプリが入ったスマートフォンを片手に英語で街案内をしながら、自らライブ中継して浅草などの街を歩く。人力車を使って巡るツアーもあるが、車夫が歩きながら街案内するものが多い」、「ツアー途中でお客さんは画面越しに、実際に仲見世のお店などで商品を買うことができます。お客さんのクレジットカードとアプリがひも付いているので、僕らが仲介に入ったりする必要もなく、アメリカで見ているお客さんが日本の店で買うことができるんです」、案内の「車夫」には語学力が求められる筈だが、以下にみるように、「車夫たちは元々海外での就業経験や留学経験を持つ人たちが多く、意欲的だった」、と問題なさそうだ。
・『車夫たちの一番の強みは「おもてなし精神」 新たな事業かつ英語を必ず使わなくてはいけないという状況に急転したわけだが、車夫たちは元々海外での就業経験や留学経験を持つ人たちが多く、意欲的だった。 「もともと海外で身に付けた英語スキルを落としたくないという理由で、人力車で働きたいという人が多くいました。飲食店や宿泊施設ではマニュアル的な英語しか使わないこともあるようですが、車夫は会話が多様で、コミュニケーション力が必要とされます。自分のことを信用してもらう必要があるし、お客さんの心にスッと入っていくような語学力やスキルが大事なんです」(梶原所長) 平さんも元々オーストラリアの語学学校に通った後、カフェで働いていた経験もあり英語は堪能。しかし、語学力以上に大事なのは「おもてなし精神」だという。 「どこからどこまで行けたから良かったというのではなく、お客さまを楽しませるっていうのが、僕たちの根底にある。自分自身が商品とも言える部分があるので、毎日地域の勉強をしたり、お客さまのためにどんなことができるか、“おもてなし”を研究したりしています」(平さん) コロナ禍を経て、なお現場に残っているのはモチベーションあふれる「精鋭」ばかりだ。厳しい時期に、観光再開に向けて着実に力を付けてきたからだ。 (コロナ禍になってからは)雷門の近くをみんなで掃除したり、オンラインで集まって、『僕はこういうルートが好きです』っていう発表会をしたり。どうやったらお客さんを楽しませることができるのかなっていう勉強会とかを(緊急事態宣言下の頃に)始めたんですよ。今の機会だからできることっていうのをみんなで模索してきたんですね。いつかまた観光ができる日に向けて、この2年間準備してきたわけです」 今、浅草観光のビジネス業態はコロナ禍前よりも広がったように見える。思えば、東京オリンピック・パラリンピックで最大限に発揮されるはずだった日本の「おもてなし」だが、コロナ禍をきっかけに想定外の進化を遂げ、発展していきそうだ。 ※この記事はダイヤモンド・オンラインとYahoo!ニュースによる共同連携企画です』、「コロナ禍を経て、なお現場に残っているのはモチベーションあふれる「精鋭」ばかりだ。厳しい時期に、観光再開に向けて着実に力を付けてきたからだ」、インバウンドが本格化を受けて、「人力車」等のサービスも急速に「発展」しているのだろう。
タグ:SNS(ソーシャルメディア、除くツイッター) (その12)(「ネトウヨかパヨクか」二元論の危うさ 安倍元首相の銃撃事件でSNSは混乱、大阪王将 舞妓…「SNSスクープ告発」後追い時代が来たマスコミの深刻、「浅草の人力車」の意外な救世主 「映えたい」女性たちと米Amazonが繋いだ商機) ダイヤモンド・オンライン 鎌田和歌氏による「「ネトウヨかパヨクか」二元論の危うさ、安倍元首相の銃撃事件でSNSは混乱」 「政治的なイシューについては、右派・左派という二項対立でくくられやすくなっているが、現実はそう分かりやすくない」、その通りだ。 確かに機械的な「レッテル」貼りにはうんざりさせられる。 「単純二元論」は現実の複雑性を度外視した空論に近いのだろう。 「ネトウヨ」の論理破綻を見るのは心地よい。 「レッテル貼りは議論を幼稚にし、後退させることに気をつけたい」、同感である。 鎌田和歌氏による「大阪王将、舞妓…「SNSスクープ告発」後追い時代が来たマスコミの深刻」 「五ノ井さん」の事件に関しては、9月29日に陸上自衛隊トップの陸上幕僚長が陳謝する形になった。 確かにいまや「告発」の手段は「文春よりもSNSなのかもしれない」。 「ガーシーこと東谷義和氏」は、アラブ首長国(UAE)に滞在中で、国会からの帰国要請も無視して、詐欺容疑などでの逮捕を恐れて滞在を続ける意向だが、国会議員としての出席の義務を果たさない姿勢には、批判が高まっている。 「個人での発信の場合、責任は自分で引き受けるものの、出す情報を完全に自分でコントロールすることができる。リスクもある半面、当事者としては気持ちの折り合いがつけやすいだろう。 それではインフルエンサーによる告発やスクープの場合はどうか。インフルエンサーが当事者と受け手の間に入るクッションとなる。ファンの多いインフルエンサーが緩衝材となることで、賛否両論を受けやすい当事者のキャラクターを底上げすることができる場合がある」、その通りだ。 「スクープの担い手が大手メディアだけではなくなった今、メディアがつとめるべきは徹底した調査報道であり、ハラスメントや劣悪な労働環境をはらむ構造へのメスだ」、「スポンサーやしがらみにとらわれた及び腰の報道姿勢では受け手に見抜かれるし、もはや告発系YouTuberに勝てない」、「過去の実績にあぐらをかかず、つぶされることを恐れない報道が求められているのではないか」、同感である。 ダイヤモンド・オンライン「「浅草の人力車」の意外な救世主、「映えたい」女性たちと米Amazonが繋いだ商機」 「車夫たちを救ったのが」「若い女性たち」はともかく、「米Amazon.com」とはどういうことなのだろう。 「えびす屋浅草に130人ほどの車夫が所属していたが、緊急事態宣言が発令されて一時期、約30人に減った」、かなり大きな影響だったようだ。 「コロナ禍で(外国人)観光客がいなくなった代わりに、今まで接することがなかった人たちが人力車に乗りにやってきたと話す。 「コロナ禍になってから、本当に東京、千葉、神奈川辺りに住むお客さんがめちゃくちゃ来てくれたんですよ」、「地方からやってきた観光客の他に、都内周辺に住む人たちも人力車に乗り込むという。 さらに、東京都内や近郊に住む若い女性客が増えた」、 「「浅草で着物を着て、歩いて巡って食べて…っていうのが若い人たちの間で流行っているんですよね。インスタグラムでその様子を投稿したりしている人が多いようで、口コミで人力車の評判が伝わることが多いようです。友達におすすめされて乗りに来たという子もいます」」、なるほど。 「オンラインツアーに参加する客とは、主に米国に暮らす人たちだ。場所は浅草のみならず、上野や大手町方面に足を伸ばすこともあるという。多い時は一日30組ほどツアーを行ったそうだ。 車夫たちは作務衣などを着て、専用アプリが入ったスマートフォンを片手に英語で街案内をしながら、自らライブ中継して浅草などの街を歩く。人力車を使って巡るツアーもあるが、車夫が歩きながら街案内するものが多い」、 「ツアー途中でお客さんは画面越しに、実際に仲見世のお店などで商品を買うことができます。お客さんのクレジットカードとアプリがひも付いているので、僕らが仲介に入ったりする必要もなく、アメリカで見ているお客さんが日本の店で買うことができるんです」、案内の「車夫」には語学力が求められる筈だが、以下にみるように、「車夫たちは元々海外での就業経験や留学経験を持つ人たちが多く、意欲的だった」、と問題なさそうだ。 「コロナ禍を経て、なお現場に残っているのはモチベーションあふれる「精鋭」ばかりだ。厳しい時期に、観光再開に向けて着実に力を付けてきたからだ」、インバウンドが本格化を受けて、「人力車」等のサービスも急速に「発展」しているのだろう。
メディア(その34)(日経新聞で何が起きているのか 記者の大量退職、“物言う株主”に狙われたテレ東の運命は、日経新聞“金融専門メディア”編集長が二代連続で処分される“異常事態”、【元外交官が語る】「日本のニュース」が「世界標準の報道」からズレる理由 『世界96カ国で学んだ元外交官が教える ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』著者・山中俊之インタビュー) [メディア]
メディアについては、7月13日に取上げた。今日は、(その34)(日経新聞で何が起きているのか 記者の大量退職、“物言う株主”に狙われたテレ東の運命は、日経新聞“金融専門メディア”編集長が二代連続で処分される“異常事態”、【元外交官が語る】「日本のニュース」が「世界標準の報道」からズレる理由 『世界96カ国で学んだ元外交官が教える ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』著者・山中俊之インタビュー)である。
先ずは、6月24日付け文春オンライン「日経新聞で何が起きているのか 記者の大量退職、“物言う株主”に狙われたテレ東の運命は」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55249
・『ジャーナリスト・小松東悟氏による「日経新聞で何が起きているのか」(「文藝春秋」2022年7月号)を一部転載します。 最大の焦点は「天下りの禁止」 これからピークを迎える大手企業の株主総会シーズン。そのなかで、財界が密かに注目しているのが6月16日に予定されているテレビ東京ホールディングス(HD)の株主総会だ。民放大手、いわゆるキー局のなかで格下の扱いであるテレビ東京の総会がそこまで関心を集めるのは、今回の総会のテーマが同社の筆頭株主である日本経済新聞社との関係だからだ。そして、それは日本の経済報道をリードしてきた日経が覆い隠してきた宿痾の病巣でもある。 テレビ東京HD(以下テレ東)は日経が32.6%を出資する持分法適用関連会社だが、同社の社長は1973年就任の佐藤良邦氏以来、半世紀にわたって日経からの「天下り」ばかり。実質的には植民地だ。 それがテレ東の経営効率を下げている、とかみついたのが、香港を拠点とする米国系投資会社、リム・アドバイザーズだ。アクティビスト・ファンド(いわゆる「物言う株主」)として著名な同社は4月14日、テレ東の定時株主総会に合わせて株主提案書を送りつけた。そこには、普段は日経からの指弾を恐れている財界人が溜飲を下げるような批判が並んでいた。 リムの提案は以下の7項目だ。 1 日経からの天下りの禁止 2 顧問等の廃止 3 社外取締役の選任 4 取締役報酬の個別開示 5 資本コストの開示 6 政策保有株式の売却 7 剰余金の処分 これらの論点はいずれも相互に関連しているが、最大の焦点は「天下りの禁止」である。 テレ東の取締役トップ3である小孫茂会長、石川一郎社長、新実傑専務はいずれも日経で取締役を経験した人物だ。さらに、この6月からは同じく日経出身の吉次弘志・常務執行役員が常務取締役に就任する。そうなれば社内取締役7人のうち4人が日経、プロパーは3人のみになる。) ほかの民放大手にも全国紙の資本が入っており、新聞社から経営者を迎える慣行はある。しかし、テレ東以外の局ではプロパーの社長も出ており、出資比率3割強の日経によるテレ東への強権支配は異様といっていい。 こうした要求を突き付けられ、テレ東はもちろん日経もパニック状態となった。翌日には、東洋経済オンラインのスクープにより株主提案の内容は市場の知るところとなった』、「テレビ東京の」「総会のテーマが同社の筆頭株主である日本経済新聞社との関係・・・それは日本の経済報道をリードしてきた日経が覆い隠してきた宿痾の病巣」、「テレ東以外の局ではプロパーの社長も出ており、出資比率3割強の日経によるテレ東への強権支配は異様」、興味深そうだ。
・『日経に牙をむいた元記者たち パンドラの箱を開けたのはリムの日本投資担当者である松浦肇氏。実は日経新聞出身だ。1995年に入社し、主に証券部で数々のスクープを放ったが、ニューヨーク特派員を最後に退職。現地で産経新聞の編集委員を務めた後、金融界に転じた。 実父の松浦晃一郎氏は駐仏大使やユネスコ事務局長を務めた大物外交官。「日英仏のトリリンガルで、米コロンビア大学で複数の修士号を取得するなど経歴的にはピカピカ。だが、本人は坊主頭で筋骨隆々、むしろ野武士を思わせる人物だ。これまでの投資先を見る限り、本気で『世直し』のためにアクティビストをやっているふしがある」(元同僚)。 その野武士が、テレ東の新たな社外取締役候補として連れてきたのはこれまた日経OB。自らが師と仰ぐ阿部重夫氏だ。在職中に日本新聞協会賞を2回受賞した古豪である。 阿部氏は退社後に複数の媒体で編集長を務めた。月刊誌『選択』編集長時代には、2003年に当時の鶴田卓彦社長が退陣に追い込まれた際に日経の内情を徹底的に暴いた。 この事件は、当時日経新聞ベンチャー市場部長だった大塚将司氏が、社員株主として鶴田卓彦社長解任動議を提出した騒動に端を発する。子会社ティー・シー・ワークスでの融通手形操作によって巨額の損失が発生したことと、不適切に会社経費を使用した疑惑によるものだ。鶴田氏はスキャンダルにまみれて退場したが、大塚氏も1度は懲戒解雇された後味の悪い展開だった。『選択』2003年3月号は、日経の企業風土を端的に描いた。 〈組合は御用組合、融資銀行は日経に気兼ねしてモノ申せない。株主投票は記名式で、秘書室は開封して×をつけた株主をチェックする。逆らった社員には人事の報復が待つ。まさにコーポレートガバナンスの北朝鮮である。だから企業から『企業統治のお説教だけは日経から聞きたくない』と言われるのだ〉』、普段は「企業統治のお説教」を垂れている「日経」が、「株主投票は記名式で、秘書室は開封して×をつけた株主をチェックする。逆らった社員には人事の報復が待つ。まさにコーポレートガバナンスの北朝鮮」、「コーポレートガバナンスの北朝鮮」とは言い得て妙だ。
・『鶴田元側近の「OK戦争」 鶴田事件当時の経営風土が今も変わらぬことを象徴するのが、日経とテレ東それぞれの最高実力者だ。 日経のトップである岡田直敏会長、テレ東の小孫茂会長は、鶴田事件の前後に秘書室長を務めていた。ともに鶴田氏の毎夜のクラブ通いに付き添い、ゆがんだ統治構造にどっぷりつかり、それに順応してきた。 2人はともに1976年に日経に入社した。20人ほどしか採用されなかったという少ない同期のなかで、早くからお互いを意識していた。小孫氏は日経の多数派だった早稲田大学出身で、岡田氏はこのころは珍しかった東大法学部卒。記者としての力量に自負が強い小孫氏は、事務処理能力がとりえで入社当初から経営者になりたがっていた岡田氏のことを軽んじていたという。 性格は対照的だ。寡黙な岡田氏に比して小孫氏は気性が激しく、ゴルフ場でもキャディーを怒鳴りつける悪癖で知られる。大企業トップには珍しいキャラクターの持ち主というほかない。「最近は怒鳴るのは我慢し静かな口調でおどすので、よけいに怖い」(テレ東関係者)。 一方の岡田氏は「そもそも人づきあいが苦手で、記者時代も取材対象への食い込みを競うスクープ合戦とは無縁。さしたる功績もなかったが、企画づくりの手際はよかった。日経新聞の仕事はニュースの解説だと思っているようだ」(日経のベテラン記者A氏)。これでは水と油だろう。 日経の本流である経済部のエリートコースを歩んだ2人は社長レースでもデッドヒートを繰り広げた。社内で「OK戦争」と言われる全社を巻き込んだ争いの結果は岡田氏に軍配が上がり、小孫氏は涙をのんでテレ東に転出した。それまでテレ東社長の座は、歴代の日経トップが論功行賞のために側近を「天下り」させるポストだった。そこに岡田氏に敗れた小孫氏が派遣されたことは、日経の人事抗争に上場会社であるテレ東を巻き込む結果となった。岡田氏が意に添わぬ人材をテレ東に放逐する一方で、小孫氏は同社の独立王国化を図ってきた。 たとえば2020年度にはテレ東本社ビルの貸し主である住友不動産の株を政策保有株(いわゆる持ち合い株)として大幅に買い増した。これは、政策保有株の存在は企業経営を歪めると紙面で繰り返し論じてきた日経の方針と相容れないはずだが、テレ東が押し切ったかたちだ。 日経に遺恨を抱える「天下り」に勝手なことをされるテレ東こそいい面の皮だ。「ニュース番組に、テレ東側は望んでいない日経記者の出演を押し付けられることも増えた」とテレ東関係者は語る。 今回、リムがコーポレートガバナンス(企業統治)について疑義をつきつけたことに、テレ東の現場社員は内心声援を送っている。同社経営陣は対決姿勢をとっているが、これはまさに天に唾するもの。読者にガバナンスの重要性を説いてきた企業の独善性を自ら暴露した』、「今回、リムがコーポレートガバナンス(企業統治)について疑義をつきつけたことに、テレ東の現場社員は内心声援を送っている。同社経営陣は対決姿勢をとっているが、これはまさに天に唾するもの。読者にガバナンスの重要性を説いてきた企業の独善性を自ら暴露した」、「読者にガバナンスの重要性を説いてきた企業の独善性を自ら暴露した」、とは手厳しい。
・『外資が問題視する「天下り」 テレ東が無傷だったのは、アクティビストも日経を恐れていたからだ。それが証拠に、TBSHD、テレビ朝日HD、フジ・メディアHDなどほかのキー局はすでにアクティビストからリストラや増配などを厳しく求められてきた。PBR(株価純資産倍率)が1倍を下回るのが共通点で、現預金や不動産を豊富に持っているわりに利益水準は低い。要は資産を有効に使えていないのだ。 2022年3月末時点でテレ東HDの純資産は898億円に及ぶが、足元の時価総額は約540億円。PBRは0.6倍にすぎない。同業他社と同じメタボ体質ということになる。テレ東だけが無事だったのは、日経を敵に回して記事で報復されるのは、一般企業はもちろんアクティビストにとってもリスクだからだ。 テレ東は5月12日にリムによる株主提案に対する「取締役会意見」を公表したが、事前に予想された通り一切要求に応じない「ゼロ回答」だった。株式市場関係者をあきれさせたのは、資本コストの開示を拒否したことだ。資本コストとは企業の資金調達に伴うコストのこと。資本コストを超えた事業収益率をあげていないビジネスは投資家の期待に応えているとはいえない。 テレ東は「競争に影響を与える情報である資本コストを広く一般に開示すると、当社が今後実施する成長投資へ向けた交渉等において、不利益が生じる恐れがある」として開示を拒絶した。同時に「当社グループは放送事業の免許を受け、災害報道等では国民に広く早く、かつ切れ目なく情報をお届けする義務があり(中略)相応の余裕資金や自己資本が必要です」と正当化した。 災害報道うんぬんの事情はどこのテレビ局でも同じ。他局と比べてテレ東の情報開示に関する姿勢はひときわ消極的で、経済報道を看板とする企業とは思えない。) 政策保有株については「段階的かつ可及的に速やかに売却していくことが適当」としながらも「様々な経緯を踏まえて現在の状態になっている」と開き直った。 日本の株式市場で大株主や主要取引先からの「天下り」禁止は大きなテーマになっている。リムは2021年には平和不動産、2022年には鳥居薬品に、取引先や親会社からの天下りの禁止を求める株主提案を行った。 コーポレートガバナンスに詳しいギブンズ外国法事弁護士事務所のスティーブン・ギブンズ氏は、一般論としつつ、「大株主の企業で出世できなかった人間を『天下り』させるのは、子会社の経営効率を悪化させる。これはまさに、大株主には利益となる一方、子会社の一般株主には不利益をもたらす『利益相反』に当たる」と話す。 こうした議論は外国人を中心に機関投資家の賛同を得やすくなっており、松浦氏はそこに勝機を見出しているのだろう。 5月20日にテレ東はオンライン形式で2022年3月期の決算説明会を開催した。その場では投資家、アナリストから「日経との提携による売り上げ、営業利益の比率はどれだけあるのか」「6月からの人事案では社内取締役の過半数が日経出身となるが、狙いは何か」といった質問が飛んだ。リムの株主提案を受け、日経との関係に投資家からも厳しい目が向けられている。 リムのテレ東株の所有比率は1%台と見られる。今後の焦点は6月16日のテレビ東京HDの定時株主総会でリムの提案がどれだけの賛成票を集めるかだ。日経が3割強の株を押さえていることを考えれば、いずれかの議案で10%以上の賛成票を集められればリムとしては満足だろう。その場合は来年以降も繰り返し株主提案をつきつけ、テレ東のガバナンス改善を求めるとみられる』、6月16日付けの「テレビ東京HDの定時株主総会」の決議通知によれば、会社側提案が可決、株主側提案は否決されたようだ。
・『現場を殺す「デジタルシフト」 アクティビスト襲来という「外患」の前に、日経は「内憂」も抱えていた。岡田氏が進めてきたデジタル路線の行き詰まりと記者の大量離脱だ。 ジャーナリスト・小松東悟氏による「日経新聞で何が起きているのか」は、「文藝春秋」2022年7月号と「文藝春秋digital」に掲載されています』、「デジタル路線の行き詰まりと記者の大量離脱」、とは穏やかではないが、ここではこれ以上は分からないので、今後、分かれば改めてお知らせしたい。
次に、9月16日付け文春オンライン「日経新聞“金融専門メディア”編集長が二代連続で処分される“異常事態”」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/57331
・『「編集長が二代連続で処分され、『うちの会社のコンプライアンスは大丈夫なのか?』と疑問の声が挙がっています」 こう嘆息するのは、日本経済新聞社の現役社員・A氏である。
・『けん責処分の理由は? 社内に波紋が広がったのは、8月23日のこと。 「社内のイントラ(社員間の情報共有ツール)で、『日経フィナンシャル』編集長と論説委員を兼務するX氏の同日付のけん責処分が発表されたのです。会社からはX氏の処分理由について具体的な説明はなく、『部下へのパワハラではないか』などの憶測を呼びました」(同前) 日経フィナンシャルは、紙の新聞の部数減に歯止めがかからない中、デジタル化を推し進める日経の渾身の一手だった。 「一昨年、社運を賭けて始まった新媒体で、“金融の未来を読むデジタルメディア”として華々しく売り出しました」(同前) その価格設定もなかなかの強気だ。 「金融業界でバリバリ働くビジネスマンをターゲットにしたコンテンツが満載で、月額6000円の購読料は日経本紙よりも高額。ですが、会員数はすでに1万6000人を超えました。岡田直敏会長が社長時代に始めた肝煎りの事業。創刊1年目で黒字に転換したことで長谷部剛現社長から社長賞も授与されています」(同前)』、「月額6000円の購読料」で「会員数はすでに1万6000人を超えました」、とは大したものだ。
・『X氏は将来の社長候補 花形メディアを率いるX氏は有名私大を卒業後の1993年に入社。経済部で金融や財界を担当した後、ロンドンやシンガポール、ニューヨークへの駐在を経て、20年11月に編集長に就任した。 「帰国子女で英語がペラペラ。国際金融に明るく、大手メガバンク幹部らにも深く食い込んでいる。社内では王道の経済部出身で海外経験も豊富。同世代にライバルも少なく、将来の社長候補の1人と目されている」(日経社員B氏) そんなX氏に一体何があったのか。小誌が入手した「処罰辞令」のイントラ画面の写しには、X氏の名前とともにこう記されている。〈就業規則第七十七条一項十一号により、けん責とする〉』、「将来の社長候補の1人と目されている」人物が、「けん責」とは大変だ。
・『店の店主と揉めて… 就業規則を読むと、同条文には「他人に暴行、脅迫を加え、または迷惑をかけたとき」とある。 「X氏は取材熱心で毎晩のように取材先と会食を重ねているのですが、そこで店の店主と揉めてトラブルとなってしまったのです。後日、その店から日経本社にクレームが入って事態が露見。今回の処分となりました」(同前) 実は日経フィナンシャルの編集長が処分されるのはこれが初めてではない。 「2年前に初代編集長が後輩記者に悪質なセクハラをしたとして、就任後わずか半年で突然解任され、退社した。その後を託されたのがX氏でした。編集長が二代連続で処分され、社内では“異常事態”といわれています」(同前)』、「編集長が二代連続で処分され」、いくら「編集長」のプレッシャーが強いとはいえ、「“異常事態”」だ。
・『日経広報室の回答は X氏の周辺を取材するとこんな声も聞こえてくる。 「Xさんは仕事面ではいわゆる“できる男”で経歴もピカピカなのですが、普段から部下に対して歯に衣着せずにものを言うタイプで緊張感が漂っている。その矛先が今回はお店の人に向いてしまったのでは。お酒はなんでもよく飲みますし、飲むととにかく長いんです」(日経社員C氏) 日経広報室に問い合わせると、こう回答した。 「ご質問の社員は、社内規定に基づき処分しました。事実関係は公表していません」 酒席での失態に、反省しきりだというⅩ氏。金融の未来は読めても、自身の未来は読めなかった……』、日経でのけん責処分の重さは分からないが、一般的にはそれほど重い処分ではなく、リカバリー可能なのではなかろうか。
第三に、8月18日付けダイヤモンド・オンライン「【元外交官が語る】「日本のニュース」が「世界標準の報道」からズレる理由 『世界96カ国で学んだ元外交官が教える ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』著者・山中俊之インタビュー」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/306523
・『日本で生活していると「日本の報道」に触れることはあっても「世界の報道」に触れる機会はなかなかない。しかし、じつは世界では大きく報道されているニュースでも、日本ではほとんど報道されていないものもある。今回は『ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』の著者で元外交官、世界96カ国を訪れた経験を持つ山中俊之さんに「日本人に理解してもらいたい世界の時事問題ベスト3」を聞いてみた。さらに、山中さんがおすすめする「日本目線」だけでなく「世界の目線」に触れられるメディアも必見(Qは聞き手の質問)』、興味深そうだ。
・『知っておくべき「世界の時事問題」 Q:山中さんは外交官として活躍され、その後も含めると世界96カ国を訪問されているのですが、日本と世界を比べた場合、報道されているテーマや内容に違いを感じることはありますか? 山中俊之(以下、山中):ものすごくあります。もちろん、どの国も「自分たちの国の目線」はありますし、それぞれに関心があるテーマは違うのですが、日本のメディアは「特にここが弱い」と感じることがあります。 Q:たとえば「いま、日本人にもっと知ってもらいたい時事問題」を挙げるとしたら、どんなものがあるでしょうか。 山中:一番は移民・難民問題です。ロシア・ウクライナの戦争が起こり、避難民のことはけっこう報じられましたが、世界的に見て、日本の人口あたりの難民の受け入れ率や申請して受け入れられる人数は非常に低いです。 移民・難民は世界では大問題で、アメリカ大統領選挙でも主要な論点になります。イギリスがEUから離脱する問題、いわゆるブレグジットも移民・難民の問題が根底にあります。 しかし、日本ではあまり話題になりません。避難民の話が多少あったとしても、総選挙で「難民の受け入れをどうするか」「移民についてこうしていこう」なんて話はまず論点に上がらないですね。それだけ国民の関心が低いということです』、「移民・難民は世界では大問題」だが、「日本ではあまり話題になりません」、その通りだ。
・『なぜ、日本の報道はズレるのか? Q:世界では大きな論点になるのに、日本ではならないのはどうしてなのでしょうか? 山中:島国で、移民や難民が陸路で来ることがないのは1つの理由でしょうね。物理的に国境を越えて、やってくるのが難しいという点です。 そうした地理的環境も手伝って、日本人のマインドというか、問題意識が非常に低いというのはあるでしょう。かつてベトナム難民を相当数受け入れたことがありましたが、それ以降は大きく受け入れたことはほぼありません。 じつはこれは世界では恥ずかしいことでして、国際会議に参加したことのある人であれば、そうした日本のスタンスが話題になり、恥ずかしい思いをしたことがある人も多いはずです。 「難民を受け入れる、受け入れない」以前の話として、もう少し世界の大問題に関心を持つことは必要だと感じます。 以前、ある海外メディアの日本語版をつくっている編集者が「(海外版では載っていても)日本語版にするときに扱わないテーマがあって、それが移民・難民の問題だ」と言っていました。 このテーマを扱っても売れないんだそうです。こういったことが積み重なって、「日本の報道」と「世界の報道」との間に大きなギャップが生じていくのだと思います』、「かつてベトナム難民を相当数受け入れたことがありましたが、それ以降は大きく受け入れたことはほぼありません。 じつはこれは世界では恥ずかしいことでして、国際会議に参加したことのある人であれば、そうした日本のスタンスが話題になり、恥ずかしい思いをしたことがある人も多いはずです」、その通りだ。
・『「再生可能エネルギー」への関心が低い日本 Q:移民・難民問題とは別に、世界と比べて特に日本のメディアが報じないテーマはありますか? 山中:再生可能エネルギーに関する話題ですね。もちろん日本でも再生可能エネルギーに関する報道はありますが、世界に比べて圧倒的に少ないですし、私の肌感覚ですが、国民の意識も低いと感じます。 脱炭素を実現する動きは世界では活発に議論されていますし、EUのなかでも特にドイツは熱心に再生可能エネルギーに関して主張していますね。 といっても、社会のなかで、なんでもかんでも賛成、賛同されているわけではありません。 「自然を破壊してソーラーパネルを設置しているなんておかしいじゃないか!」「壊れたらどう対処するのか!」などの反対意見もありますし、「風力発電の騒音の問題」など賛否両論いろんな意見が出て、活発に議論されています。 日本もそうですが、世界の国々だって、旧来の電力系の会社から多くの献金を受けている政党や政治家はいますから、どの国も、ものすごく再生可能エネルギーへの移行が進んでいるわけではありません。 そこは一筋縄ではいかないんですよ。ただ、再生可能エネルギーの問題が日本に比べて盛んに報道され、活発に議論されていることは間違いありません』、「日本でも再生可能エネルギーに関する報道はありますが、世界に比べて圧倒的に少ないですし、私の肌感覚ですが、国民の意識も低いと感じます」、残念なことだ。
・『日本は「個人の影響力」を軽視している Q:地球環境を考えれば、再生可能エネルギーの問題を考えることの大切さは日本人も理解していると思うのですが、そこへの関心が低かったり、活発な議論にならないのはどうしてなんでしょうか。 山中:アメリカやヨーロッパでも関心のある人とそうでない人の差はあるので、そこは日本も同じだと思います。ただし、報道のされ方というか、討論番組のつくりにはちょっと違いを感じます。 Q:「番組のつくり」が違うとはどういうことですか? 山中:日本のテレビでも討論番組はそれなりにあるんですが、あそこに出てきている人たちは、立派な肩書きがある人ばかりのように感じるんですよ。 政治家や弁護士はもちろん、さまざまな活動をしている人が出演する場合でも、NPO法人の代表、一般社団法人の代表みたいな人が多いですよね。 Q:確かにそうですね。 山中:一方、アメリカやヨーロッパでは、こうした社会課題に対して個人で精力的に活動している人がどんどん番組に出て、活発に議論しているんです。 個人的な印象ですが、日本はそうした個人の活動家の影響力をやや軽視しているように感じます。 海外では、そうした人たちが株主総会にもシェアホルダーとしてガンガン入ってきて「企業の意思決定に影響力を及ぼしていこう」という動きが活発です。企業側の人たちにとっても、無視できない影響力を持ってきているんです。 日本企業の役員たちでも、そうした動きに敏感な人たちは積極的に対応しているのですが、まだまだ「そんなに重視しなくていいよ」「適当にあしらっておけ」「めんどくさい連中」くらいにしか捉えていない人もたくさんいます。 その辺りからも「個人の影響力が軽視されている」と感じますね。 でも、日本でも少しずつ、そうした影響力を無視できないようになっていくと思います。株式総会のシェアホルダーとしてやってきて「環境問題に詳しい人が取締役に1人も入っていないじゃないか!」「そんな決議は賛成できない」と言い出す人は出てくるでしょう。 もちろん、そうした人がたくさんの株を持っていることは稀でしょうから、最終的に提案は通らないでしょうけど、でも、少しずつ議論は活発にはなっていくと思います』、「討論番組のつくり」、「日本のテレビでも討論番組・・・に出てきている人たちは、立派な肩書きがある人ばかり」、「政治家や弁護士・・・NPO法人の代表、一般社団法人の代表みたいな人が多い」、「アメリカやヨーロッパでは、こうした社会課題に対して個人で精力的に活動している人がどんどん番組に出て、活発に議論」、「日本はそうした個人の活動家の影響力をやや軽視しているように感じます。 海外では、そうした人たちが株主総会にもシェアホルダーとしてガンガン入ってきて「企業の意思決定に影響力を及ぼしていこう」という動きが活発です」、「海外では、そうした人たちが株主総会にもシェアホルダーとしてガンガン入ってきて「企業の意思決定に影響力を及ぼしていこう」という動きが活発です。企業側の人たちにとっても、無視できない影響力を持ってきているんです。 日本企業の役員たちでも、そうした動きに敏感な人たちは積極的に対応しているのですが、まだまだ「そんなに重視しなくていいよ」「適当にあしらっておけ」「めんどくさい連中」くらいにしか捉えていない人もたくさんいます」、彼我の違いは大きいようだ。
・『日本のメディアは政治関連のウェイトが高すぎる 山中:最後にもう1つ挙げるとしたら、やはり「新冷戦」というか「世界の安全保障」についてでしょうね。ロシア・ウクライナの戦争が起こったことで世界は再び分断に向かっているとは思うんです。 これからロシアが中国とさらに結びついていく可能性はありますし、少なくとも、軍事力によるバーゲニングパワー(国際間の交渉・折衝における対抗力)は強まったと思います。 実際に軍事行動を起こさないまでも、軍事行動を起こすギリギリのところまでいってから妥協点をみいだす。そんな外交手段、外交圧力がもっともっと起こってくるかもしれません。 2008年にロシアがジョージアに侵攻しましたが、それ以前の国際政治の専門家が現代の状況を見たら、この現状に驚嘆すると思います。それくらい軍事力による外交は起こりやすくなっているのが実態です。 核兵器はもともとバーゲニングパワーですし、軍事力全般を含め、外交におけるそのウエートは高まったと言わざるを得ません。 それは国家間の緊張を高めてしまうだけでなく、国の予算が軍事力に割かれるようになって、福祉や教育への割り振りが少なくなってしまうなど、私たちの日常生活にも直接影響してきます。そうしたことに、もっと私たちは目を向けていかなければならないと思います。 Q:日本で生活していると、どうしても「日本目線の報道」にしかなかなか触れることができないのですが、少しでもグローバルな情報、視点をキャッチするために「これはチェックしておいた方がいい」というメディアはありますか。 山中:できれば、英語メディアを取り入れたいです。「ニューヨーク・タイムズ」は、玉石混合のネット情報とは一線を画する信頼性の高さで購読者数が世界で増加しています。 世界での影響力という点では、「エコノミスト」や「タイム」といった雑誌を目を通すことにも意味があります。日本語版で出ているものとしては、「ニューズウィーク」が良いと思います。英語メディア以外では、世界各国の報道が日本語で見れるNHK BS1の「ワールドニュース」がお奨めです。 私はよく新聞記者の方ともディスカッションさせていただくのですが、日本の報道は政治に寄りすぎているように感じます。もっと世界情勢や経済、ビジネスの最先端などの報道がされてもいいのにと常々思っています。 首相が何を言ったとか、何をしたとか、選挙がどうなっている、などもいいのですが、政治家の失言やスキャンダルも含めて、政治の話題が多すぎますよね。 そういう意味でも、ときには世界のメディアに触れて、いつもとは違った目線で世界や社会を見つめることが非常に大切だと思います。)(著者紹介はリンク先参)』、「軍事力による外交は起こりやすくなっているのが実態です。 核兵器はもともとバーゲニングパワーですし、軍事力全般を含め、外交におけるそのウエートは高まったと言わざるを得ません。 それは国家間の緊張を高めてしまうだけでなく、国の予算が軍事力に割かれるようになって、福祉や教育への割り振りが少なくなってしまうなど、私たちの日常生活にも直接影響してきます。そうしたことに、もっと私たちは目を向けていかなければならないと思います」、「「ニューヨーク・タイムズ」は、玉石混合のネット情報とは一線を画する信頼性の高さで購読者数が世界で増加しています。 世界での影響力という点では、「エコノミスト」や「タイム」といった雑誌を目を通すことにも意味があります。日本語版で出ているものとしては、「ニューズウィーク」が良いと思います。英語メディア以外では、世界各国の報道が日本語で見れるNHK BS1の「ワールドニュース」がお奨めです」、「ときには世界のメディアに触れて、いつもとは違った目線で世界や社会を見つめることが非常に大切だと思います」、このブログでもこうした「世界のメディア」の注目記事は出来るだけ紹介するようにしている。
先ずは、6月24日付け文春オンライン「日経新聞で何が起きているのか 記者の大量退職、“物言う株主”に狙われたテレ東の運命は」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55249
・『ジャーナリスト・小松東悟氏による「日経新聞で何が起きているのか」(「文藝春秋」2022年7月号)を一部転載します。 最大の焦点は「天下りの禁止」 これからピークを迎える大手企業の株主総会シーズン。そのなかで、財界が密かに注目しているのが6月16日に予定されているテレビ東京ホールディングス(HD)の株主総会だ。民放大手、いわゆるキー局のなかで格下の扱いであるテレビ東京の総会がそこまで関心を集めるのは、今回の総会のテーマが同社の筆頭株主である日本経済新聞社との関係だからだ。そして、それは日本の経済報道をリードしてきた日経が覆い隠してきた宿痾の病巣でもある。 テレビ東京HD(以下テレ東)は日経が32.6%を出資する持分法適用関連会社だが、同社の社長は1973年就任の佐藤良邦氏以来、半世紀にわたって日経からの「天下り」ばかり。実質的には植民地だ。 それがテレ東の経営効率を下げている、とかみついたのが、香港を拠点とする米国系投資会社、リム・アドバイザーズだ。アクティビスト・ファンド(いわゆる「物言う株主」)として著名な同社は4月14日、テレ東の定時株主総会に合わせて株主提案書を送りつけた。そこには、普段は日経からの指弾を恐れている財界人が溜飲を下げるような批判が並んでいた。 リムの提案は以下の7項目だ。 1 日経からの天下りの禁止 2 顧問等の廃止 3 社外取締役の選任 4 取締役報酬の個別開示 5 資本コストの開示 6 政策保有株式の売却 7 剰余金の処分 これらの論点はいずれも相互に関連しているが、最大の焦点は「天下りの禁止」である。 テレ東の取締役トップ3である小孫茂会長、石川一郎社長、新実傑専務はいずれも日経で取締役を経験した人物だ。さらに、この6月からは同じく日経出身の吉次弘志・常務執行役員が常務取締役に就任する。そうなれば社内取締役7人のうち4人が日経、プロパーは3人のみになる。) ほかの民放大手にも全国紙の資本が入っており、新聞社から経営者を迎える慣行はある。しかし、テレ東以外の局ではプロパーの社長も出ており、出資比率3割強の日経によるテレ東への強権支配は異様といっていい。 こうした要求を突き付けられ、テレ東はもちろん日経もパニック状態となった。翌日には、東洋経済オンラインのスクープにより株主提案の内容は市場の知るところとなった』、「テレビ東京の」「総会のテーマが同社の筆頭株主である日本経済新聞社との関係・・・それは日本の経済報道をリードしてきた日経が覆い隠してきた宿痾の病巣」、「テレ東以外の局ではプロパーの社長も出ており、出資比率3割強の日経によるテレ東への強権支配は異様」、興味深そうだ。
・『日経に牙をむいた元記者たち パンドラの箱を開けたのはリムの日本投資担当者である松浦肇氏。実は日経新聞出身だ。1995年に入社し、主に証券部で数々のスクープを放ったが、ニューヨーク特派員を最後に退職。現地で産経新聞の編集委員を務めた後、金融界に転じた。 実父の松浦晃一郎氏は駐仏大使やユネスコ事務局長を務めた大物外交官。「日英仏のトリリンガルで、米コロンビア大学で複数の修士号を取得するなど経歴的にはピカピカ。だが、本人は坊主頭で筋骨隆々、むしろ野武士を思わせる人物だ。これまでの投資先を見る限り、本気で『世直し』のためにアクティビストをやっているふしがある」(元同僚)。 その野武士が、テレ東の新たな社外取締役候補として連れてきたのはこれまた日経OB。自らが師と仰ぐ阿部重夫氏だ。在職中に日本新聞協会賞を2回受賞した古豪である。 阿部氏は退社後に複数の媒体で編集長を務めた。月刊誌『選択』編集長時代には、2003年に当時の鶴田卓彦社長が退陣に追い込まれた際に日経の内情を徹底的に暴いた。 この事件は、当時日経新聞ベンチャー市場部長だった大塚将司氏が、社員株主として鶴田卓彦社長解任動議を提出した騒動に端を発する。子会社ティー・シー・ワークスでの融通手形操作によって巨額の損失が発生したことと、不適切に会社経費を使用した疑惑によるものだ。鶴田氏はスキャンダルにまみれて退場したが、大塚氏も1度は懲戒解雇された後味の悪い展開だった。『選択』2003年3月号は、日経の企業風土を端的に描いた。 〈組合は御用組合、融資銀行は日経に気兼ねしてモノ申せない。株主投票は記名式で、秘書室は開封して×をつけた株主をチェックする。逆らった社員には人事の報復が待つ。まさにコーポレートガバナンスの北朝鮮である。だから企業から『企業統治のお説教だけは日経から聞きたくない』と言われるのだ〉』、普段は「企業統治のお説教」を垂れている「日経」が、「株主投票は記名式で、秘書室は開封して×をつけた株主をチェックする。逆らった社員には人事の報復が待つ。まさにコーポレートガバナンスの北朝鮮」、「コーポレートガバナンスの北朝鮮」とは言い得て妙だ。
・『鶴田元側近の「OK戦争」 鶴田事件当時の経営風土が今も変わらぬことを象徴するのが、日経とテレ東それぞれの最高実力者だ。 日経のトップである岡田直敏会長、テレ東の小孫茂会長は、鶴田事件の前後に秘書室長を務めていた。ともに鶴田氏の毎夜のクラブ通いに付き添い、ゆがんだ統治構造にどっぷりつかり、それに順応してきた。 2人はともに1976年に日経に入社した。20人ほどしか採用されなかったという少ない同期のなかで、早くからお互いを意識していた。小孫氏は日経の多数派だった早稲田大学出身で、岡田氏はこのころは珍しかった東大法学部卒。記者としての力量に自負が強い小孫氏は、事務処理能力がとりえで入社当初から経営者になりたがっていた岡田氏のことを軽んじていたという。 性格は対照的だ。寡黙な岡田氏に比して小孫氏は気性が激しく、ゴルフ場でもキャディーを怒鳴りつける悪癖で知られる。大企業トップには珍しいキャラクターの持ち主というほかない。「最近は怒鳴るのは我慢し静かな口調でおどすので、よけいに怖い」(テレ東関係者)。 一方の岡田氏は「そもそも人づきあいが苦手で、記者時代も取材対象への食い込みを競うスクープ合戦とは無縁。さしたる功績もなかったが、企画づくりの手際はよかった。日経新聞の仕事はニュースの解説だと思っているようだ」(日経のベテラン記者A氏)。これでは水と油だろう。 日経の本流である経済部のエリートコースを歩んだ2人は社長レースでもデッドヒートを繰り広げた。社内で「OK戦争」と言われる全社を巻き込んだ争いの結果は岡田氏に軍配が上がり、小孫氏は涙をのんでテレ東に転出した。それまでテレ東社長の座は、歴代の日経トップが論功行賞のために側近を「天下り」させるポストだった。そこに岡田氏に敗れた小孫氏が派遣されたことは、日経の人事抗争に上場会社であるテレ東を巻き込む結果となった。岡田氏が意に添わぬ人材をテレ東に放逐する一方で、小孫氏は同社の独立王国化を図ってきた。 たとえば2020年度にはテレ東本社ビルの貸し主である住友不動産の株を政策保有株(いわゆる持ち合い株)として大幅に買い増した。これは、政策保有株の存在は企業経営を歪めると紙面で繰り返し論じてきた日経の方針と相容れないはずだが、テレ東が押し切ったかたちだ。 日経に遺恨を抱える「天下り」に勝手なことをされるテレ東こそいい面の皮だ。「ニュース番組に、テレ東側は望んでいない日経記者の出演を押し付けられることも増えた」とテレ東関係者は語る。 今回、リムがコーポレートガバナンス(企業統治)について疑義をつきつけたことに、テレ東の現場社員は内心声援を送っている。同社経営陣は対決姿勢をとっているが、これはまさに天に唾するもの。読者にガバナンスの重要性を説いてきた企業の独善性を自ら暴露した』、「今回、リムがコーポレートガバナンス(企業統治)について疑義をつきつけたことに、テレ東の現場社員は内心声援を送っている。同社経営陣は対決姿勢をとっているが、これはまさに天に唾するもの。読者にガバナンスの重要性を説いてきた企業の独善性を自ら暴露した」、「読者にガバナンスの重要性を説いてきた企業の独善性を自ら暴露した」、とは手厳しい。
・『外資が問題視する「天下り」 テレ東が無傷だったのは、アクティビストも日経を恐れていたからだ。それが証拠に、TBSHD、テレビ朝日HD、フジ・メディアHDなどほかのキー局はすでにアクティビストからリストラや増配などを厳しく求められてきた。PBR(株価純資産倍率)が1倍を下回るのが共通点で、現預金や不動産を豊富に持っているわりに利益水準は低い。要は資産を有効に使えていないのだ。 2022年3月末時点でテレ東HDの純資産は898億円に及ぶが、足元の時価総額は約540億円。PBRは0.6倍にすぎない。同業他社と同じメタボ体質ということになる。テレ東だけが無事だったのは、日経を敵に回して記事で報復されるのは、一般企業はもちろんアクティビストにとってもリスクだからだ。 テレ東は5月12日にリムによる株主提案に対する「取締役会意見」を公表したが、事前に予想された通り一切要求に応じない「ゼロ回答」だった。株式市場関係者をあきれさせたのは、資本コストの開示を拒否したことだ。資本コストとは企業の資金調達に伴うコストのこと。資本コストを超えた事業収益率をあげていないビジネスは投資家の期待に応えているとはいえない。 テレ東は「競争に影響を与える情報である資本コストを広く一般に開示すると、当社が今後実施する成長投資へ向けた交渉等において、不利益が生じる恐れがある」として開示を拒絶した。同時に「当社グループは放送事業の免許を受け、災害報道等では国民に広く早く、かつ切れ目なく情報をお届けする義務があり(中略)相応の余裕資金や自己資本が必要です」と正当化した。 災害報道うんぬんの事情はどこのテレビ局でも同じ。他局と比べてテレ東の情報開示に関する姿勢はひときわ消極的で、経済報道を看板とする企業とは思えない。) 政策保有株については「段階的かつ可及的に速やかに売却していくことが適当」としながらも「様々な経緯を踏まえて現在の状態になっている」と開き直った。 日本の株式市場で大株主や主要取引先からの「天下り」禁止は大きなテーマになっている。リムは2021年には平和不動産、2022年には鳥居薬品に、取引先や親会社からの天下りの禁止を求める株主提案を行った。 コーポレートガバナンスに詳しいギブンズ外国法事弁護士事務所のスティーブン・ギブンズ氏は、一般論としつつ、「大株主の企業で出世できなかった人間を『天下り』させるのは、子会社の経営効率を悪化させる。これはまさに、大株主には利益となる一方、子会社の一般株主には不利益をもたらす『利益相反』に当たる」と話す。 こうした議論は外国人を中心に機関投資家の賛同を得やすくなっており、松浦氏はそこに勝機を見出しているのだろう。 5月20日にテレ東はオンライン形式で2022年3月期の決算説明会を開催した。その場では投資家、アナリストから「日経との提携による売り上げ、営業利益の比率はどれだけあるのか」「6月からの人事案では社内取締役の過半数が日経出身となるが、狙いは何か」といった質問が飛んだ。リムの株主提案を受け、日経との関係に投資家からも厳しい目が向けられている。 リムのテレ東株の所有比率は1%台と見られる。今後の焦点は6月16日のテレビ東京HDの定時株主総会でリムの提案がどれだけの賛成票を集めるかだ。日経が3割強の株を押さえていることを考えれば、いずれかの議案で10%以上の賛成票を集められればリムとしては満足だろう。その場合は来年以降も繰り返し株主提案をつきつけ、テレ東のガバナンス改善を求めるとみられる』、6月16日付けの「テレビ東京HDの定時株主総会」の決議通知によれば、会社側提案が可決、株主側提案は否決されたようだ。
・『現場を殺す「デジタルシフト」 アクティビスト襲来という「外患」の前に、日経は「内憂」も抱えていた。岡田氏が進めてきたデジタル路線の行き詰まりと記者の大量離脱だ。 ジャーナリスト・小松東悟氏による「日経新聞で何が起きているのか」は、「文藝春秋」2022年7月号と「文藝春秋digital」に掲載されています』、「デジタル路線の行き詰まりと記者の大量離脱」、とは穏やかではないが、ここではこれ以上は分からないので、今後、分かれば改めてお知らせしたい。
次に、9月16日付け文春オンライン「日経新聞“金融専門メディア”編集長が二代連続で処分される“異常事態”」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/57331
・『「編集長が二代連続で処分され、『うちの会社のコンプライアンスは大丈夫なのか?』と疑問の声が挙がっています」 こう嘆息するのは、日本経済新聞社の現役社員・A氏である。
・『けん責処分の理由は? 社内に波紋が広がったのは、8月23日のこと。 「社内のイントラ(社員間の情報共有ツール)で、『日経フィナンシャル』編集長と論説委員を兼務するX氏の同日付のけん責処分が発表されたのです。会社からはX氏の処分理由について具体的な説明はなく、『部下へのパワハラではないか』などの憶測を呼びました」(同前) 日経フィナンシャルは、紙の新聞の部数減に歯止めがかからない中、デジタル化を推し進める日経の渾身の一手だった。 「一昨年、社運を賭けて始まった新媒体で、“金融の未来を読むデジタルメディア”として華々しく売り出しました」(同前) その価格設定もなかなかの強気だ。 「金融業界でバリバリ働くビジネスマンをターゲットにしたコンテンツが満載で、月額6000円の購読料は日経本紙よりも高額。ですが、会員数はすでに1万6000人を超えました。岡田直敏会長が社長時代に始めた肝煎りの事業。創刊1年目で黒字に転換したことで長谷部剛現社長から社長賞も授与されています」(同前)』、「月額6000円の購読料」で「会員数はすでに1万6000人を超えました」、とは大したものだ。
・『X氏は将来の社長候補 花形メディアを率いるX氏は有名私大を卒業後の1993年に入社。経済部で金融や財界を担当した後、ロンドンやシンガポール、ニューヨークへの駐在を経て、20年11月に編集長に就任した。 「帰国子女で英語がペラペラ。国際金融に明るく、大手メガバンク幹部らにも深く食い込んでいる。社内では王道の経済部出身で海外経験も豊富。同世代にライバルも少なく、将来の社長候補の1人と目されている」(日経社員B氏) そんなX氏に一体何があったのか。小誌が入手した「処罰辞令」のイントラ画面の写しには、X氏の名前とともにこう記されている。〈就業規則第七十七条一項十一号により、けん責とする〉』、「将来の社長候補の1人と目されている」人物が、「けん責」とは大変だ。
・『店の店主と揉めて… 就業規則を読むと、同条文には「他人に暴行、脅迫を加え、または迷惑をかけたとき」とある。 「X氏は取材熱心で毎晩のように取材先と会食を重ねているのですが、そこで店の店主と揉めてトラブルとなってしまったのです。後日、その店から日経本社にクレームが入って事態が露見。今回の処分となりました」(同前) 実は日経フィナンシャルの編集長が処分されるのはこれが初めてではない。 「2年前に初代編集長が後輩記者に悪質なセクハラをしたとして、就任後わずか半年で突然解任され、退社した。その後を託されたのがX氏でした。編集長が二代連続で処分され、社内では“異常事態”といわれています」(同前)』、「編集長が二代連続で処分され」、いくら「編集長」のプレッシャーが強いとはいえ、「“異常事態”」だ。
・『日経広報室の回答は X氏の周辺を取材するとこんな声も聞こえてくる。 「Xさんは仕事面ではいわゆる“できる男”で経歴もピカピカなのですが、普段から部下に対して歯に衣着せずにものを言うタイプで緊張感が漂っている。その矛先が今回はお店の人に向いてしまったのでは。お酒はなんでもよく飲みますし、飲むととにかく長いんです」(日経社員C氏) 日経広報室に問い合わせると、こう回答した。 「ご質問の社員は、社内規定に基づき処分しました。事実関係は公表していません」 酒席での失態に、反省しきりだというⅩ氏。金融の未来は読めても、自身の未来は読めなかった……』、日経でのけん責処分の重さは分からないが、一般的にはそれほど重い処分ではなく、リカバリー可能なのではなかろうか。
第三に、8月18日付けダイヤモンド・オンライン「【元外交官が語る】「日本のニュース」が「世界標準の報道」からズレる理由 『世界96カ国で学んだ元外交官が教える ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』著者・山中俊之インタビュー」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/306523
・『日本で生活していると「日本の報道」に触れることはあっても「世界の報道」に触れる機会はなかなかない。しかし、じつは世界では大きく報道されているニュースでも、日本ではほとんど報道されていないものもある。今回は『ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』の著者で元外交官、世界96カ国を訪れた経験を持つ山中俊之さんに「日本人に理解してもらいたい世界の時事問題ベスト3」を聞いてみた。さらに、山中さんがおすすめする「日本目線」だけでなく「世界の目線」に触れられるメディアも必見(Qは聞き手の質問)』、興味深そうだ。
・『知っておくべき「世界の時事問題」 Q:山中さんは外交官として活躍され、その後も含めると世界96カ国を訪問されているのですが、日本と世界を比べた場合、報道されているテーマや内容に違いを感じることはありますか? 山中俊之(以下、山中):ものすごくあります。もちろん、どの国も「自分たちの国の目線」はありますし、それぞれに関心があるテーマは違うのですが、日本のメディアは「特にここが弱い」と感じることがあります。 Q:たとえば「いま、日本人にもっと知ってもらいたい時事問題」を挙げるとしたら、どんなものがあるでしょうか。 山中:一番は移民・難民問題です。ロシア・ウクライナの戦争が起こり、避難民のことはけっこう報じられましたが、世界的に見て、日本の人口あたりの難民の受け入れ率や申請して受け入れられる人数は非常に低いです。 移民・難民は世界では大問題で、アメリカ大統領選挙でも主要な論点になります。イギリスがEUから離脱する問題、いわゆるブレグジットも移民・難民の問題が根底にあります。 しかし、日本ではあまり話題になりません。避難民の話が多少あったとしても、総選挙で「難民の受け入れをどうするか」「移民についてこうしていこう」なんて話はまず論点に上がらないですね。それだけ国民の関心が低いということです』、「移民・難民は世界では大問題」だが、「日本ではあまり話題になりません」、その通りだ。
・『なぜ、日本の報道はズレるのか? Q:世界では大きな論点になるのに、日本ではならないのはどうしてなのでしょうか? 山中:島国で、移民や難民が陸路で来ることがないのは1つの理由でしょうね。物理的に国境を越えて、やってくるのが難しいという点です。 そうした地理的環境も手伝って、日本人のマインドというか、問題意識が非常に低いというのはあるでしょう。かつてベトナム難民を相当数受け入れたことがありましたが、それ以降は大きく受け入れたことはほぼありません。 じつはこれは世界では恥ずかしいことでして、国際会議に参加したことのある人であれば、そうした日本のスタンスが話題になり、恥ずかしい思いをしたことがある人も多いはずです。 「難民を受け入れる、受け入れない」以前の話として、もう少し世界の大問題に関心を持つことは必要だと感じます。 以前、ある海外メディアの日本語版をつくっている編集者が「(海外版では載っていても)日本語版にするときに扱わないテーマがあって、それが移民・難民の問題だ」と言っていました。 このテーマを扱っても売れないんだそうです。こういったことが積み重なって、「日本の報道」と「世界の報道」との間に大きなギャップが生じていくのだと思います』、「かつてベトナム難民を相当数受け入れたことがありましたが、それ以降は大きく受け入れたことはほぼありません。 じつはこれは世界では恥ずかしいことでして、国際会議に参加したことのある人であれば、そうした日本のスタンスが話題になり、恥ずかしい思いをしたことがある人も多いはずです」、その通りだ。
・『「再生可能エネルギー」への関心が低い日本 Q:移民・難民問題とは別に、世界と比べて特に日本のメディアが報じないテーマはありますか? 山中:再生可能エネルギーに関する話題ですね。もちろん日本でも再生可能エネルギーに関する報道はありますが、世界に比べて圧倒的に少ないですし、私の肌感覚ですが、国民の意識も低いと感じます。 脱炭素を実現する動きは世界では活発に議論されていますし、EUのなかでも特にドイツは熱心に再生可能エネルギーに関して主張していますね。 といっても、社会のなかで、なんでもかんでも賛成、賛同されているわけではありません。 「自然を破壊してソーラーパネルを設置しているなんておかしいじゃないか!」「壊れたらどう対処するのか!」などの反対意見もありますし、「風力発電の騒音の問題」など賛否両論いろんな意見が出て、活発に議論されています。 日本もそうですが、世界の国々だって、旧来の電力系の会社から多くの献金を受けている政党や政治家はいますから、どの国も、ものすごく再生可能エネルギーへの移行が進んでいるわけではありません。 そこは一筋縄ではいかないんですよ。ただ、再生可能エネルギーの問題が日本に比べて盛んに報道され、活発に議論されていることは間違いありません』、「日本でも再生可能エネルギーに関する報道はありますが、世界に比べて圧倒的に少ないですし、私の肌感覚ですが、国民の意識も低いと感じます」、残念なことだ。
・『日本は「個人の影響力」を軽視している Q:地球環境を考えれば、再生可能エネルギーの問題を考えることの大切さは日本人も理解していると思うのですが、そこへの関心が低かったり、活発な議論にならないのはどうしてなんでしょうか。 山中:アメリカやヨーロッパでも関心のある人とそうでない人の差はあるので、そこは日本も同じだと思います。ただし、報道のされ方というか、討論番組のつくりにはちょっと違いを感じます。 Q:「番組のつくり」が違うとはどういうことですか? 山中:日本のテレビでも討論番組はそれなりにあるんですが、あそこに出てきている人たちは、立派な肩書きがある人ばかりのように感じるんですよ。 政治家や弁護士はもちろん、さまざまな活動をしている人が出演する場合でも、NPO法人の代表、一般社団法人の代表みたいな人が多いですよね。 Q:確かにそうですね。 山中:一方、アメリカやヨーロッパでは、こうした社会課題に対して個人で精力的に活動している人がどんどん番組に出て、活発に議論しているんです。 個人的な印象ですが、日本はそうした個人の活動家の影響力をやや軽視しているように感じます。 海外では、そうした人たちが株主総会にもシェアホルダーとしてガンガン入ってきて「企業の意思決定に影響力を及ぼしていこう」という動きが活発です。企業側の人たちにとっても、無視できない影響力を持ってきているんです。 日本企業の役員たちでも、そうした動きに敏感な人たちは積極的に対応しているのですが、まだまだ「そんなに重視しなくていいよ」「適当にあしらっておけ」「めんどくさい連中」くらいにしか捉えていない人もたくさんいます。 その辺りからも「個人の影響力が軽視されている」と感じますね。 でも、日本でも少しずつ、そうした影響力を無視できないようになっていくと思います。株式総会のシェアホルダーとしてやってきて「環境問題に詳しい人が取締役に1人も入っていないじゃないか!」「そんな決議は賛成できない」と言い出す人は出てくるでしょう。 もちろん、そうした人がたくさんの株を持っていることは稀でしょうから、最終的に提案は通らないでしょうけど、でも、少しずつ議論は活発にはなっていくと思います』、「討論番組のつくり」、「日本のテレビでも討論番組・・・に出てきている人たちは、立派な肩書きがある人ばかり」、「政治家や弁護士・・・NPO法人の代表、一般社団法人の代表みたいな人が多い」、「アメリカやヨーロッパでは、こうした社会課題に対して個人で精力的に活動している人がどんどん番組に出て、活発に議論」、「日本はそうした個人の活動家の影響力をやや軽視しているように感じます。 海外では、そうした人たちが株主総会にもシェアホルダーとしてガンガン入ってきて「企業の意思決定に影響力を及ぼしていこう」という動きが活発です」、「海外では、そうした人たちが株主総会にもシェアホルダーとしてガンガン入ってきて「企業の意思決定に影響力を及ぼしていこう」という動きが活発です。企業側の人たちにとっても、無視できない影響力を持ってきているんです。 日本企業の役員たちでも、そうした動きに敏感な人たちは積極的に対応しているのですが、まだまだ「そんなに重視しなくていいよ」「適当にあしらっておけ」「めんどくさい連中」くらいにしか捉えていない人もたくさんいます」、彼我の違いは大きいようだ。
・『日本のメディアは政治関連のウェイトが高すぎる 山中:最後にもう1つ挙げるとしたら、やはり「新冷戦」というか「世界の安全保障」についてでしょうね。ロシア・ウクライナの戦争が起こったことで世界は再び分断に向かっているとは思うんです。 これからロシアが中国とさらに結びついていく可能性はありますし、少なくとも、軍事力によるバーゲニングパワー(国際間の交渉・折衝における対抗力)は強まったと思います。 実際に軍事行動を起こさないまでも、軍事行動を起こすギリギリのところまでいってから妥協点をみいだす。そんな外交手段、外交圧力がもっともっと起こってくるかもしれません。 2008年にロシアがジョージアに侵攻しましたが、それ以前の国際政治の専門家が現代の状況を見たら、この現状に驚嘆すると思います。それくらい軍事力による外交は起こりやすくなっているのが実態です。 核兵器はもともとバーゲニングパワーですし、軍事力全般を含め、外交におけるそのウエートは高まったと言わざるを得ません。 それは国家間の緊張を高めてしまうだけでなく、国の予算が軍事力に割かれるようになって、福祉や教育への割り振りが少なくなってしまうなど、私たちの日常生活にも直接影響してきます。そうしたことに、もっと私たちは目を向けていかなければならないと思います。 Q:日本で生活していると、どうしても「日本目線の報道」にしかなかなか触れることができないのですが、少しでもグローバルな情報、視点をキャッチするために「これはチェックしておいた方がいい」というメディアはありますか。 山中:できれば、英語メディアを取り入れたいです。「ニューヨーク・タイムズ」は、玉石混合のネット情報とは一線を画する信頼性の高さで購読者数が世界で増加しています。 世界での影響力という点では、「エコノミスト」や「タイム」といった雑誌を目を通すことにも意味があります。日本語版で出ているものとしては、「ニューズウィーク」が良いと思います。英語メディア以外では、世界各国の報道が日本語で見れるNHK BS1の「ワールドニュース」がお奨めです。 私はよく新聞記者の方ともディスカッションさせていただくのですが、日本の報道は政治に寄りすぎているように感じます。もっと世界情勢や経済、ビジネスの最先端などの報道がされてもいいのにと常々思っています。 首相が何を言ったとか、何をしたとか、選挙がどうなっている、などもいいのですが、政治家の失言やスキャンダルも含めて、政治の話題が多すぎますよね。 そういう意味でも、ときには世界のメディアに触れて、いつもとは違った目線で世界や社会を見つめることが非常に大切だと思います。)(著者紹介はリンク先参)』、「軍事力による外交は起こりやすくなっているのが実態です。 核兵器はもともとバーゲニングパワーですし、軍事力全般を含め、外交におけるそのウエートは高まったと言わざるを得ません。 それは国家間の緊張を高めてしまうだけでなく、国の予算が軍事力に割かれるようになって、福祉や教育への割り振りが少なくなってしまうなど、私たちの日常生活にも直接影響してきます。そうしたことに、もっと私たちは目を向けていかなければならないと思います」、「「ニューヨーク・タイムズ」は、玉石混合のネット情報とは一線を画する信頼性の高さで購読者数が世界で増加しています。 世界での影響力という点では、「エコノミスト」や「タイム」といった雑誌を目を通すことにも意味があります。日本語版で出ているものとしては、「ニューズウィーク」が良いと思います。英語メディア以外では、世界各国の報道が日本語で見れるNHK BS1の「ワールドニュース」がお奨めです」、「ときには世界のメディアに触れて、いつもとは違った目線で世界や社会を見つめることが非常に大切だと思います」、このブログでもこうした「世界のメディア」の注目記事は出来るだけ紹介するようにしている。
タグ:6月16日付けの「テレビ東京HDの定時株主総会」の決議通知によれば、会社側提案が可決、株主側提案は否決されたようだ。 「今回、リムがコーポレートガバナンス(企業統治)について疑義をつきつけたことに、テレ東の現場社員は内心声援を送っている。同社経営陣は対決姿勢をとっているが、これはまさに天に唾するもの。読者にガバナンスの重要性を説いてきた企業の独善性を自ら暴露した」、「読者にガバナンスの重要性を説いてきた企業の独善性を自ら暴露した」、とは手厳しい。 「軍事力による外交は起こりやすくなっているのが実態です。 核兵器はもともとバーゲニングパワーですし、軍事力全般を含め、外交におけるそのウエートは高まったと言わざるを得ません。 それは国家間の緊張を高めてしまうだけでなく、国の予算が軍事力に割かれるようになって、福祉や教育への割り振りが少なくなってしまうなど、私たちの日常生活にも直接影響してきます。そうしたことに、もっと私たちは目を向けていかなければならないと思います」、 (その34)(日経新聞で何が起きているのか 記者の大量退職、“物言う株主”に狙われたテレ東の運命は、日経新聞“金融専門メディア”編集長が二代連続で処分される“異常事態”、【元外交官が語る】「日本のニュース」が「世界標準の報道」からズレる理由 『世界96カ国で学んだ元外交官が教える ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』著者・山中俊之インタビュー) メディア 「日本でも再生可能エネルギーに関する報道はありますが、世界に比べて圧倒的に少ないですし、私の肌感覚ですが、国民の意識も低いと感じます」、残念なことだ。 「かつてベトナム難民を相当数受け入れたことがありましたが、それ以降は大きく受け入れたことはほぼありません。 じつはこれは世界では恥ずかしいことでして、国際会議に参加したことのある人であれば、そうした日本のスタンスが話題になり、恥ずかしい思いをしたことがある人も多いはずです」、その通りだ。 ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門 ダイヤモンド・オンライン「【元外交官が語る】「日本のニュース」が「世界標準の報道」からズレる理由 『世界96カ国で学んだ元外交官が教える ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』著者・山中俊之インタビュー」 日経でのけん責処分の重さは分からないが、一般的にはそれほど重い処分ではなく、リカバリー可能なのではなかろうか。 「編集長が二代連続で処分され」、いくら「編集長」のプレッシャーが強いとはいえ、「“異常事態”」だ。 「将来の社長候補の1人と目されている」人物が、「けん責」とは大変だ。 「月額6000円の購読料」で「会員数はすでに1万6000人を超えました」、とは大したものだ。 文春オンライン「日経新聞“金融専門メディア”編集長が二代連続で処分される“異常事態”」 「デジタル路線の行き詰まりと記者の大量離脱」、とは穏やかではないが、ここではこれ以上は分からないので、今後、分かれば改めてお知らせしたい。 「ときには世界のメディアに触れて、いつもとは違った目線で世界や社会を見つめることが非常に大切だと思います」、このブログでもこうした「世界のメディア」の注目記事は出来るだけ紹介するようにしている。 「「ニューヨーク・タイムズ」は、玉石混合のネット情報とは一線を画する信頼性の高さで購読者数が世界で増加しています。 世界での影響力という点では、「エコノミスト」や「タイム」といった雑誌を目を通すことにも意味があります。日本語版で出ているものとしては、「ニューズウィーク」が良いと思います。英語メディア以外では、世界各国の報道が日本語で見れるNHK BS1の「ワールドニュース」がお奨めです」、 普段は「企業統治のお説教」を垂れている「日経」が、「株主投票は記名式で、秘書室は開封して×をつけた株主をチェックする。逆らった社員には人事の報復が待つ。まさにコーポレートガバナンスの北朝鮮」、「コーポレートガバナンスの北朝鮮」とは言い得て妙だ。 日本企業の役員たちでも、そうした動きに敏感な人たちは積極的に対応しているのですが、まだまだ「そんなに重視しなくていいよ」「適当にあしらっておけ」「めんどくさい連中」くらいにしか捉えていない人もたくさんいます」、彼我の違いは大きいようだ。 「テレビ東京の」「総会のテーマが同社の筆頭株主である日本経済新聞社との関係・・・それは日本の経済報道をリードしてきた日経が覆い隠してきた宿痾の病巣」、「テレ東以外の局ではプロパーの社長も出ており、出資比率3割強の日経によるテレ東への強権支配は異様」、興味深そうだ。 「日本はそうした個人の活動家の影響力をやや軽視しているように感じます。 海外では、そうした人たちが株主総会にもシェアホルダーとしてガンガン入ってきて「企業の意思決定に影響力を及ぼしていこう」という動きが活発です」、「海外では、そうした人たちが株主総会にもシェアホルダーとしてガンガン入ってきて「企業の意思決定に影響力を及ぼしていこう」という動きが活発です。企業側の人たちにとっても、無視できない影響力を持ってきているんです。 「討論番組のつくり」、「日本のテレビでも討論番組・・・に出てきている人たちは、立派な肩書きがある人ばかり」、「政治家や弁護士・・・NPO法人の代表、一般社団法人の代表みたいな人が多い」、「アメリカやヨーロッパでは、こうした社会課題に対して個人で精力的に活動している人がどんどん番組に出て、活発に議論」、 文春オンライン「日経新聞で何が起きているのか 記者の大量退職、“物言う株主”に狙われたテレ東の運命は」
メディア(その33)(朝日新聞元エース記者が暴露する朝日新聞政治部シリーズ:(4)内閣官房長官の絶大な権力、「朝日はこうして死んだ」、泉房穂明石市長との対談:このままでは自滅して沈んでいくだけ 大マスコミと政治家・官僚はしょせん「同じ穴のムジナ」なんです) [メディア]
昨日に続いて、メディア(その33)(朝日新聞元エース記者が暴露する朝日新聞政治部シリーズ:(4)内閣官房長官の絶大な権力、「朝日はこうして死んだ」、泉房穂明石市長との対談:このままでは自滅して沈んでいくだけ 大マスコミと政治家・官僚はしょせん「同じ穴のムジナ」なんです)を取上げよう。
先ずは、5月26日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第4回〜内閣官房長官の絶大な権力 朝日新聞政治部(4)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95522?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓する『朝日新聞政治部』(5月27日発売、現在予約受付中)は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 7日連続先行公開の第4回は、内閣官房長官が持つ権力の正体を暴き、それに迎合する番記者たちの姿を浮き彫りにする』、「内閣官房長官が持つ権力の正体」とは興味深そうだ。
・『官房長官には総理より多くの情報が集まる 小泉総理は郵政選挙に圧勝した1年後の2006年秋、安倍晋三氏を後継指名して勇退した。安倍総理は塩崎恭久官房長官ら親密な仲間で主要ポストを固め「お友達内閣」と呼ばれたが、スキャンダルが相次いで失速。2007年夏の参院選で惨敗し、過半数を失う。衆参で与野党が逆転する「ねじれ国会」に突入した。 安倍総理は政権を立て直すため、官房長官にベテランの与謝野馨氏を起用した。政治部に復帰した私は官邸クラブに配属され、与謝野氏の担当を命じられた。官房長官番だ。 官房長官は「内閣の要」と言われる。すべての政策や人事に深くかかわる。総理に上がる情報は、その前に官房長官の手で取捨選択される。官房長官には総理より早く多くの情報が集まる。 領収書不要の官房機密費を管理するのも官房長官の権限。長官室の金庫には常に数千万円の現金が保管され、政界対策や世論対策に投入されていく。官房長官が札束を持ち出した翌日には金庫に現金がすぐに補充される。 もうひとつの武器は、毎日午前と午後に官邸で開く官房長官会見だ。この場の発言が政府の公式見解となる。何をどこまで公にするのか、どういう言い回しにするかが、政局や政策の流れを決める。官房長官は記者会見で政治の主導権を握ることができるのだ。 官房長官の権限は絶大だ。ある意味で総理を上回る。霞が関のエリート官僚たちは総理よりも官房長官の顔色をうかがうことが多い。総理としては最も信頼を寄せる政治家、決して裏切らない政治家を起用したい。安倍総理が塩崎氏を起用したのは同世代で親密な仲間だからだった。しかし「お友達内閣」は参院選で惨敗し、政権立て直しのためベテランの与謝野氏を受け入れざるを得なくなったのだ。 与謝野氏は与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫としても有名である。東大を卒業した後、日本原子力発電を経て中曽根康弘元総理の秘書となり、政界入りしたサラブレッド。財務省や経済産業省に大きな影響力を持つ経済政策通として評価される一方、ハト派・リベラル派の顔を持ち、マスコミ界との交流も深かった。 官僚でもとりわけ与謝野氏を敬愛していたのが、のちに経産事務次官になる島田隆氏である(岸田政権で事務次官経験者としては異例の首相秘書官に就任した)。島田氏は与謝野氏が通産大臣の時に信頼を獲得。与謝野氏が小泉内閣で竹中平蔵氏の後継の経済財政担当大臣になり、総務大臣に転じた竹中氏と激しい政策論争を繰り広げた時も、側近として仕えた。どんな職務にあろうとも東京・六本木の与謝野邸に早朝から通い、英字新聞を含め与謝野氏が読むべき記事を用意してから職場へ向かうスーパー官僚だった。衆目が一致する与謝野氏の右腕である。与謝野氏の官房長官就任にあわせて秘書官に就任したのは自然の流れだった』、「総理に上がる情報は、その前に官房長官の手で取捨選択される。官房長官には総理より早く多くの情報が集まる。 領収書不要の官房機密費を管理するのも官房長官の権限。長官室の金庫には常に数千万円の現金が保管され、政界対策や世論対策に投入されていく。官房長官が札束を持ち出した翌日には金庫に現金がすぐに補充される。 もうひとつの武器は、毎日午前と午後に官邸で開く官房長官会見だ。この場の発言が政府の公式見解となる」、「総理より早く多くの情報が集まる」、「官房機密費を管理」、「官房長官会見」で「政府の公式見解」、いずれも重要な役割だ。
・『「俺と竹中とどっちが魅力的か、見せてやろう」 私は官房長官番に就任するにあたり、東京・四谷にある与謝野事務所に挨拶に訪ねた。そこへ現れたのが島田氏だった。彼は「あなたのことはよく知っています」と静かに語り、立ちはだかった。与謝野氏が竹中氏と闘っている時、あなたが竹中番として寄り添っていたことを忘れていない、何をしにここへ来たのか、という含意がそこに読み取れた。私は島田氏に気圧され、しばし立ちすくんでいた。 その時である。事務所の奥から、ややしわがれた声が聞こえてきた。 「島田ちゃん、いいじゃないか。通してやれよ。俺と竹中とどっちが魅力的か、見せてやろうじゃないか」 それが与謝野氏だった。大物政治家とはこういうものだ。度量の広さを見せつけ、周囲の者を取り込んでいく。それは「お友達内閣」に最も欠けていた資質かもしれなかった。私は初対面で与謝野氏に惹かれた。きっと島田氏もそうして惹かれていったのだろう。 与謝野官房長官の記者会見の受け答えは味わいがあった。私は政治家を厳しく追及するのが好きだったが、与謝野氏は答えるべきことは答え、かわすべきことは見事にかわした。文学的、芸術的な表現を交えて受け流していく。それでも食い下がる私とのやりとりをまるで楽しんでいるようであった。自らの識見、理解力、答弁力に対する圧倒的な自信の裏返しであったのだろう。 安倍内閣の菅義偉官房長官の対応は対照的だった。何を聞いても「問題ない」「批判は当たらない」の一言ではぐらかす。各社政治部の番記者もそれを許容し、二の矢三の矢を放たない。そこへ乗り込んだ東京新聞社会部の望月衣塑子記者の厳しい追及に対し、菅氏は不快な表情をみせ、司会役の官邸広報室長は質問を妨害し、質問回数に制限を加えた。醜悪だったのは、各社政治部の官房長官番が望月記者の質問を妨害することに抗議せず、それを黙殺し、官邸側に歩調を合わせたことだった』、「与謝野事務所」の「島田氏」は来客を事前にチェックするという意味で秘書としては有能だ。そのやり取りを聞いて、「通してやれよ。俺と竹中とどっちが魅力的か、見せてやろうじゃないか」と言った「与謝野氏」はさすが「大物政治家」らしい。「与謝野氏は答えるべきことは答え、かわすべきことは見事にかわした。文学的、芸術的な表現を交えて受け流していく。それでも食い下がる私とのやりとりをまるで楽しんでいるようであった。自らの識見、理解力、答弁力に対する圧倒的な自信の裏返しであったのだろう」、これに対し、「菅義偉官房長官の対応は対照的だった。何を聞いても「問題ない」「批判は当たらない」の一言ではぐらかす」、「東京新聞社会部の望月衣塑子記者の厳しい追及に対し、・・・司会役の官邸広報室長は質問を妨害し、質問回数に制限を加えた。醜悪だったのは、各社政治部の官房長官番が望月記者の質問を妨害することに抗議せず、それを黙殺し、官邸側に歩調を合わせたことだった」、「各社政治部」の体質を如実に示している。
・『官房長官番という仕事 官房長官番はなぜこうした行動に出るのか。彼らは自民党幹事長番と並んで政治取材の中核である。官房長官と幹事長には政権の重要情報が集約される。番記者がどれだけ情報を取れるかは、各社の政治報道の「勝ち負け」に直結する。 特に官房長官番は激務だ。毎日2回の記者会見は業務の一部でしかない。官房長官には常に15~20社の番記者が張り付く。朝から晩まで政治家や官僚の面会が相次ぐタイトな日程をかいくぐり、他社を出し抜いて情報を得なければならない。官房長官に食い込んだ番記者は深夜や週末にサシで取材する機会を得る。そこで「特ダネ」をもらうこともあるが、そうした番記者はごく一握り。大半の番記者は「特ダネ」を取れなくても最低限こなさなければならない役割がある。「ウラ取り」だ。 官房長官には外交から内政まで政策全般、選挙から国会まで政局全般、さらに公安情報まで、ありとあらゆる情報が集まる。官房長官が総理の意向を踏まえつつ「OK」したものだけが「政府の意思決定」となる。新聞記事で「政府が~という方針を固めた」と表現されているものの多くは、官房長官の裏付け取材を経たものだ。官房長官が「OK」する前の情報を「政府」の主語で報じるのは禁じ手である。「財務省は~」「外務省は~」という主語にするか、「政府内で~の案が浮上した」「政府内で~の検討が進んでいる」という表現にとどめなければミスリードといっていい。 官房長官番は連日、官房長官から「裏付け」を取るようデスクやキャップからプレッシャーを受けている。「○○省の次官に○○氏が内定したと○○省担当記者が言っているから裏を取れ」「○○省が○○法改正案をまとめたというので裏を取れ」「ワシントンから日米首脳会談の日程情報が入ったので裏を取れ」といった具合だ。これを官房長官会見で聞くわけにはいかない。他社にバレてしまう。 激務の官房長官をサシでつかまえるのは難しい。朝晩に電話するしかない。携帯番号を教えてもらい、電話に出てもらえる信頼関係をつくらなければ仕事にならない。官房長官は忙しい。その合間に着信記録をみて折り返してくれる関係をつくらなければ官房長官番は「失格」の烙印を押されてしまう』、「官房長官番は連日、官房長官から「裏付け」を取るようデスクやキャップからプレッシャーを受けている」、「携帯番号を教えてもらい、電話に出てもらえる信頼関係をつくらなければ仕事にならない」、これは大変そうだ。
・『「特オチ」しても譲れなかった信念 与謝野氏のように厳しい質問を楽しむような官房長官ならよい。しかし菅氏のように厳しい質問をする記者を遠ざける官房長官なら、番記者はどうしてもたじろぐ。嫌われて電話に出てもらえなくなれば日常業務を果たせなくなり、「無能な政治記者」として飛ばされてしまう。 菅氏は政治部や番記者の事情を熟知し、「都合の良い記者」と「不都合な記者」への対応を露骨に変えることで自らへの批判を封じ、番記者全体を「防御壁」に仕立てるのが巧妙だった。番記者たちが望月記者の追及から菅氏を守った真相はそこにある。 与謝野氏は就任1ヵ月で、安倍氏が体調不良を理由に入院したまま退陣したため官房長官を退いた。現職総理が入院するという緊急事態で、与謝野氏の裁きぶりはフェアだった。連日記者会見で丁寧に病状を説明した。その間、安倍後継を決める政局とは一線を画し、次の福田康夫内閣では要職から身を引いた。小渕恵三総理が病に倒れた時に青木幹雄官房長官ら「五人組」が情報をひた隠しにして密室で森喜朗氏を後継総理に決めたことや、安倍総理が入院した際に菅官房長官が総裁選に出馬して勝利したことと比べると、与謝野氏の振る舞いは清廉だった。 私は官房長官番になるにあたり、上司にひとつお願いをした。番記者として官房長官と対等な関係をつくるには、電話で頭を下げて裏付け取材をするわけにはいかない日があることを認めてほしい、ということだった。官房長官会見で厳しく追及した夜に電話して「これを確認させてください」とお願いするようでは、対等な関係はつくれない。「特オチ」してもやせ我慢し、緊張関係を保つことが重要だ。だが、政治取材の要である官房長官番がそうした態度を貫けば、朝日新聞は「特オチ」を繰り返し、番記者だけの問題ではなくなる。政治部としてそれを許容する覚悟が必要であった。 当時の上司は私の願いを受け入れた。私は与謝野氏の後を受け継いだ町村信孝氏まで2代にわたって官房長官番を務めたが、決してへりくだらなかった。与謝野氏も町村氏もそんな私を拒まなかった。記者との緊張関係をギリギリ保っていた時代の政治家だった』、「菅氏は政治部や番記者の事情を熟知し、「都合の良い記者」と「不都合な記者」への対応を露骨に変えることで自らへの批判を封じ、番記者全体を「防御壁」に仕立てるのが巧妙だった。番記者たちが望月記者の追及から菅氏を守った真相はそこにある」、「番記者全体を「防御壁」に仕立てる」とは高度な技だ。「官房長官会見で厳しく追及した夜に電話して「これを確認させてください」とお願いするようでは、対等な関係はつくれない。「特オチ」してもやせ我慢し、緊張関係を保つことが重要だ。だが、政治取材の要である官房長官番がそうした態度を貫けば、朝日新聞は「特オチ」を繰り返し、番記者だけの問題ではなくなる。政治部としてそれを許容する覚悟が必要であった。 当時の上司は私の願いを受け入れた。私は与謝野氏の後を受け継いだ町村信孝氏まで2代にわたって官房長官番を務めたが、決してへりくだらなかった。与謝野氏も町村氏もそんな私を拒まなかった。記者との緊張関係をギリギリ保っていた時代の政治家だった」、「特オチ」を覚悟した「朝日新聞政治部」も大したものだ。「与謝野氏も町村氏もそんな私を拒まなかった。記者との緊張関係をギリギリ保っていた時代の政治家だった」、そんな政治家が少なくなっているのだろうが、寂しいことだ。
次に、6月11日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露「朝日はこうして死んだ」 『朝日新聞政治部』著者が明かす」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95754?imp=0
・『巨大組織が現場社員に全責任を押し付ける。メディアが一斉に非難を浴びせるような出来事が、あの朝日新聞で行われた。大企業が陥った「危機管理の失敗」を、エース記者が精緻な目線で内部告発する』、興味深そうだ。
・『社長も大喜びだったのに 隠蔽、忖度、追従、保身、捏造、裏切り。 メディアが政権を責め立てるとき、頻繁に使われる言葉だ。だが、権力批判の急先鋒たる朝日新聞にこそ、向けられるべき指摘だという。元朝日新聞記者の鮫島浩氏(50歳)はこう振り返る。 「'14年9月11日、木村(伊量)社長(当時)が『吉田調書』報道を取り消したことで、朝日新聞は死んだと思っています。同時に、私の会社員人生は一瞬にして奈落の底へ転落してしまいました」 5月27日に刊行された『朝日新聞政治部』が大きな話題になっている。大新聞が凋落する様子が登場人物の実名とともに生々しく描かれたノンフィクションだ。 著者で政治部出身の鮫島氏は、与謝野馨元財務相や古賀誠元自民党幹事長などの大物政治家に食い込み、数々のスクープを放ったエース記者だった。なぜ大手新聞社の中枢に身を置いた彼が「内部告発」をするのか。そして、なぜ朝日新聞は「死んだ」と言えるのか』、どういうことなのだろう。
・『原発事故報道でスクープを連発 時計の針を'12年に巻き戻そう。当時、政治部デスクだった鮫島氏は、先輩に誘われて特別報道部に異動した。 特別報道部は、'05年に朝日新聞の記者が田中康夫元長野県知事の発言を捏造した「虚偽メモ事件」をきっかけに創設されたチームだ。政治部や経済部などから記者を集めて調査報道に専従させる。'11年に起きた東日本大震災と原発事故で、調査報道の重要性が見直されていた頃だった。鮫島氏が加わった特別報道部は、原発事故の報道で輝かしい結果を残していく。 福島第一原発周辺で行われている国の除染作業をめぐり、一部の請負業者が除染で集めた土や洗浄で使った水などを、回収せずに山や川に捨てている様子を取り上げた「手抜き除染」は'13年の新聞協会賞を受賞した。 もっとも世間の注目を集めたのは、「吉田調書」報道だ。福島第一原発元所長の吉田昌郎氏が政府事故調査委員会の聴取に応じた記録を独自入手し、事故対応の問題点を報じたのだ。記事を手がけたのは、特別報道部の記者3人と担当デスクを務めた鮫島氏のチームだった』、「福島第一原発元所長の吉田昌郎氏が政府事故調査委員会の聴取に応じた記録を独自入手し、事故対応の問題点を報じた」のであれば、極めて重要性の高いものだ。
・『木村社長も大興奮、しかし…… このスクープは、'14年5月20日の朝刊1面と2面で大展開された。第一報では、「朝日新聞が吉田調書を独自入手したこと」、「吉田所長は第一原発での待機を命じていたのに、所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していたこと」が主に報じられた。 報道直後から社内外では大反響が広がった。当時の朝日新聞社内の様子を著書から抜粋しよう。 〈朝日新聞社内は称賛の声に包まれた。市川誠一特別報道部長は「木村社長が大喜びしているぞ。社長賞を出す、今年の新聞協会賞も間違いないと興奮している」と声を弾ませていた〉 吉田調書報道を主導していた鮫島氏は、絶頂の真っ只中にいた。社内では多くの社員から取り囲まれて握手攻めにあい、同僚たちから祝福のメールが届いた。 特別報道部と鮫島氏が、わずか4ヵ月後に転落するとは誰も思わなかっただろう。 絶頂にあった特別報道部に対して、木村伊量社長らはまるで「手のひら返し」をするように冷淡になってゆく。そして事態は、特集記事「慰安婦問題を考える」の掲載をきっかけに急展開するのだった。特別報道部と鮫島氏を待ち受ける過酷な運命を、後編記事「なぜ朝日新聞は『読者に見捨てられる』のか? 元朝日スクープ記者が明かす」でお伝えする』、「後編記事」は見当たらないので推測する他ないが、「所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していた」、となると、公式見解と矛盾するので、撤回すべきとの圧力がかかり、「木村伊量社長」が撤回させたのだろうか。
第三に、7月9日付け現代ビジネスが掲載した泉房穂明石市長と鮫島浩氏との記念対談「泉房穂×鮫島浩(2)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97116?imp=0
・『このままでは自滅して沈んでいくだけ 大マスコミと政治家・官僚はしょせん「同じ穴のムジナ」なんです:新刊『朝日新聞政治部』が話題の政治記者・鮫島浩氏と、市長にして全国区の人気を誇る泉房穂明石市長の対談第2回をお届けする。 テーマはズバリ、「なぜ大手マスコミはダメになってしまったのか」。 泉市長もNHK出身だけに、お互いの古巣への苦言も交えてトークがヒートアップ! すべて本音の辛口対談をお楽しみください。(この対談の動画を鮫島タイムスYouTubeで公開しています)』、「泉房穂明石市長」の存在は初めて知ったが、興味深そうだ。
・『なんでテレビは思い込みのデタラメを報じるの!? 鮫島 泉さんは毎日何度もツイッターで発信していますが、メディアの報道姿勢に対しては、かなり辛辣ですよね。つい先日(6月23日)も、独自の施策により出生率を上げた明石市を紹介した『ひるおび』(TBS系)に対して、随分お怒りでした。 泉 はい。昼のワイドショーは基本的に取材に来ないんです。適当にパネルを作って放送してしまう。それで、毎度のことなのですが、勝手に番組内で明石市が扱われて、間違った事実を流されてしまう。そんなケースばかり。 あの時も「18歳以下の医療費無料」、「1歳誕生月までおむつ無料」、「中学校の給食無料」など、明石市が進めている施策を紹介しつつ、それができているのは市の職員の給与をカットしているから、などと事実誤認だらけの内容を放送していたので、ツイッターで反論しました。 泉 我々明石市は、誰かに犠牲やしわ寄せが行かない形で、こども施策を進めようとしているのです。でもそれをマスコミは認めようとしない。 「そんなにうまくいくはずない」「どっかにしわ寄せがいってるはずだ」との想定のもと、何か問題が起きているかのように、ろくに取材もせずに進めていく。 それ、思い込みだから! 鮫島 放送の翌朝には、明石市職員の平均給与が、兵庫県内の他の市町に比べて低くないことをデータで示し、反撃されてましたね。 私は昨年、27年間勤めた朝日新聞を辞め、新たに立ち上げた自分自身のメディア「鮫島タイムス」を中心に活動しているのですが、今回の参院選で一種のチャレンジングな試みをしています。れいわ新選組に思いっきり肩入れしているんです。 大手メディアでは、まずありえませんよね。「ジャーナリストが、特定の政党に肩入れしていいのか」という抗議ももちろん来ます。 でも、欧米では大手メディアやジャーナリストが、支持政党を明確に打ち出すことは、まったく珍しいことではない。 もともとNHKにいらした泉さんは、その辺りどうお考えですか? 泉 日本がどうかしてるだけです。日本では、宗教と政治の話はタブーだとよく言われますけど、タブーとして遠ざけるだけでは、良くなるはずがない。 海外なら、CNNにしてもニューヨークタイムズにしても、メディアが自分の立場を鮮明にしますよね。スタンスをきちんと説明して、視聴者や読者に判断してもらえば、それでいいと思います』、「我々明石市は、誰かに犠牲やしわ寄せが行かない形で、こども施策を進めようとしているのです。でもそれをマスコミは認めようとしない。 「そんなにうまくいくはずない」「どっかにしわ寄せがいってるはずだ」との想定のもと、何か問題が起きているかのように、ろくに取材もせずに進めていく」、マスコミの姿勢は余りに酷い。「明石市」が反論するのは当然だ。
・『政治家も官僚も朝日新聞も「同じ穴のムジナ」 鮫島 私は新聞社にいた時から、「客観中立報道」というものに、ずっと疑問を感じていました。 泉 「中立」なんてないです、ウソですよ! 客観中立なんて、今をヌクヌクと生きている人たちの言い分です。「自分たちは現状維持を望む」と宣言してるのと同じですから。 明石市に取材に来たマスコミに「泉さんは、参院選で誰も応援しませんよね?」と聞かれました。「泉さんが、誰かを応援したら放送できません」だって。 何なの、それ。市長だって政治家の端くれですよ? 選挙で誰も応援するなって、どういうことなんですかね。 鮫島 実際、今回の選挙で泉さんは思いっきり応援してますよね。ツイッターを見ていて驚きました。「特定の政党は支持しない」と前置きしながら、応援したい議員として自見はなこさん(自民党)と矢田わか子さん(国民民主党)の名前を上げておられた。 鮫島 一緒に子供問題に取り組んでいる、この二人だけは当選してほしいと。 〈全国比例区に「国民民主党」と書こうと思っておられる方は、政党名ではなく、『矢田わか子』と個人名を書いていただきたい〉というメッセージを見て、「こんな市長いるのか」と衝撃を受けるとともに、非常に共感しました。 私がれいわ新選組に応援メッセージの動画を送ったことも、泉市長の考えと重なります。立場はそれぞれ違っても、何か実現したいことのために、リスクを背負ってでも特定の政治家を応援する。 でも、大手メディアは選挙なんて対岸の火事で、安全なところから見ているだけ。このように既存のジャーナリズムが当事者性を失ったから、多くの人から見放されているんじゃないかと。泉さんはどう思いますか? 泉 私は、誰かれ構わず噛み付くのではなく、政治家・官僚・マスコミに、特に辛口なんです。なぜかというと、彼らに期待しているからです。 彼らには力があるじゃないですか。権力がある。その力を使って、本来やるべきことが山ほどあるのに、全然やらないから、つい辛口になってしまう。 マスコミの中でも特に手厳しくなるのは、NHKと朝日新聞に対してです。 NHKは古巣ですし、朝日新聞には友達が多い。結局ね、東大とか京大とか、その辺りの出身者が多いんですよ。 政治家も官僚もNHKも朝日新聞も「同じ穴のムジナ」というのが私の持論です。ちょっと行き先が分かれただけ。「みんな裏で飲み会やってるんちゃうか」みたいな話ですよ。 朝日新聞なんて、政権にチクリとやってる風の見世物をやり続けてるでしょ。それを見ていると、「あなたたち、本気で社会をよくしたいんですか?」「社会を変える気あるんですか?」「変える気があるフリだけしてるんとちゃいますか?」と思ってしまう。 それで、「やるなら本気でやれよ」と、ついカッカしてしまうんです。 鮫島 今日、初めてお会いしましたが、ほとんど意見が同じです(笑)。 泉 フリをしてるだけだから、バレないうちはいいけど、本当に危うい局面になったら保身に走るわけです。 そしてその時に「フリをしていただけ」という正体がバレてしまう』、「泉 私は、誰かれ構わず噛み付くのではなく、政治家・官僚・マスコミに、特に辛口なんです。なぜかというと、彼らに期待しているからです。 彼らには力があるじゃないですか。権力がある。その力を使って、本来やるべきことが山ほどあるのに、全然やらないから、つい辛口になってしまう。 マスコミの中でも特に手厳しくなるのは、NHKと朝日新聞に対してです。 NHKは古巣ですし、朝日新聞には友達が多い。結局ね、東大とか京大とか、その辺りの出身者が多いんですよ。 政治家も官僚もNHKも朝日新聞も「同じ穴のムジナ」というのが私の持論です。ちょっと行き先が分かれただけ。「みんな裏で飲み会やってるんちゃうか」みたいな話ですよ。 朝日新聞なんて、政権にチクリとやってる風の見世物をやり続けてるでしょ。それを見ていると、「あなたたち、本気で社会をよくしたいんですか?」「社会を変える気あるんですか?」「変える気があるフリだけしてるんとちゃいますか?」と思ってしまう。 それで、「やるなら本気でやれよ」と、ついカッカしてしまうんです」、なるほど。
・『新聞・テレビは時代に取り残されている 鮫島 『朝日新聞政治部』に詳しく書きましたが、本当に泉さんのおっしゃる通りです。しょせんはエリートの社員たちが、安全地帯にいながら「権力批判をしているフリ」をしているだけ。いざとなったら腰砕けになって保身に走る。そういう醜い姿をたくさん見てきました。 SNSやインターネットメディアの台頭が、マスコミの「やってるフリ」を完全にバラしたと言えます。 インターネットを通じて誰もが情報を発信できるようになり、茶番が可視化されてしまった。政治家も官僚もマスコミも、完全に“あちら側”の人たちで、自分たちのことしか考えずに、既得権益を守っている。それが、明るみに出てしまった。 泉 私も実感してます。みんなが平等に発信できる、ツイッターとかフェイスブックは、本当にすごいですね。これまでは、一部の特権階級だけが情報を握っていて、民衆はそれを待っているしかなかった。 でも、皆がお互いに発信し合うと、「あ、実はそういうことだったのね」と、すぐに物事の本質にたどり着ける。 鮫島 ネット社会のスピード感は、完全に既存のマスコミを置き去りにしています。 朝日新聞のオピニオン編集部にいたことがありますが、オピニオンっていうからには、本来は最先端を行かなきゃいけない。 でも尖ってたり、批判が出るような意見は叩かれる危険性があるので、まずネット世論を見るんです。そしたら、案の定、ツイッター上ですでに殴り合いのような議論が起きていて、もう勝者が決まってたりする。 新聞やテレビは、その勝者を呼んでくるわけです。つまり、新聞・テレビに出てきた時点で、実は論争はもう終わってる。新聞・テレビは時代についていけてないんです。 泉 たしかに最近の新聞は、ネットでひと昔前に話題になったことを、堂々と報じているように見えます。 あと、新聞は社説が特に恥ずかしいね。あらゆる方面に気を使いすぎて、もはや、何も言っていない。バランスを取ろうとして、とりあえず両論併記してみたり。あれなら書かないほうがマシ。 大マスコミの建前にみんなが気付き、飽き飽きしてる。いまやメディアにも本音が求められていると思います』、「SNSやインターネットメディアの台頭が、マスコミの「やってるフリ」を完全にバラしたと言えます。 インターネットを通じて誰もが情報を発信できるようになり、茶番が可視化されてしまった。政治家も官僚もマスコミも、完全に“あちら側”の人たちで、自分たちのことしか考えずに、既得権益を守っている。それが、明るみに出てしまった」、「新聞は社説が特に恥ずかしいね。あらゆる方面に気を使いすぎて、もはや、何も言っていない。バランスを取ろうとして、とりあえず両論併記してみたり。あれなら書かないほうがマシ。 大マスコミの建前にみんなが気付き、飽き飽きしてる。いまやメディアにも本音が求められていると思います」、手厳しい批判である。
・『マスコミは自ら変わらないと沈んでいくだけ 鮫島 本当におっしゃるとおりです。結局のところ、マスコミの中に、本気で怒ったり、本気で「これはやるべきだ」と思っている人が、ほとんどいなくなってるんだと思います。 残念ながら、朝日新聞の記者の8割以上は、そもそもやりたいことがないというか、保身しか考えていなかった。 「自分が出世したい」とか、「社内の立場を守りたい」と考える人たちにとっては、抗議がくるような原稿はリスクでしかないんです。それで、リスクを回避するために、無難に「やってる感」を出すだけの記事をつくるから、両論併記だらけになるんです。 本当に訴えたいことがあればリスクを背負っても攻めるはずですが、そもそも伝えたいことがないから、リスクを負う勇気も持てない。 社会に対する不条理とか不公平に対して、怒りを感じない人は、ジャーナリストに向いていないと思います。 泉 先ほど、政治家・官僚・マスコミの人たちは「同じ穴のムジナ」と言いました。彼らの多くは、そこそこの家庭に生まれ、進学校に行って、有名大学を出ている。実は、極端に狭い世界の中で生きてきてるので、自分たち以外の世界に生きている他者を知らないんです。 そして、その他者を想像する能力もなくなってきてるように感じます。 鮫島 それはあるでしょうね。私も京都大学ですが、相当貧しい母子家庭に育ったので、「生き延びるために相手の真意を読む」という習性が子供の頃からついていた。それが政治記者として役に立ったと思います。 今の記者は、すぐに騙されるんですよ。森友事件みたいなことがあっても政府や役所の発表が事実だと信じる記者もいる。 相手は権力なのに、疑ってみるということもない。「裏を取る」というのは「役所に聞く」ことだと思っている記者すらいます。 泉 そうですよね! 私も体験しました。デタラメを書いた記者に「裏を取ったのか」と聞くと、「取りました」と言うんです。そんなバカなと思っていたけど、あれは「厚労省に確認しました」という意味だったのですね。 鮫島 当局に聞くことが裏取りだと思ってるんです。それぐらいひどい状況です。政府が言ってることを信じてしまう。 政治記者は政治家が口を開いたら「ウソじゃないか」と疑うのが基本なんです。だけどウソを見抜く力は教科書読んでも身につかないんですよね。 泉 マスコミが自問自答して、変わらなきゃいけない時代が来ている。昔の感覚でやっていけるわけがない。変わらないと沈む一方だと思います。ちょっと手厳しい言い方になりましたが、私からのエールのつもりです。 政治家と官僚とマスコミが、いい意味で緊張感のある関係でないと、この国の未来もありませんから。 次回は『いよいよ参院選投票当日!緊迫の最終回』。明日更新です』、「残念ながら、朝日新聞の記者の8割以上は、そもそもやりたいことがないというか、保身しか考えていなかった。 「自分が出世したい」とか、「社内の立場を守りたい」と考える人たちにとっては、抗議がくるような原稿はリスクでしかないんです。それで、リスクを回避するために、無難に「やってる感」を出すだけの記事をつくるから、両論併記だらけになるんです。 本当に訴えたいことがあればリスクを背負っても攻めるはずですが、そもそも伝えたいことがないから、リスクを負う勇気も持てない。 社会に対する不条理とか不公平に対して、怒りを感じない人は、ジャーナリストに向いていないと思います」、「マスコミが自問自答して、変わらなきゃいけない時代が来ている。昔の感覚でやっていけるわけがない。変わらないと沈む一方だと思います。ちょっと手厳しい言い方になりましたが、私からのエールのつもりです。 政治家と官僚とマスコミが、いい意味で緊張感のある関係でないと、この国の未来もありませんから」、全く同感である。
先ずは、5月26日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第4回〜内閣官房長官の絶大な権力 朝日新聞政治部(4)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95522?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓する『朝日新聞政治部』(5月27日発売、現在予約受付中)は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 7日連続先行公開の第4回は、内閣官房長官が持つ権力の正体を暴き、それに迎合する番記者たちの姿を浮き彫りにする』、「内閣官房長官が持つ権力の正体」とは興味深そうだ。
・『官房長官には総理より多くの情報が集まる 小泉総理は郵政選挙に圧勝した1年後の2006年秋、安倍晋三氏を後継指名して勇退した。安倍総理は塩崎恭久官房長官ら親密な仲間で主要ポストを固め「お友達内閣」と呼ばれたが、スキャンダルが相次いで失速。2007年夏の参院選で惨敗し、過半数を失う。衆参で与野党が逆転する「ねじれ国会」に突入した。 安倍総理は政権を立て直すため、官房長官にベテランの与謝野馨氏を起用した。政治部に復帰した私は官邸クラブに配属され、与謝野氏の担当を命じられた。官房長官番だ。 官房長官は「内閣の要」と言われる。すべての政策や人事に深くかかわる。総理に上がる情報は、その前に官房長官の手で取捨選択される。官房長官には総理より早く多くの情報が集まる。 領収書不要の官房機密費を管理するのも官房長官の権限。長官室の金庫には常に数千万円の現金が保管され、政界対策や世論対策に投入されていく。官房長官が札束を持ち出した翌日には金庫に現金がすぐに補充される。 もうひとつの武器は、毎日午前と午後に官邸で開く官房長官会見だ。この場の発言が政府の公式見解となる。何をどこまで公にするのか、どういう言い回しにするかが、政局や政策の流れを決める。官房長官は記者会見で政治の主導権を握ることができるのだ。 官房長官の権限は絶大だ。ある意味で総理を上回る。霞が関のエリート官僚たちは総理よりも官房長官の顔色をうかがうことが多い。総理としては最も信頼を寄せる政治家、決して裏切らない政治家を起用したい。安倍総理が塩崎氏を起用したのは同世代で親密な仲間だからだった。しかし「お友達内閣」は参院選で惨敗し、政権立て直しのためベテランの与謝野氏を受け入れざるを得なくなったのだ。 与謝野氏は与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫としても有名である。東大を卒業した後、日本原子力発電を経て中曽根康弘元総理の秘書となり、政界入りしたサラブレッド。財務省や経済産業省に大きな影響力を持つ経済政策通として評価される一方、ハト派・リベラル派の顔を持ち、マスコミ界との交流も深かった。 官僚でもとりわけ与謝野氏を敬愛していたのが、のちに経産事務次官になる島田隆氏である(岸田政権で事務次官経験者としては異例の首相秘書官に就任した)。島田氏は与謝野氏が通産大臣の時に信頼を獲得。与謝野氏が小泉内閣で竹中平蔵氏の後継の経済財政担当大臣になり、総務大臣に転じた竹中氏と激しい政策論争を繰り広げた時も、側近として仕えた。どんな職務にあろうとも東京・六本木の与謝野邸に早朝から通い、英字新聞を含め与謝野氏が読むべき記事を用意してから職場へ向かうスーパー官僚だった。衆目が一致する与謝野氏の右腕である。与謝野氏の官房長官就任にあわせて秘書官に就任したのは自然の流れだった』、「総理に上がる情報は、その前に官房長官の手で取捨選択される。官房長官には総理より早く多くの情報が集まる。 領収書不要の官房機密費を管理するのも官房長官の権限。長官室の金庫には常に数千万円の現金が保管され、政界対策や世論対策に投入されていく。官房長官が札束を持ち出した翌日には金庫に現金がすぐに補充される。 もうひとつの武器は、毎日午前と午後に官邸で開く官房長官会見だ。この場の発言が政府の公式見解となる」、「総理より早く多くの情報が集まる」、「官房機密費を管理」、「官房長官会見」で「政府の公式見解」、いずれも重要な役割だ。
・『「俺と竹中とどっちが魅力的か、見せてやろう」 私は官房長官番に就任するにあたり、東京・四谷にある与謝野事務所に挨拶に訪ねた。そこへ現れたのが島田氏だった。彼は「あなたのことはよく知っています」と静かに語り、立ちはだかった。与謝野氏が竹中氏と闘っている時、あなたが竹中番として寄り添っていたことを忘れていない、何をしにここへ来たのか、という含意がそこに読み取れた。私は島田氏に気圧され、しばし立ちすくんでいた。 その時である。事務所の奥から、ややしわがれた声が聞こえてきた。 「島田ちゃん、いいじゃないか。通してやれよ。俺と竹中とどっちが魅力的か、見せてやろうじゃないか」 それが与謝野氏だった。大物政治家とはこういうものだ。度量の広さを見せつけ、周囲の者を取り込んでいく。それは「お友達内閣」に最も欠けていた資質かもしれなかった。私は初対面で与謝野氏に惹かれた。きっと島田氏もそうして惹かれていったのだろう。 与謝野官房長官の記者会見の受け答えは味わいがあった。私は政治家を厳しく追及するのが好きだったが、与謝野氏は答えるべきことは答え、かわすべきことは見事にかわした。文学的、芸術的な表現を交えて受け流していく。それでも食い下がる私とのやりとりをまるで楽しんでいるようであった。自らの識見、理解力、答弁力に対する圧倒的な自信の裏返しであったのだろう。 安倍内閣の菅義偉官房長官の対応は対照的だった。何を聞いても「問題ない」「批判は当たらない」の一言ではぐらかす。各社政治部の番記者もそれを許容し、二の矢三の矢を放たない。そこへ乗り込んだ東京新聞社会部の望月衣塑子記者の厳しい追及に対し、菅氏は不快な表情をみせ、司会役の官邸広報室長は質問を妨害し、質問回数に制限を加えた。醜悪だったのは、各社政治部の官房長官番が望月記者の質問を妨害することに抗議せず、それを黙殺し、官邸側に歩調を合わせたことだった』、「与謝野事務所」の「島田氏」は来客を事前にチェックするという意味で秘書としては有能だ。そのやり取りを聞いて、「通してやれよ。俺と竹中とどっちが魅力的か、見せてやろうじゃないか」と言った「与謝野氏」はさすが「大物政治家」らしい。「与謝野氏は答えるべきことは答え、かわすべきことは見事にかわした。文学的、芸術的な表現を交えて受け流していく。それでも食い下がる私とのやりとりをまるで楽しんでいるようであった。自らの識見、理解力、答弁力に対する圧倒的な自信の裏返しであったのだろう」、これに対し、「菅義偉官房長官の対応は対照的だった。何を聞いても「問題ない」「批判は当たらない」の一言ではぐらかす」、「東京新聞社会部の望月衣塑子記者の厳しい追及に対し、・・・司会役の官邸広報室長は質問を妨害し、質問回数に制限を加えた。醜悪だったのは、各社政治部の官房長官番が望月記者の質問を妨害することに抗議せず、それを黙殺し、官邸側に歩調を合わせたことだった」、「各社政治部」の体質を如実に示している。
・『官房長官番という仕事 官房長官番はなぜこうした行動に出るのか。彼らは自民党幹事長番と並んで政治取材の中核である。官房長官と幹事長には政権の重要情報が集約される。番記者がどれだけ情報を取れるかは、各社の政治報道の「勝ち負け」に直結する。 特に官房長官番は激務だ。毎日2回の記者会見は業務の一部でしかない。官房長官には常に15~20社の番記者が張り付く。朝から晩まで政治家や官僚の面会が相次ぐタイトな日程をかいくぐり、他社を出し抜いて情報を得なければならない。官房長官に食い込んだ番記者は深夜や週末にサシで取材する機会を得る。そこで「特ダネ」をもらうこともあるが、そうした番記者はごく一握り。大半の番記者は「特ダネ」を取れなくても最低限こなさなければならない役割がある。「ウラ取り」だ。 官房長官には外交から内政まで政策全般、選挙から国会まで政局全般、さらに公安情報まで、ありとあらゆる情報が集まる。官房長官が総理の意向を踏まえつつ「OK」したものだけが「政府の意思決定」となる。新聞記事で「政府が~という方針を固めた」と表現されているものの多くは、官房長官の裏付け取材を経たものだ。官房長官が「OK」する前の情報を「政府」の主語で報じるのは禁じ手である。「財務省は~」「外務省は~」という主語にするか、「政府内で~の案が浮上した」「政府内で~の検討が進んでいる」という表現にとどめなければミスリードといっていい。 官房長官番は連日、官房長官から「裏付け」を取るようデスクやキャップからプレッシャーを受けている。「○○省の次官に○○氏が内定したと○○省担当記者が言っているから裏を取れ」「○○省が○○法改正案をまとめたというので裏を取れ」「ワシントンから日米首脳会談の日程情報が入ったので裏を取れ」といった具合だ。これを官房長官会見で聞くわけにはいかない。他社にバレてしまう。 激務の官房長官をサシでつかまえるのは難しい。朝晩に電話するしかない。携帯番号を教えてもらい、電話に出てもらえる信頼関係をつくらなければ仕事にならない。官房長官は忙しい。その合間に着信記録をみて折り返してくれる関係をつくらなければ官房長官番は「失格」の烙印を押されてしまう』、「官房長官番は連日、官房長官から「裏付け」を取るようデスクやキャップからプレッシャーを受けている」、「携帯番号を教えてもらい、電話に出てもらえる信頼関係をつくらなければ仕事にならない」、これは大変そうだ。
・『「特オチ」しても譲れなかった信念 与謝野氏のように厳しい質問を楽しむような官房長官ならよい。しかし菅氏のように厳しい質問をする記者を遠ざける官房長官なら、番記者はどうしてもたじろぐ。嫌われて電話に出てもらえなくなれば日常業務を果たせなくなり、「無能な政治記者」として飛ばされてしまう。 菅氏は政治部や番記者の事情を熟知し、「都合の良い記者」と「不都合な記者」への対応を露骨に変えることで自らへの批判を封じ、番記者全体を「防御壁」に仕立てるのが巧妙だった。番記者たちが望月記者の追及から菅氏を守った真相はそこにある。 与謝野氏は就任1ヵ月で、安倍氏が体調不良を理由に入院したまま退陣したため官房長官を退いた。現職総理が入院するという緊急事態で、与謝野氏の裁きぶりはフェアだった。連日記者会見で丁寧に病状を説明した。その間、安倍後継を決める政局とは一線を画し、次の福田康夫内閣では要職から身を引いた。小渕恵三総理が病に倒れた時に青木幹雄官房長官ら「五人組」が情報をひた隠しにして密室で森喜朗氏を後継総理に決めたことや、安倍総理が入院した際に菅官房長官が総裁選に出馬して勝利したことと比べると、与謝野氏の振る舞いは清廉だった。 私は官房長官番になるにあたり、上司にひとつお願いをした。番記者として官房長官と対等な関係をつくるには、電話で頭を下げて裏付け取材をするわけにはいかない日があることを認めてほしい、ということだった。官房長官会見で厳しく追及した夜に電話して「これを確認させてください」とお願いするようでは、対等な関係はつくれない。「特オチ」してもやせ我慢し、緊張関係を保つことが重要だ。だが、政治取材の要である官房長官番がそうした態度を貫けば、朝日新聞は「特オチ」を繰り返し、番記者だけの問題ではなくなる。政治部としてそれを許容する覚悟が必要であった。 当時の上司は私の願いを受け入れた。私は与謝野氏の後を受け継いだ町村信孝氏まで2代にわたって官房長官番を務めたが、決してへりくだらなかった。与謝野氏も町村氏もそんな私を拒まなかった。記者との緊張関係をギリギリ保っていた時代の政治家だった』、「菅氏は政治部や番記者の事情を熟知し、「都合の良い記者」と「不都合な記者」への対応を露骨に変えることで自らへの批判を封じ、番記者全体を「防御壁」に仕立てるのが巧妙だった。番記者たちが望月記者の追及から菅氏を守った真相はそこにある」、「番記者全体を「防御壁」に仕立てる」とは高度な技だ。「官房長官会見で厳しく追及した夜に電話して「これを確認させてください」とお願いするようでは、対等な関係はつくれない。「特オチ」してもやせ我慢し、緊張関係を保つことが重要だ。だが、政治取材の要である官房長官番がそうした態度を貫けば、朝日新聞は「特オチ」を繰り返し、番記者だけの問題ではなくなる。政治部としてそれを許容する覚悟が必要であった。 当時の上司は私の願いを受け入れた。私は与謝野氏の後を受け継いだ町村信孝氏まで2代にわたって官房長官番を務めたが、決してへりくだらなかった。与謝野氏も町村氏もそんな私を拒まなかった。記者との緊張関係をギリギリ保っていた時代の政治家だった」、「特オチ」を覚悟した「朝日新聞政治部」も大したものだ。「与謝野氏も町村氏もそんな私を拒まなかった。記者との緊張関係をギリギリ保っていた時代の政治家だった」、そんな政治家が少なくなっているのだろうが、寂しいことだ。
次に、6月11日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露「朝日はこうして死んだ」 『朝日新聞政治部』著者が明かす」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95754?imp=0
・『巨大組織が現場社員に全責任を押し付ける。メディアが一斉に非難を浴びせるような出来事が、あの朝日新聞で行われた。大企業が陥った「危機管理の失敗」を、エース記者が精緻な目線で内部告発する』、興味深そうだ。
・『社長も大喜びだったのに 隠蔽、忖度、追従、保身、捏造、裏切り。 メディアが政権を責め立てるとき、頻繁に使われる言葉だ。だが、権力批判の急先鋒たる朝日新聞にこそ、向けられるべき指摘だという。元朝日新聞記者の鮫島浩氏(50歳)はこう振り返る。 「'14年9月11日、木村(伊量)社長(当時)が『吉田調書』報道を取り消したことで、朝日新聞は死んだと思っています。同時に、私の会社員人生は一瞬にして奈落の底へ転落してしまいました」 5月27日に刊行された『朝日新聞政治部』が大きな話題になっている。大新聞が凋落する様子が登場人物の実名とともに生々しく描かれたノンフィクションだ。 著者で政治部出身の鮫島氏は、与謝野馨元財務相や古賀誠元自民党幹事長などの大物政治家に食い込み、数々のスクープを放ったエース記者だった。なぜ大手新聞社の中枢に身を置いた彼が「内部告発」をするのか。そして、なぜ朝日新聞は「死んだ」と言えるのか』、どういうことなのだろう。
・『原発事故報道でスクープを連発 時計の針を'12年に巻き戻そう。当時、政治部デスクだった鮫島氏は、先輩に誘われて特別報道部に異動した。 特別報道部は、'05年に朝日新聞の記者が田中康夫元長野県知事の発言を捏造した「虚偽メモ事件」をきっかけに創設されたチームだ。政治部や経済部などから記者を集めて調査報道に専従させる。'11年に起きた東日本大震災と原発事故で、調査報道の重要性が見直されていた頃だった。鮫島氏が加わった特別報道部は、原発事故の報道で輝かしい結果を残していく。 福島第一原発周辺で行われている国の除染作業をめぐり、一部の請負業者が除染で集めた土や洗浄で使った水などを、回収せずに山や川に捨てている様子を取り上げた「手抜き除染」は'13年の新聞協会賞を受賞した。 もっとも世間の注目を集めたのは、「吉田調書」報道だ。福島第一原発元所長の吉田昌郎氏が政府事故調査委員会の聴取に応じた記録を独自入手し、事故対応の問題点を報じたのだ。記事を手がけたのは、特別報道部の記者3人と担当デスクを務めた鮫島氏のチームだった』、「福島第一原発元所長の吉田昌郎氏が政府事故調査委員会の聴取に応じた記録を独自入手し、事故対応の問題点を報じた」のであれば、極めて重要性の高いものだ。
・『木村社長も大興奮、しかし…… このスクープは、'14年5月20日の朝刊1面と2面で大展開された。第一報では、「朝日新聞が吉田調書を独自入手したこと」、「吉田所長は第一原発での待機を命じていたのに、所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していたこと」が主に報じられた。 報道直後から社内外では大反響が広がった。当時の朝日新聞社内の様子を著書から抜粋しよう。 〈朝日新聞社内は称賛の声に包まれた。市川誠一特別報道部長は「木村社長が大喜びしているぞ。社長賞を出す、今年の新聞協会賞も間違いないと興奮している」と声を弾ませていた〉 吉田調書報道を主導していた鮫島氏は、絶頂の真っ只中にいた。社内では多くの社員から取り囲まれて握手攻めにあい、同僚たちから祝福のメールが届いた。 特別報道部と鮫島氏が、わずか4ヵ月後に転落するとは誰も思わなかっただろう。 絶頂にあった特別報道部に対して、木村伊量社長らはまるで「手のひら返し」をするように冷淡になってゆく。そして事態は、特集記事「慰安婦問題を考える」の掲載をきっかけに急展開するのだった。特別報道部と鮫島氏を待ち受ける過酷な運命を、後編記事「なぜ朝日新聞は『読者に見捨てられる』のか? 元朝日スクープ記者が明かす」でお伝えする』、「後編記事」は見当たらないので推測する他ないが、「所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していた」、となると、公式見解と矛盾するので、撤回すべきとの圧力がかかり、「木村伊量社長」が撤回させたのだろうか。
第三に、7月9日付け現代ビジネスが掲載した泉房穂明石市長と鮫島浩氏との記念対談「泉房穂×鮫島浩(2)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97116?imp=0
・『このままでは自滅して沈んでいくだけ 大マスコミと政治家・官僚はしょせん「同じ穴のムジナ」なんです:新刊『朝日新聞政治部』が話題の政治記者・鮫島浩氏と、市長にして全国区の人気を誇る泉房穂明石市長の対談第2回をお届けする。 テーマはズバリ、「なぜ大手マスコミはダメになってしまったのか」。 泉市長もNHK出身だけに、お互いの古巣への苦言も交えてトークがヒートアップ! すべて本音の辛口対談をお楽しみください。(この対談の動画を鮫島タイムスYouTubeで公開しています)』、「泉房穂明石市長」の存在は初めて知ったが、興味深そうだ。
・『なんでテレビは思い込みのデタラメを報じるの!? 鮫島 泉さんは毎日何度もツイッターで発信していますが、メディアの報道姿勢に対しては、かなり辛辣ですよね。つい先日(6月23日)も、独自の施策により出生率を上げた明石市を紹介した『ひるおび』(TBS系)に対して、随分お怒りでした。 泉 はい。昼のワイドショーは基本的に取材に来ないんです。適当にパネルを作って放送してしまう。それで、毎度のことなのですが、勝手に番組内で明石市が扱われて、間違った事実を流されてしまう。そんなケースばかり。 あの時も「18歳以下の医療費無料」、「1歳誕生月までおむつ無料」、「中学校の給食無料」など、明石市が進めている施策を紹介しつつ、それができているのは市の職員の給与をカットしているから、などと事実誤認だらけの内容を放送していたので、ツイッターで反論しました。 泉 我々明石市は、誰かに犠牲やしわ寄せが行かない形で、こども施策を進めようとしているのです。でもそれをマスコミは認めようとしない。 「そんなにうまくいくはずない」「どっかにしわ寄せがいってるはずだ」との想定のもと、何か問題が起きているかのように、ろくに取材もせずに進めていく。 それ、思い込みだから! 鮫島 放送の翌朝には、明石市職員の平均給与が、兵庫県内の他の市町に比べて低くないことをデータで示し、反撃されてましたね。 私は昨年、27年間勤めた朝日新聞を辞め、新たに立ち上げた自分自身のメディア「鮫島タイムス」を中心に活動しているのですが、今回の参院選で一種のチャレンジングな試みをしています。れいわ新選組に思いっきり肩入れしているんです。 大手メディアでは、まずありえませんよね。「ジャーナリストが、特定の政党に肩入れしていいのか」という抗議ももちろん来ます。 でも、欧米では大手メディアやジャーナリストが、支持政党を明確に打ち出すことは、まったく珍しいことではない。 もともとNHKにいらした泉さんは、その辺りどうお考えですか? 泉 日本がどうかしてるだけです。日本では、宗教と政治の話はタブーだとよく言われますけど、タブーとして遠ざけるだけでは、良くなるはずがない。 海外なら、CNNにしてもニューヨークタイムズにしても、メディアが自分の立場を鮮明にしますよね。スタンスをきちんと説明して、視聴者や読者に判断してもらえば、それでいいと思います』、「我々明石市は、誰かに犠牲やしわ寄せが行かない形で、こども施策を進めようとしているのです。でもそれをマスコミは認めようとしない。 「そんなにうまくいくはずない」「どっかにしわ寄せがいってるはずだ」との想定のもと、何か問題が起きているかのように、ろくに取材もせずに進めていく」、マスコミの姿勢は余りに酷い。「明石市」が反論するのは当然だ。
・『政治家も官僚も朝日新聞も「同じ穴のムジナ」 鮫島 私は新聞社にいた時から、「客観中立報道」というものに、ずっと疑問を感じていました。 泉 「中立」なんてないです、ウソですよ! 客観中立なんて、今をヌクヌクと生きている人たちの言い分です。「自分たちは現状維持を望む」と宣言してるのと同じですから。 明石市に取材に来たマスコミに「泉さんは、参院選で誰も応援しませんよね?」と聞かれました。「泉さんが、誰かを応援したら放送できません」だって。 何なの、それ。市長だって政治家の端くれですよ? 選挙で誰も応援するなって、どういうことなんですかね。 鮫島 実際、今回の選挙で泉さんは思いっきり応援してますよね。ツイッターを見ていて驚きました。「特定の政党は支持しない」と前置きしながら、応援したい議員として自見はなこさん(自民党)と矢田わか子さん(国民民主党)の名前を上げておられた。 鮫島 一緒に子供問題に取り組んでいる、この二人だけは当選してほしいと。 〈全国比例区に「国民民主党」と書こうと思っておられる方は、政党名ではなく、『矢田わか子』と個人名を書いていただきたい〉というメッセージを見て、「こんな市長いるのか」と衝撃を受けるとともに、非常に共感しました。 私がれいわ新選組に応援メッセージの動画を送ったことも、泉市長の考えと重なります。立場はそれぞれ違っても、何か実現したいことのために、リスクを背負ってでも特定の政治家を応援する。 でも、大手メディアは選挙なんて対岸の火事で、安全なところから見ているだけ。このように既存のジャーナリズムが当事者性を失ったから、多くの人から見放されているんじゃないかと。泉さんはどう思いますか? 泉 私は、誰かれ構わず噛み付くのではなく、政治家・官僚・マスコミに、特に辛口なんです。なぜかというと、彼らに期待しているからです。 彼らには力があるじゃないですか。権力がある。その力を使って、本来やるべきことが山ほどあるのに、全然やらないから、つい辛口になってしまう。 マスコミの中でも特に手厳しくなるのは、NHKと朝日新聞に対してです。 NHKは古巣ですし、朝日新聞には友達が多い。結局ね、東大とか京大とか、その辺りの出身者が多いんですよ。 政治家も官僚もNHKも朝日新聞も「同じ穴のムジナ」というのが私の持論です。ちょっと行き先が分かれただけ。「みんな裏で飲み会やってるんちゃうか」みたいな話ですよ。 朝日新聞なんて、政権にチクリとやってる風の見世物をやり続けてるでしょ。それを見ていると、「あなたたち、本気で社会をよくしたいんですか?」「社会を変える気あるんですか?」「変える気があるフリだけしてるんとちゃいますか?」と思ってしまう。 それで、「やるなら本気でやれよ」と、ついカッカしてしまうんです。 鮫島 今日、初めてお会いしましたが、ほとんど意見が同じです(笑)。 泉 フリをしてるだけだから、バレないうちはいいけど、本当に危うい局面になったら保身に走るわけです。 そしてその時に「フリをしていただけ」という正体がバレてしまう』、「泉 私は、誰かれ構わず噛み付くのではなく、政治家・官僚・マスコミに、特に辛口なんです。なぜかというと、彼らに期待しているからです。 彼らには力があるじゃないですか。権力がある。その力を使って、本来やるべきことが山ほどあるのに、全然やらないから、つい辛口になってしまう。 マスコミの中でも特に手厳しくなるのは、NHKと朝日新聞に対してです。 NHKは古巣ですし、朝日新聞には友達が多い。結局ね、東大とか京大とか、その辺りの出身者が多いんですよ。 政治家も官僚もNHKも朝日新聞も「同じ穴のムジナ」というのが私の持論です。ちょっと行き先が分かれただけ。「みんな裏で飲み会やってるんちゃうか」みたいな話ですよ。 朝日新聞なんて、政権にチクリとやってる風の見世物をやり続けてるでしょ。それを見ていると、「あなたたち、本気で社会をよくしたいんですか?」「社会を変える気あるんですか?」「変える気があるフリだけしてるんとちゃいますか?」と思ってしまう。 それで、「やるなら本気でやれよ」と、ついカッカしてしまうんです」、なるほど。
・『新聞・テレビは時代に取り残されている 鮫島 『朝日新聞政治部』に詳しく書きましたが、本当に泉さんのおっしゃる通りです。しょせんはエリートの社員たちが、安全地帯にいながら「権力批判をしているフリ」をしているだけ。いざとなったら腰砕けになって保身に走る。そういう醜い姿をたくさん見てきました。 SNSやインターネットメディアの台頭が、マスコミの「やってるフリ」を完全にバラしたと言えます。 インターネットを通じて誰もが情報を発信できるようになり、茶番が可視化されてしまった。政治家も官僚もマスコミも、完全に“あちら側”の人たちで、自分たちのことしか考えずに、既得権益を守っている。それが、明るみに出てしまった。 泉 私も実感してます。みんなが平等に発信できる、ツイッターとかフェイスブックは、本当にすごいですね。これまでは、一部の特権階級だけが情報を握っていて、民衆はそれを待っているしかなかった。 でも、皆がお互いに発信し合うと、「あ、実はそういうことだったのね」と、すぐに物事の本質にたどり着ける。 鮫島 ネット社会のスピード感は、完全に既存のマスコミを置き去りにしています。 朝日新聞のオピニオン編集部にいたことがありますが、オピニオンっていうからには、本来は最先端を行かなきゃいけない。 でも尖ってたり、批判が出るような意見は叩かれる危険性があるので、まずネット世論を見るんです。そしたら、案の定、ツイッター上ですでに殴り合いのような議論が起きていて、もう勝者が決まってたりする。 新聞やテレビは、その勝者を呼んでくるわけです。つまり、新聞・テレビに出てきた時点で、実は論争はもう終わってる。新聞・テレビは時代についていけてないんです。 泉 たしかに最近の新聞は、ネットでひと昔前に話題になったことを、堂々と報じているように見えます。 あと、新聞は社説が特に恥ずかしいね。あらゆる方面に気を使いすぎて、もはや、何も言っていない。バランスを取ろうとして、とりあえず両論併記してみたり。あれなら書かないほうがマシ。 大マスコミの建前にみんなが気付き、飽き飽きしてる。いまやメディアにも本音が求められていると思います』、「SNSやインターネットメディアの台頭が、マスコミの「やってるフリ」を完全にバラしたと言えます。 インターネットを通じて誰もが情報を発信できるようになり、茶番が可視化されてしまった。政治家も官僚もマスコミも、完全に“あちら側”の人たちで、自分たちのことしか考えずに、既得権益を守っている。それが、明るみに出てしまった」、「新聞は社説が特に恥ずかしいね。あらゆる方面に気を使いすぎて、もはや、何も言っていない。バランスを取ろうとして、とりあえず両論併記してみたり。あれなら書かないほうがマシ。 大マスコミの建前にみんなが気付き、飽き飽きしてる。いまやメディアにも本音が求められていると思います」、手厳しい批判である。
・『マスコミは自ら変わらないと沈んでいくだけ 鮫島 本当におっしゃるとおりです。結局のところ、マスコミの中に、本気で怒ったり、本気で「これはやるべきだ」と思っている人が、ほとんどいなくなってるんだと思います。 残念ながら、朝日新聞の記者の8割以上は、そもそもやりたいことがないというか、保身しか考えていなかった。 「自分が出世したい」とか、「社内の立場を守りたい」と考える人たちにとっては、抗議がくるような原稿はリスクでしかないんです。それで、リスクを回避するために、無難に「やってる感」を出すだけの記事をつくるから、両論併記だらけになるんです。 本当に訴えたいことがあればリスクを背負っても攻めるはずですが、そもそも伝えたいことがないから、リスクを負う勇気も持てない。 社会に対する不条理とか不公平に対して、怒りを感じない人は、ジャーナリストに向いていないと思います。 泉 先ほど、政治家・官僚・マスコミの人たちは「同じ穴のムジナ」と言いました。彼らの多くは、そこそこの家庭に生まれ、進学校に行って、有名大学を出ている。実は、極端に狭い世界の中で生きてきてるので、自分たち以外の世界に生きている他者を知らないんです。 そして、その他者を想像する能力もなくなってきてるように感じます。 鮫島 それはあるでしょうね。私も京都大学ですが、相当貧しい母子家庭に育ったので、「生き延びるために相手の真意を読む」という習性が子供の頃からついていた。それが政治記者として役に立ったと思います。 今の記者は、すぐに騙されるんですよ。森友事件みたいなことがあっても政府や役所の発表が事実だと信じる記者もいる。 相手は権力なのに、疑ってみるということもない。「裏を取る」というのは「役所に聞く」ことだと思っている記者すらいます。 泉 そうですよね! 私も体験しました。デタラメを書いた記者に「裏を取ったのか」と聞くと、「取りました」と言うんです。そんなバカなと思っていたけど、あれは「厚労省に確認しました」という意味だったのですね。 鮫島 当局に聞くことが裏取りだと思ってるんです。それぐらいひどい状況です。政府が言ってることを信じてしまう。 政治記者は政治家が口を開いたら「ウソじゃないか」と疑うのが基本なんです。だけどウソを見抜く力は教科書読んでも身につかないんですよね。 泉 マスコミが自問自答して、変わらなきゃいけない時代が来ている。昔の感覚でやっていけるわけがない。変わらないと沈む一方だと思います。ちょっと手厳しい言い方になりましたが、私からのエールのつもりです。 政治家と官僚とマスコミが、いい意味で緊張感のある関係でないと、この国の未来もありませんから。 次回は『いよいよ参院選投票当日!緊迫の最終回』。明日更新です』、「残念ながら、朝日新聞の記者の8割以上は、そもそもやりたいことがないというか、保身しか考えていなかった。 「自分が出世したい」とか、「社内の立場を守りたい」と考える人たちにとっては、抗議がくるような原稿はリスクでしかないんです。それで、リスクを回避するために、無難に「やってる感」を出すだけの記事をつくるから、両論併記だらけになるんです。 本当に訴えたいことがあればリスクを背負っても攻めるはずですが、そもそも伝えたいことがないから、リスクを負う勇気も持てない。 社会に対する不条理とか不公平に対して、怒りを感じない人は、ジャーナリストに向いていないと思います」、「マスコミが自問自答して、変わらなきゃいけない時代が来ている。昔の感覚でやっていけるわけがない。変わらないと沈む一方だと思います。ちょっと手厳しい言い方になりましたが、私からのエールのつもりです。 政治家と官僚とマスコミが、いい意味で緊張感のある関係でないと、この国の未来もありませんから」、全く同感である。
タグ:現代ビジネス メディア (その33)(朝日新聞元エース記者が暴露する朝日新聞政治部シリーズ:(4)内閣官房長官の絶大な権力、「朝日はこうして死んだ」、泉房穂明石市長との対談:このままでは自滅して沈んでいくだけ 大マスコミと政治家・官僚はしょせん「同じ穴のムジナ」なんです) 鮫島 浩氏による「話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第4回〜内閣官房長官の絶大な権力 朝日新聞政治部(4)」 「内閣官房長官が持つ権力の正体」とは興味深そうだ。 「総理に上がる情報は、その前に官房長官の手で取捨選択される。官房長官には総理より早く多くの情報が集まる。 領収書不要の官房機密費を管理するのも官房長官の権限。長官室の金庫には常に数千万円の現金が保管され、政界対策や世論対策に投入されていく。官房長官が札束を持ち出した翌日には金庫に現金がすぐに補充される。 もうひとつの武器は、毎日午前と午後に官邸で開く官房長官会見だ。この場の発言が政府の公式見解となる」、「総理より早く多くの情報が集まる」、「官房機密費を管理」、「官房長官会見」で「政府の公式見解」、いずれも 「与謝野事務所」の「島田氏」は来客を事前にチェックするという意味で秘書としては有能だ。 そのやり取りを聞いて、「通してやれよ。俺と竹中とどっちが魅力的か、見せてやろうじゃないか」と言った「与謝野氏」はさすが「大物政治家」らしい。「与謝野氏は答えるべきことは答え、かわすべきことは見事にかわした。文学的、芸術的な表現を交えて受け流していく。それでも食い下がる私とのやりとりをまるで楽しんでいるようであった。自らの識見、理解力、答弁力に対する圧倒的な自信の裏返しであったのだろう」、 これに対し、「菅義偉官房長官の対応は対照的だった。何を聞いても「問題ない」「批判は当たらない」の一言ではぐらかす」、「東京新聞社会部の望月衣塑子記者の厳しい追及に対し、・・・司会役の官邸広報室長は質問を妨害し、質問回数に制限を加えた。醜悪だったのは、各社政治部の官房長官番が望月記者の質問を妨害することに抗議せず、それを黙殺し、官邸側に歩調を合わせたことだった」、「各社政治部」の体質を如実に示している。 「官房長官番は連日、官房長官から「裏付け」を取るようデスクやキャップからプレッシャーを受けている」、「携帯番号を教えてもらい、電話に出てもらえる信頼関係をつくらなければ仕事にならない」、これは大変そうだ。 「菅氏は政治部や番記者の事情を熟知し、「都合の良い記者」と「不都合な記者」への対応を露骨に変えることで自らへの批判を封じ、番記者全体を「防御壁」に仕立てるのが巧妙だった。番記者たちが望月記者の追及から菅氏を守った真相はそこにある」、「番記者全体を「防御壁」に仕立てる」とは高度な技だ。 「官房長官会見で厳しく追及した夜に電話して「これを確認させてください」とお願いするようでは、対等な関係はつくれない。「特オチ」してもやせ我慢し、緊張関係を保つことが重要だ。だが、政治取材の要である官房長官番がそうした態度を貫けば、朝日新聞は「特オチ」を繰り返し、番記者だけの問題ではなくなる。政治部としてそれを許容する覚悟が必要であった。 当時の上司は私の願いを受け入れた。私は与謝野氏の後を受け継いだ町村信孝氏まで2代にわたって官房長官番を務めたが、決してへりくだらなかった。与謝野氏も町村氏もそんな私を拒ま 鮫島 浩氏による「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露「朝日はこうして死んだ」 『朝日新聞政治部』著者が明かす」 どういうことなのだろう。 「福島第一原発元所長の吉田昌郎氏が政府事故調査委員会の聴取に応じた記録を独自入手し、事故対応の問題点を報じた」のであれば、極めて重要性の高いものだ。 「後編記事」は見当たらないので推測する他ないが、「所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していた」、となると、公式見解と矛盾するので、撤回すべきとの圧力がかかり、「木村伊量社長」が撤回させたのだろうか。 泉房穂明石市長と鮫島浩氏との記念対談「泉房穂×鮫島浩(2)」 「泉房穂明石市長」の存在は初めて知ったが、興味深そうだ。 「我々明石市は、誰かに犠牲やしわ寄せが行かない形で、こども施策を進めようとしているのです。でもそれをマスコミは認めようとしない。 「そんなにうまくいくはずない」「どっかにしわ寄せがいってるはずだ」との想定のもと、何か問題が起きているかのように、ろくに取材もせずに進めていく」、マスコミの姿勢は余りに酷い。「明石市」が反論するのは当然だ。 「泉 私は、誰かれ構わず噛み付くのではなく、政治家・官僚・マスコミに、特に辛口なんです。なぜかというと、彼らに期待しているからです。 彼らには力があるじゃないですか。権力がある。その力を使って、本来やるべきことが山ほどあるのに、全然やらないから、つい辛口になってしまう。 マスコミの中でも特に手厳しくなるのは、NHKと朝日新聞に対してです。 NHKは古巣ですし、朝日新聞には友達が多い。結局ね、東大とか京大とか、その辺りの出身者が多いんですよ。 政治家も官僚もNHKも朝日新聞も「同じ穴のムジナ」というのが私の 朝日新聞なんて、政権にチクリとやってる風の見世物をやり続けてるでしょ。それを見ていると、「あなたたち、本気で社会をよくしたいんですか?」「社会を変える気あるんですか?」「変える気があるフリだけしてるんとちゃいますか?」と思ってしまう。 それで、「やるなら本気でやれよ」と、ついカッカしてしまうんです」、なるほど。 「SNSやインターネットメディアの台頭が、マスコミの「やってるフリ」を完全にバラしたと言えます。 インターネットを通じて誰もが情報を発信できるようになり、茶番が可視化されてしまった。政治家も官僚もマスコミも、完全に“あちら側”の人たちで、自分たちのことしか考えずに、既得権益を守っている。それが、明るみに出てしまった」、「新聞は社説が特に恥ずかしいね。あらゆる方面に気を使いすぎて、もはや、何も言っていない。バランスを取ろうとして、とりあえず両論併記してみたり。あれなら書かないほうがマシ。 大マスコミの建前に 「残念ながら、朝日新聞の記者の8割以上は、そもそもやりたいことがないというか、保身しか考えていなかった。 「自分が出世したい」とか、「社内の立場を守りたい」と考える人たちにとっては、抗議がくるような原稿はリスクでしかないんです。それで、リスクを回避するために、無難に「やってる感」を出すだけの記事をつくるから、両論併記だらけになるんです。 本当に訴えたいことがあればリスクを背負っても攻めるはずですが、そもそも伝えたいことがないから、リスクを負う勇気も持てない。 社会に対する不条理とか不公平に対して、怒りを感 社会に対する不条理とか不公平に対して、怒りを感じない人は、ジャーナリストに向いていないと思います」、「マスコミが自問自答して、変わらなきゃいけない時代が来ている。昔の感覚でやっていけるわけがない。変わらないと沈む一方だと思います。ちょっと手厳しい言い方になりましたが、私からのエールのつもりです。 政治家と官僚とマスコミが、いい意味で緊張感のある関係でないと、この国の未来もありませんから」、全く同感である。
メディア(その32)(朝日新聞元エース記者が暴露する朝日新聞政治部シリーズ:(1)「吉田調書事件」とは何だったのか、(2)「吉田調書事件」とは何だったのか、(3)小渕恵三首相「沈黙の10秒」) [メディア]
メディアについては、5月29日に取上げた。今日は、(その32)(朝日新聞元エース記者が暴露する朝日新聞政治部シリーズ:(1)「吉田調書事件」とは何だったのか、(2)「吉田調書事件」とは何だったのか、(3)小渕恵三首相「沈黙の10秒」)である。
先ずは、5月23日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95386?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓した『朝日新聞政治部』は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 今日から7回連続で、本書の内容を抜粋して紹介していく』、興味深そうだ。
・『夕刊紙に踊る「朝日エリート誤報記者」の見出し 2014年秋、私は久しぶりに横浜の中華街へ妻と向かった。息苦しい都心からとにかく逃れたかった。 朝日新聞の特別報道部デスクを解任され、編集局付という如何にも何かをやらかしたような肩書を付与され、事情聴取に呼び出される時だけ東京・築地の本社へ出向き、会社が下す沙汰を待つ日々だった。蟄居謹慎(ちっきょきんしん)とはこういう暮らしを言うのだろう。駅売りの夕刊紙には「朝日エリート誤報記者」の見出しが躍っていた。私のことだった。 ランチタイムを過ぎ、ディナーにはまだ早い。ふらりと入った中華料理店はがらんとしていた。私たちは円卓に案内された。注文を終えると、二胡を抱えたチャイナドレスの女性が私たちの前に腰掛け、演奏を始めた。私は紹興酒を片手に何気なく聴き入っていたが、ふと気づくと涙が溢れている。 「なぜ泣いているの?」 二胡の音色をさえぎる妻の声で私はふと我に返った。人前で涙を流したことなんていつ以来だろう。ちょっと思い出せないな。これからの私の人生はどうなるのだろう。 朝日新聞社は危機に瀕していた。私が特別報道部デスクとして出稿した福島原発事故を巡る「吉田調書」のスクープは、安倍政権やその支持勢力から「誤報」「捏造」と攻撃されていた。政治部出身の木村伊量社長は、過去の慰安婦報道を誤報と認めたことや、その対応が遅すぎたと批判する池上彰氏のコラム掲載を社長自ら拒否した問題で、社内外から激しい批判を浴びていた。 「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞社は創業以来最大の危機に直面していたのである。特にインターネット上で朝日バッシングは燃え盛っていた。 木村社長は驚くべき対応に出た。2014年9月11日に緊急記者会見し、自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明したのである。さらにその場で「吉田調書」のスクープを誤報と断定して取り消し、関係者を処罰すると宣告したのだ。 寝耳に水だった。 その後の社内の事情聴取は苛烈を極めた。会社上層部はデスクの私と記者2人の取材チームに全責任を転嫁しようとしていた。5月に「吉田調書」のスクープを報じた後、木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請した。ところが9月に入って自らが「慰安婦」「池上コラム」で窮地に追い込まれると、手のひらを返したように態度を一変させたのである』、「木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請」、それを手の平を返して「辞任を表明」とは、全く節操がない人物だ。
・『私がどんな「罪」に問われていたか 巨大組織が社員個人に全責任を押し付けようと上から襲いかかってくる恐怖は、体験した者でないとわからないかもしれない。それまで笑みを浮かべて私に近づいていた数多くの社員は蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。 私は27歳で政治部に着任し、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家の番記者を務めた。39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである。 ああ、会社員とはこういうものか――。そんな思いにふけっているところへ、妻の声が再び切り込んできた。二胡の妖艶な演奏は続いている。 「なぜ泣いているの?」 「なんでだろう……。たぶん厳しい処分が降りるだろう。懲戒解雇になると言ってくる人もいる。すべてを失うなあ……。いろんな人に世話になったなあと思うと、つい……」 妻はしばらく黙っていたが、「それ、ウソ」と言った。続く言葉は強烈だった。 「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」 紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。 「あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」 中国の皇帝とは、仰々しいたとえである。だが、妻の目に私はそのくらい尊大に映っていたのだろう。そして会社の同僚たちも社内を大手を振って歩く私を快く思っていなかったに違いない。私はそれにまったく気づかなかった。 「裸の王様」がついに転落し、我が身をあわれんで涙を流す姿ほど惨めなものはない。そのような者に誰が同情を寄せるだろうか。 私は、自分がこれから問われる「傲慢罪」やその後に盛られる「毒」を想像して背筋が凍る思いがした。泣いているどころではなかった。独裁国家でこのような立場に追い込まれれば、理屈抜きに生命そのものを絶たれるに違いない。今日の日本社会で私の生命が奪われることはなかろう。奈落の底にどんな人生が待ち受けているかわからないが、生きているだけで幸運かもしれない。 そんな思いがよぎった後、改めて「傲慢罪」という言葉を噛み締めた。「吉田調書」報道に向けられた数々の批判のなかで私の胸にストンと落ちるものはなかった。しかし「傲慢罪」という判決は実にしっくりくる。そうか、私は「傲慢」だったのだ! 政治記者として多くの政治家に食い込んできた。ペコペコすり寄ったつもりはない。権力者の内実を熟知することが権力監視に不可欠だと信じ、朝日新聞政治部がその先頭に立つことを目指してきた。調査報道記者として権力の不正を暴くことにも力を尽くした。朝日新聞に強力な調査報道チームをつくることを夢見て、特別報道部の活躍でそれが現実となりつつあった。それらを成し遂げるには、会社内における「権力」が必要だった――。 しかし、である。自分の発言力や影響力が大きくなるにつれ、知らず知らずのうちに私たちの原点である「一人一人の読者と向き合うこと」から遠ざかり、朝日新聞という組織を守ること、さらには自分自身の社内での栄達を優先するようになっていたのではないか。 私はいまからその罪を問われようとしている。そう思うと奈落の底に落ちた自分の境遇をはじめて受け入れることができた。 そして「傲慢罪」に問われるのは、私だけではないと思った。新聞界のリーダーを気取ってきた朝日新聞もまた「傲慢罪」に問われているのだ』、奥さんに指摘された「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」は、実に本質を突いた至言だ。
・『日本社会がオールドメディアに下した判決 誰もが自由に発信できるデジタル時代が到来して情報発信を独占するマスコミの優位が崩れ、既存メディアへの不満が一気に噴き出した。2014年秋に朝日新聞を襲ったインターネット上の強烈なバッシングは、日本社会がオールドメディアに下した「傲慢罪」の判決だったといえる。木村社長はそれに追われる形で社長から引きずり下ろされたのだ。 「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった。安倍政権は数々の権力私物化疑惑をものともせず、憲政史上最長の7年8ヵ月続く。 マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった。民主党政権下の2010年に11位だった日本の世界報道自由度ランキングは急落し、2022年には71位まで転げ落ちた。新聞が国家権力に同調する姿はコロナ禍でより顕著になった。 木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである。自らの新聞記者人生を見つめ直し、どこで道を踏み外したのかをじっくり考えた。本書はいわば「失敗談」の集大成である。 世の中には新聞批判が溢れている。その多くに私は同意する。新聞がデジタル化に対応できず時代に取り残されたのも事実だ。一方で、取材現場の肌感覚とかけ離れた新聞批判もある。新聞の歩みのすべてを否定する必要はない。そこから価値のあるものを抽出して新しいジャーナリズムを構築する材料とするのは、凋落する新聞界に身を置いた者の責務ではないかと思い、筆を執った。 この記事は大手新聞社の中枢に身を置き、その内情を知り尽くした立場からの「内部告発」でもある。 次回は「新人時代のサツ回りが新聞記者をダメにする」です』、「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した」、どんな事情があったのだろう。
次に、この続きを、5月24日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(2) 朝日新聞政治部(2)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95464?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓する『朝日新聞政治部』(5月27日発売、現在予約受付中)は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 同書の内容を抜粋して紹介する。7日連続公開の第2回は、新聞記者が新人時代に必ず通る「地方支局でのサツ(警察)回り」の実態だ』、興味深そうだ。
・『キャリア官僚の話に興味が持てない 私は1994年に京都大学法学部を卒業し、朝日新聞に入社した。バブル経済は崩壊していたものの、その余韻が残る時代だった。数年後にやってくる就職氷河期の「失われた世代」や現在の「コロナ禍世代」と比べれば、気楽な就職活動の時代であった。 当時の京大生のご多分に漏れず、学業に熱心とは言い難い生活だった。就活中の1993年は自民党が衆院選に敗北して下野し、細川連立内閣が発足した戦後政治史の重要な年である。京大キャンパスのある衆院京都1区(当時は中選挙区制)からは、のちに民主党代表となる前原誠司氏が日本新党から出馬して初当選した。だが、私にはこの衆院選の投票に行った記憶がない。 新聞も購読していなかった。母子家庭で仕送りがなく、奨学金とアルバイト代で辛うじて学生生活を送っていたというのは言い訳である。 トイレも風呂も洗面所もない「離れ」に下宿した入学当初はたしかに厳しい暮らしだったが、3~4年生になると塾講師のアルバイトで稼いで自分の車まで所有していた。単に「学び」に不熱心だったというほかない。国立大学なら奨学金とアルバイトで何とか下宿し、通学し、それなりに遊び、卒業して就職できる幸運な時代だった。 朝日新聞の採用試験を受けたのも、当時交際していた同じ年の女性が新聞社志望で、募集要項をもらってきたのがきっかけだった。今となってはそこに何を書き込んだのかも覚えていない。朝日新聞といえばリベラルというくらいの印象しかなかった。ただ、これを境にそろそろ就職活動をしないといけないとにわかに焦り始めたことを覚えている。 親しい友人たちが国家公務員一種試験(法律職)を目指して勉強していたので、遅ればせながらその輪に入れてもらった。2~3ヵ月、過去問をひたすら解いて挑んだ筆記試験に合格し、友人たちに驚かれた。要領は良かったのだろう。その後、キャリア官僚と「面接」を重ねたが、自慢話を聞かされるばかりで興味を持てなかった。そこで、様々な業種から名前を知っている大企業をひとつずつ選んで訪問することにした。銀行、生保、メーカー……。朝日新聞はそのひとつに過ぎなかった。世間知らずの学生だった。 面接は得意だった。当意即妙の受け答えには割と自信があった(政治記者になった後も記者会見やインタビューで二の矢三の矢を放つのが好きだった)。それが功を奏したのか、朝日新聞を含め、いくつか内定をいただいた。 朝日新聞の東京本社や京都支局にうかがって現役の新聞記者にも会ったが、興味のわく人はいなかった。キャリア官僚と同じ匂いがした。 私は朝日新聞の内定を断った。代わりに選んだのが新日鉄(現・日本製鉄)である。この会社は会う人会う人が魅力的だった。私は新日鉄にのめり込んでいった。各地の製鉄所も見学させてもらった。「鉄は国家なり」と熱く語る人、ヒッタイト以来の鉄の歴史を研究して披露する人、鉄鋼労働者が暮らす四畳半の宿舎を案内し「君がこの会社で最初にする仕事はこの部屋が煙草の不始末で火事にならないようにすることだ」と説く人。みんな思いが詰まっていて、キャリア官僚や新聞記者より輝いて見えた。 なかでも私を気に入ってくれたのが、Sさんだった。私は京都から大阪・梅田の高層ビルに入る高級店に何度となく呼び出され、「君と一緒に仕事をしたい」と口説かれた。Sさんはパリッとしたスーツに身を固め、紳士的で、格好良かった。キャリア官僚や新聞記者とはまるで違った。私は新日鉄へ入社する決意をSさんに告げた』、「梅田の高層ビルに入る高級店に何度となく呼び出され」、「新日鉄」も優秀な大学生にはかなり手をかけたようだ。
・『「新聞記者は主役になれない」 迷走はここから始まる。私は世の中をあまりに知らなかった。自分がいざ「鉄鋼マン」になると思うと、「鉄は国家なり」と熱く語る人やヒッタイトの歴史を熟知する人のように鉄に人生を捧げる覚悟が湧いてこなかった。「鉄」に限らずビジネスの世界で生きる将来の自画像がまったく浮かんでこなかったのだ。 一度決断しないと本心に気づかないのは困ったものである。就活の季節はとっくに過ぎ去っていた。内定を断った会社に今一度問い合わせてみた。 そのなかで唯一「今からでも来ていいよ」と答えてくれたのが朝日新聞社だった。当時の採用担当者から「君は新聞のことを知らなすぎる。新聞記者としてうまくいくかわからないけれど、来たいのなら来てもいいよ」と言われ、負けん気に火がついたのである。 私は大阪・梅田で新日鉄のSさんに会い、内定をお断りした。「どこにいくのか」と聞かれ、「新聞記者になります」と答えた。Sさんは引かなかった。「なぜ新聞記者なのか」と繰り返し迫った。私はとっさに「いろんな人の人生を書きたいからです」と魅力を欠く返答をした。彼は決して譲らず、熱く語った。 「新聞記者は人の人生を書く。所詮は人の人生だ。主役にはなれない。我々は自分自身が人生の主役になる。新日鉄に入って一緒に主役になろう」 熱かった。心が揺れた。私はこののち多くの政治家や官僚を取材することになるが、このときのSさんほど誠実で心に迫る言葉に出会ったことがない。いわんや、朝日新聞の上司からこれほど心を揺さぶられる説得を受けたことはない。 しかし、Sさんの熱い言葉は、彼の思いを超えて、私に新たな「気づき」を与えたのだった。ビジネスの世界に身を投じることへの抵抗感が自らの心の奥底に強く横たわっていることを、私はこのときSさんの熱い言葉に追い詰められて初めて自覚したのである。 「なぜ新聞記者なのか」と繰り返すSさんに、私がとっさに吐いた言葉は「ビジネスではなく、政治に関心があるからです」だった。政治家になろうと考えたことはなかった。政治に詳しくもなかった。なぜ「政治に関心がある」という言葉が出てきたのか、自分でもわからない。 いま振り返ると、一介の学生が働き盛りの鉄鋼マンに「なぜ新聞記者なのか」と迫られ、「ビジネス」への対抗軸として絞り出した答えが「政治」だったのだろう。多くの書物を読んで勉学を重ねた学生なら「学問」「文化」「芸術」などという、もう少し気の利いた言葉が浮かんだのかもしれないが、当時の私はあまりにも無知で無学で野暮だった。「政治」という言葉しか持ち合わせていなかったのだ。 ところが、「政治」という言葉を耳にして、Sさんはついに黙った。ほどなくして「残念だ」とだけ言った。Sさんとの別れだった。彼にとって「政治」とは、どんな意味を持つ言葉だったのか。当時の私には想像すらできなかった。 Sさんに投げかけられた「なぜ新聞記者なのか」という問いを、私はその後の新聞記者人生で絶えず自問自答してきた。客観中立を口実に政治家の言い分を垂れ流す政治記事を見るたびに、「新聞記者は主役になれない」と言い切ったSさんの姿を思い出した。いつしかSさんに胸を張って「主役になりましたよ」と言える日が来ることを志し、27年間、新聞記者を続けてきた。山あり谷あり波乱万丈の記者人生だったが、Sさんと再会して「君は主役になったな」と認めてもらえる自信はない。「所詮は新聞という小さな世界の内輪の話だよ」と言われてしまう気もする。 鉄も新聞も斜陽と呼ばれて久しい業界だ。学生時代の私が進路を決めるにあたり鉄と新聞で揺れたのは、果たして偶然だったのだろうか。私がSさんにとっさに吐いた言葉の後を追うように「政治記者」となり、多くの政治家とかかわるようになったのは運命だったのだろうか。 いずれにせよ、私は「新聞記者は主役になれない」という言葉を背負って朝日新聞に入社した。そこには新聞記者を志し、とりわけ朝日新聞に憧れて難関を突破してきた大勢の同期がいた。朝日新聞記者の初任給は当時、日本企業でトップクラスだった。日本の新聞の発行部数はまだ伸びていた。1994年春である。 太平洋の向こう側、アメリカ西海岸ではIT革命が幕を開けようとしていた』、当初は新日鉄入社を考えていたが、「鉄に人生を捧げる覚悟が湧いてこなかった」、「「新聞記者は主役になれない」という言葉を背負って朝日新聞に入社した」、なるほど。
・『記者人生を決める「サツ回り」 新聞記者人生は大概、地方の県庁所在地から始まる。新人記者は県警本部の記者クラブに配属され、警察官を取材する「サツ回り」で同僚や他社の記者と競わされる。支局には入社1~5年目の記者がひしめく。同世代はみんなライバルだ。 私は違った。初任地は茨城県のつくば支局。大学と科学の街である。県庁所在地ではなく県警本部はない。他社に新人記者は一人もいなかった。大半は科学記者だ。朝日新聞つくば支局は科学部出身の支局長、科学部兼務の記者、新人の私の3人。畑が点在する住宅街にある赤煉瓦の一軒家に支局長が居住し、その一角が私たちのオフィスになっていた。 同期たちからは「まあ、気を落とすなよ」と言われた。彼らには私が会社員人生の初っぱなから「コースを外れた」と映ったようだ。すでに出世競争は始まっていた。サツ回りで評価された記者が政治部や社会部に進む新聞社の常識を、私は知らなかった。 1994年4月、私は水戸支局に赴任する同期のY記者と特急スーパーひたちに乗り込んだ。茨城県全域を統括する水戸支局長に着任の挨拶をするためだ。支局長は社会部の警視庁記者クラブで活躍した特ダネ記者という評判だった。 水戸支局は水戸城跡のお堀に面した通りにある。いちばん奥のソファに、彼は仰向けに寝そべっていた。黒いサングラスをかけ、白いエナメルの靴を履いた足を投げ出している。その姿勢を維持したまま、彼は少し頬を緩めボソボソと口を開いた。 「世の中の幸せの量は決まっている。Yの幸せはサメの不幸、サメの幸せはYの不幸」 訓示はそれで終わった。何が言いたいんだ、競争心を煽っているのか、とんでもないところに来てしまった、これが新聞社なのか……。 この水戸支局長、野秋碩志(のあきひろし)さんが私の最初の上司である。 Y記者は早速、3人チームのサツ回りに投入された。入社3年目の県警キャップと2年目のサブキャップのもとで徹底的にこき使われるのだ。昼間は県警記者クラブで交通事故や火災などの発表を短行記事にする。殺人事件や災害が起きれば現場へ向かい、関係者の話を聞いたり写真を撮ったりする。朝と夜は警察官の自宅を訪問して捜査情報を聞き出す。いわゆる「夜討ち朝駆け」だ。 当時携行させられていたのはポケベルだった。休日深夜を問わず鳴り続ける。警察官宅で酔いつぶれたキャップから車で迎えに来るように呼びつけられることもある。 県警発表を記事にするだけでは評価されない。未発表の捜査情報――「明日逮捕へ」とか「容疑者が~と供述」とか――を、他社を出し抜いて書く。これら特ダネは、警察官と仲良くなって正式発表前に特別に教えてもらうリーク型がほとんどだ。不都合な事実を暴く正真正銘の特ダネとは違う。 新聞というムラ社会の中だけで評価される特ダネを積み重ねることが「優秀な新聞記者」への第一歩となる。逆に他社に特ダネを書かれることを「抜かれ」といい、他の全社が報じているのに一社だけ記事にできずに取り残されることを「特オチ」という。それらが続くと「記者失格」の烙印を押される。サツ回りで特ダネを重ねた記者が支局長やデスクに昇進し、自らの「成功体験」を若手に吹聴して歪んだ記者文化が踏襲されていく。 駆け出し記者は特ダネをもらうのに必死だ。あの手この手で警察官にすり寄る。会食を重ねゴルフや麻雀に興じる。風俗店に一緒に行って秘密を共有する。警察官が不在時に手土産を持って自宅を訪れ、奥さんや子どもの相談相手となる。無償で家庭教師を買って出る……。休日も費やす。とにかく一体化する。こうして警察官と「癒着」を極めた記者が特ダネにありつける。 警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い』、「警察官と「癒着」を極めた記者が特ダネにありつける。 警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い」、「警察」のマスコミ・コントロールは容易なようだ。
・『競わされる相手がいなかった 日本の新聞記者の大多数はこうしたサツ回りの洗礼を受け、そこで勝ち上がった記者が本社の政治部や社会部へ栄転していく。敗れた記者たちもサツ回り時代に埋め込まれた「特ダネへの欲求」や「抜かれの恐怖」のDNAをいつまでも抱え続ける。 純朴で真面目なY記者は日々、明らかに憔悴していった。 私は違った。つくばには他社を含め新人記者は私しかいない。警察本部もない。つくば中央警察署(現・つくば警察署)に取材に訪れる記者は私だけだった。競わされる相手がいなかったのだ。末端の警察官まで私を歓迎してくれた。 しかもメインの取材先は警察ではなかった。私は科学以外のすべてを一人で担う立場にあった。つくば市など茨城県南部の読者に向けて地域に密着した話題(いわゆる「街ダネ」)を県版に毎日写真入りで伝えることを期待された。カメラをぶら下げ、市井の人々と会い、日常のこぼれ話を来る日も来る日も記事にした。 27年間の新聞記者人生でこの時ほど原稿を書いた日々はない。当時はフィルム時代だった。つくば支局にはカラー現像機がなかった。私は毎日、白黒フィルムで撮影し、暗室にこもって写真を焼いた。 この記者生活は楽しかった。私は新人にして野放しだった。夜討ち朝駆けはほとんどしなかった。毎朝目覚めると「今日はどこへ行こうか」「誰と会おうか」「何を書こうか」と考えた。私は自由だった。毎日が新鮮だった。 この野放図な新人時代は、私の新聞記者像に絶大な影響を与えることになる。 次回は「政治取材の裏側〜小渕恵三首相の沈黙の10秒」。「野放図な新人時代は、私の新聞記者像に絶大な影響を与えることになる」、幸運だったようだ。
第三に、この続きを、5月25日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第3回〜小渕恵三首相「沈黙の10秒」 朝日新聞政治部(3)」を紹介しよう。
・『・・・戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 7日連続先行公開の第3回は、初めて政治部に着任した鮫島氏が小渕恵三総理と向き合う緊迫の場面を紹介する』、興味深そうだ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95521?imp=0
・『政治記者は「権力と付き合え」 1999年春、私は政治部へ着任した。時は小渕恵三政権である。自民、自由、公明の連立政権が動き始めていた。小泉純一郎政権から安倍晋三政権へ至る清和会支配が幕を開ける前夜、竹下登元首相が最大派閥・平成研究会(小渕派)を通じて隠然たる影響力を残していた時代である。 私は新聞記者6年目の27歳。政治や経済は無知であった。そればかりか初めての東京暮らしで右も左もわからなかった。政治部の恒例で着任初日は政治部長に挨拶し昼食をともにする。駆け出し政治記者が政治部長と直接話をすることなどこの時くらいである。 政治部長は若宮啓文さんだった。朝日新聞を代表するハト派・リベラル派論客で、のちに社説の責任者である論説主幹や主筆となる。韓国紙に連載するなど国際派でもあった。父親は朝日新聞政治部記者から鳩山一郎内閣の総理秘書官に転じた若宮小太郎氏。その子息の若宮さんは「政治記者として血統の良いサラブレット」という印象が強かった。朝日新聞をライバル視する読売新聞の渡辺恒雄氏とも昵懇で、政治家では河野洋平氏と密接な関係を築いていた。 その若宮さんが私たち駆け出し政治記者に投げかけた訓示が衝撃的だった。私はつくば、水戸、浦和で過ごした新聞記者5年間とは別世界に来たと思った。若宮さんは眼光鋭い目を見開きながら、静かにこう語ったのだった。 「君たちね、せっかく政治部に来たのだから、権力としっかり付き合いなさい」 新聞の役割は権力を監視することだと思ってきた。「権力としっかり付き合いなさい」という言葉は意外だった。私は当時、世間知らずで怖いもの知らずだった。日本の新聞界を代表する政治記者であり、朝日新聞を代表する論客であり、初対面である自分の上司に、やや挑発めいた口調でとっさに質問したのである』、「新聞の役割は権力を監視することだと思ってきた。「権力としっかり付き合いなさい」という言葉は意外だった」、確かにドサ回りとは全く違う環境のようだ。
・『日本という国家の「権力」 「権力って、誰ですか?」 若宮さんはしばし黙っていた。ほどなく、静かに簡潔に語った。 「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そして、アメリカと中国だよ」 経世会とは、田中角栄や竹下登の流れを汲み、当時は小渕首相が受け継いでいた自民党最大派閥・平成研究会のことである。永田町ではかつての名称「経世会」の名で呼ばれることも多い。数の力で長く日本政界に君臨し、たたき上げの党人派が多く「武闘派」と恐れられた。小沢一郎氏が竹下氏の後継争いで小渕氏に敗れ自民党を飛び出した「経世会の分裂」が、1990年代の政治改革(小選挙区制導入による二大政党政治への転換)の発端だ。 宏池会は、池田勇人、大平正芳、宮澤喜一ら大蔵省(現・財務省)出身の首相を輩出し、戦後日本の保守本流を自任してきた。経済・平和重視のハト派・リベラル派で、政策通の官僚出身が多い一方、権力闘争は不得手で「お公家集団」と揶揄される。経世会の威を借りて戦後の政策立案を担ってきた。 大蔵省と外務省は、言わずと知れた「官庁中の官庁」。自民党が選挙対策や国会対策に奔走する一方、内政は大蔵省、外交は外務省が主導するのが戦後日本の統治システムだった。とくに大蔵省は予算編成権を武器に政財界に強い影響力を行使し、通産省(現・経済産業省)や警察庁など霞が関の他官庁は頭が上がらなかった。この大蔵省・財務省支配は2012年末の第二次安倍内閣発足まで続く。 そしてアメリカと中国。日米同盟を基軸としつつ対中関係も重視するのが経世会や宏池会が牛耳る戦後日本外交の根幹だった。政治家やキャリア官僚は日頃から在京のアメリカ大使館や中国大使館の要人と接触し独自ルートを築く。政治記者を煙に巻いても米中の外交官には情報を明かすことがある。政治記者ならアメリカや中国にも人脈を築いてそこから情報を得るという「離れ業」も必要だ。国際情勢に対する識見を身につけたうえで、米中の外交官が欲する国内政局に精通し、明快に解説できないようでは見向きもされない。 若宮さんの訓示は、この6者(経世会、宏池会、大蔵省、外務省、アメリカ、中国)こそが日本という国家の「権力」であり、政治記者はこの6者としっかり付き合わなければならないということだった。戦後日本政治史の実態を端的に表現したといえるだろう。 私は当時、その意味を理解する知識も経験も持ち合わせていなかったが、政治記者として20年以上、日本の政治を眺めてきた今となっては、若輩記者の直撃に対して明快な答えを即座に返した若宮さんの慧眼と瞬発力に感動すら覚える』、確かに「若輩記者の直撃に対して明快な答えを即座に返した若宮さんの慧眼と瞬発力に感動すら覚える」、その通りだ。
・『小渕恵三首相の「沈黙の10秒」 小渕恵三という総理は、口下手だった。途中で言葉が詰まり上手に話せないこともしばしばあった。しかし、総理番の取材に丁寧に応じようとしていることはよく伝わってきた。短い時間に、歩きながら、必死に言葉を絞り出していた。 私も何度もぶらさがって小渕総理に厳しい質問をしたが、どんなに慌ただしい政局の中でも何とか言葉を探して一言は答えてくれたものだ。無視されることはなかった。 小渕総理は風貌は地味で、流暢に話せず、「冷めたピザ」と揶揄されたが、若手記者の取材に真摯に応じる姿勢に惹かれた総理番は少なくなかった。「人柄の小渕」がマスコミを通して世間にじわじわ浸透したのか、当初低迷していた内閣支持率は徐々に上向いた。時間がたつにつれ支持率が下がることの多い日本の政権にしては珍しいパターンだった。 私は2000年春に総理番を卒業することになった。最終日、4月1日は日本政治史に残る重大な日となる。当時の関係者が何年もたった後に私に打ち明けた話によると、自自公連立を組む自由党の小沢一郎氏はこの時、連立離脱をちらつかせながら小渕総理と水面下で接触し、自民党と自由党をともに解党して合流するという大胆な政界再編を秘密裏に迫っていたというのだ。この日は夕刻に官邸を訪れ、小渕総理と最後の直談判に及んだのだった。私たち総理番は執務室の前で待った。小沢氏が硬い表情で退出した後、ほどなくして小渕総理が現れ、総理番に取り囲まれた。 私は小渕総理の目の前にいた。小渕総理は何か語ろうとしたが、うまく声を発することができずに10秒ほど押し黙った。ようやく口を開いて「信頼関係を維持することは困難と判断した」と述べ、会談が決裂したことを告げた。 小渕総理はそのまま総理番たちに背中を向け、総理公邸へ向かう廊下を進んだ。最後にちらっと私たちのほうを振り向いた。 これが小渕総理との別れだった。小渕総理は公邸に戻り、大好きな司馬遼太郎の「街道をゆく」のビデオを観ながら倒れたという。あとで先輩から「お前はあの時、小渕さんの目の前にいながら、10秒も押し黙ったのに、体調に異変が生じていることに気づかなかったのか」と叱られた。まったくその通りである。 しかし当時の政局は緊迫していた。小沢氏と決裂して連立解消が決まった直後、小渕総理の口調がこわばっていても不思議ではない。しかも小渕総理は日頃から能弁ではなく、言葉に詰まることが珍しくなかった。とはいえ体調の異変に気づかなかったのは、毎日密着している総理番としては観察力に欠けていたと言われても仕方がない。 その夜、政治記者たちは連立解消の取材に遅くまで追われた。朝刊の締め切りが過ぎた4月2日未明、私は他社の総理番らに国会近くの飲み屋で「総理番卒業」の送別会を開いてもらった(4月2日は日曜だった)。私は外務省担当になることが決まっていた。「小渕政権の最後まで総理番として見届けたかった」と他社の総理番たちにほろ酔いで話していたまさにその頃、小渕総理は病魔に襲われ、密かに順天堂大学附属順天堂医院へ運び出されていたのである』、「小渕恵三首相の「沈黙の10秒」」に立ち会ったが、「体調の異変に気づかなかった」、とは「小渕」氏であれば、やむを得ないだろう。
・『権力は重大な事を隠す 当時の青木幹雄官房長官や野中広務幹事長代理ら「五人組」は小渕総理が倒れた事実を伏せ、後継総理――それは森喜朗氏だった――を密室協議で決めた。 権力は重大な事を隠す。小渕総理の入院が公表された時にはすでに森政権へ移行する流れは出来上がっていた。小渕総理が身をもって教えてくれた政治の冷徹な現実である。 小渕官邸の「総理番」で学んだことは多かった。もちろん、官邸と官邸記者クラブの「癒着」は当時からあった。いちばん驚いたのは官房機密費の使い方だ。さすがに「餞別」などの理由で現金が政治記者に配られることはなかったと思う。しかし政務担当の総理秘書官は連夜、総理番を集め高級店で会食していた。その多くの費用は官房機密費から出ていると政治部記者はみんな察していた。 当時、地方支局ではオンブズマンが情報公開制度を利用して官官接待を追及しており、行政と記者の癒着にも厳しい目が向けられていた。「取材相手との会食は割り勘」は常識だったし、記者懇談会で提供される弁当にも手を付けるなという指示が出るほどだった。それなのに永田町の政治取材の現場では官房機密費がばらまかれていた。官房機密費の使用には領収書が不要で、情報公開で決して表に出ることはないと政治家も官僚も記者も確信しているからだった。 私は政務の総理秘書官を担当しておらず会食に出席したことはなかったが、上司に「あれはおかしいのではないか」と言ったことがある。上司は「それはそうだが、あの会食に出ないと、総理日程などの情報が取れない」と説明した。それに抗って異論を唱え続ける胆力は新米政治記者の私にはなかった。 当時に比べると、今の取材現場では「割り勘」が浸透し、悪弊は解消されつつある。ただし、そのスピードは極めて遅い。そればかりか、安倍晋三、菅義偉、岸田文雄各総理の記者会見をみると、官邸と官邸記者クラブの緊張関係はまったく伝わってこない。 小渕総理と政治記者のぶらさがり取材には緊張関係があった。小渕総理が政治記者という職業に敬意を払っていたからだろう。当時は新聞の影響力が大きく無視できないという政治家としての現実的な判断もあっただろう。 政治取材は長らく、権力者側の「善意」や「誠意」に支えられる側面が大きかった。新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう。 次回は「内閣官房長官の絶大な権力」。明日更新です』、「新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう」、その通りだ。 「吉田調書事件」については、何も触れられてないのは、残念だ。
先ずは、5月23日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95386?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓した『朝日新聞政治部』は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 今日から7回連続で、本書の内容を抜粋して紹介していく』、興味深そうだ。
・『夕刊紙に踊る「朝日エリート誤報記者」の見出し 2014年秋、私は久しぶりに横浜の中華街へ妻と向かった。息苦しい都心からとにかく逃れたかった。 朝日新聞の特別報道部デスクを解任され、編集局付という如何にも何かをやらかしたような肩書を付与され、事情聴取に呼び出される時だけ東京・築地の本社へ出向き、会社が下す沙汰を待つ日々だった。蟄居謹慎(ちっきょきんしん)とはこういう暮らしを言うのだろう。駅売りの夕刊紙には「朝日エリート誤報記者」の見出しが躍っていた。私のことだった。 ランチタイムを過ぎ、ディナーにはまだ早い。ふらりと入った中華料理店はがらんとしていた。私たちは円卓に案内された。注文を終えると、二胡を抱えたチャイナドレスの女性が私たちの前に腰掛け、演奏を始めた。私は紹興酒を片手に何気なく聴き入っていたが、ふと気づくと涙が溢れている。 「なぜ泣いているの?」 二胡の音色をさえぎる妻の声で私はふと我に返った。人前で涙を流したことなんていつ以来だろう。ちょっと思い出せないな。これからの私の人生はどうなるのだろう。 朝日新聞社は危機に瀕していた。私が特別報道部デスクとして出稿した福島原発事故を巡る「吉田調書」のスクープは、安倍政権やその支持勢力から「誤報」「捏造」と攻撃されていた。政治部出身の木村伊量社長は、過去の慰安婦報道を誤報と認めたことや、その対応が遅すぎたと批判する池上彰氏のコラム掲載を社長自ら拒否した問題で、社内外から激しい批判を浴びていた。 「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞社は創業以来最大の危機に直面していたのである。特にインターネット上で朝日バッシングは燃え盛っていた。 木村社長は驚くべき対応に出た。2014年9月11日に緊急記者会見し、自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明したのである。さらにその場で「吉田調書」のスクープを誤報と断定して取り消し、関係者を処罰すると宣告したのだ。 寝耳に水だった。 その後の社内の事情聴取は苛烈を極めた。会社上層部はデスクの私と記者2人の取材チームに全責任を転嫁しようとしていた。5月に「吉田調書」のスクープを報じた後、木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請した。ところが9月に入って自らが「慰安婦」「池上コラム」で窮地に追い込まれると、手のひらを返したように態度を一変させたのである』、「木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請」、それを手の平を返して「辞任を表明」とは、全く節操がない人物だ。
・『私がどんな「罪」に問われていたか 巨大組織が社員個人に全責任を押し付けようと上から襲いかかってくる恐怖は、体験した者でないとわからないかもしれない。それまで笑みを浮かべて私に近づいていた数多くの社員は蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。 私は27歳で政治部に着任し、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家の番記者を務めた。39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである。 ああ、会社員とはこういうものか――。そんな思いにふけっているところへ、妻の声が再び切り込んできた。二胡の妖艶な演奏は続いている。 「なぜ泣いているの?」 「なんでだろう……。たぶん厳しい処分が降りるだろう。懲戒解雇になると言ってくる人もいる。すべてを失うなあ……。いろんな人に世話になったなあと思うと、つい……」 妻はしばらく黙っていたが、「それ、ウソ」と言った。続く言葉は強烈だった。 「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」 紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。 「あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」 中国の皇帝とは、仰々しいたとえである。だが、妻の目に私はそのくらい尊大に映っていたのだろう。そして会社の同僚たちも社内を大手を振って歩く私を快く思っていなかったに違いない。私はそれにまったく気づかなかった。 「裸の王様」がついに転落し、我が身をあわれんで涙を流す姿ほど惨めなものはない。そのような者に誰が同情を寄せるだろうか。 私は、自分がこれから問われる「傲慢罪」やその後に盛られる「毒」を想像して背筋が凍る思いがした。泣いているどころではなかった。独裁国家でこのような立場に追い込まれれば、理屈抜きに生命そのものを絶たれるに違いない。今日の日本社会で私の生命が奪われることはなかろう。奈落の底にどんな人生が待ち受けているかわからないが、生きているだけで幸運かもしれない。 そんな思いがよぎった後、改めて「傲慢罪」という言葉を噛み締めた。「吉田調書」報道に向けられた数々の批判のなかで私の胸にストンと落ちるものはなかった。しかし「傲慢罪」という判決は実にしっくりくる。そうか、私は「傲慢」だったのだ! 政治記者として多くの政治家に食い込んできた。ペコペコすり寄ったつもりはない。権力者の内実を熟知することが権力監視に不可欠だと信じ、朝日新聞政治部がその先頭に立つことを目指してきた。調査報道記者として権力の不正を暴くことにも力を尽くした。朝日新聞に強力な調査報道チームをつくることを夢見て、特別報道部の活躍でそれが現実となりつつあった。それらを成し遂げるには、会社内における「権力」が必要だった――。 しかし、である。自分の発言力や影響力が大きくなるにつれ、知らず知らずのうちに私たちの原点である「一人一人の読者と向き合うこと」から遠ざかり、朝日新聞という組織を守ること、さらには自分自身の社内での栄達を優先するようになっていたのではないか。 私はいまからその罪を問われようとしている。そう思うと奈落の底に落ちた自分の境遇をはじめて受け入れることができた。 そして「傲慢罪」に問われるのは、私だけではないと思った。新聞界のリーダーを気取ってきた朝日新聞もまた「傲慢罪」に問われているのだ』、奥さんに指摘された「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」は、実に本質を突いた至言だ。
・『日本社会がオールドメディアに下した判決 誰もが自由に発信できるデジタル時代が到来して情報発信を独占するマスコミの優位が崩れ、既存メディアへの不満が一気に噴き出した。2014年秋に朝日新聞を襲ったインターネット上の強烈なバッシングは、日本社会がオールドメディアに下した「傲慢罪」の判決だったといえる。木村社長はそれに追われる形で社長から引きずり下ろされたのだ。 「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった。安倍政権は数々の権力私物化疑惑をものともせず、憲政史上最長の7年8ヵ月続く。 マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった。民主党政権下の2010年に11位だった日本の世界報道自由度ランキングは急落し、2022年には71位まで転げ落ちた。新聞が国家権力に同調する姿はコロナ禍でより顕著になった。 木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである。自らの新聞記者人生を見つめ直し、どこで道を踏み外したのかをじっくり考えた。本書はいわば「失敗談」の集大成である。 世の中には新聞批判が溢れている。その多くに私は同意する。新聞がデジタル化に対応できず時代に取り残されたのも事実だ。一方で、取材現場の肌感覚とかけ離れた新聞批判もある。新聞の歩みのすべてを否定する必要はない。そこから価値のあるものを抽出して新しいジャーナリズムを構築する材料とするのは、凋落する新聞界に身を置いた者の責務ではないかと思い、筆を執った。 この記事は大手新聞社の中枢に身を置き、その内情を知り尽くした立場からの「内部告発」でもある。 次回は「新人時代のサツ回りが新聞記者をダメにする」です』、「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した」、どんな事情があったのだろう。
次に、この続きを、5月24日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(2) 朝日新聞政治部(2)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95464?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓する『朝日新聞政治部』(5月27日発売、現在予約受付中)は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 同書の内容を抜粋して紹介する。7日連続公開の第2回は、新聞記者が新人時代に必ず通る「地方支局でのサツ(警察)回り」の実態だ』、興味深そうだ。
・『キャリア官僚の話に興味が持てない 私は1994年に京都大学法学部を卒業し、朝日新聞に入社した。バブル経済は崩壊していたものの、その余韻が残る時代だった。数年後にやってくる就職氷河期の「失われた世代」や現在の「コロナ禍世代」と比べれば、気楽な就職活動の時代であった。 当時の京大生のご多分に漏れず、学業に熱心とは言い難い生活だった。就活中の1993年は自民党が衆院選に敗北して下野し、細川連立内閣が発足した戦後政治史の重要な年である。京大キャンパスのある衆院京都1区(当時は中選挙区制)からは、のちに民主党代表となる前原誠司氏が日本新党から出馬して初当選した。だが、私にはこの衆院選の投票に行った記憶がない。 新聞も購読していなかった。母子家庭で仕送りがなく、奨学金とアルバイト代で辛うじて学生生活を送っていたというのは言い訳である。 トイレも風呂も洗面所もない「離れ」に下宿した入学当初はたしかに厳しい暮らしだったが、3~4年生になると塾講師のアルバイトで稼いで自分の車まで所有していた。単に「学び」に不熱心だったというほかない。国立大学なら奨学金とアルバイトで何とか下宿し、通学し、それなりに遊び、卒業して就職できる幸運な時代だった。 朝日新聞の採用試験を受けたのも、当時交際していた同じ年の女性が新聞社志望で、募集要項をもらってきたのがきっかけだった。今となってはそこに何を書き込んだのかも覚えていない。朝日新聞といえばリベラルというくらいの印象しかなかった。ただ、これを境にそろそろ就職活動をしないといけないとにわかに焦り始めたことを覚えている。 親しい友人たちが国家公務員一種試験(法律職)を目指して勉強していたので、遅ればせながらその輪に入れてもらった。2~3ヵ月、過去問をひたすら解いて挑んだ筆記試験に合格し、友人たちに驚かれた。要領は良かったのだろう。その後、キャリア官僚と「面接」を重ねたが、自慢話を聞かされるばかりで興味を持てなかった。そこで、様々な業種から名前を知っている大企業をひとつずつ選んで訪問することにした。銀行、生保、メーカー……。朝日新聞はそのひとつに過ぎなかった。世間知らずの学生だった。 面接は得意だった。当意即妙の受け答えには割と自信があった(政治記者になった後も記者会見やインタビューで二の矢三の矢を放つのが好きだった)。それが功を奏したのか、朝日新聞を含め、いくつか内定をいただいた。 朝日新聞の東京本社や京都支局にうかがって現役の新聞記者にも会ったが、興味のわく人はいなかった。キャリア官僚と同じ匂いがした。 私は朝日新聞の内定を断った。代わりに選んだのが新日鉄(現・日本製鉄)である。この会社は会う人会う人が魅力的だった。私は新日鉄にのめり込んでいった。各地の製鉄所も見学させてもらった。「鉄は国家なり」と熱く語る人、ヒッタイト以来の鉄の歴史を研究して披露する人、鉄鋼労働者が暮らす四畳半の宿舎を案内し「君がこの会社で最初にする仕事はこの部屋が煙草の不始末で火事にならないようにすることだ」と説く人。みんな思いが詰まっていて、キャリア官僚や新聞記者より輝いて見えた。 なかでも私を気に入ってくれたのが、Sさんだった。私は京都から大阪・梅田の高層ビルに入る高級店に何度となく呼び出され、「君と一緒に仕事をしたい」と口説かれた。Sさんはパリッとしたスーツに身を固め、紳士的で、格好良かった。キャリア官僚や新聞記者とはまるで違った。私は新日鉄へ入社する決意をSさんに告げた』、「梅田の高層ビルに入る高級店に何度となく呼び出され」、「新日鉄」も優秀な大学生にはかなり手をかけたようだ。
・『「新聞記者は主役になれない」 迷走はここから始まる。私は世の中をあまりに知らなかった。自分がいざ「鉄鋼マン」になると思うと、「鉄は国家なり」と熱く語る人やヒッタイトの歴史を熟知する人のように鉄に人生を捧げる覚悟が湧いてこなかった。「鉄」に限らずビジネスの世界で生きる将来の自画像がまったく浮かんでこなかったのだ。 一度決断しないと本心に気づかないのは困ったものである。就活の季節はとっくに過ぎ去っていた。内定を断った会社に今一度問い合わせてみた。 そのなかで唯一「今からでも来ていいよ」と答えてくれたのが朝日新聞社だった。当時の採用担当者から「君は新聞のことを知らなすぎる。新聞記者としてうまくいくかわからないけれど、来たいのなら来てもいいよ」と言われ、負けん気に火がついたのである。 私は大阪・梅田で新日鉄のSさんに会い、内定をお断りした。「どこにいくのか」と聞かれ、「新聞記者になります」と答えた。Sさんは引かなかった。「なぜ新聞記者なのか」と繰り返し迫った。私はとっさに「いろんな人の人生を書きたいからです」と魅力を欠く返答をした。彼は決して譲らず、熱く語った。 「新聞記者は人の人生を書く。所詮は人の人生だ。主役にはなれない。我々は自分自身が人生の主役になる。新日鉄に入って一緒に主役になろう」 熱かった。心が揺れた。私はこののち多くの政治家や官僚を取材することになるが、このときのSさんほど誠実で心に迫る言葉に出会ったことがない。いわんや、朝日新聞の上司からこれほど心を揺さぶられる説得を受けたことはない。 しかし、Sさんの熱い言葉は、彼の思いを超えて、私に新たな「気づき」を与えたのだった。ビジネスの世界に身を投じることへの抵抗感が自らの心の奥底に強く横たわっていることを、私はこのときSさんの熱い言葉に追い詰められて初めて自覚したのである。 「なぜ新聞記者なのか」と繰り返すSさんに、私がとっさに吐いた言葉は「ビジネスではなく、政治に関心があるからです」だった。政治家になろうと考えたことはなかった。政治に詳しくもなかった。なぜ「政治に関心がある」という言葉が出てきたのか、自分でもわからない。 いま振り返ると、一介の学生が働き盛りの鉄鋼マンに「なぜ新聞記者なのか」と迫られ、「ビジネス」への対抗軸として絞り出した答えが「政治」だったのだろう。多くの書物を読んで勉学を重ねた学生なら「学問」「文化」「芸術」などという、もう少し気の利いた言葉が浮かんだのかもしれないが、当時の私はあまりにも無知で無学で野暮だった。「政治」という言葉しか持ち合わせていなかったのだ。 ところが、「政治」という言葉を耳にして、Sさんはついに黙った。ほどなくして「残念だ」とだけ言った。Sさんとの別れだった。彼にとって「政治」とは、どんな意味を持つ言葉だったのか。当時の私には想像すらできなかった。 Sさんに投げかけられた「なぜ新聞記者なのか」という問いを、私はその後の新聞記者人生で絶えず自問自答してきた。客観中立を口実に政治家の言い分を垂れ流す政治記事を見るたびに、「新聞記者は主役になれない」と言い切ったSさんの姿を思い出した。いつしかSさんに胸を張って「主役になりましたよ」と言える日が来ることを志し、27年間、新聞記者を続けてきた。山あり谷あり波乱万丈の記者人生だったが、Sさんと再会して「君は主役になったな」と認めてもらえる自信はない。「所詮は新聞という小さな世界の内輪の話だよ」と言われてしまう気もする。 鉄も新聞も斜陽と呼ばれて久しい業界だ。学生時代の私が進路を決めるにあたり鉄と新聞で揺れたのは、果たして偶然だったのだろうか。私がSさんにとっさに吐いた言葉の後を追うように「政治記者」となり、多くの政治家とかかわるようになったのは運命だったのだろうか。 いずれにせよ、私は「新聞記者は主役になれない」という言葉を背負って朝日新聞に入社した。そこには新聞記者を志し、とりわけ朝日新聞に憧れて難関を突破してきた大勢の同期がいた。朝日新聞記者の初任給は当時、日本企業でトップクラスだった。日本の新聞の発行部数はまだ伸びていた。1994年春である。 太平洋の向こう側、アメリカ西海岸ではIT革命が幕を開けようとしていた』、当初は新日鉄入社を考えていたが、「鉄に人生を捧げる覚悟が湧いてこなかった」、「「新聞記者は主役になれない」という言葉を背負って朝日新聞に入社した」、なるほど。
・『記者人生を決める「サツ回り」 新聞記者人生は大概、地方の県庁所在地から始まる。新人記者は県警本部の記者クラブに配属され、警察官を取材する「サツ回り」で同僚や他社の記者と競わされる。支局には入社1~5年目の記者がひしめく。同世代はみんなライバルだ。 私は違った。初任地は茨城県のつくば支局。大学と科学の街である。県庁所在地ではなく県警本部はない。他社に新人記者は一人もいなかった。大半は科学記者だ。朝日新聞つくば支局は科学部出身の支局長、科学部兼務の記者、新人の私の3人。畑が点在する住宅街にある赤煉瓦の一軒家に支局長が居住し、その一角が私たちのオフィスになっていた。 同期たちからは「まあ、気を落とすなよ」と言われた。彼らには私が会社員人生の初っぱなから「コースを外れた」と映ったようだ。すでに出世競争は始まっていた。サツ回りで評価された記者が政治部や社会部に進む新聞社の常識を、私は知らなかった。 1994年4月、私は水戸支局に赴任する同期のY記者と特急スーパーひたちに乗り込んだ。茨城県全域を統括する水戸支局長に着任の挨拶をするためだ。支局長は社会部の警視庁記者クラブで活躍した特ダネ記者という評判だった。 水戸支局は水戸城跡のお堀に面した通りにある。いちばん奥のソファに、彼は仰向けに寝そべっていた。黒いサングラスをかけ、白いエナメルの靴を履いた足を投げ出している。その姿勢を維持したまま、彼は少し頬を緩めボソボソと口を開いた。 「世の中の幸せの量は決まっている。Yの幸せはサメの不幸、サメの幸せはYの不幸」 訓示はそれで終わった。何が言いたいんだ、競争心を煽っているのか、とんでもないところに来てしまった、これが新聞社なのか……。 この水戸支局長、野秋碩志(のあきひろし)さんが私の最初の上司である。 Y記者は早速、3人チームのサツ回りに投入された。入社3年目の県警キャップと2年目のサブキャップのもとで徹底的にこき使われるのだ。昼間は県警記者クラブで交通事故や火災などの発表を短行記事にする。殺人事件や災害が起きれば現場へ向かい、関係者の話を聞いたり写真を撮ったりする。朝と夜は警察官の自宅を訪問して捜査情報を聞き出す。いわゆる「夜討ち朝駆け」だ。 当時携行させられていたのはポケベルだった。休日深夜を問わず鳴り続ける。警察官宅で酔いつぶれたキャップから車で迎えに来るように呼びつけられることもある。 県警発表を記事にするだけでは評価されない。未発表の捜査情報――「明日逮捕へ」とか「容疑者が~と供述」とか――を、他社を出し抜いて書く。これら特ダネは、警察官と仲良くなって正式発表前に特別に教えてもらうリーク型がほとんどだ。不都合な事実を暴く正真正銘の特ダネとは違う。 新聞というムラ社会の中だけで評価される特ダネを積み重ねることが「優秀な新聞記者」への第一歩となる。逆に他社に特ダネを書かれることを「抜かれ」といい、他の全社が報じているのに一社だけ記事にできずに取り残されることを「特オチ」という。それらが続くと「記者失格」の烙印を押される。サツ回りで特ダネを重ねた記者が支局長やデスクに昇進し、自らの「成功体験」を若手に吹聴して歪んだ記者文化が踏襲されていく。 駆け出し記者は特ダネをもらうのに必死だ。あの手この手で警察官にすり寄る。会食を重ねゴルフや麻雀に興じる。風俗店に一緒に行って秘密を共有する。警察官が不在時に手土産を持って自宅を訪れ、奥さんや子どもの相談相手となる。無償で家庭教師を買って出る……。休日も費やす。とにかく一体化する。こうして警察官と「癒着」を極めた記者が特ダネにありつける。 警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い』、「警察官と「癒着」を極めた記者が特ダネにありつける。 警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い」、「警察」のマスコミ・コントロールは容易なようだ。
・『競わされる相手がいなかった 日本の新聞記者の大多数はこうしたサツ回りの洗礼を受け、そこで勝ち上がった記者が本社の政治部や社会部へ栄転していく。敗れた記者たちもサツ回り時代に埋め込まれた「特ダネへの欲求」や「抜かれの恐怖」のDNAをいつまでも抱え続ける。 純朴で真面目なY記者は日々、明らかに憔悴していった。 私は違った。つくばには他社を含め新人記者は私しかいない。警察本部もない。つくば中央警察署(現・つくば警察署)に取材に訪れる記者は私だけだった。競わされる相手がいなかったのだ。末端の警察官まで私を歓迎してくれた。 しかもメインの取材先は警察ではなかった。私は科学以外のすべてを一人で担う立場にあった。つくば市など茨城県南部の読者に向けて地域に密着した話題(いわゆる「街ダネ」)を県版に毎日写真入りで伝えることを期待された。カメラをぶら下げ、市井の人々と会い、日常のこぼれ話を来る日も来る日も記事にした。 27年間の新聞記者人生でこの時ほど原稿を書いた日々はない。当時はフィルム時代だった。つくば支局にはカラー現像機がなかった。私は毎日、白黒フィルムで撮影し、暗室にこもって写真を焼いた。 この記者生活は楽しかった。私は新人にして野放しだった。夜討ち朝駆けはほとんどしなかった。毎朝目覚めると「今日はどこへ行こうか」「誰と会おうか」「何を書こうか」と考えた。私は自由だった。毎日が新鮮だった。 この野放図な新人時代は、私の新聞記者像に絶大な影響を与えることになる。 次回は「政治取材の裏側〜小渕恵三首相の沈黙の10秒」。「野放図な新人時代は、私の新聞記者像に絶大な影響を与えることになる」、幸運だったようだ。
第三に、この続きを、5月25日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第3回〜小渕恵三首相「沈黙の10秒」 朝日新聞政治部(3)」を紹介しよう。
・『・・・戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 7日連続先行公開の第3回は、初めて政治部に着任した鮫島氏が小渕恵三総理と向き合う緊迫の場面を紹介する』、興味深そうだ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95521?imp=0
・『政治記者は「権力と付き合え」 1999年春、私は政治部へ着任した。時は小渕恵三政権である。自民、自由、公明の連立政権が動き始めていた。小泉純一郎政権から安倍晋三政権へ至る清和会支配が幕を開ける前夜、竹下登元首相が最大派閥・平成研究会(小渕派)を通じて隠然たる影響力を残していた時代である。 私は新聞記者6年目の27歳。政治や経済は無知であった。そればかりか初めての東京暮らしで右も左もわからなかった。政治部の恒例で着任初日は政治部長に挨拶し昼食をともにする。駆け出し政治記者が政治部長と直接話をすることなどこの時くらいである。 政治部長は若宮啓文さんだった。朝日新聞を代表するハト派・リベラル派論客で、のちに社説の責任者である論説主幹や主筆となる。韓国紙に連載するなど国際派でもあった。父親は朝日新聞政治部記者から鳩山一郎内閣の総理秘書官に転じた若宮小太郎氏。その子息の若宮さんは「政治記者として血統の良いサラブレット」という印象が強かった。朝日新聞をライバル視する読売新聞の渡辺恒雄氏とも昵懇で、政治家では河野洋平氏と密接な関係を築いていた。 その若宮さんが私たち駆け出し政治記者に投げかけた訓示が衝撃的だった。私はつくば、水戸、浦和で過ごした新聞記者5年間とは別世界に来たと思った。若宮さんは眼光鋭い目を見開きながら、静かにこう語ったのだった。 「君たちね、せっかく政治部に来たのだから、権力としっかり付き合いなさい」 新聞の役割は権力を監視することだと思ってきた。「権力としっかり付き合いなさい」という言葉は意外だった。私は当時、世間知らずで怖いもの知らずだった。日本の新聞界を代表する政治記者であり、朝日新聞を代表する論客であり、初対面である自分の上司に、やや挑発めいた口調でとっさに質問したのである』、「新聞の役割は権力を監視することだと思ってきた。「権力としっかり付き合いなさい」という言葉は意外だった」、確かにドサ回りとは全く違う環境のようだ。
・『日本という国家の「権力」 「権力って、誰ですか?」 若宮さんはしばし黙っていた。ほどなく、静かに簡潔に語った。 「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そして、アメリカと中国だよ」 経世会とは、田中角栄や竹下登の流れを汲み、当時は小渕首相が受け継いでいた自民党最大派閥・平成研究会のことである。永田町ではかつての名称「経世会」の名で呼ばれることも多い。数の力で長く日本政界に君臨し、たたき上げの党人派が多く「武闘派」と恐れられた。小沢一郎氏が竹下氏の後継争いで小渕氏に敗れ自民党を飛び出した「経世会の分裂」が、1990年代の政治改革(小選挙区制導入による二大政党政治への転換)の発端だ。 宏池会は、池田勇人、大平正芳、宮澤喜一ら大蔵省(現・財務省)出身の首相を輩出し、戦後日本の保守本流を自任してきた。経済・平和重視のハト派・リベラル派で、政策通の官僚出身が多い一方、権力闘争は不得手で「お公家集団」と揶揄される。経世会の威を借りて戦後の政策立案を担ってきた。 大蔵省と外務省は、言わずと知れた「官庁中の官庁」。自民党が選挙対策や国会対策に奔走する一方、内政は大蔵省、外交は外務省が主導するのが戦後日本の統治システムだった。とくに大蔵省は予算編成権を武器に政財界に強い影響力を行使し、通産省(現・経済産業省)や警察庁など霞が関の他官庁は頭が上がらなかった。この大蔵省・財務省支配は2012年末の第二次安倍内閣発足まで続く。 そしてアメリカと中国。日米同盟を基軸としつつ対中関係も重視するのが経世会や宏池会が牛耳る戦後日本外交の根幹だった。政治家やキャリア官僚は日頃から在京のアメリカ大使館や中国大使館の要人と接触し独自ルートを築く。政治記者を煙に巻いても米中の外交官には情報を明かすことがある。政治記者ならアメリカや中国にも人脈を築いてそこから情報を得るという「離れ業」も必要だ。国際情勢に対する識見を身につけたうえで、米中の外交官が欲する国内政局に精通し、明快に解説できないようでは見向きもされない。 若宮さんの訓示は、この6者(経世会、宏池会、大蔵省、外務省、アメリカ、中国)こそが日本という国家の「権力」であり、政治記者はこの6者としっかり付き合わなければならないということだった。戦後日本政治史の実態を端的に表現したといえるだろう。 私は当時、その意味を理解する知識も経験も持ち合わせていなかったが、政治記者として20年以上、日本の政治を眺めてきた今となっては、若輩記者の直撃に対して明快な答えを即座に返した若宮さんの慧眼と瞬発力に感動すら覚える』、確かに「若輩記者の直撃に対して明快な答えを即座に返した若宮さんの慧眼と瞬発力に感動すら覚える」、その通りだ。
・『小渕恵三首相の「沈黙の10秒」 小渕恵三という総理は、口下手だった。途中で言葉が詰まり上手に話せないこともしばしばあった。しかし、総理番の取材に丁寧に応じようとしていることはよく伝わってきた。短い時間に、歩きながら、必死に言葉を絞り出していた。 私も何度もぶらさがって小渕総理に厳しい質問をしたが、どんなに慌ただしい政局の中でも何とか言葉を探して一言は答えてくれたものだ。無視されることはなかった。 小渕総理は風貌は地味で、流暢に話せず、「冷めたピザ」と揶揄されたが、若手記者の取材に真摯に応じる姿勢に惹かれた総理番は少なくなかった。「人柄の小渕」がマスコミを通して世間にじわじわ浸透したのか、当初低迷していた内閣支持率は徐々に上向いた。時間がたつにつれ支持率が下がることの多い日本の政権にしては珍しいパターンだった。 私は2000年春に総理番を卒業することになった。最終日、4月1日は日本政治史に残る重大な日となる。当時の関係者が何年もたった後に私に打ち明けた話によると、自自公連立を組む自由党の小沢一郎氏はこの時、連立離脱をちらつかせながら小渕総理と水面下で接触し、自民党と自由党をともに解党して合流するという大胆な政界再編を秘密裏に迫っていたというのだ。この日は夕刻に官邸を訪れ、小渕総理と最後の直談判に及んだのだった。私たち総理番は執務室の前で待った。小沢氏が硬い表情で退出した後、ほどなくして小渕総理が現れ、総理番に取り囲まれた。 私は小渕総理の目の前にいた。小渕総理は何か語ろうとしたが、うまく声を発することができずに10秒ほど押し黙った。ようやく口を開いて「信頼関係を維持することは困難と判断した」と述べ、会談が決裂したことを告げた。 小渕総理はそのまま総理番たちに背中を向け、総理公邸へ向かう廊下を進んだ。最後にちらっと私たちのほうを振り向いた。 これが小渕総理との別れだった。小渕総理は公邸に戻り、大好きな司馬遼太郎の「街道をゆく」のビデオを観ながら倒れたという。あとで先輩から「お前はあの時、小渕さんの目の前にいながら、10秒も押し黙ったのに、体調に異変が生じていることに気づかなかったのか」と叱られた。まったくその通りである。 しかし当時の政局は緊迫していた。小沢氏と決裂して連立解消が決まった直後、小渕総理の口調がこわばっていても不思議ではない。しかも小渕総理は日頃から能弁ではなく、言葉に詰まることが珍しくなかった。とはいえ体調の異変に気づかなかったのは、毎日密着している総理番としては観察力に欠けていたと言われても仕方がない。 その夜、政治記者たちは連立解消の取材に遅くまで追われた。朝刊の締め切りが過ぎた4月2日未明、私は他社の総理番らに国会近くの飲み屋で「総理番卒業」の送別会を開いてもらった(4月2日は日曜だった)。私は外務省担当になることが決まっていた。「小渕政権の最後まで総理番として見届けたかった」と他社の総理番たちにほろ酔いで話していたまさにその頃、小渕総理は病魔に襲われ、密かに順天堂大学附属順天堂医院へ運び出されていたのである』、「小渕恵三首相の「沈黙の10秒」」に立ち会ったが、「体調の異変に気づかなかった」、とは「小渕」氏であれば、やむを得ないだろう。
・『権力は重大な事を隠す 当時の青木幹雄官房長官や野中広務幹事長代理ら「五人組」は小渕総理が倒れた事実を伏せ、後継総理――それは森喜朗氏だった――を密室協議で決めた。 権力は重大な事を隠す。小渕総理の入院が公表された時にはすでに森政権へ移行する流れは出来上がっていた。小渕総理が身をもって教えてくれた政治の冷徹な現実である。 小渕官邸の「総理番」で学んだことは多かった。もちろん、官邸と官邸記者クラブの「癒着」は当時からあった。いちばん驚いたのは官房機密費の使い方だ。さすがに「餞別」などの理由で現金が政治記者に配られることはなかったと思う。しかし政務担当の総理秘書官は連夜、総理番を集め高級店で会食していた。その多くの費用は官房機密費から出ていると政治部記者はみんな察していた。 当時、地方支局ではオンブズマンが情報公開制度を利用して官官接待を追及しており、行政と記者の癒着にも厳しい目が向けられていた。「取材相手との会食は割り勘」は常識だったし、記者懇談会で提供される弁当にも手を付けるなという指示が出るほどだった。それなのに永田町の政治取材の現場では官房機密費がばらまかれていた。官房機密費の使用には領収書が不要で、情報公開で決して表に出ることはないと政治家も官僚も記者も確信しているからだった。 私は政務の総理秘書官を担当しておらず会食に出席したことはなかったが、上司に「あれはおかしいのではないか」と言ったことがある。上司は「それはそうだが、あの会食に出ないと、総理日程などの情報が取れない」と説明した。それに抗って異論を唱え続ける胆力は新米政治記者の私にはなかった。 当時に比べると、今の取材現場では「割り勘」が浸透し、悪弊は解消されつつある。ただし、そのスピードは極めて遅い。そればかりか、安倍晋三、菅義偉、岸田文雄各総理の記者会見をみると、官邸と官邸記者クラブの緊張関係はまったく伝わってこない。 小渕総理と政治記者のぶらさがり取材には緊張関係があった。小渕総理が政治記者という職業に敬意を払っていたからだろう。当時は新聞の影響力が大きく無視できないという政治家としての現実的な判断もあっただろう。 政治取材は長らく、権力者側の「善意」や「誠意」に支えられる側面が大きかった。新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう。 次回は「内閣官房長官の絶大な権力」。明日更新です』、「新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう」、その通りだ。 「吉田調書事件」については、何も触れられてないのは、残念だ。
タグ:(その32)(朝日新聞元エース記者が暴露する朝日新聞政治部シリーズ:(1)「吉田調書事件」とは何だったのか、(2)「吉田調書事件」とは何だったのか、(3)小渕恵三首相「沈黙の10秒」) メディア 現代ビジネス 鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」 「木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請」、それを手の平を返して「辞任を表明」とは、全く節操がない人物だ。 奥さんに指摘された「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」は、実に本質を突いた至言だ。 「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した」、どんな事情があったのだろう。 鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(2) 朝日新聞政治部(2)」 「梅田の高層ビルに入る高級店に何度となく呼び出され」、「新日鉄」も優秀な大学生にはかなり手をかけたようだ。 当初は新日鉄入社を考えていたが、「鉄に人生を捧げる覚悟が湧いてこなかった」、「「新聞記者は主役になれない」という言葉を背負って朝日新聞に入社した」、なるほど。 「警察官と「癒着」を極めた記者が特ダネにありつける。 警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い」、「警察」のマスコミ・コントロールは容易なようだ。 「野放図な新人時代は、私の新聞記者像に絶大な影響を与えることになる」、幸運だったようだ。 鮫島 浩氏による「話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第3回〜小渕恵三首相「沈黙の10秒」 朝日新聞政治部(3)」 「新聞の役割は権力を監視することだと思ってきた。「権力としっかり付き合いなさい」という言葉は意外だった」、確かにドサ回りとは全く違う環境のようだ。 確かに「若輩記者の直撃に対して明快な答えを即座に返した若宮さんの慧眼と瞬発力に感動すら覚える」、その通りだ。 「小渕恵三首相の「沈黙の10秒」」に立ち会ったが、「体調の異変に気づかなかった」、とは「小渕」氏であれば、やむを得ないだろう。 「新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう」、その通りだ。 「吉田調書事件」については、何も触れられてないのは、残念だ。
SNS(ソーシャルメディア)(その11)(承認欲求のお葬式、SNSで自分の意見は多数派と思う人が陥る怖い罠 精査したと思っている情報がすでに偏っている、「なぜデマ情報が急増?」米SNS研究が明らかにした衝撃の事実) [メディア]
SNS(ソーシャルメディア)については、昨年10月21日に取上げた。今日は、(その11)(承認欲求のお葬式、SNSで自分の意見は多数派と思う人が陥る怖い罠 精査したと思っている情報がすでに偏っている、「なぜデマ情報が急増?」米SNS研究が明らかにした衝撃の事実)である。
先ずは、本年3月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーランスライターの川代紗生氏による「承認欲求のお葬式」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/299791
・『SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それ故、この世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。「承認欲求」とは果たして何なのか? 現代社会に蠢く新たな病について考察する』、「承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた」とは興味深そうだ。
・『感情の「お葬式」 「さようなら。今までありがとう」 私は人生の節目節目で、「感情のお葬式」というものをすることがある。なんてことはない。別に実際に参列するわけではない。一種の妄想だ。頭の中で、今までお世話になってきた感情に対してお辞儀をする。ありがとう、とお礼を言う。そして目を開ける。そうすると、なんだか過去の自分から解放されて、新しい自分になれるような気がする。思い込みかもしれないけれど。 頻繁にあるわけではない。ふと思い立ったとき、私はお葬式をする。さようなら、恋。さようなら、親への執着。さようなら、学生としての甘え。本当にその感情が自分の中からいなくなるとは限らないけれど、それでも、ひとつ自分の中で線を引いたような気分になるのだ。 これまでの人生の中で、「あ、今が転機かもしれない」と思う瞬間があって、そのときどきで必要に応じてお葬式をやってきた。いろいろな感情を弔ってきたし、その分、新しい感情が生まれてくることもあった。けれども私の中で、どうしてもさようならを言えない感情があった。 承認欲求。 他人から認められたいと思う気持ち。 周りと自分を比べてしまう気持ち。 社会からの評価に振り回されてしまう。とにかく、「世間の目」が気になって仕方がない、気持ち。 承認欲求に悩んでいる、いなくなっちゃえばいいのに、という声は頻繁に耳にする。とくに同世代で。就活生の頃からだったろうか。SNSが発達し、他人から「評価される」という機会が多い現代の社会で、私たちゆとり世代は日々、他人からの評価・期待と、自分本来の限界値との間でゆれ、劣等感に悩み続けている。 私は大学生の頃からブログを書いているが、「承認欲求」について考えることが、とても多かった。メインテーマは「女子と承認欲求」だった。 男子ももちろん大変だろうが、女子の中ではとくに、承認欲求について悩みを持つ人が多いように思う。女子は、ロールモデルが多く、多すぎるあまりに、「こんな人生が幸せ」というサンプルを得にくいからだ。仕事を頑張ってトップになったら絶対に幸せになれるというわけではない。数多くの男たちから告白されたら幸せになれるというわけでもない。結婚して子どもを産めば終わりというわけでもない。 ナイトプールに行っている子だってバリバリ海外で働いているキャリアウーマンを見ると焦りを感じるし、東京でクリエイティブな活動をしているエディターだって、地方の田舎でパン屋さんをやっている主婦の丁寧な暮らしぶりに嫉妬するのだ。女の人生は、なかなか難しい。 そんなことをあれこれ書いていた。書いていると、気がつくことがあった。私が悩んでいるのと同じようなことで、みんなも悩んでいるということだった。 たとえば、私は周りからこれほど「認められたい」と強く思っているのは私だけかと思っていた。承認欲求がこんなに強い人間は珍しいほうだと。 そう思いながらも、恥をさらすつもりで自分の感情をブログに曝け出したら、思わぬ反響があった。みんな同じだというのだ。私と同じように、承認欲求に、嫉妬に、劣等感に苦しんでいる。なかなか口には出せないけれど。 「ありがとう」と、感謝されることが多くなった。文章を書くことによって。 勇気を出して書いてよかった、と思うと同時にむくむくと、別の感情が湧き上がってくるのがわかった。不思議な恍惚というか、何かに興奮しているような、そんな感じ。けれども、その感情を何と定義するべきなのか、すぐにはわからなかった。 それからというもの、私はどんどん書くことにのめりこんでいった。書けば書くほど、共感してくれる仲間が増えていくのが面白くて仕方なかった。 「どうして、書くことを仕事にしたいと思うの? 」 将来書いて食べていけるようになりたい、と私が言うと、こんな風に聞かれることがあった。何がきっかけだったの? 転機みたいなものはあった? 決定打は? 「わからないけど、ただ、文章を書くようになって、最初にいろんな人に読んでもらって、『共感した』って言ってもらえたときの、あの感動が忘れられなくて」 私はとっさにそう答えた。事実だった。やりたいことなんて、合理的に決めるものじゃないんだなと思った。ビビッとくる、というのか、「これがやりたい!」という直感に突き動かされて、決まるものなのだな、と』、「これまでの人生の中で、「あ、今が転機かもしれない」と思う瞬間があって、そのときどきで必要に応じてお葬式をやってきた。いろいろな感情を弔ってきたし、その分、新しい感情が生まれてくることもあった。けれども私の中で、どうしてもさようならを言えない感情があった。 承認欲求」、「感情の「お葬式」」とはユニークで面白い。
・『私は承認欲求の奴隷だった けれども、そこまで考えたとき、私はあることに気がついた。 もしかして、私がこうして文章を書き続けているその原動力こそ、承認欲求そのものなのでは? 私は、認めてもらうために、承認欲求を満たすために、文章を書いているのでは? もっと別の言い方をすると、私にとっては、承認欲求を満たす最も簡単な方法が、書くことだった。それだけだったのでは? 一見、矛盾しているようだが、事実だった。私は、「認めてもらう」という大目的を達成するために、「承認欲求から解放されたい」というネタをコンテンツにし続けていたのだ。 承認欲求をなくしたい。他人からの評価軸で生きるのをやめたいと思っているのは事実で、その苦しみから逃れるために記事を書いていた。けれども、周りが共感してくれるのは、「承認欲求から解放された私」ではなく「承認欲求に苦しんでいる私」という内容。 つまり、私が承認欲求から本当に解放されてしまったら、誰も私の文章を読んでくれなくなるんじゃないか? ものすごい恐怖を覚えた。 今、周りから必要とされているのは、「ポジティブに生きる、幸せな私」ではなく、「承認欲求に苦しんでいる私」なのだ。 ドロドロとしたマイナスの感情から逃れたいのは事実なのに、解放されない方が結果的にはおいしいという、とんでもない矛盾を抱えていたのだ。 私の中から承認欲求が消えたら、必要とされなくなるという、恐怖。 「共感してもらえる」という強烈な満足感を知ってしまったばかりに、「認められたい」の負のスパイラルに陥っていた。 いなく、ならないでくれ。 自分が嫌いだと思っていた感情に対して、そんな風に思ったのは、そのときがはじめてだった。 もはや私にとって、承認欲求はただの感情ではなくなっていた。 ひとつの、武器とすら言ってもいい。 承認欲求というツールを使って、私は不特定多数の、同じ苦しみを抱き、同じ痛みを抱えている人たちと繋がることができた。他者の持つ、「欠損」というものは、どうしてこうも魅力的に見えるのだろうか。そして、「欠損」によって繋がった人間関係というのは、どうしてポジティブな理由で繋がった人間関係よりもずっと、奥深くでしっかりと絆を紡いでいられるような気がしてしまうのだろう。 恐ろしかった。自分のことが。 このままでいいのだろうか、と思うことさえあった。 「書く」という作業をしていると、色々なことをネタにしようという視点が身についてくる。 辛いことがあったり、苦しいことがあっても、「書くネタができた」と思えば、プラスに転換できる。世の中を見る目が、前向きになってくる。 けれども私の場合は、それが歪んだ方向に進んでしまっていたのかもしれなかった。 書くために、辛いことがありますようにと願った。 書くために、承認欲求が消えませんようにと願った。 どんどんと、負のスパイラルは進んでいく。ぐるぐると下に向かう。 あ、これはもうだめだな、と思ったのは、知人が亡くなったときだった。 よく知る、自分と年の近い人間が死ぬというのは、思いのほか衝撃的で、私はしばらくその事実についてぐるぐると頭を巡らせていた。 そしてしばらくボーッと考えたすえに、ふと浮かんだのは。 「これ、ネタになるな」 その瞬間、ハッとした。 今、私、なんて思った? 何を考えた? こともあろうに、私は、人の死をネタにしようとしてしまっていたのだ。よく知る人間の死。辛い。その感情を描けば、きっと。 きっと、みんなから認めてもらえる? どこまでも、私は承認欲求の奴隷だった。 人から認めてもらいたい、その感情と向き合うために文章を書き始めたのに、結果的に、承認欲求がないと困る人間になってしまっていた。 こんなやつで居続けて、いいのだろうか。 そんな疑問が、ここしばらくずっと、いや、もしかしたらここ数年ずっとかもしれないが、私の頭の中にあった。結論が出ないまま、時は過ぎた』、「辛いことがあったり、苦しいことがあっても、「書くネタができた」と思えば、プラスに転換できる。世の中を見る目が、前向きになってくる。 けれども私の場合は、それが歪んだ方向に進んでしまっていたのかもしれなかった。 書くために、辛いことがありますようにと願った。 書くために、承認欲求が消えませんようにと願った。 どんどんと、負のスパイラルは進んでいく。ぐるぐると下に向かう」、「私は承認欲求の奴隷だった。 人から認めてもらいたい、その感情と向き合うために文章を書き始めたのに、結果的に、承認欲求がないと困る人間になってしまっていた。 こんなやつで居続けて、いいのだろうか」、確かに深刻なジレンマだ。
・『私は居場所が欲しかっただけなのかもしれない そうして、大学生の頃とは違い、働くようになった。この数年がむしゃらに働き、苦しいことばかりだったが、最近になってようやく、働くことの面白さみたいなものが、わかりかけているように思う。 ありがたいことに、店長や書く仕事、編集作業やイベントの企画など、幅広い仕事を任せてもらえるようになった。失敗することもまだまだあるが、これからも続けていきたいという、熱中できる仕事に出会えたことで、私の人生は変わりつつある。 結論から言えば、今の私は、承認欲求に頼って生きる必要がなくなってしまった。 きっかけとなったのは、福岡店のリニューアルを担当したことだった。2018年の5月のことだ。 私は子どもの頃からチームで動くということがとても苦手で、一人でいる方が好きなタイプだった。リーダーとして周りをひっぱっていく才能もないし、部活の先輩後輩の上下関係の中で要領よく立ち回るのも苦手だった。 けれども、福岡店のリニューアルをするためには、チームで動かざるをえなかった。目標を達成するためには私一人の力ではどうにもできない。店舗というのはスタッフ一人一人が動き、そして、お客様に感動を与えられるようにみんなで工夫していかなければならない。 どうしたらお客様に「来てよかった」と言ってもらえるのかと、そればかりをずっと考えていた。 そして思いつく限りのことはやった。スタッフからあげられたアイデアはすぐに取り入れ、実行した。うまくいくこともうまくいかないこともあった。けれども失敗と成功を繰り返して、リニューアルは徐々に進んでいった。お客様に「ありがとう」と言っていただけることが増えた。 ふと、顔を上げると、私は「認められたい」という衝動によって動いていることが圧倒的に少なくなっていることに気がついた。 たしかに、「みんなにこう思ってほしい」という感情はあった。けれどもそれは、認められたいという承認欲求とはまた別の感情のような気がした。私がこうなりたいとかじゃなくて、みんなに、楽しんでほしいとか、笑っていてほしいとか、居心地がいいと感じてほしい、とか。 口にするのは照れ臭いけれど、それは、承認欲求ではなくて、愛情なんじゃないかと、私は思う。そう思いたい。 自分ではない誰かのために動く面白さは、周りから認めてもらえたときの興奮とは、また違った震え方をした。優しく穏やかに、じんわりと広がっていくような。 今、冷静になって思う。 あるいは私は、居場所がほしかっただけなのかもしれない。 「認められたい」という感情は、言い換えれば「あなたはここに居ていい」と許してもらいたいという欲求なのだ。自分にはどこにも居場所がない。そんな不安を掻き立てられると、必要とされたいと思う。認めてほしいと思う。「あなたは価値のある人間だよ」と言ってほしいと、願う。 だから、「承認欲求」というネタも、ある種私の居場所づくりのために必要だったのだ。承認欲求について語っているときは、私は「ここに居ていい人間」になれる。そんな風に。 仕事をして、仕事が好きになって、人のために動く面白さみたいなものが、徐々にわかりかけている今、私は自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまったような気がする』、「熱中できる仕事に出会えたことで、私の人生は変わりつつある・・・承認欲求に頼って生きる必要がなくなってしまった」、「仕事をして、仕事が好きになって、人のために動く面白さみたいなものが、徐々にわかりかけている今、私は自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまったような気がする」、「自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまった」、おめでとう。
・『承認欲求にさようならをする日 だから、ようやく。 ずいぶん時間はかかったけれど、承認欲求にさようならをする日が、来たのかもしれない。 感情のお葬式。 これまで、様々な感情を弔ってきた。お別れしてきた。 執着心。 焦り。 嫉妬。 劣等感。 これらは私の中で抹消されたわけではないけれど、ぴっと一本、線を引いたことで、ずっと遠くの物に感じられる。 けれどもずっと、離れられない感情があった。 承認欲求。認められたいと思う気持ち。 なぜなら、私は承認欲求に依存し、承認欲求というコンテンツによって、甘い汁を吸い続けてきたからだ。 いなくなってほしい相手であり、いなくなったら困る相手でもあった。 けれどもうそろそろ、お別れしてもいいのかもしれない。 認められたいと思わなくなるわけじゃない。 世間の目が気にならなくなるわけじゃない。 だけどでも、「さようなら」と一言、言ってもいいような気がする。 もう、あなたの役目は終わりと、お辞儀をして、お別れをしてもいいように思うのだ。 だって私は、幸せになるために生きてるんだから。 不幸の数を数えて、不幸自慢をして、辛いことや悲しいことをネタに共感してもらって、それで仲間を増やすために生きているわけじゃ、ない。 面白いことや楽しいことをやって、「居心地がいいな」と思う人と一緒にいて、そして、幸せになるためにここにいる。生きている。 欠損を分かち合うことで繋がり合えることもたしかにある。 けれども、最高に面白い瞬間を共にすることで繋がり合える絆の強さも、私は知ることができた。 子どもの頃からずっと、心のどこかで居場所を探していた。 家族といても、学校にいても、恋人といても、どこか、ぽっかり穴が空いたような気がすることがあった。 私には居場所がないような気がした。 求められていないような気がした。 社会に必要とされていない気がした。 でも私には今、居るべき場所がある。 必要としてくれる人がいて、大切にしてくれる人がいる。大切にしたい場所もある。大切にしたい人も、たくさんいる。 あるいは、そんな風に思う今の私は、必要とされないかもしれないけれど、それでも、いい。承認欲求はもはや、朽ちかけているコンテンツに過ぎないのだ。 ありがとう。 私は今まで、あなたのおかげで色々と楽しむことができた。味方が増えた。仲間ができた。居場所ができた。 おそらく承認欲求と気がすむまで向き合い続けた期間があったから、私は今前を向けているんだろうと思う。 そろそろ、さようならを言おう。 ずっとずっとお別れを言えなかったけど、あなたを弔うことにする。 次のステージに、私は進む。 不幸集めをして満足する人生は、もう終わりにしよう。 心が、震える。 静かに震える。 何かが変わりゆくときの、振動だ。 ほんの少しの寂しさと、不安と。 未来への期待で、震えているのだ。 さようなら。 承認欲求のお葬式 川代紗生(かわしろ・さき)1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。 「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。 メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。 現在はフリーランスライターとしても活動中。 『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。(5頁目の本のPRはリンク先参照)』、「承認欲求と気がすむまで向き合い続けた期間があったから、私は今前を向けているんだろうと思う。 そろそろ、さようならを言おう。 ずっとずっとお別れを言えなかったけど、あなたを弔うことにする。 次のステージに、私は進む。 不幸集めをして満足する人生は、もう終わりにしよう・・・さようなら。 承認欲求のお葬式」、歯切れのいい文章で、SNSでの「承認欲求」を取上げた出色のコラムである。通常は、略歴は紹介しないが、今回は例外的に紹介した。『私の居場所が見つからない。』も時間が出来たら読んでみたい。
次に、6月3日付け東洋経済オンラインが掲載した取材記者グループFrontline Pressによる「SNSで自分の意見は多数派と思う人が陥る怖い罠 精査したと思っている情報がすでに偏っている」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/593828
・『閉鎖的なコミュニティ内で偏った意見や情報が増幅され、ほかの異なる意見や情報がかき消される「エコーチェンバー現象」。自分の関心に近い領域の情報に囲まれている状況下で起きるこの現象は、SNSの普及で加速度的に広がってきたとされる。 SNSは閲覧履歴などから利用者個人の好みの情報を推測し、自動表示していく。SNSの隆盛に比例してその危険性は指摘されてきたが、利用者はどう対応すればいいのか。エコーチェンバーの専門家である東京大学大学院工学系研究科の鳥海不二夫教授(計算社会科学)に尋ねた。 鳥海教授は2021年9月、自らが開発したアプリ「エコーチェンバー可視化システムβ版」を公開した。 あるアカウントのTwitter(ツイッター)タイムラインに表示される内容がどの程度偏っているかを客観的にチェックできるシステムだ。タイムラインの内容やフォローなどを分析し、ツイッター全体に流れる情報と比較することで、偏りの度合いを「エコーチェンバー度」として表示する。 このシステムでは、自分のツイッターアカウントと連携させると、まずは本人のタイムラインがどの程度特定のコミュニティに占められているかを「タイムラインのエコーチェンバー度」として表示する。 さらに、フォロー先のユーザーは「こんなことに関心がある人たち」として、「フォロー関係のエコーチェンバー度」が表示され、フォロー先の関心領域も文字の大小などで表現される。ほかにも、リツイートがどの程度特定のコミュニティーに偏っているかの「リツイートのエコーチェンバー度」などを表示し、アカウント所有者の党派性もデータで示してくれる。 このシステムの公開当初は予想を上回るアクセスがあり、サイトがパンクしたという。 「エコーチェンバー可視化システムβ版」。筆者(板垣)のツイッターアカウントを使って、エコーチェンバー度を出してみた(Qは聞き手の質問、Aは鳥海教授の回答』、「エコーチェンバー可視化システムβ版」はなかなかよく出来ているようだ。
・『「自分の考え=世界の考え」という図式に陥りやすい Q:システムを作った背景をお聞かせください。 A:エコーチェンバーという言葉は昔からあります。選挙を想像してみてください。よく、負けた側の人が「なんで負けたのか」という顔をしていますよね。「みんな自分に投票してくれるって言った」のに、蓋を開けると、負けてしまったと。よくある話です。 当人は「自分に投票してくれると言った人が大多数」と思っているんですが、実は自分の見えている範囲は、そんな広くないのです。自分の周りで起きている100%な事実は、世の中全体の0.1%の意見にしかすぎなかったりする。こんなことはつねにあるわけですよね。 そうした現実はSNSによって加速しています。SNSでは、個人の趣味や嗜好に合わせた関係性を構築していくため自分と似た感性の投稿・広告が表示されやすく、「自分の考え=世界の考え」という図式に陥りやすくなっているのです。 これは仕方ないことです。そもそもSNSなんて、みんな楽しいもののために使っているわけですから、自分があまり見たくない情報を遮断する仕組みはその点で理にかなっており、必然です。 だからこそ、SNSの利用に際しては、極端な意見しか増幅されない可能性があること、そして自分と異なる意見が必ずあるという気づきが必要となります。その発見のために「エコーチェンバー度」を開発しました。 誤解されると困るのですが、SNS上の言論が危険な状態だからその警鐘を鳴らすために作ったわけではありません。 一般には、あまり受け入れられていない意見も、世の中には当然存在しています。その意見自体が悪いわけではないですが、そういった意見に関連して自分で何か意見を言い、周りからも「そうだね」という答えが返ってきてしまうと、自分が間違っているということに気づけないんですよね。井の中の蛙、大海を知らず、というところでしょうか。(鳥海 氏の略歴はリンク先参照)』、「SNSでは、個人の趣味や嗜好に合わせた関係性を構築していくため自分と似た感性の投稿・広告が表示されやすく、「自分の考え=世界の考え」という図式に陥りやすくなっているのです。 これは仕方ないことです」、「SNSの利用に際しては、極端な意見しか増幅されない可能性があること、そして自分と異なる意見が必ずあるという気づきが必要」、その通りだ。
・『間違った情報に接していることを見抜くのは困難 Q:「見たい情報だけを見る」というSNSの選択的接触は、大きな問題として認知され始めています。2020年のアメリカ大統領選挙では、SNS上で「陰謀論」が流布され、トランプ氏の敗北を事実として受け入れない人々が大勢出現しました。1000人を超えるトランプ氏の過激な支持者たちが2021年1月6日、大統領選の不正を訴え、首都ワシントンで連邦議会議事堂を襲撃しました。今も記憶に新しい、衝撃的な出来事でした。 A:陰謀論による政治活動「Qアノン」や連邦議会への襲撃を見て、「もしかしたら自分は当事者になっていたかもしれない」と思う人は、そうそういないでしょう。しかし、ある側面ではすでに彼らと同じような状況になっていてもわれわれは自分では気づけないんですよね。エコーチェンバーの問題はそこにあります。 そもそも、人間がまんべんなくすべての情報を仕入れてくることは事実上できないのですから、自分が少数派なのか間違った情報に接しているのかを見抜くことは極めて困難です。 むしろ偏った情報を信じている人たちのほうが「自分は情報をきちんと調べて精査して結論に至っている」と考えていることが多いようです。そのときに精査した情報がすでに偏っている可能性になかなか気づけません。 Q:先生はどんな研究を経て、エコーチェンバーの研究にたどり着いたのでしょうか。 A:普段は、ソーシャルメディアやニュース閲覧行動の分析、AI(人工知能)の社会応用などの研究をしています。直近ですと、2021年10月に豊橋技術科学大学と香港城市大学と共同で「保守の声はリベラルの声よりも中間層に届きやすい」という研究結果を公表しました。これは、安倍政権時代の安倍元首相に関する1億2000万件以上のツイートを解析した結果です。 この研究では、2019年2月10日から10月7日までにツイッターへ投稿された「安倍」または「アベ」を含むツイート(約1億2000万件)を収集しました。そこから、好意的または批判的なツイート群を抽出し、それぞれのツイート群を計10回以上ツイートしたアカウントを保守かリベラルに分けました。 その結果、保守派のツイートは23.23%が中間層に拡散されているのに対して、リベラル派のツイートは6.46%しか中間層に拡散されていませんでした。保守派のツイートを中間層が拡散する割合は、リベラル派より約3.6倍多かったのです。 政治に強い関心を持つ人でツイッターなどのSNSで政治について話をする人は諸外国と比べると、日本では少ないです。それもあって、リベラルの声はリベラル界隈内でとどまり、数の多い中間層に届かない実態が生まれているわけです。これは、いまの政治環境でリベラル派が苦境に立たされている要因の1つと考えてよいのではないでしょうか。 このような研究から、実は多くの人たち、とくに主義主張のある人たちは自分たちの周りに同じような主義主張の人たちが多いことから、多数派であると思っているようなケースがデータ分析をしているうちに多く見つかりました。エコーチェンバーはその分析の中で見られる普遍的な社会現象でしたので、これを分析することは社会を理解するうえで重要なことかと思い、研究を行っています』、「保守派のツイートは23.23%が中間層に拡散されているのに対して、リベラル派のツイートは6.46%しか中間層に拡散されていませんでした。保守派のツイートを中間層が拡散する割合は、リベラル派より約3.6倍多かったのです」、「リベラルの声はリベラル界隈内でとどまり、数の多い中間層に届かない実態が生まれているわけです。これは、いまの政治環境でリベラル派が苦境に立たされている要因の1つと考えてよいのではないでしょうか」、こんなことまで分析できるとは、「エコーチェンバー」は有力なツールのようだ。
・『デマや誤情報は「勘違い」で流されることがほとんど Q:研究対象にSNSを選んだのはなぜでしょうか。 A:SNSは社会現象を分析するうえでデータを取りやすいツールだったからです。その転換期は、2011年の東日本大震災でした。当時、SNSでは「給油タンクの火災で酸性雨が降る」「うがい薬を飲むと放射線に効く」といったデマが広がりました。 デマや誤情報なんて、最初から「人をだましてやろう」といったものはほぼ存在していません。比率で言えば、勘違いで流されることがほとんどです。ほかにも「面白いから」で誤った情報が拡散されることがあります。 一方では、「正しい情報を発信しなければ」と、社会正義感にかられて熱心に情報を拡散する人もいます。社会貢献をしたつもりになった人たちの暴走ですね。2020年のコロナ禍初期にあったトイレットペーパーの買い占め運動も、社会貢献をしたつもりになっている熱心な人による拡散が原因と考えられます。 Q:フェイクニュースが発生し、社会の分断がSNS上で起きるなかで、プラットフォーム側が負うべき責任はあるのではないでしょうか。 A:プラットフォームに限らず、責任は各所にあります。ユーザーがSNSで必要な十分な情報を得るには個々人の努力では限界があります。 情報環境の体質改善に向けて、デジタル・プラットフォーム(DPF)事業者、ユーザー、マスメディア、政府などさまざまなステークホルダーが取り組むべき施策を2022年1月に、憲法学者の山本龍彦・慶應義塾大学大学院教授と共同で提言しました。 「健全な言論プラットフォームに向けて――デジタル・ダイエット宣言」というもので、ポイントは5つです。 ①幅広い情報にユーザーが触れることができる情報的健康(インフォメーション・ヘルス)を実現すること ②食品の成分表示のように、コンテンツの種目やどんなバランスで表示と配信をしているのかを「情報のカロリー表示」として明らかにし、ユーザーの判断材料とすること ③ユーザーが情報的健康を確認するための健康診断「情報ドック」の機会を定期的に提供すること ④「情報ドック」により、ユーザーが情報的健康に問題があるとなった場合には、希望する者にはバランスのとれた情報摂取ができるよう調整できるデジタル・ダイエット機能を備えること ⑤ユーザーの興味関心で成り立っている経済構造を変えること』、「健全な言論プラットフォームに向けて――デジタル・ダイエット宣言」初めて知ったが、なかなかいいポイントを突いているようだ。
・『情報的健康の達成は、社会的に大きな意義がある このうち、⑤で提言した新しい経済構造の姿は現時点では明らかではありません。 ただ、ユーザーの趣味嗜好に合わせて広告を打ち出すネット広告の配信事業者のほか、その広告主やマスメディアも「アテンション・エコノミー」の渦に巻き込まれ、PV数といった単純な指標で動き、情報的な健康を阻害しています。そうではなく、その質などによってコンテンツを評価していくシステムの構築が急がれるでしょう。 このような情報的健康の達成は、社会的に大きな意義があります。まず、「エコーチェンバーの内部にいる方が快適な情報空間である」という現状認識を変えていくことは、ユーザー個人から始められる第一歩といえるのではないでしょうか』、「情報的健康の達成は、社会的に大きな意義があります」、その通りだ。「エコーチェンバー」にもっと関心を持ってみてゆきたい。
第三に、6月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した科学者・起業家・投資家のシナン・アラル氏による「「なぜデマ情報が急増?」米SNS研究が明らかにした衝撃の事実」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/304311
・『「なぜデマは真実よりも速く、広く、力強く伝わるのか?」SNSに潜むウソ拡散のメカニズムを、世界規模のリサーチと科学的研究によって解き明かした全米話題の1冊『デマの影響力──なぜデマは真実よりも速く、広く、力強く伝わるのか?』がついに日本に上陸した。ジョナ・バーガー(ペンシルベニア大学ウォートン校教授)「スパイ小説のようでもあり、サイエンス・スリラーのようでもある」、マリア・レッサ(ニュースサイト「ラップラー」共同創業者、2021年ノーベル平和賞受賞)「ソーシャル・メディアの背後にある経済原理、テクノロジー、行動心理が見事に解き明かされるので、読んでいて息を呑む思いがする」と絶賛された本書から一部を抜粋して紹介する』、「デマは真実よりも速く、広く、力強く伝わる」、初耳だが、興味深そうだ。
・『フェイクニュース拡散についての大規模調査を実施 ではここで、少し回り道にはなるが、私自身が具体的にどのようにしてクリミア、ウクライナでの出来事を理解していったのか、という話をしてみよう。これはいわば、小説のなかで登場人物がもう一つの小説を書くようなものかもしれない。 クリミア併合から2年後の2016年、私はマサチューセッツ州ケンブリッジのMITの自分の研究室にいた。私はそこで同僚のソルーシュ・ヴォソウギ、デブ・ロイとともに、ある重要な研究プロジェクトに取り組んでいた。 ツイッター社と直接連携し、オンラインでのフェイク・ニュースの拡散に関して[1]、これまでで最大の長期的研究をしていたのである。 サービスの始まった2006年から2017年までの10年以上のあいだに、ツイッター上で広まった事実確認済みのすべての噂の真偽を確認し、それぞれの拡散の仕方を調べた』、「10年以上のあいだに、ツイッター上で広まった事実確認済みのすべての噂の真偽を確認し、それぞれの拡散の仕方を調べた」、膨大な作業のようだ。
・『嘘が地球を半周する頃、真実はまだ靴も履き終わっていない 研究の結果は、2018年3月、『サイエンス』誌のカバーストーリーとして発表された。オンラインでのフェイク・ニュース拡散についての初めての大規模調査の結果がこの時に明らかにされたわけだ。 この調査の過程で、私は科学者として、それまで知ったことのなかでも最も恐ろしい事実を知ることになった。今にいたるまでこれほど恐ろしい事実に出合ったことはない。 それは、フェイク・ニュースが、種類を問わず、真実のニュースよりもはるかに速く、遠くまで広がり、多くの人の心に深く浸透するという事実だ。場合によっては、拡散の速さ、範囲の広さは、10倍以上にもなる。 「嘘が地球を半周する頃、真実はまだ靴も履き終わっていない」と言った人がいるが、この言葉は正しい。 ソーシャル・メディアでは、嘘は光の速さで広がっていくが、真実は糖蜜が流れるくらいの速度でしか広がらない。しかも、ソーシャル・メディアを流れるあいだに情報は歪曲されていくことになる』、「ソーシャル・メディアでは、嘘は光の速さで広がっていくが、真実は糖蜜が流れるくらいの速度でしか広がらない。しかも、ソーシャル・メディアを流れるあいだに情報は歪曲されていく」、恐ろしいことだ。
・『大統領選挙に呼応してフェイクニュースが増加 しかし、調査で明らかになったのは、こうした明白な事実ばかりではない。一見したところではすぐにはわからない事実も明らかになった。その一つは、クリミア危機に直接関係する事実だ。 ツイッターでの真実と嘘の拡散に関してまだ精緻なモデルが構築できていなかった頃、私たちは、分析の一環として簡単なグラフを作ったことがあった。 このグラフには、政治、ビジネス、テロ、戦争など様々な分野の真実のニュース、嘘のニュースのカスケード(あるニュースについてのツイート、リツイートの連なりのことをこう呼んでいる)の数が時間の経過とともにどう変化していったかが示されている[図1─1]。 [図1-1] 2009年から2017年までのあいだにツイッター上に流れたニュースに関するカスケード数の推移。 [図1-1] 2009年から2017年までのあいだにツイッター上に流れたニュースに関するカスケード数の推移。ファクトチェックされた真実(明るいグレー)、嘘(ダーク・グレー)、真偽混合の情報(部分的には真実で、部分的には嘘/黒)。「ファクトチェックされた真実」とは、私たちの調査の過程で、6つのそれぞれに独立した組織によってファクトチェックされた情報を指す。ツイッターのユーザーによりツイート、リツイートされて広まっていった様子を示している。 このグラフを見ると、嘘のニュースについてのカスケードの数は、2013年末、2015年、2016年末などにピークに達していることがわかる。 2016年末のピークは、前回のアメリカ大統領選挙に呼応したものだろう。2012年、2016年と、アメリカ大統領選挙のあった年には、明らかに嘘のニュースが他の年より多く拡散されている。 政治とフェイク・ニュースの関わりがいかに深いかがこれでよくわかる』、「嘘のニュースについてのカスケードの数」を見ると、「アメリカ大統領選挙のあった年には、明らかに嘘のニュースが他の年より多く拡散されている」、なるほど。
・『クリミア併合で「部分的には真実で、部分的には嘘」が急増 だが、私たちの興味を引いたのはそれだけではなかった。わかりにくいが、データにはもっと興味深い傾向が見られたのだ。 2006年から2017年までの10年あまりのあいだに、「部分的には真実で、部分的には嘘」というニュースの数が急増したのはたった一回だけだ。私たちはこの種の噂を「混合ニュース」と呼んだ。 [図1─1]のグラフを見ても、そのピークの存在はわかりにくい。ところが[図1─2]の、政治関連のニュースだけについてのグラフを見ると、黒で示された「混合ニュース」の拡散が急増しているタイミングがあることが明確にわかる。 [図1-2] 2009年から2017年までのあいだにツイッター上に流れた政治ニュースに関するカスケード数の推移。 [図1-2] 2009年から2017年までのあいだにツイッター上に流れた政治ニュースに関するカスケード数の推移。ニュースには、ファクトチェックされた真実(明るいグレー)、嘘(ダーク・グレー)、真偽混合の情報(部分的には真実で、部分的には嘘/黒)がある。 それは、2014年の2月から3月にかけての2ヵ月間だ。ちょうどクリミア併合が起きたタイミングということになる。クリミアでの出来事に直接、呼応して混合ニュースが増えたわけだ。 これは驚くべきことだった。私たちの調べたかぎり、歴史上、ツイッター上にこれほど混合ニュースが急増したケースは一度もなかったからだ(カスケード数が、2番目に急増したケースの実に4倍になっていた)。 しかも、急増したあと、すぐに急減している。クリミアの併合が完了すると、ほぼなくなってしまったのだ。 さらに詳しく調べると、この急増は、親ロシア勢力が組織的にソーシャル・メディアを活用した結果であることがわかった。この時、親ロシア勢力は、ハイプ・マシンを積極的に活用して、クリミアの出来事についてのウクライナの世論、国際世論を操作しようとしたのである。 クリミアの併合は、クリミア市民自身の意思に沿うものであるという認識が広まるよう仕向けたわけだ。 【参考文献】 (省略)(本記事は『デマの影響力──なぜデマは真実よりも速く、広く、力強く伝わるのか?』を抜粋、編集して掲載しています』、「クリミアでの出来事に直接、呼応して混合ニュースが増えたわけだ」、「急増したあと、すぐに急減している。クリミアの併合が完了すると、ほぼなくなってしまったのだ」、「この急増は、親ロシア勢力が組織的にソーシャル・メディアを活用した結果であることがわかった。この時、親ロシア勢力は、ハイプ・マシンを積極的に活用して、クリミアの出来事についてのウクライナの世論、国際世論を操作しようとしたのである。 クリミアの併合は、クリミア市民自身の意思に沿うものであるという認識が広まるよう仕向けたわけだ」、「クリミアの併合」時に「ウクライナの世論、国際世論を操作しようとした」、今回の「ウクライナ」侵攻でも悪用されたのだろうか。
・『全米震撼のベストセラーが日本上陸! 本書では、私が過去20年のあいだに、実際にソーシャル・メディアを立ち上げ、また研究対象、投資対象、ビジネス・パートナーとしてソーシャル・メディアと関わることで知り得たことを述べていきたいと思う。 20年の道のりは決して楽ではなかった。信じがたい発見も多くしたし、ソーシャル・メディアが民主主義を蝕む酷いスキャンダルに直面もした。 有用な情報も多く伝えてくれるが、明らかな嘘が瞬時に拡散されていくのを何度も見た。抑圧と闘う道具にも使えるが、同時に抑圧を促進する道具としても使えることを知った。 言論の自由を守ることの重要性と、それがヘイト・スピーチの蔓延につながりやすいこともよくわかった。 そして何よりも重要なのは、ソーシャル・メディアのなかの仕組みがわかったことだ。私たち人間の脳がソーシャル・メディアに引きつけられやすい性質を持っていることや、感情、社会、経済、様々な要因が私たちをソーシャル・メディアに結びつけていることも知った。 本書を読めば、ソーシャル・メディアの背後にあるビジネス戦略がわかるだけでなく、ソーシャル・メディアのデザインを変えれば社会がどれほど大きく変わり得るか、ということもわかるはずだ』、「私たち人間の脳がソーシャル・メディアに引きつけられやすい性質を持っていることや、感情、社会、経済、様々な要因が私たちをソーシャル・メディアに結びつけている」、我々もこうした危険性を踏まえた上で、利用してゆく必要がある。
先ずは、本年3月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーランスライターの川代紗生氏による「承認欲求のお葬式」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/299791
・『SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それ故、この世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。「承認欲求」とは果たして何なのか? 現代社会に蠢く新たな病について考察する』、「承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた」とは興味深そうだ。
・『感情の「お葬式」 「さようなら。今までありがとう」 私は人生の節目節目で、「感情のお葬式」というものをすることがある。なんてことはない。別に実際に参列するわけではない。一種の妄想だ。頭の中で、今までお世話になってきた感情に対してお辞儀をする。ありがとう、とお礼を言う。そして目を開ける。そうすると、なんだか過去の自分から解放されて、新しい自分になれるような気がする。思い込みかもしれないけれど。 頻繁にあるわけではない。ふと思い立ったとき、私はお葬式をする。さようなら、恋。さようなら、親への執着。さようなら、学生としての甘え。本当にその感情が自分の中からいなくなるとは限らないけれど、それでも、ひとつ自分の中で線を引いたような気分になるのだ。 これまでの人生の中で、「あ、今が転機かもしれない」と思う瞬間があって、そのときどきで必要に応じてお葬式をやってきた。いろいろな感情を弔ってきたし、その分、新しい感情が生まれてくることもあった。けれども私の中で、どうしてもさようならを言えない感情があった。 承認欲求。 他人から認められたいと思う気持ち。 周りと自分を比べてしまう気持ち。 社会からの評価に振り回されてしまう。とにかく、「世間の目」が気になって仕方がない、気持ち。 承認欲求に悩んでいる、いなくなっちゃえばいいのに、という声は頻繁に耳にする。とくに同世代で。就活生の頃からだったろうか。SNSが発達し、他人から「評価される」という機会が多い現代の社会で、私たちゆとり世代は日々、他人からの評価・期待と、自分本来の限界値との間でゆれ、劣等感に悩み続けている。 私は大学生の頃からブログを書いているが、「承認欲求」について考えることが、とても多かった。メインテーマは「女子と承認欲求」だった。 男子ももちろん大変だろうが、女子の中ではとくに、承認欲求について悩みを持つ人が多いように思う。女子は、ロールモデルが多く、多すぎるあまりに、「こんな人生が幸せ」というサンプルを得にくいからだ。仕事を頑張ってトップになったら絶対に幸せになれるというわけではない。数多くの男たちから告白されたら幸せになれるというわけでもない。結婚して子どもを産めば終わりというわけでもない。 ナイトプールに行っている子だってバリバリ海外で働いているキャリアウーマンを見ると焦りを感じるし、東京でクリエイティブな活動をしているエディターだって、地方の田舎でパン屋さんをやっている主婦の丁寧な暮らしぶりに嫉妬するのだ。女の人生は、なかなか難しい。 そんなことをあれこれ書いていた。書いていると、気がつくことがあった。私が悩んでいるのと同じようなことで、みんなも悩んでいるということだった。 たとえば、私は周りからこれほど「認められたい」と強く思っているのは私だけかと思っていた。承認欲求がこんなに強い人間は珍しいほうだと。 そう思いながらも、恥をさらすつもりで自分の感情をブログに曝け出したら、思わぬ反響があった。みんな同じだというのだ。私と同じように、承認欲求に、嫉妬に、劣等感に苦しんでいる。なかなか口には出せないけれど。 「ありがとう」と、感謝されることが多くなった。文章を書くことによって。 勇気を出して書いてよかった、と思うと同時にむくむくと、別の感情が湧き上がってくるのがわかった。不思議な恍惚というか、何かに興奮しているような、そんな感じ。けれども、その感情を何と定義するべきなのか、すぐにはわからなかった。 それからというもの、私はどんどん書くことにのめりこんでいった。書けば書くほど、共感してくれる仲間が増えていくのが面白くて仕方なかった。 「どうして、書くことを仕事にしたいと思うの? 」 将来書いて食べていけるようになりたい、と私が言うと、こんな風に聞かれることがあった。何がきっかけだったの? 転機みたいなものはあった? 決定打は? 「わからないけど、ただ、文章を書くようになって、最初にいろんな人に読んでもらって、『共感した』って言ってもらえたときの、あの感動が忘れられなくて」 私はとっさにそう答えた。事実だった。やりたいことなんて、合理的に決めるものじゃないんだなと思った。ビビッとくる、というのか、「これがやりたい!」という直感に突き動かされて、決まるものなのだな、と』、「これまでの人生の中で、「あ、今が転機かもしれない」と思う瞬間があって、そのときどきで必要に応じてお葬式をやってきた。いろいろな感情を弔ってきたし、その分、新しい感情が生まれてくることもあった。けれども私の中で、どうしてもさようならを言えない感情があった。 承認欲求」、「感情の「お葬式」」とはユニークで面白い。
・『私は承認欲求の奴隷だった けれども、そこまで考えたとき、私はあることに気がついた。 もしかして、私がこうして文章を書き続けているその原動力こそ、承認欲求そのものなのでは? 私は、認めてもらうために、承認欲求を満たすために、文章を書いているのでは? もっと別の言い方をすると、私にとっては、承認欲求を満たす最も簡単な方法が、書くことだった。それだけだったのでは? 一見、矛盾しているようだが、事実だった。私は、「認めてもらう」という大目的を達成するために、「承認欲求から解放されたい」というネタをコンテンツにし続けていたのだ。 承認欲求をなくしたい。他人からの評価軸で生きるのをやめたいと思っているのは事実で、その苦しみから逃れるために記事を書いていた。けれども、周りが共感してくれるのは、「承認欲求から解放された私」ではなく「承認欲求に苦しんでいる私」という内容。 つまり、私が承認欲求から本当に解放されてしまったら、誰も私の文章を読んでくれなくなるんじゃないか? ものすごい恐怖を覚えた。 今、周りから必要とされているのは、「ポジティブに生きる、幸せな私」ではなく、「承認欲求に苦しんでいる私」なのだ。 ドロドロとしたマイナスの感情から逃れたいのは事実なのに、解放されない方が結果的にはおいしいという、とんでもない矛盾を抱えていたのだ。 私の中から承認欲求が消えたら、必要とされなくなるという、恐怖。 「共感してもらえる」という強烈な満足感を知ってしまったばかりに、「認められたい」の負のスパイラルに陥っていた。 いなく、ならないでくれ。 自分が嫌いだと思っていた感情に対して、そんな風に思ったのは、そのときがはじめてだった。 もはや私にとって、承認欲求はただの感情ではなくなっていた。 ひとつの、武器とすら言ってもいい。 承認欲求というツールを使って、私は不特定多数の、同じ苦しみを抱き、同じ痛みを抱えている人たちと繋がることができた。他者の持つ、「欠損」というものは、どうしてこうも魅力的に見えるのだろうか。そして、「欠損」によって繋がった人間関係というのは、どうしてポジティブな理由で繋がった人間関係よりもずっと、奥深くでしっかりと絆を紡いでいられるような気がしてしまうのだろう。 恐ろしかった。自分のことが。 このままでいいのだろうか、と思うことさえあった。 「書く」という作業をしていると、色々なことをネタにしようという視点が身についてくる。 辛いことがあったり、苦しいことがあっても、「書くネタができた」と思えば、プラスに転換できる。世の中を見る目が、前向きになってくる。 けれども私の場合は、それが歪んだ方向に進んでしまっていたのかもしれなかった。 書くために、辛いことがありますようにと願った。 書くために、承認欲求が消えませんようにと願った。 どんどんと、負のスパイラルは進んでいく。ぐるぐると下に向かう。 あ、これはもうだめだな、と思ったのは、知人が亡くなったときだった。 よく知る、自分と年の近い人間が死ぬというのは、思いのほか衝撃的で、私はしばらくその事実についてぐるぐると頭を巡らせていた。 そしてしばらくボーッと考えたすえに、ふと浮かんだのは。 「これ、ネタになるな」 その瞬間、ハッとした。 今、私、なんて思った? 何を考えた? こともあろうに、私は、人の死をネタにしようとしてしまっていたのだ。よく知る人間の死。辛い。その感情を描けば、きっと。 きっと、みんなから認めてもらえる? どこまでも、私は承認欲求の奴隷だった。 人から認めてもらいたい、その感情と向き合うために文章を書き始めたのに、結果的に、承認欲求がないと困る人間になってしまっていた。 こんなやつで居続けて、いいのだろうか。 そんな疑問が、ここしばらくずっと、いや、もしかしたらここ数年ずっとかもしれないが、私の頭の中にあった。結論が出ないまま、時は過ぎた』、「辛いことがあったり、苦しいことがあっても、「書くネタができた」と思えば、プラスに転換できる。世の中を見る目が、前向きになってくる。 けれども私の場合は、それが歪んだ方向に進んでしまっていたのかもしれなかった。 書くために、辛いことがありますようにと願った。 書くために、承認欲求が消えませんようにと願った。 どんどんと、負のスパイラルは進んでいく。ぐるぐると下に向かう」、「私は承認欲求の奴隷だった。 人から認めてもらいたい、その感情と向き合うために文章を書き始めたのに、結果的に、承認欲求がないと困る人間になってしまっていた。 こんなやつで居続けて、いいのだろうか」、確かに深刻なジレンマだ。
・『私は居場所が欲しかっただけなのかもしれない そうして、大学生の頃とは違い、働くようになった。この数年がむしゃらに働き、苦しいことばかりだったが、最近になってようやく、働くことの面白さみたいなものが、わかりかけているように思う。 ありがたいことに、店長や書く仕事、編集作業やイベントの企画など、幅広い仕事を任せてもらえるようになった。失敗することもまだまだあるが、これからも続けていきたいという、熱中できる仕事に出会えたことで、私の人生は変わりつつある。 結論から言えば、今の私は、承認欲求に頼って生きる必要がなくなってしまった。 きっかけとなったのは、福岡店のリニューアルを担当したことだった。2018年の5月のことだ。 私は子どもの頃からチームで動くということがとても苦手で、一人でいる方が好きなタイプだった。リーダーとして周りをひっぱっていく才能もないし、部活の先輩後輩の上下関係の中で要領よく立ち回るのも苦手だった。 けれども、福岡店のリニューアルをするためには、チームで動かざるをえなかった。目標を達成するためには私一人の力ではどうにもできない。店舗というのはスタッフ一人一人が動き、そして、お客様に感動を与えられるようにみんなで工夫していかなければならない。 どうしたらお客様に「来てよかった」と言ってもらえるのかと、そればかりをずっと考えていた。 そして思いつく限りのことはやった。スタッフからあげられたアイデアはすぐに取り入れ、実行した。うまくいくこともうまくいかないこともあった。けれども失敗と成功を繰り返して、リニューアルは徐々に進んでいった。お客様に「ありがとう」と言っていただけることが増えた。 ふと、顔を上げると、私は「認められたい」という衝動によって動いていることが圧倒的に少なくなっていることに気がついた。 たしかに、「みんなにこう思ってほしい」という感情はあった。けれどもそれは、認められたいという承認欲求とはまた別の感情のような気がした。私がこうなりたいとかじゃなくて、みんなに、楽しんでほしいとか、笑っていてほしいとか、居心地がいいと感じてほしい、とか。 口にするのは照れ臭いけれど、それは、承認欲求ではなくて、愛情なんじゃないかと、私は思う。そう思いたい。 自分ではない誰かのために動く面白さは、周りから認めてもらえたときの興奮とは、また違った震え方をした。優しく穏やかに、じんわりと広がっていくような。 今、冷静になって思う。 あるいは私は、居場所がほしかっただけなのかもしれない。 「認められたい」という感情は、言い換えれば「あなたはここに居ていい」と許してもらいたいという欲求なのだ。自分にはどこにも居場所がない。そんな不安を掻き立てられると、必要とされたいと思う。認めてほしいと思う。「あなたは価値のある人間だよ」と言ってほしいと、願う。 だから、「承認欲求」というネタも、ある種私の居場所づくりのために必要だったのだ。承認欲求について語っているときは、私は「ここに居ていい人間」になれる。そんな風に。 仕事をして、仕事が好きになって、人のために動く面白さみたいなものが、徐々にわかりかけている今、私は自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまったような気がする』、「熱中できる仕事に出会えたことで、私の人生は変わりつつある・・・承認欲求に頼って生きる必要がなくなってしまった」、「仕事をして、仕事が好きになって、人のために動く面白さみたいなものが、徐々にわかりかけている今、私は自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまったような気がする」、「自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまった」、おめでとう。
・『承認欲求にさようならをする日 だから、ようやく。 ずいぶん時間はかかったけれど、承認欲求にさようならをする日が、来たのかもしれない。 感情のお葬式。 これまで、様々な感情を弔ってきた。お別れしてきた。 執着心。 焦り。 嫉妬。 劣等感。 これらは私の中で抹消されたわけではないけれど、ぴっと一本、線を引いたことで、ずっと遠くの物に感じられる。 けれどもずっと、離れられない感情があった。 承認欲求。認められたいと思う気持ち。 なぜなら、私は承認欲求に依存し、承認欲求というコンテンツによって、甘い汁を吸い続けてきたからだ。 いなくなってほしい相手であり、いなくなったら困る相手でもあった。 けれどもうそろそろ、お別れしてもいいのかもしれない。 認められたいと思わなくなるわけじゃない。 世間の目が気にならなくなるわけじゃない。 だけどでも、「さようなら」と一言、言ってもいいような気がする。 もう、あなたの役目は終わりと、お辞儀をして、お別れをしてもいいように思うのだ。 だって私は、幸せになるために生きてるんだから。 不幸の数を数えて、不幸自慢をして、辛いことや悲しいことをネタに共感してもらって、それで仲間を増やすために生きているわけじゃ、ない。 面白いことや楽しいことをやって、「居心地がいいな」と思う人と一緒にいて、そして、幸せになるためにここにいる。生きている。 欠損を分かち合うことで繋がり合えることもたしかにある。 けれども、最高に面白い瞬間を共にすることで繋がり合える絆の強さも、私は知ることができた。 子どもの頃からずっと、心のどこかで居場所を探していた。 家族といても、学校にいても、恋人といても、どこか、ぽっかり穴が空いたような気がすることがあった。 私には居場所がないような気がした。 求められていないような気がした。 社会に必要とされていない気がした。 でも私には今、居るべき場所がある。 必要としてくれる人がいて、大切にしてくれる人がいる。大切にしたい場所もある。大切にしたい人も、たくさんいる。 あるいは、そんな風に思う今の私は、必要とされないかもしれないけれど、それでも、いい。承認欲求はもはや、朽ちかけているコンテンツに過ぎないのだ。 ありがとう。 私は今まで、あなたのおかげで色々と楽しむことができた。味方が増えた。仲間ができた。居場所ができた。 おそらく承認欲求と気がすむまで向き合い続けた期間があったから、私は今前を向けているんだろうと思う。 そろそろ、さようならを言おう。 ずっとずっとお別れを言えなかったけど、あなたを弔うことにする。 次のステージに、私は進む。 不幸集めをして満足する人生は、もう終わりにしよう。 心が、震える。 静かに震える。 何かが変わりゆくときの、振動だ。 ほんの少しの寂しさと、不安と。 未来への期待で、震えているのだ。 さようなら。 承認欲求のお葬式 川代紗生(かわしろ・さき)1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。 「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。 メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。 現在はフリーランスライターとしても活動中。 『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。(5頁目の本のPRはリンク先参照)』、「承認欲求と気がすむまで向き合い続けた期間があったから、私は今前を向けているんだろうと思う。 そろそろ、さようならを言おう。 ずっとずっとお別れを言えなかったけど、あなたを弔うことにする。 次のステージに、私は進む。 不幸集めをして満足する人生は、もう終わりにしよう・・・さようなら。 承認欲求のお葬式」、歯切れのいい文章で、SNSでの「承認欲求」を取上げた出色のコラムである。通常は、略歴は紹介しないが、今回は例外的に紹介した。『私の居場所が見つからない。』も時間が出来たら読んでみたい。
次に、6月3日付け東洋経済オンラインが掲載した取材記者グループFrontline Pressによる「SNSで自分の意見は多数派と思う人が陥る怖い罠 精査したと思っている情報がすでに偏っている」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/593828
・『閉鎖的なコミュニティ内で偏った意見や情報が増幅され、ほかの異なる意見や情報がかき消される「エコーチェンバー現象」。自分の関心に近い領域の情報に囲まれている状況下で起きるこの現象は、SNSの普及で加速度的に広がってきたとされる。 SNSは閲覧履歴などから利用者個人の好みの情報を推測し、自動表示していく。SNSの隆盛に比例してその危険性は指摘されてきたが、利用者はどう対応すればいいのか。エコーチェンバーの専門家である東京大学大学院工学系研究科の鳥海不二夫教授(計算社会科学)に尋ねた。 鳥海教授は2021年9月、自らが開発したアプリ「エコーチェンバー可視化システムβ版」を公開した。 あるアカウントのTwitter(ツイッター)タイムラインに表示される内容がどの程度偏っているかを客観的にチェックできるシステムだ。タイムラインの内容やフォローなどを分析し、ツイッター全体に流れる情報と比較することで、偏りの度合いを「エコーチェンバー度」として表示する。 このシステムでは、自分のツイッターアカウントと連携させると、まずは本人のタイムラインがどの程度特定のコミュニティに占められているかを「タイムラインのエコーチェンバー度」として表示する。 さらに、フォロー先のユーザーは「こんなことに関心がある人たち」として、「フォロー関係のエコーチェンバー度」が表示され、フォロー先の関心領域も文字の大小などで表現される。ほかにも、リツイートがどの程度特定のコミュニティーに偏っているかの「リツイートのエコーチェンバー度」などを表示し、アカウント所有者の党派性もデータで示してくれる。 このシステムの公開当初は予想を上回るアクセスがあり、サイトがパンクしたという。 「エコーチェンバー可視化システムβ版」。筆者(板垣)のツイッターアカウントを使って、エコーチェンバー度を出してみた(Qは聞き手の質問、Aは鳥海教授の回答』、「エコーチェンバー可視化システムβ版」はなかなかよく出来ているようだ。
・『「自分の考え=世界の考え」という図式に陥りやすい Q:システムを作った背景をお聞かせください。 A:エコーチェンバーという言葉は昔からあります。選挙を想像してみてください。よく、負けた側の人が「なんで負けたのか」という顔をしていますよね。「みんな自分に投票してくれるって言った」のに、蓋を開けると、負けてしまったと。よくある話です。 当人は「自分に投票してくれると言った人が大多数」と思っているんですが、実は自分の見えている範囲は、そんな広くないのです。自分の周りで起きている100%な事実は、世の中全体の0.1%の意見にしかすぎなかったりする。こんなことはつねにあるわけですよね。 そうした現実はSNSによって加速しています。SNSでは、個人の趣味や嗜好に合わせた関係性を構築していくため自分と似た感性の投稿・広告が表示されやすく、「自分の考え=世界の考え」という図式に陥りやすくなっているのです。 これは仕方ないことです。そもそもSNSなんて、みんな楽しいもののために使っているわけですから、自分があまり見たくない情報を遮断する仕組みはその点で理にかなっており、必然です。 だからこそ、SNSの利用に際しては、極端な意見しか増幅されない可能性があること、そして自分と異なる意見が必ずあるという気づきが必要となります。その発見のために「エコーチェンバー度」を開発しました。 誤解されると困るのですが、SNS上の言論が危険な状態だからその警鐘を鳴らすために作ったわけではありません。 一般には、あまり受け入れられていない意見も、世の中には当然存在しています。その意見自体が悪いわけではないですが、そういった意見に関連して自分で何か意見を言い、周りからも「そうだね」という答えが返ってきてしまうと、自分が間違っているということに気づけないんですよね。井の中の蛙、大海を知らず、というところでしょうか。(鳥海 氏の略歴はリンク先参照)』、「SNSでは、個人の趣味や嗜好に合わせた関係性を構築していくため自分と似た感性の投稿・広告が表示されやすく、「自分の考え=世界の考え」という図式に陥りやすくなっているのです。 これは仕方ないことです」、「SNSの利用に際しては、極端な意見しか増幅されない可能性があること、そして自分と異なる意見が必ずあるという気づきが必要」、その通りだ。
・『間違った情報に接していることを見抜くのは困難 Q:「見たい情報だけを見る」というSNSの選択的接触は、大きな問題として認知され始めています。2020年のアメリカ大統領選挙では、SNS上で「陰謀論」が流布され、トランプ氏の敗北を事実として受け入れない人々が大勢出現しました。1000人を超えるトランプ氏の過激な支持者たちが2021年1月6日、大統領選の不正を訴え、首都ワシントンで連邦議会議事堂を襲撃しました。今も記憶に新しい、衝撃的な出来事でした。 A:陰謀論による政治活動「Qアノン」や連邦議会への襲撃を見て、「もしかしたら自分は当事者になっていたかもしれない」と思う人は、そうそういないでしょう。しかし、ある側面ではすでに彼らと同じような状況になっていてもわれわれは自分では気づけないんですよね。エコーチェンバーの問題はそこにあります。 そもそも、人間がまんべんなくすべての情報を仕入れてくることは事実上できないのですから、自分が少数派なのか間違った情報に接しているのかを見抜くことは極めて困難です。 むしろ偏った情報を信じている人たちのほうが「自分は情報をきちんと調べて精査して結論に至っている」と考えていることが多いようです。そのときに精査した情報がすでに偏っている可能性になかなか気づけません。 Q:先生はどんな研究を経て、エコーチェンバーの研究にたどり着いたのでしょうか。 A:普段は、ソーシャルメディアやニュース閲覧行動の分析、AI(人工知能)の社会応用などの研究をしています。直近ですと、2021年10月に豊橋技術科学大学と香港城市大学と共同で「保守の声はリベラルの声よりも中間層に届きやすい」という研究結果を公表しました。これは、安倍政権時代の安倍元首相に関する1億2000万件以上のツイートを解析した結果です。 この研究では、2019年2月10日から10月7日までにツイッターへ投稿された「安倍」または「アベ」を含むツイート(約1億2000万件)を収集しました。そこから、好意的または批判的なツイート群を抽出し、それぞれのツイート群を計10回以上ツイートしたアカウントを保守かリベラルに分けました。 その結果、保守派のツイートは23.23%が中間層に拡散されているのに対して、リベラル派のツイートは6.46%しか中間層に拡散されていませんでした。保守派のツイートを中間層が拡散する割合は、リベラル派より約3.6倍多かったのです。 政治に強い関心を持つ人でツイッターなどのSNSで政治について話をする人は諸外国と比べると、日本では少ないです。それもあって、リベラルの声はリベラル界隈内でとどまり、数の多い中間層に届かない実態が生まれているわけです。これは、いまの政治環境でリベラル派が苦境に立たされている要因の1つと考えてよいのではないでしょうか。 このような研究から、実は多くの人たち、とくに主義主張のある人たちは自分たちの周りに同じような主義主張の人たちが多いことから、多数派であると思っているようなケースがデータ分析をしているうちに多く見つかりました。エコーチェンバーはその分析の中で見られる普遍的な社会現象でしたので、これを分析することは社会を理解するうえで重要なことかと思い、研究を行っています』、「保守派のツイートは23.23%が中間層に拡散されているのに対して、リベラル派のツイートは6.46%しか中間層に拡散されていませんでした。保守派のツイートを中間層が拡散する割合は、リベラル派より約3.6倍多かったのです」、「リベラルの声はリベラル界隈内でとどまり、数の多い中間層に届かない実態が生まれているわけです。これは、いまの政治環境でリベラル派が苦境に立たされている要因の1つと考えてよいのではないでしょうか」、こんなことまで分析できるとは、「エコーチェンバー」は有力なツールのようだ。
・『デマや誤情報は「勘違い」で流されることがほとんど Q:研究対象にSNSを選んだのはなぜでしょうか。 A:SNSは社会現象を分析するうえでデータを取りやすいツールだったからです。その転換期は、2011年の東日本大震災でした。当時、SNSでは「給油タンクの火災で酸性雨が降る」「うがい薬を飲むと放射線に効く」といったデマが広がりました。 デマや誤情報なんて、最初から「人をだましてやろう」といったものはほぼ存在していません。比率で言えば、勘違いで流されることがほとんどです。ほかにも「面白いから」で誤った情報が拡散されることがあります。 一方では、「正しい情報を発信しなければ」と、社会正義感にかられて熱心に情報を拡散する人もいます。社会貢献をしたつもりになった人たちの暴走ですね。2020年のコロナ禍初期にあったトイレットペーパーの買い占め運動も、社会貢献をしたつもりになっている熱心な人による拡散が原因と考えられます。 Q:フェイクニュースが発生し、社会の分断がSNS上で起きるなかで、プラットフォーム側が負うべき責任はあるのではないでしょうか。 A:プラットフォームに限らず、責任は各所にあります。ユーザーがSNSで必要な十分な情報を得るには個々人の努力では限界があります。 情報環境の体質改善に向けて、デジタル・プラットフォーム(DPF)事業者、ユーザー、マスメディア、政府などさまざまなステークホルダーが取り組むべき施策を2022年1月に、憲法学者の山本龍彦・慶應義塾大学大学院教授と共同で提言しました。 「健全な言論プラットフォームに向けて――デジタル・ダイエット宣言」というもので、ポイントは5つです。 ①幅広い情報にユーザーが触れることができる情報的健康(インフォメーション・ヘルス)を実現すること ②食品の成分表示のように、コンテンツの種目やどんなバランスで表示と配信をしているのかを「情報のカロリー表示」として明らかにし、ユーザーの判断材料とすること ③ユーザーが情報的健康を確認するための健康診断「情報ドック」の機会を定期的に提供すること ④「情報ドック」により、ユーザーが情報的健康に問題があるとなった場合には、希望する者にはバランスのとれた情報摂取ができるよう調整できるデジタル・ダイエット機能を備えること ⑤ユーザーの興味関心で成り立っている経済構造を変えること』、「健全な言論プラットフォームに向けて――デジタル・ダイエット宣言」初めて知ったが、なかなかいいポイントを突いているようだ。
・『情報的健康の達成は、社会的に大きな意義がある このうち、⑤で提言した新しい経済構造の姿は現時点では明らかではありません。 ただ、ユーザーの趣味嗜好に合わせて広告を打ち出すネット広告の配信事業者のほか、その広告主やマスメディアも「アテンション・エコノミー」の渦に巻き込まれ、PV数といった単純な指標で動き、情報的な健康を阻害しています。そうではなく、その質などによってコンテンツを評価していくシステムの構築が急がれるでしょう。 このような情報的健康の達成は、社会的に大きな意義があります。まず、「エコーチェンバーの内部にいる方が快適な情報空間である」という現状認識を変えていくことは、ユーザー個人から始められる第一歩といえるのではないでしょうか』、「情報的健康の達成は、社会的に大きな意義があります」、その通りだ。「エコーチェンバー」にもっと関心を持ってみてゆきたい。
第三に、6月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した科学者・起業家・投資家のシナン・アラル氏による「「なぜデマ情報が急増?」米SNS研究が明らかにした衝撃の事実」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/304311
・『「なぜデマは真実よりも速く、広く、力強く伝わるのか?」SNSに潜むウソ拡散のメカニズムを、世界規模のリサーチと科学的研究によって解き明かした全米話題の1冊『デマの影響力──なぜデマは真実よりも速く、広く、力強く伝わるのか?』がついに日本に上陸した。ジョナ・バーガー(ペンシルベニア大学ウォートン校教授)「スパイ小説のようでもあり、サイエンス・スリラーのようでもある」、マリア・レッサ(ニュースサイト「ラップラー」共同創業者、2021年ノーベル平和賞受賞)「ソーシャル・メディアの背後にある経済原理、テクノロジー、行動心理が見事に解き明かされるので、読んでいて息を呑む思いがする」と絶賛された本書から一部を抜粋して紹介する』、「デマは真実よりも速く、広く、力強く伝わる」、初耳だが、興味深そうだ。
・『フェイクニュース拡散についての大規模調査を実施 ではここで、少し回り道にはなるが、私自身が具体的にどのようにしてクリミア、ウクライナでの出来事を理解していったのか、という話をしてみよう。これはいわば、小説のなかで登場人物がもう一つの小説を書くようなものかもしれない。 クリミア併合から2年後の2016年、私はマサチューセッツ州ケンブリッジのMITの自分の研究室にいた。私はそこで同僚のソルーシュ・ヴォソウギ、デブ・ロイとともに、ある重要な研究プロジェクトに取り組んでいた。 ツイッター社と直接連携し、オンラインでのフェイク・ニュースの拡散に関して[1]、これまでで最大の長期的研究をしていたのである。 サービスの始まった2006年から2017年までの10年以上のあいだに、ツイッター上で広まった事実確認済みのすべての噂の真偽を確認し、それぞれの拡散の仕方を調べた』、「10年以上のあいだに、ツイッター上で広まった事実確認済みのすべての噂の真偽を確認し、それぞれの拡散の仕方を調べた」、膨大な作業のようだ。
・『嘘が地球を半周する頃、真実はまだ靴も履き終わっていない 研究の結果は、2018年3月、『サイエンス』誌のカバーストーリーとして発表された。オンラインでのフェイク・ニュース拡散についての初めての大規模調査の結果がこの時に明らかにされたわけだ。 この調査の過程で、私は科学者として、それまで知ったことのなかでも最も恐ろしい事実を知ることになった。今にいたるまでこれほど恐ろしい事実に出合ったことはない。 それは、フェイク・ニュースが、種類を問わず、真実のニュースよりもはるかに速く、遠くまで広がり、多くの人の心に深く浸透するという事実だ。場合によっては、拡散の速さ、範囲の広さは、10倍以上にもなる。 「嘘が地球を半周する頃、真実はまだ靴も履き終わっていない」と言った人がいるが、この言葉は正しい。 ソーシャル・メディアでは、嘘は光の速さで広がっていくが、真実は糖蜜が流れるくらいの速度でしか広がらない。しかも、ソーシャル・メディアを流れるあいだに情報は歪曲されていくことになる』、「ソーシャル・メディアでは、嘘は光の速さで広がっていくが、真実は糖蜜が流れるくらいの速度でしか広がらない。しかも、ソーシャル・メディアを流れるあいだに情報は歪曲されていく」、恐ろしいことだ。
・『大統領選挙に呼応してフェイクニュースが増加 しかし、調査で明らかになったのは、こうした明白な事実ばかりではない。一見したところではすぐにはわからない事実も明らかになった。その一つは、クリミア危機に直接関係する事実だ。 ツイッターでの真実と嘘の拡散に関してまだ精緻なモデルが構築できていなかった頃、私たちは、分析の一環として簡単なグラフを作ったことがあった。 このグラフには、政治、ビジネス、テロ、戦争など様々な分野の真実のニュース、嘘のニュースのカスケード(あるニュースについてのツイート、リツイートの連なりのことをこう呼んでいる)の数が時間の経過とともにどう変化していったかが示されている[図1─1]。 [図1-1] 2009年から2017年までのあいだにツイッター上に流れたニュースに関するカスケード数の推移。 [図1-1] 2009年から2017年までのあいだにツイッター上に流れたニュースに関するカスケード数の推移。ファクトチェックされた真実(明るいグレー)、嘘(ダーク・グレー)、真偽混合の情報(部分的には真実で、部分的には嘘/黒)。「ファクトチェックされた真実」とは、私たちの調査の過程で、6つのそれぞれに独立した組織によってファクトチェックされた情報を指す。ツイッターのユーザーによりツイート、リツイートされて広まっていった様子を示している。 このグラフを見ると、嘘のニュースについてのカスケードの数は、2013年末、2015年、2016年末などにピークに達していることがわかる。 2016年末のピークは、前回のアメリカ大統領選挙に呼応したものだろう。2012年、2016年と、アメリカ大統領選挙のあった年には、明らかに嘘のニュースが他の年より多く拡散されている。 政治とフェイク・ニュースの関わりがいかに深いかがこれでよくわかる』、「嘘のニュースについてのカスケードの数」を見ると、「アメリカ大統領選挙のあった年には、明らかに嘘のニュースが他の年より多く拡散されている」、なるほど。
・『クリミア併合で「部分的には真実で、部分的には嘘」が急増 だが、私たちの興味を引いたのはそれだけではなかった。わかりにくいが、データにはもっと興味深い傾向が見られたのだ。 2006年から2017年までの10年あまりのあいだに、「部分的には真実で、部分的には嘘」というニュースの数が急増したのはたった一回だけだ。私たちはこの種の噂を「混合ニュース」と呼んだ。 [図1─1]のグラフを見ても、そのピークの存在はわかりにくい。ところが[図1─2]の、政治関連のニュースだけについてのグラフを見ると、黒で示された「混合ニュース」の拡散が急増しているタイミングがあることが明確にわかる。 [図1-2] 2009年から2017年までのあいだにツイッター上に流れた政治ニュースに関するカスケード数の推移。 [図1-2] 2009年から2017年までのあいだにツイッター上に流れた政治ニュースに関するカスケード数の推移。ニュースには、ファクトチェックされた真実(明るいグレー)、嘘(ダーク・グレー)、真偽混合の情報(部分的には真実で、部分的には嘘/黒)がある。 それは、2014年の2月から3月にかけての2ヵ月間だ。ちょうどクリミア併合が起きたタイミングということになる。クリミアでの出来事に直接、呼応して混合ニュースが増えたわけだ。 これは驚くべきことだった。私たちの調べたかぎり、歴史上、ツイッター上にこれほど混合ニュースが急増したケースは一度もなかったからだ(カスケード数が、2番目に急増したケースの実に4倍になっていた)。 しかも、急増したあと、すぐに急減している。クリミアの併合が完了すると、ほぼなくなってしまったのだ。 さらに詳しく調べると、この急増は、親ロシア勢力が組織的にソーシャル・メディアを活用した結果であることがわかった。この時、親ロシア勢力は、ハイプ・マシンを積極的に活用して、クリミアの出来事についてのウクライナの世論、国際世論を操作しようとしたのである。 クリミアの併合は、クリミア市民自身の意思に沿うものであるという認識が広まるよう仕向けたわけだ。 【参考文献】 (省略)(本記事は『デマの影響力──なぜデマは真実よりも速く、広く、力強く伝わるのか?』を抜粋、編集して掲載しています』、「クリミアでの出来事に直接、呼応して混合ニュースが増えたわけだ」、「急増したあと、すぐに急減している。クリミアの併合が完了すると、ほぼなくなってしまったのだ」、「この急増は、親ロシア勢力が組織的にソーシャル・メディアを活用した結果であることがわかった。この時、親ロシア勢力は、ハイプ・マシンを積極的に活用して、クリミアの出来事についてのウクライナの世論、国際世論を操作しようとしたのである。 クリミアの併合は、クリミア市民自身の意思に沿うものであるという認識が広まるよう仕向けたわけだ」、「クリミアの併合」時に「ウクライナの世論、国際世論を操作しようとした」、今回の「ウクライナ」侵攻でも悪用されたのだろうか。
・『全米震撼のベストセラーが日本上陸! 本書では、私が過去20年のあいだに、実際にソーシャル・メディアを立ち上げ、また研究対象、投資対象、ビジネス・パートナーとしてソーシャル・メディアと関わることで知り得たことを述べていきたいと思う。 20年の道のりは決して楽ではなかった。信じがたい発見も多くしたし、ソーシャル・メディアが民主主義を蝕む酷いスキャンダルに直面もした。 有用な情報も多く伝えてくれるが、明らかな嘘が瞬時に拡散されていくのを何度も見た。抑圧と闘う道具にも使えるが、同時に抑圧を促進する道具としても使えることを知った。 言論の自由を守ることの重要性と、それがヘイト・スピーチの蔓延につながりやすいこともよくわかった。 そして何よりも重要なのは、ソーシャル・メディアのなかの仕組みがわかったことだ。私たち人間の脳がソーシャル・メディアに引きつけられやすい性質を持っていることや、感情、社会、経済、様々な要因が私たちをソーシャル・メディアに結びつけていることも知った。 本書を読めば、ソーシャル・メディアの背後にあるビジネス戦略がわかるだけでなく、ソーシャル・メディアのデザインを変えれば社会がどれほど大きく変わり得るか、ということもわかるはずだ』、「私たち人間の脳がソーシャル・メディアに引きつけられやすい性質を持っていることや、感情、社会、経済、様々な要因が私たちをソーシャル・メディアに結びつけている」、我々もこうした危険性を踏まえた上で、利用してゆく必要がある。
タグ:Frontline Pressによる「SNSで自分の意見は多数派と思う人が陥る怖い罠 精査したと思っている情報がすでに偏っている」 東洋経済オンライン SNS(ソーシャルメディア) (その11)(承認欲求のお葬式、SNSで自分の意見は多数派と思う人が陥る怖い罠 精査したと思っている情報がすでに偏っている、「なぜデマ情報が急増?」米SNS研究が明らかにした衝撃の事実) ダイヤモンド・オンライン 川代紗生氏による「承認欲求のお葬式」 「承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた」とは興味深そうだ。 「これまでの人生の中で、「あ、今が転機かもしれない」と思う瞬間があって、そのときどきで必要に応じてお葬式をやってきた。いろいろな感情を弔ってきたし、その分、新しい感情が生まれてくることもあった。けれども私の中で、どうしてもさようならを言えない感情があった。 承認欲求」、「感情の「お葬式」」とはユニークで面白い。 「辛いことがあったり、苦しいことがあっても、「書くネタができた」と思えば、プラスに転換できる。世の中を見る目が、前向きになってくる。 けれども私の場合は、それが歪んだ方向に進んでしまっていたのかもしれなかった。 書くために、辛いことがありますようにと願った。 書くために、承認欲求が消えませんようにと願った。 どんどんと、負のスパイラルは進んでいく。ぐるぐると下に向かう」、「私は承認欲求の奴隷だった。 人から認めてもらいたい、その感情と向き合うために文章を書き始めたのに、結果的に、承認欲求がないと困る人間に 「熱中できる仕事に出会えたことで、私の人生は変わりつつある・・・承認欲求に頼って生きる必要がなくなってしまった」、「仕事をして、仕事が好きになって、人のために動く面白さみたいなものが、徐々にわかりかけている今、私は自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまったような気がする」、「自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまった」、おめでとう。 「承認欲求と気がすむまで向き合い続けた期間があったから、私は今前を向けているんだろうと思う。 そろそろ、さようならを言おう。 ずっとずっとお別れを言えなかったけど、あなたを弔うことにする。 次のステージに、私は進む。 不幸集めをして満足する人生は、もう終わりにしよう・・・さようなら。 承認欲求のお葬式」、歯切れのいい文章で、SNSでの「承認欲求」を取上げた出色のコラムである。通常は、略歴は紹介しないが、今回は例外的に紹介した。『私の居場所が見つからない。』も時間が出来たら読んでみたい。 「エコーチェンバー可視化システムβ版」はなかなかよく出来ているようだ。 「SNSでは、個人の趣味や嗜好に合わせた関係性を構築していくため自分と似た感性の投稿・広告が表示されやすく、「自分の考え=世界の考え」という図式に陥りやすくなっているのです。 これは仕方ないことです」、「SNSの利用に際しては、極端な意見しか増幅されない可能性があること、そして自分と異なる意見が必ずあるという気づきが必要」、その通りだ。 「保守派のツイートは23.23%が中間層に拡散されているのに対して、リベラル派のツイートは6.46%しか中間層に拡散されていませんでした。保守派のツイートを中間層が拡散する割合は、リベラル派より約3.6倍多かったのです」、「リベラルの声はリベラル界隈内でとどまり、数の多い中間層に届かない実態が生まれているわけです。これは、いまの政治環境でリベラル派が苦境に立たされている要因の1つと考えてよいのではないでしょうか」、こんなことまで分析できるとは、「エコーチェンバー」は有力なツールのようだ。 「健全な言論プラットフォームに向けて――デジタル・ダイエット宣言」初めて知ったが、なかなかいいポイントを突いているようだ。 「情報的健康の達成は、社会的に大きな意義があります」、その通りだ。「エコーチェンバー」にもっと関心を持ってみてゆきたい。 シナン・アラル氏による「「なぜデマ情報が急増?」米SNS研究が明らかにした衝撃の事実」 「デマは真実よりも速く、広く、力強く伝わる」、初耳だが、興味深そうだ。 「10年以上のあいだに、ツイッター上で広まった事実確認済みのすべての噂の真偽を確認し、それぞれの拡散の仕方を調べた」、膨大な作業のようだ。 「ソーシャル・メディアでは、嘘は光の速さで広がっていくが、真実は糖蜜が流れるくらいの速度でしか広がらない。しかも、ソーシャル・メディアを流れるあいだに情報は歪曲されていく」、恐ろしいことだ。 「嘘のニュースについてのカスケードの数」を見ると、「アメリカ大統領選挙のあった年には、明らかに嘘のニュースが他の年より多く拡散されている」、なるほど。 「クリミアでの出来事に直接、呼応して混合ニュースが増えたわけだ」、「急増したあと、すぐに急減している。クリミアの併合が完了すると、ほぼなくなってしまったのだ」、「この急増は、親ロシア勢力が組織的にソーシャル・メディアを活用した結果であることがわかった。この時、親ロシア勢力は、ハイプ・マシンを積極的に活用して、クリミアの出来事についてのウクライナの世論、国際世論を操作しようとしたのである。 クリミアの併合は、クリミア市民自身の意思に沿うものであるという認識が広まるよう仕向けたわけだ」、「クリミアの併合」時に 「私たち人間の脳がソーシャル・メディアに引きつけられやすい性質を持っていることや、感情、社会、経済、様々な要因が私たちをソーシャル・メディアに結びつけている」、我々もこうした危険性を踏まえた上で、利用してゆく必要がある。