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日本の政治情勢(その33)(安倍首相の評価が真っ二つに分かれる「これだけの理由」、安倍首相「沖縄の基地を減らすことに尽力すべき」と発言した過去「アンチ・リベラル」という姿勢、「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判、小田嶋氏:プチホリエモンたちの孤独) [国内政治]

昨日に続いて、日本の政治情勢(その33)(安倍首相の評価が真っ二つに分かれる「これだけの理由」、安倍首相「沖縄の基地を減らすことに尽力すべき」と発言した過去「アンチ・リベラル」という姿勢、「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判、小田嶋氏:プチホリエモンたちの孤独)を取上げよう。

先ずは、東京工業大学教授(政治学)の中島 岳志氏が7月8日付け現代ビジネスに寄稿した「安倍首相の評価が真っ二つに分かれる「これだけの理由」 自民党のあり方を疑問視していた時期も」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65698
・『いま権力の中心にある「自民党」とはどのような政党なのか? 安倍首相とはどんな人物なのか? これからの日本の選択を考える際の重要な指標となる、政治学者・中島岳志氏の最新作『自民党 価値とリスクのマトリクス』(スタンド・ブックス)。安倍首相を分析した章を特別公開!(初出:『論座』「中島岳志の『自民党を読む』」朝日新聞社)』、安倍首相の人物像とは興味深そうだ。
・『安倍晋三という政治家の「地金」  史上最長の首相在位期間が射程に入ってきた安倍晋三総理大臣。 肯定的な評価と否定的な評価に真っぷたつに分かれる人物ですが、どのようなヴィジョンや政策、特徴を持った政治家なのか、私たちははっきりとつかみ切れていないのではないでしょうか。 現役総理の著書をじっくり読むことで検証してみたいと思います。 安倍さんが著者として出している書籍は、共著を含めると基本的に以下の7冊です。 1『「保守革命」宣言― アンチ・リベラルへの選択』栗本慎一郎、衛藤晟一との共著 1996年10月、現代書林 2『この国を守る決意』岡崎久彦との共著 2004年1月、扶桑社 3『安倍晋三対論集 日本を語る』2006年4月、PHP研究所 4『美しい国へ』2006年7月、文春新書 5『新しい国へ― 美しい国へ 完全版』2013年1月、文春新書 6『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』百田尚樹との共著 2013年12月、ワック 7『日本の決意』2014年4月、新潮社 このうち実質的な単著は『美しい国へ』の一冊です。『新しい国へ』はその増補版。『「保守革命」宣言』は共著。『この国を守る決意』、『日本を語る』、『日本よ、世界の真ん中で咲 き誇れ』は対談本。『日本の決意』は総理大臣としてのスピーチ集なので、必ずしも本人が書いた原稿ではないでしょう。 石破茂さんや野田聖子さんに比べて、安倍さんは著書の少ない政治家であり、その著書も第一次安倍内閣以前に出版されたものが大半です。かつ、主著である『美しい国』も、過去の本などからのコピペに近い部分が散見されます。 そのため、ここでは比較的若い時期に、率直な意見を述べている『「保守革命」宣言』、『この国を守る決意』を中心に見ていくことで、安倍晋三という政治家の「地金(じがね)」の部分を明らかにしたいと思います』、「石破茂さんや野田聖子さんに比べて、安倍さんは著書の少ない政治家」、というのはやや意外だ。
・『議員生活は歴史認識問題からスタート  安倍さんが初当選したのは1993年の衆議院選挙です。この時、自民党は大転換期を迎えていました。 戦後最大の贈収賄事件であるリクルート事件などがあり、宮澤喜一内閣は政治改革の激流に飲み込まれていました。しかし、宮澤首相は小選挙区の導入などに消極的な態度を示したため、内閣不信任案が提出されます。 これに同調したのが、竹下派から分裂した小沢一郎さんや羽田孜さんらのグループ(改革フォーラム)でした。6月18日に衆議院が解散され、総選挙の結果、8月9日に野党勢力が結集する細川護熙内閣が成立することになります。 その5日前には、慰安婦問題について謝罪と反省を述べた「河野談話」が出されています。これが宮沢内閣の実質的な最後の仕事になりました。 安倍さんはいきなり野党の政治家としてキャリアをスタートさせます。そして、このことが安倍晋三という政治家を考える際、重要な意味を持ちます。 安倍さんは、この当時、自民党のあり方に疑問を持ったそうです。本当に自民党は保守政党なのか。保守としての役割を果たせているのか。そもそも保守とはなんなのか(『「保守革命」宣言』)。この思いが、野党政治家として〈保守政党として自民党の再生〉というテーマに向かっていくことになりました。 さて、非自民政権として発足した細川内閣ですが、組閣からまもなくの記者会見で、細川首相が「大東亜戦争」について「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」と述べました。 これに野党・自民党の一部は反発します。8月23日に党内に「歴史・検討委員会」が設置され、次のような「趣旨」を掲げました。 細川首相の「侵略戦争」発言や、連立政権の「戦争責任の謝罪表明」の意図等に見る如く、戦争に対する反省の名のもとに、一方的な、自虐的な史観の横行は看過できない。われわれは、公正な史実に基づく日本人自身の歴史観の確立が緊急の課題と確信する。(歴史・検討委員会編『大東亜戦争の総括』1995年、展転社) 彼らは、日本の歴史認識について「占領政策と左翼偏向の歴史教育」によって不当に歪められていると主張します。こんなことでは子どもたちが自国の歴史に誇りを持つことができない。 戦後の教育は「間違っていると言わなければならない」。「一方的に日本を断罪し、自虐的な歴史認識を押しつけるに至っては、犯罪的行為と言っても過言ではない」。そんな思いが血気盛んに語られました(前掲書)。  新人議員の安倍さんは、この委員会に参加し、やがて右派的な歴史認識を鼓舞する若手議員として頭角を現します』、出発点からして「右派的な歴史認識」では筋金入りのようだ。
・『「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」事務局長に  1997年には中川昭一さんが代表を務める「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が発足し、安倍さんは事務局長に就任しました。 この会の記録が書籍となって残されていますが、そこでは歴史教科書問題や慰安婦問題などをめぐって、官僚やリベラル派の政治家、左派的知識人に対する激しい批判が繰り返されています。 安倍さんの発言(登壇者への質問)を読んでいくと、その大半は慰安婦問題を歴史教科書に掲載することへの批判にあてられています。安倍さんの歴史教育についての思いは、次の言葉に集約されています。 私は、小中学校の歴史教育のあるべき姿は、自身が生まれた郷土と国家に、その文化と歴史に、共感と健全な自負を持てるということだと思います。日本の前途を託す若者への歴史教育は、作られた、ねじ曲げられた逸聞を教える教育であってはならないという信念から、今後の活動に尽力してゆきたいと決意致します。(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問―若手国会議員による歴史教科書問題の総括』1997年、展転社) 小学校・中学校では、自国に対する誇りを醸成する教育をしなければならない。まずは、健全な愛国心を養う教育をしなければならない。左翼によって曲解され、捻じ曲げられた歴史観を教えてはならない。そう強く訴えます。 安倍さんは例えとして、子ども向けの偉人の伝記を取り上げます。小学生を対象に書かれた偉人伝には、その人物の立派な側面ばかりが綴られています。しかし、実際の人物は様々なネガティブな側面を持っています。酒に溺れたり、家庭の外に愛人をつくったり。この負の部分をどのように伝えるべきか。 安倍さんは「私もこういう素晴らしい人間になりたいなと思わせる気持ちを育成するということが大切」なので、まずは立派な部分だけを教えればよいと言います。負の部分を教えると「極めてひねくれた子供が出来上がっていく」のでよくない。人間は複雑な側面を持っているということがよくわかってきた段階で、負の側面を教えればよいので、歴史教育については小学校・中学校・高校と大学のような場所では「それなりに教える内容とか態度が違って(中略)いいんじゃないか」と続けます(前掲書)。 だから、慰安婦問題は歴史教科書で教える必要はない。自国への誇りを持たせるための教育段階では、教科書に掲載する必要などない。 社会問題になっているから掲載するというのであれば「『援助交際』を載せるつもりがあ るのかどうか」(前掲書)。性暴力の問題を教えるべきというのであれば、痴漢行為を行って捕まった「ある新聞のある論説主幹」の性暴力はどうなるのか。こちらのほうが性暴力の本質なのではないのか(前掲書)。そう主張します。 さらに元慰安婦の証言には「明らかに噓をついている人たちがかなり多くいる」と言及し、長年沈黙を続けてきたことへの疑問を述べたうえで、次のように発言しています。 もしそれが儒教的な中で五十年間黙っていざるを得なかったという、本当にそういう社会なのかどうかと。実態は韓国にはキーセン・ハウスがあって、そういうことを たくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。ですから、それはとんでもない行為ではなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんです(略)。(前掲書) そして、慰安婦問題を追及する左派知識人への反発を述べます』、「負の部分を教えると「極めてひねくれた子供が出来上がっていく」のでよくない。人間は複雑な側面を持っているということがよくわかってきた段階で、負の側面を教えればよい」、には笑ってしまった。
・『アンチ左翼、アンチ・リベラル  安倍さんの最大の特徴は、「左翼」や「リベラル」に対する敵意を明確に示すところです。 最初の著作である『「保守革命」宣言』では、日本の「リベラル」はヨーロッパ型ではなく、アメリカ型であるとしたうえで、それは「社会主義」に極めて近いかたちの「福祉主義」であり、進歩主義と親和的であると言います。 また、村山富市内閣の「人にやさしい政治」はこの「リベラル」に当たると述べたうえで、自分の「保守」は「曖昧な「リベラル」的ムードに、明確に「否」と意思表示していく立場」であると規定します(『「保守革命」宣言』)。『「保守革命」宣言』のサブタイトルは、「アンチ・リベラルへの選択」です。 安倍さんは政治家になりたての頃、保守思想家・西部邁さんの保守の定義に「一番共鳴」したようですが(前掲書)、そもそもは保守への思想的関心よりも、アンチ左翼という思いが先行していたと率直に述べています。 私が保守主義に傾いていったというのは、スタートは「保守主義」そのものに魅か れるというよりも、むしろ「進歩派」「革新」と呼ばれた人達のうさん臭さに反発したということでしかなかったわけです。(前掲書) 安倍さんの左翼批判は加速していきます。首相就任を2年後に控えた2004年の対談本『この国を守る決意』では、露骨な左翼批判が繰り返されます。 安倍さんによると、左派の人たちは「全く論理的でない主張をする勢力」であり、「戦後の空気」のなかにあると言います(『この国を守る決意』)。 そうした人々は、例えば自国のことでありながら、日本が安全保障体制を確立しようとするとそれを阻止しようとしたり、また日本の歴史観を貶めたり、誇りを持たせないようにする行動に出ます。一方で、日本と敵対している国に対しての強いシンパシーを送ったり、そうした国の人々に日本政府に訴訟を起こすようにたきつけたり、いろいろなところでそういう運動が展開されています。(前掲書) 安倍さんは、自民党議員の一部も「戦後の空気」に感染していると指摘し、いら立ちをあらわにします。拉致問題をめぐっては「情」よりも、核問題に対処する「知」を優先すべきだという議論が党内から出てきたのに対し、「これはおかしいと思って、私はあらゆるテレビや講演を通じて、また国会の答弁などで徹底的に論破しました」と語っています(前掲書)。 ここで「論破」という言葉を使っているのが、安倍晋三という政治家の特徴をよく表していると言えるでしょう。相手の見解に耳を傾けながら丁寧に合意形成を進めるのではなく、自らの正しさに基づいて「論破」することに価値を見出しているというのがわかります。しかも、その相手は同じ自民党のメンバーです。 安倍さんは次のようにも言います。 戦後の外交安全保障の議論を現在検証すると、いわゆる良心的、進歩的、リベラルという言葉で粉飾した左翼の論者が、いかにいいかげんで間違っていたかがわかります。議論としては勝負あったということなのですが、いまだに政界やマスコミでスタイルを変えながら影響力を維持しています。(前掲書) このような一方的な勝利宣言をしたものの、不満はおさまりません。自分たちは正しく、 左翼が間違えていることが明確にもかかわらず、自分たちのほうが少数派で、「ちょっと変わった人たち」とされてきたことに納得がいかないと言います(前掲書)。 安倍さんが、アンチ左翼の標的とするのが、朝日新聞と日教組(日本教職員組合)です。 彼は初当選時から、マスコミに対する強い不信感を示しています。 『「保守革命」宣言』では1993年選挙において「日本新党や当時の新生党にマスコミは明らかな風を送りましたよね」と言及し、「自民党は倒すべき相手」とみなされていると指摘します(『「保守革命」宣言』)。 小選挙区比例代表並立制では50%の得票が必要になるため、マスコミを通じて多くの人に知ってもらう必要があり、「マスコミの権力というのはますます大きくなって いく」と警戒しています(前掲書)。 安倍さんは、繰り返し朝日新聞を目の敵にし、強い言葉で攻撃していきます。例えば、日本人の対アメリカ認識について、「国民を誤解するようにしむけている勢力」が存在していると指摘し、朝日新聞をやり玉に挙げています(『この国を守る決意』)。 また、日本人の教育が歪められているのは日教組の責任が大きいとして、警戒心を喚起します。村山内閣以降、自民党のなかにも日教組と交流する議員が出てきたものの、融和ムードは禁物で、「日教組に対する甘い見方を排したほうがいいと思います」と述べます。日教組は文部省とも接近することで「隠れ蓑」を手に入れ、「地方では過激な運動を展開しているというのが現実」と言います(前掲書)』、マスコミ・コントロールの重要性を当時から意識していたようだ。

次に、この続きの後編、「安倍首相「沖縄の基地を減らすことに尽力すべき」と発言した過去「アンチ・リベラル」という姿勢」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65706
・『靖国参拝は国家観の根本  安倍さんの具体的政策についてですが、首相就任以前の提言は、歴史認識や外交・安全保障の分野に集中しています。 まず力説するのが、靖国神社への首相参拝の正当性です。この問題はすでに中曽根内閣の時に決着済みで、公式参拝というかたちをとらなければ合憲という見解を強調します。 安倍さんは言います。靖国神社参拝を直接、軍国主義と結びつけるというのは全く見当外れな意見と言えましょう。ですから総理が自然なお気持ちで参拝をされる、そしてそれを静かに国 民も見守るということが、最も正しい姿だろうと思うのです。(前掲書) 安倍さんが靖国神社参拝にこだわるのは、そこに重要な国家観が集約されていると考えるからです。国家は命を投げうってでも守ろうとする国民がいなければ成立しない。だとすれば、国のために命を捨てた人の顕彰がなければ、国家は成り立たない。そう説きます。 靖国神社の問題は、常に国家の問題を考えさせられます。私たちの自由など、さまざまな権利を担保するものは最終的には国家です。国家が存続するためには、時として身の危険を冒してでも、命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということですね。(前掲書)』、「国家は命を投げうってでも守ろうとする国民がいなければ成立しない。だとすれば、国のために命を捨てた人の顕彰がなければ、国家は成り立たない」、という国家主義的な信念が靖国神社参拝の背景にあったようだ。中国などから批判されて、その後、自粛しているのは、本人にとっては、さぞかし耐え難いことだろう。
・『日米安保強化を一貫して強調  外交・安全保障については、当初から一貫して「日米基軸」を強調し、日米安保の強化を説いています(『「保守革命」宣言』)。ちなみに安倍さんが大きな影響を受けたという西部邁さんは、一貫した日米安保反対論者でした。 安倍さんはアジア主義への警戒を強調します。 われわれはアジアの一員であるというそういう過度な思い入れは、むしろ政策的には、致命的な間違いを引き起こしかねない危険な火種でもあるということです。(前掲書) 日本は「欧米との方が、慣習的には分かり合える部分があるのかもしれない」。かつて岡倉天心が『東洋の理想』で説いた「アジアは一つ」という観念は、排除するべきであると主張します(前掲書)。 安倍さんが言及するのは、中国やベトナム、北朝鮮など共産主義国との価値観の違いです。同じアジアといっても国家体制が違いすぎる。価値の体系も違いすぎる。そのような国とは、やはり距離をとるべきだというのが主張の中心にあります。 この観点から、アジアに「マルチな対話機構」もしくは「集団安保機構」をつくって安全を確保すべきという意見に強く反発します。これは「絶対に不可能」と断言し、アメリカが最も重要であることを繰り返し確認します(前掲書)。 安倍さんは当選当初から、集団的自衛権を認めるべきとの見解を示していました。 「現行憲法のもとで後方支援の範囲内での行動の前提となる集団的自衛権くらいは、せめて認めなければならない」とし、憲法改正以前の問題だと論じています(前掲書)。 このような信念があったからこそ、のちに憲法九条の改正をせずに安保法制の整備を進めたのでしょう。 ただし、安倍さんが改憲に消極的だったというわけではありません。「憲法を不磨の大典のごとく祀りあげて指一本触れてはいけない、というのは一種のマインドコントロール」と述べ、次のように言います。 私は、三つの理由で憲法を改正すべきと考えています。まず現行憲法は、GHQが 短期間で書きあげ、それを日本に押し付けたものであること、次に昭和から平成へ、二十世紀から二十一世紀へと時は移り、九条等、現実にそぐわない条文もあります。 そして第三には、新しい時代にふさわしい新しい憲法を私たちの手で作ろうというクリエイティブな精神によってこそ、われわれは未来を切り拓いていくことができると思うからです。 (『この国を守る決意』) 親米派の安倍さんは、イラク戦争についてもアメリカを支持。自衛隊派遣についても民主制を定着させるという「大義」と石油確保という「国益」のために、積極的に進めるべきとの立場をとりました(前掲書)。 安倍さんの親米という姿勢は揺らぎません。 「世界の中の日米同盟」とは日米安保条約による日米のこの絆、同盟関係を世界のあらゆる場面で生かしていくということです。米国との力強い同盟関係を、世界で日本の国益実現のテコとするということでもあり、国際社会の協力構築にも資することになります。(前掲書) ただ、沖縄の基地負担については、しっかりと対策を講じなければならないと言及します。沖縄の基地は「可能な限り減らしていく」ことに尽力すべきであり、「沖縄に過度に基地が集中しているという現実には、やはりわれわれ政治家は、正面から向き合わなければならないと思います」と述べています(『「保守革命」宣言』)。 この点、沖縄県知事と対立し、辺野古移設を進める現在の安倍首相はどのように過去の発言を振り返るのでしょうか? おそらく辺野古移設こそが普天間基地の返還の唯一の方法であり、沖縄の負担軽減になると主張するのだと思いますが、沖縄の理解が得られていないというのが、玉城デニーさんが8万票以上の大差で勝利した2018年の沖縄県知事選挙の結果なのでしょう』、「「アジアは一つ」という観念は、排除するべきであると主張」するのは、いいにしても、西部邁と袂を分かっても「日米安保強化を一貫して強調」するのは、岸の流れを引く思いがあるのかも知れない。トランプが日米安保の見直しを主張しているのは、気が気ではないだろう。
・『政治家は結果責任をとることで免罪される  安倍さんが繰り返し語る思い出話に、祖父・岸信介とのエピソードがあります。 60年安保当時、首相だった祖父に馬乗りになりながら、デモ隊のまねをして「アンポハンターイ」と言うと、父・安倍晋太郎に叱られたというエピソードはよく知られています。 私が注目したいのは、岸が安保条約を通すために、安保条約に厳しい態度をとっていた大野伴睦の賛成を得ようとして「次の政権を大野氏に譲る」という趣旨の念書を書いたという話です。この点について、親族のひとりが岸に尋ねたところ、「たしか、書いたなあ」と答えたといいます。しかし、大野への首相禅譲はなされませんでした。要は約束を反故にしたのです。 親族が「それはひどいんじゃないの」と言うと、「ひどいかもしれないが、あの念書を書かなければ安保条約はどうなっていたかな」と言ったといいます(『この国を守る決意』)。 このエピソードを踏まえて、安倍さんは次のように言います。 私はその後、読んだマックス・ウェーバーの『職業としての政治』で、「祖父の決断はやむを得なかった」との結論に至りました。祖父の判断は、心情倫理としては問題があります。しかし、責任倫理としては、「吉田安全保障条約を改定する」という課題を見事に成就しています。とくに政治家は、結果責任が問われます。政治家は、国益を損なうことなく、そのせめぎ合いのなかでどう決断を下していくか―ということだろうと思います。(前掲書) このエピソードは『「保守革命」宣言』でも述べられており、安倍晋三という政治家の重要な指針になっているようです。 首相在任中の安倍さんの言葉については、その場しのぎのごまかしや不誠実さが目立つと指摘されます。しかし、安倍首相は動じていないでしょう。彼は祖父・岸信介の態度を継承しながら、心情倫理として問題があっても、結果責任をとることで免罪されると考えているのですから。 安倍首相の行動原理の「根」の部分には、岸の政治姿勢の継承という側面があると言えます』、やはり「岸の政治姿勢の継承」が「行動原理の「根」」にあったようだ。
・『日本型ネオコン勢力の権力奪取  さて、安倍さんの行政に対する姿勢や経済政策を見てみましょう。 1996年に出版された『「保守革命」宣言』では、「徹底した行革が必要だと思いますね」と述べ、徹底した民営化を進めていくべきだとの立場を示します。特に公務員削減を徹底すべきと強調し、10年間で半減を実現すべきと説きます。 実は、『「保守革命」宣言』、『この国を守る決意』において述べられている行政政策は、これだけです。経済政策については、まったく言及がありません。 社会保障政策についての言及が見られるのは、首相就任が目前に迫った2006年の著作(『日本を語る』、『美しい国へ』)以降です。それ以前は、繰り返しになりますが歴史認識問題や外交・安全保障問題に集中しています。 このバランスの悪さも、安倍さんの特徴ということができるでしょう。 ここまで、安倍さんの政治家としての「地金」を見てきました。 安倍さんの本来の関心は、横軸(価値の問題)に集中しています。そして、その姿勢は本人が言及するように「アンチ・リベラル」です。 わずかに語られる縦軸については、「徹底した行革」を強調していることから、「リスクの個人化」を志向していることがわかります。首相就任が迫る頃(2006年)になると、小泉構造改革の影響から格差・貧困問題が社会現象となり、政治家の多くが対応策を示すことを迫られました。 安倍さんは「再チャレンジ」という概念を打ち出して、構造改革・新自由主義路線を評価しながら、貧困問題をフォローすべきとの立場を打ち出すことになりますが、小泉改革への支持と継承という路線は揺らぎませんでした。 「アベノミクス」というリフレ(通貨再膨張)的経済政策が出てくるのは、一度、首相の座から降り、民主党政権(2009〜2012年)を経験したあとの話です。 よって、安倍さんはIVのタイプの政治家であると位置づけることができるでしょう。小泉純一郎さんは横軸にはあまり関心がなく、縦軸における「リスクの個人化」を進めることに強い関心があった政治家です(リンク先のグラフでは、縦軸に「リスクの社会化」VS「リスクの個人化」、横軸に「パターナル」VS「リベラル」を取っている)。そのあとを継いだ安倍さんは、タイプがまったく異なり、横軸に強い関心を示した政治家でした。 このふたりの路線が合流した時、日本型ネオコン(新保守主義)勢力としてのIVがヘゲモニーを握ることになったのです』、IVはグラフでは、「リスクの個人化」と「パターナル」である。なお、パターナリズムとは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。家族主義、温情主義、父権主義、家父長制(Wikipedia)。安倍首相のことがだいぶ理解できたようだ。

第三に、7月6日付けYahooニュースが朝日新聞記事を転載した「「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判」を紹介しよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000045-asahi-int
・『米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は5日、菅義偉官房長官が記者会見で東京新聞記者の質問に対する回答を拒むなど、そのメディア対応を指摘したうえで、「日本は憲法で報道の自由が記された現代的民主国家だ。それでも日本政府はときに独裁政権をほうふつとさせる振る舞いをしている」と批判した。 同紙は、菅氏が会見で東京新聞記者の質問に「あなたに答える必要はありません」と述べたエピソードなどを紹介。菅氏ら日本政府に対するマスコミ関係者らの抗議集会が3月に開かれ、参加した600人が「Fight for truth(真実のためにたたかえ)」と訴えたことも伝えた。 一方で、同紙は日本政府の記者会見をめぐる振る舞いの背景には「記者クラブ」の存在があると指摘。「記者らはクラブから締め出されたり、情報にアクセスする特権を失ったりすることを恐れ、当局者と対立することを避けがちになる」との見方を示した。 日本政府のメディア対応をめぐり、海外の視線は厳しくなっている。言論と表現の自由に関する国連の特別報告者デービッド・ケイ氏は6月、日本メディアは政府当局者の圧力にさらされ、独立性に懸念が残るとの報告書をまとめている』、確かに現在の首相官邸のメディア対応には、目に余るものがあり、「日本、独裁政権のよう」との外紙の批判はもっともだ。

第四に、コラムニストの小田嶋 隆氏が6月21日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「プチホリエモンたちの孤独」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00027/?P=1
・『先日来、香港の路上を埋め尽くしていたデモは、今後、どういう名前で呼ばれることになるのだろう。 現時点(6月19日までに報道されているところ)では、香港政府のトップが「逃亡犯条例」の改正を事実上断念する考えを示す事態に立ち至っている。 してみると、デモは「成功」したと見て良いのだろうか。 私は、まだわからないと思っている。 この先、北京の中国政府がどんな態度に出るのかがはっきりしていない以上、現段階で軽々にデモの成果を評価することはできない。 ただ、デモをどう評価するのかということとは別に、この1週間ほどは、海をはさんだこちら側からあの小さい島で起こっているデモを観察することで、むしろ自分たち自身について考えさせられることが多かった。 たとえば、香港市民のデモへの評価を通して、論者のスタンスが意外な方向からはっきりしてしまう。そこのところが私には面白く感じられた。 わたくしども日本人の香港のデモへの態度は、ざっと見て 1.中国政府を敵視する観点から香港市民によるデモを支持する立場 2.デモという手段での政治的な示威行為そのものを敵視するご意見 3.デモに訴える市民であれば、主張がどうであれとりあえず応援する気持ちを抱く態度 4.沈黙を貫く姿勢 という感じに分類できる。 だが、実際には、人々の反応はもう少し複雑なものになる。というよりも、SNS上でかわされている議論を見る限り、彼らの議論はほとんど支離滅裂だ。 理由は、たぶん、香港のデモに関する感想と、沖縄のデモへの評価の間で、一貫性を保つことが難しかったからだ。 実際、沖縄の基地建設をめぐって展開されているデモを 「単なる政治的な跳ね上がりであり、事実上の暴動と言っても過言ではない」「特定の政治的な狙いを持った勢力によって雇われた人間たちが、カネ目当てで参加しているアルバイト行列に過ぎない」てな言い方で論難している人間が、同じ口で香港のデモを「市民が自発的意思を表明した勇気ある民主主義の実践だ」と称賛するのは、ちょっとぐあいが悪い。昨今流行の言い方で言えば、「ダブルスタンダード」ということになる。 一方、沖縄のデモを手放しで応援していた同じ人間が、香港のデモに対しては見て見ぬふりのシカトを決め込んでいるのだとすると、それもまた一種のダブスタと言われても仕方がなかろう。 で、ネット上に盤踞する党派的な人々は、互いに、敵対する人間たちのダブルスタンダードを指摘し合ったりなどしながら、結局のところ、香港のデモのニュースを、単に、消費する活動に終始していた。 どういうことなのかと言うと、香港のデモをめぐる論戦に関わっている人々の多くは、デモ参加者の主張そのものにはほとんどまったく関心を抱いていなかったということだ。彼らが熱い関心を寄せていたのは、当地のデモの帰趨が自分たちの主張を補強する材料として利用できるかどうかということだけだった。 実にわかりやすいというのか何というのか、見ていてほとほと胸糞の悪くなる論戦だった。 彼らは、「香港と日本の民主主義の成熟度の違い」だとか「公正な選挙が担保されている国とそうでない国での、デモの重要度の違い」あるいは「反体制的な政治活動に関わる人間が命がけの危険を覚悟しなければならない国と、首相の人形を踏みつけにしても後ろに手が回る恐れのない国での、デモに参加する人々の覚悟の違い」あたりの前提条件を出し入れしながら、ランダムに浮かび上がる課題を、その都度自分の主張にとって有利に運ぶ方向で展開しようと躍起になっている。 実にバカな話だ』、確かに殆どの日本人にとっては、香港のデモは遠い海の彼方の出来事なのだろう。
・『この話題は、この6月の16日に日比谷公園周辺で展開された「年金」に関するデモ行進のニュースをめぐって、さらに醜い形で尾をひくことになる。 これも、詳細を追うと胸糞が悪くなるばかりなので、私は別の視点から、もっぱら自分の感想を書くつもりだ。 ということで、今回は、デモをめぐる議論の行方について思うところを書こうと思っている。 最初に結論を述べておく。 私は、先の震災以来、われわれの国が、極めて内圧の高い相互監視社会に変貌している感じを抱いていて、そのことの最もわかりやすい一例として、「デモ」を危険視し、「政治的であること」を異端視するマナーが、一般市民のための「常識」として共有されつつある現状を挙げることができると思っている。 21世紀の普通の日本人は、政治的な発言をする人間を、全裸でラッパを吹きながら歩いている人間を見る時のような目で遠巻きに観察するばかりで、決して近づこうとはしない。ましてや、話を聞くなんてことは金輪際考えない。なぜなら、自身の政治的なスタンスを明らかにすることは、寝室での個人的な趣味をあけすけに語ること以上にたしなみを欠いた、上品な隣人をどぎまぎさせずにはおかない、悪趣味でTPOをわきまえない、自分勝手で下品なマナーであって、あえて白昼堂々政治的な話題を開陳することは、社会的な自殺企図に等しいからだ。 ひとつ補足しておかなければならない。 「政治的」という言葉は、最近、少しずつ意味が変わりつつある。 まだ入院中だった6月の11日に私はこんなツイートを発信している。《この5年ほどの間に「政治的」という言葉は、もっぱら「反政府的」という意味でのみ使用され、解釈され、警戒され、忌避されるようになった。政権に対して親和的な態度は「政治的」とは見なされず、単に「公共的」な振る舞い方として扱われている。なんとも薄気味の悪い時代になったものだ。》 このツイートは、約3900回RTされ、約7100件の「いいね」が付いている。 「いいね」をクリックした全員が同意してくれたとは思わない。 しかし、同じ感想を抱いている人が相当数いることはたしかだと思う。 われわれは、「政治的」であることを自ら抑圧しながら、結果として、自分の意図とはかかわりなく、全員が「お上」の手先となって「非国民」を自動的にあぶり出す社会を形成しはじめている。 先の大戦に向かって傾斜して行く日常の中で、ある日、ふと気がついてみると、若い男女が手をつないで歩くことさえはばかられる社会が、すでに到来してしまっていた80年前の教訓を活かすこともできずに、私たちは、またしても同じ経路を歩きはじめている、と、私はそう思いながらここしばらくの世の中を眺めている。 もっとも、反体制的であろうが、現政権に親和的であろうが、どっちにしても政治に関わる態度そのものが一般社会の中で煙たがられる傾向は、この何十年かの間に、少しずつ進行してきた動かしがたい流れではあった。 ネット上で展開されるデモをめぐる論争が、毎度毎度極論のぶつかり合いに終始している現状も、結局のところ、平場の日常で政治を語ることが、タブー視されていることの裏返しだったりする。 別の言い方をすれば、極論でしか語れないバカだけが、政治について発言する社会では、賢い人たちは沈黙しがちになるわけで、そうするとますますバカだけが政治発言を繰り返す結果、政治は、どこまでもバカな話題になって行く。 21世紀の日本人は、普通の声量で、激することなく、互いの話に耳を傾けながら政治の話をするマナーを失って久しい。それゆえ、いまどき政治なんぞに関わって、ツバを飛ばし合っているのは、政治好きというよりは、単に議論好き論破好き喧嘩好きな、ねずみ花火みたいな連中ばかりという次第になる。 不幸ななりゆきだが、これが現実なのだから仕方がない』、「先の震災以来、われわれの国が、極めて内圧の高い相互監視社会に変貌している感じを抱いていて、そのことの最もわかりやすい一例として、「デモ」を危険視し、「政治的であること」を異端視するマナーが、一般市民のための「常識」として共有されつつある現状を挙げることができると思っている」、「われわれは、「政治的」であることを自ら抑圧しながら、結果として、自分の意図とはかかわりなく、全員が「お上」の手先となって「非国民」を自動的にあぶり出す社会を形成しはじめている」、などの危機感には強く同意する。
・『全共闘世代が大学生だった時代は、大学のキャンパスがまるごと政治運動の波に呑まれた政治の時代だったと言われている。 私は、彼らから見て10年ほど年少の世代だ。 一般的には、全共闘による政治運動が一段落して、キャンパスに空白と虚脱が広がっていた時代の学生だったということになる。 その、世間からは「シラケ世代」と言われた私たちの時代でも、政治は、依然としてキャンパスを歩き回る学生にとっての主要な話題のひとつだった。 ただ、この点は40歳以下の若い人たちには何回説明してもよくわかってもらえないポイントなのだが、70年代の学生にとって、政治は主要な話題でありながらも、なおかつ、その一方で、昼飯のサカナにして遊ぶバカ話の一部に過ぎなかった。 つまり、カジュアルな話題であったからこそ、誰もが気軽に口にしていたわけで、逆に言えば、政治向きの話題は、そうそう必死になってツバを飛ばしながら議論する話題でもなかったということだ。 このあたりの力加減は、とてもわかってもらいにくい。 私自身の話をすれば、大学時代、最も頻繁に行き来していたのは、「東洋思想研究会」(つまり創価学会ですね)というサークルに所属している(後に脱退しましたが)男だった。 民青の幹部だった男とも詩の同人誌を出しているとかの関係で、そこそこ懇意にしていた。 雄弁会というサークルにいたわりとはっきりと右寄りだった同級生(「皇室の万世一系は世界に誇り得る日本の財産だ」とか言ってました)とも、レコードの貸し借りを通じて互いに敬意を持って付き合っていた。 何が言いたいのかを説明する。 私は、自分が無節操なノンポリで、たいした考えもなく政治的に偏った人々と交友を深めていたという話を強調しているのではない。 政治がカジュアルな話題としてやりとりされている場所では、政治的な見解の違いは、致命的な対立を招きにくいものだという、とても当たり前の話をしているつもりだ。 であるから、若い人たちはピンと来ないかもしれないが、党派的な人々がゴロゴロ歩いていた70年代のキャンパスは、その一方で、その党派的な学生同士がわりとだらしなく党派を超えてツルんでいた場所でもあったのだ。 タイガースのファンは、カープのファンと相互に相手を敵視している。当たり前の話だ。だから、フィールド上でゲームが展開されているスタジアムで顔をあわせることになれば、当然、両者は罵り合うことになる。 ただ、平場の飲み屋で会えば、両者は、同じ「プロ野球ファン」という集合に属する「同好の士」になる。 つまり、出会う場所が場所なら、彼らは、話の噛み合う愉快な仲間同士でもあり得るわけで、少なくとも、インフィールドフライの何たるかさえ知らない野球音痴の課長代理なんかよりは、ずっと一緒にいて楽しい。 政治の場合は、もう少し複雑になる。 とはいえ、ネット上の、文字だけの付き合いとは違って、実際に生身の人間としてリアルな場所で話をすれば、支持政党が違っていてもまるで問題なく付き合えるはずだし、そもそも宗教や支持政党が違う程度のことで話ができなくなってしまうのは、未熟な人間の前提に過ぎない』、「全共闘世代が大学生だった時代」は、小田嶋氏のように牧歌的ではなく、もっとギスギスしていたように思う。
・『ネット上では、堀江貴文氏のツイートが話題になっている。 彼は、まず、今回の「年金」デモの参加者を、「税金泥棒」と決めつけている。《ほんとそんな時間あったら働いて納税しろや。税金泥棒め。》 さらに、デモの様子を伝える朝日新聞の記事を引用しつつ《バカばっか「生活できる年金払え」日比谷でデモ 政府の対応に抗議 (朝日新聞デジタル) …》という、挑発的なコメントを投げつけている。 このツイートにリプライする形で《やはりあなたはそんな考え方しかできず、デモ参加者をバカばっか、と一蹴するのですね。一度刑務に服した人なら人の気持ちがわかったかと思っていましたが、逆でしたね。庶民のささやかな抵抗すらこんな汚い言葉で一蹴するようなことだけはしないでほしい。人を傷つけるくらいなら黙っていなさい。》とツイートしたアカウントに対しては、 《え?バカはバカって言われないと自覚できないだろ?》という返答を返している。 私が強い印象を抱いたのは、堀江氏の主張の内容や口調そのものよりも、その彼の挑発的な極論を支持する人の数の多さと、その彼らの間に共有されているかに見える「連帯感」の強烈さだった。 ほとんど誰も堀江氏をたしなめようとしない。 そして、圧倒的な数のフォロワーが堀江氏の主張に賛同している。 われわれはいったいどんな異世界にまよいこんでしまったのであろうか。 以上の状況を踏まえて、私はこう書き込んだ。《堀江貴文氏が、無礼な口調で極論を拡散するのは、彼のビジネスでもあれば持ちキャラでもあるのだろう。賛同はできないし、支持もできないが、理解はできる。私が軽蔑してやまないのは、堀江氏によるこの種の発言に乗っかって浅薄な自己責任論を展開しているアカウントの卑怯な振る舞い方だ。》 実際、堀江貴文氏自身は、ときに、政府の施策をクソミソにやっつけるツイートを垂れ流していることからもわかる通り、政権に近い立場のアカウントではない。おそらく安倍首相の個人的な支持者でもないはずだ。 堀江氏は、その場その場で思いついた考えを、特に留保することなく、脊髄反射的に吐き出しているように見える。もちろん、堀江氏なりの基準で、言うべきことと言わずにおくべきことを見極めながら情報発信しているのだとは思うが、少なくとも彼が、なんらかの党派的な思惑に沿って発言内容を調整しているのではないことは事実だと思う。 ただ、それはそれとして、堀江氏のような一匹狼の論客が、政権にとって好都合な存在であることもまた事実ではある。 というのも、彼のような自己責任論者のオレオレ万能思想の実践者は、政府には一切期待しないわけだし、仮に政権に失策や不正があっても、まるで気にしない立場のインフルエンサーだからだ。 そんなわけで、「政治なんてそんなもんだろ?」「ってか、人間なんてもともと利己的なわけでどこが問題なんだ?」式の、北斗の拳(古い)式の中二病的ニヒリズム&自己超克思想を体現しているホリエモンは、自己啓発書籍にハマりがちなオレオレヒロイズム&一発逆転ロマンチシズム酩酊者にとってはヒーローになぞらえるに最もふさわしいピカレスクなキャラクターになる。 ついでに申せば +独立独歩 +背水の陣 +一点突破全面展開 +自己責任 +背水の陣 +徒手空拳 +この広い世界にオレ一人 という、自己陶酔的な世界観にカブれているプチホリエモンたちにとって、デモに集う人間は、「大勢でツルんでいる」時点で、どうにも矮小な存在に見える』、「彼のような自己責任論者のオレオレ万能思想の実践者は、政府には一切期待しないわけだし、仮に政権に失策や不正があっても、まるで気にしない立場のインフルエンサーだからだ」、というのは鋭い指摘だ。
・『「オレはどこまでもオレ自身としてオレ一人で勝負してやんよ」と思い極めているホリエモンフォロワーたちは、実際のところは「無党派層」という圧倒的なマジョリティーに属している。 が、そのマジョリティーを微分した一人ひとりの無党派の個人は、自分を孤立無援の徒手空拳の独立独歩のマイノリティーだと思いこんでいたりする。 で、自身を孤独なマイノリティーだと思いこんでいるからこそ「徒党を組む脆弱な個人の集合体」である、デモの人々を心の底から軽蔑しているわけなのだ。  さて、堀江氏による一連のツイートのハイライトは、米国在住の映画監督・想田和弘氏の《デモに参加するとなんで「税金泥棒」になるのだろうか。デモに参加するとどうやって税金を泥棒できるのだろうか。意味がわからない。香港のデモに参加した200万人は税金を泥棒しているのだろうか。》という問いかけに対して 《お前相変わらず文脈とか行間読めねーんだな。親切に教えてやるよ。このデモに参加してる奴の大半は実質的に納税してる額より給付されてる額の方が多いんだよ。それを税金泥棒って言ってんだよ》と回答した言葉の中にある。 この回答の中で、堀江氏は、納税額の少ない人間は、発言権も抑えられてしかるべきだという、空恐ろしい高額納税者万能思想をうっかりもらしてしまっている。 このおよそ尊大な思想に乗っかる形でデモ隊を罵倒しているプチ・ホリエモンたちは、もしかして、富豪揃いのメンバーズなのだろうか。 たぶん、ノーだ。 ネット上の架空人格として、「富裕層の自分」を選んだアカウントが多かったということなのだと思う。 つまり、彼らはそれほどまでに孤独なのだ』、「堀江氏は、納税額の少ない人間は、発言権も抑えられてしかるべきだという、空恐ろしい高額納税者万能思想をうっかりもらしてしまっている」、堀江氏にとっては「うっかり」ではないのかも知れない。「彼らはそれほどまでに孤独なのだ」とのオチはやや分かり難い印象を受けた。 
タグ:アンチ左翼、アンチ・リベラル 安倍さんの本来の関心は、横軸(価値の問題)に集中 朝日新聞 「年金」デモの参加者を、「税金泥棒」と決めつけている 堀江貴文氏のツイート 日本型ネオコン勢力の権力奪取 祖父の判断は、心情倫理としては問題があります。しかし、責任倫理としては、「吉田安全保障条約を改定する」という課題を見事に成就しています。とくに政治家は、結果責任が問われます この5年ほどの間に「政治的」という言葉は、もっぱら「反政府的」という意味でのみ使用され、解釈され、警戒され、忌避されるようになった われわれは、「政治的」であることを自ら抑圧しながら、結果として、自分の意図とはかかわりなく、全員が「お上」の手先となって「非国民」を自動的にあぶり出す社会を形成しはじめている 政権に対して親和的な態度は「政治的」とは見なされず、単に「公共的」な振る舞い方として扱われている 議員生活は歴史認識問題からスタート 「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」事務局長に 細川首相の「侵略戦争」発言や、連立政権の「戦争責任の謝罪表明」の意図等に見る如く、戦争に対する反省の名のもとに、一方的な、自虐的な史観の横行は看過できない。われわれは、公正な史実に基づく日本人自身の歴史観の確立が緊急の課題と確信する アンチ左翼の標的とするのが、朝日新聞と日教組(日本教職員組合) 「安倍首相「沖縄の基地を減らすことに尽力すべき」と発言した過去「アンチ・リベラル」という姿勢」 国家は命を投げうってでも守ろうとする国民がいなければ成立しない。だとすれば、国のために命を捨てた人の顕彰がなければ、国家は成り立たない 靖国参拝は国家観の根本 アジア主義への警戒を強調 政治家は結果責任をとることで免罪される 日米安保強化を一貫して強調 yahooニュース 縦軸に「リスクの社会化」VS「リスクの個人化」、横軸に「パターナル」VS「リベラル」 「リスクの個人化」を志向 菅氏が会見で東京新聞記者の質問に「あなたに答える必要はありません」と述べたエピソードなどを紹介 小田嶋 隆 日本政府はときに独裁政権をほうふつとさせる振る舞いをしている 「「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判」 「記者クラブ」の存在 「プチホリエモンたちの孤独」 日経ビジネスオンライン (その33)(安倍首相の評価が真っ二つに分かれる「これだけの理由」、安倍首相「沖縄の基地を減らすことに尽力すべき」と発言した過去「アンチ・リベラル」という姿勢、「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判、小田嶋氏:プチホリエモンたちの孤独) 日本の政治情勢 先の震災以来、われわれの国が、極めて内圧の高い相互監視社会に変貌している感じを抱いていて、そのことの最もわかりやすい一例として、「デモ」を危険視し、「政治的であること」を異端視するマナーが、一般市民のための「常識」として共有されつつある現状を挙げることができる 香港のデモに関する感想と、沖縄のデモへの評価の間で、一貫性を保つことが難しかったからだ 「年金」に関するデモ行進 安倍晋三という政治家の「地金」 中島 岳志 「安倍首相の評価が真っ二つに分かれる「これだけの理由」 自民党のあり方を疑問視していた時期も」 現代ビジネス 『自民党 価値とリスクのマトリクス』(スタンド・ブックス) 石破茂さんや野田聖子さんに比べて、安倍さんは著書の少ない政治家 私が軽蔑してやまないのは、堀江氏によるこの種の発言に乗っかって浅薄な自己責任論を展開しているアカウントの卑怯な振る舞い方だ バカばっか「生活できる年金払え」日比谷でデモ 政府の対応に抗議 私が強い印象を抱いたのは、堀江氏の主張の内容や口調そのものよりも、その彼の挑発的な極論を支持する人の数の多さと、その彼らの間に共有されているかに見える「連帯感」の強烈さ 自身を孤独なマイノリティーだと思いこんでいるからこそ「徒党を組む脆弱な個人の集合体」である、デモの人々を心の底から軽蔑しているわけなのだ 堀江氏のような一匹狼の論客が、政権にとって好都合な存在であることもまた事実ではある。 というのも、彼のような自己責任論者のオレオレ万能思想の実践者は、政府には一切期待しないわけだし、仮に政権に失策や不正があっても、まるで気にしない立場のインフルエンサーだからだ 堀江氏は、納税額の少ない人間は、発言権も抑えられてしかるべきだという、空恐ろしい高額納税者万能思想をうっかりもらしてしまっている
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日本の政治情勢(その32)(国会議員267人の選挙「余剰金が行方不明」の謎 調査対象の6割、公開資料で使途を追えず、議員秘書が語る「選挙余剰金」のすさまじい実態 現役3人が匿名回答「報告書はまったく違う」、公職選挙法の改正で「余剰金」の抜け穴を防げ 岩井奉信・日本大学法学部教授インタビュー、「最後のフィクサー」が直言 この国を破滅させるカネの亡者たち 安倍政権とその仲間たちこそ国民の敵) [国内政治]

日本の政治情勢については、5月30日に取上げた。今日は、(その32)(国会議員267人の選挙「余剰金が行方不明」の謎 調査対象の6割、公開資料で使途を追えず、議員秘書が語る「選挙余剰金」のすさまじい実態 現役3人が匿名回答「報告書はまったく違う」、公職選挙法の改正で「余剰金」の抜け穴を防げ 岩井奉信・日本大学法学部教授インタビュー、「最後のフィクサー」が直言 この国を破滅させるカネの亡者たち 安倍政権とその仲間たちこそ国民の敵)である。

先ずは、6月17日付け東洋経済オンラインが掲載したFrontline Press / 日本大学・岩井研究室による「国会議員267人の選挙「余剰金が行方不明」の謎 調査対象の6割、公開資料で使途を追えず」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは岩井氏の回答)。
・『選挙で余ったお金の使途が確認できない――。各候補の選挙運動費用の収支を示す書類を分析すると、お金を余らせてその使い道を公開資料で確認できない現職議員が、衆参両院で268人いることがわかりました。調査や分析の対象とした議員460人の6割近くに当たります。余剰金には、国からの政党助成金や国が負担する選挙ポスター代などが含まれており、「公的」な性質を帯びています。 なぜ、こんな事態が起きているのでしょうか?現行の制度に問題はないのでしょうか?取材記者グループ「Frontline Press (フロントラインプレス)」と日本大学・岩井奉信教授(政治学)の研究室は、「選挙運動費用の余剰金」をめぐる全体像を初めて明らかにしました』、意欲的な調査報道で、興味深そうだ。
・『公開情報をベースに調査を開始  この共同取材では、衆議院は2014年12月、参議院は2013年7月および2016年7月の選挙を対象とし、各議員が選挙管理委員会に提出した「選挙運動費用収支報告書」の要旨を集めることから始めました。「報告書」は官報や都道府県の公報に掲載されており、誰でも入手可能。国立国会図書館でも閲覧できます。 ただ、報告書提出の義務のない衆院比例代表に単独で立候補した議員などは、調査・分析の対象から外しています。余剰金が5万円未満の議員についても同様です。 選挙運動で余ったお金は「報告書」の数字から算出します。 必要な項目は3つです。まず、候補者が選挙資金として集めた「収入」。事務所の設営などに使った「支出」。そして、看板やポスター代などを税金で賄う「公費負担」です。 選挙運動の「収入」は、支持者からの寄付、政党からの資金、自己資金などから成ります。候補によっては多額の自己資金を「収入」に計上しているケースもあり、お金が余ったからといって、それ自体がすぐ問題になるわけではありません。ポイントは「余剰金の行方」です。 「収入」には、政治団体などを経由して候補者に入ってくる「政党本部からの資金」が一定の割合を占めている(政党公認候補の場合)。共産党を除く各政党は国から政党交付金を受け取っており、その額は年間で合計約320億円になる。一方、「支出」に含まれる「公費負担」とは、ポスターや法定ビラの印刷、選挙カーの借り上げ費用などを指す。報告書の支出欄にのみ記載し、収入欄には記載しない』、「公費負担」を別にしても、「国から政党交付金」が「年間で合計約320億円」も出しているのであれば、収支報告書はキチンとすべきだ。
・『使途不明の最高額約2725万円  共同取材チームは続いて、各議員に関係する政治団体の「政治資金収支報告書」に目を通すことにしました。 この報告書には、1年間の政治活動にかかったお金の動きが載っています。一方、選挙のときは公職選挙法によって、政治団体の会計とは別に、選挙用の会計帳簿を新たに作らなければなりません。そこに政治団体の資金を入れるケースが一般的。報告書を調べたのは「選挙後にお金が余った場合、再び政治団体に入れたのか」を確認するためです(ただし、政治団体は5万円未満の収入については、相手方の名称を報告書に記載する義務がない)。 対象は「余剰金」を出したすべての議員の政治団体です。すると、思いがけないことが次々に見えてきました。 「余剰金」を政治団体に戻したことを確認できず、使途がわからない議員が268人もいたのです。それら議員の余剰金を合計すると、約9億5000万円。最高額は約2725万円でした。 公選法は、余剰金の処理について何も定めていません。「政治団体への返却」や使いみちの報告も義務付けていません。ですから、余剰金をどう使っても公選法に触れることはないのです。 余剰金を政治団体に戻していたら、政治団体の収支報告書を調べることによって、余剰金の行方がわかります。では、政治団体に戻していなかったら?「報告の義務がない」という壁に阻まれ、誰でも閲覧できる公開情報では追うことができなくなるのです。 つまり、政党交付金や公費負担など「公的資金」でサポートされているにもかかわらず、余ったお金の行方を確認できないという事態が続出しているのです。 議員たちは、これをどう説明するのでしょうか』、「公選法は、余剰金の処理について何も定めていません」、というのではまさに「ザル法」の典型だ。
・『議員たちの言い分は「報告義務ない」  「公職選挙法では選挙運動費用の残金の使途について、とくに規定を設けていないし、報告義務もない。残金は法令に従って適正に処理しています」 余剰金の行方を確認できなかった議員への共同取材で、最も多かったのはこうした回答でした。与野党に違いはありません。自民党では、内部で“模範回答”が示されたのか、質問状に対し多くの議員が、一言一句、同じ文面の回答を寄せました。 余剰金に関する公選法の規定はないのに、「法令に従って適正に処理」とは、いったい、何を意味するのでしょうか。 「政治と金」に詳しい日大法学部・岩井奉信教授の話:「『適正に処理』といったあいまいな言葉で逃げるしか方法がなかったのでしょう」「政治活動に使ったなら、政治資金収支報告書に収入として余剰金の返却を記していなければなりません。それがないと、政治資金規正法違反(不記載)です。一方、余剰金を議員側が仮に私的流用していたとしても、それを公には言えないでしょう」』、「余剰金に関する公選法の規定はないのに、「「法令に従って適正に処理」」、とはよくぞ恥ずかし気もなく回答すると呆れる。
・『1円単位まで返却の議員「公金入っているから当然」  余剰金をピッタリ1円単位まで正確に政治団体に戻した議員はいるのでしょうか。 「ピッタリ組」は64人でした。 現職閣僚20人のうちでは、安倍晋三・首相、菅義偉・官房長官、山本順三・国家公安委員長の3人です。 そのほかの主な「ピッタリ組」を見ると、自民党では、小野寺五典・前防衛相、野田聖子・前総務相、稲田朋美・元防衛相、田村憲久・元厚生労働相、高市早苗・元総務相、伊吹文明・元文部科学相らがいます。 野党側では、枝野幸男・立憲民主党代表、野田佳彦・社会保障を立て直す国民会議代表、大塚耕平・国民民主党代表代行、福山哲郎・立憲民主党幹事長、安住淳・元財務相、山本太郎・参議院議員らが「ピッタリ組」でした。 こうした議員は、現行制度の枠内で、余剰金の行方を可能な限り明らかにしたと言えます。 「ピッタリ組」では例えば、大塚・国民民主党代表代行の事務所は次のように回答しています。「党本部の原資には政党交付金も含まれているため、余剰金が発生した場合には政党支部に戻すべきと考えている」 専門家は、余剰金の処理について公選法の見直しを指摘しています。 選挙をめぐる公費負担に詳しい日大法学部・安野修右助教の話:「候補者のために税金が使われているのだから、余ったお金の行き先は公選法ではっきりさせるよう規定すべきです。しかし、自らを縛るような法改正に議員が踏み出せるでしょうか」』、「自らを縛るような法改正に議員が踏み出せる」ようにさせるのが、マスコミの役割だろう。
・『行方を確認できない議員の50人余りは未回答  取材チームは、報告提出義務のない比例単独当選の衆院議員などを除く500人余りに質問状を送りました。余剰金の行方が確認できない国会議員268人のうち、6月14日現在、50人余りから回答が得られていません。 余剰金の行方をどこまで明らかにするのかは、各議員の政治姿勢に直結する問題です。共同チームはこの問題を引き続き取材していきます。 次回は閣僚を中心に、個別事情に迫ります。(この後の共同取材チームの紹介や追記は省略)』、この続きでは、「閣僚を中心にした個別事情」は省略して、議員秘書が語る実態を紹介しよう。

次に、この続きを、6月26日付け東洋経済オンライン「議員秘書が語る「選挙余剰金」のすさまじい実態 現役3人が匿名回答「報告書はまったく違う」」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは岩井氏の回答)。
https://toyokeizai.net/articles/-/288012
・『「法律で特段の報告の義務もない」――。選挙で余ったお金の行方を公開資料で確認できない衆参両院の現職国会議員268人のうち、多くの議員がこのフレーズを使って回答しました。そこに与野党の違いはありません。では、余剰金は一体、どこにいったのでしょうか。取材チームは、国会議員を最も間近で支える現職の秘書たちに接触を試みました。「実態を打ち明けるなら、匿名が絶対条件」。秘書が知る本当の余剰金の使い道とは?取材記者グループ「Frontline Press(フロントラインプレス)」と日本大学・岩井奉信(政治学)研究室の共同取材チームによる報告、その5回目です』、「実態」とは興味深そうだ。
・『「絶対匿名」の条件で明かされた内実  国会議員の秘書は、「公設秘書」と「私設秘書」にわかれます。公設秘書は、国費で給与が支払われるため、法律上の身分は国家公務員と同じ立場にあります。議員1人当たり3人まで、と国会法で決まっています。私設秘書は、議員が私的に雇うため人数に制限はありません。 つまり、永田町の国会議員会館や地元事務所などで働く秘書は、総勢で3000人近くいる計算です。 秘書の仕事は多岐にわたります。議員のスケジュール管理に始まり、国会質疑のための資料集め、陳情の処理、政治資金パーティーの運営や出席者の確保などです。選挙になると、効果的に主張を伝える広報戦略を立てたり、後援会組織を立ち上げたりします。そして最も重要な仕事が、選挙資金の収集と支持票の確保です。 したがって、「選挙運動費用の収支」や「余剰金の行方」についても実態を熟知しているはず――。そう考えて取材チームは秘書たちに取材を試みました』、「実態」を最も熟知している「秘書たち」の言い分はどんなものなのだろう。
・『X議員の秘書余剰金は「票のとりまとめ」にも  まずは、自民党のX国会議員のベテラン秘書。何人かの議員の秘書を経験しています。X議員の余剰金は5万円未満。そのため、調査・分析の「対象外」としていますが、この秘書の語る「余剰金の実態」はすさまじいものでした。 「選挙運動費用収支報告書に載せられない支出に使った。うちの余剰金はたしか、数万円だったと思うが、実は余った金はもっと多かったと引き継ぎを受けている。(本当の余剰金は)数百万だったと聞いている」「(そうなるのは)支援してくれる方が『領収書なしでいい』と言って、寄付の形でお金を渡してくれるからだ。もちろん現金。振り込みは記録に残ってしまう。だから、振り込みの金はしっかり説明できるところに使う。領収書を発行しないお金は、選挙の時、けっこうたくさん集まる。余剰金は、ぶっちゃけて言えば、票のとりまとめをお願いする意味を込めて、企業幹部や自治会関係者などの接待に使う。ほかには、選挙の手伝いに来てくれた方たちへの差し入れや弁当代、つまり飲食代。公選法では報酬をもらえる人数や額が決まっているので、報酬を渡せない人たちへのお礼として使っている。報酬といっても、現金を渡すのでなく、飲食代を事務所で負担するとか、野球やコンサートのチケットなどにして渡すとか。これは、ほかの議員事務所にいた時も同じだった」 Q:選挙運動費用収支報告書の数字は、デタラメなのでしょうか? A:「政治資金パーティーの収支報告と一緒で、ザルだし、収支報告の数字が全部正しいわけではない。例えば、パーティーの場合も、(政治資金規正法に基づく)政治資金収支報告書の収入を少なく記載するとか。現金でパーティー券を10枚とかまとめて買ってくれて、領収書も要らない、と言ってくれる中小企業の社長さんは多い。そういう金は収支報告書に載せられないので、表に出ない金となる」 Q:裏金? A:「そう、裏。選挙資金の収支報告書の場合、公費負担額は変更できないので、収入部分をいじる。少なくする。領収書を出してしまうと、(先方の)企業会計との関係で、こちらもしっかり(報告書の収入に)記載しないといけないから、領収書をもらわない形でお金をもらえるようにするのがポイント。世間のみなさんからはご批判を受けるかもしれないけど、秘書の力の見せどころ。(先方が)会社として支出すると、領収書が必要になってしまうので、相手のポケットマネーとして出してもらう。だから、会社員でなく、会社経営者からいただく。領収書を発行しないお金というのは、正々堂々説明できない使われ方をしていると言ってもいい。うちの事務所は(それらの資金集めを)秘書に任せきり(だから議員は知らないかもしれない)」』、「選挙運動費用収支報告書の数字」は、計上されない収入が多いのであれば、全く信頼に値しないようだ。その収入を経営者個人が出すのであればともかく、実際には企業にも裏金のプールがある場合も多く、そこから支払われているのだろう。
・『Y議員の秘書 「手伝ってくれた人にお礼必要」  続いては、参院自民党のY議員の秘書です。Y議員は今回の調査対象となった選挙で、100万円前後の余剰金を出しています。取材チームの質問に対しては「余剰金の使途に規制はない」「報告義務はないが、適正に処理」という内容の回答を寄せていました。 「秘書にとって一番ありがたいお金は、振り込み入金など金融機関を通じた金銭でなく、現金だ。選挙になると、僕ら秘書は、とにかく寄付してもらえるようにお願いして歩き回る。(余剰金は)選挙を手伝ってくれたのに、公選法上支払いができないみなさんに使う。主に食事代として。ミニ集会開催を企画してくれたり、演説の人集めを助けてくれたり(した人に)」 Q:公選法が定める以外の運動員に報酬を支払うと、法に抵触します。 A:「わかっている。今の公選法は、運動員報酬の規定が細かいし、規模も小さい。もう少し枠を広げてほしい。ボランティアとしてやってくれる人もいるが、甘えてばかりいると、『あの事務所は義理を知らない』『弁当すら出さない』と言われてしまう。地方ほど、こうした傾向は強いと思っている。公選法上、支払いができないことを説明することもあるが、気持ちの問題なので法律論を説明して終わりというわけにはいかない」 Q:お礼として数十万円の現金を渡すケースも? A:「むしろ、1万円とかの飲食代。あっという間に数十万になってしまう。今回の余剰金(100万円前後)は、そうやって使ったと記憶している。だから(報告書に収入の記載義務がある政治団体に)戻すことはできない。手元に残っていないから。(飲食に使った際、手帳などに誰にいくら使ったかの記録は)するわけない。もし見つかったら、証拠になってしまう。誰にいつ、いくらかはわからない」 Q:本当は使ってはいけない相手に対し、飲食代として使ったと? A:「そう」 Q:公選法で余剰金の処理が規定されていないことは知っているのでしょうか? A:「知っている。お金がたくさんある事務所は政治団体にしっかり戻すことができるかもしれないが、うちはお金がない事務所。その中で、やりくりをしている。私も個人的に数百万の借金をした」「(寄付を集める際に領収書を出さないお金も)ないとは言わない。100万円くらい(あった)。それも手元にはない。使っている。追及しないでほしいけど。(「投票依頼の趣旨?」)そういう感じ。(市町村の)議員というより、団体幹部のみなさんや社長のみなさんとか。10万円ほどの単位。参院選の場合、衆議院と違って(エリアも)広くお願いしないといけない。公明党に頼ってばかりいられない」』、「飲食代」ならまだしも、「10万円ほどの単位」で配るのは本来は「公選法」違反だ。
・『Z議員の秘書公選法の“抜け穴”は「承知」  もう1人、現職秘書に取材できました。自民党のZ衆院議員に仕えています。Z議員は2014年選挙で数百万円の余剰金を出しており、その行き先は公開資料で確認できません。そして、取材チームの質問には、やはり「報告義務がない」などと答えています。 「会計担当は私ではないのでわからない部分もあるが、200万~300万円は議員に戻したと思う。議員も、今回の選挙だけでなく、政治資金管理団体に(自分が)寄付するなどいろいろな場面で、自分の資金を使っているので、一部返済という趣旨」 Q:選挙運動費用収支報告書上、余剰金はもっとあります。残りは? A:「どこの事務所も同じだと思うが、選挙を助けてくれた人たちへのお礼に使った。現金は生々しいので飲食代を負担するとか。お店を用意して、支払いはあとで事務所が負担するようにしている。それと、選挙後の会合代とかに使った。(余剰金を政治団体に戻せば、その収支報告書の支出に記載しなければならないが、余剰金の使途は定められていないため、戻さずに使えば)報告書の支出欄に載せないで済む。使い勝手がいい。(公選法が余剰金の処理を定めていないことは)少なくとも私は知っていた。ある意味、抜け穴だと思う。でも公選法が変更されて、余剰金の処理方法が決まっても、なるべく領収書の要らないお金を集めて、同じことをすると思う」』、「余剰金の処理方法」の問題だけではないようだ。
・『元秘書の男性 「政治改革で使い道を透明にすればよかった」  X、Y、Zの3議員に仕える秘書たちが語った余剰金の実態。それらはすなわち、選挙運動費用収支報告書の内容は、選挙で使ったお金の動きとまったく合っていない、という事実です。永田町で有力政治家の秘書として長く働いてきた男性にも話を聞きました。 男性は取材に対し、選挙運動費用収支報告書に記載している金額よりも「実際はもっと(お金を)出している」と明言。そのうえで、報告書上は余剰金を含めて、収支を「プラスマイナスゼロで収めている」と話します。 「余剰金がゼロの人は、それなりに当選回数を重ねている人が多いのではないか。慣れている秘書がいるか、議員が選挙慣れしている。(余剰金が出ると問題視されることもあるので)ゼロにしておいたほうがいい。ゼロにするテクニックは(会計担当者や秘書が)それぞれで持っていると思う。使い切るためには、例えば、付き合いのある後援者に(物品などを)発注して、後で(収支を合わせることができる額の)請求書を出してもらう。私の経験から言えば、ゼロの人は(報告書の記載)以上に使っていると思う」 政治と金。この問題がなぜ、いつまでもくすぶるのでしょうか。政党助成金の制度や小選挙区制が導入された「政治改革」は1990年代、日本政治の大テーマでした。永田町を生き抜いてきた元秘書の男性はこう言いました。 「(かつての政治改革では)政治資金を小選挙区の話にすり替えてしまった。政治のお金をガラス張りにすればいいだけの話だった。どこから献金を受けたとか、使い道を透明にする法律(関連法の成立)ならよかったが、政治改革では、それを小選挙区の話にすり替えて、公費で政党助成をするという話にしてしまった。公費は、なくした方がすっきりすると思う。政治家は、自分でお金を集められる才覚がないとできないのではないか。人の話を吸い上げることができないといけない。話を聞いて、この人に寄付をしようと思わせられる人間でないと、いい政治はできない」 X、Y、Zの3議員の現職秘書もそろって、公選法の“抜け穴”を使って余剰金を使っていることを明かし、報告書の内容と実態が全く合致していないことを赤裸々に語っています。この問題をどう考えればいいのか。次回は、共同取材チームの一員でもある日本大学の岩井教授にじっくりと聞きます』、「(かつての政治改革では)政治資金を小選挙区の話にすり替え・・・公費で政党助成をするという話にしてしまった」というのは、重要な指摘だ。岩井教授の話が楽しみだ。

第三に、この続きを、7月3日付け東洋経済オンライン「公職選挙法の改正で「余剰金」の抜け穴を防げ 岩井奉信・日本大学法学部教授インタビュー」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/288639
・『衆参両院の現職国会議員のうち、選挙で余ったお金の行方を公開資料で確認できない議員は268人——。この数字は、取材記者グループ「Frontline Press(フロントラインプレス)」と日本大学・岩井奉信(政治学)研究室の共同取材チームによって明らかになったもので、調査・分析対象とした国会議員460人の実に6割近くに上ります。なぜ、こんなことが起きているのか。その背景には「公職選挙法の不備」という大問題が横たわっていることも見えてきました。共同チームに加わった岩井教授はこの問題をどう捉えているのでしょうか。公費も含まれることが多い余剰金の行方を明確にするには、制度をどう改善すればよいのでしょうか。岩井教授にじっくりと尋ねました』、興味深そうだ。
・『「お金のことは政治家本人に教えない」  Q:余剰金の使途を公開資料で追うことができない国会議員が、調査対象の約6割。この数字をどう思われましたか? A:「ただちに評価するのは難しいと思います。6割の事務所の中には、余剰金について(きちんとした処理方法を)わかっている事務所もあるだろうし、(意図して行方を)わからなくしている事務所もあるだろうし。ただ、余剰金の扱い方をわかっていないという事務所はあまりないと思います。(各党は)公職選挙法などについて、議員秘書を対象に研修を行っているはず。最低限の知識はどの議員の事務所もあるはずです」「昔の自民党でいえば、若手や新人の選挙の際には派閥がちゃんと世話をしていました。経験豊富なスタッフや秘書を付けたり。事情をわかっている秘書などが選挙事務所に入っていれば、(余剰金の扱いは)わかっているはずです。(派閥の力が弱くなった)いま、そうした仕組みはどうなっているんだろう、とは思います」 Q:余剰金には、税金を原資とするお金が含まれているケースも多いです。それぞれの議員たちは、その意味や処理方法をわかっているのでしょうか? A:「政治の世界は、お金のことは、議員や候補者本人に何も教えない、という世界だと言われています。ですから、政治家本人に聞いても何もわからないでしょう。お金に細かくて、いろいろとチェックする議員もいますが、そういう人は嫌がられます。(選挙のお金について)議員本人が知っているとしたら、それはまずいことでもあるんです。選挙違反で摘発されたとき、本人も責任を問われますから。知らないほうが政治家本人にとっても、事務所にとっても都合がいいんです」「選挙の会計担当者にまったく事情に通じていない人を起用するケースもよくあります。与党も野党も問わず、です。そして、(会計担当者に)『選挙期間中は海外にでも行っててくれ』と言って、選挙事務所には寄せ付けない。そうすると、警察に摘発されても、ほんとに何も知らないで通すことができる。会計担当者は、選挙運動費用収支報告書で(『出納責任者』として会計の)責任者となっているけど、実際は違うことが少なくない」』、議員本人だけでなく、会計担当者までも知らないことにしているとは、驚きだ。
・『実態は「全員が報告書の訂正必要」  Q:余剰金の行方を追えない多くの議員側からは「法令に従って適正に処理しています」という内容の回答が届きました。どこかで“すり合わせ”を行った印象を持ちました。 A:「268人について、1人ひとりの実態を追及したら、おそらく全員が『余剰金は政治団体に入れ、政治活動に使った』と言わざるをえなくなり、(政治団体の)政治資金収支報告書を訂正することになるでしょう。そうしないと、余剰金を私物化してしまったという話になり、一時所得として税金がかかってしまう。『法令に従って適正に処理』のような回答がいちばん無難なんです」「余剰金は、実は都合の良いお金なんです。だって、法律は何も規定してないんだから。法令に従って適正に処理していると言ってますが、処理の方法が定まってないんです」 Q:余剰金を1円単位まで、きちんと政治団体に入れて使途を明確にした議員もいます。調査対象の1割強、64人に過ぎませんでしたが。 A:「そうした議員の事務所は、余剰金に絡む問題の本質をしっかり理解しているのでしょう。使い道を追及されたらまずい、と。本当にわかっている秘書や会計責任者がいる事務所は、それくらいの数字なのかもしれません」「64人の顔ぶれを見ると、安倍晋三首相や菅義偉官房長官、立憲民主党の枝野幸男代表など党首クラスが目立ちます。やはり、それぞれの事務所には処理方法をわかっている秘書などがいて、報告書を確認しているんでしょうね。余剰金問題の本質を理解していて、とにかく帳尻はきちんと合わせる。その数字が本当かどうかはわからないですけどね。政治とお金の問題は、表向きは帳尻の世界。帳尻を合わせるか、合わせられないか。帳尻さえ合っていれば良いわけです」 Q:余剰金は「収入−支出+公費負担」で計算できます。公費負担はポスター制作などのお金であり、だからこそ、余ったお金には公金が含まれる。ところが、余剰金がピッタリとゼロの議員も多かったです。今回は調査の対象外としましたが、103人です。 A:「報告書で余剰金をゼロにした議員の事務所も、事情をわかっているといえるでしょう。わかっているからこそ、余剰金を処理しなくてもいいようにゼロにする。でも、現実問題としては、公費負担分を勘案して差額がピッタリとゼロになるなんて、あり得ませんよ。そうした議員は昔から与党と野党を問わずいます」』、「安倍晋三首相や菅義偉官房長官、立憲民主党の枝野幸男代表など党首クラス」の事務所は、「余剰金を1円単位まで、きちんと政治団体に入れて使途を明確にした」とはさすが手慣れたもののようだ。
・『公選法の改正、そして新法「政治活動法」を  Q:余剰金の使い道を明確にするには、現行の制度をどう変えればいいのでしょうか。 A:「余剰金の問題は、公選法の大きな欠陥だと思います。余剰資金についての処理の方法を定めていないから、使途不明金や裏金作りの温床になりかねない。かつての政治改革の時にも、この問題は議論にならなかった。おそらく『選挙でお金が余る』などということはないと思っているのでしょう。みんな、『選挙はお金が足りないもの』という固定観念がある」「余剰金は選挙資金とはいえ、広い意味では政治資金です。選挙資金も政治資金と同じように扱うべきです。余剰金も処理や報告のあり方について、今の法体系でいけば、公選法で何らかの規定を設けるべきでしょう」 Q:岩井先生は日頃から「政治活動法」が必要だと主張しています。この意味するところは? A:「現実問題として、選挙資金と政治資金を区別することは難しい。政治活動の中に選挙活動があるはずで、選挙資金は政治資金の一部です。公選法と政治資金規正法という2つの法律があり、そして扱う法律が違うから資金の処理の仕方が別、というのはどう考えてもおかしい。僕が主張する『政治活動法』は、この2つ、政治活動と選挙活動を一本化すべきというものです。そうすれば、選挙資金の処理の仕方もわかりやすくなり、そもそも余剰金などという問題も起こりません。政治資金の流れも、より透明性が高まると思います」』、「『政治活動法』は、この2つ、政治活動と選挙活動を一本化すべきというもの」、大賛成である。

第四に、全く趣向を変えて、6月23日付け現代ビジネスが掲載した空調設備工事会社ナミレイの会長などを経て武道総本庁総裁 政財暴に幅広い人脈 朝堂院 大覚氏へのインタビュー「「最後のフィクサー」が直言、この国を破滅させるカネの亡者たち 安倍政権とその仲間たちこそ国民の敵」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65412
・『老後資金2000万円騒動においても、露骨な富裕層庇護の姿勢や現場(官僚)への責任押し付け体質を赤裸々にさらし、どこまでも自己保身に終始する安倍政権。カミソリの異名をとった後藤田正晴を表裏で支え、あらゆる経済事件で暗躍してきた“最後のフィクサー”朝堂院大覚氏が、安倍政権に象徴されるいまの日本の支配者たちの腐敗、堕落の所業を一刀両断する』、興味深そうだ。
・『自民党政治が招いた拝金主義社会  安倍晋三首相はまた醜態を晒した。アメリカのトランプ大統領を平身低頭で招待し、大相撲の升席観戦など恥も外聞もない過剰接待を繰り返した。その成果というのか「見返り」が、あろうことか貿易交渉でのアメリカへの大幅譲歩、つまりぼったくられる事実を7月の参院選後まで公表しないでくれという密約でしかなったことを、当のトランプ大統領からバラされてしまったのだ。 さすがに日本のメディアや国民から「これは国を売る行為だ」と怒りの声が上がったが、当然のことである。 安倍首相のみならず、政官財を支配する日本の権力者たちの亡国の所業の数々は目に余るものの、すでにマヒしてしまったのか、国民の怒りはなぜか盛り上がりに欠けるように感じる。 しかし、明らかに日本は危機的状況にある。こうした現状を招いたのは、戦後長く続いた自民党政治の腐敗による「拝金主義」の蔓延にほかならいない。私はこのたび、評論家の佐高信氏とともに『日本を売る本当に悪いやつら』を上梓し、その拝金主義の源流と、いまの日本の支配者たちの体たらくを明らかにした。 佐高信さんとの対談をもとにした本書においてもっとも強調しなければならないことは、この戦後74年続く売国奴の政治家たちが日本人たちの労働力の質の低下を招いたということだ。このままでは今後100年経っても失われた質を取り戻すことは難しいだろう。 明治・大正・昭和にかけて児玉源太郎、新渡戸稲造らを始めとする多くの指導者が日本に大きな力をもたらした。その基礎になったのは武士道精神であった。いまの日本は町人の時代である。町人の時代にもっとも優先されるのはなにか。 それはカネだ。 町人の時代には拝金主義が広められ、カネを拝む人間が多くなり、正義が通じない時代をつくりあげた。だから国会においてもカネのためには平気でウソをつく、権力のためなら裏切る。すべて町人主義がまかりとおる世の中になってしまった。それはマスメディアも同じことである。 この拝金主義を広めるためにGHQが使ったエージェントが児玉誉士夫であり、戦後右翼とその力を利用した自民党政治である。この自民党政治による悪影響がもっとも大きい。 今回の佐高さんとの対談においても、その点を私はお話ししたつもりだが、これは私が経験した範囲での話であって、私が知らない場面でも同じようなことが行われていたはずだ。これが世界から日本人が信用されなくなった原因といえる』、「町人の時代には拝金主義が広められ、カネを拝む人間が多くなり、正義が通じない時代をつくりあげた・・・この拝金主義を広めるためにGHQが使ったエージェントが児玉誉士夫であり、戦後右翼とその力を利用した自民党政治である」というのは、なかなか面白い指摘だ。
・『戦争で得るものはなにもない  平成の失われた30年。平成の呪われた30年。この時代は次から次へと指導者が代わり、戦後日本人が築き上げたものをハゲタカファンドたちに献上することになった時代だ。もっとも大きいのは日本郵政による米保険大手アフラックへの2700億円近くに上る巨額出資である。 それではいかにすればわが日本が今の惨状から立ち上がることができるのか。そのためには国体と政体の変革が必要ではないか。カネを中心としたものではなく道義と行動力をもった政治家が必要だ。 私は3回逮捕されているが、1982年に起きた高砂熱学裁判をおよそ13年間闘い、一部無罪を勝ち取ったところ、95年からオウム真理教事件に巻き込まれた。その結果、親族にこれ以上迷惑をかけることができないことから松浦という名前を変えざるをえなくなった。そのときに周囲のアドバイスによって「朝堂院」を名乗ることになった。 というのも当時、私は国会改革運動をしており、参議院を廃止して衆議院の名前を朝堂院に変えること、そして最高指導者は7人にせよと主張していた。これは奈良~平安時代の七省、7人の卿(大臣)に由来する。朝堂院は奈良時代にあった、政務や儀式などを行う施設である。そしてその朝堂院はもともとは朝鮮にあった施設である。それを日本は取り入れていたのだ。 しかしいま安倍政権はさかんに日朝(日韓)戦争を起こそうと煽っている。われわれ日本人は明治維新戦争、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦を当事者として戦ったわけであるが、それによって得たものはなにもない。日本がやった戦争でだれが利益を得たのかを考えなければならない。日本人は殺されたり、武器を買わされたりしただけではないか。中途半端にカネをもつ数多くの政治家たちによって議論されるような国であれば、以前と同じような戦争をしてしまうだろう』、安倍政権批判はいいが、なにやら不吉な予言だ。
・『角栄、後藤田の遺訓  幕末ではイギリスのグラバーが倒幕派に武器を売り込み、対する徳川幕府をフランスが支援した。すべての戦争はその繰り返しなのである。 利益を得るのは軍事産業であり、一部の拝金主義者たちだ。イラン革命、イラク戦争を見れば明らかだ。革命や宗教、デモを利用して暴動を起こして戦争を起こすというパターンが決まっている。米国も戦争を生み出すためには同盟国を平気で裏切る。フィリピンの米軍基地撤退も米軍基地を潰したいから、軍事政権をアキノに倒させたのである。 戦争とはおしなべて人間によって作られるものだ。これに対峙する政治家には先を見通す力が必要だ。ともかく世界には戦争を回避する政治家が必要なのである。田中角栄や後藤田正晴は絶対に戦争をしちゃいけないと言っていたものだ。 安倍政権にたぶらかされてはならない。戦争ができるようにする憲法改正など絶対にしてはならないのである』、「田中角栄や後藤田正晴は絶対に戦争をしちゃいけないと言っていた」、「安倍政権にたぶらかされてはならない」、などは確かにその通りだ。
タグ:安倍政権はさかんに日朝(日韓)戦争を起こそうと煽っている 東洋経済オンライン 評論家の佐高信氏とともに『日本を売る本当に悪いやつら』を上梓 いまの日本は町人の時代である。町人の時代にもっとも優先されるのはなにか。 それはカネだ。 町人の時代には拝金主義が広められ、カネを拝む人間が多くなり、正義が通じない時代をつくりあげた 自民党政治が招いた拝金主義社会 角栄、後藤田の遺訓 「「最後のフィクサー」が直言、この国を破滅させるカネの亡者たち 安倍政権とその仲間たちこそ国民の敵」 田中角栄や後藤田正晴は絶対に戦争をしちゃいけないと言っていたものだ 拝金主義を広めるためにGHQが使ったエージェントが児玉誉士夫であり、戦後右翼とその力を利用した自民党政治である 戦争で得るものはなにもない 中途半端にカネをもつ数多くの政治家たちによって議論されるような国であれば、以前と同じような戦争をしてしまうだろう 『政治活動法』は、この2つ、政治活動と選挙活動を一本化すべきというもの 「絶対匿名」の条件で明かされた内実 (その32)(国会議員267人の選挙「余剰金が行方不明」の謎 調査対象の6割、公開資料で使途を追えず、議員秘書が語る「選挙余剰金」のすさまじい実態 現役3人が匿名回答「報告書はまったく違う」、公職選挙法の改正で「余剰金」の抜け穴を防げ 岩井奉信・日本大学法学部教授インタビュー、「最後のフィクサー」が直言 この国を破滅させるカネの亡者たち 安倍政権とその仲間たちこそ国民の敵) X議員の秘書余剰金は「票のとりまとめ」にも 1円単位まで返却の議員「公金入っているから当然」 日本の政治情勢 行方を確認できない議員の50人余りは未回答 (かつての政治改革では)政治資金を小選挙区の話にすり替えてしまった。政治のお金をガラス張りにすればいいだけの話だった。どこから献金を受けたとか、使い道を透明にする法律(関連法の成立)ならよかったが、政治改革では、それを小選挙区の話にすり替えて、公費で政党助成をするという話にしてしまった Y議員の秘書 「手伝ってくれた人にお礼必要」 安倍政権にたぶらかされてはならない 「お金のことは政治家本人に教えない」 候補者のために税金が使われているのだから、余ったお金の行き先は公選法ではっきりさせるよう規定すべきです 「議員秘書が語る「選挙余剰金」のすさまじい実態 現役3人が匿名回答「報告書はまったく違う」」 Frontline Press / 日本大学・岩井研究室 「国会議員267人の選挙「余剰金が行方不明」の謎 調査対象の6割、公開資料で使途を追えず」 公開情報をベースに調査を開始 公選法は、余剰金の処理について何も定めていません 元秘書の男性 「政治改革で使い道を透明にすればよかった」 Z議員の秘書公選法の“抜け穴”は「承知」 実態は「全員が報告書の訂正必要」 「公職選挙法の改正で「余剰金」の抜け穴を防げ 岩井奉信・日本大学法学部教授インタビュー」 朝堂院 大覚 現代ビジネス 後藤田正晴を表裏で支え、あらゆる経済事件で暗躍してきた“最後のフィクサー 公選法の改正、そして新法「政治活動法」を 議員たちの言い分は「報告義務ない」 使途不明の最高額約2725万円 「余剰金」を政治団体に戻したことを確認できず、使途がわからない議員が268人もいたのです。それら議員の余剰金を合計すると、約9億5000万円。最高額は約2725万円 「選挙運動費用収支報告書」 共産党を除く各政党は国から政党交付金を受け取っており、その額は年間で合計約320億円
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コミュニケーション(河合 薫氏:グリコ「こぺ」炎上で露呈するコミュ力“総低下社会”、小田嶋 隆氏:ジョークがスベることの意味) [社会]

今日は、コミュニケーション(河合 薫氏:グリコ「こぺ」炎上で露呈するコミュ力“総低下社会”、小田嶋 隆氏:ジョークがスベることの意味)を取上げよう。

先ずは、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が3月5日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「グリコ「こぺ」炎上で露呈するコミュ力“総低下社会”」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00012/?P=1
・『「うちの会社には“解釈会議”っていうのがあるんですよ(笑)」 「カイシャクカイギ? ですか?」「そうです。社長が会議で言ったことを、終わったあとで“解釈”して部下に伝えるの」「なるほど。社長が言ったことが部下には伝わらないんですね!(笑)」「あ、それならうちにもありますよ。でも、後じゃなく前。会議の前日に『明日、こう言ってきたとこは、こうこうこういう意味だからな』って(笑)」「みなさん、大変ですね」「(一同笑)はい、大変です」 いつのことだったか忘れてしまったけれど、社長の言葉を翻訳する“解釈会議”ネタで中間管理職の人たちと盛り上がったことがあった。 まぁ、社長さんに限らず上の指示が部下に伝わらないのは日常茶飯事だし、何人もの社長さんたちから「どうやったら話が上手く伝わるのか?」と度々質問されていたので、「忖度上手の管理職が解釈して伝えてくれれば願ったり叶ったりだわ」などと、彼らの話にホッコリした気分にもなった』、「社長の言葉を」、自分たちの部署に即した形に「翻訳する」のは「中間管理職」の重要な仕事だ。
・『が、上司と部下なら許される“解釈”が、女性と男性の間だと、場合によっては「NG」らしい。 先日、またもや企業のキャンペーンサイトが炎上し、取り下げるという事態が起こった。“燃えた”のは江崎グリコ。同社が2月6日に夫婦間の子育てコミュニケーションアプリ「こぺ」をスタートしたことを記念し、19日「パパのためのママ語翻訳コースター」というコンテンツを公式サイト上で発表したところ、“こぺ燃”してしまったのである。 「パパとママのコミュニケーションがうまくいくコツを、おしえて!こぺ!」というタイトルがつけられたページには、「すれちがいのストレスを減らすには、まず、パパとママの脳のちがいを知ることから」とし、男性脳と女性脳の違いによりコミュニケーションのすれ違いが起こるという趣旨を説明。で、具体的に「妻の言葉を“翻訳”」した8つの事例を紹介したのだ。 たとえば、「一緒にいる意味ないよね?」→「私のこと、どう思ってるのかな?」 「もういい!(ピッ!電話を切る)」→「ほんとは甘えたいの」 「好きにすれば?」→「それをやったら、もう知らないから!」 「わかってない」→「正論はもとめてない」 「仕事と家庭どっちが大事なの?」→「私は何より家庭を優先してるのに、あなたは仕事ばかりなのが寂しいわ……」 などなど。 これに対し、「女性をバカにしてる!」「全く翻訳が適切ではない」「『女性に対しては共感だけすればいい』と思っているのか」「同じ言語を話しているのに翻訳するって失礼にもほどがある!」などなど批判が殺到し、23日に公開を終了したのである』、「8つの事例」には首を傾げるようなものもあるとはいえ、全体としては面白いと思ったので、「批判が殺到し、23日に公開を終了」したのは残念だ。まあ、女性からみたら、許せないのだろう。
・『コミュニケーションは「受け手」次第という“不条理”  一応サイトには、「掲載する情報には充分に注意を払っていますが、その内容について保証するものではありません」という但し書きがあり、監修した専門家・黒川伊保子氏の名前も併記したが、怒るのが仕事になってるご時世、いや失礼、「批判の共有が容易な今のご時世」では、受け入れてもらえなかったということなのだろう。 ……というか、おそらく私がこうやって書いただけで、「オマエは夫婦関係に真剣に悩んでる人たちの気持ちがわからんのか!」だの、「アンタはいつも差別するな~だの、男も女も違いはないだの言ってるじゃないか! なのにグリコのことは責めないのか!」だの、批判スイッチがオンになった人もいるに違いない。 なので、ここまで書きながらも「このネタやめといたほうがよかったかも」と若干怯んでいる。 でも、もう書き始めてしまったので批判を恐れずに言わせてもらうと、「まぁ、そんなに怒らずにさ、笑い飛ばせばいいのに」というのが率直な見解である。 ふむ。ひょっとして「翻訳」ではなく、「解釈」くらいにとどめておけば良かったのだろうか。あるいは「ママの言葉」ではなく、「パパの言葉」を翻訳したら、「ウケる~~」と好意的に受け入れてもらえたのかも、などと思ったりもする。 黒川氏の過去の著書には「男性のトリセツ」なる章があり、 +「そのバッグいつ買ったの?」と聞かれたら、「前からあったじゃん」で事なきを得る +目的と任務さえ押さえてあげれば、男性脳は応用が利く +不満があったら、率直に言えばいい +会話を「なんでわかってくれないの?」から始めないのがコツ といった具合に、案外役立つかもしれないことも記されている。 まぁ、これでも批判する人は批判するのだろうけど、数年前に「イケメンに職場活性効果アリ」というアンケート結果が公表されたときにはたいした問題にはならなかった。イケメンを美人に置き換えて男性を対象にアンケートしたら「セクハラ」と大バッシングされるだろうに、良い意味でも悪い意味でも、世の中が「女性オリエンティッド」であるのはまぎれもない事実なのである。 いずれにせよ、男女間に限らず、「コミュニケーション」は永遠のテーマ。 自分の言いたいこと、思っていることを、相手に100%伝えることなどそもそも不可能だ。コミュニケーションを「言葉のキャッチボール」と例えるように、その主導権は「伝え手」ではなく「受け手(キャッチ)」にある。発せられた言葉が持つ意味は、その言葉を受けとった人に、ある種「勝手に」決められてしまうからだ。 同じ“言語”を使っていても気持ちや意図が伝わらない場合は往々にしてあるし、「コンテクスト(文脈)」=「前後の話の流れの中で、どういう位置づけでその言葉を発しているか」によっても、言葉に込めた意味は変わる。 であるからして、言葉の「字面」や「断片」を追いながら「伝え手」を一方的に批判することは、「コミュニケーション」の視点から捉えれば、あまりよろしきことではない。相手の伝え方がちょっと稚拙なだけだったり、自分の受け方に誤解や偏りがあったりする可能性も、ゼロとは言えないからだ。 コミュニケーションは、アクションを起こす「伝え手」ではなく「受け手」に主導権があり、うまくいくもいかないも、かなりの部分が「受け手」次第というのがいかにも“不条理”。グリコさんの肩を持つわけではないけれど、炎上したコンテンツの裏には、「その不条理さに苦しむパパやママたちを、ちょっとだけでも助けたい」という思いがあったのではないか。 確かに、コンテンツの内容に女性蔑視的な視点が感じられるという批判については、うなずける部分はある。ただ、基本的な「コンテクスト」は、パパとママに仲良くやってほしい――という思いだ。それに、現実的には、サイトで紹介されたやり取りでうまくいく場合も少なからずありそうな気がする。であれば、そんなに怒らなくても……と感じるわけで。「世界平和でいこうぜ!」などと思ってしまうのだ』、河合氏の受け止め方が私のに近いのに驚かされた。「コミュニケーションは、アクションを起こす「伝え手」ではなく「受け手」に主導権があり、うまくいくもいかないも、かなりの部分が「受け手」次第というのがいかにも“不条理”」、というのはその通りだろう。
・『「男脳」「女脳」の真偽  実際、私は今回のサイトの翻訳をみたとき「へ~、そういう受け止め方もあるんだ」とえらく感心したし、女性部下とのコミュニケーションに悩む男性上司のヒントになったかもしれないと感じた。 「個人差はあるにせよ、男の部下ならこれくらい言っても大丈夫だろうと思えるんですけど、女性の部下だと全くイメージがつかめなくて」と、長年男性部下だけと接してきた男性上司たちは、女性たちが想像する以上に女性部下に気遣っている。それを女性たちに話すと、「だったら直接聞いてほしい」(あれ? これ「男性トリセツ」と同じだ!笑)と答えるが、男性上司は直接聞くのもためらいがち。「セクハラになりやしないかと……」という懸念をぬぐいきれず、ビビってしまうのである。 と、またここで「別に男性の肩を持っているわけではありませんけどね」と念を押しとかないと、「河合薫は女の敵だ!」だの、「男にすり寄っている」だの批判されかねない。嗚呼、なんと難しい世の中なのだろう。 「掲載する情報には充分に注意を払っていますが、その内容について保証するものではありません」ならぬ、「掲載するコラムには充分に注意を払っていますが、その内容については、あくまでも河合薫の個人的見解であり、万人に共通することを保証するものではありません」と注釈を入れた方がいいのかもしれない。 話がちょっと横にそれた(笑)。今回の炎上騒動に話を戻すと、コンテンツの前提が「男性脳と女性脳の違いによりコミュニケーションのすれ違いが起こる」となっていた点が、ことをよりややこしくした気がしている。 研究者の端くれとして念のため言っておくと、以前、「男らしい!順大不正入試「女子コミュ力高い」論」でも書いたように、近年、脳の男女差を否定する調査結果が相次いでいる。 脳科学研究が始まった頃は「脳梁が男性より太い女性は、男性に比べ、自分自身の感情を素早く言語化できる」とされていたが、その後、男女の脳にはいくつか異なる特徴は認められるものの統計的な分析をすると有意差はない――というのが定説になりつつある。「男脳・女脳」と、あたかも性差があるように印象づけるのは言い過ぎである。 とはいえ、世間は「神経神話」が大好き。「右脳・左脳」「脳に重要なすべては3歳までに決定される」「我々は脳の10%しか利用していない」といった話も、実は、科学的根拠は極めて乏しい。なのに人はそれを信じ、納得し、拡大解釈する。特に「男性と女性の性差」にまつわる問題は、どんなに研究者が否定したところで、人は「わずかな異なる部分」に無意識に反応する。でもって「やっぱりそんなんだよなぁ〜」とドラマチックに受け止められてしまうのだ。 世界的な大ベストセラー『Why Men Don't Listen and Women Can't Read Maps 』(邦題『話を聞かない男、地図が読めない女-男脳・女脳が「謎」を解く』)には遺伝子で性差を語る記述がいくつもあるが、これも実際には非科学的。遺伝子と環境との相互作用のメカニズムに関する研究が蓄積されて分かったのは、その複雑さだ。「影響はあるけど遺伝子がすべてを決めるわけではない」のである』、「男脳」「女脳」の違いは「科学的根拠は極めて乏しい」ようだが、ホルモンには男女差が明確にあるので、気分などの感情には影響がありそうな気もする。
・『「男と女の違い」というより「個人差」  そもそも「男と女の違い」に関心が高まるようになったのは、100年以上前の19世紀後半に遡る。それまでは男女にみられる能力・役割・特性の違いは自明の理とされ、研究対象にもならなかった。 ところがダーウィンが提唱した「性淘汰」説がきっかけで男女差への関心が高まる一方で、産業革命により産業界や経済界に女性が進出。「男性と同じレベルに女性はあるのか?」という、ある種「女性を差別あるいは区別」するための検証作業が進められたのである。 とりわけ男女間の行動・心理特性をテーマにした研究は多く行われ、「女性は感情的」「女性は自尊心が低い」「男性は攻撃性が強い」「女性は協調性が高い」などの説が続々と発表された。 が、世界中の研究者たちが「男女の違い」を説明するために行ってきた数多くの心理社会学的研究の神髄は、「男女差がいかに社会的状況に左右され、いかにさまざまな要因の科学反応によって出現しているか」を明らかにした点にある。 つまり、男女差より個人差の方がはるかに顕著。様々な調整要因を加味して分析すると、男女差の統計的な有意差が認められなくなったり、男女差の傾向が逆転したり……。「男と女の違い」というより「個人差」の問題に行き着くのである。 当たり前といえば当たり前なのだけど、人は視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚という五感から、莫大な情報を入手しても、そのうちのわずか一部しか処理できない。なので無意識にパターン化したり、自分が気になっている部分にのみ反応したり、経験と照らし合わせて判断する。これは人が人である以上、絶対に避けることのできないプロセスである。 だからこそ、心理的な男女の違いを書いた『Men Are from Mars, Women Are from Venus(邦題:ベスト・パートナーになるために―男は火星から、女は金星からやってきた)』(1992年発刊)は世界的ベストセラーになったわけで。邦訳版は、男女の性愛を描いた『愛のコリーダ』の製作で知られる大島渚監督の翻訳で出版されたが、大島監督は「この本は私の長い経験で得てきた知見と根本的なところで一致している」と、長年数々のメディアで「男女の恋愛相談」を受けてきた経験を踏まえ大絶賛したのである』、「数多くの心理社会学的研究の神髄は・・・男女差より個人差の方がはるかに顕著」、ホルモンに男女差はあっても行動・心理特性にはどうも表れないらしい。
・『冗長性と、ともに過ごす時間の欠落  さて、話をコミュニケーションに戻そう。 これまで触れてきたように、脳に有意な「男女差」はないが、コミュニケーションスタイルには、環境や経験の違いに起因するある程度の「男女差」がある。また、男女関係なく、コミュニケーションの主導権は「受け手」にあり、「伝え手」以上に「受け手」の“巧拙”にその質が左右される。だからこそ、コミュニケーション不全はいつでも、どこでも起こり、様々な問題の原因になる。 つまり、思い通りにいかないのが当たり前。なのに昨今は、ちょっとお気に召さないと激しく批判し、同調者が一気に参集して“延焼”につながる。その過剰反応は、ちょっとばかり異常だ。 一体、なぜこうなるのか? もちろん、原因を一つに求めるのは難しい。しかしながら、あくまで私見だが、「冗長性(redundancy)」を伴うコミュニケーションが減ったことが原因の1つではあるまいか。 冗長性とは、会話における無駄。相づち、間、話の脱線、無駄話などのこと。 人は、冗長性があることで、自分の解釈の誤りに気づいたり、相手の話に共感したりするチャンスを得る。ときには、抜け落ちた言葉や、語られなかった隙間が、相手の想像力を喚起させる効果もある。適度な冗長性は、コミュニケーションをする者の間に生じる様々な溝を埋める役割を果たすが、その前提として、“共に過ごす時間”が不可欠なのである。 論理的に、効率的に、短時間で話そうとすればするほど、冗長性も共に過ごす時間も失われることになる。また、SNS上のコミュニケーションでは、冗長性は必然的に落ちる。コンテクストも感じにくいし、対面でないだけに、感じる努力の必要度も下がる。 うまくいかないのが大前提である他者とのコミュニケーションにおいて、うまくいくための冗長性を強奪されているのが現代社会といっても過言ではないのである。 ……なんてことを書くと、「ダラダラ話す人は何言ってるかわからないからコミュニケーションできないじゃないか!」だの、「結論が飛躍すぎだろう!」だの、またまたご批判をいただきそうだが。 嗚呼、ホントにコミュニケーションは永遠のテーマであり、男と女の問題も永遠のテーマ。私の場合、原稿の執筆も永遠のテーマ???「冗長性だらけのコラム」が、皆さんにうまく“解釈”されることを信じつつ……』、「コミュニケーションスタイルには、環境や経験の違いに起因するある程度の「男女差」がある」、というので漸く納得した。ただ、ホルモンではなく、「環境や経験の違い」によるようだが・・・。「コミュニケーション不全」が「「冗長性」を伴うコミュニケーションが減ったことが原因の1つではあるまいか」、というのはその通りなのかも知れない。組織論でも、組織の安定のためには「冗長性」が必要と、昔習った記憶がある。一見、無駄に思えても、効用があるようだ。

次に、コラムニストの小田嶋 隆氏が7月5日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「ジョークがスベることの意味」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00029/?P=1
・『6月28日に開催された主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の夕食会のあいさつのなかで、安倍首相は、大阪城へのエレベーター設置を「大きなミス」という言葉で表現した。 無論のこと、この部分は、スピーチの末尾に配置したお定まりのジョークに過ぎない。 が、結果を振り返るなら、このエレベーターに関するくだりは、会場に困惑をもたらしたのみで、ジョークとしては成功しなかった。 夕食会にはいたたまれない空気が流れ、テーブルでスピーチを聴いていた首脳の多くは、高層エレベーターに乗った時に味わうあの耳閉感に似た感覚に苦しめられた。 同時に、このこと(首相のジョークがスベったこと)は、わたくしども日本人の民族的自尊心をかなり致命的な次元で傷つけた。 「ああ、オレたちはまだまだだ」「とてもじゃないが、外人さんの集まるパーティーになんか出られない」と、英語が不得手なこともあって、私もまた、あの場面にはわがことのようなダメージを受けた。 今回は、ジョークがスベることの意味について考察したい。 安倍さんを責めたいのではない。 先に結論を述べておけば、私は、今回の安倍首相のスピーチは、見事な成功ではなかったものの、全体としては、必要な失敗だったと思っている。その意味では壮挙だった。 国際舞台に立たされた日本人が、うまいジョークを言えるようになれるのであれば、それに越したことはない。 しかしながら、日本人による国際ジョークの発信という難事業は、申すまでもないことだが、一朝一夕に達成できるミッションではない。 可能であるにしても、この先、最低でも50年の下積みは覚悟せねばならない。 サッカー男子の日本代表がW杯で優勝するのが先か、うちの国のリーダーが国際舞台で世界中のメディア視聴者から爆笑をとるのが先かと問われれば、私はまだしもサッカーの方が有望だと思っている。 受けるジョークを言う前に、まず、私たちは、ジョークがスベった事態に慣れなければならない。 紳士淑女をうっとりさせるシャレたジョークをカマせるようになるためには、まずたくさんスベって、上手に受け身を取れるようになっておく必要がある。そういうことだ。 ジョークは、サッカーにおけるパスと同じで、出し手と受け手の間にあらかじめの合意が形成されていないと成功しない。 その点で、わたくしども日本人は不利な立場にある。 というのも、国際社会では 「ニッポン人がジョークなんか言うはずがない」というコンセンサスが、牢固として共有されているからだ』、「(首相のジョークがスベったこと)は、わたくしども日本人の民族的自尊心をかなり致命的な次元で傷つけた」、というのは「民族的自尊心」などと無縁のクールな小田嶋氏らしからぬ表現だ。ジョークは、「わたくしども日本人は不利な立場にある」、というのはその通りだ。
・『逆にいえば、典型的なジョークが笑いをもたらすためには、オーディエンスの間に、「そろそろいつものジョークが来るぞ」という期待感が醸成されている必要があるわけで、その、排他共有制御の原則で運営されているジョーク共同体に、われら日本人は招待されていないわけなのである。 パスの受け手が、敵方ディフェンダーより一瞬早くスペースに向かって動き出していることがスルーパス成功の前提条件であるのと同じことで、一見、意表を突いているように見えるジョークも、実は、発信に先立って敏感な聴衆が予測することで成立している。 その意味で、通訳経由で時差を伴って披露されるジョークは、すでにして不利だ。 というのも、ジョークの生命である「タイミング」がすでにして死んでいるからだ。 のみならず、ジョーク発信者の側が、聴衆のレスポンスに応える段階では、2倍の時差が発生している。 これでは、鮮度が命のジョークが、3日遅れの刺し身になってしまう。 とてもじゃないが食えたものではない。 思うに、安倍首相のあの日のスピーチの動画を視聴して、「共感性羞恥」を味わった日本人の数は、何十万人ではきかない。 「共感性羞恥」について、簡単に解説しておく。 これは、しばらく前にテレビのトーク番組の中で紹介されたことで、広く認知されるようになった言葉で、意味するところは、「共感力の豊かな人が、自分とは無関係な誰かが人前で恥をかく場面にダメージを受ける現象」のことらしい。 ネガティブなイメージが強烈な迫真力をもって脳内に展開されるタイプの人間にとって、自分とは無縁な他人であっても、誰かが失敗や恥辱にまみれている場面を見せられることは、とてもつらい経験になる。 「もし自分があの人の立場だったら」という、なんともいたたまれない気分を喚起するからだ。 それゆえ、潜在人口として少なくとも数百万人は存在すると思われる共感性羞恥をかかえた心優しい日本人を、これ以上苦しめないためには、エレベータージョークの話題は、なるべくなら、二度と蒸し返さないことが望ましい。 自国のリーダーが満を持してカマしたジョークがものの見事にスベりましたとさ、みたいな場面は、共感力の高い愛国者にとっては、戦艦大和の沈没にも劣らぬ屈辱であるはずだからだ。 にもかかわらず、共産党の小池晃書記局長は、誰もが忘れたいと思っているあの日のあの悲しい出来事をわざわざ蒸し返して、「バリアフリーの考え方を理解していない」などと、意外な角度から首相の発言を攻撃する挙に出ている。 なんと無慈悲な言いざまだろうか。 もっとも、こういう場面できちんと意地悪を言っておくことは、野党政治家の大切な仕事ではある。 というよりも、スベったジョークを解剖して粗探しをすることは、共産党所属の議員にとっての必要不可欠な政治活動ですらある』、「排他共有制御の原則で運営されているジョーク共同体に、われら日本人は招待されていない」、とは鋭い指摘だ。「共感性羞恥」とは縁遠い筈の小田嶋氏も感じたというのは、きっとコラムの流れ故なのだろう。共産党が「きちんと意地悪を言っておく」とはさすがだ。
・『じっさい、政治家や官僚の偏見や差別意識は、失敗したジョークの中にこそ最も典型的に観察される。というのも、一見無邪気に見えるシモネタや、ふと口をついて出る自虐ジョークは、実のところ、ジョーク発信者がそのジョークの前提として踏まえている偏見構造や差別意識を、これ以上ないカタチでモデリングしているものだからだ。 「だから女ってものは」「○○人の意地汚さときたら」「彼ら貧乏人のサガとして」てな調子で、ジョークの文法の中では、特定の民族や性別ないしは肉体的経済的社会的諸条件が、戯画化されたキャラクターとして極めて残酷に描写される。そうでなくても、人々を高揚させる笑いのうちの半分ほどは、無慈悲な嘲笑であったり明らかな優越感の表明だったりする。 笑いを狙った発言には、常に諸刃の剣が仕込まれている。このことを忘れてはならない。 総理のジョークに悪気がなかったことはよくわかっている。 しかしながら、ポイントは「悪気」や「攻撃的意図」の有無ではない。 「悪気」や「嘲笑の意図」を云々する以前に、エレベーターを笑うジョークは、その「構造」として、エレベーターに乗って天守閣にたどりついた階段弱者を貶めたストーリーを包含せざるを得ない。その意味で、エレベーターを笑うジョークは、結局のところ「強者」による共感的な雄叫びとそんなに遠いものではない。 「戦国の世の秋霜烈日なリアルを体現しているはずの城郭の天守閣に、足元もままならない老人や車椅子に乗った障害者が集っている絵面の滑稽さ」をもって「21世紀的なクソ甘ったれたみんなの善意で世の中を素敵な場所にしましょうね式のバリアフリー社会の偽善性」を批評せしめようとするその「オモシロ」発見の視点自体が、そのまんまホモソーシャル的ないじめの構造に根ざしているということでもある。 すぐ上のパラグラフは言い過ぎかもしれない。 ただ、会話の中にジョークを散りばめにかかるコミュニケーション作法が、多分に虚栄心と自己顕示欲を含んだものほしげな態度であるという程度のことは、21世紀の人間であるわれわれは、自覚しておいた方が良い。 ジョークは、他人を動かすツールとしてそれなりの機能を発揮している一方で、時に意外な副作用をもたらす厄介な劇薬でもある。 私自身、自分がツイッターを通じて放流しているジョークのうちのおよそ3割は、教養(サブカル教養であれ古典教養であれ)をひけらかしにかかるタイプの、実に厭味ったらしいネタであることを自覚している。 それゆえ、喜んでくれるフォロワーが一定数いる半面、毎度毎度、私がドヤ顔でばら撒いているジョークに反発を感じる人々が罵詈雑言を投げつけてくるやりとりが繰り返されている。 「あ? 面白いつもりで言ってる?」「センスがないんだから、笑い取ろうとかすんな」「致命的に笑えないですね」と、さんざんな言われ方をするケースが少なくない。 それでも私は、ジョークの定期放出をやめることができない。 これは、「業」のようなものだと思っている。 ほめられるべき性質ではない。 反省している。 円満な人物は、ジョークを必要としない。 私自身、リラックスした局面では、ほとんどまったく冗談を言わない。 「ご主人が冗談を言うとは思いませんでした」と、15年ほど前だったか、あるPTA関連の会合で、さる奥様にびっくりされたことがある』、「「21世紀的なクソ甘ったれたみんなの善意で世の中を素敵な場所にしましょうね式のバリアフリー社会の偽善性」を批評せしめようとするその「オモシロ」発見の視点自体が、そのまんまホモソーシャル的ないじめの構造に根ざしているということでもある」、というのはよくぞここまで考えたと思うほど、興味深い表現だ。「円満な人物は、ジョークを必要としない」、というのは日本人に限ってのことだろう。欧米人は、スピーチの中には、必ずといってもいいほどジョークをかませる。
・『たしかに、あらためて振り返ってみるに、その関係の集まりの中で私がこなしていた役柄は、ひたすらに他人の話に耳を傾けてはうなずいているだけの、温厚なおっさんのポジションだった。意外なことだが、くつろいでいる時のオダジマは、無口なおっさんだったのである。 このことは逆に、私が、ふだん、様々な機会を通じて、何かにつけてジョークを言い、スキあらば受け狙いの発言をカマしているのは、結局のところ、私が、緊張していて、自分を印象付けようと躍起になっているからだということを証明している。手柄狙いの浅ましい心根がオダジマをしてジョークを連発せしめている。悲しいことだが、これは事実だ。 ジョークにとりつかれた人間は、ジョークを通じてでないとうまく自分を表現することができない。 これは、けっこう疲れる設定でもある。 古い知り合いに、私と同じタイプの、ジョークにとりつかれた男がいる。仮に名前をK氏ということにしておく。 私より5年ほど年少のK氏とごくたまに会う機会は、私にとって、かけがえのない楽しい時間でもあるのだが、一方において、重い疲労を感じる試練の時でもある。理由は、私が(おそらく彼も)頑張り過ぎてしまうからだ。 われわれは、顔を合わせる度に、なにか面白いことを言おうと、互いの言葉尻をとらえ合っては、空回りをはじめる。その空回りは、そこそこ面白くもあるのだが、全体としては、不必要に多大なエネルギーを消耗する動作でもある。実感としては、わりとしんどい。 つい最近のK氏のネタを紹介しておく。《アイミティーの後の形に比ぶれば昔はタピオカ入らざりけり #タピオカミルクティー》というのが、それだ。 これが面白いジョークであるのかどうか、正直な話、私は、適切に評価する基準を持っていない。 おそらく、100人のうちの97人にとっては、面白くないはずだ。 私は、残りの3人に含まれている人間なので、こういうネタには目がない。 解説すれば、これは、百人一首の中にある権中納言敦忠の短歌 《逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり》を踏まえたツイートで、内容的には、タピオカを混入させたアイスミルクティーが流行していることへの驚きを詠んだものなのだが、キモは、アイスミルクティーの昭和的な略称(それもおそらく関東ローカルな)である「アイミティー」と、元歌の最初の5文字「逢ひみての」が呼応している部分だ。 「ん? それだけか?」「それがどうした?」と思うのが普通の人だと思う。 私も、アイミティーの裏に元歌が隠れていることに、しばらくの間、気づかなかった。 それだけに、「あ、これ、『逢ひ見ての』か」と気づいた時のうれしさは格別だった。 もちろん、うれしかったからといって、何がどうなるものでもない。 ジョークは不毛なものだ。 必死でジョークを追いかけている者は、結局空回りから逃れることができなくなる。 そんな人間になるべきではない。 安倍さんも、無理にジョークを言う必要はない。 われら日本人は、さいわいなことに、国際社会の人々から、ジョークを期待されていない。 とすれば、よほど気に入ったネタが思い浮かんでしまった時以外は、黙っているべきだ。 もし仮に、あのエレベーターのネタを思いついて原稿に書いたのが、スピーチライターではなくて、安倍さんご本人であったのだとしたら、どうかしっかりと休息をとってもらいたい』、「アイミティーの後の形に比ぶれば・・・」については、私もさっぱり理解できなかった97%の口だ。解説を読んでも、そこまでひねるものかと驚くだけだった。
・『疲れている人間は、つまらないジョークを言いがちになるし、それに不必要に怒りっぽくなる。 そうなってしまう前に、休養をとるべきだ。 最後に、蛇足を付け加えておく。 ジョークは、蛇の足みたいなもので、なしで済ませられるのなら、はじめからない方が良いに決まっているのだが、アタマの中に浮かんでしまったネタは吐き出しておかないと嘔吐感の元になるので、書いておく。読まなくてもかまわない。 20年近く前に、インドのバンガロールという街を訪れた折、彼の地で開かれた小規模な国際会議の席で、オーストラリアだったかニュージーランドだったかからやってきたジャーナリスト(記憶が曖昧で申し訳ない)から聞いた話だ。 私が、自分の英語のつたなさを詫びると、彼は、「英語が達者かどうかなんて、たいした問題じゃないぞ」という前置きの後にこんな話をしてくれた。 ろくに英語を解さなかったにもかかわらず、現地の人々にとても愛されていたという、ある日本人のエピソードだ。 その、さる日本企業の現地法人のトップであった氏が、2年ほどの滞在期間を終えて帰国することになり、パーティーが開かれた。 そのパーティーの最後に、彼は、英語でスピーチをした。 といっても、しゃべるのが不得手なので、原稿を読み上げる形で、粛々とスピーチは進んだ。 さて、経営者氏は、 「みなさんの心遣いと親切に対して、私とここにいる私の妻は、心からの感謝を申し上げます」と言ってスピーチをしめくくろうとした。 ただ、最後に、人々の顔を見回すために、原稿から目を離したことで、あるミスを犯した。 そのミスというのは、「つまり、あいつは、ミー・アンド・マイワイフが、フロム・ボトム・オブ・アワ・ハートからグラティテュードをエクスプレスすると言うべきところで、ボトム・オブ・マイ・ワイフと言ってしまったわけだよ」 ん? 私はしばらく意味がわからなかった。 「ボトムというのは、つまり、ヒップすなわちケツのことで、あいつは、われわれに、女房のケツの底からの感謝をささげてくれたわけだ」 という解説を聞いて私はようやく理解したのだが、そんなに爆発的には笑わなかった。 この話を佳話として伝えてくれたジャーナリスト氏も、大笑いしながら話していたわけでもない。 つまり彼が伝えたかったのは、人間の心と心のつながりは、小洒落た警句やジョークとは別の、もっと深い、われらすべての人類のボトムから発しているものなのだということだった。 今回の話は、うまく落ちていない。 とはいえ、テーマからして、話の最後を、2回転半ひねりみたいなあざとい着地ワザで落とそうとする態度自体がふさわしくないことを考えれば、これはこれで良い。 また来週』、「彼が伝えたかったのは、人間の心と心のつながりは、小洒落た警句やジョークとは別の、もっと深い、われらすべての人類のボトムから発しているものなのだということだった」、というのはひねり過ぎの印象を受けた。いずれにしろ、日本人にとってジョークは難しいということを、改めて痛感させられた。
タグ:人間の心と心のつながりは、小洒落た警句やジョークとは別の、もっと深い、われらすべての人類のボトムから発しているものなのだということだった 権中納言敦忠の短歌 《逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり》を踏まえたツイート 《アイミティーの後の形に比ぶれば昔はタピオカ入らざりけり #タピオカミルクティー》 ジョークにとりつかれた人間は、ジョークを通じてでないとうまく自分を表現することができない。 これは、けっこう疲れる設定でもある 円満な人物は、ジョークを必要としない 「21世紀的なクソ甘ったれたみんなの善意で世の中を素敵な場所にしましょうね式のバリアフリー社会の偽善性」を批評せしめようとするその「オモシロ」発見の視点自体が、そのまんまホモソーシャル的ないじめの構造に根ざしているということでもある 一見無邪気に見えるシモネタや、ふと口をついて出る自虐ジョークは、実のところ、ジョーク発信者がそのジョークの前提として踏まえている偏見構造や差別意識を、これ以上ないカタチでモデリングしている バリアフリーの考え方を理解していない」などと、意外な角度から首相の発言を攻撃 共産党の小池晃書記局長 ネガティブなイメージが強烈な迫真力をもって脳内に展開されるタイプの人間にとって、自分とは無縁な他人であっても、誰かが失敗や恥辱にまみれている場面を見せられることは、とてもつらい経験になる 「共感性羞恥」 排他共有制御の原則で運営されているジョーク共同体に、われら日本人は招待されていないわけなのである 典型的なジョークが笑いをもたらすためには、オーディエンスの間に、「そろそろいつものジョークが来るぞ」という期待感が醸成されている必要 国際社会では 「ニッポン人がジョークなんか言うはずがない」というコンセンサスが、牢固として共有されているからだ 日本人は不利な立場にある 日本人による国際ジョークの発信という難事業は、申すまでもないことだが、一朝一夕に達成できるミッションではない 日本人の民族的自尊心をかなり致命的な次元で傷つけた 会場に困惑をもたらしたのみで、ジョークとしては成功しなかった 安倍首相は、大阪城へのエレベーター設置を「大きなミス」という言葉で表現 G20サミット)の夕食会のあいさつ 「ジョークがスベることの意味」 小田嶋 隆 適度な冗長性は、コミュニケーションをする者の間に生じる様々な溝を埋める役割を果たすが、その前提として、“共に過ごす時間”が不可欠 「冗長性(redundancy)」を伴うコミュニケーションが減ったことが原因の1つではあるまいか コミュニケーション不全はいつでも、どこでも起こり、様々な問題の原因になる 冗長性と、ともに過ごす時間の欠落 男女差より個人差の方がはるかに顕著 数多くの心理社会学的研究の神髄は、「男女差がいかに社会的状況に左右され、いかにさまざまな要因の科学反応によって出現しているか」を明らかにした 「女性を差別あるいは区別」するための検証作業が進められた 「性淘汰」説がきっかけで男女差への関心が高まる 「男と女の違い」というより「個人差」 「男脳・女脳」と、あたかも性差があるように印象づけるのは言い過ぎ 「男脳」「女脳」の真偽 発せられた言葉が持つ意味は、その言葉を受けとった人に、ある種「勝手に」決められてしまうからだ コミュニケーションを「言葉のキャッチボール」と例えるように、その主導権は「伝え手」ではなく「受け手(キャッチ)」にある 「まぁ、そんなに怒らずにさ、笑い飛ばせばいいのに」というのが率直な見解 コミュニケーションは「受け手」次第という“不条理” 「パパのためのママ語翻訳コースター」というコンテンツを公式サイト上で発表したところ、“こぺ燃”してしまった 夫婦間の子育てコミュニケーションアプリ「こぺ」 江崎グリコ 上司と部下なら許される“解釈”が、女性と男性の間だと、場合によっては「NG」らしい “解釈会議” 「グリコ「こぺ」炎上で露呈するコミュ力“総低下社会”」 日経ビジネスオンライン 河合 薫 (河合 薫氏:グリコ「こぺ」炎上で露呈するコミュ力“総低下社会”、小田嶋 隆氏:ジョークがスベることの意味) コミュニケーション
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自動運転(その3)(対談 自動運転業界:(第1回)無人で走るクルマ 結局いつ実現するの?、(第2回)日本は 自動運転大国になれる、(第3回)自動運転は 社会をどう変える? 4つの予言) [イノベーション]

自動運転については、昨年4月18日に取上げた。久しぶりの今日は、(その3)(対談 自動運転業界:(第1回)無人で走るクルマ 結局いつ実現するの?、(第2回)日本は 自動運転大国になれる、(第3回)自動運転は 社会をどう変える? 4つの予言)である。

先ずは、5月14日付け日経ビジネスオンラインが掲載した早稲田大学ビジネススクール教授の入山 章栄氏ら4名による座談会「[議論]無人で走るクルマ、結局いつ実現するの?File 3 「自動運転業界」(第1回)」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/forum/19/00012/042500012/?P=1
・『現在の議論のテーマ  File3のテーマは自動運転です。今回は技術面などの現状について議論しました。結局、ドライバー不在での自動運転はいつ実現するのでしょうか? 自動運転のメリット・デメリットなどについて、ご意見をコメント欄に自由に書き込んでください。 「あの業界、今、どうなの?」「競争環境が厳しくなるけれど、今後は大丈夫なの?」――。就活中の大学生やビジネスパーソン、経営者にとって、未知の業界の内情は大きな関心事だ。そこで、日経ビジネスが動画・ウェブ・本誌の多面展開で立ち上げたのが「入山章栄・安田洋祐の業界未来図鑑」だ。 経営学者の入山章栄氏と経済学者の安田洋祐氏が、それぞれの業界の関係者や業界をよく知るゲストを招き、都合のいい話も都合の悪い話も、ざっくばらんに議論し尽くす。読者からのコメントも積極的に取り入れ、業界を深掘りしていく。 第3回シリーズ(File 3)で取り上げるのは自動運転業界。世界中で実証実験が進むなど産業界の話題の中心だが、実際のところ、今、自動運転技術はどこまで進歩しているのか。自動運転技術の進化で未来の社会はどう変わるのか。入山氏と安田氏がゲストとともに熱く語り合う』、興味深そうだ。
・『入山:「入山・安田の業界未来図鑑」、第3回シリーズを始めていきます。 この連載は、経済学者の安田さん、経営学者の僕が、各業界で働く第一線の方にお話を伺い、その業界の現状と未来について我々なりの考えを整理していこうというものです。若い方には就職活動とか転職の参考にしてほしいし、年配の方には幅広い知識を得てほしいという狙いがあります。「日経ビジネス電子版」とユーザー参加型メディアの「Raise」を活用し、テキストと動画のどちらも楽しんでいただきます。 前回までお届けした第2回シリーズでは、VR(仮想現実)業界を取り上げましたが……。 安田:そう、VRでしたね。コンサルティングにVRを活用しているドイツのコンサルティング会社、ローランド・ベルガーの東京オフィスにお邪魔して、実際に我々もVRを体験させてもらって、世界観を思いっきり広げてもらいました。そして今回、我々がどこに来ているかというと……。 入山:はい、実はDeNAの本社に伺っています。会議室で動画の撮影までさせてもらおうという…。「日経ビジネス」どうなんですかね、毎回、訪問する会社の会議室を借りちゃって(笑)。 安田:なんとなく社会科見学みたいな感じですね。DeNAというと、IT企業でモバイルゲームが強くて……というイメージが強いかもしれませんけど、今日は別の事業の話ですね。 入山:そうです。今日取り上げるのは自動運転業界。DeNAは今、モビリティー事業に力を入れていますからね。何かと話題の自動運転業界の未来を聞いていこうと思います。 ゲストをご紹介します。まずはDeNAの常務執行役員でオートモーティブ事業の本部長を務めている中島宏さん。もう1人は自動車業界・自動運転業界に非常に詳しいアーサー・ディ・リトル・ジャパンのパートナーである鈴木裕人さんです。では、お2人、お願いします。 中島・鈴木:よろしくお願いします。 入山:初めまして。どうぞおかけください。早速ですが中島さん、今、自動運転業界でDeNAはとても注目されています。まずはどんなプロジェクトを進めているのかを簡単に説明していただけますか。 中島:はい。先ほどご紹介いただいたように、DeNAは今、モビリティー事業に力を入れています。タクシー配車サービス「MOV(モブ)」、個人間のカーシェアリングサービス「Anyca(エニカ)」、自動運転バスで地域の足をつくる「ロボットシャトル」などのプロジェクトを手掛けています。日産自動車とは、無人運転車両を使った新しい交通サービス「Easy Ride」の共同開発を進めています。 自動運転とシェアリングエコノミーは、変革のキードライバーになると思っているので、DeNAは今この2つの分野に力を注いでいます。 安田:自動運転の技術そのものを開発するのではなく、その技術を活用したサービスを提供していこうという立場ですね』、DeNAが自動運転にも注力しているとは初めて知った。
・『自動運転とシェアリングは変革のキードライバー  中島:そうです。自動運転業界は分業化していて、ハードウエアとしてのクルマをつくる企業と、自動運転キットをつくる企業と、サービスプラットフォームをつくる我々のような企業とがあって……。 入山:ああ、クルマ、キット、プラットフォームと。3層になっているんですね。 中島:さらに、その上にタクシー事業者とかバス事業者とか、実際にお客様を乗せてサービスする旅客運送事業者がいるので4層のレイヤー構造ですね。サービスプラットフォームをつくる我々は、ほかのレイヤーを侵食するつもりは全くありません。 安田:僕、早速、鈴木さんにお聞きしたいことがあるんですが。自動運転と一口に言っていますけど、新聞記事なんかを見ると、よく「レベルいくつ」っていうのが出てきますよね。それがいったい、どの程度のことなのかがよくわからなくて。そこからぜひ説明を聞きたいです。 鈴木:自動運転は大きくレベルを5つに分けて考えています。「レベル1」は運転支援機能といわれているものです。今、標準装備になり始めている自動ブレーキなどですね。「レベル2」はその高度なもの。レーン・キープ・アシストとか、前車追従のクルーズコントロールみたいなものを含みます。「レベル1」「レベル2」に関しては、運転操作の責任はドライバーにあります。 「レベル3」は条件付き自動運転、「レベル4」は高度自動運転、「レベル5」は完全自動運転というもの。最終段階の「レベル5」はどこでもドライバーなしで自動走行できる状態をいいます。「レベ3」から「レベル5」はシステムが運転の責任をとります。運行事業者やクルマをつくったメーカーにもかかわってきます。 安田:最近、高齢ドライバーが起こす事故がたびたびニュースになっています。自動運転が機能して、ブレーキとアクセルを踏み間違えるというような事故を完全に抑えられれば、高齢の方でも安全に運転できるはずですよね。それを可能にするには、どれぐらいのレベルが必要でしょうか。「レベル3」ぐらいでもいいのか、「レベル4」とか「レベル5」が必要なのか。 鈴木:標準装備されるようになれば、「レベル1」「レベル2」でもそれなりの効果はあると思います』、「自動運転業界」は4層のレイヤー構造ということはずいぶん広がりがありそうだ。
・『「レベル3」は自家用車、「レベル4」は商用車に向く  入山:我々は、自動運転という言葉を聞くと、すぐに「クルマが街中を自由自在に走る」というイメージを思い浮かべてしまいますが、それは「レベル5」の話であって、その前段階もあるということですね。 鈴木:そうです。「レベル3」「レベル4」も限定された条件の下では自動運転を実現できますが。 入山:「レベル3」と「レベル4」の違いはどう理解すればいいですか。 鈴木:「レベル3」まではドライバーが必要ですが、「レベル4」からは不要となります。「レベル3」は非常事態があった時には人間に責任を返すことが前提になっていて…。 入山:責任を人間に返す? 中島:たとえば、ドライバーが運転中に「ちょっと本を読みたいな」と思って自動運転ボタンを押したとします。なんらかの事態が起きてクルマのシステムだけでは処理しきれない時、「ピピピピッ」と音が鳴って、「人間のドライバーさん、ちょっと交代してください」と訴えてくる。「しょうがないな」と人間が運転を代わる。そんな感じです。「レベル3」は主に自家用車向けのものと私は理解しています。 「レベル4」は、「雪が降った時はムリ」とか、「暗い中では走れない」といった条件がある。これは「レベル3」と違って自家用車向きではないですね。それまでドライバーなしで自動走行していたのに、雪が降った途端に自動運転ができなくなるというのでは困りますから。でも商用車だったら、雪が降って運行できなくなった場合には人間が運転するタクシーがフォローすればいいわけです。 入山:なるほど。レベル感がよくわかりました。となると、知りたいのは自動運転業界が現在、どのレベルまで来ているのかっていうことです。 安田:読者の方からも質問が届いていますね。中小企業技術職人さんから、「単純に、現在どこまで進んでいるのか」という質問です。 鈴木:今、すでに「レベル2」までは市販されています。量産車で既に実現していますね。たとえばスバルの運転支援システム「アイサイト」は初期段階では「レベル1」でしたが、車線逸脱抑制、誤発進抑制、前車追従などの機能を盛り込んだ今は「レベル2」までいきつつあります。2018年、アウディは旗艦モデルの「A8」のモデルチェンジに合わせて、「レベル3」の自動運転機能を開発しました。ただ、法整備が追いついていないので、まだ実車への搭載はできていません。この辺になると法律的な壁も出てきます。 安田:さきほどの中小企業技術職人さん、「『レベル4』『レベル5』の実現はいつ頃になるのか知りたい」とも書き込んでいますが……。 鈴木:「レベル4」については、「来年出す」と言っている自動車メーカーもあります。2023年くらいまでには出さないと、ちょっと技術力を疑われてしまうだろうという感じになっていますね。 入山:もうそんなに進んでいるんですか。2023年というとあと4年? 4年後に出さないと、「あの会社、大丈夫か」っていう話になっちゃうと……。中島さんもそんなイメージですか。 中島:これまでは自動車メーカーや自動運転キットをつくるメーカーが「いつまでにこういうレベルのものを出します」と公表することってあまりなかったんです。ところが、このごろ、「2020年には出します」という具合に正式に発信し始める企業が出てきた。トップランナーの企業は2020年代の前半には出すと言い始めています。ひっくるめて考えると、「2023年までに出さないと遅い」というのはおっしゃる通りだと思います。 入山:これに関して、「日経ビジネス電子版」には詳しい読者の方から質問がきているので紹介します。ホッチーさん、サラリーマンの方です。「カリフォルニア州が提出を義務付けているデータから見ると、正直自動車メーカーのレベルはまだまだ。本気で『レベル3』が実現できると考えているのでしょうか」というものです。鈴木さん、いかがでしょうか』、「レベル4」については、「2023年までに出さないと遅い」というのは、予想以上に早く進んでいるようだ。ただ、「レベル3」では、「クルマのシステムだけでは処理しきれない時、「ピピピピッ」と音が鳴って、「人間のドライバーさん、ちょっと交代してください」と訴えてくる」とはいっても、それまでボンヤリしていたのに、急に運転せよと言われても、戸惑うドライバーも多いのではなかろうか。
・『2023年までに完全自動運転車が出てくる  中島:読者の方が指摘しているのは、カリフォルニア州車両管理局が自動運転技術を開発中の企業に対して提出を求めた、走行テストの実施状況などに関するデータのことですね。その中ではテスト中、自動運転モードを解除し、人間のドライバーが運転する「ディスエンゲージメント」の頻度も記録されています。つまり、自動運転でどれだけ走行できるかを測っている。それによると、トップはグーグル系のウェイモ。続いてゼネラル・モーターズ(GM)傘下のGMクルーズでした。 入山:確かにホッチーさんは、「日産ですらウェイモの2%、GMクルーズの4%しか解除なしで走れない。BMWやトヨタ、ホンダ、メルセデスにいたってはその日産の1/46~1/140、鳴り物入りで参画したアップルは2kmも走れない惨たんたる状況」と指摘しています。 鈴木:ただ、これはあくまでカリフォルニアでやったテストのデータ。自動車メーカーはグローバルでテストをしているので、すべてを含めた数字にすれば、それほど差はないだろうというのが我々の認識です。 入山:つまり、カリフォルニアのデータは何かの理由で際立って悪い結果が出ていると。 鈴木:そうですね。カリフォルニア州は自動運転の実証実験をしやすい環境を整備しているので、いろいろな会社がそこで実験を行っています。特にグーグルの本社はカリフォルニアですから、そこで集中的にテストしています。 安田:ウェイモもGMクルーズもアメリカに本社がある。カリフォルニアで積極的に実証実験を行っているのはアメリカの企業が多いと。 鈴木:カリフォルニアであまり良い数字が出ていないからといって、世界のトヨタや日産が自動運転開発競争で後じんを拝しているのかというと、そういうわけではありません。自動車メーカーの間での競争があるので、競合他社に今の自社の技術レベルを知られるわけにはいかないという面もあります。 入山:隠して出していないだけで、実は相当進んでいるはずだということですね。 中島:かなり進んでいると思っています。実証実験はしやすいけれど、カリフォルニアでやったらデータを開示しなくてはならない。敵に状況を知られたくないと考える会社はカリフォルニアでは走らない。カリフォルニア州が開示したデータでは、「あまり走れていないけれど大丈夫ですか」と見えちゃうということです。 入山:ホッチーさん、実は裏ではちゃんと進んでいますということのようです』、「ウェイモ」や「GMクルーズ」に比べ、日本メーカーは遅れているのではと心配していたが、「実は裏ではちゃんと進んでいます」というので安心した。
・『移動のサービス化は力強いトレンド  安田:自動車業界では今、「MaaS」というコンセプトが提唱されていますね。「モビリティー・アズ・ア・サービス(Mobility as a Service)」の略ですが、鈴木さんか中島さん、このキーワードについても解説をしていただけますか。 中島:細かくいうと、「MaaS」には今、3つの意味があります。第1はクルマを含むモビリティーをサービス化すること。DeNAさんが手掛けているようなカーシェアリング、配車アプリなどが代表的なものですね。 入山:それ、我々が漠然と考えていた「MaaS」です。 中島:第2に、複数の交通サービスを組み合わせる「マルチモーダル」という意味でも使われています。たとえば、電車とカーシェアリング、バス、タクシーなど複数の交通手段を組み合わせて、快適なユーザーエクスペリエンスを提供しようということです。日本には「乗換案内」というアプリがありますが、さらに進んで、そのまま予約や決済まで統合しようという動きが出ています。 安田:今、スマートフォンで「Google マップ」を立ち上げて目的地を設定すると、複数の交通手段を使った経路がいくつか出てきますね。将来はそのまま予約ができたり、お金を払ったりもできると。 中島:おっしゃる通りです。「Google マップ」は第1段階。ヨーロッパで最近出てきたのは、そこで予約をして決済までできるという第2段階のものです。さらに、サブスクリプションの形で、月額固定で乗り放題のサービスなども出てきています。最近はこちらの意味で「MaaS」という言葉を使うことが一般的になってきていますね。 第3は「ビヨンドMaaS」ともいわれ始めていますが、交通と生活サービスとか、交通と不動産などを統合していくというもの。1960年代のモータリゼーションみたいな動きです。 この3つの意味で分けて考えると、第1のサービス化としての「MaaS」は当然、これから起きてくると考えられています。力強いトレンドになっています。一方、第2の複数の交通手段を統合する意味での「MaaS」はちょっと怪しい。ものすごく注目され、もてはやされたヨーロッパの「MaaS」のスタートアップもユーザーが定着しなかったり、事業者があまり乗ってこなかったりとうまくいっていません。「1つのアプリで全部できる」ことにそんなに価値はないんじゃないかといわれ始めているというのが業界の最新の状況ですね。第3の「ビヨンドMaaS」といわれるものについては、可能性は十分あるんじゃないかとみられています。 入山:今、鈴木さんに説明していただいた「MaaS」の3つの定義でいうと、DeNAはどこに注目しているのでしょうか。 中島:第1のサービス化、「モノからコト」については、まさに今、取り組んでいる最中です。積極的に投資をしています。第2の複数の交通手段の統合は鉄道会社などがやりたいという意向をお持ちなので、我々は「協力します」という立場です。主体的にはやっていません。第3の「ビヨンドMaaS」にはものすごく興味があって、調査や研究開発をどんどん進めているというところです。 安田:最先端のところに切り込んでいるわけですね。 鈴木:アジアでは、グラブやゴジェックが配車サービスを手掛けていますが、彼らはまさにモビリティーを中心に買い物や宅配など周辺の生活サービスを統合する方向で今、ものすごく成長しています。先進国ではなく新興国からそういう最先端のものが出てきているというのが、この領域の面白いところだと思います。 中島:「イノベーションのスキップ」ですよね。たとえば、スマートフォン決済って中国で真っ先に浸透しました。クレジットカードがあまり普及しなかったためにイノベーションが起きた。 入山:アメリカはいまだにクレジットカードが主流ですもんね』、確かに、この分野でも「イノベーションのスキップ」が起こりつつあるというのは、興味深い。
・『新興国でモビリティーの「カエル跳び」起きるか  中島:新興国はこれからマイカーが大衆層に普及していこうというタイミングです。そこに「MaaS」が浸透すると、マイカーを買う文化が醸成される前に、サービスとしてモビリティーを使うようになるかもしれない。 安田:「モノ」をスキップして、いきなり「コト」から入っていくっていうことですね。 入山:経営学ではそれを「リープフロッギング」というんですけれど。カエル跳びですね。新興国の方が既存のものがないから跳び上がって我々の先に行く。それが自動車の世界でもあると。 中島:そういうことが起きる可能性があると思います。 入山:なるほど。自動運転業界の現状が見えてきました。ありがとうございます。この後は、この業界の課題についてお話を伺いたいと思います』、続きが楽しみだ。

次に、この続き、5月28日付け日経ビジネスオンライン「[議論]日本は、自動運転大国になれる?File3 「自動運転業界」(第2回)」を紹介しよう。
・・・・今回の議題は「自動運転業界の課題」。ドライバーなしのクルマが街中を走るとなれば、技術の成熟が不可欠な上に、制度や法律などの仕組み整備も必要となる。果たしてその準備は進んでいるのか……。世界中で過熱する「自動運転化競争」で日本はどんなポジションにあるのか。議論からは日本の“意外な強さ”が浮き彫りになった。 安田:このシリーズでは自動運転業界について、ゲストのお2人と議論を進めています。今回は自動運転業界の課題について、お聞きしていこうと思います。 前回、自動運転業界の現状についてお話しいただき、業界で注目されるキーコンセプトの「MaaS(モビリティー・アズ・ア・サービス)」についても説明をしていただきました。モビリティーの領域で「モノからコト」へのサービス化が進むならば、法律やシステムなどの環境整備は欠かせませんね。 入山:そうなんですよ。だって2023年までには、無人の自動運転車が出てくるだろう、それが実現できない会社は「遅れている」と思われるだろうっていう話ですから。正直、「すげえな」と思いましたけれど。一方で僕は、自動運転車がきちんと走るための制度や仕組みはまだ整っていないんじゃないかという気がして、そんな中で出てきちゃって大丈夫なのかとも感じます。 安田:「日経ビジネス電子版」の読者の方からもその辺の質問をいただいています。機械系設計者の方で「延長被雇用のおじさん」から。「今までは道路環境などの外因があっても、全てをドライバーの責任として済ませてきた。自動運転でも責任の所在問題が残る」とあります。運転操作が人間から機械に変われば、全体として安全性は高まるのでしょうけれど、万一の事故が起きた時に誰が責任を取るのか。根本的な問題がありますね。 入山:よく出る話ですね。自動運転の判断に誰が責任を取るのかと。 中島:これはもし間違っていたらぜひ補足していただきたいのですが……。よく日本は自動運転の法改正が遅れているという指摘があります。 入山:僕、自動運転業界の素人ですけれど、完全にそういうイメージを持ってます。 中島:実は日本って結構進んでいると私は思っているんです。2015年ごろは確かに遅れていた。けれど2016年、2017年と、「世界に後れをとってはならない。2020年までに完全自動運転車が走れるよう、法改正を終えなくては」と政府がリーダーシップを発揮してきた。 入山:そうなんですか。2020年というともう来年ですが……。 中島:民間事業者を困らせるわけにはいかない、必要な法改正をやろうと、関連省庁に横ぐしを刺して徹底的に法改正の準備をしているところだと認識しています。 入山:鈴木さんも同じ意見ですか。 鈴木:はい。そういう意味でも、自動運転はDeNAのような事業者がクルマを使ってサービスするところから普及するだろうと思います。たとえば、今、タクシードライバーが事故を起こしたら、タクシー会社が責任を取りますよね。それが自動運転車になるだけですから。タクシー会社のビジネス構造からすると変わらない。 自家用車の場合はどうかというと、今は事故を起こせばほとんどがドライバーの責任です。それが、自動運転ではクルマのメーカーが責任を持つというようなことになったら自動車会社も困ってしまう』、自動運転の事故ではタクシー会社の方がビジネス構造上、馴染み易いというのは、言われてみればその通りだ。
・『完全自動運転化は商用車から始まる  入山:そうか。自動車を自家用車と商用車に分けて考えると、タクシーやバスなどの商用車の方が、根本的なビジネス構造を変えずに自動運転を活用しやすいんですね。 中島:おっしゃる通りです。なので自家用車の自動運転化は商用車の後だといわれています。商用車から先に完全自動運転化が始まる。「レベル4」の商用車から普及が進むとみられています。 安田:責任の所在に関して、別の読者の方からも質問をいただいています。NKさんから、「自動運転のカテゴリーで、一部車両側で運転責任を負う『レベル3』は本当に必要なのか」という内容です。「レベル4」「レベル5」ならばドライバーはいないので、ドライバーの責任なのか、技術・機械の責任なのかという問題はなくなります。「レベル3」をスキップして一気に「レベル4」「レベル5」を目指してもいいのではないかというご意見です。 専門のお2人のご意見はどうでしょう。せっかくなので、お手元にある○×棒を出して回答していただきましょう。今後、自動運転が普及していく上で、「レベル3」をスキップしてもいいと思う場合は「○」を、いやいや、やっぱり段階を追うべきだと思う場合は「×」を出してください。 入山:ええと、これ僕も挙げるんですか。 安田:ええ、ぜひ。 入山:何も分かってないのに。 安田:はい。僕は司会進行に徹するので、挙げませんけれど。 入山:ずるいな(笑)。 安田:準備はいいですか。では一斉に……はい、どうぞ。ほう、なるほど。これは素晴らしいですね。専門家のお2人は「×」。つまり、「レベル3」をスキップすべきではないと。入山さんは「○」で、スキップしていい。 入山:今までのお話を聞いていると、本当にこの「レベル3」、難しい気がするんですよ。倫理的な部分とか、法律的な部分とか……。 安田:「レベル3」さえなければ法的な問題は発生せず、スムーズにいきそうな感じは確かにしますね。 入山:ここが一番面倒くさい。つまり自動運転に任せて、自分は本を読んでいる。けれどそのクルマが事故を起こして、たとえば歩行者をひいてしまったら、それってクルマのせいなのか、本を読んでいたドライバーのせいなのか。結構難しい問題だなと今までの話を聞いていて思ったんですよね。 グレーゾーンが多くなりそうなのが「レベル3」。飛ばしちゃった方がいいんじゃないのと思ったんですけれど。ぜひ教えてください。「×」の理由を』、私も「飛ばしちゃった方がいいんじゃないのと思った」口だが、プロの2人は必要と考えているようだ。
・『「『レベル3』が必要な理由、教えてください」  安田:じゃあ、鈴木さんからお願いします。 鈴木:「レベル3」とか「レベル4」って、極端なことを言うと自動車メーカーのスタンス次第なんです。たとえばトヨタ自動車は慎重だから、「レベル3」ができたとしても、「今できるのは『レベル2』まで」と言うでしょう。 トヨタのように慎重な姿勢だと「レベル4」までできるようにならないと、「『レベル3』ができる」とは言わない。一方で、イメージ戦略として「『レベル3』をやります」と発表するメーカーもあるかもしれない。あいまいな責任問題が存在することを含めて、「レベル3」をやると言うか言わないかの問題になる。ブランドをどう位置づけるかにもかかわるので、一概に「レベル3はスキップした方がいい」といえる問題でもないと思います。 入山:中島さんはどうですか。 中島:私はちょっとアプローチが違うのですが。「レベル1」「レベル2」と来たら、その先は「レベル3」と「レベル4」がパラレルで進むと思っているんです。 入山:なるほど。それは自家用車と商用車の違いということですか。 中島:そうです。自動運転キットを開発する会社の技術者の方とかOEMメーカーの技術者の方々と話していると、「『レベル3』と『レベル4』は別物です」と言うんですね。「レベル3」ができないと「レベル4」ができないわけではない。ただ技術はかなり相互連関があって、どちらかが発展するともう片方にもいい影響がある。「両方パラレルで進むべきです」という話なんです。 「レベル2」の延長線上にあるのは「レベル3」です。なので、「レベル3」がじわじわっと始まるかもしれない。そこである日突然、全く違う文脈で「レベル4」がポンと出てくるという感じになるのではないでしょうか。確かに、実は技術的にも難しいのは「レベル3」みたいですね。人というあいまいなものを検知しながらになるので』、「人というあいまいなものを検知しながらになるので」、「技術的にも難しいのは「レベル3」」、というのはその通りなのかも知れない。
・『##3→4は、「レベルアップ」ではない  入山:そうか。「レベル4」は完全に機械だからむしろシンプルでやりやすい。 中島:はい。ただ「レベル4」を実現するための基礎技術は「レベル1」「レベル2」「レベル3」にも活用されるので、1~3も積極的にやっていきましょうというところですね。 入山:「レベル」という言葉を使っちゃっているから、どうしても段階を経ていくイメージがあるけど、そうじゃないんですね。 安田:ロールプレイングゲームみたいに、技術力が上がって1つずつレベルアップしていくっていうのではない。「レベル3」と「レベル4」は分岐する。 中島:はい、技術とか法整備という観点でいうと、「レベル3」と「レベル4」は別物で、横に並べた方が分かりやすいと思います。 入山:日本は他の国に比べて法整備も進んできているというお話でしたけど、これから「レベル3」や「レベル4」にも対応するような法律ができてくるんですか。 中島:そう思っています。「レベル4」の方が法整備的にはジャンプがありますけれど。 入山:ジャンプがあるというのは?』、「技術とか法整備という観点でいうと、「レベル3」と「レベル4」は別物で、横に並べた方が分かりやすい」、言われてみれば、納得できる。
・『ドライバーのいないクルマ、法律はどうとらえるか  中島:これまで運転席がないクルマっていう概念が、日本の法律の中にはなかったので。 入山:そうか。「レベル4」からはドライバーがいない。つまり運転席がないわけですからね。 中島:数十年間、「ドライバーがいる」という大原則の下で法律がつくられてきましたが、その根本のところが変わっちゃう。法改正議論としては複雑な話です。 安田:今、ふっと思いついたんですけれど。経済学者の岩井克人さんが研究していることですが、法人って偉大な発明で。株式会社の場合は所有される客体としての性質を持つ一方、法人格として所有することもできる存在です。 運転の場合も同じようにできるかもしれない。従来だったら人が運転手をやらなきゃいけないけれど、運転する主体として認め得るものを法的に整えれば、一義的にその主体が責任を負うという形にできるかもしれない。 入山:いやー、安田さんが初めて経済学者らしいことを言ったな(笑)。 中島:おっしゃる通り、そういうアプローチで法改正をしようという方もいます。または今の法律の延長線上で解釈を変えるというアプローチでやろうという方もいる。全く別物なので新しい法律をつくりましょうという方もいます。 入山:そこはまだ分からないんですね。法改正で行くのか新法をつくるのか。 中島:国際的な議論では、今おっしゃったような運転手の概念を拡張する方向での検討が主軸だと言われていますね。たとえば、AI(人工知能)が担うとか、サービサーが担うというような形で。 安田:ほかにも読者の方からのご意見、ご質問としてたくさんいただいているのがルール整備についてです。自動運転の安全性や交通の効率性を追求するならば、人間の運転を禁止した方がいいのではないかとか、人間のドライバーが運転できるレーンを制限した方がいいんじゃないかといった内容です。どう考えますか』、「「レベル4」からはドライバーがいない」ことを前提とした法整備は、確かに一筋縄ではいかないようだ。
・『クルマが出た時も「馬車は使用禁止」とはならなかった  中島:私はわりと現実的な路線を考えています。かつて馬車があった時代にクルマが発明されましたが、じゃあ、「クルマの方が便利だから馬車は使用禁止」となったかといえばなっていない。しばらくの間は馬車とクルマが併存していたわけです。クルマの方が便利なので馬車は自然となくなっていきましたが。 今の時代も、自動運転という便利なものが出てきたからといって、人間が運転するクルマをなくそうなんていう強引なことは絶対に起きないでしょう。専用レーンっていうのも、日本の道路を考えたらできるわけがない。混在環境になると思います。そして、じわじわと自動運転の比率が高まっていくというのが現実的な路線だと思います。 安田:今のお話から考えると、混在している環境できちんと自動運転ができるならば、そこで生まれた日本のサービスやシステムは世界のどこに出しても使えるということですね。難しい環境で成功したものだから輸出もしやすい。 中島:そう思います。ただ、意外と交通サービスって地域特性が出るんです。たとえば、インターネットではグーグルの検索エンジンが世界を席巻しましたけど、ひとつの配車サービスだけが世界を席巻してはいない。世界各地でウーバー、グラブ、オラ、ディディなど様々な企業が活躍しています。自動運転のサービスやシステムもローカルの特性が出るはずです。 安田:今、「ローカル」というキーワードが出てきましたけど、ローカルといえば、この『フラグメント化する世界』という本の中で、鈴木さんはGAFAに代表されるグローバルプラットフォーマーが独占的地位を得ていた時代から転換し、これからはローカライゼーション、カスタマイゼーションが起きてくるということを指摘していますね。このフラグメント化の文脈で見ると、自動運転はどういう形になるのでしょう。 鈴木:町の構造や人口密度は本当に様々です。一口に自動運転と言っても、状況によって必要な技術も全く変わります。それぞれの町に最適な自動運転の形が出てくると思います。低速の自動運転車が走る町が出てくるかもしれないし、高速道路の専用レーンに自動運転車が走る町が出てくるかもしれない。 中島:そういう点からも、自動運転車を活用した「ロボットタクシー」のサービスは、どこかの都市で早めに磨き込みを掛けないと国際競争に勝てないと思っています。ロボットタクシーって新幹線のアナロジーに似ていると思うので。 入山:どういうことですか』、「それぞれの町に最適な自動運転の形が出てくる」というのは面白い指摘だ。
・『日本は“自動運転大国”になるポテンシャルが高い  中島:新幹線って、車両自体は重工メーカーがつくっていますね。電線整備などインフラを構築するのは電力会社。世界最高の1分の狂いもない車両マネジメントシステムは日立製作所がつくっている。オペレーションを含めてそれらをラッピングしているのがJR。水平分業で、いろいろな領域を担う人たちが1つの社会交通システムである新幹線というものを共同でつくり上げています。 自動運転もそれに近くて、OEMメーカー、キットメーカー、サービサー、旅客運送事業者が一緒になってロボットタクシーというパッケージをつくっている。新幹線は今、国際展開していて、中国やフランスと競合しています。 自動運転時代のロボットタクシーも同じような競争が都市ごとに起こっていくだろうと。今、いろんな企業が世界各地で開発を進めていますが、たぶんどこかの都市で先に磨きを掛けたところがそれを輸出するでしょう。 鈴木:実は公共交通にこんなに民間企業がかかわっている国って日本以外にはあんまりないんです。ヨーロッパではほとんど都市の交通局みたいなところが取り仕切っているので。日本には私鉄もあるし、大きなタクシー会社もある。民間ベースでそういう企業が成り立っているというところは日本の強みになり得ると思います。 中島:それにトヨタ自動車、日産自動車、ホンダとグローバルでもトップクラスのOEMメーカーがこの狭い国土の中に集中しています。周辺技術を持った会社もたくさんある。さらに政府も強力に推進しようとしている。意外と日本はいろんな条件がそろっています。 入山:実は日本って自動運転大国、自動運転先進国になるポテンシャルがめちゃめちゃ高いんですね。 中島:チャンスは大きいと思います。 安田:国内競争が激烈な業界で勝ち残ると海外でも十分に競争力を持つことができる。これはどんな分野でもそうですからね。 入山:DeNAはそういう中で新しいプレーヤーとして入って、ゆくゆくはグローバル展開も考えているということですね。 中島:そうですね。水平分業の1レイヤーを担いたいです。ラッピングするのは我々じゃなくてもいい。でも、「ラッピングします」という企業が現れないのであれば我々がやりましょう、と思っているところです。 安田:世界展開できたら、「トヨタのクルマに乗ろう」「日産のクルマに乗ろう」ではなく、「DeNAを使おう」となるわけですね。 入山:現に今、新幹線はどの重工メーカーがつくった車両かは気にせず、JRのサービスとして利用していますからね。同じことが自動運転の世界でも起きるようになると。 安田:ちょうど今後の話が出ましたので、第2回はここで終わりにして、次に未来の話をお聞きしていきましょう』、「日本って自動運転大国、自動運転先進国になるポテンシャルがめちゃめちゃ高い」、というのは嬉しくなるような話だ。続きも興味深そうだ。

第三に、この続きを、6月11日付け日経ビジネスオンライン「[議論]自動運転は、社会をどう変える? 4つの予言 File3 「自動運転業界」(第3回)」を紹介しよう。
・『・・・3回目の議題は「自動運転が社会を変える」。自動運転やMaaS(モビリティー・アズ・ア・サービス)の進行で新しいサービスが次々に登場する中、社会はどう変わっていくのか。ホテルはつぶれ、住宅革命が起きるのか……。 議論の中で飛び出した斬新な予想から、クルマを起点に様変わりする未来が垣間見えた。 入山:引き続き、自動運転業界について、ゲストのお2人にお話をお聞きしていきます。今回は自動運転の未来を伺いたいと思います。ここまでの議論をおさらいすると、自動運転には「レベル1」~「レベル5」まであり、既に「レベル2」までは実現している。 これから「レベル3」~「レベル5」が出てくるけれども、主にタクシーやバスなどの商用車については、ドライバーなしで勝手に走り回るという状況が2023年ぐらいまでには部分的にでも起きるだろうと。 安田:あと4年ですね。2025年には私の勤める大阪大学の地元で万博も開かれますが、その頃には結構自動運転車が浸透しているってことです。 入山:そこでお聞きしたいのは、その後の2025年から2030年ぐらいまでの間に、自動運転によって我々の社会には何が起きるかということです。お2人には、既にホワイトボードに予想する未来を書いていただきました。実は僕も書きました。順番に説明していきましょう。 まず僕からいっていいですか。僕が予想する未来はこれです。ジャン。(スケッチブックを見せる) 安田:えーと、入山さん。「ホテルがつぶれる」と……』、確かに「自動運転によって我々の社会」には大きな変化が起きそうだ。
・『自動運転車がホテルを駆逐する?  入山:ええ。「レベル4」なんかが出てくると、間違いなくこれが起きると思ってます。ある駐車場会社の調査結果によると、駐車場にクルマを止めてドライバーがしていることのトップ5に、昼寝とか仕事が入っています。クルマって閉ざされた空間なので、自分のしたいことが自由にできる。つまり、究極のプライベート空間なんですよ。 自分で運転しなくてはいけない今は駐車場に止める必要がありますが、完全自動運転が実現すれば、勝手に運転してくれるから、移動しながら好きなことができる。完全自動化したクルマなら、ホテル代わりにも使えます。ほら、大阪大の先生である安田さんは、住んでいる大阪から出張で全国各地に移動することも多いでしょう? 自動運転のクルマがあれば、移動しながら宿泊もできますよ。夜の11時ぐらいにクルマに乗って後はガーッと寝ていればいい。朝起きたら、出張先に着いています。ビジネスホテルは自動運転に取って代わられる可能性があると僕は思っています』、私は若い頃はクルマで寝たこともあるが、疲れが取れず、コリゴリだ。
・『移動と宿泊のセットには価値がある  安田:なるほど。僕、ときどき船の旅に行くんですけれど、それに近い世界観ですね。船の旅って全部船の中でサービスが完結するので、子供連れには楽でいいんです。それと同じようなことが、クルマの世界でもっと広範に、低価格で起きるということですね。 中島:すごく鋭い指摘だと思います。現に鉄道では豪華な宿泊設備が付いた列車がブームになっています。寝台列車の「ななつ星in九州」とか。 安田:ああ、「ななつ星」は大変な人気ですよね。 中島:移動と宿泊のセットに価値があるということの実証であって、同じことはクルマでも起き得ると思います。ただ、クルマの場合も、あるのは高級路線かなと。 大衆路線のビジネスホテルの代替というのはなかなか難しいと思います。みんなが移動するクルマの中で寝始めたら、夜中の道路が渋滞しちゃいますから。都市空間を効率よく使うためには、大きなビルの中でたくさんの人に寝てもらった方がいい。貴重な道路を使いながら宿泊する場合には、たくさんのお金を払える人を対象にした高級路線にする方がいいのではないでしょうか。 入山:なるほど。北海道一周を自動運転でやっちゃうというようなことですね。 中島:そうです。そんな旅行が今後はどんどん出てくると思います。 安田:ホテルの場合は一度つくったら、そこでしか楽しめないけれど、クルマなら、ベストビューのところまで移動していけますしね。電車と違って線路の制限もない。 中島:朝日が美しい場所まで行って起こしてくれるとか、いろいろなサービスが可能となります』、「貴重な道路を使いながら宿泊する場合には、たくさんのお金を払える人を対象にした高級路線にする方がいい」、というのはその通りだろう。
・『入山:なるほど。じゃあ、次は安田君、いってみようか。 安田:僕はこれです。 入山:カプコン……? 安田:ええと、ゲーム会社の話ではなくて、「カプセルコンテナ」の略。未来には移動手段とは別に「マイカプセル」みたいなものをおのおのが持つようになるだろうという予想です。移動したい時には、コンテナのように移動手段にカプコンごとポコッと乗る。 イメージ的には「ドラゴンボール」の宇宙船。プライベートなスペースとしての「マイカプセル」は変わらないけれど、乗っかるクルマは場面によって変わるというものです。1人で乗る場合もあるし、複数人で乗る場合もある。クルマに限定されないモビリティーですね。 鈴木:トヨタ自動車が提案している「イーパレット」は、このコンセプトに近いですよね。移動、物流、物販と幅広い用途を想定し、パレットのように姿を変えるというものです。 安田:そうですか! じゃあ、僕は独自にトヨタと同じところにたどり着いたんだ(笑)』、「プライベートなスペースとしての「マイカプセル」は変わらないけれど、乗っかるクルマは場面によって変わる」、というのは面白い夢物語ではある。
・『「トヨタの方、いつでもプレゼンします」  入山:自己評価高過ぎないですか(笑)。 中島:トヨタよりも先を行っている感じはします! 入山:おお、トヨタの先を行っているのか! 中島:クルマと一体化していないのがポイントですよね。移動主体と分離できるということは、都市空間を効率的に使えます。 安田:個人的には「マイカプセル」にするのがポイントだと思っているんです。シェアリングサービスが進んだときに、ほかの人が使ったスペースに入るのを嫌がる人もいるでしょうから。トヨタさんの関係者の方、見ていらっしゃいますか。いつでもプレゼンしに行きますよ(笑)。 入山:我々の露払いはこの辺にしておいて、お2人に自動運転の未来をお伺いしましょう。では鈴木さんから。 鈴木:若干、現実的過ぎるかもしれないんですけれど……。 入山:我々はかなりいいかげんなので、そういうのがかえってありがたいです(笑)。 鈴木:「地方のタクシーからロボタクシー」と書きました。2025年になると団塊の世代が75歳を過ぎて後期高齢者になってきます。運転免許を返納する人が増える。一方で実はタクシーのドライバーが減っていくんですよね』、なるほど。
・『自動運転は地方のタクシー事業者を救う  入山:そうですよね。特に地方でね。 鈴木:今はタクシー業界が反対して、自動運転化が進まないという面もあるんですが、これからの時代には自動運転を入れていかないとサービスを維持できなくなる。切実な問題です。 入山:実際、地方へ行くと、年配のタクシードライバーが多いですよね。 鈴木:そうなんです。先日もある地方都市へ行ったら、いつもはすぐ来たタクシーが全然来ない。話を聞くと、3月で数人退職者が出たそうなんです。そうしたら、もうタクシーが全然つかまらないっていう状況で』、「自動運転は地方のタクシー事業者を救う」というのはその通りなのかも知れない。
・『「移動弱者」をどうするか  中島:地方では行きたいところに行けない「移動弱者」が出てしまうという課題が深刻ですね。一方、事業者の方の悩みも深くて、「乗務員を募集しても全然集まりません」とか、「利益が出ません」という声をよく聞きます。公共交通サービスなので簡単にやめるわけにもいきません。ロボタクシーのようなものが地方から進んでいくというのは確かにあるでしょうね。 安田:ただ気になるのは、自動運転車の価格です。自動運転車自体がものすごく高額だったら、多少人件費がかさんでも、人でまかなった方がいいっていうことになります。将来出る製品の価格を予測するのって難しいとは思うんですが、その辺りはどうなのでしょうか』、確かに問題だ。
・『ロボタクシー、車両価格10倍でも利益が出る  鈴木:我々の試算では、本当にドライバーレスにできるなら、車両価格が今の10倍になったとしても、利益が出ます。 入山:そうなんですか。 鈴木:はい。それぐらいやはり人件費って高いんですね。高いだけでなく、そもそも人がいないという問題が深刻なのですが。 中島:タクシー業界のコスト分析をしてみると、人件費はコスト全体の7割を占めています。車両は数%です。 安田:数%か……。それだったら10倍になっても大したことないですね。 中島:自家用車だと1000万円、2000万円となったら、いくら完全自動運転だといってもなかなか買える方はいませんけれどね。商用車であれば車両価格は誤差の範囲です。 入山:なるほど。そういう意味でも、やはり自家用車よりも先に商用車で自動運転は進む可能性が高いですね。我々、自動運転というとやはりテスラのイメージが強くて、「高級車で乗り回すのがステータス」っていう感覚が残っているんですけれど、実態はずいぶん違うということですね。分かりました。 では最後に中島さん、お願いします』、「ロボタクシー、車両価格10倍でも利益が出る」のであれば、大いに期待できそうだ。
・『中島:ちょっと私は路線が違うんですが。「住宅革命」が起こるとみています。 入山:自動運転が普及すると住宅革命が起きると。どういうことですか。 中島:今、日本の都市は駅前中心に経済が成り立っています。マンションでも一軒家でも、駅近の物件価値が高く、駅から同心円状に価格が下がっていきますね。でも自動運転が浸透したら、鉄道を利用しなくてもいい。駅から遠い物件でも、住宅を安い価格で買った分、自動運転のクルマを1000万円で買えばいいっていうことになります。 1960年代にモータリゼーションが起き、マイカーが浸透したら、交通の便が悪かったところにも住宅がたくさんできて地価が上がりました。同じように、自動運転時代になって交通の便が変わると、価値がなかった駅遠の物件価値が上がると思います。ロードサイドに土地をお持ちの方は、そのまま持っていた方がいいんじゃないかと。 入山:なるほど。めっちゃ面白いですね。田舎の辺ぴなところでも、むしろ「景観がいい」とか、別の価値が評価されるようになるかもしれませんね』、「自動運転時代になって交通の便が変わると」、地価のあり方が変わるというのもありそうだ。
・『「そもそも人間に移動は必要ですか?」  中島:こういう変化が起こると、たぶん流通業も飲食業も変わってきます。駅前の一等立地でなくてもいい。自動運転車がデリバリーするのならまさに立地フリーです。「Uber Eats」はそのはしりといえると思います。 安田:今、東京だと駅から15分以上離れた戸建てって、ものすごく不動産価値が落ちてしまいますが、そういうところが逆転する可能性がありますね。 入山:逆に駅の横にあるタワーマンションなんかは、もしかしたら価値があまり高くなくなるかもしれない。今は駅前に物件が集中していますが、もうちょっとフラット化するかもしれないですね。 鈴木:私が住んでいるマンションも駅から遠くて、今は送迎用のバスが出ているんです。管理組合が管理しているんですが、これが大赤字なんですよ。けれど、自動運転ならばコストを下げられて、かつ、もっと本数を増やして利便性を向上できる。おっしゃるように、自動運転との掛け算で不動産の価値って大きく変わってくると思います。 安田:さすが鈴木さん、そこまで先読みされてマンションを購入されたと。 鈴木:いやいや、結果論で(笑)。 入山:今のお話に関連するので、ちょっと読者の方の質問を議論してみたいのですが。情報処理従事者のK.Gotouさんからです。非常に深い質問で、「そもそも移動は必要か」という問題提起です。「人間の脳が満足する事であれば、『仮想の移動体験』で物事は済みそうです」と。「移動することの意味」を問うていらっしゃるんですね。 ちょうどこの「業界未来図鑑」でも、前回シリーズでVR(仮想現実)業界を取り上げました。VRとかAR(拡張現実)が実用化されると、自分が移動しなくてもアバターなんかを使って仮想上でいろいろな交流もできるようになります。こういう便利なものがどんどん出ている中で、移動って本当に我々にとって必要なものなのか。いかがでしょうか。 中島:先日OEMメーカーの技術者の方にお聞きした話なんですが、国家のGDP(国内総生産)が増えると、その国に住む人たちの総移動距離が比例して上がるという相関関係が明確にあるそうなんです。国が発展すると、みんなワサワサ移動するっていうことですね。 ところが最近、GDPが高い国では、GDPが拡大しても総移動距離が増えなくなってきている。おそらく人が移動するまでもなく、例えばアマゾン・ドット・コムでモノを注文できたり、VRで疑似体験できたりするからだろうと』、「最近、GDPが高い国では、GDPが拡大しても総移動距離が増えなくなってきている」、というのは初めて知った。
・『感性に訴える店だけがEコマースに勝つ  入山:人間ではなく、モノや情報の方が移動しているんですね。 中島:そうです。モノとか情報の移動をグラフに足せば、GDPの上昇に比例して伸びていくのだろうと予想できます。では、そもそもなぜ人は移動するのかという目的を考えると、仕事のためだったり、遊びのためだったり、誰かとつながってインタラクションを求めるからですよね。 そのインタラクティブな関係性そのものがGDPに比例して増えるのかもしれません。それがリアルな移動を伴わずにリモートで働けたり、ネット上の交流で満たされたりすると、人の移動は頭打ちになる。 鈴木:そういう側面は確かにあります。ただ人間って生身の生物なので、動かないと、どんどん不健康になります。特に高齢者はそれでなくても家に引きこもりがち。寝たきりになってしまって健康寿命がどんどん短くなってしまうというのは困ります。いかに外に出していくかという意味で、交通弱者の問題はクリティカルですね。 入山:人が動かなくなるからこそ動かす必要があると。 鈴木:そう思います。 中島:私は機能的な移動はどんどんバーチャルになっていくけれど、逆に感性的な移動はどんどん価値を増すと思っています。 入山:なるほど。必要に迫られてする、面倒だけど渋々する移動というのは、バーチャルが代替してくれる。 中島:私たちは地方都市の交通課題を分析するために、実際に現地に行って地元のおじいちゃん、おばあちゃんにお話を伺っています。「買い物、困るんだよね」という話が出るので、「じゃあ、ネットスーパーがあったらいいですか」と話を深掘りすると、「いや、そうじゃない」と。 スーパーまで買い物に行って、ショッピングするのがひとつの楽しみだっていうんです。私もそうですけれど、大きなスーパーに行くとちょっとワクワクしますからね。生身の自分が移動して買い物をしたいという気持ちがある。機能的な移動は効率化され、そういう感性的な移動の価値はどんどん増していくと思います。 安田:逆に言うと、リアル店舗はそういう感性に訴えられるようなお店以外は、eコマース(電子商取引)に徹底的に淘汰されていってしまうかもしれないですね。 入山:確かにそうですね。面白い未来のお話が伺えました。ありがとうございます』、「機能的な移動は効率化され、そういう感性的な移動の価値はどんどん増していく」、というのは面白い指摘だ。そうであれば、運動不足を懸念しなくて済むのかも知れない。いずれにしろ、自動運転の問題はかなり幅広く深い問題のようだ。
タグ:(その3)(対談 自動運転業界:(第1回)無人で走るクルマ 結局いつ実現するの?、(第2回)日本は 自動運転大国になれる、(第3回)自動運転は 社会をどう変える? 4つの予言) 自動運転 「自動運転業界」は4層のレイヤー構造 自動運転とシェアリングは変革のキードライバー 「[議論]日本は、自動運転大国になれる?File3 「自動運転業界」(第2回)」 新興国でモビリティーの「カエル跳び」起きるか MAAS 「[議論]無人で走るクルマ、結局いつ実現するの?File 3 「自動運転業界」(第1回)」 移動のサービス化は力強いトレンド 「レベル3」は自家用車、「レベル4」は商用車に向く 機能的な移動はどんどんバーチャルになっていくけれど、逆に感性的な移動はどんどん価値を増すと思っています ##3→4は、「レベルアップ」ではない 入山 章栄氏ら4名による座談会 『レベル3』が必要な理由、教えてください 完全自動運転化は商用車から始まる タクシードライバーが事故を起こしたら、タクシー会社が責任を取りますよね。それが自動運転車になるだけですから。タクシー会社のビジネス構造からすると変わらない 最近、GDPが高い国では、GDPが拡大しても総移動距離が増えなくなってきている 「そもそも人間に移動は必要ですか?」 自動運転が浸透したら、鉄道を利用しなくてもいい 「住宅革命」が起こる ロボタクシー、車両価格10倍でも利益が出る 「移動弱者」をどうするか 日経ビジネスオンライン 自動運転は地方のタクシー事業者を救う 移動と宿泊のセットには価値がある 自動運転車がホテルを駆逐する? 「[議論]自動運転は、社会をどう変える? 4つの予言 File3 「自動運転業界」(第3回)」 日本は“自動運転大国”になるポテンシャルが高い クルマが出た時も「馬車は使用禁止」とはならなかった ドライバーのいないクルマ、法律はどうとらえるか 技術とか法整備という観点でいうと、「レベル3」と「レベル4」は別物で、横に並べた方が分かりやすいと思います 技術的にも難しいのは「レベル3」みたいですね。人というあいまいなものを検知しながらになるので 2023年までに完全自動運転車が出てくる
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外国人労働者問題(その13)(日本語学校 空前の「開設ラッシュ」に潜む不安 外国人の特定技能35万人時代に対応できるか、1年で方針転換 廃炉作業に特定技能外国人を送る政権の狂気、「受け入れありき」の移民政策が着々と進んでいる大問題な実態、法令違反が7割超 ブラック企業を次々に生み出す技能実習制度の構造 止まらない人権侵害の現状と背景) [社会]

外国人労働者問題については、3月30日に取上げた。今日は、(その13)(日本語学校 空前の「開設ラッシュ」に潜む不安 外国人の特定技能35万人時代に対応できるか、1年で方針転換 廃炉作業に特定技能外国人を送る政権の狂気、「受け入れありき」の移民政策が着々と進んでいる大問題な実態、法令違反が7割超 ブラック企業を次々に生み出す技能実習制度の構造 止まらない人権侵害の現状と背景)である。

先ずは、4月7日付け東洋経済オンライン「日本語学校、空前の「開設ラッシュ」に潜む不安 外国人の特定技能35万人時代に対応できるか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/275122
・『「今年2月に41校もの日本語学校の新設が認められた。これは半端な増え方じゃない」――。 1980年代に日本語学校の経営を始めた古参経営者は、「ひょっとして日本語学校は儲かると思って錯覚している人も多いのだろうか」と嘆息する』、リンク先の学校数のグラフでは急増ぶりが顕著だ。
・『2019年はすでに41校が開設  日本語学校は外国人留学生が来日したときの最初の受け皿になる、いわば外国人にとって「日本の顔」というべき存在だ。日本の大学に進学するにしても、日本の企業に就職するにしても、まずは日本語学校に入って一定程度の日本語を身につける必要がある。ここ数年、その日本語学校の開設ブームが起きている。今年2月19日現在で法務省が認めた、いわゆる「法務省告示の日本語教育機関」の数は749に達した。 毎年の新規開設と抹消の推移をみると、ここ数年の新規開設数の多さが際立っている。2015年は41校、2016年は50校と増え、2017年は77校に。2018年もほぼ横ばいの72校で、2019年は2月19日現在で41校の開設がすでに認められている(1990年は制度初年度のため、新規告示校は409校と多い)。 全国の日本語学校176校でつくる全国日本語学校連合会の荒木幹光理事長は「日本語学校は800校近くまで増えたが、金儲けを目的とする、不真面目な一部の学校経営者とわれわれを一緒にしてもらっては困る。大半の日本語学校は現地に行って面接と試験をし、目で見てしっかり留学生を選んでいる」と訴える。荒木理事長によると、学校の開設母体は、企業が技能実習の外国人従業員のために設立したり、大手学習塾の参入もあったりするようだ。 今年に入り、多数の留学生が行方不明になっている東京福祉大学や定員の3倍の留学生を受け入れていたことがわかった茨城県の専門学校の例など、外国人留学生絡みの不祥事が次々と明らかになっている。 荒木理事長は「われわれは年に1回、法務省と警視庁の研修をしっかり受けている。日本語能力試験で何級に何人受かっているのかのほかに出席率を見たり、どんなアルバイトをしているかなど、留学生に問題が起きないように気を配っている」と強調する。 日本語学校は日本語が不自由な外国人を受け入れる。一般的な学校とは異なり、外国人の来日時の出迎えに始まり、市町村役場における住民票や国民健康保険の加入手続き、寮や宿舎での居住マナーや電車の乗り方などの生活面まで学校の仕事は及ぶ。しかも、それを24時間体制でサポートしなければいけないという、特有の気苦労がある』、「外国人留学生絡みの不祥事」については、前回のブログでも紹介した。
・『政府の「さじ加減」に揺れる日本語学校  日本語学校の歴史は、時の政府の出入国管理政策や地震などの外部要因に振り回される歴史だった。 1986年に学校を開設し、東京、大阪、京都で5拠点を展開するアークアカデミーの鈴木紳郎社長は「私が学校を始めたきっかけは、当時の中曽根政権が『留学生10万人計画』をぶち上げたときだった」と振り返る。 中曽根康弘内閣(当時)は1983年に「留学生受け入れ10万人計画」を公表した。日本が受け入れている留学生数が他の先進国と比べて際立って少ないことなどを背景に、当時のフランス並みの10万人の留学生を、21世紀初頭までに実現する目標を掲げた。実際、当時日本にいた留学生は1万人ほどに過ぎなかった。サラリーマンをしていた鈴木氏は「これは面白そう」と考え、日本語学校を始めた。 しかし、その後は浮き沈みの連続だった。1988年には、日本への留学を求める若者が急増し、ビザ申請に対応しきれなくなった中国・上海の日本領事館を取り囲む、いわゆる「上海事件」が勃発した。 韓国のビジネスマン相手の日本語研修がうまく軌道に乗ったかと思えば、アジア通貨危機(1997年)に遭遇したり、石原慎太郎都知事(当時、2003年)の「外国人犯罪キャンペーン」や東日本大震災(2011年)に直面したり。「(日本語学校を取り巻く外部環境は)ひどい波の連続。日本語学校の氷河期には、やめていった学校がいくつもある」(鈴木氏)という。 ある意味、入管当局の“さじ加減”1つで、日本語学校を生かすことも殺すこともできると言える』、リンク先の新規開校・抹消数のグラフでは90年代は抹消が多かったようだ。
・『増えぬ日本語教師、待遇で見劣り  そして今、過去に何度も経験した「日本語学校ブーム」が到来している。たしかに日本語学校の数は右肩上がりで増え続けており、日本語学習者の数も拡大している。 しかし、仮に拡大しようとしても、日本語学校には「成長の制約」がある。最大の問題は、日本語教育を担う日本語教師の不足だ。日本語学習者の数が増える一方なのに対し、日本語教師はあまり増えていない。文化庁によると、国内における日本語学習者数は2017年度に23万人を突破した。2011年度の13万人弱から2倍近く伸びたのに対し、日本語教師の数(ボランティアを含む)は約3万~4万人とほぼ横ばいで推移している。 理由の1つは、日本語教師の待遇がよくないことだ。文化庁によると、日本語教師の約6割がボランティア。非常勤教師が3割で、常勤教師は1割強に過ぎない。年配の教師が多く、50~60代で4割を占める。前出の鈴木氏は「日本語教師の給料は安い。老舗のある学校などは、ボランティア同様に安く使うところからスタートした。教師のなり手が少ないのは給料が安いからだろうが、今はものすごい人手不足だ」と認める・・・外国人がこれからますます増えていくことを想定し、国も動き出している。 今年2月、文化庁の文化審議会日本語教育小委員会は「在留外国人の増加に伴い、日本語学習ニーズの拡大が見込まれることから、日本語教師の量的拡大と質の確保が重要な課題」などとする「基本的な考え方」をまとめた。具体的には、質の高い日本語教師を安定的に確保するために、日本語教師の日本語教育能力を判定し、教師のスキルを証明する「資格」を新たに整備する、と提言した。 ただ、日本語教育につぎ込まれる国の予算額はわずか200億円程度と乏しく、年間約4兆円がつぎ込まれる学校予算(文教関係費)との差は大きい。日本語教育機関の業界団体は昨年11月、超党派の日本語教育推進議員連盟(会長・河村建夫衆院議員)に対し、「日本語教育推進基本法(仮称)の早期成立を」と陳情するなど、日本語教育機関の所管官庁を明確にすることを求めている。官庁の指導権限の強化と国の財政的支援はトレードオフの関係にあるが、日本語学校のレベルアップのためにはこうしたことも必要になるだろう』、「日本語教師の約6割がボランティア」、ボランティアの比率が高いのには驚くが、誰が応募しているのだろう。「日本語教師の給料は安い」のは、需給に応じて高くなっていくのだろう。ただ、外国人向け日本語教育にまで「国の財政的支援」をする必要はないと思う。仮にやるのであれば、外国人労働者を受け入れる企業から目的税を徴求して、その範囲で支援すべきだろう。
・『将来も日本に留学してくれるとは限らない  政府は今年4月に出入国管理法を改正し、特定技能制度を新たに創設した。今後5年間で介護や建設、農業など14分野で約35万人の外国人を受け入れる予定だ。そして、これほど多くの外国人をきちんと受け入れる大前提となるのが、生活や仕事に必要な日本語能力だ。 だが、「特定技能の登録支援機関が、日本語教育についてどういう役割を果たすのか。採算ベースに乗るかどうかを見ながら判断したいが、今はまだ不透明」(ヒューマンアカデミーの田中氏)と当面は様子見の姿勢だ。 3月18日、都内のホールで大手日本語学校、赤門会の卒業式が開かれた。この日卒業するのは中国、韓国やロシア、アフリカのマリなど、35カ国からやってきた約700人。答辞に立ったロシア出身のベリンスキー・ドミトリさんは「入学して2年。お店や役所で会話を理解してもらえないのは日常茶飯事だった」などと日本での生活の苦労を振り返ると、ひときわ大きな歓声が響き渡った。 ドミトリさんは日本の大学に進学する。彼のように、日本語学校卒業生の7~8割は大学や大学院、専門学校への進学を希望している。50カ国から1900人が常時在校している赤門会の新井永鎮常務は「ベトナムやネパールなどはここ数年、日本人気だが、ベトナムでも私費で日本で留学する人が少しずつ減ってきている。ベトナムの国力、経済力が上がっているから。アジアのどの国でも、第一富裕層と言われる子どもたちの留学先ナンバーワンはどうしてもアメリカやイギリスになる。2020年の東京五輪後に日本人気もおそらく一巡することなど、複合的要因を考えると、今までのように留学生が右肩上がりで増えることはおそらくない」とみる。 現状の日本語人気に甘えずに、わざわざ日本に来て日本語を学び、日本の学校や企業、地域に入っていく若き外国人たちにどう向き合うか。人類史上例のない、本格的な人口減少に向かう日本社会に突き付けられた大きな課題である』、「日本語学校卒業生の7~8割は大学や大学院、専門学校への進学を希望している」「赤門会」は例外的なまともな日本語学校なのだろう。

次に、4月20日付け日刊ゲンダイ「1年で方針転換 廃炉作業に特定技能外国人を送る政権の狂気」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252281
・『このために“移民法”成立を急いでいたとしか思えない。 4月から始まった新たな在留資格「特定技能」で、外国人労働者が東電福島第1原発の廃炉作業に就くことが可能になった、と報じられた。東電はすでに、廃炉作業に当たる元請けのゼネコン関係者らに外国人労働者の受け入れについて説明したらしいが、被曝の危険性が高い廃炉作業の現場に外国人を送り込むなんて正気の沙汰じゃない。 そもそも法務省は技能実習制度における外国人の除染作業でさえ禁止していたはずだ。昨年3月、技能実習生のベトナム人男性が福島原発の除染作業に携わっていたことが発覚。同省は、除染作業は一般的に海外で行われる業務ではないことや、被曝対策が必要な環境は、技能習得のための実習に専念できる環境とは言い難い――として〈技能実習の趣旨にはそぐわない〉としていた。それが改正法とはいえ、1年後には方針が百八十度変わるなんてメチャクチャだろう。 福島原発の現場では元請け、下請け、孫請けの業者が複雑に絡み合い、日本人作業員でさえもマトモに被曝管理されているとは思えない。しかも廃炉作業は少しのミスも許されない過酷な現場だ。予期せぬトラブルが発生したり、大量被曝の危険が生じたりした時、言葉の理解が不十分な外国人にどうやって伝えるのか。要するに、廃炉作業に携わる日本人労働者の線量が限度になりつつあり、人手不足を解消するための手段として「特定技能」が利用されるのだ。重大事故が起きて、大勢の外国人労働者が被曝なんて最悪の事態になれば、日本は世界中から非難されるのは間違いない。 元原子力プラント設計技術者で工学博士の後藤政志氏がこう言う。「外国人労働者を受け入れるための環境を十分、整えているのであればともかく、数合わせのために廃炉作業に従事させるのは非常識極まりない。そもそも低線量被曝が長期間に及んだ場合の健康被害はよく分かっていないのです。国際的な批判も高まると思います」 新たな徴用工問題になるのは間違いない』、その後、5月22日付け日経新聞は「厚労省、東電に「慎重な検討」要請 外国人材の廃炉作業巡り」と伝えた。「慎重な検討」ではなく、禁止すべきだろう。

第三に、室伏政策研究室代表・政策コンサルタントの室伏謙一氏が6月25日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「受け入れありき」の移民政策が着々と進んでいる大問題な実態」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/206616
・『4月1日の出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律(以下、「移民法」という)が施行されて以降、状況はどうなっているのか。現状と問題点について、指摘したい。 「移民」受け入れが着々と進んでいる  4月1日の出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律(以下、「移民法」という)が施行されて以降、「国民の目」が届かないわけではないが届きにくいところで、外国人材すなわち移民の受け入れが着々と進められている。 例えば、特定産業分野のうち外食業において、「外国人材」として日本で働くための事実上の資格試験である特定技能1号技能測定試験が、4月25、26日に早々と実施され、5月21日に合格発表が行われた。合格者は347人でその内訳は、ベトナム人203人、中国人37人、ネパール人30人、韓国人15人、ミャンマー人14人、台湾人10人、スリランカ人9人、フィリピン人8人等だ。 ベトナム人が突出して多いのは、技能実習生としての受け入れ人数が最も多いのがベトナム人であることも背景としてあるのだろう。平成30年6月末の実績で、在留資格「技能実習」で日本に在留しているベトナム人の数は13万4139人であり、年々増加する傾向にある。 ちなみに2番目は中国人で、同じく平成30年6月末の実績で7万4909人だ。 なお、これらの数値はあくまでも在留資格「技能実習」に限ったもので、在留している総数では、ベトナム人29万1494人、中国人が74万1656人。多く在留しているイメージのあるブラジル人については、これらの国よりも少なく19万6781人である』、4月1日の法施行、4月25、26日に「特定技能1号技能測定試験」が実施とは、「お役所仕事」ではあり得ないような早手回しぶりだ。
・『非常に高い合格率のカラクリ  この試験の合格率は75.4%であり、非常に高いといえる。 これは同試験の受験資格の1つとして、『中長期在留者(出入国管理及び難民認定法第19条の3に規定する者をいい、「3月」以下の在留期間が決定された者、「短期滞在」、「外交」、「公用」のいずれかの在留資格が決定された者、特別永住者及び在留資格を有しない者等を除く)であること又は過去に本邦に中長期在留者として在留した経験を有する者であること』と規定されている点が背景の1つとして考えられる。 つまり、簡単にいえば、既に日本に適法に在留しているか、過去に適法に在留していた経験があるかのいずれかが受験の条件ということ。言ってみればゼロからの受験ではなく、「下駄(げた)」を履いて試験に臨んでいるようなものだ。 毎日新聞の報道によると、「農林水産省によると、試験は外食業界で2年ほど働いた人の半数が合格する想定で、合格者は飲食店などでアルバイトをする留学生が多いとみられる」とのことだ。 ただしそうなると、本邦に在留している外国人であって外食業で働いてきた者を使い続けるために、ほぼ「結論ありき」で実施されたと見えなくもない。 この特定技能1号技能測定試験の試験水準は、『「特定技能」に係る試験の方針について(平成31年2月 法務省入国管理局)』では、「特定技能の在留資格に係る制度の運用に関する基本方針について(平成30年12月25日閣議決定)」において、「1号特定技能外国人に対しては、相当程度の知識又は経験を必要とする技能が求められる。これは、相当期間の実務経験等を要する技能であって、特段の育成・訓練を受けることなく直ちに一定程度の業務を遂行できる水準のものをいう」とされていることを踏まえ、「初級技能者のための試験である3級相当の技能検定等の合格水準と同等の水準を設定する」とされている。 「3級相当の技能検定」とは、技能実習生向けの技能検定区分の1つであり、その試験の程度は「初級の技能労働者が通常有すべき技能及びこれに関する知識の程度」とされている。曖昧この上ない。 さらに、試験の方針では『「実務経験A年程度の者が受験した場合の合格率がB割程度」など合格者の水準を可能な限り明確化する』とまで記載されている。 これでは試験の結果いかんよりも、設定した合格率の範囲で得点上位から合格させることになる。疑り深い見方をすれば、全体的に得点が低い場合であっても合格できることになってしまう。75.4%という非常に高い合格率の背後には、「下駄」に加えてこうしたカラクリがあったというだろう』、「設定した合格率の範囲で得点上位から合格させることになる」、というのは驚くほど甘い仕組みだ。
・『「移民法」の成立に合わせて設立された団体?  さて、今回の試験、これを実施したのは移民法を所管する法務省でもなければ外食業界を所管する農林水産省でもない。「一般社団法人外国人食品産業技能評価機構」なる、聞き慣れない団体が実施主体である。 聞き慣れないのは、それもそのはず。この団体が設立されたのは本年1月21日。会員は外食、中食、食品製造等の関連団体だ。 移民法の成立に合わせて設立されたであろうことは明らかである。 一方、試験を作成したのはこの団体ではなく、一般社団法人日本フードサービス協会だ。同団体は外食産業の業界団体であり、誰でも知っているような外食店舗を展開する企業が会員として名を連ねている。 これらの団体は、移民法成立直後に行われた「平成30年度農業支援外国人適正受入サポート事業(外食業分野における外国人材の適正な受入れ体制の構築)」の公募で、試験の実施準備団体、試験の作成団体としてそれぞれ選定されている。 公募期間は平成30年12月25日から翌31年1月21日まで。勘のいい読者であればもうお気づきだと思うが、試験実施団体の設立日と平成30年度公募事業の締切の日が同じである。普通に考えれば、団体が設立された日に締切になる公募事業に応募することなど、不可能とは言わないまでも困難であり、極めて不自然だ。 そして、平成31年度(令和元年度)の公募は、30年度の締め切りからわずか2週間程度しかたっていない2月6日から行われ、同月26日に締め切られ、それぞれ試験実施団体および試験作成団体として選定されている。 もちろん、事業の継続性や安定性の観点から、前年度に実施した事業者が引き続き選定されるということはありうるし、そのために形式的に公募を行うこともありうる。 しかし、前年度の公募開始からの一連の流れを考えれば、とにかく早く外食業への移民の受け入れを実現したい、できるだけ早く「外国人材」という名札をつけた移民を受け入れて、働いているという実績を作りたい、その結論に導くための形式的なもの、別の言い方をすれば、「結論ありき」の出来レースであると見られても仕方あるまい』、最後の部分はその通りだろう。
・『何のための制度や手続なのか  そもそも、今回の特定技能1号技能測定試験の実施に当たっては、受験者に学習して「いただく」ために、ご丁寧に日本語およびベトナム語の両言語でテキストまで用意されている。 これらのテキストは試験作成団体である日本フードサービス協会のサイトからダウンロードでき、当然のことながら無料である。 テキストには(1)接客全般、(2)飲食物調理、(3)衛生管理の3種類があるという手厚さ。これでは試験というより、より多くの移民受験者に合格してもらうための、カタチだけの「試験モドキ」、「一応やりました」という単なるアリバイ作りであると揶揄(やゆ)されても仕方あるまい。 外国語の教材がベトナム語のみ用意されていることからも、ベトナム人アルバイトや技能実習生が引き続き就労できるようにするためであることは明らかだ。 これでは何のための制度や手続きなのか分からない。 むろん、この試験に合格しただけでは特定技能一号外国人として外食産業で就業することはできず、日本語能力試験にも合格する必要がある。 しかし、その日本語能力試験についても、先の基本方針においては、「ある程度日常会話ができ、生活に支障がない程度の能力を有することを基本としつつ、特定産業分野ごとに業務上必要な日本語能力水準が求められる」とされている』、「カタチだけの「試験モドキ」、「一応やりました」という単なるアリバイ作りであると揶揄(やゆ)されても仕方あるまい」、というのは言い得て妙だ。
・『「観光客に毛が生えた程度」のレべルと評せざるをえない  試験の方針では「基本」の水準については、(1)ごく基本的な個人的情報や家族情報、買い物、近所、仕事など、直接的関係がある領域に関する、よく使われる文や表現が理解できる、(2)簡単で日常的な範囲なら、身近で日常の事柄についての情報交換に応ずることができる、および(3)自分の背景や身の回りの状況や、直接的な必要性のある領域の事柄を簡単な言葉で説明できる、等の尺度をもって測定することが考えられるとしている。 端的に言って、これでは「観光客に毛が生えた程度」のレべルと評せざるをえないだろう。 日本語能力試験は、国内にあっては日本国際教育支援協会が実施する日本語能力試験(N4以上)であり、国外にあっては独立行政法人国際交流基金が実施する日本語基礎テストである。 その認定の基準も、前者については、「読む:基本的な語彙や漢字を使って書かれた日常生活の中でも身近な話題の文章を、読んで理解することができる」、「聞く:日常的な場面で、ややゆっくりと話される会話であれば、内容がほぼ理解できる」であり、後者については「ごく基本的な個人的情報や家族情報、買い物、近所、仕事など、直接的関係がある領域に関する、よく使われる文や表現が理解できる。簡単で日常的な範囲なら、身近で日常の事柄についての情報交換に応ずることができる。自分の背景や身の回りの状況や、直接的な必要性のある領域の事柄を簡単な言葉で説明できる」である。 いずれも日本において、「特段の育成・訓練を受けることなく直ちに一定程度の業務を遂行できる」という日本語の能力には程遠いと言わざるをえないだろう。 既に特定技能1号技能測定試験は第2回試験も決まっており、6月24日から28日にかけて東京、大阪他主要都市で実施される。おそらく、それ以降も引き続き実施されることになるだろうし、その結果、拙速と言いたくなる速さで移民が流入してくるだろう』、先日、羽田国際空港に行ったところ、東南アジア系の外国人技能実習生の候補たちが大勢集まっていた。「拙速と言いたくなる速さで移民が流入してくる」のは確かなようだ。
・『百害あって一利なしの「愚策」 直ちに見直すべき  その先に待っているのは、何か。 まず容易に想定されるのは「当たり前」の違いや円滑な意思疎通が困難であることによる現場の混乱等であり、そうしたことにより、希望に胸を膨らませて就業した移民たちは、多くの壁にぶつかることになるだろう。 それに加えて商習慣、生活習慣、文化、宗教等のさまざまな壁があり、これらは一朝一夕で越えられるものではない(そもそもそれを越えようという意思や考えはないかもしれないが…)。 残念ながら、こうしたことはほとんど話題になっていないし、問題視し、国会で質疑している国会議員を、少なくともこの通常国会においては見たことがない(おられるのであれば、ぜひ積極的な情報発信をお願いしたい)。 加えて、移民たちは日本側や日本企業側の都合で、不要になったら帰ってくれるわけではない。彼らは生活の根拠を母国から日本に移しているのであり、彼らは生活をかけ、「人生をかけて」日本に来ているのである。 気がついたときには「既に手遅れ」となる前に、日本社会にとっても日本人にとっても、そして移民たちにとっても百害あって一利なしの「愚策」は直ちに見直すべきであろう』、説得力溢れた主張で大賛成である。将来「徴用工」に発展しかねない問題であり、早目に芽を摘み取っておくべきだろう。

第四に、ライター・編集者「ニッポン複雑紀行」編集長の望月 優大氏が6月28日付け現代ビジネスに寄稿した「法令違反が7割超、ブラック企業を次々に生み出す技能実習制度の構造 止まらない人権侵害の現状と背景」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65550
・『政府は今年4月に「特定技能」という在留資格を新設し、外国人労働者の受け入れを一層加速している。しかし、そのことに気を取られて忘れてならないのは、様々な問題を抱えた「技能実習」という制度がそのまま残っているという現実だ。 4月以降も、例えば岐阜の婦人服製造業者の社長が実習生を時給405円で働かせていた疑いで逮捕(労基法違反)されるなど、一部の実習生を取り巻く労働環境の劣悪さや人権侵害の状況は変わっていない。 つい先日放送されたNHK「ノーナレ 画面の向こうから」でも、実習先から逃げ出さざるを得なかったベトナム人の若い女性たちの苦境が取り上げられ、今も大きな話題となっている。 なぜ技能実習生の人権侵害は一向に止まらないのか? 実は実習先企業のなんと7割以上で労働基準関係法令違反が認められているという実態がある(厚労省調査)。もはや一つひとつのブラック企業の問題として捉えるだけでは不十分だ。人権侵害が止まらないより根本的な理由、つまり制度や政策のあり方そのものを理解する必要がある。 そこで、この記事では、新刊『ふたつの日本――「移民国家」の建前と現実』(講談社現代新書)の第4章「技能実習生はなぜ「失踪」するのか」から、技能実習制度の現状と構造的な問題を整理したパートを特別公開する。読めば、技能実習生が晒されているリスクとその背景にある構図を理解してもらえるはずだ』、「実習先企業のなんと7割以上で労働基準関係法令違反が認められているという実態」を踏まえれば、「制度や政策のあり方そのもの」に問題があることは明確だ。
・『技能実習生の増加と多様化  技能実習制度については、劣悪な労働環境や様々な人権侵害に関してこれまでも数多くの指摘がなされてきた。近年では、実習生の数が一気に増加する中で、実習先から「失踪」する実習生も増えている。 技能実習とはどんな制度なのか。なぜ日本はこの問題だらけの制度を外国人労働者政策の一つの基軸としてきたのか。技能実習制度の説明に入る前に、直近の実習生の状況について整理しておきたい。 まず、技能実習生の数は伸び続けている。特に2015年ごろからここ数年の伸び幅が大きく、2011年には14.2万人だったそれが、2018年6月末には28.6万人にまで急増している。 出身国別に見ると、1位のベトナムが13.4万人。そのあとに中国(7.5万人)、フィリピン(2.9万人)、インドネシア(2.3万人)、タイ(0.9万人)と続く。ベトナムだけで全体の46.9%を占め、2位の中国と合わせると全体の約4分の3(73.2%)を占める。上位5ヵ国で全体の94.4%だ。 つまり、技能実習生に関わる問題とは、そのほとんどがベトナムと中国を中心とするアジア諸国出身者との間での問題であるということができるだろう。 出身国別の特徴で押さえておきたいのは、2011年時点では全体の75.8%を一国で占めていた中国の割合が2017年には28.3%にまで急減していることだ。この変化は、中国人実習生の実数自体が減少していることに加え、ベトナムやフィリピンなど、その他の国からの実習生の数が増加していることにも起因している。 1993年の制度創設以来、常に技能実習生の大きな割合を占めてきたのが中国出身者だった。しかし、中国自身の経済成長もあり、中国からの流入はすでに減少を始めている。そして、その穴を埋めるように、ベトナムなど中国より貧しいその他のアジア諸国からの流入が増加しているのだ』、「ベトナムやフィリピンなど」も、やがて頭打ちになるのだろう。
・『技能実習の建前と現実  技能実習制度の本質にあるのも「建前」と「現実」の乖離である。まずは建前の方から確認しよう。2017年11月に施行された技能実習法(外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律)の第一条は技能実習の目的をこう定義している。 (……)人材育成を通じた開発途上地域等への技能、技術又は知識(以下「技能等」という。)の移転による国際協力を推進することを目的とする。 ここに明確に示されている通り、技能実習制度の建前は先進国たる日本から発展途上国への技能等の移転による国際協力だ。ODAの位置付けに近い。派遣された日本の職場でのOJT教育を通じて身につけた技能を持ち帰り、自国の発展に活かしてもらうということである。表向きは、日本は与える側であって与えられる側ではない。 だがその建前とは裏腹に、技能実習制度は表向きは受け入れを認めていない低賃金の出稼ぎ労働者たちをサイドドアから受け入れるための方便として機能してきた。地方にある工場や、日本人労働者を採用しづらい重労働かつ低賃金の職場にとって、この制度は労働者を継続的に獲得して事業を維持していくために必要不可欠なシステムとなってきた。 実習生が特に多いのは、食品製造、機械・金属、建設、農業、繊維・衣服などの第一次及び第二次産業である。かつては繊維・衣服が非常に多かったが、最近は食品製造や建設、農業などの分野での伸びが著しい。 だが、問題は国際貢献という建前と非熟練労働者の受け入れという現実との間に大きな乖離があるということばかりではない。より大きな問題は、その乖離が実習生に対して様々な具体的被害を引き起こしてきたということにある』、「様々な具体的被害」とは何なのだろう。
・『法令違反とその不可視化  技能実習制度に常につきまとってきたのが劣悪な労働環境だ。長時間労働、最低賃金違反、残業代の不払い、安全や衛生に関する基準を下回る職場環境、暴力やパワハラ、セクハラなどである。 2017年に厚労省が労働基準監督署を通じて全国約6000の事業場を対象に行った監督指導では、なんとその7割以上で労働基準関係法令違反が認められた。7割以上というのは圧倒的な数字である。何のために法律があるのかと考え込んでしまうほど高い割合だ。 違反の内容は、労働時間に関する違反が最多の26.2%、以下、安全基準、割増賃金の支払いや就業規則に関する違反、労働条件の明示や賃金の支払いそのものに関する違反などが続く。 しかし、こうした外部からの調査がなければ現場の法令違反が明るみに出ることはほとんどない。同じ厚労省の調査によれば、2017年に技能実習生から労基署に対して法令違反の是正を求めてなされた申告はわずか89件に留まった。 厚労省が監督指導した約6000の事業場も含め、実習生を活用している企業はおよそ4万8000社にのぼる。そして、実習生自体は2017年時点で25万人以上も存在していたのだ。 にもかかわらず、実習生から労基署に対してなされた申告は1年間でわずか89件しかなかったわけである。本来なら届くべき声の多くが届かず、不可視の状況に置かれていることが容易に想像されるだろう。 こうした数字を見ると、否が応でも二つの疑問が頭をもたげてくる。一つめは、なぜこんなに多くの法令違反が横行しているのかという疑問。もう一つは、70%以上もの企業で法令違反があるにもかかわらず、なぜほとんどの技能実習生は労基署に対して助けを求めることができないのかという疑問である。 法令違反の横行とその社会的な不可視化には、技能実習の制度そのものに埋め込まれたいくつもの構造的な要因が絡まり合っている。このあと順に見ていきたい』、興味深そうだ。
・『ブローカーの介在  一つめの要因は、実習生の募集やマッチングに介在する国内外の民間ブローカーの存在だ。 技能実習生の受け入れ方には大きく分けて二つのタイプが存在する。一定規模以上の企業が実習生を直接雇用する「企業単独型」と、中小零細企業が組合や商工会などを通じて間接的に実習生を受け入れる「団体監理型」だ。実は実習生全体の96.6%が後者の団体監理型によって受け入れられている(2017年末時点)。 外国人労働者の問題と聞くと日本の大企業が外国人をこき使っているようなイメージを持つ方も多いかもしれないが、少なくとも技能実習制度に限ってみれば、紛れもなく中小零細企業に労働力を送り込むための制度として機能している。そして、そのことが、この制度が多くの問題を構造的に発生させてきたこととも深く関わっている。 実習生と実習先とのマッチングは、送り出し国と日本の双方に存在する民間のブローカーが介在して行われている。 一般論として労働者のマッチングは公的な機関(ハローワークなど)が無料で行うこともありえるし、民間の事業者が有料で行うこともありえるが、実習生については後者のパターンが取られている。しかも、団体監理型では最低でも二つの民間事業者が挟まっている。それが、送り出し国側の「送り出し機関」と受け入れる日本側の「監理団体」である。 送り出し機関や監理団体という言葉だけ見るとよくわからないと思うが、両者ともにその本質は民間の人材事業者である。実習生(候補)に対する日本語教育や職業上の研修、日本での生活面でのサポートなど、通常の人材ビジネスよりも対応範囲は広いものの、あくまでコアにあるのは人材の募集とマッチングだ。 実習先となる中小企業にとって、外国で暮らす労働者や外国の人材会社を自力で開拓することは簡単ではない。政府が間に挟まって紹介をしてくれればいいのだが、現状はそういう仕組みになっていない。結果として、民間の人材事業者に頼って手数料を払わざるを得ないため、実習生本人に支払う賃金を削り込むことになる。 労働者と受け入れ企業との間に挟まる中間事業者が多ければ多いほど、企業が実習生に支払うことができる給与は少なくなってしまう。当然のことだ。この点が、技能実習生が日本人の低賃金労働者よりさらに深刻な低賃金状態に陥りやすい一つめの制度的な要因となっている』、送り出し国側の「送り出し機関」と受け入れる日本側の「監理団体」に搾取されるのでは、実習生の手取りは小さくなるのも当然だろう。
・『来日前の多額の借金  二つめの要因は、実習生が来日前に作っている多額の借金だ。 実習生を集める送り出し機関の中には、日本への渡航に必要な費用として100万円を超える金額を要求するところもある。多くの実習生候補はこの渡航前費用を支払うことができないため、多額の借金をしている。さらに、保証金や違約金の契約を結び、家族などを保証人に入れさせられるケースも存在する。 なぜ実習生側は多額の借金という大きなリスクを取るのか。それは、日本で働けばその借金を返済してもなお元が取れるほどの給料をもらえるという話を信じているからだ。しかし、その話が真実であるためには二つの条件が必要である。 一つは賃金が事前の約束通りに支払われるという条件、そしてもう一つは実習先で借金返済に必要な期間は働き続けられるという条件である。これら二つの条件のうちいずれかの条件が崩れると、実習生は窮地に追い込まれる。 一つは賃金が約束より低い場合。約束が守られなくても借金が減るわけではないため、契約賃金以下、時には最低賃金以下の低賃金で働き続けることを余儀なくされる。どんなに過酷な労働環境でも、あるいは職場で暴力やセクハラが横行していても、最初の借金がなくなるわけではないので帰国という選択肢を選ぶことができなくなってしまう。 もう一つは「強制帰国」の恐怖で脅される場合である。強制帰国とは、実習期間の途中に、本人の意思にかかわりなく、実習先(含む監理団体)側の理屈で無理やり帰国させることである。強制帰国の恐怖によって、借金の返済前には帰国できない実習生が、実習先の言いなりにならざるを得ないという構造がある。 来日前に作ってしまった大きな借金のせいで、多くの実習生は「進むも地獄、退くも地獄」の状況に追い込まれてしまうのだ』、「日本への渡航に必要な費用として100万円を超える金額を要求するところもある」、航空機代は大したことはないので、ボロ儲けのようだ。「大きな借金のせいで、多くの実習生は「進むも地獄、退くも地獄」の状況に追い込まれてしまう」、というのはまさに悲劇だ。
・『転職の不自由と孤立  三つめの要因は、実習生には職場移動の自由が与えられてこなかったということである。職場移動の自由が制限されているということは、運悪く悪質な企業に当たってしまった場合に対抗手段が著しく限定されるということを意味する。 通常の労働者には悪質な事業者や相性の悪い職場を去って別の職場を探すための自由があるが、実習生にはその自由がない。たまたま割り当てられた企業に残るか、帰国するかという選択になり、それ以外の選択肢がない。 もし渡航前の借金が残っている場合には、帰国という選択肢も実質的に奪われることになり、実習先が悪質でも従属せざるを得ない状況に陥ってしまう。 2017年の技能実習法によって「外国人技能実習機構(OTIT)」が創設された。現在ではこの機構が実習生からの相談に対応し、転籍先の調整も含む支援を実施することとなっている。しかしまだ始まったばかりの制度であり、どこまで実効性をもった仕組みになっているかは未知数の部分が大きい。 四つめの要因は、実習生が様々な意味で孤立していることだ。まず、実習生の中には日本語がそこまでできない状態で来日する者も少なくない。 また、基本的な労働法や労働基準監督署、労働組合の存在など、日本で労働者としての権利を行使するために必要な制度や組織についての知識も持っていない場合が多いだろう。 さらに悪いことに、実習生の孤立状況をより深化させるために、実習先が実習生のパスポートを強制的に預かったり、来日前に「実習先に文句を言わない」などの誓約書にサインをさせていたりするケースまである。 実習生には悪質な企業を去る自由がないだけでなく、実習先に残ったまま異議を申し立てる力までもが奪われている場合もあるのだ』、「悪質な企業」には受け入れを認めないようにすべきだろう。
・『現実を直視すること  技能実習制度をめぐってなぜこれほどまで法令違反が横行しているのか。そして、なぜ実習生の多くは労基署などを通じて異議を申し立てないのか。そこにはここまで見てきたいくつもの構造的な理由が関わっている。 現在の制度では、ある実習生が日本で事前の期待通りの経験をできるかどうかは運次第、たまたま良い企業に当たるかどうか次第という状況になっている。送り出し機関や監理団体、実習先企業が悪質であったら万事休すだ。 日本で稼ぎたい、技術を学びたい、その思いが多額の借金、何重もの中間搾取、強制帰国の脅しや社会的な孤立状態への追い込みによって裏切られていく。 それは、一つひとつのブラック企業の問題であるだけでなく、それ以上に技能実習制度という制度そのものの成り立ちから構造的に発生している問題だ。 その現実を、今真摯に見つめ直す必要がある。 技能実習は多種多様な産業で利用され、気づいていようがいまいが、私たちの生活はすでにこうした構造を前提に成り立っている。しかも技能実習(約30万人)は日本の移民政策が抱える数多くの問題の一部に過ぎない。在日外国人はいつの間にか300万人に迫る。 幸いにも日本は民主主義国家だ。制度や政策に問題があると多くの人が思えば変えることもできる。いずれにせよ、一歩目は常に現実を知ること、直視することからだ』、技能実習制度の見直しには時間がかかるので、先ずは、技能実習生のための「駆け込み寺」を全国各地に作り、周知徹底させることから始めるべきではなかろうか。
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米中経済戦争(その8)(ついに「長征」を宣言した習近平氏 米国との持久戦を覚悟、トランプ氏“ファーウェイ発言”の裏にワシントンの暗闘、米中協議 再開しても変わらぬ対立の基本構図) [世界情勢]

米中経済戦争については、5月18日に取上げた。G20での米中首脳会談も踏まえた今日は、(その8)(ついに「長征」を宣言した習近平氏 米国との持久戦を覚悟、トランプ氏“ファーウェイ発言”の裏にワシントンの暗闘、米中協議 再開しても変わらぬ対立の基本構図)である。

先ずは、6月4日付け日経ビジネスオンライン「ついに「長征」を宣言した習近平氏、米国との持久戦を覚悟」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00019/053100056/?P=1
・『1934年、国民党軍と戦っていた中国共産党軍10万人は拠点としていた江西省瑞金の地を放棄し、壮絶な行軍を始めた。約2年の歳月をかけ1万2500kmを移動して陝西省延安にたどり着いた時、残っていたのはわずか2万人とも3万人とも言われている。この長期にわたる行軍の中で、毛沢東は共産党における指導権を確立した。 中国近現代史におけるハイライトの1つ、「長征」と呼ばれる出来事である。無残な敗退戦だったとの見方もあるが、中国では長征を歴史的偉業と位置づけている。形勢不利の中でも持久戦に切り替えて耐え忍んだことが反転攻勢のきっかけとなったことは間違いなく、この出来事は中国共産党のDNAに深く刻まれた。 5月20日、長征の出発地を訪れた習近平国家主席は「今こそ新たな長征に出なければならない」と国民に呼びかけた。米中貿易交渉は行き詰まり、対立が激化している。米国との争いの短期決着は諦め、持久戦に持ち込むとの宣言とも取れる。 世界経済にとって現時点で考えられる最良のシナリオは、6月末に大阪で開催される20カ国・地域(G20)首脳会議に伴って行われる米中首脳会談で両国の貿易交渉が着地することだ。だが、もはやそのシナリオは楽観的すぎるとみたほうがよいだろう。 関税引き上げに続いて、トランプ米大統領が打ち出した華為技術(ファーウェイ)への執拗な制裁は「何の証拠も示さずに民間企業を痛めつけることが許されるのか」と、中国では衝撃と反発をもって受け止められた。国営メディアでも連日厳しいトーンでの報道が続いており、安易な妥協はしないという共産党指導部のメッセージと受け止められている。 「大阪で米国との貿易交渉がまとまる可能性は、ほぼなくなった。あるとすれば、トランプ大統領が得意の変わり身で譲歩した場合だ」。かつて政府機関に身を置いたある共産党員は、こう解説する。米中交渉がまとまらなければ、中国経済が大きなダメージを受けることは間違いない。「10年ほどは苦しい状況が続くだろう。だが、その後の中国経済はさらに強くなる」(同)。 米中両国の交渉は典型的な「囚人のジレンマ」に陥っている。両国経済にとってのベストなシナリオは早期に貿易戦争が終わることだ。すなわち米国は追加関税と華為技術(ファーウェイ)制裁を解除、中国は国有企業を保護するため産業補助金の撤廃や技術移転の事実上の強要を禁止する。だが、どちらか一方だけが実行し、もう一方が実行しなかった場合、実行した側が大きな損失を被るため、互いに不信感を募らせている状況では実現しない』、「米中両国の交渉は典型的な「囚人のジレンマ」に陥っている」とは言い得て妙だ。
・『天安門事件後は「豊かさ」で国民の不満を抑え込む  このままの展開が続けば、待ち受けるのは経済や技術のブロック化だ。問題はそれが中長期的に必ずしも米国にとって有利に働くとは限らない点にある。次世代通信技術では中国は世界最先端の地位を確立した。国家規模でのビッグデータやAI(人工知能)活用においても、プライバシーなどの壁をクリアしなければならない民主主義国家に比べて中国が有利だ。弱点である半導体などの技術分野も急ピッチで追い上げている。中国がブロック経済圏を確立してしまえば、技術的にも経済的にも米国の影響力はむしろ失われる。 一方の中国にも弱みはある。今日6月4日は1989年に起きた天安門事件からちょうど30年に当たる。民主化を訴える学生への武力行使は、中国共産党にとっては消し去りたい記憶だ。節目を迎える中で、海外メディアによる天安門事件についての記事が目立つ。肝心の中国国内における民主化運動は下火だが、それも経済的な豊かさがあってこそ。天安門事件以降、中国共産党は経済成長を以前にも増して追求し、国民に豊かさを享受させることで、一党独裁体制の安定を図った。 民主化への動きが下火になっている現状は、そのもくろみが現段階ではうまくいっているということだろう。ただし今後、貿易戦争による経済の混乱が拡大し、長期化すれば、現在の政治体制への不満が噴出しかねない。それは中国政府にとって最も避けたい展開だろう。 激しさを増す米中の貿易戦争。「新長征」を呼びかけた習国家主席はこれを共産党の存続をかけた戦いと位置づけたのかもしれない。だとすれば、両国の争いが容易に収まることは考えづらい。日本経済への影響もさらに大きなものになりそうだ』、「「新長征」を呼びかけた」とはいえ、「天安門事件後は「豊かさ」で国民の不満を抑え込」んできただけに、いまさら耐乏生活に戻ることは無理で、米国に対する交渉上のポーズだろう。ただ、長期化すれば、日本にも深刻な影響が及ぶことは覚悟する必要がありそうだ。

次に、元・経済産業省米州課長で中部大学特任教授の細川昌彦氏が6月30日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「トランプ氏“ファーウェイ発言”の裏にワシントンの暗闘」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00133/00012/?P=1
・『G20大阪サミット(主要20カ国・地域首脳会議)で、特に世界の注目が集まったのが米中首脳会談だ。大方の予想通り、新たな追加関税は発動せず、貿易協議を再開することで合意した。一応の“想定内”で、市場には安堵が広がった。しかし、その安堵もつかの間、トランプ米大統領の記者会見で激震が走った。中国の通信機器大手・華為技術(ファーウェイ)との取引を容認すると発言したからだ。 早速、各メディアは以下のような見出しを打った。「華為技術(ファーウェイ)との取引容認」「ファーウェイへの制裁解除へ」 だが、トランプ大統領の発言だけで判断するのは早計だ。米中双方の政府からの発表を見極める必要がある。 確かに、トランプ大統領は記者会見で、「(米国企業は)ファーウェイに対して製品を売り続けても構わない」と言った。しかし、同時に「ファーウェイを禁輸措置対象のリストから外すかどうかについては、まだ中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席と話していない。我々が抱えている安全保障上の問題が最優先だ。ファーウェイの問題は複雑なので最後まで残すことにした。貿易協議がどうなるかを見ていきたい」とも語っている。そして「安全保障上の問題がないところは装備や設備を売ってもいい」と付け加えているのだ。 もともと、米国の法律上、ファーウェイに対して「事実上の禁輸」になっているのは、ファーウェイが「安全保障上の重大な懸念がある」と米商務省によって認定され、いわゆる“ブラックリスト”に載ったからだ。「事実上」というのは、“ブラックリスト”の企業に輸出するためには、商務省の許可が必要になり、それが「原則不許可」の運用になるからである。現在でも「安全保障上問題がない、例外的なケース」は許可されている。 従ってトランプ発言は、単に現行制度について発言しているにすぎず、何か変更があったとしても、せいぜい、若干の運用を緩和する程度だという見方もできる』、「(米国企業は)ファーウェイに対して製品を売り続けても構わない」とのトランプ発言の含意が漸く理解できた。確かに、「ファーウェイの問題は複雑」なようだ。
・『超党派の議員から「トランプ発言」への批判が噴出  ファーウェイはツイッターで、「トランプ氏はファーウェイに米国のテクノロジーを購入することを再び許可すると示唆した」と発信し、自社の都合のいいように受け止めている。だが、果たしてどうだろうか。 昨年春、米国が中国の大手通信機器メーカー・中興通訊(ZTE)への制裁を解除した時は、ZTEは罰金支払いや経営陣の入れ替えに応じた。ファーウェイに対しても禁輸措置の解除に向けて何らかの条件を付けるべく、今後協議が行われるかのような報道もあるが、これもなかなか難しいだろう。 米ワシントンではこうしたトランプ氏の発言に対して早速、民主党のシューマー上院院内総務や共和党のルビオ上院議員が厳しく批判している。「ファーウェイの問題は安全保障の問題で、貿易交渉で交渉材料にすべきではない」というのが、米国議会の超党派の考えだ。 昨年春、トランプ大統領が習主席からの要求に応じてZTEの制裁を取引で解除したことは、彼らにとって苦々しい経験となっている。大統領選に立候補を表明しているルビオ上院議員にいたっては、大統領が議会の承諾がないまま、勝手に貿易交渉で安全保障の観点での制裁を解除できないようにする法案まで提出している。 仮に今後、ZTEのようなパターンになりそうならば、トランプ大統領は選挙戦において共和党からも民主党からも厳しい批判にさらされることは容易に想像できる。 果たしてファーウェイへの制裁がどういう方向に行くのか、大統領選も絡んでもう少し見極める必要があるようだ』、「ファーウェイの問題は安全保障の問題で、貿易交渉で交渉材料にすべきではない」という「米国議会の超党派の考え」は、トランプにとってはやり難そうだ。
・『トランプvs“オール・ワシントン”の綱引き  私はトランプ政権を見るとき、トランプ大統領とトランプ大統領以外の“オール・ワシントン”を分けて考えるべきだ、と当初より指摘してきた(関連記事:米中の駆け引きの真相は“トランプvsライトハイザー” 、以降、“オール・アメリカ”よりも“オール・ワシントン”の方が適切なので、表現を改める)。“オール・ワシントン”とは議会、政権幹部、シンクタンク、諜報機関、捜査機関などのワシントンの政策コミュニティーである。 トランプ大統領自身は関税合戦によるディール(取引)に執着している。今や2020年の大統領再選への選挙戦略が彼の頭のほとんどを占めていると言っていい。すべてはこの選挙戦にプラスかマイナスかという、いたって分かりやすいモノサシだ。中国に対して強硬に出る方が支持層にアピールできる。民主党の対抗馬からの弱腰批判も避けられると思えば、そうする。追加関税の引き上げが国内景気の足を引っ張り、株価が下がると思えば、思いとどまる。株価こそ選挙戦を大きく左右するとの判断だ。 他方、後者の“オール・ワシントン”の対中警戒感は根深く、トランプ政権以前のオバマ政権末期からの筋金入りだ。ファーウェイに対する安全保障上の懸念も2000年代後半から強まり、この懸念から2010年には議会の報告書も出されている。米国の技術覇権を揺るがし、安全保障にも影響するとの危機感がペンス副大統領による“新冷戦”宣言ともいうべき演説やファーウェイに対する制裁といった動きになっていった。 この2つはある時は共振し、ある時はぶつかり合う。 昨年12月、ブエノスアイレスでの米中首脳会談の最中に、ファーウェイの副社長がカナダで逮捕された件はこれを象徴する。トランプ大統領は事前に知らされなかったことを激怒したが、捜査機関にしてみれば、トランプ大統領に習主席との取引に使われかねないことを警戒しての自然な成り行きだ。 そして5月15日には米国商務省によるファーウェイに対する事実上の輸出禁止の制裁も発動された。これはこの貿易交渉決裂の機会を待っていた“オール・ワシントン”主導によるものだ。 実はファーウェイに対する事実上の輸出禁止の制裁は2月ごろから米国政府内では内々に準備されていた。それまでのファーウェイ製品を「買わない」「使わない」から、ファーウェイに「売らない」「作らせない」とするものだ。ファーウェイもこの動きを察知して、制裁発動された場合に備えて、日本など調達先企業に働きかけるなど、守り固めに奔走していた。しかし次第に貿易交渉が妥結するとの楽観論が広がる中で、発動を見合わせざるを得なかったのだ。そうした中、この切り札を切るタイミングが貿易交渉決裂でやっと到来したのだ』、「ファーウェイの副社長がカナダで逮捕された件」を「トランプ大統領は事前に知らされなかった」のは、「捜査機関にしてみれば、トランプ大統領に習主席との取引に使われかねないことを警戒しての自然な成り行き」だったとは初めて知った。捜査機関もなかなかしたたかなようだ。
・『ファーウェイ問題、第2ペンス演説、そして香港問題   “オール・ワシントン”にとって、ファーウェイは本丸のターゲットだ。前述のZTEはいわばその前哨戦であった。今回も習主席は昨年のZTE同様、ファーウェイへの制裁解除を首脳会談直前の電話会談で申し入れていた。 トランプ大統領がこの本丸まで取引材料にすることを警戒して、“オール・ワシントン”もそれをさせないように、水面下でさまざまな手を打ってトランプ大統領をけん制していたようだ。 ペンス副大統領による中国批判の演説を巡る綱引きもそうだ。 中国との新冷戦を宣言した、有名な昨年10月のペンス演説に続いて、天安門30年の6月4日、中国の人権問題を強烈に批判する「第2ペンス演説」が予定されていた。トランプ大統領はこれに介入して、一旦6月24日に延期され、更に無期限延期となっている。米中首脳会談をしたくてしようがないトランプ大統領が、その妨げになることを恐れ介入したのだ。 これに対し、 “オール・ワシントン”もさらなる対中強硬策を繰り出す。本来、予定されていた第2ペンス演説には、中国の大手監視カメラメーカー・ハイクビジョンなど数社に対する制裁の発動も盛り込まれていた。これが当面、表に出なくなったことから、次に用意していた中国のスーパーコンピューター企業への制裁を急きょ発動したのである。 香港問題についてもポンペオ国務長官は「首脳会談で取り上げる」と香港カードを振りかざしていたが、中国は「内政問題」として首脳会談で取り上げることに強く反発していた。人権問題に全く無関心なトランプ大統領本人は、「中国自身の問題」と至って淡泊で、首脳会談で取り上げられることもなかった。 中国は「敵を分断する」のが常とう手段だ。トランプ大統領と対中強硬派の“オール・ワシントン”を分断して、組み易いトランプ大統領とだけ取引をする。そんな大統領の危なっかしさは今後、大統領選で増幅しかねない。“オール・ワシントン”が警戒する日々が続く』、「中国の人権問題を強烈に批判する「第2ペンス演説」が予定されていた。トランプ大統領はこれに介入して・・・無期限延期となっている」、副大統領とまで対立していたとは初耳だ。「中国は「敵を分断する」のが常とう手段」なので、「“オール・ワシントン”が警戒する日々が続く」というのは面白い。
・『前回の首脳会談より後退した貿易交渉の再開  貿易交渉そのものについては、第4弾の追加関税は発動せず、貿易交渉を再開することで合意した。これはまるで昨年12月のブエノスアイレスでの米中首脳会談の光景を繰り返しているようだ。トランプ大統領の本音が経済状況からさらなる関税引き上げをしたくない時のパターンなのだ。この時、NYダウは乱高下して先行き懸念が持たれていた頃だ。 その際、私はこう指摘した。 「トランプ大統領は習近平主席との取引をしたがったようだ。米国の対中強硬路線の根っこにある本質的な問題は手付かずで、90日の協議で中国側が対応することなど期待できない。制度改正など政策変更を必要とするもので、中国国内の統治、威信にも関わる」「今回の“小休止”はクリスマス商戦を控えて、さらなる関税引き上げを避けたぐらいのものだ。これらは何ら本質的な問題ではない。」(関連記事:G20に見る、米中の駆け引きの真相とは) 今回はこの90日という交渉期限さえ設けられていない。いつまでもズルズルといきかねない』、その通りなのだろう。
・『苦肉の交渉カード集めに奔走した習近平  5月初旬の貿易交渉決裂後、米中の攻防はなかなか見ごたえのあるものだった。常に米中双方の交渉ポジションは流動的で、ダイナミックに変化する。 本来、貿易戦争の地合いは国内経済状況を考えれば、圧倒的に米国有利のはずだった。中国国内の失業率は高く、経済指標は悪化をたどっている。関税引き上げによる食料品の物価は上昇しており、庶民の不満も無視できない。他方、米国経済は陰りの兆しが出てきたといっても、米連邦準備制度理事会(FRB)の利下げ予想もあって依然、高株価を維持している。米中の相対的な経済の体力は明らかに米国有利だ。ただし、これはトランプ大統領が焦りさえしなければ、という条件付きだ。 5月10日、閣僚級の貿易交渉が決裂して、米国による2000億ドル分の中国製品に対する追加制裁関税が発動された。前述のように5月15日にはファーウェイに対する事実上の輸出禁止の制裁も発動された。 ここまでは明らかに米国の攻勢に中国は受け身一辺倒で、中国指導部は手詰まりで焦りがあった。中国指導部としては党内の対米強硬派や国内世論の不満をなだめなければならない。そのために対米交渉を“対等”に闘っている姿を見せるための交渉カードを早急にそろえる必要があったのだ。8月には定例の重要な会議である北戴河の会議があって、党内の長老たちから対米交渉について厳しい批判を受ける恐れもある。 交渉カードの1つが、米国が輸入の8割を中国に依存するレアアースの禁輸のカードである。習主席が急きょレアアース関連の磁石工場を視察したり、レアアース規制のための検討委員会を設置したり、揺さぶりの動きを繰り出した。(関連記事:「反ファーウェイvsレアアース」の米中衝突を徹底解説) 更にファーウェイに対する制裁に協力する企業をけん制するために、中国版のブラックリストの策定も検討するという。中国製の先端技術の禁輸をほのめかすという、“空脅し”まで繰り出した。 この段階ではいずれも検討している動きを見せて、米中首脳会談に向けて揺さぶりになればよいのだ。そして米国が繰り出す対中制裁に対して“対等”に対応していることを国内に示せればよい。 香港問題で地合いが悪くなると、電撃的に北朝鮮を訪問して、交渉カードを補強したのもその一環だ。「中国抜きでの北朝鮮問題の解決はない」と、中国の戦略的価値を誇示できればよい。メディアの目を香港問題からそらす効果もある』、「手垢」のついたレアアース問題を持ち出したり、「電撃的に北朝鮮を訪問」などが、「交渉カードを補強」というのはなるほどと納得した。
・『中国に見透かされたトランプの焦り  6月に入ってからのトランプ大統領のツイッターを読めば、中国との首脳会談をやりたい焦りがにじみ出ていた。大統領再選の立候補宣言をして、選挙戦を考えてのことだ。 「会わないのなら、第4弾の3000億ドルの関税引き上げをする」 このように5月13日に第4弾の制裁関税を表明したものの、本音ではやりたくなかったのだろう。これまで累次の制裁関税をやってきて最後に残ったもので、本来やりたくないものだ。消費財が4割も占めて、消費者物価が上がってしまう。議会公聴会でも産業界からは反対の声の大合唱だ。選挙戦で民主党の攻撃材料にもなりかねない。そこで振り上げた拳の降ろしどころを探していた。 中国もそんなことは重々承知で、第4弾は「空脅し」だと見透かして、首脳会談への誘い水にも一切だんまりを決め込み、じっくりトランプ大統領の焦りを誘っていた。 中国にしてみればトランプ大統領の心理状態がツイッターの文面で手に取るようにわかる。 首脳会談をしたいトランプ大統領をじっくりじらして、直前のサシでの電話会談で条件を申し入れて首脳会談の開催を決める。こうして首脳会談は中国のペースで進んでいった』、「首脳会談への誘い水にも一切だんまりを決め込み、じっくりトランプ大統領の焦りを誘っていた。 中国にしてみればトランプ大統領の心理状態がツイッターの文面で手に取るようにわかる」、政治家のツイッター利用は、外交面ではマイナス効果のようだ。「ディールの達人」も形無しだろう。
・『“オール・ワシントン”の動きは収束しない  こうして本来、地合いが悪いにも関わらず、巧みな
駆け引きで中国ペースで終始した今回の米中首脳会談であった。 しかし貿易交渉を再開するといっても、それぞれ国内政治を考えれば、双方ともに譲歩の余地はまるでない。中国も補助金問題や国有企業問題などを中国にとって原理原則の問題と位置付けたからには、国内的に譲歩の余地はない。米国も大統領選では対中強硬がもてはやされる。あとは国内経済次第だ。急激に悪化して軌道修正せざるを得ない状況になるかどうかだ。 いずれにしても、関税合戦が収束しようがしまいが、米中関係の本質ではない。 根深い“オール・ワシントン”による中国に対する警戒感は、中国自身が国家資本主義の経済体制を軌道修正しない限り、延々続くと見てよい。中国がかつて、鄧小平時代の「韜光養晦」(注)に表面的には戻ろうとしても、一旦衣の下の鎧(よろい)が見えたからには、手綱を緩めることはまずない。 例えば、中国に対して量子コンピューターなどの新興技術(エマージング・テクノロジー)の流出を規制するための“新型の対中ココム(かつての対共産圏輸出統制委員会)”の導入の準備も着々と進められている。米国の大学も中国企業との共同研究は受け入れないなど、サプライチェーンだけでなく研究開発分野の分断も進んでいくだろう。 こうした中で、今後、日本政府、日本企業は、安全保障の視点でどう動くべきかという問題を米国側から突き付けられる場面も想定しておくべきだろう。 大統領選にしか関心のないトランプ大統領にばかり目を奪われず、“オール・ワシントン”の動きも見逃してはならない』、習近平が一時、大国意識丸出しで驕り高ぶって、「鎧」をひけらかしていたツケが出たのかも知れない。「トランプ大統領にばかり目を奪われず、“オール・ワシントン”の動きも見逃してはならない」、というのはその通りだろう。
(注)韜光養晦:とうこうようかい。爪を隠し、才能を覆い隠し、時期を待つ戦術を形容するために用いられてきた(Wikipedia)

第三に、元駐中国大使で宮本アジア研究所代表の宮本 雄二氏が7月2日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「米中協議、再開しても変わらぬ対立の基本構図」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00023/070100073/?P=1
・『日本がホストした今回の20カ国・地域首脳会議(G20サミット)は、改めてその重要性を世界に再確認させたと言ってよかろう。首脳宣言において「保護主義」という言葉はなかったが、自由貿易の原則は明記し、WTO(世界貿易機関)改革を進めることで合意を見た。日本が提唱する「大阪トラック」(データ流通、電子商取引に関する国際的なルール作り)も、この文脈の中で意味を持つ重要なイニシアチブだ。 成果は不十分、見通しは不明との厳しい評価もある。だが、世界の流れが、ルールよりも力、交渉よりも既成事実の押しつけに向かいかねない状況下で、よく健闘したと評価すべきだ。 定期的な首脳会議を含む国際対話のメカニズムは万難を排して生き残らせるべきだ。首脳会議というものは、休み時間でも待ち時間でも、いつでもできる。もちろん正式に時間をとって会談をしてもよい。首脳同士の意思疎通を図るきわめて重要なメカニズムなのだ』、「G20サミット」全体の評価は、立場上、甘くならざるを得ないのだろう。
・『変わらぬ、対立の基本構図  その中で最も関心を集めたのが米中首脳会談であった。米中交渉の継続が確認され、対中追加関税も先送りされ、米企業が華為技術(ファーウェイ)に部品を販売するのも認められることになった。これで世界は一息ついたということだ。 だが、その先に目をやるといかに厳しい現実が待っているか、すぐに分かる。本年5月、米中が交渉を中断せざるを得なかった基本構図はそのままだからだ。米国があらゆる手段を使って中国の台頭を押さえつけようとし、中国がそれに徹底抗戦――これがその構図だ。 その象徴が技術をめぐる覇権争いであり、当面、ファーウェイ問題に集約される。中国がこの問題の解決なしに米国と合意することはないと見られていたし、ドナルド・トランプ大統領もこの問題での譲歩をほのめかして、中国側の歩み寄りを促そうとしていた。米国は今回、そのトランプ流の交渉術を使って交渉継続の合意に持ち込んだのだろう。中国側は農産品の購入を約束したようだし、北朝鮮問題をめぐっては習近平国家主席が直前に訪朝し、トランプ大統領に土産を準備した。 しかしワシントンに目を向ければ、力で中国を押さえ込もうと考える対中強硬派の勢いは衰えていない。トランプ政権の中にも対中強硬派は多い。今後の米中折衝の中でファーウェイに関し、今回の首脳会談において果たして何が約束され、その具体的な中身は何だったのかについて、米中の間でもめる可能性は甚だ大きい。 トランプ大統領の記者会見での発言を聞いてもよく分からない。ファーウェイに対する米国政府の措置は米国の「国家安全保障」の観点からなされているものであり、大統領の一存で勝手に中身を変えられるものではないだろう。今回の合意の中身といわれるものが、米国内の政治状況に応じて変わっていく可能性さえあるのだ。 「チャブ台返し」外交は、人から「信頼」を奪い、合意の成立を著しく困難なものにしてしまう。米国がこれ以上の制裁を科さないと約束の上、今年5月の時点に戻り交渉を再開することにしたとしても、何が再交渉のベースなのかについて、またもめるだろう』、「「チャブ台返し」外交は、人から「信頼」を奪い、合意の成立を著しく困難なものにしてしまう」、というのはその通りだ。
・『中国の“待ちの作戦”は米国の“耐える力”を過小評価  中国も余裕しゃくしゃくというわけでは全くない。交渉再開の対価は大きい。3000億ドル分の対米輸出に対する新規制裁は回避したものの、2000億ドル分の制裁関税は5月に10%から25%に引き上げられたままだ。しかも交渉再開は農産品の購入と結びつけられている。ファーウェイもどこまで救済されるかはっきりしていない。習近平国家主席が緊張気味の渋い顔を続けるのも分からないわけではない。 しかし、この危機を乗り越えれば時間は中国に有利に作用するという確信めいたものはあるようだ。中国は生き残り、今より強くなるという見通しといってもよい。交渉を継続さえしていれば危機にはならない。今の状況をだらだら続けていけば、そのうち米国で変化が起こるという“待ちの作戦”といってもよい。ファーウェイなどの先端企業を全力で守りながら耐え忍ぶことになる。 この戦略的判断は、1つには、米国は国民の不満を抑えきれないが、中国は可能だという見方に裏打ちされている。経済的打撃がもっと米中の国民に及ぶようになれば中国の方が耐えられるという判断だ。しかしこの見方は、米国民が中国の台頭を真に脅威と見なしたときに示すであろう“耐える力”を過小評価している。ワシントンでは今や、中国がサイバー攻撃などの手段を使って米国の民主主義を壊そうとしているという見方まで出てきている。簡単に中国の方が有利だという結論にはならないのだ。 2つ目として、中国が最近「自力更生」を強調し始め、米国による締め出しに備えようとしている点を挙げることができる。中国が基本的には自力で今日の宇宙産業をつくり出したことは事実だ。だが、これから加速度的に拡大し深化する技術革新の世界を「自力」だけで生き延びることができるとは思えない。権威主義的な社会においても、上からの指示で知識や技術の「応用」を創新することはできる。しかし全く新しい知識や技術そのものの創新(イノベーション)は、全てのことを疑ってかかり、否定することのできる「自由な精神」がなければ不可能だ。少なくとも現在の中国共産党のシステムは、それを許容していない』、「中国の“待ちの作戦”は米国の“耐える力”を過小評価」というのはその通りだろう。。
・『中国における対外強硬派と協調派の争い  米中対立の激化は、中国国内のナショナリズムを刺激し、対外強硬派の勢いを強めている。中国語で米国は「美国」になる。「恐美派」や「崇美派」を批判する論評も増えてきた。その傾向を強めれば強めるほど自国に対する過大評価に陥りやすくなる。対外強硬姿勢は、南シナ海の軍事化を強め、フィリピンの漁船を圧迫し、尖閣諸島周辺への中国公船の連日の出没となる。2012年以来の中国の対外強硬姿勢が中国と周辺諸国との関係を悪化させ、中国の国際的孤立を招いたにもかかわらず、またそうしようとしている。 中国国内においても国際協調を求める声は決して小さくはない。しかし、自国の経済的利益を赤裸々に打ち出すトランプ政権の自国第一主義と対中経済制裁は、中国国民の反発を招き、中国国内の国際協調派の立場を損ねている。だがナショナリズムに煽(あお)られて米国のやり方にならい、中国が外国企業を敵味方に峻別(しゅんべつ)して圧迫するならば、多くの外国企業が中国市場から離れることになるだろう。結局、中国のためにならない。 中国国内も決して一枚岩ではないのだ。だが内政干渉もどきの米国の圧力に屈してぶざまな譲歩もできない。中国のこれからの発展の芽を摘むような米国の抑圧に屈することもできない。中国も狭い範囲でしか動く余地はないのだ。 米中が、どういう交渉をするかはそれぞれの国内事情が一層大きく影響するだろう。お互いに譲歩は難しい。衝突を避けながら国内向けに説明可能なギリギリの落としどころを探りながらの交渉となろう。 米中対立を全面的に解決するために払うべき国内的代価は、あまりに大きくなってしまった。全面的解決のためにはより大きなピクチャー、つまり追求する理念を国民に示して妥協の必要性を説き、国民の支持を得る必要がある。トランプ大統領にその理念はない。中国側も世界と協調するためには経済と軍事安全保障面の両方で方向の転換が不可欠であり、党と国民の支持を取り付ける必要がある。そう主張する中国国内の声はまだ小さい。 それでも、少なくとも交渉は続いているという印象を内外に与え続ける必要はある。米中ともに本当に衝突する気はないのに、不測の事態が本当に衝突を招きかねないからだ。交渉が停滞すれば再度、首脳会談をセットし、それをモメンタムとしながら交渉を続けていくこととなろう。 憂鬱な将来展望だが、それが新しい現実だと割り切るしかなかろう。日本外交は米中衝突を回避する努力を続け、経済界は最適オプションの再調整をする。それしかないだろう』、どうも「憂鬱な将来展望」は避け難いようだ。日本経済も大きなマイナスの影響を受けると覚悟した方がよさそうだ。消費増税どころではないのかも知れない。
タグ:「ファーウェイの問題は安全保障の問題で、貿易交渉で交渉材料にすべきではない」 中国に見透かされたトランプの焦り 大統領選にしか関心のないトランプ大統領にばかり目を奪われず、“オール・ワシントン”の動きも見逃してはならない 日経ビジネスオンライン 変わらぬ、対立の基本構図 (その8)(ついに「長征」を宣言した習近平氏 米国との持久戦を覚悟、トランプ氏“ファーウェイ発言”の裏にワシントンの暗闘、米中協議 再開しても変わらぬ対立の基本構図) 鄧小平時代の「韜光養晦」 超党派の議員から「トランプ発言」への批判が噴出 米中経済戦争 電撃的に北朝鮮を訪問して、交渉カードを補強 レアアースの禁輸のカード 「米中協議、再開しても変わらぬ対立の基本構図」 「チャブ台返し」外交は、人から「信頼」を奪い、合意の成立を著しく困難なものにしてしまう 苦肉の交渉カード集めに奔走した習近平 ファーウェイ問題、第2ペンス演説、そして香港問題 前回の首脳会談より後退した貿易交渉の再開 “オール・ワシントン”の動きは収束しない “オール・ワシントン”もさらなる対中強硬策を繰り出す ファーウェイに対して「事実上の禁輸」になっているのは、ファーウェイが「安全保障上の重大な懸念がある」と米商務省によって認定され、いわゆる“ブラックリスト”に載ったからだ 「トランプ氏“ファーウェイ発言”の裏にワシントンの暗闘」 トランプvs“オール・ワシントン”の綱引き 細川昌彦 宮本 雄二 トランプ大統領は事前に知らされなかったことを激怒したが、捜査機関にしてみれば、トランプ大統領に習主席との取引に使われかねないことを警戒しての自然な成り行きだ 天安門事件後は「豊かさ」で国民の不満を抑え込む ファーウェイの副社長がカナダで逮捕 米中首脳会談 “オール・ワシントン”の対中警戒感は根深く、トランプ政権以前のオバマ政権末期からの筋金入り 米中両国の交渉は典型的な「囚人のジレンマ」に陥っている 首脳会談をしたいトランプ大統領をじっくりじらして、直前のサシでの電話会談で条件を申し入れて首脳会談の開催を決める。こうして首脳会談は中国のペースで進んでいった 習近平国家主席は「今こそ新たな長征に出なければならない」と国民に呼びかけた 中国の人権問題を強烈に批判する「第2ペンス演説」が予定されていた。トランプ大統領はこれに介入して、一旦6月24日に延期され、更に無期限延期となっている トランプ大統領の心理状態がツイッターの文面で手に取るようにわかる トランプ大統領本人は、「中国自身の問題」と至って淡泊で、首脳会談で取り上げられることもなかった 香港問題についてもポンペオ国務長官は「首脳会談で取り上げる」と香港カードを振りかざしていたが 中国もそんなことは重々承知で、第4弾は「空脅し」だと見透かして、首脳会談への誘い水にも一切だんまりを決め込み、じっくりトランプ大統領の焦りを誘っていた 中国のスーパーコンピューター企業への制裁を急きょ発動 ファーウェイに対する米国政府の措置は米国の「国家安全保障」の観点からなされているものであり、大統領の一存で勝手に中身を変えられるものではないだろう 「長征」 米国があらゆる手段を使って中国の台頭を押さえつけようとし、中国がそれに徹底抗戦――これがその構図 「ついに「長征」を宣言した習近平氏、米国との持久戦を覚悟」 形勢不利の中でも持久戦に切り替えて耐え忍んだことが反転攻勢のきっかけとなった
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高齢化社会(その12)(老後2000万円問題で焦る人は「カモネギ」になる 人生には多くの選択肢があることを忘れるな、「老後2000万円」問題の落としどころは何か 公的年金、私的年金と税制の横断的な議論を、金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケ 年金制度改革の努力を台なしにしかねない) [国内政治]

高齢化社会については、6月18日に取上げた。今日は、(その12)(老後2000万円問題で焦る人は「カモネギ」になる 人生には多くの選択肢があることを忘れるな、「老後2000万円」問題の落としどころは何か 公的年金、私的年金と税制の横断的な議論を、金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケ 年金制度改革の努力を台なしにしかねない)である。

先ずは、投資銀行家のぐっちーさんが6月29日付け東洋経済オンラインに寄稿した「老後2000万円問題で焦る人は「カモネギ」になる 人生には多くの選択肢があることを忘れるな」の初めの4頁を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/289634
・『えー、世間は「老後に2000万円の貯金が必要だ!!」という話でかなり揺れてますね。さらには「還暦の貯蓄額25%が100万円未満 2000万円に遠く届かず」(共同通信社)などという報道もあり、「おいおい、ほんとにどうするんだ」、という気にもさせられます。 「老後2000万円問題」でやってはいけないこととは?  まあ、経緯はいろいろあるにせよ「老後に2000万円」などということを言い出す役所も「無責任」だとは思いますが、この問題の注意点は、明らかに他の所にあります。 「一番やってはいけないこと」を、絶対にしないことです。 「あー、おれは200万円しか貯金がないよ」、とか急に心配になって、ハイレバレッジだったり、元本返済すらも危ういトルコや南アフリカなどの国の「劣悪な債券」などを取りに行くことは、絶対に避ける。要は「鴨葱」(カモネギ)にならないように。これが最大の注意点です。 今回は、金融庁が間接的にお墨付きを与えちゃったわけです。「足りませんよ」と。なので、ワタクシに言わせれば、極端すぎると叱られるかもしれませんが、一斉に金融機関に号令を発して「個人の運用に力を入れろ!! 手数料をむしり取れ!!」といったも同然で、個人の運用の奪い合いにお墨付きを与えちゃったも同然なわけです。 「ほら、金融庁も足りないって言ってますよね。え?貯金200万円しかないんですか?ダメですね~、では金融庁もお墨付きの、この個人向け外貨建て変額保険(実際にはお墨付きなどない)があります。200万円なら最大1000万円になりますので、早く始めましょう!!」などと言われて乗ったら、それこそ人生「ゲームオーバー」です。 200万円が1000万円になるなんてことは、レバレッジ5倍ですから、通常の金融商品ではありえません。200万円に対する5倍のレバレッジはダウンサイドに関してもほぼ同様ですから、つまり200万円が40万円になるリスクを覚悟して運用する・・・羽目になります。例えば安心して大手銀行に預けたつもりが40万円になっちゃったらそりゃ、びっくりでしょう(笑) そもそも今のマイナス金利時代、100万円が150万円になることすら絵空事のようなもので、まずはこの「金融庁のお墨付き商品」のような勧誘から逃げることが一番のリスクヘッジです。 しかし、残念ながら、というか予想通り、いくつかの報道を見るとカモネギたちはすでに喜んで行列をなし、狩られつつあるようです・・・・・・どうやら「味噌」まで背負っていた様子・・・・・・(涙)。 余談ですが、投資の記事によく出て来るNISA(少額投資非課税制度)というのは、われわれ専門家から見ても、お薦めできる商品ではありますね。NISAは非課税限度枠が大きく、ある意味「どう運用をしても負けない」(非課税だから)商品なので、むしろまだ申し込んでない場合、これは早めに入った方がいいかもしれない』、いくら麻生大臣が金融審議会の報告書を受け取らないといっても、世間で話題になった以上、「カモネギたちはすでに喜んで行列をなし、狩られつつあるようです」と、悲劇的な将来が暗示されている。さすがぐっちーさんである。
・『「家を売る」「仕事を続ける」・・・選択肢はいくらでもある  それから、もう一つ。金融庁の報告書では収入は21万円で支出は26万円(65歳以上の夫と60歳以上の妻の場合)だとかいうわけです。もちろん、みんなが赤字だと決めつけた書き方をしているわけではありませんが、ワタクシは今、日常の生活では正直そんなに使っていません(笑)。 例えば、家のあるなし、などにもかかわる問題ではありますが(ワタクシは持ち家なし、賃貸)、支払いの前提が「年齢が変わっても未来永劫変わらない」という前提は非常におかしいですよね。ワタクシの場合で言うと30代のころは月に60万円ほどは絶対に生活費がかかっていました。これは子供の教育費などの比率が、非常に大きいわけです。 しかし、ワタクシの生活費を計算すると夫婦2人(還暦手前)で19万円ほど。「年金の金額内」になってしまっています。いろいろなケースを拝見していると、住宅ローンの返済という項目が60歳になってものしかかっていたり(もちろんそういう人はいるでしょうが)、不思議な支払い項目がたくさんあります。今は住宅が余っていますから、さっさと売って小さな賃貸に切り替えればいいことです。 さらに、不思議なのは今まで元気に働いていた人が、なぜ突然仕事を止めるという前提に立つのか? 奥様がスーパーのレジ打ちで月12万円、ご主人が警備員の仕事で月16万円稼げばどうなりますか?年金と合わせて月50万円を超えますから、もう楽勝でしょう。この程度のバイト先なら、東京でも地方でも事欠かない。60歳を過ぎて例えば「マッククルーデビュー」とか、おしゃれじゃないですか??どうしてこの議論からは「バイトする」、という当たり前のことが「欠落する」のでしょうか。 もう一つ、私は50歳の時に岩手県紫波町1年間移住していました。「しろーと農業」で月6万円稼ぎ、リンゴ農家のバイトで15万円。生活費は18万円くらいでした。だいたい「車保有しなくちゃ」と思って「車買う」と言うと、あちこちの人から「うちの車乗れ!」というオファーが舞い込むほどでしたから、50歳の時にでさえ定職なしに貯金が出来ちゃうんです。 岩手県というところは冬の暖房光熱費が高く、かなりエネルギーコストを支払うことになりますが、年金の24万円があれば楽勝で暮らしていけます・・・・・・というような情報がなぜ、出てこないのか??「地方移住の落とし穴」、みたいな特集ばっかりしている大手運用会社、不動産会社がスポンサーをやっているような媒体を見ていて、騙されて「こりゃいかん!」と言っているだけなんです。税金を投入してまで地方移住を誘致しようとしているのに、なぜ「老後を地方で暮らす」、という選択肢が出てこないのか、非常に不思議です。 東南アジアの国などは、すでに日本の非常に高い年金収入に目を付けていて、マレーシア、フィリピンなどが年金世代の招致に力を入れています。ここでもネガティブなことばかり語られますが、実際に体験してみた感覚から言うと「非常に良い」のです。 東南アジアもいろいろありますが、総じて10年前に比べれば政情も安定してきましたし、特に老人介護ということを考えるならこの2国はお薦めです(いつも思うのですが「フィリピンは危ない」とかいう人がメディアにたくさんいて、要するに調査不足で行って騙されてしまった人だけを取材して、そういう記事を書くわけですね。 その媒体のスポンサーが某大手投資信託会社だったりするから笑っちゃいます。しかし、実際体験はしていないでしょう?ワタクシなどは、「ホントはどうなんだ??」と、疑問があればすぐに行って体験してみる。そのうえで発言をします。なぜ、何も知らないのに記事を書くんでしょうか?信じられません)。 とにかく、これらの国には安くて若い人材がいくらでもいる。フィリピンなんて、介護の資格を持った若い人の報酬は月2万円ほどですよ!生活費については、場所にもよりますが、高くても月10万円と見ていればいいですね。日本の国力は、衰えたと言っても向こう20年くらいは間違いなく高いでしょうから、円を持っていれば「最強」です。 繰り返しますが、単に「2000万円足りないらしい!運用しないとやばいぞ!」という、この「鴨葱状態」が一番まずいのです。どうしてこういう他の選択肢がきちんと提示されないのか、それはそれで不思議ですよね。 前述のように、私は50歳の時に仕事で岩手県紫波町に行って、知り合いもたくさんできましたし、子供たちを一緒に育てるようなボランティアに参加することで、地元の住民ともコミュニケーションは十分に取れますし、住むのには全く問題がないわけですね。60歳の段階で「第2の人生をどこで送ろうか?」などと考えながら、40歳台から夫婦で旅行するのもすごく夢があるのではないでしょうか? アメリカなどでは移住が非常にお気楽で、キャンピングカー1台で全米どこへでも移動していきます。そして気に入ったところに住むのです。こういう高齢移動ローラーみたいな連中は結構たくさんいて、それはそれで楽しそうです。先日、私の友人もニューヨークを引き払い夫婦2人で全米を駆け巡り、結局コロラド州に落ち着いています。もう、子供の教育問題がないので、その意味で縛られる必要がないのです。若い頃は子供のために「良い学校のあるところじゃないと住めない」、とかいろいろ制約がかかるわけですが、もうこの年になれば関係ありませんよね。 ただし、この場合の「お気楽」というのは、制度が充実しているからのお気楽ではないのです。アメリカだと、夫婦二人の健康保険だけで最低でも10万円は必要で、ちょっと病院に行くと翌年は保険料が20万円とかになりますから、病院においそれとはいけないんです。 こんな制度の下でもアメリカでは「お気楽」で楽しむわけで、これは「本人たちの気持ちの問題」、というのが非常に大きい。飜って日本では、官庁を含め、「〇〇がなきゃいけない」、ではなくて「これも要らない、あれもいらない、これだけあれば大丈夫」、という話にどうしてならないのか? あまりにも杓子定規な皆さんにも、問題があるように思います』、報告書の前提は、あくまで「65歳以上の夫と60歳以上の妻の場合」ということで固定しているが、確かに「これも要らない、あれもいらない、これだけあれば大丈夫」となれば、話は大きく違ってくる。報告書は国民に危機感を持たせるための「脅し」の意味合いもあるようだ。
・『運用よりもまずは「お金を貯めること」から  このように老後(年金受け取り開始後)は実に選択肢が多いのに、一律で「2000万円必要ですよ」、と見えるようにやっちゃったのは、やはり金融庁のミスでしょう。まあ、金融機関は大喜びでしょうが「最後は自己責任で」、とか言われるこちらは、かないません。 そして最後に当たり前の話ですが・・・・・・金融商品を選ぶ前にまず、貯金をしましょう。本当は若いころからやれば楽ですが、貯金ができない原因があれば、それはさっさと取り除く。もう、後ろを向いている時間はありません。月5万円貯金すれば5年で300万円、10年で600万円ですから、このくらいまとまってくると運用をする価値が出てきます。それまで運用は必要ありません。騙されないように!! 致しましょう。このテーマについてはまた書きます!』、「騙されないように!! 致しましょう」というのは言い得て妙だ。

次に、慶應義塾大学 経済学部教授の土居 丈朗氏が6月24日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「老後2000万円」問題の落としどころは何か 公的年金、私的年金と税制の横断的な議論を」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/288203
・『6月3日に取りまとめられた金融審議会の報告書の記述が「老後30年で2000万円不足するのか」「公的年金だけで老後の生活は成り立たないのか」といった懸念を国民に抱かせたうえ、麻生太郎金融担当大臣が報告書を受け取らないという事態に発展した。 審議会の報告書は、大臣の部下である官僚が組織的に意思決定した決裁文書ではなく、委員である有識者の責任で取りまとめたものだ。したがって、国民から深刻な批判を浴びるような懸念を抱かせないよう、委員は報告書を作成するときに細心の注意を払うべきである。国民から批判を受けるような報告書を大臣が受け取らないという判断は当然ありうる。ただ、これが世論では大人げない態度に見えて、野党も麻生大臣の問責決議案を提出した』、自ら諮問した報告書を「大臣が受け取らないという判断は当然ありうる」というのは、御用学者らしい弁護に過ぎない。異例中の異例であることは確かだ。
・『与野党の議論は平行線、現状が放置されるだけに  加えて、「年金の検証、またも安倍内閣の鬼門になるか」で触れたように、今年は5年に1度行われる公的年金の財政検証の年である。ところが、参院選前に財政検証の結果が公表されず、6月19日に国会で開催された党首討論でもそのことがやり玉に挙がった。安倍晋三首相は「(年金財政について)検証している最中であり、報告は受けていない。政治の状況にかかわらず、しっかりと専門家が出てきて検証し、報告をしてもらいたい」と答弁した。 ただ、こうした事態の展開も参院選があってのことである。「安倍一強」の構図を崩しきれない野党が、ほぼ唯一となった政府批判の材料として「老後2000万円」問題を取り上げた面は否めない。 これまでの与野党の質疑を見ていても、老後2000万円問題に端を発した老後生活の不安を解消できるような建設的な具体案は出てきていない。このままでは、議論が平行線に終わって現状が放置されるだけである。 では、この問題の落としどころをどう見出せばよいか。それは、今年が参院選の年でなかったら進んだであろう議論の行方を想像するとよい。 歴史に「イフ」はないが、参院選がなかったら、今年後半にも老後の資産形成を支援する仕組みについて政府で議論が深められるはずだった。そのために、もともと予定されていた議論がある。それは、年金の財政検証とNISA(少額投資非課税制度)の恒久化の可否である』、なるほど。
・『安倍内閣発足時に議論の芽生えがあった  第2次安倍内閣が始まったばかりの頃から、その議論の芽生えがあった。2012年12月に発足した第2次安倍内閣は、組閣後すぐにNISAの新設を決めた。NISA制度は金融庁が所管するが、「NISAとiDeCo、これが税制面でお得な活用法だ」で指摘したように、非課税貯蓄の仕組みなので非課税の拠出枠をどの程度認めるかは、金融の問題というより税制の問題である。 2013年度の与党税制改正大綱は、「家計の安定的な資産形成を支援するとともに、経済成長に必要な成長資金の供給を拡大することが課題」であり、このために2014年1月から10年間、500万円の非課税投資を可能とするNISAを新設すると明記した。 ただ、大綱にもあるように、老後の資産形成支援ではなく、アベノミクスの3本の矢に資するように経済成長に必要な成長資金の供給を拡大する、つまり、株式や債券の投資を促すことが重視された。 しかも、NISAは恒久的な仕組みではなく、10年間の時限措置だったため、このことが冒頭の老後2000万円問題につながる波乱要因ともなる。2013年度の大綱では、NISAの拡大は今後の検討課題とするにとどまった。 翌2014年度の与党税制改正大綱は、「年金課税については、少子高齢化が進展し、年金受給者が増大する中で、世代間および世代内の公平性の確保や、老後を保障する公的年金、公的年金を補完する企業年金をはじめとした各種年金制度間のバランス、貯蓄商品に対する課税との関連、給与課税等とのバランス等に留意して、年金制度改革の方向性も踏まえつつ、拠出・運用・給付を通じて課税のあり方を総合的に検討する」と明記した。 このとき、企業年金などとともに、NISAが老後の生活を支える資産形成であるという観点が入ってきた。今回の金融審議会の報告書にある論点も、1つはここに端を発している。ただ、2014年度大綱の表現は穏当だ。「公的年金だけでは足りない」などとは書いておらず、「公的年金を補完する」仕組みを総合的に検討するとしている。 これに対し、金融審議会の報告書は「老後の生活において公的年金以外で賄わなければいけない金額がどの程度になるか」という問題設定を打ち出してしまったため、公的年金の「100年安心」をうたう政府のスタンスと矛盾しかねない報告書となってしまった』、要は公的年金だけでは足りないので、自助努力としてNISAで補完させたいということ自体は、「100年安心」との整合性をどう取るかは別にすれば、全うな主張であった。
・『欧米でも公的年金だけで豊かな老後は送れない  こうした議論の背景があって、今年に入って老後の資産形成のあり方を考える議論が加速した。公的年金は社会保障審議会年金部会で、企業年金や個人年金は同じ社会保障審議会の企業年金・個人年金部会で議論され、NISAを中心とした議論は金融審議会で進められた。そして、欧米諸国における企業年金、個人年金と非課税貯蓄制度について、政府税制調査会は現地調査を実施した。 欧米諸国を見ても、公的年金だけでリッチな老後生活が送れる国はない。私的年金や非課税貯蓄制度と補完し合いながら、老後の生活に備えている。頭ごなしに「2000万円が必要」というような金額ありきの議論は欧米でもしていない。 老後の生活を支える公的年金の給付水準を見極めながら、私的年金や非課税貯蓄制度を考えていかなければならない。その際、公的年金でどこまで老後の生活を保障するかについて、大別して2つのグループに分けて考える必要があろう。 それは、現役時代に老後に備えた貯蓄をする余裕がない人と、貯蓄する余裕がある人である。ここでいう貯蓄とは、定年退職時の退職金も含まれる。 現役時代に老後に備えた貯蓄をする余裕がない人にとって、公的年金が老後の生活を保障する命綱になっている。そうした人たちの公的年金を大幅にカットすると、死活問題になる。それは、私的年金や非課税貯蓄制度を拡充して補えるものでもない。 したがって、老後の余裕がない人たちに対する公的年金は、税財源を追加しつつ、給付水準を維持する仕組みを作らなければならない。金融審議会の報告書は、そうした人たちへの配慮に欠けていたといわざるをえない』、「老後の余裕が」ある人たちに対する公的年金は、給付水準を抑制するとの考え方は、本来は所得再配分機能を持っていない年金制度の大改革になる。
・『前のめりになりすぎた金融審議会の報告書  他方、老後に備えた貯蓄する余裕がある人は、過剰に貯蓄を残しては現役時代の消費を楽しめない。老後に備えてどの程度の貯蓄をすればよいかという目安は必要だ。しかも、貯蓄をする余裕のある時期だけ貯めて、出費がかさんで余裕がない時期にはやめるのでなく、毎年定額でコツコツと貯めてゆき、投資信託などに分散投資をすることで老後に備えた資産形成をしていくことが重要だ。 金融審議会報告書は、そこを意識したのはいいが、NISAの恒久化という税制改正要望に前のめりになり過ぎた。NISAは、前述のとおり時限措置なので、その恒久化が金融庁の悲願ではあるが、それはNISA単体で論じるべきものではなく、公的年金と私的年金を含めた全体像の中で議論すべきものだ。 老後の資産形成に関する議論は、年金の財政検証とともに参院選後に持ち越され、老後2000万円問題で与野党間の政争の具となり、虚心坦懐な議論をしにくくなってしまった。 とはいえ、国民が抱く老後の不安を払拭することは急務だ。政府与党は政争の具にすることを避け、不都合な真実があっても国民には正直に示しつつ、公的年金と私的年金と非課税貯蓄制度のあり方について制度横断的に議論を進めるべきだ』、正論であり、その通りだ。

第三に、慶應義塾大学商学部教授(社会保障論)の権丈 善一氏が7月1日付け東洋経済オンラインに寄稿した「金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケ 年金制度改革の努力を台なしにしかねない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/289562
・『金融庁審議会の市場WG(ワーキンググループ)の報告書で世間は炎上しているようで――そのきっかけは、金融庁WG報告を次のように報道した朝日新聞の記事だったとのことである。 報告書案によると、年金だけが収入の無職高齢夫婦(夫65歳以上、妻60歳以上)だと、家計収支は平均で月約5万円の赤字。蓄えを取り崩しながら20~30年生きるとすれば、現状でも1300万~2000万円が必要になる(『朝日新聞』2019年5月23日)。 この記事がSNSに流され、老後資金2000万円問題として炎上していった』、どのように料理するのだろう。
・『金融商品を売る金融庁のアプローチ  先日の授業で、いま君が証券会社の社員だとして、お客さんに株を売りたいとする。お客さんに、老後の生活費として公的年金のほかにどのくらいの資金を準備したほうがよいかを示す数字として、君たちは、その平均値、中位値(分布の真ん中の数字)、最頻値(分布の中で最も頻度の多い数字)のどれを示す?と考えてもらった。 みんなは証券会社の社員なのだから、とにかく商品を売りたい。そういう前提の下では、だいたいみんなが平均値を顧客に示すと答えてくれる。というのも、横軸に老後のための必要資金をとり、縦軸に人数をとったグラフを描くと、右裾が長く伸びた分布になるために、左から、最頻値、中位値、平均値の順番に並ぶことになる。 平均値を顧客に示したほうが生活費の不足に危機感を抱き、株を買ってくれそうな人たちが多くなるからである。中位値や最頻値を示していては、恐怖をあおって商品を販売するマーケティング手法が成り立たない。 これと同じ手法が、今回の金融庁の報告書で使われていた。この報告書を読んだFP(ファイナンシャルプランナー)など多くのお金のプロたちは、「なにこれ?こんな形で老後資産の不足を求めるのは、金融商品を販売するときのアプローチと同じじゃない」と思ったようである。 どうして金融庁は、ああいう金融商品の販売員と同じアプローチをとったのか? 実は、あの報告書で最も大切なのは、「つみたてNISA については(中略)時限を撤廃し、恒久的な措置とすることが強く望まれる」という一文であった。というのも、あの報告書は、金融庁が財務省につみたてNISAの税制優遇を求めるためにまとめられた陳情書だったからである。そして、税を扱う当局に対して、自分たちの商品が税制優遇に値することを示すためにまとめられているのだから、金融庁の報告書が、証券会社が顧客に金融商品を売るときのアプローチと一緒になるのは、ある意味必然であった。 例年8月末にまとめられる税制改正要望の昨年の金融庁版(2018年8月)の1番には、「1. 家計の安定的な資産形成の実現・NISA制度の恒久化等」と書いてある。 今年に入ると4月に?融庁主催の投資家向けイベント「つみたてNISAフェスティバル2019」が開かれ、金融庁長官は「NISAの利便性を?め、恒久化する。?助で??きする?活を?える制度にしたい。?座が増えるほど恒久化の道が開ける」と決意表明もしている。 同報告書を金融担当大臣(兼財務大臣)が受け取らないことにした後、次のような記事がでることになる。 時限措置であるNISAを恒久化するよう財務省に要望しており、今年は「勝負の年」になるはずだった。だが、ある同庁幹部は「報告書を土台に要望するはずが、その土台がなくなってしまった」と嘆く(『日本経済新聞』2019年6月14日)。 この一連の動きを眺めていておもしろかったのはその後の展開である』、「税を扱う当局に対して、自分たちの商品が税制優遇に値することを示すためにまとめられているのだから、金融庁の報告書が、証券会社が顧客に金融商品を売るときのアプローチと一緒になるのは、ある意味必然であった」、との指摘はズバリ本質を突いている。
・『麻生大臣の受け取り拒否とその後  当初、旧民主党の議員たちは、年金不信をあおれば選挙で有利になるという過去の経験に基づいて、今回も柳の下に隠れる何匹目かのどじょうを求めようと活気づき、老後資金2000万円炎上を利用し始めた。ところが、世間から一斉に、2009年に抜本改革を掲げて政権を獲得した後、年金に対して何もできなかった体たらくへの批判がなされてしまった。そこで、次の記事が出てくることになる。 野党内では「年金の制度論に踏み込めば、跳ね返ってくる」と危惧する声が相次いでいた(『日本経済新聞』2019年6月14日)。 その後、旧民主党の政治家たちは、年金制度を批判するのではなく、矛先を、麻生大臣の個人攻撃に変えていく。野党のこうした戦略変更はみごとにあたり、その直後から、報道は、大臣への批判一色になる。そうした報道の方向転換は、海で泳ぐ魚の群れが一斉に方向を変えていく様子を想起させるものでもあり、野党の政治家たちはメディアの扱いに慣れているものだと感心した。 さてここからが、この文章の本題になる。 麻生大臣が受け取らなかったと批判するストーリーにのっとれば、その報道の中では、金融庁市場WG報告は、時に判官贔屓の感情にも訴えられて正しい報告書であると見なさざるをえなくなっていく――しかし、冒頭に触れたように、はたしてそうなのか。あの報告書を受け取らなかったのは、公式には、「政府のスタンスと異なる」ということのようである。 「政府のスタンス」がどのようなものなのか、私は正確にはわからない。しかしながら、公的年金をできるだけ生活の頼りになる柱に育てていくことを長く考えてきた立場からすれば、あの報告書には大きな違和感があった。周辺に言っていたことは、「金融庁の報告書、僕なら受け取らないけどね」――その理由を、以下、書き残しておこうと思う。 2004年に、日本の公的年金保険は将来の保険料を固定する保険料固定方式に転換した。その際、当時の給付水準を維持していこうとすれば、仮に基礎年金への国庫負担を3分の1から2分の1に引き上げたとしても厚生年金保険料は22.8%になり、国民年金保険料は2万700円(2004年度価格)になることが試算されていた。 その保険料水準にまで上げることを拒んだ日本の公的年金は、厚生年金の保険料を18.3%、国民年金の保険料を1万6900円(2004年度価格)にとどめる選択をした。その時点で、将来の年金給付水準が下がることは運命づけられていたわけである。 そうしたなか、公的年金の設計と運営に関わる人たちは、将来の給付水準の低下を限りなくおさえ、「給付の十分性」をなるべく確保していく努力を続けてきた。と同時に、政策努力により改善される将来の給付水準を織り込んだ形で将来の年金の姿を描き、できるだけその姿を国民に示そうとしてきた。 その理由は、給付水準が下がる姿だけを示していたずらに国民に不安を与えたくなかったからであったし、改革の先にある希望のある社会を示すことで、改革への協力を国民に求めたかったからでもある。 具体的には、2004年の年金改革から5年後の2009年第1回目の財政検証で将来の問題がかなり具体的に可視化されることになり、それを受けた2013年の社会保障制度改革国民会議が動くことになる。 2013年8月にまとめられた社会保障制度改革国民会議の報告書では、年金部分の最後を次の文で締めている。 少なくとも5 年に1 度実施することとされている年金制度の財政検証については、来年実施されることとなっているが、一体改革関連で行われた制度改正の影響を適切に反映することはもちろん、単に財政の現況と見通しを示すだけでなく、上記に示した課題の検討に資するような検証作業を行い、その結果を踏まえて遅滞なくその後の制度改正につなげていくべきである。 ここで、国民会議報告書が「上記に示した課題」とは、次のようなものだ。 (1)マクロ経済スライドの見直し (2)短時間労働者に対する被用者保険の適用拡大 (3)高齢期の就労と年金受給の在り方 (4)高所得者の年金給付の見直し これら『社会保障制度改革国民会議報告書』の文言を「持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律(通称、プログラム法)」(2013年12月5日成立)が引き継ぎ、それを受けて、2014年の財政検証でオプション試算Ⅰ~Ⅲが行われた。 2014年財政検証の本体試算は、なにもしなければこうなるという絵姿を示しており、3つのオプション試算では、この方向で年金改革を進めるといずれもが将来の給付水準の底上げにプラスに働くことが確認されている』、さすが年金制度の専門家だけあって、問題がよく整理されている。
・『改革による給付改善効果は絶大  オプションⅠ、Ⅱ、Ⅲを複合した給付引き上げ効果は大きく、とくに基礎年金の給付改善効果は絶大で、第36 回日本年金学会(2016年10月28日)における小野正昭氏(現、日本年金学会代表幹事)の報告「将来に向けて検討すべき課題の整理」の中で、3つのオプション試算の複合効果が次のように示された。 経済前提ケースC所得代替率が1.27倍(所得比例1.09倍、基礎1.46倍) 経済前提ケースE所得代替率が1.31倍(所得比例1.09倍、基礎1.52倍) 経済前提ケースG所得代替率が1.46倍(所得比例1.12倍、基礎1.91倍) 日本年金学会で、小野氏は「この結果を見る限り、3つのオプションは、 選択的に実施するものではなく、セットで導入することが効果的と認められる」と結論づけていた。私が昔から言っているように、この国には、3つのオプションを実行した未来しか存在しえないのである。そのことを理解していないのが、年金関係者の中にも多すぎる。 その後、2016年には、主にオプションⅠのマクロ経済スライドの見直しが進められた。そして、今年の2019年財政検証では、オプションⅠからⅢに沿って、将来の給付水準を上げるための施策が試算されるであろうし、その方向に沿って、基礎年金の給付水準を上げるためにも一層の適用拡大を進める必要があり、年金受給の弾力化と被保険者期間の延長を求めて政策努力が展開されることになる。そしてそれを来年の年金改革で実行たらしめるために、すでに準備が何年もかけて行われてきていたわけである。 そうであるのに、金融庁が財務省に、つみたてNISAの恒久化を求める陳情をするために、現在進められている公的年金の改革、その周辺の働き方をはじめとしたさまざまな改革をまったく無視した報告書を出してきた。公的年金というのは、あおれば政局を作りやすい「将来不安」と関わるために、野党もメディアもつねに手ぐすねを引いて構えている極めてセンシティブな問題である。 慎重のうえに慎重を重ねて、揚げ足を取られないように細心の注意を払いながら事を進めなければならないのに、金融庁にはそうした配慮はまったくなく、野党やメディアに揚げ足を取られて炎上した。ここで説明した一連の動きを関わり知る年金の専門家が金融庁市場WGにいなかったことが一因だったと思われる。 願わくば、公的年金に寄せられるこのエネルギーを、1人でも多くの人に適用拡大を進める方向に収斂させ、そして、いずれは、基礎年金の給付水準を上げるために最も有効な方法である、被保険者期間を20歳から59歳までではなく、64歳までの45年に延長する改革を、たとえ国費1兆数千億円が必要であるとしても実現するために、年金に向けられるこのエネルギーを活かすことはできないかと思っていたりもする。 適用拡大については、自民党は「勤労者皆社会保険制度」と呼んでおり、骨太2019の中に「勤労者が広く被用者保険でカバーされる勤労者皆社会保険制度の実現を目指して検討を行う」と書き込まれるところまで来ている。ぜひ、積極的に進めてもらいたい。 ちなみに、私は、Basic IncomeをBIと呼ぶのならば、それよりも相当の長所をもち社会保障給付の約9割を占める社会保険Social InsuranceをSIと呼んで「勤労者皆SI」という呼び名で広まったほうがいいと思っており、今年の3月に同党の「人生100年時代戦略本部」で“BIよりもSIを”と話してきた。 公的年金を考えるサイドから、民間金融機関に期待される役割についても触れておこう。それについては、この炎上の最中に公開された、私のインタビューから引用しておく(インタビューそのものは5月7日だったが、ネットに公開されたのは6月7日)。 「年金は破綻なんかしていない、『わからず屋』は放っておこう」『週刊東洋経済plus』 ――これからの時代に資産運用はどう位置付けられるでしょうか。 これからは「先発」がワークロンガー(継続就業)、「中継ぎ」がプライベートペンション(企業年金や民間生命保険会社の年金保険)、「抑え」がパブリックペンション(公的年金)の「WPPの時代」になる。真ん中のP、プライベートペンションは資産運用で賄う。できるだけ長く社会参加し続け、かつ繰下げ受給で公的年金をもらい始めるとすると、プライベートペンションは退職から公的年金を受給するまでの「中継ぎ」になる。いま繰下げ受給の上限(70歳)を引き上げようとする動きもあるわけで、民間の金融機関には「抑えの切り札」となる公的年金の受給までのセットアップとしての資産運用の新商品を開発してもらいたい。これまで民間は65歳で受給し始めた年金に上乗せをする「先発完投型」を考えてきたわけだから、「先発・セットアップ・抑えの守護神」のWPPはコペルニクス的転回かな。 WPPの真ん中のP、プライベートペンションが幅と厚みを増してくれるためにも、つみたてNISAやiDeCoなどの充実は望ましいとは思う。ただし、詰めなければならない側面はいくつもある。 なぜ、老後資金を託す先が元本割れのおそれもある株式なのか、つみたてNISAは中所得者の利用もあるだろうが、この活用は、キャピタルゲイン課税が緩いとみなされているこの国で高資産家を一層優遇することにはならないか、老後の資産形成のために設けられているほかの税制優遇措置との整合性をどのように図るべきか等である。これらの問題はしっかりと議論されるべきであろう』、「一連の動きを関わり知る年金の専門家が金融庁市場WGにいなかったことが一因」、金融庁の担当局長は更迭されたらしいが、確かに重大な手落ちである。「つみたてNISA」の「活用は、キャピタルゲイン課税が緩いとみなされているこの国で高資産家を一層優遇することにはならないか」との鋭い指摘なその通りだろう。
・『財政検証と参院選の15年周期  今回の金融庁報告が炎上した理由は、老後資金を考えるうえでの公的年金保険への基本知識――「将来の給付水準は絶対的なもの、固定的なものではなく、可変的なもの、経済環境等によっても変わっていくが、自分たちの選択や努力によっても変えていけるものだという」ことが、金融庁の報告からは感じ取ることができなかったことにもあったのだと思う――いったん平均値を示して、後に但し書きを添えてもメディアは報道してくれない。 今年予定されている5年に一度の公的年金「財政検証」は準備ができ次第、将来の給付水準を上げる道筋を示すオプション試算とともに発表されるだろう。この財政検証は、3年に一度の参院選とは15年に一度重なる。ちょうど15年前は、財政再計算の前身である財政再計算が2004年に行われ、「未納三兄弟」という空騒ぎで盛り上がっていた。年金が政争の具とされることから得られたものは過去において何もなかった。 財政検証が8月以降になっても、来年の国会で改革が予定されている案をまとめるのには支障はない。政局を抜きにして冷静な議論をするためにも、いっそ、8月以降に財政検証を発表することを制度化してもらいたいくらいである。そうすれば、15年に一度、財政検証や年金改革に携わる人たちが、極めて重要な時期に炎上の火中に投じられ、膨大な時間を費やされることもなくなると思うんだが、まぁ、この国ではムリなんだろう』、「財政検証」の発表は参院選で先延ばしされたが、「政局を抜きにして冷静な議論をするためにも、いっそ、8月以降に財政検証を発表することを制度化してもらいたいくらい」、との主張は説得力がある。さて、どんなものが出てくるのだろうか。 
タグ:権丈 善一 前のめりになりすぎた金融審議会の報告書 公的年金をできるだけ生活の頼りになる柱に育てていくことを長く考えてきた立場からすれば、あの報告書には大きな違和感があった 欧米でも公的年金だけで豊かな老後は送れない 「金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケ 年金制度改革の努力を台なしにしかねない」 麻生大臣の受け取り拒否とその後 10年間の時限措置だったため、このことが冒頭の老後2000万円問題につながる波乱要因ともなる 株式や債券の投資を促すことが重視 あの報告書は、金融庁が財務省につみたてNISAの税制優遇を求めるためにまとめられた陳情書だった (2)短時間労働者に対する被用者保険の適用拡大 組閣後すぐにNISAの新設を決めた 安倍内閣発足時に議論の芽生えがあった 与野党の議論は平行線、現状が放置されるだけに 「「老後2000万円」問題の落としどころは何か 公的年金、私的年金と税制の横断的な議論を」 土居 丈朗 運用よりもまずは「お金を貯めること」から 「家を売る」「仕事を続ける」・・・選択肢はいくらでもある ・・・・・・どうやら「味噌」まで背負っていた様子 カモネギたちはすでに喜んで行列をなし、狩られつつあるようです この「金融庁のお墨付き商品」のような勧誘から逃げることが一番のリスクヘッジです (1)マクロ経済スライドの見直し 金融商品を売る金融庁のアプローチ 国民会議報告書 一斉に金融機関に号令を発して「個人の運用に力を入れろ!! 手数料をむしり取れ!!」といったも同然で、個人の運用の奪い合いにお墨付きを与えちゃったも同然 金融庁の報告書が、証券会社が顧客に金融商品を売るときのアプローチと一緒になるのは、ある意味必然であった 「老後2000万円問題で焦る人は「カモネギ」になる 人生には多くの選択肢があることを忘れるな」 東洋経済オンライン ぐっちーさん (その12)(老後2000万円問題で焦る人は「カモネギ」になる 人生には多くの選択肢があることを忘れるな、「老後2000万円」問題の落としどころは何か 公的年金、私的年金と税制の横断的な議論を、金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケ 年金制度改革の努力を台なしにしかねない) 高齢化社会 8月以降に財政検証を発表することを制度化してもらいたいくらいである 財政検証と参院選の15年周期 つみたてNISAは中所得者の利用もあるだろうが、この活用は、キャピタルゲイン課税が緩いとみなされているこの国で高資産家を一層優遇することにはならないか 一連の動きを関わり知る年金の専門家が金融庁市場WGにいなかったことが一因 改革による給付改善効果は絶大 (4)高所得者の年金給付の見直し (3)高齢期の就労と年金受給の在り方
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保険(その2)(東京海上が中核子会社を売却した「再保険」市場の厳しい現実、銀行が高齢者に外貨建て保険販売 殺到する苦情の信じ難い中身、節税保険に国税庁が示した規制案が「腰砕け」になった事情、損保ジャパン4000人削減「介護へ転属」の深層と この社会のバグ これは職業差別ではないのか) [金融]

保険については、昨年3月28日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(東京海上が中核子会社を売却した「再保険」市場の厳しい現実、銀行が高齢者に外貨建て保険販売 殺到する苦情の信じ難い中身、節税保険に国税庁が示した規制案が「腰砕け」になった事情、損保ジャパン4000人削減「介護へ転属」の深層と この社会のバグ これは職業差別ではないのか)である。

先ずは、昨年11月13日付けダイヤモンド・オンライン「東京海上が中核子会社を売却した「再保険」市場の厳しい現実」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/185170
・『東京海上ホールディングスが、再保険事業の中核となる子会社、トキオ・ミレニアム・リー(TMR)を売却することを決めた。 TMRといえば、毎年100億円規模の純利益を安定的に計上してきた“孝行息子”で、18年前の設立時には現会長の隅修三氏が携わるなど、東京海上にとっては特に思い入れが深い会社だ。 にもかかわらず、一体なぜ本体から切り離すという決断に至ったのか。きっかけの一つが、昨夏に米国で発生したハリケーンだ。 3度にわたって米国を襲来し、十数年に一度という甚大な規模の被害を及ぼしたことで、損害保険各社からリスクの一部を引き受けていた再保険会社は収益が急速に悪化。スイス・リーや独ミュンヘンなど大手の自己資本利益率(ROE)は、それまで10%台で推移(業界推計)していたものの、2017年は一気に2%台にまで悪化してしまったのだ。 TMRも保険金の支払いが膨らんだことで、17年は170億円超の最終赤字に沈んでいる。 ただ数年に一度のサイクルで、大規模な自然災害によって利益が大きく悪化するのは、各社にとっては分かり切ったことだ。 むしろ再保険会社にとっては、大規模な自然災害を受けて、以降の契約更改で再保険の料率をいかに引き上げ、その後の高収益につなげられるかが最大の焦点だった』、「スイス・リーや独ミュンヘンなど大手の」ROEが悪化したとはいえ「2%台」なのに、TMRが「170億円超の最終赤字」とは、TMRの経営の問題もあるのではなかろうか。
・『資本流入がもたらす変調  「2割程度は保険料率が上がるのではないか」 昨秋にはそうした期待の声が再保険各社から多く上がっていたものの、今年に入って待ち受けていたのは、更改しても料率が微増にとどまり、一部から悲鳴が上がるという厳しい現実だった。 背景にあるのは、世界的な金融緩和でだぶついたマネーの流入だ。機関投資家が災害時の保険金支払いリスクを引き受ける「大災害債券」を中心に、年金基金などの投資マネーが集中。再保険市場がいわば“資本過剰”に陥ることで、リスクに見合った再保険料を取りにくくなっているのだ。 年金基金などの第三者資本は、再保険市場に占める割合が足元で15%程度と5年前の2倍近い水準になっており、もはや一過性ではなく、構造的に保険料率の引き上げがしにくい状態といえる。 資本流入の潮目が変わる兆しも見えないという状況で、再保険事業にこれ以上経営資源を投入し続けるべきではない──。東京海上が今夏、そう判断を下して売却に踏み出したことで、グループの海外事業に占める再保険の割合は3%程度にまで縮小するという。 TMRの売却劇は、MSアムリンやSOMPOインターナショナルといった海外子会社を抱え、再保険の同割合が3割前後と大きい国内大手の戦略にも、今後じわりと影響を及ぼすことになりそうだ』、「世界的な金融緩和でだぶついたマネーの流入」で、「再保険市場がいわば“資本過剰”に陥ることで、リスクに見合った再保険料を取りにくくなっている」、金融緩和の影響がこんな市場にまで及んでいることに驚かされた。東京海上の撤退も当然なのだろう。

次に、2月13日付けダイヤモンド・オンライン「銀行が高齢者に外貨建て保険販売、殺到する苦情の信じ難い中身」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/193643
・『「一部の話とはいえ、思っていた以上にひどい内容で衝撃を受けた」 生命保険会社の幹部らが今、もっぱらそう話し、頭を抱えている調査結果がある。銀行などの金融機関代理店における顧客からの苦情について調べ分析したものだ。 中でも目を覆いたくなるのが、米ドルや豪ドルなど外貨建ての保険販売への苦情だ。2017年度の苦情受付件数は2000件超で、過去5年間で3.3倍にも膨らんでいるという。 苦情の内容で最も多いのが、「説明不十分」。「元本割れするとは聞いていない」「為替リスクについて十分な説明を受けていない」といった類いのものだ。ここまではほぼ想定通りだったが、驚くべきはここからだ。 調査結果を子細に見ていくと、メガバンクや地域銀行において「預金目的で来店したのに保険を契約させられた」「定期預金を契約したと思っていた」「そもそも保険を契約した覚えがない」といった信じ難い内容の苦情が、件数の上位に挙がっているのだ』、「定期預金を契約したと思っていた」「そもそも保険を契約した覚えがない」、契約したら保険契約書が渡される筈なので、にわかには信じ難い苦情だ。
・『0.1%の重み  銀行の窓口販売における苦情発生率は、1000件に1件。それを踏まえると、ごく一部の顧客がさまざまな同意書面にサインしたにもかかわらず、銀行に難癖をつけているだけのように見えてしまうが、そうではない。「契約した覚えがない」などと顧客に言わせてしまうほどに、実は銀行窓販がずさんであり、ゆがんでいるのだ。 ゆがんだ実態は、銀行が置かれた状況を考えればすぐに合点がいく。そもそも銀行は、融資によって利ざやを稼ぎにくいという構造不況に目下陥っている。そのためここ数年は、投資信託の販売といった損失リスクゼロの手数料稼ぎに熱を上げてきたが、その投信は株式市場の変調で売り上げが鈍化してしまっているのだ。 となると、残る選択肢は時に10%近い販売手数料が転がり込んでくる、外貨建て保険しかない。 販売手数料などの費用を差し引いた、外貨建て保険の実質的な利回りは1~2%台前半が多く、投信と比べると投資商品として明らかに見劣りするが、そんなことは銀行として百も承知だ。 むしろ、銀行窓口では利回りや投資リスクはさておき、高齢者をターゲットにして「預金を保険に振り替えれば節税につながる」などと相続対策を前面に出しながら、一時払いの外貨建て保険を強烈に売り込んでいるわけだ。 銀行窓販における苦情の約7割が、60歳以上の顧客ということからも、その様子がうかがい知れる。 高齢者への保険販売時に親族が同席することを内規で定めながら、実施率が全体の約3割にとどまるというデータもあり、銀行がトラブルを生みやすい環境を自らつくり出しているという側面もある。 高齢になるほど苦情発生率が高い傾向にあるため、今後銀行への風当たりはさらに強くなりそうだ』、銀行などへの顧客への説明義務は繰り返し強化されてきたが、それでも高齢者に投資リスクをろくに説明もせず、リスクの高い保険商品を売り込んでいるとは、困ったことだ。今後、訴訟などが頻発する懸念もあろう。

第三に、4月11日付けダイヤモンド・オンライン「節税保険に国税庁が示した規制案が「腰砕け」になった事情」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/199529
・『「正直なところ、拍子抜けしましたね」。4月10日夜、生命保険会社42社が集まった拡大税制研究会が終わると、参加した幹部たちは口々にそう話しながら会場を後にしていった。この日の会合には、国税庁の幹部が出席。注目を集めていた節税保険(法人定期、経営者保険)を巡る新たな税務処理案を生保各社に示したものの、その内容は腰が砕けたかのような手緩いものだった。 今から2カ月前、同じ会合の席で国税庁は、新種の節税保険が登場しては通達で厳しく規制してきた経緯を踏まえて、「業界とのいたちごっこを解消したい」「個別通達を廃止し、単一的な(資産計上)ルールを創設する」と言明。また新たなルールは、既契約にも影響が及ぶことをちらつかせ脅しをかけるなど、今にも鉄槌を下ろそうかという勢いだった。 その様子を見て、生保や販売代理店は震え上がり大騒ぎになったわけだが、10日の会合では意見募集(パブコメ)にかける前の段階で早々と、「既契約への遡及はしない」という方針を国税庁は示している。 さらに、新たな損金算入ルールにおいても、提示した案ではピーク時の返戻率が50%超から70%以下なら6割、返戻率70%超から85%以下なら4割を認めるとしており、「意外にも損金算入の割合が大きくてホッとした」との声があちこちで漏れたほどだった』、「節税保険を巡る新たな税務処理案を生保各社に示したものの、その内容は腰が砕けたかのような手緩いものだった」、情けない限りだ。
・『国税庁OBへの忖度で弱腰姿勢?  「OBたちを見殺しにできないということじゃないですかね」。国税庁の腰砕けの規制案について、大手生保の幹部はそう解説する。 そもそも節税保険は中小企業の経営者をターゲットにしており、保険会社の代理店として経営者に販売している主役は税理士たちだ。国税庁OBの多くが税理士として活躍する現状で、食い扶持を奪い、果ては受け取った販売手数料を戻入(れいにゅう)させるような税務処理の見直しには、なかなか踏み込みにくいというわけだ。 加えて、足元では統一地方選があり、今夏には参院選、10月には消費増税を控える中で、中小企業や税理士団体を敵に回すような施策には、政治家が黙っていないはずという見方もあった。 そうした要因が国税庁の判断にどこまで影響したかはまだ不明だが、規制当局としていかにも弱腰の姿勢をとり、生保業界と裏で握り合っているかのような印象を与えたことだけは確かだ。 11日以降、新たな税務処理ルールは意見募集にかけられ、早ければ6月に適用となる見通しだ。生保各社も順次、節税保険の販売を再開する傍ら、またぞろ新ルールの抜け穴を探すいたちごっこが始まることになる』、「国税庁OBの多くが税理士として活躍」、「今夏には参院選、10月には消費増税」などの事情を国税庁は初めから承知していた筈なのに、振り上げた拳を下した背景がよく分からない。とりあえず出しただけで、実現は来年以降と割り切っているのだろうか。

第四に、会社員ながら広範な社会問題についての言論活動を行う御田寺 圭氏が6月29日付け現代ビジネスに寄稿した「損保ジャパン4000人削減「介護へ転属」の深層と、この社会のバグ これは職業差別ではないのか」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65562
・『自己都合退職を促すスキーム  この国では、よほど重大な就業規則の違反行為がないかぎりにおいては、企業が正社員をやすやすと解雇するようなことはできない。 ご存知のとおり、これはいわゆる「解雇規制」が根拠になっている。経営者にとってみれば経済活動のフットワークを阻害する足かせのようにも思えるかもしれないし、従業員の側からすれば自分たちの身を守る盾であると見えるかもしれない。これ自体の評価は多面的なものといえる。 しかし一方で、多くの支社や営業所、グループ会社を抱える大企業には独自の「裏技」がある。その顕著な事例が、今回「損保ジャパン日本興亜の4000人削減計画」によって大きな話題となった「系列会社への転属」である。 この事例は「会社側としては、容易に正社員の首を切れない。ならば、自分から辞めてもらうようにそれとなく促す」というやり方の典型例と見ることができる。 〈損害保険ジャパン日本興亜が2020年度末までに、従業員数を17年度比で4000人程度減らす方針であることが24日、分かった。全体の約15%に相当する。ÎTを活用し、業務の効率化を進める。余った従業員は介護などを手掛けるグループ企業に配置転換し、新卒採用も抑える。希望退職者の募集は予定していない〉(時事ドットコムニュース、6月24日「損保ジャパン、4000人削減=ITで効率化、介護分野などに配転」より引用) 損保ジャパンといえばだれもが知る大手保険会社であり、そこに正社員で入社した社員は、全国のサラリーマンの水準からすればまさしくエリートであるだろう。 今回の施策には、そのような「選ばれし者」であるはずの彼らに「余剰人員」という評価を下し、本人らがおそらくは希望していないであろう異業種の会社に転属させることで、自己都合で退職を促す意図があると考えられる。 もし辞めずに転属先の会社にしがみついてくれるのであれば、それはそれで介護分野における人手不足解消に寄与する――まさに会社側はまるで損をすることなく、事実上の自主退職を迫ることができるという寸法だ。 この社会においては、正社員の「解雇」に対して強い規制が敷かれている一方で、「自己都合退職を促す行為」に対しては、必ずしもそうではない。結果的に「社員を会社から追い出す」という同じ目的を遂行する行為であるとしてもだ。 こうした「自己都合退職を促すスキーム」は、今回のように大規模なものは少ないにしても、方法論としては、それほど珍しいものではなくなっている。むしろ今後のIT化の波(と、特定分野における人手不足の高まり)によって、こうしたスキームはより活発になり、より頻繁かつ公然と行われることになるだろう。 ――という話だけで終わってしまうと、ただの時事寸評になってしまう。ここは、もう少し捻った切り口から、この出来事の深層を考察してみよう』、「損保ジャパン」は、ワタミの介護やメッセージなどを傘下に収め、今や介護・ヘルスケア事業では、売上高で業界2位、シニアリビングの居室数では業界1位と確固たる地位である。
・『介護への転属は「懲罰」なのか  まず、今回の一件に対する世論の反応としてとくに気になったのが、世間の人びとが、介護事業のことをある種の「懲罰」とか「苦役」とほとんど同一視しているということだ。 今回の損保ジャパンの「配置換え」で、何人の社員が介護関連事業へ移ることになるのかは不明である。だが前述の報道を受けて、ネットでは少なからぬ人が、転属先となる介護業種のことを「ブラック」「劣悪な業種」と評して憚らなかった。 こうした反応には、高い需要があり、またその需要が今後も増加していくと見込まれているにもかかわらず、介護従事者の待遇が一向に改善しない理由が端的に示されているように思える。 いわゆる「エリート」の多くは、介護事業など自分が従事すべきものではないと考えているだろうし、無理にそのような職種に従事させられることは、まさしく「罰」であると思えてしまうものなのかもしれない。部外者の反応も「大企業はおそろしい手段を持っているなあ」と恐々とするばかりで、介護事業への配置換えを「懲罰」と同様のものとしてとらえる人々の暗黙の意識については、ほとんど問題視されていないようだった。 ここに、現在の日本社会がとくに違和感なく内面化している差別意識が垣間見える。ただしそれは、かっこつきの「差別」としてカテゴライズされることもなく、もはや当たり前のものとして浸透しているようだが。 つまるところ、介護は「だれでもやれるような仕事」であり尊重されず、また同時に「だれもがやりたがらない仕事」であるがゆえに、「だれもやりたがらない仕事をあえてやっているような人は、きっと能力の低い人なのだから、そんな人の技能には高い賃金を支払わなくてもよい」――という理屈が導出されているのではないか。 たしかに介護事業は、かつて家族を構成するメンバーが豊富で、老後の面倒は家族がみるべきと考えられていた時代には家庭が引き受けていた領域を、核家族化や、旧来の「家族」の崩壊にともなってアウトソーシングしたものといえる。こうした背景から、介護事業に対する「家族でもやろうと思えばできるが、それをあえて他人にやってもらっているだけ(いわば『家事代行』の延長であって、専門的な技術ではない)」という認識はいまだに根強い。 「需要がきわめて高く(今後ますます高まることが明白であり)現時点では圧倒的に供給が少ないのにもかかわらず、賃金(価値)が低く抑制されている」業種の現状を、ネットスラングでは「低賃金カルテル」と呼ぶ。 もちろん、介護が本当に「だれでもできる仕事」であるとは思わないし、実際には専門的技能や知識が求められる業種である。しかし、労働の価値とは需要と供給だけでなく、ある種の「共同幻想」によって作り出されるものでもあるので、「重要ではあるが、しかしだれでもできる仕事とみなされるために尊重はされず、だれもやりがたらない。ゆえに、そんな仕事をあえてやっているような人には(きっと能力が低いのだろうから)多くの対価を支払う必要はない」という無言のコンセンサスが成立している業種は、事実存在するだろうし、介護職はそのひとつといえるだろう。 「介護への転籍」と聞いて懲罰的な文脈を感じた人びとは、まさにこのような考えを内面化しているのだ。それはまさしく「職業差別的」な思考ではあるが、しかし表立って「差別」とは認識されていない』、介護職には、「「重要ではあるが、しかしだれでもできる仕事とみなされるために尊重はされず、だれもやりがたらない。ゆえに、そんな仕事をあえてやっているような人には(きっと能力が低いのだろうから)多くの対価を支払う必要はない」という無言のコンセンサスが成立している」、というのはズバリ本質を突いた指摘だ。
・『カネカのように炎上しなかった理由  今回の経緯を見て、先月話題になったカネカの「育休復帰後に即転勤で炎上」の一件を思い出した人も少なからずいたようだ。 カネカの件は、当事者との意思疎通の問題はあったにしても、あくまで個人がそのキャリアの希望に合わないということで退職した一件であった。しかしながら世論は「カネカは前時代的な企業」「カネカ許すまじ」の論調へと傾いた。 一方で、事前に希望退職者を募るわけでもなく、いわば「合法」な形で4000人もの人員を削減する損保ジャパンについては、炎上するどころか、表立って批判する声さえ私の観測するかぎりきわめて少ないように見える。 カネカと損保ジャパン――世間の怒りの「雲泥の差」はいったいなぜ生じたのだろうか。 身もふたもない結論を言ってしまえば、前者は「世間の同情を喚起する物語」であり、後者はそうではないという違いが現れたのだろう。 カネカの件は「優秀な人材が会社の横暴によって人生をめちゃくちゃにされ、しかも子育て世代(とその子ども)が犠牲となった物語」として同情的に受容された。しかし損保ジャパンの件は違う。「エリート風を吹かしているうちに時代の流れに取り残されてしまったサラリーマンが、“実際の能力に相応なセクション”に再割り当てされた、現代版の『残酷物語』なのだ」という程度のエピソードとして解釈されてしまったのだ。 先述した「低賃金カルテル」という概念を踏まえ、あえてより厳しい表現をすれば、「介護職に配置されるような人材を、大企業が抱える余裕がなくなっただけの話」と皆が暗黙裡に納得したせいで、カネカのときのような「家族や子どもが可哀想だろ!!」という大合唱がまったく起きず、「エリートも無事では済まない時代だなあ。怖い怖い(笑)」程度の話で片付けられてしまった。 あるいは「これで転属させられるような奴は、大企業の威を借る無能だったのだ。職位に甘えてスキルを磨かなかった自己責任だ」とさえ考えている人も多いかもしれない』、育休明けの社員を配置転換したカネカと対比するとは、分かり易い。「「介護職に配置されるような人材を、大企業が抱える余裕がなくなっただけの話」と皆が暗黙裡に納得したせいで、カネカのときのような「家族や子どもが可哀想だろ!!」という大合唱がまったく起きず、「エリートも無事では済まない時代だなあ。怖い怖い(笑)」程度の話で片付けられてしまった」、その通りだ。
・『差別を利用した巧妙な手口  損保ジャパンの施策は、数年前にIBMのリストラ手続きで裁判沙汰にもなった「追い出し部屋」「ロックアウト解雇」のように明らかに懲罰的な手段ではなく、あくまで「転属」に過ぎないため、いわゆる「労働者の権利/人権問題」の事案としても争点にはなりづらい。 いや、それどころか「介護」という社会的意義が大きな事業への転属であるがために、これを批判してしまうとかえって「介護職を差別している」という価値観を表明しているかのようなリスクが発生してしまうので、「労働者の人権」というリベラル的な文脈による批判も申し立てにくい状況となっている。 あくまで会社側の論理としては、「リストラ」をするかわりに「善意」の配置換えをしただけである。懲罰的な左遷ではない(懲罰と勝手に解釈しているのは世間である)。これによって、不必要な「会社都合退職」を避けられるし、多くの社員がもし踏ん張って介護の仕事を続けてくれるなら、介護業界の人手不足も解消できる――。 しかし同時に世間が前述したような職業差別的な価値観を内面化しているからこそ、介護事業への配置換えが一種の「罰」として機能するわけだし、「自己都合退職を促す裏技」の役割を果たしているのだ。 これは世間の職業差別を利用した高度なテクニックといえる。総評すれば、損保ジャパンのやり方は大胆ではあるが、その手続きはきわめて巧妙である。今回の「転属プラン」の立案者はきわめて怜悧で、なおかつ社会を俯瞰的に読む能力にすぐれた人間だろう。 私たちは損保ジャパン社員4000人の人生が翻弄されるさまを「残酷物語」として対岸の火事のように消費し、片付けてしまうのだろう。来月にもなればほとんどの人はこの物語を忘れ、次に別の場所で発生した「スキーム」に対してもまた同じように「おー怖い怖い(笑)」と反応することを繰り返す。 この物語に「残酷さ」を付与しているのは、ほかでもない私たち自身なのだが』、「損保ジャパンのやり方は大胆ではあるが、その手続きはきわめて巧妙である。今回の「転属プラン」の立案者はきわめて怜悧で、なおかつ社会を俯瞰的に読む能力にすぐれた人間だろう。 私たちは損保ジャパン社員4000人の人生が翻弄されるさまを「残酷物語」として対岸の火事のように消費し、片付けてしまうのだろう」、「この物語に「残酷さ」を付与しているのは、ほかでもない私たち自身なのだが」、などの指摘はシャープで、その通りだ。ただ、介護事業へ配置換えの際に、給与などを切り下げないとすれば、介護事業の採算は大幅に悪化する筈だ。どうするのだろう。
タグ:「東京海上が中核子会社を売却した「再保険」市場の厳しい現実」 国税庁 再保険事業の中核となる子会社、トキオ・ミレニアム・リー(TMR)を売却 節税保険(法人定期、経営者保険)を巡る新たな税務処理案 カネカのように炎上しなかった理由 TMRが「170億円超の最終赤字」 「損保ジャパン4000人削減「介護へ転属」の深層と、この社会のバグ これは職業差別ではないのか」 (その2)(東京海上が中核子会社を売却した「再保険」市場の厳しい現実、銀行が高齢者に外貨建て保険販売 殺到する苦情の信じ難い中身、節税保険に国税庁が示した規制案が「腰砕け」になった事情、損保ジャパン4000人削減「介護へ転属」の深層と この社会のバグ これは職業差別ではないのか) 自己都合退職を促すスキーム 銀行窓販における苦情の約7割が、60歳以上の顧客 資本流入がもたらす変調 スイス・リーや独ミュンヘンなど大手の自己資本利益率(ROE)は、それまで10%台で推移(業界推計)していたものの、2017年は一気に2%台にまで悪化 現代ビジネス 重要ではあるが、しかしだれでもできる仕事とみなされるために尊重はされず、だれもやりがたらない。ゆえに、そんな仕事をあえてやっているような人には(きっと能力が低いのだろうから)多くの対価を支払う必要はない」という無言のコンセンサスが成立 保険 介護事業に対する「家族でもやろうと思えばできるが、それをあえて他人にやってもらっているだけ(いわば『家事代行』の延長であって、専門的な技術ではない)」という認識はいまだに根強い 「銀行が高齢者に外貨建て保険販売、殺到する苦情の信じ難い中身」 介護への転属は「懲罰」なのか 内容は腰が砕けたかのような手緩いもの ダイヤモンド・オンライン 銀行窓口では利回りや投資リスクはさておき、高齢者をターゲットにして「預金を保険に振り替えれば節税につながる」などと相続対策を前面に出しながら、一時払いの外貨建て保険を強烈に売り込んでいる 米国で発生したハリケーン 残る選択肢は時に10%近い販売手数料が転がり込んでくる、外貨建て保険しかない 「預金目的で来店したのに保険を契約させられた」「定期預金を契約したと思っていた」「そもそも保険を契約した覚えがない」といった信じ難い内容の苦情が、件数の上位 「節税保険に国税庁が示した規制案が「腰砕け」になった事情」 国税庁OBへの忖度で弱腰姿勢? 再保険市場がいわば“資本過剰”に陥ることで、リスクに見合った再保険料を取りにくくなっている この物語に「残酷さ」を付与しているのは、ほかでもない私たち自身なのだが 損保ジャパンのやり方は大胆ではあるが、その手続きはきわめて巧妙である。今回の「転属プラン」の立案者はきわめて怜悧で、なおかつ社会を俯瞰的に読む能力にすぐれた人間だろう 御田寺 圭 差別を利用した巧妙な手口
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本日は更新を休むので、明日にご期待を!

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