メディア(その32)(鮫島 浩ジャーナリスト:元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1) 朝日新聞政治部(1)、なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす、どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に、「日経テレ東大学」を潰し 看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力) [メディア]
メディアについては、昨年5月29日に取上げた。今日は、(その32)(鮫島 浩ジャーナリスト:元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1) 朝日新聞政治部(1)、なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす、どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に、「日経テレ東大学」を潰し 看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力)である。
先ずは、本年5月23日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95386?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓した『朝日新聞政治部』は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 今日から7回連続で、本書の内容を抜粋して紹介していく』、興味深そうだ。
・『夕刊紙に踊る「朝日エリート誤報記者」の見出し 2014年秋、私は久しぶりに横浜の中華街へ妻と向かった。息苦しい都心からとにかく逃れたかった。 朝日新聞の特別報道部デスクを解任され、編集局付という如何にも何かをやらかしたような肩書を付与され、事情聴取に呼び出される時だけ東京・築地の本社へ出向き、会社が下す沙汰を待つ日々だった。蟄居謹慎(ちっきょきんしん)とはこういう暮らしを言うのだろう。駅売りの夕刊紙には「朝日エリート誤報記者」の見出しが躍っていた。私のことだった。 ランチタイムを過ぎ、ディナーにはまだ早い。ふらりと入った中華料理店はがらんとしていた。私たちは円卓に案内された。注文を終えると、二胡を抱えたチャイナドレスの女性が私たちの前に腰掛け、演奏を始めた。私は紹興酒を片手に何気なく聴き入っていたが、ふと気づくと涙が溢れている。 「なぜ泣いているの?」 二胡の音色をさえぎる妻の声で私はふと我に返った。人前で涙を流したことなんていつ以来だろう。ちょっと思い出せないな。これからの私の人生はどうなるのだろう。 朝日新聞社は危機に瀕していた。私が特別報道部デスクとして出稿した福島原発事故を巡る「吉田調書」のスクープは、安倍政権やその支持勢力から「誤報」「捏造」と攻撃されていた。政治部出身の木村伊量社長は、過去の慰安婦報道を誤報と認めたことや、その対応が遅すぎたと批判する池上彰氏のコラム掲載を社長自ら拒否した問題で、社内外から激しい批判を浴びていた。 「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞社は創業以来最大の危機に直面していたのである。特にインターネット上で朝日バッシングは燃え盛っていた。 木村社長は驚くべき対応に出た。2014年9月11日に緊急記者会見し、自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明したのである。さらにその場で「吉田調書」のスクープを誤報と断定して取り消し、関係者を処罰すると宣告したのだ。 寝耳に水だった。 その後の社内の事情聴取は苛烈を極めた。会社上層部はデスクの私と記者2人の取材チームに全責任を転嫁しようとしていた。5月に「吉田調書」のスクープを報じた後、木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請した。ところが9月に入って自らが「慰安婦」「池上コラム」で窮地に追い込まれると、手のひらを返したように態度を一変させたのである』、「木村社長」が「態度を一変させた」とは酷い話だが、その背景には何があったのだろう。
・『私がどんな「罪」に問われていたか 巨大組織が社員個人に全責任を押し付けようと上から襲いかかってくる恐怖は、体験した者でないとわからないかもしれない。それまで笑みを浮かべて私に近づいていた数多くの社員は蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。 私は27歳で政治部に着任し、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家の番記者を務めた。39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである。 ああ、会社員とはこういうものか――。そんな思いにふけっているところへ、妻の声が再び切り込んできた。二胡の妖艶な演奏は続いている。 「なぜ泣いているの?」 なんでだろう……。たぶん厳しい処分が降りるだろう。懲戒解雇になると言ってくる人もいる。すべてを失うなあ……。いろんな人に世話になったなあと思うと、つい……」 妻はしばらく黙っていたが、「それ、ウソ」と言った。続く言葉は強烈だった。 「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」 紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。 「あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」 中国の皇帝とは、仰々しいたとえである。だが、妻の目に私はそのくらい尊大に映っていたのだろう。そして会社の同僚たちも社内を大手を振って歩く私を快く思っていなかったに違いない。私はそれにまったく気づかなかった。 「裸の王様」がついに転落し、我が身をあわれんで涙を流す姿ほど惨めなものはない。そのような者に誰が同情を寄せるだろうか。 私は、自分がこれから問われる「傲慢罪」やその後に盛られる「毒」を想像して背筋が凍る思いがした。泣いているどころではなかった。独裁国家でこのような立場に追い込まれれば、理屈抜きに生命そのものを絶たれるに違いない。今日の日本社会で私の生命が奪われることはなかろう。奈落の底にどんな人生が待ち受けているかわからないが、生きているだけで幸運かもしれない。 そんな思いがよぎった後、改めて「傲慢罪」という言葉を噛み締めた。「吉田調書」報道に向けられた数々の批判のなかで私の胸にストンと落ちるものはなかった。しかし「傲慢罪」という判決は実にしっくりくる。そうか、私は「傲慢」だったのだ! 政治記者として多くの政治家に食い込んできた。ペコペコすり寄ったつもりはない。権力者の内実を熟知することが権力監視に不可欠だと信じ、朝日新聞政治部がその先頭に立つことを目指してきた。調査報道記者として権力の不正を暴くことにも力を尽くした。朝日新聞に強力な調査報道チームをつくることを夢見て、特別報道部の活躍でそれが現実となりつつあった。それらを成し遂げるには、会社内における「権力」が必要だった――。 しかし、である。自分の発言力や影響力が大きくなるにつれ、知らず知らずのうちに私たちの原点である「一人一人の読者と向き合うこと」から遠ざかり、朝日新聞という組織を守ること、さらには自分自身の社内での栄達を優先するようになっていたのではないか。 私はいまからその罪を問われようとしている。そう思うと奈落の底に落ちた自分の境遇をはじめて受け入れることができた。 そして「傲慢罪」に問われるのは、私だけではないと思った。新聞界のリーダーを気取ってきた朝日新聞もまた「傲慢罪」に問われているのだ』、「39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである」、「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」との奥さんの批判は、手厳しいが本質を突いているようだ。
・『日本社会がオールドメディアに下した判決 誰もが自由に発信できるデジタル時代が到来して情報発信を独占するマスコミの優位が崩れ、既存メディアへの不満が一気に噴き出した。2014年秋に朝日新聞を襲ったインターネット上の強烈なバッシングは、日本社会がオールドメディアに下した「傲慢罪」の判決だったといえる。木村社長はそれに追われる形で社長から引きずり下ろされたのだ。 「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった。安倍政権は数々の権力私物化疑惑をものともせず、憲政史上最長の7年8ヵ月続く。 マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった。民主党政権下の2010年に11位だった日本の世界報道自由度ランキングは急落し、2022年には71位まで転げ落ちた。新聞が国家権力に同調する姿はコロナ禍でより顕著になった。 木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである。自らの新聞記者人生を見つめ直し、どこで道を踏み外したのかをじっくり考えた。本書はいわば「失敗談」の集大成である。 世の中には新聞批判が溢れている。その多くに私は同意する。新聞がデジタル化に対応できず時代に取り残されたのも事実だ。一方で、取材現場の肌感覚とかけ離れた新聞批判もある。新聞の歩みのすべてを否定する必要はない。そこから価値のあるものを抽出して新しいジャーナリズムを構築する材料とするのは、凋落する新聞界に身を置いた者の責務ではないかと思い、筆を執った。 この記事は大手新聞社の中枢に身を置き、その内情を知り尽くした立場からの「内部告発」でもある。 次回は「新人時代のサツ回りが新聞記者をダメにする」です。 登場人物すべて実名の内部告発ノンフィクション『朝日新聞政治部』は好評発売中。現代ビジネスでは紹介しきれない衝撃の事実も赤裸々に綴られています。 第一章 新聞記者とは? 1994―1998 第二章 政治部で見た権力の裏側 1999―2004 第三章 調査報道への挑戦 2005―2007 第四章 政権交代と東日本大震災 2008―2011 第五章 躍進する特別報道部 2012―2013 第六章 「吉田調書」で間違えたこと 2014 第七章 終わりのはじまり 2015― 終章 』、「「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった・・・マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった」、「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである」、なるほど。
次に、6月11日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95756?imp=0
・『元朝日新聞記者の鮫島浩氏は、2012年に政治部から「特別報道部」へ移り、東日本大震災・原発事故の調査報道でスクープを連発した。とりわけ、福島第一原発元所長の吉田昌郎氏の証言を独自入手した「吉田調書」報道は、社内外で大きな称賛を浴びた。 だが、あるきっかけで特別報道部、そして鮫島氏をとりまく状況は暗転する。前編「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露『朝日はこうして死んだ』」に続き、その一部始終を書籍『朝日新聞政治部』の内容も踏まえてお伝えする』、興味深そうだ。
・『突然の手のひら返し 「吉田調書」スクープは、'14年5月20日の朝刊1面と2面で大展開された。第一報では、「朝日新聞が吉田調書を独自入手したこと」、「吉田所長は第一原発での待機を命じていたのに、所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していたこと」が主に報じられた。 だが6月になり、「所長の待機命令に違反し、所員の9割が原発から撤退した」という表現をめぐり批判が寄せられるようになる。混乱の中で、待機命令に気づかないまま第二原発へ向かった所員もいた可能性もあるからだ。 「第一報で伝えた吉田調書の内容は事実ですが、『撤退』や『待機命令に違反し』という表現は不十分でした。そこで、あらためて読者に丁寧に説明した特集紙面をつくることを提案したのです」 だが、編集担当、広報担当、社長室ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれなかった。 「木村社長が『吉田調書報道を新聞協会賞に申請する』と意気込んでいて、第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」 結果的に吉田調書報道は受賞候補から早々に外れ、社内外での関心も薄れてしまった。事態は収まったかに見えた』、「「第一報で伝えた吉田調書の内容は事実ですが、『撤退』や『待機命令に違反し』という表現は不十分でした。そこで、あらためて読者に丁寧に説明した特集紙面をつくることを提案したのです」 だが、編集担当、広報担当、社長室ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれなかった。 「木村社長が『吉田調書報道を新聞協会賞に申請する』と意気込んでいて、第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」』、「経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」、「社長」が絶対で、「『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだ」とは、腐り切った組織だ。
・『ゲラを見て、社長は激怒した 急展開を迎えたのは、8月5日に朝日新聞が特集記事「慰安婦問題を考える」を掲載してからだ。ここで、戦時中に慰安婦を強制連行したとして、朝日新聞が紙面で報じてきた吉田清治氏の発言(吉田証言)を虚偽と判断し、過去の記事を取り消したのだ。訂正まで20年以上の時間がかかったことや、謝罪の言葉がないことに批判が殺到した。 その後、ジャーナリスト・池上彰氏のコラムが朝日新聞に掲載拒否されたことも週刊誌などで報じられた。慰安婦問題をめぐる朝日新聞の対応を批判する内容だったが、事前にゲラを見た木村社長が激怒したという。 朝日は、「吉田調書」「吉田証言」に加えて「池上コラム」で世論から猛烈な批判を浴び、経営陣は狼狽した。さらに、マスコミ他社や安倍政権からも「攻撃」を受けるようになる。菅義偉官房長官が「吉田調書を近いうちに公開する」と発表すると、各紙は朝日新聞に批判的な立場で吉田調書に関する報道を始めた。 過熱する朝日バッシングに経営陣は総崩れとなり、社長退任は避けられない事態となった。そして、政府が吉田調書を公開した9月11日、木村社長が緊急記者会見を行うこととなる。 それは鮫島氏にとって耳を疑いたくなるような内容だった。木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表したのだ。) 「吉田調書の第一報が不十分であったことは認めます。ただ、それ以上に記事を出した後の危機管理に問題があったことは間違いありません。木村社長は、私たちをスケープゴートにするために吉田調書報道だけを取り上げて、他の問題の責任を隠蔽しようとしたのです。 しかも、『吉田証言』と『池上コラム問題』は木村社長が深く関わった案件。保身のための会見だったとしか思えません」』、「木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表した」、「木村社長」がやろうとしたことは筋が通ってないのに、よくぞ社内的に通用したものだ。社内には「社長」のイエスマンしかいないのだろう。
・『懲戒解雇の噂まで…… 「吉田調書」のスクープをものにしたはずの鮫島氏ら取材班の記者たちは、異例の会見を経て「誤報記者」の烙印を押されてしまう。そして連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという。 「社内では私が懲戒解雇されるという噂も立っていました。上層部は様々な情報を流して私を精神的に追い込み、会社に屈服させようとしていたのです。信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」』、「連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという」、「信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」、その通りなのだろう。
・『読者にも見捨てられる 鮫島氏は停職2週間の懲戒処分を受けて、管理部門に「左遷」された。それよりも鮫島氏が解せなかったのは、吉田調書を独自入手した記者も処分されたことだった。 「管理職だった私が結果責任を免れないのは理解できます。ただ、経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」 鮫島氏は昨年5月に会社を去った。今はネットメディアを立ち上げ、本来の報道倫理に立ち戻った言論活動を行っている。 昨年6月、朝日新聞社は創業以来最大の約458億円の大赤字を出した。'90年代は約800万部を誇っていた発行部数も、いまや500万部を割っている。記者が失敗を恐れて萎縮し、無難な記事しか載らない紙面が読者に見捨てられつつあるのか。朝日新聞の凋落は、誰にも止められないかもしれない』、「経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」、確かにこれではやる気のある記者たちは、「失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう」、これでは、「朝日新聞が死んだ」のも当然だろう。
第三に、2月16日付け日刊ゲンダイ「どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/320160
・『まさか、放送法の政治的公平をめぐる解釈変更が国会で大炎上しているこのタイミングで──。驚きの会合が14日夜にあった。岸田首相が大手メディア上層部や大手メディア出身のジャーナリストと、東京・日比谷公園のフレンチレストランで約2時間にわたって会食したのだ。 首相動静によれば参加したメンバーは、山田孝男毎日新聞社特別編集委員、小田尚読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員、芹川洋一日本経済新聞社論説フェロー、島田敏男NHK放送文化研究所エグゼクティブ・リード、粕谷賢之日本テレビ取締役常務執行役員、政治ジャーナリストの田崎史郎氏の6人。 朝日新聞官邸クラブのツイッターが、会食終了後にレストランから岸田首相や参加者が出てくる様子を動画で撮影して投稿している。直撃された田崎氏は「中身はいろいろ……だな」と答えていた』、「朝日新聞」記者は参加しなかったようだ。これは、矜持を持っているためなのだろうか。
・『批判殺到、付ける薬ナシ これには、<放送法解釈が問題になっているときに、これ?? どんな感覚してるんだ?><大手メディアも政府広報の下請けに成り下がった感じですかね>など批判コメントが殺到だった。) 岸田首相はこの6人と昨年の参院選直後の7月15日にも会食している。 「安倍元首相時代からのメディアとのメシ食い情報交換を岸田首相も定例化して踏襲している形」(官邸関係者)らしく、日程もずいぶん前から決まっていたのだろう。だが、よりによって、である。 高市大臣が総務省が認めた「行政文書」について「捏造」と言い張ったことで、この問題に対する世論の関心は高まっている。報道の自由への不当な政治介入があったのかどうか、まさに政治とメディアの“距離感”が問われている真っただ中に、首相と複数のメディア上層部が“談合”よろしく親しく会食すれば世間にどう映るのか、子どもでも分かるはずだ。 「政治とメディアが徹底的に癒着していることを見せつけるもので、国民のメディア不信がますます高まる。ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」(政治評論家・本澤二郎氏) メディア懐柔に精を出す首相もホイホイ乗っかるメディアも、もはや付ける薬がない』、「ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」、同感である。
第四に、6月1日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの伊藤 博敏氏による「「日経テレ東大学」を潰し、看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/111118?imp=0
・『「これは人殺しと同じだわ」 登録者数が100万人を突破した人気YouTubeチャンネル「日経テレ東大学」は、なぜ打ち切りとなり、番組を企画して立ち上げ、進行役の「ピラメキパンダ」を務めた高橋弘樹プロデューサーは、なぜテレビ東京を退社したのか――。 テレビ東京ホールディングス(東証プライム)の株主総会は6月15日に開催されるが、筆者が最も注目しているのは、香港に本社を置く米国籍アクティビスト(物言う株主)のリム・アドバイザーズ(リム社、提案株主名義はLIM JAPAN EVENT MASTER FUND)が、この点を問題視して<日本経済新聞社との共同事業運営契約の開示>などを求めて株主提案していることだ。 「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した。 高橋氏は、「家、ついて行ってイイですか?」「空から日本を見てみよう」「吉木りさに怒られたい」と、低予算でも切り口と面白さで勝負する“テレ東らしさ”を持つプロデューサーである。 「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようで、決定を告げられ「これは“人殺し”と同じだわ」と思わずつぶやき、退社に至った。 経済の専門家だけでなく、菅義偉前首相、泉健太・立憲民主党代表、松井一郎・日本維新の会前代表、木原誠二・内閣官房副長官といった有力政治家が登場したのは、「意識的な人々」を引き付けているこの番組の影響力を承知していたからだろう』、「「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した」、面白そうだが、私は残念ながら1回も観ていない。「「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようだ」、「配信打ち切り」の理由は何なのだろう。
・『テレ東の天下り問題の「歪み」 テレビ局にとって番組改編の時、「諸般の事情」で打ち切りを決めるのは日常茶飯だ。だが、「日経テレ東大学」の場合、約32%の株式を保有してテレビ東京を「天下り先」としている日経新聞OBの経営陣が、後述するような理解できない事情で打ち切りの断を下し、それにリム社が噛みついた。 株主提案したリム社のポートフォリオ・マネージャーで日本投資責任者の松浦肇氏は、元日経記者として天下り問題の“歪み”を熟知している。日経の元上司がこう評する。 「証券部の記者としてマーケットの問題を鋭く突く優秀な記者でした。運用会社に転じて上場企業に注文をつけていますが、発想は新聞記者と同じで“歪み”を許さない。企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」 リム社のテレ東に対する株主提案は、昨年に次いで2回目である。昨年、約1%の株式を取得したリム社は、日経からの「天下り禁止」「社外取締役の選任」など7項目の株主提案を送り付けた。 テレ東社長は50年近く日経出身者が占め続け、昨年の総会でも小孫茂会長、石川一郎社長、新実傑専務とトップ3は日経OBだった。天下り禁止の株主提案の賛成率は8・15%。否決はされたものの、「日経の矛盾」はマーケットに示せた。 今年の提案は、冒頭の<共同事業運営契約の開示>を含む4項目の定款の一部変更と剰余金の処分を求めている。 なぜ日経との共同事業の開示を求めるのか。リム社は「提案理由」にこう書いている。 《(「日経テレ東大学」の)再生回数や製作本数などを鑑みるに、2022年10月~12月に約3500万円の税引き前利益を稼いだと推計できるが、提案株主がディスカウント・キャッシュフロー(DCF)方式で算定したところ、事業価値は約30億円に達した。》』、「企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」、確かにその通りだろう。
・『「日経テレ東大学」の担当役員が昇格 そして30億円の価値あるものを捨てた背景に疑問を呈している。 《現在も首脳陣4人が日経元幹部である。様々な分野で両者は事業を共同運営しているが、日経に有利な契約が結ばれている又は当社が契約にある権利を十分に生かしていないリスクが内在する。》 今年は「天下り禁止」といった直截な提案はしていない。そして小孫会長は退任するものの、石川社長、新実副社長というツートップを日経OBが占める。その体制ではテレ東の利益を毀損し、それが現われているのが「日経テレ東大学」の打ち切りだ、という主張である。しかも、直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった。 株主提案に書き尽くしたということか、松浦氏に株主提案理由を改めて尋ねたものの、「テレビ東京ホールディングス様の企業・株主価値向上に寄与する株主提案であると自負しております」と短く答えた。 テレビ東京は、「取締会意見」で「(株主提案が指摘する)利益及び事業価値には到底及ばない」と回答していたが、筆者が「到底及ばない根拠を示して欲しい」と質すと次のように答えた。 「利益及び人件費を含めた費用の実態が判断の根拠です。株主提案では、3カ月で約3500万円の税引き前利益を稼いだと推計できるとしていますが、実際にそのような利益は得られていません」(広報・IR部)』、「直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった」、なるほど。
・『日経新聞の嫉妬 だが、21年3月の配信からわずか2年で登録会員100万人を突破した優良コンテンツを捨て去らねばならない理由とは思えない。利益は出ているのだ。 高橋氏は軽妙なピラメキパンダとして、番組内で「テレ東が大好き。常務になるまで会社員を続ける」と広言していた。また、テレ東を退職したプロデューサー・佐久間宣行氏、JAXA退職の宇宙飛行士・野口聡一氏、朝日新聞退職の探検家・角幡唯介氏、日経新聞退職の経済ジャーナリスト・後藤達也氏らを招いて「なんで会社を辞めたんですか?」という番組を製作している。 安定を捨ててリスクを取るのはなぜなのか。高橋氏が「常務まで」というのは、上は日経OBの指定席だからだろうが、リスクを取るのは怖く、「でもそう“冒険”したい」と思っている視聴者=会社員の気持ちを代弁した。その高橋氏をテレ東が追い込んでしまった。損失以外の何ものでもない。 テレ東の現経営陣を知る日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」 後藤氏のことである。 新聞・テレビという旧来型の情報プラットフォームが、やがてYouTubeなどのSNSやチャットGPTに奪われ、衰退していくのはもはや自明だ。22年4月に日経新聞を辞めた後藤達也氏は、Twitterのフォロワー数が50万人超、YouTubeのチャンネル登録数約25万人、noteの優良読者(月500円)約2万人を誇る。 この3つのSNSを駆使して視聴者・読者に経済をわかりやすく伝え、「良いカメラを買った以外に新たな投資はない」といいつつ、note会員からだけでも月に約1000万円の収入がある。それにYouTubeや講演料なども加えると年間売り上げは2億円近いのではないか。もはや、メディアがひとつ誕生したといっていい。 日経もテレ東も、デジタルメディアをどう採り入れるか、優良コンテンツといっていい記者をどう活用するか、そして最大のライバルとなるチャットGPTにどう対抗するかを本気で考え、改革すべき時に来ている。なのに、打ち切り理由が「嫉妬」だとすれば嘆息するしかなく、もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない』、「日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」」、「日経新聞の嫉妬」とは驚かされた。こうしたことでは、「もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない」、その通りだ。
先ずは、本年5月23日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95386?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓した『朝日新聞政治部』は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 今日から7回連続で、本書の内容を抜粋して紹介していく』、興味深そうだ。
・『夕刊紙に踊る「朝日エリート誤報記者」の見出し 2014年秋、私は久しぶりに横浜の中華街へ妻と向かった。息苦しい都心からとにかく逃れたかった。 朝日新聞の特別報道部デスクを解任され、編集局付という如何にも何かをやらかしたような肩書を付与され、事情聴取に呼び出される時だけ東京・築地の本社へ出向き、会社が下す沙汰を待つ日々だった。蟄居謹慎(ちっきょきんしん)とはこういう暮らしを言うのだろう。駅売りの夕刊紙には「朝日エリート誤報記者」の見出しが躍っていた。私のことだった。 ランチタイムを過ぎ、ディナーにはまだ早い。ふらりと入った中華料理店はがらんとしていた。私たちは円卓に案内された。注文を終えると、二胡を抱えたチャイナドレスの女性が私たちの前に腰掛け、演奏を始めた。私は紹興酒を片手に何気なく聴き入っていたが、ふと気づくと涙が溢れている。 「なぜ泣いているの?」 二胡の音色をさえぎる妻の声で私はふと我に返った。人前で涙を流したことなんていつ以来だろう。ちょっと思い出せないな。これからの私の人生はどうなるのだろう。 朝日新聞社は危機に瀕していた。私が特別報道部デスクとして出稿した福島原発事故を巡る「吉田調書」のスクープは、安倍政権やその支持勢力から「誤報」「捏造」と攻撃されていた。政治部出身の木村伊量社長は、過去の慰安婦報道を誤報と認めたことや、その対応が遅すぎたと批判する池上彰氏のコラム掲載を社長自ら拒否した問題で、社内外から激しい批判を浴びていた。 「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞社は創業以来最大の危機に直面していたのである。特にインターネット上で朝日バッシングは燃え盛っていた。 木村社長は驚くべき対応に出た。2014年9月11日に緊急記者会見し、自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明したのである。さらにその場で「吉田調書」のスクープを誤報と断定して取り消し、関係者を処罰すると宣告したのだ。 寝耳に水だった。 その後の社内の事情聴取は苛烈を極めた。会社上層部はデスクの私と記者2人の取材チームに全責任を転嫁しようとしていた。5月に「吉田調書」のスクープを報じた後、木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請した。ところが9月に入って自らが「慰安婦」「池上コラム」で窮地に追い込まれると、手のひらを返したように態度を一変させたのである』、「木村社長」が「態度を一変させた」とは酷い話だが、その背景には何があったのだろう。
・『私がどんな「罪」に問われていたか 巨大組織が社員個人に全責任を押し付けようと上から襲いかかってくる恐怖は、体験した者でないとわからないかもしれない。それまで笑みを浮かべて私に近づいていた数多くの社員は蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。 私は27歳で政治部に着任し、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家の番記者を務めた。39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである。 ああ、会社員とはこういうものか――。そんな思いにふけっているところへ、妻の声が再び切り込んできた。二胡の妖艶な演奏は続いている。 「なぜ泣いているの?」 なんでだろう……。たぶん厳しい処分が降りるだろう。懲戒解雇になると言ってくる人もいる。すべてを失うなあ……。いろんな人に世話になったなあと思うと、つい……」 妻はしばらく黙っていたが、「それ、ウソ」と言った。続く言葉は強烈だった。 「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」 紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。 「あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」 中国の皇帝とは、仰々しいたとえである。だが、妻の目に私はそのくらい尊大に映っていたのだろう。そして会社の同僚たちも社内を大手を振って歩く私を快く思っていなかったに違いない。私はそれにまったく気づかなかった。 「裸の王様」がついに転落し、我が身をあわれんで涙を流す姿ほど惨めなものはない。そのような者に誰が同情を寄せるだろうか。 私は、自分がこれから問われる「傲慢罪」やその後に盛られる「毒」を想像して背筋が凍る思いがした。泣いているどころではなかった。独裁国家でこのような立場に追い込まれれば、理屈抜きに生命そのものを絶たれるに違いない。今日の日本社会で私の生命が奪われることはなかろう。奈落の底にどんな人生が待ち受けているかわからないが、生きているだけで幸運かもしれない。 そんな思いがよぎった後、改めて「傲慢罪」という言葉を噛み締めた。「吉田調書」報道に向けられた数々の批判のなかで私の胸にストンと落ちるものはなかった。しかし「傲慢罪」という判決は実にしっくりくる。そうか、私は「傲慢」だったのだ! 政治記者として多くの政治家に食い込んできた。ペコペコすり寄ったつもりはない。権力者の内実を熟知することが権力監視に不可欠だと信じ、朝日新聞政治部がその先頭に立つことを目指してきた。調査報道記者として権力の不正を暴くことにも力を尽くした。朝日新聞に強力な調査報道チームをつくることを夢見て、特別報道部の活躍でそれが現実となりつつあった。それらを成し遂げるには、会社内における「権力」が必要だった――。 しかし、である。自分の発言力や影響力が大きくなるにつれ、知らず知らずのうちに私たちの原点である「一人一人の読者と向き合うこと」から遠ざかり、朝日新聞という組織を守ること、さらには自分自身の社内での栄達を優先するようになっていたのではないか。 私はいまからその罪を問われようとしている。そう思うと奈落の底に落ちた自分の境遇をはじめて受け入れることができた。 そして「傲慢罪」に問われるのは、私だけではないと思った。新聞界のリーダーを気取ってきた朝日新聞もまた「傲慢罪」に問われているのだ』、「39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである」、「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」との奥さんの批判は、手厳しいが本質を突いているようだ。
・『日本社会がオールドメディアに下した判決 誰もが自由に発信できるデジタル時代が到来して情報発信を独占するマスコミの優位が崩れ、既存メディアへの不満が一気に噴き出した。2014年秋に朝日新聞を襲ったインターネット上の強烈なバッシングは、日本社会がオールドメディアに下した「傲慢罪」の判決だったといえる。木村社長はそれに追われる形で社長から引きずり下ろされたのだ。 「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった。安倍政権は数々の権力私物化疑惑をものともせず、憲政史上最長の7年8ヵ月続く。 マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった。民主党政権下の2010年に11位だった日本の世界報道自由度ランキングは急落し、2022年には71位まで転げ落ちた。新聞が国家権力に同調する姿はコロナ禍でより顕著になった。 木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである。自らの新聞記者人生を見つめ直し、どこで道を踏み外したのかをじっくり考えた。本書はいわば「失敗談」の集大成である。 世の中には新聞批判が溢れている。その多くに私は同意する。新聞がデジタル化に対応できず時代に取り残されたのも事実だ。一方で、取材現場の肌感覚とかけ離れた新聞批判もある。新聞の歩みのすべてを否定する必要はない。そこから価値のあるものを抽出して新しいジャーナリズムを構築する材料とするのは、凋落する新聞界に身を置いた者の責務ではないかと思い、筆を執った。 この記事は大手新聞社の中枢に身を置き、その内情を知り尽くした立場からの「内部告発」でもある。 次回は「新人時代のサツ回りが新聞記者をダメにする」です。 登場人物すべて実名の内部告発ノンフィクション『朝日新聞政治部』は好評発売中。現代ビジネスでは紹介しきれない衝撃の事実も赤裸々に綴られています。 第一章 新聞記者とは? 1994―1998 第二章 政治部で見た権力の裏側 1999―2004 第三章 調査報道への挑戦 2005―2007 第四章 政権交代と東日本大震災 2008―2011 第五章 躍進する特別報道部 2012―2013 第六章 「吉田調書」で間違えたこと 2014 第七章 終わりのはじまり 2015― 終章 』、「「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった・・・マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった」、「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである」、なるほど。
次に、6月11日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95756?imp=0
・『元朝日新聞記者の鮫島浩氏は、2012年に政治部から「特別報道部」へ移り、東日本大震災・原発事故の調査報道でスクープを連発した。とりわけ、福島第一原発元所長の吉田昌郎氏の証言を独自入手した「吉田調書」報道は、社内外で大きな称賛を浴びた。 だが、あるきっかけで特別報道部、そして鮫島氏をとりまく状況は暗転する。前編「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露『朝日はこうして死んだ』」に続き、その一部始終を書籍『朝日新聞政治部』の内容も踏まえてお伝えする』、興味深そうだ。
・『突然の手のひら返し 「吉田調書」スクープは、'14年5月20日の朝刊1面と2面で大展開された。第一報では、「朝日新聞が吉田調書を独自入手したこと」、「吉田所長は第一原発での待機を命じていたのに、所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していたこと」が主に報じられた。 だが6月になり、「所長の待機命令に違反し、所員の9割が原発から撤退した」という表現をめぐり批判が寄せられるようになる。混乱の中で、待機命令に気づかないまま第二原発へ向かった所員もいた可能性もあるからだ。 「第一報で伝えた吉田調書の内容は事実ですが、『撤退』や『待機命令に違反し』という表現は不十分でした。そこで、あらためて読者に丁寧に説明した特集紙面をつくることを提案したのです」 だが、編集担当、広報担当、社長室ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれなかった。 「木村社長が『吉田調書報道を新聞協会賞に申請する』と意気込んでいて、第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」 結果的に吉田調書報道は受賞候補から早々に外れ、社内外での関心も薄れてしまった。事態は収まったかに見えた』、「「第一報で伝えた吉田調書の内容は事実ですが、『撤退』や『待機命令に違反し』という表現は不十分でした。そこで、あらためて読者に丁寧に説明した特集紙面をつくることを提案したのです」 だが、編集担当、広報担当、社長室ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれなかった。 「木村社長が『吉田調書報道を新聞協会賞に申請する』と意気込んでいて、第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」』、「経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」、「社長」が絶対で、「『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだ」とは、腐り切った組織だ。
・『ゲラを見て、社長は激怒した 急展開を迎えたのは、8月5日に朝日新聞が特集記事「慰安婦問題を考える」を掲載してからだ。ここで、戦時中に慰安婦を強制連行したとして、朝日新聞が紙面で報じてきた吉田清治氏の発言(吉田証言)を虚偽と判断し、過去の記事を取り消したのだ。訂正まで20年以上の時間がかかったことや、謝罪の言葉がないことに批判が殺到した。 その後、ジャーナリスト・池上彰氏のコラムが朝日新聞に掲載拒否されたことも週刊誌などで報じられた。慰安婦問題をめぐる朝日新聞の対応を批判する内容だったが、事前にゲラを見た木村社長が激怒したという。 朝日は、「吉田調書」「吉田証言」に加えて「池上コラム」で世論から猛烈な批判を浴び、経営陣は狼狽した。さらに、マスコミ他社や安倍政権からも「攻撃」を受けるようになる。菅義偉官房長官が「吉田調書を近いうちに公開する」と発表すると、各紙は朝日新聞に批判的な立場で吉田調書に関する報道を始めた。 過熱する朝日バッシングに経営陣は総崩れとなり、社長退任は避けられない事態となった。そして、政府が吉田調書を公開した9月11日、木村社長が緊急記者会見を行うこととなる。 それは鮫島氏にとって耳を疑いたくなるような内容だった。木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表したのだ。) 「吉田調書の第一報が不十分であったことは認めます。ただ、それ以上に記事を出した後の危機管理に問題があったことは間違いありません。木村社長は、私たちをスケープゴートにするために吉田調書報道だけを取り上げて、他の問題の責任を隠蔽しようとしたのです。 しかも、『吉田証言』と『池上コラム問題』は木村社長が深く関わった案件。保身のための会見だったとしか思えません」』、「木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表した」、「木村社長」がやろうとしたことは筋が通ってないのに、よくぞ社内的に通用したものだ。社内には「社長」のイエスマンしかいないのだろう。
・『懲戒解雇の噂まで…… 「吉田調書」のスクープをものにしたはずの鮫島氏ら取材班の記者たちは、異例の会見を経て「誤報記者」の烙印を押されてしまう。そして連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという。 「社内では私が懲戒解雇されるという噂も立っていました。上層部は様々な情報を流して私を精神的に追い込み、会社に屈服させようとしていたのです。信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」』、「連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという」、「信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」、その通りなのだろう。
・『読者にも見捨てられる 鮫島氏は停職2週間の懲戒処分を受けて、管理部門に「左遷」された。それよりも鮫島氏が解せなかったのは、吉田調書を独自入手した記者も処分されたことだった。 「管理職だった私が結果責任を免れないのは理解できます。ただ、経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」 鮫島氏は昨年5月に会社を去った。今はネットメディアを立ち上げ、本来の報道倫理に立ち戻った言論活動を行っている。 昨年6月、朝日新聞社は創業以来最大の約458億円の大赤字を出した。'90年代は約800万部を誇っていた発行部数も、いまや500万部を割っている。記者が失敗を恐れて萎縮し、無難な記事しか載らない紙面が読者に見捨てられつつあるのか。朝日新聞の凋落は、誰にも止められないかもしれない』、「経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」、確かにこれではやる気のある記者たちは、「失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう」、これでは、「朝日新聞が死んだ」のも当然だろう。
第三に、2月16日付け日刊ゲンダイ「どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/320160
・『まさか、放送法の政治的公平をめぐる解釈変更が国会で大炎上しているこのタイミングで──。驚きの会合が14日夜にあった。岸田首相が大手メディア上層部や大手メディア出身のジャーナリストと、東京・日比谷公園のフレンチレストランで約2時間にわたって会食したのだ。 首相動静によれば参加したメンバーは、山田孝男毎日新聞社特別編集委員、小田尚読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員、芹川洋一日本経済新聞社論説フェロー、島田敏男NHK放送文化研究所エグゼクティブ・リード、粕谷賢之日本テレビ取締役常務執行役員、政治ジャーナリストの田崎史郎氏の6人。 朝日新聞官邸クラブのツイッターが、会食終了後にレストランから岸田首相や参加者が出てくる様子を動画で撮影して投稿している。直撃された田崎氏は「中身はいろいろ……だな」と答えていた』、「朝日新聞」記者は参加しなかったようだ。これは、矜持を持っているためなのだろうか。
・『批判殺到、付ける薬ナシ これには、<放送法解釈が問題になっているときに、これ?? どんな感覚してるんだ?><大手メディアも政府広報の下請けに成り下がった感じですかね>など批判コメントが殺到だった。) 岸田首相はこの6人と昨年の参院選直後の7月15日にも会食している。 「安倍元首相時代からのメディアとのメシ食い情報交換を岸田首相も定例化して踏襲している形」(官邸関係者)らしく、日程もずいぶん前から決まっていたのだろう。だが、よりによって、である。 高市大臣が総務省が認めた「行政文書」について「捏造」と言い張ったことで、この問題に対する世論の関心は高まっている。報道の自由への不当な政治介入があったのかどうか、まさに政治とメディアの“距離感”が問われている真っただ中に、首相と複数のメディア上層部が“談合”よろしく親しく会食すれば世間にどう映るのか、子どもでも分かるはずだ。 「政治とメディアが徹底的に癒着していることを見せつけるもので、国民のメディア不信がますます高まる。ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」(政治評論家・本澤二郎氏) メディア懐柔に精を出す首相もホイホイ乗っかるメディアも、もはや付ける薬がない』、「ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」、同感である。
第四に、6月1日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの伊藤 博敏氏による「「日経テレ東大学」を潰し、看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/111118?imp=0
・『「これは人殺しと同じだわ」 登録者数が100万人を突破した人気YouTubeチャンネル「日経テレ東大学」は、なぜ打ち切りとなり、番組を企画して立ち上げ、進行役の「ピラメキパンダ」を務めた高橋弘樹プロデューサーは、なぜテレビ東京を退社したのか――。 テレビ東京ホールディングス(東証プライム)の株主総会は6月15日に開催されるが、筆者が最も注目しているのは、香港に本社を置く米国籍アクティビスト(物言う株主)のリム・アドバイザーズ(リム社、提案株主名義はLIM JAPAN EVENT MASTER FUND)が、この点を問題視して<日本経済新聞社との共同事業運営契約の開示>などを求めて株主提案していることだ。 「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した。 高橋氏は、「家、ついて行ってイイですか?」「空から日本を見てみよう」「吉木りさに怒られたい」と、低予算でも切り口と面白さで勝負する“テレ東らしさ”を持つプロデューサーである。 「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようで、決定を告げられ「これは“人殺し”と同じだわ」と思わずつぶやき、退社に至った。 経済の専門家だけでなく、菅義偉前首相、泉健太・立憲民主党代表、松井一郎・日本維新の会前代表、木原誠二・内閣官房副長官といった有力政治家が登場したのは、「意識的な人々」を引き付けているこの番組の影響力を承知していたからだろう』、「「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した」、面白そうだが、私は残念ながら1回も観ていない。「「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようだ」、「配信打ち切り」の理由は何なのだろう。
・『テレ東の天下り問題の「歪み」 テレビ局にとって番組改編の時、「諸般の事情」で打ち切りを決めるのは日常茶飯だ。だが、「日経テレ東大学」の場合、約32%の株式を保有してテレビ東京を「天下り先」としている日経新聞OBの経営陣が、後述するような理解できない事情で打ち切りの断を下し、それにリム社が噛みついた。 株主提案したリム社のポートフォリオ・マネージャーで日本投資責任者の松浦肇氏は、元日経記者として天下り問題の“歪み”を熟知している。日経の元上司がこう評する。 「証券部の記者としてマーケットの問題を鋭く突く優秀な記者でした。運用会社に転じて上場企業に注文をつけていますが、発想は新聞記者と同じで“歪み”を許さない。企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」 リム社のテレ東に対する株主提案は、昨年に次いで2回目である。昨年、約1%の株式を取得したリム社は、日経からの「天下り禁止」「社外取締役の選任」など7項目の株主提案を送り付けた。 テレ東社長は50年近く日経出身者が占め続け、昨年の総会でも小孫茂会長、石川一郎社長、新実傑専務とトップ3は日経OBだった。天下り禁止の株主提案の賛成率は8・15%。否決はされたものの、「日経の矛盾」はマーケットに示せた。 今年の提案は、冒頭の<共同事業運営契約の開示>を含む4項目の定款の一部変更と剰余金の処分を求めている。 なぜ日経との共同事業の開示を求めるのか。リム社は「提案理由」にこう書いている。 《(「日経テレ東大学」の)再生回数や製作本数などを鑑みるに、2022年10月~12月に約3500万円の税引き前利益を稼いだと推計できるが、提案株主がディスカウント・キャッシュフロー(DCF)方式で算定したところ、事業価値は約30億円に達した。》』、「企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」、確かにその通りだろう。
・『「日経テレ東大学」の担当役員が昇格 そして30億円の価値あるものを捨てた背景に疑問を呈している。 《現在も首脳陣4人が日経元幹部である。様々な分野で両者は事業を共同運営しているが、日経に有利な契約が結ばれている又は当社が契約にある権利を十分に生かしていないリスクが内在する。》 今年は「天下り禁止」といった直截な提案はしていない。そして小孫会長は退任するものの、石川社長、新実副社長というツートップを日経OBが占める。その体制ではテレ東の利益を毀損し、それが現われているのが「日経テレ東大学」の打ち切りだ、という主張である。しかも、直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった。 株主提案に書き尽くしたということか、松浦氏に株主提案理由を改めて尋ねたものの、「テレビ東京ホールディングス様の企業・株主価値向上に寄与する株主提案であると自負しております」と短く答えた。 テレビ東京は、「取締会意見」で「(株主提案が指摘する)利益及び事業価値には到底及ばない」と回答していたが、筆者が「到底及ばない根拠を示して欲しい」と質すと次のように答えた。 「利益及び人件費を含めた費用の実態が判断の根拠です。株主提案では、3カ月で約3500万円の税引き前利益を稼いだと推計できるとしていますが、実際にそのような利益は得られていません」(広報・IR部)』、「直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった」、なるほど。
・『日経新聞の嫉妬 だが、21年3月の配信からわずか2年で登録会員100万人を突破した優良コンテンツを捨て去らねばならない理由とは思えない。利益は出ているのだ。 高橋氏は軽妙なピラメキパンダとして、番組内で「テレ東が大好き。常務になるまで会社員を続ける」と広言していた。また、テレ東を退職したプロデューサー・佐久間宣行氏、JAXA退職の宇宙飛行士・野口聡一氏、朝日新聞退職の探検家・角幡唯介氏、日経新聞退職の経済ジャーナリスト・後藤達也氏らを招いて「なんで会社を辞めたんですか?」という番組を製作している。 安定を捨ててリスクを取るのはなぜなのか。高橋氏が「常務まで」というのは、上は日経OBの指定席だからだろうが、リスクを取るのは怖く、「でもそう“冒険”したい」と思っている視聴者=会社員の気持ちを代弁した。その高橋氏をテレ東が追い込んでしまった。損失以外の何ものでもない。 テレ東の現経営陣を知る日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」 後藤氏のことである。 新聞・テレビという旧来型の情報プラットフォームが、やがてYouTubeなどのSNSやチャットGPTに奪われ、衰退していくのはもはや自明だ。22年4月に日経新聞を辞めた後藤達也氏は、Twitterのフォロワー数が50万人超、YouTubeのチャンネル登録数約25万人、noteの優良読者(月500円)約2万人を誇る。 この3つのSNSを駆使して視聴者・読者に経済をわかりやすく伝え、「良いカメラを買った以外に新たな投資はない」といいつつ、note会員からだけでも月に約1000万円の収入がある。それにYouTubeや講演料なども加えると年間売り上げは2億円近いのではないか。もはや、メディアがひとつ誕生したといっていい。 日経もテレ東も、デジタルメディアをどう採り入れるか、優良コンテンツといっていい記者をどう活用するか、そして最大のライバルとなるチャットGPTにどう対抗するかを本気で考え、改革すべき時に来ている。なのに、打ち切り理由が「嫉妬」だとすれば嘆息するしかなく、もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない』、「日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」」、「日経新聞の嫉妬」とは驚かされた。こうしたことでは、「もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない」、その通りだ。
タグ:メディア (その32)(鮫島 浩ジャーナリスト:元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1) 朝日新聞政治部(1)、なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす、どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に、「日経テレ東大学」を潰し 看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力) 現代ビジネス 鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」 『朝日新聞政治部』 「木村社長」が「態度を一変させた」とは酷い話だが、その背景には何があったのだろう。 「39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである」、 「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」との奥さんの批判は、手厳しいが本質を突いているようだ。 「「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった・・・マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった」、 「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである」、なるほど。 鮫島 浩氏による「なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす」 「経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」、「社長」が絶対で、「『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだ」とは、腐り切った組織だ。 「木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表した」、「木村社長」がやろうとしたことは筋が通ってないのに、よくぞ社内的に通用したものだ。社内には「社長」のイエスマンしかいないのだろう。 「連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという」、「信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」、その通りなのだろう。 「経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」、確かにこれではやる気のある記者たちは、「失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう」、これでは、「朝日新聞が死んだ」のも当然だろう。 日刊ゲンダイ「どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に」 「朝日新聞」記者は参加しなかったようだ。 これは、矜持を持っているためなのだろうか。 「ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」、同感である。 伊藤 博敏氏による「「日経テレ東大学」を潰し、看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力」 「「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した」、面白そうだが、私は残念ながら1回も観ていない 「「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようだ」、「配信打ち切り」の理由は何なのだろう。 「企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」、確かにその通りだろう。 「直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった」、なるほど。 「日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」」、「日経新聞の嫉妬」とは驚かされた。こうしたことでは、「もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない」、その通りだ。