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小田嶋氏対談(元アル中と下戸が語る 酒と依存とお仕事と【前】、【後】) [人生]

今日は、やや古い記事だが、小田嶋氏対談(元アル中と下戸が語る 酒と依存とお仕事と【前】、【後】)がとても面白かったので取上げよう。

先ずは、3月29日付け日経ビジネスオンライン「オダジマは就活で落とされたことがない 元アル中と下戸が語る、酒と依存とお仕事と【前】」を紹介しよう(▽は小見出し、Yは聞き手)。
・新社会人の皆様、就職おめでとうございます。日頃ご愛読いただいている日経ビジネスオンライン読者の皆様にも、ご子息が社会に出られる方が数多くいらっしゃると思います。今回は、弊誌サイトの人気筆者、小田嶋隆さんに、担当編集の私がインタビューする形で、仕事について、ためになるお話をしていただこうと思います。長くお読みの方はお分かりの通り、これ、企画的に話す方も聞く方も完全に人選ミスですが、普通のコラムとは違う点から、なにかお持ち帰りいただけるのではと祈っております。「え、オダジマタカシって誰?」 という方はこちらをどうぞ。(担当編集Y)
Y:『上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白』、3刷り突破だそうでおめでとうございます。小田嶋さんのアルコール中毒の経験談は書いてほしい話でしたし、長いお付き合いなのに知らない話がいっぱいあって面白かったです。
小田嶋:結果論ですけど、語りおろしスタイルだったのはよかったような気がしますね。私の文章だとやっぱり回りくどいから、こういう、扱いが難しい話を書くと印象としてちょっと重いものになると思うんですけど、語り口なので読みやすくはあるんじゃないかと。
Y:しかも、さすがミシマ社さんのお仕事だけあって、ところどころに「コラム」が入っていて、小田嶋さんの文章好きにも嬉しい。「酒と文章」「ヨシュア君とのこと」、とても面白かったです。
小田嶋:全部語り下ろしだと何かぬるいものになってしまうから、書いたものも入った方が引き締まるというのはあったかなと思います。
Y:あと、表紙や中面のイラスト。これは『ポテン生活』の方ですよね、木下晋也さん。この組み合わせは思いつかなかった。小田嶋さんのこの本に雰囲気ぴったりです。
小田嶋:たしか私がしゃがんで吐いている絵を、ポップ向けに描いていただきました(笑)。
▽アルコール依存は、時間の潰し方のひとつ
Y:アルコールに限らず「依存」について、いろいろな読み方ができる本だと思うんです。若い世代になると、もう依存先はアルコールじゃないかもしれませんが……。本の中で「時間があるからお酒を飲むんだ」って、すぱっと小田嶋さんは言い切っているじゃないですか。「人が酒を飲む理由としては、パチンコでもそうでしょうけど、他にやることがないから、というのが意外なほど支配的だったりします」と。
小田嶋:今の若い人たちは時間のつぶしようが多様化しているから、お酒を飲む人は減っているかもしれないですけど。今、ある程度の年齢になって唯一いいことって、時間のつぶし方が上手になったという。
Y:そうなんですよね。最近そう思うようになってきました。
小田嶋:ね。例えば「あれ、3時間空いちゃったよ」といったときに、途方に暮れないというか、むしろご褒美のように感じるじゃないですか。
Y:ありますね。
小田嶋:でも若いころのやっぱり今日1日どうしようというのは、すごくどうしようもなかったので、あれは若いときの独特の感覚だと思うけど、時間が長いんですよ。例えば人と約束して「3カ月後ね」と言われると、子供のころは「そんな日は永遠にやって来ないんじゃないか」と。20代のころでも「え、3カ月後?」と、約束することに違和感があったんだけど、今は平気で半年後の約束とかしているじゃないですか。
Y:それであっという間に来るんですよね、半年後が。
小田嶋:そう。それで本当に来るんですよ、半年なんて。それこそ2カ月なんて、え、もう来たのというぐらいすぐ来るでしょう。
小田嶋:若い連中の「この間」って、先週とか3日前だけど、我々が、「ほら、この間言っていたあれさ」というのが5年前だったりしますからね。
Y:するんですよ。恐ろしいですよ。
小田嶋:時間の感覚が全然違うということが、若いときは酒を飲む理由になっていた。2時間空いちゃったからどうしようもないから飲んじゃう、みたいなことだってあったわけですよ。
Y:なるほど。自分自身が空き時間をつくるのが嫌で、読みきれないくらい本を持ち歩く、みたいなことが。
小田嶋:そうそう。だからそれこそ文庫本を3つ、4つ持ってないと移動できないみたいな感じがありましたよね。ぼや~っとすることが難しいんですよね。若いときはね。
Y:思い出した。今回、働くことがお題なんですが、以前「ア・ピース・オブ・警句」で、小田嶋さんが大学4年生のころの話を書かれました。就活がイヤで、山小屋に逃げ出したと。
小田嶋:大学4年生のときの9月の連休ですね。10日間くらいだったかな。
Y:そのときは、山小屋に籠もってぼーっとしていたんでしょうか。
▽初日にいきなり出遅れた
小田嶋:いや、そうでもありませんでした。ある友人が「夏の間、八ヶ岳の山小屋でアルバイトをしているヤツに差し入れを持っていくから一緒に来ないか」と。そいつは大学を入り直したりして、年次がずれているんですね。
Y:じゃあ、就職活動する必要がまだない方で。
小田嶋:そう。「俺、就職活動なんだけど」といちおう言ったんだけど、そういう誘いは断れなかったんですね。じゃあ、ちょっと山で頭を冷やしてくるかと思って。山小屋といっても1カ所じゃなくて、何カ所かの知り合いのところを渡り歩いて、お土産を渡すような感じで。ただ、もう頂上に上がってしまえばそれぞれの山小屋は近い。2時間も歩けば次の山小屋に着く。だからぶらぶらしていましたよ。
Y:退屈しました?
小田嶋:どうでしょう。でも、あれで就職活動で会社を回る決意が、付いたといえば付いたんでしょうね。
Y:このお話を書いていただいたんですよね。長い連載の中でも好きな回です。就活生の方に参考になるかどうかは分かりませんが、プレッシャーが掛かりすぎているご子息がいらっしゃるならお役に立つかもしれませんので、こちら、ぜひ。→「無意味で、だからこそ偉大な」
小田嶋:山から9月の末に下りてきてすぐ、10月1日から会社を回り始めたんだけど、ただ私の就活は事前に下調べしてなかったおかげで、大事な初日を無駄にしちゃったんですよ。
Y:といいますと。
小田嶋:当時は、「指定校制度」というのがまだ残っていて。
Y:ああ、うちは東大しか採らないよ、みたいな。でも小田嶋さんの大学(早稲田大学)ならどこでもOKじゃないんですか。
小田嶋:いや、大学だけじゃなくて学部にも指定があったんですよ。だから早稲田でも文学部とか教育学部とかいうのはダメ、うちは法学部、経済学部しか採らない、という。銀行、商社だと文学部、教育学部あたりはお断りだと。そんなところに、「俺は早稲田の教育でーす」なんて行くと、あ、悪いんだけどうちの対象の学部に入ってないですよと言われて、「え?」と。結局10月1日は全部無駄足になりました。
Y:しかし、小田嶋さん、銀行や商社受けたんですか?
小田嶋:そういうわけでもないんですが、当時は、私だけじゃなくてみんな当時そうでしたけど、あんまり業種とか会社の規模とかということが分からなかったわけ。だから、とにかく有名企業に。
Y:知っているところに行こうと。
小田嶋:あとは「お堀が見えるところがいいな」みたいな。
Y:なんだか腹が立ってきました。準備していない割にめちゃくちゃ望みが高いじゃないですか。
▽就活で落とされたことがない?
・小田嶋:そうなんですよ。「会社の窓からお堀が見えると何かちょっとかっこいいじゃん」というようなミーハー心理からそう言っているだけですけど、でも、お堀の見える企業ってみんな一流企業だということがいまいち分かってなかった。 それで、1日目に大手町周辺は全部だめだということが分かって、失意のうちに帰ってきて、今後はちゃんと調べて、門前払いは喰わないところを受けようと。それで、1段外側のお堀でもいいやということに。
Y:それって江戸城の内堀から外堀ってことですか? 外堀通り沿いの会社に。
小田嶋:そうそう。内堀通りは諦めて外堀に。
Y:なんでそうお堀に拘るのか分かりません(笑)。
小田嶋:外堀に行くと、教育学部を受け入れてくれる企業があって、それで回ったのが食品のA社とB社と、あとぜんぜん違う業界大手のC社。その3つを回ったんですよ。
Y:回ったとおっしゃいますが、全部歩いて回れるじゃないですか。今の学生さんが聞いたら涙を流しそうなほどお手軽な就活ですね。で、ファンの方はご存じの通り、最終的にA社に行かれるわけですが、B社とC社はどうなったんでしょう。
小田嶋:その3つを受けて、B社は順調に重役面接まで行って、だけど「うちは北海道に行ってもらうよ」という話を聞いて、「じゃあ、やめた」と途中で撤退して。
Y:なるほど。リタイアしちゃった。C社はどうですか。
小田嶋:内定が出ましたよ。
Y:すごい。
小田嶋:C社とA社が内定したから、俺は落ちてないんです、よく考えてみれば。
Y:すごいですね。どちらも今なお人気企業だし。え? ということはもしかして、2日目で行ったところでほぼ終わりですか。就活は。
小田嶋:そうそう、終わりです。だからわりと簡単だったんですね。
Y:うわー。私も今の就活生の方に比べれば全然苦労はしていませんが、これはむかつく。でも、どうしてA社にされたんですか。
小田嶋:今でも覚えているんですけれど、就活で知り合った面白い男がいて、当人の言葉を信じれば、成績はひどいものだけれど、やってもいない運動系サークルの部長をしていました、みたいなホラ話で面接を通っているようなヤツ。いい度胸しているなと思っていたら、そいつもA社とC社に通ったんですよ。
Y:なんと。
小田嶋:彼から「2つ受かったけどどうする」と電話がかかってきて、うーん、俺はまだどっちか考えてないんだけどなと言ったら、「そういうときはね、学部の名簿を見て先輩に電話するんだよ」と。
Y:なるほど。実践的ですね。
▽先輩に電話して、C社を切る
小田嶋:そういう知恵を付けられたんですよ。ああ、それはいい考えだと教育学部の名簿を繰って、まずC社の先輩に3人ぐらい電話してみたら、3人が3人とも「うちは来ない方がいいよ」と。
Y:へえ。なぜでしょう。
小田嶋:「うちはすごく厳しいよ。20代のころはめったに午後11時前には帰れないよ。来るなら来るで覚悟を決めてから来た方がいい」みたいな言い方をされたんですよ。俺は、C社がそんな厳しい会社だと思ってなかったから。
Y:それでA社に。ちなみにその知恵を授けてくれた方は?
小田嶋:俺が「A社にするよ」と言ったら「じゃあ、お前がそっちに行くんなら俺はC社に行ってみるよ」と言って、それ以来連絡がない。どうしているのやらと思っているんですけどね。会えたら面白いなと思っているんですけど。
Y:しかしあれですか、最初のころに「人生の諸問題」で、面接の台本を岡さんとやりとりしたみたいな話をしたじゃないですか。それってもしかして効いたんですか。
小田嶋:そうそう、それは効いたの。すごく芝居がかった面接をやっていたんですよ。自分は優が3つだったかな、そのくらいしかなかったんですけど。
Y:それは少ないんですか。
小田嶋:少ない。すごく少ないです。20あればまあ優秀、15とかでも普通ぐらい。1けたというのはいくら何でもまずいでしょうという感じなんですよ。それで、自分は優が3つしかないけど、「優」という字はにんべんに「憂い」と書くと。要するに憂うつな学生生活を送ったものが取るものだと。自分は楽しい学校生活を送ってきたんだから、優が取れないのは仕方ない。でも実際社会に出てみたら学生生活を楽しんだ者の方が、会社員としては間違いなく使えるはずだ、という主張をしました。
Y:そこに何の証拠があるんですか。
小田嶋:何の証拠もないけど。
Y:面接官には受けたわけですね。
小田嶋:受けたんですよ。
Y:すごいというか、何というか。
▽情報が公開されないほうが精神的には楽かも
小田嶋:ひとつには、当時はまだ『面接の達人』みたいな、技術やパターンで切り抜けるガイド本やウェブサイトがなかったから。
Y:就活に明確な方法論がなかった。となると、「人生の大勝負にリスクは侵せない。マニュアルに頼ろう」ではなく、「どうやってこの苦境を頓知で抜けるか」みたいな発想が生まれる余地があったのかもしれませんね。
小田嶋:そう。どうやって受けるネタをやるのかというのが、特に成績の悪い人たちには「俺たちにとっての就活は、受けを取って一点突破することだ」という感じがあったんですよ。
Y:「サッポロビールの面接は、何を聞かれても黙りこくれ」とかそういうやつですね。
小田嶋:そうそう。最後に「男は黙ってサッポロビール」と言ったとか言わないとか、当時は、ああいう都市伝説が流れていたくらいだから。
Y:今なら、あっという間にフェイクニュース扱いされそうな。
小田嶋:どの会社でどういう面接があってこうこうです、という情報が全然なかった時代だから、会社も学生も結構適当にやっていたんですよ。息子の就活を見ていて思ったのは、お互い手のうちを全部明かしてやっちゃっていることの不幸さですね。だって、受ける側も50社とか受けちゃったりするでしょう。
Y:受けるというか、エントリーシートは全然出せる。
小田嶋:例えば恋人選びするときに、3人の中から選ぶとすごく狭いようだけど、じゃあ、50人の中から選べば、いい子を選べるのかという問題なわけですよ。選べるかもしれない。だけど、相思相愛になれたとして、下手すると49回失恋しなきゃいけない話になるでしょう。
Y:まあ、そうですね。
小田嶋:数を出せるから、落ちる会社も多くなる。じゃあなぜそんなに落ちなきゃいけないかというと、どこの企業も欲しがるような学生が50社も受けちゃうからですよね。我々の時代みたいに10月1日に解禁で、実際に面接を受ける人以外は履歴書を出さないというふうになっていれば、どんなに頑張ったって10月の第1週までに7つか8つですよ。そうなれば一番最優秀の生徒でも7つしか内定を取れないわけですよ。
Y:なるほど。無駄な競争が起こらない。
▽でも、あっという間に辞めました
小田嶋:そうそう。それで、企業の側も10月1日に来た子は自分のところを第1志望にしたんだと分かるから、だからある程度優遇するけど、10月2日とか3日に来たら、絶対、第一志望じゃないことは分かるから、「うちに何か用ですか」と。
Y:あはは。あれ、じゃ小田嶋さんも言われたでしょう。
小田嶋:そこで「実は指定学部制度を知らないでむなしく帰ってきました」と言って、ちょっと受けを取りました。
Y:ははあ。「情報があれば幸せかというと、そうでもないんじゃない?」みたいな話なんですかね。
小田嶋:そう。振られる子と、すごくモテて50人振る子とがいるわけだけど、でも、50人振ってうれしいのか。そういうわけでもないでしょう。会社だって、落とす人を増やしていいことがあるわけじゃない。
Y:一方でむやみに落とされたり、振られたりすると、自己否定に陥る危険はありますね。就職も恋愛もつまるところ相性ですから、落ちたり振られたりしても本来気に病むことじゃないんですけれど、数が重なるとダメージになりそう。
小田嶋:だから「出会いの数が多いほどいいんだ」という問題ではない。志望の会社に入れたら幸せか、というともちろんそれも違う。そもそも俺、そうして入った会社をあっという間に辞めてしまうわけですから。
Y:そう、問題は入社した後ですよね。そして小田嶋さんはお酒との付き合いに深く沈み込んでいくわけですが……。(後編に続きます)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/284031/032600028/?P=1

次に、後編を3月30日付け日経ビジネスオンライン「あの人の酒席に付き合うかどうかの判断基準 元アル中と下戸が語る、酒と依存とお仕事と【後】」を紹介しよう(▽は小見出し、Yは聞き手)。
Y:『上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白』を読んで、下戸の私に面白かったというか、興味深かったのが、「アルコールは本来たいして面白くもない人間関係を演劇化する」という指摘なんです(P.116)。
小田嶋:Yさんは飲まないんでしたっけ。
Y:それなりに好きですが、量は全然いけません。そして、自分ひとりでバーに行く人の気持ちがよく分からなかったりします。
小田嶋:ああ、居ますね。
Y:お酒を飲むためにわざわざああいう空間が用意されているのはなぜなのか。そもそも独り酒というのがすごく苦手で、自意識が過剰なんでしょうけど、身の置きどころがなくなっちゃうんですね。しかもお酒に強くもないから、薄くなった水割りをいつまでも舐めているという。で「バーに行く人って何が楽しいんでしょう?」と。
小田嶋:バーに独りで行って独りで飲む人間というのは、ひとつ考えられるのはアルコールを摂取している人間ですよね。ガソリンを入れるみたいな。
Y:ええ、でも、だったら部屋で飲んでいても同じなわけですよね。わざわざバーで飲むというのは、もしかしたら「独り、お酒を飲んでいる自分」を演じるという、演劇的な楽しみがあるのかな? と、これを読んで思ったわけです。
小田嶋:外から見たら別にかっこよくもないけど(笑)。アルコール依存症ではないとしたら、酒を自宅ではなく、外で飲む意味って、カウンターの内側に居る人、見知らぬお客さんも含めて、やっぱり他人との関係の中にあるんですよ。
Y:何らかの関係性、コミュニティーと、お酒は切り離せない。
小田嶋:ええ。だから、酒を含んだコミュニティーに依存している人たちというのは、コミュニティー依存でもあるわけですよ。だけど、酒そのものに対して依存している人間は、独りであれ5人であれ10人であれ、あるいは旅行中であれ勤務中であれ、酒がないといけないという人たちです。 アルコールそのものへの依存ではない大半の人は、独りで飲んでいるようで、マスターとの会話とか、他の人のやりとりが目当てだったりすると思うんだけどね。例えば「酔ったから言いますけど」とか、普段とは違う“酔っ払った自分”というキャラを作ることができるじゃないですか。そうすると、バカバカしい会話でも平気で入っていけたりする。仕事上の言いにくい話もできたりする。
Y:うーん。自分は酒が弱いんで、酔うこと自体を警戒するから、「酔っ払ったから言いますけれど」という便利なキャラになれないんですよね。仕事の飲みは、小田嶋さんはこなしていたほうですか。
▽「飲めないと仕事にならない」
小田嶋:1985年くらいかな、会社を辞めて、TBSラジオのアルバイトをしながらライター仕事もやって、「放送作家になろうか、どうしようか」、と思っていたころは、TBSの人とやたらとタダ酒を飲みまくって、お酒を覚えたという部分はあるといえばあります。
Y:なるほど。バブル前夜の1980年代。
小田嶋:そう。放送局周辺なんて打ち合わせと言っちゃえば伝票が切れちゃうわけだから、してみると放送作家との打ち合わせというのは、ディレクターにとっては一番飲む材料になるわけで、だから私はよく何だかんだと彼らと飲み歩いていたわけですよ。 でもそのころの酒はまだまだ楽しい酒ではあったんですけどね。いよいよやばくなったのは独りで飲むようになってからの話なんだけど、でも飲む機会があれば必ず逃さず飲むというふうになっていったのは、そのタダ酒の機会と、しかもそのタダ酒が仕事につながっていたわけですよ。
Y:はー。
小田嶋:今の出版界はそうでもないけど、昔は「編集者は飲めないと仕事にならないよ」と言われていた時代があったでしょう。編集者もそうだし、放送作家、ディレクター周辺も、仕事というとだいたい飲みに行って、そこでやんややんややっているうちに話がまとまって、よし、それじゃこの線で行きましょう、えっと、どの線だったっけみたいなやつですよ(笑)。
Y:ああ。でも、そういう場がないとコミュニケーションが取れない時代でもありましたね。
小田嶋:そう。当時は携帯もメールもなかったから、編集者と書き手というのは、大作家じゃなくても、単なるパシリのライターみたいな俺でも、「とにかく会って密に話をする」という習慣だったんですよ。原稿を渡す、渡さないもそうだし、直す、直さないとかタイトルをどうしようかとかということをいちいちやっていたんですよ。それぐらい仕事を、まあ、つまらない手間をかけてやっていたわけですよ。
小田嶋:ある意味、悪く言えば生産性がすごく低かったんだけど、よい面を言えば、みんなが顔を合わせて知恵を出し合って作っていた感覚はすごく強いんですよ。雑誌にしても番組にしても。
Y:ありました。
小田嶋:「こんな面白い特集企画どこから出てきたんですか」「ええっと、誰だっけ」という。ワイワイ飲んでいるときに、じゃあ、これで行こうよ、それ最高! なんていって決まるみたいなのが、あるといえばあったんですよね。特にサブカルってそういうものだったんですよ。集団的な宴会芸の延長で雑誌が、番組ができている、みたいな感じだったんですよね。
Y:あったかもしれません。
小田嶋:だからサブカル周辺のライターというのは、大酒飲みである必要はないけど、座持ちというのか、そういうところに顔を出せる人間である必要というのはちょっとあって、やっぱり仕事と不可分ではあったんですよ。この本の中であんまり仕事と不可分だったというところの話はしてないけど。酒が深まっていく過程の中には、「仕事」は間違いなくあった、ということです。
Y:仕事全般にまで敷延できるかどうか分かりませんけれども、でもそれこそ普通の会社だって「終わったら飲みに行く」というのは私が入ったころって普通にあった。でも、これまたいつの間にか誰も飲みに行かなくなった。
小田嶋:飲みニケーションという言葉は今の若い人たちはすごく嫌うし、俺も好きな言葉じゃない。とはいえ、それって仕事の前提だったでしょう。
Y:そうなんです。前提だったんですよ。飲み会に出なかったので「あいつ人嫌いだ」くらいに言われましたからね。お茶なら喜んで付き合うのに。
小田嶋:ね。だから好きとか嫌いとかいうんじゃなくて、前提だったわけですよ。 言い換えると、「飲みニケーション」という“のりしろ”がないと、会社組織というのは回らない、という前提があった。個々の人間の個々の能力というのは、それは勝手に発揮してくれればいいけど、その間のすき間を埋めるものは酒でしょうというのがあったわけですよ。
Y:先ほどの「酒の力で」「酒の場だから」というか、サブチャンネルみたいな。
小田嶋:そう。潤滑油がないと回らないでしょうとみんな思い込んでいたんですよ。
Y:実際、仕事の仕組みが大きく変わっていないなら、酒に限らずサブチャンネルは今でも必要なのかもしれませんが……。
小田嶋:私なんかは不幸にも仕事より酒が中心になっちゃったんだけど、同世代で「今の若いやつは酒に誘っても飲みに来ない」ということを嘆くヤツはすごく多い。
▽奢られると思うと、よけい行きたくなくなる?!
小田嶋:彼らは説教しようとか、やり込めてやろうと思っているんじゃなくて、善意でもって「若い部下に言いたいことを言わせてやろう」と、しかも自分の金で奢ってやろうと。どんなやつか知るには飲むのが一番だから、とか思って誘っているのに、「せっかくですけど」と言われるので、俺のこと嫌っているのかと思って傷つく、という。
Y:それってどっちも分かるな。
小田嶋:うん。やっぱりそれは、ある時代からは、「年の離れた男同士が飲むことに、何の意味があるんですか」という問いが発生しているわけですよ。
Y:改めて聞かれると、すごくまっとうな疑問ですね。
小田嶋:まっとうな質問です。だって、突き詰めれば意味ないでしょう。それで、若い人は「しょうがない、行かないでもない。だけど、奢られて借りをつくるのも嫌だし」みたいな気持ちになって。
Y:あー、若手は「貸し借り」って結構気にしますよね。
小田嶋:そうですね。奢られるのがうれしいかというと、借りになるわけだからあまり嬉しくないという。 それで、この話をどう落とすかというと、昔は会社員の間で「奢る、奢られる」「面倒を見る、見られる」という関係が先輩と後輩の間にあったわけですよ。俺はお前の先輩なんだから俺が金を出す。それは実は、行ってこいのパターナリズムを持っていて、「俺の言うことが聞けないのか」という部分もあり、あるいは「男というものの本当の生き方を教えてやる」みたいな部分も、いかに善意とは言えやはり含んでいないわけではない。
Y:逃げ場や、断りようがない形での関係性を強要された、と感じるわけですね。ああ、だから飲み会が嫌だったんだな。
小田嶋:飲みニケーションが崩壊したというのは、その関係性を強要されるメリットが弱くなったことでもある。「会社は特に俺たちを大事に思っていないらしいぞ、だったら先輩と無理に付き合う必要もない」という意識の変化が効いているんですよね。
Y:集団に帰属しても見返りが小さそうだ、と。だったら奢られるよりも、割り勘で借りを作らないほうがいい。
小田嶋:そうそう。飲むということが等価交換、割り勘で飲む世界になった瞬間に、「あんなおっさんと一緒に飲んでもしょうがないじゃん」と。そして、割り勘で飲む以上つまらない説教は聞きません、と。
▽割り勘でも飲みたい相手と行けばよい
Y:要するにそういうことですか。
小田嶋:そういうことですよ。最初に言ったけど、酒ってやっぱり人間と人間をつなぐ紐帯みたいな部分を持っている。だけど、それは等価交換の人間関係じゃないんですよ。やっぱりどこか上下関係だったり主従関係だったり、何かを含んでいる。
Y:「飲め」と言われたら飲まないわけには...みたいな感じの。
小田嶋:そう。「俺の酒が飲めないのか」というあの言い方に現れている。
Y:そうそう。あれが嫌で仕事相手と酒飲みに行きたくなくなった。強制されるのも嫌だし、酒ごときをさらっとこなせない自分も嫌になるし。
小田嶋:若手が飲みに行かないというのは、「俺の酒が飲めないのか」という言葉が出そうな雰囲気が、誘っている方、あるいはその会社の中にあるのを感じるからじゃないかと思いますね。「酒が取り持つ主従関係」みたいな。
Y:それを醸し出さない相手となら、もしかしたら若手も飲みに行きたいかもしれませんね。割り勘で(笑)。誘いたい方、行ったものかどうか迷っている若手の方、この辺が判断基準になるかと。 とはいえ、ストレスやらなにやら、自分を不機嫌にする材料は残念ながら生きていれば事欠かないわけで、そういう辛さから自分を救うものが、依存だったり、嗜癖だったりする、とも小田嶋さんは『上を向いてアルコール』で書いています。「大きな枠組みから言えば、われわれは結局のところなにかに依存していて、その依存先を都合次第で乗り換えているということですよ」(P141)「つまりまあ、わがままに生まれついてしまった人間は、他人から見れば好き放題に言いたいことを言っていてえらく気楽に見えるのかもしれませんが、本人としては、自分を機嫌良く保っておくそれだけのことにいつも苦労している。」(P144)
Y:だから我々は、酒やらなにやらの依存先を、小田嶋さんの言い方に依れば「詐術の1つ」として求める。でないとやっていられない。
小田嶋:そうです。本にも最後に書きましたけれど、皆さん、アル中の気持ちを体験してみたいなら、画面が割れたとか電池が寿命だとかで、3日間スマホなしの生活をしてみればいいわけです。ほとんどの人が禁断症状に襲われるはずで、これとすごく近い。
Y:あ、いま自分自身すごく腑に落ちました。不安や、つらいことがあったり、あまりモチベーションが上がらない仕事をやっているときに、気づくとふっとスマホを出して、Twitterとか見ているんですよね。それで、何か特別面白い話を読んだわけでもないのに、その後って何となく落ち着いているんです。確かに、アルコールがもたらす作用と似ているかもしれない。
小田嶋:そういうのはスマホだけに限りません。「テトリス」みたいなものへの依存ってあるじゃないですか。
Y:聞いたことがありますね。
▽ソリティア、マインスイーパ-ならできる理由
小田嶋:どなたかが書いていてなるほどと納得したんですが、「自分がうつになったときに『テトリス』だけはできた」というんですよ。生産的なことは仕事も家事も何もできなくなっていたときに、「テトリス」だけできたと。自分も原稿がどうしてもやりたくないときに、何もしないのかというと、「ソリティア」か何かやっているんですよ。
Y:「マインスイーパー」をずっとやっているという人の話も読んだ記憶があります。
小田嶋:そうそう。同じです。あれはまったくの無じゃなくて、何か頭の一部だけを使っている。あれはじきに依存を形成するんだけど、やっているときに、心の中に平安が訪れている。酒も、あるタイプの飲み方をしている人たちは、取りあえず酒が入っていると、それが素晴らしくいい気持ちだ、とかいうんじゃなくて、平安なんです。「ソリティア」や「マインスイーパ」を2時間でも3時間でもやっている人は、それに似た状況に入っているんじゃないですかね。別に、クリアしたり高得点を取りたいからじゃないと思う。で、スマホがこうした単純なゲームと似ているのは、「これこれの情報がぜひ欲しい」から触るわけじゃなくて、自分の頭で何か考えなきゃいけないことがつらい、面倒くさいからなんじゃないかと思うんですよ。
Y:そうか。やりたくない仕事、解決できそうもない不安に対して、直面して考えるのが嫌だから、自分のプロセッサーの処理能力をそっちに食わせちゃえ、みたいな。
小田嶋:そう。それ。プロセッサーの処理能力という言い方はいいと思いますよ。
Y:納得しました。つまりそっちに処理能力を取らせてしまえば、心配事が消えたわけじゃないけど、心への負荷が一時的に和らぐんだ。
小田嶋:そう、取りあえずね。例えば、失恋したばっかりのときに、ふっと暇になるとそのことを考えちゃう。それが嫌だからやたら仕事に励むとか、そんな感じ。
Y:うわ、分かる。しかも、スマホってものすごく安楽だしどこでも使えるし。「あなたが辛くなったときには、自動的に目を通して沈静用の薬液が供給されます」みたいな感じですね。こわ。
小田嶋:それで5秒とか10秒の時間をつぶしてくれるでしょう。
Y:確かに。
小田嶋:ちゃんとした時間じゃなくて。その電車の中の移動の7分とかそういう時間をちょっと見ていられるという、あの感じというのはすごく依存に近い。
▽依存は特殊なことではない、と、スマホで思う
Y:そこで「じゃ、スマホ依存って悪いことなのか」という疑問も出ると思いますが。
小田嶋:それは必ず悪いということでもないし、酒ほどは間違いなく悪いものじゃないです。酒をやめるときだって、要するに「無難な依存先に乗り換えようよ」ということではあるわけですよ。依存というものを人間の生活の中から外そう、ということじゃなくて。
Y:そうですね。全ての不安や不快をなくすことは無理なんですから。
小田嶋:無難な依存に乗り換えようよというところの中に、ランニング依存だとか、サッカー依存だとか、鉄道依存とかタカラヅカ依存だとかがある。なんならちょこちょこ依存先を変えていきましょうということです。「ネット断捨離」ってのも、もしかしたら時々やってもいいかもしれませんが、自分が言いたいのは、依存というのが特殊なことだと思っている人が多いけど、実はみんながしているんですよ、という話です。
小田嶋:スマホ依存がアルコール依存と同じようにやばいとは全然思わないけど、依存というのは人間が生きていく限り必ずあるものだから、なるべく無難なものに依存しましょうね、ぐらいな問題で、依存している人は変な人だとか、依存しているからあの人はだめだ、というのはちょっと違う。
Y:なるほど。しかしスマホ中毒の弊害ってなにがありますかね。
▽スマホ中毒は、考える時間の消滅を呼ぶ
小田嶋:ひとつは、周りのスマホ中毒していない人にとっては実に腹立たしく見えるらしいこと。これはマナーもあるけれど、たとえば、スマホを見られない立場、たとえばドライバーにとって、歩行者や自転車に乗っている人が、スマホに夢中になっている状況を考えれば分かりますよね。運転している側からしたらめっちゃめちゃ危ない。だけど本人は気づいてもいない。
Y:ああ、うちの奥様が反スマホ派でした。「PTAのLINEグループに入れない」とぶつぶつ言いながら、いまだにガラケーです。私がリビングでスマホに触ると不機嫌で、食事中は絶対禁止。
小田嶋:時間の使い方がだらしなく見える……らしい。私は妻と、たまに外食でいい店に行ったときに、スマホを使っていたら怒られた、というか呆れられた。こんなにおいしいものを食べていながら、そんなにスマホが楽しいの、と。 もうひとつは、時間の使い方がものすごくヘタになる。スマホを見てる時間って、モノをまったく考えていないですから。
Y:え、そうでしょうか?
小田嶋:自分は能動的に情報を探している、インプットしている、と思うかもしれませんけど、外から取り込んでいるときは、自分の思考は動いてません。プロセッサーの処理能力をダウンロードに喰われているだけですよ。だから、原稿を書くときはネット検索は出来る限りしない。
Y:なるほど……。お酒をやめられた小田嶋さんは、スマホもやめられるんでしょうかね。
小田嶋:それは分かりませんが、そういえば酒をやめるというのはどういうことなのかというのは、すごく説明しにくいんですよ。 というのは、たばこをやめた人間はすごく多いから、何となく見当は付くと思うんだけど、最初の2週間とか3週間は手持ちぶさたでかなわないということと、たばこへの渇望があるわけです。でも、やめて半年もすれば、もう自由になれるんですよ。なんであんなに吸いたかったのか、と。 酒についてもそれと同じ、と思っている人たちがいるんですけど、全然違う。
Y:どっちもやらないので分かりませんが、どう違うんでしょう。
▽断酒は失恋に似ている、かもしれない
小田嶋:どっちもやっていてどっちもやめた人間の、個人的な見解ですが、渇望感だったり肉体的な依存みたいなものは、もしかしたらたばこの方が強いんですよ。酒ってそんなに……もちろん(断酒して)最初の2~3週間というのは結構ひどいもので、禁断症状というのもあるんだけど、でももっとでっかいのは、精神的依存、のみならず、文化的依存みたいなやつなんです。
Y:文化? はて?
小田嶋:うん。これ、うまく説明できないなと思っていたんだけど、この間い思いついたのは、「失恋に似ている」ということです。
Y:失恋ですか。
小田嶋:そう。失恋と言ってもいろいろなケースがありますが、たとえば5年付き合っていた女の人と別れると。大好きだから別れるわけじゃなくて、嫌いだから別れるということもあるでしょう。
Y:まあ、あるでしょうね。
小田嶋:嫌われる場合もあるし、嫌う場合もあるし。でも多くの場合、双方がもうお互い嫌になっちゃったということがあって別れるわけじゃないですか。でも5年付き合っていたということは、まあ、普通の事じゃないわけです。せいせいする一方で、「ああいうところに行くときには、いつも一緒に彼女がいた」という実感が、自分の生活、人生の、ほぼあらゆる瞬間にある。
Y:長い時間を共有していたわけですから……。
小田嶋:そうそう。その共有を全部どけたということは。
Y:そういった経験はもうできなくなるわけだ。
小田嶋:そう。音楽でも飯を食うのでも、あるいはテレビを見るのでも、今まで傍らにいた人間がいない、その味気のなさというのか、慣れなさというのがあるわけです。まして、話し合いの上で別れたのならともかく、大好きだったのに振られた場合というのは、これはとてもじゃないわけですよ。自分の心はまだ彼女のもとにあるのに、自分はたった独りであると。 これは非常に耐えがたいことです。嫌いでさえ結構耐えがたいんだから、もし好きだったらこれはとてもじゃないです。どっちにしても、振られたにしても振ったにしても決裂したにしても、どっちみちこの3つのうちですけど、やっぱり一定期間は日常に戻るのにそこそこ苦労するわけですよ。
Y:かつての恋人と聴いていた音楽とか行っていた店とか、そういうところに引っ掛かっている。そこが酒と似ていると。
小田嶋:そうそう。たとえば「酒なしで旅行に行くのってどうよ」とかそういうことで、大丈夫は大丈夫なんだけど、ふっとあるとき手持ちぶさたになったときに、あ、こういうときにあいつがいないというのは、結構深刻な空しさがあるな、と。どうしようかな、俺はいったい何をしたらいいんだろうと思ってしまうんですよ。 これが相手が女性だと電話しちゃうじゃないですか。でも電話でもしたら相手が「冗談じゃない」と言って会ってくれないかもしれない。やっぱりやめておこう。そうやって何とか日常に復帰しながら、彼女を……。
Y:忘れていくわけですね。
小田嶋:そうそう。一方で、電話したら「分かった」と言って復縁できちゃったら、これは別れられないですよ。「もう同じ人と5回ぐらい別れたんだけど、やっと本当に別れた」というのもよくあるじゃないですか。別れ話をして2週間会わなかったけど、やっぱりどちらからともなく連絡して、また3カ月、だらだらけんかしながら付き合ってとか。
▽人間だって、分かれるのは難しい
Y:そうですね。なるほど。で、酒は、電話するどころかコンビニで24時間買えるわけで。
小田嶋:そう。酒と分かれるのが難しいのは、その気になればいつでも手に入っちゃうということで、そんな200円かそこらでいつでも手に入るものから手を切るということの難しさというのは、これはなかなかね。
Y:たばこはそういうふうにはならないんですか。
小田嶋:たばこというのは依存物質だけど、たばこと共にあった経験というのが自分の人生を形づくっているわけじゃないんですよ。
Y:そうなんだ。
小田嶋:たばこを吸いながら見た映画は素晴らしかったけど、なしで見る映画はくだらん、とかそういう話じゃないんですよ。でも酒は、飲みながら見た映画とか、飲みながら見た野球とか、あるいは酒とともにあった景色とか、旅行に行って行きの電車の中でゆっくり飲みながら窓の景色を見るのって最高だよね、みたいなことがある。だから、酒なしで景色を見ていると、このしらじらしさは何だ、という。
Y:酒がないと「しらじらしい」という感じがする場所って、なるほどあるのかもしれません。  小田嶋:そうそう。それをレイモンド・チャンドラーは「色が薄くなったような」と表現したんですけど。世界から色が消えたような感じというのが、酒をやめるとずっとあるんですよ。
Y:失恋、というのは思いも付きませんでした。やっぱり、ある程度でもお酒に依存してみないと分からない感覚なのかな。
小田嶋:ルー・リードという人の歌の中に「ヘロイン」という歌があって、「Heroin, it's my wife and my life」と言っていますよね。だからヘロインは我が人生、我が妻と言っていますけど、ジャンキーからするとそういうことなんです。
Y:恋人、というのも考えてみれば、相互依存みたいなものかもしれませんけれど。
▽今も気がつくと思い出している……
小田嶋:ないと死ぬ、というほど必要じゃないけど、ないと人生がすごく味気なくなるぐらいなものですよ。なきゃないで済むけど。だから5年付き合っていた恋人と別れて、3年、4年たてばもうあんまり思い出すこともなくなったなとなるかもしれないけど、3カ月とかあるいは2週間とかだと、気が付くと思い出しているみたいな。 酒も、「気がつくと思い出している」みたいな存在ではあるんですよ。酒そのものじゃなくて、酒にまつわるあらゆるもの。恋人も、恋人そのものじゃなくて、恋人とした経験だとか恋人と行った場所だとか、そういう経験とかいろいろな込み込みのものとして思い出す。
(Y:(表示もれ?)ああ、だとしたら離婚した人はこの気持ちが分かりやすいかもしれない。離婚も、嫌な思い出もあるだろうけれど、何年か一緒に暮らした以上、何か素敵な思い出や忘れられない出来事はあるはずで、いなくなってせいせいした部分はともかくとして、いなくなったことにより、自分の人生のかなり大きな部分が意味を失ったということはあるはすよね。依存から離れることというのは、もしかしたら離婚に似ているんでしょうかね。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/284031/032600029/?P=1

第一の記事で、 『でも若いころのやっぱり今日1日どうしようというのは、すごくどうしようもなかったので、あれは若いときの独特の感覚だと思うけど、時間が長いんですよ。例えば人と約束して「3カ月後ね」と言われると、子供のころは「そんな日は永遠にやって来ないんじゃないか」と。20代のころでも「え、3カ月後?」と、約束することに違和感があったんだけど、今は平気で半年後の約束とかしているじゃないですか』、という時間感覚の違いはたしかに実感する。 『「会社の窓からお堀が見えると何かちょっとかっこいいじゃん」というようなミーハー心理からそう言っているだけですけど』、と小田島氏でも当時はそう考えていたというのには驚いた。 『我々の時代みたいに10月1日に解禁で、実際に面接を受ける人以外は履歴書を出さないというふうになっていれば、どんなに頑張ったって10月の第1週までに7つか8つですよ。そうなれば一番最優秀の生徒でも7つしか内定を取れないわけですよ・・・無駄な競争が起こらない』、なるほど近年の就活が激烈になっている理由の一端が伺えたようだ。
第二の記事で、 『例えば「酔ったから言いますけど」とか、普段とは違う“酔っ払った自分”というキャラを作ることができるじゃないですか。そうすると、バカバカしい会話でも平気で入っていけたりする。仕事上の言いにくい話もできたりする』、『特にサブカルってそういうものだったんですよ。集団的な宴会芸の延長で雑誌が、番組ができている、みたいな感じだったんですよね』、 『飲みニケーションが崩壊したというのは、その関係性を強要されるメリットが弱くなったことでもある。「会社は特に俺たちを大事に思っていないらしいぞ、だったら先輩と無理に付き合う必要もない」という意識の変化が効いているんですよね』、『飲むということが等価交換、割り勘で飲む世界になった瞬間に、「あんなおっさんと一緒に飲んでもしょうがないじゃん」と。そして、割り勘で飲む以上つまらない説教は聞きません、と』、『やりたくない仕事、解決できそうもない不安に対して、直面して考えるのが嫌だから、自分のプロセッサーの処理能力をそっちに食わせちゃえ、みたいな・・・つまりそっちに処理能力を取らせてしまえば、心配事が消えたわけじゃないけど、心への負荷が一時的に和らぐんだ』、などの指摘は大いに興味深い。 『無難な依存に乗り換えようよというところの中に、ランニング依存だとか、サッカー依存だとか、鉄道依存とかタカラヅカ依存だとかがある。なんならちょこちょこ依存先を変えていきましょうということです。「ネット断捨離」ってのも、もしかしたら時々やってもいいかもしれませんが、自分が言いたいのは、依存というのが特殊なことだと思っている人が多いけど、実はみんながしているんですよ、という話です』、依存をここまで深く掘り下げるとはさすがだ。(スマホは)『自分は能動的に情報を探している、インプットしている、と思うかもしれませんけど、外から取り込んでいるときは、自分の思考は動いてません。プロセッサーの処理能力をダウンロードに喰われているだけですよ。だから、原稿を書くときはネット検索は出来る限りしない』、も言われてみればその通りだ。 『それをレイモンド・チャンドラーは「色が薄くなったような」と表現したんですけど。世界から色が消えたような感じというのが、酒をやめるとずっとあるんですよ』、幸い酒依存ではないので、分からないが、そんあ状態に陥らないためにも、酒依存には気を付けたい。
タグ:日経ビジネスオンライン 小田島氏対談(元アル中と下戸が語る 酒と依存とお仕事と【前】、【後】) 「オダジマは就活で落とされたことがない 元アル中と下戸が語る、酒と依存とお仕事と【前】」 上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白 アルコール依存は、時間の潰し方のひとつ 若いころのやっぱり今日1日どうしようというのは、すごくどうしようもなかったので、あれは若いときの独特の感覚だと思うけど、時間が長いんですよ。例えば人と約束して「3カ月後ね」と言われると、子供のころは「そんな日は永遠にやって来ないんじゃないか」と。20代のころでも「え、3カ月後?」と、約束することに違和感があったんだけど、今は平気で半年後の約束とかしているじゃないですか 会社の窓からお堀が見えると何かちょっとかっこいいじゃん」というようなミーハー心理からそう言っているだけですけど 我々の時代みたいに10月1日に解禁で、実際に面接を受ける人以外は履歴書を出さないというふうになっていれば、どんなに頑張ったって10月の第1週までに7つか8つですよ。そうなれば一番最優秀の生徒でも7つしか内定を取れないわけですよ。 「あの人の酒席に付き合うかどうかの判断基準 元アル中と下戸が語る、酒と依存とお仕事と【後】」 特にサブカルってそういうものだったんですよ。集団的な宴会芸の延長で雑誌が、番組ができている、みたいな感じだったんですよね 飲みニケーションが崩壊したというのは、その関係性を強要されるメリットが弱くなったことでもある。「会社は特に俺たちを大事に思っていないらしいぞ、だったら先輩と無理に付き合う必要もない」という意識の変化が効いているんですよね 飲むということが等価交換、割り勘で飲む世界になった瞬間に、「あんなおっさんと一緒に飲んでもしょうがないじゃん」と。そして、割り勘で飲む以上つまらない説教は聞きません、と やりたくない仕事、解決できそうもない不安に対して、直面して考えるのが嫌だから、自分のプロセッサーの処理能力をそっちに食わせちゃえ、みたいな 納得しました。つまりそっちに処理能力を取らせてしまえば、心配事が消えたわけじゃないけど、心への負荷が一時的に和らぐんだ 無難な依存に乗り換えようよというところの中に、ランニング依存だとか、サッカー依存だとか、鉄道依存とかタカラヅカ依存だとかがある。なんならちょこちょこ依存先を変えていきましょうということです 依存というのが特殊なことだと思っている人が多いけど、実はみんながしているんですよ、という話です 自分は能動的に情報を探している、インプットしている、と思うかもしれませんけど、外から取り込んでいるときは、自分の思考は動いてません。プロセッサーの処理能力をダウンロードに喰われているだけですよ。だから、原稿を書くときはネット検索は出来る限りしない レイモンド・チャンドラーは「色が薄くなったような」と表現したんですけど。世界から色が消えたような感じというのが、酒をやめるとずっとあるんですよ
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孤独(SNSに一石投じる 下重暁子さん「孤独とは自分を知ること」、河合 薫氏:「孤独という病」は伝染し 職場を壊す SNSは孤独感を助長する) [人生]

今日は、孤独(SNSに一石投じる 下重暁子さん「孤独とは自分を知ること」、河合 薫氏:「孤独という病」は伝染し 職場を壊す SNSは孤独感を助長する)を取上げよう。

先ずは、6月4日付け日刊ゲンダイ「SNSに一石投じる 下重暁子さん「孤独とは自分を知ること」」を紹介しよう(▽は小見出し、Qは聞き手の質問、Aは下重氏の回答、+は回答内の段落)。なお、下重氏の略歴が最後についている。
・SNSでつながっていないと不安でしょうがない人が増えている。「孤独」を恐れ、群れていなければ、心配でしょうがない。そんな異様な社会に対して、「孤独こそ人生を豊かにする」と一石を投じたのがこの人、エッセイストの下重暁子さんだ。幻冬舎新書の「極上の孤独」は販売2カ月で27万部の大ヒット。孤独とは? 老いとは? 死に方とは? 孤独の達人に聞いた。
Q:「孤独」という言葉に注目し、著書を出したきっかけは何だったのでしょう。
A:昨年ニュースになった「座間9遺体事件」が、筆を執るきっかけのひとつでした。今や、スマホなどを使えば誰とでも簡単につながれる世の中です。事件の被害者の女性たちはSNSを通じて犯人に「死にたい」とメッセージを送りましたが、本当に「死にたい」と思っていた人はいなかったと報じられています。結局、被害者らは「寂しい」と感じて誰かに話を聞いてもらいたかっただけではないでしょうか
Q:「寂しい」、つまり「孤独」ということですよね。
A:「寂しい」というのは単なる感情でしょう。いっときの感情は、ひとりで映画を見に行ったり、好きな物を食べたりすることで解決するかもしれませんよね。「孤独」は覚悟です。独りで自分自身と向き合い、「自分はどんな人間か」と深く考えること。事件の被害者たちは、ネットで知り合っただけの人物に相談する前に、自分と向き合い、自ら知る努力をしたのでしょうか。もっと自分に興味を持たないとダメだと思います。
+誰しも、自らが気付いていない自分を持っているものです。気付いていない自分としっかり向き合い、対話することで、少しずつ「自分がどんな人間か」ということが分かってくる。それができれば、自分自身を大事にすることができます。これが「孤独」です。皆、他人にばかり興味を持ち、スマホなどを通じて広くつながろうとしている。つながりから少しでも疎外されると、「寂しい」と感じるのでしょう。
Q:通勤電車の中でも、皆スマホを凝視しています。多くはSNSでやりとりしている。誰かとつながっていないと心配という風潮です。
A:電車の中の風景は異様ですし、病的ですよ。ネットで何か調べるというのなら分かりますが、やはり皆SNSでやりとりしていますよね。私も「LINE」はやりますけど、友達は一番大事な3人だけです。LINEなどでつながり出したら、数限りなくつながってしまいます。人間がストレスを感じる一番の原因は「人との関係」。付き合いを広げれば広げるほどストレスは増すものです。
▽日本人は個が育たず政府も個を消そうとする
Q:「独居老人」という言葉に象徴されるように、「孤独」には「老い」というテーマが避けられません。著書でも触れられていますが、超高齢化社会への政府の対応をどう評価されますか。
A:国がやることは、まず疑ってみなければいけません。例えば、「3世代同居」を推進する政策です。おじいちゃん、おばあちゃんは孫と一緒に暮らせて幸せで面倒も見てくれるだろう、なんて考えるのはとんでもない。戦前多かった3世代同居がなぜなくなったかというと、あの濃密な人間関係に耐えられなくなったからです。代表的なのは嫁姑関係ですが、それを解消すべく核家族化が進んだ。今さら「元に戻す」というのは理解しがたいですね。
Q:安倍政権は「人生100年時代構想」や「1億総活躍」を掲げ、お年寄りにも生涯学習などを推奨しています。お年寄りも働ける社会を目指すといいますが、看板だけという印象でいまひとつピンときません。
A:ピンとこないというより、そんなことを「お上」から押し付けられる必要はありません。年をとって自ら選択し、学校に行って勉強する。それこそが生涯学習でしょう。国から言われることではありません。
Q:生き方にまで政府が介入している。
A:本当に冗談じゃありませんよ。ただ、日本人もそれに従う「いい国民」なんです。それは、各人の「個」が育っていないからでしょう。政府の側も「個」を消そうとしています。。
Q:生き方にまで政府が介入している。
A:本当に冗談じゃありませんよ。ただ、日本人もそれに従う「いい国民」なんです。それは、各人の「個」が育っていないからでしょう。政府の側も「個」を消そうとしています。
Q:どういうことでしょう。
A:自民党は改憲案で、最も重要な憲法13条に手を付けようとしています。今の条文にある「個人の尊厳」を「人の尊厳」に変えようとしているのです。「個人」とは一人一人違う個性を持った人間のこと。しかし、「人」は大多数のことです。つまり「個人」は必要がなく「人」を家族や組織という集団でまとめたい。そうすれば、政府は簡単に国民に言うことを聞かせることができる。
▽老いるとは個性的になること
Q:結局、今の政府は「お年寄りは働いて下さい」などと言い、財政のことしか考えていないようにみえます。働き続けることが幸せなのか。
A:年寄りほど、時間に余裕があって自分と向き合える人はいませんよ。現役時代は毎日会社に行って仕事をしなければいけませんし、小さい子供の面倒も見なければならない。自分が好きなものは何なのかとじっくり考える暇がなく、仮に見つかっていても実行する時間がなかった。年をとり、豊かな時間を獲得すれば、さまざまなことが実行できる。幸せなことだと思います。
Q:それが「個」を磨くということですね。
A:私は、つれあい(夫)の母親が100歳まで施設にいて、時々見舞いに行っていました。彼女はいつも自室に独りでしたが、多くの他の人は介護士に呼び出され集合すると、お歌を歌わされていた。童謡ですよ。あとは塗り絵です。好きな絵を描かせるなら分かりますが、塗り絵は人が描いたものをなぞるだけ。結局、施設も先ほどの憲法13条の話ではありませんが、「同じ年寄り」をつくりたいのです。その方が管理しやすく、費用もかかりませんから。予算が厳しく効率よく管理したいのでしょうが、年をとるということは「効率」とは無関係になるということでもあるのです
Q:政府も社会保障や介護、医療についてコスト面ばかり話題にする。まるで老人は生きていること自体が「悪」と言わんばかりです。
A:年を重ねるということは、個性的になるということで、ちっとも恥ずかしいことではありません。年金など、若い人に負担をかけてしまうと考える必要もない。しっかりと自分と向き合うことで、最低限の経済的自立と精神的自立をつくり上げることです。人生の最期まで自分らしく自由に生きることができれば、人に迷惑をかけることもありません。
Q:世間では孤独死などが社会問題と捉えられています。「死に方」について、心配している人も多いと思います。
A:それは、心配しても仕方がない面があります。突然、どこかで倒れ、野垂れ死んでしまうかもしれませんから。ただ、その時のために自分の最期の始末をする最低限のお金と、始末をしてくれる人は必要だと思います。
Q:「愛する家族に囲まれて」というのが、「幸せな死に方」と世間では考えられています。
A:私にはつれあいしかいませんし、囲んでくれる多くの家族はいません。野垂れ死んだっていいと思っています。先日、作家の五木寛之さんとも話したのですが、ホームレスのような人の方が豊かな死を迎えられるのではないかなあと。彼らはいつ死が訪れるか分からないという感覚が常にある。死の危険を常に意識するということは、自分の死と向き合っているということ。人間は生まれた時も死ぬ時も独り。当人が満足して死を迎えられるかが重要です。
Q:死に至るまで、自分と向き合う?
A:「死」について扱った海外の映画や書籍の題名が、“無難”な日本語に直されるケースをたびたび見てきました。日本人は死を正面から見ることを避ける傾向にある。怖いのは当たり前ですが、見るべきものは見なきゃいけない。孤独でなければ、直視できません。自分自身と対話できなければ、自分の死なんて分かりませんよ。
▽しもじゅう・あきこ 1936年生まれ。早大教育学部国語国文学科卒業。NHKでアナウンサーとして活躍後、フリーに転身。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。ジャンルはエッセー、評論、ノンフィクションなど。「家族という病」「鋼の女―最後の瞽女・小林ハル」など著書多数。日本ペンクラブ副会長、日本旅行作家協会会長を務める
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/230232/1

次に、健康社会学者の河合 薫氏が6月12日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「孤独という病」は伝染し、職場を壊す SNSは孤独感を助長する」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「孤独」が注目されている。「孤独は皮膚の下に入る」と、オカルトめいたフレーズで、孤独が健康に及ぼす悪影響ついてアチコチで訴えてきた身としては、少々昨今の盛り上がりに戸惑っている。
・ナニを戸惑っているかって? 「投げる方と受ける方」のズレ、だ。 孤独のリスクを訴える側は、孤独と健康、孤独と生産性、といった負の影響を訴える。 だが、孤独はめんどくさい人間関係からの解放でもあるため、「孤独=ゆゆしき問題」と考える人たちが危機を訴えれば訴えるほど、より孤独を肯定的に捉える情報が氾濫する。
・人間は独りで生まれ、独りで死ぬし、孤独をいかに生きるかを知ることは必ずしも悪いことではない。孤独感は取るに足らない瞬間に感じることもあれば、大切な人を失ったときに感じることもある。束の間の孤独感は日常にありふれているので、つい、私たちは「それも人生」と受け入れてしまいがちだ。
・だが、問題になっているのは「孤独という病」だ。 孤独とは「『社会的つながりが十分でない』と感じる主観的感情」で、家族といても、職場にいても、時として堪えがたいほど感じるネガティブな感覚である。
・孤独感を慢性的に感じているとそれが血流や内臓のうねりのごとく体内の深部まで入り込み、心身を蝕んでいく。まさに皮膚の下まで入り込み、心臓病や脳卒中、癌のリスクを高めてしまうのである。
・これまで蓄積されてきた孤独研究の中で「孤独」のプラス面は科学的にはいっさい確認されていない。 孤独研究は、1980年代に孤独を感じている人が倍増しているとの論文が発表されて以降、世界の関心事となった。2005年には、OECD(経済協力開発機構)報告書に初めて「孤独」に関する調査が盛り込まれ、2009年には「孤独は伝染する」との衝撃的な研究結果が発表された(“Alone in the Crowd: The Structure and Spread of Loneliness in a Large Social Network”)。
・孤独は伝染する――。 ふむ。皮膚の下に入る以上におぞましいフレーズである。今や孤独は個人の問題から社会問題へ、さらには組織(職場)問題へとひろがっているのである。 というわけで、今回は「孤独という病」について、アレコレ考えてみようと思う。
・まずは、「孤独は伝染する」との結論に至った研究内容から紹介する。 この論文は2009年に『Journal of Personality and Social Psychology』に掲載されたもので、シカゴ大学のJ.T.カシオポ教授らの研究チームによる分析である。カシオポ教授は、孤独感を軸に社会的ネットワーク研究を行なってきた社会神経学者の大家だ。
・“Alone in the Crowd:The Structure and Spread of Loneliness in a Large Social Network”と題されたこの論文では、マサチューセッツ州フラミンガムを中心に長年にわたって行なわれている健康調査のデータを用い(心身の健康状態、習慣、食事など)、5000人超の住民を60年以上追跡。健康調査に先駆け、参加者には「今後の2年間で自分がどこにいるか把握していると思う友人、親類、近隣者(=社会的ネットワーク)」を挙げてもらっていた情報を基に、「孤独感」の経時的な変化をプロットし、分析したのだ。
▽孤独が伝染するメカニズム
・その結果、「孤独感が伝染している」ことがわかったのである。 伝染のメカニズムはこうだ。 社会的ネットワークの周縁部の人々は友人が少ない。彼らは孤独感を感じていて、不安感が強い。孤独感を抱いている人は「他者をよそよそしい存在」と見がちなので、数少ない友人への不信感も強く、その孤独感と不信感に堪えきれず、残り少ない友人との関係までも断ち切ってしまう傾向が強い。
・関係を断ち切られた友人には、既にその人のネガティブな感情が伝染しているため、その友人もまた孤独感から友人を遮断するという、負のサイクルが連鎖する。その結果、まるで「毛糸のセーターが端からほつれる」ように、社会的ネットワークが段々と縮小し、やがて崩れていくとしたのである。
・そもそも私たちの感情は無意識のうちに他者から伝染している。楽しそうに笑っている人をみて自分も明るい気分になった経験や、悲しい目にあった友人の話を聞き暗い気持ちになった経験は誰しもあるだろう。これは「情動伝染」と呼ばれ、とりわけネガティブな感情ほど伝染しやすい。
・特に物理的に近くにいる人や、実際に顔を見たり声を聞いたりするときほど感情は伝染しやすいため、孤独感を抱いている友人の社会への不信感、鬱々とした気分、悲しみ、不安感が、知らず知らずのうちに伝染してしまうのである。
・先の研究によれば、孤独感の伝染力は、家族よりも友人からの方が強く、男性よりも女性へ広がりやすい。また、数㎞以内に住んでいる近隣者の間で最も伝染することがわかった。 加えてカシオポ教授らは、「孤独感は友人の友人の友人まで伝染する力がある」ことも確認した。「孤独感を持つ友人」がいる人が孤独感を持つ可能性は40~65%で、「孤独感を持つ友人の友人」の場合は14~36%。「友人の友人の友人」の場合では6~24%だという。
・これらの結果を受け、カシオポ教授らは、「孤独感は世界が敵対的だという感覚から始まり、社会的な脅威を警戒するようになる。孤独感を抱いている人は、他の人にネガティブな態度を取ったり自分が所属するコミュニティによそよそしい態度を取りがちになり、増々孤独感を募らせる」 と、いったん孤独の罠にはまると底なし沼のように孤独という病いに引込まれる、と指摘したのである。
・……。「友人の友人の友人」か。孤独感が伝染しやすいことは理解できるが、「友人の友人の友人」まで影響力があるとは、失礼ながら失笑してしまった(すみません)。少々、言い過ぎではないか、と。  実際「友人の友人の友人への伝染」には異論も多く、「そもそも似た者同士が友人になっているだけで伝染しているわけではない」とする意見や、「孤独感を招きやすい環境が影響しているだけ」との見解もある。
・一方、孤独感を抱く→関係を遮断する、という方程式は、個人的には至極納得した。 孤独感を抱いてるときって、なんとなく人が集まる会合などに行きづらいというか、行きたくないっていうか。行ったら行ったで、ますます孤独感が募ることだってある。 孤独感というより、疎外感といった方がいいかもしれない。
・いずれにせよ「孤独は伝染する」ことを追跡研究で具体的な数字にまで落とし込んだこの論文は、世界中の研究者の関心を集め、孤独研究は隆盛を極めることになる。
 +孤独を感じる人は死亡リスクが26%高い +孤独感は抑うつにつながり、自殺願望を増加させる +孤独感は血圧の上昇、ストレスホルモンの増加、免疫力の低下をもたらす +孤独感はアルツハイマー病や睡眠障害につながる +乳がん生存者のうち、孤独感の高い人はそうでない人に比べ再発率リスクが高い +孤独感は一日15本のタバコを吸うのと同等の健康被害をもたらす etc……といった健康問題との関連は複数報じられ、さらには、孤独を感じている社員は、
 +創造性が低い +仕事満足度が低い +パフォーマンスが低い +論理的思考能力の低下 +他者への攻撃性の増加 といった報告が相次ぎ、職場の孤独問題の解決策を模索する試みも進んでいる。
▽人間関係の希薄化が大きな要因
・なぜ、孤独が増えてしまったのか? 人間関係の希薄化が大きな要因であることは間違いない。 職場ではみなパソコンを見つめ、キーボードの音だけが鳴り響く。仕事も膨大なので無駄話をする時間もない。毎日同僚たちと顔を合わせているのに、互いに何を考え、何を悩んでいるのかを語り合う余裕もない。
・それ以上に孤独感を助長するのが、皮肉にもSNSなどの発達である。 そもそも人は類人猿の時代から身体活動を通じて集団を作り生き延びてきた。人が信頼をつなぎ、安心を得るには“共に過ごすこと”が必要不可欠。ところがSNS(交流サイト)の発達で共に過ごさなくてもつながることができるようになった。
・加えて、私たちは孤独を感じているときに、他人のちょっとだけ幸せそうなリアルを垣間みると、ネガティブな感情が高まる。家族と笑顔で映っている写真、同僚たちと楽しそうに飲んでいる写真、SNS上での楽しそうなコメントのやりとり……。いわゆる“リア充”に嫉妬する。 孤独感はポジティブな感情の「情動伝染」を低下させるという、実にやっかいな側面も持ち合わせているのだ。
・孤独は「個人の問題」としてではなく、医療費の増加、うつ病、自殺問題、高齢化社会への警鐘など「社会の問題」に発展し、孤独な働き手が健康を損ねれば、企業の生産性も下がる。 日本ではいまだに「健康は個人の問題」と捉えられているけど、世界的には「健康は社会の問題」とのパラダイムシフトが数年前から定着していて、世界保健機関(WHO)のヨーロッパ事務局は、1998年に「健康の社会的決定要因:確かな事実」を策定。2003年には第2版を公表し、孤独感が社会や組織に及ぼすリスクを積極的に取り上げている。
▽日本は「孤独大国」
・「おい、また海外の話かい?」と口を尖らせている人がいるかもしれないけど、日本は言わずと知れた「孤独大国」である。 2005年のOECDによる調査では、日本の社会的孤立の割合はOECD加盟国の中で最も高かった。友だちや同僚たちと過ごすことが「まれ」あるいは「ない」と答えた人の割合は、男性16.7%、女性14%で、OECD 加盟国21カ国中トップ。平均は6.7%なので、いかに高いかがわかる。
・また、2007年のユニセフによる子どもの幸福度の調査によると、「あなたは孤独を感じることがありますか?」という質問に対して、「孤独である」と回答した子どもは日本では29.8%。他国の5~7%を大幅に上回っていたのである。
・奇しくも先のOECD調査で、平均以下の5%だった英国で今年1月に「孤独担当大臣」が誕生したが、そのきっかけとなったのが「孤独が国家経済に及ぼす影響は年間320億ポンド(約4.9兆円)、雇用主に年間25億ポンドの損失を与える」という科学的エビデンスだ。
・英国では「孤独」を感じている人が国民7人に1人いるとされ、65歳以上の高齢者では、およそ10人に3人が「孤独」を感じながら生活。身体障害者の4人に1人は日常的に「孤独」を感じ、子どもを持つ親たちの4分の1が常に、もしくは、しばしば「孤独」を感じているという。
・そこで英国政府は、社会的弱者への精神的健康へのサポートの強化、孤独な人々がボランティアグループに参加したり近隣の人と関わる機会の提供、孤独対策のための基金の設立、主要な調査研究で活用するための、孤独に関する適切な指標を国家統計局(ONS)が設定するなどの方針を発表。特にNPO団体が数年前から行なっている、高齢者への電話サービスや、自宅訪問サービスには積極的に予算を投入している。
・繰り返すが、孤独は「孤独感」という主観的な感覚であり、経験である。「社会的つながりが十分ではないという主観的な感情」を健康社会学的な文脈で捉えれば、「私はあたたかく信頼できる人間関係を築いている(=積極的他者関係、positive relationship)」という感覚の欠如だ。
▽問題に対処する「心の体力」が低下
・これは「生きる力」を高める感覚のひとつで、「積極的他者関係」の高低は抑うつ傾向、ワークモチベーション、欠勤などと相関関係があり、ストレス対処力とも関係している。社会的動物である人間にとって「積極的他者関係」の欠如は、それ自体がストレスとなる。何らかの問題や困難に遭遇しても「なんとかしよう」と考えることができない。
・私が2006年に調査したときには、積極的な他者関係が欠如している人は、逃避行動をとることが多かった。慢性的に降り続く雨にびしょ濡れになっているため、問題に対処しようという「心の体力」が低下してしまうのだ。
・「孤独」と「つながり」はコインの表と裏ではなく、一本のレールでつながっている。両者が矛盾なく、同時に成り立っていることが健康である。 だが、積極的な他者関係が欠如すると、孤独感だけにひっぱられ、孤独という病いにおかされてしまうのだ。
・今回は「孤独という病」を理解してもらいたくて、取り上げました。「孤独感→周りへの不信感や敵対心→他者関係の遮断→さらなる孤独感→孤立→心身の不調」という孤独の悪循環である。  したがって、その解決策(企業での取り組み、個人の取り組み)はまたの機会に書きます。あしからず。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/061100163/?P=1

第一の記事で、 『誰しも、自らが気付いていない自分を持っているものです。気付いていない自分としっかり向き合い、対話することで、少しずつ「自分がどんな人間か」ということが分かってくる。それができれば、自分自身を大事にすることができます。これが「孤独」です。皆、他人にばかり興味を持ち、スマホなどを通じて広くつながろうとしている。つながりから少しでも疎外されると、「寂しい」と感じるのでしょう』、と「孤独」を自分としての理想的なものと捉えているようだ。 『(安倍政権は「人生100年時代構想」や「1億総活躍」を掲げ、お年寄りにも生涯学習などを推奨しています)・・・そんなことを「お上」から押し付けられる必要はありません。年をとって自ら選択し、学校に行って勉強する。それこそが生涯学習でしょう。国から言われることではありません』、『自民党は改憲案で、最も重要な憲法13条に手を付けようとしています。今の条文にある「個人の尊厳」を「人の尊厳」に変えようとしているのです。「個人」とは一人一人違う個性を持った人間のこと。しかし、「人」は大多数のことです。つまり「個人」は必要がなく「人」を家族や組織という集団でまとめたい。そうすれば、政府は簡単に国民に言うことを聞かせることができる』、との安倍政権批判には強く同意する。 『年を重ねるということは、個性的になるということで、ちっとも恥ずかしいことではありません。年金など、若い人に負担をかけてしまうと考える必要もない。しっかりと自分と向き合うことで、最低限の経済的自立と精神的自立をつくり上げることです。人生の最期まで自分らしく自由に生きることができれば、人に迷惑をかけることもありません』、には若干、元気づけられた気がする。
第二の記事での河合氏の孤独の捉え方は、下重氏とは大きく違っている。『少々昨今の盛り上がりに戸惑っている。 ナニを戸惑っているかって? 「投げる方と受ける方」のズレ、だ』、『問題になっているのは「孤独という病」だ。 孤独とは「『社会的つながりが十分でない』と感じる主観的感情」で、家族といても、職場にいても、時として堪えがたいほど感じるネガティブな感覚である。 孤独感を慢性的に感じているとそれが血流や内臓のうねりのごとく体内の深部まで入り込み、心身を蝕んでいく。まさに皮膚の下まで入り込み、心臓病や脳卒中、癌のリスクを高めてしまうのである』、うーん、さすがだ。『これまで蓄積されてきた孤独研究の中で「孤独」のプラス面は科学的にはいっさい確認されていない』、『孤独が伝染するメカニズム』、 『孤独感を助長するのが、皮肉にもSNSなどの発達』、『日本ではいまだに「健康は個人の問題」と捉えられているけど、世界的には「健康は社会の問題」とのパラダイムシフトが数年前から定着していて、世界保健機関(WHO)のヨーロッパ事務局は、1998年に「健康の社会的決定要因:確かな事実」を策定。2003年には第2版を公表し、孤独感が社会や組織に及ぼすリスクを積極的に取り上げている』、『日本は「孤独大国」』、『孤独感→周りへの不信感や敵対心→他者関係の遮断→さらなる孤独感→孤立→心身の不調」という孤独の悪循環である』、などの指摘は新鮮で説得力がある。私には得るところが大きい読みでのある記事だった。
タグ:孤独 日刊ゲンダイ 日経ビジネスオンライン 河合 薫 (SNSに一石投じる 下重暁子さん「孤独とは自分を知ること」、河合 薫氏:「孤独という病」は伝染し 職場を壊す SNSは孤独感を助長する) 「SNSに一石投じる 下重暁子さん「孤独とは自分を知ること」」 SNSでつながっていないと不安でしょうがない人が増えている 孤独こそ人生を豊かにする 「極上の孤独」 「孤独」は覚悟です。独りで自分自身と向き合い、「自分はどんな人間か」と深く考えること 日本人は個が育たず政府も個を消そうとする 安倍政権は「人生100年時代構想」や「1億総活躍」を掲げ、お年寄りにも生涯学習などを推奨しています そんなことを「お上」から押し付けられる必要はありません。年をとって自ら選択し、学校に行って勉強する。それこそが生涯学習でしょう。国から言われることではありません 自民党は改憲案で、最も重要な憲法13条に手を付けようとしています。今の条文にある「個人の尊厳」を「人の尊厳」に変えようとしているのです 。「個人」とは一人一人違う個性を持った人間のこと。しかし、「人」は大多数のことです。つまり「個人」は必要がなく「人」を家族や組織という集団でまとめたい。そうすれば、政府は簡単に国民に言うことを聞かせることができる 老いるとは個性的になること 「「孤独という病」は伝染し、職場を壊す SNSは孤独感を助長する」 孤独は皮膚の下に入る 「投げる方と受ける方」のズレ 孤独のリスクを訴える側は、孤独と健康、孤独と生産性、といった負の影響を訴える 孤独はめんどくさい人間関係からの解放でもあるため、「孤独=ゆゆしき問題」と考える人たちが危機を訴えれば訴えるほど、より孤独を肯定的に捉える情報が氾濫する 問題になっているのは「孤独という病」だ 孤独感を慢性的に感じているとそれが血流や内臓のうねりのごとく体内の深部まで入り込み、心身を蝕んでいく。まさに皮膚の下まで入り込み、心臓病や脳卒中、癌のリスクを高めてしまうのである これまで蓄積されてきた孤独研究の中で「孤独」のプラス面は科学的にはいっさい確認されていない 今や孤独は個人の問題から社会問題へ、さらには組織(職場)問題へとひろがっているのである 孤独は伝染する シカゴ大学のJ.T.カシオポ教授らの研究チームによる分析 孤独が伝染するメカニズム その結果、まるで「毛糸のセーターが端からほつれる」ように、社会的ネットワークが段々と縮小し、やがて崩れていくとしたのである 孤独感を抱いている友人の社会への不信感、鬱々とした気分、悲しみ、不安感が、知らず知らずのうちに伝染してしまうのである 孤独感を抱く→関係を遮断する、という方程式は、個人的には至極納得 人間関係の希薄化が大きな要因 それ以上に孤独感を助長するのが、皮肉にもSNSなどの発達である 人が信頼をつなぎ、安心を得るには“共に過ごすこと”が必要不可欠。ところがSNS(交流サイト)の発達で共に過ごさなくてもつながることができるようになった 日本は「孤独大国」
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