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随筆(その5)(養老孟司氏 人はなぜ「自分の命は自分のもの」と思い込むのか?、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ、小田嶋さんへの手紙 追悼・小田嶋隆さん) [人生]

随筆については、6月28日に取上げた。今日は、(その5)(養老孟司氏 人はなぜ「自分の命は自分のもの」と思い込むのか?、小田嶋さんへの手紙 追悼・小田嶋隆さん)である。

先ずは、3月17日付け日経ビジネスオンラインが掲載した解剖学者の養老孟司氏による「養老孟司氏、人はなぜ「自分の命は自分のもの」と思い込むのか?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00426/030100004/
・これは、有料記事だが、月3本までは無料なので、紹介する次第。 解剖学者の養老孟司先生の「子どもが自殺するような社会でいいのか」という問題提起からスタートした本連載。なぜ今、子どもたちは死にたくなってしまうのか。社会をどう変えていけばいいのか。課題を一つずつ、ひもといていきます。 前回(日本の子どもに「個性と自己実現」を求めるべきか?)は、「自己の問題」を取り上げました。 日本の伝統的な考え方には、自己という概念がない。そのことを反映するかのように、日本の子どもたちはアメリカの子どもたちと違って、自分の人生を自分で選択したり、自分で決定したりすることを好まない。しかし、西洋の考え方が導入された現代社会を生きる親たちは、子どもたちに「個性を伸ばせ」「自己実現せよ」と求める――。 このような自己の問題は、日本人が明治維新以来抱えているストレスであると先生はおっしゃいます。子どもの自殺が今、増えていることとも関係しているのかもしれません。 Q:前回のお話では、そもそも「生まれてから死ぬまで一貫して変わらない私がいる」という感覚が、日本人にはそぐわない、ということでした。今の日本の大人にとっては、当たり前の感覚だと思いますが、これは明治以降、西洋からきた考え方であり、日本の伝統的な考え方とは違う、と。 養老孟司氏(以下、養老):もともとヨーロッパでも、多神教の世界(*)ではこういう「私」はなかったと思うんです。 例えばデカルトの「我思う」ってありますね。あれはフランス語で「Je pense」でしょう。「donc je suis」は、「私は存在する」(*)。「Je」が、私ですね。 これをラテン語(*)で書くと、「我思う」はいきなり「Cogito(コギト)」となるんです。Cogitoは、一人称単数現在の動詞です。「私は考える」と言いたいときに、ラテン語では主語は要らないんです。 Q:英語でいえば「think」のみということですね。主語がない。 養老:「主語がない」というと、何か不足しているような気がしますが、日本語と同じで必要がなかったんですね。 確かに日本語も、主語をあまり使いませんね。普段の会話において、「私は……」と話すことはあまりありません。 * 多神教の世界:神道の日本、インド、古代オリエント、古代ギリシャ・ローマなど。 *「我思う、ゆえに我あり」:Je pense, donc je suis * ラテン語:古代ローマ帝国の公用語。現在のフランス、イタリア、スペイン語など、すべてのロマンス諸語の母体』、「「私は考える」と言いたいときに、ラテン語では主語は要らないんです。 Q:英語でいえば「think」のみということですね。主語がない。 養老:「主語がない」というと、何か不足しているような気がしますが、日本語と同じで必要がなかったんですね』、「ラテン語では主語は要らない」とは初めて知った。
・『「I am a boy」に、「I」は不要である  養老:英語で「I am a boy」って言うときに「I」を必ず付けますけど、その「I」も本当は要らないですよね。「am」とくれば、主語は「I」に決まっているのですから。じゃあ、ラテン語で入っていなかった「私」が、いつから入ってきたかというと、多分中世、キリスト教からです。 Q:何か理由があったのですか? 養老:一神教の世界には、「最後の審判」があります。この世の終わりに、全員が神様の前に出て裁きを受ける。そうすると、そのときまで存在し、過去から一貫している自分がないといけない。 裁きを受けるまで、一貫した自己がないといけない……。以前(なぜ「本人」がいても「本人確認」するのか?)にうかがった、名前が必要な理由と似ていますね。「貸したお金を返してください」といったときに、「借りたのは私ではありません」と反論されると困るから、借りた私に「黒坂真由子」という名前が付けられている。 養老:最後の審判であれば、「審判を受ける自分は誰か」ということになる。生後50日の私と、84歳の今の私では、まったく違うとなれば、どっちが審判の場に出るのか、ということになります。 Q:仏教では、生後50日の養老先生と、84歳の養老先生はまったく違う存在だと考えるのでしたね(前回参照)。 養老:しかし、最後の審判がある人々にとっては、生まれてから死ぬまで一貫した私というものがないと困るんですよ。そういうものが要請されてしまったんですね。 Q:その「生まれてから死ぬまで一貫した私」という考えが、明治以降、日本に輸入されて、今「個性を伸ばせ」という教育になっているということですね。本来「自己」という土壌がないのに、急に「個性を伸ばしなさい」という教育になってしまった。 養老:そうです。だから先生も困っているのではないですか。 Q:前回ご紹介した研究の通り、日本の子どもは、パズルもペンの色も母親の好みで選びたい、人生の選択もなるべく多くを周りに委ねたい。そういった周囲の意向を受け入れて生きていくのが心地いい日本の子どもにとって、「個性を伸ばせ」「自己実現せよ」という親や社会の期待が、プレッシャーになっている可能性がある。 このような「自己の問題」は、自殺にも関係しているのでしょうか? 養老:自己の問題の裏にあるのが、「命は自分のもの」という考え方です。だから、若い人が勝手に死ぬ』、「一神教の世界には、「最後の審判」があります。この世の終わりに、全員が神様の前に出て裁きを受ける。そうすると、そのときまで存在し、過去から一貫している自分がないといけない」、「「生まれてから死ぬまで一貫した私」という考えが、明治以降、日本に輸入されて、今「個性を伸ばせ」という教育になっているということですね。本来「自己」という土壌がないのに、急に「個性を伸ばしなさい」という教育になってしまった」、確かに「自己」が未確立なのに、「個性」重視教育は馴染まない。「自己の問題の裏にあるのが、「命は自分のもの」という考え方です。だから、若い人が勝手に死ぬ」、困ったことだ。
・『自分の命は、自分のものではない  Q:「自己がある」という考えが「命は自分のもの」という考え方につながる。確かに「自己」がなければ「自分のもの」と思いようがないですね。 養老:みなさん、「命は自分のものだから、自分の好きなようにしていいんだ」と思っていますよね。自分の身体や命が「自分のもの」であるという暗黙の了解ができています。それが常識になってしまっている。でも、そんなことは、どこにも決められていないんです。 Q:では、もし子どもに、 「命は誰のものなのですか?」と聞かれたら、どう答えればいいのでしょうか? 養老:世の中には誰かのものであるものと、誰のものか分からないものがあるんです。例えば、月は誰のものですか? 命が誰のものであるかを問うのは、それと同じくらい、おかしな質問です。今の社会の常識を優先してしまうから、質問自体が変だということに気がつかない。 Q:中学生の娘に、子どもの自殺をテーマに養老先生に取材をすると話したら、「なんで自殺しちゃいけないのか、養老先生に聞いてみたい」と言われました。こういう質問自体が、おかしいということなんですか? 養老:おかしいでしょう。それは「なぜ人を殺してはいけないの?」というのと、同じくらいおかしな質問です。一時期、この問いが話題になりましたよね。 Q:じゃあ、命は誰のものでもないのですか? 養老:そうです。 Q:ええと、自分の命は自分のものではないんですか? 私の命は、私のものではない? 養老:はい。命はもらったものです。別に自分で稼いで、生まれてきたわけじゃないでしょう。 Q:なんというか、そういう答えを予想していなかったので……。「誰のものでもない」という答えは、正直、まったく考えていませんでした。 養老:あなたが勝手にいじっていいものじゃないよ、ということでしょうね。 Q:自分が今生きているということ自体を、いじる権利が自分にはない……。 養老:そうですね。仕方がないから生きてるんですよ、僕なんか。 これも、お互いさま(「なぜコロナ禍で子どもたちは死にたがるのか?」参照)に近いですね。みなさん、自分一人の力で独立して生きているわけではないでしょう。何かそういう当たり前のことを議論しなくてはならなくなったのが、変なんですよ。本来、そういうふうに言葉で議論するものではないんですよ。 Q:でも、「命は誰のものか?」という問いには「誰かのもの」という答えがあるものだと、思い込んでいました』、「命は誰のものでもない」、「自分の命は自分のものではないんですか? 私の命は、私のものではない? 養老:はい。命はもらったものです。別に自分で稼いで、生まれてきたわけじゃないでしょう」、「自分一人の力で独立して生きているわけではないでしょう・・・本来、そういうふうに言葉で議論するものではないんですよ」、「私の命は、私のものではない」のは確かだ。
・『「なぜ人を殺してはいけないのか?」に、どう答えるか  養老:「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問に、藤原正彦さんは「『駄目だから駄目』ということに尽きます」と言っていました(*)。「ならぬことはならぬものです」という会津の教育ですね。今の人は、何でも理屈で解決できると思っている。すべてのことが言語的に解決できるかというとそうはいかないよ、ということです。 人生を一言で表現してみなさい、といわれたらどうですか。無理に決まっているでしょう。一言で言えるわけがないのですよ。生きるというのは、プロセスですから。 「自分の命は、自分のもの」という考え方には、根拠がないのです。特に日本においては、極めて根拠が薄い。 *『国家の品格』藤原正彦著(新潮新書/2005年) Q:前回、武士の話が出ましたが、確かに武士の社会では、「藩や家のために切腹」ということがありました。命はそれこそ藩や家に属していて、自分のものではなかった。 養老:そうです。本来、自分のためのものではないのです。人生とか生きがいというのは。 Q:そういう「命は自分のものではない」という価値観が綿々と続く社会の中で生きてきたのが、私たち日本人ということなんですね。でも、西洋では「命は自分のもの」であるわけですよね? それは自殺には結びつかないのですか?  養老:だからキリスト教では「自殺禁止」が明言されているんですよ。自殺は大罪にあたります。キリスト教社会では19世紀まで、自殺した人は、まともな墓場に入れてもらえなかったんです。戦後もありましたよ。自殺すると墓地に入れてもらえないことは。 でも日本では侍のハラキリから始まって、自殺を禁じる考えはありません。そういう社会に「自己」というものを持ち込み、その上「自分の命は自分のもの」という考え方まで持ち込んでくると、自殺者が増えるのは当たり前です。自殺を止める思想がそもそもないのですから。 Q:日本には「自殺禁止」につながる考え方は、何もなかったのですか?』、「キリスト教では「自殺禁止」が明言されているんですよ。自殺は大罪にあたります。キリスト教社会では19世紀まで、自殺した人は、まともな墓場に入れてもらえなかったんです」、「自殺禁止」を担保するため、「自殺した人は、まともな墓場に入れてもらえなかった」とは初めて知った。
・『「自殺を止める思想」を失った日本人  養老:戦前はまだ、命は自分のものではないというのが基本的な考え方でした。「身体髪膚之を父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり(しんたいはっぷこれをふぼにうく、あえてきしょうせざるはこうのはじめなり)」ということです。これは『孝経(*)』にある一節で、「人の身体はすべて父母からもらったものだから、傷つけないようにするのが孝行の始まり」という意味です。これが人間関係の起点でもありました。 * 孝経(こうきょう):孔子の弟子の曾子の作と伝えられる。『論語』とならぶ儒家の古典のひとつ。「孝」は儒教倫理の中心であり暗唱しやすかったため、家庭での教育に用いられた。 Q:戦前は親孝行をしなくちゃいけなかった。ある意味、自分の命は親のもの。戦争中は……。 養老:お国のためですね。 Q:ああ、シベリアで捕虜生活を送った大正12年(1923年)生まれの祖父に「なんで戦争に行ったの?」と尋ねたとき、「日本民族のため」と言っていたのを思い出します。そう考えると、私の祖父の頃までは「自分の命は自分のものではない」ということが、まだ常識だったということですよね。「命は自分のもの」ということが常識となったのは、ここ数十年のこと。自分のものなら、自分の好きにしていいと、確かに考えてしまいそうです。 養老:親孝行という徳目を、かつて徹底的に教えたことには、自殺を防ぐ効果があった。親孝行の価値観がある間は、子どもは死ねません。子どもが親の先に死ぬのは「逆縁」といって最大の親不孝です。今の常識では、夢にも思わないのではないですかね。 「滅私奉公」「一億玉砕」の裏返しで「命が自分のもの」になった今の日本には、自殺を止める思想がない。だから「こんなにつらいのなら、自分の命は自分で潰していい」と考える。 Q:そもそも命が自分のものではない仏教には「自殺禁止」の教えが存在しない。それをかつては「親孝行」という思想で止めていた。しかし、親孝行という思想はほとんど消えかけている。だから現代の日本には、自殺を止める思想がないということですね。これだけ大きな問題となると、どこから手をつけていいのかわからなくなってきてしまいました。 養老:もちろん簡単にはいきません。でも、簡単にいかないからといって考えることをやめるわけにもいきません。 Q:そうですね。難しくても、考えていくしかない。次回も、よろしくお願いいたします』、「そもそも命が自分のものではない仏教には「自殺禁止」の教えが存在しない。それをかつては「親孝行」という思想で止めていた。しかし、親孝行という思想はほとんど消えかけている。だから現代の日本には、自殺を止める思想がない」、「親孝行という思想」が「自殺」を止めていた。「親孝行という思想」は古臭いと思っていたが、意外な効用があったようだ。

次に、7月1日付け日経ビジネスオンライン「小田嶋さんへの手紙 追悼・小田嶋隆さん」を紹介しよう。
・『2022年6月24日、日経ビジネスオンライン時代から長くご執筆をいただいてきたコラムニスト、小田嶋隆さんがお亡くなりになりました。 今回は、小田嶋さんに近しい方々にいただいた寄稿を掲載して、皆さんと一緒に偲びたいと思います。 最初は、日経ビジネスに小田嶋隆さんをご紹介くださったジャーナリスト、清野由美さんです。 追悼、小田嶋隆さんへ ついにこの時が来てしまった。 小田嶋さんが脳梗塞で入院された時から、ずっと、はらはらと過ごしてきた。編集Yこと、日経ビジネスの山中浩之さんから電話の着信があると、覚悟を決めて出るのが習いになっていた。小田嶋さん本人の美学から、逐一の病状はうかがっていなかったが、じわじわと砂の落ちる音は伝え聞いていた。 私にとっては、昨秋「中央公論」で小田嶋さんとオバタカズユキさんの対談の仕切り役をした時が、今生のお別れとなった。幾度かの入院治療のインターバルのタイミングで、身体の動きはゆっくりしていたが、アタマの切れは変わらず、口先もいたって達者で、さすがだった。 65という小田嶋さんの享年は、現在の日本の平均寿命から言えば早すぎるかもしれない。ただ、私はそう思わない。小田嶋さんは独自の美学を保ったまま、自身に与えられた唯一の時間をまっとうした。そう思えてならない。 ひとつに、老成というものが、彼の特質には無縁のものだったことがある。この場合、老成とは世間知と言い換えていい。 周囲の人間関係、状況を見ながら、そこにいる複数の人々の利害を察知し、場を丸く収めながら、自分のいちばん得になるように、筋書きを運んでいく。 そういうこざかしい大人の処世から無縁――というか、見放されているのが、小田嶋隆という人だった。 ある時、小田嶋さんから「お世話になったお礼に、食事をごちそうさせてもらいたい」というありがたい申し出があった。 「そんなあ、気を使わないでいいですよー」「いや、オレの気持ちだから」みたいなやり取りの後、「じゃあ、お言葉に甘えて」となった。だとしたら、普通は日程とか、お店とか、奢る方がアレンジする流れになりますよね。 でも、小田嶋さんだとそうならない。 結局、言われた方の私が、日取りも、待ち合わせの場所も設定して、待ち合わせの場所では「えっと、お店、決まっています?」「ううん、決まってない」という予想通りの展開になった。 ただ、ここで怒っていては、小田嶋番は務まらないのである。こんなこともあろうかと、私は事前に近隣でよかろうと思える店の見当も付けており、そこに無事、小田嶋先生をご案内したのであった。って、どっちが接待主なのよ。 このようなエピソードからも、新卒の営業要員として小田嶋さんが就職した日本の食品企業が、いかにつらかったか、容易に想像できる。つらかったのは、もちろん、雇用する側です。 しかし、世間知から見放されていたからこそ、小田嶋さんの書く文章、とりわけコラムにおけるレトリックの切れ味は極上であった。中でもいくつか、私の中には永久保存版のレトリックがある。ここで書きたいと思ったが、一部分だけ抽出すると、過度に攻撃的になってしまうので、やめておく。ともかく、つまらない大人は「おうさまは、はだかだ」なんて言えないし、そもそも分からない。でも小田嶋さんは、言葉のナイフで敵をすっと切り裂いた後、その切っ先を爆笑に着地させるという、スゴイ技を持っていた。 レトリックの根底にあったのは、彼一流のセンスだ。小熊英二が著した『日本社会の仕組み』によると、戦後、地域間賃金格差や階級間年収格差が最小だったのが1975年(引用元は、橋本健二『「格差」の戦後史』)で、日本社会が「一種の安定状態」にあったのが70年代後半だったという。 これはまさに、小田嶋さんが生涯を貫くセンスを獲得した高校、浪人、大学時代と重なる。小田嶋さん世代は、一回り上の団塊世代が、田舎くささ丸出しで、元気に暴れた果てに、権力の側に吸い込まれていった経緯を、柱の陰から眺め続けた。アタマのいい高校生は、そこから、事象をことさらに深刻化せず、落語のようなおかしみを持って語る反作用的な態度を身に付けた。その要諦は、含羞と諧謔、かろみ、デフォルトとしての虚無である。 地域間賃金、階級間年収はさておき、70年代は都会と地方には、まだ情報のギャップがあった。東京都北区赤羽という、江戸の町人文化を引く土地に生まれ育った小田嶋さんは、まさしく都会の高校生で、野暮すなわち、拝金、権威主義、自己宣伝、人とつるむ態度、湿っぽさ、反知性などなどを、忌むべきものとした。この感性は、いろいろな人がワサワサと行きかう都会でないと、なかなか磨かれないものだろう。 小田嶋さんには、言いたいことを言ってきたから、その点で私に悔いはない。 ただひとつ、今年6月に刊行された小田嶋隆、初の小説『東京四次元紀行』の素晴らしい出来に感動したことは伝えられなかった。小田嶋さんのコラムは、痛快であると同時に、時に切り込み過ぎて、小田嶋さんの美質とは違うところで炎上を招いていた。その様子を傍から見ていると、「違うのに……」と、胸が痛むことがあった。だが、小説は洒脱でドライで、どこかあったかいという、彼がその経験から培ったすべてのセンスが結実していた。きっと小田嶋さんにとって、コラムよりも書いていて楽しい形式だったと思う。ありあまる才能の、その先の展開が見られないことは、残念の一言である。その悔しさは、この文章を書いている現在ではなく、この先、雑踏を歩いている時なんかに唐突に襲ってきて、私の足をすくませてしまうのだろう。 小田嶋さんはいま、彼の顔をしかめさせる現世の言説、ふるまいからきっぱりと離れ、病の苦痛からも解放され、無垢な表情でやすらかに過ごしている。そう信じている。(文:清野 由美)』、「小田嶋」氏の追悼記事はこのブログでは6月28日に紹介した。「老成というものが、彼の特質には無縁のものだったことがある。この場合、老成とは世間知と言い換えていい。 周囲の人間関係、状況を見ながら、そこにいる複数の人々の利害を察知し、場を丸く収めながら、自分のいちばん得になるように、筋書きを運んでいく。 そういうこざかしい大人の処世から無縁――というか、見放されているのが、小田嶋隆という人だった」、極めて的確な紹介だ。
・『兄の親友、小田嶋隆を弟はどんな目で見ていたのか  次は20年に亡くなられた小田嶋さんの親友、岡康道さんの弟、岡 敦(あつし)さんです・・・この部分は紹介を省略する。
・『友達はいつでもスタンド・バイ・ミー  今回のラストは、東京女子大学学長の森本あんり先生。国際基督教大学の名誉教授でもあり、神学者でもある先生は、小田嶋さんとずっと同級生であり、学生時代を通して親しい友達でした。2021年には先生の書かれた『不寛容論』(新潮選書)を題材に、寛容についてお二人で話し合っていただきました(『不寛容論』に学ぶ、「不愉快な隣人」への振る舞い方)。この続きを近いうちに、と念じていたのですが、ついにかないませんでした。 2022年5月28日、13:19着信、15分通話――小田嶋と最後に話したのはいつだろう、と思って携帯電話の履歴を確認したら、そう記録があった。最近は便利なものである。その10日前、これもメールの記録から辿ったのだが、彼の編集者から突然連絡があり、ともかく小田嶋が話したがっているから電話をしてやってくれ、ということだった。すぐに何度も電話をしたのだが、つながらない。あちらからも電話があったようだが、わたしは気づかなかった。結局わたしがかけ続けていたのは間違った番号だった、とわかったのがこの28日なのである。その後しばらくして、そろそろまた電話してみようかな、と思っていたら、出張中の新幹線で訃報のメールを受け取った。 小田嶋の追悼文なんて、わたしは書きたくない。彼のことなので、わたしより親しかった友人や仕事仲間はたくさんいるだろうし、「惜しい人をなくしました」的なアナウンスもあちこちで流されるのだろう。そんな言葉を読んだり聞いたりしたら、きっと小田嶋はそれをまたひとしきり自嘲ネタにして楽しむだろう。そういう役割は、他の方々にお任せしたい。それでもわたしがこれを書いているのは、半世紀以上前の旧友として、われわれが共有した何ごとかを書いて残し、彼の逝去に際して捧げておきたいと思ったからである。 すでに何度か書いたことだが、わたしと彼は小中高と同級生で、とても親しかった。小田嶋は、昔から勉強ができて成績はいつもトップレベル。手先も器用で、ピアノもギターも見よう見まねでささっとできてしまう。何でもできるけれど、特に何かを一心不乱に追求してその道の達人になる、などということはしない。みっともないからである。 ちなみに、古代ギリシアではこういう人を円環的な教養人と呼ぶ。たとえば、人は笛を吹く楽しみを知っていなければならないが、あまり上手すぎてはいけない。熟達しようとすると、人間性の他の部分を犠牲にして努力してしまうからである。「趣味といっても彼の腕前はプロ級で」などというのは、実のところ無教養の極みだろう。何にせよ適量を過ぎると、人は不幸になる。そのことを心底よく知っていた小田嶋は、結局のところまあまあ人生を楽しんだ幸せな人間だった。そう思うことにしたい。 彼が電話で話したかったのは、仕事のことではない。しばらく牧師職にあったわたしの宗教的な慰めが欲しかったわけでもない。ただ、たわいもない話ができることを喜んでいた。すでに鎮静剤もかなりの量になっているようで、メールを打つのもしんどいし、お見舞いなんてもっと疲れるから、電話で話すくらいがちょうどありがたい、ということだった。ツイッターなどとは縁のないわたしは、彼の病状が終末期まで進行していることも知らなかった。たぶんそうだろう、と思った彼は、「いきなり自分の訃報が届くのも何だから」ということで、わたしに心の準備をさせるために話したかったのだ。 電話の向こうで彼は、ゆっくりとした口調でこぼしていた。「あらいゆうこうも、ひろせだいぞうも死んじゃったし、もうオレとあんりが覚えている人って、このあたりに誰もいないのよ。」わたしは、その二人の名前は覚えているし、どのあたりに住んでいたかも覚えているが、いつどのように亡くなったかは知らない。 高校で同級生だった岡康道のことは、二人で一緒に高校の同窓会誌に書いた。当時からやたらに大人びていて、どこか陰のある魅力的な人物だった。メディア界の有名人になった彼を、わたしは小田嶋を通して間接的に知っていたくらいだが、「今度3人で何かやろう」と企画を話しているうちに、彼は亡くなってしまい、それを小田嶋はとても残念がっていた。おそらく、そうやって先に逝った人たちのことを順に数えながら、おぼろげに自分の行く末を見つめていたのだろう。最後は、「あっちに行ったら、岡によろしく」「うんわかった」というお出かけの挨拶だった。 高校卒業後の小田嶋のことも、わたしはまったく知らない。これも何度か書いたことだが、わたしにとって小中高は暗黒時代だったので、その後の人生ではできるだけ近づかないようにしていた。小田嶋隆という名前も、パソコン誌にテクニカルライターとして書いた彼の記事で知っていただけである。ところが、卒業して30年ほど経ったある日、突然連絡をもらい、彼の担当するラジオ番組で対談することになった。わたしが『反知性主義』(2015年)を書くより数年ほど前のことである。 その時の対談の内容は忘れてしまった。だが、この再会はわたしの人生に大きな意味をもった。収録が終わり、近くの喫茶店でくつろいでいた時のことである。彼は、わたしが忘れていたこと、というより記憶の底に押し込めて忘れようとしていたこと、をぽつぽつと語ってくれたのである。 高校生のある日、例によって授業を抜け出したわれわれ2人は、学校の裏手に新しく地下鉄の駅が建設されつつあるのを見つけた。現在の三田線千石駅である。小田嶋の回想によると、その時わたしは、中へ入ってみようと言い出し、勝手にシャッターをがらがらと上げて、暗い駅の中へ降りていったという。そんなことをして大丈夫かな、と思っているうちにホームに着くと、今度はさらに線路へ降りて歩くという。それはさすがにまずいのではないか、と彼は思ったそうだが、わたしがずんずん先へ行ってしまうので、結局2人して巣鴨へ向かって歩き始めた。すると、案の定途中で向こうから試運転の電車が轟音と閃光とともに走ってくる。恐怖に駆られたわれわれは、ひたすら壁に張り付いてやり過ごそうと思ったが、急停止した電車の車掌にとっつかまり、2匹のねずみのように連れて行かれて、駅でこっぴどく叱られた、という話である。 今から思うと、叱られただけで済んだなんて、信じられないほどラッキーな話である。ことによったら生命すら危なかっただろう。そんな彼の問わず語りを聞いて、ようやくわたしも思い出した。だが、思い出したのはその出来事だけでなく、その時自分が何を考えてそんな愚かなことをしたのか、ということだった。わたしはその時、「悪いことをして冒険してみたい」というより、「これで死んでしまってもいい」と思っていたのである。それが当時のわたしの暗澹とした現実だった。小田嶋は、地下鉄の線路くらいに暗かったわたしの実存の闇を、命がけでいっしょに歩いてくれた友だったのである。 しかもわたしは、そのことを30年以上も忘れていた。小田嶋の話を聞いてはじめて、そんなにも長い間そのことを忘れて、自分の人生を生きてこられた、ということを発見したのである。自分は、忘れたい過去と縁を切って、30年も過ごすことができた。だから今では、それを思い出したり話したりしても平気である。気がついたら、そういう自分になっていた。そのことを、小田嶋との再会が悟らせてくれたのである。忘恩もはなはだしいし、ちょっと遅すぎるのだけど、小田嶋ありがとう。(文:森本 あんり)』、「三田線千石駅」のエピソードは、「「これで死んでしまってもいい」と思っていたのである。それが当時のわたしの暗澹とした現実だった。小田嶋は、地下鉄の線路くらいに暗かったわたしの実存の闇を、命がけでいっしょに歩いてくれた友だったのである」、「しかもわたしは、そのことを30年以上も忘れていた。小田嶋の話を聞いてはじめて、そんなにも長い間そのことを忘れて、自分の人生を生きてこられた、ということを発見したのである。自分は、忘れたい過去と縁を切って、30年も過ごすことができた。だから今では、それを思い出したり話したりしても平気である。気がついたら、そういう自分になっていた。そのことを、小田嶋との再会が悟らせてくれたのである。忘恩もはなはだしいし、ちょっと遅すぎるのだけど、小田嶋ありがとう」、「自分は、忘れたい過去と縁を切って、30年も過ごすことができた」、「忘恩もはなはだしいし、ちょっと遅すぎるのだけど、小田嶋ありがとう」、こんなドラマチックな話を「忘れたい過去と縁を切って」いたにせよ、「30年以上も忘れていた」とは驚かされた。「小田嶋」氏はやはり稀有の存在だったようだ。
タグ:日経ビジネスオンライン (その5)(養老孟司氏 人はなぜ「自分の命は自分のもの」と思い込むのか?、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ、小田嶋さんへの手紙 追悼・小田嶋隆さん) 随筆 「養老孟司氏、人はなぜ「自分の命は自分のもの」と思い込むのか?」 「ラテン語では主語は要らない」とは初めて知った。 「一神教の世界には、「最後の審判」があります。この世の終わりに、全員が神様の前に出て裁きを受ける。そうすると、そのときまで存在し、過去から一貫している自分がないといけない」、「「生まれてから死ぬまで一貫した私」という考えが、明治以降、日本に輸入されて、今「個性を伸ばせ」という教育になっているということですね 。本来「自己」という土壌がないのに、急に「個性を伸ばしなさい」という教育になってしまった」、確かに「自己」が未確立なのに、「個性」重視教育は馴染まない。「自己の問題の裏にあるのが、「命は自分のもの」という考え方です。だから、若い人が勝手に死ぬ」、困ったことだ。 「命は誰のものでもない」、「自分の命は自分のものではないんですか? 私の命は、私のものではない? 養老:はい。命はもらったものです。別に自分で稼いで、生まれてきたわけじゃないでしょう」、「自分一人の力で独立して生きているわけではないでしょう・・・本来、そういうふうに言葉で議論するものではないんですよ」、「私の命は、私のものではない」のは確かだ。 「キリスト教では「自殺禁止」が明言されているんですよ。自殺は大罪にあたります。キリスト教社会では19世紀まで、自殺した人は、まともな墓場に入れてもらえなかったんです」、「自殺禁止」を担保するため、「自殺した人は、まともな墓場に入れてもらえなかった」とは初めて知った。 「そもそも命が自分のものではない仏教には「自殺禁止」の教えが存在しない。それをかつては「親孝行」という思想で止めていた。しかし、親孝行という思想はほとんど消えかけている。だから現代の日本には、自殺を止める思想がない」、「親孝行という思想」が「自殺」を止めていた。「親孝行という思想」は古臭いと思っていたが、意外な効用があったようだ。 日経ビジネスオンライン「小田嶋さんへの手紙 追悼・小田嶋隆さん」 清野由美 「小田嶋」氏の追悼記事はこのブログでは6月28日に紹介した。「老成というものが、彼の特質には無縁のものだったことがある。この場合、老成とは世間知と言い換えていい。 周囲の人間関係、状況を見ながら、そこにいる複数の人々の利害を察知し、場を丸く収めながら、自分のいちばん得になるように、筋書きを運んでいく。 そういうこざかしい大人の処世から無縁――というか、見放されているのが、小田嶋隆という人だった」、極めて的確な紹介だ。 東京女子大学学長の森本あんり 「三田線千石駅」のエピソードは、「「これで死んでしまってもいい」と思っていたのである。それが当時のわたしの暗澹とした現実だった。小田嶋は、地下鉄の線路くらいに暗かったわたしの実存の闇を、命がけでいっしょに歩いてくれた友だったのである」、「しかもわたしは、そのことを30年以上も忘れていた。小田嶋の話を聞いてはじめて、そんなにも長い間そのことを忘れて、自分の人生を生きてこられた、ということを発見したのである。 自分は、忘れたい過去と縁を切って、30年も過ごすことができた。だから今では、それを思い出したり話したりしても平気である。気がついたら、そういう自分になっていた。そのことを、小田嶋との再会が悟らせてくれたのである。忘恩もはなはだしいし、ちょっと遅すぎるのだけど、小田嶋ありがとう」、「自分は、忘れたい過去と縁を切って、30年も過ごすことができた」、 「忘恩もはなはだしいし、ちょっと遅すぎるのだけど、小田嶋ありがとう」、こんなドラマチックな話を「忘れたい過去と縁を切って」いたにせよ、「30年以上も忘れていた」とは驚かされた。「小田嶋」氏はやはり稀有の存在だったようだ。
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クレーマーについては、2020年2月27日に取上げた。今日は、(その3)(「シルバークレーマー」はなぜ増えるのか そしてその対応策とは、生活保護を申請しホテルに971泊 市は「ハードクレーマー」にどう対応すべきか、鴻上尚史「複雑化する日本のクレームに対応するには“不寛容車両”しかない」 世間ってなんだ(4))である。

先ずは、昨年6月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した(株)エンゴシステム代表取締役の援川 聡氏による「「シルバークレーマー」はなぜ増えるのか、そしてその対応策とは」を紹介しよう。
・『現場を混乱させるクレーマーたち  ここのところ毎日、新型コロナウイルスワクチンの話がニュースや身の回りで大きな話題になっています。ワクチン接種の申し込みを受ける役所や、接種会場などでよく見聞きするのが、「接種ができずに感染したら責任を取れるのか!」「孫に会えないのはお前のせいだ!」などとキレる人たち。こうしたクレーマーへの対応に疲弊し、ストレスで心が折れてしまう職員が全国で発生しています。 納得できないことがあると毒を吐き、現場をマヒさせるモンスタークレーマー。なかでも、シルバー世代のクレーマーは、正論で世の中を正そうとする傾向があるようです。よく言えば豊富な人生経験に基づいた説得力があり、悪く言えば頑固で理不尽な言い分の中には、「おっしゃる通り」の部分もあるため、対応は面倒で厄介な作業となり、現場のマンパワーを低下させます。 対応する側の医療・行政やコールセンターの職員は、基本的にみな真面目。一生懸命対応しようとしますが、納得させることは非常に困難なのが現実です。コロナ禍時代の特徴として、「誠実で心優しい人」ほど心をやられる(心が折れる)時代がやってきたともいえるのです。 クレーマーに突然怒鳴りつけられた職員はどうすることもできません。萎縮し、泣きそうになりながら、ひたすら謝罪を繰り返すのみ……。ワクチン接種の現場で対応する(医療・行政)職員にとってはあまり想像したくない、クレーム対応の現実です。 しかし、長く続くコロナ禍で日頃から不満をためている人が増え、ちょっとしたことで爆発しやすくなっている今は、こうしたクレーマーに遭遇し、トラブルに巻き込まれる可能性が高まっています。いつ何時、あなたに降りかかるかわかりません』、「シルバー世代のクレーマーは、正論で世の中を正そうとする傾向があるようです。よく言えば豊富な人生経験に基づいた説得力があり、悪く言えば頑固で理不尽な言い分の中には、「おっしゃる通り」の部分もあるため、対応は面倒で厄介な作業となり、現場のマンパワーを低下させます」、これはやっかいだ。
・『シルバー世代のクレーマーたちは、なぜ“キレる”のか  「いきなり大声で威嚇された」という場合、視野を少し広く持ってみると、相手の声の大きさに過剰に反応して「怒声」と思い、そんな相手を理不尽だと決めつけているケースが多いのも事実です。 冒頭でシルバー世代のクレーマーがワクチン接種現場を混乱させていると書きましたが、年齢によるものも大きいのです。人間、年を取れば心身が衰えますが、実は脳も衰えます。老化により前頭葉が衰えると、怒りの沸点が低くなるといわれています。いきなり怒鳴りだすクレーマーがシルバー世代に多いのは、ある意味では自然現象ともいえるのです。 とはいえ、いくら業務上のお客様対応とはいえ、いきなり怒鳴りつけられたら気持ちはへこみますし、面白くありません。なかには対応の不備や従業員の言葉尻をとらえ、個人を攻撃してくる者もいます。 「いったいどんな教育を受けてきたんだ」「親の顔が見てみたい!」 こんな怒声を浴びせられ、心が悲鳴を上げない人はいないでしょう。 あなたの心を怒れる理不尽クレーマーから守るには、どうしたらよいのでしょうか? ここからは、得体の知れないクレーマーに対して、焦らず対応するための“心構え”を紹介します』、「老化により前頭葉が衰えると、怒りの沸点が低くなるといわれています。いきなり怒鳴りだすクレーマーがシルバー世代に多いのは、ある意味では自然現象ともいえるのです」、「得体の知れないクレーマーに対して、焦らず対応するための“心構え”」とは興味深そうだ。
・『「老人だから」を理由にゴリ押し、時間を奪う人たち  例えば、順番待ちの列に割り込んだ高齢男性。こちらが最後尾に案内するも、 「耳が遠いからよく聞こえない!」「立ってるのも、しんどいんだ!それくらい特別扱いをしろよ!」「年寄りだからってばかにしてんのか!?」 などと、老化に伴う身体的な衰えを理由に、過度な要求を無理やり通そうとする人。 また、社会通念を逸脱した行為に対して注意をすると、「耳が遠いんだ」「ボケたかな」などとうそぶいて相手の話を聞こうとしない人。 女性スタッフの体に直接触るなど、セクハラまがいな行動をし、とがめられると「年寄りだから」などと言い訳する人。 こうした「老人だから」を理由に、過度で理不尽な要求を押し通そうとする人は少なくありません。業務上の理由や公益性の観点からお断りすると、いきなりキレだすのも特徴です。さらに、一度キレだすと、不満と怒りがどんどん雪だるま式に大きくなり、直接的には店に関係のない文句を言い始めるなど、最後には本人もどうしたら怒りが収まるのかわからなくなってしまいます。興奮状態になって土下座を強要するような行為も、自分で怒りの収拾が付かなくなっているからだといえます。 そうなると、自身の理不尽な加害行為を棚に上げ、被害者意識にスイッチが入ります。 「ばかにしているのか!!!!」「年寄りは死ねばよいのか!」 と、怒鳴ることも珍しくありません。 また、他にも、話しぶりは穏やかでも 「私が子どもの頃はね……」「あなたはどこの出身なの?」「うちの息子がね……」などと、自身の身の上話や職員のプライベートについてなど脈絡なく延々と話し続け、長時間の接遇を求める困ったお年寄りもいます。 こういう人は、迷惑ではありますが、業務を妨害するクレーマーだとも一概に言いづらく、現場にとっては非常にやりにくいタイプかもしれません。要求がわかりにくく、話が長く支離滅裂。静かに話を聞いていたつもりが、何かのきっかけで不満が爆発してびっくりすることもあります』、「老化に伴う身体的な衰えを理由に、過度な要求を無理やり通そうとする人。 また、社会通念を逸脱した行為に対して注意をすると、「耳が遠いんだ」「ボケたかな」などとうそぶいて相手の話を聞こうとしない人。 女性スタッフの体に直接触るなど、セクハラまがいな行動をし、とがめられると「年寄りだから」などと言い訳する人。 こうした「老人だから」を理由に、過度で理不尽な要求を押し通そうとする人は少なくありません」、断固として特別扱いはすべきではない。「セクハラ」には警察を呼ぶなど断固たる対応が必要だ。
・『「心の上から目線」で対応する  ここからは、私が刑事時代に身につけた対処法をお話しします。 「いったいどんな教育を受けてきたんだ」 「親の顔が見てみたい!」 いきなりこんな怒声を浴びせられると萎縮し、心が悲鳴を上げてしまうものです。私はこうした言葉を真正面から受けません。スルーしたり、「そうですか……」などと返してやり過ごしたりしながら、相手の真意(第二の感情)を見出そうと試みます。元刑事である私は人に対するとき、言葉の意味や声の大きさだけではなく、表情やしぐさ、その視線などで真意を探るのです。 私がおすすめするのは、心が折れそうな局面になったら、クレーマーを別の角度から見てみるということです。 「怒鳴り続けているこの人は、きっと寂しい人なんだ」「家族や近所で疎んじられているんだ。かわいそうに」 などと、別の感情を持ちながら接するのです。 私はこれを「心の上から目線」と呼んでいます。実際に上から目線でクレーム対応することはありませんし、できませんが、心の中でだけ、上から目線でクレーマーを見つめ直す。そうすることで、落ち着いて冷静な対応をすることができるのです』、「心の上から目線」とは面白い対応方法だ。
・『根底にあるのは「孤独感」と「承認欲求」  ほとんどのケースで、シルバーモンスターの根底には、「孤独感」と「承認欲求」があります。年配者であることをカサに高圧的に説教してくる人も、高齢者としての弱者強調型も、その怒声の裏には、何らかの抑うつした感情があるのは事実です。 このように少し落ち着いて、客観的に分析することなどで相手のキャラクターや別の感情を早めにつかむことができれば、対応する側の感情も落ち着きを取り戻しやすくなります。すると、怒鳴りつけられて一瞬パニックになったときもその状態から回復しやすくなりますし、相手の罵声や非難、中傷が心に刺さらなくなります。 クレーム対応するときには、顧客の心に配慮する心配りは大切なポイントです。しかし、クレーマーに正面から対応しようとすると、感情がとらわれ、心が折れやすくなります。こうした局面でのクレーム対応においては、ここまで書いたような“心構え”があるだけで、結果は違ってきます。自らの心にバリアを張り、シャッターを下ろして、理不尽な攻撃から身を守るイメージです。 正義と弱者、善(白)と悪(黒)、セクハラ(ピンク)などなど……クレーマーたちはさまざまな色や形の仮面をかぶっています。時には弱者、時に敬うべき先人として振る舞い、イライラを無責任に爆発させ、理不尽な言葉でマウントを取ってきます。別角度から相手を探り、上手にスルーすることでクレーマーの理不尽な攻撃をかわし、“心構え”をしておくことで自らの感情と心を守ってください』、「少し落ち着いて、客観的に分析することなどで相手のキャラクターや別の感情を早めにつかむことができれば、対応する側の感情も落ち着きを取り戻しやすくなります。すると、怒鳴りつけられて一瞬パニックになったときもその状態から回復しやすくなりますし、相手の罵声や非難、中傷が心に刺さらなくなります。 クレーム対応するときには、顧客の心に配慮する心配りは大切なポイントです。しかし、クレーマーに正面から対応しようとすると、感情がとらわれ、心が折れやすくなります。こうした局面でのクレーム対応においては、ここまで書いたような“心構え”があるだけで、結果は違ってきます。自らの心にバリアを張り、シャッターを下ろして、理不尽な攻撃から身を守るイメージです」、確かにその通りなのだろう。

次に、昨年10月13日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した(株)エンゴシステム代表取締役の援川 聡氏による「生活保護を申請しホテルに971泊、市は「ハードクレーマー」にどう対応すべきか」を紹介しよう。
・『家賃滞納で立ち退きを命じられ、生活保護を申請中の男性がホテルで971泊。かかったお金を市に水増し請求するという事件がありました。男性は「ハードクレーマー」として有名だったとのことで、市職員も対応に苦慮したものと思われます。こうしたモンスタークレーマーを生まないためにはどうしたらいいのでしょうか?』、「「ハードクレーマー」として有名」とのことで、行政が増長させてしまったのだろう。
・『生活保護を受けている男性が971泊分のホテル代を市に請求  9月末、ちょっと驚くような事件の裁判がありました。 ●「ハードクレーマー」で有名、生活保護でホテル971泊…市に水増し請求(約2年8か月にわたりホテルに宿泊しながら、盛岡市から生活保護費の住宅扶助計約1440万円をだまし取ったとして詐欺罪に問われた無職の男(53)(青森県八戸市)と妻(47)(同)の初公判(加藤亮裁判長)が27日、盛岡地裁であった。 <略> 捜査関係者によると、男らは盛岡市内で被告の90歳代の父親と3人で同居していた。しかし、14年10月に家賃滞納で立ち退きを命じられ、同市に生活保護を申請。一家が住居を確保するまでの間、市は一時的にホテル代を住宅扶助として支給することを認めた。同市は3人家族に対する1か月の住宅扶助の支給上限額を4万円と定めているが、男らが受給した額は1か月あたり約45万円にのぼった。 検察側の冒頭陳述によると、男は担当者をどなりつけるなど、市職員の間では「ハードクレーマー」として有名だった。市は再三、住居の確保を要請したが、「高齢の父親がいるので身動きがとれない」とホテル暮らしを継続。「一定額までしか給付できない」との市の説明にも「全額でなければ困る」などと執拗(しつよう)に主張したという。 (引用:読売オンライン 2021年9月28日記事より) この記事を読んで最初に思ったのは、「なぜこんなことになるまで放置してしまったのか」という残念な気持ちでした。細かい事情は分からないので断定はできませんが、長期間にわたる後手後手の対応によって、超ド級の巨大モンスタークレーマーを育ててしまった、といってもいいかもしれません。 「役所としてはルール通りの金額を支給すればいい。もし怒鳴り散らすようなことがあれば通報すればよいだけでは? なぜそれができないのか」 この事件の記事を読んだ方はおそらく、このような感想を持ったのではないでしょうか。 このクレーマーはおそらく、市の職員に対して「高齢の父親の命に関わる問題だ!」「納得できない!」「弱者は死ねというのか!」「市民のための行政機関ではないのか!」「ばかじゃないのか!この税金泥棒!」などと怒鳴りつけたのではないでしょうか(あくまで想像ですが)。記事で「ハードクレーマーで有名」と説明されているということは、おそらく現場の職員がいくら丁寧に説明しても受け入れず、こうした暴言を吐き、何をやってもキレて怒鳴り散らす……。まさにモンスター状態だったのだろうと想像します。 さて、このような巨大なモンスターが育ってしまったきっかけは何だったのでしょうか? おそらくそれは「初期対応のミス」にあったのだろうと私は予想します』、「巨大なモンスターが育ってしまったきっかけは」「「初期対応のミス」にあった」、とはその通りだろう。
・『怒鳴りつけてくるクレーマーに対応するコツとは  初期対応で毅然と対応していれば、ここまでの悪質な事件にまでは至っていなかった――私だけでなく、多くの皆さんもそう思っているのではないでしょうか。 しかし、これまでの連載でも説明してきましたが、怒鳴り散らす相手に毅然とした対応をとることは実はとても難しい。ましてや、相手は生活保護の対象である「弱者」であり、最初から詐欺を働こうなどの悪意はなかったでしょう。初期の段階では、単に「怒鳴る・罵声を浴びせる」ことはあったかもしれませんが、それだけでは悪意があるとは断定でない状況であり、あくまでグレーゾーンです。 対応する職員の立場からすると、現場で突然浴びせられる罵声の威力は強烈で、ちょっとしたパニック状態になります。冷静になってから判断すれば、理不尽な要求だと分かっても、いきなり“弱い立場”の市民から怒鳴りつけられ、責任追及の罵声を浴びせられたら、あまりの剣幕にあらがえず屈してしまう――。そうした状況は、容易に想像できます。職員は、他の業務もある中、長時間拘束されてしまえば判断力も鈍るでしょう。そのストレスは計り知れません』、「冷静になってから判断すれば、理不尽な要求だと分かっても、いきなり“弱い立場”の市民から怒鳴りつけられ、責任追及の罵声を浴びせられたら、あまりの剣幕にあらがえず屈してしまう――。そうした状況は、容易に想像できます。職員は、他の業務もある中、長時間拘束されてしまえば判断力も鈍るでしょう。そのストレスは計り知れません」、確かにその通りだろう。
・『対応の限界「K点」を設定する  こうしたとき、私が現場で対応する人たちに推奨したいのは、対応の限界「K点」(レッドライン)を明確に設定することです。もしこのレッドラインを超えてしまったら、個人で対応するのをやめ、組織対応に切り替えます。このような明確なラインを設けることで、現場の負担も軽減し、後々で組織の首を絞めるような対応を避けることができるのです。 今回のケースの場合、基準は「他の市民(客)にもできるかどうか」になります。 「この人(クレーマー)の言う通り、特別に対応しても大したことではない……」と、事なかれ主義が頭をもたげたとしても、一人にそうした特別対応をすれば、二人目、三人目と当然特別対応しなくてはならない相手が増えていきます。このような特別待遇が他に知られたら、その対応についての二次クレームの電話が増え、その処理にも追われるでしょう。対応する職員のモチベーションが低下するのは間違いありません。 「面倒な人ほどシンプルに対応する」ことで現場担当者の負担が減り、ストレスも軽減するはずです。納得しない、理不尽な人、「ああ言えばこう言う」人に対してこそ、どのように向き合うか「心構えの基準」を組織で明確に持つことが重要なのです』、「対応の限界「K点」(レッドライン)を明確に設定することです。もしこのレッドラインを超えてしまったら、個人で対応するのをやめ、組織対応に切り替えます。このような明確なラインを設けることで、現場の負担も軽減し、後々で組織の首を絞めるような対応を避けることができるのです。 今回のケースの場合、基準は「他の市民(客)にもできるかどうか」になります」、「「面倒な人ほどシンプルに対応する」ことで現場担当者の負担が減り、ストレスも軽減するはずです。納得しない、理不尽な人、「ああ言えばこう言う」人に対してこそ、どのように向き合うか「心構えの基準」を組織で明確に持つことが重要なのです」、なるほど。
・『初期対応ができていない人は、クレーマーにつけこまれやすい  その証拠のようなエピソードもあります。 以前、自らを「理論派のクレーマー」と称する男性と話したことがあります。この男性がはっきり言っていたのは「つけ込みやすいのは初期対応ができていない、ダメな人」ということでした。 「クレームをつけたとき、相手の最初の対応が良ければいい(そこで諦める)が、中途半端な説明で逃げようとしたら、怒りのスイッチが入ります。そうなったら、自分たちの立場を押し付けるような“上から目線の態度”で、ガンガンいくしかない」 「逆に、クレームをエスカレートさせにくいのは、自分の言い分をしっかり聞こうとする姿勢や、できることとできないことの基準が明確な姿勢の相手。こういう人には、むやみなことは言えないと思う。『できないことはできない』ときっぱり言われれば、『しっかりしているな』と一目置きます」 あり得ない要求を突きつけるモンスターだとしても、相手は人間。こちらは明確な基準をもって対応するのが一番です。納得しない人が増える中で、多少担当者によって対応に差が出たとしても、基本は「公平・公正」、はっきりした基準を決めておくことが重要になります。 今回の事件では、この男性のホテル代に多額の税金が使われたことも気になりますが、この対応の最大の誤りは、うるさいハードクレーマーを特別扱いした結果、他の困っている人や声すら出せない真の弱者を放置してしまっている点です。 企業でも、行政機関や医療機関でも、何事も「できることとできないこと」ははっきりとあるはずです。 次回は、困ったクレーマーへの具体的な言い回しや具体的な対応について解説します』、「基本は「公平・公正」、はっきりした基準を決めておくことが重要になります。 今回の事件では、この男性のホテル代に多額の税金が使われたことも気になりますが、この対応の最大の誤りは、うるさいハードクレーマーを特別扱いした結果、他の困っている人や声すら出せない真の弱者を放置してしまっている点です。 企業でも、行政機関や医療機関でも、何事も「できることとできないこと」ははっきりとあるはずです」、その通りだ。

第三に、10月3日付け現代ビジネスが掲載した作家・演出家の鴻上 尚史氏による「鴻上尚史「複雑化する日本のクレームに対応するには“不寛容車両”しかない」 世間ってなんだ(4)」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/100289?imp=0
・『多くの書籍を通じて、日本社会の特徴ともいえる「空気」と「世間」について、さまざまな角度から考えてきた鴻上さん。 30年にわたる連載をもとに刊行した『世間ってなんだ』では、ずっと中途半端に壊れ続ける世間が私たちの生活、心に何をもたらしてきたのか、世間が息苦しいと感じたときに、そこから抜け出す方法を語っている』、「鴻上」氏の見方はユニークなので、これまでから注目してきた。
・『クレームに弱い日本  大阪に仕事に行って、帰りの新幹線の中で、たこ焼きと肉まんを食べるのが至福の時間でした。 それが2017年夏、いきなり、新大阪駅改札内で販売されている「たこ家道頓堀くくる」のパッケージに、「新幹線車内および駅構内でのお召し上がりはご遠慮願います。空き容器は店内のくずもの入れにお捨て願います」という注意書きシールが貼られました。 最初、このシールを見た時は凍りました。新幹線の中でたこ焼きの臭いがするのがダメなのかなあ、しょうがないなあ、と駅のホームで出発前までの短い時間に必死であふあふしながら頬張りました。口の中を若干火傷しながら、もう一度シールを見ると、「駅構内でのお召し上がりはご遠慮願います」と書かれていることに、あらためて気付きました。ということは、ホームでもダメじゃんとひりひりする口で気付きました。 でも、車内で隣の人が文句を言うのはまだ分かるけど、屋外のホームのベンチで食べるのがどうしていけないのと、臭いは風と共に消えていくよと、猛烈に悲しい気持ちになりました。 そもそも、買って食べないままずっと車内に置いておくと、臭いが長時間にわたってずっと出続けないかと心配になりました。 ネットの記事によれば、それは「くくる」さんの決断ではなく、JR東海からの要請だそうです。 で、JR東海さんの言い分は、もうこれは当然ながら、「車内でたこ焼きを食わすな。禁止しろ!」という臭いに対するクレームの電話があったからだということだそうです。 昔は、新幹線の中で「たこ焼き」が売られていました。1980年代です。けれど、今、新幹線の中ではたこ焼きは食べられません』、「JR東海からの要請だそうです。 で、JR東海さんの言い分は、もうこれは当然ながら、「車内でたこ焼きを食わすな。禁止しろ!」という臭いに対するクレームの電話があったからだということだそうです」、「JR東海」は「クレーム」には弱いようだ。
・『「社会」と「世間」の違いをよく分かってない日本人  そして、衝撃的なネット記事「IT media ビジネスオンライン(窪田順生、2018年3月13日)」を見つけました。 なんと、「551蓬莱」の豚まんが問題になっているというのです。 「551蓬莱」の豚まん、美味しいですよね。ホカホカをあふあふと食べれば、幸せを感じますよね。 でも、「豚まんのように強烈な臭いのするモノを車内で広げられたら、気分が悪くなる人もいるし、目的地まで眠りたい人の邪魔になる」とか「食欲がそそられるので、『豚まんテロ』」と、新幹線の車内で食べることは重大なマナー違反で、禁止すべきだという声が上がっているというのです。 現在、「くくる」さんは、改札内のお店なのでJR東海さんの指導に従い、「551蓬莱」さんは駅構内なので、JR東海直接の管轄ではないことが、「ご遠慮願います」というシールのあるなしを分けているようです。 でも、ニュースサイト『しらべぇ』がJR東海に問い合わせたところ、「駅弁や豚まんなど『シールがないもの』については一概にはお答えできませんが、周囲からご意見があった際は、ご協力いただくこともあるかもしれません」とその可能性を否定しなかったそうです。 つまりは、「クレームがあったら、豚まんも駅弁も禁止にしますから」ということです。もう、お客様の声が一番なんですね。 「社会」と「世間」の違いをよく分かってない日本人は、クレームに対してとても弱いです。どんなTVCMも、クレームの電話数本でオンエア中止になります。 お客様は神様だから、その言葉は「世間」様の声で、従うべき身内の指摘だと思うのです。 でも、それは「社会」の声です。神様ではなく他人の声です。客観的に分析し、実証し、判断するべきデータなのです。 いったい、一日、何人の人が「たこ焼き」を新幹線に持ち込み、何件の苦情があったのかを調べるべきなのです。 それが、例えば1割なら無視してはいけないと判断します。でも、1日5000人がたこ焼きを持ち込み、3人の人が苦情の電話をかけてきたら、割合は0.06%です。それは逆に問題にしてはいけない数字だと思います。 最近は、「隣で酒を飲まれると、臭いが漂ってきて不愉快だという人が出てきた」そうです。 たこ焼きから豚まん、そして、駅弁、お酒とどんどんクレームと共に新幹線はクリーンになっていくのでしょう。コーヒーの臭いが不快な人もいるでしょう。そういう人のクレームにも、JR東海さんはやがて対応していくのでしょうか。 担当編集者の鈴木さんが、「いずれ、『飲酒可車両』とかできるんじゃないかと思いますね。心おきなくタコ焼きを食べられる車両。それで、他人の食べもののニオイがイヤ、子供が泣くのもイヤ、酒飲みもイヤという人が乗る『不寛容車両』も作ればいいのにw」というメールをくれました。 なんてするどい。たしかに、JR東海さんは「たこ焼きの臭いに対するクレーム」に対して、誠実に対応して禁止にしたわけですから、これから増えていくであろう、お酒や駅弁の臭いや子供の泣き声に対するクレームにも誠実に対応するでしょう』、「最近は、「隣で酒を飲まれると、臭いが漂ってきて不愉快だという人が出てきた」そうです。 たこ焼きから豚まん、そして、駅弁、お酒とどんどんクレームと共に新幹線はクリーンになっていくのでしょう。コーヒーの臭いが不快な人もいるでしょう。そういう人のクレームにも、JR東海さんはやがて対応していくのでしょうか。 担当編集者の鈴木さんが、「いずれ、『飲酒可車両』とかできるんじゃないかと思いますね。心おきなくタコ焼きを食べられる車両。それで、他人の食べもののニオイがイヤ、子供が泣くのもイヤ、酒飲みもイヤという人が乗る『不寛容車両』も作ればいいのにw」というメールをくれました」、さすがに『不寛容車両』に乗れば、自らが「不寛容」であることを認めることになるので、乗ろうとする人はいないような気がする。
・『「子供は泣くもんだ」が許せない日本人  しかし、子供の泣き声に関しての、日本のお母さんの気の使い方は、痛々しいくらいです。 バスでも電車でも、子供がちょっとした声を上げると「しっ! 静かにしなさい」と叱ります。それで、静かになるなら、子供ではありません。小学校に入るぐらいなら、物事の分別がつく奴もそれなりに出てきますが、保育園・幼稚園のガキんちょに、「声を出すな。音をたてるな」と強制することは不可能です。 まして、赤ん坊に「泣くな」というのはありえません。でも、泣き始めると、母親は真っ青になって周りに気を使います。座っていては泣き止まないから、通路を歩いたり、車両の間に立ったり、見ていて胸が痛くなります。 僕は「子供が騒ぐ(泣く)に任せて放っている日本人親」より「子供が騒いだり(泣いたり)すると、オロオロして、周りに気を使い、子供をきつく叱り続けている日本人親」の方をたくさん見てきました。 海外では、子供が泣いても「子供は泣くもんだ」と自然にしている親をたくさん見ました。オロオロと立ち上がり、通路を歩き、「すみません。すみません」と謝り続ける親を見た記憶がありません。 やがて、日本ではクレームの結果、「子供不可」という車両が生まれるかもしれません。 じつは、世界で車内の携帯電話を禁止している国はほとんどありません。本当は日本以外ゼロと言いたいのですが、中に、地下鉄はダメとかバスはダメという国がほんの少数あります。 この規則は外国人からすると意味不明です。「うるさいから」というのなら、車内で大声で会話している二人組はうるさくないのか、迷惑なのにこれは禁止しないのか、という議論に当然なります。 一度、「電話は相手の声が聞こえないから意味不明の会話にしかならない。それが聞いていて不快なんだ」と説明している人がいました。そんなの、二人いてとんでもない会話を聞く方がもっと不快です。 以前、電車の中で、おばちゃん二人が、「日野の2トントラック」のTVCMに出ていたリリー・フランキーさんの話をしていました。おばちゃんは当然のようにリリー・フランクさんと言い、もう一人のおばちゃんが、「違うわよ、あれは吉田鋼太郎さんよ」と訂正し、フランクのおばちゃんが「あら、芸名変えたの?」と驚き、もう一人のおばちゃんが「本名にしたんじゃないの? 日本人だからいつまでもリリーじゃダメよ」とメデタシメデタシという顔で答えました。 二人の目の前でシートに座っていた僕は、「二人とも違う!」と、もう少しで叫びそうでした。 車内でどんなにトンチンカンなことを話してもいいのに、どうして携帯はダメなのか、というのは、理窟では説明できません。 唯一できるとしたら、「日本人は静かな環境が好きなので、本当は電車の中では話してもいけないんだ。やがて、電車では沈黙することがマナーになるだろう」という言い方でしょう。これなら、一応論理的に矛盾はしていません。 そういう車両を表向きは「クリーン車両」なんて言うようになるんじゃないかと思います。 でも、それは裏からいえば、編集鈴木女史が言ったように「不寛容車両」です。この言い方、すごくいいです。自分が不寛容であることを周りに宣言してるんですからね。 もうクレームに誠実に対応するなら、これしか方法はないと思います。 僕はうるさくて、臭いがあっても我慢します。「不潔車両」別名「寛容車両」で「くくる」のたこ焼きも、「551」の豚まんもたらふく食べたいと思います!(2018年3月)』、「「子供が騒いだり(泣いたり)すると、オロオロして、周りに気を使い、子供をきつく叱り続けている日本人親」の方をたくさん見てきました」、子供の泣き声などには寛容にすべきだ。「「日本人は静かな環境が好きなので、本当は電車の中では話してもいけないんだ。やがて、電車では沈黙することがマナーになるだろう」という言い方でしょう。これなら、一応論理的に矛盾はしていません。 そういう車両を表向きは「クリーン車両」なんて言うようになるんじゃないかと思います。 でも、それは裏からいえば、編集鈴木女史が言ったように「不寛容車両」です。この言い方、すごくいいです。自分が不寛容であることを周りに宣言してるんですからね。 もうクレームに誠実に対応するなら、これしか方法はないと思います」、「僕はうるさくて、臭いがあっても我慢します。「不潔車両」別名「寛容車両」で「くくる」のたこ焼きも、「551」の豚まんもたらふく食べたいと思います!」、「鴻上」氏らしい締めだ。
タグ:(その3)(「シルバークレーマー」はなぜ増えるのか そしてその対応策とは、生活保護を申請しホテルに971泊 市は「ハードクレーマー」にどう対応すべきか、鴻上尚史「複雑化する日本のクレームに対応するには“不寛容車両”しかない」 世間ってなんだ(4)) クレーマー ダイヤモンド・オンライン 援川 聡氏による「「シルバークレーマー」はなぜ増えるのか、そしてその対応策とは」 「シルバー世代のクレーマーは、正論で世の中を正そうとする傾向があるようです。よく言えば豊富な人生経験に基づいた説得力があり、悪く言えば頑固で理不尽な言い分の中には、「おっしゃる通り」の部分もあるため、対応は面倒で厄介な作業となり、現場のマンパワーを低下させます」、これはやっかいだ。 「老化により前頭葉が衰えると、怒りの沸点が低くなるといわれています。いきなり怒鳴りだすクレーマーがシルバー世代に多いのは、ある意味では自然現象ともいえるのです」、「得体の知れないクレーマーに対して、焦らず対応するための“心構え”」とは興味深そうだ。 「老化に伴う身体的な衰えを理由に、過度な要求を無理やり通そうとする人。 また、社会通念を逸脱した行為に対して注意をすると、「耳が遠いんだ」「ボケたかな」などとうそぶいて相手の話を聞こうとしない人。 女性スタッフの体に直接触るなど、セクハラまがいな行動をし、とがめられると「年寄りだから」などと言い訳する人。 こうした「老人だから」を理由に、過度で理不尽な要求を押し通そうとする人は少なくありません」、断固として特別扱いはすべきではない。「セクハラ」には警察を呼ぶなど断固たる対応が必要だ。 「心の上から目線」とは面白い対応方法だ。 「少し落ち着いて、客観的に分析することなどで相手のキャラクターや別の感情を早めにつかむことができれば、対応する側の感情も落ち着きを取り戻しやすくなります。すると、怒鳴りつけられて一瞬パニックになったときもその状態から回復しやすくなりますし、相手の罵声や非難、中傷が心に刺さらなくなります。 クレーム対応するときには、顧客の心に配慮する心配りは大切なポイントです。 しかし、クレーマーに正面から対応しようとすると、感情がとらわれ、心が折れやすくなります。こうした局面でのクレーム対応においては、ここまで書いたような“心構え”があるだけで、結果は違ってきます。自らの心にバリアを張り、シャッターを下ろして、理不尽な攻撃から身を守るイメージです」、確かにその通りなのだろう。 援川 聡氏による「生活保護を申請しホテルに971泊、市は「ハードクレーマー」にどう対応すべきか」 「「ハードクレーマー」として有名」とのことで、行政が増長させてしまったのだろう。 「巨大なモンスターが育ってしまったきっかけは」「「初期対応のミス」にあった」、とはその通りだろう。 「冷静になってから判断すれば、理不尽な要求だと分かっても、いきなり“弱い立場”の市民から怒鳴りつけられ、責任追及の罵声を浴びせられたら、あまりの剣幕にあらがえず屈してしまう――。そうした状況は、容易に想像できます。職員は、他の業務もある中、長時間拘束されてしまえば判断力も鈍るでしょう。そのストレスは計り知れません」、確かにその通りだろう。 「対応の限界「K点」(レッドライン)を明確に設定することです。もしこのレッドラインを超えてしまったら、個人で対応するのをやめ、組織対応に切り替えます。このような明確なラインを設けることで、現場の負担も軽減し、後々で組織の首を絞めるような対応を避けることができるのです。 今回のケースの場合、基準は「他の市民(客)にもできるかどうか」になります」、「「面倒な人ほどシンプルに対応する」ことで現場担当者の負担が減り、ストレスも軽減するはずです。納得しない、理不尽な人、「ああ言えばこう言う」人に対してこそ、どのように向き合うか「心構えの基準」を組織で明確に持つことが重要なのです」、なるほど。 「基本は「公平・公正」、はっきりした基準を決めておくことが重要になります。 今回の事件では、この男性のホテル代に多額の税金が使われたことも気になりますが、この対応の最大の誤りは、うるさいハードクレーマーを特別扱いした結果、他の困っている人や声すら出せない真の弱者を放置してしまっている点です。 企業でも、行政機関や医療機関でも、何事も「できることとできないこと」ははっきりとあるはずです」、その通りだ。 現代ビジネス 「鴻上尚史「複雑化する日本のクレームに対応するには“不寛容車両”しかない」 世間ってなんだ(4)」 「鴻上」氏の見方はユニークなので、これまでから注目してきた。 「JR東海からの要請だそうです。 で、JR東海さんの言い分は、もうこれは当然ながら、「車内でたこ焼きを食わすな。禁止しろ!」という臭いに対するクレームの電話があったからだということだそうです」、「JR東海」は「クレーム」には弱いようだ。 「最近は、「隣で酒を飲まれると、臭いが漂ってきて不愉快だという人が出てきた」そうです。 たこ焼きから豚まん、そして、駅弁、お酒とどんどんクレームと共に新幹線はクリーンになっていくのでしょう。コーヒーの臭いが不快な人もいるでしょう。そういう人のクレームにも、JR東海さんはやがて対応していくのでしょうか。 担当編集者の鈴木さんが、「いずれ、『飲酒可車両』とかできるんじゃないかと思いますね。心おきなくタコ焼きを食べられる車両。それで、他人の食べもののニオイがイヤ、子供が泣くのもイヤ、酒飲みもイヤという人が乗る『不寛容車両』も作ればいいのにw」というメールをくれました」、さすがに『不寛容車両』に乗れば、自らが「不寛容」であることを認めることになるので、乗ろうとする人はいないような気がする。 「「子供が騒いだり(泣いたり)すると、オロオロして、周りに気を使い、子供をきつく叱り続けている日本人親」の方をたくさん見てきました」、子供の泣き声などには寛容にすべきだ。 「「日本人は静かな環境が好きなので、本当は電車の中では話してもいけないんだ。やがて、電車では沈黙することがマナーになるだろう」という言い方でしょう。これなら、一応論理的に矛盾はしていません。 そういう車両を表向きは「クリーン車両」なんて言うようになるんじゃないかと思います。 でも、それは裏からいえば、編集鈴木女史が言ったように「不寛容車両」です。この言い方、すごくいいです。自分が不寛容であることを周りに宣言してるんですからね。 もうクレームに誠実に対応するなら、これしか方法はないと思います」、「僕はうるさくて、臭いがあっても我慢します。「不潔車両」別名「寛容車両」で「くくる」のたこ焼きも、「551」の豚まんもたらふく食べたいと思います!」、「鴻上」氏らしい締めだ。
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人生論(その12)(若年性アルツハイマーを発症した元東大教授が デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは、「性の営みはホルモンを分泌する」「自慰も素晴らしいこと」現役精神科医・和田秀樹氏が提唱する 80歳からの“我慢しない愉しみ方” 『80歳の壁』より #2、「学校秀才」が二流の人材で終わるのは当たり前…野中郁次郎が「知的な野蛮人をめざせ」と訴える理由 「○○シンキング」や「○○思考」は人間を劣化させるだけ) [人生]

人生論については、3月29日に取上げた。今日は、(その12)(若年性アルツハイマーを発症した元東大教授が デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは、「性の営みはホルモンを分泌する」「自慰も素晴らしいこと」現役精神科医・和田秀樹氏が提唱する 80歳からの“我慢しない愉しみ方” 『80歳の壁』より #2、「学校秀才」が二流の人材で終わるのは当たり前…野中郁次郎が「知的な野蛮人をめざせ」と訴える理由 「○○シンキング」や「○○思考」は人間を劣化させるだけ)である。

先ずは、4月3日付け現代ビジネスが掲載した主婦の若井 克子氏による「若年性アルツハイマーを発症した元東大教授が、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/92672?imp=0
・『若年性アルツハイマー病で、東京大学を早期退官した若井晋。沖縄での療養などを経て病を公表し、それがきっかけで「認知症当事者としての講演」という生きがいを見つけた彼だったが、症状の悪化からついに講演は不可能となった。妻とともに日常に戻った彼は、介護保険サービスを利用してデイサービスに通い始める。そこで明らかになった、認知症の当事者だからこその苦悩とは? 近刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子・著、講談社)よりお届けする。 【第1回】54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授が書き残していた「日記の中身」 【第2回】手術上手な脳外科医が一転、ネクタイが結べず…東大教授を襲った「若年性アルツハイマー」の現実 【第3回】文字が書けない…54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授の苦悩 【第4回】失意の元・東大教授は、なぜ「若年性アルツハイマー」を公表したのか? 【第5回】「ぼくは、エイリアン」54歳で若年性アルツハイマーになった東大教授が見た世界 【第6回】元・東大教授が「若年性アルツハイマー」になって見つけた「意外な楽しみ」 【第7回】アルツハイマーを発症した元・東大教授が、言葉を失いつつも講演を続けた理由』、興味深そうだ。
・『弱っていく体、澄んでいく心  講演行脚をやめる少し前から、晋(すすむ)の体は目に見えて衰えていき、それにつれて私たちの生活も変化していきました。 ■2010年  この年に介護保険を使い始めたことはすでに書きました。家で私たちは畳に布団を敷いて寝ていましたが、晋が立ち上がるのが難しくなったのがこの頃です。 幸い、ケアマネジャーさんが介護ベッドの導入を提案してくれたおかげで、解決することができました。 ■2012年  講演を通じて偶然知り合った医師の助言をきっかけに、デイサービス(デイ)に通い始めました(後で書く通り、うまくなじめず、いくつかのデイを転々とするのですが)。 この頃から、入浴に危険を感じるようになりました。滑りやすいタイル張りの浴室で、晋の大きな体を支えられるか、それだけの力が私に残っているか、不安になったのです。 ケアマネジャーさんに相談したところ、さっそく屈強なヘルパーさんを紹介してもらうことができ、見守りと介助を受けられるようになりました。 ■2015年(晋の要介護度は、最重度の「5」に引き上げられました。 そして、この年のある日、ついに晋が立ち上がれなくなります。 以前から足が上がりにくくなり、車にも乗れず、外出が減っていました。 ソファに座っても、自分の力だけでは立ち上がることができません。それでも、私が晋の前に立ち、両足で彼の足をしっかり踏んで固定し、手を握って全体重をかけて引っ張り上げれば、まだ立たせることができたのです。 しかし2015年のある冬の日、ついに手伝っても立てなくなりました。私が引っ張り上げるのに合わせて、晋も立とうとします。でも足に力が入らないのか、くにゃ、となってしまうのです。 それまでの「立てない」とは、明らかに様子が違いました。そこで私はまず、彼をなんとか座布団の上に座らせ、その座布団を引っ張って寝室へ移動し、ベッドの横に敷いた布団に彼を転がすように寝かせました。 私は力自慢ではありませんし、晋とはだいぶ体格差があるのですが、これが「火事場の……」というものでしょうか。 ともかく、翌朝ケアマネジャーさんに連絡をとると、さっそく訪問看護師が3人、我が家に飛んできて、晋を布団からベッドに移してくれました。 夏には誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)も経験し、1ヵ月半にわたって入院。 晋にとっては多難な年でした。 ■2016年(肺炎で再び入院。しかし前回の入院で、晋には病院での生活が負担になると痛感していたので、自宅での療養を選びました。抗生剤が効き前後10日ほどでデイサービスに通えるくらい回復したのは幸いでした。 こうして晋は、ベッド中心の生活になっていきました。いわゆる「寝たきり」です。 言葉を失い、寝たきりになった晋。 生きていて、幸せなのでしょうか。 尋ねてみたいと思うこともありますが、聞くまでもない、そうも感じます。 南向きの部屋で寝ている彼のもとに、朝日がガラス戸越しに射す。 そのとき彼の目は、重荷をすべて下ろしたかのように澄み切って、平穏に満ちています。その幸せそうな顔を見ていると、問うこと自体が無意味にも思えるのです。 ただ、この静けさに至るまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした』、「東大教授」から「寝たきり」になることを受け入れるには相当の時間が必要だった筈だ。
・『デイサービスになじめない  少し話が戻りますが、晋がデイに行き始めたのは、些細なことがきっかけでした。2012年に招かれた日本老年精神医学会の講演で、M先生という医師から、 「ぜひ、診断に使ったMRIの画像を見せてほしい」と申し出がありました。さっそく一式お送りすると、しばらくしてお便りが届きます。 その手紙のなかでM先生は、晋は「緩徐進行性非流暢性失語症(かんじょしんこうせいひりゅうちょうせいしつごしょう)」かもしれないと指摘したうえで、それでも、 「アルツハイマー病の可能性は否定できない。言葉を出してください」と書いてあったのです。そのことを説明しながら、私は彼にこうすすめたのでした。 「晋さん、言葉のリハビリだと思って、デイサービスへ行ってみたら」 「行くよ」 即答でした。リハビリという言葉が気に入ったのでしょうか。あとで子どもたちにこの一部始終を話すと、 「やっぱり、医者に言われると行くんだねえ」と納得顔。さっそくケアマネジャーさんに相談し、とりあえずデイに週1回、半日通うところから始めます。 これまで晋とふたりきりで、あまりにも密な生活を続けていた私は、晋が留守の間どう過ごそうか、あれこれ考えて夢を膨(ふく)らませていました。 晋も当初は、デイを楽しんでいました。 早くから支度をして外に出て、迎えの車を待つ、なんてこともしていたほどです。気持ちよく入浴させてもらい、笑顔で帰ってくる日が続いていました。 ところが、通い始めて3ヵ月ほど過ぎたころから、時折、暗く険しい顔つきが目立つようになりました。ついにある日、送りのデイ職員から、 「今日は職員の髪をひっぱりました」という報告が――。 「どうしたの? 何があったの?」尋ねても、晋はうつむいたままです。それでもしつこく問うと、たどたどしくはありましたが、彼の言葉からようやく事情がつかめました。 同じデイを利用するお年寄りから、「あの人は何もできない」と言われたそうなのです。 「それくらいのことで、落ち込んじゃだめだよ」 「落ち込んじゃいけないね」――そう言う晋は、しかし、うなだれたままです。 「もう、無理して行かなくていいよ。行きたくなかったら、やめていいんだよ」 私はたまらずこう声をかけました。 ケアマネジャー経由でデイに聞いても、「悪口」があった事実は確認できませんでしたが、こうして晋は、初めてのデイを去ることになったのです』、本人が嫌がる事情を聴き出せないというのも、ケアする奥さんにはストレスだろう。
・『心に刻まれる苦しさ  この時期の晋は、ふだんから「何もできない」ことを気にしていました。小さな悪口にみえるかもしれませんが、本人にとっては「無能」の烙印(らくいん)を押されたようなもので、何にもまして屈辱的だったのではないでしょうか。 実際、デイでの一件は、彼の中でずっと尾を引いていたのです。ある夜、布団に入った晋が言います。 「僕は何もできない」 「何もできないのが病人じゃない? でも晋さんは散歩にも行ける。電車にも乗れる。歌も歌えるじゃない」 「ありがとう」 ようやく眠りに入るのでした。 また、こんなこともありました。デイをやめた少しあと、私が発熱して一日家で寝ていたことがありました。晋がそばに来て、おろおろしながら尋ねます。 「誰かに何か、言われたんじゃないの」 「誰も何も言わないよ」私はあわてて打ち消しましたが、内心、驚きでいっぱいでした。 晋は、かつての自分と今の私を重ねていたのです。私が寝込んでいるのは、誰かに酷いことを言われて傷ついたからではないか――そう推測していたのです。 その時の彼にできる、最大限のお見舞いだったに違いありません。人を思いやる心は、損なわれていませんでした。 認知症は物忘れの病気だといわれます。確かに、具体的なことは時間とともに忘れてしまうのでしょう。でも、苦しさは深く心に刻みこまれるのだと痛感した出来事でした』、「晋は、かつての自分と今の私を重ねていたのです。私が寝込んでいるのは、誰かに酷いことを言われて傷ついたからではないか――そう推測していたのです。 その時の彼にできる、最大限のお見舞いだったに違いありません。人を思いやる心は、損なわれていませんでした」、なるほど。
・『「ちがうんだよ」と騒いでしまう理由  それでも、しばらくすると晋は、また別のデイに通うようになりました。家で退屈そうにしているのを見かねて、私がすすめたのです。もちろん、私自身にも、骨休めしたいという気持ちがありました。 2つめのデイ。ここでも晋は、当初ごきげんで通っていました。職員からは「先生」と呼ばれ、ほかの利用者と歌ったり踊ったり、楽しめていたようです。 「僕って面白いでしょ」 これが当時の、彼の口癖でした。しかし残念ですが、いい時間は長く続きません。) デイは毎回、行った日の詳しい出来事を「連絡ノート」で報告してくれます。そのノートからは、晋が次第に疲れをためていることが伝わりました。 「うるさい!」 そう大声を出すようにもなっていきました。 通い始めて5ヵ月ほど過ぎた、6月のある日。ついにこんな電話が入ります。 「先生が興奮しているので、来てくれませんか」 デイからでした。急いで迎えに行き、連れ帰りました。 何があったのか……「連絡ノート」を開くと、こんなくだりが目に飛び込んできます。 ■6月×日 9時15分(ホーム着です。室内を歩かれています。「うるさい!」を連発して言っています。 ずっと、「ちがうんだよ、ちがうんだから」 「何度も言ってるじゃないか。わかってください。場所がちがうんだ、やめてくれ」と大きな声で言われています。 「人がちがうんだから、ボクはボクで一人でやってるの、わかった?」 「わかったか! やめてよ!」とずっと興奮されています。まわりのことは見えてないようです。 ■11時40分(早めの昼食にしました(鶏の天ぷら、春菊のごま和え、リンゴ、トマト、レタス)。鶏の天ぷら、トマトは完食です。リンゴは2人分食べました。ごはん、みそ汁、春菊は残っています。 ■12時(歩きながら食べています。だいたい食べると 「うるさーい!」を連発して歩いています。 「ちがうんだからやめてよ本当に!!」 「だからいいよ、もう」 デイで「ちがう」としきりに口にしていることがわかります。 「晋さん、どうしたの、何かあったの?」 「僕はひとりなんだよ」 「いったい、何が『ちがう』の?」 「僕は今までの僕とはちがうんだから、わかってほしい。相手の言うことを一生懸命理解しようとすると、頭が疲れてきて、何が何だかわからなくなる。わかるように話してほしい」 「『場所がちがうんだ、やめてくれ』っていうのは、どういうこと?」 「場所が我が家とちがったり、知らない人に何か言われても、さっと理解できないし、言葉が出ない」 ゆっくりとではありましたが、晋が理路整然と説明することに、私は驚きを隠せませんでした。 このとき彼から聞き取ったことを私なりにまとめると、次のようになります。 「自分は理解力が落ちている。だから、自宅を離れてデイに行き、よく知らない職員に声をかけられても、わかるまでに時間がかかる」 問題が起こった時期、晋は週2回のペースでデイに通っていました。そんな頻度で顔を合わせる職員であっても、いつも初めて会う気がするらしいのです。だから5ヵ月たった時点でも「まだ人と場所に慣れない」のでした。 最高学府の教授でもあった夫・若井晋。その彼が若年性認知症になるとき、本人は、そして家族は、どうしたのか。病を受け入れてもなお歩き続けた夫婦の軌跡を、妻・若井克子が克明に描き出す新刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』は、全国の書店・ネット書店にて好評発売!』、「「自分は理解力が落ちている。だから、自宅を離れてデイに行き、よく知らない職員に声をかけられても、わかるまでに時間がかかる」 問題が起こった時期、晋は週2回のペースでデイに通っていました。そんな頻度で顔を合わせる職員であっても、いつも初めて会う気がするらしいのです。だから5ヵ月たった時点でも「まだ人と場所に慣れない」のでした」、「東大教授」であっても、「若年性アルツハイマー」になると、ここまで苦しむということに、改めて驚かされた。

次に、7月9日付け文春オンラインが掲載した精神科医の和田秀樹氏による「「性の営みはホルモンを分泌する」「自慰も素晴らしいこと」現役精神科医・和田秀樹氏が提唱する、80歳からの“我慢しない愉しみ方” 『80歳の壁』より #2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55489
・『「人生100年時代」と言われているが、心身ともに自立して健康でいられる「健康寿命」の平均は、男性72歳、女性75歳となっている。これは、「80歳の壁」を超える前に寝たきりや要介護になってしまう人が多いことを示しているのだ。 ここでは、30年以上にわたり、高齢者医療の現場に携わる精神科医・和田秀樹氏の著書『80歳の壁』(幻冬舎新書)から一部を抜粋。老化を防ぎながら「80歳の壁」を超えるために、和田氏が提唱する“我慢しなくていい生活方法”を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)』、「80歳からの“我慢しない愉しみ方”」とは興味深そうだ。
・『食事は我慢しない。食べたいものは食べる  食べたいものを我慢している人は多いでしょう。食べる量を減らす、塩辛いものや甘いものを避ける、脂っこいものを控えるなどは、よくあるケースです。 世間の常識では、太っていると健康が損なわれ、「塩分、糖分、脂質」は3大害悪のように言われているからです。 でも、本当にそうなのでしょうか? 「食べたい」と思うのは体が求めている、とも考えられます。高齢者は臓器の働きが落ちるため、これが欲求を生んでいる可能性があるのです。 たとえば、塩分がそうです。人間は、ナトリウム(塩)がないと生きていけませんが、高齢者の腎臓は塩分を排出し、血中の塩分不足を起こすことがあるのです。 腎臓にはナトリウムを貯留する働きがあり、足りなければキープしようとします。ところが老化するとキープする能力が落ち、吐き出してしまう。この現象によって、塩分不足になってしまうというわけです。 すると、低ナトリウム血症(血液のナトリウム濃度が不足した状態)が起こりやすくなります。これを防ぐため、体が塩分を欲しがることがあるわけです。 食事の量もそうです。くどいですが「少し太っている人のほうが長生き」というデータは世界中にあります。つまり、太り気味であるほうが好調だと体のほうが知っていて、脳を通して「食べたい」という信号を伝えているとも考えられるわけです』、「腎臓にはナトリウムを貯留する働きがあり、足りなければキープしようとします。ところが老化するとキープする能力が落ち、吐き出してしまう。この現象によって、塩分不足になってしまうというわけです。 すると、低ナトリウム血症(血液のナトリウム濃度が不足した状態)が起こりやすくなります。これを防ぐため、体が塩分を欲しがることがあるわけです」、「老化するとキープする能力が落ち、吐き出してしまう。この現象によって、塩分不足になってしまう」、とは初めて知った。
・『「食べたいものを我慢してダイエット」は寿命を縮める?  たしかに60代くらいまでは、塩分の摂り過ぎも太り過ぎも、健康を損なう原因になるかもしれません。しかし80歳も目前の幸齢者(編注:書籍内では、80歳を超えた高齢者を「幸齢者」と呼ぶ)になったのなら、その常識は一度忘れたほうがいいと思います。 「食べたいものを我慢してダイエット」など自ら寿命を縮める行為です。栄養不足は、確実に老化を進めるからです。 もちろん、無理に食べる必要はありませんが「食べたい」と思うなら、我慢せずに食べたらいいのです。 体の声を素直に聞く――。80歳を過ぎた幸齢者には、これが一番の健康法です。 人間の体は、じつによくできています。それを信じればいいのです。 ちなみに、前述の低ナトリウム血症は、意識障害や痙けいれん攣などを引き起こします。 ふだんは逆走や暴走をしない高齢ドライバーによる逆走事故や暴走事故などは、もしかすると低ナトリウム血症が原因で意識が飛んだのではないか。あるいは、血糖値や血圧を下げ過ぎて頭がぼーっとしたのかも……などと、複数の原因が考えられるのです』、「体の声を素直に聞く――。80歳を過ぎた幸齢者には、これが一番の健康法です」、まだその年齢に達してはいないが、そのうち、「体の声を素直に聞」いてもよくなるとは、待ち遠しい気もする。
・『興味あることは我慢しない。どんどんおやりなさい  本当はしたいのに「いい年をして」という言葉が頭に浮かび、我慢してしまうことはありませんか? でもやはり、したいことは我慢せず、やったらいいと思います。 たとえば、性的なこともその1つかもしれません。世間の常識では「年甲斐もなく」と非難されそうなことです。しかし健康面から言えば、積極的になっていいと思います。なぜなら、男性ホルモンが増えるからです。 数年前、歌舞伎町で違法なわいせつDVDを販売して、店員が逮捕される事件がありました。この事件で話題になったのが、常連客に高齢の男性が多かったこと。店には老眼鏡やルーペが常備されており、警察官が踏み込んだ際にも80歳を過ぎた男性客がいたと報道されています。この1月末にも同様の逮捕劇がありました。 「違法なDVD」は推奨できませんが、児童ポルノとは違い、欧米では合法のものです。それ以上にそれを見たいと思うのは健康の証です。また、このような性的映像は男性ホルモンの分泌を高めるので、「元気の源」になっている側面もあると思うのです。 もちろん「したいこと」は、エロティックなものだけではありませんし、男性に限った話でもありません。 「楽しいな」とか「面白そうだな」と思うなら、自分にブレーキをかけず、どんどんやってみたらいいのです』、「「楽しいな」とか「面白そうだな」と思うなら、自分にブレーキをかけず、どんどんやってみたらいいのです」、「ブレーキ」をかけるというつまらないことをする必要はない、というのは嬉しい限りだ。
・『男性ホルモンは元気の源。したいことをして脳も体も元気に  何かに興味を持つということは、脳が若い証拠です。実際、それを実行することで、脳は活性化し、体も元気になります。 それは男性ホルモンから見ても明らかです。年を取ると、体内の男性ホルモン量は自然に低下していきますが、多い人のほうが元気なことは、医学的にも証明されています。 男性ホルモンは、タンパク質の多い食事や運動習慣によっても、ある程度保つことができます。たとえば肉には、男性ホルモンの材料になるコレステロールが含まれており、肉をしっかり食べる人のほうが元気を維持できます。コレステロール値を下げる薬を飲み続けるとED(勃起障害)になりやすいのは、このためです。 80歳にしてエベレスト登山を成功させた三浦雄一郎さんは、まさに「元気」の代名詞のような方ですが、男性ホルモンの一種であるテストステロンを注入していることは有名な話です。 三浦さんは76歳のときにスキーで転倒し、大腿骨と骨盤を骨折する大ケガをします。入院で筋力も低下し、トレーニングの気力も削がれたそうですが、その状態から回復できたのは、男性ホルモンの注入やED治療薬「シアリス」を服用したことも大きかったと語っておられます。シアリスやバイアグラのようなPDE5阻害剤は、動脈硬化を和らげる作用があることが知られています』、「三浦雄一郎さん」が、「大腿骨と骨盤を骨折する大ケガ・・・その状態から回復できたのは、男性ホルモンの注入やED治療薬「シアリス」を服用したことも大きかった」、初めて知った。
・『衰えるに任せておけばどんどん衰退するが……  もちろん、トレーニング(運動)を継続していたことや、エベレスト登頂の目標を見失わなかったことも、三浦さんの元気の秘訣だったことは間違いありません。 年を取ると、筋力や臓器だけでなく、脳も老化します。認知症はそうした老化現象の1つです。なかでも一番多いのはアルツハイマー型で、「脳が縮む」と言われているタイプです。 実際に脳を解剖すると、海馬や前頭葉に萎縮が見られます。海馬は記憶を司つかさどる部分、前頭葉は思考や感情、行動や判断を司る部分です。人間が人間らしく生きるために、最も必要な部分が前頭葉なのです。 前頭葉の働きが衰えると、日常生活では次のような変化が生じてきます。 たとえば、考えることが面倒になる、感情をうまくコントロールできなくなる、 喜怒哀楽が激しくなる、意欲が衰える、集中できなくなる、などです。 人間の体はよくできており、使わない機能は退化していきますが(廃用性萎縮と言います)、使えば活性化していきます。とくに脳はその傾向が顕著です。 つまり、衰えるに任せておけばどんどん衰退しますが、奮起して使えば活性化させることができるわけです。 そして、最も効果があるのが「したいことをする」ということです。前頭葉にとって、それはとても刺激的なことで、脳が活性化するのです。 楽しいこと、面白そうだと思うことほど、脳にとっては刺激的です。反対に、つまらないことや、我慢を強いると、脳の働きは鈍ります。 我慢をして毎日をつまらなく生き、脳を萎しぼませていくか、したいことをして毎日を元気ハツラツと生き、脳を活性化させていくか――。 したいことをすることは、脳の老化を防ぐためにも必要なのです』、言うまでもなく、「したいことをして毎日を元気ハツラツと生き、脳を活性化させていく」方を選択したい。
・『エロティックは否定しない。いくつになっても刺激を求めていい  性欲についても再度話しておきましょう。日本人はタブー視しがちですが、本来、性欲は自然な欲求であり、とても大切なことです。 残念ながら、性欲は年齢と共に落ちていきます。とくに男性は、男性ホルモンが減るため如実に低下します。女性は、年を取ると男性ホルモンが増えるため、性欲が多少上がる人もいます。 性欲があることは、恥ずかしいことではありません。男性も女性も可能なら、積極的に性の営みをしたらいいと思っています。 少し前に新聞の「悩み相談」に、79歳の男性の投稿がありました。「毎日のように自慰をする自分は異常なのか?」という悩みでした』、「男性は、男性ホルモンが減るため如実に低下します。女性は、年を取ると男性ホルモンが増えるため、性欲が多少上がる人もいます」、こんなに男女差があるとは初めて知った。
・『自分の性欲を「不謹慎だ」と考える必要はない  回答者のコメントは忘れてしまいましたが、私が答えるならこうです。 「異常ではありません。素晴らしいことだと思います。男性ホルモンが十分分泌されている証拠です。恥ずかしがるより、楽しみましょう。いつまで続けられるかはわかりません。でも、いつ終わるかわからないことを楽しむのも、この年代ならではの楽しみ方ではないでしょうか。楽しめるうちに楽しんでおかなければ、損だと思います。しかも男性ホルモンが多いことは、判断力や筋力も高めるので若さを保つことにつながりますよ」 女性も同じです。「不謹慎だ」などと考える必要はありません。ある人も、まったくない人もいますが、それは個人差です。新たなパートナーを求めたり、年下を相手にしたりすることにも躊躇する必要はないと思います』、「恥ずかしがるより、楽しみましょう。いつまで続けられるかはわかりません。でも、いつ終わるかわからないことを楽しむのも、この年代ならではの楽しみ方ではないでしょうか。楽しめるうちに楽しんでおかなければ、損だと思います。しかも男性ホルモンが多いことは、判断力や筋力も高めるので若さを保つことにつながります」、誠に嬉しい限りだ。

第三に、9月22日付けPRESIDENT Onlineが掲載した一橋大学名誉教授の野中 郁次郎氏による「「学校秀才」が二流の人材で終わるのは当たり前…野中郁次郎が「知的な野蛮人をめざせ」と訴える理由 「○○シンキング」や「○○思考」は人間を劣化させるだけ」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/60930
・『ビジネスパーソンに必要な能力とはいったいなにか。一橋大学の野中郁次郎名誉教授は「私は『知的バーバリアン(野蛮人)たれ』と繰り返してきた。学校秀才は予測不可能な変化や危機に対応できない。ビジネスの現場でこそ、人類が狩猟民族時代から発揮してきた『野性』の発揮が重要になる」という――。※本稿は、野中郁次郎『野性の経営 極限のリーダーシップが未来を変える』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです』、「野中」氏の見方とは興味深そうだ。
・『マニュアル頼りの“学校秀才”は突然の危機に弱い  昨今の世界情勢を念頭に置けば、予測不可能な変化や危機が次々と訪れる複雑性に満ちた世界を我々が生きていることは自明である。ロシアのウクライナ侵攻は、過去の常識や前例から見ればありえない、想定外の事象が起こりうる現実をわれわれに否応なく突きつけた。 突然の天災は、人間がコントロールすることはできない。しかしコロナ禍が示したように、極限状態において間違った対応の連鎖が続けば、それが人災になってしまうことがある。状況変化に応じた判断は、後戻りできない「一回性」という性質をもつ。ほんの一瞬の判断が、のちの大きな出来事の引き金につながり、将来の差異を生む。 足元の日本を見れば、世の中でもてはやされるのは手早く物事を解決してくれそうな「ハウツーもの」だ。極限の状況にあっても、流行の○○シンキングや○○思考、○○テクノロジーを駆使すれば、うまく対処できるのだろうか。 答えは否だ。むしろ、これらは人間が本来もっている直観や創造性を劣化させるかもしれない。 ハウツーやマニュアル頼みの人は、現場のリアルな危機に直面したとき、その知識を応用できず役に立てられない。「ストリート・スマート」という言葉があるが、彼らは、その反対語である「ブック・スマート」や「アカデミック・スマート」で、日本語でいえば「学校秀才」だ。彼らは、現実の只中で「いま・ここ」で起きている状況を、全身全霊で五感を使って感じるということをしない』、「ハウツーやマニュアル頼みの人は、現場のリアルな危機に直面したとき、その知識を応用できず役に立てられない」、「「学校秀才」だ。彼らは、現実の只中で「いま・ここ」で起きている状況を、全身全霊で五感を使って感じるということをしない」、その通りなのだろう。
・『分析・計画・統制の行き過ぎは野性を殺してしまう  混沌とした状況に対し、机上の空論や定石は役に立たない。一方の「ストリート・スマート」は、すべての現場・現実・現物にありのままに向き合う。一切の先入観を排除して、表象の背後にある意味を見抜き、臨機応変に対応する。思えば、人類は狩猟民族時代からそうやって生き抜いてきたのではないだろうか。 危機に絶対解はない。データ解析したところで、正解が得られるとは限らない。現場の文脈や質的な側面が削ぎ落とされた数値分析だけでは、暗黙的なものを含めた全体像を捉えられず、正しい判断はできない。刻々と動いていく状況のなかで、目の前の現実に向き合い、「何をなすべきか」という本質を見抜く。その起点となるのは、現場の直接経験のなかで「いま・ここ・私だけ」が感じる質感(クオリア)だ。これは、人間が誰もが持ち合わせている感覚である。合理性への過信は、局面の大きな変化を察知する嗅覚を劣化させ、現象の背後にある意味を見抜く機会を失わせてしまう。合理や数値に還元できないものを封じ込めてはならない。 オーバーアナリシス(過剰分析)、オーバープラニング(過剰計画)、オーバーコンプライアンス(過剰統制)は、人間や組織のもっている野性味、創造性、あるいは機動力などを棄損する。日本の「失われた30年」におけるイノベーション力の劣化の原因は、ここにある。 「人的資本経営」がまた再注目されているが、人間を資本というモノとして扱っている限り、イノベーションは起きない。本来、人は未来に向かって意味をつくり出す動的存在だ。論理のみにフォーカスする流行りの経営モデルからは、イノベーション創造の主体として人間観が見えてこない。だからこそ、異なる主観を持つ人間同士の共感を出発点にし、生き方(a way of life)の意味を追求する、もっと人間くさい戦略(ヒューマナイジング・ストラテジー)が必要ではないか』、「刻々と動いていく状況のなかで、目の前の現実に向き合い、「何をなすべきか」という本質を見抜く。その起点となるのは、現場の直接経験のなかで「いま・ここ・私だけ」が感じる質感(クオリア)だ。これは、人間が誰もが持ち合わせている感覚である。合理性への過信は、局面の大きな変化を察知する嗅覚を劣化させ、現象の背後にある意味を見抜く機会を失わせてしまう」、「オーバーアナリシス(過剰分析)、オーバープラニング(過剰計画)、オーバーコンプライアンス(過剰統制)は、人間や組織のもっている野性味、創造性、あるいは機動力などを棄損する。日本の「失われた30年」におけるイノベーション力の劣化の原因は、ここにある」、「論理のみにフォーカスする流行りの経営モデルからは、イノベーション創造の主体として人間観が見えてこない。だからこそ、異なる主観を持つ人間同士の共感を出発点にし、生き方(a way of life)の意味を追求する、もっと人間くさい戦略(ヒューマナイジング・ストラテジー)が必要ではないか」、その通りだ。
・『なぜアナログがいま再評価されているのか  いまやコンピュータ・テクノロジーは我々の生活を激変させ、インターネットは生活に深く入り込んでいる。今世紀に入るとバイオテクノロジーや人工知能(AI)などが日々発展し、メタバース、デジタルツインなど、仮想現実や疑似現実の世界も生まれ、空飛ぶクルマや宇宙旅行など、ひと昔前のSF小説に描かれた空想も現実となってきている。現代に生きる我々の生活が、科学やテクノロジーに依存していることは間違いない。 デジタルの波が押し寄せる一方で、一度は廃盤になったアナログな製品やサービスが復活し、若い人にも売れている。フィルムカメラは、現像に時間がかかり、どう映っているかわからないが、ワクワクする。レコードには、デジタル音源にはない味わいがある。フィジカルなモノと経験(コト)は、身体感覚を揺さぶるのだ。そこには、デジタルの世界では体験できない質感(クオリア)がある。アナログは、不便で不安定であり、不完全だ。アナログが再評価されるのは、デジタルやテクノロジーの進化で失われつつある、自分の肌感覚や感性など、人間が生まれつき備え持つ生きる力である「野性」を取り戻そうとしているからではないか』、「アナログが再評価されるのは、デジタルやテクノロジーの進化で失われつつある、自分の肌感覚や感性など、人間が生まれつき備え持つ生きる力である「野性」を取り戻そうとしているからではないか」、なるほど。
・『失敗や葛藤こそが人間の創造性を高める  人間は、生身の身体で五感を使って身体知を得ている。気配や空気感、という言葉があるが、それは数値化できない世界だ。日常生活のなか、全身で無意識に浴びているものすべてが暗黙知を豊かにし、感覚を磨いてくれる。「あうんの呼吸」も野性の最たるものだ。人間には自然に間合いを計る創造的な知が身についている。いわばクオリアを互いにやりとりしながら、「いま・ここ」の絶好のタイミングで呼吸を合わせる野性が人間には存在する。 人間は情報処理マシンではない。行間を読み、ニュアンスを感じられる人間とは異なり、AIは情報を機械的に処理することしかできない。人間は無限に広がる世界のなかで、環境と無意識のレベルも含めて相互作用し、共鳴しながら、全身で浴びた経験や感覚を主体的に意味づけられる。永遠の命が保証されない限りある人生のなかで、「過去・現在・未来」という流れを生き、創造性を発揮するのが人間だ。人間の生き方は、因果関係でプログラミングされた決定的なものでない。失敗や葛藤、愚直な試行錯誤は、人間の創造性を豊かにする。偶然性や予測不可能性に「わくわく」したり「どきどき」したりするのが人間らしさであり、そのクオリアが人間の創造力を刺激する』、「人間の生き方は、因果関係でプログラミングされた決定的なものでない。失敗や葛藤、愚直な試行錯誤は、人間の創造性を豊かにする。偶然性や予測不可能性に「わくわく」したり「どきどき」したりするのが人間らしさであり、そのクオリアが人間の創造力を刺激する」、その通りのようだ。
・『集合知化していくために必要なこと  アップル創業者スティーブ・ジョブズは、かの有名なスタンフォード大学卒業式でのスピーチで、「点と点をつなぐ」ことの大切さを説いた。人間は、まったく無関係の点であったはずの経験や知識をつなぎ合わせ、「いま・ここ」での文脈に応じて何かに転換する力をもっている。身体知など過去から蓄積してきた豊かな暗黙知が無意識に結びつくことによってブレークスルーが起きる「セレンディピティ」の力である。「フレーム問題」を持ち認識枠の限界があるAIとは大きく異なる点だ。AIには不可能な、共感と本質直観を同時にこなすことを、人間は「いま・ここ」で自然に行なっている。 人間は一人では生きていけない。一人ひとり(一人称)が感じたクオリアや直観を言語化・形式知化し、既存の科学もテクノロジーも含めてあらゆる知を総動員して集合知にしないと、社会や組織(三人称)で価値あるものとして共有できない。人間は、出会ったものとの関係性を一つひとつ育み、そのかかわりを通じて、一人ではなしえないことを共創し、達成してきた。一人称と三人称を媒介するのは、他者や環境の存在との相互作用における「共感」(二人称)だ。 しかし、真の共感は、たんに相手に同情したり、遠慮して忖度そんたくすることでも、妥協することでもない。もっと厳しいものだ。新たな境地にともに達するためには、相手になりきって一緒になって悩み苦しんだうえで、お互い殻を破ってとことん言葉を尽くして対話をし、どうすればよいかを考えるのである』、「真の共感は、たんに相手に同情したり、遠慮して忖度そんたくすることでも、妥協することでもない。もっと厳しいものだ。新たな境地にともに達するためには、相手になりきって一緒になって悩み苦しんだうえで、お互い殻を破ってとことん言葉を尽くして対話をし、どうすればよいかを考えるのである」、余り簡単なことではなさそうだ。
・『真の共感を生むことが組織の基盤になる  前例・慣例や手続きを優先したり、セクショナリズムで権限や既得権益にこだわったりすると、健全な議論は起こらず、機動的な対応は阻害される。同調圧力を退け、役職や立場や出自を超え、みなが知恵を持ち寄って徹底的に対話しなければならない。同じものが重なり合っても何も生まれないのは当然だ。異なる思いや意見を歓迎し、エゴを超えた無我の境地で、命懸けの熟議をすれば、自ずと集団として生き残るための善後策は自ずと見えてくる。 組織であれば、そのような場を意図的につくれるか、あるいは自然発生的に生まれるような仕掛けをすることがリーダーの役割になる。このような場は、一人ひとりの潜在能力である野性を解放し、自律分散的にリーダーシップが発揮される全員経営を下支えするだろう』、「異なる思いや意見を歓迎し、エゴを超えた無我の境地で、命懸けの熟議をすれば、自ずと集団として生き残るための善後策は自ずと見えてくる。 組織であれば、そのような場を意図的につくれるか、あるいは自然発生的に生まれるような仕掛けをすることがリーダーの役割になる。このような場は、一人ひとりの潜在能力である野性を解放し、自律分散的にリーダーシップが発揮される全員経営を下支えするだろう」、「野中先生」の理想とする姿だ。
・『正解のない世界で「知的野蛮人」が生き残ってきた  筆者は、長らく「知的バーバリアン(野蛮人)たれ」と訴えてきた。「知的バーバリアン」は「知性」と「野蛮」を総合する「野性」を有する。正解もなく、定石が通じないこの世の中で、「知的バーバリアン」として必要なのは、二項動態(dynamic duality)思考と実践であろう。アナログとデジタル、暗黙知と形式知、安定と変化、アートとサイエンス、理想と現実など一見相反する事象の狭間で思い悩むことがあるかもしれない。対立項を対立項のまま扱って、どちらを棄却したり、予定調和で中途半端に妥協するべきでもない。もっと言えば、対立軸は意図的に作り出していることがあることも見抜かなければならない。本当は、これらは両極のあいだで、グラデーションで緩やかにつながっている。 まずは、ありのままに現実の只中で、先入観なく「感じる」ことだ。考えるのではなく、全身全霊で感じるのだ。そこで生まれる共感を媒介に、忖度なしに徹底的に対話する。共感を基盤とした知的コンバットという二項動態の方法論は、弁証法を超えるものではないだろうか。 矛盾や葛藤、不均衡は、新たな知へと変革(transformation)する契機になる。「あれかこれか」の二元論(dichotomy)ではなく、「あれもこれも」と突き詰めるなかで、ちょうどよいバランスが取れる、突破口となる跳ぶ発想が降りてくる。一度決めたら機動的に実践し、やり抜いてみる。その試行錯誤のなかで変化を察知し、「いま・ここ」で直観し、決定的瞬間を逃さずに柔軟に対応する。 こうして瞬時に局面が変化しても臨機応変な打開策を繰り出し、現実的に試行錯誤しながらも、理想高くより善い方向へ向かおうとする組織や人間が生き残ってきた。「生き抜くための知恵」である「野性」は人間の直観や潜在能力から生まれ、そして生き抜くことにより、人間の「野性」は磨かれるのだ』、「正解のない世界で「知的野蛮人」が生き残ってきた」、「「生き抜くための知恵」である「野性」は人間の直観や潜在能力から生まれ、そして生き抜くことにより、人間の「野性」は磨かれるのだ」、実践するのは難しそうだが、その通りなのだろう。
タグ:人生論 (その12)(若年性アルツハイマーを発症した元東大教授が デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは、「性の営みはホルモンを分泌する」「自慰も素晴らしいこと」現役精神科医・和田秀樹氏が提唱する 80歳からの“我慢しない愉しみ方” 『80歳の壁』より #2、「学校秀才」が二流の人材で終わるのは当たり前…野中郁次郎が「知的な野蛮人をめざせ」と訴える理由 「○○シンキング」や「○○思考」は人間を劣化させるだけ) 現代ビジネス 若井 克子氏による「若年性アルツハイマーを発症した元東大教授が、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは」 「東大教授」から「寝たきり」になることを受け入れるには相当の時間が必要だった筈だ。 本人が嫌がる事情を聴き出せないというのも、ケアする奥さんにはストレスだろう。 「晋は、かつての自分と今の私を重ねていたのです。私が寝込んでいるのは、誰かに酷いことを言われて傷ついたからではないか――そう推測していたのです。 その時の彼にできる、最大限のお見舞いだったに違いありません。人を思いやる心は、損なわれていませんでした」、なるほど。 「「自分は理解力が落ちている。だから、自宅を離れてデイに行き、よく知らない職員に声をかけられても、わかるまでに時間がかかる」 問題が起こった時期、晋は週2回のペースでデイに通っていました。そんな頻度で顔を合わせる職員であっても、いつも初めて会う気がするらしいのです。だから5ヵ月たった時点でも「まだ人と場所に慣れない」のでした」、 「東大教授」であっても、「若年性アルツハイマー」になると、ここまで苦しむということに、改めて驚かされた。 文春オンライン 和田秀樹氏による「「性の営みはホルモンを分泌する」「自慰も素晴らしいこと」現役精神科医・和田秀樹氏が提唱する、80歳からの“我慢しない愉しみ方” 『80歳の壁』より #2」 和田秀樹氏の著書『80歳の壁』(幻冬舎新書) 「80歳からの“我慢しない愉しみ方”」とは興味深そうだ。 「腎臓にはナトリウムを貯留する働きがあり、足りなければキープしようとします。ところが老化するとキープする能力が落ち、吐き出してしまう。この現象によって、塩分不足になってしまうというわけです。 すると、低ナトリウム血症(血液のナトリウム濃度が不足した状態)が起こりやすくなります。これを防ぐため、体が塩分を欲しがることがあるわけです」、 「老化するとキープする能力が落ち、吐き出してしまう。この現象によって、塩分不足になってしまう」、とは初めて知った。 「体の声を素直に聞く――。80歳を過ぎた幸齢者には、これが一番の健康法です」、まだその年齢に達してはいないが、そのうち、「体の声を素直に聞」いてもよくなるとは、待ち遠しい気もする。 「「楽しいな」とか「面白そうだな」と思うなら、自分にブレーキをかけず、どんどんやってみたらいいのです」、「ブレーキ」をかけるというつまらないことをする必要はない、というのは嬉しい限りだ。 「三浦雄一郎さん」が、「大腿骨と骨盤を骨折する大ケガ・・・その状態から回復できたのは、男性ホルモンの注入やED治療薬「シアリス」を服用したことも大きかった」、初めて知った。 言うまでもなく、「したいことをして毎日を元気ハツラツと生き、脳を活性化させていく」方を選択したい。 「男性は、男性ホルモンが減るため如実に低下します。女性は、年を取ると男性ホルモンが増えるため、性欲が多少上がる人もいます」、こんなに男女差があるとは初めて知った。 「恥ずかしがるより、楽しみましょう。いつまで続けられるかはわかりません。でも、いつ終わるかわからないことを楽しむのも、この年代ならではの楽しみ方ではないでしょうか。楽しめるうちに楽しんでおかなければ、損だと思います。しかも男性ホルモンが多いことは、判断力や筋力も高めるので若さを保つことにつながります」、誠に嬉しい限りだ。 PRESIDENT ONLINE 野中 郁次郎氏による「「学校秀才」が二流の人材で終わるのは当たり前…野中郁次郎が「知的な野蛮人をめざせ」と訴える理由 「○○シンキング」や「○○思考」は人間を劣化させるだけ」 野中郁次郎『野性の経営 極限のリーダーシップが未来を変える』(KADOKAWA) 「野中」氏の見方とは興味深そうだ。 「ハウツーやマニュアル頼みの人は、現場のリアルな危機に直面したとき、その知識を応用できず役に立てられない」、「「学校秀才」だ。彼らは、現実の只中で「いま・ここ」で起きている状況を、全身全霊で五感を使って感じるということをしない」、その通りなのだろう。 「刻々と動いていく状況のなかで、目の前の現実に向き合い、「何をなすべきか」という本質を見抜く。その起点となるのは、現場の直接経験のなかで「いま・ここ・私だけ」が感じる質感(クオリア)だ。これは、人間が誰もが持ち合わせている感覚である。合理性への過信は、局面の大きな変化を察知する嗅覚を劣化させ、現象の背後にある意味を見抜く機会を失わせてしまう」、 「オーバーアナリシス(過剰分析)、オーバープラニング(過剰計画)、オーバーコンプライアンス(過剰統制)は、人間や組織のもっている野性味、創造性、あるいは機動力などを棄損する。日本の「失われた30年」におけるイノベーション力の劣化の原因は、ここにある」、 「論理のみにフォーカスする流行りの経営モデルからは、イノベーション創造の主体として人間観が見えてこない。だからこそ、異なる主観を持つ人間同士の共感を出発点にし、生き方(a way of life)の意味を追求する、もっと人間くさい戦略(ヒューマナイジング・ストラテジー)が必要ではないか」、その通りだ。 「アナログが再評価されるのは、デジタルやテクノロジーの進化で失われつつある、自分の肌感覚や感性など、人間が生まれつき備え持つ生きる力である「野性」を取り戻そうとしているからではないか」、なるほど。 「人間の生き方は、因果関係でプログラミングされた決定的なものでない。失敗や葛藤、愚直な試行錯誤は、人間の創造性を豊かにする。偶然性や予測不可能性に「わくわく」したり「どきどき」したりするのが人間らしさであり、そのクオリアが人間の創造力を刺激する」、その通りのようだ。 「真の共感は、たんに相手に同情したり、遠慮して忖度そんたくすることでも、妥協することでもない。もっと厳しいものだ。新たな境地にともに達するためには、相手になりきって一緒になって悩み苦しんだうえで、お互い殻を破ってとことん言葉を尽くして対話をし、どうすればよいかを考えるのである」、余り簡単なことではなさそうだ。 「異なる思いや意見を歓迎し、エゴを超えた無我の境地で、命懸けの熟議をすれば、自ずと集団として生き残るための善後策は自ずと見えてくる。 組織であれば、そのような場を意図的につくれるか、あるいは自然発生的に生まれるような仕掛けをすることがリーダーの役割になる。このような場は、一人ひとりの潜在能力である野性を解放し、自律分散的にリーダーシップが発揮される全員経営を下支えするだろう」、「野中先生」の理想とする姿だ。 「正解のない世界で「知的野蛮人」が生き残ってきた」、「「生き抜くための知恵」である「野性」は人間の直観や潜在能力から生まれ、そして生き抜くことにより、人間の「野性」は磨かれるのだ」、実践するのは難しそうだが、その通りなのだろう。
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終末期(その8)(バキバキと骨が折れても心臓マッサージは続く…救急科の看護師が目を背けたくなった「延命治療」の壮絶さ 家族と対面するときには 変わり果てた姿になっている、マスコミは不安をあおっているだけ…東大名誉教授が「孤独死は立派なことだ」と褒める理由 猫の生き方に学ぶ「自分軸」のつくりかた、和田秀樹が見た「後悔しながら死ぬ人 満足して死んでいける人」を分ける意外な要素 年をとったら もっと遊んだほうがいい) [人生]

終末期については、5月1日に取上げた。今日は、(その8)(バキバキと骨が折れても心臓マッサージは続く…救急科の看護師が目を背けたくなった「延命治療」の壮絶さ 家族と対面するときには 変わり果てた姿になっている、マスコミは不安をあおっているだけ…東大名誉教授が「孤独死は立派なことだ」と褒める理由 猫の生き方に学ぶ「自分軸」のつくりかた、和田秀樹が見た「後悔しながら死ぬ人 満足して死んでいける人」を分ける意外な要素 年をとったら もっと遊んだほうがいい)である。

先ずは、7月27日付けPRESIDENT Onlineが掲載した看護師の前田 和哉氏による「バキバキと骨が折れても心臓マッサージは続く…救急科の看護師が目を背けたくなった「延命治療」の壮絶さ 家族と対面するときには、変わり果てた姿になっている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/59928
・『救命救急の現場では、どのような治療が行われているのか。『自分らしい最期を生きた人の9つの物語』(KADOKAWA)を上梓した看護師の前田和哉さんは「ICUに運び込まれてくれば、延命治療が最優先になる。このため胸の骨をバキバキと折りながら、心臓マッサージを続けることもあった。私はそんな現場に疑問を持って、救急科を離れることになった」という――』、看護師にとっては「救急科」にも予想外の落とし穴があるようだ。
・『新人ナース時代に感じた“違和感”  私が看護師としてのキャリアをスタートしたのは、2009年のこと。静岡県内の総合病院に就職し、救急科の集中治療室(ICU)に配属されました。 救急科には昼夜問わず、ひっきりなしに重篤な患者さんが運ばれてきます。中には治療によって回復する人もいましたが、運ばれてきた時点ですでに心肺停止に近い状態で、手の施しようのない方もたくさんいました。 1分1秒を争うような厳しい現場で患者さんの治療やケアに奔走していた私は、看護師として日々やりがいを感じながらも、ある違和感をおぼえるようになりました。 それは、今後回復が一切見込めない、高齢の患者さんに対しても、次々と心肺蘇生や延命治療が行われていくことでした』、「今後回復が一切見込めない、高齢の患者さんに対しても、次々と心肺蘇生や延命治療が行われていくこと」、確かに現在の医療の矛盾点だ。
・『骨が“バキバキ”と折れても心臓マッサージは行われる  実際に救急の現場でどのような救命措置や延命治療が行われていたのか。 まず、患者さんが心肺停止に陥った場合、即座に心臓マッサージが行われます。ただ、強い力で胸骨を圧迫するため、骨がバキバキと音を立てて折れてしまいます。特に高齢の方の場合は骨ももろくなっており、若い人以上にダメージが大きいのは間違いありません。 衝撃だったのは、その折れた骨が肺に刺さって、たびたび出血するということ。患者さんはこの時点で自発呼吸が弱まっているため、人工呼吸器の管を付けることになりますが、その際に吐血のように血が噴き出してくるのです。 さらに患者さんはショック状態に陥っていて、血も止まりにくくなっている。とめどなく流れる血液を吸引したり、拭き取ったりする処置をし続けなければなりませんでした。 血圧も大きく下がってしまいますから、点滴を大量に投与して血圧を上昇させます。すると、全身がむくみ出し、身体に吸収されなかった水分が小さな傷口や点滴の痕などからどんどん出てきてしまいます。吸収シートで全身をぐるぐると巻いて、流れ出る水分を拭き取る処置も欠かせません。 むくみの影響は顔面にも及び、誰だか見分けがつかなくなるほど顔が膨れ上がることもありました。まぶたも閉じなくなり、眼が開いたままの状態になることも……。乾燥を防ぐために、眼の表面に保湿剤のワセリンを塗って、ラップフィルムをかぶせる。そうした処置もナースの仕事の一つでした。 あまりに痛々しくて、目を覆いたくなるような場面もありましたが、実際に医療現場でどのようなことが起こっているのか、知っていただきたいと思い、ありのまま書かせてもらいました。 医療系ドラマの救命のシーンのように、「命が助かってよかった」と軽々しく言えないほど、壮絶な現場であったことは確かです』、「血圧も大きく下がってしまいますから、点滴を大量に投与して血圧を上昇させます。すると、全身がむくみ出し、身体に吸収されなかった水分が小さな傷口や点滴の痕などからどんどん出てきてしまいます。吸収シートで全身をぐるぐると巻いて、流れ出る水分を拭き取る処置も欠かせません。 むくみの影響は顔面にも及び、誰だか見分けがつかなくなるほど顔が膨れ上がることもありました。まぶたも閉じなくなり、眼が開いたままの状態になることも……。乾燥を防ぐために、眼の表面に保湿剤のワセリンを塗って、ラップフィルムをかぶせる。そうした処置もナースの仕事の一つでした」、確かに救急医療行為の副作用は想像以上に酷いようだ。
・『延命治療をしてよかったのかと悔やむ家族  そのことを最も痛切に感じたのは、間近で見ているご家族ではないかと思います。もちろん、医師や看護師が処置をしている最中はご家族に見せることはありません。 ですが、救命や延命措置が行われた後、たくさんの管につながれながら、変わり果てた姿でベッドに横たわっている。その姿を見て、本当にこうした措置を行ってよかったのかと、後悔の念にさいなまれるご家族がいたことも事実です』、「救命や延命措置が行われた後、たくさんの管につながれながら、変わり果てた姿でベッドに横たわっている」、「家族」にも覚悟が必要なようだ。
・『なぜ、救命救急の現場でこのような措置が取られるのか?  まず、心肺蘇生や延命治療を行うかどうかについては、ご本人の意識がないため、ご家族に確認します。ところが、ご家族もご本人の意思を把握していないことが多いので、なかなかすぐに決断ができません。その上、救急搬送されたショックもあり、思わず「命を助けてほしい」と、同意してしまうケースが多いのです。 ご家族と連絡がつかない場合も、医師の判断で救命措置がとられることになります。病院はまず「命を救う」ことが第一優先だからです。 ただ、「命を救う」という認識が、病院側とご家族の間で必ずしも一致していないのも事実。ご家族は「どうにか本人の命を助けてほしい」と救命や延命措置に同意しますが、病院はあくまで「救命すること」が目的であって、倒れる以前の状態まで回復できるとは限りません』、「病院はあくまで「救命すること」が目的であって、倒れる以前の状態まで回復できるとは限りません」、その通りだろう。
・『一命を取りとめたとしても、重篤な後遺症をもたらす可能性がある  蘇生行為によって一命を取りとめたとしても、意識不明のままであったり、重篤な後遺症をもたらしたりすることもあります。 それに加え、延命治療を途中でストップすることは困難です。現行の法律に「尊厳死」はなく、もし延命治療を中止した場合、医師の刑事責任が問われる恐れがあります。 そのため、人工呼吸器を一度装着したら、自発呼吸が見られるなど回復の兆候が見えない限り、外すことはできず、意識がないまま何年、何十年と延命され続けるケースも少なくありません。 その間、家族が通院して介護することになり、精神面、肉体面のみならず、経済的にも多大な負担を強いられます』、「蘇生行為によって一命を取りとめたとしても、意識不明のままであったり、重篤な後遺症をもたらしたりすることもあります。 それに加え、延命治療を途中でストップすることは困難です」、「人工呼吸器を一度装着したら、自発呼吸が見られるなど回復の兆候が見えない限り、外すことはできず、意識がないまま何年、何十年と延命され続けるケースも少なくありません」、「人工呼吸器」の装着は事前に家族の了解を取るのだろう。
・『何度も話し合いを重ねることで「本人の意思」をくみ取れる  人生の最終段階において、自分がどういう最期を迎えたいのか? 家族や医療・ケアチームと前もって話し合う、「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」、通称「人生会議」の重要性が叫ばれています。 「ACP(人生会議)」は、厚生労働省を中心に普及活動が行われていますが、中でも強調されているのが、本人と家族、医療・ケアチームの間で「繰り返し話し合う」という点です。 なぜ、話し合いを重ねたほうがいいのかというと、心身の状態によって本人の意思が変わる可能性があったり、家族の側が本人に対して望むこともあったりするからです。 例えば、本人は「家族に迷惑をかけたくないから、延命治療はしたくない」という想いを持っていても、家族は「できるだけの治療を受けて長く生きてほしい」と願っている場合もあります。お互いに想いをすり合わせることが、本人だけではなく残される家族にとっても、悔いのない最期につながりやすくなるのです。 近年の終活ブームにより、エンディングノートを書く人が増えましたが、書いておくだけでは残念ながら不十分です。 せっかく書き記しても机の引き出しにしまったままでは、いざというときに見つけてもらえず、自分の意に沿わない最期を迎えるリスクもあります。自分の意思は家族や身近な人と共有してこそ、初めて意味を成すものだと考えます』、「せっかく書き記しても机の引き出しにしまったままでは、いざというときに見つけてもらえず、自分の意に沿わない最期を迎えるリスクもあります。自分の意思は家族や身近な人と共有してこそ、初めて意味を成す」、大いに気をつけたい。
・『術後のリスクや後遺症を事前に理解しておくべき  また、人生会議を行う際には、かかりつけ医や担当の医師など、医療従事者を交えることをおすすめしたいです。というのも、延命治療にはどういうものがあり、その治療によって実際にどういうリスクがあるのか、医療者の立場でないと詳しくわからない部分があるからです。 これは私自身の家族のケースになりますが、以前こんな出来事がありました。 祖母が脳腫瘍を患い、手術をするかどうか家族内で話し合った時のことです。 祖母は、「どうしても手術がしたい。失敗しても自分が死ぬだけだから、責任は自分で取る」と言っていたため、家族もその想いに同意したのですが、現役の看護師でもある私は「待った」をかけました。そこでこう告げたのです。 「厳しいようだけど、もし手術が失敗した場合、重い障害が残り、寝たきりになるリスクもある。そのままずっと介護が続く恐れもあるよ」と。すると、家族は「そこまで想像していなかった」と言い、改めて手術をするべきかどうか考え直したのです。 結果的に手術を受けることになりましたが、術後のリスクや起こり得る後遺症を理解し、覚悟を持った上で治療に挑むのと、何も知らずに挑むのとでは、その後の事態の受け止め方が変わってきます。 私の場合はたまたま医療従事者の立場から意見が言えましたが、そうした医療の面からの視点も加えることで、より納得のいく決断がしやすくなるでしょう』、「人生会議を行う際には、かかりつけ医や担当の医師など、医療従事者を交えることをおすすめしたいです」、理想論ではあるが、現実には「医療従事者を交える」ことは難しいそうだ。
・『本人の意思を伝えられる代理人の存在が重要  終末期における延命治療については、さまざまな方法があります。いわゆる三大延命治療と言われているのが、「人工呼吸」「人工栄養」「人工透析」です。 中でも、口から栄養が取れなくなった場合に行われる「人工栄養」は種類も幅広く、点滴で注入する「末梢まっしょう静脈栄養法」、心臓に近い太い静脈に注入する「中心静脈栄養法」、鼻からチューブで胃に送る「経鼻経管栄養法」、胃に直接チューブで送る「胃瘻いろう」などがあります。 これらの治療は具体的にどのように行われるのか? 治療を行うことによってどのようなリスクがあるのかなど、それぞれのメリット・デメリットについて、医師から十分な説明を聞くと同時に、不安な点を確認しておくといいでしょう。 患者さん本人が自分の意思を明確に伝えられる場合はよいのですが、終末期の時にはすでに話せる状態にないことも多いかもしれません。 その場合には、本人に成り代わって、意思や希望を伝えられる代理人(代理意思決定者)となる人がいるとスムーズです。 例えば、「父(母)は、昔から食べることが好きで、『口から食べられなくなったら寿命だ』と言っていた。だから、胃瘻いろうの造設はしないでほしい」といったことや、「本人は延命治療を望んでいないが、痛かったり苦しかったりするのはとても嫌だと言っていた。最期、苦痛だけでも取り除いてもらえないか」など、本人の望みをまるで“影武者”のように医師に伝えられるとベストです。 そのためにも、「自分がどういう最期を迎えたいのか」を日頃から家族や身近な人に伝えておくと同時に、家族自身も本人の意向や考え方を知る努力が必要だと言えます。 幸せな最期とは、自分の望んだ形で人生のゴールテープを切れること――。多くの終末期の患者さんやご家族を見てきて、そう実感しています』、私の母の場合には、「人工栄養」は断ったので、最後の時はそれだけ早く来たが、それでよかったと思っている。

次に、8月24日付けPRESIDENT Onlineが掲載した東京大学名誉教授の矢作 直樹氏による「マスコミは不安をあおっているだけ…東大名誉教授が「孤独死は立派なことだ」と褒める理由 猫の生き方に学ぶ「自分軸」のつくりかた」を紹介しよう。
・『孤独死は避けるべきものなのか。東京大学名誉教授の矢作直樹さんは「一人でいることは決してネガティブなことではなく、家で孤独死することは本来褒められることだ。人の不安をあおってばかりいるテレビニュースなどを見ず、猫のように自分軸を持って生きることをお勧めする」という――。※本稿は、矢作直樹『閉塞感がニャくなる魔法の言葉88』(ワニブックス)の一部を再編集したものです』、「人の不安をあおってばかりいるテレビニュースなどを見ず、猫のように自分軸を持って生きることをお勧めする」、面白い考え方だ。
・『孤独死は特別なことでも寂しいことでもない  猫は気高く誰にも見られずに死ぬ、と言われています。これは、身体が弱ってきたときには誰の目にもつかないところに逃げ込むという防衛本能によるものだとも言われています。 今、世間では孤独死を、よくないこととして、問題として扱っている風潮があります。私はそうは思いません。 一人で家で死ぬということは、つまり、それまで一人で家で生活していたということです。 これは褒められこそすれ、非難されるようなことではありません。 家族と同居していたとしても、亡くなるときは一人です。たとえ、家族に見守られ、手を取られていたとしても、肉体を脱いで、あの世へ帰るときは誰もが一人です。 孤独死という言葉が独り歩きをして独居の人の不安をあおっていますが、なんの心配もありません。逆を言えば、誰もが孤独に死ぬのですから、孤独死は別に特別なことではありません。 寂しくもありません。先に逝った、あなたにとって懐かしい人が迎えに来るからです。両親かもしれませんし、配偶者や友人かもしれません。もしかしたら、飼っていたペットも一緒に迎えに来てくれるかもしれません。死は終わりではなく、こちらからあちらへ処替ところがえするだけです。楽しみに待っていていいのです。 独居の方は、家族や友人と毎日連絡を取り合うなどしていれば、万が一のときに時間がかからず発見されます。もし、時間が経ってしまっても、あなたの魂に傷はつかないし、なんの問題もありません。脱いだ服が少々傷いたんでしまうだけです』、「家族と同居していたとしても、亡くなるときは一人です。たとえ、家族に見守られ、手を取られていたとしても、肉体を脱いで、あの世へ帰るときは誰もが一人です。 孤独死という言葉が独り歩きをして独居の人の不安をあおっていますが、なんの心配もありません。逆を言えば、誰もが孤独に死ぬのですから、孤独死は別に特別なことではありません」、「独居の方は、家族や友人と毎日連絡を取り合うなどしていれば、万が一のときに時間がかからず発見されます。もし、時間が経ってしまっても、あなたの魂に傷はつかないし、なんの問題もありません」、発想法一つで世間の常識が頼りにならないことを示している。
・『一人でいても自由に好きなことができる  仲間がいないのを嘆くことはありません。一人でも楽しいことはたくさんあります。一人でできることに楽しみを見つけることができればいいのです。一人は気ままで自由です。 そういうと、そうした人生に意味があるのか、などとにらまれそうです。でも、人生に意味などいるのでしょうか。一匹で歩いている猫を見て不幸と感じるでしょうか。一人の気ままな自由を実感したら、きっと、人生に意味を見出す必要などないと思うでしょう。 私は学生のときから、一人でいるのが好きでした。山登りや自転車やランニングが好きなのは一人でできるからです。自分のペースで、誰に気兼ねする必要もありません。 山へはだいたい一人で行きます。長い時は3週間近く、人に会わないこともあります。冬は寒いです。風呂にも入れません。食事も質素なものになります。「何が楽しいの?」と友人に真顔で聞かれますが、荷物を詰め、山の準備をしているときは、まるで遠足前の子どもです。 また、私は一人暮らしのうえに留守がちなので、動物は飼えず、その代わりに植物を育てています。ランやグズマニアをいただいて鉢分けしたり、近所の花屋で買ったハイビスカスやブーゲンビリアなども育てていて、冬なのに花を咲かせていたりすると本当にけなげだと思います。話しかけると、まるで答えてくれるようなのです。 音楽を聴いたり、地図を見たり、本を読んだり、私の好きなことはすべて一人でできるものです。人嫌いなわけではありません。小さい頃から、一人でいる時間が多いのです。そこに、童心に戻れるような瞬間が少しでもあれば、それが幸せというものです』、「私は一人暮らしのうえに留守がちなので、動物は飼えず、その代わりに植物を育てています」、もともと独身のようだ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E4%BD%9C%E7%9B%B4%E6%A8%B9
・『私がテレビのニュースを見ない理由  猫はたぶん、テレビを見ません。ですから、擬人化された漫画や小説の中の猫でもない限り、ニュースを見て世の中を嘆いたりはしません。 私は一方的にたれ流されるテレビのニュースは見ないようにしています。必要な情報はネットや文献から取捨選択します。 私たちができるのは、自分の心持ちをしっかりさせることだけです。それができないのなら、なるべくネガティブなニュースを見聞きしないようにしましょう。これは、逃げではありません。自分にインプットする情報は自分で選べるのです。同様に、つきあう友だちも自分で選べます。できる限り、自分が心地良いものを取り入れるようにしましょう』、「なるべくネガティブなニュースを見聞きしないようにしましょう。これは、逃げではありません。自分にインプットする情報は自分で選べるのです」、私は「ニュース」は「ネガティブな」ものであっても「インプットする」ようにしている。「なるべくネガティブなニュースを見聞きしないようにしましょう」、とすると、自分の判断基準がおかしくなってしまう懸念があるためだ。
・『マスコミは心配をあおることばかりする  たとえば、子どもへの虐待が後を絶たない、というニュースをよく目や耳にしますが、本当にそうでしょうか。ネットに公表されている警察庁の公式データを見ると、2009年から子供の虐待死の数は減少しています。 その一方、虐待事件の件数は増えています。これには理由があります。児童虐待防止法が制定されて虐待の範囲が大幅に拡大されたからです。この法律に基づいて警察が虐待の捜査や検挙に積極的に取り組むようになったために見た目の数字が増えました。ニュースは、データに基づいて正確に読み取る必要があります。マスコミは心配をあおることばかりするものです。 世の中の不条理を悲しんだり、怒ったりすることは不要。世の中を変えることなんてできないと割り切って楽しそうに幸せそうに生きていれば、それが世の中に影響を与えます』、「世の中の不条理を悲しんだり、怒ったりすることは不要。世の中を変えることなんてできないと割り切って楽しそうに幸せそうに生きていれば、それが世の中に影響を与えます」、私は「世の中を変えること」の難しさは理解した上で、それでも「変える」努力をすることに意義を見出している。
・『「万が一の事態」に向けて心がけることは…  「備え」をして、「恐れ」を手放してください。猫のようにいつも泰然自若としていましょう。 でも、「恐れ」だけで、「備え」がおろそかになってはいませんか。自分なりに備えれば、「あとはなんとかなる」と覚悟が定まるものです。 たとえば地震や台風など災害についていえば、家族が3日間過ごせるように備えることが目安です。3日間の内に、自治体の対策が整ってきます。そのための備えが必要、というわけです。具体的な準備については、消防庁のホームページなどに一般的な案内が載っています。 いろいろなものが入った「非常袋」を今はかんたんに買うこともできます。他に、赤ちゃんのオムツとか、ペットを飼っているならペットフードの備えとか、自分なりにアレンジする必要もあるでしょう。 私はいつも登山用のヘッドライトをカバンの中に入れています。電源が落ちても、明かりがあればとりあえず安全な場所へ動くことはできます。準備は想像力を働かせて行いましょう。 「○○になったら、○○する」というシミュレーションも必要です。これも想像力が必要です。自家用車を持っているなら、水没しそうになったら窓を割る、ということでカナヅチなどを運転席に備えておくこともいいでしょう。 準備が終わったら心配するのはやめましょう。もし、日本国民のすべてが「地震が来たら怖い」と思っていると、その集合意識が現実に地震を創ってしまうかもしれません。かといって、何も起こらないと思うのは謙虚さが足りません。地球に対して失礼です。「もし動くならば、穏やかな変化でお願いします」と祈ればよろしいと思います』、「「恐れ」だけで、「備え」がおろそかになってはいませんか。自分なりに備えれば、「あとはなんとかなる」と覚悟が定まるものです。 たとえば地震や台風など災害についていえば、家族が3日間過ごせるように備えることが目安です」、これは同感である。

第三に、9月1日付けPRESIDENT Onlineが掲載した精神科医・国際医療福祉大学赤坂心理学科教授の和田 秀樹氏による「和田秀樹が見た「後悔しながら死ぬ人、満足して死んでいける人」を分ける意外な要素 年をとったら、もっと遊んだほうがいい」を紹介しよう。
・『老年医学の専門家として、長年にわたり現場で高齢者たちをみてきた精神科医の和田秀樹さんは「お年寄りはもっと遊ぼう。それが心身の健康度を上げ、健康寿命を延ばすことにつながります」という。新著『70歳から一気に老化する人しない人』を上梓した和田さんがすすめる「70歳からの新しい生き方」とは──。(第1回/全2回) ※本稿は、和田秀樹『70歳から一気に老化する人しない人』(プレジデント社)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『男性は73歳、女性は75歳が「老化の分かれ道」  日本人の平均寿命は、2020年(令和2年)の調査によると、男性が81.64歳、女性が87.74歳です。これは、「何歳まで生きるか」という平均年齢を示すものです。と同時に、ズバリ言うと「何歳で死ぬか」という平均値でもあります。 では、「男性は9年間」「女性は12年間」──この年数がいったい何を示すかわかりますか。実はこれ、病気や認知症などで寝たきりになったり、誰かに介助されたりしながら生きる平均年数を表したものです。 「健康寿命」という言葉を聞いたことのある人も多いと思います。心身ともに自立していられる年齢のことを意味します。 その年齢は、男性が72.68歳、女性が75.38歳です(令和元年調べ)。つまり、平均して男性は73歳、女性は75歳で、誰かの介助が必要になるのです。病気や認知症で寝たきりになるレベルでなくても、身の回りのことを一人でできなくなり始める平均年齢です。 先に記した男性9年間、女性12年間とは、平均寿命から健康寿命を引いた数字。身の回りのことを一人でできずに過ごす年数がこれだけ長いことに驚く人もいるかもしれません。もちろんこれは統計上の数字にすぎませんが。
・『健やかな老後を過ごしたい…  「人生100年」といわれる時代になりました。日本にはいま100歳オーバーの人が8万6000人もいるそうです。皆さんの周りにも、とても元気な100歳前後の人がいるでしょう  しかし当然ですが、「100年時代」といっても全員が90歳、100歳を迎えられるわけではありません。 また、90歳、100歳を迎えたとしても、全員が健康で幸せであるという保証もありません。介助を受けてベッドで過ごしている、ボケてしまって自分が誰かわからない、ということも考えられます。 先に平均寿命と健康寿命について説明しましたが、できればその差──身の回りのことを一人でできずに過ごす年数──を短くし、健やかな老後を過ごしたいと考えるのが、人情というものでしょう』、「平均寿命と健康寿命について説明しましたが、できればその差──身の回りのことを一人でできずに過ごす年数──を短くし、健やかな老後を過ごしたいと考えるのが、人情というものでしょう」、同感だ。
・『誰もが人生の最後に通る「道」  当然のことながら、人はそれぞれ年齢も体型も違います。性格や考え方も違います。生活の環境や仕事も家族構成も違う。一人ひとりは、まったく違う人生を歩むまったくの別人です。 しかし、すべての人に共通することがあります。それは、全員が「やがて死んでいく」ということです。これだけは避けようがありません。 死に至るまでには、2つの道があります。 1つは、幸せな道です。最期に「いい人生だった。ありがとう」と満足しながら死んでいける道です。もう1つは、不満足な道です。「ああ、あのときにこうすればよかった」とか「なんでこんなことに」と後悔しながら死んでいく道です。 どちらの道を選びたいか? それは聞くまでもありませんね』、「不満足な道です。「ああ、あのときにこうすればよかった」とか「なんでこんなことに」と後悔しながら死んでいく道」、は送りたくない。やはり「幸せな道です。最期に「いい人生だった。ありがとう」と満足しながら死んでいける道」、を送りたいものだ。
・『「ない」ものを数える人、「ある」ものを大切にする人  最期に満足しながら死ぬために大切なこととは何でしょうか。 突き詰めるとそれは、たった1つに集約できます。老いを受け入れ、できることを大事にする、という考え方です。これが「幸せな晩年」と「不満足な晩年」の境目になると思っています。 「幸せ」とは、本人の主観によるものです。つまり、自分がどう考えるかによって決まるものです。 たとえば、自分の老いを嘆き、「あれができなくなった」「これだけしか残されていない」と「ない」「ない」を数えながら生きる人がいます。かたや、自分の老いを受け入れつつ、まだこれはできる、あれも残っていると「ある」「ある」を大切にしながら生きる人がいます。 どちらの人が幸せなのでしょうか? 私のこれまでの臨床経験では、「ある」「ある」で生きる人のほうが幸せそうに見えました。家族や周囲の人とも、楽しそうにしている人が多いと感じます』、「「幸せ」とは、本人の主観によるものです。つまり、自分がどう考えるかによって決まるものです」、「自分の老いを受け入れつつ、まだこれはできる、あれも残っていると「ある」「ある」を大切にしながら生きる人がいます・・・私のこれまでの臨床経験では、「ある」「ある」で生きる人のほうが幸せそうに見えました。家族や周囲の人とも、楽しそうにしている人が多いと感じます」、なるほど。
・『70歳からは「“幸”齢者」を目指そう  いま日本では、65歳以上を「高齢者」、75歳以上を「後期高齢者」と呼んでいます。でもなんだか機械的な響きで、ちょっと切なくありませんか。 ここまで頑張って生きてきたのですから、もっと明るくて希望の持てる呼び方にすべきだと、私は常々思っています。そこで提案したいのです。 70歳を超え、楽しく充実した暮らしを送っている人は、高齢者ではなく「“幸”齢者」──。 この呼び方なら、温かみや年をとることへの希望も感じられるでしょう。幸せな晩年を過ごして、人生をまっとうしたい。私たちが目指すべきは「幸齢者」なのではないでしょうか』、「幸齢者」とは確かに上手いネーミングだ。
・『70代からは「個人差」を受け入れる  70代になると、世代全体の10%が認知症になります。しかし残りの9割は依然として頭がはっきりしていて、健康な人とそうでない人の差が、それまでになくはっきりと分かれてきます。 70代では、外見の面でも社会的地位についても、それぞれ取り巻く状況が大きく異なってきます。そのため、なにかと他人と比べて引け目を感じやすくなり、人によってはそれが重荷になってくるケースもありえます。 同世代の人よりもちょっとだけ早く老いを受け入れざるをえなくなった70代の人にとっては、「老いを受け入れる」ことは「個人差を受け入れる」とほぼイコールの行為でもあると私は思います。 自分を他人と比べている限りは抱えている苦しさから抜け出せません。他人にはできて、自分にはできないことについて思いを巡らせて悶々もんもんとするよりは、「いまの自分に何ができるのか」ということを前向きに考えたほうが、ずっと健康的に生きられます。 また、「働いているほうが偉い」「社会的地位が高いほうが偉い」「見た目が若々しいほうが偉い」といった50代、60代までの価値観にいつまでも縛られているのもよくありません。 人と比較するより、自分の生き方を模索するほうが賢明だと、私としては信じています』、私も現在では、「人と比較するより、自分の生き方を模索するほうが賢明だと」考えるようになった。
・『年をとったら、もっと遊ぼう  もう1つ指摘したいことがあります。それは、高齢になると、「健康のために遊ぶ」「健康のためにお金を使う」ことも大きな意味を持ってくる、ということです。 日本では、高齢者は地味に暮らすのが当然だと思われていますから、「年金でカラオケに行くのはいかがなものか」「年金生活者がパチンコに行くとはけしからん」などといった非難を浴びがちです。 しかし家の外に出て遊ぶことで、前頭葉が刺激されます。また、楽しむことで免疫機能にもよい影響を与えることができます。ですから、むしろ「お年寄りはもっと遊べ」と言うべきでしょう。 感情の老化を予防するには、年をとるほど強い刺激が必要です。脳の老化によって弱い刺激には反応しにくくなることに加えて、積み重ねた人生経験から多少のことでは心に響かなくなるからです』、「家の外に出て遊ぶことで、前頭葉が刺激されます。また、楽しむことで免疫機能にもよい影響を与えることができます。ですから、むしろ「お年寄りはもっと遊べ」と言うべきでしょう」、同感である。
・『お金を使ってよい刺激を受ける  仕事などで経験を積んだおかげで先が読めるから、ものごとをそつなくこなしてしまいます。失敗することがなくなるのはいいのですが、面白さは薄れてしまいます。 「先が読めてしまう」と、刺激が失せるだけでなく、興味や関心までも色いろ褪あせるわけです。それだけに、いままで以上に、意識して強い刺激を与えてくれる遊びをしたほうがいいのです。 資本主義社会とは、「お客様は神様です」の社会です。お金を使うことによって、よりよいサービスが受けられます。それに、社会の第一線から退いたと感じている高齢者は、お金を使うことで自己愛が満たされることでしょう。 お年寄りの多くがお金を使って遊ぶと、これまで少なかった高齢者向けのビジネスも盛んになるでしょう。高齢者がしっかり遊んでくれたほうが、消費が拡大し、経済が回ります。国内の景気のためにもいいのです。 「生涯現役」とは、高齢になっても働き続けるという意味だけでなく、「生涯現役の消費者である」という意味も含まれているのです』、私の場合、消費のうち、選択的消費の主なものとしては、旅行、音楽、付き合いでの飲み会、程度で、とても「これまで少なかった高齢者向けのビジネスも盛んになる」にはほど遠い。しかし、「生涯現役の消費者である」と考えて消費するのは気分が良さそうだ。その効用はきっと大きいだろう。
タグ:「幸齢者」とは確かに上手いネーミングだ。 「「幸せ」とは、本人の主観によるものです。つまり、自分がどう考えるかによって決まるものです」、「自分の老いを受け入れつつ、まだこれはできる、あれも残っていると「ある」「ある」を大切にしながら生きる人がいます・・・私のこれまでの臨床経験では、「ある」「ある」で生きる人のほうが幸せそうに見えました。家族や周囲の人とも、楽しそうにしている人が多いと感じます」、なるほど。 「不満足な道です。「ああ、あのときにこうすればよかった」とか「なんでこんなことに」と後悔しながら死んでいく道」、は送りたくない。やはり「幸せな道です。最期に「いい人生だった。ありがとう」と満足しながら死んでいける道」、を送りたいものだ。 「平均寿命と健康寿命について説明しましたが、できればその差──身の回りのことを一人でできずに過ごす年数──を短くし、健やかな老後を過ごしたいと考えるのが、人情というものでしょう」、同感だ。 「せっかく書き記しても机の引き出しにしまったままでは、いざというときに見つけてもらえず、自分の意に沿わない最期を迎えるリスクもあります。自分の意思は家族や身近な人と共有してこそ、初めて意味を成す」、大いに気をつけたい。 「人工呼吸器を一度装着したら、自発呼吸が見られるなど回復の兆候が見えない限り、外すことはできず、意識がないまま何年、何十年と延命され続けるケースも少なくありません」、「人工呼吸器」の装着は事前に家族の了解を取るのだろう。 PRESIDENT ONLINE 私の場合、消費のうち、選択的消費の主なものとしては、旅行、音楽、付き合いでの飲み会、程度で、とても「これまで少なかった高齢者向けのビジネスも盛んになる」にはほど遠い。しかし、「生涯現役の消費者である」と考えて消費するのは気分が良さそうだ。その効用はきっと大きいだろう。 「家の外に出て遊ぶことで、前頭葉が刺激されます。また、楽しむことで免疫機能にもよい影響を与えることができます。ですから、むしろ「お年寄りはもっと遊べ」と言うべきでしょう」、同感である。 私も現在では、「人と比較するより、自分の生き方を模索するほうが賢明だと」考えるようになった。 和田秀樹『70歳から一気に老化する人しない人』(プレジデント社) 和田 秀樹氏による「和田秀樹が見た「後悔しながら死ぬ人、満足して死んでいける人」を分ける意外な要素 年をとったら、もっと遊んだほうがいい」 「「恐れ」だけで、「備え」がおろそかになってはいませんか。自分なりに備えれば、「あとはなんとかなる」と覚悟が定まるものです。 たとえば地震や台風など災害についていえば、家族が3日間過ごせるように備えることが目安です」、これは同感である。 「世の中の不条理を悲しんだり、怒ったりすることは不要。世の中を変えることなんてできないと割り切って楽しそうに幸せそうに生きていれば、それが世の中に影響を与えます」、私は「世の中を変えること」の難しさは理解した上で、それでも「変える」努力をすることに意義を見出している。 「なるべくネガティブなニュースを見聞きしないようにしましょう。これは、逃げではありません。自分にインプットする情報は自分で選べるのです」、私は「ニュース」は「ネガティブな」ものであっても「インプットする」ようにしている。「なるべくネガティブなニュースを見聞きしないようにしましょう」、とすると、自分の判断基準がおかしくなってしまう懸念があるためだ。 「私は一人暮らしのうえに留守がちなので、動物は飼えず、その代わりに植物を育てています」、もともと独身のようだ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E4%BD%9C%E7%9B%B4%E6%A8%B9 「家族と同居していたとしても、亡くなるときは一人です。たとえ、家族に見守られ、手を取られていたとしても、肉体を脱いで、あの世へ帰るときは誰もが一人です。 孤独死という言葉が独り歩きをして独居の人の不安をあおっていますが、なんの心配もありません。逆を言えば、誰もが孤独に死ぬのですから、孤独死は別に特別なことではありません」、「独居の方は、家族や友人と毎日連絡を取り合うなどしていれば、万が一のときに時間がかからず発見されます。もし、時間が経ってしまっても、あなたの魂に傷はつかないし、なんの問題もありません」、 「人の不安をあおってばかりいるテレビニュースなどを見ず、猫のように自分軸を持って生きることをお勧めする」、面白い考え方だ。 矢作直樹『閉塞感がニャくなる魔法の言葉88』(ワニブックス) 矢作 直樹氏による「マスコミは不安をあおっているだけ…東大名誉教授が「孤独死は立派なことだ」と褒める理由 猫の生き方に学ぶ「自分軸」のつくりかた」 私の母の場合には、「人工栄養」は断ったので、最後の時はそれだけ早く来たが、それでよかったと思っている。 「人生会議を行う際には、かかりつけ医や担当の医師など、医療従事者を交えることをおすすめしたいです」、理想論ではあるが、現実には「医療従事者を交える」ことは難しいそうだ。 「病院はあくまで「救命すること」が目的であって、倒れる以前の状態まで回復できるとは限りません」、その通りだろう。 「救命や延命措置が行われた後、たくさんの管につながれながら、変わり果てた姿でベッドに横たわっている」、「家族」にも覚悟が必要なようだ。 「血圧も大きく下がってしまいますから、点滴を大量に投与して血圧を上昇させます。すると、全身がむくみ出し、身体に吸収されなかった水分が小さな傷口や点滴の痕などからどんどん出てきてしまいます。吸収シートで全身をぐるぐると巻いて、流れ出る水分を拭き取る処置も欠かせません。 むくみの影響は顔面にも及び、誰だか見分けがつかなくなるほど顔が膨れ上がることもありました。まぶたも閉じなくなり、眼が開いたままの状態になることも……。乾燥を防ぐために、眼の表面に保湿剤のワセリンを塗って、ラップフィルムをかぶせる。そうした処置 「今後回復が一切見込めない、高齢の患者さんに対しても、次々と心肺蘇生や延命治療が行われていくこと」、確かに現在の医療の矛盾点だ。 看護師にとっては「救急科」にも予想外の落とし穴があるようだ。 前田 和哉氏による「バキバキと骨が折れても心臓マッサージは続く…救急科の看護師が目を背けたくなった「延命治療」の壮絶さ 家族と対面するときには、変わり果てた姿になっている」 (その8)(バキバキと骨が折れても心臓マッサージは続く…救急科の看護師が目を背けたくなった「延命治療」の壮絶さ 家族と対面するときには 変わり果てた姿になっている、マスコミは不安をあおっているだけ…東大名誉教授が「孤独死は立派なことだ」と褒める理由 猫の生き方に学ぶ「自分軸」のつくりかた、和田秀樹が見た「後悔しながら死ぬ人 満足して死んでいける人」を分ける意外な要素 年をとったら もっと遊んだほうがいい) 終末期
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幸福(その5)(人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?、《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣 『アメリカはいつも夢見ている』より #1、自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら 軽く微笑むだけでもOK) [人生]

幸福については、2月27日に取上げた。今日は、(その5)(人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?、《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣 『アメリカはいつも夢見ている』より #1、自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら 軽く微笑むだけでもOK)である。

先ずは、昨年9月30日付け東洋経済オンラインが掲載したメンタルコーチの中島 輝氏による「人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/458028
・『コロナ禍が長引く中、自分のあり方や未来などに不安を抱えていたり、自信を失っていたりする人は少なくありません。日本人は自己肯定感が低いと言われますが、「いいときも悪いときも自分を信じて前進できる人には、心に"あそび"がある」と語るのは、自己肯定感の第一人者で心理カウンセラーの中島輝氏です。中島氏の著書『うまくいっている人がしている 自己肯定感を味方にするレッスン』から、人生をより豊かにするためのメソッドを紹介します』、「人生をより豊かにするためのメソッド」とは有り難い。
・『「幸せになる自分」を選ぶのは、自分  同じ環境で同じように暮らしていても、喜びや幸せを感じられる人と、悲しみにさいなまれて幸福感を得られない人がいます。いったい何が違うのでしょうか?両者の違いを解説するとき、私は次のエピソードを紹介しています。 囚われの身である2人の男が鉄格子から外を見ていた。  1人は下を向いて地面の泥を見ながら絶望感を抱いていた。  1人は上を向いて空に輝く星を眺めて希望を抱いていた。 つらいことがあったとき、美しいものに気が付いて、気持ちが晴れた経験は誰にでもあると思います。地面の泥を見て絶望に打ちひしがれていた男も、もし空を見上げる余裕があったなら、輝く星に未来への期待を見出せたかもしれません。 鉄格子の中から上を向くか下を見るか。つまり、希望を見つけるか、絶望に浸るかは、他人に強要されるものではなく、自分自身の選択です。 「今日は上司に怒られて、恥をかかされ、作業のやり直しにも時間がかかって最悪だった」と泥を見つけるのも自分の選択。「今日は上司に怒られたけれど、自分のミスに気づけたし、やり直すことで学びがあった。明日はもっとうまくできそうだ」と星を眺めるのも自分の選択です。 「泥という絶望」を見るか、「星のような希望」を見るのかを自分で選択できるということは、「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。 自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう。 鉄格子の中から星を見上げた男のように、物事をポジティブに捉えることができるのは、自分を信じられる人、つまり自己肯定感が高い人です』、「「泥という絶望」を見るか、「星のような希望」を見るのかを自分で選択できるということは、「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。 自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう」、「物事をポジティブに捉えることができるのは、自分を信じられる人、つまり自己肯定感が高い人です」、なるほど。
・『本来自己肯定感は生まれながらに備わっている  ここで改めて、自己肯定感とは何かを説明しておきましょう。 自己肯定感とは、「私が私であることに満足でき、自分を価値ある存在だと受け入れられること」。私は、自己肯定感こそが「人生を支える軸となるエネルギー」だと考えています。 本来、自己肯定感は誰にでも生まれながらに備わっているもの。実は、自己肯定感が一番高いのは赤ちゃんのときです。伝い歩きを始めた赤ちゃんは、「転ぶかもしれない」「怖いからやめよう」なんて微塵も考えていません。何度転んでも「自分はきっと歩ける」と信じてチャレンジし続けます。 誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています。しかし、成長するにしたがい、さまざまなネガティブな経験によって自己肯定感は低下してしまいます。 でも、安心してください。自己肯定感は何歳からでも高めることが可能です。ただ、高めることができても、一生自己肯定感の高い人でいられるわけではなく、人生のさまざまな出来事の中で上がったり下がったりします。大切なのは、自己肯定感が下がってしまったとき、再び高められる方法を把握しておくことです。) ところで、あなたは「自己肯定感の高い人」と聞いてどのような人物を思い浮かべますか? ブレない自分を持っている人、強い芯のある人、どんなときも堂々と自分の考えを主張できる人──これらは、自己肯定感が強い人の典型だといえるでしょう。しかし、ブレない強さにこだわり過ぎると逆に、小さな失敗をしただけで心がポキッと折れるようになってしまうのです』、「伝い歩きを始めた赤ちゃんは、「転ぶかもしれない」「怖いからやめよう」なんて微塵も考えていません。何度転んでも「自分はきっと歩ける」と信じてチャレンジし続けます。 誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています。しかし、成長するにしたがい、さまざまなネガティブな経験によって自己肯定感は低下してしまいます」、確かに「誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています」、「自己肯定感」なくしては歩くことなどできない筈だ、「大切なのは、自己肯定感が下がってしまったとき、再び高められる方法を把握しておくこと」、「ブレない強さにこだわり過ぎると逆に、小さな失敗をしただけで心がポキッと折れるようになってしまう」、やはりバランスも重要なようだ。
・『選択肢に柔軟性を持てる人の強み  自己肯定感が高い人には「柔軟性」が備わっています。この柔軟性を私はよく、「心に"あそび"がある」と表現しています。 あらゆる物事に対し、「絶対にAだ」と執着せず、周囲の意見を受け入れる。「Aもいいけれど、Bも素敵だな。でも今日はCにしておこう」と選択肢に柔軟性を持つことができる。これが心に「あそび」のある状態です。もしCに失敗したとしても、「こんなこともあるよね」と笑顔で受け入れられるようになることが大切なのです。 「あそび」は心の中にある、まっさらで自由な空間。空間があるから、自分とは異なる人の意見も、広い心で受け入れることができます。 自己肯定感が低いと、どうしても視野が狭くなり、一度決めた物事に固執してしまう傾向になります。そんなときは、心に「あそび」があるかどうか、自分自身に問いかけてみてください。 自分には青い服が似合う、青を選んでいれば間違いないと思い込んでいたけれど、たまには赤い服を選んでみるのもいいかもしれない。緑色を試すのもおもしろそうだ――そんなふうに、ときには迷ったりブレたりした方が、自分の可能性も広がって、日々が輝き、人生が楽しいものになります。 自己肯定感が高いと、「私の未来は明るいんだから、1回ぐらい失敗したって大丈夫!」と前向きな気持ちで赤や緑色を選択できるようになります。すると、ますまずポジティブなエネルギーが湧いてきて、人生を楽しむためのアイデアがどんどん生まれてきます。 今持っている自分の価値観を強く信じ続けるのではなく、ときには自分自身を疑ってみてください。自分は何を大切にして生きていきたいのか、どんな人間になりたいのか――時の流れとともに、答えは少しずつ変化しているはずです。 迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから。 「何があっても受け入れる」という柔軟な心で自己肯定感を養っていくと、自分の人生を自分でデザインできるようになります。あなたは今までの自分とは違う実感と自信に気づくことができるでしょう』、「「何があっても受け入れる」という柔軟な心で自己肯定感を養っていくと、自分の人生を自分でデザインできるようになります」、なるほど。
・『自分に起きることはすべてギフト  自分は何を選んで、何を大切にして、どんな人間になりたいのかを考え、迷ったり、ブレたりしながら人生を歩んでいく。その時々で自分が選んできたものが、自分の人生を形作ります。 世間の常識や体裁など、誰かが敷いたレールの上を走るのではなく、自分で考えた道を自分の足で歩んでいるという実感。ここに、人生の大きな喜びがあるのです。 いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります。 最初に述べた「鉄格子の中」という過酷なギフトから、「希望」を見いだせた人のように、どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです。 迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから。 「何があっても受け入れる」という柔軟な心で自己肯定感を養っていくと、自分の人生を自分でデザインできるようになります。あなたは今までの自分とは違う実感と自信に気づくことができるでしょう』、「「何があっても受け入れる」という柔軟な心で自己肯定感を養っていくと、自分の人生を自分でデザインできるようになります。あなたは今までの自分とは違う実感と自信に気づくことができるでしょう」、実際には難しい面もあるが、理想形としてはその通りだ。
・『自分に起きることはすべてギフト  自分は何を選んで、何を大切にして、どんな人間になりたいのかを考え、迷ったり、ブレたりしながら人生を歩んでいく。その時々で自分が選んできたものが、自分の人生を形作ります。 世間の常識や体裁など、誰かが敷いたレールの上を走るのではなく、自分で考えた道を自分の足で歩んでいるという実感。ここに、人生の大きな喜びがあるのです。 いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります。 最初に述べた「鉄格子の中」という過酷なギフトから、「希望」を見いだせた人のように、どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです』、「いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です」、ここまで割り切るのは、実際にはかなり困難だろう。その壁を乗り越えると、「最初に述べた「鉄格子の中」という過酷なギフトから、「希望」を見いだせた人のように、どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです」、となるようだ。

次に、本年4月30日付け文春オンラインが掲載したアメリカ在住のエッセイストの渡辺 由佳里氏による「《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣 『アメリカはいつも夢見ている』より #1」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/53876
・『「日本人の幸福度は全世界で58位」――ある時期、そんなニュースがSNSをにぎわせた。 なぜ日本人は幸せを感じづらいのか? その理由を、アメリカ在住のエッセイスト・渡辺由佳里さんの新刊『アメリカはいつも夢見ている』より一部を抜粋。国連がまとめた「幸福度ランキング」を見ることで、欧米人にあって日本人に足りないものが見えてきた。(全3回の1回目/#2、#3を読む)』、興味深そうだ。
・『日本は幸福度ランキング58位  Twitterに流れてくる日本のニュースで、国連がまとめた幸福度ランキングで日本が2018年から4つ順位を下げて58位になったということを知った(2019年)。 このニュースだけでは内容がよくわからないので、情報の大元である2019年WHR(World Happiness Report)をダウンロードして読んでみた。統計の専門家ではないので計算方法などはよくわからないが、このレポートは日本と日本人の幸福感について重要なことをいくつか指摘してくれていると感じた。 WHRの幸福度ランキングはギャラップの世論調査(Gallup World Poll Questions)を元にしている。ビジネス経済、社会関与、コミュニケーションとテクノロジー、多様性(社会問題)、教育と家族、感情(幸福感)、環境とエネルギー、食と住居、政府と政治、法と秩序(治安)、健康、宗教と倫理、交通、仕事の14の分野での質問があり、回答者は「カントリルラダー」という指標を使って答える。「はしご(ラダー)」を想像し、想像できる最悪の状態を0、最高の状態を10として主観的な評価をするものだ。 WHRでは、その結果の幸福度を説明する重要なファクターとして「一人あたりの国内総生産」、「社会的支援」、「出生時の平均健康寿命」、「人生の選択をする自由」、「他者への寛大さ」、「公職者が汚職/堕落しているという国民の認識」の6つを挙げている。 幸福度ランキングのグラフを見ると、トップからフィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランドと北欧の国々が並んでいる。銃による大量殺人があり、オピオイド依存症が深刻になっているアメリカですら19位に入っている。それなのに、日本が58位だというのは不思議に思える。 グラフをよく見ると、日本は「一人あたりの国内総生産」、「社会的支援」、「出生時の平均健康寿命」という左から3つのファクターでは上位の国々とほとんど変わらないことがわかる。 上位の国々と日本との大きな違いは、「他者への寛大さ」と最後の「ディストピア+レジデュアル」である。日本は「出生時の平均健康寿命」では156ヶ国中2位というチャンピオンなのに、「他者への寛大さ」においては92位というほぼ最低レベルなのだ。) 繰り返すが、幸福度のスコアはそれぞれの国の回答者の主観的な評価の平均であり、6つのファクターはその因果関係を説明しようとしているだけである。例えば「他者への寛大さ(generosity)」が高いからといってその国がスコアを上げてもらっているわけではない。 まずはこの「他者への寛大さ」と幸福感について語ろう』、「日本は「一人あたりの国内総生産」、「社会的支援」、「出生時の平均健康寿命」という左から3つのファクターでは上位の国々とほとんど変わらないことがわかる。 上位の国々と日本との大きな違いは、「他者への寛大さ」と最後の「ディストピア+レジデュアル」である」、具体的な内容はこのあと説明があるようだ。 
・『日本人はなぜ幸せになれないのか?  WHRの「幸福と社会性がある行動」という章は、人間が非常に社会的な動物であり、家族や友人だけでなく見知らぬ他人を助けることによって満足感や幸福感を得ることを説明している。見返りを求めずに自分の金を提供する寄付や、自分の時間を提供するボランティアがその代表的なものだ。 しかし、レポートには「(それらに加えて)いろいろな方法で他者を援助することができる。例えば、見知らぬ人のためにドアを開けてあげるとか、褒めてあげるとか、病に臥せっている親戚を介護するとか、伴侶を気遣ってあげるとか、拾った財布を持ち主に返してあげるとか、小さいけれども意義がある寛大な行動だ」と書いてある。ランダムに親切な行動をする実験では、親切な行動をしたグループのほうがしなかったグループよりも幸せになったという。 次の「ディストピア+レジデュアル」という項目は少しわかりにくい。「ディストピア」とは世紀末的なSFでよく使われる言葉で、ユートピアの反対の社会である。この調査では、幸福度を説明する6つの重要なファクターが世界で最悪である架空の国を「ディストピア」と設定する。「ディストピア」に住んでいる人は世界で最も不幸であるという仮定で、カントリルラダーにおける「最悪」の基準にする。その基準と照らし合わせて自国の自分の生活の評価をするのだ。 ディストピアの国民の自己評価の平均推定値が1.88で、それに「レジデュアル」を加えたのがこの部分ということらしい。「レジデュアル(残余)」とは(グラフの左の6つのファクターで)「説明されていない構成要素(unexplained components)」ということで、日本人はここが異常に少ない。) たとえば世界で12位のコスタリカでは、幸せの理由を具体的に説明する6つの要素は日本より少ないのに世論調査での総合的な幸福度のスコアは日本よりずっと高い。6つの要素では説明されない部分で、彼らは幸せを感じているのだろう。 見方を変えると、「日本は他国に比べて幸せになる社会的な条件はけっこう揃っているのに、なぜか幸せを感じていない」ということが浮かび上がってくる。 これら2つの特徴を考慮すると、日本人が幸せになる近道は、「他者に寛大/寛容で親切になる」ことと「自分がけっこう幸せであることを自覚する」ことになる。 「自分が幸せであることを自覚する」というのは漠然としていて難しいので、わかりやすくやりやすい「寛大/寛容になる」ことから始めればいいだろう。 経済的に余裕がない人が無理に大金を寄付したり、寝る時間がない人がボランティアをしたりする必要はない。電車で辛そうにしている人がいたら席を譲ってあげ、ベビーカーを押している人がいたら電車やエレベーターの乗り降りを手伝ってあげるといったことなら誰でもできる。朝、道ですれ違う人に「おはよう」と声をかけたり、レジの人に「今日はいいお天気でよかったですね」と笑顔で話しかけて「ありがとう」と言うだけでも、相手に小さな幸せを与えてあげられるし、それによって自分も少し幸せになれる』、「「日本は他国に比べて幸せになる社会的な条件はけっこう揃っているのに、なぜか幸せを感じていない」ということが浮かび上がってくる。 これら2つの特徴を考慮すると、日本人が幸せになる近道は、「他者に寛大/寛容で親切になる」ことと「自分がけっこう幸せであることを自覚する」ことになる。 「自分が幸せであることを自覚する」というのは漠然としていて難しいので、わかりやすくやりやすい「寛大/寛容になる」ことから始めればいいだろう」、なるほど。
・『善人ぶってもいいじゃないか  私はアメリカの慣習にならって郵便局などでよく私の後ろから来た人にドアを開けて先に入れてあげたり、レジで少ない品数の人が後ろに並んだら「私は沢山買うので、お先にどうぞ」と譲ってあげたりするのだが、たいていの人は笑顔で「ありがとう」と言ってくれる。 常連になっているいくつかのスーパーマーケットでは従業員の人たちとよく挨拶を交わしているのだが、韓国系スーパーで無表情に客の対応をしているレジの女性たちが私を見かけたとたんにぱっと笑顔になってくれるのがとても嬉しい。別のレジの人までが振り向いて「ハウアーユー」と言ってくれるのも。オーガニック専門スーパーマーケットでは、1週間姿を見せなかっただけで精肉コーナーのおじさまたちが「旅行にでも行っていたの?」と話しかけてくれる。 そんな小さなふれあいだけでも一日が明るくなるし、幸福度が上昇するものだ。 このような話をすると、日本のソーシャルメディアでは「善人ぶっている」という反応が戻ってくることがある。赤ん坊を連れたお母さんに優しくしてあげることを呼びかけると、「こっちも大変なのに、そんな時間に電車に乗るほうが悪い」といった激しい反論が来ることもある。) 国連の幸福度ランキングが教えてくれるのは、もしかすると、そういう心の余裕のなさと不寛容が日本人の幸福度を下げているかもしれないということだ。 善人ぶって他者に親切にしてもいいではないか。それを自慢してもいいではないか。また、自慢している人を褒めてあげてもいいではないか。それで助かる人がいるのだから』、「国連の幸福度ランキングが教えてくれるのは、もしかすると、そういう心の余裕のなさと不寛容が日本人の幸福度を下げているかもしれないということだ。 善人ぶって他者に親切にしてもいいではないか。それを自慢してもいいではないか。また、自慢している人を褒めてあげてもいいではないか。それで助かる人がいるのだから」、同感である。
・『「寛容のなさ」が日本人から幸福を奪っている  このレポートには書いていないが、髪の色やスカートの長さのように奇妙なところまで縛る厳しい校則や個々の社員の自発的な対応まで縛ってしまうような社則、社員の私生活や性格にまで踏み込んでくるような上司、といったことも、日本人から幸福感を奪っている「寛容のなさ」かもしれない。 そう感じるのは、欧米で生活する日本人が「こちらに来て楽になった」とよく話題にするのがこの部分だからだ。 自分自身の経験から言えるのは、「他者に寛容になれると、自分にも寛容になれる」ということだ。他人の役に立つことができれば、自分を好きになることも容易になる。自分を好きになれたら、幸福のはしごをもうけっこう上まで登ったことになる。 日本人が寛容さを広めることができたら、6つのファクターで説明できない部分の幸福度も自然と増えていくのではないかと思うのだ』、「「他者に寛容になれると、自分にも寛容になれる」ということだ。他人の役に立つことができれば、自分を好きになることも容易になる。自分を好きになれたら、幸福のはしごをもうけっこう上まで登ったことになる」、その通りなのだろう。

第三に、5月28日付け東洋経済オンラインが掲載した精神科医の和田 秀樹氏による「自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/590526
・『コロナ禍のマスク生活が始まって、すでに2年以上が経過しています。不自由な毎日が長く続いていますから、自分のことを「明るい」と考えている人でも、「最近、ちょっと暗くなっているかも」と感じているのではないでしょうか。 「暗い気持ちでいると、どうしてもネガティブな方向に考えが向いてしまいます」と言うのは、精神科医の和田秀樹氏です。「ネガティブな考え方をしていても、何もいいことはありませんが、明るい気持ちで前を向いていれば、不思議と物ごとがいい方向に動き出します」。 では、しんどいとき、落ち込んでいるとき、気分を上げるにはどうすればいいのか。和田氏の新刊『なぜか人生がうまくいく「明るい人」の科学』をもとに3回にわたり解説します。 私たちは会社や学校、地域社会で生活していますから、仕事や勉強のことで不安になったり、人間関係に悩んで暗い気持ちになることがあります。 同じような環境で生活していても、いつも明るく、楽しそうに毎日を送っている人もいます。 あなたの周りにも、そいう人がいるのではないでしょうか?そういう人は、ほぼ例外なく「笑顔」でいるはずです。この違いは、どこにあるのでしょうか? ・明るい気持ちでいるから、毎日が楽しくなるのか? ・毎日を楽しくしようとしているから、表情が明るくなるのか? そのどちらも正解だと思いますが、暗い顔をしている人に比べて、明るい笑顔でいる人というのは、周りの人たちの気持ちを明るくします。毎日が楽しくなるような「いい環境」ができやすいのです』、「明るい笑顔でいる人というのは、周りの人たちの気持ちを明るくします。毎日が楽しくなるような「いい環境」ができやすい」、「明るい笑顔でいる人」はどの組織にとっても貴重なようだ。
・『気持ちが明るい人には人が寄ってくる  いつも気持ちが明るい人というのは、心理的な垣根が下がりますから、自然と人が寄ってきます。部下の人たちに威厳を示そうと「仏頂面」をしている上司より、ニコニコと愛想がいい課長や部長のところには、やはり人が集まってきます。 女性が管理職になると、「部下にナメられたくない」と思って必要以上に厳しい顔をする人がいますが、それでは逆効果です。仕事ができる人というのは、男性でも女性でも意外と愛想がいいものです。 明るい笑顔の人が周囲の人も明るくするというのは、その人が持っている雰囲気とか心理的な影響だけでなく、科学的にも証明されています。笑顔の人と一緒にいると、その人につられて笑顔になる……という経験をしたことがあると思いますが、それは「エンドルフィン」の働きによるものと考えられています。 エンドルフィンとは、脳内で機能する神経伝達物質の1つで「体内で分泌されるモルヒネ」の意味があります。モルヒネの数倍の鎮痛効果があると考えられ、「気分が高揚」したり「幸福感」が得られたりするという作用を持っています。 笑顔の人につられて一緒になって笑うと、周囲の人たちの脳内でもエンドルフィンが放出されるため、一体感や安心感が生まれます。人に笑いかけることは、「私はあなたの敵ではない」ということを相手に伝えるだけでなく、相手を笑顔にして、その人の気分を明るくする効果があるのです。 その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります。笑顔の人の周囲に幸せオーラが感じられるのは、こうした明確な理由があるのです』、「エンドルフィンとは、脳内で機能する神経伝達物質の1つで「体内で分泌されるモルヒネ」の意味があります。モルヒネの数倍の鎮痛効果があると考えられ、「気分が高揚」したり「幸福感」が得られたりするという作用を持っています。 笑顔の人につられて一緒になって笑うと、周囲の人たちの脳内でもエンドルフィンが放出されるため、一体感や安心感が生まれます」、「人に笑いかけることは、「私はあなたの敵ではない」ということを相手に伝えるだけでなく、相手を笑顔にして、その人の気分を明るくする効果があるのです。 その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります。笑顔の人の周囲に幸せオーラが感じられるのは、こうした明確な理由があるのです」、なるほど。
・『仏頂面で暗い顔をしていませんか?  人が笑顔でいると、そのほかにもさまざまな「恵み」があります。仏頂面をして暗い気持ちでいるより、明るい気持ちで笑顔でいる方が、何となくいいことがありそうですが、それをハッキリと認識している人は少ないかもしれません。 毎日を明るく過ごすためには、笑顔の効果を知っておくことも大切です。以下に主な5つを紹介しましょう。 ①気持ちに余裕が生まれる(笑顔になると、人は明るい気持ちになり、心に余裕が生まれます。リラックスして日常を過ごすことで、自然と疲れやストレスを蓄積しにくくなり、何ごとに対しても「やる気」が出ます。 前向きな姿勢で物ごとに向き合えますから、いい結果が出やすくなります。ビジネスの世界に限らず、さまざまな分野で成功している人に明るいイメージの人が多いのは、こうしたことも要因の1つです。) ②相手に心を開いているサインになる(周囲の人と円滑なコミュニケーションを図るという点でも、笑顔は欠かすことのできない大切な要素です。あいさつや会話の際に笑顔でいると、相手に心を開いているサインになります。相手もリラックスできますから、お互いの心理的な距離を素早く縮めることができます。) ③生き生きした印象を与える(女性が美しさを維持するためにも、笑顔には大きな意味があります。笑顔の回数が多い人ほど表情筋を使う機会が多くなり、顔のコリがほぐれて血行がよくなり、シワやたるみが目立たなくなります。口角の上がった美しい笑顔でいることは、生き生きした印象を与えることができます。 いつもニコニコしていると、表情筋が発達して表情が若々しくなります。逆に、あまり笑わないと表情筋が緩んでしまい、人に老けた印象を与えます。疲れているように見えたり、不機嫌そうに見えてしまうのです。) ④免疫力が高まる(笑顔になると、健康面でもいい影響があります。笑うことでリンパ球の一種であるNK(ナチュラルキラー)細胞が活性化され、免疫力が高まって病気の予防に役立ちます。) ⑤精神的に安定する(「幸せホルモン」と呼ばれるセロトニンが分泌されることで、安らぎや安心感が得られて、精神的に安定することも明らかになっています。声を上げて笑うと肺や心臓が刺激されて、脈拍や血圧が安定してリラックスしたり、自律神経を整えてくれます。全身の筋肉が動くことで、代謝も上がります。 近年の研究によって、こうした健康面のメリットは「作り笑顔」でも同じ効果が得られることがわかっていますから、意識的に笑顔を心がけるだけで、心身共に健康に一歩近づくことができるのです』、「健康面のメリットは「作り笑顔」でも同じ効果が得られることがわかっていますから、意識的に笑顔を心がけるだけで、心身共に健康に一歩近づくことができるのです」、「「作り笑顔」でも同じ効果が得られる」、とは意外だ。
・『明るい気持ちで過ごすには笑顔が大切  明るい気持ちで毎日を過ごすためには、日ごろから「笑顔」を心がけることが大切です。笑顔が無理ならば、軽く「微笑む」だけでもいいのです。非常にシンプルなことですが、明るい気持ちで毎日を過ごすためには、実は最も重要なことであり、最も効果が出やすいことでもあります。 人は誰でも、「暗い顔」になったり、「落ち込んだ顔」になったりすることがあります。そんなときに「あれ、いま暗い顔をしているな」と気づいて、「こんな顔をしていちゃダメだな。笑顔を心がけよう」と思うだけでいいのです。 少なくとも、他の人がいる前だけでも笑顔を心がけて、明るい気持ちでいよう……ということです。あなたが笑顔でいれば、周囲の人も明るい気持ちになります。その明るい気持ちが、あなたを明るい気分にさせてくれるのです。 明るい笑顔になれば、人に与える印象も大きく変わります。普段、難しそうな顔をしている人が笑顔になると、周囲の人もホッとして、和やかな雰囲気が生まれます。 笑顔が無理なら、「こんにちは」というあいさつだけでもいいのです。普段、仏頂面をしている人が「よう!」と明るく手を上げるだけで、印象は確実に変わります。いつも笑顔の人より効果があったりするものです。 美容整形で二重まぶたにすることは簡単にできても、笑顔がチャーミングな顔にするのは意外に難しいといいます。 男性をハンサム系やイケメン系に変身させることはできても、魅力的な笑顔の持ち主にすることは、至難の業なのです。最新医学を持ってしても難しい笑顔に、そう簡単になれるわけがないと考える人もいるかもしれません。 でも、笑顔が無理ならば、話題の選び方を工夫するとか、物ごとの考え方を改めるなど、何らかの工夫をすることはできます。そうした工夫を繰り返し続けることは、笑顔を心がけることと同じくらい大事な意味を持っています』、「人は誰でも、「暗い顔」になったり、「落ち込んだ顔」になったりすることがあります。そんなときに「あれ、いま暗い顔をしているな」と気づいて、「こんな顔をしていちゃダメだな。笑顔を心がけよう」と思うだけでいいのです。 少なくとも、他の人がいる前だけでも笑顔を心がけて、明るい気持ちでいよう……ということです。あなたが笑顔でいれば、周囲の人も明るい気持ちになります。その明るい気持ちが、あなたを明るい気分にさせてくれるのです」、同感である。
タグ:(その5)(人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?、《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣 『アメリカはいつも夢見ている』より #1、自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら 軽く微笑むだけでもOK) 幸福 東洋経済オンライン 中島 輝氏による「人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?」 「人生をより豊かにするためのメソッド」とは有り難い。 「「泥という絶望」を見るか、「星のような希望」を見るのかを自分で選択できるということは、「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。 自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう」、「物事をポジティブに捉えることができるのは、自分を信じられる人、つまり自己 「伝い歩きを始めた赤ちゃんは、「転ぶかもしれない」「怖いからやめよう」なんて微塵も考えていません。何度転んでも「自分はきっと歩ける」と信じてチャレンジし続けます。 誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています。しかし、成長するにしたがい、さまざまなネガティブな経験によって自己肯定感は低下してしまいます」、確かに「誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています」、「自己肯定感」なくしては歩くことなどできない筈だ、「大切なのは、自己肯定感が下がってしまったとき 「「何があっても受け入れる」という柔軟な心で自己肯定感を養っていくと、自分の人生を自分でデザインできるようになります」、なるほど。 「「何があっても受け入れる」という柔軟な心で自己肯定感を養っていくと、自分の人生を自分でデザインできるようになります。あなたは今までの自分とは違う実感と自信に気づくことができるでしょう」、実際には難しい面もあるが、理想形としてはその通りだ。 「いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です」、ここまで割り切るのは、実際にはかなり困難だろう。その壁を乗り越えると、「最初に述べた「鉄格子の中」という過酷なギフトから、「希望」を見いだせた人のように、どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです」、となるようだ。 文春オンライン 渡辺 由佳里氏による「《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣 『アメリカはいつも夢見ている』より #1」 『アメリカはいつも夢見ている』 「日本は「一人あたりの国内総生産」、「社会的支援」、「出生時の平均健康寿命」という左から3つのファクターでは上位の国々とほとんど変わらないことがわかる。 上位の国々と日本との大きな違いは、「他者への寛大さ」と最後の「ディストピア+レジデュアル」である」、具体的な内容はこのあと説明があるようだ。 「「日本は他国に比べて幸せになる社会的な条件はけっこう揃っているのに、なぜか幸せを感じていない」ということが浮かび上がってくる。 これら2つの特徴を考慮すると、日本人が幸せになる近道は、「他者に寛大/寛容で親切になる」ことと「自分がけっこう幸せであることを自覚する」ことになる。 「自分が幸せであることを自覚する」というのは漠然としていて難しいので、わかりやすくやりやすい「寛大/寛容になる」ことから始めればいいだろう」、なるほど。 「国連の幸福度ランキングが教えてくれるのは、もしかすると、そういう心の余裕のなさと不寛容が日本人の幸福度を下げているかもしれないということだ。 善人ぶって他者に親切にしてもいいではないか。それを自慢してもいいではないか。また、自慢している人を褒めてあげてもいいではないか。それで助かる人がいるのだから」、同感である。 「「他者に寛容になれると、自分にも寛容になれる」ということだ。他人の役に立つことができれば、自分を好きになることも容易になる。自分を好きになれたら、幸福のはしごをもうけっこう上まで登ったことになる」、その通りなのだろう。 和田 秀樹氏による「自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK」 「明るい笑顔でいる人というのは、周りの人たちの気持ちを明るくします。毎日が楽しくなるような「いい環境」ができやすい」、「明るい笑顔でいる人」はどの組織にとっても貴重なようだ。 「エンドルフィンとは、脳内で機能する神経伝達物質の1つで「体内で分泌されるモルヒネ」の意味があります。モルヒネの数倍の鎮痛効果があると考えられ、「気分が高揚」したり「幸福感」が得られたりするという作用を持っています。 笑顔の人につられて一緒になって笑うと、周囲の人たちの脳内でもエンドルフィンが放出されるため、一体感や安心感が生まれます」、「人に笑いかけることは、「私はあなたの敵ではない」ということを相手に伝えるだけでなく、相手を笑顔にして、その人の気分を明るくする効果があるのです。 その相手の笑顔を見るこ 「健康面のメリットは「作り笑顔」でも同じ効果が得られることがわかっていますから、意識的に笑顔を心がけるだけで、心身共に健康に一歩近づくことができるのです」、「「作り笑顔」でも同じ効果が得られる」、とは意外だ。 「人は誰でも、「暗い顔」になったり、「落ち込んだ顔」になったりすることがあります。そんなときに「あれ、いま暗い顔をしているな」と気づいて、「こんな顔をしていちゃダメだな。笑顔を心がけよう」と思うだけでいいのです。 少なくとも、他の人がいる前だけでも笑顔を心がけて、明るい気持ちでいよう……ということです。あなたが笑顔でいれば、周囲の人も明るい気持ちになります。その明るい気持ちが、あなたを明るい気分にさせてくれるのです」、同感である。
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恋愛・結婚(その6)(:過熱化する不倫報道「書き放題」の残酷すぎる現実 脳科学者・中野信子×国際政治学者・三浦瑠麗、若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」 若者の自信のなさが恋愛にも影響する時代に、「若者の恋愛離れ」というインチキ話を政府・マスコミが蒸し返し続けるワケ) [人生]

恋愛・結婚については、3月15日に取上げた。今日は、(その6)(:過熱化する不倫報道「書き放題」の残酷すぎる現実 脳科学者・中野信子×国際政治学者・三浦瑠麗、若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」 若者の自信のなさが恋愛にも影響する時代に、「若者の恋愛離れ」というインチキ話を政府・マスコミが蒸し返し続けるワケ)である。

先ずは、4月30日付け東洋経済オンラインが掲載した脳科学者の中野 信子氏と国際政治学者の 三浦 瑠麗氏による対談「過熱化する不倫報道「書き放題」の残酷すぎる現実 脳科学者・中野信子×国際政治学者・三浦瑠麗」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/581947
:芸能人やアスリートなど著名人の不倫報道やバッシングが近年かなり過熱化しています。なぜ不倫を報じ、不倫した人の社会的地位を失うまで叩くのでしょうか。『不倫と正義』から一部抜粋し再構成のうえ、脳科学者の中野信子さんと国際政治学者の三浦瑠麗さんが不倫報道について思うことを語り合います』、興味深そうだ。
・『なぜ「不倫」はこんなにも注目されるのか  中野:ここ10年くらいですかね。不倫が原因でそれまで活躍していた世界を去ることになったり、謝罪会見をすることになったり、いわゆる「世間」から指弾されて社会的制裁を受ける有名人が増えた気がするんですよね。 三浦:そうですね。 中野:それってなんでなんだろう?というのが私にはずっとあって。不倫はもちろん、配偶者から訴えられれば法的な問題になりますけど、姦通罪があった昔とは違って今は違法行為ではないですよね。 コンプライアンス意識が強くなったとか、ネット社会で相互監視が厳しくなったから見つかりやすくなったとか、いろいろな要素があるとは思うのだけれど、なぜそんなに不倫が注目されるんだろうと思ってたんです。 三浦:一方で、不倫をしている「有名人でない人」はけっこう多そうですが。 中野:あはは。そうね。昔ながらの既婚男性と若い未婚女性という組み合わせもあれば、W不倫もあれば、既婚女性と若い男性の組み合わせもある。職場内不倫もあれば、かつての同級生や恋人との焼けぼっくい不倫もあれば、出会い系での不倫に幼稚園や保育園の送迎から親同士や先生と発展する不倫なんてのもあるらしい。 パパ活、ママ活といった金銭を伴う関係までを不倫と言っていいのかわからないですけど、出会いの数だけ不倫があると言ってもいいくらいに思いますし、「実際にはすごく多いんじゃない?」というのが実感なんですよね。それなのに、有名人となると社会的地位を失うまでに叩かれる。 三浦:2020年の「ジェクス」ジャパン・セックスサーベイによれば、現在パートナー(恋人や結婚相手)以外の人とセックスをしている割合は、セックス経験者のうち男性の41.1%、女性の31.4%にのぼったそうです。すべてがいわゆる「不倫」というわけではありませんが、想像より多い数字ですよね。 20~30代が高いので、付き合っているカップルの状態での「浮気」が多いんでしょうけれども。一方で、パートナー以外としたことがないと答えた人は60代女性が最多で70.2%。年代もありますよね。私たち以下の世代で不倫したことがある人の比率は実はこの数字とそんなに変わらないんじゃないかと思います。) 中野:ですよね。だからなおさら思うんですよ。なんだろうこのギャップはと。私は脳科学者ですから、脳科学的に考えれば不倫しやすい人がいたり、実際にしてしまう脳の仕組みがあること、あるいは人が人を非難するときになぜ快感を覚えるかといったことも理解できる。 でも、実際にしている人が多い割に、非難の声があまりに大きいように思えるんですよ。そのギャップが気になっていて、これは瑠麗さんとお話ししてみたいなと思ったんですよ。私とは別の角度から人間社会を俯瞰して見てる国際政治学者の瑠麗さんなら、社会的、文化的側面から解説してくれるんじゃないかって思って。 三浦:いやいや、恐縮です。私はよく「不倫を擁護するな」って叩かれるんですけど、違法行為でもなし、擁護も否定もする気はないんですよね。かといって、ロマンチックな見方を持っているかというと、そうでもない。 そもそもそれ以前に、なぜひと様の家庭に口を突っ込むんだ?と思って報道に不快感を示すコメントをしたりします。でもそういうことを口にすると「不倫を擁護するのか」「お前も旦那に不倫されてみろ」などと言われる(笑)』、「現在パートナー(恋人や結婚相手)以外の人とセックスをしている割合は、セックス経験者のうち男性の41.1%、女性の31.4%に」、想像以上の多いようだ。「実際にしている人が多い割に、非難の声があまりに大きいように思える」、同感である。
・『不倫は増加している?  中野:そういう人って瑠麗さんが不倫する可能性は考えないんですかね? 三浦:そうねえ。不倫は男がするものだっていう社会通念があるんでしょう。ただ、興味深いのは、それぞれはどこまで正確な数字かわからないですけれど、働いている既婚女性のほうが専業主婦よりも不倫している率が高いという各種アンケート結果があること。不倫する女性の圧倒的多数は「働く女性」だということですよね。 中野:そういうことになりますね。 三浦:最近言われている不倫の増加は、女性の社会進出と密接に関係があるんではないかと私は思っているんですね。女性の地位が上がって、ある程度男女が経済的に対等になったり、場合によっては格差が逆転したりということにも関係があるんではないかなと。 専業主婦は望むと望まざるとにかかわらず、夫の収入に依存せざるをえません。一方で、結婚したら専業主婦という道も選べる、という経済的に余裕のある男性と結婚できる人の割合はどんどん少なくなってきています。働く女性に自由度が生まれたというだけでなく、結婚にオールインできるという楽観もそこなわれた可能性がありますね。 既婚男性が浮気をしても、妻は養われながら貞淑に家庭を守る、というモデルは成立しにくくなっている。私たちがなんとなく「最近、女性の不倫が増えてない?」と思っているのはあながち的外れでもないんではないかと思います。) 中野:その一方で、「不倫騒動」は相変わらず多いですよね。あえて名前は挙げませんが、何かというと報道されている。 三浦:多少の知名度があれば、本来プライバシーにあたるものが報じられてしまうのが今のメディアですよね。週刊誌報道の内容に多少脚色や不正確な部分があっても、褒められた行為ではないがゆえに反論すればするほど傷口が広がる。したがってほとんどの人がプライバシー侵害で訴えずに泣き寝入りしています。まあ、ある意味「書き放題」ですよね』、「最近言われている不倫の増加は、女性の社会進出と密接に関係があるんではないかと私は思っているんですね。女性の地位が上がって、ある程度男女が経済的に対等になったり、場合によっては格差が逆転したりということにも関係があるんではないかなと」、「週刊誌報道の内容に多少脚色や不正確な部分があっても、褒められた行為ではないがゆえに反論すればするほど傷口が広がる。したがってほとんどの人がプライバシー侵害で訴えずに泣き寝入りしています」、なるほど。
・『「世間」と「有名人」で受ける反応が非対称  中野:イメージダウンして仕事は外され収入は減る、CMは降ろされて違約金は払わねばならない、出演していた番組は放送中止になって関係各所に迷惑がかかる……ミュージシャンならコンサートに出られなくなるし、俳優が映画に出ていれば下手すればその映画はお蔵入り、というそこまでの社会的、金銭的制裁を受けながら、あげく復帰もできないという人もいるわけですよね。あまりに「世間」と「有名人」で受ける反応が非対称です。 三浦:職場不倫がバレれば、会社に懲戒解雇はされないにせよ、配置転換されてしまうことはありうるでしょう。でもそこまでの「社会的制裁」は受けない気がしますね。もちろん、パートナーから離婚されたり、慰謝料を請求されたり、さまざまな人間関係がおかしくなるということはあるでしょうけど、それはあくまで「私」の部分ですよね。 中野:もちろん、イメージを売ることで報酬を得ている芸能人の場合、不倫に代償が生じるのはやむをえないんでしょう。夫婦円満、家庭的なイメージでCMに出演している俳優さんとかね。CMを降ろされても仕方がないかもしれない。 だけど政治家だったら政治、ミュージシャンだったら音楽、お笑い芸人だったらお笑い、みたいな本業にまで差し障りが出るとなると、それはどうなんだろうとは思います。 三浦:芸人さんがスキャンダルを起こした場合、「笑えないなあ」というのはあるかもしれないですけど、でも「あいつが番組に出てると不快だから出すな」とかとなるとね、ちょっとヒステリックすぎないかなと思いますよね。 昔の“不倫スキャンダル”は夫の浮気を妻が「芸の肥やし」として認めるパターンもありましたけど、今ではちょっと考えられない。仮に平穏を守るために奥さんが我慢するという選択肢をとりたくとも、世間にバッシングされるので婚姻関係が壊れてしまう事例だってありえます。) 中野:歌舞伎役者なんかずーっと歴史的にそういうことが許容されてきた土壌があったと思うんですけど……現代はどうも、ちょっと、芸能を生業とする人には大変だなと思いますね。噺家さんとかもすごくもったいないなと思う。いろんな女性とおつきあいしたほうが芸のためにはいいこともあるでしょう?そういうチャンスを奪われているとも言えるし。 三浦:不倫の善しあしは脇に置いて、短期的な関係の積み重ねをストレスに感じず、それを肥やしにするタイプの人たちも世の中にはいるわけですよね。だけど社会的には、そういう人々はノーマルからの逸脱として罰を受けやすい状況になっているという感じはしますね』、「昔の“不倫スキャンダル”は夫の浮気を妻が「芸の肥やし」として認めるパターンもありました。今ではちょっと考えられない」、「社会的には、そういう人々はノーマルからの逸脱として罰を受けやすい状況になっているという感じはしますね」、なるほど。
・『「調子に乗ると人は不倫するのか?」  中野:そもそも芸能をやる人はノーマルから逸脱してるもんなんじゃないのかって思うところもあるんですけどねえ。 ちょっと前に話題になったオリンピアンの不倫報道でも気になったことがあって。 三浦:どんなことですか。 中野:いくつか情報番組で「順風満帆な人生すぎて調子に乗って不倫をしたのではないか」といった指摘があったんです。でも私が思ったのは、「そもそも、調子に乗ると人は不倫するのか?」という疑問で。 三浦:人間、そのとき調子に乗っているかどうかで不倫するものなのかと。 中野:別の不倫報道でもやっぱり、「調子に乗っていた」みたいな言われ方をしていたんですよね。あるいは、「あんなにできた奥さんなのになんで?」と。 それを聞くと女からしてみると「なのに」ってなによ?って思いません?(笑)。じゃあ「できた奥さんじゃなければ不倫してもいい」ということになるのか?とかね。世間の反応は私にしてみたら疑問だらけなんですよ』、「世間の反応は私にしてみたら疑問だらけなんですよ」、との「中野」氏の述懐は理解できる。

次に、6月28日付け東洋経済オンラインが掲載した金沢大学融合研究域融合科学系教授・東京大学未来ビジョン研究センター客員教授の金間 大介氏による「若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」 若者の自信のなさが恋愛にも影響する時代に」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/598230
・『「20代独身男性の4割がデート経験なし」「30代は4人に1人が結婚願望なし」「婚姻は戦後最少」――。6月14日に公表された内閣府『令和4年版男女共同参画白書』は大きな話題を読んだ。 新著『先生、どうか皆の前でほめないで下さい――いい子症候群の若者たち』が話題の金間大介氏は、「デートしないのは、自分に自信がないから」だと指摘する。「彼らにとって恋愛は、メンタルを不安定にするリスク要因そのもの。自分で決められないという性向も、恋愛には不向き」とも。その背景には、恐怖心にも似た、人の感情に対する強い心理が関係しているというのだが――。 20代男性の65.8%は妻や恋人がおらず、39.8%はデートした人数0人。20代女性も似た傾向にあり、51.4%に夫や恋人がおらず、25.1%がデート未経験――。6月14日に公表された内閣府の『令和4年版男女共同参画白書』が大きな話題を呼んでいる。 なぜ、今の若者はデートや恋愛に対し、ここまで消極的なのか。 白書の公表以降、各種メディアでなされてきた議論は、次の4点にまとめられる。①経済力の低迷(特に男性の)、②恋愛や結婚に興味のない人の増加、③ひとり時間の充実、④出会いの減少、だ。 私は、これらの解釈にはある程度同意しつつも、やや表面的と感じる。むしろその根底に、今の若者における「変なこと言って空気を乱したらどうしよう」「ズレた提案をして後で自分のせいにされたらどうしよう」という、人の感情に対する強い恐怖心が作用しているのではないかと思う』、興味深い説だ。
・『失敗すると思い込み、最初から「デートしない」  今の若者の多くは、目立ちたくない、100人のうちの1人でいたい、自分で決めたくない、誰かが決めたことに従っていたい、(自分に対する)人の気持ち・感情が怖い、といった心理的特徴を有していて、私は彼らを「いい子症候群」と称し、その深層心理の可視化に努めてきた。) なぜ、彼らはそこまで自分に向けられた他人の感情を怖がり、空気に従おうとするのか。 それは、自分に自信がないからだ。自分に自信がないから、自分に向けられた人の気持ちに過敏になり、それをちょっとでも想像しただけで強い緊張が走る。 自分に自信がないから、100人の中の1人として埋もれていたいと願い、自分に自信がないから、ひたすらメンタルの安定を求め、微細なリスクすらも取らないゼロリスク志向へと突き進む……』、「自分に自信がない」のは若者特有の特徴なのではなかろうか。
・『自分が提案したお店へご飯を食べに行ったとしたら…  そんな心理状態では、デートどころではない。いい子症候群の若者たちにとって、デートや恋愛は、メンタルを不安定にするリスクの塊そのものだ。たとえば、仮に自分が提案したお店へご飯を食べに行ったとしよう。万が一、そのお店の雰囲気が悪かったら、もう気まずくて息もできない。ご飯の味より申し訳なさで頭がいっぱいだ。さらにそんなとき、相手が「別にいつも行く○○(チェーン店)でいいよ」なんて言ってくれようものなら、そんな神レベルの素敵な人が自分のことを好きになるはずはないので、もうデート失敗確定。今後、100年間は異性と食事には行きません。 あるいは、レンタカーを借りてドライブでも行ってみようか。でも万が一、行き場所が定まらず、「ここさっきも通ったな……」とか思われたら、もうそんな空気の中じゃ息もできない。何とか窒息死だけは免れたとしても、その心の声がトラウマすぎて、やはりデート失敗確定。今後100年間、自分からドライブには誘いません。 と、たしかにこんな心理状態では、デートどころではない。もはやその場の空気に対処することに精いっぱいで、相手のことは目に入っていない。デート後も疲労感でいっぱいだ。そして何より、そんな自分を容易に想像できるから、最初からデートしようとは思わない。) 実際、どのくらい今の日本の若者が自分に自信がないかを示すデータは枚挙に暇がない。例えば、2019年の日本財団の若者に対する調査によると、「自分で国や社会を変えられると思う」にYesと回答した割合は18.3%(アメリカ65.7%、中国65.6%)だ。 また2019年の国立青少年教育振興機構の調査によると、「自分はダメな人間だと思うことがある」に「よくあてはまる」「まあまああてはまる」と答えた割合はなんと80.8%(アメリカ61.2%、中国40.0%)だ。この値は2015年には72.5%だったから、日本の若者のダメ人間思考はさらに強まっていることになる。 もっと身近で、かつ本稿の主題に沿うところで見てみよう。私の研究室が2020年に行った大学生・大学院生281名に対するアンケート調査では、自分の見た目に自信があるかという問いに対して「ある」「少しある」が17.4%、「ない」「あまりない」が45.6%であった。同時に、自分のセンスに自信があるかという問いに対し「ある」「少しある」と回答した割合は26.7%、逆に「ない」「あまりない」とした割合は40.0%となる。 このような自己肯定感の低さが積み重なった結果、今の若者は次のような傾向を示す。 ・「有名な大学や学校に通ったほうが有利になる」→そう思う:70%(過去最高) ・「ものごとを判断するときに世間体を気にしてしまう」→そう思う:69%(過去最高) ・「人生をよりよくするためには実力よりもコネが大事」「対外的に自分の立場を説明するためには役職や肩書が重要」「資格が生きる仕事に就きたい」と考える(いずれも国際比較調査で日本は高い数値を計上) ・就職する際、「働きがいのある会社」より「安定している会社」を選択する若者がおよそ3.3倍』、「自己肯定感の低さ」は日本の若者固有の現象で、昔からあったのではなかろうか。
・『分岐点は2010~2012年頃か  あきれを通り越して、恐ろしい状況になりつつあるが、そもそもいつからこのような心理的特徴が強まってきたのか。 私は、2010~2012年頃だと思っている。根拠となるデータはやはり枚挙に暇がない。たとえば、大学生が就職先を選ぶ理由として「自分のやりたい仕事ができる会社」が低下し始め、その代わり「安定している会社」が上昇し始めたのも(マイナビ 2022年卒大学生就職意識調査)、新入社員にとって「仕事が面白い」かどうかは重要ではなくなったのも(日本生産性本部 平成31年度 新入社員「働くことの意識」調査)この頃からだ。 2010年代以降に20代を迎えた彼らは、児童・生徒のときに教育環境の変化も経験している。いわゆるゆとり教育の導入だ。このとき改訂された学習指導要領は、1993年から2010年にかけて小学校へ入学した児童に適用されており、この世代がちょうど今、20代を丸ごと形成している』、「分岐点は2010~2012年頃か」、同じ調査項目での時系列比較ができないのは残念だ。「ゆとり教育」の「世代がちょうど今、20代を丸ごと形成している」、なるほど。
・『「いい子症候群」的気質が恋愛や結婚に影響を与えている  恋愛に関しても、時期が符合するデータがある。たとえば、日本性教育協会が6年ごとに調査している「青少年の性行動調査」によると、2005年調査までは性交経験率は上昇していたが、2011年調査から男女とも低下傾向に転じている。 むろん、これらのデータを構成する要因は多様で複雑だ。ただ、ここまで多くのデータが歩調を合わせたようにタイミングを同期させていることを鑑みると、「いい子症候群」的気質が恋愛や結婚にも強い影響を与えていると考えざるをえない。 ここまで読んだ方は、今後この傾向はどうなるのか、も気になるだろう。私が主に研究対象としているのは大学生から20代であるため、現在、10代の性向をよく知る人たち、つまり中学校・高校の教諭や教育関係者との対話を精力的に進めている。 ただ、今のところ、子供たちの主体性を重んじた教育方針を強めているにもかかわらず、いい子症候群的気質が変わる兆しはなく、むしろ強化されている状況も見られる。今なんとかしなければ、今後しばらくは「いい子」を装った指示待ち人材が大量に産業界へ送り出され、若者の婚姻率は下がり続けることになるかもしれない』、「今なんとかしなければ、今後しばらくは「いい子」を装った指示待ち人材が大量に産業界へ送り出され、若者の婚姻率は下がり続けることになるかもしれない」、前述の通り実証分析に甘さはあるが、大筋はその通りなのだろう。

第三に、6月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「若者の恋愛離れ」というインチキ話を政府・マスコミが蒸し返し続けるワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/304857
・『マスコミが「若者の○○離れ」と言いたがる理由  20代男性のおよそ7割が配偶者や恋人がおらず、およそ4割にいたっては「デートの経験がない」――。内閣府のそんな調査データを受けて、マスコミが「若者の恋愛離れ」だと騒いでいる。 例えば、あるワイドショーでは、「若い男性の“恋愛離れ”が進行しています」と巨大パネルを用いて解説した。スマホゲームやら1人で楽しめる娯楽が増え、恋愛が面倒になっているのではないかとか、人間関係が希薄になって異性との交際を恐れるようになっているのではないか、なんていう専門家らの指摘を紹介していた。 また、別の番組ではコメンテーターの男性が、「私も若い頃は恋愛をたくさんして、すごくいい人生勉強になりましたからこういう結果は残念です」なんておっしゃっていた。「恋愛離れ」によって人として成長できない、と苦言を呈しているようにも聞こえてしまう。 なぜこんなにも「若者の恋愛離れ」に執着するのかというと、マスコミにとって「若者の○○離れ」は大好物だからだ。 自動車が売れないのは、若者が「自動車離れ」をしているから。酒が売れないのは、若者が「アルコール離れ」をしているから。最近ではテレビの視聴率がガタ落ちしているのも、若者が「テレビ離れ」をしていることが原因だと説明されている。 なぜあらゆることを若者のせいにするのか不思議になるだろうが、これはマスコミにとって主たる読者・視聴者である高齢者の共感を得やすいからだ。 新型コロナウイルス感染症の新規感染者が増えるたび、渋谷スクランブル交差点を中継して、「ごらんください!あんなにたくさん若者が出歩いてます!」とレポーターが大はしゃぎして紹介していたことを思い出していただきたい。「まったく、最近の若者は…」「オレが若い頃は…」と高齢者に顔をしかめさせるようなニュースほど数字が稼げるという現実があるのだ。 ただ、そういうビジネス的な事情を考慮しても、「若者の恋愛離れ」をあおるマスコミの姿勢はいただけない。 「20代独身男性の4割がデート未経験」なんて話は昨日今日にはじまったことではなく、今のおじさんたちが“ナウなヤング”だった35年前から存在していた。つまり、時代に関係なく、「若い男性というのはもともとそういうもの」である可能性が高いのだ』、「なぜあらゆることを若者のせいにするのか不思議になるだろうが、これはマスコミにとって主たる読者・視聴者である高齢者の共感を得やすいからだ」、「「まったく、最近の若者は…」「オレが若い頃は…」と高齢者に顔をしかめさせるようなニュースほど数字が稼げるという現実があるのだ」、「「20代独身男性の4割がデート未経験」なんて話は昨日今日にはじまったことではなく、今のおじさんたちが“ナウなヤング”だった35年前から存在していた。つまり、時代に関係なく、「若い男性というのはもともとそういうもの」である可能性が高いのだ」、それにしても、「高齢者に顔をしかめさせるようなニュースほど数字が稼げるという現実がある」、こうしたことで、報道内容が歪められるとは困ったことだ。
・『1980年代後半から「恋愛できない症候群」というネーミング  1987年の厚生省人口問題研究所の「独身調査」によれば、20〜24歳の男性で交際している恋人・婚約者がいると回答したのは26.8%しかない。25〜29歳の男性でも25.6%だ。つまり、20代独身男性の7割が配偶者や恋人がいないという今回の内閣府データとあまり変わらない結果だ。 この恋人・婚約者のいない男性たちの中には当然、デート経験のない人もかなり含まれている。当時の調査では「デート経験」については明らかにされていないが、3〜4割くらいはいたのではないかと推察できる。 それがうかがえるのが、「性体験の有無」だ。当時の調査では、20〜24歳の男性では43%、25〜29歳では30%が「性体験がない」と回答している。もちろん、「性体験がなくてもデートまでは経験がある」という男性もそれなりにいるはずだが、「性体験がない」という男性の中には、そもそも女性と二人っきりになったことがないという人もかなりいるはずなので、「デート経験なし」も近い割合になるのではないかと思う。 3割くらいは恋愛に積極的でガツガツしているが、7割くらいは恋人や配偶者がいない。さらに3〜4割くらいはデートすらしたことがない人も存在している――つまり、2022年も1987年も、若い男性の恋愛の傾向それほど大きな違いはないということだろう。 それはマスコミの報道を見てもわかる。 実は日本では30年以上前から、さまざまな調査によって、女性との交際に積極的ではない男性たちの存在が浮かび上がり、「シングル」という言葉も普及して、今とほぼ変わらない論調が出来上がっている。 例えば、1988年の「読売新聞」では、「独身男が増えている」という連載がスタート。その第1回である『「価値ある」と進んで選択 “30代未婚”10年で倍 女性含めネットワーク』には、今の「若者の恋愛離れ」を紹介した記事の中にあっても違和感のない記述が並ぶ。 <一人で生きる男性が増えてきた。「配偶者に恵まれない」という人もいるが、「自分の世界を大切にしたいから」という人もまた、少なくない>(読売新聞1988年5月31日) さらに翌年になると、「朝日新聞」が恋愛に後ろ向きな人々に、こんなキャッチーなネーミングをする。 <恋愛したけれど相手がいない、異性とどうやって付き合えばいいわからないという「恋愛できない症候群」の若者が、都会を中心に増えている>(朝日新聞1989年7月13日) いかがだろう。この時代から「若者の恋愛離れ」という話は何も変わっておらず、それを紹介するマスコミの論調も変わっていない。厳しい言い方をすれば、なんの進歩もしていないのだ。 人はどうしても「自分が生きている今の時代は特別」と思い込みたい生き物だ。「今はスマホや多様性など、いろんな社会の変化が起きている。だから、人の行動も劇的に変わっているに違いない…」そんな先入観に縛られているので、マスコミの「若者の恋愛離れが進行しています」なんて話にコロッとだまされてしまう。 たかが35年ぽっちで、人々の意識はそれほど劇的に変わらないのだ』、「「今はスマホや多様性など、いろんな社会の変化が起きている。だから、人の行動も劇的に変わっているに違いない…」そんな先入観に縛られているので、マスコミの「若者の恋愛離れが進行しています」なんて話にコロッとだまされてしまう。 たかが35年ぽっちで、人々の意識はそれほど劇的に変わらないのだ」、同感である。
・『政府の失策を「若者の恋愛離れ」のせいにして責任転嫁  さて、そこで次に気になるのは、なぜマスコミは「若者の恋愛離れ」などという与太話をでっちあげてきたのかということだ。 ひとつには、先ほど申し上げたように「若者の○○離れ」が数字の稼げるキラーコンテンだからということもあるが、もうひとつ大きいのは、マスコミの大切な情報源である「政府」に吹き込まれたということが大きい。 <政府関係者は未婚や晩婚化、少子化に拍車をかけることにつながりかねないとして危機感をあらわにしています>(テレ朝news 6月14日) この言葉からもわかるように、日本政府は、「若者の恋愛離れ」は晩婚化や少子化の背中を押す、非常にやっかいな問題であるというスタンスだ。マスコミはその主張をノーチェックで、右から左で流している。 これは見ようによっては「悪質な情報操作」である。少子化という問題を「恋愛に興味を抱かなくなった若者が悪い」ということにして、これまでの政府の失策をウヤムヤにしようとしているからだ。 実は世間的にはあまり知られていないが、少子化というのは、「日本の無策」を象徴する問題だ。50年以上も前からこうなることはわかっていたが、政治が何も有効な手を打つことなく放置してきたからだ。 例えば、1967年4月27日の「ふえる老人 減る子供 人口問題をどうする 厚相、審議会に意見きく」という読売新聞の記事では、以下のような厚生省人口問題研究所の推計が掲載されている。  <総人口は約500万人ずつ増加しているが、これも昭和80年(1億2169万人)をピークとして減少に転じる。(中略)昭和90年には幼少17%、成人63%となり、老齢人口が20%を占めるという> 実際のところ、昭和80年にあたる2005年の人口は1億2777万人で試算よりも増えたが、昭和90年にあたる2015年の15歳未満は12.6%、65歳以上は26.6%となり試算よりも深刻なことになった。このようにある程度のバラつきはあるが、実は日本は50年以上前から現在の「危機」をある程度、正確に予見していたのである。 しかし、何もしてこなかった』、「日本政府は、「若者の恋愛離れ」は晩婚化や少子化の背中を押す、非常にやっかいな問題であるというスタンスだ。マスコミはその主張をノーチェックで、右から左で流している。 これは見ようによっては「悪質な情報操作」である。少子化という問題を「恋愛に興味を抱かなくなった若者が悪い」ということにして、これまでの政府の失策をウヤムヤにしようとしているからだ。 実は世間的にはあまり知られていないが、少子化というのは、「日本の無策」を象徴する問題だ。50年以上も前からこうなることはわかっていたが、政治が何も有効な手を打つことなく放置してきたからだ」、その通りだ。
・『50年前に予測された通りのシナリオが進行  国は、独身者への調査を繰り返すだけで、「恋愛離れだ!」「結婚に価値を見出していない」なんて「若者の意識」のせいにして、諸外国がやっているような対策をサボってきた。 例えば、少子化対策で有名なのは、「子どもへの支出」だ。OECD Family Databaseによれば、子どもに対して社会がどれだけお金を出しているのかという「家族関係社会支出」の割合が高い国であればあるほど、出生率も上がっていく傾向がある。意外に思うかもしれないが、子どもに対して社会全体で手厚いサポートがあれば、「私も親になりたい」と思う人も増えていくことがわかっているのだ。 また、「賃上げ」もそうだ。ご存じのように、日本はこの30年ほとんど賃金が上がっておらず、先進国の中でも際立って低く、韓国にまで平均年収で抜かれている。最低賃金も諸外国の中で低く、若者の貧困化も進んでいる。  「若者が結婚しないのは経済的理由だけではない」みたいなことを主張する経済評論家も多いが、結婚以前に恋愛というのは「見栄」を張る部分もあるので、ファッション、デート、プレゼントなど出費がかさむものだ。日本の常軌を逸した低賃金によって、「恋愛できない」「結婚できない」という若者もかなりいるはずなのだ。 こういう問題を政府が50年放置してきたことで、日本の少子化は拍車がかかってしまった。何もしなかったので、50年前に予測された通りのシナリオが進行しているのだ。もちろん、政府としてはそういう話になることは避けたい。結果が伴っていないのは動かし難い事実なのだが、国は少子化対策をずっと力を注いで一生懸命やってきた、としたい。 となると、誰かを「スケープゴート」にしなくてはいけない。ここまで言えばもうお分かりだろう。そう、それが「若者の恋愛離れ」である』、「こういう問題を政府が50年放置してきたことで、日本の少子化は拍車がかかってしまった。何もしなかったので、50年前に予測された通りのシナリオが進行しているのだ」、「となると、誰かを「スケープゴート」にしなくてはいけない。ここまで言えばもうお分かりだろう。そう、それが「若者の恋愛離れ」である」、「若者の恋愛離れ」を「スケープゴート」にしたとはあり得る話だ。
・『「恋愛をしない独身の若者」は格好のスケープゴート  国は少子化対策に力を入れてきたが、それ以上に足を引っ張っているのが、若い男性たちだ。彼らが恋愛に後ろ向きになってしまったことが最大の問題ということにしてしまえば、すべて解決だ。国は無策の責任を取らなくていいし、「若者の恋愛をサポートします」なんて上っ面の話をしていれば、賃上げや子ども対策という面倒な話に着手しなくて済む。 実はこれは日本という国がよくやる“お家芸”でもある。『医療危機に「国民のがんばり」で立ち向かう、戦時中と変わらぬ日本の姿』の中で詳しく紹介したが、日本は、政府が社会システムの根本から変えなくてはいけないような問題にに直面した時に、国民の責任に話をすり替えて、「個人のがんばり」で乗り切ろうとする悪い癖がある。 最近でわかりやすいのは、コロナ対策だ。他の先進国ではほとんど起きていない「医療崩壊」を2年間も大騒ぎしたのは、日本の医療供給システムに根本的な欠陥があるからであることは明白だが、そこには手をつけず、ひたすら個人のせいにした。 「ルールを守らない飲食店が悪い」「渋谷で遊んでいる若者が悪い」という感じで、医療崩壊という国のシステムエラーから国民の目をそらして、ひたすら「この非常時に協力しない身勝手な人間のせい」にして、医療提供体制の見直しなどの根本的な議論は先送りされている。 「若者の恋愛離れ」にも同じ匂いが漂う。 これから人口減少はさらに拍車がかかる。1年で鳥取県と同じ人口が消えていくので国内経済も加速度的に縮小していく。尻に火がついた時、「こんな状況になるまで放っておいたのは誰だ!」と犯人探しが始まる。 その時、「恋愛をしない独身の若者」は何度でも格好のスケープゴートにされるだろう。 「日本が衰退したのは、ゲームやアニメばかりを楽しんでデートもしない自分勝手な男が増えたからだ!」「最近の若者は何事にも臆病でダメだ!我々が若い時は女性には当たって砕けろだった!」なんて感じで、おじさんたちも怒りをぶつけやすい。政治家も選挙で叫びやすい。若者はそもそも投票に来ないので、いくらディスっても痛くない。 「若者の恋愛離れ」というインチキ話は、そう遠くない未来に始まる「若者ヘイト」の序章なのかもしれない』、「「若者の恋愛離れ」というインチキ話は、そう遠くない未来に始まる「若者ヘイト」の序章なのかもしれない」、政府・マスコミへの痛烈な批判だ。 
タグ:恋愛・結婚 (その6)(:過熱化する不倫報道「書き放題」の残酷すぎる現実 脳科学者・中野信子×国際政治学者・三浦瑠麗、若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」 若者の自信のなさが恋愛にも影響する時代に、「若者の恋愛離れ」というインチキ話を政府・マスコミが蒸し返し続けるワケ) 東洋経済オンライン 中野 信子氏 三浦 瑠麗氏 対談「過熱化する不倫報道「書き放題」の残酷すぎる現実 脳科学者・中野信子×国際政治学者・三浦瑠麗」 「現在パートナー(恋人や結婚相手)以外の人とセックスをしている割合は、セックス経験者のうち男性の41.1%、女性の31.4%に」、想像以上の多いようだ。「実際にしている人が多い割に、非難の声があまりに大きいように思える」、同感である。 「最近言われている不倫の増加は、女性の社会進出と密接に関係があるんではないかと私は思っているんですね。女性の地位が上がって、ある程度男女が経済的に対等になったり、場合によっては格差が逆転したりということにも関係があるんではないかなと」、「週刊誌報道の内容に多少脚色や不正確な部分があっても、褒められた行為ではないがゆえに反論すればするほど傷口が広がる。したがってほとんどの人がプライバシー侵害で訴えずに泣き寝入りしています」、なるほど。 「昔の“不倫スキャンダル”は夫の浮気を妻が「芸の肥やし」として認めるパターンもありました。今ではちょっと考えられない」、「社会的には、そういう人々はノーマルからの逸脱として罰を受けやすい状況になっているという感じはしますね」、なるほど。 「世間の反応は私にしてみたら疑問だらけなんですよ」、との「中野」氏の述懐は理解できる。 金間 大介氏による「若者のデート離れを加速させる「ゼロリスク志向」 若者の自信のなさが恋愛にも影響する時代に」 興味深い説だ。 「自分に自信がない」のは若者特有の特徴なのではなかろうか。 「自己肯定感の低さ」は日本の若者固有の現象で、昔からあったのではなかろうか。 「分岐点は2010~2012年頃か」、同じ調査項目での時系列比較ができないのは残念だ。「ゆとり教育」の「世代がちょうど今、20代を丸ごと形成している」、なるほど。 「今なんとかしなければ、今後しばらくは「いい子」を装った指示待ち人材が大量に産業界へ送り出され、若者の婚姻率は下がり続けることになるかもしれない」、前述の通り実証分析に甘さはあるが、大筋はその通りなのだろう。 ダイヤモンド・オンライン 窪田順生氏による「「若者の恋愛離れ」というインチキ話を政府・マスコミが蒸し返し続けるワケ」 「なぜあらゆることを若者のせいにするのか不思議になるだろうが、これはマスコミにとって主たる読者・視聴者である高齢者の共感を得やすいからだ」、「「まったく、最近の若者は…」「オレが若い頃は…」と高齢者に顔をしかめさせるようなニュースほど数字が稼げるという現実があるのだ」、「「20代独身男性の4割がデート未経験」なんて話は昨日今日にはじまったことではなく、今のおじさんたちが“ナウなヤング”だった35年前から存在していた。つまり、時代に関係なく、「若い男性というのはもともとそういうもの」である可能性が高いのだ」 「「今はスマホや多様性など、いろんな社会の変化が起きている。だから、人の行動も劇的に変わっているに違いない…」そんな先入観に縛られているので、マスコミの「若者の恋愛離れが進行しています」なんて話にコロッとだまされてしまう。 たかが35年ぽっちで、人々の意識はそれほど劇的に変わらないのだ」、同感である。 「日本政府は、「若者の恋愛離れ」は晩婚化や少子化の背中を押す、非常にやっかいな問題であるというスタンスだ。マスコミはその主張をノーチェックで、右から左で流している。 これは見ようによっては「悪質な情報操作」である。少子化という問題を「恋愛に興味を抱かなくなった若者が悪い」ということにして、これまでの政府の失策をウヤムヤにしようとしているからだ。 実は世間的にはあまり知られていないが、少子化というのは、「日本の無策」を象徴する問題だ。50年以上も前からこうなることはわかっていたが、政治が何も有効な手を打つこ 「こういう問題を政府が50年放置してきたことで、日本の少子化は拍車がかかってしまった。何もしなかったので、50年前に予測された通りのシナリオが進行しているのだ」、「となると、誰かを「スケープゴート」にしなくてはいけない。ここまで言えばもうお分かりだろう。そう、それが「若者の恋愛離れ」である」、「若者の恋愛離れ」を「スケープゴート」にしたとはあり得る話だ。 「「若者の恋愛離れ」というインチキ話は、そう遠くない未来に始まる「若者ヘイト」の序章なのかもしれない」、政府・マスコミへの痛烈な批判だ。
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随筆(その4)(追悼 小田嶋隆氏2題:小田嶋隆さん お疲れ様でした そしてありがとう、反骨のコラムニスト小田嶋隆さんの発言を振り返る 東京五輪の矛盾や安倍政権の罪を指摘) [人生]

随筆については、2020年2月22日に取上げたままだった。今日は、(その4)(追悼 小田嶋隆氏2題:小田嶋隆さん お疲れ様でした そしてありがとう、反骨のコラムニスト小田嶋隆さんの発言を振り返る 東京五輪の矛盾や安倍政権の罪を指摘)である。同氏のコラムは、このブログでもたびたび紹介してきた。最近は、有料になったので、殆ど紹介できなくなっていたが、突然の訃報になす術もなく、ただ驚き、心を痛めている。ご冥福をお祈りしたい。

先ずは、本年6月24日付け日経ビジネスオンライン「小田嶋隆さん、お疲れ様でした。そしてありがとう。」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00162/
・『日経ビジネス電子版で「『ア・ピース・オブ・警句』~世間に転がる意味不明」、日経ビジネス本誌では「『pie in the sky』~ 絵に描いた餅べーション」を連載中のコラムニスト、小田嶋隆さんが亡くなりました。65歳でした。 小田嶋さんには、日経ビジネス電子版の前身である日経ビジネスオンラインの黎明(れいめい)期から看板コラムニストとして、支えていただきました。追悼の意を込めて、2021年11月12日に掲載した「晩年は誰のものでもない」を再掲します。 時の権力者だけでなく、社会に対して舌鋒(ぜっぽう)鋭く切り込む真のコラムニスト。その小田嶋さんがつむぐ1万字近い原稿を、短い言葉でどう表現するか。記事タイトルを短時間で考える担当編集者にとっては、連載の公開前日は勝負の1日でもありました。 再掲載するコラムは療養中の病室から送っていただいた原稿です。「晩年」という言葉やそれを何も考えずに使う社会に対して、「晩年は他人が宣告できるものではない。あくまでも自己申告の目安にすぎない。それも、多分に芝居がかった指標だ」と喝破します。 体調が優れずにやむなく休載してからも、「キーボードを打てなくても、音声で入力できてこれがいいんだよ」と話した小田嶋さん。「まだまだ伝えたいことがある」「残さないといけない言葉がある」と連載再開の意欲に満ちあふれていらっしゃいました。 小田嶋さんが残したかったその言葉とは何だったのでしょうか。 謹んでご冥福をお祈りします。(日経ビジネス編集部) この原稿は、とある都内の病院のベッドサイドに設置された硬い椅子の上で書いている。というのも、私は、またしても入院しているからだ。 先週と今週の当欄は、だから、病院からの出稿ということになる。 自分ながらよく働く病人だと思っている。 病的な勤勉さと申し上げても良い。 じっさい、 「勤勉は貧困の一症状である」と言えば言えるわけで、十分な資産なり年収なりを手にしている人間は、病院で原稿を書くみたいな無茶はしない。 でもまあ、ものは考えようだ。 原稿を書く稼業の人間にとっては、適度な貧困こそが、気詰まりな原稿の一行目をタイプするための理想的なスターティングガンということになる。書かなくても食えるのであれば、私は一行だって書かなかっただろう。それほど、執筆という作業は、書き手の心身をすり減らすものなのだ。 そういう意味で、これまでのライター生活の40年が、おおむね適度な貧困に恵まれた月日であったことには感謝している。デビュー作がうっかりベストセラーになっていたりしたら、私はそれっきり何も書かずにアルコールに耽溺していたはずだ。だとすると、私はすでにこの世からいなくなっていたことだろう。感謝せねばならない』、「原稿を書く稼業の人間にとっては、適度な貧困こそが、気詰まりな原稿の一行目をタイプするための理想的なスターティングガンということになる。書かなくても食えるのであれば、私は一行だって書かなかっただろう。それほど、執筆という作業は、書き手の心身をすり減らすものなのだ」、「書き手の心身をすり減らすもの」とは再認識させられた。
・『今回の入院は救急車で搬送された緊急の入院ではない。 あくまでも治療のための入院だ。 新たに開始することになった治療は、通院でも対応可能なものなのだが、毎日病院に通う手間を考えると、いっそ入院したほうが楽だろうと考えた次第だ。その意味では、計画的な入院という言い方もできる。いずれにせよ、大きな心配はいらない。 とはいえ、8月に入院したばかりなのに、またしても病院のお世話になっている状況に心を痛めている読者もいらっしゃるはずだ。甲子園大会の言い方になぞらえるなら、2015年からの7年間で、「3ヶ月ぶり7回目」の入院ということになる。穏やかならぬ頻度だ。訃報欄の常法としては「晩年は入退院を繰り返し……」てなことになるのだろう。 ん? 私はすでに晩年を生きているのだろうか。 私がどう思っているのかにかかわらず、客観的に見れば、その可能性はある。晩年コラムニストの晩年コラム。多少ありがたみが増すだろうか。 今回は、晩年について考えていることを書いてみようと思う』、「7年間で、「3ヶ月ぶり7回目」の入院ということになる」、「訃報欄の常法としては「晩年は入退院を繰り返し……」てなことになるのだろう」、結果的にはなってしまったようだ。
・『書店の店頭を眺めてみればわかることなのだが、昨今の出版界では、意外なことに、このテーマ(晩年、老後の過ごし方、穏やかな老い方、死と向き合う方法)を扱った書籍に大いに依存している。であるから中規模以上の書店には、死生観やら老年やらを扱った特別なコーナーが設置されている。そのコーナーの中では、80歳を超えた老大家たちが、いずれも、人生に結末をつける方法について得々と語っていたりする。 さてしかし「晩年」は、観察者の言葉であって当事者の言葉ではない。 どういうことなのかというと、他人の人生を観察なり整理している人間が、生まれた時期と死んだ時点を確認した上で、死亡時から逆算した最後の数年間に「晩年」というタグを貼り付けているだけで、生きている当人は、特段に結末を意識していないということだ。 テニス選手の引退前の幾年かを「晩年」「末期」と呼ぶのは、ジャーナリストなり記者なりの評価であって、選手本人は、ルーキーイヤーであれ5年目であれ引退の前年であれ、同じ気持ちでコートに立っている(はずだ)。だから、事実として、全盛期より見劣りのするショットが行き来しているのだとしても、ひとの選手生活に対して、他人が「晩年」という言葉を使うのは失礼に当たる。 たとえば、研究室でマウスやモルモットの繁殖を担当している助手のことを考えてみれば良い。飼育担当者は万全な注意を払って動物を管理している。であるから、誕生から死に至るイベントを残らずデータとして記録している。その完全な観察者である人間からすれば、マウスの「晩年」はあらかじめわかっている。死んだ時期も、生まれたタイミングも、生存していた年数もすべて把握しているからだ。そこから「晩年」を算出するのはそんなに難しい作業ではない。 しかし、現実に生きている人間が自分の晩年を予断として決定するのは容易なことではない。 自分が何年の寿命を持っていて、あと何年生きるのかがわかっていないと、どのポイントを「晩年」の起点として良いのやら見当がつかない。 晩年を決定できるのは本人だけだという考え方もある。 少なくともかかわりのないひとの晩年を他人が決めるのは失礼に当たる。 「あのヒトもどうやら晩年に差し掛かっているようだな」「昨今の言い草に耳を傾けるに、あの男は晩年の相に突入して久しい」 といった観察ないし言明は、失礼であるのみならず傲慢でもある。 年齢を重ねているからといって、定年を迎えたからといって、晩年は他人が宣告できるものではない。あくまでも自己申告の目安にすぎない。それも、多分に芝居がかった指標だ。ついでに申し添えれば、若い時代に急逝する人間は、いわゆる晩年に到達しない。彼ら彼女らはポキンと棒が折れるみたいにしてこの世を去る。幸運なことなのか不運なことなのかはたぶん本人にもわからない。 なるほど。 してみると、晩年の過ごし方という、なにやら普遍的に聞こえる話題も、ずいぶんと恣意的な話になる。結局のところ、いまこの時を精いっぱいに生きる以外に方途を持たない大部分の凡人からすれば、晩年などという言葉を振り回しにかかること自体、いけ好かない態度であるのかもしれない。 書店の「晩年コーナー」の充実ぶりは、われわれの社会の高齢化を反映したものなのだろう。おそらく、半世紀前に比べて達者で暮らしている70代や80代の高齢者を多く含む令和の日本社会は、それだけ、人生の幕の引き方を示唆する書籍への高い需要をかかえている』、「晩年は他人が宣告できるものではない。あくまでも自己申告の目安にすぎない。それも、多分に芝居がかった指標だ」、「いまこの時を精いっぱいに生きる以外に方途を持たない大部分の凡人からすれば、晩年などという言葉を振り回しにかかること自体、いけ好かない態度であるのかもしれない」、面白いひねりだ。
・『3年ほど前だったか、ある雑誌の企画でその種の「高齢者本」をまとめて10冊ほど読んだことがある。 その時に抱いた印象は、どの本もこちらの予断を裏切って、非常に楽観的な、明るい筆致で書かれていることだった。 いま思えばそもそもこちらの予断が間違っていたのだろう。 考えてみれば、80歳を過ぎて書籍を出版しようという書き手が悲観的な人生観を抱いているはずがないではないか。 出版社の側から見ても、昨今のせちがらい編集会議をくぐりぬけて出版にこぎつける企画である以上、著者として選ぶのはすでにネームバリューを持った人々だ。かつてベストセラーを連発していた小説家であるとか、恋愛スキャンダルで昭和の週刊誌を騒がせた女性であるとか、とにかく肩書だけで読者をひきつけることのできる著者が選ばれている。逆に言えば、編集者としては、書籍の内容よりも著者の知名度にもたれかかっていたほうが、効率的な本作りができるということだ。) かくして、各種老年本をひもといてみると、そこには若々しい希望に満ちた前向きな言葉が並んでいる。もう少し地味な諦観をキメてみせているであろうと思ったのはこちらの見当違いで、じっさいのところの「諦観」は印象として非常に明るいものだったわけだ。 もっとも、この「明るさ」は、半ば以上著者と編集者が結託して作り上げたフィクションというのか、演出上の必然なのだと思う。 死や老年や病苦を扱った書籍が暗い筆致で書かれていたのでは、誰も読む人がいなくなるはずだからだ。 つまり、ともすると暗い方に傾きがちな話題は、つとめて明るく語るきまりごとがあらかじめ設定されているのだろう。 というよりも、そもそも書き手の顔ぶれを並べてみれば、いずれもスーパーな高齢者ばかりで、このジャンルの書き手として選ばれた人間は、フィクションだの演出効果だのをディレクションするまでもなく、はじめから前向きで若々しいとびっきりの楽観老年に限られている。 読者としてこれらの書籍を購入している人々も、おそらくご老人ばかりではない。 個人的な思い込みであることをお断りした上で言うのだが、私は、この種の「晩年」を扱った出版物の読者の平均年齢は、業界の人間が考えているよりずっと若いのではないかと思っている。というのも、死や老年について思いを馳せるのは、むしろ若い人たちだからだ。行き先が見通しにくい世の中で暮らしているからこそ、若い人たちは一足飛びに老年を夢想する。そして、その夢想は、私の世代の者が若かった時代に思い描いていたにべもない老人蔑視とは違って、もう少し地に足のついた現実的な未来像で、必ずしも暗く閉ざされているわけでもない。 「私たち」という一人称複数の代名詞を使うと各方面から即座に「主語が大きい」というツッコミが入るお約束になっているので、ここから先、「私たちの世代」だとかいうフォーカスの甘い主語でものを言うのは控えよう。 少なくとも私は、若かった頃、自分の老年を想像したことなどなかったし、予測も見込みも何も立てていなかった。というのも、そもそも私は自分が40歳以上になるまで生きているとは考えていなかったからで、それゆえ、老年などという単語は徹頭徹尾自分とは無縁なのだと決めてかかっていた。 いま思えば幼稚な思い込みだ。 それ以上に、手前勝手な決めつけでもある。 しかしながら、念のために申し上げておくに、少なくとも昭和の半ば頃までは、若い人間が 「先のことなんか知ったことじゃねえよ」的な考え方で人生の飛び石を渡るのは、さほど珍しい景色ではなかった。というよりも、若者である以上、多かれ少なかれ、捨て鉢な方針を振りかざしていたいものなのだ。別の言い方をすれば、そういうふうに、未来にも過去にも無頓着かつ冷淡であることが「若さ」の真義であると、当時の若者は少なくともそう考えていたのである。 令和の若者は、30年来の不況下で生まれ育った不景気の申し子のような人たちだ。 だから、先行きの見込みや未来の展望について、うわついたところがない。 こういう世界が、このまま、たいして変わることもなく、いつまでも続くのだろうと、なんとなくそう決めてかかっているフシがある。わたくしどもの目にはそんなふうに見える。 それゆえ彼らは、楽観的な老年本に誘引されるのではないか。昭和の若者が老後や近未来に一瞥もくれなかったことを思うと実に隔世の感がある。現在の若い人たちは、自分が老いることを「知って」いるのだ。なんと賢い若者たちであることだろうか』、「令和の若者は、・・・先行きの見込みや未来の展望について、うわついたところがない。 こういう世界が、このまま、たいして変わることもなく、いつまでも続くのだろうと、なんとなくそう決めてかかっているフシがある・・・それゆえ彼らは、楽観的な老年本に誘引されるのではないか。昭和の若者が老後や近未来に一瞥もくれなかったことを思うと実に隔世の感がある」、彼らが「老年本」の重要な読者層だとすれば、その通りだ。
・『最後に、まだ老年に差し掛かっていない若い人たちに、先行者としてアドバイスを残しておく。 私が自分ながら幸運だったと思っているのは、原稿を書く仕事とともに老年を迎えていることだ。 原稿執筆は、老年と相性が良い。 テキスト作成は、場所もとらないし、道具もさほどいらない。自分のウデとアタマとPCが一台あれば、たいていのことは間に合ってしまう。 だから病気をしても仕事ができるし、足腰が衰えてもなんとかなる。 そんなわけなので、将来の変わり身に向けて多彩な選択肢を持っているみなさんには、いまのうちに「書く技術」を身につけておくことを、強くおすすめする。 じっさい、書ける人間はヤマほどいる。 というよりもインターネット時代を迎えて、市井に生きる一般人が文章を作成する能力は、飛躍的に向上しつつある。いまやそこいらへんの高校生が、びっくりするほど破綻のない文章をテもなく書いてのける。ただただびっくりするばかりだ。 単純にテキストの出来不出来の話をするなら、プロ水準の原稿を生産する能力を備えた人間は、たぶん600万人(←筆者概算)ほどいるはずだ。 以前、いくつかアマチュアの人たちの書いた文章を添削する機会に恵まれたことがあるのだが、毎度毎度、趣味でものを書いている人たちの筆力の向上ぶりに驚かされたものだ。 一流企業のそれなりの地位にいる管理職のおっさんが、情感にあふれた珠玉のエッセーを書いてきたり、本職では医療事務にたずさわっている女性が、意表を突いた着眼でさらりと笑わせる小洒落たコラムをものしていたりして、プロであるはずの私にしてからが、直すところのなさに往生したものだった。 私のような職業的な書き手と彼らのようなアマチュアの凄腕に差があるのだとすれば、「職をなげうっているかどうか」だけだ。 つまり、文章を書くことを専業として食べて行けるのかどうかは、もはや才能や筆力の問題ではないということだ。ライターとして独立できるのかどうかは、ひとえに「いま食えている仕事を投げ出すことができるのか」にかかっている。 いかに達者な文章を書くからといって、ライターという稼業が、独立研究機関の研究職や航空会社の地上勤務の職を蹴飛ばしてまで挑む価値のある仕事であるのかといえば、はなはだ疑問だと申し上げざるを得ない。) しかしながら、時代は変わっている。 しばらく前から、ライティングにまつわる作業は、ライターの専業ではなくなってきている。 10年もたてば、文章を書くことだけで生計を立てている専業の書き手は、現在の半分ほどに減っているかもしれない。 ライティングの仕事が消滅するわけではない。 たぶん、業界は専業の書き手よりも「書ける素人」を希求している。 というのも、文章作成は、志を持った者が生涯をかけて取り組むべき課題である一方で、収入や作業時間といった諸条件から勘案すると、むしろ副業に向いた仕事だからだ。 問題はペイだ。 現在、ライターは、買い叩かれている。 特にデジタルの原稿料は、web上の有象無象のサイトが品質の低い似たようなテキストを大量に求めている現状を反映した地点に落着している。 クリック数を広告でマネタイズする現状の仕組みが続く限り、テレビ感想文や皇室スキャンダルの焼き直しをミートボールにして煮込んだみたいな低劣なテキストがアクセス数のランキングに並ぶ事態は変わらないだろう。 しかし、こんなバカなことが長く続くはずがない。 読者は質の高い文章を求めている。 そして、質の高い文章を書ける人材は巷にあふれている。 近い将来、文章の質に値段がつく時期がやってくるはずだ。 いずれにせよ、今後、文章を含んだページを適正にマネタイズする枠組み(どうせGAFA頼りだとは思うのだが)が整備されて、利益に見合った適正な原稿料が配布されるシステムが完成すれば、ライターの未来はそんなに暗くない。 しばらくの間、食えない時代が続くかもしれないが、心配はない。 文章の上手な素人というのは、どこに置いても素敵な存在だし、なにより、ライターの伝統的な持ち前は「食えない」ところにある』、「今後、文章を含んだページを適正にマネタイズする枠組み・・・が整備されて、利益に見合った適正な原稿料が配布されるシステムが完成すれば、ライターの未来はそんなに暗くない。 しばらくの間、食えない時代が続くかもしれないが、心配はない。 文章の上手な素人というのは、どこに置いても素敵な存在だし、なにより、ライターの伝統的な持ち前は「食えない」ところにある」、持って回った表現で、分かり難いが、「ライターの未来」をどうも明るくはみてないような印象を受けた。

次に、6月28日付け日刊ゲンダイ「反骨のコラムニスト小田嶋隆さんの発言を振り返る 東京五輪の矛盾や安倍政権の罪を指摘」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/307399
・『24日に65歳で病死したコラムニストの小田嶋隆さんは「反骨精神の論客」として知られ、日刊ゲンダイにも度々コメントを寄せていた。哀悼の意を込めて、最近の発言を振り返りたい。 「医療従事者には、まるで『パラレルワールド』の出来事でしょう。人流を抑える緊急事態宣言の発令と、海外から数万人の関係者が訪れる五輪開催は大いなる矛盾。その上、『一生に一度の自国開催』とあおり、ブルーインパルスまで飛ばせば『一目見よう』という人が増えるのも無理はない。開会式では医療従事者を競技場内の聖火ランナーに起用するなど、形ばかりの『感謝の気持ち』に明け暮れましたが、おためごかしもいいところ。コロナ禍の大会は医療従事者イジメ。日本勢第1号の金メダリストへの直電で悦に入る菅首相の精神性は、辞任した開会式の楽曲担当者と同じ。単なる“イジメ自慢”です。誰かの犠牲の上に成り立つ五輪は、根本的に間違っています」(2021年7月=東京五輪開催について) 「菅首相は1964年の東京大会でバレー女子チームを金メダルに導いた、大松博文監督に感銘を受けているのでしょう。“鬼の大松”の指導方法をひと言で表せば『シゴキ』。今でいえば壮絶なパワハラで、当時は『ド根性』が流行語となり、体罰やサービス残業など日本型組織に根付く負の体質を育むことにもなった。その風潮の変化には実に半世紀もかかったのに、『シゴキ』を今の世によみがえらせようとしているのが、菅首相です。大松監督は帝国陸軍の生き残り。東京五輪はよく『インパール作戦』に例えられますが、監督はその過酷な戦地からの生還者でもある。だからこそ『極限状態に立たされることで、人間は真の力を発揮できるようになる』と強調するにいたったのですが、このアナクロニズムこそ菅首相の原点。自称『叩き上げ』の強い自負心もあり、無謀な挑戦も精神力で乗り切れると鼓舞し、医療従事者に限らず国民に全員一丸を押しつける。コロナ禍の五輪開催でシゴキ抜き、国民を強く鍛え上げられると本気で考えているとしか思えません」(2021年7月=菅首相(当時)の「東洋の魔女」発言について) 「曲がりなりにも『一体性、多様性、男女平等』を基本原則に掲げる五輪のホスト国として、日本はふさわしいのか。その点に国際世論は批判の矛先を向けているのです。女性蔑視発言の翌日に組織委が森会長を更迭していれば、まだ個人の問題を正常に処理したとみなされたでしょう。ところが、組織委の武藤敏郎事務総長や遠藤利明副会長ら『わきまえた』幹部は慰留に努め、JOCの山下泰裕会長らもモノが言えない。世耕弘成参院幹事長は『余人をもって代えがたい』、萩生田光一文科相は『最も反省で逆にあの態度』と政府・与党内の取り巻きからも擁護論が飛び出す始末。日本の後進性を世界にアピールしてばかりで結局、更迭の形でけじめをつけられなかった。後任も、若く、清新で、森会長と対照的な精神の持ち主とは言い難い。ただでさえ、五輪は新型コロナ禍で開催すら危ぶまれているのに、この体たらく。日本に自浄能力は期待できないと、世界中の意識の高いアスリートたちがボイコットに動いても、おかしくありません」(2021年2月=JOCの森会長の女性蔑視発言で) 「安倍氏は国会で自信満々に答弁し、野党議員に説教までしていた。その発言が虚偽だったのです。国会で嘘をつくなんて、政治家として終わっている。普通なら恥ずかしくて、議場に座っていられない。すぐにでも議員辞職するような話ですよ。ところが、安倍氏は平然としている。国民の側が政治に対する失望に慣らされ、嘘がまかり通るようになってしまった面もあると思います。底知れぬ政治腐敗を覚えます」) 「ホテルが数百人もいる参加者一人一人と契約して参加費を払ってもらっているなんていう説明があり得ない話なのは、誰もが分かっていた。それでも安倍さんは平気で明らかな嘘をつく。当たり前の常識が通用しない規格外の人です。バレない嘘ならついていい。バレても証拠がなきゃいい、立件されなければいいと思っている。立件されても有罪にならなきゃいいとすら思っている。そういう人には牢屋に入ってもらって、臭いメシを食べてもらうしかないんじゃないでしょうか。そうでもしなければ、改心することはないでしょう」(2020年11月=安倍首相の虚偽答弁が118回に及んだことについて)』、本質を突いた手厳しい批判は胸がすくようだ。
・『「安倍政権で日本語が意味を喪失、行政文書が紙ゴミに」  「安倍さん自ら『結果を出すことが重要』と言っている以上、首相を辞めた理由はどうであれ、8年に及ぶ安倍政治はきちんと総括されなければなりません。病気だからといって、執政が批判されない理由にはならないのです。文書主義を否定し、行政を“私物化”した安倍政権とは何だったのか、ちゃんと検証しない限り、時の政権による行政支配が続いていくと思います」(2020年9月=安倍首相が2度目の首相辞任を決めたことについて) 「政権の罪は、むしろ、彼らの日常動作の中にある。たとえば、行政文書を前例通りに記録・保存するという行政の担当者としてのあたりまえの習慣を、安倍晋三氏とその追随者たちは、政権を担当したこの8年の間に完膚なきまでに破壊した。それだけではない。彼らは、自分たちの政治資金の出納をまっとうに報告するという、政治家としての最も基本的な義務すら果たしていない」 「安倍政権の中枢に連なるメンバーは、正確な日本語を使い、公の場でウソをつかないという、日本の大人として守るべき規範さえ、きれいにかなぐり捨ててしまっている。おかげで、わたくしどものこの日本の社会では、日本語が意味を喪失し、行政文書が紙ゴミに変貌してしまっている。でもって、血統と人脈とおべっかと忖度ばかりがものを言う、寒々とした前近代がよみがえりつつある。(略)安倍政権は外交と経済をしくじり、政治的に失敗しただけではない。より重要なのは、彼らがこの国の文化と社会を破壊したことだ。私はそう思っている。一刻も早くこの国から消えてもらいたいと思っている」(2020年2月=安倍政権について) 「年金法案など個別の政策には反対が多いし、アベノミクスも失敗した。普通なら安倍内閣の支持率は下がるはずです。それなのに上がる理由は、ひとつは民進党が信頼されず、代わりがいないから。そしてもうひとつは、政策ではなく『安倍首相』というキャラクターが支持されているからではないでしょうか。トランプ現象が代表例ですが、世界中でハッキリ物を言うリーダーが受けている。安倍さんが国会で民進党をディスる姿が、むしろたくましいと思われている。弱者を助け、人権を守るというような戦後民主主義のリベラル思想を切り捨て、『甘ったれるな』と弱者の尻を叩くのを、正直な人だと好感を持って捉える。そんな背景があるように感じています」 「このままでは、弱者のためのセーフティーネットがなくなってしまいかねない。そうなれば、結果的に社会から活力や生産性が失われる。年を取ったり病気など不幸なことで、誰もが弱者になる可能性があるのに、セーフティーネットがなければ二度と這い上がれません。これ以上、格差拡大や社会的分断が加速すれば、取り返しのつかないことになってしまいます」(2020年1月=安倍政権について)』、「安倍政権の中枢に連なるメンバーは、正確な日本語を使い、公の場でウソをつかないという、日本の大人として守るべき規範さえ、きれいにかなぐり捨ててしまっている。おかげで、わたくしどものこの日本の社会では、日本語が意味を喪失し、行政文書が紙ゴミに変貌してしまっている。でもって、血統と人脈とおべっかと忖度ばかりがものを言う、寒々とした前近代がよみがえりつつある。(略)安倍政権は外交と経済をしくじり、政治的に失敗しただけではない。より重要なのは、彼らがこの国の文化と社会を破壊したことだ。私はそう思っている」、こうした手厳しい批判者が欠けてしまうのも、寂しい限りだ。
タグ:「晩年は他人が宣告できるものではない。あくまでも自己申告の目安にすぎない。それも、多分に芝居がかった指標だ」、「いまこの時を精いっぱいに生きる以外に方途を持たない大部分の凡人からすれば、晩年などという言葉を振り回しにかかること自体、いけ好かない態度であるのかもしれない」、面白いひねりだ。 「7年間で、「3ヶ月ぶり7回目」の入院ということになる」、「訃報欄の常法としては「晩年は入退院を繰り返し……」てなことになるのだろう」、結果的にはなってしまったようだ。 「原稿を書く稼業の人間にとっては、適度な貧困こそが、気詰まりな原稿の一行目をタイプするための理想的なスターティングガンということになる。書かなくても食えるのであれば、私は一行だって書かなかっただろう。それほど、執筆という作業は、書き手の心身をすり減らすものなのだ」、「書き手の心身をすり減らすもの」とは再認識させられた。 日経ビジネスオンライン「小田嶋隆さん、お疲れ様でした。そしてありがとう。」 随筆 (その4)(追悼 小田嶋隆氏2題:小田嶋隆さん お疲れ様でした そしてありがとう、反骨のコラムニスト小田嶋隆さんの発言を振り返る 東京五輪の矛盾や安倍政権の罪を指摘) 「令和の若者は、・・・先行きの見込みや未来の展望について、うわついたところがない。 こういう世界が、このまま、たいして変わることもなく、いつまでも続くのだろうと、なんとなくそう決めてかかっているフシがある・・・それゆえ彼らは、楽観的な老年本に誘引されるのではないか。昭和の若者が老後や近未来に一瞥もくれなかったことを思うと実に隔世の感がある」、彼らが「老年本」の重要な読者層だとすれば、その通りだ。 「今後、文章を含んだページを適正にマネタイズする枠組み・・・が整備されて、利益に見合った適正な原稿料が配布されるシステムが完成すれば、ライターの未来はそんなに暗くない。 しばらくの間、食えない時代が続くかもしれないが、心配はない。 文章の上手な素人というのは、どこに置いても素敵な存在だし、なにより、ライターの伝統的な持ち前は「食えない」ところにある」、持って回った表現で、分かり難いが、「ライターの未来」をどうも明るくはみてないような印象を受けた。 日刊ゲンダイ「反骨のコラムニスト小田嶋隆さんの発言を振り返る 東京五輪の矛盾や安倍政権の罪を指摘」 本質を突いた手厳しい批判は胸がすくようだ。 「安倍政権の中枢に連なるメンバーは、正確な日本語を使い、公の場でウソをつかないという、日本の大人として守るべき規範さえ、きれいにかなぐり捨ててしまっている。おかげで、わたくしどものこの日本の社会では、日本語が意味を喪失し、行政文書が紙ゴミに変貌してしまっている。でもって、血統と人脈とおべっかと忖度ばかりがものを言う、寒々とした前近代がよみがえりつつある。(略)安倍政権は外交と経済をしくじり、政治的に失敗しただけではない。より重要なのは、彼らがこの国の文化と社会を破壊したことだ。私はそう思っている」、こうし
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終活(死への準備)(その3)(70代残間里江子さん語る終活が必要な理由 残間里江子さん「先を楽しむための心の整理」、医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく 穏やかな最期のために、医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法 跡を濁さない「死に方」は選べる) [人生]

終活(死への準備)については、4月7日に取上げた。今日は、(その3)(70代残間里江子さん語る終活が必要な理由 残間里江子さん「先を楽しむための心の整理」、医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく 穏やかな最期のために、医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法 跡を濁さない「死に方」は選べる)である。

先ずは、1月24日付けハルメクWeb「70代残間里江子さん語る終活が必要な理由 残間里江子さん「先を楽しむための心の整理」」を紹介しよう。
https://halmek.co.jp/life/c/relief/5848
・『自分の「終わり」に向けての準備というと、気持ちが滅入るもの。しかし、プロデューサーの残間里江子さんは、終活とは物やお金の整理だけでなく、心を整理して「これから」に向かう前向きな行動だと話します。終活についての考え方を教えてもらいました』、興味深そうだ。
・『残間里江子(ざんま・りえこ) 1950(昭和25)年生まれ。アナウンサー、雑誌記者、編集者などを経て、現在はプロデューサーとして活躍中。2009年、大人世代のコミュニティ「クラブ・ウィルビー」を設立。著書に『もう一度 花咲かせよう 「定年後」を楽しく生きるために』(中公新書ラクレ)』、典型的なキャリアウーマンのようだ。
・『残間里江子さんが終活を意識し始めたきっかけ  残間里江子さんが終活を意識し始めたのは、2016年にご両親の死後の片付けをした時だと言います。 「小説家志望だった母は、70代後半でシナリオ教室に通うほどの熱量の持ち主でした。介護のために息子と私が住む東京のマンションに呼び寄せた時も本や原稿が多く、全盲になってからも右手を振りかざして宙に文字を書いていました」 お母様が99歳で亡くなった時には、ダンボール350箱分の原稿や大切にしていた文学全集などがあり、その片付けに半年ほどかかったそう。シュレッダーを3つ壊したとか。 「父はその前に亡くなっていましたが、当時も戦友の写真などたくさん出てきて。誰かわからないのですが父にとっては大切な物だったと思うので、一応すべて拝んでから処分しました」』、「「小説家志望だった母は、70代後半でシナリオ教室に通うほどの熱量の持ち主」、「全盲になってからも右手を振りかざして宙に文字を書いていました」、「お母様が99歳で亡くなった時には、ダンボール350箱分の原稿や大切にしていた文学全集などがあり、その片付けに半年ほどかかった」、この娘にして、この「母親」ありだ。
・『終活として自身の片付けを始めた  その後、ご自身の片付けを始めたと残間さんは話します。 「両親の物の片付けがあまりに大変で、今は『息子の目線』で自分の物を片付けるようにしています。私はシングルマザーで、息子が26歳で独り立ちしたとき食器を送ったら。『僕の趣味に合いません』って全部送り返されたんです。シンプルな物が好きな息子に、私自身もあまり好きでなかった派手な有田焼とかもここぞとばかりに送りつけたのもよくなかったんだけど(笑)」 息子は少しシニカルなところがある、そんな息子が捨てないと思われる物だけを残そうと考えた残間さん。そのため残間さんのご両親の物と、残間さんご自身から息子さんに残したいものを、洋服ケース一つ分ずつ選んでいるといいます』、「食器を送ったら・・・全部送り返された」、「シンプルな物が好きな息子に、私自身もあまり好きでなかった派手な有田焼とかもここぞとばかりに送りつけたのもよくなかったんだけど」、当然だろう。
・『物の終活だけでなく、お金の終活にも取り組む(物の終活に加え、お金の終活も始めたという残間さん。 「そろそろ息子に銀行や保険のことなども伝えたいと思って紙にまとめて書きました。息子は毎年3月の私の誕生日と母の日に来てくれます。誕生日に来てくれるというのでその紙を渡そうと思っていたら、息子が何か持っていたんです。どうせお酒か何かだろうと思ったら、なんと猫でした。『猫を飼い始めたから見せてあげるのがプレゼント』と言うのですが、とにかく驚いたし、気が抜けました。 気を取り直して次は母の日にと思っていましたが、また息子は何かを持っています。この前の猫かと思ったらなんと別の猫で、しかも灰色のぼろ布みたいな猫なの。かわいいけれど、また気が抜けてしまいました。30歳になって猫2匹飼い始めてどうするのって」 予想外の展開に渡しそびれてしまった大事なものは、後日ちゃんと渡せました』、「30歳になって」も、恋人ではなく、「猫2匹」とは・・・。
・『終活で大切なのは、力があるときに扉を閉じておくこと  「終活をしなきゃ」と頭ではわかっているものの、自分の死について考えると暗い気持ちにならないものでしょうか。その疑問を残間さんに投げかけてみたところ、「どうせ全員、最期は来ます」とキッパリとした返答が。 「母は最後まで自分の思いを遂げるのに必死で、日々の生活は二の次でしたが、私は必要なことは先にやっておくのが好きな方。何かを残せば周囲に迷惑がかかる。みんなが気を使わなくていいように、手立てを講じておきたいんです」 その手立てとして物やお金の終活をしてきた残間さんですが、「これからの自分が何をするか、すべきか考えること」も大事だと語ります。 「物事を締めくくって、自分がしたいことを考える。一度「閉じる」ことによって、これからの新しい扉を開くエネルギーが出てくるんです。終活を前向きな行動にするのです。 同世代の知人の葬儀に出るたびに『もっと生きたかっただろうな』『死んだらすべて終わっちゃうな』と思います。私は甲状腺や免疫系の病気があり、今も全身湿布だらけです。朝はさっと動けません。熱いお風呂に入っているうちにようやく動けるようになるような調子ですが、まだ外に出られるし、人にも会える。 何はともあれ生きているんだからきれいな花を見ているだけでなくて、もう一度自分の人生にもひと花咲かせたいと思っています。毎日夕方にドラマの再放送を見ているだけとか、なんとなく日々を過ごして本当にしたいことができないのはもったいないですよ」』、「物事を締めくくって、自分がしたいことを考える。一度「閉じる」ことによって、これからの新しい扉を開くエネルギーが出てくるんです。終活を前向きな行動にするのです」、面白い考え方だ。
・『人生の最期に自分らしい花を咲かそう  残りの人生でもう一花咲かせようと思うと、大層なことをやらねばとつい思ってしまいますが、「やりたいこと」は趣味でも旅行でも何でもいいと残間さんは言います。「次の世代や、次の次の世代など、社会の役に立つことだとよりいいですけど。友人の夫は、小学生の通学路の見守りを始めました。いつのまにかそれが楽しみになり、卒業式では子どもたちから表彰状をもらって喜んで部屋に飾っているようです。私は哀しいことに趣味がなく、やりたいことを探している最中。「9」という数字が好きだから、79歳までの間に夢中になれることを毎日考えています」 残間さんは、「終活で大切なのは、次に向かう力があるうちに、あいまいに開いている扉を閉じておくこと」だと表現します。 「誰かに閉じてもらうのではなく、自分の手で閉じておく。そうして最後の日まで何をしたいか考える。物やお金は誰かが片付けてくれるかもしれませんが、自分の心は自分にしか整理できません。ぜひ人生の最期に自分らしい花を咲かせてください」』、「自分の心は自分にしか整理できません。ぜひ人生の最期に自分らしい花を咲かせてください」、その通りだ。
・『今から始めたい「3つの整理」お金の整理 銀行口座や保険を整理しておきましょう。のこされた家族が扱いに困る物がないか 今のうちに見直しを)。 物の整理(不要な物は片づけながら、本当に大切な物は自分がいなくなった後にどうしてほしいか、家族に伝えておきましょう)。 心の整理(明日が最後の日だとしたら、何をしたいですか? 趣味でも仕事でも、本当にしたいことを見つめ、実行しましょう。 ※この記事は、2019年9月号「ハルメク」を再編集しています』、やはり「心の整理」が一番、手強そうだ。

次に、3月27日付け現代ビジネス「医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく 穏やかな最期のために」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93508?imp=0
・『死は誰にでも平等にやってくるが、一度しか経験できない。そのため、多くの人が納得のいく形で亡くなることができていない。「下手な死」を避け、「上手な最期」を迎えるためには何が必要なのか』、「「下手な死」を避け、「上手な最期」を迎える」、理想ではある。
・『チューブだらけの最期  死ぬ時は眠るように、穏やかに逝きたい—。苦しみながら死んでいくのはごめんだと、誰しも考えているはずだ。 だが、2020年に公開された人口動態統計を見ると、日本人の71・3%が病院で息を引き取っていることがわかる。これは多くの人が死の間際まで延命治療を受けながら、苦痛とともに亡くなっていくことを意味している。医師で小説家の久坂部羊氏が自らの経験を語る。 「40年ほど前、駆け出しの外科医だった私は総胆管結石を患った70代の女性の手術を担当しました。しかし、彼女は手術後に原因不明のけいれんを起こし、肺炎も併発してしまったのです」 この人を死なせるわけにはいかない。久坂部氏は患者に人工呼吸器をつけ、ステロイドや強心剤の投与を繰り返した。だが容態は悪化し、全身に出血傾向が出て多臓器不全にまで陥った。 「この段階でも私は治療を諦めきれず、それまでの治療に加え、輸血も開始しました。女性はすでに意識がなく、手足は浮腫のためどんどん膨らんでいきます。下血もひどく、輸血した血がそのまま出てきてしまうような状況でしたが、強心剤と人工呼吸器のせいで心臓は止まりません。 生きたまま身体が腐っていくような状態が続いたのち、彼女は亡くなりました。患者を救おうと思って行った治療が、患者だけでなく家族にも不安と絶望を与えてしまったのです」(久坂部氏)) この70代の女性は、決して特殊な例ではない。病院で亡くなる場合は、多くの人が人工呼吸器や透析器につながれ、「無理やり生かされた状態」を経て命を終える。 最期の瞬間まで延命治療が続けられる現代では、自然の流れに逆らわず、植物が静かに枯れていくような「きれいな死に方」を実現することは困難になっている。 そもそも人間の死とは「呼吸停止」「心停止」「瞳孔の散大」の3つの条件が揃った時に初めて認められる。これらは何の兆候もなく、突然起こるわけではない。 「事故などによる突然死でない限り、老衰死も病死も昏睡状態に陥ることから始まります。こうなると間もなく下顎を突き出し、口をパクパクと開け閉めしてあえぐように息をする下顎呼吸が始まるのです。 下顎呼吸は呼吸中枢の機能が低下すると発生し、数分から1時間程度で終わり、死に至ります。これが始まった時点でいくら蘇生を試みても、その人が回復することはありえません」(久坂部氏) つまり、本来であれば下顎呼吸が始まった時点で抗うのはやめ、穏やかに見守るべきなのだ。 だが、家族や身近な人に死を目前にした衰弱や昏睡、まして下顎呼吸が始まれば、周囲は取り乱し、少しでも苦しみを軽減させたいと無理な延命治療を選択してしまう。これが死の苦しみを却って増幅させ、苦痛とともに亡くなっていく「下手な死」へとつながる。 延命治療はそのほとんどが家族の希望によってなされている。とすれば、あなたが「上手な最期」を迎えるためには、「死に方の予習」をし、家族ともその知識を共有しておくことが、もっとも重要なのである』、「下顎呼吸は呼吸中枢の機能が低下すると発生し、数分から1時間程度で終わり、死に至ります。これが始まった時点でいくら蘇生を試みても、その人が回復することはありえません」、「本来であれば下顎呼吸が始まった時点で抗うのはやめ、穏やかに見守るべきなのだ」、「だが、家族や身近な人に死を目前にした衰弱や昏睡、まして下顎呼吸が始まれば、周囲は取り乱し、少しでも苦しみを軽減させたいと無理な延命治療を選択してしまう。これが死の苦しみを却って増幅させ、苦痛とともに亡くなっていく「下手な死」へとつながる」、「家族や身近な人」にも自分の意志を明確に伝えておく必要がありそうだ。
・『赤ん坊に戻ってゆくだけ  では、「下手な死」を避け、肉体的にも精神的にも苦痛の少ない「上手な最期」を迎えるにはどうすればいいのだろうか。久坂部氏が語る。 「余計な苦痛を感じずに亡くなるには、死期を迎えた時にはもう何もしないことです。そのためには、病院ではなく家で亡くなることが一番の方法だと思います。 病院に行けば命が助かるというのは、幻想にすぎません。死の間際の点滴は血液を薄め、内臓に負担をかけるだけですし、酸素マスクもただ呼吸の邪魔をするだけです。穏やかな最期を迎えるには、いかに医療から離れるかが重要になるのです」 在宅医としてこれまでに3000人もの患者を看取った、めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊氏が、死が近づくと身体に起こる自然な変化について解説する。 「死が近づいてくると、今までできたことが徐々にできなくなっていきます。私はこれを『生まれたばかりの赤ん坊に戻る』と説明しています。がんや認知症、老衰などによってその速度は変わりますが、おおむね共通した傾向が表れるのです。 まずは硬いものが食べられなくなり、食事の量が減っていきます。体力の低下に伴って歩ける距離も短くなります」 やがて外出が難しくなり、家の中でも介助なしには移動が困難になる。お風呂やトイレも人の手助けなしには済ませられなくなるのだ。この頃には固形物は口にできなくなり、ほとんど水分だけで過ごす毎日が始まる。 体が弱っていくと、目を閉じて眠る時間が増え、この状態が続くといつ昏睡が起きてもおかしくなくなる。 認知症や老衰の場合、昏睡に陥るまでの時間は、硬いものが食べられなくなり衰弱し始めてから数年ほどかかるが、末期のがんなどの場合は、食事が満足に摂れないようになってから1ヵ月半ほどで昏睡に陥る。 死期が近づくにつれ、痩せ細っていく様子を見て不安がる家族も多いが、これは誰にも起こる自然な現象なのだ。 故人が満足に死を迎えられたかどうかは誰にもわからない。ただ宣告を受け死を受け入れるまでの準備として、どんな段階があるのかは知っておいても損はない。その具体的な事例を後編記事の『医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法』でお伝えする』、「病院に行けば命が助かるというのは、幻想にすぎません。死の間際の点滴は血液を薄め、内臓に負担をかけるだけですし、酸素マスクもただ呼吸の邪魔をするだけです。穏やかな最期を迎えるには、いかに医療から離れるかが重要になる」、「体が弱っていくと、目を閉じて眠る時間が増え、この状態が続くといつ昏睡が起きてもおかしくなくなる。 認知症や老衰の場合、昏睡に陥るまでの時間は、硬いものが食べられなくなり衰弱し始めてから数年ほどかかる」、「数年かかる」というのは私には長い印象だ」、「後編記事」も見てみよう、

第三に、この続きを、3月27日付け現代ビジネス「医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法 跡を濁さない「死に方」は選べる」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93509?imp=0
・『死は誰にでも平等にやってくるが、一度しか経験できない。故人が自分の死に満足をしたかどうかは誰にも分からないが、死をを迎えるための準備にどういった段階があるのかは知っておいても損はない。 医師としてのキャリアを持ち、人の死に向き合ってきた作家の久坂部羊さんをはじめとする、「上手な最期の迎え方」についてを、前編記事『医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく』でお伝えした。では具体的にどんな心構えや方法があるのか、引き続き明かす』、興味深そうだ。
・『どうしたら開き直れるか  40代半ばから在宅医として訪問診療に従事した久坂部氏には、自宅できわめて穏やかな最期を迎えた、忘れられない患者がいる。 「私がかつて在宅医として担当した60代の男性は肺がんを患っていました。彼は入院による抗がん剤治療の効果があまり表れないと見るや、『最期の瞬間は自宅で迎えたい』と家へと戻る決断をしたのです。 抗がん剤の副作用から解放された彼は、自宅で自由気ままな毎日を過ごしました。そうして徐々に弱っていき、1ヵ月半ほどで寝たきりになり、ある夜ついに昏睡状態に陥ります。 こうなっても、当初の約束通り延命治療はしませんでした。彼は点滴も酸素マスクもなく、自然な姿のまま家族に看取られて布団の上で亡くなっていったのです」 この男性の妻は、夫が息絶えていく様子を見ながら「家で最期を迎えると聞いた時はどうなることかと思ったけど、こんなに穏やかに逝けるなんて……」と打ち明けたという。彼は家族も納得する中、何の医療器具もつけない身体のまま亡くなっていった。 「少しずつできることも減っていきますが、それは悲しいことではない。こう覚悟を決めておけば、本人もその家族も、いざ死を前にした時でも恐怖感を和らげられるはずです」(久坂部氏) 「上手な最期」を迎えるためには恐怖から死を否定せず、何が起こっても良いと命の終わりを意識しておくことが大切だ。これが土壇場での覚悟につながる。 しかし、穏やかな最期を迎えた人が、おしなべて最初から覚悟ができていたわけではない。死を受け入れられるようになるには、気持ちを整理することも必要になる。めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊氏が語る。 「かつて看取った患者さんの中に、死を間近に控えた40代のお母さんがいました。彼女は『まだ小さい子供たちを残し、なぜ死ななければいけないのか』と理不尽さと苦しさを感じていたのです。 しかし彼女と話し合う中で、限られた命を嘆くよりも、亡くなるまでの間に多くのことを子供たちに伝えようとするほうが大事だと伝えました。 その後、実際に彼女は子供たちに自分の大切にしてきたものについて話し、自分がどんな母親だったのかを積極的に伝えようとし始めました。すると、死を嘆いていた彼女の表情が、別人のように明るくなっていったのです」 死までの間に目的意識を持つことが心境の変化をもたらし、彼女に落ち着きを与えたのである。 これは看取る側も同じだ。最期まで耳は聞こえているという説もあるが、患者が昏睡状態になってから感謝の声をかけたとしても、実際はもう聞こえていない可能性が高いという。そうであれば、まだ意識があるうちに伝えられるだけの感謝を伝えたほうがいい』、「抗がん剤の副作用から解放された彼は、自宅で自由気ままな毎日を過ごしました。そうして徐々に弱っていき、1ヵ月半ほどで寝たきりになり、ある夜ついに昏睡状態に陥ります。 こうなっても、当初の約束通り延命治療はしませんでした。彼は点滴も酸素マスクもなく、自然な姿のまま家族に看取られて布団の上で亡くなっていったのです」、本当に「上手な最期」だ。「患者が昏睡状態になってから感謝の声をかけたとしても、実際はもう聞こえていない可能性が高いという。そうであれば、まだ意識があるうちに伝えられるだけの感謝を伝えたほうがいい」、その通りだろう。
・『目をそらさず考える  一方で、本人が在宅での看取りを希望していたにもかかわらず、看取りに失敗してしまった例もある。久坂部氏が語る。 「70代半ばの前立腺がんの患者でした。彼はがんが骨へと転移してしまったため、治療をあきらめて家へと戻りました。奥様にも延命治療をしない方針を話しており、合意のうえです。 しかし、彼が寝たきりになって誤嚥性肺炎を起こし、いよいよ臨終が近くなった時、その様子を見かねた息子さんに『救急車を呼んでください』と頼まれたのです」 実は、この男性は妻とは死期を迎えた時の対応について話し合っていたが、離れて暮らしていた息子には延命治療を行わない方針を打ち明けていなかった。 肺炎が重症化すると、酸素を取り入れる組織である肺胞が機能しなくなるため、いくら一生懸命息を吸ったとしても苦しみは改善しない。 常に首を絞められているような苦痛の中、大量の痰が絡まり、それを無理やり吸引されながら、場合によっては喉を切開されてボロボロになりながら亡くなっていくこともある。 救急車で病院へと運ばれた男性は、2週間の延命治療を経て、病室の中で息を引き取ったが、その最期は安らかとは言いがたいものだった。 こうならないための周囲との意思の疎通について「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)の考えが参考になる。 「ACPは『最期に向けての事前準備』と訳されます。心肺停止になった時に蘇生処置を受けるのか、食事が口から摂れなくなった時に胃ろうをつけるのかなど、元気なうちにどう死にたいか希望を明確にしておくのです」(久坂部氏) これを家族や看取りに参加する人と共有し、合意を得ておけば、認知症などで意思の確認ができなくなったとしても、病院に運ばれる可能性を下げることができる。 「日本人は戦時中の反動で、現在は命を大切にしすぎていると言えます。これが最期まで医療にすがってしまうことの原因となっています。 ある医師は『高齢者の役目は死ぬところを周りの人に見せることだ』と話していました。自分の最期を家族に見せ、上手に死ぬためにはどうすればいいのか、お手本を示すべきだというのです。これは私も同じ意見です。死から目をそらさず、こういった成熟した考えを持つことのできる人が上手に死んでいくのです」(久坂部氏) 自身や身近な人の死を目前にした時の心構えについて久坂部氏が解説した『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)が発売中だ。死のための「予習」について、より詳細に知りたい方は、この新書もぜひ手に取っていただきたい。 死は誰もが一度しか経験できない。しかし、事前に心構えと準備をしておけば「上手な最期」を実現できる。死の間際に後悔しないため、覚えておきたい』、「「ACPは『最期に向けての事前準備』と訳されます。心肺停止になった時に蘇生処置を受けるのか、食事が口から摂れなくなった時に胃ろうをつけるのかなど、元気なうちにどう死にたいか希望を明確にしておくのです」・・・これを家族や看取りに参加する人と共有し、合意を得ておけば、認知症などで意思の確認ができなくなったとしても、病院に運ばれる可能性を下げることができる」、「ACP」はいい仕組みで、「事前に心構えと準備をしておけば「上手な最期」を実現できる」、詳細は以下を参考に
https://square.umin.ac.jp/liv-will/new1008.html
タグ:終活(死への準備) (その3)(70代残間里江子さん語る終活が必要な理由 残間里江子さん「先を楽しむための心の整理」、医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく 穏やかな最期のために、医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法 跡を濁さない「死に方」は選べる) ハルメクWeb「70代残間里江子さん語る終活が必要な理由 残間里江子さん「先を楽しむための心の整理」」 残間里江子 「「小説家志望だった母は、70代後半でシナリオ教室に通うほどの熱量の持ち主」、「全盲になってからも右手を振りかざして宙に文字を書いていました」、「お母様が99歳で亡くなった時には、ダンボール350箱分の原稿や大切にしていた文学全集などがあり、その片付けに半年ほどかかった」、この娘にして、この「母親」ありだ。 「食器を送ったら・・・全部送り返された」、「シンプルな物が好きな息子に、私自身もあまり好きでなかった派手な有田焼とかもここぞとばかりに送りつけたのもよくなかったんだけど」、当然だろう。 「30歳になって」も、恋人ではなく、「猫2匹」とは・・・。 「物事を締めくくって、自分がしたいことを考える。一度「閉じる」ことによって、これからの新しい扉を開くエネルギーが出てくるんです。終活を前向きな行動にするのです」、面白い考え方だ。 「自分の心は自分にしか整理できません。ぜひ人生の最期に自分らしい花を咲かせてください」、その通りだ。 やはり「心の整理」が一番、手強そうだ。 現代ビジネス「医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく 穏やかな最期のために」 「「下手な死」を避け、「上手な最期」を迎える」、理想ではある。 「下顎呼吸は呼吸中枢の機能が低下すると発生し、数分から1時間程度で終わり、死に至ります。これが始まった時点でいくら蘇生を試みても、その人が回復することはありえません」、「本来であれば下顎呼吸が始まった時点で抗うのはやめ、穏やかに見守るべきなのだ」、「だが、家族や身近な人に死を目前にした衰弱や昏睡、まして下顎呼吸が始まれば、周囲は取り乱し、少しでも苦しみを軽減させたいと無理な延命治療を選択してしまう。これが死の苦しみを却って増幅させ、苦痛とともに亡くなっていく「下手な死」へとつながる」、「家族や身近な人」に 「病院に行けば命が助かるというのは、幻想にすぎません。死の間際の点滴は血液を薄め、内臓に負担をかけるだけですし、酸素マスクもただ呼吸の邪魔をするだけです。穏やかな最期を迎えるには、いかに医療から離れるかが重要になる」、「体が弱っていくと、目を閉じて眠る時間が増え、この状態が続くといつ昏睡が起きてもおかしくなくなる。 認知症や老衰の場合、昏睡に陥るまでの時間は、硬いものが食べられなくなり衰弱し始めてから数年ほどかかる」、「数年かかる」というのは私には長い印象だ」、「後編記事」も見てみよう、 現代ビジネス「医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法 跡を濁さない「死に方」は選べる」 「抗がん剤の副作用から解放された彼は、自宅で自由気ままな毎日を過ごしました。そうして徐々に弱っていき、1ヵ月半ほどで寝たきりになり、ある夜ついに昏睡状態に陥ります。 こうなっても、当初の約束通り延命治療はしませんでした。彼は点滴も酸素マスクもなく、自然な姿のまま家族に看取られて布団の上で亡くなっていったのです」、本当に「上手な最期」だ。「患者が昏睡状態になってから感謝の声をかけたとしても、実際はもう聞こえていない可能性が高いという。そうであれば、まだ意識があるうちに伝えられるだけの感謝を伝えたほうがいい」 「「ACPは『最期に向けての事前準備』と訳されます。心肺停止になった時に蘇生処置を受けるのか、食事が口から摂れなくなった時に胃ろうをつけるのかなど、元気なうちにどう死にたいか希望を明確にしておくのです」・・・これを家族や看取りに参加する人と共有し、合意を得ておけば、認知症などで意思の確認ができなくなったとしても、病院に運ばれる可能性を下げることができる」、「ACP」はいい仕組みで、「事前に心構えと準備をしておけば「上手な最期」を実現できる」、詳細は以下を参考に https://square.umin.ac
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終末期(その7)(自分らしい「在宅ひとり死」をやりきった人の最期 「最後の砦」の先に見える いのちの輝き、終末期医療に携わってきた92歳の精神科医が"理想の最期"を迎えるために60歳から準備してきたことろうそくの炎が消えるような最期を迎えるには、日本人は三途の川 アラビア人は砂漠?死の淵で人は何を見るか 臨死体験の研究者に聞く) [人生]

終末期については、昨年6月24日に取上げた。今日は、(その7)(自分らしい「在宅ひとり死」をやりきった人の最期 「最後の砦」の先に見える いのちの輝き、終末期医療に携わってきた92歳の精神科医が"理想の最期"を迎えるために60歳から準備してきたことろうそくの炎が消えるような最期を迎えるには、日本人は三途の川 アラビア人は砂漠?死の淵で人は何を見るか 臨死体験の研究者に聞く)である。

先ずは、本年1月27日付け東洋経済オンラインが掲載したルポライターの荒川 龍氏による「自分らしい「在宅ひとり死」をやりきった人の最期 「最後の砦」の先に見える、いのちの輝き」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/502275
・『人はいつか老いて病んで死ぬ。その当たり前のことを私たちは家庭の日常から切り離し、親の老いによる病気や死を、病院に長い間任せきりにしてきた。結果、死は「冷たくて怖いもの」になり、親が死ぬと受け止め方がわからず、喪失感に長く苦しむ人もいる。 看取り士とは、余命告知を受けた本人の家族から依頼を受け、本人や家族の不安をやわらげ、思い出を共有し、最後は抱きしめて看取ることを支える仕事。時には単身者を支えることもある。 体調が急速に悪化していた藤井明(仮名・83)はひとり暮らしで、肺がんのステージ4。看取り士が藤井の夜間付き添いと看取りを担い、訪問看護師との二人三脚で、「在宅ひとり死」を支えた事例を紹介する』、「看取り士」なる資格の存在を初めて知った。
・『「最期まで自宅で過ごしたい」に寄り添う  訪問看護師の内堀敬子(52)は、在宅医療はその病状によって、医療の隙間をうめる人が必要な場合もあると話す。 「私たちが利用者宅に滞在できる時間には限りがあるからです。藤井さんは、我慢できない痛みのつらさや不安から、夜間に電話をかけてこられることが多かったです。誰かにそばにいてほしい思いがひしひしと伝わってきました」 藤井の希望は最期まで自宅で過ごすこと。内堀は看取りも近いと考えていて、残りの1、2週間を自宅で安心して過ごしてほしかった。2021年8月末の話だ。 そこで藤井には、元看護師である看取り士の白瀧貴美子(56)と、夜間付き添いを加えた派遣契約を新たに結んでもらおう、と内堀は考えた。それなら心理面もふくめて夜間の痛みにも対応できる。 内堀も看護師として働きながら、看取り士資格を取得。開業医の夫と連携して、2021年5月うちぼり訪問看護ステーション「桜乃(さくらの)」を愛知県岡崎市で開業した。そして白瀧が代表を務める看取りステーション「なごやかあいち」と、看取りサービスについて業務委託契約を結んだ。全国で初めての試みだ。 終末期の本人や家族の意向をふまえたうえで、内堀は従来の訪問看護サービス以外に、体調が急変しても救急車を呼ばず、自宅での穏やかな時間の中で看取りを行うサービスを、ワンセットで提供する選択肢を付け加えた。 柴田久美子・日本看取り士会会長は、終末期の人には訪問看護師だけでなく、訪問診療医とも連携する動きがあると話す。 「藤井さんのように痛みが強く、ご不安の大きい単身者には夜間付き添いができる専門家が必要です。その場合、国家資格の介護福祉士や看護師免許を持つ看取り士を派遣します。終末期の方には、生と死の境界線上にあるいのちから目をそむけず、きちんと向き合う覚悟と経験を兼ね備えた人が必要ですから」』、「看護師として働きながら、看取り士資格を取得」、「看取り士」も国家資格のようだ。「終末期の方には、生と死の境界線上にあるいのちから目をそむけず、きちんと向き合う覚悟と経験を兼ね備えた人が必要」、確かにその通りだろう。「従来の訪問看護サービス以外に、体調が急変しても救急車を呼ばず、自宅での穏やかな時間の中で看取りを行うサービスを、ワンセットで提供する選択肢を付け加えた」、「従来の訪問看護サービス」に付け加える形で選択肢が広がったのは、便利だ。
・『「俺は死ぬのか?」の質問に彼女は即答した  2021年9月上旬、内堀は白瀧と2人で藤井宅を訪れた。夜間に体の痛みなどに苦しむ藤井に、白瀧がその時間帯に寄り添ってくれることの安心感などを丁寧に説明した。藤井は悪化する体調と不安からか警戒心が少し解け、白瀧の話を聞こうという素ぶりを見せた。 「ですが、痛みに耐えながらも生き抜こうとされていた藤井さんには、『看取り士』という言葉への違和感と、『心身ともに弱っている自分から、お金を巻き上げるつもりか?』という不信感もおありになるようでした」 元看護師でもある白瀧は率直に語った。 藤井は白瀧の話を聞き、一升瓶に貯まった100円玉硬貨などを数えてもらい、必要な金額があれば契約すると決めた。 午後9時から翌朝7時まで夜間付き添い5日間と、白瀧が藤井宅へ通う交通費。看取りの費用をふくめた必要金額は22万円(料金は内容に応じて違う)。 「お金を数えるだけで約1時間かかりました。5円玉や50円玉は別途ヒモに通して保管されていて、几帳面な方でした。10万円分を数え終えた時点で、藤井さんに『これなら22万円ありますよ』とお伝えすると、両頬に赤く血の気がさしたんです。それまでの青白く沈んだ表情とはまるで別人でした」(白瀧) 白瀧が数え終えると、藤井は笑顔で拍手をして、「やったー!」と声まで上げて喜んだ。両肩で息をし、体を動かすのも大変だったのに、だ。 藤井の3歳下の弟夫婦が車で約5分の所に暮らしていたが、弟は糖尿病で妻は世話に忙殺されていた。義兄の面倒まで見る余裕はないと藤井もわかっていたのだろう。藤井は真顔に戻って、白瀧に「俺は死ぬのか?」と聞いてきた。 「看取り士との契約を結ばれると安心されて、それまでどおりの穏やかな生活を送られる方が多いです」 白瀧が即答すると、藤井は短く「うん」と返した。言葉数が少ない人だった。 一方の内堀も、終末期の人に大丈夫と伝えることの大切さを指摘する。 「今、おうどん1本を食べられた。お水を1口、2口飲むことができた。『だから大丈夫ですよ』と私もお伝えします。それが希望になるからです。その『大丈夫』が1年、2年ではなく、この1日、2日の話だということは、ご本人もよくご存じですから」』、「「今、おうどん1本を食べられた。お水を1口、2口飲むことができた。『だから大丈夫ですよ』と私もお伝えします。それが希望になるからです。その『大丈夫』が1年、2年ではなく、この1日、2日の話だということは、ご本人もよくご存じですから」、「『大丈夫』が・・・この1日、2日の話だということは、ご本人もよくご存じですから」、「看取り士」の世界は通常とは違うようだ。
・『生死の境でこそ1日1日を生き続ける  22万円を数えあげた当日から、白瀧による夜間付き添いが始まった。藤井は日々手書きでメモをつけており、白瀧は本人に頼んで後日見せてもらった。 「朝、喫茶店ではサンドイッチを半分しか食べられなくなった」「ゆで卵一個は食べられた」「弟夫婦と一緒にうどんを食べた。おいしかった」 いずれも自力で外出できていた頃のものだ。食への強い執着と食べられないことの戸惑い。その狭間で揺れながらも、行きつけの店に毎朝通い続けることへの藤井の執念が感じられた。 だが、もう外出する体力はない。ちなみに白瀧の派遣契約を決めた日は、「ひさしぶりに笑った」と書かれてあった。 白瀧が夜間付き添いを始めた頃はすでに介護用オムツをつけていたが、藤井はまだ自力でトイレに行くことにも強いこだわりを見せていた。 「精神安定剤や医療用麻薬の服用も、当日の体調をふまえて自ら毎回調整していらっしゃいました。体調の良し悪しはあっても、頭は最後までしっかりとしていて、ご自分のことをつねに毅然と保とうとされていました」(白瀧) 白瀧がいない午前7時から午後9時までの時間帯は、無償ボランティアの「エンゼルチーム」10人が交代で訪れ、ひとり暮らしの藤井を支えた。白瀧は彼の弟夫妻にもチームに加わってもらい、兄の死を受け止める心の準備を進めた。 夜間付き添い4日目。藤井が母親に秘密でも伝えるように、「(おしっこが)出ちゃった……」と白瀧に打ち明けた。最期が近づくと全身の筋力が失われ、排泄もやがて我慢できなくなる。 少し前まで「自分を失いたくないから眠りたくない」とさえ話していた藤井が、心の鎧(よろい)を脱ぎ、そう伝えてくれたことが白瀧にはうれしかった。 彼女が口角を上げながら「もう頑張らなくてもいいですよ、任せてください」と伝えると、藤井はうんうんと黙ってうなずいた。 「元気な方から見れば、『死に近づく』過程かもしれません。しかし、私には、藤井さんが体の変化を毎回冷静に受けとめ、私に少しずつ委ねていかれるように感じました。その一つひとつを藤井さんの意思で毎回選びとり、あくまでも前向きに生き続けようとされているって……」(白瀧)) トイレに自力で行くことが、終末期の尊厳の「最後の砦」という見方がある。だが、白瀧は「最後の砦」の先に、藤井のいのちの輝きを見ていた。 火花が出なくなった線香花火は、燃え尽きる寸前にその火の玉を少しふくらませてぷるぷると震える。その震えこそが藤井その人である、と。 「ですから朝の日差しが部屋に入ってくると、『一晩をまた一緒に越えられた』と、日々感謝しました。数日後、朝日を浴びる藤井さんの姿がふいに神々しく見えて、『あっ、ご自身の死を受け入れていらっしゃる』と直感したら涙がこぼれました」(白瀧) それが旅立ちの日になる』、「「(おしっこが)出ちゃった……」と白瀧に打ち明けた。最期が近づくと全身の筋力が失われ、排泄もやがて我慢できなくなる。 少し前まで「自分を失いたくないから眠りたくない」とさえ話していた藤井が、心の鎧(よろい)を脱ぎ、そう伝えてくれたことが白瀧にはうれしかった」、「午前7時から午後9時までの時間帯は、無償ボランティアの「エンゼルチーム」10人が交代で訪れ、ひとり暮らしの藤井を支えた」、「無償ボランティア」が活用できたとはラッキーだ。
・『5回の大きな深呼吸で彼が伝えたかったこと  藤井が努力呼吸(普段は使わない部位を使って呼吸すること)に変わったと、白瀧は内堀から連絡を受けた。藤井がお漏らしを白瀧に伝えた2日後、9月14日の夕方だった。 「13日の夜、藤井さんは言葉を発するのも難しくなりました。夜の11時頃に顔を見せた内堀さんに、藤井さんは辛うじて『キュッキュッ』と言われました。内堀さんは、子供がお風呂に浮かべて、手で押して鳴らすオモチャのことだと直感され、看護師仲間のお宅からすぐに借りてきてくれました」 内堀がオモチャを藤井に手渡して「おやすみなさい」と声をかけると、彼はそれを「キュッキュッキュッキュッ」と4回鳴らした。すると白瀧が内堀に、「『お・や・す・み』だって!」と言って笑った。 その夜の藤井は右手で白瀧の手を、左手で鳴るオモチャをまるでナースコールのブザーのように握り、自分で選んだ内服薬を飲み、穏やかな表情で眠った。 だが、翌14日にはオモチャを鳴らす握力もなかった。 白瀧が同日17時過ぎに藤井宅に駆けつけると、すでに弟夫妻などが集まっていた。藤井の妹がベッドに上がり、白瀧にうながされて左内ももに藤井の頭をのせて顔を近づけ、か細い呼吸に自身の呼吸を合わせ始めた。看取りの作法だ。 約1時間後、藤井が両肩を大きく上下させ、5回の深呼吸をして息絶えた。内堀が「『あ・り・が・と・う』だね」と言った瞬間、白瀧もそう直感した。 「藤井さんが夜に電話してきて、『体が痛い』などと訴えられて電話を切る際に必ず、『ありがとう』と言われていたんです。几帳面で律儀な方でした」(内堀) 内堀と白瀧のやりとりを聞いた弟夫妻も、「いいお看取りを見せていただきました」と目を潤ませた。 弟夫妻はベット脇に順番に腰をかけ、藤井の頭を太ももに上にのせ、顔を近づけて、背中に手を回して彼の温もりに触れた。兄に触れるのを当初拒んでいた弟も、その頭を太ももにのせると嗚咽しそうになるのを必死にこらえていた。 義理の妹が「お義兄さんは食べることが好きだったから、これからは私たちと一緒になんでも食べに行けるよね」と、その場を明るく灯すように言った。抱きしめて看取ったことで、藤井がそばにいると実感したからだろうか』、「左内ももに藤井の頭をのせて顔を近づけ、か細い呼吸に自身の呼吸を合わせ始めた。看取りの作法だ」、こんな「看取りの作法」があるとは初めて知った。確かに死んでゆく人にとっては、心地良さそうだ。

次に、4月24日付けPRESIDENT Onlineが掲載した精神科医の中村 恒子氏と、精神科医・産業医の奥田 弘美氏の対談「終末期医療に携わってきた92歳の精神科医が"理想の最期"を迎えるために60歳から準備してきたことろうそくの炎が消えるような最期を迎えるには」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/56685
・『理想の最期とはどのようなものだろうか。92歳の精神科医・中村恒子さんは「私はできるだけ楽に死にたい。そのために60歳のころから準備してきたことがある」という。54歳の精神科医・奥田弘美さんとの対談をお届けしよう――。 ※本稿は、中村恒子・奥田弘美『うまいこと老いる生き方』(すばる舎)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『できるだけ楽に死にたい  【奥田】先生はずいぶん前から、いつお迎えが来ても良いように準備されてきたようですが、そこについてお話ししていきたいです。 【中村】そうやね。まず私は、できるだけ楽に死にたいなって思っていたから、60歳ぐらいから、家族には「延命治療は絶対にいらない」と伝えていたね。もし私に万が一のことがあったとしても、人工呼吸器も心臓マッサージも不要やで、ってね。 【奥田】わかります。医者や看護師で、高齢者になってから延命治療を受けたいと言う人には今まで出会ったことがありません。もちろん私自身も必要ないと思っています。基本的に医療者が望まないような治療は、患者さんにもしない方がいいと思うのですが、日本の医療では今も多くの病院で、高齢者への延命治療が行われています。 【中村】やっぱりそれが実態なんやね。 【奥田】例えば80歳をゆうに越えて平均寿命を上回っているご高齢者に対しても、家族が望めば、呼吸状態の悪化が起こると人工呼吸器に繫ぎ、ICU(集中治療室)で治療が行われることがあります。 昨今のコロナ禍においては、新型コロナウイルス感染症の治療で人工呼吸器やエクモ(体外式膜型人工肺)が使用され、そのニュースがたくさん流れたことから、これらを使うと肺炎が治って元通り元気になる、と誤った印象を持った人が増え、今まで以上に高齢者に人工呼吸器を使う、高度延命治療を望む家族が増えたとも聞きます。 【中村】一口に人工呼吸器と言っても、一般の人は「呼吸を助けてくれる機械」くらいの認識やろうしね』、「新型コロナウイルス感染症の治療で人工呼吸器やエクモ・・・が使用され、そのニュースがたくさん流れたことから、これらを使うと肺炎が治って元通り元気になる、と誤った印象を持った人が増え、今まで以上に高齢者に人工呼吸器を使う、高度延命治療を望む家族が増えたとも聞きます」、そんな誤解で「高齢者に人工呼吸器を使う、高度延命治療を望む家族が増えた」、とは困ったことだ。
・『人工呼吸器は意識があると非常に苦しい  【奥田】高齢者はいずれ向き合わなければならない問題ですので、この際詳しく説明しておきましょう。 人工呼吸器に乗せることになると、チューブを口から喉の奥へと突っ込んで強制的に機械に繫いで呼吸させますので、意識があると非常に苦しい。そこで麻酔薬を使って眠らせます。 その後、何日か経っても呼吸状態が良くならなかったら、いつまでも喉にチューブを入れておけないので、今度は喉を切開して(気管切開)、カニューレ(気道を確保するチューブ)を喉に直接差し込みます。 【中村】そこまでしたところで、元通りになるとは限らないわけやしな。 【奥田】ええ。高齢になればなるほど、当然体は老化していますから、人工呼吸器に乗せるような濃厚な延命治療を行うと、呼吸機能が正常に戻り切らない場合が多いです。また何週間もベッドに寝かせきりで治療を行うと、筋力も低下するし、意識もしっかり戻り切らない場合も少なくありません。 結果、命は取り留めたとしても、満足に会話もできず、食事もとれない、「寝たきり」の状態となり、体に何本も点滴や管を繫がれて、スパゲティ状態(体に何本もチューブや管が差し込まれている状態)になってしまう高齢者が非常に多いわけです。そういった事実を多くの人が知らないのです』、「何週間もベッドに寝かせきりで治療を行うと、筋力も低下するし、意識もしっかり戻り切らない場合も少なくありません。 結果、命は取り留めたとしても、満足に会話もできず、食事もとれない、「寝たきり」の状態となり、体に何本も点滴や管を繫がれて、スパゲティ状態・・・になってしまう高齢者が非常に多い」、「高齢者」が「人工呼吸器」を使うことのリスクを医師は、もっと患者や家族によく説明すべきだ。
・『平均寿命を超えた老人が延命治療を受けるとろくなことがない  【中村】そうそう。私も何人もそんな人を見てきたよ。平均寿命を越えたような老人が延命治療を受けると、本当にろくなことがない。たとえ命が助かったとしても急激に運動能力が落ちるから、ほとんどの人が寝たきりになる。良くても車椅子にようやく乗れるかどうかや。 それに認知症も一気に進んでしまうことが非常に多いしね。オムツを着けられて排泄も自分でできなくなる。そんな状態になったら全身の機能が衰弱して食事も満足に飲み込めなくなって誤嚥しやすくなり、口からの食事は禁止になって、中心静脈栄養で高カロリーの輸液を24時間流されるか、鼻からチューブ(胃管)を突っ込まれて流動食を流されるかのどちらかになるんや。 【奥田】中心静脈栄養については、もう少し説明を補足しましょう。一般の人がイメージする腕への点滴は、細い末梢の静脈に行う点滴ですよね。細い静脈は高濃度の輸液を入れるとすぐに炎症を起こしてつぶれてしまうため、ごくわずかなカロリーの輸液しか流すことができません。 食事代わりになるような高カロリーの輸液を入れるには、鎖骨の下や鼠径部(太ももの付け根)にある太い静脈に針をさしてカテーテルを留置する必要があります。これが中心静脈栄養と呼ばれる方法です。しかしカテーテルを体内に留置しておくと、どうしても感染が起こってくるため、1カ月に一度は入れ替えのために、痛みを伴う処置をしなければなりません。 かといって鼻からチューブ(胃管)を突っ込んで流動食を流すという方法も、強い不快感を伴います。そのため、しばらくすると「皮膚から胃に穴を開けて胃瘻を作りましょうか」となる人が非常に多いのですね。肌の上から胃に小手術をして穴を開け、栄養チューブを直接入れ込んで胃瘻を作り、そこから流動食を流すようになってしまうご高齢者がたくさんいらっしゃいます』、「平均寿命を越えたような老人が延命治療を受けると、本当にろくなことがない」、悪循環で一気に症状が悪化するようだ。
・『ご飯が食べられなくなったときが死に時  【中村】あの胃瘻だけは、絶対にご免やな……。私にとって、そんな状態で生きるのは拷問のようなもんや。私は自分でご飯が食べられなくなったときが、死に時やって思って生きているよ。 【奥田】私もそうです。日本では、高齢者が肺炎にならなくても、認知症や心不全など様々な要因で食事が口からとれなくなったあと、当たり前のように人工栄養が行われます。 私自身も、これまで療養型病院で悲しい例をたくさん見てきました。静脈栄養や胃瘻などの人工的な延命治療を受けることで、人間本来の「尊厳死(延命治療を施さずに自然な最期を迎えること)」を迎えられずに、ベッドでチューブだらけになりながら、オムツを着けられ寝たきりになる。 認知症のご高齢者などは、不快なチューブを自分で抜こうとするから、布のベルトでベッドに手と胴体を拘束されてしまうことも珍しくありません。 【中村】老人が寝たきりになると、大抵は床ずれができて、筋肉がやせ細って関節もカチコチになってしまう。身動きも自由にとれなくなった体でベッドにただただ寝かされて、栄養を流され生き永らえている……。そんなになってまで、生き続けたい人っているのかなと思うわ』、「静脈栄養や胃瘻などの人工的な延命治療を受けることで、人間本来の「尊厳死・・・」を迎えられずに、ベッドでチューブだらけになりながら、オムツを着けられ寝たきりになる。 認知症のご高齢者などは、不快なチューブを自分で抜こうとするから、布のベルトでベッドに手と胴体を拘束されてしまうことも珍しくありません」、悲惨で、ここまでして無理に長生きさせられたくない。
・『余計なことをすると、終末期の苦しみを助長する  【中村】日本の終末期医療はこんな調子だと伝わったとして、先生なら海外の事情にも詳しいんと違う? 【奥田】オーストラリアやオランダ、スウェーデンなどでは、認知症や寝たきりのご高齢者に人工栄養(経鼻や胃瘻などの経管栄養、中心静脈栄養)は全く行われないそうです。 中村恒子・奥田弘美『うまいこと老いる生き方』(すばる舎)中村恒子・奥田弘美『うまいこと老いる生き方』(すばる舎) またオーストリア、スペイン、アメリカなどでも、かなり少ないそうです。これらの先進国では、人工栄養で延命され寝たきりになっている高齢者は日本に比べて圧倒的に少数だといいます。詳しく知りたい方は、ぜひ宮本顕二先生・宮本礼子先生の『欧米に寝たきり老人はいない』(中央公論新社)をお読みになると良いと思います。 この著作を読んでびっくりしたことがあります。欧米や北欧にも、20年ぐらい前までは、日本と同じように老衰状態の高齢者に人工栄養を行っていた歴史があるんですね。てっきり宗教上の理由から行われていないものだと思っていました。 これらの先進国では、その歴史を経たうえで、「余計なことをすればするほど、終末期の苦しみを助長する」と結論づけられ、高齢者の自然死が推奨されるに至ったわけです』、「欧米や北欧にも、20年ぐらい前までは、日本と同じように老衰状態の高齢者に人工栄養を行っていた歴史があるんですね・・・その歴史を経たうえで、「余計なことをすればするほど、終末期の苦しみを助長する」と結論づけられ、高齢者の自然死が推奨されるに至った」、日本も是非見習うべきだ。
・『ろうそくの炎が消えるような最期を迎えるには  【中村】なるほどな。私も長年医者をしていた経験から、年老いた人間の最期は、自然に任せておくのが一番楽やと確信してる。 無理に点滴や胃管から栄養を流し込んでも、体が求めていないことをすれば、むくみや床ずれの原因になるだけや。人間はね、ご飯が食べられなくなって衰弱してきたら、自然に頭の働きも弱って、意識もボーッとしてくるから、苦痛も軽くなってくるようにできてる。昔はそうやって家で老人を看取ったもんや。 【奥田】私が若い頃に働いていた、尊厳死医療に徹していたホスピスでもそうでした。食べられなくなった末期の癌患者さんには、点滴で人工的に水分や栄養を入れ過ぎると逆に苦しみが増すので、点滴は痛み止めなど最小限にして自然に任せていました。 人工的に水分や栄養を入れずに、ご本人の体の衰弱具合に任せていると、ろうそくの炎がすうっと消えるように、自然に亡くなっていかれました。 【中村】そうやろ。癌でも老衰でも、できるだけ自然に任せた方がええと思うわ。今の医療の技術で、痛みと苦しみだけとってもらえば、あとは放っておいてもらった方が人間らしく、楽に死ねると思うわ。あ、そうそう、死ぬ間際の心臓マッサージなんかも絶対に止めてやって、子どもに頼んでる』、「人間はね、ご飯が食べられなくなって衰弱してきたら、自然に頭の働きも弱って、意識もボーッとしてくるから、苦痛も軽くなってくるようにできてる」、「尊厳死医療に徹していたホスピスでもそうでした。食べられなくなった末期の癌患者さんには、点滴で人工的に水分や栄養を入れ過ぎると逆に苦しみが増すので、点滴は痛み止めなど最小限にして自然に任せていました」、なるほど。
・『家族に意思表示をしておくことが大切  【奥田】先ほど紹介したスウェーデンでは、80歳以上で重症になった高齢者は、回復の見込みがないと判断された場合は、ICUにも入れないそうです。痛みや苦しみをとるだけの尊厳死医療に徹しているわけですが、日本はまだまだ議論が遅れていますね。 コロナ禍の日本では、人工呼吸器が足りなくなったら高齢者より若者を優先することを「医療崩壊」「命の選別」などといって、マスコミが騒いでいましたが、高齢者に後先を考えず人工呼吸器をつけて延命治療すると、逆に余計な苦しみを与えることになる現実を、全くわかっていません。 【中村】医療現場の現実を多くの人が知らんのやろうね。私自身は、自分が80歳過ぎて重症の肺炎になったら、それがコロナであろうとインフルエンザであろうと肺炎球菌が原因であろうと、そこが寿命、天寿やと思って受け入れるつもりできたけどな。 実は、私ら終末期医療に関わった臨床医の多くは、何十年も前から、高齢者が肺炎や心不全などの重体になったときには、家族に延命治療の苦しみをしっかりと説明して、できるだけ人工呼吸器を使うのは避けてきたのにな。 【奥田】そうなんですよ。多くのご家族は、延命治療のメリット、デメリットを丁寧に説明して差し上げると「楽に人間らしく、最期を迎えさせてやって欲しい」と言われますよね。 日本でも高齢者に延命治療を行わずに、自然に看取りを行っている高齢者施設や病院も少しずつ増えているそうですが、まだまだ一般的ではありません。しかもご家族が延命治療を望んだ場合は、90歳近いお年寄りに人工呼吸器を付けざるを得ず、といったことも起こります……。 【中村】家族が延命治療を望んだら、医者も断れないからなぁ。だからこそ、私のように60歳ぐらいからは、家族にしっかりと自分の意思を伝えておいた方がいい』、私も家屋にはしっかり伝えてある。
・『日本の医療は延命至上主義  【奥田】はい、その通りです。肺炎の際の人工呼吸器だけでなく、認知症や心不全などで老衰になった場合にも、人工栄養は一切いらないと考えている人は、意識がしっかりしているうちに、ご本人が家族にしっかりと伝えておくべきですね。 今の日本の医療現場や医療制度では、家族が望むと中心静脈栄養や経鼻チューブ・胃瘻からの流動食で人工栄養を入れざるを得ません。現場の医師たちの間では、「食べられなくなった高齢患者に、点滴も人工栄養もしないで放っておくのは、餓死させることと同じだ」という考えも根強いですし。 日本の医療は良くも悪くも延命至上主義なのです。また、尊厳死や安楽死の議論が遅れている日本においては、本人や家族の明確な意思がない場合、可能な限り延命治療をしておかないと、万が一、医療訴訟になったときに、医師の側が負ける恐れもあります。 だから本人の意識がクリアでなかったり、認知症であったりする場合は、必ず家族に人工栄養をどうするかを含め、延命治療の実施の判断を委ねられるわけです。 【中村】そう、だからこそ私ははっきりと家族に伝えてるよ。もし口を出してきそうな親族がいたら、そこへも伝えておいた方がいいと思うね』、「尊厳死や安楽死の議論が遅れている日本においては、本人や家族の明確な意思がない場合、可能な限り延命治療をしておかないと、万が一、医療訴訟になったときに、医師の側が負ける恐れもあります。 だから本人の意識がクリアでなかったり、認知症であったりする場合は、必ず家族に人工栄養をどうするかを含め、延命治療の実施の判断を委ねられるわけです」、「尊厳死や安楽死の議論」を進めて、「医療訴訟」のリスクから医師を解放すべきだ。
・『「リビングウィル」を準備しておく  【奥田】私はまだ50代ですが、交通事故などの外傷で脳死に近い状態になることもあると考え「回復の見込みがなかったり、大きな障害が残ることがわかったりしている場合は、絶対に延命治療はしないで!」と強く伝えています。 私の夫は医療者なので私の意志を尊重してくれる信頼がありますけど、念のために文章にして残そうと考えています。読者の方も、もし延命治療を受けたくないと決めたのであれば、家族や親族に伝えるとともに、事前に文章に残しておくことをお勧めします。 【中村】「リビングウィル」ってやつやね。 【奥田】はい、終末期を迎えたときの医療の選択について、事前に意思表示しておく文書ですね。「日本尊厳死協会」のリビングウィルが最も有名ですが、その他にも「尊厳死宣言公正証書」というサービスもあるそうです。これらは有料ですが、自分で自由に書いたものでも良いと思います。 リビングウィルは、書いたら必ず家族に内容と置き場所を知らせておき、いざというときに医師に提示しておけるようにしておく必要があります。引き出しの奥にしまっておくだけでは、効力は発揮しませんから』、私も口頭で伝えるだけでなく、「リビングウィル」を「日本尊厳死協会」のを参考に作ることにしよう。
・『いつ倒れても自然にあの世に逝ける  【中村】私は文書には残してないけど、息子たちにはしっかり伝えて同意をもらっているから安心してる。とにかく、まずは自分の死に際をどうしたいか自分でよく考えてみることが大切やね。 それで延命治療を望まないと決心したんやったら、元気なうちから家族・親族にしっかり伝えて同意を得ておくことに限るわな。私はずっと前から、しつこく、しつこく家族に伝え続けているから、いつ倒れても、自然にあの世に逝けるって安心してるけどね』、「いつ倒れても、自然にあの世に逝けるって安心」するためにも、「リビングウィル」を作りたい。

第三に、5月1日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したライターの藤山亜弓氏による「日本人は三途の川、アラビア人は砂漠?死の淵で人は何を見るか、臨死体験の研究者に聞く」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/301612
・『「死後、人の意識はどうなるのか」。誰しも一度は考えたことがある問いだろう。死後の世界について、確実なことを立証できる人はこの世にいない。だが、死の淵から生還した人の中には、「死後の世界を見た」という人がいる。京都大学学際融合教育研究推進センター教授のカール・ベッカー氏は、何十年にもわたり、こうした臨死体験者の証言を集めてきた。体験者が語る人知を超えた現象は、私たちに人間という存在、あるいは生きる意味についてを問いかける』、興味深そうだ。
・『人は死の淵で何を見るのか? 死ぬ直前に「一生の傾向」が表れる  当時15歳だったN君は、学校の帰りに自動車にはねられて重傷を負い、救急車で病院に搬送された。 その途中、N君は人生の走馬灯を見たという。これは、臨死体験者の約4人に1人が見る「ライフリビュー」と呼ばれるものだ。N君は自分が誕生する場面から救急車で搬送されて病院に到着するまでの様子をスライドショー形式で見たそうだ。 死の間際に人生を振り返ることはN君に限らず、インドやアメリカなどでも証言されている。そのときに見るのは、親や友達に親切にしたことや他者を傷つけたことといった、自分の倫理観を問われる出来事だという。死の淵に立つ人間は、自分の行いを第三者の視点で見るのだ。 このN君の証言を記録したのは、京都大学学際融合教育研究推進センター教授のカール・ベッカー氏だ。 「仏教では閻魔(えんま)大王など、人を裁く天がいますし、ヒンズー教ではヤマ神、キリスト教では最後の審判があって、生前の罪を裁くと信じられています。しかし臨死体験者の証言によると、神や仏がその人の過去の行いを裁くのではなく、自分で裁くということが分かります。それは、『懲役何年』などという単純なことではありません。死の淵で人間は、自分がどういう思いで他者に接してきたのか、また自分が行った行為を他者はどういう思いで受け取ったのかを見せられるのです」 そもそも、人は他者と関係し合って生きている以上、他者に迷惑をかけずに生きることは限りなく不可能に近い。程度の差こそあれ、誰しも一度は他者を傷つけた経験があるはずだ。ではそうした行いに対して、死後に何かしらの報いを受けるのだろうか。これについてベッカー氏は、仏教を開いた釈尊を例に挙げ、以下のように説明した。 「釈尊が自分の弟子に『一生の間、善いことをした人が良い生まれ変わりになるのか。ずっと悪いことした人が悪いところに生まれ変わるのか』と聞かれたことがあります。これに対して釈尊は、その傾向は強いが必ずしもそうとは限らないと答えました。なぜなら、『臨終の念』が次の生まれ変わりを決定するからということなのです。 釈尊は人の意識や思いには連続性はあるけれど、常に変化していると教えています。例えば、牛乳をかき混ぜると途中からバターになる。でも、いつから牛乳ではなくなり、バターになったのかという境目は明確には言えません。 人間も同じです。一見、私はベッカーに見えますよね。でも、この体は子どものころから常に変化を続けているし、数十年後に灰になっている。10代に書いた自分の日記を読むと、自分が書いたとは到底思えない内容が書かれています。それくらい、人間は変化するのです」 一方、死の目前に善い行いをしたからといって、それまでの罪が帳消しになるかといえばそうではない。 「死ぬ直前には、一生の傾向が圧倒的に強く表れる。一方、自己中心的で周囲に迷惑をかけてばかりの人が突然死ぬ直前に利他的になることは確率論として極めてまれではないでしょうか」 何か過ちを犯した場合、その行為自体は正当化できない。しかし、人間は常に変わり続けていて、死ぬ寸前はいわば人生の集大成。死の間際に自己の人生を振り返った際に後悔のないよう、日々の自分の行いや現在の自分を省みることが大事だということなのかもしれない』、「臨死体験者の証言によると、神や仏がその人の過去の行いを裁くのではなく、自分で裁く・・・死の淵で人間は、自分がどういう思いで他者に接してきたのか、また自分が行った行為を他者はどういう思いで受け取ったのかを見せられるのです」、「自分で裁く」とは意外だ。
・『世界各国で報告される臨死体験 三途の川や絶壁…見える光景には文化の影響も  前述したN君のように、一時的にあの世へ行き蘇生した人の中には、あの世とこの世の境目を見た人がいる。研究者はこの現象のことを臨死体験と呼ぶ。日本だけでなく世界各国で無数の事例が報告されており、1979年にはアメリカの若手医師たちによって臨死体験の国際研究会が設立されるほど、科学的側面から研究されている分野だ。 臨死体験のデータを集めると、ある共通するイメージが見えてくる。 N君は、意識を失っている間に「暗いトンネル」を3回通った先に長い川が現れ、舟で川を渡った。日本人なら誰もが聞いたことのある三途の川である。川の向こう岸には見たことのないほど美しい花が一面に咲く花園が広がっていて、N君は誘われるようにしてその地に降り立とうとした。そのとき、老人がやってきて、「お前は○○か」とN君のお父さんの名前を呼んだ。N君が自分のひ孫だと知った老人は「ここに来るには、まだ早すぎる。自分の役割を果たしてから来なさい」と強い口調で元の場所に帰るよう命じたのだ。 N君は、臨死体験で見た老人が自分の曽祖父だということを知らなかったが、老人の顔の輪郭や方言を覚えていた。後から母親に写真を見せてもらい、あの世で自分の曽祖父に出会ったということが明らかになったのだ。 ベッカー氏は以下のように解説する。 「文化や宗教を越えて、あの世のイメージに多いのは闇が広がる『トンネル』の後に出てくる『花園』や『庭園』『広い草原』などで、日本人は三途の川を見ることが一般的です。一方、ポリネシア諸島に住んでいる人は荒れた海を見たと証言しています。砂漠地帯のアラビア人は燃える砂漠を、スコットランド人は絶壁を見ていて、それが“あの世”と“この世”の境目になっているようです。 では、『あの世には三途の川と絶壁などのものがあるのか』といえば、そのイメージが意識されることは報告されても、その実在の証明はできない。大事なのは、こういったイメージが全て『これ以上行ってはいけない』あるいは『渡ってはいけない』という同じ意味を持っていることです」 このように臨死体験には、体験者の文化的背景が強く影響する。死の間際に先祖や神仏などが現れると証言する人も多く、見えるビジョンは国によってある程度の傾向があるという。 「時代によっていろんなイメージが出てきますが、どの姿であっても慈悲と愛情を意味するものには違いはありません。精神医学的に言えば、本人が理解しやすいイメージを本人が投影しているのだという理解もできます」(ベッカー氏)』、「N君は、臨死体験で見た老人が自分の曽祖父だということを知らなかったが、老人の顔の輪郭や方言を覚えていた。後から母親に写真を見せてもらい、あの世で自分の曽祖父に出会ったということが明らかになった」、よくできた話だ。「イメージが全て『これ以上行ってはいけない』あるいは『渡ってはいけない』という同じ意味を持っていることです」、なるほど。
・『臨死体験は幻覚なのか? 常識では説明できない現象も  臨死体験者の中には意識不明の間に体外離脱して、その間に何が起こったのか正確に覚えている人がいる。 心筋梗塞で病院に運ばれたAさんは、そのとき受けた手術の一部始終を肉体から抜け出して天井の辺りから見ていたという。その後、自分で見た光景が事実と合っているか確認するため、手術を担当した医師に自分の体験を話した。 Aさんは担当医の身振りのくせや、患部を拡大するために手術用のメガネを着用していたこと、自分の心臓が赤ではなく白っぽい紫色だったということも正確に話したのだった。医学の知識がないAさんが手術中の自分の心臓が何色かなど知るすべはない。このように臨死体験は科学的な常識だけでは説明しきれない側面があるのだろう。 また臨死体験中、自分と同じように生死をさまよう人に出会うケースもある。くも膜下出血で倒れたTさんは動脈瘤破裂で集中治療を受けた5日間、死の淵をさまよった。Tさんは臨死体験の中で空を飛んで、光のある場所へと向かったそうだ。そこで自分と同じように空を飛んでいた若い男性と髪の薄い中年の男性と出会った。しばらくすると若い男性は飛行力を失い、地面に落下。その様子を見たTさんは地上に降り立ち、若い男性と一緒に元の場所へと引き返すことにした。一方、中年の男性は、地平線の方へと姿を消したという。 病院のベッドの上で目を覚ましたTさんは、同室にいる病人に目を向けた。そこには、臨死体験で会った2人の男性が横たわっていて、地平線に姿を消した中年の男性は息を引き取り、若い男性はTさんと同様に生還した。もともと3人は面識がなく、臨死体験の中で初めて出会ったのだという。 このように臨死体験は簡単に説明できない現象も多いことから、脳が作り出した幻覚にすぎないと主張する人もいる。これに対してベッカー氏は次のように語る。 「アメリカでは臨死体験した4000人のカルテから病歴や教育など300個ほどの項目を調査して、仮説検証を行っています。例えば、『臨死体験は脳の酸素不足により、幻覚を起こしている』という仮説がありますが、4000人の調査データによると、酸素不足と臨死体験をする傾向との関連は認められない結果が判明されました。 あるいは、臨死体験は自身の宗教観を再現しているのではないかという仮説も考えられます。これについては、小学校までに天国、地獄、浄土などの宗教教育を受けたことがあるかを調査した結果、それはほとんど関係ないということが明らかになりました」』、「心筋梗塞で病院に運ばれたAさん」のケース、「くも膜下出血で倒れたTさん」のケースも常識では説明不可能だ。
・『臨死体験で価値観が覆されることも あの世の実在性より重要な「問い」  最後にベッカー氏は教え子の臨死体験について語った。 「当時大学生だった彼は、周囲の人間とうまくいかず、部屋には汚れた食器が散乱していた。もう何もかも嫌になって、部屋の窓を閉じてガスを漏らして自殺を試みたのです。その数時間後に警察に発見され、幸いにも脳のダメージはあまりなく、一命を取り留めました。 彼の話によると意識不明の間、体から浮き上がって真っ暗な闇にぶら下がっていたといいます。そこは何もなく『おーい』と叫んでも反応はない。彼が意識不明だったのは2~3時間だったようですが、彼にとってはあまりにも孤独で永遠のように感じ、そこにいるのが耐えられないと思ったそうです。 彼は自殺未遂前、自分が孤独だと感じていたそうですが、思い返すとクラスメートも、家族もそばにいたと気づいたのです。無事に生還した彼をパーティーに呼ぶと、率先して食器洗いをするのが印象的でした。手をお湯に突っ込んでかんきつの香りがする洗剤で洗うと、皿がピカピカになる。『人がいる!色がある!音がある!匂いがする!』と感じ、体や感覚があって、人に役立てるということだけで良いのだと思ったそうです。 臨死体験によって彼の就職希望や、結婚相手が変わるのかは分かりません。彼が経験した地獄的な世界は、鬼が火のやりで彼の体を刺すといったものではなかったのですが、真っ暗な孤独はもう体験したくないと言っていました」(ベッカー氏) 臨死体験後、より優しくなるという話は数多く報告されている。一方で、自分を理解してくれない家族や周囲がいるために苦しむ人もいるという。 「臨死体験した人は、これまで信じてきた価値観が大きく覆されることもありますので、必ずしもいい報告ばかりではありません。例えば、経済中心の世間体に従う仕事を辞めて、その結果、家族と折り合いがつかず離婚してしまうという人もいますね」(ベッカー氏) このように多くの臨死体験者の証言を集めることで、あの世の証明ができるのではないかという科学者もいる。一方、ベッカー氏は「あの世」の実在性よりも、人生を振り返ったときに「自分は何のために生きていたのか」という実存的な問いが重要だと話す。 地位や名誉、偏差値、財産などを追い求める人生は、死亡してから意味を成し得るのか。それよりも、人間関係や家族をはじめとする人との縁の方が、ずっと大事ではないかと臨死体験の研究を続けるうちに痛感したそうだ。 「人生の目標が自己成長、他者への配慮・貢献というと抽象的で分かりにくいでしょうが、自分の貢献できることや身に付けるものを探るのが人生だと思います。全員に共通する人生の目的はないけれど、だからといって人生の意味自体がないとは限りません。 学生の進路指導でも同じような議論をしています。『自分の目指すべき道は何か』と聞かれたら、『あなたの与えられた才能、環境、教養、人脈でできること、できないことがある。自分が与えられた環境で何ができるのか、自問自答して、可能な限りベストを探ることが大事』だと伝えています」 誰もが避けては通れない死を意識し、限界を受け入れることによって、自分自身の生きる意義や目的を探ることができるのかもしれない』、「地位や名誉、偏差値、財産などを追い求める人生は、死亡してから意味を成し得るのか。それよりも、人間関係や家族をはじめとする人との縁の方が、ずっと大事ではないかと臨死体験の研究を続けるうちに痛感したそうだ」、「誰もが避けては通れない死を意識し、限界を受け入れることによって、自分自身の生きる意義や目的を探ることができるのかもしれない」、さすがに深い考察だ。大いに参考になった。
タグ:荒川 龍氏による「自分らしい「在宅ひとり死」をやりきった人の最期 「最後の砦」の先に見える、いのちの輝き」 東洋経済オンライン 終末期 (その7)(自分らしい「在宅ひとり死」をやりきった人の最期 「最後の砦」の先に見える いのちの輝き、終末期医療に携わってきた92歳の精神科医が"理想の最期"を迎えるために60歳から準備してきたことろうそくの炎が消えるような最期を迎えるには、日本人は三途の川 アラビア人は砂漠?死の淵で人は何を見るか 臨死体験の研究者に聞く) 「看取り士」なる資格の存在を初めて知った。 「看護師として働きながら、看取り士資格を取得」、「看取り士」も国家資格のようだ。「終末期の方には、生と死の境界線上にあるいのちから目をそむけず、きちんと向き合う覚悟と経験を兼ね備えた人が必要」、確かにその通りだろう。「従来の訪問看護サービス以外に、体調が急変しても救急車を呼ばず、自宅での穏やかな時間の中で看取りを行うサービスを、ワンセットで提供する選択肢を付け加えた」、「従来の訪問看護サービス」に付け加える形で選択肢が広がったのは、便利だ。 「「今、おうどん1本を食べられた。お水を1口、2口飲むことができた。『だから大丈夫ですよ』と私もお伝えします。それが希望になるからです。その『大丈夫』が1年、2年ではなく、この1日、2日の話だということは、ご本人もよくご存じですから」、「『大丈夫』が・・・この1日、2日の話だということは、ご本人もよくご存じですから」、「看取り士」の世界は通常とは違うようだ。 「「(おしっこが)出ちゃった……」と白瀧に打ち明けた。最期が近づくと全身の筋力が失われ、排泄もやがて我慢できなくなる。 少し前まで「自分を失いたくないから眠りたくない」とさえ話していた藤井が、心の鎧(よろい)を脱ぎ、そう伝えてくれたことが白瀧にはうれしかった」、「午前7時から午後9時までの時間帯は、無償ボランティアの「エンゼルチーム」10人が交代で訪れ、ひとり暮らしの藤井を支えた」、「無償ボランティア」が活用できたとはラッキーだ。 「左内ももに藤井の頭をのせて顔を近づけ、か細い呼吸に自身の呼吸を合わせ始めた。看取りの作法だ」、こんな「看取りの作法」があるとは初めて知った。確かに死んでゆく人にとっては、心地良さそうだ。 PRESIDENT ONLINE 中村 恒子 精神科医の中村 恒子氏と、精神科医・産業医の奥田 弘美氏の対談「終末期医療に携わってきた92歳の精神科医が"理想の最期"を迎えるために60歳から準備してきたことろうそくの炎が消えるような最期を迎えるには」 「新型コロナウイルス感染症の治療で人工呼吸器やエクモ・・・が使用され、そのニュースがたくさん流れたことから、これらを使うと肺炎が治って元通り元気になる、と誤った印象を持った人が増え、今まで以上に高齢者に人工呼吸器を使う、高度延命治療を望む家族が増えたとも聞きます」、そんな誤解で「高齢者に人工呼吸器を使う、高度延命治療を望む家族が増えた」、とは困ったことだ。 「何週間もベッドに寝かせきりで治療を行うと、筋力も低下するし、意識もしっかり戻り切らない場合も少なくありません。 結果、命は取り留めたとしても、満足に会話もできず、食事もとれない、「寝たきり」の状態となり、体に何本も点滴や管を繫がれて、スパゲティ状態・・・になってしまう高齢者が非常に多い」、「高齢者」が「人工呼吸器」を使うことのリスクを医師は、もっと患者や家族によく説明すべきだ。 「平均寿命を越えたような老人が延命治療を受けると、本当にろくなことがない」、悪循環で一気に症状が悪化するようだ。 「静脈栄養や胃瘻などの人工的な延命治療を受けることで、人間本来の「尊厳死・・・」を迎えられずに、ベッドでチューブだらけになりながら、オムツを着けられ寝たきりになる。 認知症のご高齢者などは、不快なチューブを自分で抜こうとするから、布のベルトでベッドに手と胴体を拘束されてしまうことも珍しくありません」、悲惨で、ここまでして無理に長生きさせられたくない。 「欧米や北欧にも、20年ぐらい前までは、日本と同じように老衰状態の高齢者に人工栄養を行っていた歴史があるんですね・・・その歴史を経たうえで、「余計なことをすればするほど、終末期の苦しみを助長する」と結論づけられ、高齢者の自然死が推奨されるに至った」、日本も是非見習うべきだ。 「人間はね、ご飯が食べられなくなって衰弱してきたら、自然に頭の働きも弱って、意識もボーッとしてくるから、苦痛も軽くなってくるようにできてる」、「尊厳死医療に徹していたホスピスでもそうでした。食べられなくなった末期の癌患者さんには、点滴で人工的に水分や栄養を入れ過ぎると逆に苦しみが増すので、点滴は痛み止めなど最小限にして自然に任せていました」、なるほど。 私も家屋にはしっかり伝えてある。 「尊厳死や安楽死の議論が遅れている日本においては、本人や家族の明確な意思がない場合、可能な限り延命治療をしておかないと、万が一、医療訴訟になったときに、医師の側が負ける恐れもあります。 だから本人の意識がクリアでなかったり、認知症であったりする場合は、必ず家族に人工栄養をどうするかを含め、延命治療の実施の判断を委ねられるわけです」、「尊厳死や安楽死の議論」を進めて、「医療訴訟」のリスクから医師を解放すべきだ。 私も口頭で伝えるだけでなく、「リビングウィル」を「日本尊厳死協会」のを参考に作ることにしよう。 「いつ倒れても、自然にあの世に逝けるって安心」するためにも、「リビングウィル」を作りたい。 ダイヤモンド・オンライン 藤山亜弓氏による「日本人は三途の川、アラビア人は砂漠?死の淵で人は何を見るか、臨死体験の研究者に聞く」 カール・ベッカー氏 人は死の淵で何を見るのか? 死ぬ直前に「一生の傾向」が表れる 「臨死体験者の証言によると、神や仏がその人の過去の行いを裁くのではなく、自分で裁く・・・死の淵で人間は、自分がどういう思いで他者に接してきたのか、また自分が行った行為を他者はどういう思いで受け取ったのかを見せられるのです」、「自分で裁く」とは意外だ。 「N君は、臨死体験で見た老人が自分の曽祖父だということを知らなかったが、老人の顔の輪郭や方言を覚えていた。後から母親に写真を見せてもらい、あの世で自分の曽祖父に出会ったということが明らかになった」、よくできた話だ。「イメージが全て『これ以上行ってはいけない』あるいは『渡ってはいけない』という同じ意味を持っていることです」、なるほど。 「心筋梗塞で病院に運ばれたAさん」のケース、「くも膜下出血で倒れたTさん」のケースも常識では説明不可能だ。 「地位や名誉、偏差値、財産などを追い求める人生は、死亡してから意味を成し得るのか。それよりも、人間関係や家族をはじめとする人との縁の方が、ずっと大事ではないかと臨死体験の研究を続けるうちに痛感したそうだ」、「誰もが避けては通れない死を意識し、限界を受け入れることによって、自分自身の生きる意義や目的を探ることができるのかもしれない」、さすがに深い考察だ。大いに参考になった。
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終活(死への準備)(その2)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の後半:③始皇帝でも失敗した「不死探求」は 「科学×庶民」で実現するか、④それでもやっぱり 人は死ぬ その現実が導く理想の生き方) [人生]

昨日に続いて、終活(死への準備)(その2)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の後半:③始皇帝でも失敗した「不死探求」は 「科学×庶民」で実現するか、④それでもやっぱり 人は死ぬ その現実が導く理想の生き方)を取上げよう。話は抽象的で哲学的だが、あえて終活を取上げるに当たって、準備の意味を込めて取上げた次第である。

先ずは、1月20日付け日経ビジネスオンラインが掲載した哲学博士のスティーヴン・ケイヴ氏による「始皇帝でも失敗した「不死探求」は、「科学×庶民」で実現するか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00421/011200003/
・『「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました。そして、「死」がもたらす人生の有限性が、一人ひとりの人生の充実に大きな役割を果たしているといいます。それはいったい、どういうことなのでしょうか。哲学博士で、ケンブリッジ大学「知の未来」研究所(Leverhulme Centre for the Future of Intelligence)エグゼクティブディレクター兼シニアリサーチフェローのスティーヴン・ケイヴ氏による著書『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』から一部を抜粋し、ビジネスパーソンの教養となり、今をより豊かに生きるための考え方を紹介します。3回目は、「権力者による不老不死の追求と、科学が見せる夢」について』、「「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました」、なるほど。
・『始皇帝が目指した「不老不死」  今日では通常、「始皇帝」として知られている秦(しん)王の政(せい)が、自分の死の必然性を痛切に自覚していたことには、何の不思議もない。彼の胸に短剣を突き立てたかった者は大勢いただろうし、現にそれを試みた者も少なからずいた。実の父だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない前王は、3年しか王座を保てなかった。さらにその前の王は、わずか1年しかもたなかった。自分が死を免れぬ儚(はかな)い存在であることを一瞬でも忘れる誘惑にかられないように、世間が共謀して皇帝に思い知らせていたわけだ。「死のパラドックス」の前半(連載第1回参照)は、私たちが自分の儚さを意識しながら生きねばならないことを教えてくれる。生まれた者はみな、死なねばならぬことに、誰もが気づいている。 だが、私たちの大半には、この事実が頭に浮かばぬようにする文化的な道具や仕組みがある。親族や友人を突然亡くさぬかぎり、私たちは死が避けようもないことから、喜んで気を逸(そ)らされるに任せている。 ところが、ファラオや独裁者や王のように、暗殺者の影につきまとわれて生きている者は、自分の運命の危うさを、常時思い知らされる。この、自身の脆弱(ぜいじゃく)さについての意識が、最強の地位にある者にこそまとわりついてくるというのは、よくできた皮肉だ。シェイクスピアのヘンリー4世が言うとおり、王冠を戴く者は、安穏と頭を横たえることができないとは。したがって、こうした支配者に、この無情な消滅の自覚が及ぼす最大の影響が見て取れる。 始皇帝は、死を免れえない現実に対してすっかり不安に包まれていたように見えるが、一方で不死身になって、永遠に生き続けることは可能だと信じていた。それを成し遂げるために、彼は秦帝国を打ち立てたのだ。 無期限に生き永らえるというのは、今、ここで命を保つことの継続であり、生存のための日々の奮闘を果てしなく延長することだ。したがって、すべての人間が維持する必要がある、基本的な物事から始まる。すなわち、飲食物と住まいと身を守る道具だ。社会は、発達するにつれ、協同や労働の専門化や技能の伝承を通して、こうした必需品の供給法を洗練させていく。文明は根本的には、延命テクノロジーの集積だ。 農業は食糧の安定供給を確実にし、衣服は寒さを防ぎ、建築は住み処と安全を提供し、優れた武器は狩猟と身を守ることを助け、医学は負傷や病気と闘う。だが、大半の人がこうしたテクノロジーを自分や家族や村に適用して満足するのに対して、始皇帝にははるかに壮大な展望があった。彼は帝国を支配しており、それを永続させ、自分が永遠に君臨するつもりだった。これを達成するために、自分の版図(はんと)を、予測できぬ危険なもののいっさい、すなわち、死をもたらしうるものすべてから隔て始めた。 そして、文字どおりの意味で、すなわち、北の国境沿いに1万キロメートルほど続くことになる城壁の建設という形で、それに取り掛かった。さまざまな文明の人々が、遠い昔から家や村の周り、さらには都市の周囲にさえ防壁を築くのを常としてきたが、1つの帝国をそっくり防壁で隔てることは、かつてなかった。これが万里の長城の始まりであり、この長城は徴用された労働者の血と汗の上に築かれ、その建設中には何十万という人が命を落としたと考えられている。 この長城の内側で、始皇帝は前代未聞の改革を行なって経済を発展させた。度量衡(どりょうこう/長さ・容積・重さの基準)と通貨が統一され、漢字書体が一本化され、行政と統治が合理化された。相争う諸国から、単一の国家が創設された。この国は、始皇帝の祖国である秦(chin =チンと発音する)王国にちなんで、今もなお広く中国(China =チャイナ)として知られている。 その後、紀元前213年に始皇帝は悪名高い命を発し、自分の新体制とは相容れぬ学派の書物はすべて焼かせた。過去の年代記は破棄され、歴史は一から始まることになった。延命の役に立つと思われる文書、すなわち、農業や占いや医学に関するものだけが難を逃れた。残りはみな禁書とされ、その所有は極刑に相当する罪と見なされた。 アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、万里の長城と焚書(ふんしょ)を共に、永遠に生きようとする始皇帝の探求という文脈で捉えた。「空間における城壁と時間における炎は、死の接近を止めることを意図した魔法の防壁だったことを、データが示唆している」と彼は書いている。始皇帝は生――自分の命――を無期限に存続させることができる新しい秩序を樹立することを試みていた。文明と野蛮の相違が表れているのがこれだった。それはボルヘスの言葉を借りれば、魔法の防壁であり、それが生を持続させる秩序を、混沌(こんとん)と疾患と崩壊から隔てているのだった。 始皇帝は、秩序ある政治とよく統制された経済が実現可能だと信じていたのとちょうど同じように、不老不死の霊薬(エリクサー)を手に入れることも可能だと信じていた。そこで皇帝は、最高の医師や呪術師、錬金術師、賢者たちを身辺に置いた。彼らの任務は、皇帝がありきたりの病気にかかったときに治すことだけではなく、加齢に伴う衰えを食い止め、その最終結果である死を寄せつけぬことでもあった。さらに自分の帝国全土を経巡り、霊験(れいげん)あらたかな山々で供犠(くぎ)を執り行ない、各地で出会った呪術師や学者に助言を求め、彼らが処方した水薬や丸薬、霊薬とされるものを熱心に服用した。 日本の和歌山県新宮市周辺に伝わる「徐福(じょふく)伝説」もまた、始皇帝による不老不死の霊薬探索の一端として知られている』、「始皇帝は、秩序ある政治とよく統制された経済が実現可能だと信じていたのとちょうど同じように、不老不死の霊薬・・・を手に入れることも可能だと信じていた。そこで皇帝は、最高の医師や呪術師、錬金術師、賢者たちを身辺に置いた。彼らの任務は、皇帝がありきたりの病気にかかったときに治すことだけではなく、加齢に伴う衰えを食い止め、その最終結果である死を寄せつけぬことでもあった」、「万里の長城」には、軍事上の理由だけでなく、「死の接近を止めることを意図した魔法の防壁」だったとは、初めて知った。
・科学は「不老不死」を実現するか  初期の文明の人々にとって文明は、農業と医学という、明らかに寿命を延ばすテクノロジーから不老不死の霊薬へと、すんなり続いていくものだった。さらに言えば今日もなお、不老不死の霊薬追求の試みの途上にある。 実際、新しい千年紀の初頭に当たる今、霊薬産業は依然として活況を呈している。2010年までの10年間に、れっきとした科学雑誌『ニューサイエンティスト』が掲載した、老化を止めることを約束する新しい「霊薬」の記事は、12にのぼる。 臨床検査を行なった今日の特効薬とは違い、古代の伝説はすべて架空の迷信にすぎないと考えたくなるといけないので指摘しておくが、『ニューサイエンティスト』誌に載った12の老化防止策の1つは、マメ科の草であるレンゲソウの根から抽出した成分を利用したものだ。レンゲソウは、伝統的な中国医学における「基本的な50の薬草」の1つで、始皇帝に処方された薬のうちに入っていた可能性がきわめて高い。呪術と科学の間には、厳然とした境界線はない。 使う方法こそ、長い歳月を経るうちに、より厳密で、効率的で、生産的になったものの、それを別とすれば、私たちは依然として「生き残り」を追求しており、それは歴史が始まって以来、人類が常にやってきたこととまったく同じだ。 「この探求は、単に変わり者や偽医師だけのものだったためしがない」と、医学史家のジェラルド・グルーマンは書いている。それどころか、さまざまな宗教そのものや、高名な哲学者、重要な科学者が、無限の寿命のカギを見つけることに打ち込んできたのだ。 どの世代にも期待をかけるテクノロジーがある。錬金術(錬丹術)という名称で知られる取り組みもまたその一環だ。歴史で初めて錬金術に触れたのが、紀元前1世紀の中国の歴史家、司馬遷(しばせん)が残した記録だ。司馬遷は始皇帝について現在知られていることの大半も記録した。彼は、宮廷の錬金術師が辰砂(しんしゃ/硫化水銀から成る深紅色の鉱物)を金に変えようとしていたこと、そして、もしその金を飲食のために使えば、「けっして死ななくなる」だろうことを記している。このように、錬金術はその最初期から、変化という概念によって統合された2つの目標の追求と結びつけられてきた。その2つの目標とは、卑金属を金に変えること、そして、卑(いや)しい人間を不死の人に変えることだ。 今では錬金術は前者の目標と結びつけられることが多いものの、大方の錬金術師は、どれほど控えめに言っても、これら2つの目標が分かち難く関連していると考えただろうし、司馬遷の記述にあるように、金の製造は無期限の生という目的のための手段にすぎないと考えることが非常に多かった。 これは、西洋の錬金術にも同様に当てはまる。科学実験の提唱者の草分けで、オックスフォード大学教授のロジャー・ベーコンは、1267年に次のように述べている。 「卑金属から不純物と穢(けが)れをすべて取り除いて銀や純金にするような薬は、人間の身体から穢れを取り除いて、長い年月にわたって寿命を延ばすことができると、科学者は考える」 ヨーロッパではルネサンス以降かなりの時を経るまで、化学と錬金術の区別も、科学者と魔術師の区別もなかった。今日私たちが科学的方法の厳密さと見なし、あらゆる迷信の正反対に位置づけるものは、錬金術による不死の探求から、徐々に現れ出てきたにすぎない。 ロバート・ボイル、さらにはサー・アイザック・ニュートンのような、科学時代の黎明期に現れた偉人の多くは、錬金術の教えに染まっており、ニュートン本人は、物理学の分野における自分の発見よりも、錬金術への自分の貢献を重視していた。 根拠に基づく新しい方法の成功が急速に重なるにつれ、古来の知恵と秘術への信頼はやがて衰えていった。もし自然界の秘密が解明されるとしたら、それは丹念に集めた実験データに照らして新しい説を検証することを通して達成されるのであって、古い象形文字を解読することを通してではなかった。 だが、方法と文化が進化しても、霊薬の概念は生き延び、無数の研究者がせっせとそれに取り組み、マーガリンから美顔用クリームまで、ありとあらゆるものを私たちに売りつけるのに利用されている。この探求の科学的な現代版は、神話的な過去を放棄することで、霊薬伝説のきわめて重大な側面、すなわち、それが万人向けに意図されたものではないという面も失ってしまった。じつは、やはり治癒と蘇生の力を持つとされていた聖杯に似て、霊薬は賢者や有徳の人だけが手にできるものだった。永続的な生は、並外れた努力と善行を通して勝ち取るもので、そうした美点が、文明が野蛮へと衰退するのを防いでいるというのが約束事だったのだ』、「呪術と科学の間には、厳然とした境界線はない。 使う方法こそ、長い歳月を経るうちに、より厳密で、効率的で、生産的になったものの、それを別とすれば、私たちは依然として「生き残り」を追求しており、それは歴史が始まって以来、人類が常にやってきたこととまったく同じだ」、「司馬遷は・・・宮廷の錬金術師が辰砂・・・を金に変えようとしていたこと、そして、もしその金を飲食のために使えば、「けっして死ななくなる」だろうことを記している」、「ニュートン本人は、物理学の分野における自分の発見よりも、錬金術への自分の貢献を重視していた」、「ニュートン」でも「錬金術への自分の貢献を重視」とは当時の「錬金術」の地位の高さを示しているようだ。
・『「生き残りのシナリオ」による不死探求の限界  ここで紹介したエピソードは、4つある不死のシナリオ(連載第2回参照)の基本形態の第一である「生き残りのシナリオ」に紐(ひも)づいている。この「生き残りのシナリオ」は、文明が拠(よ)り所としている約束の一部を成し、現代における西洋的世界観の核心にある、進歩の概念にとって不可欠だ。 少しだけ長く、さらに長く、なおいっそう長く生きられるという希望こそが、人間社会の物質的側面のほぼすべての発展を促してきた。そして、今日その希望は、科学と医薬の巨大産業に動機を与えている。これらの分野は、現に私たちの人生を、より長く、より良いものにするような成果を上げている。 だが、さらに先まで私たちを導くことを約束する科学は、他にも教訓を示している。老化と衰弱の過程は、私たちの身体に深く根差していること、私たちの助けとなりうるテクノロジーは、破滅ももたらしかねぬこと、私たちが暮らす世界は人間の生を永遠には許容しないだろうことだ。 私たちは、親や祖父母よりも少し長く生きられるかもしれない。いつの日か、癌(がん)を打ち負かしたり、移植用臓器を培養したりするかもしれない。だが、永遠に生き永らえるのに成功する人は、1人もいないだろう。私たちの生身の体も、私たちが暮らすこの惑星も、それを許すことはない。このシナリオは魅惑的でも生産的でもあるが、約束を果たすことはないのだ』、「私たちの助けとなりうるテクノロジーは、破滅ももたらしかねぬこと、私たちが暮らす世界は人間の生を永遠には許容しないだろうことだ」、「不老不死」が実現すれば、「老人だらけの世界」にならざるを得ず、持続可能性がなくなるので、社会が認める筈がない。

次に、この続きを、1月21日付け日経ビジネスオンラインが掲載した哲学博士のスティーヴン・ケイヴ氏による「それでもやっぱり、人は死ぬ その現実が導く理想の生き方」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00421/011200004/
・『「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました。そして、「死」がもたらす人生の有限性が、一人ひとりの人生の充実に大きな役割を果たしているといいます。それはいったい、どういうことなのでしょうか。哲学博士で、ケンブリッジ大学「知の未来」研究所(Leverhulme Centre for the Future of Intelligence)エグゼクティブディレクター兼シニアリサーチフェローのスティーヴン・ケイヴ氏による著書『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』から一部を抜粋し、ビジネスパーソンの教養となり、今をより豊かに生きるための考え方を紹介します。4回目は、「必ず死ぬという現実を踏まえ、私たちはどう生きるべきなのか」について』、「「必ず死ぬという現実を踏まえ、私たちはどう生きるべきなのか」、役立ちそうだ。
・『守られない「不死への約束」  人類による「不死」の探求は、太古以来の歴史と、無数の信奉者と、人類の文明を形作る計り知れぬ影響力を持ってきた。とはいえ、そのどれもが頂(いただき)には遠く及ばない。私たちは、永遠の生にはけっして手が届かないのだ。 おかげで、少しばかり困ったことになった。私たちはみな、未来永劫(えいごう)生き続けたいという本能、つまり不死への意志を持っている。そして、それは「死のパラドックス」(連載第1回参照)と表裏一体である。 それがすべて幻想なら、いったいどういうことになるのだろう? 個人の観点ではなく、文明の視点から考察すると、状況はなお悪い。始皇帝の物語(連載第3回参照)でも見たように、文明そのものは、死の克服を目指す探求によって推進されてきた。それどころか、多くの文明にとって創始時の存在意義が不死の約束だった。 また、科学と進歩のイデオロギーが現れたのは寿命を無期限に延ばそうとしたからであり、宗教が繁栄するのは死後の生を保証するからであり、文化の所産のほとんどは象徴の領域で自己複製するための私たちの試みであり、子供をもうけるのは自らを未来に存続させたいという生物学的な衝動の表れである。そうした試みを抜きにして、いったいどのような種類の社会が成立しうるだろうか? どれだけ努力しても無に帰するとわかっていても、進歩や正義や文化はありうるだろうか?』、「どれだけ努力しても無に帰するとわかっていても、進歩や正義や文化はありうるだろうか?」とは、本源的な問いだ。
・『「不死」の実現で起こる様々な「大問題」  ただし、この問題に対し、私たちは絶望する必要はなく、生の有限性に向き合いつつも、真っ当(まっとう)で満足のいく人生を送れるはずだと、私は信じている。じつのところ、それは意外なほど容易でさえあるかもしれない。不死には実は、望ましくない点もあるのだ。 不老不死の人が住むという山を登るための奮闘は、成長と革新に満ちたものだったと同時に、流血や残虐行為や不正だらけのものでもあった。始皇帝に限らず、彼らは不老不死を追求するあまり、厖大(ぼうだい)な数の人の人生を破綻させた。名声や栄光を狙う数々の試みが慈悲深さをはなはだしく欠いていることは記憶にとどめる価値がある。 同様に、生物学的な不死のシナリオもまた、人種差別やナショナリズムや外国人嫌いに変質することが頻繁にある。「他者」の排除あるいは殺害は、自らの純潔性を維持し、自分たちの人種こそが死を超越することを示す1つの方法になるからだ。そういうわけでアーネスト・ベッカーは、「死の必然性を否定し、英雄的な自己像を築きたいという衝動が、人間の悪事の根本原因である」と主張したのだ。だから、不死の達成という目的への手段として多くの文明が興(おこ)る一方で、不死のシナリオの結果としてやはり多くの文明が滅亡の憂き目に遭(あ)ってきた。 また、異なる不死のシナリオを持つ文化間の戦争は、アメリカの哲学者サム・キーンの言葉を借りれば、永遠の生にかかわる「聖戦」となる。あなたが自分の命を、プロレタリア革命を進めるために犠牲にしたのなら、資本主義が勝利すれば、後世でのあなたの役割は消滅する。人生をアッラーに捧(ささ)げたいと願うなら、世俗主義が発展すると、楽園に居場所を見出せなくなる恐れがある。こうして、私たちは自らに固有の神話の真実性を守るために闘い、たいてい勝者に劣らぬほどの数の敗者も出るのだ。 さらに、不死のシナリオの望ましからぬ影響は“文明間”の争いだけに限られるわけではない。それぞれの社会の“中”にもやはり、はっきり現れている。不死のシナリオは多くの倫理体系で重要な役割を果たし、この世で人が見せる善行や悪行への褒美や懲罰として永続的なアメとムチを提供する。だが、こうした倫理体系は、非道極まりない不正をも容認しうる厳格な保守主義と表裏一体なのだ。 中世ヨーロッパの支配者がキリスト教に大きな利用価値を見出した理由も、そこにあることは間違いない。キリスト教は搾取される臣民に、日々の生活の忌まわしさから目を逸(そ)らし、代わりに未来の楽園を夢見るように教えたからだ。これこそニーチェが「奴隷の道徳」と呼んだものだ。なぜならそれは、踏みにじられた人々に悲惨な運命を受け容れさせ、来るべき世界での復讐(ふくしゅう)と満足に空想を巡らせるように仕向けるからだ。 奴隷解放、両性間や人種間の平等、社会福祉などを目指す、ここ数世紀の素晴らしい社会改革運動が起こったのは、西洋社会において来世への執着がようやく薄れ始めたときだった。永遠に続く道義的に正しい喜びが待っているのであれば、現世で正義や幸福を追い求める必要はないのだから。 不死を信じる人は、頑(かたく)なに将来の至福を見据え、“今”存在することの価値を理解しそこなっている。 最後になるが、不死のシナリオの大多数が根深い利己心を育てることも注目に値する。そうしたシナリオはあなたに、自分の個人としての人格が無限に存続することに執着するよう教える。すると、あらゆる行動が、あなた個人が生き残る可能性を高めるか低めるか、あるいは期待される永遠の生をより楽しいものにするか否かで評価されるというわけだ。 これらは不死のシナリオが現時点で持つ欠点だが、問題点の一覧にはさらにつけ加えるべき事柄がある。すなわち、私たちが本当に個人の不死を達成したら起こりかねぬことだ』、「キリスト教は搾取される臣民に、日々の生活の忌まわしさから目を逸(そ)らし、代わりに未来の楽園を夢見るように教えたからだ。これこそニーチェが「奴隷の道徳」と呼んだものだ」、「ここ数世紀の素晴らしい社会改革運動が起こったのは、西洋社会において来世への執着がようやく薄れ始めたときだった。永遠に続く道義的に正しい喜びが待っているのであれば、現世で正義や幸福を追い求める必要はないのだから」、なるほど。
・『「無限」という名の新しい絶望  不死によってもたらされる「無限」とは、単なる割り増しの時間ではなく、際限なく続く時間だ。無限の時間という巨大な枠組みの中では、たちまち私たちに残されるのは退屈極まりないものだけということになり、自分の意欲が著しく減退する憂き目に遭いかねない。 もちろん、何度も味わえる楽しみもある。美味(おい)しい食事をしたり、友人と会話したり、好きなスポーツをしたり、お気に入りの音楽を聴いたりといった楽しみだ。こうしたことは、少なくとも2回目、3回目、あるいは100回目でも素晴らしさは薄れぬように思える。だが、毎日キャビアを食べている人は、いずれげんなりするだろうし、いつの日か、たとえ100万年先だとしても、友人たちのジョークにも全部飽きるだろう。あらゆる贅沢(ぜいたく)も、長々と楽しんだ後は、ありきたりのつまらぬものになる。どんな活動を追求しても、終わることなく繰り返すなら、最後にはシーシュポスのような気持ちになるだろう。シーシュポスは、何度やっても必ず転がり落ちる重い岩を山頂に向かって永久に押し上げ続けるという罰を神々に与えられたギリシア神話の王だ。 もう1つ、深刻な問題は次のようなものだ。物事の価値は、その稀少(きしょう)性と関連している。自分が死を免れぬことを自覚している人は、人生に限りがあることを知っているので、時間を大切にし、それを賢く使おうとする。朝、ベッドから起き出すのも、学業を終えて社会に出るのも、安定した老後のためにお金を稼ぐのも、その制約に駆り立てられてのことだ。限りある時間という制約に、私たちのあらゆる決定は左右されている。 無限の時間に関するこの推測が少々抽象的に聞こえるのなら、突然、自分が余命いくばくもないと知った人の経験に目を向けるとよい。末期患者を対象としている精神科医のアーヴィン・D・ヤーロムは、癌(がん)のような重病と診断された人さえ「生きているという実感の高まり……人生における本当に大切な事柄の鮮明な認識……そして、愛する人たちとのより深い意思疎通」を経験することを指摘している。 つまり、生は今の長さであっても、私たちはすでにその真価を理解できておらず、これ以上時間が増えれば、あるいは無限に時間が増えれば、この状態を悪化させるだけであることが、証拠から窺(うかが)える。 無限を前にしては、時間はその価値を失う。そして、時間が無価値になれば、選択というものが無意味になり、時間の使い方を合理的に決めることは不可能になる。意味のある生と生産的な社会には、それらの意味を明確にする限界が必要だ。私たちには生の有限性が不可欠なのだ』、「意味のある生と生産的な社会には、それらの意味を明確にする限界が必要だ。私たちには生の有限性が不可欠なのだ」、その通りだ。
・『ヴィトゲンシュタインが「生に終わりはない」といった理由  真に終わりなき生は恐ろしい災(わざわ)いである可能性を認識すれば、永遠に生きたいという望みは薄れるかもしれない。が、だからといって、死んでもかまわないと私たちが納得する可能性は低い。 しかし、実際に死んでいる状態を恐れるのは無意味かもしれない。これを私たちに明確に言い表すために登場したのは、ギリシアの哲学者だった。エピクロスだ。紀元前300年頃に彼はこう書き記した。 「死は我々にとって何の意味も持たない。なぜなら、あらゆる善悪は感覚の中に存在し、死はあらゆる感覚の終わりだからだ」 「我々が存在しているときには死は存在しないし、死がやって来たときには我々は存在しない。したがって、生きている者にも死んでいる者にも死は関係ない。というのも、死は生者と共には存在しないし、死者は存在しないからだ」 エピクロスの主張は、まさに自然科学が説くことでもある。私たちは“本質的に”、生き物、つまり、生きている物なのだ。そこから議論が紛糾(ふんきゅう)しそうな結論が導き出される。あなたも私も、文字どおり“死んでいる状態”になることはできない。生きている物は死んでいる物になりえない。誰かについて「死んでいる」と言うのは、その人が存在しなくなったということの、簡便な言い換えにすぎない。 20世紀哲学界の巨人ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、意識があり、物事を経験している生き物としての私たちにとってこれが意味するところを、次のように要約している。「死は人生における出来事ではない。私たちは生きて死を経験することはない」。ヴィトゲンシュタインはここから、その意味で「生に終わりはない」と結論した。つまり、私たちは生に終わりがあることを、けっして自覚できない。知りうるのは、生だけなのだ。 自分を海の波にたとえることができるかもしれない。岸に打ち寄せるとき、その短い一生は終わるが、その後「死んでいる波」あるいは「元波」といった何らかの新たな状態に入るわけではない。波を構成していた各部分が消散して、再び海に吸収される。私たちも同様だ。人間という生き物の、自己制御を行なう有機化された複雑な仕組みが機能停止すると、その人は終焉(しゅうえん)を迎える。死という新たな状態に入ったわけではない。その人は終わり、その構成要素はやがて人間の形を失って、再び全体に組み込まれる。 死とは終わりであり、だからこそ、それを正確に理解したときには、死を恐れるべきではない。これまでに積み上げた意識経験が、私たちの“生のすべて”だ。誕生と同様に、死はこうした経験の境界を定義する用語でしかない。このことを、不死の問題の理解と組み合わせると、直感で信じているほど、永遠に生きるというのは良いものでもなく、死は悪いものでもないと結論できる』、「誕生と同様に、死はこうした経験の境界を定義する用語でしかない。このことを、不死の問題の理解と組み合わせると、直感で信じているほど、永遠に生きるというのは良いものでもなく、死は悪いものでもないと結論できる」、なるほど。
・『私たちは、どう生きるべきなのか?  自らの死の必然性に敢然と立ち向かう人々の文明は、その実現に向けて努力する価値がある。そればかりか、死の必然性の自覚は、起こりうるあらゆる状況のうちで最良のものを提供してくれる、と私たちは大胆に主張することさえできるだろう。 人生には終わりがあると知れば、私たちの時間に制限が課されるので、その時間が価値あるものとなる。死は必然であるという事実は、私たちの存在に緊急性を帯びさせ、私たちがそれに形と意味を与えることを可能にしてくれる。 できる間は毎朝起き出して世の中とかかわるべき理由を私たちに与えてくれる。この世界を最高の世界にすべき理由を与えてくれる。それ以外の世界などないことがわかっているからだ。それでいて、制限を課すもの、すなわち死は、私たちが苦しんだり、他のいかなる形で経験したりできるものでは断じてない。私たちは本質的に生き物、すなわち生きている物なのだから、文字どおり死んでいる状態にはなることさえできない。私たちが知りうるのは生のみであり、その生には限りがあるという事実を受け容れれば、それを大切にしなければならないことも理解できる。 私たちの生は、始まりと終わりによって範囲を定められてはいるものの、自分自身を超えてはるか遠くに手を伸ばし、無数の形で他の人々や場所に触れることができる、数知れぬ瞬間から成り立っている。 その意味では、私たちの生は本に似ている。表紙と裏表紙に挟まれた世界で自己完結していながら、遠くの風景や異国の人物やはるか昔に過ぎ去った時代を網羅できる。その本の登場人物たちは限界を知らない。彼らは私たちのように、自らの生を構成している一瞬一瞬を知ることができるだけだ。たとえ本が閉じられたときでさえも。したがって、彼らは最後のページに行き着くことには煩(わずら)わされない。 だから私たちもそうあるべきなのだ』、「私たちが知りうるのは生のみであり、その生には限りがあるという事実を受け容れれば、それを大切にしなければならないことも理解できる」、やはり「生」は「大切に」しなければならない」ようだ。「私たちの生は本に似ている。表紙と裏表紙に挟まれた世界で自己完結していながら、遠くの風景や異国の人物やはるか昔に過ぎ去った時代を網羅できる。その本の登場人物たちは限界を知らない。彼らは私たちのように、自らの生を構成している一瞬一瞬を知ることができるだけだ。たとえ本が閉じられたときでさえも」、「私たちの生は本に似ている」、とはなかなか面白い比喩だ。
タグ:「始皇帝は、秩序ある政治とよく統制された経済が実現可能だと信じていたのとちょうど同じように、不老不死の霊薬・・・を手に入れることも可能だと信じていた。そこで皇帝は、最高の医師や呪術師、錬金術師、賢者たちを身辺に置いた。彼らの任務は、皇帝がありきたりの病気にかかったときに治すことだけではなく、加齢に伴う衰えを食い止め、その最終結果である死を寄せつけぬことでもあった」、「万里の長城」には、軍事上の理由だけでなく、「死の接近を止めることを意図した魔法の防壁」だったとは、初めて知った。 「「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました」、なるほど。 スティーヴン・ケイヴ氏による「始皇帝でも失敗した「不死探求」は、「科学×庶民」で実現するか」 日経ビジネスオンライン 終活(死への準備) (その2)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の後半:③始皇帝でも失敗した「不死探求」は 「科学×庶民」で実現するか、④それでもやっぱり 人は死ぬ その現実が導く理想の生き方) 「呪術と科学の間には、厳然とした境界線はない。 使う方法こそ、長い歳月を経るうちに、より厳密で、効率的で、生産的になったものの、それを別とすれば、私たちは依然として「生き残り」を追求しており、それは歴史が始まって以来、人類が常にやってきたこととまったく同じだ」、「司馬遷は・・・宮廷の錬金術師が辰砂・・・を金に変えようとしていたこと、そして、もしその金を飲食のために使えば、「けっして死ななくなる」だろうことを記している」、「ニュートン本人は、物理学の分野における自分の発見よりも、錬金術への自分の貢献を重視し 「私たちの助けとなりうるテクノロジーは、破滅ももたらしかねぬこと、私たちが暮らす世界は人間の生を永遠には許容しないだろうことだ」、「不老不死」が実現すれば、「老人だらけの世界」にならざるを得ず、持続可能性がなくなるので、社会が認める筈がない。 スティーヴン・ケイヴ氏による「それでもやっぱり、人は死ぬ その現実が導く理想の生き方」 「「必ず死ぬという現実を踏まえ、私たちはどう生きるべきなのか」、役立ちそうだ。 「どれだけ努力しても無に帰するとわかっていても、進歩や正義や文化はありうるだろうか?」とは、本源的な問いだ。 「キリスト教は搾取される臣民に、日々の生活の忌まわしさから目を逸(そ)らし、代わりに未来の楽園を夢見るように教えたからだ。これこそニーチェが「奴隷の道徳」と呼んだものだ」、「ここ数世紀の素晴らしい社会改革運動が起こったのは、西洋社会において来世への執着がようやく薄れ始めたときだった。永遠に続く道義的に正しい喜びが待っているのであれば、現世で正義や幸福を追い求める必要はないのだから」、なるほど。 「意味のある生と生産的な社会には、それらの意味を明確にする限界が必要だ。私たちには生の有限性が不可欠なのだ」、その通りだ。 「誕生と同様に、死はこうした経験の境界を定義する用語でしかない。このことを、不死の問題の理解と組み合わせると、直感で信じているほど、永遠に生きるというのは良いものでもなく、死は悪いものでもないと結論できる」、なるほど。 「私たちが知りうるのは生のみであり、その生には限りがあるという事実を受け容れれば、それを大切にしなければならないことも理解できる」、「私たちの生は本に似ている。表紙と裏表紙に挟まれた世界で自己完結していながら、遠くの風景や異国の人物やはるか昔に過ぎ去った時代を網羅できる。その本の登場人物たちは限界を知らない。彼らは私たちのように、自らの生を構成している一瞬一瞬を知ることができるだけだ。たとえ本が閉じられたときでさえも」、「私たちの生は本に似ている」、とはなかなか面白い比喩だ。 やはり「生」は「大切に」しなければならない」ようだ。
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