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宗教(その10)(【橋爪大三郎・特別講義】日本人が知らない 中国を動かす「儒教の本質」とは?、「下関は統一教会の聖地」論争の不毛 信者も地元民も寝耳に水だったワケ、「安倍晋三元首相」暗殺の闇 なぜ祖父・岸信介は「統一教会教祖」の釈放嘆願書をレーガン大統領に送ったのか) [社会]

宗教(その10)については、本年4月19日に取上げた。今日は、(【橋爪大三郎・特別講義】日本人が知らない 中国を動かす「儒教の本質」とは?、「下関は統一教会の聖地」論争の不毛 信者も地元民も寝耳に水だったワケ、「安倍晋三元首相」暗殺の闇 なぜ祖父・岸信介は「統一教会教祖」の釈放嘆願書をレーガン大統領に送ったのか)である。

先ずは、本年4月22日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した宗教社会学者で東京工業大学名誉教授の橋爪大三郎氏による「【橋爪大三郎・特別講義】日本人が知らない、中国を動かす「儒教の本質」とは?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/321624
・『「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は「人間は死んだらどうなるか」についてしっかりした考え方をもっている。 現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である橋爪大三郎氏(大学院大学至善館教授、東京工業大学名誉教授)が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』は、「この本に、はまってしまった。私たちは『死』を避けることができない。この本を読んで『死後の世界』を学んでおけば、いざというときに相当落ち着けるだろう」(西成活裕氏・東京大学教授)と評されている。今回は、著者による特別講義をお届けする』、「「死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている」、「やり残した夏休みの宿題」とは言い得て妙だ。「各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』、とは興味深そうだ。
・『人が人を支配するのは正しい  中国と言えば、儒教。儒教(儒学)は一神教やヒンドゥー教とまったく違った考え方なので、これは宗教なのか、と思うほどです。でも、宗教だと言ってよい。 儒教の根底にあるのは、つぎの考え方です。 [儒教の原理] 人が人を支配するのは、正しい。 人が人を支配することを、政治といいます。政治はどの社会にもある。どの社会でも正当化されているだろう。 でも中国文明では、政治の地位が高い。無条件で正当だと考える。政治がすべてを解決すると考える点に、特徴があります。 これを、一神教と比較してみましょう。 一神教の原理。それは、「神が人を支配するのは、正しい」です。これは、無条件で正しい。ならば、人が人を支配するのは、無条件で正しくはない。 それが正しいのは、「神がそれを命じた場合」に限られる。 そこで西欧では、地上で神の代理をつとめる教会が、王や貴族など統治者より優位に立っていました。教会が認めないと、王は正しい統治者でない。政教分離です。 政治は相対化される、ということです。 中国には、天の考え方があります。天は、神と違って、地上にその代理人がいない。教会がない。中国の統治者(皇帝)は、天命を受けて政治をしている、と主張します。 その証拠があるかというと、特にない。実力で、皇帝になれてしまうということです。儒教はそれを認めます。つまり、皇帝が、天命を受けて、人を支配するのは正しい』、「一神教の原理。それは、「神が人を支配するのは、正しい」です。これは、無条件で正しい。ならば、人が人を支配するのは、無条件で正しくはない。 それが正しいのは、「神がそれを命じた場合」に限られる。 そこで西欧では、地上で神の代理をつとめる教会が、王や貴族など統治者より優位に立っていました。教会が認めないと、王は正しい統治者でない。政教分離です。 政治は相対化される」、「中国には、天の考え方があります。天は、神と違って、地上にその代理人がいない。教会がない。中国の統治者(皇帝)は、天命を受けて政治をしている、と主張します。 その証拠があるかというと、特にない。実力で、皇帝になれてしまうということです。儒教はそれを認めます。つまり、皇帝が、天命を受けて、人を支配するのは正しい」、「儒教」など中国流の考え方は、「統治者」には好都合だ。
・『儒教は、社会秩序をつくり出す  儒教の役割は、中国に、社会秩序をつくり出すことです。 社会がばらばらにならないように、まず、政府が必要。政府は、権力を独占し、税金を集め、官僚が統治を行ない、軍隊が平和を維持する。この全体が政治ですが、これが正しい。 中国全体では、皇帝が1番、皇太子が2番、…と地方の役所の末端まで順番がついていて、上の命令に従う。忠です。 忠とは、政治的リーダーに従うこと。政治の秩序は、経済よりも文化芸術よりも宗教よりも上です。 つぎに、社会の末端では、親族の秩序をつくり出します。儒教は、親族の年長者、とくに親に従うことを要求する。孝です。 忠は官僚だけの義務ですが、孝はすべての中国人の義務。長幼の序は、地域社会に秩序をうみ出し、社会の末端を安定させます』、「忠は官僚だけの義務ですが、孝はすべての中国人の義務。長幼の序は、地域社会に秩序をうみ出し、社会の末端を安定させます」、なるほど。
・『儒教のメカニズム  儒教は、誰が誰に従えばいいのかという順序(序列)を配当するメカニズムです。 政治の領域では、人びとは能力によって抜擢される。皇帝だけは、世襲で決まる。そして、統治階級の人びとは順番がついて、政治秩序が安定します。 親族の領域では、人びとは年齢によって順番がつく。中国は父系社会なので、父系の親族集団をつくります。それが大きくまとまって、安定した秩序をつくり出す。 この秩序は永遠の昔から決まっていて、正しいものなので、これに従うのが人間の道である。そう、儒教の経典に書いてあります。 道徳と宗教と政治が一体化している。それ以外に人間の正しい生き方はない、という考え方です。 以上をまとめると、忠:政治的リーダー(とくに皇帝)に服従する  孝:親族の年長者(とくに親)に服従する  孝は、忠よりも絶対的。親に対する服従は無条件なのです。中国の農業は家族経営なので、孝を強調することで、経営基盤が安定する。税収が増え、政府にとってもメリットがあるのです』、「この秩序は永遠の昔から決まっていて、正しいものなので、これに従うのが人間の道である・・・道徳と宗教と政治が一体化している。それ以外に人間の正しい生き方はない、という考え方です。 以上をまとめると、忠:政治的リーダー(とくに皇帝)に服従する  孝:親族の年長者(とくに親)に服従する  孝は、忠よりも絶対的。親に対する服従は無条件なのです。中国の農業は家族経営なので、孝を強調することで、経営基盤が安定する。税収が増え、政府にとってもメリットがあるのです」、「為政者」には本当に好都合な考え方だ。
・『現在の中国社会と儒教  この儒教の考え方が現代化して広がったものが現代の中国共産党です。中央の官僚機構は総書記が1番で、国務院総理が2番で、政治局常務委員のつぎは政治局員で、中央委員で、…と全部順番が決まっています。 ただし、中国共産党はもう、儒教の古典を読みません。代わりに党の重要文献を読む。そして党の重要文献は、ころころ入れ替わる。はじめは毛沢東選集で、つぎは鄧小平理論で、江沢民や胡錦涛の文献があって、いまは習近平思想です。 学習会に参加させられ、試験もあります。中国共産党では、指導者が変わると、文献が変わる。状況や政策に合わせて、頭の中身をつぎつぎ上書きして行かないといけない。儒教っぽいスタイルだが儒教ではない、権威主義的な独裁政権ができあがっています。 ※本原稿は、2022年11月に大学院大学至善館で行なった講演(https://shizenkan.ac.jp/event/religions_oc2023/)をもとに、再編集したものです。 (橋爪大三郎氏の略歴はリンク先参照)』、「儒教の考え方が現代化して広がったものが現代の中国共産党です」、「儒教っぽいスタイルだが儒教ではない、権威主義的な独裁政権ができあがっています」、確かにその通りだ。

次に、4月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「下関は統一教会の聖地」論争の不毛、信者も地元民も寝耳に水だったワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/322187
・『「下関は聖地」発言に反感持つ人が出ても致し方ない?  「謝罪を表明し、次の国政選挙までSNSのトップに掲げておいて反省すべき」 「読解力がないことが証明されたな」「知ったかするな、下関の恥さらしめ」 先ごろ衆議院・山口4区補欠選挙に出馬したジャーナリスト・有田芳生氏の「下関は旧統一教会の聖地」という発言を批判した芸能人らがSNSで叩かれている。 事の経緯を振り返ろう。 今回の騒動の発端は、有田氏が選挙演説中に「下関って統一教会(世界平和統一家庭連合=旧統一教会)の聖地なんです」と発言し、それがSNS上で切り取られて炎上したことだ。有田氏本人もツイートされているが、この発言は2年前の旧統一教会幹部の発言に基づいている。教祖・文鮮明氏が日本に入国して80周年を記念した教団の式典が21年3月に開かれ、韓国から来日した方相逸・神日本大陸会長が講演の最後にこのように発言をした。 「山口の下関は聖地と同等の場所です」 これは信者向けの新聞でも報じられている「事実」だ。そのため有田氏の「聖地発言」を「印象操作」「根拠がない」などと批判したお笑い芸人・田村淳さんや、タレントの国生さゆりさんが逆に「事実をねじ曲げている」「勉強不足」などと「正義の鉄槌」を下されているというわけだ。 しかも、「軽蔑する」とツイートした国生さんにいたっては、有田氏のもとに「統一教会裁判の弁護士」から名誉毀損に認定されるので訴訟を検討すべきというメールがきたというから、炎上どころでは済まないかもしれない。 さて、こういう騒動を聞くと、善良な日本人の皆さんの中には、「反日カルト」と腐敗した自民党を叩きのめそうと日々頑張ってくださっているジャーナリスト(有田氏)の足を引っ張るようなことをして恥ずかしくないのか――などと、芸能人に憤りを感じるという方も多いことだろう。 ただ、田村さんや国生さんの肩を持つわけではないが、彼らのように有田氏の「聖地発言」に対して反感を抱いたり、イチャモンをつけたりしてしまう人が一定数現れてしまうのも、しょうがないのではないかという気もしている。 ひとくちに「聖地」と聞いても、そこからイメージすることは十人十色だからだ』、「有田氏の「聖地発言」」、自体が説明不足で誤解を生み易いのも事実だ。
・『「聖地」という言葉の重みは個々で異なることが論争の原因  「聖地」とはどんなものをイメージするだろうか。 ある人はメッカのように、信者たちが毎年ある時期になると、大挙して巡礼に押し寄せる光景を思い描く。信者が誰しも憧れる地で、教団としてもそこを拠点に勢力を拡大してきた事実もある。当然、周辺住民たちも「ここはそういう場所」という認識を持つ、という「自他共に認める聖地」である。 一方で、もっとゆるい「聖地」を連想する人もいるはずだ。その団体から「神」として崇められるような人が、若い時に住んでいたとか、悟りを開いたなどという“ゆかりの地”的なスポットだ。信者は教祖のことを愛してやまないので、その足跡はすべて聖なるものになる。少しでも教祖を感じたくて個人的に現地に赴く。これは人気マンガやアニメの舞台をファンが訪ね歩く「聖地巡礼」と似た感覚だ。 このように「聖地」イメージに、人によって大きな開きがあることが今回のののしり合いの原因ではないか、と個人的には思っている。 どういうことか、他の宗教を例に説明しよう。例えば、幸福の科学では故・大川隆法総裁が生まれた四国・徳島が「聖地」となっており、教団としても以下のように巡礼を呼びかけている。 <四国・徳島には、聖地・四国正心館のほかに、聖地・川島特別支部や聖地・四国本部精舎、聖地エル・カンターレ生誕館があります。これらの地を巡礼し、主エル・カンターレの臥竜の時代に思いを馳せて精進の決意を新たにしましょう>(幸福の科学ホームページ) こういう施設があって信者が押し寄せることは当然、周辺住民なら知っている。だから、もし有田氏がこの地から立候補して、「徳島は幸福の科学の聖地」と叫んだところで、「まあ、そうですけどね」という感じで、あまりいい気分はしないが住民も批判しないだろう。 だが、今回、有田氏の「下関は旧統一教会の聖地」「この土地から自民党との癒着が全国に広がっていった」と叫ぶと、一部の下関市民や下関出身の田村さんはカチンときて批判をした。 なぜかというと、彼らの中で下関は「そういう類の聖地」ではないと思っているからだ』、前述の「「聖地発言」」、自体が説明不足で誤解を生み易い」、ことのためだ。
・『旧統一教会サイドも「聖地認定」していない  「それはそっちの知識不足が悪い!鈴木エイトさんや有田さんの本を読んでしっかり勉強しておけ」という怒声が飛んできそうだが、旧統一教会にそこまで関心のない地元の方が、そういう認識になるのもしょうがない部分もある。 実は有田氏が指摘した「下関は旧統一教会の聖地」という話は、当の信者たちの間でもそれほど有名な話ではない。筆者も知り合いの信者何人かに確認したが、「そうなんですか?」「はじめて聞きました」と首を傾げていた。すっとぼけているようでもなく、心から素直に驚いていた。 なぜこういうリアクションになるかというと、教団としてのオフィシャルな「聖地」は、文鮮明氏が1965年に来日した際に定めた、東京、名古屋、大阪、高松、広島、福岡、札幌、仙台の8カ所だからだ。だから、幸福の科学のように教団として「下関に行って巡礼しましょう」なんて呼びかけもしていない。 教祖も教団も「聖地認定」していない。信者が大挙して押し寄せて“下関詣”もしていない。 だから、下関市民からすれば今回の有田氏の発言は寝耳に水だった。その中で、「何をワケのわからないデマを流しているんだ!」といきり立ってしまう人が現れるのは、サヨクやウヨクだというイデオロギー関係なくしょうがないのではないか。 だが、一方で、有田氏らのように旧統一教会を追いかけてきたジャーナリストや弁護士センセイたちの間では、下関が旧統一教会の聖地だというのは、「議論するのも馬鹿らしい常識」「基礎知識」でもある。冒頭で紹介したように、教団幹部が言及しているという「事実」もある。 なぜこんな奇妙な現象が起きるのか』、「有田氏らのように旧統一教会を追いかけてきたジャーナリストや弁護士センセイたちの間では、下関が旧統一教会の聖地だというのは、「議論するのも馬鹿らしい常識」「基礎知識」でもある」、専門家特有の思い上がり的な色彩もあるようだ。
・『ゆかりがあれば「聖地」ってことに…早稲田大学も「聖地」?  実はこの謎を読み解く鍵は、「早稲田大学」にある。何を隠そう、この大学の周辺も下関と同様に、「旧統一教会の聖地」だからだ。 『早稲田大の周辺、なぜ旧統一教会の「聖地」に?住民から困惑の声も(毎日新聞22年12月2日)』 この記事は、早稲田大周辺で文鮮明教祖のゆかりの地を巡礼する世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の信者たちの映像がYouTubeで流れていることを報じたものだ。 先ほど紹介したように、文鮮明氏は下関から日本に入った。そして、41年から43年にかけて早稲田大学付属早稲田高等工学校に留学していた。こういう経緯があるので、信者からすれば、早稲田大学周辺というのは、「真のお父様ゆかりの地」という認識だ。その中で、熱心な信者はツアーのように、その歴史的足跡をたどっているのだ。 もちろん、教団はこのような「聖地巡礼」を信者に対して、オフィシャルに呼びかけているわけではない。しかし、毎日新聞がカギカッコ付きで「聖地」と報じているように、信者が聖なる場所だと考えているこことも事実だ。要するに、「みなし聖地」というか「准聖地」のような扱いなのだ。 筆者は、下関もこれと同じだと考えている。それを示すのが、有田氏も引用している方相逸・神日本大陸会長の「山口の下関は聖地と同等の場所です」という発言だ。下関が紛れもない聖地ならば、「下関は聖地です」とスパッと断言すればいい。聞いているのはみな信者なのだから、誰かに気を使って、言葉を濁す理由もない。 しかし、方相逸氏は「聖地と同等の場所です」と言っている。つまり、講演の最後で会場となった下関を持ち上げるというか、「聖地ではないけれど、聖地みたいにありがたい場所じゃないですか、ねえ、みなさん」とリップサービスをしたのではないか。 つまり、下関は確かに「旧統一教会の聖地」ではあるのだが、一般の人が思い描くような信者がわんさか訪れて、信仰を強めていくというような「聖地」ではなく、「ゆかりの地」であって、一般人の我々が理解できるニュアンスとしては、先ほど申し上げたようなアニメやマンガの舞台をファンたちが「聖地」と呼ぶような感覚ではないのか。 「はい、出ました!名誉毀損!有田センセイ、このバカをさっさと訴えてください」という怒りの声が聞こえてきそうだが、筆者は「聖地」という言葉の「受け取る側の認識ギャップ」を指摘しただけで、有田氏や旧統一教会の専門家の皆さんのおっしゃることを批判も否定もするつもりは毛頭ない。 しかも、「聖地」がどうかはさておき、有田氏が主張するように、旧統一教会にとって「下関」という土地が政治的に重要な場所であることは間違いない。有田氏らが選挙戦で訴えたように、安倍晋三元首相と、父・晋太郎氏の政治的地盤だからだ』、「下関は確かに「旧統一教会の聖地」ではあるのだが、一般の人が思い描くような信者がわんさか訪れて、信仰を強めていくというような「聖地」ではなく、「ゆかりの地」であって、一般人の我々が理解できるニュアンスとしては、先ほど申し上げたようなアニメやマンガの舞台をファンたちが「聖地」と呼ぶような感覚ではないのか」、なるほど。
・『選挙で強めの言葉は理解できるが、「法的措置」はいかがなものか  文鮮明氏の反共思想に理解を示したことから距離が縮まったと言われる、安倍元首相の祖父、岸信介元首相の地盤は、旧山口2区で主に山口市が拠点だ。また、安倍家ももともとは長門市が本家で、この地で江戸時代から続く大庄屋だった。つまり、岸家も安倍家も、もともと下関とはそこまで強い繋がりがあったわけではないのだ。 それが、安倍晋太郎氏が1958年に旧山口1区から出馬する際に、下関にも事務所が開設される。そして、その翌年59年、既に韓国で活動をしていた旧統一教会が日本に初進出を果たした。 下関から日本に入った文鮮明氏の宗教が日本に入ってきたのとほぼ同じタイミングで、文氏と信頼関係を結んだ岸信介氏の娘婿が下関に事務所を開設する――。 反自民で政治家をやっていて安倍王国で票を得ようと思ったら、この「奇妙な一致」にフォーカスを当ててそこを叩かないわけがない。「選挙」というものはきれいごとだけでは勝てない。時にライバルを引きずり下ろすくらいのことをしなければいけないものだ。その流れで「下関は旧統一教会の聖地」という強めのワードが飛び出してしまうのも、よく理解できる。 つまり、有田氏の今回の「聖地」発言は、一部の人には誤解を招いてしまったが、反自民という「政治運動」をされていることを踏まえれば、出るべくして出るような類の発言なのだ。 そういう意味では、有田氏の今回の発言は、野党政治家としては妥当だとは思う。しかし、発言を批判されて、すぐに法的措置みたいなのをチラつかせたのは、結果としてあまりイメージがよろしくなかったのでは、と個人的には感じる。 特に立憲民主党は先ごろも、小西洋之衆議員議員らが国会での発言を切り取られたとしてメディアに法的措置を示唆した、と話題になった。政治家なので、自分の主張にそぐわない批判者を黙らせたいという気持ちがあることは理解できるが、権力者がそれを乱発すると、「スラップ訴訟(批判や反対などに対する封じこめの手段としておこす訴訟のこと)」と批判を受ける恐れもある。 また、長いこと危機管理をやってきた立場で言わせていただくと、政治家やメディア、ジャーナリストという「言論」でメシを食う人が、何か言われてすぐに法的措置を持ち出すというのは、「今まで自分は散々人のことを批判してきたのに、批判される側になるとそれか」という感じで、ネガイメージが広まってしまうケースもある。 もちろん、犯罪を犯したなど社会的評価を著しく貶めるような事実無根の誹謗中傷には迅速に対応すべきだが、今回の「聖地論争」のような多様な意見があるものの場合、やはり有田氏のような高名なジャーナリストは、弁護士に何をアドバイスされようとも、まずは「言論」で国生さんの誤解を解いていただきたかったな、と思う。 いやいや、決して批判などではありませんので、どうか法的措置だけはご勘弁を』、「犯罪を犯したなど社会的評価を著しく貶めるような事実無根の誹謗中傷には迅速に対応すべきだが、今回の「聖地論争」のような多様な意見があるものの場合、やはり有田氏のような高名なジャーナリストは、弁護士に何をアドバイスされようとも、まずは「言論」で国生さんの誤解を解いていただきたかったな、と思う」、同感である。

第三に、5月7日付けデイリー新潮が掲載したジャーナリストの徳本栄一郎氏による「「安倍晋三元首相」暗殺の闇 なぜ祖父・岸信介は「統一教会教祖」の釈放嘆願書をレーガン大統領に送ったのか」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/05071100/?all=1
・『75年前、GHQの指示で巣鴨拘置所から岸信介氏が釈放された。その岸氏は後に統一教会の教祖、文鮮明氏の釈放を求める文書を米大統領に送る。共産勢力の脅威に対抗するためだ。安倍元総理暗殺の裏で受け継がれてきた保守人脈と宗教の癒着に迫る』、「岸氏は後に統一教会の教祖、文鮮明氏の釈放を求める文書を米大統領に送る。共産勢力の脅威に対抗するためだ」、そんな以前からつながりがあったとは、初めて知った。
・『「やがて起きる出来事は、必ず事前に影を投げかけている」  この予言めいた言葉を残したのは、古代ローマの政治家で哲学者でもあるキケロだった。歴史を変えた戦争や革命、あるいは感染症も決して唐突に襲ってくるのではない。そこに至るまで、いくつも前兆があり、多くの思惑が重なり、やがてクライマックスへ導かれる。 その意味で、奈良の大和西大寺駅前で起きた安倍晋三元総理の暗殺も、そうしたエピソードの一つかもしれない。 世界平和統一家庭連合、旧統一教会の信仰にはまり、多額の献金を繰り返した母、そのために家庭が崩壊したと恨む山上徹也容疑者は、安倍元総理に2発の銃弾を撃ち込んだ。 報道によると、本人は取り調べに対し、「安倍は統一教会とつながりがあると思っていた」「教団を海外から日本に招き入れたのは、(安倍の祖父の)岸信介元総理だ。だから安倍を殺した」旨を供述したという。 その論理はおよそ身勝手で、到底正当化できるものではない。が、凶行に至るまでに、過去、薄暗く長い影が差していたのも事実だ。それを象徴したのが、本誌(「週刊新潮」)2022年7月28日号で紹介した、岸元総理がロナルド・レーガン米大統領に宛てた書簡だった。 日付は1984年11月26日、脱税容疑で起訴され、米連邦刑務所に収監された統一教会の創始者、文鮮明を自由の身にしてほしいという。 〈文尊師は、現在、不当にも拘禁されています。貴殿のご協力を得て、私は是が非でも、出来る限り早く、彼が不当な拘禁から解放されるよう、お願いしたいと思います〉 〈文尊師は、誠実な男であり、自由の理念の促進と共産主義の誤りを正すことに生涯をかけて取り組んでいると私は理解しております〉 すでに当時、日本では統一教会の若者への勧誘や「霊感商法」が社会問題になっていた。その創始者である韓国人「脱税犯」の釈放を、日本の元総理が現職の大統領に訴えた。 それだけでも異様なのだが、そもそもなぜ岸は、こうした要請を送ったのか。その原点と言える、もう一つの古ぼけた文書がある。日付は終戦間もない1947年4月24日、A級戦犯として牢獄につながれた岸を釈放してくれという要請だった。 作成したのは、東京のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)で諜報や治安維持を担当するG2(参謀第2部)だ。GHQの法務局、国際検察局などへの文書は、巣鴨拘置所にいる岸信介を自由の身にするよう促していた。 〈重要なのは、公式記録では、彼と国家主義または拡張主義的イデオロギー団体とのつながりを示す証拠は全くないということだ〉 〈極東国際軍事裁判での主な戦犯容疑者の訴追は終わったが、岸の満州での活動で十分な証拠がなく、また大政翼賛会での活動も起訴に不十分な場合、G2は、岸を巣鴨拘置所から釈放するよう勧告する〉 日米開戦を決めた東條内閣で商工大臣だった岸が、戦争遂行に深く関わったことはよく知られる。開戦詔書にも署名し、そのため敗戦の年、1945年9月に逮捕され、幽囚の日々を送っていた。 そして、それと同じく検察が注目したのが、戦前の満州での経歴だった』、「GHQ・・・で諜報や治安維持を担当するG2(参謀第2部)だ。GHQの法務局、国際検察局などへの文書は、巣鴨拘置所にいる岸信介を自由の身にするよう促していた」、既に対日政策が後述のように、「逆コース」へと変わっていたようだ。
・『「満州ギャング」  1930年代、日本の傀儡(かいらい)国家、満州国に赴任した岸は、その経済運営を一手に担った。表向き、中国人の大臣がいたが飾りに過ぎず、実権は日本人の官僚が握った。石炭や鉄鋼、自動車など重工業の開発計画を練り、資金を配分し、企業を統制する。それを支えたのが満州の絶対権力者、関東軍だ。 いわば金と権力、人脈を駆使する統治手法で、それをGHQの岸ファイルは、「軍事国家資本主義」「満州ギャング」と形容した。そのギャングの親玉を牢獄から出してくれ、という。これまた異様に聞こえるが、背景には当時の差し迫った脅威、共産主義がある。 すでに東西冷戦が始まり、米国とソ連は世界中で鎬(しのぎ)を削っていた。岸釈放が要請された1947年はCIA(米中央情報局)が創設され、日本でも共産党が過激化していく。 そうした中で占領初期、GHQの力点は、日本の徹底した民主化と軍備放棄に置かれた。すなわち政治犯の釈放と戦犯の逮捕、旧指導者の追放である。また農地解放や財閥解体、労働組合の育成など国家システムを改造してしまう勢いだった。 これに対し、行き過ぎた改革は日本を弱体化し、かえって共産勢力を伸ばすとの懸念が出始める。特に戦前から三井、三菱財閥と縁の深いニューヨークの財界は不満で、米議会やマスコミを使って政界工作を行った。 その結果、大物戦犯は釈放され、財閥解体は骨抜きになり、追放された官僚や実業家も続々と復帰していった。いわゆる占領方針の「逆コース」で、それを見事に示すGHQ指令書がある。 1948年12月23日付けで、翌日のクリスマス・イブに、巣鴨拘置所の戦犯容疑者15名を釈放しろという。そのリストの中に岸信介、児玉誉士夫、笹川良一の名前があった。 いずれもA級戦犯で、やがて岸は政界に復帰し、総理へ上り詰め、児玉や笹川も大物右翼として君臨した。そして、文鮮明が反共を掲げて創設した政治団体「国際勝共連合」を支援していった。 こうして見ると、岸がレーガン大統領に送った文の釈放要請と、G2による岸の釈放勧告は一本の糸でつながる。東西冷戦下、不倶戴天の敵であるソ連との戦いだ。 自由と民主主義を掲げる西側は絶対的正義で、何としても勝たねばならない。そのためなら満州ギャングだろうが、A級戦犯だろうが娑婆に出す。また霊感商法で、献金を強いられ、信者の家庭が崩壊しようと構わない。ましてや脱税など問題ではない。共産主義の脅威に比べ、そんなのは些事に過ぎないとの理屈だった。 1982年7月、ニューヨーク連邦地裁は、脱税容疑で起訴された文鮮明に懲役18カ月、罰金2万5千ドルの実刑判決を言い渡した。70年代初め、米国内にある銀行口座の利子、そして統一教会の関連会社から受領した株式を所得申告に入れなかった容疑である。 弁護側は、口座は教会に属し、文は管財人に過ぎず、そうした手法は他の宗教団体でも見られると反論した。判決を受けて上告したが、1984年5月、米連邦最高裁は棄却、文は同年7月からコネチカット州ダンベリーの刑務所に収監された。岸がレーガンに釈放を求めたのは、その4カ月後である。 だが、それは決して彼一人の思いつきなどではなかったのだ』、「GHQの岸ファイルは、「軍事国家資本主義」「満州ギャング」と形容した。そのギャングの親玉を牢獄から出してくれ、という。これまた異様に聞こえるが、背景には当時の差し迫った脅威、共産主義がある。 すでに東西冷戦が始まり、米国とソ連は世界中で鎬(しのぎ)を削っていた。岸釈放が要請された1947年はCIA(米中央情報局)が創設され、日本でも共産党が過激化していく」、「行き過ぎた改革は日本を弱体化し、かえって共産勢力を伸ばすとの懸念が出始める。特に戦前から三井、三菱財閥と縁の深いニューヨークの財界は不満で、米議会やマスコミを使って政界工作を行った。 その結果、大物戦犯は釈放され、財閥解体は骨抜きになり、追放された官僚や実業家も続々と復帰していった。いわゆる占領方針の「逆コース」で、それを見事に示すGHQ指令書がある。 1948年12月23日付けで、翌日のクリスマス・イブに、巣鴨拘置所の戦犯容疑者15名を釈放しろという。そのリストの中に岸信介、児玉誉士夫、笹川良一の名前があった」、「児玉誉士夫、笹川良一」もこの時に釈放されたとは初めて知った。
・『外務省を迂回か  同年11月、東京で「世界言論人会議」という国際会議が開かれた。これは世界中から約700名のジャーナリスト、学者が集まり、マスコミのあり方を話し合うもので、その最中、議長名でレーガン大統領に書簡が出された。 〈米国で文尊師は評判のよい人物ではありません。彼は共産主義に強硬な姿勢を取り、伝統的な価値観を支持してまいりました〉 〈宗教と報道の自由を掲げる合衆国憲法修正第1条の名の下、速やかな是正措置を取るようお勧めいたします〉 要は、大統領恩赦を与えてほしいという要請だ。この会議の創設者こそ、誰あろう文鮮明であり、東京で名誉議長として登壇したのが岸だった。 さらに翌月、今度は文の代理人を務めるワシントンの大手法律事務所もレーガンに書簡を送った。そもそも裁判の進め方に問題があり、憲法上の疑義があるという。 たった1カ月の間に相次いだ大統領への直訴、これは明らかに統一教会と連携している。岸の働きかけも、その一環とみてよい。それに対し米国政府はどう応じたか。 筆者は、岸の書簡はすでに5年前、カリフォルニア州のロナルド・レーガン大統領図書館で入手していた。ところが、レーガンからの返書は国家安全保障を理由に公開されなかった。それが今回、改めて照会すると手に入ったのだ。 日付は1985年3月5日、文面はまず、レーガン再選に寄せられた岸の祝辞への礼から始まる。そして最近、文の仮釈放が却下され、弁護士が恩赦を要請してきたという。 〈要請は現在、司法省で検討しており、その過程で貴殿の考えも慎重に考察されるものと保証します。見解を伝えていただき感謝します〉 明らかに、やんわりと拒否するニュアンスだ。そして返書を出す前、司法長官代理が大統領の法律顧問にメモを送った。恩赦に反対との内容で、それとは別に、文の裁判記録もホワイトハウスに届けられる。その焦点は、ニューヨークの銀行にある個人口座だった。 70年代初め、文はチェース・マンハッタン銀行に口座を開き、3年間で約160万ドル、そのほとんどを現金で預けた。そこで発生した利子や教会の関連会社から受領した株式を申告しなかったのだが、前述の通り、弁護人は、文は管財人に過ぎないと主張した。 ところが記録によると、資産の一部が、ニューヨーク郊外の文が住む高級住宅の購入費や子供の学費に回されていたという。さらに興味を引くのが偽装工作疑惑である。 口座の金を信者の献金に見せるため、虚偽の入金記録を作ったという。そこで使われたのが「日本家族ファンド」なる帳簿で、数百の日本人信者の名前、献金額、その日付が載っていた。これを担当したのが統一教会の在米日本人幹部の神山威(たける)で、文と共に起訴され、懲役6カ月、罰金5千ドルの判決を受けた。 米国の脱税裁判は図らずも、統一教会の資金ネットワークの片鱗をさらしたのだった。しかも70年代末、米韓関係を調べた米下院の委員会は、文らが祭政一致の世界政府樹立をめざしていたと指摘した。 そして岸も、自分の働きかけが一種のヤバさを含むのを感じ取ったようだ。 レーガンへの書簡を託したのは、当時アール・エフ・ラジオ日本社長の遠山景久、通訳として同行したのが日系2世で元GHQ将校のキャピー原田だった。遠山は、東京の世界言論人会議で反共を訴える講演を行い、原田は、巣鴨拘置所にいた岸の釈放に動いた一人だ。 信頼できる友人を通じて米国に接触し、文釈放を呼びかける。また、その返書も西新橋にあった岸事務所に届けられた。これは取りも直さず、日本の外務省を通していないことを示唆した。外務省を通せば当然、大臣を巻き込み、下手すると将来の政治キャリアに関わる。それを避けるには水面下で進めるしかない。 当時の外務大臣は岸の娘婿の安倍晋太郎、そして、その息子で秘書官を務めていたのが、若き日の晋三だった』、「東京で「世界言論人会議」という国際会議が開かれた。これは世界中から約700名のジャーナリスト、学者が集まり、マスコミのあり方を話し合うもので、その最中、議長名でレーガン大統領に書簡が出された。 〈米国で文尊師は評判のよい人物ではありません。彼は共産主義に強硬な姿勢を取り、伝統的な価値観を支持してまいりました〉 〈宗教と報道の自由を掲げる合衆国憲法修正第1条の名の下、速やかな是正措置を取るようお勧めいたします〉 要は、大統領恩赦を与えてほしいという要請だ。この会議の創設者こそ、誰あろう文鮮明」、「文鮮明」は自らが創設した会議で、恥ずかしげもなく自らの釈放を要求したとは、まさに茶番だ。「「日本家族ファンド」なる帳簿で、数百の日本人信者の名前、献金額、その日付が載っていた。これを担当したのが統一教会の在米日本人幹部の神山威(たける)で、文と共に起訴され、懲役6カ月、罰金5千ドルの判決を受けた」、こんなつながりがあったことは初めて知った。
・『岸のトラウマ  それでも、ここである疑問が残る。そこまで統一教会のヤバさを感じつつ、なぜ岸は、彼らとの関係を深めたのか。その裏には、戦後最大の政治イベント「60年安保闘争」があったと思われる。 1960年の春、国会議事堂周辺は、まるで革命前夜のような混乱に陥っていた。連日、学生や労働組合員、一般市民ら数万人が集まり、議事堂や総理官邸を取り囲んだ。口々に「安保反対!」「岸を倒せ!」と叫び、路上は地響きすら感じられた。 岸内閣が進める日米安全保障条約の改定、それが米国の戦争に巻き込まれるとの国民の懸念を呼んだ。与党の強引な国会運営もあり、大勢の群衆が詰めかけ、機動隊は放水と催涙ガスで応じる。 渋谷の南平台にある岸の自宅にもデモ隊が押しよせ、それは孫の晋三にとっても強烈な記憶だったらしい。当時、晋三は小学校に入る前で、両親や兄と祖父の家によく遊びに行ったという。 「しかしそこも、しばしばデモ隊に取り囲まれることがあった。『アンポ、ハンターイ!』のシュプレヒコールが繰り返され、石やねじって火をつけた新聞紙が投げ込まれた」 「母とわたしたち二人は、社旗を立てた新聞社の車にそうっと乗せてもらって、祖父の家にいった。子どもだったわたしたちには、遠くからのデモ隊の声が、どこか祭りの囃子(はやし)のように聞こえたものだ。祖父や父を前に、ふざけて『アンポ、ハンタイ、アンポ、ハンタイ』と足踏みすると、父や母は『アンポ、サンセイ、といいなさい』と、冗談まじりにたしなめた。祖父は、それをニコニコしながら、愉快そうに見ているだけだった」(安倍晋三著、『新しい国へ』文春新書) だが、孫の前では好々爺(や)然としても、内心、岸のはらわたは煮えくり返っていたようだ。結局、その年の6月、新安保条約は成立したが、岸内閣は退陣に追い込まれる。そして晩年、あそこまでデモが盛り上がった裏には、中国とソ連の工作があったとふり返った。 「彼らが、安保改定の実現を阻止し、日米間にクサビを打ち込むために全力を傾けたことは、彼らにすれば当然の行動であった。確証を握っているわけではないが、このために彼らが投入した物量は、相当の額であろうと推測される。 彼らは、共産党や社会党のような、日本国内の“外郭団体”はもちろん、労働組合内部のシンパに指令を与え、これらシンパが一般組合員や学生に工作して大衆運動の盛り上がりを図った。また、進歩的文化人と称せられるグループが、彼らのちょうちん持ちの役を演じた」(『岸信介回顧録 保守合同と安保改定』廣済堂出版) そして、これら文化人は、共産主義者のどう喝におびえ、政策も理解せず、時代の寵児と錯覚する「売文口舌の徒輩」と批判する。国会と自宅を取り巻いたデモへの恨みがにじむが、この60年安保が岸のトラウマになったのは間違いない』、「この60年安保が岸のトラウマになったのは間違いない」、その通りだろう。
・『反安保を支援した財界  ちょうどこの頃、韓国から日本に進出したのが統一教会だった。南平台にある岸の自宅の隣に本部が置かれ、反共を旗印に「国際勝共連合」が生まれる。左翼に敵愾心を燃やす岸には、この上なく心強い援軍だったはずだ。 これ以降、両者は連携を深めるが、反共のためなら「霊感商法」など取るに足らなかったのだろう。だが、ここで岸は重大な勘違いをしていた可能性がある。 拙著『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』(文藝春秋)で述べたが、岸を憎んだのは共産勢力だけでなく、じつは日本の財界もだった。総理就任以来、岸は、あの満州を彷彿させる経済統制を進めていた。戦中からの友人を政府の要職に就け、企業への介入を強め、それに危機感を抱いたのが財界だ。 このままだと、本当に岸の家来にされてしまう。口では資本主義、自由主義と言ってるが、あの満州国と同じだ。体のいい独裁じゃないか──これが彼らの本音ではなかったか。 そして財界の一部は、右翼の黒幕の田中清玄を通じ、デモ隊の左翼学生を支援していた。右とか左とかイデオロギーではないのだ。 それでも晋三にとって、祖父は尊敬の対象以外の何物でもなかったようだ。 「祖父は、幼いころからわたしの目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。間違っているのは、安保反対を叫ぶかれらのほうではないか。長じるにしたがって、わたしは、そう思うようになった」(『新しい国へ』) やがて成長した晋三は、政策も吟味せず革新、反権力を叫ぶ人々をうさんくさく感じ、「保守」という言葉に親近感を覚えたという。そして祖父と共に左翼と戦ってくれた統一教会、その人脈を受け継いでいく。 岸は90歳で天寿を全うするが、その2年後の1989年、東西対立の象徴だったベルリンの壁が崩壊した。やがてソ連が解体し、冷戦も終わるが、統一教会と自民党の関係は残った。そして、それは、かつての反共の同志から目先の選挙支援に変わってしまう。 まさにその間、山上徹也は、家庭を崩壊させた統一教会、それとつながる岸信介、安倍晋三へ憎悪を募らせていた。どす黒い感情はマグマのようにたまり、その帰結点が2022年7月8日、大和西大寺駅前の銃声だった。 そこへ至るまでの薄暗い影、それは75年前のクリスマス前日、巣鴨拘置所を出た岸から伸びていた。その影に何が隠されたか、封印が解かれるのは、これからである』、「60年安保闘争」の時には岸らの保守勢力にとっては、「反共」の「統一教会」は頼りがいがあったのだろう。「そこへ至るまでの薄暗い影・・・その影に何が隠されたか、封印が解かれるのは、これからである」、「封印が解かれる」のが楽しみだ。何が出てくるのだろうか。
タグ:宗教 (その10)(【橋爪大三郎・特別講義】日本人が知らない 中国を動かす「儒教の本質」とは?、「下関は統一教会の聖地」論争の不毛 信者も地元民も寝耳に水だったワケ、「安倍晋三元首相」暗殺の闇 なぜ祖父・岸信介は「統一教会教祖」の釈放嘆願書をレーガン大統領に送ったのか) ダイヤモンド・オンライン 橋爪大三郎氏による「【橋爪大三郎・特別講義】日本人が知らない、中国を動かす「儒教の本質」とは?」 「「死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている」、「やり残した夏休みの宿題」とは言い得て妙だ。「各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』、とは興味深そうだ。 「一神教の原理。それは、「神が人を支配するのは、正しい」です。これは、無条件で正しい。ならば、人が人を支配するのは、無条件で正しくはない。 それが正しいのは、「神がそれを命じた場合」に限られる。 そこで西欧では、地上で神の代理をつとめる教会が、王や貴族など統治者より優位に立っていました。教会が認めないと、王は正しい統治者でない。政教分離です。 政治は相対化される」、「中国には、天の考え方があります。 天は、神と違って、地上にその代理人がいない。教会がない。中国の統治者(皇帝)は、天命を受けて政治をしている、と主張します。 その証拠があるかというと、特にない。実力で、皇帝になれてしまうということです。儒教はそれを認めます。つまり、皇帝が、天命を受けて、人を支配するのは正しい」、「儒教」など中国流の考え方は、「統治者」には好都合だ。 「忠は官僚だけの義務ですが、孝はすべての中国人の義務。長幼の序は、地域社会に秩序をうみ出し、社会の末端を安定させます」、なるほど。 「この秩序は永遠の昔から決まっていて、正しいものなので、これに従うのが人間の道である・・・道徳と宗教と政治が一体化している。それ以外に人間の正しい生き方はない、という考え方です。 以上をまとめると、忠:政治的リーダー(とくに皇帝)に服従する  孝:親族の年長者(とくに親)に服従する  孝は、忠よりも絶対的。親に対する服従は無条件なのです。 中国の農業は家族経営なので、孝を強調することで、経営基盤が安定する。税収が増え、政府にとってもメリットがあるのです」、「為政者」には本当に好都合な考え方だ。 「儒教の考え方が現代化して広がったものが現代の中国共産党です」、「儒教っぽいスタイルだが儒教ではない、権威主義的な独裁政権ができあがっています」、確かにその通りだ。 窪田順生氏による「「下関は統一教会の聖地」論争の不毛、信者も地元民も寝耳に水だったワケ」 「有田氏の「聖地発言」」、自体が説明不足で誤解を生み易いのも事実だ。 前述の「「聖地発言」」、自体が説明不足で誤解を生み易い」、ことのためだ。 「有田氏らのように旧統一教会を追いかけてきたジャーナリストや弁護士センセイたちの間では、下関が旧統一教会の聖地だというのは、「議論するのも馬鹿らしい常識」「基礎知識」でもある」、専門家特有の思い上がり的な色彩もあるようだ。 「下関は確かに「旧統一教会の聖地」ではあるのだが、一般の人が思い描くような信者がわんさか訪れて、信仰を強めていくというような「聖地」ではなく、「ゆかりの地」であって、一般人の我々が理解できるニュアンスとしては、先ほど申し上げたようなアニメやマンガの舞台をファンたちが「聖地」と呼ぶような感覚ではないのか」、なるほど。 「犯罪を犯したなど社会的評価を著しく貶めるような事実無根の誹謗中傷には迅速に対応すべきだが、今回の「聖地論争」のような多様な意見があるものの場合、やはり有田氏のような高名なジャーナリストは、弁護士に何をアドバイスされようとも、まずは「言論」で国生さんの誤解を解いていただきたかったな、と思う」、同感である。 デイリー新潮 徳本栄一郎氏による「「安倍晋三元首相」暗殺の闇 なぜ祖父・岸信介は「統一教会教祖」の釈放嘆願書をレーガン大統領に送ったのか」 「岸氏は後に統一教会の教祖、文鮮明氏の釈放を求める文書を米大統領に送る。共産勢力の脅威に対抗するためだ」、そんな以前からつながりがあったとは、初めて知った。 「GHQ・・・で諜報や治安維持を担当するG2(参謀第2部)だ。GHQの法務局、国際検察局などへの文書は、巣鴨拘置所にいる岸信介を自由の身にするよう促していた」、既に対日政策が後述のように、「逆コース」へと変わっていたようだ。 「GHQの岸ファイルは、「軍事国家資本主義」「満州ギャング」と形容した。そのギャングの親玉を牢獄から出してくれ、という。これまた異様に聞こえるが、背景には当時の差し迫った脅威、共産主義がある。 すでに東西冷戦が始まり、米国とソ連は世界中で鎬(しのぎ)を削っていた。岸釈放が要請された1947年はCIA(米中央情報局)が創設され、日本でも共産党が過激化していく」、「行き過ぎた改革は日本を弱体化し、かえって共産勢力を伸ばすとの懸念が出始める。特に戦前から三井、三菱財閥と縁の深いニューヨークの財界は不満で、米議会 やマスコミを使って政界工作を行った。 その結果、大物戦犯は釈放され、財閥解体は骨抜きになり、追放された官僚や実業家も続々と復帰していった。いわゆる占領方針の「逆コース」で、それを見事に示すGHQ指令書がある。 1948年12月23日付けで、翌日のクリスマス・イブに、巣鴨拘置所の戦犯容疑者15名を釈放しろという。そのリストの中に岸信介、児玉誉士夫、笹川良一の名前があった」、「児玉誉士夫、笹川良一」もこの時に釈放されたとは初めて知った。 「東京で「世界言論人会議」という国際会議が開かれた。これは世界中から約700名のジャーナリスト、学者が集まり、マスコミのあり方を話し合うもので、その最中、議長名でレーガン大統領に書簡が出された。 〈米国で文尊師は評判のよい人物ではありません。彼は共産主義に強硬な姿勢を取り、伝統的な価値観を支持してまいりました〉 〈宗教と報道の自由を掲げる合衆国憲法修正第1条の名の下、速やかな是正措置を取るようお勧めいたします〉 要は、大統領恩赦を与えてほしいという要請だ。この会議の創設者こそ、誰あろう文鮮明」、 「文鮮明」は自らが創設した会議で、恥ずかしげもなく自らの釈放を要求したとは、まさに茶番だ。「「日本家族ファンド」なる帳簿で、数百の日本人信者の名前、献金額、その日付が載っていた。これを担当したのが統一教会の在米日本人幹部の神山威(たける)で、文と共に起訴され、懲役6カ月、罰金5千ドルの判決を受けた」、こんなつながりがあったことは初めて知った。 「この60年安保が岸のトラウマになったのは間違いない」、その通りだろう。 「60年安保闘争」の時には岸らの保守勢力にとっては、「反共」の「統一教会」は頼りがいがあったのだろう。「そこへ至るまでの薄暗い影・・・その影に何が隠されたか、封印が解かれるのは、これからである」、「封印が解かれる」のが楽しみだ。何が出てくるのだろうか。
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