相次ぐ警察の重大ミス(その8)(なぜ警察は助けを求める人を見殺しにするのか…「博多ストーカー殺人事件」を防げなかった根本原因 法律があれば犯罪がなくなると錯覚している、あの時本腰を入れていれば…「ルフィ事件」被害拡大の裏に日本の警察の“怠慢”、警視庁公安部の闇 報告書に「私が言ってもないことが書かれている」 防衛医大校長がずさんな捜査に怒り) [社会]
相次ぐ警察の重大ミスについては、2020年4月10日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その8)(なぜ警察は助けを求める人を見殺しにするのか…「博多ストーカー殺人事件」を防げなかった根本原因 法律があれば犯罪がなくなると錯覚している、あの時本腰を入れていれば…「ルフィ事件」被害拡大の裏に日本の警察の“怠慢”、警視庁公安部の闇 報告書に「私が言ってもないことが書かれている」 防衛医大校長がずさんな捜査に怒り)である。
先ずは、本年2月3日付けPRESIDENT Onlineが掲載したジャーナリストの元木 昌彦氏による「なぜ警察は助けを求める人を見殺しにするのか…「博多ストーカー殺人事件」を防げなかった根本原因 法律があれば犯罪がなくなると錯覚している」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/66122
・『「女性のほうも悪かった」と自己弁護 ストーカー殺人事件はなぜなくならないのか。 2000年にストーカー規制法が成立し、2021年には「EメールやSNSメッセージの連続した送信」や「転送を前提にして空の封筒にGPS機器を入れ、送付して住所を調べる、宅配便を送り受領通知を受けることで行動を把握するといったケース」も処罰の対象にする改正が行われた。 だが、警察には年間2万件、一日50件以上の相談が寄せられ、相談に行かない人を含めると大変な数の被害者がいると思われる。 今年の1月16日夕刻、川野美樹さん(当時38歳)が、JR博多駅前の路上で頭や胸など10カ所を刺され、帰らぬ人となってしまった。 週刊文春(2月2日号、以下文春)は、なぜこの事件が起きてしまったのかを詳細に報じているので見てみたい。 川野さんは福岡県那珂川市の会社員で、11歳の娘を持つシングルマザーだった。 事件から2日後に逮捕されたのは元交際相手の飲食店店員・寺内進容疑者(31)。 「寺内は『復縁を求めたが、かなわずに刺した』と動機を語る一方、『女性のほうも悪かった』と自己を正当化する供述をしている」(社会部記者) 文春によれば、川野さんは愛知県名古屋市に生まれたが、彼女が幼い頃に両親が離婚して、女手一つで育てられたそうだ。 母親は自宅でエステ店を開き、彼女は歌が上手くて評判の美少女だった』、「歌が上手くて評判の美少女だった」のであれば、「沖縄」の「名門アクターズスクールに入所」もさもありなんだ。
・『名門アクターズスクールに入所するも… 中学生になると、 「安室ちゃんみたいに、歌って踊れるアーティストになりたい」 という夢を持つ。友人の前で安室奈美恵の『CAN YOU CELEBRATE?』を歌うと拍手喝采されたという。 そんな彼女が、沖縄のアクターズスクールに入学したいと思うようになるのは必然だった。 中学卒業後、単身で安室奈美恵やSPEEDを輩出した念願のアクターズスクールに入った。 「恩納村のムーンビーチにあった、アクターズスクール系のインターナショナル・スクール『ドリームプラネット』に通いながら日々、レッスンを受けていました。 同期は三十~五十人。美樹ちゃんは県外から来ているだけあって、エネルギーとやる気に満ち溢れ、いつも輪の中心にいた。仲間思いで誰からも慕われ、人気者でしたね」(当時の恩師) 同じ志を持った仲間と、休日は北谷町や名護市に遊びに出かけ、夢を語り合った。だが、1年余りスクールに通ったが、歌手デビューすることは叶わなかった。 歌手になる夢を諦めて、彼女が向かった先は東京だった。 下町にある家賃約6万円の単身者用マンションから、東京の狭い空を見上げて何を思ったのだろう。 「東京への憧れも強かったのでしょう。といっても働き口はなく、当時はキャバクラで働いて生計を立てていました。美人なので人気があり、彼氏にも困らなかった」(名古屋時代の知人) 母親は福岡県出身の男性と再婚して、名古屋を離れ福岡で暮らし始めたが、その結婚生活は楽ではなかったという』、「1年余りスクールに通ったが、歌手デビューすることは叶わなかった。 歌手になる夢を諦めて、彼女が向かった先は東京」、「当時はキャバクラで働いて生計を立てていました」、なるほど。
・『結婚するもほどなく離婚し、福岡へ 彼女も東京を離れる時が来た。大阪府出身の男性と結婚したのだ。2011年に長女を出産。大阪府岸和田市に移り、母親と娘3人で、東京ディズニーランドへ旅行したのは、娘が2歳の誕生日を迎える頃だったという。 だが、結婚生活は長くは続かず、数年後に離婚。母親と同じシングルマザーの道を選び、佐川急便に事務職として勤務しながら生きることになる。 「苦労はしていたが、いつも笑顔でイキイキしていた。ただ、お酒が好きで、呂律が回らなくなるまで飲むこともあった」(元夫の友人) 生きていく苦しさを酒で紛らわせていたのだろうか。 約6年前、家族ぐるみで付き合っていた友人に彼女から電話が入る。娘を育てながらの生活は大変だから、母親のいる福岡へ行くというのだ。 母親は快く娘を受け入れてくれたという。住まいは福岡市から少し離れた那珂川市にある2階建ての賃貸住宅。 彼女には歌手とは別にもう一つの夢があった。母親がエステ業界に関わっていたため、彼女も「人を綺麗にすることが好き」だったという。 自宅から歩いて行けるマンションの一室を借り、200万円以上のローンを組み、大阪府にあるエステチェーンのフランチャイズ店を開いたのだ。 だが、思惑通りにはいかず、コロナ蔓延という不幸な事態もあったためか、初期投資が回収できず間もなく店を畳んでしまった。 2020年8月に破産手続きをして、翌年4月には自己破産。 生活を立て直すために彼女が足を向けたのは、九州一の歓楽街・中洲の高級クラブ「S」だった。 寺内容疑者は「突然キレて物を投げたり、どついたり…」 昼間は派遣会社で働き、夜は蝶として舞い、週末は子育て。楽しみは大のファンである中日ドラゴンズの応援と、娘と一緒に通うジムだったという。 娘とお揃そろいのドラゴンズのユニフォームを着て、仲よくトレーニングする写真が、友人限定のフェイスブックに上げられた。 娘との笑顔の写真。思い出の沖縄にも、たびたび娘を連れて訪れていたそうである。 だが、川野さんが昨年春、中洲のバー「X」で寺内と出会ったことで大きく人生が暗転する。 「茶色の短髪に鋭く切り込んだ細い眉。関西弁を操るアヒル口の男が寺内だった」(文春) この店は「S」の系列店で、昨年1月に店を辞めていたが、時々ヘルプで店に入ることもあり、「X」のようなバーに遊びに行くこともあったという。 寺内は1991年8月生まれ。大阪市福島区で、父親が働く運輸会社の寮で育った。母親はラウンジで働いていて夜はいない。父親もほとんど家にいなかったそうだ。 そんな寺内は中学進学後に変わってきたという。 「友達の家で突然キレて物を投げたり、どついたりして喧嘩を始める。中学はお弁当だったけど、彼はいつもファミリーマートのおにぎり。部活はしてなかったが、ボクシングを習っていた」(学校関係者) 目が合っただけで殴られた生徒もいた。日に日に暴力沙汰を起こす寺内は、教師にも牙をむいた』、「結婚するもほどなく離婚し、福岡へ」、「自宅から歩いて行けるマンションの一室を借り、200万円以上のローンを組み、大阪府にあるエステチェーンのフランチャイズ店を開いたのだ。 だが、思惑通りにはいかず、コロナ蔓延という不幸な事態もあったためか、初期投資が回収できず間もなく店を畳んでしまった。 2020年8月に破産手続きをして、翌年4月には自己破産。 生活を立て直すために彼女が足を向けたのは、九州一の歓楽街・中洲の高級クラブ「S」だった」、「川野さんが昨年春、中洲のバー「X」で寺内と出会ったことで大きく人生が暗転する。 「茶色の短髪に鋭く切り込んだ細い眉。関西弁を操るアヒル口の男が寺内だった」(文春) この店は「S」の系列店で、昨年1月に店を辞めていたが、時々ヘルプで店に入ることもあり、「X」のようなバーに遊びに行くこともあったという」、「寺内は中学進学後に変わってきた・・・部活はしてなかったが、ボクシングを習っていた」・・・目が合っただけで殴られた生徒もいた。日に日に暴力沙汰を起こす寺内は、教師にも牙をむいた」かなり危険な男のようだ。
・『「俺のバックには山健組がいとるんや」 「ボクシングの強豪校に推薦が決まっていたけど、教頭先生を殴って推薦が飛んだんですわ。学校が被害届を出し、更生施設送りになったと校内で噂が立った。実際、三年生の大半は学校に来ていなかった」(同) 地元の高校に進むも中退した寺内は、大阪市中央卸売市場に勤め始めるが、祭りですれ違った同級生に対して、 「お前、金持ってるか。俺のバックには神戸の山健組がいとるんや」 と凄んだという。 髪を金色に染め、バラのタトゥーを右胸に刻んで、どっぷり夜の世界に浸かっていった。 「十三年、大坂のショーパブ『K』に二十歳そこそこの寺内が入店してきた。すると直後、酔って先輩従業員に暴行したのです。警察沙汰にはしなかったものの、本社のある東京で教育し直すことに。ところが、指導を厳しく感じたのか、あいつは二~三カ月で飛んでしまった」(元同店経営者) 逃げるように大坂に舞い戻った寺内はさまざまな飲食店を渡り歩いたという。 2015年3月、窃盗容疑で大阪府警に逮捕される。そんな寺内を拾ったのは兵庫県内のキャバクラだった。 黒服として働いていたが、見かけによらずレディファーストだったという。女性には一途で、高級バッグをプレゼントしたりしていたそうだが、信じられないほど幼稚な面があったという』、「髪を金色に染め、バラのタトゥーを右胸に刻んで、どっぷり夜の世界に浸かっていった」、「そんな寺内を拾ったのは兵庫県内のキャバクラだった。 黒服として働いていたが、見かけによらずレディファーストだったという」、なるほど。
・『「自分は別れていない。許さんぞ」 当時の交際相手はこう語っている。 「束縛が激しく、携帯を盗み見るなんて日常。友達と遊びに行くときは、いつでも連絡できるようにしておかないと彼は怒り狂うから、遊びにも行けへんかった」 その過度な束縛癖が嫌になり、彼女は警察に相談に行ったという。しかし、別れた後も家に来て、「別れてない」としつこくいい続けたそうだ。 大阪市東淀川区に知人と一緒に「ぼったくりバー」をオープンさせたが、数カ月で潰れた。 周囲に「人生をやり直す」といって、縁もゆかりもない九州へ飛び立ち、鹿児島や熊本を経て、福岡の地に足を踏み入れたのは約1年前だったそうである。 そして昨年春、川野さんと知り合い、交際を始めたという。男と女というものは不思議なものだ。寺内のどこに彼女は惹かれたのだろう。 だが寺内は本性を現し、彼女を束縛していく。寺内の言動に危険を感じた彼女が、初めて福岡県警に相談に行ったのは昨年の10月21日のことだった。 「携帯電話を盗られた。相手とも別れたい」 切羽詰まった様子で被害を訴え、その翌日、寺内に別れを告げたという。だが寺内は、「自分は別れていない。許さんぞ」と繰り返した。 10月24日に警察から警告を受け、それでも、寺内が彼女の職場に押しかけたり、電話をしたり、つきまとい行為を止めなかったため、11月26日に春日署はストーカー規制法に基づく禁止命令を出した』、「福岡の地に足を踏み入れたのは約1年前だったそうである。 そして昨年春、川野さんと知り合い、交際を始めたという。男と女というものは不思議なものだ。寺内のどこに彼女は惹かれたのだろう。 だが寺内は本性を現し、彼女を束縛していく。寺内の言動に危険を感じた彼女が、初めて福岡県警に相談に行ったのは昨年の10月21日のことだった。 「携帯電話を盗られた。相手とも別れたい」 切羽詰まった様子で被害を訴え、その翌日、寺内に別れを告げたという。だが寺内は、「自分は別れていない。許さんぞ」と繰り返した。 10月24日に警察から警告を受け、それでも、寺内が彼女の職場に押しかけたり、電話をしたり、つきまとい行為を止めなかったため、11月26日に春日署はストーカー規制法に基づく禁止命令を出した」、なるほど。
・『福岡県警の対応に問題はなかったのか 川野さんは勤務先の人材派遣会社で昇進が決まり、喜んでいたそうだ。11歳になった娘を絵画教室に送り迎えする姿は、幸せそのものに見えたという。 だがその幸せを、寺内の刃渡り20センチの刃物が切り裂いてしまったのである。 周囲を明るく照らす太陽のようだった彼女は、生きていれば39歳の誕生日だった日に、親しい友人らに囲まれて荼毘に付された。 文春は触れていないが、川野さんから相談を受けた福岡県警と那珂川市を管轄する春日署の事件対応に問題はなかったのだろうか。 たしかに、寺内の逮捕歴や威嚇、粗暴な性格などを鑑かんがみて、規制法に基づいて接近禁止令を出し、本人にも伝えたようだが、これまでの事例を見ても分かるように、「法的対応を受けることで動揺して不安を強めたり、逆恨みしたりする恐れもある」(産経新聞1/19〈木〉20:49配信)のだ。 私事で恐縮だが、はるか昔、私が月刊現代という部署にいるとき、講談社の女性社員から、妹が右翼で暴力団員を名乗る男に付きまとわれ、困っていると相談を受けたことがあった。 私は友人の右翼の大物に相談して、その男と対峙しようとなった。だが、それを察知した男は、娘ではなく身体の悪い父親を自宅から拉致し、どこかに監禁してしまったのだ。 当時はストーカー規制法などない時代で、娘が警察に相談に行っても、「民事不介入」を盾に動いてくれない』、「私が月刊現代という部署にいるとき、講談社の女性社員から、妹が右翼で暴力団員を名乗る男に付きまとわれ、困っていると相談を受けた・・・ことがあった。 私は友人の右翼の大物に相談して、その男と対峙しようとなった。だが、それを察知した男は、娘ではなく身体の悪い父親を自宅から拉致し、どこかに監禁・・・娘が警察に相談に行っても、「民事不介入」を盾に動いてくれない」、なるほど。
・『毎年のように何度も起きている 私と彼で、男のヤサを探し出して踏み込んだ。父親が縛られて地下室にいるのを見つけたが、男は逃げた後だった。ストーカーではなく父親の拉致・監禁罪で訴え、男は捕まった。だが、出てきたらまた同じことを繰り返すのではないかと数年、彼女と連絡を取り続けた。 今は規制法ができたために、当時よりはよくなったと思うが、今回のようなストーカー行為から殺人事件に至る悲劇は毎年のように何度も起きている。 朝日新聞デジタルで「ストーカー殺人」で検索すると、いくつも出てくる。 小金井ストーカー殺人未遂事件(2016年5月21日)。芸能活動を行っていた女性のファンを自称する男が、ライブハウスで彼女を刺殺しようとした。 2018年2月6日。フィリピン国籍の女性をストーカーしていた男が刃物を持って家に押し入り、一家3人を襲撃して家に火をつけた。 2020年6月。静岡県沼津市の女子大生が、同じ大学に通う21歳の男に腹や首などを刺されて殺害された。好意を抱き、一方的にLINEを送ったがブロックされたことで、「生きがいを奪われた」と逆恨みしたという。 2020年8月30日。東京中野区の38歳の女性が、元交際相手に殺害された。男はすぐカッとする性格で、別れを切り出すと、「死ぬ」「恨んでやる」というメールを送り付け、彼女の首を絞めたり殴ったりする傷害容疑で書類送検されていた。警視庁からも注意を受けていたが、犯行を止めることはできなかった』、「私と彼で、男のヤサを探し出して踏み込んだ。父親が縛られて地下室にいるのを見つけたが、男は逃げた後だった。ストーカーではなく父親の拉致・監禁罪で訴え、男は捕まった」、「今回のようなストーカー行為から殺人事件に至る悲劇は毎年のように何度も起きている。 朝日新聞デジタルで「ストーカー殺人」で検索すると、いくつも出てくる。 小金井ストーカー殺人未遂事件・・・東京中野区の38歳の女性が、元交際相手に殺害」などは、このブログでも紹介した。
・『ストーカー規制法のきっかけになった「桶川事件」 こうして見てくると、相手が一方的に好意を持ち、ストーカー行為をしてくると、女性の側(男性の場合もあるが)は、周囲に彼女を守ってくれる人間や、まれに、親身になってくれる警察官に出会えないと、自分の身を守ることは不可能かもしれないと思えてくる。 よくいわれることだが、法的な対応だけではなく、臨床心理士の面談などを通して加害者の心の問題にもアプローチしないと、根本的な解決にはならない。 しかし、今回の事件の寺内容疑者のように、粗暴で独占欲の強い人間が相手では、決め手になるとは思えない。 よく知られているように、ストーカー規制法ができたきっかけは、埼玉県桶川市で起きた女子大生殺人事件だった。 1999年10月に女子大生の猪野詩織さん(当時21歳)がJR高崎線桶川駅前で刺殺されるという事件が起きた。 当時写真週刊誌FOCUSの記者だった清水潔さんは、偶然、取材中に詩織さんと親しかった友人2人と知り合った。 2人から「詩織は小松(犯人)と警察に殺された」と聞き、詩織さんは「私が殺されたら犯人は小松」という遺言を残していたことを知る。 詩織さんは、小松(最初は偽名)とゲーセンで知り合い、付き合うようになった。自称青年実業家の小松は、高価なものをプレゼントしてくれた』、「桶川事件」は「写真週刊誌FOCUSの記者」の存在があったからこそ明らかになったようだ。
・『別れを切り出すと「徹底的にお前を潰す」 だが、そのうち態度が怪しくなり、「プレゼントの代金を払え、払えないならソープに行って働いて金を稼げ」と脅すようになった。 詩織さんは別れてほしいと何度も切り出したが、「別れるというのなら、徹底的にお前を叩き潰す」といい出し、見知らぬ男たちに尾行され、2人組が家に乗り込んできたこともあった。 家族と話し合った結果、埼玉県警上尾警察署に出向いて、相談する。だが刑事たちは、「これは事件にならない」「男と女の問題だから警察は立ち入れない」というばかり。 警察が何もしてくれないうちに事態は悪化していく。都内で彼女の写真入りのカードがバラまかれた。そこには「援助交際OK」と彼女の自宅の電話番号が書かれていた。 父親の会社に、根も葉もない中傷の匿名手紙が千通も送られてきた。そこで詩織さんは、このままでは殺されると思い立ち、警察に動いてもらうために刑事告訴することを決意する。だが警察は動かないばかりか、驚くことに、彼女の家に刑事が来て、「告訴を取り下げてほしい」といったのである。 そして惨劇が起こった』、「埼玉県警上尾警察署に出向いて、相談する。だが刑事たちは、「これは事件にならない」「男と女の問題だから警察は立ち入れない」というばかり。 警察が何もしてくれないうちに事態は悪化していく」、「警察に動いてもらうために刑事告訴することを決意する。だが警察は動かないばかりか、驚くことに、彼女の家に刑事が来て、「告訴を取り下げてほしい」といったのである。 そして惨劇が起こった」、酷い話だ。
・『12人が処分を受ける前代未聞の事態に 清水記者は、小松が池袋の性風俗店のオーナーであることを突き止め、実行犯も特定して撮影することに成功する。それらの情報を上尾署に伝えるが、動かない。 ようやく警察が動いて共犯者3人を逮捕したのは撮影してから3週間がたってからだった。主犯の小松は翌年の1月、道東の屈斜路湖で自殺体として発見された。 しかし、それだけでは終わらなかった。警察は告訴を取り下げるよういってきただけではなく、捜査や報告義務が必要になる「告訴状」を、面倒なために「被害届」に改竄していたことまで明るみに出たのである。 新聞、テレビはその間、警察から情報をもらって、彼らのいいなりに嘘情報を垂れ流していた。 「結局、改竄に関わった警察官三人は懲戒免職となり、虚偽公文書作成などの容疑で刑事責任も問われることになった。また、県警本部長を含む十二人が処分を受けるという前代未聞の事態となった」(清水潔『騙されてたまるか 調査報道の裏側』新潮新書) これは調査報道の「金字塔」としていまだに語り継がれている。 尊い命が失われたことをきっかけにできたのがストーカー規制法である。 この法律ができたために思わぬ副作用もあった。週刊誌の記者たちは取材者を追いかけ回したり、家の周りをうろうろできなくなったりしてしまったのだ。相手がストーカーだと警察に訴えれば、排除されてしまうからである』、「警察は告訴を取り下げるよういってきただけではなく、捜査や報告義務が必要になる「告訴状」を、面倒なために「被害届」に改竄していたことまで明るみに出たのである。 新聞、テレビはその間、警察から情報をもらって、彼らのいいなりに嘘情報を垂れ流していた。 「結局、改竄に関わった警察官三人は懲戒免職となり、虚偽公文書作成などの容疑で刑事責任も問われることになった。また、県警本部長を含む十二人が処分を受けるという前代未聞の事態となった」、本当に酷く腹立たしい事件だ。
・『法律があれば犯罪がなくなると錯覚しているのか この規制法、何度も改正もしてきているが、ストーカー殺人を根絶するところまでいかないのはなぜなのだろう。 私は、警察がいまだに民事不介入のしっぽを残し、ストーカーもそうだが、家庭内の子どものDV被害にも消極的だからではないかと考えている。 それに、私の住んでいるような下町でも、警察官の巡回が少なくなったと感じている。 国家防衛という名目でテロ対策のような大犯罪に人を割かれ、昔のように「おまわりさん」として、近所を回って年寄りと話し込むというような余裕がないのであろう。 おまわりさんから警察官。そのうち特高警察となるのではないかと危惧している。ストーカーのような犯罪は、被害者に寄り添って、親身になってやらなければ、被害を防ぐことはできない。 法律だけ作れば犯罪がなくなるとでも錯覚しているのではないか。今度の事件を機に、いま一度原点に返り、ストーカー被害者を救うために何ができるのか、警察やメディアが共に、真剣に考えるべきだと、私は思う』、「この規制法、何度も改正もしてきているが、ストーカー殺人を根絶するところまでいかないのはなぜなのだろう。 私は、警察がいまだに民事不介入のしっぽを残し、ストーカーもそうだが、家庭内の子どものDV被害にも消極的だからではないかと考えている。 それに、私の住んでいるような下町でも、警察官の巡回が少なくなったと感じている。国家防衛という名目でテロ対策のような大犯罪に人を割かれ、昔のように「おまわりさん」として、近所を回って年寄りと話し込むというような余裕がないのであろう。 おまわりさんから警察官。そのうち特高警察となるのではないかと危惧している。ストーカーのような犯罪は、被害者に寄り添って、親身になってやらなければ、被害を防ぐことはできない。 法律だけ作れば犯罪がなくなるとでも錯覚しているのではないか。今度の事件を機に、いま一度原点に返り、ストーカー被害者を救うために何ができるのか、警察やメディアが共に、真剣に考えるべきだと、私は思う』、全く同感である。
次に、3月14日付け文春オンライン「あの時本腰を入れていれば…「ルフィ事件」被害拡大の裏に日本の警察の“怠慢”」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/61266
・『各地に点在する狼藉の痕跡が、元凶へと繋がっていく。その輪郭が見え始めた頃、既に1人の命が失われていた。「ルフィグループ」による犯行は、なぜ食い止められなかったのか』、興味深そうだ。
・『強盗事件の主要メンバー4人が日本に強制送還される 2月28日、強盗犯・加藤臣吾(24)を乗せた新幹線が東京駅に到着した。 「昨年12月の広島市の事件で、強盗傷害などで起訴済。この日、狛江事件にも関与したとして警視庁が再逮捕した。この事件では5人目の逮捕者」(社会部記者) 今年1月19日、東京都狛江市の民家で大塩衣与さん(90)が惨殺された強盗殺人。複数の強盗事件に関わった狂暴な永田陸人(21)ほか、最年長の野村広之(52)、都内私大生のY(19)、犯行に使うレンタカーを調達した福島聖悟(34)が逮捕されていた。 寄せ集めの兵隊を遠隔操作していた首謀者が「ルフィグループ」。主要メンバーは渡邉優樹、今村磨人(きよと)、藤田聖也(としや)(それぞれ38)、小島智信(とものぶ)(45)の4人である。 「首魁を解明、検挙することが重要だ」 露木康浩警察庁長官がそう明言したのは、狛江事件から1週間後のこと。そこから急転直下、2月2週目にはフィリピンのビクタン収容所に潜伏していた4人の身柄が日本に強制送還された。一見、スピード感ある展開だ。しかし――。 4人の逮捕容疑は、2019年、特殊詐欺に関与したとするもので、警視庁が逮捕状を取っていた。つまり、警察当局は3年以上前から後の「ルフィ」たちを認識していたことになる。) 「今村が19年、渡邉ら3人が21年にフィリピンの入管に拘束され、警視庁は警察庁を通じてフィリピンに身柄の引き渡しを求めた。だが、渡邉らは元妻など協力者に虚偽の告訴をさせたため、フィリピン側は国内で別の事件に関与したとして、引き渡し要請に応じなかった」(警視庁関係者) その間、4人は賄賂の横行する収容所内でスマホを入手。「ルフィ」や「キム」などテレグラムのアカウントを使い分け、犯行を続けた。特殊詐欺に加え、やがて強盗にも手を広げる』、「渡邉らは元妻など協力者に虚偽の告訴をさせたため、フィリピン側は国内で別の事件に関与したとして、引き渡し要請に応じなかった」、実に巧妙な「日本」への「引き渡し要請」遅延戦略だ。
・『日本の警察が本腰を入れて外交交渉をしていれば… ルフィたちは縦割りの警察組織の間隙を突いた。 「関連事件は少なくとも14都府県、20件に及んでいた。京都府警など、フィリピンを発信源とする『ルフィ』なる指示役を把握していた警察本部もある。しかしそれらが共有され、渡邉や今村たちの存在と繋がるには、かなりタイムラグがあった」(前出・記者) 結果、ルフィの犯行に歯止めがかからず、死者を出してしまう。 「その後、日本側がフィリピンに引き渡しを要求したら、渡邉たちのスマホは押収され、虚偽告訴も退けられた。マルコス大統領が資金援助を求めて来日するタイミングでもあったが、日本の警察が本腰を入れて外交交渉をすれば、もっと早期に身柄の移送を実現できたのではないか」(警察OB)』、「死者を出してしまう・・・その後、日本側がフィリピンに引き渡しを要求したら、渡邉たちのスマホは押収され、虚偽告訴も退けられた・・・日本の警察が本腰を入れて外交交渉をすれば、もっと早期に身柄の移送を実現できたのではないか」、その通りだろう。
・『犯罪に加担する者をどう減らしていくか 被害がここまで拡大した裏には、警察の“怠慢”があったのだ。今村から強盗事件の盗品を受け取っていたとされるフィリピン人の女も日本にいたが、 「今年2月に逮捕状を取った時には、既に帰国されていた」(捜査関係者) 一方、ルフィ逮捕後も強盗や特殊詐欺が後を絶たない。2月3日、いわき市の高齢女性宅での強盗殺人事件は、実行犯もまだ逮捕されていない。ジャーナリストの多田文明氏が指摘する。 「犯罪組織の上位を摘発できるに越したことはありませんが、加担する者をどう減らしていくかも重要。実行役の入り口となる闇バイトに目を光らせる対策など、携帯会社を含めた官民一体の努力が必要です。実行役を確実に捕まえ、加担すれば必ず逮捕されることを徹底して周知すべきでしょう」 地道な捜査に、警察の威信がかかっている』、「「犯罪組織の上位を摘発できるに越したことはありませんが、加担する者をどう減らしていくかも重要。実行役の入り口となる闇バイトに目を光らせる対策など、携帯会社を含めた官民一体の努力が必要です。実行役を確実に捕まえ、加担すれば必ず逮捕されることを徹底して周知すべきでしょう」 地道な捜査に、警察の威信がかかっている」、その通りだろう。
第三に、5月8日付けデイりー新潮が掲載したジャーナリストの粟野仁雄氏による「「警視庁公安部の闇 報告書に「私が言ってもないことが書かれている」 防衛医大校長がずさんな捜査に怒り」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/05081104/?all=1
・『2020年3月、大川原化工機株式会社(本社・神奈川県横浜市)の社長ら3人が「武器に転用できる機械を中国に違法輸出した」という外為法違反の容疑で警視庁公安部に逮捕された。3人は1年近く勾留された末、公判直前に起訴が取り消され、検察は事実上の「敗北」を認めた。有識者の立場で警察に意見を伝えた防衛医科大学校の四ノ宮成祥(※正しくは示へんに羊)校長は、警察が作成した報告書の内容に異議を唱える。事件の詳細については、〈警視庁公安部のお粗末すぎる捜査…国賠訴訟を起こした大川原化工機幹部が語る「中国不正輸出冤罪事件」全真相〉で解説している。 【写真】生物兵器に転用できるとされた「噴霧乾燥機(スプレードライヤ)」と大川原社長』、「3人は1年近く勾留された末、公判直前に起訴が取り消され、検察は事実上の「敗北」を認めた」、国策捜査の酷い失敗だ
・『滅菌、殺菌、消毒を誤用 生物兵器の製造に転用できる機械の輸出を規制する外国為替及び外国貿易法(外為法)違反の対象とされたのは、大川原化工機の主力製品「噴霧乾燥機(スプレードライヤ)」だった。 規制の対象となるのは、扉を開けたり移動したりせずに内部で滅菌または殺菌できる装置という条件があった。この「滅菌」と「殺菌」の定義について、警察は微生物学を専門とする防衛医科大学校(埼玉県所沢市)の四ノ宮成祥校長に意見を求めた。 四ノ宮氏は大川原化工機事件を取り上げた2022年11月16日放送の「クローズアップ現代」(NHK総合)のインタビュー取材に応じた。その中で、自身が話したことが警察の主張に合わせた内容に変えられて報告書が作成されていることを知り、「何とかならなかったのか」と悔いた。 「警視庁の方が何度か防衛医科大学校に来られました。電話でも話を聞かれました。実は私が事前に見せてもらって『これでよければサインしてください』と言われて了承して、サインと押印した文書がひとつだけあります」と四ノ宮氏は話す。 四ノ宮氏は微生物の専門家で、病原体に係る輸出規制の関係で経済産業省とも関わりがあり、国際輸出管理レジームであるオーストラリア・グループ(AG)を担当する経産省の官僚からも意見を求められてきた。生物兵器禁止条約(BWC)の国際会議にも参加している。 「供述調書」と題されたその文書には、2018年3月28日の聴取が再現されている。 《次に、噴霧乾燥機において、定置した状態で病原菌微生物を滅菌または殺菌することが求められる範囲について説明します。結論としまして、機器内部の病原体が粉体の状態で残留している箇所と言えます》 《したがって、被曝防止という規制の趣旨を鑑みると、機器において定置滅菌又は殺菌を擁する部分は、原液を粉体化するノズルなどの微粒化装置の先から、排気口に設置されたフィルタまでであり、原液を当該装置に送り込む個所などは含まないと解されます》 四ノ宮氏は「滅菌、殺菌、消毒という言葉は、われわれ専門家の間では厳密に区別されていますが、警察が作成した報告書を確認すると、かなり誤用されていた。しかし、経産省の省令でも翻訳の間違いなどで混同して使っていることがあるので、ある程度は仕方ないとは思っていた。『この辺は違いますよ』と例示して、但し書きつきであることを十分に説明してサインしてしまった。しかし、出来た文面を見ると言葉が独り歩きしている感じでした」と振り返る。 供述調書の大半は、炭疽菌やペスト菌などの危険性を説明した内容である。噴霧乾燥機についても四ノ宮氏が詳しく述べたようになっているが、こうした機器類の構造に詳しいわけではなく、警視庁の聴取者が説明したのに合わせて返事をしていただけだという』、「「滅菌、殺菌、消毒という言葉は、われわれ専門家の間では厳密に区別されていますが、警察が作成した報告書を確認すると、かなり誤用されていた。しかし、経産省の省令でも翻訳の間違いなどで混同して使っていることがあるので、ある程度は仕方ないとは思っていた。『この辺は違いますよ』と例示して、但し書きつきであることを十分に説明してサインしてしまった。しかし、出来た文面を見ると言葉が独り歩きしている感じでした」」、「噴霧乾燥機についても四ノ宮氏が詳しく述べたようになっているが、こうした機器類の構造に詳しいわけではなく、警視庁の聴取者が説明したのに合わせて返事をしていただけだという」、「四ノ宮氏が詳しく述べたようになっているが」、事実に反することはその場で訂正を申し入れるべきだった。
・『経産省の曖昧な判断基準を逆手に取る さらに、警視庁は四ノ宮氏が話していない内容を混ぜ込んだ内部資料を同氏の預かり知らぬところで作成していたのである。四ノ宮氏は大川原化工機の顧問弁護士の高田剛氏(和田倉門法律事務所)からその資料を受け取り、驚いたという。 2017年11月16日付の四ノ宮氏からの「聴取結果報告書」には、結論部分にこう書かれている。 《噴霧乾燥機を空運転させて熱風を送り込めば装置内部が百度以上となり、結果的に大腸菌などの病原性細菌が死滅することになるからです》 外為法の規制の対象となる「内部を殺菌することができるかどうか」の判断基準は、規制をつかさどる経産省からも明確に提示されていなかった。そのため警視庁は、容器全体を100度を超える高温にすることができれば、この規制要件に該当することにしようとした。そこで微生物学の専門家である四ノ宮氏に警視庁の思惑通りの供述をさせ、自ら打ち立てた理論を正当化しようとしたのだろう。 調書は「わたしの意見としては」と完全に四ノ宮氏の「ひとり語り」で書かれている。しかし同氏は私の取材に「全くそんなことは話していませんよ。そもそも私は微生物や病原菌の専門家ではあっても、そういう機械の専門家ではなく、そんなことを言うはずもありません」と打ち明けた。 「ひとり語り」は「一人称独白体」と言われ、警察や検察が被疑者についての供述調書で使う形式だ。取調官が「おまえ、相手が死んでも構わんと思って刺したんやろう」と言って相手が「はあ」「まあ」などと生返事をしても、「私は」としてそう語った供述調書にしてしまう。 もちろん四ノ宮氏は被疑者ではないが、警察や検察は参考意見を調書にする時もこの手法を巧みに使うのだ』、「同氏は私の取材に「全くそんなことは話していませんよ。そもそも私は微生物や病原菌の専門家ではあっても、そういう機械の専門家ではなく、そんなことを言うはずもありません」と打ち明けた。 「ひとり語り」は「一人称独白体」と言われ、警察や検察が被疑者についての供述調書で使う形式だ。取調官が「おまえ、相手が死んでも構わんと思って刺したんやろう」と言って相手が「はあ」「まあ」などと生返事をしても、「私は」としてそう語った供述調書にしてしまう」、「警察や検察」のやり方は、余りに悪どい。
・『話してもいないことが記録されていた さらに、決定的なのが聞き取り内容を書き留めた2017年11月15日作成の「捜査メモ」である。 《一方、噴霧乾燥機は、末端付近まで100度以上の熱風がいきわたるのであれば、細菌は水分が枯渇すれば死んで感染能力を失うため、機器が機能として持つ温度で殺すことができる。》 《規制に差異があるのは、この点を理由としているのではないか。また、乾熱による滅菌・殺菌は、蒸気などと同様に一般的な方法であることから、乾熱で大腸菌などを殺菌できるのであれば、特段問題なく輸出規制に該当する機器と判断できる。》 これを読んだ四ノ宮氏は仰天した。 「『炭疽菌のように相当の高温にならないと死なない菌もある一方、大腸菌は比較的低い温度、100度にもならなくても死にます』というようなことは説明しましたが、噴霧乾燥機が100度以上にいきわたるなどということは言ってもいないし、機械の専門家でもない私にわかるはずもない。第一、噴霧乾燥機を私は見たこともないのです。ですからどの辺がどんな温度になるということも分かりません。『熱風を送り込めば装置内が100度以上になる』なんて言うはずもありません」(四ノ宮氏) 高田弁護士は「それでも、このメモを見た当時の捜査幹部らが『いけるぞ』と大川原化工機の立件に大きく歩みを進めたのです。四ノ宮氏の見解をまとめたとされる報告書は、警視庁の殺菌理論の根拠として経産省の説得に用いられました。当初、難色を示していた経産省でしたが、最終的には警視庁の殺菌理論を受け入れ、2018年10月の捜索、差し押さえとつながったのです」と説明する。 「警察は『こうした場合、大腸菌はどうなりますか? 死滅しますか?』のようにオブラードに包んだような聞き方をしてきました。私は『そういう可能性はあります』と可能性を言っただけです。それが断定したように書かれていました」と四ノ宮氏は不信感を隠さない。 こうして理論武装を行った警視庁であったが、実は大川原化工機の噴霧乾燥機は内部の構造が複雑で、熱風を送り込んでも100度以上にならない箇所がいくつか存在した。起訴後、高田弁護士から指摘を受けた検察官は、警視庁の打ち立てた殺菌理論の軌道修正を試みたものの、実験を重ねた結果、内部の細菌を死滅させる性能を有していないことを認めざるを得なくなった。大川原化工機の噴霧乾燥器は、そもそも輸出規制に抵触するものではまったくなかった。 そして、2021年8月に予定されていた公判期日の直前(なんと4日前)に突然、検察は起訴を取り消したのだ。 防衛医科大学校を何度も訪れたり、電話で四ノ宮氏からの聞き取りを実施していたのは、警視庁公安部外事第一課に所属していた安積伸介警部補である。 安積警部補が自身の判断で四ノ宮氏が言ってもいないことを「創作」し、立件に都合のよい調書やメモを仕立てたとは思われるが、報告先は第一課長の高濱裕章警視、さらには後任の高橋靖夫警視である。彼らの階級は安積警部補よりずっと上である。 階級社会の警察組織で、間に位置する警部クラスの中間管理職が、警視クラスへの報告を見ていないはずはないだろう。安積警部補から概要説明を受けた上司が同警部補に書き方を指示したか、あるいは書いてきたものを修正したのかもしれない』、「噴霧乾燥機が100度以上にいきわたるなどということは言ってもいないし、機械の専門家でもない私にわかるはずもない。第一、噴霧乾燥機を私は見たこともないのです。ですからどの辺がどんな温度になるということも分かりません。『熱風を送り込めば装置内が100度以上になる』なんて言うはずもありません」(四ノ宮氏)」、「警視庁公安部外事第一課に所属していた安積伸介警部補である。 安積警部補が自身の判断で四ノ宮氏が言ってもいないことを「創作」し、立件に都合のよい調書やメモを仕立てたとは思われるが、報告先は第一課長の高濱裕章警視、さらには後任の高橋靖夫警視である。彼らの階級は安積警部補よりずっと上である。 階級社会の警察組織で、間に位置する警部クラスの中間管理職が、警視クラスへの報告を見ていないはずはないだろう。安積警部補から概要説明を受けた上司が同警部補に書き方を指示したか、あるいは書いてきたものを修正したのかもしれない」、極めて悪質な捏造だ。
・『起訴取り消しは立証の断念ではなく隠蔽 もう一つ重要なことは、当時、四ノ宮氏が警察の目的をまったく知らずに応対していたことだ。 「捜査上の秘密なのでしょうが、警察は私への聴取中、何の目的なのかは一切言わなかった。それでも警視庁だから、テロ対策などの役に立てたくて参考意見を私に訊きに来ているのだろうとは思いました。起訴した時には『裁判で証人になっていただくかもしれませんのでよろしく』という連絡がありました。しかし、起訴の取り消しの連絡がきた記憶はありません。その後、高田弁護士から連絡がありましたが、恥ずかしいことですが大川原化工機の事件に強く興味を持つことはありませんでした」と四ノ宮氏は打ち明ける。 起訴が取り消されたのは、高田弁護士が開示請求を行い、四ノ宮氏をはじめとする有識者からの聞き取りをもとに警視庁が経産省を説得する過程が記されたメモが証拠開示されかけたのともタイミングが一致していた。「被疑事実を立証できない」と考えたからではなく、警視庁が独自の理論で経産省を説得し、無理やりに立件した事実経過を隠蔽する思惑があったのではないだろうか』、「「被疑事実を立証できない」と考えたからではなく、警視庁が独自の理論で経産省を説得し、無理やりに立件した事実経過を隠蔽する思惑があったのではないだろうか」、可能性が大いにありそうだ。
・『「申し訳なく、後悔」 起訴取り消しの際、警視庁は冤罪だったことを認めたが、謝罪ひとつなかった。 逮捕された大川原正明社長、島田順司専務、相嶋静夫顧問の3人は否認を貫いていたため、平均330日も保釈なしで勾留されていた。このうち相嶋氏は、勾留中にがんが進行しながら適切な処置を受けられずに72歳で亡くなった。現在、東京地裁では、大川原化工機が東京都と国に対して起こした約5億6000万円の損害賠償請求の裁判と、相嶋氏の妻ら家族が起こした裁判が進んでいる。 四ノ宮氏は「特定の会社の人を起訴するような目的で彼らが来ていたのなら、もう少し説明の仕方があったかもしれないと思い、亡くなった方をはじめ大川原化工機の皆様には本当に申し訳なく、後悔しています」と話す。 3月1日の東京地裁での口頭弁論で、高田弁護士は証人尋問の予定者を裁判長に説明した。大川原社長、島田氏、相嶋氏の長男の他、法に関与した経産省関係者、当時の公安部捜査官、起訴した検事らを予定している。 警視庁の捏造工作が民事訴訟の場で衆人に晒されることになるのか――。 警視庁公安部外事第一課に対して「安積警部補は四ノ宮教授が言ってもいないことを供述調書や捜査メモに記録したことは全くないか」「あったとすれば本人の判断か、それとも上司の判断か」という質問を文書で送ったところ、5月1日に同庁広報課広報4係から電話で「係争中の事案につき回答を控えさせていただきます」と予想通りの回答があった』、「逮捕された大川原正明社長、島田順司専務、相嶋静夫顧問の3人は否認を貫いていたため、平均330日も保釈なしで勾留されていた。このうち相嶋氏は、勾留中にがんが進行しながら適切な処置を受けられずに72歳で亡くなった。現在、東京地裁では、大川原化工機が東京都と国に対して起こした約5億6000万円の損害賠償請求の裁判と、相嶋氏の妻ら家族が起こした裁判が進んでいる」、「警視庁」、「経産省」、「起訴した検事ら」にとっては全くみっともない裁判だ。特に警視庁の捏造工作が民事訴訟の場で衆人に晒されることになることを期待している。裁判官が「警視庁」などに忖度して筋を曲げることのないよう要請したい。
先ずは、本年2月3日付けPRESIDENT Onlineが掲載したジャーナリストの元木 昌彦氏による「なぜ警察は助けを求める人を見殺しにするのか…「博多ストーカー殺人事件」を防げなかった根本原因 法律があれば犯罪がなくなると錯覚している」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/66122
・『「女性のほうも悪かった」と自己弁護 ストーカー殺人事件はなぜなくならないのか。 2000年にストーカー規制法が成立し、2021年には「EメールやSNSメッセージの連続した送信」や「転送を前提にして空の封筒にGPS機器を入れ、送付して住所を調べる、宅配便を送り受領通知を受けることで行動を把握するといったケース」も処罰の対象にする改正が行われた。 だが、警察には年間2万件、一日50件以上の相談が寄せられ、相談に行かない人を含めると大変な数の被害者がいると思われる。 今年の1月16日夕刻、川野美樹さん(当時38歳)が、JR博多駅前の路上で頭や胸など10カ所を刺され、帰らぬ人となってしまった。 週刊文春(2月2日号、以下文春)は、なぜこの事件が起きてしまったのかを詳細に報じているので見てみたい。 川野さんは福岡県那珂川市の会社員で、11歳の娘を持つシングルマザーだった。 事件から2日後に逮捕されたのは元交際相手の飲食店店員・寺内進容疑者(31)。 「寺内は『復縁を求めたが、かなわずに刺した』と動機を語る一方、『女性のほうも悪かった』と自己を正当化する供述をしている」(社会部記者) 文春によれば、川野さんは愛知県名古屋市に生まれたが、彼女が幼い頃に両親が離婚して、女手一つで育てられたそうだ。 母親は自宅でエステ店を開き、彼女は歌が上手くて評判の美少女だった』、「歌が上手くて評判の美少女だった」のであれば、「沖縄」の「名門アクターズスクールに入所」もさもありなんだ。
・『名門アクターズスクールに入所するも… 中学生になると、 「安室ちゃんみたいに、歌って踊れるアーティストになりたい」 という夢を持つ。友人の前で安室奈美恵の『CAN YOU CELEBRATE?』を歌うと拍手喝采されたという。 そんな彼女が、沖縄のアクターズスクールに入学したいと思うようになるのは必然だった。 中学卒業後、単身で安室奈美恵やSPEEDを輩出した念願のアクターズスクールに入った。 「恩納村のムーンビーチにあった、アクターズスクール系のインターナショナル・スクール『ドリームプラネット』に通いながら日々、レッスンを受けていました。 同期は三十~五十人。美樹ちゃんは県外から来ているだけあって、エネルギーとやる気に満ち溢れ、いつも輪の中心にいた。仲間思いで誰からも慕われ、人気者でしたね」(当時の恩師) 同じ志を持った仲間と、休日は北谷町や名護市に遊びに出かけ、夢を語り合った。だが、1年余りスクールに通ったが、歌手デビューすることは叶わなかった。 歌手になる夢を諦めて、彼女が向かった先は東京だった。 下町にある家賃約6万円の単身者用マンションから、東京の狭い空を見上げて何を思ったのだろう。 「東京への憧れも強かったのでしょう。といっても働き口はなく、当時はキャバクラで働いて生計を立てていました。美人なので人気があり、彼氏にも困らなかった」(名古屋時代の知人) 母親は福岡県出身の男性と再婚して、名古屋を離れ福岡で暮らし始めたが、その結婚生活は楽ではなかったという』、「1年余りスクールに通ったが、歌手デビューすることは叶わなかった。 歌手になる夢を諦めて、彼女が向かった先は東京」、「当時はキャバクラで働いて生計を立てていました」、なるほど。
・『結婚するもほどなく離婚し、福岡へ 彼女も東京を離れる時が来た。大阪府出身の男性と結婚したのだ。2011年に長女を出産。大阪府岸和田市に移り、母親と娘3人で、東京ディズニーランドへ旅行したのは、娘が2歳の誕生日を迎える頃だったという。 だが、結婚生活は長くは続かず、数年後に離婚。母親と同じシングルマザーの道を選び、佐川急便に事務職として勤務しながら生きることになる。 「苦労はしていたが、いつも笑顔でイキイキしていた。ただ、お酒が好きで、呂律が回らなくなるまで飲むこともあった」(元夫の友人) 生きていく苦しさを酒で紛らわせていたのだろうか。 約6年前、家族ぐるみで付き合っていた友人に彼女から電話が入る。娘を育てながらの生活は大変だから、母親のいる福岡へ行くというのだ。 母親は快く娘を受け入れてくれたという。住まいは福岡市から少し離れた那珂川市にある2階建ての賃貸住宅。 彼女には歌手とは別にもう一つの夢があった。母親がエステ業界に関わっていたため、彼女も「人を綺麗にすることが好き」だったという。 自宅から歩いて行けるマンションの一室を借り、200万円以上のローンを組み、大阪府にあるエステチェーンのフランチャイズ店を開いたのだ。 だが、思惑通りにはいかず、コロナ蔓延という不幸な事態もあったためか、初期投資が回収できず間もなく店を畳んでしまった。 2020年8月に破産手続きをして、翌年4月には自己破産。 生活を立て直すために彼女が足を向けたのは、九州一の歓楽街・中洲の高級クラブ「S」だった。 寺内容疑者は「突然キレて物を投げたり、どついたり…」 昼間は派遣会社で働き、夜は蝶として舞い、週末は子育て。楽しみは大のファンである中日ドラゴンズの応援と、娘と一緒に通うジムだったという。 娘とお揃そろいのドラゴンズのユニフォームを着て、仲よくトレーニングする写真が、友人限定のフェイスブックに上げられた。 娘との笑顔の写真。思い出の沖縄にも、たびたび娘を連れて訪れていたそうである。 だが、川野さんが昨年春、中洲のバー「X」で寺内と出会ったことで大きく人生が暗転する。 「茶色の短髪に鋭く切り込んだ細い眉。関西弁を操るアヒル口の男が寺内だった」(文春) この店は「S」の系列店で、昨年1月に店を辞めていたが、時々ヘルプで店に入ることもあり、「X」のようなバーに遊びに行くこともあったという。 寺内は1991年8月生まれ。大阪市福島区で、父親が働く運輸会社の寮で育った。母親はラウンジで働いていて夜はいない。父親もほとんど家にいなかったそうだ。 そんな寺内は中学進学後に変わってきたという。 「友達の家で突然キレて物を投げたり、どついたりして喧嘩を始める。中学はお弁当だったけど、彼はいつもファミリーマートのおにぎり。部活はしてなかったが、ボクシングを習っていた」(学校関係者) 目が合っただけで殴られた生徒もいた。日に日に暴力沙汰を起こす寺内は、教師にも牙をむいた』、「結婚するもほどなく離婚し、福岡へ」、「自宅から歩いて行けるマンションの一室を借り、200万円以上のローンを組み、大阪府にあるエステチェーンのフランチャイズ店を開いたのだ。 だが、思惑通りにはいかず、コロナ蔓延という不幸な事態もあったためか、初期投資が回収できず間もなく店を畳んでしまった。 2020年8月に破産手続きをして、翌年4月には自己破産。 生活を立て直すために彼女が足を向けたのは、九州一の歓楽街・中洲の高級クラブ「S」だった」、「川野さんが昨年春、中洲のバー「X」で寺内と出会ったことで大きく人生が暗転する。 「茶色の短髪に鋭く切り込んだ細い眉。関西弁を操るアヒル口の男が寺内だった」(文春) この店は「S」の系列店で、昨年1月に店を辞めていたが、時々ヘルプで店に入ることもあり、「X」のようなバーに遊びに行くこともあったという」、「寺内は中学進学後に変わってきた・・・部活はしてなかったが、ボクシングを習っていた」・・・目が合っただけで殴られた生徒もいた。日に日に暴力沙汰を起こす寺内は、教師にも牙をむいた」かなり危険な男のようだ。
・『「俺のバックには山健組がいとるんや」 「ボクシングの強豪校に推薦が決まっていたけど、教頭先生を殴って推薦が飛んだんですわ。学校が被害届を出し、更生施設送りになったと校内で噂が立った。実際、三年生の大半は学校に来ていなかった」(同) 地元の高校に進むも中退した寺内は、大阪市中央卸売市場に勤め始めるが、祭りですれ違った同級生に対して、 「お前、金持ってるか。俺のバックには神戸の山健組がいとるんや」 と凄んだという。 髪を金色に染め、バラのタトゥーを右胸に刻んで、どっぷり夜の世界に浸かっていった。 「十三年、大坂のショーパブ『K』に二十歳そこそこの寺内が入店してきた。すると直後、酔って先輩従業員に暴行したのです。警察沙汰にはしなかったものの、本社のある東京で教育し直すことに。ところが、指導を厳しく感じたのか、あいつは二~三カ月で飛んでしまった」(元同店経営者) 逃げるように大坂に舞い戻った寺内はさまざまな飲食店を渡り歩いたという。 2015年3月、窃盗容疑で大阪府警に逮捕される。そんな寺内を拾ったのは兵庫県内のキャバクラだった。 黒服として働いていたが、見かけによらずレディファーストだったという。女性には一途で、高級バッグをプレゼントしたりしていたそうだが、信じられないほど幼稚な面があったという』、「髪を金色に染め、バラのタトゥーを右胸に刻んで、どっぷり夜の世界に浸かっていった」、「そんな寺内を拾ったのは兵庫県内のキャバクラだった。 黒服として働いていたが、見かけによらずレディファーストだったという」、なるほど。
・『「自分は別れていない。許さんぞ」 当時の交際相手はこう語っている。 「束縛が激しく、携帯を盗み見るなんて日常。友達と遊びに行くときは、いつでも連絡できるようにしておかないと彼は怒り狂うから、遊びにも行けへんかった」 その過度な束縛癖が嫌になり、彼女は警察に相談に行ったという。しかし、別れた後も家に来て、「別れてない」としつこくいい続けたそうだ。 大阪市東淀川区に知人と一緒に「ぼったくりバー」をオープンさせたが、数カ月で潰れた。 周囲に「人生をやり直す」といって、縁もゆかりもない九州へ飛び立ち、鹿児島や熊本を経て、福岡の地に足を踏み入れたのは約1年前だったそうである。 そして昨年春、川野さんと知り合い、交際を始めたという。男と女というものは不思議なものだ。寺内のどこに彼女は惹かれたのだろう。 だが寺内は本性を現し、彼女を束縛していく。寺内の言動に危険を感じた彼女が、初めて福岡県警に相談に行ったのは昨年の10月21日のことだった。 「携帯電話を盗られた。相手とも別れたい」 切羽詰まった様子で被害を訴え、その翌日、寺内に別れを告げたという。だが寺内は、「自分は別れていない。許さんぞ」と繰り返した。 10月24日に警察から警告を受け、それでも、寺内が彼女の職場に押しかけたり、電話をしたり、つきまとい行為を止めなかったため、11月26日に春日署はストーカー規制法に基づく禁止命令を出した』、「福岡の地に足を踏み入れたのは約1年前だったそうである。 そして昨年春、川野さんと知り合い、交際を始めたという。男と女というものは不思議なものだ。寺内のどこに彼女は惹かれたのだろう。 だが寺内は本性を現し、彼女を束縛していく。寺内の言動に危険を感じた彼女が、初めて福岡県警に相談に行ったのは昨年の10月21日のことだった。 「携帯電話を盗られた。相手とも別れたい」 切羽詰まった様子で被害を訴え、その翌日、寺内に別れを告げたという。だが寺内は、「自分は別れていない。許さんぞ」と繰り返した。 10月24日に警察から警告を受け、それでも、寺内が彼女の職場に押しかけたり、電話をしたり、つきまとい行為を止めなかったため、11月26日に春日署はストーカー規制法に基づく禁止命令を出した」、なるほど。
・『福岡県警の対応に問題はなかったのか 川野さんは勤務先の人材派遣会社で昇進が決まり、喜んでいたそうだ。11歳になった娘を絵画教室に送り迎えする姿は、幸せそのものに見えたという。 だがその幸せを、寺内の刃渡り20センチの刃物が切り裂いてしまったのである。 周囲を明るく照らす太陽のようだった彼女は、生きていれば39歳の誕生日だった日に、親しい友人らに囲まれて荼毘に付された。 文春は触れていないが、川野さんから相談を受けた福岡県警と那珂川市を管轄する春日署の事件対応に問題はなかったのだろうか。 たしかに、寺内の逮捕歴や威嚇、粗暴な性格などを鑑かんがみて、規制法に基づいて接近禁止令を出し、本人にも伝えたようだが、これまでの事例を見ても分かるように、「法的対応を受けることで動揺して不安を強めたり、逆恨みしたりする恐れもある」(産経新聞1/19〈木〉20:49配信)のだ。 私事で恐縮だが、はるか昔、私が月刊現代という部署にいるとき、講談社の女性社員から、妹が右翼で暴力団員を名乗る男に付きまとわれ、困っていると相談を受けたことがあった。 私は友人の右翼の大物に相談して、その男と対峙しようとなった。だが、それを察知した男は、娘ではなく身体の悪い父親を自宅から拉致し、どこかに監禁してしまったのだ。 当時はストーカー規制法などない時代で、娘が警察に相談に行っても、「民事不介入」を盾に動いてくれない』、「私が月刊現代という部署にいるとき、講談社の女性社員から、妹が右翼で暴力団員を名乗る男に付きまとわれ、困っていると相談を受けた・・・ことがあった。 私は友人の右翼の大物に相談して、その男と対峙しようとなった。だが、それを察知した男は、娘ではなく身体の悪い父親を自宅から拉致し、どこかに監禁・・・娘が警察に相談に行っても、「民事不介入」を盾に動いてくれない」、なるほど。
・『毎年のように何度も起きている 私と彼で、男のヤサを探し出して踏み込んだ。父親が縛られて地下室にいるのを見つけたが、男は逃げた後だった。ストーカーではなく父親の拉致・監禁罪で訴え、男は捕まった。だが、出てきたらまた同じことを繰り返すのではないかと数年、彼女と連絡を取り続けた。 今は規制法ができたために、当時よりはよくなったと思うが、今回のようなストーカー行為から殺人事件に至る悲劇は毎年のように何度も起きている。 朝日新聞デジタルで「ストーカー殺人」で検索すると、いくつも出てくる。 小金井ストーカー殺人未遂事件(2016年5月21日)。芸能活動を行っていた女性のファンを自称する男が、ライブハウスで彼女を刺殺しようとした。 2018年2月6日。フィリピン国籍の女性をストーカーしていた男が刃物を持って家に押し入り、一家3人を襲撃して家に火をつけた。 2020年6月。静岡県沼津市の女子大生が、同じ大学に通う21歳の男に腹や首などを刺されて殺害された。好意を抱き、一方的にLINEを送ったがブロックされたことで、「生きがいを奪われた」と逆恨みしたという。 2020年8月30日。東京中野区の38歳の女性が、元交際相手に殺害された。男はすぐカッとする性格で、別れを切り出すと、「死ぬ」「恨んでやる」というメールを送り付け、彼女の首を絞めたり殴ったりする傷害容疑で書類送検されていた。警視庁からも注意を受けていたが、犯行を止めることはできなかった』、「私と彼で、男のヤサを探し出して踏み込んだ。父親が縛られて地下室にいるのを見つけたが、男は逃げた後だった。ストーカーではなく父親の拉致・監禁罪で訴え、男は捕まった」、「今回のようなストーカー行為から殺人事件に至る悲劇は毎年のように何度も起きている。 朝日新聞デジタルで「ストーカー殺人」で検索すると、いくつも出てくる。 小金井ストーカー殺人未遂事件・・・東京中野区の38歳の女性が、元交際相手に殺害」などは、このブログでも紹介した。
・『ストーカー規制法のきっかけになった「桶川事件」 こうして見てくると、相手が一方的に好意を持ち、ストーカー行為をしてくると、女性の側(男性の場合もあるが)は、周囲に彼女を守ってくれる人間や、まれに、親身になってくれる警察官に出会えないと、自分の身を守ることは不可能かもしれないと思えてくる。 よくいわれることだが、法的な対応だけではなく、臨床心理士の面談などを通して加害者の心の問題にもアプローチしないと、根本的な解決にはならない。 しかし、今回の事件の寺内容疑者のように、粗暴で独占欲の強い人間が相手では、決め手になるとは思えない。 よく知られているように、ストーカー規制法ができたきっかけは、埼玉県桶川市で起きた女子大生殺人事件だった。 1999年10月に女子大生の猪野詩織さん(当時21歳)がJR高崎線桶川駅前で刺殺されるという事件が起きた。 当時写真週刊誌FOCUSの記者だった清水潔さんは、偶然、取材中に詩織さんと親しかった友人2人と知り合った。 2人から「詩織は小松(犯人)と警察に殺された」と聞き、詩織さんは「私が殺されたら犯人は小松」という遺言を残していたことを知る。 詩織さんは、小松(最初は偽名)とゲーセンで知り合い、付き合うようになった。自称青年実業家の小松は、高価なものをプレゼントしてくれた』、「桶川事件」は「写真週刊誌FOCUSの記者」の存在があったからこそ明らかになったようだ。
・『別れを切り出すと「徹底的にお前を潰す」 だが、そのうち態度が怪しくなり、「プレゼントの代金を払え、払えないならソープに行って働いて金を稼げ」と脅すようになった。 詩織さんは別れてほしいと何度も切り出したが、「別れるというのなら、徹底的にお前を叩き潰す」といい出し、見知らぬ男たちに尾行され、2人組が家に乗り込んできたこともあった。 家族と話し合った結果、埼玉県警上尾警察署に出向いて、相談する。だが刑事たちは、「これは事件にならない」「男と女の問題だから警察は立ち入れない」というばかり。 警察が何もしてくれないうちに事態は悪化していく。都内で彼女の写真入りのカードがバラまかれた。そこには「援助交際OK」と彼女の自宅の電話番号が書かれていた。 父親の会社に、根も葉もない中傷の匿名手紙が千通も送られてきた。そこで詩織さんは、このままでは殺されると思い立ち、警察に動いてもらうために刑事告訴することを決意する。だが警察は動かないばかりか、驚くことに、彼女の家に刑事が来て、「告訴を取り下げてほしい」といったのである。 そして惨劇が起こった』、「埼玉県警上尾警察署に出向いて、相談する。だが刑事たちは、「これは事件にならない」「男と女の問題だから警察は立ち入れない」というばかり。 警察が何もしてくれないうちに事態は悪化していく」、「警察に動いてもらうために刑事告訴することを決意する。だが警察は動かないばかりか、驚くことに、彼女の家に刑事が来て、「告訴を取り下げてほしい」といったのである。 そして惨劇が起こった」、酷い話だ。
・『12人が処分を受ける前代未聞の事態に 清水記者は、小松が池袋の性風俗店のオーナーであることを突き止め、実行犯も特定して撮影することに成功する。それらの情報を上尾署に伝えるが、動かない。 ようやく警察が動いて共犯者3人を逮捕したのは撮影してから3週間がたってからだった。主犯の小松は翌年の1月、道東の屈斜路湖で自殺体として発見された。 しかし、それだけでは終わらなかった。警察は告訴を取り下げるよういってきただけではなく、捜査や報告義務が必要になる「告訴状」を、面倒なために「被害届」に改竄していたことまで明るみに出たのである。 新聞、テレビはその間、警察から情報をもらって、彼らのいいなりに嘘情報を垂れ流していた。 「結局、改竄に関わった警察官三人は懲戒免職となり、虚偽公文書作成などの容疑で刑事責任も問われることになった。また、県警本部長を含む十二人が処分を受けるという前代未聞の事態となった」(清水潔『騙されてたまるか 調査報道の裏側』新潮新書) これは調査報道の「金字塔」としていまだに語り継がれている。 尊い命が失われたことをきっかけにできたのがストーカー規制法である。 この法律ができたために思わぬ副作用もあった。週刊誌の記者たちは取材者を追いかけ回したり、家の周りをうろうろできなくなったりしてしまったのだ。相手がストーカーだと警察に訴えれば、排除されてしまうからである』、「警察は告訴を取り下げるよういってきただけではなく、捜査や報告義務が必要になる「告訴状」を、面倒なために「被害届」に改竄していたことまで明るみに出たのである。 新聞、テレビはその間、警察から情報をもらって、彼らのいいなりに嘘情報を垂れ流していた。 「結局、改竄に関わった警察官三人は懲戒免職となり、虚偽公文書作成などの容疑で刑事責任も問われることになった。また、県警本部長を含む十二人が処分を受けるという前代未聞の事態となった」、本当に酷く腹立たしい事件だ。
・『法律があれば犯罪がなくなると錯覚しているのか この規制法、何度も改正もしてきているが、ストーカー殺人を根絶するところまでいかないのはなぜなのだろう。 私は、警察がいまだに民事不介入のしっぽを残し、ストーカーもそうだが、家庭内の子どものDV被害にも消極的だからではないかと考えている。 それに、私の住んでいるような下町でも、警察官の巡回が少なくなったと感じている。 国家防衛という名目でテロ対策のような大犯罪に人を割かれ、昔のように「おまわりさん」として、近所を回って年寄りと話し込むというような余裕がないのであろう。 おまわりさんから警察官。そのうち特高警察となるのではないかと危惧している。ストーカーのような犯罪は、被害者に寄り添って、親身になってやらなければ、被害を防ぐことはできない。 法律だけ作れば犯罪がなくなるとでも錯覚しているのではないか。今度の事件を機に、いま一度原点に返り、ストーカー被害者を救うために何ができるのか、警察やメディアが共に、真剣に考えるべきだと、私は思う』、「この規制法、何度も改正もしてきているが、ストーカー殺人を根絶するところまでいかないのはなぜなのだろう。 私は、警察がいまだに民事不介入のしっぽを残し、ストーカーもそうだが、家庭内の子どものDV被害にも消極的だからではないかと考えている。 それに、私の住んでいるような下町でも、警察官の巡回が少なくなったと感じている。国家防衛という名目でテロ対策のような大犯罪に人を割かれ、昔のように「おまわりさん」として、近所を回って年寄りと話し込むというような余裕がないのであろう。 おまわりさんから警察官。そのうち特高警察となるのではないかと危惧している。ストーカーのような犯罪は、被害者に寄り添って、親身になってやらなければ、被害を防ぐことはできない。 法律だけ作れば犯罪がなくなるとでも錯覚しているのではないか。今度の事件を機に、いま一度原点に返り、ストーカー被害者を救うために何ができるのか、警察やメディアが共に、真剣に考えるべきだと、私は思う』、全く同感である。
次に、3月14日付け文春オンライン「あの時本腰を入れていれば…「ルフィ事件」被害拡大の裏に日本の警察の“怠慢”」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/61266
・『各地に点在する狼藉の痕跡が、元凶へと繋がっていく。その輪郭が見え始めた頃、既に1人の命が失われていた。「ルフィグループ」による犯行は、なぜ食い止められなかったのか』、興味深そうだ。
・『強盗事件の主要メンバー4人が日本に強制送還される 2月28日、強盗犯・加藤臣吾(24)を乗せた新幹線が東京駅に到着した。 「昨年12月の広島市の事件で、強盗傷害などで起訴済。この日、狛江事件にも関与したとして警視庁が再逮捕した。この事件では5人目の逮捕者」(社会部記者) 今年1月19日、東京都狛江市の民家で大塩衣与さん(90)が惨殺された強盗殺人。複数の強盗事件に関わった狂暴な永田陸人(21)ほか、最年長の野村広之(52)、都内私大生のY(19)、犯行に使うレンタカーを調達した福島聖悟(34)が逮捕されていた。 寄せ集めの兵隊を遠隔操作していた首謀者が「ルフィグループ」。主要メンバーは渡邉優樹、今村磨人(きよと)、藤田聖也(としや)(それぞれ38)、小島智信(とものぶ)(45)の4人である。 「首魁を解明、検挙することが重要だ」 露木康浩警察庁長官がそう明言したのは、狛江事件から1週間後のこと。そこから急転直下、2月2週目にはフィリピンのビクタン収容所に潜伏していた4人の身柄が日本に強制送還された。一見、スピード感ある展開だ。しかし――。 4人の逮捕容疑は、2019年、特殊詐欺に関与したとするもので、警視庁が逮捕状を取っていた。つまり、警察当局は3年以上前から後の「ルフィ」たちを認識していたことになる。) 「今村が19年、渡邉ら3人が21年にフィリピンの入管に拘束され、警視庁は警察庁を通じてフィリピンに身柄の引き渡しを求めた。だが、渡邉らは元妻など協力者に虚偽の告訴をさせたため、フィリピン側は国内で別の事件に関与したとして、引き渡し要請に応じなかった」(警視庁関係者) その間、4人は賄賂の横行する収容所内でスマホを入手。「ルフィ」や「キム」などテレグラムのアカウントを使い分け、犯行を続けた。特殊詐欺に加え、やがて強盗にも手を広げる』、「渡邉らは元妻など協力者に虚偽の告訴をさせたため、フィリピン側は国内で別の事件に関与したとして、引き渡し要請に応じなかった」、実に巧妙な「日本」への「引き渡し要請」遅延戦略だ。
・『日本の警察が本腰を入れて外交交渉をしていれば… ルフィたちは縦割りの警察組織の間隙を突いた。 「関連事件は少なくとも14都府県、20件に及んでいた。京都府警など、フィリピンを発信源とする『ルフィ』なる指示役を把握していた警察本部もある。しかしそれらが共有され、渡邉や今村たちの存在と繋がるには、かなりタイムラグがあった」(前出・記者) 結果、ルフィの犯行に歯止めがかからず、死者を出してしまう。 「その後、日本側がフィリピンに引き渡しを要求したら、渡邉たちのスマホは押収され、虚偽告訴も退けられた。マルコス大統領が資金援助を求めて来日するタイミングでもあったが、日本の警察が本腰を入れて外交交渉をすれば、もっと早期に身柄の移送を実現できたのではないか」(警察OB)』、「死者を出してしまう・・・その後、日本側がフィリピンに引き渡しを要求したら、渡邉たちのスマホは押収され、虚偽告訴も退けられた・・・日本の警察が本腰を入れて外交交渉をすれば、もっと早期に身柄の移送を実現できたのではないか」、その通りだろう。
・『犯罪に加担する者をどう減らしていくか 被害がここまで拡大した裏には、警察の“怠慢”があったのだ。今村から強盗事件の盗品を受け取っていたとされるフィリピン人の女も日本にいたが、 「今年2月に逮捕状を取った時には、既に帰国されていた」(捜査関係者) 一方、ルフィ逮捕後も強盗や特殊詐欺が後を絶たない。2月3日、いわき市の高齢女性宅での強盗殺人事件は、実行犯もまだ逮捕されていない。ジャーナリストの多田文明氏が指摘する。 「犯罪組織の上位を摘発できるに越したことはありませんが、加担する者をどう減らしていくかも重要。実行役の入り口となる闇バイトに目を光らせる対策など、携帯会社を含めた官民一体の努力が必要です。実行役を確実に捕まえ、加担すれば必ず逮捕されることを徹底して周知すべきでしょう」 地道な捜査に、警察の威信がかかっている』、「「犯罪組織の上位を摘発できるに越したことはありませんが、加担する者をどう減らしていくかも重要。実行役の入り口となる闇バイトに目を光らせる対策など、携帯会社を含めた官民一体の努力が必要です。実行役を確実に捕まえ、加担すれば必ず逮捕されることを徹底して周知すべきでしょう」 地道な捜査に、警察の威信がかかっている」、その通りだろう。
第三に、5月8日付けデイりー新潮が掲載したジャーナリストの粟野仁雄氏による「「警視庁公安部の闇 報告書に「私が言ってもないことが書かれている」 防衛医大校長がずさんな捜査に怒り」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/05081104/?all=1
・『2020年3月、大川原化工機株式会社(本社・神奈川県横浜市)の社長ら3人が「武器に転用できる機械を中国に違法輸出した」という外為法違反の容疑で警視庁公安部に逮捕された。3人は1年近く勾留された末、公判直前に起訴が取り消され、検察は事実上の「敗北」を認めた。有識者の立場で警察に意見を伝えた防衛医科大学校の四ノ宮成祥(※正しくは示へんに羊)校長は、警察が作成した報告書の内容に異議を唱える。事件の詳細については、〈警視庁公安部のお粗末すぎる捜査…国賠訴訟を起こした大川原化工機幹部が語る「中国不正輸出冤罪事件」全真相〉で解説している。 【写真】生物兵器に転用できるとされた「噴霧乾燥機(スプレードライヤ)」と大川原社長』、「3人は1年近く勾留された末、公判直前に起訴が取り消され、検察は事実上の「敗北」を認めた」、国策捜査の酷い失敗だ
・『滅菌、殺菌、消毒を誤用 生物兵器の製造に転用できる機械の輸出を規制する外国為替及び外国貿易法(外為法)違反の対象とされたのは、大川原化工機の主力製品「噴霧乾燥機(スプレードライヤ)」だった。 規制の対象となるのは、扉を開けたり移動したりせずに内部で滅菌または殺菌できる装置という条件があった。この「滅菌」と「殺菌」の定義について、警察は微生物学を専門とする防衛医科大学校(埼玉県所沢市)の四ノ宮成祥校長に意見を求めた。 四ノ宮氏は大川原化工機事件を取り上げた2022年11月16日放送の「クローズアップ現代」(NHK総合)のインタビュー取材に応じた。その中で、自身が話したことが警察の主張に合わせた内容に変えられて報告書が作成されていることを知り、「何とかならなかったのか」と悔いた。 「警視庁の方が何度か防衛医科大学校に来られました。電話でも話を聞かれました。実は私が事前に見せてもらって『これでよければサインしてください』と言われて了承して、サインと押印した文書がひとつだけあります」と四ノ宮氏は話す。 四ノ宮氏は微生物の専門家で、病原体に係る輸出規制の関係で経済産業省とも関わりがあり、国際輸出管理レジームであるオーストラリア・グループ(AG)を担当する経産省の官僚からも意見を求められてきた。生物兵器禁止条約(BWC)の国際会議にも参加している。 「供述調書」と題されたその文書には、2018年3月28日の聴取が再現されている。 《次に、噴霧乾燥機において、定置した状態で病原菌微生物を滅菌または殺菌することが求められる範囲について説明します。結論としまして、機器内部の病原体が粉体の状態で残留している箇所と言えます》 《したがって、被曝防止という規制の趣旨を鑑みると、機器において定置滅菌又は殺菌を擁する部分は、原液を粉体化するノズルなどの微粒化装置の先から、排気口に設置されたフィルタまでであり、原液を当該装置に送り込む個所などは含まないと解されます》 四ノ宮氏は「滅菌、殺菌、消毒という言葉は、われわれ専門家の間では厳密に区別されていますが、警察が作成した報告書を確認すると、かなり誤用されていた。しかし、経産省の省令でも翻訳の間違いなどで混同して使っていることがあるので、ある程度は仕方ないとは思っていた。『この辺は違いますよ』と例示して、但し書きつきであることを十分に説明してサインしてしまった。しかし、出来た文面を見ると言葉が独り歩きしている感じでした」と振り返る。 供述調書の大半は、炭疽菌やペスト菌などの危険性を説明した内容である。噴霧乾燥機についても四ノ宮氏が詳しく述べたようになっているが、こうした機器類の構造に詳しいわけではなく、警視庁の聴取者が説明したのに合わせて返事をしていただけだという』、「「滅菌、殺菌、消毒という言葉は、われわれ専門家の間では厳密に区別されていますが、警察が作成した報告書を確認すると、かなり誤用されていた。しかし、経産省の省令でも翻訳の間違いなどで混同して使っていることがあるので、ある程度は仕方ないとは思っていた。『この辺は違いますよ』と例示して、但し書きつきであることを十分に説明してサインしてしまった。しかし、出来た文面を見ると言葉が独り歩きしている感じでした」」、「噴霧乾燥機についても四ノ宮氏が詳しく述べたようになっているが、こうした機器類の構造に詳しいわけではなく、警視庁の聴取者が説明したのに合わせて返事をしていただけだという」、「四ノ宮氏が詳しく述べたようになっているが」、事実に反することはその場で訂正を申し入れるべきだった。
・『経産省の曖昧な判断基準を逆手に取る さらに、警視庁は四ノ宮氏が話していない内容を混ぜ込んだ内部資料を同氏の預かり知らぬところで作成していたのである。四ノ宮氏は大川原化工機の顧問弁護士の高田剛氏(和田倉門法律事務所)からその資料を受け取り、驚いたという。 2017年11月16日付の四ノ宮氏からの「聴取結果報告書」には、結論部分にこう書かれている。 《噴霧乾燥機を空運転させて熱風を送り込めば装置内部が百度以上となり、結果的に大腸菌などの病原性細菌が死滅することになるからです》 外為法の規制の対象となる「内部を殺菌することができるかどうか」の判断基準は、規制をつかさどる経産省からも明確に提示されていなかった。そのため警視庁は、容器全体を100度を超える高温にすることができれば、この規制要件に該当することにしようとした。そこで微生物学の専門家である四ノ宮氏に警視庁の思惑通りの供述をさせ、自ら打ち立てた理論を正当化しようとしたのだろう。 調書は「わたしの意見としては」と完全に四ノ宮氏の「ひとり語り」で書かれている。しかし同氏は私の取材に「全くそんなことは話していませんよ。そもそも私は微生物や病原菌の専門家ではあっても、そういう機械の専門家ではなく、そんなことを言うはずもありません」と打ち明けた。 「ひとり語り」は「一人称独白体」と言われ、警察や検察が被疑者についての供述調書で使う形式だ。取調官が「おまえ、相手が死んでも構わんと思って刺したんやろう」と言って相手が「はあ」「まあ」などと生返事をしても、「私は」としてそう語った供述調書にしてしまう。 もちろん四ノ宮氏は被疑者ではないが、警察や検察は参考意見を調書にする時もこの手法を巧みに使うのだ』、「同氏は私の取材に「全くそんなことは話していませんよ。そもそも私は微生物や病原菌の専門家ではあっても、そういう機械の専門家ではなく、そんなことを言うはずもありません」と打ち明けた。 「ひとり語り」は「一人称独白体」と言われ、警察や検察が被疑者についての供述調書で使う形式だ。取調官が「おまえ、相手が死んでも構わんと思って刺したんやろう」と言って相手が「はあ」「まあ」などと生返事をしても、「私は」としてそう語った供述調書にしてしまう」、「警察や検察」のやり方は、余りに悪どい。
・『話してもいないことが記録されていた さらに、決定的なのが聞き取り内容を書き留めた2017年11月15日作成の「捜査メモ」である。 《一方、噴霧乾燥機は、末端付近まで100度以上の熱風がいきわたるのであれば、細菌は水分が枯渇すれば死んで感染能力を失うため、機器が機能として持つ温度で殺すことができる。》 《規制に差異があるのは、この点を理由としているのではないか。また、乾熱による滅菌・殺菌は、蒸気などと同様に一般的な方法であることから、乾熱で大腸菌などを殺菌できるのであれば、特段問題なく輸出規制に該当する機器と判断できる。》 これを読んだ四ノ宮氏は仰天した。 「『炭疽菌のように相当の高温にならないと死なない菌もある一方、大腸菌は比較的低い温度、100度にもならなくても死にます』というようなことは説明しましたが、噴霧乾燥機が100度以上にいきわたるなどということは言ってもいないし、機械の専門家でもない私にわかるはずもない。第一、噴霧乾燥機を私は見たこともないのです。ですからどの辺がどんな温度になるということも分かりません。『熱風を送り込めば装置内が100度以上になる』なんて言うはずもありません」(四ノ宮氏) 高田弁護士は「それでも、このメモを見た当時の捜査幹部らが『いけるぞ』と大川原化工機の立件に大きく歩みを進めたのです。四ノ宮氏の見解をまとめたとされる報告書は、警視庁の殺菌理論の根拠として経産省の説得に用いられました。当初、難色を示していた経産省でしたが、最終的には警視庁の殺菌理論を受け入れ、2018年10月の捜索、差し押さえとつながったのです」と説明する。 「警察は『こうした場合、大腸菌はどうなりますか? 死滅しますか?』のようにオブラードに包んだような聞き方をしてきました。私は『そういう可能性はあります』と可能性を言っただけです。それが断定したように書かれていました」と四ノ宮氏は不信感を隠さない。 こうして理論武装を行った警視庁であったが、実は大川原化工機の噴霧乾燥機は内部の構造が複雑で、熱風を送り込んでも100度以上にならない箇所がいくつか存在した。起訴後、高田弁護士から指摘を受けた検察官は、警視庁の打ち立てた殺菌理論の軌道修正を試みたものの、実験を重ねた結果、内部の細菌を死滅させる性能を有していないことを認めざるを得なくなった。大川原化工機の噴霧乾燥器は、そもそも輸出規制に抵触するものではまったくなかった。 そして、2021年8月に予定されていた公判期日の直前(なんと4日前)に突然、検察は起訴を取り消したのだ。 防衛医科大学校を何度も訪れたり、電話で四ノ宮氏からの聞き取りを実施していたのは、警視庁公安部外事第一課に所属していた安積伸介警部補である。 安積警部補が自身の判断で四ノ宮氏が言ってもいないことを「創作」し、立件に都合のよい調書やメモを仕立てたとは思われるが、報告先は第一課長の高濱裕章警視、さらには後任の高橋靖夫警視である。彼らの階級は安積警部補よりずっと上である。 階級社会の警察組織で、間に位置する警部クラスの中間管理職が、警視クラスへの報告を見ていないはずはないだろう。安積警部補から概要説明を受けた上司が同警部補に書き方を指示したか、あるいは書いてきたものを修正したのかもしれない』、「噴霧乾燥機が100度以上にいきわたるなどということは言ってもいないし、機械の専門家でもない私にわかるはずもない。第一、噴霧乾燥機を私は見たこともないのです。ですからどの辺がどんな温度になるということも分かりません。『熱風を送り込めば装置内が100度以上になる』なんて言うはずもありません」(四ノ宮氏)」、「警視庁公安部外事第一課に所属していた安積伸介警部補である。 安積警部補が自身の判断で四ノ宮氏が言ってもいないことを「創作」し、立件に都合のよい調書やメモを仕立てたとは思われるが、報告先は第一課長の高濱裕章警視、さらには後任の高橋靖夫警視である。彼らの階級は安積警部補よりずっと上である。 階級社会の警察組織で、間に位置する警部クラスの中間管理職が、警視クラスへの報告を見ていないはずはないだろう。安積警部補から概要説明を受けた上司が同警部補に書き方を指示したか、あるいは書いてきたものを修正したのかもしれない」、極めて悪質な捏造だ。
・『起訴取り消しは立証の断念ではなく隠蔽 もう一つ重要なことは、当時、四ノ宮氏が警察の目的をまったく知らずに応対していたことだ。 「捜査上の秘密なのでしょうが、警察は私への聴取中、何の目的なのかは一切言わなかった。それでも警視庁だから、テロ対策などの役に立てたくて参考意見を私に訊きに来ているのだろうとは思いました。起訴した時には『裁判で証人になっていただくかもしれませんのでよろしく』という連絡がありました。しかし、起訴の取り消しの連絡がきた記憶はありません。その後、高田弁護士から連絡がありましたが、恥ずかしいことですが大川原化工機の事件に強く興味を持つことはありませんでした」と四ノ宮氏は打ち明ける。 起訴が取り消されたのは、高田弁護士が開示請求を行い、四ノ宮氏をはじめとする有識者からの聞き取りをもとに警視庁が経産省を説得する過程が記されたメモが証拠開示されかけたのともタイミングが一致していた。「被疑事実を立証できない」と考えたからではなく、警視庁が独自の理論で経産省を説得し、無理やりに立件した事実経過を隠蔽する思惑があったのではないだろうか』、「「被疑事実を立証できない」と考えたからではなく、警視庁が独自の理論で経産省を説得し、無理やりに立件した事実経過を隠蔽する思惑があったのではないだろうか」、可能性が大いにありそうだ。
・『「申し訳なく、後悔」 起訴取り消しの際、警視庁は冤罪だったことを認めたが、謝罪ひとつなかった。 逮捕された大川原正明社長、島田順司専務、相嶋静夫顧問の3人は否認を貫いていたため、平均330日も保釈なしで勾留されていた。このうち相嶋氏は、勾留中にがんが進行しながら適切な処置を受けられずに72歳で亡くなった。現在、東京地裁では、大川原化工機が東京都と国に対して起こした約5億6000万円の損害賠償請求の裁判と、相嶋氏の妻ら家族が起こした裁判が進んでいる。 四ノ宮氏は「特定の会社の人を起訴するような目的で彼らが来ていたのなら、もう少し説明の仕方があったかもしれないと思い、亡くなった方をはじめ大川原化工機の皆様には本当に申し訳なく、後悔しています」と話す。 3月1日の東京地裁での口頭弁論で、高田弁護士は証人尋問の予定者を裁判長に説明した。大川原社長、島田氏、相嶋氏の長男の他、法に関与した経産省関係者、当時の公安部捜査官、起訴した検事らを予定している。 警視庁の捏造工作が民事訴訟の場で衆人に晒されることになるのか――。 警視庁公安部外事第一課に対して「安積警部補は四ノ宮教授が言ってもいないことを供述調書や捜査メモに記録したことは全くないか」「あったとすれば本人の判断か、それとも上司の判断か」という質問を文書で送ったところ、5月1日に同庁広報課広報4係から電話で「係争中の事案につき回答を控えさせていただきます」と予想通りの回答があった』、「逮捕された大川原正明社長、島田順司専務、相嶋静夫顧問の3人は否認を貫いていたため、平均330日も保釈なしで勾留されていた。このうち相嶋氏は、勾留中にがんが進行しながら適切な処置を受けられずに72歳で亡くなった。現在、東京地裁では、大川原化工機が東京都と国に対して起こした約5億6000万円の損害賠償請求の裁判と、相嶋氏の妻ら家族が起こした裁判が進んでいる」、「警視庁」、「経産省」、「起訴した検事ら」にとっては全くみっともない裁判だ。特に警視庁の捏造工作が民事訴訟の場で衆人に晒されることになることを期待している。裁判官が「警視庁」などに忖度して筋を曲げることのないよう要請したい。
タグ:相次ぐ警察の重大ミス (その8)(なぜ警察は助けを求める人を見殺しにするのか…「博多ストーカー殺人事件」を防げなかった根本原因 法律があれば犯罪がなくなると錯覚している、あの時本腰を入れていれば…「ルフィ事件」被害拡大の裏に日本の警察の“怠慢”、警視庁公安部の闇 報告書に「私が言ってもないことが書かれている」 防衛医大校長がずさんな捜査に怒り) PRESIDENT ONLINE 元木 昌彦氏による「なぜ警察は助けを求める人を見殺しにするのか…「博多ストーカー殺人事件」を防げなかった根本原因 法律があれば犯罪がなくなると錯覚している」 「歌が上手くて評判の美少女だった」のであれば、「沖縄」の「名門アクターズスクールに入所」もさもありなんだ。 「1年余りスクールに通ったが、歌手デビューすることは叶わなかった。 歌手になる夢を諦めて、彼女が向かった先は東京」、「当時はキャバクラで働いて生計を立てていました」、なるほど。 「結婚するもほどなく離婚し、福岡へ」、「自宅から歩いて行けるマンションの一室を借り、200万円以上のローンを組み、大阪府にあるエステチェーンのフランチャイズ店を開いたのだ。 だが、思惑通りにはいかず、コロナ蔓延という不幸な事態もあったためか、初期投資が回収できず間もなく店を畳んでしまった。 2020年8月に破産手続きをして、翌年4月には自己破産。 生活を立て直すために彼女が足を向けたのは、九州一の歓楽街・中洲の高級クラブ「S」だった」、「川野さんが昨年春、中洲のバー「X」で寺内と出会ったことで大きく人生が暗転する。 「茶色の短髪に鋭く切り込んだ細い眉。関西弁を操るアヒル口の男が寺内だった」(文春) この店は「S」の系列店で、昨年1月に店を辞めていたが、時々ヘルプで店に入ることもあり、「X」のようなバーに遊びに行くこともあったという」、 「寺内は中学進学後に変わってきた・・・部活はしてなかったが、ボクシングを習っていた」・・・目が合っただけで殴られた生徒もいた。日に日に暴力沙汰を起こす寺内は、教師にも牙をむいた」かなり危険な男のようだ。 「髪を金色に染め、バラのタトゥーを右胸に刻んで、どっぷり夜の世界に浸かっていった」、「そんな寺内を拾ったのは兵庫県内のキャバクラだった。 黒服として働いていたが、見かけによらずレディファーストだったという」、なるほど。 「福岡の地に足を踏み入れたのは約1年前だったそうである。 そして昨年春、川野さんと知り合い、交際を始めたという。男と女というものは不思議なものだ。寺内のどこに彼女は惹かれたのだろう。 だが寺内は本性を現し、彼女を束縛していく。寺内の言動に危険を感じた彼女が、初めて福岡県警に相談に行ったのは昨年の10月21日のことだった。 「携帯電話を盗られた。相手とも別れたい」 切羽詰まった様子で被害を訴え、その翌日、寺内に別れを告げたという。だが寺内は、「自分は別れていない。許さんぞ」と繰り返した。 10月24日に警察から警告を受け、それでも、寺内が彼女の職場に押しかけたり、電話をしたり、つきまとい行為を止めなかったため、11月26日に春日署はストーカー規制法に基づく禁止命令を出した」、なるほど。 「私と彼で、男のヤサを探し出して踏み込んだ。父親が縛られて地下室にいるのを見つけたが、男は逃げた後だった。ストーカーではなく父親の拉致・監禁罪で訴え、男は捕まった」、「今回のようなストーカー行為から殺人事件に至る悲劇は毎年のように何度も起きている。 朝日新聞デジタルで「ストーカー殺人」で検索すると、いくつも出てくる。 小金井ストーカー殺人未遂事件・・・東京中野区の38歳の女性が、元交際相手に殺害」などは、このブログでも紹介した。 「桶川事件」は「写真週刊誌FOCUSの記者」の存在があったからこそ明らかになったようだ。 「埼玉県警上尾警察署に出向いて、相談する。だが刑事たちは、「これは事件にならない」「男と女の問題だから警察は立ち入れない」というばかり。 警察が何もしてくれないうちに事態は悪化していく」、「警察に動いてもらうために刑事告訴することを決意する。だが警察は動かないばかりか、驚くことに、彼女の家に刑事が来て、「告訴を取り下げてほしい」といったのである。 そして惨劇が起こった」、酷い話だ。 「警察は告訴を取り下げるよういってきただけではなく、捜査や報告義務が必要になる「告訴状」を、面倒なために「被害届」に改竄していたことまで明るみに出たのである。 新聞、テレビはその間、警察から情報をもらって、彼らのいいなりに嘘情報を垂れ流していた。 「結局、改竄に関わった警察官三人は懲戒免職となり、虚偽公文書作成などの容疑で刑事責任も問われることになった。また、県警本部長を含む十二人が処分を受けるという前代未聞の事態となった」、本当に酷く腹立たしい事件だ。 「この規制法、何度も改正もしてきているが、ストーカー殺人を根絶するところまでいかないのはなぜなのだろう。 私は、警察がいまだに民事不介入のしっぽを残し、ストーカーもそうだが、家庭内の子どものDV被害にも消極的だからではないかと考えている。 それに、私の住んでいるような下町でも、警察官の巡回が少なくなったと感じている。国家防衛という名目でテロ対策のような大犯罪に人を割かれ、昔のように「おまわりさん」として、近所を回って年寄りと話し込むというような余裕がないのであろう。 おまわりさんから警察官。そのうち特高警察となるのではないかと危惧している。ストーカーのような犯罪は、被害者に寄り添って、親身になってやらなければ、被害を防ぐことはできない。 法律だけ作れば犯罪がなくなるとでも錯覚しているのではないか。今度の事件を機に、いま一度原点に返り、ストーカー被害者を救うために何ができるのか、警察やメディアが共に、真剣に考えるべきだと、私は思う』、全く同感である。 文春オンライン「あの時本腰を入れていれば…「ルフィ事件」被害拡大の裏に日本の警察の“怠慢”」 「渡邉らは元妻など協力者に虚偽の告訴をさせたため、フィリピン側は国内で別の事件に関与したとして、引き渡し要請に応じなかった」、実に巧妙な「日本」への「引き渡し要請」遅延戦略だ。 「死者を出してしまう・・・その後、日本側がフィリピンに引き渡しを要求したら、渡邉たちのスマホは押収され、虚偽告訴も退けられた・・・日本の警察が本腰を入れて外交交渉をすれば、もっと早期に身柄の移送を実現できたのではないか」、その通りだろう。 「「犯罪組織の上位を摘発できるに越したことはありませんが、加担する者をどう減らしていくかも重要。実行役の入り口となる闇バイトに目を光らせる対策など、携帯会社を含めた官民一体の努力が必要です。実行役を確実に捕まえ、加担すれば必ず逮捕されることを徹底して周知すべきでしょう」 地道な捜査に、警察の威信がかかっている」、その通りだろう。 デイりー新潮 粟野仁雄氏による「「警視庁公安部の闇 報告書に「私が言ってもないことが書かれている」 防衛医大校長がずさんな捜査に怒り」 「3人は1年近く勾留された末、公判直前に起訴が取り消され、検察は事実上の「敗北」を認めた」、国策捜査の酷い失敗だ 「「滅菌、殺菌、消毒という言葉は、われわれ専門家の間では厳密に区別されていますが、警察が作成した報告書を確認すると、かなり誤用されていた。しかし、経産省の省令でも翻訳の間違いなどで混同して使っていることがあるので、ある程度は仕方ないとは思っていた。『この辺は違いますよ』と例示して、但し書きつきであることを十分に説明してサインしてしまった。しかし、出来た文面を見ると言葉が独り歩きしている感じでした」」、 「噴霧乾燥機についても四ノ宮氏が詳しく述べたようになっているが、こうした機器類の構造に詳しいわけではなく、警視庁の聴取者が説明したのに合わせて返事をしていただけだという」、「四ノ宮氏が詳しく述べたようになっているが」、事実に反することはその場で訂正を申し入れるべきだった。 「同氏は私の取材に「全くそんなことは話していませんよ。そもそも私は微生物や病原菌の専門家ではあっても、そういう機械の専門家ではなく、そんなことを言うはずもありません」と打ち明けた。 「ひとり語り」は「一人称独白体」と言われ、警察や検察が被疑者についての供述調書で使う形式だ。取調官が「おまえ、相手が死んでも構わんと思って刺したんやろう」と言って相手が「はあ」「まあ」などと生返事をしても、「私は」としてそう語った供述調書にしてしまう」、「警察や検察」のやり方は、余りに悪どい。 「噴霧乾燥機が100度以上にいきわたるなどということは言ってもいないし、機械の専門家でもない私にわかるはずもない。第一、噴霧乾燥機を私は見たこともないのです。ですからどの辺がどんな温度になるということも分かりません。『熱風を送り込めば装置内が100度以上になる』なんて言うはずもありません」(四ノ宮氏)」、 「警視庁公安部外事第一課に所属していた安積伸介警部補である。 安積警部補が自身の判断で四ノ宮氏が言ってもいないことを「創作」し、立件に都合のよい調書やメモを仕立てたとは思われるが、報告先は第一課長の高濱裕章警視、さらには後任の高橋靖夫警視である。彼らの階級は安積警部補よりずっと上である。 階級社会の警察組織で、間に位置する警部クラスの中間管理職が、警視クラスへの報告を見ていないはずはないだろう。安積警部補から概要説明を受けた上司が同警部補に書き方を指示したか、あるいは書いてきたものを修正したのかもしれない 」、極めて悪質な捏造だ。 「「被疑事実を立証できない」と考えたからではなく、警視庁が独自の理論で経産省を説得し、無理やりに立件した事実経過を隠蔽する思惑があったのではないだろうか」、可能性が大いにありそうだ。 「逮捕された大川原正明社長、島田順司専務、相嶋静夫顧問の3人は否認を貫いていたため、平均330日も保釈なしで勾留されていた。このうち相嶋氏は、勾留中にがんが進行しながら適切な処置を受けられずに72歳で亡くなった。現在、東京地裁では、大川原化工機が東京都と国に対して起こした約5億6000万円の損害賠償請求の裁判と、相嶋氏の妻ら家族が起こした裁判が進んでいる」、 「警視庁」、「経産省」、「起訴した検事ら」にとっては全くみっともない裁判だ。特に警視庁の捏造工作が民事訴訟の場で衆人に晒されることになることを期待している。 裁判官が「警視庁」などに忖度して筋を曲げることのないよう要請したい。