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随筆(その4)(追悼 小田嶋隆氏2題:小田嶋隆さん お疲れ様でした そしてありがとう、反骨のコラムニスト小田嶋隆さんの発言を振り返る 東京五輪の矛盾や安倍政権の罪を指摘) [人生]

随筆については、2020年2月22日に取上げたままだった。今日は、(その4)(追悼 小田嶋隆氏2題:小田嶋隆さん お疲れ様でした そしてありがとう、反骨のコラムニスト小田嶋隆さんの発言を振り返る 東京五輪の矛盾や安倍政権の罪を指摘)である。同氏のコラムは、このブログでもたびたび紹介してきた。最近は、有料になったので、殆ど紹介できなくなっていたが、突然の訃報になす術もなく、ただ驚き、心を痛めている。ご冥福をお祈りしたい。

先ずは、本年6月24日付け日経ビジネスオンライン「小田嶋隆さん、お疲れ様でした。そしてありがとう。」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00162/
・『日経ビジネス電子版で「『ア・ピース・オブ・警句』~世間に転がる意味不明」、日経ビジネス本誌では「『pie in the sky』~ 絵に描いた餅べーション」を連載中のコラムニスト、小田嶋隆さんが亡くなりました。65歳でした。 小田嶋さんには、日経ビジネス電子版の前身である日経ビジネスオンラインの黎明(れいめい)期から看板コラムニストとして、支えていただきました。追悼の意を込めて、2021年11月12日に掲載した「晩年は誰のものでもない」を再掲します。 時の権力者だけでなく、社会に対して舌鋒(ぜっぽう)鋭く切り込む真のコラムニスト。その小田嶋さんがつむぐ1万字近い原稿を、短い言葉でどう表現するか。記事タイトルを短時間で考える担当編集者にとっては、連載の公開前日は勝負の1日でもありました。 再掲載するコラムは療養中の病室から送っていただいた原稿です。「晩年」という言葉やそれを何も考えずに使う社会に対して、「晩年は他人が宣告できるものではない。あくまでも自己申告の目安にすぎない。それも、多分に芝居がかった指標だ」と喝破します。 体調が優れずにやむなく休載してからも、「キーボードを打てなくても、音声で入力できてこれがいいんだよ」と話した小田嶋さん。「まだまだ伝えたいことがある」「残さないといけない言葉がある」と連載再開の意欲に満ちあふれていらっしゃいました。 小田嶋さんが残したかったその言葉とは何だったのでしょうか。 謹んでご冥福をお祈りします。(日経ビジネス編集部) この原稿は、とある都内の病院のベッドサイドに設置された硬い椅子の上で書いている。というのも、私は、またしても入院しているからだ。 先週と今週の当欄は、だから、病院からの出稿ということになる。 自分ながらよく働く病人だと思っている。 病的な勤勉さと申し上げても良い。 じっさい、 「勤勉は貧困の一症状である」と言えば言えるわけで、十分な資産なり年収なりを手にしている人間は、病院で原稿を書くみたいな無茶はしない。 でもまあ、ものは考えようだ。 原稿を書く稼業の人間にとっては、適度な貧困こそが、気詰まりな原稿の一行目をタイプするための理想的なスターティングガンということになる。書かなくても食えるのであれば、私は一行だって書かなかっただろう。それほど、執筆という作業は、書き手の心身をすり減らすものなのだ。 そういう意味で、これまでのライター生活の40年が、おおむね適度な貧困に恵まれた月日であったことには感謝している。デビュー作がうっかりベストセラーになっていたりしたら、私はそれっきり何も書かずにアルコールに耽溺していたはずだ。だとすると、私はすでにこの世からいなくなっていたことだろう。感謝せねばならない』、「原稿を書く稼業の人間にとっては、適度な貧困こそが、気詰まりな原稿の一行目をタイプするための理想的なスターティングガンということになる。書かなくても食えるのであれば、私は一行だって書かなかっただろう。それほど、執筆という作業は、書き手の心身をすり減らすものなのだ」、「書き手の心身をすり減らすもの」とは再認識させられた。
・『今回の入院は救急車で搬送された緊急の入院ではない。 あくまでも治療のための入院だ。 新たに開始することになった治療は、通院でも対応可能なものなのだが、毎日病院に通う手間を考えると、いっそ入院したほうが楽だろうと考えた次第だ。その意味では、計画的な入院という言い方もできる。いずれにせよ、大きな心配はいらない。 とはいえ、8月に入院したばかりなのに、またしても病院のお世話になっている状況に心を痛めている読者もいらっしゃるはずだ。甲子園大会の言い方になぞらえるなら、2015年からの7年間で、「3ヶ月ぶり7回目」の入院ということになる。穏やかならぬ頻度だ。訃報欄の常法としては「晩年は入退院を繰り返し……」てなことになるのだろう。 ん? 私はすでに晩年を生きているのだろうか。 私がどう思っているのかにかかわらず、客観的に見れば、その可能性はある。晩年コラムニストの晩年コラム。多少ありがたみが増すだろうか。 今回は、晩年について考えていることを書いてみようと思う』、「7年間で、「3ヶ月ぶり7回目」の入院ということになる」、「訃報欄の常法としては「晩年は入退院を繰り返し……」てなことになるのだろう」、結果的にはなってしまったようだ。
・『書店の店頭を眺めてみればわかることなのだが、昨今の出版界では、意外なことに、このテーマ(晩年、老後の過ごし方、穏やかな老い方、死と向き合う方法)を扱った書籍に大いに依存している。であるから中規模以上の書店には、死生観やら老年やらを扱った特別なコーナーが設置されている。そのコーナーの中では、80歳を超えた老大家たちが、いずれも、人生に結末をつける方法について得々と語っていたりする。 さてしかし「晩年」は、観察者の言葉であって当事者の言葉ではない。 どういうことなのかというと、他人の人生を観察なり整理している人間が、生まれた時期と死んだ時点を確認した上で、死亡時から逆算した最後の数年間に「晩年」というタグを貼り付けているだけで、生きている当人は、特段に結末を意識していないということだ。 テニス選手の引退前の幾年かを「晩年」「末期」と呼ぶのは、ジャーナリストなり記者なりの評価であって、選手本人は、ルーキーイヤーであれ5年目であれ引退の前年であれ、同じ気持ちでコートに立っている(はずだ)。だから、事実として、全盛期より見劣りのするショットが行き来しているのだとしても、ひとの選手生活に対して、他人が「晩年」という言葉を使うのは失礼に当たる。 たとえば、研究室でマウスやモルモットの繁殖を担当している助手のことを考えてみれば良い。飼育担当者は万全な注意を払って動物を管理している。であるから、誕生から死に至るイベントを残らずデータとして記録している。その完全な観察者である人間からすれば、マウスの「晩年」はあらかじめわかっている。死んだ時期も、生まれたタイミングも、生存していた年数もすべて把握しているからだ。そこから「晩年」を算出するのはそんなに難しい作業ではない。 しかし、現実に生きている人間が自分の晩年を予断として決定するのは容易なことではない。 自分が何年の寿命を持っていて、あと何年生きるのかがわかっていないと、どのポイントを「晩年」の起点として良いのやら見当がつかない。 晩年を決定できるのは本人だけだという考え方もある。 少なくともかかわりのないひとの晩年を他人が決めるのは失礼に当たる。 「あのヒトもどうやら晩年に差し掛かっているようだな」「昨今の言い草に耳を傾けるに、あの男は晩年の相に突入して久しい」 といった観察ないし言明は、失礼であるのみならず傲慢でもある。 年齢を重ねているからといって、定年を迎えたからといって、晩年は他人が宣告できるものではない。あくまでも自己申告の目安にすぎない。それも、多分に芝居がかった指標だ。ついでに申し添えれば、若い時代に急逝する人間は、いわゆる晩年に到達しない。彼ら彼女らはポキンと棒が折れるみたいにしてこの世を去る。幸運なことなのか不運なことなのかはたぶん本人にもわからない。 なるほど。 してみると、晩年の過ごし方という、なにやら普遍的に聞こえる話題も、ずいぶんと恣意的な話になる。結局のところ、いまこの時を精いっぱいに生きる以外に方途を持たない大部分の凡人からすれば、晩年などという言葉を振り回しにかかること自体、いけ好かない態度であるのかもしれない。 書店の「晩年コーナー」の充実ぶりは、われわれの社会の高齢化を反映したものなのだろう。おそらく、半世紀前に比べて達者で暮らしている70代や80代の高齢者を多く含む令和の日本社会は、それだけ、人生の幕の引き方を示唆する書籍への高い需要をかかえている』、「晩年は他人が宣告できるものではない。あくまでも自己申告の目安にすぎない。それも、多分に芝居がかった指標だ」、「いまこの時を精いっぱいに生きる以外に方途を持たない大部分の凡人からすれば、晩年などという言葉を振り回しにかかること自体、いけ好かない態度であるのかもしれない」、面白いひねりだ。
・『3年ほど前だったか、ある雑誌の企画でその種の「高齢者本」をまとめて10冊ほど読んだことがある。 その時に抱いた印象は、どの本もこちらの予断を裏切って、非常に楽観的な、明るい筆致で書かれていることだった。 いま思えばそもそもこちらの予断が間違っていたのだろう。 考えてみれば、80歳を過ぎて書籍を出版しようという書き手が悲観的な人生観を抱いているはずがないではないか。 出版社の側から見ても、昨今のせちがらい編集会議をくぐりぬけて出版にこぎつける企画である以上、著者として選ぶのはすでにネームバリューを持った人々だ。かつてベストセラーを連発していた小説家であるとか、恋愛スキャンダルで昭和の週刊誌を騒がせた女性であるとか、とにかく肩書だけで読者をひきつけることのできる著者が選ばれている。逆に言えば、編集者としては、書籍の内容よりも著者の知名度にもたれかかっていたほうが、効率的な本作りができるということだ。) かくして、各種老年本をひもといてみると、そこには若々しい希望に満ちた前向きな言葉が並んでいる。もう少し地味な諦観をキメてみせているであろうと思ったのはこちらの見当違いで、じっさいのところの「諦観」は印象として非常に明るいものだったわけだ。 もっとも、この「明るさ」は、半ば以上著者と編集者が結託して作り上げたフィクションというのか、演出上の必然なのだと思う。 死や老年や病苦を扱った書籍が暗い筆致で書かれていたのでは、誰も読む人がいなくなるはずだからだ。 つまり、ともすると暗い方に傾きがちな話題は、つとめて明るく語るきまりごとがあらかじめ設定されているのだろう。 というよりも、そもそも書き手の顔ぶれを並べてみれば、いずれもスーパーな高齢者ばかりで、このジャンルの書き手として選ばれた人間は、フィクションだの演出効果だのをディレクションするまでもなく、はじめから前向きで若々しいとびっきりの楽観老年に限られている。 読者としてこれらの書籍を購入している人々も、おそらくご老人ばかりではない。 個人的な思い込みであることをお断りした上で言うのだが、私は、この種の「晩年」を扱った出版物の読者の平均年齢は、業界の人間が考えているよりずっと若いのではないかと思っている。というのも、死や老年について思いを馳せるのは、むしろ若い人たちだからだ。行き先が見通しにくい世の中で暮らしているからこそ、若い人たちは一足飛びに老年を夢想する。そして、その夢想は、私の世代の者が若かった時代に思い描いていたにべもない老人蔑視とは違って、もう少し地に足のついた現実的な未来像で、必ずしも暗く閉ざされているわけでもない。 「私たち」という一人称複数の代名詞を使うと各方面から即座に「主語が大きい」というツッコミが入るお約束になっているので、ここから先、「私たちの世代」だとかいうフォーカスの甘い主語でものを言うのは控えよう。 少なくとも私は、若かった頃、自分の老年を想像したことなどなかったし、予測も見込みも何も立てていなかった。というのも、そもそも私は自分が40歳以上になるまで生きているとは考えていなかったからで、それゆえ、老年などという単語は徹頭徹尾自分とは無縁なのだと決めてかかっていた。 いま思えば幼稚な思い込みだ。 それ以上に、手前勝手な決めつけでもある。 しかしながら、念のために申し上げておくに、少なくとも昭和の半ば頃までは、若い人間が 「先のことなんか知ったことじゃねえよ」的な考え方で人生の飛び石を渡るのは、さほど珍しい景色ではなかった。というよりも、若者である以上、多かれ少なかれ、捨て鉢な方針を振りかざしていたいものなのだ。別の言い方をすれば、そういうふうに、未来にも過去にも無頓着かつ冷淡であることが「若さ」の真義であると、当時の若者は少なくともそう考えていたのである。 令和の若者は、30年来の不況下で生まれ育った不景気の申し子のような人たちだ。 だから、先行きの見込みや未来の展望について、うわついたところがない。 こういう世界が、このまま、たいして変わることもなく、いつまでも続くのだろうと、なんとなくそう決めてかかっているフシがある。わたくしどもの目にはそんなふうに見える。 それゆえ彼らは、楽観的な老年本に誘引されるのではないか。昭和の若者が老後や近未来に一瞥もくれなかったことを思うと実に隔世の感がある。現在の若い人たちは、自分が老いることを「知って」いるのだ。なんと賢い若者たちであることだろうか』、「令和の若者は、・・・先行きの見込みや未来の展望について、うわついたところがない。 こういう世界が、このまま、たいして変わることもなく、いつまでも続くのだろうと、なんとなくそう決めてかかっているフシがある・・・それゆえ彼らは、楽観的な老年本に誘引されるのではないか。昭和の若者が老後や近未来に一瞥もくれなかったことを思うと実に隔世の感がある」、彼らが「老年本」の重要な読者層だとすれば、その通りだ。
・『最後に、まだ老年に差し掛かっていない若い人たちに、先行者としてアドバイスを残しておく。 私が自分ながら幸運だったと思っているのは、原稿を書く仕事とともに老年を迎えていることだ。 原稿執筆は、老年と相性が良い。 テキスト作成は、場所もとらないし、道具もさほどいらない。自分のウデとアタマとPCが一台あれば、たいていのことは間に合ってしまう。 だから病気をしても仕事ができるし、足腰が衰えてもなんとかなる。 そんなわけなので、将来の変わり身に向けて多彩な選択肢を持っているみなさんには、いまのうちに「書く技術」を身につけておくことを、強くおすすめする。 じっさい、書ける人間はヤマほどいる。 というよりもインターネット時代を迎えて、市井に生きる一般人が文章を作成する能力は、飛躍的に向上しつつある。いまやそこいらへんの高校生が、びっくりするほど破綻のない文章をテもなく書いてのける。ただただびっくりするばかりだ。 単純にテキストの出来不出来の話をするなら、プロ水準の原稿を生産する能力を備えた人間は、たぶん600万人(←筆者概算)ほどいるはずだ。 以前、いくつかアマチュアの人たちの書いた文章を添削する機会に恵まれたことがあるのだが、毎度毎度、趣味でものを書いている人たちの筆力の向上ぶりに驚かされたものだ。 一流企業のそれなりの地位にいる管理職のおっさんが、情感にあふれた珠玉のエッセーを書いてきたり、本職では医療事務にたずさわっている女性が、意表を突いた着眼でさらりと笑わせる小洒落たコラムをものしていたりして、プロであるはずの私にしてからが、直すところのなさに往生したものだった。 私のような職業的な書き手と彼らのようなアマチュアの凄腕に差があるのだとすれば、「職をなげうっているかどうか」だけだ。 つまり、文章を書くことを専業として食べて行けるのかどうかは、もはや才能や筆力の問題ではないということだ。ライターとして独立できるのかどうかは、ひとえに「いま食えている仕事を投げ出すことができるのか」にかかっている。 いかに達者な文章を書くからといって、ライターという稼業が、独立研究機関の研究職や航空会社の地上勤務の職を蹴飛ばしてまで挑む価値のある仕事であるのかといえば、はなはだ疑問だと申し上げざるを得ない。) しかしながら、時代は変わっている。 しばらく前から、ライティングにまつわる作業は、ライターの専業ではなくなってきている。 10年もたてば、文章を書くことだけで生計を立てている専業の書き手は、現在の半分ほどに減っているかもしれない。 ライティングの仕事が消滅するわけではない。 たぶん、業界は専業の書き手よりも「書ける素人」を希求している。 というのも、文章作成は、志を持った者が生涯をかけて取り組むべき課題である一方で、収入や作業時間といった諸条件から勘案すると、むしろ副業に向いた仕事だからだ。 問題はペイだ。 現在、ライターは、買い叩かれている。 特にデジタルの原稿料は、web上の有象無象のサイトが品質の低い似たようなテキストを大量に求めている現状を反映した地点に落着している。 クリック数を広告でマネタイズする現状の仕組みが続く限り、テレビ感想文や皇室スキャンダルの焼き直しをミートボールにして煮込んだみたいな低劣なテキストがアクセス数のランキングに並ぶ事態は変わらないだろう。 しかし、こんなバカなことが長く続くはずがない。 読者は質の高い文章を求めている。 そして、質の高い文章を書ける人材は巷にあふれている。 近い将来、文章の質に値段がつく時期がやってくるはずだ。 いずれにせよ、今後、文章を含んだページを適正にマネタイズする枠組み(どうせGAFA頼りだとは思うのだが)が整備されて、利益に見合った適正な原稿料が配布されるシステムが完成すれば、ライターの未来はそんなに暗くない。 しばらくの間、食えない時代が続くかもしれないが、心配はない。 文章の上手な素人というのは、どこに置いても素敵な存在だし、なにより、ライターの伝統的な持ち前は「食えない」ところにある』、「今後、文章を含んだページを適正にマネタイズする枠組み・・・が整備されて、利益に見合った適正な原稿料が配布されるシステムが完成すれば、ライターの未来はそんなに暗くない。 しばらくの間、食えない時代が続くかもしれないが、心配はない。 文章の上手な素人というのは、どこに置いても素敵な存在だし、なにより、ライターの伝統的な持ち前は「食えない」ところにある」、持って回った表現で、分かり難いが、「ライターの未来」をどうも明るくはみてないような印象を受けた。

次に、6月28日付け日刊ゲンダイ「反骨のコラムニスト小田嶋隆さんの発言を振り返る 東京五輪の矛盾や安倍政権の罪を指摘」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/307399
・『24日に65歳で病死したコラムニストの小田嶋隆さんは「反骨精神の論客」として知られ、日刊ゲンダイにも度々コメントを寄せていた。哀悼の意を込めて、最近の発言を振り返りたい。 「医療従事者には、まるで『パラレルワールド』の出来事でしょう。人流を抑える緊急事態宣言の発令と、海外から数万人の関係者が訪れる五輪開催は大いなる矛盾。その上、『一生に一度の自国開催』とあおり、ブルーインパルスまで飛ばせば『一目見よう』という人が増えるのも無理はない。開会式では医療従事者を競技場内の聖火ランナーに起用するなど、形ばかりの『感謝の気持ち』に明け暮れましたが、おためごかしもいいところ。コロナ禍の大会は医療従事者イジメ。日本勢第1号の金メダリストへの直電で悦に入る菅首相の精神性は、辞任した開会式の楽曲担当者と同じ。単なる“イジメ自慢”です。誰かの犠牲の上に成り立つ五輪は、根本的に間違っています」(2021年7月=東京五輪開催について) 「菅首相は1964年の東京大会でバレー女子チームを金メダルに導いた、大松博文監督に感銘を受けているのでしょう。“鬼の大松”の指導方法をひと言で表せば『シゴキ』。今でいえば壮絶なパワハラで、当時は『ド根性』が流行語となり、体罰やサービス残業など日本型組織に根付く負の体質を育むことにもなった。その風潮の変化には実に半世紀もかかったのに、『シゴキ』を今の世によみがえらせようとしているのが、菅首相です。大松監督は帝国陸軍の生き残り。東京五輪はよく『インパール作戦』に例えられますが、監督はその過酷な戦地からの生還者でもある。だからこそ『極限状態に立たされることで、人間は真の力を発揮できるようになる』と強調するにいたったのですが、このアナクロニズムこそ菅首相の原点。自称『叩き上げ』の強い自負心もあり、無謀な挑戦も精神力で乗り切れると鼓舞し、医療従事者に限らず国民に全員一丸を押しつける。コロナ禍の五輪開催でシゴキ抜き、国民を強く鍛え上げられると本気で考えているとしか思えません」(2021年7月=菅首相(当時)の「東洋の魔女」発言について) 「曲がりなりにも『一体性、多様性、男女平等』を基本原則に掲げる五輪のホスト国として、日本はふさわしいのか。その点に国際世論は批判の矛先を向けているのです。女性蔑視発言の翌日に組織委が森会長を更迭していれば、まだ個人の問題を正常に処理したとみなされたでしょう。ところが、組織委の武藤敏郎事務総長や遠藤利明副会長ら『わきまえた』幹部は慰留に努め、JOCの山下泰裕会長らもモノが言えない。世耕弘成参院幹事長は『余人をもって代えがたい』、萩生田光一文科相は『最も反省で逆にあの態度』と政府・与党内の取り巻きからも擁護論が飛び出す始末。日本の後進性を世界にアピールしてばかりで結局、更迭の形でけじめをつけられなかった。後任も、若く、清新で、森会長と対照的な精神の持ち主とは言い難い。ただでさえ、五輪は新型コロナ禍で開催すら危ぶまれているのに、この体たらく。日本に自浄能力は期待できないと、世界中の意識の高いアスリートたちがボイコットに動いても、おかしくありません」(2021年2月=JOCの森会長の女性蔑視発言で) 「安倍氏は国会で自信満々に答弁し、野党議員に説教までしていた。その発言が虚偽だったのです。国会で嘘をつくなんて、政治家として終わっている。普通なら恥ずかしくて、議場に座っていられない。すぐにでも議員辞職するような話ですよ。ところが、安倍氏は平然としている。国民の側が政治に対する失望に慣らされ、嘘がまかり通るようになってしまった面もあると思います。底知れぬ政治腐敗を覚えます」) 「ホテルが数百人もいる参加者一人一人と契約して参加費を払ってもらっているなんていう説明があり得ない話なのは、誰もが分かっていた。それでも安倍さんは平気で明らかな嘘をつく。当たり前の常識が通用しない規格外の人です。バレない嘘ならついていい。バレても証拠がなきゃいい、立件されなければいいと思っている。立件されても有罪にならなきゃいいとすら思っている。そういう人には牢屋に入ってもらって、臭いメシを食べてもらうしかないんじゃないでしょうか。そうでもしなければ、改心することはないでしょう」(2020年11月=安倍首相の虚偽答弁が118回に及んだことについて)』、本質を突いた手厳しい批判は胸がすくようだ。
・『「安倍政権で日本語が意味を喪失、行政文書が紙ゴミに」  「安倍さん自ら『結果を出すことが重要』と言っている以上、首相を辞めた理由はどうであれ、8年に及ぶ安倍政治はきちんと総括されなければなりません。病気だからといって、執政が批判されない理由にはならないのです。文書主義を否定し、行政を“私物化”した安倍政権とは何だったのか、ちゃんと検証しない限り、時の政権による行政支配が続いていくと思います」(2020年9月=安倍首相が2度目の首相辞任を決めたことについて) 「政権の罪は、むしろ、彼らの日常動作の中にある。たとえば、行政文書を前例通りに記録・保存するという行政の担当者としてのあたりまえの習慣を、安倍晋三氏とその追随者たちは、政権を担当したこの8年の間に完膚なきまでに破壊した。それだけではない。彼らは、自分たちの政治資金の出納をまっとうに報告するという、政治家としての最も基本的な義務すら果たしていない」 「安倍政権の中枢に連なるメンバーは、正確な日本語を使い、公の場でウソをつかないという、日本の大人として守るべき規範さえ、きれいにかなぐり捨ててしまっている。おかげで、わたくしどものこの日本の社会では、日本語が意味を喪失し、行政文書が紙ゴミに変貌してしまっている。でもって、血統と人脈とおべっかと忖度ばかりがものを言う、寒々とした前近代がよみがえりつつある。(略)安倍政権は外交と経済をしくじり、政治的に失敗しただけではない。より重要なのは、彼らがこの国の文化と社会を破壊したことだ。私はそう思っている。一刻も早くこの国から消えてもらいたいと思っている」(2020年2月=安倍政権について) 「年金法案など個別の政策には反対が多いし、アベノミクスも失敗した。普通なら安倍内閣の支持率は下がるはずです。それなのに上がる理由は、ひとつは民進党が信頼されず、代わりがいないから。そしてもうひとつは、政策ではなく『安倍首相』というキャラクターが支持されているからではないでしょうか。トランプ現象が代表例ですが、世界中でハッキリ物を言うリーダーが受けている。安倍さんが国会で民進党をディスる姿が、むしろたくましいと思われている。弱者を助け、人権を守るというような戦後民主主義のリベラル思想を切り捨て、『甘ったれるな』と弱者の尻を叩くのを、正直な人だと好感を持って捉える。そんな背景があるように感じています」 「このままでは、弱者のためのセーフティーネットがなくなってしまいかねない。そうなれば、結果的に社会から活力や生産性が失われる。年を取ったり病気など不幸なことで、誰もが弱者になる可能性があるのに、セーフティーネットがなければ二度と這い上がれません。これ以上、格差拡大や社会的分断が加速すれば、取り返しのつかないことになってしまいます」(2020年1月=安倍政権について)』、「安倍政権の中枢に連なるメンバーは、正確な日本語を使い、公の場でウソをつかないという、日本の大人として守るべき規範さえ、きれいにかなぐり捨ててしまっている。おかげで、わたくしどものこの日本の社会では、日本語が意味を喪失し、行政文書が紙ゴミに変貌してしまっている。でもって、血統と人脈とおべっかと忖度ばかりがものを言う、寒々とした前近代がよみがえりつつある。(略)安倍政権は外交と経済をしくじり、政治的に失敗しただけではない。より重要なのは、彼らがこの国の文化と社会を破壊したことだ。私はそう思っている」、こうした手厳しい批判者が欠けてしまうのも、寂しい限りだ。
タグ:「晩年は他人が宣告できるものではない。あくまでも自己申告の目安にすぎない。それも、多分に芝居がかった指標だ」、「いまこの時を精いっぱいに生きる以外に方途を持たない大部分の凡人からすれば、晩年などという言葉を振り回しにかかること自体、いけ好かない態度であるのかもしれない」、面白いひねりだ。 「7年間で、「3ヶ月ぶり7回目」の入院ということになる」、「訃報欄の常法としては「晩年は入退院を繰り返し……」てなことになるのだろう」、結果的にはなってしまったようだ。 「原稿を書く稼業の人間にとっては、適度な貧困こそが、気詰まりな原稿の一行目をタイプするための理想的なスターティングガンということになる。書かなくても食えるのであれば、私は一行だって書かなかっただろう。それほど、執筆という作業は、書き手の心身をすり減らすものなのだ」、「書き手の心身をすり減らすもの」とは再認識させられた。 日経ビジネスオンライン「小田嶋隆さん、お疲れ様でした。そしてありがとう。」 随筆 (その4)(追悼 小田嶋隆氏2題:小田嶋隆さん お疲れ様でした そしてありがとう、反骨のコラムニスト小田嶋隆さんの発言を振り返る 東京五輪の矛盾や安倍政権の罪を指摘) 「令和の若者は、・・・先行きの見込みや未来の展望について、うわついたところがない。 こういう世界が、このまま、たいして変わることもなく、いつまでも続くのだろうと、なんとなくそう決めてかかっているフシがある・・・それゆえ彼らは、楽観的な老年本に誘引されるのではないか。昭和の若者が老後や近未来に一瞥もくれなかったことを思うと実に隔世の感がある」、彼らが「老年本」の重要な読者層だとすれば、その通りだ。 「今後、文章を含んだページを適正にマネタイズする枠組み・・・が整備されて、利益に見合った適正な原稿料が配布されるシステムが完成すれば、ライターの未来はそんなに暗くない。 しばらくの間、食えない時代が続くかもしれないが、心配はない。 文章の上手な素人というのは、どこに置いても素敵な存在だし、なにより、ライターの伝統的な持ち前は「食えない」ところにある」、持って回った表現で、分かり難いが、「ライターの未来」をどうも明るくはみてないような印象を受けた。 日刊ゲンダイ「反骨のコラムニスト小田嶋隆さんの発言を振り返る 東京五輪の矛盾や安倍政権の罪を指摘」 本質を突いた手厳しい批判は胸がすくようだ。 「安倍政権の中枢に連なるメンバーは、正確な日本語を使い、公の場でウソをつかないという、日本の大人として守るべき規範さえ、きれいにかなぐり捨ててしまっている。おかげで、わたくしどものこの日本の社会では、日本語が意味を喪失し、行政文書が紙ゴミに変貌してしまっている。でもって、血統と人脈とおべっかと忖度ばかりがものを言う、寒々とした前近代がよみがえりつつある。(略)安倍政権は外交と経済をしくじり、政治的に失敗しただけではない。より重要なのは、彼らがこの国の文化と社会を破壊したことだ。私はそう思っている」、こうし
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終活(死への準備)(その3)(70代残間里江子さん語る終活が必要な理由 残間里江子さん「先を楽しむための心の整理」、医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく 穏やかな最期のために、医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法 跡を濁さない「死に方」は選べる) [人生]

終活(死への準備)については、4月7日に取上げた。今日は、(その3)(70代残間里江子さん語る終活が必要な理由 残間里江子さん「先を楽しむための心の整理」、医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく 穏やかな最期のために、医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法 跡を濁さない「死に方」は選べる)である。

先ずは、1月24日付けハルメクWeb「70代残間里江子さん語る終活が必要な理由 残間里江子さん「先を楽しむための心の整理」」を紹介しよう。
https://halmek.co.jp/life/c/relief/5848
・『自分の「終わり」に向けての準備というと、気持ちが滅入るもの。しかし、プロデューサーの残間里江子さんは、終活とは物やお金の整理だけでなく、心を整理して「これから」に向かう前向きな行動だと話します。終活についての考え方を教えてもらいました』、興味深そうだ。
・『残間里江子(ざんま・りえこ) 1950(昭和25)年生まれ。アナウンサー、雑誌記者、編集者などを経て、現在はプロデューサーとして活躍中。2009年、大人世代のコミュニティ「クラブ・ウィルビー」を設立。著書に『もう一度 花咲かせよう 「定年後」を楽しく生きるために』(中公新書ラクレ)』、典型的なキャリアウーマンのようだ。
・『残間里江子さんが終活を意識し始めたきっかけ  残間里江子さんが終活を意識し始めたのは、2016年にご両親の死後の片付けをした時だと言います。 「小説家志望だった母は、70代後半でシナリオ教室に通うほどの熱量の持ち主でした。介護のために息子と私が住む東京のマンションに呼び寄せた時も本や原稿が多く、全盲になってからも右手を振りかざして宙に文字を書いていました」 お母様が99歳で亡くなった時には、ダンボール350箱分の原稿や大切にしていた文学全集などがあり、その片付けに半年ほどかかったそう。シュレッダーを3つ壊したとか。 「父はその前に亡くなっていましたが、当時も戦友の写真などたくさん出てきて。誰かわからないのですが父にとっては大切な物だったと思うので、一応すべて拝んでから処分しました」』、「「小説家志望だった母は、70代後半でシナリオ教室に通うほどの熱量の持ち主」、「全盲になってからも右手を振りかざして宙に文字を書いていました」、「お母様が99歳で亡くなった時には、ダンボール350箱分の原稿や大切にしていた文学全集などがあり、その片付けに半年ほどかかった」、この娘にして、この「母親」ありだ。
・『終活として自身の片付けを始めた  その後、ご自身の片付けを始めたと残間さんは話します。 「両親の物の片付けがあまりに大変で、今は『息子の目線』で自分の物を片付けるようにしています。私はシングルマザーで、息子が26歳で独り立ちしたとき食器を送ったら。『僕の趣味に合いません』って全部送り返されたんです。シンプルな物が好きな息子に、私自身もあまり好きでなかった派手な有田焼とかもここぞとばかりに送りつけたのもよくなかったんだけど(笑)」 息子は少しシニカルなところがある、そんな息子が捨てないと思われる物だけを残そうと考えた残間さん。そのため残間さんのご両親の物と、残間さんご自身から息子さんに残したいものを、洋服ケース一つ分ずつ選んでいるといいます』、「食器を送ったら・・・全部送り返された」、「シンプルな物が好きな息子に、私自身もあまり好きでなかった派手な有田焼とかもここぞとばかりに送りつけたのもよくなかったんだけど」、当然だろう。
・『物の終活だけでなく、お金の終活にも取り組む(物の終活に加え、お金の終活も始めたという残間さん。 「そろそろ息子に銀行や保険のことなども伝えたいと思って紙にまとめて書きました。息子は毎年3月の私の誕生日と母の日に来てくれます。誕生日に来てくれるというのでその紙を渡そうと思っていたら、息子が何か持っていたんです。どうせお酒か何かだろうと思ったら、なんと猫でした。『猫を飼い始めたから見せてあげるのがプレゼント』と言うのですが、とにかく驚いたし、気が抜けました。 気を取り直して次は母の日にと思っていましたが、また息子は何かを持っています。この前の猫かと思ったらなんと別の猫で、しかも灰色のぼろ布みたいな猫なの。かわいいけれど、また気が抜けてしまいました。30歳になって猫2匹飼い始めてどうするのって」 予想外の展開に渡しそびれてしまった大事なものは、後日ちゃんと渡せました』、「30歳になって」も、恋人ではなく、「猫2匹」とは・・・。
・『終活で大切なのは、力があるときに扉を閉じておくこと  「終活をしなきゃ」と頭ではわかっているものの、自分の死について考えると暗い気持ちにならないものでしょうか。その疑問を残間さんに投げかけてみたところ、「どうせ全員、最期は来ます」とキッパリとした返答が。 「母は最後まで自分の思いを遂げるのに必死で、日々の生活は二の次でしたが、私は必要なことは先にやっておくのが好きな方。何かを残せば周囲に迷惑がかかる。みんなが気を使わなくていいように、手立てを講じておきたいんです」 その手立てとして物やお金の終活をしてきた残間さんですが、「これからの自分が何をするか、すべきか考えること」も大事だと語ります。 「物事を締めくくって、自分がしたいことを考える。一度「閉じる」ことによって、これからの新しい扉を開くエネルギーが出てくるんです。終活を前向きな行動にするのです。 同世代の知人の葬儀に出るたびに『もっと生きたかっただろうな』『死んだらすべて終わっちゃうな』と思います。私は甲状腺や免疫系の病気があり、今も全身湿布だらけです。朝はさっと動けません。熱いお風呂に入っているうちにようやく動けるようになるような調子ですが、まだ外に出られるし、人にも会える。 何はともあれ生きているんだからきれいな花を見ているだけでなくて、もう一度自分の人生にもひと花咲かせたいと思っています。毎日夕方にドラマの再放送を見ているだけとか、なんとなく日々を過ごして本当にしたいことができないのはもったいないですよ」』、「物事を締めくくって、自分がしたいことを考える。一度「閉じる」ことによって、これからの新しい扉を開くエネルギーが出てくるんです。終活を前向きな行動にするのです」、面白い考え方だ。
・『人生の最期に自分らしい花を咲かそう  残りの人生でもう一花咲かせようと思うと、大層なことをやらねばとつい思ってしまいますが、「やりたいこと」は趣味でも旅行でも何でもいいと残間さんは言います。「次の世代や、次の次の世代など、社会の役に立つことだとよりいいですけど。友人の夫は、小学生の通学路の見守りを始めました。いつのまにかそれが楽しみになり、卒業式では子どもたちから表彰状をもらって喜んで部屋に飾っているようです。私は哀しいことに趣味がなく、やりたいことを探している最中。「9」という数字が好きだから、79歳までの間に夢中になれることを毎日考えています」 残間さんは、「終活で大切なのは、次に向かう力があるうちに、あいまいに開いている扉を閉じておくこと」だと表現します。 「誰かに閉じてもらうのではなく、自分の手で閉じておく。そうして最後の日まで何をしたいか考える。物やお金は誰かが片付けてくれるかもしれませんが、自分の心は自分にしか整理できません。ぜひ人生の最期に自分らしい花を咲かせてください」』、「自分の心は自分にしか整理できません。ぜひ人生の最期に自分らしい花を咲かせてください」、その通りだ。
・『今から始めたい「3つの整理」お金の整理 銀行口座や保険を整理しておきましょう。のこされた家族が扱いに困る物がないか 今のうちに見直しを)。 物の整理(不要な物は片づけながら、本当に大切な物は自分がいなくなった後にどうしてほしいか、家族に伝えておきましょう)。 心の整理(明日が最後の日だとしたら、何をしたいですか? 趣味でも仕事でも、本当にしたいことを見つめ、実行しましょう。 ※この記事は、2019年9月号「ハルメク」を再編集しています』、やはり「心の整理」が一番、手強そうだ。

次に、3月27日付け現代ビジネス「医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく 穏やかな最期のために」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93508?imp=0
・『死は誰にでも平等にやってくるが、一度しか経験できない。そのため、多くの人が納得のいく形で亡くなることができていない。「下手な死」を避け、「上手な最期」を迎えるためには何が必要なのか』、「「下手な死」を避け、「上手な最期」を迎える」、理想ではある。
・『チューブだらけの最期  死ぬ時は眠るように、穏やかに逝きたい—。苦しみながら死んでいくのはごめんだと、誰しも考えているはずだ。 だが、2020年に公開された人口動態統計を見ると、日本人の71・3%が病院で息を引き取っていることがわかる。これは多くの人が死の間際まで延命治療を受けながら、苦痛とともに亡くなっていくことを意味している。医師で小説家の久坂部羊氏が自らの経験を語る。 「40年ほど前、駆け出しの外科医だった私は総胆管結石を患った70代の女性の手術を担当しました。しかし、彼女は手術後に原因不明のけいれんを起こし、肺炎も併発してしまったのです」 この人を死なせるわけにはいかない。久坂部氏は患者に人工呼吸器をつけ、ステロイドや強心剤の投与を繰り返した。だが容態は悪化し、全身に出血傾向が出て多臓器不全にまで陥った。 「この段階でも私は治療を諦めきれず、それまでの治療に加え、輸血も開始しました。女性はすでに意識がなく、手足は浮腫のためどんどん膨らんでいきます。下血もひどく、輸血した血がそのまま出てきてしまうような状況でしたが、強心剤と人工呼吸器のせいで心臓は止まりません。 生きたまま身体が腐っていくような状態が続いたのち、彼女は亡くなりました。患者を救おうと思って行った治療が、患者だけでなく家族にも不安と絶望を与えてしまったのです」(久坂部氏)) この70代の女性は、決して特殊な例ではない。病院で亡くなる場合は、多くの人が人工呼吸器や透析器につながれ、「無理やり生かされた状態」を経て命を終える。 最期の瞬間まで延命治療が続けられる現代では、自然の流れに逆らわず、植物が静かに枯れていくような「きれいな死に方」を実現することは困難になっている。 そもそも人間の死とは「呼吸停止」「心停止」「瞳孔の散大」の3つの条件が揃った時に初めて認められる。これらは何の兆候もなく、突然起こるわけではない。 「事故などによる突然死でない限り、老衰死も病死も昏睡状態に陥ることから始まります。こうなると間もなく下顎を突き出し、口をパクパクと開け閉めしてあえぐように息をする下顎呼吸が始まるのです。 下顎呼吸は呼吸中枢の機能が低下すると発生し、数分から1時間程度で終わり、死に至ります。これが始まった時点でいくら蘇生を試みても、その人が回復することはありえません」(久坂部氏) つまり、本来であれば下顎呼吸が始まった時点で抗うのはやめ、穏やかに見守るべきなのだ。 だが、家族や身近な人に死を目前にした衰弱や昏睡、まして下顎呼吸が始まれば、周囲は取り乱し、少しでも苦しみを軽減させたいと無理な延命治療を選択してしまう。これが死の苦しみを却って増幅させ、苦痛とともに亡くなっていく「下手な死」へとつながる。 延命治療はそのほとんどが家族の希望によってなされている。とすれば、あなたが「上手な最期」を迎えるためには、「死に方の予習」をし、家族ともその知識を共有しておくことが、もっとも重要なのである』、「下顎呼吸は呼吸中枢の機能が低下すると発生し、数分から1時間程度で終わり、死に至ります。これが始まった時点でいくら蘇生を試みても、その人が回復することはありえません」、「本来であれば下顎呼吸が始まった時点で抗うのはやめ、穏やかに見守るべきなのだ」、「だが、家族や身近な人に死を目前にした衰弱や昏睡、まして下顎呼吸が始まれば、周囲は取り乱し、少しでも苦しみを軽減させたいと無理な延命治療を選択してしまう。これが死の苦しみを却って増幅させ、苦痛とともに亡くなっていく「下手な死」へとつながる」、「家族や身近な人」にも自分の意志を明確に伝えておく必要がありそうだ。
・『赤ん坊に戻ってゆくだけ  では、「下手な死」を避け、肉体的にも精神的にも苦痛の少ない「上手な最期」を迎えるにはどうすればいいのだろうか。久坂部氏が語る。 「余計な苦痛を感じずに亡くなるには、死期を迎えた時にはもう何もしないことです。そのためには、病院ではなく家で亡くなることが一番の方法だと思います。 病院に行けば命が助かるというのは、幻想にすぎません。死の間際の点滴は血液を薄め、内臓に負担をかけるだけですし、酸素マスクもただ呼吸の邪魔をするだけです。穏やかな最期を迎えるには、いかに医療から離れるかが重要になるのです」 在宅医としてこれまでに3000人もの患者を看取った、めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊氏が、死が近づくと身体に起こる自然な変化について解説する。 「死が近づいてくると、今までできたことが徐々にできなくなっていきます。私はこれを『生まれたばかりの赤ん坊に戻る』と説明しています。がんや認知症、老衰などによってその速度は変わりますが、おおむね共通した傾向が表れるのです。 まずは硬いものが食べられなくなり、食事の量が減っていきます。体力の低下に伴って歩ける距離も短くなります」 やがて外出が難しくなり、家の中でも介助なしには移動が困難になる。お風呂やトイレも人の手助けなしには済ませられなくなるのだ。この頃には固形物は口にできなくなり、ほとんど水分だけで過ごす毎日が始まる。 体が弱っていくと、目を閉じて眠る時間が増え、この状態が続くといつ昏睡が起きてもおかしくなくなる。 認知症や老衰の場合、昏睡に陥るまでの時間は、硬いものが食べられなくなり衰弱し始めてから数年ほどかかるが、末期のがんなどの場合は、食事が満足に摂れないようになってから1ヵ月半ほどで昏睡に陥る。 死期が近づくにつれ、痩せ細っていく様子を見て不安がる家族も多いが、これは誰にも起こる自然な現象なのだ。 故人が満足に死を迎えられたかどうかは誰にもわからない。ただ宣告を受け死を受け入れるまでの準備として、どんな段階があるのかは知っておいても損はない。その具体的な事例を後編記事の『医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法』でお伝えする』、「病院に行けば命が助かるというのは、幻想にすぎません。死の間際の点滴は血液を薄め、内臓に負担をかけるだけですし、酸素マスクもただ呼吸の邪魔をするだけです。穏やかな最期を迎えるには、いかに医療から離れるかが重要になる」、「体が弱っていくと、目を閉じて眠る時間が増え、この状態が続くといつ昏睡が起きてもおかしくなくなる。 認知症や老衰の場合、昏睡に陥るまでの時間は、硬いものが食べられなくなり衰弱し始めてから数年ほどかかる」、「数年かかる」というのは私には長い印象だ」、「後編記事」も見てみよう、

第三に、この続きを、3月27日付け現代ビジネス「医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法 跡を濁さない「死に方」は選べる」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93509?imp=0
・『死は誰にでも平等にやってくるが、一度しか経験できない。故人が自分の死に満足をしたかどうかは誰にも分からないが、死をを迎えるための準備にどういった段階があるのかは知っておいても損はない。 医師としてのキャリアを持ち、人の死に向き合ってきた作家の久坂部羊さんをはじめとする、「上手な最期の迎え方」についてを、前編記事『医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく』でお伝えした。では具体的にどんな心構えや方法があるのか、引き続き明かす』、興味深そうだ。
・『どうしたら開き直れるか  40代半ばから在宅医として訪問診療に従事した久坂部氏には、自宅できわめて穏やかな最期を迎えた、忘れられない患者がいる。 「私がかつて在宅医として担当した60代の男性は肺がんを患っていました。彼は入院による抗がん剤治療の効果があまり表れないと見るや、『最期の瞬間は自宅で迎えたい』と家へと戻る決断をしたのです。 抗がん剤の副作用から解放された彼は、自宅で自由気ままな毎日を過ごしました。そうして徐々に弱っていき、1ヵ月半ほどで寝たきりになり、ある夜ついに昏睡状態に陥ります。 こうなっても、当初の約束通り延命治療はしませんでした。彼は点滴も酸素マスクもなく、自然な姿のまま家族に看取られて布団の上で亡くなっていったのです」 この男性の妻は、夫が息絶えていく様子を見ながら「家で最期を迎えると聞いた時はどうなることかと思ったけど、こんなに穏やかに逝けるなんて……」と打ち明けたという。彼は家族も納得する中、何の医療器具もつけない身体のまま亡くなっていった。 「少しずつできることも減っていきますが、それは悲しいことではない。こう覚悟を決めておけば、本人もその家族も、いざ死を前にした時でも恐怖感を和らげられるはずです」(久坂部氏) 「上手な最期」を迎えるためには恐怖から死を否定せず、何が起こっても良いと命の終わりを意識しておくことが大切だ。これが土壇場での覚悟につながる。 しかし、穏やかな最期を迎えた人が、おしなべて最初から覚悟ができていたわけではない。死を受け入れられるようになるには、気持ちを整理することも必要になる。めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊氏が語る。 「かつて看取った患者さんの中に、死を間近に控えた40代のお母さんがいました。彼女は『まだ小さい子供たちを残し、なぜ死ななければいけないのか』と理不尽さと苦しさを感じていたのです。 しかし彼女と話し合う中で、限られた命を嘆くよりも、亡くなるまでの間に多くのことを子供たちに伝えようとするほうが大事だと伝えました。 その後、実際に彼女は子供たちに自分の大切にしてきたものについて話し、自分がどんな母親だったのかを積極的に伝えようとし始めました。すると、死を嘆いていた彼女の表情が、別人のように明るくなっていったのです」 死までの間に目的意識を持つことが心境の変化をもたらし、彼女に落ち着きを与えたのである。 これは看取る側も同じだ。最期まで耳は聞こえているという説もあるが、患者が昏睡状態になってから感謝の声をかけたとしても、実際はもう聞こえていない可能性が高いという。そうであれば、まだ意識があるうちに伝えられるだけの感謝を伝えたほうがいい』、「抗がん剤の副作用から解放された彼は、自宅で自由気ままな毎日を過ごしました。そうして徐々に弱っていき、1ヵ月半ほどで寝たきりになり、ある夜ついに昏睡状態に陥ります。 こうなっても、当初の約束通り延命治療はしませんでした。彼は点滴も酸素マスクもなく、自然な姿のまま家族に看取られて布団の上で亡くなっていったのです」、本当に「上手な最期」だ。「患者が昏睡状態になってから感謝の声をかけたとしても、実際はもう聞こえていない可能性が高いという。そうであれば、まだ意識があるうちに伝えられるだけの感謝を伝えたほうがいい」、その通りだろう。
・『目をそらさず考える  一方で、本人が在宅での看取りを希望していたにもかかわらず、看取りに失敗してしまった例もある。久坂部氏が語る。 「70代半ばの前立腺がんの患者でした。彼はがんが骨へと転移してしまったため、治療をあきらめて家へと戻りました。奥様にも延命治療をしない方針を話しており、合意のうえです。 しかし、彼が寝たきりになって誤嚥性肺炎を起こし、いよいよ臨終が近くなった時、その様子を見かねた息子さんに『救急車を呼んでください』と頼まれたのです」 実は、この男性は妻とは死期を迎えた時の対応について話し合っていたが、離れて暮らしていた息子には延命治療を行わない方針を打ち明けていなかった。 肺炎が重症化すると、酸素を取り入れる組織である肺胞が機能しなくなるため、いくら一生懸命息を吸ったとしても苦しみは改善しない。 常に首を絞められているような苦痛の中、大量の痰が絡まり、それを無理やり吸引されながら、場合によっては喉を切開されてボロボロになりながら亡くなっていくこともある。 救急車で病院へと運ばれた男性は、2週間の延命治療を経て、病室の中で息を引き取ったが、その最期は安らかとは言いがたいものだった。 こうならないための周囲との意思の疎通について「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)の考えが参考になる。 「ACPは『最期に向けての事前準備』と訳されます。心肺停止になった時に蘇生処置を受けるのか、食事が口から摂れなくなった時に胃ろうをつけるのかなど、元気なうちにどう死にたいか希望を明確にしておくのです」(久坂部氏) これを家族や看取りに参加する人と共有し、合意を得ておけば、認知症などで意思の確認ができなくなったとしても、病院に運ばれる可能性を下げることができる。 「日本人は戦時中の反動で、現在は命を大切にしすぎていると言えます。これが最期まで医療にすがってしまうことの原因となっています。 ある医師は『高齢者の役目は死ぬところを周りの人に見せることだ』と話していました。自分の最期を家族に見せ、上手に死ぬためにはどうすればいいのか、お手本を示すべきだというのです。これは私も同じ意見です。死から目をそらさず、こういった成熟した考えを持つことのできる人が上手に死んでいくのです」(久坂部氏) 自身や身近な人の死を目前にした時の心構えについて久坂部氏が解説した『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)が発売中だ。死のための「予習」について、より詳細に知りたい方は、この新書もぜひ手に取っていただきたい。 死は誰もが一度しか経験できない。しかし、事前に心構えと準備をしておけば「上手な最期」を実現できる。死の間際に後悔しないため、覚えておきたい』、「「ACPは『最期に向けての事前準備』と訳されます。心肺停止になった時に蘇生処置を受けるのか、食事が口から摂れなくなった時に胃ろうをつけるのかなど、元気なうちにどう死にたいか希望を明確にしておくのです」・・・これを家族や看取りに参加する人と共有し、合意を得ておけば、認知症などで意思の確認ができなくなったとしても、病院に運ばれる可能性を下げることができる」、「ACP」はいい仕組みで、「事前に心構えと準備をしておけば「上手な最期」を実現できる」、詳細は以下を参考に
https://square.umin.ac.jp/liv-will/new1008.html
タグ:終活(死への準備) (その3)(70代残間里江子さん語る終活が必要な理由 残間里江子さん「先を楽しむための心の整理」、医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく 穏やかな最期のために、医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法 跡を濁さない「死に方」は選べる) ハルメクWeb「70代残間里江子さん語る終活が必要な理由 残間里江子さん「先を楽しむための心の整理」」 残間里江子 「「小説家志望だった母は、70代後半でシナリオ教室に通うほどの熱量の持ち主」、「全盲になってからも右手を振りかざして宙に文字を書いていました」、「お母様が99歳で亡くなった時には、ダンボール350箱分の原稿や大切にしていた文学全集などがあり、その片付けに半年ほどかかった」、この娘にして、この「母親」ありだ。 「食器を送ったら・・・全部送り返された」、「シンプルな物が好きな息子に、私自身もあまり好きでなかった派手な有田焼とかもここぞとばかりに送りつけたのもよくなかったんだけど」、当然だろう。 「30歳になって」も、恋人ではなく、「猫2匹」とは・・・。 「物事を締めくくって、自分がしたいことを考える。一度「閉じる」ことによって、これからの新しい扉を開くエネルギーが出てくるんです。終活を前向きな行動にするのです」、面白い考え方だ。 「自分の心は自分にしか整理できません。ぜひ人生の最期に自分らしい花を咲かせてください」、その通りだ。 やはり「心の整理」が一番、手強そうだ。 現代ビジネス「医師が見た「死ぬ直前」に起こること…人はこうして死んでゆく 穏やかな最期のために」 「「下手な死」を避け、「上手な最期」を迎える」、理想ではある。 「下顎呼吸は呼吸中枢の機能が低下すると発生し、数分から1時間程度で終わり、死に至ります。これが始まった時点でいくら蘇生を試みても、その人が回復することはありえません」、「本来であれば下顎呼吸が始まった時点で抗うのはやめ、穏やかに見守るべきなのだ」、「だが、家族や身近な人に死を目前にした衰弱や昏睡、まして下顎呼吸が始まれば、周囲は取り乱し、少しでも苦しみを軽減させたいと無理な延命治療を選択してしまう。これが死の苦しみを却って増幅させ、苦痛とともに亡くなっていく「下手な死」へとつながる」、「家族や身近な人」に 「病院に行けば命が助かるというのは、幻想にすぎません。死の間際の点滴は血液を薄め、内臓に負担をかけるだけですし、酸素マスクもただ呼吸の邪魔をするだけです。穏やかな最期を迎えるには、いかに医療から離れるかが重要になる」、「体が弱っていくと、目を閉じて眠る時間が増え、この状態が続くといつ昏睡が起きてもおかしくなくなる。 認知症や老衰の場合、昏睡に陥るまでの時間は、硬いものが食べられなくなり衰弱し始めてから数年ほどかかる」、「数年かかる」というのは私には長い印象だ」、「後編記事」も見てみよう、 現代ビジネス「医師が教える「上手な最期」の迎え方…「死の直前」に後悔しないための方法 跡を濁さない「死に方」は選べる」 「抗がん剤の副作用から解放された彼は、自宅で自由気ままな毎日を過ごしました。そうして徐々に弱っていき、1ヵ月半ほどで寝たきりになり、ある夜ついに昏睡状態に陥ります。 こうなっても、当初の約束通り延命治療はしませんでした。彼は点滴も酸素マスクもなく、自然な姿のまま家族に看取られて布団の上で亡くなっていったのです」、本当に「上手な最期」だ。「患者が昏睡状態になってから感謝の声をかけたとしても、実際はもう聞こえていない可能性が高いという。そうであれば、まだ意識があるうちに伝えられるだけの感謝を伝えたほうがいい」 「「ACPは『最期に向けての事前準備』と訳されます。心肺停止になった時に蘇生処置を受けるのか、食事が口から摂れなくなった時に胃ろうをつけるのかなど、元気なうちにどう死にたいか希望を明確にしておくのです」・・・これを家族や看取りに参加する人と共有し、合意を得ておけば、認知症などで意思の確認ができなくなったとしても、病院に運ばれる可能性を下げることができる」、「ACP」はいい仕組みで、「事前に心構えと準備をしておけば「上手な最期」を実現できる」、詳細は以下を参考に https://square.umin.ac
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終末期(その7)(自分らしい「在宅ひとり死」をやりきった人の最期 「最後の砦」の先に見える いのちの輝き、終末期医療に携わってきた92歳の精神科医が"理想の最期"を迎えるために60歳から準備してきたことろうそくの炎が消えるような最期を迎えるには、日本人は三途の川 アラビア人は砂漠?死の淵で人は何を見るか 臨死体験の研究者に聞く) [人生]

終末期については、昨年6月24日に取上げた。今日は、(その7)(自分らしい「在宅ひとり死」をやりきった人の最期 「最後の砦」の先に見える いのちの輝き、終末期医療に携わってきた92歳の精神科医が"理想の最期"を迎えるために60歳から準備してきたことろうそくの炎が消えるような最期を迎えるには、日本人は三途の川 アラビア人は砂漠?死の淵で人は何を見るか 臨死体験の研究者に聞く)である。

先ずは、本年1月27日付け東洋経済オンラインが掲載したルポライターの荒川 龍氏による「自分らしい「在宅ひとり死」をやりきった人の最期 「最後の砦」の先に見える、いのちの輝き」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/502275
・『人はいつか老いて病んで死ぬ。その当たり前のことを私たちは家庭の日常から切り離し、親の老いによる病気や死を、病院に長い間任せきりにしてきた。結果、死は「冷たくて怖いもの」になり、親が死ぬと受け止め方がわからず、喪失感に長く苦しむ人もいる。 看取り士とは、余命告知を受けた本人の家族から依頼を受け、本人や家族の不安をやわらげ、思い出を共有し、最後は抱きしめて看取ることを支える仕事。時には単身者を支えることもある。 体調が急速に悪化していた藤井明(仮名・83)はひとり暮らしで、肺がんのステージ4。看取り士が藤井の夜間付き添いと看取りを担い、訪問看護師との二人三脚で、「在宅ひとり死」を支えた事例を紹介する』、「看取り士」なる資格の存在を初めて知った。
・『「最期まで自宅で過ごしたい」に寄り添う  訪問看護師の内堀敬子(52)は、在宅医療はその病状によって、医療の隙間をうめる人が必要な場合もあると話す。 「私たちが利用者宅に滞在できる時間には限りがあるからです。藤井さんは、我慢できない痛みのつらさや不安から、夜間に電話をかけてこられることが多かったです。誰かにそばにいてほしい思いがひしひしと伝わってきました」 藤井の希望は最期まで自宅で過ごすこと。内堀は看取りも近いと考えていて、残りの1、2週間を自宅で安心して過ごしてほしかった。2021年8月末の話だ。 そこで藤井には、元看護師である看取り士の白瀧貴美子(56)と、夜間付き添いを加えた派遣契約を新たに結んでもらおう、と内堀は考えた。それなら心理面もふくめて夜間の痛みにも対応できる。 内堀も看護師として働きながら、看取り士資格を取得。開業医の夫と連携して、2021年5月うちぼり訪問看護ステーション「桜乃(さくらの)」を愛知県岡崎市で開業した。そして白瀧が代表を務める看取りステーション「なごやかあいち」と、看取りサービスについて業務委託契約を結んだ。全国で初めての試みだ。 終末期の本人や家族の意向をふまえたうえで、内堀は従来の訪問看護サービス以外に、体調が急変しても救急車を呼ばず、自宅での穏やかな時間の中で看取りを行うサービスを、ワンセットで提供する選択肢を付け加えた。 柴田久美子・日本看取り士会会長は、終末期の人には訪問看護師だけでなく、訪問診療医とも連携する動きがあると話す。 「藤井さんのように痛みが強く、ご不安の大きい単身者には夜間付き添いができる専門家が必要です。その場合、国家資格の介護福祉士や看護師免許を持つ看取り士を派遣します。終末期の方には、生と死の境界線上にあるいのちから目をそむけず、きちんと向き合う覚悟と経験を兼ね備えた人が必要ですから」』、「看護師として働きながら、看取り士資格を取得」、「看取り士」も国家資格のようだ。「終末期の方には、生と死の境界線上にあるいのちから目をそむけず、きちんと向き合う覚悟と経験を兼ね備えた人が必要」、確かにその通りだろう。「従来の訪問看護サービス以外に、体調が急変しても救急車を呼ばず、自宅での穏やかな時間の中で看取りを行うサービスを、ワンセットで提供する選択肢を付け加えた」、「従来の訪問看護サービス」に付け加える形で選択肢が広がったのは、便利だ。
・『「俺は死ぬのか?」の質問に彼女は即答した  2021年9月上旬、内堀は白瀧と2人で藤井宅を訪れた。夜間に体の痛みなどに苦しむ藤井に、白瀧がその時間帯に寄り添ってくれることの安心感などを丁寧に説明した。藤井は悪化する体調と不安からか警戒心が少し解け、白瀧の話を聞こうという素ぶりを見せた。 「ですが、痛みに耐えながらも生き抜こうとされていた藤井さんには、『看取り士』という言葉への違和感と、『心身ともに弱っている自分から、お金を巻き上げるつもりか?』という不信感もおありになるようでした」 元看護師でもある白瀧は率直に語った。 藤井は白瀧の話を聞き、一升瓶に貯まった100円玉硬貨などを数えてもらい、必要な金額があれば契約すると決めた。 午後9時から翌朝7時まで夜間付き添い5日間と、白瀧が藤井宅へ通う交通費。看取りの費用をふくめた必要金額は22万円(料金は内容に応じて違う)。 「お金を数えるだけで約1時間かかりました。5円玉や50円玉は別途ヒモに通して保管されていて、几帳面な方でした。10万円分を数え終えた時点で、藤井さんに『これなら22万円ありますよ』とお伝えすると、両頬に赤く血の気がさしたんです。それまでの青白く沈んだ表情とはまるで別人でした」(白瀧) 白瀧が数え終えると、藤井は笑顔で拍手をして、「やったー!」と声まで上げて喜んだ。両肩で息をし、体を動かすのも大変だったのに、だ。 藤井の3歳下の弟夫婦が車で約5分の所に暮らしていたが、弟は糖尿病で妻は世話に忙殺されていた。義兄の面倒まで見る余裕はないと藤井もわかっていたのだろう。藤井は真顔に戻って、白瀧に「俺は死ぬのか?」と聞いてきた。 「看取り士との契約を結ばれると安心されて、それまでどおりの穏やかな生活を送られる方が多いです」 白瀧が即答すると、藤井は短く「うん」と返した。言葉数が少ない人だった。 一方の内堀も、終末期の人に大丈夫と伝えることの大切さを指摘する。 「今、おうどん1本を食べられた。お水を1口、2口飲むことができた。『だから大丈夫ですよ』と私もお伝えします。それが希望になるからです。その『大丈夫』が1年、2年ではなく、この1日、2日の話だということは、ご本人もよくご存じですから」』、「「今、おうどん1本を食べられた。お水を1口、2口飲むことができた。『だから大丈夫ですよ』と私もお伝えします。それが希望になるからです。その『大丈夫』が1年、2年ではなく、この1日、2日の話だということは、ご本人もよくご存じですから」、「『大丈夫』が・・・この1日、2日の話だということは、ご本人もよくご存じですから」、「看取り士」の世界は通常とは違うようだ。
・『生死の境でこそ1日1日を生き続ける  22万円を数えあげた当日から、白瀧による夜間付き添いが始まった。藤井は日々手書きでメモをつけており、白瀧は本人に頼んで後日見せてもらった。 「朝、喫茶店ではサンドイッチを半分しか食べられなくなった」「ゆで卵一個は食べられた」「弟夫婦と一緒にうどんを食べた。おいしかった」 いずれも自力で外出できていた頃のものだ。食への強い執着と食べられないことの戸惑い。その狭間で揺れながらも、行きつけの店に毎朝通い続けることへの藤井の執念が感じられた。 だが、もう外出する体力はない。ちなみに白瀧の派遣契約を決めた日は、「ひさしぶりに笑った」と書かれてあった。 白瀧が夜間付き添いを始めた頃はすでに介護用オムツをつけていたが、藤井はまだ自力でトイレに行くことにも強いこだわりを見せていた。 「精神安定剤や医療用麻薬の服用も、当日の体調をふまえて自ら毎回調整していらっしゃいました。体調の良し悪しはあっても、頭は最後までしっかりとしていて、ご自分のことをつねに毅然と保とうとされていました」(白瀧) 白瀧がいない午前7時から午後9時までの時間帯は、無償ボランティアの「エンゼルチーム」10人が交代で訪れ、ひとり暮らしの藤井を支えた。白瀧は彼の弟夫妻にもチームに加わってもらい、兄の死を受け止める心の準備を進めた。 夜間付き添い4日目。藤井が母親に秘密でも伝えるように、「(おしっこが)出ちゃった……」と白瀧に打ち明けた。最期が近づくと全身の筋力が失われ、排泄もやがて我慢できなくなる。 少し前まで「自分を失いたくないから眠りたくない」とさえ話していた藤井が、心の鎧(よろい)を脱ぎ、そう伝えてくれたことが白瀧にはうれしかった。 彼女が口角を上げながら「もう頑張らなくてもいいですよ、任せてください」と伝えると、藤井はうんうんと黙ってうなずいた。 「元気な方から見れば、『死に近づく』過程かもしれません。しかし、私には、藤井さんが体の変化を毎回冷静に受けとめ、私に少しずつ委ねていかれるように感じました。その一つひとつを藤井さんの意思で毎回選びとり、あくまでも前向きに生き続けようとされているって……」(白瀧)) トイレに自力で行くことが、終末期の尊厳の「最後の砦」という見方がある。だが、白瀧は「最後の砦」の先に、藤井のいのちの輝きを見ていた。 火花が出なくなった線香花火は、燃え尽きる寸前にその火の玉を少しふくらませてぷるぷると震える。その震えこそが藤井その人である、と。 「ですから朝の日差しが部屋に入ってくると、『一晩をまた一緒に越えられた』と、日々感謝しました。数日後、朝日を浴びる藤井さんの姿がふいに神々しく見えて、『あっ、ご自身の死を受け入れていらっしゃる』と直感したら涙がこぼれました」(白瀧) それが旅立ちの日になる』、「「(おしっこが)出ちゃった……」と白瀧に打ち明けた。最期が近づくと全身の筋力が失われ、排泄もやがて我慢できなくなる。 少し前まで「自分を失いたくないから眠りたくない」とさえ話していた藤井が、心の鎧(よろい)を脱ぎ、そう伝えてくれたことが白瀧にはうれしかった」、「午前7時から午後9時までの時間帯は、無償ボランティアの「エンゼルチーム」10人が交代で訪れ、ひとり暮らしの藤井を支えた」、「無償ボランティア」が活用できたとはラッキーだ。
・『5回の大きな深呼吸で彼が伝えたかったこと  藤井が努力呼吸(普段は使わない部位を使って呼吸すること)に変わったと、白瀧は内堀から連絡を受けた。藤井がお漏らしを白瀧に伝えた2日後、9月14日の夕方だった。 「13日の夜、藤井さんは言葉を発するのも難しくなりました。夜の11時頃に顔を見せた内堀さんに、藤井さんは辛うじて『キュッキュッ』と言われました。内堀さんは、子供がお風呂に浮かべて、手で押して鳴らすオモチャのことだと直感され、看護師仲間のお宅からすぐに借りてきてくれました」 内堀がオモチャを藤井に手渡して「おやすみなさい」と声をかけると、彼はそれを「キュッキュッキュッキュッ」と4回鳴らした。すると白瀧が内堀に、「『お・や・す・み』だって!」と言って笑った。 その夜の藤井は右手で白瀧の手を、左手で鳴るオモチャをまるでナースコールのブザーのように握り、自分で選んだ内服薬を飲み、穏やかな表情で眠った。 だが、翌14日にはオモチャを鳴らす握力もなかった。 白瀧が同日17時過ぎに藤井宅に駆けつけると、すでに弟夫妻などが集まっていた。藤井の妹がベッドに上がり、白瀧にうながされて左内ももに藤井の頭をのせて顔を近づけ、か細い呼吸に自身の呼吸を合わせ始めた。看取りの作法だ。 約1時間後、藤井が両肩を大きく上下させ、5回の深呼吸をして息絶えた。内堀が「『あ・り・が・と・う』だね」と言った瞬間、白瀧もそう直感した。 「藤井さんが夜に電話してきて、『体が痛い』などと訴えられて電話を切る際に必ず、『ありがとう』と言われていたんです。几帳面で律儀な方でした」(内堀) 内堀と白瀧のやりとりを聞いた弟夫妻も、「いいお看取りを見せていただきました」と目を潤ませた。 弟夫妻はベット脇に順番に腰をかけ、藤井の頭を太ももに上にのせ、顔を近づけて、背中に手を回して彼の温もりに触れた。兄に触れるのを当初拒んでいた弟も、その頭を太ももにのせると嗚咽しそうになるのを必死にこらえていた。 義理の妹が「お義兄さんは食べることが好きだったから、これからは私たちと一緒になんでも食べに行けるよね」と、その場を明るく灯すように言った。抱きしめて看取ったことで、藤井がそばにいると実感したからだろうか』、「左内ももに藤井の頭をのせて顔を近づけ、か細い呼吸に自身の呼吸を合わせ始めた。看取りの作法だ」、こんな「看取りの作法」があるとは初めて知った。確かに死んでゆく人にとっては、心地良さそうだ。

次に、4月24日付けPRESIDENT Onlineが掲載した精神科医の中村 恒子氏と、精神科医・産業医の奥田 弘美氏の対談「終末期医療に携わってきた92歳の精神科医が"理想の最期"を迎えるために60歳から準備してきたことろうそくの炎が消えるような最期を迎えるには」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/56685
・『理想の最期とはどのようなものだろうか。92歳の精神科医・中村恒子さんは「私はできるだけ楽に死にたい。そのために60歳のころから準備してきたことがある」という。54歳の精神科医・奥田弘美さんとの対談をお届けしよう――。 ※本稿は、中村恒子・奥田弘美『うまいこと老いる生き方』(すばる舎)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『できるだけ楽に死にたい  【奥田】先生はずいぶん前から、いつお迎えが来ても良いように準備されてきたようですが、そこについてお話ししていきたいです。 【中村】そうやね。まず私は、できるだけ楽に死にたいなって思っていたから、60歳ぐらいから、家族には「延命治療は絶対にいらない」と伝えていたね。もし私に万が一のことがあったとしても、人工呼吸器も心臓マッサージも不要やで、ってね。 【奥田】わかります。医者や看護師で、高齢者になってから延命治療を受けたいと言う人には今まで出会ったことがありません。もちろん私自身も必要ないと思っています。基本的に医療者が望まないような治療は、患者さんにもしない方がいいと思うのですが、日本の医療では今も多くの病院で、高齢者への延命治療が行われています。 【中村】やっぱりそれが実態なんやね。 【奥田】例えば80歳をゆうに越えて平均寿命を上回っているご高齢者に対しても、家族が望めば、呼吸状態の悪化が起こると人工呼吸器に繫ぎ、ICU(集中治療室)で治療が行われることがあります。 昨今のコロナ禍においては、新型コロナウイルス感染症の治療で人工呼吸器やエクモ(体外式膜型人工肺)が使用され、そのニュースがたくさん流れたことから、これらを使うと肺炎が治って元通り元気になる、と誤った印象を持った人が増え、今まで以上に高齢者に人工呼吸器を使う、高度延命治療を望む家族が増えたとも聞きます。 【中村】一口に人工呼吸器と言っても、一般の人は「呼吸を助けてくれる機械」くらいの認識やろうしね』、「新型コロナウイルス感染症の治療で人工呼吸器やエクモ・・・が使用され、そのニュースがたくさん流れたことから、これらを使うと肺炎が治って元通り元気になる、と誤った印象を持った人が増え、今まで以上に高齢者に人工呼吸器を使う、高度延命治療を望む家族が増えたとも聞きます」、そんな誤解で「高齢者に人工呼吸器を使う、高度延命治療を望む家族が増えた」、とは困ったことだ。
・『人工呼吸器は意識があると非常に苦しい  【奥田】高齢者はいずれ向き合わなければならない問題ですので、この際詳しく説明しておきましょう。 人工呼吸器に乗せることになると、チューブを口から喉の奥へと突っ込んで強制的に機械に繫いで呼吸させますので、意識があると非常に苦しい。そこで麻酔薬を使って眠らせます。 その後、何日か経っても呼吸状態が良くならなかったら、いつまでも喉にチューブを入れておけないので、今度は喉を切開して(気管切開)、カニューレ(気道を確保するチューブ)を喉に直接差し込みます。 【中村】そこまでしたところで、元通りになるとは限らないわけやしな。 【奥田】ええ。高齢になればなるほど、当然体は老化していますから、人工呼吸器に乗せるような濃厚な延命治療を行うと、呼吸機能が正常に戻り切らない場合が多いです。また何週間もベッドに寝かせきりで治療を行うと、筋力も低下するし、意識もしっかり戻り切らない場合も少なくありません。 結果、命は取り留めたとしても、満足に会話もできず、食事もとれない、「寝たきり」の状態となり、体に何本も点滴や管を繫がれて、スパゲティ状態(体に何本もチューブや管が差し込まれている状態)になってしまう高齢者が非常に多いわけです。そういった事実を多くの人が知らないのです』、「何週間もベッドに寝かせきりで治療を行うと、筋力も低下するし、意識もしっかり戻り切らない場合も少なくありません。 結果、命は取り留めたとしても、満足に会話もできず、食事もとれない、「寝たきり」の状態となり、体に何本も点滴や管を繫がれて、スパゲティ状態・・・になってしまう高齢者が非常に多い」、「高齢者」が「人工呼吸器」を使うことのリスクを医師は、もっと患者や家族によく説明すべきだ。
・『平均寿命を超えた老人が延命治療を受けるとろくなことがない  【中村】そうそう。私も何人もそんな人を見てきたよ。平均寿命を越えたような老人が延命治療を受けると、本当にろくなことがない。たとえ命が助かったとしても急激に運動能力が落ちるから、ほとんどの人が寝たきりになる。良くても車椅子にようやく乗れるかどうかや。 それに認知症も一気に進んでしまうことが非常に多いしね。オムツを着けられて排泄も自分でできなくなる。そんな状態になったら全身の機能が衰弱して食事も満足に飲み込めなくなって誤嚥しやすくなり、口からの食事は禁止になって、中心静脈栄養で高カロリーの輸液を24時間流されるか、鼻からチューブ(胃管)を突っ込まれて流動食を流されるかのどちらかになるんや。 【奥田】中心静脈栄養については、もう少し説明を補足しましょう。一般の人がイメージする腕への点滴は、細い末梢の静脈に行う点滴ですよね。細い静脈は高濃度の輸液を入れるとすぐに炎症を起こしてつぶれてしまうため、ごくわずかなカロリーの輸液しか流すことができません。 食事代わりになるような高カロリーの輸液を入れるには、鎖骨の下や鼠径部(太ももの付け根)にある太い静脈に針をさしてカテーテルを留置する必要があります。これが中心静脈栄養と呼ばれる方法です。しかしカテーテルを体内に留置しておくと、どうしても感染が起こってくるため、1カ月に一度は入れ替えのために、痛みを伴う処置をしなければなりません。 かといって鼻からチューブ(胃管)を突っ込んで流動食を流すという方法も、強い不快感を伴います。そのため、しばらくすると「皮膚から胃に穴を開けて胃瘻を作りましょうか」となる人が非常に多いのですね。肌の上から胃に小手術をして穴を開け、栄養チューブを直接入れ込んで胃瘻を作り、そこから流動食を流すようになってしまうご高齢者がたくさんいらっしゃいます』、「平均寿命を越えたような老人が延命治療を受けると、本当にろくなことがない」、悪循環で一気に症状が悪化するようだ。
・『ご飯が食べられなくなったときが死に時  【中村】あの胃瘻だけは、絶対にご免やな……。私にとって、そんな状態で生きるのは拷問のようなもんや。私は自分でご飯が食べられなくなったときが、死に時やって思って生きているよ。 【奥田】私もそうです。日本では、高齢者が肺炎にならなくても、認知症や心不全など様々な要因で食事が口からとれなくなったあと、当たり前のように人工栄養が行われます。 私自身も、これまで療養型病院で悲しい例をたくさん見てきました。静脈栄養や胃瘻などの人工的な延命治療を受けることで、人間本来の「尊厳死(延命治療を施さずに自然な最期を迎えること)」を迎えられずに、ベッドでチューブだらけになりながら、オムツを着けられ寝たきりになる。 認知症のご高齢者などは、不快なチューブを自分で抜こうとするから、布のベルトでベッドに手と胴体を拘束されてしまうことも珍しくありません。 【中村】老人が寝たきりになると、大抵は床ずれができて、筋肉がやせ細って関節もカチコチになってしまう。身動きも自由にとれなくなった体でベッドにただただ寝かされて、栄養を流され生き永らえている……。そんなになってまで、生き続けたい人っているのかなと思うわ』、「静脈栄養や胃瘻などの人工的な延命治療を受けることで、人間本来の「尊厳死・・・」を迎えられずに、ベッドでチューブだらけになりながら、オムツを着けられ寝たきりになる。 認知症のご高齢者などは、不快なチューブを自分で抜こうとするから、布のベルトでベッドに手と胴体を拘束されてしまうことも珍しくありません」、悲惨で、ここまでして無理に長生きさせられたくない。
・『余計なことをすると、終末期の苦しみを助長する  【中村】日本の終末期医療はこんな調子だと伝わったとして、先生なら海外の事情にも詳しいんと違う? 【奥田】オーストラリアやオランダ、スウェーデンなどでは、認知症や寝たきりのご高齢者に人工栄養(経鼻や胃瘻などの経管栄養、中心静脈栄養)は全く行われないそうです。 中村恒子・奥田弘美『うまいこと老いる生き方』(すばる舎)中村恒子・奥田弘美『うまいこと老いる生き方』(すばる舎) またオーストリア、スペイン、アメリカなどでも、かなり少ないそうです。これらの先進国では、人工栄養で延命され寝たきりになっている高齢者は日本に比べて圧倒的に少数だといいます。詳しく知りたい方は、ぜひ宮本顕二先生・宮本礼子先生の『欧米に寝たきり老人はいない』(中央公論新社)をお読みになると良いと思います。 この著作を読んでびっくりしたことがあります。欧米や北欧にも、20年ぐらい前までは、日本と同じように老衰状態の高齢者に人工栄養を行っていた歴史があるんですね。てっきり宗教上の理由から行われていないものだと思っていました。 これらの先進国では、その歴史を経たうえで、「余計なことをすればするほど、終末期の苦しみを助長する」と結論づけられ、高齢者の自然死が推奨されるに至ったわけです』、「欧米や北欧にも、20年ぐらい前までは、日本と同じように老衰状態の高齢者に人工栄養を行っていた歴史があるんですね・・・その歴史を経たうえで、「余計なことをすればするほど、終末期の苦しみを助長する」と結論づけられ、高齢者の自然死が推奨されるに至った」、日本も是非見習うべきだ。
・『ろうそくの炎が消えるような最期を迎えるには  【中村】なるほどな。私も長年医者をしていた経験から、年老いた人間の最期は、自然に任せておくのが一番楽やと確信してる。 無理に点滴や胃管から栄養を流し込んでも、体が求めていないことをすれば、むくみや床ずれの原因になるだけや。人間はね、ご飯が食べられなくなって衰弱してきたら、自然に頭の働きも弱って、意識もボーッとしてくるから、苦痛も軽くなってくるようにできてる。昔はそうやって家で老人を看取ったもんや。 【奥田】私が若い頃に働いていた、尊厳死医療に徹していたホスピスでもそうでした。食べられなくなった末期の癌患者さんには、点滴で人工的に水分や栄養を入れ過ぎると逆に苦しみが増すので、点滴は痛み止めなど最小限にして自然に任せていました。 人工的に水分や栄養を入れずに、ご本人の体の衰弱具合に任せていると、ろうそくの炎がすうっと消えるように、自然に亡くなっていかれました。 【中村】そうやろ。癌でも老衰でも、できるだけ自然に任せた方がええと思うわ。今の医療の技術で、痛みと苦しみだけとってもらえば、あとは放っておいてもらった方が人間らしく、楽に死ねると思うわ。あ、そうそう、死ぬ間際の心臓マッサージなんかも絶対に止めてやって、子どもに頼んでる』、「人間はね、ご飯が食べられなくなって衰弱してきたら、自然に頭の働きも弱って、意識もボーッとしてくるから、苦痛も軽くなってくるようにできてる」、「尊厳死医療に徹していたホスピスでもそうでした。食べられなくなった末期の癌患者さんには、点滴で人工的に水分や栄養を入れ過ぎると逆に苦しみが増すので、点滴は痛み止めなど最小限にして自然に任せていました」、なるほど。
・『家族に意思表示をしておくことが大切  【奥田】先ほど紹介したスウェーデンでは、80歳以上で重症になった高齢者は、回復の見込みがないと判断された場合は、ICUにも入れないそうです。痛みや苦しみをとるだけの尊厳死医療に徹しているわけですが、日本はまだまだ議論が遅れていますね。 コロナ禍の日本では、人工呼吸器が足りなくなったら高齢者より若者を優先することを「医療崩壊」「命の選別」などといって、マスコミが騒いでいましたが、高齢者に後先を考えず人工呼吸器をつけて延命治療すると、逆に余計な苦しみを与えることになる現実を、全くわかっていません。 【中村】医療現場の現実を多くの人が知らんのやろうね。私自身は、自分が80歳過ぎて重症の肺炎になったら、それがコロナであろうとインフルエンザであろうと肺炎球菌が原因であろうと、そこが寿命、天寿やと思って受け入れるつもりできたけどな。 実は、私ら終末期医療に関わった臨床医の多くは、何十年も前から、高齢者が肺炎や心不全などの重体になったときには、家族に延命治療の苦しみをしっかりと説明して、できるだけ人工呼吸器を使うのは避けてきたのにな。 【奥田】そうなんですよ。多くのご家族は、延命治療のメリット、デメリットを丁寧に説明して差し上げると「楽に人間らしく、最期を迎えさせてやって欲しい」と言われますよね。 日本でも高齢者に延命治療を行わずに、自然に看取りを行っている高齢者施設や病院も少しずつ増えているそうですが、まだまだ一般的ではありません。しかもご家族が延命治療を望んだ場合は、90歳近いお年寄りに人工呼吸器を付けざるを得ず、といったことも起こります……。 【中村】家族が延命治療を望んだら、医者も断れないからなぁ。だからこそ、私のように60歳ぐらいからは、家族にしっかりと自分の意思を伝えておいた方がいい』、私も家屋にはしっかり伝えてある。
・『日本の医療は延命至上主義  【奥田】はい、その通りです。肺炎の際の人工呼吸器だけでなく、認知症や心不全などで老衰になった場合にも、人工栄養は一切いらないと考えている人は、意識がしっかりしているうちに、ご本人が家族にしっかりと伝えておくべきですね。 今の日本の医療現場や医療制度では、家族が望むと中心静脈栄養や経鼻チューブ・胃瘻からの流動食で人工栄養を入れざるを得ません。現場の医師たちの間では、「食べられなくなった高齢患者に、点滴も人工栄養もしないで放っておくのは、餓死させることと同じだ」という考えも根強いですし。 日本の医療は良くも悪くも延命至上主義なのです。また、尊厳死や安楽死の議論が遅れている日本においては、本人や家族の明確な意思がない場合、可能な限り延命治療をしておかないと、万が一、医療訴訟になったときに、医師の側が負ける恐れもあります。 だから本人の意識がクリアでなかったり、認知症であったりする場合は、必ず家族に人工栄養をどうするかを含め、延命治療の実施の判断を委ねられるわけです。 【中村】そう、だからこそ私ははっきりと家族に伝えてるよ。もし口を出してきそうな親族がいたら、そこへも伝えておいた方がいいと思うね』、「尊厳死や安楽死の議論が遅れている日本においては、本人や家族の明確な意思がない場合、可能な限り延命治療をしておかないと、万が一、医療訴訟になったときに、医師の側が負ける恐れもあります。 だから本人の意識がクリアでなかったり、認知症であったりする場合は、必ず家族に人工栄養をどうするかを含め、延命治療の実施の判断を委ねられるわけです」、「尊厳死や安楽死の議論」を進めて、「医療訴訟」のリスクから医師を解放すべきだ。
・『「リビングウィル」を準備しておく  【奥田】私はまだ50代ですが、交通事故などの外傷で脳死に近い状態になることもあると考え「回復の見込みがなかったり、大きな障害が残ることがわかったりしている場合は、絶対に延命治療はしないで!」と強く伝えています。 私の夫は医療者なので私の意志を尊重してくれる信頼がありますけど、念のために文章にして残そうと考えています。読者の方も、もし延命治療を受けたくないと決めたのであれば、家族や親族に伝えるとともに、事前に文章に残しておくことをお勧めします。 【中村】「リビングウィル」ってやつやね。 【奥田】はい、終末期を迎えたときの医療の選択について、事前に意思表示しておく文書ですね。「日本尊厳死協会」のリビングウィルが最も有名ですが、その他にも「尊厳死宣言公正証書」というサービスもあるそうです。これらは有料ですが、自分で自由に書いたものでも良いと思います。 リビングウィルは、書いたら必ず家族に内容と置き場所を知らせておき、いざというときに医師に提示しておけるようにしておく必要があります。引き出しの奥にしまっておくだけでは、効力は発揮しませんから』、私も口頭で伝えるだけでなく、「リビングウィル」を「日本尊厳死協会」のを参考に作ることにしよう。
・『いつ倒れても自然にあの世に逝ける  【中村】私は文書には残してないけど、息子たちにはしっかり伝えて同意をもらっているから安心してる。とにかく、まずは自分の死に際をどうしたいか自分でよく考えてみることが大切やね。 それで延命治療を望まないと決心したんやったら、元気なうちから家族・親族にしっかり伝えて同意を得ておくことに限るわな。私はずっと前から、しつこく、しつこく家族に伝え続けているから、いつ倒れても、自然にあの世に逝けるって安心してるけどね』、「いつ倒れても、自然にあの世に逝けるって安心」するためにも、「リビングウィル」を作りたい。

第三に、5月1日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したライターの藤山亜弓氏による「日本人は三途の川、アラビア人は砂漠?死の淵で人は何を見るか、臨死体験の研究者に聞く」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/301612
・『「死後、人の意識はどうなるのか」。誰しも一度は考えたことがある問いだろう。死後の世界について、確実なことを立証できる人はこの世にいない。だが、死の淵から生還した人の中には、「死後の世界を見た」という人がいる。京都大学学際融合教育研究推進センター教授のカール・ベッカー氏は、何十年にもわたり、こうした臨死体験者の証言を集めてきた。体験者が語る人知を超えた現象は、私たちに人間という存在、あるいは生きる意味についてを問いかける』、興味深そうだ。
・『人は死の淵で何を見るのか? 死ぬ直前に「一生の傾向」が表れる  当時15歳だったN君は、学校の帰りに自動車にはねられて重傷を負い、救急車で病院に搬送された。 その途中、N君は人生の走馬灯を見たという。これは、臨死体験者の約4人に1人が見る「ライフリビュー」と呼ばれるものだ。N君は自分が誕生する場面から救急車で搬送されて病院に到着するまでの様子をスライドショー形式で見たそうだ。 死の間際に人生を振り返ることはN君に限らず、インドやアメリカなどでも証言されている。そのときに見るのは、親や友達に親切にしたことや他者を傷つけたことといった、自分の倫理観を問われる出来事だという。死の淵に立つ人間は、自分の行いを第三者の視点で見るのだ。 このN君の証言を記録したのは、京都大学学際融合教育研究推進センター教授のカール・ベッカー氏だ。 「仏教では閻魔(えんま)大王など、人を裁く天がいますし、ヒンズー教ではヤマ神、キリスト教では最後の審判があって、生前の罪を裁くと信じられています。しかし臨死体験者の証言によると、神や仏がその人の過去の行いを裁くのではなく、自分で裁くということが分かります。それは、『懲役何年』などという単純なことではありません。死の淵で人間は、自分がどういう思いで他者に接してきたのか、また自分が行った行為を他者はどういう思いで受け取ったのかを見せられるのです」 そもそも、人は他者と関係し合って生きている以上、他者に迷惑をかけずに生きることは限りなく不可能に近い。程度の差こそあれ、誰しも一度は他者を傷つけた経験があるはずだ。ではそうした行いに対して、死後に何かしらの報いを受けるのだろうか。これについてベッカー氏は、仏教を開いた釈尊を例に挙げ、以下のように説明した。 「釈尊が自分の弟子に『一生の間、善いことをした人が良い生まれ変わりになるのか。ずっと悪いことした人が悪いところに生まれ変わるのか』と聞かれたことがあります。これに対して釈尊は、その傾向は強いが必ずしもそうとは限らないと答えました。なぜなら、『臨終の念』が次の生まれ変わりを決定するからということなのです。 釈尊は人の意識や思いには連続性はあるけれど、常に変化していると教えています。例えば、牛乳をかき混ぜると途中からバターになる。でも、いつから牛乳ではなくなり、バターになったのかという境目は明確には言えません。 人間も同じです。一見、私はベッカーに見えますよね。でも、この体は子どものころから常に変化を続けているし、数十年後に灰になっている。10代に書いた自分の日記を読むと、自分が書いたとは到底思えない内容が書かれています。それくらい、人間は変化するのです」 一方、死の目前に善い行いをしたからといって、それまでの罪が帳消しになるかといえばそうではない。 「死ぬ直前には、一生の傾向が圧倒的に強く表れる。一方、自己中心的で周囲に迷惑をかけてばかりの人が突然死ぬ直前に利他的になることは確率論として極めてまれではないでしょうか」 何か過ちを犯した場合、その行為自体は正当化できない。しかし、人間は常に変わり続けていて、死ぬ寸前はいわば人生の集大成。死の間際に自己の人生を振り返った際に後悔のないよう、日々の自分の行いや現在の自分を省みることが大事だということなのかもしれない』、「臨死体験者の証言によると、神や仏がその人の過去の行いを裁くのではなく、自分で裁く・・・死の淵で人間は、自分がどういう思いで他者に接してきたのか、また自分が行った行為を他者はどういう思いで受け取ったのかを見せられるのです」、「自分で裁く」とは意外だ。
・『世界各国で報告される臨死体験 三途の川や絶壁…見える光景には文化の影響も  前述したN君のように、一時的にあの世へ行き蘇生した人の中には、あの世とこの世の境目を見た人がいる。研究者はこの現象のことを臨死体験と呼ぶ。日本だけでなく世界各国で無数の事例が報告されており、1979年にはアメリカの若手医師たちによって臨死体験の国際研究会が設立されるほど、科学的側面から研究されている分野だ。 臨死体験のデータを集めると、ある共通するイメージが見えてくる。 N君は、意識を失っている間に「暗いトンネル」を3回通った先に長い川が現れ、舟で川を渡った。日本人なら誰もが聞いたことのある三途の川である。川の向こう岸には見たことのないほど美しい花が一面に咲く花園が広がっていて、N君は誘われるようにしてその地に降り立とうとした。そのとき、老人がやってきて、「お前は○○か」とN君のお父さんの名前を呼んだ。N君が自分のひ孫だと知った老人は「ここに来るには、まだ早すぎる。自分の役割を果たしてから来なさい」と強い口調で元の場所に帰るよう命じたのだ。 N君は、臨死体験で見た老人が自分の曽祖父だということを知らなかったが、老人の顔の輪郭や方言を覚えていた。後から母親に写真を見せてもらい、あの世で自分の曽祖父に出会ったということが明らかになったのだ。 ベッカー氏は以下のように解説する。 「文化や宗教を越えて、あの世のイメージに多いのは闇が広がる『トンネル』の後に出てくる『花園』や『庭園』『広い草原』などで、日本人は三途の川を見ることが一般的です。一方、ポリネシア諸島に住んでいる人は荒れた海を見たと証言しています。砂漠地帯のアラビア人は燃える砂漠を、スコットランド人は絶壁を見ていて、それが“あの世”と“この世”の境目になっているようです。 では、『あの世には三途の川と絶壁などのものがあるのか』といえば、そのイメージが意識されることは報告されても、その実在の証明はできない。大事なのは、こういったイメージが全て『これ以上行ってはいけない』あるいは『渡ってはいけない』という同じ意味を持っていることです」 このように臨死体験には、体験者の文化的背景が強く影響する。死の間際に先祖や神仏などが現れると証言する人も多く、見えるビジョンは国によってある程度の傾向があるという。 「時代によっていろんなイメージが出てきますが、どの姿であっても慈悲と愛情を意味するものには違いはありません。精神医学的に言えば、本人が理解しやすいイメージを本人が投影しているのだという理解もできます」(ベッカー氏)』、「N君は、臨死体験で見た老人が自分の曽祖父だということを知らなかったが、老人の顔の輪郭や方言を覚えていた。後から母親に写真を見せてもらい、あの世で自分の曽祖父に出会ったということが明らかになった」、よくできた話だ。「イメージが全て『これ以上行ってはいけない』あるいは『渡ってはいけない』という同じ意味を持っていることです」、なるほど。
・『臨死体験は幻覚なのか? 常識では説明できない現象も  臨死体験者の中には意識不明の間に体外離脱して、その間に何が起こったのか正確に覚えている人がいる。 心筋梗塞で病院に運ばれたAさんは、そのとき受けた手術の一部始終を肉体から抜け出して天井の辺りから見ていたという。その後、自分で見た光景が事実と合っているか確認するため、手術を担当した医師に自分の体験を話した。 Aさんは担当医の身振りのくせや、患部を拡大するために手術用のメガネを着用していたこと、自分の心臓が赤ではなく白っぽい紫色だったということも正確に話したのだった。医学の知識がないAさんが手術中の自分の心臓が何色かなど知るすべはない。このように臨死体験は科学的な常識だけでは説明しきれない側面があるのだろう。 また臨死体験中、自分と同じように生死をさまよう人に出会うケースもある。くも膜下出血で倒れたTさんは動脈瘤破裂で集中治療を受けた5日間、死の淵をさまよった。Tさんは臨死体験の中で空を飛んで、光のある場所へと向かったそうだ。そこで自分と同じように空を飛んでいた若い男性と髪の薄い中年の男性と出会った。しばらくすると若い男性は飛行力を失い、地面に落下。その様子を見たTさんは地上に降り立ち、若い男性と一緒に元の場所へと引き返すことにした。一方、中年の男性は、地平線の方へと姿を消したという。 病院のベッドの上で目を覚ましたTさんは、同室にいる病人に目を向けた。そこには、臨死体験で会った2人の男性が横たわっていて、地平線に姿を消した中年の男性は息を引き取り、若い男性はTさんと同様に生還した。もともと3人は面識がなく、臨死体験の中で初めて出会ったのだという。 このように臨死体験は簡単に説明できない現象も多いことから、脳が作り出した幻覚にすぎないと主張する人もいる。これに対してベッカー氏は次のように語る。 「アメリカでは臨死体験した4000人のカルテから病歴や教育など300個ほどの項目を調査して、仮説検証を行っています。例えば、『臨死体験は脳の酸素不足により、幻覚を起こしている』という仮説がありますが、4000人の調査データによると、酸素不足と臨死体験をする傾向との関連は認められない結果が判明されました。 あるいは、臨死体験は自身の宗教観を再現しているのではないかという仮説も考えられます。これについては、小学校までに天国、地獄、浄土などの宗教教育を受けたことがあるかを調査した結果、それはほとんど関係ないということが明らかになりました」』、「心筋梗塞で病院に運ばれたAさん」のケース、「くも膜下出血で倒れたTさん」のケースも常識では説明不可能だ。
・『臨死体験で価値観が覆されることも あの世の実在性より重要な「問い」  最後にベッカー氏は教え子の臨死体験について語った。 「当時大学生だった彼は、周囲の人間とうまくいかず、部屋には汚れた食器が散乱していた。もう何もかも嫌になって、部屋の窓を閉じてガスを漏らして自殺を試みたのです。その数時間後に警察に発見され、幸いにも脳のダメージはあまりなく、一命を取り留めました。 彼の話によると意識不明の間、体から浮き上がって真っ暗な闇にぶら下がっていたといいます。そこは何もなく『おーい』と叫んでも反応はない。彼が意識不明だったのは2~3時間だったようですが、彼にとってはあまりにも孤独で永遠のように感じ、そこにいるのが耐えられないと思ったそうです。 彼は自殺未遂前、自分が孤独だと感じていたそうですが、思い返すとクラスメートも、家族もそばにいたと気づいたのです。無事に生還した彼をパーティーに呼ぶと、率先して食器洗いをするのが印象的でした。手をお湯に突っ込んでかんきつの香りがする洗剤で洗うと、皿がピカピカになる。『人がいる!色がある!音がある!匂いがする!』と感じ、体や感覚があって、人に役立てるということだけで良いのだと思ったそうです。 臨死体験によって彼の就職希望や、結婚相手が変わるのかは分かりません。彼が経験した地獄的な世界は、鬼が火のやりで彼の体を刺すといったものではなかったのですが、真っ暗な孤独はもう体験したくないと言っていました」(ベッカー氏) 臨死体験後、より優しくなるという話は数多く報告されている。一方で、自分を理解してくれない家族や周囲がいるために苦しむ人もいるという。 「臨死体験した人は、これまで信じてきた価値観が大きく覆されることもありますので、必ずしもいい報告ばかりではありません。例えば、経済中心の世間体に従う仕事を辞めて、その結果、家族と折り合いがつかず離婚してしまうという人もいますね」(ベッカー氏) このように多くの臨死体験者の証言を集めることで、あの世の証明ができるのではないかという科学者もいる。一方、ベッカー氏は「あの世」の実在性よりも、人生を振り返ったときに「自分は何のために生きていたのか」という実存的な問いが重要だと話す。 地位や名誉、偏差値、財産などを追い求める人生は、死亡してから意味を成し得るのか。それよりも、人間関係や家族をはじめとする人との縁の方が、ずっと大事ではないかと臨死体験の研究を続けるうちに痛感したそうだ。 「人生の目標が自己成長、他者への配慮・貢献というと抽象的で分かりにくいでしょうが、自分の貢献できることや身に付けるものを探るのが人生だと思います。全員に共通する人生の目的はないけれど、だからといって人生の意味自体がないとは限りません。 学生の進路指導でも同じような議論をしています。『自分の目指すべき道は何か』と聞かれたら、『あなたの与えられた才能、環境、教養、人脈でできること、できないことがある。自分が与えられた環境で何ができるのか、自問自答して、可能な限りベストを探ることが大事』だと伝えています」 誰もが避けては通れない死を意識し、限界を受け入れることによって、自分自身の生きる意義や目的を探ることができるのかもしれない』、「地位や名誉、偏差値、財産などを追い求める人生は、死亡してから意味を成し得るのか。それよりも、人間関係や家族をはじめとする人との縁の方が、ずっと大事ではないかと臨死体験の研究を続けるうちに痛感したそうだ」、「誰もが避けては通れない死を意識し、限界を受け入れることによって、自分自身の生きる意義や目的を探ることができるのかもしれない」、さすがに深い考察だ。大いに参考になった。
タグ:荒川 龍氏による「自分らしい「在宅ひとり死」をやりきった人の最期 「最後の砦」の先に見える、いのちの輝き」 東洋経済オンライン 終末期 (その7)(自分らしい「在宅ひとり死」をやりきった人の最期 「最後の砦」の先に見える いのちの輝き、終末期医療に携わってきた92歳の精神科医が"理想の最期"を迎えるために60歳から準備してきたことろうそくの炎が消えるような最期を迎えるには、日本人は三途の川 アラビア人は砂漠?死の淵で人は何を見るか 臨死体験の研究者に聞く) 「看取り士」なる資格の存在を初めて知った。 「看護師として働きながら、看取り士資格を取得」、「看取り士」も国家資格のようだ。「終末期の方には、生と死の境界線上にあるいのちから目をそむけず、きちんと向き合う覚悟と経験を兼ね備えた人が必要」、確かにその通りだろう。「従来の訪問看護サービス以外に、体調が急変しても救急車を呼ばず、自宅での穏やかな時間の中で看取りを行うサービスを、ワンセットで提供する選択肢を付け加えた」、「従来の訪問看護サービス」に付け加える形で選択肢が広がったのは、便利だ。 「「今、おうどん1本を食べられた。お水を1口、2口飲むことができた。『だから大丈夫ですよ』と私もお伝えします。それが希望になるからです。その『大丈夫』が1年、2年ではなく、この1日、2日の話だということは、ご本人もよくご存じですから」、「『大丈夫』が・・・この1日、2日の話だということは、ご本人もよくご存じですから」、「看取り士」の世界は通常とは違うようだ。 「「(おしっこが)出ちゃった……」と白瀧に打ち明けた。最期が近づくと全身の筋力が失われ、排泄もやがて我慢できなくなる。 少し前まで「自分を失いたくないから眠りたくない」とさえ話していた藤井が、心の鎧(よろい)を脱ぎ、そう伝えてくれたことが白瀧にはうれしかった」、「午前7時から午後9時までの時間帯は、無償ボランティアの「エンゼルチーム」10人が交代で訪れ、ひとり暮らしの藤井を支えた」、「無償ボランティア」が活用できたとはラッキーだ。 「左内ももに藤井の頭をのせて顔を近づけ、か細い呼吸に自身の呼吸を合わせ始めた。看取りの作法だ」、こんな「看取りの作法」があるとは初めて知った。確かに死んでゆく人にとっては、心地良さそうだ。 PRESIDENT ONLINE 中村 恒子 精神科医の中村 恒子氏と、精神科医・産業医の奥田 弘美氏の対談「終末期医療に携わってきた92歳の精神科医が"理想の最期"を迎えるために60歳から準備してきたことろうそくの炎が消えるような最期を迎えるには」 「新型コロナウイルス感染症の治療で人工呼吸器やエクモ・・・が使用され、そのニュースがたくさん流れたことから、これらを使うと肺炎が治って元通り元気になる、と誤った印象を持った人が増え、今まで以上に高齢者に人工呼吸器を使う、高度延命治療を望む家族が増えたとも聞きます」、そんな誤解で「高齢者に人工呼吸器を使う、高度延命治療を望む家族が増えた」、とは困ったことだ。 「何週間もベッドに寝かせきりで治療を行うと、筋力も低下するし、意識もしっかり戻り切らない場合も少なくありません。 結果、命は取り留めたとしても、満足に会話もできず、食事もとれない、「寝たきり」の状態となり、体に何本も点滴や管を繫がれて、スパゲティ状態・・・になってしまう高齢者が非常に多い」、「高齢者」が「人工呼吸器」を使うことのリスクを医師は、もっと患者や家族によく説明すべきだ。 「平均寿命を越えたような老人が延命治療を受けると、本当にろくなことがない」、悪循環で一気に症状が悪化するようだ。 「静脈栄養や胃瘻などの人工的な延命治療を受けることで、人間本来の「尊厳死・・・」を迎えられずに、ベッドでチューブだらけになりながら、オムツを着けられ寝たきりになる。 認知症のご高齢者などは、不快なチューブを自分で抜こうとするから、布のベルトでベッドに手と胴体を拘束されてしまうことも珍しくありません」、悲惨で、ここまでして無理に長生きさせられたくない。 「欧米や北欧にも、20年ぐらい前までは、日本と同じように老衰状態の高齢者に人工栄養を行っていた歴史があるんですね・・・その歴史を経たうえで、「余計なことをすればするほど、終末期の苦しみを助長する」と結論づけられ、高齢者の自然死が推奨されるに至った」、日本も是非見習うべきだ。 「人間はね、ご飯が食べられなくなって衰弱してきたら、自然に頭の働きも弱って、意識もボーッとしてくるから、苦痛も軽くなってくるようにできてる」、「尊厳死医療に徹していたホスピスでもそうでした。食べられなくなった末期の癌患者さんには、点滴で人工的に水分や栄養を入れ過ぎると逆に苦しみが増すので、点滴は痛み止めなど最小限にして自然に任せていました」、なるほど。 私も家屋にはしっかり伝えてある。 「尊厳死や安楽死の議論が遅れている日本においては、本人や家族の明確な意思がない場合、可能な限り延命治療をしておかないと、万が一、医療訴訟になったときに、医師の側が負ける恐れもあります。 だから本人の意識がクリアでなかったり、認知症であったりする場合は、必ず家族に人工栄養をどうするかを含め、延命治療の実施の判断を委ねられるわけです」、「尊厳死や安楽死の議論」を進めて、「医療訴訟」のリスクから医師を解放すべきだ。 私も口頭で伝えるだけでなく、「リビングウィル」を「日本尊厳死協会」のを参考に作ることにしよう。 「いつ倒れても、自然にあの世に逝けるって安心」するためにも、「リビングウィル」を作りたい。 ダイヤモンド・オンライン 藤山亜弓氏による「日本人は三途の川、アラビア人は砂漠?死の淵で人は何を見るか、臨死体験の研究者に聞く」 カール・ベッカー氏 人は死の淵で何を見るのか? 死ぬ直前に「一生の傾向」が表れる 「臨死体験者の証言によると、神や仏がその人の過去の行いを裁くのではなく、自分で裁く・・・死の淵で人間は、自分がどういう思いで他者に接してきたのか、また自分が行った行為を他者はどういう思いで受け取ったのかを見せられるのです」、「自分で裁く」とは意外だ。 「N君は、臨死体験で見た老人が自分の曽祖父だということを知らなかったが、老人の顔の輪郭や方言を覚えていた。後から母親に写真を見せてもらい、あの世で自分の曽祖父に出会ったということが明らかになった」、よくできた話だ。「イメージが全て『これ以上行ってはいけない』あるいは『渡ってはいけない』という同じ意味を持っていることです」、なるほど。 「心筋梗塞で病院に運ばれたAさん」のケース、「くも膜下出血で倒れたTさん」のケースも常識では説明不可能だ。 「地位や名誉、偏差値、財産などを追い求める人生は、死亡してから意味を成し得るのか。それよりも、人間関係や家族をはじめとする人との縁の方が、ずっと大事ではないかと臨死体験の研究を続けるうちに痛感したそうだ」、「誰もが避けては通れない死を意識し、限界を受け入れることによって、自分自身の生きる意義や目的を探ることができるのかもしれない」、さすがに深い考察だ。大いに参考になった。
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終活(死への準備)(その2)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の後半:③始皇帝でも失敗した「不死探求」は 「科学×庶民」で実現するか、④それでもやっぱり 人は死ぬ その現実が導く理想の生き方) [人生]

昨日に続いて、終活(死への準備)(その2)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の後半:③始皇帝でも失敗した「不死探求」は 「科学×庶民」で実現するか、④それでもやっぱり 人は死ぬ その現実が導く理想の生き方)を取上げよう。話は抽象的で哲学的だが、あえて終活を取上げるに当たって、準備の意味を込めて取上げた次第である。

先ずは、1月20日付け日経ビジネスオンラインが掲載した哲学博士のスティーヴン・ケイヴ氏による「始皇帝でも失敗した「不死探求」は、「科学×庶民」で実現するか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00421/011200003/
・『「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました。そして、「死」がもたらす人生の有限性が、一人ひとりの人生の充実に大きな役割を果たしているといいます。それはいったい、どういうことなのでしょうか。哲学博士で、ケンブリッジ大学「知の未来」研究所(Leverhulme Centre for the Future of Intelligence)エグゼクティブディレクター兼シニアリサーチフェローのスティーヴン・ケイヴ氏による著書『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』から一部を抜粋し、ビジネスパーソンの教養となり、今をより豊かに生きるための考え方を紹介します。3回目は、「権力者による不老不死の追求と、科学が見せる夢」について』、「「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました」、なるほど。
・『始皇帝が目指した「不老不死」  今日では通常、「始皇帝」として知られている秦(しん)王の政(せい)が、自分の死の必然性を痛切に自覚していたことには、何の不思議もない。彼の胸に短剣を突き立てたかった者は大勢いただろうし、現にそれを試みた者も少なからずいた。実の父だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない前王は、3年しか王座を保てなかった。さらにその前の王は、わずか1年しかもたなかった。自分が死を免れぬ儚(はかな)い存在であることを一瞬でも忘れる誘惑にかられないように、世間が共謀して皇帝に思い知らせていたわけだ。「死のパラドックス」の前半(連載第1回参照)は、私たちが自分の儚さを意識しながら生きねばならないことを教えてくれる。生まれた者はみな、死なねばならぬことに、誰もが気づいている。 だが、私たちの大半には、この事実が頭に浮かばぬようにする文化的な道具や仕組みがある。親族や友人を突然亡くさぬかぎり、私たちは死が避けようもないことから、喜んで気を逸(そ)らされるに任せている。 ところが、ファラオや独裁者や王のように、暗殺者の影につきまとわれて生きている者は、自分の運命の危うさを、常時思い知らされる。この、自身の脆弱(ぜいじゃく)さについての意識が、最強の地位にある者にこそまとわりついてくるというのは、よくできた皮肉だ。シェイクスピアのヘンリー4世が言うとおり、王冠を戴く者は、安穏と頭を横たえることができないとは。したがって、こうした支配者に、この無情な消滅の自覚が及ぼす最大の影響が見て取れる。 始皇帝は、死を免れえない現実に対してすっかり不安に包まれていたように見えるが、一方で不死身になって、永遠に生き続けることは可能だと信じていた。それを成し遂げるために、彼は秦帝国を打ち立てたのだ。 無期限に生き永らえるというのは、今、ここで命を保つことの継続であり、生存のための日々の奮闘を果てしなく延長することだ。したがって、すべての人間が維持する必要がある、基本的な物事から始まる。すなわち、飲食物と住まいと身を守る道具だ。社会は、発達するにつれ、協同や労働の専門化や技能の伝承を通して、こうした必需品の供給法を洗練させていく。文明は根本的には、延命テクノロジーの集積だ。 農業は食糧の安定供給を確実にし、衣服は寒さを防ぎ、建築は住み処と安全を提供し、優れた武器は狩猟と身を守ることを助け、医学は負傷や病気と闘う。だが、大半の人がこうしたテクノロジーを自分や家族や村に適用して満足するのに対して、始皇帝にははるかに壮大な展望があった。彼は帝国を支配しており、それを永続させ、自分が永遠に君臨するつもりだった。これを達成するために、自分の版図(はんと)を、予測できぬ危険なもののいっさい、すなわち、死をもたらしうるものすべてから隔て始めた。 そして、文字どおりの意味で、すなわち、北の国境沿いに1万キロメートルほど続くことになる城壁の建設という形で、それに取り掛かった。さまざまな文明の人々が、遠い昔から家や村の周り、さらには都市の周囲にさえ防壁を築くのを常としてきたが、1つの帝国をそっくり防壁で隔てることは、かつてなかった。これが万里の長城の始まりであり、この長城は徴用された労働者の血と汗の上に築かれ、その建設中には何十万という人が命を落としたと考えられている。 この長城の内側で、始皇帝は前代未聞の改革を行なって経済を発展させた。度量衡(どりょうこう/長さ・容積・重さの基準)と通貨が統一され、漢字書体が一本化され、行政と統治が合理化された。相争う諸国から、単一の国家が創設された。この国は、始皇帝の祖国である秦(chin =チンと発音する)王国にちなんで、今もなお広く中国(China =チャイナ)として知られている。 その後、紀元前213年に始皇帝は悪名高い命を発し、自分の新体制とは相容れぬ学派の書物はすべて焼かせた。過去の年代記は破棄され、歴史は一から始まることになった。延命の役に立つと思われる文書、すなわち、農業や占いや医学に関するものだけが難を逃れた。残りはみな禁書とされ、その所有は極刑に相当する罪と見なされた。 アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、万里の長城と焚書(ふんしょ)を共に、永遠に生きようとする始皇帝の探求という文脈で捉えた。「空間における城壁と時間における炎は、死の接近を止めることを意図した魔法の防壁だったことを、データが示唆している」と彼は書いている。始皇帝は生――自分の命――を無期限に存続させることができる新しい秩序を樹立することを試みていた。文明と野蛮の相違が表れているのがこれだった。それはボルヘスの言葉を借りれば、魔法の防壁であり、それが生を持続させる秩序を、混沌(こんとん)と疾患と崩壊から隔てているのだった。 始皇帝は、秩序ある政治とよく統制された経済が実現可能だと信じていたのとちょうど同じように、不老不死の霊薬(エリクサー)を手に入れることも可能だと信じていた。そこで皇帝は、最高の医師や呪術師、錬金術師、賢者たちを身辺に置いた。彼らの任務は、皇帝がありきたりの病気にかかったときに治すことだけではなく、加齢に伴う衰えを食い止め、その最終結果である死を寄せつけぬことでもあった。さらに自分の帝国全土を経巡り、霊験(れいげん)あらたかな山々で供犠(くぎ)を執り行ない、各地で出会った呪術師や学者に助言を求め、彼らが処方した水薬や丸薬、霊薬とされるものを熱心に服用した。 日本の和歌山県新宮市周辺に伝わる「徐福(じょふく)伝説」もまた、始皇帝による不老不死の霊薬探索の一端として知られている』、「始皇帝は、秩序ある政治とよく統制された経済が実現可能だと信じていたのとちょうど同じように、不老不死の霊薬・・・を手に入れることも可能だと信じていた。そこで皇帝は、最高の医師や呪術師、錬金術師、賢者たちを身辺に置いた。彼らの任務は、皇帝がありきたりの病気にかかったときに治すことだけではなく、加齢に伴う衰えを食い止め、その最終結果である死を寄せつけぬことでもあった」、「万里の長城」には、軍事上の理由だけでなく、「死の接近を止めることを意図した魔法の防壁」だったとは、初めて知った。
・科学は「不老不死」を実現するか  初期の文明の人々にとって文明は、農業と医学という、明らかに寿命を延ばすテクノロジーから不老不死の霊薬へと、すんなり続いていくものだった。さらに言えば今日もなお、不老不死の霊薬追求の試みの途上にある。 実際、新しい千年紀の初頭に当たる今、霊薬産業は依然として活況を呈している。2010年までの10年間に、れっきとした科学雑誌『ニューサイエンティスト』が掲載した、老化を止めることを約束する新しい「霊薬」の記事は、12にのぼる。 臨床検査を行なった今日の特効薬とは違い、古代の伝説はすべて架空の迷信にすぎないと考えたくなるといけないので指摘しておくが、『ニューサイエンティスト』誌に載った12の老化防止策の1つは、マメ科の草であるレンゲソウの根から抽出した成分を利用したものだ。レンゲソウは、伝統的な中国医学における「基本的な50の薬草」の1つで、始皇帝に処方された薬のうちに入っていた可能性がきわめて高い。呪術と科学の間には、厳然とした境界線はない。 使う方法こそ、長い歳月を経るうちに、より厳密で、効率的で、生産的になったものの、それを別とすれば、私たちは依然として「生き残り」を追求しており、それは歴史が始まって以来、人類が常にやってきたこととまったく同じだ。 「この探求は、単に変わり者や偽医師だけのものだったためしがない」と、医学史家のジェラルド・グルーマンは書いている。それどころか、さまざまな宗教そのものや、高名な哲学者、重要な科学者が、無限の寿命のカギを見つけることに打ち込んできたのだ。 どの世代にも期待をかけるテクノロジーがある。錬金術(錬丹術)という名称で知られる取り組みもまたその一環だ。歴史で初めて錬金術に触れたのが、紀元前1世紀の中国の歴史家、司馬遷(しばせん)が残した記録だ。司馬遷は始皇帝について現在知られていることの大半も記録した。彼は、宮廷の錬金術師が辰砂(しんしゃ/硫化水銀から成る深紅色の鉱物)を金に変えようとしていたこと、そして、もしその金を飲食のために使えば、「けっして死ななくなる」だろうことを記している。このように、錬金術はその最初期から、変化という概念によって統合された2つの目標の追求と結びつけられてきた。その2つの目標とは、卑金属を金に変えること、そして、卑(いや)しい人間を不死の人に変えることだ。 今では錬金術は前者の目標と結びつけられることが多いものの、大方の錬金術師は、どれほど控えめに言っても、これら2つの目標が分かち難く関連していると考えただろうし、司馬遷の記述にあるように、金の製造は無期限の生という目的のための手段にすぎないと考えることが非常に多かった。 これは、西洋の錬金術にも同様に当てはまる。科学実験の提唱者の草分けで、オックスフォード大学教授のロジャー・ベーコンは、1267年に次のように述べている。 「卑金属から不純物と穢(けが)れをすべて取り除いて銀や純金にするような薬は、人間の身体から穢れを取り除いて、長い年月にわたって寿命を延ばすことができると、科学者は考える」 ヨーロッパではルネサンス以降かなりの時を経るまで、化学と錬金術の区別も、科学者と魔術師の区別もなかった。今日私たちが科学的方法の厳密さと見なし、あらゆる迷信の正反対に位置づけるものは、錬金術による不死の探求から、徐々に現れ出てきたにすぎない。 ロバート・ボイル、さらにはサー・アイザック・ニュートンのような、科学時代の黎明期に現れた偉人の多くは、錬金術の教えに染まっており、ニュートン本人は、物理学の分野における自分の発見よりも、錬金術への自分の貢献を重視していた。 根拠に基づく新しい方法の成功が急速に重なるにつれ、古来の知恵と秘術への信頼はやがて衰えていった。もし自然界の秘密が解明されるとしたら、それは丹念に集めた実験データに照らして新しい説を検証することを通して達成されるのであって、古い象形文字を解読することを通してではなかった。 だが、方法と文化が進化しても、霊薬の概念は生き延び、無数の研究者がせっせとそれに取り組み、マーガリンから美顔用クリームまで、ありとあらゆるものを私たちに売りつけるのに利用されている。この探求の科学的な現代版は、神話的な過去を放棄することで、霊薬伝説のきわめて重大な側面、すなわち、それが万人向けに意図されたものではないという面も失ってしまった。じつは、やはり治癒と蘇生の力を持つとされていた聖杯に似て、霊薬は賢者や有徳の人だけが手にできるものだった。永続的な生は、並外れた努力と善行を通して勝ち取るもので、そうした美点が、文明が野蛮へと衰退するのを防いでいるというのが約束事だったのだ』、「呪術と科学の間には、厳然とした境界線はない。 使う方法こそ、長い歳月を経るうちに、より厳密で、効率的で、生産的になったものの、それを別とすれば、私たちは依然として「生き残り」を追求しており、それは歴史が始まって以来、人類が常にやってきたこととまったく同じだ」、「司馬遷は・・・宮廷の錬金術師が辰砂・・・を金に変えようとしていたこと、そして、もしその金を飲食のために使えば、「けっして死ななくなる」だろうことを記している」、「ニュートン本人は、物理学の分野における自分の発見よりも、錬金術への自分の貢献を重視していた」、「ニュートン」でも「錬金術への自分の貢献を重視」とは当時の「錬金術」の地位の高さを示しているようだ。
・『「生き残りのシナリオ」による不死探求の限界  ここで紹介したエピソードは、4つある不死のシナリオ(連載第2回参照)の基本形態の第一である「生き残りのシナリオ」に紐(ひも)づいている。この「生き残りのシナリオ」は、文明が拠(よ)り所としている約束の一部を成し、現代における西洋的世界観の核心にある、進歩の概念にとって不可欠だ。 少しだけ長く、さらに長く、なおいっそう長く生きられるという希望こそが、人間社会の物質的側面のほぼすべての発展を促してきた。そして、今日その希望は、科学と医薬の巨大産業に動機を与えている。これらの分野は、現に私たちの人生を、より長く、より良いものにするような成果を上げている。 だが、さらに先まで私たちを導くことを約束する科学は、他にも教訓を示している。老化と衰弱の過程は、私たちの身体に深く根差していること、私たちの助けとなりうるテクノロジーは、破滅ももたらしかねぬこと、私たちが暮らす世界は人間の生を永遠には許容しないだろうことだ。 私たちは、親や祖父母よりも少し長く生きられるかもしれない。いつの日か、癌(がん)を打ち負かしたり、移植用臓器を培養したりするかもしれない。だが、永遠に生き永らえるのに成功する人は、1人もいないだろう。私たちの生身の体も、私たちが暮らすこの惑星も、それを許すことはない。このシナリオは魅惑的でも生産的でもあるが、約束を果たすことはないのだ』、「私たちの助けとなりうるテクノロジーは、破滅ももたらしかねぬこと、私たちが暮らす世界は人間の生を永遠には許容しないだろうことだ」、「不老不死」が実現すれば、「老人だらけの世界」にならざるを得ず、持続可能性がなくなるので、社会が認める筈がない。

次に、この続きを、1月21日付け日経ビジネスオンラインが掲載した哲学博士のスティーヴン・ケイヴ氏による「それでもやっぱり、人は死ぬ その現実が導く理想の生き方」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00421/011200004/
・『「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました。そして、「死」がもたらす人生の有限性が、一人ひとりの人生の充実に大きな役割を果たしているといいます。それはいったい、どういうことなのでしょうか。哲学博士で、ケンブリッジ大学「知の未来」研究所(Leverhulme Centre for the Future of Intelligence)エグゼクティブディレクター兼シニアリサーチフェローのスティーヴン・ケイヴ氏による著書『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』から一部を抜粋し、ビジネスパーソンの教養となり、今をより豊かに生きるための考え方を紹介します。4回目は、「必ず死ぬという現実を踏まえ、私たちはどう生きるべきなのか」について』、「「必ず死ぬという現実を踏まえ、私たちはどう生きるべきなのか」、役立ちそうだ。
・『守られない「不死への約束」  人類による「不死」の探求は、太古以来の歴史と、無数の信奉者と、人類の文明を形作る計り知れぬ影響力を持ってきた。とはいえ、そのどれもが頂(いただき)には遠く及ばない。私たちは、永遠の生にはけっして手が届かないのだ。 おかげで、少しばかり困ったことになった。私たちはみな、未来永劫(えいごう)生き続けたいという本能、つまり不死への意志を持っている。そして、それは「死のパラドックス」(連載第1回参照)と表裏一体である。 それがすべて幻想なら、いったいどういうことになるのだろう? 個人の観点ではなく、文明の視点から考察すると、状況はなお悪い。始皇帝の物語(連載第3回参照)でも見たように、文明そのものは、死の克服を目指す探求によって推進されてきた。それどころか、多くの文明にとって創始時の存在意義が不死の約束だった。 また、科学と進歩のイデオロギーが現れたのは寿命を無期限に延ばそうとしたからであり、宗教が繁栄するのは死後の生を保証するからであり、文化の所産のほとんどは象徴の領域で自己複製するための私たちの試みであり、子供をもうけるのは自らを未来に存続させたいという生物学的な衝動の表れである。そうした試みを抜きにして、いったいどのような種類の社会が成立しうるだろうか? どれだけ努力しても無に帰するとわかっていても、進歩や正義や文化はありうるだろうか?』、「どれだけ努力しても無に帰するとわかっていても、進歩や正義や文化はありうるだろうか?」とは、本源的な問いだ。
・『「不死」の実現で起こる様々な「大問題」  ただし、この問題に対し、私たちは絶望する必要はなく、生の有限性に向き合いつつも、真っ当(まっとう)で満足のいく人生を送れるはずだと、私は信じている。じつのところ、それは意外なほど容易でさえあるかもしれない。不死には実は、望ましくない点もあるのだ。 不老不死の人が住むという山を登るための奮闘は、成長と革新に満ちたものだったと同時に、流血や残虐行為や不正だらけのものでもあった。始皇帝に限らず、彼らは不老不死を追求するあまり、厖大(ぼうだい)な数の人の人生を破綻させた。名声や栄光を狙う数々の試みが慈悲深さをはなはだしく欠いていることは記憶にとどめる価値がある。 同様に、生物学的な不死のシナリオもまた、人種差別やナショナリズムや外国人嫌いに変質することが頻繁にある。「他者」の排除あるいは殺害は、自らの純潔性を維持し、自分たちの人種こそが死を超越することを示す1つの方法になるからだ。そういうわけでアーネスト・ベッカーは、「死の必然性を否定し、英雄的な自己像を築きたいという衝動が、人間の悪事の根本原因である」と主張したのだ。だから、不死の達成という目的への手段として多くの文明が興(おこ)る一方で、不死のシナリオの結果としてやはり多くの文明が滅亡の憂き目に遭(あ)ってきた。 また、異なる不死のシナリオを持つ文化間の戦争は、アメリカの哲学者サム・キーンの言葉を借りれば、永遠の生にかかわる「聖戦」となる。あなたが自分の命を、プロレタリア革命を進めるために犠牲にしたのなら、資本主義が勝利すれば、後世でのあなたの役割は消滅する。人生をアッラーに捧(ささ)げたいと願うなら、世俗主義が発展すると、楽園に居場所を見出せなくなる恐れがある。こうして、私たちは自らに固有の神話の真実性を守るために闘い、たいてい勝者に劣らぬほどの数の敗者も出るのだ。 さらに、不死のシナリオの望ましからぬ影響は“文明間”の争いだけに限られるわけではない。それぞれの社会の“中”にもやはり、はっきり現れている。不死のシナリオは多くの倫理体系で重要な役割を果たし、この世で人が見せる善行や悪行への褒美や懲罰として永続的なアメとムチを提供する。だが、こうした倫理体系は、非道極まりない不正をも容認しうる厳格な保守主義と表裏一体なのだ。 中世ヨーロッパの支配者がキリスト教に大きな利用価値を見出した理由も、そこにあることは間違いない。キリスト教は搾取される臣民に、日々の生活の忌まわしさから目を逸(そ)らし、代わりに未来の楽園を夢見るように教えたからだ。これこそニーチェが「奴隷の道徳」と呼んだものだ。なぜならそれは、踏みにじられた人々に悲惨な運命を受け容れさせ、来るべき世界での復讐(ふくしゅう)と満足に空想を巡らせるように仕向けるからだ。 奴隷解放、両性間や人種間の平等、社会福祉などを目指す、ここ数世紀の素晴らしい社会改革運動が起こったのは、西洋社会において来世への執着がようやく薄れ始めたときだった。永遠に続く道義的に正しい喜びが待っているのであれば、現世で正義や幸福を追い求める必要はないのだから。 不死を信じる人は、頑(かたく)なに将来の至福を見据え、“今”存在することの価値を理解しそこなっている。 最後になるが、不死のシナリオの大多数が根深い利己心を育てることも注目に値する。そうしたシナリオはあなたに、自分の個人としての人格が無限に存続することに執着するよう教える。すると、あらゆる行動が、あなた個人が生き残る可能性を高めるか低めるか、あるいは期待される永遠の生をより楽しいものにするか否かで評価されるというわけだ。 これらは不死のシナリオが現時点で持つ欠点だが、問題点の一覧にはさらにつけ加えるべき事柄がある。すなわち、私たちが本当に個人の不死を達成したら起こりかねぬことだ』、「キリスト教は搾取される臣民に、日々の生活の忌まわしさから目を逸(そ)らし、代わりに未来の楽園を夢見るように教えたからだ。これこそニーチェが「奴隷の道徳」と呼んだものだ」、「ここ数世紀の素晴らしい社会改革運動が起こったのは、西洋社会において来世への執着がようやく薄れ始めたときだった。永遠に続く道義的に正しい喜びが待っているのであれば、現世で正義や幸福を追い求める必要はないのだから」、なるほど。
・『「無限」という名の新しい絶望  不死によってもたらされる「無限」とは、単なる割り増しの時間ではなく、際限なく続く時間だ。無限の時間という巨大な枠組みの中では、たちまち私たちに残されるのは退屈極まりないものだけということになり、自分の意欲が著しく減退する憂き目に遭いかねない。 もちろん、何度も味わえる楽しみもある。美味(おい)しい食事をしたり、友人と会話したり、好きなスポーツをしたり、お気に入りの音楽を聴いたりといった楽しみだ。こうしたことは、少なくとも2回目、3回目、あるいは100回目でも素晴らしさは薄れぬように思える。だが、毎日キャビアを食べている人は、いずれげんなりするだろうし、いつの日か、たとえ100万年先だとしても、友人たちのジョークにも全部飽きるだろう。あらゆる贅沢(ぜいたく)も、長々と楽しんだ後は、ありきたりのつまらぬものになる。どんな活動を追求しても、終わることなく繰り返すなら、最後にはシーシュポスのような気持ちになるだろう。シーシュポスは、何度やっても必ず転がり落ちる重い岩を山頂に向かって永久に押し上げ続けるという罰を神々に与えられたギリシア神話の王だ。 もう1つ、深刻な問題は次のようなものだ。物事の価値は、その稀少(きしょう)性と関連している。自分が死を免れぬことを自覚している人は、人生に限りがあることを知っているので、時間を大切にし、それを賢く使おうとする。朝、ベッドから起き出すのも、学業を終えて社会に出るのも、安定した老後のためにお金を稼ぐのも、その制約に駆り立てられてのことだ。限りある時間という制約に、私たちのあらゆる決定は左右されている。 無限の時間に関するこの推測が少々抽象的に聞こえるのなら、突然、自分が余命いくばくもないと知った人の経験に目を向けるとよい。末期患者を対象としている精神科医のアーヴィン・D・ヤーロムは、癌(がん)のような重病と診断された人さえ「生きているという実感の高まり……人生における本当に大切な事柄の鮮明な認識……そして、愛する人たちとのより深い意思疎通」を経験することを指摘している。 つまり、生は今の長さであっても、私たちはすでにその真価を理解できておらず、これ以上時間が増えれば、あるいは無限に時間が増えれば、この状態を悪化させるだけであることが、証拠から窺(うかが)える。 無限を前にしては、時間はその価値を失う。そして、時間が無価値になれば、選択というものが無意味になり、時間の使い方を合理的に決めることは不可能になる。意味のある生と生産的な社会には、それらの意味を明確にする限界が必要だ。私たちには生の有限性が不可欠なのだ』、「意味のある生と生産的な社会には、それらの意味を明確にする限界が必要だ。私たちには生の有限性が不可欠なのだ」、その通りだ。
・『ヴィトゲンシュタインが「生に終わりはない」といった理由  真に終わりなき生は恐ろしい災(わざわ)いである可能性を認識すれば、永遠に生きたいという望みは薄れるかもしれない。が、だからといって、死んでもかまわないと私たちが納得する可能性は低い。 しかし、実際に死んでいる状態を恐れるのは無意味かもしれない。これを私たちに明確に言い表すために登場したのは、ギリシアの哲学者だった。エピクロスだ。紀元前300年頃に彼はこう書き記した。 「死は我々にとって何の意味も持たない。なぜなら、あらゆる善悪は感覚の中に存在し、死はあらゆる感覚の終わりだからだ」 「我々が存在しているときには死は存在しないし、死がやって来たときには我々は存在しない。したがって、生きている者にも死んでいる者にも死は関係ない。というのも、死は生者と共には存在しないし、死者は存在しないからだ」 エピクロスの主張は、まさに自然科学が説くことでもある。私たちは“本質的に”、生き物、つまり、生きている物なのだ。そこから議論が紛糾(ふんきゅう)しそうな結論が導き出される。あなたも私も、文字どおり“死んでいる状態”になることはできない。生きている物は死んでいる物になりえない。誰かについて「死んでいる」と言うのは、その人が存在しなくなったということの、簡便な言い換えにすぎない。 20世紀哲学界の巨人ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、意識があり、物事を経験している生き物としての私たちにとってこれが意味するところを、次のように要約している。「死は人生における出来事ではない。私たちは生きて死を経験することはない」。ヴィトゲンシュタインはここから、その意味で「生に終わりはない」と結論した。つまり、私たちは生に終わりがあることを、けっして自覚できない。知りうるのは、生だけなのだ。 自分を海の波にたとえることができるかもしれない。岸に打ち寄せるとき、その短い一生は終わるが、その後「死んでいる波」あるいは「元波」といった何らかの新たな状態に入るわけではない。波を構成していた各部分が消散して、再び海に吸収される。私たちも同様だ。人間という生き物の、自己制御を行なう有機化された複雑な仕組みが機能停止すると、その人は終焉(しゅうえん)を迎える。死という新たな状態に入ったわけではない。その人は終わり、その構成要素はやがて人間の形を失って、再び全体に組み込まれる。 死とは終わりであり、だからこそ、それを正確に理解したときには、死を恐れるべきではない。これまでに積み上げた意識経験が、私たちの“生のすべて”だ。誕生と同様に、死はこうした経験の境界を定義する用語でしかない。このことを、不死の問題の理解と組み合わせると、直感で信じているほど、永遠に生きるというのは良いものでもなく、死は悪いものでもないと結論できる』、「誕生と同様に、死はこうした経験の境界を定義する用語でしかない。このことを、不死の問題の理解と組み合わせると、直感で信じているほど、永遠に生きるというのは良いものでもなく、死は悪いものでもないと結論できる」、なるほど。
・『私たちは、どう生きるべきなのか?  自らの死の必然性に敢然と立ち向かう人々の文明は、その実現に向けて努力する価値がある。そればかりか、死の必然性の自覚は、起こりうるあらゆる状況のうちで最良のものを提供してくれる、と私たちは大胆に主張することさえできるだろう。 人生には終わりがあると知れば、私たちの時間に制限が課されるので、その時間が価値あるものとなる。死は必然であるという事実は、私たちの存在に緊急性を帯びさせ、私たちがそれに形と意味を与えることを可能にしてくれる。 できる間は毎朝起き出して世の中とかかわるべき理由を私たちに与えてくれる。この世界を最高の世界にすべき理由を与えてくれる。それ以外の世界などないことがわかっているからだ。それでいて、制限を課すもの、すなわち死は、私たちが苦しんだり、他のいかなる形で経験したりできるものでは断じてない。私たちは本質的に生き物、すなわち生きている物なのだから、文字どおり死んでいる状態にはなることさえできない。私たちが知りうるのは生のみであり、その生には限りがあるという事実を受け容れれば、それを大切にしなければならないことも理解できる。 私たちの生は、始まりと終わりによって範囲を定められてはいるものの、自分自身を超えてはるか遠くに手を伸ばし、無数の形で他の人々や場所に触れることができる、数知れぬ瞬間から成り立っている。 その意味では、私たちの生は本に似ている。表紙と裏表紙に挟まれた世界で自己完結していながら、遠くの風景や異国の人物やはるか昔に過ぎ去った時代を網羅できる。その本の登場人物たちは限界を知らない。彼らは私たちのように、自らの生を構成している一瞬一瞬を知ることができるだけだ。たとえ本が閉じられたときでさえも。したがって、彼らは最後のページに行き着くことには煩(わずら)わされない。 だから私たちもそうあるべきなのだ』、「私たちが知りうるのは生のみであり、その生には限りがあるという事実を受け容れれば、それを大切にしなければならないことも理解できる」、やはり「生」は「大切に」しなければならない」ようだ。「私たちの生は本に似ている。表紙と裏表紙に挟まれた世界で自己完結していながら、遠くの風景や異国の人物やはるか昔に過ぎ去った時代を網羅できる。その本の登場人物たちは限界を知らない。彼らは私たちのように、自らの生を構成している一瞬一瞬を知ることができるだけだ。たとえ本が閉じられたときでさえも」、「私たちの生は本に似ている」、とはなかなか面白い比喩だ。
タグ:「始皇帝は、秩序ある政治とよく統制された経済が実現可能だと信じていたのとちょうど同じように、不老不死の霊薬・・・を手に入れることも可能だと信じていた。そこで皇帝は、最高の医師や呪術師、錬金術師、賢者たちを身辺に置いた。彼らの任務は、皇帝がありきたりの病気にかかったときに治すことだけではなく、加齢に伴う衰えを食い止め、その最終結果である死を寄せつけぬことでもあった」、「万里の長城」には、軍事上の理由だけでなく、「死の接近を止めることを意図した魔法の防壁」だったとは、初めて知った。 「「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました」、なるほど。 スティーヴン・ケイヴ氏による「始皇帝でも失敗した「不死探求」は、「科学×庶民」で実現するか」 日経ビジネスオンライン 終活(死への準備) (その2)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の後半:③始皇帝でも失敗した「不死探求」は 「科学×庶民」で実現するか、④それでもやっぱり 人は死ぬ その現実が導く理想の生き方) 「呪術と科学の間には、厳然とした境界線はない。 使う方法こそ、長い歳月を経るうちに、より厳密で、効率的で、生産的になったものの、それを別とすれば、私たちは依然として「生き残り」を追求しており、それは歴史が始まって以来、人類が常にやってきたこととまったく同じだ」、「司馬遷は・・・宮廷の錬金術師が辰砂・・・を金に変えようとしていたこと、そして、もしその金を飲食のために使えば、「けっして死ななくなる」だろうことを記している」、「ニュートン本人は、物理学の分野における自分の発見よりも、錬金術への自分の貢献を重視し 「私たちの助けとなりうるテクノロジーは、破滅ももたらしかねぬこと、私たちが暮らす世界は人間の生を永遠には許容しないだろうことだ」、「不老不死」が実現すれば、「老人だらけの世界」にならざるを得ず、持続可能性がなくなるので、社会が認める筈がない。 スティーヴン・ケイヴ氏による「それでもやっぱり、人は死ぬ その現実が導く理想の生き方」 「「必ず死ぬという現実を踏まえ、私たちはどう生きるべきなのか」、役立ちそうだ。 「どれだけ努力しても無に帰するとわかっていても、進歩や正義や文化はありうるだろうか?」とは、本源的な問いだ。 「キリスト教は搾取される臣民に、日々の生活の忌まわしさから目を逸(そ)らし、代わりに未来の楽園を夢見るように教えたからだ。これこそニーチェが「奴隷の道徳」と呼んだものだ」、「ここ数世紀の素晴らしい社会改革運動が起こったのは、西洋社会において来世への執着がようやく薄れ始めたときだった。永遠に続く道義的に正しい喜びが待っているのであれば、現世で正義や幸福を追い求める必要はないのだから」、なるほど。 「意味のある生と生産的な社会には、それらの意味を明確にする限界が必要だ。私たちには生の有限性が不可欠なのだ」、その通りだ。 「誕生と同様に、死はこうした経験の境界を定義する用語でしかない。このことを、不死の問題の理解と組み合わせると、直感で信じているほど、永遠に生きるというのは良いものでもなく、死は悪いものでもないと結論できる」、なるほど。 「私たちが知りうるのは生のみであり、その生には限りがあるという事実を受け容れれば、それを大切にしなければならないことも理解できる」、「私たちの生は本に似ている。表紙と裏表紙に挟まれた世界で自己完結していながら、遠くの風景や異国の人物やはるか昔に過ぎ去った時代を網羅できる。その本の登場人物たちは限界を知らない。彼らは私たちのように、自らの生を構成している一瞬一瞬を知ることができるだけだ。たとえ本が閉じられたときでさえも」、「私たちの生は本に似ている」、とはなかなか面白い比喩だ。 やはり「生」は「大切に」しなければならない」ようだ。
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終活(死への準備)(その1)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の前半:①死は それ自体が「パラドックス」である、②全生物のうち 人類だけが「発展」できた4つの理由) [人生]

今日は終活(死への準備)(その1)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の前半:①死は それ自体が「パラドックス」である、②全生物のうち 人類だけが「発展」できた4つの理由)を取上げよう。

先ずは、1月19日付け日経ビジネスオンラインが掲載した哲学博士のスティーヴン・ケイヴ氏による「死は、それ自体が「パラドックス」である」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00421/011200001/
・『「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました。そして、「死」がもたらす人生の有限性が、一人ひとりの人生の充実に大きな役割を果たしているといいます。それはいったい、どういうことなのでしょうか。哲学博士で、ケンブリッジ大学「知の未来」研究所(Leverhulme Centre for the Future of Intelligence)エグゼクティブディレクター兼シニアリサーチフェローのスティーヴン・ケイヴ氏による著書『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』から一部を抜粋し、ビジネスパーソンの教養となり、今をより豊かに生きるための考え方を紹介します。1回目は、「人は必ず死ぬ。しかし誰もが、自分の死を正しく想像できない」ということについて』、興味深そうだ。
・『人類を突き動かす「永遠」への熱望  私たち人間は、他のあらゆる生き物同様、果てしなく生を追求するよう駆り立てられている。だが、生き物のうちで唯一私たちだけが、その追求の過程で目覚ましい文化を創出して瞠目(どうもく)すべき芸術品を生み出し、豊かな宗教伝統を育み、科学の物質的業績と知的業績を積み上げてきた。そのすべては、「不死」を手に入れるための4つの道をたどることを通して成し遂げられてきた、というのが私の主張だ。 不死への意志が文明の根本的な推進力であるという主張を初めて耳にしたら、疑いを抱く人もいるだろう。 「そのような意志はあまりに抽象的であり、日々の活動の背後にある本能たりえないであろう。あまりに神秘的なので、サルから進化したヒトという生物の行動は説明できそうにない」というのだ。 だが、私たちの永遠への熱望の起源は、神秘的でもなければ抽象的でもない。その正反対で、これほど自然なものはありえないだろう。私たちが未来まで生き延びようと奮闘努力するのは、人類の長い進化の遺産の、直接の結果にすぎない。 あらゆる生命形態に唯一共通するのが、生き永らえ、子孫を残そう、つまり、未来まで存続しようとする傾向だ。どれほど大きな山でも、甘んじて浸食を許す。微細な砂粒が黙って海の波に洗われるのと何ら変わりはない。だが、どれほど小さな生き物でも、風雨や捕食者の攻撃には全力で立ち向かう。生物以外の宇宙の特徴である無秩序に陥るまいとして闘う。生き物はまさにその本質上、はなはだしい不利をものともせずに持ちこたえるための、動的なシステムなのだ。犬であろうと、ミミズであろうと、アメーバであろうと、生き物はひたすら生き続けることのために間断なく奮闘する。永続するためのこの努力こそが、生の本質だ。 進化生物学者リチャード・ドーキンスが言うとおり、「私たちは生き残るためのマシンだが、『私たち』とは人間だけを意味するわけではない。そこには、あらゆる動物、植物、細菌、ウイルスが含まれる」のだ。これは、現代生物学では自明の理となった。何らかの形での自己保存あるいは自己複製は、「生命とは何か」という定義には必ず含まれている。 自然選択による進化の過程は、なぜそうならざるをえないのかを教えてくれる。多様性に富んだ個体群の中では、生き延びて子孫を残すのが最も得意な生物が自らの遺伝子を次世代に伝える。身の回りに見られる猫や樹木や昆虫のどれであれ、今存在しているのは、祖先が自らと子孫を維持するのに最も長(た)けていたからにすぎない。 したがって、生き永らえて子孫を残すことを通じて、未来まで首尾良く生き延びられるかどうかが、まさに進化の勝者と敗者の分かれ目なのだ。 そして、私たち人類に関していえば、直感や複雑な情動や私たちの洗練された推論の過程はみな、生存という目的に、直接的あるいは間接的に貢献するために存在していることが、卓越した神経科学者のアントニオ・ダマシオによって示されている。 生物人類学者のジェイムズ・チザムはさらに推論を進め、あらゆる価値はこのたった1つの目標から生じるとし、その目標とは、「そのために身体が存在している複雑な活動、すなわち無期限の持続」である、と述べている。 ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーは、この根本的な衝動を単に「生への意志」と呼んだ。とはいえ、時間の制限はない――チザムの言うとおり、私たちが望む持続は「無期限」だ――から、むしろ、永遠の生への意志、あるいは、不死への意志と呼ぶべきだ。 文明という営みの大半を含め、私たちの成すことのじつに多くが、「不死」への衝動によって説明できるのだ』、「文明という営みの大半を含め、私たちの成すことのじつに多くが、「不死」への衝動によって説明できるのだ』、なるほど。
・『人は必ず死ぬ、しかし誰もが「自分の死」は受け入れられない  私たち人間を際立たせているのは、大きくて接続性の高い脳だ。この脳も、私たちが自らを無期限に存続させるのを助けるために進化したのであり、生存のための奮闘には大いに役立つ。 私たちは、自分自身や、未来や、さまざまな可能性を自覚しているので、適応し、精緻な計画を立てることができる。だが、自分自身に関して、恐ろしいと同時に不可解な視点を持つことにもなる。私たちの強力な知性は、私たちも身の回りの他のあらゆる生き物同様、いつの日か死なねばならないという結論に情け容赦(ようしゃ)なく至る。それにもかかわらず、その一方では、私たちの頭脳には1つだけ想像できぬものがあり、それは、死という、自分が存在しない状態そのものだ。それは文字どおり、考えられない。 したがって、死は不可避かつ信じ難いものという印象を与える。これを私は「死のパラドックス」と呼ぶ。 このパラドックスの両面は共に、同じ見事な認知能力から生じる。約250万年前に現生人類の直系の祖先であるホモ属が出現して以来、人間の脳の大きさは3倍になった。それに伴い、概念にまつわる一連の非常に重要な革新が起こった。 第一に、私たちは自分を他者と別個の個体として認識している。これは、大きな脳を持つほんの一握りの種に限られた特質であり、高度な社会的相互作用に不可欠と考えられている。 第二に、私たちは未来について詳しい考えを持っているので、あらかじめ計画を立てたり、それを変更したりできる。これもまた、他の大多数の種では見られぬ能力だ(珍しい例外の1つに、スウェーデンのフールヴィック動物園のチンパンジーの事例がある。そのチンパンジーは、日中に来園者に投げつけるための石を、夜のうちに拾い集めておいた)。 そして第三に、私たちはあれこれ可能性を検討し、目にしてきたものを一般化しながら学習したり、論理的に考えたり、既知のものから未知のものを推測したりでき、さまざまな筋書きを思い浮かべられる』、「私たちの強力な知性は、私たちも身の回りの他のあらゆる生き物同様、いつの日か死なねばならないという結論に情け容赦なく至る。それにもかかわらず、その一方では、私たちの頭脳には1つだけ想像できぬものがあり、それは、死という、自分が存在しない状態そのものだ。それは文字どおり、考えられない。 したがって、死は不可避かつ信じ難いものという印象を与える。これを私は「死のパラドックス」と呼ぶ」、確かに「死」は「想像できない」。
・『「人間の死亡率は100%である」ということ  生き延びる上でこうした能力が有利に働くことは明らかだ。マンモス猟の落とし穴からスーパーマーケットの供給網まで、私たちは必ず必要を満たせるように、物事を計画し、調整し、協力することができる。 だが、こうした能力には代償も伴う。自分や未来についての概念を持ち、身の回りで目にするものに基づいて未知のものを推測したり一般化したりできるなら、仲間がライオンに殺されるのを目撃した場合には、自分もライオンに殺されうることに気づく。そのせいで、いざというときのために槍(やり)の穂先を尖(とが)らせて備えておくようなら役に立つが、不安も生まれる。死という未来の可能性を現在に呼び込む。 そして、生きとし生けるものはすべて死を免れないことに気づく。死こそ真の敵であることを悟る。強力な頭脳を使い、鋭い槍や頑丈な門、満杯の食料貯蔵庫、病院などによって、この敵をしばらくは食い止めることができるが、同時に、すべては結局無駄で、いつの日か自分が死にうるだけではなく、確実に死ぬことがわかる。 これこそ、20世紀のドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーが「死に向かう存在」という有名な言葉で表現したものであり、彼はこれこそが人間の境遇にほかならないと考えた。 したがって私たちは、強力な頭脳に恵まれているものの、同時に、死ぬだけではなく、死なねばならぬことを知るという宿命を負わされている』、「私たちは、強力な頭脳に恵まれているものの、同時に、死ぬだけではなく、死なねばならぬことを知るという宿命を負わされている」、「死に向かう存在」である以上、避けて通ることは出来ない。
・『「自分」という視点を抜きに「自分の死」は想像できない  だが、第二の考え――そして、「死のパラドックス」のもう一面――は、その正反対のことを告げている。私たち自身の消滅は不可能だ、と。実際のところ私たちは、“自分が死んだらどうなるか”を想像しようとするたびに、つまずく羽目になる。現に存在していないところを思い描くことが、どうしてもできないのだ。 やってみてほしい。自分の葬儀までは、あるいは、ひょっとすると、暗い虚空までは思い浮かべられるかもしれないが、あなたは依然としてそこに存在している──観察者として、それを思い浮かべて眺めている目として。想像するという、まさにその行為が、あなたを魔法のランプの精のように呼び出し、仮想の存在とする。 したがって、思考する主体としての私たち自身に、死を現実のものにすることはできない。私たちの秀でた想像力が適切に機能しない。想像をしている者が、その想像をしている本人の不在を懸命に想像しようとしてもうまくいかないのだ。 「私たち自身の死を想像することはまったくもって不可能だ。そうしようとするたびに、じつは自分が傍観者として相変わらず存在していることが見て取れるから」と、ジークムント・フロイトは1915年に書いている。彼はここから、次のように結論した。「心の底では、自分が死ぬと信じている人は誰もいない……[なぜなら]無意識の中では、私たちの誰もが、自分は不死だと確信している」からだ。 あるいは、イングランドのロマン派の詩人エドワード・ヤングが言うとおり、「万人が、誰も死を免れないと思っている。自分自身を除けば、だが」。 現代の認知心理学は、この古来の直感に科学的な説明を与える。私たちが新しい事実や可能性を受け入れるかどうかは、それを想像できるかどうかに左右されるという。自分自身の死というのは、意識の終わりを伴うので、意識がないというのはどのようなものかを意識的になぞることはできない』、「自分自身の死というのは、意識の終わりを伴うので、意識がないというのはどのようなものかを意識的になぞることはできない」、確かにその通りだ。
・『「死のパラドックス」を抱えながら生きる  というわけで、私たちはパラドックスを抱えている。未来に目を凝らすと、永遠に生きたいという願望が満たされるように思える。いつの日か自分が存在しなくなることなど、考えられないように感じられるからだ。だから、私たちは自分の不死を信じている。 それでも同時に、毒ヘビから雪崩(なだれ)まで、自分の存在に対する無数の潜在的脅威を痛切に感じており、そこかしこで他の生き物が否応(いやおう)なく命を落とすところを目にする。だから、私たちは自分の死の必然性を信じている。私たちの過度に発達した知的能力が、お前は永遠だ、お前は永遠ではない、死は事実だ、死は不可能だ、と相反することを告げているように思える。 ジグムント・バウマンの言葉を借りると、「死の概念は矛盾を孕(はら)んでいる。そして、そうであり続ける運命にある」となる。私たちの不滅性と、死の必然性の両方が、同等の力を持って私たちの心の中に現れてくるのだから。 この「死のパラドックス」がどのように発生するかは、自分を客観的に眺めるか、主観的に眺めるかと考えれば、説明がつく――だが、説明がつくのと解決するのとは話が別だ。このパラドックスは、私たちの最終的な運命についての、2つの相容れぬ、それでいて強力な直感から成る。私たちはそのような緊張関係を抱えたまま生きてはいけないし、生きてはいない。そのような状態は、恐怖と希望の間の、継続的で身がすくむような苦闘となるだろう。 だが、大半の人はそのような生き方はしない。人間の境遇の中核にある矛盾に身がすくむようなことは、通常ない。それは、存在にまつわるこの窮境を理解するのに役立つ物語を創り出したからで、それらの物語が「不死のシナリオ」であることは言うまでもない。 「誰もが死ぬ。したがって、私も死ぬに違いない。だがこれは想像できないので、私たちは不死を創出し、その所産が文明である」(ブライアン・アップルヤード) 進歩そのものが、無期限の生を求める私たちの抑え難い欲望の産物なのだ』、「進歩そのものが、無期限の生を求める私たちの抑え難い欲望の産物なのだ」、なるほど。

次に、1月20日付け日経ビジネスオンラインが掲載した哲学博士のスティーヴン・ケイヴ氏による「全生物のうち、人類だけが「発展」できた4つの理由」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00421/011200002/
・『「死にたくない」「長生きしたい」……人類はこの感情を原動力に、都市をつくり、科学を発展させ、文化を築き上げてきました。そして、「死」がもたらす人生の有限性が、一人ひとりの人生の充実に大きな役割を果たしているといいます。それはいったい、どういうことなのでしょうか。哲学博士で、ケンブリッジ大学「知の未来」研究所(Leverhulme Centre for the Future of Intelligence)エグゼクティブディレクター兼シニアリサーチフェローのスティーヴン・ケイヴ氏による著書『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』から一部を抜粋し、ビジネスパーソンの教養となり、今をより豊かに生きるための考え方を紹介します。2回目は、人類の発達の原動力となった、「4つの不死への願望」について』、「4つの不死への願望」とはどういうことだろう。
・『人類の営みはすべて、「4つの不死探求」につながっている  あらゆる生き物が先々まで生き延びようとするが、人間は永遠の生を求める。この探求、この不死への意志こそが、人類の業績の基盤であり、宗教の源泉、哲学の着想の起源、都市の創造者、芸術の背後にある衝動だ。それは私たちの本性そのものに埋め込まれており、その成果が、文明として知られているものにほかならない。 「どのようにして不死を達成するか」という物語は見たところ多様であるものの、その根底には4つの基本形態しかない。私はそれを4つの「不死のシナリオ」と呼ぶことにする。 永続的な生を達成するためにこれまでなされた──そして、これからなされるであろう──試みはすべて、その4つのシナリオをなぞる。4つのシナリオは、私たちが自らの最も素朴な衝動、すなわち、生き続けたいという衝動を誘導する道筋でありながら、最も高度な知的偉業や宗教的偉業や芸術的偉業へとつながってきた』、「4つのシナリオは、私たちが自らの最も素朴な衝動、すなわち、生き続けたいという衝動を誘導する道筋でありながら、最も高度な知的偉業や宗教的偉業や芸術的偉業へとつながってきた」、ずいぶん有益なことにつながったようだ。
・『科学・都市・文明……「生き延びる」ための涙ぐましい努力  第一の道は、私たちの本能に直接端を発している。他のあらゆる生き物と同じで、私たちも死を避けようと懸命に努力する。永遠に──物理的に、この世で──死を避けるという夢は、不死のシナリオのうちでも最も基本的なものだ。この最初の道は単に、「生き残りのシナリオ」と呼ぶことにする。 人は衰弱して死ぬという基本的事実を前にすると、このシナリオには期待が持てそうになく、論外にさえ思える。ところが、この考えは、じつに広く行き渡っている。ほぼあらゆる文化に、老化と死を打ち負かす秘密を発見した賢者や黄金時代の英雄や辺境の農民の伝説が見られる。 このシナリオは、若さと健康を保ち、少しばかり長く、1年、2年、あるいは10年よけいに生きようとする私たちの試みの延長にすぎない。食糧の供給や都市を囲む城壁といった、身体的欲求を満たして安全を守る文明の側面は、この道筋を行く第一歩であり、医療と衛生がそれに続く。 だが、大半の文明は、単なる長生きをはるかに凌(しの)ぐビジョンを見せる。病気や衰弱を永久に打ち負かす「不死の薬」の存在をほのめかすのだ。このビジョンは、道教のようなさまざまな宗教や、聖杯崇拝のような秘教・秘術を支えてきたが、今日ほど広まっている時代はかつてない。「科学の進歩」という概念そのものが、科学は寿命を果てしなく延ばせることを前提としており、定評のある多数の科学者や科学技術者が、寿命は程なく大幅に延びると考えている。 だが、「生き残りのシナリオ」にすべてを賭けるという戦略は危うい。これまでのところ、成功率ははなはだ心もとないからだ』、「「生き残りのシナリオ」にすべてを賭けるという戦略は危うい。これまでのところ、成功率ははなはだ心もとないからだ」、それはその通りだろう。
・『キリスト教・アバター・人体冷凍……「死後の生」への切望  したがって、第二の道が代替策を提供してくれる。それによれば、たとえ死が訪れても、やり直しが利くという。これが「蘇(よみがえ)りのシナリオ」で、私たちは物理的に死なねばならないとはいえ、生前に持っていたものと同じ身体で物理的に復活できるという信念だ。 蘇るという希望は、単に生き永らえようとする試みほど基本的なものではないにせよ、やはり自然に根差している。自然界は冬に死を迎えるものの、翌年には勢いも新たに蘇る様子を、私たちは見慣れているからだ。春になると世界中の何十億という人が、この、死に対する生の勝利を、人間も蘇るという見込みとあからさまに結びつけ、復活祭のような祝祭で祝う。信者の多くは気づいていないが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三大一神教もみな、中心的教義として、文字どおりの物理的な蘇りを信じている。これらの宗教が初期に収めた成功は、この信念があればこそだった。 これらの古代からの伝統に加えて、別の形態の蘇りも、神よりテクノロジーを信頼したがる人々の間で人気が高まっている。たとえば、いつの日か 治療を施されて生き返ることを期待し、有償で遺体を凍結してもらう人体冷凍保存(クライオニクス)は、テクノロジーによる蘇りの新たな路線だ。 テクノロジーが急速に発展するなか、なおいっそうハイテクの蘇りの形態も提案されつつある。自分をコンピューターにアップロードし、それから新しい身体あるいはデジタルアバターにリロードする可能性がその一例だ』、「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三大一神教もみな、中心的教義として、文字どおりの物理的な蘇りを信じている。これらの宗教が初期に収めた成功は、この信念があればこそだった」、「イスラム教」まで「物理的な蘇りを信じている」とは初めて知った。「ハイテクの蘇りの形態も提案されつつある。自分をコンピューターにアップロードし、それから新しい身体あるいはデジタルアバターにリロードする可能性がその一例」、余り有難味があるとも思えないが・・・。
・『来世・生まれ変わり・輪廻(りんね)……「霊魂」による転生は可能か  とはいえ、来世では、たとえデジタル形式であってさえも、かつての身体を継承したがらぬ人もいる。物質界はあまりに当てにならず、永遠性を保証できないと思っているからだ。したがって彼らは、何らかの霊的存在、すなわち「霊魂」として生き延びることを夢見る。これが第三の道だ。 現在、地球上の人の大多数が、自分には霊魂があると信じている。じつに、イギリス人の3分の2、アメリカではそれよりもなお多くの割合の人が霊魂の存在を信じているという。この考えは、キリスト教では今や支配的な信念となっているだけでなく、ヒンドゥー教や仏教をはじめ、他の多くの宗教でも中核を成している。 この「霊魂のシナリオ」を信奉する人は「蘇りのシナリオ」の信奉者とは違い、この世に物理的に蘇ることにおおむね見切りをつけ、何かもっと霊的なものから成る未来を信じる。先の2つほどには自然に根差してはいないものの、この信念も直感から生じる。 夢や神秘体験の中で、人間は身体を抜け出る感覚を久しく抱いてきた。昔から多くの人には、霊魂や心はそれが宿っている肉体から分離でき、したがって、肉体なしに生き延びられるように思えたのだ』、「この「霊魂のシナリオ」を信奉する人は「蘇りのシナリオ」の信奉者とは違い、この世に物理的に蘇ることにおおむね見切りをつけ、何かもっと霊的なものから成る未来を信じる」、「物理的に蘇ることにおおむね見切りをつけ、何かもっと霊的なものから成る未来を信じる」、信じるハードルは低そうだ。
・『名声・栄光・遺伝子……第四の「不滅」を求めて  霊魂の概念は東洋でも西洋でももてはやされてきたものの、この概念にも疑いを抱く人はいた。物質志向の人の場合には、特にそうだ。そのような人でさえ、おそらく最も広く普及しているシナリオ、すなわち第四の道である「遺産(レガシー)のシナリオ」には慰めを見出すことができる。 この考えは、物理的な身体の存続も非物質的な霊魂も必要とせず、その代わりに、もっと間接的な形──名声や栄光、あるいは遺伝子といった形─―で未来まで存続することを主眼としている。名声と不死の結びつきは、古代世界では広く見られたし、それ以後も、ギリシア神話の英雄アキレウスがトロイアの戦場で長寿よりも永遠の栄光を選んだ例に、多くの人が倣(なら)ってきた。 文化には、生きとし生けるものには欠けている永続性と堅牢(けんろう)性が備わっており、したがって、永遠の生は、文化の領域に自らの居場所を確保できる人のものだと、古代ギリシア人は信じていた。今日私たちは、アキレウスが必死に栄光を求めたのに劣らず、名を上げようと躍起になっているように見える。文化の中に位置を占めようとする競争は、相変わらず熾烈(しれつ)だ。 多くの人は、名望だけではなく、より具体的なもの、すなわち子孫まで後に残す。私たちの遺伝子は不滅だと言われてきた。まさに生命の起源にまで、はるか何十億年も遡れるし、運が良ければ、遠い未来にまで続いていくだろうからだ。 あるいは、一部の人が主張するように、私たちの遺産は、地球上の生命の一環──個々の人間が死んだ後も末永く生き続ける超個体、いわゆる「ガイア」の一環──であったこと、さらには、発展していく宇宙の一環でさえあったことかもしれない』、「物理的な身体の存続も非物質的な霊魂も必要とせず、その代わりに、もっと間接的な形──名声や栄光、あるいは遺伝子といった形─―で未来まで存続することを主眼としている。名声と不死の結びつきは、古代世界では広く見られたし、それ以後も、ギリシア神話の英雄アキレウスがトロイアの戦場で長寿よりも永遠の栄光を選んだ例に、多くの人が倣(なら)ってきた」、なるほど。
・『結局、どうすれば「不死」を実現できるのか  これらのシナリオは、古代の神話から最近のマニュフェストまで、多種多様な形で示されるが、どの文化にも最低1つは見られ、生の道の道標となっている。何千年にもわたってたった1つの道をたどってきた文明もあれば、進む道を替えた文明もある。だが、4つのうちのどれにも支えられずに存続してきた文明は1つとしてない。どの文明にも不死のシナリオがあり、それらはみな、今挙げた4つのどれかに該当する。 今日の先進世界でも、4つのシナリオがすべて健在だ。ただし、単一の物語にまとめ上げられてはいない。むしろ、信念の市場でそれぞれの見方が競い合っている。市場を見て回り、じっくり考えてからどれにするか決める人もいれば、最新の流行を追う人もいるが、大半の人は単に、親が買ったものを買う。だが、承知していようといまいと、私たちの大多数は、山積みになった不死の信条のいずれかを買っている。 これらの不死の4つのシナリオの1つひとつは、私たちの文明を現在のもののようにならしめる上で、どのような貢献をしてきたのだろうか。そして同時に、これら4つの道のどれが本当に約束を果たす可能性があるのだろうか。 4つのシナリオは、人間の境遇に深く根差した側面に動機づけられて生み出されたが、だからといって、それらが正しいかどうかはわからない。みな、歴史の黎明(れいめい)期に人類によって成し遂げられた正真正銘の発見かもしれないし、あるいは、希望的観測の手の込んだ産物ということもありうる。 私たちは、不死の秘密を解明するように「死のパラドックス」(連載第1回参照)によって駆り立てられたのかもしれないし、あるいは、不死の秘密を創作するように駆り立てられたこともありうる。それぞれの道は歴史を通して、仮に何十億と言わぬまでも、何億、何千万という信奉者を集めてきた。そして、現在もなお、集めている。それぞれが、多数の哲学者や神学者や賢者に擁護されてきた。 そのうちの1つ、あるいはすべてが、深い森を抜け、雲の上の、不老不死の山の日当たりの良い頂上まで私たちを導いてくれるのか、どれ1つとして導いてはくれないのかは、まだ探求の途上なのだ』、「4つのシナリオは、人間の境遇に深く根差した側面に動機づけられて生み出されたが、だからといって、それらが正しいかどうかはわからない。みな、歴史の黎明(れいめい)期に人類によって成し遂げられた正真正銘の発見かもしれないし、あるいは、希望的観測の手の込んだ産物ということもありうる」、「まだ探求の途上なのだ」、「探求」は永遠に続くのだろう。
タグ:「私たちの強力な知性は、私たちも身の回りの他のあらゆる生き物同様、いつの日か死なねばならないという結論に情け容赦なく至る。それにもかかわらず、その一方では、私たちの頭脳には1つだけ想像できぬものがあり、それは、死という、自分が存在しない状態そのものだ。それは文字どおり、考えられない。 したがって、死は不可避かつ信じ難いものという印象を与える。これを私は「死のパラドックス」と呼ぶ」、確かに「死」は「想像できない」。 「文明という営みの大半を含め、私たちの成すことのじつに多くが、「不死」への衝動によって説明できるのだ』、なるほど。 スティーヴン・ケイヴ氏による「死は、それ自体が「パラドックス」である」 日経ビジネスオンライン 終活(死への準備) (その1)(哲学博士スティーヴン・ケイヴ4題中の前半:①死は それ自体が「パラドックス」である、②全生物のうち 人類だけが「発展」できた4つの理由) 「私たちは、強力な頭脳に恵まれているものの、同時に、死ぬだけではなく、死なねばならぬことを知るという宿命を負わされている」、「死に向かう存在」である以上、避けて通ることは出来ない。 「自分自身の死というのは、意識の終わりを伴うので、意識がないというのはどのようなものかを意識的になぞることはできない」、確かにその通りだ。 「進歩そのものが、無期限の生を求める私たちの抑え難い欲望の産物なのだ」、なるほど。 スティーヴン・ケイヴ氏による「全生物のうち、人類だけが「発展」できた4つの理由」 「4つの不死への願望」とはどういうことだろう。 「4つのシナリオは、私たちが自らの最も素朴な衝動、すなわち、生き続けたいという衝動を誘導する道筋でありながら、最も高度な知的偉業や宗教的偉業や芸術的偉業へとつながってきた」、ずいぶん有益なことにつながったようだ。 「「生き残りのシナリオ」にすべてを賭けるという戦略は危うい。これまでのところ、成功率ははなはだ心もとないからだ」、それはその通りだろう。 「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三大一神教もみな、中心的教義として、文字どおりの物理的な蘇りを信じている。これらの宗教が初期に収めた成功は、この信念があればこそだった」、「イスラム教」まで「物理的な蘇りを信じている」とは初めて知った。「ハイテクの蘇りの形態も提案されつつある。自分をコンピューターにアップロードし、それから新しい身体あるいはデジタルアバターにリロードする可能性がその一例」、余り有難味があるとも思えないが・・・。 「この「霊魂のシナリオ」を信奉する人は「蘇りのシナリオ」の信奉者とは違い、この世に物理的に蘇ることにおおむね見切りをつけ、何かもっと霊的なものから成る未来を信じる」、「物理的に蘇ることにおおむね見切りをつけ、何かもっと霊的なものから成る未来を信じる」、信じるハードルは低そうだ。 「物理的な身体の存続も非物質的な霊魂も必要とせず、その代わりに、もっと間接的な形──名声や栄光、あるいは遺伝子といった形─―で未来まで存続することを主眼としている。名声と不死の結びつきは、古代世界では広く見られたし、それ以後も、ギリシア神話の英雄アキレウスがトロイアの戦場で長寿よりも永遠の栄光を選んだ例に、多くの人が倣(なら)ってきた」、なるほど。 「4つのシナリオは、人間の境遇に深く根差した側面に動機づけられて生み出されたが、だからといって、それらが正しいかどうかはわからない。みな、歴史の黎明(れいめい)期に人類によって成し遂げられた正真正銘の発見かもしれないし、あるいは、希望的観測の手の込んだ産物ということもありうる」、「まだ探求の途上なのだ」、「探求」は永遠に続くのだろう。
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人生論(その11)(アインシュタイン「人生最大の失敗」の驚くべき顛末、養老孟司「東大医学部に入るのは超高血圧になるのと同じで 褒められることではない」 日本では「頭の世界」が大きくなり過ぎている、養老孟司「『自分の人生は自分のもの』という考え方からは 生きる意味なんて出てこない」 だから「なぜ死んではいけないんですか?」と考える) [人生]

人生論については、3月8日に取上げたばかりだが。今日は、(その11)(アインシュタイン「人生最大の失敗」の驚くべき顛末、養老孟司「東大医学部に入るのは超高血圧になるのと同じで 褒められることではない」 日本では「頭の世界」が大きくなり過ぎている、養老孟司「『自分の人生は自分のもの』という考え方からは 生きる意味なんて出てこない」 だから「なぜ死んではいけないんですか?」と考える)である。

先ずは、3月6日付けAERAdot.「アインシュタイン「人生最大の失敗」の驚くべき顛末」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2022022200057.html?page=1
・『誰もが知る天才・アインシュタインには「人生最大の失敗」があったという。彼を長年にわたって悩ませた「失敗」の驚くべき顛末とは――。その逸話を宇宙物理学者・須藤靖(東京大学教授)の著書『宇宙は数式でできている』(朝日新書)より抜粋して紹介する』、興味深そうだ。
・『■アインシュタインの「人生最大の失敗」  アインシュタインは、現在アインシュタイン方程式として知られている一般相対論の基礎方程式に基づいて宇宙がどのように振る舞うのかを計算した結果、無限の過去から無限の未来まで、ずっと同じ状態のままであり続ける静的な宇宙はあり得ず、宇宙は必然的に時間変化することを「発見」しました。 今の我々であれば、「宇宙が時間変化しても別にいいじゃん」と簡単に納得することでしょう。しかし、その当時、特に西欧においては「神が創られた宇宙は完璧なものであり、それが時々刻々変化するなどもってのほかだ」と考える人々が大多数でした。このように時間変化する宇宙という結論は、アインシュタインにとっては悩みの種でした。 そこで彼は、一般相対論が静的宇宙解を持つように、もともとのアインシュタイン方程式に新たな項を付け加えました。それはアインシュタインの宇宙項と呼ばれ、それに対応する定数Λ(ラムダ)は宇宙定数と呼ばれています。 ダーウィンの進化論を学校で教えることを禁止した州があったり、今でも国民の4割が進化論を信じていないとされたりする米国の例を考えれば、このような宗教的な偏見が科学に影響を与えることは、決して過去の話ではありません。そのような偏見とはほぼ無縁な日本は世界的に珍しいというべきなのです。 しかしながら、このΛ項を導入すべき積極的理由がない限り、勝手にそれを追加してしまうと一般相対論の美しさを減じてしまう、とアインシュタインは考えました。古くからの宇宙観と物理学理論の美しさの間で、アインシュタインはとても悩んだのです。 こうして宇宙は時間変化してはならないと考えたアインシュタインは、1917年に渋々宇宙項を追加することに決めたのです。) ところが、米国の天文学者エドウィン・ハッブル(1889―1953)は、遠方の銀河が我々から遠ざかる速度とそれらの銀河までの距離が比例している観測事実を論文にまとめて1929年に出版しました。 通常、この比例関係はハッブルの法則と呼ばれ、宇宙が膨張している観測的証拠として知られています。 ハッブルの研究結果から観測的には宇宙が膨張していることを知ったアインシュタインは、1931年の論文で宇宙項がもはや必要ないことを認め、それを撤回しました。その際に彼は「宇宙定数の導入は自分の人生最大の失敗だった」と述べたとされています。あのアインシュタインでも間違えるのかという驚きもあり、「人生最大の失敗」という言葉は広く知られるようになりました。 ところで、ベルギーのカトリック司祭で宇宙論の研究者でもあったジョルジュ・ルメートル(1894―1966)が、ハッブルより2年早い1927年にこの比例関係を発見していたことが明らかになっています。残念なことに、彼の原論文はフランス語で書かれており、しかもあまり有名ではない雑誌に掲載されていたため、その事実は長い間ほとんど知られていませんでした。この事実が広く認められるようになったため、世界中の天文学者の組織である国際天文学連合は、2018年、今後はハッブルの法則ではなくハッブル・ルメートルの法則と呼ぶことを推奨する決議を可決しました』、「ハッブルの研究結果から観測的には宇宙が膨張していることを知ったアインシュタインは、1931年の論文で宇宙項がもはや必要ないことを認め、それを撤回しました」、さすがいさぎよい「撤回」だ。
・『■蘇るアインシュタインの宇宙定数  このように、宇宙が時間変化していることが定着すると、宇宙定数は理論的にはもはや不要なお荷物だと見なされるようになりました。その一方で、宇宙定数が存在しないことを証明するのもまた極めて困難です。しかし、宇宙論研究者の大半はそれをほぼ無視し続けていました。 ところが、アインシュタインが撤回してから半世紀以上経った1980年代末頃から、宇宙の観測データの質と量がともに飛躍的に向上し、実はΛ項がやはり必要ではないかと考えられ始めたのです。私が博士号を取得したのはまさにこの時期であり、実際に宇宙定数を主たる研究テーマとしていました。 特に日本においては、1990年代初めには、宇宙論の理論研究者の間で、宇宙定数が存在することはほぼ確実だとの理解が共有されていました。国際的には、米国のプリンストン大学やテキサス大学、英国のケンブリッジ例えば、1995年には米国のローレンス・バークレー国立研究所のソール・パールムターのグループが、遠方の超新星を用いた観測から、宇宙定数は存在しないとする論文を発表しました。その年に京都で開催された国際天文学連合総会の際のシンポジウムで、パールムター氏が行った講演に対して、私は「理論的には宇宙定数が存在するという間接的証拠が積み上がっているが、あなたのグループの観測結果はどこまで確実に宇宙定数を否定していると考えているのか」と質問しました。これは、その当時、宇宙定数の存在を支持していた日本の理論研究者の疑問を代表したものだったように思います。 実際その後、彼のグループ、及びハーバード大学のブライアン・シュミットとアダム・リースたちのグループは、互いに独立に多くの観測データを追加し、それらに基づいた解析結果から、宇宙膨張は減速ではなく加速していると結論する論文を1998年に発表しました。さらにその後の観測が積み上がるにつれて、その結果はより確実になりました。この宇宙の加速膨張の発見によって、パールムター、シュミット、リースの3名は、2011年のノーベル物理学賞を受賞しました。そして、その加速膨張の原因としてもっとも有力視されているのが、宇宙定数なのです。 ところで、その当時の状況を指して、「彼らの発見は、それまで予想もされていなかった宇宙定数の存在を示した衝撃的な結果であった」と述べる人も多くいるようですが、これは明らかな間違いです。意図的に話を盛っているのか、あるいは単にその前後の研究の流れを知らないだけなのかはわかりません。 しかし先述のように、少なくとも私の周りの研究者たちは、宇宙定数が存在しないとした1995年のパールムターの最初の論文にこそ驚いたものの、それを自ら否定した1998年の論文の結果に対しては、「やっぱり予想通りだったね」といった反応だったと思います』、「その当時、宇宙定数の存在を支持していた日本の理論研究者の疑問を代表したものだった」、「日本の理論研究者」のレベルは相当高かったようだ。

次に、3月19日付けPRESIDENT Onlineが掲載した解剖学者・東京大学名誉教授の養老 孟司氏による「養老孟司「東大医学部に入るのは超高血圧になるのと同じで、褒められることではない」 日本では「頭の世界」が大きくなり過ぎている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/55681
・『解剖学者の養老孟司さんが『子どもが心配 人として大事な三つの力』(PHP新書)という本を出した。養老さんは「『バカの壁』で訴えた都市化の問題が行き着くところまできて、子どもが次々と死ぬ社会になってしまった。この社会のおかしさを、一度立ち止まって考えてほしい」と語る。前後編の特別インタビューをお届けする――。(前編/全2回)』、「子どもが次々と死ぬ社会になってしまった」とは穏やかでない。どういうことだろう。
・『日本は「児童虐待社会」  たまに東京にいくと、夜の9時ごろ、地下鉄で子どもが走り回っているのです。こっちは爺さんですから叱ろうかと思ったんですが、思い直した。 おそらくこの子たちは、学校が終わった後に塾か習い事に行っていたのではないか。夕飯を食べたのかどうかはわからないけれど、こんな時間になってやっと解放されて、だからこうして地下鉄で走り回っているのではないかと。 こうした場面に遭遇すると、つくづく日本社会は「児童虐待社会」だと思います。 実際、日本は子どもの自殺が大変に多い国です。令和3年版の自殺対策白書(厚労省)によれば、わが国の10~39歳の死因の第1位は自殺です。G7の中でも15~34歳の死因の第1位が自殺である国は日本だけ。つまり、国際的に見ても際立って異常な状態にあるのです。 僕が子どもの頃は、もちろん病気や事故で亡くなる子どもはいましたけれど、学齢期の子どもが自殺するなんていうことはまずなかった。そんなことがあれば「異常な事件」として扱われたと思いますが、いまや、子どもの自殺は普通の出来事になってしまった感があります』、「G7の中でも15~34歳の死因の第1位が自殺である国は日本だけ」、「子どもの自殺は普通の出来事になってしまった感があります」、言われてみればその通りだ。
・『かつて日本は子どもの天国だった  昔は、いまに比べれば生活がはるかに不便で、その分人手がたくさん必要でした。だから僕だけでなく、子どもたちはみな家事を手伝わされたものだけれど、その代わり、塾もなければ、習い事もなかった。家の手伝い以外に子どもがやらなくてはいけないことなんて、何もなかったんです。何もやることはなかったけれど、子どもたちはみんな生き生きとしていました。 僕の子ども時代よりもさらに昔、明治維新の前に日本にやってきた欧米人が書き残した記録を読むと、「日本の子どもは勝手気ままで幸せそうだ。そして、大人も子どもも笑っている」なんてことが書いてある。 欧米人は大人と子どもの世界をはっきりと区別しますから、大人と子どもが一緒になって笑っている日本の社会が、いかにも不思議なものとして映ったのでしょう。いずれにせよ、かつての日本では、大人と子どもが屈託なく笑い合って暮らしていたわけです。 でも、いまはあまり笑っていないんじゃないですかね。 果たしていまの日本に、学校が終わった後、友だちと一緒に野山を駆けずり回ったり、何も考えずに、ただぼんやりと風景を眺めて過ごしている子どもがどれほどいるでしょうか。地方に行ったからといって、そういう子どもに出会えるわけではないのです。 こうした状況は、いまに始まったことではありません。すでに昭和30年代の終わりごろから、都市化が進み、子どもの遊び場も、遊ぶ時間も一貫して少なくなっている。その結果として、生き生きとした子どもの日常が日本社会から失われてしまったのです。 子どもの自殺について、明らかに社会に問題がある。僕は、そう考えています』、「すでに昭和30年代の終わりごろから、都市化が進み、子どもの遊び場も、遊ぶ時間も一貫して少なくなっている。その結果として、生き生きとした子どもの日常が日本社会から失われてしまったのです。 子どもの自殺について、明らかに社会に問題がある」、その通りだ。
・『東大理三に入る人は明らかに異常  いかに日本社会が異常な状況にあるかは、大学入学共通テストの当日、東大の前で刺傷事件を起こした高校生のことを考えればよくわかります。 彼は東大の理科三類(医学部進学コース)に入らないと生きる意味がないと考えていたわけですが、これを血圧検査に当てはめて考えてみましょう。 現代の血圧検査では、まずはたくさんの人の血圧を測定して統計を取り、正常値と異常値(高血圧、低血圧)の範囲を決めて、被検者の血圧が正常の範囲にあるのか異常の範囲にあるのかを判定します。 統計に使う測定データの人数が十分に多ければ、血圧の分布はベルカーブ(正規分布)を描きます。ちょうど、教会の鐘(ベル)のような形になるわけです。 そして、このベルカーブのうち、最も人数の多い中央値(ベルの中心)から左右両方にそれていって、95%までに入る範囲を「正常値」とし、そこから先の2.5%+2.5%=5%を「異常値」としています。 血圧の測定では最高血圧と最低血圧の両方を測りますが、最高血圧で言えば、高いほうの異常値は140以上、低いほうの異常値は100以下。つまり140を超えれば高血圧、100を下回れば低血圧と判定されるのです。いずれも、「全体の中では大きく外れていますよ、だから異常ですよ」ということを意味しています。 では、東大理三はどうなのかといったら、偏差値は80を超えており、合格者数は100人ぐらいしかいない。つまり、ベルカーブでいえば最も右の端に位置しているわけで、血圧測定に倣っていえば、完全なる異常値です』、「東大理三・・・偏差値は80を超えており、合格者数は100人ぐらいしかいない。つまり、ベルカーブでいえば最も右の端に位置しているわけで、血圧測定に倣っていえば、完全なる異常値です」、「偏差値」が「完全なる異常値」とは面白い捉え方だ。
・『日本にはびこるおかしなダブルスタンダード  ところがどういうわけでしょうか、頭の評価に関しては「全体の人数の中で大きく外れている方がよい」ということになっている。体の評価では異常とされることが、頭の評価だと正常どころか、むしろよいことだとされているのです。 僕の常識に照らしたら、人間そんなもんじゃないだろうと。頭の評価と体の評価が異なるなんていうことは、普通に考えればまったくおかしなことです。頭に関してだって、ベルカーブの右端は、当然、異常なはずです。異常で病気だから、東大理三(医学部)に入るんでしょうと。 だけど、現代の日本では体よりも頭のほうが偏重されているから、東大理三は素晴らしいということになってしまう。日本社会にはこうした、おかしなダブルスタンダードがいくつも存在しています。おそらく刺傷事件を起こした高校生は、このダブルスタンダードの存在によって精神が混乱してしまったのではないでしょうか。』、「現代の日本では体よりも頭のほうが偏重されているから、東大理三は素晴らしいということになってしまう。日本社会にはこうした、おかしなダブルスタンダードがいくつも存在しています」、その通りだ。
・『「いい人生ってどういう人生ですか?」  少し前のことになりますが、子どもの質問に大人が真面目に答えるというテレビ番組に出演する機会がありました。すると、ある子どもからこんな質問がきたのです。 「いい人生ってどういう人生ですか?」 僕はびっくりしてしまった。 長ければ100年にもおよぶ人生には、当然、紆余うよ曲折があり、いい時もあれば悪い時もある。とてもひと言で説明できるものではありません。昔だったら、こんな事を大人に質問しようものなら、「生意気なことを言うもんじゃない」と一喝されたでしょう。 しかしこの子は、いい人生とは何かを言葉で聞きたかったわけです。言葉で聞くことによって疑問を解決したかった。別のときに高校生から「なぜ、死んではいけないのですか?」と聞かれたこともありました。 この子たちの頭の中に、世の中には言葉では説明できないことがあるということが入っていないのです。言葉ですべて説明できると思っているのが「情報化」で、頭の世界が大きくなり過ぎている結果だと思います』、「この子たちの頭の中に、世の中には言葉では説明できないことがあるということが入っていないのです。言葉ですべて説明できると思っているのが「情報化」で、頭の世界が大きくなり過ぎている結果だと思います」、本来、親などの大人が、教えるべきことだ。
・『言葉で説明できないことがある  僕は大学で解剖を教えていました。 授業はほとんど実習です。講義なんて、年に一度しかなかった。人の体や生死のことは、口でしゃべって教えられることじゃないからです。 仏教でいうところの「四苦」。つまり、「生老病死」、生きて、老いて、病気を得て、死ぬということは、自然なことで、誰も予定してやっているわけではありません。だけど、親たちは子どもの進路についてだけは予定を決めて、あっちにいけ、こっちにいけとやっている。 そこで育った子どもたちは、子ども時代に味わう喜びを先送りさせられています。 子どもを楽しませることなんて、本来はとても簡単なこと。しかし、多くの大人たちはその簡単なことすら、手を抜いてやろうとしない。だから、子どもたちは、これから先も人生は灰色で楽しいことなど何もないと思って、自殺してしまうのでしょう。 都心部では中学受験が過熱して、受験準備が低年齢化していると聞きます。こういうところに「児童虐待社会」の姿がくっきり浮かび上がっていると、僕は思うのです。(後編につづく)』、「都心部では中学受験が過熱して、受験準備が低年齢化していると聞きます。こういうところに「児童虐待社会」の姿がくっきり浮かび上がっている」、同感である。

第三に、この続きを、3月20日付けPRESIDENT Online「養老孟司「『自分の人生は自分のもの』という考え方からは、生きる意味なんて出てこない」 だから「なぜ死んではいけないんですか?」と考える」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/55709
・『解剖学者の養老孟司さんが『子どもが心配 人として大事な三つの力』(PHP新書)という本を出した。養老さんは「戦後の日本では、『自分の人生は自分のものである』という考え方が広がった。しかし、こういう考え方からは生きる意味なんて出てこない」と語る。前後編の特別インタビューをお届けする――。(後編/全2回)』、「養老さんは「戦後の日本では、『自分の人生は自分のものである』という考え方が広がった。しかし、こういう考え方からは生きる意味なんて出てこない」と語る」、どういうことなのだろう。
・『このままでは日本人は消えていなくなる(前編から続く)(「児童虐待社会」がどうして出現したかといえば、それは「都市化」と深い関係があります。 都市化とは人間が頭の中で考えたことを外に出して街をつくるということ。「脳化」と言い換えてもいい。僕はいつも「ああすれば、こうなる」というのですが、そういう考えでつくられているのが都市である、ということです。 たとえば、都市では切符を買って電車に乗れば、目的地に着くでしょう。これも、「ああすれば、こうなる」の一例。都市はそのように作られている。しかし、自然の中ではそうはいきません。森の中で迷ってしまえば、どこにたどり着くかわからないのです。 ある国なり地域なりが都市化すると、多くの場合、少子化が起こります。先進国の都市ではどこもかしこも出生率が下がって、少子化が起こっている。なぜかといえば、都市は頭でつくられているのに対して、子どもは自然だからです。ひとりでに生まれてきて、親の思うようになりません。 だから、都市では子どもを排除することが暗黙の了解になっているのです。 実際、丸の内のまん中や新宿副都心の高層ビル街を歩いている子どもなんて、ほとんど見たことがないでしょう。都市にとって、子どもは厄介で邪魔な存在。それゆえに、子どもを産むことを控えたり、産んでも急いで大人にしようと教育したり、管理したりする。こうしたことが少子化の根本的な原因であり、児童虐待社会の実相です。 先日もニュースになっていましたが、日本の出生数は6年連続で過去最少を記録していて、2021年の速報値で約84万人。厚労省が発表している2020年の合計特殊出生率は1.33しかありません。 大ざっぱに言って、ひと世代で半分ぐらいに減っているんだから、このままいけば遠からず日本は消える。日本から物理的に人間がいなくなってしまう日が本当にやってくると、僕は考えています』、「都市では切符を買って電車に乗れば、目的地に着くでしょう。これも、「ああすれば、こうなる」の一例。都市はそのように作られている」、「先進国の都市ではどこもかしこも出生率が下がって、少子化が起こっている。なぜかといえば、都市は頭でつくられているのに対して、子どもは自然だからです。ひとりでに生まれてきて、親の思うようになりません。 だから、都市では子どもを排除することが暗黙の了解になっている」、「子どもは自然だからです。ひとりでに生まれてきて、親の思うようになりません」、これは傑作だ。
・『「自分の人生は自分のもの」ではない  個人主義の弊害も、子どもの問題を考える上でとても重要です。 戦後の日本の強い傾向で、いわゆる個人主義が広がった。「自分の人生は自分のものである」という考えが蔓延しました。 もしかするとこの文章をお読みのみなさんも、「自分の人生は自分のものである」と考えているかもしれないし、それで何が悪いのかと思うかもしれない。ですが、この考え方は子どもの自殺と大いに関係があると僕は思うのです。「なぜ、死んではいけないんですか?」と質問する子どもは、暗黙のうちに、自分の人生は自分のものなんだから、自分の体をどうしようと勝手だろうと考えています。 これはとんでもないことです。自分の人生は自分のものなんかでは、まったくない。もちろん、自分の人生は他人のものでも国家のものでもありませんが、自分ひとりのものであるという考え方からは、生きる意味なんて出てこないのです』、「自分ひとりのものであるという考え方からは、生きる意味なんて出てこないのです」、なるほど。 
・『人生の意味は外部にある  これは『バカの壁』(新潮新書)でも触れたことですが、V・E・フランクルというアウシュビッツ強制収容所に収容された体験を持つ心理学者は、「意味は外部にある」という言葉を残しています。わかりやすく言えば、「人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる」(前掲書より)ということです。 つまり、周囲の人や社会との関係がないところから、生きている意味は生まれてこないとフランクルは言うわけですが、個人主義の広がりによって、農村共同体やその代替物だった会社という共同体すら崩壊してしまった現代の日本では、生きる意味を見いだすことがとても難しくなっています。 いや、会社という共同体は存続しているじゃないかと言う人がいるかもしれない。しかし、本物の共同体はメンバーの首を切ったりはしません。リストラなんてするはずがない。ワークシェアをせずに平然とリストラをする日本企業は、もはや共同体とは呼べないのです。 現代の子どもたちは、共同体が崩壊してしまった社会の中で、生きる意味を見失ってしまっている。共同体には共通の目的が必要で、以前であれば「食べていくこと」だった。農作業は皆で協力してやらないとできなかったことが、いま機械を使えば一人でできてしまう。だから、共同体を再生することは――挑戦している人はいますけれど――とても難しいことだと僕は思います』、「周囲の人や社会との関係がないところから、生きている意味は生まれてこないとフランクルは言うわけですが、個人主義の広がりによって、農村共同体やその代替物だった会社という共同体すら崩壊してしまった現代の日本では、生きる意味を見いだすことがとても難しくなっています」、「ワークシェアをせずに平然とリストラをする日本企業は、もはや共同体とは呼べないのです」、その通りだ。
・『解決策は「自然のなかに身を置くこと」  では、どうしたらいいかといったら、もう少し素直に自然と向き合う、子どもと向き合うということだと思っています。 こういっても、あんまりピンとこない人が多いかもしれません。これも言葉で説明できるものではなく、自然のなかにいればひとりでにわかってくることだからです。 先日、僕は福島県の会津地方を旅していました。旅館の窓から外の景色を眺めていると、ちょうど雪が降り始めました。旅館を取り囲む木々の細い枝一本一本に雪が降り積もって、風景が少しずつ白くなっていく。 その様子を眺めていると、ものすごく気持ちがいい。 いつまで眺めていても飽きるということがないのです。子どもが夢中になっているゲームなどのデジタルな刺激とは違って、自然は向こうから働きかけてくることはありません。しかし、自然の中にじっと身を置いていると、徐々に自分が自然と同一化していくのがわかる。これが、とても心地いいのです。 少し理屈っぽいことを言えば、1本の木だって35億年という途方もない歳月を生き延びてそこに生えているわけで、その形状がいい加減にできているはずがない。一本一本の細い枝の先端にいたるまで、自然のルールを反映しているのです。そして、自然の中に身を置いていると、その自然のルールに、われわれの体の中にもある自然のルールが共鳴をする。すると、いくら頭で考えてもわからないことが、わかってくるのです』、「自然の中に身を置いていると、その自然のルールに、われわれの体の中にもある自然のルールが共鳴をする。すると、いくら頭で考えてもわからないことが、わかってくるのです」、やや出来過ぎとの印象を受ける。
・『いじめ問題も都市化で深刻になった  子どもに、自分の体が田んぼとつながっていることを教えないといけない。 科学的にいえば、人間の体は物質でできていて、それはどこから来たかといえば、多くは田んぼからきている。田んぼとか、海とか、川とかが、形を変えてあなたの体になっているんだよってことを教えないといけない。 自然と自分とのつながり、世界とのつながりといってもいいのだけど、自然と自分は地続きであることを感じてほしい。 いじめの問題が大きくなってしまっているのも、子どもに本来あった自然とのつながりが断たれて、子どもの世界が狭くなってしまったことが原因です。人が何かとのつながりを求める生き物だとしたら、自然とのつながりを失った代わりに、子どもの中で身近な人間関係が非常に大きなウエイトを占めるようになってしまった。 昔からいじめはありました。だけど、昔の子は、いじめられたら、海や山や川に逃げることができたんです。僕なんかは、いじめられても、夜に電球にカブトムシが飛んできたら、全部、忘れていましたっけ』、「人が何かとのつながりを求める生き物だとしたら、自然とのつながりを失った代わりに、子どもの中で身近な人間関係が非常に大きなウエイトを占めるようになってしまった」、「いじめ問題」にもつながっているとの主張は、説得力がある。
・『知性は自然のなかで磨かれ  僕は昆虫採集が好きですが、虫とり仲間と話しているととても面白
い。 連中は異口同音に、「体に力が入っていると虫は見えない」と言います。とろうとろうと思うと体に力が入ってしまい、虫にこちらの気配を悟られて逃げられてしまうからです。 反対に、じっと森の中に座って自然と同一化すると、虫がどこにいるかがよく見えるようになり、やがて虫や動物の方から近寄ってくるようになる。そんな禅宗のお坊さんの悟りのような状態を、みんな体験しているのです。 ずっと蝶ばかりとっていた友人が網を振っているのを見ていたら、古武道の達人で研究者の甲野善紀さんの刀の使い方とよく似ていて、驚いたことがあります。言うこともそっくりです。自然のなかで虫取り網を振っていれば、剣術の修行をしているのと同じ学びがあるわけです。 ひとりでに身につく自然のルールや知性は、入学試験で判定できるようなものではありません。ですが、それを手に入れることは後々の人生すべてに大きく影響を与えます。「人生という試験に耐えられる人間になる」と言ってもいい。人生100年時代であることを考えれば、子どもを塾に行かせたり、習い事漬けにするよりも、自然のルールを身につける方がはるかに大切なことではないでしょうか。 だからといって、田舎に移住しろと言うつもりも、取ってつけたような自然体験をさせろと言うつもりもありません。あくまでも「田舎風」でいいのです。空き地があって、虫がいて、そこに行けばいつでも仲間に会える。それで十分なのです。 僕は、都市化した社会、脳化した社会の先を切り開いていくのは、泥だらけになって野山をかけ回っている子どもたちだと思っているのです』、「人生100年時代であることを考えれば、子どもを塾に行かせたり、習い事漬けにするよりも、自然のルールを身につける方がはるかに大切なことではないでしょうか」、同感であるが、都会のなかで実現していくにはハードルが高いようだ。
タグ:「人生100年時代であることを考えれば、子どもを塾に行かせたり、習い事漬けにするよりも、自然のルールを身につける方がはるかに大切なことではないでしょうか」、同感であるが、都会のなかで実現していくにはハードルが高いようだ。 「人が何かとのつながりを求める生き物だとしたら、自然とのつながりを失った代わりに、子どもの中で身近な人間関係が非常に大きなウエイトを占めるようになってしまった」、「いじめ問題」にもつながっているとの主張は、説得力がある。 「自然の中に身を置いていると、その自然のルールに、われわれの体の中にもある自然のルールが共鳴をする。すると、いくら頭で考えてもわからないことが、わかってくるのです」、やや出来過ぎとの印象を受ける。 「周囲の人や社会との関係がないところから、生きている意味は生まれてこないとフランクルは言うわけですが、個人主義の広がりによって、農村共同体やその代替物だった会社という共同体すら崩壊してしまった現代の日本では、生きる意味を見いだすことがとても難しくなっています」、「ワークシェアをせずに平然とリストラをする日本企業は、もはや共同体とは呼べないのです」、その通りだ。 「自分ひとりのものであるという考え方からは、生きる意味なんて出てこないのです」、なるほど。 「都市では切符を買って電車に乗れば、目的地に着くでしょう。これも、「ああすれば、こうなる」の一例。都市はそのように作られている」、「先進国の都市ではどこもかしこも出生率が下がって、少子化が起こっている。なぜかといえば、都市は頭でつくられているのに対して、子どもは自然だからです。ひとりでに生まれてきて、親の思うようになりません。 だから、都市では子どもを排除することが暗黙の了解になっている」、「子どもは自然だからです。ひとりでに生まれてきて、親の思うようになりません」、これは傑作だ。 PRESIDENT Online「養老孟司「『自分の人生は自分のもの』という考え方からは、生きる意味なんて出てこない」 だから「なぜ死んではいけないんですか?」と考える」 「都心部では中学受験が過熱して、受験準備が低年齢化していると聞きます。こういうところに「児童虐待社会」の姿がくっきり浮かび上がっている」、同感である。 「この子たちの頭の中に、世の中には言葉では説明できないことがあるということが入っていないのです。言葉ですべて説明できると思っているのが「情報化」で、頭の世界が大きくなり過ぎている結果だと思います」、本来、親などの大人が、教えるべきことだ。 「現代の日本では体よりも頭のほうが偏重されているから、東大理三は素晴らしいということになってしまう。日本社会にはこうした、おかしなダブルスタンダードがいくつも存在しています」、その通りだ。 「東大理三・・・偏差値は80を超えており、合格者数は100人ぐらいしかいない。つまり、ベルカーブでいえば最も右の端に位置しているわけで、血圧測定に倣っていえば、完全なる異常値です」、「偏差値」が「完全なる異常値」とは面白い捉え方だ。 「すでに昭和30年代の終わりごろから、都市化が進み、子どもの遊び場も、遊ぶ時間も一貫して少なくなっている。その結果として、生き生きとした子どもの日常が日本社会から失われてしまったのです。 子どもの自殺について、明らかに社会に問題がある」、その通りだ。 「G7の中でも15~34歳の死因の第1位が自殺である国は日本だけ」、「子どもの自殺は普通の出来事になってしまった感があります」、言われてみればその通りだ。 「子どもが次々と死ぬ社会になってしまった」とは穏やかでない。どういうことだろう。 「養老孟司「東大医学部に入るのは超高血圧になるのと同じで、褒められることではない」 日本では「頭の世界」が大きくなり過ぎている」 PRESIDENT ONLINE 「その当時、宇宙定数の存在を支持していた日本の理論研究者の疑問を代表したものだった」、「日本の理論研究者」のレベルは相当高かったようだ。 「ハッブルの研究結果から観測的には宇宙が膨張していることを知ったアインシュタインは、1931年の論文で宇宙項がもはや必要ないことを認め、それを撤回しました」、さすがいさぎよい「撤回」だ。 AERAdot.「アインシュタイン「人生最大の失敗」の驚くべき顛末」 (その11)(アインシュタイン「人生最大の失敗」の驚くべき顛末、養老孟司「東大医学部に入るのは超高血圧になるのと同じで 褒められることではない」 日本では「頭の世界」が大きくなり過ぎている、養老孟司「『自分の人生は自分のもの』という考え方からは 生きる意味なんて出てこない」 だから「なぜ死んではいけないんですか?」と考える) 人生論 「養老さんは「戦後の日本では、『自分の人生は自分のものである』という考え方が広がった。しかし、こういう考え方からは生きる意味なんて出てこない」と語る」、どういうことなのだろう。
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人生論(その10)(「人生はドラゴンボール」 養老孟司先生が東大時代の悩みを語った発掘インタビュー、50代で「若年性アルツハイマー」になった、脳外科医の妻が見続けた「夫の過酷」 まさか自分がなるなんて…、50代で「若年性アルツハイマー」と診断された 元脳外科医の「その後の人生」 人生に絶望する必要なんてない) [人生]

人生論については、昨年12月19日に取上げた。今日は、(その10)(「人生はドラゴンボール」 養老孟司先生が東大時代の悩みを語った発掘インタビュー、50代で「若年性アルツハイマー」になった、脳外科医の妻が見続けた「夫の過酷」 まさか自分がなるなんて…、50代で「若年性アルツハイマー」と診断された 元脳外科医の「その後の人生」 人生に絶望する必要なんてない)である。

先ずは、本年2月2日付けデイリー新潮「「人生はドラゴンボール」 養老孟司先生が東大時代の悩みを語った発掘インタビュー」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/02020605/?all=1
・『養老孟司さんが、悩める若い人に向けてわかりやすい言葉で語りかけたロング・インタビュー。収録されているのは、自身が編集に携わった、ムック『養老先生と遊ぶ』(2005年刊行)だ。 旧知の編集者を相手に、対人関係が苦手だった青春時代、苦痛だった組織人時代についても赤裸々に語っている。東大に勤務している頃には、毎晩ウイスキーのボトルを空けていたような時期もあったというのだ。 そこからどう脱したか。いままさに「壁」に当たっている人には励みにもなるのではないだろうか。刊行から時間が経ち、現在は入手困難となっているムックからの発掘インタビューをお届けする(一部、原文に改行など修正を施しています)(Qは聞き手の質問、Aは養老氏の回答)』、「毎晩ウイスキーのボトルを空けていたような時期もあった」、よほどストレスにさらされていたようだ。
・『いろんなことができ始めたのは中年になってから  Q:対人関係は苦手とはいっても、医者になろうとされたわけですよね? A:母親が医者でしたからね。最初は虫を専門にしようと思ったんです。でも、調べたら、虫が思う存分できそうだったのは、九州大学だったんです。それを母親に言ったら、「そんなに遠くに行くのはやめろ」と大反対でした。父親はぼくが4歳のときに死んでいましたしね。 そこまで言われたら、まあ、虫はいつでもできるかなあ、と思ったわけです。その後、大学をやめる60歳近くまで、できなかったけどね(笑)。 それで、医者は医者でも、精神科医になろうと思ったんです。だけど、希望者が多くて、クジに外れちゃいました。そこで、考え直したんです。これは臨床を選ぶな、ということだなあと。だから、大学院に行くことにしたんです。 時代は今と違っていてね、昭和30年代、右肩上がりの時代だったんです。だから、やってみて食えなくてもなんとかなるだろうっていう腹です。「流れ」ですね。(略) 「スルメを見てイカがわかるか」と何度も解剖の意味を問われ続けて、60歳すぎて、答えが出ました。「スルメを作っているのはおまえたちだろう」って。生きている人間を「情報」としてしか扱ってないんだから。(注:養老氏の専攻している解剖学について、「死んだイカ=スルメをいくら見ても、生きているイカのことはわからないだろう」という類の疑問をぶつけられた経験について語っている) Q:60歳まで答えが出ないことがあるんですね。 A:そうですよ。そんなに簡単にはいかないですよ。それって悪いことではないんですよ。むしろ逆です。なにかをしていくときに、簡単じゃつまらないじゃないですか。 比叡山の千日行(せんにちぎょう)ってあるでしょう? あれですよ。修行なんです。解剖は修行でした。 絵描きとか彫刻家っていうのは、絵とか彫刻とか形になるからわかりやすいよね。論文がその形かというと、あれは、言語にまとめる、ただの「情報化」の作業ですしね。 「なんで解剖なんてやるの?」って言うけど、修行というのは、やった自分こそが作品じゃありませんか? 千日行なんて、山の中を歩くそのこと自体が世の中の役に立つわけじゃないでしょう。それ自体に意味があるというよりも、それをやったその人にとって意味があるということです。だから「修行」だと思うとね、いろんなことができますよ。 本気で業績をあげようなんて思っていなかったせいでしょうけれど、いろんなことができ始めたのは中年になってからです。昔から、母親にも親戚にも、「あんたは長生きしなくちゃ損だよ」といわれてましたけど(略)。 Q:お母さんは95歳まで長生きされたんですよね。それを考えると、人生の先が長いですね。 A:そうそう。覚悟しろっていうんだ。 Q:誰に言っているのかわかりませんが……先生はしつこいタイプですね。 A:追求型と言ってください。人生は「ドラゴンボール」なんです。 Q:マンガの「ドラゴンボール」ですか? A:あの話はどんどん未知の世界に出かけて自分がバージョンアップしていくでしょう? 結果がわからない。あれを読んだり見たりしている子供のほうが、大人よりもよっぽどいろんなことをわかっているんじゃないかな。 人生は、マラソンになるもんなんですよ。人によって結果はわからないから、ぼくみたいに解剖を「やれ」とは誰にも言えないけれど。これをやったらこうなるよ、なんていう因果関係は言えませんからね』、「精神科医になろうと思ったんです。だけど、希望者が多くて、クジに外れちゃいました。そこで、考え直したんです。これは臨床を選ぶな、ということだなあと。だから、大学院に行くことにしたんです」、当初は「臨床」を目指していたとは初めて知った。「解剖は修行でした」、「修行というのは、やった自分こそが作品じゃありませんか? 千日行なんて、山の中を歩くそのこと自体が世の中の役に立つわけじゃないでしょう。それ自体に意味があるというよりも、それをやったその人にとって意味があるということです」、なるほど。
・『東大をもっと早く辞めればよかった  Q:今までの人生で後悔をしていることはありますか? A:なし。後悔は、しません。起こった事はしょうがないことでしょう。でも、上手にいいほうに変えることはできます。大学の人事なんて見ているとつくづくそれを思いました。だれかがあるポストにつくとする。そうすると「なんであんなヤツが」と大モメに揉める。それよりも、決まったことを受け入れて、こうしよう、と決めて行動するほうがいいんですよ。だから、人事なんてものはいちばんの苦痛のタネでした。もっと気の利いたことをできるだろうに。(略) これはもうモタないなあ、と思って東大を辞めることを決意したのが55歳のときでした。片付けや引き継ぎで2年延びて57歳で辞めました。辞めた当日は、日差しが明るく見えて周囲の輝きが違ってましたよ。もっと早く辞めればよかった。会社でも大学でも、とにかく組織が合わなかったんです。 遊牧民タイプかな。夕方になるとちょっと寂しくなったりします。チベットを歩く夢みたり、ブータンにはこんなことがあるだろうかと考えたり。言わせてもらうと、ロマンチストなのかもしれませんよ(笑)。 Q:ロマンチストの解剖学者、ですね(笑)。以前の先生をご存じの方からすると、今は人の話を聞くようになったそうですね。 A:そうなんですよ。10年前まではひどかったらしいんです。自分ではわからないんだけど、人の話を聞かない嫌なやつだったみたいで、10年以上前にあった人には全員に謝っておきたいね。そういう人がいたら、謝っておいてください。ぼくも変わったんでしょうね』、「今は人の話を聞くようになった」が、「10年前までは・・・人の話を聞かない嫌なやつだったみたい」、ずいぶん丸くなったようだ。
・『毎日死体を見ていると「大丈夫、自分も死ぬんだな」と思う  Q:大学を辞める頃にがんを患ったという噂を聞いたのですが……? A:大学を辞める頃に、肺に影が見つかったんです。「疑いがある」というんで、CTの予約の空きを待っていた1週間は、まじめに死ぬことを考えました。勤めもクソもない、仮にガンだったらもう死ぬんだ。そう考えたら楽になりました。 1週間後の検査で、ただの昔の結核の影だったということがわかったんですけどね。でも、この結核の影はぼくへのプレゼントなんだと思ったんです。 Q:そのおかげで東大を辞める決心がついたということですか? A:それもあるし、本当に「生きる」ということを考えましたからね。 Q:自殺を考えたことというのは、ありましたか? A:ありませんよ。 Q: 一度も? A:大丈夫ですよ。 Q:大丈夫とは? A:毎日死体を見ているとね、「大丈夫、自分も死ぬんだな」と思うわけなんです。どんなに崖っぷちに立ったとしても、自殺する人の気持ちはわかりません。慌てなくても死ぬんだから。死亡率はだれだって100パーセントですから そんなことにはもっと早く気づくべきだったと思います。 昔はなにを気にしていたんでしょうね。全部忘れちゃった』、「毎日死体を見ているとね、「大丈夫、自分も死ぬんだな」と思うわけなんです。どんなに崖っぷちに立ったとしても、自殺する人の気持ちはわかりません。慌てなくても死ぬんだから」、解剖学者の余禄といえるのかも知れない。
・『一晩にウイスキーを1本空けることも毎晩のことでした  お酒を今はまったく飲まなくなりました。昔は、相手がいれば、ストレスを解消するために飲んでいたんです。一晩にウィスキーを1本空けることも毎晩のことでした。お店の人から「飲みすぎだよ」って注意されてましたからね。40代がいちばん飲んでいましたね。外部とのつきあいがはじまって、そのときに媒介になってくれたのが酒だったんです。しゃべれない自分でも、お酒があると他人としゃべれるようになったから。 でも、今は要らなくなりました。お酒のかわりに、猫がいればじゅうぶん。 ここで触れている猫が「まる」で、その後テレビ出演などを通じて人気者となっていくが、一昨年に旅立った。養老さんの精神を安定させるのに重要な役割を果たしていただけに、新著『ヒトの壁』にはまるを失った悲しみが哀切あふれる文章でつづられている』、「昔は、相手がいれば、ストレスを解消するために飲んでいたんです。一晩にウィスキーを1本空けることも毎晩のことでした」、「しゃべれない自分でも、お酒があると他人としゃべれるようになったから」、「今は要らなくなりました。お酒のかわりに、猫がいればじゅうぶん」、「「まる」が「一昨年に旅立った」あと「お酒」に戻ることはないのだろうか。

次に、2月20日付け現代ビジネス「50代で「若年性アルツハイマー」になった、脳外科医の妻が見続けた「夫の過酷」 まさか自分がなるなんて…」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/92460
・『元脳外科医で日本の最高学府の教授でもあったエリート。そんな誰もが羨む経歴を持った男が、まさかの病に冒された。想像さえしていなかった試練に対して、彼は、そして妻はどう立ち向かったのか』、興味深そうだ。
・『それは徐々に始まった  「主人が若年性アルツハイマーだと診断されたときは、『やっぱりそうだったのか』と落胆しました。振り返ると、予兆は何年も前からあったのです。それでも60歳を前にアルツハイマーと診断された瞬間、これからの生活がどうなっていくのか、不安に苛まれました」 そう語るのは、1月13日に発売された『東大教授、若年性アルツハイマーになる』の著者・若井克子さん(75歳)だ。 東大医学部を卒業し、脳外科や国際保健学の第一線で走り続けてきた夫・晋さん(享年74)。若年性アルツハイマーと宣告され、もがきながら生きた彼の姿を妻の目線から綴ったのがこの本だ。 若井克子著『東大教授、若年性アルツハイマーになる』 超がつくほどのエリートだった晋さんが初めて不調を訴えたのは、東大教授を務めていた'01年のことだった。 「『最近、漢字が出てこないんだよ』。ある日、主人がそうこぼしたんです。当時、主人はまだ54歳で、アルツハイマーだとは夢にも思っていませんでした。私も『年を取れば誰だって忘れっぽくなるわよ』と、深刻には受け取らなかった。 ところが、翌年のことです。ドアの開いた書斎で主人が何かを眺めている。脳の断面を撮影したMRIの画像でした。実家のある栃木の「とちぎメディカルセンターとちのき」でMRIを撮り、自分で確認していたのです。主人は『海馬に異常がないのに、どうして……』と呟いていた。 主人は脳外科の医者として現場に立ち続けてきた人でした。医者は自分の専門領域の病にかかることを恐れます。それは、その病気がいかに恐ろしいかを知り尽くしているから。主人は自分の脳に違和感を覚え、恐怖に襲われていたのでしょう」) この頃、晋さんは国際保健学の研究を専門とし、ラオスやグアテマラなど開発途上国を飛び回っていた。そんな多忙な日々を送るなかでも、晋さんの病状は日を追うごとに深刻になっていく。 '04年7月には、大学にいた晋さんから克子さんに「ATMでおカネを下ろせない」と電話がかかってきた。暗証番号を忘れたのだ。さらに海外出張の際に行き慣れた空港で迷子になるなど、明らかにそれまでと違う行動が目立つようになった。 「主人は50代だったし、老化にしては様子がおかしい。札幌の病院で研修医をしていた次男にも相談しました。そして悩み抜いた末の'05年12月、主人に認知症の検査を受けたほうがいいと切り出した。 私は主人に、これまでのおかしな行動を箇条書きにしたメモを渡しました。主人はその紙を見つめ、『わかった。検査に行く』と言ったのです」 自分が認知症になるわけがない。この病気にかかった人は誰もがそう思うだろう。目の前の現実を受け入れられないまま、病状は進行していく。晋さんは葛藤していた。 '06年3月、東京都老人総合研究所(現・東京都健康長寿医療センター)で細胞の動きを画像で捉えることのできる「PET検査」を受けた晋さんに言い渡されたのは、若年性アルツハイマーの診断だった』、「私は主人に、これまでのおかしな行動を箇条書きにしたメモを渡しました。主人はその紙を見つめ、『わかった。検査に行く』と言ったのです」、「これまでのおかしな行動を箇条書き」、奥さんの冷静な行動が「晋」氏に「検査」を促したのだろう。
・『『白い巨塔』を観ながら  診断を受けたとき、主人は担当医に『結果を聞いてすっきりしました』と言っていた。でも、あの言葉は本心ではありません。主人は負けず嫌いな性格だった。弱いところを見せまいと、気丈に振る舞ったのでしょう。 ちょうど診断を受ける直前のことでした。主人がドラマ『白い巨塔』を観たいと言い出したので、レンタルショップでビデオを借りたのです。ビデオを観ながら、主人は『僕はこのドラマをすべて理解できる。それなのに、本当にアルツハイマーなのかなぁ……』と呟きました。 認知症は突然なるのではなく、徐々に進行するもの。調子がいいときは本当に『普通』なんです。だからこそ本人の戸惑いも大きいのだと思います」 それまでは東大の医師として患者を治す立場にいた晋さん。「社会的強者」だった彼にとって、自分がアルツハイマーになったという事実は受け入れがたいものだったのだろう。 これまで築き上げてきたものが崩れ去っていくような恐怖。医者としての人生をまっとうできなくなる、それは晋さんにとって生きる希望を奪われたも同然のことだった。 アルツハイマーと診断された晋さんは'06年3月、59歳で東大の教授を退官した。規定の定年よりも1年早い辞職だった。 この年の4月、晋さんと克子さんは療養のために沖縄へと移住する。 「沖縄に住んでからも、主人の病状は悪化していきました。気に障ることがあると家を飛び出し、徘徊も目立つようになりました。探し回りたいのですが、土地勘のない場所なので私まで迷子になってしまう。自宅で主人の帰りを待つしかないのです。 どこかで事故に巻き込まれていないか、心配で心配で……。その後、離れて暮らす子どもたちに勧められてGPSを導入しましたが、徘徊の不安は残ったままでした。 同時に、物忘れも激しくなっていきました。日常生活でも言葉が出てこず、本人ももどかしい様子でした。『自分は何もせず、朽ち果てるのか』と怒りだして、寝床から起きてこない。自分がアルツハイマーだと周囲に公言することもできず、苦しんでいました」 アルツハイマーというと記憶力の低下や失語などの症状が知られているが、脳が萎縮することで空間把握も覚束なくなる。 晋さんも受話器が掴めず、さらに外出の際には家族と手を繋がないと不安に襲われるなど、生活に支障をきたすようになった。そのたびにフラストレーションが溜まっていった。 行き場のない過酷な日々を過ごすなか、ある出会いがきっかけで夫の晋さんは自分の病と向き合うことができたという。その具体的な中身は後編の『50代で「若年性アルツハイマー」と診断された「元脳外科医」のその後の人生』でおつたえする』、「脳が萎縮することで空間把握も覚束なくなる。 晋さんも受話器が掴めず、さらに外出の際には家族と手を繋がないと不安に襲われるなど、生活に支障をきたすようになった」、「空間把握も覚束なくなる」とは初めて知ったが、深刻だ。

第三に、この続き、2月20日付け現代ビジネス「50代で「若年性アルツハイマー」と診断された、元脳外科医の「その後の人生」 人生に絶望する必要なんてない」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/92461
・『・・・前編記事『50代で「若年性アルツハイマー」になった、脳外科医の妻が見続けた「夫の過酷」』では、病気のきっかけから、アルツハイマーと診断され療養のために沖縄に移住するまでをお伝えした。苦悩の日々のなか、若井さん夫妻のそんな気持ちを一変させる出会いがあった…』、どんな「出会い」なのだろう。
・『受け入れて、吹っ切れた  同時に、克子さんにとっても看病は苦悩の連続だった。若井夫妻は4人の子どもに恵まれ、晋さんは一家の大黒柱として家族を引っ張ってきた。頑健で聡明で自信に満ち溢れていた晋さんが日に日に衰えていく。だが、どんな状況にあっても克子さんは晋さんに寄り添い続けた。 行き場のない閉塞感に、息が詰まりそうになる日々。そんな折、ふたりに大きな転機が訪れた。 '07年9月、共通の知人から世界的に有名な若年性アルツハイマー患者、クリスティーン・ブライデンさんの講演があると教えてもらったのだ。 オーストラリア政府の高官だったブライデンさんは46歳で若年性アルツハイマーを発症し、絶望の底に追い落とされる。しかし彼女は人生を諦めず、世界各地で自らの病について語る講演会を積極的に開いてきた。彼女の講演会に行けば、なにかが変わるかもしれない。そう直感した克子さんは、晋さんとともに出席を決めた。 「会場は札幌コンベンションセンターでした。講演会には、1700人もの参加者が詰めかけた。彼女は講演会で自分の来し方を熱心に語ってくれました。 そして会の最後、クリスティーンが『この中で認知症患者の人がいたら手を挙げてください』と呼びかけたときでした。主人がまっすぐな眼差しで高々と手を挙げたんです。自分の病気を人に知られまいとしてきた主人からすると、とても信じられないことです。 帰り道、主人は『自然に手が挙がったんだ』と言っていました。主人はずっと病を受け入れられず葛藤してきた。講演がきっかけになって、アルツハイマー患者である自分を認められる気持ちになったのです。それ以来、主人はどこか吹っ切れたような表情をするようになりました」 札幌での講演の後、ふたりは2年を過ごした沖縄を離れ実家のある栃木へと戻った。そんな折、医学書院が発行する「医学界新聞」から、インタビューの依頼が舞い込んだ。以前の晋さんならば断っていただろう。だが自分の病と正面から向き合うことを決めた晋さんにとって、依頼を断る理由などなかった』、「世界的に有名な若年性アルツハイマー患者、クリスティーン・ブライデンさんの講演」、「講演がきっかけになって、アルツハイマー患者である自分を認められる気持ちになったのです。それ以来、主人はどこか吹っ切れたような表情をするようになりました」、ずいぶんインパクトがある講演だったようだ。
・『人生は終わりじゃない  その記事をきっかけにして、晋さんのもとには講演の依頼が届くようになる。横浜や神戸をはじめとした「全国行脚」の始まりだった。 「もともと、主人は人と一緒にいてわいわい過ごすのが大好きな人でした。医者だった頃も時間があれば患者さんと触れ合い、コミュニケーションをとっていた。人前に立って自分の経験を話す講演会は、主人にとっても大きな刺激になったのでしょう。 その一方で、主人のアルツハイマーは着実に進行していった。自分で原稿やメモを用意することはできなくなっていったし、ちゃんと読むことも不可能な状態になっていました」 この時期になると、トイレの問題も出てきた。ある講演会の帰り、気が付けば晋さんのズボンの前がぐっしょりと濡れていた。アルツハイマーが進行することで尿意を感じにくくなり、気付いたときには「出る」直前になっているのだ。 これ以上、講演会を続けるのは難しい。そう判断した克子さんは'13年3月、東京・中野区医師会館での講演を最後に、全国行脚を終わらせた。 晩年、晋さんと克子さんは再びふたりきりになった。'15年には晋さんの要介護度が最重度の「5」に認定され、歩くこともままならなくなる。この年には誤嚥性肺炎を発症し、寝たきり生活を送るようになった。 次第に記憶も薄れ、言葉も不明瞭になっていく晋さん。それでも、克子さんは晋さんを看病し続けた。) 「主人が病気にかかれば、やっぱり放っておくことなんてできない。50年近くも一緒にいたんですから。主人が言葉を失ってからも、看病していると不思議と喜怒哀楽がわかるんです。それはきっと、他の誰にも読み取れない。長年連れ添った私だから感じることができる感情の動きでした」 離れて暮らす子どもたちも時間を見つけては晋さんを訪ねた。「パパ、元気?」そんな問いかけに、笑顔で応えることもあったという。そして'21年2月10日、晋さんは克子さんと子どもたちに見守られながら息を引き取った。 晋さんが亡くなってから1年が経った今、克子さんは夫と歩んだ道のりを振り返る。 「主人は生前のリビング・ウィルで『延命治療は不要、死後は病理解剖に付すこと、告別式は密葬で行うこと』という意思を示しました。最後の最後まで医者でありたいと願っていた主人らしい言葉でした。 アルツハイマーを抱え生きていくことは決して容易ではありません。かかった本人も支える側も深く傷つくことが沢山ある。でも、この病気になったから人生は終わりだと絶望する必要なんてない。アルツハイマーであっても、私は主人と一緒に過ごした時間が幸せでした」 記憶を失い、この世を去った最愛の人。どんなに時が経っても、克子さんが晋さんと過ごした日々を忘れることはない』、「晋さんは克子さんと子どもたちに見守られながら息を引き取った」、理解のある奥さんに支えられ、「医師」としての矜持を失わずに亡くなったようだ。冥福を祈りたい。 
タグ:「毎日死体を見ているとね、「大丈夫、自分も死ぬんだな」と思うわけなんです。どんなに崖っぷちに立ったとしても、自殺する人の気持ちはわかりません。慌てなくても死ぬんだから」、解剖学者の余禄といえるのかも知れない。 (その10)(「人生はドラゴンボール」 養老孟司先生が東大時代の悩みを語った発掘インタビュー、50代で「若年性アルツハイマー」になった、脳外科医の妻が見続けた「夫の過酷」 まさか自分がなるなんて…、50代で「若年性アルツハイマー」と診断された 元脳外科医の「その後の人生」 人生に絶望する必要なんてない) 人生論 「晋さんは克子さんと子どもたちに見守られながら息を引き取った」、理解のある奥さんに支えられ、「医師」としての矜持を失わずに亡くなったようだ。冥福を祈りたい。 デイリー新潮「「人生はドラゴンボール」 養老孟司先生が東大時代の悩みを語った発掘インタビュー」 「精神科医になろうと思ったんです。だけど、希望者が多くて、クジに外れちゃいました。そこで、考え直したんです。これは臨床を選ぶな、ということだなあと。だから、大学院に行くことにしたんです」、当初は「臨床」を目指していたとは初めて知った。「解剖は修行でした」、「修行というのは、やった自分こそが作品じゃありませんか? 千日行なんて、山の中を歩くそのこと自体が世の中の役に立つわけじゃないでしょう。それ自体に意味があるというよりも、それをやったその人にとって意味があるということです」、なるほど。 「毎晩ウイスキーのボトルを空けていたような時期もあった」、よほどストレスにさらされていたようだ。 現代ビジネス「50代で「若年性アルツハイマー」になった、脳外科医の妻が見続けた「夫の過酷」 まさか自分がなるなんて…」 現代ビジネス「50代で「若年性アルツハイマー」と診断された、元脳外科医の「その後の人生」 人生に絶望する必要なんてない」 「脳が萎縮することで空間把握も覚束なくなる。 晋さんも受話器が掴めず、さらに外出の際には家族と手を繋がないと不安に襲われるなど、生活に支障をきたすようになった」、「空間把握も覚束なくなる」とは初めて知ったが、深刻だ。 「私は主人に、これまでのおかしな行動を箇条書きにしたメモを渡しました。主人はその紙を見つめ、『わかった。検査に行く』と言ったのです」、「これまでのおかしな行動を箇条書き」、奥さんの冷静な行動が「晋」氏に「検査」を促したのだろう。 「昔は、相手がいれば、ストレスを解消するために飲んでいたんです。一晩にウィスキーを1本空けることも毎晩のことでした」、「しゃべれない自分でも、お酒があると他人としゃべれるようになったから」、「今は要らなくなりました。お酒のかわりに、猫がいればじゅうぶん」、「「まる」が「一昨年に旅立った」あと「お酒」に戻ることはないのだろうか。 「世界的に有名な若年性アルツハイマー患者、クリスティーン・ブライデンさんの講演」、「講演がきっかけになって、アルツハイマー患者である自分を認められる気持ちになったのです。それ以来、主人はどこか吹っ切れたような表情をするようになりました」、ずいぶんインパクトがある講演だったようだ。 どんな「出会い」なのだろう。 「今は人の話を聞くようになった」が、「10年前までは・・・人の話を聞かない嫌なやつだったみたい」、ずいぶん丸くなったようだ。
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幸福(その4)(ちきりん:承認欲求の充足は「自分の意見」から始まる(前篇)、(中篇)、(後編)) [人生]

幸福については、昨年9月26日に取上げた。今日は、(その4)(ちきりん:承認欲求の充足は「自分の意見」から始まる(前篇)(中篇、(後編))である。

先ずは、本年2月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した社会派ブロガーのちきりんさんによる「承認欲求の充足は「自分の意見」から始まる(前篇)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/296428
・『社会派ブロガー・ちきりんさんの最新刊『自分の意見で生きていこう』が、発売直後から反響を呼んでいます。特に読者の感想として目立つのが、「承認欲求と意見の関係」を説明する一節についてです。今回より3回に分けて、その該当部分を一部編集し公開します。(この記事は3回シリーズの前篇です。続きはこちら) 「承認欲求」という言葉を、よく聞くようになりました。「自分という人間の存在を認めてほしい」という気持ちを表す言葉ですが、もう少し正確にいうと「他の人とは違う、自分というオリジナルな人格を認めてほしい」ということです。 承認欲求自体は誰にでもある自然な気持ちですが、実はそれを得るために不可欠なのが「自分の意見をもつこと」だというのは、あまり認識されていません。 そこでここからは、承認欲求と自分の意見がどのように関係しているのか、考えていきます』、興味深そうだ。
・『● 自分はどんな人間?  みなさんが誰か知り合いについて「あの人はどんな人か?」と問われたら、どのように答えるでしょう? ほとんどの場合は性別や年齢、知っていれば職業や肩書きを使って、その人がどのような人か、説明しますよね。 たとえば、「80代の男性で、昔は大企業に勤めていたけど、もうずっと前に定年退職したらしい」とか「子どもがふたりいる専業主婦みたいよ。40代くらいじゃないかな」「彼女は大学生だよ。まだ20歳くらいじゃない?」といったぐあいです。 でもこういった説明は、「その人がどんな人か」をどれほど表しているでしょう? 大企業を定年退職した80代の男性も、ふたりの子どもがいる40代の専業主婦も、20歳くらいの女子学生も、何万人も存在しています。 周りから「20歳くらいの女子学生ってこんな感じなんでしょ? あなたもそうなんですよね?」と言われて素直に肯定できる人、嬉しい人はどれくらいいるでしょう? 大半の人は「女子学生といってもいろんな人がいて、ひとりひとりまったく違うんですよ!」と反発したくなるのではないでしょうか。 承認欲求とはまさにそういう気持ちのことです。誰だって「年代と性別だけで十把一絡げにしてほしくない」と思うものです。つまり私たちは「あなたは20代の女性ですよね」とか「40代の会社員の男性ですよね」などと認知されることを求めているわけではありません。 そうではなく、私たちが承認されたいと求めているのは「他の誰とも異なる個としての自分」なのです』、確かに究極の「個としての自分」を求めているようだ。
・『● 外形情報と内面情報  では、「他の誰とも異なる個としての自分」を認めてもらうためにはどうすればよいのでしょう? そのために必要なのは、あなたと他の人を区別するための情報を提供することです。 そういう情報がなければ、性別や年齢、職業といった情報に頼らざるを得ず、「20代の女性」「40代の男性で会社員」といった認識しかしてもらえません。「他の人と異なる自分」を認めてもらうには、それら外形的な情報を超える、よりパーソナルな情報を提供する必要があるのです。 では、それはいったいどのような情報なのでしょう? 個人を識別する情報には大きく分けてふたつのカテゴリーがあります。ひとつは外形的な情報で、見た目に加え、学歴や職歴など、文字として記録できる情報です。 そしてもうひとつは、性格や人格といった「見た目や資料では判断できない情報」です。ここではそういった情報を「内面情報」と呼ぶことにします。 内面情報はその定義上、他者に伝えるのが簡単ではありません。見た目なら立っているだけで伝えられるし、資料でわかることなら開示するなり配るなりすればよいので簡単です。 しかし自分という人間の性格や人格を深く理解してもらおうと思えば、一定期間、同じ家で暮らすなど、それなりの時間がかかります。家族や学生時代の同級生のように、一定期間、生活空間を共有すれば、性格や人格は自然と伝わります。 しかしこれでは、自分を理解してもらうために多大な時間がかかります。というか、そんな長い時間を共有できる場所は家庭と、あとは学校か職場くらいです。「大人になると友達をつくりにくい」といわれる理由のひとつもこれでしょう。また、「仕事人間」と呼ばれた人たちが、定年後の地域コミュニティで人格さえ認識されない存在になってしまうのも、それまでの共有時間があまりに短すぎるからだと思われます。 ただし、長い時間を共有する家庭においても「親子である」とか「兄妹である」「夫婦である」といった関係性だけでは、性格や人格を深く理解し合うことは不可能です。「お互いに心を開き、相手を理解しようという意思をもって一定の時間と空間を共有する」という経験を経ないと、「自分を理解してくれる人」は手に入りません。実際、同じ家に住んでいるのに会話する機会が少なく、まったくわかり合えないままになっている親子も存在するはずです。 このように、自分の内面情報を他者に伝えるのは、とても時間のかかるプロセスであり、だからこそ他者からの承認欲求を満たすのは、簡単なことではないのです』、「自分の内面情報を他者に伝えるのは、とても時間のかかるプロセスであり、だからこそ他者からの承認欲求を満たすのは、簡単なことではないのです」、その通りだ。親子や夫婦の間でも「自分の内面情報を他者に伝えるのは、とても時間のかかるプロセスであり」、勝手に断念しているケースが多そうだ。

この続きを、2月19日付けダイヤモンド・オンライン「承認欲求の充足は「自分の意見」から始まる(中篇)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/296435
・・・ 『ファンは「キャラクター」につく  もうひとつ別の例で、考えてみましょう。みなさんも、テレビでしか見ることのない俳優さんについて、「この人はこんな人だ」というイメージをもつことがあると思います。そのときのイメージは、どのような情報に基づいて作られているでしょうか? まずは、見た目情報ですよね。性別や年齢、目や髪の色なども含めた容姿、身長や体重などのスタイル、さらに髪型や服装などからもイメージが形成されます。 次に経歴情報。親も俳優で二世だとか、歌舞伎界の出身だとか。俳優さんであれば、映画やドラマでの役柄や演技に関する情報もたくさん手に入ります。 では、テレビで観る俳優さんについて、私たちはこういった情報から「その人がどんな人か?」をイメージしているでしょうか? 実は視聴者の多くは、俳優さんの容姿など外形情報や、ドラマでの役どころや演技といった情報よりも、よりパーソナルな情報から会ったこともない俳優さんの人格や性格を想像しています。 具体例を挙げれば、番組宣伝のために出演したトーク番組での日常生活に関するやりとりや、バラエティ番組などで披露されたとっさのリアクションなどです。 視聴者にとってはこういった(彼らの本業とは無関係な、でも、よりパーソナルな)情報のほうが、「本人の性格」を伝える情報として大きな力をもっています。 というのも、映画やドラマで表現されるのは、あくまで「役柄」の人格であって、その俳優さんの人格ではないからです。個人としての人格を理解しようと思えば、当然に、演技をしていないときの、素の本人の情報のほうが重要になります。 今はそういった素の情報が、SNSを通じて本人から提供されるようにもなりました。しかしずっと昔から、こういった情報は各種メディアを通して、積極的に視聴者に提供されていました。 高度成長期には、銀幕のスター(映画俳優)を特集するさまざまな芸能雑誌が発売され、大変な人気でしたし、その後も、週刊誌やテレビ番組(黒柳徹子さんの『徹子の部屋』などはその典型です)を通して、俳優個人の個性は、積極的に視聴者に提供されてきたのです。 なぜなら、もし俳優さんが「若くてきれいな女優さん」とか「任侠映画で迫力抜群の男優さん」としてしか表現されなかったら、たとえ映画が大ヒットしても、その俳優さん本人に心酔するコアなファンは増えないからです。 これはなにを意味しているのでしょう? 実は、ファンというのは、決して演技や音楽性といったアーティスティックな側面だけに惹かれるわけではないのです。もちろんファンの多くはそれらをすばらしいものだと評価しています。 しかし「理屈を超えたファンだという気持ち」が生まれるのは、その俳優やミュージシャンの、より個人的な魅力に惹かれるからです。ミュージシャンのコンサートだって、音楽だけでなく、演奏の間のトークがファン形成に貢献している度合いは相当に大きいのではないでしょうか。 だから、今も昔もスターたちは(というか、彼らが所属する事務所は)、スターの素顔やパーソナリティに関する情報をファンに提供してくれるのです。 結局のところ、「ファン」というのは、プロとしての卓越したパフォーマンスというより、個人としての性格や人格の魅力につくものだといえるでしょう。だからスターではない一般人の場合と同じく、内面情報が開示されないとファンはつかないのです。 そしてまた俳優ら自身も「若くてきれいな女優さん」といった認識のされ方だけでは、承認欲求を満たせません。「若くてきれいな女優さん」などいくらでもいるからです。だから本人も、「自分だけを推してくれるファン」を求めて、積極的にパーソナルな情報を提供するのです。 余談ですが、今と昔では、それら開示されるパーソナルな情報の「真実度」はかなり異なっていそうです。なぜなら昔はそういった情報も、かなり意図的に設計&整形されていたからです。 「こういうイメージで売りたい」という方針に基づいて、飾られた部屋やコーディネートされた私服が公開され、休みの日にはファンからもらったファンレターを読んで過ごしている、といった休日の様子があたかも真実のように開示されていた時代です。 本人や事務所の方針にもよりますが、今はより実態に近い個人情報が提供されていますよね。 同時に、週刊誌によって暴露される生々しい情報が、本人や事務所が伝えようとするイメージとはまったく異なる「パーソナルな情報」を視聴者に提供してしまい、ファンの間に失望や軽蔑を生んでしまうことも増えています。 いずれにしてもファンや視聴者は、その俳優、ミュージシャン、タレントさんの作品やパフォーマンスだけでなく、個人としての性格や人格に基づき、自分がその人を好きかどうかを判断しているのです』、「「ファン」というのは、プロとしての卓越したパフォーマンスというより、個人としての性格や人格の魅力につくものだといえるでしょう。だからスターではない一般人の場合と同じく、内面情報が開示されないとファンはつかないのです」、「ファンや視聴者は、その俳優、ミュージシャン、タレントさんの作品やパフォーマンスだけでなく、個人としての性格や人格に基づき、自分がその人を好きかどうかを判断しているのです」、その通りなのだろう。
・『「ちきりん」という人格  次は私自身の話です。私には本名での生活のほか、「ちきりん」というペンネームでの生活があります。このふたつの関係は、自我と承認欲求の関係を理解するのにとても役立つので、ここからは私自身の例を使ってその関係を説明してみます。 なお、「自我」にも「承認欲求」にも学問的に研究された定義が存在すると思いますが、ここではざっくりと次のような意味で使われていると理解しておいてください。 「自我」=自分は誰か、どんな人間かという自分自身の意識 「承認欲求」=他の人とは異なる個としての自分を認めてほしいという気持ち 私は過去10年以上にわたり、社会のさまざまな事柄について自分の意見をブログに書いてきました。けれどそれは、「他者や社会に影響を与えたいから」でも「人気ブロガーになって承認欲求を満たしたいから」でもありません。 本やブログを書くようになるずっと前から、私は何十年も日記を書いてきました。最初に日記をつけ始めたのは小学校5年生の頃です。 当時から私の日記は、「今日はなにを食べました」「今日はどこに行きました」といった行動の記録ではありませんでした。そうではなく「今日はこのコトについてこう考えた」とか、「今日知ったある事件について、こう感じた」という、自分の感情や思考の記録だったのです。 当然、その日記を読むのは自分だけです。誰かに見せるために書いていたのではありません。ではいったいなぜ、私は何十年も自分の気持ちや意見を言語化し続けてこられたのでしょう? そうすることのモチベーションはどこにあったのでしょう? 端的にいえばそれは「自分で自分という人間を理解したい」という欲求に基づくものでした。つまりは自分自身のため、「自我の確立のため」だったのです。 小学校の高学年、思春期を迎えた多感な時期に「自分はどういう人間なんだろう?」「自分はなんのために生きているんだろう?」といった哲学的な問いにとらわれる子どもは少なくありません。私もそのひとりでした。 その問いへの答えを手に入れること、すなわち、自分はどのような人間なのか、自分で自分という人間を理解することこそ、私が日記を書く目的だったのです。 それは一種の自己探求プロセスともいえるものです。私にとって「自分の意見をもつ」というのは、自分自身と向きあって自我を確立し、ひとりの人格として自立するために、すなわち、大人になるために不可欠な行為でした』、「自分はどのような人間なのか、自分で自分という人間を理解することこそ、私が日記を書く目的だったのです。 それは一種の自己探求プロセスともいえるものです」、なるほど。
・『内面情報だけで承認される人格  そんな私の前にインターネットというツールが現れたのは、日記を書き始めてから数十年後、すっかり大人になってからのことでした。 2005年、日記を紙のノートではなくネット上のブログとして書き始めて以来、それまで誰にも読まれることのなかった「私の意見」は、広く多くの人に読まれるようになりました。これが「Chikirinの日記」というブログであり、「ちきりん」は、それを書くために使ったペンネームです。 ブログが有名になると、「ちきりん」という人格が認知され、「ちきりん」のファンだという人も増えてきました。これはとても興味深いことです。 当時の「ちきりん」は、経歴はおろか、年齢や性別さえ開示していませんでした。写真も出さず、イラストのアイコンだけで活動していたため、対談で会った人から「男性だと思っていました!」と驚かれることもあったほどです。 ほとんどの人は私と話したこともなければ、私の顔さえ見たことがありません。にもかかわらず、読者やフォロワーの間では、「ちきりんとはこんな人である」という、極めて具体的なイメージが形成されていきました。それが証拠に、SNS上では会ったこともない人から「ちきりんらしい」とか「ちきりんらしくない」などと頻繁に指摘されるのです。 多くの人がもつこのイメージこそ、私が常日頃、書籍やブログ、ツイッターやボイシー(音声配信)を通して発信している「さまざまな事柄に関する私の意見」から形成されたものです。換言すれば「ちきりん」というキャラクター、すなわち人格は、私がこれまで表明してきた、私の意見の集合体として認識されているのです。 「自分で自分をもっと理解したい」という思春期の純粋な思い(自分という人間に対する好奇心)から始まった「自分の意見を言語化する」という営みは、自分のための行為であって、誰かに認められたり、メッセージを送るための行為ではありませんでした。 私はいつも「あなたの意見は?」と聞かれたとき、それがなんであれどう答えるべきか明確にしておきたいと考えていたのです。なぜならそれこそが「私」という人間だからです。そして、その(自分のアタマで考え、自分の意見を明確化する)プロセスを通して、私は「私」になりました。 けれども、そうやって自分の意見を次々と言語化していくことで、副産物として他者にも私の人格(キャラクター)が伝わりました。それがネット上での「ちきりん」というキャラクター(人格)として「承認」されたのです。 しかも、そんなキャラクターに何十万人もの読者がつき、熱烈なファンが現れたことは、人が誰かのファンになるのに、必ずしも外形情報は必要とされていない、ということを意味しています。 これは、私だけに起こったことではありません。SNS時代が始まって以来、経歴を隠し、匿名やペンネームで発信を続けているうちに、多くのファンやフォロワーを獲得した人はいくらでもいます。彼らもまた内面情報のみによって承認されています。 もちろん、「承認」というのは必ずしも好かれることだけを指すわけではありません。「他の誰とも違う個人」として認められても、好かれる人と嫌われる人はいます。それでもネットの時代になり、「内面情報だけでも、オリジナルな個人として承認される」ということが証明されたのはとても意義深いことと思います。 というのも、将来、身体さえもたないコンピューター上のAIが自分のさまざまな意見を開示し始めれば、私たちはそれを「ひとりの人格」として認知するだろうと予想できるからです。そして、その人(?)に多くの支持者やファンが現れたとしても、けっして不思議ではありません。 私もときどき、「ちきりんに政治家になってほしい!」と言われることがありますが、AIだってその意見により人格が認められ、「ぜひ選挙に立候補してほしい!」と言われるようになるかもしれないのです。 しかしこれは、なかなか実現しないかもしれません。というのも、実はAIにとってもっとも難しいことこそ、「自分の意見をもつ」ことだと言われているからです。どれだけ情報を集めても、どれだけ知識が豊富でも、それで意見がもてるわけではありません。「自分の意見をもてる」のは、(今のところ?)人間の、とても貴重な特権なのです』、私も「ちきりん」さんのファンだった。「AIにとってもっとも難しいことこそ、「自分の意見をもつ」ことだと言われている」、「「自分の意見をもてる」のは、(今のところ?)人間の、とても貴重な特権なのです」、確かに、その通りだ。

第三に、この続きを、2月23日付けダイヤモンド・オンライン「承認欲求の充足は「自分の意見」から始まる(後篇)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/296442
・・・『「意見の束」が人格を創る  「ちきりん」というキャラクターがその「意見の束」によって認知されたように、他者から「30代の会社員」とか「40代のワーキングマザー」と一括りにされるのではなく、きちんと個人として認めてほしいと思うなら、必要なのは「さまざまなコトに関して、自分の意見を表明すること」です。 ひとりの人間の人格の全体像を伝えるためには、なにかひとつのトピックについて意見を言えば十分ということはなく、継続的に、さまざまなことについて意見を表明する必要があります。 というのも、ひとつやふたつのことについてなら、「たまたま、自分と同じ意見の人」もいるけれど、千のことについて、万のことについて、日常のあらゆる場面で「自分の意見」を明確にしていたら、それらの意見がすべて同じ人など存在しないからです。 だから、多くのことについて意見を明らかにすればするほど、「他の誰とも違う○○さん」として認知されるようになります。「あなただけの意見の束」こそが、あなたを他者から区別する、あなただけの人格を創るのです。 そういわれても、「意見」を言うなんて難しいと感じるかもしれません。「知識不足で、よくわからない」と思えることもあるでしょう。でも、間違いを怖れたり、遠慮したりする必要はありません。意見には間違いも正解もないからです。 そもそも、他者と意見が異なることを怖れ、常に周囲と同じ意見を言っていたら、いつまでたっても「その他大勢のひとり」としてしか認知されません。 「他者と意見が異なることが怖い」のに、「その他大勢のひとりではなく、私という個人を承認してほしい」と考えるのは矛盾していますよね。 とはいえ、無理矢理に突飛な意見をひねりだす必要も、格好をつける必要もありません。ただ素直に、自分の「こう思う」を、言葉にすればいいだけです。素の自分とは異なる「すてきな私」や「尊敬される自分」を人為的に作り上げるなど、誰にもできません。 またその意見は、誰かに言う必要さえありません。私が長く続けてきたように、自分しか読まない日記帳に書き留めるだけでもいいし、匿名のブログやSNSで呟くだけでもいいのです。 大切なことは、自分自身で自分の意見をしっかり理解しておくことだけです。そうすれば、意見を表明すべきと考える機会にいつ遭遇しても、「わからない」「そんなこと考えたこともない」と答えるのではなく、しっかり具体的な意見が言える人として認知されるでしょう』、「「あなただけの意見の束」こそが、あなたを他者から区別する、あなただけの人格を創るのです」、「間違いを怖れたり、遠慮したりする必要はありません。意見には間違いも正解もないからです」、「その意見は、誰かに言う必要さえありません。私が長く続けてきたように、自分しか読まない日記」、帳に書き留めるだけでもいいし、匿名のブログやSNSで呟くだけでもいいのです」、なるほど。
・『自我と他者からの認知の乖離  ただし大切なのは多くの人から認知されることではなく、正しく認知されることです。たとえ大勢から認知されても、そのイメージが「自分が理解している自分=自我」とズレていると、むしろ認知されていないほうが幸せだと感じられるほどつらいものです。 たとえば、ずっと無名のクリエイターだったのに、世界的に有名な賞をとったことである日突然メディアから注目され、あれよあれよという間に自分の実態とはかけ離れたイメージが作られてしまう人がいます。 これではいくら有名になっても、本人はずっと居心地の悪さを感じ続けることになります。しかも、それがイヤで「本当の自分」を見せ始めると、「イメージが崩れた!」「いい人だと思っていたのに」といった理不尽な非難を受けてしまったりします。 このように、たとえ他者からの大きな認知が得られても、認知された人格が本当の自分(自分自身が認知している自分)と乖離してしまうと、意味がありません。 大手プロダクションから本来の自分とはまったく異なるイメージで売りだされるアイドルやスターのなかにも、まだ自我も確立していない年齢なのに、外部から多大な承認を得てしまう人(というか子ども)がいます。 こういう場合も、多くのファンから承認されること自体は嬉しくても、自己肯定感がもてない、すなわち、自分で自分を承認できない状態のままとなり、不安な気持ちから逃れられなかったりします。 周りの人に承認された人格が、本当の自分とは異なる虚像のように思えたり、ものすごく多くの人から知られているにもかかわらず、「誰もわかってくれない」と不安を感じたりもします。 「オレも多くの人に認知されたい!」「私も有名になりたい!」と望む人にとっては想像しにくいかもしれませんが、ものすごく多くの人に認知されていながら「誰にも理解してもらえない」と悩んだり、「本当の自分とは異なるイメージが一人歩きしてしまってつらい」と感じる人は少なくありません。それはときに、まったく誰からも承認されないのと同じくらい、つらいことだったりするのです』、「「本当の自分とは異なるイメージが一人歩きしてしまってつらい」と感じる人は少なくありません。それはときに、まったく誰からも承認されないのと同じくらい、つらいことだったりするのです」、そんなこともあるのだろう。
・『最初に必要なのは自我の確立  だからこそ、他者から承認されたいと考える人にとって必要な最初の一歩とは、自分で自分を承認できるようになることなのです。他者からの認知を得ようと考える前に、自分で自分を理解し、肯定する。そういうプロセスを経てこそ、高い自己肯定感につつまれた人生が手に入ります。 この順番はとても大切なので言語化しておきましょう。 【承認欲求が充足するステップ】
 1.日常生活で見聞きし、体験したさまざまなことについて、自分の意見を明確にする。外部に表明する必要はなく、日記帳や他者が閲覧できないブログやメモに書き記すだけでもOK。↓ 
 2.それらの「自分の意見の束」によって、自分という人間がどのような人間なのかを、自分で理解する。[自我の確立]↓
 3.そのありのままの自分を、自分で肯定する。[自己承認、自己肯定感] ↓
 4.それらの意見の束を(自分を理解してほしい、と思える人に)開示することにより、自分という人格を、外部からも承認してもらう。[承認欲求の充足] 
 ここでなにより大切なのが最初のプロセスです。「他者から承認されたい」と思うなら、まずは「承認される対象としての自己」を確立しないと始まりません。 自分で理解できていない自分を、誰かに伝えることなどできませんよね? そんな状態では、外部からの承認など得られるはずがありません。だからまずは、自分だけが読む日記帳やメモでよいので、自分の意見を言語化することから始めましょう。 ちなみに3番目の「ありのままの自分を自分で肯定する」ところまで到達できると、実は最後のステップである「他者からの承認の有無」はあまり気にならなくなります。 これはおそらく「誰に自分を承認してほしいのか」という問いの答えが「まずは自分自身」だからでしょう。 「自分で自分を理解し、承認する」──これこそが「自己肯定感」と呼ばれるものであり、自己肯定感さえ得られれば、自分に自信がつき、他者からの承認の有無(もしくは大小)をむやみに気にすることがなくなるのです。 換言すれば、外部からの承認が得られず焦りを感じている人というのは、多くの場合、自分で自分を承認できていないことのほうが根本的な問題なのかもしれません。そして、なぜ自分で自分を承認できていないのかといえば、それは、自分で自分という人間について、しっかりと理解できていないからでしょう。 SNSで自分と同じように見えるごく普通の人が突然、有名になり人気者になるのを目にしてしまうと、「自分もそうなりたい!」と焦る人もいるでしょう。 でも、急がば回れです。自我も確立していないのに外部からの承認ばかりを求めてしまうと、とにかく突飛なことをすればよい、といったおかしな方向に進んでしまったり、やたらと周りに迎合し、「自分を失ってしまう」状態に陥ったりします。 まずは自分の意見を明確にすることにより、自分で自分をしっかり理解する。それがすべての始まりなのだということを忘れないでください』、「「自分で自分を理解し、承認する」──これこそが「自己肯定感」と呼ばれるものであり、自己肯定感さえ得られれば、自分に自信がつき、他者からの承認の有無(もしくは大小)をむやみに気にすることがなくなるのです」、「「自分で自分を理解し、承認する」──これこそが「自己肯定感」と呼ばれるものであり、自己肯定感さえ得られれば、自分に自信がつき、他者からの承認の有無・・・をむやみに気にすることがなくなるのです」、確かに「自己肯定感」は生きてゆく上で、極めて重要な要素だ。
タグ:幸福 (その4)(ちきりん:承認欲求の充足は「自分の意見」から始まる(前篇)、(中篇)、(後編)) ダイヤモンド・オンライン ちきりんさんによる「承認欲求の充足は「自分の意見」から始まる(前篇)」 確かに究極の「個としての自分」を求めているようだ。 「自分の内面情報を他者に伝えるのは、とても時間のかかるプロセスであり、だからこそ他者からの承認欲求を満たすのは、簡単なことではないのです」、その通りだ。親子や夫婦の間でも「自分の内面情報を他者に伝えるのは、とても時間のかかるプロセスであり」、勝手に断念しているケースが多そうだ。 「承認欲求の充足は「自分の意見」から始まる(中篇)」 「「ファン」というのは、プロとしての卓越したパフォーマンスというより、個人としての性格や人格の魅力につくものだといえるでしょう。だからスターではない一般人の場合と同じく、内面情報が開示されないとファンはつかないのです」、「ファンや視聴者は、その俳優、ミュージシャン、タレントさんの作品やパフォーマンスだけでなく、個人としての性格や人格に基づき、自分がその人を好きかどうかを判断しているのです」、その通りなのだろう。 「自分はどのような人間なのか、自分で自分という人間を理解することこそ、私が日記を書く目的だったのです。 それは一種の自己探求プロセスともいえるものです」、なるほど。 ダイヤモンド・オンライン「承認欲求の充足は「自分の意見」から始まる(中篇)」 私も「ちきりん」さんのファンだった。「AIにとってもっとも難しいことこそ、「自分の意見をもつ」ことだと言われている」、「「自分の意見をもてる」のは、(今のところ?)人間の、とても貴重な特権なのです」、確かに、その通りだ。 ダイヤモンド・オンライン「承認欲求の充足は「自分の意見」から始まる(後篇)」 「「あなただけの意見の束」こそが、あなたを他者から区別する、あなただけの人格を創るのです」、「間違いを怖れたり、遠慮したりする必要はありません。意見には間違いも正解もないからです」、「その意見は、誰かに言う必要さえありません。私が長く続けてきたように、自分しか読まない日記」、帳に書き留めるだけでもいいし、匿名のブログやSNSで呟くだけでもいいのです」、なるほど。 「「本当の自分とは異なるイメージが一人歩きしてしまってつらい」と感じる人は少なくありません。それはときに、まったく誰からも承認されないのと同じくらい、つらいことだったりするのです」、そんなこともあるのだろう。 「「自分で自分を理解し、承認する」──これこそが「自己肯定感」と呼ばれるものであり、自己肯定感さえ得られれば、自分に自信がつき、他者からの承認の有無(もしくは大小)をむやみに気にすることがなくなるのです」、「「自分で自分を理解し、承認する」──これこそが「自己肯定感」と呼ばれるものであり、自己肯定感さえ得られれば、自分に自信がつき、他者からの承認の有無・・・をむやみに気にすることがなくなるのです」、確かに「自己肯定感」は生きてゆく上で、極めて重要な要素だ。
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人生論(その9)(小田急刺傷事件は、元ナンパ師による 日本ではじめてのミソジニー(女性憎悪)無差別テロか、「MARCH出身者に職場では絶対勝てない」東大法学部卒37歳メガバンク行員の苦悩 職場は常に空気がギスギスしている、ジェフ・ベゾスが祖母に放った「残酷すぎる一言」 プリンストン大学卒業生への伝説のスピーチ) [人生]

人生論(その9)については、7月10日に取上げた。今日は、(小田急刺傷事件は、元ナンパ師による 日本ではじめてのミソジニー(女性憎悪)無差別テロか、「MARCH出身者に職場では絶対勝てない」東大法学部卒37歳メガバンク行員の苦悩 職場は常に空気がギスギスしている、ジェフ・ベゾスが祖母に放った「残酷すぎる一言」 プリンストン大学卒業生への伝説のスピーチ)である。

先ずは、8月31日付けダイヤモンド・オンライン「小田急刺傷事件は、元ナンパ師による 日本ではじめてのミソジニー(女性憎悪)無差別テロか【橘玲の日々刻々】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/280905
・『小田急線の電車内で36歳の男が刃物で乗客10人に切りつけるなどした事件が、大きな衝撃を引き起こしました。報道によれば、この男が最初に狙ったのは「勝ち組っぽく見えた」20歳の女子大生で、「大学のサークルで女性にばかにされるなどし、勝ち組の女や幸せそうなカップルを見ると殺したくなるようになった」などと供述しています。 男は車内に灯油をまいて火をつけようとしたものの、入手できなかったため、常温では発火しないサラダ油で代用しました。一歩間違えば大惨事になるところで、多くのひとが2008年の事件を思い起こしたでしょう。 とはいえ、当時25歳の「秋葉原事件」の犯人は、「非モテ」であることに強いコンプレックスをもってはいたものの、自分には手の届かない華やかな女性に憎悪を抱いていたわけではありませんでした。その意味では、この国ではじめてのミソジニー(女性憎悪)による無差別テロといえるかもしれません。 掲示板で「不細工キャラ」を演じていた秋葉原事件の犯人との大きなちがいは、小田急線事件の容疑者が高校時代は成績優秀で、女子生徒にも人気があり、有名私立大学に進学した「リア充」だったことです。ところがなんらかの理由で大学を中退し、20代前半はコンビニなどでアルバイトしながら“ナンパ師”をしていたようです。 ナンパ師は、アメリカではPUA(ピックアップ・アーティスト)と呼ばれます。ゼロ年代のはじめに、さまざまなナンパ・テクニックをネット上で交換し、その成果を報告しあうサブカルチャーの存在がニューヨーク・タイムズで報じられて注目を集め、この記事を書いたニール・ストラウスの『ザ・ゲーム』は世界的なベストセラーになりました(その後、実際にナンパを指南するリアリティ番組も制作されました)。 PUAは女性を髪の色と10点満点の点数で評価し、「ブロンドの8点」「ブルネットの8.5点」などと数値化してナンパ掲示板で成果を競っていました。その手法は徹底的にマニュアル化されており、「ルーティーン」に従って会話を進行させれば、どんな女性も同じ反応を示すとされていました。女の脳を「プログラム」と見なして、それを「リバースエンジニアリング」しようとしたのです。 これだけでも嫌悪感を抱くひとは多いでしょうが、アメリカではPUAがミソジニーに結びつくことが繰り返し批判されてきました。PUAのアイデンティティはナンパした女性の合計点数で決まるため、試行回数を増やさなければならないのですが、それによって拒絶されるたびに(当然のことながらこれはよくあります)自尊心が傷つけられ、やがてナンパできない女性を憎みはじめるのです。 男が外見だけでモテるのはせいぜい大学くらいまでで、社会人になれば社会的・経済的な地位が重みを増してきます。小田急線事件の犯人は非正規の仕事が続かず、最後は生活保護を受けながら家賃2万5000円の1Kのアパートで暮らし、食品・生活必需品を万引きしていたといいます。これではどんなナンパ・テクニックをもっていても、誰からも相手にされないでしょう。 “ナンパ師”だった男が「非モテ」になり、若く魅力的な女性に深い憎悪を抱いて大量殺人を実行しようとするまでの転落の経緯は、「PUAのなれの果て」と考えるととてもよく理解できるのです。 参考:ニール・ストラウス『ザ・ゲーム 退屈な人生を変える究極のナンパバイブル』パンローリング』、「“ナンパ師”だった男が「非モテ」になり、若く魅力的な女性に深い憎悪を抱いて大量殺人を実行しようとするまでの転落」、誠に身勝手で、みっともない話だ。従来であれば、自らの恥になるようなことを表に出すことを控えていたのが、そんな自制もなくなったのだろう。

次に、10月2日付けPRESIDENT Onlineが掲載したライターの池田 渓氏による「「MARCH出身者に職場では絶対勝てない」東大法学部卒37歳メガバンク行員の苦悩 職場は常に空気がギスギスしている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/50500
・『東大卒でメガバンクに就職する人は多い。彼ら彼女らの社会人生活が安泰かというと決してそんなことはない。仕事のストレスからうつ病を患ったという東京大学法学部卒のメガバンク行員・加瀬良介さん(仮名・37歳)は「社内で成績を評価されるがキツかった。口のうまさと体力にまかせてガンガン数字をとってくるMARCH出身にはかなわない」という??。 ※本稿は、池田渓『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。 「仕事がつらすぎる。ストレスがすごい」「死にたい」??「またそれか」「ごめんね。でも、死にたい」??「死んだらいかんよ。僕、加瀬くんが死んだら、しばらく体調を崩して寝込んじゃうよ」「……うん」??「会社に行きたくないの?」「うん」??「なんで?」「仕事がつらすぎる。ストレスがすごい。勤務中は常にプレッシャーを感じていて息がつまる。意地悪な先輩もいる」 ??「でも、加瀬くんのとこメガバンクじゃん。仕事は激務でもそのぶん給料はいいでしょ」「しょせん都銀だし世間に思われているほど給料はよくないよ」「なんのために働いているのかわからん。なんで銀行なんて入ってしまったんかな。頭がグチャグチャしてなにも考えられん」 このやりとりは、僕が東大に入学したときからの友人である加瀬良介くん(仮名・37歳)と、ある年の夏にLINEで交わしたものだ。 加瀬くんは大阪府出身。中高一貫の私立校から東大文一に入った。 東大法学部を卒業した後、邦銀のメガバンクに就職してバリバリ働いていた??はずなのだが、いつのころからか、彼はなにかにつけて「仕事がつらい。もう死にたい」と口にするようになった』、「東大法学部を卒業」といっても、内実はピンキリで、頭もそれほどでもないのに、プライドだけはやたら高いというやっかいなものもいる。
・『うつ病を患った「銀行」は東大卒のメジャーな就職先  先のやりとりから3カ月ほどがたったある冬の日、加瀬くんはついに無断欠勤をすることになる。その日、目が覚めると指一本動かせなくなっており、会社に電話をすることもできなかったという。 夕方になって心配した上司が家に様子を見に来るまで、彼はじっと布団に横たわり、ただ天井のシミを見ていたそうだ。 その後、加瀬くんは銀行お抱えの産業医に「この人間はうつ病のため約半年間の自宅安静での加療が必要である」との診断を下され、人事部から半年間の休職を命じられてしまった。 休職中の加瀬くんとは何度か会った。 友人として「今の仕事が嫌ならいっそ転職をしてはどうだろうか。君の学歴と経歴ならそれほど難しいことではないはずだ」などと無責任なアドバイスもしていたが、彼は半年後に元の職場に復帰をした。 相変わらずなにかにつけて「死にたい」と口にしているが、復帰後は休まずに職場に通えている。うつ病がひどいころは明らかに表情筋の動きが鈍く、目は生がきのようにドロッと濁り、なんでもないタイミングでふいに涙を流したりしていたが、今ではずいぶんと顔色もよくなっている。 この本を書くにあたり、改めて加瀬くんに当時のことを聞いてみることにした。なぜなら、彼がうつ病を患った「銀行」という職場は、東大の学部卒業者にとって大変メジャーな就職先だからだ。 (図表1)東大卒の就職先ランキング(2018年度学部卒業者)はリンク先参照) 「MARCH卒の連中がガンガン数字をとってくる」「客から受けるストレスもあったけど、社内で成績を評価されるのもキツかったね。俺が並の数字しかあげられないなかで、MARCH卒の『学生時代はイベサー(イベント系サークル)やテニス部でひたすら楽しんでいました』みたいな連中が、口のうまさと体力に任せてガンガン数字をとってくるんだよ」 幼稚園児みたいな文章を書く人たちが、しかし実際のところ、営業部では大活躍しているという。 「連中はろくに読み書きができない。でも、人に頭を下げることが苦でないし、愛想もいい。おべんちゃらも使える。愉快なトークもできる。理不尽なパワハラをスルーするスキルも高い。だから、客を簡単に口説き落として融資を取り付けてくるし、保険もたくさん売ってくるんだ。 ウェイ系っていうのかな。銀行って転勤が多いから歓送迎会も多いんだけど、そういう飲み会で場を盛り上げるもの彼らだよね。彼らがいい年して二十歳のガキみたいに『ウェーイ! ウェーイ!』って騒いでいるとき、俺みたいなのは端っこで静かに目立たないようにしているよ」 要は、そういう人たちはコミュニケーション能力が高く、会話における反射神経がすごくいいのだ。 往々にして場の空気を読む能力にも長けているので、軽快なトークで重苦しいシーンをパッと明るくさせることも得意である。 「俺らって人と会話するときにむちゃくちゃ頭を使うじゃない。会話のキャッチボールで一球投げるごとに、頭のなかにある情報をすべて引っ張り出して、検討して、最善だと思われることを話そうとするよね。でも、テンポの速い会話でそんなことをしていたら情報処理が追いつかない。 俺なんかは訪問営業をする前に、想定される会話をぜんぶ紙に書き出してみて、場を和ませる冗談まで考えて、それらを暗記してから行くのよ。 でも、生粋のソルジャーは営業トークが脊髄せきずい反射でこなせてしまう。日常会話をするだけで、連中には単純にコミュニケーション能力ではかなわないと思い知らされるね」』、「俺なんかは訪問営業をする前に、想定される会話をぜんぶ紙に書き出してみて、場を和ませる冗談まで考えて、それらを暗記してから行くのよ」、普通、そんなヒマはない筈だ。「生粋のソルジャーは営業トークが脊髄せきずい反射でこなせてしまう」、その通りだ。
・『「天下の東大の数字がなんでパッとしないの?」  僕たちは論理的な読み書きといった言語スキルは高いが、他人との会話やコミュニケーションといった対人関係スキルでは世間の平均値にもおぼつかない。 「話が面白くない」「難しいことしかいわない」「一呼吸でしゃべりすぎ」「人の気持ちが分かっていない」「なにを考えているのか分からない」「態度が冷たい」「協調性がない」「挙動が不審」……これらは、僕たちがなにかにつけて言われてきた言葉である。 もし今この本を読んでいるあなたが東大生や東大卒業生なら、身に覚えのある人もいることだろう。 僕たちが独りで机に向かってシコシコと受験勉強をしていたときに、大勢の人間と一緒に運動したり遊んだりしながら対人関係スキルを磨いていた人たちがいる。 東大から社会に出てはじめて、僕たちはそのことに気づくのだった。 「民間企業は稼いでなんぼでしょ。そんな職場で、まともな文章一つ書けないバカだと思っていた連中が、俺なんかよりずっと稼いでくる。 営業成績が張り出されて、みんなの前で上司に『短大出のあいつがあれだけの数字をあげているのに、天下の東大を出ているお前の数字はなんでパッとしないの? やる気が足りないのかな?』なんて詰められると、プライドはズタズタだよね。今でも思い出すだけで死にたくなる」 並程度の営業成績をあげられなかった加瀬くんは、大勢の同僚の前で上司から何度も叱責を受けた。並の成績ならそれでよさそうなものだが、東大卒というだけで要求される数字が大きくなるのだという。 結局、学歴があるうえで数字もあげる人間が銀行のメインストリームで出世していく。 「ただ、そういう人は『スーパースター』のようなもので、並の東大卒よりも明らかに能力が高い。俺なんかは有象無象の東大卒だからね……いや、人よりもずっと根性がないから、東大卒としては底辺かな。だから、営業仕事のキツさにメンタルがもたなかったんだろうね」 加瀬くんは自虐めいてそう言った』、「東大卒としては底辺かな。だから、営業仕事のキツさにメンタルがもたなかったんだろうね」、フーン。
・『慶應卒の嫌がらせが陰湿でキツかった  「もうひとつ嫌だったことを挙げるとすると、いじめだよね。けっこうひどかったよ」 一般的に、ある程度の数の人間が集まればいじめは必ず起こるとされている。しかし、加瀬くんが勤めるようなちゃんとした会社では徹底された社内コンプライアンスが大きないじめの発生を防いでいる??そう僕は思っていた。 「職場は常に空気がギスギスしているよ。仕事がキツくて、みんなストレスをためているんだよね。そんななかで東大卒は昇進とかでなにかと優遇されるから、他大卒の人たちの妬み嫉みの対象になりやすいんだよね」 自分たちの方が外で稼いでくるのになぜあいつは東大を出ているというだけ??そういった悪意に加瀬くんはしばしばさらされたという。 「具体的にぶっちゃけてしまうと、慶應を出ている人の先輩からの嫌がらせが陰湿でキツかった。いろいろとやられたよ」 業務で話しかけても一度目は必ず無視される。目が合うたびに舌打ちをされる。うっかり脚をぶつけたという体で机を蹴られる。ほかの同僚たちの前で仕事のミスを何時間も責められる。 名前ではなく「東大生」と呼ばれる……一つひとつはささいな嫌がらせでも、コツコツと続けられたことで加瀬くんの心には着実にダメージが蓄積した』、『慶應卒」の結束の強さは並大抵ではない。
・『飲み会好きの慶應卒、一匹狼の東大卒  これらの行為は金品の脅し取りや直接的な暴力とはちがって、告発されても「故意ではない」「誤解だ」「彼のためを思って指導していた」などという言い逃れが可能だ。社内のハラスメント相談窓口に通報されても、一度のことなら口頭注意で済んでしまうらしい。 つまり、一発で「レッドカード」をもらってしまうようないじめよりも、狡猾でタチが悪い。加瀬くんは、自分をいじめた人がともに慶應義塾大学の卒業生だったことを偶然ではなく必然だと考えていた。 「偏見と言われるだろうけど、慶應卒には東大卒を目の敵にしている人が多いように俺は思う。慶應って『私学の雄』とされているけど、東大卒の前ではそのプライドが傷つくのか、彼らからは常に敵意のようなものを感じるんだよね」 加瀬くんが働く銀行で役員の第一勢力を占めるのは優秀な東大卒だが、それに肉薄して第二勢力をつくっているのは慶應卒の人間なのだそうだ。 であれば、東大出身者をなにかとライバル視する慶應出身者がいてもおかしくはない。 「慶應の連中はやたらと同窓でつるむのが好きで、銀行のなかにも同窓会をつくっているんだよね。よく慶應卒で集まって飲み会をやってるよ。対して、俺たち東大卒は一匹おおかみが多いじゃない。飲み会なんかもやらないし、そもそも大人数での飲み会は嫌いだし。 仲間とわいわいしているのが好きな連中は、一人でいるようなやつが気にくわないんじゃないかな。もともと、相性が悪いんだよ。正直に言うと、俺だって慶應的な人づきあいは苦手だもの」』、「慶應の連中はやたらと同窓でつるむのが好きで、銀行のなかにも同窓会をつくっているんだよね」、その通りだ。
・『いじめのうまさとコミュ力の高さに共通点  たしかに、僕が知る範囲でも慶應の塾員(慶應では学生を「塾生」、卒業生を「塾員」と呼ぶ)には明るくて社交的な人間が多い。 附属校からエスカレーター式にあがってくる内部進学組、大学からの一般入試組、推薦入試組、帰国生入試組……慶應大学内には多様な出自の塾生がいる。 彼らは大学を卒業した後も「日本最強の学閥ネットワーク」との呼び声が高い「慶應三田会」に所属して盛んに親睦している。 このような多様な個性とのつながりを重視し、同窓生同士で生涯にわたって助け合う校風によって彼らの社交性は培われている。 「最悪なのは、人をいじめるような連中って営業で数字をとってくるんだよ。意地の悪い慶應卒の先輩たちも、営業成績はかなりよかった。だから、俺は余計にみじめになるんだよね」 人間関係での位置取り、相手のアクションに素早く対応する反射神経、場の空気の読み方、人の心を動かす言葉選び……いじめのうまさとコミュニケーション能力の高さは通じるところがある。 だからといって、コミュニケーション能力が高い人のすべてがいじめをするわけではもちろんないけれど。 「先輩のうちの一人は、学生のときにネットワークビジネスをやっていたんだって。飲み会で当時のエピソードを披露して笑いをとっていたよ。 都内のルノアールでくつろいでいると、時々ネットワークビジネスの勧誘現場に出くわすじゃない。しばらく聞き耳を立てていれば分かるんだけど、勧誘している側もされている側もたいてい慶應の学生なんだよね。 あんなものはろくな商売じゃないんだけど、学生のころからバリバリに営業の現場に出ていたってことでしょ。そんな人の営業スキルに、コミュ障の俺がかなうわけがないんだ」』、「ネットワークビジネス」の「営業の現場に出ていた」、「そんな人の営業スキルに、コミュ障の俺がかなうわけがない」、当然だ。
・『慶應卒の人たちが転勤して、会社でのストレスは半分に  反例なら挙げられたのだが、僕は一言「なるほど」とだけ返した。少なくとも、加瀬くんが同じ職場にいる2名の塾員からいじめを受けていたのは事実なのだ。彼の心情を考えれば、その意見がいくらか偏るのは無理からぬことだと思った。 幸いなことに銀行は内部での異動が激しい。行員が特定の客と癒着して悪さをしないように、約3年おきに転勤をさせられるのだそうだ。 休職していた加瀬くんがようやく職場に復帰したときには、彼を執拗しつようにいじめていた人の先輩はすでに別の支店に異動していた。 「慶應卒の人たちが転勤して、ずいぶん楽になったよ。会社でのストレスは半分になった」 やれやれという表情を浮かべながら加瀬くんはそう言った』、定期的な人事異動でリセットされるのは、銀行の数少ない良いところだ。

第三に、12月15日付け東洋経済オンラインが掲載した「 アマゾン創業者、元CEO :ジェフ・ベゾスが祖母に放った「残酷すぎる一言」 プリンストン大学卒業生への伝説のスピーチ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/458840
・『アマゾン創業者のジェフ・ベゾス本人の言葉による初めての本として話題の『Invent & Wander──ジェフ・ベゾス Collected Writings』。序文を当代一の伝記作家ウォルター・アイザックソン氏が担当している。本稿では同書より、ベゾスがプリンストン大学の卒業生に向けて語ったスピーチを抜粋して紹介する。ある一言で祖母を泣かせてしまった、という自らの苦い経験の告白とともに語られる、次代を担う若者へのメッセージだ』、「ペゾス」の「苦い経験」とは興味深そうだ。
・『10歳のときの祖父母との旅  子どものころは毎年夏になると、テキサスにある祖父母の農場で過ごしました。風車を修理したり、家畜に予防注射をしたり、そのほかの雑用を手伝ったりしていました。午後は毎日昼メロを見ていました。とくに、「デイズ・オブ・アワ・ライブズ」は欠かさずに見たものです。 祖父母はキャラバンクラブという、エアストリーム社のキャンピングトレーラーを持っている人たちのグループに入っていて、メンバーと一緒にアメリカやカナダを旅行していました。その旅に、私たちもたまに連れていってもらうことがありました。トレーラーを祖父の車につないで、300台ものほかのトレーラーと列をなして旅に出かけるのです。 私は祖父母が大好きで、いつもこの旅をとても楽しみにしていました。ちょうど10歳ごろだったでしょうか、旅に連れ出してもらった私は広々とした後部座席で転げまわっていました。運転していたのは祖父です。祖母は助手席に座っていました。祖母は旅のあいだずっとタバコを吸っていて、私はそのにおいが嫌でした。 そのころの私は何かにつけてちょっとした計算をしては推測ごっこをして勝手に喜んでいました。ガソリンの燃費を計算したり、日用品の買い出しについてどうでもいい統計を考えてみたり。 そのときは、少し前に聞いた喫煙に反対する広告キャンペーンが頭に残っていました。細かいことは覚えていないのですが、タバコを吸うたびに寿命が縮むというような広告でした。たしかひと吸いで2分だったと思います。 そこで祖母のために計算してみることにしました。1日に吸うタバコの本数と、タバコ1本につき何回吸うかなど、およその数を計算しました。それらしい数になったので、前の座席に顔を突き出して祖母の肩を叩き、鼻高々にこう言いました。 「ひと吸いで2分なら、もう寿命が9年縮んだね!」 それからのことは、鮮明に脳裏に焼きついています。私にとっては思いがけない出来事でした。頭がいいね、よく計算できたねとほめてもらえると思っていたのです。「ジェフ、なんて賢い子なんだろう。ややこしい推測をして、1年が何分かを計算して、そこから割り算したんだね」なんて』、「ジェフ少年」は「頭がいいね、よく計算できたねとほめてもらえると思っていたのです」、やはり誉められることを期待しての行動のようだ。
・『「賢いよりも優しいほうが難しいんだ」  でも違っていました。祖母がわっと泣き出したのです。私はどうしていいかわからず、ただ後部座席に座っていました。祖母が泣いている横で、祖父は黙って運転していましたが、高速道路の脇に車を止めました。祖父は車から出て後ろにまわり、後部座席のドアを開け、私が出てくるのを待っていました。叱られるのだろうか? 祖父は非常に知的で寡黙な人でした。厳しく叱られたことなどありません。でも今日、はじめて叱られるのかもしれない。車に戻って祖母に謝りなさいと言われるのかもしれない。 これまで祖父母とのあいだでこんな経験ははじめてで、どうなるのかまったく見当もつきませんでした。私と祖父はトレーラーの脇に立ち、向き合いました。祖父は私を見て、少し黙ったあと、優しく静かにこう言ったのです。 「ジェフ、賢いよりも優しいほうが難しいんだ。いつかおまえにもわかるときがくる」 今日みなさんにお話ししたいのは、才能と選択は違うということです。頭のよさは持って生まれた才能です。優しさは選択です。才能は簡単です。生まれついてのものですから。選択は難しい。うっかりしていると才能に溺れてしまいます。そうなると、おそらく選択を誤ってしまうでしょう。 ここにいるみなさんはたくさんの才能に恵まれています。頭の回転が速く賢いことも、みなさんの持って生まれた才能の1つでしょう。難関を突破してこの大学に入ってきたわけですから。もし頭のよさが何らかのかたちで示されていなければ、入学が許可されるはずはありません。 いまこれから、みなさんが驚くべき世界を旅するにあたって、その頭のよさが役に立つことは間違いありません。私たち人類は、ときにはつまずきながらも、それでも驚くべきことを達成するでしょう。) 環境に優しいエネルギーを大量に生み出す方法を見つけるはずです。細胞壁に侵入して病気を治せる原子レベルの微細な機械をいつかつくりあげるでしょう。ついこのあいだ、生命を合成できたという報道もありました。とてつもない大ニュースですが、一方で必然でもあります。今後数年のうちに、生命を合成するばかりか、仕様まで設計できるようになるでしょう。人間の脳も解明できるようになると思います。 ジュール・ヴェルヌ、マーク・トウェイン、ガリレオ、ニュートン。何でも知りたがったいにしえの天才たちはみな、いまの時代に生きていたかったはずです。私たちは文明全体として多くの遺産に恵まれていますし、私の前に座っているみなさんは、個人として多くの才能に恵まれてもいます』、「祖父は・・・優しく静かにこう言ったのです。 「ジェフ、賢いよりも優しいほうが難しいんだ。いつかおまえにもわかるときがくる」、凄いアドバイスだ。「私たちは文明全体として多くの遺産に恵まれています」、それらを活かすのは我々だ。
・『私たちは自分の「選択」でできている  そんな生まれながらの才能を、どう使ったらよいでしょう?みなさんがこれから誇りに思うのは、才能でしょうか、それとも選択でしょうか?(中略) 明日から本当の意味で、みなさんの人生が、みなさんがゼロからご自身で築き上げる人生がはじまります。 その才能を、みなさんはどう使いますか?どんな選択をするでしょう? 惰性で生きていきますか?それとも情熱を追いかけますか?  みんなと同じになりますか?それともほかの誰とも違う自分になりますか?  楽な道を選びますか?それとも誰かのために挑戦し続けますか?  批判されたら引き下がりますか?それとも信念を貫きますか?  間違ったらはったりで誤魔化しますか?それとも謝りますか?  傷つくことを恐れて何もしませんか?それとも惚れ込んだら行動に移しますか?  安定を取りますか?それとも少し向こうみずに突き進みますか?  困難なときにあきらめますか?それでもなおがむしゃらに挑戦し続けますか?  言い訳や批判だけで終わりますか?それともみずから何かをつくりだしますか?  誰かを傷つけてでも自分の賢さを主張しますか?それとも人に優しくなりますか? ここで、思い切って予言めいたことを言わせてください。 みなさんが80歳になり、静かに過去を振り返り、自分にしかわからない人生の物語を自分に向けて語るとしましょう。そのとき、あなたの人生を最も適切かつ端的に表すのは、あなたが行ってきた選択の数々にほかなりません。私たちはつまるところ、自分の選択からできているのです。 みなさんが素晴らしい人生の物語を紡がれますよう。私の話を聞いてくれてありがとう。幸運を祈ります』、「私たちはつまるところ、自分の選択からできているのです」、私は「ベゾス」氏は個人的には好きになれないが、この文章は素晴らしい傑作で、これに直接接したプリンストン大学の卒業生は幸せだ。
タグ:人生論 (その9)(小田急刺傷事件は、元ナンパ師による 日本ではじめてのミソジニー(女性憎悪)無差別テロか、「MARCH出身者に職場では絶対勝てない」東大法学部卒37歳メガバンク行員の苦悩 職場は常に空気がギスギスしている、ジェフ・ベゾスが祖母に放った「残酷すぎる一言」 プリンストン大学卒業生への伝説のスピーチ) ダイヤモンド・オンライン「小田急刺傷事件は、元ナンパ師による 日本ではじめてのミソジニー(女性憎悪)無差別テロか【橘玲の日々刻々】」 「“ナンパ師”だった男が「非モテ」になり、若く魅力的な女性に深い憎悪を抱いて大量殺人を実行しようとするまでの転落」、誠に身勝手で、みっともない話だ。従来であれば、自らの恥になるようなことを表に出すことを控えていたのが、そんな自制もなくなったのだろう。 PRESIDENT ONLINE 池田 渓 「「MARCH出身者に職場では絶対勝てない」東大法学部卒37歳メガバンク行員の苦悩 職場は常に空気がギスギスしている」 「東大法学部を卒業」といっても、内実はピンキリで、頭もそれほどでもないのに、プライドだけはやたら高いというやっかいなものもいる。 「俺なんかは訪問営業をする前に、想定される会話をぜんぶ紙に書き出してみて、場を和ませる冗談まで考えて、それらを暗記してから行くのよ」、普通、そんなヒマはない筈だ。「生粋のソルジャーは営業トークが脊髄せきずい反射でこなせてしまう」、その通りだ。 「東大卒としては底辺かな。だから、営業仕事のキツさにメンタルがもたなかったんだろうね」、フーン。 『慶應卒」の結束の強さは並大抵ではない。 「慶應の連中はやたらと同窓でつるむのが好きで、銀行のなかにも同窓会をつくっているんだよね」、その通りだ。 「ネットワークビジネス」の「営業の現場に出ていた」、「そんな人の営業スキルに、コミュ障の俺がかなうわけがない」、当然だ。 定期的な人事異動でリセットされるのは、銀行の数少ない良いところだ。 東洋経済オンライン 「 アマゾン創業者、元CEO :ジェフ・ベゾスが祖母に放った「残酷すぎる一言」 プリンストン大学卒業生への伝説のスピーチ」 『Invent & Wander──ジェフ・ベゾス Collected Writings』 プリンストン大学の卒業生に向けて語ったスピーチを抜粋して紹介 「ジェフ少年」は「頭がいいね、よく計算できたねとほめてもらえると思っていたのです」、やはり誉められることを期待しての行動のようだ。 「祖父は・・・優しく静かにこう言ったのです。 「ジェフ、賢いよりも優しいほうが難しいんだ。いつかおまえにもわかるときがくる」、凄いアドバイスだ。「私たちは文明全体として多くの遺産に恵まれています」、それらを活かすのは我々だ。 「私たちはつまるところ、自分の選択からできているのです」、私は「ベゾス」氏は個人的には好きになれないが、この文章は素晴らしい傑作で、これに直接接したプリンストン大学の卒業生は幸せだ。
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孤独(その3)(宗男氏長女を襲った「望まない孤独」と対策への使命感、“孤独担当大臣”の設置も 「大人の国」イギリスのよりよい国づくりへ向けた取り組みを紹介) [人生]

孤独については、昨年1月16日に取上げた。今日は、(その3)(宗男氏長女を襲った「望まない孤独」と対策への使命感、“孤独担当大臣”の設置も 「大人の国」イギリスのよりよい国づくりへ向けた取り組みを紹介)である。

先ずは、3月2日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「宗男氏長女を襲った「望まない孤独」と対策への使命感」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00118/
・『「望まない孤独」が注目されている。 人間は独りで生まれ独りで死ぬ。つかの間の孤独感は日常にあふれている。よって、つい私たちは「それも人生」と受け入れてしまいがちだ。だが「孤独」と「つながり」はコインの表と裏ではない。両者が矛盾なく、同時に成り立っている状態こそが精神的にも身体的にも社会的にも健康な状態である。 ところが、人とつながりたいのにつながることができない。「助けて!」と言いたいのに言うことができない。言える人もいない。そんな孤立した状態に置かれ、生きる力を奪われる人たち、特に若い人が以前にも増して顕在化している』、興味深そうだ。
・『珍しく迅速な対応をした政府  そこで政府は、坂本哲志内閣府特命担当大臣(少子化対策、地方創生)に「孤独・孤立対策」を兼務することを指示。さらに、3月末の決定を目指す「子供・若者育成支援推進大綱」の改定案で、「孤独や孤立問題への対応を強化する方針」を明記した上で、増加する自殺についても「最重要課題」と位置付けた。関係省庁間での連携を密にし、対策を急ぐ考えだという(読売新聞オンライン「【独自】不安高まる若者の『望まない孤独』…過去最多の自殺、コロナ禍で政府が対策強化」)。 2020年の1年間に自殺した小中高校生は479人で、前年の339人から140人増えて過去最多。内訳は、小学生が14人(前年比8人増)で、中学生136人(同40人増)、高校生329人(同92人増)で、高校生は男子が191人(同21人増)、女子は138人(同71人増)だった(文部科学省調査)。 また、大人も含めた自殺者数(速報値)は2万919人で11年ぶりに増加。男性(1万3943人)が女性(6976人)を依然として大きく上回っているが、男性が前年より135人減ったのに対し、女性は885人も増えた(1月22日に警察庁、厚生労働省が発表したデータ) コロナ禍の厳しい状況が、若者や女性などの社会的に弱い立場の人に及んでいることは言うまでもない。しかしながら、男性や高齢者の自殺率は依然として高い。5年ほど前には就職氷河期にフリーターという道を余儀なくされた人たちが、「助けて」と言えずに食事も取れずに餓死したケースがあり、ここ数年は引きこもりの高齢者も社会的な問題になっている。 詰まるところ、孤独・孤立問題は日本の長年の重要な課題だったわけだ。 今回、政府がこれまでにないスピード感で孤独・孤立問題の支援に舵(かじ)を切ったのは、自由民主党の若手議員の力によるところが大きい。コロナ禍で孤独・孤立問題が深刻化していることを受けて、自民党若手議員有志で「望まない孤独」問題に関する勉強会を発足。その呼びかけ人が、「孤独感にさいなまれた経験を持つ」という鈴木貴子衆院議員。2002年にあっせん収賄容疑で逮捕・収監された、鈴木宗男氏の長女だ。 毎日新聞のインタビュー記事によれば、当時、高校1年生だった鈴木議員はカナダの高校に留学中だった。しかし、日本で父親が逮捕されたことでバッシングを受け、「世の中の全てから存在を否定されたように感じました。今までの人生で、あのときが一番つらかった」という。 幸いカナダのホストファミリーは「一人の日本人留学生」として接してくれたため、「私の居場所はここにあると思って救われた」そうだ』、「鈴木貴子」氏が「父親」「逮捕」時に、「カナダのホストファミリー」のところにいたのは、ラッキーだった。
・『「孤独」の研究、端緒は1970年代  日本では「孤独」と一緒くたに語られてしまうが、英語では、自分で選択する孤独=solitudeと、寂しい孤独=lonelinessに分けることができる。前者には「自分の存在」があるが、後者にはない。 鈴木議員の言葉を借りれば「世の中の全てから存在を否定されたように感じる」状態こそが、寂しい孤独=loneliness。まさに「望まない孤独」だ。 つまり、鈴木議員のように孤独感を経験した政治家さんが先頭に立って、「現代病」でもある孤独問題に真っ正面から取り組むことは、実効性ある支援につながると期待できる。何よりも「望まない孤独」という新しい言葉が実にいい。 新しい言葉が生まれることで、それまで放置されてきた問題が注目されるようになり、個人の問題とされがちな問題が社会の問題、すなわち「私たちの問題」になる。 「望まない孤独」という言葉が社会に広がり、lonelinessとして理解されるようになれば、悲鳴を上げることができなかった人たちを救う大きなきっかけになるであろう。 というわけで、今回は「望まない孤独」について、あれこれ考えてみようと思う。 孤独問題は以前から本コラムでも取り上げているように、日本も含めた世界中の課題である。 古くは1970年代後半から「孤独=loneliness」の定義がなされ、孤独感を測る尺度が開発され、基本的にはこれらをベースにした研究が現在も蓄積されている。2000年以降は、孤独問題に加え「社会的孤立=social isolation」にも関心が集まり、先進国を中心に世界的に研究が続けられている。 lonelinessとは「『社会的つながりが十分でない』と感じる主観的感情」で、家族といても、職場にいても、ときとして耐え難くなるネガティブな感覚である。 「社会的つながりが十分ではないという主観的な感情」を健康社会学的な文脈で捉えれば、「私は温かく、信頼できる人間関係を築いている(=積極的他者関係、positive relationship)」という感覚の欠如だ』、「2000年以降は、孤独問題に加え「社会的孤立・・・」にも関心が集まり、先進国を中心に世界的に研究が続けられている。 lonelinessとは「『社会的つながりが十分でない』と感じる主観的感情」で、家族といても、職場にいても、ときとして耐え難くなるネガティブな感覚である」、なるほど。
・『自分だけ穴の中に落ちていく  この感覚が持てない状態が続くと、孤独感が強まっていく。 周りに人がいても排除されている感じがして、居場所がない。近くに人がいるのに、ぬくもりを感じることができない。自分の存在が全否定されているような気分になる人もいれば、周りの人と自分との「違い」から、周りの人といることで自尊心が傷つき、自分からコミュニケーションを避けたり、会うことをやめたり、物理的に距離を取るようになる人もいる。 以前、孤独に関する調査でインタビューした男性は、孤独感を「自分だけ穴の中に落ちていく感覚」と表現した。 「家にいるとおかしくなりそうになるから、外に出る。でも、外に出ると周りのまなざしが怖くて、人目を避けて漫画喫茶にこもったり、図書館で過ごしたりした。孤独感をまぎらわすために人ごみに行くのに、逆に孤独感が強まってしまって。完全に悪循環だった」 男性は就職氷河期世代で、正社員になれず、親からは「頑張りが足りない」と言われ続けた。その後も非正規社員として会社を転々とし、結婚もできずに30歳を過ぎた。世間から、「落ちこぼれ」「負け組」「弱虫」など、自業自得と言わんばかりのレッテルを貼られたという。 幸いにも男性は、自尊心が限りなく低下し、将来への不安も募っていた35歳のときに、ある企業にアルバイトで採用され、いい上司と社長さんに出会い、そこで居場所を得ることができたが、「あのままだったら……最悪の選択をしていたかもしれない」と当時を振り返った。 前述の通り、自分で選択する孤独=solitudeは、「自分の存在」がある状態なので、「自分は自分」と考えることができる。一抹の寂しさを感じることがあっても、「自分だけじゃないよな。他の人も似たようなもんじゃないかな」と考えたり、自分の胸の内をポロっとこぼして「私も同じだよ」などという話を聞いて安堵したり。他者と自分とのつながりを、自由に開いたり閉じたり、孤独を楽しんだり、孤独になることで自分と向き合ったり、「自分に足りないモノ」を受け入れたりするのが、自分で選択する孤独=solitudeだ。) こうした孤独は自己の成長につながり、極めて貴重な状態でもある。一方、「社会的つながりが十分でない」と感じる主観的感情=lonelinesを慢性的に感じていると、それが血流や内臓のうねりのごとく、体内の深部にまで入り込み、心臓病や脳卒中、がんのリスクを高めるほど心身をむしばんでいく。また、心理的なダメージから鬱傾向になったり、認知機能が低下したりする場合もある。 皮膚の下まで入り込む孤独は、もはや心の病だけでなく肉体的な病なのだ』、「主観的感情=lonelinesを慢性的に感じていると、それが血流や内臓のうねりのごとく、体内の深部にまで入り込み、心臓病や脳卒中、がんのリスクを高めるほど心身をむしばんでいく。また、心理的なダメージから鬱傾向になったり、認知機能が低下したりする場合もある」、肉体や精神に深刻な影響を与えることもあるとは恐ろしいことだ。
・『「信頼できる他者」がいない状態  また、米国のブリガム・ヤング大学のジュリアン・ホルト-ランスタッド博士らの分析では、孤独に関連する病気のリスクは65歳以上よりも65歳未満の方が高いことが分かっている。さらに、独り暮らしなどの「社会的孤立=social isolation」でも死亡リスクが高まるとしている。 「社会的孤立」に明確な定義は存在しないが、一般的には「家族や地域社会との関係が希薄で、他者との接触がほとんどない状態」を指し、社会学研究では、ソーシャル・サポート、ソーシャル・ネットワーク、ソーシャル・キャピタルなどの概念を用いて、社会的孤立を測る場合が多い。 具体的には、「日常生活の困り事を頼める人がいない」「悩みなどを相談できる人がいない」「病気などの緊急時に助けを頼める人がいない」「自分の問題を理解してくれる人がいない」「一緒に楽しい時間を過ごせる人がいない」といった状態、すなわち「信頼できる他者」がいない状態が社会的孤立だ。 家族、地域、職場、サークルなどのコミュニティーに属し、その中で、たった一人でも「頼っていいんだ」「ここにいていいんだ」「居心地がいい」「ホッとできる」「そこに行くだけで居場所がある」「自分を待っている人がいる」「自分を求めている人がいる」と思える“つながり”があれば、社会的孤立を免れることができる。 鈴木議員が「カナダのホストファミリーは『一人の日本人留学生』として接してくれたため、『私の居場所はここにあると思って救われた』」と語っていたように、だ。 つまり、孤独が極めて主観的な感情であるのに対し、社会的孤立は社会の問題である。社会的孤立が孤独感の引き金になると同時に、孤独感を軽減するには自分を取り囲む世界への「信頼」が必要不可欠。少々ややこしくなるが、孤独感と社会的孤立は鶏と卵のような関係にあり、その裏側にあるのが「信頼」という感情と解釈してよい、 孤独が日本だけでなく、世界の先進国で問題になっているのは、人間関係の希薄化が背景にあることを否定する人はいない。 興味深い調査結果がある。 NHKが5年ごとに実施している「『日本人の意識』調査」で、「なにかにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」が望ましいという人が長期的に減少しているのだ。 職場、親せき、近隣の3つの人間関係において、「なにかにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」を望ましいという人の割合の変化(出所:NHK「第10回『日本人の意識』調査」) 一方、職場や近隣の人間関係で、あいさつ程度の「形式的つき合い」を望む割合が増加している。 職場で「形式的なつき合い」を望む割合は、1973年の11%から、2018年には27%に増加。近隣では同15%から同33%に増加している(資料、P76より)』、「「なにかにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」が望ましいという人が長期的に減少している」、「職場や近隣の人間関係で、あいさつ程度の「形式的つき合い」を望む割合が増加している」、「つきあい」や「人間関係」の希薄化を希望しているようだ。
・『「あなたは大切な人」の一声を  また、慈善活動などは他者への関心を示すソーシャル・キャピタルの指標の1つだが、街頭募金額(赤い羽根共同募金と歳末たすけあい募金)は、1980年をピークに低下し始め、阪神大震災があった1994年ごろ、一旦は上昇に転じるが、その後は減少している(坂本治也氏「日本のソーシャル・キャピタルの現状と理論的背景」掲載の2006年までのデータによる)。 これらの結果は何を示しているのか? 誰もが厳しい状況に置かれ、将来への不安が高まっていて「人のことなどかまっていられない」という感情の高まりなのか? あるいは同調圧力や競争社会のわずらわしさから逃れるため、他人と比較しなくてすむようにあえて「孤立」することを望んでいるのか? その真意は人によってさまざまだろう。 ただ、一つだけ確かなのは、人は一人では生きていけない。どんなにSNSなどでつながっても、同じ空間にフェイス・トゥ・フェイスで共に過ごす経験がないと私たちは相手を心から信頼できず、孤独感が逆に深まってしまうということだ。 いずれにせよ、日本だけでなく世界の先進国が孤独問題を「国の重要課題の一つ」と位置付け、科学的な調査とエビデンスに基づき支援策に乗り出しているように、誰もがちょっとしたきっかけで孤独という病に侵されるリスクが高まっている。 自分の半径3メートルにある世界の「誰か」に声をかけてほしい。たった一言でもいいので「あなたは大切な人」というメッセージを送ってほしい。「望まない孤独」に陥っている人がいるかもしれないのだからして』、「誰もがちょっとしたきっかけで孤独という病に侵されるリスクが高まっている」、「自分の半径3メートルにある世界の「誰か」に声をかけてほしい。たった一言でもいいので「あなたは大切な人」というメッセージを送ってほしい」、実際にはその場の雰囲気にもよるが、「声かけ」はそれほど容易いことではなさそうだ。
タグ:孤独 (その3)(宗男氏長女を襲った「望まない孤独」と対策への使命感、“孤独担当大臣”の設置も 「大人の国」イギリスのよりよい国づくりへ向けた取り組みを紹介) 河合 薫 日経ビジネスオンライン 「宗男氏長女を襲った「望まない孤独」と対策への使命感」 坂本哲志内閣府特命担当大臣(少子化対策、地方創生)に「孤独・孤立対策」を兼務することを指示 「鈴木貴子」氏が「父親」「逮捕」時に、「カナダのホストファミリー」のところにいたのは、ラッキーだった。 「2000年以降は、孤独問題に加え「社会的孤立・・・」にも関心が集まり、先進国を中心に世界的に研究が続けられている。 lonelinessとは「『社会的つながりが十分でない』と感じる主観的感情」で、家族といても、職場にいても、ときとして耐え難くなるネガティブな感覚である」、なるほど。 「主観的感情=lonelinesを慢性的に感じていると、それが血流や内臓のうねりのごとく、体内の深部にまで入り込み、心臓病や脳卒中、がんのリスクを高めるほど心身をむしばんでいく。また、心理的なダメージから鬱傾向になったり、認知機能が低下したりする場合もある」、肉体や精神に深刻な影響を与えることもあるとは恐ろしいことだ。 「「なにかにつけ相談したり、たすけ合えるようなつきあい」が望ましいという人が長期的に減少している」、「職場や近隣の人間関係で、あいさつ程度の「形式的つき合い」を望む割合が増加している」、「つきあい」や「人間関係」の希薄化を希望しているようだ。 「誰もがちょっとしたきっかけで孤独という病に侵されるリスクが高まっている」、「自分の半径3メートルにある世界の「誰か」に声をかけてほしい。たった一言でもいいので「あなたは大切な人」というメッセージを送ってほしい」、実際にはその場の雰囲気にもよるが、「声かけ」はそれほど容易いことではなさそうだ。
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