SSブログ

幸福(その3)(脳科学者・中野信子が「人生では正解を選んではいけない」と言い切る理由 「幸せホルモン」を味方にする方法、「一家の大黒柱がしんどい」世界で唯一 女性より男性の幸福度が低くなる日本の特殊事情 なぜ男性のネガティブ感情が高いか、際立つ「40~50代未婚男性」幸福度の低さの背景 しあわせは「幸せ」ではなく「仕合わせ」である) [人生]

幸福については、2019年10月30日に取上げた。今日は、(その3)(脳科学者・中野信子が「人生では正解を選んではいけない」と言い切る理由 「幸せホルモン」を味方にする方法、「一家の大黒柱がしんどい」世界で唯一 女性より男性の幸福度が低くなる日本の特殊事情 なぜ男性のネガティブ感情が高いか、際立つ「40~50代未婚男性」幸福度の低さの背景 しあわせは「幸せ」ではなく「仕合わせ」である)である。

先ずは、昨年11月3日付けPRESIDENT Online /PRESIDENT BOOKSが掲載した脳科学者・医学博士の中野 信子氏による「脳科学者・中野信子が「人生では正解を選んではいけない」と言い切る理由 「幸せホルモン」を味方にする方法」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/40006
・『「不安心理」が広く世の中を覆っています。迷いや葛藤に押しつぶされることなく、「幸せ」を感じながら生きられるようになるにはどうしたら……。脳科学者の中野信子さんは「幸せホルモン」とも呼ばれる「オキシトシン」を上手に活用することを勧めます。セブン-イレブン限定書籍として刊行された『引き寄せる脳 遠ざける脳』(プレジデント社)から、そのコツを紹介します。 ※本稿は、中野信子『引き寄せる脳 遠ざける脳』(プレジデント社)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。。
・『「幸せを感じる」ことは、脳と体の相互作用  脳科学の観点で見ると、「幸せを感じる」という営みは、脳と体が絶えず行う相互作用に過ぎません。 そのとき、脳で分泌される神経伝達物質である「オキシトシン」の作用が、幸せの感情をもたらすことが明らかになっています。オキシトシンは「幸せホルモン」とも呼ばれ、まだそのすべてが解き明かされていない“謎多き物質”ですが、幸せのカギを握るたくさんの可能性があるとわたしは見ています。 そして、人の「幸せ」についての考え方は主観的なものであり、ひとつのものさしで測ることはできません。 見る人から見れば、たとえバカ騒ぎとしか思えない振る舞いでも、当の本人たちは仲間とわいわい騒ぐことで「みんなから愛されて幸せだ」と感じ、それによってオキシトシンがたくさん出る人もいるわけです』、「人の「幸せ」についての考え方は主観的なものであり、ひとつのものさしで測ることはできません」、なるほど。
・『「幸せのものさし」は人それぞれ  その一方で、ひとりきりの空間で心地良い服を着て、自分の好きな音楽を聴きながらリラックスすることで、オキシトシンが分泌される人もいるでしょう。 人それぞれ好みもちがえば、オキシトシンが出やすい環境もちがうということ。「あの人はいつも“ぼっち”でかわいそう」などと、一概にはいえないわけですね。 幼少期に培われた人間関係のなかで、愛着の対象や自分自身のことをどう思っていたかによって、幸せの価値観もそれぞれちがってくるのです』、「幼少期に培われた人間関係のなかで、愛着の対象や自分自身のことをどう思っていたかによって、幸せの価値観もそれぞれちがってくる」、「幼少期」の影響があるとは驚いた。
・『あなたの選んだ選択肢に「間違い」はない  他者と幸せの大きさを競うことに、ほとんど意味はありません。 たとえば、世の中には多動的な人がいて、彼らは多くの人と広く浅く交流し、たくさんの情報を交わし合うことによろこびを感じ、そんな自分を肯定して生きています。とくに、いまの時代はSNSなどで情報過多になっているため、そうした交流をうまくやっている人が目立ったり、「幸せ」に見えたりもします。 でも、そうでない人たちが不幸せかというと、まったくそうとはいえません。むしろ、わたしは「幸せの基準はたくさんある」ことを、救いに思ったほうがいいと考えています。 「わたしはあの人よりも幸せじゃないかも」「自分もあの人のように前向きに生きなければダメなんじゃないか」 もし、いまそんな思いや迷いを感じている人がいたら、わたしは脳科学者として、ひとりの人間として、このようにいいたいです。 「あなたの選んだ選択肢で生きることに、なにも間違いはないんだよ」と』、「あなたの選んだ選択肢に「間違い」はない」、嬉しいことで、もっと以前から知っていればよかった。
・『人間は成人するまでに14万8000回もの否定的な言葉を聞かされる  人はなぜ、自分と他人を比べて思い悩むのでしょうか? それは、おそらくわたしたち日本人が、子どものころから「正解を選ぶ人生」というものに、あまりに慣らされてしまっているからだとわたしは見ています。 人間は成人するまでに、約14万8000回もの否定的な言葉を聞かされるとする説もありますが、これと同じように、わたしたちはあまりにも、「次のなかから正解を選びなさい」といわれ過ぎているのではないかと感じます』、「人はなぜ、自分と他人を比べて思い悩むのでしょうか? それは、おそらくわたしたち日本人が、子どものころから「正解を選ぶ人生」というものに、あまりに慣らされてしまっているからだ」、面白い見方だ。
・『選んだ答えを「正解」にしていくのが人生  しかし、大人になれば「選んだ答えを正解にする力」こそが試されることになる。 「甲斐性のない亭主を選んだけれど、なんとかわたしが出世させてやる」「自分で選んだ奥さんだから、もう自分好みに仕立てるしかない!」 例として適切でないかもしれませんが……現実には、人生にはさまざまな「正解の仕方」があるわけです。 むしろ、選んだ答えを「正解にする」ことのほうがずっと大切ではないでしょうか。実際に自分が本当に正解を選んだかどうかは、死ぬまで、いや、死んでもわからないのです。「歴史にifはあり得ない」というのは、そういうことです。 本来、誰もが自分の好きなように生きていいのです。自分が感じる幸せの基準にもっと正直になって、そのうえでバランスをうまく取ればいいのです』、「選んだ答えを「正解」にしていくのが人生」、とは能動的で、面白い見解だ。
・『「自分の正解の基準」を見つけよう  そして、そんな自分をある程度肯定することも大切です。
 とくに女性の場合、なんだかんだと婚活を話題にされることがありますが、「この人が相手で本当にいいのだろうか」と、多くの人が悩むでしょう。そのときに、「みんなが正解だと思う人」を選びたくなる傾向がどうも強いようです。 でも、あたりまえですが、「自分が正解だと思う人」を選ぶべきです。なぜなら、その選択には誰も責任を取ってくれないからです。本来は自分で選べる力を持ったはずの人でも、あまりに正解を求めるくせがついてしまっていることで、多くの人が苦しんでいるように見えます。 そんな自分の考え方のくせを乗り越えていくには、自分の正解の基準を、丁寧に自分の気持ちと向き合いながら見つけていくことだと思います。地味な作業ですが、これはとても大切なことです。 そして、その基準に則って選択をする自分を、自分で肯定するのです』、「自分の正解の基準を、丁寧に自分の気持ちと向き合いながら見つけていくこと」、その通りだろう。
・『日本人は不安傾向が強い  繰り返しになりますが、その「肯定力」が心許なく感じるくらい、わたしたちは間違いを選ぶことを許さないように育てられてきたのかもしれません。 また、「とされています。日本には自然災害が多く、それに備えるには楽観的な性質よりも、不安傾向の高いほうが生き延びやすい環境であったわけです。 自分の決断をなかなか正解と思いにくく、曖昧であったり、迷ったりしがちなことが日本人の性質を表しています』、「日本人はもともと不安傾向の高い人が多い遺伝子プールである」、「自分の決断をなかなか正解と思いにくく、曖昧であったり、迷ったりしがち」、厄介な性格だ。
・『「迷うこと」は人生の幅の広さの証明  でも、考えてみれば、「迷える」ということは、それだけ自分の可能性が残されていると捉えることもできます。 「この人で良かったのかな」「この仕事で合っているのだろうか」 そのように人は迷いますが、迷うこと自体が、これからの人生の幅がまだまだ広いことを証明しているわけです。 自分なりの幸せを築いていくなら、まず自分の選択や決断をなにより重視する。 そして、迷ったとしても、その迷うことすら自分の「幸せ」の可能性を広げてくれるものとして、堂々と受け入れていく必要があるのでしょう』、「迷うことすら自分の「幸せ」の可能性を広げてくれるものとして、堂々と受け入れていく必要がある」、極めて前向きな考え方で、大いに参考になる。

次に、7月9日付けPRESIDENT Online が掲載した統計探偵/統計データ分析家の本川 裕氏による「「一家の大黒柱がしんどい」世界で唯一、女性より男性の幸福度が低くなる日本の特殊事情 なぜ男性のネガティブ感情が高いか」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/47667
・『「幸福度」を国別・男女別にみると、先進国や発展途上国を含むほとんどの国は女性のほうが男性より低い。一方、日本は逆に男性のほうが低い。統計データ分析家の本川裕氏は「OECDの統計を分析すると、世界のスタンダードは『女性・高齢・低学歴の者ほど幸福度が低い』が、日本人はこれにすべて反している」という――』、興味深そうだ。
・『世界の中で日本人の幸福度は低いのか高いのか  本連載で以前、「世界120位『女性がひどく差別される国・日本』で男より女の幸福感が高いというアイロニー」(2021年4月7日公開)というテーマを扱い、反響が大きかった。 今回はこの時とは別のデータを使い、やはり日本人の幸福度は、世界の傾向とは反対に女性の方が高い点を示すとともに、男女別だけでなく、年齢別、学歴別といったその他の属性でも日本人の幸福度は世界の傾向に反していることを紹介することにしよう。 本題に入る前に、まず、「日本人の幸福度は全体として高いのか低いのか」という点について確認しておこう。 OECD(経済協力開発機構)の幸福度白書の最新版(「How’s Life? 2020」)では、旧版と同様、幸福度を構成するさまざまの指標のひとつとして主観的幸福度(Subjective Well-being)のデータを掲載している。 私は、幸福度を論じる場合、幸福を左右すると思われる所得や生活環境、災害などに関するさまざまな指標を総合化して判定する方法では、どんな指標を使うかウエイトづけから恣意的になりがちなので、むしろ、この主観的幸福度そのものを重視すべきだと考えている。 同白書によれば「OECDのガイドライン」は主観的な幸福度の測定方法として以下の3つを区別している(※1)。 ①生活評価(生活満足度など生活の全体評価) ②感情(喜怒哀楽など、機嫌の良し悪し) ③ユーダイモニア(Eudaimonia)(人生の意味や目的、生きがい) ※1 同白書では、①として0~10までの段階別に答えさせた「生活満足度」、②として回答者の感情状態から作成した「ネガティブ感情度」のデータを掲げ、分析を行っている。①では日本や米国は該当する公式統計がないので比較対象から除外されている。③は国際比較できる高品質データがないとしてそもそも非掲載である。 まず、「日本人の幸福度の程度は」という疑問を解くために、4月7日の記事でも使った世界価値観調査の「幸福感」(※2)と、OECD幸福度白書が掲載している「ネガティブ感情度」(※3)という両方のデータで幸福度の各国比較を試みることにしよう。 ※2「幸福かどうか」の設問に「非常に幸せ」及び「やや幸せ」と答えた割合の計 ※3 調査日前日の感情状態についてネガティブな回答(怒り、悲しみ、恐れなど)がポジティブな回答(くつろぎ、喜び、笑う、など)を上回っている割合を指し、ギャラップ世界調査の結果からOECDが算出』、なるほど。
・『日本人の幸福度は、韓国やコロンビア、ポーランドなどよりも低い  図表1には、OECD諸国の幸福度ランキングを「幸福感」と「ネガティブ感情度」の両方で示した(※4)(図表1はリンク先参照)。後者では、指標値の低いほうが幸福度は高く、指標値の高いほうが幸福度は低いと解した。 ※4 一般に、先進国と途上国では事情や背景が大きく異なるので、生活レベルが一定水準以上の先進国だけで比較したい場合、先進国クラブと称されるOECD諸国のランキングが用いられることが多い。OECD諸国に関しては、統一基準で収集されたデータベースが整備されていて、相互比較の信憑性が高い点もOECD諸国比較が多用される一因となっている。ここでもそうした点を考慮してOECD諸国のデータを用いている。もっとも、最近、OECDの新規加盟国が増え、メキシコ、コロンビアといったラテンアメリカやスロベニア、エストニアといった東欧圏に属する必ずしも先進国とは言えない国々も含まれるようになっているので、その点にも分析上の配慮が必要である。 日本のOECD諸国の対象31カ国における幸福度ランキングは、世界価値観調査の「幸福感」では20位と低いほうである一方で、ギャラップ世界調査を用いた「ネガティブ感情度」では5位と高いほうである』、「幸福感」は低く、「ネガティブ感情度」は高いというのは、あまりいいことではなさそうだ。
・『主要先進国(G7)の中で日本と似ているのは、ドイツ  主要先進国(G7)の中で日本と似ているのは、ドイツであり、幸福感(表左側)では23位と低いが、ネガティブ感情度(表右側)からは13位とそれほど低くない(ネガティブ度が日本より低い)。主要先進国の中では、英国、フランスなどは、日本やドイツは逆に、幸福感は高いもののネガティブ感情度ではずっと低くなっている。 この結果を私なりに総括すると、 日本やドイツ:ふだんの機嫌がよいにもかかわらず幸福をあまり感じていない 英国やフランス:ふだんの機嫌が悪くても幸福を感じてはいる国民 の2タイプがあるのではないか。一方、 米国やイタリア:幸福に関する感情と幸福の自己理解にあまり齟齬が見られない 主観的な幸福度だけでも測り方によってかなり変わってくる点が興味深い』、「日本やドイツ」が似ているというのは、なんとなく感じる実感に近い。
・『「女性のほうが幸福度が低い」という世界の通例に反する日本人  ここからは、「ネガティブ感情度」を使って、男女、年齢、学歴といった属性別の幸福度の各国比較を見ていこう。原データはこれまでと同じ国ごとに毎年1000サンプル程度で行われているギャラップ調査であるが、結果のばらつきを抑えるため、長期間の平均値(2010~18年)が使用されている。 経済環境や文化の違いがあるため主観的幸福度の値を国民間で比較するのはやはり少し無理がある。感情面を指標化した「ネガティブ感情度」は、幸せかどうかを直接聞いた結果の「幸福感」より客観的であるとはいえ、やはり、国民性に多少左右されざるを得ないであろう。 しかし、考え方や感じ方を共有する同じ国民の間における男女、年齢、学歴といった属性間の比較は、全体としての幸福度ランキングより、むしろ、信憑性、有
効性が高いと考えられる。 結論から言ってしまうと、世界のスタンダードは「女性・高齢・低学歴の者ほど幸福感が低い」というものだが、日本人は、これにすべて反している。日本は世界的に見て、特殊な国民であるということが見てとれる。 まず、男女差(ジェンダー差)から見ていこう(図表2参照)(図表2:「女性の方が否定的な感情に陥りがちだが、日本人は例外的に逆」は(リンク先参照)』、私は一般的問題では、「日本人」特殊論には組しないが、この調査の結果は認めざるを得ない。
・『女性の方が否定的な感情に陥りがちだが日本人は例外的に逆  うつ病は、男性より女性のほうが多いというのが世界の通例であることからも類推できるように、ネガティブ感情度の男女比(男性÷女性)は、日本を除くすべての対象国で、1以下である。すなわち、女性のほうがネガティブで「マイナスの感情」を抱きがちである。 こうした世界的傾向について、ジェンダー論者は、男女差別によってこれが引きおこされていると速断しがちである。自殺がうつ病とは逆に男性のほうが多いのが世界の通例であることからもうかがえるように、ことは、そんなに単純ではない。 例えば、北欧諸国は一般的に男女平等意識が高いが、同じ北欧諸国でも、ノルウェー、デンマークでは、女性のほうが、ネガティブ感情度がかなり高くなっている(図表2、縦軸0.8以下」)のに対して、フィンランド、アイスランドでは、むしろ、男女比が1に近くなっており(男性も女性と同様にネガティブ感情度が高い傾向にある)、状況にかなり差があるのである。 それより何といっても、最も特徴的なのは、日本人だけ男性のネガティブ感情が女性を上回っている点(しかも14%も)である。これは、世界価値観調査などの幸福感でも日本人の幸福度の女性優位が目立っているのと軌を一にする現象であるといえる』、「日本人だけ男性のネガティブ感情が女性を上回っている」、要因は以下にあるようだ。
・『“世界で唯一”なぜ日本は女性よりも男性がネガティブな感情を抱くのか  なぜ、日本人の男性は女性よりもネガティブな感情を抱きやすいのか。 理由として考えられるのは、女性が男性と比べて個人的、社会的に尊重されていてネガティブな感情に陥る場合が少なくなっているから、あるいは、男性だけがネガティブな感情に陥りがちな特殊な社会環境があるか、のどちらかであろう。 私は、後者の側面が大きいと考えている。 本連載の4月7日の記事でも述べた通り、日本では、相続や選挙権に関する制度的な男女平等が戦後実現したのと並行して、現代では、かつてに比べて儒教道徳から女性がかなり解放されたのに対して、男性のほうは「男は一家の大黒柱」あるいは「男はか弱い女性を守らなければならない」といったような旧い道徳観になお縛られていることが多いから、こうした結果が生じているのではないかと感じるが、どうだろうか。男は、男(自分)への期待感が大きい。それだけ幸福度を感じにくくなっているのである。 なお、同じような状況にある韓国でも(日本の男性ほどネガティブな感情を抱いていないが)、やはり、OECD諸国の中でネガティブ感情度の男女比が3位と高い点もこの点を裏づけていると考えられる。 世界的に権威があるはずの「OECD幸福度白書」のこのデータを日本のジェンダー論者が参照することは、まず、ないだろう。しかし、男性が幸福になれなければ女性も幸福になれないと仮定した場合、図表2で客観的に表した深い真実を直視しない限り、日本における本当の男女平等は永遠に実現できないかもしれない』、日本人の「男は、男(自分)への期待感が大きい。それだけ幸福度を感じにくくなっているのである」、納得した。
・『高齢者、低学歴者ほど幸福度が低いという通例が当てはまらない日本人  次に、年齢差とネガティブ感情度(幸福度)に関してみていこう(図表3参照)。(図表3:「若者は幸せで高齢者は気持ちがネガティブになる場合が多いが日本人は例外」はリンク先参照)(表の「●」は50歳以上、「ー」は30~49歳、「▲」は15~29歳の数値だ(数値が高いほどネガティブ感情度が高い)。男女差ほど決定的ではないが、世界的には、若者のほうが高齢者よりネガティブ感情度が低いのが通例である。若者には未来があり、死が遠くない高齢者は病苦で苦しむ者も多いのであるから当然ともいえる。 年齢差が大きい国はといえば、図の左側の国、すなわち途上国的な性格を残している国である。途上国の高齢者は生活していくだけでも心労が絶えないのである。一方、図の右側、すなわち、日本を含む、比較的所得水準の高い国では年齢差は目立たなくなる。社会保障が充実して、高齢者でも生活苦や病苦で悩むことが少なくなるからである。 こういう見方でグラフを眺めると、若者だけで比較した場合、各国のネガティブ感情度は、国による違いがかなり小さいことに気がつく。どんなに生活が苦しくても若者には未来があるのである。一方、高齢者のネガティブ感情度の差は大きく、高所得国ほど低くなっていることが分かる(左端のリトアニアは30超、日本は10弱)。 そして、働き盛りの年齢(「―」の数値)では、ネガティブ感情度は若者と高齢者の中間である場合が一般的である。 しかし、米国より右に位置する国では、おおむね、若者や高齢者の両方より働き盛り年齢のネガティブ感情度のほうが高くなる傾向にある。これは、子どもや高齢者を大切にする社会保障の発達した国でも、仕事や子育て、介護などに伴う働き盛りの年齢の悩みは消えない(あるいはむしろ大きくなる)からだと考えられる』、なるほど。
・『<消極的に天命に安んじる態度には、我々は懐しみを覚えさせられる>  さて、改めて日本の位置を確認しよう。高齢者のネガティブ感情度は最も低いほうから2番目である。高齢者のネガティブ感情度は、高福祉社会と言われる北欧諸国が世界で最も低く、それに伴って年齢差も最も低くなっているが、日本もこれに伍しているのである。 少なくとも感情の状態からは、日本は高福祉社会の域に十分達しているといえよう。しかも、日本の高齢人口の割合は世界でもっとも高い点を考慮すれば、よくやっていると評価せざるをえない。 もっとも日本の社会保障の充実度が北欧並みと考えるのは少し行き過ぎの見方かもしれない。むしろ、諦観という日本人の習性に理由を見出すべきなのかもしれない。 正宗白鳥は永井荷風を論じた評論のなかで荷風を含め老境にある日本人について、こう言っている。 「外国人のうちには、老境に達して落伍しても、天を怨まず人を嫉まず、与えられた境遇を楽む者は甚だ稀なようだが、日本では古来都鄙を通じて、そういう気持の老人が少なくなかった。伝統的日本気質の現れであって、この消極的に天命に安んじる態度には、我々は懐しみを覚えさせられるのだ」(『作家論』岩波文庫、p.331)』、「高齢者のネガティブ感情度は、高福祉社会と言われる北欧諸国が世界で最も低く、それに伴って年齢差も最も低くなっているが、日本もこれに伍しているのである」、これは「日本の社会保障の充実度が北欧並みと考えるのは少し行き過ぎの見方かもしれない。むしろ、諦観という日本人の習性に理由を見出すべきなのかもしれない」、その通りなのだろう。
・『学歴による格差が幸福度の差に結びつかないようなメカニズム  最後に、学歴とネガティブ感情度(幸福度)について見てみよう(図表4参照)。 (図表4:「高学歴の者ほど感情がネガティブでない国民が多い中で日本人は例外」はリンク先参照) 日本は、中等教育卒業者のネガティブ感情度(「―」の数値)がメキシコに次いで低く、初等教育卒業者(「▲」の数値)の場合は最も低くなっている。そして、こうした状況によって学歴差が最も小さい国の一つである。また、初等教育卒業者のほうが高等教育卒業者(「●」の数値)よりネガティブ感情度が低いという国は日本だけである。 学歴と階級・職種・所得は密接に関係しており、これを背景に、世界ではネガティブ感情度は低学歴の者ほど高く、高学歴の者ほど低いというのがスタンダードである。ところが、ここでも日本は学歴の差が幸福度に比例しないという例外的な特徴をあらわしているのである。 理由としては、実際に学歴による所得や生活水準の格差が小さいからかもしれないし、あるいは、学歴による格差があってもそれが幸福度の差に結びつかないようなメカニズムが働いているからかもしれない。私は、年齢差の場合と同じように、日本の場合は、前者だけでなく後者の側面も大きいのではないかと考えている。 いずれにせよ、以上のように、「感情状態」から見た幸福度について、男女差、年齢差、学歴差を見る限り、日本人ほど“よい方向”に世界の常識が当てはまらない国民はいないのだといえよう。こうしたデータからは、日本は「奇跡の国」と見なされてもおかしくはないのである』、確かに「日本は「奇跡の国」と見なされてもおかしくはない」ようだ。

第三に、9月16日付け東洋経済オンラインが掲載した独身研究家・コラムニストの荒川 和久氏による「際立つ「40~50代未婚男性」幸福度の低さの背景 しあわせは「幸せ」ではなく「仕合わせ」である」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/455386
・『幸福度は、未婚者より既婚者のほうが高く、男性より女性のほうが高い。 これは世界的にも割と共通した傾向で、2017~2020年の「世界価値観調査」においても、調査対象77カ国中、未婚者より既婚者の幸福度が高い国は70%を超え、男性より女性の幸福度が高い国も53%あります。 日本もその多数派に属します。それどころか、既婚者の幸福度が高い順では日本は5位、女性の幸福度が高い順では3位とトップグループにランクインします』、第二の記事を「日本」中心にみたもののようだ。
・『40~50代未婚男性の幸福度の低さ  日本における年代別でみてもその傾向は顕著ですが、私が2020年に国内で調査した以下のグラフにもあるとおり、とくに気になるのは40~50代の未婚男性の幸福度の際立つ低さです。逆にいえば、未婚の40~50代男性の不幸度がいちばん高いということになります。これは2016年から継続調査の推移を見ても同様の傾向です。 未婚男性の幸福度が突出して低い理由として、すぐ思いつく要因としては「未婚男性は低年収だから」というものがあります。 実際『「金がないから結婚できない」と嘆く人の大誤解』の記事でも考察しましたが、東京や大都市圏においては「金がないから結婚できない」という問題は確かに存在します。しかし、未婚男性の低い幸福度は年収だけのせいなのかというとそうでもないのです。 年収別に幸福度を20~50代未既婚で比べると、未婚も既婚も年収が上がるごとに幸福度は増しますが、同じ年収でも未婚と既婚とでは幸福度に大きな差があります。年収100~900万円の間ではほぼ20ポイントの差が均等にあります。 むしろ、未婚男性は1000万円の年収で幸福度が頭打ちになり、それ以降は下がる傾向すら見られます。これを見る限り、年収より未婚か既婚かの配偶関係のほうが幸福度に強く影響を与えていると考えられます』、「男性」の場合、「年収より未婚か既婚かの配偶関係のほうが幸福度に強く影響を与えている」、興味深い結果だ。
・『恋愛経験との関係は?  次に、恋愛経験と幸福度の関係についてみてみます。 以下のグラフは、「現在恋人がいる」「今はいないが過去には恋人がいた」「今まで一度も付き合った相手がいたことがない」という状況別に未婚男女での幸福度を比較したものです。「幸福だ」と感じる割合だけではなく、「不幸だ」と感じる割合もあわせてみるために、幸福と不幸の割合の差分にて比較してみることとします。 こちらも男女差が明確に出ます。未婚男性は「現在恋人がいる」群ではすべての年代で幸福が不幸を上回りますが、「今まで一度もいない」群はすべてマイナス(不幸割合が幸福割合を上回る)という結果となりました。 女性も同じような傾向はありますが、40代の「今まで一度もいない」群を除けば、すべて幸福割合のほうが上回ります。つまり、恋愛経験があるかないかで幸不幸の影響を最も受けているのが、「一度も恋愛経験のない」未婚男性たちということになります。 一般的に、「恋愛=幸せ」の図式は女性にあてはまるものと考えられがちですが、既婚より未婚の幸福度が低い結果とあわせると(既婚者は少なくとも恋愛経験を経ている)、男性の幸せにおいて重要な因子は、むしろ年収より恋愛なのではないかという仮説も成り立ちます。 だからといって、「恋愛すれば幸福になれる」「結婚すれば幸福になれる」などという因果はありません。当然、恋愛経験なしの中には、そもそも「恋愛や結婚に興味がない」層も一定数います。恋愛をしていない人=不幸と断じるつもりもありません。しかし、マクロ的に見れば、多くの未婚男性の低い幸福度は、「恋愛を望んでいるにもかかわらずそれが実現できない」という環境にあるともいえるでしょう。 一方で、恋愛経験がなくても幸福度が高い群も存在します。『「オタクは結婚できない」という大いなる誤解』という記事で紹介したように、何かしらのオタク趣味をもつ未婚男性の幸福度は、「現在恋人がいる」未婚男性のそれに匹敵します。恋愛をしていなくてもオタク趣味がある未婚男性は十分幸せなのです』、「男性の幸せにおいて重要な因子は、むしろ年収より恋愛なのではないかという仮説も成り立ちます」、面白い結果だ。
・『幸せとはいったい? そもそも、幸せとはなんでしょうか?  もともと、「幸」という文字は「手かせ」つまり「手錠」の象形であると言われています。手錠でつながれて不自由な状態がしあわせというのは一体どういう意味なのでしょう? この解釈については、諸説ありますが、「手錠をはめられている状態から解放されると幸せだから」という説もあります。また、「幸」に「丸」と書くと「執」になります。「執」という漢字を使った熟語には、「執着」「固執」など、あまりいい意味は感じられません。 そもそも、この「丸」という漢字は、ひざまずいて両手を前に差し出す人の姿を現します。差し出した先が「幸」という手錠ですから、これはどう考えても、逃げられない不自由な状態にさせられた人間を表しているでしょう。どうやら「幸」という字は本来あまりいい意味ではないようです。 しかし、実は「幸せ」という表記になったのは江戸時代以降の最近の話で、もともとは「仕合わせ」と表記していました。中島みゆきさんの歌の「糸」で使われているのも、この「仕合わせ」という漢字です。 さらに語源をたどれば「仕合わせ」とは「為し合わす」でした。「為す」とは動詞「する」で、何か2つの動作などを「合わせる」こと、それが「しあわせ」だという意味です。つまりは、「誰かと何か行動をする」こと自体が「しあわせ」ということなのです。もともとは動詞であったことから、「しあわせ」とは状態ではなく「しあわせる」という行動そのものだったことがうかがえます。 結婚しているとか、いい会社に就職しているとか、さらにはお金を所有しているという状態にしあわせはありません。結婚にしても、就職にしても、そこで誰と何をするのかがしあわせなのであり、お金や時間に関して言えば、そのお金と時間を使って誰と何をするのかがしあわせなのだろうと思います。 いうまでもなく、その誰かとは異性に限らず、同性の友人であってもいいし、初対面の相手であってもいい。つまりは、しあわせとは「人のつながり」であり、「つながった人と何をするのか」が問われているのです。 こんな場面を想像してみてください。 公園などにあるシーソー。そのシーソーの片側に自分だけが座っていても、何も動きません。どんなにもがいても、自分1人だけではシーソーは動きません。そこに必要なのが人とのつながりなのです。 多くの人は、自分が下にいる状態が不幸なのだと考えてしまうでしょう。そうではありません。 反対に、シーソーが上がって自分の身体が頂点に達したときだけが幸せでもありません。それでは、自分の幸せのために誰かの犠牲を要求することになります。「しあわせ」とは、シーソーが上に行ったり下に行ったりする過程の中で、刹那生じる中間地点にあります。誰かと何かを「なしあわせる」ことで生まれる一瞬のバランス状態。これが「しあわせ」の瞬間です。 よって「しあわせ」とは静止状態で享受できるものではなく、つねに動的状態で、繰り返し訪れるもの。寄せては返す波のようなものです。「しあわせ」を感じる過程で、有頂天になったり、どん底の気分を味わうこともあるでしょう。でも、それこそが真ん中の状態を通り過ぎるための力点の1つになるわけです。 そして、シーソーをこぐ相手はいつも一緒の人である必要もありません。あなた自身も通りすがりで誰かのシーソーにいったん座っていることもあるでしょう。幸と不幸、光と闇というように二項対立で捉えがちですが、そう区別できるものではないのです。すべてが流れの中にあり、すべてが循環し、つながっています』、「「しあわせ」とは静止状態で享受できるものではなく、つねに動的状態で、繰り返し訪れるもの。寄せては返す波のようなものです」、面白い見方だ。
・『生きている限り誰かとシーソーをする  そう考えれば、未婚に比べて既婚の幸福度が高いのは、配偶者や子どもといったつねに「しあわせる」相手と何かをしていることによるものですし、未婚でも恋愛相手がいる人の幸福度が高いのも同じことでしょう。男性より女性のほうが全体的に幸福度が高いのも配偶関係によらず、女性のほうがコミュニケーションをとる回数が多いということかもしれません。 恋愛相手がなくても、オタク未婚男性の幸福度が高いのも、オタク趣味を通じて、誰かとつながり、誰かの役に立っている実感が得られるという、いわば「擬似恋愛・擬似子育て」行動だからでしょう。 「結婚すれば幸せになれる」「お金持ちになれば幸せになれる」という状態依存にとらわれていると、ますます自分を不幸に陥れます。「そういう状態にない自分は幸せではないのだ」と自己暗示にかけているようなものだからです。 私たちは、生きている限り、無意識に誰かとつかの間のシーソーをしています。仕事でも買い物でも、あなたの行動は何かしら誰かに影響を与えているものです。それもまた人とのつながりです。 人とのつながりは、最初は小さな点でしかありません。でも、その小さな点もつながりが増えることによって、1本の糸になります。さらにつながりが広がると、糸が交錯して、大きな布になります。まさに、中島みゆきさんの曲「糸」の歌詞そのままです。 「Be happy」ではなく「Do happy」へ。「幸せ」から「仕合わせ」へ。「幸せ」という手錠をいったん外して、本来の「仕合わせる」行動をしてみてはどうでしょうか?』、「「幸せ」という手錠をいったん外して、本来の「仕合わせる」行動をしてみてはどうでしょうか?」、面白く新鮮な幸福論だ。
タグ:(その3)(脳科学者・中野信子が「人生では正解を選んではいけない」と言い切る理由 「幸せホルモン」を味方にする方法、「一家の大黒柱がしんどい」世界で唯一 女性より男性の幸福度が低くなる日本の特殊事情 なぜ男性のネガティブ感情が高いか、際立つ「40~50代未婚男性」幸福度の低さの背景 しあわせは「幸せ」ではなく「仕合わせ」である) 幸福 PRESIDENT Online /PRESIDENT BOOKS 中野 信子 「脳科学者・中野信子が「人生では正解を選んではいけない」と言い切る理由 「幸せホルモン」を味方にする方法」 『引き寄せる脳 遠ざける脳』(プレジデント社) 「人の「幸せ」についての考え方は主観的なものであり、ひとつのものさしで測ることはできません」、なるほど。 「幼少期に培われた人間関係のなかで、愛着の対象や自分自身のことをどう思っていたかによって、幸せの価値観もそれぞれちがってくる」、「幼少期」の影響があるとは驚いた。 「あなたの選んだ選択肢に「間違い」はない」、嬉しいことで、もっと以前から知っていればよかった。 「人はなぜ、自分と他人を比べて思い悩むのでしょうか? それは、おそらくわたしたち日本人が、子どものころから「正解を選ぶ人生」というものに、あまりに慣らされてしまっているからだ」、面白い見方だ。 「選んだ答えを「正解」にしていくのが人生」、とは能動的で、面白い見解だ。 「自分の正解の基準を、丁寧に自分の気持ちと向き合いながら見つけていくこと」、その通りだろう。 「日本人はもともと不安傾向の高い人が多い遺伝子プールである」、「自分の決断をなかなか正解と思いにくく、曖昧であったり、迷ったりしがち」、厄介な性格だ。 「迷うことすら自分の「幸せ」の可能性を広げてくれるものとして、堂々と受け入れていく必要がある」、極めて前向きな考え方で、大いに参考になる。 PRESIDENT ONLINE 本川 裕 「「一家の大黒柱がしんどい」世界で唯一、女性より男性の幸福度が低くなる日本の特殊事情 なぜ男性のネガティブ感情が高いか」 「幸福感」は低く、「ネガティブ感情度」は高いというのは、あまりいいことではなさそうだ。 「日本やドイツ」が似ているというのは、なんとなく感じる実感に近い。 私は一般的問題では、「日本人」特殊論には組しないが、この調査の結果は認めざるを得ない。 「日本人だけ男性のネガティブ感情が女性を上回っている」、要因は以下にあるようだ。 日本人の「男は、男(自分)への期待感が大きい。それだけ幸福度を感じにくくなっているのである」、納得した。 「高齢者のネガティブ感情度は、高福祉社会と言われる北欧諸国が世界で最も低く、それに伴って年齢差も最も低くなっているが、日本もこれに伍しているのである」、これは「日本の社会保障の充実度が北欧並みと考えるのは少し行き過ぎの見方かもしれない。むしろ、諦観という日本人の習性に理由を見出すべきなのかもしれない」、その通りなのだろう。 確かに「日本は「奇跡の国」と見なされてもおかしくはない」ようだ。 東洋経済オンライン 荒川 和久 「際立つ「40~50代未婚男性」幸福度の低さの背景 しあわせは「幸せ」ではなく「仕合わせ」である」 第二の記事を「日本」中心にみたもののようだ。 「男性」の場合、「年収より未婚か既婚かの配偶関係のほうが幸福度に強く影響を与えている」、興味深い結果だ。 「男性の幸せにおいて重要な因子は、むしろ年収より恋愛なのではないかという仮説も成り立ちます」、面白い結果だ 「「しあわせ」とは静止状態で享受できるものではなく、つねに動的状態で、繰り返し訪れるもの。寄せては返す波のようなものです」、面白い見方だ。 「「幸せ」という手錠をいったん外して、本来の「仕合わせる」行動をしてみてはどうでしょうか?」、面白く新鮮な幸福論だ。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

恋愛・結婚(その4)(40代50代の婚活がなかなかうまくいかないワケ 「子どもが欲しい」という気持ちが邪魔をする、「いい人がいたら」と言う独身者の大きな勘違い 30歳を過ぎると「自然な流れでの結婚」が難しい、「親が離婚した子」が大人になって思うあの頃 責める気持ちはない、SOSが届く場所にいて) [人生]

恋愛・結婚については、1月3日取上げた。今日は、(その4)(40代50代の婚活がなかなかうまくいかないワケ 「子どもが欲しい」という気持ちが邪魔をする、「いい人がいたら」と言う独身者の大きな勘違い 30歳を過ぎると「自然な流れでの結婚」が難しい、「親が離婚した子」が大人になって思うあの頃 責める気持ちはない、SOSが届く場所にいて)である。

先ずは、1月7日付け東洋経済オンラインが掲載した仲人・ライターの鎌田 れい氏による「40代50代の婚活がなかなかうまくいかないワケ 「子どもが欲しい」という気持ちが邪魔をする」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/399237
・『2020年は、40代、50代の男女が、例年に比べてより多く入会面談にやってきた。新型コロナウイルスが蔓延し、人と人との関わりを制限される生活となって、残された先の人生を考えてしまったのではないか。そして、急激に孤独を感じたのだろう。 仲人として、婚活現場に関わる筆者が、婚活者に焦点を当てて、苦労や成功体験をリアルな声と共にお届けしていく連載。今回は、「40代、50代の結婚と再婚」について、一緒に考えてみたい』、興味深そうだ。
・『41歳のときに焦って結婚を決めた理由  40代、50代の結婚と再婚は、当事者が子どもを授かりたいか否かでも、活動の仕方が大きく変わってくる。 40代前半の多くの女性が、「できることなら子どもを授かりたい」と願っている。有名タレントの40歳を越えてからの出産ニュースも聞くようになった昨今であるし、不妊治療の助成金も43歳未満までなら出るので、「最後のチャンスに懸けたい」と思うのは、至極当然のことだろう。 一方で男性は、40代、50代、また60代になっても、“わが子をこの手に抱きたい”と思っている人たちは多い。こちらもまた60歳を過ぎて父親になった有名タレントのニュースに触発されているのかもしれない。 出産を視野に入れている婚活者は、男女ともに1日も早い結婚を望んでいる。そんな中で、女性は“なるべく歳の近い男性”を希望し、男性は “できることなら30代、上は41、2歳くらいまで”と希望しているので、互いに求め合うベクトルがすれ違ってしまい、婚活を非常に難しくさせている。 一方で、もう子どもはいらない。残りの人生を一緒に歩いていくパートナーが欲しい、という婚活者は、ゆとりを持ってお相手選びをすることができる。ただ時間制限がないぶん相手選びの目を厳しくしてしまうこともあるし、期限が決められていないと活動する気持ちも緩くなる。 40代、50代の婚活者は増えてはいるものの、成婚に結びつく確率は非常に厳しいのが現状だ。 現在、私のところで婚活中の香代(仮名、40代後半)も、お見合いはできるものの、なかなか結婚相手に巡り合えないでいた。) 入会してきたのは、一部で緊急事態宣言が開けた5月の半ばだった。3月に入ってテレワークが増え、世の中の動きが止まった緊急事態宣言期間中に部屋で1人で過ごし、猛烈に寂しさを感じたという。香代は、再婚希望者だった。 「40代前半のときに、結婚相談所で知り合った年上の雅也(仮名)とお見合いですぐ結婚を決めたんです。2人とも子どもが欲しかったので、相談所を成婚退会後、すぐに入籍をしました」 ところが、一緒に暮らし始めてみると、あまりにも生活していく価値観が違っていた。 「元夫は2年前に、持ち家を購入していました。お付き合いをしているときに、2度ほど遊びに行ったことがあったのですが、どの部屋も物であふれ返っていました。 家具とか電化製品は最低限度のものしかないのに、部屋には雑誌や趣味の雑貨が驚くほどたくさんあって、キッチンには、買いだめしたラップ、アルミホイル、食器用洗剤、ティッシュがまるで倉庫のように積まれていました」 それだけではなかった。クローゼットに入りきらなかった服が部屋の壁にも掛けられ、階段の手すりにもスーツやコートがぶら下がっていた。また通販品が送られてくる段ボール箱も捨てずにとってあった。 「『どうしてこんなに物がたくさんがあるの?』と聞いたら、『買った物には、1つひとつに思い出があるからね』と言うんです。『通販の段ボールには思い出はないでしょう?』と言うと、『いつか使うかもしれないじゃない』と。 さらに、驚くほどたくさんあるラップや洗剤は、『どうせ使うものだから、安売りしているときに買っておくんだ』と平然とした顔で言うんです。ただこのときは、“男の一人暮らしだし、家は散らかっていても仕方がない。私が結婚後に片付ければいいや”くらいに思っていたんです」 香代は、整理整頓が得意なほうだったので、「私の手にかかれば、この家も見違えるくらいきれいになるだろう」と高をくくっていた。 何よりも、1日も早く結婚生活をスタートさせたかった。子どもを産むタイムリミットを知らせる時計が、頭の中でカチカチと鳴り響いていたからだ』、「出産を視野に入れている婚活者は、男女ともに1日も早い結婚を望んでいる。そんな中で、女性は“なるべく歳の近い男性”を希望し、男性は “できることなら30代、上は41、2歳くらいまで”と希望しているので、互いに求め合うベクトルがすれ違ってしまい、婚活を非常に難しくさせている」、「もう子どもはいらない。残りの人生を一緒に歩いていくパートナーが欲しい、という婚活者は、ゆとりを持ってお相手選びをすることができる。ただ・・・期限が決められていないと活動する気持ちも緩くなる。 40代、50代の婚活者は増えてはいるものの、成婚に結びつく確率は非常に厳しいのが現状だ」、いずれにしろ、簡単ではなさそうだ。
・『結婚して1年弱で離婚  「私はもともと荷物が少ないほうだし、あんなに物のあふれた家に行くのだから、必要最低限の物だけを持って、引っ越しました」 そして、“これぞ腕の見せ所”とばかりに、部屋の片付けを始めた。 「2人が休みの日に一緒に片付けをしたんですが、彼の古い洋服を捨てようとしたら、語気を荒らげて怒られました。『初めてもらったバイト代で買ったものなんだ。勝手に捨てるなよ!』と。結局部屋にある物は、ほとんど捨てられず、1部屋を物置部屋にして、そこに物を移動させるだけで終わりました」) 香代にとってはゴミに見えるものでも、雅也にとっては思い出が詰まった宝ものだったのだ。 さらに、一緒に生活を始めてみると、毎日のように通販で買った品物が届いた。それは、限定品のフィギュアだったり、タイムセールで買った服だったり小物だったりするのだが、品物だけでなく段ボールも捨てずにとっておくので、片付けたはずの部屋がたちまち物であふれ返っていった。 また一緒に生活してわかったことだが、雅也は自分のためにはお金を使うのだが、人のためにはお金を使おうとしなかった。 「生活費は、きれいに折半でした。結婚前は、外で食事をすると私の分も支払ってくれたのに、結婚してからは自分の分しか出さなくなりました。あるとき、2人で牛丼チェーン店に行ったら、自分の食券だけ買ってさっさと席に座り、それを店の人に出していました。 妻に350円の牛丼もごちそうできないのかと思ったので、『結婚前は、ごちそうしてくれたのにね』と嫌みっぽく言ったら、『ああ、仲人さんに婚活中は出すように言われていたから』と。それを聞いて心底あきれました」』、「“これぞ腕の見せ所”とばかりに、部屋の片付けを始めた」、「結局部屋にある物は、ほとんど捨てられず、1部屋を物置部屋にして、そこに物を移動させるだけで終わりました」、これほどまでにすれ違いが大きいのに、結婚して初めて気付いたというのもお粗末だ。
・『聞くに堪えかねるような悪口を言う夫  もう1つ結婚してわかった嫌な面があった。家でテレビを見ているときに、出演者をこきおろすのだ。 「〇〇も昔は、キャーキャー言われていた二枚目俳優だったけど、フケたよな?。おでこがかなり後退しちゃって、もうじーさんだな」 「ブヨブヨの裸をさらして、粉だらけになって金稼ぐお笑いタレントって、プライドがないのかね」 「国会議員が不倫?ふざけんな!この税金ドロボーが」 付き合っているときには、こんなふうに人を悪く言うような一面はなかったので、本当に意外だった。あるとき、聞くに堪えかねて香代が言った。 「どうしてそんなにテレビに出ている人たちを悪く言うの?」 すると、雅也は平然とした顔で言った。 「相手に聞こえているわけじゃないから、何言ったっていいじゃない。ネットに匿名で誹謗中傷を書いたりするのは悪質だと思うけど、自分ちでテレビに向かって言っても、誰に何の迷惑もかけてないだろう?」 「そばで聞いている私は、いい気持ちがしないよ」 「じゃあ、聞かなければいいじゃない」 「一緒にいたら、聞こえちゃうでしょ」 こんな会話をしているうちに、本当に虚しくなってきた、と言う。 子どもが欲しかったから、結婚を急いだ。しかし、子どもを作るためにはその行為をしなくてはならない。一緒に暮らすようになってから日に日に雅也に嫌悪感を覚え、一緒のベッドにも寝たくなくなり、夫婦関係はどんどん冷めていった。) 結婚当初は、“不妊治療をしてでもいいから、絶対に子どもが欲しい”と思っていたのが、“子どもは欲しいが、雅也の子どもは欲しくない”と思うようになり、離婚することを決めた。離婚を切り出し、ゴネられたらどうしようかと心配していたが、雅也も香代との生活にストレスを感じていたのだろう。すんなりと離婚に応じた。 結婚生活はわずか1年弱だった』、「“子どもは欲しいが、雅也の子どもは欲しくない”」、となれば「離婚」も当然だ。
・『入籍前に一緒に暮らすのも1つの方法  そこから、出会いもないままに年月が経ち、香代はもう子どもは授からないであろう年齢になっていた。私のところで婚活を始めるときに、こんなことを言っていた。 「焦ると人を見る目が曇ると思うんです。だから、今回は、“いいな”と思う人が現れたら、しっかりと人間性を見極めたいと思っています」 近年、40代、50代の登録は増えているので、お見合いはスムーズに組めた。まずは、最初の1カ月で5人ほどお見合いをしたが、“交際をしたい”と思う人は、なかなか現れなかった。 「相変わらず、婚活市場でお相手を選ぶのって厳しいですね。この間の方は、話をしている間、視線がチラチラと動いて、私のことをまったく見ませんでした。今日の方は、コロナに異常なほど神経質で、お見合い中もマスクを外さなかった。マスクを取ると顔の印象がガラリと変わることがあるじゃないですか。 コーヒーを頼まれたので、飲むときにマスクを外した顔が見られるかなと思っていたら、マスクを手でつまんで浮かせて、コーヒーをズズズーッと飲んでいました。思わず吹き出しそうになりましたが、必死で笑いをこらえましたよ。結局マスクを取った顔を一度も見ることはできませんでした」) そして、5回のお見合いを終えて、香代はこんな感想を漏らした。 「以前は、子どものタイムリミットがいつも頭にあったので、うまくいかないと失望したり、ストレスがたまったりしていたのですが、それがない今回は、精神的にとても楽です。あのマスクを外さずコーヒーを飲んだ人も、昔だったらイラッときたかもしれないけれど、今回は笑い飛ばせましたしね」 その後も、振ったり振られたりのお見合いを続けていたのだが、9月にお見合いをした利正(仮名、51歳)と仮交際に入り、2カ月の付き合いを経て、真剣交際に入り11月22日のいい夫婦の日にプロポーズをされた』、「焦ると人を見る目が曇ると思うんです。だから、今回は、“いいな”と思う人が現れたら、しっかりと人間性を見極めたいと思っています」、これで「2カ月の付き合いを経て・・・プロポーズをされた」、今回こそはうまくいくといいのだが・・・。
・『熟年結婚はますます盛んになるだろう  成婚退会のあいさつに来た香代が言った。 「彼は、ケチではないし、人のためにお金が使える人でした。物を買い込むタイプでもなかった。ただ一緒に生活してみないと、わからないことがたくさんある気がするんです。 相談所は、これで退会させていただきますけど、今回は焦って入籍をせずに、『1年くらいは婚約期間にしよう』と彼と話をしているんです。一緒に暮らしてみて、お互いに嫌なところは直していくし、2人で過ごす時間も大事にしながら、自分の時間や趣味の領域は侵さないように暮らしていければと思っています」 これぞ、大人が選択する結婚ではないか。熟年離婚も増えているが、今後は熟年結婚もますます盛んになっていくだろう。 平均寿命は年々延び、人生100年時代と言われている今日だ。自然災害に見舞われたり、コロナのような新型ウイルスが蔓延したり、予期せぬことがいつ起こるかわからない。そんなときに、1人より2人。人生を共に歩むパートナーが隣にいたら、心強いのではないだろうか』、要は「同棲」で相性をじっくり確かめようということらしい。

次に、2月19日付け東洋経済オンラインが掲載した仲人・ライターの鎌田 れい氏による「「いい人がいたら」と言う独身者の大きな勘違い 30歳を過ぎると「自然な流れでの結婚」が難しい」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/411582
・『「もう何年も婚活アプリや結婚相談所で婚活をしているのに、いまだ結婚できない」と言う人たちがいる。これは、なぜなのか? 仲人として婚活現場に関わっている筆者から見たら、そう言う人たちは、明らかにやり方を間違えている。結婚への近道は、“意中の相手に出会ったら、期間を区切って活動をすること”なのだ。なぜ、婚活に期間を区切ることが大切なのか、拙著『100日で結婚』から一部を編集してお届けする』、興味深そうだ。
・『脳内婚活をしていたら、結婚できない  独身で30代、40代、50代と歳を重ねている人たちに、「結婚には、興味がないんですか?」と聞くと、「いやいや、いい人がいたら結婚したいですよ」と大抵の人が答える。 「いい人がいたら」と答える独身者たちが望んでいるのは、“自然の出会い”での結婚だ。要は、学生時代の後輩、同級生、先輩、会社の同期や取引先の相手、趣味のサークルや習い事をしていたら、その仲間たちなど、自然な形で出会い、恋愛をし、その延長線上に結婚があれば理想的だと考えている。 こうした“自然な流れでの結婚”は、20代ならできる可能性が高い。なぜなら、結婚したいと思う独身者が、生活圏内にまだまだたくさんいるからだ。しかし、30歳を過ぎると、生活圏内の素敵な人たちはすでに結婚している。普段の生活を続けていながら、理想の結婚相手を探すのは非常に難しくなってくるのだ。 “いい人がいたら、結婚したい”と思っていた人たちの中には、そのことに気づいて、婚活を始める人たちもいる。そして、彼ら(彼女ら)の多くが、婚活を始めたら理想の相手に出会えて、すぐに結婚できると、最初は思っている。 ところが、婚活を始めてみると、これが一筋縄ではいかない。 先日、会員の佳子(仮名、40代)が、敬浩(仮名、40代)とお見合いし、交際に入った。ところが、その3週間後に、佳子から、こんな連絡が来た。 「お見合いしたときから、まだ一度もお会いできていません」 お見合いから交際に入ると、仲人を通じて連絡先の交換をし、まずは、男性が女性にファーストコールをする。その電話口で、敬浩は言ったそうだ。 「今、仕事が立て込んでいるので、また連絡します」 そこからパタリと連絡がなくなり、その3週間後にまた1本のメールが来た。 「親父が入院してしまい、休みの日は病院に行かないといけなくなりました。落ち着いたら、また連絡します」 結局、お見合い後に初めてのデートにたどり着けたのは、1カ月半後だった。そのときのことを佳子は、私にこう言った。 「仕事や病院の往復で忙しかったはずなのに、『一度観たいなと思っていた絵画が、期間限定で海外から来ていたので、先日美術館に行ってきたんですよ。本物はよかったな』って。そんな時間があるなら、デートもできましたよね。むしろ、『デートで、絵を観に行ってみませんか?』と、誘ってくださったらよかったのに」 この初めてのデートの直後、佳子は、敬浩に“交際終了”を出した。 敬浩のようなタイプは、婚活市場でよくお目にかかる。こうした人たちは、「自分はつねに結婚のことを考え、高いお金を払って結婚相談所に登録をして、お見合いを1カ月や2カ月に1回はしている、イコール、自分は婚活をしているからいつかは結婚できる」と考えている。 はたから見ればダラダラと婚活しているようにしか見えないのだが、本人の頭の中には、つねに“婚活”と言う言葉があるので、行動はしていないのに婚活をしているつもりになっている。私はこの状態を、 “脳内婚活”と呼んでいる。婚活市場でいくら“脳内婚活”を頑張っていても、永遠に結婚はできない』、「“脳内婚活”」とは言い得て妙だ。
・『期間を区切ることの大切さ  婚活をするときに、心に止めておかなくてはいけないことがある。 それは、“生活圏内の出会い”と“婚活の出会い”は、そもそも性質が違うということだ。生活圏内の出会いは、生活している場所に行くと相手がいて、顔を合わせていくうちに相手を好きになっている。「僕ら付き合おうか」となった時点で、 “好き”という気持ちが、十分に育っているのだ。 ところが、婚活の出会いというのは、相手のプロフィールや顔写真はわかっているが、人柄まではわかっていない。“この条件でこの容姿なら、結婚相手にいいかもしれない”と思って、申し込みをしたり、申し込みを受けたりする。そこで、1時間程度のお見合いをして、交際に入る。 そうした出会いだからこそ、最初に出会い、交際に入ったときが、一番テンションが高い状態なのだ。そのテンションをさらに上げていかなくてはいけないのに、会わないまま時間が経つと、どんどん下がっていく。まだ人間関係ができてないときに下がったテンションは、二度と上がることはない。 さらに言えば、情報過多のこの時代、“会えない時間は愛を育てる”のではなく、“会えない時間は愛を消す”だけだ。 敬浩に1カ月半会えなかった間に、佳子は、3つのお見合いをしていたし、その中の1人とは交際に入って、すでに2回のデートをしていた。 ネット婚活が主流である現代は、いくらでも新しい出会いを求めることができる。動ける人は、どんどん出会っていくし、デートを重ねていく。会う回数の多い相手の情報がどんどん脳に上書きされていき、一度お見合いしただけの人のことなど、あっという間に忘れ去られてしまう。 そういう意味でも、婚活市場で出会い、そこから結婚へと結びつけていきたいなら、期間を区切って素早く動き、相手の人柄を知り、“好き”と言う気持ちを積み立てていかなければならないのだ』、「婚活の出会いというのは、相手のプロフィールや顔写真はわかっているが、人柄まではわかっていない・・・そうした出会いだからこそ、最初に出会い、交際に入ったときが、一番テンションが高い状態なのだ。そのテンションをさらに上げていかなくてはいけないのに、会わないまま時間が経つと、どんどん下がっていく。まだ人間関係ができてないときに下がったテンションは、二度と上がることはない」、「“会えない時間は愛を育てる”のではなく、“会えない時間は愛を消す”だけだ」、たかをくくっていると、痛い目に合いそうだ。
・『なぜ期間を区切るのか  これは私がよく会員たちに言っていることだ。 「婚活は期間を区切ることが大切なんですよ。なぜなのか。ダイエットをしたり、体を鍛えたりするときのことを考えてみましょうね」 ただ、“痩せたい”“体を鍛えたい”と思っていても、体型は変わらない。目の前にあるおいしそうなものを見ると、痩せたい気持ちがあっても、ついつい食べてしまう。“次の食事は軽くすませよう”“明日の食事で調整しよう”と思うが、結局は次の食事も、明日の食事もいつもどおり食べてしまう。 あの有名なトレーニングジムのCMを思い出してほしい。トレーナーの指導のもと、期間を区切り、食事制限と筋トレをして、ブヨブヨだった体が見事に均整の取れた肉体美に生まれ変わる。期間を区切るからこそ、そこに組み込まれたプログラムを実施して、結果を出そうとするのだ。人は、ゴールを設定すると、ゴールが見えないときよりも何倍も自分を奮い立たせる力が湧くし、集中力を発揮する。 婚活も然りで、期間を区切りその間、どうしたら結婚までたどりつけるかをスケジューリングし、その期間は集中して、婚活をする。時には、プロ(仲人や婚活カウンセラー)の力を借りるのもいいだろう。もちろん、自分で動ける人たちは、婚活アプリや婚活パーティーなど、出会いの場にどんどん出向き、意中の相手に出会えたら、自分の中てどうしたら結婚まで辿り着けるかを、スケジューリングしていけばいい。 その期間は、仲人の経験則からいうと100日あれば十分だと考えている。 ただ、ここで忘れてはいけないのは、結婚に辿り着くことができるのは、相手の気持ちがそこにあってのことだ。相手の気持ちを置き去りにして、スケジュールを遂行しようとしたとたん、 すぐに“交際終了”が来るだろう。つねに相手の気持ちがどこにあるのか、それを確かめ、寄り添いながら進めていかないといけない。 また、ダイエットの場合、目標は達成したもののもとの生活に戻れば、あっという間にリバウンドしてしまうだろう。しかし、婚活はゴールが結婚なので、目標達成をした時点で、婚活期間に立てていたスケジュールは終了となり、婚活期間中のエネルギーは、もう使わなくていい。 さらに言うなら、恋する情熱がなだらかな愛に変わるのが結婚なので、あとは、落ち着いた気持ちで、相手に寄り添い、思いやり、日々を紡いでいけばいいのだ』、「人は、ゴールを設定すると、ゴールが見えないときよりも何倍も自分を奮い立たせる力が湧くし、集中力を発揮する。 婚活も然りで、期間を区切りその間、どうしたら結婚までたどりつけるかをスケジューリングし、その期間は集中して、婚活をする」、「結婚に辿り着くことができるのは、相手の気持ちがそこにあってのことだ。相手の気持ちを置き去りにして、スケジュールを遂行しようとしたとたん、 すぐに“交際終了”が来るだろう。つねに相手の気持ちがどこにあるのか、それを確かめ、寄り添いながら進めていかないといけない」、「恋する情熱がなだらかな愛に変わるのが結婚なので、あとは、落ち着いた気持ちで、相手に寄り添い、思いやり、日々を紡いでいけばいいのだ」、ここまで来れば申し分ないだろう。

第三に、1月12日付け東洋経済オンラインが掲載したライターの上條 まゆみ氏による「「親が離婚した子」が大人になって思うあの頃 責める気持ちはない、SOSが届く場所にいて」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/401852
・『2021年の新成人は124万人。「子ども」から「大人」へ一歩踏み出す成人の日、親の離婚を経験した子どもは、何を感じ、何を考えているのだろうか。 厚生労働省の統計によれば、2018年の1年間に親の離婚を経験した未成年子の数は約21万人に上り1960年に比べて、およそ3倍もの数字となっている。子どもの頃、親の離婚を経験した彼らは大人になった今、どのような思いでいるのか、彼らの声に耳を傾けてみたい。つい最近まで「子ども」だった20代前半の若者2人に話を聞いてみた』、「子ども」にどんな影響を与えるかは興味深い。
・『家庭から欠けた「父」というピース  酒井千春さん(仮名、20歳)は、都内の大学2年生。東京郊外の戸建てに、祖父母と母、兄と暮らしている。コロナ禍での大学生活は思い描いていたものと違ったが、制約があるなかでも、あれもこれも経験したいと向学心に燃える少女だ。千春さんの父親は、彼女が小学5年生のときに突然、家を出ていった。 「ある日学校から帰ったら、父の荷物が全部なくなっていて、びっくりしました」 千春さんの家は、母方の祖父が興した会社を家族で経営しており、父親はそこに入社していた。元は別世帯だったが、リーマンショックで経営が厳しくなったころから、祖父母の家に同居を始めた。ずっと仲のいい家族だったが、同居を始めてから少しずつ家庭内の空気が悪くなってきた、と千春さんは感じている。父親が出ていく数カ月前から、父は2階の部屋にこもりっきりで、リビングに降りてくることがなくなった。 「私は子どもだったから、よくわからなかったけど、もしかしたら父は祖父母との生活が窮屈で、不満がたまっていたのかもしれませんね」 祖父母の家は裕福で、母親は一度も働いたことがない箱入り娘。千春さんも、4つ年上の兄も小学校から私立に通っている。 「公立小学校に通っている子を見下すみたいなところのある家だったから、おおらかな父とは感性が合わなかったのかも……」 父親が出ていったことについて、子どもたちには何の説明もなかった。家庭から「父」というピースが欠けただけで、資産があるからか経済的に困ることもなく、生活はほとんど変わらなかった。 「父が出て行ってから1カ月後くらいに、兄の携帯に『駅前のカフェに何日の何時』ってメールが入って、兄と2人でチャリに乗ってそこへ行きました。何を話したかほとんど記憶にないけれど、帰り際に私が『もう会えないの?』って聞いたら、『千春には、お母さんもおじいちゃんもおばあちゃんも、お兄ちゃんもいるから大丈夫だよ』って言われて、それって会えないってことなんだと思って、悲しくて大号泣したことだけはよく覚えています」) 中学生で、思春期真っただ中にいた兄はその後、荒れた。暴れたり、ごはんも食べずに部屋に引きこもったり。その後、落ち着いたが、「兄には、千春はよくまっすぐ育ったね、って言われてます」。 父親がなぜ出ていったのか。どのように離婚に至ったのか。子ども心に、聞いてはいけないと感じていた。家の中で父親の話題が出ることはほとんどなかったが、母親から「養育費とか全然、払ってくれないんだよ」と言われたことがある。いやな気持ちになった。父親にも、そんなことをわざわざ伝える母親に対しても。 「お金に困っているわけじゃないから、別にいいんですけど、離れていても応援しているよ、という気持ちを示すのはやはりお金だと思うので、払ってくれていないのだとしたら悲しいな、と思います」 「会いたい」と口に出したことはない。母親からは「会いたいって言うのは、家族に対する裏切りだよ。おじいちゃん、おばあちゃんが悲しむよ」と言われているからということもある。父親は、祖父から引き継いだ会社をもって家を出た。祖父母や母が父を憎む気持ちは、よくわかる。でも、実は高校生のとき1回だけ父親の会社名をネットで調べ、書かれていた会社所在地まで見に行ったことがある。 「会社のあるビルの前まで行ったけど、もちろん中に入る勇気はなくて、ビルの前で2〜3時間、突っ立っていました」』、「父親は、祖父から引き継いだ会社をもって家を出た」、理解し難い表現だ。「母親からは「会いたいって言うのは、家族に対する裏切りだよ。おじいちゃん、おばあちゃんが悲しむよ」と言われている」、「母親」なりの牽制のようだ。
・『会うのは経済的、精神的にも自立した大人になってから  20歳を迎えた今、千春さんは親の離婚をこう受け止めている。 「父にも父の人生があるから、離婚をしたことを責める気持ちはまったくない、そこは父親の気持ちを尊重したい。でも、子どもがいるからには、何らかの形で責任をとってほしかった」 千春さんの記憶の中の父親は、明るくておおらかで、千春さんのことを全肯定してくれる優しい人だった。小学4年生で中学を受験すると決めたときも、千春の好きなようにしたらいいと背中を押してくれ、「千春にはどんな可能性もあるんだよ。何にだってなれるんだよ」と話してくれた。そんな父親のことが、千春さんは大好きだった。でも、今「会いたいか?」と聞かれると、少し微妙だ。決めているのは、今の家に世話になっている限り、自分から会いにいくことはしない、ということ。 「大学を卒業し、経済的にも精神的にも自立した大人になってから、『こんなに成長したよ』って会いに行こうかな、と思っています」 沖田涼さん(仮名、25歳)も小学生のとき、親の離婚を経験した。離婚の理由は知らない。「なぜ離婚したんだろ」。モヤモヤはずっと続いているが、たずねたことはないし、今さら聞くつもりもない。 「小学1年生やったかな。気づいたら、おとんがいなくなっていた」 その後、生活は激変した。涼さんと2歳年下の妹を食べさせるために、それまで専業主婦だった母親は、昼間はパート、夜もどこかで働き始めた。大人になったいま、母親が出かけていた時間帯から「夜は飲み屋で働いていたのだろう」とは思うが、とくに聞いたことはない。夕方から7時くらいまで学童保育に預けられ、夕食はいったん家に帰ってきた母親と一緒に食べられたものの、その後また母親は出かける。とにかくさみしかった記憶がある。 離婚から1年ほどして、母親は再婚した。夜も昼も母親がいない生活から開放されて、楽になるかと思いきや、それからのほうが大変だった。 「母親の再婚相手は、経済的な面倒はみてくれたけど、僕ら兄妹をかわいがってはくれなかった。とくに僕は男だったからか、理不尽なことでよく殴られた」 部活の帰りが遅いとか、そんな小さなことで「どつかれる」日々。反抗したくてたまらなかったが、母親や妹に暴力の矛先が向くのが怖くて、涼さんはじっと耐えていた。しかし、中学3年生になったある日、金属バットで殴られた。 「このままやったら、いつか殺されてしまう。そう思って、おとんに電話をかけました、『おとん、もう無理や、助けて』って」』、「再婚相手」から「金属バットで殴られた」のには何か理由があったのだろう。
・『身近な助けてくれる大人として浮かんだ「実の父親」  父親の連絡先は母親から聞いて知っていたが、連絡をしたのは初めて。母親の再婚相手が新しい父親として振る舞っていたから、実の父親に会うことは子ども心に遠慮していた。しかし、切羽詰まった状況のなかで、助けてくれる大人として思いついたのは、実の父親だった。 「おとんはすぐに来てくれて、母親の再婚相手と話してくれました。それからは、殴られることはなくなった」 その後、涼さんは高校に進学するが、「やんちゃが過ぎて」退学。家を出て、16歳から寮に住み込みで働き始めた。実の父親とは今でも時々、連絡を取り合い会っている。 「両親には、できればずっと一緒におってほしかった。どうしても無理なんやったら、月1回でもいいから定期的に会えるようにしてほしかった。そうしたらもっと早く、SOSが出せていたかなと思うことがあります」』、「実の父親」の連絡先を聞いていたことが救いになったようだ。「離婚」は「子ども」にはやはり深い心の傷を残すようだ。
タグ:恋愛・結婚 (その4)(40代50代の婚活がなかなかうまくいかないワケ 「子どもが欲しい」という気持ちが邪魔をする、「いい人がいたら」と言う独身者の大きな勘違い 30歳を過ぎると「自然な流れでの結婚」が難しい、「親が離婚した子」が大人になって思うあの頃 責める気持ちはない、SOSが届く場所にいて) 東洋経済オンライン 鎌田 れい 「40代50代の婚活がなかなかうまくいかないワケ 「子どもが欲しい」という気持ちが邪魔をする」 「40代、50代の結婚と再婚」について、一緒に考えてみたい』 「出産を視野に入れている婚活者は、男女ともに1日も早い結婚を望んでいる。そんな中で、女性は“なるべく歳の近い男性”を希望し、男性は “できることなら30代、上は41、2歳くらいまで”と希望しているので、互いに求め合うベクトルがすれ違ってしまい、婚活を非常に難しくさせている」 「もう子どもはいらない。残りの人生を一緒に歩いていくパートナーが欲しい、という婚活者は、ゆとりを持ってお相手選びをすることができる。ただ・・・期限が決められていないと活動する気持ちも緩くなる。 40代、50代の婚活者は増えてはいるものの、成婚に結びつく確率は非常に厳しいのが現状だ」、いずれにしろ、簡単ではなさそうだ。 「“これぞ腕の見せ所”とばかりに、部屋の片付けを始めた」、「結局部屋にある物は、ほとんど捨てられず、1部屋を物置部屋にして、そこに物を移動させるだけで終わりました」、これほどまでにすれ違いが大きいのに、結婚して初めて気付いたというのもお粗末だ 「“子どもは欲しいが、雅也の子どもは欲しくない”」、となれば「離婚」も当然だ。 「焦ると人を見る目が曇ると思うんです。だから、今回は、“いいな”と思う人が現れたら、しっかりと人間性を見極めたいと思っています」、これで「2カ月の付き合いを経て・・・プロポーズをされた」、今回こそはうまくいくといいのだが・・・ 要は「同棲」で相性をじっくり確かめようということらしい。 「「いい人がいたら」と言う独身者の大きな勘違い 30歳を過ぎると「自然な流れでの結婚」が難しい」 『100日で結婚』 「“脳内婚活”」とは言い得て妙だ。 「婚活の出会いというのは、相手のプロフィールや顔写真はわかっているが、人柄まではわかっていない・・・そうした出会いだからこそ、最初に出会い、交際に入ったときが、一番テンションが高い状態なのだ。そのテンションをさらに上げていかなくてはいけないのに、会わないまま時間が経つと、どんどん下がっていく。まだ人間関係ができてないときに下がったテンションは、二度と上がることはない」、「“会えない時間は愛を育てる”のではなく、“会えない時間は愛を消す”だけだ」、たかをくくっていると、痛い目に合いそうだ。 「人は、ゴールを設定すると、ゴールが見えないときよりも何倍も自分を奮い立たせる力が湧くし、集中力を発揮する。 婚活も然りで、期間を区切りその間、どうしたら結婚までたどりつけるかをスケジューリングし、その期間は集中して、婚活をする」、 「結婚に辿り着くことができるのは、相手の気持ちがそこにあってのことだ。相手の気持ちを置き去りにして、スケジュールを遂行しようとしたとたん、 すぐに“交際終了”が来るだろう。つねに相手の気持ちがどこにあるのか、それを確かめ、寄り添いながら進めていかないといけない」、 「恋する情熱がなだらかな愛に変わるのが結婚なので、あとは、落ち着いた気持ちで、相手に寄り添い、思いやり、日々を紡いでいけばいいのだ」、ここまで来れば申し分ないだろう。 上條 まゆみ 「「親が離婚した子」が大人になって思うあの頃 責める気持ちはない、SOSが届く場所にいて」 「子ども」にどんな影響を与えるかは興味深い。 「父親は、祖父から引き継いだ会社をもって家を出た」、理解し難い表現だ。「母親からは「会いたいって言うのは、家族に対する裏切りだよ。おじいちゃん、おばあちゃんが悲しむよ」と言われている」、「母親」なりの牽制のようだ。 「再婚相手」から「金属バットで殴られた」のには何か理由があったのだろう。 「実の父親」の連絡先を聞いていたことが救いになったようだ。「離婚」は「子ども」にはやはり深い心の傷を残すようだ。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

人生論(その8)(高校に行かなかった東大教授が語る「独学が続かない人」が抱える間違った思い込み 『独学大全』私はこう読んだ/東京大学・柳川範之教授(2)、「入居者の4割は年下」毎朝5時出勤を続ける86歳の老人ホーム施設長の生き方 「人並外れて勝ち気」だからこそ、脳がみるみるやる気を出し情熱的モチベーションが生まれる「3大習慣」) [人生]

人生論については、昨年12月22日に取上げた。今日は、(その8)(高校に行かなかった東大教授が語る「独学が続かない人」が抱える間違った思い込み 『独学大全』私はこう読んだ/東京大学・柳川範之教授(2)、「入居者の4割は年下」毎朝5時出勤を続ける86歳の老人ホーム施設長の生き方 「人並外れて勝ち気」だからこそ、脳がみるみるやる気を出し情熱的モチベーションが生まれる「3大習慣」)である。

先ずは、本年2月3日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した東大教授の柳川範之氏による「高校に行かなかった東大教授が語る「独学が続かない人」が抱える間違った思い込み 『独学大全』私はこう読んだ/東京大学・柳川範之教授(2)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/261463
・『『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』が、14万部を突破。分厚い788ページ、価格は税込3000円超、著者は正体を明かしていない「読書猿」……発売直後は多くの書店で完売が続出するという、異例づくしのヒットとなった。なぜ、本書はこれほど多くの人をひきつけているのか。この本を推してくれたキーパーソンへのインタビューで、その裏側に迫る。 今回インタビューしたのは、東京大学経済学部の柳川範之教授。東大教授への道を独学で切り拓いたことで知られる柳川教授は、「学生から大人まで使える」と、本書を高く評価している。今回は、特に現役の学生と大人に向けて、本書の活用法を語ってもらった(Qは聞き手の質問、Aは柳川範之教授の回答)。 第1回:高校に行かなかった東大教授が語る「偏差値が高い人ほど、独学でつまずく」本質的な理由』、「東大教授への道を独学で切り拓いた」、とはまさに『独学大全』にふさわしい経歴だ。
・『独学を続けるコツは「高望みをしない」こと  Q:『独学大全』には、独学で一番大事なことは「続けること」だというメッセージがあります。柳川先生は、独学を続けるモチベーションをどのように保っていたのですか? A:僕の場合、独学を続けるコツは「半分諦める」ことでした。つまり、自分の意思に対して、あまり高望みをしない。 最初はきちっと計画を立てるのですが、大抵は計画通りにいきません。でも、そこで投げ出してしまうのではなく、「しょうがないな」と思いながら、もう1回計画を立て直す。それの繰り返しです。そのたびに、目標設定を少しずつ下げていくわけです。 言ってしまえば、挫折するのは大前提。それを受け入れる一方で、諦めないことが大事だと思います。 Q:「挫折が前提」という考え方は、読書猿さんとも一致しますね。一方で、柳川先生の「目標設定を下げる」というアプローチはユニークです。具体的にはどのように下げるのですか。 A:例えば、テキストを1週間に30ページ進めようと思っていたとしますよね。でも、実際に進んだのは5ページだけ、みたいな(笑)。 ここで、次の週の目標設定をどうするかとなったときに、翌週も30ページを目標にしては、同じ結果になってしまう。とはいえ、怠けた結果である5ページをそのまま目標にしてはまずいという思いもある。実現値をそのまま目標にしてはいけないという程度には、理性があるんです。 そこで、次の週は15ページにしようとか、それでも長すぎたということになれば、翌週は10ページにしよう……みたいな感じです。常に「自分ができることよりちょっと上」の目標を探りながら進めていく。 よく、独学でやってきたと話すと「意志力が強いんですね」と言われるのですが、自分ではまったくそうは思っていません。むしろ、自分の意志力がそれほど強くないという認識があるので、その前提でできることを考えるのです。 結局のところ、鋼のような意志力を持っている人などそういません。なのに、誰もが「強い意志力を持っていない自分はダメな人間なのではないか」と考えている。その思い込みを一度外してみることが、独学継続の第一歩なのではないでしょうか』、「自分の意志力がそれほど強くないという認識があるので、その前提でできることを考えるのです」、というのは興味深い考え方だ。
・『独学に「向いてない人」はいない  Q:独学に、向き不向きはあると思いますか? A:独学って、本当は誰にでもできるものだと思うんですよ。 でも、勉強にしても仕事にしても、「与えられた課題だけこなす」という型にはまってしまった人は、その型からなかなか抜け出せない。ずっと同じ手の動かし方や、首の動かし方しかしていないと、本当はもっと自由な動きができたはずなのに、体が凝り固まって一方向にしか動かせなくなってしまう……そんなイメージです。 しかし本来、与えられた勉強「しか」できない人などいないはず。子どもは誰でも、「なんで?」といろいろなことを聞くし、新しいことを知れば喜びます。「僕は与えられたものしか吸収したくない」なんて言う幼稚園児が存在するとは思えません。 なのに、長じてそうなってしまうのは、大人が子どもの好奇心を押し殺し、「これを覚えなさい」と無理やり型にはめてきた結果です。東大生も例外ではありませんが、受験勉強を勝ち抜いてきた人ほど、とにかく与えられたことをやる、正解だけを探すという習慣が身についてしまっている傾向があります。 しかし今、その壁を乗り越えるべき時代がいよいよ到来していると感じます。 近年、働き方改革の影響で、ビジネスパーソンには自由になる時間が増えました。コロナ禍の中で加速したリモート化の動きも、この流れを後押ししています。学生たちもまた、コロナによってサークル活動やアルバイトなどの活動を制限され、多くの時間を手にすることになりました。 そんな中で、手にした時間を持て余している人は少なくありません。 この時間を利用して、与えられた課題をこなすので精一杯だった状態から脱し、自ら新しいことにチャレンジできるかどうか。そこが「未来」の分かれ目なのではないでしょうか。独学の発想は、そんな局面でも大きな武器になるはずです。 柳川範之(やながわ・のりゆき) 東京大学大学院 経済学研究科 教授 1963年生まれ。高校には行かずブラジルで過ごし、独学で大検合格後、シンガポールにて慶應義塾大学経済学部通信教育課程入学。88年同課程卒業。93年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士(東京大学)。東京大学大学院経済学研究科助教授などを経て、2011年より現職』、「受験勉強を勝ち抜いてきた人ほど、とにかく与えられたことをやる、正解だけを探すという習慣が身についてしまっている傾向があります。 しかし今、その壁を乗り越えるべき時代がいよいよ到来していると感じます」、同感である。
・『一生使えて今日から役立つ! 3つの工夫  【工夫①】「無知くんと親父さんの対話」でざっくり概要をつかめる 本書は独学者の手元に置かれ、悩んだときに必要な箇所(技法)を読めるつくりになっています。さらに「ざっと読んで概要を把握したい」「独学の結果を早く出したい」という方向けに、章の冒頭には「無知くんと親父さんの対話」がついています。これを15章分読むだけで、一番大事なポイントは読了できます。 【工夫②】「なぜ学ぶのか」「何を学ぶのか」「どう学ぶのか」を3部構成で完全網羅 既に勉強の目的が決まっている人は「Howどう学ぶのか」を扱った第3部から。自分が知りたいこと、分野を調べたいなら「What 何を学ぶのか」を扱った第2部から。そして、そもそも「Whyなぜ学ばなければならないのか」に立ち返るときは第1部から。あなたのゴールに合わせて深堀りできるつくりになっています。 【工夫③】あらゆる独学の土台になる「国語」「英語」「数学」の学び方も掲載 独学をする上で3つの言語「国語」「英語」「数学」(本書では、数学も言語のひとつと捉えています)がわかると、自分が扱える本や論文、ネットの情報などの幅がいっきに広がります。第4部では、この3つを学ぶときに大切な「骨法」と、「ある独学者」のケーススタディを掲載。1~55の技法をどう使えばよいかがわかります』、「3つの工夫」はよく練られている印象だ。特に、「あらゆる独学の土台になる「国語」「英語」「数学」の学び方も掲載」、とはかゆいところに手が届くようにした「工夫」だ。

次に、4月29日付けPRESIDENT Onlineが掲載したノンフィクションライターの山田 清機氏による「「入居者の4割は年下」毎朝5時出勤を続ける86歳の老人ホーム施設長の生き方 「人並外れて勝ち気」だからこそ」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/45184
・『86歳でフルタイムの老人ホーム施設長を務めている人がいる。東京都江戸川区にある特別養護老人ホーム「アゼリー江戸川」の磯野正さんだ。施設の入居者の約4割は、磯野さんより年下だ。磯野さんの気力、体力はどこから沸いてくるのか。連載ルポ「最年長社員」、第14回は「特別養護老人ホーム施設長」――』、全く超人的な人物のようだが、もう少し詳しく知ってみたいものだ。
・『毎朝5時から「ピアノ・書道・英語学習」  物言えぬ父母を見舞いしアゼリーに 誰が弾くのかショパンの調べ 東京都江戸川区にある特別養護老人ホーム、アゼリー江戸川。ある利用者の家族から届いた葉書に、こんな短歌が記されていた。 「ショパンの調べ」は、館内放送で流していたものではない。施設長の磯野正が、実際にピアノを弾いていたのだ。それだけなら特別驚くべきことではないが、なんと磯野は御年86歳なのである。 アゼリー江戸川の全入居者85人の平均年齢は87.5歳、うち33人が85歳以下だから、入居者の約4割は磯野よりも“若い”ことになる。 「私は毎朝5時にはホームに来まして、約2時間、ピアノと書道と英語の勉強をしています。経営学の本などもよく読みますね。コロナ禍の前は、入所者全員に朝の挨拶をして、握手をして回っていたんですよ」 小柄でいかにも好々爺こうこうや然とした雰囲気の磯野だが、淡々と語る内容のすべてが、一般的な高齢者のイメージから逸脱している。この“スーパー高齢者”はいかにして誕生し、いかにして気力、体力を維持しているのか? その秘密は、意外なところにあった』、「私は毎朝5時にはホームに来まして、約2時間、ピアノと書道と英語の勉強をしています。経営学の本などもよく読みますね」、「5時」出勤はともかく、いまだに「約2時間」も「勉強」をしているとは、大したものだ。
・『「負けるなんて考えたこともなかったから、悔しくて悔しくて」  磯野は昭和10年、千葉県夷隅いすみ郡の農家に生まれている。7人兄弟の下から二番目。小さい頃から田植や麦踏などの農作業を手伝った。 小学校1年生の12月に太平洋戦争が始まり、5年生の夏に終戦を迎えた。 「1年生の時に先生が『戦争が始まったよ』と言いまして、田舎でしたが空襲があると授業が終わりになって家に帰ったりしました。飛行機の機関銃で撃たれるから、並んで帰っちゃダメだよなんて言われましてね」 敗戦時の感想が、興味深い。 「日本が負けるなんて考えたこともなかったから、悔しくて悔しくて、もう一回戦争が始まらないかと思ったほどでした」 昭和32年に千葉大学を卒業して、小学校の教諭になった。初任校は浦安市立浦安小学校。団塊の世代が小学生だった時代である。 「私は優しい先生だったと思いますよ。昼夜問わず子供にのめり込んでいましたからね」 浦安小には10年勤めたが父母からの信頼が厚く、近年まで父母の同窓会が行われていたというからよほど人気があったのだろう』、「近年まで父母の同窓会が行われていたというからよほど人気があった」、すごい人間力だ。
・『トラブル解決の秘訣は「徹底して言い分を聞く」こと  いくつかの小学校で教諭を務め、教育委員会で社会教育課長(PTA、家庭教育、青年活動を指導する)などを経験した後、教頭、校長と順調に管理職の階段を上っていった。 教頭時代は苦労が多かったというが、苦労の代表は保護者への対応だった。 「たとえば、学校で何かトラブルがあって保護者の方に来ていただくと、『私はわが子の言葉を信じます。だから、この子は悪くない』なんておっしゃる方がいるんですね」 子供の言葉の真偽を吟味することなく、一方的に「わが子が正しい」と主張をする。あるいは偶然に起きた事故の責任を、一方的に学校に押し付けてくる保護者もいた。こうした不条理に、磯野はどのように対応したのだろうか。 「徹底的に言い分を聞きました。あなたが間違っているなんて言うと喧嘩になってしまうから、おかしなことを言ってると思っても、ひたすら耳を傾ける。そうやって、自分から気づいてくれるのを待つしかないんです」 子供同士のトラブルからは、自分も真偽の判断を過ちかねないことを学んだ。 「○○さんに意地悪されましたなんて、よく子供が言いつけに来るでしょう。人間って不思議なもので、最初に言ってきた方の味方をしてしまうんです。ところが双方の話をよくよく聞いてみると、言いつけに来た子の方が先に手を出していたというケースが多いんですね。ですから問題解決には、徹底して話を聞くという姿勢がとても大切なんです」』、「おかしなことを言ってると思っても、ひたすら耳を傾ける。そうやって、自分から気づいてくれるのを待つしかないんです」、「問題解決には、徹底して話を聞くという姿勢がとても大切なんです」、いずれも我慢強くないと出来ないことだ。
・『相手が子供でも高齢者でも、仕事の喜びは変わらない  60歳で定年を迎えた磯野は浦安市立美浜南幼稚園(現:美浜南認定こども園)の園長に着任し、64歳のとき、一年の任期を残してアゼリーグループのなぎさ幼稚園に、やはり園長として転籍している。 「私は子供の頃から農作業をしていましたから、根性があると言いますか、疲れないんですね。教員の頃は徹夜仕事でも何でもやりましたよ。とにかく子供と一緒にいるのが楽しいんで、アゼリーの話を引き受けたんです」 ところが磯野は、1999年、アゼリー江戸川に施設長として異動するのである。子供に囲まれた世界から、程度の差こそあれ介護を必要とする高齢者に囲まれた世界への異動。理事長から請われてとは言うものの、意欲を殺がれそうな気がするが……。 「私は教育委員会時代に社会教育をやっていましたから、この施設に来ても違和感はまったくありませんでした。人間は何歳になっても自分というものを持っていて、高齢者だって、なんとか元気でいようという意欲を持っているんです。それを引き出してあげられた時には、子供の力を伸ばしてあげた時と同じ喜びがあるんですよ」』、「子供に囲まれた世界から・・・介護を必要とする高齢者に囲まれた世界への異動」、「この施設に来ても違和感はまったくありませんでした。人間は何歳になっても自分というものを持っていて、高齢者だって、なんとか元気でいようという意欲を持っているんです。それを引き出してあげられた時には、子供の力を伸ばしてあげた時と同じ喜びがあるんですよ」、極めて柔軟性に富んだ珍しい人物だ。
・『「夜間にひとりでトイレに行く」入所者の望み  たとえば、足が悪くて歩行が不自由な入所者がいる。ひとりで歩くのは危険だから、トイレに行くときは呼び出しブザーを押す約束だ。ところが夜間に、ひとりでトイレに向かってしまう。認知症の症状のようにも思える行為だが、磯野の視点は別にある。 「歩けないけど、自分で行きたい、人に頼りたくないんですよ。その気持ちを見抜いて、怪我のないように手助けしながら自力でトイレに行かせてあげる。そうすると喜んでくれるわけです。そうやって利用者の元気づけをできた職員にも、喜びがあるわけです」 相手の言葉にひたすら耳を傾けると、真実が見えてくる。それは相手が子供だろうと高齢者だろうと変わらない。そして、相手が心から望むことを支援し、その望みの成就を共有できた時、支援される側にもする側にも喜びがもたらされる。 磯野はアゼリー江戸川の利用者ばかりでなく、100人をこえる職員にとっても、いまだに「先生」なのである』、「歩けないけど、自分で行きたい、人に頼りたくないんですよ。その気持ちを見抜いて、怪我のないように手助けしながら自力でトイレに行かせてあげる。そうすると喜んでくれるわけです。そうやって利用者の元気づけをできた職員にも、喜びがあるわけです」、「磯野はアゼリー江戸川の利用者ばかりでなく、100人をこえる職員にとっても、いまだに「先生」なのである」、確かにその通りだ。
・『「人に負けると泣くほどの勝気なんです」  それにしても86歳という年齢で、毎朝5時に出勤してフルタイムで働き続けるバイタリティーは、いったいどこから来るのだろうか? 磯野は昨年もピアノの発表会に参加してショパンを披露しているばかりでなく、書道の腕前もプロ級で、昨年は浦安市の市美展に応募して最優秀の「市長賞」を獲得している。英語はさすがに単語を忘れることが多くなったが、NHKの基礎英語のCDを毎朝繰り返して聞いているという。 「実は私、おとなしそうに見えると思いますけど、とても勝ち気なんです。もうね、人に負けると泣くほどの勝気なんですよ」 磯野がちょっぴり不敵な表情を浮かべた。 勝ち気を象徴する子供時代のエピソードがあるという。小学校から4人の児童がリレーの選手に選ばれ夷隅郡の大会に参加することになったが、磯野は当初5番手だった。 「どうしても選手になりたくて、放課後に私だけ学校に残って、ハチマキをして走る練習をしたんです。そしたら最終的に選手になれたんです。夷隅郡の大会では20校の中で優勝しました。私は背が低かったけれど、ずっと大きな選手を抜いたんですよ」』、「ピアノの発表会に参加してショパンを披露」、「ショパン」が弾けるのであればかなり上手い方だ。「人に負けると泣くほどの勝気なんですよ」、「勝気」さが、「ピアノ」の腕前にも影響しているのだろう。
・『「オンチはあんただ」今でも忘れられない一言  負けん気の強さは、趣味のジャンルにも影響していた。磯野は大学からピアノを弾き始めたが、それには深い理由があったのだ。 「小学校4年生のとき音楽の時間に歌を歌っていると、先生が『やっぱりそうだ。オンチはあんただ』と言うんですよ。もう顔を上げられないほど沈んでしまって、こんなことに負けてたまるかって思ってね」 それが、長じてピアノを弾くことに繋がったというのだが……。 「だって、ピアノなら声を出して歌わなくていいじゃない」 小4の時の屈辱を、大学生になってからリベンジするという執念がすごい。 絵画に関する思い出は、さらに切ない。 「やはり小4の時ですが、私、花の絵を描いたんです。綺麗な花が倒れちゃいけないと思ったから、茎を木みたいに太く描いた。そうしたら先生が、『何よこれ、木じゃないの』って言うわけ。このひと言で、絵を描くのがすっかり嫌いになってしまったんです」』、「「だって、ピアノなら声を出して歌わなくていいじゃない」 小4の時の屈辱を、大学生になってからリベンジするという執念がすごい」、その通りだ。
・『決めたことをやらないと、自分が許せない  アゼリーでは利用者や近隣住民を対象に「ここからプラザ」という活動を行っている。磯野はプラザで書道を教えているが、参加者の書をけなすことは絶対にしない。 「特に、書道、絵画、音楽や芸能的なものでは、絶対にけなしてはいけない。褒めて褒めて育てなければいけないんです」 この強い信念の背後に「花の木」の悔しい思い出があることは、言うまでもない。 「私はね、一度やると決めたことをやらないと、自分が許せないんです。だから朝の巡回もピアノの練習も、一度やると決めたら絶対にやる。継続の秘訣は一日何時間なんて決めないで、5分でもいいからとにかくやり始めること。一度やり始めてしまえば、一時間でも二時間でも平気でやれるんですよ」 人並外れて勝ち気であるがゆえに、人一倍傷ついた経験を持ち、その記憶をバネに86歳の現在も自分を磨き続ける磯野。いったいいつまで働き続けるつもりだろうか? 「目が悪くなってきたので、自動車免許は来年で終わりにしようと思っていますが、体の方は何をやっても疲れないのでね(笑)」 進退の判断は、経営者に委ねるそうだ』、「人一倍傷ついた経験を持ち、その記憶をバネに86歳の現在も自分を磨き続ける磯野」、充実した張りのある毎日、「進退の判断は、経営者に委ねるそうだ」、これならまだ続けられそうだ。

第三に、5月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した:スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長の星 友啓氏による「脳がみるみるやる気を出し情熱的モチベーションが生まれる「3大習慣」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/267867
・『スタンフォード大学・オンラインハイスクールはオンラインにもかかわらず、全米トップ10の常連で、2020年は全米の大学進学校1位となった。世界最高峰の中1から高3の天才児、計900人(30ヵ国)がリアルタイムのオンラインセミナーで学んでいる。 そのトップがオンライン教育の世界的リーダーでもある星友啓校長だ。 全米トップ校の白熱授業を再現。予測不可能な時代に、シリコンバレーの中心でエリートたちが密かに学ぶ最高の生存戦略を初公開した、星校長の処女作『スタンフォード式生き抜く力』が話題となり、ロングセラーとなっている。 ベストセラー作家で“日本一のマーケッター(マーケティングの世界的権威・ECHO賞国際審査員)”と評された神田昌典氏が「現代版『武士道』というべき本。新しい時代に必要な教育が日本人によって示されたと記憶される本になる」と言った本とは一体なにか。今回のテーマは「モチベーション」。スタンフォードにいる著者を直撃した。(これまでの人気連載はこちら)』、「「現代版『武士道』というべき本」、言い得て妙だ。
・『ローチェスター大学から生まれた「自己決定理論」  やる気、情熱、モチベーション。 これらは、一体、どこから湧いてくるのか? アメリカニューヨーク州には、コダックやゼロックスなどの有名企業が生まれた5大湖の一つ、オンタリオ湖に面する学際都市「ローチェスター」があります。 そこにあるのがローチェスター大学。 日本ではあまりなじみがないかもしれませんが、コロンビアやコーネルに並んでアメリカ屈指のリサーチ大学として知られています。 このローチェスター大学から生まれた「自己決定理論」は、21世期の心理学のメジャートレンドの一つをつくり上げました。 それによると、モチベーションは私たち人間の心の3大欲求から生まれます』、「ローチェスター大学から生まれた「自己決定理論」は、21世期の心理学のメジャートレンドの一つをつくり上げました」、なるほど。
・『「つながり」がモチベーションを生む  まず一つ目が「つながり」(relatedness)。 誰かのために何かをしたり、他の人とのコミュニケーションをしたり、コラボをしたりする機会が、私たちのモチベーションにつながります。 実際、他の人とコミュニケーションをしたり、コラボをしたりすると、脳の報酬系が活性化することがわかっています*1。 人とのつながりは脳に気持ちいいのです。 逆に言えば、脳は根本的につながりを欲するようにできています。 私たちのモチベーションの源の一つは「つながり」なのです』、「脳は根本的につながりを欲するようにできています」、よく出来た仕組みだ。
・『「有能感」とドーパミン  もう一つの心の3大欲求が「有能感」(competence)。 難しい問題が「解けた!」、パズルが「できた!」、知らないことが「わかった!」。 「つながり」同様、私たちの脳が新しい知識やスキルを学ぶとき、ドーパミンが分泌されて、報酬系が活性化します*2。 「できた!という感覚」は脳にとって非常に気持ちがいいのです』、「「できた!という感覚」は脳にとって非常に気持ちがいいのです」、「ドーパミンが分泌」されれば、「非常に気持ちが」よくなるのも当然だ。
・『「自発性」  さあ、「つながり」「できる感」ときて、3つ目は何でしょう? 無理やりやらされてはモチベーションが上がらない。 自分自身が望んでやっている。自分の意思を感じることができる。 自分の心の底から湧いてくる思いに、自分として主体的にやっている。 自分の自発性を感じることができる。 これが心の3大欲求の最後、「自発性」(autonomy)です。 「自分からやっている」「自分の意思でやっている」という感覚を欲するのは、人間の根本欲求なのです。 これも「つながり感」や「できる感」同様、脳科学的な基礎づけがされつつあります*3。 自分から進んでやっていると感じられるのが、私たちのモチベーションの根底にあるのです。 自己決定理論によると、「つながり」「有能感」「自発性」が高まるような環境を整えたり、それらを意識をすることで、モチベーションが高まったり、維持されたりします。 まわりの人と協力できたり、人のためになるプロジェクト。 自分が達成したとか、できるようになったと思える瞬間。 そして、やらされているのではなく、自分で自分のやるべきことをコントロールできている。 この3つの視点から、現在の自分の目標やモチベーションと向き合い直してみることは、脳の仕組みにかなった心の習慣なのです』、「「つながり」「有能感」「自発性」が高まるような環境を整えたり、それらを意識をすることで、モチベーションが高まったり、維持されたりします」、「脳の仕組み」がここまでよく出来ているとは、改めて驚かされた。
タグ:人生論 (その8)(高校に行かなかった東大教授が語る「独学が続かない人」が抱える間違った思い込み 『独学大全』私はこう読んだ/東京大学・柳川範之教授(2)、「入居者の4割は年下」毎朝5時出勤を続ける86歳の老人ホーム施設長の生き方 「人並外れて勝ち気」だからこそ、脳がみるみるやる気を出し情熱的モチベーションが生まれる「3大習慣」) ダイヤモンド・オンライン 柳川範之 「高校に行かなかった東大教授が語る「独学が続かない人」が抱える間違った思い込み 『独学大全』私はこう読んだ/東京大学・柳川範之教授(2)」 「東大教授への道を独学で切り拓いた」、とはまさに『独学大全』にふさわしい経歴だ。 「自分の意志力がそれほど強くないという認識があるので、その前提でできることを考えるのです」、というのは興味深い考え方だ。 「受験勉強を勝ち抜いてきた人ほど、とにかく与えられたことをやる、正解だけを探すという習慣が身についてしまっている傾向があります。 しかし今、その壁を乗り越えるべき時代がいよいよ到来していると感じます」、同感である。 一生使えて今日から役立つ! 3つの工夫 【工夫①】「無知くんと親父さんの対話」でざっくり概要をつかめる 【工夫②】「なぜ学ぶのか」「何を学ぶのか」「どう学ぶのか」を3部構成で完全網羅 工夫③】あらゆる独学の土台になる「国語」「英語」「数学」の学び方も掲載 「3つの工夫」はよく練られている印象だ。特に、「あらゆる独学の土台になる「国語」「英語」「数学」の学び方も掲載」、とはかゆいところに手が届くようにした「工夫」だ。 PRESIDENT ONLINE 山田 清機 「「入居者の4割は年下」毎朝5時出勤を続ける86歳の老人ホーム施設長の生き方 「人並外れて勝ち気」だからこそ」 特別養護老人ホーム「アゼリー江戸川」の磯野正さん 全く超人的な人物のようだが、もう少し詳しく知ってみたいものだ。 「私は毎朝5時にはホームに来まして、約2時間、ピアノと書道と英語の勉強をしています。経営学の本などもよく読みますね」、「5時」出勤はともかく、いまだに「約2時間」も「勉強」をしているとは、大したものだ。 「近年まで父母の同窓会が行われていたというからよほど人気があった」、すごい人間力だ。 「おかしなことを言ってると思っても、ひたすら耳を傾ける。そうやって、自分から気づいてくれるのを待つしかないんです」、「問題解決には、徹底して話を聞くという姿勢がとても大切なんです」、いずれも我慢強くないと出来ないことだ。 「子供に囲まれた世界から・・・介護を必要とする高齢者に囲まれた世界への異動」 「この施設に来ても違和感はまったくありませんでした。人間は何歳になっても自分というものを持っていて、高齢者だって、なんとか元気でいようという意欲を持っているんです。それを引き出してあげられた時には、子供の力を伸ばしてあげた時と同じ喜びがあるんですよ」、極めて柔軟性に富んだ珍しい人物だ。 「歩けないけど、自分で行きたい、人に頼りたくないんですよ。その気持ちを見抜いて、怪我のないように手助けしながら自力でトイレに行かせてあげる。そうすると喜んでくれるわけです。そうやって利用者の元気づけをできた職員にも、喜びがあるわけです」、「磯野はアゼリー江戸川の利用者ばかりでなく、100人をこえる職員にとっても、いまだに「先生」なのである」、確かにその通りだ。 「ピアノの発表会に参加してショパンを披露」、「ショパン」が弾けるのであればかなり上手い方だ。 「人に負けると泣くほどの勝気なんですよ」、「勝気」さが、「ピアノ」の腕前にも影響しているのだろう。 「「だって、ピアノなら声を出して歌わなくていいじゃない」 小4の時の屈辱を、大学生になってからリベンジするという執念がすごい」、その通りだ。 「人一倍傷ついた経験を持ち、その記憶をバネに86歳の現在も自分を磨き続ける磯野」、充実した張りのある毎日、「進退の判断は、経営者に委ねるそうだ」、これならまだ続けられそうだ。 星 友啓 「脳がみるみるやる気を出し情熱的モチベーションが生まれる「3大習慣」」 スタンフォード大学・オンラインハイスクール 「「現代版『武士道』というべき本」、言い得て妙だ。 「ローチェスター大学から生まれた「自己決定理論」は、21世期の心理学のメジャートレンドの一つをつくり上げました」、なるほど。 「脳は根本的につながりを欲するようにできています」、よく出来た仕組みだ。 「「できた!という感覚」は脳にとって非常に気持ちがいいのです」、「ドーパミンが分泌」されれば、「非常に気持ちが」よくなるのも当然だ。 「「つながり」「有能感」「自発性」が高まるような環境を整えたり、それらを意識をすることで、モチベーションが高まったり、維持されたりします」、「脳の仕組み」がここまでよく出来ているとは、改めて驚かされた。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

終末期(その6)(終末期を自分らしく過ごせる場所としてホスピスに期待がかかる理由、1000人の看取りに接した看護師が伝える 苦しみのない穏やかな最期を迎えたい人に 絶対に知っておいてほしいこと、肺がん・脳転移と闘う医師の関本剛さん「標準治療を信頼」) [人生]

終末期については、2019年12月6日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その6)(終末期を自分らしく過ごせる場所としてホスピスに期待がかかる理由、1000人の看取りに接した看護師が伝える 苦しみのない穏やかな最期を迎えたい人に 絶対に知っておいてほしいこと、肺がん・脳転移と闘う医師の関本剛さん「標準治療を信頼」)である。

先ずは、昨年5月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した福祉ジャーナリスト(元・日本経済新聞社編集委員)の浅川澄一氏による「終末期を自分らしく過ごせる場所としてホスピスに期待がかかる理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/238409
・『がんと難病患者の終末期に特化 「ホスピス」が拡大  終末期の迎え方は依然、大きな課題だ。安全第一の規則に縛られ、窮屈な入院生活のまま亡くなる。そんな人が4人のうち3人もいるのが日本。日常生活を遮断してしまうのが病院。一方で大多数の国民は自宅でのみとりを望んでいる。 だが、医療対応が迫られ家族の負担が大きいため、やむなく入院する羽目になる。一人暮らしや老夫婦なので事実上、みとりができないことも。だからといって、特別養護老人ホームや有料老人ホームなど介護保険施設では、やはり医療対応が難しく入所を断られがちだ。終末期の居場所探しは難しい。 こうした中で、「医療」「看護」「介護」を提供できる「集合住宅」が広がろうとしている。がんと難病の終末期に特化した「ホスピス」である。運営は株式会社。民間ならではの柔軟な発想で既存制度を巧みに活用し、入居者の「自然で自由な生活」を目指している。 昨年4月に開設した横浜市保土ヶ谷区の「在宅ホスピス保土ヶ谷」。相鉄本線西谷駅近くの住宅地に立つ。新築2階建てで27の個室が並ぶ。) 昨年8月に舌がんの末期で入居したAさん(76歳)は余命2週間と言われ、大学病院を車いす状態で退院してきた。首を動かせずにうつむいたまま。よだれを垂らし、吐き気と下痢が続いていた。 「処方している麻薬のせいで吐き気がするのでは」と看護師たちスタッフが訪問医師に提言し、注射から貼り薬に変えた。すると吐き気が消えた。次いで、胃瘻の栄養剤を半固形に変えた。効果は大きく、活力が出てきて歩行ができるようになった。ホールでの音楽会に参加し、顔を上げてコミュニケーションも取れるまでになるなど生活を楽しみながら、12月に旅立った』、「看護師たちスタッフが訪問医師に提言し、注射から貼り薬に変えた。すると吐き気が消え・・・」、こういうプロの「スタッフ」がいれば心強いが、「ホスピス」のパンフレットだけでは分からないだろう。
・『終末期を自分らしく過ごせる場所としてホスピスに期待がかかる理由  筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う飯塚益弘さん(59歳)は入居して1年近くたつ。両脚と左手は動かない。ALSは全身の筋肉が次第に動かなくなる原因不明の難病。人工呼吸器を付け気管切開をしているため、かすれ声。ベッド上のパソコンを右手親指で操り、好きな日本酒などを注文してたしなむ。スタッフが押す車いすで、庭の白いつつじの花を見て回るのも最近の楽しみだ。 現在、末期がんの人が11人、ALSやパーキンソン病、多系統萎縮症など難病の人が12人入居している。1・2階にそれぞれ食堂兼リビングを備え、個室から出てきてテーブルにつく。1階の食堂にはオープンキッチンが併設され、家庭的な雰囲気が漂う』、「ホスピス」建設時に周辺住民の反対運動などが起こらないければいいのだが・・・。
・『医療保険、介護保険を活用し自宅同様の生活が可能に  看護師が来る訪問看護を医療保険で、ヘルパーの訪問介護を介護保険でそれぞれ同じ建物のステーションから派遣し、スタッフは24時間見守る。医師も地域の診療所から毎週訪れる。看護、介護、医療のそれぞれの制度を活用し、病院と変わらないサービスを提供。病院と大きく違うのは、食事や入浴、外出、それに家族の面会や宿泊などに制約がないこと。というのも、この集合住宅は、自宅に近い制度の住宅型有料老人ホームだからだ。つまり在宅サービスを受けながら、自宅と同じ生活を送ることができる。 家賃は、がんの人の部屋は6万円台、難病の人は3万円台。食費と管理費が3万円ずつ、夜勤者の人件費など保険外サービスの生活支援費が2万4000円となる。これに、医療保険と介護保険の1~3割負担が加わり合計で月20万~30万円となる。 運営する「シーユーシー・ホスピス」(吉田豊美社長)は、首都圏や札幌、大阪などにこうした「在宅ホスピス」などを13カ所展開している。 東京都墨田区に18年10月に開設した「在宅ホスピス墨田」には、ぼうこうがんのBさん(78歳)が4月初めに入居した。昨年10月に手術を終え自宅に戻ったが、小腸に穴が開き2月に再入院。症状が悪化し、余命を告げられていた。 本人の強い要望は「ビールが飲みたい」。消化管が使えないので、胸にCVポートを付けて栄養剤を注入しており、口からの摂取は難しい。そこで、看護師たちは工夫した。まず、氷を口に含ませて慣らし始めた。そして、1カ月後に小さなコップでビールを味わえた。亡くなったのはその1週間後だった。 安全第一で医療管理が徹底している病院では実現できなかっただろう。本人の希望をできる限りかなえようとする姿勢の違いである。「生活の質(QOL)」の維持、向上を目指すホスピスならではだ』、死ぬ前に「看護師たちは工夫」で「ビールが飲」めたのは、確かに「安全第一で医療管理が徹底している病院では実現できなかっただろう」、こうした死ぬ前の無理が聞いてもらえるのは有難い。
・『QOLの維持・向上を重視 入居者の希望をできるだけかなえる  「ファミリー・ホスピス」の施設名で6年前から事業展開を始めた「日本ホスピスホールディングス」(高橋正社長)も入居者をがんと難病に特化し、QOLにこだわる。 横浜市栄区にある「ファミリー・ホスピス本郷台ハウス」。頭頚部がんのCさんは、病院で夜間にナースコールを何度も鳴らし、「不穏」な男性と見られていたという。その原因は、「呼吸苦に対する不安から」とみた看護師が対応法を考えた。 首のリンパ節が腫れて気道を圧迫し、呼吸困難状態でもあった。抗不安薬や医療用麻薬の利用など医師と相談して実践したところ、症状を緩和できた。入居後約50日の昨夏に亡くなったが、気道閉塞であるにもかかわらず、好物の寿司を存分に食べることができた。本人の望みをできるだけかなえようというホスピスの姿勢の現れだ。 3月末に一人暮らしのDさん(89歳)が入居した。入院中から「自宅に帰りたい」という思いが強く、病院から3日間だけ自宅に戻り、そのまま自宅からの入居となった。離れて暮らす娘2人には「住み心地のよい自宅で住まわせたいが、胃がんの進行した今の状況では、症状を自分たちだけでは緩和しきれない」との不安があった。そこで「家庭的なところで最期を」となりホスピスを選んだ。 胃がんの腹膜幡種でステージ「4」の末期。余命1~2カ月と医師から告げられていた。腹痛や吐き気に苦しみ、「このつらさを取ってほしい」と本人が切望していた。 看護師たちは在宅医と何回も話し合いを重ね「医療用麻薬をうまく使うことで」(看護師)、症状を緩和することができた。緩和ケアに長けた看護師の実力が発揮された。つらさが消えたこともあり、果物ジュースやみそ汁を飲めるようになった。病院では「経口摂取は無理」と言われていた。 日本ホスピスホールディングスは、運営会社の「カイロス・アンド・カンパニー」と「ナースコール」を傘下に持ち、それぞれ首都圏と愛知県で合わせて14カ所の「ホスピス」を運営している。昨年3月に東京証券取引所マザーズに上場した。 訪問看護と訪問介護の事業所をホスピス内に構え、近隣のクリニックから在宅医が訪問診療に来る。看護小規模多機能型居宅介護や、通所介護を設けているホスピスもある。ホスピスの半数は、住宅型有料老人ホームだが、後の半数は居室が18平方メートル以上のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)である』、「首のリンパ節が腫れて気道を圧迫し、呼吸困難状態でもあった。抗不安薬や医療用麻薬の利用など医師と相談して実践したところ、症状を緩和できた」、「胃がんの腹膜幡種でステージ「4」の末期・・・腹痛や吐き気に苦しみ、「このつらさを取ってほしい」と本人が切望・・・看護師たちは在宅医と何回も話し合いを重ね「医療用麻薬をうまく使うことで」(看護師)、症状を緩和することができた。緩和ケアに長けた看護師の実力が発揮された。つらさが消えたこともあり、果物ジュースやみそ汁を飲めるようになった」、いかにも「ホスピス」らしい成功例を紹介しているのだろうが、一般の病院よりはよさそうだ。
・『運営の主役は訪問看護師 ホスピスケア(緩和ケア)を行う  両社とも、ホスピス運営の主役は訪問看護師ということが大きな特徴だろう。この点で、介護職が主体の在宅介護と介護保険施設、医師が主導する医療機関とは違う。介護と医療の2つの領域を理解できる専門職がリーダーシップをとる。 がん性疼痛看護や緩和ケアの認定看護師、それにがん看護専門看護師がいるので専門性が高く、在宅医に対応法を提言することも。医療だけでなく日々の生活を手助けし、ホスピスの本来の役割を果たせる。ホスピスケア(緩和ケア)とは「身体の痛みだけでなく、心理・社会的苦痛やスピリチュアルな苦悩も緩和する」(世界保健機関)とされる。 日本では、1990年に厚労省ががんとエイズ患者限定の「緩和ケア病棟入院料」を医療保険に導入した。ホスピスは制度名にはなっていない。緩和ケア病棟は、この30年間に増え続け、昨年11月時点で全国に431施設、8808ベッドある。かなり広がったが、地域差が大きい。 都道府県別で最も多いのは福岡県で、東京都を上回っている。36病院が病棟を持ち、全ベッド数は725になる。最も少ないのは、1病院しかない山梨県でわずか15ベッドだ。 しかし、全国で1万ベッドに達していないので、死亡率1位のがん死亡者は約37万人もおり、まだ足りないのが実態だ。厚労省は、2012年に緩和ケア病棟の入院料を3種類に分けた。この4月からの改定では3種類のうち30日以内であれば61日以上より5割増しの報酬とした。「痛みが取れたら在宅で」と早期退院策に拍車をかけた。長期入院の「終のすみか」でなく、退院を急がせることになり、受け皿不足は高まる。そのため民間の「ホスピス」への需要が一段と高まりそうだ。 そもそも、病院は生活の場ではない。緩和ケア病棟でもその大部分は一般病棟のフロアに設けられ、医療の管理下にある。余命が限られた人たちが満足のいく「普通の生活」を送ることは難しい。病院の敷地内でなく、離れた建物が独立している緩和ケア病棟はわずか6棟しかない。 そこへ、「好きな飲食」「自由な日常生活」を掲げた民間事業者のよりホスピスが産声を上げた。日本人の死者数は昨年の136万人から、10年後には160万人を超えるといわれる。ホスピス事業の追随者が現れ、その広がりに期待したい』、「緩和ケア病棟」では「「痛みが取れたら在宅で」と早期退院を迫られること、「病院は生活の場ではない。緩和ケア病棟でもその大部分は一般病棟のフロアに設けられ、医療の管理下にある。余命が限られた人たちが満足のいく「普通の生活」を送ることは難しい」、などから、「緩和ケア病棟」よりは、「民間事業者の」「ホスピス」が中心になっていくのだろう。

次に、本年5月8日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した正看護師でBLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター・看取りコミュニケーターの後閑愛実氏による「1000人の看取りに接した看護師が伝える、苦しみのない穏やかな最期を迎えたい人に、絶対に知っておいてほしいこと」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/269505
・『人は自分の死を自覚した時、あるいは死ぬ時に何を思うのか。そして家族は、それにどう対処するのが最善なのか。 16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に関わってきた看護師によって綴られた『後悔しない死の迎え方』は、看護師として患者のさまざまな命の終わりを見つめる中で学んだ、家族など身近な人の死や自分自身の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいことを伝える一冊です。 「死」は誰にでも訪れるものなのに、日ごろ語られることはあまりありません。そのせいか、いざ死と向き合わざるを得ない時となって、どうすればいいかわからず、うろたえてしまう人が多いのでしょう。 これからご紹介するエピソードなどは、『後悔しない死の迎え方』から抜粋し、再構成したものです。 医療現場で実際にあった、さまざまな人の多様な死との向き合い方を知ることで、自分なら死にどう向き合おうかと考える機会にしてみてはいかがでしょうか。(こちらは2018年12月20日付け記事を再掲載したものです)』、「1000人の看取りに接した看護師」によるアドバイスとは、興味深そうだ。
・『医療、患者さん、ご家族の思いがすれ違わないために  「縁起が悪い」「考えたくもない」 自分自身や身近な人の死について、じっくり考えたり語り合ったりすることを避けたがる人が多いように思います。 でも、それでいいのでしょうか。 死というのは、精一杯生き抜いた先にあるものです。 決して縁起の悪いものではなく、いわば人生のゴールなのではないでしょうか。 とするなら、万全の準備をして、終わりよければすべてよし、といった姿勢で、何も思い残すことなくそのときを迎えたくはありませんか。 現実にはうまくいかないことがあるにしても、準備不足、考え不足で、自分の人生のゴールである最期を中途半端な形で他人にゆだねることになってしまう人が多くいます。 ゆだねられたご家族は、それが負担や傷となって、その後の人生に影を落としてしまうことだってあるのです……。 私は看護師になって今年で16年目を迎えています。 2007年からは療養病棟に勤務して終末期の患者さんやご家族と向き合うこととなり、1000人以上の方々の看取りに接してきました。 最期まで幸せを感じながら穏やかに亡くなった患者さん、逆に苦しみながら亡くなっていった患者さん、突然の死を受け入れられずに取り乱すご家族など、さまざまな状態の人と向き合ってきました。 その中で私は、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるのかを日々考えるようになっていったのです』、人間は嫌なことを考えるのは先送りしがちだが、その結果、「準備不足、考え不足で、自分の人生のゴールである最期を中途半端な形で他人にゆだねることになってしまう人が多くいます」、確かに事前に準備しておくべきだろう。
・『でも、看護師である私がいくら張り切ったところで、患者さん側にもそういう意識がなければ、すべては空回りに終わってしまいます。 患者さん側にもいろいろと考えてもらったり、ご家族で話し合ってもらったりすることが不可欠なのです。 それなしでは、思いが同じでも現実にはすれ違いが生じてしまいます。 たとえば、入院に際して「延命治療は望みません」という患者さんのひと言があったとしましょう。 患者さんやご家族は「これで自分たちの希望も伝えた」と安心しているかもしれませんが、そうではありません。 じつは「延命治療」にはさまざまな考え方、解釈があるのです。 寝たきりで意識がなくなってもできるかぎりの治療をすることが延命治療と思っている人もいれば、救急的な救命措置こそが延命治療と考えている医療関係者もいます。延命治療に対する考え方は百人百様、まちまちなのです。 本人が思う延命と家族が思う延命、私が看護師として思う延命、他の医療者が思う延命、それらはすべて違うといっても過言ではありません。 ですから、医療の現場ではこんなことがよく起こります。 「父は、『延命治療はしないでほしい』と言っていました。ですから延命治療は望みません」 そう言うご家族の隣で、当の患者さんがベッドでたくさんの管につながれ、うつろな目でボーッと空を見上げている……。 「もう十分、延命治療されているのではないですか……」 そう言いたくなるようなシーンをずいぶんと見てきました。 こんなすれ違いがこれ以上起こらないためにも、患者さんを含めての家族同士や、家族と医療者との間での腹を割った話し合い、お互いの考え方の共有が必要なのです。 そもそも医療や延命とは、どうすごしたいか、どう生活したいか、それを叶えるための手段のはずです。 それなのに、医療を受けることや延命自体が目的に変わってしまっているように思います。 考えるべきは、「人生の主人公は自分」という当たり前なことを念頭に置いた、最期までの生き方、すごし方です。医療とはそれを叶えるための手段にすぎないのです。  いつしか私は、こうしたことを病院の中で伝えるのでは遅いと思うようになりました。元気なうちから家族で話し合っておいてほしいと考えるようになったのです。 そんなあるとき、患者の立場から医療をよくしようと活動している方と知り合いました』、私も周囲に『延命治療はしないでほしい』と言っているが、そんなことは何の保証にもならないようだ。「延命治療は望みません」 そう言うご家族の隣で、当の患者さんがベッドでたくさんの管につながれ、うつろな目でボーッと空を見上げている……。 「もう十分、延命治療されているのではないですか……」 そう言いたくなるようなシーンをずいぶんと見てきました」、悲劇的な喜劇だ
・『その方は講演会の中で、「賢い患者になって、医療者とともに医療を変えよう!」と言っていました。 私はそのとおりだと思いました。医療は病院の中からだけでは変わらない、病院の中と外、双方から変えていくものだ。そして、人の言葉はこんなにも心に響くものかと感動したのです。 以来、私は病院の外で、人生の最期のすごし方について、講演活動をしたり、SNSなどで発信するようになりました。 「人生の主人公は自分」であるのだから、最期までのすごし方を家族と話し合っておいてほしい。 そして、それを叶えるための知識と技術の提供、分かち合うコミュニティ形成のために全国に講演に行ったり、看取りについて語るトークイベントを開催するようになりました。 このイベントに参加したあとで看取りを体験した人から、 「心の準備ができていたから、穏やかに看取ることができました」という報告をいただいたこともあります。 看取ったあとにイベントに参加し、「もっとああしておけばよかったとずっと後悔していたけれど、あれでよかったのだと考え直すことができました」
 と言ってくれた人もいました。 そんなたくさんの方の声に後押しされて、私は今回、私自身が遭遇したり見聞きした実例をもとに、後悔しない看取りのためにできること、最期までの時間の幸せなすごし方、延命治療についての考え方などを『後悔しない死の迎え方』という一冊にまとめてみました。 私は、みながみな、「いい人生だった」「あんな最期いいよね」と思えるような「死とうまくつき合う時代」にしていくことが自分に与えられたミッションだと思っています。 この本が、幸せな最期を迎えるためのヒントになってくれれば、そして、ご家族をはじめとする看取った人の心の癒しになれば、著者としてこの上ない喜びです』、『後悔しない死の迎え方』、時間ができれば読んでみたい本だ。

第三に、5月17日付け日刊ゲンダイ「肺がん・脳転移と闘う医師の関本剛さん「標準治療を信頼」」を紹介しよう。本人の略歴は最後の部分にある。
https://hc.nikkan-gendai.com/articles/276221
・『関本剛さん(44歳/緩和ケア医師 関本クリニック院長)=肺がん(脳転移あり) 2019年の秋、人間ドックのつもりで受けた胸部CT検査で4センチ大の肺腫瘍が見つかり、精密検査をしたらステージ4の肺がんで、しかも、大脳、小脳、脳幹への多発脳転移も発見されました。根治を目指す治療はなく、延命を目指した全身抗がん化学療法が最有力の選択肢。その標準治療を受けた場合、「残り2年」というのが平均的なデータです。 現在、告知から約1年半が経ちましたが、まだ仕事を続けられていますし、じつは1月には家族でスキーも楽しみました。昨年「『残り2年』の生き方、考え方」という本を上梓しましたが、このまま2年を超えられたら「儲けもんやな」と思っています。 僕は民間療法や代替医療を一切受け入れないことを誓ったので、主治医の示す標準治療を信頼して、いけるところまでいこうと決めています。 主治医に伝えているのは、仕事ができることを含めて、普通に過ごせる時期の延長こそを望んでいるということ。一番心配なのは、脳に転移したがんが大きくなって体の麻痺が起きたり、認知機能が低下して仕事ができなくなることなので、脳転移に対して効きが悪そうな予兆があれば、治療の変更を遠慮なく伝えてほしいとお願いしています。今こうして仕事を続けていられるのは、その標準治療がよく効いてくれているおかげだと思っています。 幼い頃、小児喘息だったので季節の変わり目には咳込むことが多くありました。2019年はいつもよりちょっとひどい咳が長引いていたのでCT検査を受けたのです。3年間ほど健康診断をしていなかった間にステージ4のがんができていました』、「僕は民間療法や代替医療を一切受け入れないことを誓ったので、主治医の示す標準治療を信頼して、いけるところまでいこうと決めています」、さすが「医師」らしい心がけだ。「一番心配なのは、脳に転移したがんが大きくなって体の麻痺が起きたり、認知機能が低下して仕事ができなくなること」、確かに「体の麻痺が起きたり、認知機能が低下」、は考えるだけで恐ろしい。
・『治療は基本的に放射線プラス抗がん剤です。まずは肺がんの組織を取って遺伝子変異の具合を調べました。簡単に言うと、遺伝子変異があるほうが分子標的治療薬という比較的副作用の少ない薬の選択肢が広がります。 ただ遺伝子変異にもタイプがあって、分子標的治療薬が肺がんにも脳転移にも効くタイプと、そこまで効くかわからないタイプがあるのです。僕の場合は後者でした。なので、脳に放射線治療をした上で分子標的治療薬を服用することになりました。 それによって肺がんはふた回りぐらい小さくなって、脳転移も半年ぐらい横ばいに推移していたのですが、去年の6月に脳に新しいがんができていることが分かり、2次治療である抗がん剤の点滴が始まりました。現在は3週間に1回、点滴をしています。最近、小さくなっていた肺がんが少し大きくなっているとの見立てがあり、次の治療を考えつつ経過を見ているところです』、「肺がん」の進行は一進一退のようだ。
・『腫瘍に伴う身体症状は、咳、胸の痛み、頭痛がときどき。でも、毎日強い痛み止めを飲まなければならないほどではありません。ただ、はじめは「意外と大丈夫だな」と思っていた抗がん剤も最近はこたえるようになってきました。体力の衰えをヒシヒシと感じ、足のむくみやつりも気になってきたので、少し足を鍛えなアカンと思っています。 仕事柄、死ぬことはそれほど怖くはありません。それでも、脳に転移が散らばっていると知ったときには大きなショックがありました。支えになったのは家族であり、友人たちのやさしさです。 自分のことを案じてくれる人たちの気持ちがうれしくて、「グズグズ言うてもしょうがない。死ぬまで生き抜くぞ!」と変化していったように思います』、なるほど。
・『人間は人生を最後まで泳ぎ切る力を持っている  あとは、妻とまだ幼い子供たちのために少しでも多く蓄えを残したいという思いが僕の背中を押しています。なにしろ治療費が高いのです。最初の抗がん剤治療を受けたとき、病院の精算機に「25万円」と表示されてビックリしました。1回分、3割負担でその金額ですからね。4カ月目以降は少し下がりましたが、それでも15万円。ですから「治療費は自分で稼がなイカン!」となりました。正直、それがモチベーションになって仕事を続けているようなものです(笑い)。 自分ががん患者になってわかったのは、医師に質問したとき「ウ~ン」と考えているその「ウ~ン」が、本当に考えている「ウ~ン」なのか、ちょっと面倒くさいと思っている「ウ~ン」なのかが、患者には筒抜けだということ。僕は患者さんに対して友達のように寄り添って一喜一憂する医師でありたいのですが、中には苦手な患者さんもいます。でも、それをゼロに近づけることを目指さないといけないと感じました。 僕が日頃から皆さんにお伝えしているのは、「人間は人生を最後まで泳ぎ切る力を持っている」ということ。それを支えるのが医療だと思っています。泳ぎ切る力があるとはいえ、実際に実行するのは勇気のいることです。いかに勇気を充電するか、それが大事です。そして「なんでもいいから助けて~」ではなく、徐々にでもいいから病気や治療を理解して目的や目標を意識していくこと。それも人生を泳ぎ切る大切なステップだと思います』、「僕は患者さんに対して友達のように寄り添って一喜一憂する医師でありたいのですが、中には苦手な患者さんもいます。でも、それをゼロに近づけることを目指さないといけないと感じました」、やはり「苦手な患者さんもいます」、正直な述懐だ。「それをゼロに近づけることを目指さないといけないと感じました」、いい心がけだ。
・『関本剛(せきもと・ごう) 1976年、兵庫県生まれ。関西医科大学卒業後、同大学付属病院、六甲病院緩和ケア内科勤務を経て、2015年から母親が院長を務める在宅ホスピス「関本クリニック」に移り、3年後に院長に就任。緩和ケア医として1000人以上の「看取り」を経験する中、19年にステージ4の肺がんが発見される。著書に「がんになった緩和ケア医が語る『残り2年』の生き方、考え方」(宝島社)があり、電子書籍にもなっている』。
タグ:終末期 「それをゼロに近づけることを目指さないといけないと感じました」、いい心がけだ。 「僕は患者さんに対して友達のように寄り添って一喜一憂する医師でありたいのですが、中には苦手な患者さんもいます。でも、それをゼロに近づけることを目指さないといけないと感じました」、やはり「苦手な患者さんもいます」、正直な述懐だ。 「肺がん」の進行は一進一退のようだ。 「僕は民間療法や代替医療を一切受け入れないことを誓ったので、主治医の示す標準治療を信頼して、いけるところまでいこうと決めています」、さすが「医師」らしい心がけだ。「一番心配なのは、脳に転移したがんが大きくなって体の麻痺が起きたり、認知機能が低下して仕事ができなくなること」、確かに「体の麻痺が起きたり、認知機能が低下」、は考えるだけで恐ろしい。 「肺がん・脳転移と闘う医師の関本剛さん「標準治療を信頼」」 日刊ゲンダイ 『後悔しない死の迎え方』、時間ができれば読んでみたい本だ。 私も周囲に『延命治療はしないでほしい』と言っているが、そんなことは何の保証にもならないようだ。「延命治療は望みません」 そう言うご家族の隣で、当の患者さんがベッドでたくさんの管につながれ、うつろな目でボーッと空を見上げている……。 「もう十分、延命治療されているのではないですか……」 そう言いたくなるようなシーンをずいぶんと見てきました」、悲劇的な喜劇だ 人間は嫌なことを考えるのは先送りしがちだが、その結果、「準備不足、考え不足で、自分の人生のゴールである最期を中途半端な形で他人にゆだねることになってしまう人が多くいます」、確かに事前に準備しておくべきだろう。 「1000人の看取りに接した看護師」によるアドバイスとは、興味深そうだ。 『後悔しない死の迎え方』 「1000人の看取りに接した看護師が伝える、苦しみのない穏やかな最期を迎えたい人に、絶対に知っておいてほしいこと」 後閑愛実 「緩和ケア病棟」では「「痛みが取れたら在宅で」と早期退院を迫られること、「病院は生活の場ではない。緩和ケア病棟でもその大部分は一般病棟のフロアに設けられ、医療の管理下にある。余命が限られた人たちが満足のいく「普通の生活」を送ることは難しい」、などから、「緩和ケア病棟」よりは、「民間事業者の」「ホスピス」が中心になっていくのだろう。 を紹介しているのだろうが、一般の病院よりはよさそうだ。 「首のリンパ節が腫れて気道を圧迫し、呼吸困難状態でもあった。抗不安薬や医療用麻薬の利用など医師と相談して実践したところ、症状を緩和できた」、「胃がんの腹膜幡種でステージ「4」の末期・・・腹痛や吐き気に苦しみ、「このつらさを取ってほしい」と本人が切望・・・看護師たちは在宅医と何回も話し合いを重ね「医療用麻薬をうまく使うことで」(看護師)、症状を緩和することができた。緩和ケアに長けた看護師の実力が発揮された。つらさが消えたこともあり、果物ジュースやみそ汁を飲めるようになった」、いかにも「ホスピス」らしい成功例 死ぬ前に「看護師たちは工夫」で「ビールが飲」めたのは、確かに「安全第一で医療管理が徹底している病院では実現できなかっただろう」、こうした死ぬ前の無理が聞いてもらえるのは有難い。 「ホスピス」建設時に周辺住民の反対運動などが起こらないければいいのだが・・・。 「看護師たちスタッフが訪問医師に提言し、注射から貼り薬に変えた。すると吐き気が消え・・・」、こういうプロの「スタッフ」がいれば心強いが、「ホスピス」のパンフレットだけでは分からないだろう 「終末期を自分らしく過ごせる場所としてホスピスに期待がかかる理由」 浅川澄一 ダイヤモンド・オンライン (その6)(終末期を自分らしく過ごせる場所としてホスピスに期待がかかる理由、1000人の看取りに接した看護師が伝える 苦しみのない穏やかな最期を迎えたい人に 絶対に知っておいてほしいこと、肺がん・脳転移と闘う医師の関本剛さん「標準治療を信頼」)
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

人生論(その7)(池上彰「人生に必要な“読解力”を『聞く』と『伝える』で鍛える」 社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか?(3)、西和彦氏へのインタビュー:1ミリの“ごまかし”でも一発アウト! ビル・ゲイツ「驚愕のマネジメント法」、Googleがフェイル・ベルを鳴らし「さっさと失敗しろ」というワケ) [人生]

人生論については、11月17日に取上げた。今日は、(その7)(池上彰「人生に必要な“読解力”を『聞く』と『伝える』で鍛える」 社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか?(3)、西和彦氏へのインタビュー:1ミリの“ごまかし”でも一発アウト! ビル・ゲイツ「驚愕のマネジメント法」、Googleがフェイル・ベルを鳴らし「さっさと失敗しろ」というワケ)である。

先ずは、11月23日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの池上彰氏による「「人生に必要な“読解力”を『聞く』と『伝える』で鍛える」 社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか?(3)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77490?imp=0
・『「日本人の読解力が急落」――2019年のそのニュースは各新聞を賑わせ、日本中に大きな衝撃を与えた。では、そもそも“読解力”とは何を指すのか、人生においてどう位置づけられるのか…。 たとえば、「場違いな発言や行動をしてしまう人がいるけれど、いったいどうして?」「仕事がうまくいく人といかない人の違いは何?」「すぐ人と打ち解けられる人はどこが違うの?」などなど……その答えが「読解力」。 池上先生が、人生でいちばん身につけたい生きる力=「読解力」のつけ方を伝授。社会に出たらこの力こそ最大の武器です。 講談社+α新書『なぜ、読解力が必要なのか?』から注目の章を3日連続でピックアップ!』、「読解力」とは興味深そうだ。
・『「聞く力」を上げる質問のコツ  他者とのコミュニケーションの「場」を読み解く力を鍛えるために、「聞く力」と「伝える力」を鍛えていきましょう。 私の場合、NHKで「週刊こどもニュース」に11年間携わり、毎週生放送で小学生や中学生にものごとを説明してきた経験が、「聞く力」と「伝える力」を鍛えるのに役立ったと思います。相手が何を言いたいのか、質問の意味はどういうことで、本当に知りたいことは何だろうかと思案したり、あるいはこういう伝え方でわかるだろうかと試行錯誤したりしてきた経験です。 第一に大切なのは、「相手が何を言いたいのか」を常に考えながら聞くということです。相手がよほどプロの伝え手でもなければ、会話においては普通、言葉足らずな言い方をしているに違いないのです。 ちょっと言葉足らずな説明や報告を受けたときに、「たぶんこういう意味だろうな」と自己完結してその場を流してしまうのではなく、「それってどういうことなの?」「何か説明が抜けているんじゃないの?」などといち早く察知し、聞き返す習慣をつけましょう。ポイントを突いた「いい質問」ができるようになれば、読解力が身につきます。 日本人は引っ込み思案というか遠慮するというのか、みんなの前であまり質問をしません。それではダメです。わからないところをわからないで済ませないで、「何がわからないのか」を常に考えて質問することが大事です。 ただ上司に関しては、その上司に人間的な包容力があるかないかで対処法が変わります。包容力がある上司なら、何を質問しても答えてくれます。しかし包容力のない上司なら、大人数の会議の場などで「部長、それはどういうことですか?」などと質問をすると、「お前はそんなこともわからないのか」とけなしてきたり、さらにひどい場合には「お前は俺に恥をかかせて、逆らう気か」なんて言い出したりしかねません。 そんな器の小さい上司に対する処世術としては、会議が終わったあとなどに「すみません部長、私の理解力が足りなくて、ここのところがわからなかったんですけど」とへりくだりつつ聞くほうがいい場合があります』、「ポイントを突いた「いい質問」ができるようになれば、読解力が身につきます」、私が非常勤で教えていた時に、「質問」を促して「いい質問」には点を上げていたが、それでも「質問」は少なく、ガッカリしたものである。
・『聞き上手な人のリアクション  質問に関しては、リアクションで補う手もあります。相手が言葉足らずな説明をしたときに「それはどういうことですか」「意味がわかりません」などと言ったら、相手によっては萎縮しますし、人間関係にもヒビが入るかもしれません。そこで活用できるのが、ノンバーバルコミュニケーションという言語以外での身体表現です。 よくわからないときは「え?」と言いたげに首を傾げる、わかったときには「うんうん」としきりに頷く。これは実は、テレビの世界に入って学んだことです。 通常の会話で私たちは、「はい」「うん」などと声であいづちを打っています。そうしないと相手もしゃべりにくい。あいづちを打って初めて会話が成立します。 しかしテレビカメラを持って相手にインタビューする場合、聞き手がいちいち声であいづちを打っていると、それが全部音として入ってしまい、相手の話のみで編集したいのにできなくなってしまいます。一方であいづちを一切打たないでマイクを向けると、相手がしゃべりづらくなります。 そこで、ノンバーバルコミュニケーションです。聞き手の自分はカメラに映らないところで、身振り手振りであいづちを打つのです。相手の話す内容がよくわからなかったら、表情で「え?」という顔をする。よくわかるときにはしきりに頷く。結果的に、相手がこの「声を出さないあいづち」に励まされてしゃべってくれます。 つまりコミュニケーションにおいて「よい聞き手」になるということは、全身を使ってよい聞き手になるということです。 テレビ番組で画面の隅に小さな窓のようなものが出て、出演者の表情が映っているのを「ワイプ」と言います。そこに映るその表情は大変参考になります。出演者たちは、頷いたり、小首を傾げたりしながら映っています。話し手はそういった表情を見ると「あ、ちょっとわかりづらかったんだな。じゃあもうちょっと説明しよう」という気になります。これが聞き上手への第一歩です。 特に小首を傾げるときには、下の方から上目遣いで見上げてみてください。そうすると相手に威圧を感じさせず、へりくだった立場で「教えてください」というふうに受け取ってもらえます』、私の講義の際に熱心な学生が、大事な部分で頷いたりする「ノンバーバルコミュニケーション」は、張り合いがあったが、一部のよく出来る学生に合わせるのは、その他大勢を無視したことになると、あとから反省させられた。
・『プロカウンセラーの聞き方  聞き上手とは、相手と同じ気持ちに立って、相手が一体何を言いたいのか、相手の言うことを一生懸命理解しよう、というように共感が上手な人を指します。そうだよね、自分もそう思うよ、遠慮しないでもっと言ってね、という態度を出すことによって、相手の言葉を引き出すことができるのです。 カウンセラーはそういうことに長けている人で、共感力が最も必要です。いろいろな相談に対して「あなたの気持ちはわかりますよ」「そうだよね、大変だよね」と頷くことで、相手を「もうちょっとしゃべってみようか」という気持ちにさせる。 優れたカウンセラーは不思議なもので、アドバイスをする必要がないんだそうです。ただひたすら共感力をにじませながら聞いていて、相手は自分の思いをありったけしゃべれたことで満足したり、しゃべるうちに自分で解決策を見つけたりして、満足して帰るのです。 NHK「週刊こどもニュース」では、スタジオ収録で子役の子たちと会話をするだけでなく、実際の学校に行って小学生や中学生と会話をする機会もありました。 そのときに心がけていたことは、常に視線の高さを同じにするということです。普通に立って、子どもたちを上から見下ろすかたちで会話をするのではなく、膝をつくなどして相手の視線と同じになるようにします。それによって相手を理解したいという気持ちが相手の子どもにも伝わるのです。大人同士であれば、しっかりと視線を合わせるということです。自然と動作にも表れる「理解しようとする心」こそが、読解力だとも言えるでしょう。 ちなみにテレビ取材では、子どもを撮影するときにはカメラマンも膝をついて撮っています。子どもの顔を真正面から撮ると、よりかわいらしく撮れるのです』、「優れたカウンセラーは不思議なもので、アドバイスをする必要がないんだそうです。ただひたすら共感力をにじませながら聞いていて、相手は自分の思いをありったけしゃべれたことで満足したり、しゃべるうちに自分で解決策を見つけたりして、満足して帰るのです」、「聞き上手」の極致なのだろう。「テレビ取材では、子どもを撮影するときにはカメラマンも膝をついて撮っています。子どもの顔を真正面から撮ると、よりかわいらしく撮れるのです」、いいことを教えてもらった。早速、実践してみよう。

次に、12月17日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した西和彦氏へのインタビュー「1ミリの“ごまかし”でも一発アウト! ビル・ゲイツ「驚愕のマネジメント法」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/256739
・『ビル・ゲイツとともにマイクロソフトの礎を築き、創業したアスキーを日本のIT産業の草分けに育てるなど、偉大な足跡を残しながら、その後、両社から追い出され全てを失った西和彦氏。そんな西氏の「半生」を『反省記』として著した本が大きな話題となっている。 ビル・ゲイツという世界的な成功をおさめた人物と、西氏ほど深く付き合った日本人はいないだろう。その「仕事術」を間近に観察した西氏に、ビル・ゲイツが、どのように人と付き合い、仕事をしているのかを聞いた。さらに、ビジネスの最前線を生きてきた西氏だからこそ体験した、「ビジネスの実相」「人間模様」について、生々しい本音を聞いた(qは聞き手の質問、Aは西氏の回答)。 Q:ものすごく大きな成功や失敗をたくさん体験してきた西さんの『反省記』は、衝撃的なまでに面白かったです。そもそも登場人物がすごい。ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、稲盛和夫さん、孫正義さんなど、超一級のビジネスマンが次々に登場して、圧倒されました。中でも、マイクロソフトの礎を一緒に築いたビル・ゲイツに対する、西さんの思い入れは半端ではないですね。西さんから見て、ビル・ゲイツの仕事の仕方できわだって印象的だったことは? A:とにかく、恐ろしく記憶力がいい。そんな印象が強くあります。前に言ったことは必ず覚えていて、ちょっと違うことを言ったら、「前に言ったことと違うじゃないか」と突いてくる。そこは本当にすごいと思います。 彼は仕事をしているとき、黄色いパッドにメモを取っているんですが、あれはメモを取っているというより、メモを取りながら完璧に記憶しているんです。そして、一度覚えたことは絶対忘れない。 それと、人から話を聞いても、すぐに鵜呑みにすることは絶対にせず、徹底して裏を取る。それが彼の仕事のやり方なんですよ。 それも一人ではなくて、何人もの人にチェックして、裏を取る。その人が言っていることが正しいのか、ウソはないのか。そういうところに徹底してこだわって仕事をしています。 それで、少しでも疑問を感じたら、とことん質問する。その質問にきちんと答えられなかったり、ウソがあったり、ごかましがあったら、アウト。二度と会ってはもらえません。そういう厳しさがあるタイプでした。 Q:怖いですね……。 A:僕なんかから見ると、ちょっと厳しすぎるんじゃないかなと思うこともありましたし、人間だから間違うこともあるし、「そこまで言わなくても……」と思うこともありましたけど、そういう厳しさを積み重ねていくことで、その人の信頼性を測るというか、その人間の言っていることがどれだけ信用できるかを見極めていたんでしょうね。そして、そのマネジメント力があったからこそ、マイクロソフトをあれだけの大企業に育て上げることができたのでしょう。 Q:なるほど。西さんから見て、ビル・ゲイツというのは人を一言で表現すると「どういう人」なんでしょうか。 A:一言で言うなら「戦う人」じゃないですか。 特にマイクロソフトをやっているときは、いろんな競争相手がいて、その相手と戦い、勝っていかなきゃいけないから、とにかく「戦う人」だった。 そうやって戦うことに疲れたから、近年は戦って稼いだお金を「配る人」になっていたんですよ。でも、コロナの問題が起こってからは、また「自分でなんとかするんだ」という戦闘モードに入ってるなという感じはありますね』、「ビル・ゲイツ」が「「配る人」になっていた」が、「コロナの問題が起こってからは、また「自分でなんとかするんだ」という戦闘モードに入ってる」、何に結実するのか楽しみだ。
・『「嫌なもの嫌」「ダメなものはダメ」と言い切る!  Q:ビル・ゲイツの「人を見るときの厳しさ」を伺ってきたんですが、西さん自身は「人を見るとき」のポイントのようなものは何かあるんですか? A:僕は何もないです。 Q:何もないんですか? A:だって、人を見て、評価したり、選ぶようなことをしていたら、ギクシャクするじゃないです。だから、僕は会社の採用面接とか、そういうことにもほとんど立ち会わなかったんです。 縁があって、会社に入ってきてもらったり、仕事で付き合うようになったら、それはもう、僕がどうこう判断する以前に、そういうふうに決まっているんだと思っていました。 この人は「信用できる、信用できない」というところをあんまり厳しくやっちゃうと、付き合いが狭まっちゃうから、そういうことはできるだけしないようにはしていました。 Q:そのなかでも、西さんから見て「この人とのビジネスはうまくいきそうだ」とか、「あんまりよくない」という感覚のようなものはあるんですか? A:「この人と一緒にやったら、関係がうまくいきそうだ」とか、そういうところはわかります。そういうのって、すぐにわかるじゃないですか。「黒いもの」「悪いもの」を背負ってる人っていうのは、すぐにわかります。 Q:「黒いもの」「悪いもの」を感じるときって、よくあるんですか? A:そりゃあ、ときどきはあります。たとえば、僕はマスコミとか、メディアにもよく呼ばれるんですけど、悪意のある見出しを立てて「おもしろがってやろう!」っていう雰囲気の取材とか、テレビの番組ってときどきありますからね。 Q:そういう「悪意」とか「黒いもの」を感じたときはどうするんですか? A:それはもう席を立って、帰ります。 Q:番組に出ないで、帰っちゃうんですか? A:そうです。そんな悪意に満ちて、人を笑い者にしようとするなんて、失礼な話じゃないですか。「嫌なものは嫌」「ダメなものはダメ」。『半沢直樹』の大和田常務風に言えば「死んでも嫌だね!」ってところです。そういう価値観や行動は昔から変わってないです。 以前、あるテレビ局の有名な番組に呼ばれたんですけど、出演料の問題で揉めたことがあるんです。最初に、金額交渉をしておかなかったこっちも悪いんですけど、僕は単純に「○○円以下なら、出ません」ということをお伝えしたんです。 そしたら番組のプロデューサーがやってきて、「そんなこと言ったら、二度のウチの局には出られなくなりますよ」って脅すんですよ。 テレビ局は他にいくらでもあるし、そもそも僕は、テレビに出るのが仕事の芸人さんとは違いますからね。その番組がどれほど視聴率を取ってるか知らないけど、僕にはそんなの関係ないんです。 向こうが僕に「出てほしい」と言って、僕は「○○円以下なら、出ません」って言っているだけなんですけど、そういうときに相手の人としての本質が見えることがあります。 Q:え、それで出演を断ったんですか? A:もちろん。そうしたら、「出てくれ、払うから」だって』、「そんな悪意に満ちて、人を笑い者にしようとするなんて、失礼な話じゃないですか。「嫌なものは嫌」「ダメなものはダメ」。『半沢直樹』の大和田常務風に言えば「死んでも嫌だね!」ってところです」、自分に自信があるからこそ出来るのでろう。
・『「合理性」を超えたものが、ビジネスを動かしている  Q:『反省記』のなかでも、リアルな人間関係がいろいろ描かれていて、ドラマを見ているようなおもしろさがあるんですが、本の中では触れていない「人とのエピソード」で印象に残っていることはありますか? A:人というか、企業そのものとの付き合いの話も含まれるんですが、僕がアスキーの社長だったとき、支払い遅延を起こしてしまったことがあるんです。ある月に64億円のお金が足りなくなってしまった。 自分の車や絵画を売ったり、いろいろやってなんとか3億円くらいは調達して、かろうじて給料は払ったんですけど、他がいろいろと支払いができなかったんです。 そのとき、K社という大企業に対する150万円の支払いが遅延してしまったんですが、2日後に、向こうの担当者が「今すぐ払ってくれ」と言って、請求書を再発行して持ってきたことがありました。 ウチがそのK社のフロッピーディスクを買っていたんですけど、その支払い料金が150万円。その担当者は「払ってくれるまで、今日は帰らない」と言って、ロビーに居座っているんですよ。 Q:弱りましたね……。 A:そうですね。まぁ、払えないこっちが悪いんだけど、払いたくても「ない」ものは「ない」んでね。 それでしょうがないから、僕は「枕と毛布を用意しなさい。泊まっていただきましょう」と言いましたよ。実際、K社の担当者は、150万円の未払金を回収するために、夜の12時くらいまでロビーにいました。 その一件があってから、当然K社との取り引きはやめました。一切、出入り禁止にしました。 Q:なるほど……。 A:それで、別の会社Mに話をして、「こんな潰れそうな会社ですけど、御社の製品を売ってくれませんか」と言ったら、「もちろん、いいですよ。西さん、会社なんてそんなにすぐに潰れるもんじゃないから、なんぼでも売りますよ。ウチの商品を使って、どんどん儲けてください」って言ってくれたんです。 人によって、会社によって、そういうところで差が出てくるということを強く感じたエピソードですね。 Q:こちらが苦しいときに、どんな態度を示してくるのか。そういうとき、相手の本質が見えるものなんでしょうね。 A:本当にそうですよ。 もっとすごい話があります。実は、さっき言った64億円の未払金のうち30億円は、D社という大手印刷会社のものだったんです。だから、僕はオーナー社長に会いに行って「大変申し訳ないんですが、お金がなくて今月の30億円お支払いできません。ちょっと待っていただけませんか。必ず払います」と言ったんです。 そしたら、その社長はなんと言ったと思います? 「アスキーさん、おたくとウチは、おたくの会社ができた頃からのつきあいで、もう20年になるじゃないですか。だから、ぜひウチへの支払いは最後にしてください。ウチはね、20年の付き合いのある会社に、30億円払ってもらえないくらいでキーキー言う会社ではありません」って言ってくれたんです。 すごくないですか? 「いつでもいいとは言わないけど、とにかく最後で結構。だから、西さん、キーキー言う会社に払ってあげたらいいじゃないですか」って言ってもらった。 当然、それ以降、アスキーから出す新雑誌のほとんどをD社にお願いするようにしました。ぼくのビジネスって、そういうことがたくさんありました。 Q:「情」のようなものが、ビジネスに及ぼす影響は大きいと? A:そうそう。まぁ、これは僕が反省するところでもあるんですけどね。 Q:どういうことですか? A:いや、これは『反省記』にも書いたことなんだけど、アスキーの経営が危機に陥って、いろんな銀行に融資をお願いして回ったときに、最初はすごくドライな対応をされたんですよ。 なぜかというと、アスキーの業績がよかったころに、僕たちは、ずっと、そのときに一番いい条件を提示した銀行から借りるというドライな付き合い方をしていたからなんです。会社の調子がいい時はそれでよかったんですが、窮地に立たされると立場は逆転。今度は、こっちがドライな対応をされるということになりました。 Q:因果応報のようなものですか? A:そういうことですね。ビジネスは合理性だけで動いているわけではないということですよ。 Q:とてもリアルで、非常におもしろい話です。実際『反省記』の中にも、そんなリアルで、興味深いエピソードがほかにもたくさん出てきますね。 A:長年ビジネスをやっていれば、そんな話はいくらでもありますよ。ビジネスにおいて合理性はきわめて重要だけど、それだけで世界が動いているわけではない。『半沢直樹』を見て、人間模様とか、人と人とのやりとりを面白かったと思った人には、ぜひ『反省記』を読んでもらいたいですね。きっと、楽しんでいただけると思いますよ』、「アスキーの経営が危機に陥って、いろんな銀行に融資をお願いして回ったときに、最初はすごくドライな対応をされたんですよ。 なぜかというと、アスキーの業績がよかったころに、僕たちは、ずっと、そのときに一番いい条件を提示した銀行から借りるというドライな付き合い方をしていたからなんです」、まさに「因果応報」で、文句を言えた義理ではない。
・『【ダイヤモンド社編集部からメッセージ】(西和 彦:著 価格:本体1600円+税 『反省記』 西和彦氏――。 これほど劇的な成功と挫折を経験した「経営者」がいたでしょうか? ビル・ゲイツとともに、マイクロソフト帝国の「礎」を築き、アスキーを史上最年少で上場させるなど、IT黎明期に、20代にして絶大な存在感を誇った西和彦氏。 しかし、その後、ビル・ゲイツと大喧嘩をしてマイクロソフトを追い出されたほか、資金難、創業メンバーとの訣別、主要役員の造反、アスキー社長からの陥落など、数多くの挫折を経験しました。 その西氏が、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブス、中山素平氏、大川功氏、稲盛和夫氏、孫正義氏など、超大物たちと織り成したリアル・ビジネスの裏舞台を綴りながら、自身の「成功と失敗」の要因をついに明かしたのが『反省記』です。これほど赤裸々で、切実な反省を記した経営者はかつていなかったでしょう。 本書は、IT黎明期の産業史そのものであるとともに、いつの時代も変わらないビジネスという営みの本質を示唆するとともに、今を生きるビジネスパーソンが多くの知恵を得ることができるに違いありません。ぜひ、ご一読ください』、興味深そうだ。

第三に、12月18日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したGoogle 最高位パートナー/イーテ?ィーエル株式会社代表取締役の平塚知真子氏による「Googleがフェイル・ベルを鳴らし「さっさと失敗しろ」というワケ」を紹介しよう』、興味深そうだ。
・『2020年もあとわずか。コロナ第三波が到来する中、ビジネスパーソンの中でも、リモートワーク大歓迎の「リモート強者」とリモート化になじめない「リモート弱者」に二極化しつつある。 あなたは「リモート強者」か?「リモート弱者」か? そんな時、心強い味方が現れた。 ITビギナーから「Google最高位パートナー」と呼ばれ、絶大な信頼を得ている平塚知真子氏だ。 平塚氏は、Googleが授与する資格(Google認定トレーナー/Google Cloud Partner Specialization Education)を2つ保有する国内唯一の女性トレーナー経営者。 初の単著『Google式10Xリモート仕事術──あなたはまだホントのGoogleを知らない』が発売たちまち重版。本日日経新聞にも掲載された。大胆にもGoogleの70近いアプリを「10」に厳選。「10%改善するより10倍にするほうがカンタン」というGoogle急成長の秘密「10X(テンエックス)」で成果を10倍にする「10X(テンエックス)・10(テン)アプリ」をフルカラーで初めて公開した。 “日本一のマーケッター”の神田昌典氏(マーケティングの世界的権威ECHO賞・国際審査員)が「全部無料! こんな使い方、あったのか」と大絶賛。曽山哲人氏(サイバーエージェント常務執行役員CHO)も「想像以上に知らない機能があった」というノウハウとはどんなものか。 では、“リモート弱者”が“リモート強者”になる、誰も教えてくれなかった方法を紹介しよう』、どんなことなのだろう。
・『★質問 挑戦への恐怖心をどうやって克服すればいいのでしょうか?  新しいことに興味があり、挑戦してみたいです。 でも、もし行動して失敗したら、誰かに「笑われるかもしれない」「見放されるかもしれない」と思うと、怖くてあきらめてしまいます。 でもやらない後悔もあり、この思考停止状態をなんとかしたいのですが…。 ☆回答 「さっさと失敗しましょう」  「失敗が怖い」のは、誰もが感じている当たり前のことなので心配しないでください。 ただ、現代は変化への対応力が、あなたの武器になる時代。 やはり何もしないで後悔するよりも、新しい状況にどんどん挑戦していけたほうがいいですよね。 参考になると思うのが、2019年に日本で初めて開催された Google 主催のイノベーターアカデミーに参加した方から聞いたエピソードです。 イノベーターアカデミーは、テクノロジーを使って重要な課題の解決に取り組む熱意あふれる教育者を認定する研修です。 ここでは「デザイン思考(Design thinking)」がGoogle のアプリ群を革新的に活用するために紹介されました。 デザインというと、「デザイナー以外関係ない話では?」と思いがちですが、本来この言葉には「設計する」という意味があり、創造的な問題解決のプロセスを指すものです。 デザイン思考とは、Google をはじめ大企業が多数採用している「利用者がまだ気づいていない本質的なニーズを見つけ、変革させるためのイノベーション思考」といえます。 世の中には綿密に計画し、正確な予測を立て、正確な企画書をつくり、リスクを考えてからでないと始められない人が多いのですが、そうしていると時間だけがすぎていきます。 デザイン思考のワークでは、「観察」→「アイデア出し」→「試作」→「テスト」を繰り返し、できるだけ早く実行することが求めれます。  Google では「Fail fast.(さっさと失敗しろ)」が合言葉。 失敗を避けようとするのではなく、むしろすぐに失敗してその失敗から学ぶべしということです。 次のアクションにつながるうまくいくものといかないものを見分けるために、失敗が必要という考え方です。 Google では、フェイル・ベル(失敗の鐘)という失敗をお祝いする文化まであります。 これは Googleのイノベーターアカデミーに参加した先生からお預かりした実物。 誰かが失敗すると、「失敗、おめでとう!」とベルを鳴らして盛大に祝うのです。 こうしたオープン・マインドな文化が、 Google の10X を支えています。 今までの常識では、完成させ、完璧な状態になってから人に見せるべきところですが、Google では、「できていないところ、未完成な部分があっても大丈夫! 全部見せ合い、仲間の力を借りて、もっとよくする」「早く学ぶことが大事」という考え方が大切にされているのです。 こんな Google の考え方がわかり、 Google の無料のアプリ群を使って生産性を劇的向上させる方法を初の単著に書きました。ご一読いただけたらと思います。)(著者略歴はリンク先参照)』、「失敗を避けようとするのではなく、むしろすぐに失敗してその失敗から学ぶべしということです。 次のアクションにつながるうまくいくものといかないものを見分けるために、失敗が必要という考え方です。 Google では、フェイル・ベル(失敗の鐘)という失敗をお祝いする文化まであります:、「フェイル・ベル」で「お祝いする」とはさすが徹底している。
・『【著者からのメッセージ】(Google 最高位パートナーが”リモート弱者”が”リモート強者”に変わる史上最強「10X(テンエックス)・10(テン)アプリ」を初公開! はじめまして。Google 最高位パートナーの平塚知真子です。 このたび、『Google式10Xリモート仕事術』を出版しました。 これまでのアプリ本の大半は、操作法を解説しているだけでした。 しかし、それらを熟読しても、仕事の生産性を劇的に向上させることはできません。なぜなら、生産性を劇的に向上させるには、「複数のアプリを連携させて使う」そして、「1つのアプリを関係者全員と使う」という新常識=「マルチアプリ・マルチユース」に頭を切り替える必要があるからです。 その「幹」を学ばずして、アプリという「枝」だけを学んでも、「ITを効率的・主体的に活用する」大目的には決して近づけないのです。 そこで、 Google が認定する最高位パートナーである著者が、リアルならパフォーマンスを発揮できるけれど、リモートは苦手という”意識高い系アナロガー”のあなたへ、対面よりリモートのほうが成果10倍になる「10X(テンエックス)の思考法とノウハウ」を一挙初公開しました。 執筆期間は実に1年半。 Google 最高位パートナーの私が、これだけは! というノウハウを凝縮した188ページ決定版。 マーケティングの世界的権威ECHO賞・国際審査員で、経済誌で”日本一のマーケッター”と評された神田昌典氏も、「こんな使い方、あったのか」と大絶賛のノウハウです。 Google が認定する最高位のパートナー資格とは、個人においては Google 認定トレーナー、法人パートナーにおいては、Google Cloud Partner Specialization Education になります。 いずれも Google の厳しい審査基準をクリアし、 Google のアプリ群をどのように活用すれば問題解決ができるのか。指導、成果の実績があると公式に証明されたものです。 私は、ITの活用を初学者に指導する教育活動を20年以上、現在では教育者を中心に年間3000人、のべ2万人超の教育者およびビジネスパーソンに体系的な研修を行ってきました。 そのため日頃から、組織や受講生の悩みを解消するITを活用した解決策を熟知しています。 チームメンバーの一人ひとりが、自分にもできる! というやる気と自信を引き出す”10Xリモート仕事術”を駆使して成果を挙げています。 その経験を活かし、本書では、70近くある Google の無料アプリ群を大胆にも「10」に厳選。 「コミュニケーション」「コラボレーション」「マネジメント」の3つの「CCM」を軸とした「10X・10アプリ(テンエックス・テンアプリ)」であなたの仕事を成果10倍にするノウハウを凝縮。 さらに、アプリ本嫌いなあなたのために、読み物として最後まで面白く読める工夫を随所に散りばめました。 「さすがに70近い Google のアプリは使いこなせない!」 そうですよね。 ですから、無駄な9割を大胆カットし、成果を挙げる1割の本質だけを抽出しました。 だから、本書1冊だけ読めばいいのです。 ただ、ページ数を可能な限り薄くしましたが、中身は一切妥協していません。 とりわけ Google を活用した「ITの段差」をなくす活用術は、これまでの常識をくつがえすものかと思います。  Google アカウントを取得して、Google の全アプリで仕事をしてみるだけで、誰もが時代の進化にスイスイ乗って生産性を劇的向上できます。 もし、あなたが今、「withコロナ時代のリモートワーク」に不安があるなら、本書を読み終える頃にはそんな不安は一掃されているでしょう。 効果検証済の体系的な理論と使えるノウハウが身につき、今まで誰も教えてくれなかったIT活用の「イメージ」がはっきりと手に入るからです。 それに、こんな秘密、知りたくありませんか? ●なぜ、ほとんどの人は、ホントの Google を知らないのか? ●なぜ、Google を使うだけでは「劇的な成果」が出せないのか?●Google はホントに安全なのか? 実は、これらの答えは、すでに Google 公式サイトに一般公開されています。 しかしながら、これまで誰もその内容について解説してくれませんでした。 その要因の1つが、 Google のビジネスモデルです。 Google の収入は、その9割が広告。Google のアプリ群は無料。誰もが使える。 なのに、その使い方や機能はすべてがブラックボックスのまま! さらに、一つひとつのアプリを熟知する人はいても、70という膨大な Google アプリの全体像を把握している人はそうはいません。 そこで、Google 最高位パートナーの著者が、どうすれば Google で生産性を向上させることができるのか、という法則を本邦初公開したのが本書です。 その法則を明かすうえでキーワードが3つあります。 コミュニケーション、コラボレーション、マネジメント。 頭文字を取って10Xを実現する「Google式CCM」です。 本書をフル活用すれば、今までより10倍速く、10倍の成果を挙げられるようになります。 「理解する」→「使ってみる」→「成果を挙げる」の順で本書をフル活用すれば、必ず結果が出ます。  そうするとどんどん面白くなり、Google式 10Xで”リモート弱者”が”リモート強者”に変わる! あなた自身も、まわりの方も、ゾクゾクする瞬間を楽しみにしていてください。(以下の紹介は省略)』、余りにもPR臭が強く、肝心のことは本を読まないと分からないので、フラストレーションがたまってしまった。結果的につまらないものを紹介したことをお詫びしたい。
タグ:講談社+α新書『なぜ、読解力が必要なのか?』 西和彦氏へのインタビュー 「聞く力」を上げる質問のコツ 「1ミリの“ごまかし”でも一発アウト! ビル・ゲイツ「驚愕のマネジメント法」」 ポイントを突いた「いい質問」ができるようになれば、読解力が身につきます 池上彰 【著者からのメッセージ】 人生論 (その7)(池上彰「人生に必要な“読解力”を『聞く』と『伝える』で鍛える」 社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか?(3)、西和彦氏へのインタビュー:1ミリの“ごまかし”でも一発アウト! ビル・ゲイツ「驚愕のマネジメント法」、Googleがフェイル・ベルを鳴らし「さっさと失敗しろ」というワケ) 現代ビジネス 聞き上手な人のリアクション ノンバーバルコミュニケーション 「ビル・ゲイツ」が「「配る人」になっていた」が、「コロナの問題が起こってからは、また「自分でなんとかするんだ」という戦闘モードに入ってる」、何に結実するのか楽しみだ 熱心な学生が、大事な部分で頷いたりする「ノンバーバルコミュニケーション」は、張り合いがあった 「嫌なもの嫌」「ダメなものはダメ」と言い切る! 一部のよく出来る学生に合わせるのは、その他大勢を無視したことになると、あとから反省 そんな悪意に満ちて、人を笑い者にしようとするなんて、失礼な話じゃないですか。「嫌なものは嫌」「ダメなものはダメ」。『半沢直樹』の大和田常務風に言えば「死んでも嫌だね!」ってところです 「合理性」を超えたものが、ビジネスを動かしている アスキーの経営が危機に陥って、いろんな銀行に融資をお願いして回ったときに、最初はすごくドライな対応をされたんですよ。 なぜかというと、アスキーの業績がよかったころに、僕たちは、ずっと、そのときに一番いい条件を提示した銀行から借りるというドライな付き合い方をしていたからなんです プロカウンセラーの聞き方 「因果応報」 質問 挑戦への恐怖心をどうやって克服すればいいのでしょうか? 回答 「さっさと失敗しましょう」 失敗を避けようとするのではなく、むしろすぐに失敗してその失敗から学ぶべしということです。 次のアクションにつながるうまくいくものといかないものを見分けるために、失敗が必要という考え方です。 Google では、フェイル・ベル(失敗の鐘)という失敗をお祝いする文化まであります 「フェイル・ベル」で「お祝いする」とは徹底している 「「人生に必要な“読解力”を『聞く』と『伝える』で鍛える」 社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか?(3)」 優れたカウンセラーは不思議なもので、アドバイスをする必要がないんだそうです。ただひたすら共感力をにじませながら聞いていて、相手は自分の思いをありったけしゃべれたことで満足したり、しゃべるうちに自分で解決策を見つけたりして、満足して帰るのです」、「聞き上手」の極致なのだろう ダイヤモンド社編集部からメッセージ テレビ取材では、子どもを撮影するときにはカメラマンも膝をついて撮っています。子どもの顔を真正面から撮ると、よりかわいらしく撮れるのです 『反省記』 ダイヤモンド・オンライン 平塚知真子 「日本人の読解力が急落」 「Googleがフェイル・ベルを鳴らし「さっさと失敗しろ」というワケ」 “リモート弱者”が“リモート強者”になる、誰も教えてくれなかった方法を紹介しよう
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

人生論(その6)(“もてる能力”を集中させることで 「凡才」は「天才」に勝てる【西和彦】、プータローから一念発起!“哲学者校長”の紆余曲折なスタンフォードへの道、新渡戸稲造の『武士道』から最強の生存戦略を学ぶ) [人生]

人生論については、9月6日に取上げた。今日は、(その6)(“もてる能力”を集中させることで 「凡才」は「天才」に勝てる【西和彦】、プータローから一念発起!“哲学者校長”の紆余曲折なスタンフォードへの道、新渡戸稲造の『武士道』から最強の生存戦略を学ぶ)である。

先ずは、9月13日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した東京大学工学系研究科IoTメディアラボラトリー ディレクターの西 和彦氏による「“もてる能力”を集中させることで、「凡才」は「天才」に勝てる【西和彦】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248048
・『「あの西和彦が、ついに反省した!?」と話題の一冊、『反省記』(ダイヤモンド社)が出版された。マイクロソフト副社長として、ビル・ゲイツとともに「帝国」の礎を築き、創業したアスキーを史上最年少で上場。しかし、マイクロソフトからも、アスキーからも追い出され、全てを失った……。IT黎明期に劇的な成功と挫折を経験した「伝説の起業家」が、その裏側を明かしつつ、「何がアカンかったのか」を真剣に書き綴った。ここでは、西氏が、大学受験の失敗でつかんだ「凡人が天才に勝つ」ための武器について紹介する』、あの「西氏」のストーリーとは興味深そうだ。
・『僕は、一瞬で「決断」をくだした  大学受験に失敗して神戸の実家に戻った僕は、すぐに自宅から通える神戸の大道学園という予備校に申し込みに行った。試験も受けて、東大・京大進学コースで勉強することが決まっていた。 ところが、予備校が開講するのを待つだけだったある日、朝8時過ぎからボーッとテレビを見ていたら、NHKで「東大に一番近い予備校」が紹介されていた。その番組のキャスターは、「東大生の半分は、この駿台予備校から来ています」と言った。そうか、大道学園より駿台予備校のほうが東大に近いんだな、と思った。そして、「来年度の学生を募集する最後の試験は明日。申し込みの締め切りは今日の夕方です」というアナウンスを聞いた。 画面が切り替わって別の話題に移った途端、僕は隣で一緒にテレビを見ていた父親にこう言っていた。 「僕は、この駿台予備校に行きたい。これから東京に行ってくる」) 父は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに「よし、行け」と言って、電車代と当座の費用を渡してくれた。9時過ぎには家を出ていた。新神戸駅を10時過ぎに出る新幹線に乗ったので、東京には14時頃に着いた。お茶の水の駿台予備校の玄関脇でスピード写真を撮って申し込み用紙に貼り、必要事項を書き込んで提出した。 試験は翌日、発表は翌々日だった。 その間、東大受験の時に泊まったホテルで過ごした。それなりに難しい試験だったが、4月から駿台予備校の東大コースに通うことが決まった。下総中山にある駿台予備校の学生寮に入ることも決めた。寝具など必要なものはすべて、父親が神戸から車で運んでくれた。嬉しかった。ありがたかった。 結局、「駿台予備校に行く」と自宅を出てから、一度も神戸に帰ることなく、東京での生活が始まった。これ以来、僕の生活の本拠はずっと東京かアメリカだった。つまり、両親との生活は、あの日、朝9時過ぎに家を出た時に終わったのだ』、「駿台予備校」にすると決めてからの行動力はさすがだ。
・『72時間ぶっ通しで考え続ける「集中力」  予備校では、取り憑かれたように勉強をした。 予備校の授業は面白く、寮ではよい仲間に恵まれ、何の不満もなかったが、どんなに勉強をしても不安だった。「このまま東大に受からなかったらどうしよう……」と、寮のグラウンドで、ひとり泣いたこともある。 その不安によって、僕の精神が研ぎ澄まされていたからだろうか。僕は、長時間集中して、深く考えることができるようになっていた。 普通、集中してひとつのことを考えられるのは、せいぜい3時間くらいのものだろう。しかし、当時の僕は、72時間くらいぶっ通しで考え続けることができるようになっていたのだ。 1時間考えたら30分休む、ということを繰り返しながら、考えたことを紙に書いていって、ある程度の枚数になったら、その紙を並べ直して二次元に展開する。そういうことを3日間繰り返すのである。そうすると、その時点での、自分なりの答えにたどり着くことができた。 この頃、よく考えたのは、生きるとはどういうことなのか、死ぬとはどういうことなのか、自分はどこから来たのか、自分は何をしようとしているのか、というようなことだった。 哲学関係の本もよく読んだ。 特にはまったのは吉本隆明だった。同じ部屋の妹尾君に貸してもらって読んだのが始まり。やがて彼の著作は全部読むことになった。吉本隆明の書いていることは非常にロジカルで、とてもよく理解できたし、共感するところも多かった。思えば、初めて、自分に目覚めた時期だったような気がする。少年から青年へと、顔つきも変わった。僕にとって、人生の大きな転換点だったように思う』、「72時間ぶっ通しで考え続ける「集中力」」、尋常でない凄さだ。
・『「挫折」が人間を強くする  しかし、2度目の受験も失敗に終わった。 最初の受験で東大理一だけに絞ったのは、やはり無謀だったと思った僕は、東大理一のみならず、いくつかの大学を併願した。その結果、ほとんどの大学に合格することができたが、東大理一は落ちた。このとき、僕は19歳。同じ頃、ハーバード大学生だったビル・ゲイツはマイクロソフト社を設立していたわけだ。 ひどく落胆したが、これ以上浪人はできないから、早稲田大学理工学部に進学することにした。学科は機械工学科を選んだが、特段の意図はなかった。学科志望欄の一番上に機械工学科があったから、ろくに考えもせず、それに丸をつけたのだ。 当時の僕にとって、東大受験失敗はものすごく大きな挫折だった。 僕のなかの何かが決定的に壊れてしまうような経験だった。しかし、これがよかったのだと、今は思う。 人生に“if”はないが、もしあのとき東大に受かっていたら、人生は変わっていたと思う。 僕は、早稲田大学には2年生の頃から通わなくなり、結局、8年在籍して除籍となったが、東大に入っていれば卒業はしただろう。東大卒というのは非常にいいタイトルになるから、それは捨てなかったと思う。そのかわり、挫折も知らず、自立もできず、神戸の親元に戻って、ゴロゴロしながらいい加減な人生を送っていたかもしれない。 僕は、東大に落ちたことで、闘争心に火がついたと思う。 いや、僕は、あの挫折によって、自分は頭のキレで勝負ができる人間ではないと悟った。その後、僕は「閃きの西和彦」「天才・西和彦」などと、マスコミで持ち上げられることがあったが、それを冷めた目で眺めていた。僕は、天才などではないし、ひらめきで勝負できるような人間でもないとかたく思っていたからだ。 これこそ、東大受験のために膨大な努力をして二度も失敗をするという、大きな対価を払うことで得ることができた、僕の「自己認識」だったのだ。おかげで、自分はあらゆることに対して、人の何倍も努力をするような人間になった』、「あの挫折によって、自分は頭のキレで勝負ができる人間ではないと悟った」、「自分はあらゆることに対して、人の何倍も努力をするような人間になった」、挫折をこれだけ前向きのエネルギーに変えたとは凄いことだ。
・『僕がはじめて手に入れた「武器」  では、何で勝つのか? 僕は東大出の錚々たる人たちと勝負して勝つには、集中力という武器しかないと思った。ひらめきや頭脳で勝負することはできないが、ある発想が湧いたり、ある決断をした時に、それを実現する粘りというか、気力、集中力だけは人に負けないという自負があった。 天才の条件とは、99%の努力と1%のひらめきだとよく言われるが、それに勝つために、凡人の僕にできるのは、1%のひらめきを100%にする圧倒的な努力しかない。そして、その努力とは、英語でいうフォーカス・イン(集中)である。僕は、集中力と持続力を振り絞って世界と戦うと心に決めたのだ。 その後、僕は、面白い事実に気づいた。 トイレの電球は10ワット。机のスタンドは100ワット。スタジオの電灯は1キロワットだ。つまり、ワット数が多くなればなるほど明るくなるわけだ。しかし、1キロワットの電灯でも、3キロメートル先を照らすことはできない。3キロメートル先を照らすことができるのは、レーザー光だけである。 では、レーザー光は何ワットか? たった1ワットに過ぎない。トイレの電球は10ワットでも薄暗いのに、なぜ、1ワットの光が遠くまで届くのか? それは、光を一点に集中させているからだ。これこそ、集中することのパワーなのだ。 しかも、1キロワットしか出せない電球に2キロワットをかけると、焼き切れるだけだ。重要なのはワット数(能力)の大きさではない。重要なのは、自分がもっているワット数を徹底的に集中させることであり、その集中をとことん持続させることだ。それができれば、たとえ1ワットの才能しかなくても、1キロワットの才能をもっている人間よりも、遠くに行くことができるのだ。 僕は、後に、これを「レーザー哲学」と名付けたが、これこそ、大学受験に挫折した僕が初めて手にした「武器」だった。そして、この「武器」を握り締めて、僕は戦いを始めるのだ』、「レーザー哲学」は確かにその通りのようだ。マイクロソフトの副社長時代に、ビル・ゲイツとの関係を知りたいところだ。

次に、9月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したスタンフォード大学・オンラインハイスクール校長の星 友啓氏による「プータローから一念発起!“哲学者校長”の紆余曲折なスタンフォードへの道」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248389
・『スタンフォード大学・オンラインハイスクールはオンラインにもかかわらず、全米トップ10の常連で、2020年は全米の大学進学校1位となった。世界最高峰の中1から高3の天才児、計900人(30ヵ国)がリアルタイムのオンラインセミナーで学んでいる(設立15年目)。 そのトップがオンライン教育の世界的リーダーでもある星友啓校長だ。 全米トップ校の白熱授業を再現。予測不可能な時代に、シリコンバレーの中心で、エリートたちが密かに学ぶ最高の生存戦略を初公開した星校長の処女作『スタンフォード式生き抜く力』が発売たちまち話題となっている。 星校長は言う。「本書で伝えたいのは、競争の激しいシリコンバレーで実践されてきた世界最先端科学に基づく生き抜く力です。スタンフォードの精鋭たちが結果を出すためにやっていること、本当の幸せのつかみ方、コミュニケーション力、天才児の教育法までエクササイズ付きで紹介したい。プータローから一念発起してスタンフォードにきて20年ほど、私が学術界の巨匠やビジネスリーダーから実感してきた生き抜く力(The Power to Survive)の源泉は、20年前に思い描いていた“ケンカ上等”でゴリゴリに勝ち上がっていくスタイルとは真逆のものでした。本書の内容はスタンフォード大学・オンラインハイスクールでも教えられてきました。将来的に世界のリーダーになる天才児たちが実際に受けている内容です。最新科学に基づくプレミアム・エクササイズもあります。最高の生存戦略=生き抜く力を一緒に手に入れましょう」 +スタンフォードやシリコンバレーの精鋭が「結果」を出すためにやっていることを知りたい +仕事やプライベートの「人間関係」をよくするテクニックを学びたい +世界最先端の科学で実証された「本当の幸せ」を手に入れたい +できる人の「プレゼン」「話し方」「聞き方」をマスターしたい +世界中の天才たちが集まるスタンフォードで結果を出し続ける「教育法」を知りたい +今後生きていくうえで「不安」を解消する方法を身につけたい そんなあなたのために、スタンフォードにいる著者を直撃した』、「プータローから」「スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長」になった「の星 友啓」氏も只者ではないようだ。
・『日本生まれの日本育ち(星氏の略歴はリンク先参照))  【著者公式サイト】(最新情報やブログを配信中)https://tomohirohoshi.com/ 私は日本生まれの日本育ちです。大学まで日本ですごしました。 1年浪人し、東京大学理科Ⅰ類に入学しました。 しかし、俗にいう燃え尽き症候群になり、勉学はそっちのけ。 アルバイトで趣味の料理に没頭しながら、ギャンブルに明け暮れる日々をすごしました。 しかし、理系は積み重ねが大切。 徐々についていけなくなり、その頃「都合よく」興味を持ち出した文学ならごまかしがきくだろうと、文学部に転部。 しかし、そんな苦しまぎれの思いつきが役に立つはずもなく、うつ状態に陥ります。 大学と自分との距離がさらに開いていきました。 そんなプータロー生活が続いていたある日、パチンコ仲間で数少ない東大の友人が私の携帯に「就職が決まった」と電話をかけてきました。 私は純粋に「めでたい! お祝いだな!」といって電話を切ったのですが、自分の心の声はこうつぶやいていました。 「そうか、就活だよな。 ん? 俺も4年生だけど、何もしていない。 正直、就活時期だったとは知らなかった。 ヤバすぎだな」 ふと我に返り、パチンコ台のガラスに映ったのは、ボーッとパチンコのハンドルを握りながらタバコをふかしている自分。 胸の真ん中をドキュンと撃ち抜く衝撃とポカンとした虚無感。 パチンコ玉はそんな学生崩れを気にも留めずに落ち続け、吐き出したタバコの煙はゆったりとその場に漂います。 空っぽの心に、最初に湧き出した気持ちはこうでした。「ここにいたらダメだ。このままだ。日本を離れて一度は志した勉学にもう一度かけてみよう。 そうだ、留学しよう」』、自堕落な生活から抜け出すには、「留学」はいいきっかけになりそうだ。
・『理系のDNAに抗えず…  そこから一念発起し、なんとか東大の哲学科で卒論をえいやと書いて、逃げ出すようにアメリカへ。 テキサスA&M大学の修士課程にかろうじて入り、哲学の道を志したのです。 大都市東京からは一転、小さな大学町で勉学と研究に勤(いそ)しむことができました。 アメリカでも哲学を続けるものの、結局、理系の「DNA」に抗(あらが)えず、数学やコンピュータ・サイエンスと哲学などが分野横断的に入り混じる応用論理学の研究をしていきました。 テキサスA&M大学で修士号を取得後、論理学で全米トップのスタンフォード大学の哲学博士課程に入学。そこから、論理学者の道を本格的に歩んでいきました。 東大入学で燃え尽き症候群。理系から文転して哲学の道へ。プータローから一念発起。 留学して哲学を志すも、理系に引き戻され、論理学。 本書は、そんな私の「紆余曲折の事情」を最大限に活かして、「生き抜く力」を文系・理系の双方の視点から徹底解剖していきます。 哲学と論理の視点から、最新の心理学、脳科学などをふんだんに盛り込んでいます。 さらに、スタンフォード大学全体のリーダーの一人として、また、スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長という経営者としての経験を踏まえ、シリコンバレーのビジネス空間やスタンフォード大学でかみ締めてきた「生き抜く力」の戦略も紹介していきます。(著者略歴はリンク先参照)』、挫折した人生を見事に立て直した「星」氏の「生き抜く力」には心底、脱帽した。

第三に、同じ「星」氏による、10月4日付けダイヤモンド・オンライン「新渡戸稲造の『武士道』から最強の生存戦略を学ぶ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248683
・ ・・・
・『一ノ谷の戦いの名場面 (著者略歴(リンク先参照) 「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。 そりゃあ、宗教家が人助けとか、相手の痛みをわかることの大切さを説くのはあたりまえ。 しかし、みんながみんなそう思ってきたわけではないだろう。 事実、世界の歴史は争いの歴史。数々の戦争が行われて、国々や人々は争いに勝つことによって、生き抜いてきたのだ」 ダライ・ラマからフランシスコときて、そう考えるのも自然だと思います。 そこでもう少し歴史を振り返り、斬るか斬られるかの武士の世界における「生き抜く力」を見ていくことにしましょう。 「敵に背を向けるのは卑怯(ひきょう)ではないか。戻ってきて戦うのだ!」 この日、平家陣に一番乗りして血気にはやる武将・熊谷直実(くまがいなおざね、1141-1207)が雄叫びをあげた。 1184年3月20日、須磨の浦の美しい海岸は、源平合戦の場と化していた。 「仕方あるまい。望むところだ」と戻ってきた武士を、直実はいとも簡単に組み倒す。 「名を名乗れ。何者だ!」答えようとしない相手の兜(かぶと)を剥ぎ取ると、10代も半ばの美しい顔の少年だ。 「追っ手がやってくる。今すぐ逃げるのだ」 直実は自軍の援護隊が押しかける前に、その少年を逃がそうとする。 直実には知る由もなかったが、その少年は平清盛の弟である経盛の子、敦盛(あつもり、1169-1184)だった。 逃亡の促しに答えず、敦盛はその場を動こうとしない。 それどころか、透き通るはっきりとした声でこういった。 「私とあなたの両方の名誉のためにも、この場で首を取っていただきたい」 援軍の騎馬隊の音が耳元に迫る中、敦盛の意をかき消さんかのごとく、直実が叫ぶ。 「何をいう、早く逃げるのだ!」 いまだ動こうとしない敦盛を見ながら、直実は決断する。 「何者かは知らねども、援軍の無名の兵に首を取られるよりも、武将である自分が供養してやる」 美しい剣の光がすっと降りると、真紅の血しぶきが勢いよく舞い上がり、直実の涙と混じったのであった。 これは源平合戦のハイライトの一つ、一ノ谷(いちのたに)の戦いの名場面です。 名のある武将として、窮地に立たされた「無名」の少年を逃がそうとする熊谷直実。 逃げ出さない決意とともに相手に功を与えんと首を差し出す平敦盛。 命がけの戦場において戦う武士たちの誇りと相手への思いが交錯するヒューマンドラマ』、「一ノ谷の戦い」は有名な話だ。
・『新渡戸稲造と武士道精   このシーンを引き合いに出しながら、武士の規律や考え方の根底にある「武士道」の価値観を説明したのは、旧5000円札(1984年から2007年まで流通)にも描かれた、新渡戸稲造(1862-1933)です。 新渡戸稲造は明治に活躍した日本人の思想家です。 明治初期にアメリカとドイツに留学し、1900年に英文で『BUSHIDO : The Soul of Japan』(以下、『武士道』)を出版。 明治時代、帝国主義日本が台頭していく中で、日本文化への注目が高まっていた頃、「日本人は宗教なしに道徳をどう学ぶのか?」という外国人の疑問に答える内容で、世界各国で翻訳され、大ベストセラーになりました。 「武士道」という言葉自体が、この本によって普及したといわれているほどです。 そもそも武士道は、日本の近世における武士階級の習慣や道徳のこと。武士であるからには、こう生きるべき、こうすべき、こうしてはいけないなど武士階級の常識や習慣が口づてに引き継がれてきたものです。 鎌倉時代には、戦(いくさ)でのベストな戦略や武士として身につけるべき慣習や知恵などという位置づけだったものが、江戸時代以降に儒教や仏教と融合し、思想として体系化されます。 武士制度が廃止されてからの近代日本でも、日本人の思想や文化の重要なバックボーンになりました。 長く欧米文化の中で暮らしてきた新渡戸稲造は、西洋人が日本文化を理解するには、武士道の理解が欠かせないと考えました。 世界の宗教や哲学と日本文化を比較し、正義や礼儀、名誉や忠義などの武士道的価値観を徹底解剖して、日本文化に親しみのない世界の人々に発信していったのです。 その『武士道』の中で基礎的な価値観として議論されているのが「Benevolence」、日本語で「慈愛」です。 つまり、他人の痛みを感じたりいたわったりする心のことです。 新渡戸稲造は、その「慈愛」が武士道において最も高次元の「徳」であり、武士にとって一番大切な価値観だと説きました。 私たちになじみ深い「武士の情け」の考え方も「慈愛」に基づいています。 この「慈愛」を説明する際に新渡戸稲造が引き合いに出すのが、先ほどの熊谷直実と平敦盛のシーンです。 武士道において、首を取っていいのは相手の階級が上か、少なくとも同等の力を持った者との戦のときだけ。熟練した武士である熊谷直実が敦盛の若々しい顔を見たとき、自分より力の弱い下級武士とみなし、自分が斬るべき相手ではないと判断したのはそのためです。 一方で敦盛は、平家の血筋の中で「自分のほうが身分が上」ということがわかっていたはず。 そのため、直実からの武士の情けは無用。首を取るようにけしかけたのでした。 最後に熊谷直実が涙するシーンから、将来ある若者を斬らねばならない痛みも察することができます』、「新渡戸稲造」が「武士道」で「引き合いに出すのが、先ほどの熊谷直実と平敦盛のシーン」、とはさすがだ。
・『利他的な「生き抜く力」は武士の生存戦略  こうして考えると、一ノ谷の戦いのエピソードは、相手への気配りや思いやり、武士道の慈愛に基づく精神があふれ出す名シーンであることがわかります。 生存をかけての殺し合いで相手に譲っている暇はない。 ガムシャラに突き進み、迫りくる輩を斬りまくらなければ! という冷徹な戦を追求する武士のイメージは、慈愛の精神とミスマッチに感じられます。 しかし、武士が命をかけて戦う存在だからこそ、仲間をいたわり、武士階級の秩序を尊敬したりする心が大切なのです。 相手の気持ちや状況を理解し、共感し、与える。 本書第1講で触れたやさしく利他的な「生き抜く力」は、武士の生存戦略として、いつしか武士道の根本精神となって日本文化の根底に流れてきたのです。 さて、武士道で「慈愛」が最も重要な価値観の一つとなったのは、江戸時代に儒教と融合してきた歴史にルーツがあります。 次回は、武士道の「慈愛」に誘われて、儒教の考え方に「生き抜く力」の思想的源泉をたどってみることにしましょう』、欧州にも騎士道がある。「武士道」との共通点もあるが、違い、主君に仕えるのではなく、国家や教会等に仕える(武士道精神と騎士道精神の違い)。日本社会から「利他的」な部分が薄らいでいるのは残念だ。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

人生論(その5)(茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく、2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~、小田嶋氏他:「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回) [人生]

人生論については、4月5日に取上げた。今日は、(その5)(茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく、2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~、小田嶋氏他:「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回)である。

先ずは、プレジデント 2020年7月17日号「茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/36611
・『「悩むだけで前に進めない人」の勘違い  脳科学者という仕事柄、さまざまな相談事や、悩み事を持ちかけられることがある。 コロナ禍で増えた在宅時間。ただボーっと過ごしているだけでは、悩みの解決を助ける行動や学習を蓄積できない。 もちろん真剣にお聞きして、誠実にお答えするけれども、その中でどうしても気づいてしまうことがある。 すなわち、意味もなくあれこれと悩んでいる人が多すぎるのである。すべての悩みに意味がないというのではない。ただ、世の中には、生きるうえで助けになる悩みとあまり助けにならない悩みがある。その違いを知ることは決定的に重要である。 人間は、自分の生き方や進路に迷うことがある。そのようなときには、脳の「ディフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれる回路が活性化して、さまざまな「出口」を探し出そうとする。この回路は、具体的な課題をこなしているときではなく、いわば「白昼夢」のようにあれこれと迷い、想像しているときに働くことが知られている。 しかし、ここで肝心なのは、ディフォルト・モード・ネットワークがきちんと働くためには、具体的な行動や学習の積み重ねがないといけないということである。肝心のリアルな体験がないと、悩みの素材もないのだ。 「悩む」ということは、つまりは自分の人生の情報を整理するということである。しかし、具体的な学び、仕事をせず、その記憶もなければ、そもそも整理すべき素材もない。何もしないで悩んでいるだけでは、ぐるぐると同じところを回ることになってしまう』、「脳」の「ディフォルト・モード・ネットワークがきちんと働くためには、具体的な行動や学習の積み重ねがないといけないということである。肝心のリアルな体験がないと、悩みの素材もないのだ・・・具体的な学び、仕事をせず、その記憶もなければ、そもそも整理すべき素材もない。何もしないで悩んでいるだけでは、ぐるぐると同じところを回ることになってしまう」、悩みにも有用なものだけでなく、無駄なものもあるとは、初めて知った。
・『悩んでいるだけでは、人生は前に進まない  「私悩んでいるんです」「ぼくの悩みを聞いてください」という方の一部分は、悩みの堂々巡りに陥ってしまっている。時には、悩むことは必要である。悩むことで、人生の新しい道筋が開かれることもある。しかし、悩んでいるだけでは、人生は前に進まない。 質のいい悩みを可能にするためには、悩みとは直接関係のない具体的な行動、経験という準備が必要である。 側頭連合野に蓄えられたさまざまな記憶、情報を整理し、いわば「ドット」と「ドット」を結んで創造的な発想、ひらめきを生み出すのがディフォルト・モード・ネットワークの大切な働きである。しかし、そのためには、素材となる具体的な経験や記憶が蓄積されていなければならない。 脳の働きから見ておススメのライフスタイルは、とにかく具体的な行動を優先することである。昼間起きている時間のほとんどは、実際に何かをするために使うのがいい。勉強でも、仕事でも、次から次へと「プロジェクト」を推し進めていく感覚でいい。 そのようにして目の前の課題に取り組んでいると、脳の中に記憶がバラバラのまま蓄積してくる。だからこそ、何かに集中していて、ふと気を抜いたり、散歩やランニングをしたりといった「すき間」に脳はその整理を始める。そのときこそディフォルト・モード・ネットワークの出番なのである。 仕事がうまくいく人、多くを学ぶ人は、いつも何かに取り組んでいる。人生の選択肢も、何となくではなく、具体的な道筋を検討している。 一見の割り切って行動している人ほうが、悩むべきときにはきちんと悩むことができる。色とりどりの経験の蓄積がある分、中身の濃い「生きる道」の模索ができるのである。 悩むことは、具体的な行動が続く中での1つの「読点」だと思えばいい。よく学び、よく働く人ほど、人生の悩みをテンポよく、意義あるかたちで深めることができるのだ』、「一見の割り切って行動している人ほうが、悩むべきときにはきちんと悩むことができる。色とりどりの経験の蓄積がある分、中身の濃い「生きる道」の模索ができる」、「経験の蓄積」を積み重ねることで、「中身の濃い「生きる道」の模索」をしていきたいものだ。

次に、 8月26日付けNHKクローズアップ現代+「2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~」を紹介しよう。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4450/index.html
・『6月30日、ある故人を偲ぶネットイベントが大きな話題になった。47歳で亡くなった投資家で教育者の瀧本哲史さん。その日は、生前の瀧本さんが大学で行った講義で、若者たちと再会を約束した日だった。「自分で考えない人間は買い叩かれる」「替えのきかない人間が社会を動かす」。語られたのは、若者に奮起を迫る言葉と、投資家の経験で培った哲学。2020年には世界の混迷が深まると見た瀧本さんは、先の見えない時代でも成長し続け、また結集して困難に立ち向かおうと呼びかけていた―。メッセージを受け止めた若者たちは今、どんな戦いをしているのか。瀧本さんの「宿題」の行方を通して、厳しい時代を生き抜くヒントを考える。 出演者 宮田裕章さん(慶應義塾大学医学部教授) 城田一平さん (投資家) 武田真一 (キャスター)』、興味深そうだ。
・『混迷の時代“天才投資家”の生き方論  瀧本さんの出資とサポートにより、今、大きな飛躍を遂げているベンチャー企業があります。本の内容を朗読した音声を聴くことができる、「オーディオブック」。国内最大手として、コロナ禍の中でも会員数を増やし続けています。 創業者の上田渉さん。事業を始めた当初は大手企業と競合しており、銀行、投資家からは全く見向きもされなかったといいます。 なぜ、瀧本さんだけが上田さんの企業の価値に目を向け、無理と言われた挑戦を成功させることができたのか。最も重視したのは、資本力や市場の動向などの数値ではなく、事業に挑む動機でした。 “『アイデア』は盗まれても『人生』は盗まれない” 上田さんが起業を志したのは、大学在学中、24歳のとき。緑内障を患い、視力が失われつつある祖父の姿を見てオーディオブックを作りたいと考えたのがきっかけでした。 オトバンク 創業者 上田渉さん「本を読もうと思って努力した結果、巨大な虫眼鏡があったりとか、拡大鏡といわれるレンズみたいなのがあったりとか。目が見えなくなっていく自分と格闘した姿、そこは私の原点。」 1,000社あっても生き残るのは数社だけという、ベンチャー企業の世界。その厳しい世界を生き抜くには、その人の動機の強さが何よりも武器になるというのが瀧本さんの投資哲学でした。 上田渉さん「キャリアもただの学生ですし、なんの技術力もないですし、祖父が失明してたからオーディオブックを広げたい、バカな学生なわけですよね。その思いの強さを理念に瀧本さんって投資をされる。」 20年以上前から、次世代エネルギー活用やビッグデータ分析など、まだその名も知られなかったベンチャー企業を応援してきた瀧本さん。社会を変革したいという志を持ったリーダーを1人でも多く生み出したいという強い思いがありました。 東京大学法学部を成績最上位で卒業。外資系コンサルタント会社に進むなど、絵に描いたようなエリートコースを歩んできた瀧本さん。しかし、28歳のとき、1,900億円もの負債を抱えていたタクシー会社に転職します。自分の実力を試したいという思いからでした。 日本交通 会長(当時専務) 川鍋一朗さん「滝本さんとしても、何か答え合わせ的な要素もあった。自分が考えてきたことをやると、どういう反応があって(という)。」 再建に意気込んだ瀧本さんですが、自ら企画した新事業が失敗。150人の社員のリストラを断行せざるを得ないところまで追い込まれます。一人一人に解雇を告げた瀧本さん。人目をはばからず泣き崩れ、自分の力不足を嘆いていたといいます。 川鍋一朗さん「怒り、悲しみ、喜びみたいなものがリアルに巻き起こる。おごりとか未経験さとか、理想と現実のギャップというのを、ものすごい痛い思いをしながら学んだ。」 “時代は劇的に変化している。残念ながら僕には世界も未来も圧倒的にわからない。僕の仮説も行動も支援先も、ぜんぶ失敗に終わる可能性だって当然ありえる。どこかに絶対的に正しい答えがあるんじゃないかと考えること自体をやめること。バイブルとカリスマの否定。なすべきことは、このような厳しい世の中でもしたたかに生き残り、自ら新しい『希望』を作り出すことだ。” 新しい希望を生み出したい。瀧本さんが晩年、力を入れたのが、10代や20代の若者への教育でした。教壇に立つようになったのは、リーマンショックや東日本大震災の影響で社会の不透明さが増す時代。未来を担う若者たちに伝えたいことがありました。 投資家 瀧本哲史さん「3.11以降、誰か偉い人が決めると思ったら、意外にちゃんと決めてくれなかったので、自分で決めるしかない。そういう時代感覚もある。キーワード的に言うと『自分の人生は自分で考えて自分で決めていく』。」 投資家として磨いてきた決断術や交渉術を徹底的にたたき込む講義は、「地獄の瀧本ゼミ」と恐れられました。それでも、いつも定員いっぱいの人気だったといいます。 元ゼミ生 城田一平さん「間違った議論に対しては、もう容赦なく突っ込みが飛んでくる。ちゃんと議論立てて説明できる人に対しては、ものすごく納得してくれる。それがどんなに、学生だろうが身分がなかろうが、フェアに評価してくれる。」 病に侵されながらも、亡くなる前の日まで、投資先や教え子の相談に乗っていたという瀧本さん。最後まで口にし続けたことばがありました。 “世の中を大きく変えたいと思うならば、きちんと『ソロバン』の計算をしながら大きな『ロマン』を持ち続ける。その両方が必要です。 今はまだ小さいけれど、志と静かな熱をもった新しいつながり。新しい組織が若い人を中心に、ゲリラ的に次々と生まれています。『君はどうするの』って話です。主人公は誰か他の人なんかじゃなくて、あなた自身なんだよって話です。”』、「“世の中を大きく変えたいと思うならば、きちんと『ソロバン』の計算をしながら大きな『ロマン』を持ち続ける。その両方が必要です」、大きな挫折を味わった「瀧本さん」の考え方には重みがある。
・『2020年の世界を生きる若者たちへ  武田:こうした瀧本さんのことば、若者たちにどう響いたんでしょうか。講義を受けたり、著作を読んだ若者たちはこう話しています。 起業した男性(28)「幼少期から不況、親の給料も右肩下がりの世代。文句を言わず自分たちが変えるにはどうしたらいいか、実践論を教えてくれた。」 会社員(28)「日本の未来に期待していいか分からない。これからの生き方にロールモデルがないなかで、行動してみないと意味がないと発破をかけられた。」 医師(28)「今の時代、医師免許をもっているだけでは生き残れない。自分にしかできないことを追求する大切さを教わった。」 武田:宮田さん、瀧本さんのどんな思想が、こうした若者たちの心を捉えているというふうに感じていらっしゃいますか。 ゲスト宮田裕章さん(慶應義塾大学 教授)宮田さん:机上の教育論ではなく、実業家、投資家としてご自身が社会を変えようと苦闘してきた瀧本さんが、その実践の中で磨いてきたからこそ、説得力のあることばなんだと思います。さらに彼は、商品だけでなく、人材が替えがきく歯車としてコモディティ化するという危機感を持っていたんですね。まさにこの数年、AI時代の到来によってそれが現実となって、例えば単に知識を持っているだけだと、高度な専門職だとしても、もうAIに取ってかわられてしまうというそういう時代になっています。
また、ミレニアル世代、その下のZ世代の価値観も今、日本だけではなくて、世界で大きく変わってきているんですよね。彼らにとって働くということは、お金を稼ぐために会社に貢献するということではなくて、重要なのは「自分はどう社会に貢献するか」ということなんです。つまり社会変革と自己実現。その貢献を通した自己実現があって、会社はその目的を達成する手段なんだと。こういった考えを持ってきた世代にとって、やはり今、瀧本さんのことばは、リアリティーを持ったものになっているんだなというふうに感じています。 武田:その瀧本さんは、世の中を変えるために、決断術や交渉術といった武器を配りたいというふうに言っていました。瀧本さんのゼミで学び、同じ投資家の道を歩んだ城田さんと中継がつながっています。城田さんは、瀧本さんからもらった武器の中で、どんなことが一番心に残っていますか? ゲスト城田一平さん(投資家・瀧本ゼミOB)城田さん:私は瀧本さんが主催していたゼミで、正しい意思決定の仕方について実践的に学んでいました。瀧本さんからは、意思決定をするときには自分の手でできるだけのデータを集めて、思い込みをなくして、客観的な根拠を持って意思決定しようと教わっていました。 例えば、飲食店に投資をするときには、業績の数字を見るだけではありませんでした。実際に店舗に足を運んで、料理の味だったり、店員さんの働きぶりを自分の目で見て、集めたデータを客観的に分析した上で投資の意思決定をしていました。 武田:思い込みや何か直感ではなくて、しっかりとした根拠を持って決断するんだよということを学んだんですね。ちょっと当たり前のような気もするんですけど、どうですか? 城田さん:瀧本さんは生前から、「自分だけが楽勝でできることを徹底的にやり切れ」とおっしゃっていました。当たり前のことなんだけれども、それをやりきる過程でそれが強みになっていったりとか、戦略につながっていくということをおっしゃってたんだと思います。 武田:若者に「自分の手で社会を変えるんだ」と訴えていた瀧本さん。実は8年前、東日本大震災の翌年に行った講義で、こんな宿題を出していました。 投資家 瀧本哲史さん「8年後に、みんなで『宿題』の答え合わせをしよう。20代半ばの皆さんだったら、すさまじくでかいことできないかもしれないけど、何か自分のテーマを見つけて、世の中をちょっと変えることができるんじゃないかと。」 武田:その宿題の期限というのが、実はことし(2020年)の6月30日でした。それを前に瀧本さんは、惜しくもこの世を去りました。より社会の見通しがきかなくなる中で、あのとき講義を受けた若者たちは、今の時代をどう生きているのか。それぞれが瀧本さんに課せられた宿題と向き合う姿を取材しました』、大学での講義を通じて、「若者に「自分の手で社会を変えるんだ」と訴えていた」、のは次世代への大きな蓄積となって残るだろう。
・『天才投資家が残した“宿題”  青津京介さん、31歳。社会人1年目、23歳のときに瀧本さんの講義を受けました。青津京介さん「日記です。“8年後。最強に”って書いてありますね。何で自分はこれを書いたか分からないんですよ。何を最強にっていうのか、自分はよく分からないですね。」 青津さんが挑んでいるのは、福島に点在する限界集落の活性化です。4年前、自分の力で困っているふるさとを変えてみせると、勤めていた東京のIT企業を辞めました。今は役場に勤めるかたわら、地域を活性化するプロジェクトに参加しています。しかしまだ、目立った成果は上げられていません。 青津京介さん「実力不足だって思い知らされて、地元のことも何も知らないし、田舎は遅れてるみたいに思いこんできた。」 でも最近、仲間たちと、あるイベントを企画しました。大人が行う本気の鬼ごっこ。ふだん交わることの少ないお年寄りと若者たちとの交流をはかろうというアイデア。ところが当初住民の反応は微妙でした。 住民「何すんだべみたいな。訳わかんねえ話だなと思って。今もわかんねえ。」 そのとき、青津さんは詳細な説明書を作成。一人一人に参加を呼びかけました。 住民「やってみたら結構楽しかった。なんで楽しいかわかんねえけど。何してもらえっていうことではねえのよ、顔見せてもらえれば。大歓迎だな。」 その後、評判となった鬼ごっこ。ほかの集落でも企画したいという声が上がり始めています。不可能にも思える限界集落の活性化。でも、こうした小さな積み重ねが未来をひらくと信じています。 今も、たびたび瀧本さんの本を手に取ります。 “賛成する人がほとんどいない、大切な真実を探そう。逆風が吹き荒れても、周囲の大人たちがこぞって反対しても、怒られ、笑われ、バカにされても、そこでくじけてはいけません。あなただけの『ミライ』は、逆風の向こうに待っているのです。” 「今どんな感じですか?最強になれた?」 青津京介さん「いや、全然なれてないですね、全く。最弱です。ただ、8年前よりは、ちょっとはマシになったのかな。瀧本さんの言っていたこともわかってきた。」 東京都に暮らす29歳、大久保宅郎さん。去年(2019年)まで防衛省のキャリア官僚として働いていましたが、退職しました。 大久保宅郎さん「退職した日に撮った写真です。」 大久保さんが防衛省を志したきっかけは、18歳のとき経験した東日本大震災。将来にやりたいことが見つからず、フリーターをしていた大久保さんは、ボランティアとして被災地を回り続けました。 大久保宅郎さん「涙が出てきて。誰かの大事な日常が奪われている。個人でやることの限界を感じた。」 1人でも多くの人を救える社会を作りたい。大久保さんは一念発起して猛勉強を重ね、晴れて防衛省に入省します。しかし待っていたのは、会議のコピーを用意したり、はんこをもらいに行く日々でした。 大久保宅郎さん「私じゃなくて、他の人でもできるなと思った仕事がすごく多くて。本当に志すべきは私でないとできないこと。他の人だったら1しかできないんだけど、自分だったら10できるかもしれない。そういう領域を模索したいなと思って。」 自分にしかできないことは何か。可能性をもっと試したい。そのとき背中を押したのが、あえてブレる生き方を勧める瀧本さんのことばでした。 “ルールが変わらない世界では、ブレないことに価値もあるでしょう。でも、私たちが生きている社会はすぐにルールが変わっていきます。ブレない生き方は、下手をすると思考停止になる。最前線で戦うのであれば、『修正主義』は大きな武器になる。” 大久保さんは防衛省を辞め、民間のコンサルタント会社に転職しました。いずれは多くの人が安心して暮らせる社会の仕組みを提案したいと、今はスキルを磨く毎日です。 投資家 瀧本哲史さん「Do your homeworkですけど…。」 8年前の講義で瀧本さんから投げかけられた宿題。 瀧本哲史さん「8年後にみんなで宿題の答え合わせをしようと。この8年間で、僕はちょっと世の中を変えることができましたとか、あの時、たまたま隣にいたやつとこういうことをやったら、こんなことができましたとか、そういうのができたら面白い。」 大久保宅郎さん「8年間経って、世の中、変えられたかって、私はまだ変えられてなくて。道半ばで、やっとやるべきフィールドを見つけられたかなという段階。自分が決めたフィールドで第一人者になっていって、社会をよくするために貢献できたら。」』、「私たちが生きている社会はすぐにルールが変わっていきます。ブレない生き方は、下手をすると思考停止になる。最前線で戦うのであれば、『修正主義』は大きな武器になる」、その通りなのだろう。
・『若者へ託したこと  武田:他人や世間からの評価ではなく、自分なりの価値観で生き方を選び、自分なりに社会を変えていこうという2人。もちろんまだ大きな成果を手にしたわけではありませんけれども、こういう若者が増えることで、社会はどういうふうに変わっていくんだとお考えですか? 宮田さん:先ほどの繰り返しになりますが、新しい世代にとって働くという意味が変わってきています。もうひとつ瀧本さんのことばで言えば、今まさにルールが変わる時代なんですよね。経済合理性を最優先とする社会というものには、コロナが来る前から、環境問題から疑問が呈されてきたんですが、コロナショックが来て、一度世界が止まった中で、経済だけではなくて命や人権、環境、教育、さまざまな重要な軸があることが認識されました。こうした中で、経済合理性の中で社会を回すための歯車として人が生きるのではなくて、自分は何を大切にしたいんだと。あるいは、自分にしかないものは何か。こうした個性ある「生きる」ということを響き合わせて社会を作り、そして、その中で一人一人が輝く、そういったことが重要な時代になってきているのかなというふうに思いますね。 武田:城田さん、とはいえ若い皆さんにとって、一人一人でできることって、やっぱり限界があるんじゃないかとか、本当に社会を変えていけるんだろうかとか、そんなことって思いませんか? 城田さん:むしろ不確実性が増している今の時代だからこそ、人脈も資金力も無い若者が活躍できたりとか、社会を変えやすくなっている時代だと思っています。私自身も20代でファンドマネージャーをしているんですが、20年前であったら、20代でファンドを運用するのは非常に珍しいことでした。大企業に入れば安泰、資格を取れば安定という時代が崩れているいまだからこそ、若者が挑戦すべき時代なのかなと思っています。 武田:「挑戦」と今おっしゃいましたけれども、私たちも取材してすごく印象に残っていることばがあるんですね。それは「3勝97敗のゲーム」という瀧本さんのことばです。人生や投資においてもそうなんですけれども、失敗というのは織り込み済みなんだと。それでも悲観することなく挑戦できるかが問われているんだということなんですけど、97回も失敗したらさすがに潰れちゃうんじゃないかなと思うんですが、どういうふうにこのことばを受けとめますか? 城田さん:これは、「3回の成功のためには97回失敗してもいいんだよ」という、失敗を許容する瀧本さんの励ましなんだと思っています。小さい挑戦をたくさんしていって、どんどん失敗して、その中から生まれた成功の種を大きく育てていくような考え方が、社会全体にも個人の生き方にも求められる時代なのかなと思っています。 武田:世界では、若い世代が上の世代を動かしていくような動きというのが各地で起きていますよね。日本の若者に今期待することはどんなことですか? 宮田さん:アメリカのブラック・ライブズ・マターとか、あるいはドイツは巨大な財源を保障に積みあげて、退路のない変化に入ってきていると。そんな中であっても、例えば日本で私が受けることばとしては、君たちは生まれながらにして負け組だと。未来も日本も変えられないよという人たちが結構多いんですね。 武田:就職氷河期世代ですね。 宮田さん:そうです。そうした中で変わる、変わらないのかという予測をするのではなくて、私自身は、やはり社会の1人のメンバーとしてどう変えるのかということを考えて行動したいと考えています。特に若い世代は、苦しい思い、失敗したときに諦めや挫折をささやく声というのは聞こえてくると思うんですが、そうした中で自分が何を大切にしているかを考えて、一緒に前を向きたいなと思いますし、あるいは若い世代に限らず、挑戦をする、何かを変えようとする人たちは同志だと思っています。変わる、変わらないではなくて、変えるんだということで一緒に挑戦していきたいなというふうに考えています。 武田:50代の私も、40代の宮田さんも、そしてまだ若い城田さんも一緒に。 宮田さん:変えましょう。 武田:最後に、瀧本さんが若者に託したこんなことばをご紹介します。 “必要なのは、他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩むのではなく、自分自身が主人公となって世の中を動かしていく『脚本を描くこと』なのだ。”(『君に友だちはいらない』より)』、「コロナショックが来て、一度世界が止まった中で、経済だけではなくて命や人権、環境、教育、さまざまな重要な軸があることが認識されました。こうした中で、経済合理性の中で社会を回すための歯車として人が生きるのではなくて、自分は何を大切にしたいんだと。あるいは、自分にしかないものは何か。こうした個性ある「生きる」ということを響き合わせて社会を作り、そして、その中で一人一人が輝く、そういったことが重要な時代になってきているのかなというふうに思いますね」、その通りなのかも知れない。「必要なのは、他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩むのではなく、自分自身が主人公となって世の中を動かしていく『脚本を描くこと』なのだ」との「瀧本さん」の言葉は味わい深い。

第三に、8月7日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏  他 2名による「「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00077/080500010/?P=1
・『日経ビジネスオンライン時代からの長寿コラム「人生の諸問題」の語り手のお一人、岡 康道さんが2020年7月31日に63歳でお亡くなりになりました。 岡 康道さんは東京都立小石川高校から早稲田大学へ進学、電通に営業として入社後、クリエーティブ局へ転籍。CMプランナー、クリエーティブディレクターとして、JR東日本の「その先の日本へ。」「東北大陸から。」、サントリーでは「モルツ球団」など、数々の傑作CMを世に送り出します。その後電通から独立し、川口清勝、多田琢、麻生哲朗各氏とともに、広告制作のクリエーティブエージェンシー「TUGBOAT(タグボート)」を設立。広告提供枠の料金ではなく、広告制作物自体で対価を得るビジネスを日本で初めて立ち上げました。 日経ビジネスオンラインでは2007年から、高校時代の同級生である小田嶋 隆さんと「人生の諸問題」を語っていただきました。 編集部一同、心よりご冥福をお祈りいたします。また、すでに掲載終了となっていた「人生の諸問題」を順次再公開し、本記事の最後のページからお読みいただけるようにしていきます。  今回は岡さんへの追悼稿を掲載し、これをもって「人生の諸問題 令和リターンズ」の最終回とさせていただきます。 最初は清野由美さん。日経ビジネス編集部に岡さん、小田嶋隆さんをご紹介いただいたジャーナリストです。この「人生の諸問題」の連載の企画・司会・原稿執筆は、すべて清野さんがやってくださっていました』、「人生の諸問題」が「2007年から」続いていたとは初めて知った。「岡」氏と「小田嶋」氏の掛け合いの対談は面白かっただけに、「岡」氏の突然のご逝去は残念だ。
・『そんなのは、まっぴらよ!  それは砂袋で頭をなぐられたような、重く鈍い衝撃だった。袋は直後に破れて、足元にどさどさと砂が落ちていったものだから、うまく歩けない。ただ、知らせを受けた時、街の雑踏の中にいたことは、せめてもの救いだったかもしれない。岡康道急逝の報を、静かな室内で受け取っていたら、身体を保つことはできなかっただろう。目の前には、陽光降り注ぐ夏の光景が広がっていた。 20世紀の最後、バブル景気が終わり、日本が「失われた10年」に突入した時代に、広告業界を代表するCMプランナーとして脚光を浴びた。手がけた作品は、サントリー、JR東日本、フジテレビなど、錚々たるクライアントのもので、1996年にはJAAA(日本広告業協会)クリエイター・オブ・ザ・イヤー特別賞、TCC(東京コピーライターズクラブ)最高賞3部門同時受賞、ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞と主要な賞を総なめにした。 日本の広告が最も元気だったのは70年代、そして、最も華やかだったのは80年代だ。岡が頭角を現した90年代は、糸井重里、仲畑貴志らに代表されたコピーライターブームやバブル経済という追い風が急速に冷めていた時期だが、それでもテレビ広告は大きな影響力を持っていた。その黄金期に遅れず、天性の才を開花させた岡は、だから強運の持ち主だったといえる。 電通の中で出世街道を進みながら、「クリエーティブに対するフィーの確立」をうたって、突然、独立を宣言したのは99年だった。そこには、「制作、表現こそが価値を持つ」という、21世紀のイノベーションにつながる重要なビジョンが込められていた。 当時、日本の広告会社を支えた利益構造の柱は、媒体の仲介手数料だった。マスメディア、中でもとりわけTVの広告枠を押さえ、それをクライアントに売ることで稼ぐ方法である。 そのモデルがあまりに巨大で、盤石だったので、広告を実際に制作するクリエーティブ部門は、長く「付帯サービス」の扱いに甘んじていた。業界の雄に属し、制作環境に恵まれていた時から、この構造に対する疑問は、自身に張り付いて離れなかったと、岡はいう。 クリエーティブに対する価値と報酬を確立するには、コミッションビジネスの構造から独立することだ。それは「日本」という、どうしようもなく旧弊で、がんじがらめのシステムへの反逆でもあった。その危険な賭けを颯爽とやってのけたことが、岡康道のスターたるゆえんだった。 ただし、岡の「作風」は、本人が発する強く華やいだイメージとは逆に、暗く、湿度のあるものだった。 飲み屋でエリート風の男たちがぶいぶいとオレさま語りをしている隅で、塩をふいたような物悲しい靴で、彼らに反感を募らせているサラリーマン。 友人の結婚式で「おめでとう」と拍手を送りながら、「ヘンなドレス、ヘンな男、ヘンな親」と、胸の中で悪態をつく女性。(いずれも「フジテレビが、いるよ。」) あるいは、サントリー「南アルプスの天然水」では、清冽な景色の中で少女が交わす会話から、ドキリとする生々しさを切り取る。 岡がCMに載せた毒と抒情は、業界の類型とは一線を引く表現であり、同時にCMの本質をもはずれたものであった。つまり、CMの私小説化だ。それをメジャーなクライアントによるマスCMとして成立させたところに、岡の才と、メディア・広告が輝いていた時代を感じずにいられない。 成功の結節点を、「個人のエゴと理想がまじわるところ」と、岡は表していた。背景には青年時代に背負った「父と息子」の物語があった。 自伝的小説『夏の果て』にも記されているように、経営コンサルのような、山師のような父は、岡の幼年時代から、つねに一家を翻弄し続けた。男子たるもの、という父の想念を受けて育った長男の岡にとって、その存在は大きく、ゆえに生涯消えることのない鬱屈の大もとでもあった。 2007年から本年まで13年にわたって「日経ビジネスオンライン」「日経ビジネス電子版」で続いた連載対談「人生の諸問題」では、盟友、小田嶋隆とともに、東京都立小石川高校、浪人、早稲田大学、その後、と各時代のエピソードを繰り返し語って、尽きることがなかったが、それは双方に盤石の持ちネタがあったからだ。岡は大学時代に経験した実家の破産と父の失踪、小田嶋は30代をまるまるアルコール中毒で棒に振ったこと――と、あらためて記すと、ひどい話ではあるが、ふたりにかかると、それが、ゆるく自由だった昭和ならではの、この上ない冒険譚に聞こえてしまうのだ。 会話の根底には昭和の感性というべき「韜晦」のレトリックが、いつも流れていた。 たとえば「一浪して京都大学に進学して、大原三千院のあたりで美しい女性と出会うはずだったのに、早稲田大学に決まって、都の西北で青春が暗いまま終わってしまった」など、聞きようによっては嫌味になりかねない言い分が、かけあいの中で、ものすごく面白いおバカな話になる。その韜晦を真に受けて、「本当ですね」なんて、あいづちを打ちようものなら、それこそ「シャレをわからないバカ」と、憤激が返ってくる。ひらたくいうと、面倒くさいダンディズムである。 ただし、そのダンディズムが似合うこと、超一流の人が岡康道だった。自身が持つ世俗的な価値と複雑な内面を、天才的な勘でバランスさせて、したたかに、魅力的に人生を生き抜いていた。 同時に「?」と首をひねるような、抜けたところも多々ある人格で、だからこそ、多くの人に愛された。 たとえば、「(待ち合わせ場所の喫茶店が)わからないんだよ」と電話をかけてきた岡その人の姿が、まさしく、その店のドアの真ん前にあったり(岡さん、すでに到着してますよ、そこに)。 頼んだスープを(コロナの今では信じられないことだが)みんなに分けようと、必死になって平皿に注いでいたり(何やってんですか、岡さん?)……。 そんなこんなで、あきれたり、笑ったり、怒ったりしながら、いつの間にか干支がひと回り以上。昨年7月に刊行された対談集第4弾『人生の諸問題 五十路越え』の「おわりに」に、岡はこう書いた。「対談集を10冊まで続けたいと私は夢を見ている。小田嶋はすぐさま賛成するだろうが、清野さんは『まっぴらよ!』と言うであろう」 岡さん、まちがっています。私だって、すぐさまはちょっとわからないけど、賛成しますよ。いや、その前に、「まっぴらよ!」なんて言葉は使わないし……。 だから、いま、使うよ。こんな突然にお別れがくるなんて。本当に、本当に、そんなのは、まっぴらよ!(文:清野 由美)) お二人目は、福岡を基点に長くCMを制作し、現在は映画監督として活躍している江口カンさんです。 映画通としても知られた岡さん。日経ビジネス電子版の「戦力外通告を突きつけられた人はどうするべきか」では、岡さんが江口さんが初めて撮った映画「ガチ星」への感想を語っています。合わせてお読みいただければ幸いです』、「クリエーティブに対する価値と報酬を確立するには、コミッションビジネスの構造から独立することだ。それは「日本」という、どうしようもなく旧弊で、がんじがらめのシステムへの反逆でもあった。その危険な賭けを颯爽とやってのけたことが、岡康道のスターたるゆえんだった」、「面倒くさいダンディズム・・・が似合うこと、超一流の人が岡康道」、凄いスーパースターだったようだ。
・『一生褒めてもらえることなんてないと思っていた  実は岡さんと実際にお会いしたのは3度しかありません。 おこがましいのは重々承知の上で、この場をお借りしてお礼を言わせていただくことをお許し下さい。 岡さんには、2008年のJ R九州のCMでお世話になりました。 当時の僕は、作ったものが少しだけ話題になり始めた頃でした。 岡さんはすでに超有名人、スターでした。 生み出すものはすべて知性的かつぶっ飛んでいて、正直言って広告業界で一番の憧れでした。 そんな人からディレクターとしてのご指名を受けて興奮していたし、とても緊張もしていました。 「岡さんに一発で認められたい」 そう張り切って作ったCMは、岡さんからあっさりダメ出しされました。 僕はすっかり落ち込んでしまいました。 その後、喫茶店で(岡さんは酒が飲めないし、すぐに帰京するということで)お茶しながら話しました。憧れの岡さんはとても気さくで、映画の話も家族の話も下ネタも全て面白くて楽しい時間だったのですが、僕は勝手にショックを引きずっていて、なんだか上手く話せませんでした。 それから数年後、たまたま東京でバッタリお会いしました。 最初の出会いがそんな感じだったので一瞬躊躇しましたが、思い切って声をかけると、 「売れてきてるみたいだけど、あんまりこっちにいないほうがいいよ。他の人と同じように東京に出るのではなく、地に足をつけておけよ」というふうなことを言われました(後にご本人は「適当に言った」とおっしゃってますが)。 それはまさに僕がその当時迷っていたことへの明快な答えでした。 それからずっとお会いすることはありませんでした。 僕は、岡さんのアドバイスもあり、あえて福岡に住み続けながら東京の仕事をやるスタイルがむしろ面白がられ、仕事のペースを上げていきました。 そして2年前のある日、突然岡さんからのメールが届きました。 「ガチ星観ました。よかった、面白かった。いい映画、ありがとうございました」という短い文章。 飛び上がるほど嬉しかった。 それは、僕の初めての映画「ガチ星」への感想でした。 映画処女作で評価も分かれ、かなり自信が揺らいでいたところに岡さんからのこのメール。 しかもよく考えたら岡さんから直接メールを頂いたのは初めてだったのです。 あの岡さんが、わざわざ僕の映画を観てくれた。 面白かったって伝えるためにわざわざメールしてくれた。 一生褒めてもらえることなんてないと思っていた岡さんから面白いって言ってもらえた。 僕とこの映画にとって、これだけで十分満足でした。 そして先日、岡さんの突然の訃報を聞きました。 奇しくもそれは、かつてドラマ(※)で岡さんの役を演じた堤真一さんと映画の撮影をしている最中でした。 なんだかそばに岡さんがいて、やっぱり見られているんじゃないかという気分になります。 いや、むしろそうであって欲しい。 今の自分は岡さんに褒められるようなものを作っているだろうか。 今も心のどこかで岡さんに褒められたい、認められたいと思っているし、これから先もずっとそうだと思います。 岡さん、ありがとうございました。 少しゆっくりして下さい。 そしてこれからもよろしくお願いします。(文:江口カン) (※2002年フジテレビ「恋のチカラ」。また、NHK BSプレミアム「私は父が嫌いです」は岡さんの小説『夏の果て』が原作でした) 次は岡さんの弟、岡 敦さんです。敦さんには日経ビジネスオンラインで「生きるための古典 〜No classics, No life!」を連載していただき、集英社新書から『強く生きるために読む古典 』として刊行されました(2020年8月5日現在「もう一度読みたい」で、連載の一部がお読みいただけます)。敦さんがイラストを描いた兄弟合作の『広告と超私的スポーツ噺』(玄光社刊、2020年4月)が、岡さんの最後の本となりました』、若手が作製した映画を観て、感想をメールするとは、気配りもなかなかのものだ。
・『最後の会話  兄と最後に話をしたのは、いつだったろう。 7月の中頃、兄が再入院(最後の入院)する前だったろうか。 たしか、ぼくは自分の部屋のなか、机の前に立ち、茶色いドアにぼんやりと視線を向けながら、30分ぐらい電話を耳にあてていたのだった。 内容は、まさかそれが最後になるとは考えていなかったから、マルクスの土台上部構造論だの、マンハイムのイデオロギー概念だのと、今こうなってから振り返ると、まったくどうでもいい、つまらないことを、しかしそのときは互いに少し興奮しながら話していたように思う。 しかし話題は少しずつ移り、やがて、どういう流れだったのか覚えていないけれど(そうだ、その頃は母が高齢者施設に入居する、その準備をしていたはずだから、そんな話題の直後だったかもしれない)、兄が突然大きな声ではっきりと言った。 「あぁ、歳をとるってやなもんだな」。 ぼくは、ひどく驚いてしまった。 ぼくたちの育った家は、巨額の負債を背負ったり離散したりした。その前にも後にもいろいろな経験をしたけれど、兄もぼくも、それらのことを怒ったり嘆いたり恨んだりしたことは、ただの一度だってなかった。 誰に教わったわけでもないけれど、子供の頃からずっと、ぼくらは「必然的にやってくるものを拒む」ようなことはしなかったのだ。たとえそれが、どれほどネガティブなものであったとしても。 来るものは来るのだから、嫌がってもしょうがないだろ。嫌がるだけ損だ。それは来るものだと認めたうえで、さあどう受けて立とうかと考えようぜ。 とりわけ兄は、そうだった。来るものが来る、それは兄にとっては、新しいゲームの始まりのようなもの。さあどんなふうに乗り切ってやろうか、どう対応すれば面白いだろう、そうだ、こうやってやっつけてやれば、きっとみんな驚くぞ。 などと想像して目を輝かせ、ワクワクする気持ちを抑えられずにいる。いつも兄は、そんなふうに見えたのだった。 その兄が、避けることのできない「老化」について、嫌だ、と強い調子で拒んでいる。大袈裟に言えば、その言葉は、ぼくの耳に非現実的な響きを残した。 戸惑った。兄が今、何を想い何を考えているのか、このときは想像もできずにいた。 返す言葉も思い浮かばなくて、ただ小さな声で、「だね」と曖昧な相槌を打った。 兄は、なおも、たかぶる想いが収まらないらしく、追撃するような勢いで「歳はとりたくねえなあ」と続けた。 応えられずに、ぼくは黙った。 兄も口をつぐんだ。 そして、少し間をおくと、兄は普段の自分を取り戻して、自嘲気味に笑いながら、まあ、オレのこの病気も老化かもしれないけど、と付け加えたのだった。(文:岡 敦) 最後は、岡さんの同級生にして「人生の諸問題」の相方、小田嶋隆さんです』、「子供の頃からずっと、ぼくらは「必然的にやってくるものを拒む」ようなことはしなかったのだ。たとえそれが、どれほどネガティブなものであったとしても。 来るものは来るのだから、嫌がってもしょうがないだろ。嫌がるだけ損だ。それは来るものだと認めたうえで、さあどう受けて立とうかと考えようぜ」、兄弟が家の不幸をプラスに転じたのはさすがだ。
・『「なあ、どう思う?」  「なあ、どう思う?」 岡康道は、いつも意外な質問を投げかけてくる男だった。 「満員電車って狂ってないか?」と、高校に入学して間もない頃、そんなことを言っていた。 「狂ってるけど、乗らないと学校に来れないしな」「でも、乗ってる全員が我慢してるっておかしくないか?」 たしかにおかしい。そして、その四十数年前の岡の問いに、私はいまだに適切な答えを見つけられずにいる。そういう質問が山ほどある。 「8月ってこんなに暑い必要あると思うか?」「別に必要で暑いわけじゃないしな」「そりゃそうだけど、全世界が全部暑いわけじゃないぞ」「どういう意味だ?」「だからさ。探せば涼しい場所もあるっていうことだよ」「まあな」「だろ? 涼しい場所に行かないのってただの間抜けだと思わないか?」 この質問は、実はフェイクで、本当のところは北海道大学を一緒に受験するプランに私を誘い込むためのプレゼンの導入部だった。 「おまえはこんな暑い土地でキャンパスライフを送るつもりなのか?」と、そんな調子の説得が二学期の間じゅう続いた。私はまんまとひっかかって、翌年の2月には羽田発千歳空港行きの飛行機に搭乗していた。 こんなこともあった。 「オレが何を考えてるかわかるか?」「……んー、どうせおまえにはわからないって考えてるだろ?」「違うな。どうせおまえにはわからないと考えているとおまえが答えるだろうなと思ってた。とりあえずそれがひとつ」「……ほかに何かあるのか?」「おまえはすでに遅刻してるけど、それでいいのかなって思ってる」「……あっ」 忘れもしない。私がある大切な会合(内容は言いたくない)に2時間遅れて、誰も待っていない場所にたどり着く直前にかわした会話だ。こういう時でも、岡は演出を怠らない男だった。 もっとも、岡の質問の大半は 「そんなことも知らないのか?」「どうしてこんな当たり前のことにいちいち疑問を持つんだ?」という感じの、常識以前の疑問だった。そういう意味では、おそろしく無知な部分とみごとにナイーブな感受性を最後まで失わない男でもあった。 私は、いつもその質問に答える役割を与えられていた。 「与えられていた」という書き方をしたのは、私にとって、岡から発せられる質問が、アイディアの出発点でもあることにいつしか気付かされたからだ。 新卒で就職して大阪で半年ほど暮らした頃、私を最も苦しめたのは、自分自身がまるで面白くない男になっていることだった。 その理由の半分ほどは、私が、素っ頓狂な質問を投げかけてくる相棒を失っていたからだった。どういうことなのかというと、私は、「なあ、どう思う?」と、奇妙な問いを発してくるコール&レスポンスの相手を抜きにして、自分のオリジナルのジョークを発信する技術を身に着けていなかったのだ。 私は、愚図だった。その点はいまでも基本的には変わっていない。私は、自分で企画して何かをはじめたり、自分でルートを発見して歩き出したり、自力で発案したジョークを世に問うたりすることが苦手な性質で、誰か、背中を押してくれたり、行き先を示唆してくれる人間の助力なしには、ほとんど何ひとつ始めることができない。そういう宿命にうまれついている。これは変えることができない。 岡康道がいなくなった世界で3日ほど暮らしてみて、いまつくづくと思っているのは、大切なのは、投げかけられた質問にうまい答えを返すことではないということだ。本当に重要なのは、問いを発する仕事なのだ。新しい問いを立てることのできる人間は限られている。岡は、質問に回答する役割としても優秀なクリエーターだったが、それ以上に、問いを立てる人間として替えのきかない、ほとんど唯一の存在だった。その意味で、岡康道は卓抜な企画者であり、大胆な改革者であり、危険きわまりないアジテーターだった。 若い頃、岡に誘われたり、挑発されたり、そそのかされたりして始めたことがいくつかある。そのほとんどすべては、言うまでもないことだが、北大受験をはじめとして、手ひどい失敗に終わっている。いま60歳を過ぎてみて思うのは、それらの、はじめから挑戦する価値さえなかったように見える失敗から学んだことが、結局のところ、自分の財産になっているということだ。つまり、ひと回りした時点から振り返ってみて、彼は、まぎれもない恩人だったわけだ。 行く手に落とし穴を掘ってくれるパートナーを失って途方に暮れている。 実は、型通りに冥福を祈って良いものなのかどうか気持ちが定まっていない。 「冥福には早すぎる」てな調子のセリフを言いながら 「こういうのってちょっとカッコイイだろ?」と、あの笑顔で笑ってくれたらうれしい。 とりあえず、さようならと言っておく。また会おう。(文:小田嶋 隆)』、「本当に重要なのは、問いを発する仕事なのだ。新しい問いを立てることのできる人間は限られている。岡は、質問に回答する役割としても優秀なクリエーターだったが、それ以上に、問いを立てる人間として替えのきかない、ほとんど唯一の存在だった」、今後の「小田嶋」氏のコラムニスト活動に悪影響が及ばないよう願うばかりだ。
・『「人生の諸問題」バックナンバー  「人生の諸問題」の過去記事はこちらからお読みいただけます。システム上の理由で、本コラムのバックナンバーとして収録することができず、「もう一度読みたい」という欄での掲載となりますが、どうかご容赦ください。古い順に転載を進め、最終的にはすべての回を再録する予定でおります。このページに各回のタイトルとリンクを追加していきますので、岡さんを思い出したいときに、お訪ねいただければと思います。 ネット上には岡さんを悼む声、そして、過去の優れたインタビューが多々ございます。もし、岡さんを愛した方と共有したい記事がございましたら、コメント欄にお寄せください。 ●01 2007年9月14日 「文体模写」「他人日記」「柿」 ●02 2007年9月28日 「猿」と「太宰治」と「プレゼン」と ●03 2007年10月5日 「チャンドラー」と「JASRAC」と「新聞紙」と ●04 2007年10月12日 「受験」と「恋愛」と「デニーズ」と ●05 2007年10月19日 「体育祭」と「自己破産」と「男の子」と~第2走者の憂鬱 ●06 2007年10月26日 「ルール」と「法哲学」と「アメリカ」と ●07 2007年11月2日 「息子」と「宴会芸」と「君が代」と ~お父さんは、数学で1点を取りました ●08 2007年11月9日 「パパ社長」と「自分探し」と「プロジェクトX」と ●09 2007年12月14日 「ワイドショー」と「資格」と「十二人の怒れる男」と ●10 2007年12月21日 「夢」と「離婚」と「セカンドライフ」と ●11 2007年12月21日 「セカンドライフ」と「藤沢周平」と『こころ』と ●12 2008年2月1日 「クオーターバック」と「天秤打法」と「スイング」と ●13 2008年2月15日 「幻聴」と「アル中」と「禁煙」と ●14 2008年2月22日 「仕事」と「家庭」と「広告」と ●15 2008年2月29日 「テレビ」と「ウェブ」と「著作権」と ●16 2008年3月7日 「地デジ」と「カンヌ」と「ギャンブル」と ●17 2008年12月12日 「テレビCM」と「家族」と「フッキング」と おまたせしました、シーズン2開幕! ●18 2008年12月26日 「創作」と「違和感」と「思春期」と「『ハケン切り』の品格」大反響、オダジマコラムの“書き方”に迫る ※以降も順次再掲載を進めてまいります。なお、2016~18年分はこちらからお読みいただけます(https://business.nikkei.com/article/life/20070906/134215/)。 岡さん、どうぞ安らかにお過ごしください。 メンツがあちらに揃ったら、ぜひ、「天国の諸問題」で連載を再開しましょう』、「天国の諸問題」も是非読んでみたいものだ。
タグ:「人生の諸問題」バックナンバー 本当に重要なのは、問いを発する仕事なのだ。新しい問いを立てることのできる人間は限られている。岡は、質問に回答する役割としても優秀なクリエーターだったが、それ以上に、問いを立てる人間として替えのきかない、ほとんど唯一の存在だった 「なあ、どう思う?」 子供の頃からずっと、ぼくらは「必然的にやってくるものを拒む」ようなことはしなかったのだ。たとえそれが、どれほどネガティブなものであったとしても。 来るものは来るのだから、嫌がってもしょうがないだろ。嫌がるだけ損だ。それは来るものだと認めたうえで、さあどう受けて立とうかと考えようぜ 最後の会話 一生褒めてもらえることなんてないと思っていた が似合うこと、超一流の人が岡康道 面倒くさいダンディズム クリエーティブに対する価値と報酬を確立するには、コミッションビジネスの構造から独立することだ。それは「日本」という、どうしようもなく旧弊で、がんじがらめのシステムへの反逆でもあった。その危険な賭けを颯爽とやってのけたことが、岡康道のスターたるゆえんだった そんなのは、まっぴらよ! 「「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回」 小田嶋 隆氏  他 2名 日経ビジネスオンライン 必要なのは、他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩むのではなく、自分自身が主人公となって世の中を動かしていく『脚本を描くこと』なのだ コロナショックが来て、一度世界が止まった中で、経済だけではなくて命や人権、環境、教育、さまざまな重要な軸があることが認識されました。こうした中で、経済合理性の中で社会を回すための歯車として人が生きるのではなくて、自分は何を大切にしたいんだと。あるいは、自分にしかないものは何か。こうした個性ある「生きる」ということを響き合わせて社会を作り、そして、その中で一人一人が輝く、そういったことが重要な時代になってきているのかなというふうに思いますね 若者へ託したこと 私たちが生きている社会はすぐにルールが変わっていきます。ブレない生き方は、下手をすると思考停止になる。最前線で戦うのであれば、『修正主義』は大きな武器になる 天才投資家が残した“宿題” 大学での講義を通じて、「若者に「自分の手で社会を変えるんだ」と訴えていた」、のは次世代への大きな蓄積となって残るだろう 2020年の世界を生きる若者たちへ “世の中を大きく変えたいと思うならば、きちんと『ソロバン』の計算をしながら大きな『ロマン』を持ち続ける。その両方が必要です 混迷の時代“天才投資家”の生き方論 「2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~」 NHKクローズアップ現代+ 一見の割り切って行動している人ほうが、悩むべきときにはきちんと悩むことができる。色とりどりの経験の蓄積がある分、中身の濃い「生きる道」の模索ができる 悩んでいるだけでは、人生は前に進まない 具体的な学び、仕事をせず、その記憶もなければ、そもそも整理すべき素材もない。何もしないで悩んでいるだけでは、ぐるぐると同じところを回ることになってしまう 「ディフォルト・モード・ネットワークがきちんと働くためには、具体的な行動や学習の積み重ねがないといけないということである。肝心のリアルな体験がないと、悩みの素材もないのだ 「悩むだけで前に進めない人」の勘違い 「茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく」 プレジデント (その5)(茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく、2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~、小田嶋氏他:「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回) 人生論
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

人生論(その4)(勝ち組が威張る同窓会も60過ぎたら「ただの人」、小田嶋氏対談2題:2015年、舛添都知事はオリンピック肥大化に猛反発していた 『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』刊行記念鼎談(前編)、「美」から「コンプレックス」へ広告がシフトした理由『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』刊行記念鼎談(後編)) [人生]

人生論については、昨年8月23日に取上げた。今日は、(その4)(勝ち組が威張る同窓会も60過ぎたら「ただの人」、小田嶋氏対談2題:2015年、舛添都知事はオリンピック肥大化に猛反発していた 『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』刊行記念鼎談(前編)、「美」から「コンプレックス」へ広告がシフトした理由『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』刊行記念鼎談(後編))である。

先ずは、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が昨年8月20日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「勝ち組が威張る同窓会も60過ぎたら「ただの人」」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00036/
・『今回のテーマは「同窓会」。 同窓会に、あなたは行く派? 行かない派? それとも、行きたくてもいけない派? あるいはホントは行きたくないけど行く派? …さて、どの“派”だろうか? かくいう私は「5人以上の飲み会は苦手」という社交性の低さから、めったに同窓会には参加してこなかった。 が、数年前「一緒に行こうよ!」と半ば強制的に高校の同窓会に参加したところ……、ものすごく楽しくて。「ウブな青春時代を3年間同じ場所で過ごしたってだけで、こんなにも心地いいものなんだ?」と至極感動した経験がある。 残念ながらその後は再び同窓会から遠ざかっているが、「同級生っていいじゃん」という確固たる観念は今も変わりなく続いている。 ところが、男性の場合、少々事情が違うらしい。 「同級生はみんな大企業のエリートばっかりなんで…」「活躍する同級生を目の当たりにすると落ち込むんで…」と複雑な感情を話してくれたり、 「『うちの会社が?』だの『うちの息子が?』だの自慢話ばっかでつまらない」「成功している同級生に嫉妬して色々という奴がいるから、気分が悪い」と吐き捨てたり、 「同窓会なんて行く意味はない。ノスタルジーに浸るか、病気の話をするか、人を妬んでグダグダ酒を飲むだけ」と、積極的不参加を訴える人もいた。 年齢、役職、職位、職種など、あらゆる上下関係を基盤とした会社組織で長年過ごしたことが関係しているのか? はたまた「1年上の先輩と給料が1万円違っていても気にならないけど、同期より100円少ないだけで、ものすごく落ち込んだりするのがサラリーマン」という、会社員ならでは習性によるものなのか? 行くも行かぬも個人の勝手と言ってしまえばそれまでだが、先日、60代の男性にインタビューをしたときに、流れで同窓会の話になり、それが実に興味深く、「60過ぎの同窓会」についてあれこれ考えてみようと思った次第だ。 というわけで、たかが同窓会。されど同窓会。 お盆休み明けの今回は、60歳で定年を迎え、再雇用で働く63歳の男性の話からお聞きください。 「50歳を過ぎた頃からですかね。定期的に高校の同級生と飲み会をやるようになりましてね。毎回集まっているのは10人くらいだと思います。あとは僕も含めて20人くらいに連絡はしてるはずです。最初の頃、何度か僕も参加しました。同級生の中には役職定年になってやる気をなくしている奴もいるし、孫がかわいくてしょうがない奴もいる。 それはそれでいいんだけど、なんだか爺(じい)さんのぼやきを聞いてるようでね。僕自身は忙しいというのもあったので、ほとんど参加しなくなっていました。ところが先日、常連出席組の1人から『たまには来いよ』と連絡が来て、久しぶりに行ってきました。 そうね。7、8年ぶりですかね。みんなもう定年になっていて、来ていたのは雇用延長組がほとんどでした。ただ、常連組の1人はがんで闘病中、1人は親の介護で実家に戻って再就職、1人は奥さんの具合が悪くて参加できなくなったみたいで。 それは悲しいことではあるけど、なんか妙にリアルで。60過ぎるとそういった変化は多かれ少なかれ誰にでもあるので、近い将来に備える上でも同級生の動向を知るのは意味があるし、みんなと話していると『ああ、自分だけじゃないんだなぁ』となんかホッとした側面もあったように思います」』、河合氏が「5人以上の飲み会は苦手」とは意外だ。私は、大学の学科の同期会はほ毎回参加しているが、高校の同期会は1回おきに参加している。
・『職場も住む場所も違う仲間との会話が貴重な機会に  「60歳まではなんやかんやいって、どんな会社にいるか?とか、役員になれるとかなれないとか、会社という枠での違いをお互いに気にしてしまうけど、60歳過ぎると大企業で出世した人も、小さな会社でやってきた人も、横を一線になる。 みんな一緒。学生時代にリセットされるんです。 勝ち組だろうと負け組だろうと、多く稼いでるとか、見た目が若いとか関係なく、健康や家族の問題は全員の共通の関心ごとです。年のせいなのか何なのかわかりませんが、自分でも驚くくらい、そういった問題に頭も心も縛られるようになる。 そんなとき同級生と、損得勘定なしで、かっこつけずに話せるのはすごくいいと思いました。 同じ会社でもない、近所に住んでいるわけでもない。恥も外聞もなく色々と話せる。60過ぎたら同窓会って、そういう貴重な機会になるんじゃないでしょうか。男って、あまり個人的なこと話さないですから……。 僕は同窓会に毎回顔を出すほど積極的にはなれないけど、『どうせ来ないよ』と愛想尽かされて連絡が途絶えないように、たまには出席するつもりです」 ……さて、いかがだろうか?) 私は40歳の時、50代の知人たちが「50過ぎると人生の逆算が始まるっていうのかな。もう、あれもこれもやってしまえ!と、やぶれかぶれな気分になるんだよ」だの、「50を過ぎるとさ、イチかバチかって気分になるんだよ」だの言っているのを聞いても、今ひとつ理解できなかった。 だが、実際に自分が50代になると……、実によく分かる。理屈じゃない。最近の私は結構、やぶれかぶれだし、以前にも増してイチかバチかって気分になることがある。 しかも、50歳を過ぎた途端「親が老いる」事態に直面し、同級生の「おまえもか。お互い大変だな」という言葉に何度も救われた。 少々大げさに思うかもしれないけど、「この世に同じ問題を抱えている人がいる。ストレスが一切かからず話せる人、共感してくれる人がいる」と肌で感じられたのは、何物にも代え難いものだった。 であるからして、あの時と同じように私も60歳を過ぎると「健康とか家族の問題」に翻弄される気持ちや、それを話せる仲間がいることの価値をもっとリアルに理解できると確信している』、同感だ。
・『定年、再雇用後はゆとり重視へ仕事観が変わる  実際、60歳以上の男女を対象に内閣府が行った調査では、60代前半では70.9%、後半の71.1%が、日常生活の不安事項のトップに「自分や配偶者の健康や病気」を挙げ、それに続くのが「自分や配偶者が寝たきりや身体が不自由になり介護が必要になること」(60代前半:61.8%、60代後半:62.1%)だった。 同様の不安はきっと50代でもあるかもしれない。だが、仕事の悩み、部下の悩みは日々尽きないし、働くことの忙しさが、そういった「仕事外の問題」を忘れさせてくれることも多い。 くしくも男性は、自分が驚くほどそういった問題に「頭も心も縛られがち」と語っていたけど、その背後には、60歳後の「会社との距離感の変化」も関係する。 労働政策研究・研修機構が定年退職で再雇用(雇用延長含む)になった人たちを対象に行った調査で、「定年退職した直後」の自分について8割の人が「人並みにはやってるし、寂しくなどなかった」と自己イメージを肯定的に捉え、6割以上が「合理的に働くという気持ちはなかった」と回答した。 ところが、実際に働き始めると半数以上が「仕事への考え方が変わった」とし、「自分に負担がかからないよう上手に仕事を選んでやっていこう」「不慣れな仕事はしないようにしよう」「業績にとわられず、ゆとりを持って仕事をしよう」といった具合に、コスパにあった合理的な働き方に心情が揺らぐ実態が明らかになったのである(「定年退職後の働き方の選択に関する調査研究結果」)。 定年直後は「自分のスキルを生かして頑張ろう!」と思っても、実際に働いてみるとその気持ちが萎える。「期待されないこと」「遠ざかる責任」「賃金の安さ」を目の当たりにし、“片思い”だったことを身をもって知り、やる気がうせる。 まだまだ体も頭も動くし、やる気もある。なのに会社は自分をちっとも認めてくれない。自分の努力ではどうにもならない「年齢」という壁にぶつかり、自ら会社との距離、仕事との距離を遠ざけていくのだ。 つまるところ、若い時にいい企業に入り、出世街道を歩み、大会社の役員になっても、定年になれば「ただの人」。会社の階層の階段の上がり方、到達点、そこまでのプロセスや経験、見てきた景色は異なれど、定年になればば全員「ただの人」になる。 そんな心の空虚感が余計に、健康や家族の問題に悩むスキを与えてしまうのだろう。 会社には自分の存在意義や生きる力を高める実によくできた仕組みがあり、その1つがルーティンである。定年前までは自分で意識的に努力しなくても、会社に所属するだけで、日常=ルーティンが自然と存在した』、確かに「日常=ルーティン」に身を委ねていると楽ではあるが、進歩はない場合が多い。
・『毎日の決まった行動パターンに救われている  ルーティンには、 ・ 決まった時間に起きる ・ 決まった朝食を取る ・ 決まった順序で家を出る準備をする などの1人完結型と、 ・ 食事はできる限り、家族あるいはパートナーと決まった時間に食べる ・ 家を出る時に必ず「行ってきます」と言う(家族などがいる場合) ・ 出社する時間が決まっている ・ 日々やるべき仕事が決まっている ・ 退社する時間が決まっている ・ 家に帰った時には必ず「ただいま」と言い、家族が「おかえり」と言う ・ 余暇はリビングなどで、家族でテレビを見たり世間話をしたりする といった2人以上のメンバーの間で繰り返されるルーティンがある。 毎日通う職場、そこで行う仕事は、メンバー型ルーティンの典型である。 毎週のチーム打ち合わせや管理職会議、アフターファイブの「ちょいと一杯」などもルーティンだし、理不尽な上司のむちゃぶりや突然の異動や出張もルーティンの変形型で、ある意味日常のスパイスになる。 リアルタイムではしんどいルーティンも、消えると妙に寂しくなりがちである。けったいなことに、つらい思い出ほど懐かしくてたまらないのだ。 とにもかくにも定年後は予期せぬ喪失の連続である。その度に心に穴があき、それと呼応するようにプライベートの心配事は増え、決して人には言えない寂しさだけが増していく。 おまけに肩書というやっかいな代物があると、おのずと肩書に惑わされ、似たような立場の人たちとつながりがちだ。だが、定年になれば肩書は消え、人間関係もリセットされる。それなりの地位にいるときは、いつか、どこかで、その力を借りることがあるかもしれないからと付き合ってくれる人は多いが、肩書が消えればあっさりと去る人も同じくらい多い。 もちろん定年前から肩書きとは全く関係ない人間関係を持っている人もいるが、問題がプライベートなことであればあるほど身近な人には言えないというケースもある。そんなとき「遠距離付き合い」の友人がいればどんなに心強いか。同窓会の誘いがあったときにその場に行き、恥も外聞もなく話せる人がいれば救われることは多いはずだ。 私の友人のお母さんは70歳を過ぎてから「誘われたら断らない」と決めたそうだ。 きっとその真意は、自分が70歳を過ぎたときにこそ分かるのだと思う』、「定年になれば肩書は消え、人間関係もリセットされる」、付き合いの幅がかなり絞られたのは確かだ。
・『人間関係の広さと質は健康にも影響している  最後に、非常に優れたネットワーク分析に関する調査結果を紹介しておく。 論文のタイトルは“Social relationships and physiological determinants of longevity across the human life span”。調査を行ったのは、米ノースカロライナ大学チャペルヒル校社会学科研究グループで、この研究の売りは「大規模な異なる年齢層(若年、壮年、中年、老年)の縦断データ」を用い、「社会的つながり」と「心臓病や脳卒中、がんのリスク」の因果関係を明らかにした点だ。 ※分析に用いたサンプルは、Add Health(7889人)、MIDUS(863人)、HRS(4323人)、NSHAP(1571人)の4つで、それぞれ2時点の縦断データ。健康度の測定項目は、「血圧、ボディ‐マス指数(BMI)、ウエスト周囲径、炎症の測定指標となる特定のタンパク質(CRP)」で、これらはいずれも心臓病や脳卒中、がんの発症に高い関連性を持つ。 調査では、「社会的つながり」を、「広さ=社会的統合」と「質=社会的サポート」に分けて質問を設定。 ▼「広さ」については、結婚の有無や、家族、親戚、友人との関わり合い、地域活動、ボランティア活動、教会への参加などについて「接触する頻度」「一緒にいて楽しいか」「居場所があるか」を問う質問項目 ▼「質」については、おのおのと「互いに支え合う関係にあるか」「互いのことを分かり合えているか」「自分の本心を出せるか」など「心の距離感の近さ」を問う質問項目 について回答してもらい、得点化している。 その結果、人間関係の「広さ」は、若年期(10代~20代)と老年期(60代後半以上)の人たちの健康に、人間関係の「質」は、壮年期(30代~40代前半)から中年期(40代後半から60代前半)の人たちの健康に、高い影響を及ぼすことが分かった。 具体的には、 ・若年期の社会からの孤立は、運動をしないのと同じくらいCRPによる炎症リスクを上昇させていた。 ・老年期の社会からの孤立は、高血圧のリスクに大きく関連した。その度合いは、糖尿病患者が高血圧になるリスクを上回った。 ・中年期の社会的なサポートは、腹部肥満とBMIを低下させていた。 ・中年期の社会的なサポートがない人は、CRPによる炎症リスクが高かった。 これらを大ざっぱにまとめると、「若い時はあっちこっちに顔を出してネットワークを広げればいいけど、健康不安が高まるミドルになったら、健康な食事や運動と同じくらい信頼できる(親密な)友人は大切だよ。でもね、60歳過ぎたらいろんなところに行って、いろんな人と会った方が健康でいられるよ」ってことになる。 ふむ。たかが同窓会。されど同窓会。60歳過ぎたら参加できるよう関係をつなぎとめておこう……』、「若い時はあっちこっちに顔を出してネットワークを広げればいいけど、健康不安が高まるミドルになったら、健康な食事や運動と同じくらい信頼できる(親密な)友人は大切だよ。でもね、60歳過ぎたらいろんなところに行って、いろんな人と会った方が健康でいられるよ」、確かにその通りなのだろう。

次に、3月16日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏、元電通の岡氏らの対談「2015年、舛添都知事はオリンピック肥大化に猛反発していた 『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』刊行記念鼎談(前編)」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00077/031100008/?P=1
・『3月16日、「人生の諸問題」の語り手のお一人、コラムニスト小田嶋隆さんの新刊、その名も『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』が刊行されました。前作『超・反知性主義入門』から5年、2015年から現在までの間に日経ビジネスオンライン/電子版に毎週執筆したコラムをえり抜いた、まさに現代日本のクロニクル。 でも刊行記念とはいえ、こんなタイミングで座談会なんて、無理かな? と思ったら、なんと、岡、小田嶋、清野に加え、その他関係者まで意気軒高に会場に集まってくださいました。 コロナ騒動真っ最中の対談敢行です。本日は岡さん、小田嶋さん、編集Yさん、東京工業大学のヤナセ先生、コーディネーター清野とフルメンバーが集まりました。権威筋の推奨通り、みんな、1メートル離れて座りましょう(Qは進行役である清野氏の発言)』、このブログの前回、昨年8月23日にも座談会を紹介したが、今回も興味深そうだ。
・『岡:だから、もう全然、できなくなっちゃったんだよね、今。 Q:やっぱり仕事に影響が出ていますか。 岡:いや、仕事じゃなくて。 小田嶋:そう、確かにマージャンは、とても近くに座って、牌も手でばんばん触るというもんで、結構よくないですよね。 Q:あ、しょっぱなからマージャンの話ですか。 岡:そう、雀荘、やばいでしょう。 Q:でしたらeゲームみたいに楽しめばいかがですか。 岡:そうか。そうすれば、家でできるか。それだったらメンツが簡単に集まるよね。 小田嶋:ただ、eマージャンにすると、普通のルールでしかできなくなるでしょう。ローカルルール満載のリアルマージャンのスリルがなくなる。 岡:プログラミングに詳しい人がいたら、できるんじゃない? ということは、一番詳しいのは小田嶋なんだから、小田嶋がプログラムをどうにかしてくれればいいんだよ。 小田嶋:そうだね。ちょっと研究してみよう』、マージャンは確かにウイルスが伝染するにはもってこいの場のようだ。
・『ハイリスク役満世代  Q:小田嶋さんは、待ち合わせをよく忘れていますが、こういうことになると、パパッと話が決まるんですね。(*こういうこと、ああいうことは、『人生の諸問題 五十路越え』など好評既刊でどうぞ) 岡:ネットでマージャンができるなら、話は早い。でも、やっぱ、なんかねえ。 Q:結局、おじさんは、うだうだ集まりたい、と。 岡:そうなんだよ、集まって、顔突き合わせてやりたいんですよ。だいたいコロナウイルスって、今のところの致死率でいえば、インフルエンザぐらいでしょう。ちょっとこの騒ぎ方は、ヒステリックじゃないですかね。 Q:今現在、正体不明であること、感染力が強いこと、治療法が分かっていないことなど複合的な不安要因があって、大きな注意が必要とされています。また、トイレットペーパーや抗菌、除菌グッズの買い占めは、日本だけでなく世界中で起こっています。 小田嶋:それでいうと、俺なんかはハイリスクというのに、もろに当てはまる人物像なんですよ。60歳以上、高血圧、糖尿病、既往症で服薬中って、どんどん役満に近づいていく。 岡:60歳以上って、そこはリスクに入らないんじゃないの? 亡くなっているのは、70歳とか80歳以上だよ。(*この認識は正確ではありません。岡さんの願望であることをお断りしておきます。) 小田嶋:一応、60歳以上がハイリスクらしいけど、75歳以上のいわゆる後期高齢者と呼ばれるところの人たちが、本当は危ないゾーンだと思いますけどね。 岡:だいたいさ、後期高齢者って、この言葉は間違っているというか、ひどくない? 小田嶋:ひどいよね。後期って何だよ、じゃあ、末期ってのもあるのかよ、みたいな。 Q:自分たちが近づいていくと、他人事じゃないですよね。 岡:まあ、コロナは驚いたけど、日本って何かこう、一致団結といえばそうだけど、ものすごい勢いで一つのことを騒いでいくというのは相変わらずで……。 小田嶋:特にメディアがそうだよね。ところで、そのメディアから足を洗って、アカデミアに行かれたヤナセ先生とは、お久しぶりですね(*ヤナセ先生は2018年に、日経BPのあやしいプロデューサーから東京工業大学教授へ転身されました)。今日は大学の方はいいんですか。今年の入試とかは大変だったでしょう。 ヤナセ:大学自体はすでに春休みなんですが、その前に入試は何とか無事に終わりました。万が一のため大学も受験生に配るマスクを用意して、試験のときは、基本的に受験生にはマスクをして受けてもらうということで』、「日本って何かこう、一致団結といえばそうだけど、ものすごい勢いで一つのことを騒いでいくというのは相変わらずで……・・・特にメディアがそうだよね」、同調圧力の強さは並大抵ではない。
・『オダジマの入試時期は風疹が大流行  岡:異様な光景だよね。 ヤナセ:おかげさまでトラブルもなく二次試験も合格発表も終わりましたが、卒業式は大幅縮小、入学式は中止です。 小田嶋:それでいうと、俺たちのときに風疹、流行ったよね。大学の入試中に風疹のやつは結構いたのよ。 岡:流行った、流行った。 小田嶋:俺は入学してから罹ったんだけど、すごい大変だったのよ。科目登録のときになっても、まだ風疹で死んでいたからさ、岡が代わりにやってくれたんだよね。 岡:そういえば、そうだったね。 小田嶋:お前が俺の科目登録をしたというのが運の尽きで、これがひどい登録だった。 小田嶋:だって、フランス語と英語を同じ時間にダブルで登録しているんだよ。病から復活して、新学期をはじめたら、これはどういうことなのか? と。 Q:早速、どちらかの単位を落とす、という話になっちゃったんですね。 小田嶋:昔はe登録とか、そういうのがまるっきりなかったから、ダブりのチェック機能もなく、いい加減で。 岡:僕が理解している小田嶋隆というものから、適切な科目を推理して登録した。単位を取るのが楽だとか、試験がない先生だとか、出欠を取らないとか、そういうのは一切考慮していない。 小田嶋:何だか知らないけど、こいつの趣味で西洋史とか取らされたんだよ、俺は。 岡:でも、優しいと思わない? 小田嶋と僕って、学部も違うんだよ。それで教育学部の科目登録は、いろいろな条件があってすごく面倒くさいわけですよ。だから、まあ、間違っちゃったけど。 小田嶋:そう、面倒くさかったね。 岡:ね、優しいでしょう。 Q:ご自分の登録に重複はなかったんですか? 岡:僕、その辺は抜かりがないですから。 全員:(出た……。) 小田嶋:ところで、今日は話題って、用意してあるんですか?』、岡氏が「風疹で死んでいた」小田嶋氏に代わって「科目登録」をしたとは腐れ縁の典型だ。
・『5年間の「空気」はどう変わったのか  編集Y:はい、それはもう、小田嶋さんの新刊本について、ということで。3月16日に、弊サイト連載「ア・ピース・オブ・警句」の集大成、『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』が書店の棚を飾ります。 岡:(まだ印刷済みの本ができていなかったので、カバー見本を見つつ)「アベさんと日本の5年間」――って、これ、サブタイトルなの? すばらしいね。 編集Y:あ! ……それは見本用の仮のもので、最終的には改題しました。で、巻末には過去5年分、2015年から19年の、小田嶋さんのコラムの掲載履歴を付けさせていただいています……ううっ。 ヤナセ:どうしたの? 編集Y:これを見ていたら、ちょっと泣けてきました。小田嶋さんは、なんてマメに、倦まずたゆまず淡々と毎週毎週、書き続けてくださったんだろう、と……。 Q:その前に、私は担当の編集Yの苦労を思って、泣けてきましたけど。 岡:そうだよねえ。本来は。 小田嶋:編集Yさん、大変でしたよ。いつも締め切りと筆者の筆進みの板挟みで。 Q:あんたが言うんかい! まあ、そこで今回は、この5年間をお二人に振り返っていただこうかな、というわけです。 岡:確かにこの5年間ということでいえば、小田嶋には災難がたくさん降り掛かってきた年月だった。 小田嶋:自転車で転んで、足、折ってから、糖尿病でしょう、膝の大手術でしょう、脳梗塞でしょう。 Q:ちなみに皇居前、小雨の竹橋で自転車ごと転がって救急車で運ばれたのが、2015年。詳細は『人生の諸問題 五十路越え』(日経BP刊)に譲りますが、小田嶋さんの入院先にこのメンバーで押しかけて、そこでも対談を敢行しましたね。 小田嶋:そうね、そこから始まって、5年の間に入退院を繰り返しましたが、まあ、年を取ることのいいことは、そういうことがあっても別にどうってことない、ってことでしたね。 編集Y:え。 Q:それって、本当? 岡:だったら、それほど貴重な5年間じゃなかった、ということになるぞ。 小田嶋:そう。同じことが30代、40代で起こったら、結構ショックを受けていたはずだけど。 岡:そうだよ、25歳から30歳でそうなっていたら、人生が別のモノになる。 小田嶋:足を折って走れなくなったというのが30代だったら、俺にしても、「ああ、私の人生は半分終わった……」とおそらく思うよね。けれども、今だとたいして残念じゃない。というのはある。 岡:もう陸上部じゃないしね。 小田嶋:日常でそれほど走ってないしな、って。そもそも、走れないしな、というのもあるけど。 Q:だんだん、悟りへの道が開けてきました。 岡:だいたい、2015年って何があった年?』、高齢者になってからの入院は、「30代」ほど「残念じゃない」、というのはその通りなのかも知れない。
・『空気を読まない舛添さん、オリンピック予算に猛反発  小田嶋:その年は舛添さん(要一・前東京都知事)に、人生の諸問題がいろいろ発生した年だった。オリンピックの開催が決まって、国立競技場の設計が進んだら、すごく予算が膨張して、当時都知事だった舛添さんがそれに対して怒って。 岡:今考えると、たいへんまっとうな怒りだよ。 (前略)舛添都知事は、さる連載コラムで《新国立競技場の建設について、誰が最終的に責任を持つのか!?》《根拠不明な都の拠出額「500億円」 文科省は新国立競技場問題に誠実な回答を!》という寄稿をしている。  一読する限り、私の目には、舛添都知事の言い分は極めてまっとうに見える。 (中略)早い時期から予算オーバーが懸念され、工期の遅れが心配され、施工の困難が予想されていた状況をものともせずに、計画は奇妙な具合いに見直されたり手直しされたりしながらも、全体としてじりじりと前に進み、解体への反対運動が起こっていた旧国立競技場も、あっさりと破壊されてしまった。 で、ここへ来て、いよいよどうにも間に合わなくなった時点で、はじめていきなりお手上げのポーズをしてみせる形で、関係者が、各方面にバカな説明を繰り返し始めた次第だ。で、何をどうトチ狂ったのか、当事者以外の何者でもない文部科学大臣自らが、予算オーバーの尻を持って行く相手に向けて、当事者意識を持てだのという驚天動地の説教を 垂れているわけです。 こんなバカな話があるだろうか。舛添都知事は次のように述べている。 「新国立競技場建設の責任者に能力、責任意識、危機感がないことは驚くべきことであり、大日本帝国陸軍を彷彿とさせる。日本を戦争、そして敗北と破滅に導いたこの組織の特色は、壮大な無責任体制になる」「東京裁判の記録を読めばよく分かるが、政策決定について誰も責任をとらないし、正確な情報、不利な情報は上にあげない。新国立競技場建設について、安倍首相には楽観的な情報しか上がっていなかった。これは、各戦線での敗北をひた隠し、『勝利』と偽って国民を騙してきた戦前の陸軍と同じである」 まさにご指摘の通り、新国立競技場建設をめぐる物語は、意見の集約のされ方や、現状認識のあり方、決断のされ方やその受け継がれ方に至るまで、旧日本軍の無責任体制そのものだ。 この度、建設費をめぐって、舛添さんと下村さんの間で論争が起こったことは、幸運なめぐりあわせだったと私は考えている。もし現職の都知事が、猪瀬さんのままだったら、580億円の追加支出は都の臨時予算としてすんなり計上され、文科相と都知事が握手する絵柄の写真付きで、 「都民の夢のために、580億円を快諾」とか、そういう記事が配信されていたのかもしれない。 それどころか、工期が遅れていることや予算がショートしていること自体、報道されていなかったかもしれない。うちの国の巨大組織は、誰も責任を取らないで済むタイプの決断を好む。というよりも、われわれは責任を分散させるために会議を催している。(以上、『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』より引用) 小田嶋:ところが当の本人に公私混同話がずるずる出てきて、結局、翌年にぐずぐずで都知事を辞職することになって。 岡:そうそう、16年に都知事選があったよ。 小田嶋:そういうことがあったけど、その意味でいえば、15年はわれわれがはっきりと自覚する時代の区切り目ってわけではなかった。 岡:時代の区切り目といったら、それは、震災でしょう。 編集Y:あの……販促企画上、2015年以降の話題で……。 岡:東日本大震災から、もう10年か……(と、スルー)。 Q:9年です(しかも、間違っている)。 岡:そう、9年がたっているでしょう。でも、その後に大きな区切り目って、あんまりない気がするんですよね。 Q:昨年は平成から令和への改元がありました。 小田嶋:ああ、令和ってやつ、あったね。 Q:(ガクッ) 岡:まあ、でも、東日本大震災と、阪神大震災の二つの震災が日本社会に与えた影響は大きかった。 小田嶋:阪神大震災の年は、オウム真理教の大事件もあった。その意味で1995年は、一つの節目だった気がする。 Q:「失われた10年」が「20年」にならんとするころに、リーマン・ショックによる金融崩壊があり、09年、10年あたりに、その影響がボディブローのように日本に来て、11年に東日本大震災です。 岡:リーマン・ショックっていつだっけ?  Q:(ガクッ) 小田嶋:2008年ですよ。俺にとって不思議だったのは、第2次安倍政権に対する、いろいろな人たちの評価の違いの中で、大学の関係者がわりと安倍政権に好意的なことだったのね。そういう人たちがそこそこ多いのはなぜか、というと就職がよかったからなんだよね。 岡:なるほどね。 小田嶋:大卒の就職だけを取り上げると、非正規が増えたりとか問題はいろいろあるんだけど、新卒に限れば震災以降に就職状況が立ち直って、好調が続いた。 岡:失業率も低いしね。 小田嶋:大学の学生を直接見ている人たちに限れば、安倍政権で世の中が明るくなったような感じを持っている。それで、新卒の就職とは微妙に違うけど、俺がこの数年、患者目線で詳しくなった医療現場でいうと、女性医師の比率が上がっているな、と。 Q:もう一つの職業的な変化がそれですか。 岡:その患者目線で実感した、というのは、ちょっと避けたい事態だけどね』、「第2次安倍政権に対する・・・大学の関係者がわりと安倍政権に好意的なことだったのね・・・就職がよかったから」、「大学の関係者」の評価がここまで表面的要因で左右されるとは、驚かされた。
・『高齢男性のコミュニケーション問題  小田嶋:あくまで個人的な実感だけど、女性医師の方が全然優秀。腕とか医学的知識とかは、こっちからは正確に評価できないけど、何しろコミュ力がまるで違う。 岡:男の医者で患者の目を見ないという人は、結構いる(笑)。 小田嶋:男の医者って、俺からしても、この先生、大丈夫かなって思う人が結構いるんですよ。病気についてちゃんと説明ができて、患者とコミュニケーションが取れる人が、あんまりいないのよ。 Q:それを小田嶋さんに言われるのは、とてもまずいことだと思います。 小田嶋:いや、これ、本当よ。俺が接した女性のお医者さんは、あなたは今、こういう状況で、治療はこうでこうで、というコミュニケーションがちゃんと取れるんですよ。医大が入試で女性の受験生に露骨な差別を行っていたけど、医者ってむしろ女性向けの仕事ではなかろうか、と思います。 岡:ただ一方で、患者サイドのコミュ力という問題もあるだろう。はたから見ていても、どうしようもない患者って、いるじゃないか、病院には。 小田嶋:その問題を集約すると、おそらく、じいさんのコミュ力のなさということに整理される。 岡:それはおおいにあるな。 小田嶋:すごいですよ、じいさんって。俺は自分の入院回数が、もうよく分からなくなっているぐらい、ひんぱんに病院にお世話になったけど、おかげで入院しているおばあさんたちのコミュ力の高さと、じいさんのだめさ加減、看護師さんへの迷惑のかけ方のひどさっていうのを、いやというほど見ましたね。 Q:あくまで小田嶋さん個人の感想です。 小田嶋:じじいって本当、ひどいよ。 岡:そんなにひどい? 小田嶋:うん。全然、話にならない。一般社会でいえば、電車の中で怒っているのも、たいていがじいさんでしょう。病院でもそう。ナースさんに理不尽に文句を付けているとか、意味なく怒っているとか、オレを誰だと思っているとすぐ言うとかは、たいがいがじいさん。 岡:NHKの番組を見ていたら、認知症の第一人者である聖マリアンナ医大の先生がいて、その先生が認知症になった話を放映していました。彼はデイサービスというものを日本で提唱してきた人なんだよ。デイサービスなどのケアが充実すれば、介護をする家族の負担は減るし、本人も仲間がいた方がいいですよ、といって推進したんだけど。 小田嶋:まっとうな主張ですよね。 岡:そうでしょう。でも、自分が認知症になったでしょう。それでデイサービスに行くでしょう。そうすると、自分自身に、まったく笑顔が出ないんだって。 全員:……。 岡:それで、その先生は1週間も持たずに、家族に「(通所を)やめさせてくれ、耐えられない」と。 Q:せっかく自分がよかれとつくった仕組みなのに。 岡:そうなんだよ、自分でつくって、拒否するのはなぜなんだ、と。その先生がいうには「あそこでは孤独すぎる」っていう話なわけ。 全員:うわ……(身につまされています)。 Q:おうちには奥さまがおられますよね。 岡:上品でやさしい奥さんがいて、娘さんが「おばあちゃんが大変だから、デイサービスに行ってあげて」と諭しても、「でも、しょうがないだろう、行きたくないんだから」なんていっちゃっているわけです。 Q:それ、岡さんと小田嶋さんが、折に触れて使ってきたいい分ですね。 岡:いや、だから、そういう当事者の、しかも仕組みをつくってきた人ですら、我が身になると、話はまた別になってきちゃうんだよ』、「入院しているおばあさんたちのコミュ力の高さと、じいさんのだめさ加減、看護師さんへの迷惑のかけ方のひどさっていうのを、いやというほど見ましたね」、その通りなのだろう。「NHKの番組」は私も岡氏と同じ驚きを感じた。
・『ジャイアンシステムによる「上から適応」  小田嶋:病院では、おばさんとか、おばあさんたちは、ナースさんともすぐ仲良くなるし、おばあさん同士も仲良くなるんだけど、じいさん同士は仲良くならない。 岡:ああ、無理、無理。僕は絶対、無理ですね。 小田嶋:岡は、そういう共同生活みたいなところは、俺よりもあり得ないでしょう。 岡:僕は、小田嶋に比べると社会に適応している風じゃない? サラリーマンも意外と長くやったし。 Q:小田嶋さんの8ケ月に対して、岡さんは19年ですから、そこは圧勝です。しかし、みずからおっしゃる通り、あくまでも「適応している『風』」ですけど。 岡:それは僕に社会適応能力があったわけじゃなくて、周りが僕に対する適応能力が高かっただけだ、と。いや、自覚していますよ、我ながら。 小田嶋:俺は岡にすごく適応してきた感じがあるぞ。だから、岡は「上から目線」じゃなくて、「上から適応」なんだよ。自分が環境に合わせているんじゃなくて、環境を岡にフィットさせるようにつくりかえていってしまう。 岡:ということは、やっぱり僕はデイサービスも老人ホームも、まるでだめじゃない? Q:岡さんがみずから、上から適応の、老人ホームの新ビジネスモデルをつくってはどうでしょうか。 小田嶋:ジャイアンシステムみたいなのをつくるといいよ。あいつとは合わないって、避けていくやつは消えていって、気が付くと、介護してくれる人も、仲間も、自然に自分とフィットする人間しかいなくなっている仕組み。そこで、岡はビールの空き箱をひっくり返して、上に乗って歌っていればいいじゃん。 岡:なんか、ばかみたいだけど、仲間を間違えなければいい。 Q:というか、「人生の諸問題」を語るこの場も、結局、岡さんの上から適応でここまで回ってきたともいえなくもありません。 小田嶋:まさしくジャイアンシステムね。 岡:本当だ。のび太、スネ夫、しずかちゃんもいる。ちなみに、のび太は編集Yさんね。 Q:それで、スネ夫は、もちろん小田嶋さんね。 岡:ところが僕は小田嶋に、「お前はジャイアンの外見で中身がスネ夫だ」っていわれてきた。ということは、僕は結構、最低の人間ということになるじゃないか。めちゃくちゃだよね。 Q:力×知恵という意味なら最高じゃないですか。 岡:でも、横暴×セコさだったら、最低だね。年を取ると、そっちの悲しい末路の方にリアリティがある。 小田嶋:これ、大切な問題ですけど、じいさんはじいさんが嫌い。 岡:そう、じいさんはじいさんが嫌いです。 Q:はい。ばあさんもじいさんが嫌いです。 岡:それで、じいさんは意外とばあさんが好きなんだよ(笑)。 編集Y:あの……新刊……。 小田嶋:そこでまた、いろいろ問題が起きていくんだけど、一つ確かなのは、じいさんは誰からも愛されない、ということ。じいさんは本当に孤独なんですよ。 Q:……その「じいさん」を語る小田嶋さん自身が、ほかならぬ「じいさん」なのではないか。話をうかがっているうちに、心理学でいう同属嫌悪を私は感じるのですが。 小田嶋:う。 岡:いや、話を変えよう。それを認めるのは、辛すぎる。 (辛すぎるお年ごろ、ということで、後編に続きます)』、「一つ確かなのは、じいさんは誰からも愛されない、ということ。じいさんは本当に孤独なんですよ・・・心理学でいう同属嫌悪を私は感じる」、いまから覚悟しておく必要がありそうだ。

第三に、この続きである3月26日付け日経ビジネスオンライン「「美」から「コンプレックス」へ広告がシフトした理由『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』刊行記念鼎談(後編)」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00077/032300009/?P=1
・『「人生の諸問題」の語り手のお一人、コラムニスト小田嶋隆さんの新刊、『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』が刊行されました。前作『超・反知性主義入門』から5年、2015年から19年までの間に、日経ビジネスオンライン/電子版に毎週執筆したコラムをえり抜いた、まさに現代日本のクロニクル。 なんとか販売促進のため、座談の話題を引っ張りたい担当編集Y。しかし、そんな“忖度”をオカ&オダジマコンビがするわけもなく、新型コロナ騒動にも触れず、語り始めた話題は……(Qは進行役である清野氏の発言)。 Q:この2月に野村克也さんの逝去がありましたが、お二人はどう受け取られましたか。 編集Y:ああ! 話題を『ア・ピース・オブ・警句  5年間の「空気の研究」』に戻していただきたかったのに、キヨノさんまで、全然違う前振りを……(泣)。 岡:野村さんですね。すごく悲しいです。 小田嶋:同感。(編集Yの意図をまるで汲まない人たち) Q:星野仙一さんのときは、それほど思い入れはないです、ということでしたが、野村監督は違うんですね。 岡:星野さんにはなぜか感情移入できなかったけど、野村さんは違います。野村監督によって、プロ野球はいろいろなことが変わりましたからね。 例えば、ピッチャーがセットポジションで左足を上げないで投げる「クイックモーション」を洗練させたのは野村監督です。ほとんど足を上げない「すり足クイック」だから、ピッチャーが投げる時間が短縮される。よって、盗塁ができない。あれは発明でしたよ。 小田嶋:ノムさんが始めた革命的戦法はたくさんあるよね。 岡:投手分業制、ギャンブルスタート、ささやき戦術、ID野球、あと、小早川毅彦みたいに自由契約になったベテランをチームに入れて大活躍させた「野村再生工場」とか。 小田嶋:俺が昔、TBSラジオで働いていたとき、プロ野球のスコアを付ける係みたいなことをやっていたんだよ。その時代に、後楽園球場で野村さんが解説を務める現場に行きあたることがあった。 そのとき、野村さんが付けていたスコアブックというのが、我々が付けている普通のスコアブックどころじゃなくて、ストライクゾーンが9つに分かれているような、すごい詳細なもので。 岡:「野村スコープ」だよ。 小田嶋:俺らのようなアルバイトもどきは、ただのボールとストライクしか付けないんだけど、野村さんはボールでも、内角か、外角か、どっちに外れたボールなのか、またはストレートなのか、変化球なのか、落ちる球なのか、スライダーなのか、と、全部分けて、自分の記号で記録を付けながら解説していました。 岡:今はどのチームもやっているけど、ストップウオッチを野球のベンチに持ち込んだのも、野村監督が最初なんです。あのキャッチャーは二塁まで何秒で投げるんだろうと、時間を計った。 小田嶋:それまでは野球というものは、非常に大ざっぱな人たちが身体能力だけでやっていたスポーツだったけど、野村さんのおかげで、はじめて日本の野球に理屈らしいものが付きましたね。 岡:野村さんが亡くなったことは、悲しいな……。彼の記録って、生涯ホームラン、生涯打点って、ほとんどが2位なんですよね。何しろ、王、張本、長嶋がいた時代に行きあたってしまったもんだから。 野村さんが戦後初の三冠王を取ったとき、彼は翌日の新聞を楽しみにしていた。戦後初の三冠王なんて、すごい快挙、すごいニュースだよ。それでも野球ニュースの筆頭は、長嶋が二塁打を打ったことだった。 小田嶋:ああ……。 岡:戦後初の三冠王なのに、それでも一面を飾れないって、それってどうなのよ。しかも、彼はキャッチャーなんだよ。 小田嶋:彼が選手、監督として在籍していた南海ホークスをメジャーにしたのは、皮肉な話、王貞治ですからね。 岡:不思議だよね。これが人の持っている、何というの、運、めぐりあわせというものなのかね。 Q:会話が白熱しています。ただ、オダジマさんの新刊本に、まったく近づいていませんが……。 小田嶋:野村さんについては、沙知代さんという、いろいろ問題があるところの夫婦関係も話題だった。(さらに編集Yの意図から遠くなる) 岡:そっちもね。 小田嶋:俺はある雑誌の仕事で、あの人のことを調べたことがあったんだけど、ほとんどの経歴がウソなのよ。だけど、野村さんはそれを知っていて、世間から「ウソじゃないですか?」と問われたときに、「そうやってまで自分と一緒になりたかったんだから、ありがたい話じゃないか」と言っていたというのが、エラいというか、よく分からないことだよね。 岡:野村さんが南海ホークスで選手兼監督をしていたときに、沙知代さんが野村さんと付き合いだして、「あの選手は使うな」とかチーム運営にも口を出すようになった。選手からしたら、冗談じゃないよね。「あの人をなんとかしてください」ということで、主力選手たちが球団に訴えて、めちゃめちゃにもめた。で、後見人の高僧まで出てきて、「沙知代さんと、野球のどっちを取るのか」と、さとされたら、「はい、分かりました」といって、沙知代さんを取った人……といわれているんですよ。 Q:うーむ、ハタから見て、不思議な関係です。 小田嶋:並の人間には理解できないですよ。驚くべきことですよ。野村沙知代さんという人は、沙知代という名前からはじまって、自称した学歴も、経歴もウソなこともさることながら、あらゆるところでトラブルメーカーであり、少年野球チームでも、親から集めたお金を私腹に入れた疑惑で、訴訟を起こされかねないといった、ひどい話がいくつもあったでしょう。 岡:脱税で拘留もされているものね(2002年)。 小田嶋:そういう人と生涯添い遂げたというのも、偉かったよね。自分にはマネできない、ということで。 岡:野村さんにしてみれば、野球のこと以外は、全部命令されている方が楽だったんじゃないの。 小田嶋:それはあるかも。仕事のことしか考えたくないという人間は、それ以外のことは全部嫁さんに丸投げにしたい、というのが、ちょっとあるんじゃないかな。「あなた、今日の晩ご飯、何になさる?」じゃなくて、「あなた、今日は唐揚げを食べるのよ」と決めつけられた方が楽だ、と。これは落合博満さんにもちょっと似た雰囲気を感じない? 岡:似ている! 小田嶋:俺なんかはときどき沙知代さんと落合氏の奥さんがごっちゃになっていた。あれぐらい強烈な人じゃないと無理だということでしょう。面白いのは、野村さん、落合さんは、日本の野球の2大知性だったということで。 岡:そうなんだよ。落合がYouTubeで野球についてしゃべっているのを見たりすると、論理も分析も見事ですからね。 小田嶋:落合という人もしゃべらせると本当に頭がいい。 岡:ただ、暗いんだけどね(笑)。 小田嶋:そう、どちらも暗いの。だからボヤキ芸が成立したんだけど。 Q:この対談にちょっと似ていますね。 岡・小田嶋: ……まあ、そうね』、「「沙知代さんと、野球のどっちを取るのか」と、さとされたら、「はい、分かりました」といって、沙知代さんを取った人」、とのエピソードは初耳だが、ありそうな話だ。
・『岡:話を変えよう。この間さ、血液の検査をしたんだよ。そうしたら、僕はテストステロンの値が同世代の平均の半分しかないということが分かって。 Q:逆じゃないんですか? 「上から適応」のジャイアンのキャラ(前回参照)らしくないですね。 岡:でしょう? それで僕も、「これは間違いだから、2週間後にもう1回測ってください」とお願いして、もう1回測ってもらったら、やっぱり半分しかなかった。 小田嶋:あら、本当。 岡:このままいくと、すごくおとなしいおじいさんになっちゃう。外見とは別に、僕はもう極めておとなしい人みたいなの、血液的には(笑)。 小田嶋:昔の値は高かったんじゃないの? 岡:高いかどうかは知らないけれど、昔はあったと思うよ。だって、それがなきゃ電通を辞めたりしないし、既存の枠組みと戦ったりできないじゃないか。でも、この話をタグボート内でしたら、「そういえばこの何年間、岡さんが怒っているのを見たことないですね」っていわれて、ますますまずいな、と思って。 小田嶋:だったら、もういいじゃない? Q:いやいや。 岡:そうだよ、そう簡単にあきらめられないでしょう。 小田嶋:もう怒るあれでもないでしょう。 岡:だけど怒らないとだめじゃない、人間。 小田嶋:ハネ満、振ってもおとなしくしているという(笑)。 岡:そうそう。だから僕、弱くなっているでしょう、マージャンも。 Q:十何年か前、JALのファーストクラスだか、ビジネスクラスだかで座席がリクライニングしなかったといって、岡さんは超怒ってらっしゃいましたよね。 岡:それは怒るでしょう!! そのクラスで席がリクライニングしなかったら、俺、何のために高い料金を払っているんだ、って。 Q:今だったら、怒らないですか。 岡:いや、いや、エコノミーだって怒るでしょう。でも、その前にエコノミークラス症候群になっちゃうかもしれないけど(笑)。 小田嶋:俺は先日、ツイッター上に流れてきたヘンな広告のポスターを見て、怒ったわけではなくて、思わずリアクションを流しちゃったんだけど。その広告というのが、たぶん20年前だったらあり得ない話で、アフロヘアの黒人モデルの横に付いているコピーが「さらっさらのつやつやになりたい」とか何とかいう文言。これ、見るからに人種差別だろうよ、と。 岡:いや、その表現はあり得ない。通常はチェックを通らないですよ。というか、チェックの前の企画出しの段階で、ハネられますよ。 小田嶋:そのツイートは、そういうポスターが美容室とかに貼ってあるということだったんだよ。こんなのが通っちゃうんだ、と驚いてさ。 岡:通らない、通らない。ただ、BtoBだとそういうチェックがないのかな。 小田嶋:たぶん、そういう事情があるのだろうけど。それで、俺が大ざっぱな感想として抱いたのは、この20年ぐらいで、広告制作という仕事が、あこがれの仕事でなくなってしまった、ということではないだろうか、と。 岡:残念ながら、それはあるかもしれないね。 小田嶋:今の若い人たちは、広告をただ商品を売るための道具だと思っているのかもしれないけど、20世紀後半、広告が一番輝いていたころは、そこに才能のある人が集まって、すてきな広告が世の中に打ち出されていたんだよ、ということは歴史的事実として、言い残しておきたいと思ったんだよね。 Q:この話題は、「人生の諸問題」対談が始まった2007年から、折にふれて、ずっと話題にされてきたことでもあります。 岡:ゼロ年代にインターネットが定着したころから、広告表現の衰退は目に見えていたんだけど、特にこの5年間は、それがまた最悪なんです。 Q:ということは、SNSの流行と、もろ同時進行ですね。 小田嶋:テレビの昼間の時間帯の広告の安っぽさは、ゼロ年代からすごかったけれど、今はさらにすごいことになっているよね。俺が今、一番気持ち悪いのは、ほうれい線(を消す商品)の広告。ネットのニュース広告まわりで、しょっちゅう出てくるんだよ。 岡:気持ち悪いね。 小田嶋:ツイッターのタイムラインとか、ヤフーのニュースにプッシュされてくるけど、ひどい。醜いじじいと、醜いばばあが出てきて、ほうれい線だの、しみだのと、コンプレックス広告だらけになっているでしょう。 岡:そうなんだよ。 小田嶋:あとは、入れ歯だとか、何かそんなのばっかりだよね。盛り上がらないの、なんのって。かつて広告がビューティフルな人たちや、何らかの美を最大限に見せる場だった、ということが、完全になくなっている。 Q:コンプレックス広告が前面に出るようになって、表現がまったく反転しましたね。 小田嶋:肥満だったり、老化だったり、しわだったり、何かそんな暗い、げっそりするイメージのものばかりになっている。 岡:どうしちゃったの、これ、ね。 Q:どうしてなのか、広告制作のプロである岡さんに教えてもらいましょう。 岡:まず制作費の問題がありますよね。ネットメディアは媒体費が安い。で、それがオールドメディア(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)の10分の1だとしたら、制作費も10分の1になるんですよ。そして、10分の1でもやりますよ、という人たちが引き受けることになる。そうなると、腕の立つカメラマンや照明マンは、当然のことながら使えません。企画を立案する人だって、プロフェッショナルは10分の1では引き受けない。 万が一の確率で、センスがよくて、やる気のある企画者が現れて、ほうれい線をあからさまに出さなくても、なるほど、ほうれい線のことをいっているのね、みたいなアイデアを持っていたとしたって、カメラと照明がだめだったら、結局、いい映像にはならない。そうなったら、ビューティフルをテーマにすることは、絶対できないですね。 小田嶋:これが1980年代、90年代だったら、どうでもいい商品に結構金のかかった広告が作られていたじゃない? それを思い出して、あ、あのころは俺たち、豊かだったんだな、と。 岡:本当にそうですよ。そのころ、三菱鉛筆の消しゴムのおまけに、たこ焼きスタンプ消しゴムというのがあったんだけど、その広告を3000万円かけて作りましたよ(笑)。 小田嶋:90年代の香りがするね。 岡:たこ焼きの形をしたスタンプが、消しゴムになっているわけで、オリエンテーションのときも、なんか座が脱力せざるを得ない。それが制作費3000万円で、テレビのスポット媒体費が3億円でしょう。今じゃ考えられないですね。 ※懐かしい!という方、なんだそれは?という方は、三菱鉛筆さんの公式ページをどうぞ。他にも「えっ」となるおまけが続々と(こちら)』、「醜いじじいと、醜いばばあが出てきて、ほうれい線だの、しみだのと、コンプレックス広告だらけになっている」、確かに耐え難い酷さだ。
・『小田嶋:たこ焼きスタンプ消しゴムは置いておくにしても、テレビCMで映像もアイデアもがっつりと豪華なものは、たくさんありましたよ。だから、当時はテレビを見ていて、いいところでCMが入ってきても、そんなに腹が立たなかった。でも、今は間のCMが長いと……。 岡:ふざけるな、と。 岡:悲しいことに、今、日本の映画も力がなくなっているんだよ。 小田嶋:興行収入は悪くない、だけど、韓国と日本の映画界はどうしてこんなに差がついたんだ問題、というのがときどき語られているね。あれはやっぱりお金の問題もあると思うけど、一説によれば、韓国は自国の市場がそんなに大きくないから、やむを得ず海外に出ていかないとやっていけない、という時代があった、と。 岡:今は韓国の映画人口も増えて、むしろ日本よりも余計に見ているから、1人当たりでいうと、日本と韓国の市場規模は、そんなに差がないそうだけどね。 小田嶋:ただ90年代とかは、韓国国内だけじゃ映画は無理だということで、国策として若い映画人をハリウッドに修業に出したんだって。映画のまわりの、編集だったり、メーキャップだったり、あらゆる種類の仕事を、その修業の人たちがタダで引き受けて、それで彼らが膨大なノウハウを持って自国に帰ってきた。そうやって、カメラマンとか編集とか、ハリウッドレベルで訓練を受けたすごい人たちが韓国映画界に蓄えられた、というのが一つ。 もう一つは、国が補助金を出して、海外向けの作品を作ろうということを、ずっとやっているということで、そもそもターゲットを世界に置いている。 岡:それだと、日本はかなわないよ。 小田嶋:日本は市場規模の点で、日本国内でなんとかなっちゃうからというので、キャスティングはジャニーズ任せだったりとか、何かそういうところに落ちていってしまう。 岡:数だけはある、ということで、ジャニーズかAKBがキャスティングされないと、客が入らないということにされてしまっている。それでいうと、韓国映画は役者たちもうまいんですよ。そんな美男美女じゃないんだけど、とにかく演技が力強い。役者のレベルが、日本と全然違います。 小田嶋:韓国にはレベルの高いアクターズスクールみたいなのがあると聞きましたよ。ハリウッドもそうだけど、俳優になる人って、そうやって専門に演技の勉強をするわけだよね。でも日本だと、演技力うんぬんの前に、タレントとして知名度があるから配役されました、みたいなことになっているから、レベル以前でキャストが決まる、と言えば言えるんだよね。 岡:端的にいうと、キャストから作っていたら映画そのものがだめになるんですよ。「パラサイト 半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)には、もう圧倒されちゃいましたから。舞台は韓国だけで、そんなに制作費はかかっていないですよ。それでも、ここまでできるのか、と感動した。 小田嶋:町山智浩さんから聞いたんだけど、あの映画のカメラマンは、ハリウッドの一流映画を撮った人なんだってね。だから、ぱっととらえた映像に安っぽさが全然ない、と彼は言っていて、なるほどと思いましたね。 岡:カメラワークもそうだけど、でも、ホン(脚本)も違うね。まあ、韓国みたいに貧富の差が明らかすぎるほど明らかという社会だったら、それがドラマとして成り立つんだろうけど、日本はそこまで顕在化していないからね。ドラマを作りにくいというのはあるのかもしれない。そうすると、日本で世界に出すことができるのは、アニメと是枝さん(是枝裕和監督作品)しかなくなっちゃう、という。 Q:でも、かつての日本には黒澤明監督や、小津安二郎監督がいらっしゃいました。 岡:そうなんですよ。「マーケットイン」だか何だかという、製造業のマーケティングを映画製作に導入してから、ジャニーズとAKB+何か、というタコつぼに、どんどん入っていくようになりましたよね。 小田嶋:事前に市場を調査して、その市場に間違いのない商品を出す、なんてことで作っている限りは、そこから抜け出せないよね。 岡:だいたい黒澤監督のころって、マーケティング、なかったでしょう。黒澤さんが作りたいものを作ってくださいと、そういうことだったでしょう。 Q:究極の「プロダクトアウト」ですね。 岡:小津監督だってそうでしょう。マーケティングなんてもんじゃ、まったくない。 小田嶋:そこにあるのは、クリエーターのエゴだよね。 岡:映画会社と大げんかをしながら、自分の映画を作ったわけだよね。それで、その作品だって、決して明るいものじゃないんだよ。「麦秋」だって、「東京物語」だって、人間のどうしようもない悲しさ、はかなさを扱っている。だけど、それらが今にいたるまで、世界で絶大な人気を誇っているわけでしょう。ハリウッドをはじめ、後世の大監督たちに影響を与えて』、「「マーケットイン」だか何だかという、製造業のマーケティングを映画製作に導入してから、ジャニーズとAKB+何か、というタコつぼに、どんどん入っていくようになりましたよね」、日本映画の地盤沈下は自ら撒いた種ゆえのようだ。。
・『小田嶋:メディア表現の劣化で続けると、ネットニュースでは、新聞の見出しが今、マッシュアップみたいになっているんだよ。 岡:マッシュアップって、何? 小田嶋:IT業界では既存のコンテンツを混ぜ合わせて、新しいサービスを作り出す、ぐらいの意味で使われている用語なんだけど、とにかく文脈の違うものを混ぜて、耳目を集める、みたいな手法。新聞見出しのマッシュアップでいうと、例えば東武東上線の「ときわ台」駅で、踏切事故がありました、と。そういうときの新聞の見出しというのは、「ときわ台駅で踏切事故、23歳の巡査死亡」みたいなやつが通例で、その見出しだけで記事の内容が分かるように作るでしょう。つまり、記事の一番短い要約が見出しになっている。 岡:それが見出しの前提だもんな。 小田嶋:長いこと、そういうことになっていた。だから新聞って、記事全部を読まなくても、見出しだけをさーっと斜めに見ただけで、なんとなく中身が分かったじゃないか。でも、今、ネットニュースの見出しって、釣り広告みたいになっていて、「え? これどういうこと?」って、思わずクリックするように作ってあるわけだよ。 岡:例えばどんな感じ? 小田嶋:例えば、ときわ台の事故の見出しは、「危ない、そのとき巡査は飛び込んだ」という具合になる。 Q:東スポ化しているんですね。 小田嶋:そう、それが全国紙に及んでいる。こっちは、「危ない、そのとき巡査は」という文字を読んで、その後、巡査はどうしたんだろうと、謎に負けて、ついクリックしてしまう。 岡:ただ、紙の新聞は、普通のちゃんとした見出しになっているだろう、いくらなんでも。 小田嶋:使い分けられている。俺は以前に毎日新聞の紙面批評を1カ月やったことがあって、そのときにネット版と紙版の見出しが違うことを発見したんだよ。ネットの方がすごく扇情的にできているんだけど、実は全体的に紙の見出しも、そっちに近づいているんだよね。 岡:よくないよね。 小田嶋:新聞をすごく斜め読みしにくくしていますよ。 Q:そこかい! 小田嶋:いや、長い目で見ると、よくないです、はい』、「新聞の見出しが今、マッシュアップみたいになっている・・・ネットの方がすごく扇情的にできているんだけど、実は全体的に紙の見出しも、そっちに近づいている」、品位もへったくれもないようだ。
・『岡:それにしても東京でオリンピック・パラリンピックはどうなるのだろうか。社会的な混乱だけでなく、経済の方面でも、新型コロナショックの影響が甚大になっているし。(……と、対談中は思っていたのですが、3月24日に延期が決定しました) 小田嶋:今のところの政権って、導火線に火が付いている爆弾を、みんなにパスしまくって、最後に誰が持っているか、という話になっているじゃない。 岡:立憲民主党だって、共産党だって、逆にみんな、政権は今、持ちたくないよね(笑)。 小田嶋:まあ、俺らは、休校で売り先が減ってしまった牛乳を、粛々と飲むことぐらいしか、やることがないけど。何か乳牛ってやつは、乳を出し続けていないと、体がだめになるらしいですね。 岡:そうなんだ。どうでもいいけど。 小田嶋:いや、だから、コラムニストと一緒なんですよ(笑)。やめると、詰まっちゃう。だから、だらだらと吐き出してないとだめだという。牛とあんまり変わらない仕事なんですね。 Q:ついに自分を牛に例える境地にいたった小田嶋さんですが、そんなコラムニストの新刊本、みなさん、よろしくお願いいたします。ほら、編集Yさん、本の宣伝に着地しましたよ! 編集Y:あああ(涙)。 延々と続く無責任体制の空気はいつから始まった? 現状肯定の圧力に抗して5年間 「これはおかしい」と、声を上げ続けたコラムの集大成 ア・ピース・オブ・警句2015-2019 5年間の「空気の研究」 同じタイプの出来事が酔っぱらいのデジャブみたいに反復してきたこの5年の間に、自分が、五輪と政権に関しての細かいあれこれを、それこそ空気のようにほとんどすべて忘れている。 私たちはあまりにもよく似た事件の再起動の繰り返しに慣らされて、感覚を鈍麻させられてきた。 それが日本の私たちの、この5年間だった。 まとめて読んでみて、そのことがはじめてわかる。 別の言い方をすれば、私たちは、自分たちがいかに狂っていたのかを、その狂気の勤勉な記録者であったこの5年間のオダジマに教えてもらうという、得難い経験を本書から得ることになるわけだ。 ぜひ、読んで、ご自身の記憶の消えっぷりを確認してみてほしい。(まえがきより) 人気連載「ア・ピース・オブ・警句」の5年間の集大成『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』3月16日、満を持して刊行。 3月20日にはミシマ社さんから『小田嶋隆のコラムの切り口』も刊行されます』、「乳牛」の喩は微笑んでしまった。このブログでも、殆どを紹介している筈だが、「5年間の集大成」として一読してみる価値はありそうだ。
タグ:人生論 (その4)(勝ち組が威張る同窓会も60過ぎたら「ただの人」、小田嶋氏対談2題:2015年、舛添都知事はオリンピック肥大化に猛反発していた 『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』刊行記念鼎談(前編)、「美」から「コンプレックス」へ広告がシフトした理由『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』刊行記念鼎談(後編)) 河合 薫 日経ビジネスオンライン 「勝ち組が威張る同窓会も60過ぎたら「ただの人」」 職場も住む場所も違う仲間との会話が貴重な機会に 定年、再雇用後はゆとり重視へ仕事観が変わる 毎日の決まった行動パターンに救われている ルーティン 人間関係の広さと質は健康にも影響している 人間関係の「広さ」は、若年期(10代~20代)と老年期(60代後半以上)の人たちの健康に、人間関係の「質」は、壮年期(30代~40代前半)から中年期(40代後半から60代前半)の人たちの健康に、高い影響を及ぼす 若い時はあっちこっちに顔を出してネットワークを広げればいいけど、健康不安が高まるミドルになったら、健康な食事や運動と同じくらい信頼できる(親密な)友人は大切だよ。でもね、60歳過ぎたらいろんなところに行って、いろんな人と会った方が健康でいられるよ 小田嶋 隆 「2015年、舛添都知事はオリンピック肥大化に猛反発していた 『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』刊行記念鼎談(前編)」 ハイリスク役満世代 オダジマの入試時期は風疹が大流行 5年間の「空気」はどう変わったのか 空気を読まない舛添さん、オリンピック予算に猛反発 うちの国の巨大組織は、誰も責任を取らないで済むタイプの決断を好む。というよりも、われわれは責任を分散させるために会議を催している 高齢男性のコミュニケーション問題 入院しているおばあさんたちのコミュ力の高さと、じいさんのだめさ加減、看護師さんへの迷惑のかけ方のひどさっていうのを、いやというほど見ましたね ジャイアンシステムによる「上から適応」 「「美」から「コンプレックス」へ広告がシフトした理由『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」』刊行記念鼎談(後編)」 「沙知代さんと、野球のどっちを取るのか」と、さとされたら、「はい、分かりました」といって、沙知代さんを取った人 醜いじじいと、醜いばばあが出てきて、ほうれい線だの、しみだのと、コンプレックス広告だらけになっている 「マーケットイン」だか何だかという、製造業のマーケティングを映画製作に導入してから、ジャニーズとAKB+何か、というタコつぼに、どんどん入っていくようになりましたよね 新聞の見出しが今、マッシュアップみたいになっている ネットの方がすごく扇情的にできているんだけど、実は全体的に紙の見出しも、そっちに近づいている
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

幸福(その2)(幸せは思ったもの勝ち 可能な限り多様な思考を受け入れる、現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病 体と心を冒す悲劇の正体とは何か?、米国製エリートが心酔する「幸福の授業」の中身 100万人が視聴「GAFA」著者の教えとは何か) [人生]

幸福については、昨年8月18日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その2)(幸せは思ったもの勝ち 可能な限り多様な思考を受け入れる、現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病 体と心を冒す悲劇の正体とは何か?、米国製エリートが心酔する「幸福の授業」の中身 100万人が視聴「GAFA」著者の教えとは何か)である。

先ずは、精神科医の和田 秀樹氏が1月9日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「幸せは思ったもの勝ち 可能な限り多様な思考を受け入れる」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/report/16/122600095/010700045/
・『実は、今回が長い連載の最終回となる。 ずいぶん、好き勝手なことを書かせていただき、私にとっては楽しい連載だっただけに残念であるが、その総括をかねて、これからのサバイバルのために私がいちばん大切だと思う思考法について考えてみたい。 それは、世の中のほとんどのことは答えは一つでないし、将来、よりよい答えが出てくる(今、正解と思われていることが変わる)ので、なるべく多様な答えを知っておいたり、考え付いた方がいいし、なるべく多様な考えや知識を受け入れた方がいいということである。 多様な考えや知識を受け入れろというのは、どれか一つに決めるというのとは逆のスタンスである。だから、このコラムで私が提言してきたことも、私自身は当面は(未来永劫というわけではない)正しいと思っていることだが、それを正しいと受け入れてもらうより、いくつかある解答のうちの一つと思ってもらえば十分だし(今のところ、その中でもっとも妥当と思ってもらえれば、こちらの感情としてはうれしいが)、ましてや私のいうことが正しくてほかが間違っていると思ってもらうのは、むしろ危険と思っている。 これは思考のスタンスであるが、生き方のスタンスでもある。ただ、これとても、絶対に正しいと断言するつもりはない。 ということで、私のサバイバルのための現時点での思考パターンを紹介したい』、和田氏の記事はこのブログでも、何回となく紹介してきただけに、「今回が長い連載の最終回となる」、誠に残念だ。「なるべく多様な答えを知っておいたり、考え付いた方がいいし、なるべく多様な考えや知識を受け入れた方がいい」、との考え方は、「多様な考えや知識」を踏まえた上で、白黒をハッキリさせたいという私の考え方とは、若干異なる。
・『何のために勉強するのか  この年になると、あえて資格を得たいとか、この知識があった方が成功しやすいとかいうこともあまりなくなってきた。もちろん、これからのライフワークとして映画監督を続けていきたいので、ほかの映画監督の手法を学んだり、原作を探したりというのは勉強と言えるかもしれないが、3回前の号でも話題にしたように、知識習得型の勉強は、だんだんしなくなっているのは確かだ。 それでも、耳学問も含めて、毎日、いろいろな情報が入ってくるし、文筆業を続けていくために参考資料もかなりの量は目を通している。 年をとったせいか、私が何のために勉強をするのかで最もスタンスを変えたポイントは、若いころは、たった一つの正解を求めて、あるいは、人に(論争などで)勝つために勉強していたが、今は、いろいろな答えがあるのを知るため、いろいろな人の考えを受け入れるために勉強していると自負している。 私が専攻している、精神分析の世界では、フロイトの没後、いろいろな学派が勃興し、自分たちが正しいと主張しあっている。私も、若いころは、コフート学派がほかの学派より、患者さんをうまく治せるし、無意識の性欲のようなあるのかないのかわからないものを論じるより、患者に共感的なスタンスで接するのが正しいに決まっていると思っていた。私自身は、今でもコフート(注)的な治療を行っているが、患者さんにも性格やものの考え方があるので、フロイト学派のように家父長的な接し方をした方がいいこともあるのは十分あり得ると思うようになった。どれが正しいかの不毛な議論をするより、結果がよければ、いろいろなやり方があっていいと思えるようになってきたということだ』、確かに患者により「接し方」を使い分けるのも理にかなっているようだ。(注)コフート:オーストリア出身の精神科医、精神分析学者。精神分析的自己心理学の提唱者(Wikipedia)。
・『絶対的な解は存在しない  もう一つの専門分野である老年医学にしても、高齢者の血圧を下げた方がいいのか、どのくらいまで下げるべきかという議論や、高齢者の血糖値のコントロールやコレステロール値のコントロールについて、学会の主流派に異議を唱え続けてきた。 疫学的にみると、少なくともコレステロールは高い方が長生きしているのだが、これについても大勢の人間を調べての統計なのだから、個人個人で違うだろう。高いままにした方が長生きできる人の方が、下げた方が長生きできる人より多ければ、高いままの方がいいという疫学データになるわけだが、下げた方が長生きできる人はゼロではない。やはり、ケースバイケースなのである。 また、昔は植物の油の方が動物の脂よりいいので、マーガリンが体にいいと考えらえたことがあるように、医学や栄養学の常識は、覆されることも多い。 将来、覆されることも想定しながら、いろいろな説がある中で、今のところ、どれが妥当なのかを患者ごとに考える方がよほど現実的だろう。 正解はいくつもあると言われても、生きている限り、さまざまな決断を下さないといけないことは当たり前にある。 私だって、目の前の患者さんにいくつも考え方があることを説明することはあるが、通常は、今のところ、正しいと思うことをやるようにしている。 この「今のところ」の考え方と、「ほかにも答えがある」という考え方こそが重要だと私は信じている。というのは、それよりいい答えが見つかったり、今、正しいと思っていることが、どうもうまくいかないと思える時に、フレキシブルに別の答えに移行できるからだ。 恐らく、これから人工知能(AI)の時代になったり、人間のゲノムが解析されたりで、どんどん信じられてきたことが変わる時代がくるだろう(これも意外に変わらないかもしれないが)。そうなる際に、この手のスタンスは役に立つと信じている』、「通常は、今のところ、正しいと思うことをやるようにしている。 この「今のところ」の考え方と、「ほかにも答えがある」という考え方こそが重要だと私は信じている。というのは、それよりいい答えが見つかったり、今、正しいと思っていることが、どうもうまくいかないと思える時に、フレキシブルに別の答えに移行できるからだ」、なるほど柔軟で現実的な対応だ。
・『ネット右翼、実はアクティブで高収入  たまたま、テレビを見ていたら、ネット右翼とされる人が、これまで考えられていたような貧困層の引きこもりなどではなく、中高年の自営業や会社経営者のように、アクティブで高収入の人が多いという調査結果を論じていた。 確かに、普段は大人しい引きこもりの人や、海外のようにはデモをやらない貧困層の人が、ネット空間では内なるアグレッションを発散しているというのは、もっともらしい説だが、精神科医としての経験でいうと、ちょっとしっくりこなかった。 引きこもりの専門家の斎藤環さんが、「ゲームのせいで引きこもりになるわけでなく、ほかにすることがないからゲームをやるだけだ。その証拠に、引きこもりの人はゲームをつまらなさそうにやる」というような意味のことを言っていた。 フロイトはあるエネルギーを心の中に押し込めると、別のところからエネルギーを噴出するというエネルギー経済論という学説を唱えたが、実際には、エネルギーのない人はほかのところでもエネルギーがない人が多い。投票にはいけないが、ネットに書き込んで世の中を変えられると思っているようにも思えない。 そのテレビの解説では、ネット右翼のような人は、むしろ積極的に投票行動をするとのことだった。某新保守政党の参院全国区の得票数プラスアルファで、200万人くらいいるのではと推定されていた。 この仮説が正しいかどうかはわからない。私とは政治信条は違うが、こっちが正しくてネット右翼が間違っているというつもりはない。 ただ、私が残念に思うのは、彼らが、自分が正しくて、自分と意見が違う人や、敵(韓国と中国と朝日新聞とそのテレビ番組では報じていた)は間違っているという発想パターンだ。 認知科学の世界では、ものごとを決めつけるのは、ほかの可能性に対応できない不適応思考であるし、うつ病にもなりやすいとされている。 恐らく政治や世論への影響力は、限局的なものだろうが、自分のメンタルヘルスや本業への悪影響を心配するのだ。 中国政府が発表する経済指標は粉飾されていると信じるのはいいが、そうでない可能性も考えておく必要はあるし、人口統計まで粉飾しないだろう。今は米国経済に太刀打ちできないという考え方は妥当かもしれないが、中長期的に市場規模や国内総生産(GDP)が米国を抜き去る可能性の方が高いだろう。 意地になって中国とは商売をやらないのは勝手だが、少なくとも答えは一つでない、将来変わるという発想がもてないと、どんなビジネスでもいつかは行き詰るだろう』、「ネット右翼、実はアクティブで高収入」なるTV番組は私も観て、多少驚かされた。「認知科学の世界では、ものごとを決めつけるのは、ほかの可能性に対応できない不適応思考であるし、うつ病にもなりやすいとされている」、白黒をハッキリさせたがる私にはショックだが、いまさら変える必要もないだろう。
・『勝ち負けで考えない  決めつけが激しいという認知構造を、さらに強固にしてしまうのが、勝ち負けで考えるという思考パターンだ。相手の言い分も「可能性がある」と認めることが負けだと考えるなら、いくら勉強しても、思考パターンは変えられなくなってしまう。私も昔とずいぶん考え方が変わってきたが、それを「変節」と呼ぶ人がいる。変わったら負けとでも思っているのだろう。 直接のディスカッションでなら勝ち負けがあるかもしれないが(しかしながら論破では感情的反発が残るので、相手を説得できないことは、私が若いころ左翼運動に参加していたからわかる)、思考パターンに勝ち負けはない。どっちも可能性があると考えられる方が、勝てないかもしれないが、負けることはないのだ。 少なくとも意地を張って、自分の意見を変えないことで得をするとは思えない』、私は考え方を変えることに抵抗感はない。「論破では感情的反発が残るので、相手を説得できないことは、私が若いころ左翼運動に参加していたからわかる」、確かにその通りだ。
・『生きている世界はしょせん主観的  勝ち負けで考えなくても、自分の方が客観的に正しいと考える人もいる。 数字のデータを持ち出して、これが客観的だという人がいるが、多くの場合、よりそっちの可能性や確率が高いということに過ぎない。 もう一つは見る角度によって、答えが違うということはある。 失業率や株価の上昇を見れば、アベノミクスが「客観的に」成功しているとことになるのだろう。 ほかの角度で見る人であれば、ドル建てのGDPが民主党政権時代から2割も下がっていることを問題にするかもしれないし、相対貧困率の高さを問題にするかもしれない。 昔、デノミといって100円を新1円にしようという議論があった。300万円の車が3万新円で買えるので安くなったという心理効果で景気がよくなると言われたものだ。 しかし、ものを買いたい人にとってはそうであっても、貯金を気にする人なら1000万円の貯金が10万新円になるので、もっと貯金をしなくてはと思うかもしれない。 そもそも論として、人間の認知構造は一人ひとり違うし、それはこれまでの生育環境によっても違う。未開の地の人にペットボトルを見せてもなんのことかわからないかもしれない。 行動経済学という心理学を応用した経済学は、人間の幸せや豊かさの気分はもっている金額と正の相関関係にないことを示した。金があるほど幸せではないのだ。 実際、私たち精神科医というのは、患者を客観的に金持ちにしたり、家族に恵まれたりはできないが、ものの見方を変えることで、主観的には幸せになってもらうということを目標にすることが多い。 この1、2年医師として悩むのは、たとえば認知症で、症状が進行していることに気づかず幸せそうにニコニコしているなら、本当に治療(現代の医学では進行してしまった症状を正常に戻すことはできない)の必要があるのかということだ。 もっと言えば、人に迷惑をかけないのなら、統合失調症の患者さんが自分は神様と信じるような妄想をもっていて、幸せそうにしている時に、薬を使って妄想をとって現実世界に引きずり戻すのが本当にいいことなのかなども悩むようになった。 しょせん、人間の幸せなど主観的なものだ。 長い人生を考えたら主観的に幸せでいられる人の方が幸せが長続きする気がする。要するに幸せは思ったもの勝ちなのだ。 どこまで役に立つかはわからないが、このような意識改革が私のサバイバルのための思考法である』、「行動経済学という心理学を応用した経済学は、人間の幸せや豊かさの気分はもっている金額と正の相関関係にないことを示した。金があるほど幸せではないのだ」、なるほど。「しょせん、人間の幸せなど主観的なものだ。 長い人生を考えたら主観的に幸せでいられる人の方が幸せが長続きする気がする。要するに幸せは思ったもの勝ちなのだ」、説得力がある主張だ。

次に、 精神科医・作家の岡田 尊司氏が10月9日付け東洋経済オンラインに掲載した「現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病 体と心を冒す悲劇の正体とは何か?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/306661
・『現代人は、なぜ幸福になれないのか――。ベストセラー『愛着障害』の著者で、精神科医・作家である岡田尊司氏の最新刊『死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威』から一部抜粋のうえ、お届けします。 「死に至る病とは、絶望のことである」と、かつて哲学者キルケゴールは書いた。キルケゴールにとって、絶望とは、神を信じられないことを意味した。 だが、今日、「死に至る病」とは愛着障害にほかならない。愛着障害とは、神どころか、親の愛さえも信じられないことである。そして、キルケゴール自身も、愛着障害を抱えていた――。 合理的な考えによれば、親の愛などなくても、適度な栄養と世話さえあれば、人は元気に生きていけるはずだった。だが、そこに致命的な誤算があった。 特別な存在との絆である「愛着という仕組み」がうまく働かないと、生存にも、種の保存にも、重大な支障が生じるのである。全身傷だらけになりながら、自傷や自殺企図を繰り返すのも、稼いだ金の大半を、吐くための食品を買うためや、飲み代やホスト通いに費やすのも、物や金の管理ができず、捜し物と借金に追われ、混乱した人生に沈むのも、原因のよくわからない慢性の痛みや体の不調に苦しむのも……、そこには共通する原因があった』、「特別な存在との絆である「愛着という仕組み」がうまく働かないと、生存にも、種の保存にも、重大な支障が生じるのである」、初めて知った概念だ。
・『「死に至る病」である愛着障害とは何か?  その原因とは、愛着障害であり、愛着障害とは、生存と種の維持に困難を生じ、生きづらさと絶望をもたらし、慢性的に死の危険を増やすという意味で、「死に至る病」なのである。 いま、この国に、いや世界のいたるところで、経済的豊かさを追求する合理主義や、個人の利益を優先する功利的個人主義の代償として、「死に至る病」が広がっている。 「死に至る病」は、キルケゴールが述べたような単なる絶望ではない。精神的な救いが得られない精神的な死を意味することにはとどまらない。 「死に至る病」は、生きる希望や意味を失わせ、精神的な空虚と自己否定の奈落に人を突き落とし、心を病ませるだけでなく、不安やストレスに対する抵抗力や、トラウマに対する心の免疫を弱らせることで、体をも病魔に冒されやすくする。現代社会に蔓延する、医学にも手に負えない奇病の数々は、その結果にほかならない』、「世界のいたるところで、経済的豊かさを追求する合理主義や、個人の利益を優先する功利的個人主義の代償として、「死に至る病」が広がっている」、恐ろしいことだが、その通りなのだろう。
・『かろうじて病気になることを免れたとしても、傷つきやすさや苦痛から、すっかり免れることは難しい。せっかくの人生は、喜びよりも、不快さばかりが多いものになってしまう。 その不快さを和らげるために、生きる苦痛を忘れるために、人々は、神経や心を麻痺させるものを日常的に必要とする。それに依存することで、かろうじて生き延びようとするのだ。 だが、それは、ときには慢性的な自殺につながってしまう。 いま、「生きるのがつらい」「毎日が苦痛なだけ」「生きることに意味が感じられない」という言葉が、この国のいたるところから聞こえてくる。 生活に疲れ、過労気味の中高年から聞かれるのならまだしも、最も幸福な年代といわれる30代からも、元気盛りの20代からも、そして、10代の中高生や、ときには小学生の口からさえ聞かれるのである。 彼らはたいてい暗い顔をして、うつむき加減になり、無理に笑おうとした笑顔さえ、ひきつってしまう。彼らは、医学的にみて明らかにうつ状態という場合もあるが、必ずしも、そうした診断が当てはまらないときもある。とても冷静に、落ち着いた口調で、「私なんか、いてもいなくても同じなんです」「まだ生きないといけませんか」と、自分が抱えている空虚感や生きることの虚しさを語ることもある。「死にたい」「全部消し去りたい」と、その優しい表情からは想像もできないような激しい言葉がほとばしり出ることもある。 人間性や能力の点でも、愛される資質や魅力の点でも、積み重ねてきた努力の点でも、彼らは決してひけを取ることはない。むしろ優れている点もたくさん持っている。なのに彼らは、自分には愛される資格も生きる資格もないように思ってしまう。こんな自分なんか、いらないと思ってしまう。 自分のことをとても愛しているように見えるときでさえも、実は本当には愛せていない。本当には愛せない自分だから、理想の自分でないとダメだと思い、自分に完璧を求める。自信に満ちて見えても、それは、ありのままの自分を隠すための虚勢にすぎない。 だが、完璧な自分しか愛せないとしたら、完璧でなくなったとき、その人はどうなるのか。どんなに努力しても、どんなに頑張っても、いつも完璧でいられる人などいない。どんなに成功と幸福の絶頂にいようと、次の瞬間には、愛するに値しない、生きるのに値しない不完全でダメな人間に堕してしまう危険をはらんでいる』、「「生きるのがつらい」「毎日が苦痛なだけ」「生きることに意味が感じられない」という言葉が、この国のいたるところから聞こえてくる。 生活に疲れ、過労気味の中高年から聞かれるのならまだしも、最も幸福な年代といわれる30代からも、元気盛りの20代からも、そして、10代の中高生や、ときには小学生の口からさえ聞かれるのである」、集団自殺などが相次いでいるのもこの表れなのだろう。
・『愛するに値しない自分、大切にしてもらえなかった自分  彼らが自分のことを、愛される資格がない、生きる値打ちがないと思っているのには、その確信の根拠となる原体験がある。 彼らにとって最も大切な存在が、彼らをあからさまに見捨てたか、かわいがっているふりをしていたとしても、本気では愛してくれなかったのだ。 「本気で」とは、口先ではなく行動で、ということであり、彼らがそれをいちばん必要とした幼いときに、彼らのことを何よりも優先し、気持ちだけでなく時間と手間をかけてくれたということだ。大切な人が、彼らのことより他のことに気を奪われることがあったとか、自分自身のことや生活のことに追われて、どこか上の空であったというとき、幼い子は「自分はいちばん大切な存在だ」ということを味わい損ねてしまう。 自己肯定感を持ちなさい、などと、いい年になった人たちに臆面もなく言う専門家がいる。が、それは、育ち盛りのときに栄養が足りずに大きくなれなかった人に、背を伸ばしなさいと言っているようなものだ。 自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。それを高めなさいなどと簡単に言うのは、本当に苦しんだことなどない人が、口先の理屈で言う言葉に思える。 いちばん大切な人にさえ、自分を大切にしてもらえなかった人が、どうやって自分を大切に思えるのか。 むしろ、そんな彼らに言うべきことがあるとしたら、「あなたが自己肯定感を持てないのも、無理はない。それは当然なことで、あなたが悪いのではない。そんな中で、あなたはよく生きてきた。自分を肯定できているほうだ」と、その人のことをありのままに肯定することではないのか。 自己肯定感という言葉自体が、その人を否定するために使われているとしたら、そんな言葉はいらない』、「自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。それを高めなさいなどと簡単に言うのは、本当に苦しんだことなどない人が、口先の理屈で言う言葉に思える」、「そんな彼らに言うべきことがあるとしたら、「あなたが自己肯定感を持てないのも、無理はない。それは当然なことで、あなたが悪いのではない。そんな中で、あなたはよく生きてきた。自分を肯定できているほうだ」と、その人のことをありのままに肯定することではないのか。 自己肯定感という言葉自体が、その人を否定するために使われているとしたら、そんな言葉はいらない」、その通りなのだろう。
・『愛着障害がもたらす悲劇の恐ろしさ  自分のことを何よりも大切にしてくれる存在を持てないことほど、悲しいことはない。大人であっても、それは悲しいことだ。だが、幼いときに、子どものときに、そんな思いを味わったら、その思いをぬぐい去ることは容易ではない。 だが、それは、単に気持ちの問題にとどまらない。 では、根本的な要因は何なのか。 それに対する答えが、「愛着障害」なのである』、最後の部分は本を読ませるためのレトリックなのだろう。いずれにしろ、子ども時代の愛情不足がのちのちまで尾を引くとは、我々大人ももっと自覚すべきだ。

第三に、10月25日付け東洋経済オンラインが掲載したニューヨーク大学スターン経営大学院教授のスコット・ギャロウェイ氏による「米国製エリートが心酔する「幸福の授業」の中身 100万人が視聴「GAFA」著者の教えとは何か」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/309871
・『「ビジネス書大賞2019読者賞」「読者が選ぶビジネス書グランプリ2019総合第1位」のダブル受賞作、『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』著者、スコット・ギャロウェイ氏。 ニューヨーク大学で教鞭をとるギャロウェイ氏の授業「アルジェブラ・オブ・ハピネス(幸福の計算式)」は、5000人が受講、WEB公開後わずか10日で100万人が視聴した「伝説の授業」と言われる。 その授業をもとにした最新作『ニューヨーク大学人気講義 HAPPINESS(ハピネス)――GAFA時代の人生戦略』が刊行された。本記事では書籍を再編集し、「伝説の授業」の一部を紹介する』、前の2つは心理学者によるものだったが、経営学の大家はどのようにみているのだろう。
・『幸せになる方法を「数式」で表すとどうなるか  2002年、私はニューヨーク大学スターン経営大学院の教員となった。5000人を超える学生が、私のブランド戦略の講義を受けた。 私が教える学生たちは、貨幣の時間的価値、戦略、そして消費者行動を学ぶために、私のクラスにやってくる。 しかし授業では、話がブランド戦略から「人生の戦略」に変わっていることがよくある。成功するには何をすればいいのか。自分の野心と人としての成長の折り合いをどうすればつけられるのか。40歳、50歳、80歳になったとき後悔しないために、いま何をするべきなのか。 こうした問題を、私は最後の3時間の講義で扱う。講義のタイトルは「アルジェブラ・オブ・ハピネス(幸福の数式)」である。 その講義で、私たちは成功、愛、そしてよい人生の定義について話し合う。2018年5月、私はその講義の短縮版をYouTubeに投稿した。その動画は公開10日で100万人以上が視聴した。 授業で取り上げた「幸福の数式」は、以下のようなものである』、「アルジェブラ・オブ・ハピネス(幸福の数式)」とは興味深いが、どんなものなのだろう。
・『「金を稼げない」と「幸せ」は遠ざかる  幸福の計算式:学歴+大都市=お金  アメリカにはカースト制度がある。それは高等教育というものだ。 それに加えて、経済成長は一握りの巨大都市に集中する傾向が高まっている。今後50年間の経済成長の3分の2は、超大都市で生じるだろう。 チャンスは人の多いところで生まれる。大都市はウィンブルドンだ。たとえあなたがラファエル・ナダルでなくても、彼とともにコートに立つだけでレベルアップする。さらに上に行けることもあれば、自分はウィンブルドンにいるべき人間ではないと悟ることもある。 あなたの学位(成績、大学)と郵便番号を教えてくれれば、あなたが今後10年間でいくらぐらい稼げるか、かなりの正確さで推測することができる。 私のアドバイスはごく単純なものだ 。若いうちに、大学の卒業証書やほかの資格を手に入れ、大都市に出ることだ。どちらも年齢を重ねるごとに、不可能ではないにしても、難しくなる。 スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツのように、大学を中退しても大成功を収める人はこれからも出てくるだろう。けれどもそれはあなたではない』、「若いうちに、大学の卒業証書やほかの資格を手に入れ、大都市に出ることだ」、アメリカでも「大都市」はやはりチャンスに恵まれているようだ。 
・『幸福の方程式:若いうちの頑張り>老いてからの頑張り  きっとあなたにも、こんな知り合いがいるだろう――成功を手に入れ、健康で、バンドで演奏しているうえに、親と仲がよく、動物保護シェルターでボランティアをして、食べ物のブログを書いているような。しかし、あなたはまだそういう人ではないとしよう。 キャリアを構築するときバランスが重要というのは、私に言わせれば、都市伝説に近い。また世間には、成功するには貧乏を経験しなければならないという、苦労礼賛の言説もあふれている。それも本当ではない。 成功への途上でも、報われる経験はたくさんある。けれども若いうちからバランスを最優先事項にするのは、天才でないかぎりいただけない。それでは経済的安定のはしごのてっぺんに到達するのは難しい。 キャリアをどのくらいの速さで駆け上がれるかは、(不公平だが)大学卒業後の5年間でほぼ決定する。 できるだけまっすぐ上昇したいなら、燃料をたくさん燃やさなければならない。世界は簡単に手に入らない。努力が必要だ。とにかく努力、精いっぱいの努力をすることだ。 私は今、バランスが大いに取れた生活をしている。それは20代から30代にかけて、バランスを欠く生活をしていたからこそできたことだ。) 22歳から34歳まで、ビジネススクールに行っていた以外、仕事のほかに思い出せることはあまりない。 この世界では、大きなものではなく素早いものが勝つ。まわりの人より短い時間で、できるだけ先に進むことを目指す。これができるかどうかは才能によるところもあるが、ほとんどは戦略の立て方と根気強さだ。ここにユーザーズ・マニュアルはない。 若いときの私は、仕事のために結婚、毛髪、そして間違いなく20代を犠牲にした。これはトレードオフなのだ。 若い頃にバランスを欠いた生活を送っていたことで、のちにもっとバランスの取れた生活ができるようになった。ただ、そこにはとても現実的な代償があった』、「キャリアをどのくらいの速さで駆け上がれるかは・・・大学卒業後の5年間でほぼ決定する」、そんなに早く決まるとは意外だ。「若いときの私は、仕事のために結婚、毛髪、そして間違いなく20代を犠牲にした。これはトレードオフなのだ」、「毛髪」も「犠牲にした」、思わず微笑んでしまった。
・『人間関係も「複利」で殖える  幸福の計算式:わずかな投資年月=大きな見返り  「この世で最も強い力は複利である」という古い言い回しがある。 貯蓄について考えることは若者にこそ必要なのに、彼らはそれをまったくわかっていない。それは「長期的」という概念を理解できないからだ。 才能あふれる若者の多くが、自分は超優秀だから大金を稼げると思っている。そう、たぶん……しかし万一、そうならなかった場合に備えて、早いうちから、何回となく貯金を始めよう。 それを貯金と考えるのではない。魔法と考えるのだ。1000ドルを魔法の箱に入れると、40年後には、それが1万ドルから2万5000ドルになっている。こんな魔法の箱があるとして、あなたはいくらそこに入れるだろうか。 こつこつ貯金をしていると複利で殖えることは、ほとんどの人が知っている。しかし多くの人は、それが人生のほかのことでも効果を発揮することには気づいていない。 ワン・セカンド・エブリデイは、毎日必ず1秒の動画を撮るためのアプリだ。毎日ほんの少しの時間を割くという投資である。 そして1年の終わりに、私は子どもたちと一緒に座って、その1年を凝縮した6分間の動画を見る。私たちは何度も繰り返しそれを見て、どこにいたかを思い出し、自分が映っていたら笑い、ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッターがどれほど楽しかったかを思い出す。 これはすべての人間関係についても言える。山ほどの写真を撮る、くだらないことで友人にメールする、昔の友だちとまめに連絡を取る、同僚を素直にほめる、そして毎日、できるだけ多くの人に愛していることを伝える。 1日にほんの数分のことだ。最初の頃の見返りはわずかだが、やがて大きなものになる』、「人間関係も「複利」で殖える」、が具体的には、「山ほどの写真を撮る、くだらないことで友人にメールする、昔の友だちとまめに連絡を取る、同僚を素直にほめる、そして毎日、できるだけ多くの人に愛していることを伝える。 1日にほんの数分のことだ。最初の頃の見返りはわずかだが、やがて大きなものになる」、というのは納得できる。
・『幸福の計算式:幸せ=家族  さまざまな面から幸福を評価すると、最高に幸福なのは、結婚して子どものいる人だ。 私は結婚もしたくなかったし、子どもも欲しいとは思っていなかった。今でも幸せになるのに子どもは必須だとは思わない。 しかしまともな父親になり、自分にふさわしい愛する人とともに子どもを育てて初めて、誰もが頭を悩ませる問題に答えが見いだせた気がした。それは「なぜ自分はここにいるのか」という難問だ』、「まともな父親になり、自分にふさわしい愛する人とともに子どもを育てて初めて、誰もが頭を悩ませる問題に答えが見いだせた気がした」、なるほど。
・『「自分を誇れる瞬間」はどのようなときかを知る  幸福の計算式:男らしさ⊆人と人との関係 自分は男らしいと感じると、大きな満足感を覚える(この言い方がどれほど奇妙に響くか、そして女らしさへの見返りについて自分は何も言えないことは認識している)。私の内なるターザンが、つるにつかまって空中を浮遊しているとき、私は幸せだ。 しかし年をとるにつれ、そのつるが変わりつつある。 若いとき自分が男らしいと感じたのは、友人たちに称賛されたとき、見知らぬ女性とセックスしたとき、そして酔っぱらったときだった。 それから年を重ねるうちに、別のつるが現れた。愛情深く信頼される家庭の責任者として家族を養っているとき、また教室や職場で必要とされているとき、私は「雄牛のように強い人間」だと感じる。 サルの群れで多くの雌と交尾できるのは、体が大きかったり力が強かったりする雄ではなく、社会的なつながりを多く持つ雄なのだ。 私自身、自慢げに胸をたたきたくなるのは、次のようなときだ――よき隣人である、法律を守る、自分の出自を思い出す、会うことのない人を助ける、自分の子以外の子にも関心を向ける、投票する。若いときは考えもしなかったことだ。 自分の欠点に真剣に向き合い、足りないものを補う努力をする。要するに、体だけは大人の少年ではなく、本当の大人になることだ。現在の男らしさとは、他人との関わりであり、よき市民であることであり、愛情深い父親であることなのだ』、「自分の欠点に真剣に向き合い、足りないものを補う努力をする。要するに、体だけは大人の少年ではなく、本当の大人になることだ。現在の男らしさとは、他人との関わりであり、よき市民であることであり、愛情深い父親であることなのだ」、素晴らしいまとめだ。
タグ:『ニューヨーク大学人気講義 HAPPINESS(ハピネス)――GAFA時代の人生戦略』 授業「アルジェブラ・オブ・ハピネス(幸福の計算式)」 絶対的な解は存在しない 『死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威』 ネット右翼、実はアクティブで高収入 『愛着障害 「現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病 体と心を冒す悲劇の正体とは何か?」 なるべく多様な答えを知っておいたり、考え付いた方がいいし、なるべく多様な考えや知識を受け入れた方がいい 幸せになる方法を「数式」で表すとどうなるか 愛着障害とは、神どころか、親の愛さえも信じられないこと 「幸せは思ったもの勝ち 可能な限り多様な思考を受け入れる」 キルケゴールにとって、絶望とは、神を信じられないことを意味 『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』著者 若いうちに、大学の卒業証書やほかの資格を手に入れ、大都市に出ることだ 日経ビジネスオンライン 幸福の計算式:幸せ=家族 行動経済学という心理学を応用した経済学は、人間の幸せや豊かさの気分はもっている金額と正の相関関係にないことを示した 和田 秀樹 長い人生を考えたら主観的に幸せでいられる人の方が幸せが長続きする気がする。要するに幸せは思ったもの勝ちなのだ 東洋経済オンライン が、今日、「死に至る病」とは愛着障害にほかならない (その2)(幸せは思ったもの勝ち 可能な限り多様な思考を受け入れる、現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病 体と心を冒す悲劇の正体とは何か?、米国製エリートが心酔する「幸福の授業」の中身 100万人が視聴「GAFA」著者の教えとは何か) 岡田 尊司 何のために勉強するのか 自分の欠点に真剣に向き合い、足りないものを補う努力をする。要するに、体だけは大人の少年ではなく、本当の大人になることだ。現在の男らしさとは、他人との関わりであり、よき市民であることであり、愛情深い父親であることなのだ 「米国製エリートが心酔する「幸福の授業」の中身 100万人が視聴「GAFA」著者の教えとは何か」 生きている世界はしょせん主観的 幸福の計算式:学歴+大都市=お金 「金を稼げない」と「幸せ」は遠ざかる 幸福の方程式:若いうちの頑張り>老いてからの頑張り スコット・ギャロウェイ 愛着障害がもたらす悲劇の恐ろしさ 山ほどの写真を撮る、くだらないことで友人にメールする、昔の友だちとまめに連絡を取る、同僚を素直にほめる、そして毎日、できるだけ多くの人に愛していることを伝える。 1日にほんの数分のことだ。最初の頃の見返りはわずかだが、やがて大きなものになる 幸福の計算式:わずかな投資年月=大きな見返り 「自分を誇れる瞬間」はどのようなときかを知る 最高に幸福なのは、結婚して子どものいる人だ 「ほかにも答えがある」という考え方こそが重要だと私は信じている。というのは、それよりいい答えが見つかったり、今、正しいと思っていることが、どうもうまくいかないと思える時に、フレキシブルに別の答えに移行できるからだ 彼らに言うべきことがあるとしたら、「あなたが自己肯定感を持てないのも、無理はない。それは当然なことで、あなたが悪いのではない。そんな中で、あなたはよく生きてきた。自分を肯定できているほうだ」と、その人のことをありのままに肯定することではないのか 自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。それを高めなさいなどと簡単に言うのは、本当に苦しんだことなどない人が、口先の理屈で言う言葉に思える 通常は、今のところ、正しいと思うことをやるようにしている。 この「今のところ」 愛するに値しない自分、大切にしてもらえなかった自分 生活に疲れ、過労気味の中高年から聞かれるのならまだしも、最も幸福な年代といわれる30代からも、元気盛りの20代からも、そして、10代の中高生や、ときには小学生の口からさえ聞かれる 人間関係も「複利」で殖える 若いときの私は、仕事のために結婚、毛髪、そして間違いなく20代を犠牲にした。これはトレードオフなのだ 「死に至る病」は、生きる希望や意味を失わせ、精神的な空虚と自己否定の奈落に人を突き落とし、心を病ませるだけでなく、不安やストレスに対する抵抗力や、トラウマに対する心の免疫を弱らせることで、体をも病魔に冒されやすくする。現代社会に蔓延する、医学にも手に負えない奇病の数々は、その結果にほかならない キャリアをどのくらいの速さで駆け上がれるかは、(不公平だが)大学卒業後の5年間でほぼ決定する 幸福 勝ち負けで考えない 世界のいたるところで、経済的豊かさを追求する合理主義や、個人の利益を優先する功利的個人主義の代償として、「死に至る病」が広がっている 愛着障害とは、生存と種の維持に困難を生じ、生きづらさと絶望をもたらし、慢性的に死の危険を増やすという意味で、「死に至る病」なのである 「死に至る病」である愛着障害とは何か? 特別な存在との絆である「愛着という仕組み」がうまく働かないと、生存にも、種の保存にも、重大な支障が生じる
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

人生論(その3)(『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談:(前編)オダジマ 入院までの顛末をかく語りき、(中編)五十路は「ラストシーン」に向かい合うお年ごろ、(後編)五十路にして悟る。「嗚呼 人間至る所猿山あり」) [人生]

人生論については、1月3日に取上げた。今日は、(その3)(『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談:(前編)オダジマ 入院までの顛末をかく語りき、(中編)五十路は「ラストシーン」に向かい合うお年ごろ、(後編)五十路にして悟る。「嗚呼 人間至る所猿山あり」)である。

先ずは、7月30日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏、電通出身のクリエイティブ・ディレクターの岡康道氏との対談「オダジマ、入院までの顛末をかく語りき『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談(前編)」を紹介しよう(なお、Qは進行役のジャーナリストの清野由美氏)
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00077/072300001/?P=1
・『いつも御贔屓にありがとうございます。編集Yでございます。 2018年、「日経ビジネスオンライン」から「日経ビジネス電子版」への移行にともない、11年の長きにわたって続いた連載対談「人生の諸問題」は、惜しまれつつ幕を閉じました。 が、しかし。 このたび、みなさまからの熱いご要望に応え、めでたく単行本化とあいなりました。前3冊は講談社様にお世話になりましたが、7年のブランクを経て、今回は晴れて弊社からの刊行です。 私を含めまして、人生には、特に五十路、50代を迎えますと、「こんなはずじゃなかった」的な問題、たとえば「思わぬ入院」に「あいつの出世」などなど、人生の諸問題に遭遇し、煩悶し、どうにも眠れない……という夜がございます。 そんなときに、前向きになれとおしりをたたいてくれる本もよございますが、開いたところからぱらぱらっと読んで、「ばかなことを言ってるな、はっはっは」と、気持ちよく眠れる。手前味噌ではありますが、本書はそのような貴重な本じゃないかな、そうなるといいな、と思います。 ということで、刊行記念の特別対談「人生の諸問題 令和リターンズ」をしばらくの間お届けします。ごゆるりとお楽しみくださいませ。進行役はいつものとおり、清野由美さんです。 小田嶋:今回の、この単行本『人生の諸問題 五十路越え』は、装丁のカラーが、ちょっとこう、還暦の赤い色を意識しているみたいで。 Q:トリスバーのような、若干レトロな味わいです。 岡:でも、このタイトルだと、僕たちが53~54歳のように思われない? 本当は3年前に還暦を越えたんだけど。 小田嶋:まあ、そうは言っても、これは主に俺たちが50代のときに、しゃべっているから』、「人生の諸問題に遭遇し、煩悶し、どうにも眠れない……という夜がございます。 そんなときに、前向きになれとおしりをたたいてくれる本もよございますが、開いたところからぱらぱらっと読んで、「ばかなことを言ってるな、はっはっは」と、気持ちよく眠れる。手前味噌ではありますが、本書はそのような貴重な本じゃないかな」、というのは面白い企画だ。
・『お尻をひっぱたかない生き方指南本(?!)  岡:そうね。自分で振り返ってみると、内容はいいよ、これはなかなか。 小田嶋:なかなかね。 岡:でも、売れるとは思えない。 Q:しょっぱなから、何を弱気なこと、言っているんですか。 小田嶋:いや、でも、最近は曽野綾子さんとか、伊集院静さんとか、年を取った時の生き方本みたいなものが、新しい売れ筋ジャンルとして書店のコーナーに現出しているので。ほら、樹木希林さんとか。 岡:希林さんは、亡くなってしまったじゃないか。 小田嶋:希林さんはお亡くなりになって、もともと引っ張りだこだったところ、需要がさらに高まったけれど、年を取って、何がめでたいと言ってみたり、男の流儀と言ってみたりと、私らの尻をひっぱたく本が結構出ていますよね。それらが売れるということは、俺らの、この本の、まるで尻をひっぱたかない価値を分かってくれる人というのは、かなり珍しいというか。 Q:そこは、なかなか珍しいし、難しいです、はい。 岡:難しいよね。これが養老孟司さんぐらい有名な学者とかだったら、何を言ってもアリになっちゃうんだけどね』、「養老孟司さんぐらい有名な学者とかだったら、何を言ってもアリになっちゃうんだけどね」、というのは確かにその通りなのだろう。
・『「いい酒を家飲みしたような読後感」  小田嶋:養老孟司さんのポジションだと、確かにいいよね。 岡:だって養老孟司さんのいる場所は、僕たちが攻めている場所とわりと似ているよ。 Q:タバコは体にいい、などという岡康道学説の関連ですか? 岡:そう。ただ僕たちは、攻めているのか、たたずんでいるのか分からないんだけど。 小田嶋:我々はまだ養老先生の、あの確固たる位置がないから、たばこを吸うと長生きするよ、禁煙は害だよ、なんて言えない。 岡:正直、言えない、言えない。ただ、この間、ある作家の人が、既刊本(『人生2割がちょうどいい』『ガラパゴスでいいじゃない』『いつだって僕たちは途上にいる』いずれも講談社刊)を、どこかで絶賛してくれていたよ。「いい酒を家で飲んだ後のような読後感」って。だから今回は、ウシオ先生のところにも1冊送るとするか。 Q:ウシオ先生は『人生2割がちょうどいい』に登場される、お二人の高校時代の恩師ですね。 小田嶋:そうだね、ウシオ先生には送ってもいいかもしれない。 Q:テストで零点を取り続けていた、やさぐれ高校生の小田嶋さんを、見捨てずにいてくださった先生は、今、おいくつぐらいですか。 小田嶋:長嶋茂雄と一緒で、当時で38~39歳。だから、今は83歳ぐらいですね。 岡:東大を出て小石川高校で教鞭を執っておられたんだけど、今から思うと、当時はすごく若かったんだね。数年前に高校を卒業して初めてのクラス会があった時に、18歳から40年ぶりぐらいに、ウシオ先生とは再会したんだよね。 小田嶋:その時に先生は「片耳の聞こえが悪いんだ」と言っておられたんですよ。あの先生は60歳を過ぎたくらいの時に、地下鉄駅で自分の靴ひもを踏んで、階段から転げ落ちたという過去を持っている。 岡:そんな大変な目に遭っていたのか。 小田嶋:だから、「きみたち、靴はひものないものを履きたまえ」というのが先生の助言で。 岡:そのあたりが洒脱なんだよ、ウシオ先生は。 小田嶋:ただ、問題は靴ひもが、なぜほどけたか、ということで。ウシオ先生いわく、自分がこうなって利益を得る人間は妻しかいない。ゆえに妻のことを少し疑っている、と(笑)。 Q:うーん、その手があったか。いいトリックを聞きましたね。 岡:それだと、土曜ワイド劇場。 小田嶋:まあ、だから前に戻って、養老孟司先生だったら、何をおっしゃっても、それを押し通す力がすでにあるということですよ。 岡:だって、ずっと解剖をやっていた先生でしょ。それはまねできないですよ。 小田嶋:解剖と昆虫はやっておくものだよね。周囲を見ていると、昆虫人脈というのは、なかなか、あれはあれで、ばかにならないな、と最近思うようになって。  Q:岡さんは昆虫はいかがですか。 岡:昆虫? 全然だめ。 小田嶋:ところが昆虫をやっている同士は虫の話で分かり合えて、こいつはいいやつだみたいに、一挙に人間関係の壁を取ることができる。そういう趣味って、ほかにあんまりないのよ。 岡:それって、野球とかサッカーとかの話じゃだめなのかな。 小田嶋:サッカーが好きだとか、音楽が好き、車とか鉄道が好きだとかいうのは、張り合っちゃって、あんまり打ち解けないでしょう。 岡:野球好きだと、「ほう、そう言うおまえは昭和47年の夏の甲子園を見たのか?」みたいな話になるな。 小田嶋:ただ、野球好きの不思議なところは、たとえば阪神ファンとカープファンは、試合で当たれば敵同士なんだけど、酒場で一緒になって、「あ、野球が好きなんですか」という展開になると、同じ野球好きとして全然話が通じ合うというところですよ。 岡:「巨人ファンです」と言われると、ちょっと壁ができちゃうんだけど、それ以外のファンって、広島にしても、横浜にしても、だらしなく負けていくチームがたくさんあるから、ファン同士が人間のある種の弱さのドラマに自分の弱さを投影して、意気投合できる。 小田嶋:野球ファンって敵チームのことをすごくよく知っているでしょう。「マエケンがいなくなって大変だよね」とかいう話をされると、「そうそう、そこはですね」ということで、話はいくらでもあるわけで。 岡:ダルの離脱に至っては、みんなが被害者になっちゃうから連帯が生じる(笑)。 小田嶋:ところがサッカーファンは、そこのところが案外かたくなで、ほかのチームのファンとは簡単に打ち解けないところが、ちょっとある。 岡:プロ野球はサッカーに比べて試合数が多いから、というところは一つあるんじゃないか。僕たち野球ファンは、勝ったり負けたりすることが日常化しているわけですよ。 小田嶋:あ、それは一つあるね。野球ファンは、試合の結果を1週間も引きずらないんだね。 岡:試合は毎日あるから、「あのゲームは忘れない」と思いながら、すぐ忘れて次に懸けてしまう。 小田嶋:どんどん話が流れるから、そこがいいんだね。なるほど、なるほど』、「サッカーが好きだとか、音楽が好き、車とか鉄道が好きだとかいうのは、張り合っちゃって、あんまり打ち解けないでしょう」、言われてみれば、その通りなのかも知れない。
・『オダジマ、“一丁目”を覗く  Q:と、雑談の流れはとめどがありませんが、さて、小田嶋さん。今回は「地獄の一丁目」に行ってきた話をぜひ。小田嶋さんが入院されたということで、みんなが心配をしていました。 小田嶋: そうですね。実はまだちゃんと一丁目から帰ってきているわけでもないんです。 Q:ことの発端はどういうことだったのですか。 小田嶋:そもそも、ある日、唐突に視野が狭くなったんです。 Q:ちょっと、それ、めっちゃ怖いじゃないですか。 小田嶋:ちょっと嫌だったけど、俺は深刻視していなかった。それで、「何か左上半分、3分の1が見えないぞ」というのをツイートして、そうしたら早速、「私はどこそこで医師をやっています」といった方たちから、「自分の身内だったら今すぐ救急車を呼びます」といった返信がだーっと届いて』、小田嶋氏ほどのツイッターには思わぬ効用があるようだ。
・『始まりは脳梗塞だった  岡:つまり、それは脳梗塞ですよ、と。 Q:典型的な症状なんですか。 小田嶋:わりとよくあることみたいですよ。 Q:気を付けましょう、みなさん! 岡:それって、「あれ、今、内角球が打てなかったな」とか、そんなこと? Q:だから、野球の試合に出る暇なんてないんです!! 小田嶋:内角、外角どちらの球も打てないだろうけど、視野を追っかけると、自分が注目しているところの少し左上ぐらいが見えない感じになるんですよ。要するに視野が欠落しているという。自分の手を差し出してみると、もちろん欠落部分は何も見えない。要するに、神経のすぐそばのところの脳細胞が壊れて、信号の伝達が阻害されていたわけです。 岡:それは回復するものなのか。 小田嶋:入院して1カ月後に視野検査というやつをやったら、ある程度回復したんだけど、少しは残っていました。もしかしたら、ずっと残るかもしれないけど、日常生活には影響のない程度の視野欠落だから、まあ問題はないというか。 Q:それでいったん退院されて、一同がほっとしていたところに、再入院の知らせが入ってきました。 小田嶋:最初は脳梗塞だったわけですが、さかのぼって言えば、なぜ脳梗塞になったのか、という因果があって。 Q:確かにそうですね。 岡:ここで僕が解説をしますと、小田嶋の場合は血小板が壊れちゃっていて、不必要なところで固まったり、大事なところで固まらなかったりという、厄介な症状が隠れていたわけです。 Q:あ、財前教授(※)の再来だ。※この意味は、単行本『人生の諸問題 五十路越え』215ページでどうぞ。小田嶋さんが自転車で転んで膝を骨折、入院の憂き目に遭っていたころのお話です。 小田嶋:要するに血液の疾患があって、血管の中に小さい血栓が山ほどできる、と。それができるおかげで、血液の中の凝固物質が浪費されちゃう。そこで浪費されているから、何か切れたとか、内出血があったときに血が止まらなくなって、それが危ないよ、というのが一つ。もう一つは、小さい血栓ができると、細い血管がそれで詰まる場合があるよ、と。それが脳だったり、腎臓だったりすると、脳のあたりは血管の一番集まっている部位だから、梗塞ができる場合があって危ないですよ、ということですね。 岡:そこから先は順序として、取りあえず全身を検査しよう、ということになるよね。 小田嶋:そうそう、それでずっと検査していたの。そうしたら、大腸も大丈夫、胃も大丈夫、じゃあ血液かな、というので、今も検査が続いている、ということです(注:鼎談収録は7月初旬)。 岡:小田嶋の場合、不思議なのは、自覚症状が何もないところなの。 小田嶋:去年の10月から、何となく体重が減ってきたぞという以外には、特に何もない』、「最初は脳梗塞だったわけですが、さかのぼって言えば、なぜ脳梗塞になったのか、という因果があって・・・小田嶋の場合は血小板が壊れちゃっていて、不必要なところで固まったり、大事なところで固まらなかったりという、厄介な症状が隠れていたわけです・・・不思議なのは、自覚症状が何もないところなの』、というのは、恐ろしいことだ。
・『今ならマージャンに勝てる!  Q:その場合、疲れやすいということはないんですか。 小田嶋:全然ないよね。 岡:だから、病気なのかな、それって。 小田嶋:今後は悪くなるのを待って、疾患名を確定しましょう、といった中ぶらりんの状態になっているんです。 岡:早く治してほしいんだよ。この状態だと、マージャンに誘いにくいじゃないか。 小田嶋:今、マージャンをやったら、たぶん強いと思うんだよね。 Q:何か妙な自信が。 岡:だって、自転車事故で膝をやった時の、小田嶋のあの異常な強さというのはね、あれは何かの磁場が狂ったようでしたよ。 Q:この辺も、お分かりになりづらいという読者の方がいらしたら、単行本でぜひ。入院すると雑念が薄くなって、脳が整うのでしょうかね。 岡:いや、小田嶋側の問題ではなくて、この状態だと、何となく小田嶋からは上がりにくいというのが、僕たちの方に出てくるんだよ。 Q:そちらでしたか。 岡:できることなら、ほかのやつから上がりたい。そういう気持ちをほかの3人が持っていたら、小田嶋はもう無敵ですよ。 小田嶋:ただ、再入院となった時は、結構あせったね。 Q:それはいったん奈落の底ですよね。 小田嶋:俺に限って、と、やっぱりちょっと思った。(次回に続きます)』、「今後は悪くなるのを待って、疾患名を確定しましょう、といった中ぶらりんの状態になっているんです」、には驚かされた。医学もまだまだのようだ。

次に、この続きを、8月6日付け日経ビジネスオンライン「五十路は「ラストシーン」に向かい合うお年ごろ 『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談(中編)」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00077/072400006/?P=1
・『Q:前編は、小田嶋さんがのぞいてきた「地獄の一丁目」のお話をうかがいました。 小田嶋:まあ、別にまだ一丁目から帰ってきたわけじゃないんだけどね。 岡:でも、小田嶋は別に変わらなかった。深刻になってもいなかった。むしろ面白がっているような感触もあった。 小田嶋:だって、表面的にはどこも痛くないから、結局、あんまり深刻に考えようがないのよ。 岡:何しろ自覚症状がないんだもんね。 小田嶋:最初の脳梗塞では、入院当日と翌日に、言語療法士および運動療法士といったリハビリスタッフの方たちが来て、俺はテストを受けたの。「100から7を引いてください、そこからまた7を引いてください」って。 Q:ひー、そんなの、できないっ。 岡:今からできないと言って、どうするの。僕もできないけど。 小田嶋:リハビリテストの定番なんだけど、「自動車」と「おでん」と「大根」とか3つの単語を初めに覚えてください、と。で、「覚えましたね」と言われた後に、「100から7を引いてください」「また7を引いてください」が来て、それで40いくつまで行ったぐらいの時に、「さっきの3つの単語は何でしたか?」と聞かれるの。まあ、子供の時にやった知能テストみたいなものですね。 岡:嫌だな、それは。 小田嶋:鳥とネズミと何とかが4ついて、仲間外れはどれですか? みたいなものとか、パズルになっていて、はまらないのはどれですか? みたいなやつ。いい大人にこれをやらせるのか、と、ちょっと屈辱を感じつつやって、自分ではそこそこできたつもりでいたんだけど、後で聞いたら当日のスコアは結構やばかったみたいで。 Q:そこらへんも、自覚症状はなかったんですね。 小田嶋:自分じゃ全然自覚がなかったけど、入院当日、翌日、最終日で比べると、当初の数字はやばかったらしいの。 Q:うーむ。 編集Y:介護関連の連載をやっていますと、よくコメント欄に「自分は認知症になったら、人に迷惑をかけたくないから自死する」ということを書き込む方がいるんですが……。 Q:わっ、唐突に何を?』、「リハビリテスト」、「いい大人にこれをやらせるのか、と、ちょっと屈辱を感じつつやって」、というのは健康ではあっても高齢化している自分にも出来る自信がない。
・『編集Y:最近、このお話を日本でも指折りの認知症の研究者の方にお聞きしたら「そもそも、症状の進行を自分で把握できる方はめったにいません。実際にはまず無理でしょう」とおっしゃっていました。 小田嶋:そうそう。自分がどれくらいやばいかというのは、なかなか自分では分からないんだよ。 編集Y:その先生によると、「どこからが認知症なのか」という区分も実は曖昧で、「研究者として、今の自分自身を見れば、ああ、俺はゆっくりと認知症になりつつあるな、と考えることもできる」のだそうです。 小田嶋:うーむ。 Q:健康と病気の区分も実はあやふやなものかもしれません。 編集Y:そのグレーゾーンが年とともに広がってくる、ってことでしょうかね。 岡:僕は時々、病院に小田嶋を訪ねて、経過を見ていたんだけど、同世代、しかも昔から知っているやつが入院しているとなると、結構自分の方が調子悪くなるんだよね。 Q:ああ、それは分かる気がします。身につまされるお話ですね』、「「どこからが認知症なのか」という区分も実は曖昧で、「研究者として、今の自分自身を見れば、ああ、俺はゆっくりと認知症になりつつあるな、と考えることもできる」のだそうです・・・健康と病気の区分も実はあやふやなものかもしれません」、確かにその通りなのかも知れない。
・『「そういう夢」を持って生きねば  岡:小田嶋の病室を訪ねる度に、俺も調子が悪いな……というふうに、だんだん気分がうつってきて。そういうことを感じたのと、あと、全体として思ったのは、もう60歳を過ぎたら、誰でも死はそれほど遠くのものではないな、ということ。 小田嶋:俺は死ぬなんてことはあんまり考えなかったけど、これが厄介な病気だった場合に、仕事を休まなきゃいけないとすると、ちょっと入院費も大変だなとか、入院費が大変なのは何とかなるとして、仮にいかんことになった時に、もしかするとこの出版界の常識としては、かえって需要が高まるという変な話になろうか、ということはちょっと意識したよね。 Q:うーん、そこに行きましたか。 岡:そんなことを意識して、どうするの。 小田嶋:だから樹木希林さんなんかのベストセラーも、まさにそういうタイミングで、その辺のことは、この先ちょっと考えなきゃいけないな、とは思いましたね。 Q:小田嶋隆、遺産をなす、みたいなことですか。 小田嶋:そうそう、ゴッホじゃないけど、あの人も生きているうちはあんまり大したことはなかった。でも、死んだら急に「ゴッホ、いたよね」みたいなことになり、俺にしても、そういうことに夢を持っていかなきゃいけない、というのがあった。 Q:いやいやいや、これ、今、すごい話になっちゃいましたね。人生の諸問題がついに終活に及んできました。岡さんの方は大丈夫ですか。 岡:僕は昨年の秋に不整脈が起きました』、「死んだら急に「ゴッホ、いたよね」みたいなことになり、俺にしても、そういうことに夢を持っていかなきゃいけない、というのがあった」、コラムニストのように作品を残している人ならではの捉え方のようだ。
・『五十路はどんどん病気に詳しくなる  Q:それはそれで大変でしたね。 岡:車で出かけていた時だったので、このままでは運転が危ないな、というか、これが狭心症の前ぶれだったらやばいぞ、と思って、病院に直行しましたけどね。 小田嶋:その場合はどうなるの? いきなり倒れるとか、変なことが起きるのか。 岡:僕の場合は幸い狭心症じゃなくて、ただの不整脈だったんだけど。不整脈は心臓が規則的に脈打たないということだから、倒れはしないんだけど、しゃがみたいぐらいの感じにはなる。その時は、病院で薬を飲んで、じっとしていたら収まったんだけど、ともかくそういう持病があるということが分かったね。 小田嶋:不整脈というのは、やばい方面と大丈夫な方面とに分かれているんですか。 岡:不整脈は、言ってみれば、ただの電気的な乱れだから、それ自体では人は死なないんだって。ただ不整脈っていうくらいだから、脈が一瞬、不整になって止まる感じがするんだよ。心臓の鼓動がずれるというか、それが、とても気持ち悪いの。 小田嶋:それで血栓ができてしまうということにはならないのかい? 岡:血栓とは別なんだよ。といっても、血栓だって、この年になったら、すでにあるかもしれない。ただし通常では、血栓は多少あっても、別にどうってことはないといいます。よくないのは、不整脈で一瞬止まった心臓は、次に脈打つ時には、遅れを取り戻すために、何倍かの強さで打つ。その時に費やされる何倍かのエネルギーが、普通では飛ぶはずのない血栓を飛ばしちゃって、それが脳とか心臓とかに行っちゃうことがあるという。 Q:それは不安ですね。 岡:不整脈は起きない方がもちろんいいんですよ。ただ、起きても、不整脈では死なない。死なないけれども、リスクが高まる。それは血栓が飛ぶリスクである、と、こういう整理ができる。 Q:そうやって、みんな、どんどん病気に詳しくなっていきますね。 小田嶋:それは薬で何とかなるものなの? 岡:不整脈に薬はないんだけど、万一、狭心症になった場合用に、舌下に置くニトログリセリンは渡されている。まあ、病気ではないけれど、「あなたはいつ不整脈が起きるか、もはや分からないよ」という状態は、結構苦しいんだよね。実際、ちゃんと脈が打たなくなると、メンタルで慌てちゃう。これはもう俺の持病なんだ、という精神的な設定をきちんと行って、普段から薬を携行するようにはしている。 Q:そういうこともあり、小田嶋さんのご入院に際して、いつにない感情移入があったんですね。 岡:それはあったかもしれないですね』、「五十路はどんどん病気に詳しくなる」、確かに友人たちと飲む際の話題も病気のことが多くなった。
・『欠落こそが、才能だ  Q:で、不整脈についても、いつものように、ご自分の症状を周りに広く告知されて。 岡:そんなこと、していませんよ。するわけがないじゃないですか。 小田嶋:おまえは昔、自分の左脳には、あるべきはずの太い血管がないんだよ、という話を、ぐいぐいとしていなかった? それで、何か交通事故とかに遭って、意識不明になった時に、医者が「あ、左脳の血管がない」と驚いて、バイパス手術を施されてしまう恐れがあるから、その時は俺たちが止めるように、とか何とか、みんなにがーがーと言い置いていたよね。*この連載のスタート時の、懐かしいエピソードです。詳細は『人生2割がちょうどいい』(講談社)36ページでどうぞ。 岡:よく覚えているね。 Q:それを聞いて、小田嶋さんが「価値とは欠如である」というようなサルトルの言葉を引用されていました。 小田嶋:岡の左脳に血管がない、ということは、それは俺としては、すごく腑に落ちる話だった。左脳って論理をつかさどる方でしょ。だから。 岡:失礼な。細い血管はいっぱいあるぞ。ただ、メインの太い血管がない、というだけで。 小田嶋:そこで太いメインの血管に代わって、細い血管が独自の不思議な伝達発信ネットワークを張り巡らせちゃっている、というところが、いかにも岡の脳なんだよ。 Q:オンリーワンの才能の原点は、脳の異常にあった、と。 岡:そういうことを小田嶋には言われたくない、というのはあるんだけれど、でも、もう60歳過ぎたら、それぞれにいろいろ何かあるんじゃないの。調べれば、ぽろぽろ出てくるよ、みんな。 小田嶋:それはありますよ。 Q:私は先日、人生で初めて寝起きにベッドから落ち、気を失って、自分の運動能力の衰えに恐怖を感じました。 小田嶋:うーん。清野さんもいい年になってきましたね。 Q:はい、五十路の最終コーナーです。 岡:えー、ということは、僕たち、いったい何年、こうやって話しているの? Q:干支一回り分です。この対談の初回は2007年でした。 岡:ということは、みんな、それぞれが死に近づいていることだけは確かなんだよ。 小田嶋:嫌なことだけど、それは真実ですね。 岡:唯一の真実。それで今回、小田嶋の入院にあたり、僕が小田嶋から学んだことがある』、「左脳には、あるべきはずの太い血管がないんだ」、「太いメインの血管に代わって、細い血管が独自の不思議な伝達発信ネットワークを張り巡らせちゃっている」、こんなケースもあるというのは、驚かされた。
・『軽~く処さないと、やっていられない  Q:何でしょう? 岡:「なるほど、あのぐらい軽く処さないと、やっていけないな」というスタンスでした。 Q:確かに今回、小田嶋さんは他人に対するように、自分に対して客観的でしたね。 岡:自分の死に対する恐れは軽く処理する。そのぐらいがちょうどいいな、と。 Q:人生2割がちょうどよく、さらに死は軽く処すのがちょうどいい、と。 岡:そう、軽ーく、ね。だって、重く行ったらどうしようもない。そっちを突き詰めると、最終的に、だったら自分で死のうか、というところに行ってしまう。 小田嶋:実際、60歳になるともう、共通の知り合いがそれで何人か死んでいるし。 岡:だから、俺は逆に考えよう、と。 小田嶋:そのあたりは、無意識に刷り込んじゃった方がいいよね。 岡:その意味で、小田嶋が入院してくれたおかげで、いいことを知ったぞ、という思いがあった。親が死んだ時は、当然よく分からなかったけれど、同世代なら――特に小田嶋なら考えていることは、おおよそ分かるでしょう。 小田嶋:まあ、こういう機会がないと、処し方なんて分からないね。 編集Y:ここで編集者として一言コメントを差し挟ませていただくと、お見舞いにうかがって、何を話していいのやらどぎまぎする私に小田嶋さんは「病状によっては、まとまった時間が手に入るわけだから、仮によろしくない事態になっても、その過程できちんと1冊分を書く時間ができるね」と、おっしゃいました。私はそのプロフェッショナルな言葉にいたく感動しました。 Q:じゃあ、小田嶋さんのサバイバー日記は、日経BPさんということで、よろしくね。 編集Y:光栄です。 小田嶋:いや、そんな軽く処理されても困るんですけど。 岡:まあ小田嶋は、ここで笑って会話ができるぐらい客観的だった、ということです。 Q:「日経ビジネス電子版」の週刊連載もほとんど落とさずに続けられました。 編集Y:はい、クオリティーもまったくいつも通りに。ありがとうございます。 小田嶋:入院中に執筆環境が整うというのは、前に竹橋で足を折って、12週間入院した時に実感していたことですよ。今回はPET検査、エコー、MRI、CT、内視鏡って、検査のオンパレードで多忙だったわけですけど、文章でも書いていないと気持ちが紛れなくて、だからちょうどよかった。 Q:コラムニストになるべくして生まれてきた「ナチュラル・ボーン・コラムニスト・オダジマ」ですね。(次回に続きます)』、「ナチュラル・ボーン・コラムニスト・オダジマ」とは言い得て妙だ。

第三に、上記の続きを、8月20日付け日経ビジネスオンライン「五十路にして悟る。「嗚呼、人間至る所猿山あり」『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談(後編)」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00077/072400007/?P=1
・『岡:ところで小田嶋は入院の検査の時に、多幸感を味わうことはできた? Q:は? 小田嶋:何、それ? 岡:僕、人間ドックで大腸の内視鏡検査を定期的に受けているんだけど、あの検査の時は麻酔ですごく幸せになるの。僕の場合、体が大きいから1人前だと全然効かなくて、めちゃくちゃ苦しい。だから2人分にしてもらって苦痛をやわらげるんだけど、そうなると今度はめちゃくちゃな幸せが襲ってくるの。だいたいみんな、検査の時は寝ちゃうと言うんだけど、寝たらもったいないから、必死で起きているわけ。それで、もうちょっと増やしてもらってもいいな、なんて思っていたりしたんだけど、それ以上増やすと心停止するかもしれませんよ、ということで。 小田嶋:それって、いわゆるマイケル・ジャクソンの「あれ」じゃないのか。 岡:そうね。確かにあれだね。マイケル・ジャクソンはお金持ちだったから、医師を雇ってどんどん買えた。買える人は、そうやって、どんどん打っちゃって、死に至っちゃう。だから、やばい。 小田嶋:完全にプロポフォール(マイケルさんの死因とされた強力な麻酔薬)じゃ……。 Q:その薬名で検索すると、「胃カメラ」で投与されるそれに依存して、不正に内視鏡検査を受け続け、逮捕された韓国の男の話が出てきます。2年で548回も内視鏡検査を受けていたそうです』、「プロポフォール」欲しさに、「2年で548回も内視鏡検査を受けていた」、信じられないような話だが、マイケル・ジャクソンも常用したのだから、余程、快感が味わえるのだろう。
・『「幸せはケミカルで手に入る」という恐ろしい真理  岡:僕も一時は、病院を転々とすれば、各回でこの幸せが味わえるんじゃないか、とも考えた。日本は法令によって、そういうことは厳格にできないようになっているんだけど、これを知って、小田嶋がアルコール依存症だったことも、少しは理解できる気持ちになった。 小田嶋:ただ、アルコールとタバコは、そっちの報酬系じゃないんだよ。体に取り入れることで、素晴らしく気分がよくなるわけじゃなくて、むしろ取らないことで気分が下がるという。 Q:やっぱり、小田嶋さんが言うと説得力がありますね。 小田嶋:ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンをモデルにした「ラブ&マーシー」という映画があって、彼が精神を病んだ時の話なんだけど、その時にかかった医者が精神科医で、そいつに薬で骨抜きにされた揚げ句に、財産を持っていかれの、出すレコードからスケジュールから全部管理されので、結局10年近く支配されていたのね。ある時、事務の女の子が、ウィルソンの身辺があまりにおかしいことに気付いて、その彼女の助けで医者を訴えて、ようやく世間に復帰できた、という話なんだよ。そう考えると医者って怖いよね。何でもできるんだもの。 岡:怖い。そんなに欲しいんだったら、うふふ……とか言われて量を3倍にされたらやばかった。 小田嶋:たとえ百害があっても、今、死ぬんじゃなくて、10年やっていたら死にますよ、ということだったら、やっちゃいますよ、人間は。 Q:ああ、ここでまた妙な説得力を出さないでください。 岡:まあ、僕の場合大腸カメラは2年に1度だし、胃カメラは1年に1度なんだけど、胃カメラの時の量は少ないから、どうってことはない。で、僕たちは、今回の本について、役に立つことを言わなきゃいけないんですよね。 Q:言ってくださるとありがたいんですけど、後編のこのタイミングで、唐突に思い出されても遅いですし、すでにずいぶん前から諦めていますので、別にいいですよ。 岡:あのですね、サラリーマンにとって一番つらいのは、50代なんですよ』、「アルコールとタバコは、そっち(プロポフォールなど)の報酬系じゃないんだよ。体に取り入れることで、素晴らしく気分がよくなるわけじゃなくて、むしろ取らないことで気分が下がるという」、さすがアル中で苦しんだだけあって、脳のメカニズムの違いまで説明するとは、さすがだ。
・『Q:あ、それは『人生の諸問題 五十路越え』で、すでに十分語っておられますので……。 岡:会社の中で、訳の分からないゲーム、ルールが分からない最終ゲームが始まって、なんだかよく分からないぞ、と、まごまごしているうちに勝ち負けが決まっていって……(と、進行役の清野の仕切りを意に介さないで話を続ける岡康道であった。50代がなぜ辛いのか、詳しくは単行本でお読みください)。 Q:……(仕切りをあきらめて)はい、あらためてお話を引き取りますと、ここにいるみんなが、男性女性を問わず、その苦しさを実感しています。 岡:ただ、僕や小田嶋みたいに会社を途中で辞めてフリーランスになった人間は、そういうのがない。だから五十路についてかくも深く気楽に話し合うことができたのは、フリーランスを選んだ者の特権じゃないだろうか。 小田嶋:サラリーマンをやっていたら、話し合えないよね。その時期に、一番分かり合える人間と、一番遠ざからなきゃいけなかったりするし。そこが面倒くさいところだよね』、「五十路についてかくも深く気楽に話し合うことができたのは、フリーランスを選んだ者の特権じゃないだろうか」、というのはその通りだろう。
・『うまくいったあいつ、いかなかった自分  岡:だって一番仲良かったあいつが執行役員になって、俺が子会社に出向になった、ということが五十路のサラリーマンには起きるじゃないか。 編集Y:(手を振り挙げて)はい、はい、この場で唯一の五十路サラリーマンから。仲良しのあいつが国立大の教授に転職して、俺が副編集長からシニア・エディターという肩書になる、みたいなのもありますよ。 Q:それって、元・日経BPのプロデューサーで、「諸問題」チームの一員でもあったヤナセ教授のことですね。 編集Y:そうなんですよ。 小田嶋:シニア・エディターって何? 編集Y:直訳すると、年寄編集者です。「年寄って大相撲かよ。何で彼が教授で、オレが年寄編集者なんだ」って思いが……。 Q:編集Yさん、気持ちは分かるけど、カッコ悪いわね。 編集Y:ううう。 岡:で、自分の中でも、それから社内でも、なぜなぜなぜ、っていう話が渦巻くわけじゃない。それが人事異動という形で1年とか半年にいっぺんぐらい起きるわけじゃない。それに比べると僕たちフリーランスの人生は、そういう波乱はないわけだから。 小田嶋:日本経済が上向きのころだったら、そのあたりは処理できたんだよ。中島みゆきが主題歌を歌っていたNHKのあれ、何という番組だったっけ? 岡:「プロジェクトX」のこと?。 小田嶋:そうそう「プロジェクトX」。 Q:ちょっと一瞬、脳梗塞で入院時の小田嶋さんの記憶レベル(※こちら)になっちゃいましたね。 小田嶋:あの番組は、今見ると全部ブラック企業の話なんだけど。 岡:僕は喜んで見ていたけど、確かにそうだな。 小田嶋:冷静に見ると、みんないきいきとブラック残業にいそしんでいました、というひどい話ばかりなんだけど、あれをすごくハッピーな物語として処理できていたのは、経済が右肩上がりの中の話だったからですよ。同じことを、現在の縮みゆく社会の中でやったら、ありえないでしょう、ということになる。 岡:実際、世の中の動きとして、ありえない、という方向性になっているしね。 小田嶋:今の50代の人たちがキツいというのも、この先、日本は成長が見込めない時代になるよ、ということがでかいよね。)岡:この先に年金がちゃんと待っているよ、とか、でかい退職金が来るよ、とかいうことはなくなっている。 小田嶋:その代わり、「この先、俺はどうなっちゃうんだろう」という思いは、あふれるほど出てきている。 Q:これはキツいですよね。 小田嶋:ここから、要するに俺たちの還暦以降の身の処し方という問題にもつながっていくんだけど、これが入院をしてみると、周りはだいたい定年後のじいさんが主流なんだよね。 Q:小田嶋さん、岡さんのちょっと先輩の人たちですね。 小田嶋:入院時のじいさんたちと、ばあさんたちの身の処し方の違いというのは、すごい明らかで、じいさんたちのだめさ加減というのが病院では際立っているんだよ。だいたい看護師さん相手にいばって、迷惑をかけている感が、じいさんはとても強いのね。 Q:病院に行くと、無用に偉そうで横柄なおやじに遭遇しますよね。 小田嶋:あんた、別に会社じゃ偉かったのかもしれないけど、ここに来たらただの病人のじいさんでしょう、ということが、おやじたちは本当に分かっていないですよ。 岡:うん、分かっていない。 小田嶋:それこそ、タメ口のナースさんとか、上から目線で「だめでしょう、小田嶋さん」とか言ってくるナースさんとかがいるわけだけど、そういうコミュニケーションに対応できない』、「「プロジェクトX」・・・冷静に見ると、みんないきいきとブラック残業にいそしんでいました、というひどい話ばかりなんだけど、あれをすごくハッピーな物語として処理できていたのは、経済が右肩上がりの中の話だったからですよ。同じことを、現在の縮みゆく社会の中でやったら、ありえないでしょう、ということになる」、確かに時代の変化で価値観も大きく変わるようだ。「あんた、別に会社じゃ偉かったのかもしれないけど、ここに来たらただの病人のじいさんでしょう、ということが、おやじたちは本当に分かっていないですよ」、といのは確かにありふれた光景だ。
・『上下関係が決まらないと話せない?!  岡:そういうのは、僕、嫌だな、タメ口なんて。 Q:岡さんは、「なんだ、きみは(怒)」って、あっち側にいく恐れがありますね。 岡:何よ、それ。 小田嶋:おっさんやじいさんたちは、そういう人間関係の初動段階で、すぐに怒っちゃう。だけど、おばあさんたちは全然、フレンドリーなんですね。ナースさんに対しても、おばあさん同士でも、すごく仲良しなんです。しょっちゅう井戸端で集まって、いろいろな話をして、入院生活をエンジョイしているんですよ。 一方、じいさんたちはお互い没交渉で、じいさん同士で口をきくなんてことはない。俺だってじいさんと話をするなんて嫌だから、全然口をきかない。ということで、男はフレンドリーになりようがないのよ。つまるところ、男は上下関係が決まらないと、付き合いができないんですよ。 Q:どっちが上かということですね。 小田嶋:女性はフラットな人間関係で、多少年が違っても、「あら、こんにちは」とか言って、いきなり話し始めてフレンドリーにできるんですよね。 編集Y:どうですか、女性側から見て。 Q:内心は違いますよ。 岡:内心はね。でもママ友というのがあるでしょう。あれはどういうことなの。 Q:仮面をつけて付き合う……とか。 岡:そういうことなの。 小田嶋:でもママ友というのも不思議なもので、男性の上下関係に当たるものが、自分の子供の成績だったり、自分のだんなの稼ぎだったり、あるいは自分の子供が行っている学校のグレードだったり、そういうもので結構自在なんですよ』、「男は上下関係が決まらないと、付き合いができないんですよ・・・女性はフラットな人間関係で、多少年が違っても、「あら、こんにちは」とか言って、いきなり話し始めてフレンドリーにできるんですよね』、確かに男は付き合いでは、本当に不器用だ。
・『男も女も、人間に「猿山」あり  編集Y:男性は会社しか「猿山」がないのに、女性にはいっぱい猿山があって、自在に出し入れができるみたいな感じなんですかね。 小田嶋:男の方がわりと座標軸がシンプルなんですよ。だから、会社の中の評価軸があやふやになってくる50代はキツい。 岡:だって、ママ友はいても、パパ友なんて聞かないでしょう。 編集Y:いえ、私、パパ友いますよ。息子同士が中学校の親友で、そのお父さんと仲良くなりました。 小田嶋:ありゃ。 編集Y:で、一緒にゴジラ映画とか見に行ってます。 小田嶋:ああ、それは「パパ友」ではなく、いわゆる「オタ友」というやつですね。 編集Y:あ、そっちだったのか、俺。 Q:猿のオスも、猿山の序列から離れると、ひとりぽつねんとしていますよね。ヒトのオスも、入院で社会的な鎧がなくなると、より猿山の原点に返っていくのでしょうか。 小田嶋:人のオスはグルーミング(毛づくろい)とかとも無縁だよね。そもそも俺自身、グルーミングのような、マッサージのような、ああいうの、ダメなの。 岡:僕もオイルマッサージとか、鍼とか、だめ。 小田嶋:病気に効く、ということで受けてみたとしても、途中で気持ち悪くなって。俺、だいたい肩って凝らないから。 岡:マッサージの人に言わせると、「岡さん、背中も肩も、ぱんぱんに張ってますよ」ってことなんだけど、僕も自覚がない。だから関係ないよ、いいんだよ、ということにしている。 小田嶋:俺、人生で1度だけ肩が凝ったことがあるのは、高校の時に陸上部の大会で400メートルを走った時。そうか、これが「凝り」というものなのか、というのがあった。 岡:おまえ、陸上で400メートルなんて練習、していたっけ? 小田嶋:いや、走ったことがないのに大会に出たの。 岡:何だよ、それは。 小田嶋:先輩に「どうやって走ったらいいですか?」と聞いたら、「とにかく最初から思い切り行って、最後に力尽きるようにしろ。それがおまえの一番いいタイムだ」ということで、「本当かな?」とは思ったんだけど、そのまま200メートルまで思いっ切り、すごくいいタイムで走ったはずだったんだよ。で、後半、あと200メートルを行けるか、と思っていたら。 岡:行けないよ、それは』、「猿のオスも、猿山の序列から離れると、ひとりぽつねんとしていますよね。ヒトのオスも、入院で社会的な鎧がなくなると、より猿山の原点に返っていくのでしょうか」、なるほど、その通りなのだろう。
・『小田嶋:そう、全速力なんかでぶっちぎれるわけがないでしょう。300メートルを過ぎた時に、目の前が暗くなって、足が上がらないぞと思いながら、なんか泳ぐようになっていって。 Q:陸で溺れてしまった、と。 岡:陸上部の走りじゃないよね、それ。 小田嶋:途中で完全に電池切れして、ゴール後、2分ぐらいは全然起き上がれなくなっていた。やっとのことで起き上がって、こんなのするんじゃなかった、と後悔しながら家に帰ったら、全身が張っていた。肩がものすごく重くて、そうか、これを肩凝りと言うのだな、と。 Q:いや、それ、肩凝りかな? 岡:全身筋肉痛だよ、正しくは。 Q:はい、それだと思います。 小田嶋:そうなのか。 岡:凝ってはいるんだろうけど、凝りというより、もはや筋肉痛だよ。だから肩凝りって、それが凝われていたとしても、小田嶋や俺のように自覚できないというやつがいるの。で、自覚していないんだから、いいんじゃないか、ということになる。 小田嶋:その意味で、自覚しない方がいいということがあるよね。 Q:そういう処し方もあるんですね。 小田嶋:それで俺なんかは30年ぐらい、人間ドックとか区の検診とか、何の検査もしないで来ましたからね。 Q:それを聞くと、考え込んでしまいますが……。 岡:その分、今、一気にものすごい量の検査を受けて、取り戻しているわけだよ、小田嶋の場合は』、最後の岡氏の指摘には、思わず微笑んでしまった。
・『対人スキルが必要な仕事ってそんなに多いか?  Q:反面教師としてうかがっておきます。ところで小田嶋さんは、入院中のメンタル面は大丈夫ですか。 小田嶋:それは基本、普段の俺の生活と変わらないから、精神的なダメージはあんまり感じていないです。 岡:屋内に引きこもっているという点で、小田嶋の場合は入院も普段も変わらない。それが小田嶋の強みです。 小田嶋:対人関係のしがらみをあんまり持っていない、というところが、逆にいいんだと思う。今の21世紀って、普通の人たちの7割か8割は第3次産業の従事者になっちゃうでしょう。我々が子供のころは、まだ農林水産業の従事者が50%に近い時代があって、それと第2次産業を混ぜると、対人関係のスキルが必要になる職業って、そんなになかったんだよね。だから俺みたいなやり方は、別に特殊でも何でもない。 Q:なるほど。 小田嶋:人類の長い歴史を考えると、「人間の相手をしていた人間」って、そんなにたくさんはいなかったんですよ。作物の相手をしたり、椅子を作っていたりと、自然や事物の相手をしていた方が、人類史の中ではずっと長いわけですから。 岡:農作物の相手をするために必要な資質は、今のようなインターネット時代の人間関係の中では、実は邪魔になるんじゃないかな。だとしたら、ひどい錯誤だよね。 小田嶋:「コミュ力」ってヘンな言葉が言われ出したのが、たぶん20年ぐらい前でしょう。その前まで、たとえば理系のやつの就職なんて、面接もなかった時代ですよ。院卒じゃなくて学部卒でも、いわゆる理系の研究者が集まるタイプの職場に入ると、そこには他人と口もきけないようなやつが半分ぐらいいたわけですよ。 Q:あくまでも小田嶋さん個人の感想です』、「人類の長い歴史を考えると、「人間の相手をしていた人間」って、そんなにたくさんはいなかったんですよ。作物の相手をしたり、椅子を作っていたりと、自然や事物の相手をしていた方が、人類史の中ではずっと長いわけですから」、「「コミュ力」ってヘンな言葉が言われ出したのが、たぶん20年ぐらい前でしょう。その前まで、たとえば理系のやつの就職なんて、面接もなかった時代ですよ」、確かに時代の変遷で、人間に求められ能力はずいぶん変化したようだ。
・『岡:昔、京都大学に伝説のクオーターバックがいたの。その人は京大に3番で入って2番で出た、みたいな優秀な学生で、高校時代は陸上でも目立っていた。極めて論理的で能力が高い、素晴らしい選手だったんだけど、問題はハドル(=アメフトの試合中、グラウンドで行われる作戦会議)の時に、彼が何を言っているのか分からない、ということで(笑)。 小田嶋:医者の世界においても、ちゃんと説明ができない医者って、そこそこいるよね(笑)。最近の医者は、インフォームドコンセントの浸透で、ちゃんと説明するようにはなっていますけど、やっぱり聞いていると、文脈を飛ばして話していることが多いから、いちいち「今のご説明は、何を踏まえてのことなのでしょうか」と、こちらが手順を踏んでおかないといけない。 岡:僕たち文系は、分かっていなくても説明できちゃうんだけどね。 Q:そこは大きな問題です。 小田嶋:ほら、大学の先生とかでも、まったく対人関係はできないけど研究はできた、という人が昔は普通にいたでしょう。 Q:太平洋戦争の時に、日本が戦争をしていることを知らないで研究に没頭していた、という学者の話を聞いたことがあります。 小田嶋:研究職のうちの半分ぐらいは、今だったら病名が付く感じの人がいたわけだけど、きょうびの研究者は、実は研究をしながら、ちゃんと文部科学省と話ができて、なおかついろいろな会議でちゃんと調整ができて、金を引っ張ることもできて、と他にもいろいろな能力が求められるわけだよ。 Q:はい、それで、そろそろ〆に持っていきたいのですが。 岡:うん、だから、困った時代になったもんだよね。でも一方で、こんなふうに地道に続けてきた連載が本にまとまって、読んでいただけるという喜びも五十路を超えるとあったりする。 小田嶋:意識の高いハウツーの類は一切ないけれど、「あるある」話はきっと多いよね。 岡:この本、小石川高校の同級生は買うと思うんだよ。あいつらは暇になっているでしょう。 編集Y:弊社からのお願いです。同窓会で激しく売り込んでください』、「大学の先生とかでも、まったく対人関係はできないけど研究はできた、という人が昔は普通にいたでしょう」、「きょうびの研究者は、実は研究をしながら、ちゃんと文部科学省と話ができて、なおかついろいろな会議でちゃんと調整ができて、金を引っ張ることもできて、と他にもいろいろな能力が求められるわけだよ」、「大学の先生」に求められる要件もずいぶん変わったようだ。
・『五十路を越えて「敗者復活」  岡:でも、俺と小田嶋が一緒にこの前の同窓会に出た時、スピーチの時に、負け組……じゃないな。何だっけ。 小田嶋:何とか組と言われたんだよね。 岡:起死回生組……じゃないや、何と言ったっけな(笑)。 小田嶋:リベンジじゃないし。 岡:リベンジじゃない、何かそういうやじが飛んでいたよね。 小田嶋:敗者復活。 岡:そう、「敗者復活組」と言われているんだよ。でも、言っておくけど、俺は負けた覚えはないぞ。 小田嶋:まあ雌伏はしていたけどね。 Q:雌伏というのは、なかなか便利な言い回しですね。 小田嶋:雌伏をした後、この連載や日経ビジネスのおかげで、いろいろ書けるようになりました、ということは少しは考えなきゃいかんと思っています。 編集Y:私にしても、出世はできなかったけど、こんなリッチな連載や面白い本に関われて、五十路も悪くない気がしてきました。 小田嶋:だから、五十路の諸問題で悩まれている方は、書店でこの本を手に取って、ぜひそのままレジに直行されることをおススメしておきたいですね。 Q:最後に小田嶋さん、かなり無理やりな〆を、ありがとうございます』、「雌伏」というのは確かに便利な言葉だ。
・『小田嶋隆×岡康道×清野由美のゆるっと鼎談 「人生の諸問題」、ついに弊社から初の書籍化です! 「最近も、『よっ、若手』って言われたんだけど、俺、もう60なんだよね……」「人間ってさ、50歳を越えたらもう、『半分うつ』だと思った方がいいんだよ」 「令和」の時代に、「昭和」生まれのおじさんたちがなんとなく抱える「置き去り」感。キャリアを重ね、成功も失敗もしてきた自分の大切な人生が、「実はたいしたことがなかった」と思えたり、「将来になにか支えが欲しい」と、痛切に思う。 でも、焦ってはいけません。  不安の正体は何なのか、それを知ることが先決です。  それには、気心の知れた友人と対話することが一番。 「ア・ピース・オブ・警句」連載中の人気コラムニスト、小田嶋隆。電通を飛び出して広告クリエイティブ企画会社「TUGBOAT(タグボート)」を作ったクリエイティブディレクター、岡康道。二人は高校の同級生です。 同じ時代を過ごし、人生にとって最も苦しい「五十路」を越えてきた人生の達人二人と、切れ者女子ジャーナリスト、清野由美による愛のツッコミ。三人の会話は、懐かしのテレビ番組や音楽、学生時代のおバカな思い出などを切り口に、いつの間にか人生の諸問題の深淵に迫ります。絵本『築地市場』で第63回産経児童出版文化賞大賞を受賞した、モリナガ・ヨウ氏のイラストも楽しい。 眠れない夜に。 めんどうな本を読みたくない時に。 なんとなく人寂しさを感じた時に。 この本をどこからでも開いてください。自分も4人目の参加者としてクスクス笑ううちに「五十代をしなやかに乗り越えて、六十代を迎える」コツが、問わず語りに見えてきます。 あなたと越えたい、五十路越え。 五十路真っ最中の担当編集Yが自信を持ってお送りいたします』、これだけPRされると、やはり読みたくなるものだ。
タグ:(その3)(『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談:(前編)オダジマ 入院までの顛末をかく語りき、(中編)五十路は「ラストシーン」に向かい合うお年ごろ、(後編)五十路にして悟る。「嗚呼 人間至る所猿山あり」) 日経ビジネスオンライン 人生論 小田嶋 隆 岡康道 「オダジマ、入院までの顛末をかく語りき『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談(前編)」 連載対談「人生の諸問題」 単行本化とあいなりました 人生の諸問題に遭遇し、煩悶し、どうにも眠れない……という夜がございます。 そんなときに、前向きになれとおしりをたたいてくれる本もよございますが、開いたところからぱらぱらっと読んで、「ばかなことを言ってるな、はっはっは」と、気持ちよく眠れる。手前味噌ではありますが、本書はそのような貴重な本じゃないかな、そうなるといいな お尻をひっぱたかない生き方指南本(?!) 「いい酒を家飲みしたような読後感」 養老孟司さんぐらい有名な学者とかだったら、何を言ってもアリになっちゃうんだけどね サッカーが好きだとか、音楽が好き、車とか鉄道が好きだとかいうのは、張り合っちゃって、あんまり打ち解けないでしょう オダジマ、“一丁目”を覗く 始まりは脳梗塞だった なぜ脳梗塞になったのか、という因果 小田嶋の場合は血小板が壊れちゃっていて、不必要なところで固まったり、大事なところで固まらなかったりという、厄介な症状が隠れていたわけです 不思議なのは、自覚症状が何もないところなの 今後は悪くなるのを待って、疾患名を確定しましょう、といった中ぶらりんの状態になっているんです 「五十路は「ラストシーン」に向かい合うお年ごろ 『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談(中編)」 リハビリテスト いい大人にこれをやらせるのか、と、ちょっと屈辱を感じつつやって 「どこからが認知症なのか」という区分も実は曖昧で、「研究者として、今の自分自身を見れば、ああ、俺はゆっくりと認知症になりつつあるな、と考えることもできる」のだそうです 「そういう夢」を持って生きねば 五十路はどんどん病気に詳しくなる 欠落こそが、才能だ 軽~く処さないと、やっていられない 「五十路にして悟る。「嗚呼、人間至る所猿山あり」『人生の諸問題 五十路越え』刊行記念鼎談(後編)」 大腸の内視鏡検査 麻酔ですごく幸せになるの プロポフォール 逮捕された韓国の男の話が出てきます。2年で548回も内視鏡検査を受けていたそうです 「幸せはケミカルで手に入る」という恐ろしい真理 五十路についてかくも深く気楽に話し合うことができたのは、フリーランスを選んだ者の特権じゃないだろうか うまくいったあいつ、いかなかった自分 「プロジェクトX」 冷静に見ると、みんないきいきとブラック残業にいそしんでいました、というひどい話ばかりなんだけど、あれをすごくハッピーな物語として処理できていたのは、経済が右肩上がりの中の話だったからですよ 上下関係が決まらないと話せない? 男はフレンドリーになりようがないのよ。つまるところ、男は上下関係が決まらないと、付き合いができないんですよ 女性はフラットな人間関係で、多少年が違っても、「あら、こんにちは」とか言って、いきなり話し始めてフレンドリーにできるんですよね 対人スキルが必要な仕事ってそんなに多いか? 人類の長い歴史を考えると、「人間の相手をしていた人間」って、そんなにたくさんはいなかったんですよ。作物の相手をしたり、椅子を作っていたりと、自然や事物の相手をしていた方が、人類史の中ではずっと長いわけですから 「コミュ力」ってヘンな言葉が言われ出したのが、たぶん20年ぐらい前でしょう。 大学の先生とかでも、まったく対人関係はできないけど研究はできた、という人が昔は普通にいたでしょう 五十路を越えて「敗者復活」 小田嶋隆×岡康道×清野由美のゆるっと鼎談 「人生の諸問題」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感