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日銀の異次元緩和政策(その29)(黒田日銀はこれから窮地に陥る可能性がある 実質は「利上げ」「株買い入れ縮小」政策?、日銀の金融緩和に見る行動経済学の「偽薬効果」と「埋没費用の呪縛」、日銀が金利抑制をやめたら長期金利は暴騰しかねない) [経済政策]

日銀の異次元緩和政策については、2月19日に取上げた。7月末に日銀は「緩和の枠組み強化」なる微調整を行ったのを受けた今日は、(その29)(黒田日銀はこれから窮地に陥る可能性がある 実質は「利上げ」「株買い入れ縮小」政策?、日銀の金融緩和に見る行動経済学の「偽薬効果」と「埋没費用の呪縛」、日銀が金利抑制をやめたら長期金利は暴騰しかねない)である。

先ずは、財務省出身で慶應義塾大学准教授の小幡 績氏が8月2日付け東洋経済オンラインに寄稿した「黒田日銀はこれから窮地に陥る可能性がある 実質は「利上げ」「株買い入れ縮小」政策?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/232068
・『メディアも市場参加者も日銀の大きな政策変更を認識せず、現状維持に近い政策と受け止めた。なかには「緩和の枠組み強化」という日銀の使った文言を真に受けて、緩和強化と受け止めた投資家もいて、株価はいったん上昇、長期金利は大幅低下、円安も進んだ。 市場の受け止め方はまったくの誤りである。 海外の投資家が、今回の日銀の政策をハト派、すなわち、緩和に傾いた政策となったと判断したのは、事前の緩和終了予測が強すぎた反動だ。 これはある意味まともな予測だった。アメリカは着実なペースで利上げを進め、欧州ですら、量的緩和の終了を宣言し、出口にはっきりと向かい始めた。日本は欧州以上に景気は順調だから、緩和を続ける理由はなく、また量的緩和の規模がまさに異次元で、欧州とは比べ物にならないほど中央銀行のバランスシートが膨らんでいる。 したがって、欧州よりも量的緩和を終了する必要性は強く、欧州よりも早いタイミングで、また急速に量的緩和を縮小するのが、景気調節を目的とした普通の金融政策の観点からは当然だったにもかかわらず、これまで大規模緩和を続けてきた。 このような状況の下、7月に日銀が物価の見通しについて見直しを行うと表明していたことから、政策を見直し、緩和をはっきりと縮小し、長期金利ターゲットの引き上げもありうると、大多数の海外トレーダーは予測していた。しかし、利上げどころか、金利に関するフォワードガイダンスの導入で利上げは少なくとも2019年10月の消費税引き上げの影響が落ち着くまでない、ということで2020年以降になるという見通しとなり、マーケットはいったん円安、株高、金利低下となったのである』、なるほど。
・『しかし、日銀の政策決定文や黒田東彦総裁の記者会見の話をよく聞いてみると、まったく別の事実が明らかになる。 イールドカーブコントロール、要は長期金利ターゲットだが、この10年物国債金利の上限が0.1%から0.2%に切り上げられた。変動幅の拡大と説明しているが、要は0.1%の利上げである。国債の買い入れ額は、80兆円をメド、という言葉を使いながら0.1%を上限として、できるかぎり買い入れ額を縮小しようとしてきたのが、これまでの政策である。それが0.2%になるのだから、利上げ以外の何物でもない。 実際、ヘッジファンドの一部はこれを理解し、翌日には10年物国債先物に仕掛けてきて、金利は8月1日には0.115%まで上昇。翌2日はさらに上昇している』、筆者は僅か0.1%ではあっても利上げと捉えるべきと主張している。
・『最も重要なのは、「資産価格のプレミアムへの働きかけを適切に行う観点から、市場の状況に応じて、買い入れ額は上下に変動しうるものとする」という文言である。つまり、柔軟化ということであるが、国債の80兆円の柔軟化とは、要は額を減らすことであったから、ETFとREITも柔軟化とは、額をできるかぎり減らすことであり、すなわち、株式買い入れ額の事実上の縮小である。  これらの措置の市場へのインパクトを限定的にするために、金利のフォワードガイダンスという保険をかけて、市場を鎮めたわけだが、逆に言えば、鎮める必要があるぐらい、はっきりとした緩和縮小政策の実弾を打っているということである・・・市場は、間抜けにも(あるいは確信犯かもしれないが)、今後、長期金利の0.2%への上昇、およびETF買い入れ額の減少という2つの事実に気づき、(わざと)騒いで、「日銀のだまし討ち」と非難するだろう。そして、市場は混乱し、日銀はそのときに窮地に立たされる可能性がある。 まずは、ヘッジファンドは長期金利0.2%を試してくるから、ここの戦いが始まる。その次は株式市場となる。 実は、次回(9月18~19日)以降の政策決定会合が本当の日銀の正念場なのである』、市場の混乱はまだ本格化してはいないようだが、今後、答えが出てくるだろう。

次に、野村證券出身で経済コラムニストの大江英樹氏が8月7日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「日銀の金融緩和に見る行動経済学の「偽薬効果」と「埋没費用の呪縛」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/176645
・『2013年以降続いた大胆な金融緩和政策と、最近の政策の傾向を見ていると、心理学や行動経済学の面から非常に興味深いものが見えてくる。一つは「プラシーボ効果」、そしてもう一つが・・・「サンクコスト」だ。 そこで今回は、日銀の金融政策を行動経済学の視点から考えてみよう・・・プラシーボ効果というのは「偽薬効果」ともいわれる。病気の患者に本当の薬ではない、ただの栄養剤とか、極端な場合は小麦粉を与えても、心理的な効果で病気がよくなるというものだ。 なぜそうなるかのメカニズムは完全に解明されていないが、確かな効果があることは多くの実験で実証されている。久留米大学の塚崎公義教授は、以前から度々、日銀の政策によって株価が上がったのはこの「偽薬効果」だと指摘してきた。 筆者も塚崎教授の意見に同意する。金融緩和策の狙いをごく簡単に言うと、大胆な金融緩和を行えば世の中にお金が出回るはずだ、そうすれば景気がよくなり物価も株価も上がるというものである』、「プラシーボ効果」とはまさにピッタリのネーミングだ。
・『ところが、実際には世の中にお金は回らず、物価も上がらず、株価だけは上がった。 なぜ、そうなったのか。普通に考えれば、世の中にお金が出回ることでその資金が株に向かうと考えるべきだが、実際にはそれほど世の中にお金は回らなかった。にもかかわらず株が上がったこと、それこそがプラシーボ効果なのだ。 株価というものは、市場に参加する投資家の“期待値”によって形成されるものだ。したがって、金融緩和によって景気がよくなるから株価も上がると信じる人が多く出てくると株価は上昇する。なぜなら、多くの人は景気がよくなると株が上がると考えているからだ。 ところが、実際は逆のことも多い。つまり景気がよくなるから株が上がるのではなく、株が上がるから景気がよくなるということである。「資産効果」は、その典型といっていいだろう。  もちろん、投資家の期待感だけで株価が上がっても、それが維持されるとは限らない。アベノミクスの初期においては、プラシーボ効果によって株価上昇が起きたことは事実だと思うが、それだけで株価上昇が続くほど市場は甘くない。確かな企業業績の向上という裏づけがあるからこそ、株価上昇は続いたのだといえよう。 では、なぜ金融緩和を実施しているにもかかわらず、世の中にお金が回らなくなったか。それは日銀が銀行から国債を買って銀行にお金を供給したにもかかわらず、そのお金が市中に出回ることなく、また日銀の当座預金勘定に戻るということが起きたからだ。 そこで銀行に対して、これ以上日銀への預け入れを増やさず、市中に資金供給を促すという目的で、2016年2月から実施されたのが「マイナス金利政策」である。しかしながら、銀行の貸し出しが増えないのは銀行だけに理由があるわけではなく、多くの企業が手元に資金を多く保有しているからだ。 マイナス金利政策は実効性のある政策だろうが、これには副作用も伴う。日銀も当然そのことは十分理解しており、実際に今回の金融政策決定会合においては、金融機関の収益低下や、国債市場の取引の減少といった副作用も配慮された内容になっていることがうかがえる』、「マイナス金利政策は実効性のある政策だろうが」というのには違和感がある。「多くの企業が手元に資金を多く保有」している状況下では、無意味な政策だと思う。それを効果があると思い込まされている筆者も「プラシーボ効果」に囚われているようだ。
・『そういった副作用の懸念はあるものの、大胆な政策転換も拙速には事を運べないという空気が今回の会合には見て取れると考える。そうした政策転換については常に「サンクコストの呪縛」がつきまとうからだ・・・サンクコストとは「埋没費用」ともいって、既に払ってしまったので、取り戻すことができない費用のことをいう・・・これは・・・政策においても、企業や組織においても頻繁にみられる現象である。 例えば、泥沼化した日中戦争で、もし早い時期に撤退していたとしたら太平洋戦争は避けられたかもしれない。あるいは企業でも、コンサルタントを入れて始めたプロジェクトは、多額のコンサル料を支払ってしまっているがゆえに、効果がなさそうだと分かってもそのまま続けてしまっているというのはありがちな話だ。 筆者は、何となく日銀がこの「サンクコストの呪縛」に陥りはしないかということも懸念している。「ここまで緩和策を続けてきたのに、ここで止めてしまったら、今までの意味がなくなってしまう」という心理だ・・・国の重要な政策といえども人間が実行しているわけだから、案外こうした心理的な罠に陥ることはあり得る。特に組織で意思決定する時には、「同調圧力」だって起こりがちだ。そういうことが正しい意思決定を損なう例を、われわれはいくつも見てきた。 しかしながら、過ぎ去った過去を取り戻すことはできないのだから、サンクコストにとらわれることなく、状況の変化に応じて柔軟に政策は変更した方がいいと考えるべきだろう・・・もちろん金融政策の変更という重大な事項はアナウンスメント効果が大きいので、不用意に政策方針の変更を発表すれば大きな混乱を招く恐れがある。そういう意味で今回の会合では、サンクコストの呪縛に陥らないよう方針変更を前面に出さず、上手に軌道修正していこうという空気が見て取れるように思える・・・景気には必ず大きな波があり、数年以内には大きな景気の減速は起こり得る懸念もある。 緩和策、超低金利策を続けていくと、仮にそのような大きな景気後退の動きが出てきた時に、金融政策では何も手を打てなくなってしまい、結果として次の不況は相当長引く可能性があり得るということも多くの識者が指摘していることである。 願わくば、政策におけるサンクコストの呪縛にとらわれることなく、必要とあれば適切な軌道修正をやってほしいものである』、金融政策に求められる柔軟性と一貫性には矛盾する面がある。サンクコストに囚われるべきでないとして柔軟に政策変更をし過ぎれば、市場や国民の信認を失うことになりかねない。これは、なかなか難しい問題である。
タグ:異次元緩和政策 日銀 (その29)(黒田日銀はこれから窮地に陥る可能性がある 実質は「利上げ」「株買い入れ縮小」政策?、日銀の金融緩和に見る行動経済学の「偽薬効果」と「埋没費用の呪縛」、日銀が金利抑制をやめたら長期金利は暴騰しかねない) 小幡 績 東洋経済オンライン 「黒田日銀はこれから窮地に陥る可能性がある 実質は「利上げ」「株買い入れ縮小」政策?」 メディアも市場参加者も日銀の大きな政策変更を認識せず、現状維持に近い政策と受け止めた 市場の受け止め方はまったくの誤りである 長期金利ターゲットだが、この10年物国債金利の上限が0.1%から0.2%に切り上げられた。変動幅の拡大と説明しているが、要は0.1%の利上げである 資産価格のプレミアムへの働きかけを適切に行う観点から、市場の状況に応じて、買い入れ額は上下に変動しうるものとする」という文言 国債の80兆円の柔軟化とは、要は額を減らすことであったから、ETFとREITも柔軟化とは、額をできるかぎり減らすことであり、すなわち、株式買い入れ額の事実上の縮小である 日銀のだまし討ち」と非難するだろう 大江英樹 ダイヤモンド・オンライン 「日銀の金融緩和に見る行動経済学の「偽薬効果」と「埋没費用の呪縛」」 プラシーボ効果 「偽薬効果」 久留米大学の塚崎公義教授は、以前から度々、日銀の政策によって株価が上がったのはこの「偽薬効果」だと指摘 実際にはそれほど世の中にお金は回らなかった。にもかかわらず株が上がったこと、それこそがプラシーボ効果 日銀が銀行から国債を買って銀行にお金を供給したにもかかわらず、そのお金が市中に出回ることなく、また日銀の当座預金勘定に戻るということが起きたからだ マイナス金利政策 銀行の貸し出しが増えないのは銀行だけに理由があるわけではなく、多くの企業が手元に資金を多く保有しているからだ マイナス金利政策は実効性のある政策だろうが、これには副作用も伴う 大胆な政策転換も拙速には事を運べないという空気が今回の会合には見て取れると考える。そうした政策転換については常に「サンクコストの呪縛」がつきまとう 政策においても、企業や組織においても頻繁にみられる現象である ここまで緩和策を続けてきたのに、ここで止めてしまったら、今までの意味がなくなってしまう」という心理 金融政策に求められる柔軟性と一貫性には矛盾する面がある
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ハラスメント(その8)(ヌードルハラスメントと東京オリンピック、セクハラで会社を訴えた女性たちが直面 理不尽な「3つの末路」、神社本庁幹部が庁舎で飲酒し部下に暴行 退職者続々で組織的危機) [社会]

ハラスメントについては、5月29日に取上げた。今日は、(その8)(ヌードルハラスメントと東京オリンピック、セクハラで会社を訴えた女性たちが直面 理不尽な「3つの末路」、神社本庁幹部が庁舎で飲酒し部下に暴行 退職者続々で組織的危機)である。

先ずは、スタイリストで有名ブロガーのきっこ氏が7月10日付け同氏のブログに掲載した「ヌードルハラスメントと東京オリンピック」を紹介しよう。
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2018/07/post-7cdc.html
・『1980年代後半くらいから「セクシャルハラスメント」、略して「セクハラ」という言葉が使われ始めてきて、1997年の男女雇用機会均等法の改正によって「セクシャルハラスメント規定」が設けられ、「セクハラ」の定義が確立された。そして、その後は、職場などで立場の上の者が下の者に行なう精神的かつ肉体的な虐めである「パワハラ(パワーハラスメント)」、職場などで特定の相手を無視するなど、言葉や態度で嫌がらせを繰り返す「モラハラ(モラルハラスメント)」、会社の飲み会などで上司が部下に「俺の酒が飲めないのか!」などと言って無理に飲ませる「アルハラ(アルコールハラスメント)」など、主に職場という絶対的な上下関係のある世界で、いろいろなハラスメントが指摘されるようになってきた』、ここまでは、いまや一般化したハラスメントだ。 
・『女性社員にだけお茶汲みをさせたり、女性社員には男性社員並みの出世の機会を与えないなど、こうした性別による格差は「ジェンハラ(ジェンダーハラスメント)」と呼ばれていて、家庭などでも「男なんだから重い荷物を持ちなさいよ!」とか、「女なんだから料理ぐらい作れよ!」など、男だから何々、女だから何々というのは、その多くがこれに該当すると指摘された。また、大学教授が特定の学生にだけ厳しく接する「アカハラ(アカデミックハラスメント)」、妊娠を報告した女性社員に対して、陰で「こんな忙しい時に妊娠かよ」などと噂するなど、妊娠した女性に対する嫌がらせ全般の「マタハラ(マタニティーハラスメント)」も、最近では問題視されるようになってきた』、これらもポピュラーだ。
・『他にも・・・未婚の女性に対して「どうして君は結婚しないのか?」と問い詰めたり・・・結婚しない女性が増えたことを問題視する発言を聞かせたりする「マリハラ(マリッジハラスメント)」、スマホやパソコンの使い方がよく分からない高齢者などから使い方を聞かれると、わざと理解できない専門用語を並べて面倒くさそうに説明し、その用語の意味を聞くと「そんなことも知らないの?」に言って相手を傷つける「テクハラ(テクノロジーハラスメント)」、体臭や口臭、強すぎる香水や柔軟剤の匂いで他人を不快にさせる「スメハラ(スメルハラスメント)」、ツイッターやインスタグラムなどのSNSで、上司が部下に「いいね」を強要したりする「ソーハラ(ソーシャルハラスメント)」など、挙げ始めたらキリがない・・・他にはどんなハラスメントがあるのか、インターネットで調べてみたら、「ゼクハラ」なんていうのもあった・・・「ゼクシィ」というのは結婚の専門雑誌の名前で・・・少しでも早く結婚したいと思っているカノジョのほうは、デートのたびに結婚の話題を出したり、自宅にカレシを呼ぶ時に、わざとテーブルの上に「ゼクシィ」の最新号を置いておいたりして、暗にカレシに結婚を迫るという作戦に出ることもあるそうで、これが女性から男性への「ゼクハラ」になるそうだ。 結局、あたしがザッと調べてみただけでも、軽く30を超える種類のハラスメントがあったので、この「ゼクハラ」のようなニュータイプまで含めれば、今の日本には50近い種類のハラスメントがあると思う』、50近くもあるとはずいぶん住み難い世の中になったものだ。
・『職場で部下を相手にこうした親父ギャグを連発するのも「ダジャハラ(駄洒落ハラスメント)」と言われているそうだ。ま、親父ギャグはともかくとして、ハラスメント(Harassment)とは、直訳すれば「嫌がらせ」という意味だけど、そこには基本的に上下関係が存在する。ほとんどのハラスメントは、上司が部下に対して、先輩が後輩に対して、教授が学生に対してなど、立場の有利な者が、その立場を利用して行なう「嫌がらせ」なので、よりタチが悪いんだと思う。だから、あたしは、ほとんどのハラスメントに反対の立場だけど、ただひとつだけ、どうしても理解できなくて「はぁ?」って思っているハラスメントがある。日本のお蕎麦屋さんで、日本人が音を立ててお蕎麦を啜ることに、どこかの外国人がイチャモンを付けてきた「ヌーハラ(ヌードルハラスメント)」だ』、ヌーハラはには確かに違和感がある。
・『日本のお蕎麦は音を立てて啜るのが「文化」であり、さらに言えば「マナー」なのだから、そこに文句を言うのは完全に筋違いだ。お蕎麦屋さんに行った時、先に来ていたお客さんたちが音を立ててお蕎麦を啜っていると、あたしは「美味しそうに食べてるなあ~」と思って、自分も早く食べたくなる。これが日本のお蕎麦の文化だ。 百歩ゆずって、あたしが海外へ行った時、外国にある日本レストランに入り、周り中、すべてその国の人たちが食事をしている真ん中で、日本蕎麦を注文してズルズルと音を立てて啜り、それで周りのお客から嫌な顔をされたのなら、あたしにも非があると思う。だけど、わざわざ日本にやってきて、わざわざ日本蕎麦屋に入ってきて、それで、ずっと日本に住んでいる日本人たちの食べ方に文句を言うなんて、寝言は寝て言えってんだ!・・・外国へ行くということは、その国の文化の中に自分が入って行くことなんだから、基本は「郷に入れば郷に従え」だ。それなのに、その国の文化を否定して、自分の国の常識を押し付けるなんて、いったいぜんたい何様のつもりなんだろう?あたしが外国人で、初めて日本に来たとしたら、「日本のお蕎麦は音を立てて啜るのがマナー」ということぐらい下調べしてから来るし、どうしてもその音が苦手だと感じたら、文句など言わずに「日本蕎麦屋には行かない」という選択をする。それが普通なんじゃないの?』、その通りだ。
・『それなのに、2020年の東京五輪を前にして浮足立っているのか、「おもてなし」という言葉の意味を履き違えている人たちがいる。たとえば、東京を中心としたエリアでの「案内看板などの多言語化」だ。これまでは日本語だけか、あっても日本語の下に英語が書いてある程度だった案内看板などに、韓国語、中国語、フランス語、イタリア語、ロシア語、ペルシャ語‥‥って、何が何だか分からないモノが増え始めてきた。もちろん、看板のスペースの問題などもあるため、スマホに対応して画面に母国語が表示されるシステムとかも導入されつつあるけど、一般的な道路標示などは、何カ国語も並んでいて、読みずらいったりゃありゃしない。 こんなもん、日本語と英語だけでいいんだよ。日本に来るんだから、簡単な日本語くらい勉強してくるだろうし、英語まで書いてあれば問題ないだろ?なんで莫大な税金を使って多言語の看板なんか並べなきゃならないのか?こういう「おんぶにだっこ」が「おもてなし」だと思っているのなら、それは根本的に間違っていると思う・・・本当の「おもてなし」とは、日本の文化を前面に出した「ザ・ニッポン」を見せてあげることであって、「おんぶにだっこ」の過剰サービスのことではない。そして、この日本の文化のひとつが、音を立ててお蕎麦を啜ることなのだ。だから、2020年の東京五輪に向けて、日本が本当に外国からくる人たちを「おもてなし」したいと思っているのなら・・・「正しい日本蕎麦の食べ方」という、それこそ多言語のパンフレットを作り、「お蕎麦はズルズルと音を立てて啜るのがマナーであり、日本の伝統的な文化である」と明記すべきなのだ』、確かに「案内看板などの多言語化」は行き過ぎだ。
・『日清食品が、お蕎麦を啜る音を聞こえなくするためのフォーク「音彦(おとひこ)」をクラウドファンディングで予約・発売すると発表したのだ。トイレの音を聞こえなくするTOTOの「音姫」からヒントを得た商品で、フォークの本体に内蔵されたセンサーが「お蕎麦を啜る音」を感知すると、信号がスマホに飛んで、専用アプリを介して「お蕎麦を啜る音を聞こえなくするための音」が鳴り出すそうだ。価格は1万4800円で、予約が5000人に達した場合のみ販売するという・・・そこまでしてお蕎麦を啜る音を聞きたくないのなら、こんなもんを1万4800円も払って買わなくたって、両耳に耳栓でもするか、イヤホンして音楽でも聴きながらお蕎麦を食べればいいじゃん。これなら他の人にも迷惑が掛からないし、お金も掛からないし。 結局、この「音彦」は、締切までに予約が目標の5000人に達しなかったために商品化は断念されたけど、あたしとしては、こういう商品を日本人が考えたということが悲しかった。日本の文化を理解できない外国人が、日本へ旅行に行く外国人たちに向けて開発したというのなら、それはそれで一定の理解はできる。でも、日本人が日本の文化を否定するようなものを考え出すなんて、いつから日本はこんな国になっちゃったんだろう?』、幸い予約が少なかったので、商品化は断念したようだが、こんな馬鹿げた商品を食品大手が開発するとは、新商品ネタがいよいよ底を突きつつあるのかも知れない(冗談だが)。
・『ドナルド・トランプは、十数年前に不動産の仕事で初来日した時、日本企業が接待した高級料亭のテーブルに並んだお刺身を見て、「忌々しい生の魚など食えるか!」と怒鳴りつけて席を立ったという。まるで『美味しんぼ』の海原雄山みたいだけど、お蕎麦を啜る音を否定するということは、ドナルド・トランプのために日本のすべての料理屋を「お刺身禁止」にするような話なのだ』、トランプならやりそうなことだ。
・『外国から訪れる人たちに気を使って、日本の伝統文化のひとつである「お蕎麦を啜る音」を、まるで「恥ずかしいもの」であるかのように卑下して隠そうとするヒマがあるのなら、自民党政権が推進してきた「男尊女卑」や「男女格差」という「日本の恥ずかしい伝統文化」を何とかするほうが先だろう。昨年の年末、世界各国の経済、政治、教育、健康の4部門での男女格差を調査した「世界男女格差ランキング2017」が発表されたけど、日本は先進各国の中でブッチギリの最下位だった。日本は、調査した世界144カ国の中で、欧米は当然として、アフリカ諸国や南米諸国やインドや中国よりも下の「114位」だったのだ。前年の2016年は「103位」だったけど、安倍晋三首相が「女性の輝く社会」を掲げたとたん、さらに11位もランキングが下がったのだ』、安倍首相がスローガンを掲げたのに、超低位な世界男女格差ランキングがさらに下がったとは皮肉なものだ。
・『とても先進国とは呼べないような「世界114位」という異常な「男女格差」が、今回のテーマでもあるハラスメントの原因のひとつにもなっているんだと思う。もちろん、性別に関係のないハラスメントも数多くあるし、女性から男性へのハラスメントもあるけど、未だに「男性は女性より偉い」「女性は男性より下」という生きた化石のような自民党の偏向思想に毒されている日本には、「女性社員はお茶汲みをしろ」「女なんだから料理を作れ」「女は子育てをして当たり前」という、他の先進国ではソッコーで裁判沙汰になってしまうような「男女格差」による前時代のハラスメントが健在なのだ。そして、国内がこんな状態なのに、迷惑千万な多言語の案内看板を林立させたり、お蕎麦を啜る音を立てないようにしたりと、こんなふうにソトヅラだけを良くすることが「おもてなし」だと思っているのなら、それこそ日本の恥を全世界に晒すことになるから、東京オリンピックなんかやめちまえ!‥‥って思った今日この頃なのだ』、東京オリンピックについては兎も角、正論だと思う。

次に、コラムニストの石原壮一郎氏が8月6日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「セクハラで会社を訴えた女性たちが直面、理不尽な「3つの末路」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/176513
・『セクハラ、パワハラ、長時間残業、不当な解雇…。働く上での理不尽は数あれど、ひときわ腹立たしくて厄介なのが「セクハラ」です。過去に実際にあった「セクハラ訴訟」を例に挙げながら、労働問題のプロである特定社会保険労務士の三矢晃子さんと一緒に、バカな会社や組織との戦い方を考えてみましょう・・・「セクシャル・ハラスメント(セクハラ)」という言葉が日本に上陸したのは1988(昭和63)年のこと。女性誌が特集を組むなど大きな話題になり、翌年には「新語・流行語大賞」の新語部門で金賞を受賞します。言葉が広まったことで、それまで主に女性が受けてきたさまざまな仕打ちが「あってはならないこと」「怒っていいこと」という認識が少しだけ生まれました。 それから30年たった今も、セクハラ問題は全然解決していません。「最近はうるさくなった」程度の認識で、セクハラを本気で悪いことだと思っていない男性はいまだに多いですし、セクハラの重大性が分かっていない会社もまだたくさんあります。セクハラの告発や訴訟は後を絶たないですし、表に出ないセクハラも多いでしょう。 では、いまだにセクハラへの認識が低い中で、もしひどいセクハラを受けて加害者と会社を訴えた場合、どのような結末を迎えることになるのでしょうか。ここでは、判例をもとにセクハラ男と会社を訴えた3つのパターンを紹介しながら、どんな結末になったのかをご紹介したいと思います』、セクハラ問題は30年も経っても全然解決していないのを、訴訟から見ていくというのは興味深い。
・『【ケースその1】 情報誌の出版社で活躍していた女性に対して、男性編集長が「あいつは遊んでいる」「体を使って仕事を取っている」など事実無根の誹謗中傷を続けた。社長に相談したところ、事実上退職を強要されてしまう。加害者と会社を相手取って、300万円の慰謝料と弁護士費用67万円の支払いを求める訴訟を起こす。【結末】 裁判所は加害者と会社の責任を認めて、両者に慰謝料150万円と弁護士費用15万円の支払いを命じた。 三矢「これは、1989年夏に提起された日本初の『セクハラ訴訟』です。福岡の情報誌出版社Qの男性編集長が、仕事ができる女性の部下をやっかんで人格攻撃の悪口を言いまくったという情けない事件なんですけど、3年後に出た判決では、彼女を守ろうとしなかった会社の責任も認められました。会社は『当人同士で何とかしてくれ』という態度だったようです。もしセクハラを受けて、社長や役員に相談してもそういう対応だったら、会社にはいっさい期待しない方がいいでしょう」 後に原告の女性は、「傷ついた心はお金では解決できないと気づいた。裁判にはエネルギーがいりました」と語っています。さんざん屈辱を受けて、加害者や会社と不毛な戦いを続けて、それで150万円…。あまりにも安すぎるし、弁護士費用としても15万円しか支払わなければ明らかに赤字です』、日本初の訴訟だとしても、安すぎる判決には驚かされた。
・『セクハラの慰謝料の「相場」は、退職にまで至らなければ50万~100万円。退職に追い込まれた場合の未払い賃金を入れても100万~300万程度。裁判によって事実を明らかにすることができたとしても、金銭的にはまったく割に合いません。昨今だとネットで名前が広まって、心無い言葉を投げつけられるなどの「二次被害」に遭うリスクもあります』、わざわざ裁判に訴えて、「相場」がこんなものとは・・・。
・『【ケースその2】 会社の男性専務が、部下の女性に対して仕事中に乳房や局部に触れたり、性的関係を強要したりといったセクハラ行為を繰り返した。女性は、被害を訴える内容証明郵便を会社の代表者に送付。その後、男性と会社を相手取って550万円の慰謝料の支払いを求める訴訟を起こす。【結末】 判決は、セクハラ行為を裏付ける証拠が不十分であるとして、慰謝料の請求を棄却。逆に、男性への名誉棄損で30万円の支払いを命じた。 ケース2は、1994年に東京地裁で判決が出た靴会社Cの事例。セクハラが認められなかったどころか、訴えた側が逆に名誉棄損で30万円の支払いを命じられてしまいました。訴えた側の証拠が十分ではなかったり、会社が全力で加害者を守ろうとしたりして、こういう結果になった例は、その後もいくつかあります。 三矢「セクハラ裁判って、けっこう理不尽なんです。性行為を強要されたと訴えたのに『合意の上だった』と判断されたり、抱きつかれてすぐに逃げたり声を上げたりしなかったから『セクハラとは言えない』とされたり。ビックリして逃げられないこともあるじゃないですか。会社だけじゃなくて裁判官もバカなんですよ」』、こんなのは明らかに強制猥褻罪の該当するような悪質な犯罪なのに、民事訴訟では証拠が不十分として、逆に名誉棄損で30万円の支払いを命じられたようだ。このケースでは証拠を示せと言われても、無理だろう。電車での痴漢などは、被害者の訴えだけで十分なのに、整合性が取れてない気がする。
・『【ケースその3】 男性上司が「数字を達成できなかったら彼女になるか、研修もしくは転勤だ」と脅し、無理やりキスしようとしたり、体に触ったりというセクハラ行為を繰り返した。女性は精神的に不安定になって退職を余儀なくされてしまう。退職後に女性は、約2700万円の損害賠償を求める訴訟を起こす。【結末】その後、会社が女性に解決金1300万円を支払う和解が成立。会社は解決金の半額650万円については男性に負担を求めるという。 裁判のアテにならなさにせよ、被害者に対する世間の見方にせよ、どうやら日本はまだまだ「セクハラ後進国」です。ただ、そんな中で2014年に和解が成立したケース3は、大きな注目を集めました。1300万円という解決金は、海外では珍しくなくても日本のセクハラ訴訟においては、おそらく(非公表もあるので)最高額です。  三矢「これは、有名カツラメーカーAで起きたセクハラです。被害者の女性が被害届を出そうとしたら会社の幹部から止められて、それが引き金になってPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されました。地元の労働基準監督署に労災認定を受けていて、会社はこのまま戦い続けるより、さっさと和解金を払ったほうがイメージダウンが少ないと判断したんだと思います。でも、この加害者はクビになっていません。うるさいヤツはあの手この手で追い出すけど、必要と判断した人材は守る。それが会社です」 1300万円という額も、仕事を奪われ、その後の人生をめちゃくちゃにされた代償としては、決して高いとは言えません。それでも、泣き寝入りではなく裁判を起こしたことは、本人にとって大きな意味があったはず。判決には至っていないとはいえ、解決金という形で加害者と会社に非を認めさせることができました』、たまたま有名カツラメーカーだったので、和解金を払ったほうがイメージダウンが少ないと判断したという特殊なケースのようだ。
・『「どのセクハラ裁判も、原告は加害者や会社の仕打ちに深く傷ついて、とことん悩んで苦しんだ末に『最後の手段』として起こしています・・・最近は『セクハラ相談窓口』を設けている会社も増えました。ただ、そういうところに相談するにしても、重要なのは具体的な証拠です。相手からきたメールやセクハラを受けた状況を記したメモ、場合によっては音声や画像のデータなど、できるだけたくさん集めましょう」 会社がきちんと対応してくれない場合は、各地の都道府県労働局の相談窓口に電話などで相談することもできます。まずは匿名でかまいません。NPO法人などで相談を受け付けてくれる機関もたくさんあります・・・「その前の段階としては、周囲に被害を相談して味方を作ることが大切です。セクハラ野郎は、ほかの女性社員にも同じようなことをしているかもしれません。さらにその前の段階としては、嫌なことをされたらはっきり抗議することも大切ですね。『やめてください!』と声を上げることで、周囲に目撃者を作ることもできます」・・・勘違いが暴走する前に芽を摘んでおいたり、普段から周囲との信頼関係を築いておいたりするのは、働きやすい環境を維持するための大人の防御策です。セクハラ問題に限りませんけど・・・職場の「理不尽」につぶされずに楽しく働き続けるためには、最低限の法律的な知識と大人力の両方を身につけて、しっかりと自分を守る必要があるようです』、その通りだろう。

第三に、8月6日付けダイヤモンド・オンライン「神社本庁幹部が庁舎で飲酒し部下に暴行、退職者続々で組織的危機」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/176566
・『約8万社の神社を束ね、日本最大の信者数を誇る宗教法人「神社本庁」(東京都)で、対外窓口である広報部署の幹部が、庁舎で酒に酔ったあげく、部下の若手職員に暴力行為に及んでいたことが発覚。耐え兼ねた若手職員が先月末に依願退職していたことが8月3日、関係者への取材で分かった。 神社本庁は現政権を支える政治団体「神道政治連盟(議員懇談会会長は安倍晋三首相)」の母体組織。ところが、この1年間で、元皇族が就いていた法人を代表する「統理」と、実質的なナンバー2の「副総長」が任期半ばで辞任。さらに暴行を受けた若手職員以外の職員も次々と退職するという「異常事態に陥っている」(神社関係者)』、あの神社本庁でこうした不祥事が発生していたとは、驚かされた。マスコミ沙汰にはならなかったのは、厳しい報道統制が敷かれたためだろう。
・『複数の関係者によれば、神社本庁広報国際課課長心得の役職にある男性が6月29日午後5時過ぎから、庁舎内で一部の職員と私的な飲み会を開催。4時間以上飲み続けた9時半ごろ、入庁2年目の若手職員に対し、仕事の段取りが悪いなどと激昂し、他の職員がいる前で頭を背後から殴りつけ、床に頭を押さえつけるなどしたという。一方、若手職員の方は飲酒していなかった。 暴行を受けた後、若手職員は別の上司に「学生時代から神職のパワハラや暴力の話を聞いていたが、本当に存在し、自分の身にまで起こるとは思わなかった。心を病む前に辞めたい」などと依願退職を申し出たという。 この一件は、神社本庁の意思決定機関である役員会にも報告されたが、神社本庁は当事者間の話し合いで解決したとして、若手職員を殴った課長心得には内規に基づく懲戒処分を下さず、けん責(口頭注意と始末書提出)という極めて軽い処置に止めた』、神社本庁の役員会の対応も酷いものだ。
・『神社本庁を巡っては、昨年10月、神社本庁が所有していた不動産の売却における、神社本庁の上層部と購入業者の癒着を指摘する告発文書を作成したとして、懲戒解雇などの処分を受けた元幹部職員2人が、その処分無効を求める訴えを東京地裁に起こした・・・それに先立つ昨年8月、この不動産売買の疑惑に対する調査委員会を設置した神社本庁の副総長が辞任。さらに今年3月には、宗教法人を代表し象徴的役職である「統理」を務めていた元皇族の北白川道久氏が健康上の問題を理由に異例の辞任。加えて、疑惑が取り沙汰されて以降、職員の辞職も後を絶たず、この1年間だけで60人ほどの全職員の内、幹部を含む11人が依願退職した。 「新卒、中途採用もしているが辞める人数に追いつかない状態。平成の御代替わりという大イベントを前に、組織が機能不全を起こしつつある」(別の神社関係者)という』、不動産の売却疑惑は、今後、裁判のなかで明らかにされるのだろう。最近、日本の多くの組織でガバナンス不全が顕在化しているが、神社本庁も例外ではなかったようだ。今後も、成り行きを注目したい。
タグ:「セクシャルハラスメント」 きっこ 「ヌードルハラスメントと東京オリンピック」 同氏のブログ ハラスメント (その8)(ヌードルハラスメントと東京オリンピック、セクハラで会社を訴えた女性たちが直面 理不尽な「3つの末路」、神社本庁幹部が庁舎で飲酒し部下に暴行 退職者続々で組織的危機) パワハラ(パワーハラスメント) モラハラ(モラルハラスメント) アルハラ(アルコールハラスメント) ジェンハラ(ジェンダーハラスメント) アカハラ(アカデミックハラスメント) マタハラ(マタニティーハラスメント) マリハラ(マリッジハラスメント) テクハラ(テクノロジーハラスメント) スメハラ(スメルハラスメント) ゼクハラ ダジャハラ(駄洒落ハラスメント) ヌーハラ(ヌードルハラスメント) 日本のお蕎麦屋さんで、日本人が音を立ててお蕎麦を啜ることに、どこかの外国人がイチャモンを付けてきた 郷に入れば郷に従え 東京五輪を前にして浮足立っているのか、「おもてなし」という言葉の意味を履き違えている人たちがいる。たとえば、東京を中心としたエリアでの「案内看板などの多言語化」だ 本当の「おもてなし」とは、日本の文化を前面に出した「ザ・ニッポン」を見せてあげることであって、「おんぶにだっこ」の過剰サービスのことではない 日清食品が、お蕎麦を啜る音を聞こえなくするためのフォーク「音彦(おとひこ)」をクラウドファンディングで予約・発売すると発表したのだ 局、この「音彦」は、締切までに予約が目標の5000人に達しなかったために商品化は断念されたけど、あたしとしては、こういう商品を日本人が考えたということが悲しかった ドナルド・トランプ 十数年前に不動産の仕事で初来日した時、日本企業が接待した高級料亭のテーブルに並んだお刺身を見て、「忌々しい生の魚など食えるか!」と怒鳴りつけて席を立ったという 日本の伝統文化のひとつである「お蕎麦を啜る音」を、まるで「恥ずかしいもの」であるかのように卑下して隠そうとするヒマがあるのなら、自民党政権が推進してきた「男尊女卑」や「男女格差」という「日本の恥ずかしい伝統文化」を何とかするほうが先だろう 「世界男女格差ランキング2017」が発表されたけど、日本は先進各国の中でブッチギリの最下位だった。日本は、調査した世界144カ国の中で、欧米は当然として、アフリカ諸国や南米諸国やインドや中国よりも下の「114位」だったのだ 前年の2016年は「103位」だったけど、安倍晋三首相が「女性の輝く社会」を掲げたとたん、さらに11位もランキングが下がったのだ とても先進国とは呼べないような「世界114位」という異常な「男女格差」が、今回のテーマでもあるハラスメントの原因のひとつにもなっているんだと思う ソトヅラだけを良くすることが「おもてなし」だと思っているのなら、それこそ日本の恥を全世界に晒すことになる 石原壮一郎 ダイヤモンド・オンライン 「セクハラで会社を訴えた女性たちが直面、理不尽な「3つの末路」」 「セクハラ訴訟」 30年たった今も、セクハラ問題は全然解決していません 1989年夏に提起された日本初の『セクハラ訴訟』です。福岡の情報誌出版社Qの男性編集長が、仕事ができる女性の部下をやっかんで人格攻撃の悪口を言いまくったという情けない事件なんですけど、3年後に出た判決では、彼女を守ろうとしなかった会社の責任も認められました。会社は『当人同士で何とかしてくれ』という態度だったようです。もしセクハラを受けて、社長や役員に相談してもそういう対応だったら、会社にはいっさい期待しない方がいいでしょう セクハラの慰謝料の「相場」は、退職にまで至らなければ50万~100万円。退職に追い込まれた場合の未払い賃金を入れても100万~300万程度 「二次被害」に遭うリスクもあります ケース2は、1994年に東京地裁で判決が出た靴会社Cの事例。セクハラが認められなかったどころか、訴えた側が逆に名誉棄損で30万円の支払いを命じられてしまいました 『【ケースその3】 男性上司が「数字を達成できなかったら彼女になるか、研修もしくは転勤だ」と脅し、無理やりキスしようとしたり、体に触ったりというセクハラ行為を繰り返した。女性は精神的に不安定になって退職を余儀なくされてしまう。退職後に女性は、約2700万円の損害賠償を求める訴訟を起こす。【結末】その後、会社が女性に解決金1300万円を支払う和解が成立。会社は解決金の半額650万円については男性に負担を求めるという 有名カツラメーカーAで起きたセクハラ 和解金を払ったほうがイメージダウンが少ないと判断 重要なのは具体的な証拠 「神社本庁幹部が庁舎で飲酒し部下に暴行、退職者続々で組織的危機」 対外窓口である広報部署の幹部が、庁舎で酒に酔ったあげく、部下の若手職員に暴力行為に及んでいたことが発覚。耐え兼ねた若手職員が先月末に依願退職 神社本庁は現政権を支える政治団体「神道政治連盟(議員懇談会会長は安倍晋三首相)」の母体組織 この1年間で、元皇族が就いていた法人を代表する「統理」と、実質的なナンバー2の「副総長」が任期半ばで辞任。さらに暴行を受けた若手職員以外の職員も次々と退職するという「異常事態に陥っている」 神社本庁の意思決定機関である役員会にも報告されたが、神社本庁は当事者間の話し合いで解決したとして、若手職員を殴った課長心得には内規に基づく懲戒処分を下さず、けん責(口頭注意と始末書提出)という極めて軽い処置に止めた 神社本庁が所有していた不動産の売却における、神社本庁の上層部と購入業者の癒着を指摘する告発文書を作成したとして、懲戒解雇などの処分を受けた元幹部職員2人が、その処分無効を求める訴えを東京地裁に起こした それに先立つ昨年8月、この不動産売買の疑惑に対する調査委員会を設置した神社本庁の副総長が辞任 宗教法人を代表し象徴的役職である「統理」を務めていた元皇族の北白川道久氏が健康上の問題を理由に異例の辞任 この1年間だけで60人ほどの全職員の内、幹部を含む11人が依願退職 平成の御代替わりという大イベントを前に、組織が機能不全を起こしつつある
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憲法改正問題(その6)(現代日本とフランス第2共和政はソックリだ 憲法改正の先には何が待ち受けているのか、憲法論争の不毛さを見事に喝破した週刊ポストの特集記事、木村草太教授と読み解く自民党の改憲7案 安保法制を無理に通したツケが回ってきた、「国家優先」に覆われた自民党改憲案は危険だ 前川喜平氏が指摘する「26条改正案」の問題点) [国内政治]

憲法改正問題については、昨年8月29日に取上げたままだったが、今日は、(その6)(現代日本とフランス第2共和政はソックリだ 憲法改正の先には何が待ち受けているのか、憲法論争の不毛さを見事に喝破した週刊ポストの特集記事、木村草太教授と読み解く自民党の改憲7案 安保法制を無理に通したツケが回ってきた、「国家優先」に覆われた自民党改憲案は危険だ 前川喜平氏が指摘する「26条改正案」の問題点)である。

先ずは、神奈川大学国際センター所長、教授の的場 昭弘氏が昨年11月21日付け東洋経済オンラインに寄稿した「現代日本とフランス第2共和政はソックリだ 憲法改正の先には何が待ち受けているのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/198230
・『マルクスは・・・「海神(わだつみ)テティスはアキレウスに、お前は若さの絶頂期に死ぬだろうと、予言した。憲法もアキレウスと同じ急所をもっていたので、アキレウスと同じように早死にするだろう、との予感をもっていた」・・・この憲法とは、1848年のフランス第2共和政憲法のこと・・・美しすぎるがゆえの悲劇を自らのうちにもつからである』、『わがアキレス腱である憲法9条 昨今のわが国の状況を見ると、これは日本国憲法の話だと思っていいのかもしれない。改憲の論議は、わがアキレス腱である9条に注がれているからである。まれに見る見事な憲法である日本国憲法は、1848年当時としては理想的憲法であった第2共和政憲法と酷似している』、マルクスやアキレウスが登場した理由が漸く理解できた。
・『第2共和政憲法のアキレス腱とは何か。それは、大統領の再選を認めなかったことである。フランス革命以来、フランスでは、ロベスピエール、ナポレオン・ボナパルトといった独裁者がつねに生み出されてきた。だからこそ、第2共和政の憲法は、そうした独裁者を生み出さないことに苦慮した。その結果、大統領の再選を阻止し、大統領の親族による継承も阻止するという条文が憲法に織り込まれることになったのだ。 しかし、賢い大統領ならば、この憲法の盲点に気づくはずである・・・賢い大統領の言い分はこうだ。「自分には民衆という味方がいる。民衆はヨーロッパの革命家による革命の騒乱にあきあきしている。そのためには強力な政府が必要である。だから民主的な憲法を破棄しても、それを国民は認めるだろう」。そのように考えたルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)はクーデターを起こした。まさにルイ・ナポレオンの見立ては的中した。一部の反抗はあったが国民の趨勢はクーデター支持であった。 美しき憲法は、かくしてその美しさのゆえに無残にも破棄されたのである』、なるほど。
・『第2共和政は薄命に終わり、長い第2帝政の時代が始まる。皇帝となったルイ・ナポレオンは、政権維持のためにつねに外敵をつくることに奔走した。国民の目を国内に向けさせないためにも、外敵の脅威というものが政権維持に欠かせないものであったからである。クリミア戦争、メキシコ戦争、イタリア独立戦争と続き、最後には普仏戦争によって、その牙城はもろくも崩れ、体制は崩壊する。 フランスのロベスピエール、ナポレオン・ボナパルト、ルイ・ナポレオンの出現は、独裁者はどこから出現するかという問題のヒントを与えてくれるかもしれない。これらの独裁者は、いずれも民主的世界から出現し、その出現が国の外の脅威から生まれている点に共通性をもつ』、外敵が独裁者の誕生を生み出すというのは、民主主義の脆さを示唆している。
・『独裁とは、ある意味民主国家が緊急時にそなえて置く制度ということになる。言い換えれば、独裁は民主主義が危機に陥ったとき、その民主体制の中から、民主主義それ自体を食い破り出てくる民主主義に必然的なものだということにもなる。国家存亡のおりだとか、戦争状態だとか、そうした危機に乗じて、民主体制はいつでも、自らの価値体系である民主主義を停止させることができるということである。 だからこそ、為政者がつねに権力の座にあるためには(あるいは為政者が自らに都合のいい体制をつくるには)、つねにどこかに危機がせまっていることを、国民に告げる必要がある』、独裁は民主主義が危機に陥ったとき・・・民主主義それ自体を食い破り出てくる民主主義に必然的なものだ」というのは考えさせられる歴史的事実だ。
・ジョージ・オーウェルの『1984年』という小説は、まさに独裁体制を描いた名高い小説だが、そこで出てくるスローガンにある・・・言葉とは、「戦争は平和である、自由は屈従である、無知は力である」・・・国を閉じ、海外からのニュースを遮断し、国民を無知の状態に置き、戦争状態こそ日常の平和であることを教え、国家権力に従属することこそ自由であることを国民に馴致(じゅんち)させることである。敵が誰であろうとかまわない。敵がいることが重要なのである・・・オーウェルの世界に、「2分間憎悪」という興味深い儀式が出てくる・・・国家が決めた敵に対して、2分間ひたすら憎悪の言葉を投げつけることで、いつのまにかその敵が現実にいるように見え、その敵に対して戦っている国家がすばらしいものに見えてくるという儀式である。国民の不満を国家に対する不満へと昇華させないで、外敵に向けさせることで、ガス抜きを図るというものである』、「2分間憎悪」までは覚えていなかったが、なるほど。
・『これらはもちろん架空の世界の物語だが、いまのわが国の状況を少し客観的に見れば、この架空の世界に似てなくもないことに、いまさらに驚く。 北朝鮮という外敵(ちょっと前は中国であったが、時には韓国の場合もある)に対して、憎悪を募らせ、危機があおられる。本当にどれくらいの危機であるかを知るには、東西の国際情報を手繰り寄せて、それによってしっかりと判断すべきなのだが、そうした面倒くさい手続きは忘れられ、ひたすら脅威のみが喧伝され、それに国民は躍らせれる。そうなると、いつの間にか民主憲法といって誇りをもってきた憲法も、戦後の制度も、極めて脆弱なものに見え、国民は、何か強い独裁的な人物像の出現を待ち望みたい気持ちになってくるから、大変だ。 ふと考えると戦前の日本も、こうした状態に振り回されたのではなかったか。いま立ち止まってゆっくりと考えてみるべき時かもしれない。せっかく勝ち得た民主主義を手放さないためにもだ』、確かに現在の日本が置かれた状況は、要注意のようだ。

次に、元レバノン大使の天木直人氏が1月29日付けの同氏のブログに掲載した「憲法論争の不毛さを見事に喝破した週刊ポストの特集記事」を紹介しよう。
http://kenpo9.com/archives/3195
・『週刊ポスト(2月9日号)に、「憲法たたき売り国会の欺瞞」という特集記事がある。 これは、憲法9条が、自民党総裁選や野党共闘の道具にされていることを嘆き、糾弾する記事だ。 すなわち、自民党の安倍首相も石破、岸田総裁候補も、公明党も、立憲民主党も、本心は9条改憲などどうでもいい、名誉欲と票集めとスキャンダル隠しのために騒いでいるだけだと書いている』、なるほど。
・『まず自民党であるが、本気で憲法改正を発議するなら、いまごろは党内一丸となって国民に改憲の必要性を訴えて行かなければいけないのに、「冷めたピザ」のようにまったく熱気がないという。 無理もない。安倍首相は公明党と維新の会を抱き込むために、自衛隊明記と教育無償化しか関心はなく、宏池会の岸田氏は安倍禅譲を狙っていとも簡単に憲法9条への愛着を捨て、石破氏は安倍攻撃の格好の標的と見て自衛隊明記だけにこだわる安倍批判を繰り返す』、確かに自民党の熱気のなさは不思議だ。
・『いまや野党第一党になった立憲民主党は、枝野党首自身が改憲論者であり、解散権制約に応じるなら9条の議論に応じてもいいといいだす有様だ。 不倫疑惑を抱えて立憲民主党入りした山尾志桜里議員に至っては、突然「リベラルからの9条改憲」を唱えだしている』、枝野、山尾両氏とも弁護士出身なので、自分の改憲論理に過剰な自信を持っているためなのだろうか。立憲民主党が所詮、勝ち目のない改憲論議に突っ込んでいくとは、自殺行為だ。
・『週刊ポストの特集記事は、保守派の西尾幹二電気通信大学名誉教授の言葉を引用して、こう締めくくっている。「憲法改正は国の根幹にかかわる大事業。目先の都合や政治的打算で行われれば必ず禍根を残す」(西尾) こんな打算まみれの改憲論議の末に「自衛隊を合憲にしたぞ」と胸を張られても、最前線で国の守りにつく自衛隊員たちは虚しくなるばかりではないだろうかと。 日本の安全保障政策について堂々と議論した上で改憲の是非を決めるべきだとする西尾氏や週刊ポストの主張は正しい』、ここでの「正しい」の意味は、以下の主張を考慮すれば、「論理的には正しい」程度の意味であろう。
・『しかし、その目指す方向が憲法9条を捨て、日本を軍事的強国にすべしというものであることは明らかだ。 根本的に間違っている。そうではないのだ。 いま日本の政治に求められているのは、日本の安全保障政策を正面から議論した上で、憲法9条を守るどころか、今こそ憲法9条を国是とし、憲法9条と真っ向から矛盾する日米軍事同盟から自立すべきだ、と主張する政党であり、国会議員だ。 社会党が自民党と連立を組んで消滅したいまや、それを唱えるのは共産党だけになってしまった。 その共産党も、生き残りをかけて野党共闘を優先し、安保論争を封印してしまった』、共産党まで安保論争を封印したのであれば、残念ながら国会にはどうも期待できないようだ。

第三に、3月20日付け日経ビジネスオンラインで副編集長の森 永輔氏が掲載した「木村草太教授と読み解く自民党の改憲7案 安保法制を無理に通したツケが回ってきた」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071000146/031900025/?P=1
・『自民党の憲法改正推進本部が3月14日の役員会で、9条に関する7つの改憲案を示した・・・新進気鋭の憲法学者、木村草太・首都大学東京教授に聞いた。・・・木村:大きく言えるのは、安全保障法制*を2015年に無理に成立させたツケが回ってきたということです。安保法制を成立させる前なら、自衛隊を憲法に位置づけるのは今より容易でした。「日本が武力攻撃を受けた場合にこれを阻止するため自衛隊を置く」とすればよいわけですから。しかし、安保法制があるがゆえに、こうした書き方ではすまなくなっている・・・一方、安保法制の合憲性を明確にするには、集団的自衛権行使の限定容認を明示する文言にしなければならない。それは国民投票において国民の理解を得られない可能性が高い。かといって、あいまいな表現を取れば、憲法による統制が意味を成さなくなってしまう』、なるほど。
・『【9条の2】我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つための必要最小限度の実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する・・・木村:この表現は、意味が定まっていないので、評価のしようがありません。安倍政権が、集団的自衛権行使を限定容認する新たな9条解釈を閣議決定する以前は、自衛隊の役割は明確でした。政府が旧三要件としてまとめていたものです・・・我が国が武力攻撃を受けた時、もしくは相手国が我が国に対する武力攻撃に着手した時に、これを排除するための必要最小限度の実力として自衛隊を位置づけていました。 有力案の表現は、自衛隊の武力行使を旧三要件を充たす武力攻撃事態の時のみに限定するのか、そうでないのかが不明です。 というのも、2014年閣議決定は、これに加えて、新たに定めた新三要件の下でも武力行使が可能としました・・・この新三要件の冒頭に挙げられている存立危機事態の説明と、有力案の表現とは全く異なります。これでは、存立危機事態において自衛隊が武力行使できるかどうかも分かりません。 以上のことから、この案には二つの問題があることが分かります。一つは、武力攻撃を受けた場合を超えて、すなわち拡大解釈して、武力行使できる可能性があることです。例えば、イラクのクェート侵攻に反撃するために行われた湾岸戦争ですら、「我が国の平和」を守るための武力行使と強弁する人もいるでしょう。シーレーン封鎖によって石油の輸入ができなくなった事態をもって「独立」が侵されたという人が現れるかもしれない。 第2の問題は、この有力案では安保法制が合憲かどうか判断することができないことです。私は、安保法制による集団的自衛権行使の限定容認は、政府の説明を前提とすると違憲と評価せざるを得ないと考えます・・・2015年の審議の過程であれだけの混乱を招いたのですから、改憲案は集団的自衛権行使の限定容認が合憲か否かを明確にする必要があるのではないでしょうか』、有力案は安保法制との整合性など考えずに、昔の改憲案を持ってきたのだろうか。
・『行政機関としての自衛隊は73条で定めるべき・・・「必要最小限度」かどうかは、その目的が何であるかによって異なります。侵略のために必要な最小限度と、個別的自衛権を行使するのに必要な最小限度は異なる。 有力案の表現は、何のための必要最小限度なのか不明です。先ほどお話した通り、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つため」が武力攻撃事態への対処だけを指すのか、存立危機事態への対処を含むのかが不明だからです。もっと言えば、存立危機事態がどのような状況を指すのかがそもそも判然としていないという問題もあります』、なるほど。
・『「内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者」とするのは・・・有力案のこの字句は、自衛隊が行政機関であるのか、そうでないのかが分かりません。 行政機関としての自衛隊をそのまま憲法に書き込むならば、憲法に「72条の2」として加えるか、内閣の権能を定めた73条に新しい項を加えるべきでしょう。例えば、行政活動の一つとして防衛を行うとか、防衛のための行政機関として自衛隊を設置するといった表現で・・・9条に規定すると、他の行政機関とは異なる機関であるかのように受け止められかねません。そうなると、「行政機関が本来守るべきルールを逸脱しても許される」という誤解を与える懸念がある。行政機関には、法律に基づいて事務を執るとか、平等の原則とか、さまざまなルールが存在します。有力案の書き方はこの点において不注意です』、というのは重要な指摘だ。確かに、9条に規定すると自衛隊が別格の機関と捉えられる恐れが大いにありそうだ。
・『いまの改憲論議は2つのことを同時にやろうとしているので混乱しています。1つは、日本を守るための自衛隊、もしくは個別的自衛権の行使を認めるか否か。もう一つは、その自衛隊に、集団的自衛権を根拠とする他国の防衛を援助するための武力行使を認めるか否か。前者は自衛隊法76条が定める武力攻撃事態、後者は存立危機事態に相当します。 国会法第68条の3は「(前略)憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする」と定めています。したがって、この2つの論点は、別個に国民投票に発議する必要があります。個別的自衛権については多くの賛同が得られるでしょう。他方、集団的自衛権については大きく意見が割れるのではないでしょうか。この点からも両者を分けて発議すべきと考えます』、こんな指摘は初耳だが、確かにその通りだ。
・『私は最近の世論調査のあり方に疑問を持っています。これらの2つのことを分けずに質問しているからです。「9条改正に賛成ですか」という質問があります。これには「反対」の回答が多い。一方「自衛隊の明記に賛成ですか」との質問には「賛成」が多くなる・・・これはなぜか。「自衛隊の明記に賛成ですか」との質問は、「個別的自衛権の行使を認めるか」と理解される傾向があるからです。これに対して「9条改正に賛成ですか」は集団的自衛権の解禁とか、国連決議に伴う武力行使への参加について問われていると解される。 この点からも、以上の2つのことは分けて国民投票に発議すべきと考えます』、正論である。
・『これからの改憲論議に期待する点は・・・国民投票で国民に何を問うのかを明確にすることです。今はここが明確になっていない。理由は2つあります。 第1の理由は、今の議論は、条文案をいきなり作ろうとしていること。通常の法律の改正は、実現すべき内容を考え、要項をまとめることから始めます。何を実現したいのかさえ決まっていれば、条文作りは最後の仕上げの技術的な作業です。専門家に任せればよい・・・国民投票は・・・条文に表わしてから行ないます。しかし、要項で「そもそも何がしたいのか」を示されないと、条文だけを見ても何を意味するのか分かりません。 もう一つの理由は、自民党が安保法制に自信を持てていないことです。限定的な集団的自衛権行使を容認する安保法制と整合性が取れる形で憲法に自衛隊を位置づけようとすれば、国民の賛同が得られない可能性が高い。よって、国民投票を通すためには、条文をあいまいなものにせざるを得ないわけです。 繰り返しになりますが、安保法制を成立させる前なら、憲法に自衛隊を位置づけるのは容易でした。安保法制のツケが回ってきたのです』、木村教授の冷静な主張は、説得力がある。あいまいな条文で強引に改正させる最悪の事態だけは、何としてでも阻止すべきだ。

第四に、元文部科学事務次官で現代教育行政研究会代表の前川 喜平氏が5月24日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「国家優先」に覆われた自民党改憲案は危険だ 前川喜平氏が指摘する「26条改正案」の問題点」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/220823
・『自由民主党は去る3月22日、4項目の憲法改正案をまとめた。「9条の2」の追加や緊急事態条項の問題点ばかりが取りざたされているが、26条の改正案についてはあまり注目されていない。 自民党が26条を改正の俎上に載せたのは、教育(特に高等教育)の無償化という課題があったからだが、この改正案が実に問題なのである・・・自民党改憲案では現在の26条1項、2項はそのまま残し、次のような3項を加えることになっている。「国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない」 自民党としては、教育無償化のための憲法改正を主張する日本維新の会を取り込みたいという意図もあるのだろう。加えて、国民の賛同が得やすい改正点を盛り込んでおきたいという思惑もあるのだろうが、「教育の無償化」という課題そのものは十分国民的議論に値する』、なるほど。
・『高校など後期中等教育の無償化は、日本が1979年に批准した国際人権規約に盛り込まれていたが、この条項を留保し続けてきた政府は、民主党政権だった2012年に留保を撤回し、現在はこの規定に拘束されている。 また、第二次安倍政権においても、規模が小さいながらも、大学・専門学校の学生に対する給付奨学金が制度化され、「漸進的無償化」が進められている。幼児教育についても毎年少しずつ無償化の範囲が広がっている。 安倍政権によって・・・無償化は曲がりなりにもすでに実現している。 教育無償化が教育政策の重要課題であることは確かだ。しかし、自民党の26条改憲案を見ると、「無償」という言葉は全く出てこない・・・元々「無償」という言葉は、26条2項中の「義務教育は、これを無償とする」という規定に出てくるのだが、この規定はそのまま残すことになっていることから、「義務教育以外の教育は有償でよい」という反対解釈が引き続き成り立つことになる。 つまり、自民党の改憲案は、教育の無償化については現行の規定から1ミリも進んではいないのだ』、これでは羊頭狗肉そのものだ。
・『自民党の改憲案には多くの言葉が並べられているが、いったいこの追加条項は何を言おうとしているのだろう。 改正案の3項では「国」を主語とし、「努めなければならない」で締めくくられている。すなわち国の努力義務ということになる。では何に努力するのかというと、「教育環境の整備」なかんずく「各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保すること」である。 だが、この国の義務は現行の26条1項で十分読める。 現行1項は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と規定しているが、社会権である「教育を受ける権利」を保障するために教育環境の整備を行うことは国の当然の義務であって、改めて書き込む必要はない。 さらに、同項中の「ひとしく」の文言には、すでに経済的地位による差別を禁止する趣旨が含まれており、その趣旨は教育基本法4条に具体的に示されている。だから、そもそもこの条項は不要なのである。 「教育が……に鑑み」の部分は、国が国民の教育を受ける権利を保障する際の留意事項であるが、「人格の完成」や「幸福の追求」は現行憲法13条からも導かれる内容であって、わざわざ書かなくてもいい』、なるほど。
・『他方、「教育が……国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであること」を留意事項とすることは極めて問題である。 人権保障規定に「国の未来」などという条件を持ち込んではいけない。このような留意事項は、教育を受ける権利の保障に関係ないだけでなく、「国の未来を切り拓く」上で役に立つ国民の教育は保障するが、役に立たない国民の教育は保障しないという論理につながる危険性を持っている。 この自民党改憲案は全体として、個人を国家に従属させる国家優先の思想に覆われているが、その思想がこの文言にも表れていると言えよう。 自民党の26条改正案は元々、9条加憲や緊急事態条項という「国民が食べにくいものを食べやすくする」ため、食べ合わせに甘いおかずを用意しようとするものだと考えられるが、その甘い(が栄養がない)おかずの中にも体を蝕む毒が入っている。 憲法26条は当面、今のままで不都合はない。自民党の26条改正案は、それらしい言葉をたくさん並べてはいるが、そのほとんどは全く不要であり、一部は有害ですらある。教育の「漸進的無償化」なら現行憲法の下で進めていけばよい』、「甘い(が栄養がない)おかずの中にも体を蝕む毒が入っている」というのは初耳だが、極めて重要な危険性の指摘だ。
・『改憲より先にやるべきことがある 2016年12月に超党派議員連盟を母体とする議員立法によって制定された「義務教育の段階における普通教育の機会の確保等に関する法律」(教育機会確保法)は、すべての個人に無償普通教育を保障すべき国(自治体を含む)の義務の履行を、大きく一歩前に進めるものだ。 当面、フリースクールに通う子どもたちへの支援の充実を図り、公立夜間中学等の量的・質的充実を図るなど、この法律の指し示す方向での施策を進め、国籍や年齢を問わず学習する機会が保障されるようにすることが必要だ』、さすが専門家らしい正論だ。
タグ:的場 昭弘 (その6)(現代日本とフランス第2共和政はソックリだ 憲法改正の先には何が待ち受けているのか、憲法論争の不毛さを見事に喝破した週刊ポストの特集記事、木村草太教授と読み解く自民党の改憲7案 安保法制を無理に通したツケが回ってきた、「国家優先」に覆われた自民党改憲案は危険だ 前川喜平氏が指摘する「26条改正案」の問題点) 憲法改正問題 東洋経済オンライン 「現代日本とフランス第2共和政はソックリだ 憲法改正の先には何が待ち受けているのか」 マルクスは・・・「海神(わだつみ)テティスはアキレウスに、お前は若さの絶頂期に死ぬだろうと、予言した。憲法もアキレウスと同じ急所をもっていたので、アキレウスと同じように早死にするだろう、との予感をもっていた 1848年のフランス第2共和政憲法 美しすぎるがゆえの悲劇を自らのうちにもつからである 第2共和政憲法のアキレス腱とは何か。それは、大統領の再選を認めなかったことである 第2共和政の憲法は、そうした独裁者を生み出さないことに苦慮した。その結果、大統領の再選を阻止し、大統領の親族による継承も阻止するという条文が憲法に織り込まれることになったのだ ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)はクーデターを起こした。まさにルイ・ナポレオンの見立ては的中した。一部の反抗はあったが国民の趨勢はクーデター支持であった。 美しき憲法は、かくしてその美しさのゆえに無残にも破棄されたのである 皇帝となったルイ・ナポレオンは、政権維持のためにつねに外敵をつくることに奔走 クリミア戦争、メキシコ戦争、イタリア独立戦争と続き、最後には普仏戦争によって、その牙城はもろくも崩れ、体制は崩壊する フランスのロベスピエール、ナポレオン・ボナパルト、ルイ・ナポレオンの出現は これらの独裁者は、いずれも民主的世界から出現し、その出現が国の外の脅威から生まれている点に共通性をもつ 独裁は民主主義が危機に陥ったとき、その民主体制の中から、民主主義それ自体を食い破り出てくる民主主義に必然的なものだということにもなる 為政者がつねに権力の座にあるためには(あるいは為政者が自らに都合のいい体制をつくるには)、つねにどこかに危機がせまっていることを、国民に告げる必要がある ・ジョージ・オーウェルの『1984年』 「戦争は平和である、自由は屈従である、無知は力である」 2分間憎悪 いまのわが国の状況を少し客観的に見れば、この架空の世界に似てなくもないことに、いまさらに驚く 北朝鮮という外敵(ちょっと前は中国であったが、時には韓国の場合もある)に対して、憎悪を募らせ、危機があおられる。本当にどれくらいの危機であるかを知るには、東西の国際情報を手繰り寄せて、それによってしっかりと判断すべきなのだが、そうした面倒くさい手続きは忘れられ、ひたすら脅威のみが喧伝され、それに国民は躍らせれる いつの間にか民主憲法といって誇りをもってきた憲法も、戦後の制度も、極めて脆弱なものに見え、国民は、何か強い独裁的な人物像の出現を待ち望みたい気持ちになってくるから、大変だ 天木直人 同氏のブログ 「憲法論争の不毛さを見事に喝破した週刊ポストの特集記事」 「憲法たたき売り国会の欺瞞」 憲法9条が、自民党総裁選や野党共闘の道具にされていることを嘆き、糾弾する記事 自民党の安倍首相も石破、岸田総裁候補も、公明党も、立憲民主党も、本心は9条改憲などどうでもいい、名誉欲と票集めとスキャンダル隠しのために騒いでいるだけだと書いている 自民党 冷めたピザ」のようにまったく熱気がない 立憲民主党は、枝野党首自身が改憲論者であり、解散権制約に応じるなら9条の議論に応じてもいいといいだす有様だ。 不倫疑惑を抱えて立憲民主党入りした山尾志桜里議員に至っては、突然「リベラルからの9条改憲」を唱えだしている 憲法改正は国の根幹にかかわる大事業。目先の都合や政治的打算で行われれば必ず禍根を残す 日経ビジネスオンライン 森 永輔 「木村草太教授と読み解く自民党の改憲7案 安保法制を無理に通したツケが回ってきた」 自民党の憲法改正推進本部 7つの改憲案 新進気鋭の憲法学者、木村草太・首都大学東京教授 安全保障法制*を2015年に無理に成立させたツケが回ってきたということです。安保法制を成立させる前なら、自衛隊を憲法に位置づけるのは今より容易でした。「日本が武力攻撃を受けた場合にこれを阻止するため自衛隊を置く」とすればよいわけですから。しかし、安保法制があるがゆえに、こうした書き方ではすまなくなっている 安保法制の合憲性を明確にするには、集団的自衛権行使の限定容認を明示する文言にしなければならない。それは国民投票において国民の理解を得られない可能性が高い。かといって、あいまいな表現を取れば、憲法による統制が意味を成さなくなってしまう 有力案の表現は、自衛隊の武力行使を旧三要件を充たす武力攻撃事態の時のみに限定するのか、そうでないのかが不明です 新三要件の冒頭に挙げられている存立危機事態の説明と、有力案の表現とは全く異なります。これでは、存立危機事態において自衛隊が武力行使できるかどうかも分かりません 二つの問題 一つは、武力攻撃を受けた場合を超えて、すなわち拡大解釈して、武力行使できる可能性があることです 第2の問題は、この有力案では安保法制が合憲かどうか判断することができないことです 改憲案は集団的自衛権行使の限定容認が合憲か否かを明確にする必要があるのではないでしょうか 行政機関としての自衛隊は73条で定めるべき 行政機関としての自衛隊をそのまま憲法に書き込むならば、憲法に「72条の2」として加えるか、内閣の権能を定めた73条に新しい項を加えるべきでしょう 9条に規定すると、他の行政機関とは異なる機関であるかのように受け止められかねません そうなると、「行政機関が本来守るべきルールを逸脱しても許される」という誤解を与える懸念がある 改憲論議は2つのことを同時にやろうとしているので混乱 つは、日本を守るための自衛隊、もしくは個別的自衛権の行使を認めるか否か もう一つは、その自衛隊に、集団的自衛権を根拠とする他国の防衛を援助するための武力行使を認めるか否か 憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする 個別的自衛権については多くの賛同が得られるでしょう。他方、集団的自衛権については大きく意見が割れるのではないでしょうか。この点からも両者を分けて発議すべきと考えます 最近の世論調査のあり方に疑問を持っています。これらの2つのことを分けずに質問しているからです 9条改正に賛成ですか」という質問があります。これには「反対」の回答が多い。一方「自衛隊の明記に賛成ですか」との質問には「賛成」が多くなる 国民投票で国民に何を問うのかを明確にすることです 第1の理由は、今の議論は、条文案をいきなり作ろうとしていること。通常の法律の改正は、実現すべき内容を考え、要項をまとめることから始めます もう一つの理由は、自民党が安保法制に自信を持てていないことです。限定的な集団的自衛権行使を容認する安保法制と整合性が取れる形で憲法に自衛隊を位置づけようとすれば、国民の賛同が得られない可能性が高い。よって、国民投票を通すためには、条文をあいまいなものにせざるを得ないわけです 前川 喜平 「「国家優先」に覆われた自民党改憲案は危険だ 前川喜平氏が指摘する「26条改正案」の問題点」 26条の改正案についてはあまり注目されていない 教育(特に高等教育)の無償化という課題があったからだが、この改正案が実に問題なのである 26条1項、2項はそのまま残し、次のような3項を加えることになっている。「国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない」 日本維新の会を取り込みたいという意図 国民の賛同が得やすい改正点を盛り込んでおきたいという思惑もあるのだろうが 無償化は曲がりなりにもすでに実現している の26条改憲案を見ると、「無償」という言葉は全く出てこない 自民党の改憲案は、教育の無償化については現行の規定から1ミリも進んではいないのだ 教育が……国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであること」を留意事項とすることは極めて問題 このような留意事項は、教育を受ける権利の保障に関係ないだけでなく、「国の未来を切り拓く」上で役に立つ国民の教育は保障するが、役に立たない国民の教育は保障しないという論理につながる危険性を持っている 個人を国家に従属させる国家優先の思想に覆われている 食べ合わせに甘いおかずを用意しようとするものだと考えられるが、その甘い(が栄養がない)おかずの中にも体を蝕む毒が入っている 憲法26条は当面、今のままで不都合はない 改憲より先にやるべきことがある 「義務教育の段階における普通教育の機会の確保等に関する法律」(教育機会確保法) この法律の指し示す方向での施策を進め、国籍や年齢を問わず学習する機会が保障されるようにすることが必要
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マスコミ(その8)(小田嶋氏:麻生さん菅さんはなぜあんなに威張るのか) [メディア]

マスコミについては、3月16日に取上げた。今日は、(その8)(小田嶋氏:麻生さん菅さんはなぜあんなに威張るのか)である。

コラムニストの小田嶋 隆氏が8月3日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「麻生さん菅さんはなぜあんなに威張るのか」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/080200153/
・『読売新聞が7月24日に 「米新聞社困窮、一夜で半数リストラ...全米に拡大」という見出しで記事を掲載している・・・米ニューヨークの主要タブロイド紙である「ニューヨーク・デイリー・ニューズ」が、7月の23日に編集部門約80人のうち、編集長を含め半数の40人余りに対してレイオフを決行した事実とともに、全米の新聞が多かれ少なかれ同様の苦境にあることを伝えるものだ。 私は、読売新聞の紙面の行間から、「われわれも同じだ」といううめき声のようなものを聞き取らずにおれなかった・・・日本の新聞社は、どこであれ米国の新聞が立たされているのとそんなに変わらない苦境の中で、ゆるやかに窒息しつつある。 本業以外の収入や、長年にわたって蓄積してきた土地や資産のやりくりでなんとかもちこたえてはいるものの、どこの新聞社も、この20年ほど、販売部数と広告収入の減少に歯止めがかからない状況下で経営戦略の見直しを迫られている。 このたび、読売新聞が米国の事情として新聞社の困窮ぶりを伝えた背景には、自分たちが日々直面している危機への目配りがあったはずだ。いずれ近いうちに、日本の新聞各社も、現在米国の新聞が断行しているのと同じような思い切ったリストラに踏み切らざるを得なくなるはずだ。記事の行間にただよっていた沈痛さは、記者個人の観察というよりは、新聞業界人全般が抱いている不安を反映したものなのだと思う。 今回は、新聞の話をする。なにかと暗い話題の多い新聞に関して、あらためてその現状と未来を考えることで、なんとか打開に至る道を見つけることができればありがたいと思っている』、読売新聞ですら危機感を抱いているというのは、その通りなのだろう。
・『7月27日の午後、麻生太郎財務大臣が財務省の幹部人事を発表したというニュースが伝えられた。テレビの映像を見ていて私が強い印象を抱いたのは、伝えられている人事の内容そのものよりも、麻生大臣の横柄な態度に対してだった。 大臣は、記者に「大臣の認識としても今回の人事はベストだということでよろしいでしょうか」と問われて 「思ったから私が任命した。忘れんでください。人事権はあなたにあるんじゃない。オレにあるんだから」と答えている。 なんともあきれた言いざまだ。 が、見て腹が立つのかというと、意外にそうでもなかった』、いかにも麻生大臣らしい言い方だ。
・『「この人はどうしていつもこんなに威張っているのだろうか」と思うと、むしろ笑いがこみあげてくる。 あるいは、この人の人気の秘密はこういったあたりにあるのかもしれない。 つまり、誰もが互いの意図を斟酌し合ってはオノレの行動をチマチマと制御しているこの国にあって、常に一貫して空気を読まない小動物じみた頑迷さが、見物用のキャラクターとしてのこの人の挙動に、ある種の魅力を賦与しているということだ。』、麻生大臣の不思議な魅力をここまで的確に表現するとはさすがだ。
・『記者には腹が立つ。 どうして黙って言われっぱなしになっているのかと思うと、どうしてもイライラするのだ。「仮にも大臣が記者に向かって言って『オレ』はいかんだろ」・・・「これ、要するに『それでは、大臣にもぜひ覚えておいていただきたいのですが、記事を書くペンはあなたが持っているのではありません。私が持っています』と言い返すことができなかった記者が腰抜けだったってことだよな」・・・と、当日の動画を見ていると様々な感想が思い浮かんで、いちいちイライラしてしまう。 この時の会見に限らず、麻生大臣は、記者に対してたびたび「あんた」という呼称を使っている。自分の名乗りに「オレ」という一人称代名詞を採用することも多い。それどころか、この4月には、「お前、NHK? 見ない顔だな」と、取材者を「お前」呼ばわりしている』、なるほど。
・『これらの一連の不遜な態度が示唆しているのは、単に「対人マナー」や「礼儀」の問題ではない。大臣の言葉遣いの横暴さは、政治家と報道陣の関係性の変質という、より致死的な問題の露呈である可能性が高い。 もし仮に、大臣と記者の関係が、対等な政治家とジャーナリズムの対峙の関係でなく、上司と部下、王と臣下、命令者と服従者という上下関係に関係に近づいているのだとしたら、それはジャーナリズムの死が近いことを意味している。 日頃から大臣に無礼な言葉を浴びせられ続けていてなお、それをたしなめることができずにいる記者がいるのだとしたら、その記者は「御用聞き」と見なさなければならない。そして、御用聞きが書く記事は、読者の側からすれば、通常の新聞記事ではなくて、政府広報として閲覧せねばならないことになる。ということは、そんな新聞は、有料で購読するには及ばないということでもある』、なんと鋭い指摘だろう。特に、「ジャーナリズムの死が近いことを意味」とは大いに考えさせられた。
・『大臣の態度が横柄であることの主たる罪は、麻生さんご本人にある。これははっきりしている。 しかし、責任がどこにあるのかというと、必ずしも麻生大臣一人にすべてを負わせて済ますわけにはいかない。個人的には、麻生大臣が記者に対して日常的に横柄な口のきき方をしていることの責任の半分は、記者の側にあると考えている。 というのも、「関係」というのは、一方的に形成されるものではなくて、双方の合意なり実績に沿って徐々に作り上げられるはずのものだからだ。 つまり、大臣が横柄に振る舞うのは、番記者が常に迎合的に振る舞っていることの裏返しなのであって、大臣の恫喝的な一挙手一投足は、それを歓迎ないしは容認している記者諸君のチキンハートとワンセットで考えなければならないということだ』、その通りだ。
・『菅義偉官房長官の会見での態度も、この2年ほどの間に目に見えて横暴さを増している。 興味のある向きには、総理府のサイト内にある「内閣官房長官記者会見」というページを見に行くことをおすすめしたい・・・。ここには、過去の会見の様子が動画で紹介されている。 つい最近の例では、7月23日午後の記者会見で、記者の「イージス・アショアの導入費、2基で6000億円以上と試算されている。当初の推定の3倍以上になる。生活保護費を削減し、西日本豪雨の対策費が要求される中、他を削ってでも必要な理由は?」という質問に対して 「報道した所に聞いてください」という一言のみで片付けている。 予算の使い道を尋ねる質問に対して、報道機関に聞けという回答は、まったく意味をなしていない。というよりも、回答を拒否しているに等しい。 質問の内容如何で、回答できない場合があるにしても、官房長官は、回答を拒否するのであれば、まずその理由を述べなければならないはずだ』、確かに菅官房長官の記者対応も横暴そのものだ。マスコミの経営陣に対しては、安倍首相と共に頻繁に宴席でもてなしているので、下々の記者風情には横暴に接してもいい、と考えているとすれば、考え違いも甚だしい。
・『この時に限らず、菅官房長官は、特定の記者の質問に対して明らかに不快な表情を浮かべて回答をはぐらかすケースが目立っている。 私が心配しているのは、政治家にきびしい質問を浴びせる記者が、会見の中でむしろ「浮いて」いることだ。 上に挙げた23日の会見でも、イージス・アショアについて質す女性記者の30秒ほどの質問の間に、幹事社の記者と思われる司会担当の記者から「簡潔にお願いします」というツッコミが2回入っている。 その前のGPIFの質問の時も同様で、同じ女性記者の28秒間の質問の間に、司会者は「簡潔にお願いします」というツッコミを2回入れている。 これらの質問の動画をひと通り見てみると、会見場にいる記者の大勢、つまり「内閣記者会」(=官邸クラブのメンバーを中心とする記者たち)が、菅官房長官に対して毎回「空気を読まない」質問を繰り返している特定の女性記者を歓迎していないことが、その場の空気としてありありと伝わってくる。 つまり、これは「菅官房長官の回答姿勢が居丈高だ」という問題であるよりは、「官邸クラブの運営が官房長官の意向を強く反映している」問題だということを意味している。 もちろん、件の女性記者が、筋違いだったりお門違いだったり勘違いの結果だったりするおかしな質問を繰り返している可能性はあるし、そうでなくても、彼女は記者クラブ内に漂っている「空気」を読んでいないことは確かだと思う。 でも、それにしても、記者クラブのメンバーの大勢が、浮いている記者よりも、官房長官の側に傾いているように見えることに、私は気持ちの悪さを感じずにおれない。 単純な話、同業の記者に対して、あんなナメた答えを返している姿を見て、ほかの記者が腹を立てないことが不思議でならない』、これは有名な東京新聞の望月記者のことを指しているのだろう。あえて官邸クラブの「空気」を読まずに、質問を繰り返す勇気には感服すると共に、それを見殺しにする他の記者たちの態度には腹が立つ。
・『いまから50年ほど前の1972年の6月、佐藤栄作元首相が、退陣表明をする予定になっている記者会見の中で、新聞記者への積年の不満をぶちまける形で「自分はテレビカメラに向かって直接しゃべる。偏向報道をする新聞記者は帰ってくれ」という旨のことを言って総理室に引き返してしまったことがある。その後、周囲のとりなしで、再び会見が開かれることになったのだが、テレビと新聞を差別する総理発言をめぐって、紛糾し、結局今度は新聞記者たちが会見をボイコットしたという事件があった・・・この時の一連のなりゆきは、一方において、良くも悪くも当時の記者に気骨があったことを示唆している。彼らは少なくとも面と向かってバカにされて黙っている人たちではなかった。これは、職業人として思いのほか大切なことだ。特に記者にとっては、生命にかかわる資質なのだと私は考えている。 ともあれ、大臣や官房長官の恫喝にくるくると尻尾を巻いている記者の皆さんには、総理の会見を蹴飛ばして社に帰るなどという芸当は、到底考えることすら及ばないことなのではなかろうか』、私も佐藤元首相の記者会見騒動を思い出した。昔の記者たちが気骨を持っていたのは確かなようだ。
・『私自身、ライターとして仕事をするようになって以来、いくつかの新聞社と常に途切れることなく仕事をしてきた自覚があるのだが、その40年ほどの間に、新聞社の社員の印象はかなりあからさまに変わっている。 一番の違いは、彼らがおしなべて「感じの良い人」になったということだ・・・そうした彼我の立場の違いを差し引いて、総体として記者の対人マナーの絶対値を評価してみるに、私の見たところ、この30年ほどの間に、彼らは、より礼儀正しく、より謙虚で、より常識的で、よりフレンドリーな方向に変化してきている。この点は間違いないところだ。 つまり、大きな部分において、記者の態度はマイルドな方向に変わっているわけだ・・・30年前の記者たちが、現在の若い記者さんたちに比べてどこか優れていた部分を持っていたのだとすれば、私は、彼ら古手の記者たちが、自分たちの仕事に高い矜持を持って臨んでいた一点を挙げたい。彼らは、鼻持ちならない説教臭い人々ではあったが、大変に高いプライドを持って仕事にあたっていた。 昭和の記者連中は、記者という職業を英雄視するあまり、取材相手を無神経に扱うきらいがあったし、鼻持ちならないエリート意識を振り回して周囲を辟易させてもいた。 それに比べれば、インターネットの誕生以来、マスゴミ嫌いのネット民たちに思うさまにイビられ続けている昨今の記者の皆さんの振る舞いの上品さは、同じ職業に就く人間のそれとは思えない水準に到達していると思う』、なるほど。
・『政治家の不遜さを正すためには、政治家以上に傲慢な記者を当てる必要があるのかもしれない。各社、麻生番にコワモテの記者を配置するくらいはやったほうがいいような気もする。とはいえ、コミュ力万能の就活をくぐり抜けて採用された若手記者は、そもそも傲慢力を去勢されているのだろうか。だとしたら残念なことだ。 もちろんどうせなら、傲慢さよりは知性と理屈で麻生さんをぎゃふんと言わせてほしい。 みんなが読みたがっているメディアへの道って、案外、そんなところから始まってそうな気がするぞ』、確かに正論だとは思うが、「コミュ力万能」が読者にも広がっているとすれば、メディアだけの問題では済まないという難しさもあるのかも知れない。
タグ:読売新聞 もし仮に、大臣と記者の関係が、対等な政治家とジャーナリズムの対峙の関係でなく、上司と部下、王と臣下、命令者と服従者という上下関係に関係に近づいているのだとしたら、それはジャーナリズムの死が近いことを意味している 御用聞きが書く記事は、読者の側からすれば、通常の新聞記事ではなくて、政府広報として閲覧せねばならないことになる 日本の新聞社は、どこであれ米国の新聞が立たされているのとそんなに変わらない苦境の中で、ゆるやかに窒息しつつある 日頃から大臣に無礼な言葉を浴びせられ続けていてなお、それをたしなめることができずにいる記者がいるのだとしたら、その記者は「御用聞き」と見なさなければならない 女性記者の30秒ほどの質問の間に、幹事社の記者と思われる司会担当の記者から「簡潔にお願いします」というツッコミが2回入っている 政治家の不遜さを正すためには、政治家以上に傲慢な記者を当てる必要があるのかもしれない。各社、麻生番にコワモテの記者を配置するくらいはやったほうがいいような気もする。とはいえ、コミュ力万能の就活をくぐり抜けて採用された若手記者は、そもそも傲慢力を去勢されているのだろうか。だとしたら残念なことだ 傲慢さよりは知性と理屈で麻生さんをぎゃふんと言わせてほしい。 みんなが読みたがっているメディアへの道って、案外、そんなところから始まってそうな気がするぞ 佐藤栄作元首相が、退陣表明をする予定になっている記者会見の中で、新聞記者への積年の不満をぶちまける形で「自分はテレビカメラに向かって直接しゃべる。偏向報道をする新聞記者は帰ってくれ」という旨のことを言って総理室に引き返してしまったことがある。その後、周囲のとりなしで、再び会見が開かれることになったのだが、テレビと新聞を差別する総理発言をめぐって、紛糾し、結局今度は新聞記者たちが会見をボイコットしたという事件があった 誰もが互いの意図を斟酌し合ってはオノレの行動をチマチマと制御しているこの国にあって、常に一貫して空気を読まない小動物じみた頑迷さが、見物用のキャラクターとしてのこの人の挙動に、ある種の魅力を賦与しているということだ 大臣は、記者に「大臣の認識としても今回の人事はベストだということでよろしいでしょうか」と問われて 「思ったから私が任命した。忘れんでください。人事権はあなたにあるんじゃない。オレにあるんだから」と答えている 「麻生さん菅さんはなぜあんなに威張るのか」 「内閣記者会」(=官邸クラブのメンバーを中心とする記者たち)が、菅官房長官に対して毎回「空気を読まない」質問を繰り返している特定の女性記者を歓迎していないことが、その場の空気としてありありと伝わってくる 回答を拒否しているに等しい 官邸クラブの運営が官房長官の意向を強く反映している これらの一連の不遜な態度が示唆しているのは、単に「対人マナー」や「礼儀」の問題ではない。大臣の言葉遣いの横暴さは、政治家と報道陣の関係性の変質という、より致死的な問題の露呈である可能性が高い 菅官房長官は、特定の記者の質問に対して明らかに不快な表情を浮かべて回答をはぐらかすケースが目立っている。 私が心配しているのは、政治家にきびしい質問を浴びせる記者が、会見の中でむしろ「浮いて」いることだ ニューヨークの主要タブロイド紙である「ニューヨーク・デイリー・ニューズ」が、7月の23日に編集部門約80人のうち、編集長を含め半数の40人余りに対してレイオフを決行した事実とともに、全米の新聞が多かれ少なかれ同様の苦境にあることを伝えるものだ 総体として記者の対人マナーの絶対値を評価してみるに、私の見たところ、この30年ほどの間に、彼らは、より礼儀正しく、より謙虚で、より常識的で、よりフレンドリーな方向に変化してきている。この点は間違いないところだ 大臣が横柄に振る舞うのは、番記者が常に迎合的に振る舞っていることの裏返しなのであって、大臣の恫喝的な一挙手一投足は、それを歓迎ないしは容認している記者諸君のチキンハートとワンセットで考えなければならないということだ 麻生太郎財務大臣 「米新聞社困窮、一夜で半数リストラ...全米に拡大」 良くも悪くも当時の記者に気骨があったことを示唆 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 記者の「イージス・アショアの導入費、2基で6000億円以上と試算されている。当初の推定の3倍以上になる。生活保護費を削減し、西日本豪雨の対策費が要求される中、他を削ってでも必要な理由は?」という質問に対して 「報道した所に聞いてください」という一言のみで片付けている 麻生大臣が記者に対して日常的に横柄な口のきき方をしていることの責任の半分は、記者の側にあると考えている 菅義偉官房長官の会見での態度も、この2年ほどの間に目に見えて横暴さを増している 30年前の記者たちが、現在の若い記者さんたちに比べてどこか優れていた部分を持っていたのだとすれば、私は、彼ら古手の記者たちが、自分たちの仕事に高い矜持を持って臨んでいた一点を挙げたい その40年ほどの間に、新聞社の社員の印象はかなりあからさまに変わっている。 一番の違いは、彼らがおしなべて「感じの良い人」になったということだ 記者には腹が立つ。 どうして黙って言われっぱなしになっているのかと思うと、どうしてもイライラするのだ (その8)(小田嶋氏:麻生さん菅さんはなぜあんなに威張るのか) マスコミ
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スパコン詐欺(その2)(捜査終結は許されない スパコン詐欺に燻る麻生大臣の疑惑、詐欺ペジー社から28億円戻らず 安倍政権なぜ返還請求せず、助成金詐欺で社長逮捕のスパコン 連続世界一にも疑惑の目) [科学技術]

スパコン詐欺については、昨年12月16日に取上げた。今日は、(その2)(捜査終結は許されない スパコン詐欺に燻る麻生大臣の疑惑、詐欺ペジー社から28億円戻らず 安倍政権なぜ返還請求せず、助成金詐欺で社長逮捕のスパコン 連続世界一にも疑惑の目)である。

先ずは、2月22日付け日刊ゲンダイ「捜査終結は許されない スパコン詐欺に燻る麻生大臣の疑惑」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/223684/1
・『スーパーコンピューター開発会社「ペジーコンピューティング」の脱税、助成金詐欺事件で、東京地検特捜部は13日に社長の斉藤元章容疑者(50)を起訴。一連の捜査は終結した。しかし、疑惑の“本丸”は手つかず状態。幕引きすれば特捜部は“お手盛り捜査”のそしりは免れまい』、随分と早い幕引きだ。まさに“お手盛り捜査”である。
・『特捜部は、経産省所管の「新エネルギー・産業技術総合開発機構」の2012~13年度の助成事業で、総額約6億5000万円を詐取したとして、斉藤容疑者を2度逮捕。法人税計約2億3100万円の脱税容疑で3度目の逮捕をした。しかし、文科省所管の「科学技術振興機構(JST)」がペジー社の関連会社「エクサスケーラー」に交付決定した最大60億円もの巨額の無利子融資については、なぜか触れずじまいだ。 既に52億円が交付された同融資は、開発に失敗しても9割が返済不要になる仕組みである上、上限の50億円を大幅に上回る異例の融資決定だった。しかも、公募期間は16年10月12日からたったの2週間。締め切りに間に合ったのは、エクサ社を含む2社だけだ。JSTは応募条件を緩和していたことまで発覚している』、逮捕起訴の対象金額は少額だが、桁違いに大きい融資については触れずじまいというのは、どうにも解せないし、決定した経緯も疑惑だらけだ。
・『不自然な巨額融資の裏には、“レイプもみ消し”疑惑の元TBS記者・山口敬之氏と、同氏と密接な関係にある麻生財務相の存在がチラつく。 斉藤容疑者は、TBSに在籍していた山口氏と15年秋に知り合ったという。山口氏は退社した16年5月、ペジー社顧問に就任。7月13日には、麻生大臣が理化学研究所のスパコンを視察した際の案内役を斉藤容疑者が務めた。9月30日、斉藤容疑者は内閣府の有識者会議の委員に選出され、約4カ月後の17年1月20日、エクサ社がJSTの融資を獲得しているのだ。トントン拍子で融資が認められたのは、斉藤容疑者が山口氏を通じて文教族の麻生大臣と接点を持ったことが影響したのではないか』、あの悪名高い山口敬之氏、さらには麻生大臣まで出てくるとは、疑惑の舞台としては一流だ。
・『この問題を追及する希望の党の柚木道義衆院議員はこう言う。「エクサ社が異例の融資を獲得した過程を見ると“ペジーありき”だった疑念が浮かびます。補助金適正化法に抵触しかねない案件に、麻生財務相や山口氏が絡んでいたのなら大問題。特捜部が捜査を打ち切った理由は、麻生財務相への“忖度”ではないか。そう疑われても仕方ないでしょう」』、やれやれ、ここでまで特捜部の“忖度”が出てくるとは世も末だ。

次に、6月9日付け日刊ゲンダイ「詐欺ペジー社から28億円戻らず 安倍政権なぜ返還請求せず」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/230784/1
・『先月の初公判で、社長だった斉藤元章被告(50)は助成金詐取を認めている。 斉藤被告が国から引っぱったカネは、総額87億円にもなる。よくも日本政府は詐欺師に87億円もつぎ込んだものだ。 信じがたいのは、交付済みの総額約35億円の助成金の大半が戻っていないばかりか、安倍政権は返還請求すらしていないことだ。なぜ、カネを取り戻そうとしないのか。安倍首相への“忖度”なのか』、なるほど。
・『ペジーへの公的資金の支出約87億円の内訳は、文科省所管のJST(科学技術振興機構)から52億円の無利子融資。さらに、経産省所管のNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)から35億2400万円の助成金の交付だ。文科省分の52億円は、4月6日に全額返還を受けている。ところが、経産省分35億円のうち、国庫に戻っているのは、5事業中、2事業の一部でわずか6億5000万円のみ。残りの約28億円はペジーに“あげた”ままなのだ。 なぜか、世耕経産相は回収に積極的ではないのだ。NEDOは「今後、追加的に調査を行い、仮に不正が認められれば返還請求を行う」(広報部)とノンキな様子。しかし、モタモタしていると回収不能になってしまいかねない』、経産省分の残り約28億円はペジーに“あげた”まま、というのは信じられないような話だ。野党やマスコミは何をしているのか。
・『「詐欺師」に大金の税金を“預け中”なんてもってのほか。すぐに返還請求すべきだ』、その通りだ。

第三に、7月31日付けダイヤモンド・オンライン「助成金詐欺で社長逮捕のスパコン、連続世界一にも疑惑の目」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/175945
・『ペジーコンピューティングのスパコンが6月、昨年に続きスパコン省エネランキング「Green500」で世界一となった。 ペジーの技術が社長逮捕後も世界水準にあることを証明したわけだが・・・一部報道などが疑義を呈しているのは、サーバーを特殊な液に浸して冷やす液浸冷却の省エネ性能で、ペジーの“強み”そのもの。実はGreen500は冷却用の消費電力量を評価対象外にしている。そのため、ペジーのスパコンを、現在、非公開になっている冷却を含む消費電力量で評価すると、省エネ性能に劣ることが明らかになるのではと疑われているのだ。 ペジー関連会社で冷却システムを開発するエクサスケーラーは本誌の取材に対し、この疑惑をきっぱりと否定した』、世界的なランキングなので、審査基準はしっかりしている筈だが、「冷却用の消費電力量を評価対象外にしている」、とは信じ難い話だ。最もエネルギーを消費する冷却が評価対象外なんて、本来、あり得ない筈だ。しかし、ペジー関連会社はこの疑惑をきっぱりと否定したとあるが、否定の根拠が示されてないので、何とも判断しようもない。
・『ペジーはグループとして今後もスパコンの研究開発を続ける意向だ。エクサスケーラーの鳥居淳CTOは、「スパコンの開発は数十人の技術陣が担ってきた。齊藤氏が抜けても十分な開発体制がある」と自信を見せる。だが、資金調達については守秘義務を理由にコメントしなかった。 同社は文科省所管の研究機関から受けた融資52億円を返還。ペジーも、詐欺罪に問われた経産省所管の研究機関の助成金の関連で9億4000万円を返納した。 ペジーは増資による資金調達もしてきたが、以前のように資金を集めるのは困難だ。米中との技術開発競争が激化する中、ペジーのつまずきが日本のスパコンの出遅れにつながらないようにするべきだろう』、これだけミソをつければ、増資による資金調達は確かにかなり難しいだろう。記事では、「日本のスパコンの出遅れにつながらないようにするべき」としているが、量子コンピュータが登場した現在、スパコン競争、それもメインではない「省エネ」で競争することに果たしてどれだけの意味があるか、再考すべきなのではなかろうか。
タグ:公募期間は16年10月12日からたったの2週間。締め切りに間に合ったのは、エクサ社を含む2社だけだ 、“レイプもみ消し”疑惑の元TBS記者・山口敬之氏と、同氏と密接な関係にある麻生財務相の存在がチラつく スーパーコンピューター JSTは応募条件を緩和していたことまで発覚 経産省所管の「新エネルギー・産業技術総合開発機構」 「ペジーコンピューティング」 日刊ゲンダイ (その2)(捜査終結は許されない スパコン詐欺に燻る麻生大臣の疑惑、詐欺ペジー社から28億円戻らず 安倍政権なぜ返還請求せず、助成金詐欺で社長逮捕のスパコン 連続世界一にも疑惑の目) 最大60億円もの巨額の無利子融資については、なぜか触れずじまいだ 脱税、助成金詐欺事件で、東京地検特捜部は13日に社長の斉藤元章容疑者(50)を起訴。一連の捜査は終結 文科省所管の「科学技術振興機構(JST)」 疑惑の“本丸”は手つかず状態。幕引きすれば特捜部は“お手盛り捜査”のそしりは免れまい スパコン詐欺 「捜査終結は許されない スパコン詐欺に燻る麻生大臣の疑惑」 助成事業で、総額約6億5000万円を詐取 既に52億円が交付された同融資は、開発に失敗しても9割が返済不要になる仕組み 山口氏は退社した16年5月、ペジー社顧問に就任 斉藤容疑者は内閣府の有識者会議の委員に選出 エクサ社がJSTの融資を獲得 トントン拍子で融資が認められたのは、斉藤容疑者が山口氏を通じて文教族の麻生大臣と接点を持ったことが影響したのではないか エクサ社が異例の融資を獲得した過程を見ると“ペジーありき”だった疑念 特捜部が捜査を打ち切った理由は、麻生財務相への“忖度”ではないか 「詐欺ペジー社から28億円戻らず 安倍政権なぜ返還請求せず」 斉藤被告が国から引っぱったカネは、総額87億円 交付済みの総額約35億円の助成金の大半が戻っていないばかりか、安倍政権は返還請求すらしていないことだ 文科省所管のJST(科学技術振興機構)から52億円の無利子融資 経産省所管のNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)から35億2400万円の助成金の交付 文科省分の52億円は、4月6日に全額返還 経産省分35億円のうち、国庫に戻っているのは、5事業中、2事業の一部でわずか6億5000万円のみ 残りの約28億円はペジーに“あげた”ままなのだ 世耕経産相は回収に積極的ではないのだ 詐欺師」に大金の税金を“預け中”なんてもってのほか。すぐに返還請求すべきだ ダイヤモンド・オンライン 「助成金詐欺で社長逮捕のスパコン、連続世界一にも疑惑の目」 昨年に続きスパコン省エネランキング「Green500」で世界一となった 実はGreen500は冷却用の消費電力量を評価対象外にしている。そのため、ペジーのスパコンを、現在、非公開になっている冷却を含む消費電力量で評価すると、省エネ性能に劣ることが明らかになるのではと疑われているのだ ペジー関連会社で冷却システムを開発するエクサスケーラーは本誌の取材に対し、この疑惑をきっぱりと否定した ペジーはグループとして今後もスパコンの研究開発を続ける意向 スパコンの開発は数十人の技術陣が担ってきた。齊藤氏が抜けても十分な開発体制がある」と自信を見せる。だが、資金調達については守秘義務を理由にコメントしなかった ペジーは増資による資金調達もしてきたが、以前のように資金を集めるのは困難だ 量子コンピュータ スパコン競争、それもメインではない「省エネ」で競争することに果たしてどれだけの意味があるか、再考すべきなのではなかろうか
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文科省汚職(「東京医大」裏口事件 「前川“奇兵隊”を逮捕」という東京地検の忖度捜査、官邸が“裏口入学リスト”回収…不正合格事件が政界に波及か、巨悪には手を付けず…安倍政権の真の狙いは“文科省潰し”か、マスコミ報道だけでは見誤る「文科省汚職事件」の深い闇  特捜捜査の裏に見える もう一つの側面) [国内政治]

今日は、文科省汚職(「東京医大」裏口事件 「前川“奇兵隊”を逮捕」という東京地検の忖度捜査、官邸が“裏口入学リスト”回収…不正合格事件が政界に波及か、巨悪には手を付けず…安倍政権の真の狙いは“文科省潰し”か、マスコミ報道だけでは見誤る「文科省汚職事件」の深い闇  特捜捜査の裏に見える もう一つの側面)を取上げよう。

先ずは、7月19日付けデイリー新潮「「東京医大」裏口事件 「前川“奇兵隊”を逮捕」という東京地検の忖度捜査」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/07190802/?all=1&page=1
・『文科省の私立大学支援事業を巡る汚職事件で、受託収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕されたのが、科学技術・学術政策局長を務めていた佐野太容疑者(58)。贈収賄の贈賄側は東京医科大の臼井正彦理事長(77)と鈴木衛学長(69)らで、こちらは逮捕されていない。「佐野が官房長の職にあった2017年5月、臼井理事長は一連の悪巧みを画策。佐野はその意を汲んで文科省から予算が下りやすいように細かくアドバイスした。結果、11月に支援対象に認定され、5年に亘り、1億5千万円までを受け取ることが決まる。他方、18年2月の東京医大の入試で、佐野の息子の点数に臼井理事長らがゲタをはかせるようにと指示したのです」』、との事実はテレビ、新聞などでいやというほど流された表面上の事実だ。
・『国公立と私立を合わせ約80ある医学部の受験偏差値で、中ほどから上位を窺う位置にある東京医大。Sとは言わないまでもAランク医大生の資格を1億5千万円で買った、いわゆる裏口入学ということになるのだが、空前にして絶後と思われるのは元手が税金であることだ。そして、よほど具合が悪く映るのは「佐野容疑者の息子の実力は合格圏内になかった」と、捜査で認定されてしまったことだ』、東京医大の医学部の受験偏差値が中ほどから上位を窺う位置にあるとは初めて知った。実力が合格圏内になかったのに合格したのだから、賄賂が成立しそうだ。
・『佐野容疑者のプロフィール・・・「早稲田大学理工学部から大学院で修士課程を修了。1985年、当時の科学技術庁に入庁後、出向先の山梨大の副学長や大臣秘書官を経て、大臣官房総務課、会計課、政策課で、それぞれ課長を務めました」と、文科省担当記者。「文科省は旧科技庁系の人数を1とすると、旧文部系は3と圧倒的に多い。ですが、佐野さんもやっていた官房長や次官はたすきがけでポストに就くものですから、科技庁系へのやっかみがないわけではない。佐野さんには同期にライバルがおらず、科技庁系の出世頭。3年したら次官になってもおかしくなかった。酒が強く、プライベートについては一切話さず、淡々と飲んでいるだけだそうで……』、旧科技庁系はたすきがけ人事で旧文部系より優遇されていたとは、初めて知った。
・『贈賄側・臼井理事長・・・「自身は眼科医で、息子2人、娘1人も眼科医。東京医大のドンとか習近平とかプーチンとか、そんなふうに呼ばれてきました。08年に学長になって、13年半ばからは理事長を兼任。差し当たって学長の方は鈴木に譲っていますが、理事長職はやる気満々でしたね」と、さる関係者。これを踏まえれば、先のデスクが、「特捜部は『臼井ファイル』という名の資料を、縦に積めば30センチほど集めたと言います。臼井ご用達の赤坂の料亭N、神楽坂の魚の美味しい料亭T、銀座のクラブSとか、そういうリストもあり、東京医大の裏口入学、それに対する臼井の関与を洗っています」と言うのもむべなるかな。今後の捜査については、「任意捜査の段階で、臼井理事長側はバンザイして協力してくれているから、このまま、身柄は取らず在宅起訴の見込みです。理事長職も辞任したから、そこから先、例えば大学まで捜査の手が伸びることもないでしょう」』、30センチの厚さのファイルの割に事件は小さく終わらされる、というのは肩透かしを食らったようで残念だ。
・『「“佐野は前川喜平一派だ、奇兵隊だ”と官邸は意図的に流していました。前川同様、政権に弓を引いた『反政府勢力』扱いで、省内の残党に睨みを利かせようっていう腹なんでしょうか。ちなみに奇兵隊という呼び名は、前川が自分の名前をもじってやっていたブログのタイトルなんですけどね。そもそも佐野は前川一派じゃない。前川とは次官と官房長という関係でしたから上司として褒めるようなこともありましたが、いなくなってからは、結構ボロクソに言ってましたよ」(先のデスク)』、佐野は本当は前川一派じゃなくても、政権に弓を引いた『反政府勢力』として血祭に挙げ、「省内の残党に睨みを利かせようっていう腹」は依然有効だ。
・『検察の忖度については、「安倍首相としては、ソリの合わない林(芳正)さんに大臣として頭を下げさせたっていうのは気持ちいいかもしれません。政権に累が及ばない事案ですしね。特捜にとってもタイミングはとても良かった。佐川前国税庁長官の案件を不起訴にし、何もやらない特捜部と一部で揶揄されている中、仕事やってますとアピールできる。森本(宏)特捜部長は法務省の刑事局総務課長を経験したこともあって、将来の検事総長間違いなしと言われている。今回の事件は総長就任時のプロフィールに華を添えることでしょう」(同) 税金は空費、捜査は利用された形跡がないわけでもなく、俗な言い方だが、三方一両損でめでたしとは行かなかったようなのだ』、その通りなのかも知れない。

次に、7月15日付け日刊ゲンダイ「官邸が“裏口入学リスト”回収…不正合格事件が政界に波及か」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/233408/1
・『東京医科大学が、過去にも不正合格させた受験生の“裏口入学リスト”を作成していたことが発覚。東京地検特捜部は医科大側から複数のリストを入手しているとみられ、捜査の手は霞が関にとどまらず、政界に飛び火する可能性が出てきた。 裏口入学リストには、受験番号や受験生の氏名に加え、医科大側に依頼したとみられる親や親類の氏名もあり、紹介者の欄には個人名のほか、「内科OB」「病院副院長」といった肩書まで記載されているという。受験生は重要度に応じ、第1候補、第2候補などとランク付けされているというから生々しい。大学幹部の指示で、長年にわたって作成されていたようだ』、なるほど。
・『裏口入学リスト問題を最初に報じたのは、13日の読売新聞の朝刊。その後、フジテレビが午前中のニュースでリストの現物を示しながら報じた。報道に肝を冷やしたのが、実は安倍官邸だった。「リストをリークしたのは医科大側ではなく、特捜部サイドとみられています。大物政治家の名前が記されていると政界でウワサになっていましたが、案の定、ニュースが出たきのうの午前中、官邸が“物証”の回収に動いていたといいます。リストには本当に与党政治家の名前が書いてあるのかもしれません」(政界関係者)・・・同様のスキームで政治家の子息や支援者の親族まで裏口入学させていた可能性があるということだ』、さすが検察と密接な安倍官邸だけあって、随分「早手回し」のようだ。これで、本来であれば、ボロボロ出てくる筈の政治家関連の不正入学の事実が隠蔽されるとすれば、残念だ。
・『「特捜部はスパコン開発会社『ペジーコンピューティング』の助成金詐欺事件で、安倍首相や麻生財務相ら政界とのつながりが強い斉藤元章前社長の逮捕を起点に『議員バッジ』を狙ったといいます。しかし、中途半端な形で捜査は終結。決裁文書改ざん問題の佐川宣寿前国税庁長官の案件では、官邸が法務省に圧力をかけ、捜査が潰されたといわれている。メンツを潰された検察側は『今度こそ』とヤル気になっているのです。まずは、医科大と直接の利害関係にあり、立件しやすい文科省の佐野前局長を捜査のきっかけにしたということ。特捜部は『三流省庁の局長レベルでは終わらせない』と息巻いているといいます」(司法関係者)』、しかし、検察側がいくら息巻いても安倍官邸の匙加減いかんで決まらざるを得ない。文科省たたきの目的を果たせば、あとは隠蔽となるのではなかろうか。

第三に、7月31日付け日刊ゲンダイ「巨悪には手を付けず…安倍政権の真の狙いは“文科省潰し”か」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/234367/1
・『文科省省内は「捜査はどこまで拡大するのか」とテンヤワンヤだが、「裏口入学」と「140万円の接待」という“小悪”に対して、いつになく張り切っている特捜部の「意図」はどこにあるのか。霞が関官僚の間でささやかれているのは、安倍政権の「文科省潰し」だ』、なるほど。
・『先週、あるブログが永田町で話題となった。文科省汚職事件で・・・“キーマン”と報じられている元会社役員、谷口浩司被告・・・の「妻」と名乗る人物が開設した〈谷口浩司を信じる妻の疑問〉だ。真偽は不明だが、国会議員や官僚の実名をバンバン挙げつつ、特捜部の捜査に疑問を投げかけて「夫」の潔白を訴えている。「妻」の肩を持つつもりはないが、「裏口入学」の当事者でもないのに起訴された上、一緒にメシを食っただけで逮捕されるのか――と不満を抱いているのは間違いない』、面白い展開になってきた。ちなみに当該ブログのURLは下記
http://kojitaniguchi.com/
・『官僚と民間業者が情報交換を兼ねてメシを食べることはよくある話だ。防衛専門商社からゴルフ接待など計約870万円の接待を受け、実刑判決が出た元防衛事務次官のようなケースならともかく、飲み食いしただけで逮捕となれば霞が関官僚は皆アウトだ。 特捜部は「個人的な付き合いの範囲を超えている」と説明しているらしいが、それなら、安倍首相としょっちゅう高級店で飲食し、家族ぐるみで別荘に泊まりがけのゴルフ&キャンプを繰り返している加計学園の加計孝太郎理事長の方がよっぽど「個人的な付き合いの範囲」を超えているだろう。加計獣医学部新設を巡り、岡山市や今治市に出張した際にクルマの提供を受けていた内閣府地方創生推進室次長(当時)の藤原豊氏なんて、「収賄罪」そのものに当たる可能性が高い。特捜部は、弁護士グループなどからも告発状も出ている、こうした「巨悪」には一切手を付けず、なぜ文科省を“狙い撃ち”しているのか』、なるほど。
・『「同僚とは『文科省潰しが狙いじゃないか』と話していますよ。加計問題では、内部資料がどんどん漏れて報道されたから、今の政権にとっては面白くないのでしょう。歴史教育を巡っても、国家主義的な考え方を押し付けようとする政権とは一線を画しているから、自分たちの意のままに動く新たな文科省に組織を再編したいのではないか。それに他省庁に対しても、『官邸に弓を引くとこうなるよ』という見せしめ効果も考えているのではないか」(中堅文科官僚) ナチス・ドイツでも、司法が独立性を失い、「政治の道具」にされたが、このままでは日本の司法検察も危うい』、「文科省潰しが狙い」とは大いにあり得る話だ。本来、「独立性(中立性)」が求められる司法がをここまで捻じ曲げた安倍官邸の罪は重い。また、検察の広報と化しているマスコミも同罪だ。

第四に、ジャーナリストの伊藤 博敏氏が8月2日付け現代ビジネスに寄稿した「マスコミ報道だけでは見誤る「文科省汚職事件」の深い闇  特捜捜査の裏に見える、もう一つの側面」を紹介しよう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56790
・『「妻ブログ」が次々に告発する中身 ・・・「ネット時代の犯罪報道」を象徴、東京地検特捜部とマスメディアの司法記者が、検察の“落とし所”に向けて事件を作り上げるという構図に異議を突きつけるものとなっている・・・事件の主役とされる谷口浩司被告(47歳)の妻と称する人物のブログである。「谷口浩司を信じる妻の疑問」という副題がついており、7月24日・・・起訴された直後に立ち上がり、毎日のように更新。「政官業」の癒着は日常であり、「霞が関ブローカー」と“命名”された夫・谷口被告の行動は、その歯車のひとつとして機能しているに過ぎない、と訴えている』、第三の記事でも触れられているが、以下では詳しく紹介されている。
・『事件はふたつに分れる。 ひとつは、東京医大前理事長の臼井正彦被告(77歳)を贈賄側、佐野、谷口の両被告を収賄側とする裏口入学事件。 もうひとつは、谷口容疑者を贈賄側、140万円相当の接待を受け、スポーツ庁幹部の紹介などの便宜を図った前国際統括官の川端和明容疑者(57歳)を収賄側とする接待汚職事件である。 これまでの事件報道なら、「贈」と「収」の高級クラブなどでの接待供応、車代を含む金銭授受、見返りの便宜供与などを特捜部が暴き、それをマスメディアが報道、「立件に価する犯罪者」であることを浮き彫りにして捜査は終結。後は公判に委ねられた。「妻のブログ」は、そうさせない迫力に満ちている。特捜部が、起訴するに際し、切り捨てた政治家や官僚、業界関係者を登場させ、写真入りで実名報道。「この人たちを調べないのはなぜ?」と、責める。 返す刀で、谷口被告の無実を訴える。〈2015年から2018年までの3年間、谷口は東京医科大学のために不正な仕事を続けたことになりますが、谷口個人、関連する会社、組織のいずれも東京医科大学やその関係者から1円のカネももらっていません。また、契約書や覚書等も作成されていません〉』、検察のシナリオ通りにはさせないという動きが被疑者側から出てきたというのは、ネット時代らしく興味深い。
・『日体大出身で、接骨院を経営、スポーツトレーナーも務めていたという谷口被告が、最も熱心に取り組んでいたのが一般社団法人「スポーツコンプライアンス教育振興機構」の立ち上げだった。 名誉顧問に王貞治氏を迎え、身体教育科学の医師である武藤芳照東大名誉教授が代表理事を務めるが、谷口被告は理事として、政界、官界、産業界などから理事や顧問を、これまでに培った人脈を駆使して集め、17年4月に設立した。 そうした活動も含め、先読みと気配りで築き上げた「人脈ビジネス」が、特捜部の「文科官僚を逮捕したい」という思惑で切り取られ、事件にされたのが谷口被告は許せず、夫人がブログでその代弁をする』、「スポーツコンプライアンス教育振興機構」が贈賄側という構図は、皮肉そのものだ。「せっかく築き上げた「人脈ビジネス」が、特捜部の「文科官僚を逮捕したい」という思惑で切り取られ、事件にされたのが谷口被告は許せず、夫人がブログでその代弁をする」というのは、一応理解できる。
・『事件に興味を持つ一般人も、事件を追う取材記者も、一方向に流れさせないブログには困惑させられ、「誰がワルなのか」の判断がつき難くなっている。 だが、ブログで発信されていることも事件の一断面であり、国民も記者も、ネットを含めたあふれる情報のなかから真実を拾う作業を求められている』、その通りだ。「妻ブログ」も時々、読んでみるつもりである。
タグ:(「東京医大」裏口事件 「前川“奇兵隊”を逮捕」という東京地検の忖度捜査、官邸が“裏口入学リスト”回収…不正合格事件が政界に波及か、巨悪には手を付けず…安倍政権の真の狙いは“文科省潰し”か、マスコミ報道だけでは見誤る「文科省汚職事件」の深い闇  特捜捜査の裏に見える もう一つの側面) 文科省汚職 デイリー新潮 「「東京医大」裏口事件 「前川“奇兵隊”を逮捕」 「「東京医大」裏口事件 「前川“奇兵隊”を逮捕」という東京地検の忖度捜査」 文科省の私立大学支援事業を巡る汚職事件 科学技術庁 科技庁系の出世頭。3年したら次官になってもおかしくなかった 臼井理事長 眼科医 臼井ファイル 縦に積めば30センチほど集めた 佐野は前川喜平一派だ、奇兵隊だ”と官邸は意図的に流していました。前川同様、政権に弓を引いた『反政府勢力』扱いで、省内の残党に睨みを利かせようっていう腹なんでしょうか 佐野は本当は前川一派じゃなくても、政権に弓を引いた『反政府勢力』として血祭に挙げ、「省内の残党に睨みを利かせようっていう腹」は依然有効 検察の忖度 佐川前国税庁長官の案件を不起訴にし、何もやらない特捜部と一部で揶揄されている中、仕事やってますとアピールできる 森本(宏)特捜部長は法務省の刑事局総務課長を経験したこともあって、将来の検事総長間違いなしと言われている 日刊ゲンダイ 「官邸が“裏口入学リスト”回収…不正合格事件が政界に波及か」 医科大側に依頼したとみられる親や親類の氏名もあり、紹介者の欄には個人名のほか、「内科OB」「病院副院長」といった肩書まで記載されているという 大学幹部の指示で、長年にわたって作成されていたようだ 報道に肝を冷やしたのが、実は安倍官邸だった 。「リストをリークしたのは医科大側ではなく、特捜部サイドとみられています。大物政治家の名前が記されていると政界でウワサになっていましたが、案の定、ニュースが出たきのうの午前中、官邸が“物証”の回収に動いていたといいます 特捜部はスパコン開発会社『ペジーコンピューティング』の助成金詐欺事件で、安倍首相や麻生財務相ら政界とのつながりが強い斉藤元章前社長の逮捕を起点に『議員バッジ』を狙ったといいます 中途半端な形で捜査は終結。決裁文書改ざん問題の佐川宣寿前国税庁長官の案件では、官邸が法務省に圧力をかけ、捜査が潰されたといわれている メンツを潰された検察側は『今度こそ』とヤル気になっているのです 「巨悪には手を付けず…安倍政権の真の狙いは“文科省潰し”か」 安倍政権の「文科省潰し」 谷口浩司を信じる妻の疑問 国会議員や官僚の実名をバンバン挙げつつ、特捜部の捜査に疑問を投げかけて「夫」の潔白を訴えている 飲み食いしただけで逮捕となれば霞が関官僚は皆アウトだ。 特捜部は「個人的な付き合いの範囲を超えている」と説明しているらしいが、それなら、安倍首相としょっちゅう高級店で飲食し、家族ぐるみで別荘に泊まりがけのゴルフ&キャンプを繰り返している加計学園の加計孝太郎理事長の方がよっぽど「個人的な付き合いの範囲」を超えているだろう 同僚とは『文科省潰しが狙いじゃないか』と話していますよ 加計問題では、内部資料がどんどん漏れて報道されたから、今の政権にとっては面白くないのでしょう。歴史教育を巡っても、国家主義的な考え方を押し付けようとする政権とは一線を画しているから、自分たちの意のままに動く新たな文科省に組織を再編したいのではないか 他省庁に対しても、『官邸に弓を引くとこうなるよ』という見せしめ効果も考えているのではないか 伊藤 博敏 現代ビジネス 「マスコミ報道だけでは見誤る「文科省汚職事件」の深い闇  特捜捜査の裏に見える、もう一つの側面」 これまでの事件報道なら、「贈」と「収」の高級クラブなどでの接待供応、車代を含む金銭授受、見返りの便宜供与などを特捜部が暴き、それをマスメディアが報道、「立件に価する犯罪者」であることを浮き彫りにして捜査は終結。後は公判に委ねられた。「妻のブログ」は、そうさせない迫力に満ちている スポーツコンプライアンス教育振興機構 先読みと気配りで築き上げた「人脈ビジネス」が、特捜部の「文科官僚を逮捕したい」という思惑で切り取られ、事件にされたのが谷口被告は許せず、夫人がブログでその代弁をする
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司法の歪み(その9)(裁判員10年目へ 『見えなくなる』刑事裁判」、「日本版司法取引初適用事例」への”2つの違和感”~法人処罰をめぐる議論の契機となる可能性、司法取引で会社が社員を「売る」時代に 誰も「会社のため」に罪を犯さなくなる) [社会]

司法の歪みについては、7月19日に取上げた。今日は、(その9)(裁判員10年目へ 『見えなくなる』刑事裁判」、「日本版司法取引初適用事例」への”2つの違和感”~法人処罰をめぐる議論の契機となる可能性、司法取引で会社が社員を「売る」時代に 誰も「会社のため」に罪を犯さなくなる)である。

先ずは、清永 聡 解説委員による5月23日付けNHK時論公論「裁判員10年目へ 『見えなくなる』刑事裁判」」を紹介しよう。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/298010.html
・『市民が裁判官とともに刑事裁判の審理を行う「裁判員制度」。スタートから9年が経過し、10年目に入りました。 裁判は公開が原則です。しかし今、非公開の手続きが長期化しているほか、市民に開かれた司法という理念から、逆行するような課題もあります・・・【解説のポイント】●裁判が始まるまで、見えない期間が長くなっています。●裁判が終わってからも、見えません。●さらに裁判員裁判に限らず、法廷が傍聴席から見えないケースも増えています』、市民に開かれた司法という理念から逆行するような課題があるとは、穏やかでない。順にみていこう。
・『JR千葉駅前で、1人で署名活動を続けていたのは、ベトナム国籍のレェ・アイン・ハオさんです。ベトナム国籍で小学3年生だった娘のリンさんは、去年3月、登校途中に連れ去られ、殺害されました。 父親のハオさんが署名を始めたのは、事件から1年近く経っても、裁判が始まらず、裁判所から連絡もないためでした・・・【課題①:長引く公判前整理手続き】その後、この事件の裁判員裁判は、来月開かれることが決まりました。しかし、どうしてこの間、裁判は始まらなかったのでしょう。 それは「公判前整理手続き」があるためです。 これまでは通常、逮捕、起訴されて、刑事裁判が始まります。しかし、裁判員制度は市民が加わるため、審理が長引くと裁判員の負担が重くなります。そこで、裁判官と検察官、それに弁護士が争点や証拠の取り扱いを事前に話し合い、絞り込みます。これが公判前整理手続きです。その分、裁判を短くして、裁判員の負担を減らします。 リンさんの事件では、この非公開の手続きが5か月あまり続き、裁判の始まる時期が決まらなかったのです。 その公判前整理手続き。年々、長くなっています。最高裁によると、平均期間は最初の年は2.8か月だったのに、去年は8.3か月。複雑で大規模な事件ほど、長くなる傾向があります。手続きの期間が5年を超える事件もあります』、公判前整理手続きの意義は認めるとしても、事件から1年近く経っても、裁判が始まらず、裁判所から連絡もないため父親のハオさんが署名活動を始めたとは、裁判所が十分説明してなかったとしたら、問題だ。平均期間は2.8か月から去年は8.3か月。複雑で大規模な事件ほど、長くなる傾向があります、というのはやむを得ない面もあるのだろうが、「手続きが長引けば、事件を詳しく知っているプロの裁判官と、何も知らない裁判員に情報格差が一層大きくなり、裁判員は裁判官に対して違う意見を言いにくくなる」との問題点もあるようだ。
・『【課題②:終わった後も見えない】裁判が終わった後の課題もあります。 裁判員を経験した人の数は、今年3月までに全国で83000人を超えました。当初期待されたのは、元裁判員が全国でその経験を語り、市民の刑事裁判への理解を深めることでした。 しかし経験を語る人が、増えているようには感じられません。 その背景として、「守秘義務」が指摘されています。裁判員は「評議」と呼ばれる話し合いの内容、そして事件関係者のプライバシーなどは、一生、守秘義務を守ることが求められます。これに対して、法廷で見聞きしたことや自分の考えは公にしても構いません。ただ、一般の人たちは、どこまでなら話しても大丈夫かがわかりにくいため、守秘義務を気にして口を閉ざしてしまう人が少なくないのではないでしょうか。市民団体からは「守秘義務を緩和すべき」という提言も行われています』、やはり守秘義務緩和も必要なようだ。
・『【刑事参考記録の公開の仕組みを】また、確定した後の裁判の記録の扱いにも問題があります。現在は、重要な裁判記録は「刑事参考記録」として法務大臣の指定で検察庁に保管されることとなっています。しかし、指定されている800件あまりが、どういう事件か、具体的な名前は明らかにされていません。閲覧も学術研究などの目的に限られ、一般に公開されているものではありません。 この問題では、先月、法務省がプロジェクトチームを作り、刑事参考記録の扱いについて、検討を始めています』、オウム事件では永久保存となったようであるが、一般公開も検討すべきだろう。
・『【課題③:遮蔽と秘匿は慎重に検討されているか】裁判員制度の目的の1つは、市民に開かれた司法を通じて、理解を深めてもらうことにあるはずです。 しかし、最近の刑事裁判を取材していると、こうした理念とは逆に、裁判員裁判に限らず、公開が十分と言えるのか、疑問を感じる法廷もあります・・・「遮蔽」と呼ばれる措置です。犯罪被害者を守るために導入されたもので、裁判官や裁判員は見ることができますが、被告あるいは傍聴席からは見えません。この遮蔽が増加しています。最高裁によると、一昨年は裁判員裁判以外を含めて、1832件。10年前の1.7倍になりました。多くは被害者が希望し、裁判所が妥当だと判断した場合です。 しかし、本当に隠す必要があったのか疑問も残るケースもあります』、「遮蔽」は本当に必要な場合に限定すべきだろう。
・『【公開の原則を大切に】江戸時代の名裁判官と言われた京都所司代の板倉重宗に、次のような逸話が伝えられています。彼は双方の主張を聞くとき、先入観を抱かないよう、彼だけが、当事者をあえて見ないようにして、耳を傾けて主張を聞いたというものです。 今は、どうでしょうか。反対に自分たちだけが見て、傍聴席つまり市民には見せない、知らせないというのでは、この逸話とは逆です。 被害者の保護や裁判員の負担軽減も大切です。合わせて、憲法が定めた公開の原則をどう守り、どのようにバランスを取るか。 裁判員制度が10年目を迎えた今、市民に開かれた司法というその理念を、裁判所は、忘れないでほしいと思います』、その通りだ。

次に、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が7月17日付け同氏のブログに掲載した「日本版司法取引初適用事例」への”2つの違和感”~法人処罰をめぐる議論の契機となる可能性」を紹介しよう。
https://nobuogohara.com/2018/07/17/%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%89%88%E5%8F%B8%E6%B3%95%E5%8F%96%E5%BC%95%E5%88%9D%E9%81%A9%E7%94%A8%E4%BA%8B%E4%BE%8B%E3%80%8D%E3%81%B8%E3%81%AE%EF%BC%92%E3%81%A4%E3%81%AE%E9%81%95%E5%92%8C/
・『タイの発電所建設事業をめぐる不正競争防止法違反・・・事件で、事業を受注した「三菱日立パワーシステムズ」(MHPS)と、捜査している東京地検特捜部との間で、法人の刑事責任を免れる見返りに、不正に関与した社員への捜査に協力する司法取引(協議・合意)が成立し、今年6月に施行された刑訴法改正で導入された「日本版司法取引」・・・「日本版司法取引」は、検察官と被疑者・被告人およびその弁護人が協議し、被疑者・被告人が「他人」の刑事事件の捜査・公判に協力するのと引換えに、自分の事件を不起訴または軽い求刑にしてもらうことなどを合意するものだ。 導入の目的については、「組織犯罪の末端の関与者に刑事責任の軽減の恩典を与えることで、組織の上位者の犯罪について供述しやすくすること」と説明されてきた。ところが、その初適用事例が、「外国公務員贈賄」という犯罪に関して、事業上の利益を得る「会社」が免責されるのと引き換えに、犯罪行為に関わった「社員」の刑事責任を追及する方向での「取引合意」だった。「想定とは逆」であることに、違和感が生じるのも当然と言えよう』、私も新聞を読んでわが目を疑った。
・『今回の事例には、二つの面で違和感を持たざるを得ない。 法人免責が「取引合意」の対象となったことへの「違和感」 第一の「違和感」は、MHPSと検察官との間で、「法人」の刑事責任を免れることと引き換えに、贈賄行為に関わった「社員」が刑事処罰されることに協力するという「合意」が行われたことだ。 日本での法人処罰は、刑法以外の法律の罰則に設けられた「両罰規定」に基づいて行われる。 両罰規定とは、「法人の役職員が、その業務に関して、違反行為を行ったときは、行為者を罰するほか、法人に対しても各本条の罰金刑を科する」という規定に基づき、行為者個人だけではなく、法人も処罰されるというものだ・・・自然人個人に対する「道義的非難」が中心の日本の刑事司法では、「意思も肉体も持たない抽象的存在」の「法人」に対する処罰は、重要視されてはこなかった。日本法での法人処罰は、法人の役職員個人について犯罪が成立することを前提に、副次的に行われるものに過ぎず、法人に対する罰金の上限も、3億円から5億円程度にとどまっている・・・法人に対して数百億円、時には数千億円もの罰金が科されることもある米国などとは大きく異なる。今回問題になっている「外国公務員贈賄」の不正競争防止法違反の法人に対する法定刑の上限も3億円に過ぎない・・・「個人処罰」中心の考え方の日本法による「法人処罰」は、独立した制裁としての位置づけが十分なものではなく、それ自体の制裁機能も、決して十分なものではなかった・・・日本法による「法人処罰」の実情からは、法人の処罰を免れることと引き換えに、行為者たる役職員「個人」の刑事責任の追及に協力する「取引合意」が成立するというのは、想定し難いことだった。 しかし、今回の件は「両罰規定によって処罰され得る『法人』」が、役職員「個人」の処罰に協力することの見返りに、法人の処罰を免れさせてもらうという取引だ。 MHPS側が、法人に対する処罰を免れることを優先したのは、僅か上限3億円に過ぎない法人処罰自体より、法人が処罰されることに伴って国際協力銀行(JBIC)等の融資が停止されるなど、他の制裁的措置がとられることを恐れたからだと考えられる。しかし、そのような「企業そのものが被る事業上の不利益」を免れるために、行為者の役職員「個人」が刑事処罰を受けることに積極的に協力する「取引合意」を行うことが、果たして、企業として適切な対応と言えるのだろうか』、確かに、MHPS側にとっては、「僅か上限3億円に過ぎない法人処罰自体より、法人が処罰されることに伴って国際協力銀行・・・等の融資が停止されるなど、他の制裁的措置がとられることを恐れたからだと考えられる」というのはその通りなのだろう。
・『もう一つの「違和感」は、法人に対する処罰を免れさせる見返りに、行為者たる社員の側の刑事責任を追及することに協力する「取引合意」が、「東南アジアの国での外国公務員贈賄」という「特殊な事情から発生することが多い犯罪」について行われたことだ。 東南アジア諸国では、古くから、公務員が公務の受益者から直接報酬を受け取る慣習がある・・・そのような慣習が存在するところで行う事業のために現地に派遣される社員は、事業を進める中で、現地の公務員から賄賂を要求された場合に、極めて辛い立場に立たされることになる。要求どおり賄賂を支払わなければ、有形無形の不利益が課され、事業の大幅な遅延というような事態に追い込まれることは必至だ。海外での事業では、契約時に「履行遅延の場合の損害賠償の予定」(リキダメ)が合意されていることが多く、事業が遅延すると、そのリキダメの発生が予想されることで、その会計年度末に多額の損失引当金を計上せざるを得ないことになる。 現地に派遣されている社員は、事業の遅延を生じさせないよう、本社側から強く要求され、一方で、現地の公務員から賄賂を要求され、それに応じないと事業が遅延するというジレンマに立たされることになる。 社員に「コンプライアンスの徹底」を指示しても、社員を窮地に陥れるだけだ・・・結局のところ、そのような東南アジアの国で事業を行う場合には、公務員側から賄賂を要求されるリスクが相当程度あることを前提に事業を行うか否かの意思決定を行わざるを得ないのである・・・まさに、タイという東南アジアの国で、そのような事業を行うのであれば、意思決定を行う際に、当然、現地公務員による賄賂要求のリスクを認識した上で決定する必要があったのであり、事件は、そのような当然のリスクが顕在化したものに過ぎない。 発生することが分かっていたリスクにさらされ、ジレンマに悩んだ末に、賄賂を贈った社員を処罰することと引き換えに、会社に対する制裁を免れさせるというのは、納得できることではない』、「リキダメ」とは初耳だが、そんな条項があったら、賄賂要求を拒否すれば損害賠償に直面することになり、踏んだり蹴ったりだ。それを承知で契約した上で、社員だけを血祭にするというのでは、社員はたまったものではなかろう。
・『今回の「司法取引」で「法人が免責された」ということは、まさに、法人が自社の事業に関して発生した犯罪について積極的に内部調査を行って事実を明らかにし、その結果に基づいて捜査当局に協力することが法人の責任を軽減するものと評価されたことになる。それは、「法人処罰」に対する従来の運用を大きく変える可能性につながるものと言える。 本来、違法行為や犯罪行為に対する制裁・処罰は、全体として、その責任の程度、悪質性・重大性のレベルに応じたものでなければならない。しかし、日本では、企業や法人に対する制裁は、「行政上の措置としての課徴金」と「刑事罰」が併存し、その関係についての理論的な整理も必ずしも十分ではなく、制裁の在り方についての総合的な研究は、これまで殆ど行われて来なかった・・・今回の事件が、法人に対する制裁の在り方についての議論の契機になるとすると、そこで避けては通れないのが、従来、特別法犯に限定されてきた「両罰規定」を、刑法犯にも導入することの是非の検討である。例えば、「談合罪」など、刑法犯の中にも「法人の利益」のために行われることが多い犯罪があるが、それらについても法人を処罰する規定がないことが、かねてから問題とされてきた。 それに関して、既に、具体的な動きとなっているのが、重大事故の遺族の方々が中心となって行っている、「業務上過失致死傷罪」に対する「組織罰」実現をめざす活動である。 2005年の福知山線脱線事故、2012年の笹子トンネル事故など、多くの重大事故の遺族の方々が中心になって、当初、イギリスで導入された「法人故殺罪」のような「法人組織自体の行為についての刑事責任」を問うことをめざして、2014年に「組織罰を考える勉強会」が立ち上げられた・・・その会に私が招かれた際、日本の刑法体系からは実現が容易ではない「法人処罰」ではなく、現行法制上可能な、業務上過失致死傷罪についての「両罰規定」を導入する刑事立法を行うことを提案したところ、その趣旨が理解され、それ以降の会の活動が、「両罰規定」によって重大事故についての企業の責任を問うことをめざす、「組織罰を実現する会」に発展していった』、今後、「組織罰を実現する会」の発展を期待したい。
・『「業務上過失致死傷罪」への「両罰規定」の導入に関して最も重要なことは、法人の業務に関する事故について、法人役職員に同罪が成立する場合には、法人にも両罰規定が適用されるが、「当該法人における安全確保のためのコンプライアンス対応が事故防止のために十分なものであったにもかかわらず、予測困難な逸脱行為によって事故が発生した場合には、法人を免責する」ということである。事故防止のための安全コンプライアンスが十分に行われていたことを、法人側が立証した場合には免責されるとすることで、刑事公判で、企業の安全コンプライアンスへの取組みが裁かれることになるのである』、というのは妥当だろう。

第三に、経済ジャーナリストの磯山 友幸氏が7月27日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「司法取引で会社が社員を「売る」時代に 誰も「会社のため」に罪を犯さなくなる」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/072600073/?P=1
・『内部告発をきっかけに社内調査を進めたMHPSが不正を把握。会社自らが東京地検特捜部に申し出て、捜査に協力した見返りとして、不正競争防止法による会社への刑事訴追を免除された。会社が訴追されれば、多額の罰金を科される可能性があった。 もともと「司法取引」が導入された目的は、企業や組織の犯罪捜査で、社員などを免責する代わりに「巨悪」をあぶり出すことにあった。社員などに責任を押し付けて、会社や幹部が逃げ切ることを避けるのが狙いだ。ところが、この第1号案件では、会社という法人組織を守るために、役員個人が処罰されるという想定とは逆の「取引」になった。会社を守るために個人を犠牲にする形になったのである』、いくらMHPS側からの申し出があったとはいえ、こんなのを認めた特捜部の良識を疑わざるを得ない。
・『かつて、総会屋と呼ばれた特殊株主に、株主総会を平穏に終わらせるために金品を渡す企業が少なからずあった。バレて逮捕・起訴された総務担当役員が、ほとぼりがさめると、関係会社の顧問などとして面倒をみてもらうケースがあった。「会社のため」に働いた犯罪だから、個人を裁くのは気の毒だというムードがあった。逆に言えば、会社が最後まで面倒をみてくれる、という確信があるからこそ、「会社のため」に罪を犯すことも辞さない社員が存在してきたと言える。 それだけに、今回の司法取引は、衝撃的だったと言えるだろう。 MHPSが役員らを「売って」まで、贈賄の罪を自白した背景には、贈収賄を巡る国際的な罰則強化の流れがある。会社ぐるみで贈賄を行ったとなると、国際的に痛烈なバッシングを受ける可能性があるのだ』、なるほど。
・『日本企業が海外での贈収賄に神経を尖らせ始めたのは、2011年に英国で贈収賄防止法が施行されたのが一つのきっかけだった。もともとは米国で1972年に起きたウォーターゲート事件の調査をきっかけに、多数の米国企業が外国公務員に贈賄をしていたことが判明。1977年に、海外腐敗行為防止法(Foreign Corrupt Practices Act、FCPA)が制定された。 1997年には国際商取引での外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約が発効し、日本を含む41カ国が批准。日本は、1998年に不正競争防止法に、外国公務員等に対する不正の利益の供与等の罪(18条)を新設した。 日本も国際的な腐敗防止の流れに沿った対応を進めてきたわけだが、日本企業が本気で危機感を持ったのは、米国や英国が法律の「域外適用」に乗り出してきたためだ。米国内に支店や事業拠点があれば、その企業がアフリカなどの第三国で贈賄を働いても、米国法で摘発することができる。もちろん、日本企業が賄賂で仕事を取っていけば米国企業が損害を被るという理屈がある。 アングロサクソンはそうした「アンフェア」な行為に対して強く反発する国民性をもっている。摘発されると懲罰的な罰金として巨額の制裁金が科される、そんな例が相次いだのだ』、米英の「域外適用」を重要な背景としたのは、大いにありそうな話で、さすがだ。
・『贈収賄と同じく「アンフェア」な犯罪行為として英米が激しく批判するのが、カルテルや談合といった独占禁止法違反だ。国際的なカルテル行為があったとして日本企業が摘発され、千億円規模の制裁金が科されるケースも頻発している。 企業が罰金を支払うだけでは済まず、実際にカルテルを働いた社員なども摘発されている・・・米国の刑務所には有罪になった日本人ビジネスマンが数十人収監されているとされる』、企業戦士が数十人も収監されているとは驚かされた。
・『今回の司法取引は、日本の会社と社員の関係を劇的に変える分岐点になるかもしれない。「会社のため」に行った贈賄を、会社に告発されるとなれば、もはや誰も「会社のため」に罪を犯さなくなる。 日本で「会社のため」が通ってきたのは、終身雇用が前提の雇用制度だったからだとも言える。いったん採用されれば、定年まで面倒をみてもらえるという「信頼感」が、会社に滅私奉公するムードを生み、「会社のため」というカルチャーを成り立たせてきた。 安倍晋三内閣が進める「働き方改革」は、多様な働き方を認めることを一つの柱とし、副業や複業を後押ししている。人口減少による人手不足が今後ますます深刻化する中で、人材の流動化が進むことになる。そうなれば、終身雇用制度や年功序列賃金、新卒一括採用といった日本型の雇用制度は大きく崩れていくことになる。 働き手が多様な働き方を求めるだけでなく、企業も新卒者を雇って生涯雇用し続けることに限界を感じ始めている。もはや会社は無条件で社員を守らないということが鮮明になった今回の「司法取引」は、日本の雇用慣行の崩壊を如実に物語っているのかもしれない』、というのはその通りなのだろう。
タグ:司法の歪み (その9)(裁判員10年目へ 『見えなくなる』刑事裁判」、「日本版司法取引初適用事例」への”2つの違和感”~法人処罰をめぐる議論の契機となる可能性、司法取引で会社が社員を「売る」時代に 誰も「会社のため」に罪を犯さなくなる) 清永 聡 NHK時論公論 「裁判員10年目へ 『見えなくなる』刑事裁判」」 裁判員制度 10年目に入りました。 裁判は公開が原則です。しかし今、非公開の手続きが長期化しているほか、市民に開かれた司法という理念から、逆行するような課題もあります 長引く公判前整理手続き 終わった後も見えない 遮蔽と秘匿は慎重に検討されているか 公開の原則を大切に 郷原信郎 同氏のブログ 「日本版司法取引初適用事例」への”2つの違和感”~法人処罰をめぐる議論の契機となる可能性」 タイの発電所建設事業をめぐる不正競争防止法違反 三菱日立パワーシステムズ」(MHPS) 東京地検特捜部 日本版司法取引 。「想定とは逆」であることに、違和感が生じるのも当然と言えよう 第一の「違和感」は、MHPSと検察官との間で、「法人」の刑事責任を免れることと引き換えに、贈賄行為に関わった「社員」が刑事処罰されることに協力するという「合意」が行われたことだ 日本での法人処罰 「両罰規定」 自然人個人に対する「道義的非難」が中心の日本の刑事司法では、「意思も肉体も持たない抽象的存在」の「法人」に対する処罰は、重要視されてはこなかった。日本法での法人処罰は、法人の役職員個人について犯罪が成立することを前提に、副次的に行われるものに過ぎず、法人に対する罰金の上限も、3億円から5億円程度にとどまっている MHPS側が、法人に対する処罰を免れることを優先したのは、僅か上限3億円に過ぎない法人処罰自体より、法人が処罰されることに伴って国際協力銀行(JBIC)等の融資が停止されるなど、他の制裁的措置がとられることを恐れたからだと考えられる 企業そのものが被る事業上の不利益」を免れるために、行為者の役職員「個人」が刑事処罰を受けることに積極的に協力する「取引合意」を行うことが、果たして、企業として適切な対応と言えるのだろうか もう一つの「違和感」は、法人に対する処罰を免れさせる見返りに、行為者たる社員の側の刑事責任を追及することに協力する「取引合意」が、「東南アジアの国での外国公務員贈賄」という「特殊な事情から発生することが多い犯罪」について行われたことだ 海外での事業では、契約時に「履行遅延の場合の損害賠償の予定」(リキダメ)が合意されていることが多く、事業が遅延すると、そのリキダメの発生が予想されることで、その会計年度末に多額の損失引当金を計上せざるを得ないことになる そのような東南アジアの国で事業を行う場合には、公務員側から賄賂を要求されるリスクが相当程度あることを前提に事業を行うか否かの意思決定を行わざるを得ないのである タイという東南アジアの国で、そのような事業を行うのであれば、意思決定を行う際に、当然、現地公務員による賄賂要求のリスクを認識した上で決定する必要があったのであり、事件は、そのような当然のリスクが顕在化したものに過ぎない 発生することが分かっていたリスクにさらされ、ジレンマに悩んだ末に、賄賂を贈った社員を処罰することと引き換えに、会社に対する制裁を免れさせるというのは、納得できることではない 今回の事件が、法人に対する制裁の在り方についての議論の契機になるとすると、そこで避けては通れないのが、従来、特別法犯に限定されてきた「両罰規定」を、刑法犯にも導入することの是非の検討である 例えば、「談合罪」など、刑法犯の中にも「法人の利益」のために行われることが多い犯罪があるが、それらについても法人を処罰する規定がないことが、かねてから問題とされてきた。 それに関して、既に、具体的な動きとなっているのが、重大事故の遺族の方々が中心となって行っている、「業務上過失致死傷罪」に対する「組織罰」実現をめざす活動である 福知山線脱線事故 笹子トンネル事故 組織罰を実現する会 当該法人における安全確保のためのコンプライアンス対応が事故防止のために十分なものであったにもかかわらず、予測困難な逸脱行為によって事故が発生した場合には、法人を免責する 磯山 友幸 日経ビジネスオンライン 「司法取引で会社が社員を「売る」時代に 誰も「会社のため」に罪を犯さなくなる」 内部告発をきっかけに社内調査を進めたMHPSが不正を把握。会社自らが東京地検特捜部に申し出て、捜査に協力した見返りとして、不正競争防止法による会社への刑事訴追を免除された 第1号案件では、会社という法人組織を守るために、役員個人が処罰されるという想定とは逆の「取引」になった。会社を守るために個人を犠牲にする形になったのである 「会社のため」に働いた犯罪だから、個人を裁くのは気の毒だというムードがあった。逆に言えば、会社が最後まで面倒をみてくれる、という確信があるからこそ、「会社のため」に罪を犯すことも辞さない社員が存在してきたと言える 贈収賄を巡る国際的な罰則強化の流れ 2011年に英国で贈収賄防止法が施行 1977年に、海外腐敗行為防止法(Foreign Corrupt Practices Act、FCPA)が制定 1997年には国際商取引での外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約が発効 米国や英国が法律の「域外適用」に乗り出してきたためだ 贈収賄と同じく「アンフェア」な犯罪行為として英米が激しく批判するのが、カルテルや談合といった独占禁止法違反だ。国際的なカルテル行為があったとして日本企業が摘発され、千億円規模の制裁金が科されるケースも頻発している 米国の刑務所には有罪になった日本人ビジネスマンが数十人収監されているとされる 今回の司法取引は、日本の会社と社員の関係を劇的に変える分岐点になるかもしれない 。「会社のため」に行った贈賄を、会社に告発されるとなれば、もはや誰も「会社のため」に罪を犯さなくなる。 「働き方改革」は、多様な働き方を認めることを一つの柱とし、副業や複業を後押ししている。人口減少による人手不足が今後ますます深刻化する中で、人材の流動化が進むことになる。そうなれば、終身雇用制度や年功序列賃金、新卒一括採用といった日本型の雇用制度は大きく崩れていくことになる。 働き手が多様な働き方を求めるだけでなく、企業も新卒者を雇って生涯雇用し続けることに限界を感じ始めている。もはや会社は無条件で社員を守らないということが鮮明になった今回の「司法取引」は、日本の雇用慣行の崩壊を如実に物語っているのかもしれない
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反社会的勢力(その1)(“貧困暴力団”が新たな脅威に、山口組系元組長が明かす 経済ヤクザがビジネスで勝てる理由、「入れ墨タブー」ニッポンは非常識?) [社会]

今日は、反社会的勢力(その1)(“貧困暴力団”が新たな脅威に、山口組系元組長が明かす 経済ヤクザがビジネスで勝てる理由、「入れ墨タブー」ニッポンは非常識?)を取上げよう。

先ずは、5月28日付けNHKクローズアップ現代+「“貧困暴力団”が新たな脅威に」を紹介しよう。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4136/
・『金に困った暴力団が関わったとされる事件が相次いでいます。サケやあさり、なまこの密漁、生活保護費を巡る詐欺、東京では、拳銃を担保に借金をした暴力団組長も逮捕。さらに山口では、結婚式場で売上金を盗んだ事件や、福岡では、電気料金を抑えるためにメーターを改造する、いわゆる電気泥棒まで出てきています。なぜ今、こうした事件が相次いでいるのか。その背景を取材しました』、サケのハラコ略奪事件はテレビのニュースで観たが、困窮した組員の犯罪との解説はなかったので、これで納得した。
・『収入源が断たれ、解散に追い込まれた暴力団も出てきています。北海道のある暴力団が去年書いた解散届の写しです。 “現在の社会情勢を鑑み、解散することが唯一最善の手段。” 最後まで残った組員は、わずか4人でした。解散した組は、昭和60年代にはおよそ100人の組員を抱えていました。なぜ解散することになったのか・・・地元の暴力団事情に詳しい男性「ぜんぜんシノギ、収入がないからやめた。食っていけない、それが一番。」・・・ 「(テキ屋、飲食店からのみかじめ料)そういうのはほとんどない、みかじめ料とかは。何やってもだめ、これやってもだめって。通帳を強制解約されたり、支払っていたローンも払えなくなったり、ヤクザやっていたら生きていられないと思ったからやめた。」』、なるほど。
・『 犯罪社会学が専門で、暴力団の動向にも詳しい河合幹雄さん(桐蔭横浜大学副学長):暴力団排除条例が大きくて、暴力団っていうのは、人に働いてもらって、そこからお金をもらって、自分たちは働かなかったんですけれども、人からとるということが暴力団排除条例ではできなくなったので、しかたなく自分で直接やると、だから魚まで自分でとるということになっている。それから、暴力団というぐらいだから暴力で脅していたのに、だますとか盗むとかいう、経済犯罪的なほうに行っているということだと思います。(結果的に、私たちの身近なところに手が及ぶようになってきている?) だから市民に直接関わるということです』、「しかたなく自分で直接やる」というのは納得できる話だ。
・『人員が入ってこない、さらにリーダーになる後継ぎができないということになって、どんどんどんどん低落していって、恐らく放っておいても、今40代くらいが一番若いくらいですので、20年でなくなるというところにきて、それならもう一挙になくしてしまおうというのが、暴力団排除条例だというふうに理解しています』、なるほど新規に入ってこないので、急速に高齢化しているようだ。
・『このように追い詰められる暴力団。組織の枠を超えて、新たな資金源を得ようという動きもあります。警察によりますと、現在、全国に指定暴力団は24あります。 従来、暴力団はそれぞれが独自の資金源を持ち、基本的に資金面で協力することはありませんでした。しかし組織が弱体化する中で、組員が別の組織の組員と結託して資金を獲得しようとする事件が出てきているんです。その実例が、一昨年(2016年)この番組でも取り上げた、ATM不正引き出し事件。およそ18億円がわずか数時間の間に、全国のコンビニなどのATMから、偽造カードによって引き出されました。取材を進めると、暴力団員の関与による脅威の実態が見えてきました』、生き残りのためには、互いに手を組むとは敵もさるものだ。
・『そうしたケースは、ほかにもあります。この組員が組を抜けて、やめつつある、どうしようか、どうしようか、やめようか、やめまいかしている時に「半グレ」といわれる、暴力団とは違いますが、そういう犯罪組織、ふだんは一般市民のような格好をしていますが、犯罪組織。これと結び付いて、オレオレ詐欺などの特殊詐欺に手を染めるというようなことがあるんです。これまで、犯罪を防ぐには、組員の数を減らすだけでは十分でないことが分かってきました。組織から離れたこうした人をどう犯罪から切り離すか、今、新たな課題として浮かび上がっています』、確かにその通りなのだろう。
・『まず押さえないといけないのは、昔は「暴力団をやめたい」と言って戻っていたんですけど、それはなくなったということなんです。だけど、やめようと思った人が反社会的勢力のレッテルを貼られているので、非常に正業に就きにくいというのが短期的な問題。長期的には、犯罪者更生の大きな問題の中に含まれると思います。 (今はなかなか打つ手がない、これから検討をしなければいけないという時期に来ている?)  1段階進んだということだけれども、それでいっぺんにみんな真面目に働くということにはならないということだと思います』、これはなかなか難しい課題だ。

次に、ライターの根本直樹氏が6月18日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「山口組系元組長が明かす、経済ヤクザがビジネスで勝てる理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/172604
・『元経済ヤクザで投資家、作家としても活躍する「猫組長」こと菅原潮氏・・・世界経済の裏側から投資ビジネスの実態まで、自ら海を渡り、国際金融の舞台で暴れ回ってきた菅原氏に、国際金融で蠢く暴力団の実態と、修羅場を潜り抜けてきたからこそ辿り着いた“猫組長流投資の極意”を聞いた』、国際金融の舞台で暴れ回ってきたとは驚いた。以下が楽しみだ。
・『カネを稼ぐ手段は、暴力団時代も今も基本的に同じですね。株をメインとした投資が生業です。最近はこれに評論・執筆活動が加わって、原稿料や印税なども入るようになりましたが、収入としては微々たるものですね・・・(暴力団時代と今では、当然ビジネスのやり方)意外に思われるかもしれませんが、ほとんど変わっていないんです。ぼくがやってきた投資ビジネスって、暴力団だろうが、一般の人だろうが、結局は同じルールの下で戦うわけですよ。 これまで僕が主戦場としてきた、国際金融の世界などは特にそうです。暴力団だからといって何でも非合法なやり方をしているかといえば、そんなことはない。国際金融の世界を牛耳っているのは、米国、イギリス、中国といったある種の覇権国家であり、そこに歯向かう者は誰だろうとすぐに潰されてしまうからです。 特に、9・11事件以降、マーケットからいかに反社会的勢力の資金を排除するかが世界的な課題となり、米国を中心とした監視の目は年々強まる一方です。 だから、国際金融の舞台では、暴力団だろうがマフィアだろうがテロリストだろうが、表向きは合法的に稼ぐしかない。そうなると、いかに国際金融のルールに精通し、グレーな抜け道を見つけることができるか。そこが勝負の分かれ目になってくるんですね。もちろん、反社会的勢力ならではのビジネスというものはあります。 例えば、本でもかなり紙幅を割いたマネーロンダリング(資金洗浄)などはその最たるもの・・・私自身、暴力団時代はマネロンには相当関わり、そのせいで世界各国の捜査機関から狙われ、拘束されたことも多々あります。そこが唯一、今とは違うところですね』、確かにかつて国際金融の世界でも「ヤキザマネー」が噂されることもあった。現在は、当局の監視も目が厳しくなったが、それでも活動を続けているとは、法や規制の網を潜り抜けることを生業としてきただけあると、感心させられた。
・『2015年、世界の犯罪集団の収益ランキングをアメリカの経済誌『Fortune』が発表したのですが、山口組は年間約8000億円で堂々の2位でした(1位はロシアンマフィア、ソルンツェフスカヤ・プラトワで1兆2000億円)。この数字の信憑性は分かりませんが、山口組が世界に冠たる“企業体”であり“経済体”であることは、今や米国政府も認める世界的常識です。では、なぜ山口組がそれほどの収益を上げることができるのか。それは「資金力」と「決断スピード」、それに「情報力」がずば抜けているからです』、やはり山口組は大きな存在のようだ。
・『「これはいける」と思えば、一般企業のように会議も決済も必要なく、トップダウンで「えいやっ」とできるのが暴力団なんです。このスピード感は、どんな企業もかなわないでしょう。それから資金調達の速さ。一般の企業が数十億、数百億円規模のカネを調達するとなれば、銀行から借りるにしろ、市場から調達するにしろ、それ相応の時間を要します。しかし、有力な暴力団の場合、“裏口”からあっという間に調達できてしまう。こうしたアドバンテージが山口組は図抜けているのです・・・一般の人や企業には持ち得ない、極めて強力な情報源を数多く握っているからです・・・例えば銀行や上場企業、官公庁の内部には少なからず彼らの“仲間”が入り込んでいます。“仲間”のポジションが高ければ高いほど、当然精度の高い内部情報を手に入れやすくなるというわけなんです・・・結果としてスパイの役割を果たしてくれる、と言ったほうが正確ですね。優秀な大学生に近づき、飯を食わせたり、小遣いをあげて懐柔し、こちらが望む企業に入れ、徐々に飼い慣らしていく場合もあれば、すでに社員や職員になっている人間に近づき、六本木や銀座のクラブで飲み食いさせ、女をあてがったりして丸め込む場合もある』、なるほど情報ネットワークは凄そうだ。
・『重要な情報っていうのは、ネットには転がっていないんですよ。公開された時点で半ば価値を失うのが情報なんです。最近の傾向として、みなさん、ネットの情報に振り回され過ぎていると思います。 これは僕の昔からの持論なんですが、本当に価値ある情報というのは「対人」でしか得られないものなんです。だから本気で投資ビジネスで儲けようと思ったら、何より大切にすべきは「人間関係」をおいて他にない。いきなりディープ・インサイドに近づくことはできなくても、人間関係構築のたゆまぬ努力を続けていけば、ある日、ふっと「おいしい情報」が転がり込んでくるかもしれない。 ただ、せっかくの情報も、その価値に気づくことができなければ何の意味もない。常にアンテナを張り巡らせて、情報を捉える感度を高めておく必要があります。投資とは最終的に、本を読んだり、旅に出たり、街歩きをしたり、いろんな人びとと交流したりと、さまざまな「体験」がものを言う世界なのです』、さすがプロで、説得力がある。

第三に、都留文科大学文学部比較文化学科教授の山本芳美氏が7月21日付け読売新聞、深読みチャネルに寄稿した「「入れ墨タブー」ニッポンは非常識?」を紹介しよう。
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180719-OYT8T50020.html
・『サッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会で活躍したスター選手たちの腕や首には、派手なタトゥー(入れ墨)が施されていた。かつては「アウトローの象徴」と見なされたが、海外では近年、そうした認識が改められつつあるという。一方、日本では温泉やプールでの「入れ墨お断り」の看板が目立つ。来年のラグビーW杯やその翌年の東京五輪などで外国人客が急増すれば、トラブルが多発する可能性もある。この問題とどう向き合うか。入れ墨をはじめとした装いの研究を専門とする文化人類学者、山本芳美さんに聞いた』、確かに海外でここまで一般的な流行になってきると、日本も考え直す必要があるのかも知れない。
・『海外でのタトゥーの流行はスポーツ選手だけに限らない。米国の世論調査会社が12年に行った調査では、タトゥーがあるアメリカ成人は21%に上った。15年にベルギーで開かれた「タトゥーと健康」に関する学会向けの報告書では、欧州の成人人口の10~20%に当たる約1億人がタトゥーを入れているとされた。 これは特別な理由があってというよりも、ストリートファッションに見るように、個人のスタイルや嗜好しこうに基づく選択として定着したと考えてよいだろう。 実際、一昔前の「アウトロー」的な印象はかなり薄れていると思う。3年前の夏にニューヨークを訪れた際には、地下鉄でウォール街方面に向かう人々の袖口からタトゥーがのぞいているのを見た』、なるほど。
・『現代のタトゥーブームは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、英国王ジョージ5世、ロシア皇帝ニコライ2世ら欧州の王族の間で流行し、同時期に一般の人々にも広まったのが源流とされる。20世紀半ばには「悪趣味」「犯罪者のよう」などと敬遠されて下火になったが、80年代ごろから英国ではパンクロックなどの影響で再び脚光を浴び、専門誌が発行されるなど、関心を持つ人や実際に体に入れる人が増えた。 タトゥーを施すアーティストの数も増え、図柄も美的で洗練されたものへと進化した。ベッカム、ネイマールら世界的アスリートのタトゥーに注目が集まり、「ドラゴン・タトゥーの女」・・・、「ウォンテッド」・・・など、タトゥーが印象的に描かれた映画も話題になった』、欧州の王族の間で流行したのは始まりで、80年代ごろから新たなブームが始まった、という歴史的位置づけは参考になる。
・『「観光立国」「インバウンド」などと外国人客を当てにしながら、こちらの事情を押し付けて理解されるのだろうか。もはや、日本人が、日本人だけで社会を営むのは難しい時代に入っていることも考えねばならない。 私が提案したいのは、お客を迎える日本側が「情報提供の充実」と「工夫」に力を入れることだ。入浴施設等がタトゥーを理由に利用を制限するなら、外国人客が事前に把握できるように、インターネットサイトなどを通じて多言語で、細かく、丁寧に情報提供すべきだ。すでに、英語と日本語で、入浴施設やプールなどの受け入れ状況についての情報を提供する総合サイトもいくつか登場している。「工夫」については、例えば、湯浴み着での入浴を認めるなど、タトゥーを入れている人にも、それを見るのが嫌だという人にも受け入れやすい方法を真剣に考えるべきだと思う。全裸でこそリラックス、という日本の入浴スタイルだが、世界的にみれば、水着をつけて入るスパ方式が主流なことも頭に入れてほしい。 「タトゥー=悪の象徴」といったイメージだけで、「入れ墨はお断りだから」などと一律的な対応をするのはよくない。考えることをやめてしまう姿勢こそが問題なのだ』、その通りだ。
・『タトゥー」は簡単には消せない・・・「デジタルタトゥー」という言葉がある。ネット上に個人情報や発言、写真などをいったんアップすると、思わぬ形で拡散されてしまい、消すのがとても難しいことを意味している。そんな例えに使われるぐらい、本物のタトゥーも、決して簡単には消すことができない・・・日本では、青少年は各都道府県の条例で禁じられている場合があるし、成人であってもよく考え、慎重に判断する必要がある。海外で見方が変わりつつあると言っても、日本にはタトゥーや入れ墨をよく思わない人が多く、さまざまな場面で不利益を受ける可能性がある。「ワールドカップで興味を持った」とか「友達に誘われた」などの理由で、すぐに飛びついてはいけない。本当に必要なのか、例えば人目につきやすい手や足などに入れて後悔しないかなどを、よくよく考えてみるべきだ』、日本の若い人の間にもブームになっているようだが、「簡単には消せない」ことを本当に理解した上で、入れているとは思えない。こうした警鐘をマスコミはもっと流して欲しいものだ。
タグ:収入源が断たれ、解散に追い込まれた暴力団も出てきています 。「ワールドカップで興味を持った」とか「友達に誘われた」などの理由で、すぐに飛びついてはいけない。本当に必要なのか、例えば人目につきやすい手や足などに入れて後悔しないかなどを、よくよく考えてみるべきだ 『タトゥー」は簡単には消せない 「タトゥー=悪の象徴」といったイメージだけで、「入れ墨はお断りだから」などと一律的な対応をするのはよくない。考えることをやめてしまう姿勢こそが問題なのだ 私が提案したいのは、お客を迎える日本側が「情報提供の充実」と「工夫」に力を入れることだ。入浴施設等がタトゥーを理由に利用を制限するなら、外国人客が事前に把握できるように、インターネットサイトなどを通じて多言語で、細かく、丁寧に情報提供すべきだ もはや、日本人が、日本人だけで社会を営むのは難しい時代に入っていることも考えねばならない 80年代ごろから英国ではパンクロックなどの影響で再び脚光を浴び、専門誌が発行されるなど、関心を持つ人や実際に体に入れる人が増えた 現代のタトゥーブームは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、英国王ジョージ5世、ロシア皇帝ニコライ2世ら欧州の王族の間で流行し、同時期に一般の人々にも広まったのが源流 一昔前の「アウトロー」的な印象はかなり薄れていると思う 個人のスタイルや嗜好しこうに基づく選択として定着したと考えてよいだろう 海外でのタトゥーの流行はスポーツ選手だけに限らない。米国の世論調査会社が12年に行った調査では、タトゥーがあるアメリカ成人は21%に上った。15年にベルギーで開かれた「タトゥーと健康」に関する学会向けの報告書では、欧州の成人人口の10~20%に当たる約1億人がタトゥーを入れているとされた 日本では温泉やプールでの「入れ墨お断り」の看板が目立つ。来年のラグビーW杯やその翌年の東京五輪などで外国人客が急増すれば、トラブルが多発する可能性もある 東京では、拳銃を担保に借金をした暴力団組長も逮捕。さらに山口では、結婚式場で売上金を盗んだ事件や、福岡では、電気料金を抑えるためにメーターを改造する、いわゆる電気泥棒まで出てきています サッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会で活躍したスター選手たちの腕や首には、派手なタトゥー(入れ墨)が施されていた。かつては「アウトローの象徴」と見なされたが、海外では近年、そうした認識が改められつつあるという 「「入れ墨タブー」ニッポンは非常識?」 読売新聞、深読みチャネル 山本芳美 本当に価値ある情報というのは「対人」でしか得られないものなんです。だから本気で投資ビジネスで儲けようと思ったら、何より大切にすべきは「人間関係」をおいて他にない 例えば銀行や上場企業、官公庁の内部には少なからず彼らの“仲間”が入り込んでいます。“仲間”のポジションが高ければ高いほど、当然精度の高い内部情報を手に入れやすくなるというわけなんです 極めて強力な情報源を数多く握っているからです 山口組がそれほどの収益を上げることができるのか。それは「資金力」と「決断スピード」、それに「情報力」がずば抜けているからです サケやあさり、なまこの密漁、生活保護費を巡る詐欺 世界の犯罪集団の収益ランキングをアメリカの経済誌『Fortune』が発表したのですが、山口組は年間約8000億円で堂々の2位でした(1位はロシアンマフィア、ソルンツェフスカヤ・プラトワで1兆2000億円 反社会的勢力ならではのビジネスというものはあります。 例えば、本でもかなり紙幅を割いたマネーロンダリング(資金洗浄)などはその最たるもの 米国を中心とした監視の目は年々強まる一方です。 だから、国際金融の舞台では、暴力団だろうがマフィアだろうがテロリストだろうが、表向きは合法的に稼ぐしかない。そうなると、いかに国際金融のルールに精通し、グレーな抜け道を見つけることができるか。そこが勝負の分かれ目になってくるんですね 国際金融の舞台で暴れ回ってきた 「猫組長」こと菅原潮氏 「山口組系元組長が明かす、経済ヤクザがビジネスで勝てる理由」 ダイヤモンド・オンライン 根本直樹 やめようと思った人が反社会的勢力のレッテルを貼られているので、非常に正業に就きにくいというのが短期的な問題。長期的には、犯罪者更生の大きな問題の中に含まれると思います 「半グレ」といわれる、暴力団とは違いますが、そういう犯罪組織、ふだんは一般市民のような格好をしていますが、犯罪組織。これと結び付いて、オレオレ詐欺などの特殊詐欺に手を染めるというようなことがあるんです +「“貧困暴力団”が新たな脅威に」 ATM不正引き出し事件 組員が別の組織の組員と結託して資金を獲得しようとする事件が出てきているんです 組織の枠を超えて、新たな資金源を得ようという動きもあります 暴力団っていうのは、人に働いてもらって、そこからお金をもらって、自分たちは働かなかったんですけれども、人からとるということが暴力団排除条例ではできなくなったので、しかたなく自分で直接やると、だから魚まで自分でとるということになっている 暴力団というぐらいだから暴力で脅していたのに、だますとか盗むとかいう、経済犯罪的なほうに行っているということだと思います NHKクローズアップ現代+ (その1)(“貧困暴力団”が新たな脅威に、山口組系元組長が明かす 経済ヤクザがビジネスで勝てる理由、「入れ墨タブー」ニッポンは非常識?) 反社会的勢力
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金融業界(その3)(銀行の「旧型エリート」が没落する5つの新旧交代場面、地銀や信金が「運用のプロ」を雇うのが非常に危険な理由、北欧の銀行 日本と同じマイナス金利なのに5年で株価9割上昇の理由) [金融]

金融業界については、5月17日に取上げた。今日は、(その3)(銀行の「旧型エリート」が没落する5つの新旧交代場面、地銀や信金が「運用のプロ」を雇うのが非常に危険な理由、北欧の銀行 日本と同じマイナス金利なのに5年で株価9割上昇の理由)である。

先ずは、7月23日付けダイヤモンド・オンライン「銀行の「旧型エリート」が没落する5つの新旧交代場面」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/175309
・『エリートの代名詞だった銀行員の社会的地位の凋落が止まりません。国内の人口減少に超低金利時代の長期化、さらには異業種からの“領空侵犯”――。業界が直面している“産業革命”によって、保守的な業界の代表である銀行もついに時流にあらがえなくなり、高学歴・高年収の金融エリートたちは荒波に翻弄されています。ただ、時代に取り残される「旧型金融エリート」が仕事を奪われかねない危機に陥る一方で、新時代の寵児である「新型金融エリート」が台頭してきている側面もあります』、歴史的にみれば、銀行への逆風は、企業部門が資金不足から資金余剰に転じた、つまり過去の設備投資の減価償却の方が新規設備投資を上回るようになった2000年代から始まっていた。ただ、その後は、投信や保険の窓販で食いつないできたのが、いよいよどうにもならなくないと銀行経営者が危機感を高まらせたのが、最近である。
・『大リストラ時代──。昨年11月、3メガバンクグループが合計で3.2万人分の業務量を削減することを打ち出すと、銀行業界の苦境がいよいよ世間全体に知れ渡った。 国内の人口減少という構造問題に、日本銀行の異次元金融緩和政策による超低金利環境の長期化が重なり、銀行業界は構造不況に陥っている。その上、金融とITを掛け合わせたフィンテックの分野を足掛かりに、異業種の企業が銀行に対して次々に“領空侵犯”を仕掛けてきており、今のコスト構造では生き残れるかどうか分からない。そんな状況が背景にある。 そこで銀行は、業務量削減のために人工知能(AI)やRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)と呼ばれるソフトウエアロボットの導入を進めている。すると、「銀行員vsAI・ロボット」という対立軸が注目を浴びる。金融エリートである銀行員が機械に仕事を奪われるという構図は刺激的で、耳目を集めた・・・こうした影響が端的に表れたのが、就職活動生の銀行離れだった・・・就活人気ランキングの上位から転げ落ちてしまったのだ』、遅ればせながら経営陣も重い腰を上げ、就活生たちも気づき始めたようだ。
・『若手から中堅やベテラン、さらには支店長や銀行の役員、頭取に至るまで、銀行というピラミッド型組織のあらゆる層において、遅ればせながら変革が起き始めている。 その変革は、新しい時代が求める「新型金融エリート」と、時代に取り残される「旧型金融エリート」を同時に生み出すという、残酷なコントラストを描いている。 そこでこの特集では、金融業界で本格化している5パターンの「新旧交代」をご覧いただく』、なるほど。
・『一つ目は、「純国産」から「逆輸入」への新旧交代・・・海外経験がトップの必要条件という機運が近年急速に高まっている。 二つ目は、「平時の殿様」から「戦国武将」への新旧交代・・・構造不況業種と化した今は、戦場で改革の陣頭指揮を執る頭取が求められている。 三つ目は、「金利商売」から「手数料商売」への新旧交代・・・考え方や働き方を手数料商売にシフトできない銀行員は、営業現場であっても経営会議の場であっても、生き残れなくなりつつある。  四つ目は、「紙・アナログ」から「デジタル」への新旧交代・・・ITを使いこなす側に回らなければ生き残れない時代が来た。 最後の五つ目は、「文系・画一」から「理系・多様」への新旧交代・・・今までとは違った理系分野や海外からの人材獲得をもくろんでいる』、三つ目から四つ目は、とっくに始まっている変化ではあるが、遅まきながら始まった変化を今後注視していきたい。

次に、経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏が7月25日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「地銀や信金が「運用のプロ」を雇うのが非常に危険な理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/175562
・『筆者が現在最も心配しているのは、収益面で追い込まれた金融機関が資産運用で大失敗することだ。 現在、多くの地方銀行を始めとする地域金融機関が、有価証券の運用方針を国債中心のものから、私募投信などを利用してリスクを取った運用にシフトしている。リスクを取って運用するので、失敗があり得るし、その場合に経営が不安定化する可能性もある。 こうした状況でしばしば検討されるのは、外部から「運用のプロ」を採用して資産運用やリスク管理などに当たらせることだ。採用人数は、金融機関のサイズによって異なるだろう。地方銀行の場合1〜2名ということもあるだろうし、メガバンクや公的金融機関の場合、数十名に及ぶこともあるだろう』、確かに心配すべき状況だ。
・『筆者がもっと危惧するのは、地方金融機関が日頃、取引のある証券会社や投資顧問会社、あるいは経営的に縁のあるメガバンクのグループなどに運用人材の紹介を依頼するケースだ。 後者の場合、例えば証券会社(ないしその子会社の投資顧問会社)のとても運用のプロとは言えないOBなどを紹介されることが心配だ。運用の知識・技術が不十分であることに加えて、将来、紹介者(もしくは紹介社)と癒着することも気がかりだ。 そもそも、1人で運用計画を策定できて、リスク管理の仕組みなどもアドバイスできるような・・・見識のある人材が、おそらくは、(1)ネームも劣れば、(2)仕事も小さく、(3)多分報酬もよくなく、そして(4)周囲の理解と協力を得にくいであろう、地方金融機関に移籍するだろうか。 個々人の能力と事情には大きな差があるので一概には言えないが、いい運用人材の採用自体が相当に難しいと考えることが、多くの金融機関にとって妥当だ(実は、メガクラスの金融機関でもそうなのだが)。 加えて、いい人材に出会ったとしても、本人に納得してもらえる経済的提示ができるか、入社してもらった場合でもその人が上手く組織に定着できるか、さらにその人に対して十分なコントロールを利かせることができるかといった、「人事管理」一般の問題が残る。そして、これは日本の金融機関があまり得意としない分野だ』、さすが運用のプロの筆者だけあって、鋭い指摘だ。
・『(運用のプロの)彼らが、雇われた先で「運用のプロ」らしく振る舞うためには、外部の金融機関の協力を必要とすることが多い。その場合、外部金融機関の“水先案内人”のような役割を果たすことになってしまう。雇った側にとって不都合でも、雇われた個人の利害を考えると十分にあり得ることだし、当座は雇った側も満足する場合が多いのだ。 こうした状況を考えると、三顧の礼をもって迎えた運用のプロが、トロイア戦争の故事で伝えられる“木馬”のごとく金融機関の内部に入り込んで、外部の金融ビジネスを中に招き入れる役割を果たす可能性が小さくない。 例えば元証券会社などの財務担当者が、取引先の証券会社にすっかり籠絡されて、リスクを取った運用(相手先にとっては手数料の大きい運用)にのめり込んだ結果、大きな損失を作ったような、過去の学校法人などのケースと同類のことが起こるのではないかという点に大きな心配がある』、なるほど。
・『資産運用に注力しようと思っている金融機関の経営者に、是非覚えておいてほしい5ヵ条をお伝えしておこう・・・その一 甘えを捨てて「本業」として運用に取り組む(できなければやるな!)  その二 許容できるリスクを自分で計算して運用する(できなければやるな!)  その三 完全な時価評価ができない対象への投資は避ける  その四 「運用は分からないが、人は判断できる」ことはあり得ないと知る  その五 市場の条件以上の「うまい話」などないとわきまえる』、こんな5ヵ条を満たすような運用をしている地域金融機関などないのではないかと思われるような厳しい条件である。
・『いずれも、素人の富裕顧客などの他人のことだと思うと、金融マンとしては納得できる話ばかりだろう。一つでも理解できないものがあれば、その人は、資産運用だけでなく、金融機関の経営そのものにあって能力不足だ。「運用のプロ」を雇うよりも、自分をクビにすることの方が、会社には大きな貢献となるにちがいない。 金融機関の資産運用にあって最大の問題は、プロ人材の採用よりも、経営者の運用に対する理解なのだ』、その通りで、残念ながら理解できている経営者など極く少数だろう。

第三に、東短リサーチ代表取締役社長の加藤 出氏が7月26日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「北欧の銀行、日本と同じマイナス金利なのに5年で株価9割上昇の理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/175405
・『地方銀行、第二地方銀行の約4割が、本業の収益において2018年3月期決算で3期以上の連続赤字に陥ったという・・・直接的な要因は長期化する日本銀行の超金融緩和政策にある。短期金利と中期金利がマイナス圏にあり、10年金利もほんのわずかなプラスでしかない、というイールドカーブ(金利曲線)の下では、特に日本の場合、銀行が利ザヤを確保することは非常に困難である・・・これまでは過去に購入した有価証券を売却(益出し)してしのいできたが、それも限界に近づきつつある』、確かに地域金融機関の窮状は待ったなしだ。
・『北欧でも多くの中央銀行がマイナス金利政策を実施している。しかし、かの地の銀行はそこまで追い詰められていない。例えば、ダンスケ銀行(デンマーク)のROE(株主資本利益率)は13年に5%だったが、昨年は13.6%。同行の株価はこの5年で9割も上昇した。なぜなのだろうか。  第一に、北欧の銀行はマイナス金利政策で被るコストを顧客に転嫁している。同政策の下では、銀行が中銀に多めに資金を預けると、その分の利息を中銀に支払う必要が生じる。銀行はその費用を取引先に押し付けているのである。 例えば、デンマーク中銀の今年4月のデータによると、同国の預金は次のような構図になっている。個人の預金にマイナス金利は適用されていないが、保険会社・年金基金の預金の92%はマイナス金利だ。一般企業の預金は59%、政府の預金も61%がマイナス金利である』、マイナス金利政策で被るコストを顧客に転嫁している、とは日本の銀行マンからみるとうらやましいような環境だ。
・『また、デンマークでは銀行の貸出金利が高い。この5月の貸出残高の平均利回りは、企業向けが2.4%、個人向けの住宅ローンが3.3%、個人向けの他の貸し出しが5.3%だ。日本の国内銀行の5月の貸出平均金利は0.9%と大幅に低い』、これなら儲かって当然だ。
・『北欧の銀行はフィンテック(金融デジタル技術)を世界最速のスピードで導入している。北欧最大手のノルデア銀行(スウェーデン)は、数年前に「真のデジタル銀行になる」と宣言。それ以来、キャッシュレス化やモバイルバンキングを大胆に推し進めてきた。それによる店舗や人員の削減も収益向上に貢献している・・・急速なデジタル銀行化は、ITリテラシーが低い高齢の利用者を切り捨てる問題がある。また、社会保障制度が非常に手厚く、大規模な解雇を行っても地域経済に問題を起こさないという環境が、北欧の銀行にフリーハンドを与えてきた面もある』、というのは事実なのだろうが、彼我の環境の相違は予想以上に大きく、邦銀が学べる点は残念ながらそれほどなさそうだ。
タグ:山崎 元 五つ目は、「文系・画一」から「理系・多様」への新旧交代 「銀行の「旧型エリート」が没落する5つの新旧交代場面」 その五 市場の条件以上の「うまい話」などないとわきまえる 三つ目は、「金利商売」から「手数料商売」への新旧交代 いい運用人材の採用自体が相当に難しい 「地銀や信金が「運用のプロ」を雇うのが非常に危険な理由」 3メガバンクグループが合計で3.2万人分の業務量を削減 人口減少という構造問題に 異次元金融緩和政策による超低金利環境の長期化が重なり 時代に取り残される「旧型金融エリート」が仕事を奪われかねない危機に陥る一方で、新時代の寵児である「新型金融エリート」が台頭してきている側面もあります フィンテックの分野を足掛かりに、異業種の企業が銀行に対して次々に“領空侵犯”を仕掛けてきており 高学歴・高年収の金融エリートたちは荒波に翻弄 北欧でも多くの中央銀行がマイナス金利政策を実施している。しかし、かの地の銀行はそこまで追い詰められていない。例えば、ダンスケ銀行(デンマーク)のROE(株主資本利益率)は13年に5%だったが、昨年は13.6%。同行の株価はこの5年で9割も上昇 例えば元証券会社などの財務担当者が、取引先の証券会社にすっかり籠絡されて、リスクを取った運用(相手先にとっては手数料の大きい運用)にのめり込んだ結果、大きな損失を作ったような、過去の学校法人などのケースと同類のことが起こるのではないかという点に大きな心配がある 金融機関の資産運用にあって最大の問題は、プロ人材の採用よりも、経営者の運用に対する理解なのだ 二つ目は、「平時の殿様」から「戦国武将」への新旧交代 就職活動生の銀行離れだった 第一に、北欧の銀行はマイナス金利政策で被るコストを顧客に転嫁 雇われた先で「運用のプロ」らしく振る舞うためには、外部の金融機関の協力を必要とすることが多い。その場合、外部金融機関の“水先案内人”のような役割を果たすことになってしまう。雇った側にとって不都合でも、雇われた個人の利害を考えると十分にあり得ることだし、当座は雇った側も満足する場合が多いのだ。 こうした状況を考えると、三顧の礼をもって迎えた運用のプロが、トロイア戦争の故事で伝えられる“木馬”のごとく金融機関の内部に入り込んで、外部の金融ビジネスを中に招き入れる役割を果たす可能性が小さくない いい人材に出会ったとしても、本人に納得してもらえる経済的提示ができるか、入社してもらった場合でもその人が上手く組織に定着できるか、さらにその人に対して十分なコントロールを利かせることができるかといった、「人事管理」一般の問題が残る その三 完全な時価評価ができない対象への投資は避ける 一つでも理解できないものがあれば、その人は、資産運用だけでなく、金融機関の経営そのものにあって能力不足だ。「運用のプロ」を雇うよりも、自分をクビにすることの方が、会社には大きな貢献となるにちがいない (その3)(銀行の「旧型エリート」が没落する5つの新旧交代場面、地銀や信金が「運用のプロ」を雇うのが非常に危険な理由、北欧の銀行 日本と同じマイナス金利なのに5年で株価9割上昇の理由) 四つ目は、「紙・アナログ」から「デジタル」への新旧交代 加藤 出 資産運用に注力しようと思っている金融機関の経営者に、是非覚えておいてほしい5ヵ条をお伝えしておこう 外部から「運用のプロ」を採用して資産運用やリスク管理などに当たらせることだ その四 「運用は分からないが、人は判断できる」ことはあり得ないと知る その二 許容できるリスクを自分で計算して運用する(できなければやるな!) 金融業界 その一 甘えを捨てて「本業」として運用に取り組む(できなければやるな!) 後者の場合、例えば証券会社(ないしその子会社の投資顧問会社)のとても運用のプロとは言えないOBなどを紹介されることが心配だ。運用の知識・技術が不十分であることに加えて、将来、紹介者(もしくは紹介社)と癒着することも気がかりだ ダイヤモンド・オンライン 銀行員vsAI・ロボット 社会保障制度が非常に手厚く、大規模な解雇を行っても地域経済に問題を起こさないという環境が、北欧の銀行にフリーハンドを与えてきた面もある 筆者が現在最も心配しているのは、収益面で追い込まれた金融機関が資産運用で大失敗することだ 一つ目は、「純国産」から「逆輸入」への新旧交代 新しい時代が求める「新型金融エリート」と、時代に取り残される「旧型金融エリート」を同時に生み出すという、残酷なコントラスト 北欧の銀行はフィンテック(金融デジタル技術)を世界最速のスピードで導入 また、デンマークでは銀行の貸出金利が高い。この5月の貸出残高の平均利回りは、企業向けが2.4%、個人向けの住宅ローンが3.3%、個人向けの他の貸し出しが5.3%だ 筆者がもっと危惧するのは、地方金融機関が日頃、取引のある証券会社や投資顧問会社、あるいは経営的に縁のあるメガバンクのグループなどに運用人材の紹介を依頼するケースだ 「北欧の銀行、日本と同じマイナス金利なのに5年で株価9割上昇の理由」
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高齢化社会(その7)(後期高齢者が増える「重老齢社会」到来 定年の廃止が喫緊の課題だ、高齢ドライバーが原因の交通事故は本当に増えているのか、認知症に「性欲ギャップ」…高齢者の性を巡る深刻すぎる問題) [社会]

高齢化社会については、2月18日に取上げた。今日は、(その7)(後期高齢者が増える「重老齢社会」到来 定年の廃止が喫緊の課題だ、高齢ドライバーが原因の交通事故は本当に増えているのか、認知症に「性欲ギャップ」…高齢者の性を巡る深刻すぎる問題)である。

先ずは、経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏が3月21日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「後期高齢者が増える「重老齢社会」到来、定年の廃止が喫緊の課題だ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/164195
・『現在、65歳以上の国民が高齢者と呼ばれているが、65〜74歳の「前期高齢者」と、75歳以上の「後期高齢者」に分類されている・・・2月1日時点で、前期高齢者が1766万人、後期高齢者が1764万人であり、後者が前者を上回るのは3月か、あるいは4月かという“時間の問題”になっている。後期高齢者が、高齢者の多数を占める状況を「重老齢社会」と呼ぶ向きもある』、『寿命とともに、健康で他人の助けを借りずに過ごすことができる「健康寿命」も延びており、端的に言って、人が活発に活動できる時間が延びている。 しかし、高齢化が急速に進む中で、わが国の制度や慣行は、必ずしもこれに追いついていないように思われる』、なるほど。
・『国民の寿命が延びて、同時に元気で活動できる健康寿命も延びていることを思うと、第一に行うべきことは、「定年」という慣行を廃止することだろう。 もともと「定年」という決めごとは、個人の能力差を無視した、年齢による不当な「差別」の一つだ。 一方この制度には、組織にとって、人的な新陳代謝を手間を掛けずに自動的に行う効果があった。わが国の法制上、一方的な解雇が難しい正社員に対しても、社員が一定の年齢になるとこれを理由に退職させることができるので、雇い主にとって、解雇にかかわる手間が必要ない点が便利だった』、『しかし、「定年までは勤められるが、定年で解雇される」と分かっていると、定年が近い社員や公務員は、安心して勤められる一方で、生産性を上げるモチベーションが乏しくなる。 他方、相対的に高齢であっても、能力や意欲の高い組織人もいるのであり、彼らを形式的に定年で解雇したり、役職を奪って収入を大幅に下げたりすることは、彼らの能力発揮を阻害する。 ただし、定年の廃止は、正社員解雇の条件緩和をセットで進めるべきだ。解雇に関しては、金銭的な補償のルールを法律で定めて、大企業だけでなく中小企業に対しても徹底すべきだ』、定年の廃止と正社員解雇の条件緩和をセットで進めるべきだ、との提案には、解雇の条件緩和が適切な範囲で行われるのであれば、基本的には賛成だ。
・『個人型の確定拠出年金は・・・高齢者の労働参加が望まれるわが国にあって、60歳以降拠出ができないことは、重大な制度的な欠陥と言って構わないレベルの問題だ・・・確定拠出年金(DC)は、企業や国に運用のリスクを負わせることなく、個人が自分の判断で老後に向けて経済的に備えることを後押しする制度であり、「軽老齢層」が、自分の能力や意思に応じて利用することができる柔軟な仕組みだ。彼らが働きながら、「重老年」期に備えられる制度を充実させることが必要だ』、その通りだ。
・『高齢者を含む社会人への教育機会の提供は、現在の日本の大学が進むべき方向の一つだが、基本的には大学の自主性に任せるべきテーマだろう。少子化で若年層の需要が減る中で、大学経営にとって活路の一つでもある。 「重老齢社会」にとって、最大のテーマの一つが介護だ・・・大きな方向性として、在宅の介護よりも、施設における介護を重視することが望ましいのではないだろうか・・・社会全体として、介護にあって「規模の利益」を追求すべきだろう』、介護は在宅よりも施設の方が効率的であることはその通りだが、この問題は、介護を受ける側にとってどちらがよいのかなど、もっと掘り下げて考えるべきと思う。
・『「老年学」に期待すること』、はその通りだ。

次に、7月24日付けダイヤモンド・オンライン「高齢ドライバーが原因の交通事故は本当に増えているのか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/175460
・『「65歳以上の高齢者による事故件数は、その年によって大きく減るときもありますが、ほぼ横ばい。しかし、その他の若い世代による事故件数は減少しているため、全体として高齢者による事故の割合が増加傾向にあるのです。それに加えて、メディアで大きく報じられることで、高齢ドライバーの事故が最近特に目立つようになっているというわけです」・・・警察庁の統計によると、75歳以上の運転免許保有者数は、2016年末時点で513万人と、10年前から比べると倍増している。また、ここ10年以上、75歳以上の高齢者による死亡事故は年間400件超で推移しており、これは決して見過ごせる問題ではない』、高齢の免許保有者数が倍増したのに、高齢者による死亡事故は年間400件超で推移しいるということは、1人あたり事故率では低下している筈なので、「これは決して見過ごせる問題ではない」というのは言い過ぎなのではなかろうか。
・『認知症にかかると、色彩の見分けがつかなくなったり、集中力も散漫になるという。「認知症の人はいつも何らかの症状が出ているそうです。たとえば、たった今確認した信号の色を忘れていたり、そもそも信号があることさえも記憶から抜け落ちたりすることもあります。そうなると、一時停止でも止まらずに直進してしまうなどの恐れがあるため、大変危険なのです」』、確かに認知症は問題だ。
・『免許の自主返納を促すのが一番効果的な対策法』、だが、『「高齢ドライバーの方は経験もあるためか、運転に自信を持っている人が多く、自己評価が高いのです。そのため家族が説得しても免許の自主返納に応じないケースも多いようです」 そのような場合は、高齢ドライバーの家族が地域包括支援センターのマネジャーなどに相談して、免許の自主返納を促してもらうことなどが効果的な手段ではあるようだ・・・少しでも自分の運転に不安がある高齢者に対しては、身近な人が自主返納を促していくことが重要なようだ』、その通りだろう。

第三に、5月19日付け現代ビジネスで政治評論家の田原総一朗氏が性科学者の宋美玄氏と対談した「認知症に「性欲ギャップ」…高齢者の性を巡る深刻すぎる問題」を紹介しよう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55607
・『一年前の5月19日に放送されたNHK『クローズアップ現代』が、ネット上を中心にとんでもない反響を起こしたことをご存じだろうか。テーマは「高齢者の性の悩み」、ゲストはジャーナリストの田原総一朗氏と、産婦人科医で性科学者の宋美玄さん。 NHKが高齢者の性について真っ正面から取り上げたことも注目を集めたが、それ以上に、高齢男性で風俗店を利用している人が増えているという話題の中で、田原氏が「風俗店に行って、彼らは本番以外に何をやるの?」と尋ねたり、番組アナウンサーに「あなた、奥さんとセックスについて話すの?」と質問したり、と性についての直球質問を行ったことが、視聴者の驚きを買ったのだ。田原氏の質問にひとつひとつ丁寧に回答する宋さんの姿も話題になった・・・「高齢者の性」については、日本社会がほとんど真剣に向き合ってこなかったテーマだけあって、田原氏の問題意識も強い』、なるほど、興味深かそうだ。
・『「2012年 人口動態統計」によると、この年に50歳以上で離婚した人は、男性3万5866人、女性2万2747人で、1970年からの40年間で10倍以上に増加しているのである・・・日本性科学会セクシュアリティ研究会編の「セックスレス時代の中高年『性』白書」(2016年刊)によれば、配偶者のいない60~70代男性の78%、女性の32%が性交への願望を抱いているということだ。高齢になっても性交への願望は枯れていないのである。 ところが、この白書で、60~70代男性の約4割が、「妻」の欲求が自分より乏しすぎると答え、女性の約3割が、「夫」の欲求が自分より強すぎる、と回答している。つまり夫と妻の間に、確かな性欲ギャップがあるわけだ。このギャップが、さまざまな問題、ときには深刻な事件を生じさせていることになるわけだ』、確かにギャップは大きそうだ。
・『田原:いろんな調査によりますと、女性の方が、早くセックスが億劫になるようですね。局部が痛くなったり……。 宋:「性欲って、男性ホルモンによって生じるものだから、加齢とともに減っていくんですよ。痛くなるのはいくらでも改善のしようがあるんです。性欲も、ホルモンを補充したり、いろいろと戻す方法はある。でも、そこまでしてしたくないという人が多いんですよ」  田原:女性は、早いと60代初めで、億劫になるのではないですか。 宋:「更年期ぐらいで、もう、嫌だという人がいます」 田原:高齢の人が相談に来ると、どういうお話をされるのですか。 宋:「まず、基本的にセックスって、したくない人はしなければいいし、したい人はすればいいと。そういうものなんですが、問題になるのは、パートナーと温度差が出ることです。パートナーとしておつきあいをするんだったら、どちらかが一方的に100%我慢するというのはいかがなものか、という話をします。 痛くなくする方法は、ホルモン療法とか、ローションを使うとかいろいろあるので、女性には、夫が求めてきたら、痛くても何回かに一度くらいは応えてあげてもいいのじゃないですか、と話をするのですが、最終的にかみ合わないことがよくあります」「セックスを、片方はしたい、そして片方はしたくない。かみ合わないのは当然です」』、「かみ合わないのは当然」とは困ったことだ。
・『宋:「認知症みたいな感じになっている人もけっこういるんです。認知症のような症状が進んで、それで奥さんが嫌がっているのも分からず求めてしまう」 田原:認知症みたいな……。認知症みたいになると、性欲はどうなるのですか。 宋:「それが、性欲がむき出しになって、遠慮というか、羞恥心が薄れて、奥さんに強引にセックスを求めて、無理矢理に脱がしたり……。奥さんの方は耐えきれなくなって……」「そういうの、あるんです。どうすればいいんかと。家族でもて余して、施設で隔離みたいなことにもなります」』、これは悲惨なケースだが、認知症であればやむを得ないのだろう。
・『宋:「実は、私がよくやっているセックスレスのカウンセリングには2パターンありまして、セックスはしないけれど、パートナーシップはうまくっている場合。この場合は、うまいセックスの方法を取り戻せば、2人はやり直せます。だけど、パートナーシップが崩壊している場合は、相手の顔を見るのも嫌なわけだから修復のしようがありません」「ただ、セックスレスになった原因は、実はもっと根が深いのが少なくないのです。たとえば、子どもが生まれて、身体が大変なときに、セックスを求めて来た、とか。舅がセクハラしてくるのを止めてくれなかったとか、いろいろあるんですよ。そういうのが奥さんのなかには地層のように積みあがっていたりして、短期的な解決はそもそもが難しかったりするんです」「でも、最終的な結論を言うと、ライフパートナー、つまり人生の伴侶とセックスパートナーというのが、ずっと一致するというのは、私は難しいのではないか、と思います・・・本当にセックスについて真剣に悩んでいる人たちの話を聞くと、そのパートナー同志では解なしというのが多いのです。 もう、この2人では、どうとも解決のしようがないことがあある。かといって、2人は別に離婚などを望んでいるわけではない、そんなとき・・・不倫を容認するケースもあるのではないですか。不倫まで行かなくとも、性産業を利用することを認める、とか」』、性産業の利用は既に密かに広がっている。
・田原:ところで、奥さんはいない、しかし風俗店に行くような金もない。こういう高齢者を「下流老人」と言うようですが、そういう「下流老人」はどうすればよいのですかね。 宋:「最終的に自家発電、マスターベーション……。・・・これではわびしさが拭い去れないという人もいるでしょうね。男女の性欲に歴然とした差がある以上、性欲全てを生身の人間に受け止めてもらうというのは無理なので、高齢者の性欲というのは本当に難しい問題です。 財務省事務次官の女性記者に対するセクハラ発言が大きな問題になっていますね。あれも一種、高齢男性が自分の性的欲求をうまく昇華できないために起こったのではないかと捉えることもできるんじゃないでしょうか。セクハラについての問題意識を社会全体で高めると同時に、高齢者の性についてにも向き合っていかないと、いろいろと深刻な問題が出てくるだろうな、とは危惧しています」』、高齢者の性欲というのは本当に難しい問題で、財務省事務次官のセクハラ事件もこの問題につながっているとは、確かにその通りなのかも知れない。
タグ:ダイヤモンド・オンライン 山崎 元 その他の若い世代による事故件数は減少しているため、全体として高齢者による事故の割合が増加傾向にあるのです。それに加えて、メディアで大きく報じられることで、高齢ドライバーの事故が最近特に目立つようになっているというわけです 「後期高齢者が増える「重老齢社会」到来、定年の廃止が喫緊の課題だ」 もともと「定年」という決めごとは、個人の能力差を無視した、年齢による不当な「差別」の一つだ 「重老年」期に備えられる制度を充実させることが必要だ 個人型の確定拠出年金 組織にとって、人的な新陳代謝を手間を掛けずに自動的に行う効果があった 65歳以上の高齢者による事故件数は、その年によって大きく減るときもありますが、ほぼ横ばい 60歳以降拠出ができないことは、重大な制度的な欠陥と言って構わないレベルの問題 財務省事務次官の女性記者に対するセクハラ発言が大きな問題になっていますね。あれも一種、高齢男性が自分の性的欲求をうまく昇華できないために起こったのではないかと捉えることもできるんじゃないでしょうか 「高齢ドライバーが原因の交通事故は本当に増えているのか」 これではわびしさが拭い去れないという人もいるでしょうね マスターベーション 下流老人 定年の廃止は、正社員解雇の条件緩和をセットで進めるべきだ 国民の寿命が延びて、同時に元気で活動できる健康寿命も延びていることを思うと、第一に行うべきことは、「定年」という慣行を廃止することだろう 不倫まで行かなくとも、性産業を利用することを認める セックスレスのカウンセリングには2パターンありまして、セックスはしないけれど、パートナーシップはうまくっている場合。この場合は、うまいセックスの方法を取り戻せば、2人はやり直せます。だけど、パートナーシップが崩壊している場合は、相手の顔を見るのも嫌なわけだから修復のしようがありません 性欲がむき出しになって、遠慮というか、羞恥心が薄れて、奥さんに強引にセックスを求めて、無理矢理に脱がしたり……。奥さんの方は耐えきれなくなって… 認知症 セックスを、片方はしたい、そして片方はしたくない。かみ合わないのは当然です 更年期ぐらいで、もう、嫌だという人がいます 性欲って、男性ホルモンによって生じるものだから、加齢とともに減っていくんですよ。痛くなるのはいくらでも改善のしようがあるんです。性欲も、ホルモンを補充したり、いろいろと戻す方法はある。でも、そこまでしてしたくないという人が多いんですよ 60~70代男性の約4割が、「妻」の欲求が自分より乏しすぎると答え、女性の約3割が、「夫」の欲求が自分より強すぎる、と回答している。つまり夫と妻の間に、確かな性欲ギャップがあるわけだ 配偶者のいない60~70代男性の78%、女性の32%が性交への願望を抱いている 「高齢者の性の悩み」 NHK『クローズアップ現代』 「認知症に「性欲ギャップ」…高齢者の性を巡る深刻すぎる問題」 宋美玄 田原総一朗 現代ビジネス 少しでも自分の運転に不安がある高齢者に対しては、身近な人が自主返納を促していくことが重要なようだ (その7)(後期高齢者が増える「重老齢社会」到来 定年の廃止が喫緊の課題だ、高齢ドライバーが原因の交通事故は本当に増えているのか、認知症に「性欲ギャップ」…高齢者の性を巡る深刻すぎる問題) 免許の自主返納を促すのが一番効果的な対策法 認知症にかかると、色彩の見分けがつかなくなったり、集中力も散漫になるという。「認知症の人はいつも何らかの症状が出ているそうです。たとえば、たった今確認した信号の色を忘れていたり、そもそも信号があることさえも記憶から抜け落ちたりすることもあります。そうなると、一時停止でも止まらずに直進してしまうなどの恐れがあるため、大変危険なのです 高齢化社会
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