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外国人労働者問題(その11)(「移民法」成立 外国人と真に「共生」するため政府が熟慮すべきこと、外国人が失望する「日本」という職場の不条理 単純労働にも道を開く事実上の移民解禁へ、外国人労働者を雇う企業に行政コストを負担させるべきと考える理由) [経済政策]

外国人労働者問題については、昨年12月15日に取上げた。今日は、(その11)(「移民法」成立 外国人と真に「共生」するため政府が熟慮すべきこと、外国人が失望する「日本」という職場の不条理 単純労働にも道を開く事実上の移民解禁へ、外国人労働者を雇う企業に行政コストを負担させるべきと考える理由)である。

先ずは、室伏政策研究室代表・政策コンサルタントの室伏謙一氏が昨年12月28日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「移民法」成立、外国人と真に「共生」するため政府が熟慮すべきこと」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/189862
・『事実上の「移民法」とも呼べる改正入管法が成立した。「十分な議論や検証が行われていない」との問題点を指摘する声も多いが、来年4月1日の施行に向けて準備が急ピッチで進められている。成立してしまった以上、外国人との「共生」に向かって政府が早急に取り組むべき課題とは何か』、成立した法律は、具体策は全て政省令に委任するスカスカのものなので、具体策を検討する意味は大だ。
・『「移民法」の成立で準備が進んでいるが…  出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律(以下「移民法」という)が臨時国会で成立したことを受けて、来年4月1日の施行に向けた所要の準備が急ピッチで進められている。 このうち、移民法の成立を前提としつつも、法案審議に先立って検討が開始されてきていたのが、移民法施行後の受け入れ環境整備のための政策集である、「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」である。 7月24日の閣議決定「外国人の受入れ環境の整備に関する業務の基本方針について」を受けて、8月31日に法務大臣決定によって設置された外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策検討会で、9月13日から検討が進められてきた。12月17日の第5回会合では案が示され、25日、移民法に基づく「特定技能の在留資格に係る制度の運用に関する基本方針」および「特定技能の在留資格に係る制度の運用に関する方針」(いわゆる分野別運用方針)の閣議決定に併せて、外国人材の受入れ・共生に関する関係閣僚会議で了承され、政府の対応策として正式に決定された。 問題はその中身。126の施策番号が付され、関係各府省にその具体的かつ詳細な内容の検討と実施が割り振られているのだが、その分量や、これまでやったことがないことをやるものが多いといったことを考えると、本当に実施できるのか?と懐疑的にならざるを得ない。 むろん、過去に定住外国人施策推進の名の下に、対応策が検討され、実施されてきたが、これらは主に日系ブラジル人等を対象にしたものであるし、数がそこまで多くはないので、これまでやってきたと言えるかどうか。それ以前の問題として、これまでの施策の評価や事後検証は行ってきたのだろうか?』、「これまでの施策の評価や事後検証」などは国会審議で聞いたこともない。
・『外国人旅行者と外国人材は何の関係があるのか  そもそも、「人材を確保することが困難な状況にある産業上の分野に属する技能を有する外国人の受入れを図るため」と法案提出の理由に記載しているとおり、“移民法”は人手不足(とされている状況)に対応するために「外国人材」(実質的な移民)の受け入れを促進するために立案されたはずなのに、本対応策の「基本的な考え方」は以下の文章で始まる。 「近年、我が国を訪れる外国人は増加の一途をたどっている。平成24年に839万人であった外国人旅行者数は、今年初めて3,000万人を超え~」 一体、外国人旅行者と「外国人材」は何の関係があるのだろうか? これではまるで、外国人が旅行で日本にやってきて日本を気に入ってもらい、次は「外国人材」として日本に来てもらいたいとでも言いたいのだろうか。これでは方向性が曖昧なまま、冒頭からさまよい、迷走し始めてしまっているようなものだ。 そして、その迷走はまだ続く。 「基本的な考え方」にはさらにこのようなことまで記載されている。 「総合的対応策は、外国人材を適正に受け入れ、共生社会の実現を図ることにより、日本人と外国人が安心して安全に暮らせる社会の実現に寄与するという目的を達成するため、外国人材の受入れ・共生に関して、目指すべき方向性を示すものである」 要するに、日本人と外国人が安心して安全に暮らせる「共生社会」なるものを実現することがいつの間にか目的になってしまっているということであろう。 「共生のための」対応策なのだから当然ではないか、といった反論が聞こえてきそうだが、あくまでも目的は「外国人材」なるものの受け入れと在留を円滑化するためのものだったはず。「共生」は一義的にはその範囲での話であって、「日本人と外国人が~」という話ではないはずである』、法律のプロである法務省が中心になって作った「基本的な考え方」が、論点を故意にずらせるとは酷い代物だ。
・『これが安倍政権の本音かもしれない  もしかしたらこれが移民法に関する安倍政権の本音なのかもしれない。つまり、本当に人手不足か否かは二の次で、とにかく移民を大量に日本国内に流入させたいのではないか、ということである。 そうであれば、まるで低賃金労働者を入れて人件費削減、外国人材ビジネスで大もうけ、そんな巨大な利害が背後にあるかのようだ。 加えて次のような記述まである。「その環境整備に当たっては、受け入れる側の日本人が、共生社会の実現について理解し協力するよう努めていく~」 ついに日本人と「外国人材」の立場が逆転して、日本人が「外国人材」さまのために協力せよと言っているようなもの。 日本の人手不足解消のためだったはずが、まさに本末転倒である。 その後に、「受け入れられる側の外国人もまた、共生の理念を理解し、日本の風土・文化を理解するよう努めていくことが重要であることも銘記されなければならない」とあり、日本人および外国人の双方の努力が必要であると言いたいのだろうが、日本に来て、日本で働き、日本で生活するというのであれば、外国人が日本社会に共に暮らすのであるから、日本の風土や文化等を理解するというのは当然の前提、必須の条件であって、「努めていく」といったレべルの話ではない。 ましてや外国人との「共生社会」なるものの実現のために日本人が協力する類の話でもないだろう。 強いて協力するという考え方が入る余地があるとすれば、それは外国人たちが日本社会や風土・文化について理解するために励んでおり、また途上であるので、そのことを了解するという意味において協力する、といったところであろうか。 この「共生社会」なるものはそんなに簡単に成立しうるのだろうか。 日本人と外国人がそう簡単に「共生」できるのであろうか。 こうした点については、拙稿『中国人住民が半数を占める埼玉の団地「ガラスの共生社会」のリアル』も参照されたい。日本人と外国人との「共生」を、外国人が日本の社会、風土・文化等を理解し、日本語を習得して自分のものとして使用できるようになり、日本人と同等に日本社会に参加できるようになること、つまり日本社会への統合と考えれば、統合は極めて困難なのではないか』、『中国人住民が半数を占める・・・のリアル』については、このブログの10月16日に紹介した。「共生」という耳ざわりが良い言葉を、安易にキャッチフレーズとして使うのは厳に慎むべきだろう。
・『政府は「共生」について楽観的すぎるのではないか  実際、英国のジャーナリストのDouglas Murrayは、その著 “The Strange Death of Europe”において、英国で多文化主義の名の下に進められてきた共生政策が、統合とはほど遠い、一つの社会の中に複数の異なる文化、もっと言えば民族コミュニティを生んでしまうという結果を招いているといったことを、具体例を挙げつつ指摘している。 ところが、この総合的対応策からは、政府が「共生」や統合について相当楽観的な態度を持っているであろうことがうかがえる。 例えば、「共生施策としていかなる施策が必要とされるかを的確に把握することが必要」であるとして、「国民及び外国人の双方の意見に耳を傾け」ることが必要であるとしていながら、その具体的な方法は、こうした方向性からすればとても十分とは言えない次の2つである。 すなわち、(1)「国民の声」と看板に書いておきながら、外国人材に対する需要の状況を中心に事業者等から意見聴取を行ってきた『「国民の声」を聴く会議』等を通じた意見の聴取、および(2)これまで日本に在住している外国人を対象に行われてきた「外国人住民調査」を参考とした、既に日本に居住している外国人の「職業生活上、日常生活上、社会生活上の問題点を的確に把握」する、外国人を対象とした基礎調査の2つだ。裏を返せば、外国人と「外国人材」を受け入れる事業者等、外国人支援関係者からしか意見聴取をしないということだ。 つまり国民、地域住民の声は置き去りにされているのである。これで「的確に把握」できると考えているのだとしたら、失笑を通り越してあきれ返る』、その通りだ。
・『日本人、日本社会向けの対応策が完全に欠落している  こうしたことから分かるのは、政府は「共生」や「共生社会」なるものについて、日本人と外国人が社会で一緒に暮らすということ以上に具体的なイメージや将来像がないであろうということだが、もっと深刻な問題が浮かび上がってくる。 それは、この対応策は外国人、「外国人材」向けのものではあるが、日本人や日本社会向けのものではないということだ。すなわち、日本人や日本社会、地域社会への影響を防止するか低減させるための対応策は完全に欠落しているということである。 本来であれば、まずそれを考えなければならないはずであるし、「外国人材」向けの対策と対になり、両輪となっていなければいけないものだ。 ところが、そうなっていないということは、片輪走行で進もうとしているのと同じであり、そう遠くないうちにバランスを崩して破綻することが予定されているようなものである。 しかも、「外国人材」受け入れによる日本人や日本社会への影響は、労働環境に関するものの他、生活習慣、文化、宗教等に関するものまで幅広く、どこまで広がり複雑化するのか、この段階であらゆるものを想定するのは困難であろう』、「片輪走行で進もうとしているのと同じであり、そう遠くないうちにバランスを崩して破綻することが予定されているようなものである」とは上手い表現だ。
・『移民法が成立してしまった以上 対応すべきことは何か  そうであるからこそ、早い段階からの検討、過去の事例の分析・検証等が必要だったわけであるが、先の検討会ではそうした議論は行われてこなかったようだし、移民法の国会審議でも、私の知る限り、そのような議論はなかった。 一方で、そうした日本人や日本社会への影響の防止策、緩和策の検討から関係府省間の総合調整まで法務省に任せきりにするのは、ただでさえ新制度の施行で負担が大幅に増えているというのに、端的に言って無理があろう。 そうなると、「外国人材」受け入れ対応策やその実施体制は、日本人や日本社会への影響という観点を入れて、全体的に見直す必要があるのではないか。 また、この対応策の実施に当たっては、関係各府省以上に、現場で対応に当たる地方公共団体の負担も非常に大きくなるものと想定され、対応に差が出てくることが予想されるのみならず、日本人や地域社会への影響の防止策、緩和策を国が検討し、示したとしても、現場でそこまで手が回らなくなる可能性が高いのではないだろうか。 この対応策の中では、「共生社会」の実現を図る「地方公共団体の自主的・主体的で先導的な取組について、地方創生推進交付金により積極的に支援する」としているが、そんな地方に責任を押し付けたような場当たり的な支援策でどうにかなるものではない。 やはり、しっかりと予算を組んで、地方公共団体の意見を聞きつつも、国の責任で、国主導で進めていくべきであろう。そのためには、現在の財政再建至上主義の緊縮財政から積極財政へ転じていくことも必要である。 移民法は「百害あって一利なし」と言い切っていい仕組みであるが、残念ながら可決・成立してしまった以上、関係府省や地方公共団体の負担軽減も含め、日本への、日本社会への、日本人への影響を防止するか、緩和させる対応策の検討が急務である。 そして、これが「外国人材」への対応策と両輪として成立して安定的に動き出して初めて、「共生社会」なるものへの道も開けてくるのではないか』、説得力溢れた主張で、全面的に賛成である。

次に、1月7日付け東洋経済オンライン「外国人が失望する「日本」という職場の不条理 単純労働にも道を開く事実上の移民解禁へ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/258429
・『昨年の臨時国会で出入国管理法(入管法)改正案が成立し、今年4月から施行される。政府は今後5年間で最大約34万5000人の外国人労働者受け入れを見込む。改正案の中核となるのが新たな在留資格「特定技能」の創設だ。従来は専門的・技術的分野に限定された就労目的の在留資格が、単純労働にも広がり永住への道を開くもので、従来の方針を一大転換する・・・』、続く具体的な問題をみてみよう。
・『人手不足の現場を担う「技能実習生」や「留学生」  長らく政府は、「単純労働の受け入れについては十分慎重に対応する」「労働者不足への対応として外国人労働者の受け入れを考えることは適切ではない」といった建前を貫いてきた。一方、少子高齢化が進む中、人手不足は深刻化の一途をたどっている。とりわけ医療・福祉や建設など特定業種にその傾向が著しい。現在、こうした人手不足産業の現場を、日本人に代わって担っているのが、「技能実習生」や「留学生」たちだ。 在留資格「特定技能」の新設で単純労働者の受け入れが可能になったとされるが、実質的には以前から受け入れていた。その中心となってきたのが、技能実習制度だ。同制度は1993年に創設され、現在77職種ある。国際貢献のため途上国の外国人を日本で最長5年間受け入れ、技能を移転するものとされている。技能実習生数は右肩上がりで、2018年6月末時点で全国に約28万人が在留している。 だが制度の実情に詳しい指宿昭一弁護士(外国人技能実習生問題弁護士連絡会共同代表)は、「その建前は真っ赤なウソで、労働力確保の手段として使われてきたことは、誰の目にも明らか」と語る。実際、法務省によれば大企業が海外の現地法人などの職員を受け入れて実習する「企業単独型」は全体の3%程度。大多数は中小・零細企業が監理団体を通じて受け入れる「団体監理型」だ。ここでは10人未満の零細企業が半数を占める。 これまでも技能実習生については賃金不払いや違法な長時間労働、パワハラ・セクハラの横行など、その劣悪な労働・生活環境がたびたび問題とされてきた。厚生労働省によれば、2017年に監督指導を実施した受け入れ企業のうち、実にその7割で労働基準関係法令違反が認められた。 最低賃金を大きく下回る残業時給350円、月160時間の時間外労働、労災隠し――。指宿弁護士によれば、そうした過酷な環境に置かれた実習生からの相談は枚挙にいとまがないという。 それにもかかわらず彼らが声を上げづらい背景には、2つの構造的な問題がある。1つは母国の送り出し機関から多額の渡航前費用を徴収されていることだ。実習生は民間ブローカーである送り出し機関に紹介・書類作成代行手数料や日本語講習料を支払う。表向き禁止されているはずの保証金や違約金契約の締結も求められ、借金の総額は100万円を超えることも一般的だ』、受け入れ企業の「7割で労働基準関係法令違反が認められた」にも拘らず、「実習生が声を上げづらい」というのは、制度自体の欠陥だ。
・『権利を主張すると「強制帰国」させられることも  技能実習生が権利を主張すると、受け入れ企業や監理団体によって本人の意思に反して期間途中で「強制帰国」させられることもある。母国の賃金水準ではとうてい返済不可能な借金が残るので、技能実習生はこれを最も恐れている。 もう1つは技能移転による国際貢献という建前のため、技能実習生には原則、職場変更の自由がないことだ。理不尽な職場なら辞めて別の仕事を探すという、労働者には当然の権利が彼らにはない。 「日本は経済の発展したすばらしい国だと思っていたのに、今は失望感でいっぱいだ」。中国から技能実習生として来日した黄世護さん(26)は、保護されているシェルター内で、うつむき加減にそう話し始めた。黄さんは本国で日本語学校に通って学ぶ中で、日本の技能実習制度の存在を知った。日本語を学べ、お金も稼げると聞き来日した。本国の送り出し機関に支払った費用は約50万円。自らの収入1年半分に相当する額を、友人から借金してかき集めた。 来日から半年過ぎた2016年夏、黄さんは実習先の段ボール工場での作業中、大型加工機に右手を挟まれ、3本の指を損傷した。2カ月間の入院生活で皮膚移植など手術を8回も繰り返したが、結局右手が元のように動くようにはならなかった。 退院後、日本側の受け入れ機関(監理団体)である協同組合が黄さんに求めたのは、「確認書」への署名だった。雇用契約は終了し、治療終了後は速やかに帰国することなど、労災保険給付以外は一切の補償を求めないという内容だ。「言うとおりにしないと犯罪になるなどと脅され、無理矢理サインさせられそうになった」と、黄さんは振り返る。 技能実習生は2017年までの8年間で174人が死亡している。業務上の事故だけでなく、過労死が疑われるケースもあるという。こうした実態を踏まえ、「特定技能」では、技能に類似性があれば転職の自由も認められ、報酬は日本人と同等以上と定められている。熟練した技能を持つ「特定技能2号」となれば、配偶者や子の帯同、永住も可能となり、事実上の移民となりうる。 この新たな就労資格の創設は移民社会への道を開く重い決定だが、国会審議で安倍晋三首相は「移民政策を取ることは考えていない」と繰り返し述べるなど、あくまで目下の人手不足対策というスタンスだ。ただ、外国人労働者の受け入れで先を行くアジア各国でも単純労働者の永住は認めていない。日本はそれだけ大きな方向転換をしたということを認識しておく必要がある』、「外国人労働者の受け入れで先を行くアジア各国でも単純労働者の永住は認めていない」というのは、恥ずかしながら初めて知った。国会で大した議論もせずに、強行採決で「大きな方向転換をした」安倍政権の罪は深い。

第三に、元銀行員で久留米大学商学部教授の塚崎公義氏が1月18日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「外国人労働者を雇う企業に行政コストを負担させるべきと考える理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/191196
・『外国人労働者の受け入れは日本の労働者にも経済にもマイナス  政府は、新しい在留資格を設けるのみならず、外国人留学生の就労拡大に向けた新たな制度も検討しており、外国人労働者の受け入れを拡大する方向だ。 筆者は、外国人単純労働者の受け入れに反対だが、百歩譲って受け入れるとしても、それに伴って発生する行政コストなどは、外国人を雇用する企業に負担させるべきだと考えている。 外国人労働者の受け入れ拡大は、産業界の要請だ。だが、これは日本人労働者および日本経済にとって大問題であると同時に、外国人にとっても問題だ。 というのも日本人労働者は、労働力不足で賃金が上がると期待していたところにライバルの外国人が入国してしまえば、労働力不足が緩和されてしまい、上がるはずだった賃金が上がらなくなってしまうからだ。次の不況がやってきたときに、自分たちが失業するリスクまで高まってしまう。 さらに、日本企業が労働力不足への対応として省力化投資を積極化させ始め、ようやく日本経済の効率化が進み始めたというタイミングだ。労働力不足が緩めば、そうした企業のインセンティブも失わせかねない。 おまけに、行政コストも増大する。政府は「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」を策定し、外国人労働者生活相談などに応じる方針であるとされる。また、外国人労働者の子どもが通う学校においても、日本語教育のコストがかかるといった問題も指摘されている。 それ以外にも、外国人の単純労働者は、日本人と同様のさまざまな行政サービスを受けることになるが、一般的に彼らは(日本人の単純労働者並みの待遇だとすれば)所得が低く納税額も少ないだろうから、「行政の持ち出し」となる。これも外国人の単純労働者受け入れの行政コストと考えるべきだろう』、このままでは「行政の持ち出し」は、かなり大きく膨らむ懸念が強い。
・『受益者負担が公平でかつ資源配分を適正化  外国人の単純労働者を受け入れることで利益を得るのは、当の外国人労働者と日本企業だ。「受益者負担」という公平の原則から考えれば、行政コストなどは企業に負担させるべきだ。 “被害者”ともいえる日本人労働者の支払った税金が、外国人の単純労働者のための行政コストに支出されるのは公平の観点から許し難い。 加えて、「資源配分の適正化」という観点からも、大いに問題がある。例えば企業が外国人を雇うことで利益が1円増える一方、行政コストは100円増えるとすると、日本国全体としては外国人を雇った方が損になるので、雇うべきではない。 しかし、現状では企業は利益が増えるので、外国人労働者を雇うという国益を損なう行動を取ってしまう可能性が高い。 そうした事態を防ぐためには、行政コストを企業に負担させるのが最も合理的なのだ。そうすれば、企業は外国人を雇わないだろう。 例えば企業が外国人の単純労働者を雇うことで利益が200円増えるならば、行政コストを100円負担させられても外国人を雇うだろう。筆者としては、それでも日本人労働者の受ける“被害”を考えると不満ではあるが、その程度は明らかに緩和される。 後は、実際の行政コストのみならず、日本人労働者の“被害”を減らすために上乗せした金額を負担させるか否かだろう。 もしも仮に、外国人を雇うことで巨額の利益を得られる企業があるのであれば、筆者としても禁止すべきとは考えない。巨額の利益の中から、十分な負担をしてもらえばいいからだ』、「巨額の利益を得られる企業があるのであれば」というのは、筆の勢いで極端な例示をしただけで、そんな企業は、あえて外国人を雇わなくても日本人への処遇を上げれば日本人が集まる筈なので、実際にはありあない。外国人の単純労働者を受け入れながら、それに伴う行政コストは負担しないというのは、経済学でいう「フリーライダー’(タダ乗り」の典型で、市場メカニズム(適切な資源配分)を歪め、受け入れが必要以上に大きくなってしまう。
・『費用負担の適正化で資源配分を適切化しよう  費用負担が適切になされないと、不適切な資源配分がなされてしまうという典型例は「公害」だ。資源配分というのは経済学の用語で、労働力や原材料や資金などは有限だから、それを何の生産に用いると日本経済がよくなるかということだ。 汚水を垂れ流している企業が利益を1円稼いでいるとして、下流の住民に1万円の被害が生じているとすれば、あるいは汚水処理に1万円の費用が必要なのであれば、その企業の操業は日本の利益にならない((注)「い」がぬjけていたので補足)。つまり適切な資源配分とはいえない。 しかし、その企業が2万円を稼いでいるならば、操業を止めさせるよりは、汚水処理費用の1万円を負担させる方がいい。それで被害が完全に止まるならではあるが。 同様のことは、例えば医療費に関してもいえる。 医者に診察して軽い病を治療してもらうとして、本人は1000円分の満足を得たとする。医療費は5000円かかっているが、自己負担が1割なので、本人は500円しか払わない。これは日本にとって損失だ。5000円のコストをかけて1000円分の満足しか生み出していないからでだ。 医療の場合には、「治癒したことで他人への伝染が予防できた」「軽い病だと思って受診したら実は重い病であることが判明した」といった可能性もあるので一概には言えないが、外国人労働者の場合にはそうした可能性はなさそうなので、適切な費用負担によって適切な資源配分を図ることが望まれよう』、その通りだ。
・『外国人労働者の受け入れは外国人の幸せにつながるのか  日本の政策を考える上で、どこまで外国人の幸せについて考えるべきかは議論があるかもしれないし、本稿の本筋とも外れてしまうが、以下の点を指摘しておきたい。 例えば「日本の農業は労働力不足だから、外国人労働者を受け入れよう」という場合、筆者は「農産物を輸入すればいい」と考える。 最大の理由は、土地が広い国で農産物を効率的に作ることが「国際分業」として望ましいからだ。その方が外国人の幸せになるということもいえる。 外国人労働者を受け入れる場合、彼らは家族と離れて言語も習慣も異なる日本にやって来る。しかし、日本が農産物を輸入するなら日本に来る必要はなく、自国で家族と暮らしながら農業に従事すればいい。その方が外国人全体の幸せにつながるはずだ。 外国人に寄り添うあまり、「家族の帯同を認めればいい」と主張する人もいるが、2つの点で賛成できない。1つは、家族を連れてきて言葉の通じない国で苦労するより、自国で働く方がいいに決まっているからだ。 そしてもう1つは、日本語のできない家族を教育したり、莫大な行政コストが発生したりするからだ。「そういうコストは、喜んでわれわれ日本人納税者が負担するから、外国人労働者に家族の帯同を認めてほしい」という人は多くないように思う。 一般論として、「かわいそうな人がいるから行政が助けてやれ」という人は多いが、「かわいそうな人がいるから行政が助けてやれ。そのための費用は喜んでわれわれ納税者が負担するから」という人は少ないと思うが、いかがだろうか。 繰り返すが、筆者は外国人の単純労働者の受け入れには反対だ。だが、決まってしまった以上は、その弊害を少しでも緩和すべく、「外国人の単純労働者を雇う企業には課税して、さまざま『行政コスト+α』を負担させるべきだ」と改めて提案したい。 ちなみに、筆者が外国人の単純労働者の受け入れに反対している理由については、拙稿「外国人労働者受け入れが日本人労働者にとってデメリットしかない理由」をご参照いただきたい』、最後の論文は、このブログの12月5日に紹介した。塚崎氏の主張には全面的に賛成である。
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