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幸福(その2)(幸せは思ったもの勝ち 可能な限り多様な思考を受け入れる、現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病 体と心を冒す悲劇の正体とは何か?、米国製エリートが心酔する「幸福の授業」の中身 100万人が視聴「GAFA」著者の教えとは何か) [人生]

幸福については、昨年8月18日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その2)(幸せは思ったもの勝ち 可能な限り多様な思考を受け入れる、現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病 体と心を冒す悲劇の正体とは何か?、米国製エリートが心酔する「幸福の授業」の中身 100万人が視聴「GAFA」著者の教えとは何か)である。

先ずは、精神科医の和田 秀樹氏が1月9日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「幸せは思ったもの勝ち 可能な限り多様な思考を受け入れる」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/report/16/122600095/010700045/
・『実は、今回が長い連載の最終回となる。 ずいぶん、好き勝手なことを書かせていただき、私にとっては楽しい連載だっただけに残念であるが、その総括をかねて、これからのサバイバルのために私がいちばん大切だと思う思考法について考えてみたい。 それは、世の中のほとんどのことは答えは一つでないし、将来、よりよい答えが出てくる(今、正解と思われていることが変わる)ので、なるべく多様な答えを知っておいたり、考え付いた方がいいし、なるべく多様な考えや知識を受け入れた方がいいということである。 多様な考えや知識を受け入れろというのは、どれか一つに決めるというのとは逆のスタンスである。だから、このコラムで私が提言してきたことも、私自身は当面は(未来永劫というわけではない)正しいと思っていることだが、それを正しいと受け入れてもらうより、いくつかある解答のうちの一つと思ってもらえば十分だし(今のところ、その中でもっとも妥当と思ってもらえれば、こちらの感情としてはうれしいが)、ましてや私のいうことが正しくてほかが間違っていると思ってもらうのは、むしろ危険と思っている。 これは思考のスタンスであるが、生き方のスタンスでもある。ただ、これとても、絶対に正しいと断言するつもりはない。 ということで、私のサバイバルのための現時点での思考パターンを紹介したい』、和田氏の記事はこのブログでも、何回となく紹介してきただけに、「今回が長い連載の最終回となる」、誠に残念だ。「なるべく多様な答えを知っておいたり、考え付いた方がいいし、なるべく多様な考えや知識を受け入れた方がいい」、との考え方は、「多様な考えや知識」を踏まえた上で、白黒をハッキリさせたいという私の考え方とは、若干異なる。
・『何のために勉強するのか  この年になると、あえて資格を得たいとか、この知識があった方が成功しやすいとかいうこともあまりなくなってきた。もちろん、これからのライフワークとして映画監督を続けていきたいので、ほかの映画監督の手法を学んだり、原作を探したりというのは勉強と言えるかもしれないが、3回前の号でも話題にしたように、知識習得型の勉強は、だんだんしなくなっているのは確かだ。 それでも、耳学問も含めて、毎日、いろいろな情報が入ってくるし、文筆業を続けていくために参考資料もかなりの量は目を通している。 年をとったせいか、私が何のために勉強をするのかで最もスタンスを変えたポイントは、若いころは、たった一つの正解を求めて、あるいは、人に(論争などで)勝つために勉強していたが、今は、いろいろな答えがあるのを知るため、いろいろな人の考えを受け入れるために勉強していると自負している。 私が専攻している、精神分析の世界では、フロイトの没後、いろいろな学派が勃興し、自分たちが正しいと主張しあっている。私も、若いころは、コフート学派がほかの学派より、患者さんをうまく治せるし、無意識の性欲のようなあるのかないのかわからないものを論じるより、患者に共感的なスタンスで接するのが正しいに決まっていると思っていた。私自身は、今でもコフート(注)的な治療を行っているが、患者さんにも性格やものの考え方があるので、フロイト学派のように家父長的な接し方をした方がいいこともあるのは十分あり得ると思うようになった。どれが正しいかの不毛な議論をするより、結果がよければ、いろいろなやり方があっていいと思えるようになってきたということだ』、確かに患者により「接し方」を使い分けるのも理にかなっているようだ。(注)コフート:オーストリア出身の精神科医、精神分析学者。精神分析的自己心理学の提唱者(Wikipedia)。
・『絶対的な解は存在しない  もう一つの専門分野である老年医学にしても、高齢者の血圧を下げた方がいいのか、どのくらいまで下げるべきかという議論や、高齢者の血糖値のコントロールやコレステロール値のコントロールについて、学会の主流派に異議を唱え続けてきた。 疫学的にみると、少なくともコレステロールは高い方が長生きしているのだが、これについても大勢の人間を調べての統計なのだから、個人個人で違うだろう。高いままにした方が長生きできる人の方が、下げた方が長生きできる人より多ければ、高いままの方がいいという疫学データになるわけだが、下げた方が長生きできる人はゼロではない。やはり、ケースバイケースなのである。 また、昔は植物の油の方が動物の脂よりいいので、マーガリンが体にいいと考えらえたことがあるように、医学や栄養学の常識は、覆されることも多い。 将来、覆されることも想定しながら、いろいろな説がある中で、今のところ、どれが妥当なのかを患者ごとに考える方がよほど現実的だろう。 正解はいくつもあると言われても、生きている限り、さまざまな決断を下さないといけないことは当たり前にある。 私だって、目の前の患者さんにいくつも考え方があることを説明することはあるが、通常は、今のところ、正しいと思うことをやるようにしている。 この「今のところ」の考え方と、「ほかにも答えがある」という考え方こそが重要だと私は信じている。というのは、それよりいい答えが見つかったり、今、正しいと思っていることが、どうもうまくいかないと思える時に、フレキシブルに別の答えに移行できるからだ。 恐らく、これから人工知能(AI)の時代になったり、人間のゲノムが解析されたりで、どんどん信じられてきたことが変わる時代がくるだろう(これも意外に変わらないかもしれないが)。そうなる際に、この手のスタンスは役に立つと信じている』、「通常は、今のところ、正しいと思うことをやるようにしている。 この「今のところ」の考え方と、「ほかにも答えがある」という考え方こそが重要だと私は信じている。というのは、それよりいい答えが見つかったり、今、正しいと思っていることが、どうもうまくいかないと思える時に、フレキシブルに別の答えに移行できるからだ」、なるほど柔軟で現実的な対応だ。
・『ネット右翼、実はアクティブで高収入  たまたま、テレビを見ていたら、ネット右翼とされる人が、これまで考えられていたような貧困層の引きこもりなどではなく、中高年の自営業や会社経営者のように、アクティブで高収入の人が多いという調査結果を論じていた。 確かに、普段は大人しい引きこもりの人や、海外のようにはデモをやらない貧困層の人が、ネット空間では内なるアグレッションを発散しているというのは、もっともらしい説だが、精神科医としての経験でいうと、ちょっとしっくりこなかった。 引きこもりの専門家の斎藤環さんが、「ゲームのせいで引きこもりになるわけでなく、ほかにすることがないからゲームをやるだけだ。その証拠に、引きこもりの人はゲームをつまらなさそうにやる」というような意味のことを言っていた。 フロイトはあるエネルギーを心の中に押し込めると、別のところからエネルギーを噴出するというエネルギー経済論という学説を唱えたが、実際には、エネルギーのない人はほかのところでもエネルギーがない人が多い。投票にはいけないが、ネットに書き込んで世の中を変えられると思っているようにも思えない。 そのテレビの解説では、ネット右翼のような人は、むしろ積極的に投票行動をするとのことだった。某新保守政党の参院全国区の得票数プラスアルファで、200万人くらいいるのではと推定されていた。 この仮説が正しいかどうかはわからない。私とは政治信条は違うが、こっちが正しくてネット右翼が間違っているというつもりはない。 ただ、私が残念に思うのは、彼らが、自分が正しくて、自分と意見が違う人や、敵(韓国と中国と朝日新聞とそのテレビ番組では報じていた)は間違っているという発想パターンだ。 認知科学の世界では、ものごとを決めつけるのは、ほかの可能性に対応できない不適応思考であるし、うつ病にもなりやすいとされている。 恐らく政治や世論への影響力は、限局的なものだろうが、自分のメンタルヘルスや本業への悪影響を心配するのだ。 中国政府が発表する経済指標は粉飾されていると信じるのはいいが、そうでない可能性も考えておく必要はあるし、人口統計まで粉飾しないだろう。今は米国経済に太刀打ちできないという考え方は妥当かもしれないが、中長期的に市場規模や国内総生産(GDP)が米国を抜き去る可能性の方が高いだろう。 意地になって中国とは商売をやらないのは勝手だが、少なくとも答えは一つでない、将来変わるという発想がもてないと、どんなビジネスでもいつかは行き詰るだろう』、「ネット右翼、実はアクティブで高収入」なるTV番組は私も観て、多少驚かされた。「認知科学の世界では、ものごとを決めつけるのは、ほかの可能性に対応できない不適応思考であるし、うつ病にもなりやすいとされている」、白黒をハッキリさせたがる私にはショックだが、いまさら変える必要もないだろう。
・『勝ち負けで考えない  決めつけが激しいという認知構造を、さらに強固にしてしまうのが、勝ち負けで考えるという思考パターンだ。相手の言い分も「可能性がある」と認めることが負けだと考えるなら、いくら勉強しても、思考パターンは変えられなくなってしまう。私も昔とずいぶん考え方が変わってきたが、それを「変節」と呼ぶ人がいる。変わったら負けとでも思っているのだろう。 直接のディスカッションでなら勝ち負けがあるかもしれないが(しかしながら論破では感情的反発が残るので、相手を説得できないことは、私が若いころ左翼運動に参加していたからわかる)、思考パターンに勝ち負けはない。どっちも可能性があると考えられる方が、勝てないかもしれないが、負けることはないのだ。 少なくとも意地を張って、自分の意見を変えないことで得をするとは思えない』、私は考え方を変えることに抵抗感はない。「論破では感情的反発が残るので、相手を説得できないことは、私が若いころ左翼運動に参加していたからわかる」、確かにその通りだ。
・『生きている世界はしょせん主観的  勝ち負けで考えなくても、自分の方が客観的に正しいと考える人もいる。 数字のデータを持ち出して、これが客観的だという人がいるが、多くの場合、よりそっちの可能性や確率が高いということに過ぎない。 もう一つは見る角度によって、答えが違うということはある。 失業率や株価の上昇を見れば、アベノミクスが「客観的に」成功しているとことになるのだろう。 ほかの角度で見る人であれば、ドル建てのGDPが民主党政権時代から2割も下がっていることを問題にするかもしれないし、相対貧困率の高さを問題にするかもしれない。 昔、デノミといって100円を新1円にしようという議論があった。300万円の車が3万新円で買えるので安くなったという心理効果で景気がよくなると言われたものだ。 しかし、ものを買いたい人にとってはそうであっても、貯金を気にする人なら1000万円の貯金が10万新円になるので、もっと貯金をしなくてはと思うかもしれない。 そもそも論として、人間の認知構造は一人ひとり違うし、それはこれまでの生育環境によっても違う。未開の地の人にペットボトルを見せてもなんのことかわからないかもしれない。 行動経済学という心理学を応用した経済学は、人間の幸せや豊かさの気分はもっている金額と正の相関関係にないことを示した。金があるほど幸せではないのだ。 実際、私たち精神科医というのは、患者を客観的に金持ちにしたり、家族に恵まれたりはできないが、ものの見方を変えることで、主観的には幸せになってもらうということを目標にすることが多い。 この1、2年医師として悩むのは、たとえば認知症で、症状が進行していることに気づかず幸せそうにニコニコしているなら、本当に治療(現代の医学では進行してしまった症状を正常に戻すことはできない)の必要があるのかということだ。 もっと言えば、人に迷惑をかけないのなら、統合失調症の患者さんが自分は神様と信じるような妄想をもっていて、幸せそうにしている時に、薬を使って妄想をとって現実世界に引きずり戻すのが本当にいいことなのかなども悩むようになった。 しょせん、人間の幸せなど主観的なものだ。 長い人生を考えたら主観的に幸せでいられる人の方が幸せが長続きする気がする。要するに幸せは思ったもの勝ちなのだ。 どこまで役に立つかはわからないが、このような意識改革が私のサバイバルのための思考法である』、「行動経済学という心理学を応用した経済学は、人間の幸せや豊かさの気分はもっている金額と正の相関関係にないことを示した。金があるほど幸せではないのだ」、なるほど。「しょせん、人間の幸せなど主観的なものだ。 長い人生を考えたら主観的に幸せでいられる人の方が幸せが長続きする気がする。要するに幸せは思ったもの勝ちなのだ」、説得力がある主張だ。

次に、 精神科医・作家の岡田 尊司氏が10月9日付け東洋経済オンラインに掲載した「現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病 体と心を冒す悲劇の正体とは何か?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/306661
・『現代人は、なぜ幸福になれないのか――。ベストセラー『愛着障害』の著者で、精神科医・作家である岡田尊司氏の最新刊『死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威』から一部抜粋のうえ、お届けします。 「死に至る病とは、絶望のことである」と、かつて哲学者キルケゴールは書いた。キルケゴールにとって、絶望とは、神を信じられないことを意味した。 だが、今日、「死に至る病」とは愛着障害にほかならない。愛着障害とは、神どころか、親の愛さえも信じられないことである。そして、キルケゴール自身も、愛着障害を抱えていた――。 合理的な考えによれば、親の愛などなくても、適度な栄養と世話さえあれば、人は元気に生きていけるはずだった。だが、そこに致命的な誤算があった。 特別な存在との絆である「愛着という仕組み」がうまく働かないと、生存にも、種の保存にも、重大な支障が生じるのである。全身傷だらけになりながら、自傷や自殺企図を繰り返すのも、稼いだ金の大半を、吐くための食品を買うためや、飲み代やホスト通いに費やすのも、物や金の管理ができず、捜し物と借金に追われ、混乱した人生に沈むのも、原因のよくわからない慢性の痛みや体の不調に苦しむのも……、そこには共通する原因があった』、「特別な存在との絆である「愛着という仕組み」がうまく働かないと、生存にも、種の保存にも、重大な支障が生じるのである」、初めて知った概念だ。
・『「死に至る病」である愛着障害とは何か?  その原因とは、愛着障害であり、愛着障害とは、生存と種の維持に困難を生じ、生きづらさと絶望をもたらし、慢性的に死の危険を増やすという意味で、「死に至る病」なのである。 いま、この国に、いや世界のいたるところで、経済的豊かさを追求する合理主義や、個人の利益を優先する功利的個人主義の代償として、「死に至る病」が広がっている。 「死に至る病」は、キルケゴールが述べたような単なる絶望ではない。精神的な救いが得られない精神的な死を意味することにはとどまらない。 「死に至る病」は、生きる希望や意味を失わせ、精神的な空虚と自己否定の奈落に人を突き落とし、心を病ませるだけでなく、不安やストレスに対する抵抗力や、トラウマに対する心の免疫を弱らせることで、体をも病魔に冒されやすくする。現代社会に蔓延する、医学にも手に負えない奇病の数々は、その結果にほかならない』、「世界のいたるところで、経済的豊かさを追求する合理主義や、個人の利益を優先する功利的個人主義の代償として、「死に至る病」が広がっている」、恐ろしいことだが、その通りなのだろう。
・『かろうじて病気になることを免れたとしても、傷つきやすさや苦痛から、すっかり免れることは難しい。せっかくの人生は、喜びよりも、不快さばかりが多いものになってしまう。 その不快さを和らげるために、生きる苦痛を忘れるために、人々は、神経や心を麻痺させるものを日常的に必要とする。それに依存することで、かろうじて生き延びようとするのだ。 だが、それは、ときには慢性的な自殺につながってしまう。 いま、「生きるのがつらい」「毎日が苦痛なだけ」「生きることに意味が感じられない」という言葉が、この国のいたるところから聞こえてくる。 生活に疲れ、過労気味の中高年から聞かれるのならまだしも、最も幸福な年代といわれる30代からも、元気盛りの20代からも、そして、10代の中高生や、ときには小学生の口からさえ聞かれるのである。 彼らはたいてい暗い顔をして、うつむき加減になり、無理に笑おうとした笑顔さえ、ひきつってしまう。彼らは、医学的にみて明らかにうつ状態という場合もあるが、必ずしも、そうした診断が当てはまらないときもある。とても冷静に、落ち着いた口調で、「私なんか、いてもいなくても同じなんです」「まだ生きないといけませんか」と、自分が抱えている空虚感や生きることの虚しさを語ることもある。「死にたい」「全部消し去りたい」と、その優しい表情からは想像もできないような激しい言葉がほとばしり出ることもある。 人間性や能力の点でも、愛される資質や魅力の点でも、積み重ねてきた努力の点でも、彼らは決してひけを取ることはない。むしろ優れている点もたくさん持っている。なのに彼らは、自分には愛される資格も生きる資格もないように思ってしまう。こんな自分なんか、いらないと思ってしまう。 自分のことをとても愛しているように見えるときでさえも、実は本当には愛せていない。本当には愛せない自分だから、理想の自分でないとダメだと思い、自分に完璧を求める。自信に満ちて見えても、それは、ありのままの自分を隠すための虚勢にすぎない。 だが、完璧な自分しか愛せないとしたら、完璧でなくなったとき、その人はどうなるのか。どんなに努力しても、どんなに頑張っても、いつも完璧でいられる人などいない。どんなに成功と幸福の絶頂にいようと、次の瞬間には、愛するに値しない、生きるのに値しない不完全でダメな人間に堕してしまう危険をはらんでいる』、「「生きるのがつらい」「毎日が苦痛なだけ」「生きることに意味が感じられない」という言葉が、この国のいたるところから聞こえてくる。 生活に疲れ、過労気味の中高年から聞かれるのならまだしも、最も幸福な年代といわれる30代からも、元気盛りの20代からも、そして、10代の中高生や、ときには小学生の口からさえ聞かれるのである」、集団自殺などが相次いでいるのもこの表れなのだろう。
・『愛するに値しない自分、大切にしてもらえなかった自分  彼らが自分のことを、愛される資格がない、生きる値打ちがないと思っているのには、その確信の根拠となる原体験がある。 彼らにとって最も大切な存在が、彼らをあからさまに見捨てたか、かわいがっているふりをしていたとしても、本気では愛してくれなかったのだ。 「本気で」とは、口先ではなく行動で、ということであり、彼らがそれをいちばん必要とした幼いときに、彼らのことを何よりも優先し、気持ちだけでなく時間と手間をかけてくれたということだ。大切な人が、彼らのことより他のことに気を奪われることがあったとか、自分自身のことや生活のことに追われて、どこか上の空であったというとき、幼い子は「自分はいちばん大切な存在だ」ということを味わい損ねてしまう。 自己肯定感を持ちなさい、などと、いい年になった人たちに臆面もなく言う専門家がいる。が、それは、育ち盛りのときに栄養が足りずに大きくなれなかった人に、背を伸ばしなさいと言っているようなものだ。 自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。それを高めなさいなどと簡単に言うのは、本当に苦しんだことなどない人が、口先の理屈で言う言葉に思える。 いちばん大切な人にさえ、自分を大切にしてもらえなかった人が、どうやって自分を大切に思えるのか。 むしろ、そんな彼らに言うべきことがあるとしたら、「あなたが自己肯定感を持てないのも、無理はない。それは当然なことで、あなたが悪いのではない。そんな中で、あなたはよく生きてきた。自分を肯定できているほうだ」と、その人のことをありのままに肯定することではないのか。 自己肯定感という言葉自体が、その人を否定するために使われているとしたら、そんな言葉はいらない』、「自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。それを高めなさいなどと簡単に言うのは、本当に苦しんだことなどない人が、口先の理屈で言う言葉に思える」、「そんな彼らに言うべきことがあるとしたら、「あなたが自己肯定感を持てないのも、無理はない。それは当然なことで、あなたが悪いのではない。そんな中で、あなたはよく生きてきた。自分を肯定できているほうだ」と、その人のことをありのままに肯定することではないのか。 自己肯定感という言葉自体が、その人を否定するために使われているとしたら、そんな言葉はいらない」、その通りなのだろう。
・『愛着障害がもたらす悲劇の恐ろしさ  自分のことを何よりも大切にしてくれる存在を持てないことほど、悲しいことはない。大人であっても、それは悲しいことだ。だが、幼いときに、子どものときに、そんな思いを味わったら、その思いをぬぐい去ることは容易ではない。 だが、それは、単に気持ちの問題にとどまらない。 では、根本的な要因は何なのか。 それに対する答えが、「愛着障害」なのである』、最後の部分は本を読ませるためのレトリックなのだろう。いずれにしろ、子ども時代の愛情不足がのちのちまで尾を引くとは、我々大人ももっと自覚すべきだ。

第三に、10月25日付け東洋経済オンラインが掲載したニューヨーク大学スターン経営大学院教授のスコット・ギャロウェイ氏による「米国製エリートが心酔する「幸福の授業」の中身 100万人が視聴「GAFA」著者の教えとは何か」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/309871
・『「ビジネス書大賞2019読者賞」「読者が選ぶビジネス書グランプリ2019総合第1位」のダブル受賞作、『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』著者、スコット・ギャロウェイ氏。 ニューヨーク大学で教鞭をとるギャロウェイ氏の授業「アルジェブラ・オブ・ハピネス(幸福の計算式)」は、5000人が受講、WEB公開後わずか10日で100万人が視聴した「伝説の授業」と言われる。 その授業をもとにした最新作『ニューヨーク大学人気講義 HAPPINESS(ハピネス)――GAFA時代の人生戦略』が刊行された。本記事では書籍を再編集し、「伝説の授業」の一部を紹介する』、前の2つは心理学者によるものだったが、経営学の大家はどのようにみているのだろう。
・『幸せになる方法を「数式」で表すとどうなるか  2002年、私はニューヨーク大学スターン経営大学院の教員となった。5000人を超える学生が、私のブランド戦略の講義を受けた。 私が教える学生たちは、貨幣の時間的価値、戦略、そして消費者行動を学ぶために、私のクラスにやってくる。 しかし授業では、話がブランド戦略から「人生の戦略」に変わっていることがよくある。成功するには何をすればいいのか。自分の野心と人としての成長の折り合いをどうすればつけられるのか。40歳、50歳、80歳になったとき後悔しないために、いま何をするべきなのか。 こうした問題を、私は最後の3時間の講義で扱う。講義のタイトルは「アルジェブラ・オブ・ハピネス(幸福の数式)」である。 その講義で、私たちは成功、愛、そしてよい人生の定義について話し合う。2018年5月、私はその講義の短縮版をYouTubeに投稿した。その動画は公開10日で100万人以上が視聴した。 授業で取り上げた「幸福の数式」は、以下のようなものである』、「アルジェブラ・オブ・ハピネス(幸福の数式)」とは興味深いが、どんなものなのだろう。
・『「金を稼げない」と「幸せ」は遠ざかる  幸福の計算式:学歴+大都市=お金  アメリカにはカースト制度がある。それは高等教育というものだ。 それに加えて、経済成長は一握りの巨大都市に集中する傾向が高まっている。今後50年間の経済成長の3分の2は、超大都市で生じるだろう。 チャンスは人の多いところで生まれる。大都市はウィンブルドンだ。たとえあなたがラファエル・ナダルでなくても、彼とともにコートに立つだけでレベルアップする。さらに上に行けることもあれば、自分はウィンブルドンにいるべき人間ではないと悟ることもある。 あなたの学位(成績、大学)と郵便番号を教えてくれれば、あなたが今後10年間でいくらぐらい稼げるか、かなりの正確さで推測することができる。 私のアドバイスはごく単純なものだ 。若いうちに、大学の卒業証書やほかの資格を手に入れ、大都市に出ることだ。どちらも年齢を重ねるごとに、不可能ではないにしても、難しくなる。 スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツのように、大学を中退しても大成功を収める人はこれからも出てくるだろう。けれどもそれはあなたではない』、「若いうちに、大学の卒業証書やほかの資格を手に入れ、大都市に出ることだ」、アメリカでも「大都市」はやはりチャンスに恵まれているようだ。 
・『幸福の方程式:若いうちの頑張り>老いてからの頑張り  きっとあなたにも、こんな知り合いがいるだろう――成功を手に入れ、健康で、バンドで演奏しているうえに、親と仲がよく、動物保護シェルターでボランティアをして、食べ物のブログを書いているような。しかし、あなたはまだそういう人ではないとしよう。 キャリアを構築するときバランスが重要というのは、私に言わせれば、都市伝説に近い。また世間には、成功するには貧乏を経験しなければならないという、苦労礼賛の言説もあふれている。それも本当ではない。 成功への途上でも、報われる経験はたくさんある。けれども若いうちからバランスを最優先事項にするのは、天才でないかぎりいただけない。それでは経済的安定のはしごのてっぺんに到達するのは難しい。 キャリアをどのくらいの速さで駆け上がれるかは、(不公平だが)大学卒業後の5年間でほぼ決定する。 できるだけまっすぐ上昇したいなら、燃料をたくさん燃やさなければならない。世界は簡単に手に入らない。努力が必要だ。とにかく努力、精いっぱいの努力をすることだ。 私は今、バランスが大いに取れた生活をしている。それは20代から30代にかけて、バランスを欠く生活をしていたからこそできたことだ。) 22歳から34歳まで、ビジネススクールに行っていた以外、仕事のほかに思い出せることはあまりない。 この世界では、大きなものではなく素早いものが勝つ。まわりの人より短い時間で、できるだけ先に進むことを目指す。これができるかどうかは才能によるところもあるが、ほとんどは戦略の立て方と根気強さだ。ここにユーザーズ・マニュアルはない。 若いときの私は、仕事のために結婚、毛髪、そして間違いなく20代を犠牲にした。これはトレードオフなのだ。 若い頃にバランスを欠いた生活を送っていたことで、のちにもっとバランスの取れた生活ができるようになった。ただ、そこにはとても現実的な代償があった』、「キャリアをどのくらいの速さで駆け上がれるかは・・・大学卒業後の5年間でほぼ決定する」、そんなに早く決まるとは意外だ。「若いときの私は、仕事のために結婚、毛髪、そして間違いなく20代を犠牲にした。これはトレードオフなのだ」、「毛髪」も「犠牲にした」、思わず微笑んでしまった。
・『人間関係も「複利」で殖える  幸福の計算式:わずかな投資年月=大きな見返り  「この世で最も強い力は複利である」という古い言い回しがある。 貯蓄について考えることは若者にこそ必要なのに、彼らはそれをまったくわかっていない。それは「長期的」という概念を理解できないからだ。 才能あふれる若者の多くが、自分は超優秀だから大金を稼げると思っている。そう、たぶん……しかし万一、そうならなかった場合に備えて、早いうちから、何回となく貯金を始めよう。 それを貯金と考えるのではない。魔法と考えるのだ。1000ドルを魔法の箱に入れると、40年後には、それが1万ドルから2万5000ドルになっている。こんな魔法の箱があるとして、あなたはいくらそこに入れるだろうか。 こつこつ貯金をしていると複利で殖えることは、ほとんどの人が知っている。しかし多くの人は、それが人生のほかのことでも効果を発揮することには気づいていない。 ワン・セカンド・エブリデイは、毎日必ず1秒の動画を撮るためのアプリだ。毎日ほんの少しの時間を割くという投資である。 そして1年の終わりに、私は子どもたちと一緒に座って、その1年を凝縮した6分間の動画を見る。私たちは何度も繰り返しそれを見て、どこにいたかを思い出し、自分が映っていたら笑い、ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッターがどれほど楽しかったかを思い出す。 これはすべての人間関係についても言える。山ほどの写真を撮る、くだらないことで友人にメールする、昔の友だちとまめに連絡を取る、同僚を素直にほめる、そして毎日、できるだけ多くの人に愛していることを伝える。 1日にほんの数分のことだ。最初の頃の見返りはわずかだが、やがて大きなものになる』、「人間関係も「複利」で殖える」、が具体的には、「山ほどの写真を撮る、くだらないことで友人にメールする、昔の友だちとまめに連絡を取る、同僚を素直にほめる、そして毎日、できるだけ多くの人に愛していることを伝える。 1日にほんの数分のことだ。最初の頃の見返りはわずかだが、やがて大きなものになる」、というのは納得できる。
・『幸福の計算式:幸せ=家族  さまざまな面から幸福を評価すると、最高に幸福なのは、結婚して子どものいる人だ。 私は結婚もしたくなかったし、子どもも欲しいとは思っていなかった。今でも幸せになるのに子どもは必須だとは思わない。 しかしまともな父親になり、自分にふさわしい愛する人とともに子どもを育てて初めて、誰もが頭を悩ませる問題に答えが見いだせた気がした。それは「なぜ自分はここにいるのか」という難問だ』、「まともな父親になり、自分にふさわしい愛する人とともに子どもを育てて初めて、誰もが頭を悩ませる問題に答えが見いだせた気がした」、なるほど。
・『「自分を誇れる瞬間」はどのようなときかを知る  幸福の計算式:男らしさ⊆人と人との関係 自分は男らしいと感じると、大きな満足感を覚える(この言い方がどれほど奇妙に響くか、そして女らしさへの見返りについて自分は何も言えないことは認識している)。私の内なるターザンが、つるにつかまって空中を浮遊しているとき、私は幸せだ。 しかし年をとるにつれ、そのつるが変わりつつある。 若いとき自分が男らしいと感じたのは、友人たちに称賛されたとき、見知らぬ女性とセックスしたとき、そして酔っぱらったときだった。 それから年を重ねるうちに、別のつるが現れた。愛情深く信頼される家庭の責任者として家族を養っているとき、また教室や職場で必要とされているとき、私は「雄牛のように強い人間」だと感じる。 サルの群れで多くの雌と交尾できるのは、体が大きかったり力が強かったりする雄ではなく、社会的なつながりを多く持つ雄なのだ。 私自身、自慢げに胸をたたきたくなるのは、次のようなときだ――よき隣人である、法律を守る、自分の出自を思い出す、会うことのない人を助ける、自分の子以外の子にも関心を向ける、投票する。若いときは考えもしなかったことだ。 自分の欠点に真剣に向き合い、足りないものを補う努力をする。要するに、体だけは大人の少年ではなく、本当の大人になることだ。現在の男らしさとは、他人との関わりであり、よき市民であることであり、愛情深い父親であることなのだ』、「自分の欠点に真剣に向き合い、足りないものを補う努力をする。要するに、体だけは大人の少年ではなく、本当の大人になることだ。現在の男らしさとは、他人との関わりであり、よき市民であることであり、愛情深い父親であることなのだ」、素晴らしいまとめだ。
タグ:『ニューヨーク大学人気講義 HAPPINESS(ハピネス)――GAFA時代の人生戦略』 授業「アルジェブラ・オブ・ハピネス(幸福の計算式)」 絶対的な解は存在しない 『死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威』 ネット右翼、実はアクティブで高収入 『愛着障害 「現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病 体と心を冒す悲劇の正体とは何か?」 なるべく多様な答えを知っておいたり、考え付いた方がいいし、なるべく多様な考えや知識を受け入れた方がいい 幸せになる方法を「数式」で表すとどうなるか 愛着障害とは、神どころか、親の愛さえも信じられないこと 「幸せは思ったもの勝ち 可能な限り多様な思考を受け入れる」 キルケゴールにとって、絶望とは、神を信じられないことを意味 『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』著者 若いうちに、大学の卒業証書やほかの資格を手に入れ、大都市に出ることだ 日経ビジネスオンライン 幸福の計算式:幸せ=家族 行動経済学という心理学を応用した経済学は、人間の幸せや豊かさの気分はもっている金額と正の相関関係にないことを示した 和田 秀樹 長い人生を考えたら主観的に幸せでいられる人の方が幸せが長続きする気がする。要するに幸せは思ったもの勝ちなのだ 東洋経済オンライン が、今日、「死に至る病」とは愛着障害にほかならない (その2)(幸せは思ったもの勝ち 可能な限り多様な思考を受け入れる、現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病 体と心を冒す悲劇の正体とは何か?、米国製エリートが心酔する「幸福の授業」の中身 100万人が視聴「GAFA」著者の教えとは何か) 岡田 尊司 何のために勉強するのか 自分の欠点に真剣に向き合い、足りないものを補う努力をする。要するに、体だけは大人の少年ではなく、本当の大人になることだ。現在の男らしさとは、他人との関わりであり、よき市民であることであり、愛情深い父親であることなのだ 「米国製エリートが心酔する「幸福の授業」の中身 100万人が視聴「GAFA」著者の教えとは何か」 生きている世界はしょせん主観的 幸福の計算式:学歴+大都市=お金 「金を稼げない」と「幸せ」は遠ざかる 幸福の方程式:若いうちの頑張り>老いてからの頑張り スコット・ギャロウェイ 愛着障害がもたらす悲劇の恐ろしさ 山ほどの写真を撮る、くだらないことで友人にメールする、昔の友だちとまめに連絡を取る、同僚を素直にほめる、そして毎日、できるだけ多くの人に愛していることを伝える。 1日にほんの数分のことだ。最初の頃の見返りはわずかだが、やがて大きなものになる 幸福の計算式:わずかな投資年月=大きな見返り 「自分を誇れる瞬間」はどのようなときかを知る 最高に幸福なのは、結婚して子どものいる人だ 「ほかにも答えがある」という考え方こそが重要だと私は信じている。というのは、それよりいい答えが見つかったり、今、正しいと思っていることが、どうもうまくいかないと思える時に、フレキシブルに別の答えに移行できるからだ 彼らに言うべきことがあるとしたら、「あなたが自己肯定感を持てないのも、無理はない。それは当然なことで、あなたが悪いのではない。そんな中で、あなたはよく生きてきた。自分を肯定できているほうだ」と、その人のことをありのままに肯定することではないのか 自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。それを高めなさいなどと簡単に言うのは、本当に苦しんだことなどない人が、口先の理屈で言う言葉に思える 通常は、今のところ、正しいと思うことをやるようにしている。 この「今のところ」 愛するに値しない自分、大切にしてもらえなかった自分 生活に疲れ、過労気味の中高年から聞かれるのならまだしも、最も幸福な年代といわれる30代からも、元気盛りの20代からも、そして、10代の中高生や、ときには小学生の口からさえ聞かれる 人間関係も「複利」で殖える 若いときの私は、仕事のために結婚、毛髪、そして間違いなく20代を犠牲にした。これはトレードオフなのだ 「死に至る病」は、生きる希望や意味を失わせ、精神的な空虚と自己否定の奈落に人を突き落とし、心を病ませるだけでなく、不安やストレスに対する抵抗力や、トラウマに対する心の免疫を弱らせることで、体をも病魔に冒されやすくする。現代社会に蔓延する、医学にも手に負えない奇病の数々は、その結果にほかならない キャリアをどのくらいの速さで駆け上がれるかは、(不公平だが)大学卒業後の5年間でほぼ決定する 幸福 勝ち負けで考えない 世界のいたるところで、経済的豊かさを追求する合理主義や、個人の利益を優先する功利的個人主義の代償として、「死に至る病」が広がっている 愛着障害とは、生存と種の維持に困難を生じ、生きづらさと絶望をもたらし、慢性的に死の危険を増やすという意味で、「死に至る病」なのである 「死に至る病」である愛着障害とは何か? 特別な存在との絆である「愛着という仕組み」がうまく働かないと、生存にも、種の保存にも、重大な支障が生じる
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