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韓国(財閥問題)(その5)(サムスンのトップ、「世襲決別宣言」の背景事情 実刑判決回避を狙ったパフォーマンスなのか、ロッテ創業者はなぜ事業承継に失敗したのか(前編)――“老害”がもたらした後継者の「疑心暗鬼」 ロッテを奪われた男・重光武雄~なぜ事業承継に失敗したのか(11)、ロッテ創業者はなぜ事業承継に失敗したのか(後編)――稲盛和夫と重光武雄の違いに見る「指南役」の優劣 ロッテを奪われた男・重光武雄~なぜ事業承継に失敗したのか(12))

韓国(財閥問題)については、2020年4月27日に取上げた。久しぶりの今日は、(その5)(サムスンのトップ、「世襲決別宣言」の背景事情 実刑判決回避を狙ったパフォーマンスなのか、ロッテ創業者はなぜ事業承継に失敗したのか(前編)――“老害”がもたらした後継者の「疑心暗鬼」 ロッテを奪われた男・重光武雄~なぜ事業承継に失敗したのか(11)、ロッテ創業者はなぜ事業承継に失敗したのか(後編)――稲盛和夫と重光武雄の違いに見る「指南役」の優劣 ロッテを奪われた男・重光武雄~なぜ事業承継に失敗したのか(12))である。

先ずは、2020年5月9日付け東洋経済オンライン「サムスンのトップ、「世襲決別宣言」の背景事情 実刑判決回避を狙ったパフォーマンスなのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/348946
・『韓国を代表する財閥企業・サムスングループのトップが、「子どもに経営権を承継しない」という「世襲決別宣言」を行った。 韓国の経済発展をリードしてきた韓国の財閥は、その多くが戦後に設立され、現在は創業者の3代目、4代目の時代になっている。サムスンは創業者一族が代々経営権を握ってきた財閥の代表例だ。なぜ今になって、子どもに承継しないと発表したのか』、興味深そうだ。
・『国民向け謝罪に追い込まれた事情  サムスンは、1938年に三星商会を設立した故・李秉喆(イ・ビョンチョル)会長が3男の李健熙(イ・ゴンヒ)会長へバトンを渡した。そして2014年に李会長が病に倒れてからは、李会長の長男であるサムスン電子の李在鎔(イ・ジェヨン)副会長が経営をリードしてきた。トップの世襲は韓国企業では珍しくない。 その李副会長が5月6日、「国民向け謝罪」を行った。これはサムスンがソウル高等裁判所の助言を受けて設立した「サムスン遵法監視委員会」が5月11日までに国民向けの謝罪を行うよう勧告したためだ。 なぜ国民に向けて謝罪するのか。今回謝罪した内容は2つに分けられる。1つは「経営権を今後、子どもに継がせない」という事業承継の問題。そして、「グループ内に労働組合を設け、創業以来続けてきた無労組経営を放棄する」ことだ。 サムスンは企業規模が拡大するにつれ、後継者問題や経営権をどう掌握するかという問題に苦しめられてきた。今回、李副会長が謝罪に追い込まれた原因もこの承継問題にあるのだ。 李副会長はこの5年間で、国民に向けて何回か謝罪を繰り返している。特に2019年6月にはグループ会社の粉飾会計と証拠隠滅を図ったことが判明し、同12月には、グループの主要企業であるサムスン電子の経営陣が労働組合法違反で有罪判決を受けてそれぞれ謝罪に追い込まれている。さらに、「国政不正介入事件」に関連しても、2019年8月と同10月に謝罪を繰り返している。 国政不正介入事件とは、朴槿恵(パク・クネ)前大統領が知人を不当に政治に参加させ、便宜を図っていたのではないかとされる事件のことだ。これは、朴氏の長年の知人である崔順実(チェ・スンシル)氏が朴大統領の政治運営に不正・不当に介入したとの疑惑が2016年に発覚、国中を揺るがす一大スキャンダルとなった。このスキャンダルは、2017年の大統領弾劾と罷免につながった。 2014年に李健熙会長が倒れた当時のサムスンは、今後のグループ経営をどう受け継ぐかという大問題が浮上していた。後継者は李副会長と決まっていたが、李一族が経営権を保有し続けるためには、他の大株主との調整や保有株主にかかる相続税負担などを解決する必要があった。そのために政治の手を借りざるをえなくなり、李副会長が朴大統領にそれを求めたことで結局、贈収賄や横領などの罪で李副会長は逮捕、起訴されてしまった』、「李一族が経営権を保有し続けるためには、他の大株主との調整や保有株主にかかる相続税負担などを解決する必要があった。そのために政治の手を借りざるをえなくなり、李副会長が朴大統領にそれを求めたことで結局、贈収賄や横領などの罪で李副会長は逮捕、起訴されてしまった」、「政治の手を借りざるをえなくなり」、というのは民間企業にあるまじき酷さだ。
・『李副会長に実刑判決の可能性も  それまでのサムスンのグループ支配は、複雑な株式の持ち合いで成り立っていた。発行株式の半数以上を外国人株主が占めており、グループ会社の株式を李一族やグループ各社の間で持ち合うことで均衡を保っていた。 こうした複雑な仕組みのもとで経営権をスムーズに承継させる解決策の1つが、李副会長が大株主で、主要グループ会社の一つである第一毛織と、サムスン電子の株式を多く持つサムスン物産を合併させる案だった。グループの核心企業であるサムスン電子の経営を李副会長が引き継ぐには、この合併が必要とされた。 ところが、この合併案にサムスン物産の株主である海外ヘッジファンドなどが強く反対した。そこで、サムスン物産の大株主だった韓国・国民年金公団が合併に賛成するよう朴大統領に頼んだ。国民年金公団の賛成によって合併は成功したが、なぜ賛成したのか現在でもよくわかっていない。国政不正介入事件の過程でこのことが発覚し、李副会長は贈収賄などの容疑で逮捕された。 李副会長は2017年の一審で懲役5年の実刑判決、2018年の二審では懲役2年6カ月、執行猶予4年を受け、釈放されている。ところが最高裁判所となる大法院は2019年に二審を破棄、差し戻した。これにより、釈放された李副会長が再収監を受ける可能性が出ていた。) 今回の李副会長の謝罪は、自社内の遵法監視委員会の勧告があったとはいえ、裁判を意識したパフォーマンスにすぎないという意見が支配的だ。判決前の、世論向けのアピールという見方だ。実際、「経営権の問題と労組問題について具体的な取り組みについて説明がない以上、本当にサムスンは変わることができるのか疑わしい」という見方も広がっている。 李副会長個人は、巨額の税負担とそれを回避するために違法・不法行為にまで踏み込まざるをえない現実に嫌気がさしているのかもしれない。再収監の可能性も出ている今、ここまで踏み込んで謝罪したことには、相当な決意が必要だったに違いない』、「サムスン物産の大株主だった韓国・国民年金公団が合併に賛成するよう朴大統領に頼んだ。国民年金公団の賛成によって合併は成功」、酷い政治工作だ。なお、2021年1月/18日付けロイターは、「韓国サムスントップに懲役2年6月の実刑判決、再び収監」と伝えた。
https://jp.reuters.com/article/samsung-elec-heir-idJPL4N2JT1P5
・『集団経営体制にうまく移行できるか  とはいえ、「子どもには承継しない」という約束を本当に果たすことができるのか、疑問は残る。李副会長には2人の実子のほかに、2人の妹がいる。母親も健在だ。そして、父から子へ経営権を渡すことは、韓国人にとってあまりにも当然のことで、それ以外の方法はないと考えている人も少なくない。 サムスンは今後、プロ経営者による集団経営体制を目指すことになる。だが、創業以来、オーナー経営を続けてきた企業が突然、集団経営体制にうまく移行できるか大いに疑問だ。実際にサムスンをはじめ韓国の主要財閥は、オーナーの指示待ち経営者が少なくない。 さらに、もう1つの謝罪内容である「無労組経営」の本気度にも疑問符がつく。サムスンは創業以来、「管理のサムスン」と呼ばれ、それを誇ってきた。労働組合が結成されるような大きな労使問題はないほど、労使一体となってうまく経営しているという創業者の自負心からだった。労組が設立されるということは経営に過ちがあることを意味するため、労組の設立を容認できなかったとも言える。 韓国では1987年の民主化以降、労働者の権利も拡大し、主要財閥でも労組が相次いで設立された。この流れに反していたのがサムスンであり、これまで労組設立を執拗に妨害してきたことも事実だ。サムスンは労災などが絶えず、深刻な労使問題も発生させてきた。経営陣と激しくぶつかり、スト連発も辞さない労組は、今後のサムスンの経営にとって大きな不安材料となるだろう。 「サムスンの労使文化は時代の変化に合わせることができなかった。責任を痛感している。これまで労使問題で傷を負った方々に心から謝罪する」。李副会長の決意はこれまでのサムスンのあり方を根本から覆すことにもなりかねない難題だが、それは同時に韓国の財閥企業すべてに突きつけられた課題でもある』、「主要財閥でも労組が相次いで設立された。この流れに反していたのがサムスンであり、これまで労組設立を執拗に妨害してきたことも事実だ。サムスンは労災などが絶えず、深刻な労使問題も発生させてきた。経営陣と激しくぶつかり、スト連発も辞さない労組は、今後のサムスンの経営にとって大きな不安材料となるだろう」、「李副会長の決意はこれまでのサムスンのあり方を根本から覆すことにもなりかねない難題だが、それは同時に韓国の財閥企業すべてに突きつけられた課題でもある」、その通りだ。

次に、8月31日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したライターの船木春仁氏による「ロッテ創業者はなぜ事業承継に失敗したのか(前編)――“老害”がもたらした後継者の「疑心暗鬼」 ロッテを奪われた男・重光武雄~なぜ事業承継に失敗したのか(11)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/308809
・『日韓にまたがる巨大財閥、ロッテグループを創り上げた重光武雄。起業から韓国の5大財閥の一角にのし上がるまでの人生は、まさに「今太閤」を思わせる立身出世の歩みだった。しかし晩年は、二男のクーデターによって、後を託すはずだった長男への事業承継に失敗し、自らもまた実権を奪われ寂しい余生を強いられた。稀代の経営者も事業承継の失敗で晩節を汚すことになってしまったのである。周到な事業承継の準備を進めてきたにもかかわらず、なぜ武雄は承継に失敗したのか。そこからはいくつかの教訓が浮かび上がる』、「船木氏」は2020年11月以降、7回にわたって「ロッテ」問題を取上げてきたが、その集大成がこの記事と、次の記事である。
・『ロッテのクーデターから浮かび上がる「事業承継7つの教訓」  本連載第1回『魑魅魍魎のクーデターですべてを失った、ロッテ重光の「末路」』で紹介したように、重光武雄は事業承継の準備に無頓着だったわけではない。ロッテグループの巨大な事業基盤は韓国にあったが、グループの「総司令部」といえる持株会社や一族の資産管理会社は日本にあることから、武雄は若い頃から資本再編などを通じて事業承継の準備を重ねてきた。 その結果、武雄がたどり着いたのが、持株会社のトップには長男が就き、「日本事業は長男、韓国事業は二男」と棲み分ける形だった。ロッテグループの売上高(5兆~6兆円)のうち日本事業の売上高は1割にも満たない。「財閥」として君臨する韓国の基幹事業は二男に任せ、資本管理と日本事業は長男に任せる。 李氏朝鮮の貴族階級である「両班(ヤンバン)」出身の武雄にすれば、長男は戸主の座と祭祀(チェサ)を引き継ぎ、家長として一族を率いるかけがえのない存在だ。事業承継策はまさに儒教的な長子尊重と長子相続を軸とした当然のものと考えていたようだ。 直感的に見えて非常に緻密で思慮深い経営そのままに、事業承継においても丁寧な準備が行われてきたのである。 しかし、二男は父の承継策を諾とせず、クーデターによって持株会社の実権を奪った。長男は資産管理会社の筆頭株主として、まさに形だけのオーナーとしての立場に追いやられた。 この一連の過程を取材するなかから、私たちは事業承継について7つの教訓を得た。それは以下の通りだ。 教訓1 後継者指名を公の場で正式に行う 教訓2 後継候補が複数なら“継承順位”を明確にする 教訓3 後継のタイミングを見誤るな 教訓4 後継者に経営理念を継承せよ 教訓5 持株会社の多様な機能を活用せよ 教訓6 トップの専権事項にせず取締役会と議論せよ 教訓7 万全の備えを崩す“欠陥”を見逃すな そもそも事業承継は、経営の承継、資産の承継、相続という3つの課題を片づけることである。 1つ目の「経営の承継」は、いわゆる後継者問題であり、それは後継者の育成と決定という2つの課題から成る。「資産の承継」の課題も2つある。自社株の承継と事業用資産の承継だ。特に自社株の承継では、株主構成を最適化し、後継者決定とも絡んで「後継者への集中」という措置が必要になる。経営の承継において経営権と資産(自社株)の掌握は不即不離の課題である。 そして3つ目が「相続」だ。いわゆる相続税対策を盛り込んで財産の承継がよりスムーズに行われ、一族としての資産の目減りと分散を防ぎ、残された者への負担軽減と資本の集中を維持するために取り組まれる。 これら3つの課題を「抜かりなく」片づけることが事業承継の最大の目標である。どれか一つをクリアすればよいというものではない。だからこそ、時にはジャンルの異なる複数の専門家に助力を依頼する。これは町工場のような零細企業の事業承継でも大きくは変わらない。 こうした前提を確認した上で、私たちがロッテの兄弟の乱の取材から得た7つの教訓を一つずつ解説していく』、先に進もう。
・『はっきりと言ってくれなければ分からない  まずは、【教訓1】「後継者指名を公の場で正式に行う」である。 前述したように武雄は、長子相続という儒教的な考え方を持っていた。実際、資本再編において長男に多くの株式を配分したことからも、長男を後継者と考えていたのは間違いない。 だからこそ、武雄にすれば「後継者指名など今さら言うまでもないこと」と考えていたようだ。 とはいえ、後継決定に際して武雄が長男や二男をどのように評価し、それを本人たちへはもちろん、側近にさえ明らかにすることはなかった。側近が探りを入れても、「俺は考えているから」とはねつけ、臭わせることさえない。 しかしこれは、経営者としては後継指名を公の場で正式に行うという重要な役目を武雄は怠ったことになるのである。これが、長男も、二男も、共に疑心暗鬼に陥った原因であり、最大の失敗だった。 息子たちの「教育係」であった常務は、父から「お前が後継者なのだ」と明確に告げられることのなかった長男の心情を察しつつ、「社長はあなたを本気で次の社長にしようと思っているのですよ、と何度も伝えていた」と打ち明ける。すると長男は「ビックリしたような顔をした」とも語ったが、それはとりもなおさず、武雄が後継者本人にさえ後継の意向を明言していなかったことを示している。 事業承継で必ず問題になるのが兄弟間の対立であり、どちらが承継しても、承継できなかった側から不平は出るし、場合によっては衝突することも珍しくない。こうした問題を回避するには、2つのステップを踏む必要がある。 まず、「誰が後継者であるか」を親族内だけでなく社員や株主、取引先などステークホルダーに広く宣言しなければならない。 そのうえで、会社なり、事業なりで分割して、兄弟で分けるのである』、「側近が探りを入れても、「俺は考えているから」とはねつけ、臭わせることさえない。 しかしこれは、経営者としては後継指名を公の場で正式に行うという重要な役目を武雄は怠ったことになるのである。これが、長男も、二男も、共に疑心暗鬼に陥った原因であり、最大の失敗だった」、その通りだろう。
・『専制的ともいえる態度で差を付けることこそが合理だ  【教訓2】は「後継候補が複数なら“継承順位”を明確にする」である。 長男を後継者にと考えていた武雄は、二男のロッテグループの主導権への執着を感じ取り、それを牽制してきた。しかし一方で、長男と同じくらい二男も大切にしていたと思わせる事柄がある。それは、長男と二男の職位に上下の差を付けていなかったことだ。そのことを、教育係を命じられていた管理担当常務は、「武雄会長の最大の失敗は、兄弟に差を付けなかったことです」とつくづく悔やむ。 2人の息子は共にロッテホールディングスの取締役副会長に就いていた。もちろん会長の武雄が最高位のカリスマ的な存在であり、息子たちには最終決定権を与えず、しかもそれぞれが管轄する事業は日韓で分けていたから、兄弟は平等で、バランスも取れていると考えていたのだろう。しかし、この悪平等ともいえる人事そのものが兄弟対立の火種になったのは間違いない。 2人の息子は年子であり、同じ学校を卒業し、兄は日本の大学院、弟はアメリカの大学院を出て、結婚して子どもにも恵まれた。兄が長子相続の古い伝統意識を持つ父の寵愛を受けてはいるものの、それで兄が優越感を持つこともない。 「ならばいったい2人はなにが違い、どこに絶対的な差があるというのか」 弟がそのように考えてもなんらおかしくない。それはおそらく他の家族でもごくごく普通にあることだろう。「兄と弟の2人には差はないのだから、我こそはと名乗りを上げてなぜいけないのか」と考える人もいれば、「そもそも長子相続自体がナンセンスなのだから誰がリーダーに躍り出てもおかしくはないだろう」と考える人もいる。 その理屈や平等論の見地からの正否はともかく、事業承継という社員や組織にとっての大問題では、後継者候補が複数いて、しかもそれが親族同士の場合は、専制的ともいえる態度で“順位”を付けておかなければならない。これは、大企業での後継者育成プログラムにおける候補者選定とは違い、親族間での後継者たちの争いを防ぐための先人の知恵である。 下位継承者がその地位にとどまるか、はたまた下剋上を挑むかは、あくまで事業承継の手続きが完了してからのことである。前述したように、あくまで手続きの過程においては、誰が後継者かを公に明示したうえで、その後継者がどのような判断によって、あるいはどんな基準に基づいて選ばれたのかも公開してしかるべきである。 武雄は息子たちに、会社再建などの“宿題”を課したりすることで彼らの経営能力を見比べてきた。息子たちの人望や気質も熟知していた。だから、後継者指名を公にすることも、その判断基準を示すことも決して難しいことではなかったはずだ。 どのような理由であれ、武雄が決定理由と自分なりの判断基準を示せば、周囲は一も二もなく従っただろうし、ここまで事業承継がこじれることはなかっただろう。まさに、「ヒエラルキーなき事業承継は“争続”を誘引する」を地で行ったのがロッテである』、「どのような理由であれ、武雄が決定理由と自分なりの判断基準を示せば、周囲は一も二もなく従っただろうし、ここまで事業承継がこじれることはなかっただろう。まさに、「ヒエラルキーなき事業承継は“争続”を誘引する」を地で行ったのがロッテである」、確かに失敗例の典型だ。
・『あまりにも高齢で、もっと早く仕事を離れるべきだった  【教訓3】は「後継のタイミングを見誤るな」である。事業承継にあたってどんなに周到な準備をしても、それを実際に行うタイミングを間違えれば、準備したものがまったく意味をなさなくなることがある。 この点、武雄は、90歳を過ぎてもなおカリスマとして圧倒的な支配力を持っていた。事業承継の準備、体制は整えられていたが、その発動について武雄に具体的に進言できる人材はいなかったし、当然ながら諫言できる人材もいなかった。それはカリスマゆえの仕方がない事情である。しかし、だからこそ「早すぎる」と思えるぐらいに自身で承継のタイミングを決断することが重要になる。つまり、自らの老いを隠さず、真摯に向き合うべきなのである。 私たちは3つ目の教訓として「後継のタイミングを見誤るな」を抽出したが、実は、ロッテの事業承継においては、これこそが最も重要なポイントではなかったかと考えている。 人は誰もが歳を取る。歳を取ればこれまでやってこられたことができなくなっていく。「竈の灰まで自分のものだ」という強烈な執着心で企業を育ててきた創業者が引退するのは簡単なことではない。多くの場合、自身に引導を渡せるのは、自分自身しかいないからだ。「まだ自分はやれる」という思いに支配されている間は、事業承継はできない。しかし「老い」は、経営者の意思決定を鈍らせる。 武雄はどうだったか。武雄は自身の老いを受け入れられず、自身に引導を渡すことはできなかった。そのため、年齢と共に企業のガバナンスも揺らぎ始めた。失礼を承知で言えば、「長すぎた晩年」であったのだ。 そんな武雄の「隙」を突かれて起こったのが、二男によるクーデターだった。この連載でも、自らを実質的に馘首した二男や経営幹部とのやり取りが何度か紹介されているが、クーデター組が何度も口にしたのが「すでにお話しした」とか「ご自身では判断もおぼつかなく」といった言葉だ。簡単に言えば、武雄はすでにぼけていたと強調したかったのだ。 老子の教えにこんな言葉がある。 「富貴にして驕れば自らその咎を遺す。功遂げて身退くは天の道なり」 言わんとするのは、財産と地位ができて傲慢になれば、自ら災難を招くことになる。功なり名を遂げたなら身を引く。それが天の道である(道理にかなっている)ということである。(続く)』、「武雄は自身の老いを受け入れられず、自身に引導を渡すことはできなかった。そのため、年齢と共に企業のガバナンスも揺らぎ始めた。失礼を承知で言えば、「長すぎた晩年」であったのだ。 そんな武雄の「隙」を突かれて起こったのが、二男によるクーデターだった」、「財産と地位ができて傲慢になれば、自ら災難を招くことになる。功なり名を遂げたなら身を引く。それが天の道である・・・ということである』、その通りだ。

第三に、この続きを、10月5日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したライターの船木春仁氏による「ロッテ創業者はなぜ事業承継に失敗したのか(後編)――稲盛和夫と重光武雄の違いに見る「指南役」の優劣 ロッテを奪われた男・重光武雄~なぜ事業承継に失敗したのか(12)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/310610
・『2014年から15年にかけて引き起こされたロッテグループの経営権をめぐるクーデター、つまり二男が、後継者とされていた長男のすべての役職を解き、創業者である父さえも実質的に棚上げするという事件では、事業承継に関わるいくつかの教訓が導き出されている。私たちはそれを7つに集約したが、本連載第11回では、1つ目から3つ目までの教訓について紹介した。今回は、残りの4つについて解説していきたい』、先に進もう。
・『完璧な仕組みを準備しても、「人」から穴が開き始めてしまう   改めて7つの教訓とは次のようなものである。 教訓1 後継者指名を公の場で正式に行う 教訓2 後継候補が複数なら“継承順位”を明確にする 教訓3 後継のタイミングを見誤るな 教訓4 後継者に経営理念を継承せよ 教訓5 持株会社の多様な機能を活用せよ 教訓6 トップの専権事項にせず取締役会と議論せよ 教訓7 万全の備えを崩す“欠陥”を見逃すな ロッテ創業者の重光武雄は、長男を後継者とすべく資本の再編などの準備を整えてきた。それは、武雄が手掛ける事業同様に非常に緻密なものであったが、二男のクーデターによってすべてがひっくり返されてしまう。 武雄が準備した承継の仕組みは緻密で完璧に見えたが、それを執行する人間の心理を見誤っていた。事実、そこに思わぬ陥穽があり、それがクーデターを可能とし、事業承継の失敗につながったともいえる。 先に示した7つの教訓のうち「1」は、「後継者は長男であるというのは言わずもがなのこと」として長男にはもちろん、側近にも具体的な「指名活動」を行っていなかった武雄自身の手痛いミスに注目した教訓である。 「2」も、「1」に関連することであるが、複数の後継候補者がいる場合は、それが我が子であろうが他人であろうが、明確に後継順位を決め、開示しておくことが必要であるということだ。 いわゆる1位指名を受けなかった者が職場にとどまれば、軋轢なども生じるだろう。それが実子であれば、情けをかけたいところだが、たじろいではならない。後継者候補は企業価値を向上させる能力を備えているか、また経営の安定性、企業の継続性を最優先に考えて、その適性を判断することが、最大の使命であることを忘れてはならない。 「3」は、いつ後継者にバトンを渡すかという問題だ。実はロッテの事業承継では、これが最も大きな失敗であったともいえる。武雄がクーデターによってロッテホールディングス(HD)会長を解任され、名誉会長に祭り上げられたのは、武雄が94歳の時のことである。事ここに至るまで武雄は、明確にバトンを渡していなかったのだ。 ロッテグループのクーデター問題を追い、重光武雄について2冊の著書を上梓したフリーライターの松崎隆司は、2冊目の『経営者交代 ロッテ創業者はなぜ失敗したのか』で、アミューズメント関連事業大手のナムコ(現・バンダイナムコ)の創業者、中村雅哉に後継問題についてインタビューしたときの思い出を書き留めている。 取材時の中村は80歳を超えていたが、「これまで会社を創業し道を作ってきた人間からすると、間違った選択をしないようにするのが肝心」と語った。中村の後継指名で驚かされるのは、娘とは離婚した娘婿だということである。松崎は、「そんな血縁関係を乗り越えての判断だった。それだけ手塩にかけて育て、経営の力を認めてきた人物を後継指名したということであり、その経営判断の徹底した合理性に驚かされるのである」と書いている。 つまり経営とは、徹底した合理性の戦いであり、その最後の戦いが「事業承継」であるといえるのである』、「ナムコ」「創業者」が、「後継指名で驚かされるのは、娘とは離婚した娘婿だ」、「経営判断の徹底した合理性」には私も驚かされた。
・『経営理念を語り継がなければ会社は崩壊する  【教訓4】は「後継者に経営理念を継承せよ」である。 晩年の武雄は、2011年の東日本大震災をきっかけに韓国国内にとどまるようになり、日本にいることはなくなった。実はこの「地理的空白」が、二男によるクーデターを可能たらしめる突破口になった。 韓国にいる武雄は定期的な事業報告を受けるだけで、自身の目や耳で現場を確認することがなくなり、当時のロッテHDの社長でクーデター組の一人である佃孝之の報告を鵜呑みにしてしまうミスを犯した。生涯、現場主義を貫いた人間が、天災と事故で現場を離れたわずかな隙を突かれたのである。 さらに、人生の最晩年を迎えた創業者として、武雄はさらなる将来への展望を語り損ねた。「画竜点睛」の故事のごとく、事業承継の最後の「ピリオド」を打つことができなかった。それが自らの追放にもつながる一因になった。 これは武雄と旧知の間柄であった京セラの創業者、稲盛和夫が事業承継にあたって心を砕いた取り組みとは対照的だ。武雄は1989年の韓国ロッテワールドのオープニングセレモニーに稲盛を招き、稲盛もまた応じるなど深い親交があった。 特に84年、稲盛が日本電信電話公社(現・NTT)の独占状態にあった通信業界に競争原理を導入しようと第二電電(DDI=現・KDDI)を設立した際、武雄はいち早く出資要請に応じている。「日本はどうしてこんなに電気代と電話代が高いのだ」と武雄がこぼすのを側近たちは何度も聞いており、稲盛の挑戦に心からエールを送っていたのである。 京セラには、事業に向き合うための基本的な考え方をまとめた「京セラフィロソフィ」がある。常に事業の大義を問い、自ら企業経営が可能かを試そうとする基本指針であり、稲盛は、企業が持続的に発展していくために「思想の徹底した承継作業」が必要だと考えていた。稲盛が一線を退いた後も、後継者で社長、会長を務めた人物(相談役)が、会社設立50周年を前に稲盛に代わって京セラの創業の精神、京セラフィロソフィの必要性を訴え、同時に警鐘を鳴らす活動を続けていたほどである。 相談役の活動に対し、稲盛は、「『京セラフィロソフィ』が希薄化したとき、京セラの命運は尽きると繰り返し説き、なんとしても京セラフィロソフィを一般社員にまで広め、共有化しなければならない、しかもただ知っているだけではなく、自分のものとして実行に移していけるよう、まさに血肉化することがとても大切なのだと、ことあるごとに社員に語ってくれている」と感謝の言葉を惜しまない。 この相談役のような指南役としての役割を、武雄はロッテHD社長の佃に期待した。長男に事業を承継するための「中継ぎ」として佃を招聘したのは、後継者としての覚悟を持たせ、事業のなんたるかを教えてくれることを期待していたのだ。 「京セラフィロソフィ」を継承することへの稲盛の思い入れは生半可なものではない。だからこそ相談役のような人材も育つのだろうが、これは同時に、企業のフィロソフィや理念を後世に継承することがいかに困難な作業であるかを物語ってもいる。 大手銀行の役員から関連会社に天下り、晩年の最後の仕事としてロッテに招かれた佃は、京セラの相談役のような情熱も覚悟もなかった。武雄が彼に期待した「中継ぎ」の役目は果たされなかった。 武雄の失敗は、その状況を見抜けなかったことである。後継指導を託すことのできる人物がいないならば、後継者を自身の隣に置き、自ら語り、自分で自分にピリオドを打つ作業が不可欠だ。ただし、それは必要条件であって、それだけで継承が十分に行えるわけではない。 創業者と2世、2世と3世のそれぞれの個性は違い、従業員の見る目、評価も違う。だからこそ後継者は、自らを評価してもらえるやり方を必死になって考える。創業者と同じ振る舞いをすればよいというものではないし、反面教師というケースもあるが、いずれにせよその苦悩こそが事業承継における後継者育成のプロセスには不可欠なのである。 「息子といえども、娘といえども、ましてや他人は、自分とは違う」 創業者自身が、こうした徹底した自覚と覚悟を持って経営理念と経験をくどいほどに語り、後継者に腹落ちさせる努力を続けなければ承継は全うできない。 「武雄が最晩年にソウルで立て籠もらず、もう少し日韓を往復する生活を続けていられれば、ロッテの事業承継が台無しになることはなかった」と関係者が口を揃える通り、それが悔やまれてならないのだ』、「大手銀行の役員から関連会社に天下り、晩年の最後の仕事としてロッテに招かれた佃は、京セラの相談役のような情熱も覚悟もなかった。武雄が彼に期待した「中継ぎ」の役目は果たされなかった。 武雄の失敗は、その状況を見抜けなかったことである」、「佃」に「期待した「中継ぎ」の役目」、そもそも初めから無理がある。「その状況を見抜けなかった」とはお粗末だ。
・『不易流行の司令塔になり得るところに持株会社の本当の価値がある  【教訓5】は「持株会社の多様な機能を活用せよ」である。 日韓で約200社を展開するロッテグループの頂点に立つのは、日本にある持株会社ロッテHDだ。武雄は、グループの資本再構成と相続税対策の2つの視点から最終的な形として2007年に持株会社のロッテHDを設立した。 この持株会社の設立は、有能なスタッフを事業会社に振り分け、自立・自律的な経営を行わせる、いわゆる「企業の所有と経営の分離」を促すものでもあった。実際、武雄は、韓国内の事業においては、そのような形で成功を収めてきた。 タナベ経営の経営コンサルティング本部九州本部副本部長である中須悟は、その著作『ホールディング経営はなぜ事業承継の最強メソッドなのか』(ダイヤモンド社)で、「(ホールディング経営を導入することで)一貫した理念を受け継ぎながら、環境適応のスピード経営を実現する不易流行体制」を構築できると説いている。 「不易流行」は、俳人の松尾芭蕉が『おくの細道』の旅の過程で見出した芭蕉風俳諧の理念の一つで、それは、「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」と説明されている。これは、「不易」すなわち変わらないものを基本にしつつ、状況に応じて「流行」すなわち変わるものを取り入れながら柔軟に変わっていく重要さを説いている。 これは企業マネジメントにも通じ、中須は「経営者の哲学に近い経営理念という思想を不易なものとして受け継ぎながら、次代の経営者は新たなビジネスモデルを打ち出して革新していかなければならない」と指摘した。そのうえで、不易流行体制を構築するのに有効なのが「ホールディング経営モデル」だと強調する。 つまり一貫した経営理念や不易の価値判断はホールディングカンパニー(HDC)がヘッドクォーターとして継承し続け、環境に適応したスピード経営という「流行」の領域はHDC傘下の事業会社が受け持つのである。 残念ながらロッテHDにおいては、資本と相続の管理に重点が置かれたままとなり、中須が指摘するようなHDカンパニーの多様な機能を醸成させ、活用するには至らなかった。 さらにHDカンパニーは、「企業の所有と経営の分離」を促すものでもあるが、その際、自律的な経営をめざす事業会社がグループの枠組みから逸脱するリスクもはらんでいる。いわば遠心力と求心力の二律背反を調整するのもHDカンパニーの重要な機能で、それは「内部統制」という言葉で表現される。 武雄もまた、自身の経営哲学を継承して実践している長男を中心とするロッテHDの取締役会がグループ全体の内部統制を担い、グループの事業会社には自律的な経営を促す姿をイメージしていたのは明らかだ。だからこそ、「日本は長男、韓国は二男」と事業を棲み分け、互いが自由に動ける体制を創った。 しかし、これだけで二男を満足させることはできなかった。HDカンパニーが担うガバナンスや機能の多様性について、すべての関係者に咀嚼され、腹に落ちる理解になっていなかったともいえる』、「ロッテHDにおいては、資本と相続の管理に重点が置かれたままとなり、中須が指摘するようなHDカンパニーの多様な機能を醸成させ、活用するには至らなかった。 さらにHDカンパニーは、「企業の所有と経営の分離」を促すものでもあるが、その際、自律的な経営をめざす事業会社がグループの枠組みから逸脱するリスクもはらんでいる。いわば遠心力と求心力の二律背反を調整するのもHDカンパニーの重要な機能で、それは「内部統制」という言葉で表現される」、「HDカンパニーが担うガバナンスや機能の多様性について、すべての関係者に咀嚼され、腹に落ちる理解になっていなかったともいえる」、なるほど。
・『後継問題に対する活発な議論が、取締役を鍛える  【教訓6】は「トップの専権事項にせず取締役会と議論せよ」である。 武雄の側近によると、創業当初から日本ロッテの取締役会は名ばかりのもので、1986年に管理担当常務の奮闘で初めて本格的な取締役会が開かれたという。現代ならば、「ガバナンスの欠如!」と批判を浴びることだろうが、戦後に起業してオーナーがカリスマ的な力を持っているような会社はロッテと同じ状況で、取締役会など無きに等しかった。 それは同時に、カリスマ経営者には他者の諫言など通じないということを意味する。 そもそもカリスマとは、「超人間的・非日常的な資質」(『広辞苑』)である。天賦の才としてそれを備えたカリスマ経営者は、武雄に限らず経営においては独断専行の専制君主となりがちだ。 ロッテにおいても、長男はカリスマたる父の鬼才的マーケティングセンスとリーダーシップに圧倒されつつも、それを組織と人の団結で合理的にカバーしようと試みていた。一方、MBA保持者である二男は、父の専制型の経営スタイルを引き継ごうとした。 長男の取り組みは、取締役会のガバナンス機能が強まれば強まるほど初期の狙い通りの力を発揮してくるだろうし、二男の取り組みでもやはり取締役会のガバナンス機能が強まらなければ専制と暴走を生み出してしまうことになる。いずれにしても経営者としては冷静で合理的な発想で取締役会を強化しなければならない。 プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)CEOを9年間務め、同社の後継者育成プログラムの充実に力を注いだことで知られるアラン・G・ラフリーは、『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌に寄せた論文で、「CEO交代は取締役会に実力向上を迫る」という教訓を紹介している(*)。CEO交代への備えを厳正に、包括的に、時間をかけて行うと、取締役会がCEOと協力しながら仕事をする力が高まり、取締役会と経営チームの関係が強まる、というのである。 彼はこうも語っている。 「P&Gで気づいたのは、長い期間をかけて後継CEO選びをする手法によって本当の効果を引き出すには、取締役同士、そして取締役とCEOが、胸襟を開いて活発に協議、検討、討論を行うことである」 つまり後継者育成や指名という経営課題そのものをあえて社内の議論の俎上に載せることで、少なくとも取締役会の機能強化につながったというのだ。 これは親族だけで経営しているような会社にも重要な示唆がある。事業承継をめぐる議論を、創業者や社長の胸の内にとどめず、日常的な話題として議論を繰り返していくことが大事なのだ。それによって先述した経営理念の承継や後継者に必要な能力について誰もが理解するようになるし、後継者指名や後継順位などもしっかりと浸透させられる。 *「P&Gに学ぶ:正しいCEOの選び方」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2011年10月号)』、「親族だけで経営しているような会社にも重要な示唆がある。事業承継をめぐる議論を、創業者や社長の胸の内にとどめず、日常的な話題として議論を繰り返していくことが大事なのだ。それによって先述した経営理念の承継や後継者に必要な能力について誰もが理解するようになるし、後継者指名や後継順位などもしっかりと浸透させられる」、その通りなのだろう。
・『鉄壁も小さな瑕疵で崩れ、経営者の生殺与奪につながる  【教訓7】は「万全の備えを崩す“欠陥”を見逃すな」である。 ロッテグループのクーデター劇で最も驚かされるのは、二男を軸とするクーデター組がロッテHDの株式の過半数を握っていなかったにもかかわらず経営権の奪取に成功したことだ。 議決権ベースでは二男の保有割合は4.64%、役員持株会が6.67%、関係会社15.60%の合計26.91%でしかない。この株式数では本来は、株主総会で議決権の過半数の賛成が必要な取締役の解任はできない。しかしそれを可能にしたのが、従業員持株会の存在だった。従業員持株会はロッテHD株式の31.06%(議決権ベース)を所有している。 ロッテHDの取締役を解任されてからも長男は、毎年の株主総会で自らを取締役に選任すべきとする株主提案を続けているが、否決され続けている。その理由も、従業員持株会の投票(議決権)が否決に投じられているからである。 ロッテに従業員持株会ができたのは1985年のことだが、当初、武雄は、設立を躊躇していた。というのも82年に起きた三越の岡田茂社長が解職されるクーデターで、労働組合が深く関与していたことに大きな危機感を持っていたからである。保有株式が自分の手から離れることを強く警戒していた。 しかし結局は、側近の説得により自身が保有していたロッテの株式の27.75%(議決権ベースで31.06%)を移譲した。 このとき、武雄の不安を忖度した側近は、持株会の議決権行使に対する対策として「権限を持株会の理事長に一任し、会員や理事長は武雄自身が選べる」という仕組みを創った。この仕組みは、武雄がしっかりと人事権を握っているときはなんらトラブルのタネにはならないが、ひとたび武雄から人事権を奪ってしまえば議決を左右する“浮動株”が生まれることになる。 武雄が、高齢で日韓を往復して経営ににらみを利かせられなくなったことを改めて思い起こしてほしい。ソウルの自室に籠もっている間に、従業員持株会の理事長には二男らの息のかかった人物が登用され、クーデターの突破口が開かれたのだ。 つまり、完璧と思われた仕組みを見事に逆手に取られてしまった。従業員持株会の保有株式がキャスティングボートを握る一方で、それが「理事長一任」という持株会会員の総意を反映せずに都合のよいように使われる状態のままである限り、大株主であっても長男の取締役就任議案が可決されることはないだろう。 敵対的買収など、外部からの攻撃を防ぎ、経営支配権を固守する鉄壁が、内部からの攻撃にいともたやすく陥落し、本来守るはずだった“城主”を排除する武器となったのである。まさに両刃の剣であり、鉄壁に開いていた穴である。 万全と思われた備えが、かくも小さな瑕疵で崩れ去り、経営者の生殺与奪権を握る存在となることもあるということを肝に銘じなければならない』、「武雄が・・・ソウルの自室に籠もっている間に、従業員持株会の理事長には二男らの息のかかった人物が登用され、クーデターの突破口が開かれたのだ。 つまり、完璧と思われた仕組みを見事に逆手に取られてしまった」、恐ろしいことだ。 
・『武雄の友人であった京セラの稲盛和夫の語録に、「おもしろくもない人生に耐える経営者でなければ従業員も幸せにできないし、株主もお客様も幸せにできない」という言葉がある。自虐めいているように思えるが、実は戒めの思いを込めた言葉だ。 経営で成功して自分の人生が楽しく、愉快になり、もっと面白い人生を送りたいと思うのは間違いで、人生をエンジョイするような経営者は、周囲の者を幸せにできない、というのである。「勝って兜の緒を締めよ」である。 そして稲盛は、次のように言葉を続ける。 「経営者とは、成功すればするほど、おもしろくもおかしくもない、くそ真面目な経営でなければ、企業を伸ばし、周辺の人たちをよくしてあげられない」  経営の神髄は、論理を越えた領域で見えてくるものなのだ。だから、経営者はくそ真面目に取り組め、という教訓である。事業の発展においても、承継においても、最も大事にしなければならない姿勢なのである』、「経営の神髄は、論理を越えた領域で見えてくるものなのだ。だから、経営者はくそ真面目に取り組め、という教訓(稲盛和夫)」、自分のような凡人には「おもしろくもない人生に耐える」ことは到底無理だ。
タグ:東洋経済オンライン「サムスンのトップ、「世襲決別宣言」の背景事情 実刑判決回避を狙ったパフォーマンスなのか」 韓国(財閥問題) (その5)(サムスンのトップ、「世襲決別宣言」の背景事情 実刑判決回避を狙ったパフォーマンスなのか、ロッテ創業者はなぜ事業承継に失敗したのか(前編)――“老害”がもたらした後継者の「疑心暗鬼」 ロッテを奪われた男・重光武雄~なぜ事業承継に失敗したのか(11)、ロッテ創業者はなぜ事業承継に失敗したのか(後編)――稲盛和夫と重光武雄の違いに見る「指南役」の優劣 ロッテを奪われた男・重光武雄~なぜ事業承継に失敗したのか(12)) 「李一族が経営権を保有し続けるためには、他の大株主との調整や保有株主にかかる相続税負担などを解決する必要があった。そのために政治の手を借りざるをえなくなり、李副会長が朴大統領にそれを求めたことで結局、贈収賄や横領などの罪で李副会長は逮捕、起訴されてしまった」、「政治の手を借りざるをえなくなり」、というのは民間企業にあるまじき酷さだ。 「サムスン物産の大株主だった韓国・国民年金公団が合併に賛成するよう朴大統領に頼んだ。国民年金公団の賛成によって合併は成功」、酷い政治工作だ。なお、2021年1月/18日付けロイターは、「韓国サムスントップに懲役2年6月の実刑判決、再び収監」と伝えた。 https://jp.reuters.com/article/samsung-elec-heir-idJPL4N2JT1P5 「主要財閥でも労組が相次いで設立された。この流れに反していたのがサムスンであり、これまで労組設立を執拗に妨害してきたことも事実だ。サムスンは労災などが絶えず、深刻な労使問題も発生させてきた。経営陣と激しくぶつかり、スト連発も辞さない労組は、今後のサムスンの経営にとって大きな不安材料となるだろう」、「李副会長の決意はこれまでのサムスンのあり方を根本から覆すことにもなりかねない難題だが、それは同時に韓国の財閥企業すべてに突きつけられた課題でもある」、その通りだ。 ダイヤモンド・オンライン 船木春仁氏による「ロッテ創業者はなぜ事業承継に失敗したのか(前編)――“老害”がもたらした後継者の「疑心暗鬼」 ロッテを奪われた男・重光武雄~なぜ事業承継に失敗したのか(11)」 「船木氏」は2020年11月以降、7回にわたって「ロッテ」問題を取上げてきたが、その集大成がこの記事と、次の記事である。 教訓1 後継者指名を公の場で正式に行う 教訓2 後継候補が複数なら“継承順位”を明確にする 教訓3 後継のタイミングを見誤るな 教訓4 後継者に経営理念を継承せよ 教訓5 持株会社の多様な機能を活用せよ 教訓6 トップの専権事項にせず取締役会と議論せよ 教訓7 万全の備えを崩す“欠陥”を見逃すな 「側近が探りを入れても、「俺は考えているから」とはねつけ、臭わせることさえない。 しかしこれは、経営者としては後継指名を公の場で正式に行うという重要な役目を武雄は怠ったことになるのである。これが、長男も、二男も、共に疑心暗鬼に陥った原因であり、最大の失敗だった」、その通りだろう。 「どのような理由であれ、武雄が決定理由と自分なりの判断基準を示せば、周囲は一も二もなく従っただろうし、ここまで事業承継がこじれることはなかっただろう。まさに、「ヒエラルキーなき事業承継は“争続”を誘引する」を地で行ったのがロッテである」、確かに失敗例の典型だ。 「武雄は自身の老いを受け入れられず、自身に引導を渡すことはできなかった。そのため、年齢と共に企業のガバナンスも揺らぎ始めた。失礼を承知で言えば、「長すぎた晩年」であったのだ。 そんな武雄の「隙」を突かれて起こったのが、二男によるクーデターだった」、「財産と地位ができて傲慢になれば、自ら災難を招くことになる。功なり名を遂げたなら身を引く。それが天の道である・・・ということである』、その通りだ。 船木春仁氏による「ロッテ創業者はなぜ事業承継に失敗したのか(後編)――稲盛和夫と重光武雄の違いに見る「指南役」の優劣 ロッテを奪われた男・重光武雄~なぜ事業承継に失敗したのか(12)」 「ナムコ」「創業者」が、「後継指名で驚かされるのは、娘とは離婚した娘婿だ」、「経営判断の徹底した合理性」には私も驚かされた。 「大手銀行の役員から関連会社に天下り、晩年の最後の仕事としてロッテに招かれた佃は、京セラの相談役のような情熱も覚悟もなかった。武雄が彼に期待した「中継ぎ」の役目は果たされなかった。 武雄の失敗は、その状況を見抜けなかったことである」、「佃」に「期待した「中継ぎ」の役目」、そもそも初めから無理がある。「その状況を見抜けなかった」とはお粗末だ。 「ロッテHDにおいては、資本と相続の管理に重点が置かれたままとなり、中須が指摘するようなHDカンパニーの多様な機能を醸成させ、活用するには至らなかった。 さらにHDカンパニーは、「企業の所有と経営の分離」を促すものでもあるが、その際、自律的な経営をめざす事業会社がグループの枠組みから逸脱するリスクもはらんでいる。いわば遠心力と求心力の二律背反を調整するのもHDカンパニーの重要な機能で、それは「内部統制」という言葉で表現される」、 「HDカンパニーが担うガバナンスや機能の多様性について、すべての関係者に咀嚼され、腹に落ちる理解になっていなかったともいえる」、なるほど。 「親族だけで経営しているような会社にも重要な示唆がある。事業承継をめぐる議論を、創業者や社長の胸の内にとどめず、日常的な話題として議論を繰り返していくことが大事なのだ。それによって先述した経営理念の承継や後継者に必要な能力について誰もが理解するようになるし、後継者指名や後継順位などもしっかりと浸透させられる」、その通りなのだろう。 「武雄が・・・ソウルの自室に籠もっている間に、従業員持株会の理事長には二男らの息のかかった人物が登用され、クーデターの突破口が開かれたのだ。 つまり、完璧と思われた仕組みを見事に逆手に取られてしまった」、恐ろしいことだ。 「経営の神髄は、論理を越えた領域で見えてくるものなのだ。だから、経営者はくそ真面目に取り組め、という教訓(稲盛和夫)」、自分のような凡人には「おもしろくもない人生に耐える」ことは到底無理だ。
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