LIXIL問題(その3)(『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より4題:「4日後に辞めてもらうことになりました」リクシル社長に突然すぎる“クビ宣告”…日本有数の大企業で起きた“疑惑の社長交代劇”、「僕は会食で辞意なんか告げていません」世間が注目した“リクシルお家騒動”の裏で…取締役会を手なずけた“創業家のウソ”、「今回の社長交代には納得できない」リクシルを追われた“プロ経営者”が創業家と全面戦争へ…CEO復帰を明言した“逆襲の記者会見”、「これで『100倍返し』をしてやった」“お家騒動中 [企業経営]
LIXIL問題については、2019年6月17日に取上げた。今日は、(その3)(『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より4題:「4日後に辞めてもらうことになりました」リクシル社長に突然すぎる“クビ宣告”…日本有数の大企業で起きた“疑惑の社長交代劇”、「僕は会食で辞意なんか告げていません」世間が注目した“リクシルお家騒動”の裏で…取締役会を手なずけた“創業家のウソ”、「今回の社長交代には納得できない」リクシルを追われた“プロ経営者”が創業家と全面戦争へ…CEO復帰を明言した“逆襲の記者会見”、「これで『100倍返し』をしてやった」“お家騒動中”のリクシルが取締役辞任を電撃発表…プロ経営者を追い込む“創業家のシナリオ”)である。
先ずは、本年6月24日付け文春オンライン「「4日後に辞めてもらうことになりました」リクシル社長に突然すぎる“クビ宣告”…日本有数の大企業で起きた“疑惑の社長交代劇” 『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #1」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/54681
・『2018年10月31日、LIXILグループ(現LIXIL)は突如として瀬戸欣哉社長兼CEOの退任と、創業家出身の潮田洋一郎取締役の会長兼CEO復帰を発表。外部から招へいした「プロ経営者」の瀬戸氏を創業家が追い出す形となった。しかし2019年6月25日、会社側に戦いを挑んだ瀬戸氏が株主総会で勝利し、社長兼CEOに“復活”する。 ここでは、一連の社長交代劇の裏側に迫ったジャーナリスト・秋場大輔氏の著書『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』(文藝春秋)から一部を抜粋。瀬戸氏が社長退任を告げられた経緯とLIXILグループの内部事情を紹介する。(全4回の1回目/2回目に続く)』、信じられないような事件だが、興味深そうだ。
・『ローマを訪問したLIXILグループ社長兼CEOの瀬戸欣哉 10月のローマは気温が東京とほぼ同じで湿度は低い。旅行のベストシーズンといわれるそんな時期に、LIXILグループ(現LIXIL)社長兼CEO(最高経営責任者)の瀬戸欣哉は仕事で訪れていた。2018年のことだ。 新型コロナウイルスが全世界で猛威を振るう前まで、瀬戸は月の3分の1、多い時は半分くらいを海外で過ごし、各地に散らばるLIXILグループの経営幹部と話し合う日々を送っていた。今回のローマ訪問はカーテンウォールを手がける子会社、ペルマスティリーザの社長であるリカルド・モロと面談するのが目的だ。 一般に大企業トップの海外出張には経営幹部や秘書といった帯同者がいるものだが、瀬戸はほとんど1人で行動する。今の時代、たくさんの部下を引き連れて大名旅行のような出張をするのは時代錯誤と考えるからだが、他にも理由があった。1人になれるからだ。 瀬戸は会社の実情を細部に至るまで可能な限り自分で把握したいと考えるタイプの経営者である。必要と思えば昼夜を問わず幹部に電話をかけたり、メールをしたりして、情報を吸い上げる。手を尽くして集めたものを頭の中で整理し、考え抜いて経営の方向性を示す。決断はできる限り早く、間違いだと気づけば修正する。時間をかけるのは悪だとすら考える合理主義者だ。 経営者には連日会食の予定を入れて人脈を広げることが仕事の1つと思う人も少なくない。しかし瀬戸は考える時間の方が大事だと思っているから、親睦を深めるぐらいの意味しか持たない会食はなるべく避ける。床に着くのは夜10時くらい。平均睡眠時間は7、8時間とやや長めで、朝5時には起きる。それから1時間ほどかけて、その日にやるべきことの優先順位を付け、仕事に取り掛かる。休日は家族団欒を優先するのでゴルフはしない。) こうしてみると公私のメリハリが相当ついているようにみえるが、それでも日本に居れば次から次へと課題が持ち上がり、自由な時間を作るのは難しい。だから海外出張をした時には、わざと「空白の1日」を作るようにしていた。海外に4日間滞在するという日程を組んでいれば、5日間にするといった具合である。むろん平日に休暇を取るわけにはいかないので、日程は週末を絡めるようにする。 「空白の1日」は誰にも居場所を知らせず、自分で予約を入れ、投宿したホテルで1日中本を読み耽ったり、見損ねていた映画を鑑賞したりする。リフレッシュをして再び仕事に臨むのに、帯同者がいることはかえって不便。だから可能な限り単独行動を取るようにしていた』、「考える時間の方が大事だと思っているから、親睦を深めるぐらいの意味しか持たない会食はなるべく避ける」、徹底した合理主義者のようだ。「海外出張」時に「空白の1日」をつくるとは上手いやり方だ。
・『突然スマートフォンが鳴り「瀬戸さん、急な話だけれど……」 2018年10月27日土曜日は、この空白の1日だった。カラッと晴れたローマにあるホテルで朝食をゆっくり取り、食後にカプチーノを飲みながら、「今日はどの本を読むかな」などと考えていた時、突然スマートフォンが鳴った。電話の主はLIXILグループ取締役会議長の潮田洋一郎だった。 「瀬戸さん、急な話だけれど指名委員会の総意で、あなたには辞めてもらうことになりました。交代の発表は4日後の10月31日です。後は私と(社外取締役の)山梨(広一)さんがやりますから」 潮田は抑揚のない話し方をする。この時もそうだった。藪から棒で、衝撃的な話を落ちついた声で伝えられるのはかえって不気味である。瀬戸の休日モードは一気に吹き飛んだ。 〈辞めろ? 指名委員会の総意? 交代発表は4日後? どういうことだ?〉 潮田とは1週間前、赤坂にあるザ・キャピトルホテル東急で会食をしたばかりだった。その場で自分の人事については話題にもならなかった。 会食には瀬戸と潮田、エグゼクティブの人材紹介を手がけるJ社の社長がいた。Jの社長は潮田と付き合いが長く、LIXILグループ幹部にはJの紹介で入社した人も少なくない。なにより瀬戸のLIXILグループ入りを仲介したのもこの人物である。3人には共通項があって、全員が東京大学経済学部土屋守章ゼミのOBだった。 食事が終わると潮田とJの社長はホテルにあるバーへ消えていった。そこで潮田と軽く飲んだJの社長はその後、瀬戸に電話を掛けてきて、「潮田さんの話を聞いた印象だけれど、瀬戸さんは長期政権になると思ったよ」と告げた。約1週間前にそんなやり取りすらあったというのに、潮田は電話で「辞めてもらう」と言った。 ローマで受けた電話で仰天したことは他にもあった。それまで瀬戸はCEOの人事権を事実上握る指名委員会のメンバーと良い関係が築けていると思っていたが、潮田は電話で、「辞めてもらうのは指名委員会の総意だ」と言った』、「ローマ」での「空白の1日」に辞任を宣告されたとはさぞかし驚いたことだろう。
・『取り付く島がない潮田と食い下がる瀬戸 「本当に指名委員会の総意なんですか」 しばらくの沈黙を経て瀬戸は潮田に二度同じことを尋ねたが、潮田は「ええ。指名委員会の総意です」と言った。取り付く島がないことはわかったが、それでもこう食い下がった。 「中期経営計画がスタートしたのはこの4月です。わずか半年で辞めるなんて無茶ですよ。しかも4日後なんて従業員に説明がつかないし、そもそも株価が暴落します」 しかし潮田は何度も「指名委員会で機関決定したのだから仕方がないでしょう」としか言わず、電話を切った。瀬戸はひとまずカップに残っていたカプチーノを一気に飲み干した。本場の味を楽しむつもりで注文したが、すっかり冷めている。美味いはずがない。レストランには休日の朝を楽しむ観光客の声が響き渡っていたが、その中で一人、瀬戸は瞬きもせず、窓の外をじっと見つめた』、「4日後」に辞めさせられるとは本当に急な話だ。
・『巨大メーカーの誕生 LIXILグループはサッシやトイレといった住宅設備機器を手がける国内最大のメーカーである。傘下に約270社のグループ会社を抱え、150以上の国と地域で商品やサービスを提供している。2022年3月期の売上高は1兆4285億円、従業員は全世界で約6万人にのぼる。 公表している会社の歩みを見ると、同社は2011年、トステムとINAX、新日軽、サンウエーブ工業、東洋エクステリアが一緒になって誕生した会社となっている。一度に5社が統合して、巨大住設機器メーカーが誕生したという印象を与えるが、厳密にはいくつかの段階を経ている。 まずは遡ること10年前の2001年、サッシや窓、シャッターなどを製造・販売するトステムと、トイレや洗面器などを手がけるINAXが経営統合し、INAXトステム・ホールディングス(HD)が誕生した。 INAXトステムHDは2004年、住生活グループに社名を変更している。潮田の父親で、1949年にトステムの前身である日本建具工業を設立、当時はINAXトステムHDの会長だった潮田健次郎の意向によるものだった。健次郎は住宅関連商材を総合的に取り扱う会社という意味を新社名に込めたが、住宅関連以外にも手を出すといった野放図な多角化はしないという含意もあったといわれる。 住生活グループは2010年にシステムキッチンやシステムバスなどを製造・販売していたサンウエーブ工業とサッシ大手の新日軽を傘下に収め、健次郎が社名に込めた思いはさらに具体化した。残る東洋エクステリアはもともとトステムの関連会社として1974年に誕生した会社で、2000年に完全子会社となっている。つまりLIXILグループの中核となっているのはトステムとINAXで、そこにサンウエーブ工業と新日軽、東洋エクステリアがくっ付いていると理解した方が分かりやすい。 2021年に複数回にわたる情報システムトラブルで経営トップが辞任に追い込まれたみずほフィナンシャルグループは、同じメガバンクの三井住友フィナンシャルグループや三菱UFJフィナンシャルグループの後塵を拝し、常に業界3位に甘んじている。原因の1つは、みずほの母体となっている日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行出身者に旧行意識があるからといわれる。それを踏まえるとLIXILグループは5社のDNAが混ざり、せめぎ合っている会社と映るかもしれないが、歴史的な経緯もあって実際に残っているのはトステムとINAXの企業カルチャーだけである』、「実際に残っているのはトステムとINAXの企業カルチャーだけ」、そんなものだろう。
・『トステムとINAXの経営統合の裏側 もっとも中核であるトステムとINAXの力関係は対等とは言いがたかった。それは2001年の経営統合の形態をみるとわかる。表向きはHDの傘下にトステムとINAXがぶら下がる形になっているが、統合するにあたってHDを新設したのではなく、トステムがHDの母体で、ぶら下がったトステムは新設された企業体である。だから経営統合はしたものの買収企業はあくまでトステムで、INAXは被買収企業だった。 健次郎の自叙伝ともいえる『熱意力闘』(日本経済新聞出版社刊)には当時の経緯が描かれている。 INAX創業家出身の2代目社長で中興の祖と呼ばれ、当時会長だった伊奈輝三が2000年11月、健次郎に電話をかけ、面会を申し入れた。輝三がINAXの本社があった愛知県常滑市から単身で東京にあるトステム本社にやってくるというので、健次郎も1人で応対。すると輝三はいきなり「両社が一緒になってはどうでしょうか」と提案した。 健次郎は、それまで深い付き合いがあったわけでもなかった輝三の急な申し出にひどく驚いたが、その場で同意し、経営統合は事実上1時間足らずで決まった。その際、輝三は株式の統合比率やトップ人事などに一切の前提条件を付けなかった。健次郎は『熱意力闘』の中で、「あれほどの優良企業がと思うと、今も不思議な気がする」と記している。 この経営統合について、当時を知る関係者は大概こう言う。 「もともとトステムは業界6位だったが、営業の猛者たちが片っ端から商談を成立させてトップにのし上がった会社。一方、INAXは争いを好まない、お公家さん集団のような会社だった。企業体質が全く異なる2社の経営統合は驚きで、獰猛なトステムにおっとりしたINAXは飲み込まれてしまうんだろうなあと思った」 企業体質の違いはその後のLIXILグループの権力構造に如実に現れている。瀬戸が潮田からの突然の電話で辞任を迫られた2018年10月時点の取締役の構成をみると分かりやすい。総勢12人のうちトステム出身者は潮田を含めて4人、対するINAX出身者は創業家出身の伊奈啓一郎と、INAX最後の社長だった川本隆一の2人しかいない。 残る6人のうち1人は瀬戸。あとの5人はコンサルタント会社マッキンゼー・アンドカンパニー出身の山梨広一、元警察庁長官の吉村博人、作家の幸田真音、英国経営者協会元会長のバーバラ・ジャッジ、公認会計士の川口勉。いずれも潮田の要請を受けて社外取締役に就いた人たちだ。) LIXILグループは指名委員会等設置会社で、潮田と山梨、吉村、幸田、バーバラの5人がCEOの人事権を事実上握る指名委員。取締役のうち瀬戸と伊奈、川本を除く9人は濃淡こそあれ潮田に近い人物である。圧倒的にトステム系が多く、もしINAXとの間で争い事が起きれば、必ずトステムの主張が通るようになっていた』、「「もともとトステムは業界6位だったが、営業の猛者たちが片っ端から商談を成立させてトップにのし上がった会社。一方、INAXは争いを好まない、お公家さん集団のような会社だった。企業体質が全く異なる2社の経営統合は驚きで、獰猛なトステムにおっとりしたINAXは飲み込まれてしまうんだろうなあと思った」」、「INAX]のような無欲な会社があったこと自体が驚きだ。
・『怪しかったLIXILのコーポレートガバナンスの実情 指名委員会等設置会社について説明する必要があるだろう。 日本企業は長らく取締役が経営の「執行」と「監督」を兼任してきたため、株主の視点から経営されることが少なかったと指摘される。しかし、これからは株主の利益を重視した経営をするべきだとして、2015年にコーポレートガバナンス・コードが定められた。 日本語で企業統治と訳されるコーポレートガバナンスが最も機能する仕組みは指名委員会等設置会社だといわれる。株式会社は「所有(株主)」と「経営」が分離されていて、株主の負託に経営が応える形になっているが、指名委員会等設置会社は経営をさらに「執行」と「監督」に分離しており、業務は執行に委ね、それを取締役会が監督することになっている。執行が合理的で適正な経営判断をしているのかを取締役が監督し、株主の負託に応えるという建て付けだ。 LIXILグループがこの指名委員会等設置会社となったのは2011年。日本でコーポレートガバナンス・コードが導入されるより前だったこともあり、「コーポレートガバナンスの優等生」と呼ばれたが、実情はかなり怪しいものだった。 瀬戸に「指名委員会の総意で辞めてもらう」という電話をかけた潮田はLIXILグループの発行済み株式の約3%しか所有していない少数株主である。会社に顔を出すことは滅多になく、月の半分以上をシンガポールで過ごし、そこで骨董品を集めたり、プロの声楽家を呼んで発声練習をしたりする悠々自適の生活を送っていた。 しかし実質的にCEOを選任する機能を持つ指名委員会や取締役会のメンバーを自分に近い人材で固めているため、思い通りにならなければ経営トップのクビを飛ばすことができる。表向きは指名委員会等設置会社だが、実際はわずかばかりの株式しか持たない潮田がオーナーとして振る舞ういびつな会社というのがLIXILグループで、瀬戸への電話は絶対権力者の最後通牒と言えた』、「表向きは指名委員会等設置会社だが、実際はわずかばかりの株式しか持たない潮田がオーナーとして振る舞ういびつな会社というのがLIXILグループ」、なるほど。
次に、6月24日付け文春オンライン「「僕は会食で辞意なんか告げていません」世間が注目した“リクシルお家騒動”の裏で…取締役会を手なずけた“創業家のウソ” 『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/54682
・『2018年10月31日、LIXILグループ(現LIXIL)は突如として瀬戸欣哉社長兼CEOの退任と、創業家出身の潮田洋一郎取締役の会長兼CEO復帰を発表。外部から招へいした「プロ経営者」の瀬戸氏を創業家が追い出す形となった。しかし2019年6月25日、会社側に戦いを挑んだ瀬戸氏が株主総会で勝利し、社長兼CEOに“復活”する。 ここでは、一連の社長交代劇の裏側に迫ったジャーナリスト・秋場大輔氏の著書『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』(文藝春秋)から一部を抜粋。2018年10月31日、取締役会を終えたLIXILグループは記者会見を開き、瀬戸氏の社長兼CEO退任と、山梨広一社外取締役の社長兼COO就任、潮田氏の会長兼CEO復帰を公表。瀬戸氏はその直後、自らを退任に追い込んだ潮田氏の“暗躍”を知ることになる――。(全4回の2回目/1回目から続く)』、興味深そうだ。
・『瀬戸退任が決議された取締役会では…… 記者会見とアナリスト説明会を終えた瀬戸はその日の夜、簡単な夕食を取りながら長かった1日を振り返っていた。 取締役会の直前に伊奈啓一郎と川本隆一、川口勉を見かけた。3人は瀬戸の退任に一様に驚いていて、取締役会では疑義を唱えることを約束してくれた。しかし実際に異議を唱えたのは伊奈と川本の2人だけで、その主張はかき消された。川口は退任の経緯こそ聞いたものの、逆に自分が辞任するという話が出ると大賛成といわんばかりの態度を見せたのには驚いたが、「潮田派」が多数を占める取締役会の構成を考えれば、議論の流れは想定内なのかもしれない。 しかし幸田真音が「今回の人事については、瀬戸さんがCEOを降りてもいいという話があったところから全てが始まった印象がある」という発言は意外だった。自分が辞めるのは指名委員会の総意、そうではなくとも潮田が意思統一をしていると思い込んでいたからだ。 取締役会で幸田は「用事がありますので失礼します」と言って採決には参加せず、部屋から出て行った。だから発言の真意を質すことはできなかったが、退席する際に、他の参加者に見つからないように「私は瀬戸さんにもう少し長くCEOをやって欲しかった」と書き添えた自分の名刺をそっと瀬戸に渡した。そこには幸田の携帯電話の番号が書かれていた。 自分も知りたいことがあるし、幸田も話したいことがあるに違いない。そう思った瀬戸は食事を途中でやめてスマートフォンを取り出し、名刺に書かれていた番号に電話を掛けた。そこで幸田が話した内容は瀬戸にとって驚くべきことばかりだった』、どういうことだろう。
。『幸田から聞いた“瀬戸退任劇”の驚きの裏側 指名委員会を10月26日に開くというのは急に決まったことで、事務局は24日から日程調整を始めた。忙しい身の幸田は「当日は残念ながら足を運ぶことができません。電話で参加します」と答えると、25日の夕方には潮田から直接電話があって、「瀬戸さんとは10月19日に夕食を一緒にしたんですけれど、そこで『CEOを辞めたい』と言い出したんです。びっくりしましたよ。至急後任を決めなければならない。だから私がCEOに、山梨さんがCOOになります」と言った。 幸田は唐突な話に驚きながら、「でも潮田さんは普段、シンガポールにいらっしゃるじゃないですか。経営なんてできるんですか」と聞くと、潮田は「方法は色々とありますよ」と答えた。 幸田は瀬戸にそんなやり取りがあったことを明かし、さらに「瀬戸が急に辞意を表明したため、潮田と山梨がショートリリーフで急場を凌ぐことになった。それならばリモート経営は仕方のないことかもしれない。いずれにせよ潮田CEO、山梨COOに就任は暫定的なものだ」というのが当時の自分の理解だったとも語った。 「幸田さん、僕は潮田さんに辞意なんか告げていませんよ。だいたい10月19日の会食で人事の話なんか出ていません」 瀬戸がそう言うと、今度は幸田が「驚きました」と言い、それから、26日の指名委員会の様子を説明した』、「潮田」は「瀬戸」が辞めるのは指名委員会の総意」と「瀬戸」に説明していたのとは、全く異なるようだ。
・『潮田が使った“二枚舌”の内容 指名委員会に出席したのは潮田と山梨、吉村博人の3人。自分とバーバラ・ジャッジは電話で参加した。さしたる質問は出ず、提案された人事案を指名委員全員が条件付きで賛成した。条件とは潮田が改めて瀬戸の意向を確認するというもので、31日の取締役会の前に指名委員会を再度開き、潮田の説明を聞くことが決まった。 幸田との電話で瀬戸は自分の退任が決まった経緯を理解した。つまりこういうことだ。 指名委員会を開くにあたり、潮田は幸田らに「瀬戸さんが辞めたいと言っている」と説明した。しかし指名委員会が開催された翌日の電話で、自分には「指名委員会の総意で辞めてもらう」と言った。つまり偽計を図った、言い換えれば二枚舌を使ったのだ。 翌日、瀬戸は吉村に電話を掛け、幸田から聞いた話が本当なのかを尋ねた。吉村は幸田が話した内容が概ね正しいと言い、さらにこんな経緯も明かした。 「潮田さんは『瀬戸さんが辞意を表明した』と言ったけれど、私にしてみれば『ああそうですか』と簡単には言えない。だから『潮田さんが瀬戸さんの意向を改めて確認した上でトップ交代を取締役会に諮ろう』ということにした。31日の取締役会の前に開かれた2回目の指名委員会は、潮田さんが瀬戸さんの意思を説明する場だった」という趣旨のことを言った。 事実が確認できて瀬戸は腹立たしさが募った。しかし二枚舌を使った潮田に反撃するべきなのか否か。心は揺れた。 〈クビ宣告があったことを知った幹部の中には「それはおかしいよ。泣き寝入りせず、立ち上がるべきだ」と言った人もいたけれど、指名委員会の総意なら仕方がないと考えて退任を受け入れた。しかし事実が違うのであれば話は変わってくる〉 〈とはいえ10月31日の午前中に開かれた取締役会でCEOの交代を決議している。その後の記者会見やアナリスト説明会で潮田体制はお披露目された。ここまで話が進んでいるのに、自分が暴れて会社が混乱に陥るようなことになるのは本望ではない。屈辱的なアナリスト説明会も我慢したのはそう思ったからだ。暴れることがきっかけで自分のキャリアに傷が付くのも困る。そうであれば大人しく引っ込むのも選択肢の1つではないか〉』、「瀬戸」氏が「自分が暴れて会社が混乱に陥るようなことになるのは本望ではない。屈辱的なアナリスト説明会も我慢したのはそう思ったからだ。暴れることがきっかけで自分のキャリアに傷が付くのも困る。そうであれば大人しく引っ込むのも選択肢の1つではないか」、さすがプロ経営者は考えることが違う。
・『瀬戸退任への反響 潮田に辞任を言い渡された時、瀬戸は「急に辞めれば株価は大暴落するだろうし、社員は混乱する」と言った。実際はどうだったのか。 記者会見は取引時間中に開かれたが、31日の東京株式市場でLIXILグループ株はさして反応することもなく取引を終了した。このため記者会見とアナリスト説明会の合間を控室で過ごした潮田は、同じ部屋にいた瀬戸に聞こえるよう大きな声で「山梨さん、株式市場は反応していないねえ」と言ったが、翌日になって、市場は潮田体制に露骨な疑問を呈した。11月1日の終値は1530円。前日に比べて14%下落した。 「社員は混乱する」という瀬戸のもう1つの“予言”も当たった。 瀬戸の退任はほとんどの社員にとって寝耳に水で、辞めることを知ったのは、瀬戸が社内向けSNSの「ワークプレイス」にこんなメッセージを載せたからだ。 「私は2016年1月にLIXILに参画して以来、グループ内のシナジー最大化に注力し、組織の簡素化、フラット化を進め、水回り事業を担うLWT事業をLIXILグループの成長を支える中核事業として強化してきました。また、デジタル分野への投資を進め、新しい戦略を推進することで、業界を主導する体制を築いてきました」 「しかしながら、私と取締役会の間で今後の方向性に相違があることがわかりました。取締役会の決定によりこの会社の舵取りを任されたのですが、今後の経営方針の転換という取締役会の判断を尊重したいと思います。この3年間の、みなさんの協力とこれまでの貢献に心から感謝しています」 その後、約10日間に瀬戸のコメントには400近くのリアクションが寄せられ、そのほとんどに「悲しい」というマークが付いた。中にはあえてコメントを寄せる従業員もいた。 「残念でなりません。瀬戸さんの方針がとてもオープンで大企業で働いているって思えました。仕事をしていて将来を明るく感じていたところなのに。残念です。できればやめないでいただきたいと切に思っております。方針の違いってなんだったのでしょうか。不安で仕方ありません」 「オープンな企業文化改革、フラットな組織改革、新価格制度、LIXILのあらゆる改革をスクラップ&ビルドで取り組まれており、いずれも共感できるもので軌道に乗ればきっと最高のLIXILになると思ってがんばってきたのですが、スクラップしたところでビルドの形を変えるのはあり得ません。ただただ不安です。瀬戸さんとしても本意ではないのかもしれませんが、このタイミングで退任しないでほしいです」 従業員向けの対応で、潮田、山梨と瀬戸の態度は異なった。新体制が発足した11月1日に潮田と山梨は早速一部の営業幹部を集めて檄を飛ばしたものの、従業員全員に対するメッセージを発信することはなかった。それに広報担当役員のジン・モンテサーノは苛立った』、「潮田と山梨は早速一部の営業幹部を集めて檄を飛ばしたものの、従業員全員に対するメッセージを発信することはなかった」、「広報担当役員のジン・モンテサーノは苛立っ」のも無理もない。
・『広報担当役員が苛立った理由 ジンがLIXILグループに入社したのは2014年である。当時はベルギーのブリュッセルで仕事をしていたが、瀬戸の前任だった藤森義明に「広報体制をグローバル化するのに協力してくれないか」と誘われたのがきっかけだった。その藤森が急にCEOを退任するとなった時に社内は大混乱した。瀬戸の退任も藤森の時と同じくらい急である。ここで新体制がどういうつもりなのかを従業員にはっきりさせておかないと藤森退任の時の二の舞になると思ったが、潮田も山梨もどうやらそのつもりがない。 苛立った理由はまだあった。ジンが瀬戸から「クビを宣告された」という連絡を受けたのは10月27日である。びっくりして翌日の日曜日に「事態が飲み込めません。そもそも急すぎるのではないでしょうか」と潮田に連絡すると、「落ち着いてください。月曜日に説明しますよ。ジンさんは心配性なんだから」と諫められた。しかし「説明しますよ」といった29日月曜日に訪ねると、潮田は突然、「24時間以内にプレスストーリーを作ってください」と言った。おかげでジンは突貫工事を強いられた。 〈潮田さんと山梨さんは忙しいのかもしれないが、ひょっとすると従業員など眼中にないのかもしれない。だからメッセージを出そうとしないのではないか。しかし情報を発信しないことが経営にマイナスであることにそのうち気づくだろう。「心配性なんだから」と言っておいて、後になってから急に「交代会見のプレスストーリーを作ってくれ」と言った時と同じように態度を急変させるかもしれない。そのしわ寄せは広報に来るに違いない〉 そう考えたジンは改めて潮田と山梨に「社内は動揺しています。顧客も同じに違いありません。何も言わないのはかなり不親切じゃないですか」と食い下がった。潮田はようやく「ジンさん、それでは文面を作ってください」と言った。新体制が出した所信表明は広報部が作成した文書で、それがワークプレイスに載った。 瀬戸は会社の実情を細部に至るまで自分で把握したがる経営者だが、潮田はそれとは正反対のタイプ。実務には無頓着で、「経営者とは大きな方向性を打ち出すだけでよい」と考えていたフシがある。『日経ビジネス』のインタビューでは「私は捨て石になることも多いが、布石を打つのが好きなんですよ。それに今期の利益を極大化する必要はないと思っている。10年後、20年後に花開く要素をどれだけ持っているかによって経営は決まるという考え方なんです」と語っているのはその象徴だ。 新体制スタート前後の潮田にとって、最大の関心事は瀬戸を追い出すことで、それ以外、例えば従業員向けにメッセージを出すことなどは些事だったのだろう。広報作成のメッセージには「良い会社にして欲しい」「期待している」といったコメントもあったが、潮田の姿勢を批判する辛辣なコメントも寄せられた。 「感謝している、という言葉の果てが実質的解任なんですか? 世間が言わしめるほどのプロ経営者を招いて、続けて2人も。コーポレートガバナンスとはなんですか? 創業家のエゴですか? 彼ら2人を招聘されたのは取締役会の決定という名ばかりのあなたの独断ではないですか? 世間はそう思っています」』、「瀬戸は会社の実情を細部に至るまで自分で把握したがる経営者だが、潮田はそれとは正反対のタイプ。実務には無頓着で、「経営者とは大きな方向性を打ち出すだけでよい」と考えていたフシがある」、「従業員向けにメッセージを出すことなどは些事だった」、なるほど。
・『瀬戸に掛かってきた弁護士の友人からの電話 11月2日。金曜日の深夜に、吉野総合法律事務所の弁護士、吉野正己のスマートフォンが鳴った。掛けてきたのは瀬戸だ。新聞記事で瀬戸がLIXILグループのCEOを辞任したことを知っていた吉野はどう慰めたら良いのか分からず、とりあえず「大変だったなあ」と言うと、瀬戸は「その件で相談したいんだ」と言った。 瀬戸と吉野は私立武蔵中学校時代からの友人である。共に武蔵高校へ進み、卒業後、瀬戸は東京大学文科二類に、吉野は文科一類にそれぞれ進学した。受験時代は分厚い参考書でも2、3度読めば、ほぼ内容が頭に入ったという記憶力を持つ吉野は、外務省の上級職試験に合格して東大法学部を卒業、外務省へ入省したが、わずか6年で退職。退職後に司法試験を受けて弁護士になっていた。 瀬戸が辞任の顚末を話すと、吉野はこう答えた。 「取締役会が虚偽の情報に基づいて人事を決議したのなら、決議を無効にすることはできるよ。そんなことは俺がやってやる。ただ裁判には時間がかかる。それに潮田さんのCEO選任決議が無効になっても、瀬戸をCEOに選任する決議は別にやり直さなければならない。取締役会は潮田派が多数を握っているんだろ。選任決議に持ち込んだとしても瀬戸は選ばれないよ。残念ながら裁判に訴えても瀬戸のCEO復帰は難しいということだ。むろん手がないわけではない。臨時株主総会を開いて潮田さんと山梨さんを取締役から解任すること。でもそれはちょっと過激な行動だよな」 退任発表後の従業員やアナリストの反応、株価の動き、そして吉野の話を聞いて、今後のキャリアを考えれば大人しくしている方が得策ではないかという心境に傾いていた瀬戸の気持ちは少し変わった。 〈騒がないことが会社のためになるかも知れないとも考えたけれど、退任を惜しんでくれる人がいる。少なくとも真実は明らかにしたい。しかし吉野は裁判だと時間がかかると言った。そうであれば退任の経緯を指名委員会の人にきちんと認識してもらい、決議を覆すのが最善策かもしれない〉 まずは指名委員会だ。そう思った瀬戸は指名委員会から取締役会までに何が起きたのかを教えてくれた幸田や吉村に動いてもらおうと考え、2人に面会を申し込んだ。その一方で吉野に改めて連絡をして、「とりあえず幸田さんと吉村さんに会うつもりだ。話を聞いた後に会って、また相談させてくれ」と言った。 瀬戸からの電話を受けた吉野は当初、友人として軽くアドバイスをしているつもりだったが、次第にかなり由々しき事態であることがわかり、法曹家として見過ごしてはいけない気になってきた。 吉野は週末にいつでも瀬戸に会えるよう自宅で待機していた。しかし待てど暮らせど瀬戸から電話がない。ようやく掛かってきたのは11月4日、日曜日の夜だった。瀬戸は言った。 「申し訳ない。今日は吉野に相談することがなくなっちゃった。指名委員会を動かそうと幸田さんと吉村さんに何度も電話をしているんだけれど通じない。2人とも指名委員会から取締役会までの経緯をちゃんと教えてくれたのに、なんで急に距離を置くようになったのだろう。理由が分からない」』、「幸田さんと吉村さんに何度も電話をしているんだけれど通じない。」、何が起こったのだろう。
第三に、この続きを、6月24日付け文春オンライン「「今回の社長交代には納得できない」リクシルを追われた“プロ経営者”が創業家と全面戦争へ…CEO復帰を明言した“逆襲の記者会見” 『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #3」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55342
・『2018年10月31日、LIXILグループ(現LIXIL)は突如として瀬戸欣哉社長兼CEOの退任と、創業家出身の潮田洋一郎取締役の会長兼CEO復帰を発表。外部から招へいした「プロ経営者」の瀬戸氏を創業家が追い出す形となった。しかし2019年6月25日、会社側に戦いを挑んだ瀬戸氏が株主総会で勝利し、社長兼CEOに“復活”する。 ここでは、一連の社長交代劇の裏側に迫ったジャーナリスト・秋場大輔氏の著書『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』(文藝春秋)から一部を抜粋。2019年4月5日、東京・大手町のオフィスビルで記者会見を開いた瀬戸氏は、CEOに復帰してLIXILグループを立て直すことを表明する。(全4回の3回目/4回目に続く)』、興味深そうだ。
・『号砲を鳴らす日 2019年4月5日の東京は、雲の切れ間から時折日差しが地面に届くような天気だった。この時期にしては少々蒸し暑い日に、東京・日本橋にある吉野の事務所には朝から続々と人が入ってきて、「久しぶり」「元気だった?」などと声を掛け合った。 声の主は瀬戸が立ち上げたモノタロウのOBやOGである。モノタロウは本社を兵庫県尼崎市に置いていて、社員のほとんどは関西に住んでいる。吉野の事務所に集まった面々は前日に東京へやってきてビジネスホテルに宿泊し、この日の朝、地図を頼りに地下鉄の日本橋駅から少し離れたところにある吉野の事務所へやってきたのだ』、「モノタロウ」は「瀬戸が立ち上げた」とは初めて知った。
・『「最近は何してんの?」 「家の近くに畑を借りて、きゅうりやらトマトやらを植えてんねん。この歳やから、体がきつくてかなわんわ」 OBとOGが、まるで同窓会が開かれているかのような会話を関西弁でしているところに瀬戸が現れた。 「急なお願いで本当に悪かったね。東京へは昨日来たんでしょ。よく休めた?」 瀬戸がお礼と労いの言葉をかけると、1人が答えた。 「いや、電話をくれて嬉しかったわ。新聞やテレビで瀬戸さんが大変な目に遭うていることは知ってましたから。こんな時にお役に立てることがあるなんて、ありがたいお話ですわ」 瀬戸は2018年10月31日に開かれた記者会見の冒頭で「皆さんにお会いするのもこれで最後になると思いますけれど……」と、表舞台に立つのはこれが最後であるかのようなことを言った。 しかしその後、潮田と山梨を解任し、CEOに復帰してLIXILグループを立て直そうと考えを改めた。それがDo The Right Thingだと思ったからだ。もっともこの試みが正義であることは、指名委員会や株主からの賛同を得て初めて証明できるものでもあった。それには公の場に立ち、世間に訴える必要がある。4月5日はその号砲を鳴らす日だ。 瀬戸はこの日に備えてAというPR会社と契約を結んでいた。会見場の設営や記者会見の司会進行はもちろんのこと、当日、メディアに配る資料を作成したり、質疑応答に備えて想定問答を作ったりするのがAの仕事だった。 しかしAは記者会見の直前になって突然、契約の解除を申し入れてきた。瀬戸が理由を尋ねると、担当者はこう言った』、「PR会社と契約を結んでいた」とはさすがだ。
・『瀬戸が激怒した担当者の言葉 「うちがPRの業務委託を受けている先にLIXILグループと関係の深いところがあります。瀬戸さんの依頼を受けると、ともすれば利益相反行為になってしまいます。それで誠に申し訳ありませんがお断りしようということです」 瀬戸は激怒した。契約を結ぶ時、Aの担当者は「弊社が業務委託を受けている先には瀬戸さんと利益相反が生じる可能性があるところもあります」と確かに言った。しかし「しかし社内では完全にファイアーウォールを敷いておりますのでご安心下さい」とも語った。それが記者会見の直前になって利益相反を理由に契約の解除を申し入れてきたのだ。おまけに契約を結んでからその日までの委託料を当然のように請求してきた。 いずれにせよ関係を継続するわけにはいかない。契約はその場で打ち切った。それからしばらく「利益相反が生じる可能性がある相手」とは誰なのかを考えたが、最重要課題は目前に控えている記者会見をどう乗り切るかだと思い直し、善後策を考えた』、「利益相反を理由に契約の解除を申し入れてきた」にも拘らず、「契約を結んでからその日までの委託料を当然のように請求してきた」、とは酷い話だ。
・『記者会見には瀬戸の妻、陽子の姿も Aが予約した会見場は大手町のオフィスビルの2階にある会議室である。記者会見に使えそうな近隣の会議室に比べると使用料は手頃だったが、その分、エントランスから会見場までの動線が少し分かりにくかった。 記者会見に参加するメディアは迷うかもしれないから会場まで案内をする人が3人必要だ。そのほか受付にも3人いるだろう。司会が1人、質疑応答の際に記者の元へマイクを運ぶ人が2人……。瀬戸は自ら会場へ足を運び、記者会見を開くのに必要な人数を割り出し、モノタロウのOBやOGに直接電話をかけた。瀬戸からの突然の電話に誰もが一様に驚いたが、事情を聞き、ほとんどが2つ返事で東京行きを決めた。 記者会見の開催を決めてから実際に開くまでの時間はわずかだったにも拘わらず、吉野の事務所に10人近くが顔を揃えた。その中にモノタロウのOBやOG一人ひとりに頭を下げ、お礼を言っている瀬戸の妻、陽子の姿もあった。同じ部屋にいた瀬戸が人数を数え、「マイクを運ぶ人がどうしても1人足りないなあ」と言うと、陽子は「それ、私がやるわ」と買って出た。 受付は陽子が営む会社で働く岩根静江が、司会はモノタロウでIRを担当していたOGの山崎知子が請け負った。記者会見で配布するプレスリリースは当日の朝までかかって瀬戸と吉野が作成した。徹夜になったのは、株主に海外の機関投資家もいて、日本語版だけでなく、英語版も2人で手分けして作ったことに加え、記者会見で出そうな質問に対する回答集も作ったからだ。 難儀だったのは取締役候補者の略歴書作りだった。社外取締役候補となった西浦や鬼丸、濱口、鈴木はさまざまな経験をして現在に至っている。これを寸分間違えることなく経歴書に落とし込む作業は、間違いがあってはいけないため意外と手間がかかる。それを瀬戸に西浦を紹介した岸田が仕事の合間を縫ってまとめた。 約20年前の2000年、瀬戸はわずかばかりの仲間と大阪の阿波座にあるペンシルビルに事務所を借りてモノタロウを創業した。当時、eコマースと呼ばれたビジネスの肝である情報システムですら自前で構築し、家賃5万円のマンションを借りて、そこにサーバーと冷却用のクーラーを何台も置いて商売を始めた。4月5日午後1時から始まった記者会見は、裏方にその道のプロが1人としていない何から何まで手作りの舞台だったが、それはモノタロウが産声を上げたころの様子をどこか彷彿とさせた。 司会の山崎に促される形で登壇した瀬戸は、自分を含む取締役候補を紹介した上で2つの話をした。1つは6月の定時株主総会に株主として瀬戸を含む8人を取締役候補として提案、選任を求めるが、今後指名委員会に対し、この8人を会社提案の取締役候補にするよう働きかけていくということである』、「社外取締役候補となった西浦や鬼丸、濱口、鈴木はさまざまな経験をして現在に至っている。これを寸分間違えることなく経歴書に落とし込む作業は、間違いがあってはいけないため意外と手間がかかる」、確かに大変そうだ。
・『「お友達内閣を作ろうとしているのではない」 もう1つは、この取締役候補が選任されれば自分はCEOに戻るつもりであり、復帰後には昨年スタートさせた中期経営計画を復活させると話した。 瀬戸は4人の社外取締役候補について説明し、「いずれも立派で実績もある方ばかりですが、もう1つ候補者には共通項があります。いずれも信頼できる第三者からの紹介で出会った人ということです。かねてからの友人ではなく、私を監督し、叱り、必要によっては交代させられる方々であり、誰の私利私欲も退けられる人ばかりです」と強調した。それは指名委員会や株主に対するメッセージで、「お友達内閣を作ろうとしているのではない」という意思表示である。 もう1つ語気を強めたのは吉田がトステム出身者であることだった。自分たちの提案にトステムもINAXもないということを伝えたかったからだ。その上で今の自分の心境を語った。 「昨年10月31日にCEOを退任してから何をすべきかをずっと考えました。正直申し上げて他の仕事をしようかと思ったこともあります。でも私の行動規範の最後の拠りどころは『Do The Right Thing』です。虚心坦懐に自分がすべきことを考えた時、LIXILグループに戻って仕事を全うすることが正しいことだと結論づけました」 「今回の経営者交代は明らかに正しい事ではなかったと思います。これを許したら、LIXILグループは正しい事をしない会社と思われてしまう。それでは従業員や株主に迷惑がかかるし、そもそも従業員に対して『正しいことをしよう』と言い続けてきた自分自身がそこから逃げたことになる。だから復帰を目指すことにしました」 質疑応答に移ると、メディアからの質問は退任の経緯に集中した。すでに『日経ビジネス』や『FACTA』、『日本経済新聞』などが報じていたことに加え、公表された調査報告書要旨にも書かれていることではあったが、瀬戸が公の場に出たのは昨年10月31日以来のこと。メディアは本人の口から聞きたいと思ったのか、さかんにこれまでの経緯を問いただした。 次に多くの質問が寄せられたのは瀬戸の潮田に対する思いだった。瀬戸は「LIXILグループを経営する機会を与えてくれたことは感謝したい」と前置きした上で、国内事業でシェアと利益率のどちらを重視するか、ペルマをどう捉えるかといった点で潮田とは考えが違ったことを指摘した。さらにシンガポールに住みながら経営が出来るのかなどと潮田の経営スタイルに疑問を投げかけ、事実上、潮田の一存で人事が決まってしまうLIXILグループのコーポレートガバナンスは正さざるを得ないと語った。 一般的に記者会見の所要時間は40分から50分程度で、長くても1時間というのが目安である。しかし、少しでも多くの世間や株主に自分たちの行動は正義であると認識してもらう必要があると考えた瀬戸は吉野と相談して会見時間を1時間半と設定し、さらに質疑応答が終わった後に発表者をメディアが囲んで追加の質問をする、いわゆる「ぶら下がり」にも応じた。会見が終わったのは午後3時を過ぎていた』、「少しでも多くの世間や株主に自分たちの行動は正義であると認識してもらう必要があると考えた瀬戸は吉野と相談して会見時間を1時間半と設定し、さらに質疑応答が終わった後に発表者をメディアが囲んで追加の質問をする、いわゆる「ぶら下がり」にも応じた。会見が終わったのは午後3時を過ぎていた」、マスコミ対応を丁寧にしたのは正解だ。
・『2通りのプロセス 3月20日に機関投資家4社と伊奈が、潮田と山梨の解任を議案とする臨時株主総会の開催を請求した。これが賛成多数で可決されたとして、LIXILグループのその後の経営をどうするか。瀬戸が4月5日に発表したのは自身を含む8人の取締役が選任され、自分がCEOに復帰して舵取りをするというものだった。 復帰は2通りのプロセスが考えられた。株主提案で8人の選任を求めて定時株主総会に臨み、株主の審判を仰ぐというものが1つで、もう1つは指名委員会や取締役会が瀬戸を含む8人を会社提案の候補者にするという方法である。それを4月5日の記者会見で話した瀬戸は、後者のプロセスの可能性が10分にあるのではないかと考えていた。この時点でLIXILグループは定時株主総会に諮る会社提案の取締役候補を決めていないからばかりではない。他にも理由があった。) 1つはメディアの報道が概ね瀬戸に好意的だったことだ。記者会見で可能な限り丁寧に対応し、その後、続々と申し込まれた単独インタビューに全て対応したことも奏功したのかもしれない。瀬戸が記者会見を開いている間にLIXILグループの株価が急騰し、4月5日は前日比90円高の1654円で引けたことも好材料だった』、「株価が急騰」は経営陣への信認の表れだ。
・『瀬戸の追い風となる2つの動き さらに瀬戸には追い風となる2つの動きがあった。1つは豪ファンド運用会社のプラチナム・アセット・マネジメントが潮田と山梨の解任に賛成すると表明し、「瀬戸氏主導の事業再生が道半ばで、経営首脳の交代に納得できない」というコメントを出したことである。プラチナムはLIXILグループの株式を議決権ベースで4・42%保有する2位株主。それが解任に賛成すると表明したことは、他の株主にも少なからず影響を及ぼすことが予想された。 もう1つは会見当日と偶然重なった朝日新聞の報道だった。年明け以降、西村あさひ法律事務所がまとめた調査報告書の内容と開示方法を巡ってLIXILグループの取締役会はもめた。侃々諤々の議論の末、2月25日に報告書を編集した「報告書要旨」が会社名で公表され、それが機関投資家らの反発をさらに増幅させたが、朝日は「要旨」ではなく、「調査報告書」の内容を報じ、会社が意図的に公表を避けた点を明らかにしたのだ。少々長くなるが記事を引用する。 住宅設備大手、LIXIL(リクシル)グループの首脳人事の経緯が不透明だと機関投資家が疑問視している問題で、第三者の弁護士がまとめた首脳人事に関する調査報告書の全容が明らかになった。CEO(最高経営責任者)に復帰した創業家の潮田洋一郎氏に対する遠慮が多くの取締役にあったことがガバナンス(企業統治)上の問題を招いた原因だと報告書は指摘していたが、LIXILはこうした部分を伏せて公表していた。 LIXILは、首脳人事の手続きの透明性について調査・検証が必要だとする意見が一部の取締役から出たことを受け、第三者の弁護士に調査を依頼した。2月25日に調査報告書の簡略版を自社ホームページで公表したが、全文公開はしなかった。首脳人事を疑問視する機関投資家が情報開示が不十分だとして反発。全文公開を求めているが、LIXILは応じていない。 朝日新聞は2月18日付の調査報告書の全文を入手した。LIXILの監査委員会から調査を委嘱された弁護士がまとめた報告書は全17ページ。取締役全員に聞き取り調査を実施し、関連資料を精査してまとめたものだ。一方、LIXILが公表した簡略版は8ページ。社長を退任した瀬戸欣哉氏と潮田氏の対立の詳しい経緯や背景、聞き取り調査での取締役の発言など多くの記述が省略されていた。 調査に至った経緯や報告された事実をまとめ、今後の対応を記す体裁をとっており、報告書全文の章立てにも修正が施されていた。全文には「一連の手続きにおけるガバナンス上の問題点」と題する4ページにわたる章があるが、その大半が削られ、「調査結果を踏まえた当社の対応」の章が加えられており、全文に沿った要約とは言い難い内容に修正されていた。(中略) 簡略版では伏せられているが、首脳人事の「ガバナンス上の問題点」の検証結果も盛り込まれていた。指名委の議論が潮田氏主導で行われ、指名委が瀬戸氏の辞意を確認していなかったと指摘し、手続きの客観性・透明性の観点から望ましくないとの見解を示していた。 さらに、「創業家である潮田氏が自分でCEOをやると言っている状況で、それに異を唱えることのできる者はおらず、誰も反対のしようがない状況だった」という調査対象者の発言を記し、「社外取締役を含めた多くの取締役に潮田氏に対する遠慮があったことが認められる」と分析。「このことが潮田氏が提案する人事に対して、ガバナンスを効かせた議論をすることができなかった原因・背景の1つになった」と指摘していた。(朝日新聞2019年4月5日) 機関投資家と伊奈が臨時株主総会の開催を請求した時点で、指名委員会にその結果を見通すことは難しく、取りうる選択肢はいくつもあった。しかしプラチナムの発表や朝日のスッパ抜き、記者会見後の一連の報道や株価の値動きで、潮田サイドは不利な状況に追い込まれているといえた。おまけに会社は朝日新聞の報道で観念したのか、シンガポール移転のくだりなどを黒塗りにした報告書を9日に全文開示している。潮田と山梨が解任される可能性は俄然高まった。 それでも指名委員会が潮田の意向に沿った取締役候補を立てれば、今度は批判の矛先が指名委員会に向かいかねない。さらに瀬戸は記者会見で、「現在の社外取締役で、私たちの候補者チームに参加して頂ける方がいれば、それは経営の連続性の観点からも前向きに検討したい」と語り、社外取締役の中で再任に意欲を見せていた指名委員長のバーバラ・ジャッジがなびきやすい状態も作っていた。だから指名委員会は自身を含む8人、もしくはバーバラを含む9人を会社提案の取締役候補にすることもあり得る。瀬戸はそう考えた』、最終的にどうなったかは次の記事。
第四に、この続きを、6月24日付け文春オンライン「「これで『100倍返し』をしてやった」“お家騒動中”のリクシルが取締役辞任を電撃発表…プロ経営者を追い込む“創業家のシナリオ” 『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #4」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55343
・『2018年10月31日、LIXILグループ(現LIXIL)は突如として瀬戸欣哉社長兼CEOの退任と、創業家出身の潮田洋一郎取締役の会長兼CEO復帰を発表。外部から招へいした「プロ経営者」の瀬戸氏を創業家が追い出す形となった。しかし2019年6月25日、会社側に戦いを挑んだ瀬戸氏が株主総会で勝利し、社長兼CEOに“復活”する。 ここでは、一連の社長交代劇の裏側に迫ったジャーナリスト・秋場大輔氏の著書『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』(文藝春秋)から一部を抜粋。2019年4月18日、緊急記者会見を開いたLIXILグループの潮田氏は、自ら取締役辞任を表明する。その真意とはいったい——。(全4回の4回目/3回目から続く)』、興味深そうだ。
・『突然の潮田辞任表明 瀬戸が記者会見を開いたのは2019年4月5日だった。その4日後の9日に、潮田は『読売新聞』と経済誌『週刊東洋経済』のインタビューに応じている。そこで2018年10月31日に開いた記者会見の時と同じように、瀬戸の経営は拙かったという趣旨の発言を繰り返したが、同時に今後の経営に対して意欲的とも取れることを語った。 例えば臨時株主総会で解任を求められていることについては、「希望があれば株主様には会います。分かってもらえるはずですよ」と発言。今後の経営計画を問われると、「連休明けの5月13日に決算発表を予定しています。その時に2020年3月期決算の見通しと、今後3~5年の新しい計画を発表する予定です」とも答えた。しかし10日も経たずに態度を180度変えた。 4月18日午後4時半、東京・六本木にある会議場「ベルサール六本木」でLIXILグループが緊急記者会見を開いた。ペルマの減損損失を計上したことなどで、3月期の最終損益が当初見込んでいた15億円の黒字から一転、530億円の赤字になる見通しだという業績下方修正を発表した。 この会見には潮田と山梨、CFOの松本が出席。そこで潮田は5月20日付で取締役を退任し、6月の定時株主総会でCEOも辞めると表明した。山梨は定時株主総会までは取締役とCOOを続けるが、総会後は取締役には残らないと言った。 潮田の取締役辞任表明は“奇襲”といえた。臨時株主総会が開かれれば潮田と山梨は解任される可能性がかなり高まっていたが、その臨時株主総会を開く根拠を失くすものだったからだ。しかし潮田は会見で、そうした目論見があって退任するのではないと強調した。巨額の赤字を計上することになったのは瀬戸がCEOとして手を打たなかったからで、退任するのはその瀬戸をCEOにした任命責任を取るからだという論理を展開した。 「取締役退任は臨時株主総会を回避するためではありません。今回の巨額損失の責任は瀬戸さんにありますが、彼をCEOに任命したのは当時の指名委員会のメンバーで、取締役会議長だった私の責任です。だから辞めるんです。私は38年間取締役をやってきましたが、(瀬戸の任命は)大変な、最大の失敗でした」 会見での潮田は瀬戸の退任を発表した2018年10月31日の時と同様、言いたい放題だった』、「潮田の取締役辞任表明は“奇襲”といえた」、確かにその通りだ。
・『潮田の過激な発言は瀬戸に向けられ…… 「ペルマの買収を決めたのは私です。窓については世界一の技術を持つ会社を手に入れるのは夢でしたからねえ。うまく経営できるはずだったんです。しかし瀬戸さんの3年間の経営が宝石のようだったペルマを石ころにしてしまった。経営がおかしくなっているのなら、せめて取締役会で報告して欲しかったが、それもなかった」 「瀬戸さんは定時株主総会に株主提案をして、自らCEOへの復帰を目指しているようですけれど、この赤字を招いた責任をどう思っているんですかねえ。訝しく感じます」 一般的に会見に出席する記者は、発表者が口にする刺激的な発言をわざと取り上げる傾向がある。発表者が会見後に「一部が切り取られて報道された」と怒ったりするのはこのためだ。その意味で4月18日の会見は報道する材料にとって、いわば「撮れ高」の多いものだったが、ほとんどのメディアは潮田の過激な発言をカットして報じた。瀬戸への強烈な私怨を感じ取り、さすがにこれを報道するわけにはいかないと思ったからだろう。 業績下方修正を発表して、全ての責任を瀬戸に負わせる。臨時株主総会を前に潮田が辞任する。瀬戸にとって2つのシナリオは予想の範囲内ではあったが、いざ発表となると、さすがに驚き、聞き捨てならないと思った。 ペルマは確かに優れた会社だったかもしれない。しかしデジタル技術の革新で優位性は失われ、買収した時点ですでに「宝」どころではなかった。無理に受注したのは藤森時代で、そのツケが今回の決算に出たのに、潮田は会見で瀬戸の責任だと言った。 瀬戸は潮田の説明が明らかに間違いだと証明することができた。CEO就任が決まってすぐに作成したLIXILグループの経営に関する報告書では、かなりのページを割いてペルマのリスクを説明していた。正式にCEOになったのは2016年6月の株主総会後だが、その翌月の取締役会でペルマにどれくらいの損失が発生する可能性があるのか、具体的な数字を盛り込んだ資料も提出していた。取締役会の議事録を見れば、その後も報告を続けていたことは明らかだ。「取締役会への報告がなかった」という発言は、瀬戸の退任劇で偽計を使った潮田らしいと言えばそれまでだが、およそ容認できるものではなかった』、取締役会議事録を見れば分かるのに、「取締役会への報告がなかった」と強弁する「潮田」は平常心を失っているようだ。
・『潮田に反論するために瀬戸が取った行動 潮田の会見が終われば、メディアは当然、瀬戸にコメントを求めてくることが予想された。どこで応じ、どう反論するか。瀬戸がそれを考え始めた時に吉野から電話が入った。 「瀬戸、すぐに反論しよう。しかし、今から記者会見を設営するのは無理だ。20人くらいしか入れないけれど、俺の事務所でぶら下がり取材に応じるしかない」 「潮田さんの発言を聞いたけれど、よくあそこまで噓が言えるな。頭にきたからぶら下がりは霞が関ビルのエントランス前にして、時折、36階を見上げてやるパフォーマンスをしようと思ったくらいだが、吉野の事務所に集まってもらうのが現実的だな」 瀬戸は続けた。 「吉野、もちろん反論するよ。でも潮田さんと水掛け論になるのは避けたい。だからぶら下がりでは説得力を持たせることが大事だと思うんだ。LIXILグループの経営分析をした時の報告書とか、ペルマのリスクを数字で示すために作った資料が手元にあるんだけれど、これを持って話をするのはどうかなあ」 「でも、それは内部文書だろ。メディアに見せるわけにはいかないよな」 「だから『中身を見せるわけにはいかないが、証拠はここにある』と言うつもりだ」 「それならメディアは潮田さんの噓を理解するかも知れないね」 4月18日午後7時過ぎ。吉野の事務所は20人を超えるメディアで溢れかえった。「急に呼び立てたのに、広い部屋じゃなくて申し訳ないですね」。吉野が殺到するメディアに何度も詫びているところへ、瀬戸が予定よりも少し遅れて現れた。) すかさず取り囲んだ記者に潮田の取締役退任について「臨時株主総会を回避するためではないですかね」と感想を述べるなどしていると、案の定、「潮田さんは『瀬戸さんからペルマの経営状態について報告がなかった』と言っていましたが……」という質問が出た。 「そうおっしゃったみたいですが、事実と違います。私が手に持っているのがその証拠で、当時の報告書の一部です。皆さんにお見せしたいところですけれど、内部情報が含まれているから見せられない。残念です」 瀬戸はそう言いながら、数十枚に及ぶA4サイズの紙の束をくしゃくしゃに握りしめ、「悔しさ」を演出した』、「A4サイズの紙の束をくしゃくしゃに握りしめ、「悔しさ」を演出した」、「瀬戸」氏もなかなかの役者だ。
・『潮田が10日足らずで退任を表明した理由 潮田がメディアの取材に応じてから10日足らずで退任を表明することにしたのはなぜか。瀬戸は調査報告書をまとめて以降、LIXILグループからは手を引いた西村あさひ法律事務所に代わって再び前面に出てきた森・濱田松本法律事務所か、株主総会をどう乗り切るべきかというアドバイスなどをするコンサルタント会社のアイ・アールジャパン(IRJ)ホールディングスの入れ知恵だろうと考えた。 機関投資家と伊奈は3月20日に臨時株主総会の開催を請求し、そこでの潮田と山梨の解任を求めたが、潮田は当初、実際に開いたところで賛成は少数にとどまると踏んでいたフシがある。しかし時間が経つにつれて雰囲気は変わり、解任が現実味を帯びてきた。瀬戸は、潮田にそうした情勢変化を伝えたのも、取締役を退任するという「ウルトラC」を考えたのも森・濱田松本法律事務所かIRJと考えた。 会見で潮田は「6月の株主総会で会長兼CEOも辞めるが、その後、アドバイザーをやってくれと言われれば考える」と言い、山梨は「株主総会以降は取締役にはならないが、許されるのであれば執行に専念したい」と含みをもたせた。つまり山梨は潮田の後任となる会長兼CEOに就く用意があり、潮田は山梨の相談に乗るのはやぶさかでないと言った。 潮田は大掛かりなことは考えるが、細かなことには関心を持たない。一方の山梨は前年11月以降、LIXILグループのCOOとして日常的なオペレーションの舵取りをするようになったが、大事なことは必ず潮田に相談していると聞いていた。2人が会見で断定的な物言いをしていないから決めつけるわけにはいかないが、取締役ではないCEOと相談役が経営する、極論すれば「6月以降、肩書きは変わるが業務執行体制は変わらない」という前代未聞の人事を2人が考えつくとは思えない。 いずれにせよ4月18日の記者会見は事態を大きく変えた。潮田や山梨にとって臨時株主総会を開く必要がなくなったことはプラスの局面転換だっただろうが、一方、その時の2人が予想できなかったマイナスの局面転換もあった。その1つはCFOの松本が態度を一変させたことだ。 説明が必要だろう。瀬戸を陰に陽に支えたLIXILグループの経営幹部は何人もいたが、潮田や山梨にとって明確な敵は株主提案の取締役候補になった吉田と広報担当役員のジン、それに瀬戸チルドレンともいえる金澤ぐらいだった。 株主提案の取締役候補となった吉田は言うまでもない。広報担当役員のジンは昨年10月に瀬戸が事実上解任されたことについてメディアや株式市場の反応をレポートにまとめて取締役会に提出、潮田の逆鱗に触れた。その後、広報業務は潮田や山梨がIRJと同じタイミングで雇った危機管理広報コンサル会社のパスファインドが担うようになるという憂き目も見た。潮田や山梨はLIXILグループのデジタル戦略を支えるCDOの金澤に業務上では頼ったものの、瀬戸に誘われてLIXILグループ入りしている以上、潮田や山梨にとって味方とは言えない。 やや脱線するが、金澤については余談がある。瀬戸は4月5日に記者会見を開いて以降、メディアからの取材依頼を積極的に受けたが、窓口となったのは森明美という女性だった。瀬戸や吉野が作ったプレスリリースの最後には連絡先として必ずこの森の名前と携帯電話の番号が記されていた』、なるほど。
・『「森明美とは何者か」 「森明美とは何者か」。PR業界ではそれがちょっとした話題になった。この業界は横のつながりが強く、ライバル会社に所属する人であっても同業者ならば名前ぐらいは知っている。しかし森明美は聞いたことがなかったからだ。それもそのはずで、森はモノタロウOGであると同時に金澤の妻である。「金澤」を名乗れば会社側に勘ぐられかねないと考え、旧姓を名乗った。金澤は夫婦ともども瀬戸シンパだった。 しかし松本は吉田やジン、金澤とは違った。瀬戸に同情的ではあったが、瀬戸が退任し、潮田−山梨体制になってからもCFOとしての職務も忠実にこなしていた。本人は決して瀬戸と潮田−山梨を両天秤にかけていたつもりではなかった。自分の感情はひとまず横に置き、肩書きに相応しい仕事をすることが自分にとっての「正しいこと」だったと思ったからそうしたに過ぎない。 しかし潮田が退任会見を終えて、松本の堪忍袋の緒は切れた。肩書きはCFOだが、事実上、経営企画も担当しているのに直前まで潮田と山梨の人事を知らされていなかった。「ジンは知っていたの?」と聞くと、ジンは「そんなわけないじゃない」と言った。潮田と山梨は重要事項を決めるのに本来は関わらせるべき松本とジンらを外し、危機を乗り切るために雇ったIRJとパスファインド、それと森・濱田松本法律事務所に相談して物事を決めている。松本にはそう見えた。 株主から解任を突きつけられ、その流れが大勢となりそうな情勢になって潮田と山梨が多少なりとも動揺したことは間違いない。社内を見渡せば、誰と断定することはできないにしても瀬戸シンパの幹部は確実にいる。次第に猜疑心が強まって社内の人を信用せず、外部の専門家にしか頼らなくなった。それはそれで異常だが、「プロ」を名乗り、カネを渡す限りは忠実な人材で脇を固めるという心境は分からないでもない。しかし松本は会見でのペルマについての潮田の説明がどうしても許せなかった。 2016年1月に初めて出会ってから、時をおかずして瀬戸は「松本さん、ペルマを子会社として持ち続けることはリスク以外の何物でもないですよね」と言った。「最初からLIXILグループの急所を見抜いてくるとは。瀬戸という人はただ者ではないな」と思ったことを松本は鮮明に覚えている。その後、瀬戸が取締役会で具体的な数字を元にペルマ売却に言及し、それを潮田は表情にこそ出さないが、明らかに不満な様子で聞いていたことも見ている。 最終的にCFIUSが待ったをかけたため、ペルマのLIXILグループへの出戻りが決まったことが報告された取締役会で、松本は潮田が嬉しそうな顔をして会議室を飛び出して行ったことも目撃した。ところが退任を発表した会見場で隣に座った潮田は真顔で延々と「悪いのは瀬戸だ」と語った。松本はCFOの仕事を忠実にこなすことは決して「正しいこと」ではないと悟った。 〈このままでは会社がダメになる。もういい。これからは肩書ではなく、自分の気持ちに正直に行動しよう〉 松本が反旗を翻そうと決心をしたころ、ジンは金澤に相談を持ちかけていた。 臨時株主総会が開かれれば、潮田さんと山梨さんは解任される。そうしたらキンヤがCEOに復帰する可能性が一気に高まると思っていたけれど、記者会見で情勢が分からなくなった。2人は取締役にはならない。でも代わりの取締役は潮田さんの息のかかった人を据え、CEOを山梨さんにする。そして潮田さんが裏で糸を引くというのが、彼らの狙っているシナリオでしょう。そうなれば私達は間違いなくクビだけれど、考えてみたらもうクビになっているようなものじゃない。お互い次の道を歩むことになるだろうけれど、その前に『正しいこと』をしない?」 ジンが金澤に言ったアイデアはビジネスボードを活用するというものだった。前年12月にドイツのデュッセルドルフで開かれたビジネスボードのミーティングでの振る舞いを見て、メンバーのほとんどは山梨にはリーダーの資格がないと判断した。そのメンバーで「潮田−山梨体制では会社が持たない」という一種の連判状を作成し、指名委員会や主な機関投資家に送りつけて賛同を得るのはどうか。ジンはそう言った。 金澤はジンの言う「どっちにしろクビになるのだから、次の道を歩む前に自分たちができることをしよう」という考えには賛成した。しかし金澤は連判状に名を連ねるのが確実なのは自分とジン、吉田の3人しかいないと考え、「連判状を出すのなら、有志の数が多くないと意味がないよね。問題はどうやって仲間を増やすかだ」と言った。どうしたら金澤の懸念を払拭できるのか、ジンが自席に戻ってその方法を考えているところへ、松本がふと現れた。) 「ジン、先日の記者会見で、このままではうちは持たないと確信したよ。もう行動しなければダメだと思う」 松本の話に驚いたジンは、松本が旗幟を鮮明にしたのは「あの場面」ではないかと思った』、なるほど。
・『「『倍返し』、いや『100倍返し』かな」 取締役辞任という電撃発表を終えて控室に戻ってきた潮田は、メディアに対して瀬戸への思いを語ることができたという満足感からか、山梨にこんなことを言った。 「山梨さん、会見はどうだった? 臨時株主総会を請求されて、瀬戸さんには株主提案の取締役候補を発表されてと、向こうのやりたい放題だったけれど、赤字決算の原因であるペルマの責任は彼にあると言ってやった。これで『倍返し』だろう。いや『100倍返し』かな」 山梨はぼそっと答えた。 「潮田さん、ちょっと喋りすぎですよ」 2人の会話を横目で見ていた松本とジンはやり取りの意味が分かった。巨額の赤字決算を計上することになったのはペルマが主因で、それは瀬戸の経営が無策だったからである。瀬戸をCEOに招き入れたのは自分だから、その任命責任を取って自分は取締役もCEOも辞める。会見で潮田はそう言ったが、IRJは事前の打ち合わせで「ペルマを瀬戸さんのせいにするのは無理がありますね」と釘を刺しているのを2人は見た。 しかし潮田は忠告を無視して持論を展開し、「100倍返しをしてやった」と満足気に話した。 会見での潮田発言は致命的で、何としても止めなければならなかったはずだ。案の定、同日夜のぶら下がりで瀬戸は反撃している。もっともあの場面で潮田を止められたのは山梨だけで、自分たちはどうしようもなかった。 その山梨は会見中、潮田の話を黙って聞くばかりで、今度も「喋りすぎですよ」と窘めるだけ。肝心の場面でも山梨の振る舞いは昨年10月の会見やビジネスボードミーティングと同じで、潮田が経営を誤った方向に持っていった時の抑止力にはならない。これではLIXILグループの未来はないだろう・・・』、「IRJは事前の打ち合わせで「ペルマを瀬戸さんのせいにするのは無理がありますね」と釘を刺している」、当然だろう。しかし、「潮田」のお粗末さにはあきれるばかりだ。辞めさせられるのは当然だ。最後が尻切れ気味なのは残念だ。
先ずは、本年6月24日付け文春オンライン「「4日後に辞めてもらうことになりました」リクシル社長に突然すぎる“クビ宣告”…日本有数の大企業で起きた“疑惑の社長交代劇” 『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #1」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/54681
・『2018年10月31日、LIXILグループ(現LIXIL)は突如として瀬戸欣哉社長兼CEOの退任と、創業家出身の潮田洋一郎取締役の会長兼CEO復帰を発表。外部から招へいした「プロ経営者」の瀬戸氏を創業家が追い出す形となった。しかし2019年6月25日、会社側に戦いを挑んだ瀬戸氏が株主総会で勝利し、社長兼CEOに“復活”する。 ここでは、一連の社長交代劇の裏側に迫ったジャーナリスト・秋場大輔氏の著書『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』(文藝春秋)から一部を抜粋。瀬戸氏が社長退任を告げられた経緯とLIXILグループの内部事情を紹介する。(全4回の1回目/2回目に続く)』、信じられないような事件だが、興味深そうだ。
・『ローマを訪問したLIXILグループ社長兼CEOの瀬戸欣哉 10月のローマは気温が東京とほぼ同じで湿度は低い。旅行のベストシーズンといわれるそんな時期に、LIXILグループ(現LIXIL)社長兼CEO(最高経営責任者)の瀬戸欣哉は仕事で訪れていた。2018年のことだ。 新型コロナウイルスが全世界で猛威を振るう前まで、瀬戸は月の3分の1、多い時は半分くらいを海外で過ごし、各地に散らばるLIXILグループの経営幹部と話し合う日々を送っていた。今回のローマ訪問はカーテンウォールを手がける子会社、ペルマスティリーザの社長であるリカルド・モロと面談するのが目的だ。 一般に大企業トップの海外出張には経営幹部や秘書といった帯同者がいるものだが、瀬戸はほとんど1人で行動する。今の時代、たくさんの部下を引き連れて大名旅行のような出張をするのは時代錯誤と考えるからだが、他にも理由があった。1人になれるからだ。 瀬戸は会社の実情を細部に至るまで可能な限り自分で把握したいと考えるタイプの経営者である。必要と思えば昼夜を問わず幹部に電話をかけたり、メールをしたりして、情報を吸い上げる。手を尽くして集めたものを頭の中で整理し、考え抜いて経営の方向性を示す。決断はできる限り早く、間違いだと気づけば修正する。時間をかけるのは悪だとすら考える合理主義者だ。 経営者には連日会食の予定を入れて人脈を広げることが仕事の1つと思う人も少なくない。しかし瀬戸は考える時間の方が大事だと思っているから、親睦を深めるぐらいの意味しか持たない会食はなるべく避ける。床に着くのは夜10時くらい。平均睡眠時間は7、8時間とやや長めで、朝5時には起きる。それから1時間ほどかけて、その日にやるべきことの優先順位を付け、仕事に取り掛かる。休日は家族団欒を優先するのでゴルフはしない。) こうしてみると公私のメリハリが相当ついているようにみえるが、それでも日本に居れば次から次へと課題が持ち上がり、自由な時間を作るのは難しい。だから海外出張をした時には、わざと「空白の1日」を作るようにしていた。海外に4日間滞在するという日程を組んでいれば、5日間にするといった具合である。むろん平日に休暇を取るわけにはいかないので、日程は週末を絡めるようにする。 「空白の1日」は誰にも居場所を知らせず、自分で予約を入れ、投宿したホテルで1日中本を読み耽ったり、見損ねていた映画を鑑賞したりする。リフレッシュをして再び仕事に臨むのに、帯同者がいることはかえって不便。だから可能な限り単独行動を取るようにしていた』、「考える時間の方が大事だと思っているから、親睦を深めるぐらいの意味しか持たない会食はなるべく避ける」、徹底した合理主義者のようだ。「海外出張」時に「空白の1日」をつくるとは上手いやり方だ。
・『突然スマートフォンが鳴り「瀬戸さん、急な話だけれど……」 2018年10月27日土曜日は、この空白の1日だった。カラッと晴れたローマにあるホテルで朝食をゆっくり取り、食後にカプチーノを飲みながら、「今日はどの本を読むかな」などと考えていた時、突然スマートフォンが鳴った。電話の主はLIXILグループ取締役会議長の潮田洋一郎だった。 「瀬戸さん、急な話だけれど指名委員会の総意で、あなたには辞めてもらうことになりました。交代の発表は4日後の10月31日です。後は私と(社外取締役の)山梨(広一)さんがやりますから」 潮田は抑揚のない話し方をする。この時もそうだった。藪から棒で、衝撃的な話を落ちついた声で伝えられるのはかえって不気味である。瀬戸の休日モードは一気に吹き飛んだ。 〈辞めろ? 指名委員会の総意? 交代発表は4日後? どういうことだ?〉 潮田とは1週間前、赤坂にあるザ・キャピトルホテル東急で会食をしたばかりだった。その場で自分の人事については話題にもならなかった。 会食には瀬戸と潮田、エグゼクティブの人材紹介を手がけるJ社の社長がいた。Jの社長は潮田と付き合いが長く、LIXILグループ幹部にはJの紹介で入社した人も少なくない。なにより瀬戸のLIXILグループ入りを仲介したのもこの人物である。3人には共通項があって、全員が東京大学経済学部土屋守章ゼミのOBだった。 食事が終わると潮田とJの社長はホテルにあるバーへ消えていった。そこで潮田と軽く飲んだJの社長はその後、瀬戸に電話を掛けてきて、「潮田さんの話を聞いた印象だけれど、瀬戸さんは長期政権になると思ったよ」と告げた。約1週間前にそんなやり取りすらあったというのに、潮田は電話で「辞めてもらう」と言った。 ローマで受けた電話で仰天したことは他にもあった。それまで瀬戸はCEOの人事権を事実上握る指名委員会のメンバーと良い関係が築けていると思っていたが、潮田は電話で、「辞めてもらうのは指名委員会の総意だ」と言った』、「ローマ」での「空白の1日」に辞任を宣告されたとはさぞかし驚いたことだろう。
・『取り付く島がない潮田と食い下がる瀬戸 「本当に指名委員会の総意なんですか」 しばらくの沈黙を経て瀬戸は潮田に二度同じことを尋ねたが、潮田は「ええ。指名委員会の総意です」と言った。取り付く島がないことはわかったが、それでもこう食い下がった。 「中期経営計画がスタートしたのはこの4月です。わずか半年で辞めるなんて無茶ですよ。しかも4日後なんて従業員に説明がつかないし、そもそも株価が暴落します」 しかし潮田は何度も「指名委員会で機関決定したのだから仕方がないでしょう」としか言わず、電話を切った。瀬戸はひとまずカップに残っていたカプチーノを一気に飲み干した。本場の味を楽しむつもりで注文したが、すっかり冷めている。美味いはずがない。レストランには休日の朝を楽しむ観光客の声が響き渡っていたが、その中で一人、瀬戸は瞬きもせず、窓の外をじっと見つめた』、「4日後」に辞めさせられるとは本当に急な話だ。
・『巨大メーカーの誕生 LIXILグループはサッシやトイレといった住宅設備機器を手がける国内最大のメーカーである。傘下に約270社のグループ会社を抱え、150以上の国と地域で商品やサービスを提供している。2022年3月期の売上高は1兆4285億円、従業員は全世界で約6万人にのぼる。 公表している会社の歩みを見ると、同社は2011年、トステムとINAX、新日軽、サンウエーブ工業、東洋エクステリアが一緒になって誕生した会社となっている。一度に5社が統合して、巨大住設機器メーカーが誕生したという印象を与えるが、厳密にはいくつかの段階を経ている。 まずは遡ること10年前の2001年、サッシや窓、シャッターなどを製造・販売するトステムと、トイレや洗面器などを手がけるINAXが経営統合し、INAXトステム・ホールディングス(HD)が誕生した。 INAXトステムHDは2004年、住生活グループに社名を変更している。潮田の父親で、1949年にトステムの前身である日本建具工業を設立、当時はINAXトステムHDの会長だった潮田健次郎の意向によるものだった。健次郎は住宅関連商材を総合的に取り扱う会社という意味を新社名に込めたが、住宅関連以外にも手を出すといった野放図な多角化はしないという含意もあったといわれる。 住生活グループは2010年にシステムキッチンやシステムバスなどを製造・販売していたサンウエーブ工業とサッシ大手の新日軽を傘下に収め、健次郎が社名に込めた思いはさらに具体化した。残る東洋エクステリアはもともとトステムの関連会社として1974年に誕生した会社で、2000年に完全子会社となっている。つまりLIXILグループの中核となっているのはトステムとINAXで、そこにサンウエーブ工業と新日軽、東洋エクステリアがくっ付いていると理解した方が分かりやすい。 2021年に複数回にわたる情報システムトラブルで経営トップが辞任に追い込まれたみずほフィナンシャルグループは、同じメガバンクの三井住友フィナンシャルグループや三菱UFJフィナンシャルグループの後塵を拝し、常に業界3位に甘んじている。原因の1つは、みずほの母体となっている日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行出身者に旧行意識があるからといわれる。それを踏まえるとLIXILグループは5社のDNAが混ざり、せめぎ合っている会社と映るかもしれないが、歴史的な経緯もあって実際に残っているのはトステムとINAXの企業カルチャーだけである』、「実際に残っているのはトステムとINAXの企業カルチャーだけ」、そんなものだろう。
・『トステムとINAXの経営統合の裏側 もっとも中核であるトステムとINAXの力関係は対等とは言いがたかった。それは2001年の経営統合の形態をみるとわかる。表向きはHDの傘下にトステムとINAXがぶら下がる形になっているが、統合するにあたってHDを新設したのではなく、トステムがHDの母体で、ぶら下がったトステムは新設された企業体である。だから経営統合はしたものの買収企業はあくまでトステムで、INAXは被買収企業だった。 健次郎の自叙伝ともいえる『熱意力闘』(日本経済新聞出版社刊)には当時の経緯が描かれている。 INAX創業家出身の2代目社長で中興の祖と呼ばれ、当時会長だった伊奈輝三が2000年11月、健次郎に電話をかけ、面会を申し入れた。輝三がINAXの本社があった愛知県常滑市から単身で東京にあるトステム本社にやってくるというので、健次郎も1人で応対。すると輝三はいきなり「両社が一緒になってはどうでしょうか」と提案した。 健次郎は、それまで深い付き合いがあったわけでもなかった輝三の急な申し出にひどく驚いたが、その場で同意し、経営統合は事実上1時間足らずで決まった。その際、輝三は株式の統合比率やトップ人事などに一切の前提条件を付けなかった。健次郎は『熱意力闘』の中で、「あれほどの優良企業がと思うと、今も不思議な気がする」と記している。 この経営統合について、当時を知る関係者は大概こう言う。 「もともとトステムは業界6位だったが、営業の猛者たちが片っ端から商談を成立させてトップにのし上がった会社。一方、INAXは争いを好まない、お公家さん集団のような会社だった。企業体質が全く異なる2社の経営統合は驚きで、獰猛なトステムにおっとりしたINAXは飲み込まれてしまうんだろうなあと思った」 企業体質の違いはその後のLIXILグループの権力構造に如実に現れている。瀬戸が潮田からの突然の電話で辞任を迫られた2018年10月時点の取締役の構成をみると分かりやすい。総勢12人のうちトステム出身者は潮田を含めて4人、対するINAX出身者は創業家出身の伊奈啓一郎と、INAX最後の社長だった川本隆一の2人しかいない。 残る6人のうち1人は瀬戸。あとの5人はコンサルタント会社マッキンゼー・アンドカンパニー出身の山梨広一、元警察庁長官の吉村博人、作家の幸田真音、英国経営者協会元会長のバーバラ・ジャッジ、公認会計士の川口勉。いずれも潮田の要請を受けて社外取締役に就いた人たちだ。) LIXILグループは指名委員会等設置会社で、潮田と山梨、吉村、幸田、バーバラの5人がCEOの人事権を事実上握る指名委員。取締役のうち瀬戸と伊奈、川本を除く9人は濃淡こそあれ潮田に近い人物である。圧倒的にトステム系が多く、もしINAXとの間で争い事が起きれば、必ずトステムの主張が通るようになっていた』、「「もともとトステムは業界6位だったが、営業の猛者たちが片っ端から商談を成立させてトップにのし上がった会社。一方、INAXは争いを好まない、お公家さん集団のような会社だった。企業体質が全く異なる2社の経営統合は驚きで、獰猛なトステムにおっとりしたINAXは飲み込まれてしまうんだろうなあと思った」」、「INAX]のような無欲な会社があったこと自体が驚きだ。
・『怪しかったLIXILのコーポレートガバナンスの実情 指名委員会等設置会社について説明する必要があるだろう。 日本企業は長らく取締役が経営の「執行」と「監督」を兼任してきたため、株主の視点から経営されることが少なかったと指摘される。しかし、これからは株主の利益を重視した経営をするべきだとして、2015年にコーポレートガバナンス・コードが定められた。 日本語で企業統治と訳されるコーポレートガバナンスが最も機能する仕組みは指名委員会等設置会社だといわれる。株式会社は「所有(株主)」と「経営」が分離されていて、株主の負託に経営が応える形になっているが、指名委員会等設置会社は経営をさらに「執行」と「監督」に分離しており、業務は執行に委ね、それを取締役会が監督することになっている。執行が合理的で適正な経営判断をしているのかを取締役が監督し、株主の負託に応えるという建て付けだ。 LIXILグループがこの指名委員会等設置会社となったのは2011年。日本でコーポレートガバナンス・コードが導入されるより前だったこともあり、「コーポレートガバナンスの優等生」と呼ばれたが、実情はかなり怪しいものだった。 瀬戸に「指名委員会の総意で辞めてもらう」という電話をかけた潮田はLIXILグループの発行済み株式の約3%しか所有していない少数株主である。会社に顔を出すことは滅多になく、月の半分以上をシンガポールで過ごし、そこで骨董品を集めたり、プロの声楽家を呼んで発声練習をしたりする悠々自適の生活を送っていた。 しかし実質的にCEOを選任する機能を持つ指名委員会や取締役会のメンバーを自分に近い人材で固めているため、思い通りにならなければ経営トップのクビを飛ばすことができる。表向きは指名委員会等設置会社だが、実際はわずかばかりの株式しか持たない潮田がオーナーとして振る舞ういびつな会社というのがLIXILグループで、瀬戸への電話は絶対権力者の最後通牒と言えた』、「表向きは指名委員会等設置会社だが、実際はわずかばかりの株式しか持たない潮田がオーナーとして振る舞ういびつな会社というのがLIXILグループ」、なるほど。
次に、6月24日付け文春オンライン「「僕は会食で辞意なんか告げていません」世間が注目した“リクシルお家騒動”の裏で…取締役会を手なずけた“創業家のウソ” 『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/54682
・『2018年10月31日、LIXILグループ(現LIXIL)は突如として瀬戸欣哉社長兼CEOの退任と、創業家出身の潮田洋一郎取締役の会長兼CEO復帰を発表。外部から招へいした「プロ経営者」の瀬戸氏を創業家が追い出す形となった。しかし2019年6月25日、会社側に戦いを挑んだ瀬戸氏が株主総会で勝利し、社長兼CEOに“復活”する。 ここでは、一連の社長交代劇の裏側に迫ったジャーナリスト・秋場大輔氏の著書『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』(文藝春秋)から一部を抜粋。2018年10月31日、取締役会を終えたLIXILグループは記者会見を開き、瀬戸氏の社長兼CEO退任と、山梨広一社外取締役の社長兼COO就任、潮田氏の会長兼CEO復帰を公表。瀬戸氏はその直後、自らを退任に追い込んだ潮田氏の“暗躍”を知ることになる――。(全4回の2回目/1回目から続く)』、興味深そうだ。
・『瀬戸退任が決議された取締役会では…… 記者会見とアナリスト説明会を終えた瀬戸はその日の夜、簡単な夕食を取りながら長かった1日を振り返っていた。 取締役会の直前に伊奈啓一郎と川本隆一、川口勉を見かけた。3人は瀬戸の退任に一様に驚いていて、取締役会では疑義を唱えることを約束してくれた。しかし実際に異議を唱えたのは伊奈と川本の2人だけで、その主張はかき消された。川口は退任の経緯こそ聞いたものの、逆に自分が辞任するという話が出ると大賛成といわんばかりの態度を見せたのには驚いたが、「潮田派」が多数を占める取締役会の構成を考えれば、議論の流れは想定内なのかもしれない。 しかし幸田真音が「今回の人事については、瀬戸さんがCEOを降りてもいいという話があったところから全てが始まった印象がある」という発言は意外だった。自分が辞めるのは指名委員会の総意、そうではなくとも潮田が意思統一をしていると思い込んでいたからだ。 取締役会で幸田は「用事がありますので失礼します」と言って採決には参加せず、部屋から出て行った。だから発言の真意を質すことはできなかったが、退席する際に、他の参加者に見つからないように「私は瀬戸さんにもう少し長くCEOをやって欲しかった」と書き添えた自分の名刺をそっと瀬戸に渡した。そこには幸田の携帯電話の番号が書かれていた。 自分も知りたいことがあるし、幸田も話したいことがあるに違いない。そう思った瀬戸は食事を途中でやめてスマートフォンを取り出し、名刺に書かれていた番号に電話を掛けた。そこで幸田が話した内容は瀬戸にとって驚くべきことばかりだった』、どういうことだろう。
。『幸田から聞いた“瀬戸退任劇”の驚きの裏側 指名委員会を10月26日に開くというのは急に決まったことで、事務局は24日から日程調整を始めた。忙しい身の幸田は「当日は残念ながら足を運ぶことができません。電話で参加します」と答えると、25日の夕方には潮田から直接電話があって、「瀬戸さんとは10月19日に夕食を一緒にしたんですけれど、そこで『CEOを辞めたい』と言い出したんです。びっくりしましたよ。至急後任を決めなければならない。だから私がCEOに、山梨さんがCOOになります」と言った。 幸田は唐突な話に驚きながら、「でも潮田さんは普段、シンガポールにいらっしゃるじゃないですか。経営なんてできるんですか」と聞くと、潮田は「方法は色々とありますよ」と答えた。 幸田は瀬戸にそんなやり取りがあったことを明かし、さらに「瀬戸が急に辞意を表明したため、潮田と山梨がショートリリーフで急場を凌ぐことになった。それならばリモート経営は仕方のないことかもしれない。いずれにせよ潮田CEO、山梨COOに就任は暫定的なものだ」というのが当時の自分の理解だったとも語った。 「幸田さん、僕は潮田さんに辞意なんか告げていませんよ。だいたい10月19日の会食で人事の話なんか出ていません」 瀬戸がそう言うと、今度は幸田が「驚きました」と言い、それから、26日の指名委員会の様子を説明した』、「潮田」は「瀬戸」が辞めるのは指名委員会の総意」と「瀬戸」に説明していたのとは、全く異なるようだ。
・『潮田が使った“二枚舌”の内容 指名委員会に出席したのは潮田と山梨、吉村博人の3人。自分とバーバラ・ジャッジは電話で参加した。さしたる質問は出ず、提案された人事案を指名委員全員が条件付きで賛成した。条件とは潮田が改めて瀬戸の意向を確認するというもので、31日の取締役会の前に指名委員会を再度開き、潮田の説明を聞くことが決まった。 幸田との電話で瀬戸は自分の退任が決まった経緯を理解した。つまりこういうことだ。 指名委員会を開くにあたり、潮田は幸田らに「瀬戸さんが辞めたいと言っている」と説明した。しかし指名委員会が開催された翌日の電話で、自分には「指名委員会の総意で辞めてもらう」と言った。つまり偽計を図った、言い換えれば二枚舌を使ったのだ。 翌日、瀬戸は吉村に電話を掛け、幸田から聞いた話が本当なのかを尋ねた。吉村は幸田が話した内容が概ね正しいと言い、さらにこんな経緯も明かした。 「潮田さんは『瀬戸さんが辞意を表明した』と言ったけれど、私にしてみれば『ああそうですか』と簡単には言えない。だから『潮田さんが瀬戸さんの意向を改めて確認した上でトップ交代を取締役会に諮ろう』ということにした。31日の取締役会の前に開かれた2回目の指名委員会は、潮田さんが瀬戸さんの意思を説明する場だった」という趣旨のことを言った。 事実が確認できて瀬戸は腹立たしさが募った。しかし二枚舌を使った潮田に反撃するべきなのか否か。心は揺れた。 〈クビ宣告があったことを知った幹部の中には「それはおかしいよ。泣き寝入りせず、立ち上がるべきだ」と言った人もいたけれど、指名委員会の総意なら仕方がないと考えて退任を受け入れた。しかし事実が違うのであれば話は変わってくる〉 〈とはいえ10月31日の午前中に開かれた取締役会でCEOの交代を決議している。その後の記者会見やアナリスト説明会で潮田体制はお披露目された。ここまで話が進んでいるのに、自分が暴れて会社が混乱に陥るようなことになるのは本望ではない。屈辱的なアナリスト説明会も我慢したのはそう思ったからだ。暴れることがきっかけで自分のキャリアに傷が付くのも困る。そうであれば大人しく引っ込むのも選択肢の1つではないか〉』、「瀬戸」氏が「自分が暴れて会社が混乱に陥るようなことになるのは本望ではない。屈辱的なアナリスト説明会も我慢したのはそう思ったからだ。暴れることがきっかけで自分のキャリアに傷が付くのも困る。そうであれば大人しく引っ込むのも選択肢の1つではないか」、さすがプロ経営者は考えることが違う。
・『瀬戸退任への反響 潮田に辞任を言い渡された時、瀬戸は「急に辞めれば株価は大暴落するだろうし、社員は混乱する」と言った。実際はどうだったのか。 記者会見は取引時間中に開かれたが、31日の東京株式市場でLIXILグループ株はさして反応することもなく取引を終了した。このため記者会見とアナリスト説明会の合間を控室で過ごした潮田は、同じ部屋にいた瀬戸に聞こえるよう大きな声で「山梨さん、株式市場は反応していないねえ」と言ったが、翌日になって、市場は潮田体制に露骨な疑問を呈した。11月1日の終値は1530円。前日に比べて14%下落した。 「社員は混乱する」という瀬戸のもう1つの“予言”も当たった。 瀬戸の退任はほとんどの社員にとって寝耳に水で、辞めることを知ったのは、瀬戸が社内向けSNSの「ワークプレイス」にこんなメッセージを載せたからだ。 「私は2016年1月にLIXILに参画して以来、グループ内のシナジー最大化に注力し、組織の簡素化、フラット化を進め、水回り事業を担うLWT事業をLIXILグループの成長を支える中核事業として強化してきました。また、デジタル分野への投資を進め、新しい戦略を推進することで、業界を主導する体制を築いてきました」 「しかしながら、私と取締役会の間で今後の方向性に相違があることがわかりました。取締役会の決定によりこの会社の舵取りを任されたのですが、今後の経営方針の転換という取締役会の判断を尊重したいと思います。この3年間の、みなさんの協力とこれまでの貢献に心から感謝しています」 その後、約10日間に瀬戸のコメントには400近くのリアクションが寄せられ、そのほとんどに「悲しい」というマークが付いた。中にはあえてコメントを寄せる従業員もいた。 「残念でなりません。瀬戸さんの方針がとてもオープンで大企業で働いているって思えました。仕事をしていて将来を明るく感じていたところなのに。残念です。できればやめないでいただきたいと切に思っております。方針の違いってなんだったのでしょうか。不安で仕方ありません」 「オープンな企業文化改革、フラットな組織改革、新価格制度、LIXILのあらゆる改革をスクラップ&ビルドで取り組まれており、いずれも共感できるもので軌道に乗ればきっと最高のLIXILになると思ってがんばってきたのですが、スクラップしたところでビルドの形を変えるのはあり得ません。ただただ不安です。瀬戸さんとしても本意ではないのかもしれませんが、このタイミングで退任しないでほしいです」 従業員向けの対応で、潮田、山梨と瀬戸の態度は異なった。新体制が発足した11月1日に潮田と山梨は早速一部の営業幹部を集めて檄を飛ばしたものの、従業員全員に対するメッセージを発信することはなかった。それに広報担当役員のジン・モンテサーノは苛立った』、「潮田と山梨は早速一部の営業幹部を集めて檄を飛ばしたものの、従業員全員に対するメッセージを発信することはなかった」、「広報担当役員のジン・モンテサーノは苛立っ」のも無理もない。
・『広報担当役員が苛立った理由 ジンがLIXILグループに入社したのは2014年である。当時はベルギーのブリュッセルで仕事をしていたが、瀬戸の前任だった藤森義明に「広報体制をグローバル化するのに協力してくれないか」と誘われたのがきっかけだった。その藤森が急にCEOを退任するとなった時に社内は大混乱した。瀬戸の退任も藤森の時と同じくらい急である。ここで新体制がどういうつもりなのかを従業員にはっきりさせておかないと藤森退任の時の二の舞になると思ったが、潮田も山梨もどうやらそのつもりがない。 苛立った理由はまだあった。ジンが瀬戸から「クビを宣告された」という連絡を受けたのは10月27日である。びっくりして翌日の日曜日に「事態が飲み込めません。そもそも急すぎるのではないでしょうか」と潮田に連絡すると、「落ち着いてください。月曜日に説明しますよ。ジンさんは心配性なんだから」と諫められた。しかし「説明しますよ」といった29日月曜日に訪ねると、潮田は突然、「24時間以内にプレスストーリーを作ってください」と言った。おかげでジンは突貫工事を強いられた。 〈潮田さんと山梨さんは忙しいのかもしれないが、ひょっとすると従業員など眼中にないのかもしれない。だからメッセージを出そうとしないのではないか。しかし情報を発信しないことが経営にマイナスであることにそのうち気づくだろう。「心配性なんだから」と言っておいて、後になってから急に「交代会見のプレスストーリーを作ってくれ」と言った時と同じように態度を急変させるかもしれない。そのしわ寄せは広報に来るに違いない〉 そう考えたジンは改めて潮田と山梨に「社内は動揺しています。顧客も同じに違いありません。何も言わないのはかなり不親切じゃないですか」と食い下がった。潮田はようやく「ジンさん、それでは文面を作ってください」と言った。新体制が出した所信表明は広報部が作成した文書で、それがワークプレイスに載った。 瀬戸は会社の実情を細部に至るまで自分で把握したがる経営者だが、潮田はそれとは正反対のタイプ。実務には無頓着で、「経営者とは大きな方向性を打ち出すだけでよい」と考えていたフシがある。『日経ビジネス』のインタビューでは「私は捨て石になることも多いが、布石を打つのが好きなんですよ。それに今期の利益を極大化する必要はないと思っている。10年後、20年後に花開く要素をどれだけ持っているかによって経営は決まるという考え方なんです」と語っているのはその象徴だ。 新体制スタート前後の潮田にとって、最大の関心事は瀬戸を追い出すことで、それ以外、例えば従業員向けにメッセージを出すことなどは些事だったのだろう。広報作成のメッセージには「良い会社にして欲しい」「期待している」といったコメントもあったが、潮田の姿勢を批判する辛辣なコメントも寄せられた。 「感謝している、という言葉の果てが実質的解任なんですか? 世間が言わしめるほどのプロ経営者を招いて、続けて2人も。コーポレートガバナンスとはなんですか? 創業家のエゴですか? 彼ら2人を招聘されたのは取締役会の決定という名ばかりのあなたの独断ではないですか? 世間はそう思っています」』、「瀬戸は会社の実情を細部に至るまで自分で把握したがる経営者だが、潮田はそれとは正反対のタイプ。実務には無頓着で、「経営者とは大きな方向性を打ち出すだけでよい」と考えていたフシがある」、「従業員向けにメッセージを出すことなどは些事だった」、なるほど。
・『瀬戸に掛かってきた弁護士の友人からの電話 11月2日。金曜日の深夜に、吉野総合法律事務所の弁護士、吉野正己のスマートフォンが鳴った。掛けてきたのは瀬戸だ。新聞記事で瀬戸がLIXILグループのCEOを辞任したことを知っていた吉野はどう慰めたら良いのか分からず、とりあえず「大変だったなあ」と言うと、瀬戸は「その件で相談したいんだ」と言った。 瀬戸と吉野は私立武蔵中学校時代からの友人である。共に武蔵高校へ進み、卒業後、瀬戸は東京大学文科二類に、吉野は文科一類にそれぞれ進学した。受験時代は分厚い参考書でも2、3度読めば、ほぼ内容が頭に入ったという記憶力を持つ吉野は、外務省の上級職試験に合格して東大法学部を卒業、外務省へ入省したが、わずか6年で退職。退職後に司法試験を受けて弁護士になっていた。 瀬戸が辞任の顚末を話すと、吉野はこう答えた。 「取締役会が虚偽の情報に基づいて人事を決議したのなら、決議を無効にすることはできるよ。そんなことは俺がやってやる。ただ裁判には時間がかかる。それに潮田さんのCEO選任決議が無効になっても、瀬戸をCEOに選任する決議は別にやり直さなければならない。取締役会は潮田派が多数を握っているんだろ。選任決議に持ち込んだとしても瀬戸は選ばれないよ。残念ながら裁判に訴えても瀬戸のCEO復帰は難しいということだ。むろん手がないわけではない。臨時株主総会を開いて潮田さんと山梨さんを取締役から解任すること。でもそれはちょっと過激な行動だよな」 退任発表後の従業員やアナリストの反応、株価の動き、そして吉野の話を聞いて、今後のキャリアを考えれば大人しくしている方が得策ではないかという心境に傾いていた瀬戸の気持ちは少し変わった。 〈騒がないことが会社のためになるかも知れないとも考えたけれど、退任を惜しんでくれる人がいる。少なくとも真実は明らかにしたい。しかし吉野は裁判だと時間がかかると言った。そうであれば退任の経緯を指名委員会の人にきちんと認識してもらい、決議を覆すのが最善策かもしれない〉 まずは指名委員会だ。そう思った瀬戸は指名委員会から取締役会までに何が起きたのかを教えてくれた幸田や吉村に動いてもらおうと考え、2人に面会を申し込んだ。その一方で吉野に改めて連絡をして、「とりあえず幸田さんと吉村さんに会うつもりだ。話を聞いた後に会って、また相談させてくれ」と言った。 瀬戸からの電話を受けた吉野は当初、友人として軽くアドバイスをしているつもりだったが、次第にかなり由々しき事態であることがわかり、法曹家として見過ごしてはいけない気になってきた。 吉野は週末にいつでも瀬戸に会えるよう自宅で待機していた。しかし待てど暮らせど瀬戸から電話がない。ようやく掛かってきたのは11月4日、日曜日の夜だった。瀬戸は言った。 「申し訳ない。今日は吉野に相談することがなくなっちゃった。指名委員会を動かそうと幸田さんと吉村さんに何度も電話をしているんだけれど通じない。2人とも指名委員会から取締役会までの経緯をちゃんと教えてくれたのに、なんで急に距離を置くようになったのだろう。理由が分からない」』、「幸田さんと吉村さんに何度も電話をしているんだけれど通じない。」、何が起こったのだろう。
第三に、この続きを、6月24日付け文春オンライン「「今回の社長交代には納得できない」リクシルを追われた“プロ経営者”が創業家と全面戦争へ…CEO復帰を明言した“逆襲の記者会見” 『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #3」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55342
・『2018年10月31日、LIXILグループ(現LIXIL)は突如として瀬戸欣哉社長兼CEOの退任と、創業家出身の潮田洋一郎取締役の会長兼CEO復帰を発表。外部から招へいした「プロ経営者」の瀬戸氏を創業家が追い出す形となった。しかし2019年6月25日、会社側に戦いを挑んだ瀬戸氏が株主総会で勝利し、社長兼CEOに“復活”する。 ここでは、一連の社長交代劇の裏側に迫ったジャーナリスト・秋場大輔氏の著書『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』(文藝春秋)から一部を抜粋。2019年4月5日、東京・大手町のオフィスビルで記者会見を開いた瀬戸氏は、CEOに復帰してLIXILグループを立て直すことを表明する。(全4回の3回目/4回目に続く)』、興味深そうだ。
・『号砲を鳴らす日 2019年4月5日の東京は、雲の切れ間から時折日差しが地面に届くような天気だった。この時期にしては少々蒸し暑い日に、東京・日本橋にある吉野の事務所には朝から続々と人が入ってきて、「久しぶり」「元気だった?」などと声を掛け合った。 声の主は瀬戸が立ち上げたモノタロウのOBやOGである。モノタロウは本社を兵庫県尼崎市に置いていて、社員のほとんどは関西に住んでいる。吉野の事務所に集まった面々は前日に東京へやってきてビジネスホテルに宿泊し、この日の朝、地図を頼りに地下鉄の日本橋駅から少し離れたところにある吉野の事務所へやってきたのだ』、「モノタロウ」は「瀬戸が立ち上げた」とは初めて知った。
・『「最近は何してんの?」 「家の近くに畑を借りて、きゅうりやらトマトやらを植えてんねん。この歳やから、体がきつくてかなわんわ」 OBとOGが、まるで同窓会が開かれているかのような会話を関西弁でしているところに瀬戸が現れた。 「急なお願いで本当に悪かったね。東京へは昨日来たんでしょ。よく休めた?」 瀬戸がお礼と労いの言葉をかけると、1人が答えた。 「いや、電話をくれて嬉しかったわ。新聞やテレビで瀬戸さんが大変な目に遭うていることは知ってましたから。こんな時にお役に立てることがあるなんて、ありがたいお話ですわ」 瀬戸は2018年10月31日に開かれた記者会見の冒頭で「皆さんにお会いするのもこれで最後になると思いますけれど……」と、表舞台に立つのはこれが最後であるかのようなことを言った。 しかしその後、潮田と山梨を解任し、CEOに復帰してLIXILグループを立て直そうと考えを改めた。それがDo The Right Thingだと思ったからだ。もっともこの試みが正義であることは、指名委員会や株主からの賛同を得て初めて証明できるものでもあった。それには公の場に立ち、世間に訴える必要がある。4月5日はその号砲を鳴らす日だ。 瀬戸はこの日に備えてAというPR会社と契約を結んでいた。会見場の設営や記者会見の司会進行はもちろんのこと、当日、メディアに配る資料を作成したり、質疑応答に備えて想定問答を作ったりするのがAの仕事だった。 しかしAは記者会見の直前になって突然、契約の解除を申し入れてきた。瀬戸が理由を尋ねると、担当者はこう言った』、「PR会社と契約を結んでいた」とはさすがだ。
・『瀬戸が激怒した担当者の言葉 「うちがPRの業務委託を受けている先にLIXILグループと関係の深いところがあります。瀬戸さんの依頼を受けると、ともすれば利益相反行為になってしまいます。それで誠に申し訳ありませんがお断りしようということです」 瀬戸は激怒した。契約を結ぶ時、Aの担当者は「弊社が業務委託を受けている先には瀬戸さんと利益相反が生じる可能性があるところもあります」と確かに言った。しかし「しかし社内では完全にファイアーウォールを敷いておりますのでご安心下さい」とも語った。それが記者会見の直前になって利益相反を理由に契約の解除を申し入れてきたのだ。おまけに契約を結んでからその日までの委託料を当然のように請求してきた。 いずれにせよ関係を継続するわけにはいかない。契約はその場で打ち切った。それからしばらく「利益相反が生じる可能性がある相手」とは誰なのかを考えたが、最重要課題は目前に控えている記者会見をどう乗り切るかだと思い直し、善後策を考えた』、「利益相反を理由に契約の解除を申し入れてきた」にも拘らず、「契約を結んでからその日までの委託料を当然のように請求してきた」、とは酷い話だ。
・『記者会見には瀬戸の妻、陽子の姿も Aが予約した会見場は大手町のオフィスビルの2階にある会議室である。記者会見に使えそうな近隣の会議室に比べると使用料は手頃だったが、その分、エントランスから会見場までの動線が少し分かりにくかった。 記者会見に参加するメディアは迷うかもしれないから会場まで案内をする人が3人必要だ。そのほか受付にも3人いるだろう。司会が1人、質疑応答の際に記者の元へマイクを運ぶ人が2人……。瀬戸は自ら会場へ足を運び、記者会見を開くのに必要な人数を割り出し、モノタロウのOBやOGに直接電話をかけた。瀬戸からの突然の電話に誰もが一様に驚いたが、事情を聞き、ほとんどが2つ返事で東京行きを決めた。 記者会見の開催を決めてから実際に開くまでの時間はわずかだったにも拘わらず、吉野の事務所に10人近くが顔を揃えた。その中にモノタロウのOBやOG一人ひとりに頭を下げ、お礼を言っている瀬戸の妻、陽子の姿もあった。同じ部屋にいた瀬戸が人数を数え、「マイクを運ぶ人がどうしても1人足りないなあ」と言うと、陽子は「それ、私がやるわ」と買って出た。 受付は陽子が営む会社で働く岩根静江が、司会はモノタロウでIRを担当していたOGの山崎知子が請け負った。記者会見で配布するプレスリリースは当日の朝までかかって瀬戸と吉野が作成した。徹夜になったのは、株主に海外の機関投資家もいて、日本語版だけでなく、英語版も2人で手分けして作ったことに加え、記者会見で出そうな質問に対する回答集も作ったからだ。 難儀だったのは取締役候補者の略歴書作りだった。社外取締役候補となった西浦や鬼丸、濱口、鈴木はさまざまな経験をして現在に至っている。これを寸分間違えることなく経歴書に落とし込む作業は、間違いがあってはいけないため意外と手間がかかる。それを瀬戸に西浦を紹介した岸田が仕事の合間を縫ってまとめた。 約20年前の2000年、瀬戸はわずかばかりの仲間と大阪の阿波座にあるペンシルビルに事務所を借りてモノタロウを創業した。当時、eコマースと呼ばれたビジネスの肝である情報システムですら自前で構築し、家賃5万円のマンションを借りて、そこにサーバーと冷却用のクーラーを何台も置いて商売を始めた。4月5日午後1時から始まった記者会見は、裏方にその道のプロが1人としていない何から何まで手作りの舞台だったが、それはモノタロウが産声を上げたころの様子をどこか彷彿とさせた。 司会の山崎に促される形で登壇した瀬戸は、自分を含む取締役候補を紹介した上で2つの話をした。1つは6月の定時株主総会に株主として瀬戸を含む8人を取締役候補として提案、選任を求めるが、今後指名委員会に対し、この8人を会社提案の取締役候補にするよう働きかけていくということである』、「社外取締役候補となった西浦や鬼丸、濱口、鈴木はさまざまな経験をして現在に至っている。これを寸分間違えることなく経歴書に落とし込む作業は、間違いがあってはいけないため意外と手間がかかる」、確かに大変そうだ。
・『「お友達内閣を作ろうとしているのではない」 もう1つは、この取締役候補が選任されれば自分はCEOに戻るつもりであり、復帰後には昨年スタートさせた中期経営計画を復活させると話した。 瀬戸は4人の社外取締役候補について説明し、「いずれも立派で実績もある方ばかりですが、もう1つ候補者には共通項があります。いずれも信頼できる第三者からの紹介で出会った人ということです。かねてからの友人ではなく、私を監督し、叱り、必要によっては交代させられる方々であり、誰の私利私欲も退けられる人ばかりです」と強調した。それは指名委員会や株主に対するメッセージで、「お友達内閣を作ろうとしているのではない」という意思表示である。 もう1つ語気を強めたのは吉田がトステム出身者であることだった。自分たちの提案にトステムもINAXもないということを伝えたかったからだ。その上で今の自分の心境を語った。 「昨年10月31日にCEOを退任してから何をすべきかをずっと考えました。正直申し上げて他の仕事をしようかと思ったこともあります。でも私の行動規範の最後の拠りどころは『Do The Right Thing』です。虚心坦懐に自分がすべきことを考えた時、LIXILグループに戻って仕事を全うすることが正しいことだと結論づけました」 「今回の経営者交代は明らかに正しい事ではなかったと思います。これを許したら、LIXILグループは正しい事をしない会社と思われてしまう。それでは従業員や株主に迷惑がかかるし、そもそも従業員に対して『正しいことをしよう』と言い続けてきた自分自身がそこから逃げたことになる。だから復帰を目指すことにしました」 質疑応答に移ると、メディアからの質問は退任の経緯に集中した。すでに『日経ビジネス』や『FACTA』、『日本経済新聞』などが報じていたことに加え、公表された調査報告書要旨にも書かれていることではあったが、瀬戸が公の場に出たのは昨年10月31日以来のこと。メディアは本人の口から聞きたいと思ったのか、さかんにこれまでの経緯を問いただした。 次に多くの質問が寄せられたのは瀬戸の潮田に対する思いだった。瀬戸は「LIXILグループを経営する機会を与えてくれたことは感謝したい」と前置きした上で、国内事業でシェアと利益率のどちらを重視するか、ペルマをどう捉えるかといった点で潮田とは考えが違ったことを指摘した。さらにシンガポールに住みながら経営が出来るのかなどと潮田の経営スタイルに疑問を投げかけ、事実上、潮田の一存で人事が決まってしまうLIXILグループのコーポレートガバナンスは正さざるを得ないと語った。 一般的に記者会見の所要時間は40分から50分程度で、長くても1時間というのが目安である。しかし、少しでも多くの世間や株主に自分たちの行動は正義であると認識してもらう必要があると考えた瀬戸は吉野と相談して会見時間を1時間半と設定し、さらに質疑応答が終わった後に発表者をメディアが囲んで追加の質問をする、いわゆる「ぶら下がり」にも応じた。会見が終わったのは午後3時を過ぎていた』、「少しでも多くの世間や株主に自分たちの行動は正義であると認識してもらう必要があると考えた瀬戸は吉野と相談して会見時間を1時間半と設定し、さらに質疑応答が終わった後に発表者をメディアが囲んで追加の質問をする、いわゆる「ぶら下がり」にも応じた。会見が終わったのは午後3時を過ぎていた」、マスコミ対応を丁寧にしたのは正解だ。
・『2通りのプロセス 3月20日に機関投資家4社と伊奈が、潮田と山梨の解任を議案とする臨時株主総会の開催を請求した。これが賛成多数で可決されたとして、LIXILグループのその後の経営をどうするか。瀬戸が4月5日に発表したのは自身を含む8人の取締役が選任され、自分がCEOに復帰して舵取りをするというものだった。 復帰は2通りのプロセスが考えられた。株主提案で8人の選任を求めて定時株主総会に臨み、株主の審判を仰ぐというものが1つで、もう1つは指名委員会や取締役会が瀬戸を含む8人を会社提案の候補者にするという方法である。それを4月5日の記者会見で話した瀬戸は、後者のプロセスの可能性が10分にあるのではないかと考えていた。この時点でLIXILグループは定時株主総会に諮る会社提案の取締役候補を決めていないからばかりではない。他にも理由があった。) 1つはメディアの報道が概ね瀬戸に好意的だったことだ。記者会見で可能な限り丁寧に対応し、その後、続々と申し込まれた単独インタビューに全て対応したことも奏功したのかもしれない。瀬戸が記者会見を開いている間にLIXILグループの株価が急騰し、4月5日は前日比90円高の1654円で引けたことも好材料だった』、「株価が急騰」は経営陣への信認の表れだ。
・『瀬戸の追い風となる2つの動き さらに瀬戸には追い風となる2つの動きがあった。1つは豪ファンド運用会社のプラチナム・アセット・マネジメントが潮田と山梨の解任に賛成すると表明し、「瀬戸氏主導の事業再生が道半ばで、経営首脳の交代に納得できない」というコメントを出したことである。プラチナムはLIXILグループの株式を議決権ベースで4・42%保有する2位株主。それが解任に賛成すると表明したことは、他の株主にも少なからず影響を及ぼすことが予想された。 もう1つは会見当日と偶然重なった朝日新聞の報道だった。年明け以降、西村あさひ法律事務所がまとめた調査報告書の内容と開示方法を巡ってLIXILグループの取締役会はもめた。侃々諤々の議論の末、2月25日に報告書を編集した「報告書要旨」が会社名で公表され、それが機関投資家らの反発をさらに増幅させたが、朝日は「要旨」ではなく、「調査報告書」の内容を報じ、会社が意図的に公表を避けた点を明らかにしたのだ。少々長くなるが記事を引用する。 住宅設備大手、LIXIL(リクシル)グループの首脳人事の経緯が不透明だと機関投資家が疑問視している問題で、第三者の弁護士がまとめた首脳人事に関する調査報告書の全容が明らかになった。CEO(最高経営責任者)に復帰した創業家の潮田洋一郎氏に対する遠慮が多くの取締役にあったことがガバナンス(企業統治)上の問題を招いた原因だと報告書は指摘していたが、LIXILはこうした部分を伏せて公表していた。 LIXILは、首脳人事の手続きの透明性について調査・検証が必要だとする意見が一部の取締役から出たことを受け、第三者の弁護士に調査を依頼した。2月25日に調査報告書の簡略版を自社ホームページで公表したが、全文公開はしなかった。首脳人事を疑問視する機関投資家が情報開示が不十分だとして反発。全文公開を求めているが、LIXILは応じていない。 朝日新聞は2月18日付の調査報告書の全文を入手した。LIXILの監査委員会から調査を委嘱された弁護士がまとめた報告書は全17ページ。取締役全員に聞き取り調査を実施し、関連資料を精査してまとめたものだ。一方、LIXILが公表した簡略版は8ページ。社長を退任した瀬戸欣哉氏と潮田氏の対立の詳しい経緯や背景、聞き取り調査での取締役の発言など多くの記述が省略されていた。 調査に至った経緯や報告された事実をまとめ、今後の対応を記す体裁をとっており、報告書全文の章立てにも修正が施されていた。全文には「一連の手続きにおけるガバナンス上の問題点」と題する4ページにわたる章があるが、その大半が削られ、「調査結果を踏まえた当社の対応」の章が加えられており、全文に沿った要約とは言い難い内容に修正されていた。(中略) 簡略版では伏せられているが、首脳人事の「ガバナンス上の問題点」の検証結果も盛り込まれていた。指名委の議論が潮田氏主導で行われ、指名委が瀬戸氏の辞意を確認していなかったと指摘し、手続きの客観性・透明性の観点から望ましくないとの見解を示していた。 さらに、「創業家である潮田氏が自分でCEOをやると言っている状況で、それに異を唱えることのできる者はおらず、誰も反対のしようがない状況だった」という調査対象者の発言を記し、「社外取締役を含めた多くの取締役に潮田氏に対する遠慮があったことが認められる」と分析。「このことが潮田氏が提案する人事に対して、ガバナンスを効かせた議論をすることができなかった原因・背景の1つになった」と指摘していた。(朝日新聞2019年4月5日) 機関投資家と伊奈が臨時株主総会の開催を請求した時点で、指名委員会にその結果を見通すことは難しく、取りうる選択肢はいくつもあった。しかしプラチナムの発表や朝日のスッパ抜き、記者会見後の一連の報道や株価の値動きで、潮田サイドは不利な状況に追い込まれているといえた。おまけに会社は朝日新聞の報道で観念したのか、シンガポール移転のくだりなどを黒塗りにした報告書を9日に全文開示している。潮田と山梨が解任される可能性は俄然高まった。 それでも指名委員会が潮田の意向に沿った取締役候補を立てれば、今度は批判の矛先が指名委員会に向かいかねない。さらに瀬戸は記者会見で、「現在の社外取締役で、私たちの候補者チームに参加して頂ける方がいれば、それは経営の連続性の観点からも前向きに検討したい」と語り、社外取締役の中で再任に意欲を見せていた指名委員長のバーバラ・ジャッジがなびきやすい状態も作っていた。だから指名委員会は自身を含む8人、もしくはバーバラを含む9人を会社提案の取締役候補にすることもあり得る。瀬戸はそう考えた』、最終的にどうなったかは次の記事。
第四に、この続きを、6月24日付け文春オンライン「「これで『100倍返し』をしてやった」“お家騒動中”のリクシルが取締役辞任を電撃発表…プロ経営者を追い込む“創業家のシナリオ” 『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #4」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55343
・『2018年10月31日、LIXILグループ(現LIXIL)は突如として瀬戸欣哉社長兼CEOの退任と、創業家出身の潮田洋一郎取締役の会長兼CEO復帰を発表。外部から招へいした「プロ経営者」の瀬戸氏を創業家が追い出す形となった。しかし2019年6月25日、会社側に戦いを挑んだ瀬戸氏が株主総会で勝利し、社長兼CEOに“復活”する。 ここでは、一連の社長交代劇の裏側に迫ったジャーナリスト・秋場大輔氏の著書『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』(文藝春秋)から一部を抜粋。2019年4月18日、緊急記者会見を開いたLIXILグループの潮田氏は、自ら取締役辞任を表明する。その真意とはいったい——。(全4回の4回目/3回目から続く)』、興味深そうだ。
・『突然の潮田辞任表明 瀬戸が記者会見を開いたのは2019年4月5日だった。その4日後の9日に、潮田は『読売新聞』と経済誌『週刊東洋経済』のインタビューに応じている。そこで2018年10月31日に開いた記者会見の時と同じように、瀬戸の経営は拙かったという趣旨の発言を繰り返したが、同時に今後の経営に対して意欲的とも取れることを語った。 例えば臨時株主総会で解任を求められていることについては、「希望があれば株主様には会います。分かってもらえるはずですよ」と発言。今後の経営計画を問われると、「連休明けの5月13日に決算発表を予定しています。その時に2020年3月期決算の見通しと、今後3~5年の新しい計画を発表する予定です」とも答えた。しかし10日も経たずに態度を180度変えた。 4月18日午後4時半、東京・六本木にある会議場「ベルサール六本木」でLIXILグループが緊急記者会見を開いた。ペルマの減損損失を計上したことなどで、3月期の最終損益が当初見込んでいた15億円の黒字から一転、530億円の赤字になる見通しだという業績下方修正を発表した。 この会見には潮田と山梨、CFOの松本が出席。そこで潮田は5月20日付で取締役を退任し、6月の定時株主総会でCEOも辞めると表明した。山梨は定時株主総会までは取締役とCOOを続けるが、総会後は取締役には残らないと言った。 潮田の取締役辞任表明は“奇襲”といえた。臨時株主総会が開かれれば潮田と山梨は解任される可能性がかなり高まっていたが、その臨時株主総会を開く根拠を失くすものだったからだ。しかし潮田は会見で、そうした目論見があって退任するのではないと強調した。巨額の赤字を計上することになったのは瀬戸がCEOとして手を打たなかったからで、退任するのはその瀬戸をCEOにした任命責任を取るからだという論理を展開した。 「取締役退任は臨時株主総会を回避するためではありません。今回の巨額損失の責任は瀬戸さんにありますが、彼をCEOに任命したのは当時の指名委員会のメンバーで、取締役会議長だった私の責任です。だから辞めるんです。私は38年間取締役をやってきましたが、(瀬戸の任命は)大変な、最大の失敗でした」 会見での潮田は瀬戸の退任を発表した2018年10月31日の時と同様、言いたい放題だった』、「潮田の取締役辞任表明は“奇襲”といえた」、確かにその通りだ。
・『潮田の過激な発言は瀬戸に向けられ…… 「ペルマの買収を決めたのは私です。窓については世界一の技術を持つ会社を手に入れるのは夢でしたからねえ。うまく経営できるはずだったんです。しかし瀬戸さんの3年間の経営が宝石のようだったペルマを石ころにしてしまった。経営がおかしくなっているのなら、せめて取締役会で報告して欲しかったが、それもなかった」 「瀬戸さんは定時株主総会に株主提案をして、自らCEOへの復帰を目指しているようですけれど、この赤字を招いた責任をどう思っているんですかねえ。訝しく感じます」 一般的に会見に出席する記者は、発表者が口にする刺激的な発言をわざと取り上げる傾向がある。発表者が会見後に「一部が切り取られて報道された」と怒ったりするのはこのためだ。その意味で4月18日の会見は報道する材料にとって、いわば「撮れ高」の多いものだったが、ほとんどのメディアは潮田の過激な発言をカットして報じた。瀬戸への強烈な私怨を感じ取り、さすがにこれを報道するわけにはいかないと思ったからだろう。 業績下方修正を発表して、全ての責任を瀬戸に負わせる。臨時株主総会を前に潮田が辞任する。瀬戸にとって2つのシナリオは予想の範囲内ではあったが、いざ発表となると、さすがに驚き、聞き捨てならないと思った。 ペルマは確かに優れた会社だったかもしれない。しかしデジタル技術の革新で優位性は失われ、買収した時点ですでに「宝」どころではなかった。無理に受注したのは藤森時代で、そのツケが今回の決算に出たのに、潮田は会見で瀬戸の責任だと言った。 瀬戸は潮田の説明が明らかに間違いだと証明することができた。CEO就任が決まってすぐに作成したLIXILグループの経営に関する報告書では、かなりのページを割いてペルマのリスクを説明していた。正式にCEOになったのは2016年6月の株主総会後だが、その翌月の取締役会でペルマにどれくらいの損失が発生する可能性があるのか、具体的な数字を盛り込んだ資料も提出していた。取締役会の議事録を見れば、その後も報告を続けていたことは明らかだ。「取締役会への報告がなかった」という発言は、瀬戸の退任劇で偽計を使った潮田らしいと言えばそれまでだが、およそ容認できるものではなかった』、取締役会議事録を見れば分かるのに、「取締役会への報告がなかった」と強弁する「潮田」は平常心を失っているようだ。
・『潮田に反論するために瀬戸が取った行動 潮田の会見が終われば、メディアは当然、瀬戸にコメントを求めてくることが予想された。どこで応じ、どう反論するか。瀬戸がそれを考え始めた時に吉野から電話が入った。 「瀬戸、すぐに反論しよう。しかし、今から記者会見を設営するのは無理だ。20人くらいしか入れないけれど、俺の事務所でぶら下がり取材に応じるしかない」 「潮田さんの発言を聞いたけれど、よくあそこまで噓が言えるな。頭にきたからぶら下がりは霞が関ビルのエントランス前にして、時折、36階を見上げてやるパフォーマンスをしようと思ったくらいだが、吉野の事務所に集まってもらうのが現実的だな」 瀬戸は続けた。 「吉野、もちろん反論するよ。でも潮田さんと水掛け論になるのは避けたい。だからぶら下がりでは説得力を持たせることが大事だと思うんだ。LIXILグループの経営分析をした時の報告書とか、ペルマのリスクを数字で示すために作った資料が手元にあるんだけれど、これを持って話をするのはどうかなあ」 「でも、それは内部文書だろ。メディアに見せるわけにはいかないよな」 「だから『中身を見せるわけにはいかないが、証拠はここにある』と言うつもりだ」 「それならメディアは潮田さんの噓を理解するかも知れないね」 4月18日午後7時過ぎ。吉野の事務所は20人を超えるメディアで溢れかえった。「急に呼び立てたのに、広い部屋じゃなくて申し訳ないですね」。吉野が殺到するメディアに何度も詫びているところへ、瀬戸が予定よりも少し遅れて現れた。) すかさず取り囲んだ記者に潮田の取締役退任について「臨時株主総会を回避するためではないですかね」と感想を述べるなどしていると、案の定、「潮田さんは『瀬戸さんからペルマの経営状態について報告がなかった』と言っていましたが……」という質問が出た。 「そうおっしゃったみたいですが、事実と違います。私が手に持っているのがその証拠で、当時の報告書の一部です。皆さんにお見せしたいところですけれど、内部情報が含まれているから見せられない。残念です」 瀬戸はそう言いながら、数十枚に及ぶA4サイズの紙の束をくしゃくしゃに握りしめ、「悔しさ」を演出した』、「A4サイズの紙の束をくしゃくしゃに握りしめ、「悔しさ」を演出した」、「瀬戸」氏もなかなかの役者だ。
・『潮田が10日足らずで退任を表明した理由 潮田がメディアの取材に応じてから10日足らずで退任を表明することにしたのはなぜか。瀬戸は調査報告書をまとめて以降、LIXILグループからは手を引いた西村あさひ法律事務所に代わって再び前面に出てきた森・濱田松本法律事務所か、株主総会をどう乗り切るべきかというアドバイスなどをするコンサルタント会社のアイ・アールジャパン(IRJ)ホールディングスの入れ知恵だろうと考えた。 機関投資家と伊奈は3月20日に臨時株主総会の開催を請求し、そこでの潮田と山梨の解任を求めたが、潮田は当初、実際に開いたところで賛成は少数にとどまると踏んでいたフシがある。しかし時間が経つにつれて雰囲気は変わり、解任が現実味を帯びてきた。瀬戸は、潮田にそうした情勢変化を伝えたのも、取締役を退任するという「ウルトラC」を考えたのも森・濱田松本法律事務所かIRJと考えた。 会見で潮田は「6月の株主総会で会長兼CEOも辞めるが、その後、アドバイザーをやってくれと言われれば考える」と言い、山梨は「株主総会以降は取締役にはならないが、許されるのであれば執行に専念したい」と含みをもたせた。つまり山梨は潮田の後任となる会長兼CEOに就く用意があり、潮田は山梨の相談に乗るのはやぶさかでないと言った。 潮田は大掛かりなことは考えるが、細かなことには関心を持たない。一方の山梨は前年11月以降、LIXILグループのCOOとして日常的なオペレーションの舵取りをするようになったが、大事なことは必ず潮田に相談していると聞いていた。2人が会見で断定的な物言いをしていないから決めつけるわけにはいかないが、取締役ではないCEOと相談役が経営する、極論すれば「6月以降、肩書きは変わるが業務執行体制は変わらない」という前代未聞の人事を2人が考えつくとは思えない。 いずれにせよ4月18日の記者会見は事態を大きく変えた。潮田や山梨にとって臨時株主総会を開く必要がなくなったことはプラスの局面転換だっただろうが、一方、その時の2人が予想できなかったマイナスの局面転換もあった。その1つはCFOの松本が態度を一変させたことだ。 説明が必要だろう。瀬戸を陰に陽に支えたLIXILグループの経営幹部は何人もいたが、潮田や山梨にとって明確な敵は株主提案の取締役候補になった吉田と広報担当役員のジン、それに瀬戸チルドレンともいえる金澤ぐらいだった。 株主提案の取締役候補となった吉田は言うまでもない。広報担当役員のジンは昨年10月に瀬戸が事実上解任されたことについてメディアや株式市場の反応をレポートにまとめて取締役会に提出、潮田の逆鱗に触れた。その後、広報業務は潮田や山梨がIRJと同じタイミングで雇った危機管理広報コンサル会社のパスファインドが担うようになるという憂き目も見た。潮田や山梨はLIXILグループのデジタル戦略を支えるCDOの金澤に業務上では頼ったものの、瀬戸に誘われてLIXILグループ入りしている以上、潮田や山梨にとって味方とは言えない。 やや脱線するが、金澤については余談がある。瀬戸は4月5日に記者会見を開いて以降、メディアからの取材依頼を積極的に受けたが、窓口となったのは森明美という女性だった。瀬戸や吉野が作ったプレスリリースの最後には連絡先として必ずこの森の名前と携帯電話の番号が記されていた』、なるほど。
・『「森明美とは何者か」 「森明美とは何者か」。PR業界ではそれがちょっとした話題になった。この業界は横のつながりが強く、ライバル会社に所属する人であっても同業者ならば名前ぐらいは知っている。しかし森明美は聞いたことがなかったからだ。それもそのはずで、森はモノタロウOGであると同時に金澤の妻である。「金澤」を名乗れば会社側に勘ぐられかねないと考え、旧姓を名乗った。金澤は夫婦ともども瀬戸シンパだった。 しかし松本は吉田やジン、金澤とは違った。瀬戸に同情的ではあったが、瀬戸が退任し、潮田−山梨体制になってからもCFOとしての職務も忠実にこなしていた。本人は決して瀬戸と潮田−山梨を両天秤にかけていたつもりではなかった。自分の感情はひとまず横に置き、肩書きに相応しい仕事をすることが自分にとっての「正しいこと」だったと思ったからそうしたに過ぎない。 しかし潮田が退任会見を終えて、松本の堪忍袋の緒は切れた。肩書きはCFOだが、事実上、経営企画も担当しているのに直前まで潮田と山梨の人事を知らされていなかった。「ジンは知っていたの?」と聞くと、ジンは「そんなわけないじゃない」と言った。潮田と山梨は重要事項を決めるのに本来は関わらせるべき松本とジンらを外し、危機を乗り切るために雇ったIRJとパスファインド、それと森・濱田松本法律事務所に相談して物事を決めている。松本にはそう見えた。 株主から解任を突きつけられ、その流れが大勢となりそうな情勢になって潮田と山梨が多少なりとも動揺したことは間違いない。社内を見渡せば、誰と断定することはできないにしても瀬戸シンパの幹部は確実にいる。次第に猜疑心が強まって社内の人を信用せず、外部の専門家にしか頼らなくなった。それはそれで異常だが、「プロ」を名乗り、カネを渡す限りは忠実な人材で脇を固めるという心境は分からないでもない。しかし松本は会見でのペルマについての潮田の説明がどうしても許せなかった。 2016年1月に初めて出会ってから、時をおかずして瀬戸は「松本さん、ペルマを子会社として持ち続けることはリスク以外の何物でもないですよね」と言った。「最初からLIXILグループの急所を見抜いてくるとは。瀬戸という人はただ者ではないな」と思ったことを松本は鮮明に覚えている。その後、瀬戸が取締役会で具体的な数字を元にペルマ売却に言及し、それを潮田は表情にこそ出さないが、明らかに不満な様子で聞いていたことも見ている。 最終的にCFIUSが待ったをかけたため、ペルマのLIXILグループへの出戻りが決まったことが報告された取締役会で、松本は潮田が嬉しそうな顔をして会議室を飛び出して行ったことも目撃した。ところが退任を発表した会見場で隣に座った潮田は真顔で延々と「悪いのは瀬戸だ」と語った。松本はCFOの仕事を忠実にこなすことは決して「正しいこと」ではないと悟った。 〈このままでは会社がダメになる。もういい。これからは肩書ではなく、自分の気持ちに正直に行動しよう〉 松本が反旗を翻そうと決心をしたころ、ジンは金澤に相談を持ちかけていた。 臨時株主総会が開かれれば、潮田さんと山梨さんは解任される。そうしたらキンヤがCEOに復帰する可能性が一気に高まると思っていたけれど、記者会見で情勢が分からなくなった。2人は取締役にはならない。でも代わりの取締役は潮田さんの息のかかった人を据え、CEOを山梨さんにする。そして潮田さんが裏で糸を引くというのが、彼らの狙っているシナリオでしょう。そうなれば私達は間違いなくクビだけれど、考えてみたらもうクビになっているようなものじゃない。お互い次の道を歩むことになるだろうけれど、その前に『正しいこと』をしない?」 ジンが金澤に言ったアイデアはビジネスボードを活用するというものだった。前年12月にドイツのデュッセルドルフで開かれたビジネスボードのミーティングでの振る舞いを見て、メンバーのほとんどは山梨にはリーダーの資格がないと判断した。そのメンバーで「潮田−山梨体制では会社が持たない」という一種の連判状を作成し、指名委員会や主な機関投資家に送りつけて賛同を得るのはどうか。ジンはそう言った。 金澤はジンの言う「どっちにしろクビになるのだから、次の道を歩む前に自分たちができることをしよう」という考えには賛成した。しかし金澤は連判状に名を連ねるのが確実なのは自分とジン、吉田の3人しかいないと考え、「連判状を出すのなら、有志の数が多くないと意味がないよね。問題はどうやって仲間を増やすかだ」と言った。どうしたら金澤の懸念を払拭できるのか、ジンが自席に戻ってその方法を考えているところへ、松本がふと現れた。) 「ジン、先日の記者会見で、このままではうちは持たないと確信したよ。もう行動しなければダメだと思う」 松本の話に驚いたジンは、松本が旗幟を鮮明にしたのは「あの場面」ではないかと思った』、なるほど。
・『「『倍返し』、いや『100倍返し』かな」 取締役辞任という電撃発表を終えて控室に戻ってきた潮田は、メディアに対して瀬戸への思いを語ることができたという満足感からか、山梨にこんなことを言った。 「山梨さん、会見はどうだった? 臨時株主総会を請求されて、瀬戸さんには株主提案の取締役候補を発表されてと、向こうのやりたい放題だったけれど、赤字決算の原因であるペルマの責任は彼にあると言ってやった。これで『倍返し』だろう。いや『100倍返し』かな」 山梨はぼそっと答えた。 「潮田さん、ちょっと喋りすぎですよ」 2人の会話を横目で見ていた松本とジンはやり取りの意味が分かった。巨額の赤字決算を計上することになったのはペルマが主因で、それは瀬戸の経営が無策だったからである。瀬戸をCEOに招き入れたのは自分だから、その任命責任を取って自分は取締役もCEOも辞める。会見で潮田はそう言ったが、IRJは事前の打ち合わせで「ペルマを瀬戸さんのせいにするのは無理がありますね」と釘を刺しているのを2人は見た。 しかし潮田は忠告を無視して持論を展開し、「100倍返しをしてやった」と満足気に話した。 会見での潮田発言は致命的で、何としても止めなければならなかったはずだ。案の定、同日夜のぶら下がりで瀬戸は反撃している。もっともあの場面で潮田を止められたのは山梨だけで、自分たちはどうしようもなかった。 その山梨は会見中、潮田の話を黙って聞くばかりで、今度も「喋りすぎですよ」と窘めるだけ。肝心の場面でも山梨の振る舞いは昨年10月の会見やビジネスボードミーティングと同じで、潮田が経営を誤った方向に持っていった時の抑止力にはならない。これではLIXILグループの未来はないだろう・・・』、「IRJは事前の打ち合わせで「ペルマを瀬戸さんのせいにするのは無理がありますね」と釘を刺している」、当然だろう。しかし、「潮田」のお粗末さにはあきれるばかりだ。辞めさせられるのは当然だ。最後が尻切れ気味なのは残念だ。
タグ:「考える時間の方が大事だと思っているから、親睦を深めるぐらいの意味しか持たない会食はなるべく避ける」、徹底した合理主義者のようだ。「海外出張」時に「空白の1日」をつくるとは上手いやり方だ。 文春オンライン「「4日後に辞めてもらうことになりました」リクシル社長に突然すぎる“クビ宣告”…日本有数の大企業で起きた“疑惑の社長交代劇” 『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #1」 LIXIL問題 (その3)(『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より4題:「4日後に辞めてもらうことになりました」リクシル社長に突然すぎる“クビ宣告”…日本有数の大企業で起きた“疑惑の社長交代劇”、「僕は会食で辞意なんか告げていません」世間が注目した“リクシルお家騒動”の裏で…取締役会を手なずけた“創業家のウソ”、「今回の社長交代には納得できない」リクシルを追われた“プロ経営者”が創業家と全面戦争へ…CEO復帰を明言した“逆襲の記者会見”、「これで『100倍返し』をしてやった」“お家騒動中 「ローマ」での「空白の1日」に辞任を宣告されたとはさぞかし驚いたことだろう。 「4日後」に辞めさせられるとは本当に急な話だ。 「実際に残っているのはトステムとINAXの企業カルチャーだけ」、そんなものだろう。 「「もともとトステムは業界6位だったが、営業の猛者たちが片っ端から商談を成立させてトップにのし上がった会社。一方、INAXは争いを好まない、お公家さん集団のような会社だった。企業体質が全く異なる2社の経営統合は驚きで、獰猛なトステムにおっとりしたINAXは飲み込まれてしまうんだろうなあと思った」」、「INAX]のような無欲な会社があったこと自体が驚きだ。 「表向きは指名委員会等設置会社だが、実際はわずかばかりの株式しか持たない潮田がオーナーとして振る舞ういびつな会社というのがLIXILグループ」、なるほど。 文春オンライン「「僕は会食で辞意なんか告げていません」世間が注目した“リクシルお家騒動”の裏で…取締役会を手なずけた“創業家のウソ” 『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #2」 どういうことだろう。 「潮田」は「瀬戸」が辞めるのは指名委員会の総意」と「瀬戸」に説明していたのとは、全く異なるようだ。 「瀬戸」氏が「自分が暴れて会社が混乱に陥るようなことになるのは本望ではない。屈辱的なアナリスト説明会も我慢したのはそう思ったからだ。暴れることがきっかけで自分のキャリアに傷が付くのも困る。そうであれば大人しく引っ込むのも選択肢の1つではないか」、さすがプロ経営者は考えることが違う。 「潮田と山梨は早速一部の営業幹部を集めて檄を飛ばしたものの、従業員全員に対するメッセージを発信することはなかった」、「広報担当役員のジン・モンテサーノは苛立っ」のも無理もない。 「瀬戸は会社の実情を細部に至るまで自分で把握したがる経営者だが、潮田はそれとは正反対のタイプ。実務には無頓着で、「経営者とは大きな方向性を打ち出すだけでよい」と考えていたフシがある」、「従業員向けにメッセージを出すことなどは些事だった」、なるほど。 「幸田さんと吉村さんに何度も電話をしているんだけれど通じない。」、何が起こったのだろう。 文春オンライン「「今回の社長交代には納得できない」リクシルを追われた“プロ経営者”が創業家と全面戦争へ…CEO復帰を明言した“逆襲の記者会見” 『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #3」 「モノタロウ」は「瀬戸が立ち上げた」とは初めて知った。 「PR会社と契約を結んでいた」とはさすがだ。 「利益相反を理由に契約の解除を申し入れてきた」にも拘らず、「契約を結んでからその日までの委託料を当然のように請求してきた」、とは酷い話だ。 「社外取締役候補となった西浦や鬼丸、濱口、鈴木はさまざまな経験をして現在に至っている。これを寸分間違えることなく経歴書に落とし込む作業は、間違いがあってはいけないため意外と手間がかかる」、確かに大変そうだ。 「少しでも多くの世間や株主に自分たちの行動は正義であると認識してもらう必要があると考えた瀬戸は吉野と相談して会見時間を1時間半と設定し、さらに質疑応答が終わった後に発表者をメディアが囲んで追加の質問をする、いわゆる「ぶら下がり」にも応じた。会見が終わったのは午後3時を過ぎていた」、マスコミ対応を丁寧にしたのは正解だ。 「株価が急騰」は経営陣への信認の表れだ。 最終的にどうなったかは次の記事。 文春オンライン「「これで『100倍返し』をしてやった」“お家騒動中”のリクシルが取締役辞任を電撃発表…プロ経営者を追い込む“創業家のシナリオ” 『決戦!株主総会 ドキュメントLIXIL死闘の8カ月』より #4」 「潮田の取締役辞任表明は“奇襲”といえた」、確かにその通りだ。 取締役会議事録を見れば分かるのに、「取締役会への報告がなかった」と強弁する「潮田」は平常心を失っているようだ。 「A4サイズの紙の束をくしゃくしゃに握りしめ、「悔しさ」を演出した」、「瀬戸」氏もなかなかの役者だ。 「IRJは事前の打ち合わせで「ペルマを瀬戸さんのせいにするのは無理がありますね」と釘を刺している」、当然だろう。しかし、「潮田」のお粗末さにはあきれるばかりだ。辞めさせられるのは当然だ。 「IRJは事前の打ち合わせで「ペルマを瀬戸さんのせいにするのは無理がありますね」と釘を刺している」、当然だろう。しかし、「潮田」のお粗末さにはあきれるばかりだ。辞めさせられるのは当然だ。最後が尻切れ気味なのは残念だ。