女性活躍(その25)(全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて 絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病、妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する、「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く 管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが 幸福度が高くなる) [社会]
女性活躍については、5月16日に取上げた。今日は、(その25)(全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて 絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病、妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する、「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く 管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが 幸福度が高くなる)である。
先ずは、5月22日付け東洋経済オンラインが転載したPRESIDENT Online「毎日新聞社論説委員の佐藤 千矢子氏による「全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて、絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病」を紹介しよう。
・『なぜセクハラはなくならないのか。長年政治記者を務めてきた、佐藤千矢子さんは「男女雇用機会均等法にセクハラ対策が初めて明記されたのは1997年。その後、改正を重ねたが、いまだにセクハラの禁止を盛り込むことはできていない。ハラスメントに苦しむ人に対し、周囲が見て見ぬふりをしているうちは、皆が気持ちよく働き、ひいてはそれが業績につながる会社や社会をつくることはできないだろう。ましてや女性活躍社会なんて、絵空事でしかない」という――。 ※本稿は、佐藤 千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『財務省事務次官のセクハラ疑惑 2018年4月12日発売の雑誌『週刊新潮』(同年4月19日号)では、財務省の福田淳一事務次官がテレビ朝日の女性記者を飲食店に呼び出しセクハラ発言をしていた疑惑が報じられ、大きな問題になった。週刊新潮はインターネット上でセクハラ場面の音声も公開した。福田氏と見られる声で「胸触っていい?」「抱きしめていい?」などと発言していた。 福田氏は「女性記者との間でこのようなやりとりをしたことはない」「音声データからは、相手が本当に女性記者なのかもわからない」「女性が接客をしている店に行き、店の女性と言葉遊びを楽しむことはある。しかし、女性記者にセクハラ発言をしたという認識はない」など疑惑を真っ向から否定し、当時の麻生太郎副総理・財務相をはじめとして財務省も福田氏を守った。しかし、政府・与党内から更迭を求める声が強まり、福田氏は事実関係を否定したまま、省内を混乱させた責任をとって辞任した』、「福田氏は事実関係を否定したまま、省内を混乱させた責任をとって辞任」、当然だ。
・『「被害女性を考えない」オッサン感覚 この問題では、財務省が報道各社の女性記者に調査協力を求めるなど、対応のまずさが批判を浴びた。被害女性が名乗り出ることへの心理的な負担や二次被害の懸念などを全く考慮していない対応で、「オッサン」感覚を露呈した。「官庁の中の官庁」と言われた財務省の実態だった。 一方、記者が福田氏と会食した際の録音の一部を週刊新潮に提供したことで、情報源秘匿との関係で記者へのバッシングが起きた。私自身も、録音の提供ではなく別の方法で解決できればよかったと思うが、このケースでの記者への批判は問題すり替えの意図を感じ、賛同できない。録音は被害者として他に訴える方法がなく、やむを得ず証拠として提出したのであり、記者の倫理の問題とは別に被害救済が議論されるべきだ』、「このケースでの記者への批判は問題すり替えの意図を感じ、賛同できない。録音は被害者として他に訴える方法がなく、やむを得ず証拠として提出したのであり、記者の倫理の問題とは別に被害救済が議論されるべきだ」、同感である。
・『抗議すれば報復される可能性がある 福田氏のセクハラ問題があった時、自分の過去の経験に照らし合わせて考えざるを得なかった。議員宿舎の部屋で議員から抱きつかれそうになった時、先輩記者2人が「そんな奴のところに、もう夜回りに行かなくていい。それで情報が取れなくなっても構わない」と言ってくれて救われた件では、この議員は大物ではあったが、政党の幹事長のような「オンリー・ワン」という存在ではなかった。彼の情報は新聞社として必要だったが、いざとなったら他の議員の情報があれば、最低限、何とかできるだろうという面もあった。しかし、これが福田氏のような中央官庁の次官で、どうしても日常的に取材しなければならない相手だったら、どうなっていただろう。 もう誰も取材に行かなくていいという結論にはなり得ない。一番いいのは抗議だ。だが抗議しても、なかったことにされて、下手をすれば、報復される可能性がある。報復にはいろんなやり方があるが、一番ありそうなのは一切の取材に応じないことだ。その記者だけでなく、場合によっては新聞社ごと取材拒否にあう可能性もある。「女性の側にも落ち度があるのだろう」と批判されるような二次被害も覚悟しなければならない』、やはり彼女がやったように週刊誌に書かすのが一番だろう。
・『うまく受け流せという暗黙のプレッシャー 抗議には確かな証拠が必要になる。しかし、セクハラは密室状態で行われることが多いため、立証が極めて難しい。隠れて録音したり、その録音データを公開したりするのは、取材源の秘匿との関係でできない。では、担当を替えてもらうのがいいのだろうか。担当替えは急場しのぎにはなるが、根本的な解決にはならない。被害者が自信を喪失することになるだろうし、相手は反省することなく、同じ行為をまた繰り返すかもしれない。 こういうことが目に見えているから、騒ぎ立てず「無難に処理しろ」「うまく受け流せ」という暗黙のプレッシャーが働く。しかし、その場はそれでおさまったように見えても、無難に処理して受け流すことは、女性の心に大きな傷を残す。被害者の女性のみに負担を強いて、それが人生に長く影を落としかねないような、そんな対応は明らかに間違っている』、やはり何らかの形で世の中に訴えるべきだ。
・『昔より声は上げやすくなったが… 福田氏のセクハラ疑惑について2018年4月18日、テレビ局の従業員らでつくる「日本民間放送労働組合連合会」(民放労連)と「民放労連女性協議会」は、次のような抗議声明を出している。 「放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた。たとえ屈辱的な思いをしても誰にも相談できないのが実態だ。この問題はこれ以上放置してはいけない。記者やディレクター、スタッフ、そして出演者らが受けるセクハラは後を絶たないのに、被害を受けたと安心して訴え出られるような環境も整っていない。このような歪みを是正しなければ、健全な取材活動、制作活動は難しくなる」 自分がまだ若くセクハラに悩んでいた1990年代のころから改善されたようでいて、本質的にはあまり変わっていないのだと思う。だんだんと声をあげられるようにはなってきたが、それでもやはり声をあげることにさえ大きなハードルがあるという実態が広がっている』、「「放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた。たとえ屈辱的な思いをしても誰にも相談できないのが実態だ。この問題はこれ以上放置してはいけない」、その通りだ。
・『“セクハラ”という言葉の重み セクハラという言葉が日本で認知されるようになったのは、1989年の新語・流行語大賞からだと書いたが、その後も数年間は私たちの多くはセクハラという言葉を知らなかったし、意識していなかった。認識が広がったのは、1997年、男女雇用機会均等法にセクハラ対策が初めて明記されたころからだったと思う。 セクハラという言葉ができたのは、大きかった。元大手損保会社で総合職第1号だった知り合いの女性は「当時は、セクハラについて口に出して言えなかったし、セクハラという言葉もなかった。言葉を持つことは、力を持つうえで非常に大切だ」と振り返る。 セクハラという言葉がない状況で、女性が被害を訴えても「気にしすぎだ」などと軽くいなされ、下手をすれば逆に「そんなことを問題にするなんて、お前おかしいんじゃないのか」と女性の側が非難されかねない。 セクハラという言葉がなかった時代、自分も含めて多くの知り合いの女性が泣き寝入りするしかなかったのは、そういう事情があったと思う。しかし、セクハラという言葉が定着することによって、「セクハラはしてはいけない行為だ」「被害女性に非はなく悪いのはあくまでも加害男性だ」ということが社会の共通認識になれば、被害を訴えやすくなるし、報告を受けた上司が対応せざるを得なくなる。大きな違いだ』、「セクハラという言葉が定着することによって、「セクハラはしてはいけない行為だ」「被害女性に非はなく悪いのはあくまでも加害男性だ」ということが社会の共通認識になれば、被害を訴えやすくなるし、報告を受けた上司が対応せざるを得なくなる。大きな違いだ」、なるほど。
・『男性側の過剰反応 一方で、「羹あつものに懲りて膾なますを吹く」とでもいうように、男性の側に過剰反応も起きるようになった。よくあるのは、男性上司が女性の部下と一対一で飲みに行くような誘いをしなくなるというケースだ。それで仕事に支障が出ない職種や職場ならば一向に構わないが、新聞記者の場合は困ることもある。 例えば、機微に触れるネタを追っていて、その日のうちに内密に打ち合わせが必要になるようなケースだ。忙しくて時間のない中で、食事の時間を打ち合わせに充てるしかなく、「それじゃあ仕事が一段落したところで、晩飯を食いながら打ち合わせしよう」となるのだが、それが男女一対一だと、やりにくいという場面が出てきた。私は全く意識していなかったのだが、ある時期から急に上司から飲みに誘われなくなったことがあり、「どうしたのか」と聞くと、「いや一対一はまずいかなと思ってね」と言われて、驚いたことがある。仕方ないと思って放っておいたら、何も状況は変わっていないのに、また普通に誘われるようになった。男性の側も、迷いながら対応しているということなのだろう』、「男性の側も、迷いながら対応しているということなのだろう」、あり得る話だ。
・『「働く男女の比率」が近づけば解決される 直接的な仕事の話ではなくても、いわゆる「飲みニケーション」として、時には酒を一緒に飲みながら話をするのも必要なことだ。大勢で飲めばいいではないかと言われるかもしれないが、酒を飲もうが飲むまいが、本当に重要な話は「一対一」のサシでするというのは、特に私たち新聞記者には染みついている。そこで、女性ばかりが誘われないというのは、問題が生じる。 ただ、こうした問題も、女性が少数派だから起きることだ。男女の比率がもっと近づけば、お互いに注意しながら付き合うことになり、一方的に女性が飲み会に誘われなくて不利になるということはなくなっていくのではないだろうか。もちろん、女性上司から男性の部下へのセクハラにも、これまで以上に注意を払わなければならない時代に入っていくだろう』、「「働く男女の比率」が近づけば解決される」、確かにその通りなのかも知れない。
・『なぜセクハラはなくならないのか セクハラという言葉が定着し、これだけ認識が広まってきたように見えるのに、それでもなくならないのはなぜだろう。 福田次官の問題があった時、ある政治家の言葉が広まった。「福田氏のような話で辞任させれば、日本の一流企業の役員は全員、辞任しないといけなくなるぞ」。本人に発言の確認を直接とっていないし、客観的事実と異なることを言っているので、匿名でしか書けないが、私はいかにもありそうな発言だと思った。 この発言が本当だとしたら、国会議員、中央官庁の幹部だけでなく、民間企業の幹部だって同じだと、政治家自らが言ってはばからず、反省もしない社会とは何なのか。「オッサン社会」の深い病を思う。 私の友人の女性は、「日本の男性は結局、独身女性をバカにしているんだよ」と怒っていた。セクハラの標的になるのは主に独身の女性だ。既婚女性へのセクハラもあるだろうが、独身女性に比べれば圧倒的に少ないのではないか。それは既婚女性には、やはり夫の影がちらつくからではないだろうか。男性からすれば、セクハラが問題化した場合、相手が独身女性ならば相手の責任を言い募って逃れられるかもしれないが、既婚女性ならば夫が乗り出してきて大事になるかもしれない、といった計算が無意識に働いているのではないか。そんなふうに私は見ている』、「既婚女性ならば夫が乗り出してきて大事になるかもしれない、といった計算が無意識に働いているのではないか。そんなふうに私は見ている」、なるほど。
・『セクハラするオッサンに欠けている意識 時々不思議に感じるのだが、オッサンたちはこのままでは自分の娘が同じような被害にあうかもしれないと考えないのだろうか。それとも「娘は専業主婦にさせて会社勤めなんかさせない」、あるいは「優良企業に就職させるから大丈夫」「親のコネがあるから誰も手を出せないだろう」とでも考えているのだろうか。 または「手を出される女性のほうにスキがあるからだ」とでも考えているのだろうか。セクハラに苦しむ女性たちと、自分の娘を分けて考えられる発想が私には全く理解できない。想像力の欠乏症としか思えない』、「セクハラ」対象と「自分の娘」は初めから「分けて考えている」からこそ、「セクハラ」する気になるのだろう。
・『女性活躍社会へは程遠い セクハラ被害に対しては、相手に直接抗議するか、会社の相談窓口や労働組合などに相談し、相手に事実関係を認めさせ、謝罪と再発防止を確約させる必要がある。しかし、一般的にいって会社へのセクハラ相談は、依然としてハードルが高いようだ。女性たちが会社側の対応を信頼できないのが一因だろう。 男女雇用機会均等法にセクハラ対策が初めて明記されたのは1997年。その後、改正を重ねたが、いまだにセクハラの禁止を盛り込むことはできていない。私の友人が言ったようにセクハラは厳罰をもって対処しない限り、なくなることはないが、日本社会の対応は極めて甘い。ハラスメントに苦しむ人に対し、周囲が見て見ぬふりをしているうちは、皆が気持ちよく働き、ひいてはそれが業績につながる会社や社会をつくることはできないだろう。ましてや女性活躍社会なんて、絵空事でしかない』、やはり「セクハラ」には厳罰化が必要なようだ。
次に、7月1日付け東洋経済オンラインが掲載したライター・翻訳家の堀内 都喜子氏による「妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/598139
・『2018年から2022年にかけて、5年連続で「幸福度ランキング世界一」を達成したフィンランド。その背景にあるのは、“人こそが最大の資源で宝”という哲学。立場を問わずすべての国民が平等に、そして幸福に暮らすことを可能にする「仕組み」とは──?そして、日本はそこから何を学べるのでしょうか?『フィンランド 幸せのメソッド』より一部抜粋し再構成のうえお届けします』、興味深そうだ。
・『フィンランドの人の就業率は? フィンランドは男女平等が進み、女性や母親にとって暮らしやすい国として知られる。世界経済フォーラム(WEF)が発表している、男女格差を示す「ジェンダーギャップ指数」でも例年上位にあり、2021年はアイスランドに次いで2位だった。 実際、フィンランドに住むと、女性が社会に進出し、活躍していることを肌で感じる。日本の自治体や経済・政治団体の視察団が訪れると「会う人、会う人すべてが女性で、しかもみんな肩書に長が付く人ばかりだった」とか、「女性の存在感が大きかった」という感想をよく聞く。 中には「今まで経営者として女性活躍、ダイバーシティーを推進しようと社員に言ってはいたが、本当にそれが実現可能だとは信じていなかった。でもフィンランドでは本当に実現されていて驚いた」と語った日本の某大手企業の経営者もいる。 フィンランド統計局の調査によると、2020年、15?64歳の女性の就業率は70.7%、男性は72.5%で、男女の間にほとんど差はない。うちパートで働く人たちは、女性が2割で男性が1割。若干の差はあるが、女性も多くがフルタイムで働いていることがわかる。 さらに、18歳未満の子どもがいてもいなくても、女性の就業率にほとんど差はない。しかも、母親のうち8割以上はフルタイムで働く。つまり、子どもの有無が女性の仕事にほとんど影響していないという状況が見えてくる。 平等法は2015年に改正され、男女だけでなく、性的指向や性自認も含めて、性的マイノリティーの人たちにも配慮された内容となった。 この法律は企業だけでなく教育現場にも適用されていて、学校でも3年に一度、平等に関する計画づくりがされる。法務省のもとには平等に関するオンブズマンが設置されており、法律のもと、人権が平等に扱われ、不適切、差別的なことがないよう監視している』、「法務省のもとには平等に関するオンブズマンが設置されており、法律のもと、人権が平等に扱われ、不適切、差別的なことがないよう監視している」、やはり「オンブズマン」が「監視」しているようだ。
・『政治の世界でも目立つ女性たち 政治の世界ではどうか。2019年の選挙では当選した国会議員200名のうち、女性が94人で47%を占めた。その後、首相が交代してサンナ・マリン内閣が誕生した際には、閣僚19名中12人が女性となった。 2000年以降の閣僚の男女比はほぼ半々で、これまでにも女性のほうが多かったときもあれば、そうでないときもある。もはや男女の割合で一喜一憂する時代ではなくなり、「性別に関係なく、ふさわしい人が選ばれる」と冷静に受け止められている。 実際、フィンランドの公共放送YLEの調査によると、選挙で誰に投票するかを決める際に、性別は影響しないとの結果が出ている。以前は性別が投票理由の1つになりえたが、今は実力などの要素を重視するのだという。 一部北欧諸国では女性の割合が一定になるようクオータ制を導入し、議席の少なくとも4割以上が女性になるようにしている。しかし、フィンランドでクオータ制が定められているのは、任命制の地方と政府の委員会のみ。選挙にクオータ制はないのに、約半数が女性になっているのだ。 フィンランドは全国を14のブロックに分け、非拘束名簿式(候補者名または政党名のいずれかを書いて投票する方式)の比例代表制選挙を行う。この方式では、選挙のたびに政権や与野党の交代が起こりやすい。どの党も支持率が拮抗しているので、より多くの有権者の票を勝ち取る努力が求められる。 そのため、各党は老若男女を問わず幅広く有権者の声に耳を傾け、多彩な候補者を揃えなければならない。投票率を見れば、1970年代以降は男女の投票率がほぼ同じになっており、今では女性の投票率のほうが少し高い。それゆえに、女性有権者のニーズは、党の方針や候補者選びにも大きく反映される。党によっては候補者も当選する議員も女性のほうが多いこともある。 フィンランド人に女性議員が増えた理由を聞くと、「歴史の流れ」「優秀な人を選んだ結果」「教育の成果」といった声が返ってくる。バランスを保つために無理やり女性を増やしたといった経緯はない印象だ。党首や閣僚に女性が多いことについても、単純に実力と人気が評価された結果だと多くの人が捉えている。) 話は少し前にさかのぼるが、私がフィンランドに留学した2000年は、ちょうど史上初の女性大統領タルヤ・ハロネンが就任した年であり、大学でも女子学生たちは女性大統領の誕生を誇らしげに語っていた。 ある友人が言うには、彼女や兄弟は女性候補者に投票したが、彼女の父親は女性を大統領にしたくないとの理由だけで対抗馬の男性候補者に投票していたという。まだまだ政治家の性別が話題や決定に大きな影響を与える時代だったといえる。 タルヤ・ハロネン大統領は就任当時シングルマザーで、子どもの父親とは別の男性と事実婚の関係にあった。そういった事実婚カップル自体は当時すでに珍しくはなかったが、国の代表としては前代未聞のことだった。 その後、2人は正式に入籍している。強さと個性を持ち、わが道を行き、あまり周りやメディアを気にせず外出する彼女の様子は、よくも悪くも注目を集めた』、「選挙で誰に投票するかを決める際に、性別は影響しないとの結果が出ている。以前は性別が投票理由の1つになりえたが、今は実力などの要素を重視するのだという」、「フィンランドでクオータ制が定められているのは、任命制の地方と政府の委員会のみ。選挙にクオータ制はないのに、約半数が女性になっているのだ」、本物のようだ。
・『「男性でも大統領になれるの?」 その後、私が留学中の2003年には女性のアンネリ・ヤーテンマキ首相も誕生、国のトップ2人が女性ということで騒がれた。さらに2010年には史上2人目の女性首相マリ・キビニエミも登場した。彼女は当時2人の幼い子どもを持つ母親で、かつ42歳ということで国内外の注目を集めたが、どちらの女性首相も在任期間は長くない。 それから10年以上が過ぎ、今では女性が党首や議長、大臣職などの要職に就くことも珍しくなくなった。「最近、目立つ女性の政治的リーダーって誰?」とフィンランドの友人たちや同僚に聞くと、いろいろな名前が出てくる。 15年ほど前であれば「タルヤ・ハロネン大統領」と誰もがいちばんに答えたが、「彼女はあくまでも歴史上に何人かいるキーパーソンの1人であって通過点でしかない。今はもっと多岐にわたっていろいろな女性リーダーがいる」というのが、友人たちの声だ。 それでも世界的に見て、目立つ存在といえばサンナ・マリン首相だろう。そして政権発足当時、連立与党を率いる5党の党首が全員女性で、そのうち4人が30代前半というのも大きな話題になった。 2020年9月にはそのうちの1人が交代したが、後を継いだ新たな党首も30代の女性だった。彼女たちは幼い頃から男女共働きの社会で育ち、政界にも周りにも女性のリーダーたちがすでに多く存在した世代だ。 しかも10代の多感な時期に初の女性大統領が誕生。続いて女性が首相になるのも見ている。女性が国のトップになることを自然に受け止めてきたはずだ。マリン首相もかつてインタビューで「憧れの政治家はいないが、ハロネン元大統領は確実に私たちの道しるべとなった存在」と語っている。 もっと若い世代だと、緑の党で今後が期待される20代の女性議員リーッカ・カルッピネンに至っては、物心ついたときには大統領は女性で、地元の首長も女性だった。そこで当時、父親に「男性でも大統領になれるの?」と聞いたと新聞インタビューで語っている。) マリン政権を担う連立与党の党首5人が全員女性だと述べたが、これも別に不思議なことではない。どの党もほぼ半数以上の議員が女性なのだ。 5人の顔ぶれを見て、海外メディアやSNSなどでは「女性ばかりなのはいかがなものか?」という否定的な声が一部で上がったが、正当な手順で党首選が行われ、そこでいちばんに選ばれた人たちがたまたま全員女性だったというだけなので、フィンランド国内では少し驚きはあったものの、男女のバランスに否定的な声はない。 注目すべきは、男女のバランスよりも、若い世代が党首に就いていることだろう。フィンランドでは過去にも30代の首相や20代の閣僚がいたこともあり、日本よりもはるかに若い人たちが役職を担うことが多い。それは政治に限らず、優秀な若い人たちの可能性を信じて任せ、ベテランは陰で支える文化があるからだ。 確かに経験はないよりあったほうがいいが、フィンランド人が必要だと考えている「経験」の年数は日本よりも短い。 企業でも5年の経験があれば十分ベテランの部類に入ってくる。何十年の下積みをしてやっと認められるというよりも、ある程度全体の流れが把握できていて、その人が優秀で素質があるとわかればいい。だから30代で頭取や取締役に就くことも、学校の校長をつとめることもある。 ▽高校生などが政治活動に関わることはタブーではない(政治においても2?3期目で閣僚になることは普通だ。党内の力関係や誰が役職に就くかといったことは、当選回数で決まるのではない。選挙での得票率やそれまでの党内での人気、実力、そして本人の適性がカギとなる。性別や年齢も関係ない。 現在、国会議員の平均年齢は40代半ば。いくら実力主義とはいえ、いくつかの党の党首に30代が就いているのはなぜか。それは、彼女たちに寄せられている変革への期待の表れだろう。 グローバル社会の進展にさまざまな技術革新、生活や価値観の多様化と、私たちを取り巻く世界は刻々と変わっている。どの党も存続のためには変化に対応でき、次世代を担う若者を取り込む必要がある。そういった中で、各政党は象徴となる若いリーダーを求めているというわけだ。 ただし、彼女たちは若さだけが理由で党首に就いているわけではない。教育を十分に受け、行政学や政治学、社会学を学び、10代、20代前半から党の活動に携わってきた経験もある。 フィンランドでは早ければ15歳頃から党の青少年部に入って活動することができ、高校生などが政治活動に関わることは決してタブーではない。党にとってみれば、若い青少年部員たちは若者世代にリーチするための大切な媒介者であり、多少過激であっても、若い人が持つ柔軟な発想が党に刺激を与えてくれることもある。また、彼らは未来の政治家の卵でもある。) マリンも20歳から党に入って政治に携わっているし、ほかの党首たちも10年以上政界でキャリアを積んできている。当選回数は多くなくとも、まったくの素人というわけではなく、ある程度の時間をかけて地道に党の内外で信頼と人気を勝ち取ってきているのだ』、「マリン政権を担う連立与党の党首5人が全員女性だと述べたが、これも別に不思議なことではない。どの党もほぼ半数以上の議員が女性なのだ」、「マリンも20歳から党に入って政治に携わっているし、ほかの党首たちも10年以上政界でキャリアを積んできている。当選回数は多くなくとも、まったくの素人というわけではなく、ある程度の時間をかけて地道に党の内外で信頼と人気を勝ち取ってきているのだ」、なるほど。
・『当たり前になった政治家の産休・育休 国会に30?40代の議員が多くなり、さらに女性議員が増えたことで、政治家に幼い子どもがいることも、出産や育児のために休暇を取ることも自然になってきている。それは閣僚であっても同じだ。 例えば、2020年9月に党首選で勝ち、政権与党の5人のリーダーの中に入ったアンニカ・サーリッコは、前政権時、妊娠中に科学・文化大臣に就任した。 当時から党首に望まれていたが、彼女は出産や家族の時間を優先したいとして出馬はせず、まもなく1年間の出産・育児休暇に入った。その間は同じ党のほかの議員が代わりに大臣をつとめた。そして復帰直後に行われた党首選に出馬し、党首に選ばれた。 彼女が産休・育休を取ったのはこれが初めてではなかった。第1子のときは、何と育休中に大臣職に任命されている。このときも党内の合意のもと、最初は同じ党の代理が大臣職をつとめ、育休復帰後、少しずつ職務をサーリッコに移行していった。 さらに5人の女性リーダーの中のもう1人、リ・アンデルソンは教育大臣をつとめているが、2020年9月に妊娠を発表し、年末から産休・育休に入り、その休暇中はやはり同じ党のほかの議員が代わりをつとめ、アンデルソンは出産から約半年で大臣に復帰している。 5人のうちのもう1人である緑の党の党首も、2021年11月から出産・育休に入った。彼女は党首選への出馬意志と妊娠を同時に発表し、その後再選された。 男性議員も積極的に育休を取っている。マリン政権で国防大臣をつとめる男性議員も父親休暇を取得したが、もはや大きなニュースになることもなく、メディアではいつからいつまで休暇に入り、その間は誰が代理をつとめるといったことのみが事務的に報道されていた。 このように最近の流れを見ていると、フィンランドの政治家や閣僚にとって、出産や育児は政治家のキャリアに負の影響を与えるものではないのだと、強く感じさせられる』、「日本」とは対極の「女性活躍」社会で、余りにも違いが大きいようだ。
第三に、7月7日付けPRESIDENT WOMANが掲載した拓殖大学政経学部准教授の佐藤 一磨氏による「「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く、管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが、幸福度が高くなる」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/59335
・『管理職の妻をもつ夫は幸せなのか。拓殖大学准教授の佐藤一磨さんは「夫の幸福度の平均値は、妻が非就業の時に最も高く、管理職の時に最も低くなるという結果がでました。夫婦各人の年収や学歴、子のありなしを問わず同じ傾向が見られます」という――』、興味深そうだ。
・『管理職の妻をもつ夫は幸せなのか 日本では管理職として働く女性の割合が徐々に増加しています。具体的な数値を見ると、民間企業の課長級の役職者における女性割合は1990年では約2%でしたが、2019年には約11%にまで上昇しています(※1)。 このような女性管理職の増加は、社会の大きな流れとして今後も続くと予想されますが、管理職となることが女性またはその家族にどのような影響を及ぼすのかという点は、あまり検証されていません。 特に妻が管理職として働く場合、その配偶者である夫に及ぼす影響については、あまり語られてこなかったのではないでしょうか。 日本の場合、性別役割分業意識が強く、「男性=仕事、女性=家事・育児」という価値観が色濃く残っています。妻の管理職での就業は、この価値観から外れてしまうため、家庭内に不和をもたらす可能性もあり、その実態が気になるところです。 そこで、今回は妻の管理職での就業が夫の幸福度に及ぼす影響について検証した研究を紹介していきたいと思います』、「研究」の結果を知りたいものだ。
・『妻が管理職として働くポジティブな影響 実際の検証結果に移る前に、妻の管理職での就業がもたらす影響について整理しておきましょう。 妻の管理職での就業には、ポジティブな影響とネガティブな影響が存在します。 まずポジティブな影響として挙げられるのは、世帯年収の増加です。夫だけでなく妻も働き、かつ妻が管理職につくことは世帯年収を底上げします。 このような世帯年収の増加は、生活に潤いをもたらすでしょう。もちろんその恩恵は夫にも行きわたり、住宅の購入や子どもの教育費用を支払ううえで重要な支えとなります。 また、もう一つのポジティブな影響として考えられるのが夫の所得低下や失業に対する保険です。 長期的な低経済成長に直面してきた日本では、予期せぬ形でボーナスが削減されて夫の所得が低下したり、失業する可能性があります。これらによる世帯所得の低下を補填する保険として、管理職で働く妻の稼ぎが機能すると考えられます』、「ポジティブな影響」は確かに考えられる。
・『妻が管理職として働くネガティブな影響 次にネガティブな影響ですが、2つ考えられます。1つ目は、管理職になることで妻の労働時間が増え、そのしわ寄せが家族、特に夫に向かうというものです。 通常、多くの家庭では妻に家事労働が偏っています。この状態のままで妻が管理職で働くようになると、労働時間が増え、どうしても家事・育児に割ける時間が減ってしまうと予想されます。 これを補完するためにも、夫の家事労働の時間が増える可能性があるのです。 妻の状況を理解し、進んで家事・育児に参加する夫であれば問題ないのですが、夫自身も仕事で忙しく、余裕がなかった場合、家に帰ってから家事・育児もやらなければならないとなると、ストレスが増えてしまう恐れがあります。 また、妻が仕事で忙しくなることによって夫婦間ですれ違いが生じ、ストレスの多い家庭生活になってしまう可能性も考えられます』、「ネガティブな影響」はもっとありそうだ。
・『「男が大黒柱であるべき」という意識と現実とのギャップ 2つ目のネガティブな影響は、性別役割分業意識からの乖離です。他の先進国と比較して、日本では依然として「男性=仕事、女性=家事・育児」という価値観が強く残っています。 この価値観の中には「男は仕事第一で一家の大黒柱であるべき」という考えも含まれています。近年のワークライフバランスを重視する流れから「男は仕事第一」という考えはやや薄れてきていると予想されますが、男女間賃金格差が依然として存在する現状では、「男が一家の大黒柱であるべき」という考えは影響力があると言えるでしょう。 この考えを強く持つ夫の場合、妻が管理職で働き、その多くの時間を家庭外の仕事に割くことに肯定的な意見を持てないと考えられます。 また、もし妻の稼ぎが自分の稼ぎを上回るようになった場合、自分の持つ価値観と実態とのギャップからストレスを感じるようになるでしょう。 以上、妻の管理職での就業には、ポジティブな影響とネガティブな影響の両方が存在し、その相対的な大きさによって幸福度に及ぼす影響が決まってきます。 はたしてどちらの影響が大きいのでしょうか』、実際のデータではどうなのだろう。
・『妻が管理職の夫の幸福度は低い 図表1は妻の就業状態別の夫の幸福度の平均値を示しています。 ここでは、妻の就業状態を①管理職の正社員、②非管理職の正社員、③非正社員、④非就業の4つに分類しています。なお、夫婦ともに59歳以下の現役世代に限定しています。 図表1から明らかなように、夫の幸福度の平均値は妻が④非就業の時に最も高く、①管理職の正社員の時に最も低くなっていました。 この結果は、「妻が管理職の夫の幸福度は低い」ことを意味します。 ちなみにこの結果は、夫の年齢、学歴、子どもの有無や夫婦それぞれの年収、労働時間といった要因を統計的手法でコントロールしても、変わりませんでした』、「妻が管理職の夫の幸福度は低い」、直感的な考え方と一致したようだ。
・『専業主婦を持つ男性の幸福度が最も高い 図表1の結果から、妻の管理職での就業のポジティブな影響とネガティブな影響のうち、ネガティブな影響の方が強かったと考えられます。 ネガティブな影響の原因として、夫の家事・育児負担や夫婦のすれ違いの増加、性別役割分業意識からの乖離といった要因が考えられますが、どの要因の影響力が強いのかは明確には判断できません。 ただし、図表1の結果が示すように、「妻が働いていない夫ほど幸福度が高い」という点を考慮すれば、性別役割分業意識の影響は無視できないと言えるでしょう』、「専業主婦を持つ男性の幸福度が最も高い」、これも直感的な考え方と一致したようだ。
・『夫が働いていない妻の幸福度は低い 一方、妻の場合、幸福度の平均値は夫が①管理職の正社員、②非管理職の正社員、③非正社員、④非就業の順になっていました(図表2)。 夫が管理職だと妻の幸福度が高く、逆に夫が働いていないと幸福度が低くなるというこの結果は、直感的にも納得できます。 特に夫が非就業の場合の幸福度の落ち込みは大きく、「働いていない夫」を持つ妻の苦悩が読み取れます。 ちなみに、夫が働いていない妻の幸福度が低くなるという現象は欧米でも確認されています(※2) 。この点は洋の東西を問わず妻を悩ます種になっているようです』、「夫が働いていない妻の幸福度は低い」、「洋の東西を問わず妻を悩ます種になっているようです」、なるほど。
・『女性活躍推進策が夫婦にもたらした影響 図表1の結果が示すように、妻が管理職の夫の幸福度は低くなっています。 日本では女性活躍推進策が進められ、徐々に管理職として働く妻も増加してきていますが、その陰で夫の幸福度低下という現象が起きていた可能性があります。 このような夫婦の一方の働き方がその配偶者に及ぼす影響に関しては、主に欧米で分析されてきました。欧米では主に夫婦いずれかの失業の影響が注目されてきました。 それらの分析では、失業の影響はもちろんそれを経験した本人において深刻ですが、家族にも及んでいる可能性があり、その影響を見落とすことは、失業の影響を過少に見積もっているのではないかという問題意識が持たれていました。 同じ議論は、女性活躍推進策による女性の管理職増加にも当てはまる可能性があります。 女性活躍推進策を進めることに注力するあまり、その負の側面が見落とされていたのではないでしょうか』、確かに「女性活躍推進策」の「負の側面」も検証すべきだ。
・『必要なのは働き方改革と性別役割分業意識のアップデート さて、夫の幸福度が低下するからといって、女性活躍推進策の歩みを止めるのはナンセンスです。 女性活躍推進策は今後の日本にとって必要な政策であり、課題に対処しながら進めていくことが重要でしょう。 このために必要となるのは、妻が管理職として働くようになったとしても家族にしわ寄せがいかないワークライフバランス施策です。 また、これに加えて、夫側の性別役割分業意識のアップデートが必須となるでしょう。 (佐藤 一磨氏の略歴はリンク先参照)』、「女性活躍推進策は今後の日本にとって必要な政策であり、課題に対処しながら進めていくことが重要」、「このために必要となるのは、妻が管理職として働くようになったとしても家族にしわ寄せがいかないワークライフバランス施策です。 また、これに加えて、夫側の性別役割分業意識のアップデートが必須」、同感である。
先ずは、5月22日付け東洋経済オンラインが転載したPRESIDENT Online「毎日新聞社論説委員の佐藤 千矢子氏による「全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて、絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病」を紹介しよう。
・『なぜセクハラはなくならないのか。長年政治記者を務めてきた、佐藤千矢子さんは「男女雇用機会均等法にセクハラ対策が初めて明記されたのは1997年。その後、改正を重ねたが、いまだにセクハラの禁止を盛り込むことはできていない。ハラスメントに苦しむ人に対し、周囲が見て見ぬふりをしているうちは、皆が気持ちよく働き、ひいてはそれが業績につながる会社や社会をつくることはできないだろう。ましてや女性活躍社会なんて、絵空事でしかない」という――。 ※本稿は、佐藤 千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『財務省事務次官のセクハラ疑惑 2018年4月12日発売の雑誌『週刊新潮』(同年4月19日号)では、財務省の福田淳一事務次官がテレビ朝日の女性記者を飲食店に呼び出しセクハラ発言をしていた疑惑が報じられ、大きな問題になった。週刊新潮はインターネット上でセクハラ場面の音声も公開した。福田氏と見られる声で「胸触っていい?」「抱きしめていい?」などと発言していた。 福田氏は「女性記者との間でこのようなやりとりをしたことはない」「音声データからは、相手が本当に女性記者なのかもわからない」「女性が接客をしている店に行き、店の女性と言葉遊びを楽しむことはある。しかし、女性記者にセクハラ発言をしたという認識はない」など疑惑を真っ向から否定し、当時の麻生太郎副総理・財務相をはじめとして財務省も福田氏を守った。しかし、政府・与党内から更迭を求める声が強まり、福田氏は事実関係を否定したまま、省内を混乱させた責任をとって辞任した』、「福田氏は事実関係を否定したまま、省内を混乱させた責任をとって辞任」、当然だ。
・『「被害女性を考えない」オッサン感覚 この問題では、財務省が報道各社の女性記者に調査協力を求めるなど、対応のまずさが批判を浴びた。被害女性が名乗り出ることへの心理的な負担や二次被害の懸念などを全く考慮していない対応で、「オッサン」感覚を露呈した。「官庁の中の官庁」と言われた財務省の実態だった。 一方、記者が福田氏と会食した際の録音の一部を週刊新潮に提供したことで、情報源秘匿との関係で記者へのバッシングが起きた。私自身も、録音の提供ではなく別の方法で解決できればよかったと思うが、このケースでの記者への批判は問題すり替えの意図を感じ、賛同できない。録音は被害者として他に訴える方法がなく、やむを得ず証拠として提出したのであり、記者の倫理の問題とは別に被害救済が議論されるべきだ』、「このケースでの記者への批判は問題すり替えの意図を感じ、賛同できない。録音は被害者として他に訴える方法がなく、やむを得ず証拠として提出したのであり、記者の倫理の問題とは別に被害救済が議論されるべきだ」、同感である。
・『抗議すれば報復される可能性がある 福田氏のセクハラ問題があった時、自分の過去の経験に照らし合わせて考えざるを得なかった。議員宿舎の部屋で議員から抱きつかれそうになった時、先輩記者2人が「そんな奴のところに、もう夜回りに行かなくていい。それで情報が取れなくなっても構わない」と言ってくれて救われた件では、この議員は大物ではあったが、政党の幹事長のような「オンリー・ワン」という存在ではなかった。彼の情報は新聞社として必要だったが、いざとなったら他の議員の情報があれば、最低限、何とかできるだろうという面もあった。しかし、これが福田氏のような中央官庁の次官で、どうしても日常的に取材しなければならない相手だったら、どうなっていただろう。 もう誰も取材に行かなくていいという結論にはなり得ない。一番いいのは抗議だ。だが抗議しても、なかったことにされて、下手をすれば、報復される可能性がある。報復にはいろんなやり方があるが、一番ありそうなのは一切の取材に応じないことだ。その記者だけでなく、場合によっては新聞社ごと取材拒否にあう可能性もある。「女性の側にも落ち度があるのだろう」と批判されるような二次被害も覚悟しなければならない』、やはり彼女がやったように週刊誌に書かすのが一番だろう。
・『うまく受け流せという暗黙のプレッシャー 抗議には確かな証拠が必要になる。しかし、セクハラは密室状態で行われることが多いため、立証が極めて難しい。隠れて録音したり、その録音データを公開したりするのは、取材源の秘匿との関係でできない。では、担当を替えてもらうのがいいのだろうか。担当替えは急場しのぎにはなるが、根本的な解決にはならない。被害者が自信を喪失することになるだろうし、相手は反省することなく、同じ行為をまた繰り返すかもしれない。 こういうことが目に見えているから、騒ぎ立てず「無難に処理しろ」「うまく受け流せ」という暗黙のプレッシャーが働く。しかし、その場はそれでおさまったように見えても、無難に処理して受け流すことは、女性の心に大きな傷を残す。被害者の女性のみに負担を強いて、それが人生に長く影を落としかねないような、そんな対応は明らかに間違っている』、やはり何らかの形で世の中に訴えるべきだ。
・『昔より声は上げやすくなったが… 福田氏のセクハラ疑惑について2018年4月18日、テレビ局の従業員らでつくる「日本民間放送労働組合連合会」(民放労連)と「民放労連女性協議会」は、次のような抗議声明を出している。 「放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた。たとえ屈辱的な思いをしても誰にも相談できないのが実態だ。この問題はこれ以上放置してはいけない。記者やディレクター、スタッフ、そして出演者らが受けるセクハラは後を絶たないのに、被害を受けたと安心して訴え出られるような環境も整っていない。このような歪みを是正しなければ、健全な取材活動、制作活動は難しくなる」 自分がまだ若くセクハラに悩んでいた1990年代のころから改善されたようでいて、本質的にはあまり変わっていないのだと思う。だんだんと声をあげられるようにはなってきたが、それでもやはり声をあげることにさえ大きなハードルがあるという実態が広がっている』、「「放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた。たとえ屈辱的な思いをしても誰にも相談できないのが実態だ。この問題はこれ以上放置してはいけない」、その通りだ。
・『“セクハラ”という言葉の重み セクハラという言葉が日本で認知されるようになったのは、1989年の新語・流行語大賞からだと書いたが、その後も数年間は私たちの多くはセクハラという言葉を知らなかったし、意識していなかった。認識が広がったのは、1997年、男女雇用機会均等法にセクハラ対策が初めて明記されたころからだったと思う。 セクハラという言葉ができたのは、大きかった。元大手損保会社で総合職第1号だった知り合いの女性は「当時は、セクハラについて口に出して言えなかったし、セクハラという言葉もなかった。言葉を持つことは、力を持つうえで非常に大切だ」と振り返る。 セクハラという言葉がない状況で、女性が被害を訴えても「気にしすぎだ」などと軽くいなされ、下手をすれば逆に「そんなことを問題にするなんて、お前おかしいんじゃないのか」と女性の側が非難されかねない。 セクハラという言葉がなかった時代、自分も含めて多くの知り合いの女性が泣き寝入りするしかなかったのは、そういう事情があったと思う。しかし、セクハラという言葉が定着することによって、「セクハラはしてはいけない行為だ」「被害女性に非はなく悪いのはあくまでも加害男性だ」ということが社会の共通認識になれば、被害を訴えやすくなるし、報告を受けた上司が対応せざるを得なくなる。大きな違いだ』、「セクハラという言葉が定着することによって、「セクハラはしてはいけない行為だ」「被害女性に非はなく悪いのはあくまでも加害男性だ」ということが社会の共通認識になれば、被害を訴えやすくなるし、報告を受けた上司が対応せざるを得なくなる。大きな違いだ」、なるほど。
・『男性側の過剰反応 一方で、「羹あつものに懲りて膾なますを吹く」とでもいうように、男性の側に過剰反応も起きるようになった。よくあるのは、男性上司が女性の部下と一対一で飲みに行くような誘いをしなくなるというケースだ。それで仕事に支障が出ない職種や職場ならば一向に構わないが、新聞記者の場合は困ることもある。 例えば、機微に触れるネタを追っていて、その日のうちに内密に打ち合わせが必要になるようなケースだ。忙しくて時間のない中で、食事の時間を打ち合わせに充てるしかなく、「それじゃあ仕事が一段落したところで、晩飯を食いながら打ち合わせしよう」となるのだが、それが男女一対一だと、やりにくいという場面が出てきた。私は全く意識していなかったのだが、ある時期から急に上司から飲みに誘われなくなったことがあり、「どうしたのか」と聞くと、「いや一対一はまずいかなと思ってね」と言われて、驚いたことがある。仕方ないと思って放っておいたら、何も状況は変わっていないのに、また普通に誘われるようになった。男性の側も、迷いながら対応しているということなのだろう』、「男性の側も、迷いながら対応しているということなのだろう」、あり得る話だ。
・『「働く男女の比率」が近づけば解決される 直接的な仕事の話ではなくても、いわゆる「飲みニケーション」として、時には酒を一緒に飲みながら話をするのも必要なことだ。大勢で飲めばいいではないかと言われるかもしれないが、酒を飲もうが飲むまいが、本当に重要な話は「一対一」のサシでするというのは、特に私たち新聞記者には染みついている。そこで、女性ばかりが誘われないというのは、問題が生じる。 ただ、こうした問題も、女性が少数派だから起きることだ。男女の比率がもっと近づけば、お互いに注意しながら付き合うことになり、一方的に女性が飲み会に誘われなくて不利になるということはなくなっていくのではないだろうか。もちろん、女性上司から男性の部下へのセクハラにも、これまで以上に注意を払わなければならない時代に入っていくだろう』、「「働く男女の比率」が近づけば解決される」、確かにその通りなのかも知れない。
・『なぜセクハラはなくならないのか セクハラという言葉が定着し、これだけ認識が広まってきたように見えるのに、それでもなくならないのはなぜだろう。 福田次官の問題があった時、ある政治家の言葉が広まった。「福田氏のような話で辞任させれば、日本の一流企業の役員は全員、辞任しないといけなくなるぞ」。本人に発言の確認を直接とっていないし、客観的事実と異なることを言っているので、匿名でしか書けないが、私はいかにもありそうな発言だと思った。 この発言が本当だとしたら、国会議員、中央官庁の幹部だけでなく、民間企業の幹部だって同じだと、政治家自らが言ってはばからず、反省もしない社会とは何なのか。「オッサン社会」の深い病を思う。 私の友人の女性は、「日本の男性は結局、独身女性をバカにしているんだよ」と怒っていた。セクハラの標的になるのは主に独身の女性だ。既婚女性へのセクハラもあるだろうが、独身女性に比べれば圧倒的に少ないのではないか。それは既婚女性には、やはり夫の影がちらつくからではないだろうか。男性からすれば、セクハラが問題化した場合、相手が独身女性ならば相手の責任を言い募って逃れられるかもしれないが、既婚女性ならば夫が乗り出してきて大事になるかもしれない、といった計算が無意識に働いているのではないか。そんなふうに私は見ている』、「既婚女性ならば夫が乗り出してきて大事になるかもしれない、といった計算が無意識に働いているのではないか。そんなふうに私は見ている」、なるほど。
・『セクハラするオッサンに欠けている意識 時々不思議に感じるのだが、オッサンたちはこのままでは自分の娘が同じような被害にあうかもしれないと考えないのだろうか。それとも「娘は専業主婦にさせて会社勤めなんかさせない」、あるいは「優良企業に就職させるから大丈夫」「親のコネがあるから誰も手を出せないだろう」とでも考えているのだろうか。 または「手を出される女性のほうにスキがあるからだ」とでも考えているのだろうか。セクハラに苦しむ女性たちと、自分の娘を分けて考えられる発想が私には全く理解できない。想像力の欠乏症としか思えない』、「セクハラ」対象と「自分の娘」は初めから「分けて考えている」からこそ、「セクハラ」する気になるのだろう。
・『女性活躍社会へは程遠い セクハラ被害に対しては、相手に直接抗議するか、会社の相談窓口や労働組合などに相談し、相手に事実関係を認めさせ、謝罪と再発防止を確約させる必要がある。しかし、一般的にいって会社へのセクハラ相談は、依然としてハードルが高いようだ。女性たちが会社側の対応を信頼できないのが一因だろう。 男女雇用機会均等法にセクハラ対策が初めて明記されたのは1997年。その後、改正を重ねたが、いまだにセクハラの禁止を盛り込むことはできていない。私の友人が言ったようにセクハラは厳罰をもって対処しない限り、なくなることはないが、日本社会の対応は極めて甘い。ハラスメントに苦しむ人に対し、周囲が見て見ぬふりをしているうちは、皆が気持ちよく働き、ひいてはそれが業績につながる会社や社会をつくることはできないだろう。ましてや女性活躍社会なんて、絵空事でしかない』、やはり「セクハラ」には厳罰化が必要なようだ。
次に、7月1日付け東洋経済オンラインが掲載したライター・翻訳家の堀内 都喜子氏による「妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/598139
・『2018年から2022年にかけて、5年連続で「幸福度ランキング世界一」を達成したフィンランド。その背景にあるのは、“人こそが最大の資源で宝”という哲学。立場を問わずすべての国民が平等に、そして幸福に暮らすことを可能にする「仕組み」とは──?そして、日本はそこから何を学べるのでしょうか?『フィンランド 幸せのメソッド』より一部抜粋し再構成のうえお届けします』、興味深そうだ。
・『フィンランドの人の就業率は? フィンランドは男女平等が進み、女性や母親にとって暮らしやすい国として知られる。世界経済フォーラム(WEF)が発表している、男女格差を示す「ジェンダーギャップ指数」でも例年上位にあり、2021年はアイスランドに次いで2位だった。 実際、フィンランドに住むと、女性が社会に進出し、活躍していることを肌で感じる。日本の自治体や経済・政治団体の視察団が訪れると「会う人、会う人すべてが女性で、しかもみんな肩書に長が付く人ばかりだった」とか、「女性の存在感が大きかった」という感想をよく聞く。 中には「今まで経営者として女性活躍、ダイバーシティーを推進しようと社員に言ってはいたが、本当にそれが実現可能だとは信じていなかった。でもフィンランドでは本当に実現されていて驚いた」と語った日本の某大手企業の経営者もいる。 フィンランド統計局の調査によると、2020年、15?64歳の女性の就業率は70.7%、男性は72.5%で、男女の間にほとんど差はない。うちパートで働く人たちは、女性が2割で男性が1割。若干の差はあるが、女性も多くがフルタイムで働いていることがわかる。 さらに、18歳未満の子どもがいてもいなくても、女性の就業率にほとんど差はない。しかも、母親のうち8割以上はフルタイムで働く。つまり、子どもの有無が女性の仕事にほとんど影響していないという状況が見えてくる。 平等法は2015年に改正され、男女だけでなく、性的指向や性自認も含めて、性的マイノリティーの人たちにも配慮された内容となった。 この法律は企業だけでなく教育現場にも適用されていて、学校でも3年に一度、平等に関する計画づくりがされる。法務省のもとには平等に関するオンブズマンが設置されており、法律のもと、人権が平等に扱われ、不適切、差別的なことがないよう監視している』、「法務省のもとには平等に関するオンブズマンが設置されており、法律のもと、人権が平等に扱われ、不適切、差別的なことがないよう監視している」、やはり「オンブズマン」が「監視」しているようだ。
・『政治の世界でも目立つ女性たち 政治の世界ではどうか。2019年の選挙では当選した国会議員200名のうち、女性が94人で47%を占めた。その後、首相が交代してサンナ・マリン内閣が誕生した際には、閣僚19名中12人が女性となった。 2000年以降の閣僚の男女比はほぼ半々で、これまでにも女性のほうが多かったときもあれば、そうでないときもある。もはや男女の割合で一喜一憂する時代ではなくなり、「性別に関係なく、ふさわしい人が選ばれる」と冷静に受け止められている。 実際、フィンランドの公共放送YLEの調査によると、選挙で誰に投票するかを決める際に、性別は影響しないとの結果が出ている。以前は性別が投票理由の1つになりえたが、今は実力などの要素を重視するのだという。 一部北欧諸国では女性の割合が一定になるようクオータ制を導入し、議席の少なくとも4割以上が女性になるようにしている。しかし、フィンランドでクオータ制が定められているのは、任命制の地方と政府の委員会のみ。選挙にクオータ制はないのに、約半数が女性になっているのだ。 フィンランドは全国を14のブロックに分け、非拘束名簿式(候補者名または政党名のいずれかを書いて投票する方式)の比例代表制選挙を行う。この方式では、選挙のたびに政権や与野党の交代が起こりやすい。どの党も支持率が拮抗しているので、より多くの有権者の票を勝ち取る努力が求められる。 そのため、各党は老若男女を問わず幅広く有権者の声に耳を傾け、多彩な候補者を揃えなければならない。投票率を見れば、1970年代以降は男女の投票率がほぼ同じになっており、今では女性の投票率のほうが少し高い。それゆえに、女性有権者のニーズは、党の方針や候補者選びにも大きく反映される。党によっては候補者も当選する議員も女性のほうが多いこともある。 フィンランド人に女性議員が増えた理由を聞くと、「歴史の流れ」「優秀な人を選んだ結果」「教育の成果」といった声が返ってくる。バランスを保つために無理やり女性を増やしたといった経緯はない印象だ。党首や閣僚に女性が多いことについても、単純に実力と人気が評価された結果だと多くの人が捉えている。) 話は少し前にさかのぼるが、私がフィンランドに留学した2000年は、ちょうど史上初の女性大統領タルヤ・ハロネンが就任した年であり、大学でも女子学生たちは女性大統領の誕生を誇らしげに語っていた。 ある友人が言うには、彼女や兄弟は女性候補者に投票したが、彼女の父親は女性を大統領にしたくないとの理由だけで対抗馬の男性候補者に投票していたという。まだまだ政治家の性別が話題や決定に大きな影響を与える時代だったといえる。 タルヤ・ハロネン大統領は就任当時シングルマザーで、子どもの父親とは別の男性と事実婚の関係にあった。そういった事実婚カップル自体は当時すでに珍しくはなかったが、国の代表としては前代未聞のことだった。 その後、2人は正式に入籍している。強さと個性を持ち、わが道を行き、あまり周りやメディアを気にせず外出する彼女の様子は、よくも悪くも注目を集めた』、「選挙で誰に投票するかを決める際に、性別は影響しないとの結果が出ている。以前は性別が投票理由の1つになりえたが、今は実力などの要素を重視するのだという」、「フィンランドでクオータ制が定められているのは、任命制の地方と政府の委員会のみ。選挙にクオータ制はないのに、約半数が女性になっているのだ」、本物のようだ。
・『「男性でも大統領になれるの?」 その後、私が留学中の2003年には女性のアンネリ・ヤーテンマキ首相も誕生、国のトップ2人が女性ということで騒がれた。さらに2010年には史上2人目の女性首相マリ・キビニエミも登場した。彼女は当時2人の幼い子どもを持つ母親で、かつ42歳ということで国内外の注目を集めたが、どちらの女性首相も在任期間は長くない。 それから10年以上が過ぎ、今では女性が党首や議長、大臣職などの要職に就くことも珍しくなくなった。「最近、目立つ女性の政治的リーダーって誰?」とフィンランドの友人たちや同僚に聞くと、いろいろな名前が出てくる。 15年ほど前であれば「タルヤ・ハロネン大統領」と誰もがいちばんに答えたが、「彼女はあくまでも歴史上に何人かいるキーパーソンの1人であって通過点でしかない。今はもっと多岐にわたっていろいろな女性リーダーがいる」というのが、友人たちの声だ。 それでも世界的に見て、目立つ存在といえばサンナ・マリン首相だろう。そして政権発足当時、連立与党を率いる5党の党首が全員女性で、そのうち4人が30代前半というのも大きな話題になった。 2020年9月にはそのうちの1人が交代したが、後を継いだ新たな党首も30代の女性だった。彼女たちは幼い頃から男女共働きの社会で育ち、政界にも周りにも女性のリーダーたちがすでに多く存在した世代だ。 しかも10代の多感な時期に初の女性大統領が誕生。続いて女性が首相になるのも見ている。女性が国のトップになることを自然に受け止めてきたはずだ。マリン首相もかつてインタビューで「憧れの政治家はいないが、ハロネン元大統領は確実に私たちの道しるべとなった存在」と語っている。 もっと若い世代だと、緑の党で今後が期待される20代の女性議員リーッカ・カルッピネンに至っては、物心ついたときには大統領は女性で、地元の首長も女性だった。そこで当時、父親に「男性でも大統領になれるの?」と聞いたと新聞インタビューで語っている。) マリン政権を担う連立与党の党首5人が全員女性だと述べたが、これも別に不思議なことではない。どの党もほぼ半数以上の議員が女性なのだ。 5人の顔ぶれを見て、海外メディアやSNSなどでは「女性ばかりなのはいかがなものか?」という否定的な声が一部で上がったが、正当な手順で党首選が行われ、そこでいちばんに選ばれた人たちがたまたま全員女性だったというだけなので、フィンランド国内では少し驚きはあったものの、男女のバランスに否定的な声はない。 注目すべきは、男女のバランスよりも、若い世代が党首に就いていることだろう。フィンランドでは過去にも30代の首相や20代の閣僚がいたこともあり、日本よりもはるかに若い人たちが役職を担うことが多い。それは政治に限らず、優秀な若い人たちの可能性を信じて任せ、ベテランは陰で支える文化があるからだ。 確かに経験はないよりあったほうがいいが、フィンランド人が必要だと考えている「経験」の年数は日本よりも短い。 企業でも5年の経験があれば十分ベテランの部類に入ってくる。何十年の下積みをしてやっと認められるというよりも、ある程度全体の流れが把握できていて、その人が優秀で素質があるとわかればいい。だから30代で頭取や取締役に就くことも、学校の校長をつとめることもある。 ▽高校生などが政治活動に関わることはタブーではない(政治においても2?3期目で閣僚になることは普通だ。党内の力関係や誰が役職に就くかといったことは、当選回数で決まるのではない。選挙での得票率やそれまでの党内での人気、実力、そして本人の適性がカギとなる。性別や年齢も関係ない。 現在、国会議員の平均年齢は40代半ば。いくら実力主義とはいえ、いくつかの党の党首に30代が就いているのはなぜか。それは、彼女たちに寄せられている変革への期待の表れだろう。 グローバル社会の進展にさまざまな技術革新、生活や価値観の多様化と、私たちを取り巻く世界は刻々と変わっている。どの党も存続のためには変化に対応でき、次世代を担う若者を取り込む必要がある。そういった中で、各政党は象徴となる若いリーダーを求めているというわけだ。 ただし、彼女たちは若さだけが理由で党首に就いているわけではない。教育を十分に受け、行政学や政治学、社会学を学び、10代、20代前半から党の活動に携わってきた経験もある。 フィンランドでは早ければ15歳頃から党の青少年部に入って活動することができ、高校生などが政治活動に関わることは決してタブーではない。党にとってみれば、若い青少年部員たちは若者世代にリーチするための大切な媒介者であり、多少過激であっても、若い人が持つ柔軟な発想が党に刺激を与えてくれることもある。また、彼らは未来の政治家の卵でもある。) マリンも20歳から党に入って政治に携わっているし、ほかの党首たちも10年以上政界でキャリアを積んできている。当選回数は多くなくとも、まったくの素人というわけではなく、ある程度の時間をかけて地道に党の内外で信頼と人気を勝ち取ってきているのだ』、「マリン政権を担う連立与党の党首5人が全員女性だと述べたが、これも別に不思議なことではない。どの党もほぼ半数以上の議員が女性なのだ」、「マリンも20歳から党に入って政治に携わっているし、ほかの党首たちも10年以上政界でキャリアを積んできている。当選回数は多くなくとも、まったくの素人というわけではなく、ある程度の時間をかけて地道に党の内外で信頼と人気を勝ち取ってきているのだ」、なるほど。
・『当たり前になった政治家の産休・育休 国会に30?40代の議員が多くなり、さらに女性議員が増えたことで、政治家に幼い子どもがいることも、出産や育児のために休暇を取ることも自然になってきている。それは閣僚であっても同じだ。 例えば、2020年9月に党首選で勝ち、政権与党の5人のリーダーの中に入ったアンニカ・サーリッコは、前政権時、妊娠中に科学・文化大臣に就任した。 当時から党首に望まれていたが、彼女は出産や家族の時間を優先したいとして出馬はせず、まもなく1年間の出産・育児休暇に入った。その間は同じ党のほかの議員が代わりに大臣をつとめた。そして復帰直後に行われた党首選に出馬し、党首に選ばれた。 彼女が産休・育休を取ったのはこれが初めてではなかった。第1子のときは、何と育休中に大臣職に任命されている。このときも党内の合意のもと、最初は同じ党の代理が大臣職をつとめ、育休復帰後、少しずつ職務をサーリッコに移行していった。 さらに5人の女性リーダーの中のもう1人、リ・アンデルソンは教育大臣をつとめているが、2020年9月に妊娠を発表し、年末から産休・育休に入り、その休暇中はやはり同じ党のほかの議員が代わりをつとめ、アンデルソンは出産から約半年で大臣に復帰している。 5人のうちのもう1人である緑の党の党首も、2021年11月から出産・育休に入った。彼女は党首選への出馬意志と妊娠を同時に発表し、その後再選された。 男性議員も積極的に育休を取っている。マリン政権で国防大臣をつとめる男性議員も父親休暇を取得したが、もはや大きなニュースになることもなく、メディアではいつからいつまで休暇に入り、その間は誰が代理をつとめるといったことのみが事務的に報道されていた。 このように最近の流れを見ていると、フィンランドの政治家や閣僚にとって、出産や育児は政治家のキャリアに負の影響を与えるものではないのだと、強く感じさせられる』、「日本」とは対極の「女性活躍」社会で、余りにも違いが大きいようだ。
第三に、7月7日付けPRESIDENT WOMANが掲載した拓殖大学政経学部准教授の佐藤 一磨氏による「「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く、管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが、幸福度が高くなる」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/59335
・『管理職の妻をもつ夫は幸せなのか。拓殖大学准教授の佐藤一磨さんは「夫の幸福度の平均値は、妻が非就業の時に最も高く、管理職の時に最も低くなるという結果がでました。夫婦各人の年収や学歴、子のありなしを問わず同じ傾向が見られます」という――』、興味深そうだ。
・『管理職の妻をもつ夫は幸せなのか 日本では管理職として働く女性の割合が徐々に増加しています。具体的な数値を見ると、民間企業の課長級の役職者における女性割合は1990年では約2%でしたが、2019年には約11%にまで上昇しています(※1)。 このような女性管理職の増加は、社会の大きな流れとして今後も続くと予想されますが、管理職となることが女性またはその家族にどのような影響を及ぼすのかという点は、あまり検証されていません。 特に妻が管理職として働く場合、その配偶者である夫に及ぼす影響については、あまり語られてこなかったのではないでしょうか。 日本の場合、性別役割分業意識が強く、「男性=仕事、女性=家事・育児」という価値観が色濃く残っています。妻の管理職での就業は、この価値観から外れてしまうため、家庭内に不和をもたらす可能性もあり、その実態が気になるところです。 そこで、今回は妻の管理職での就業が夫の幸福度に及ぼす影響について検証した研究を紹介していきたいと思います』、「研究」の結果を知りたいものだ。
・『妻が管理職として働くポジティブな影響 実際の検証結果に移る前に、妻の管理職での就業がもたらす影響について整理しておきましょう。 妻の管理職での就業には、ポジティブな影響とネガティブな影響が存在します。 まずポジティブな影響として挙げられるのは、世帯年収の増加です。夫だけでなく妻も働き、かつ妻が管理職につくことは世帯年収を底上げします。 このような世帯年収の増加は、生活に潤いをもたらすでしょう。もちろんその恩恵は夫にも行きわたり、住宅の購入や子どもの教育費用を支払ううえで重要な支えとなります。 また、もう一つのポジティブな影響として考えられるのが夫の所得低下や失業に対する保険です。 長期的な低経済成長に直面してきた日本では、予期せぬ形でボーナスが削減されて夫の所得が低下したり、失業する可能性があります。これらによる世帯所得の低下を補填する保険として、管理職で働く妻の稼ぎが機能すると考えられます』、「ポジティブな影響」は確かに考えられる。
・『妻が管理職として働くネガティブな影響 次にネガティブな影響ですが、2つ考えられます。1つ目は、管理職になることで妻の労働時間が増え、そのしわ寄せが家族、特に夫に向かうというものです。 通常、多くの家庭では妻に家事労働が偏っています。この状態のままで妻が管理職で働くようになると、労働時間が増え、どうしても家事・育児に割ける時間が減ってしまうと予想されます。 これを補完するためにも、夫の家事労働の時間が増える可能性があるのです。 妻の状況を理解し、進んで家事・育児に参加する夫であれば問題ないのですが、夫自身も仕事で忙しく、余裕がなかった場合、家に帰ってから家事・育児もやらなければならないとなると、ストレスが増えてしまう恐れがあります。 また、妻が仕事で忙しくなることによって夫婦間ですれ違いが生じ、ストレスの多い家庭生活になってしまう可能性も考えられます』、「ネガティブな影響」はもっとありそうだ。
・『「男が大黒柱であるべき」という意識と現実とのギャップ 2つ目のネガティブな影響は、性別役割分業意識からの乖離です。他の先進国と比較して、日本では依然として「男性=仕事、女性=家事・育児」という価値観が強く残っています。 この価値観の中には「男は仕事第一で一家の大黒柱であるべき」という考えも含まれています。近年のワークライフバランスを重視する流れから「男は仕事第一」という考えはやや薄れてきていると予想されますが、男女間賃金格差が依然として存在する現状では、「男が一家の大黒柱であるべき」という考えは影響力があると言えるでしょう。 この考えを強く持つ夫の場合、妻が管理職で働き、その多くの時間を家庭外の仕事に割くことに肯定的な意見を持てないと考えられます。 また、もし妻の稼ぎが自分の稼ぎを上回るようになった場合、自分の持つ価値観と実態とのギャップからストレスを感じるようになるでしょう。 以上、妻の管理職での就業には、ポジティブな影響とネガティブな影響の両方が存在し、その相対的な大きさによって幸福度に及ぼす影響が決まってきます。 はたしてどちらの影響が大きいのでしょうか』、実際のデータではどうなのだろう。
・『妻が管理職の夫の幸福度は低い 図表1は妻の就業状態別の夫の幸福度の平均値を示しています。 ここでは、妻の就業状態を①管理職の正社員、②非管理職の正社員、③非正社員、④非就業の4つに分類しています。なお、夫婦ともに59歳以下の現役世代に限定しています。 図表1から明らかなように、夫の幸福度の平均値は妻が④非就業の時に最も高く、①管理職の正社員の時に最も低くなっていました。 この結果は、「妻が管理職の夫の幸福度は低い」ことを意味します。 ちなみにこの結果は、夫の年齢、学歴、子どもの有無や夫婦それぞれの年収、労働時間といった要因を統計的手法でコントロールしても、変わりませんでした』、「妻が管理職の夫の幸福度は低い」、直感的な考え方と一致したようだ。
・『専業主婦を持つ男性の幸福度が最も高い 図表1の結果から、妻の管理職での就業のポジティブな影響とネガティブな影響のうち、ネガティブな影響の方が強かったと考えられます。 ネガティブな影響の原因として、夫の家事・育児負担や夫婦のすれ違いの増加、性別役割分業意識からの乖離といった要因が考えられますが、どの要因の影響力が強いのかは明確には判断できません。 ただし、図表1の結果が示すように、「妻が働いていない夫ほど幸福度が高い」という点を考慮すれば、性別役割分業意識の影響は無視できないと言えるでしょう』、「専業主婦を持つ男性の幸福度が最も高い」、これも直感的な考え方と一致したようだ。
・『夫が働いていない妻の幸福度は低い 一方、妻の場合、幸福度の平均値は夫が①管理職の正社員、②非管理職の正社員、③非正社員、④非就業の順になっていました(図表2)。 夫が管理職だと妻の幸福度が高く、逆に夫が働いていないと幸福度が低くなるというこの結果は、直感的にも納得できます。 特に夫が非就業の場合の幸福度の落ち込みは大きく、「働いていない夫」を持つ妻の苦悩が読み取れます。 ちなみに、夫が働いていない妻の幸福度が低くなるという現象は欧米でも確認されています(※2) 。この点は洋の東西を問わず妻を悩ます種になっているようです』、「夫が働いていない妻の幸福度は低い」、「洋の東西を問わず妻を悩ます種になっているようです」、なるほど。
・『女性活躍推進策が夫婦にもたらした影響 図表1の結果が示すように、妻が管理職の夫の幸福度は低くなっています。 日本では女性活躍推進策が進められ、徐々に管理職として働く妻も増加してきていますが、その陰で夫の幸福度低下という現象が起きていた可能性があります。 このような夫婦の一方の働き方がその配偶者に及ぼす影響に関しては、主に欧米で分析されてきました。欧米では主に夫婦いずれかの失業の影響が注目されてきました。 それらの分析では、失業の影響はもちろんそれを経験した本人において深刻ですが、家族にも及んでいる可能性があり、その影響を見落とすことは、失業の影響を過少に見積もっているのではないかという問題意識が持たれていました。 同じ議論は、女性活躍推進策による女性の管理職増加にも当てはまる可能性があります。 女性活躍推進策を進めることに注力するあまり、その負の側面が見落とされていたのではないでしょうか』、確かに「女性活躍推進策」の「負の側面」も検証すべきだ。
・『必要なのは働き方改革と性別役割分業意識のアップデート さて、夫の幸福度が低下するからといって、女性活躍推進策の歩みを止めるのはナンセンスです。 女性活躍推進策は今後の日本にとって必要な政策であり、課題に対処しながら進めていくことが重要でしょう。 このために必要となるのは、妻が管理職として働くようになったとしても家族にしわ寄せがいかないワークライフバランス施策です。 また、これに加えて、夫側の性別役割分業意識のアップデートが必須となるでしょう。 (佐藤 一磨氏の略歴はリンク先参照)』、「女性活躍推進策は今後の日本にとって必要な政策であり、課題に対処しながら進めていくことが重要」、「このために必要となるのは、妻が管理職として働くようになったとしても家族にしわ寄せがいかないワークライフバランス施策です。 また、これに加えて、夫側の性別役割分業意識のアップデートが必須」、同感である。
タグ:女性活躍 (その25)(全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて 絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病、妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する、「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く 管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが 幸福度が高くなる) 東洋経済オンライン PRESIDENT Online「毎日新聞社論説委員の佐藤 千矢子氏による「全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて、絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病」 佐藤 千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書) 「福田氏は事実関係を否定したまま、省内を混乱させた責任をとって辞任」、当然だ。 「このケースでの記者への批判は問題すり替えの意図を感じ、賛同できない。録音は被害者として他に訴える方法がなく、やむを得ず証拠として提出したのであり、記者の倫理の問題とは別に被害救済が議論されるべきだ」、同感である。 やはり彼女がやったように週刊誌に書かすのが一番だろう。 やはり何らかの形で世の中に訴えるべきだ。 「「放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた。たとえ屈辱的な思いをしても誰にも相談できないのが実態だ。この問題はこれ以上放置してはいけない」、その通りだ。 「セクハラという言葉が定着することによって、「セクハラはしてはいけない行為だ」「被害女性に非はなく悪いのはあくまでも加害男性だ」ということが社会の共通認識になれば、被害を訴えやすくなるし、報告を受けた上司が対応せざるを得なくなる。大きな違いだ」、なるほど。 「男性の側も、迷いながら対応しているということなのだろう」、あり得る話だ。 「「働く男女の比率」が近づけば解決される」、確かにその通りなのかも知れない。 「既婚女性ならば夫が乗り出してきて大事になるかもしれない、といった計算が無意識に働いているのではないか。そんなふうに私は見ている」、なるほど。 「セクハラ」対象と「自分の娘」は初めから「分けて考えている」からこそ、「セクハラ」する気になるのだろう。 やはり「セクハラ」には厳罰化が必要なようだ。 堀内 都喜子氏による「妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する」 フィンランド 幸せのメソッド 子どもの有無が女性の仕事にほとんど影響していない 「法務省のもとには平等に関するオンブズマンが設置されており、法律のもと、人権が平等に扱われ、不適切、差別的なことがないよう監視している」、やはり「オンブズマン」が「監視」しているようだ。 「選挙で誰に投票するかを決める際に、性別は影響しないとの結果が出ている。以前は性別が投票理由の1つになりえたが、今は実力などの要素を重視するのだという」、「フィンランドでクオータ制が定められているのは、任命制の地方と政府の委員会のみ。選挙にクオータ制はないのに、約半数が女性になっているのだ」、本物のようだ。 「マリン政権を担う連立与党の党首5人が全員女性だと述べたが、これも別に不思議なことではない。どの党もほぼ半数以上の議員が女性なのだ」、「マリンも20歳から党に入って政治に携わっているし、ほかの党首たちも10年以上政界でキャリアを積んできている。当選回数は多くなくとも、まったくの素人というわけではなく、ある程度の時間をかけて地道に党の内外で信頼と人気を勝ち取ってきているのだ」、なるほど。 「日本」とは対極の「女性活躍」社会で、余りにも違いが大きいようだ。 PRESIDENT WOMAN 佐藤 一磨氏による「「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く、管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが、幸福度が高くなる」 「研究」の結果を知りたいものだ。 「ポジティブな影響」は確かに考えられる。 「ネガティブな影響」はもっとありそうだ。 実際のデータではどうなのだろう。 「妻が管理職の夫の幸福度は低い」、直感的な考え方と一致したようだ。 「専業主婦を持つ男性の幸福度が最も高い」、これも直感的な考え方と一致したようだ。 「夫が働いていない妻の幸福度は低い」、「洋の東西を問わず妻を悩ます種になっているようです」、なるほど。 確かに「女性活躍推進策」の「負の側面」も検証すべきだ。 「女性活躍推進策は今後の日本にとって必要な政策であり、課題に対処しながら進めていくことが重要」、「このために必要となるのは、妻が管理職として働くようになったとしても家族にしわ寄せがいかないワークライフバランス施策です。 また、これに加えて、夫側の性別役割分業意識のアップデートが必須」、同感である。