ベンチャー(その2)(日本からアップルやグーグルが生まれない根本的な理由、金の亡者でもロマンチストでもないベンチャーキャピタルの二面性、大企業とスタートアップ企業の協業に潜む4つの落とし穴) [経済]
ベンチャーについては、昨年8月21日に取上げた。今日は、(その2)(日本からアップルやグーグルが生まれない根本的な理由、金の亡者でもロマンチストでもないベンチャーキャピタルの二面性、大企業とスタートアップ企業の協業に潜む4つの落とし穴)である。
先ずは、昨年11月28日付けダイヤモンド・オンライン「日本からアップルやグーグルが生まれない根本的な理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・若者の聖地である東京・渋谷に、起業家を支援するための大型施設が誕生する。起業といえばシリコンバレーが真っ先に浮かぶが、渋谷の新拠点はそれと一線を画している。ベンチャー企業という世界の片隅で起きている変化に目を凝らす特集の第1回(全6回)は、日本で始まった“胎動”を追う。
▽若者の聖地である渋谷に起業支援ビルがオープン
・2017年11月下旬、東京・渋谷の「タワーレコード渋谷店」の壁面には、9月20日に引退を発表した歌手・安室奈美恵さんのベストアルバムを宣伝する大型看板が掛かっていた。茶褐色の看板からは哀愁が漂い、まるで一時代の終わりを示すかのようだった。 タワレコといえば、1990年代、若者文化の情報発信拠点として一時代を築いた。安室さんのファッションをまねした女子高生、通称「アムラー」の“聖地”として栄えた。しかし、それも今は昔。若者は、スマートフォンの画面を眺めるばかりで、タワレコに備え付けられた大型モニターなど目もくれず、かつてのにぎわいはどこにもなくなっていた。
・だが、そんなタワレコの地で、新しいムーブメントが起きようとしている。それは、時代の転換を示す“シグナル”だった。 タワレコから道路を挟んだ向かい側に、えんじ色で「EDGEof」との文字が頂上に書かれた、地上8階建ての真っ白なビルがそびえ立つ。 実はこのビル、1階の飲食店を除き、起業家の育成・支援を行う複合施設となる予定だ。コワーキングスペースのほか、イベントスペースやショールームにメディアセンターもできるという。今秋からイベントが始まり、来春には正式オープンする予定だ。
・このビルを運営するEDGEof(エッジ・オブ)共同代表の小田嶋・アレックス・太輔氏は、「イノベーションは新しいコミュニティの中から生まれる。エッジな(最先端に立つ)人たちを集め、渋谷の地から新しい文化を創り、世界に発信していきたい」と話す。 もっとも、こうした起業支援施設は日本各地に数多く存在する。では、エッジ・オブは一体、何が違うのだろうか。それを説明する前に、起業支援の最前線であるシリコンバレーの現状を振り返ろう。
▽米トップ5に入る企業を育てたシリコンバレーの「エコシステム」
・現在、世界のトップ5社の時価総額を合計すると3.3兆米ドル(約372兆円)にも上る。この中のアップル、グーグル(アルファベット)、フェイスブックの3社は、いずれもシリコンバレーの会社だ。こうした企業を育てたのが、後述する「エコシステム」だと言われており、日本には十分にないものだ。
・そもそも、スタートアップ企業(ベンチャー企業)が成長するためには、投資家から資金を集めて優秀な人材を獲得し、製品やサービスに磨きをかけていく必要がある。もちろん、金融機関から融資を受ける手もあるが、時間のかかる審査を待っていては商機を失ってしまう。そこで投資家の出資を受ける場合が多い。
・そうしたスタートアップに資金を提供しているプレーヤーの一つが「ベンチャーキャピタル」(VC)だ。VCは、9割の投資が失敗したとしても、1割で大成功すればよいと考えており、金融機関では取ることができないリスクを負って出資してくれる。 また、「エンジェル投資家」も、スタートアップを足元で支えている。その多くが自ら企業経営者として成功を収め、財を成した人物たちだ。創業間もない企業にも寛容で、出資だけでなく、人材の紹介やアドバイスなども行う。 シリコンバレーには、こうした投資家たちがそこら中にいる。例えば大学で先端技術の研究に打ち込んでいる若者に、エンジェル投資家がポンとカネを提供し、新しい技術が花開くといったケースは枚挙に暇がない。
▽日本のベンチャー投資額は米国のわずか2%
・こうした投資家の厚みは、スタートアップの誕生と成長に大きく影響する。実際、2016年のベンチャー投資額は、米国の7.5兆円に対して、欧州が5353億円、日本は1529億円(米国の約2%)にとどまる(「ベンチャー白書2017」)。
・投資家から資金提供を受けて成長し、花開いたスタートアップ企業には大きく二つの道ができる。一つは株式上場(IPO)によって市場から資金を得て、さらに成長する道。そしてもう一つは、M&Aによって経営権を売却し、どこかの企業の傘下に入る道だ。 VCから出資を受けた企業は、ファンドの運用期間が5~10年程度であるため、10年足らずでどちらの道を選択するか迫られることになる。逆に言えば、こうした“期限”があるからこそ、急成長を果たすスタートアップが次々と生まれるのだ。
・特に、グーグルやアマゾンといった巨大IT企業はさらなる成長を果たすため、スタートアップの技術や人材を取り込もうと積極的にM&Aを仕掛けている。それもあって、米国ではVCから出資を受けたスタートアップの約9割がM&Aでどこかに売却されている。
・こうした仕組みによって、起業家には多額の資産が転がり込む。そこで、次なる起業につなげたり、自身が投資家となって別の企業を支援したりする。そうした“循環”を見て世界中から人と金が集まるため、情報交換や人材交流も活発となり、新産業の創出に至っているのだ。
・残念ながら、日本にはこうした土壌、いわゆる「エコシステム」が醸成されていない。新興企業のIPOこそ増えているものの、M&Aとなるとまだまだ限られている。 なぜなら、受け入れる側の日本の大手企業は、給与体系や人事体制が古いなど、受け皿になる“下地”がないからだ。また、スタートアップを育てて、その結果としてリターンを得ようという考え方ではなく、自社の新規事業のネタ探しが中心で、人材やノウハウを囲い込もうとするため、スタートアップは育たない。 海外企業からのM&Aにしても、言葉の壁が立ちはだかって対象になることはまれだ。
▽大企業や行政支援とは一線を画すエッジ・オブ
・話を戻そう。「エッジ・オブ」は、こうしたエコシステムを作る担い手になろうとしている。しかも、最初からグローバルを意識しているのが特徴だ。 コワーキングスペースのように“場所貸し”をする企業も増えているが、こぢんまりとしたケースが多い。入居者同士の交流を促し、化学反応を起こさせるためには、数百人程度を収容する規模感が必要であるにもかかわらずだ。 また、運営者にもスタートアップ経営者のような「熱量」が求められる他、さまざまな関係者を束ねる「顔」がいないと新しい機運が生まれにくい。
・行政主導のプログラムもあるが、熱心な担当者に依存する、つまり属人的なケースが多い。また、行政機関だから数年で異動・交代してしまい、一過性のものに陥りやすい。しかも、自治体ごとにバラバラで行われているため、広がりにも欠ける。
・エッジ・オブは、こうしたものたちとは一線を画している。単なる起業家支援ではなく、研究者や投資家との橋渡し、メディアとの連携、アーティストの招致などを通じて、新しいコミュニティ作りをしようとしているのだ。 実際、創業者6人は多彩な顔ぶれだ。
▽音楽、ゲーム、イベントなどに精通 多彩な経歴を持つ創業者たち
・小田嶋氏と共にCEOを担うのが、イノベーションプロデューサーであり音楽業界に関係の深いケン・マスイ氏だ。また、世界的な評価を受けているゲームクリエイターの水口哲也氏、伝説のシミュレーションゲーム「シムシティ」の開発者で投資家のダニエル・ゴールドマン氏、世界的プレゼンテーションイベントの日本版「TEDxTokyo(テデックス・トーキョー)」の創立に関わったトッド・ポーター氏。そして自らも連続起業家であり、世界中で起業家の支援・育成を行っているMistletoe(ミスルトゥ)ファウンダーの孫泰蔵氏がいる。いずれも、世界的に幅広い人的ネットワークを持っている人々だ。
・「6人の創業者たちは、幅広いネットワークを持っている。それらを活用し、メンバーをサポートしていきたい」(小田嶋代表)。 そんな小田嶋代表自身も、欧州のスタートアップ事情に通じており、今回のエッジ・オブ設立においても欧州、とりわけフランスから大きなヒントを得ている。というのも現在、フランスは欧州で最もベンチャー投資資金が集まっており、次のシリコンバレーとして世界からの注目が一気に集まっているからだ。
・連載の2回目では、スタートアップに対する投資熱が加速するフランスの今をレポートする)
http://diamond.jp/articles/-/150976
次に、ネットサービス・ベンチャーズ・マネージングパートナーの校條 浩氏が12月18日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「金の亡者でもロマンチストでもないベンチャーキャピタルの二面性」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・昨今、米国のベンチャーキャピタル(VC)への出資を検討する日本企業が増えてきている。 それ自体は意味があるのだが、そのときに気になるのが、「わが社は投資リターンを求めていない。あくまでVCから新事業情報を得るのが目的だ」という経営トップの発言だ。 ここには大きな誤解がある。それを明かす前にVCがどう理解されているのか、日本のウィキペディアを参考に見てみよう。
・「VCとは、ハイリターンを狙った投資を行う投資ファンドのこと。主に高い成長率を有する未上場企業に対して投資を行い、投資した企業を株式公開させたりして利益を得る。資金を投下するのと同時に経営コンサルティングを行い、投資先企業の価値向上を図る。担当者が取締役会等にも参加し、経営陣に対して多岐にわたる指導を行う」(筆者要約)
・必ずしも間違ったことを言ってはいないものの、シリコンバレーのVCの実態を知る者としては違和感がある。 その違和感を生む原因は、既存の株式投資の枠組みで語られていることだ。本物のVCは、既存市場や既存事業で成長している未上場企業へ投資してハイリターンを目指す、わけではない。 ではVCをどう理解すべきなのか。ここで、VC界の大物の一人、ビノッド・コースラ(Vinod Khosla)をご紹介しよう。
▽大物が説く本当の役割
・コースラは、米サン・マイクロシステムズを立ち上げた一人として有名だ。同社といえば、主に業務に利用される高性能のコンピューター「ワークステーション」の市場をけん引した会社である(後に米オラクルが買収)。 世界最高峰といわれるVC、クライナー・パーキンス(Kleiner Perkins Caufield & Byers)に転じたコースラは、そこでも大きな成果を残し、自らコースラ・ベンチャーズというVCを設立した。個人資産は1500億円超ともいわれる。
・そのコースラが強調することは二つ。一つは「主役は起業家であり、VCはそれを支援するプロデューサーである」ということ。次に「失敗」の重要性である。 「専門家や経験を積んだ経営者、それにVCによる未来事業に関する意見はほとんど当てにならない」とコースラは喝破する。 起業家は、24時間寝ても覚めても事業のことを考え、市場に最も近いところにいて最も多くの情報を持っている。専門家たちの「コンサルティング」や「指導」を真に受けてしまうような起業家が成功するのかといえば、答えは否だ。
・周りの誰も理解できない未来の市場を見据え、自分のビジョンのみを信じて切り開く。そうした起業家を発掘し、後押しし、本人の成長を助けること。それこそがVC本来の仕事であるのだと、コースラは言う。 また、世の中にインパクトを与えるような事業を創造するのに失敗は付きものだ、とも言う。失敗なく立ち上がるようなことはあり得ないし、逆に失敗がない事業はインパクトが小さい。
・よく誤解されることだが、何も失敗を奨励しているわけではない。失敗はない方がいい。 問題は、その質だ。致命的な失敗は避け、なるべく小さくし、早く結果が出る形で失敗を重ねる。失敗の条件を知ることが大きな成功への道につながっている。
・コースラもそうだが、実はVCの動機は、スタートアップを通して世界を変えるような新しい事業や産業を創造したい、という根源的な欲求にある。 もちろん、成功のバロメーターはもうけであるが、それが真の動機にはならない。世界を変えるような事業を創造すれば、巨万の富は後からついてくると考えているからである。
・とはいえ、VC自身も投資先企業の失敗を想定しているから、複数のスタートアップに投資することにより、リスクを抑えている。 失敗の可能性が大きい事業を多く手掛け、一握りの大成功した事業によって、全体の投資リターンを得る。そんなパラドックスを抱えるのが他の投資ファンドとは違うところだ。
▽「ジキルとハイド」の二面性
・一方、その資金は、年金ファンドや大学の基金のような「既存の枠組み」にいる金融機関から調達する。 なぜ、一寸先も分からないような事業創造へ投資するVCに、リスクに敏感で投資リターンの予想が中心課題である金融機関が出資するのか。 それは、VCに投資リターンの長期的なトラックレコードがあるからだ。実際、VCに投資する金融機関は、VCの仕事の中身にはあまり関知しない。あくまで関心は投資リターンなのだ。
・だから、VCの運用者であるジェネラルパートナー(GP)には、運用の仕方に関し最大限の裁量が与えられる一方で、VCへの出資者(LP)には投資リターンだけを心配するように役割分担がされている。 これが、お互いに全く文化や価値観の違うGPとLPの世界をつなぐことによって新しい産業を創造する、という見事なシリコンバレー流の仕組みなのだ。 その点、投資リターンが高ければ高いほど、よりよい案件が集まってくる。LPは必ず投資リターンを求めるべきで、冒頭の経営者の誤解はここにある。
・VCとは不思議なものだ。金の亡者でもロマンチストでもない。金もうけが動機ではないのに、巨額のもうけが成功の証しとなる。世界を変えたいという自己中心的な動機で、起業家という他人の成功を後押しする。 その実現のためには、折り目正しい金融機関から資金を調達し、利益を還元しながら、コンプライアンスや財務報告も完璧にこなす。そんな二面性がある。 真のVCとは、「ジキルとハイド」なのだ。(敬称略)
http://diamond.jp/articles/-/150305
第三に、Translink Capital(トランスリンク・キャピタル)マネージング・パートナーの秋元信行氏が12月27日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「大企業とスタートアップ企業の協業に潜む4つの落とし穴」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽大企業とスタートアップの協業が上手く行かない理由
・大手企業とスタートアップ企業とのオープンイノベーションを目指した取り組みが活況を呈している。以前はIT関連企業が多かったが、最近では金融や鉄道、食品、スポーツ業界などでも非常に積極的に取り組まれており、もはやオープンイノベーションはIT業界の専売特許ではなくなってきた。
・オープンイノベーションとは、自社内だけでなく、他社(異業種、スタートアップ企業、大学など)の技術やサービス・経験を組み合わせることで、新たな価値を創出しようとするもの。イノベーションが起こりにくい大手企業と、イノベーション発想は持っているものの企業としての総合力が不足しているスタートアップ企業が、互いの強みと弱みを補完し合う意味で協業するケースも多い。 特に「インキュベーションプログラム」「アクセラレーションプログラム」といった、オープンイノベーションへの取り組みが大企業で多く実施されるようになってきたのも最近の傾向だ。
・これは、大手企業側がプログラムを主催し、社外専門家のサポートを受けながら、技術・経営など様々な点からスタートアップ企業の成長を支援するもので、出資提携、協業等のオープンイノベーションのパートナーとなり得るスタートアップ企業の発掘を主な目的とするケースが多い。 また、大手企業がスタートアップ企業への出資、協業促進することを目的にしたコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)を設立する動きも加速している。
・この大きな流れに呼応するように、最近では企業の垣根を超えたオープンイノベーション実務担当者、CVC関係者のコミュニティも形成され、各社の取り組み概要や失敗事例、ノウハウ共有が活発に行われている。だが、こうした取り組みが増加しているものの、その一方で、これらが事業として成功するケースはまだまだ少ないのが実情だ。
・取り組みが増えている今、なぜ失敗したのか、どこに落とし穴があるのかを学ぶことで、成功の可能性を高めることが必要になっている。そこで今回、大手企業がスタートアップ企業との協業で陥りがちである「代表的な落とし穴」について見ていきたい。
▽落とし穴1:手段の目的化
・落とし穴の1つ目は、「手段の目的化」だ。オープンイノベーションの本来の目的が明確になっており、常にそこを目指して活動していくことが徹底されていないと、単に短期間で「やっている感」を出すための取り組みに走ることになる。
・前述したとおり、「アクセラレーションプログラム」は、大手企業が自社の持つ総合的な企業力とスタートアップ企業の持つ斬新なアイデアとを掛け合わせて新たな価値を創出したり、スタートアップ企業に対してビジネスに資するメンタリングを提供したりすることで、その成長を加速させたりする。また、そのプログラムを通じて大手企業社員もスタートアップ企業と接することで、起業家目線を身につけ、自社企業文化に新しい風を吹き込む人材へ成長するなど、様々な目的がある。
・非常に意義ある取り組みではあるが、本来、目指していた目的を達成できたか否かを判定できる結果が出るには、かなり時間が掛かる。だが、変化の速い昨今のビジネスにおいて「結果が出始めるのは3年後くらいから」というものは、なかなか許容され難い。そこで、短期的に「成果を出している感」を醸し出す必要が出てきてしまう。ここで起こりがちなのが「手段の目的化」だ。
・プログラムそのものを無難に回すことや、イベントが盛り上がっているかどうかを重視してしまう。本来、その取り組みを行うことで結果に結びつけることが目的であるのに、盛り上げることそのものが目的化されてしまうといった状況である。
・また、大企業がスタートアップ企業に対して、少額な業務委託契約を発注する行為も、手段の目的化にあたるだろう。新たな価値創造といった大きな成果を目指す協業は、そう簡単に実現しない。しかし、短期的な「やっている感」を出すために、とりあえず下請け的業務をスタートアップ企業へ発注し、お茶を濁すという行為である。
・戦略的なシナジー創出を目的とするCVCの場合であれば、「とりあえずの出資件数稼ぎ」が該当するかもしれない。出資そのものは有望スタートアップ企業発掘のための手段であり、目的ではないケースでも、独立したCVCにとっては各年度のKPIのひとつに出資件数が採用されることが多い。短期的な成果として、出資件数稼ぎに注力してしまうのだ。これも、よくある「手段が目的化」しているケースだ。
▽落とし穴2:スタートアップへの「リスペクト」
・オープンイノベーションを推進するパートナーとして、大手企業がスタートアップ企業と対等な立場で案件に取り組む姿勢は非常に重要だ。 共に新たな価値創造を目指す仲間であるわけで、下請け扱いをしていたら新たな価値創造など実現するわけがない。感情的な部分ではあるが、スタートアップとの協業においては極めて重要である。
・このポイントは10年以上前から同じことが言われており、日々スタートアップ企業と接している大手企業の関連部門メンバーにはかなり浸透している。 だが、他部門メンバーなど全体にそのマインドが根付いていないケースも多い。いくつかの理由があるが、結局はスタートアップ企業をリスペクトすることが「腹落ち」していないのではないか。
・そこで、次のような考え方をしてもらうと「腹落ち」につながると思うので紹介したい。 昨今のスタートアップ企業は、社会課題の解決に正面から挑戦しているケースが増えている。本気で世の中を良くしたい、困っている人たちを助けたいという強いモチベーションを胸に起業している起業家が多い。それに対して、新規事業を立ち上げようとしている大手企業では、一人ひとりが社会課題の解決まで本質的に考えているとは言い難い。 産声をあげたばかりの小さな会社が、本気で社会課題の解決に向けて汗水垂らしている。彼らの信念、視座の高さを純粋に見れば、自然とリスペクトの念が湧いてくるはずだ。
▽落とし穴3:エッジに「ヤスリ掛け」
・新しい価値を生み出すアイデアや事業は、常に“エッジ”が立っているものだ。よって初期段階では、賛否両論が多く飛び交う傾向にある。オープンイノベーションを「異質なアセットの組み合わせによる新しい化学反応=新しい価値創出」と捉えるのであれば、なおさらである。
・しかし、大手企業がある案件を進めようとすると、社内関係部門との合意形成や経営幹部の承認を得る必要がある。様々な関係者からの要求や質問、疑問を解決するために尖った部分を丸くしていかざるをえないことが多々発生する。この「合意形成」プロセスが、まさに「エッジにヤスリを掛けてしまっている」行為だ。 その結果、エッジの効いた技術・サービスに魅力を感じ、スタートさせようとした取り組みは、丸くヤスリ掛けされ、結局多数の合意形成が可能な、無難な部分だけに限定した通常の業務委託契約になってしまう。 せっかくのオープンイノベーションを目指したスタートアップとの取り組みが、結局「少しだけ従来と違うアプローチをした業務委託契約」になってしまう。
▽落とし穴4:1/1評価
・大手企業によるスタートアップ企業への投資や協業がスタートした当初は、オープンイノベーションによる価値創造のための活動や案件に対して「ポートフォリオの一部」、全体の1/10や1/100といった見方がされる。 しかし少し時間が経過し始めると、「ポートフォリオの一部」という考え方が薄れ、協業案件や出資案件を一つひとつの独立案件として、1/1で評価し始めてしまう傾向がある。1件1件をきちんと評価すること自体を否定するものではないが、オープンイノベーションの取り組みは百発百中というわけにはいかず、1/1での評価には馴染まない活動である。
・こういった評価に移行すると、実質的に百発百中を求められることになり、失敗が許容されないという雰囲気が醸成され、活動そのものが萎縮していく。エッジの効いたスタートアップ企業との新たな取り組みに、チャレンジし難い環境が定着してしまうのだ。
▽落とし穴を避けるには?
・これらの落とし穴を避けるためにはいくつかポイントがあるが、重要な2点を紹介する。 1つ目は、骨太なゴール、実現したい青写真を明確化することである。オープンイノベーションやスタートアップ企業との協業もその実現手段であって、目的ではないはずである。その上で常にブレずに、骨太なゴールに向かうプロセスを回すことが重要である。
・アクセラレーションプログラム内のスタートアップ企業に対するメンタリングでよく指摘される、ゴール、それに向けてのマイルストーン、仮説、KPI設定を行い、それに向かってPDCAを回すといった作業を、大手企業自身の取り組みでも実践することが重要である。 注意しなければいけないのは、これらのプロセスがしっかりとゴールを向いているかである。これを徹底することが「手段の目的化」という落とし穴を回避する近道だ。
・2つ目は、評価手法の見直しだ。 オープンイノベーションは、実践の場に数多く立ち続けることが重要になる。そのため、アクセラレーションプログラムやインキューベーションプログラム、CVCなどの取り組みが活発化している現状は、非常に好ましい状況だと思う。しかし、ここで確認しなければならないのは、オープンイノベーションの推進を担う大手企業のメンバーに対する評価制度が、ある程度長い時間軸で、失敗を評価する仕掛けになっているか否かである。
・オープンイノベーションの取り組みは、チャレンジが大前提だ。しかし、チャレンジには必ず失敗がつきまとう。特にスタートアップ企業とのオープンイノベーションの場合、高い確率で失敗するだろう。しかし、失敗の中身をきちんと見ることが大切だ。大手企業では、社員の業績評価は半年サイクルが一般的だが、数年単位で取り組みを評価するなど、「失敗を評価しながら、成功を粘り強く待つ」仕掛けを持つことが何よりも重要である。
http://diamond.jp/articles/-/154463
第一の記事で、 『シリコンバレーの「エコシステム」』、は確かにうらやましいような素晴らしい仕組みだ。 『日本のベンチャー投資額は米国のわずか2%』、というのはさんざん言われていることだが、こうした記事のなかで読むと、改めて彼我の差の大きさを痛感させられる。 『大企業や行政支援とは一線を画すエッジ・オブ』、 『音楽、ゲーム、イベントなどに精通 多彩な経歴を持つ創業者たち』、などを読むと、エッジ・オブは面白いインキュベーションの場になる潜在力を秘めているようで、今後を注目したい。
第二の記事で、VC界の大物の一人、ビノッド・コースラ(Vinod Khosla)の主張はさすがに説得力がある。 『「専門家や経験を積んだ経営者、それにVCによる未来事業に関する意見はほとんど当てにならない」とコースラは喝破する。 起業家は、24時間寝ても覚めても事業のことを考え、市場に最も近いところにいて最も多くの情報を持っている。専門家たちの「コンサルティング」や「指導」を真に受けてしまうような起業家が成功するのかといえば、答えは否だ。 周りの誰も理解できない未来の市場を見据え、自分のビジョンのみを信じて切り開く。そうした起業家を発掘し、後押しし、本人の成長を助けること。それこそがVC本来の仕事であるのだ』、 『真のVCとは、「ジキルとハイド」なのだ』、などからみると、日本のVCの多くが大手銀行などの関連会社である現状は、心細い限りだ。
第三の記事で、『落とし穴』として、 『手段の目的化』、 『スタートアップへの「リスペクト」』、 『エッジに「ヤスリ掛け」』、 『1/1評価』、などが列挙されているが、なるほどと納得させられた。 『落とし穴を避けるには?』、ももっともであるが、実際にそれに従うのは容易ではなさそうだ。
先ずは、昨年11月28日付けダイヤモンド・オンライン「日本からアップルやグーグルが生まれない根本的な理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・若者の聖地である東京・渋谷に、起業家を支援するための大型施設が誕生する。起業といえばシリコンバレーが真っ先に浮かぶが、渋谷の新拠点はそれと一線を画している。ベンチャー企業という世界の片隅で起きている変化に目を凝らす特集の第1回(全6回)は、日本で始まった“胎動”を追う。
▽若者の聖地である渋谷に起業支援ビルがオープン
・2017年11月下旬、東京・渋谷の「タワーレコード渋谷店」の壁面には、9月20日に引退を発表した歌手・安室奈美恵さんのベストアルバムを宣伝する大型看板が掛かっていた。茶褐色の看板からは哀愁が漂い、まるで一時代の終わりを示すかのようだった。 タワレコといえば、1990年代、若者文化の情報発信拠点として一時代を築いた。安室さんのファッションをまねした女子高生、通称「アムラー」の“聖地”として栄えた。しかし、それも今は昔。若者は、スマートフォンの画面を眺めるばかりで、タワレコに備え付けられた大型モニターなど目もくれず、かつてのにぎわいはどこにもなくなっていた。
・だが、そんなタワレコの地で、新しいムーブメントが起きようとしている。それは、時代の転換を示す“シグナル”だった。 タワレコから道路を挟んだ向かい側に、えんじ色で「EDGEof」との文字が頂上に書かれた、地上8階建ての真っ白なビルがそびえ立つ。 実はこのビル、1階の飲食店を除き、起業家の育成・支援を行う複合施設となる予定だ。コワーキングスペースのほか、イベントスペースやショールームにメディアセンターもできるという。今秋からイベントが始まり、来春には正式オープンする予定だ。
・このビルを運営するEDGEof(エッジ・オブ)共同代表の小田嶋・アレックス・太輔氏は、「イノベーションは新しいコミュニティの中から生まれる。エッジな(最先端に立つ)人たちを集め、渋谷の地から新しい文化を創り、世界に発信していきたい」と話す。 もっとも、こうした起業支援施設は日本各地に数多く存在する。では、エッジ・オブは一体、何が違うのだろうか。それを説明する前に、起業支援の最前線であるシリコンバレーの現状を振り返ろう。
▽米トップ5に入る企業を育てたシリコンバレーの「エコシステム」
・現在、世界のトップ5社の時価総額を合計すると3.3兆米ドル(約372兆円)にも上る。この中のアップル、グーグル(アルファベット)、フェイスブックの3社は、いずれもシリコンバレーの会社だ。こうした企業を育てたのが、後述する「エコシステム」だと言われており、日本には十分にないものだ。
・そもそも、スタートアップ企業(ベンチャー企業)が成長するためには、投資家から資金を集めて優秀な人材を獲得し、製品やサービスに磨きをかけていく必要がある。もちろん、金融機関から融資を受ける手もあるが、時間のかかる審査を待っていては商機を失ってしまう。そこで投資家の出資を受ける場合が多い。
・そうしたスタートアップに資金を提供しているプレーヤーの一つが「ベンチャーキャピタル」(VC)だ。VCは、9割の投資が失敗したとしても、1割で大成功すればよいと考えており、金融機関では取ることができないリスクを負って出資してくれる。 また、「エンジェル投資家」も、スタートアップを足元で支えている。その多くが自ら企業経営者として成功を収め、財を成した人物たちだ。創業間もない企業にも寛容で、出資だけでなく、人材の紹介やアドバイスなども行う。 シリコンバレーには、こうした投資家たちがそこら中にいる。例えば大学で先端技術の研究に打ち込んでいる若者に、エンジェル投資家がポンとカネを提供し、新しい技術が花開くといったケースは枚挙に暇がない。
▽日本のベンチャー投資額は米国のわずか2%
・こうした投資家の厚みは、スタートアップの誕生と成長に大きく影響する。実際、2016年のベンチャー投資額は、米国の7.5兆円に対して、欧州が5353億円、日本は1529億円(米国の約2%)にとどまる(「ベンチャー白書2017」)。
・投資家から資金提供を受けて成長し、花開いたスタートアップ企業には大きく二つの道ができる。一つは株式上場(IPO)によって市場から資金を得て、さらに成長する道。そしてもう一つは、M&Aによって経営権を売却し、どこかの企業の傘下に入る道だ。 VCから出資を受けた企業は、ファンドの運用期間が5~10年程度であるため、10年足らずでどちらの道を選択するか迫られることになる。逆に言えば、こうした“期限”があるからこそ、急成長を果たすスタートアップが次々と生まれるのだ。
・特に、グーグルやアマゾンといった巨大IT企業はさらなる成長を果たすため、スタートアップの技術や人材を取り込もうと積極的にM&Aを仕掛けている。それもあって、米国ではVCから出資を受けたスタートアップの約9割がM&Aでどこかに売却されている。
・こうした仕組みによって、起業家には多額の資産が転がり込む。そこで、次なる起業につなげたり、自身が投資家となって別の企業を支援したりする。そうした“循環”を見て世界中から人と金が集まるため、情報交換や人材交流も活発となり、新産業の創出に至っているのだ。
・残念ながら、日本にはこうした土壌、いわゆる「エコシステム」が醸成されていない。新興企業のIPOこそ増えているものの、M&Aとなるとまだまだ限られている。 なぜなら、受け入れる側の日本の大手企業は、給与体系や人事体制が古いなど、受け皿になる“下地”がないからだ。また、スタートアップを育てて、その結果としてリターンを得ようという考え方ではなく、自社の新規事業のネタ探しが中心で、人材やノウハウを囲い込もうとするため、スタートアップは育たない。 海外企業からのM&Aにしても、言葉の壁が立ちはだかって対象になることはまれだ。
▽大企業や行政支援とは一線を画すエッジ・オブ
・話を戻そう。「エッジ・オブ」は、こうしたエコシステムを作る担い手になろうとしている。しかも、最初からグローバルを意識しているのが特徴だ。 コワーキングスペースのように“場所貸し”をする企業も増えているが、こぢんまりとしたケースが多い。入居者同士の交流を促し、化学反応を起こさせるためには、数百人程度を収容する規模感が必要であるにもかかわらずだ。 また、運営者にもスタートアップ経営者のような「熱量」が求められる他、さまざまな関係者を束ねる「顔」がいないと新しい機運が生まれにくい。
・行政主導のプログラムもあるが、熱心な担当者に依存する、つまり属人的なケースが多い。また、行政機関だから数年で異動・交代してしまい、一過性のものに陥りやすい。しかも、自治体ごとにバラバラで行われているため、広がりにも欠ける。
・エッジ・オブは、こうしたものたちとは一線を画している。単なる起業家支援ではなく、研究者や投資家との橋渡し、メディアとの連携、アーティストの招致などを通じて、新しいコミュニティ作りをしようとしているのだ。 実際、創業者6人は多彩な顔ぶれだ。
▽音楽、ゲーム、イベントなどに精通 多彩な経歴を持つ創業者たち
・小田嶋氏と共にCEOを担うのが、イノベーションプロデューサーであり音楽業界に関係の深いケン・マスイ氏だ。また、世界的な評価を受けているゲームクリエイターの水口哲也氏、伝説のシミュレーションゲーム「シムシティ」の開発者で投資家のダニエル・ゴールドマン氏、世界的プレゼンテーションイベントの日本版「TEDxTokyo(テデックス・トーキョー)」の創立に関わったトッド・ポーター氏。そして自らも連続起業家であり、世界中で起業家の支援・育成を行っているMistletoe(ミスルトゥ)ファウンダーの孫泰蔵氏がいる。いずれも、世界的に幅広い人的ネットワークを持っている人々だ。
・「6人の創業者たちは、幅広いネットワークを持っている。それらを活用し、メンバーをサポートしていきたい」(小田嶋代表)。 そんな小田嶋代表自身も、欧州のスタートアップ事情に通じており、今回のエッジ・オブ設立においても欧州、とりわけフランスから大きなヒントを得ている。というのも現在、フランスは欧州で最もベンチャー投資資金が集まっており、次のシリコンバレーとして世界からの注目が一気に集まっているからだ。
・連載の2回目では、スタートアップに対する投資熱が加速するフランスの今をレポートする)
http://diamond.jp/articles/-/150976
次に、ネットサービス・ベンチャーズ・マネージングパートナーの校條 浩氏が12月18日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「金の亡者でもロマンチストでもないベンチャーキャピタルの二面性」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・昨今、米国のベンチャーキャピタル(VC)への出資を検討する日本企業が増えてきている。 それ自体は意味があるのだが、そのときに気になるのが、「わが社は投資リターンを求めていない。あくまでVCから新事業情報を得るのが目的だ」という経営トップの発言だ。 ここには大きな誤解がある。それを明かす前にVCがどう理解されているのか、日本のウィキペディアを参考に見てみよう。
・「VCとは、ハイリターンを狙った投資を行う投資ファンドのこと。主に高い成長率を有する未上場企業に対して投資を行い、投資した企業を株式公開させたりして利益を得る。資金を投下するのと同時に経営コンサルティングを行い、投資先企業の価値向上を図る。担当者が取締役会等にも参加し、経営陣に対して多岐にわたる指導を行う」(筆者要約)
・必ずしも間違ったことを言ってはいないものの、シリコンバレーのVCの実態を知る者としては違和感がある。 その違和感を生む原因は、既存の株式投資の枠組みで語られていることだ。本物のVCは、既存市場や既存事業で成長している未上場企業へ投資してハイリターンを目指す、わけではない。 ではVCをどう理解すべきなのか。ここで、VC界の大物の一人、ビノッド・コースラ(Vinod Khosla)をご紹介しよう。
▽大物が説く本当の役割
・コースラは、米サン・マイクロシステムズを立ち上げた一人として有名だ。同社といえば、主に業務に利用される高性能のコンピューター「ワークステーション」の市場をけん引した会社である(後に米オラクルが買収)。 世界最高峰といわれるVC、クライナー・パーキンス(Kleiner Perkins Caufield & Byers)に転じたコースラは、そこでも大きな成果を残し、自らコースラ・ベンチャーズというVCを設立した。個人資産は1500億円超ともいわれる。
・そのコースラが強調することは二つ。一つは「主役は起業家であり、VCはそれを支援するプロデューサーである」ということ。次に「失敗」の重要性である。 「専門家や経験を積んだ経営者、それにVCによる未来事業に関する意見はほとんど当てにならない」とコースラは喝破する。 起業家は、24時間寝ても覚めても事業のことを考え、市場に最も近いところにいて最も多くの情報を持っている。専門家たちの「コンサルティング」や「指導」を真に受けてしまうような起業家が成功するのかといえば、答えは否だ。
・周りの誰も理解できない未来の市場を見据え、自分のビジョンのみを信じて切り開く。そうした起業家を発掘し、後押しし、本人の成長を助けること。それこそがVC本来の仕事であるのだと、コースラは言う。 また、世の中にインパクトを与えるような事業を創造するのに失敗は付きものだ、とも言う。失敗なく立ち上がるようなことはあり得ないし、逆に失敗がない事業はインパクトが小さい。
・よく誤解されることだが、何も失敗を奨励しているわけではない。失敗はない方がいい。 問題は、その質だ。致命的な失敗は避け、なるべく小さくし、早く結果が出る形で失敗を重ねる。失敗の条件を知ることが大きな成功への道につながっている。
・コースラもそうだが、実はVCの動機は、スタートアップを通して世界を変えるような新しい事業や産業を創造したい、という根源的な欲求にある。 もちろん、成功のバロメーターはもうけであるが、それが真の動機にはならない。世界を変えるような事業を創造すれば、巨万の富は後からついてくると考えているからである。
・とはいえ、VC自身も投資先企業の失敗を想定しているから、複数のスタートアップに投資することにより、リスクを抑えている。 失敗の可能性が大きい事業を多く手掛け、一握りの大成功した事業によって、全体の投資リターンを得る。そんなパラドックスを抱えるのが他の投資ファンドとは違うところだ。
▽「ジキルとハイド」の二面性
・一方、その資金は、年金ファンドや大学の基金のような「既存の枠組み」にいる金融機関から調達する。 なぜ、一寸先も分からないような事業創造へ投資するVCに、リスクに敏感で投資リターンの予想が中心課題である金融機関が出資するのか。 それは、VCに投資リターンの長期的なトラックレコードがあるからだ。実際、VCに投資する金融機関は、VCの仕事の中身にはあまり関知しない。あくまで関心は投資リターンなのだ。
・だから、VCの運用者であるジェネラルパートナー(GP)には、運用の仕方に関し最大限の裁量が与えられる一方で、VCへの出資者(LP)には投資リターンだけを心配するように役割分担がされている。 これが、お互いに全く文化や価値観の違うGPとLPの世界をつなぐことによって新しい産業を創造する、という見事なシリコンバレー流の仕組みなのだ。 その点、投資リターンが高ければ高いほど、よりよい案件が集まってくる。LPは必ず投資リターンを求めるべきで、冒頭の経営者の誤解はここにある。
・VCとは不思議なものだ。金の亡者でもロマンチストでもない。金もうけが動機ではないのに、巨額のもうけが成功の証しとなる。世界を変えたいという自己中心的な動機で、起業家という他人の成功を後押しする。 その実現のためには、折り目正しい金融機関から資金を調達し、利益を還元しながら、コンプライアンスや財務報告も完璧にこなす。そんな二面性がある。 真のVCとは、「ジキルとハイド」なのだ。(敬称略)
http://diamond.jp/articles/-/150305
第三に、Translink Capital(トランスリンク・キャピタル)マネージング・パートナーの秋元信行氏が12月27日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「大企業とスタートアップ企業の協業に潜む4つの落とし穴」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽大企業とスタートアップの協業が上手く行かない理由
・大手企業とスタートアップ企業とのオープンイノベーションを目指した取り組みが活況を呈している。以前はIT関連企業が多かったが、最近では金融や鉄道、食品、スポーツ業界などでも非常に積極的に取り組まれており、もはやオープンイノベーションはIT業界の専売特許ではなくなってきた。
・オープンイノベーションとは、自社内だけでなく、他社(異業種、スタートアップ企業、大学など)の技術やサービス・経験を組み合わせることで、新たな価値を創出しようとするもの。イノベーションが起こりにくい大手企業と、イノベーション発想は持っているものの企業としての総合力が不足しているスタートアップ企業が、互いの強みと弱みを補完し合う意味で協業するケースも多い。 特に「インキュベーションプログラム」「アクセラレーションプログラム」といった、オープンイノベーションへの取り組みが大企業で多く実施されるようになってきたのも最近の傾向だ。
・これは、大手企業側がプログラムを主催し、社外専門家のサポートを受けながら、技術・経営など様々な点からスタートアップ企業の成長を支援するもので、出資提携、協業等のオープンイノベーションのパートナーとなり得るスタートアップ企業の発掘を主な目的とするケースが多い。 また、大手企業がスタートアップ企業への出資、協業促進することを目的にしたコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)を設立する動きも加速している。
・この大きな流れに呼応するように、最近では企業の垣根を超えたオープンイノベーション実務担当者、CVC関係者のコミュニティも形成され、各社の取り組み概要や失敗事例、ノウハウ共有が活発に行われている。だが、こうした取り組みが増加しているものの、その一方で、これらが事業として成功するケースはまだまだ少ないのが実情だ。
・取り組みが増えている今、なぜ失敗したのか、どこに落とし穴があるのかを学ぶことで、成功の可能性を高めることが必要になっている。そこで今回、大手企業がスタートアップ企業との協業で陥りがちである「代表的な落とし穴」について見ていきたい。
▽落とし穴1:手段の目的化
・落とし穴の1つ目は、「手段の目的化」だ。オープンイノベーションの本来の目的が明確になっており、常にそこを目指して活動していくことが徹底されていないと、単に短期間で「やっている感」を出すための取り組みに走ることになる。
・前述したとおり、「アクセラレーションプログラム」は、大手企業が自社の持つ総合的な企業力とスタートアップ企業の持つ斬新なアイデアとを掛け合わせて新たな価値を創出したり、スタートアップ企業に対してビジネスに資するメンタリングを提供したりすることで、その成長を加速させたりする。また、そのプログラムを通じて大手企業社員もスタートアップ企業と接することで、起業家目線を身につけ、自社企業文化に新しい風を吹き込む人材へ成長するなど、様々な目的がある。
・非常に意義ある取り組みではあるが、本来、目指していた目的を達成できたか否かを判定できる結果が出るには、かなり時間が掛かる。だが、変化の速い昨今のビジネスにおいて「結果が出始めるのは3年後くらいから」というものは、なかなか許容され難い。そこで、短期的に「成果を出している感」を醸し出す必要が出てきてしまう。ここで起こりがちなのが「手段の目的化」だ。
・プログラムそのものを無難に回すことや、イベントが盛り上がっているかどうかを重視してしまう。本来、その取り組みを行うことで結果に結びつけることが目的であるのに、盛り上げることそのものが目的化されてしまうといった状況である。
・また、大企業がスタートアップ企業に対して、少額な業務委託契約を発注する行為も、手段の目的化にあたるだろう。新たな価値創造といった大きな成果を目指す協業は、そう簡単に実現しない。しかし、短期的な「やっている感」を出すために、とりあえず下請け的業務をスタートアップ企業へ発注し、お茶を濁すという行為である。
・戦略的なシナジー創出を目的とするCVCの場合であれば、「とりあえずの出資件数稼ぎ」が該当するかもしれない。出資そのものは有望スタートアップ企業発掘のための手段であり、目的ではないケースでも、独立したCVCにとっては各年度のKPIのひとつに出資件数が採用されることが多い。短期的な成果として、出資件数稼ぎに注力してしまうのだ。これも、よくある「手段が目的化」しているケースだ。
▽落とし穴2:スタートアップへの「リスペクト」
・オープンイノベーションを推進するパートナーとして、大手企業がスタートアップ企業と対等な立場で案件に取り組む姿勢は非常に重要だ。 共に新たな価値創造を目指す仲間であるわけで、下請け扱いをしていたら新たな価値創造など実現するわけがない。感情的な部分ではあるが、スタートアップとの協業においては極めて重要である。
・このポイントは10年以上前から同じことが言われており、日々スタートアップ企業と接している大手企業の関連部門メンバーにはかなり浸透している。 だが、他部門メンバーなど全体にそのマインドが根付いていないケースも多い。いくつかの理由があるが、結局はスタートアップ企業をリスペクトすることが「腹落ち」していないのではないか。
・そこで、次のような考え方をしてもらうと「腹落ち」につながると思うので紹介したい。 昨今のスタートアップ企業は、社会課題の解決に正面から挑戦しているケースが増えている。本気で世の中を良くしたい、困っている人たちを助けたいという強いモチベーションを胸に起業している起業家が多い。それに対して、新規事業を立ち上げようとしている大手企業では、一人ひとりが社会課題の解決まで本質的に考えているとは言い難い。 産声をあげたばかりの小さな会社が、本気で社会課題の解決に向けて汗水垂らしている。彼らの信念、視座の高さを純粋に見れば、自然とリスペクトの念が湧いてくるはずだ。
▽落とし穴3:エッジに「ヤスリ掛け」
・新しい価値を生み出すアイデアや事業は、常に“エッジ”が立っているものだ。よって初期段階では、賛否両論が多く飛び交う傾向にある。オープンイノベーションを「異質なアセットの組み合わせによる新しい化学反応=新しい価値創出」と捉えるのであれば、なおさらである。
・しかし、大手企業がある案件を進めようとすると、社内関係部門との合意形成や経営幹部の承認を得る必要がある。様々な関係者からの要求や質問、疑問を解決するために尖った部分を丸くしていかざるをえないことが多々発生する。この「合意形成」プロセスが、まさに「エッジにヤスリを掛けてしまっている」行為だ。 その結果、エッジの効いた技術・サービスに魅力を感じ、スタートさせようとした取り組みは、丸くヤスリ掛けされ、結局多数の合意形成が可能な、無難な部分だけに限定した通常の業務委託契約になってしまう。 せっかくのオープンイノベーションを目指したスタートアップとの取り組みが、結局「少しだけ従来と違うアプローチをした業務委託契約」になってしまう。
▽落とし穴4:1/1評価
・大手企業によるスタートアップ企業への投資や協業がスタートした当初は、オープンイノベーションによる価値創造のための活動や案件に対して「ポートフォリオの一部」、全体の1/10や1/100といった見方がされる。 しかし少し時間が経過し始めると、「ポートフォリオの一部」という考え方が薄れ、協業案件や出資案件を一つひとつの独立案件として、1/1で評価し始めてしまう傾向がある。1件1件をきちんと評価すること自体を否定するものではないが、オープンイノベーションの取り組みは百発百中というわけにはいかず、1/1での評価には馴染まない活動である。
・こういった評価に移行すると、実質的に百発百中を求められることになり、失敗が許容されないという雰囲気が醸成され、活動そのものが萎縮していく。エッジの効いたスタートアップ企業との新たな取り組みに、チャレンジし難い環境が定着してしまうのだ。
▽落とし穴を避けるには?
・これらの落とし穴を避けるためにはいくつかポイントがあるが、重要な2点を紹介する。 1つ目は、骨太なゴール、実現したい青写真を明確化することである。オープンイノベーションやスタートアップ企業との協業もその実現手段であって、目的ではないはずである。その上で常にブレずに、骨太なゴールに向かうプロセスを回すことが重要である。
・アクセラレーションプログラム内のスタートアップ企業に対するメンタリングでよく指摘される、ゴール、それに向けてのマイルストーン、仮説、KPI設定を行い、それに向かってPDCAを回すといった作業を、大手企業自身の取り組みでも実践することが重要である。 注意しなければいけないのは、これらのプロセスがしっかりとゴールを向いているかである。これを徹底することが「手段の目的化」という落とし穴を回避する近道だ。
・2つ目は、評価手法の見直しだ。 オープンイノベーションは、実践の場に数多く立ち続けることが重要になる。そのため、アクセラレーションプログラムやインキューベーションプログラム、CVCなどの取り組みが活発化している現状は、非常に好ましい状況だと思う。しかし、ここで確認しなければならないのは、オープンイノベーションの推進を担う大手企業のメンバーに対する評価制度が、ある程度長い時間軸で、失敗を評価する仕掛けになっているか否かである。
・オープンイノベーションの取り組みは、チャレンジが大前提だ。しかし、チャレンジには必ず失敗がつきまとう。特にスタートアップ企業とのオープンイノベーションの場合、高い確率で失敗するだろう。しかし、失敗の中身をきちんと見ることが大切だ。大手企業では、社員の業績評価は半年サイクルが一般的だが、数年単位で取り組みを評価するなど、「失敗を評価しながら、成功を粘り強く待つ」仕掛けを持つことが何よりも重要である。
http://diamond.jp/articles/-/154463
第一の記事で、 『シリコンバレーの「エコシステム」』、は確かにうらやましいような素晴らしい仕組みだ。 『日本のベンチャー投資額は米国のわずか2%』、というのはさんざん言われていることだが、こうした記事のなかで読むと、改めて彼我の差の大きさを痛感させられる。 『大企業や行政支援とは一線を画すエッジ・オブ』、 『音楽、ゲーム、イベントなどに精通 多彩な経歴を持つ創業者たち』、などを読むと、エッジ・オブは面白いインキュベーションの場になる潜在力を秘めているようで、今後を注目したい。
第二の記事で、VC界の大物の一人、ビノッド・コースラ(Vinod Khosla)の主張はさすがに説得力がある。 『「専門家や経験を積んだ経営者、それにVCによる未来事業に関する意見はほとんど当てにならない」とコースラは喝破する。 起業家は、24時間寝ても覚めても事業のことを考え、市場に最も近いところにいて最も多くの情報を持っている。専門家たちの「コンサルティング」や「指導」を真に受けてしまうような起業家が成功するのかといえば、答えは否だ。 周りの誰も理解できない未来の市場を見据え、自分のビジョンのみを信じて切り開く。そうした起業家を発掘し、後押しし、本人の成長を助けること。それこそがVC本来の仕事であるのだ』、 『真のVCとは、「ジキルとハイド」なのだ』、などからみると、日本のVCの多くが大手銀行などの関連会社である現状は、心細い限りだ。
第三の記事で、『落とし穴』として、 『手段の目的化』、 『スタートアップへの「リスペクト」』、 『エッジに「ヤスリ掛け」』、 『1/1評価』、などが列挙されているが、なるほどと納得させられた。 『落とし穴を避けるには?』、ももっともであるが、実際にそれに従うのは容易ではなさそうだ。
タグ:(その2)(日本からアップルやグーグルが生まれない根本的な理由、金の亡者でもロマンチストでもないベンチャーキャピタルの二面性、大企業とスタートアップ企業の協業に潜む4つの落とし穴) ベンチャー ダイヤモンド・オンライン 「日本からアップルやグーグルが生まれない根本的な理由」 渋谷に起業支援ビルがオープン 「EDGEof」 米トップ5に入る企業を育てたシリコンバレーの「エコシステム」 日本のベンチャー投資額は米国のわずか2% 大企業や行政支援とは一線を画すエッジ・オブ 音楽、ゲーム、イベントなどに精通 多彩な経歴を持つ創業者たち 校條 浩 「金の亡者でもロマンチストでもないベンチャーキャピタルの二面性」 ビノッド・コースラ(Vinod Khosla) 主役は起業家であり、VCはそれを支援するプロデューサーである」 「失敗」の重要性 「専門家や経験を積んだ経営者、それにVCによる未来事業に関する意見はほとんど当てにならない」とコースラは喝破する 起業家は、24時間寝ても覚めても事業のことを考え、市場に最も近いところにいて最も多くの情報を持っている。専門家たちの「コンサルティング」や「指導」を真に受けてしまうような起業家が成功するのかといえば、答えは否だ 周りの誰も理解できない未来の市場を見据え、自分のビジョンのみを信じて切り開く。そうした起業家を発掘し、後押しし、本人の成長を助けること。それこそがVC本来の仕事であるのだ VCの動機は、スタートアップを通して世界を変えるような新しい事業や産業を創造したい、という根源的な欲求にある ジキルとハイド」の二面性 秋元信行 「大企業とスタートアップ企業の協業に潜む4つの落とし穴」 大企業とスタートアップの協業が上手く行かない理由 落とし穴1:手段の目的化 落とし穴2:スタートアップへの「リスペクト」 落とし穴3:エッジに「ヤスリ掛け」 落とし穴4:1/1評価 落とし穴を避けるには?
資本主義(知日派エモット氏:「衰退する西洋と日本の共通点」、デジタル時代、消費者は商品を「所有」できない 米国では「所有権」を取り戻す州法成立の動きも) [経済]
今日は、資本主義(知日派エモット氏:「衰退する西洋と日本の共通点」、デジタル時代、消費者は商品を「所有」できない 米国では「所有権」を取り戻す州法成立の動きも) を取上げよう。
先ずは、7月25日付けダイヤモンド・オンライン「「衰退する西洋と日本の共通点」知日派エモット氏語る ビル・エモット(国際ジャーナリスト)特別インタビュー」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aはエモット氏の回答、+は回答内の段落)。
・元「エコノミスト」誌編集長で、知日派として著名なビル・エモット氏。同氏は最新作『「西洋」の終わり』で、日本や欧米先進国の繁栄の基盤となった「平等」と「開放性」が、衰退の危機にあると警鐘を鳴らしている。世界と日本は今、どう変容しようとしているのだろうか。 (「週刊ダイヤモンド」編集部 片田江康男)
Q:著書『「西洋」の終わり』の中で、西洋の繁栄を支えた二つのキーワードである「平等」と「開放性」が、衰退の危機にあると指摘しています。衰退のきっかけは何だったのでしょうか。
A:トリガーは、2008年のリーマンショックによって引き起こされた金融危機だと考えています。 世界中に広まったこの問題は、多くの人々に対して所得の減少や、教育や福祉など子どもたちに対するさまざまな機会の喪失、それによって将来への希望の喪失をもたらしました。
+一方で、元凶となった金融機関の経営陣や富裕層は生き残り、責任者が罰せられることはありませんでした。所得の低い人々を中心に被害を受けたということです。多くの人々はそんな実態を見て、西洋的市場メカニズムに疑問を持ち、信頼は大きく揺らぎました。 この影響が政治に及び、西洋の繁栄の基礎となった平等や開放性に対する信頼が地に落ちることになり、今は危険な状態にあります。
+これから日本や欧米先進国は平等や開放性の価値を再び認め、維持するのか、または、衰退して経済や政治が長い凋落の時代を迎えるのか、今はターニングポイントにあるといえるでしょう。
Q:格差の拡大も、世界中で問題視されています。
A:私は格差の拡大は、「平等の欠如」によって生まれる差だと考えています。 自分は政治的に存在を認められているのか。同じ権利があるのに、平等に扱われているのか。自分たちの声は届いているのか──。多くの人々は、リーマンショックで富裕層が生き残り、自分たちが損害を被ったことで、富裕層は政治的にも大きな力を持っているんだと分かってしまいました。 そこで、ドナルド・トランプ米大統領は選挙戦で、「忘れ去られていたアメリカ人のために」ということを強調して、支持を得たわけです。
▽日本の監視社会化は将来的な脅威となる
Q:日本でも、平等性や開放性は危機的状況にあるとみていますか。
A:日本でも平等については衰退していると思います。それによって収入の格差は拡大し、貧困率も上がっています。顕著なのが、増え続ける非正規雇用者と、正規雇用者とが分断されている点です。非正規雇用者はいつでも不安定な状況にあります。
+ですが、開放性については衰退しておらず、米国や英国のように閉鎖的な方向に進んでいるわけではありません。 ただ、残念なのが、開放性をさらに拡大する方向にはいっていない、いわば“ステイ”な状況だということです。日本が今後、成長してゆくためには、経済のダイナミズムが必要です。それには開放性の向上が大切なはずです。
Q:著書の中で、二つのキーワードから、西洋が従うべき八つの原則が示されていて、その中で監視社会は法の支配をむしばみ、平等を損なうと指摘しています。日本は共謀罪や特定秘密保護法等、国民への監視を強め、閉鎖的な方向へと進んでいるように見えます。
A:確かに、そうです。日本政府が最近通した法律の中には、監視社会を強める法律があります。監視する力が増すということは、政府の力が増すということ。将来的に平等や開放性が損なわれる脅威であるといえると思います。 こうした政府の動きには、日本国民は抵抗しなくてはならないのではないでしょうか。
Q:今、安倍政権の支持率は急落しています。これも著書にありましたが、政府は支持率が落ちると、短期的に支持を得るために、大衆迎合的な政策を打つ傾向があります。今後、安倍政権はどういう方向へ政策を進めると考えますか。
A:そもそも、安倍晋三首相は、ポピュリストです。これは何も新しいことではありません。 日本の政治の先行きを見通すのは非常に難しいのですが、私はフランス大統領選挙が参考になるのではと思っています。 マクロン仏大統領はポピュリストで穏健右派。短期間で多くの支持を集めました。同様に、日本では東京都知事選挙で大きな支持を集めた小池百合子氏も、ポピュリストであり穏健右派です。小池氏のように、新しいメッセージを示せば、短期間で多くの支持を集められることも実証されました。
+次にどのような政策が打ち出されるかの詳細は分かりません。楽観主義的な見方かもしれませんが、極端な政策が出てくることはないと思っています。 都知事選を見ていると多くの人々が、平等の欠如による格差拡大や不公平感、女性や子どもに対する支援の充実について、高い関心を持っていることが分かりました。つまり政治的には、こうしたテーマについて何かポジティブなことをやっていく、強いインセンティブになっているわけです。 もちろん、これからどのような政治や政党の勢いが増すのかについては分かりませんが。
Q:平等と開放性は、外的要因によって失われることもあります。日本でいえば、「北朝鮮情勢の不安定化」のように、二つのキーワードの価値観を全否定する存在が脅威として浮上すると、その脅威から自らの価値観を守るために、閉鎖的な政策にかじを切ることがあると思います。
A:確かに、外の脅威はいつの時代にもあります。今は北朝鮮やIS(過激派組織「イスラム国」)がそうで、欧州ではテロの脅威があります。 ですが、今がこれまでと違うのは、私たちの内部からこの二つのキーワードを衰退させる要因が生み出されているという事実です。
+私たちは「平等」と「開放性」がもたらした繁栄や強さをもう一度認識して、これまでの市場や社会の仕組みを再構築しなければならない時期にきています。 08年の金融危機を発端にした大惨事が、いかにして起きてしまったのか。それを振り返る必要があります。民主主義がカネで覆いかぶされてしまい、本来の民主主義の強さが半減されていなかったのか。富が一部の富裕層に独占されていなかったのか──。
+西洋の仕組みの脆弱さを正しく理解すれば、もう一度、私たちはかつての強さを取り戻すことができると考えています。
http://diamond.jp/articles/-/136184
次に、10月23日付け日経ビジネスオンラインがThe Economistの記事を転載した「デジタル時代、消費者は商品を「所有」できない 米国では「所有権」を取り戻す州法成立の動きも」を紹介しよう。
・かつて、「(ものを)所有」するということは、小切手を切るのと同じくらい単純な行為だった。何かを購入したら、それを所有することになった。壊れたら修理をするし、不要になったら売るか捨てる、といった具合だ。 一部の企業は、アフターサービス市場で儲ける技を編み出した。有料の長期保証を導入したり、メーカーが認定する修理店を展開したり、あるいはプリンター本体の価格は安く抑えて、定期的に買い替えが必要なインクカートリッジを高値で売りつけるといった手法を発案した。 ただ、利益をさらに絞り出すためのこうした手法が登場しても、何かを「所有する」という意味の本質が変わることはなかった。
▽今や消費者は「買った」商品の「使用を許されているだけ」だ
・ところが、デジタル時代においては、「所有」という概念はつかみどころのないものに変わってしまった。例えば、米電気自動車(EV)メーカー、テスラの最高経営責任者(CEO)、イーロン・マスク氏は、米ウーバー・テクノロジーズなどのライドシェア企業においてテスラのクルマを購入し、そのクルマを使ってウーバーなどの運転手が働くことを禁じている。
・あるいは米トラクターの「ジョンディア」を所有する人は、それを制御するソフトウェアをいじらないよう“推奨”されている。スマートフォンが登場して以来、消費者はデバイスの中のソフトに手を加える権利を奪われ、単にその使用を許されているだけ、ということを受け入れざるを得なくなっている。
・だが、デジタル化が進み、自動車や温度自動調節器、そして性具にいたるまで、あらゆる機器がメーカー側の都合でこれらの機器を自由にする権利がますます制限される中、誰が何を「どこまで所有し」、「コントロールできるのか」という問題が生じつつある。消費者は、今や最も基本的な「所有権」というものが脅かされていることを認識すべきだ。
・こうした最近の流れは、決して悪いことばかりではない。メーカー各社が、ますます複雑な技術により所有者の行動を制限しようとするのには、それなりに正当な理由がある。具体的には、著作権の保護だったり、機械の故障を防ぐことだったり、環境基準を満たすためだったり、ハッキングを防止するためといった理由がある。
▽ハリケーンに備え、遠隔操作でバッテリー寿命を伸ばしたテスラ
・場合によっては、メーカーがソフトを制御していることで、消費者が恩恵を受けるケースもある。例えば、9月に大型ハリケーン「イルマ」が米フロリダ州を襲った際、テスラは一部のモデルのソフトを遠隔で更新し、安全な場所へ避難できるようにバッテリーの寿命を延ばしたという。
・だが、商品にデジタルの面で様々な制限が課されれば課されるほど、商品の所有者よりも生産者の方が大きな裁量権を握るようになりつつある。これは、なかなか厄介な話だ。 どのクルマを買うかを選ぶだけでも難しいのに、そのクルマの使い方がどのように制限されるのか、また、どういった個人データをメーカー側が収集するのか、といったことをクルマの仕様から読み解かなければならないとなれば、なおさら困難だ。
・さらに、そうした仕組みによってメーカーの都合で商品が長くは使えないようになっていたら、消費者にとってはそれだけコストがかかることになる(注*1)。既に、スマホから洗濯機まで、あらゆる商品は修理がしにくくなっている。つまり、壊れたら修理されることはなく、廃棄されているのだ。 (注*1) 一部のスマートフォンは、電池がだめになっても電池だけを交換することができず、買い換えなければならないようなケースを指していると思われる)
▽家庭内の間取り情報を吸い上げる「ルンバ」
・消費者のプライバシーも脅かされている。例えば、米アイロボットの掃除機「ルンバ」が、床を掃除するだけでなく家庭内の間取りデータを収集し、メーカー側がそれを外部企業に売り込もうとしていると報じられた時は、ユーザーたちを愕然とさせた(しかし、アイロボットはそのような意図はないと強調している)。
・また、「ウィーバイブ」というバイブレーターを製造販売しているカナダのスタンダード・イノベーションは、そのユーザーに関する非常にプライベートな情報を収集、記録していることがハッカーによって暴かれた。これを受けて、同社は、原告1人当たり最大127ドル(約1万4300円)、総計で最大320万ドル(約3億6100万円)を支払うことで示談に同意した。
・さらに、トラクターのジョンディアについては、メーカーが認定したソフトしか使用が認められていないことに対し、農家側が反発している。問題が発生した場合、遠く離れた修理店まで行かなければならないため、繁忙期に故障が起きたら商売上、大きな痛手を被る可能性があるというのだ。一部の農家は、ユーザーが自分で直せないように組んであるソフトの制限を解除してある。制限を回避するために、東欧で開発されたソフトを利用しているという。
・こうしたメーカー側による消費者のプライバシーへの介入を前に消費者たちは、自分たちの所有権というものを注意深く守らなければならないことを改めて認識すべきだ。 自分の「所有物」に手を加え、改造したければ好きなように改造できる権利、そして、そこから収集されるデータを誰が使っていいのかを決める権利に至るまで、闘ってでも守らなければならない。
▽米国の十数の州では「修理する権利」を法制化する動きも
・米国ではこうした考え方が浸透し、「修理をする権利」というのを定めるための法案が十数の州で検討されている。また、欧州議会は、洗濯機などの製品をもっと修理しやすくするようにメーカーに働きかけている。 フランスの家電メーカーは、予想される耐用年数を買い手に伝えることを義務付けられている。それによって、修理しやすいかどうかがある程度わかるというわけだ。
▽デバイスによって得られる「自由」が損なわれる
・さらに、規制当局はもっと競争を促すために、メーカーが認定する修理店と同様に、独立系の修理店も商品に関する情報やスペア部品、修理ツールなどを入手できるようにするべきだろう。これは既に自動車業界では当たり前のルールとなっている。
・「所有」という概念は決して消滅しつつあるわけではない。その意味が変化しつつあるだけに、今よく考える必要があるということだ。 概してスマホをはじめとしたデバイスは、それを使う人にとって、様々なやりたいことを実現させるための手段という前提で販売されている。しかし、それが他の誰かにコントロールされているとなれば、せっかくそのデバイスの入手によって新たに手にした自由が損なわれてしまうことを意味する。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/224217/101900144/?P=1
第一の記事で、 『西洋の繁栄を支えた二つのキーワードである「平等」と「開放性」が、衰退の危機にある・・・トリガーは、2008年のリーマンショックによって引き起こされた金融危機』、 『元凶となった金融機関の経営陣や富裕層は生き残り、責任者が罰せられることはありませんでした。所得の低い人々を中心に被害を受けたということです。多くの人々はそんな実態を見て、西洋的市場メカニズムに疑問を持ち、信頼は大きく揺らぎました。 この影響が政治に及び、西洋の繁栄の基礎となった平等や開放性に対する信頼が地に落ちることになり、今は危険な状態にあります・・・そこで、ドナルド・トランプ米大統領は選挙戦で、「忘れ去られていたアメリカ人のために」ということを強調して、支持を得たわけです』、との鋭い指摘はさすがエモット氏ならではである。 『日本でも平等については衰退していると思います・・・ですが、開放性については衰退しておらず、米国や英国のように閉鎖的な方向に進んでいるわけではありません』、との日本の開放性についての指摘には違和感がある。 『日本政府が最近通した法律(共謀罪や特定秘密保護法等)の中には、監視社会を強める法律があります。監視する力が増すということは、政府の力が増すということ。将来的に平等や開放性が損なわれる脅威であるといえると思います。 こうした政府の動きには、日本国民は抵抗しなくてはならないのではないでしょうか』、 『08年の金融危機を発端にした大惨事が、いかにして起きてしまったのか。それを振り返る必要があります。民主主義がカネで覆いかぶされてしまい、本来の民主主義の強さが半減されていなかったのか。富が一部の富裕層に独占されていなかったのか──。』、などの指摘はその通りだ。
第二の記事で、 『今や消費者は「買った」商品の「使用を許されているだけ」だ』、との指摘は、これまで、自分では気づかなかったが、言われてみれば確かにその通りだ。ただ、日本ではかつて、湯沸かし器の不正修理で死亡事故が起きたこともあり、所有権が完全にはないことが一概に不合理な訳ではない。 『ハリケーンに備え、遠隔操作でバッテリー寿命を伸ばしたテスラ』、はいいとしても、 『家庭内の間取り情報を吸い上げる「ルンバ」』には、驚かされた。 『米国の十数の州では「修理する権利」を法制化する動きも』、というは、日本も見習う必要があるだろう。
今日は、「資本主義」とおおげさなタイトルをつけた割には、その端をかすっただけで終わってしまったが、今後、よりふさわしいネタが出てきてほしいものだ。
先ずは、7月25日付けダイヤモンド・オンライン「「衰退する西洋と日本の共通点」知日派エモット氏語る ビル・エモット(国際ジャーナリスト)特別インタビュー」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aはエモット氏の回答、+は回答内の段落)。
・元「エコノミスト」誌編集長で、知日派として著名なビル・エモット氏。同氏は最新作『「西洋」の終わり』で、日本や欧米先進国の繁栄の基盤となった「平等」と「開放性」が、衰退の危機にあると警鐘を鳴らしている。世界と日本は今、どう変容しようとしているのだろうか。 (「週刊ダイヤモンド」編集部 片田江康男)
Q:著書『「西洋」の終わり』の中で、西洋の繁栄を支えた二つのキーワードである「平等」と「開放性」が、衰退の危機にあると指摘しています。衰退のきっかけは何だったのでしょうか。
A:トリガーは、2008年のリーマンショックによって引き起こされた金融危機だと考えています。 世界中に広まったこの問題は、多くの人々に対して所得の減少や、教育や福祉など子どもたちに対するさまざまな機会の喪失、それによって将来への希望の喪失をもたらしました。
+一方で、元凶となった金融機関の経営陣や富裕層は生き残り、責任者が罰せられることはありませんでした。所得の低い人々を中心に被害を受けたということです。多くの人々はそんな実態を見て、西洋的市場メカニズムに疑問を持ち、信頼は大きく揺らぎました。 この影響が政治に及び、西洋の繁栄の基礎となった平等や開放性に対する信頼が地に落ちることになり、今は危険な状態にあります。
+これから日本や欧米先進国は平等や開放性の価値を再び認め、維持するのか、または、衰退して経済や政治が長い凋落の時代を迎えるのか、今はターニングポイントにあるといえるでしょう。
Q:格差の拡大も、世界中で問題視されています。
A:私は格差の拡大は、「平等の欠如」によって生まれる差だと考えています。 自分は政治的に存在を認められているのか。同じ権利があるのに、平等に扱われているのか。自分たちの声は届いているのか──。多くの人々は、リーマンショックで富裕層が生き残り、自分たちが損害を被ったことで、富裕層は政治的にも大きな力を持っているんだと分かってしまいました。 そこで、ドナルド・トランプ米大統領は選挙戦で、「忘れ去られていたアメリカ人のために」ということを強調して、支持を得たわけです。
▽日本の監視社会化は将来的な脅威となる
Q:日本でも、平等性や開放性は危機的状況にあるとみていますか。
A:日本でも平等については衰退していると思います。それによって収入の格差は拡大し、貧困率も上がっています。顕著なのが、増え続ける非正規雇用者と、正規雇用者とが分断されている点です。非正規雇用者はいつでも不安定な状況にあります。
+ですが、開放性については衰退しておらず、米国や英国のように閉鎖的な方向に進んでいるわけではありません。 ただ、残念なのが、開放性をさらに拡大する方向にはいっていない、いわば“ステイ”な状況だということです。日本が今後、成長してゆくためには、経済のダイナミズムが必要です。それには開放性の向上が大切なはずです。
Q:著書の中で、二つのキーワードから、西洋が従うべき八つの原則が示されていて、その中で監視社会は法の支配をむしばみ、平等を損なうと指摘しています。日本は共謀罪や特定秘密保護法等、国民への監視を強め、閉鎖的な方向へと進んでいるように見えます。
A:確かに、そうです。日本政府が最近通した法律の中には、監視社会を強める法律があります。監視する力が増すということは、政府の力が増すということ。将来的に平等や開放性が損なわれる脅威であるといえると思います。 こうした政府の動きには、日本国民は抵抗しなくてはならないのではないでしょうか。
Q:今、安倍政権の支持率は急落しています。これも著書にありましたが、政府は支持率が落ちると、短期的に支持を得るために、大衆迎合的な政策を打つ傾向があります。今後、安倍政権はどういう方向へ政策を進めると考えますか。
A:そもそも、安倍晋三首相は、ポピュリストです。これは何も新しいことではありません。 日本の政治の先行きを見通すのは非常に難しいのですが、私はフランス大統領選挙が参考になるのではと思っています。 マクロン仏大統領はポピュリストで穏健右派。短期間で多くの支持を集めました。同様に、日本では東京都知事選挙で大きな支持を集めた小池百合子氏も、ポピュリストであり穏健右派です。小池氏のように、新しいメッセージを示せば、短期間で多くの支持を集められることも実証されました。
+次にどのような政策が打ち出されるかの詳細は分かりません。楽観主義的な見方かもしれませんが、極端な政策が出てくることはないと思っています。 都知事選を見ていると多くの人々が、平等の欠如による格差拡大や不公平感、女性や子どもに対する支援の充実について、高い関心を持っていることが分かりました。つまり政治的には、こうしたテーマについて何かポジティブなことをやっていく、強いインセンティブになっているわけです。 もちろん、これからどのような政治や政党の勢いが増すのかについては分かりませんが。
Q:平等と開放性は、外的要因によって失われることもあります。日本でいえば、「北朝鮮情勢の不安定化」のように、二つのキーワードの価値観を全否定する存在が脅威として浮上すると、その脅威から自らの価値観を守るために、閉鎖的な政策にかじを切ることがあると思います。
A:確かに、外の脅威はいつの時代にもあります。今は北朝鮮やIS(過激派組織「イスラム国」)がそうで、欧州ではテロの脅威があります。 ですが、今がこれまでと違うのは、私たちの内部からこの二つのキーワードを衰退させる要因が生み出されているという事実です。
+私たちは「平等」と「開放性」がもたらした繁栄や強さをもう一度認識して、これまでの市場や社会の仕組みを再構築しなければならない時期にきています。 08年の金融危機を発端にした大惨事が、いかにして起きてしまったのか。それを振り返る必要があります。民主主義がカネで覆いかぶされてしまい、本来の民主主義の強さが半減されていなかったのか。富が一部の富裕層に独占されていなかったのか──。
+西洋の仕組みの脆弱さを正しく理解すれば、もう一度、私たちはかつての強さを取り戻すことができると考えています。
http://diamond.jp/articles/-/136184
次に、10月23日付け日経ビジネスオンラインがThe Economistの記事を転載した「デジタル時代、消費者は商品を「所有」できない 米国では「所有権」を取り戻す州法成立の動きも」を紹介しよう。
・かつて、「(ものを)所有」するということは、小切手を切るのと同じくらい単純な行為だった。何かを購入したら、それを所有することになった。壊れたら修理をするし、不要になったら売るか捨てる、といった具合だ。 一部の企業は、アフターサービス市場で儲ける技を編み出した。有料の長期保証を導入したり、メーカーが認定する修理店を展開したり、あるいはプリンター本体の価格は安く抑えて、定期的に買い替えが必要なインクカートリッジを高値で売りつけるといった手法を発案した。 ただ、利益をさらに絞り出すためのこうした手法が登場しても、何かを「所有する」という意味の本質が変わることはなかった。
▽今や消費者は「買った」商品の「使用を許されているだけ」だ
・ところが、デジタル時代においては、「所有」という概念はつかみどころのないものに変わってしまった。例えば、米電気自動車(EV)メーカー、テスラの最高経営責任者(CEO)、イーロン・マスク氏は、米ウーバー・テクノロジーズなどのライドシェア企業においてテスラのクルマを購入し、そのクルマを使ってウーバーなどの運転手が働くことを禁じている。
・あるいは米トラクターの「ジョンディア」を所有する人は、それを制御するソフトウェアをいじらないよう“推奨”されている。スマートフォンが登場して以来、消費者はデバイスの中のソフトに手を加える権利を奪われ、単にその使用を許されているだけ、ということを受け入れざるを得なくなっている。
・だが、デジタル化が進み、自動車や温度自動調節器、そして性具にいたるまで、あらゆる機器がメーカー側の都合でこれらの機器を自由にする権利がますます制限される中、誰が何を「どこまで所有し」、「コントロールできるのか」という問題が生じつつある。消費者は、今や最も基本的な「所有権」というものが脅かされていることを認識すべきだ。
・こうした最近の流れは、決して悪いことばかりではない。メーカー各社が、ますます複雑な技術により所有者の行動を制限しようとするのには、それなりに正当な理由がある。具体的には、著作権の保護だったり、機械の故障を防ぐことだったり、環境基準を満たすためだったり、ハッキングを防止するためといった理由がある。
▽ハリケーンに備え、遠隔操作でバッテリー寿命を伸ばしたテスラ
・場合によっては、メーカーがソフトを制御していることで、消費者が恩恵を受けるケースもある。例えば、9月に大型ハリケーン「イルマ」が米フロリダ州を襲った際、テスラは一部のモデルのソフトを遠隔で更新し、安全な場所へ避難できるようにバッテリーの寿命を延ばしたという。
・だが、商品にデジタルの面で様々な制限が課されれば課されるほど、商品の所有者よりも生産者の方が大きな裁量権を握るようになりつつある。これは、なかなか厄介な話だ。 どのクルマを買うかを選ぶだけでも難しいのに、そのクルマの使い方がどのように制限されるのか、また、どういった個人データをメーカー側が収集するのか、といったことをクルマの仕様から読み解かなければならないとなれば、なおさら困難だ。
・さらに、そうした仕組みによってメーカーの都合で商品が長くは使えないようになっていたら、消費者にとってはそれだけコストがかかることになる(注*1)。既に、スマホから洗濯機まで、あらゆる商品は修理がしにくくなっている。つまり、壊れたら修理されることはなく、廃棄されているのだ。 (注*1) 一部のスマートフォンは、電池がだめになっても電池だけを交換することができず、買い換えなければならないようなケースを指していると思われる)
▽家庭内の間取り情報を吸い上げる「ルンバ」
・消費者のプライバシーも脅かされている。例えば、米アイロボットの掃除機「ルンバ」が、床を掃除するだけでなく家庭内の間取りデータを収集し、メーカー側がそれを外部企業に売り込もうとしていると報じられた時は、ユーザーたちを愕然とさせた(しかし、アイロボットはそのような意図はないと強調している)。
・また、「ウィーバイブ」というバイブレーターを製造販売しているカナダのスタンダード・イノベーションは、そのユーザーに関する非常にプライベートな情報を収集、記録していることがハッカーによって暴かれた。これを受けて、同社は、原告1人当たり最大127ドル(約1万4300円)、総計で最大320万ドル(約3億6100万円)を支払うことで示談に同意した。
・さらに、トラクターのジョンディアについては、メーカーが認定したソフトしか使用が認められていないことに対し、農家側が反発している。問題が発生した場合、遠く離れた修理店まで行かなければならないため、繁忙期に故障が起きたら商売上、大きな痛手を被る可能性があるというのだ。一部の農家は、ユーザーが自分で直せないように組んであるソフトの制限を解除してある。制限を回避するために、東欧で開発されたソフトを利用しているという。
・こうしたメーカー側による消費者のプライバシーへの介入を前に消費者たちは、自分たちの所有権というものを注意深く守らなければならないことを改めて認識すべきだ。 自分の「所有物」に手を加え、改造したければ好きなように改造できる権利、そして、そこから収集されるデータを誰が使っていいのかを決める権利に至るまで、闘ってでも守らなければならない。
▽米国の十数の州では「修理する権利」を法制化する動きも
・米国ではこうした考え方が浸透し、「修理をする権利」というのを定めるための法案が十数の州で検討されている。また、欧州議会は、洗濯機などの製品をもっと修理しやすくするようにメーカーに働きかけている。 フランスの家電メーカーは、予想される耐用年数を買い手に伝えることを義務付けられている。それによって、修理しやすいかどうかがある程度わかるというわけだ。
▽デバイスによって得られる「自由」が損なわれる
・さらに、規制当局はもっと競争を促すために、メーカーが認定する修理店と同様に、独立系の修理店も商品に関する情報やスペア部品、修理ツールなどを入手できるようにするべきだろう。これは既に自動車業界では当たり前のルールとなっている。
・「所有」という概念は決して消滅しつつあるわけではない。その意味が変化しつつあるだけに、今よく考える必要があるということだ。 概してスマホをはじめとしたデバイスは、それを使う人にとって、様々なやりたいことを実現させるための手段という前提で販売されている。しかし、それが他の誰かにコントロールされているとなれば、せっかくそのデバイスの入手によって新たに手にした自由が損なわれてしまうことを意味する。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/224217/101900144/?P=1
第一の記事で、 『西洋の繁栄を支えた二つのキーワードである「平等」と「開放性」が、衰退の危機にある・・・トリガーは、2008年のリーマンショックによって引き起こされた金融危機』、 『元凶となった金融機関の経営陣や富裕層は生き残り、責任者が罰せられることはありませんでした。所得の低い人々を中心に被害を受けたということです。多くの人々はそんな実態を見て、西洋的市場メカニズムに疑問を持ち、信頼は大きく揺らぎました。 この影響が政治に及び、西洋の繁栄の基礎となった平等や開放性に対する信頼が地に落ちることになり、今は危険な状態にあります・・・そこで、ドナルド・トランプ米大統領は選挙戦で、「忘れ去られていたアメリカ人のために」ということを強調して、支持を得たわけです』、との鋭い指摘はさすがエモット氏ならではである。 『日本でも平等については衰退していると思います・・・ですが、開放性については衰退しておらず、米国や英国のように閉鎖的な方向に進んでいるわけではありません』、との日本の開放性についての指摘には違和感がある。 『日本政府が最近通した法律(共謀罪や特定秘密保護法等)の中には、監視社会を強める法律があります。監視する力が増すということは、政府の力が増すということ。将来的に平等や開放性が損なわれる脅威であるといえると思います。 こうした政府の動きには、日本国民は抵抗しなくてはならないのではないでしょうか』、 『08年の金融危機を発端にした大惨事が、いかにして起きてしまったのか。それを振り返る必要があります。民主主義がカネで覆いかぶされてしまい、本来の民主主義の強さが半減されていなかったのか。富が一部の富裕層に独占されていなかったのか──。』、などの指摘はその通りだ。
第二の記事で、 『今や消費者は「買った」商品の「使用を許されているだけ」だ』、との指摘は、これまで、自分では気づかなかったが、言われてみれば確かにその通りだ。ただ、日本ではかつて、湯沸かし器の不正修理で死亡事故が起きたこともあり、所有権が完全にはないことが一概に不合理な訳ではない。 『ハリケーンに備え、遠隔操作でバッテリー寿命を伸ばしたテスラ』、はいいとしても、 『家庭内の間取り情報を吸い上げる「ルンバ」』には、驚かされた。 『米国の十数の州では「修理する権利」を法制化する動きも』、というは、日本も見習う必要があるだろう。
今日は、「資本主義」とおおげさなタイトルをつけた割には、その端をかすっただけで終わってしまったが、今後、よりふさわしいネタが出てきてほしいものだ。
タグ:ビル・エモット 「衰退する西洋と日本の共通点」知日派エモット氏語る ビル・エモット(国際ジャーナリスト)特別インタビュー」 資本主義 (知日派エモット氏:「衰退する西洋と日本の共通点」、デジタル時代、消費者は商品を「所有」できない 米国では「所有権」を取り戻す州法成立の動きも) ダイヤモンド・オンライン メーカーが認定する修理店と同様に、独立系の修理店も商品に関する情報やスペア部品、修理ツールなどを入手できるようにするべきだろう 米国の十数の州では「修理する権利」を法制化する動きも メーカー側による消費者のプライバシーへの介入を前に消費者たちは、自分たちの所有権というものを注意深く守らなければならないことを改めて認識すべきだ 非常にプライベートな情報を収集、記録していることがハッカーによって暴かれた バイブレーターを製造販売しているカナダのスタンダード・イノベーション 家庭内の間取りデータを収集し、メーカー側がそれを外部企業に売り込もうとしていると報じられた 家庭内の間取り情報を吸い上げる「ルンバ」 ハリケーンに備え、遠隔操作でバッテリー寿命を伸ばしたテスラ メーカー各社が、ますます複雑な技術により所有者の行動を制限しようとするのには、それなりに正当な理由がある。具体的には、著作権の保護だったり、機械の故障を防ぐことだったり、環境基準を満たすためだったり、ハッキングを防止するためといった理由がある。 今や消費者は「買った」商品の「使用を許されているだけ」だ 一部の企業は、アフターサービス市場で儲ける技を編み出した 「デジタル時代、消費者は商品を「所有」できない 米国では「所有権」を取り戻す州法成立の動きも」 The Economist 日経ビジネスオンライン 08年の金融危機を発端にした大惨事が、いかにして起きてしまったのか。それを振り返る必要があります。民主主義がカネで覆いかぶされてしまい、本来の民主主義の強さが半減されていなかったのか。富が一部の富裕層に独占されていなかったのか──。 こうした政府の動きには、日本国民は抵抗しなくてはならないのではないでしょうか 日本政府が最近通した法律の中には、監視社会を強める法律があります。監視する力が増すということは、政府の力が増すということ。将来的に平等や開放性が損なわれる脅威であるといえると思います 共謀罪や特定秘密保護法等 開放性については衰退しておらず、米国や英国のように閉鎖的な方向に進んでいるわけではありません 日本でも平等については衰退していると思います ドナルド・トランプ米大統領は選挙戦で、「忘れ去られていたアメリカ人のために」ということを強調して、支持を得たわけです 多くの人々はそんな実態を見て、西洋的市場メカニズムに疑問を持ち、信頼は大きく揺らぎました。 この影響が政治に及び、西洋の繁栄の基礎となった平等や開放性に対する信頼が地に落ちることになり、今は危険な状態にあります 元凶となった金融機関の経営陣や富裕層は生き残り、責任者が罰せられることはありませんでした。所得の低い人々を中心に被害を受けたということです トリガーは、2008年のリーマンショックによって引き起こされた金融危機だと考えています 日本や欧米先進国の繁栄の基盤となった「平等」と「開放性」が、衰退の危機にあると警鐘を鳴らしている 『「西洋」の終わり』
日本経済の構造問題(その4)(「人を大切にする日本企業」はウソ、One JAPAN「第二の労組」か「救世主」か、「ビジネスモデル革命」に中国が成功し 日本が乗り遅れる理由) [経済]
日本経済の構造問題については、8月1日に取上げたが、今日は、(その4)(「人を大切にする日本企業」はウソ、One JAPAN「第二の労組」か「救世主」か、「ビジネスモデル革命」に中国が成功し 日本が乗り遅れる理由) である。
先ずは、8月24日付けダイヤモンド・オンラインが、元マッキンゼーのディレクターおよび日本支社長で早稲田大学ビジネススクール教授の平野正雄氏と、マッキンゼージャパンて、コンサルタントを経て独立し、人材育成や組織改革に関するコンサルタントをしている伊賀泰代氏の対談を掲載した「平野正雄氏&伊賀泰代氏が喝破「人を大切にする日本企業」はウソ 平野正雄・早稲田大学ビジネススクール教授&伊賀泰代・組織・人事コンサルタント【特別対談・後編】」を紹介しよう(▽は小見出し、+は発言内の段落)。
・マッキンゼー日本支社長などを経て現在早稲田大学ビジネススクールで教鞭をとり、『経営の針路』を上梓した平野正雄氏。かたやマッキンゼーで採用担当を務めたのち、組織・人事コンサルタントとして活躍し、著書『採用基準』、『生産性』などの著書で組織・人事コンサルタントとして活躍中の伊賀泰代氏が、日本企業がこれから進むべき方向性や経済、組織改革について語る対談の後編。人をどう育てるかに話題は移り、人を大事にする日本企業のウソが暴かれる。
▽“Good is the enemy of great.”が通じない日本企業の役員
・伊賀 平野さんの本では人材育成についても詳しく書かれていました。日本企業は人を大切にすると言うが、それはウソだという指摘。私もまったく同感です。
・平野 先日、日本の超一流といわれている大企業の役員研修を担当しました。たぶん日本ではいいところにお勤めといわれる会社、まして、そこで役員にまでのぼりつめたなら万々歳といった会社です。役員研修に出向くと、なるほど「成功したサラリーマン」としてのプライドと余裕の雰囲気がありました。それで、僕は色々な世界企業の改革事例などを話したうえで研修の最後に”Good is the enemy of great. ”と大きく書かれたスライドで締めくくったんですが、「はあ?」という感じできわめて反応が薄かった(笑)。
+あなたたちはグッドでそれで満足しているかもしれないけれど、役員たるものはグレートを目指さなければだめだというメッセージです。「サラリーマンとして大会社に入って役員まで到達したのだから、悪くない人生だよな」とか、「ウチの会社は日本では一流会社で、今年は最高益も出てるし、頑張ってるよな」という「Good company, Good life」で満足せずに、役員たるもの「Great company, Great life」を目指してほしいのです。つまり、グッドはグレートになるための敵、つまり、偉大(great)な企業になれないのは、ほとんどの企業がそこそこ良い(good)に甘んじているからなのです。
+また、二つの企業のケースを出しました。ひとつはスマートフォンをつくっている、ファーウェイという世界一の通信機器会社。上場はしていないけれど、強烈なリーダーシップで世界を牽引しようというファミリーカンパニーです。もうひとつは米国のダナハーという、買収のみで大きくなって、買った会社にトヨタ流の改善を徹底的にやりとげて、バリューアップさせ、徹底的な合理性で急伸している会社です。でも、そのケースについて議論してもらったあとのフィードバックは、「我々に無関係だと思った」とか「あんまり参考にならなかった」というものです。学びの姿勢の薄さに衝撃でしたね。会社の決まりだから研修を受けているに過ぎないのです。
・伊賀 「Good では生き残れない」という意識が役員レベルでも共有されていないということでしょうか。世界ではどれだけ熾烈な競争が行われているのか、実感として理解されていないのかもしれません。
・平野 さきほど(前編)のデット経営ではありませんが、日本の優良企業のトップの「自分も会社もgoodでいい、そこそこの現状維持でいい」という意識が、会社の成長を阻害しています。これに対して、テスラ、グーグル、アマゾン、アリババなどの新興企業はもちろん、GEやJ&Jなどの伝統企業もいかにしてグレートになるのか、高い目標を掲げて邁進しています。
+何が違うかというと、CEOが「世界を変える」とか「実現したい世界」という明確なビジョンと野心を持っている。株主の期待をはるかに超えたところを目指しているので、配当もせず、議決権も渡さず、株主の言うことなんか聞いていられるか、自分はもっと先の未来を見ているんだ、という態度です。
+日本企業はかつて株主の影響力を排除して長期経営をやっていたら経営が緩んで、今、株主を意識した経営をしろ、と市場や役所に言われている。でも世界企業は、むしろ株主の影響力を排除してまで、長期視点で果敢なイノベーションに挑んでいる。なんだかな、という感じです。
▽そこそこの現状維持を重んじるデット文化の日本
・伊賀 そこの理解、とても大事だと思います。いまだに日本の経営層には「株主の要求ばかりを意識していると、長期的な成長ができない」といった認識が残っていたりしますが、今や世界を席巻している企業のトップはみんな、「株主の期待値なんて低すぎる」と考えていますよね。
+で、それに引っ張られて株主側の期待値も引き上げられてしまい、グレートカンパニーであるGEでさえも、ビヨンド・グレートになりきれていないと批判されてしまう。世界では、グレートかビヨンド・グレートかという比較になっているのに、日本ではいまだに「いい会社(グッド・カンパニー)であり続けること」が目標にされていたりする。
+これ、平野さんの本にあった、デット文化とエクイティ文化の違いの話が関係してるんだと思います。日本は経営者までもがデット文化で、利子がきちんと払えてデフォルトしない経営を目指している。だからリスクを取って次の大成長を狙いに行こうという意欲が高くない。でも、単一の競争市場で成長志向の人と現状維持の人がいれば、後者は遠からず淘汰されてしまいます。
+グローバル企業のトップに日本人がほとんどいないというのも、それを表しているように思います。欧米のグローバル企業のトップに就く人の中には、インドや中国など中進国出身者や、小国の出身者が少なくない。なのに、日本人はほとんどいません。
+「新卒で入った日本企業で最後は部長くらいにまではなりたいな」くらいのところで目標が止まってしまい、グローバル企業のリーダーを目指すなんて別世界だと思っているんですよね。これも大きな果実を得るためリスクを取るより、失敗しない人生のほうがいい、というデット文化の表れかなと。
+もちろん日本人全員が世界を目指す必要はないけど、少なくとも社会のリーダーを目指す2割くらいの人にとっては「舞台は当然、世界全体」という感覚が、わざわざ口にしなくてもあたりまえになってほしい。
・平野 また、日本の優秀な若者は、財閥系や公共系の会社に就職する傾向がまだまだ強いということもありますね。ただ、ここで声を大にして言いたいことは、日本企業が人を大切にするというのは大ウソだ、ということです。実際は、優秀な人を飼い殺しにしているだけです。
・伊賀 それは私も『採用基準』や『生産性』の中で何度も指摘しています。セクハラ防止や部下の健康管理の方法など「問題を起こさないようにするための研修」と、偉い人を呼んで講演をしてもらうといった目的や効果の不明確な研修が多く、次世代のリーダーを育てるための実務的、継続的な育成プログラムがほとんどありません。
・平野 伊賀さんにも興味を持ってもらえると思ったデータ(右図表参照)を『経営の針路』で紹介していますが、日本の企業が組織開発と人材教育にかける投資額は、他の先進国に較べて格段に低いのです。
・伊賀 確かにこのデータ、すごく面白かったので、いろんな人に紹介しました。あと額だけでなく、「人材育成への投資とは何か」という中身についても理解が進んでいません。よくあるのは「英語研修に補助を出す」「会計知識をつけるための通信教育費を出す」などですが、実際には人に投資をするというのは、時給の高い人、つまり経営者がどれくらい人材育成に時間を使うか、という話です。
+あとは、優秀な人材が本業に集中できるよう、付加価値の低い事務作業を最小化するための投資。これをやらないから、日本ではできるかぎり自分の専門分野に集中すべきコア人材が、毎月何時間も事務的な書類仕事に時間を奪われている。人を育てるための投資とは何のことなのか、本質的な部分も理解されていないと感じます。
・平野 YouTubeにGEのジャック・ウェルチのインタビューがアップされています。ウェルチは、事業のためなら血も涙もなく人を切ることで有名でした。「人だけを消して建物は残す中性子爆弾」になぞらえて「ニュートロンジャック」と揶揄されてきた人です。そのウェルチが「GEとは何ですか」と聞かれて、“My product is people.”、つまり「人だ」と答えている。
+リーダーを育成することが自分たちの使命で、経営の中枢は人だと。GEは120年あまりの歴史上10人しかトップがいない。長い時間をかけてリーダーを育成することこそが経営の中枢にあり、その結果、事業は成功し、企業が成長する。場合によっては、事業はすっかり入れ替えてもいい。なぜなら事業は競争状況や技術の変化によって成長の限界を迎えるから。リーダーシップ人材こそが経営の核であり、企業の持続的発展をもたらすものだ。だからリーダーの育成にトップの時間も会社の費用も傾ける。人を中心にした経営とは、そうあるべきです。
・伊賀 欧米の企業には長期の人材教育を根幹に据えた企業が多く、企業内大学も多いですよね。ヨーロッパ屈指のビジネス大学であるIMDもネスレが母体ですし。
・平野 人は採ったら適当にローテーションして、社内の評判と、ちょっとした業績とを合わせて役員候補にして、そして慌ててリーダー教育をする。日本ほど人を大切にしていない経営はないんじゃないか(笑)。
・伊賀 私もよく、「役員向けにリーダーシップの講演を」といった依頼を受けるのですが、いったいどういうことなのかと思います。リーダーシップを今から学ぶような人が役員になっていていいんでしょうか(笑)。彼らはむしろ、次世代のリーダーを育てるべく、リーダーシップを発揮している側の人のはずです。 講演なんて聴いているヒマがあったら、次の経営層である部長たちをグローバルな事業を率いるリーダーにするために、これからどんな経験をさせるべきなのか、そういったことを考えるのに時間を使うべきです。
・平野 おっしゃる通りでね、僕はマッキンゼーのパートナー(役員)を選ぶ委員会の委員をやっていたことがありました。当時は年間70人ぐらいパートナーを選ぶのに、年に2回選抜をします。僕は遠く離れたヒューストンとアトランタとメキシコシティのオフィスが担当だったのですが、それぞれの地に行って、候補者にインタビューして、来歴や業績を全部理解するというのにまず最低1週間かける。そして整理したものを持ち寄って委員が集まって、誰をパートナーにするか決める会議を、最低1週間かけてやる。
+なぜなら、パートナーの選抜とは「マッキンゼーの未来を作ること」だという重大な使命感がそこにあるから。それが年に2回ということは4週間で、その準備の資料を作ることも入れると、結局年に1ヵ月強を、現役のシニアコンサルタントが人のフェアな評価と会社のために時間を使う。リーダーの育成と選抜とは、そのくらい会社の根幹なわけですよね。
・伊賀 役員クラスの人間があれだけの時間を人材育成のために使う、というのは、私も驚きました。日本企業は人への投資に熱心と言われますが、新入社員向けに長すぎるほどの研修を行い、それによって自社の社風に染めていくとか、現場の新人に細かい技能を身に付けさせるための指導といったものが多く、一定以上のポジションになった人を戦略的に育成するという意識はまだまだ非常に希薄です。
▽どこに向かって競争力を高めるか リデザインすることが組織改革
・平野 データでも出しましたが、人材への投資と並んで組織への投資もしていませんね。組織は単なる人を入れる箱で、それを定期的にいじって、こっちの箱の人をこっちに移すとか、この2つの箱を一緒にするというのが、日本の組織改革なんですよ。
+組織を革新していくことがどれだけ経営にとって重要か。組織を革新するということは、働き方そのものを変えていくことです。働き方を変えて、人の評価のしかたを変えて、戦略に合わせて、その組織のモデルを変える。全般にどこへ向かって競争力を高めていくかをリデザインすることが組織改革です。でも、日本企業はその意識が非常に低い。だから人材教育とともに組織開発にも時間もコストもかけない。単なる部の統廃合でしかない。
・伊賀 社内の電話番号表の構成を定期的に変えているだけ、みたいな(笑)。
・平野 人を育てることを経営の中枢に置くという重要性。それから組織そのものが競争力に直結するという理解。この2つが決定的に日本の企業には欠けていましたね。
+それからいまの時代、世界的に富の格差が大きくなって、資本主義や市場主義の問題が露になっている。また、巨大企業はグローバル化を推進して、超国家的な存在になってきている。そのとき、経営には第三の柱としてエシカルであること、倫理性というものが重要になってくる。これはエコノミーを見る時のように数字で測定不可能だし、コンプライアンスのようにルールを守ってさえいればいいということでもない。誰かに決めてもらうものではなく、うちの会社はこういう理念でこういう価値観なのだと、自分たちで決めるものですね。そしてその企業の理念や価値観が組織に浸透することで、はじめて多様性のある人々をまとめていくことができる。
+そのためにも、人材教育や組織改革を通して、その理念や価値観、この会社にいる意味はなにか、われわれは社会に対してなにをすべきか、ということを共有していくような組織、経営になっていくべきですね。それはもちろん細かいルールではなくて大きな根幹部分の価値観を理解したら、あとは個々人がそれに沿って行動したり考えたりするというものです。それには、伊賀さんの本でいうように、一人ひとりがリーダーシップを持たなくてはならないのはいうまでもありません。
・伊賀 これからの企業経営を考えるための平野さんの本で、最終的な処方箋のひとつとして組織や人材育成という分野にスポットが当たったことは、その分野を専門とする私にはとても嬉しいことです。そういえばマッキンゼー出身の茂木敏充経済担当相も「人づくり革命」をスローガンに掲げていらっしゃいますし、今後は日本でも、もっと本質的な意味での人材育成に注目が集まるといいなと思います。今日はどうもありがとうございました。
http://diamond.jp/articles/-/139124
次に、10月12日付け日経ビジネスオンライン「One JAPAN「第二の労組」か「救世主」か 次々に生まれ始めた「共創」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・大企業の若手・中堅有志が集う団体「One JAPAN」。パナソニックや富士ゼロックス、NTTグループ、トヨタ自動車、ホンダ、JR東日本、三菱重工業、富士通、日本郵便など名立たる大企業の有志が、参加団体としてずらりと並ぶ。 彼らはみな、「大企業病」を憂う。「新しいことをやってはいけない空気」「イノベーションを起こせない空気」の中でもがき、悩む。その打破を狙う。
・「若手が集まっただけでは何も変わらない」「企業に対して意見を言うばかりで『第二の労働組合』に過ぎない」「ずっと前から同じような取り組みはあった。今さら注目する必要はない」。当初、彼らに対して、こんな辛辣な批判があったことは確かだ。 2016年9月の発足から1年。彼らの「現在地」を追った。
・壮観だった。 9月10日、秋葉原UDXのイベントスペースは800人以上の参加者であふれ、立ち見が出た。人気アイドルのライブではない。大企業若手の有志団体「One JAPAN」の1周年イベントである。その冒頭、代表の濱松誠(パナソニック)は、One JAPANの「現在地」を見せるための“仕掛け”を用意していた。参加する45団体の代表全員を、いきなり壇上に上げたのである。
・スクリーン上に所狭しと写された各企業のロゴとともに40数人が並び、頭を下げると、会場から自然と拍手が起こった。日本を代表する企業がずらり。「組織、立場を越えて、僕たちはつながり始めた」。濱松はこう言って胸を張った。 大企業若手・中堅の有志が集まり、大企業同士のコラボレーションや働き方の提案などを実践する共同体として産声を上げたOne JAPAN。発足1周年のイベントで、濱松が改めて語った「価値」はこうだ。 1)大企業同士が組織を越えた共創を生み出せること、2)One JAPANで得た気付きを持ち帰り、自社の変革ができること。「この2つの役割をそれぞれ持つ組織はあるが、2つを併せ持つ組織はない。これが何より我々のユニークネスなのだ」と。
・One JAPANは、それぞれの大企業が企業内で持つ若手の有志団体が集まった共同体である。新規事業開発の担当者やエンジニア、マーケティング、営業、デザイナーなど、参加者の職種は様々だ。 1年前の発足時、26だった参加団体は45まで増え、それぞれの参加団体の人数を単純合計すると1万人を有に超える。それぞれの団体を飛び越え、この1年でOne JAPANの活動に実際に参加した人数(アクティブユーザー数)は1000人以上に登る。
・異なる企業の若手が、これだけの規模でともに活動する取り組みは歴史上、類を見ないだろう。1周年イベントに集まったのは若手だけではない。各企業の幹部クラスを始め、その注目は若手から幅広い世代に拡大している。
▽若手が集まっただけ、という批判
・ただし、発足時からOne JAPANに対して批判の声は根強い。 「若手が集まったことで、声が大きいように見えるだけ。会社に要求を突きつけるだけの『第二の労働組合』とみることもできる」「現に、彼らはまだ何も成し遂げていない」。本誌の取材に対し、ある製造業の幹部はこういい切る。 若手からも反発がある。別の製造業の若手社員は「彼らは目立ちたがりというか、単に意識が高い系というか…。『まずは社内で結果出せよ』って思います。私には興味がないし、(One JAPANに)入りたいとは思わない」と言う。
・何をもって「成し遂げた」と表現するかは難しい。 確かにOne JAPANは実際に製品やサービスを形にし、一般消費者に届けられるステージには到達していない。ただ、それを持って彼らの活動を批判するのは早計に過ぎる。
・1周年イベントのこの日、濱松は1年間の成果として、徐々に生まれ始めたコラボレーションを一番に挙げた。その実例を見ていこう。 禅寺にいたのは、2人のキャビンアテンダント(CA)と、“ロボット”だった。9月上旬、神奈川県鎌倉市の建長寺で開かれたイベント「ZEN2.0」に、一風変わったブースが展示され、行列ができた。
・このイベントは、「マインドフルネス」の国際会議。マインドフルネスとは瞑想をベースとしたプログラムであり、シリコンバレー企業なども注目する訓練法の一つである。 持ち込んだ3席の機内シートに座った一般参加者に、ANAのCAが脳波を計測するヘッドセットを取り付ける。“瞑想”の始まりだ。
▽One JAPANから生まれた“ロボット”
・「ゆっくり深呼吸をしてください」。設置されたロボットの語りに従って、体験者がリラックスを始めた。3分間の瞑想の間、ヘッドセットが脳波を計測し、そのデータを計算してスクリーンに映像が映し出された。 個人の脳の状態をもとに、スクリーン上に「ダリア」や「百日草」、「クチナシ」などの花が咲いていく。体験者の精神状態によって、花の大きさや色味が変化する仕組み。刻々と変わる瞑想の度合いが数字で映し出される。
・このコミュニケーション・ロボット「CRE-P(クリップ)」は、One JAPAN内のコラボレーションで生まれた。東芝の音声認識技術や広告代理店マッキャン・ワールドグループのデザインスキルなどを持ち寄った。ベンチャー企業リトルソフトウェアの感情認識AI(人工知能)などOne JAPAN外の技術も活用する。
・このプロジェクトに、One JAPAN参加企業であるANAも加わった。One JAPANに所属する小野澤綾花(ANAホールディングス)はこう言う。「きっかけはOne JAPANでの何気ない会話だった。クリップの存在を知って、『これならうちの会社でも何かできることがあるんじゃないか』って考えた」。上司に提案して、数ヶ月でブース展示までこぎつけた。
・ANAグループは飛行機に乗った後も疲れない「乗ると元気になるヒコーキ」プロジェクトを進めている。マインドフルネスの活用はこのプロジェクトの一環である。 ANAがマインドフルネスを実際に機内に取り入れるかは未定だが「体験会などをうまく使って、消費者からのフィードバックをデータとして溜めて行きたい」と小野澤は話す。
・小野澤の上司であるANAホールディングスデジタル・デザイン・ラボの津田佳明チーフ・ディレクターは「我々の部署は既存事業にとらわれずに新しい挑戦をするのが役割。他社とのコラボレーションを含め、部下には『とにかく自由にやってくれ』と言っている」と話す。こうした企業の姿勢とOne JAPANの自由な議論が、うまく噛み合い始めた。 クリップだけではない。One JAPANが大企業同士の技術を結ぶ存在として機能した例は他にもある。
▽富士通研究所が500万円を拠出
・8月中旬の東京・代官山。猛暑日のこの日、所属の異なる大企業の若手7~8人が、貸しキッチンスペースに集まった。AR(拡張現実)グラスを装着した女性がキッチンに立つ。調理法の指示をしているのはロボットだった……。 チームが結成されたのはその2週間前。8月4日にOne JAPANが初めて開いたハッカソンで出会った。ハッカソンとは、「ハック」と「マラソン」を組み合わせた造語で、あるテーマに基いて参加者がマラソンのように数時間から数日かけてアイデアを練り、競うイベントを指す。
・この日のテーマは「家族」。チームを結成したら3週間程度の準備期間を経て、8月25日に開く発表会で1位を決める。 One JAPANらしいのは、このハッカソンに参加企業がそれぞれの技術やサービスを事前提供したこと。ミサワホームはハッカソンの実験場となる住宅を実際に用意し、読売新聞は女性向け掲示板である「発言小町」の膨大なテキストデータを提供。その他にも、ロボットや通信用デバイスなど10以上の技術がずらりと並べられた。
・参加者はOne JAPANの参加者やその紹介を受けた大企業の若手。普段から技術やサービスに対する感度が高い彼らにとって、こうしたアイデア出しは“十八番”である。 この枠組みに、富士通の子会社である富士通研究所が乗った。「優れたアイデアには、発展させるための資金として総額500万円を拠出する」。ハッカソン会場の貸出しや運営も同社が買って出た。 有志団体の取り組みに、企業が本格的に正対し始めたのである。
・“お袋の味”を記録して再現したい――。8月4日の個人によるアイデア出しで、個性的なプレゼンをしたのが末田奈実(富士ゼロックス)だった。彼女のアイデアに興味を持ったり技術を提供したいと思ったりした数人が集まって、チームができあがった。 2週間程度の議論で、提案の骨格が固まった。母親が使う調理器具に加速度センサーや温度センサーを設置、母親には筋電位センサーを付けて、それぞれのデータを取る。それをAI搭載ロボットに記憶させる。
・実際に調理する際には、ARグラスに母親の作業の様子が自分の手に重ね合わさったように表示される。ロボットの音声と映像をもとに調理を進める仕組み。将来的には、介護サービスや高齢者の見守りへの適用も視野にビジネスモデルを探っていく――。
・8月25日。最終発表会に参加したチームは21。単なるアイデアではなく、それぞれが実際のモックアップを使ってプレゼンする様子に、富士通研究所幹部からも感嘆の声が挙がった。 21チームの中で、「cooklin’」と名付けた末田チームの案は最優秀に輝いた。One JAPANと富士通研究所の支援を受けながら、実際の事業化や製品化を目指して既に動き出し始めた。
・10月3日に開幕した国内最大の家電・IT関連の見本市「CEATEC(シーテック)ジャパン2017」。One JAPANは有志団体でありながら、シーテックでブースを展示した。 AI搭載ロボットのクリップに加えて、東芝デジタルソリューションズの音声合成技術と朝日新聞社のスマートフォン向けニュースアプリを組み合わせた試作品や、ハッカソンから生まれたインターホンと画像認識技術を組み合わせるサービスなどを展示した。
・One JAPANは、その一つ目の目的である「共創」のプラットフォームとしての存在感を強めつつある。 共同発起人である大川陽介(富士ゼロックス)はこう言う。「まず(One JAPAN内の)人の信頼があって、その上で自分たちが持っているリソースを持ち寄って『こんなことができるんじゃないか』と考え始める。だからこそ、すぐに動ける。自分の意思で動ける」
・これまで見てきたコラボレーションは、One JAPANの公式なイベントだけでなく、ふとした会話や人の紹介など、ゲリラ的に始まって数カ月で企画化し、それぞれの企業の稟議を通して形になったものばかり。「この指止まれ」で立ち上がる数々のプロジェクトは、何より大企業特有の遅々とした意思決定とは無縁である。
・前述の通り、批判はあろう。クリップにしろcooklin’にしろ、One JAPANは製品化にこぎつけていない。ただし、まだ発足1年である。 共同体ではなく、「実践」共同体――。One JAPANはこの言葉にこだわる。 だからこそ、彼らは共創についても「もっと挑戦しなければ」(代表の濱松)と謙遜する。「何も成し遂げていない」。この批判は、今後数年先に「実践」される成果を前に意味をなさなくなる可能性がある。
・次回は、発足1年を振り返り、今のOne JAPANの課題を共同発起人3人へのインタビューから明らかにする。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/100600170/100600001/?P=1
第三に、大蔵省出身で早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問の野口 悠紀雄氏が10月23日付け現代ビジネスに寄稿した「「ビジネスモデル革命」に中国が成功し、日本が乗り遅れる理由 いつの間にこんな差がついたのか…」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・中国では、フィンテック関連で新しい事業が続々と誕生している。価値の高いスタートアップ企業の数でも、中国はアメリカと拮抗する状態になっている。 500年前、官僚帝国である明は、優れた技術を持ちながらそれをフロンティア拡大に用いず、ヨーロッパに後れをとった。現在の中国が社会主義経済の残滓を引きずっていることは事実だ。しかし、最先端技術の面では、目覚ましい躍進を実現している。
・日本が長く模範としてきたドイツは、モノづくり一辺倒から脱却できずに、情報技術の進展に後れがちだった。しかし、ここ数年、スタートアップ企業が目覚ましく誕生している。IoTとの関連で、ドイツは生まれ変わるのかもしれない。 日本が古い産業や企業の体質から脱却するためには、人材の転換が必要だ。
▽中国は日本の66倍!
・まず、フィンテック(金融へのITの応用)関係のデータを見よう。 アクセンチュアのデータによって2016年のフィンテック関連投資額をみると、中国と香港の合計で102億ドルになった。これはアジア・パシフィック地域の投資総額112億ドルの実に91%だ。 日本は、わずか1億5400万ドルに過ぎない。中国・香港は、日本の66倍なのだ。「まるで比較にならない」というのが現状だ。
・Fintech100(フィンテック100社)は、国際会計事務所大手のKPMGとベンチャー・キャピタルのH2Venturesが作成するフィンテック関連企業のリストだ。2016年においては、アメリカが35社、中国が14社となっている。世界首位は電子マネーを提供するAnt Financial(後述)だ。 中国企業は、2014年は1社だけだったが、15年には7社となり、インターネット専業の損害保険会社の衆安保険(ZhongAn)が世界首位となった。 16年には、さらに中国企業が躍進しているわけだ。
・ところが、このリストに日本企業の名はない。ユニコーン企業で見ても、中国の躍進ぶりは著しい(「ユニコーン企業」とは、未公開で時価総額が10億ドル以上の企業)。 Sage UKがまとめた調査結果によると、ユニコーン企業数は、アメリカ144社、中国47社、インド10社などとなっている。 このように、中国ユニコーン企業の数は、アメリカのそれに近づいている。 ところが、日本のユニコーンは1社しかない。
▽中国ITを牽引する「BAT」
・中国のIT産業を支配しているBaidu(百度、バイドゥ)、Alibaba(阿里巴巴、アリババ)、Tencent(騰訊、テンセント)の3社は、「BAT」と呼ばれる。 バイドゥは検索とAI技術、アリババはEコマース、テンセントはソーシャル・ネットワーキング・サービスだ。 アリババはNY市場に、バイドウはNASDAQに上場している。アメリカ株のランキングとして、アリババは4位(時価総額 463億ドル)、バイドウは93位(91億ドル)だ。
・日本で時価総額が最大であるトヨタ自動車が、38位で時価総額が184億ドルであることと比較すると、BAT企業(とくにアリババ)の価値の高さが分かる。 「中国のフィンテック投資額が巨額」と上で述べた。この背後には、アリババ傘下の金融サービス企業Ant Financial Services Groupが、16年4月に45億ドルの資金調達をしたことがある。
▽もはや、モノマネではない
・BAT企業成長の背後に、中国政府がインターネットを外国から遮断して独自の国内マーケットを作ったこと、中国の人口が巨大であるために国内マーケットが巨大であること、という事情があることは間違いない。 そして、BATがこれまで提供してきたのは、アメリカで始まった新しいビジネスモデルのクローンでしかなかった。アリババはアマゾンの、テンセントはフェイスブックの、そしてバイドウはグーグルの、それぞれ「パクリ」だったのである。
・しかし、最近では、単なる模倣と言えない状況になっている。新しいサービスが次々と誕生し、それが急速に市民生活に浸透して、中国社会を変えつつあるのだ。 アリペイという電子マネーが中国で普及していること、それだけでなく東南アジアにも進出していることを、すでに述べた(「中国の『フィンテック』が日本のはるか先を行くのは当然だった」)。
・また、ビッグデータを活用できる点でも、BATは有利な立場にある。ビッグデータは、AI(人工知能)の発展には不可欠だ。AIを用いた自動車の自動運転が近い将来に可能になることを考えると、このことの意味は、きわめて大きい。
・「中国製品」というと、「安かろう、悪かろう」を想像する人が多い。そうしたものがいまだに多いことは事実だ。中国の製造業が、先進国との比較ではいまだに低い賃金の労働者に支えられているのは、まぎれもない事実である。 しかし、世界の最先端をゆく製品やサービスを供給できる企業が登場しているのも、事実なのである。
▽大航海に後れた中国。だが、いまは違う
・先に述べたように、大航海時代、官僚国家である明は、優れた技術を持ちながら、官僚国家であるためにそれを新しい社会の創出に用いることができず、ヨーロッパに後れをとった。 日本も同じ頃、遠洋航海ができる技術を持ち、東南アジアに進出し始めていたが、日本国内ではそうした人たちを異端視した。そして、江戸時代になってからの鎖国で閉じこもることになった。(参照・拙書『世界史を創ったビジネスモデル』第3章、新潮選書)
▽現代の中国はどうか?
・一方において、社会主義経済の残滓を引きずっている面がある。金融やエネルギー分野では、巨大国有企業の支配が続いている。 これら国有大企業は、「フォーチュン・ファイブハンドレッド」に名を連ねている。このリストにあるのは、売上高は大きいが、成熟企業であるため成長率は低い巨大企業だ。世界10位までのリストに、State Grid、China National Petroleum、Sinopec Groupという中国国有企業が入っている。
・政治とビジネスの癒着による腐敗も著しい。 共産党による一党独裁という政治体制が、市場経済という経済体制と根本的に相いれないことも間違いない。中国は、根源的なところで本質的な矛盾を抱えているのだ。
・しかし、それにもかかわらず、これまで見てきたように、新しい技術に支えられた新しいセクターが誕生しつつあることも事実だ。混沌と混迷の中から生まれてきたものは、すでに世界経済において無視できぬ地位を占めるに至っている。
▽ドイツはモノづくりに固執して後れた
・ドイツは、産業革命において先発国イギリスを追い抜いた。この状態は第2次大戦後も続いた。しかし、モノづくりに固執した。 1980年代、英米で新自由主義的な経済政策が取られ、自由な市場を基本とする経済活動が広がった。しかし、東ドイツは社会主義経済のままであり、西ドイツでも、「社会的市場経済」の考えが支配的だった。 そして1990年代からのIT革命においては、アメリカ、イギリス、アイルランドなど、マーケットを積極的に活用する経済に後れをとった。この点で日本と似ている。
・日本では、ドイツ経済がヨーロッパ経済を牛耳っているように報道される。しかし、経済成長率を見ても1人当たりGDPを見ても、イギリスやアイルランドに後れをとっている。 新しい産業の時代において、ドイツは立ち遅れつつあったのだ。
・ところが、この数年、ドイツでIT関係での先端的スタートアップ企業の誕生が目立つ。 スマートロックをブロックチェーンで運営するシステムを開発したSlock.itや、IoT(モノのインターネット)に対応したチェーンを開発するITOAなどのスタ―トアップ企業が注目される。 アクセンチュアの調査によると、2014年において、ドイツのフィンテック投資額は前年より843%増加した。 日本の伸び率が20%増でしかなかったのに比べると、大きく違う。
・上述したSage UKによる調査結果でユニコーン企業の数を見ると、ヨーロッパでは、イギリス(9社)が最多だが、ドイツ(6社)がそれに続く。都市別でも、ベルリン(5社)がロンドン(7社)に続く。 ベルリンは、ヨーロッパのシリコンバレーだと言われる。暫く前から、ベルリン郊外の町クロイツベルクは、世界で最もビットコインにフレンドリーな町だと言われている。
・IoTとの関係で、ドイツの製造業は生まれ変わるのかもしれない。 IoTは、インダストリー4.0という新しい産業革命を引き起こすとされている。宣伝文句どおりに捉えれば、その本質は、職人芸の延長線上にある従来のモノづくりの局所的、ミクロ的な最適化から脱却し、システム全体のマクロ的最適化を目的とするものである。 これは、思想の大きな転換だ。なぜドイツでこのような転換が生じたのか、大変興味深い。
・「IT分野で、日本は巨大な国内マーケットを持つ中国には太刀打ちできない」と考える人がいるかもしれない。しかし、ドイツを見るべきだ。ドイツの総人口は日本より少ない。そうであっても、以上で見たような変化が生じているのだ。
▽日本が転換するには、人材の転換が必要
・上で述べた中国とドイツの状況に対して、日本は、どのように対応すべきか? まず、日本の状況がどうなっているかを見よう。 日本人は、フィンテック、仮想通貨、ブロックチェーンの分野で、何に関心を持っているかと言えば、技術開発ではない。 前回述べたように、ビットコインの値上がりやICOによるトークンの値上がりで儲けることしか頭にない。ビットコインやICOを用いて新しいプロジェクトを起こそうとする動きは出てきていない(「ビジネスモデルの歴史的大転換に、日本だけが取り残されている」)。
・IoTについてもそうだ。これがマクロの最適化であるという視点はほとんどない。 IoTの本質が理解されていないことは、新聞等の報道で、「IoTとはすべてのモノをインターネットでつなげること」という説明がまかり通っていることを見ても明らかだ。 「すべて」をインターネットでつなげるのは、経済的に無意味であるばかりでなく、セキュリティホールを増やしてしまうという意味で、極めて危険なことだ。日本では、IoTは単に「センサーの需要を増やすもの」としてしか捉えられていない。
・このような状況を転換させる基本的な力は、人材だ。 まず、ハードウェア関連に偏っている日本の工学部教育を、ソフトウェア関連にシフトさせる必要がある。それだけでは十分でない。企業の人材もシフトさせる必要がある。これまでの日本の製造業で中心だったのは、モノづくりのエンジニアだ。それらの人々は、現在でも会社の意思決定に重要な影響力を持っている。上で述べたような変化に対応するには、情報分野の専門家が中心人材になる必要がある。
・日本の企業は、これまで、このような要請に対応できなかった。エレクトロニクス産業が劣化した基本的な原因は、そこにある。日本の技術が劣化したのではなく、技術の性格が変わり、そのシフトに日本企業が対応できなかったのだ。(参照・拙書『仮想通貨革命で働き方が変わる』(第4章)、ダイヤモンド社) 日本の企業が、要求される人材シフトに対応できるかどうかが、これからの日本の産業の命運を決める。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53215
第一の記事で、 『“Good is the enemy of great.”が通じない日本企業の役員』、というのは日本の経営者の目線の低さを象徴している。 『日本企業はかつて株主の影響力を排除して長期経営をやっていたら経営が緩んで、今、株主を意識した経営をしろ、と市場や役所に言われている。でも世界企業は、むしろ株主の影響力を排除してまで、長期視点で果敢なイノベーションに挑んでいる。なんだかな、という感じです』、というのも、目線の低さを象徴しているのかも知れない。 『ウェルチが「GEとは何ですか」と聞かれて、“My product is people.”、つまり「人だ」と答えている』、 『日本企業が人を大切にするというのは大ウソだ、ということです。実際は、優秀な人を飼い殺しにしているだけです』、 『組織は単なる人を入れる箱で、それを定期的にいじって、こっちの箱の人をこっちに移すとか、この2つの箱を一緒にするというのが、日本の組織改革なんですよ』、などは彼我の差を見事に指摘している。
第二の記事で、 『One JAPAN』のことを初めて知ったが、なかなか面白そうな取り組みだ。上手くいくことを祈りたい。
第三の記事で、 『BAT企業成長の背後に、中国政府がインターネットを外国から遮断して独自の国内マーケットを作ったこと、中国の人口が巨大であるために国内マーケットが巨大であること、という事情があることは間違いない・・・最近では、単なる模倣と言えない状況になっている。新しいサービスが次々と誕生し、それが急速に市民生活に浸透して、中国社会を変えつつあるのだ』、との指摘には、日本企業の立ち遅れに危機感を覚えざるを得ない。 『IoTについてもそうだ。これがマクロの最適化であるという視点はほとんどない。 IoTの本質が理解されていないことは、新聞等の報道で、「IoTとはすべてのモノをインターネットでつなげること」という説明がまかり通っていることを見ても明らかだ』、というのはその通りだ。 『ドイツはモノづくりに固執して後れた・・・この数年、ドイツでIT関係での先端的スタートアップ企業の誕生が目立つ』、も日本企業の立ち遅れを示している。ただ、日本として、 『ハードウェア関連に偏っている日本の工学部教育を、ソフトウェア関連にシフトさせる必要がある。それだけでは十分でない。企業の人材もシフトさせる必要がある』、というのは、対応策としては時間がかかり過ぎる。むしろ、現在の経営陣の考え方を切り替えさせるのが、先決なのではなかろうか。
先ずは、8月24日付けダイヤモンド・オンラインが、元マッキンゼーのディレクターおよび日本支社長で早稲田大学ビジネススクール教授の平野正雄氏と、マッキンゼージャパンて、コンサルタントを経て独立し、人材育成や組織改革に関するコンサルタントをしている伊賀泰代氏の対談を掲載した「平野正雄氏&伊賀泰代氏が喝破「人を大切にする日本企業」はウソ 平野正雄・早稲田大学ビジネススクール教授&伊賀泰代・組織・人事コンサルタント【特別対談・後編】」を紹介しよう(▽は小見出し、+は発言内の段落)。
・マッキンゼー日本支社長などを経て現在早稲田大学ビジネススクールで教鞭をとり、『経営の針路』を上梓した平野正雄氏。かたやマッキンゼーで採用担当を務めたのち、組織・人事コンサルタントとして活躍し、著書『採用基準』、『生産性』などの著書で組織・人事コンサルタントとして活躍中の伊賀泰代氏が、日本企業がこれから進むべき方向性や経済、組織改革について語る対談の後編。人をどう育てるかに話題は移り、人を大事にする日本企業のウソが暴かれる。
▽“Good is the enemy of great.”が通じない日本企業の役員
・伊賀 平野さんの本では人材育成についても詳しく書かれていました。日本企業は人を大切にすると言うが、それはウソだという指摘。私もまったく同感です。
・平野 先日、日本の超一流といわれている大企業の役員研修を担当しました。たぶん日本ではいいところにお勤めといわれる会社、まして、そこで役員にまでのぼりつめたなら万々歳といった会社です。役員研修に出向くと、なるほど「成功したサラリーマン」としてのプライドと余裕の雰囲気がありました。それで、僕は色々な世界企業の改革事例などを話したうえで研修の最後に”Good is the enemy of great. ”と大きく書かれたスライドで締めくくったんですが、「はあ?」という感じできわめて反応が薄かった(笑)。
+あなたたちはグッドでそれで満足しているかもしれないけれど、役員たるものはグレートを目指さなければだめだというメッセージです。「サラリーマンとして大会社に入って役員まで到達したのだから、悪くない人生だよな」とか、「ウチの会社は日本では一流会社で、今年は最高益も出てるし、頑張ってるよな」という「Good company, Good life」で満足せずに、役員たるもの「Great company, Great life」を目指してほしいのです。つまり、グッドはグレートになるための敵、つまり、偉大(great)な企業になれないのは、ほとんどの企業がそこそこ良い(good)に甘んじているからなのです。
+また、二つの企業のケースを出しました。ひとつはスマートフォンをつくっている、ファーウェイという世界一の通信機器会社。上場はしていないけれど、強烈なリーダーシップで世界を牽引しようというファミリーカンパニーです。もうひとつは米国のダナハーという、買収のみで大きくなって、買った会社にトヨタ流の改善を徹底的にやりとげて、バリューアップさせ、徹底的な合理性で急伸している会社です。でも、そのケースについて議論してもらったあとのフィードバックは、「我々に無関係だと思った」とか「あんまり参考にならなかった」というものです。学びの姿勢の薄さに衝撃でしたね。会社の決まりだから研修を受けているに過ぎないのです。
・伊賀 「Good では生き残れない」という意識が役員レベルでも共有されていないということでしょうか。世界ではどれだけ熾烈な競争が行われているのか、実感として理解されていないのかもしれません。
・平野 さきほど(前編)のデット経営ではありませんが、日本の優良企業のトップの「自分も会社もgoodでいい、そこそこの現状維持でいい」という意識が、会社の成長を阻害しています。これに対して、テスラ、グーグル、アマゾン、アリババなどの新興企業はもちろん、GEやJ&Jなどの伝統企業もいかにしてグレートになるのか、高い目標を掲げて邁進しています。
+何が違うかというと、CEOが「世界を変える」とか「実現したい世界」という明確なビジョンと野心を持っている。株主の期待をはるかに超えたところを目指しているので、配当もせず、議決権も渡さず、株主の言うことなんか聞いていられるか、自分はもっと先の未来を見ているんだ、という態度です。
+日本企業はかつて株主の影響力を排除して長期経営をやっていたら経営が緩んで、今、株主を意識した経営をしろ、と市場や役所に言われている。でも世界企業は、むしろ株主の影響力を排除してまで、長期視点で果敢なイノベーションに挑んでいる。なんだかな、という感じです。
▽そこそこの現状維持を重んじるデット文化の日本
・伊賀 そこの理解、とても大事だと思います。いまだに日本の経営層には「株主の要求ばかりを意識していると、長期的な成長ができない」といった認識が残っていたりしますが、今や世界を席巻している企業のトップはみんな、「株主の期待値なんて低すぎる」と考えていますよね。
+で、それに引っ張られて株主側の期待値も引き上げられてしまい、グレートカンパニーであるGEでさえも、ビヨンド・グレートになりきれていないと批判されてしまう。世界では、グレートかビヨンド・グレートかという比較になっているのに、日本ではいまだに「いい会社(グッド・カンパニー)であり続けること」が目標にされていたりする。
+これ、平野さんの本にあった、デット文化とエクイティ文化の違いの話が関係してるんだと思います。日本は経営者までもがデット文化で、利子がきちんと払えてデフォルトしない経営を目指している。だからリスクを取って次の大成長を狙いに行こうという意欲が高くない。でも、単一の競争市場で成長志向の人と現状維持の人がいれば、後者は遠からず淘汰されてしまいます。
+グローバル企業のトップに日本人がほとんどいないというのも、それを表しているように思います。欧米のグローバル企業のトップに就く人の中には、インドや中国など中進国出身者や、小国の出身者が少なくない。なのに、日本人はほとんどいません。
+「新卒で入った日本企業で最後は部長くらいにまではなりたいな」くらいのところで目標が止まってしまい、グローバル企業のリーダーを目指すなんて別世界だと思っているんですよね。これも大きな果実を得るためリスクを取るより、失敗しない人生のほうがいい、というデット文化の表れかなと。
+もちろん日本人全員が世界を目指す必要はないけど、少なくとも社会のリーダーを目指す2割くらいの人にとっては「舞台は当然、世界全体」という感覚が、わざわざ口にしなくてもあたりまえになってほしい。
・平野 また、日本の優秀な若者は、財閥系や公共系の会社に就職する傾向がまだまだ強いということもありますね。ただ、ここで声を大にして言いたいことは、日本企業が人を大切にするというのは大ウソだ、ということです。実際は、優秀な人を飼い殺しにしているだけです。
・伊賀 それは私も『採用基準』や『生産性』の中で何度も指摘しています。セクハラ防止や部下の健康管理の方法など「問題を起こさないようにするための研修」と、偉い人を呼んで講演をしてもらうといった目的や効果の不明確な研修が多く、次世代のリーダーを育てるための実務的、継続的な育成プログラムがほとんどありません。
・平野 伊賀さんにも興味を持ってもらえると思ったデータ(右図表参照)を『経営の針路』で紹介していますが、日本の企業が組織開発と人材教育にかける投資額は、他の先進国に較べて格段に低いのです。
・伊賀 確かにこのデータ、すごく面白かったので、いろんな人に紹介しました。あと額だけでなく、「人材育成への投資とは何か」という中身についても理解が進んでいません。よくあるのは「英語研修に補助を出す」「会計知識をつけるための通信教育費を出す」などですが、実際には人に投資をするというのは、時給の高い人、つまり経営者がどれくらい人材育成に時間を使うか、という話です。
+あとは、優秀な人材が本業に集中できるよう、付加価値の低い事務作業を最小化するための投資。これをやらないから、日本ではできるかぎり自分の専門分野に集中すべきコア人材が、毎月何時間も事務的な書類仕事に時間を奪われている。人を育てるための投資とは何のことなのか、本質的な部分も理解されていないと感じます。
・平野 YouTubeにGEのジャック・ウェルチのインタビューがアップされています。ウェルチは、事業のためなら血も涙もなく人を切ることで有名でした。「人だけを消して建物は残す中性子爆弾」になぞらえて「ニュートロンジャック」と揶揄されてきた人です。そのウェルチが「GEとは何ですか」と聞かれて、“My product is people.”、つまり「人だ」と答えている。
+リーダーを育成することが自分たちの使命で、経営の中枢は人だと。GEは120年あまりの歴史上10人しかトップがいない。長い時間をかけてリーダーを育成することこそが経営の中枢にあり、その結果、事業は成功し、企業が成長する。場合によっては、事業はすっかり入れ替えてもいい。なぜなら事業は競争状況や技術の変化によって成長の限界を迎えるから。リーダーシップ人材こそが経営の核であり、企業の持続的発展をもたらすものだ。だからリーダーの育成にトップの時間も会社の費用も傾ける。人を中心にした経営とは、そうあるべきです。
・伊賀 欧米の企業には長期の人材教育を根幹に据えた企業が多く、企業内大学も多いですよね。ヨーロッパ屈指のビジネス大学であるIMDもネスレが母体ですし。
・平野 人は採ったら適当にローテーションして、社内の評判と、ちょっとした業績とを合わせて役員候補にして、そして慌ててリーダー教育をする。日本ほど人を大切にしていない経営はないんじゃないか(笑)。
・伊賀 私もよく、「役員向けにリーダーシップの講演を」といった依頼を受けるのですが、いったいどういうことなのかと思います。リーダーシップを今から学ぶような人が役員になっていていいんでしょうか(笑)。彼らはむしろ、次世代のリーダーを育てるべく、リーダーシップを発揮している側の人のはずです。 講演なんて聴いているヒマがあったら、次の経営層である部長たちをグローバルな事業を率いるリーダーにするために、これからどんな経験をさせるべきなのか、そういったことを考えるのに時間を使うべきです。
・平野 おっしゃる通りでね、僕はマッキンゼーのパートナー(役員)を選ぶ委員会の委員をやっていたことがありました。当時は年間70人ぐらいパートナーを選ぶのに、年に2回選抜をします。僕は遠く離れたヒューストンとアトランタとメキシコシティのオフィスが担当だったのですが、それぞれの地に行って、候補者にインタビューして、来歴や業績を全部理解するというのにまず最低1週間かける。そして整理したものを持ち寄って委員が集まって、誰をパートナーにするか決める会議を、最低1週間かけてやる。
+なぜなら、パートナーの選抜とは「マッキンゼーの未来を作ること」だという重大な使命感がそこにあるから。それが年に2回ということは4週間で、その準備の資料を作ることも入れると、結局年に1ヵ月強を、現役のシニアコンサルタントが人のフェアな評価と会社のために時間を使う。リーダーの育成と選抜とは、そのくらい会社の根幹なわけですよね。
・伊賀 役員クラスの人間があれだけの時間を人材育成のために使う、というのは、私も驚きました。日本企業は人への投資に熱心と言われますが、新入社員向けに長すぎるほどの研修を行い、それによって自社の社風に染めていくとか、現場の新人に細かい技能を身に付けさせるための指導といったものが多く、一定以上のポジションになった人を戦略的に育成するという意識はまだまだ非常に希薄です。
▽どこに向かって競争力を高めるか リデザインすることが組織改革
・平野 データでも出しましたが、人材への投資と並んで組織への投資もしていませんね。組織は単なる人を入れる箱で、それを定期的にいじって、こっちの箱の人をこっちに移すとか、この2つの箱を一緒にするというのが、日本の組織改革なんですよ。
+組織を革新していくことがどれだけ経営にとって重要か。組織を革新するということは、働き方そのものを変えていくことです。働き方を変えて、人の評価のしかたを変えて、戦略に合わせて、その組織のモデルを変える。全般にどこへ向かって競争力を高めていくかをリデザインすることが組織改革です。でも、日本企業はその意識が非常に低い。だから人材教育とともに組織開発にも時間もコストもかけない。単なる部の統廃合でしかない。
・伊賀 社内の電話番号表の構成を定期的に変えているだけ、みたいな(笑)。
・平野 人を育てることを経営の中枢に置くという重要性。それから組織そのものが競争力に直結するという理解。この2つが決定的に日本の企業には欠けていましたね。
+それからいまの時代、世界的に富の格差が大きくなって、資本主義や市場主義の問題が露になっている。また、巨大企業はグローバル化を推進して、超国家的な存在になってきている。そのとき、経営には第三の柱としてエシカルであること、倫理性というものが重要になってくる。これはエコノミーを見る時のように数字で測定不可能だし、コンプライアンスのようにルールを守ってさえいればいいということでもない。誰かに決めてもらうものではなく、うちの会社はこういう理念でこういう価値観なのだと、自分たちで決めるものですね。そしてその企業の理念や価値観が組織に浸透することで、はじめて多様性のある人々をまとめていくことができる。
+そのためにも、人材教育や組織改革を通して、その理念や価値観、この会社にいる意味はなにか、われわれは社会に対してなにをすべきか、ということを共有していくような組織、経営になっていくべきですね。それはもちろん細かいルールではなくて大きな根幹部分の価値観を理解したら、あとは個々人がそれに沿って行動したり考えたりするというものです。それには、伊賀さんの本でいうように、一人ひとりがリーダーシップを持たなくてはならないのはいうまでもありません。
・伊賀 これからの企業経営を考えるための平野さんの本で、最終的な処方箋のひとつとして組織や人材育成という分野にスポットが当たったことは、その分野を専門とする私にはとても嬉しいことです。そういえばマッキンゼー出身の茂木敏充経済担当相も「人づくり革命」をスローガンに掲げていらっしゃいますし、今後は日本でも、もっと本質的な意味での人材育成に注目が集まるといいなと思います。今日はどうもありがとうございました。
http://diamond.jp/articles/-/139124
次に、10月12日付け日経ビジネスオンライン「One JAPAN「第二の労組」か「救世主」か 次々に生まれ始めた「共創」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・大企業の若手・中堅有志が集う団体「One JAPAN」。パナソニックや富士ゼロックス、NTTグループ、トヨタ自動車、ホンダ、JR東日本、三菱重工業、富士通、日本郵便など名立たる大企業の有志が、参加団体としてずらりと並ぶ。 彼らはみな、「大企業病」を憂う。「新しいことをやってはいけない空気」「イノベーションを起こせない空気」の中でもがき、悩む。その打破を狙う。
・「若手が集まっただけでは何も変わらない」「企業に対して意見を言うばかりで『第二の労働組合』に過ぎない」「ずっと前から同じような取り組みはあった。今さら注目する必要はない」。当初、彼らに対して、こんな辛辣な批判があったことは確かだ。 2016年9月の発足から1年。彼らの「現在地」を追った。
・壮観だった。 9月10日、秋葉原UDXのイベントスペースは800人以上の参加者であふれ、立ち見が出た。人気アイドルのライブではない。大企業若手の有志団体「One JAPAN」の1周年イベントである。その冒頭、代表の濱松誠(パナソニック)は、One JAPANの「現在地」を見せるための“仕掛け”を用意していた。参加する45団体の代表全員を、いきなり壇上に上げたのである。
・スクリーン上に所狭しと写された各企業のロゴとともに40数人が並び、頭を下げると、会場から自然と拍手が起こった。日本を代表する企業がずらり。「組織、立場を越えて、僕たちはつながり始めた」。濱松はこう言って胸を張った。 大企業若手・中堅の有志が集まり、大企業同士のコラボレーションや働き方の提案などを実践する共同体として産声を上げたOne JAPAN。発足1周年のイベントで、濱松が改めて語った「価値」はこうだ。 1)大企業同士が組織を越えた共創を生み出せること、2)One JAPANで得た気付きを持ち帰り、自社の変革ができること。「この2つの役割をそれぞれ持つ組織はあるが、2つを併せ持つ組織はない。これが何より我々のユニークネスなのだ」と。
・One JAPANは、それぞれの大企業が企業内で持つ若手の有志団体が集まった共同体である。新規事業開発の担当者やエンジニア、マーケティング、営業、デザイナーなど、参加者の職種は様々だ。 1年前の発足時、26だった参加団体は45まで増え、それぞれの参加団体の人数を単純合計すると1万人を有に超える。それぞれの団体を飛び越え、この1年でOne JAPANの活動に実際に参加した人数(アクティブユーザー数)は1000人以上に登る。
・異なる企業の若手が、これだけの規模でともに活動する取り組みは歴史上、類を見ないだろう。1周年イベントに集まったのは若手だけではない。各企業の幹部クラスを始め、その注目は若手から幅広い世代に拡大している。
▽若手が集まっただけ、という批判
・ただし、発足時からOne JAPANに対して批判の声は根強い。 「若手が集まったことで、声が大きいように見えるだけ。会社に要求を突きつけるだけの『第二の労働組合』とみることもできる」「現に、彼らはまだ何も成し遂げていない」。本誌の取材に対し、ある製造業の幹部はこういい切る。 若手からも反発がある。別の製造業の若手社員は「彼らは目立ちたがりというか、単に意識が高い系というか…。『まずは社内で結果出せよ』って思います。私には興味がないし、(One JAPANに)入りたいとは思わない」と言う。
・何をもって「成し遂げた」と表現するかは難しい。 確かにOne JAPANは実際に製品やサービスを形にし、一般消費者に届けられるステージには到達していない。ただ、それを持って彼らの活動を批判するのは早計に過ぎる。
・1周年イベントのこの日、濱松は1年間の成果として、徐々に生まれ始めたコラボレーションを一番に挙げた。その実例を見ていこう。 禅寺にいたのは、2人のキャビンアテンダント(CA)と、“ロボット”だった。9月上旬、神奈川県鎌倉市の建長寺で開かれたイベント「ZEN2.0」に、一風変わったブースが展示され、行列ができた。
・このイベントは、「マインドフルネス」の国際会議。マインドフルネスとは瞑想をベースとしたプログラムであり、シリコンバレー企業なども注目する訓練法の一つである。 持ち込んだ3席の機内シートに座った一般参加者に、ANAのCAが脳波を計測するヘッドセットを取り付ける。“瞑想”の始まりだ。
▽One JAPANから生まれた“ロボット”
・「ゆっくり深呼吸をしてください」。設置されたロボットの語りに従って、体験者がリラックスを始めた。3分間の瞑想の間、ヘッドセットが脳波を計測し、そのデータを計算してスクリーンに映像が映し出された。 個人の脳の状態をもとに、スクリーン上に「ダリア」や「百日草」、「クチナシ」などの花が咲いていく。体験者の精神状態によって、花の大きさや色味が変化する仕組み。刻々と変わる瞑想の度合いが数字で映し出される。
・このコミュニケーション・ロボット「CRE-P(クリップ)」は、One JAPAN内のコラボレーションで生まれた。東芝の音声認識技術や広告代理店マッキャン・ワールドグループのデザインスキルなどを持ち寄った。ベンチャー企業リトルソフトウェアの感情認識AI(人工知能)などOne JAPAN外の技術も活用する。
・このプロジェクトに、One JAPAN参加企業であるANAも加わった。One JAPANに所属する小野澤綾花(ANAホールディングス)はこう言う。「きっかけはOne JAPANでの何気ない会話だった。クリップの存在を知って、『これならうちの会社でも何かできることがあるんじゃないか』って考えた」。上司に提案して、数ヶ月でブース展示までこぎつけた。
・ANAグループは飛行機に乗った後も疲れない「乗ると元気になるヒコーキ」プロジェクトを進めている。マインドフルネスの活用はこのプロジェクトの一環である。 ANAがマインドフルネスを実際に機内に取り入れるかは未定だが「体験会などをうまく使って、消費者からのフィードバックをデータとして溜めて行きたい」と小野澤は話す。
・小野澤の上司であるANAホールディングスデジタル・デザイン・ラボの津田佳明チーフ・ディレクターは「我々の部署は既存事業にとらわれずに新しい挑戦をするのが役割。他社とのコラボレーションを含め、部下には『とにかく自由にやってくれ』と言っている」と話す。こうした企業の姿勢とOne JAPANの自由な議論が、うまく噛み合い始めた。 クリップだけではない。One JAPANが大企業同士の技術を結ぶ存在として機能した例は他にもある。
▽富士通研究所が500万円を拠出
・8月中旬の東京・代官山。猛暑日のこの日、所属の異なる大企業の若手7~8人が、貸しキッチンスペースに集まった。AR(拡張現実)グラスを装着した女性がキッチンに立つ。調理法の指示をしているのはロボットだった……。 チームが結成されたのはその2週間前。8月4日にOne JAPANが初めて開いたハッカソンで出会った。ハッカソンとは、「ハック」と「マラソン」を組み合わせた造語で、あるテーマに基いて参加者がマラソンのように数時間から数日かけてアイデアを練り、競うイベントを指す。
・この日のテーマは「家族」。チームを結成したら3週間程度の準備期間を経て、8月25日に開く発表会で1位を決める。 One JAPANらしいのは、このハッカソンに参加企業がそれぞれの技術やサービスを事前提供したこと。ミサワホームはハッカソンの実験場となる住宅を実際に用意し、読売新聞は女性向け掲示板である「発言小町」の膨大なテキストデータを提供。その他にも、ロボットや通信用デバイスなど10以上の技術がずらりと並べられた。
・参加者はOne JAPANの参加者やその紹介を受けた大企業の若手。普段から技術やサービスに対する感度が高い彼らにとって、こうしたアイデア出しは“十八番”である。 この枠組みに、富士通の子会社である富士通研究所が乗った。「優れたアイデアには、発展させるための資金として総額500万円を拠出する」。ハッカソン会場の貸出しや運営も同社が買って出た。 有志団体の取り組みに、企業が本格的に正対し始めたのである。
・“お袋の味”を記録して再現したい――。8月4日の個人によるアイデア出しで、個性的なプレゼンをしたのが末田奈実(富士ゼロックス)だった。彼女のアイデアに興味を持ったり技術を提供したいと思ったりした数人が集まって、チームができあがった。 2週間程度の議論で、提案の骨格が固まった。母親が使う調理器具に加速度センサーや温度センサーを設置、母親には筋電位センサーを付けて、それぞれのデータを取る。それをAI搭載ロボットに記憶させる。
・実際に調理する際には、ARグラスに母親の作業の様子が自分の手に重ね合わさったように表示される。ロボットの音声と映像をもとに調理を進める仕組み。将来的には、介護サービスや高齢者の見守りへの適用も視野にビジネスモデルを探っていく――。
・8月25日。最終発表会に参加したチームは21。単なるアイデアではなく、それぞれが実際のモックアップを使ってプレゼンする様子に、富士通研究所幹部からも感嘆の声が挙がった。 21チームの中で、「cooklin’」と名付けた末田チームの案は最優秀に輝いた。One JAPANと富士通研究所の支援を受けながら、実際の事業化や製品化を目指して既に動き出し始めた。
・10月3日に開幕した国内最大の家電・IT関連の見本市「CEATEC(シーテック)ジャパン2017」。One JAPANは有志団体でありながら、シーテックでブースを展示した。 AI搭載ロボットのクリップに加えて、東芝デジタルソリューションズの音声合成技術と朝日新聞社のスマートフォン向けニュースアプリを組み合わせた試作品や、ハッカソンから生まれたインターホンと画像認識技術を組み合わせるサービスなどを展示した。
・One JAPANは、その一つ目の目的である「共創」のプラットフォームとしての存在感を強めつつある。 共同発起人である大川陽介(富士ゼロックス)はこう言う。「まず(One JAPAN内の)人の信頼があって、その上で自分たちが持っているリソースを持ち寄って『こんなことができるんじゃないか』と考え始める。だからこそ、すぐに動ける。自分の意思で動ける」
・これまで見てきたコラボレーションは、One JAPANの公式なイベントだけでなく、ふとした会話や人の紹介など、ゲリラ的に始まって数カ月で企画化し、それぞれの企業の稟議を通して形になったものばかり。「この指止まれ」で立ち上がる数々のプロジェクトは、何より大企業特有の遅々とした意思決定とは無縁である。
・前述の通り、批判はあろう。クリップにしろcooklin’にしろ、One JAPANは製品化にこぎつけていない。ただし、まだ発足1年である。 共同体ではなく、「実践」共同体――。One JAPANはこの言葉にこだわる。 だからこそ、彼らは共創についても「もっと挑戦しなければ」(代表の濱松)と謙遜する。「何も成し遂げていない」。この批判は、今後数年先に「実践」される成果を前に意味をなさなくなる可能性がある。
・次回は、発足1年を振り返り、今のOne JAPANの課題を共同発起人3人へのインタビューから明らかにする。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/100600170/100600001/?P=1
第三に、大蔵省出身で早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問の野口 悠紀雄氏が10月23日付け現代ビジネスに寄稿した「「ビジネスモデル革命」に中国が成功し、日本が乗り遅れる理由 いつの間にこんな差がついたのか…」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・中国では、フィンテック関連で新しい事業が続々と誕生している。価値の高いスタートアップ企業の数でも、中国はアメリカと拮抗する状態になっている。 500年前、官僚帝国である明は、優れた技術を持ちながらそれをフロンティア拡大に用いず、ヨーロッパに後れをとった。現在の中国が社会主義経済の残滓を引きずっていることは事実だ。しかし、最先端技術の面では、目覚ましい躍進を実現している。
・日本が長く模範としてきたドイツは、モノづくり一辺倒から脱却できずに、情報技術の進展に後れがちだった。しかし、ここ数年、スタートアップ企業が目覚ましく誕生している。IoTとの関連で、ドイツは生まれ変わるのかもしれない。 日本が古い産業や企業の体質から脱却するためには、人材の転換が必要だ。
▽中国は日本の66倍!
・まず、フィンテック(金融へのITの応用)関係のデータを見よう。 アクセンチュアのデータによって2016年のフィンテック関連投資額をみると、中国と香港の合計で102億ドルになった。これはアジア・パシフィック地域の投資総額112億ドルの実に91%だ。 日本は、わずか1億5400万ドルに過ぎない。中国・香港は、日本の66倍なのだ。「まるで比較にならない」というのが現状だ。
・Fintech100(フィンテック100社)は、国際会計事務所大手のKPMGとベンチャー・キャピタルのH2Venturesが作成するフィンテック関連企業のリストだ。2016年においては、アメリカが35社、中国が14社となっている。世界首位は電子マネーを提供するAnt Financial(後述)だ。 中国企業は、2014年は1社だけだったが、15年には7社となり、インターネット専業の損害保険会社の衆安保険(ZhongAn)が世界首位となった。 16年には、さらに中国企業が躍進しているわけだ。
・ところが、このリストに日本企業の名はない。ユニコーン企業で見ても、中国の躍進ぶりは著しい(「ユニコーン企業」とは、未公開で時価総額が10億ドル以上の企業)。 Sage UKがまとめた調査結果によると、ユニコーン企業数は、アメリカ144社、中国47社、インド10社などとなっている。 このように、中国ユニコーン企業の数は、アメリカのそれに近づいている。 ところが、日本のユニコーンは1社しかない。
▽中国ITを牽引する「BAT」
・中国のIT産業を支配しているBaidu(百度、バイドゥ)、Alibaba(阿里巴巴、アリババ)、Tencent(騰訊、テンセント)の3社は、「BAT」と呼ばれる。 バイドゥは検索とAI技術、アリババはEコマース、テンセントはソーシャル・ネットワーキング・サービスだ。 アリババはNY市場に、バイドウはNASDAQに上場している。アメリカ株のランキングとして、アリババは4位(時価総額 463億ドル)、バイドウは93位(91億ドル)だ。
・日本で時価総額が最大であるトヨタ自動車が、38位で時価総額が184億ドルであることと比較すると、BAT企業(とくにアリババ)の価値の高さが分かる。 「中国のフィンテック投資額が巨額」と上で述べた。この背後には、アリババ傘下の金融サービス企業Ant Financial Services Groupが、16年4月に45億ドルの資金調達をしたことがある。
▽もはや、モノマネではない
・BAT企業成長の背後に、中国政府がインターネットを外国から遮断して独自の国内マーケットを作ったこと、中国の人口が巨大であるために国内マーケットが巨大であること、という事情があることは間違いない。 そして、BATがこれまで提供してきたのは、アメリカで始まった新しいビジネスモデルのクローンでしかなかった。アリババはアマゾンの、テンセントはフェイスブックの、そしてバイドウはグーグルの、それぞれ「パクリ」だったのである。
・しかし、最近では、単なる模倣と言えない状況になっている。新しいサービスが次々と誕生し、それが急速に市民生活に浸透して、中国社会を変えつつあるのだ。 アリペイという電子マネーが中国で普及していること、それだけでなく東南アジアにも進出していることを、すでに述べた(「中国の『フィンテック』が日本のはるか先を行くのは当然だった」)。
・また、ビッグデータを活用できる点でも、BATは有利な立場にある。ビッグデータは、AI(人工知能)の発展には不可欠だ。AIを用いた自動車の自動運転が近い将来に可能になることを考えると、このことの意味は、きわめて大きい。
・「中国製品」というと、「安かろう、悪かろう」を想像する人が多い。そうしたものがいまだに多いことは事実だ。中国の製造業が、先進国との比較ではいまだに低い賃金の労働者に支えられているのは、まぎれもない事実である。 しかし、世界の最先端をゆく製品やサービスを供給できる企業が登場しているのも、事実なのである。
▽大航海に後れた中国。だが、いまは違う
・先に述べたように、大航海時代、官僚国家である明は、優れた技術を持ちながら、官僚国家であるためにそれを新しい社会の創出に用いることができず、ヨーロッパに後れをとった。 日本も同じ頃、遠洋航海ができる技術を持ち、東南アジアに進出し始めていたが、日本国内ではそうした人たちを異端視した。そして、江戸時代になってからの鎖国で閉じこもることになった。(参照・拙書『世界史を創ったビジネスモデル』第3章、新潮選書)
▽現代の中国はどうか?
・一方において、社会主義経済の残滓を引きずっている面がある。金融やエネルギー分野では、巨大国有企業の支配が続いている。 これら国有大企業は、「フォーチュン・ファイブハンドレッド」に名を連ねている。このリストにあるのは、売上高は大きいが、成熟企業であるため成長率は低い巨大企業だ。世界10位までのリストに、State Grid、China National Petroleum、Sinopec Groupという中国国有企業が入っている。
・政治とビジネスの癒着による腐敗も著しい。 共産党による一党独裁という政治体制が、市場経済という経済体制と根本的に相いれないことも間違いない。中国は、根源的なところで本質的な矛盾を抱えているのだ。
・しかし、それにもかかわらず、これまで見てきたように、新しい技術に支えられた新しいセクターが誕生しつつあることも事実だ。混沌と混迷の中から生まれてきたものは、すでに世界経済において無視できぬ地位を占めるに至っている。
▽ドイツはモノづくりに固執して後れた
・ドイツは、産業革命において先発国イギリスを追い抜いた。この状態は第2次大戦後も続いた。しかし、モノづくりに固執した。 1980年代、英米で新自由主義的な経済政策が取られ、自由な市場を基本とする経済活動が広がった。しかし、東ドイツは社会主義経済のままであり、西ドイツでも、「社会的市場経済」の考えが支配的だった。 そして1990年代からのIT革命においては、アメリカ、イギリス、アイルランドなど、マーケットを積極的に活用する経済に後れをとった。この点で日本と似ている。
・日本では、ドイツ経済がヨーロッパ経済を牛耳っているように報道される。しかし、経済成長率を見ても1人当たりGDPを見ても、イギリスやアイルランドに後れをとっている。 新しい産業の時代において、ドイツは立ち遅れつつあったのだ。
・ところが、この数年、ドイツでIT関係での先端的スタートアップ企業の誕生が目立つ。 スマートロックをブロックチェーンで運営するシステムを開発したSlock.itや、IoT(モノのインターネット)に対応したチェーンを開発するITOAなどのスタ―トアップ企業が注目される。 アクセンチュアの調査によると、2014年において、ドイツのフィンテック投資額は前年より843%増加した。 日本の伸び率が20%増でしかなかったのに比べると、大きく違う。
・上述したSage UKによる調査結果でユニコーン企業の数を見ると、ヨーロッパでは、イギリス(9社)が最多だが、ドイツ(6社)がそれに続く。都市別でも、ベルリン(5社)がロンドン(7社)に続く。 ベルリンは、ヨーロッパのシリコンバレーだと言われる。暫く前から、ベルリン郊外の町クロイツベルクは、世界で最もビットコインにフレンドリーな町だと言われている。
・IoTとの関係で、ドイツの製造業は生まれ変わるのかもしれない。 IoTは、インダストリー4.0という新しい産業革命を引き起こすとされている。宣伝文句どおりに捉えれば、その本質は、職人芸の延長線上にある従来のモノづくりの局所的、ミクロ的な最適化から脱却し、システム全体のマクロ的最適化を目的とするものである。 これは、思想の大きな転換だ。なぜドイツでこのような転換が生じたのか、大変興味深い。
・「IT分野で、日本は巨大な国内マーケットを持つ中国には太刀打ちできない」と考える人がいるかもしれない。しかし、ドイツを見るべきだ。ドイツの総人口は日本より少ない。そうであっても、以上で見たような変化が生じているのだ。
▽日本が転換するには、人材の転換が必要
・上で述べた中国とドイツの状況に対して、日本は、どのように対応すべきか? まず、日本の状況がどうなっているかを見よう。 日本人は、フィンテック、仮想通貨、ブロックチェーンの分野で、何に関心を持っているかと言えば、技術開発ではない。 前回述べたように、ビットコインの値上がりやICOによるトークンの値上がりで儲けることしか頭にない。ビットコインやICOを用いて新しいプロジェクトを起こそうとする動きは出てきていない(「ビジネスモデルの歴史的大転換に、日本だけが取り残されている」)。
・IoTについてもそうだ。これがマクロの最適化であるという視点はほとんどない。 IoTの本質が理解されていないことは、新聞等の報道で、「IoTとはすべてのモノをインターネットでつなげること」という説明がまかり通っていることを見ても明らかだ。 「すべて」をインターネットでつなげるのは、経済的に無意味であるばかりでなく、セキュリティホールを増やしてしまうという意味で、極めて危険なことだ。日本では、IoTは単に「センサーの需要を増やすもの」としてしか捉えられていない。
・このような状況を転換させる基本的な力は、人材だ。 まず、ハードウェア関連に偏っている日本の工学部教育を、ソフトウェア関連にシフトさせる必要がある。それだけでは十分でない。企業の人材もシフトさせる必要がある。これまでの日本の製造業で中心だったのは、モノづくりのエンジニアだ。それらの人々は、現在でも会社の意思決定に重要な影響力を持っている。上で述べたような変化に対応するには、情報分野の専門家が中心人材になる必要がある。
・日本の企業は、これまで、このような要請に対応できなかった。エレクトロニクス産業が劣化した基本的な原因は、そこにある。日本の技術が劣化したのではなく、技術の性格が変わり、そのシフトに日本企業が対応できなかったのだ。(参照・拙書『仮想通貨革命で働き方が変わる』(第4章)、ダイヤモンド社) 日本の企業が、要求される人材シフトに対応できるかどうかが、これからの日本の産業の命運を決める。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53215
第一の記事で、 『“Good is the enemy of great.”が通じない日本企業の役員』、というのは日本の経営者の目線の低さを象徴している。 『日本企業はかつて株主の影響力を排除して長期経営をやっていたら経営が緩んで、今、株主を意識した経営をしろ、と市場や役所に言われている。でも世界企業は、むしろ株主の影響力を排除してまで、長期視点で果敢なイノベーションに挑んでいる。なんだかな、という感じです』、というのも、目線の低さを象徴しているのかも知れない。 『ウェルチが「GEとは何ですか」と聞かれて、“My product is people.”、つまり「人だ」と答えている』、 『日本企業が人を大切にするというのは大ウソだ、ということです。実際は、優秀な人を飼い殺しにしているだけです』、 『組織は単なる人を入れる箱で、それを定期的にいじって、こっちの箱の人をこっちに移すとか、この2つの箱を一緒にするというのが、日本の組織改革なんですよ』、などは彼我の差を見事に指摘している。
第二の記事で、 『One JAPAN』のことを初めて知ったが、なかなか面白そうな取り組みだ。上手くいくことを祈りたい。
第三の記事で、 『BAT企業成長の背後に、中国政府がインターネットを外国から遮断して独自の国内マーケットを作ったこと、中国の人口が巨大であるために国内マーケットが巨大であること、という事情があることは間違いない・・・最近では、単なる模倣と言えない状況になっている。新しいサービスが次々と誕生し、それが急速に市民生活に浸透して、中国社会を変えつつあるのだ』、との指摘には、日本企業の立ち遅れに危機感を覚えざるを得ない。 『IoTについてもそうだ。これがマクロの最適化であるという視点はほとんどない。 IoTの本質が理解されていないことは、新聞等の報道で、「IoTとはすべてのモノをインターネットでつなげること」という説明がまかり通っていることを見ても明らかだ』、というのはその通りだ。 『ドイツはモノづくりに固執して後れた・・・この数年、ドイツでIT関係での先端的スタートアップ企業の誕生が目立つ』、も日本企業の立ち遅れを示している。ただ、日本として、 『ハードウェア関連に偏っている日本の工学部教育を、ソフトウェア関連にシフトさせる必要がある。それだけでは十分でない。企業の人材もシフトさせる必要がある』、というのは、対応策としては時間がかかり過ぎる。むしろ、現在の経営陣の考え方を切り替えさせるのが、先決なのではなかろうか。
タグ:Fintech100 中国では、フィンテック関連で新しい事業が続々と誕生 組織を革新するということは、働き方そのものを変えていくことです。働き方を変えて、人の評価のしかたを変えて、戦略に合わせて、その組織のモデルを変える。全般にどこへ向かって競争力を高めていくかをリデザインすることが組織改革です IoTは、インダストリー4.0という新しい産業革命を引き起こすとされている 、「マインドフルネス」の国際会議 「「ビジネスモデル革命」に中国が成功し、日本が乗り遅れる理由 いつの間にこんな差がついたのか…」 現代ビジネス 野口 悠紀雄 それぞれの大企業が企業内で持つ若手の有志団体が集まった共同体 日本のユニコーンは1社しかない ドイツはモノづくりに固執して後れた 日本ほど人を大切にしていない経営はないんじゃないか ウェルチが「GEとは何ですか」と聞かれて、“My product is people.”、つまり「人だ」と答えている この2つの役割をそれぞれ持つ組織はあるが、2つを併せ持つ組織はない。これが何より我々のユニークネスなのだ 新しい技術に支えられた新しいセクターが誕生しつつあることも事実だ 中国は、根源的なところで本質的な矛盾を抱えている alibaba 日本企業の名はない ユニコーン企業の数 世界の最先端をゆく製品やサービスを供給できる企業が登場しているのも、事実なのである。 ビッグデータを活用できる点でも、BATは有利な立場にある ユニコーン企業数は、アメリカ144社、中国47社、インド10社 最近では、単なる模倣と言えない状況になっている。新しいサービスが次々と誕生し、それが急速に市民生活に浸透して、中国社会を変えつつあるのだ ずっと前から同じような取り組みはあった。今さら注目する必要はない 日本人全員が世界を目指す必要はないけど、少なくとも社会のリーダーを目指す2割くらいの人にとっては「舞台は当然、世界全体」という感覚が、わざわざ口にしなくてもあたりまえになってほしい 卒で入った日本企業で最後は部長くらいにまではなりたいな」くらいのところで目標が止まってしまい、グローバル企業のリーダーを目指すなんて別世界だと思っているんですよね そこそこの現状維持を重んじるデット文化の日本 日本企業はかつて株主の影響力を排除して長期経営をやっていたら経営が緩んで、今、株主を意識した経営をしろ、と市場や役所に言われている。でも世界企業は、むしろ株主の影響力を排除してまで、長期視点で果敢なイノベーションに挑んでいる。なんだかな、という感じです CEOが「世界を変える」とか「実現したい世界」という明確なビジョンと野心を持っている。株主の期待をはるかに超えたところを目指しているので、配当もせず、議決権も渡さず、株主の言うことなんか聞いていられるか、自分はもっと先の未来を見ているんだ、という態度です テスラ、グーグル、アマゾン、アリババなどの新興企業はもちろん、GEやJ&Jなどの伝統企業もいかにしてグレートになるのか、高い目標を掲げて邁進しています 日本の優良企業のトップの「自分も会社もgoodでいい、そこそこの現状維持でいい」という意識が、会社の成長を阻害しています グッドはグレートになるための敵、つまり、偉大(great)な企業になれないのは、ほとんどの企業がそこそこ良い(good)に甘んじているからなのです 日経ビジネスオンライン あなたたちはグッドでそれで満足しているかもしれないけれど、役員たるものはグレートを目指さなければだめだというメッセージです 大企業の若手・中堅有志が集う団体 企業に対して意見を言うばかりで『第二の労働組合』に過ぎない One JAPAN「第二の労組」か「救世主」か 次々に生まれ始めた「共創」 “Good is the enemy of great.”が通じない日本企業の役員 平野正雄氏&伊賀泰代氏が喝破「人を大切にする日本企業」はウソ 平野正雄・早稲田大学ビジネススクール教授&伊賀泰代・組織・人事コンサルタント【特別対談・後編】 伊賀泰代 若手が集まっただけでは何も変わらない この指止まれ」で立ち上がる数々のプロジェクト One JAPANで得た気付きを持ち帰り、自社の変革ができること 大企業同士が組織を越えた共創を生み出せること One JAPAN 、「大企業病」を憂う。「新しいことをやってはいけない空気」「イノベーションを起こせない空気」の中でもがき、悩む。その打破を狙う 平野正雄 名立たる大企業の有志が、参加団体としてずらりと並ぶ ダイヤモンド・オンライン 1周年イベント (その4)(「人を大切にする日本企業」はウソ、One JAPAN「第二の労組」か「救世主」か、「ビジネスモデル革命」に中国が成功し 日本が乗り遅れる理由) 大企業特有の遅々とした意思決定とは無縁 日本経済の構造問題 2016年9月の発足から1年 辛辣な批判 富士通研究所が500万円を拠出 イギリス(9社)が最多だが、ドイツ(6社)がそれに続く baidu BAT企業成長の背後に、中国政府がインターネットを外国から遮断して独自の国内マーケットを作ったこと、中国の人口が巨大であるために国内マーケットが巨大であること、という事情があることは間違いない この数年、ドイツでIT関係での先端的スタートアップ企業の誕生が目立つ Tencent 混沌と混迷の中から生まれてきたものは、すでに世界経済において無視できぬ地位を占めるに至っている アメリカが35社、中国が14社 ハードウェア関連に偏っている日本の工学部教育を、ソフトウェア関連にシフトさせる必要がある。それだけでは十分でない。企業の人材もシフトさせる必要がある IoTについてもそうだ。これがマクロの最適化であるという視点はほとんどない IoTの本質が理解されていないことは、新聞等の報道で、「IoTとはすべてのモノをインターネットでつなげること」という説明がまかり通っていることを見ても明らかだ 中国ITを牽引する「BAT」 Sage UK
日本経済の構造問題(その3)(日本と仁丹を救うオッサンの「根拠なき確信」、なぜ、日本人は「空気」に左右されるのか?、薄利多売をやめなければ経済成長は望めない) [経済]
日本経済の構造問題については、1月26日に取上げたが、今日は、(その3)(日本と仁丹を救うオッサンの「根拠なき確信」、なぜ、日本人は「空気」に左右されるのか?、薄利多売をやめなければ経済成長は望めない) である。
先ずは、健康社会学者の河合薫氏が3月7日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「日本と仁丹を救うオッサンの「根拠なき確信」 仁丹曰く「案外、オッサンたちがこの国の希望かもしれない」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・久々にいいニュースである。 昭和のオッサンたちの常備品だった「ひとつぶのんだら スーッとネ ジン ジン ジンタン ジンタカタッタッタタ~」の仁丹を製造する森下仁丹が、“第四新卒”の採用をスタートさせた。
・毎日新聞では「『第四新卒』おっさん、おばはんWANTED」 東京新聞では「森下仁丹が『第四新卒』採用へ おっさん、おばはん求む」 読売新聞では「求む中高年、森下仁丹が『第四新卒採用』」 日経新聞では「森下仁丹、50代中心の中途採用導入へ 幹部候補に 」 朝日新聞では……掲載なし(私が確認した限りでは……)。
・はい、そうです。ごらんのとおり“第四新卒”とは、おっさん、おばはんのこと。 森下仁丹の定義によれば、 「社会人としての経験を十分積んだ後も仕事に対する情熱を失わず、次のキャリアにチャレンジしようとする人材」をいい、「性別・年齢を問わず採用」 していくことを、第四新卒採用と呼ぶのだという。
・募集職種は、「食品・医薬品の営業、開発、製造および新規事業開発に関するマネージメント業務」で、前職での業種・職種は問わない、正社員採用(試用期間3カ月あり)。 求められる資質は「やる気」のみ! そう。やる気だ。
・そこで今回は「やる気」についてアレコレ考えてみようと思う。 では早速(2週続きで動画からスタートになってしまった)、採用募集の動画をご覧ください。……泣けます! 「オッサンたちへ」 「あの頃は仕事がすべてだったんです。」 「ずっといた場所から出てみたい、そう思ったんです。」 「まだ、できると思うんです。」 「案外、オッサンたちがこの国の希望かもしれない。」 「オッサンも変わる。ニッポンも変わる。」
▽「瞬間、『やばいことしたな』と思ったものです(笑)」
・「案外、オッサンたちがこの国の希望かもしれない」――。 ふむ。いいコピーである。 「女性を輝かせる」前に「オッサンを輝かせろ!」と、私はこれまで幾度となく訴えていたので、やっとこういった会社が出てきたことが、率直にうれしい。
・現在、日本の総人口は約1億2700万人。そのうち大人人口(20歳以上)は約1億500万人。40代以上は約7700万人。これが2020年には約7800万人に増え、「大人の10人に8人」が40代以上になる。 つまり、「オッサンにニッポンを変えてもらわない」ことにはえらいことになる。「いやいや、あとは楽させてもらいますよ~」なんて50過ぎで、心の引退をされては現実問題として困るのである。
・で、ここで疑問がわくわけです。 「オッサンにやる気さえあれば、ニッポンは変わるのか?」と。 とかく昨今のオッサンたちはお疲れ気味。時折やる気を見せるものの「あの人、やる気だけはあるんだけど……」と、周りからちょっとばかりウザがられたり、やる気を見ればみせるほど周りのテンションを下げる“残念なオッサン”も少なくない。 いったいどんな「やる気」ならオッサン自身も、ニッポン(=会社)も変えることができるのだろうか?
・“オッサン”の連発で申し訳ないのだが、結論から述べると私はオッサンの「やる気」が、「人格的成長(personal growth)」というポジティブな心理的機能によるものなら、変わると確信している。 「人格的成長」とは「自分の可能性を信じる」気持ちのこと。専門家の中にはこれを「チャレンジ精神」と同一に扱う人もいるが、実際には異なる。 チャレンジ精神が、 自分の行動する力に価値を見出していることに対し、人格的成長は、自分の内在する力に価値を見出すもので、 先の動画でいえば 「まだ、できると思うんです」 という、実にシンプルかつ根拠なき確信である。
・そう。「根拠のなき確信」ほど、人間の底力を引き出す無謀な心の動きは存在しない。 実は森下仁丹の駒村純一社長も、自分の可能性にかけ、会社を変えたひとりだったのである(詳細は同社HPをご覧下さい。以下、抜粋して要約)。
・駒村さんは元商社マン。イタリアに駐在した時には現地の出資先の社長も経験するなど、まさに順風満帆のキャリアを歩んだ人物である。 ところが、ある日ふと「このままではつまらない人生になってしまう」と感じ始める。引退に向けて安定した人生が約束されていたにも関わらず、だ。 そこで一念発起し、52歳で商社を退職したそうだ。 「早期退職の意向をメールで送ったときは、エンターキーを押した瞬間に、『やばいことしたな』と思ったものです(笑)。 (中略) 転職先が決まっていたわけではありません。まだまだ自分は一線で働きたいという思いだけで、退職を決めました」 駒村氏はこう語っている。
▽周りは敵ばかり
・退職後は、キャリアを生かし外資系企業を中心に就職活動を始めたが、就職先は決まらなかった。 無職となり5か月が過ぎようとしたとき、「経営状況が悪化している大阪の老舗企業が、経営の立て直しの人材を探している」と知り合いからオファーが届いた。それが森下仁丹だった。 「私には、そうした企業を黒字転換させてきた経験がある。自分のキャリアが生かせるかもしれない」 そう考えた駒村氏は、執行役員として入社。
・が、中に入って知った会社の現状は、想像以上に厳しいうえに社内には「やる気が失われていた」。 売り上げはピーク時の10分の1。それでも社員たちには「創業120年を超える老舗がつぶれるわけがない」と、危機感を全くもっていなかったのである。 そこで経営の立て直しを進めようとするのだが、「外から来たやつが何を言ってやがる」と反感を持つ人も多く、周りは敵ばかり。 「社内に蔓延する『つぶれるわけがない』という空気を変えるには、新しい風を入れるしかない」――。
・駒村氏は、外部の人材を積極的に起用し、管理職に抜擢。当然ながら、生え抜きの社員は猛反発。それでも氏はやり方を変えなかった。 「新しい人が来て結果を出していけば、それが刺激になる。会社が本気で変わろうとしているという危機感を持ってもらうためには、まず行動で示すことが大切でした。改革には痛みが伴う。その痛みを避けていては、前に進むことはできない」
・自分を信じ、中途採用を広げ、部長職の平均年齢も40代と大きく若返り、2006年には社長に就任。本社の工場敷地も売却し、財務状況を健全化させ、次のチャレンジをするための下地を整えた。 その結果、生まれたのが現在の経営の柱となっている、独自のシームレスカプセル技術。10年間で売り上げを倍にし、今に至っているのだという。
・「このままではつまらない人生になってしまう」という感覚は、まさしく「人格的成長」であり、「自分の内在する力に価値」を見出しているからこそ、「自分のキャリアが生かせるかもしれない」と考え、周りが敵だらけでも「会社を絶対に再生できる」と行動できた。 ただ、おそらく駒村氏自身が公言していない、「苦悩」や「情けない自分」との葛藤もあったはずだ。
▽「辞めなきゃよかった」という言葉が出そうになる
・前回(「やりがい搾取」の共犯?文科省公認の天職信仰)書いたとおり、すべてのサクセスストーリーは「後付け」で、そこには決して語られない、あるいは本人でさえも忘れてしまった「かっこ悪い自分」が例外なく存在する。 全くレベルは違うし、ここで個人的な話を持ち出すのはおこがましいのだが、私もそうだったから。前向きな気持ちで崖から飛び降りた先には、いくつもの鋭利な砂利が転がっていて。それを乗り越えるには節操なく自分の可能性を信じる気持ちと、痛みを痛みと思わないずぼらさが必要なのだ。
・私は「このままでいいのかな。もっとなんか出来るんじゃないかな。自分の言葉で伝える仕事がしたい」と、若気の至りで28歳のときスッチーを辞めたわけだが、実際に辞める決心をしたのは、「2年後の自分」を想像したときだった。 「2年後、今のままCAをしている自分と、他のことをやっている自分、どちらが魅力的か?」――。そんな問いがふとわいてきて、後者の自分に魅力を感じ、辞めた。 なぜ「2年後」で、なぜそういう問いになったのか、自分にも分からない。辞めたところでナニかが決まっているわけでもない。
・でも、「他のことをやっている自分の方が魅力的」という根拠なき確信が、辞めたあとの不安をワクワクした感情に変えたのである。 とはいえ、現実は想像以上に厳しい。 28歳の小娘に「自分の言葉」などあるわけがなく、元気いっぱい辞めたはいいけど、何も決まらない、進みたくても、前に進む道筋すらちっとも見つけられない自分がいて。
・スッチーの同期が「明日からロスだよ」なんて電話してくると、「辞めなきゃよかった」という言葉が出そうになり、でもその言葉を口にした途端、自分がどうにかなってしまいそうで、絶対に口にできなかったのである。 なので、気象予報士第1号となり合格当日にたまたま「ニュースステーション」に出演するまで、私は友だちと連絡をとっていない。 多分、潔く辞めたはいいけど「何者にもなれていない自分」が、ちょっとばかり恥ずかしかったんだと思う。
・ただ、そこに至るまで私が踏ん張れたのは、「それでいいんだよ。踏ん張れ」と背中を押してくれる人たちがいたからに他ならない。民間の気象会社で出会った気象庁のOBのおじいちゃんたち、社内でサポートしてくれた上司、そして、何よりも気象のずぶの素人の私を受け入れてくれた当時の社長さんがいたからこそ、私は砂利道をなんとか歩くことができた。
・そんなときに自分にできることといったら、気象の勉強をひたすらやることだけで。給料泥棒にならないよう、必死で勉強し、少しでも仕事の質をあげるべく努力することくらいしかできなかった。 おそらく駒村氏にも、痛みの伴う改革を断行するうえで応援団がいたのではないだろうか。同じように「会社の空気を変えなきゃ」と危機感を持ち、社外からきた駒村さんを信じ、駒村さんの可能性に賭けた人がいた。「敵」の中に数少ない応援団がいて、彼らがいたからこそ、駒村さんも自分に課せられた仕事の質を必死であげるべく努力したのだと思う。
▽「学び続ける覚悟」を持つこと
・人格的成長――。 「自分の内在する力に価値」を見出す、前に開かれた感覚である人格的成長は、あくまでも“今”を成長への通過点と捉え、不甲斐ない自分、自分に対する批判、といった向き合いたくない「自分の市場価値」を受け入れるまなざしを持ち、危機感を持つ感覚と言い換えることができる。 そして、目の前の仕事の「質」を高めるために、「自分にできること=学び」に励む。とにかく動く。アレコレ考えずにとにかく動く。自分をどうこうするのではなく、目の前の仕事を「少しでもいい仕事」にすべく努力する。その結果、人格的成長が強化されていくのである。
・つまり、真のやる気とは、結局のところ「学び続ける覚悟」を持つこと。 ほんのちょっとでもいいから、仕事の質を高めるべく勉強する。「自分の成果物」の価値を上げるべく邁進する。それが、結果的に自分を進化させ、「うん、成長したかも…」といった自負につながっていく。
・かなり前に本コラム(定年延長で激化する「“オッサン”vs若者」バトル)でも紹介したが、高齢者雇用を通じて生産性を10年で3倍まで向上させた「VITA NEEDLE社」(米マサチューセツ州のステンレス製のニードルやチューブといった特殊部品を製造する会社)の従業員もそうだった。 高齢者の方たちは、「自分を雇ってくれた会社」を信頼し、誠心誠意会社に尽くした。 自らの持つ能力と知見を最大限に生かし、積極的にスキルを磨き、社員同士で助け合い、互いにスキルを向上させ、自分の人生の集大成としてひたすら一生懸命働き、企業の生産性向上に寄与したのである。
・オッサンを求める「環境」に、「真のやる気」と「経験」という係数が加わればオッサンは化ける。でもって、オッサンが「環境」を変える。 これまで600名超の方たちをインタビューしてきたけど、いかなる状況になっても腐ることなく、自分を信じ、前に踏み出した“おっさん”たちがいた。
+「まだ終わりたくない」と一念発起し転職を試みたものの、直後にリーマンショックが勃発。職安通いを強いられた元一流企業の部長53歳。
+50代には仕事がないことに気付き、給与半減覚悟で小企業に転職したマンネン課長52歳。
+「発展途上国で自分の技術を生かしたい」と英語学校に通い、青年海外協力隊に応募したメーカー勤務の男性49歳。
+「もっと会社の役に立ちたい」と、誰も行きたがらない離島勤務を志願した部長さん53歳。
・中には私のインタビューに答えるうちに、「自分にももっとできることがあるのではないか」と前に踏み出した人たちもいた。 彼らはいずれも、誰もが知っている大企業に勤め、そこそこ出世していている人たちだったが、そういった属性を捨て、まる裸の「自分」に勝負をかけた人たちだった。 その“オッサン”たちは、みんなイイ顔をしていた。
・そんなオッサンたちを受け入れる質のいい環境が増える火付け役に、森下仁丹がなればいい、と心から願う。 ちなみに同社広報によれば、「社員数300人規模の会社なので採用は数人程度と考えていますが、3月6日午前中の時点で、応募数は約1000人に上っています」とのこと。おぉ!「やる気」に満ちたオッサンは、たくさんいるのだ。 オッサン、がんばれ! オバさん、がんばれ! はい、オバさんの私もがんばります!
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/030300094/
次に、2月20日付けダイヤモンド・オンライン「なぜ、日本人は「空気」に左右されるのか?『失敗の本質』が教える4つの罠」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・30年前の名著『失敗の本質』が今、熱い。日本軍の組織的失敗を分析した同書からは、行き詰った日本企業、日本社会の再生へのヒントが満載だ。今こそ、日本的組織の本質を問うべき時がきている。名著が分析した日本軍の敗因は数多くあるが、その中でも日本人の特性を象徴しているのが「空気」の存在。開戦時は多くの日本人が正確な情報を知らぬまま戦争に賛成していた。また、開戦後も軍部の暴走によって次々と非合理な作戦が実施された。なぜ、日本人は「空気」によって不可思議な判断をしてしまうのか。14万部のベストセラー『「超」入門 失敗の本質』の著者が、その秘密を読み解く。
▽それでも日本人は戦争を選んだ。戦争賛成派が多かった謎
・名著『失敗の本質』は、1939年に国境紛争として起こったノモンハン事件と、大東亜戦争における5つの軍事作戦の、計6つの作戦を日本軍の組織的な失敗例として取り上げて分析した書籍です。 戦争は私たち現代日本人にとって忌むべきものであり、二度と起こしてはならないことは明白です。暗く悲惨な戦争の歴史を振り返るとき、「平和」の大切さは一層重みを増してきます。
・しかし、多くの史実から太平洋戦争初期には、戦争に賛成する日本人が多かったことが指摘されています。よく言われるように、一部の軍人が戦争を始めたのではなく、戦争を選んだのもまた日本国民の総意であったと言えるのです。なぜ、あのときの日本人は、戦争に賛成してしまったのでしょうか。
・『証言記録兵士たちの戦争』(日本放送出版協会)等の書籍では、戦争初期に最前線に向かう日本の兵士は比較的楽天的で、日本軍が負けることなどまったく想像していなかったのを伺わせる証言が残っています。 また、『失敗の本質』で分析された各作戦においては、戦闘方法自体が効果を発揮していないにも関わらず、何度も同じ方法で部隊を投入して、敗北を重ねる姿が浮き彫りにされています。
・70年以上を経た今から見ても、日本軍がどうして「そういう方向」へ向かって行動したのか、わからないことが多々あります。そこには、危機的状況に陥ったときに合理的な判断を奪う、極めて日本人的な特性が見え隠れしています。 日本人は一つの目標が設定されたときには一致団結して立ち向かう強さを発揮しますが、逆にその強さゆえ、設定した目標自体を揺るがすような意見は徹底的に排除するような特性を持っています。戦時中、反戦思想を持つ国民を誰より強く糾弾したのも、同じ日本人の隣人でした。
・今でも、企業の不祥事や方向転換を拒んで経営破綻した企業のニュースを耳にするたびに、外側から見れば不思議に思えるようなことが多々あります。けれど、当事者からすれば、「そうせざるを得なかった」という極めて日本人的な組織の発想によって行動を左右されている事実があります。
・なぜ、日本人は開戦時、戦争に対して好意的だったのでしょうか。そして、開戦後、なぜ日本軍は合理的な判断ができなくなってしまったのでしょうか。今回は、『失敗の本質』で取り上げられている、日本人の判断に影響を与える「空気」の存在について紹介しましょう。
▽オセロの白が一瞬ですべて「黒」に変わる
・ロングセラーとなっている『「空気」の研究』(山本七平/文春文庫)に、興味深い事例が出てきます。海軍の伊藤長官と三上参謀が、戦艦「大和」の沖縄特攻について交わした会話です。伊藤長官は作戦検討の過程で醸成された「空気」を当初知らないため、「大和」の出撃を当然のごとく反対します。
・軍人から見れば「作戦として形を為さない」ことは明白だったからです。しかし、反対していた伊藤長官は、三上参謀の次の言葉で「空気」を理解するのです。
三上参謀「陸軍の総反撃に呼応し、敵上陸地点に切りこみ、ノシあげて陸兵になるところまでお考えいただきたい」
伊藤長官「それならば何をかいわんや。よく了解した」
・まるでボードゲームのオセロで、白の石がすべて一瞬で黒に変わるような瞬間です。合理的な思考から当然の反対を唱えていた伊藤長官は、まさに空気を理解しただけで一瞬のうちに結論を180度変えてしまいます。 この短い会話をどのように解釈するか、さまざまな見解があると思いますが、白か黒かをある一点の議論で染め抜いてしまい、本来白と黒が混在しているはずのものを一瞬にして一色に変えてしまったことは事実です。
・三上参謀の発言は「兵士が犠牲になっても大和特攻でその精神を見せるべき」という意図があると推測されますが、本来「大和の沖縄出撃」は、海軍とその乗組員が敢闘精神を発揮する、というだけの問題ではありません。 「大和」の沖縄出撃という大問題は、さまざまな要素を含んでいたはずです。海軍のメンツや覚悟もあったのでしょうが、他の要因「兵員の生命」「作戦成功率の問題」なども当然存在したはずです。
▽愚かな決定によって「白骨街道」が生まれた
・『失敗の本質』でも分析されているインパール作戦は、日本の第15軍司令官牟田口中将が中心となり、2000メートル以上の大山脈を越えてインドの国境地帯に進出する作戦ですが、補給の成算がないという、ずさん極まるものでした。 武器弾薬が極度に欠乏し、インパールへ向かった日本軍は追い込まれ、「銃を撃ってくる相手に石つぶてを投げて応戦した」場面もあったほどです。
・餓死者が続出する極限状態に陥ってもなお、河辺司令官と牟田口中将は撤退を決断できず、その2か月後にようやく撤退命令が出されると、日本軍が退却する道は、あまりに犠牲者が多いことで「白骨街道」と呼ばれます。 では、なぜこのような「驚くべき悲劇」を生み出す決断がなされたのでしょうか。何が愚かな決定をつくり出したのでしょうか?
▽「指揮官の個人的な熱意」は作戦遂行の判断材料か?
・牟田口中将は、ある日本軍参謀に「アッサム州かベンガル州で死なせてくれ」と語り、並々ならぬ熱意を訴えかけたとされています。また、上官である河辺司令官は私情から「何とかして牟田口の意見を通してやりたい」と考えていたようです。 しかし、ここで重要な点として、作戦遂行の可否を決断する際に、一指揮官の個人的な心情と上官との人間関係が「GOサインを出す」ための何割程度の根拠となるべきか、という問題です。
・当然のことですが、「軍事作戦」ですので、作戦の戦略的意義と勝算の有無こそが「GOサインを出すか否か」の判断基準の100%を占めるべきです。 同様に、戦艦「大和」が護衛の戦闘機のないまま沖縄へ向けて出撃する際にも、「作戦の成否勝算」よりも、海軍の「敵上陸地点に切りこみ、ノシあげて陸兵になる覚悟」によって上層部は「大和」特攻の「空気」を理解したのです。
▽議論の可否と関係ない「正論」で誤った判断を導く罠
・注意すべき点として、インパール作戦を熱望する牟田口中将や「大和」の沖縄特攻の主張には、小さな「正論」が含まれていることです。 (1)指揮官が作戦への積極性を持つ (2)海軍側が、沖縄の上陸地点に乗り上げて陸兵になる強い覚悟
・このような、ある種「小さな正論」があることで、軍事的合理性や勝算、補給などの準備ができるかどうかなど、本来、作戦可否を決定する正しい比率を歪める悪影響を及ぼしているのです。 同じようなことは、実は日本の組織・社会では頻繁に起こっています。不祥事の隠ぺいがニュースとなるとき、「特殊な空気に包まれてしまった」という述懐がよく行われますが、この場合、「空気」は何かしらの説得的な効果を持って、不祥事を公表するより「黙っておいたほうがいい」と集団に思わせたということになります。本来、適切に行われるべき議論を封殺するのは、空気の得意技というところでしょうか。
・私たち日本人は、ある一つの事象を見て「全体像を類推する」ということをよく行います。座敷に上がる際に、脱いだ靴の揃え方で相手の性格を断じることもあるかもしれません。逆に言えば、身なりがきちんとしていることで、相手の行動を詳しく確認せずに「信頼できる人物」と思い込んでしまうこともあるでしょう。
・悪意を持ってこのような「歪んだ判断」を誘導するために、例えば靴の揃え方が悪いだけで、営業マンとして無能で出世させてはいけない人間だと断じることも可能です。
・空気の醸成とは、本来可否の判断に「関係のない正論」を持ち出して、判断基準を歪めることで間違った流れを生み出すことです。その影響は、以下の2つの形で及ぶことが多いようです。 (1)本来「それとこれとは話が別」という指摘を拒否する (2)一点の正論のみで、問題全体に疑問を持たせず染め抜いてしまう
・悪意を伴った空気の醸成は、大東亜戦争のみではなく、現在の日本社会でも頻繁に見られる現象であり、正しい議論と判断を妨げるこの国の大きな足かせとなっています。一度皆さんも周囲で聞く議論をこの視点から眺めてみると、あまりの不条理さに驚くことになるのではないでしょうか。
▽正しい方向転換を妨げる空気を生み出す「4つの要素」
・本軍はなぜ、正しい方向転換ができなかったのでしょうか。なぜ、合理的な判断を妨げる「空気」というものが醸成されてしまったのでしょうか。 日本軍の作戦過程で何度も出現した「空気」について理解するために、現在、経営学等でも指摘されている、集団が誤った結論に飛びついてしまう心理的要因をもとに、以下の4つの要素にまとめてみましょう。
(1)既にある多くの犠牲を取り戻したい心理(埋没費用) サンク・コスト(埋没費用)は経済用語の1つでもあるのですが、簡単にいえば既に投下したが、回収不能だとわかったコストを意味します。 既に多くの犠牲を払ってしまったプロジェクトに対して、完成しても採算が取れないと(途中で)わかった場合でも、多くの人は投入した損失そのものを取り返すために、さらに損害を重ねることがあります。 日本軍の参謀たちは、ずさんな作戦計画で多数の兵士が犠牲となった戦場に、あくまで固執して部隊を投入しています。味方兵士の多大な犠牲を払ったことで、逆に勝つまで撤退できないと強く思い込む心理は、まさにサンク・コストの罠にはまっています。
(2)未解決の問題への心理的重圧から逃げる 問題に対して解決策を見つけられない状態は、大変ストレスが溜まります。特定の集団が、ある問題に対して苦労して解決策を導いた場合、その解決策が実施の際に適切に機能しなくても、未解決の状態に戻りたくないという心理が働くことがあります。 当初組み上げられた「作戦計画」が上手くいかないことを認めると、未解決の状態へ逆戻りすることになります。この心理的重圧から逃げたいという欲求で、上手くいかない現実を認められない状態になるのです。
(3)愚かな判断を生む人事評価制度 日本軍は「やる気を見せること・積極性」が組織内の人物評価として重視され、戦果や失敗責任については考慮される比率が低い集団でした。この歪んだ人事評価制度はのちに、無謀な作戦を実行し責任を取らない人物を日本軍の内部に増加させてしまい、敗北を決定的にします。 組織内政治、ゴマすりばかりが上手な人物が出世することになれば、実務能力があり判断の優れた人物が無能な人間の指揮下に入ることになり、前線の混乱と敗北は避けられないでしょう。 組織は内部で出世させる人物の「基準」によって、極端に無能になることもあれば、極めて優れた成果を生み出す集団にもなるのです。
(4)グループ・シンク(集団浅慮)の罠 特定の集団内における関係性、立場などを客観的な事実より優先して物事を判断すれば、現実世界における目標達成力を失う原因になります。 歴史の長い老舗企業、巨大組織などで過去の関係性、肩書き、人間関係などが判断において大きな比重を占めるなら、その集団は外部における現実への対応能力を大きく損なうことになるでしょう。 ビルマ防衛の体制を崩壊させたインパール作戦では、牟田口中将が個人的な想いからインド国境への進軍をたびたび進言しますが、あまりの非合理さから日本軍内でも否定的な意見が相次ぎます。 しかし、牟田口と人間的な関係が深かった上司、河辺方面軍司令官は私情に動かされて無謀極まる作戦を止めませんでした。 非現実的な判断と行動の結果は、参加人員約10万のうち戦死者約3万、戦傷・後送者約2万、残存兵力約5万のうち半分以上が病人という「莫大な犠牲」で終わりました。
・以上が「空気」を生み出す4つの要素ですが、戦時中、日本人が合理的な議論を放棄して盲信してしまった事実は、大いに反省すべき点です。上層部の作戦に関わらず、大東亜戦争開始時には、戦争に反対する日本人より、戦争に肯定的だった日本人のほうが多かったこともまた事実なのです。 現代の日本企業においても、「空気」によって合理的な判断が妨げられている企業は数多く存在しているはずです。 敗戦という悲劇の歴史を忘れず、これからの日本と日本人は、「空気の欺瞞」を打ち破ることを肝に銘じるべきです。 ※この記事は、2012年4月17日に公開された記事を一部加筆修正したものです)
http://diamond.jp/articles/-/116655
第三に、ニッセイ基礎研究所 専務理事の櫨 浩一氏が7月31日付け東洋経済オンラインに寄稿した「薄利多売をやめなければ経済成長は望めない 日本は低収益・低賃金でいつまで頑張るのか」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・日本では今後さらに高齢化が進む。これまでと同じように15~64歳までの人口を労働力の中核となる生産年齢人口だと考えていると、労働人口が大きく減少してしまうことは避けられない。
・国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口(平成29年推計)」では、生産年齢人口は2015年の7728.2万人から2065年には4529.1万人へと大きく減少すると予想している。政府は、65歳以上の高齢者の就業促進や、子育てをしながら就業をすることがより容易になるような社会への転換で、労働力の減少を緩和しようとしている。 それでも現実に起こる労働投入量の減少は、みかけの労働力人口の減少よりもずっと深刻なものとなる恐れが大きい。
▽このままでは労働時間は短くなり、生産性も下がる
・第1の原因は、今後追加的に加わる労働力は一人当たりの就業時間が短いと予想されることだ。 高齢者が若い人達と同じように毎週5日間フルタイムで働くということは難しく、65歳を超えるさらに高い年齢層が働くようになれば、差はより顕著になるはずだ。 また、より多くの人が子育てをしながら働けるようにするためには、今までよりも柔軟な働き方を提供する必要があり、労働時間は短くなるだろう。働き方改革で長時間労働の解消を図っていることも加わって、就業者1人当たりの就業時間はより短くなるはずだ。
・第2の原因は、就業者の平均年齢が高くなることで労働時間1時間あたりの生産性を低下させる圧力が加わることだ。経験を積むことで向上する能力もあるが、加齢による体力や集中力の低下は避けられず、高齢者が1時間働くことと、若い世代が1時間働くことでは生産に与える効果が違うことは否定できない。
・労働力の減少が続く中で、日本で生活する人たちが豊かさを維持し、生活水準を向上させていくためには、生産性を高めていく必要がある。政府や経済団体、エコノミストの提言でも、生産性向上の重要性は誰もが一致して主張するところだ。 さまざまな生産性の指標の中でも労働生産性は単純明快で分かりやすく、多くの議論で使われている。たとえば就業者1人当たりのGDP(国内総生産)を考えてみよう。
・就業者数が変わらなければ、労働生産性が高まると日本全体のGDPが増えるが、他方でGDPが増えていれば必ず労働生産性は上昇している。経済成長には労働生産性の向上が必ず伴う。したがって、経済成長のために労働生産性を向上させると言う場合、どうやって労働生産性を高めるのかということを言わなければ、何も言っていないに等しい。
・労働生産性を高めるためには、より多くの機械を導入して生産効率を高めることが考えられる。自動化を進めるために就業者1人当たりの機械設備を増やせば労働生産性は高まるが、設備への投資や維持更新を行うために国内生産のより大きな部分を割くという負担も増える。設備投資の拡大で労働生産性を高める戦略には限界がある。
▽ICT投資よりもTFPが問題なのではないか
・今年の経済財政白書は、日本の生産性がアメリカ、スウェーデンのそれよりも1時間当たり15~20ドル程度も下回っているとし、ICT(情報通信技術)への投資の必要性を強調している。しかし、1994年を起点として2015年までの労働生産性の要因別(TFP<全要素生産性>、ICT資本装備率、非ICT資本装備率)の累積寄与度の差をみると、日本とアメリカとの生産性の差のほとんどはTFP(全要素生産性)要因によると述べている。
・スウェーデンに対しても、差の約3分の2はTFP要因で、約3分の1がICT資本装備率要因だ。米国との労働生産性の比較では、ICT投資はほとんど寄与しておらず、非ICT投資についてはむしろ差を縮小する要因となっている。白書は、中小企業についてICT投資の不足が低生産性の原因であることを強調しているが、日本経済全体としてみれば投資量が足りないことが、他の先進諸国に比べて労働生産性が低い原因とは言えない。
・TFPは生産の増加のうちで、労働投入や生産設備などの資本の投入で説明できない部分のことだ。生産拡大に対するTFPの寄与を決めるものは、新製品の投入、新しい生産技術の採用といった技術進歩であるとされている。 日本に求められているのは、米国の新興企業のようにもっと独創的な新製品を作り出したり、欧州の老舗企業のようにブランドイメージを高めて高値で売れる良い製品を作りだしたりすることだろう。
・日本企業はかつて就業者1人当たりの設備を増やして労働生産性を高め、低コストで大量生産を行うことで成功してきた。日米の経済成長の差の大部分を説明しているTFPの寄与の違いは、中進国から高所得国へと成長する過程でのこうした成功体験が今も忘れられず、依然として薄利多売という戦略に固執していることに原因の一つがある。
▽「円安志向」、「誘致の人数目標」も従来の発想
・海外の物が安く買える円高を嫌い、安値で海外に日本製品が売れる円安を好むのも、薄利多売の考え方が日本経済全体に染みついているからだ。しかし、今は同じ戦略を日本よりも賃金の低いアジアの新興国が採用しており、同一の土俵で戦えば、賃金の高い日本は最初から圧倒的に不利である。
・訪日外国人観光客への対応でも、外国人向けの運賃の割引などの制度を作って、より多くの外国人観光客を誘致しようとしているが、これも薄利多売戦略の亜種というべきだろう。世界中の観光客に人気のハワイでは考え方が逆で、カマアイナ・レートと呼ばれる地元住民向けの安い料金が設定されていることがある。ハワイ州の消費税率は5%弱だがホテル宿泊客には高いホテル税が賦課される。つまり観光客からは高い税を取って地元の人達の税金を安くしようという考え方だ。
・労働力の余剰があって失業が大きな問題となっていた時代であればともかく、人手不足の深刻化が懸念される中で、低収益・低賃金を武器に薄利多売という戦略を続けるのでは、経済成長はおぼつかない。良いサービスからは、それに応じた適切な料金を徴収するということをもっと真剣に考えていかないと、日本で生活する人たちの生活は貧しくなっていってしまうだけだろう。
http://toyokeizai.net/articles/-/182449
第一の記事で、森下仁丹が商社出身の社長の下で、危機感が乏しい社員たちのなかで、再生した話は初めて知った。社長の苦労は並大抵ではなかったろう。 『“第四新卒”の採用』、も上手くいって欲しいものだ。 『私はオッサンの「やる気」が、「人格的成長(personal growth)」というポジティブな心理的機能によるものなら、変わると確信している・・・「根拠のなき確信」ほど、人間の底力を引き出す無謀な心の動きは存在しない・・・真のやる気とは、結局のところ「学び続ける覚悟」を持つこと・・・オッサンを求める「環境」に、「真のやる気」と「経験」という係数が加わればオッサンは化ける。でもって、オッサンが「環境」を変える』、などの指摘は興味深く、確かにその通りなのかも知れない。河合氏の記事は、いつも通り、ユーモアに溢れ、傑作だ。
第二の記事で、 『日本人は一つの目標が設定されたときには一致団結して立ち向かう強さを発揮しますが、逆にその強さゆえ、設定した目標自体を揺るがすような意見は徹底的に排除するような特性を持っています』、 『正しい方向転換を妨げる空気を生み出す「4つの要素」・・・既にある多くの犠牲を取り戻したい心理(埋没費用)・・・未解決の問題への心理的重圧から逃げる・・・愚かな判断を生む人事評価制度・・・グループ・シンク(集団浅慮)の罠』、などの指摘は大いに考えさせられる。
第三の記事で、 『ICT投資よりもTFPが問題なのではないか』、 『生産拡大に対するTFPの寄与を決めるものは、新製品の投入、新しい生産技術の採用といった技術進歩であるとされている』、 『「円安志向」、「誘致の人数目標」も従来の発想』、などの指摘はその通りだ。
先ずは、健康社会学者の河合薫氏が3月7日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「日本と仁丹を救うオッサンの「根拠なき確信」 仁丹曰く「案外、オッサンたちがこの国の希望かもしれない」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・久々にいいニュースである。 昭和のオッサンたちの常備品だった「ひとつぶのんだら スーッとネ ジン ジン ジンタン ジンタカタッタッタタ~」の仁丹を製造する森下仁丹が、“第四新卒”の採用をスタートさせた。
・毎日新聞では「『第四新卒』おっさん、おばはんWANTED」 東京新聞では「森下仁丹が『第四新卒』採用へ おっさん、おばはん求む」 読売新聞では「求む中高年、森下仁丹が『第四新卒採用』」 日経新聞では「森下仁丹、50代中心の中途採用導入へ 幹部候補に 」 朝日新聞では……掲載なし(私が確認した限りでは……)。
・はい、そうです。ごらんのとおり“第四新卒”とは、おっさん、おばはんのこと。 森下仁丹の定義によれば、 「社会人としての経験を十分積んだ後も仕事に対する情熱を失わず、次のキャリアにチャレンジしようとする人材」をいい、「性別・年齢を問わず採用」 していくことを、第四新卒採用と呼ぶのだという。
・募集職種は、「食品・医薬品の営業、開発、製造および新規事業開発に関するマネージメント業務」で、前職での業種・職種は問わない、正社員採用(試用期間3カ月あり)。 求められる資質は「やる気」のみ! そう。やる気だ。
・そこで今回は「やる気」についてアレコレ考えてみようと思う。 では早速(2週続きで動画からスタートになってしまった)、採用募集の動画をご覧ください。……泣けます! 「オッサンたちへ」 「あの頃は仕事がすべてだったんです。」 「ずっといた場所から出てみたい、そう思ったんです。」 「まだ、できると思うんです。」 「案外、オッサンたちがこの国の希望かもしれない。」 「オッサンも変わる。ニッポンも変わる。」
▽「瞬間、『やばいことしたな』と思ったものです(笑)」
・「案外、オッサンたちがこの国の希望かもしれない」――。 ふむ。いいコピーである。 「女性を輝かせる」前に「オッサンを輝かせろ!」と、私はこれまで幾度となく訴えていたので、やっとこういった会社が出てきたことが、率直にうれしい。
・現在、日本の総人口は約1億2700万人。そのうち大人人口(20歳以上)は約1億500万人。40代以上は約7700万人。これが2020年には約7800万人に増え、「大人の10人に8人」が40代以上になる。 つまり、「オッサンにニッポンを変えてもらわない」ことにはえらいことになる。「いやいや、あとは楽させてもらいますよ~」なんて50過ぎで、心の引退をされては現実問題として困るのである。
・で、ここで疑問がわくわけです。 「オッサンにやる気さえあれば、ニッポンは変わるのか?」と。 とかく昨今のオッサンたちはお疲れ気味。時折やる気を見せるものの「あの人、やる気だけはあるんだけど……」と、周りからちょっとばかりウザがられたり、やる気を見ればみせるほど周りのテンションを下げる“残念なオッサン”も少なくない。 いったいどんな「やる気」ならオッサン自身も、ニッポン(=会社)も変えることができるのだろうか?
・“オッサン”の連発で申し訳ないのだが、結論から述べると私はオッサンの「やる気」が、「人格的成長(personal growth)」というポジティブな心理的機能によるものなら、変わると確信している。 「人格的成長」とは「自分の可能性を信じる」気持ちのこと。専門家の中にはこれを「チャレンジ精神」と同一に扱う人もいるが、実際には異なる。 チャレンジ精神が、 自分の行動する力に価値を見出していることに対し、人格的成長は、自分の内在する力に価値を見出すもので、 先の動画でいえば 「まだ、できると思うんです」 という、実にシンプルかつ根拠なき確信である。
・そう。「根拠のなき確信」ほど、人間の底力を引き出す無謀な心の動きは存在しない。 実は森下仁丹の駒村純一社長も、自分の可能性にかけ、会社を変えたひとりだったのである(詳細は同社HPをご覧下さい。以下、抜粋して要約)。
・駒村さんは元商社マン。イタリアに駐在した時には現地の出資先の社長も経験するなど、まさに順風満帆のキャリアを歩んだ人物である。 ところが、ある日ふと「このままではつまらない人生になってしまう」と感じ始める。引退に向けて安定した人生が約束されていたにも関わらず、だ。 そこで一念発起し、52歳で商社を退職したそうだ。 「早期退職の意向をメールで送ったときは、エンターキーを押した瞬間に、『やばいことしたな』と思ったものです(笑)。 (中略) 転職先が決まっていたわけではありません。まだまだ自分は一線で働きたいという思いだけで、退職を決めました」 駒村氏はこう語っている。
▽周りは敵ばかり
・退職後は、キャリアを生かし外資系企業を中心に就職活動を始めたが、就職先は決まらなかった。 無職となり5か月が過ぎようとしたとき、「経営状況が悪化している大阪の老舗企業が、経営の立て直しの人材を探している」と知り合いからオファーが届いた。それが森下仁丹だった。 「私には、そうした企業を黒字転換させてきた経験がある。自分のキャリアが生かせるかもしれない」 そう考えた駒村氏は、執行役員として入社。
・が、中に入って知った会社の現状は、想像以上に厳しいうえに社内には「やる気が失われていた」。 売り上げはピーク時の10分の1。それでも社員たちには「創業120年を超える老舗がつぶれるわけがない」と、危機感を全くもっていなかったのである。 そこで経営の立て直しを進めようとするのだが、「外から来たやつが何を言ってやがる」と反感を持つ人も多く、周りは敵ばかり。 「社内に蔓延する『つぶれるわけがない』という空気を変えるには、新しい風を入れるしかない」――。
・駒村氏は、外部の人材を積極的に起用し、管理職に抜擢。当然ながら、生え抜きの社員は猛反発。それでも氏はやり方を変えなかった。 「新しい人が来て結果を出していけば、それが刺激になる。会社が本気で変わろうとしているという危機感を持ってもらうためには、まず行動で示すことが大切でした。改革には痛みが伴う。その痛みを避けていては、前に進むことはできない」
・自分を信じ、中途採用を広げ、部長職の平均年齢も40代と大きく若返り、2006年には社長に就任。本社の工場敷地も売却し、財務状況を健全化させ、次のチャレンジをするための下地を整えた。 その結果、生まれたのが現在の経営の柱となっている、独自のシームレスカプセル技術。10年間で売り上げを倍にし、今に至っているのだという。
・「このままではつまらない人生になってしまう」という感覚は、まさしく「人格的成長」であり、「自分の内在する力に価値」を見出しているからこそ、「自分のキャリアが生かせるかもしれない」と考え、周りが敵だらけでも「会社を絶対に再生できる」と行動できた。 ただ、おそらく駒村氏自身が公言していない、「苦悩」や「情けない自分」との葛藤もあったはずだ。
▽「辞めなきゃよかった」という言葉が出そうになる
・前回(「やりがい搾取」の共犯?文科省公認の天職信仰)書いたとおり、すべてのサクセスストーリーは「後付け」で、そこには決して語られない、あるいは本人でさえも忘れてしまった「かっこ悪い自分」が例外なく存在する。 全くレベルは違うし、ここで個人的な話を持ち出すのはおこがましいのだが、私もそうだったから。前向きな気持ちで崖から飛び降りた先には、いくつもの鋭利な砂利が転がっていて。それを乗り越えるには節操なく自分の可能性を信じる気持ちと、痛みを痛みと思わないずぼらさが必要なのだ。
・私は「このままでいいのかな。もっとなんか出来るんじゃないかな。自分の言葉で伝える仕事がしたい」と、若気の至りで28歳のときスッチーを辞めたわけだが、実際に辞める決心をしたのは、「2年後の自分」を想像したときだった。 「2年後、今のままCAをしている自分と、他のことをやっている自分、どちらが魅力的か?」――。そんな問いがふとわいてきて、後者の自分に魅力を感じ、辞めた。 なぜ「2年後」で、なぜそういう問いになったのか、自分にも分からない。辞めたところでナニかが決まっているわけでもない。
・でも、「他のことをやっている自分の方が魅力的」という根拠なき確信が、辞めたあとの不安をワクワクした感情に変えたのである。 とはいえ、現実は想像以上に厳しい。 28歳の小娘に「自分の言葉」などあるわけがなく、元気いっぱい辞めたはいいけど、何も決まらない、進みたくても、前に進む道筋すらちっとも見つけられない自分がいて。
・スッチーの同期が「明日からロスだよ」なんて電話してくると、「辞めなきゃよかった」という言葉が出そうになり、でもその言葉を口にした途端、自分がどうにかなってしまいそうで、絶対に口にできなかったのである。 なので、気象予報士第1号となり合格当日にたまたま「ニュースステーション」に出演するまで、私は友だちと連絡をとっていない。 多分、潔く辞めたはいいけど「何者にもなれていない自分」が、ちょっとばかり恥ずかしかったんだと思う。
・ただ、そこに至るまで私が踏ん張れたのは、「それでいいんだよ。踏ん張れ」と背中を押してくれる人たちがいたからに他ならない。民間の気象会社で出会った気象庁のOBのおじいちゃんたち、社内でサポートしてくれた上司、そして、何よりも気象のずぶの素人の私を受け入れてくれた当時の社長さんがいたからこそ、私は砂利道をなんとか歩くことができた。
・そんなときに自分にできることといったら、気象の勉強をひたすらやることだけで。給料泥棒にならないよう、必死で勉強し、少しでも仕事の質をあげるべく努力することくらいしかできなかった。 おそらく駒村氏にも、痛みの伴う改革を断行するうえで応援団がいたのではないだろうか。同じように「会社の空気を変えなきゃ」と危機感を持ち、社外からきた駒村さんを信じ、駒村さんの可能性に賭けた人がいた。「敵」の中に数少ない応援団がいて、彼らがいたからこそ、駒村さんも自分に課せられた仕事の質を必死であげるべく努力したのだと思う。
▽「学び続ける覚悟」を持つこと
・人格的成長――。 「自分の内在する力に価値」を見出す、前に開かれた感覚である人格的成長は、あくまでも“今”を成長への通過点と捉え、不甲斐ない自分、自分に対する批判、といった向き合いたくない「自分の市場価値」を受け入れるまなざしを持ち、危機感を持つ感覚と言い換えることができる。 そして、目の前の仕事の「質」を高めるために、「自分にできること=学び」に励む。とにかく動く。アレコレ考えずにとにかく動く。自分をどうこうするのではなく、目の前の仕事を「少しでもいい仕事」にすべく努力する。その結果、人格的成長が強化されていくのである。
・つまり、真のやる気とは、結局のところ「学び続ける覚悟」を持つこと。 ほんのちょっとでもいいから、仕事の質を高めるべく勉強する。「自分の成果物」の価値を上げるべく邁進する。それが、結果的に自分を進化させ、「うん、成長したかも…」といった自負につながっていく。
・かなり前に本コラム(定年延長で激化する「“オッサン”vs若者」バトル)でも紹介したが、高齢者雇用を通じて生産性を10年で3倍まで向上させた「VITA NEEDLE社」(米マサチューセツ州のステンレス製のニードルやチューブといった特殊部品を製造する会社)の従業員もそうだった。 高齢者の方たちは、「自分を雇ってくれた会社」を信頼し、誠心誠意会社に尽くした。 自らの持つ能力と知見を最大限に生かし、積極的にスキルを磨き、社員同士で助け合い、互いにスキルを向上させ、自分の人生の集大成としてひたすら一生懸命働き、企業の生産性向上に寄与したのである。
・オッサンを求める「環境」に、「真のやる気」と「経験」という係数が加わればオッサンは化ける。でもって、オッサンが「環境」を変える。 これまで600名超の方たちをインタビューしてきたけど、いかなる状況になっても腐ることなく、自分を信じ、前に踏み出した“おっさん”たちがいた。
+「まだ終わりたくない」と一念発起し転職を試みたものの、直後にリーマンショックが勃発。職安通いを強いられた元一流企業の部長53歳。
+50代には仕事がないことに気付き、給与半減覚悟で小企業に転職したマンネン課長52歳。
+「発展途上国で自分の技術を生かしたい」と英語学校に通い、青年海外協力隊に応募したメーカー勤務の男性49歳。
+「もっと会社の役に立ちたい」と、誰も行きたがらない離島勤務を志願した部長さん53歳。
・中には私のインタビューに答えるうちに、「自分にももっとできることがあるのではないか」と前に踏み出した人たちもいた。 彼らはいずれも、誰もが知っている大企業に勤め、そこそこ出世していている人たちだったが、そういった属性を捨て、まる裸の「自分」に勝負をかけた人たちだった。 その“オッサン”たちは、みんなイイ顔をしていた。
・そんなオッサンたちを受け入れる質のいい環境が増える火付け役に、森下仁丹がなればいい、と心から願う。 ちなみに同社広報によれば、「社員数300人規模の会社なので採用は数人程度と考えていますが、3月6日午前中の時点で、応募数は約1000人に上っています」とのこと。おぉ!「やる気」に満ちたオッサンは、たくさんいるのだ。 オッサン、がんばれ! オバさん、がんばれ! はい、オバさんの私もがんばります!
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/030300094/
次に、2月20日付けダイヤモンド・オンライン「なぜ、日本人は「空気」に左右されるのか?『失敗の本質』が教える4つの罠」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・30年前の名著『失敗の本質』が今、熱い。日本軍の組織的失敗を分析した同書からは、行き詰った日本企業、日本社会の再生へのヒントが満載だ。今こそ、日本的組織の本質を問うべき時がきている。名著が分析した日本軍の敗因は数多くあるが、その中でも日本人の特性を象徴しているのが「空気」の存在。開戦時は多くの日本人が正確な情報を知らぬまま戦争に賛成していた。また、開戦後も軍部の暴走によって次々と非合理な作戦が実施された。なぜ、日本人は「空気」によって不可思議な判断をしてしまうのか。14万部のベストセラー『「超」入門 失敗の本質』の著者が、その秘密を読み解く。
▽それでも日本人は戦争を選んだ。戦争賛成派が多かった謎
・名著『失敗の本質』は、1939年に国境紛争として起こったノモンハン事件と、大東亜戦争における5つの軍事作戦の、計6つの作戦を日本軍の組織的な失敗例として取り上げて分析した書籍です。 戦争は私たち現代日本人にとって忌むべきものであり、二度と起こしてはならないことは明白です。暗く悲惨な戦争の歴史を振り返るとき、「平和」の大切さは一層重みを増してきます。
・しかし、多くの史実から太平洋戦争初期には、戦争に賛成する日本人が多かったことが指摘されています。よく言われるように、一部の軍人が戦争を始めたのではなく、戦争を選んだのもまた日本国民の総意であったと言えるのです。なぜ、あのときの日本人は、戦争に賛成してしまったのでしょうか。
・『証言記録兵士たちの戦争』(日本放送出版協会)等の書籍では、戦争初期に最前線に向かう日本の兵士は比較的楽天的で、日本軍が負けることなどまったく想像していなかったのを伺わせる証言が残っています。 また、『失敗の本質』で分析された各作戦においては、戦闘方法自体が効果を発揮していないにも関わらず、何度も同じ方法で部隊を投入して、敗北を重ねる姿が浮き彫りにされています。
・70年以上を経た今から見ても、日本軍がどうして「そういう方向」へ向かって行動したのか、わからないことが多々あります。そこには、危機的状況に陥ったときに合理的な判断を奪う、極めて日本人的な特性が見え隠れしています。 日本人は一つの目標が設定されたときには一致団結して立ち向かう強さを発揮しますが、逆にその強さゆえ、設定した目標自体を揺るがすような意見は徹底的に排除するような特性を持っています。戦時中、反戦思想を持つ国民を誰より強く糾弾したのも、同じ日本人の隣人でした。
・今でも、企業の不祥事や方向転換を拒んで経営破綻した企業のニュースを耳にするたびに、外側から見れば不思議に思えるようなことが多々あります。けれど、当事者からすれば、「そうせざるを得なかった」という極めて日本人的な組織の発想によって行動を左右されている事実があります。
・なぜ、日本人は開戦時、戦争に対して好意的だったのでしょうか。そして、開戦後、なぜ日本軍は合理的な判断ができなくなってしまったのでしょうか。今回は、『失敗の本質』で取り上げられている、日本人の判断に影響を与える「空気」の存在について紹介しましょう。
▽オセロの白が一瞬ですべて「黒」に変わる
・ロングセラーとなっている『「空気」の研究』(山本七平/文春文庫)に、興味深い事例が出てきます。海軍の伊藤長官と三上参謀が、戦艦「大和」の沖縄特攻について交わした会話です。伊藤長官は作戦検討の過程で醸成された「空気」を当初知らないため、「大和」の出撃を当然のごとく反対します。
・軍人から見れば「作戦として形を為さない」ことは明白だったからです。しかし、反対していた伊藤長官は、三上参謀の次の言葉で「空気」を理解するのです。
三上参謀「陸軍の総反撃に呼応し、敵上陸地点に切りこみ、ノシあげて陸兵になるところまでお考えいただきたい」
伊藤長官「それならば何をかいわんや。よく了解した」
・まるでボードゲームのオセロで、白の石がすべて一瞬で黒に変わるような瞬間です。合理的な思考から当然の反対を唱えていた伊藤長官は、まさに空気を理解しただけで一瞬のうちに結論を180度変えてしまいます。 この短い会話をどのように解釈するか、さまざまな見解があると思いますが、白か黒かをある一点の議論で染め抜いてしまい、本来白と黒が混在しているはずのものを一瞬にして一色に変えてしまったことは事実です。
・三上参謀の発言は「兵士が犠牲になっても大和特攻でその精神を見せるべき」という意図があると推測されますが、本来「大和の沖縄出撃」は、海軍とその乗組員が敢闘精神を発揮する、というだけの問題ではありません。 「大和」の沖縄出撃という大問題は、さまざまな要素を含んでいたはずです。海軍のメンツや覚悟もあったのでしょうが、他の要因「兵員の生命」「作戦成功率の問題」なども当然存在したはずです。
▽愚かな決定によって「白骨街道」が生まれた
・『失敗の本質』でも分析されているインパール作戦は、日本の第15軍司令官牟田口中将が中心となり、2000メートル以上の大山脈を越えてインドの国境地帯に進出する作戦ですが、補給の成算がないという、ずさん極まるものでした。 武器弾薬が極度に欠乏し、インパールへ向かった日本軍は追い込まれ、「銃を撃ってくる相手に石つぶてを投げて応戦した」場面もあったほどです。
・餓死者が続出する極限状態に陥ってもなお、河辺司令官と牟田口中将は撤退を決断できず、その2か月後にようやく撤退命令が出されると、日本軍が退却する道は、あまりに犠牲者が多いことで「白骨街道」と呼ばれます。 では、なぜこのような「驚くべき悲劇」を生み出す決断がなされたのでしょうか。何が愚かな決定をつくり出したのでしょうか?
▽「指揮官の個人的な熱意」は作戦遂行の判断材料か?
・牟田口中将は、ある日本軍参謀に「アッサム州かベンガル州で死なせてくれ」と語り、並々ならぬ熱意を訴えかけたとされています。また、上官である河辺司令官は私情から「何とかして牟田口の意見を通してやりたい」と考えていたようです。 しかし、ここで重要な点として、作戦遂行の可否を決断する際に、一指揮官の個人的な心情と上官との人間関係が「GOサインを出す」ための何割程度の根拠となるべきか、という問題です。
・当然のことですが、「軍事作戦」ですので、作戦の戦略的意義と勝算の有無こそが「GOサインを出すか否か」の判断基準の100%を占めるべきです。 同様に、戦艦「大和」が護衛の戦闘機のないまま沖縄へ向けて出撃する際にも、「作戦の成否勝算」よりも、海軍の「敵上陸地点に切りこみ、ノシあげて陸兵になる覚悟」によって上層部は「大和」特攻の「空気」を理解したのです。
▽議論の可否と関係ない「正論」で誤った判断を導く罠
・注意すべき点として、インパール作戦を熱望する牟田口中将や「大和」の沖縄特攻の主張には、小さな「正論」が含まれていることです。 (1)指揮官が作戦への積極性を持つ (2)海軍側が、沖縄の上陸地点に乗り上げて陸兵になる強い覚悟
・このような、ある種「小さな正論」があることで、軍事的合理性や勝算、補給などの準備ができるかどうかなど、本来、作戦可否を決定する正しい比率を歪める悪影響を及ぼしているのです。 同じようなことは、実は日本の組織・社会では頻繁に起こっています。不祥事の隠ぺいがニュースとなるとき、「特殊な空気に包まれてしまった」という述懐がよく行われますが、この場合、「空気」は何かしらの説得的な効果を持って、不祥事を公表するより「黙っておいたほうがいい」と集団に思わせたということになります。本来、適切に行われるべき議論を封殺するのは、空気の得意技というところでしょうか。
・私たち日本人は、ある一つの事象を見て「全体像を類推する」ということをよく行います。座敷に上がる際に、脱いだ靴の揃え方で相手の性格を断じることもあるかもしれません。逆に言えば、身なりがきちんとしていることで、相手の行動を詳しく確認せずに「信頼できる人物」と思い込んでしまうこともあるでしょう。
・悪意を持ってこのような「歪んだ判断」を誘導するために、例えば靴の揃え方が悪いだけで、営業マンとして無能で出世させてはいけない人間だと断じることも可能です。
・空気の醸成とは、本来可否の判断に「関係のない正論」を持ち出して、判断基準を歪めることで間違った流れを生み出すことです。その影響は、以下の2つの形で及ぶことが多いようです。 (1)本来「それとこれとは話が別」という指摘を拒否する (2)一点の正論のみで、問題全体に疑問を持たせず染め抜いてしまう
・悪意を伴った空気の醸成は、大東亜戦争のみではなく、現在の日本社会でも頻繁に見られる現象であり、正しい議論と判断を妨げるこの国の大きな足かせとなっています。一度皆さんも周囲で聞く議論をこの視点から眺めてみると、あまりの不条理さに驚くことになるのではないでしょうか。
▽正しい方向転換を妨げる空気を生み出す「4つの要素」
・本軍はなぜ、正しい方向転換ができなかったのでしょうか。なぜ、合理的な判断を妨げる「空気」というものが醸成されてしまったのでしょうか。 日本軍の作戦過程で何度も出現した「空気」について理解するために、現在、経営学等でも指摘されている、集団が誤った結論に飛びついてしまう心理的要因をもとに、以下の4つの要素にまとめてみましょう。
(1)既にある多くの犠牲を取り戻したい心理(埋没費用) サンク・コスト(埋没費用)は経済用語の1つでもあるのですが、簡単にいえば既に投下したが、回収不能だとわかったコストを意味します。 既に多くの犠牲を払ってしまったプロジェクトに対して、完成しても採算が取れないと(途中で)わかった場合でも、多くの人は投入した損失そのものを取り返すために、さらに損害を重ねることがあります。 日本軍の参謀たちは、ずさんな作戦計画で多数の兵士が犠牲となった戦場に、あくまで固執して部隊を投入しています。味方兵士の多大な犠牲を払ったことで、逆に勝つまで撤退できないと強く思い込む心理は、まさにサンク・コストの罠にはまっています。
(2)未解決の問題への心理的重圧から逃げる 問題に対して解決策を見つけられない状態は、大変ストレスが溜まります。特定の集団が、ある問題に対して苦労して解決策を導いた場合、その解決策が実施の際に適切に機能しなくても、未解決の状態に戻りたくないという心理が働くことがあります。 当初組み上げられた「作戦計画」が上手くいかないことを認めると、未解決の状態へ逆戻りすることになります。この心理的重圧から逃げたいという欲求で、上手くいかない現実を認められない状態になるのです。
(3)愚かな判断を生む人事評価制度 日本軍は「やる気を見せること・積極性」が組織内の人物評価として重視され、戦果や失敗責任については考慮される比率が低い集団でした。この歪んだ人事評価制度はのちに、無謀な作戦を実行し責任を取らない人物を日本軍の内部に増加させてしまい、敗北を決定的にします。 組織内政治、ゴマすりばかりが上手な人物が出世することになれば、実務能力があり判断の優れた人物が無能な人間の指揮下に入ることになり、前線の混乱と敗北は避けられないでしょう。 組織は内部で出世させる人物の「基準」によって、極端に無能になることもあれば、極めて優れた成果を生み出す集団にもなるのです。
(4)グループ・シンク(集団浅慮)の罠 特定の集団内における関係性、立場などを客観的な事実より優先して物事を判断すれば、現実世界における目標達成力を失う原因になります。 歴史の長い老舗企業、巨大組織などで過去の関係性、肩書き、人間関係などが判断において大きな比重を占めるなら、その集団は外部における現実への対応能力を大きく損なうことになるでしょう。 ビルマ防衛の体制を崩壊させたインパール作戦では、牟田口中将が個人的な想いからインド国境への進軍をたびたび進言しますが、あまりの非合理さから日本軍内でも否定的な意見が相次ぎます。 しかし、牟田口と人間的な関係が深かった上司、河辺方面軍司令官は私情に動かされて無謀極まる作戦を止めませんでした。 非現実的な判断と行動の結果は、参加人員約10万のうち戦死者約3万、戦傷・後送者約2万、残存兵力約5万のうち半分以上が病人という「莫大な犠牲」で終わりました。
・以上が「空気」を生み出す4つの要素ですが、戦時中、日本人が合理的な議論を放棄して盲信してしまった事実は、大いに反省すべき点です。上層部の作戦に関わらず、大東亜戦争開始時には、戦争に反対する日本人より、戦争に肯定的だった日本人のほうが多かったこともまた事実なのです。 現代の日本企業においても、「空気」によって合理的な判断が妨げられている企業は数多く存在しているはずです。 敗戦という悲劇の歴史を忘れず、これからの日本と日本人は、「空気の欺瞞」を打ち破ることを肝に銘じるべきです。 ※この記事は、2012年4月17日に公開された記事を一部加筆修正したものです)
http://diamond.jp/articles/-/116655
第三に、ニッセイ基礎研究所 専務理事の櫨 浩一氏が7月31日付け東洋経済オンラインに寄稿した「薄利多売をやめなければ経済成長は望めない 日本は低収益・低賃金でいつまで頑張るのか」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・日本では今後さらに高齢化が進む。これまでと同じように15~64歳までの人口を労働力の中核となる生産年齢人口だと考えていると、労働人口が大きく減少してしまうことは避けられない。
・国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口(平成29年推計)」では、生産年齢人口は2015年の7728.2万人から2065年には4529.1万人へと大きく減少すると予想している。政府は、65歳以上の高齢者の就業促進や、子育てをしながら就業をすることがより容易になるような社会への転換で、労働力の減少を緩和しようとしている。 それでも現実に起こる労働投入量の減少は、みかけの労働力人口の減少よりもずっと深刻なものとなる恐れが大きい。
▽このままでは労働時間は短くなり、生産性も下がる
・第1の原因は、今後追加的に加わる労働力は一人当たりの就業時間が短いと予想されることだ。 高齢者が若い人達と同じように毎週5日間フルタイムで働くということは難しく、65歳を超えるさらに高い年齢層が働くようになれば、差はより顕著になるはずだ。 また、より多くの人が子育てをしながら働けるようにするためには、今までよりも柔軟な働き方を提供する必要があり、労働時間は短くなるだろう。働き方改革で長時間労働の解消を図っていることも加わって、就業者1人当たりの就業時間はより短くなるはずだ。
・第2の原因は、就業者の平均年齢が高くなることで労働時間1時間あたりの生産性を低下させる圧力が加わることだ。経験を積むことで向上する能力もあるが、加齢による体力や集中力の低下は避けられず、高齢者が1時間働くことと、若い世代が1時間働くことでは生産に与える効果が違うことは否定できない。
・労働力の減少が続く中で、日本で生活する人たちが豊かさを維持し、生活水準を向上させていくためには、生産性を高めていく必要がある。政府や経済団体、エコノミストの提言でも、生産性向上の重要性は誰もが一致して主張するところだ。 さまざまな生産性の指標の中でも労働生産性は単純明快で分かりやすく、多くの議論で使われている。たとえば就業者1人当たりのGDP(国内総生産)を考えてみよう。
・就業者数が変わらなければ、労働生産性が高まると日本全体のGDPが増えるが、他方でGDPが増えていれば必ず労働生産性は上昇している。経済成長には労働生産性の向上が必ず伴う。したがって、経済成長のために労働生産性を向上させると言う場合、どうやって労働生産性を高めるのかということを言わなければ、何も言っていないに等しい。
・労働生産性を高めるためには、より多くの機械を導入して生産効率を高めることが考えられる。自動化を進めるために就業者1人当たりの機械設備を増やせば労働生産性は高まるが、設備への投資や維持更新を行うために国内生産のより大きな部分を割くという負担も増える。設備投資の拡大で労働生産性を高める戦略には限界がある。
▽ICT投資よりもTFPが問題なのではないか
・今年の経済財政白書は、日本の生産性がアメリカ、スウェーデンのそれよりも1時間当たり15~20ドル程度も下回っているとし、ICT(情報通信技術)への投資の必要性を強調している。しかし、1994年を起点として2015年までの労働生産性の要因別(TFP<全要素生産性>、ICT資本装備率、非ICT資本装備率)の累積寄与度の差をみると、日本とアメリカとの生産性の差のほとんどはTFP(全要素生産性)要因によると述べている。
・スウェーデンに対しても、差の約3分の2はTFP要因で、約3分の1がICT資本装備率要因だ。米国との労働生産性の比較では、ICT投資はほとんど寄与しておらず、非ICT投資についてはむしろ差を縮小する要因となっている。白書は、中小企業についてICT投資の不足が低生産性の原因であることを強調しているが、日本経済全体としてみれば投資量が足りないことが、他の先進諸国に比べて労働生産性が低い原因とは言えない。
・TFPは生産の増加のうちで、労働投入や生産設備などの資本の投入で説明できない部分のことだ。生産拡大に対するTFPの寄与を決めるものは、新製品の投入、新しい生産技術の採用といった技術進歩であるとされている。 日本に求められているのは、米国の新興企業のようにもっと独創的な新製品を作り出したり、欧州の老舗企業のようにブランドイメージを高めて高値で売れる良い製品を作りだしたりすることだろう。
・日本企業はかつて就業者1人当たりの設備を増やして労働生産性を高め、低コストで大量生産を行うことで成功してきた。日米の経済成長の差の大部分を説明しているTFPの寄与の違いは、中進国から高所得国へと成長する過程でのこうした成功体験が今も忘れられず、依然として薄利多売という戦略に固執していることに原因の一つがある。
▽「円安志向」、「誘致の人数目標」も従来の発想
・海外の物が安く買える円高を嫌い、安値で海外に日本製品が売れる円安を好むのも、薄利多売の考え方が日本経済全体に染みついているからだ。しかし、今は同じ戦略を日本よりも賃金の低いアジアの新興国が採用しており、同一の土俵で戦えば、賃金の高い日本は最初から圧倒的に不利である。
・訪日外国人観光客への対応でも、外国人向けの運賃の割引などの制度を作って、より多くの外国人観光客を誘致しようとしているが、これも薄利多売戦略の亜種というべきだろう。世界中の観光客に人気のハワイでは考え方が逆で、カマアイナ・レートと呼ばれる地元住民向けの安い料金が設定されていることがある。ハワイ州の消費税率は5%弱だがホテル宿泊客には高いホテル税が賦課される。つまり観光客からは高い税を取って地元の人達の税金を安くしようという考え方だ。
・労働力の余剰があって失業が大きな問題となっていた時代であればともかく、人手不足の深刻化が懸念される中で、低収益・低賃金を武器に薄利多売という戦略を続けるのでは、経済成長はおぼつかない。良いサービスからは、それに応じた適切な料金を徴収するということをもっと真剣に考えていかないと、日本で生活する人たちの生活は貧しくなっていってしまうだけだろう。
http://toyokeizai.net/articles/-/182449
第一の記事で、森下仁丹が商社出身の社長の下で、危機感が乏しい社員たちのなかで、再生した話は初めて知った。社長の苦労は並大抵ではなかったろう。 『“第四新卒”の採用』、も上手くいって欲しいものだ。 『私はオッサンの「やる気」が、「人格的成長(personal growth)」というポジティブな心理的機能によるものなら、変わると確信している・・・「根拠のなき確信」ほど、人間の底力を引き出す無謀な心の動きは存在しない・・・真のやる気とは、結局のところ「学び続ける覚悟」を持つこと・・・オッサンを求める「環境」に、「真のやる気」と「経験」という係数が加わればオッサンは化ける。でもって、オッサンが「環境」を変える』、などの指摘は興味深く、確かにその通りなのかも知れない。河合氏の記事は、いつも通り、ユーモアに溢れ、傑作だ。
第二の記事で、 『日本人は一つの目標が設定されたときには一致団結して立ち向かう強さを発揮しますが、逆にその強さゆえ、設定した目標自体を揺るがすような意見は徹底的に排除するような特性を持っています』、 『正しい方向転換を妨げる空気を生み出す「4つの要素」・・・既にある多くの犠牲を取り戻したい心理(埋没費用)・・・未解決の問題への心理的重圧から逃げる・・・愚かな判断を生む人事評価制度・・・グループ・シンク(集団浅慮)の罠』、などの指摘は大いに考えさせられる。
第三の記事で、 『ICT投資よりもTFPが問題なのではないか』、 『生産拡大に対するTFPの寄与を決めるものは、新製品の投入、新しい生産技術の採用といった技術進歩であるとされている』、 『「円安志向」、「誘致の人数目標」も従来の発想』、などの指摘はその通りだ。
タグ:中進国から高所得国へと成長する過程でのこうした成功体験が今も忘れられず、依然として薄利多売という戦略に固執していることに原因の一つがある ICT投資よりもTFPが問題なのではないか このままでは労働時間は短くなり、生産性も下がる 薄利多売をやめなければ経済成長は望めない 日本は低収益・低賃金でいつまで頑張るのか 東洋経済オンライン 櫨 浩一 (4)グループ・シンク(集団浅慮)の罠 (3)愚かな判断を生む人事評価制度 (2)未解決の問題への心理的重圧から逃げる (1)既にある多くの犠牲を取り戻したい心理(埋没費用) 正しい方向転換を妨げる空気を生み出す「4つの要素」 空気の醸成とは、本来可否の判断に「関係のない正論」を持ち出して、判断基準を歪めることで間違った流れを生み出すことです ある種「小さな正論」があることで、軍事的合理性や勝算、補給などの準備ができるかどうかなど、本来、作戦可否を決定する正しい比率を歪める悪影響を及ぼしているのです 議論の可否と関係ない「正論」で誤った判断を導く罠 、「軍事作戦」ですので、作戦の戦略的意義と勝算の有無こそが「GOサインを出すか否か」の判断基準の100%を占めるべきです 作戦遂行の可否を決断する際に、一指揮官の個人的な心情と上官との人間関係が「GOサインを出す」ための何割程度の根拠となるべきか、という問題 インパール作戦 愚かな決定によって「白骨街道」が生まれた 合理的な思考から当然の反対を唱えていた伊藤長官は、まさに空気を理解しただけで一瞬のうちに結論を180度変えてしまいます 日本人は一つの目標が設定されたときには一致団結して立ち向かう強さを発揮しますが、逆にその強さゆえ、設定した目標自体を揺るがすような意見は徹底的に排除するような特性を持っています 『「超」入門 失敗の本質』 日本人の特性を象徴しているのが「空気」の存在 失敗の本質 なぜ、日本人は「空気」に左右されるのか?『失敗の本質』が教える4つの罠 ダイヤモンド・オンライン オッサン、がんばれ! オバさん、がんばれ! はい、オバさんの私もがんばります! ・オッサンを求める「環境」に、「真のやる気」と「経験」という係数が加わればオッサンは化ける。でもって、オッサンが「環境」を変える 真のやる気とは、結局のところ「学び続ける覚悟」を持つこと すべてのサクセスストーリーは「後付け」で、そこには決して語られない、あるいは本人でさえも忘れてしまった「かっこ悪い自分」が例外なく存在する 駒村氏は、外部の人材を積極的に起用し、管理職に抜擢。当然ながら、生え抜きの社員は猛反発。それでも氏はやり方を変えなかった 中に入って知った会社の現状は、想像以上に厳しいうえに社内には「やる気が失われていた」。 売り上げはピーク時の10分の1。それでも社員たちには「創業120年を超える老舗がつぶれるわけがない」と、危機感を全くもっていなかったのである ある日ふと「このままではつまらない人生になってしまう」と感じ始める。引退に向けて安定した人生が約束されていたにも関わらず、だ。 そこで一念発起し、52歳で商社を退職 元商社マン 駒村純一社長も、自分の可能性にかけ、会社を変えたひとりだった 。「根拠のなき確信」ほど、人間の底力を引き出す無謀な心の動きは存在しない オッサンの「やる気」が、「人格的成長(personal growth)」というポジティブな心理的機能によるものなら、変わると確信している 「女性を輝かせる」前に「オッサンを輝かせろ!」と、私はこれまで幾度となく訴えていたので、やっとこういった会社が出てきたことが、率直にうれしい 求められる資質は「やる気」のみ! 、“第四新卒”の採用をスタートさせた 森下仁丹 日本と仁丹を救うオッサンの「根拠なき確信」 仁丹曰く「案外、オッサンたちがこの国の希望かもしれない」 日経ビジネスオンライン 河合薫 「円安志向」、「誘致の人数目標」も従来の発想 (その3)(日本と仁丹を救うオッサンの「根拠なき確信」、なぜ、日本人は「空気」に左右されるのか?、薄利多売をやめなければ経済成長は望めない) 日本経済の構造問題
脱税(ダイヤモンド・オンライン「国税局直轄 トクチョウ(特別調査部門)の事件簿」より) [経済]
今日は、脱税(ダイヤモンド・オンライン「国税局直轄 トクチョウ(特別調査部門)の事件簿」より) を取上げよう。これは、元国税調査官の上田二郎氏の活躍ぶりをTVドラマ化したものを、ダイヤモンド・オンラインが3月1日から6日まで5回シリーズで連載したものである。長目になるので、お急ぎの方は、1日、6日だけを読んでは如何。
第1回の3月1日付け「「正直者がバカを見る」脱税を見抜く 特別調査部門の目」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・トクチョウ(特別調査部門)とは、別名ピンク担当と呼ばれる国税局直轄の調査チームのこと。風俗店や飲食店の他、弁護士、司法書士、医師など、大口の申告漏れが見つかりそうな案件を対象に調査を行っている。調査のはじまりは、普通は見逃してしまうような小さな違和感。長年の経験と勘を頼りに、張り込みや潜入調査によって脱税者を追い詰めていく。17年間にわたりマルサで活躍した元国税調査官だからこそ明かせる、トクチョウの実力とは?TVドラマ化(「トクチョウの女」)される『国税局直轄トクチョウの事件簿』から、脱税調査の生々しい内幕を公開。
▽調査官の武器は知識と紙と鉛筆だけ
・税務調査は難しい仕事だ。若い調査官は自分の父親や、祖父のような年齢の人のところに調査に行かなければならない。相手は年上で、しかも、会社などの組織に属さず、自分の力で生活している実力者だ。そして、多くの場合には税金の専門家の税理士が関与している。
・税理士が国税OBだったりすると、かつての上司の場合も少なくない。調査は納税者側の土俵で行われるため、納税者が行っている事業の商慣習や業界用語、そして、業界で統一的に使用している帳簿類を知らなければ、相手に質問をすることもできない。こんな状況の中で調査官はパズルを紐解いていかなければならない。調査官の武器は知識と紙と鉛筆だけだ。
・統括官(管理職)から事案を交付された調査官は「調査の手引」を見て、調査先の業種・業態を勉強してから調査に臨む。「調査の手引」にはすべての業種が網羅されており、たとえば、建築業ならその商慣習、記録帳簿、調査の展開方法、過去の不正事例などが詳細に掲載されている。 業界のルールを知って経理処理を知っているからこそ、帳簿を見ていると不審な取引や不審な経理処理が浮かび上がってくる。
・個人課税部門の「調査の手引」は群青色で加除式になっている。加除式のため、新たな調査技法が見つかると、改定して最新の調査技法を加えることができる。「調査の手引」は先達からの贈り物だ。
▽一般調査と特別調査では何が違うのか
・税務署には多くの取引資料が存在している。法定調書として税務署に提出された資料や税務調査で収集した資料もたくさん存在するが、有効な資料は乏しいのが現状だ。調査官は納税者から事業の概況を聞き取り、帳簿を確認して感性を働かせてパズルを解いていくのだが、結果は調査官の実力に大きく左右されてしまう。
・このために税務署では調査を二極化している。調査を一般調査と特別調査に分けて、調査に濃淡をつけているのである。もちろん、マルサの強制調査ではないので、どちらの調査も納税者に協力を求めながら進める任意調査となる。
・しかし、一般調査と特別調査では調査内容が全く違う。一般調査は一件の調査日数が、平均で4日しか与えられていない。調査官は交付された事案を「時間の掛かる事案」と「比較的すぐ終わる事案」に分けて処理していくが、所詮、与えられた日数は4日しかない。
・統括官から調査指令を受けた調査官は、まず準備調査をする。自分なりに「調査の手引」を研究して調査内容を整理し、調査のポイントをピックアップする。そして、納税者に調査日時の連絡をして日程調整をすると、概ね1日が経過してしまう。 次に、実際に調査場所に臨場して納税者から事業概況を聴き取り、帳簿記録の説明を受けると、また1日が経過してしまう。続いて、必要がある場合に帳簿や領収書などの書類を借受けて、税務署に持ち返って分析すると、さらに1日が経過してしまう。
・最後に是正すべき事項があれば、納税者を説得して修正申告を提出してもらい、調査書類をまとめて調査報告書を作成する。そして、修正申告に伴った加算税の処理や調査結果の入力をすると、また1日が経過してしまう。 これで調査に与えられた4日間が終ってしまうということだ。もともと、一般調査では帳簿の表面を眺めるだけの薄っぺらな調査しかできないのが現状だ。読者のみなさんの中にも「重箱の隅をつつくような調査が行われている」という実感がある人がいるのでは無いだろうか。
▽特別調査部門では、調査日数が100日を超えることもある
・これに対して特別調査部門では、一件につき平均10日の調査日数が与えられている。取引先への反面調査(取引相手に内容の確認に行く調査)や銀行調査を考慮して、一般調査の倍以上の日数が与えられている。こうした深度の深い調査を行うことによって、課税の不公平の解消を目指しているのだ。
・特別調査部門では、故意に税負担を免れている人に対して一歩も引かない覚悟で調査を行っており、時に調査日数が100日を超える場合もある。申告納税制度の維持のためには「正直者がバカを見る」社会であってはならない。 もう少し特別調査部門について説明しておこう。
・個人課税部門、法人課税部門の中で、調査の花形部門が特別調査部門だ。個人、法人部門で所掌事務は若干ちがっているが、設置の主目的は、税務署全体の調査の士気を上げ、調査技法の先端技術の開発や困難事案の遂行をすることだ。 しかし、税務署内の案内表示を見ても、「特別調査部門」という文字はどこにもない。調査部門の中の一つの部門として、若しくは、調査部門の中に班として存在している。また、すべての税務署に配置されているわけではない。
・東京国税局管内では、点在する有名な繁華街を所轄する税務署はもちろん、タブロイド版の夕刊紙に紹介されるピンクゾーンを所轄する税務署にも配置されている。別名ピンク担当と呼ばれ、特定繁華街の掌握が主任務となる。
・調査は上席調査官と調査官がペアとなる「組調査(くみちょうさ)」を基本とし、調査効率の向上を目指すとともに、実践教育によって調査官に調査技法の伝承も行っている。 調査対象者の業種業態によっては、事業実態の解明のため無予告調査が必要になる場合もあり、これを主導するのも特別調査部門の役目だ。事案によっては、特別調査部門だけでは調査メンバーが足りないため、一般調査部門からも調査応援者を募って一斉調査の技法を経験させている。
・ここで特別調査部門の基本的な構成メンバーを紹介しておこう。
●統括国税調査官(トウカツ) 調査部門の指揮官で管理職。経験年数20年を越えるベテラン調査官。指揮官のため調査現場に出ることは少ない。しかし、調査畑の統括官によっては税務署内での指示より実践指導を重視し、現場に積極的に出ている者もいる。
●上席国税調査官(ジョウセキ) 経験年数15年から30年を超す者もいるベテラン調査官。長年培った調査経験で、若手の調査官を指導している。
●国税調査官(カン) 経験年数10年程度の調査官。バリバリの調査官で若手職員のホープ。仕事以外でも若手の兄貴的存在で、税務署全体をまとめる力も求められる。
・次回からは、特別調査部門の実力をケーススタディの形で紹介していく。 ※この記事は、2012年12月17日に公開された記事を、TVドラマ化(2017年3月4日放送、フジテレビ系列「トクチョウの女」)に合わせて一部修正して再公開したものです。
http://diamond.jp/articles/-/119330
第2回の2日付けの「「休眠口座の怪しい動き」に マルサ歴17年の勘が働いた」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・脱税に使われる道具のひとつが銀行口座。休眠口座や倒産した企業の口座、外国人が売却した口座など、多くの銀行口座が悪用されている。特別調査部門が監視しながらも、5年の間、調査に踏み切れなかった内科医。その調査のカギになったのは、遠隔地に開設された妻名義の預金口座だった。TVドラマ化(「トクチョウの女」)される『国税局直轄トクチョウの事件簿』から、脱税調査の生々しい内幕を公開。
▽不正な取引に使われる怪しい銀行口座の数々
・銀行の預金口座に休眠口座と呼ばれている口座がある。学生時代に使っていた口座。結婚前に使っていた旧姓の口座。転勤や転居で使わなくなってタンスの底に眠ってしまっている口座。これらの口座を使用しないで10年間放置していると、銀行が休眠口座として解約の扱いをしてしまうことがある。
・全国銀行協会の自主ルールでは、一律10年以上の利息収入以外の異動がない口座で残高が一万円以上で預金者と連絡が取れない口座又は、残高一万円未満の口座を休眠口座としている。現在までの休眠口座の累計は12万口座にのぼると推定されている。
・しかし、一度、休眠口座になった場合でも、本人が通帳や印鑑及び身分の確認の出来る免許証などを銀行に持参すれば口座を復活してくれる。上田は休眠口座が、突然、復活して悪さをすることをマルサの経験で知っていた。 使わなくなった口座を他人に売却する……。たとえば学生や外国人が、わずかのお金ほしさに口座を売ってしまう場合がある。特に外国人の場合は帰国する際に口座を売却してしまうため、売却口座が犯罪や脱税に使われているケースが多い。 倒産した法人名義の口座や、個人の口座もインターネットで売買されている。口座売買屋なる商売があるほどだ。他人名義の口座は間違いなく不正な取引に使われている。
▽脱税の道具は、妻名義の休眠口座だった
・東京国税局に採用後、税務署で4年間の調査経験を積んだところでマルサに招集され、足かけ20年をそこで過ごした上田は、たくさんの仮名預金や借名預金を見てきた。 銀行が窓口で本人確認を行うようになってから仮名預金は激減したが、それでも、様々な手を使って仮名預金が作られていた。一時期、流行ったのは国民健康保険証の偽造だ。パソコンが普及した結果、色つきの厚紙を使えば一昔前の保険証なら簡単に偽造ができた。
・実際に銀行で調査をしていると、不審な口座の新規開設に使われた本人確認書類が、偽造保険証であったことが何度もあり、発行された保険証の記号・番号を調べていくと実際には採番されていない偽の保険証だったケースがたくさんあった。マルサでは偽造番号を整理して偽造保険証を見破ることができるようにしていたのだ。
・妻の旧姓の口座も安易に脱税に使用されることがある。税務署にばれないと思っているらしいが、旧姓の口座などは、戸籍謄本から追えば直ぐに誰の使用している口座か判明してしまう。今回の内科医Hが使った脱税の道具は、妻名義の休眠口座だった。 特別調査部門のキャビネに棚卸事案となっている内科医Hがあった。棚卸事案とは調査選定したものの調査に踏み込むだけの端緒資料も無く、着手に踏み切れずに数年間放置されてしまった事案のことだ。H医師は5年間も調査着手されずに、毎年、翌年に繰越され続けてきた事案だった。
・H医師の申告状況は売上金額が2億円を超え、特別控除前の所得(利益)は6000万円を超えていた。事業専従者である妻も医師免許を取得して夫婦2人で診療をしており、妻の事業専従者給与額は年間3000万円にも及んでいた。 H医師の調査カードに一枚の資料が入っていた。調査カードとは、調査選定した事案の決算書や資料を入れておくカードのことだ。個人課税で使っている調査カードは、オレンジ色の厚紙に印刷され、5年間の申告状況の推移が一覧で確認できるものだった。
▽調査官の経験と感性がパズルのキーを見つけ出す
・調査カードには、売上や仕入、所得金額(利益)、申告納税額が記入され、過去の調査状況や接触状況等が整理されている。その中には毎年の確定申告書に添付された決算書が入っていて、調査で収集した資料や法定資料が挿入されている。 調査選定をするために最も重要なことは、調査カードを何度も見直すことだ。調査は税務職員の「感性」が最も重要で、同じ人間が見ても、その時々によって「ひっかかる」ものが違う。一度見た調査カードを2ヵ月後に見直すと、思わぬ点に気がついたり、逆に「いける」と思っていたことが、そうでもないと思えたりする。
・一人の人間が見ても、その時々によって「感性」が違うのだから、いろいろな人間が目を通すことがさらに重要だ。いろいろな人間が自分の「感性」と「経験」をフル動員して「調査のパズル」を解く「キー」を捜していく。 ある人は、学生時代に「ラーメン屋」でアルバイトをしたかもしれない。また、ある人は、建設作業員のアルバイトをしていたかもしれない。 どんな経験でも、今まで生きてきた中で何か調査に役に立つことが必ずある。過去の調査での経験、実家の家業、友人の事業、いくらでも事業に精通する機会はある。
・よって、調査カードを見る調査官が多ければ多いほど「調査のパズル」を解く「キー」に近づく確立が上がる。そして、各々の調査官が自分の意見を調査部門のメンバーに伝える。すると、他の職員が反論する場合もあるし、補足の意見を述べる場合もあるだろう。一人ひとりの経験値は小さくても、調査部門の全員の経験値を使えば「パズルのキー」は解けるかもしれない。
・そして、この調査選定の行為自体が税務職員全体の調査レベルの向上に繋がり、税務調査の充実が申告納税制度の不公平の解消につながっていく。 今回の調査で「パズルのキー」となったのは、遠隔地に開設された妻名義の預金口座の取引資料だった――。
http://diamond.jp/articles/-/119331
第3回の3日付けの「「逆L口座」から脱税の金の動きが見える」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・ 調査資料に記載された、たった一度の妻名義の口座への約30万円の振込が“調査の勘”にひっかかった。調べてみると、その口座は13年間眠っていて6年前に突然目覚めた口座であり、しかも、読み通りの「逆L口座」だった。果たしてこの口座は、脱税のための売上除外口座なのか!?
▽遠隔地に開設された妻名義の口座が「調査の勘」にひっかかる
・内科医Hの調査で「パズルのキー」となったのは、遠隔地に開設された妻名義の預金口座の取引資料だった。妻の旧姓ではなく実名の口座だ。なぜ、遠隔地に口座を開設したのかはわからない。H医師の転居状況を調べれば、かつて、その場所に住んでいたのかもしれないが……。
・取引資料には予防接種と記載してあり、妻名義の口座に約30万円が振込まれ、銀行名と支店名及び口座番号が記載されていた。資料には詳細の説明がなく、何の予防接種を行った報酬なのか、報酬の支払内訳にワクチンの材料費が含まれているのか、など詳細はまったくわからなかった。 ただ、報酬の支払時期が秋口から冬にかけて行われているため、一般的にインフルエンザ予防接種に係る報酬だろうと考えられた。資料は個人課税課の機動官が市役所に協力依頼して、予防接種の報酬の振込口座を資料化していたものだった。一般的に予防接種は自由診療だ。
・医師の診療報酬は患者が窓口で支払う自己負担金と、医師がレセプト請求をして国民健康保険等から後日振り込まれる、社会保険診療報酬に分かれる。いずれにしても保険診療報酬なら、売上金額はガラス張に近い。 これに対して、自由診療報酬は窓口で現金で支払われるため、売上除外に繋がり易い。しかし、診療所内で行ったインフルエンザの予防接種は一定の時期に行われ、ワクチンは翌年になると使用できない。そのため調査では、ワクチンの仕入本数を把握すると売上に正しく反映しているのか、いないのかが直ぐにわかってしまう。
・よって、一般的には診療所内で行った予防接種の売上を除外しても調査で直ぐにバレてしまうため、予防接種の売上を除外する医師は少ない。資料を収集した期間が短期間だったためか、資料に記載された振込は一回だけで、振込金額も30万円程度だった。そのため少額資料と判断され、収集されてから5年以上も活用されずにH医師は棚卸事案となっていた。 しかし、口座が事業専従者である妻名義であること。H医師の居住圏から電車で1時間以上も離れた他県に設定された銀行口座である事から、上田の「調査の勘」にひっかかるものがあった。
▽「逆L口座」は”たまり”を溜め込むための口座
・「これは、おもしろい資料かもしれない」。 上田はマルサで、たくさんの不正に使われている銀行口座を見てきた。不正に使われている口座の特徴は熟知している。たった一度の振込を資料化したものだったが、収集した機動官も「調査の感性」が働いていたに違いない。 「この銀行口座を復元(調査して口座の異動明細を作ること)すると、きっと逆L口座になっているはずだ」。上田の脳裏には、まだ見ていない「逆L口座」の姿がはっきりと映っていた。
・脱税に使用されている口座の特徴のひとつに「逆L口座」という呼び名がある。簿記の経験のある人にはわかりやすいかもしれない。銀行の通帳を思い出してほしい。預金通帳を見ると、一番左に「年月日」が記入してある。その右側は「取引内容」が記入され、「支払い金額」「預かり金額」「差引残高」と続いている。 預金の入金は銀行から見ると預り金(負債)の増加だ。したがって、入金は「貸し方」に記入される。「逆L口座」の特徴は、通帳に入金が続き、残高が一定額になると大きな金額で出金する口座の動きだ。出金は銀行から見ると負債の減少のため、借り方に記入される。 この口座の動きが「Lを逆から見たイメージ」に見えるため、税務の世界では「逆L口座」と呼んでいる。「逆L口座」の性格は一般的に「売上除外」や「たまり(脱税によって蓄財した資金)」の口座だ。
▽13年間眠っていた口座が、6年前に突然目覚めた
・税務調査では、仮装・隠ぺいの行為があった場合に7年間遡ることができる。確定申告しているのは事業主の医師Hで、妻の口座を使って売上を除外したと判断できれば、仮装・隠ぺいが成立する。そこで、7年間の調査を視野に入れて、口座の異動明細を調査した。数日後、銀行に依頼した口座照会の結果が税務署に届き、妻の口座の動きが判明した。
・口座には毎年、市役所から秋から初冬にかけて数回の振込入金があり、そのすべてが預金残高として溜まっていて、上田のイメージしていたとおりの「逆L口座」だった。一回当たりの振込金額は30万円から100万円に達する場合もあった。 7年間の振込総額は約1700万円にも達していたが、出金はたった一回しかなかった。5年前のクリスマスの少し前にATMで100万円を出金していた。出金場所は、H医師の自宅の最寄駅にあるATMコーナーだった。
・税務調査のヨミとして、この銀行口座を売上除外口座と判断するのは難しいかもしれない。なぜなら、市役所から振り込んでくるからだ。市役所は市民税を徴収する役所である。まさか、大胆にも、市役所からの振込入金を申告から除外していることは、一般的には考えにくい。H医師の確定申告状況から考えて、1700万円程度の金額を預金口座に放置しておいても、生活には全く支障は無い。
・しかし、妻名義の口座を調査した結果、売上除外口座と判断できる大きな特徴が見つかった。口座の異動状況を7年間調査したところ、7年前には口座の動きは全く無かった。そして、口座が6年前に動き出す直前に、ATMで1000円を入金して直後に1000円を出金していた。それ以前の移動状況は13年前と記載されていた。つまり、この口座は13年間眠っていて、6年前に突然目覚めた口座だった。 「よし、休眠口座が復活した」と上田は思った。
http://diamond.jp/articles/-/119332
第4回の4日付けの「「ATMでの1000円の入出金」は脱税口座の典型的な動き方」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・妻名義の銀行口座に溜め込まれた1700万円の現金。この口座は除外した売上を振り込んだ簿外預金なのか、それとも申告に上がっているものなのか、調査を行うだけの根拠が足りない。それでも、調査官の勘は「これは簿外預金だ」と言っている。調査に踏み切るべきかどうか、その結論は!?
▽口座復活を証明する「ATMを使った1000円の入出金」
・休眠口座が復活する場合や口座売買屋から買った口座の動きの特徴として、「ATMを使った1000円の入出金」と呼ぶ特徴のある動きをする場合がある。この動きは人間の行動性向からくる口座の動きだ。 口座を復活させたり口座売買屋から口座を買ったりすると、口座が実際に使える口座なのか、そうでないかを確かめるために、最初に1000円をATMで入金して確かめる人が多い。そして、その場で直ぐに出金して、口座が使えるかどうかを確かめるのだ。
・H医師の妻名義の口座も全く同じ動きをしていた。「ATMを使った1000円の入出金」が復活口座を証明していた。マルサで覚えた口座の動きの特徴の一つだ。 しかし、この口座がH医師の確定申告に反映(売上に上がっている)しているかどうかの判断は難しい。調査の着手前に、H医師の総勘定元帳を確認することは出来ない。確定申告した内容や過去の調査実績及び税務署で保有している資料から、口座が確定申告に反映している口座であるかどうかを判断する必要があった。
・個人の確定申告の場合、決算書の貸借対照表(資産負債調)に当座預金、定期預金、その他の預金と預金別に残高を記載する欄があるが、各々の預金の合計額を記載するため、口座別の明細が無い。 法人税の申告書であれば、預貯金の明細があって預金口座番号別に残高が記載してあるため、この口座が申告に反映しているかどうかの判断がつく。税務署ではこれをと公表口座(申告に反映している口座)と呼んでいた。
・しかし、個人の申告では、これを預金ごとの合計で記入するために、納税者が複数の預金口座を使用している場合には、残高を見ても公表口座の判断がつきにくい。H医師の貸借対照表には「その他の預金」に6500万円の残高があると記入されていた。 「その他の預金」には普通預金や通知預金、外貨預金までも含まれてしまう可能性がある。しかも、売上2億円を超えるH医師が、普通預金を1口座しか使っていないことは考えられない。 診療報酬の振込口座、カード振込用の口座、融資返済口座など、少し考えただけでも複数の口座が思い浮かぶ。まして、銀行もペイオフなどに備えて分散利用しているケースも多く、普通預金を5~6口座を使用していることが当たり前と考えられた。
▽取引照会の結果、口座の残高は1700万円にも達していた
・取引資料には預金残高の記入は無かった。振込金額が30万円程度ということから判断して、口座の残高は高額ではないと思えたのであろうか、今まで一度も調査選定に引っかからなかった。取引照会を行った結果、口座の残高は1700万円にも達していた。それでも、H医師が申告している「その他の預金」の残高が6500万円もあり、簿外預金という確信は持てなかった。
・しかし、上田はマルサの経験から、売上除外した口座だと確信していた。その根拠は、妻名義の口座は遠隔地に開設されており、口座には生活感が全く無かった。そして、「ATMを使った1000円の入出金」もあった。 普通に使っている口座なら一定額の入金があれば、経費の引落や口座振替など他の使用目的があるはずだが、口座には予防接種の振込以外は全く動きがなかった。しかも、口座の開設地はH医師の自宅から1時間以上も離れた学園都市だった。
・学園都市が調査の「パズルを紐解くキー」となった。実際にそうであったかは確認していない。上田が気づいた学園都市と口座の「パズルのキー」は口座開設日だった。妻名義の口座は、H医師の長男が大学に入学した年の5月に開設されていた。 もっとも、この想定は長男が現役で大学に合格したことを前提としていて、しかも、長男が本当に学園都市に入学したのかどうかは調べていない。ただ、上田には長男が学園都市の大学に入学したと仮定すると、1つのパズルが解けるような気がしていた。
・調査はパズルだ。上田は妻名義の口座は、長男の学校行事などのために開設した口座と推定した。不正に使われる口座の特徴として、口座の使用目的が変化するケースが挙げられる。 たとえば、口座売買屋が販売した口座などは、古い取引を調べると給与の振込口座であったものが、新しく所有者が替わって、外注費の振込口座に変化する場合がある。もっとも、サラリーマンであった人が、独立開業したなら、変化には問題が無い。
・しかし、サラリーマンだった時代から10年以上も休眠状態だった口座が突然動き出し、しかも、今までと全く違う動きをした場合には疑ってかかる必要がある。実際に使っていた人が、何らかの理由で口座を売却し、口座を買った人物が架空取引に使ったケースでは、口座は以前の動きと全く違う動きをすることになる。 これをマルサでは「口座の性格が変った」と呼んでいた。口座の動きを擬人化して「性格」と表現していたものだが、とてもわかり易い表現だった。H医師の妻が、長男の学校行事などのために開設した口座を、13年経って再び使い始めたと考えると「口座の性格が変った」に当てはまっていた。
▽簿外預金か否か、調査に踏み込む根拠が足りない
・医師資格を持つ妻名義の口座に、インフルエンザの予防接種の報酬が振り込まれている。妻名義の口座に振り込まれるのだから、妻が行った予防接種なのだろう。この報酬は事業主である医師Hの申告漏れと判断するべきか、妻の雑収入の申告漏れと判断するべきかについて、特別調査部門で意見交換を行った。 上田:「H医師の妻名義に1700万円も診療報酬が振込まれるけど、この振込は申告に反映していると思う?」
芝田上席:「H医師の売上は2億円以上もありますし、貸借対照表でも残高の範囲内ですし、申告に上がっているのではないでしょうか?」
上田:「そうかね?僕は申告に上がっていないと思うんだけど」
芝田上席:「どうしてですか?」
上田:「遠隔地の口座なんだよね。何でこんな遠い銀行口座を使ったんだと思う?」
芝田上席:「一般的に遠隔地口座は、不正に使われやすいと言われますけどね。でも、根拠がそれだけで、調査選定は難しいのではないでしょうか。毎年、担当者は資料を見ているでしょうし、今まで調査できなかった理由は、公表預金であることが排除できなかったからですよね」
上田:「もちろん根拠は遠隔地だけではないよ。この口座には出金が一度しかないよね。恐らくこの時期(クリスマス前)からして、海外旅行にでも行ったんじゃないの?」
芝田上席:「確かにお正月の海外旅行代金の支払いなら、この頃かもしれませんね。クリスマスプレゼントの購入資金かもしれません。だからと言って簿外(売上除外した)取引とは言い切れませんよね」
上田:「もちろん。海外旅行の資金という推定が当っていても、除外した売上ということにはならない。僕が言いたいのは、そういうことではなくて、口座には生活感が無いということだよ。事業で使っている口座なら、もう少し他の取引があってもいいと思うんだよね」
芝田上席:「たとえば、口座引落とかですか?」
上田:「もちろん口座引落があれば、ここから経費の支払があるため、事業口座と判断がつくよね」
芝田上席:「経費の支払いが無いからと言って、簿外と言うのも難しいと思いますが……」
上田:「僕が注目したのは手数料なんだ。前回のH医師の調査資料を見たら、調査資料に銀行の残高証明がついていたんだ。確定申告の際に税理士に提出して、資産負債調の作成資料にしていたと思うんだよね。ところが、この口座からは残高証明の手数料の支払が無い」
芝田上席:「なるほど。残高証明を取っているなら、毎年2月ごろに手数料が支払われていなければなりませんね」
▽調査官の勘がどうしても”簿外預金だ”と言っている
上田:「これも確証とはならないけどね。手数料もバカにならないから、通帳のコピーを税理士に渡せばすんでしまうからね」
芝田上席:「なるほど。ある口座は残高証明を口座から引き落として、ある口座は残高証明を取っていないのは変ですね。残高証明の取っていない口座は除外している可能性がある……」
上田:「いずれにしても決め手にはならない。通帳のコピーを税理士に提出して、資産負債調に計上していれば、問題は無いわけだから」
芝田上席:「何となく、課長が言わんとしていることはわかります。何か気になる部分ですね? しかし、前回のH医師の調査では、申告額が正しかったとして、申告是認していますからね。税理士がしっかり指導しているみたいですよ」
上田:「勘なんだよね。どうしても僕の勘が、この口座は簿外預金と言っているんだよね」
芝田上席:「課長がそこまで言うのなら、調査をやってみますか?」
http://diamond.jp/articles/-/119333
第5回の6日付けの「決め手は「100万円の出金」 暴かれた簿外預金」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・ついに着手したH医師への調査。これは上田にとって国税職員としての最後の調査だった。しかし、5年間も放置されてきた妻名義の口座は本当に収入除外の口座なのか。しかも調査期間は3ヵ月のみ。不安のまま始まった調査の行方を決めたのは、銀行の取引記録に残されたただ1度の出金記録だった。
▽ついに着手を決めた5年越しのH医師への調査
上田:「やっと、その気になってくれた?でも、最後の事案にしようね。申告是認になってもいいように、4月が過ぎてから着手しよう。 ところで、この妻名義の口座が申告漏れだった場合、H医師の収入除外として処理していいのかね」
芝田上席:「青色事業専従者の預金口座を使った収入除外ですから、H医師で修正申告をとって大丈夫だと思いますが」
上田:「医師資格を持つ妻が出張して診療しているのだから、妻の雑収入漏れと主張して来ないかね。妻の雑収入漏れであれば、実名預金に振り込んでくるのだから、単なる申告漏れとなり、重加算税の賦課が出来ない場合もあるよね。単なる申告忘れと主張する場合もありうる」
芝田上席:「それは大丈夫です。私の記憶ですが、何かそのような判例があったような気がします。後で判例を調べておきます」
上田:「もっとも、資料に記載されていた予防接種の日を調べたら、診療所の休診日ではないようだから、H医師が知らないところで行った予防接種とはならない。単なる申告忘れとは言わせないし、H医師が知らなかったとも言わせないけどね」
芝田上席:「なんだ。ちゃんと調べているんじゃないですか」
・H医師の調査は上田の最後の調査となった。一身上の都合で、国税局を早期退職することが決まっていたからだ。 東京国税局に採用されて、税務署で4年間の調査経験を積んだところでマルサに招集され、そこで足かけ20年間拘束されていた。上田は、マルサの調査経験で日本の裏側をつぶさに見てきた。国税局を早期退職するにあたり、マルサ以外の場所で過ごしてみたいと出した異動願いが認められ、上田は国税での最後の2年間をトクチョウの統括官として過ごしていたのだ。
▽ヨミ通り、妻の口座は簿外預金だった
・H医師の案件は、4月に着手したため、調査の終了期限までは3ヵ月しかなかった。税務署は7月に人事異動があるため、7月までに調査を終えなければならなかったのだ。担当は芝田上席1人に決めた。 調査に行ったものの、売上に反映している取引なら、直ぐに調査は終了となってしまう。前回の調査ではH医師の申告額は正しく、是認処理している。
・今年度の特別調査部門も、弁護士事案を含めて充実した調査が行えており、例え、調査結果が良くなかったとしても、特別調査部門の全体の結果にあまり影響を及ぼさなかった。 ただし、上田は「国税職員としてのラストの事案が申告額の是認では辛いな」と思っていた。全体の結果に影響を及ぼさないにしても、ラストの事案はラストの事案だ。何とか良い結果を望むのが人情だろう。しかし、指揮官には何もできない。調査に行った芝田上席の「第一報」を待つしかなかった。
・着手日の昼休みに、芝田上席から一報が入った。
芝田上席:「課長のヨミどおり、予防接種は簿外取引でした。総勘定元帳を確認しましたが、売上には上がっていません」
上田:「そう。良かったね。これで一安心だ。後はゆっくり詰めていけばいいね」
芝田上席:「どうします?この資料を相手にぶつけて(知っているかどうかを直接聞くこと)、早急な調査終了を目指しますか?」
上田:「いや、ゆっくり行こう。相手にいきなりぶつけると、それだけで調査が修了してしまうかもしれない。ここはゆっくり調査をして、他におかしな取引が無いかを確かめよう。銀行調査もやらなければならないよ」
芝田上席:「口座を相手にぶつけずに、調査のテーブルに上げてくるのは難しそうですよ」
上田:「そうだね?なんと言っても出金が一度しかないので、リンクする口座も無さそうだからね」
芝田上席:「どうしましょうか?」
上田:「それを考えるのは担当者の仕事だよ。統括の仕事は選定で終わり。調査を自分の考えで展開していくのが、調査官の一番楽しいところじゃないの……」
芝田上席:「そうですね。もう少し、ゆっくり考えてみます。1700万円の売上除外があるのですからね。当然、重加算税の賦課もできますしね」
▽調査は心理戦、相手のどんな小さな変化も見逃せない
上田:「ところで、予防接種について聞いてみた?」
芝田上席:「まだ、聞いていません」
上田:「ちょっと聞いてごらん。H医師がどんな反応するか」
芝田上席:「診療所でやっている予防接種のことを答えるのではないでしょうか?」
上田:「それでいいんじゃない?出張の予防接種のことなんて聞くこと無いよ」
芝田上席:「狙いは何ですか?」
上田:「H医師の反応を見てみなよ。どんな顔をするか。小さな変化も見逃してはダメだよ。調査は心理戦だからね」
芝田上席:「H医師が知っているかどうか確かめるのでしょうか?」
上田:「もちろん知っているよ。H医院の診療日に、専従者の妻が予防接種に出かけているのだから、H医師が知らないわけがない」
芝田上席:「それでは狙いは何ですか?」
上田:「特に狙いがあるわけではない。しかし、切り口はそこだよ。ところで、芝田上席は、妻名義の口座に入ってくる予防接種の報酬は、手数料だけだと思っている?」
芝田上席:「どういうことですか?」
上田:「口座の入金額を見ると、一回当たり30万円も入金してくるよね。これは手数料収入なの?」
芝田上席:「なるほど。そういうことですか?予防接種のアンプルも医師持ちということですかね。診療所で行った予防接種の数とアンプルの仕入を比べれば、自ずとそこに答えが出てくるというわけですね」
上田:「そう簡単にいくのかは、やってみなければわからない。売上と仕入の両方を落としているのかもしれない。いずれにしても、そこが切り口になるはずだよ」
芝田上席:「わかりました。やってみます」
上田:「後は、芝田上席に任せるから、ゆっくり調査してよ。くれぐれも協力をもらって収集した貴重な資料がH医師に察知されて、収集先に余計な迷惑がかからないように気をつけてね」
▽口座から引き出された100万円が調査の行方を決めた
・資料は様々なところから協力を得て収集している。「収集先秘」となっている資料も多く、たとえ、申告から漏れていることがはっきりしても、場合によっては修正申告を提出するよう説得できない時もある。資料を納税者に開示できなければ売上が漏れている事実を追及できないからだ。
・H医師の案件は、結局、資料を開示することができずに、調査は終了までに2ヵ月以上かかった。最後の決め手は銀行調査だった。妻名義の口座から、たった一回の出金を調査した結果、出金に連動する動きがあった。 端緒の妻名義の口座から100万円を出金して別の妻名義の口座に入金し、150万円を旅行会社に振り込んでいたのだ。H医師には銀行調査を展開して、遠隔地口座に辿り着いたと説明した。
・H医師と妻は芝田上席の説明に「ばれてしまったらしかたがない。好きにしてください」と言っていたそうだ。 ところで、H医師の修正申告額は、6年間で売上除外1700万円。追徴税額680万円、重加算税230万円という重たい処理となった。延滞税や市民税を考慮すると、除外した売上のほとんどが追徴されることになる。
・上田は最後の調査でも、良い結果を出せたことに大いに満足していた。これで上田の最終章が本当に終った。大きな肩の荷を降ろした安心感の一方で、もう調査の神様に会うことができない。もう調査展開の醍醐味を味わえないことが、とても悲しかった。
http://diamond.jp/articles/-/119334
第1回で、『一般調査は一件の調査日数が、平均で4日しか与えられていない』、というのは一般調査とはいえ、本当に大変だろう。『「重箱の隅をつつくような調査が行われている」』との批判にも同情の余地がありそうだ。
第2回で、調査カードを 『一人の人間が見ても、その時々によって「感性」が違うのだから、いろいろな人間が目を通すことがさらに重要だ。いろいろな人間が自分の「感性」と「経験」をフル動員して「調査のパズル」を解く「キー」を捜していく』、というのはその通りだろう。休眠口座は確かに大きな手がかりになっているようだが、「休眠預金活用法」が昨年12月に成立したことで、こうした武器はやがて使えなくなるだろう。
第3回での 『「逆L口座」』、とはよく名づけたものだ。確かに脱税用口座では、そうなるのだろう。
第4回で、 『調査はパズルだ』、で、『「口座の性格が変った」』、などを手がかりに、検討していくのはなんとなく面白そうだ。
第5回で、『芝田上席:「どうしましょうか?」 上田:「それを考えるのは担当者の仕事だよ・・・」、とのやりとりは、どこの職場でも担当者と上司の間でありそうな会話なので、微笑みを禁じ得なかった。あだ、最後の、『妻名義の口座から100万円を出金して別の妻名義の口座に入金し・・・』、が 『売上除外1700万円』、にどのようにつながったのかの説明が省略されていたのが、残念だった。
銀行口座に個人番号が紐付けされると、国税の調査部門ももっと調査がやり易くなるのだろう。今後も大いに活躍してほしい。
第1回の3月1日付け「「正直者がバカを見る」脱税を見抜く 特別調査部門の目」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・トクチョウ(特別調査部門)とは、別名ピンク担当と呼ばれる国税局直轄の調査チームのこと。風俗店や飲食店の他、弁護士、司法書士、医師など、大口の申告漏れが見つかりそうな案件を対象に調査を行っている。調査のはじまりは、普通は見逃してしまうような小さな違和感。長年の経験と勘を頼りに、張り込みや潜入調査によって脱税者を追い詰めていく。17年間にわたりマルサで活躍した元国税調査官だからこそ明かせる、トクチョウの実力とは?TVドラマ化(「トクチョウの女」)される『国税局直轄トクチョウの事件簿』から、脱税調査の生々しい内幕を公開。
▽調査官の武器は知識と紙と鉛筆だけ
・税務調査は難しい仕事だ。若い調査官は自分の父親や、祖父のような年齢の人のところに調査に行かなければならない。相手は年上で、しかも、会社などの組織に属さず、自分の力で生活している実力者だ。そして、多くの場合には税金の専門家の税理士が関与している。
・税理士が国税OBだったりすると、かつての上司の場合も少なくない。調査は納税者側の土俵で行われるため、納税者が行っている事業の商慣習や業界用語、そして、業界で統一的に使用している帳簿類を知らなければ、相手に質問をすることもできない。こんな状況の中で調査官はパズルを紐解いていかなければならない。調査官の武器は知識と紙と鉛筆だけだ。
・統括官(管理職)から事案を交付された調査官は「調査の手引」を見て、調査先の業種・業態を勉強してから調査に臨む。「調査の手引」にはすべての業種が網羅されており、たとえば、建築業ならその商慣習、記録帳簿、調査の展開方法、過去の不正事例などが詳細に掲載されている。 業界のルールを知って経理処理を知っているからこそ、帳簿を見ていると不審な取引や不審な経理処理が浮かび上がってくる。
・個人課税部門の「調査の手引」は群青色で加除式になっている。加除式のため、新たな調査技法が見つかると、改定して最新の調査技法を加えることができる。「調査の手引」は先達からの贈り物だ。
▽一般調査と特別調査では何が違うのか
・税務署には多くの取引資料が存在している。法定調書として税務署に提出された資料や税務調査で収集した資料もたくさん存在するが、有効な資料は乏しいのが現状だ。調査官は納税者から事業の概況を聞き取り、帳簿を確認して感性を働かせてパズルを解いていくのだが、結果は調査官の実力に大きく左右されてしまう。
・このために税務署では調査を二極化している。調査を一般調査と特別調査に分けて、調査に濃淡をつけているのである。もちろん、マルサの強制調査ではないので、どちらの調査も納税者に協力を求めながら進める任意調査となる。
・しかし、一般調査と特別調査では調査内容が全く違う。一般調査は一件の調査日数が、平均で4日しか与えられていない。調査官は交付された事案を「時間の掛かる事案」と「比較的すぐ終わる事案」に分けて処理していくが、所詮、与えられた日数は4日しかない。
・統括官から調査指令を受けた調査官は、まず準備調査をする。自分なりに「調査の手引」を研究して調査内容を整理し、調査のポイントをピックアップする。そして、納税者に調査日時の連絡をして日程調整をすると、概ね1日が経過してしまう。 次に、実際に調査場所に臨場して納税者から事業概況を聴き取り、帳簿記録の説明を受けると、また1日が経過してしまう。続いて、必要がある場合に帳簿や領収書などの書類を借受けて、税務署に持ち返って分析すると、さらに1日が経過してしまう。
・最後に是正すべき事項があれば、納税者を説得して修正申告を提出してもらい、調査書類をまとめて調査報告書を作成する。そして、修正申告に伴った加算税の処理や調査結果の入力をすると、また1日が経過してしまう。 これで調査に与えられた4日間が終ってしまうということだ。もともと、一般調査では帳簿の表面を眺めるだけの薄っぺらな調査しかできないのが現状だ。読者のみなさんの中にも「重箱の隅をつつくような調査が行われている」という実感がある人がいるのでは無いだろうか。
▽特別調査部門では、調査日数が100日を超えることもある
・これに対して特別調査部門では、一件につき平均10日の調査日数が与えられている。取引先への反面調査(取引相手に内容の確認に行く調査)や銀行調査を考慮して、一般調査の倍以上の日数が与えられている。こうした深度の深い調査を行うことによって、課税の不公平の解消を目指しているのだ。
・特別調査部門では、故意に税負担を免れている人に対して一歩も引かない覚悟で調査を行っており、時に調査日数が100日を超える場合もある。申告納税制度の維持のためには「正直者がバカを見る」社会であってはならない。 もう少し特別調査部門について説明しておこう。
・個人課税部門、法人課税部門の中で、調査の花形部門が特別調査部門だ。個人、法人部門で所掌事務は若干ちがっているが、設置の主目的は、税務署全体の調査の士気を上げ、調査技法の先端技術の開発や困難事案の遂行をすることだ。 しかし、税務署内の案内表示を見ても、「特別調査部門」という文字はどこにもない。調査部門の中の一つの部門として、若しくは、調査部門の中に班として存在している。また、すべての税務署に配置されているわけではない。
・東京国税局管内では、点在する有名な繁華街を所轄する税務署はもちろん、タブロイド版の夕刊紙に紹介されるピンクゾーンを所轄する税務署にも配置されている。別名ピンク担当と呼ばれ、特定繁華街の掌握が主任務となる。
・調査は上席調査官と調査官がペアとなる「組調査(くみちょうさ)」を基本とし、調査効率の向上を目指すとともに、実践教育によって調査官に調査技法の伝承も行っている。 調査対象者の業種業態によっては、事業実態の解明のため無予告調査が必要になる場合もあり、これを主導するのも特別調査部門の役目だ。事案によっては、特別調査部門だけでは調査メンバーが足りないため、一般調査部門からも調査応援者を募って一斉調査の技法を経験させている。
・ここで特別調査部門の基本的な構成メンバーを紹介しておこう。
●統括国税調査官(トウカツ) 調査部門の指揮官で管理職。経験年数20年を越えるベテラン調査官。指揮官のため調査現場に出ることは少ない。しかし、調査畑の統括官によっては税務署内での指示より実践指導を重視し、現場に積極的に出ている者もいる。
●上席国税調査官(ジョウセキ) 経験年数15年から30年を超す者もいるベテラン調査官。長年培った調査経験で、若手の調査官を指導している。
●国税調査官(カン) 経験年数10年程度の調査官。バリバリの調査官で若手職員のホープ。仕事以外でも若手の兄貴的存在で、税務署全体をまとめる力も求められる。
・次回からは、特別調査部門の実力をケーススタディの形で紹介していく。 ※この記事は、2012年12月17日に公開された記事を、TVドラマ化(2017年3月4日放送、フジテレビ系列「トクチョウの女」)に合わせて一部修正して再公開したものです。
http://diamond.jp/articles/-/119330
第2回の2日付けの「「休眠口座の怪しい動き」に マルサ歴17年の勘が働いた」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・脱税に使われる道具のひとつが銀行口座。休眠口座や倒産した企業の口座、外国人が売却した口座など、多くの銀行口座が悪用されている。特別調査部門が監視しながらも、5年の間、調査に踏み切れなかった内科医。その調査のカギになったのは、遠隔地に開設された妻名義の預金口座だった。TVドラマ化(「トクチョウの女」)される『国税局直轄トクチョウの事件簿』から、脱税調査の生々しい内幕を公開。
▽不正な取引に使われる怪しい銀行口座の数々
・銀行の預金口座に休眠口座と呼ばれている口座がある。学生時代に使っていた口座。結婚前に使っていた旧姓の口座。転勤や転居で使わなくなってタンスの底に眠ってしまっている口座。これらの口座を使用しないで10年間放置していると、銀行が休眠口座として解約の扱いをしてしまうことがある。
・全国銀行協会の自主ルールでは、一律10年以上の利息収入以外の異動がない口座で残高が一万円以上で預金者と連絡が取れない口座又は、残高一万円未満の口座を休眠口座としている。現在までの休眠口座の累計は12万口座にのぼると推定されている。
・しかし、一度、休眠口座になった場合でも、本人が通帳や印鑑及び身分の確認の出来る免許証などを銀行に持参すれば口座を復活してくれる。上田は休眠口座が、突然、復活して悪さをすることをマルサの経験で知っていた。 使わなくなった口座を他人に売却する……。たとえば学生や外国人が、わずかのお金ほしさに口座を売ってしまう場合がある。特に外国人の場合は帰国する際に口座を売却してしまうため、売却口座が犯罪や脱税に使われているケースが多い。 倒産した法人名義の口座や、個人の口座もインターネットで売買されている。口座売買屋なる商売があるほどだ。他人名義の口座は間違いなく不正な取引に使われている。
▽脱税の道具は、妻名義の休眠口座だった
・東京国税局に採用後、税務署で4年間の調査経験を積んだところでマルサに招集され、足かけ20年をそこで過ごした上田は、たくさんの仮名預金や借名預金を見てきた。 銀行が窓口で本人確認を行うようになってから仮名預金は激減したが、それでも、様々な手を使って仮名預金が作られていた。一時期、流行ったのは国民健康保険証の偽造だ。パソコンが普及した結果、色つきの厚紙を使えば一昔前の保険証なら簡単に偽造ができた。
・実際に銀行で調査をしていると、不審な口座の新規開設に使われた本人確認書類が、偽造保険証であったことが何度もあり、発行された保険証の記号・番号を調べていくと実際には採番されていない偽の保険証だったケースがたくさんあった。マルサでは偽造番号を整理して偽造保険証を見破ることができるようにしていたのだ。
・妻の旧姓の口座も安易に脱税に使用されることがある。税務署にばれないと思っているらしいが、旧姓の口座などは、戸籍謄本から追えば直ぐに誰の使用している口座か判明してしまう。今回の内科医Hが使った脱税の道具は、妻名義の休眠口座だった。 特別調査部門のキャビネに棚卸事案となっている内科医Hがあった。棚卸事案とは調査選定したものの調査に踏み込むだけの端緒資料も無く、着手に踏み切れずに数年間放置されてしまった事案のことだ。H医師は5年間も調査着手されずに、毎年、翌年に繰越され続けてきた事案だった。
・H医師の申告状況は売上金額が2億円を超え、特別控除前の所得(利益)は6000万円を超えていた。事業専従者である妻も医師免許を取得して夫婦2人で診療をしており、妻の事業専従者給与額は年間3000万円にも及んでいた。 H医師の調査カードに一枚の資料が入っていた。調査カードとは、調査選定した事案の決算書や資料を入れておくカードのことだ。個人課税で使っている調査カードは、オレンジ色の厚紙に印刷され、5年間の申告状況の推移が一覧で確認できるものだった。
▽調査官の経験と感性がパズルのキーを見つけ出す
・調査カードには、売上や仕入、所得金額(利益)、申告納税額が記入され、過去の調査状況や接触状況等が整理されている。その中には毎年の確定申告書に添付された決算書が入っていて、調査で収集した資料や法定資料が挿入されている。 調査選定をするために最も重要なことは、調査カードを何度も見直すことだ。調査は税務職員の「感性」が最も重要で、同じ人間が見ても、その時々によって「ひっかかる」ものが違う。一度見た調査カードを2ヵ月後に見直すと、思わぬ点に気がついたり、逆に「いける」と思っていたことが、そうでもないと思えたりする。
・一人の人間が見ても、その時々によって「感性」が違うのだから、いろいろな人間が目を通すことがさらに重要だ。いろいろな人間が自分の「感性」と「経験」をフル動員して「調査のパズル」を解く「キー」を捜していく。 ある人は、学生時代に「ラーメン屋」でアルバイトをしたかもしれない。また、ある人は、建設作業員のアルバイトをしていたかもしれない。 どんな経験でも、今まで生きてきた中で何か調査に役に立つことが必ずある。過去の調査での経験、実家の家業、友人の事業、いくらでも事業に精通する機会はある。
・よって、調査カードを見る調査官が多ければ多いほど「調査のパズル」を解く「キー」に近づく確立が上がる。そして、各々の調査官が自分の意見を調査部門のメンバーに伝える。すると、他の職員が反論する場合もあるし、補足の意見を述べる場合もあるだろう。一人ひとりの経験値は小さくても、調査部門の全員の経験値を使えば「パズルのキー」は解けるかもしれない。
・そして、この調査選定の行為自体が税務職員全体の調査レベルの向上に繋がり、税務調査の充実が申告納税制度の不公平の解消につながっていく。 今回の調査で「パズルのキー」となったのは、遠隔地に開設された妻名義の預金口座の取引資料だった――。
http://diamond.jp/articles/-/119331
第3回の3日付けの「「逆L口座」から脱税の金の動きが見える」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・ 調査資料に記載された、たった一度の妻名義の口座への約30万円の振込が“調査の勘”にひっかかった。調べてみると、その口座は13年間眠っていて6年前に突然目覚めた口座であり、しかも、読み通りの「逆L口座」だった。果たしてこの口座は、脱税のための売上除外口座なのか!?
▽遠隔地に開設された妻名義の口座が「調査の勘」にひっかかる
・内科医Hの調査で「パズルのキー」となったのは、遠隔地に開設された妻名義の預金口座の取引資料だった。妻の旧姓ではなく実名の口座だ。なぜ、遠隔地に口座を開設したのかはわからない。H医師の転居状況を調べれば、かつて、その場所に住んでいたのかもしれないが……。
・取引資料には予防接種と記載してあり、妻名義の口座に約30万円が振込まれ、銀行名と支店名及び口座番号が記載されていた。資料には詳細の説明がなく、何の予防接種を行った報酬なのか、報酬の支払内訳にワクチンの材料費が含まれているのか、など詳細はまったくわからなかった。 ただ、報酬の支払時期が秋口から冬にかけて行われているため、一般的にインフルエンザ予防接種に係る報酬だろうと考えられた。資料は個人課税課の機動官が市役所に協力依頼して、予防接種の報酬の振込口座を資料化していたものだった。一般的に予防接種は自由診療だ。
・医師の診療報酬は患者が窓口で支払う自己負担金と、医師がレセプト請求をして国民健康保険等から後日振り込まれる、社会保険診療報酬に分かれる。いずれにしても保険診療報酬なら、売上金額はガラス張に近い。 これに対して、自由診療報酬は窓口で現金で支払われるため、売上除外に繋がり易い。しかし、診療所内で行ったインフルエンザの予防接種は一定の時期に行われ、ワクチンは翌年になると使用できない。そのため調査では、ワクチンの仕入本数を把握すると売上に正しく反映しているのか、いないのかが直ぐにわかってしまう。
・よって、一般的には診療所内で行った予防接種の売上を除外しても調査で直ぐにバレてしまうため、予防接種の売上を除外する医師は少ない。資料を収集した期間が短期間だったためか、資料に記載された振込は一回だけで、振込金額も30万円程度だった。そのため少額資料と判断され、収集されてから5年以上も活用されずにH医師は棚卸事案となっていた。 しかし、口座が事業専従者である妻名義であること。H医師の居住圏から電車で1時間以上も離れた他県に設定された銀行口座である事から、上田の「調査の勘」にひっかかるものがあった。
▽「逆L口座」は”たまり”を溜め込むための口座
・「これは、おもしろい資料かもしれない」。 上田はマルサで、たくさんの不正に使われている銀行口座を見てきた。不正に使われている口座の特徴は熟知している。たった一度の振込を資料化したものだったが、収集した機動官も「調査の感性」が働いていたに違いない。 「この銀行口座を復元(調査して口座の異動明細を作ること)すると、きっと逆L口座になっているはずだ」。上田の脳裏には、まだ見ていない「逆L口座」の姿がはっきりと映っていた。
・脱税に使用されている口座の特徴のひとつに「逆L口座」という呼び名がある。簿記の経験のある人にはわかりやすいかもしれない。銀行の通帳を思い出してほしい。預金通帳を見ると、一番左に「年月日」が記入してある。その右側は「取引内容」が記入され、「支払い金額」「預かり金額」「差引残高」と続いている。 預金の入金は銀行から見ると預り金(負債)の増加だ。したがって、入金は「貸し方」に記入される。「逆L口座」の特徴は、通帳に入金が続き、残高が一定額になると大きな金額で出金する口座の動きだ。出金は銀行から見ると負債の減少のため、借り方に記入される。 この口座の動きが「Lを逆から見たイメージ」に見えるため、税務の世界では「逆L口座」と呼んでいる。「逆L口座」の性格は一般的に「売上除外」や「たまり(脱税によって蓄財した資金)」の口座だ。
▽13年間眠っていた口座が、6年前に突然目覚めた
・税務調査では、仮装・隠ぺいの行為があった場合に7年間遡ることができる。確定申告しているのは事業主の医師Hで、妻の口座を使って売上を除外したと判断できれば、仮装・隠ぺいが成立する。そこで、7年間の調査を視野に入れて、口座の異動明細を調査した。数日後、銀行に依頼した口座照会の結果が税務署に届き、妻の口座の動きが判明した。
・口座には毎年、市役所から秋から初冬にかけて数回の振込入金があり、そのすべてが預金残高として溜まっていて、上田のイメージしていたとおりの「逆L口座」だった。一回当たりの振込金額は30万円から100万円に達する場合もあった。 7年間の振込総額は約1700万円にも達していたが、出金はたった一回しかなかった。5年前のクリスマスの少し前にATMで100万円を出金していた。出金場所は、H医師の自宅の最寄駅にあるATMコーナーだった。
・税務調査のヨミとして、この銀行口座を売上除外口座と判断するのは難しいかもしれない。なぜなら、市役所から振り込んでくるからだ。市役所は市民税を徴収する役所である。まさか、大胆にも、市役所からの振込入金を申告から除外していることは、一般的には考えにくい。H医師の確定申告状況から考えて、1700万円程度の金額を預金口座に放置しておいても、生活には全く支障は無い。
・しかし、妻名義の口座を調査した結果、売上除外口座と判断できる大きな特徴が見つかった。口座の異動状況を7年間調査したところ、7年前には口座の動きは全く無かった。そして、口座が6年前に動き出す直前に、ATMで1000円を入金して直後に1000円を出金していた。それ以前の移動状況は13年前と記載されていた。つまり、この口座は13年間眠っていて、6年前に突然目覚めた口座だった。 「よし、休眠口座が復活した」と上田は思った。
http://diamond.jp/articles/-/119332
第4回の4日付けの「「ATMでの1000円の入出金」は脱税口座の典型的な動き方」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・妻名義の銀行口座に溜め込まれた1700万円の現金。この口座は除外した売上を振り込んだ簿外預金なのか、それとも申告に上がっているものなのか、調査を行うだけの根拠が足りない。それでも、調査官の勘は「これは簿外預金だ」と言っている。調査に踏み切るべきかどうか、その結論は!?
▽口座復活を証明する「ATMを使った1000円の入出金」
・休眠口座が復活する場合や口座売買屋から買った口座の動きの特徴として、「ATMを使った1000円の入出金」と呼ぶ特徴のある動きをする場合がある。この動きは人間の行動性向からくる口座の動きだ。 口座を復活させたり口座売買屋から口座を買ったりすると、口座が実際に使える口座なのか、そうでないかを確かめるために、最初に1000円をATMで入金して確かめる人が多い。そして、その場で直ぐに出金して、口座が使えるかどうかを確かめるのだ。
・H医師の妻名義の口座も全く同じ動きをしていた。「ATMを使った1000円の入出金」が復活口座を証明していた。マルサで覚えた口座の動きの特徴の一つだ。 しかし、この口座がH医師の確定申告に反映(売上に上がっている)しているかどうかの判断は難しい。調査の着手前に、H医師の総勘定元帳を確認することは出来ない。確定申告した内容や過去の調査実績及び税務署で保有している資料から、口座が確定申告に反映している口座であるかどうかを判断する必要があった。
・個人の確定申告の場合、決算書の貸借対照表(資産負債調)に当座預金、定期預金、その他の預金と預金別に残高を記載する欄があるが、各々の預金の合計額を記載するため、口座別の明細が無い。 法人税の申告書であれば、預貯金の明細があって預金口座番号別に残高が記載してあるため、この口座が申告に反映しているかどうかの判断がつく。税務署ではこれをと公表口座(申告に反映している口座)と呼んでいた。
・しかし、個人の申告では、これを預金ごとの合計で記入するために、納税者が複数の預金口座を使用している場合には、残高を見ても公表口座の判断がつきにくい。H医師の貸借対照表には「その他の預金」に6500万円の残高があると記入されていた。 「その他の預金」には普通預金や通知預金、外貨預金までも含まれてしまう可能性がある。しかも、売上2億円を超えるH医師が、普通預金を1口座しか使っていないことは考えられない。 診療報酬の振込口座、カード振込用の口座、融資返済口座など、少し考えただけでも複数の口座が思い浮かぶ。まして、銀行もペイオフなどに備えて分散利用しているケースも多く、普通預金を5~6口座を使用していることが当たり前と考えられた。
▽取引照会の結果、口座の残高は1700万円にも達していた
・取引資料には預金残高の記入は無かった。振込金額が30万円程度ということから判断して、口座の残高は高額ではないと思えたのであろうか、今まで一度も調査選定に引っかからなかった。取引照会を行った結果、口座の残高は1700万円にも達していた。それでも、H医師が申告している「その他の預金」の残高が6500万円もあり、簿外預金という確信は持てなかった。
・しかし、上田はマルサの経験から、売上除外した口座だと確信していた。その根拠は、妻名義の口座は遠隔地に開設されており、口座には生活感が全く無かった。そして、「ATMを使った1000円の入出金」もあった。 普通に使っている口座なら一定額の入金があれば、経費の引落や口座振替など他の使用目的があるはずだが、口座には予防接種の振込以外は全く動きがなかった。しかも、口座の開設地はH医師の自宅から1時間以上も離れた学園都市だった。
・学園都市が調査の「パズルを紐解くキー」となった。実際にそうであったかは確認していない。上田が気づいた学園都市と口座の「パズルのキー」は口座開設日だった。妻名義の口座は、H医師の長男が大学に入学した年の5月に開設されていた。 もっとも、この想定は長男が現役で大学に合格したことを前提としていて、しかも、長男が本当に学園都市に入学したのかどうかは調べていない。ただ、上田には長男が学園都市の大学に入学したと仮定すると、1つのパズルが解けるような気がしていた。
・調査はパズルだ。上田は妻名義の口座は、長男の学校行事などのために開設した口座と推定した。不正に使われる口座の特徴として、口座の使用目的が変化するケースが挙げられる。 たとえば、口座売買屋が販売した口座などは、古い取引を調べると給与の振込口座であったものが、新しく所有者が替わって、外注費の振込口座に変化する場合がある。もっとも、サラリーマンであった人が、独立開業したなら、変化には問題が無い。
・しかし、サラリーマンだった時代から10年以上も休眠状態だった口座が突然動き出し、しかも、今までと全く違う動きをした場合には疑ってかかる必要がある。実際に使っていた人が、何らかの理由で口座を売却し、口座を買った人物が架空取引に使ったケースでは、口座は以前の動きと全く違う動きをすることになる。 これをマルサでは「口座の性格が変った」と呼んでいた。口座の動きを擬人化して「性格」と表現していたものだが、とてもわかり易い表現だった。H医師の妻が、長男の学校行事などのために開設した口座を、13年経って再び使い始めたと考えると「口座の性格が変った」に当てはまっていた。
▽簿外預金か否か、調査に踏み込む根拠が足りない
・医師資格を持つ妻名義の口座に、インフルエンザの予防接種の報酬が振り込まれている。妻名義の口座に振り込まれるのだから、妻が行った予防接種なのだろう。この報酬は事業主である医師Hの申告漏れと判断するべきか、妻の雑収入の申告漏れと判断するべきかについて、特別調査部門で意見交換を行った。 上田:「H医師の妻名義に1700万円も診療報酬が振込まれるけど、この振込は申告に反映していると思う?」
芝田上席:「H医師の売上は2億円以上もありますし、貸借対照表でも残高の範囲内ですし、申告に上がっているのではないでしょうか?」
上田:「そうかね?僕は申告に上がっていないと思うんだけど」
芝田上席:「どうしてですか?」
上田:「遠隔地の口座なんだよね。何でこんな遠い銀行口座を使ったんだと思う?」
芝田上席:「一般的に遠隔地口座は、不正に使われやすいと言われますけどね。でも、根拠がそれだけで、調査選定は難しいのではないでしょうか。毎年、担当者は資料を見ているでしょうし、今まで調査できなかった理由は、公表預金であることが排除できなかったからですよね」
上田:「もちろん根拠は遠隔地だけではないよ。この口座には出金が一度しかないよね。恐らくこの時期(クリスマス前)からして、海外旅行にでも行ったんじゃないの?」
芝田上席:「確かにお正月の海外旅行代金の支払いなら、この頃かもしれませんね。クリスマスプレゼントの購入資金かもしれません。だからと言って簿外(売上除外した)取引とは言い切れませんよね」
上田:「もちろん。海外旅行の資金という推定が当っていても、除外した売上ということにはならない。僕が言いたいのは、そういうことではなくて、口座には生活感が無いということだよ。事業で使っている口座なら、もう少し他の取引があってもいいと思うんだよね」
芝田上席:「たとえば、口座引落とかですか?」
上田:「もちろん口座引落があれば、ここから経費の支払があるため、事業口座と判断がつくよね」
芝田上席:「経費の支払いが無いからと言って、簿外と言うのも難しいと思いますが……」
上田:「僕が注目したのは手数料なんだ。前回のH医師の調査資料を見たら、調査資料に銀行の残高証明がついていたんだ。確定申告の際に税理士に提出して、資産負債調の作成資料にしていたと思うんだよね。ところが、この口座からは残高証明の手数料の支払が無い」
芝田上席:「なるほど。残高証明を取っているなら、毎年2月ごろに手数料が支払われていなければなりませんね」
▽調査官の勘がどうしても”簿外預金だ”と言っている
上田:「これも確証とはならないけどね。手数料もバカにならないから、通帳のコピーを税理士に渡せばすんでしまうからね」
芝田上席:「なるほど。ある口座は残高証明を口座から引き落として、ある口座は残高証明を取っていないのは変ですね。残高証明の取っていない口座は除外している可能性がある……」
上田:「いずれにしても決め手にはならない。通帳のコピーを税理士に提出して、資産負債調に計上していれば、問題は無いわけだから」
芝田上席:「何となく、課長が言わんとしていることはわかります。何か気になる部分ですね? しかし、前回のH医師の調査では、申告額が正しかったとして、申告是認していますからね。税理士がしっかり指導しているみたいですよ」
上田:「勘なんだよね。どうしても僕の勘が、この口座は簿外預金と言っているんだよね」
芝田上席:「課長がそこまで言うのなら、調査をやってみますか?」
http://diamond.jp/articles/-/119333
第5回の6日付けの「決め手は「100万円の出金」 暴かれた簿外預金」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・ついに着手したH医師への調査。これは上田にとって国税職員としての最後の調査だった。しかし、5年間も放置されてきた妻名義の口座は本当に収入除外の口座なのか。しかも調査期間は3ヵ月のみ。不安のまま始まった調査の行方を決めたのは、銀行の取引記録に残されたただ1度の出金記録だった。
▽ついに着手を決めた5年越しのH医師への調査
上田:「やっと、その気になってくれた?でも、最後の事案にしようね。申告是認になってもいいように、4月が過ぎてから着手しよう。 ところで、この妻名義の口座が申告漏れだった場合、H医師の収入除外として処理していいのかね」
芝田上席:「青色事業専従者の預金口座を使った収入除外ですから、H医師で修正申告をとって大丈夫だと思いますが」
上田:「医師資格を持つ妻が出張して診療しているのだから、妻の雑収入漏れと主張して来ないかね。妻の雑収入漏れであれば、実名預金に振り込んでくるのだから、単なる申告漏れとなり、重加算税の賦課が出来ない場合もあるよね。単なる申告忘れと主張する場合もありうる」
芝田上席:「それは大丈夫です。私の記憶ですが、何かそのような判例があったような気がします。後で判例を調べておきます」
上田:「もっとも、資料に記載されていた予防接種の日を調べたら、診療所の休診日ではないようだから、H医師が知らないところで行った予防接種とはならない。単なる申告忘れとは言わせないし、H医師が知らなかったとも言わせないけどね」
芝田上席:「なんだ。ちゃんと調べているんじゃないですか」
・H医師の調査は上田の最後の調査となった。一身上の都合で、国税局を早期退職することが決まっていたからだ。 東京国税局に採用されて、税務署で4年間の調査経験を積んだところでマルサに招集され、そこで足かけ20年間拘束されていた。上田は、マルサの調査経験で日本の裏側をつぶさに見てきた。国税局を早期退職するにあたり、マルサ以外の場所で過ごしてみたいと出した異動願いが認められ、上田は国税での最後の2年間をトクチョウの統括官として過ごしていたのだ。
▽ヨミ通り、妻の口座は簿外預金だった
・H医師の案件は、4月に着手したため、調査の終了期限までは3ヵ月しかなかった。税務署は7月に人事異動があるため、7月までに調査を終えなければならなかったのだ。担当は芝田上席1人に決めた。 調査に行ったものの、売上に反映している取引なら、直ぐに調査は終了となってしまう。前回の調査ではH医師の申告額は正しく、是認処理している。
・今年度の特別調査部門も、弁護士事案を含めて充実した調査が行えており、例え、調査結果が良くなかったとしても、特別調査部門の全体の結果にあまり影響を及ぼさなかった。 ただし、上田は「国税職員としてのラストの事案が申告額の是認では辛いな」と思っていた。全体の結果に影響を及ぼさないにしても、ラストの事案はラストの事案だ。何とか良い結果を望むのが人情だろう。しかし、指揮官には何もできない。調査に行った芝田上席の「第一報」を待つしかなかった。
・着手日の昼休みに、芝田上席から一報が入った。
芝田上席:「課長のヨミどおり、予防接種は簿外取引でした。総勘定元帳を確認しましたが、売上には上がっていません」
上田:「そう。良かったね。これで一安心だ。後はゆっくり詰めていけばいいね」
芝田上席:「どうします?この資料を相手にぶつけて(知っているかどうかを直接聞くこと)、早急な調査終了を目指しますか?」
上田:「いや、ゆっくり行こう。相手にいきなりぶつけると、それだけで調査が修了してしまうかもしれない。ここはゆっくり調査をして、他におかしな取引が無いかを確かめよう。銀行調査もやらなければならないよ」
芝田上席:「口座を相手にぶつけずに、調査のテーブルに上げてくるのは難しそうですよ」
上田:「そうだね?なんと言っても出金が一度しかないので、リンクする口座も無さそうだからね」
芝田上席:「どうしましょうか?」
上田:「それを考えるのは担当者の仕事だよ。統括の仕事は選定で終わり。調査を自分の考えで展開していくのが、調査官の一番楽しいところじゃないの……」
芝田上席:「そうですね。もう少し、ゆっくり考えてみます。1700万円の売上除外があるのですからね。当然、重加算税の賦課もできますしね」
▽調査は心理戦、相手のどんな小さな変化も見逃せない
上田:「ところで、予防接種について聞いてみた?」
芝田上席:「まだ、聞いていません」
上田:「ちょっと聞いてごらん。H医師がどんな反応するか」
芝田上席:「診療所でやっている予防接種のことを答えるのではないでしょうか?」
上田:「それでいいんじゃない?出張の予防接種のことなんて聞くこと無いよ」
芝田上席:「狙いは何ですか?」
上田:「H医師の反応を見てみなよ。どんな顔をするか。小さな変化も見逃してはダメだよ。調査は心理戦だからね」
芝田上席:「H医師が知っているかどうか確かめるのでしょうか?」
上田:「もちろん知っているよ。H医院の診療日に、専従者の妻が予防接種に出かけているのだから、H医師が知らないわけがない」
芝田上席:「それでは狙いは何ですか?」
上田:「特に狙いがあるわけではない。しかし、切り口はそこだよ。ところで、芝田上席は、妻名義の口座に入ってくる予防接種の報酬は、手数料だけだと思っている?」
芝田上席:「どういうことですか?」
上田:「口座の入金額を見ると、一回当たり30万円も入金してくるよね。これは手数料収入なの?」
芝田上席:「なるほど。そういうことですか?予防接種のアンプルも医師持ちということですかね。診療所で行った予防接種の数とアンプルの仕入を比べれば、自ずとそこに答えが出てくるというわけですね」
上田:「そう簡単にいくのかは、やってみなければわからない。売上と仕入の両方を落としているのかもしれない。いずれにしても、そこが切り口になるはずだよ」
芝田上席:「わかりました。やってみます」
上田:「後は、芝田上席に任せるから、ゆっくり調査してよ。くれぐれも協力をもらって収集した貴重な資料がH医師に察知されて、収集先に余計な迷惑がかからないように気をつけてね」
▽口座から引き出された100万円が調査の行方を決めた
・資料は様々なところから協力を得て収集している。「収集先秘」となっている資料も多く、たとえ、申告から漏れていることがはっきりしても、場合によっては修正申告を提出するよう説得できない時もある。資料を納税者に開示できなければ売上が漏れている事実を追及できないからだ。
・H医師の案件は、結局、資料を開示することができずに、調査は終了までに2ヵ月以上かかった。最後の決め手は銀行調査だった。妻名義の口座から、たった一回の出金を調査した結果、出金に連動する動きがあった。 端緒の妻名義の口座から100万円を出金して別の妻名義の口座に入金し、150万円を旅行会社に振り込んでいたのだ。H医師には銀行調査を展開して、遠隔地口座に辿り着いたと説明した。
・H医師と妻は芝田上席の説明に「ばれてしまったらしかたがない。好きにしてください」と言っていたそうだ。 ところで、H医師の修正申告額は、6年間で売上除外1700万円。追徴税額680万円、重加算税230万円という重たい処理となった。延滞税や市民税を考慮すると、除外した売上のほとんどが追徴されることになる。
・上田は最後の調査でも、良い結果を出せたことに大いに満足していた。これで上田の最終章が本当に終った。大きな肩の荷を降ろした安心感の一方で、もう調査の神様に会うことができない。もう調査展開の醍醐味を味わえないことが、とても悲しかった。
http://diamond.jp/articles/-/119334
第1回で、『一般調査は一件の調査日数が、平均で4日しか与えられていない』、というのは一般調査とはいえ、本当に大変だろう。『「重箱の隅をつつくような調査が行われている」』との批判にも同情の余地がありそうだ。
第2回で、調査カードを 『一人の人間が見ても、その時々によって「感性」が違うのだから、いろいろな人間が目を通すことがさらに重要だ。いろいろな人間が自分の「感性」と「経験」をフル動員して「調査のパズル」を解く「キー」を捜していく』、というのはその通りだろう。休眠口座は確かに大きな手がかりになっているようだが、「休眠預金活用法」が昨年12月に成立したことで、こうした武器はやがて使えなくなるだろう。
第3回での 『「逆L口座」』、とはよく名づけたものだ。確かに脱税用口座では、そうなるのだろう。
第4回で、 『調査はパズルだ』、で、『「口座の性格が変った」』、などを手がかりに、検討していくのはなんとなく面白そうだ。
第5回で、『芝田上席:「どうしましょうか?」 上田:「それを考えるのは担当者の仕事だよ・・・」、とのやりとりは、どこの職場でも担当者と上司の間でありそうな会話なので、微笑みを禁じ得なかった。あだ、最後の、『妻名義の口座から100万円を出金して別の妻名義の口座に入金し・・・』、が 『売上除外1700万円』、にどのようにつながったのかの説明が省略されていたのが、残念だった。
銀行口座に個人番号が紐付けされると、国税の調査部門ももっと調査がやり易くなるのだろう。今後も大いに活躍してほしい。
タグ:芝田上席:「どうしましょうか?」 決め手は「100万円の出金」 暴かれた簿外預金 第5回 「口座の性格が変った」 不正に使われる口座の特徴として、口座の使用目的が変化するケースが挙げられる 調査はパズルだ 「「ATMでの1000円の入出金」は脱税口座の典型的な動き方 第4回 逆L口座 「「逆L口座」から脱税の金の動きが見える 第3回 一人ひとりの経験値は小さくても、調査部門の全員の経験値を使えば「パズルのキー」は解けるかもしれない 一人の人間が見ても、その時々によって「感性」が違うのだから、いろいろな人間が目を通すことがさらに重要だ。いろいろな人間が自分の「感性」と「経験」をフル動員して「調査のパズル」を解く「キー」を捜していく 調査カード 休眠口座 不正な取引に使われる怪しい銀行口座の数々 「「休眠口座の怪しい動き」に マルサ歴17年の勘が働いた 第2回 国税調査官(カン) 上席国税調査官(ジョウセキ) 統括国税調査官(トウカツ) 時に調査日数が100日を超える場合 特別調査部門では、一件につき平均10日の調査日数 「重箱の隅をつつくような調査が行われている」 一般調査は一件の調査日数が、平均で4日 一般調査と特別調査に分けて、調査に濃淡 「調査の手引」にはすべての業種が網羅されており、たとえば、建築業ならその商慣習、記録帳簿、調査の展開方法、過去の不正事例などが詳細に掲載 「調査の手引」 特別調査部門 「正直者がバカを見る」脱税を見抜く 特別調査部門の目」 第1回 ダイヤモンド・オンライン 元国税調査官の上田二郎 (ダイヤモンド・オンライン「国税局直轄 トクチョウ(特別調査部門)の事件簿」より) 脱税
日本経済の構造問題(その2)(元著名アナリストのデービッド・アトキンソン氏の日本診断) [経済]
今日は、昨日に続いて、日本経済の構造問題(その2)(元著名アナリストのデービッド・アトキンソン氏の日本診断) を取上げよう。デービッド・アトキンソン氏は、元外資系証券会社のアナリストで、現在は小西美術工藝社の社長をする傍ら、好きな日本を再生させるべく、 『新・所得倍増論』などを発表。同氏が東洋経済オンラインで3回にわたり連載した記事を紹介したい。なお、このブログでは、同氏の記事を2015年6月16日、7月2日、2016年5月18日、10月11日の4回、紹介している。
先ずは、昨年12月9日付け東洋経済オンライン「「1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実 日本の生産性は、先進国でいちばん低い」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・日本は「成熟国家」などではない。まだまだ「伸びしろ」にあふれている。 著書『新・観光立国論』で観光行政に、『国宝消滅』で文化財行政に多大な影響を与えてきた「イギリス人アナリスト」にして、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社社長であるデービッド・アトキンソン氏。
・彼が「アナリスト人生30年間の集大成」として、日本経済を蝕む「日本病」の正体を分析し、「処方箋」を明らかにした新刊『新・所得倍増論』が刊行された。そのポイントを解説してもらう。
▽さまざまなジャンルの世界ランキングで高位置にいるが
・「日本人は『○○の分野で世界第○位』という話が大好きだ」 これは初めて日本に来てから31年、私が日本の皆さんに対して抱いてきた率直な感想です。 私はバブル直前の1985年、日本にやってきました。そのころ日本はすでに「世界第2位の経済大国」で、国中に自信がみなぎっているのを感じました。いまは中国に抜かれて第3位になっていますが、それでも世界には190以上の国がある中での第3位ですから、たいへんすばらしいことだと思います。それ以外にも、輸出額、製造業生産額、ノーベル賞受賞数など、さまざまなジャンルの世界ランキングで、日本は高い地位を占めています。
・これらは、まさに「一流国家」というにふさわしい実績でしょう。そんなすばらしい実績を達成した日本人が、「自分の国は第○位だ」という話を喜ぶのは、ある意味で当然だと思います。 ですが、不思議なこともあります。日本ではなぜか、欧州では当たり前の「1人あたりで見て、世界第○位」という話はほとんど聞かれません。「全体で見て第○位」という話ばかりなのです。
・「全体で」「1人あたりで」、どちらで見るべきかはケースによって違いますが、国民1人ひとりの「豊かさ」や、個々人がどれだけ「潜在能力」を発揮しているかを見るには、「1人あたりで」のほうが適切なのは明らかです。同じ100億円の利益を上げている会社でも、従業員100人の会社と1000人の会社では、それぞれの社員の「豊かさ」や「潜在能力の発揮度合い」は10倍も違うという、きわめて当たり前の話です。
▽「1人あたり」で見ると、違った景色が見えてくる
・では、日本の実績を「1人あたり」の数値で見直すと、どんな風景が見えてくるでしょうか。きっと、驚かれることと思います。
・日本は「GDP世界第3位」の経済大国である→ 1人あたりGDPは先進国最下位(世界第27位)
・日本は「輸出額世界第4位」の輸出大国である→ 1人あたり輸出額は世界第44位
・日本は「製造業生産額世界第2位」のものづくり大国である→ 1人あたり製造業生産額はG7平均以下
・日本は「研究開発費世界第3位」の科学技術大国である→ 1人あたり研究開発費は世界第10位
・日本は「ノーベル賞受賞者数世界第7位」の文化大国である→ 1人あたりノーベル賞受賞者数は世界第39位
・日本は「夏季五輪メダル獲得数世界第11位」のスポーツ大国である→ 1人あたりメダル獲得数は世界第50位
注:生産性は世界銀行(2015年)、輸出額・製造業生産額はCIA(2015年)、研究開発費は国連(2015年)、ノーベル賞はWorld Atlas(2016年)、夏季五輪メダルはIOC(リオオリンピックまで)のデータをもとに筆者算出
・まだまだありますが、これくらいにしておきましょう。これだけでも、日本の「全体で見ると高いランキングにいるが、1人あたりで見るとその順位が大きく下がる国」という特徴が浮き彫りになるはずです。これは、単純に日本の人口が多いからです。先進国で1億人以上の人口を抱えている国は、米国と日本しかないのです。
・誤解しないでください。私は、「日本人は大したことのない人たちだ」などと言いたくて、これらの事実をご紹介したわけではありません。むしろ長年、日本人の皆さんと働いてきて、日本人の能力の高さに心からの敬意を抱いています。これは私の単なる感覚ではなく、国連の調査でも、日本は「労働者の質」が世界一高い国であることが明らかになっています。 能力が高いのに結果が良くない。これは、「潜在能力」が活かされていないことを示しています。逆に言えば、日本にはまだまだ「伸びしろ」があるということです。
▽なぜ、イギリス人がこんなことを書くのか
・1979年、私がまだ中学生だった頃、サッチャー首相がテレビのインタビューでこのような内容のことを語りました。 「みんながなにも反発せずに、しかたがないと言いながら、この国が衰退していくのを見るのは悔しい!産業革命、民主主義、帝国時代などで輝いたこの国が世界からバカにされるのは悔しい!」
・当時、戦争が終わってから、イギリスは経済のさまざまな分野でイタリア、フランス、ドイツや日本に大きく抜かれました。イギリスには過去の栄光以外になにもない、あとは沈んでいくだけだ、などと厳しい意見も聞かれ、世界からは「イギリス病」などと呼ばれ、衰退していく国家の見本のように語られていました。
・あの時代、まさか今のイギリスのように「欧州第2位」の経済に復活できるとは、ほとんどのイギリス人をはじめ、世界の誰も思っていませんでした。それほどサッチャー首相が断行した改革はすごかったのです。 これは、別にイギリス人のお国自慢ではありません。かつて「イギリス病」と言われ、世界から「衰退していく先進国」の代表だと思われたイギリスでも、「やらなくてはいけないことをやる」という改革を断行したことで、よみがえることができたという歴史的事実を知っていただきたいのです。
・サッチャー首相の言葉と同様に、みなさんにぜひ問いかけたいことがあります。 皆さんが学校でこんなに熱心に勉強して、塾にも通って、就職してからも毎日長い時間を会社で過ごし、有給休暇もほとんど消化せず、一所懸命働いているのに、「生産性は世界第27位」と言われて、悔しくないですか。労働者1人、1時間あたりで計算すると、イタリアやスペインすら下回ります。「先進国最下位」の生産性と言われて、悔しくないですか。
・「ものづくり大国」を名乗りながら、1人あたり輸出額は世界第44位と言われて、悔しくないですか。 こんなにも教育水準が高い国で、世界の科学技術を牽引するだけの潜在能力がありながら、1人あたりのノーベル賞受賞数が世界で第29位というのは、悔しくないですか。 私は悔しいです。
・「失われた20年」を経て、日本は経済成長をしないのが当たり前になりつつあります。かつてイギリスがそう呼ばれたように、「日本病」などと言われ、衰退していく先進国の代表のようにとらえられてしまうおそれもあります。実際、海外では、日本のことを研究する際には、経済政策の失敗例として扱われることが多いと聞きます。私がオックスフォードで日本について学んだときは、戦後の日本経済がいかに成功したかということが主たるテーマでしたので、非常に残念な変化です。
・だからこそ余計に、今の日本経済はごく一部の企業を除いて、「やるべきことをやっていない」という現状が我慢できません。日本人の「潜在能力」が活かされていないことが悔しくてたまりません。
▽GDP770兆円、平均年収1000万円も十分可能
・初めて日本にやってきてから、もう31年の月日が流れています。人生の半分以上を過ごしてきたこの国について今、私が思っていることはこの一言に尽きます。 日本はこの程度の国ではない。 私は、日本を「この程度」にとどめているのは、「世界ランキングが高い」という意識に問題があるのではないかと思っています。世界ランキングでの評価が高いから日本はすごい。世界ランキングが高いということは、日本人の潜在能力がいかんなく発揮されているからだと思い込んでいる方が多いのではないでしょうか。1人あたりのデータを見ずに、世界ランキングが高いということだけを見て、日本の実績は諸外国より上だと信じ込んでいる人が多いのではないでしょうか。 これは、恐ろしい勘違いです。
・1億人を超える人口大国・日本の世界ランキングが高いのは当たり前のことです。「1人あたり」で測れば、日本の潜在能力が発揮できていないことは明白です。まだ日本は成長の伸びしろがあるにもかかわらず、この「勘違い」によって、成長が阻まれているのです。
・日本の実績を「この程度」に押しとどめている原因を特定し、改革を実行すれば、日本は必ずや、劇的な復活を果たせるはずです。この「劇的な復活」とは、GDP770兆円(今の約1.5倍)、平均年収1000万円(今の約2倍)というレベルです。日本の「潜在能力」を考えれば、そのくらいはまったく不可能ではありません。
・まずは、日本が潜在能力を発揮できていない「日本病」とも言うべき病に陥っていることを、しっかりと認識してください。すべてはそこから始まります。
http://toyokeizai.net/articles/-/148121
次に、昨年12月16日の「日本は、ついに「1人あたり」で韓国に抜かれる 生産性向上を阻む「昭和の思考」という呪縛」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽労働人口で計るとさらに悪化する日本のランキング
・前回の記事(「『1人あたり』は最低な日本経済の悲しい現実」)では、日本の生産性が先進国で最低であることをご紹介しました。この記事には多くの反響をいただきました。 一番疑問視されたのは、日本は高齢者が多いから、生産性を計るために1人あたりGDPを使うと、日本の生産性が過小評価されるのではないかという指摘でした。すなわち、GDPを人口で割ると、経済にあまり貢献していない高齢者の比率が高いため、生産性の値が低くなるだろうとのことです。これは、一見もっともらしい指摘に聞こえます。
・しかし私は長年アナリストをやっていましたので、その調整はしてあります。高齢者が多いというのは、たしかに日本の1人あたりGDPを押し下げる要因となりますが、日本は高齢化だけではなく、少子化も進んでいます。つまり、子供の人数が少ないのです。あまり経済に貢献しない子供は、少なければ少ないほど、1人あたりGDPを押し上げる要因となります。 また、失業率を考える必要もあります。たとえばイタリアやスペインの失業率は、2桁に乗っています。つまり、実際に仕事をしている労働人口と名目上の労働人口の乖離が日本より大きくなっています。日本は失業率が低いですから、その分、1人あたりGDPを押し上げる要因となります。
・以上を考慮すると、「労働人口で見た日本の生産性は相対的に高くなって、最下位ではないだろう」というのは期待はずれです。実は、日本は全国民に占める仕事に就いている労働人口の比率が相対的に高いため、GDPを労働人口で割った生産性で見ると、逆にランキングが下がる結果となります。 なおかつ、日本は相対的に働く時間が長いので、1時間あたりで計算すると日本の順位はさらに下がります。 このままでは、生産性で韓国に抜かれる
・また、「日本の生産性が下がった理由」についての言及も多く見られましたが、実は日本の生産性は「下がった」わけではありません。1990年から現在にかけて、日本の生産性はわずかながら「上がって」います。日本の生産性が先進国最低になったのは、他の国と比べて、極端に「上がり方」が緩やかだったからです。
・実際、1990年から現在まで、アメリカ、ドイツ、イギリスの生産性は40%も上がっていますが、日本は20%しか上がっていません。特に、先進国の生産性は1995年以降爆発的に向上していたにもかかわらず、日本だけはほぼ横ばいで推移してきました。このため、1990年には世界第10位だった生産性が、第27位まで低迷してしまったのです。
・アジアの中でも、日本の優位性が次第に薄れています。2001年には日本の生産性はまだアジアトップでしたが、2002年に第2位、2007年に第3位、2010年に第4位、2015年には第5位まで低下しています。 実はこのままにしておきますと、数年後には、日本は生産性で韓国にすら抜かれることが予想されます。 1990年には、日本の購買力調整済みの1人あたりGDPは韓国の2.44倍でしたが、毎年そのギャップが縮まっており、2015年は1.04倍となっています。生産性はやがて収入に収斂していきますので、このままですと、生活水準で韓国の後塵を拝することになってしまいます。
・生産性を上げる必要があると主張していると、必ずと言っていいほど「生産性を上げる必要などない」と反論されます。生産性を上げるためにガツガツ働いても、幸せにはなれないのではないかという意見です。 気持ちはよくわかりますが、やはり生産性は上げなくてはなりません。
▽社会保障を続けるなら、生産性向上は不可欠
・まず、「GDP=人口×生産性」です。これから日本の人口は確実に減ります。人口が減りますので、生産性を上げないと、GDPは減ります。この簡単な理屈に、難しい経済理論は不要です。 「GDPが減ってもいいではないか」という反論も予想されます。同時に、「日本には日本の美徳がある。利益ではない、経済合理性ではない」などとも言われます。 ここで一番のポイントは、長寿と福祉です。皆さんの寿命が延びました。日本は、年金も介護も医療もとても充実しており、この支出は毎年増えています。これを支えているのは労働人口です。労働人口が減るなら、労働人口の生産性向上が求められます。これも極めて簡単な話です。
・「日本人の職人魂」「細部までこだわる」「利益ではない」「生産性や合理性ではない」というスタンスは、戦後、人口が爆発的に伸びるという「恵まれた」時代だからこそ許されました。今も同様のことを言うのであれば、それは昭和という「人口激増時代の後遺症」であり、「妄言」と言うしかありません。
・日本という先進国において人口が爆発的に増えれば、経済は成長します。モノが売れます。人が増えていれば、経営が下手でもなんとかなります。経営戦略などなくても利益が増え、株価が上がります。短期的に利益を重視しなくても、そのうち自然と利益が上がります。1円でも安く、大量に作りさえすれば、会社が栄えました。大した魅力のない観光地にも人がいっぱい来ます。人が増えているから、翌年はさらに来る。そうなると、魅力を磨く必要がなくなります。
・人口激増時代は、福祉制度を運営するのも容易でした。高齢者を支える人は毎年増えるのですから、ひとりひとりの労働者の効率や生産性を考える必要はありませんでした。極論を言えば、労働者は生産性を気にすることなく働くことができました。やりたい放題が許されたのです。ある意味で、素晴らしい時代だったと言えるでしょう。
・人口激増を背景に、生産性を気にしなくてもなんとかなるという「日本型資本主義」ができあがりました。アナリストとしては、これは人口激増時代だからこそ許された「甘え」であり、今も同様のことを言うのであれば、「妄想」と言わざるをえません。 今は、人口減少時代です。ひとりひとりの生産性を向上させる以外に、福祉制度を守っていく道はありません。長寿化に伴う福祉の支出を諦めるか、生産性を追わないという今までの「甘え」を諦めるか。私には、答えはハッキリしているように思います。
・もちろん、生産性向上の恩恵は福祉の維持だけに留まりません。長年低迷している、皆さんの給料も上がります。国連の調査によると、日本は労働者の質が世界一高い国です。さらに世界的に見て、大変な長時間労働をされています。高い給料をもらわないよりは、もらったほうがいいのではないでしょうか。生産性向上は、そのための方策でもあるのです。
http://toyokeizai.net/articles/-/149624
第三に、昨年12月23日付けの「日本を「1人あたり」で最低にした犯人は誰か 「世界最高の労働者」を活かせないという罪」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽生産性向上なしに、日本の問題は解決しない
・前々回(「1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実)と前回(日本は、ついに「1人あたり」で韓国に抜かれる)の記事で、日本の生産性が他国と比べて相対的に低下している現実を指摘し、生産性向上の必要性を訴えてきました。
・このような主張をしていると、必ず「生産性向上など必要ない」という意見をもらいます。しかし「GDP=人口×生産性」です。 人口が増えない中で、生産性を向上させないなら、これから確実に増える社会保障費をどうやってまかなうのか。先進国の中で貧困率がトップクラス、まさに「ワーキングプア大国」という現実をどう解決するのか。「生産性向上など必要ない」と主張する方にはぜひとも教えていただきたいのですが、納得のいく意見を聞いたことがありません。妙案がある方がいらっしゃいましたら、ご連絡をお待ちいたします。
・さて、記事への反応の中には、「問題提起だけで解決策が書かれていない」という批判もありましたので、今回はその点を解説していきたいと思います。
・まず、「あなたの会社の生産性は、こうすれば上がります」などという魔法の杖は存在しません。各企業が抱える問題はそれぞれですから、対応策も異なります。私自身、小西美術工藝社という300年以上続く会社の経営者として日々生産性向上に努めていますが、うまくいくことばかりではありません。さまざまな抵抗や反対にあい、改革が遅々として進まないことも珍しくありません。 ですが、ひとつだけはっきりしていることがあります。それは、「生産性が相対的に下がったのは、誰のせいか」ということです。「誰が生産性向上の責任を負っているのか」と言い換えても構いません。
▽生産性低下の犯人は「長い会議」などではない
・記事に対するコメントを拝見していると、「犯人探し」が盛んです。たとえば「会議が長い、根回しが大変、働き方が非効率。だから日本は生産性が低い」という意見がありました。たしかにそれらは日本の特徴かもしれませんが、別に今に始まった話ではありません。日本の生産性の伸びがほぼ止まったのは1990年代からですので、説明要因としては不十分でしょう。
・他にも、「画一的な教育が悪い」という意見もあります。かつて日本の教育は、「世界一勤勉な労働者を育成している」と高く評価されていましたが、最近では「個性やクリエイティビティを養うことができない」と言われ、さまざまなところでやり玉に挙がっています。
・私は日本の教育を受けたことがないので、日本の教育制度の是非を論じることに抵抗がありますが、外国人の視点から言わせていただくと、このようにかつて良いとされていたことが時代遅れと批判される現象の根底には、「経済の停滞」があるのではないかと考えています。これは世界的にもよくあるパターンです。
・たとえば、英国経済が低迷していた時代、私の母校でもあるオックスフォード大学は痛烈な批判に晒されていました。「アカデミズムに偏りすぎで卒業生はビジネスに向かない、社会で本当に役立つことを教えていない」という、どこかで聞いたことのある批判がなされていたのです。 ですが、経済が好転した今、オックスフォード大学の評価は180度変わり、2016年には「世界一」と言われるまでに復活しました。では、オックスフォード大学は何か変わったのでしょうか。いえ、オックスフォード大学の制度も文化も、12世紀からそれほど変わっていません(もちろん、多少の「調整」はしています)。にもかかわらず、経済が好転すると「成功の主要因」のように語られるのは、興味深い現象です。
・日本の教育に関する議論にも、同じことが言えるように思います。もちろん、日本の教育に何も問題がないとは言いませんが、それを「生産性停滞の犯人」と決めつけるのは、冷静に考えれば早計だと思います。 また、「日本人が勤勉でなくなった」という意見もあります。こういった人は、「働く人ひとりひとりが生産性を意識しなければいけない」という主張になりがちです。
・大変立派な姿勢ですし、生産性を高められれば、もしかしたらその人のお給料は上がるかもしれません。しかし、すべての労働者にそれを求めるのは、一言で言えば「過剰な期待」です。 労働者が自主的に生産性を高めることなど、世界の常識に照らせばあり得ません。「生産性が低いから会議には出ません、報告書も書きません」と言って許されるとは思えませんし、そもそも、労働者には生産性を上げる義務も、インセンティブもありません。
・日本では「従業員も経営者目線を持ちなさい」と言われることがあるようですが、そう言うならば、労働者にも経営者と同じだけの給料を支払わなければいけませんし、同じ権限を与えないと理屈が通りません。
・そもそも、経営改善は経営者の仕事です。だから「経営者」というのです。生産性の改善とはとりもなおさず「経営改善」のことですから、生産性を改善していく義務は、第一義的に経営者にあるはずです。極めて単純な話です。 国連の調査によると、日本の労働者の質は世界最高と言われています。世界最高の労働者から、先進国最低の生産性しか引き出せていない。私には、日本の経営者の「罪」は決して軽くないと思わずにはいられません。 高スキル構成比とは、「高スキル労働者」が全労働者に占める割合。主に数学的思考能力、識字能力、ITを使った問題解決能力などをベースに国連が独自に算出している(出所:国連データより筆者作成)
▽生産性を向上させないと、社会保障が守れない
・日本は今、年金、医療、介護に加えて、貧困、ワーキングプア、国の借金など、非常に多くの問題を抱えています。だから安倍政権は、600兆円というGDP目標を置き、女性の活躍、給料の引き上げ、内部留保の活用などを訴えています。人口が増えない中でGDPを増やすというアベノミクスの目標は、生産性を高めていこうということと同義です。
・この目標を達成するため、日本政府は公共投資、減税、低金利に続くゼロ金利とマイナス金利、円安誘導に規制緩和と、さまざまな手を打ってきました。政府は企業経営こそできませんが、それ以外にできることはほとんどやっていると思います。しかし、経営者は生産性向上のために動き出していません。「生産性を向上させるべき」という意見に賛同していないのか、その必要性を認識していないのか、自分の責任を感じていないのかはわかりませんが、動き出していないのは明らかです。
・私は本を出版する前の2年間、経営者が動き出さない理由をずっと考えていました。さまざまな仮説を立てて、データを分析して検証をしましたが、満足のいく説明はできませんでした。ですが、夏休みのある日、鎌倉のビーチで悟りました。「経営者のモチベーション」こそが問題であると。
・日本社会が抱える問題は、経営者にとっては「関係ないこと」です。どれほど社会保障費が膨らんで国の借金が増えても、どれほどワーキングプアが増えても、経営者は困りません。経営者には、自社に対する責任しかないのです。
・それに拍車をかけているのが、「日本型資本主義」という幻想です。多少極端な言い方ですが、「大切なのは利益ではない、合理性ではない。仕事は『道』である。日本の精神性を捨てるべきではない」などと言って、生産性改善に向かわない「怠慢」をごまかしてきました。いい加減な経営をしても、内部からのプレッシャーもありません。外部の不満が募って、たとえば敵対的買収の動きになっても、政府に頼んで規制で守ってもらってきました。事実、日本は1990年代から「世界一株価が上がらない国」になっています。
・昭和の時代なら、このやり方でも何とかなっていました。それは人口激増という恩恵があったからです。利益を気にしなくても、人口が増えるから、利益は後から自然についてきました。つまり、日本型資本主義は、単なる「人口激増依存型資本主義」だったのです。人口増加が止まった1990年代初頭に経済成長も止まった事実からも、それは明らかです。
・しかし、今は平成です。人口横ばい時代を経て、人口激減時代に入っています。日本型資本主義を支えた基礎条件が変わったのですから、いまだに「日本型資本主義」などといって甘えることは許されません。いま「日本型資本主義」などと言っているのは、まるで「天動説」を信じ続けている人を見たような滑稽さを感じます(この点については、回を改めて詳しくご説明します)。
▽生産性向上のため、政府は「外圧」となれ
・日本政府は、今まではずっと経営者を信じて、プレッシャーをかけてこなかったどころか、「ハゲタカ」などとも言われる外資系金融機関から日本企業を守るという形で、プレッシャーを軽減してきました。人口激増時代には、それで問題ありませんでした。しかし、人口増加が止まった今、この政策はうまくいきません。では、どうすればいいのでしょうか。
・私は、政府が公的年金などを通じて「日本一のアクティブ・シェアホルダー」となり、各社に生産性を上げるように強制するべきだと考えています。生産性を上げられない、無駄な内部留保を活用できない経営者は、有能な経営者が現れるまで首を切るべきでしょう。
・世界一有能な国民を預かっている以上、経営者には仕事を効率化し、生産性を上げていく義務があります。給料を抑えるだけという単純な戦略ではなく、「本物の経営」をするようにプレッシャーをかけるべきです。そのプレッシャーによって、経営者は株価を継続的に上げる経営をせざるをえなくなります。各社が努力をして、生産性を上げます。その努力の積み重ねによって、GDPは増えるのです。
・「そんなことをすると、リストラによって失業者が増える」という反論が予想されますが、今や、人が足りないから移民を迎え入れようという、極めて危険な動きがあります。移民にはさまざまなリスクもあります。人が足りないなら、今いる労働者の生産性を上げていくことによって補えばいいのです。こんなに生産性が低いのですから、移民を迎えることを考える前にやるべきことはあるはずです。
・極端なことを言えば、今までの日本の経営者は、「経営」をしてきませんでした。激増する人口という恵まれた環境に甘えて、「管理」をしてきただけです。今となっては不幸なことに、それで大成功を収めてしまいました。この大成功の幻想を追うあまり、人口減少時代に求められている経営に気づけないのだと思います。
・これからは経営者という立場の人たちには、きちんと「経営」をしてもらわないといけない時代に変わりました。経営者が危機感を持たず、人口減少時代にふさわしい「経営」をしないなら、強制的にでもさせるしかありません。 「アメリカのような極端な利益至上主義は人を幸せにしない」と言われます。その通りです。しかし、アメリカの極端な「利益至上主義」に対する批判を、日本の「利益否定・生産性軽視」の口実にしてはなりません。
・何度も言いますが、生産性を高めないかぎり、増え続ける社会保障を維持することも、先進国でトップクラスの貧困率を改善させることもできないのです。アベノミクスの真の狙いは生産性を上げることです。それを意識して、実行に移す以外に、日本が再生する方法はありません。
http://toyokeizai.net/articles/-/150913
一番目の記事にある 『1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実』、『かつて「イギリス病」と言われ、世界から「衰退していく先進国」の代表だと思われたイギリスでも、「やらなくてはいけないことをやる」という改革を断行したことで、よみがえることができたという歴史的事実を知っていただきたいのです』、というデービッド・アトキンソン氏は、分析もいいかげんではなく、「日本病」診断に最適な人物だろう。 『今の日本経済はごく一部の企業を除いて、「やるべきことをやっていない」という現状が我慢できません。 日本人の「潜在能力」が活かされていないことが悔しくてたまりません』、には「日本びいき」になった同氏の焦燥感が溢れている。
二番目の記事で、 『人口激増を背景に、生産性を気にしなくてもなんとかなるという「日本型資本主義」ができあがりました。アナリストとしては、これは人口激増時代だからこそ許された「甘え」であり、今も同様のことを言うのであれば、「妄想」と言わざるをえません』、との厳しい指摘は正論だ。
三番目の記事で、『「世界最高の労働者」を活かせないという罪』は、「経営者のモチベーション」にあるとの指摘は、その通りだ。日本ではすぐ「教育」が問題とする人々も多いが、オックスフォード大学が「イギリス病」時代には問題にされ、現在は高く評価されている例は面白く説得的だ。さらに 『「日本型資本主義」という幻想です。多少極端な言い方ですが、「大切なのは利益ではない、合理性ではない。仕事は『道』である。日本の精神性を捨てるべきではない」などと言って、生産性改善に向かわない「怠慢」をごまかしてきました。いい加減な経営をしても、内部からのプレッシャーもありません。外部の不満が募って、たとえば敵対的買収の動きになっても、政府に頼んで規制で守ってもらってきました。事実、日本は1990年代から「世界一株価が上がらない国」になっています』、と「日本型資本主義」が経営者の逃げ道になっている現状を、手厳しく批判しているのにも大賛成だ。 『政府が公的年金などを通じて「日本一のアクティブ・シェアホルダー」となり、各社に生産性を上げるように強制するべきだと考えています』、との提言は、そのうちGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用方針見直しにつながるかもしれない。 『今までの日本の経営者は、「経営」をしてきませんでした。激増する人口という恵まれた環境に甘えて、「管理」をしてきただけです。今となっては不幸なことに、それで大成功を収めてしまいました。この大成功の幻想を追うあまり、人口減少時代に求められている経営に気づけないのだと思います』、との指摘もその通りだ。この記事や 『新・所得倍増論』を、多くの経営者が読んで深く考え直してほしいところだ。
明日の金曜日は更新を休むので、土曜日にご期待を!
先ずは、昨年12月9日付け東洋経済オンライン「「1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実 日本の生産性は、先進国でいちばん低い」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・日本は「成熟国家」などではない。まだまだ「伸びしろ」にあふれている。 著書『新・観光立国論』で観光行政に、『国宝消滅』で文化財行政に多大な影響を与えてきた「イギリス人アナリスト」にして、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社社長であるデービッド・アトキンソン氏。
・彼が「アナリスト人生30年間の集大成」として、日本経済を蝕む「日本病」の正体を分析し、「処方箋」を明らかにした新刊『新・所得倍増論』が刊行された。そのポイントを解説してもらう。
▽さまざまなジャンルの世界ランキングで高位置にいるが
・「日本人は『○○の分野で世界第○位』という話が大好きだ」 これは初めて日本に来てから31年、私が日本の皆さんに対して抱いてきた率直な感想です。 私はバブル直前の1985年、日本にやってきました。そのころ日本はすでに「世界第2位の経済大国」で、国中に自信がみなぎっているのを感じました。いまは中国に抜かれて第3位になっていますが、それでも世界には190以上の国がある中での第3位ですから、たいへんすばらしいことだと思います。それ以外にも、輸出額、製造業生産額、ノーベル賞受賞数など、さまざまなジャンルの世界ランキングで、日本は高い地位を占めています。
・これらは、まさに「一流国家」というにふさわしい実績でしょう。そんなすばらしい実績を達成した日本人が、「自分の国は第○位だ」という話を喜ぶのは、ある意味で当然だと思います。 ですが、不思議なこともあります。日本ではなぜか、欧州では当たり前の「1人あたりで見て、世界第○位」という話はほとんど聞かれません。「全体で見て第○位」という話ばかりなのです。
・「全体で」「1人あたりで」、どちらで見るべきかはケースによって違いますが、国民1人ひとりの「豊かさ」や、個々人がどれだけ「潜在能力」を発揮しているかを見るには、「1人あたりで」のほうが適切なのは明らかです。同じ100億円の利益を上げている会社でも、従業員100人の会社と1000人の会社では、それぞれの社員の「豊かさ」や「潜在能力の発揮度合い」は10倍も違うという、きわめて当たり前の話です。
▽「1人あたり」で見ると、違った景色が見えてくる
・では、日本の実績を「1人あたり」の数値で見直すと、どんな風景が見えてくるでしょうか。きっと、驚かれることと思います。
・日本は「GDP世界第3位」の経済大国である→ 1人あたりGDPは先進国最下位(世界第27位)
・日本は「輸出額世界第4位」の輸出大国である→ 1人あたり輸出額は世界第44位
・日本は「製造業生産額世界第2位」のものづくり大国である→ 1人あたり製造業生産額はG7平均以下
・日本は「研究開発費世界第3位」の科学技術大国である→ 1人あたり研究開発費は世界第10位
・日本は「ノーベル賞受賞者数世界第7位」の文化大国である→ 1人あたりノーベル賞受賞者数は世界第39位
・日本は「夏季五輪メダル獲得数世界第11位」のスポーツ大国である→ 1人あたりメダル獲得数は世界第50位
注:生産性は世界銀行(2015年)、輸出額・製造業生産額はCIA(2015年)、研究開発費は国連(2015年)、ノーベル賞はWorld Atlas(2016年)、夏季五輪メダルはIOC(リオオリンピックまで)のデータをもとに筆者算出
・まだまだありますが、これくらいにしておきましょう。これだけでも、日本の「全体で見ると高いランキングにいるが、1人あたりで見るとその順位が大きく下がる国」という特徴が浮き彫りになるはずです。これは、単純に日本の人口が多いからです。先進国で1億人以上の人口を抱えている国は、米国と日本しかないのです。
・誤解しないでください。私は、「日本人は大したことのない人たちだ」などと言いたくて、これらの事実をご紹介したわけではありません。むしろ長年、日本人の皆さんと働いてきて、日本人の能力の高さに心からの敬意を抱いています。これは私の単なる感覚ではなく、国連の調査でも、日本は「労働者の質」が世界一高い国であることが明らかになっています。 能力が高いのに結果が良くない。これは、「潜在能力」が活かされていないことを示しています。逆に言えば、日本にはまだまだ「伸びしろ」があるということです。
▽なぜ、イギリス人がこんなことを書くのか
・1979年、私がまだ中学生だった頃、サッチャー首相がテレビのインタビューでこのような内容のことを語りました。 「みんながなにも反発せずに、しかたがないと言いながら、この国が衰退していくのを見るのは悔しい!産業革命、民主主義、帝国時代などで輝いたこの国が世界からバカにされるのは悔しい!」
・当時、戦争が終わってから、イギリスは経済のさまざまな分野でイタリア、フランス、ドイツや日本に大きく抜かれました。イギリスには過去の栄光以外になにもない、あとは沈んでいくだけだ、などと厳しい意見も聞かれ、世界からは「イギリス病」などと呼ばれ、衰退していく国家の見本のように語られていました。
・あの時代、まさか今のイギリスのように「欧州第2位」の経済に復活できるとは、ほとんどのイギリス人をはじめ、世界の誰も思っていませんでした。それほどサッチャー首相が断行した改革はすごかったのです。 これは、別にイギリス人のお国自慢ではありません。かつて「イギリス病」と言われ、世界から「衰退していく先進国」の代表だと思われたイギリスでも、「やらなくてはいけないことをやる」という改革を断行したことで、よみがえることができたという歴史的事実を知っていただきたいのです。
・サッチャー首相の言葉と同様に、みなさんにぜひ問いかけたいことがあります。 皆さんが学校でこんなに熱心に勉強して、塾にも通って、就職してからも毎日長い時間を会社で過ごし、有給休暇もほとんど消化せず、一所懸命働いているのに、「生産性は世界第27位」と言われて、悔しくないですか。労働者1人、1時間あたりで計算すると、イタリアやスペインすら下回ります。「先進国最下位」の生産性と言われて、悔しくないですか。
・「ものづくり大国」を名乗りながら、1人あたり輸出額は世界第44位と言われて、悔しくないですか。 こんなにも教育水準が高い国で、世界の科学技術を牽引するだけの潜在能力がありながら、1人あたりのノーベル賞受賞数が世界で第29位というのは、悔しくないですか。 私は悔しいです。
・「失われた20年」を経て、日本は経済成長をしないのが当たり前になりつつあります。かつてイギリスがそう呼ばれたように、「日本病」などと言われ、衰退していく先進国の代表のようにとらえられてしまうおそれもあります。実際、海外では、日本のことを研究する際には、経済政策の失敗例として扱われることが多いと聞きます。私がオックスフォードで日本について学んだときは、戦後の日本経済がいかに成功したかということが主たるテーマでしたので、非常に残念な変化です。
・だからこそ余計に、今の日本経済はごく一部の企業を除いて、「やるべきことをやっていない」という現状が我慢できません。日本人の「潜在能力」が活かされていないことが悔しくてたまりません。
▽GDP770兆円、平均年収1000万円も十分可能
・初めて日本にやってきてから、もう31年の月日が流れています。人生の半分以上を過ごしてきたこの国について今、私が思っていることはこの一言に尽きます。 日本はこの程度の国ではない。 私は、日本を「この程度」にとどめているのは、「世界ランキングが高い」という意識に問題があるのではないかと思っています。世界ランキングでの評価が高いから日本はすごい。世界ランキングが高いということは、日本人の潜在能力がいかんなく発揮されているからだと思い込んでいる方が多いのではないでしょうか。1人あたりのデータを見ずに、世界ランキングが高いということだけを見て、日本の実績は諸外国より上だと信じ込んでいる人が多いのではないでしょうか。 これは、恐ろしい勘違いです。
・1億人を超える人口大国・日本の世界ランキングが高いのは当たり前のことです。「1人あたり」で測れば、日本の潜在能力が発揮できていないことは明白です。まだ日本は成長の伸びしろがあるにもかかわらず、この「勘違い」によって、成長が阻まれているのです。
・日本の実績を「この程度」に押しとどめている原因を特定し、改革を実行すれば、日本は必ずや、劇的な復活を果たせるはずです。この「劇的な復活」とは、GDP770兆円(今の約1.5倍)、平均年収1000万円(今の約2倍)というレベルです。日本の「潜在能力」を考えれば、そのくらいはまったく不可能ではありません。
・まずは、日本が潜在能力を発揮できていない「日本病」とも言うべき病に陥っていることを、しっかりと認識してください。すべてはそこから始まります。
http://toyokeizai.net/articles/-/148121
次に、昨年12月16日の「日本は、ついに「1人あたり」で韓国に抜かれる 生産性向上を阻む「昭和の思考」という呪縛」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽労働人口で計るとさらに悪化する日本のランキング
・前回の記事(「『1人あたり』は最低な日本経済の悲しい現実」)では、日本の生産性が先進国で最低であることをご紹介しました。この記事には多くの反響をいただきました。 一番疑問視されたのは、日本は高齢者が多いから、生産性を計るために1人あたりGDPを使うと、日本の生産性が過小評価されるのではないかという指摘でした。すなわち、GDPを人口で割ると、経済にあまり貢献していない高齢者の比率が高いため、生産性の値が低くなるだろうとのことです。これは、一見もっともらしい指摘に聞こえます。
・しかし私は長年アナリストをやっていましたので、その調整はしてあります。高齢者が多いというのは、たしかに日本の1人あたりGDPを押し下げる要因となりますが、日本は高齢化だけではなく、少子化も進んでいます。つまり、子供の人数が少ないのです。あまり経済に貢献しない子供は、少なければ少ないほど、1人あたりGDPを押し上げる要因となります。 また、失業率を考える必要もあります。たとえばイタリアやスペインの失業率は、2桁に乗っています。つまり、実際に仕事をしている労働人口と名目上の労働人口の乖離が日本より大きくなっています。日本は失業率が低いですから、その分、1人あたりGDPを押し上げる要因となります。
・以上を考慮すると、「労働人口で見た日本の生産性は相対的に高くなって、最下位ではないだろう」というのは期待はずれです。実は、日本は全国民に占める仕事に就いている労働人口の比率が相対的に高いため、GDPを労働人口で割った生産性で見ると、逆にランキングが下がる結果となります。 なおかつ、日本は相対的に働く時間が長いので、1時間あたりで計算すると日本の順位はさらに下がります。 このままでは、生産性で韓国に抜かれる
・また、「日本の生産性が下がった理由」についての言及も多く見られましたが、実は日本の生産性は「下がった」わけではありません。1990年から現在にかけて、日本の生産性はわずかながら「上がって」います。日本の生産性が先進国最低になったのは、他の国と比べて、極端に「上がり方」が緩やかだったからです。
・実際、1990年から現在まで、アメリカ、ドイツ、イギリスの生産性は40%も上がっていますが、日本は20%しか上がっていません。特に、先進国の生産性は1995年以降爆発的に向上していたにもかかわらず、日本だけはほぼ横ばいで推移してきました。このため、1990年には世界第10位だった生産性が、第27位まで低迷してしまったのです。
・アジアの中でも、日本の優位性が次第に薄れています。2001年には日本の生産性はまだアジアトップでしたが、2002年に第2位、2007年に第3位、2010年に第4位、2015年には第5位まで低下しています。 実はこのままにしておきますと、数年後には、日本は生産性で韓国にすら抜かれることが予想されます。 1990年には、日本の購買力調整済みの1人あたりGDPは韓国の2.44倍でしたが、毎年そのギャップが縮まっており、2015年は1.04倍となっています。生産性はやがて収入に収斂していきますので、このままですと、生活水準で韓国の後塵を拝することになってしまいます。
・生産性を上げる必要があると主張していると、必ずと言っていいほど「生産性を上げる必要などない」と反論されます。生産性を上げるためにガツガツ働いても、幸せにはなれないのではないかという意見です。 気持ちはよくわかりますが、やはり生産性は上げなくてはなりません。
▽社会保障を続けるなら、生産性向上は不可欠
・まず、「GDP=人口×生産性」です。これから日本の人口は確実に減ります。人口が減りますので、生産性を上げないと、GDPは減ります。この簡単な理屈に、難しい経済理論は不要です。 「GDPが減ってもいいではないか」という反論も予想されます。同時に、「日本には日本の美徳がある。利益ではない、経済合理性ではない」などとも言われます。 ここで一番のポイントは、長寿と福祉です。皆さんの寿命が延びました。日本は、年金も介護も医療もとても充実しており、この支出は毎年増えています。これを支えているのは労働人口です。労働人口が減るなら、労働人口の生産性向上が求められます。これも極めて簡単な話です。
・「日本人の職人魂」「細部までこだわる」「利益ではない」「生産性や合理性ではない」というスタンスは、戦後、人口が爆発的に伸びるという「恵まれた」時代だからこそ許されました。今も同様のことを言うのであれば、それは昭和という「人口激増時代の後遺症」であり、「妄言」と言うしかありません。
・日本という先進国において人口が爆発的に増えれば、経済は成長します。モノが売れます。人が増えていれば、経営が下手でもなんとかなります。経営戦略などなくても利益が増え、株価が上がります。短期的に利益を重視しなくても、そのうち自然と利益が上がります。1円でも安く、大量に作りさえすれば、会社が栄えました。大した魅力のない観光地にも人がいっぱい来ます。人が増えているから、翌年はさらに来る。そうなると、魅力を磨く必要がなくなります。
・人口激増時代は、福祉制度を運営するのも容易でした。高齢者を支える人は毎年増えるのですから、ひとりひとりの労働者の効率や生産性を考える必要はありませんでした。極論を言えば、労働者は生産性を気にすることなく働くことができました。やりたい放題が許されたのです。ある意味で、素晴らしい時代だったと言えるでしょう。
・人口激増を背景に、生産性を気にしなくてもなんとかなるという「日本型資本主義」ができあがりました。アナリストとしては、これは人口激増時代だからこそ許された「甘え」であり、今も同様のことを言うのであれば、「妄想」と言わざるをえません。 今は、人口減少時代です。ひとりひとりの生産性を向上させる以外に、福祉制度を守っていく道はありません。長寿化に伴う福祉の支出を諦めるか、生産性を追わないという今までの「甘え」を諦めるか。私には、答えはハッキリしているように思います。
・もちろん、生産性向上の恩恵は福祉の維持だけに留まりません。長年低迷している、皆さんの給料も上がります。国連の調査によると、日本は労働者の質が世界一高い国です。さらに世界的に見て、大変な長時間労働をされています。高い給料をもらわないよりは、もらったほうがいいのではないでしょうか。生産性向上は、そのための方策でもあるのです。
http://toyokeizai.net/articles/-/149624
第三に、昨年12月23日付けの「日本を「1人あたり」で最低にした犯人は誰か 「世界最高の労働者」を活かせないという罪」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽生産性向上なしに、日本の問題は解決しない
・前々回(「1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実)と前回(日本は、ついに「1人あたり」で韓国に抜かれる)の記事で、日本の生産性が他国と比べて相対的に低下している現実を指摘し、生産性向上の必要性を訴えてきました。
・このような主張をしていると、必ず「生産性向上など必要ない」という意見をもらいます。しかし「GDP=人口×生産性」です。 人口が増えない中で、生産性を向上させないなら、これから確実に増える社会保障費をどうやってまかなうのか。先進国の中で貧困率がトップクラス、まさに「ワーキングプア大国」という現実をどう解決するのか。「生産性向上など必要ない」と主張する方にはぜひとも教えていただきたいのですが、納得のいく意見を聞いたことがありません。妙案がある方がいらっしゃいましたら、ご連絡をお待ちいたします。
・さて、記事への反応の中には、「問題提起だけで解決策が書かれていない」という批判もありましたので、今回はその点を解説していきたいと思います。
・まず、「あなたの会社の生産性は、こうすれば上がります」などという魔法の杖は存在しません。各企業が抱える問題はそれぞれですから、対応策も異なります。私自身、小西美術工藝社という300年以上続く会社の経営者として日々生産性向上に努めていますが、うまくいくことばかりではありません。さまざまな抵抗や反対にあい、改革が遅々として進まないことも珍しくありません。 ですが、ひとつだけはっきりしていることがあります。それは、「生産性が相対的に下がったのは、誰のせいか」ということです。「誰が生産性向上の責任を負っているのか」と言い換えても構いません。
▽生産性低下の犯人は「長い会議」などではない
・記事に対するコメントを拝見していると、「犯人探し」が盛んです。たとえば「会議が長い、根回しが大変、働き方が非効率。だから日本は生産性が低い」という意見がありました。たしかにそれらは日本の特徴かもしれませんが、別に今に始まった話ではありません。日本の生産性の伸びがほぼ止まったのは1990年代からですので、説明要因としては不十分でしょう。
・他にも、「画一的な教育が悪い」という意見もあります。かつて日本の教育は、「世界一勤勉な労働者を育成している」と高く評価されていましたが、最近では「個性やクリエイティビティを養うことができない」と言われ、さまざまなところでやり玉に挙がっています。
・私は日本の教育を受けたことがないので、日本の教育制度の是非を論じることに抵抗がありますが、外国人の視点から言わせていただくと、このようにかつて良いとされていたことが時代遅れと批判される現象の根底には、「経済の停滞」があるのではないかと考えています。これは世界的にもよくあるパターンです。
・たとえば、英国経済が低迷していた時代、私の母校でもあるオックスフォード大学は痛烈な批判に晒されていました。「アカデミズムに偏りすぎで卒業生はビジネスに向かない、社会で本当に役立つことを教えていない」という、どこかで聞いたことのある批判がなされていたのです。 ですが、経済が好転した今、オックスフォード大学の評価は180度変わり、2016年には「世界一」と言われるまでに復活しました。では、オックスフォード大学は何か変わったのでしょうか。いえ、オックスフォード大学の制度も文化も、12世紀からそれほど変わっていません(もちろん、多少の「調整」はしています)。にもかかわらず、経済が好転すると「成功の主要因」のように語られるのは、興味深い現象です。
・日本の教育に関する議論にも、同じことが言えるように思います。もちろん、日本の教育に何も問題がないとは言いませんが、それを「生産性停滞の犯人」と決めつけるのは、冷静に考えれば早計だと思います。 また、「日本人が勤勉でなくなった」という意見もあります。こういった人は、「働く人ひとりひとりが生産性を意識しなければいけない」という主張になりがちです。
・大変立派な姿勢ですし、生産性を高められれば、もしかしたらその人のお給料は上がるかもしれません。しかし、すべての労働者にそれを求めるのは、一言で言えば「過剰な期待」です。 労働者が自主的に生産性を高めることなど、世界の常識に照らせばあり得ません。「生産性が低いから会議には出ません、報告書も書きません」と言って許されるとは思えませんし、そもそも、労働者には生産性を上げる義務も、インセンティブもありません。
・日本では「従業員も経営者目線を持ちなさい」と言われることがあるようですが、そう言うならば、労働者にも経営者と同じだけの給料を支払わなければいけませんし、同じ権限を与えないと理屈が通りません。
・そもそも、経営改善は経営者の仕事です。だから「経営者」というのです。生産性の改善とはとりもなおさず「経営改善」のことですから、生産性を改善していく義務は、第一義的に経営者にあるはずです。極めて単純な話です。 国連の調査によると、日本の労働者の質は世界最高と言われています。世界最高の労働者から、先進国最低の生産性しか引き出せていない。私には、日本の経営者の「罪」は決して軽くないと思わずにはいられません。 高スキル構成比とは、「高スキル労働者」が全労働者に占める割合。主に数学的思考能力、識字能力、ITを使った問題解決能力などをベースに国連が独自に算出している(出所:国連データより筆者作成)
▽生産性を向上させないと、社会保障が守れない
・日本は今、年金、医療、介護に加えて、貧困、ワーキングプア、国の借金など、非常に多くの問題を抱えています。だから安倍政権は、600兆円というGDP目標を置き、女性の活躍、給料の引き上げ、内部留保の活用などを訴えています。人口が増えない中でGDPを増やすというアベノミクスの目標は、生産性を高めていこうということと同義です。
・この目標を達成するため、日本政府は公共投資、減税、低金利に続くゼロ金利とマイナス金利、円安誘導に規制緩和と、さまざまな手を打ってきました。政府は企業経営こそできませんが、それ以外にできることはほとんどやっていると思います。しかし、経営者は生産性向上のために動き出していません。「生産性を向上させるべき」という意見に賛同していないのか、その必要性を認識していないのか、自分の責任を感じていないのかはわかりませんが、動き出していないのは明らかです。
・私は本を出版する前の2年間、経営者が動き出さない理由をずっと考えていました。さまざまな仮説を立てて、データを分析して検証をしましたが、満足のいく説明はできませんでした。ですが、夏休みのある日、鎌倉のビーチで悟りました。「経営者のモチベーション」こそが問題であると。
・日本社会が抱える問題は、経営者にとっては「関係ないこと」です。どれほど社会保障費が膨らんで国の借金が増えても、どれほどワーキングプアが増えても、経営者は困りません。経営者には、自社に対する責任しかないのです。
・それに拍車をかけているのが、「日本型資本主義」という幻想です。多少極端な言い方ですが、「大切なのは利益ではない、合理性ではない。仕事は『道』である。日本の精神性を捨てるべきではない」などと言って、生産性改善に向かわない「怠慢」をごまかしてきました。いい加減な経営をしても、内部からのプレッシャーもありません。外部の不満が募って、たとえば敵対的買収の動きになっても、政府に頼んで規制で守ってもらってきました。事実、日本は1990年代から「世界一株価が上がらない国」になっています。
・昭和の時代なら、このやり方でも何とかなっていました。それは人口激増という恩恵があったからです。利益を気にしなくても、人口が増えるから、利益は後から自然についてきました。つまり、日本型資本主義は、単なる「人口激増依存型資本主義」だったのです。人口増加が止まった1990年代初頭に経済成長も止まった事実からも、それは明らかです。
・しかし、今は平成です。人口横ばい時代を経て、人口激減時代に入っています。日本型資本主義を支えた基礎条件が変わったのですから、いまだに「日本型資本主義」などといって甘えることは許されません。いま「日本型資本主義」などと言っているのは、まるで「天動説」を信じ続けている人を見たような滑稽さを感じます(この点については、回を改めて詳しくご説明します)。
▽生産性向上のため、政府は「外圧」となれ
・日本政府は、今まではずっと経営者を信じて、プレッシャーをかけてこなかったどころか、「ハゲタカ」などとも言われる外資系金融機関から日本企業を守るという形で、プレッシャーを軽減してきました。人口激増時代には、それで問題ありませんでした。しかし、人口増加が止まった今、この政策はうまくいきません。では、どうすればいいのでしょうか。
・私は、政府が公的年金などを通じて「日本一のアクティブ・シェアホルダー」となり、各社に生産性を上げるように強制するべきだと考えています。生産性を上げられない、無駄な内部留保を活用できない経営者は、有能な経営者が現れるまで首を切るべきでしょう。
・世界一有能な国民を預かっている以上、経営者には仕事を効率化し、生産性を上げていく義務があります。給料を抑えるだけという単純な戦略ではなく、「本物の経営」をするようにプレッシャーをかけるべきです。そのプレッシャーによって、経営者は株価を継続的に上げる経営をせざるをえなくなります。各社が努力をして、生産性を上げます。その努力の積み重ねによって、GDPは増えるのです。
・「そんなことをすると、リストラによって失業者が増える」という反論が予想されますが、今や、人が足りないから移民を迎え入れようという、極めて危険な動きがあります。移民にはさまざまなリスクもあります。人が足りないなら、今いる労働者の生産性を上げていくことによって補えばいいのです。こんなに生産性が低いのですから、移民を迎えることを考える前にやるべきことはあるはずです。
・極端なことを言えば、今までの日本の経営者は、「経営」をしてきませんでした。激増する人口という恵まれた環境に甘えて、「管理」をしてきただけです。今となっては不幸なことに、それで大成功を収めてしまいました。この大成功の幻想を追うあまり、人口減少時代に求められている経営に気づけないのだと思います。
・これからは経営者という立場の人たちには、きちんと「経営」をしてもらわないといけない時代に変わりました。経営者が危機感を持たず、人口減少時代にふさわしい「経営」をしないなら、強制的にでもさせるしかありません。 「アメリカのような極端な利益至上主義は人を幸せにしない」と言われます。その通りです。しかし、アメリカの極端な「利益至上主義」に対する批判を、日本の「利益否定・生産性軽視」の口実にしてはなりません。
・何度も言いますが、生産性を高めないかぎり、増え続ける社会保障を維持することも、先進国でトップクラスの貧困率を改善させることもできないのです。アベノミクスの真の狙いは生産性を上げることです。それを意識して、実行に移す以外に、日本が再生する方法はありません。
http://toyokeizai.net/articles/-/150913
一番目の記事にある 『1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実』、『かつて「イギリス病」と言われ、世界から「衰退していく先進国」の代表だと思われたイギリスでも、「やらなくてはいけないことをやる」という改革を断行したことで、よみがえることができたという歴史的事実を知っていただきたいのです』、というデービッド・アトキンソン氏は、分析もいいかげんではなく、「日本病」診断に最適な人物だろう。 『今の日本経済はごく一部の企業を除いて、「やるべきことをやっていない」という現状が我慢できません。 日本人の「潜在能力」が活かされていないことが悔しくてたまりません』、には「日本びいき」になった同氏の焦燥感が溢れている。
二番目の記事で、 『人口激増を背景に、生産性を気にしなくてもなんとかなるという「日本型資本主義」ができあがりました。アナリストとしては、これは人口激増時代だからこそ許された「甘え」であり、今も同様のことを言うのであれば、「妄想」と言わざるをえません』、との厳しい指摘は正論だ。
三番目の記事で、『「世界最高の労働者」を活かせないという罪』は、「経営者のモチベーション」にあるとの指摘は、その通りだ。日本ではすぐ「教育」が問題とする人々も多いが、オックスフォード大学が「イギリス病」時代には問題にされ、現在は高く評価されている例は面白く説得的だ。さらに 『「日本型資本主義」という幻想です。多少極端な言い方ですが、「大切なのは利益ではない、合理性ではない。仕事は『道』である。日本の精神性を捨てるべきではない」などと言って、生産性改善に向かわない「怠慢」をごまかしてきました。いい加減な経営をしても、内部からのプレッシャーもありません。外部の不満が募って、たとえば敵対的買収の動きになっても、政府に頼んで規制で守ってもらってきました。事実、日本は1990年代から「世界一株価が上がらない国」になっています』、と「日本型資本主義」が経営者の逃げ道になっている現状を、手厳しく批判しているのにも大賛成だ。 『政府が公的年金などを通じて「日本一のアクティブ・シェアホルダー」となり、各社に生産性を上げるように強制するべきだと考えています』、との提言は、そのうちGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用方針見直しにつながるかもしれない。 『今までの日本の経営者は、「経営」をしてきませんでした。激増する人口という恵まれた環境に甘えて、「管理」をしてきただけです。今となっては不幸なことに、それで大成功を収めてしまいました。この大成功の幻想を追うあまり、人口減少時代に求められている経営に気づけないのだと思います』、との指摘もその通りだ。この記事や 『新・所得倍増論』を、多くの経営者が読んで深く考え直してほしいところだ。
明日の金曜日は更新を休むので、土曜日にご期待を!
タグ:今までの日本の経営者は、「経営」をしてきませんでした。激増する人口という恵まれた環境に甘えて、「管理」をしてきただけです こんなに生産性が低いのですから、移民を迎えることを考える前にやるべきことはあるはずです 生産性を上げられない、無駄な内部留保を活用できない経営者は、有能な経営者が現れるまで首を切るべきでしょう 日本一のアクティブ・シェアホルダー 生産性向上のため、政府は「外圧」となれ 拍車をかけているのが、「日本型資本主義」という幻想です。多少極端な言い方ですが、「大切なのは利益ではない、合理性ではない。仕事は『道』である。日本の精神性を捨てるべきではない」などと言って、生産性改善に向かわない「怠慢」をごまかしてきました。いい加減な経営をしても、内部からのプレッシャーもありません。外部の不満が募って、たとえば敵対的買収の動きになっても、政府に頼んで規制で守ってもらってきました 経営者には、自社に対する責任しかないのです 経営者のモチベーション」こそが問題 生産性を向上させないと、社会保障が守れない 世界最高の労働者から、先進国最低の生産性しか引き出せていない。私には、日本の経営者の「罪」は決して軽くないと思わずにはいられません 生産性の改善とはとりもなおさず「経営改善」のことですから、生産性を改善していく義務は、第一義的に経営者にあるはずです 経済が好転した今、オックスフォード大学の評価は180度変わり、2016年には「世界一」と言われるまでに復活 オックスフォード大学は痛烈な批判に晒されていました 英国経済が低迷していた時代 生産性低下の犯人は「長い会議」などではない あなたの会社の生産性は、こうすれば上がります」などという魔法の杖は存在しません 生産性向上なしに、日本の問題は解決しない 日本を「1人あたり」で最低にした犯人は誰か 「世界最高の労働者」を活かせないという罪 人口激増を背景に、生産性を気にしなくてもなんとかなるという「日本型資本主義」ができあがりました。アナリストとしては、これは人口激増時代だからこそ許された「甘え」であり、今も同様のことを言うのであれば、「妄想」と言わざるをえません 「日本人の職人魂」「細部までこだわる」「利益ではない」「生産性や合理性ではない」というスタンスは、戦後、人口が爆発的に伸びるという「恵まれた」時代だからこそ許されました。今も同様のことを言うのであれば、それは昭和という「人口激増時代の後遺症」であり、「妄言」と言うしかありません 社会保障を続けるなら、生産性向上は不可欠 数年後には、日本は生産性で韓国にすら抜かれることが予想 ・アジアの中でも、日本の優位性が次第に薄れています 日本は、ついに「1人あたり」で韓国に抜かれる 生産性向上を阻む「昭和の思考」という呪縛 今の日本経済はごく一部の企業を除いて、「やるべきことをやっていない」という現状が我慢できません 失われた20年 1人あたりのノーベル賞受賞数が世界で第29位 1人あたり輸出額は世界第44位 ものづくり大国 労働者1人、1時間あたりで計算すると、イタリアやスペインすら下回ります。「先進国最下位」の生産性 サッチャー首相が断行した改革はすごかったのです 「欧州第2位」の経済に復活 サッチャー首相 世界からは「イギリス病」などと呼ばれ、衰退していく国家の見本のように語られていました 「1人あたり」で見ると、違った景色が見えてくる さまざまなジャンルの世界ランキングで高位置にいるが 日本は「成熟国家」などではない。まだまだ「伸びしろ」にあふれている 「「1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実 日本の生産性は、先進国でいちばん低い 東洋経済オンライン 『新・所得倍増論』 小西美術工藝社の社長 アナリスト デービッド・アトキンソン (その2)(元著名アナリストのデービッド・アトキンソン氏の日本診断) 構造問題 日本経済
日本経済の構造問題(その1)(「モラル大崩壊」が止まらない、なぜ日本人は「空気」に左右されるのか?、働く人を追い詰める「過剰品質」というワナ) [経済]
今日は、日本経済の構造問題(その1)(「モラル大崩壊」が止まらない、なぜ日本人は「空気」に左右されるのか?、働く人を追い詰める「過剰品質」というワナ) を取上げたい。
先ずは、昨日も引用したデモクラTV代表・元朝日新聞編集委員の山田厚史氏が昨年9月29日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「もんじゅに日銀、日本「モラル大崩壊」が止まらない」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・高速増殖炉「もんじゅ」は廃炉が避けられそうにない。年末に決まるというが、遅すぎた決断だ。核燃サイクルは維持する、という。高速増殖炉はやめるが、高速炉はフランスと組んで新たに始めるらしい。廃炉という重い決断を下す時、つじつま合わせのような「生煮えの構想」を打ち上げるのは、誠実な態度ではない。
・同じことが日銀の金融政策にも言える。「異次元緩和で物価を上げる」政策はもんじゅと同様、失敗した。公約が達成できなかった原因を、原油や消費税など「外部要因」になすりつけるのは責任転嫁で、見苦しい。
・原子力政策や金融政策という国家の大事な仕事を担う「偉い人」が、なぜこんなに不誠実なのか。「内心忸怩たるもの」があっても、「ここはすっとぼけてやり過ごそう」と思っているなら、国民はなめられたものだ。 日本国は頭から腐りだしている。モラルの連鎖崩壊は止めるのはどうすればいいのか。
▽「バレなければ、やっていい」 地方議会でビジネス界で目立つ劣化
・富山市の市会議員が政務調査費を不正請求していた。領収書の「万」の桁に数字を書き加えた。よくある幼稚な不正である。投票で選ばれながら、ズルして小銭を稼いでいた。市会議員のさもしい姿は有権者をガッカリさせた。 市会議員って何だろう。この人たちはどういう思いで議員をやっているのか。いつからこんなに卑しくなったのか。 富山市民でなくても憂鬱になる。ウチの県議会や市議会は大丈夫だろうか。
・そう思っていたら、天下の電通がネット広告費をごまかして請求していた。インターネットの広告は、新聞みたいに掲載されたことが一目で分かるような仕組みになっていない。「運用型広告」とか言って、クリックするユーザーの属性やキーワードに反応してバナー広告を載せる。どこにどれだけ載ったか、クライアントは分からない。
・不正がバレたのはトヨタが調べたからだという。トヨタだから電通を「おそれいりました」と言わせる調査ができたのだろう。トヨタを相手に広告をごまかすとは、電通も大胆だ。ゴキブリ1匹、裏に100匹。他にもきっとある。電通が自社で調査したところ111件、2億3000万円の不正があった、という。果たして、これだけなのか。氷山の一角ではないか。不正やり放題の仕組みなら、すべてのクライアントが多かれ少なかれ、被害に遭っているのではないか。
・「どうせ分からないさ、やってしまえ」と過剰請求や偽造レポートを書いたとしたら、大企業のモラルは地に落ちた。「おてんとうさまが見ている」とは思わなかったのか。 「分からなければ、やっていい」。富山市の市議もこれだった。東芝の粉飾決算も同じである。社長から「業績を上げろ」「チャレンジ!」と号令を掛けられ、経理部門が中心になって組織的な粉飾が行われた。 三菱自動車の燃費データ改竄も「どうせわからない」から始まった。「それはダメだよね」と誰かが言えば止まったかもしれない。
・言いだせない空気を作ったのはトップの責任だ。三菱の場合、やり直し検査でも不正な方法で測定していた。不祥事が発覚しても体質が改まらない。 三菱は日産グループに入ることが決まり、逃げ切れると思ったのではないか。モラルの緩みは益子会長に責任があるが、責任を取ろうという態度は全く見えない。 売上はがた落ちで、従業員の給与を減らす。下請けへの発注も減り、経営難に陥る部品メーカーもあるという。
・消費者を騙し、役所を欺き、従業員を苦しめ、下請けを泣かす。それでもトップは、資本提携の大船に乗って「一件落着」とでも思っているようだ。これが三菱の経営なのか。 ビジネスの世界で、経営者の劣化が目立つ。いつからこうなったのか。
▽20年目のもんじゅ漂流 官民こぞって責任逃れ
・モラル崩壊は「官」の周辺では以前から起きていた。 「もんじゅ」の漂流は20年も続いている。「もはや廃炉しかない」と誰もが気づきながら、貧乏くじを引くのを避けてきた。 責任者はだれなのか。見えない。事業主体の日本原子力研究開発機構に責任がある。安全管理をちゃんとやってこなかった。原子力規制委員会から昨年11月「新たな運営主体を半年をめどに探せ」と文科省は勧告を受けている。
・機構が組織としてガタガタなのか、もんじゅは機構の手に負えないほどガタガタなのか。いずれにせよ機構ではダメということだが、理事長の児玉敏夫氏は三菱重工副長から昨年4月1日、就任した。当時の朝日新聞にこう書かれていた。 「三菱重工はもんじゅの開発企業で利益相反の懸念があるため、外部有識者らによる第三者委員会を新たに設置し、透明性を確保するという」 利益相反が疑われる立場の人が理事長になる。監視する第三者委員会が必要というのである。なぜ、そんな人が難しい組織の理事長になるのか。ここからおかしい。
・なり手がいないのである。児玉氏は原子力の専門家ではない。重工の常務だった。退社する直前に副社長に昇格した。「箔付け」である。常務が理事長になるのでは具合が悪かったのだろう。「よそ者」がトップに座っても現場は変わらず、保安検査で重要な配管で点検不備が見つかった。「保安検査官もうんざりするぐらいの状況にある」と規制委の田中俊一委員長に叱責を受けた。
・人事を受けた児玉氏に責任はある。それ以上に、怒られ役か連絡役のような人を理事長に据えた文科省の責任である。当時は下村博文大臣だった。人事だけではない。文科省は宿題である「機構に代わる運営主体」を決められなかった。
・官も民も厄介者のもんじゅに関わりたくない。口では「核燃サイクル推進」と言いながら、みな腰が引けていた。無責任体制の中でもんじゅは朽ちて行った。 再稼働させるのには5800億円とか8000億円とかが必要とされるという。もんじゅの建設が始まったのは1985年。当時としては最新技術でも30年たち、すでに陳腐化している。
▽核燃サイクルの断末魔 結論ありきの政治の無策
・見捨てるしかないと分かっていたのに、決断できなかったのは政治の責任だ。 にっちもさっちも行かなくなり、地元に打診もなくいきなり「廃炉」である。福井県知事が怒るのも無理はない。手順というものがある。 核燃サイクルを推進するなら、もんじゅ廃炉後の手立てを付けておく必要がある。すでに48トン溜まったプルトニウムの使い道を含め、これから青森県・六ヶ所村の再処理工場が稼働して産出される新たなプルトニウムをどうするか。その六ヶ所工場も事故続きでもんじゅの二の舞になる恐れさえある。 核燃サイクルが必要なのか。もんじゅの廃炉は、ゼロから考え直す好機だった。
・先進国では原発離れが起きている。もんじゅや六ヶ所に注ぐカネを自然エネルギーの研究開発に向ければ新たなイノベーションが起こるだろう。自然エネルギーは原発や核燃サイクルより、製造・販売に加わる産業のすそ野が広い。20世紀の遺物のような原発を途上国に売って多国籍企業を利する産業政策がいいのか。政治家は真剣に考えてほしい。
・ところが政権は、経産官僚に丸投げしてしまった。安倍首相の側近である今井尚哉秘書官と世耕弘成経産大臣のラインで決まったというが、フランスの新型高速炉計画の実証炉(ASTRID)との共同開発が唐突に浮上した。同計画はまだ基本設計の段階だ。もんじゅが廃炉なら、何かで埋めなければならない、というだけで日仏共同開発へと動くほど原子力政策は軽いものなのか。 できるかどうか、これから検討する話である。あたかもその方向で進むかのような既成事実をつくることは、政策のミスリードでしかない。
▽マイナス金利で銀行が悲鳴 日銀「新しい枠組み」のごまかし
・さて、日銀の金融政策である。「新しい枠組み」というが、ますます混沌、分かりにくくなった。 「総括的な検討」といいながら、失敗を隠し、責任転嫁に終始したのが今回の金融政策決定会合だ。 「2年で2%の物価上昇」が果たせなかったのは、原油価格が予想を超えて下落したこと、消費増税が景気の腰を折った、中国や新興国の成長にブレーキが掛かった。この3つの外部要因が災いした、というのである。よく平然と言えるものだ。
・こうでも言わなければ責任問題が生ずる。金融の量的緩和では物価は上がりませんでした、と素直に認めたら、「異次元緩和」を看板にした黒田総裁の責任が浮上する。それだけではない。就任早々、日銀が輪転機をじゃんじゃん回して国債を買い上げたらいい、と主張し、それに賛成した黒田東彦氏を日銀総裁に任命した安倍首相の責任が問題になる。
・黒田総裁の事情は分からなくはないが、だからといって「ごまかし」が許されるわけではない。「量的緩和は効いている」といフィクションを前提に政策が組まれると、さらに間違いを重ねることになる。 日銀の人は頭がいいから、建前と本音を使い分けるだろう。 「量的緩和はこれからも続けますよ」と言いながら「量を目標にしません。金利水準が新たな目標です」という決定を今回した。本音と建て前の使い分けが隠されている。
・世間向けには「年間80兆円の資金供給を続ける」と従来方針に変わりないことを強調しながら、「もう量はいい。長期金利は下げない。マイナスに据え置く短期金利との金利差を確保しよう」という政策に切り替えた。
・なぜこんなことをするのか。金融界から不満が上がっているからだ。金融機関は短期資金を集め、長期金利で運用し利ザヤを稼ぐ。分かりやすい例では、銀行(とくに貸し先が少ない地方銀行)は集めた預金(短期金利)を国債(長期金利)で運用して儲けている。 マイナス金利政策で長期金利までマイナスになった。地銀から悲鳴が上っている。生命保険や財団、年金基金など運用益で成り立っている業種からも怨嗟の声が上がっていた。
・黒田総裁は「銀行のために金融政策をしているわけではない」と発言して金融界の怒りを買った。「やはり大蔵官僚」という反応である。 日銀は「金融村の村長」という立場が分かっていない。「村びとあっての村長だ」と銀行などは考えている。 金利に誘導目標を置き、長短に金利差を設ける、という決定は「銀行の言い分」が通ったのだ。
▽量的緩和は実はもう限界 インフレ目標は「諦め」の境地へ
・事情はもう一つある。「国債買い入れ」が限界に近づいている。すでに発行済み国債の3分の1が日銀に集まった。無理して買い上げれば、長期金利が下がってしまう。残存期間の短い国債には限度がある。 「国債買い入れ」は量の面からも手仕舞いが近づいていた。短期決戦しかできない作戦だった。市場をビックリさせる大量買入れを始めれば物価はピンと上がるだろう、上がったらサッと引く。そんな作戦だった黒田さんの考えは甘かった。
・「二年で」という目標は既に破綻している。4回変更されて「2017年度中」つまり2018年3月末までが今掲げている期日だが、今回それを撤廃した。 「長期戦に変わった」とか「持久戦」などと言われるが、「諦めた」のである。好意的に見れば「努力目標」である。 これでもか、とばかり国債を買っても、物価は上がらない。それどころか副作用が出て村人から不人気。買い入れも限度がある。
・物価目標を空文化し、量的緩和を修正する出口に備えよう、というのが今回の政策である。 だったら、そう言えばいいのに「口が裂けても言えない」というのが日銀の現状だ。 説明責任を果たさず、「国民や市場は黙って従え。我々はいろいろ考えているんだ」という態度である。そうやって失敗してきて、今なお失敗を語らない。本音と建て前がズレまくるから政策は、ますます分かりにくなる。
・日銀の独立性とは「身勝手」を許すことではないはずだ。 いや「アベノミクスの踏み絵」で総裁人事を握られ、すでに「独立性」がなくなっていることがこんな事態を招いたのだ。
http://diamond.jp/articles/-/103228
次に、「「超」入門 失敗の本質」の著者、鈴木博毅氏が昨年11月11日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「なぜ日本人は「空気」に左右されるのか? 旧日本軍から豊洲問題まで、組織を陰で支配するもの」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・築地市場の豊洲移転問題で再び注目を集める、日本の組織を支配する「空気」の存在。戦時中における旧日本軍の意思決定から、東日本大震災の対応、東芝の粉飾決算など、私たちのメンタリティは今も変わっていない。なぜ、日本人は同じ失敗を繰り返すのか?なぜ日本企業は変われないのか?14万部のベストセラーとなった『「超」入門失敗の本質』の著者が、日本的組織のジレンマを読み解く。
・2011年の東日本大震災時の東電や政府の対応、三菱自動車のデータ偽装、東芝の粉飾決算、築地市場の豊洲移転問題……。近年、首を大きくかしげたくなる問題が日本社会で次々に発覚しています。 そして、これらの問題はどこか「既視感」を覚えるものばかりです。今も昔も結局、日本のメンタリティは変わっていないように思えます。日本社会、ひいては日本人に共通するある精神性が、こうした問題を繰り返し引き起こしているのではないでしょうか。 なぜ、日本人は同じ失敗を繰り返すのでしょうか?そして、なぜ日本企業は変われないのでしょうか。
▽巨大組織の東京都庁が改めて示した「日本的組織」の病魔
・この夏から秋にかけて多くの人の注目を集めた問題がありました。築地市場の豊洲移転問題です。老朽化、過密状態の改善を理由とした築地市場の移転は、本来は多くのプラスを生み出すために計画されたはずでした。 ところが豊洲の予定地にベンゼン、ヒ素などの土壌汚染が判明し、その対策として計画されたはずの盛り土が実際にはされていないことが発覚してしまったのです。
・今年の8月から就任した小池新都知事は、この問題とその対処について次のように語りました。 「土壌汚染対策を担当する土木部門と建物管理を担当する建築部門が縦割りで連携不足で、(中央卸売市場の責任者の)市場長など管理部門のチェックもなされていなかった。答弁は前の答弁をそのまま活用した。ホームページには誤った概念図をそのまま使用し、誰も気付かなかった」(日本経済新聞、9/30より) 「業務を把握すべき立場の歴代の市場長は盛り土をしないと知らずに決裁してきた。今回の事態を招いた最も大きな要因は責任感の欠如だ。組織運営システムの問題だ『都庁は伏魔殿でした』と評論家のように言っているわけにはいかない」(同前)
・東京都は計画段階で、約40ヘクタールの豊洲新市場予定地を4122地点にわたり詳細に調査しています(地盤面から深さ50センチメートルの土壌と地下水)。 「調査の結果、人の健康への影響の観点から設定されている環境基準を超える地点は、土壌または地下水で1475地点(36パーセント)でした。このうち1000倍以上の汚染物質が検出されたのは、土壌で2地点、地下水で13地点であり、敷地全体に高濃度の汚染が広がっていないことが分かりました」(東京都中央卸売市場ホームページより)
・これだけの事前調査をもとに決定された対策が、すべてきちんと行なわれていれば、豊洲市場への移転は大きな問題にならなかったのではないでしょうか。しかし対策である盛り土をしない、という決定がなぜか都政の中で段階的に承認されてしまいます。土壌の浄化対策を前提とした移転計画なのに、その前提を実施せずに建設が進んだのです。
・「一連の流れのなかで盛り土をしないことが段階的に固まっていったと考えられる。ここが問題だが、いつ誰がという点をピンポイントで指し示すのはなかなか難しい。それぞれの段階で、流れや空気のなかで進んで。それぞれの段階で責務が生じるものと考える」(日本経済新聞、9/30より) 大規模な調査が行なわれ、土壌浄化の実証実験までされています。にもかかわらず豊洲新市場への移転はトラブルに見舞われています。この現状は残念ながら、盛り土をしない決定を承認した都庁と行政自身が生み出してしまった問題といえるのではないでしょうか
▽小池都知事が指摘した「空気の影響力」
・一連の問題点にメスをいれた小池新知事は、座右の書として『失敗の本質』を挙げています。書籍『失敗の本質』は1984年に出版され、日本的組織論の名著として現代まで読み継がれ、累計で70万部を突破するロングセラーとなっています。 小池氏は記者会見で「流れや空気のなかで進んで」と発言しています。なんとなく、そちらの結論(盛り土をしない)に引っ張られていった状況を表現しているのでしょう。
・一般に、私たちが「空気」という言葉を使うとき、何らかの形で拘束・歯止めをかけられた状態を指すことが多いようです。「あの場の空気ではとても反論できなかった」など。今回の問題に限らず、「空気」で物事がゆがめられていくことに、私たち日本人は長年うんざりしているのも正直なところではないでしょうか。
・有名な山本七平氏の著作に、『「空気」の研究』(初版1977年)という書があります。山本氏は多くの日本人論の著作を残していますが、日本が一面焼け野原となった太平洋戦争も「空気の支配」によって引き起こされたとしています。
・「それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力を持つ超能力であることは明らかである」(『「空気」の研究』より) 「戦艦大和の出撃などは“空気”決定のほんの一例にすぎず、太平洋戦争そのものが、否、その前の日華事変の発端と対処の仕方が、すべて“空気”決定なのである。だが公害問題への対処、日中国交回復時の現象などを見ていくと、“空気”決定は、これからもわれわれを拘束しつづけ、全く同じ運命にわれわれを追い込むかもしれぬ」(同前)
・日本の敗戦は1945年であり、すでに71年前のはるか昔の出来事です。にもかかわらず、現在も「日本人と空気」の問題は未解決であり、豊洲問題に限らずいろいろな社会問題で、失敗を生んだ空気がいまだ注目され、様々な議論・解説がされているのです。
▽「空気」が蔓延した旧日本軍の「失敗の本質」との共通点
・「空気」が生み出されると、一体何が起こり始めるか。責任の所在は段階的に見えなくなり、「なんとなく」一つの流れが生み出されていく。やがて「ここでは問題の本質を検討しない」という暗黙の了解が作られていくのです。
・旧日本軍でよく引き合いに出される、インパール作戦という失敗があります。ビルマからインド北部に侵攻する作戦でしたが、計画段階で武器食糧の補給が不可能という指摘がありながら無謀にも実行されました(結果、大惨敗で防衛線が崩壊した)。 成り立たない作戦のため参謀を含めた多くの部下が止めるも無視されました。上司の河辺方面軍司令官が、作戦の提唱者である牟田口司令官(第十五軍)の努力を見てこの作戦を支援したために、ついに決行されました。
・「第十五軍の薄井補給参謀が補給問題にとても責任が持てないと答えたのに対して、牟田口司令官が立ち上がって「なあに、心配はいらん、敵に遭遇したら銃口を空にむけて三発打つと、敵は降伏する約束になっとる」と自信ありげに述べたという」(『失敗の本質』より) つまり、武器弾薬・食糧の問題を真剣に検討せずに、「もう決定した作戦だから」と実行されたのです。作戦遂行の前提条件を、空気で押し切って無視している組織の姿が71年前にもあるのです。 【「空気が醸成される」悪影響の構造】 「ここでは補給困難を検討しない」 ※前提条件の必要性を、あえて検討することを放棄していることに注目
・組織の誰かが「ここではそれを検討しない」、という意図を進めると、それに迎合する人たちのグループが形成されるようになります。それは、組織内で利害を同じくする側の場合もあれば、迎合することで得をする立場に引き上げられた人の場合もあります。初期段階では、この空気は冷静な現実をぶつけることで、崩すことも可能です。しかし、「空気に迎合する人間」が増えると、今度は同調圧力が高まります。
・あのときの日本軍はどうなっていったのか。 「第十五軍幕僚の間に存在した慎重論は、もはや軍司令官に直接伝えられることはなかった。何をいっても無理だというムードが、第十五軍司令部をつつんでいた」(『失敗の本質』より) インパールに侵攻することで、インド北部からの英軍の攻撃を阻止しようとした作戦は、無謀な指揮官に先導されたことで大敗北に終わります。結果として、日本軍の占領していたビルマの防衛線そのものが崩壊することになったのです。
▽つじつまが合わないときに現れる、恐るべき「空気」とは?
・旧日本軍は、インパール作戦のように計画段階で必要不可欠とされた前提条件を、実施の段階までのプロセスで一切無視することが何度かありました(牟田口司令官は、武器弾薬がなければ石を拾って投げて戦えと訓示した)。 弾薬や食糧の補給という現実的な問題を解決できないとき、日本軍ではより勇ましい(無謀な積極論)構想が躍り出てきて、重要な詳細を無視させました。 牟田口司令官は、第一五軍司令部を訪れた稲田正純南方軍総参謀副長に、「アッサム州かベンガル州で死なせてくれ」(『失敗の本質』より)と語っています。
・もう一つは、「空気」を押し切るために間違った正論が飛び出してくることです。牟田口司令官は、インパール作戦に関連した日本軍の部隊がビルマ方面の基地から国境付近までの進出を遅らせていると「あいつらは敵が怖いから前線に来ないのだ」という主旨の非難をします。ところは現場部隊を指揮する側からすれば、武器弾薬と食糧調達の目途がついていないのだから、部隊を先へ進められないのは(部隊運営上)当然のことでした。
・悪しき形で使われる空気は、本質的な事項を検討させない圧力をかけていくことに使われています。長期的な方針もないのにいきなり遠大な目標を掲げたり、いっけん正論に見える(実際は誤っている)議論をぶつけてくることで、現実問題を無視させる。
・このような空気は、旧日本軍の敗北だけでなく、戦後多くの大企業のビジネス不祥事でも指摘されています。いまだに私たち日本人は、悪しき空気に騙され続けているのです。
▽悪しき空気をつくる3つの要因と、正しい方向転換をはかる4つの要素
・悪しき空気が醸成される要因には、「人の問題(人事制度)」、組織全体で適用されている「評価基準の問題」などが指摘されています。しかし、建設が進んでしまった豊洲新市場では、「サンクコスト」のジレンマも今後急速に問題視されていくことになるでしょう(すでに移転延期費用については、メディアで指摘され始めています)。
・拙著『「超」入門失敗の本質』では、過ちを認めるプロジェクトの正しい方向転換を妨げる4つの要素を列挙しています。 (1)多くの犠牲を払ったプロジェクトという現実(サンクコスト) (2)未解決の心理的苦しさから安易に逃げようとする意識 (3)建設的な議論を封じる誤った人事評価制度 (4)「こうであって欲しい」という幻想を共有すること
・サンクコスト(Sunk Cost)は、日本語では埋没費用といわれます。すでに投下してしまい、回収が不可能になった費用のことを差します。プロジェクトを途中まで進めて、それを万一中止したときには、それまでの費用は回収することができなくなります。
・一方で、サンクコストを意識することでさらに大きな失敗を生み出す例も多いものです。典型的な事例は、1960年代終わりに計画された超音速旅客機のコンコルドです。開発費用が当初見込みを大幅に超過することが、プロジェクトの実施後に判明し、さらに大型旅客機に需要がシフトしたことで、「計画よりも売れないことがほぼ確定」してしまいます。 このようなマイナスが途中で判明したにもかかわらず、計画は継続されました。それはサンクコストを惜しいと考えてしまったからです。 「極めて否定的な結論を「否定して」計画は続行されました。膨大な追加資金が投入され、たった一六機を国営航空会社向けに納入後、一九七六年には製造中止になりました(途中で指摘された通り売れなかった)」(『「超」入門失敗の本質』より)
・築地移転の問題で例えるなら、すでに投下してしまった建設費用や移転延期費用を惜しむことで、汚染土壌に何ら対策を施さないで豊洲への移転が強行されてしまうことでしょう。このような行動は、「汚染土壌になにもせずとも、将来にわたって問題は発生しないだろう」という、こうあって欲しいという共同幻想があれば成り立ちます(ただし、この賭けの結果は未来にしか判明しない上に、調査結果からも分が悪い)。
・もちろん、様々な選択肢があり、同時に築地の移転問題は重い決断です。一つ言えるのは、食品を扱う卸売市場として、信頼を高めた形での決着が理想だということです。 そのためにあえて、汚染土壌の対策に追加的な高額費用がかかるとも、移転を実施するべきか否かです。築地市場は東京を含めた関東の台所として長く機能し、国内・海外からもその食の美味しさを求めて多くの観光客が集まっています。
・安倍政権も、海外からのインバウンド(訪日旅行客の需要)を観光政策として重視しており、日本の食の魅力は大切な要素の一つのはずです。食の魅力は美味しさとともに安全性や信頼性にあり、それを高めることも市場移転の重要課題のはずです。
・誤った空気を助長する共同幻想に左右されず、市場移転問題を解決できるのか。小池新都知事の手腕次第で、単に行政組織だけでなく、ビジネスパーソンにとっても良い手本になるか、新たな悪い見本となってしまうか。その決断と対策にかかっているといえそうです。
http://diamond.jp/articles/-/107121
第三に、昨年11月15日付け東洋経済オンラインが週刊AERAの記事を転載した「働く人を追い詰める「過剰品質」というワナ 再配達や年中無休の「代償」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・何度でも無料で頼める再配達に、年中無休のスーパー。当然のサービスだと思っていませんか? いま、午後8時3分。 会社員の女性(38)は、都内のオフィスでパソコン画面に表示されている時刻を確認した。 「今日受け取るのは、諦めよう」 会社から女性の自宅マンションまでは約1時間。昨日ネットで注文した10キロの米の配達を、今日の「午後8-9時」と時間を指定して依頼していた。でも、仕事が終わらない。夫も帰宅は遅くなるという。 「明日の朝食はパンにしよう。お米は再配達してもらえばいい」
・数年前までは買い置きしていたトイレットペーパーや米、水などを、最近はなくなるギリギリのタイミングでネット注文するようになった。注文した翌日には間違いなく、早ければ当日にも商品が届くので、収納スペースの少ないマンション暮らしには大助かりだ。重いものは玄関の中まで運んでもらえるし、「午後8-9時」の指定にすると、9時ぎりぎりに来てくれるのもありがたい。受け取れなくたって、何度でも再配達を頼める。 「ネット通販を近所のスーパーのように利用していて、もう宅配なしの生活は成り立ちません」
▽8時50分に帰ったのに
・ネット通販の一般化で、国内の宅配便の数は年々増加している。昨年度は37億4500万個と過去最高。5年前と比べて16.3%も伸びている。 宅配便数の増加とともに、注文の内容も水や米などの重いもの、肉や魚などの生ものが増え、配達員の負担は増した。
・「なにより、再配達と時間指定のサービスが配達を難しくしています」 大手宅配会社の首都圏営業所勤務の配達員(61)はそう話す。 時間指定があるために、効率のいいルートで回ることができない。一つの荷物を届けるために1時間近く道端で待機することもある。同僚は午後8時すぎまで待って配達したのに、「仕事を終わらせて8時50分に帰宅したら、8時15分に不在票が入っていた。どうして9時に配達できないのか」というクレームが届いた。再配達依頼の電話で、 「出かけるので今すぐ配達して」 「今日は午後4時から4時半の間に届けて」 と細かい時間を指定されるのも、とてもきついという。
・最近まで10年以上、宅配会社のセールスドライバーとして働いていた30代の男性は、転職の理由をこう話す。 「年々苦しくなってきて、あと30年これを続けることが想像できなくなった」 朝は7時すぎに営業所に出勤し、荷物を積み込み、8時に配達に出発。1日100~150個の荷物を配達し、同時に集荷もする。「午後8-9時」という時間帯には20~25個配達しなければならないことが多く、間に合わないこともあった。営業所に戻って伝票の整理や着払いの精算などを済ませると、退社時間は午後10時を過ぎる。
▽時間指定なのに不在
・生ものの配達では不在の家に何度も足を運ぶことも少なくない。受け持ちエリアには古い大きな団地があり、エレベーターはない。東日本大震災以降、水の注文が一気に増え、2リットル6本入りケースが二つくくられた25キロ弱の段ボールを5階まで運ぶこともある。時間指定通りに訪ねているのに不在だと、「ふざけんなよ」と心の中で叫びたくなる。男性は言う。 「荷物は人の手が届けるもの。利用者が便利になるほど、運ぶ側の労働環境は劣悪になっていくんです」
・国が2014年に実施した調査で、宅配便の2割が再配達になっていることがわかった。さらに15年の調査では、1回目の配達で受け取れなかった理由について、「配達が来るのを知っていたが再配達があるので不在にした」という人が4割もいた。国の試算では、トラックドライバーの1割にあたる年間9万人に相当する労働力が、再配達に費やされている。
・『仁義なき宅配ヤマトvs佐川vs日本郵便vsアマゾン』の著者で物流に詳しいジャーナリストの横田増生さんは言う。 「時間指定や再配達は企業側から言い出したサービスですが、利用者はその裏でドライバーたちがどれだけ大変な思いをしているのか、想像できていない。『送料無料』が当然と思う人も増え、発送する企業による宅配料金のディスカウントでドライバーの給与も下がっています」
・ネット販売をする側も苦労している。 都内にあるアパレル企業では、通販事業者に購入者の問い合わせには24時間以内に回答するよう求められ、社員と役員が交代で土日や祝日も出勤するようにした。確かに、アマゾンの出品者向けサイトにはこうある。 「お問い合わせは、週末や祝日を含め24時間以内に回答してください」
・アパレルの男性(49)は言う。「そこまでしなければいけないのか、と疑問に思います」 年を追うごとに過剰になるサービスと、実態を知らずにそれに甘える消費者。同じことは、小売りの世界でも起きている。
・大手スーパーが経営する地方都市の大型ショッピングモールに中古品売買の店を構える男性(59)。店の営業時間は、スーパーに合わせざるを得ず、朝9時から夜9時まで。しかも年中無休だ。夫婦と息子、パート2人で店を回すが、親類の結婚式や葬式にも家族全員では参加できない。盆も正月もなく、旅行も難しい。それでも、セキュリティーや顧客にとっての利便性などでメリットが大きく、スーパーを出ていけないという。
▽1日休んでもプラス
・大型スーパー内で働いて37年。当初は休館日が年に36日あったが徐々に減り、00年に大規模小売店舗法が廃止されて閉店時間や休館日の規制がなくなった結果、現在は0日だ。長時間労働による日々の疲労に加えて売り上げ不振が続くと胃が痛み、食も進まなくなる。男性は 「スーパーは大手2社の競争が激しく、現場の人たちに無理を押し付けている。百貨店、スーパー、コンビニにはそれぞれの役割があり、スーパーが年中無休で朝から夜まで店を開ける必要もないと思うんですけどね」 とぼやいた。
・『日本の消費者はなぜタフなのか』の著書がある中央大学の三浦俊彦教授は、「もはや知られたことですが、日本の消費者は商品やサービスへの要求が世界一厳しい」と指摘する。そんな消費者がいたから日本の製造業は競争力をつけることができたのだが、「日本企業は先回りして商品やサービスを開発することで、消費者を甘えさせてしまっている」
・消費者の利便性向上や売り上げ競争のために、サービスは手厚くなる一方。だが、それを見直そうという動きも、少しずつ出始めている。 今年1月、百貨店最大手の三越伊勢丹ホールディングスが首都圏の伊勢丹、三越の計8店舗で前年まで初売りを行っていた2日の営業を取りやめた。従業員らの負担軽減が目的だ。5年前、老舗「虎屋」の黒川光博社長ら百貨店に出店している企業が「休業日を増やして」と申し入れていた。
・同ホールディングスによると、1月2日を休業にしたことで、社員や出店企業の販売員3万人弱が休めたという。昨年までは初売りの準備で元日も出勤する人がいたが、そんな人たちも休めた。社員や販売員からは「百貨店に入った以上、お正月はないと思っていたのでうれしい」「1月3日の初商いはやる気を持って臨めた」という声が寄せられたという。顧客からのクレームもなく、1月2日の売り上げが8店舗でゼロになったにもかかわらず、1月全体の売り上げも前年同月比でプラスだった。 来年は1月2日に休む店舗を首都圏では9店舗に増やし、全国でも新たに札幌、名古屋など6店舗の休業が決まっている。
・オーストリアに住む団体職員の女性(51)は3年前に渡欧した当時、ほとんどの店が日曜に営業しないことや、不在の場合は宅配物を自分で取りに行かなければならないことに戸惑った。でも、慣れるとそう困ることではなかったし、日曜日に公園でくつろぐ家族連れを見ると、「あの人もスーパーの従業員かもしれないな」と、自分も幸せな気持ちになるようになったという。 「サービスを提供してくれる人にも生活がある。それを尊重しようと思えば、期待するサービスが受けられなくても不快だと思わなくなりました」
・電通の新入社員の女性の過労自殺が労災認定された翌月、あるブログが話題になった。筆者は約15年間、コピーライターとして電通に勤務し、昨年退職した前田将多さん(40)。「広告業界という無法地帯へ」と題して、「恐ろしいのは電通でもNHKでも安倍政権でもない。どこにでもいる普通の人たちだ」と書いた。
▽相手の時間を奪わない
・電通が午後10時以降の残業を禁止したことについては、 「クライアントは容赦なく『あれしろ』『これもしろ』『明日までに』『朝イチで』と押し付けてくる。どうすればいいというのだ」 前田さんは電通にいたころ、ある企業の幹部に、「出演する女性の帽子が気に入らない」とでき上がったCMの撮り直しを求められたことがある。衣装はすべて事前にチェックを受けていたし担当者には撮影にも立ち会ってもらったのに。意味のある仕事なら長時間労働も苦ではなかったが、納得できない仕事で徹夜するのは苦しかった。
・前田さんは自戒も込めて言う。 「クライアントは『神』とされ、現場の社員や協力会社のスタッフはむちゃな要求に非人間的な努力で応えている。でも、彼らも人間です。何げない要求が相手の時間を奪い、追い詰めることがある。みんな、そのことを想像してほしい」
http://toyokeizai.net/articles/-/145091
山田氏は、もんじゅ、日銀、電通、三菱自動車と「モラル大崩壊」の例を列挙、特にもんじゅでは、 『機構・・・理事長の児玉敏夫氏は三菱重工副長から昨年4月1日、就任・・・「三菱重工はもんじゅの開発企業で利益相反の懸念があるため、外部有識者らによる第三者委員会を新たに設置し、透明性を確保するという」 利益相反が疑われる立場の人が理事長になる。監視する第三者委員会が必要というのである。なぜ、そんな人が難しい組織の理事長になるのか。ここからおかしい』、というのは初めて知り驚いた。通常、第三者委員会は一時的な組織と思っていたが、理事長を監視するのであれば、恒常的組織である。いくらなり手がいないからとはいっても、そんな恒常的組織まで作って児玉氏を理事長にするという経産省のセンスは、もう我々の常識では到底理解できない。日銀についても、『物価目標を空文化し、量的緩和を修正する出口に備えよう、というのが今回の政策である。 だったら、そう言えばいいのに「口が裂けても言えない」というのが日銀の現状だ。 説明責任を果たさず、「国民や市場は黙って従え。我々はいろいろ考えているんだ」という態度である。そうやって失敗してきて、今なお失敗を語らない。本音と建て前がズレまくるから政策は、ますます分かりにくなる』、と手厳しく批判しているが、その通りだ。
鈴木氏が指摘する、 『旧日本軍から豊洲問題まで、組織を陰で支配する(「空気」)』、というのも、思わずその通りと、膝を叩きたくなるほど説得力がある。たしかに、組織の中で、「空気」に抵抗して異論を述べると、「あいつは「空気」が読めないKYだ」と敬遠されることが多い。多様な考え方の共存を許さず、「全員一致の原則」を貫こうとする狭量な考え方を脱却しない限り、この問題の桎梏から逃れられないと思う。なお、「サンクコスト」を豊洲問題に当てはめれば、これまで投資した額はいくら巨額であっても、それが返ってくる訳ではないので、今後のことだけで意思決定すればよいということになる。
『「過剰品質」というワナ』、もその通りだ。ただ、人手不足が深刻化するのに伴い、企業側からも否応なく対応を迫られ、是正されていくといったように、「市場原理」が働いてくれることを期待したい(無論、私は「市場原理」万能主義者ではないが)
先ずは、昨日も引用したデモクラTV代表・元朝日新聞編集委員の山田厚史氏が昨年9月29日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「もんじゅに日銀、日本「モラル大崩壊」が止まらない」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・高速増殖炉「もんじゅ」は廃炉が避けられそうにない。年末に決まるというが、遅すぎた決断だ。核燃サイクルは維持する、という。高速増殖炉はやめるが、高速炉はフランスと組んで新たに始めるらしい。廃炉という重い決断を下す時、つじつま合わせのような「生煮えの構想」を打ち上げるのは、誠実な態度ではない。
・同じことが日銀の金融政策にも言える。「異次元緩和で物価を上げる」政策はもんじゅと同様、失敗した。公約が達成できなかった原因を、原油や消費税など「外部要因」になすりつけるのは責任転嫁で、見苦しい。
・原子力政策や金融政策という国家の大事な仕事を担う「偉い人」が、なぜこんなに不誠実なのか。「内心忸怩たるもの」があっても、「ここはすっとぼけてやり過ごそう」と思っているなら、国民はなめられたものだ。 日本国は頭から腐りだしている。モラルの連鎖崩壊は止めるのはどうすればいいのか。
▽「バレなければ、やっていい」 地方議会でビジネス界で目立つ劣化
・富山市の市会議員が政務調査費を不正請求していた。領収書の「万」の桁に数字を書き加えた。よくある幼稚な不正である。投票で選ばれながら、ズルして小銭を稼いでいた。市会議員のさもしい姿は有権者をガッカリさせた。 市会議員って何だろう。この人たちはどういう思いで議員をやっているのか。いつからこんなに卑しくなったのか。 富山市民でなくても憂鬱になる。ウチの県議会や市議会は大丈夫だろうか。
・そう思っていたら、天下の電通がネット広告費をごまかして請求していた。インターネットの広告は、新聞みたいに掲載されたことが一目で分かるような仕組みになっていない。「運用型広告」とか言って、クリックするユーザーの属性やキーワードに反応してバナー広告を載せる。どこにどれだけ載ったか、クライアントは分からない。
・不正がバレたのはトヨタが調べたからだという。トヨタだから電通を「おそれいりました」と言わせる調査ができたのだろう。トヨタを相手に広告をごまかすとは、電通も大胆だ。ゴキブリ1匹、裏に100匹。他にもきっとある。電通が自社で調査したところ111件、2億3000万円の不正があった、という。果たして、これだけなのか。氷山の一角ではないか。不正やり放題の仕組みなら、すべてのクライアントが多かれ少なかれ、被害に遭っているのではないか。
・「どうせ分からないさ、やってしまえ」と過剰請求や偽造レポートを書いたとしたら、大企業のモラルは地に落ちた。「おてんとうさまが見ている」とは思わなかったのか。 「分からなければ、やっていい」。富山市の市議もこれだった。東芝の粉飾決算も同じである。社長から「業績を上げろ」「チャレンジ!」と号令を掛けられ、経理部門が中心になって組織的な粉飾が行われた。 三菱自動車の燃費データ改竄も「どうせわからない」から始まった。「それはダメだよね」と誰かが言えば止まったかもしれない。
・言いだせない空気を作ったのはトップの責任だ。三菱の場合、やり直し検査でも不正な方法で測定していた。不祥事が発覚しても体質が改まらない。 三菱は日産グループに入ることが決まり、逃げ切れると思ったのではないか。モラルの緩みは益子会長に責任があるが、責任を取ろうという態度は全く見えない。 売上はがた落ちで、従業員の給与を減らす。下請けへの発注も減り、経営難に陥る部品メーカーもあるという。
・消費者を騙し、役所を欺き、従業員を苦しめ、下請けを泣かす。それでもトップは、資本提携の大船に乗って「一件落着」とでも思っているようだ。これが三菱の経営なのか。 ビジネスの世界で、経営者の劣化が目立つ。いつからこうなったのか。
▽20年目のもんじゅ漂流 官民こぞって責任逃れ
・モラル崩壊は「官」の周辺では以前から起きていた。 「もんじゅ」の漂流は20年も続いている。「もはや廃炉しかない」と誰もが気づきながら、貧乏くじを引くのを避けてきた。 責任者はだれなのか。見えない。事業主体の日本原子力研究開発機構に責任がある。安全管理をちゃんとやってこなかった。原子力規制委員会から昨年11月「新たな運営主体を半年をめどに探せ」と文科省は勧告を受けている。
・機構が組織としてガタガタなのか、もんじゅは機構の手に負えないほどガタガタなのか。いずれにせよ機構ではダメということだが、理事長の児玉敏夫氏は三菱重工副長から昨年4月1日、就任した。当時の朝日新聞にこう書かれていた。 「三菱重工はもんじゅの開発企業で利益相反の懸念があるため、外部有識者らによる第三者委員会を新たに設置し、透明性を確保するという」 利益相反が疑われる立場の人が理事長になる。監視する第三者委員会が必要というのである。なぜ、そんな人が難しい組織の理事長になるのか。ここからおかしい。
・なり手がいないのである。児玉氏は原子力の専門家ではない。重工の常務だった。退社する直前に副社長に昇格した。「箔付け」である。常務が理事長になるのでは具合が悪かったのだろう。「よそ者」がトップに座っても現場は変わらず、保安検査で重要な配管で点検不備が見つかった。「保安検査官もうんざりするぐらいの状況にある」と規制委の田中俊一委員長に叱責を受けた。
・人事を受けた児玉氏に責任はある。それ以上に、怒られ役か連絡役のような人を理事長に据えた文科省の責任である。当時は下村博文大臣だった。人事だけではない。文科省は宿題である「機構に代わる運営主体」を決められなかった。
・官も民も厄介者のもんじゅに関わりたくない。口では「核燃サイクル推進」と言いながら、みな腰が引けていた。無責任体制の中でもんじゅは朽ちて行った。 再稼働させるのには5800億円とか8000億円とかが必要とされるという。もんじゅの建設が始まったのは1985年。当時としては最新技術でも30年たち、すでに陳腐化している。
▽核燃サイクルの断末魔 結論ありきの政治の無策
・見捨てるしかないと分かっていたのに、決断できなかったのは政治の責任だ。 にっちもさっちも行かなくなり、地元に打診もなくいきなり「廃炉」である。福井県知事が怒るのも無理はない。手順というものがある。 核燃サイクルを推進するなら、もんじゅ廃炉後の手立てを付けておく必要がある。すでに48トン溜まったプルトニウムの使い道を含め、これから青森県・六ヶ所村の再処理工場が稼働して産出される新たなプルトニウムをどうするか。その六ヶ所工場も事故続きでもんじゅの二の舞になる恐れさえある。 核燃サイクルが必要なのか。もんじゅの廃炉は、ゼロから考え直す好機だった。
・先進国では原発離れが起きている。もんじゅや六ヶ所に注ぐカネを自然エネルギーの研究開発に向ければ新たなイノベーションが起こるだろう。自然エネルギーは原発や核燃サイクルより、製造・販売に加わる産業のすそ野が広い。20世紀の遺物のような原発を途上国に売って多国籍企業を利する産業政策がいいのか。政治家は真剣に考えてほしい。
・ところが政権は、経産官僚に丸投げしてしまった。安倍首相の側近である今井尚哉秘書官と世耕弘成経産大臣のラインで決まったというが、フランスの新型高速炉計画の実証炉(ASTRID)との共同開発が唐突に浮上した。同計画はまだ基本設計の段階だ。もんじゅが廃炉なら、何かで埋めなければならない、というだけで日仏共同開発へと動くほど原子力政策は軽いものなのか。 できるかどうか、これから検討する話である。あたかもその方向で進むかのような既成事実をつくることは、政策のミスリードでしかない。
▽マイナス金利で銀行が悲鳴 日銀「新しい枠組み」のごまかし
・さて、日銀の金融政策である。「新しい枠組み」というが、ますます混沌、分かりにくくなった。 「総括的な検討」といいながら、失敗を隠し、責任転嫁に終始したのが今回の金融政策決定会合だ。 「2年で2%の物価上昇」が果たせなかったのは、原油価格が予想を超えて下落したこと、消費増税が景気の腰を折った、中国や新興国の成長にブレーキが掛かった。この3つの外部要因が災いした、というのである。よく平然と言えるものだ。
・こうでも言わなければ責任問題が生ずる。金融の量的緩和では物価は上がりませんでした、と素直に認めたら、「異次元緩和」を看板にした黒田総裁の責任が浮上する。それだけではない。就任早々、日銀が輪転機をじゃんじゃん回して国債を買い上げたらいい、と主張し、それに賛成した黒田東彦氏を日銀総裁に任命した安倍首相の責任が問題になる。
・黒田総裁の事情は分からなくはないが、だからといって「ごまかし」が許されるわけではない。「量的緩和は効いている」といフィクションを前提に政策が組まれると、さらに間違いを重ねることになる。 日銀の人は頭がいいから、建前と本音を使い分けるだろう。 「量的緩和はこれからも続けますよ」と言いながら「量を目標にしません。金利水準が新たな目標です」という決定を今回した。本音と建て前の使い分けが隠されている。
・世間向けには「年間80兆円の資金供給を続ける」と従来方針に変わりないことを強調しながら、「もう量はいい。長期金利は下げない。マイナスに据え置く短期金利との金利差を確保しよう」という政策に切り替えた。
・なぜこんなことをするのか。金融界から不満が上がっているからだ。金融機関は短期資金を集め、長期金利で運用し利ザヤを稼ぐ。分かりやすい例では、銀行(とくに貸し先が少ない地方銀行)は集めた預金(短期金利)を国債(長期金利)で運用して儲けている。 マイナス金利政策で長期金利までマイナスになった。地銀から悲鳴が上っている。生命保険や財団、年金基金など運用益で成り立っている業種からも怨嗟の声が上がっていた。
・黒田総裁は「銀行のために金融政策をしているわけではない」と発言して金融界の怒りを買った。「やはり大蔵官僚」という反応である。 日銀は「金融村の村長」という立場が分かっていない。「村びとあっての村長だ」と銀行などは考えている。 金利に誘導目標を置き、長短に金利差を設ける、という決定は「銀行の言い分」が通ったのだ。
▽量的緩和は実はもう限界 インフレ目標は「諦め」の境地へ
・事情はもう一つある。「国債買い入れ」が限界に近づいている。すでに発行済み国債の3分の1が日銀に集まった。無理して買い上げれば、長期金利が下がってしまう。残存期間の短い国債には限度がある。 「国債買い入れ」は量の面からも手仕舞いが近づいていた。短期決戦しかできない作戦だった。市場をビックリさせる大量買入れを始めれば物価はピンと上がるだろう、上がったらサッと引く。そんな作戦だった黒田さんの考えは甘かった。
・「二年で」という目標は既に破綻している。4回変更されて「2017年度中」つまり2018年3月末までが今掲げている期日だが、今回それを撤廃した。 「長期戦に変わった」とか「持久戦」などと言われるが、「諦めた」のである。好意的に見れば「努力目標」である。 これでもか、とばかり国債を買っても、物価は上がらない。それどころか副作用が出て村人から不人気。買い入れも限度がある。
・物価目標を空文化し、量的緩和を修正する出口に備えよう、というのが今回の政策である。 だったら、そう言えばいいのに「口が裂けても言えない」というのが日銀の現状だ。 説明責任を果たさず、「国民や市場は黙って従え。我々はいろいろ考えているんだ」という態度である。そうやって失敗してきて、今なお失敗を語らない。本音と建て前がズレまくるから政策は、ますます分かりにくなる。
・日銀の独立性とは「身勝手」を許すことではないはずだ。 いや「アベノミクスの踏み絵」で総裁人事を握られ、すでに「独立性」がなくなっていることがこんな事態を招いたのだ。
http://diamond.jp/articles/-/103228
次に、「「超」入門 失敗の本質」の著者、鈴木博毅氏が昨年11月11日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「なぜ日本人は「空気」に左右されるのか? 旧日本軍から豊洲問題まで、組織を陰で支配するもの」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・築地市場の豊洲移転問題で再び注目を集める、日本の組織を支配する「空気」の存在。戦時中における旧日本軍の意思決定から、東日本大震災の対応、東芝の粉飾決算など、私たちのメンタリティは今も変わっていない。なぜ、日本人は同じ失敗を繰り返すのか?なぜ日本企業は変われないのか?14万部のベストセラーとなった『「超」入門失敗の本質』の著者が、日本的組織のジレンマを読み解く。
・2011年の東日本大震災時の東電や政府の対応、三菱自動車のデータ偽装、東芝の粉飾決算、築地市場の豊洲移転問題……。近年、首を大きくかしげたくなる問題が日本社会で次々に発覚しています。 そして、これらの問題はどこか「既視感」を覚えるものばかりです。今も昔も結局、日本のメンタリティは変わっていないように思えます。日本社会、ひいては日本人に共通するある精神性が、こうした問題を繰り返し引き起こしているのではないでしょうか。 なぜ、日本人は同じ失敗を繰り返すのでしょうか?そして、なぜ日本企業は変われないのでしょうか。
▽巨大組織の東京都庁が改めて示した「日本的組織」の病魔
・この夏から秋にかけて多くの人の注目を集めた問題がありました。築地市場の豊洲移転問題です。老朽化、過密状態の改善を理由とした築地市場の移転は、本来は多くのプラスを生み出すために計画されたはずでした。 ところが豊洲の予定地にベンゼン、ヒ素などの土壌汚染が判明し、その対策として計画されたはずの盛り土が実際にはされていないことが発覚してしまったのです。
・今年の8月から就任した小池新都知事は、この問題とその対処について次のように語りました。 「土壌汚染対策を担当する土木部門と建物管理を担当する建築部門が縦割りで連携不足で、(中央卸売市場の責任者の)市場長など管理部門のチェックもなされていなかった。答弁は前の答弁をそのまま活用した。ホームページには誤った概念図をそのまま使用し、誰も気付かなかった」(日本経済新聞、9/30より) 「業務を把握すべき立場の歴代の市場長は盛り土をしないと知らずに決裁してきた。今回の事態を招いた最も大きな要因は責任感の欠如だ。組織運営システムの問題だ『都庁は伏魔殿でした』と評論家のように言っているわけにはいかない」(同前)
・東京都は計画段階で、約40ヘクタールの豊洲新市場予定地を4122地点にわたり詳細に調査しています(地盤面から深さ50センチメートルの土壌と地下水)。 「調査の結果、人の健康への影響の観点から設定されている環境基準を超える地点は、土壌または地下水で1475地点(36パーセント)でした。このうち1000倍以上の汚染物質が検出されたのは、土壌で2地点、地下水で13地点であり、敷地全体に高濃度の汚染が広がっていないことが分かりました」(東京都中央卸売市場ホームページより)
・これだけの事前調査をもとに決定された対策が、すべてきちんと行なわれていれば、豊洲市場への移転は大きな問題にならなかったのではないでしょうか。しかし対策である盛り土をしない、という決定がなぜか都政の中で段階的に承認されてしまいます。土壌の浄化対策を前提とした移転計画なのに、その前提を実施せずに建設が進んだのです。
・「一連の流れのなかで盛り土をしないことが段階的に固まっていったと考えられる。ここが問題だが、いつ誰がという点をピンポイントで指し示すのはなかなか難しい。それぞれの段階で、流れや空気のなかで進んで。それぞれの段階で責務が生じるものと考える」(日本経済新聞、9/30より) 大規模な調査が行なわれ、土壌浄化の実証実験までされています。にもかかわらず豊洲新市場への移転はトラブルに見舞われています。この現状は残念ながら、盛り土をしない決定を承認した都庁と行政自身が生み出してしまった問題といえるのではないでしょうか
▽小池都知事が指摘した「空気の影響力」
・一連の問題点にメスをいれた小池新知事は、座右の書として『失敗の本質』を挙げています。書籍『失敗の本質』は1984年に出版され、日本的組織論の名著として現代まで読み継がれ、累計で70万部を突破するロングセラーとなっています。 小池氏は記者会見で「流れや空気のなかで進んで」と発言しています。なんとなく、そちらの結論(盛り土をしない)に引っ張られていった状況を表現しているのでしょう。
・一般に、私たちが「空気」という言葉を使うとき、何らかの形で拘束・歯止めをかけられた状態を指すことが多いようです。「あの場の空気ではとても反論できなかった」など。今回の問題に限らず、「空気」で物事がゆがめられていくことに、私たち日本人は長年うんざりしているのも正直なところではないでしょうか。
・有名な山本七平氏の著作に、『「空気」の研究』(初版1977年)という書があります。山本氏は多くの日本人論の著作を残していますが、日本が一面焼け野原となった太平洋戦争も「空気の支配」によって引き起こされたとしています。
・「それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力を持つ超能力であることは明らかである」(『「空気」の研究』より) 「戦艦大和の出撃などは“空気”決定のほんの一例にすぎず、太平洋戦争そのものが、否、その前の日華事変の発端と対処の仕方が、すべて“空気”決定なのである。だが公害問題への対処、日中国交回復時の現象などを見ていくと、“空気”決定は、これからもわれわれを拘束しつづけ、全く同じ運命にわれわれを追い込むかもしれぬ」(同前)
・日本の敗戦は1945年であり、すでに71年前のはるか昔の出来事です。にもかかわらず、現在も「日本人と空気」の問題は未解決であり、豊洲問題に限らずいろいろな社会問題で、失敗を生んだ空気がいまだ注目され、様々な議論・解説がされているのです。
▽「空気」が蔓延した旧日本軍の「失敗の本質」との共通点
・「空気」が生み出されると、一体何が起こり始めるか。責任の所在は段階的に見えなくなり、「なんとなく」一つの流れが生み出されていく。やがて「ここでは問題の本質を検討しない」という暗黙の了解が作られていくのです。
・旧日本軍でよく引き合いに出される、インパール作戦という失敗があります。ビルマからインド北部に侵攻する作戦でしたが、計画段階で武器食糧の補給が不可能という指摘がありながら無謀にも実行されました(結果、大惨敗で防衛線が崩壊した)。 成り立たない作戦のため参謀を含めた多くの部下が止めるも無視されました。上司の河辺方面軍司令官が、作戦の提唱者である牟田口司令官(第十五軍)の努力を見てこの作戦を支援したために、ついに決行されました。
・「第十五軍の薄井補給参謀が補給問題にとても責任が持てないと答えたのに対して、牟田口司令官が立ち上がって「なあに、心配はいらん、敵に遭遇したら銃口を空にむけて三発打つと、敵は降伏する約束になっとる」と自信ありげに述べたという」(『失敗の本質』より) つまり、武器弾薬・食糧の問題を真剣に検討せずに、「もう決定した作戦だから」と実行されたのです。作戦遂行の前提条件を、空気で押し切って無視している組織の姿が71年前にもあるのです。 【「空気が醸成される」悪影響の構造】 「ここでは補給困難を検討しない」 ※前提条件の必要性を、あえて検討することを放棄していることに注目
・組織の誰かが「ここではそれを検討しない」、という意図を進めると、それに迎合する人たちのグループが形成されるようになります。それは、組織内で利害を同じくする側の場合もあれば、迎合することで得をする立場に引き上げられた人の場合もあります。初期段階では、この空気は冷静な現実をぶつけることで、崩すことも可能です。しかし、「空気に迎合する人間」が増えると、今度は同調圧力が高まります。
・あのときの日本軍はどうなっていったのか。 「第十五軍幕僚の間に存在した慎重論は、もはや軍司令官に直接伝えられることはなかった。何をいっても無理だというムードが、第十五軍司令部をつつんでいた」(『失敗の本質』より) インパールに侵攻することで、インド北部からの英軍の攻撃を阻止しようとした作戦は、無謀な指揮官に先導されたことで大敗北に終わります。結果として、日本軍の占領していたビルマの防衛線そのものが崩壊することになったのです。
▽つじつまが合わないときに現れる、恐るべき「空気」とは?
・旧日本軍は、インパール作戦のように計画段階で必要不可欠とされた前提条件を、実施の段階までのプロセスで一切無視することが何度かありました(牟田口司令官は、武器弾薬がなければ石を拾って投げて戦えと訓示した)。 弾薬や食糧の補給という現実的な問題を解決できないとき、日本軍ではより勇ましい(無謀な積極論)構想が躍り出てきて、重要な詳細を無視させました。 牟田口司令官は、第一五軍司令部を訪れた稲田正純南方軍総参謀副長に、「アッサム州かベンガル州で死なせてくれ」(『失敗の本質』より)と語っています。
・もう一つは、「空気」を押し切るために間違った正論が飛び出してくることです。牟田口司令官は、インパール作戦に関連した日本軍の部隊がビルマ方面の基地から国境付近までの進出を遅らせていると「あいつらは敵が怖いから前線に来ないのだ」という主旨の非難をします。ところは現場部隊を指揮する側からすれば、武器弾薬と食糧調達の目途がついていないのだから、部隊を先へ進められないのは(部隊運営上)当然のことでした。
・悪しき形で使われる空気は、本質的な事項を検討させない圧力をかけていくことに使われています。長期的な方針もないのにいきなり遠大な目標を掲げたり、いっけん正論に見える(実際は誤っている)議論をぶつけてくることで、現実問題を無視させる。
・このような空気は、旧日本軍の敗北だけでなく、戦後多くの大企業のビジネス不祥事でも指摘されています。いまだに私たち日本人は、悪しき空気に騙され続けているのです。
▽悪しき空気をつくる3つの要因と、正しい方向転換をはかる4つの要素
・悪しき空気が醸成される要因には、「人の問題(人事制度)」、組織全体で適用されている「評価基準の問題」などが指摘されています。しかし、建設が進んでしまった豊洲新市場では、「サンクコスト」のジレンマも今後急速に問題視されていくことになるでしょう(すでに移転延期費用については、メディアで指摘され始めています)。
・拙著『「超」入門失敗の本質』では、過ちを認めるプロジェクトの正しい方向転換を妨げる4つの要素を列挙しています。 (1)多くの犠牲を払ったプロジェクトという現実(サンクコスト) (2)未解決の心理的苦しさから安易に逃げようとする意識 (3)建設的な議論を封じる誤った人事評価制度 (4)「こうであって欲しい」という幻想を共有すること
・サンクコスト(Sunk Cost)は、日本語では埋没費用といわれます。すでに投下してしまい、回収が不可能になった費用のことを差します。プロジェクトを途中まで進めて、それを万一中止したときには、それまでの費用は回収することができなくなります。
・一方で、サンクコストを意識することでさらに大きな失敗を生み出す例も多いものです。典型的な事例は、1960年代終わりに計画された超音速旅客機のコンコルドです。開発費用が当初見込みを大幅に超過することが、プロジェクトの実施後に判明し、さらに大型旅客機に需要がシフトしたことで、「計画よりも売れないことがほぼ確定」してしまいます。 このようなマイナスが途中で判明したにもかかわらず、計画は継続されました。それはサンクコストを惜しいと考えてしまったからです。 「極めて否定的な結論を「否定して」計画は続行されました。膨大な追加資金が投入され、たった一六機を国営航空会社向けに納入後、一九七六年には製造中止になりました(途中で指摘された通り売れなかった)」(『「超」入門失敗の本質』より)
・築地移転の問題で例えるなら、すでに投下してしまった建設費用や移転延期費用を惜しむことで、汚染土壌に何ら対策を施さないで豊洲への移転が強行されてしまうことでしょう。このような行動は、「汚染土壌になにもせずとも、将来にわたって問題は発生しないだろう」という、こうあって欲しいという共同幻想があれば成り立ちます(ただし、この賭けの結果は未来にしか判明しない上に、調査結果からも分が悪い)。
・もちろん、様々な選択肢があり、同時に築地の移転問題は重い決断です。一つ言えるのは、食品を扱う卸売市場として、信頼を高めた形での決着が理想だということです。 そのためにあえて、汚染土壌の対策に追加的な高額費用がかかるとも、移転を実施するべきか否かです。築地市場は東京を含めた関東の台所として長く機能し、国内・海外からもその食の美味しさを求めて多くの観光客が集まっています。
・安倍政権も、海外からのインバウンド(訪日旅行客の需要)を観光政策として重視しており、日本の食の魅力は大切な要素の一つのはずです。食の魅力は美味しさとともに安全性や信頼性にあり、それを高めることも市場移転の重要課題のはずです。
・誤った空気を助長する共同幻想に左右されず、市場移転問題を解決できるのか。小池新都知事の手腕次第で、単に行政組織だけでなく、ビジネスパーソンにとっても良い手本になるか、新たな悪い見本となってしまうか。その決断と対策にかかっているといえそうです。
http://diamond.jp/articles/-/107121
第三に、昨年11月15日付け東洋経済オンラインが週刊AERAの記事を転載した「働く人を追い詰める「過剰品質」というワナ 再配達や年中無休の「代償」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・何度でも無料で頼める再配達に、年中無休のスーパー。当然のサービスだと思っていませんか? いま、午後8時3分。 会社員の女性(38)は、都内のオフィスでパソコン画面に表示されている時刻を確認した。 「今日受け取るのは、諦めよう」 会社から女性の自宅マンションまでは約1時間。昨日ネットで注文した10キロの米の配達を、今日の「午後8-9時」と時間を指定して依頼していた。でも、仕事が終わらない。夫も帰宅は遅くなるという。 「明日の朝食はパンにしよう。お米は再配達してもらえばいい」
・数年前までは買い置きしていたトイレットペーパーや米、水などを、最近はなくなるギリギリのタイミングでネット注文するようになった。注文した翌日には間違いなく、早ければ当日にも商品が届くので、収納スペースの少ないマンション暮らしには大助かりだ。重いものは玄関の中まで運んでもらえるし、「午後8-9時」の指定にすると、9時ぎりぎりに来てくれるのもありがたい。受け取れなくたって、何度でも再配達を頼める。 「ネット通販を近所のスーパーのように利用していて、もう宅配なしの生活は成り立ちません」
▽8時50分に帰ったのに
・ネット通販の一般化で、国内の宅配便の数は年々増加している。昨年度は37億4500万個と過去最高。5年前と比べて16.3%も伸びている。 宅配便数の増加とともに、注文の内容も水や米などの重いもの、肉や魚などの生ものが増え、配達員の負担は増した。
・「なにより、再配達と時間指定のサービスが配達を難しくしています」 大手宅配会社の首都圏営業所勤務の配達員(61)はそう話す。 時間指定があるために、効率のいいルートで回ることができない。一つの荷物を届けるために1時間近く道端で待機することもある。同僚は午後8時すぎまで待って配達したのに、「仕事を終わらせて8時50分に帰宅したら、8時15分に不在票が入っていた。どうして9時に配達できないのか」というクレームが届いた。再配達依頼の電話で、 「出かけるので今すぐ配達して」 「今日は午後4時から4時半の間に届けて」 と細かい時間を指定されるのも、とてもきついという。
・最近まで10年以上、宅配会社のセールスドライバーとして働いていた30代の男性は、転職の理由をこう話す。 「年々苦しくなってきて、あと30年これを続けることが想像できなくなった」 朝は7時すぎに営業所に出勤し、荷物を積み込み、8時に配達に出発。1日100~150個の荷物を配達し、同時に集荷もする。「午後8-9時」という時間帯には20~25個配達しなければならないことが多く、間に合わないこともあった。営業所に戻って伝票の整理や着払いの精算などを済ませると、退社時間は午後10時を過ぎる。
▽時間指定なのに不在
・生ものの配達では不在の家に何度も足を運ぶことも少なくない。受け持ちエリアには古い大きな団地があり、エレベーターはない。東日本大震災以降、水の注文が一気に増え、2リットル6本入りケースが二つくくられた25キロ弱の段ボールを5階まで運ぶこともある。時間指定通りに訪ねているのに不在だと、「ふざけんなよ」と心の中で叫びたくなる。男性は言う。 「荷物は人の手が届けるもの。利用者が便利になるほど、運ぶ側の労働環境は劣悪になっていくんです」
・国が2014年に実施した調査で、宅配便の2割が再配達になっていることがわかった。さらに15年の調査では、1回目の配達で受け取れなかった理由について、「配達が来るのを知っていたが再配達があるので不在にした」という人が4割もいた。国の試算では、トラックドライバーの1割にあたる年間9万人に相当する労働力が、再配達に費やされている。
・『仁義なき宅配ヤマトvs佐川vs日本郵便vsアマゾン』の著者で物流に詳しいジャーナリストの横田増生さんは言う。 「時間指定や再配達は企業側から言い出したサービスですが、利用者はその裏でドライバーたちがどれだけ大変な思いをしているのか、想像できていない。『送料無料』が当然と思う人も増え、発送する企業による宅配料金のディスカウントでドライバーの給与も下がっています」
・ネット販売をする側も苦労している。 都内にあるアパレル企業では、通販事業者に購入者の問い合わせには24時間以内に回答するよう求められ、社員と役員が交代で土日や祝日も出勤するようにした。確かに、アマゾンの出品者向けサイトにはこうある。 「お問い合わせは、週末や祝日を含め24時間以内に回答してください」
・アパレルの男性(49)は言う。「そこまでしなければいけないのか、と疑問に思います」 年を追うごとに過剰になるサービスと、実態を知らずにそれに甘える消費者。同じことは、小売りの世界でも起きている。
・大手スーパーが経営する地方都市の大型ショッピングモールに中古品売買の店を構える男性(59)。店の営業時間は、スーパーに合わせざるを得ず、朝9時から夜9時まで。しかも年中無休だ。夫婦と息子、パート2人で店を回すが、親類の結婚式や葬式にも家族全員では参加できない。盆も正月もなく、旅行も難しい。それでも、セキュリティーや顧客にとっての利便性などでメリットが大きく、スーパーを出ていけないという。
▽1日休んでもプラス
・大型スーパー内で働いて37年。当初は休館日が年に36日あったが徐々に減り、00年に大規模小売店舗法が廃止されて閉店時間や休館日の規制がなくなった結果、現在は0日だ。長時間労働による日々の疲労に加えて売り上げ不振が続くと胃が痛み、食も進まなくなる。男性は 「スーパーは大手2社の競争が激しく、現場の人たちに無理を押し付けている。百貨店、スーパー、コンビニにはそれぞれの役割があり、スーパーが年中無休で朝から夜まで店を開ける必要もないと思うんですけどね」 とぼやいた。
・『日本の消費者はなぜタフなのか』の著書がある中央大学の三浦俊彦教授は、「もはや知られたことですが、日本の消費者は商品やサービスへの要求が世界一厳しい」と指摘する。そんな消費者がいたから日本の製造業は競争力をつけることができたのだが、「日本企業は先回りして商品やサービスを開発することで、消費者を甘えさせてしまっている」
・消費者の利便性向上や売り上げ競争のために、サービスは手厚くなる一方。だが、それを見直そうという動きも、少しずつ出始めている。 今年1月、百貨店最大手の三越伊勢丹ホールディングスが首都圏の伊勢丹、三越の計8店舗で前年まで初売りを行っていた2日の営業を取りやめた。従業員らの負担軽減が目的だ。5年前、老舗「虎屋」の黒川光博社長ら百貨店に出店している企業が「休業日を増やして」と申し入れていた。
・同ホールディングスによると、1月2日を休業にしたことで、社員や出店企業の販売員3万人弱が休めたという。昨年までは初売りの準備で元日も出勤する人がいたが、そんな人たちも休めた。社員や販売員からは「百貨店に入った以上、お正月はないと思っていたのでうれしい」「1月3日の初商いはやる気を持って臨めた」という声が寄せられたという。顧客からのクレームもなく、1月2日の売り上げが8店舗でゼロになったにもかかわらず、1月全体の売り上げも前年同月比でプラスだった。 来年は1月2日に休む店舗を首都圏では9店舗に増やし、全国でも新たに札幌、名古屋など6店舗の休業が決まっている。
・オーストリアに住む団体職員の女性(51)は3年前に渡欧した当時、ほとんどの店が日曜に営業しないことや、不在の場合は宅配物を自分で取りに行かなければならないことに戸惑った。でも、慣れるとそう困ることではなかったし、日曜日に公園でくつろぐ家族連れを見ると、「あの人もスーパーの従業員かもしれないな」と、自分も幸せな気持ちになるようになったという。 「サービスを提供してくれる人にも生活がある。それを尊重しようと思えば、期待するサービスが受けられなくても不快だと思わなくなりました」
・電通の新入社員の女性の過労自殺が労災認定された翌月、あるブログが話題になった。筆者は約15年間、コピーライターとして電通に勤務し、昨年退職した前田将多さん(40)。「広告業界という無法地帯へ」と題して、「恐ろしいのは電通でもNHKでも安倍政権でもない。どこにでもいる普通の人たちだ」と書いた。
▽相手の時間を奪わない
・電通が午後10時以降の残業を禁止したことについては、 「クライアントは容赦なく『あれしろ』『これもしろ』『明日までに』『朝イチで』と押し付けてくる。どうすればいいというのだ」 前田さんは電通にいたころ、ある企業の幹部に、「出演する女性の帽子が気に入らない」とでき上がったCMの撮り直しを求められたことがある。衣装はすべて事前にチェックを受けていたし担当者には撮影にも立ち会ってもらったのに。意味のある仕事なら長時間労働も苦ではなかったが、納得できない仕事で徹夜するのは苦しかった。
・前田さんは自戒も込めて言う。 「クライアントは『神』とされ、現場の社員や協力会社のスタッフはむちゃな要求に非人間的な努力で応えている。でも、彼らも人間です。何げない要求が相手の時間を奪い、追い詰めることがある。みんな、そのことを想像してほしい」
http://toyokeizai.net/articles/-/145091
山田氏は、もんじゅ、日銀、電通、三菱自動車と「モラル大崩壊」の例を列挙、特にもんじゅでは、 『機構・・・理事長の児玉敏夫氏は三菱重工副長から昨年4月1日、就任・・・「三菱重工はもんじゅの開発企業で利益相反の懸念があるため、外部有識者らによる第三者委員会を新たに設置し、透明性を確保するという」 利益相反が疑われる立場の人が理事長になる。監視する第三者委員会が必要というのである。なぜ、そんな人が難しい組織の理事長になるのか。ここからおかしい』、というのは初めて知り驚いた。通常、第三者委員会は一時的な組織と思っていたが、理事長を監視するのであれば、恒常的組織である。いくらなり手がいないからとはいっても、そんな恒常的組織まで作って児玉氏を理事長にするという経産省のセンスは、もう我々の常識では到底理解できない。日銀についても、『物価目標を空文化し、量的緩和を修正する出口に備えよう、というのが今回の政策である。 だったら、そう言えばいいのに「口が裂けても言えない」というのが日銀の現状だ。 説明責任を果たさず、「国民や市場は黙って従え。我々はいろいろ考えているんだ」という態度である。そうやって失敗してきて、今なお失敗を語らない。本音と建て前がズレまくるから政策は、ますます分かりにくなる』、と手厳しく批判しているが、その通りだ。
鈴木氏が指摘する、 『旧日本軍から豊洲問題まで、組織を陰で支配する(「空気」)』、というのも、思わずその通りと、膝を叩きたくなるほど説得力がある。たしかに、組織の中で、「空気」に抵抗して異論を述べると、「あいつは「空気」が読めないKYだ」と敬遠されることが多い。多様な考え方の共存を許さず、「全員一致の原則」を貫こうとする狭量な考え方を脱却しない限り、この問題の桎梏から逃れられないと思う。なお、「サンクコスト」を豊洲問題に当てはめれば、これまで投資した額はいくら巨額であっても、それが返ってくる訳ではないので、今後のことだけで意思決定すればよいということになる。
『「過剰品質」というワナ』、もその通りだ。ただ、人手不足が深刻化するのに伴い、企業側からも否応なく対応を迫られ、是正されていくといったように、「市場原理」が働いてくれることを期待したい(無論、私は「市場原理」万能主義者ではないが)
タグ:日本経済の構造問題 何度でも無料で頼める再配達に、年中無休のスーパー 働く人を追い詰める「過剰品質」というワナ 再配達や年中無休の「代償」 週刊AERA 東洋経済オンライン 「サンクコスト」のジレンマ 悪しき空気をつくる3つの要因と、正しい方向転換をはかる4つの要素 このような空気は、旧日本軍の敗北だけでなく、戦後多くの大企業のビジネス不祥事でも指摘されています。いまだに私たち日本人は、悪しき空気に騙され続けているのです 悪しき形で使われる空気は、本質的な事項を検討させない圧力をかけていくことに使われています つじつまが合わないときに現れる、恐るべき「空気」とは? インパール作戦 「空気」が蔓延した旧日本軍の「失敗の本質」との共通点 太平洋戦争そのものが、否、その前の日華事変の発端と対処の仕方が、すべて“空気”決定なのである 太平洋戦争も「空気の支配」によって引き起こされたとしています 『「空気」の研究』 山本七平 小池都知事が指摘した「空気の影響力」 東京都庁が改めて示した「日本的組織」の病魔 日本社会、ひいては日本人に共通するある精神性が、こうした問題を繰り返し引き起こしているのではないでしょうか。 なぜ、日本人は同じ失敗を繰り返すのでしょうか?そして、なぜ日本企業は変われないのでしょうか 2011年の東日本大震災時の東電や政府の対応、三菱自動車のデータ偽装、東芝の粉飾決算、築地市場の豊洲移転問題……。 戦時中における旧日本軍の意思決定から、東日本大震災の対応、東芝の粉飾決算など、私たちのメンタリティは今も変わっていない 日本の組織を支配する「空気」の存在 なぜ日本人は「空気」に左右されるのか? 旧日本軍から豊洲問題まで、組織を陰で支配するもの 鈴木博毅 「「超」入門 失敗の本質」 だったら、そう言えばいいのに「口が裂けても言えない」というのが日銀の現状だ。 説明責任を果たさず、「国民や市場は黙って従え。我々はいろいろ考えているんだ」という態度である。そうやって失敗してきて、今なお失敗を語らない。本音と建て前がズレまくるから政策は、ますます分かりにくなる 物価目標を空文化し、量的緩和を修正する出口に備えよう、というのが今回の政策である 量的緩和は実はもう限界 インフレ目標は「諦め」の境地へ 失敗を隠し、責任転嫁に終始したのが今回の金融政策決定会合 総括的な検討 マイナス金利で銀行が悲鳴 日銀「新しい枠組み」のごまかし 政権は、経産官僚に丸投げしてしまった 核燃サイクルの断末魔 結論ありきの政治の無策 官も民も厄介者のもんじゅに関わりたくない 利益相反が疑われる立場の人が理事長になる。監視する第三者委員会が必要というのである。なぜ、そんな人が難しい組織の理事長になるのか。ここからおかしい 三菱重工はもんじゅの開発企業で利益相反の懸念があるため、外部有識者らによる第三者委員会を新たに設置し、透明性を確保するという 理事長の児玉敏夫氏は三菱重工副長から昨年4月1日、就任 20年目のもんじゅ漂流 官民こぞって責任逃れ ビジネスの世界で、経営者の劣化が目立つ 燃費データ改竄 三菱自動車 電通がネット広告費をごまかして請求 不正請求 政務調査費 富山市の市会議員 「バレなければ、やっていい」 地方議会でビジネス界で目立つ劣化 核燃サイクルは維持 高速炉はフランスと組んで新たに始めるらしい 高速増殖炉「もんじゅ」 もんじゅに日銀、日本「モラル大崩壊」が止まらない ダイヤモンド・オンライン 山田厚史 (その1)(「モラル大崩壊」が止まらない、なぜ日本人は「空気」に左右されるのか?、働く人を追い詰める「過剰品質」というワナ)
アベノミクス(その6)河野龍太郎氏による2016年の日本経済、20の疑問 [経済]
あけましておめでとうございます。
本年もブログでの発信に努めるつもりですので、よろしくお願いいたします。
アベノミクスについては、前回11月10日に取上げたが、今日は新年にふさわしい (その6)河野龍太郎氏による2016年の日本経済、20の疑問 である。BNPパリバ証券の経済調査本部長の河野龍太郎氏が、12月21日、22日付けのロイターに寄稿した「視点:2016年の日本経済、20の疑問」を紹介しよう。
(上)
・2015年度前半、日本経済は全く回復しなかった。潜在成長率がゼロ近傍にあるのだから、当然と考える人もいるかもしれない。だが、現実には安倍政権がスタートして、実に11四半期中4四半期がマイナス成長である。
・アグレッシブな金融緩和で株価が上昇するとしても、それは金融的現象であり、実体経済の成長は全く期待できないとした3年前の筆者の予想通りの結果となっている。 14年秋以降の原油価格急落を新興国・資源バブル崩壊の証左と考えていた筆者は当初、15年度の成長率を1%程度と慎重に予想していた。現時点での見通しも0.9%である。
・では、16年はどうなるのか。以下、筆者がよく尋ねられる疑問に答える形で、上下2回に分けて、日本経済の見通しを考察したい。パート1は、低成長の理由、円安・原油安効果の実態、設備投資や賃上げの行方について探る。
<国内マクロ経済編>
Q1)アベノミクス下でマイナス成長が散見されるのはなぜか。 アベノミクス下で高成長を実現したのは13年度だけだ。もちろん、14年度は消費増税が影響。15年度は中国など新興国経済の低迷も影響した。だが、低成長の大きな理由は供給サイドにもある。 まずアベノミクス開始時点では、マイナス2%程度の需給ギャップが存在していた。第1の矢と第2の矢の合わせ技によるヘリコプターマネーによって、13年は高い成長が可能となったが、その結果、14年年初には、経済のスラック(弛み)はほぼ解消していた。すでに潜在成長率は0.3%とゼロ近傍まで低下しているから、スラックが解消された後、補正予算を編成しても金融緩和で円安に誘導しても高い成長の継続は難しくなっていたのだ。
Q2)円安に対し否定的な見方が増えている理由は。 アベノミクスの最大の誤算は、大幅な円安にもかかわらず、輸出数量が全く増えなかったことだ。円安で輸出企業の業績は著しく改善したが、輸出数量が全く増えていないため、雇用者所得の改善は限定的なものにとどまっている。 近年、個人消費が弱いのは消費増税の影響もあるが、円安で輸入物価が上昇し家計の実質購買力が抑制されている点も影響している。円安は、家計から輸出企業に所得移転をもたらすだけに終わっている。
Q3)輸出数量が増えないのは中国など新興国経済減速の影響では。 確かに、その影響は相当に大きい。ただ、輸出数量が増えていない最大の理由は供給サイドにある。 通貨が大幅に減価した際、理論上、輸出企業には2つの選択肢がある。現地通貨ベースの価格を引き下げ、輸出数量・国内生産を拡大する戦略と、現地通貨ベースの価格を据え置き、利益率改善を図る戦略だ。過去3年間、円は対ドルで4割近く減価したが、輸送機械工業や一般機械工業は現地通貨ベースの価格を全く引き下げていない。輸出企業は円安に対し、輸出数量や国内生産の拡大ではなく、利益率引き上げで対応した。
Q4)大幅円安でも企業が国内生産拡大を狙わないのはなぜか。 理由は3つある。まず構造的要因だが、生産年齢人口、労働力は1997年にピークを打ち、減少傾向を続けている。輸出企業にとり、特に若年雇用の安定確保が国内で困難になっているため、生産拠点を海外にシフトする動きが続いている。これに循環的要因が加わった。14年初めに経済が完全雇用に入り、人手不足傾向が強まった。失業率はすでに3%台前半で定着している。 3つ目は構造的要因だが、11年の東日本大震災の際、サプライチェーン寸断に直面した加工組立業は生産拠点のグローバル分散の重要性を認識し、その動きを加速させた。これらの3つの要因が大幅円安の効果を相殺したのだ。
Q5)15年度の高い投資計画は実行されないのか。 日銀短観によると、大企業・製造業は前年比15%程度の設備投資計画を打ち出しているが、設備投資は4―6月に減少した後、7―9月も冴えない。設備投資の先行指標となる機械受注統計も7―9月は大きく落ち込んだ。減少には14年度補正予算による中小企業向け設備投資補助金の効果剥落も影響しているが、加えて新興国バブル崩壊の影響で企業が設備投資の執行を先送りし始めたのだ。 問題はこれが一時的現象で終わらない可能性だ。中国など新興国の潜在成長率低下に対応し、日本企業の成長期待が低下、資本蓄積を一段と抑えるならば、16年も設備投資は控えられ、更新投資中心の緩慢な回復にとどまる。 幸いにして、大幅円安でも積極投資が行われなかったことから、国内に過剰ストックは積み上がっていない。新興国に対する成長期待の低下もあり、潤沢なキャッシュフローの下で控えめな設備投資が継続、あるいは成長期待の低下に伴い16年中にストック調整が訪れるだろうか。
Q6)統計が示す以上に設備投資は増えているのか。 ここ数年、日本企業が注力してきたのは、海外での生産能力増強や販売能力強化のための投資だが、国内では研究開発投資だ。研究開発投資はリーマン危機後、一時落ち込んでいたが、13年から回復してきた。 ただ、1993年に国連が勧告した国際基準(1993 SNA)に基づく現行の国内総生産(GDP)統計では、研究開発投資は中間投入として扱われ、GDPにはカウントされない。16年に、研究開発投資を設備投資にカウントする08年版国民経済計算体系(2008 SNA)の導入が始まれば設備投資が15兆円程度膨らむが、実態が変わるわけではない。多くの人が考える以上に、設備投資は国内ですでに行われていたということだ。
Q7)さらに円安が進めば輸出数量や設備投資は増えるのでは。 実質円安がさらに進めば、生産拠点の国内回帰が多少は生じ、輸出数量も増えるだろう。現に一部白物家電では国内回帰がみられる。だが、経済が完全雇用の領域にあるため、経済全体のパイはそれほど変わらず、非製造業の経済活動に支障をきたすだけだろう。 仮に国内生産の利益率の改善を背景に、製造業が生産増のために必要な雇用を国内で増やすと、それは非製造業から奪うことになる。すでに多くの産業でフルタイム労働の採用が困難であり、企業は高齢者や主婦の採用で対応している。輸出企業を利することは非製造業からの成長分野の出現を阻害することになり、同部門の資本蓄積が遅れる。輸出企業でも収益性の低い資本ストックを増やすだけとなる。経済が完全雇用にある中で円安を促す追加緩和を行っても、資源配分や所得分配を大きく歪めるだけで、経済的メリットは小さい。
Q8)原油安が消費喚起につながらない理由は。 原油安で7兆円程度の交易利得が発生したと推計される。名目GDPの1.4ポイントを超えるオーダーであり、これが家計に向かえば、消費を大きく刺激するはずだが、実際には多くの部分が企業に利益として滞留、賃金上昇は限られ、家計には恩恵の一部しか流れていない。 ガソリン安など家計が直接メリットを受けたものもあるが、円安による輸入物価上昇によって、エネルギー価格下落の恩恵はかなり相殺された。輸出数量が全く増えていないため、円安は非輸出部門への課税を原資とした輸出企業への補助金と化している。 それでも非製造業からの円安に対する不満が抑えられている理由の1つは、エネルギー価格下落による交易利得の改善を非製造業も享受しているためだ。労働分配率は90年以来の低水準にある。原油安による交易利得の改善は、その多くを企業が享受しているため、消費喚起につながっていないのだ。
Q9)16年も賃金回復が遅れるのか。 14年年初に日本経済は完全雇用の領域に入ったが、その後は需給ギャップ改善が止まった。需給ギャップ改善が始まれば、賃金上昇は進むはずだ。潜在成長率が0.3%と低いため、それほど高くはない成長率の下でも需給ギャップ改善が可能となる。16年末までには3%前後の失業率が定着する可能性がある。 ただ、日本の賃金統計は月給ベースであり、賃金回復が遅れて見える可能性はある。14年年初以降、人手不足からフルタイム労働の採用が困難となっているが、その代替として企業は労働時間の短い高齢者や主婦の採用を増やしている。このため平均賃金の上昇が抑えられている。 一方で労働者の頭数は増えているため、雇用者報酬は回復傾向にあり、実質ベースで見ても消費増税前の水準まで回復しつつある。業界統計を見ると、経済が完全雇用の領域に近づいた13年末以降、例えば派遣スタッフの平均時給は伸びが加速したが、その後、需給ギャップの改善が止まり、伸び率は高まっていない。
Q10)16年もベアは引き上げられるか。 ベアは14年の0.4%に続き、15年も0.6%引き上げられた。だが一方で15年の夏季賞与は減少した。後知恵で考えると、財界は賃金上昇を要請する安倍首相の顔を立てる形でベアを2年連続引き上げ、一方で総人件費コントロールの観点から賞与支給を引き下げたということだ。 実際、15年4―9月の所定内給与の伸び率は0.3%だが、賞与を含む現金給与総額の同期間の前年比は0.1%減と増えていない。多くの大企業にとり、資本市場からのプレッシャーが強い中で、3年連続のベア引き上げは容易ではないが、官邸の強い要請もあるため、ベアは15年と同程度か多少のプラスアルファで妥結されるかもしれない。しかし、賞与を含む現金給与総額で見ると、わずかな上昇にとどまるだろう。足元の景気減速も抑制要因となる。
Q11)雇用者報酬の回復に比べ、消費回復は鈍くはないか。 実質雇用者報酬は消費増税前の水準まで戻りつつあるが、一方で消費水準は増税後の落ち込みからほとんど回復していない。理屈上、考えられるのは、円安や資源安で業績が改善した企業で平均賃金が多少は改善し、勤労者世帯の実質購買力が回復する一方、高齢者世帯では企業業績改善の恩恵を全く受けないことがある。この結果、円安による輸入物価上昇の悪影響を相殺できない。 もう1つの仮説は、所得税が回復しているだけでなく、消費税収も上振れが続いていることを考えると、消費関連の基礎統計が実態を過小評価している可能性が高いことだ。
Q12)16年の成長加速は期待できないのか。 中国経済の足踏みが続くことなどから、16年も輸出の強い回復は全く期待できない。さらに新興国の低迷は、日系企業の成長期待に少なからず悪影響を与え、国内設備投資も更新投資の範囲にとどまる。超円安環境が続いても設備投資の加速は予想されない。外部環境が不透明なため、企業は賃金上昇も抑える。統計が示すほど悪くはないにせよ、16年も個人消費は冴えない。効果のほどは疑わしいが、3兆円超の15年度補正予算編成は数字の上ではGDPを押し上げる。 これらの結果、15年度後半は0.3%の潜在成長率並みの成長が続くと考えられる。ただ、16年第4四半期以降、17年4月の消費増税前の駆け込み需要が発生し、16年度は1%程度の成長になる。駆け込み需要による成長率押し上げは翌年度の需要先食いに過ぎないため、暦年の成長率を見ると、16年は0.6%と15年の0.6%と変わらない。15年と同様、潜在成長率をわずかに上回る緩慢な成長が続くということである。
http://jp.reuters.com/article/view-ryutaro-kono-idJPKBN0U11KE20151221
(下)
・パート2は、日銀の金融政策と、日本経済の外部環境であるグローバル経済の行方を取り上げる。
<金融政策編>
Q13)2%インフレは再び先送りか。 10月のコアインフレ(生鮮食品を除く消費者物価)は前年比マイナス0.1%だったが、コアコアインフレ(生鮮食品とエネルギーを除く消費者物価)は1.2%だった。 需給ギャップの物価へのタイムラグは2四半期程度だが、今後、円安による物価押し上げ効果も剥落することなどから、2015年第4四半期から需給ギャップの改善が再開しても、コアコアは16年第3四半期まで1.2%程度で足踏みする。その後、緩やかに上昇が再開、16年第4四半期は1.3%、17年第1四半期は1.5%まで上昇する。 コアインフレは、原油安のベース効果から15年第4四半期までゼロ近傍で推移する。その後、原油安効果の剥落が始まるが、今夏の原油安効果も残存するため、16年第1四半期は0.4%、第2四半期は0.4%、第3四半期は0.8%の上昇にとどまり、原油安効果が完全に剥落する16年第4四半期に1.1%と、ようやく1%を超える。 17年第1四半期は1.6%とインフレ率が加速するが、これは消費増税前の駆け込み需要によって、需給ギャップが改善、便乗値上げも行われるためだ。増税後、その反動から物価上昇はしばらく足踏みする。これらの結果、消費増税の影響を除くと、17年度中も日銀が目標とする2%インフレには到達できない。
Q14)2%インフレに到達しないのなら、日銀は追加緩和に動くか。 日銀は10月末に2%インフレの達成時期を「16年度前半頃」から「16年度後半頃」に修正したが、追加緩和に動かなかった。4月にも先送りしたが動かなかった。16年度後半も2%インフレ達成の見込みは薄く、再度の先送りは必至だが、もはや2%インフレの達成が遅れることを理由に、追加緩和に動くことはないと思われる。 日銀の政策反応関数はすでに大きく変化しており、事実上の「フレキシブル・インフレーション・ターゲット」に移行、コアコアが1%程度を超えていれば、コアインフレが早期に2%に到達しなくても、大きな問題はないというスタンスに変わってしまった。次に日銀が動くとすれば、コアコアが継続的に低下を続けることが懸念される場合であり、それは大幅な円高が進むケースか、需給ギャップの大幅な悪化の継続が予想されるケースではないだろうか。
・Q15)なぜ日銀の政策反応関数は変わったのか。 まず、追加緩和のメリットが小さくなっていることがある。前述した通り、追加緩和で円安が進んでも、輸出数量が増えず経済全体のパイが一定の中で、円安は輸出企業の業績を押し上げるものの、家計の実質購買力を抑制し、家計から輸出企業への単なる所得移転となっている。輸出企業の業績改善による株高とそれがもたらす資産効果、インバウンド消費の改善まで加えれば全体ではプラスだが、いずれにせよ効果は相当小さい。 一方で、追加緩和は出口の際のコストを高める。すでに国債の市中発行額の9割を日銀は購入しているが、今後、スムーズな購入を続けるには、より残存期間の長い国債を購入する必要がある。18日の金融政策決定会合で長期国債購入の平均残存期間を拡大したのも、現行のネットで年80兆円ペースでの購入がスムーズに続けられなくなるからだが、それは、出口の際、バランスシートを圧縮するまでに相当長い期間を要することを意味する。 また、利上げを開始した際、付利の支払いが膨らむ一方、保有する長期国債の利回りが低いため、日銀の損失が膨らむ。政策のメリットが小さく、一方でコストが大きくなっているため、簡単に政策は発動されない。 さらに重要なことだが、17年4月の消費増税を控える中、16年夏の参議院選挙が近づいており、いくら株価にプラスになるとはいえ、これ以上、家計部門に負担増を強いる円安及び円安をもたらす追加緩和を政府は望ましいとは考えていない。支持率が40%程度まで低下しているため、政治的にも追加緩和は微妙である。18日の会合で新たな指数連動型上場投資信託(ETF)の買い入れ枠の設定が打ち出されたのも、国債購入の増額が難しくなっていることだけでなく、円安をもたらす政策をできるだけ回避したいという思いの表れだろう。
Q16)追加緩和の可能性は全く無いのか。 現段階で、さらなる円安をもたらすための追加緩和は予想されないが、大幅な円高が訪れる際には、追加緩和はあり得る。例えば中国経済がハードランディングする場合、米連邦準備理事会(FRB)の利上げは中断され、大幅な円高が訪れるリスクが高まる。 実質円レートは1973年以来の超円安水準まで低下しているため、いったん調整が始まると大幅な円高となるリスクがある。この時、輸出数量が落ち込むだけでなく、国内でも企業が設備投資や人件費を圧縮するため、日本経済は単に国内総生産(GDP)統計上マイナス成長になるだけでなく、需給ギャップが明確に悪化するという意味で、不況に陥る可能性が高い。円高を回避することのメリットが高まるため、政策発動のコストが大きいとしても、追加緩和は正当化され得る。 ただ、追加緩和が行われる場合、前述した出口の際のコストが上昇することやオペレーション上の問題から、長期国債の購入を中心とした量的ターゲットの拡大ではなく、付利引き下げを中心とした金利ターゲットへの移行になると見られる。また、こうした環境となれば、当然にして、消費増税も再度、先送りされる可能性が高い。現段階における消費増税の先送り確率は30%程度である。
<グローバル経済編>
Q17)世界経済は回復が続くか。 米欧の内需が堅調であることから、世界経済は回復が続くというのが基本シナリオだが、新興国バブル・資源バブル崩壊の後遺症が残るため、16年に世界経済の成長ペースは加速しない、むしろ鈍化する可能性が強い。 中国経済は下げ止まりつつあるが、少なくとも16年半ばまでは底ばい傾向が続く。これまでも米国の金融緩和期に資金が向かった先の新興国でブームが醸成され、米国が金融引き締めに転じると、資金流出によって新興国のブームが崩壊することは何度も観測された。 ただ、80年代、90年代は、金融面だけでなく、実物面でも世界経済を規定していたのが米国であったため、米国が最初の利上げを始める時期には、むしろ米国の内需が加速、新興国が多少ふらついても世界経済全体の成長ペースは高まっていた。しかし、今回は事態が大きく異なる。まず、米国のアグレッシブな金融緩和によって、相当大きな新興国・資源バブルが醸成され、それが現在、崩壊過程に入っている。 さらに、この点が重要だが、世界で2番目の経済規模にまで拡大した中国経済が、潜在成長率の下方屈折問題や過剰ストック問題、ドルペッグに伴う人民高問題を抱え、足踏みを続けている。先進国の回復で新興国の減速がスムーズに吸収されるというより、新興国の減速で先進国の回復ペースが鈍化する可能性が高い。
Q18)2000年代の高成長は再現されないのか。 日本のみならず、米欧も労働力の伸びの鈍化によって、2000年代は潜在成長率が大きく低下した。2000年代に米欧で大規模バブルが生じたのは、潜在成長率の低下に伴い、収益性の高い実物投資の機会が枯渇する中、緩和マネーが株や不動産に向かったためである。 しかし、米欧の潜在成長率の低下にもかかわらず、世界経済が高い成長を遂げたのは、経済規模の大きくなった中国が高度成長を続け、世界経済をけん引したためである。中国では速いペースでの資本蓄積が続き、先進国・新興国は中国向けに輸出を増やすことができた。しかし、11年には中国の高成長も終焉、世界経済が享受した輸出の時代はすでに終わっている。 かつての中国に代わるような経済規模が大きく高い成長が可能な新興国が出現しないため、2010年代後半も世界経済は高い成長が期待できない。多くの人がフロンティアと考えていた新興国と資源のバブルが崩壊を迎え、世界経済に対する成長期待の低下から、16年は15年に続いて各国で実物投資が弱含む可能性が高い。
Q19)原油価格の低迷は続くのか。 2000年代に原油高が続いたのも、基本的には、高度成長の続いた中国の旺盛な需要が主因だ。中国の高度成長の終焉とともに、原油高の時代も終わった。本来なら、中国の高成長が終了した11年に原油安が訪れても不思議ではなかったが、その後もFRBのアグレッシブな金融緩和が生み出す過剰流動性によって、14年10月まで原油価格は高値で張り付いていた。 さらに高値が続くという思惑から、「イージーマネー」によるファイナンスによって世界中で資源開発が続けられ、過剰ストックが積み上げられてしまった。このため、地政学リスクが急激に高まらない限り、しばらく原油価格の戻りは限られたものになると思われる。 資源国は過剰ストック、過剰債務問題を抱え、苦境が続くが、さらにFRBの利上げに伴う資本コストの上昇も加わる。中国需要が高まる前の2000―04年頃の平均30ドル強を実質的な均衡レートと考えると、物価調整した場合、現状では41ドル程度の水準に対応する。原油高の時代の終焉はすべてを輸入に頼る日本にとって交易条件の改善を意味する。輸出に頼れないとしても交易条件の改善が大きなサポートとなるはずだが、前回述べた通り、問題はその大部分が企業に滞留していることである。
Q20)2016年の世界経済のリスクは、アップサイドかダウンサイドか。 明らかにリスクは、ダウンサイドに偏っている。下げ止まり傾向が観測されるといっても、中国経済はなお、下振れリスクを抱えている。2000年代の終盤に、農業部門の余剰労働力が工業化の過程で底をつく「ルイスの転換点」を迎え、潜在成長率が大きく下方屈折したが、当時、リーマンショックが低成長の原因と中国政府は誤認し、大規模財政を発動したため、それが過剰ストック問題をもたらした。 さらに、ドルに対し事実上のペッグ制を続けているため、実体経済に比して割高な人民元が景気回復の足を引っ張る。90年代の日本の置かれた状況と共通する。中国政府は財政政策で景気を下支えすると考えられるが、財政の規模を追求すれば、それは新たな過剰ストックを生む。こうした中、米国の内需が回復すれば、それはそれで望ましいのだが、それに伴いFRBの継続的な利上げ観測からドル高が進み、人民元実効レート上昇が中国経済の足を引っ張る恐れがある。 このほか、懸念されるのは、リーマンショック後に強化された金融規制がFRBの金融引き締め効果を増幅することである。前述した通り、低利のドル資金を元手に資源開発を続けた経済主体はバブルの残骸を抱え、利上げ開始によってますます困難な状況となる。現在、米国で好調なのは住宅販売や自動車販売で、いずれも低金利環境によって支えられているものであり、前提も揺るがす。 世界で2番目に大きくなった中国経済が減速局面にある中で、FRBの利上げが、新興国バブル・資源バブル崩壊後の世界経済のダウンサイドリスクを高める。
http://jp.reuters.com/article/view-ryutaro-kono-parttwo-idJPKBN0U50D620151222?pageNumber=1
私はかつて景気予測を商売にしていたこともあり、予測は実際には殆ど当たらないと思っている。そこで、このブログでも殆ど取上げてこなかった。ただ、今日は、新年でもあり、今年の経済に筋道を整理しておくこともそれなりに意味があると思い、取上げた次第である。
マーケット・エコノミストのなかには、政府の審議会などに呼ばれるのを期待して政府にゴマを擦る人間も多いが、河野龍太郎氏はそうした連中とは一線を画して、筋を通すとして私が信頼しているエコノミストの1人である。Q14で「日銀の政策反応関数」が変わり、「事実上の「フレキシブル・インフレーション・ターゲット」に移行」との指摘は、私には新鮮だった。
ただ、このシナリオはあくまでも標準型であって、中国経済のダウンサイドリスクが大きく振れるようなことはない、との期待が前提になっている点に留意が必要だ。
本年もブログでの発信に努めるつもりですので、よろしくお願いいたします。
アベノミクスについては、前回11月10日に取上げたが、今日は新年にふさわしい (その6)河野龍太郎氏による2016年の日本経済、20の疑問 である。BNPパリバ証券の経済調査本部長の河野龍太郎氏が、12月21日、22日付けのロイターに寄稿した「視点:2016年の日本経済、20の疑問」を紹介しよう。
(上)
・2015年度前半、日本経済は全く回復しなかった。潜在成長率がゼロ近傍にあるのだから、当然と考える人もいるかもしれない。だが、現実には安倍政権がスタートして、実に11四半期中4四半期がマイナス成長である。
・アグレッシブな金融緩和で株価が上昇するとしても、それは金融的現象であり、実体経済の成長は全く期待できないとした3年前の筆者の予想通りの結果となっている。 14年秋以降の原油価格急落を新興国・資源バブル崩壊の証左と考えていた筆者は当初、15年度の成長率を1%程度と慎重に予想していた。現時点での見通しも0.9%である。
・では、16年はどうなるのか。以下、筆者がよく尋ねられる疑問に答える形で、上下2回に分けて、日本経済の見通しを考察したい。パート1は、低成長の理由、円安・原油安効果の実態、設備投資や賃上げの行方について探る。
<国内マクロ経済編>
Q1)アベノミクス下でマイナス成長が散見されるのはなぜか。 アベノミクス下で高成長を実現したのは13年度だけだ。もちろん、14年度は消費増税が影響。15年度は中国など新興国経済の低迷も影響した。だが、低成長の大きな理由は供給サイドにもある。 まずアベノミクス開始時点では、マイナス2%程度の需給ギャップが存在していた。第1の矢と第2の矢の合わせ技によるヘリコプターマネーによって、13年は高い成長が可能となったが、その結果、14年年初には、経済のスラック(弛み)はほぼ解消していた。すでに潜在成長率は0.3%とゼロ近傍まで低下しているから、スラックが解消された後、補正予算を編成しても金融緩和で円安に誘導しても高い成長の継続は難しくなっていたのだ。
Q2)円安に対し否定的な見方が増えている理由は。 アベノミクスの最大の誤算は、大幅な円安にもかかわらず、輸出数量が全く増えなかったことだ。円安で輸出企業の業績は著しく改善したが、輸出数量が全く増えていないため、雇用者所得の改善は限定的なものにとどまっている。 近年、個人消費が弱いのは消費増税の影響もあるが、円安で輸入物価が上昇し家計の実質購買力が抑制されている点も影響している。円安は、家計から輸出企業に所得移転をもたらすだけに終わっている。
Q3)輸出数量が増えないのは中国など新興国経済減速の影響では。 確かに、その影響は相当に大きい。ただ、輸出数量が増えていない最大の理由は供給サイドにある。 通貨が大幅に減価した際、理論上、輸出企業には2つの選択肢がある。現地通貨ベースの価格を引き下げ、輸出数量・国内生産を拡大する戦略と、現地通貨ベースの価格を据え置き、利益率改善を図る戦略だ。過去3年間、円は対ドルで4割近く減価したが、輸送機械工業や一般機械工業は現地通貨ベースの価格を全く引き下げていない。輸出企業は円安に対し、輸出数量や国内生産の拡大ではなく、利益率引き上げで対応した。
Q4)大幅円安でも企業が国内生産拡大を狙わないのはなぜか。 理由は3つある。まず構造的要因だが、生産年齢人口、労働力は1997年にピークを打ち、減少傾向を続けている。輸出企業にとり、特に若年雇用の安定確保が国内で困難になっているため、生産拠点を海外にシフトする動きが続いている。これに循環的要因が加わった。14年初めに経済が完全雇用に入り、人手不足傾向が強まった。失業率はすでに3%台前半で定着している。 3つ目は構造的要因だが、11年の東日本大震災の際、サプライチェーン寸断に直面した加工組立業は生産拠点のグローバル分散の重要性を認識し、その動きを加速させた。これらの3つの要因が大幅円安の効果を相殺したのだ。
Q5)15年度の高い投資計画は実行されないのか。 日銀短観によると、大企業・製造業は前年比15%程度の設備投資計画を打ち出しているが、設備投資は4―6月に減少した後、7―9月も冴えない。設備投資の先行指標となる機械受注統計も7―9月は大きく落ち込んだ。減少には14年度補正予算による中小企業向け設備投資補助金の効果剥落も影響しているが、加えて新興国バブル崩壊の影響で企業が設備投資の執行を先送りし始めたのだ。 問題はこれが一時的現象で終わらない可能性だ。中国など新興国の潜在成長率低下に対応し、日本企業の成長期待が低下、資本蓄積を一段と抑えるならば、16年も設備投資は控えられ、更新投資中心の緩慢な回復にとどまる。 幸いにして、大幅円安でも積極投資が行われなかったことから、国内に過剰ストックは積み上がっていない。新興国に対する成長期待の低下もあり、潤沢なキャッシュフローの下で控えめな設備投資が継続、あるいは成長期待の低下に伴い16年中にストック調整が訪れるだろうか。
Q6)統計が示す以上に設備投資は増えているのか。 ここ数年、日本企業が注力してきたのは、海外での生産能力増強や販売能力強化のための投資だが、国内では研究開発投資だ。研究開発投資はリーマン危機後、一時落ち込んでいたが、13年から回復してきた。 ただ、1993年に国連が勧告した国際基準(1993 SNA)に基づく現行の国内総生産(GDP)統計では、研究開発投資は中間投入として扱われ、GDPにはカウントされない。16年に、研究開発投資を設備投資にカウントする08年版国民経済計算体系(2008 SNA)の導入が始まれば設備投資が15兆円程度膨らむが、実態が変わるわけではない。多くの人が考える以上に、設備投資は国内ですでに行われていたということだ。
Q7)さらに円安が進めば輸出数量や設備投資は増えるのでは。 実質円安がさらに進めば、生産拠点の国内回帰が多少は生じ、輸出数量も増えるだろう。現に一部白物家電では国内回帰がみられる。だが、経済が完全雇用の領域にあるため、経済全体のパイはそれほど変わらず、非製造業の経済活動に支障をきたすだけだろう。 仮に国内生産の利益率の改善を背景に、製造業が生産増のために必要な雇用を国内で増やすと、それは非製造業から奪うことになる。すでに多くの産業でフルタイム労働の採用が困難であり、企業は高齢者や主婦の採用で対応している。輸出企業を利することは非製造業からの成長分野の出現を阻害することになり、同部門の資本蓄積が遅れる。輸出企業でも収益性の低い資本ストックを増やすだけとなる。経済が完全雇用にある中で円安を促す追加緩和を行っても、資源配分や所得分配を大きく歪めるだけで、経済的メリットは小さい。
Q8)原油安が消費喚起につながらない理由は。 原油安で7兆円程度の交易利得が発生したと推計される。名目GDPの1.4ポイントを超えるオーダーであり、これが家計に向かえば、消費を大きく刺激するはずだが、実際には多くの部分が企業に利益として滞留、賃金上昇は限られ、家計には恩恵の一部しか流れていない。 ガソリン安など家計が直接メリットを受けたものもあるが、円安による輸入物価上昇によって、エネルギー価格下落の恩恵はかなり相殺された。輸出数量が全く増えていないため、円安は非輸出部門への課税を原資とした輸出企業への補助金と化している。 それでも非製造業からの円安に対する不満が抑えられている理由の1つは、エネルギー価格下落による交易利得の改善を非製造業も享受しているためだ。労働分配率は90年以来の低水準にある。原油安による交易利得の改善は、その多くを企業が享受しているため、消費喚起につながっていないのだ。
Q9)16年も賃金回復が遅れるのか。 14年年初に日本経済は完全雇用の領域に入ったが、その後は需給ギャップ改善が止まった。需給ギャップ改善が始まれば、賃金上昇は進むはずだ。潜在成長率が0.3%と低いため、それほど高くはない成長率の下でも需給ギャップ改善が可能となる。16年末までには3%前後の失業率が定着する可能性がある。 ただ、日本の賃金統計は月給ベースであり、賃金回復が遅れて見える可能性はある。14年年初以降、人手不足からフルタイム労働の採用が困難となっているが、その代替として企業は労働時間の短い高齢者や主婦の採用を増やしている。このため平均賃金の上昇が抑えられている。 一方で労働者の頭数は増えているため、雇用者報酬は回復傾向にあり、実質ベースで見ても消費増税前の水準まで回復しつつある。業界統計を見ると、経済が完全雇用の領域に近づいた13年末以降、例えば派遣スタッフの平均時給は伸びが加速したが、その後、需給ギャップの改善が止まり、伸び率は高まっていない。
Q10)16年もベアは引き上げられるか。 ベアは14年の0.4%に続き、15年も0.6%引き上げられた。だが一方で15年の夏季賞与は減少した。後知恵で考えると、財界は賃金上昇を要請する安倍首相の顔を立てる形でベアを2年連続引き上げ、一方で総人件費コントロールの観点から賞与支給を引き下げたということだ。 実際、15年4―9月の所定内給与の伸び率は0.3%だが、賞与を含む現金給与総額の同期間の前年比は0.1%減と増えていない。多くの大企業にとり、資本市場からのプレッシャーが強い中で、3年連続のベア引き上げは容易ではないが、官邸の強い要請もあるため、ベアは15年と同程度か多少のプラスアルファで妥結されるかもしれない。しかし、賞与を含む現金給与総額で見ると、わずかな上昇にとどまるだろう。足元の景気減速も抑制要因となる。
Q11)雇用者報酬の回復に比べ、消費回復は鈍くはないか。 実質雇用者報酬は消費増税前の水準まで戻りつつあるが、一方で消費水準は増税後の落ち込みからほとんど回復していない。理屈上、考えられるのは、円安や資源安で業績が改善した企業で平均賃金が多少は改善し、勤労者世帯の実質購買力が回復する一方、高齢者世帯では企業業績改善の恩恵を全く受けないことがある。この結果、円安による輸入物価上昇の悪影響を相殺できない。 もう1つの仮説は、所得税が回復しているだけでなく、消費税収も上振れが続いていることを考えると、消費関連の基礎統計が実態を過小評価している可能性が高いことだ。
Q12)16年の成長加速は期待できないのか。 中国経済の足踏みが続くことなどから、16年も輸出の強い回復は全く期待できない。さらに新興国の低迷は、日系企業の成長期待に少なからず悪影響を与え、国内設備投資も更新投資の範囲にとどまる。超円安環境が続いても設備投資の加速は予想されない。外部環境が不透明なため、企業は賃金上昇も抑える。統計が示すほど悪くはないにせよ、16年も個人消費は冴えない。効果のほどは疑わしいが、3兆円超の15年度補正予算編成は数字の上ではGDPを押し上げる。 これらの結果、15年度後半は0.3%の潜在成長率並みの成長が続くと考えられる。ただ、16年第4四半期以降、17年4月の消費増税前の駆け込み需要が発生し、16年度は1%程度の成長になる。駆け込み需要による成長率押し上げは翌年度の需要先食いに過ぎないため、暦年の成長率を見ると、16年は0.6%と15年の0.6%と変わらない。15年と同様、潜在成長率をわずかに上回る緩慢な成長が続くということである。
http://jp.reuters.com/article/view-ryutaro-kono-idJPKBN0U11KE20151221
(下)
・パート2は、日銀の金融政策と、日本経済の外部環境であるグローバル経済の行方を取り上げる。
<金融政策編>
Q13)2%インフレは再び先送りか。 10月のコアインフレ(生鮮食品を除く消費者物価)は前年比マイナス0.1%だったが、コアコアインフレ(生鮮食品とエネルギーを除く消費者物価)は1.2%だった。 需給ギャップの物価へのタイムラグは2四半期程度だが、今後、円安による物価押し上げ効果も剥落することなどから、2015年第4四半期から需給ギャップの改善が再開しても、コアコアは16年第3四半期まで1.2%程度で足踏みする。その後、緩やかに上昇が再開、16年第4四半期は1.3%、17年第1四半期は1.5%まで上昇する。 コアインフレは、原油安のベース効果から15年第4四半期までゼロ近傍で推移する。その後、原油安効果の剥落が始まるが、今夏の原油安効果も残存するため、16年第1四半期は0.4%、第2四半期は0.4%、第3四半期は0.8%の上昇にとどまり、原油安効果が完全に剥落する16年第4四半期に1.1%と、ようやく1%を超える。 17年第1四半期は1.6%とインフレ率が加速するが、これは消費増税前の駆け込み需要によって、需給ギャップが改善、便乗値上げも行われるためだ。増税後、その反動から物価上昇はしばらく足踏みする。これらの結果、消費増税の影響を除くと、17年度中も日銀が目標とする2%インフレには到達できない。
Q14)2%インフレに到達しないのなら、日銀は追加緩和に動くか。 日銀は10月末に2%インフレの達成時期を「16年度前半頃」から「16年度後半頃」に修正したが、追加緩和に動かなかった。4月にも先送りしたが動かなかった。16年度後半も2%インフレ達成の見込みは薄く、再度の先送りは必至だが、もはや2%インフレの達成が遅れることを理由に、追加緩和に動くことはないと思われる。 日銀の政策反応関数はすでに大きく変化しており、事実上の「フレキシブル・インフレーション・ターゲット」に移行、コアコアが1%程度を超えていれば、コアインフレが早期に2%に到達しなくても、大きな問題はないというスタンスに変わってしまった。次に日銀が動くとすれば、コアコアが継続的に低下を続けることが懸念される場合であり、それは大幅な円高が進むケースか、需給ギャップの大幅な悪化の継続が予想されるケースではないだろうか。
・Q15)なぜ日銀の政策反応関数は変わったのか。 まず、追加緩和のメリットが小さくなっていることがある。前述した通り、追加緩和で円安が進んでも、輸出数量が増えず経済全体のパイが一定の中で、円安は輸出企業の業績を押し上げるものの、家計の実質購買力を抑制し、家計から輸出企業への単なる所得移転となっている。輸出企業の業績改善による株高とそれがもたらす資産効果、インバウンド消費の改善まで加えれば全体ではプラスだが、いずれにせよ効果は相当小さい。 一方で、追加緩和は出口の際のコストを高める。すでに国債の市中発行額の9割を日銀は購入しているが、今後、スムーズな購入を続けるには、より残存期間の長い国債を購入する必要がある。18日の金融政策決定会合で長期国債購入の平均残存期間を拡大したのも、現行のネットで年80兆円ペースでの購入がスムーズに続けられなくなるからだが、それは、出口の際、バランスシートを圧縮するまでに相当長い期間を要することを意味する。 また、利上げを開始した際、付利の支払いが膨らむ一方、保有する長期国債の利回りが低いため、日銀の損失が膨らむ。政策のメリットが小さく、一方でコストが大きくなっているため、簡単に政策は発動されない。 さらに重要なことだが、17年4月の消費増税を控える中、16年夏の参議院選挙が近づいており、いくら株価にプラスになるとはいえ、これ以上、家計部門に負担増を強いる円安及び円安をもたらす追加緩和を政府は望ましいとは考えていない。支持率が40%程度まで低下しているため、政治的にも追加緩和は微妙である。18日の会合で新たな指数連動型上場投資信託(ETF)の買い入れ枠の設定が打ち出されたのも、国債購入の増額が難しくなっていることだけでなく、円安をもたらす政策をできるだけ回避したいという思いの表れだろう。
Q16)追加緩和の可能性は全く無いのか。 現段階で、さらなる円安をもたらすための追加緩和は予想されないが、大幅な円高が訪れる際には、追加緩和はあり得る。例えば中国経済がハードランディングする場合、米連邦準備理事会(FRB)の利上げは中断され、大幅な円高が訪れるリスクが高まる。 実質円レートは1973年以来の超円安水準まで低下しているため、いったん調整が始まると大幅な円高となるリスクがある。この時、輸出数量が落ち込むだけでなく、国内でも企業が設備投資や人件費を圧縮するため、日本経済は単に国内総生産(GDP)統計上マイナス成長になるだけでなく、需給ギャップが明確に悪化するという意味で、不況に陥る可能性が高い。円高を回避することのメリットが高まるため、政策発動のコストが大きいとしても、追加緩和は正当化され得る。 ただ、追加緩和が行われる場合、前述した出口の際のコストが上昇することやオペレーション上の問題から、長期国債の購入を中心とした量的ターゲットの拡大ではなく、付利引き下げを中心とした金利ターゲットへの移行になると見られる。また、こうした環境となれば、当然にして、消費増税も再度、先送りされる可能性が高い。現段階における消費増税の先送り確率は30%程度である。
<グローバル経済編>
Q17)世界経済は回復が続くか。 米欧の内需が堅調であることから、世界経済は回復が続くというのが基本シナリオだが、新興国バブル・資源バブル崩壊の後遺症が残るため、16年に世界経済の成長ペースは加速しない、むしろ鈍化する可能性が強い。 中国経済は下げ止まりつつあるが、少なくとも16年半ばまでは底ばい傾向が続く。これまでも米国の金融緩和期に資金が向かった先の新興国でブームが醸成され、米国が金融引き締めに転じると、資金流出によって新興国のブームが崩壊することは何度も観測された。 ただ、80年代、90年代は、金融面だけでなく、実物面でも世界経済を規定していたのが米国であったため、米国が最初の利上げを始める時期には、むしろ米国の内需が加速、新興国が多少ふらついても世界経済全体の成長ペースは高まっていた。しかし、今回は事態が大きく異なる。まず、米国のアグレッシブな金融緩和によって、相当大きな新興国・資源バブルが醸成され、それが現在、崩壊過程に入っている。 さらに、この点が重要だが、世界で2番目の経済規模にまで拡大した中国経済が、潜在成長率の下方屈折問題や過剰ストック問題、ドルペッグに伴う人民高問題を抱え、足踏みを続けている。先進国の回復で新興国の減速がスムーズに吸収されるというより、新興国の減速で先進国の回復ペースが鈍化する可能性が高い。
Q18)2000年代の高成長は再現されないのか。 日本のみならず、米欧も労働力の伸びの鈍化によって、2000年代は潜在成長率が大きく低下した。2000年代に米欧で大規模バブルが生じたのは、潜在成長率の低下に伴い、収益性の高い実物投資の機会が枯渇する中、緩和マネーが株や不動産に向かったためである。 しかし、米欧の潜在成長率の低下にもかかわらず、世界経済が高い成長を遂げたのは、経済規模の大きくなった中国が高度成長を続け、世界経済をけん引したためである。中国では速いペースでの資本蓄積が続き、先進国・新興国は中国向けに輸出を増やすことができた。しかし、11年には中国の高成長も終焉、世界経済が享受した輸出の時代はすでに終わっている。 かつての中国に代わるような経済規模が大きく高い成長が可能な新興国が出現しないため、2010年代後半も世界経済は高い成長が期待できない。多くの人がフロンティアと考えていた新興国と資源のバブルが崩壊を迎え、世界経済に対する成長期待の低下から、16年は15年に続いて各国で実物投資が弱含む可能性が高い。
Q19)原油価格の低迷は続くのか。 2000年代に原油高が続いたのも、基本的には、高度成長の続いた中国の旺盛な需要が主因だ。中国の高度成長の終焉とともに、原油高の時代も終わった。本来なら、中国の高成長が終了した11年に原油安が訪れても不思議ではなかったが、その後もFRBのアグレッシブな金融緩和が生み出す過剰流動性によって、14年10月まで原油価格は高値で張り付いていた。 さらに高値が続くという思惑から、「イージーマネー」によるファイナンスによって世界中で資源開発が続けられ、過剰ストックが積み上げられてしまった。このため、地政学リスクが急激に高まらない限り、しばらく原油価格の戻りは限られたものになると思われる。 資源国は過剰ストック、過剰債務問題を抱え、苦境が続くが、さらにFRBの利上げに伴う資本コストの上昇も加わる。中国需要が高まる前の2000―04年頃の平均30ドル強を実質的な均衡レートと考えると、物価調整した場合、現状では41ドル程度の水準に対応する。原油高の時代の終焉はすべてを輸入に頼る日本にとって交易条件の改善を意味する。輸出に頼れないとしても交易条件の改善が大きなサポートとなるはずだが、前回述べた通り、問題はその大部分が企業に滞留していることである。
Q20)2016年の世界経済のリスクは、アップサイドかダウンサイドか。 明らかにリスクは、ダウンサイドに偏っている。下げ止まり傾向が観測されるといっても、中国経済はなお、下振れリスクを抱えている。2000年代の終盤に、農業部門の余剰労働力が工業化の過程で底をつく「ルイスの転換点」を迎え、潜在成長率が大きく下方屈折したが、当時、リーマンショックが低成長の原因と中国政府は誤認し、大規模財政を発動したため、それが過剰ストック問題をもたらした。 さらに、ドルに対し事実上のペッグ制を続けているため、実体経済に比して割高な人民元が景気回復の足を引っ張る。90年代の日本の置かれた状況と共通する。中国政府は財政政策で景気を下支えすると考えられるが、財政の規模を追求すれば、それは新たな過剰ストックを生む。こうした中、米国の内需が回復すれば、それはそれで望ましいのだが、それに伴いFRBの継続的な利上げ観測からドル高が進み、人民元実効レート上昇が中国経済の足を引っ張る恐れがある。 このほか、懸念されるのは、リーマンショック後に強化された金融規制がFRBの金融引き締め効果を増幅することである。前述した通り、低利のドル資金を元手に資源開発を続けた経済主体はバブルの残骸を抱え、利上げ開始によってますます困難な状況となる。現在、米国で好調なのは住宅販売や自動車販売で、いずれも低金利環境によって支えられているものであり、前提も揺るがす。 世界で2番目に大きくなった中国経済が減速局面にある中で、FRBの利上げが、新興国バブル・資源バブル崩壊後の世界経済のダウンサイドリスクを高める。
http://jp.reuters.com/article/view-ryutaro-kono-parttwo-idJPKBN0U50D620151222?pageNumber=1
私はかつて景気予測を商売にしていたこともあり、予測は実際には殆ど当たらないと思っている。そこで、このブログでも殆ど取上げてこなかった。ただ、今日は、新年でもあり、今年の経済に筋道を整理しておくこともそれなりに意味があると思い、取上げた次第である。
マーケット・エコノミストのなかには、政府の審議会などに呼ばれるのを期待して政府にゴマを擦る人間も多いが、河野龍太郎氏はそうした連中とは一線を画して、筋を通すとして私が信頼しているエコノミストの1人である。Q14で「日銀の政策反応関数」が変わり、「事実上の「フレキシブル・インフレーション・ターゲット」に移行」との指摘は、私には新鮮だった。
ただ、このシナリオはあくまでも標準型であって、中国経済のダウンサイドリスクが大きく振れるようなことはない、との期待が前提になっている点に留意が必要だ。
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絶賛! 冷泉彰彦氏の「日本病への診断書」 [経済]
今日は 絶賛! 冷泉彰彦氏の「日本病への診断書」 である。
度々引用している米国在住の作家、冷泉彰彦氏がメールマガジンJMMに12月26日付けで寄稿した「[JMM877Sa]「日本病への診断書」from911/USAレポート」を紹介しよう。やや長目だが、絶賛すべき内容なので、読んで頂きたい。
・人類の文明の実験場であり、また多様な社会が衝突と共存の歴史を作ってきた欧州では、それぞれの時代において「衰退に瀕した国家」が存在していました。そのような国家のことを、同時代のジャーナリズムや後世の史家は「欧州の病人」と呼んで批判をするのが通例となっています。古くは19世紀末から20世紀初頭のオスマントルコや、オーストリア帝国がそうであり、特に有名なのは1970年代の英国です。
・日本では、この英国については、「欧州の病人である英国」という表現を少し変えて、日本独特の形容として「英国病」という言い方がされていました。人類に先駆けて第一次産業革命を実現し、日の沈むことはないという大英帝国を創り上げた栄華は過去のものとなり、人材育成のミスマッチなどから競争力を喪失する一方で、組合主導の高コスト社会が動きが取れなくなっていたのでした。
・明治維新以来、その英国を複雑な思いと共に目標に戴いてきた日本としては、そのような英国の衰退は「英国に特有の問題があるからだ」という印象が強かったのでしょう。また、当時は飛ぶ鳥を落とすような経済成長を続け、二度の石油ショックも技術力などで乗り切っていた日本としては、英国への落胆と蔑視の感情も交じる微妙な言い方として「英国病」という表現は、どこかで納得がされたものです。
・その英国は、サッチャーによる痛みを伴う改革を経て高コスト体質を清算、そして90年代のグルーバリズムに乗る中で、現在は自他共に「欧州の病人」という形容は返上しています。その一方で、2015年の日本は、70年代の英国がそうであったように「病」に臥せりがちの経済に苦しんでいます。
・経済の国際比較の指標として、「一人あたりGDP」というのは全てを語るものではないかもしれません。ですが、「たかがGDP、されどGDP」ということで、この「一人あたり」を見てみると、時代の推移は歴然としています。
・例えば、日本政府(内閣府)は12月25日に、2014年の日本の1人当たり名目GDPが36200ドルであったと発表しています。これは、前年比6%減であり、OECDに加盟する34か国のうち上から20番目(前年は19位から1位ダウン)でした。これは、「統計が確認できる1970年以降」では最も低い順位だそうです。
・この政府発表には円ベースの数字もあり、こちらは前年度比1・7%増の385万3000円です。3万6千ドルを「1ドル=121円」で換算すると4万ドルを大きく超えるはずですが、生産額の元が円ベースのものと、ドルベースのものがある中での計算ですから、そう単純ではありません。
・一方でIMFが毎年出している統計では、2014年の日本の1人当たりGDPは、36221ドルで、この政府数字とほぼ一致しています。但し、IMFは187カ国中のランキングとして出しているために、日本は27位とランクを下げています。
・そのIMFのランキングの上位はベネルクスや北欧などの小規模国と産油国が占めていますが、大国の中でも米国(54370ドル、11位)、カナダ(50304ドル、15位)、ドイツ(47773ドル、17位)には大きく離されたばかりか、「英国病」とかつては見下していた英国(45729ドル、19位)にも、そして「長期バカンスを取る国」と生産性の低さを批判していた対象のフランス(44331ドル、20位)にも抜かれているのです。それどころか「幸福度だけ高いが経済はダメ」という印象で見ていたイタリア(35334ドル、28位)が僅差で迫ってきているのです。
・同じアジアの中では、かつては「アジアの4小龍」とか「NIES」などと勝手に命名していたシンガポールは56286ドル(9位)で日本の155%、香港も40032ドル(25位)で日本の110%となっています。
・更に言えば、「4万ドル以上」のクラブは香港(25位)までであり、日本の属する「3万ドル台」のグループに入っているのは、「イスラエル、日本、イタリア、スペイン」の4カ国で、そのすぐ下には韓国が迫っている、そんな構図になっています。
・かつて、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと賞賛と畏怖の対象となり、事実この一人当たりGDPでは米国を抜いて、人口2千万以上の大国の中では堂々のトップに君臨していた「経済大国」の面影はどこにもありません。
・これは自他共にある種の「病」であると認めなくてはならない事態です。1989年の「バブル崩壊」によって金融危機が引き起こされ、経済が大きく痛手を被ったということに直接の理由を求めることは、もはや何も説明していないのと同じです。この急速な衰退は、事故や怪我といった外的要因に基づくものではなく、内発的な「病気」であり、その診断が急がれると思うのです。
・その「日本の病気」つまり「日本病」とは何なのでしょうか? 少々長い前口上となりましたが、年末年始の議論の材料にしていただければ幸いです。
・(1)コミュニケーションと言語の特殊性 現在、世界のビジネスの現場におけるコミュニケーションは、英語が基本になっています。特に国境を超えるビジネスはそうですし、各地域のローカルのビジネスであっても上場をしている場合は株主や当局とのコミュニケーションは英語が中心です 契約書や紛争処理においても英語が中心です。 また、コンピュータの分野、機械工学、薬学、化学、といったテクノロジーに関するビジネス、そして金融というビジネスにおいても英語が標準語です。英語が母語でない、大陸ヨーロッパにおいても、英語を共通語として使用しています。アジアにおいても、ビジネスにおいて成功しているシンガポール、香港では英語がビジネスの重要なインフラになっています。 ですから、日本のビジネスの世界において「余り英語が通じない」というのは、それだけで大きなハンデとなります。
これに加えて、日本語には顕著な特殊性があります。それは、「高コンテキスト」言語であるということと、「上下関係を規定する敬語表現」に縛られているという問題です。 まず「高コンテキスト言語」というのは、どういうことかというと、言語に現れない「暗黙の共通理解、情報の共有」というのがコミュニケーションの前提になっている、そのような行動様式であるわけです。「空気」という言い方を良くしますが、とにかく言外の「共通認識」が確認できればその部分は言葉にしないし、言葉にしないことで認識の共有化が強く確認できる、そのようなコミュニケーション様式が日本語には濃厚です。 このことは「暗黙の了解があるか、ありそうなこと」は「基本的に言葉にしない」という態度として、日本語の表現を作っています。それは書き言葉でもそうですが、話し言葉でも顕著です。悪いことに、そのような「面と向かって、あるいは共通の場にいる」という物理的な対面を前提にして、「物理的に対面しているが言語化はしない」という経験が「最も濃厚なコミュニケーション」であり、それはエモーションの濃さという意味でも、ファクトの確認という意味でも、コマンドの有効性という意味でもそうなります。
これは多くの局面において「メールで済む」話を「対面コミュニケーション」にしないと「いけない」という行動様式につながっています。ですから、日本の会社は社内においては会議を好み、日本の会社の営業は「相手との個人的な信頼関係」を作るとして「訪問して対面のコミュニケーション」を極めて重視します。
その結果として、社内における意思決定や手続きの変更、社外を相手にした受注やサービスの提供ということが、ものすごい時間と手間を要することになります。少しでも例外であったり、重要であったりするケースは、言語をメールで届けるだけではダメで、対面コミュニケーションを行って、言外の領域でも相互に納得をしないと組織も人も動かないようにできているからです。
・(2)上下関係のヒエラルキー ここからは言語に加えて、組織論も重なっていきますが、もう一つ、日本語でのコミュニケーションの特質は、上下関係を規定する敬語という問題を伴っているということです。そのために、管理監督者は指揮命令の対象に対して、人格的に優位に立っていると錯覚して、横柄なコミュニケーションが許されていることがほとんどです。 そのために、様々な非効率が発生しています。
一つには、儀式的なヒエラルキーの確認に、個人の自尊心の満足感を刺激する形で、昇進昇格人事が行われているということです。管理監督というのは、未来の未経験の事態に対してチームのパフォーマンスを最大にして問題解決を行うためのリーダーシップであるべきですが、得てして「過去の功績の論功行賞としての昇格」が横行するために、不適格者、能力欠格者が管理監督の権限を与えられて、人格的に優位に立ったという錯覚を前提とした権力行使を行うことが多くあるわけです。そのために問題が解決できず、ビジネスチャンスが生かせないという膨大なロスが日本経済の足を引っ張っています。 これは組織における管理監督者の配置の問題であり、その背景にある「年功序列」とか「ゼネラリスト育成のための人事異動」などが問題の本質にはありますが、更にコミュニケーションにおけるヒエラルキー文化が重なることが問題を複雑にしていると言えます。
もう一つは、得てして現場が持っている「最先端の情報」「危機の発端となるマイナス情報」が決定権限のある人間に上がっていかないという問題。更には、問題が生じた際に、迅速に「対策の立案と実施」に進む前に「責任者の謝罪という儀式」に時間を取られるという問題があります。 個々のコミュニケーションの局面だけでなく、産業間や、一つの産業内の機能と機能の間にも暗黙のヒエラルキーが存在しています。親会社と子会社、グループの中核企業と新興企業、伝統と格式のある会社の信用、ベンチャーにおける資金調達の困難など、意味のないヒエラルキーが多く存在することで、様々な非効率が発生しています。
・(3)東京一極集中は何故ダメなのか? こうした問題を象徴しているのが「東京一極集中」です。東京への一極集中がどうしていけないのかというと、地方が衰退するとか、東京の住環境が悪化する、あるいは災害時にバックアップが無いという問題が指摘されます。ですが、そうした表面的な問題以上に、もっと本質的な問題、つまり「東京という街の抱えた病=東京病」というものが指摘できるように思います。
それは、一つにはここまで議論したような「高コンテキストで非効率な対面型コミュニケーション」の束縛ということがあります。多くの機能が東京に集まっているのは、このためであり、そうした「対面型」を要求すればするほど、ビジネスの手順は非効率になって行く、東京というのはそのような街であるのです。
もう一つは、東京は「ヒエラルキー文化にまみれた街」だということです。そこには東京が威張っているとか、中央政府が地方を見下しているという問題もありますが、もっと罪深いのは「東京というのは明治以来の欧米への劣等意識にまみれた街」だということです。
そこで起きるのは、「地方<東京<欧米」という歪んだヒエラルキー意識であり、また、地方が海外の知見なり市場なりと結びつくには、「一旦東京を経由しなくてはならない」という非効率を産んでいるとも言えます。この2つの問題、つまり「対面型の非生産的なコミュニケーションを象徴する街」であり「地方に対して君臨し、欧米に対して拝跪するという巨大な田舎根性の街」というところ、そこに東京一極集中の最大の問題があるように思います。
この年の瀬に至って、問題となっている東芝、キリンの経営こそ、その典型例であると言えます。東芝は、米国の原発事業を買収した後の経営に難渋し、しかも問題の本質に直面することから逃げて不正な方法で会社の体面を取り繕うとしたことから更に大きなトラブルへと陥っています。キリンも、ブラジルで買収した事業の経営悪化をグループ全体の問題として正視するのが数期遅れたことが問題を深刻にしていますが、いずれも「東京経由の国際化」の底の浅さを示す良い例だと思います。
・(4)産業構造が高付加価値型になっていない 長い間、日本は自他共に認める先進国だと思ってきました。ですが、一人当たりGDPの「4万ドルクラブ」から脱落した現在、その地位はかなり怪しくなっています。それは、ここまで議論したような文化的な効率の悪さということもありますが、それ以前の問題として、現代の先進国に必要な「高付加価値産業」へのシフトができていないというのが、最大の問題です。
例えば輸送用機器では、船舶から自動車・鉄道車両といった段階では、今でも競争力がありますが、付加価値という点で更に一段上の「宇宙航空」に関する技術力では、どう考えても最先端に届いていません。 また、製薬の分野では最先端に必死になって「しがみついて」いるものの、欧米との格差は大きなものがあります。
最大の問題はエレクトロニクスとコンピュータ関連の技術の分野です。この領域では、ハードからソフトへという大きな潮流に、日本は全く乗ることができませんでした。亡くなったスティーブ・ジョブズは、いつも「自分はソニー製のビデオカメラを偏愛していた」としながらも「そのソニーを含めた日本のエレクトロニクス産業は死んだクジラが砂浜に打ち上げられたような状態だ」という厳しい指摘もしていました。
原因はハッキリしています。コンピュータ科学の分野は「余りにも高い専門性が要求される」ので、日本の大企業の中枢を担う「幹部候補のキャリアパス」にはならなかったのです。そのために。優秀な若者がそこに集まることはなく、気がついた時点では深刻なまでの遅れを取っており、しかもそのことの深刻さを認識する能力も喪失していたのです。
今から考えれば、2000年代前半の「デジタル三種の神器」というのは、まるで日本のエレクトロニクス産業、「コンピュータのソフトウェアの専門家」は、特殊な専門職種だということになり、社会的な尊敬と、必要な報酬を与えられなかったので「破滅の前の幻」であったと言えます。今は、スマホの高度化によってデジカメというカテゴリは危機に瀕していますが、そのことよりも、デジカメというデバイスを販売するというビジネスモデルよりも、デジタル写真を道具としてネット環境上に巨大なコミュニケーションのプラットフォームを築くというSNSというビジネスモデルが巨大な産業になって行ったということです。
そのような利用者の心理を見ながら、ネット上のサービスを拡大していくビジネスモデルは日本ではなかなか生まれませんでした。そして気がついた時には、薄型ディスプレイも、デジタルカメラもコモディティ化するか消滅の危機に瀕しています。また、BDストレージに至っては、世界市場でのニーズもそれほど出ませんでした。
・(5)苦手でも金融をやるしかない 日本人は金融が苦手だとよく言われます。例えば、「リスクを取らないというリスク」という概念を理解しないとか、「ハイ・リスクからロー・リスクの各種の商品を組み合わせたポートフォリオ」の概念が分からないということがよく言われます。売却益や配当収入を「不労所得」だとして蔑視するカルチャーもあります。
ですが、自分が得意だと思っていた「モノづくり」がもはや大きなカネを産まなくなって来ている21世紀の現在、これだけの高度な教育を受けた人口を抱えた国としては、金融を産業として育てていくことは必要と思います。それ以前の問題として、多くの産業化プロジェクトが「石油ショック以来の資金不足」で潰れていったことを考えると、金融の技術力の底上げを図る中で、世界からカネを集めてくることは、今後の産業構想転換のためにも必要と思われます。
それこそ「英国病」に瀕していた英国は、金融に関する大胆な規制緩和を行いました。それは、一旦はロンドンがウォール街の軍門に降るということを意味しましたが、時間とともにノウハウと人材が定着する中で、今では、潰れたリーマンの優良部分をバークレイが買うなど、米系に伍した戦いができるようになっています。そして、英国は日本よりはるか上位の「一人当たりGDP」を謳歌する中で、その相当な部分を金融業とその派生で補っているのです。
・(6)無駄だらけの教育システム もしかしたら、「日本病」の最大の問題は教育かもしれません。とにかく、中学なら中学、高校なら高校の教育内容について「その内容それ自体が若者の知性を鍛え、知識として蓄積される」ようになっていないのです。中等教育というものは、それ自体の意味もなければ、高等教育への接続にもなっていない、そうではなくて、高等教育機関である大学には「入学試験」というものがあって、その試験に合格することが下位の学校の唯一のテーマとなっているのです。
そこで高校でその受験勉強を教えてくれれば良いのですが、多くの、特に都市部の高校では十分な指導ができないので、塾や受験産業が必要とされるという奇怪な状況となっています。つまり中等教育までの段階では、「教わったことはそれ自体に意味はなく、次の段階の学校の入試に受かるかどうかという一点のみの関心と利害が学習の目的と動機」になっていて、しかもその目標達成には「学校以外の塾に行かねばならない」という非効率になっているのです。
更に大学での履修内容も、理系を除いては「企業や官庁で必要とされているスキルや知識」とは異なっており、就職後に「学び直し」を強制されるのです。その一方で、大学以下の学習内容は必ずしも高度ではありません。高校の時点、すなわち大学入試の出題範囲は狭く、微分方程式もなければ、関数電卓を使った高度な数値の操作も要求されません。
一部のエリート候補向けとされる「中学入試」では、xやyを使った方程式も禁止されるという馬鹿げた規制の元での「頭の体操」を強いられるという奇怪な現象すらあります。要するに形式的で、正確性ばかりを要求されるが、内容はちっとも高度ではないというバカバカしい教育が「受験地獄」として、意味のない労力の浪費を若者に強いており、しかもそれは社会に出たら「使えない」という無駄なことになっているわけです。その壮大な無駄の積み重ねが日本の競争力喪失の大きな理由の一つだと思います。
私は先日、日本に一時帰国した折に、東京の水道橋駅で大勢の女子高校生が電車に乗ってくるのに遭遇しました。制服と校章から、東京大学の多くの合格者を出している日本版の「プレップスクール」と分かりましたが、彼女らが電車の中で一心不乱になって見ているのが、「文科省検定済みの生物2の教科書」だったのです。私はそのことに愕然としました。
生物2を履修しているというのは、恐らくは理系志望で東京大学の理科科類に入学していく女性たちなのでしょうが、16歳から17歳の柔軟な頭脳の時期に、最先端の学術論文や、サイエンス誌、あるいは問題提起型の科学哲学や科学と社会の関係の専門書などではなく「生物2」の教科書を必死になって勉強している、それは定期試験のためなのでしょうが、そのレベルの低さ、そして何も言わずに暗記をしているという作業の低付加価値に愕然としたのです。そんなことをやっている場合ではない、多くのアジアや欧米の同年代の女性たちは、仮に基礎能力が優秀であれば、もっと高度なことをやっているのです。
日本の教育システムが時代遅れであり、しかも無駄だらけで「易しすぎる」ということ、そのことも今後の国際競争力維持においては問題視していかねばなりません。
・そんなわけで、「日本病」というのは、どうやら複合的な疾病のようです。日本のカルチャーが持っている特質は、中付加価値製品の設計と製造には適していたのかもしれませんが、高付価値型のビジネスのためには、むしろ弊害となっていると考えれば、そうした問題点の多くを日本特有の「病」であるとして、克服をしていくことは急務ではないでしょうか。
・いずれにしても、本稿は、年末年始の皆さまの議論の材料にしていただければと思って書いております。かなり荒削りな部分もあるのですが、それは「一人当たりGDP4万ドルのクラブ」から叩きだされ、英国にもフランスにも抜かれ、今は「3万ドルグループ」に留まることができるかの瀬戸際で、イタリアにも抜かれそうだということのショック、そして、日本国内の報道ではそんなに「ショックが感じられていない」ということへの二重のショックから、どうしても荒っぽくなってしまったのかもしれません。
・いずれにしても、この「診断」はあくまで「叩き台」として、具体的な改革へと考え方を練りあげて行きたいと思います。末筆とはなりますが、読者の皆さまにはどうぞ良い年をお迎えください。
1人当たり名目GDPのドルベースでの順位低下には、アベノミクスによる円の対ドルレートの下落も影響しているが、そうせざるを得なかった日本経済の構造的脆弱性については、冷泉彰彦氏の指摘の通りである。
日本語が「高コンテキスト」言語であるというのは初めて知った。これが『「メールで済む」話を「対面コミュニケーション」にしないと「いけない」という行動様式につながっています』というのは、さすが鋭い分析である。
「東京一極集中」についても、東京が「『対面型の非生産的なコミュニケーションを象徴する街」であり「地方に対して君臨し、欧米に対して拝跪するという巨大な田舎根性の街」』との指摘は、完全に同意できる。
「産業構造が高付加価値型になっていない」のなかで、「そのソニーを含めた日本のエレクトロニクス産業は死んだクジラが砂浜に打ち上げられたような状態だ」とのスティーブ・ジョブズの指摘もうなずける。また、『「コンピュータのソフトウェアの専門家」は、特殊な専門職種だということになり、社会的な尊敬と、必要な報酬を与えられなかったのです』、『そのことの深刻さを認識する能力も喪失していたのです』、『利用者の心理を見ながら、ネット上のサービスを拡大していく(SNSのような)ビジネスモデルは日本ではなかなか生まれませんでした』との指摘もその通りだろう。
ただ、「苦手でも金融をやるしかない」で、英国の金融立国の例を挙げているが、英国駐在した私の経験からは、英国には出来ても、日本での障害は極めて高く、余り期待できないと思われる。
「無駄だらけの教育システム」は完全に同意できる。
「日本病」については、様々な見方があり、特にコーポレート・ガバナンスの問題も無視できないと思われるが、この冷泉彰彦氏の「診断書」ほどの深い分析には出会ったことがない。目が醒めるような絶賛すべき内容であるといえよう。
度々引用している米国在住の作家、冷泉彰彦氏がメールマガジンJMMに12月26日付けで寄稿した「[JMM877Sa]「日本病への診断書」from911/USAレポート」を紹介しよう。やや長目だが、絶賛すべき内容なので、読んで頂きたい。
・人類の文明の実験場であり、また多様な社会が衝突と共存の歴史を作ってきた欧州では、それぞれの時代において「衰退に瀕した国家」が存在していました。そのような国家のことを、同時代のジャーナリズムや後世の史家は「欧州の病人」と呼んで批判をするのが通例となっています。古くは19世紀末から20世紀初頭のオスマントルコや、オーストリア帝国がそうであり、特に有名なのは1970年代の英国です。
・日本では、この英国については、「欧州の病人である英国」という表現を少し変えて、日本独特の形容として「英国病」という言い方がされていました。人類に先駆けて第一次産業革命を実現し、日の沈むことはないという大英帝国を創り上げた栄華は過去のものとなり、人材育成のミスマッチなどから競争力を喪失する一方で、組合主導の高コスト社会が動きが取れなくなっていたのでした。
・明治維新以来、その英国を複雑な思いと共に目標に戴いてきた日本としては、そのような英国の衰退は「英国に特有の問題があるからだ」という印象が強かったのでしょう。また、当時は飛ぶ鳥を落とすような経済成長を続け、二度の石油ショックも技術力などで乗り切っていた日本としては、英国への落胆と蔑視の感情も交じる微妙な言い方として「英国病」という表現は、どこかで納得がされたものです。
・その英国は、サッチャーによる痛みを伴う改革を経て高コスト体質を清算、そして90年代のグルーバリズムに乗る中で、現在は自他共に「欧州の病人」という形容は返上しています。その一方で、2015年の日本は、70年代の英国がそうであったように「病」に臥せりがちの経済に苦しんでいます。
・経済の国際比較の指標として、「一人あたりGDP」というのは全てを語るものではないかもしれません。ですが、「たかがGDP、されどGDP」ということで、この「一人あたり」を見てみると、時代の推移は歴然としています。
・例えば、日本政府(内閣府)は12月25日に、2014年の日本の1人当たり名目GDPが36200ドルであったと発表しています。これは、前年比6%減であり、OECDに加盟する34か国のうち上から20番目(前年は19位から1位ダウン)でした。これは、「統計が確認できる1970年以降」では最も低い順位だそうです。
・この政府発表には円ベースの数字もあり、こちらは前年度比1・7%増の385万3000円です。3万6千ドルを「1ドル=121円」で換算すると4万ドルを大きく超えるはずですが、生産額の元が円ベースのものと、ドルベースのものがある中での計算ですから、そう単純ではありません。
・一方でIMFが毎年出している統計では、2014年の日本の1人当たりGDPは、36221ドルで、この政府数字とほぼ一致しています。但し、IMFは187カ国中のランキングとして出しているために、日本は27位とランクを下げています。
・そのIMFのランキングの上位はベネルクスや北欧などの小規模国と産油国が占めていますが、大国の中でも米国(54370ドル、11位)、カナダ(50304ドル、15位)、ドイツ(47773ドル、17位)には大きく離されたばかりか、「英国病」とかつては見下していた英国(45729ドル、19位)にも、そして「長期バカンスを取る国」と生産性の低さを批判していた対象のフランス(44331ドル、20位)にも抜かれているのです。それどころか「幸福度だけ高いが経済はダメ」という印象で見ていたイタリア(35334ドル、28位)が僅差で迫ってきているのです。
・同じアジアの中では、かつては「アジアの4小龍」とか「NIES」などと勝手に命名していたシンガポールは56286ドル(9位)で日本の155%、香港も40032ドル(25位)で日本の110%となっています。
・更に言えば、「4万ドル以上」のクラブは香港(25位)までであり、日本の属する「3万ドル台」のグループに入っているのは、「イスラエル、日本、イタリア、スペイン」の4カ国で、そのすぐ下には韓国が迫っている、そんな構図になっています。
・かつて、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと賞賛と畏怖の対象となり、事実この一人当たりGDPでは米国を抜いて、人口2千万以上の大国の中では堂々のトップに君臨していた「経済大国」の面影はどこにもありません。
・これは自他共にある種の「病」であると認めなくてはならない事態です。1989年の「バブル崩壊」によって金融危機が引き起こされ、経済が大きく痛手を被ったということに直接の理由を求めることは、もはや何も説明していないのと同じです。この急速な衰退は、事故や怪我といった外的要因に基づくものではなく、内発的な「病気」であり、その診断が急がれると思うのです。
・その「日本の病気」つまり「日本病」とは何なのでしょうか? 少々長い前口上となりましたが、年末年始の議論の材料にしていただければ幸いです。
・(1)コミュニケーションと言語の特殊性 現在、世界のビジネスの現場におけるコミュニケーションは、英語が基本になっています。特に国境を超えるビジネスはそうですし、各地域のローカルのビジネスであっても上場をしている場合は株主や当局とのコミュニケーションは英語が中心です 契約書や紛争処理においても英語が中心です。 また、コンピュータの分野、機械工学、薬学、化学、といったテクノロジーに関するビジネス、そして金融というビジネスにおいても英語が標準語です。英語が母語でない、大陸ヨーロッパにおいても、英語を共通語として使用しています。アジアにおいても、ビジネスにおいて成功しているシンガポール、香港では英語がビジネスの重要なインフラになっています。 ですから、日本のビジネスの世界において「余り英語が通じない」というのは、それだけで大きなハンデとなります。
これに加えて、日本語には顕著な特殊性があります。それは、「高コンテキスト」言語であるということと、「上下関係を規定する敬語表現」に縛られているという問題です。 まず「高コンテキスト言語」というのは、どういうことかというと、言語に現れない「暗黙の共通理解、情報の共有」というのがコミュニケーションの前提になっている、そのような行動様式であるわけです。「空気」という言い方を良くしますが、とにかく言外の「共通認識」が確認できればその部分は言葉にしないし、言葉にしないことで認識の共有化が強く確認できる、そのようなコミュニケーション様式が日本語には濃厚です。 このことは「暗黙の了解があるか、ありそうなこと」は「基本的に言葉にしない」という態度として、日本語の表現を作っています。それは書き言葉でもそうですが、話し言葉でも顕著です。悪いことに、そのような「面と向かって、あるいは共通の場にいる」という物理的な対面を前提にして、「物理的に対面しているが言語化はしない」という経験が「最も濃厚なコミュニケーション」であり、それはエモーションの濃さという意味でも、ファクトの確認という意味でも、コマンドの有効性という意味でもそうなります。
これは多くの局面において「メールで済む」話を「対面コミュニケーション」にしないと「いけない」という行動様式につながっています。ですから、日本の会社は社内においては会議を好み、日本の会社の営業は「相手との個人的な信頼関係」を作るとして「訪問して対面のコミュニケーション」を極めて重視します。
その結果として、社内における意思決定や手続きの変更、社外を相手にした受注やサービスの提供ということが、ものすごい時間と手間を要することになります。少しでも例外であったり、重要であったりするケースは、言語をメールで届けるだけではダメで、対面コミュニケーションを行って、言外の領域でも相互に納得をしないと組織も人も動かないようにできているからです。
・(2)上下関係のヒエラルキー ここからは言語に加えて、組織論も重なっていきますが、もう一つ、日本語でのコミュニケーションの特質は、上下関係を規定する敬語という問題を伴っているということです。そのために、管理監督者は指揮命令の対象に対して、人格的に優位に立っていると錯覚して、横柄なコミュニケーションが許されていることがほとんどです。 そのために、様々な非効率が発生しています。
一つには、儀式的なヒエラルキーの確認に、個人の自尊心の満足感を刺激する形で、昇進昇格人事が行われているということです。管理監督というのは、未来の未経験の事態に対してチームのパフォーマンスを最大にして問題解決を行うためのリーダーシップであるべきですが、得てして「過去の功績の論功行賞としての昇格」が横行するために、不適格者、能力欠格者が管理監督の権限を与えられて、人格的に優位に立ったという錯覚を前提とした権力行使を行うことが多くあるわけです。そのために問題が解決できず、ビジネスチャンスが生かせないという膨大なロスが日本経済の足を引っ張っています。 これは組織における管理監督者の配置の問題であり、その背景にある「年功序列」とか「ゼネラリスト育成のための人事異動」などが問題の本質にはありますが、更にコミュニケーションにおけるヒエラルキー文化が重なることが問題を複雑にしていると言えます。
もう一つは、得てして現場が持っている「最先端の情報」「危機の発端となるマイナス情報」が決定権限のある人間に上がっていかないという問題。更には、問題が生じた際に、迅速に「対策の立案と実施」に進む前に「責任者の謝罪という儀式」に時間を取られるという問題があります。 個々のコミュニケーションの局面だけでなく、産業間や、一つの産業内の機能と機能の間にも暗黙のヒエラルキーが存在しています。親会社と子会社、グループの中核企業と新興企業、伝統と格式のある会社の信用、ベンチャーにおける資金調達の困難など、意味のないヒエラルキーが多く存在することで、様々な非効率が発生しています。
・(3)東京一極集中は何故ダメなのか? こうした問題を象徴しているのが「東京一極集中」です。東京への一極集中がどうしていけないのかというと、地方が衰退するとか、東京の住環境が悪化する、あるいは災害時にバックアップが無いという問題が指摘されます。ですが、そうした表面的な問題以上に、もっと本質的な問題、つまり「東京という街の抱えた病=東京病」というものが指摘できるように思います。
それは、一つにはここまで議論したような「高コンテキストで非効率な対面型コミュニケーション」の束縛ということがあります。多くの機能が東京に集まっているのは、このためであり、そうした「対面型」を要求すればするほど、ビジネスの手順は非効率になって行く、東京というのはそのような街であるのです。
もう一つは、東京は「ヒエラルキー文化にまみれた街」だということです。そこには東京が威張っているとか、中央政府が地方を見下しているという問題もありますが、もっと罪深いのは「東京というのは明治以来の欧米への劣等意識にまみれた街」だということです。
そこで起きるのは、「地方<東京<欧米」という歪んだヒエラルキー意識であり、また、地方が海外の知見なり市場なりと結びつくには、「一旦東京を経由しなくてはならない」という非効率を産んでいるとも言えます。この2つの問題、つまり「対面型の非生産的なコミュニケーションを象徴する街」であり「地方に対して君臨し、欧米に対して拝跪するという巨大な田舎根性の街」というところ、そこに東京一極集中の最大の問題があるように思います。
この年の瀬に至って、問題となっている東芝、キリンの経営こそ、その典型例であると言えます。東芝は、米国の原発事業を買収した後の経営に難渋し、しかも問題の本質に直面することから逃げて不正な方法で会社の体面を取り繕うとしたことから更に大きなトラブルへと陥っています。キリンも、ブラジルで買収した事業の経営悪化をグループ全体の問題として正視するのが数期遅れたことが問題を深刻にしていますが、いずれも「東京経由の国際化」の底の浅さを示す良い例だと思います。
・(4)産業構造が高付加価値型になっていない 長い間、日本は自他共に認める先進国だと思ってきました。ですが、一人当たりGDPの「4万ドルクラブ」から脱落した現在、その地位はかなり怪しくなっています。それは、ここまで議論したような文化的な効率の悪さということもありますが、それ以前の問題として、現代の先進国に必要な「高付加価値産業」へのシフトができていないというのが、最大の問題です。
例えば輸送用機器では、船舶から自動車・鉄道車両といった段階では、今でも競争力がありますが、付加価値という点で更に一段上の「宇宙航空」に関する技術力では、どう考えても最先端に届いていません。 また、製薬の分野では最先端に必死になって「しがみついて」いるものの、欧米との格差は大きなものがあります。
最大の問題はエレクトロニクスとコンピュータ関連の技術の分野です。この領域では、ハードからソフトへという大きな潮流に、日本は全く乗ることができませんでした。亡くなったスティーブ・ジョブズは、いつも「自分はソニー製のビデオカメラを偏愛していた」としながらも「そのソニーを含めた日本のエレクトロニクス産業は死んだクジラが砂浜に打ち上げられたような状態だ」という厳しい指摘もしていました。
原因はハッキリしています。コンピュータ科学の分野は「余りにも高い専門性が要求される」ので、日本の大企業の中枢を担う「幹部候補のキャリアパス」にはならなかったのです。そのために。優秀な若者がそこに集まることはなく、気がついた時点では深刻なまでの遅れを取っており、しかもそのことの深刻さを認識する能力も喪失していたのです。
今から考えれば、2000年代前半の「デジタル三種の神器」というのは、まるで日本のエレクトロニクス産業、「コンピュータのソフトウェアの専門家」は、特殊な専門職種だということになり、社会的な尊敬と、必要な報酬を与えられなかったので「破滅の前の幻」であったと言えます。今は、スマホの高度化によってデジカメというカテゴリは危機に瀕していますが、そのことよりも、デジカメというデバイスを販売するというビジネスモデルよりも、デジタル写真を道具としてネット環境上に巨大なコミュニケーションのプラットフォームを築くというSNSというビジネスモデルが巨大な産業になって行ったということです。
そのような利用者の心理を見ながら、ネット上のサービスを拡大していくビジネスモデルは日本ではなかなか生まれませんでした。そして気がついた時には、薄型ディスプレイも、デジタルカメラもコモディティ化するか消滅の危機に瀕しています。また、BDストレージに至っては、世界市場でのニーズもそれほど出ませんでした。
・(5)苦手でも金融をやるしかない 日本人は金融が苦手だとよく言われます。例えば、「リスクを取らないというリスク」という概念を理解しないとか、「ハイ・リスクからロー・リスクの各種の商品を組み合わせたポートフォリオ」の概念が分からないということがよく言われます。売却益や配当収入を「不労所得」だとして蔑視するカルチャーもあります。
ですが、自分が得意だと思っていた「モノづくり」がもはや大きなカネを産まなくなって来ている21世紀の現在、これだけの高度な教育を受けた人口を抱えた国としては、金融を産業として育てていくことは必要と思います。それ以前の問題として、多くの産業化プロジェクトが「石油ショック以来の資金不足」で潰れていったことを考えると、金融の技術力の底上げを図る中で、世界からカネを集めてくることは、今後の産業構想転換のためにも必要と思われます。
それこそ「英国病」に瀕していた英国は、金融に関する大胆な規制緩和を行いました。それは、一旦はロンドンがウォール街の軍門に降るということを意味しましたが、時間とともにノウハウと人材が定着する中で、今では、潰れたリーマンの優良部分をバークレイが買うなど、米系に伍した戦いができるようになっています。そして、英国は日本よりはるか上位の「一人当たりGDP」を謳歌する中で、その相当な部分を金融業とその派生で補っているのです。
・(6)無駄だらけの教育システム もしかしたら、「日本病」の最大の問題は教育かもしれません。とにかく、中学なら中学、高校なら高校の教育内容について「その内容それ自体が若者の知性を鍛え、知識として蓄積される」ようになっていないのです。中等教育というものは、それ自体の意味もなければ、高等教育への接続にもなっていない、そうではなくて、高等教育機関である大学には「入学試験」というものがあって、その試験に合格することが下位の学校の唯一のテーマとなっているのです。
そこで高校でその受験勉強を教えてくれれば良いのですが、多くの、特に都市部の高校では十分な指導ができないので、塾や受験産業が必要とされるという奇怪な状況となっています。つまり中等教育までの段階では、「教わったことはそれ自体に意味はなく、次の段階の学校の入試に受かるかどうかという一点のみの関心と利害が学習の目的と動機」になっていて、しかもその目標達成には「学校以外の塾に行かねばならない」という非効率になっているのです。
更に大学での履修内容も、理系を除いては「企業や官庁で必要とされているスキルや知識」とは異なっており、就職後に「学び直し」を強制されるのです。その一方で、大学以下の学習内容は必ずしも高度ではありません。高校の時点、すなわち大学入試の出題範囲は狭く、微分方程式もなければ、関数電卓を使った高度な数値の操作も要求されません。
一部のエリート候補向けとされる「中学入試」では、xやyを使った方程式も禁止されるという馬鹿げた規制の元での「頭の体操」を強いられるという奇怪な現象すらあります。要するに形式的で、正確性ばかりを要求されるが、内容はちっとも高度ではないというバカバカしい教育が「受験地獄」として、意味のない労力の浪費を若者に強いており、しかもそれは社会に出たら「使えない」という無駄なことになっているわけです。その壮大な無駄の積み重ねが日本の競争力喪失の大きな理由の一つだと思います。
私は先日、日本に一時帰国した折に、東京の水道橋駅で大勢の女子高校生が電車に乗ってくるのに遭遇しました。制服と校章から、東京大学の多くの合格者を出している日本版の「プレップスクール」と分かりましたが、彼女らが電車の中で一心不乱になって見ているのが、「文科省検定済みの生物2の教科書」だったのです。私はそのことに愕然としました。
生物2を履修しているというのは、恐らくは理系志望で東京大学の理科科類に入学していく女性たちなのでしょうが、16歳から17歳の柔軟な頭脳の時期に、最先端の学術論文や、サイエンス誌、あるいは問題提起型の科学哲学や科学と社会の関係の専門書などではなく「生物2」の教科書を必死になって勉強している、それは定期試験のためなのでしょうが、そのレベルの低さ、そして何も言わずに暗記をしているという作業の低付加価値に愕然としたのです。そんなことをやっている場合ではない、多くのアジアや欧米の同年代の女性たちは、仮に基礎能力が優秀であれば、もっと高度なことをやっているのです。
日本の教育システムが時代遅れであり、しかも無駄だらけで「易しすぎる」ということ、そのことも今後の国際競争力維持においては問題視していかねばなりません。
・そんなわけで、「日本病」というのは、どうやら複合的な疾病のようです。日本のカルチャーが持っている特質は、中付加価値製品の設計と製造には適していたのかもしれませんが、高付価値型のビジネスのためには、むしろ弊害となっていると考えれば、そうした問題点の多くを日本特有の「病」であるとして、克服をしていくことは急務ではないでしょうか。
・いずれにしても、本稿は、年末年始の皆さまの議論の材料にしていただければと思って書いております。かなり荒削りな部分もあるのですが、それは「一人当たりGDP4万ドルのクラブ」から叩きだされ、英国にもフランスにも抜かれ、今は「3万ドルグループ」に留まることができるかの瀬戸際で、イタリアにも抜かれそうだということのショック、そして、日本国内の報道ではそんなに「ショックが感じられていない」ということへの二重のショックから、どうしても荒っぽくなってしまったのかもしれません。
・いずれにしても、この「診断」はあくまで「叩き台」として、具体的な改革へと考え方を練りあげて行きたいと思います。末筆とはなりますが、読者の皆さまにはどうぞ良い年をお迎えください。
1人当たり名目GDPのドルベースでの順位低下には、アベノミクスによる円の対ドルレートの下落も影響しているが、そうせざるを得なかった日本経済の構造的脆弱性については、冷泉彰彦氏の指摘の通りである。
日本語が「高コンテキスト」言語であるというのは初めて知った。これが『「メールで済む」話を「対面コミュニケーション」にしないと「いけない」という行動様式につながっています』というのは、さすが鋭い分析である。
「東京一極集中」についても、東京が「『対面型の非生産的なコミュニケーションを象徴する街」であり「地方に対して君臨し、欧米に対して拝跪するという巨大な田舎根性の街」』との指摘は、完全に同意できる。
「産業構造が高付加価値型になっていない」のなかで、「そのソニーを含めた日本のエレクトロニクス産業は死んだクジラが砂浜に打ち上げられたような状態だ」とのスティーブ・ジョブズの指摘もうなずける。また、『「コンピュータのソフトウェアの専門家」は、特殊な専門職種だということになり、社会的な尊敬と、必要な報酬を与えられなかったのです』、『そのことの深刻さを認識する能力も喪失していたのです』、『利用者の心理を見ながら、ネット上のサービスを拡大していく(SNSのような)ビジネスモデルは日本ではなかなか生まれませんでした』との指摘もその通りだろう。
ただ、「苦手でも金融をやるしかない」で、英国の金融立国の例を挙げているが、英国駐在した私の経験からは、英国には出来ても、日本での障害は極めて高く、余り期待できないと思われる。
「無駄だらけの教育システム」は完全に同意できる。
「日本病」については、様々な見方があり、特にコーポレート・ガバナンスの問題も無視できないと思われるが、この冷泉彰彦氏の「診断書」ほどの深い分析には出会ったことがない。目が醒めるような絶賛すべき内容であるといえよう。
タグ:冷泉彰彦 日本病への診断書 [JMM877Sa]「日本病への診断書」from911/USAレポート 欧州 衰退に瀕した国家 欧州の病人 1970年代の英国 英国病 現在は自他共に「欧州の病人」という形容は返上 日本 「病」に臥せりがちの経済に苦しんでいます 一人あたりGDP 2014年の日本の1人当たり名目GDP OECDに加盟する34か国のうち上から20番目 IMFは187カ国中のランキングとして出しているために、日本は27位 日本の属する「3万ドル台」のグループ イスラエル、日本、イタリア、スペイン ジャパン・アズ・ナンバーワン 「経済大国」の面影はどこにもありません 内発的な「病気」であり、その診断が急がれる コミュニケーションと言語の特殊性 英語が通じない」というのは、それだけで大きなハンデ 「高コンテキスト」言語であるということと、「上下関係を規定する敬語表現」に縛られている 暗黙の共通理解、情報の共有 空気 「メールで済む」話を「対面コミュニケーション」にしないと「いけない」という行動様式につながっています 少しでも例外であったり、重要であったりするケースは、言語をメールで届けるだけではダメで、対面コミュニケーションを行って、言外の領域でも相互に納得をしないと組織も人も動かないようにできている 上下関係のヒエラルキー 現場が持っている「最先端の情報」「危機の発端となるマイナス情報」が決定権限のある人間に上がっていかないという問題 東京一極集中 「高コンテキストで非効率な対面型コミュニケーション」の束縛 東京は「ヒエラルキー文化にまみれた街」 「地方<東京<欧米」という歪んだヒエラルキー意識 「一旦東京を経由しなくてはならない」という非効率 「地方に対して君臨し、欧米に対して拝跪するという巨大な田舎根性の街」 東芝、キリンの経営こそ、その典型例 産業構造が高付加価値型になっていない エレクトロニクスとコンピュータ関連の技術の分野 スティーブ・ジョブズ 「そのソニーを含めた日本のエレクトロニクス産業は死んだクジラが砂浜に打ち上げられたような状態だ」 ソフトウェアの専門家 特殊な専門職種だということになり、社会的な尊敬と、必要な報酬を与えられなかった 利用者の心理を見ながら、ネット上のサービスを拡大していくビジネスモデルは日本ではなかなか生まれませんでした 苦手でも金融をやるしかない 無駄だらけの教育システム
村上ファンドへの強制調査 [経済]
今日は村上ファンドへの強制調査を取上げたい。
先ずは、11月27日付け闇株新聞「村上世彰氏らを相場操縦の疑いで強制調査!? その2」を紹介しよう。
・昨日付け「同題記事」の続報ですが、さすがに一夜明けるともう少し正確な情報が(リークされたのか)伝わってきました。 まず株価操作の疑いをかけられた銘柄は、東証1部上場のTSIホールディングスであり(コード・3608)、村上氏らは2014年6~7月にかけて同社株を貸株で調達して売却をしていたそうです。TSIホールディングスとは2011年にサンエー・インターナショナルと東京スタイルが経営統合した会社です
・報道によると「今までにない新しい手口」と書かれていますが、ヘッジファンドなど外国人投資家の間では日常茶飯事に行われている取引です。またこれらヘッジファンドなど外国人投資家に対して証券取引等監視委員会が処分に関与した事例は、過去に1件しかありません
・その1件とは、倒産前の日本航空(JAL)が2006年7月に強行した7億株の公募増資について、その値決め当日の大引け直前に大量の売り注文を出した香港のオアシス・マネジメントと代表のセス・フィッシャー氏に対し、2011年9月に香港証券先物委員会(日本の証券取引等監視委員会ではありません)がそれぞれ750万香港ドル(当時の為替で7500万円)の制裁金を課した事例のことです
・まあ日本の証券取引等監視委員会は、香港証券先物委員会に情報提供して課徴金を取るお手伝いをしただけだったのですが(だから「処分に関与した事例」としてあります)、それほど海外投資家にとっては「一般的」な取引手法でありながら、証券取引等監視委員会が今まで問題にしたことがほとんどなかった取引となります。2011年9月19日付け「証券取引等監視委員会による香港の資産運用会社の処分」に書いてあります
・それをわざわざ今回は「今までにない新しい手口」として、証券取引等監視委員会が村上氏らを相場操縦の疑いで強制調査したことになります
・さらに報道では「意図的に株価を下落させた」とも書かれていますが、当のTSIホールディングスの株価は村上氏らが同社株を「大量に」売却したとされる2014年6月初めの688円から7月終わりには762円まで上昇していました。 途中の値動きをもっと詳しく見ても「意図的に株価を下落させた」ようには見えませんが、そこは「株価を意図的に下落させる意図があった」とでも強引に立件してしまうのでしょうね
・昨日も書いたように金融商品取引法はどんどん拡大解釈され、誰でもいつでも逮捕できる(まだ村上氏らは逮捕されているわけではありませんが)「万能の武器」に仕立て上げられていくことになります
・まあ強制調査で資料をごっそりと押収したはずなので、もう少しくらいは「無理筋でない」容疑があとから出てくるかもしれませんが、そうは言っても「何でそこまでして」村上氏らを強制調査したのか?との疑問が残ります
・村上氏らの「物言う株主」としての投資行動は、同じくアクティビストとして日本では評価さえされているダニエル・ローブ氏などの投資行動とともに、本誌は全く容認していません。どんな綺麗ごとを並べてみても、所詮は会社資産をかすめ取ることと持ち株の高値売却以外の目的などあり得ないからです
・ところが最近の当局によるコンプライアンス重視の指導方針には、できるだけたくさん株主還元するとか社外取締役を多数選任するとか、まさに村上氏らが最近の黒田電気臨時株主総会で要求した内容そのものになってしまいます
・くどいようですが本誌は絶対に容認していませんが、最近の(その昔も同じでしたが)村上氏らは当局によるコンプライアンス重視の指導方針に沿って行動していたことになり、少なくとも当局とすれば村上氏らを「無理筋ででも強制調査してしまう」対象ではなかったはずです
・巷間では「村上氏は最近、日本郵政を貸株で調達して売却していたため当局の逆鱗に触れた」とも囁かれています。もちろん単なる噂話ですが、そうでもない限りは到底理解できない強制調査ということになります
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1591.html
次に、同じ闇株新聞が11月30日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「村上世彰氏を相場操縦の疑いで「強制調査」!? これでいいのか金融商品取引法の拡大解釈」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽強制「捜」査でなく強制「調」査なのはなぜ!?
・25日午後遅く、テレビ局等報道機関が一斉に報じた「第一報」は、さっぱり要領を得ません。調査の詳細やその背後に隠れている意図(必ずあります)はおいおいわかってくるはずです
・報道が出始めた時間から考えると、本日早朝から取り掛かっていたであろう強制調査が終了する頃になって初めて、証券取引等監視員会が各報道機関に発表した(あるいはそっと囁いた)ようで、こういう事例につきものの事前リークはなかったようです
・各報道機関も突然に発表された(あるいは囁かれた)ものの基本的に意味がよく理解できず、各社揃ってさっぱり要領を得ない報道になっています。「強制調査」は証券取引等監視委員会の特別調査課の権限です。もし、こういう事例でありがちな東京地検特捜部とのタッグであれば「強制捜査」となります。つまり、今回は東京地検特捜部は乗り出していないことがわかります
▽この件では東京地検特捜部が動いていない
・東京地検特捜部が出てくると事前に各報道機関にリークするため、捜査員が強制捜査に入るところには必ずテレビカメラが待ち構えており、その映像がテレビニュースで繰り返し放送されます
・また、彼らは事前にもう少し丁寧な説明をしますから、各報道機関の解説も当局の意向が入った(本件なら村上氏らが極悪犯罪人であるような)ものになるはずです
・今回はそうではありません。NHKの19時のニュースでも調査員が資料を押収して引き上げるところ(のようです)が辛うじてカメラに収められていましたが、やはりニュースの解説がさっぱり要領を得ず、事前に何も知らされていなかったと感じます
・これは証券取引等監視委員会の特別調査課が、東京地検特捜部を出し抜いて「独自」で動いた可能性があるような気がしますが、これ以上の推測は控えます
▽特別調査課が出てきたからには刑事事件で有罪か
・証券取引等監視委員会はどの部署も調査権限があるはずなのに、何で出てきたところが「特別調査課」だったかというと、今回の強制調査が刑事事件化を目的としているからです。 どこもそのように報道していませんが、令状を携えて強制調査する権限があるのは特別調査課だけです。同じような相場操縦を調査する「取引調査課」や粉飾決算などを調査する「開示調査課」には令状が交付されず、あくまでも任意調査しかできません
・令状を携えて強制的に何でもかんでもひっくり返していくのが「特別調査課」で、強制調査権や令状がなくても「あるような顔をして」何でもかんでもひっくり返していくのが「取引調査課」や「開示検査課」です
▽株式は”ある程度まとめて”売買すると犯罪になる!?
・ところで肝心の村上世彰らにかけられた相場操縦容疑ですが、報道では「複数の銘柄の株式を市場で大量に売るなどして株価を意図的に下げた疑い」があるのだとされています。つい先日、加藤暠氏が新日本理化の「すっ天井」を買ってしまったことで相場操縦容疑で逮捕されたばかりです
・報道が正しいとすれば、今回は村上世彰氏が持ち株を(借株かもしれませんが)市場で大量に売って相場が下がってしまったので相場操縦容疑がかけられたことになります。 ということは、株式は「ある程度まとめて」買っても売っても犯罪になることになります
▽もの言う株主の行動は当局の姿勢とも矛盾はしないが…
・本紙は、村上氏らの「もの言う株主」としての行動には全く賛同していませんが、最近の当局のコンプライアンス重視の姿勢には「株主への配分を増やすように」指導しているようでもあり、村上氏らの行動とは矛盾していないことになってしまいます
・それでは相場操縦だったら「問題あり」なのか?ですが、村上氏らの投資行動は容認できないとしても、この相場操縦が報道されている通りなら「えっ!?」と言いたくなる容疑です。 金融商品取引法が当局によってどんどん拡大解釈され、誰でもいつでも逮捕できる「万能の武器」に仕立て上げられていく状況に恐怖を感じます
・本紙はこれからも当事件の闇に深く切り込み、既存の報道機関とは異なる目線・異なる角度から真実に迫ってまいります。この連載でお読みいただけるのは闇の入り口までですが、もっと奥深くまでのぞいてみたいという方は、ぜひ金融メルマガ「闇株新聞プレミアム」においでください
http://diamond.jp/articles/-/82286
第三に、11月27日付け日刊ゲンダイ「本当の狙いは東芝隠し? 村上世彰氏「強制調査」に流れる憶測」を紹介しよう。
・旧村上ファンドを率いた村上世彰元代表(56)が証券取引等監視委員会(SESC)から相場操縦の疑いで強制調査された。 「突然のコトで驚きました。最後の相場師として知られた加藤暠氏も金融商品取引法違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕されたばかりです。なぜ、この時期に取り締まりを強化するのか。兜町は首をかしげています」(市場関係者)
・水面下では奇妙な臆測が流れる。「不正会計問題が長引いている東芝から目をそらさせる作戦じゃないかと言われています。ここへきて東芝子会社である米ウェスチングハウスの巨額損失処理の未公表が明らかになり、東芝やSESCへの批判が一段と高まっています。だから東芝を救済したい政府筋を含め、相場操縦という悪行に批判の矛先を持っていきたかったのではないか」(証券アナリスト)
・村上氏は“新たな手口”による株価操作を行ったと伝えられている。ところが、これまでのところ“新たな手口”がサッパリ見えてこないから不思議だ。「旧来型の手口では、メディアに与えるインパクトに欠けると当局が判断した可能性はあるでしょう」(前出の市場関係者)
・株式アナリストの黒岩泰氏はこう言う。 「今回問題になっているのは、アパレル大手『TSIホールディングス』に絡む株価操作です。売り手と買い手をあらかじめ決め、売買を繰り返す手口です。そうすることで株価は動かなくとも出来高は膨らみます。投資家は出来高急増の裏に何か材料があると判断し、その銘柄に乗っかる可能性がある。これは『馴合売買』と呼ばれ、金融商品取引法で禁止されている手法です。でも、新しい手口ではありません」
・「終値関与」という相場操縦も指摘されている。特定の銘柄に対し、市場が閉じる直前に大量の売り注文を出し、株価を急落させて一日の取引を終了させる手口だ。その銘柄を保有する投資家は、「なぜ取引時間の最後になって急速に値を下げたのか」と不安になり、時間外取引を利用し、保有株を終値よりも安値で手放す。そこを拾うのが、取引時間中に株価を急落させた投資グループというわけだ
・「空売りを仕掛ければ、儲けることができます。しかも安値で大量の株を買い集めることもできる。モノ言う株主には一石二鳥の手口かもしれません。ただし、古い手口です」(中堅証券のアナリスト)
・村上親子の強制調査が本当に“新しい手口”による相場操縦だとすれば、思いもよらない真実が、今後飛び出すことになるが……。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/170550/1
村上ファンドについては、2006年にライブドアとニッポン放送株を取得する際にインサイダー取引があったとして、代表の村上世彰氏が逮捕・起訴され有罪判決を受けた。今年になって、8月22日付け日経新聞が「帰ってきた「物言う株主」 村上氏提案を黒田電気が否決 企業統治元年 対話力の重み増す」と報じたように、久方ぶりに株式市場に戻ってきた。ところが、早々の強制調査となった。ただ、闇株新聞が指摘するように、真の嫌疑が何なのかは今ひとつ明らかではない。村上氏にしても、愛娘まで巻き込んで事件化させる気はなかったのではなかろうか。そう考えると、「日本郵政を貸株で調達して売却していたため当局の逆鱗に触れた」、或いは、日刊ゲンダイの「本当の狙いは東芝隠し? 」といった見方もあながち的外れとも思えない。しばらくは、「強制調査」の行方を注目したい。
村上ファンド事件については下記のWikipediaを参照のこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6
明日、金曜日は更新を休むので、土曜日にご期待を。
先ずは、11月27日付け闇株新聞「村上世彰氏らを相場操縦の疑いで強制調査!? その2」を紹介しよう。
・昨日付け「同題記事」の続報ですが、さすがに一夜明けるともう少し正確な情報が(リークされたのか)伝わってきました。 まず株価操作の疑いをかけられた銘柄は、東証1部上場のTSIホールディングスであり(コード・3608)、村上氏らは2014年6~7月にかけて同社株を貸株で調達して売却をしていたそうです。TSIホールディングスとは2011年にサンエー・インターナショナルと東京スタイルが経営統合した会社です
・報道によると「今までにない新しい手口」と書かれていますが、ヘッジファンドなど外国人投資家の間では日常茶飯事に行われている取引です。またこれらヘッジファンドなど外国人投資家に対して証券取引等監視委員会が処分に関与した事例は、過去に1件しかありません
・その1件とは、倒産前の日本航空(JAL)が2006年7月に強行した7億株の公募増資について、その値決め当日の大引け直前に大量の売り注文を出した香港のオアシス・マネジメントと代表のセス・フィッシャー氏に対し、2011年9月に香港証券先物委員会(日本の証券取引等監視委員会ではありません)がそれぞれ750万香港ドル(当時の為替で7500万円)の制裁金を課した事例のことです
・まあ日本の証券取引等監視委員会は、香港証券先物委員会に情報提供して課徴金を取るお手伝いをしただけだったのですが(だから「処分に関与した事例」としてあります)、それほど海外投資家にとっては「一般的」な取引手法でありながら、証券取引等監視委員会が今まで問題にしたことがほとんどなかった取引となります。2011年9月19日付け「証券取引等監視委員会による香港の資産運用会社の処分」に書いてあります
・それをわざわざ今回は「今までにない新しい手口」として、証券取引等監視委員会が村上氏らを相場操縦の疑いで強制調査したことになります
・さらに報道では「意図的に株価を下落させた」とも書かれていますが、当のTSIホールディングスの株価は村上氏らが同社株を「大量に」売却したとされる2014年6月初めの688円から7月終わりには762円まで上昇していました。 途中の値動きをもっと詳しく見ても「意図的に株価を下落させた」ようには見えませんが、そこは「株価を意図的に下落させる意図があった」とでも強引に立件してしまうのでしょうね
・昨日も書いたように金融商品取引法はどんどん拡大解釈され、誰でもいつでも逮捕できる(まだ村上氏らは逮捕されているわけではありませんが)「万能の武器」に仕立て上げられていくことになります
・まあ強制調査で資料をごっそりと押収したはずなので、もう少しくらいは「無理筋でない」容疑があとから出てくるかもしれませんが、そうは言っても「何でそこまでして」村上氏らを強制調査したのか?との疑問が残ります
・村上氏らの「物言う株主」としての投資行動は、同じくアクティビストとして日本では評価さえされているダニエル・ローブ氏などの投資行動とともに、本誌は全く容認していません。どんな綺麗ごとを並べてみても、所詮は会社資産をかすめ取ることと持ち株の高値売却以外の目的などあり得ないからです
・ところが最近の当局によるコンプライアンス重視の指導方針には、できるだけたくさん株主還元するとか社外取締役を多数選任するとか、まさに村上氏らが最近の黒田電気臨時株主総会で要求した内容そのものになってしまいます
・くどいようですが本誌は絶対に容認していませんが、最近の(その昔も同じでしたが)村上氏らは当局によるコンプライアンス重視の指導方針に沿って行動していたことになり、少なくとも当局とすれば村上氏らを「無理筋ででも強制調査してしまう」対象ではなかったはずです
・巷間では「村上氏は最近、日本郵政を貸株で調達して売却していたため当局の逆鱗に触れた」とも囁かれています。もちろん単なる噂話ですが、そうでもない限りは到底理解できない強制調査ということになります
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1591.html
次に、同じ闇株新聞が11月30日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「村上世彰氏を相場操縦の疑いで「強制調査」!? これでいいのか金融商品取引法の拡大解釈」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽強制「捜」査でなく強制「調」査なのはなぜ!?
・25日午後遅く、テレビ局等報道機関が一斉に報じた「第一報」は、さっぱり要領を得ません。調査の詳細やその背後に隠れている意図(必ずあります)はおいおいわかってくるはずです
・報道が出始めた時間から考えると、本日早朝から取り掛かっていたであろう強制調査が終了する頃になって初めて、証券取引等監視員会が各報道機関に発表した(あるいはそっと囁いた)ようで、こういう事例につきものの事前リークはなかったようです
・各報道機関も突然に発表された(あるいは囁かれた)ものの基本的に意味がよく理解できず、各社揃ってさっぱり要領を得ない報道になっています。「強制調査」は証券取引等監視委員会の特別調査課の権限です。もし、こういう事例でありがちな東京地検特捜部とのタッグであれば「強制捜査」となります。つまり、今回は東京地検特捜部は乗り出していないことがわかります
▽この件では東京地検特捜部が動いていない
・東京地検特捜部が出てくると事前に各報道機関にリークするため、捜査員が強制捜査に入るところには必ずテレビカメラが待ち構えており、その映像がテレビニュースで繰り返し放送されます
・また、彼らは事前にもう少し丁寧な説明をしますから、各報道機関の解説も当局の意向が入った(本件なら村上氏らが極悪犯罪人であるような)ものになるはずです
・今回はそうではありません。NHKの19時のニュースでも調査員が資料を押収して引き上げるところ(のようです)が辛うじてカメラに収められていましたが、やはりニュースの解説がさっぱり要領を得ず、事前に何も知らされていなかったと感じます
・これは証券取引等監視委員会の特別調査課が、東京地検特捜部を出し抜いて「独自」で動いた可能性があるような気がしますが、これ以上の推測は控えます
▽特別調査課が出てきたからには刑事事件で有罪か
・証券取引等監視委員会はどの部署も調査権限があるはずなのに、何で出てきたところが「特別調査課」だったかというと、今回の強制調査が刑事事件化を目的としているからです。 どこもそのように報道していませんが、令状を携えて強制調査する権限があるのは特別調査課だけです。同じような相場操縦を調査する「取引調査課」や粉飾決算などを調査する「開示調査課」には令状が交付されず、あくまでも任意調査しかできません
・令状を携えて強制的に何でもかんでもひっくり返していくのが「特別調査課」で、強制調査権や令状がなくても「あるような顔をして」何でもかんでもひっくり返していくのが「取引調査課」や「開示検査課」です
▽株式は”ある程度まとめて”売買すると犯罪になる!?
・ところで肝心の村上世彰らにかけられた相場操縦容疑ですが、報道では「複数の銘柄の株式を市場で大量に売るなどして株価を意図的に下げた疑い」があるのだとされています。つい先日、加藤暠氏が新日本理化の「すっ天井」を買ってしまったことで相場操縦容疑で逮捕されたばかりです
・報道が正しいとすれば、今回は村上世彰氏が持ち株を(借株かもしれませんが)市場で大量に売って相場が下がってしまったので相場操縦容疑がかけられたことになります。 ということは、株式は「ある程度まとめて」買っても売っても犯罪になることになります
▽もの言う株主の行動は当局の姿勢とも矛盾はしないが…
・本紙は、村上氏らの「もの言う株主」としての行動には全く賛同していませんが、最近の当局のコンプライアンス重視の姿勢には「株主への配分を増やすように」指導しているようでもあり、村上氏らの行動とは矛盾していないことになってしまいます
・それでは相場操縦だったら「問題あり」なのか?ですが、村上氏らの投資行動は容認できないとしても、この相場操縦が報道されている通りなら「えっ!?」と言いたくなる容疑です。 金融商品取引法が当局によってどんどん拡大解釈され、誰でもいつでも逮捕できる「万能の武器」に仕立て上げられていく状況に恐怖を感じます
・本紙はこれからも当事件の闇に深く切り込み、既存の報道機関とは異なる目線・異なる角度から真実に迫ってまいります。この連載でお読みいただけるのは闇の入り口までですが、もっと奥深くまでのぞいてみたいという方は、ぜひ金融メルマガ「闇株新聞プレミアム」においでください
http://diamond.jp/articles/-/82286
第三に、11月27日付け日刊ゲンダイ「本当の狙いは東芝隠し? 村上世彰氏「強制調査」に流れる憶測」を紹介しよう。
・旧村上ファンドを率いた村上世彰元代表(56)が証券取引等監視委員会(SESC)から相場操縦の疑いで強制調査された。 「突然のコトで驚きました。最後の相場師として知られた加藤暠氏も金融商品取引法違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕されたばかりです。なぜ、この時期に取り締まりを強化するのか。兜町は首をかしげています」(市場関係者)
・水面下では奇妙な臆測が流れる。「不正会計問題が長引いている東芝から目をそらさせる作戦じゃないかと言われています。ここへきて東芝子会社である米ウェスチングハウスの巨額損失処理の未公表が明らかになり、東芝やSESCへの批判が一段と高まっています。だから東芝を救済したい政府筋を含め、相場操縦という悪行に批判の矛先を持っていきたかったのではないか」(証券アナリスト)
・村上氏は“新たな手口”による株価操作を行ったと伝えられている。ところが、これまでのところ“新たな手口”がサッパリ見えてこないから不思議だ。「旧来型の手口では、メディアに与えるインパクトに欠けると当局が判断した可能性はあるでしょう」(前出の市場関係者)
・株式アナリストの黒岩泰氏はこう言う。 「今回問題になっているのは、アパレル大手『TSIホールディングス』に絡む株価操作です。売り手と買い手をあらかじめ決め、売買を繰り返す手口です。そうすることで株価は動かなくとも出来高は膨らみます。投資家は出来高急増の裏に何か材料があると判断し、その銘柄に乗っかる可能性がある。これは『馴合売買』と呼ばれ、金融商品取引法で禁止されている手法です。でも、新しい手口ではありません」
・「終値関与」という相場操縦も指摘されている。特定の銘柄に対し、市場が閉じる直前に大量の売り注文を出し、株価を急落させて一日の取引を終了させる手口だ。その銘柄を保有する投資家は、「なぜ取引時間の最後になって急速に値を下げたのか」と不安になり、時間外取引を利用し、保有株を終値よりも安値で手放す。そこを拾うのが、取引時間中に株価を急落させた投資グループというわけだ
・「空売りを仕掛ければ、儲けることができます。しかも安値で大量の株を買い集めることもできる。モノ言う株主には一石二鳥の手口かもしれません。ただし、古い手口です」(中堅証券のアナリスト)
・村上親子の強制調査が本当に“新しい手口”による相場操縦だとすれば、思いもよらない真実が、今後飛び出すことになるが……。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/170550/1
村上ファンドについては、2006年にライブドアとニッポン放送株を取得する際にインサイダー取引があったとして、代表の村上世彰氏が逮捕・起訴され有罪判決を受けた。今年になって、8月22日付け日経新聞が「帰ってきた「物言う株主」 村上氏提案を黒田電気が否決 企業統治元年 対話力の重み増す」と報じたように、久方ぶりに株式市場に戻ってきた。ところが、早々の強制調査となった。ただ、闇株新聞が指摘するように、真の嫌疑が何なのかは今ひとつ明らかではない。村上氏にしても、愛娘まで巻き込んで事件化させる気はなかったのではなかろうか。そう考えると、「日本郵政を貸株で調達して売却していたため当局の逆鱗に触れた」、或いは、日刊ゲンダイの「本当の狙いは東芝隠し? 」といった見方もあながち的外れとも思えない。しばらくは、「強制調査」の行方を注目したい。
村上ファンド事件については下記のWikipediaを参照のこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6
明日、金曜日は更新を休むので、土曜日にご期待を。
タグ:村上ファンド 強制調査 闇株新聞 村上世彰氏らを相場操縦の疑いで強制調査!? その2 TSIホールディングス 今までにない新しい手口 相場操縦の疑い 詳しく見ても「意図的に株価を下落させた」ようには見えませんが 金融商品取引法 拡大解釈 万能の武器 物言う株主 当局によるコンプライアンス重視の指導方針 村上氏らが最近の黒田電気臨時株主総会で要求した内容そのもの 日本郵政を貸株で調達して売却していたため当局の逆鱗に触れた ダイヤモンド・オンライン 村上世彰氏を相場操縦の疑いで「強制調査」!? これでいいのか金融商品取引法の拡大解釈 東京地検特捜部が動いていない 証券取引等監視委員会の特別調査課 刑事事件で有罪か 日刊ゲンダイ 本当の狙いは東芝隠し? 村上世彰氏「強制調査」に流れる憶測 不正会計問題が長引いている東芝から目をそらさせる作戦 馴合売買 終値関与 黒田電気