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宗教(その12)(盗撮で逮捕の「山田養蜂場」専務が裏切った創価学会の教え 「実家は筋金入りの支援者で 熱心な政治活動も」、旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に、「安倍元首相の国葬」と「日本の宗教」について 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀が語り合う!) [社会]

宗教については、本年7月23日に取上げた。今日は、(その12)(盗撮で逮捕の「山田養蜂場」専務が裏切った創価学会の教え 「実家は筋金入りの支援者で 熱心な政治活動も」、旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に、「安倍元首相の国葬」と「日本の宗教」について 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀が語り合う!)である。

先ずは、8月30日付けデイリー新潮「盗撮で逮捕の「山田養蜂場」専務が裏切った創価学会の教え 「実家は筋金入りの支援者で、熱心な政治活動も」」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/08300556/?all=1
・『「パパ活」で知り合った27歳女性に入浴施設での盗撮を依頼していたなどとして逮捕された、「山田養蜂場」の山田満生専務取締役(33・8月14日付で役員から解任)。近隣住民が語る容疑者の素顔と、熱心な政治活動の内容とは――。 「お客様や弊社を支えてくださっている皆様に対し、申し訳ない気持ちしかございません」 と肩を落とすのは、山田養蜂場の広報担当者である。 お盆のニュースとなった同社の専務・山田容疑者の盗撮事件。容疑はSNSで知り合った女性に指示し、入浴施設の脱衣場で盗撮させ、動画を送らせたというもので、加えて、やはりSNSで知り合った17歳の女子高生にもわいせつ動画を送信させていたことが発覚。 「当社も報道で事件を初めて知ったんです」 と広報担当者が言う。 「お盆休みでしたが幹部が集まり、解任を決めました。本人にも連絡をしていますが、現状応答はありません。仕事ぶりに問題はなく、不自然な様子もなかったのでただただ驚いています」 容疑者は山田養蜂場の現社長・山田英生氏(66)の次男。同社は1948年創業のハチミツ製品製造・販売業者で、もともとは岡山県鏡野町に立つプレハブの小さな養蜂業者だったが、2代目の現社長が「ローヤルゼリー」の通信販売を手掛けて大ヒット。売り上げ約300億円を誇る優良企業になった。満生は2年前に専務に就任し、3代目としていずれ後を継ぐと見られていた。ちなみに子どもはいないが、既婚者である』、「広報担当者」のコメントはあるが、「現社長」のがないのは気になる。
・『屋根にドームと天体望遠鏡のある豪邸  「周りは農家ばかりだけど、あの家だけは金持ちでね」 とは、地元・鏡野町に住む容疑者の知人である。 「毎年夏には『山田養蜂場納涼祭』を主催し、最後に花火を打ち上げます。町に1億円を寄付したこともありましたよ。家もデカくて、満生が子どもの頃にお邪魔したことがあるけど、広い部屋にテレビが何台もあり、それぞれスーファミとかプレステとかゲーム機をつないで遊んでいましたね。トレーニング機器もジムみたいに並んでいましたよ」 同家は後に、隣地にも新たな“豪邸”を建設。ここには屋根にドームと天体望遠鏡があるという』、「屋根にドームと天体望遠鏡がある」のはともかく、「SNSで知り合った女性に指示し、入浴施設の脱衣場で盗撮させ、動画を送らせた」のは酷い話だ。
・『筋金入りの創価学会支援者  容疑者は、地元の小中学校を出た後、岡山を離れた。 「で、高校、大学を卒業後に戻り、お父さんの会社に入った。昔は素朴な少年でしたが、帰郷後は片手運転で愛車のプジョーを猛スピードで乗り回す、とっぽい男になっていてね。変わったなと思っていましたよ」 そんな矢先の事件だった。 「一家は昔から、創価学会の熱心な支持者でした」 と山田家の別の一面を明かすのは、さる地元の住民。 「初代の奥さんがハマってね。選挙の度に公明党議員への投票を呼び掛けていた。今の社長も若い頃は(学会の)青年部の会合に出ていたよ。満生も高校は関西創価高で、大学は創価大。筋金入りの支援者ですよ」 公明党関係者も言う。 「選挙になると、うちの候補者は山田さんの本社に行って応援をお願いしてきました。で、お土産に名簿やハチミツをもらうんです。創価大の卒業生もよく就職させてもらっていましたよ」 しかし創価学会は女性の権利擁護に熱心な団体だ。その教え子が「盗撮」でお縄とあれば、創価学会の尊い教えも、歪んだ性欲の前には無力だったということか。 山田養蜂場の広報は、 「当社は特定の政党を支援しておりません」』、「創価学会は女性の権利擁護に熱心な団体だ。その教え子が「盗撮」でお縄とあれば、創価学会の尊い教えも、歪んだ性欲の前には無力だったということか」、公明党も伸び悩んでいるが、本件は締まりのない話だ。

次に、9月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/328792
・「過払い金バブル」再びの機運  「あなたの払い過ぎたお金が戻ってきます!今すぐご確認を」 「ご家族の方でも大丈夫です、いつ払ったのか記憶が曖昧でも大丈夫です、今すぐお電話ください」 今からそう遠くない未来、テレビやラジオ、そしてネットやSNSでは朝から晩までこのような呼びかけが聞こえることになるだろう。弁護士や司法書士を介して払い過ぎたお金を取り戻す、いわゆる「過払い金返還」のCMが大量に流されるのだ。 「おいおい、そんなの今もバリバリ流れているよ」というツッコミが聞こえてきそうだが、未来の「過払金」請求先は、現在のような消費者金融やクレジットカード会社ではない。 日本全国にある宗教団体である。 近い将来、宗教団体に入信していた人が「だまされた」と訴えるだけで、これまで払った献金を過去にさかのぼって、簡単に取り戻せるような法整備がなされるかもしれない。今の「過払い金返還請求」のように、弁護士事務所で簡単な打ち合わせをして、事務員がマニュアルに沿って事務手続きをするだけで、献金やお布施が戻ってくる――。 もしこんな未来になったら、弁護士業界はウハウハだ。利益率が高いため、案件が多ければ多いほどもうかるので、冒頭のようなCMをバンバン流すはずだ。つまり、2010年頃から弁護士業界に巨額の利益をもたらした「過払い金バブル」が、今度は宗教団体をターゲットにして「再現」される可能性があるのだ。 何を根拠にそんな予想をするのかというと、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への解散請求がいよいよ秒読みになってきたからだ。 ●旧統一教会解散、請求の方針 政府、10月中旬で調整 近く過料申し立ても 地裁に(朝日新聞 9月3日) ●10月にも解散請求か 文科省が検討 7回質問権行使の旧統一教会に(FNNプライムオンライン 9月4日) 旧統一教会への解散請求が行われることが、なぜ冒頭で述べたような「過払い献金返還バブル」へとつながっていくのか。 わかりやすく言ってしまうと、「旧統一教会が組織的な違法行為をしていると国がお墨付きを与えると、ほとんどの宗教団体もアウトになる」からだ』、「近い将来、宗教団体に入信していた人が「だまされた」と訴えるだけで、これまで払った献金を過去にさかのぼって、簡単に取り戻せるような法整備がなされるかもしれない。今の「過払い金返還請求」のように、弁護士事務所で簡単な打ち合わせをして、事務員がマニュアルに沿って事務手続きをするだけで、献金やお布施が戻ってくる――。 もしこんな未来になったら、弁護士業界はウハウハだ。利益率が高いため、案件が多ければ多いほどもうかるので、冒頭のようなCMをバンバン流すはずだ。つまり、2010年頃から弁護士業界に巨額の利益をもたらした「過払い金バブル」が、今度は宗教団体をターゲットにして「再現」される可能性があるのだ』、「過払い献金返還」では、法律上の金利を超えるかという機械的判断が可能だったが、「だまされた」というのは、明確な判断基準が必要になり、それに即したものになるのだろう。出来たとしても、「過払い金」とは違って複雑だ。
・『旧統一教会への解散請求が通ると、アウトな団体は他にも続々?  旧統一教会だけが今回の解散請求に該当するのかどうかを、まず冷静に考えてみたい。 わかりやすいのは、元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏の見解だ。氏はかねてから旧統一教会の「組織的な違法性」を立証することが難しいと指摘してきた。 《旧統一教会に解散命令なら、電通も会社法に基づいて解散命令にしないと不公平。でも電通は解散すべきとはほとんどの人は言わないだろう。だから旧統一教会の解散も難しいと言ってきた》(23年2月2日) 《電通を解散させられないなら、民事の違法性、しかもほとんどが使用者責任の旧統一教会を解散することは困難》(同上) これはその通りで、これまでの解散請求は、地下鉄サリン事件を起こした「オウム真理教」と、詐欺罪で幹部が摘発された「明覚寺」の2件だけで、組織や幹部として明確な違法性が立証されている。これらの前例と、旧統一教会のケースはかけ離れている。 これまで旧統一教会幹部の逮捕者が出ていないことからもわかるように、本部が「霊感商法マニュアル」などを作成して、全国の信者に組織的な指示をしていたような証拠はどこにもない。 つまり、問題になっている霊感商法や高額な献金は、それぞれの信者が強すぎる信仰心を“こじらせた”結果であって、それをオウム真理教のような「組織的な違法性」と断罪するのは「拡大解釈」にもほどがあるのだ。 また、旧統一教会はマインドコントロールが悪質だと主張をしている人もいるが、お笑いコンビ・オセロ(現在はコンビ解散)の中島知子さんのことを思い出してみるといいだろう。彼女はかつて「占い師にマインドコントロールされた」とマスコミが大騒ぎをしていたことを振り返って「まったくデタラメ」と笑い話にして今は普通に地方でタレント活動をしている。つまり、マインドコントロールだなんだという批判・炎上は、反論しない人に対して、「言ったもん勝ち」的な側面が多々ある。 そもそも対象に心を奪われて、経済的に破滅するまでカネを突っ込むのは、ホストクラブにハマる女性やアイドルの追っかけでもよく見られる現象だし、創価学会などの他の有名宗教でも信仰のために、多額の献金をしたり、自宅や土地まで信仰のために捧げたりする人もいる。 「他の新興宗教は信仰心だけれど、旧統一教会は悪質なマインドコントロールだ」というのは、被害者などが感情的に訴える主張としてはわからなくもないが、それだけが解散請求の法的要件となるのは、さすがにありえない。 ただ、先ほども申し上げたように、既に政府は「解散請求ありき」で進んでいる』、「既に」、政府は「解散請求ありき」で進んでいる」、「法的要件」は固まった筈だが、どんなものだろうか。
・『宗教団体のビジネスモデル窮地?  森友・加計問題でも明らかになったように日本の官僚は、首相から直接命令を下されなくとも「忖度」をすることで、行政文書を改ざんするくらい優秀だ。だから、今回も「証拠」をこじつけるなど朝飯前だろう。 私の勝手な想像だが、「組織的な違法性の証拠はないけれど、組織的な違法性があると訴える被害者がいるということは、証拠にも匹敵するような証言なので解散請求できる」という方向性の見解が示されるのではないか。 これは世論的に拍手喝采で岸田政権の支持率もちょっぴり上向くかもしれない。しかし、全国の宗教団体からすれば、「死刑宣告」されたにも等しい暴論だ。 宗教団体というものは、神や仏だ、天国だ地獄だという超自然的な説法を信じる人々の寄付や献金によって運営されることが一般的だ。経済的な余裕のある信者や資産家の信者にはより多くの寄付を求める。これが基本的なビジネスモデルなので当然、信仰心をなくした人の中には「これまで金をだまし取りやがって」と被害を訴えることも少なくない。 誤解を恐れず言えば、あらゆる宗教団体には「被害を訴える人」がいる。信仰をやめた人は、その団体に不満や不信感があるからやめている。また、「今の自分」を肯定するには、過去の自分を「だまされていた」と否定しないとやっていられない。 だから、表立って被害者のいない宗教団体も、探して水を向ければ被害を訴えられる可能性がある。そういう被害者は、歴史が長くて信者数が多い教団ほど多いのだ』、「私の勝手な想像だが、「組織的な違法性の証拠はないけれど、組織的な違法性があると訴える被害者がいるということは、証拠にも匹敵するような証言なので解散請求できる」という方向性の見解が示されるのではないか・・・全国の宗教団体からすれば、「死刑宣告」されたにも等しい暴論だ」、これは行き過ぎで、もっと限定的にするべきだ。
・『他の宗教団体の元信者も「被害」を訴える可能性高まる  さて、こういう構造的な問題がある中で、国が旧統一教会を「組織的な違法性あり」と法律的に認定すると、一体どういうことが起きるか。 他の有名宗教団体の元信者たちも「被害」を訴え始めるのではないか。 証拠がなくとも、「被害」を訴えるだけで教団を解散に追い込めると国が太鼓判を押したのだ。こんな心強い話を聞いて、黙っているわけがない。そうなると、弁護士も動く。「勝訴」が約束されているような戦いなので、広告などで「宗教被害者」の募集をかけて、宗教団体を相手どって、過去に払った献金を取り戻すなど集団訴訟を起こすのだ。 そして、判例が積み重なっていくうちに、手続きがもっと簡易になって、書類をやり取りするだけで宗教団体側も支払いに応じるようになる。かくして、冒頭で紹介した「過払い献金返還CM」が朝から晩まで流れるような弁護士業界の黄金時代が再びやってくる――というわけだ。 「宗教被害者を純粋に救済をしている弁護士さんたちが、この問題を過払い金バブルのような金もうけのネタにするわけがないだろ」というお叱りが飛んできそうだ。しかし、なぜ筆者がこのように考えるのかというと、まさしくその「過払い金バブル」がつくられていく時の弁護士業界のアクションや社会のムードが、現代の旧統一教会問題に対するそれらと、うり二つだからだ』、法理論抜きに「ムード」で立法するようなことはあり得ないし、また避けるべきだ。
・『「過払い金バブル」の前夜と今の空気が似ている  そもそもなぜ「過払い金バブル」が起きたのかというと、2006年に最高裁判決で「グレーゾーン金利」が否定され、その後の貸金業法改正でも「廃止」されたからだ。 かつて消費者金融やカード会社は、利息制限法の上限金利(15〜20%)と出資法の上限金利(29.2%)間の高金利帯で貸し付けを行っていた。しかし、これによって返済ができず、いくつもの業者から借り入れをする多重債務者が増えた。このような「被害者」を救済する弁護士たちが「全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会」を設立して、国にクレーゾーン金利の廃止を訴えるとともに、消費者金融が多額の貸付ができない「総量規制」の法制化を求めていた。この背景には、消費者金融の武富士などの違法な取り立てが大きな社会問題になっていたことが大きい。 つまり、消費者金融と宗教団体という違いはあれど、「被害者」が社会的に関心を集めて、彼らを救済する弁護士グループが、政府に対して「被害者救済の法整備をせよ」とゴリゴリに求めていたという構図は現代とまったく同じだ。 しかも、「悪をぶっつぶせ」という社会ムードも似ている』、「政府に対して「被害者救済の法整備をせよ」とゴリゴリに求めていたという構図は現代とまったく同じだ。 しかも、「悪をぶっつぶせ」という社会ムードも似ている」、なるほど。
・『「日本は強盗とか流行しますよ」ヤミ金業者の言った通りに…  実はこの時代、筆者は月刊誌に寄稿したり、講演したりして、消費者金融への過度な規制を控えるべきだと警鐘を鳴らしていた。 当時、筆者は違法ビジネスやヤミ金によく取材をしていた。彼らは口をそろえて、グレーゾーン金利撤廃や総量規制を「ビジネスチャンス」だと語っていた。 年配の方ならわかるが、昔は「街金」と呼ばれる「無担保小口融資」の業者がいた。免許証などの本人確認だけで金を貸す。もちろん、貸す側もリスクがあるので出資法上限金利という高金利だ。ただ、こういう「無担保小口融資」をしているのは小さな業者なので、最高裁判決以降、過払い金返還請求でほとんど絶滅してしまった。 では、ここを利用をしていた人はどこへいくか。プロミスやアコムなどの消費者金融の大手は銀行傘下に入り、審査も厳しく総量規制で年収の3分の1しか借りられない。となると、「闇」に流れるしかないというわけだ。 2008年ごろに話を聞いたあるヤミ金業者は、「総量規制のおかげで大忙し」だとホクホク顔で語っていた。そして利息を払えなくなった者を、オレオレ詐欺の出し子などにあっせんしている、と笑っていた。 「これからの日本は強盗とか流行しますよ。私はやらせないけれど、やばい連中は金さえ回収できればいいんだから何でもやらせますよ。多重債務者の連中は、どこも金を貸してもらえないんだから、逆らえないでしょ」 確かに、彼らの言う通りになっている。昨今、大学生や無職の人がSNSで「闇バイト」に応募をして、詐欺や強盗のメンバーとして参加させられているが、なぜ「闇バイト」に応募をするのかというと、「低信用」でどこも金を貸してくれないからだ。学費や家賃で生活も困窮する中で、仕送りが何かの事情で途絶えたら、「闇バイト」に応募するしかない、というのが現実だ。 そんな話を、筆者は金融庁のヒアリングに呼ばれて報告もしたが、「難しい問題ですねえ」なんて言われて終わった。当時の金融庁幹部を、ヤミ金業者に実際ひき会わせて話を聞いてもらったりしたが、政策は特に変わらなかった。むしろ、そういうことをやればやるほど、「消費者金融からいくらもらっているんだ」とか「サラ金御用達ライター」とか叩かれるので、面倒臭くなってあきらめた。 今回も似た匂いがプンプンしている』、「なぜ「闇バイト」に応募をするのかというと、「低信用」でどこも金を貸してくれないからだ。学費や家賃で生活も困窮する中で、仕送りが何かの事情で途絶えたら、「闇バイト」に応募するしかない、というのが現実だ」、その通りだ。
・『「受け皿」がなくなると、「闇」に飲み込まれる人が増える  旧統一教会の解散請求をして、宗教法人格をはく奪したところで、税制上の優遇を受けられなくなるだけで、信者の多くは「じゃあカトリックに改宗するか」なんてことにはならない。活動が地下に潜るだけなので、被害者救済も難しくなるなどデメリットも多い。 こういう問題が生じる以上、宗教法人として解散すれば、めでたしめでたし…という単純な話ではない。教団改革の行方を見守っていくためにも、もっと慎重に判断したらどうかと言いたいのだが、ここでも「リテラシーのない旧統一教会御用達ライターは引っ込んでろ!」と叩かれる。 問題が指摘される世界の人々を「善」か「悪」でしか判断せず、存在を認めるか、抹殺をするか、という極論がまかり通っているムードが、「多重債務者救済のため、高金利の無担保小口融資を廃業に追い込め」と正義の弁護士が絶叫していたあの時代とそっくりだ。 弁護士業界は再び「過払い献金バブル」到来でうれしいかもしれないが、多くの宗教団体は経営難に追いやられるので、自主的に解散するところも出てくるだろう。しかし、神や仏に救い求める人たちは必ず存在するので、「新たな受け皿」として、「ヤミ宗教」が横行するかもしれない。宗教法人格を持たないので、行政や自治体のチェックも働かない。高額献金も霊感商法もやりたい放題だし、マルチ商法などとかけ合わせることも可能だ。 暴力団を使用者責任で規制したら、盃を受けない半グレが増えて結果、警察が把握しにくい「かたぎを利用した地下ビジネス」が広まったのと同じ構図が、宗教界でも起きるかもしれない。 旧統一教会を解散させたところで、宗教被害者は消えない。むしろ、宗教法人という「受け皿」をつぶしていけばいくほど、「闇」に飲み込まれる被害者が増えることを忘れてはいけない』、宗教法人一般を対象とせずに、悪質なものに限定して禁止するような形にすべきだ。

第三に、9月22日付け現代ビジネスが掲載した東京大学名誉教授・解剖学者の養老 孟司氏、脳科学者の 茂木 健一郎氏、批評家・作家の東 浩紀氏らの対談「「安倍元首相の国葬」と「日本の宗教」について、養老孟司・茂木健一郎・東浩紀が語り合う!」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/116054?imp=0
・『昨年9月、安倍元首相の国葬が、激しい議論のなか執り行われました。 それぞれの形で国葬に接した養老孟司・茂木健一郎・東浩紀の3氏が、「死を悼む」を切り口に、「戦後日本の歪み」について語り合いました。 【*本記事は、養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著『日本の歪み』(9月21日発売)から抜粋・編集したものです】』、興味深そうだ。
・『献花に訪れた人々の「無味乾燥」な長蛇の列  東 安倍晋三元首相の国葬の日、僕は九段下に一般向けの献花に訪れる人を見に行きました。献花台は靖国通りの武道館側の歩道に設けられていて、いちおう葬儀会場である日本武道館のほうに向いてはいたものの、かなり遠い。安倍さんの写真はあるものの、そもそも一日限りの金属の仮組みでしかない。 そこに花を手向けることでは心は満たされないのでしょう。人々がそのあとどうしたかと言えば、かなりの人が道路を渡って向かい側にある靖国神社に行っていたのが印象的でした。 安倍さんの死を悼みに来た人が靖国神社に参拝する。それが意味するのは、実質的に安倍さんは靖国神社に祀られてしまったということです。 ちょうどその前にイギリスのエリザベス女王が亡くなり、ウェストミンスター寺院で葬儀が行われました。国家元首の葬儀が宗教性を帯びるのは当然のことです。しかし日本ではそれができない。なぜできないかといえば、要は敗戦したからです。 戦後にGHQの草案で作られた憲法では、国家が宗教的活動をすること、公金を供することを禁じている。だから体育館で葬儀をやるしかない。でもそれには根本的に無理がある。だから人々は近くの神社に行く。宗教色をなくした追悼なんてできないんです。やっても機能しないんですよ。 炎天下に喪服を着てわざわざ九段下まで来て献花に並ぶ人たちは、それなりの強い気持ちをもって追悼に来ている。そういう一般弔問客をどう遇するかも、本来は国が考えなければいけないことです。しかし実際にはありふれた巨大イベントへ誘導するかのように、無味乾燥な長蛇の列に並ばせただけだった。 日本は死を悼む気持ちの受け皿すら作れないのだなと、その光景に日本の衰退を感じました。場当たり的な対応を繰り返し、なんとなくなんとかなっているように見えても、ベースのところで人心の荒廃が進んでいるように思います』、「そこに花を手向けることでは心は満たされないのでしょう。人々がそのあとどうしたかと言えば、かなりの人が道路を渡って向かい側にある靖国神社に行っていたのが印象的でした。 安倍さんの死を悼みに来た人が靖国神社に参拝する。それが意味するのは、実質的に安倍さんは靖国神社に祀られてしまったということです」、「炎天下に喪服を着てわざわざ九段下まで来て献花に並ぶ人たちは、それなりの強い気持ちをもって追悼に来ている。そういう一般弔問客をどう遇するかも、本来は国が考えなければいけないことです。しかし実際にはありふれた巨大イベントへ誘導するかのように、無味乾燥な長蛇の列に並ばせただけだった。 日本は死を悼む気持ちの受け皿すら作れないのだなと、その光景に日本の衰退を感じました。場当たり的な対応を繰り返し、なんとなくなんとかなっているように見えても、ベースのところで人心の荒廃が進んでいるように思います」、なるほど。
・『心の着地点が失われてしまった  茂木 僕は国葬の日、武道館で参列していましたが、儀式の形式を宗教的に中立的なものにすることで、何かが形骸化しているように感じました。そしてそれは、現代日本そのものの姿のように思いました。 私は科学者であり、現在得られている知見に照らして、知的な意味で全面的に肯定できる既存の宗教はないと感じています。一方で、生活人としての、あるいは関係性の中での自然な心の動きはその限りではない。宗教的なものを排除することで、心の着地点が失われてしまっている。 前に手塚治虫のトキワ荘マンガミュージアムに行ったときも、なんか落ち着かない感じがありました。「手塚治虫神社」があればよかったのかな(笑)。本来は心の落ち着かせ方の文化は土地ごとにそれぞれにあったはずですが、日本の場合にはそれが混乱しているのかもしれないですね。) 東 夏に盆踊りが小学校の校庭で行われたりしますが、あれも本当は神社とか森でやるべきものですよね。どういう理屈で校庭になったのかわかりませんが、神社でやると宗教行事で、校庭でやると自治体の無宗教行事になるんでしょうか。 いずれにせよ、戦後のこの国は、もともともっていた人の心を安定させるリソースのようなものを、かなり使えなくしてしまっているように思います。それが効率の悪さを生んでいる気がしてなりません』、「戦後のこの国は、もともともっていた人の心を安定させるリソースのようなものを、かなり使えなくしてしまっているように思います。それが効率の悪さを生んでいる気がしてなりません」、なるほど。
・『「家」制度が消えて、失われたもの  養老 非常に面白い視点でした。僕は、虫塚というのを作って六月四日の虫の日に供養しています。人間のほうも、最近、「墓じまい」などお墓の問題が出ていますが、その問題が出てきたのは家制度を壊したからですね。僕はこれは、戦後社会にとって九条より大きな問題だと思っています。 家制度を壊したことで個人が露出したわけですが、前に東さんが言ったように、元来、日本に「個人」はなかった。日本の民主主義は「家」の平等で、個人で成り立つものではなかったんです。それが「家」という制度が消えて、急に「個人」になったことで墓も先祖も繫がらなくなった。そうすると日常生活の時間的な存続を、どこに落ち着かせていいのかわからなくなります。 そういうことも考えて、虫塚を作りました。虫を供養するだけじゃなくて、虫が好きな人が死んだら、名札でも入れて一緒に供養したらどうかと。) 茂木くんの言う手塚神社じゃないけど、マンガ好きな人はそこに祀るとか、そういうものを作っていかなきゃいけない時代になったのかなと思います。家制度がもっていた時間的な継続性が消えてしまって、仏壇も神棚もないマンション暮らしでは、「いま」だけになるのは当然です。 東 そういえば、自衛隊の市ヶ谷駐屯地に職務中に殉職した方々を慰霊する場所があるのですが、そこの名前は「メモリアルゾーン」だそうです。カタカナなんです。 養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著『日本の歪み』(9月21日発売)は、「考えたくなかった」戦後日本の論点を徹底討論!』、「元来、日本に「個人」はなかった。日本の民主主義は「家」の平等で、個人で成り立つものではなかったんです。それが「家」という制度が消えて、急に「個人」になったことで墓も先祖も繫がらなくなった。そうすると日常生活の時間的な存続を、どこに落ち着かせていいのかわからなくなります。 そういうことも考えて、虫塚を作りました」、なるほど。
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安心・安全(その2)(交通事故死の4倍!「住宅内の事故死」深刻な実態 年1万3000人も死亡、2021年のコロナ死に匹敵、大前研一「電動キックボードは危険すぎる」…世界の潮流に逆らう道交法改正のウラ側 パリでは9割が反対なのに日本では規制緩和) [社会]

安心・安全については、2021年12月10日に取上げたままだった。今日は、(その2)(交通事故死の4倍!「住宅内の事故死」深刻な実態 年1万3000人も死亡、2021年のコロナ死に匹敵、大前研一「電動キックボードは危険すぎる」…世界の潮流に逆らう道交法改正のウラ側 パリでは9割が反対なのに日本では規制緩和)である。

先ずは、昨年2月4日付け東洋経済オンラインが掲載した住生活ジャーナリストの田中 直輝氏による「交通事故死の4倍!「住宅内の事故死」深刻な実態 年1万3000人も死亡、2021年のコロナ死に匹敵」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/507831
・『住まいは人の暮らしの中心となる最も重要な場所であり、だからこそ本来は安全・安心なものであるべきだ。しかし、現実には安全・安心への対策が十分でないために、命を落とす出来事が発生するなど、数多くの危険が潜む残念な状況がある。 本稿では、各種数字を比較しながらその危険性について明らかにするとともに、なぜ住宅に危険があるのか、事故が減らないのはなぜなのか、さらに現在、対策としてどのような取り組みが行われようとしているのかについて紹介する。頻出のテーマではあるが、寒い時期にヒートショックが増えることから改めて記事化する』、興味深そうだ。
・『交通事故死は減少傾向  本稿において重視したいのは「住宅(家庭)内の不慮の事故」による死亡者数であるが、残念ながら2020年については厚生労働省の「人口動態統計」による詳細な数字は、本稿作成時にはまだ公表されていない。そこで、明らかにされている2019年のデータを紹介しておくと1万3800人となっていた。この数字はここ数年高止まりしている。 一方、交通事故での死亡者数は3215人(2019年)。住宅内の死亡者数は交通事故と比べ4倍超になっている。また、2020年の交通事故による死亡者数は2839人で、統計を開始して以来、最少で、初めて3000人を下回ったという。これは、新型コロナウイルス感染拡大に伴う外出自粛が強く影響したものだと考えられる。 参考までに、2020年に日本国内で新型コロナ感染により死亡した人の数は、交通事故による死者数より多い3459人(厚生労働省オープンデータ)となっている。さらに、2021年のコロナ感染による死亡者数は約1万5000人(同)となり、2019年の住宅内の事故死亡者数はそれに匹敵するものとなる。 これらから住宅内での事故死者数の多さと、住まいに数多くの危険が潜んでいることを、何となくイメージでき、問題の深刻さを理解していただけると思う。 では、住宅内における死亡事故の要因はどうなっているのだろうか。それを理解しておくことで、なぜ住宅内の事故死が多いのかを理解する一助になる。) 2019年の住宅内の不慮の事故死者数1万3800人の内訳は、多い順に「溺死及び溺水」(5673人)、「窒息」(3187人)、「転倒・転落・墜落」(2394人)となっている。 このうち「溺死及び溺水」の要因の1つに「ヒートショック」がある。これは暖かな空間から寒い空間に移動した際、急激な温度変化により血圧が乱高下し脳内出血や大動脈解離、心筋梗塞、脳梗塞などを引き起こすことをいう。 断熱性の低い住宅の場合、冬期には脱衣所が氷点下近くになることがある。お風呂のお湯との温度差は40℃くらいで、この大きな温度差がヒートショックを招き、浴槽内で意識を失ったりして溺死するというのが発生要因の1つだ。 住まいの断熱性能には窓が重要な役割を担う。 余談だが、この手のテーマはすでに何度もメディアを賑わせており、読者の方々も目にされたことがあるだろう。 とくに今のような寒さが厳しい時期にヒートショックが多くなることから、ハウスメーカーやリフォーム事業者もこの時期に「おうちの断熱性能を高めませんか」などという提案を強化するし、メディアにもそれに関連する話題が増えるわけだ。つまり、決して目新しい話題ではない』、「住宅(家庭)内の不慮の事故」による死亡者数」は「2019年のデータを紹介しておくと1万3800人・・・一方、交通事故での死亡者数は3215人(2019年)。住宅内の死亡者数は交通事故と比べ4倍超に」、「2019年の住宅内の不慮の事故死者数1万3800人の内訳は、多い順に「溺死及び溺水」(5673人)、「窒息」(3187人)、「転倒・転落・墜落」(2394人)となっている。 このうち「溺死及び溺水」の要因の1つに「ヒートショック」がある。これは暖かな空間から寒い空間に移動した際、急激な温度変化により血圧が乱高下し脳内出血や大動脈解離、心筋梗塞、脳梗塞などを引き起こすことをいう」、なるほど。
・『全体の30%を占める無断熱住宅  裏を返せば、それだけ日本には断熱性能が低い住宅が数多く存在するということで問題の深刻さを表している。国土交通省によると、日本にある住宅(約5000万戸)のうち、「無断熱」住宅が約1500万戸(30%)を占めるという。 そのほとんどが1985年以前の住宅、つまり築40年以上経過したものであり、当然ながら冬期の室内は非常に寒くなる。そこで暮らす多くの人たちが高齢者であると推察され、ヒートショックによる体の異変にさらされる可能性があるわけだ。 40年以上が経過した住宅では、「転倒・転落」の危険性も高い。同じフロア内でも段差があり、階段が急なことが多く、足腰が衰え、骨が弱くなったお年寄りの場合、わずかな段差でつまずき大けがになることがある。ましてや階段から転げ落ちたら命を落とすことにつながる。 さて、住宅内の事故死者数が多い理由に、事故を防止するためのソリューションが導入される機会が非常に少ないことがあると、筆者は考えている。それを理解していただくためには、住宅と自動車の比較がわかりやすいだろう。) 交通事故での死亡者数は年々減少しており、2021年は2636人と過去最少になった。減少の理由はさまざまあるが、その要因の1つに次々に導入される安全装置や機能の恩恵を受けやすいということがあるだろう。 自動車検査登録情報協会によると、日本における乗用車の平均使用年数が13.87年、平均車齢(新車登録してからの経過年数)が8.84年(いずれも2021年)としている。一方、住宅の場合は正確な統計はないが、平均耐用年数は一般的に30年程度とされている。 持ち家の場合には「一生で最も高額な買い物」となるため、自動車を買い換えるほどの住み替えの機会、それによるソリューションの導入機会が少なくなるわけだ。当然ながら、住み替えが進まないのはコストの問題がシビアだからだ。 断熱リフォームを実施する場合は大規模な工事となり、費用は安くても数百万円になる。ましてや新築なら数千万円単位になるため、次々に住み替えをしたり新しい機能を積極的に入れることはかなり難しい。 こうした住宅ならではの事情が、住宅内での死亡者数が減らない要因の1つとなっているわけだが、住宅にもソリューションがないわけでは決してない。例えば、断熱リフォームでは低コスト、かつ短工期の仕組みもある』、「断熱リフォームを実施する場合は大規模な工事となり、費用は安くても数百万円になる。ましてや新築なら数千万円単位になるため、次々に住み替えをしたり新しい機能を積極的に入れることはかなり難しい。 こうした住宅ならではの事情が、住宅内での死亡者数が減らない要因の1つとなっているわけだが、住宅にもソリューションがないわけでは決してない。例えば、断熱リフォームでは低コスト、かつ短工期の仕組みもある」、なるほど。
・『ソリューションも登場しているが…  具体的には、開口部(窓など)は熱の移動が最も大きく断熱に影響が大きい箇所だが、ヒートショックが懸念される居室に限定して二重窓にするというものだ。壁を壊さずにすむなどのメリットもある。 前述した住宅内事故死の発生要因の1つである「窒息」については、例えば乳幼児がおもちゃや電池など誤飲し亡くなるというケースがある。これについても整理整頓を促す収納の工夫で、事故発生を未然に防ぐ提案を行っている住宅事業者がいる。 「転落」についても、子どもの犠牲が多い箇所。ベランダのフェンスを乗り越えることで発生することから、乗り越えにくい高さと握りにくい柵のフェンスを設置するなどで、安全性に配慮したものもある。 浴室では、子どもが目を離した隙に浴室に入り犠牲になるといった事故が発生している。これを防ぐために浴室のドアにカギを設置することが最近のユニットバスでは一般的になっている。 このほか、熱湯によるやけどや滑りやすいタイル上での転倒、打撲など、さまざまな危険が潜んでいるとされており、浴室は高齢者や乳幼児のいる世帯では安全のための配慮が求められる箇所といえそうだ。) 住宅内での事故による死亡者数以上に深刻なことは、死亡には至らないものの、近い将来死亡につながる、あるいは体に深刻な後遺症が残る事故が住宅内で日常茶飯事に起こっている可能性があることだ。 東京消防庁がまとめた「救急搬送データからみる日常生活事故の実態(2019年)」によると、都内で救急搬送された14万4767人のうち、5割強の7万4677人が「住居等居住場所」での事故によるものだったとしている。 この資料には発生要因が明示されていないが、例えば高齢者が脳内出血や大動脈解、心筋梗塞、脳梗塞などを発症した場合、その後の生活が不自由なものになることは想像にかたくない。 住宅の安全・安心に関するソリューションは事故が発生してから導入される、つまり後手に回り対処療法的になりがちなのも問題点の1つと言えるだろう』、「東京消防庁がまとめた「救急搬送データからみる日常生活事故の実態(2019年)」によると、都内で救急搬送された14万4767人のうち、5割強の7万4677人が「住居等居住場所」での事故によるものだったとしている。 この資料には発生要因が明示されていないが、例えば高齢者が脳内出血や大動脈解、心筋梗塞、脳梗塞などを発症した場合、その後の生活が不自由なものになることは想像にかたくない。 住宅の安全・安心に関するソリューションは事故が発生してから導入される、つまり後手に回り対処療法的になりがちなのも問題点の1つと言えるだろう」、なるほど。
・『新築でも多い安全配慮に欠けた住宅  では、住宅内での事故・事故死者数の減少に向けた抜本的な取り組みについて、最後に簡単に紹介しておく。その1つに、国や事業者によるZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)をはじめとする省エネ住宅の普及がある。 省エネ住宅がなぜ安心・安全な暮らしの実現につながるのか疑問に思われる人もいるだろうが、省エネ性能を高めるには建物の断熱性能の強化が必要。無断熱住宅をZEHなどに置き換えることで、少なくともヒートショックが多発する現状を改善できると考えているわけだ。 もう1つ、近年の大きな傾向として、とくに高齢者による住宅内事故の防止策とヒートショック改善の関係について、医療関係者がエビデンス(根拠)を示すケースが増えている状況があげられる。 「餅は餅屋」ではないが、これまで住宅は建設・建築関係、病気やケガは医療関係者(あるいは介護関係者)が問題解決策を探ってきたのだが、それでは問題の解決スピードが遅かった。それが変わりつつあるのだ。 ちなみに、解決策として推奨されているのが、「省エネ住宅+24時間全館空調システム」を導入すること。要は、高い断熱性とどの場所にいてもほぼ一定温度の住空間を実現することが重要というわけだ。 いずれにせよ、国や良心的な住宅事業者が住宅内事故・事故死が多いことに危機感を抱いているのは事実である。その一方で、例えば、急な傾斜の階段が設置されるなど、安全性への配慮に欠けた住宅を供給する事業者もいまだ存在するのは残念な現実である』、「省エネ性能を高めるには建物の断熱性能の強化が必要。無断熱住宅をZEHなどに置き換えることで、少なくともヒートショックが多発する現状を改善できると考えているわけだ。 もう1つ、近年の大きな傾向として、とくに高齢者による住宅内事故の防止策とヒートショック改善の関係について、医療関係者がエビデンス(根拠)を示すケースが増えている状況があげられる・・・解決策として推奨されているのが、「省エネ住宅+24時間全館空調システム」を導入すること。要は、高い断熱性とどの場所にいてもほぼ一定温度の住空間を実現することが重要というわけだ』、なるほど。

次に、8月31日付けプレジデント 2023年9月15日号が掲載しtビジネス・ブレークスルー大学学長の大前 研一氏による「大前研一「電動キックボードは危険すぎる」…世界の潮流に逆らう道交法改正のウラ側 パリでは9割が反対なのに日本では規制緩和」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/73125
・『世界の流れに逆らう不可解な規制緩和  電動キックボードの規制緩和で、街の交通が混乱に陥っている。善良な市民が安全に街を往来できるよう、できるだけ早く現行ルールを見直すべきだ。 電動キックボードに規制緩和をもたらした改正道路交通法は、2023年7月1日から施行されている。従来、電動キックボードの走行は車道に限られ、運転には自動車の運転免許証所持やヘルメットの装着が必須だった。 しかし法改正によって、国土交通省が定める規格を満たした電動キックボードであれば、運転には免許が不要に。制限速度は時速30キロメートルから20キロメートル(歩道は6キロメートル)に規制強化されたものの、16歳以上であれば誰でも電動キックボードの運転が可能になった。ヘルメットの装着は罰則なしの努力義務と化し、歩道でさえ走行可能となり、電動キックボードの普及に大きく与するような法改正である。 街中を見渡すと、交通法規に反した電動キックボードの乗り方をしている利用者がかなり目立つ。事実、都内では7月だけで352件もの交通違反が取り締まりを受けた。電動キックボードが関係する人身事故はすでに8件生起しており、これでは悲劇的な事故が起きるのも時間の問題だ。) 法改正の背景には、電動キックボードのシェアリングサービスを提供する企業「Luup」のロビー活動がある。 シェアサイクルのように、小型モビリティのシェアリングサービスを認めて車の利用を減らすこと自体は、社会にとっていいことである。 しかし、安全とのバランスを欠いた形で電動モビリティのシェアリングサービスを推し進めると、反発を招いてかえって普及が妨げられる。 実際、23年4月にパリで実施された住民投票では、約9割の住民が電動キックボードのシェアリングサービスに「反対」の意思を示した。 フランス政府も国民の電動キックボードへの反発を重く受け止めており、交通違反の罰金額を引き上げるなど、規制強化策を発表している。一方日本は、フランスという格好の先行事例があるにもかかわらず、規制緩和に突っ走っている。正気の沙汰ではない』、「フランス政府も国民の電動キックボードへの反発を重く受け止めており、交通違反の罰金額を引き上げるなど、規制強化策を発表している。一方日本は、フランスという格好の先行事例があるにもかかわらず、規制緩和に突っ走っている。正気の沙汰ではない」、「日本」では誰が後押ししているのだろう。
・『運転免許を必須にするべき  では、どうすれば電動キックボードの安全性を担保できるのか。自動車の交通ルールを知らない人が乗ると危険なので、まずは運転免許を必須にするべき。ヘルメットの装着も任意ではなく、バイクに準じて義務化するべきだ。 免許は道路交通法を学ぶという点で、50㏄以下の原動機付自転車を運転できる原付免許さえ持っていればよい。それなら16歳から運転できる。そして、実際の運転も原付に準じるべきだ。 法改正して以来、歩道での運転が目につくが、特に高齢者にぶつかったら悲惨な事故につながる。また、一方通行の道路を(自転車と同じように)反対側から入ってくるが、これも危ない。歩行者にとってはハッとさせられる危険な走行になる。走行ルールを自転車並みにしてしまうと、酒気帯び運転等に対する規制が曖昧なので、むしろバイク並みに規則を厳格化し、法令遵守を徹底させるべきだった。 例えば、自動車の危険運転致死傷罪は、幼い姉妹が命を落とした東名高速の飲酒運転事故がきっかけで制定された。同様の事故が起きてからでは遅い。大事故が起こってからではなく、未然に防ぐために、早急な見直しが必要だ。 電動キックボードの規制強化は必須。しかし、そもそもその前に手をつけるべきモビリティがある。自転車だ。 自転車は便利な乗り物で、地球環境にも健康にもいい。ところが、ルールがおかしかったり、徹底されていなかったりで、危険な乗り物と化している。 自転車は、車道を走るのが原則である。道路標識で許されていたり、交通状況でやむをえない場合は歩道を走るが、その際も歩行者が優先だ。しかし、ルールを忠実に守っている自転車の利用者を見たことがない。 安全の意識が低いのは自転車の乗り手ばかりではない。車道に自転車レーンが設けられているところがあるが、そこに平気で自動車を駐車する人がいる。駐車車両があると、自転車は車道側に逸れて避けることになり、後続車両の確認で頻繁に背後を見る必要がある。これはかなり危なっかしい。 歩道についている自転車レーンも安全とはいえない。色まで変えて自転車レーンであることを示しても、そこを歩道感覚で普通に歩く歩行者が多い。 まずは、自転車のルールを明確にすべきなのだ。自転車は軽車両という「クルマ」なのだから、原則的には車道の走行を徹底したほうがいい。例外をつくるのは、子どもを前後に乗せてゆっくり走っている自転車くらいでよい。 ルールを自転車の乗り手だけでなく、自動車のドライバーや歩行者に周知することも大切である。自転車側がいくらルールを守ろうとしても、自動車や歩行者がそれを無視していると、結局、自転車も危険を避けるためにルールを逸脱せざるをえなくなる。社会全体で自転車のルールを共有してこそ、安全な交通が実現するのだ』、「まずは、自転車のルールを明確にすべきなのだ。自転車は軽車両という「クルマ」なのだから、原則的には車道の走行を徹底したほうがいい。例外をつくるのは、子どもを前後に乗せてゆっくり走っている自転車くらいでよい。 ルールを自転車の乗り手だけでなく、自動車のドライバーや歩行者に周知することも大切である・・・社会全体で自転車のルールを共有してこそ、安全な交通が実現するのだ」、なるほど。
・『路上喫煙を撲滅した「千代田区方式」が参考に  ルールを定着させるやり方は、路上喫煙を撲滅した「千代田区方式」が参考になる。千代田区は当初、路上喫煙をしないようにマナーの向上を訴えたが、改善が見られなかった。そこで、全国に先駆けて「生活環境条例」を制定し、指定地区での路上喫煙やポイ捨てに過料を科した。 その結果、住民やオフィスワーカーが路上喫煙する姿はほぼ見かけなくなった。この状態になるまで、条例制定から10年はかかっている。ルールの定着を受けて、千代田区は「マナーから、ルールへ。そしてマナーへ」という標語を掲げて、マナー回帰に動き出した。罰則なしで路上喫煙の禁止ができるなら、それに越したことはない。 自転車のルールも同様だ。まずはルールを明確にして、違反者は容赦なく取り締まる。ルールが浸透するまで時間はかかるだろうが、定着すればそれから規制緩和していけばよい。 同時に自転車用のインフラ整備も必要だ。自転車の普及率が非常に高い「自転車王国」であるオランダやデンマークに行くと、自転車レーンの広さに驚く。幅は車道でいうと1車線くらいあって、もはや歩道のほうが狭い。 もちろん自転車レーンに自動車を駐車する人はいないし、歩行者も歩いていない。オランダとデンマークの共通点は、山がなくて平らな土地が広がっていること。自転車移動にもってこいだ。幼いころから自転車が身近にあって、ルールをよく教育されているから、ドライバーや歩行者も協力的だ。 インフラ整備やルール教育も含め、自転車に関してはオランダとデンマークから学べるものは多い。特に平地が広がっている東京都などの都市圏はまるごとオランダ式を導入すると、住みやすい街になるに違いない』、「インフラ整備やルール教育も含め、自転車に関してはオランダとデンマークから学べるものは多い。特に平地が広がっている東京都などの都市圏はまるごとオランダ式を導入すると、住みやすい街になるに違いない」、同感である。
・『交通違反の取り締まりがそもそもいい加減だ  そもそも、日本の道路交通法の取り締まりには不可解な点が多すぎる。 たとえば、自動車の一時停止違反。交差点手前の一時停止線が、左右の見通しが悪い箇所に引かれている。警察は罠にかかる獲物を待つかのように、交差点から見えないところで、一時停止違反を厳しく取り締まっている。私の実体験だが、確実に一時停止してから交差点に進んだのにもかかわらず、警察官に車を止められたことがある。私が確実に止まったことを抗議すると、「よく見えなかった」と言い訳をしてきて、切符を切ることをあきらめた。 速度超過違反の取り締まりも、実態はかなり適当だ。以前知人から、「自動車やバイクの速度超過は、測定区間が200メートル以上ないと無効」と教えてもらったことがある。知人が言うには、速度超過違反の疑いでパトカーに車を止められたとき、警察官に「200メートルの証拠はあるか?」と聞くと、大概バツが悪そうに退散していくそうだ。 「制限速度のプラス15キロまでなら捕まらない」などと言ってスピードを出す人は少なくないだろうから、警察官は指摘すれば手軽に捕まえられると思っている。結局、警察官は点数稼ぎのために、自分のさじ加減で交通違反を取り締まっているのだ。取り締まるほうがいい加減なのだから、自転車やLUUPの利用者も交通ルールにいい加減だともいえる。まずは取り締まりのあり方を根本的に見直すべきだ。 23年7月、政府は物流の2024年問題――残業規制強化で引き起こされるドライバー不足――に対応するため、高速道路を走るトラックの制限速度を現行の時速80キロメートルから100キロメートルへ引き上げる方針を示した。安全のために設定される制限速度は、現場ごとの状況に合わせてルールが作られている。それなのに、こともあろうか安全性の検証を飛ばして、政治家の「鶴の一声」でルールを変えようとしているのだ。 トラックの制限速度の規制緩和は、経済産業省の猛プッシュがあった電動キックボード推進と情景が被る。 私は散歩を日課としている。いままではルール無視の自転車に脅かされてきたが、最近は電動キックボードにハッとすることが多い。このようなありさまなので、散歩にはクルマ通りの少ない狭い道を選ばざるをえない。同じような思いをしている人が、ほかにもたくさんいるはずだ。モビリティに関しては、第一に安全性を犠牲にしてはならないことを肝に銘じてほしい』、「こともあろうか安全性の検証を飛ばして、政治家の「鶴の一声」でルールを変えようとしているのだ。 トラックの制限速度の規制緩和は、経済産業省の猛プッシュがあった電動キックボード推進と情景が被る」、規制する以上、科学的な根拠が必要な筈だ。「「自動車やバイクの速度超過は、測定区間が200メートル以上ないと無効」と教えてもらったことがある」、これは2点間で速度を図るネズミ捕りで、自動取締装置のオービスでは瞬時で快速可能だ。「日本の道路交通法の取り締まりには不可解な点が多すぎる。 たとえば、自動車の一時停止違反。交差点手前の一時停止線が、左右の見通しが悪い箇所に引かれている。警察は罠にかかる獲物を待つかのように、交差点から見えないところで、一時停止違反を厳しく取り締まっている」、は大いに問題だ。大前氏の主張には、全面的に同意できる。 
タグ:プレジデント 2023年9月15日号 医療関係者がエビデンス(根拠)を示すケースが増えている状況があげられる・・・解決策として推奨されているのが、「省エネ住宅+24時間全館空調システム」を導入すること。要は、高い断熱性とどの場所にいてもほぼ一定温度の住空間を実現することが重要というわけだ』、なるほど。 「省エネ性能を高めるには建物の断熱性能の強化が必要。無断熱住宅をZEHなどに置き換えることで、少なくともヒートショックが多発する現状を改善できると考えているわけだ。 もう1つ、近年の大きな傾向として、とくに高齢者による住宅内事故の防止策とヒートショック改善の関係について、 「2019年の住宅内の不慮の事故死者数1万3800人の内訳は、多い順に「溺死及び溺水」(5673人)、「窒息」(3187人)、「転倒・転落・墜落」(2394人)となっている。 このうち「溺死及び溺水」の要因の1つに「ヒートショック」がある。これは暖かな空間から寒い空間に移動した際、急激な温度変化により血圧が乱高下し脳内出血や大動脈解離、心筋梗塞、脳梗塞などを引き起こすことをいう」、なるほど。 「住宅(家庭)内の不慮の事故」による死亡者数」は「2019年のデータを紹介しておくと1万3800人・・・一方、交通事故での死亡者数は3215人(2019年)。住宅内の死亡者数は交通事故と比べ4倍超に」、 田中 直輝氏による「交通事故死の4倍!「住宅内の事故死」深刻な実態 年1万3000人も死亡、2021年のコロナ死に匹敵」 たとえば、自動車の一時停止違反。交差点手前の一時停止線が、左右の見通しが悪い箇所に引かれている。警察は罠にかかる獲物を待つかのように、交差点から見えないところで、一時停止違反を厳しく取り締まっている」、は大いに問題だ。大前氏の主張には、全面的に同意できる。 「「自動車やバイクの速度超過は、測定区間が200メートル以上ないと無効」と教えてもらったことがある」、これは2点間で速度を図るネズミ捕りで、自動取締装置のオービスでは瞬時で快速可能だ。「日本の道路交通法の取り締まりには不可解な点が多すぎる。 「まずは、自転車のルールを明確にすべきなのだ。自転車は軽車両という「クルマ」なのだから、原則的には車道の走行を徹底したほうがいい。例外をつくるのは、子どもを前後に乗せてゆっくり走っている自転車くらいでよい。 「こともあろうか安全性の検証を飛ばして、政治家の「鶴の一声」でルールを変えようとしているのだ。 トラックの制限速度の規制緩和は、経済産業省の猛プッシュがあった電動キックボード推進と情景が被る」、規制する以上、科学的な根拠が必要な筈だ。 「インフラ整備やルール教育も含め、自転車に関してはオランダとデンマークから学べるものは多い。特に平地が広がっている東京都などの都市圏はまるごとオランダ式を導入すると、住みやすい街になるに違いない」、同感である。 ルールを自転車の乗り手だけでなく、自動車のドライバーや歩行者に周知することも大切である・・・社会全体で自転車のルールを共有してこそ、安全な交通が実現するのだ」、なるほど。 「フランス政府も国民の電動キックボードへの反発を重く受け止めており、交通違反の罰金額を引き上げるなど、規制強化策を発表している。一方日本は、フランスという格好の先行事例があるにもかかわらず、規制緩和に突っ走っている。正気の沙汰ではない」、「日本」では誰が後押ししているのだろう。 大前研一「電動キックボードは危険すぎる」…世界の潮流に逆らう道交法改正のウラ側 パリでは9割が反対なのに日本では規制緩和」 住宅の安全・安心に関するソリューションは事故が発生してから導入される、つまり後手に回り対処療法的になりがちなのも問題点の1つと言えるだろう」、なるほど。 「東京消防庁がまとめた「救急搬送データからみる日常生活事故の実態(2019年)」によると、都内で救急搬送された14万4767人のうち、5割強の7万4677人が「住居等居住場所」での事故によるものだったとしている。 この資料には発生要因が明示されていないが、例えば高齢者が脳内出血や大動脈解、心筋梗塞、脳梗塞などを発症した場合、その後の生活が不自由なものになることは想像にかたくない。 「断熱リフォームを実施する場合は大規模な工事となり、費用は安くても数百万円になる。ましてや新築なら数千万円単位になるため、次々に住み替えをしたり新しい機能を積極的に入れることはかなり難しい。 こうした住宅ならではの事情が、住宅内での死亡者数が減らない要因の1つとなっているわけだが、住宅にもソリューションがないわけでは決してない。例えば、断熱リフォームでは低コスト、かつ短工期の仕組みもある」、なるほど。 東洋経済オンライン (その2)(交通事故死の4倍!「住宅内の事故死」深刻な実態 年1万3000人も死亡、2021年のコロナ死に匹敵、大前研一「電動キックボードは危険すぎる」…世界の潮流に逆らう道交法改正のウラ側 パリでは9割が反対なのに日本では規制緩和) 安心・安全
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相次ぐ警察の重大ミス(その9)(ガーシー容疑者インスタの“ピースサイン”にSNSイライラ…捜査はその後どうなっている?、『VIVANT』でスポットを浴びている「公安警察」…彼らが日常的に行っている「別件逮捕」の衝撃的な手法、『VIVANT』活躍している「公安警察」…日本人が知らない 日本の「刑事警察と公安警察」の根が深い確執) [社会]

相次ぐ警察の重大ミスについては、本年5月14日に取上げた。今日は、(その9)(ガーシー容疑者インスタの“ピースサイン”にSNSイライラ…捜査はその後どうなっている?、『VIVANT』でスポットを浴びている「公安警察」…彼らが日常的に行っている「別件逮捕」の衝撃的な手法、『VIVANT』活躍している「公安警察」…日本人が知らない 日本の「刑事警察と公安警察」の根が深い確執)である。

先ずは、5月15日付け日刊ゲンダイ「ガーシー容疑者インスタの“ピースサイン”にSNSイライラ…捜査はその後どうなっている?」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/322936
・『《結局、ガーシーの方が一枚上手。ガーシーの代わりに先に逮捕された人も不起訴になるんじゃないの。》 芸能人らに対する暴力行為法違反(常習的脅迫)などの疑いで逮捕状が出ている元参院議員のガーシー容疑者(51歳、本名・東谷義和)が13日、自身のインスタグラムに「I'm fine」と書きウェイクサーフィンを楽しんでいる様子をアップ、ピースサインをし笑顔をみせた投稿したことに対し、SNS上では日本の捜査機関に対する批判の声が上がっている。 《日本の警察って何が目的なんでしょうね?この人を捕まえるのが目的だったのか、権力者の暴露をやめさすのが目的だったのか?》 《パスポートの効力を失効させて強制送還のシナリオはどうなったの?。いつまでもやりたい放題ってか》 《余裕じゃないこの人。警察は何やっているの》 どうやら、いまだに悠々自適の生活を送り続けるガーシー容疑者に対し、いらだちを覚えているようだが、実際の捜査はどうなっているのか。) 「潜伏先とされる現地ドバイに日本の捜査員が向かったのは確認されているのですが、どうやら所在が分からず、いったんは帰国したと聞いています。ただ、その後、現地で日本の武道を教えている警察関係者がいて、そのツテを頼りにガーシー容疑者の潜伏先が分かったとも聞いている。警察当局はガーシー容疑者のSNS投稿は捜査をかく乱する手段と理解しているから、ネットの反応、批判はどうでもいいとして、まずは確実に本人の身柄を抑えることを優先にしている。今も静かに捜査は続いているし、確実に本人に近づいていますよ」(警察庁担当記者) ガーシー容疑者は、逃げれば逃げるほど、罪が重くなると理解した方がよさそうだ』、「ガーシー容疑者」は6月に逮捕され、本日付けのNHKニュースによれば、9月19日の初公判で元議員は起訴された内容について、「間違いありません。大変申し訳ありませんでした」などと述べて謝罪。3000万円の保釈金を払って保釈される予定のようだ。

次に、9月15日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの青木 理氏による「『VIVANT』でスポットを浴びている「公安警察」…彼らが日常的に行っている「別件逮捕」の衝撃的な手法」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/115843?imp=0
・『誰も書けなかった公安警察の真実。 TBS系日曜劇場『VIVANT』(日曜よる9時~)が話題となっているが、役所広司演じるノゴーンベキがかつて「裏切られ」、阿部寛演じる野崎守の所属する公安警察とはどんな組織なのか? 本記事では、公安警察の組織構造と役割について、くわしくみていく』。 *本記事は2000年1月に刊行された青木理『日本の公安警察』から抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・』刑事警察との違い  公安警察と刑事警察は、同じ警察組織の中に存在する部門でありながら、その活動内容、手法において全く性質を異にした組織である。 端的に言えば、公安警察とは情報警察である。もちろん事件が発生すれば刑事警察と同様、犯人の検挙に向けて捜査活動を繰り広げる。例えば刑事警察が殺人事件の捜査に着手すれば、捜査員は現場で証拠を収集し、周辺を聞き込みし徐々に証拠を積み重ね、犯行動機を洗い出して被疑者に辿り着く。容疑が固まれば逮捕し、被疑者を取り調べる。 被疑者との駆け引きの中で自供を引き出し、余罪がなければ事件は全面解決、捜査は終結する。 公安警察においても、事件が発生すれば基本的に同様の作業は行われる。だが、事件自体の質と公安警察が内包する性質により、その手法は根本的に異なる。爆弾事件を例に取れば、爆弾の残留物から類推される構造から犯行団体を推し量るのは公安警察にとってごく初歩的な捜査の常道であるし、標的となった対象人物・場所などからも団体を推測しうる。 多くの場合、犯行団体側から「犯行声明」すら発せられる。つまり犯人は最初からおおよそで「分かっている」のである。言葉を換えれば、公安警察にとっては日常の情報収集活動によって、犯行直後に団体を特定できないようでは話にならない。 犯行声明も発せられず、突然出現したグループが引き起こした初出の事件であったとしても、ある思想性に基づいた犯行であるならば、縦横無尽に張り巡らせた情報網によって容疑適格者に網をかぶせ、尾行・監視などの手法によって徐々に絞り込んで被疑者に迫っていく。公安警察の捜査手法とは、いわば完全な「見込み捜査」である。 さらに言えば、公安警察の捜査において被疑者の逮捕はもちろん大きな目標ではあるが、逮捕によって事件が終結するわけではない。対象団体の動向と組織実態の解明が何よりも優先される公安警察にとって、逮捕は所詮、その一過程、単なる通過点にすぎない』、「多くの場合、犯行団体側から「犯行声明」すら発せられる。つまり犯人は最初からおおよそで「分かっている」のである。言葉を換えれば、公安警察にとっては日常の情報収集活動によって、犯行直後に団体を特定できないようでは話にならない」、「公安警察の捜査手法とは、いわば完全な「見込み捜査」である。 さらに言えば、公安警察の捜査において被疑者の逮捕はもちろん大きな目標ではあるが、逮捕によって事件が終結するわけではない。対象団体の動向と組織実態の解明が何よりも優先される公安警察にとって、逮捕は所詮、その一過程、単なる通過点にすぎない」、なるほど。
・『別件逮捕、転び公妨  両者の姿勢の違いが典型的に現れるのが、警察にとって最高度の権力行使である「逮捕」に対する認識の違いであろう。 例えば「別件逮捕」は刑事、公安警察双方が使う手法である。その是非は論じないが、刑事警察では多くの場合、別件逮捕はあくまでも本件へ至る端緒を引き出すための非常手段であるのに対し、公安警察におけるそれは、対象団体組織に対する情報収集活動の一環としての色彩が濃く、時には対象組織に対しダメージを与えることに重きが置かれる傾向が強い。 それゆえに本件とは何ら関係のない完全な別件、あるいはきわめて微罪による逮捕や家宅捜索が日常的に行われ、それに対するためらいはない。 公安警察内で「転び公妨」と呼ばれる手法がある。複数の公安警察官が対象人物を取り囲み、職務質問なり所持品検査なりを強行し、相手が抵抗して取り囲んだ公安警察官に触れたり、押しのけようとしたら直ちに公務執行妨害。 時には公安警察官が対象人物の前で勝手に転び、公務執行妨害という「虚像」を演出することすらある。「転び公妨」と呼称されるゆえんだ。公安警察にとっては、身柄確保が最優先の場合の「伝家の宝刀」であり、幹部の中には「転び公妨の名手」などという冗談とも本気ともつかない評価を与えられている人物すら存在する。 日本国内に潜入していた日本赤軍メンバー、丸岡修が東京・箱崎の東京シティエアターミナル(TCAT)で逮捕されたのは1987年11月。直接の逮捕容疑は公務執行妨害だったが、典型的な「転び公妨」だった。 丸岡はこんな手記を寄せている。 「11月20日の夜10時頃にTCATに着いたのであるが、その一階で二人の公安刑事に呼び止められ『荷物を見せてほしい』とされ、それに応じた。(略)荷物を片づけ終わる頃に『押しただろう。公務執行妨害だ』と一人がわめいたが、『何もしていないじゃないですか』というと黙った。もう一人が他の者に合図して呼び、デカが三人になったところで、一人が勝手に後ろに三歩ほど下がってヨロヨロとしゃがむふりをして『公務執行妨害だ!』。それで『現行犯逮捕』の一丁上がりという次第」 オウム真理教事件の際も、刑事警察と公安警察の違いが先鋭的に現れた。後の章で詳しく述べるが、オウム捜査における警察組織全体の情景を俯瞰すると、刑事部門には逮捕した被疑者の取り調べによって地下鉄サリン、坂本弁護士事件など主要事件の解決を目指す仕事が割り振られ、公安警察にはこれと対照的に、逃亡信者の身柄確保と教団組織の解明が任務として与えられた。 それぞれが得意とする分野を割り振られた形だった。現実に、刑事警察が本件での逮捕を頑なに目指したのに対し、公安警察はありとあらゆる法令を駆使して信者を片っ端から拘束する作業に邁進した。 警視庁が教団への強制捜査に着手した後、教祖麻原彰晃の居所が不明だった時期のこと。警視庁刑事部が地下鉄サリン事件を容疑とした教祖逮捕に全力を尽くしていたのに対し、公安部幹部はこう断言した。公安警察の特性がきわめて率直に露わになった一言だった。 「容疑なんか何でもいい。とにかく見つけたら公妨でも何でもいいからパクればいいんだ」』、「時には公安警察官が対象人物の前で勝手に転び、公務執行妨害という「虚像」を演出することすらある。「転び公妨」と呼称されるゆえんだ。公安警察にとっては、身柄確保が最優先の場合の「伝家の宝刀」であり、幹部の中には「転び公妨の名手」などという冗談とも本気ともつかない評価を与えられている人物すら存在する」、「教祖麻原彰晃の居所が不明だった時期のこと。警視庁刑事部が地下鉄サリン事件を容疑とした教祖逮捕に全力を尽くしていたのに対し、公安部幹部はこう断言した。公安警察の特性がきわめて率直に露わになった一言だった。 「容疑なんか何でもいい。とにかく見つけたら公妨でも何でもいいからパクればいいんだ」、確かに「公安警察の特性」を端的に表している。
・『幹部の特権  「事実を自分で正確につかんでホシと闘うこと」 警視庁捜査一課で名刑事と謳われた平塚八兵衛の捜査哲学が、刑事警察の本質をかなり正確に言い当てている。近年は捜査手法の組織化、システム化の波が押し寄せているとはいえ、刑事警察における個々の捜査員は一匹狼的な一種の個人事業主といった色彩が濃い。 これに対して公安警察の捜査員は良くも悪くも完全な「コマ」である。「コマ」のひとつひとつが孤独な、しかし職人的とも言える作業によって情報をかき集める。その情報は上層部に行くほど全体像を描き出し、一枚の映像となって立ち現れる。 警視庁公安部の幹部が言ったセリフで忘れられない一言がある。 「情報をシャワーのように浴びること。シャワーのように浴びた上で判断し、決断を下すこと。それが公安警察における幹部の在り方だ」 この幹部の一言には、後に続くべきセリフが抜け落ちている。情報をシャワーのように浴びるのは幹部に限られるのである。第一線の公安警察官はパズルの断片にも似た情報の収集に邁進し、そのパズルが像の全体の中でどこに位置するのかを知ることは少ない。画像の完成型を頭に描こうとし、実際に描くことができるのは、ごく一部の幹部だけである。第一線の公安警察官は隣の同僚が何を目的とし、どのようなパズルの断片の収集に取り組んでいるのか、原則的には知り得ない。 さらに【つづき】〈日本人が知らない、「刑事警察と公安警察」の根が深い確執〉では、刑事警察と公安警察の不仲について、くわしくみていく』、「刑事警察における個々の捜査員は一匹狼的な一種の個人事業主といった色彩が濃い。 これに対して公安警察の捜査員は良くも悪くも完全な「コマ」である。「コマ」のひとつひとつが孤独な、しかし職人的とも言える作業によって情報をかき集める。その情報は上層部に行くほど全体像を描き出し、一枚の映像となって立ち現れる。 警視庁公安部の幹部が言ったセリフで忘れられない一言がある。 「情報をシャワーのように浴びること。シャワーのように浴びた上で判断し、決断を下すこと。それが公安警察における幹部の在り方だ」 この幹部の一言には、後に続くべきセリフが抜け落ちている。情報をシャワーのように浴びるのは幹部に限られるのである。第一線の公安警察官はパズルの断片にも似た情報の収集に邁進し、そのパズルが像の全体の中でどこに位置するのかを知ることは少ない』、「公安警察」も上層部に行かないと、面白くないようだ。

第三に、9月15日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの青木 理氏による「『VIVANT』活躍している「公安警察」…日本人が知らない、日本の「刑事警察と公安警察」の根が深い確執」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/115849?imp=0
・『誰も書けなかった公安警察の真実。 TBS系日曜劇場『VIVANT』  日曜よる9時~)が話題となっているが、阿部寛演じる野崎守の所属する公安警察とはどんな組織なのか? 本記事では、〈公安警察で日常的に行われている、日本の公安警察の「別件逮捕」の衝撃的な手法〉に引き続き、刑事警察と公安警察の違いについて、くわしくみていく。 *本記事は2000年1月に刊行された青木理『日本の公安警察』から抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『刑事警察との不仲  警察幹部がいかに言い繕おうと、いかに声高に警察組織の一体性を主張しようと、公安警察と刑事警察は現実的に水と油であり、その確執は根が深い。警察を取材すると、公安、刑事双方の現場捜査員から、時に激烈に、時にはソフトな口調ながら、互いの存在に対する誹謗めいたセリフを耳にする。 公安警察側は刑事警察を評してこう言う。 「一つの事件を挙げたら背後関係も調べずに捜査を終結させるんだから底が浅い」「尾行にしたって相手はシロウト。楽なものだ」 対する刑事警察側の反論はこうだ。 「金と人を大量に注ぎ込んで事件の解決もできず、役立たずで時代遅れの情報ばかりかき集めている」 「ホシを落としたこともない。取り調べの一つすら満足にできない」 有名な言葉がある。 「泥棒を捕まえなくても国は滅びないが、左翼をのさばらせれば国が滅ぶ」 警視庁捜査一課などで刑事として長く勤務した鍬本實敏は著書『警視庁刑事』の中で、公安警察についてこう語っている。「刑事部と違って、(略)泥棒なんて単なる物と物の移動に過ぎない、一人や二人殺したからって、そんなものがなんだ、おれたちは国家を背負っているんだ、とそんな意識でしょう。刑事なんか馬鹿だと思っている」 また元警察官僚で刑事部門を長く指揮した鈴木達也は、ノンフィクション作家の小林道雄のインタビューに対して「(警備公安警察は)モンロー主義、秘密主義、事大主義で、自分たちの情報は同じ警察の仲間にだって絶対に出さない」と述べた。 また著書の中では1960年代初頭、福岡県警捜査二課で捜査していた選挙違反事件に政治の圧力が掛けられて中断したことを嘆き、こう記している。 「すでに刑事警察は沈滞期に入っていた。治安に直接かかわる警備公安警察にウェイトがかかり、人も予算も組織も警備公安警察が中心になっていた。強盗や殺人犯人の一人や二人、検挙されなくったって治安に影響はない。まして、選挙違反や汚職に目の色を変え、金と組織を割くなどということは愚かなこと。そんな考え方が警察の中に充満しつつあった」(『山口組壊滅せず』)』、「「すでに刑事警察は沈滞期に入っていた。治安に直接かかわる警備公安警察にウェイトがかかり、人も予算も組織も警備公安警察が中心になっていた。強盗や殺人犯人の一人や二人、検挙されなくったって治安に影響はない。まして、選挙違反や汚職に目の色を変え、金と組織を割くなどということは愚かなこと。そんな考え方が警察の中に充満しつつあった」、なるほど。
・『「公安偏重」は終わるか  日本警察の中でも、公安部門はエリートとされてきた。実際、第一線の公安警察官は「治安の守護者」としての強烈な意識を持つ。組織内でも徹底的に選民意識を叩き込まれる。時には警察組織金体が自分たちのために存在すると考えるほどである。公安部門がエリートコースであるのは警察組織のトップ、警察庁長官の経歴を振り返るだけでも裏付けられる。 第17代長官の関口祐弘までのうち、警備局長からトップの座に進んだのは長官経験者の約半数にあたる8人。警備局長は経験していなくとも「警備・公安畑出身」と認定されている人物を含めると10人を軽く超える。なかでも1969年8月、第6代長官に後藤田正晴が就任して以降、88年1月までの任期で第12代長官を務めた山田英雄までの間は、一代を除き約20年間もの間、警備局長出身者が連統して警察庁長官に就任している。 一方、刑事局長から長官に就任したのはわずか3人。なかにはオウム事件最中に銃撃された国松孝次も含まれているが、国松は公安警察のもう一つの顔とも言える警視庁公安部長の経験者であり、評価は「刑事・公安をバランスよく経験した長官」。 つまり刑事警察を主流に歩んで長官に至るのはきわめて困難だったのに対し、公安警察が組織の中枢を占めるという状況が長年にわたって続いてきた。 多く指摘される点でもあるが、改善が叫ばれて久しい刑事警察の弱体化も、公安警察が60年、70年安保闘争などを契機として極度に肥大化してきたことと無縁ではない。 公安警察偏重の雰囲気の中で刑事警察を軽視したことがグリコ・森永事件など重要犯罪の未解決につながっているとの指摘も多くなされ、結局はオウム真理教による犯行だった坂本堤弁護士事件が長期間、未解決だった背景に、坂本弁護士が神奈川県警による盗聴事件を追及する弁護士も在籍していた弁護士事務所に所属していたことと関連づける声があり、全く無関係とは言えないのも事実であろう。 しかし、最近は警察内の公安偏重の雰囲気に微弱ながら多少変化が現れてきたようだ。 東西冷戦が終結し、かつて脅威とされた共産圏諸国はほとんどが姿を消した。日本国内における左翼勢力の力も減退した。最近、ある公安警察幹部が「もう俺たちがエリートだなんていう時代は終わりだよ」と投げやりにつぶやいた。 別の幹部は「天下りの就職先を考えたら、公安より防犯(生活安全)、交通部門に行きたい」と冗談めかしながらも漏らした。 この流れが定着していくのだろうか──。実証されるには、さらに時間が必要だろう。 本記事の抜粋元『日本の公安警察』では、監視・尾行・盗聴・スパイ養成の実践法など、誰にも書けなかった“治安活動”の真実が書かれています』、「第17代長官の関口祐弘までのうち、警備局長からトップの座に進んだのは長官経験者の約半数にあたる8人。警備局長は経験していなくとも「警備・公安畑出身」と認定されている人物を含めると10人を軽く超える。なかでも1969年8月、第6代長官に後藤田正晴が就任して以降、88年1月までの任期で第12代長官を務めた山田英雄までの間は、一代を除き約20年間もの間、警備局長出身者が連統して警察庁長官に就任」、「東西冷戦が終結し、かつて脅威とされた共産圏諸国はほとんどが姿を消した。日本国内における左翼勢力の力も減退した。最近、ある公安警察幹部が「もう俺たちがエリートだなんていう時代は終わりだよ」と投げやりにつぶやいた。 別の幹部は「天下りの就職先を考えたら、公安より防犯(生活安全)、交通部門に行きたい」と冗談めかしながらも漏らした」、確かに「天下りの就職先を考えたら、公安より防犯(生活安全)、交通部門に行きたい」というのも理解できる。いまさら「公安」でもあるまい。
タグ:「公安警察の捜査手法とは、いわば完全な「見込み捜査」である。 さらに言えば、公安警察の捜査において被疑者の逮捕はもちろん大きな目標ではあるが、逮捕によって事件が終結するわけではない。対象団体の動向と組織実態の解明が何よりも優先される公安警察にとって、逮捕は所詮、その一過程、単なる通過点にすぎない」、なるほど。 「多くの場合、犯行団体側から「犯行声明」すら発せられる。つまり犯人は最初からおおよそで「分かっている」のである。言葉を換えれば、公安警察にとっては日常の情報収集活動によって、犯行直後に団体を特定できないようでは話にならない」、 「東西冷戦が終結し、かつて脅威とされた共産圏諸国はほとんどが姿を消した。日本国内における左翼勢力の力も減退した。最近、ある公安警察幹部が「もう俺たちがエリートだなんていう時代は終わりだよ」と投げやりにつぶやいた。 別の幹部は「天下りの就職先を考えたら、公安より防犯(生活安全)、交通部門に行きたい」と冗談めかしながらも漏らした」、確かに「天下りの就職先を考えたら、公安より防犯(生活安全)、交通部門に行きたい」というのも理解できる。いまさら「公安」でもあるまい。 「第17代長官の関口祐弘までのうち、警備局長からトップの座に進んだのは長官経験者の約半数にあたる8人。警備局長は経験していなくとも「警備・公安畑出身」と認定されている人物を含めると10人を軽く超える。なかでも1969年8月、第6代長官に後藤田正晴が就任して以降、88年1月までの任期で第12代長官を務めた山田英雄までの間は、一代を除き約20年間もの間、警備局長出身者が連統して警察庁長官に就任」、 「「すでに刑事警察は沈滞期に入っていた。治安に直接かかわる警備公安警察にウェイトがかかり、人も予算も組織も警備公安警察が中心になっていた。強盗や殺人犯人の一人や二人、検挙されなくったって治安に影響はない。まして、選挙違反や汚職に目の色を変え、金と組織を割くなどということは愚かなこと。そんな考え方が警察の中に充満しつつあった」、なるほど。 青木 理氏による「『VIVANT』活躍している「公安警察」…日本人が知らない、日本の「刑事警察と公安警察」の根が深い確執」 この幹部の一言には、後に続くべきセリフが抜け落ちている。情報をシャワーのように浴びるのは幹部に限られるのである。第一線の公安警察官はパズルの断片にも似た情報の収集に邁進し、そのパズルが像の全体の中でどこに位置するのかを知ることは少ない』、「公安警察」も上層部に行かないと、面白くないようだ。 「刑事警察における個々の捜査員は一匹狼的な一種の個人事業主といった色彩が濃い。 これに対して公安警察の捜査員は良くも悪くも完全な「コマ」である。「コマ」のひとつひとつが孤独な、しかし職人的とも言える作業によって情報をかき集める。その情報は上層部に行くほど全体像を描き出し、一枚の映像となって立ち現れる。 警視庁公安部の幹部が言ったセリフで忘れられない一言がある。 「情報をシャワーのように浴びること。シャワーのように浴びた上で判断し、決断を下すこと。それが公安警察における幹部の在り方だ」 疑なんか何でもいい。とにかく見つけたら公妨でも何でもいいからパクればいいんだ」、確かに「公安警察の特性」を端的に表している。 青木理『日本の公安警察』 「時には公安警察官が対象人物の前で勝手に転び、公務執行妨害という「虚像」を演出することすらある。「転び公妨」と呼称されるゆえんだ。公安警察にとっては、身柄確保が最優先の場合の「伝家の宝刀」であり、幹部の中には「転び公妨の名手」などという冗談とも本気ともつかない評価を与えられている人物すら存在する」、「教祖麻原彰晃の居所が不明だった時期のこと。警視庁刑事部が地下鉄サリン事件を容疑とした教祖逮捕に全力を尽くしていたのに対し、公安部幹部はこう断言した。公安警察の特性がきわめて率直に露わになった一言だった。 「容 それぞれが得意とする分野を割り振られた形だった。現実に、刑事警察が本件での逮捕を頑なに目指したのに対し、公安警察はありとあらゆる法令を駆使して信者を片っ端から拘束する作業に邁進した。 警視庁が教団への強制捜査に着手した後、教祖麻原彰晃の居所が不明だった時期のこと。警視庁刑事部が地下鉄サリン事件を容疑とした教祖逮捕に全力を尽くしていたのに対し、公安部幹部はこう断言した。公安警察の特性がきわめて率直に露わになった一言だった。 「容疑なんか何でもいい。とにかく見つけたら公妨でも何でもいいからパクればいいんだ」』 それで『現行犯逮捕』の一丁上がりという次第」 オウム真理教事件の際も、刑事警察と公安警察の違いが先鋭的に現れた。後の章で詳しく述べるが、オウム捜査における警察組織全体の情景を俯瞰すると、刑事部門には逮捕した被疑者の取り調べによって地下鉄サリン、坂本弁護士事件など主要事件の解決を目指す仕事が割り振られ、公安警察にはこれと対照的に、逃亡信者の身柄確保と教団組織の解明が任務として与えられた。 青木 理氏による「『VIVANT』でスポットを浴びている「公安警察」…彼らが日常的に行っている「別件逮捕」の衝撃的な手法」 現代ビジネス 「ガーシー容疑者」は6月に逮捕され、本日付けのNHKニュースによれば、9月19日の初公判で元議員は起訴された内容について、「間違いありません。大変申し訳ありませんでした」などと述べて謝罪。3000万円の保釈金を払って保釈される予定のようだ。 日刊ゲンダイ「ガーシー容疑者インスタの“ピースサイン”にSNSイライラ…捜査はその後どうなっている?」 (その9)(ガーシー容疑者インスタの“ピースサイン”にSNSイライラ…捜査はその後どうなっている?、『VIVANT』でスポットを浴びている「公安警察」…彼らが日常的に行っている「別件逮捕」の衝撃的な手法、『VIVANT』活躍している「公安警察」…日本人が知らない 日本の「刑事警察と公安警察」の根が深い確執) 相次ぐ警察の重大ミス
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教育(その31)(平安女学院の「クーデター事件」が恐ろしすぎる…辞任に追い込まれた名物理事長の告白《女性校長は 中高生までストライキに巻き込んだ》、港区の公立中学「修学旅行はシンガポール」は“格差”の象徴か ネットは炎上も専門家は「評価すべき」、人生に絶望したIQ130超「ギフテッド」女性が救われた「インド」と「ラジオ」 やっと気づいた「生きる喜び」 ギフテッドの光と影) [社会]

教育については、本年7月11日に取上げた。今日は、(その31)(平安女学院の「クーデター事件」が恐ろしすぎる…辞任に追い込まれた名物理事長の告白《女性校長は 中高生までストライキに巻き込んだ》、港区の公立中学「修学旅行はシンガポール」は“格差”の象徴か ネットは炎上も専門家は「評価すべき」、人生に絶望したIQ130超「ギフテッド」女性が救われた「インド」と「ラジオ」 やっと気づいた「生きる喜び」 ギフテッドの光と影)である。

先ずは、8月23日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの井上 久男氏によう「名門・平安女学院の「クーデター事件」が恐ろしすぎる…辞任に追い込まれた名物理事長の告白《女性校長は、中高生までストライキに巻き込んだ》を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/115198?imp=0
・『80億円近い累積債務  1875(明治8)年に設立され、日本で最初にセーラー服を制服に導入したと言われる老舗の女子中高を抱え、法人本部が京都御所の向かいにある名門の学校法人・平安女学院(京都市)で、理事長や学院長を長年務めていた山岡景一郎氏(92歳)が今年4月2日付で突如、辞任に追い込まれた。氏は経営破たん寸前の同学院を救済した功労者で、高齢ながらも、頭脳明晰で教育への熱意は衰えることがなく、政財界に太いパイプがある「名物理事長」として知られていた。 辞任の背景には「クーデターがあった」と指摘する声も出ている。なぜなら辞任に至る半年ほど前から一部の幹部らが週刊誌に対し、山岡氏にパワハラがあるかのような情報を流し、氏を追い出そうとしていると見られても仕方ない動きが起こっていたからだ。 学校法人内で起こったクーデターと見られる動きや辞任の経緯などについて山岡氏に聞いた(Qは聞き手の質問、Aは山岡氏の回答)。 Q:今年4月2日付で辞任した理由を教えてください。 A:「そのことを説明するためには、私が2003年に平安女学院の理事長に就任した経緯からお話しする必要があるでしょう。21年前の2002年当時、私の仕事は経営コンサルタントで、法人を運営していたキリスト教の聖公会の主教と当時の理事長から法人の再建のために理事長就任を要請されましたが、あまりに杜撰な経営体制と負債の多さに驚き、断りました。 しかし、亡妻が聖公会の熱心な信者であったため、見捨てるわけにもいかず、顧問・改革委員長として法人の再建を引き受けたわけですが、実際に法人の経営を目の当たりにすると、80億円近い累積債務があり、事実上、経営は破たんしていました。その債務のうち15億円は理事会の承認を得ていない、ノンバンクからの隠れ債務でした。 杜撰な経営体制だった理由は、教職員組合が学校経営を支配していたからでした。経営破たん寸前なのに教職員の賃金水準は京都府下でトップクラス。その賃金を支払うために、規律のない借り入れを行い、挙句には主要キャンパスまで売却するようなことをしていました。当時の経営陣も教職員の選挙で選ばれるなど、労組が背後から経営を操りやすい状況にありました。 
私が自ら交渉し、わずか1年近くで債務整理に目途をつけました。教職員に対しては、いったん退職金を支払ってやめてもらい、新人事制度の下、賃金を30%カットして再雇用しました。同時に経営に対する労組の関与も排除しました。 こうした改革を踏まえて2003年に私は理事長に就任しました。その後、経営上負担となっていた滋賀県・守山キャンパスの廃止なども行い、法人存続のために、リストラを続けましたが、同時に、大学は実学重視で就職率を高め、中・高は教育の質を高めることなどで入学者を増やし、経営を再建しました。私が理事長就任以来、赤字になったことはありません」』、「名門の学校法人・平安女学院(京都市)で、理事長や学院長を長年務めていた山岡景一郎氏(92歳)が今年4月2日付で突如、辞任に追い込まれた。氏は経営破たん寸前の同学院を救済した功労者で、高齢ながらも、頭脳明晰で教育への熱意は衰えることがなく、政財界に太いパイプがある「名物理事長」として知られていた。 辞任の背景には「クーデターがあった」と指摘」、「80億円近い累積債務があり、事実上、経営は破たんしていました。その債務のうち15億円は理事会の承認を得ていない、ノンバンクからの隠れ債務でした。 杜撰な経営体制だった理由は、教職員組合が学校経営を支配していたからでした。経営破たん寸前なのに教職員の賃金水準は京都府下でトップクラス」、「私が自ら交渉し、わずか1年近くで債務整理に目途をつけました。教職員に対しては、いったん退職金を支払ってやめてもらい、新人事制度の下、賃金を30%カットして再雇用しました。同時に経営に対する労組の関与も排除しました。 こうした改革を踏まえて2003年に私は理事長に就任しましt・・・大学は実学重視で就職率を高め、中・高は教育の質を高めることなどで入学者を増やし、経営を再建しました」、本当に「実力があり、実績も上げてきたのに、「クーデターで追われたとは難しいものだ。
・『元労組委員長の女性校長  「理事長辞任までの間に、私財で現金約1200万円、私が経営していた旅館の備品類約1500万円相当を法人に寄付しています。 また、傘下の平安女学院大学は小規模私学であり、定員が多い大規模私学に学生を奪われる傾向がありましたので、それを是正するために、下村博文・文科相(当時)に事情を詳しく話し、小規模校のハンディキャップを取り除く対策の実現に繋げることができました。 自ら功労者というのは憚られますが、法人を再建した功績は棚の上に上げ、今回のクーデターは20年前の意趣返しと言っても過言ではないでしょう。はっきりと申し上げますが、その首謀者は、平安女学院中・高校の校長を務める今井千和世氏(70歳)です。今井氏は労組委員長を務めていた関係で今でも労組への影響力があります。彼女が中心となって私の追い出し工作を進めました。今井氏の動きに協力したメンバーはほとんどが20年前に労組幹部だった面々です。 私を追い出した後、彼女は法人の理事に就き、理事会を実質支配しているようです。私の後任の理事長に就いた毛利憲一氏はほとんど影響力を持っていないようです。今井氏らは早速、理事の定年を80歳に延長しました。自らが居座るつもりでしょう。さらに、一時金15万円の支給や幹部に対する手当の増額を決め、少子化の影響で23年には経常赤字に転落する可能性がある中で、教職員に大盤振る舞いしている。20年前の悪夢の再来です」 Q:追い出し工作とは、どのようなことがあったのですか。 A:「2021年3月1日に行われた高校の卒業式での私の挨拶の言葉尻をとらえて今井氏が一部の保護者らを巻き込んで私を辞めさせる運動を展開しました。 私は式辞で、「世の中には、どうしてもいて欲しい人、どちらかと言えばいて欲しい人、いてもいなくてもいい人、いたらあまりよくない人、いたら害になる人の5種類のタイプがいる」と語りました。卒業生に世の中で必要とされる人材になってくださいという激励の意味がありました。 私は、拙著『平安女学院の奇跡』(2017年、PHP研究所)でも同じことを言っていますし、文科省が後援するマナー講座の教科書にも同様のことが紹介されています。卒業式の2ヵ月前にあった教職員の研修会でも同じ話をしていますが、何も問題は起こりませんでした」』、「平安女学院大学は小規模私学であり、定員が多い大規模私学に学生を奪われる傾向がありましたので、それを是正するために、下村博文・文科相(当時)に事情を詳しく話し、小規模校のハンディキャップを取り除く対策の実現に繋げることができました」、政治力もあったようだ。
・『中高生まで参加したストライキ  「ただ、私の発言が多くの人に誤解や不快感を与えるなら、反省しないといけませんが、常識に照らしてもまっとうなことを言ったつもりです。 しかし、この発言が学院の掲げるキリスト教の教えに反するとして、今井氏らが中心となって私の排斥運動を始めました。私には単なる言いがかりのようにしか見えません。 今井氏は校長という立場を利用して、教職員会議を二度にわたって理事長糾弾の決起集会の場に使ったり、配下の教員を使って勤務時間中に理事長排斥の賛同集めを繰り返したり就業規則などに著しく反する行動を行ったため、2021年6月に法人の懲戒委員会にかけられた結果、懲戒解雇が相当との判断が下されました。 これに対し、今井氏は京都地裁に懲戒処分をしないことを求める仮処分申請を行い、一連の動きをメディアに流しました。私は学校のイメージが悪化することを憂慮して、今井氏と話し合って、懲戒解雇処分の撤回を決めました。 もともと今井氏は、65歳の定年を延長して中高の校長を務めていたので、これを機会に退任し、後任含みで有力な提携校である学校法人立命館から羽田澄氏を副校長で迎え入れる人事が2022年1月に決まりました。約1年かけて今井氏から羽田氏に校長業務が引き継がれるはずでしたが、パソコン内の管理職フォルダが削除され、教職員会議をはじめとする各種の会議での執拗な嫌がらせが続きました。それらの行為について、私は今井氏や組合幹部が行ったものと見ています。その影響で、羽田氏は身心に不調をきたして23年3月に退任しました。羽田氏は文書で、詳細にどのような嫌がらせが行われたのか提出しています。 かつて今井氏は手下の教職員と一緒に「庭を掃除したい」と言って、私の自宅に来たことがあります。彼女は私に対する「二つの顔」を巧みに使い分け、定年後も校長として居座って何とか自分の生き残りを図り、その間に私を引きずり下ろすことを狙っていたのだと思います」 Q:辞任の決定打となるような動きは他にもあったのですか。 A:「2023年1月に教職員組合が私の退任を求めてストライキを断行し、理事長退任を求める約5000人の署名が提出されました。ストライキには、中高生まで参加するという異常事態です。今井氏は参加した生徒らに向けて拍手していました。 その署名活動などを調べると、どうも教職員の力だけでできるような規模ではなく、外部と結んだ政治活動の様相を帯びていました。生徒を政治活動に参加させても良いものかと私は疑問を感じています」』、「今井氏は、65歳の定年を延長して中高の校長を務めていたので、これを機会に退任し、後任含みで有力な提携校である学校法人立命館から羽田澄氏を副校長で迎え入れる人事が2022年1月に決まりました。約1年かけて今井氏から羽田氏に校長業務が引き継がれるはずでしたが、パソコン内の管理職フォルダが削除され、教職員会議をはじめとする各種の会議での執拗な嫌がらせが続きました。それらの行為について、私は今井氏や組合幹部が行ったものと見ています。その影響で、羽田氏は身心に不調をきたして23年3月に退任しました」、「「2023年1月に教職員組合が私の退任を求めてストライキを断行し、理事長退任を求める約5000人の署名が提出されました。ストライキには、中高生まで参加するという異常事態です」、なるほど。
・『率直に言えば、裏切られた  「ただ、今井氏は校長として、進学に関しての推薦や授業料減免で権限を持っているため、生徒や保護者が今井氏の方を向いてしまう現実は仕方ないので、ストライキに参加した学生や署名した保護者を恨む気持ちは全くなく、自分の権力を利用して、法人内の争いに生徒や保護者を巻き込んだ今井氏の手法が許せません。 このストライキと前後して、一部の週刊誌やネットメディアで、今井氏が、私が独裁やパワハラを行っているような発言をする記事が掲載されて世間を騒がし始め、私も心労が重なって体調が崩れかけたため、これ以上、法人に迷惑をかけたくないと思いから辞任を決めました。 自分の名誉のために敢えて申し上げますが、私にパワハラがあった否か法人の監事である弁護士が調査して、2023年3月29日付で報告書が提出されていますが、その中では、パワハラ行為は認められなかったと報告されています。 独裁か否かについては、私はかねてより私の経営手法は「衆議独裁」と法人内でも言ってきました。厳しい経営判断は、経営トップが責任をもって一人で行うが、判断に至るまでのプロセスにおいては意見を吸い上げるという意味です。 また、私が就任当初、影響力を排除した労組の幹部でも活用できる人材は活用してきました。その典型が今井氏でしょう。率直に言えば、裏切られたとの思いもあります。 また、法人監事による調査はそもそも保護者や教員からの要望で行われたものですが、私を追い出した連中にとっては都合の悪い調査結果になったため、非公開の扱いにしてくれと言いました。私は、それはおかしいと思いますので、中高のすべての保護者にそれを送ったところ、その行為に対して、法人の現理事長である毛利憲一氏から内容証明の郵便が届き、名誉理事長職や名誉学院長職をはく奪する可能性があると通告してきました。そもそもこうした報告書を非公開とすることがおかしいし、メディアを使って私にパワハラ行為があることをでっち上げておきながら、よくそんなことが言えるなと思います。私の行為にパワハラがあると吹聴した今井氏に対しては法的措置も検討したいと思っています」 Q:現在も名誉理事長であり、20年近く法人の経営を担ってきた立場として、今後の平安女学院に対して何かメッセージはありますか。 A:「私が理事長に就いた当初、平安女学院高校と言えば、制服の着こなしが乱れ、茶髪もOKで、地元でも評判が悪い学校でした。私はこうした校風の立て直しにも注力しましたが、今井氏は茶髪もOK、スマートフォンの利用も自由というふうに生徒心得を教職員の合意がないまま変えました。以前の平安女学院に戻ってしまうことを危惧しています。 023年度には、大学の入学者が定員の半分程度になっており、これでは経常赤字に陥る可能性が高く、この少子高齢化で回復させるのは至難の業です。 経営状況の悪化を受けて、理事会は、私が苦心して購入し、法人の迎賓館として、あるいは教養のために茶道を学ぶ場として活用してきた旧有栖川宮邸を売却する方向で動いているようです。売却すれば20億円程度の利益が出るので、その売却益で退職金などを捻出し、一息つく算段であることが透けて見えます。 また、最近発売された『宗教問題』という雑誌で、宗教系学校の経営問題が取り上げられ、そこで今井氏が、2024年に平安女学院大学の募集を停止する可能性に言及し、中高にも大胆な改革が必要になるとか、人員整理が必要だと述べていますが、私から見れば元労組の委員長で雇用を守る立場にあった者が理事になって立場が変わると豹変し、随分勝手なことを言っていると思います」』、「今井氏が、2024年に平安女学院大学の募集を停止する可能性に言及し、中高にも大胆な改革が必要になるとか、人員整理が必要だと述べていますが、私から見れば元労組の委員長で雇用を守る立場にあった者が理事になって立場が変わると豹変し、随分勝手なことを言っていると思います」、なるほど。
・『当の校長本人を直撃すると  山岡氏へのインタビューを受け、筆者は平安女学院の関係者に見解を聞いた。対応したのは、常務理事法人事務局長である栗田康文氏と、理事で中高学校長を務める今井千和世氏。 Q:山岡氏は、自身の辞任はクーデターであり、その首謀者が今井氏であると言っているが、それは事実か。 栗田氏「今井先生は今年5月24日付で理事に就きました。山岡前理事長体制下では理事ではなく、理事長人事を決めることにタッチできる立場ではなかったので、扇動して理事長を降ろしたということはありません」 今井氏「山岡前理事長の辞任は、2021年3月1日の卒業式における式辞の問題が原因です。その発言を聞いた保護者らから抗議があり、校長としてそれに対応せざるを得なかった。山岡前理事長は自らお辞めになったので、私が引きずり下ろしたのではありません」 Q:教職員会議を山岡氏排斥のための決起集会の場などに使ったことはあるか。懲戒解雇処分を受けたことは事実か。 今井氏「卒業式の式辞の問題に関して卒業生・保護者から電話が殺到し、教職員会議で対策を協議したことはありますが、排斥の場にしたことは全くありません。懲戒解雇処分を受けたことは事実ですが、山岡前理事長は騒ぎの拡大を心配したのか処分は撤回されました」 栗田氏「これまでの就業規則では、『上司に逆らえば厳重に処罰する』といった文言が細かく盛り込まれていましたが、それを今年4月3日付で改定しました。これまでも懲戒解雇処分を受けた職員がいますが、過去の労働裁判で法人側が敗訴していたこともあって改定しました。山岡前理事長の法人再建の実績は素晴らしいが、在任期間の晩年は法人が「個人商店化」した面は否めないと思います」 Q:立命館から校長含みで来た羽田澄氏に対して今井氏や組合幹部による嫌がらせが行われたなどと、羽田氏本人が文書で提出しています。 今井氏「校長でありながら私を外して会議が行われるなど、いじめられたのは私の方だと思っています。むしろ私は羽田先生にアドバイスを送り、助けたつもりです。羽田氏より管理職フォルダが消されたと聞きましたが、紙では残っているので、これを見てくださいとお示ししました」』、「管理職フォルダが消された」のは、「今井氏」を中心とした「羽田氏」に対する明白ないやがらせだ。それにしても、「今井氏」のやり方は陰湿だ。

次に、9月6日付けAERAdot「港区の公立中学「修学旅行はシンガポール」は“格差”の象徴か ネットは炎上も専門家は「評価すべき」」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/articles/-/200630?page=1
・『9月4日、高級住宅街が多いことで知られる東京・港区が、来年度から全ての区立中学校で修学旅行を海外で実施することを発表した。だが、これに対してネット上では異論や反論が噴出し、なかば炎上に近い状態となっている。 港区の公式サイトによると、最初の対象となるのは、2024年度の区立中3年生の生徒約760人。実施時期は24年6月から9月ごろで3泊5日を予定しており、行き先はシンガポール。事業費として約5億1200万円を計上するという。 教育問題に詳しいライターが言う。 「港区は全国でも屈指の“金持ち自治体”として知られています。修学旅行でシンガポールを訪れる意義として、『異文化を体験して国際理解を深めてもらう』『区立中の魅力向上』などを挙げています。これまで港区立中に通う生徒は修学旅行で京都や奈良を訪れ、約7万円を負担していました。一部報道によると、訪問先をシンガポールに変更しても、1人あたり約68万円を区が支払い、7万円の自己負担分は変わらないとのことです。いずれにしても中学生の修学旅行に5億円を超える予算を計上できる自治体は、そうはないでしょう」) だがこれに対して、X(旧Twitter)では批判の声が圧倒的に多い。「義務教育でわざわざ行く必要があるのか疑問」「地域格差、港区内格差、まぁ〜言えばキリがない。上級国民の子供だけが行けるんやろなー」「今井絵理子や松川るいと発想が同じ」などの声で埋め尽くされている。その理由を前出の教育ライターはこう分析する。 「これが高校や私立中学校の修学旅行なら、全く批判は起きなかったでしょう。しかし公立中学校は義務教育ですし、公教育は全国一律が基本です。財政破綻した北海道夕張市であっても東京都港区であっても、教育の質に違いがあってはいけない。港区の取り組みに対する反対意見を『嫉妬』と一蹴する人も多いですが、『裕福な港区に住む中学生は最高レベルの修学旅行を体験し、貧乏な自治体の中学生は内容に乏しい修学旅行しかできないということを看過していいのか』という本質的な問題提起があることも事実です」(同) 専門家はどう見るのか。教育評論家の親野智可等氏は「ネット上で批判が投稿されるのはとてもよく理解できます」と言う。 「Xを利用する年齢層を考えれば、当事者である中学生が批判の投稿を行っているとは考えにくい。似た年齢層のお子さんをお持ちの保護者が『私たちも一生懸命に働いて税金を納めているのに、港区の修学旅行だけシンガポールというのは不平等で納得できない』と考えて投稿したケースも多いと思います。しかしながら、やはり港区の取り組みは評価すべきですし、むしろ積極的に全国の自治体が参考にする必要があるではないでしょうか」)  その理由は何か。親野氏は「中学生が海外を訪れるメリットは極めて大きい」と述べたうえで、こう語る。 「特にシンガポールは多民族国家であり、世界中から観光客が訪れる人気スポットでもあります。文化資本も充実しており、シンガポールに旅行することは世界を見ることと同義です。教育的な価値は計り知れません。また普通の中学生は英語を『授業だからやる』『受験に必須だからやる』といった受け身の姿勢で学んでいることが多いと思いますが、シンガポールでは実際に英語を使うことができます。英語学習のモチベーションにつながることも期待できます」 Xでは「中学生の修学旅行なのだから、海外の文化に触れるより、伝統的な日本文化を体験するほうが価値がある」という意見も多くみられた。シンガポールより京都、奈良のほうが修学旅行先にはいいという指摘に対してはどうか』、「1人あたり約68万円を区が支払い、7万円の自己負担分は変わらない」、「事業費として約5億1200万円を計上」、義務教育で豊かな自治体と、通常の自治体でこんな格差が出ることは、望ましくないと私は考える。
・『「『日本文化が重要だ』という指摘は正論だと思います。とはいえ、『海外に行ったことで日本文化について何も知らないことを痛感し、帰国してから学ぶようになった』といった経験をした留学生も珍しくはありません。世界を見ることで自国文化の重要性を再認識することもあります」(親野氏) 港区の修学旅行で、自治体間の格差が浮き彫りになったのは事実だろう。とはいえ、その責任は中学生には全くないことは言うまでもない。) 「本来なら、全国の中学生が修学旅行で海外に行くぐらいが理想的なのです。とはいえ、実際問題として全国一律を目指していると物事は何も動きません。一種の“悪平等”になってしまうより、財政に余裕がある自治体は独自施策として見切り発車し、修学旅行で海外に向かう公立中学生を増やしていくのが現実的ではないでしょうか。行ける余裕がある自治体なら、どんどん行ったほうがいいのです」(親野氏) 22年10月、経済協力開発機構(OECD)は教育機関における公的支出の割合(2019年時点)を発表した。OECDの加盟国でデータある37カ国のなかで、日本はわずか2・8パーセント(平均4・1%)。順位は36位という低水準だった。 「ノミとガラスの蓋の寓話(ぐうわ)があります。本来ノミは高い跳躍ができるのですが、コップに入れてガラスの蓋をすると跳躍力が下がってしまう。蓋を取っても跳躍力は低いまま。そこに本来の跳躍力のあるノミを新たに入れて高く跳躍する姿を見せる。すると跳躍力が下がっていたノミもまた本来の跳躍ができるようになるという話。つまり、修学旅行で海外に行ける自治体が出れば、それを見た他の自治体も『うちもできるはず』となり、それが広がっていく可能性があるということです。そもそも予算というものは、『あるようでなかったり、ないようであったり』するものです。教育のために公的支出を増やすという意思を強く持てば国レベルでも自治体レベルでもなんとかなるものです」(同・親野氏) 港区の“炎上事例”として終わらせずに、公教育全体の底上げという議論につながることを期待したい』、「一種の“悪平等”になってしまうより、財政に余裕がある自治体は独自施策として見切り発車し、修学旅行で海外に向かう公立中学生を増やしていくのが現実的ではないでしょうか」、義務教育期間は「悪平等」で構わないと思う。その後は、いやでも格差を受け入れざるを得ない。

第三に、9月18日付けAERAdot「人生に絶望したIQ130超「ギフテッド」女性が救われた「インド」と「ラジオ」 やっと気づいた「生きる喜び」 ギフテッドの光と影」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/articles/-/201416?page=1
・『高い知性や能力のために、周囲とのなじめなさなどさまざまな悩みを抱えることも多い「ギフテッド」。好評発売中の書籍『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)では、そんな彼らが困難を乗り越えるまでの半生を紹介している。モデル・ラジオパーソナリティーのMIOさんも、ギフテッドならではの「うつヌケ」を経験した一人だ。「人間の感情がわからない」といい、「考え方のパターン」を学ぶために映画をひたすらインプットし続けた日々を「前編」で紹介した。だが、それでも「本当の自分がわからない」状態は続いたという。「後編」では、そこからどのように精神的な行き詰まりを乗り越えたのかを追った。 ※【前編】<IQ130超「ギフテッド」女性が小学校の担任に嫌われた切ない理由 「人の感情を“データ”で理解しようと…」>より続く  両親から「一番をめざしなさい」「偉い人になりなさい」と育てられたMIOさん。幼少期は他者の気持ちがなかなか理解できなかったが、映画を通じて人の感情を学び、映画のなかの「良い人」の行動を演じるという、持ち前の知能の高さを生かした方法で、なんとか周囲と合わせて生きてきた。 15歳からモデルの仕事を始めたものの、親の期待を超える大成功には至らない。「壁」にぶつかったことで、精神的な“バーンアウト”を経験した。 ただ、モデルの世界に足を踏み入れたことは、すっかりわからなくなってしまった「本当の自分」を探す第一歩になったのも事実だった。) 「仕事を通じて出会った芸術家の人たちが、私の考え方の変な部分を全部認めてくれたんです。自分の内なるものに耳を澄ませて爆発させる、彼らの創作活動を間近で見るなかで、『私も、自分の心を育てたい』と思うようになりました」 感情よりも合理性を重視するあまり、他者の間違いを指摘したり(正しいことを伝えるほうが、相手にとっても有益だと思っていた)、ときには論破してしまっていたMIOさんの心に変化が生じた日々だった。 そして、思い出したのが、小学生のころからしていたボランティアの活動だった。 「とにかく寂しい子ども時代だったので、愛情を求めて児童福祉施設や老人福祉施設に行っていたのですが、そこですごく喜んでもらえていたことを思い出したんです。『私がお金をもらわなくてもやっていたことってなんだろう』と考えた結果、『福祉の施設を作りたい』という夢を持ちました」 そうして、24歳で慶應義塾大学の看護医療学部に入学。ただ、悩んだ末に入った看護の世界は、彼女にとって、想像以上に過酷なものだった』、「幼少期は他者の気持ちがなかなか理解できなかったが、映画を通じて人の感情を学び、映画のなかの「良い人」の行動を演じるという、持ち前の知能の高さを生かした方法で、なんとか周囲と合わせて生きてきた。 15歳からモデルの仕事を始めたものの、親の期待を超える大成功には至らない。「壁」にぶつかったことで、精神的な“バーンアウト”を経験した」、「小学生のころからしていたボランティアの活動だった。 「とにかく寂しい子ども時代だったので、愛情を求めて児童福祉施設や老人福祉施設に行っていたのですが、そこですごく喜んでもらえていたことを思い出したんです。『私がお金をもらわなくてもやっていたことってなんだろう』と考えた結果、『福祉の施設を作りたい』という夢を持ちました」 そうして、24歳で慶應義塾大学の看護医療学部に入学。ただ、悩んだ末に入った看護の世界は、彼女にとって、想像以上に過酷なものだった」、なるほど。
・『「患者さん一人一人に向き合って、その人生を追体験して……ということを繰り返すうちに、相手に感情移入しすぎるようになってしまったんです。ずっと泣いているものだから、先生から『あなたが病室に入ると患者さんは自分が死ぬのかと思っちゃうから、入らないでね』と言われるまでになってしまいました。医療の現場は悲しいことの連続です。心が動じないようにしないと、自分が壊れてしまう。だから慣れるようになっていく……と先輩の看護師さんには言われていたのですが、私は違いました。子どものころは『人間がわからない』だったのに、人生経験を重ねるなかで、逆に『わかりすぎるようになってしまっていた』んです。当時は、世の中で起きるすべてのことに感情移入している状態でした」) 看護医療学部に入って3年後の27歳、思い悩んだMIOさんは「人生を終わらせよう」と考えて、インドに行くことにした。 「ネットで『死にたい』と調べたら、『とりあえずインドに行け』と書いてあったんです。“自分探し”というより“自分を終わらせる”つもりでした。身辺整理もして、バックパックを背負って旅立ちました」 インドでは、身寄りがない高齢者や、貧しくて病院に行くことができない患者が暮らすホスピス「マザーテレサハウス」で過ごしていた。 「そこで彼らがとても澄んだ目をして、喜んで亡くなっていくことに衝撃を受けたんです。しかも、自分が最期をみとった人に『ここでご飯をもらえて、あなたの腕の中にいられてうれしい』と言われて……。『あとは帰って、少しでも人の役に立つだけだ』と思えるようになりました。この旅を通じて、少しだけ感情移入の度合いを調整できるようになったんです」 人間はいつか必ず死ぬ。しかし、それは悲しいこととは限らない。当人の生き方、考え方で大きく変わるもの……日本から遠く離れた異国の地で、多くの死に触れるなかで、少しずつだが自他の境界が形成されていったようだ』、「「患者さん一人一人に向き合って、その人生を追体験して……ということを繰り返すうちに、相手に感情移入しすぎるようになってしまったんです。ずっと泣いているものだから、先生から『あなたが病室に入ると患者さんは自分が死ぬのかと思っちゃうから、入らないでね』と言われるまでになってしまいました。医療の現場は悲しいことの連続です。心が動じないようにしないと、自分が壊れてしまう。だから慣れるようになっていく……と先輩の看護師さんには言われていたのですが、私は違いました」、「インドでは、身寄りがない高齢者や、貧しくて病院に行くことができない患者が暮らすホスピス「マザーテレサハウス」で過ごしていた。 「そこで彼らがとても澄んだ目をして、喜んで亡くなっていくことに衝撃を受けたんです。しかも、自分が最期をみとった人に『ここでご飯をもらえて、あなたの腕の中にいられてうれしい』と言われて……・・・この旅を通じて、少しだけ感情移入の度合いを調整できるようになったんです」 人間はいつか必ず死ぬ。しかし、それは悲しいこととは限らない。当人の生き方、考え方で大きく変わるもの……日本から遠く離れた異国の地で、多くの死に触れるなかで、少しずつだが自他の境界が形成されていったようだ」、なるほど。
・『帰国後、看護師資格を取得したMIOさん。IQ130以上が入会条件となる「MENSA」の会員となったのもこのころだ。「ほかに何か取れる資格はあったっけ」という気持ちで受けた入会試験だった。もっともMIOさんは、高校時代に受けた知能検査ですでに自分が「知能検査が得意」であることは知っていたという。 さらにラジオ番組「シンクロのシティ」(TOKYO FM)に抜擢される機会にも恵まれた。この仕事が結果的に彼女にとって人生の“リハビリ”となった。 「ゲストのタレントさんや作家さんに話を聞くことも多かったのですが、最初は失敗続きでした。幼少期からなんでも調べすぎる性質なので、ゲストのブログを10年分読んだり、著作を全部読んだりして、当日にはその人への疑問がなにもない状態になっているんです。『こういうことですよね?』と聞いて『はい、その通りです』と言われて会話が終わる……。話を引き出せないし、毎日朝まで予習に追われるという状況でした。そこで言われたのが『何で何で坊やになりなさい』という言葉。調べなくていいから、素直に疑問に思ったことを聞くようにしなさいと。私としては驚きでしたが、仕事をするなかで『ラジオの仕事は、正解や答えを伝えることではない。人間同士のやりとりの中で、感情を伝え合い、分かち合うことなんだ。その結果、リスナーさんにも何かを感じてもらうことなんだ』とだんだんわかっていきました。パーソナリティーの堀内貴之さんをはじめ、スタッフのみんなが愛だけで生きてる、リスナーさんたちまで本当に温かい現場でした」) 5歳まで両親と離れて祖父母と暮らし、それ以降も「他者の気持ちがわからない」「本音を話せない」ことから寂しさを抱き続けてきたMIOさん。しかし、20代以降に出会った「インド」と「ラジオ」の2つが、人間が生きることにおける“本質的な喜び”を教えてくれた。 また、子どもが生まれたことも、MIOさんにとって大きな出来事となった。 「私は子どもを無条件に愛しているし、子どもも私のことを無条件に愛してくれています。幼少期を父母と離れて過ごしたり、その後もなかなか本音を言えずに生きてきた私の人生になかったものが、やっと埋まった感覚がありました。これまで30年間くらい、楽しい“ふり”をしてきたことに気づきました。でも今は、子どもたちとふざけてるだけで本当に楽しいんです」 つらい出来事も多くあったものの、大人になってからのさまざまな出会いと自らの工夫のおかげで、今、幸せに過ごしているMIOさん。 ただ、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはならず、当時抱いた痛みや寂しさは今も記憶している。だからこそ、今、生きづらさや悩みを抱えている子どもたちに向ける視線も優しい。「生きづらさを感じてる、子どもたちに伝えたいことは?」と筆者が尋ねると、「この質問が、一番悩んだんです……」と前置きしつつ、慎重な口調で、次のように語った。) 「自分が何と言ってもらえればうれしかったか、救われたかといえば、それは『人と違うことは才能なんだよ』ということだと思います。私は嫌われないようにするために、周囲に合わせることに何十年も力を使ってきてしまい、自分のいいところに目を向けることはありませんでした。『無駄な時間を過ごしたな……』『もっと能力を伸ばしてあげられたのかもな……』という後悔の気持ちも、正直なところ私にはあるんです。私は30歳近くまで自分の生きづらさの原因がわからなかったので、対処法に追われる日々でした。今生きづらいと感じていて、自分の個性や特性をもう理解できている方なら、きっと自分らしく生きていく方法を編み出していけると思います」 そして、最後にこう続けた。 「今はいろんな選択肢がある時代ですよね。私の場合は高校でインターナショナルスクールに進むことを選びましたが、今はオンラインでたくさんの人ともつながれる。そうした選択に後ろめたさを感じる必要もまったくないですしね。もうそろそろ、古い価値観も変えていっていいんじゃないかなと思います」』、「子どもが生まれたことも、MIOさんにとって大きな出来事となった。 「私は子どもを無条件に愛しているし、子どもも私のことを無条件に愛してくれています。幼少期を父母と離れて過ごしたり、その後もなかなか本音を言えずに生きてきた私の人生になかったものが、やっと埋まった感覚がありました。これまで30年間くらい、楽しい“ふり”をしてきたことに気づきました。でも今は、子どもたちとふざけてるだけで本当に楽しいんです」、「私は30歳近くまで自分の生きづらさの原因がわからなかったので、対処法に追われる日々でした。今生きづらいと感じていて、自分の個性や特性をもう理解できている方なら、きっと自分らしく生きていく方法を編み出していけると思います」、ようやく見つけた「自分らしく生きていく方法」で人生を楽しんでほしいものだ。 
タグ:教育 (その31)(平安女学院の「クーデター事件」が恐ろしすぎる…辞任に追い込まれた名物理事長の告白《女性校長は 中高生までストライキに巻き込んだ》、港区の公立中学「修学旅行はシンガポール」は“格差”の象徴か ネットは炎上も専門家は「評価すべき」、人生に絶望したIQ130超「ギフテッド」女性が救われた「インド」と「ラジオ」 やっと気づいた「生きる喜び」 ギフテッドの光と影) 現代ビジネス 井上 久男氏によう「名門・平安女学院の「クーデター事件」が恐ろしすぎる…辞任に追い込まれた名物理事長の告白《女性校長は、中高生までストライキに巻き込んだ》 「名門の学校法人・平安女学院(京都市)で、理事長や学院長を長年務めていた山岡景一郎氏(92歳)が今年4月2日付で突如、辞任に追い込まれた。氏は経営破たん寸前の同学院を救済した功労者で、高齢ながらも、頭脳明晰で教育への熱意は衰えることがなく、政財界に太いパイプがある「名物理事長」として知られていた。 辞任の背景には「クーデターがあった」と指摘」、 「80億円近い累積債務があり、事実上、経営は破たんしていました。その債務のうち15億円は理事会の承認を得ていない、ノンバンクからの隠れ債務でした。 杜撰な経営体制だった理由は、教職員組合が学校経営を支配していたからでした。経営破たん寸前なのに教職員の賃金水準は京都府下でトップクラス」、「私が自ら交渉し、わずか1年近くで債務整理に目途をつけました。教職員に対しては、いったん退職金を支払ってやめてもらい、新人事制度の下、賃金を30%カットして再雇用しました。 同時に経営に対する労組の関与も排除しました。 こうした改革を踏まえて2003年に私は理事長に就任しましt・・・大学は実学重視で就職率を高め、中・高は教育の質を高めることなどで入学者を増やし、経営を再建しました」、本当に「実力があり、実績も上げてきたのに、「クーデターで追われたとは難しいものだ。 「平安女学院大学は小規模私学であり、定員が多い大規模私学に学生を奪われる傾向がありましたので、それを是正するために、下村博文・文科相(当時)に事情を詳しく話し、小規模校のハンディキャップを取り除く対策の実現に繋げることができました」、政治力もあったようだ。 「今井氏は、65歳の定年を延長して中高の校長を務めていたので、これを機会に退任し、後任含みで有力な提携校である学校法人立命館から羽田澄氏を副校長で迎え入れる人事が2022年1月に決まりました。約1年かけて今井氏から羽田氏に校長業務が引き継がれるはずでしたが、パソコン内の管理職フォルダが削除され、教職員会議をはじめとする各種の会議での執拗な嫌がらせが続きました。それらの行為について、私は今井氏や組合幹部が行ったものと見ています。その影響で、羽田氏は身心に不調をきたして23年3月に退任しました」、 「「2023年1月に教職員組合が私の退任を求めてストライキを断行し、理事長退任を求める約5000人の署名が提出されました。ストライキには、中高生まで参加するという異常事態です」、なるほど。 「今井氏が、2024年に平安女学院大学の募集を停止する可能性に言及し、中高にも大胆な改革が必要になるとか、人員整理が必要だと述べていますが、私から見れば元労組の委員長で雇用を守る立場にあった者が理事になって立場が変わると豹変し、随分勝手なことを言っていると思います」、なるほど。 「管理職フォルダが消された」のは、「今井氏」を中心とした「羽田氏」に対する明白ないやがらせだ。それにしても、「今井氏」のやり方は陰湿だ。 AERAdot「港区の公立中学「修学旅行はシンガポール」は“格差”の象徴か ネットは炎上も専門家は「評価すべき」」 「1人あたり約68万円を区が支払い、7万円の自己負担分は変わらない」、「事業費として約5億1200万円を計上」、義務教育で豊かな自治体と、通常の自治体でこんな格差が出ることは、望ましくないと私は考える。 「一種の“悪平等”になってしまうより、財政に余裕がある自治体は独自施策として見切り発車し、修学旅行で海外に向かう公立中学生を増やしていくのが現実的ではないでしょうか」、義務教育期間は「悪平等」で構わないと思う。その後は、いやでも格差を受け入れざるを得ない。 AERAdot「人生に絶望したIQ130超「ギフテッド」女性が救われた「インド」と「ラジオ」 やっと気づいた「生きる喜び」 ギフテッドの光と影」 「幼少期は他者の気持ちがなかなか理解できなかったが、映画を通じて人の感情を学び、映画のなかの「良い人」の行動を演じるという、持ち前の知能の高さを生かした方法で、なんとか周囲と合わせて生きてきた。 15歳からモデルの仕事を始めたものの、親の期待を超える大成功には至らない。「壁」にぶつかったことで、精神的な“バーンアウト”を経験した」、 「小学生のころからしていたボランティアの活動だった。 「とにかく寂しい子ども時代だったので、愛情を求めて児童福祉施設や老人福祉施設に行っていたのですが、そこですごく喜んでもらえていたことを思い出したんです。『私がお金をもらわなくてもやっていたことってなんだろう』と考えた結果、『福祉の施設を作りたい』という夢を持ちました」 そうして、24歳で慶應義塾大学の看護医療学部に入学。ただ、悩んだ末に入った看護の世界は、彼女にとって、想像以上に過酷なものだった」、なるほど。 「「患者さん一人一人に向き合って、その人生を追体験して……ということを繰り返すうちに、相手に感情移入しすぎるようになってしまったんです。ずっと泣いているものだから、先生から『あなたが病室に入ると患者さんは自分が死ぬのかと思っちゃうから、入らないでね』と言われるまでになってしまいました。医療の現場は悲しいことの連続です。心が動じないようにしないと、自分が壊れてしまう。だから慣れるようになっていく……と先輩の看護師さんには言われていたのですが、私は違いました」、 「インドでは、身寄りがない高齢者や、貧しくて病院に行くことができない患者が暮らすホスピス「マザーテレサハウス」で過ごしていた。 「そこで彼らがとても澄んだ目をして、喜んで亡くなっていくことに衝撃を受けたんです。しかも、自分が最期をみとった人に『ここでご飯をもらえて、あなたの腕の中にいられてうれしい』と言われて……・・・この旅を通じて、少しだけ感情移入の度合いを調整できるようになったんです」 人間はいつか必ず死ぬ。しかし、それは悲しいこととは限らない。当人の生き方、考え方で大きく変わるもの……日本から遠く離 れた異国の地で、多くの死に触れるなかで、少しずつだが自他の境界が形成されていったようだ」、なるほど。 「子どもが生まれたことも、MIOさんにとって大きな出来事となった。 「私は子どもを無条件に愛しているし、子どもも私のことを無条件に愛してくれています。幼少期を父母と離れて過ごしたり、その後もなかなか本音を言えずに生きてきた私の人生になかったものが、やっと埋まった感覚がありました。これまで30年間くらい、楽しい“ふり”をしてきたことに気づきました。でも今は、子どもたちとふざけてるだけで本当に楽しいんです」、 「私は30歳近くまで自分の生きづらさの原因がわからなかったので、対処法に追われる日々でした。今生きづらいと感じていて、自分の個性や特性をもう理解できている方なら、きっと自分らしく生きていく方法を編み出していけると思います」、ようやく見つけた「自分らしく生きていく方法」で人生を楽しんでほしいものだ。
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保育園(待機児童)問題(その13)(2歳児を公園に置き去りにして帰ってくる…全国の保育園で「昔にはあり得なかったこと」が起きている根本原因 保育が「儲かるビジネス」になり、質が低下している、「保育園の重大事故」園だけを責められない問題点 「待機児童ゼロ作戦」によって本末転倒な状況に、"国会での論戦"で見えた「日本の保育」重大争点 「異次元の少子化対策」保育においてはどうなのか?) [社会]

保育園(待機児童)問題については、2021年5/月8日に取上げた。久しぶりの今日は、(その13)「をを2歳児を公園に置き去りにして帰ってくる…全国の保育園で「昔にはあり得なかったこと」が起きている根本原因 保育が「儲かるビジネス」になり、質が低下している、「保育園の重大事故」園だけを責められない問題点 「待機児童ゼロ作戦」によって本末転倒な状況に、"国会での論戦"で見えた「日本の保育」重大争点 「異次元の少子化対策」保育においてはどうなのか?」を紹介しよう。

先ずは、本年2月9日付けPRESIDENT Onlineが掲載した労働経済ジャーナリストの小林 美希氏による「2歳児を公園に置き去りにして帰ってくる…全国の保育園で「昔にはあり得なかったこと」が起きている根本原因 保育が「儲かるビジネス」になり、質が低下している」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/66268
・『「いつ置き去り事故が起こってもおかしくない」 「子どもを公園に置いて園に帰ってきてしまう。少し前なら、あり得ないことが起こっているのです」 都内の認可保育園の小田明子園長(仮名、60代半ば)は、驚きを隠せない。小田園長は公立保育園も含めて40年以上、保育現場に携わっている。現在は私立の認可保育園の園長で、これまで大きな事故もなく過ごしてきたが、1年ほど前に保育士が2歳の園児を公園に置いたまま散歩から帰ってきてしまい、肝を冷やした。 園児がいないことに気づき、慌てて園長と保育者数人とで外を探すと、近隣の住民に保護され、ことなきを得た。もしも誤って道路に飛び出していれば交通事故に遭っていたかもしれないと思い、身震いした。担任保育士は経験が浅く、ケガが起きないように見るので精一杯。「早く保育園に帰って、給食の準備をしなければ」という焦りがあって、園児の点呼を忘れていたという。 こうした事態に小田園長は頭を悩ます。 「園児が全員いるかどうか点呼することは、基本中の基本です。公園に着いた時はもちろん、遊んでいる最中、園に帰る時も全員が揃っているか、常に確認する。それが、業務に追われて目の前の子どもが見えなくなっているのです。いつ置き去り事故が起こってもおかしくない環境なのです」』、「園児が全員いるかどうか点呼することは、基本中の基本です」、でも未熟な「保育士」は時として忘れてしまうようだ。「園児の点呼」は習慣化しておうべきだ。
・『20人の子どもたちを4畳半程度のスペースに…  それというのも小田園長が勤める法人は、保育園の数を増やして事業拡大することと利益を上げることを優先させている。人件費を抑えるため、保育士は低賃金で人員体制はギリギリという状態なのだ。若手が疲弊して、2~3年で辞めていく。そうしたなかで起こった置き去りだった。 他の都内の私立の認可保育園でも、園児が保育園から一人で出ていこうとしていた。たまたま居合わせた保護者の飯田恵さん(仮名、40代)が止めたが、その後の対応が不十分だった。飯田さんは、「子どもが勝手に出ていかないようにと、登園時やお迎えラッシュの時間帯は20人もの子どもたちが、4畳半程度のスペースに囲った柵のなかに詰め込まれるようになりました」と憤りを隠せない。 日頃から、園児同士の噛みつき、ひっかきも多い。大きなすり傷に気づいた飯田さんが理由を尋ねても、担任の保育士は「見ていなかったので分からない」と言うだけ。改善を求めてもケガが続いたことから、飯田さんは「これではいつ子どもが死ぬかも分からない」と子どもを転園させた』、「保育園の数を増やして事業拡大することと利益を上げることを優先させている。人件費を抑えるため、保育士は低賃金で人員体制はギリギリという状態なのだ。若手が疲弊して、2~3年で辞めていく。そうしたなかで起こった置き去りだった」、「20人もの子どもたちが、4畳半程度のスペースに囲った柵のなかに詰め込まれるようになりました」、「日頃から、園児同士の噛みつき、ひっかきも多い」、狭いなかに大勢が閉じ込められるストレスはさぞや強いのだろう。
・『安倍政権下で保育は「儲かるビジネス」と化した  福岡県中間市や静岡県牧之原市で起こった通園バス園児死亡事件は、出欠確認が徹底されないことによって園児がバスに置き去りになった。この事件は、保育の基本中の基本である園児の出欠確認ができないほど、現場の質が劣化していることを意味する。 園児が置き去りにされる、不適切な保育が横行するなどの保育の質の低下は、保育士の労働環境の悪化が大きく影響しているのだ。 その背景にあるのは、安倍晋三政権下で待機児童対策が目玉政策となり、急ピッチで保育園が作られるようになったことだ。 公的な保育園は、2013年度の2万4038カ所から22年度は3万9244カ所へと大幅に増えた。安倍政権が「株式会社に受け皿整備を担ってもらう」という方針を打ち出したことで、営利企業による認可保育園は13年の488カ所から21年に3151カ所にまで急増した(厚生労働省「社会福祉施設等調査」)。 保育園の増加ペースに人材が追い付かないうえ、事業者のモラルが低下。保育を「3兆円を超える市場」と捉え、儲けるために参入する事業者が雨後の筍のように現れた。利益を出すために人件費が削られ、保育士の労働環境が劣悪になった』、「安倍政権が「株式会社に受け皿整備を担ってもらう」という方針を打ち出したことで、営利企業による認可保育園は13年の488カ所から21年に3151カ所にまで急増した」、「儲けるために参入する事業者が雨後の筍のように現れた。利益を出すために人件費が削られ、保育士の労働環境が劣悪になった」、これで「安倍政権の保育施策」の当然の帰結だ。
・『人件費がほかの費目に流用できるようになった  かつて、認可保育園は公共性の高さから自治体か社会福祉法人しか設置・運営ができなかった。それが2000年の規制緩和によって、営利企業、宗教法人、NPO法人の参入が容認された。それと同時に、私立の認可保育園に支払われる運営費の使途の規制緩和である「委託費の弾力運用」が大幅に認められるようになった。 私立の認可保育園の運営費は「委託費」と呼ばれ、税金を主な原資とする。委託費の算定基準である「公定価格」では、人件費は基本的な部分だけでも全体の約8割を占める。人件費のほか、玩具や絵本を買うなど保育に要する「事業費」が約1割、職員の福利厚生費などの「管理費」が約1割必要だと国が想定し、委託費が各園に支払われている。 「委託費の弾力運用」が認められると、それまであった「人件費は人件費に使う」という使途制限が緩和され、人件費分を事業費や管理費へ流用するという各費目の相互流用のほか、同一法人が運営する他の保育園や介護施設への流用、施設整備費への流用などが許されるようになった。 ある程度の経営の自由度は必要だが、自民党政権下で規制緩和が繰り返され、今では委託費の年間収入の4分の1もの金額を他の費目に流用できるようになっている。そこに目をつけた事業者は、人件費を抑えて事業を拡大し、利益を得ていったのだ』、「規制緩和が繰り返され、今では委託費の年間収入の4分の1もの金額を他の費目に流用できるようになっている」、「同一法人が運営する他の保育園や介護施設への流用、施設整備費への流用などが許されるようになった。 ある程度の経営の自由度は必要だが、自民党政権下で規制緩和が繰り返され、今では委託費の年間収入の4分の1もの金額を他の費目に流用できるようになっている」、「委託費の流用」が「同一法人が運営する他の保育園や介護施設への流用、施設整備費へ」とまで野放図に認められるようになったというのは驚きだ。
・『565万円→381万円…200万円はどこに消えたのか  その結果、委託費の8割以上を占めるはずの人件費が抑え込まれた。東京都による2018年度実績の調査では、都内の社会福祉法人の人件費支出の割合は7割、株式会社では5割にとどまり、その傾向は今も変わっていない。 委託費を算出するための「公定価格」は全国8つの地域区分に分かれ、それぞれ単価が異なる。公定価格が最も高い東京23区で見てみると、2021年度の保育士一人当たりの基本的な賃金年額は約442万円となる。 営利企業が集中して進出する東京23区では、その442万円に処遇改善費が加わると、単純計算だが、最大で約565万円の賃金が公費で出ていることになる。しかし、東京23区で実際に保育士が手にとる賃金は約381万円と少ない(内閣府「幼稚園・保育所・認定こども園等の経営実態調査」2018年度実績)。計算上、公費から出る賃金額と実際に保育士に支払われる金額の差が、最大で年間200万円近くになる。その差はどこに消えるのか』、「最大で約565万円の賃金が公費で出ていることになる。しかし、東京23区で実際に保育士が手にとる賃金は約381万円と少ない・・・金額の差が、最大で年間200万円近くに」、この差はどういうことだろうか。
・『基準より人員を多く雇う保育園はあるが…  ただ、賃金が低くなる正当な理由もある。人件費は基本的には最低配置基準に沿って出るため、基準より多く雇えば一人当たりの賃金が低くなるケースがある。 認可保育園などの保育士の最低配置基準は、0歳児が園児3人に対して保育士1人(「3対1」)、1~2歳児が「6対1」、3歳児が「20対1」、4~5歳児が「30対1」となっている。4~5歳児の基準は戦後から70年以上も変わっていないため、この体制では不十分だと判断して人員を多く雇う保育園は多く、ひとつの認可保育園で平均3~4人を多く配置している(内閣府調査)。このように保育士の多い園では、一人当たりの賃金が低くなってもやむを得ない事情がある。 とはいえ冒頭のように、配置基準ギリギリにして人件費を抑える保育園は少なくない。利益重視の事業者は営利企業でも社会福祉法人でも、「コストコントロール」を図るため、「保育士の適正配置」「職員配置の適正化」を掲げている。つまり「人件費カットのため、最低配置基準を守れば人員体制はギリギリでいい」(複数の業界関係者)という考え方だ』、「人員を多く雇う保育園は多く、ひとつの認可保育園で平均3~4人を多く配置している・・・。このように保育士の多い園では、一人当たりの賃金が低くなってもやむを得ない事情がある」、なるほど。
・『都内30カ所で違反が常態化している  ある中堅企業傘下の保育園で働いていた保育士は「園児の欠席が多いと、配置基準上で保育士が余るので、他園にヘルプに出されました。普段みていない園児を保育するのは不安でした。職員の数に余裕がないため、誰かが急に休むと、とたんに配置基準を割ってしまいます。これでは、いつ事故が起きてもおかしくないと思って辞めました」と話す。 1年半ほど前に筆者は東京都が認可保育園に対して行った2017~19年度の監査結果について調べており、「保育士が適正に配置されていない」などの文書指摘を受けた保育園が都内で合計153カ所に上った。 それらの違反の詳細について都に情報開示請求を行うと、「保育士配置違反が常態化している」「無資格者しかいない時間帯がある」などの実態が明らかになった。保育士配置違反が常態化している園と違反状態が長く続いていると見られる園は合計30カ所もあった。そもそも少ない配置基準でさえ守られないのでは、保育士は疲弊し、子どもの安全を守ることは難しいだろう』、「保育士配置違反が常態化している園と違反状態が長く続いていると見られる園は合計30カ所もあった。そもそも少ない配置基準でさえ守られないのでは、保育士は疲弊し、子どもの安全を守ることは難しいだろう」、その通りだ。
・『6年間で保育事故は3.5倍に  保育士の配置基準については、2014年3月の段階で、1歳児を現行の園児6人に対し保育士1人(「6:1」)から「5:1」へ、4~5歳児は「30:1」から「25:1」にすると国は計画し、必要な予算を約1300億円と試算していた(「子ども・子育て支援新制度における『量的拡充』と『質の改善』について」)。 配置基準の引き上げは保育業界の長年の悲願であり、ようやく2023年度から「チーム保育推進加算」を拡充することで、大規模園の4~5歳児の「25対1」の実現が図られる。これを第一歩に、抜本的な改善が必要だ。 保育事故は年々増えている。内閣府の「教育・保育施設等における事故報告集計」から、認可保育園で起こった死亡・負傷等の事故件数を見ると、2015年の344件から2021年は1191件となり、この6年で3.5倍近く増えている。 2021年の保育事故の状況を詳しく見ると、負傷等のうち最も多いのが骨折の937件、その他(指の切断、唇、歯の裂傷等を含む)が242件あり、意識不明が8件、火傷が2件、死亡が2件だった。年齢別では、保育士配置が手薄になる4~5歳の多さが目立ち、それぞれ246件、404件だった』、「認可保育園で起こった死亡・負傷等の事故件数を見ると、2015年の344件から2021年は1191件となり、この6年で3.5倍近く増えている」、なるほど。
・『事業者が利益を得るための制度ばかりが変わっていく  政府は1月27日、通園バス園児置き去りの再発防止のための調査結果を公表した。通園バスをもつ保育園などのうち約2割に乗降時の子どもの安全管理に課題があったとしている。4月からは通園バスに安全装置の設置が義務付けられるが、問題の本質は保育士不足や保育の質の低下であり、保育士の労働条件の改善こそが急務の課題だ。 4月にこども家庭庁が発足する今こそ、最低配置基準の引き上げを行い、それと同時に前述した「委託費の弾力運用」の規制を強化して人件費の流出を食い止めなければ、保育士の労働環境は変わらない。保育士が守られなければ、犠牲になるのは子どもたちだ。 この国は、保育事業者が利益を得るための制度は次々に変えていくが、保育現場で子どもが命を落としても、子どもにとって必要な制度は変わらない。保育は児童福祉法に基づく福祉行政の一貫として行われていることを忘れてはならない』、「この国は、保育事業者が利益を得るための制度は次々に変えていくが、保育現場で子どもが命を落としても、子どもにとって必要な制度は変わらない。保育は児童福祉法に基づく福祉行政の一貫として行われていることを忘れてはならない」、同感である。

次に、4月24日付け東洋経済オンラインが掲載したフェリス女学院大学 文学部英語英米文学科 助教の関口 洋平氏による「「保育園の重大事故」園だけを責められない問題点 「待機児童ゼロ作戦」によって本末転倒な状況に」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/667340#:~:text=%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E6%95%99%E8%82%B2%20%3E%E5%AD%90%E8%82%B2%E3%81%A6-,%EF%BD%A2%E4%BF%9D%E8%82%B2%E5%9C%92%E3%81%AE%E9%87%8D%E5%A4%A7%E4%BA%8B%E6%95%85%EF%BD%A3%E5%9C%92%E3%81%A0%E3%81%91%E3%82%92%E8%B2%AC%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84,%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%9C%AC%E6%9C%AB%E8%BB%A2%E5%80%92%E3%81%AA%E7%8A%B6%E6%B3%81%E3%81%AB&text=%E6%97%A5%E5%B8%B8%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%9F%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%A7%E6%BF%AB%E7%94%A8,%E3%81%AE%E5%85%AC%E8%A1%A8%E3%81%8C%E7%BE%A9%E5%8B%99%E5%8C%96%E3%80%82%E2%80%A6
・『日常のいたるところで濫用され、消費されている「イクメン」という表現。2022年10月から改正育児・介護休業法により「産後パパ育休」が施行され、この4月からは育児休業取得状況の公表が義務化。「イクメン」という言葉の流布から10年以上が経ち、再び注目されるキーワードになった今こそ、その意味を構造的に問いなおすことが必要なのではないだろうか。 本稿は、子育ての話題の中でも特に議論を呼ぶ「保育園」を取り巻く問題について、検証する。自身も子育て中のアメリカ研究者が「イクメン」という言葉そのものに疑義を抱くところから始まる最新著書『「イクメン」を疑え!』(集英社新書)より、一部抜粋・再構成してお届けします。 アメリカでは保育園の設置基準が統一されていないのに対して、日本では国が認可保育所の条件を定めている。どの認可保育所を利用しても最低限の質は担保されているので、利用者は比較的安心して子どもを預けることができる。日本に住む私たちにとって、そうした質の高い保育は「育児のネットワーク」の重要な一部をなしている。 ところが、ここ20年あまりの新自由主義的な潮流のなかで、育児に対する公的な支援は日本でも徐々に削減されてきた。一言で言えば、日本においても保育の市場化が急速に進んだのである。本稿では少子化や待機児童といった日本独自の事情を勘案しつつ、新自由主義が日本の保育に与えた影響を検討したい』、「少子化や待機児童といった日本独自の事情を勘案しつつ、新自由主義が日本の保育に与えた影響を検討したい」、興味深そうだ。
・『保育園から「突然の通告」  はじめに、ここではひとつの具体例を紹介したい。東京都目黒区在住の竹内冬美さんは、いわゆる「保活」の末に2019年から区立保育園を利用し始めた。その区立園は評判どおりに保育の質が高く、2021年からは第二子も預けることができて満足していた――そんな矢先の4月半ばである。 竹内さんは保育園から1枚の薄い藁半紙を受け取った。その紙に掲載されていたQRコードを読み取って区のホームページを見ると、その区立園が数年後に別の区立園と統合されたうえで民営化されることが事務的に記されていた。) 青天の霹靂としか言いようのない保育園民営化計画を知って、竹内さんは困惑と怒りの混ざった感情を抱いたという。 慣れ親しんだ保育士がいなくなったとき、子どもたちはどのような反応をするだろうか?新しい保育園において保育の質はどこまで保持されるのだろうか?あるいは、公立の保育園がそれまで担ってきた公的役割─地域の避難所や子育て支援の拠点としての機能、障がい者の受け入れなど─はどうなるのだろうか? 区による一方的な決定に疑問を感じた竹内さんたち保護者は、区立園の存続に向けた活動を始めた(※1)。 この例からもわかるとおり、保育園民営化は現在に至るまでさまざまな自治体において重要な争点になっている。だが、民営化の議論は近年に始まったことではない』、確かに「保育園民営化」は、「慣れ親しんだ保育士がいなくなったとき、子どもたちはどのような反応をするだろうか?新しい保育園において保育の質はどこまで保持されるのだろうか?あるいは、公立の保育園がそれまで担ってきた公的役割─地域の避難所や子育て支援の拠点としての機能、障がい者の受け入れなど─はどうなるのだろうか?」、などクリアすべき問題も多い。。
・『「待機児童ゼロ作戦」で目指したこと  日本において保育への公的支出がカットされ始めたのは、1980年代のことである。公立保育園の数が1983年に過去最多を記録した一方で、この時代には保育園運営費の国家負担率が徐々に削減されていった。公立保育園にのみ多額の公費が投入されることや、公立保育士の賃金の高さなどが批判されたのである。 このような流れのなかで、鈴木善幸内閣・中曽根康弘内閣の第二次臨時行政調査会は、保育園の民営化をひとつの目標として掲げた。 ところが、この時代には「生活可能な、主体的に働くことを選んでいる共働き層への保育サービスの供給は『公費の乱用』と指摘された」というから、待機児童の増大と少子化を背景とした現在の保育園民営化とは事情が大きく異なる(※2)。 共働きの家庭が現在ほど一般的でなかったこの時代においては、保育園の数を増やすどころか、むしろ抑制することが課題とされたのである。事実、1980年を境に保育園の入所児童数は緩やかに減少していった(※3)。 そのような方針を一変させる要因となったのが、1990年のいわゆる「1.57ショック」である。1973年には2.14であった合計特殊出生率(ひとりの女性が一生の間に産む子どもの数)は急速に低下し、1989年に1.57となったのだ。 この衝撃を受けて、政府は少子化対策としてさまざまな政策を矢継ぎ早に策定した。1994年の「エンゼルプラン」、1999年の「新エンゼルプラン」、2003年の次世代育成支援対策推進法・少子化社会対策基本法などがその一例である。 (※1)2021年8月21日、個人インタビュー。 (※2)萩原久美子「保育供給主体の多元化と公務員保育士─公共セクターから見るジェンダー平等政策の陥穽」『社会政策』8.3(2017年)66頁。 (※3)汐見稔幸・松本園子・髙田文子・矢治夕起・森川敬子『日本の保育の歴史子ども観と保育の歴史150年』(萌文書林、2017年)318頁。) 一連の少子化対策のなかで重視されたのが、保育園の量的な拡大だった。2001年に発足した小泉純一郎内閣は「待機児童ゼロ作戦」を掲げ、2002年度から3年間で15万人の保育園児の受け入れ増を目指した。「聖域なき構造改革」というキャッチフレーズを掲げて小泉政権が新自由主義的な政策を推進したことはよく知られているが、「待機児童ゼロ作戦」もその延長線上にある。 保育園の量的拡大を実現するために重用されたのは、規制緩和と民営化という二本柱であった。産業構造の変化により、いわゆる「家族賃金モデル」(父親がひとりで家族全員を養うことができるだけの賃金を終身雇用制により保障するシステム)が崩壊し、共働き世帯が増加していたことも相まって、これらの改革は急速に進行した』、「1980年代のことである。公立保育園の数が1983年に過去最多を記録した一方で、この時代には保育園運営費の国家負担率が徐々に削減されていった。公立保育園にのみ多額の公費が投入されることや、公立保育士の賃金の高さなどが批判された」、「共働きの家庭が現在ほど一般的でなかったこの時代においては、保育園の数を増やすどころか、むしろ抑制することが課題とされたのである。事実、1980年を境に保育園の入所児童数は緩やかに減少していった」。 「そのような方針を一変させる要因となったのが、1990年のいわゆる「1.57ショック」である。1973年には2.14であった合計特殊出生率・・・は急速に低下し、1989年に1.57となったのだ。 この衝撃を受けて、政府は少子化対策としてさまざまな政策を矢継ぎ早に策定した」、「一連の少子化対策のなかで重視されたのが、保育園の量的な拡大だった。2001年に発足した小泉純一郎内閣は「待機児童ゼロ作戦」を掲げ、2002年度から3年間で15万人の保育園児の受け入れ増を目指した・・・保育園の量的拡大を実現するために重用されたのは、規制緩和と民営化という二本柱」、歴史的経緯がよく理解できた。
・『規制緩和で起こった「詰め込み保育」の弊害  新自由主義改革が保育という領域に与えた影響を理解するために、まずは規制緩和という側面に注目してみよう。 小泉政権が促進したのは、保育園の入所定員の「弾力化」である。「弾力化」とは耳慣れない言葉かもしれないが、規制を緩和して制度を柔軟に適用するということであり、この文脈では、「詰め込み保育」を意味している。この改革により、待機児童が多い自治体では、保育園の定員を超えて(年度初めは15%増しまで、年度途中は25%増しまで、年度後半は無制限)子どもを預かることが認められた。 小泉政権は保育園の入所定員だけでなく、保育士の配置基準も緩和した。1998年には常勤の保育士を原則とする規定が撤廃され、基準配置数の2割までという条件付きで短時間勤務保育士(非常勤保育士)を配置することが認められた。 小泉政権はこの規制緩和をさらに推し進め、非常勤保育士の上限を撤廃した。各クラスに1?2名以上常勤の保育士がいれば、あとはすべて非常勤保育士でもよくなったのである。 入所定員の弾力化や保育士の配置基準の緩和は、待機児童を減らすという意味では一定の効果があった。その一方で、規制緩和により保育の質が低下したこともまた事実である。 常勤の保育士が原則であったのは、保育士が頻繁に入れ替わると子どもが安定した人間関係を築けないからである。保育園に定員が設定されているのは、キャパシティを超えて園児を受け入れると十分に目が行き届かず、事故の可能性が高まるからだ。) 事実、保育園で起きた痛ましい死亡事故に関する報道は後を絶たない。ジャーナリストの猪熊弘子によれば、「事故が起きた施設の多くは、保育室の面積が非常に狭く、職員が少なく、無資格者や資格を持っていたとしても経験の少ない場合がほとんど」であり、「余裕のない保育施設の運営が、子どもの死亡事故を招いている」という(※4)。 事故を起こした個々の保育施設を責めることは簡単だが、その背後に構造的な要因が潜んでいることが看過されてはならない』、「「事故が起きた施設の多くは、保育室の面積が非常に狭く、職員が少なく、無資格者や資格を持っていたとしても経験の少ない場合がほとんど」であり、「余裕のない保育施設の運営が、子どもの死亡事故を招いている」という」、なるほど。
・『「保育園民営化」の推進で何が起こったか  待機児童対策のために政府が重視したもうひとつの方針が、民営化である。2000年には営利企業も認可保育所に参入できるようになった。自治体か社会福祉法人しか認可保育所を設置・運営してはならないという規制が撤廃されたのである。 小泉政権は、民営化の流れをさらに加速させた。2003年に内閣府により発表された報告書では、「保育サービスの需要は今後ますます増大し、将来有望な市場となる」一方で、「株式会社の参入を認めるなど規制緩和が進んだにもかかわらず、そのメリットが利用者にきちんと還元されて」いないことが問題視された(※5)。 公立保育園では「効率的に経営が行われて」おらず、規制緩和の徹底により民間企業の参入を促すことが必要である、というのがこの報告書の結論である。公立保育園のコスパの悪さを強調する一方で保育サービスが将来的に有望な市場であることを明記するこの報告書には、「すべての領域を金銭化する」新自由主義の基本方針が明確に反映されている。 この報告書の議論を受け、2004年にはいわゆる三位一体改革の一環として公立保育園の運営費が一般財源化された。それまでは国庫補助負担金という形で保育園の運営のためだけに使える予算が自治体へ支給されていたが、この補助金の廃止によって用途が特定されない予算が自治体に支給され、自治体ごとにその予算を自由に割り振れるようになったのである。 (※4)猪熊弘子『「子育て」という政治少子化なのになぜ待機児童が生まれるのか?』(角川SSC新書、2014年)101頁。 (※5)内閣府国民生活局物価政策課「保育サービス市場の現状と課題─『保育サービス価格に関する研究会』報告書─」2003年。) この一般財源化を機に、多くの自治体は保育園関連の予算を大幅にカットした。その結果、先述したような民営化による混乱が2000年代には続発した(※6)。また、公立・私立を問わず、保育士の非正規雇用化が進んだ。 慢性的な財政難に苦しむ自治体にとって、民営化によるコスト削減は魅力的である。民営化や統廃合が進むにつれて公営保育園の数は徐々に減り、2007年には私営保育園の数を下回った。2021年時点で、公営保育園が7919カ所あるのに対し、私営保育園は2万2076カ所である。 2000年の時点では公営・私営それぞれ1万2707カ所と9492カ所であったので、保育園の総数が増えていること、また公営・私営の割合が著しく逆転していることがわかる(図 ※7) 』、「2021年時点で、公営保育園が7919カ所あるのに対し、私営保育園は2万2076カ所である。 2000年の時点では公営・私営それぞれ1万2707カ所と9492カ所であったので、保育園の総数が増えていること、また公営・私営の割合が著しく逆転していることがわかる」、なるほど。
・『保育の質が低下することへの懸念  誤解しないでほしいのだが、私は民間の保育園や非正規の保育士は質が低いと主張したいわけではないし、公立の保育園が完璧であると言いたいわけでもない。私の個人的な経験から言っても、民間であれ、非正規であれ、有能で熱心な保育士は数多く存在している。 問題は、拙速な民営化によって保育の質が担保されないような構造ができ上がってしまったことなのだ。待機児童問題の深刻さを考えれば、営利企業の参入という判断は妥当であったかもしれない。だが、それによって保育の質が低下し、子どもを安心して預けられないのでは元も子もないはずである。 (※6)2000年代の保育園民営化については、たとえば以下の文献を参照。汐見稔幸・近藤幹生・普光院亜紀『保育園民営化を考える』(岩波ブックレット、2005年)、二宮厚美『構造改革と保育のゆくえ』(青木書店、2003年)、平松知子『保育は人保育は文化ある保育園民営化を受託した保育園の話』(ひとなる書房、2010年)。(※7)厚生労働省、平成12年?令和3年社会福祉施設等調査』、「問題は、拙速な民営化によって保育の質が担保されないような構造ができ上がってしまったことなのだ。待機児童問題の深刻さを考えれば、営利企業の参入という判断は妥当であったかもしれない。だが、それによって保育の質が低下し、子どもを安心して預けられないのでは元も子もないはずである」、その通りなのだろう。

第三に、5月4日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの小林 美希氏による「"国会での論戦"で見えた「日本の保育」重大争点 「異次元の少子化対策」保育においてはどうなのか?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/669534
・『国会中継などで見かける大臣と議員の激しい論戦。その内容を注視して見たことはあるだろうか。 そこでは日本の未来を左右する重要な論点が多く扱われている。今の日本において見逃せない論点とは何か。ジャーナリストの小林美希さんが国会でとくに話題となった議論をたどりながら、問題の焦点に迫る。今回は「保育」の問題について取り上げる。 岸田文雄首相が大々的に掲げる「異次元の少子化対策」。保育園の通園バスに置き去りになって園児が死亡した事故や、保育士による虐待事件が相次ぐなど、保育の業界では事件・事故が続いている。そうした中、子どもを守る保育士の数を増やすべきと、人員増が求められている。 保育園には園児の年齢ごとに保育士の最低配置基準があり、現在、保育士1人で1~2歳児を6人、4~5歳児を30人みることができる。それでは保育士の負担が重いうえ、子どもたちに充分に目が行き届かないと、保育士の配置基準を引き上げることが検討課題になっている。 昨年来、国会では連日この問題が取り上げられ、当事者の運動も広がりを見せたことから、「配置基準が今年こそ引き上げられるのではないか」と期待がかかった。しかし3月末に発表された「異次元の少子化対策」の「たたき台」では、基準の「引き上げ」ではなく、手厚い保育を実施する園への運営費上乗せという「改善」に留まった。いったい配置基準引き上げを巡り、国会ではどんな論戦が行われ、議論の現在地はどうなっているのか』、興味深そうだ。
・『戦後から続いてきた「配置基準」をめぐる攻防  2022年11月9日、衆議院の厚生労働委員会では、大西健介議員が”難事”に向かった。持ち時間の多くを割いて説いたのは、保育士の最低配置基準引き上げの重要性についてだ。 認可保育園には保育士の最低配置基準が決められており、他のタイプの公的保育園もその基準に倣っている。配置基準が決められたのは戦後間もない1948年で、それ以降、大きく変わっていないことが問題視されている。) 振り返れば基準が置かれた1948年の当初、0~1歳児は園児10人を保育士1人でみる「10対1」だった。0歳児は1967年に「6対1」へ、1998年に「3対1」へと基準が手厚い方向に変更された。 1~2歳児は1967年に「6対1」になって以降、50年以上変わっていない。4~5歳児は75年前からずっと「30対1」のまま。海外を見てみると、英国では保育者の持つ資格によるが、3歳以上5歳未満が「13対1」や「8対1」、ドイツは州ごとに異なるが3歳児未満の平均が「4.5対1」、3~6歳児が「11.8対1」や「8.6対1」などの厚みがある(厚生労働省の委託事業「諸外国における保育の質の捉え方・示し方に関する研究会」報告書2019年)。日本の基準引き上げは長年の課題だ。 大西議員は「基本的な考え方を聞いていきたい。大臣には是非、御自身のお言葉で、率直にお考えを」と切り出した。 「1歳児の基準は私が生まれた頃から変わっていない。4~5歳児は基準制定の1948年以来、70年以上変わっていないのです。1948年は戦後の第1次ベビーブーム。当時の出生数は約268万人、そして、昨年(2021年)の出生数は81万人。全く世の中が変わってしまっているのに、保育士の配置基準は変わっていない。ある種、異常なことだと思うが、大臣の率直な意見をお聞かせいただきたいと思います」(大西議員) 国会で議員が質問する内容は、事前に各省府庁に通告されて官僚が答弁を作り、それを基に閣僚が答えていく。大西議員は、大臣に対して官僚が作った答弁書を読むのではなく、大臣自身の言葉を求めた。 ところが加藤勝信厚生労働相が説明し始めたのは、2015年度に行われた3歳児の配置改善についてだった。国は2014年に配置基準を引き上げる計画を立ており、一部は改善されている。 当時、消費税の税率を引き上げる際に、保育園の数を増やす「量的拡充」のための施策に必要な0.7兆円を消費税で賄い、そのなかで3歳児の配置基準の「20対1」を「15対1」にすると計画された。基準そのものは引き上げられなかったが、消費税を財源に「15対1」体制をとる園の運営費を「加算」して支給する形で、2015年度に改善した。 また、消費税以外を財源とする0.3兆円で「質の改善」を行うとして、1歳児の「6対1」を「5対1」へ、4~5歳児の「30対1」を「25対1」に引き上げるなどの計画が立てられた。それら保育の質を向上するための施策は「0.3兆円メニュー」と呼ばれているが、財源がないことを理由に2014年以降、実現しなかった。 加藤大臣は、「(目標としている)4~5歳児の配置改善は実施できていない。このことは強く認識をしているところ。引き続き、財源をしっかり確保する努力をしていきたい」と、淡々と答弁書を読み上げた。 大西議員は「答弁を読むのではなくて、70年前と今の社会、子どもを取り巻く状況は全く違う。70年で1回も配置基準が変わらないことが、率直に言って、これは普通ですか」と強調した。) ここで、愛知県の保育園関係者が結成した「子どもたちにもう1人保育士を!実行委員会」が2022年2月~3月に行ったアンケート調査の内容が紹介された。現場で実際に働く保育士が考える、保育士1人が受け持つ子どもの適切な人数は何人なのか。 国の基準は1歳児が「6対1」だが、保育士の約半数が「3対1」と答えている。同様に4~5歳児の国の基準は「30対1」だが、現場で最も多かったのは4歳児が15人、5歳児が20人だった。 大西議員は「これが現場の受け止めなんです。実際の配置基準と大きく乖離していることについて大臣の受け止めをお聞きしたいと思います」と重ねた。 これに対し加藤大臣は、またも「3歳児の配置改善を行った」と成果を強調。そして、「1歳児、4~5歳児についての宿題を果たすべく、しっかり財源も確保し実現できるよう努力したい」と、”財源確保”を理由に逃げるかのような答弁をするにとどまった。 業を煮やした大西議員は「繰り返しになりますけれど、私が最初に聞いたのは、50年、70年変わっていない、これが変ですよねという話ですよね。配置基準と現場の感覚が全く違うことを大臣に認めていただきたいんです」と語尾を強め、畳みかけた。 「1歳児、2歳児は、国の基準では6対1です。これで災害の時に子どもの安全を守ることができるのでしょうかということを聞きたいんです。例えばアンケートの自由記載の部分では、次のような回答がありました。 『子どもの発達には個人差があり、1歳児でも歩けない子どもがいるなか、6対1の配置では全く十分でない。おんぶ、だっこ、両手をつないで守れるのは4人まで。残り2人を声かけで避難など到底、無理』 大臣は、1歳児や2歳児6人に保育士1人という配置で、例えば地震などの災害が起きた場合、火事が起きた場合、安全を守ることができるとお思いになりますでしょうか」 ここでも問いに答えない加藤大臣。「地域の関係機関と連携して必要な協力が得られるよう努めるなどの対応をお示ししているところ。保育所には安全計画、それに沿った対応をお願いできるよう努力したい」と、論点をずらした。 大西議員は「全く、かみ合っていないと思うんですよ。安全計画を立てても、おんぶ、だっこ、両手をつないで4人、これしか無理なんです。逃げられないですよ。だから、これでは安全を守れないですよね、ということを言っているんです」と怒りを露わにした。) これは災害には限らない。アンケートの別の回答も切実だ。 「『3歳児18人を1人で担任していた時に、まだお漏らしをする子も多い中、便の始末にかかっている間に、部屋にいる子がけんかで、かみつきがあったり、椅子に上って大人の事務戸棚からセロテープをとろうとしてテープカッターを落としてしまい、テープカッターの刃の部分で隣にいた子の頭を切ってしまい3針縫うけがをさせてしまったことがあります』。 場面が思い浮かぶようなリアルなエピソードですが、3歳児は今、20対1の配置基準です。こういう配置基準だと、今言ったように目が届かなくて事故が起こるのが避けられないと私は思うのですが、これは大臣、いかがでしょうか」(大西議員) 加藤大臣は質問には答えず「保育士の皆さんは大変なご苦労をいただいているというふうに承知したおります」と言って、保育士の補助を行う保育補助者の雇い上げに必要な費用、業務の効率化のための登園管理システムの導入するためのICT化の推進など保育士の負担軽減策を行っていると細かな説明を始めた。 大西議員は「またかみ合ってない。子どもの発達という点でも、ぎりぎりの人数でやっている現状というのは、私は問題だと思っています」と指摘した。 そして、再びアンケート結果に話を戻した。アンケートでは「国の保育士配置基準が改善されればどのようなよい点があるか」という質問に対して、「1人ひとりにじっくり向き合える」「子どもたちの主体性を大切にし、いろんなことに挑戦したり、なかなかできない遊びを保障できる」「事務負担も分担してサービス残業も減る」「一人の負担も減るからメンタル的なしんどさも解消され、保育士を辞める人も減る」という回答が寄せられた。 大西議員が「子どもの発達、保育士の退職防止のためにも配置基準の見直しは必要。大臣、いかがでしょうか」と質問してやっと、加藤大臣は「今の基準を保持していくべきだということを申し上げているのではなく、既に、1歳児、4~5歳児は見直していくことを決めている」と国のスタンスに言及したのだった。とはいえ、「それを進めるにあたって安定的な財源をどう確保するか議論を進めたい」と、またも財源論。 大西議員は「決まって、この話になり、お金がないからできないと言って50年、70年やってこなかった。保育の質が置き去りになっているのは大問題。もう財源の確保を言い訳にしないで、必要なことはやる。こども家庭庁ができ、今まさにそのタイミングが来ている。加藤大臣、是非、ご決断いただきたいと思います」と迫った。 「政治判断が下されれば、予算は作られる」というのが永田町と霞が関の”常識”でもある。1歳児と4~5歳児の配置基準を引き上げるために必要な予算は、年に約1300億円。国家予算の規模からすれば、決して大きすぎる額ではない。) この問題に迫っているのは、大西議員だけではない。この質疑の1カ月前、2022年10月20日の参議院予算委員会では、片山大介議員が予算確保の必要性について岸田首相に迫り、10年前から実現しない「0.3兆円メニュー」の存在を改めて掘り起こしていた。 「10年前の子ども・子育て関連三法の付帯決議で、配置基準の改善に必要な予算の確保を図るということを求めています。当時の民主党、自民党、公明党の三党で社会保障の一体改革のなかの確認書で、保育の質を上げようという話になっている。俗にいう0.3兆円メニューですが、あれから10年経っても実現されていないのです」 岸田首相は明言を避けたが「おっしゃるように、保育の質と予算とのバランスは考えていかなければならない課題だと思います。時代の変化のなかで果たすべき役割との関係で考えていく課題であると認識します」と含みを持たせるような答弁をした。 2023年に入って岸田首相が「異次元の少子化対策」を掲げ、政府は3月末に「たたき台」をまとめた。保育士の配置基準の改善のほかの主な対策は、①児童手当の所得制限の撤廃、②育児休業の給付金の拡充、③高等教育の経済負担の軽減策―――。他にも、出産費用の保険適用化、学校給食の無償化など、多岐に渡る政策が並んだ。 統一地方選を前に高所得者層の不満を解消すべく、児童手当の所得制限の撤廃がフォーカスされるなかでの「たたき台」の発表だった。 議論が児童手当の所得制限の撤廃に集中するあまり、国会周辺では「財源が児童手当の拡充にもっていかれては、配置基準の引き上げに予算がかけられないのではないか」という心配があった。「厚生労働省や内閣府は何年も前から配置基準の引き上げを行おうとしていたが、安倍晋三政権で保育園や幼稚園の無償化政策が行われた時も多額の予算が割かれてしまった」(関係者)という経緯もある。 岸田首相が「子ども予算倍増」と言う一方で、配置基準引き上げについて政府は煮え切らない。複数の関係者が「3月末に出た『たたき台』に向けて、内閣府と厚労省からは配置基準の引き上げは必須として、他の質の向上に関する政策も含めてすべて提出されていた」としており、「要望を受け取った小倉將信少子化担当大臣が頭を抱えていたようだ」と明かす。一方で、「国会でも大きく取り上げられ、さすがに今回は配置基準を変えるだろう」との見方も強まったが、結局のところ基準の「引き上げ」ではなく「改善」に留まった。 今後、「たたき台」をベースに岸田首相を議長とした「こども未来戦略会議」での議論を経て必要な政策や予算、財源が6月の「骨太の方針」までに示される。 こども家庭庁が発足して間もない4月4日、参議院の内閣委員会では井上哲士議員も配置基準を「引き上げ」るのか「改善」なのかを追及すると、小倉大臣が「基準の引き上げは行わない」と答えた。) 「最低基準を引き上げた場合、すべての保育園で基準をクリアする必要が出るため、保育士確保で現場に混乱が生じる可能性もあります。現状、様々な園において基準に達しないということも起こる可能性がある」(小倉大臣) の答弁に対して井上議員は、保育士の資格を持ちながら保育士として働いていない潜在保育士の多さを指摘。「厚生労働省の資料では、2019年で保育士の有資格者は160万7000人いるが、保育所などで働いているのは62万6000人で38.9%に過ぎない」と切り返した。 そして、井上議員は「配置基準の抜本改定は、魅力とやりがいのある職場につながる。基準どおり配置できない保育園ができるということでない。これだけの資格者がいるわけですから、保育士が保育園で働けるようにするためにも1人当たりの子ども数を減らす点で、基準の改定は待ったなしだ」と小倉大臣に詰め寄った。 くの国会議員が基準引き上げを求めるなか、国が言い訳にする保育士確保の問題には疑問が残る。 022年12月の段階で、認可保育園全体の約2割が既に「チーム保育推進加算」という運営費の上乗せ制度を使って4~5歳児の「25対1」を図っている実態を、内閣府は把握していた。そのうえで、現場が「25対1」でない園の定員分布を分析。「121人以上の大規模な認可保育園が全体の約2割を占め、その4歳児クラス、5歳児クラスの人数が平均で25人を超えている」(内閣府、当時)として、2023年度から「チーム保育推進加算」を拡充したのだ。つまり、既に大半の園で「25対1」になっているのだ。 1歳児の配置については、東京都などの自治体が上乗せ補助を行い「5対1」を既に実現しているケースが少なくない。出生数減少により定員割れしている保育園が急増するなか、行政サイドからも「待機児童が多かった数年前であれば基準引き上げで混乱が生じてしまうが、今は状況が違う。最初は加算方式でも、何年かかけて基準を引き上げればいい」との見方がある。一方で、複数の国会議員が「保育園経営に近い立場の国会議員が、基準引き上げに猛烈に反対した」と明かす。 都市部や地方の複数の保育園経営者、業界団体の役員などは「園の評判が悪いことで保育士が集まらない場合があるだろうが、現状、配置基準が引き上げられても保育士確保に問題はない」と口を揃える。たとえ直ちに配置基準の引き上げとならなくても、数年後に基準を変えると宣言して猶予期間を作るなど、工夫はできる。今後の国会論戦でも国を動かす議論は見られるだろうか』、「加藤大臣」は財務省出身で答弁は手慣れているだけに、平気で論点ずらしも行い、不誠実な大臣の筆頭格だ。大臣のこうした答弁姿勢を熟知している「大西議員」も、もっと突っ込んだ質問をしてほしかった。 
タグ:PRESIDENT ONLINE 小林 美希氏による「2歳児を公園に置き去りにして帰ってくる…全国の保育園で「昔にはあり得なかったこと」が起きている根本原因 保育が「儲かるビジネス」になり、質が低下している」 「園児が全員いるかどうか点呼することは、基本中の基本です」、でも未熟な「保育士」は時として忘れてしまうようだ。「園児の点呼」は習慣化しておうべきだ。 「保育園の数を増やして事業拡大することと利益を上げることを優先させている。人件費を抑えるため、保育士は低賃金で人員体制はギリギリという状態なのだ。若手が疲弊して、2~3年で辞めていく。そうしたなかで起こった置き去りだった」、「20人もの子どもたちが、4畳半程度のスペースに囲った柵のなかに詰め込まれるようになりました」、「日頃から、園児同士の噛みつき、ひっかきも多い」、狭いなかに大勢が閉じ込められるストレスはさぞや強いのだろう。 「安倍政権が「株式会社に受け皿整備を担ってもらう」という方針を打ち出したことで、営利企業による認可保育園は13年の488カ所から21年に3151カ所にまで急増した」、「儲けるために参入する事業者が雨後の筍のように現れた。利益を出すために人件費が削られ、保育士の労働環境が劣悪になった」、これで「安倍政権の保育施策」の当然の帰結だ。 「規制緩和が繰り返され、今では委託費の年間収入の4分の1もの金額を他の費目に流用できるようになっている」、「同一法人が運営する他の保育園や介護施設への流用、施設整備費への流用などが許されるようになった。 ある程度の経営の自由度は必要だが、自民党政権下で規制緩和が繰り返され、今では委託費の年間収入の4分の1もの金額を他の費目に流用できるようになっている」、「委託費の流用」が「同一法人が運営する他の保育園や介護施設への流用、施設整備費へ」とまで野放図に認められるようになったというのは驚きだ。 「最大で約565万円の賃金が公費で出ていることになる。しかし、東京23区で実際に保育士が手にとる賃金は約381万円と少ない・・・金額の差が、最大で年間200万円近くに」、この差はどういうことだろうか。 「人員を多く雇う保育園は多く、ひとつの認可保育園で平均3~4人を多く配置している・・・。このように保育士の多い園では、一人当たりの賃金が低くなってもやむを得ない事情がある」、なるほど。 「保育士配置違反が常態化している園と違反状態が長く続いていると見られる園は合計30カ所もあった。そもそも少ない配置基準でさえ守られないのでは、保育士は疲弊し、子どもの安全を守ることは難しいだろう」、その通りだ。 「認可保育園で起こった死亡・負傷等の事故件数を見ると、2015年の344件から2021年は1191件となり、この6年で3.5倍近く増えている」、なるほど。 「この国は、保育事業者が利益を得るための制度は次々に変えていくが、保育現場で子どもが命を落としても、子どもにとって必要な制度は変わらない。保育は児童福祉法に基づく福祉行政の一貫として行われていることを忘れてはならない」、同感である。 東洋経済オンライン 関口 洋平氏による「「保育園の重大事故」園だけを責められない問題点 「待機児童ゼロ作戦」によって本末転倒な状況に」 「少子化や待機児童といった日本独自の事情を勘案しつつ、新自由主義が日本の保育に与えた影響を検討したい」、興味深そうだ。 確かに「保育園民営化」は、「慣れ親しんだ保育士がいなくなったとき、子どもたちはどのような反応をするだろうか?新しい保育園において保育の質はどこまで保持されるのだろうか?あるいは、公立の保育園がそれまで担ってきた公的役割─地域の避難所や子育て支援の拠点としての機能、障がい者の受け入れなど─はどうなるのだろうか?」、などクリアすべき問題も多い。。 「1980年代のことである。公立保育園の数が1983年に過去最多を記録した一方で、この時代には保育園運営費の国家負担率が徐々に削減されていった。公立保育園にのみ多額の公費が投入されることや、公立保育士の賃金の高さなどが批判された」、 「共働きの家庭が現在ほど一般的でなかったこの時代においては、保育園の数を増やすどころか、むしろ抑制することが課題とされたのである。事実、1980年を境に保育園の入所児童数は緩やかに減少していった」。 「そのような方針を一変させる要因となったのが、1990年のいわゆる「1.57ショック」である。1973年には2.14であった合計特殊出生率・・・は急速に低下し、1989年に1.57となったのだ。 この衝撃を受けて、政府は少子化対策としてさまざまな政策を矢継ぎ早に策定した」、「一連の少子化対策のなかで重視されたのが、保育園の量的な拡大だった。2001年に発足した小泉純一郎内閣は「待機児童ゼロ作戦」を掲げ、2002年度から3年間で15万人の保育園児の受け入れ増を目指した・・・保育園の量的拡大を実現するために重用されたのは、規制緩和と民営化という二本柱」、歴史的経緯がよく理解できた。 「「事故が起きた施設の多くは、保育室の面積が非常に狭く、職員が少なく、無資格者や資格を持っていたとしても経験の少ない場合がほとんど」であり、「余裕のない保育施設の運営が、子どもの死亡事故を招いている」という」、なるほど。 「2021年時点で、公営保育園が7919カ所あるのに対し、私営保育園は2万2076カ所である。 2000年の時点では公営・私営それぞれ1万2707カ所と9492カ所であったので、保育園の総数が増えていること、また公営・私営の割合が著しく逆転していることがわかる」、なるほど。 「問題は、拙速な民営化によって保育の質が担保されないような構造ができ上がってしまったことなのだ。待機児童問題の深刻さを考えれば、営利企業の参入という判断は妥当であったかもしれない。だが、それによって保育の質が低下し、子どもを安心して預けられないのでは元も子もないはずである」、その通りなのだろう。 小林 美希氏による「"国会での論戦"で見えた「日本の保育」重大争点 「異次元の少子化対策」保育においてはどうなのか?」 「加藤大臣」は財務省出身で答弁は手慣れているだけに、平気で論点ずらしも行い、不誠実な大臣の筆頭格だ。大臣のこうした答弁姿勢を熟知している「大西議員」も、もっと突っ込んだ質問をしてほしかった。
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女性活躍(その28)(「男女平等は反道徳の妄想である」自民党の女性議員がそんな“女性を貶める暴言”を繰り返す根本原因 ナチス・ドイツの女性加害者との共通点、女性数学者38歳が東大数理科学研究科にもたらした変化 「数学の魅力をたくさんの女子へ 第17回 数学者 佐々田槙子さん(38) 科学に魅せられて~女性研究者に聞く仕事と人生) [社会]

女性活躍については、本年5月9日に取上げた。今日は、(その28)(「男女平等は反道徳の妄想である」自民党の女性議員がそんな“女性を貶める暴言”を繰り返す根本原因 ナチス・ドイツの女性加害者との共通点、女性数学者38歳が東大数理科学研究科にもたらした変化 「数学の魅力をたくさんの女子へ 第17回 数学者 佐々田槙子さん(38) 科学に魅せられて~女性研究者に聞く仕事と人生)である。

先ずは、8月1日付けPRESIDENT Onlineが掲載した戦史・紛争史研究家の山崎 雅弘氏による「「男女平等は反道徳の妄想である」自民党の女性議員がそんな“女性を貶める暴言”を繰り返す根本原因 ナチス・ドイツの女性加害者との共通点」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/72169
・『自民党には「男女平等は反道徳の妄想である」など、女性を貶める暴言を繰り返す女性の国会議員がいる。なぜそんな不可解な発言をするのか。戦史・紛争史研究家の山崎雅弘さんは「これはホロコーストに加担したナチス・ドイツの女性加害者と同じだろう」という――。 ※本稿は、山崎雅弘『この国の同調圧力』(SB新書)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『ユダヤ人迫害に加担したドイツ人女性の話  二〇一三年、アメリカで一冊の歴史書が刊行され、大きな反響を呼びました。 著者はアメリカ人の女性歴史家ウェンディ・ロワーで、二〇一六年に日本で出版された邦 訳版のタイトルは『ヒトラーの娘たち─ホロコーストに加担したドイツ女性』(武田彩佳監訳、石川ミカ訳、明石書店)でした。 この本は、第二次世界大戦中に起きたナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺(いわゆるホロコースト)において、さまざまな形でユダヤ人の迫害や虐殺に加担したドイツ人女性に光を当て、一般的にレイプ被害や爆撃の被災などの「戦争の犠牲者」として語られることの多い女性の中にも冷酷な「加害者」が存在した事実と、なぜ当該の女性たちはそのような行動をとったのかという構造について考察する内容でした。 ドイツやウクライナ、アメリカなどに残る厖大な記録文書(一次史料)に基づいて記された同書を読むと、ホロコーストに加担したドイツ人女性のタイプは多様で、ユダヤ人を「ゴミ」と呼ぶ粗暴な人間もいれば、国家のために自分にできることをするという使命感を持って任務に従事した人間もいました』、「一般的にレイプ被害や爆撃の被災などの「戦争の犠牲者」として語られることの多い女性の中にも冷酷な「加害者」が存在した事実と、なぜ当該の女性たちはそのような行動をとったのかという構造について考察する内容でした」、興味はますます深まった。
・『「男性に対して自分が有能だと証明したかった」  著者のロワーは、そんなドイツ人の女性の一人について、こう書いています。 エルナ・ペトリは、彼女が拳銃を取り出したときにすすり泣いた半裸のユダヤ人少年たちについて、〔戦後の裁判の尋問で〕当人しか知り得ないような描写をしている。尋問官から母親でもある彼女がなぜこれらの子どもたちを殺せたのかと詰問されると、ペトリは政府の反ユダヤ主義と、男性に対して自分が有能だと証明したかったということを理由に挙げた。ペトリの行為は社会に対する反逆ではなかった。私にはペトリがナチ体制の具現化であるように思えた。(pp.16-17) この最後の一文が示す通り、エルナ・ペトリという女性がナチス親衛隊員の夫と共に、ナチ占領下のポーランドにあった自宅の庭で少年を含む複数のユダヤ人を射殺した行為の動機は、私的な領域に留まるものではなく、当時のドイツ国民が共有した「ユダヤ人は社会にとって害悪であり、それを『駆除』することはドイツ国民の務めだ」というナチスの非人道的な世界観に突き動かされたものでした。 いやいや同調圧力に従ったのではないにせよ、自らの手でユダヤ人を殺すことによって「〔自分は女性だが〕男性と同じくらいに有能だと証明したかった」という彼女の行動は、当時のドイツ社会を支配した心理的圧力に、自らの意思で同調したのだと言えるでしょう』、「自らの手でユダヤ人を殺すことによって「〔自分は女性だが〕男性と同じくらいに有能だと証明したかった」という彼女の行動は、当時のドイツ社会を支配した心理的圧力に、自らの意思で同調したのだと言える」、なるほど。
・『「みんながそうしているから自分もそうした」  エルナ・ペトリは、自分の行為について、裁判で次のように弁明しました。 当時、〔ユダヤ人を〕射殺したとき、私はたったの二三歳で、まだ若くて経験もありませんでした。ユダヤ人を射殺していた親衛隊員たちの間で暮らしていたのです。ほかの女性と会うことはほとんどなかったので、だんだんと性格が強くなり、鈍感になっていきました。親衛隊の男たちの後ろに立つなんて嫌でした。女でも男のように振る舞えることを見せたかった。だから、ユダヤ人四人とユダヤ人の子ども六人を撃ちました。男たちに、自分が有能なことを証明してやりたかったからです。それに、当時この地域では、子どもも含めユダヤ人が射殺されているという話を、ありとあらゆるところで耳にしていました。それもあって、殺したのです。(p.196) この証言の最後で述べられたのは、「みんなもそうしているから自分もそうした」という、集団内で「みんな」が行っている行動への同調という弁明です。そう言えば、自分の責任を軽くできると、彼女は考えたのかもしれません』、「みんなもそうしているから自分もそうした」という、集団内で「みんな」が行っている行動への同調という弁明です」、なるほど。
・『「集団内での立場」が倫理観よりも優先された  集団全体がホロコーストのような残虐行為に手を染めている時、自分が集団内で異端視されたり排除されることを恐れて、自らの意思でそれに加担するという「同調」行為は、女性だけでなく男性の場合にも多く見られた現象でした。 ドイツの第101警察予備大隊(ホロコーストで中心的な役割を担った親衛隊とは別組織で、ナチ占領下のポーランドで四万人近いユダヤ人を殺害)について、厖大な文書記録で詳細に研究した、アメリカ人の歴史家クリストファー・R・ブラウニングの著書『増補 普通の人びと:ホロコーストと第101警察予備大隊』(谷喬夫訳、ちくま学芸文庫)に、以下のような記述があります。 大量虐殺について考察する上で、〔受けた命令の意味を熟考する〕時間の欠如と同じくらい重要なことは、順応への圧力であった。─それは軍服を着た兵士と僚友との根本的な一体感であり、〔命令に従わない意思表示として〕一歩前に出ることによって集団から自分が切り離されたくないという強い衝動である。(p.126) この本では「順応への圧力」という言い方がなされていますが、実質は同調圧力と同義だと考えて間違いはないでしょう。倫理的あるいは道徳的に考えて、その命令への服従や行動の是非を考えるのでなく、集団内での自分の「立ち位置」という観点でいちばん最適な行動をとる。そうすることで、集団の中で自分の立場は保たれる。 ナチスのホロコーストが、あれほど大規模かつ組織的に実行された背景には、同調圧力という我々の身近な問題とも繋がる、心理的な動機も存在していたのです』、「ナチスのホロコーストが、あれほど大規模かつ組織的に実行された背景には、同調圧力という我々の身近な問題とも繋がる、心理的な動機も存在していたのです」、その通りだ。
・『「エルナ・ペトリ」はナチスだけの話ではない  所属する集団内で、自分の地位を向上させたり、周りの「みんな」に自分の有能さを認めてもらうために、内部で共有される価値観や行動原理に沿った行動をとる。 このような「集団内の同調圧力への積極的な対応」の事例をいくつか見てきましたが、それは時として、論理的に説明がつかない「矛盾」や「自己否定」へと実行者を導くことがあります。 例えば、前出のエルナ・ペトリのような女性が「男たちに自分の有能さを証明してやりたい」と考えた時、ナチスの迫害対象が「ユダヤ人」ではなく「女性」であったならどうでしょう。女性であるペトリは、「自分の有能さや存在価値を男たちに認めさせるため」に、男たちによる女性差別や女性迫害に自らの意思で加担することになります。 これは決して、言葉の遊びや絵空ごとではありません。 二〇二〇年九月二十五日に自由民主党の党本部で行われた党の内閣第一部会などの合同会議において、同党の杉田水脈衆議院議員が、女性への暴力や性犯罪に関して「女性はいくらでもうそをつけますから」と発言したとして、大きな批判が湧き起こりました』、「エルナ・ペトリ」氏を「杉田水脈衆議院議員」に重ね合わせるとはさすがだ。
・『杉田水脈議員「女性はいくらでもうそをつけますから」  同年九月二十五日一三時三四分に公開された共同通信記事(ネット版)によれば、「杉田氏は、会議で来年度予算の概算要求を受け、女性への性暴力に対する相談事業について、民間委託ではなく、警察が積極的に関与するよう主張」し、「〔性犯罪〕被害の虚偽申告があるように受け取れる発言をした」とされています。 杉田水脈議員は、自民党に入党する前には、日本維新の会や次世代の党などに在籍していましたが、次世代の党時代の二〇一四年十月三十一日には、衆議院本会議で「伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等」や「男女平等は、絶対に実現し得ない、反道徳の妄想」などと発言し、物議を醸しました。 その半月前の十月十五日には、衆議院内閣委員会で「私は、女性差別というのは〔日本に〕存在していないと思うんです」と述べ、やはり批判の的となっていました』、「杉田氏」は「衆議院本会議で「伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等」や「男女平等は、絶対に実現し得ない、反道徳の妄想」などと発言」、その意味は「男尊女卑な政党で評価されるための“迎合”」のようだ。
・『男尊女卑な政党で評価されるための“迎合”  自らも女性である杉田水脈議員が、どうしてこんな「女性差別」や「女性蔑視」の暴言を繰り返すのか? 表面的な言葉だけで考えても、答えは出ないと思います。 しかし、先に紹介した「順応への圧力」という視点で読み解けば、どうでしょうか。 杉田議員が所属する自民党は、昔から女性蔑視の発言が目立つ政党です。 第一次安倍政権時代の二〇〇七年一月二十七日、柳沢伯夫厚生労働相は松江市で開かれた自民党県議員の決起集会において、人口減少と少子化問題に関する話で「女性は一五歳から五〇歳までが出産をしてくださる年齢。『産む機械、装置の数』が決まっちゃった」と、女性を出産のための機械や装置と表現する発言をして、激しい批判を浴びました。 ところが、当時の安倍晋三首相は、柳沢大臣を罷免せず、厳重注意に留めました。 このような、古い時代の男女観(社会的・文化的な性自認を表すジェンダーという言葉が日本に入ってくる以前の思考)、つまり男性の方が女性より優位だという前提の男尊女卑が支配する政党の中で、女性の国会議員が「自分の有能さや存在価値を男たちに認めさせる」にはどうするのが一番効果的なのか、杉田議員は考えたのかもしれません』、「男性の方が女性より優位だという前提の男尊女卑が支配する政党の中で、女性の国会議員が「自分の有能さや存在価値を男たちに認めさせる」にはどうするのが一番効果的なのか、杉田議員は考えたのかもしれません」、なかなかの悪女のようだ。
・『集団内での地位向上の引き換えに捨てたもの  その結果として導き出された結論が、内部で共有される男尊女卑の価値観や行動原理に沿った行動をとり、それを目立つ形でアピールすることなら、杉田水脈議員の「女性なのに女性を貶める」という不可解な行動にも一応の説明がつきます。 女性差別に加えて、LGBTの人には「生産性がない」という暴論(月刊誌「新潮 45」二〇一八年八月号への寄稿、同誌はこの記事が原因で同年十月号を最後に休刊)など、杉田議員は数々の問題発言で社会的な批判を浴びましたが、にもかかわらず、彼女は二〇二二年八月十日に発足した第二次岸田改造内閣で、総務大臣政務官という政府の役職に任命されました(国民の批判と国会での追及を受けたのち、十二月二十七日に辞任)。 この抜擢人事は、杉田議員の自民党内での「アピール」が成功した結果だと見ることも可能です。けれども、自民党の議員として自らの「女性差別」の暴言を撤回せず、謝罪もせずに居直り続けた杉田水脈議員は、男尊女卑の価値観を共有する集団内での地位向上と引き換えに、人間として大事な何かを自ら捨ててしまったのではないか。 私には、そんな風に思えます』、「自民党の議員として自らの「女性差別」の暴言を撤回せず、謝罪もせずに居直り続けた杉田水脈議員は、男尊女卑の価値観を共有する集団内での地位向上と引き換えに、人間として大事な何かを自ら捨ててしまったのではないか」、同感である。

次に、9月5日付けAERAdot「女性数学者38歳が東大数理科学研究科にもたらした変化 「数学の魅力をたくさんの女子へ 第17回 数学者 佐々田槙子さん(38) 科学に魅せられて~女性研究者に聞く仕事と人生」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/articles/-/200383?page=1
・『「数理女子」というウェブページ(http://www.suri-joshi.jp/)がある。副題は「数学の魅力をたくさんの女子へ」。その生みの親・育ての親の一人が東京大学大学院数理科学研究科准教授の佐々田槙子さん(38)だ。数学界にいる人たちがジェンダーや社会の問題について気軽に語れるオンライン談話会の世話人もしている。「日本のほとんどの数学者って、数学の話以外、誰がどこの大学に移ったっていうような話しかしない」と以前感じ、できるところから働きかけを始めた。東大数学科卒、既婚、2児あり。日本を変えるチャレンジを果敢に続ける佐々田さんに聞いた。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子、Qは聞き手の質問、Aは佐々田氏の回答)』、興味深そうだ。
・『Q:「おいでMath談話会」という名前のオンライン談話会を月に1度開催しているそうですね。 A:研究者だけでなく、大学院生や学部生も大歓迎の会です。前半は、数学者が自分の専門分野の面白さを他分野の院生にもわかるように話します。後半は同じ講演者に広い意味でのダイバーシティー(多様性)やインクルージョン(包摂、すべての人が個性を尊重され能力を発揮できること)に関連する個人的な経験を話してもらい、そのあと少人数に分かれてディスカッションしてもらう。2年ぐらい前から月1回やっています。 Q:ご自身が発案されたんですか? A:沖縄科学技術大学院大学(OIST)のある女性数学者の方が、米国で経験した談話会は話が専門外の人にもわかりやすく、学生たちもいっぱい集まってすごく盛り上がっていたのに、日本に来たらそうした場があまりないと感じられたことがきっかけでした。ちょうどコロナの時期だったので、全国規模で談話会をオンライン開催しようということになり、私は企画の途中で誘ってもらって5人の世話人のうちの1人になりました。) 実はそのちょっと前に、仲間と一緒に企画した研究集会の中で、1時間だけ「数学分野のジェンダーギャップ解消のために何ができるか」とか「子育てと研究のバランス」とか「インクルージョンを実現するために研究集会運営において何ができるか」など5つのテーマを立てて、好きなところに入って議論するというのをはさんだら、すごく評判が良かったんです。「男女共同参画のイベント」だったら来なかった人たちが研究集会の中の1時間だったので出てくれて、「お互いにどう考えているかが聞けて良かった」「初めて同じ分野の研究者とこうした話ができた」「またこのような機会がほしい」といった感想をもらいました。それで、数学の話とダイバーシティーなどの話を一緒にやる談話会を提案したら、ほかの世話人もいいねと言ってくれて、「おいでMath談話会」が始まりました。 世話人のミーティングは毎回すごく中身が濃くて、刺激を受けます。数学とはまた違う面白さというか、勉強になる。でも、世話人が固定してしまうと、講演者や話題も限られてしまいがちなので、どんどんバトンタッチしていくことにしています。私もそろそろ交代の時期だと思っているところです。 Q:「数理女子」はおしゃれなデザインがとても印象的なウェブページですが、これはどのように始まったのですか? A:私は博士課程を2年で出て、慶応大学の助教になりました。 A:え、2年で博士論文が書けちゃったということですか? A:そうです。 Q:すごいですねえ。 A:いや、私の知る限り、数学ではそれほど珍しくない。東大では毎年1人か2人は博士課程を2年で修了していると思います。数学って、実験とかと違って、できるときはパッとできちゃうし、逆に何年かけても何の進展もないこともよくあります。 慶応にすぐ就職できたのはびっくりしましたけど。) Q:公募があったんですか? A: はい。指導教員だった舟木直久(ふなき・ただひさ)先生から「出してみませんか」と言われました。就職直後は、さっきまで学生だったのに、いきなり教室の前に立つことになって「何をすればいいんでしょう」みたいな感じだったんですけど、前任の先生がすごく親切で、いろいろ教えてくださったので何とかなりました』、「「男女共同参画のイベント」だったら来なかった人たちが研究集会の中の1時間だったので出てくれて、「お互いにどう考えているかが聞けて良かった」「初めて同じ分野の研究者とこうした話ができた」「またこのような機会がほしい」といった感想をもらいました。それで、数学の話とダイバーシティーなどの話を一緒にやる談話会を提案したら、ほかの世話人もいいねと言ってくれて、「おいでMath談話会」が始まりました」、なるほど。
・『女子生徒に情報が届くように発信したら  Q:それで、「数理女子」は? A:ああ、そうそう、慶応で出会った坂内健一(ばんない・けんいち)さんと2013年ぐらいにおしゃべりをしていて、坂内さんも数学分野の女性が少ないと感じていて、私に「どういうことができると思いますか」と聞いてくれた。私は女子学院というキリスト教系の女子校出身なのですが、数学好きはあまりいなかった。数楽班っていう、ほかの学校でいえば数学研究会みたいな部活に入ったんですけど、ほとんどおしゃべりしている集まりでした。大学に入って男の子たちを見ていたら、中学高校時代から数学好きの仲間がいて、こういう本が面白いとか、数学科ってこんなところ、といった情報がいっぱい入ってきていたんだろうなという感じがして、女子生徒にもそういう情報が届くように発信したらいいんじゃないかなと伝えました。親御さんが数学科への進学を心配するということも聞いていたので、親御さんへの情報発信という意図もありました。 そうしたら、次の日に坂内さんが「作りました」って。 Q:え! A:後から聞いたら、どんな案がきてもいいようにいろいろと準備をしてくださっていたそうです。三角と丸だけでできた、こびとさんみたいな愛らしいキャラクターはいたのですが、ウェブページとしては簡易的な、本当にリンク集みたいな感じでした。名前は全然深く考えずに「数理女子」とつけました。 だいぶ長いことその姿のままだったんですけれど、高校時代の友達に見せたら「これのどこが女子向けなの?」って(笑)。でも、こっちもデザインのプロでもないし、時間もないしと思っていた。それで東大に移った最初の年に、自由に使わせてもらえる資金があったんです。正直、数学って物はそんなに買わない。それでふと、「数理女子」のページをちゃんとプロに作ってもらったらいいと思いついた。当時の研究科長に相談したらOKが出たので、プロのデザイナーにお願いして、コンセプトなど時間をかけて話し合って、今のウェブページができました。) ただ、「数理女子」という名前はその後もいろいろ議論がありました。「リケジョ」という言葉が流行りだしてから、自分たちのことを「数理女子」って呼ばれたくないよねっていう声も多くて、実際私もそう思っていて、名前を変えようかという話し合いも何度もしました。結局、これはお店の名前みたいな扱いとして使い、人をカテゴライズする言葉としては使わないようにしよう、ということで落ち着いています。「数理女子の皆さん!」みたいな呼びかけはダメということです。 Q:新しい情報をどんどん入れていくのは大変でしょう? A:責任者は私と坂内さんの2人ですが、今は奈良女子大学の嶽村智子(たけむら・ともこ)さんと琉球大学の加藤本子(かとう・もとこ)さんにも編集者に加わってもらっています。数学の魅力を体験してもらうワークショップも開いていて、その企画・実施にはまた別の人たちにも入ってもらって。事務局を担当してくださる方がとても頼りになるので、続いています。 Q:佐々田さんが教員として来てから、東大数理科学研究科がずいぶん変わったと聞きました。 A:たまたまタイミングかなと思います。私、東大の公募に出している途中で妊娠がわかったんです。「このままだと育休中に異動になるんですけど、大丈夫ですか」と聞いたら「全然大丈夫」って言われてびっくりしたんですよね。 慶応の最後の年は6月前半まで授業をして、産休・育休に入ってそのまま異動になりました。東大には、最初は学生もいないから、ゆっくりのペースでやってくださいと言われて。保育園に入れるには仕事をしていたほうがいいので、育休は3月までで終えました。) 研究科の定例会議は、着任した年は午後4時50分開始で、7時とか8時までかかることもあった。保育園のお迎えに間に合わないと途中で抜けていたのですが、次の年から3時開始になった。たぶん、私が来る前から開始時刻を早めようと議論があったんだと思います。さらに今年から1時半開始になりました』、「「数理女子」のページをちゃんとプロに作ってもらったらいいと思いついた。当時の研究科長に相談したらOKが出たので、プロのデザイナーにお願いして、コンセプトなど時間をかけて話し合って、今のウェブページができました」、なかなか巧みな上司操縦法だ。
・『「数理なんでも相談コーナー」を始めたきっかけ  Q:それは素晴らしい。 A:私が数学科に進学したとき、同級生45人のうち女子は私1人で、上下の学年は女子ゼロでした。やっぱり超少数派の女性として居心地が悪いと思うことはありましたし、教員になったあと女子学生から気になる話を聞くことも何度もあった。それで、問題があると思うことはその時々の研究科長に話してきました。 例えば院生室は男女一緒なんですけれど、男子はそこで平気で着替えをする。私自身、院生のときに困って、トイレで着替えたりしていた。女性特有の体調不良とかもありますし、当時の研究科長に言ったら鍵がかかる女性の部屋をすぐに作ってくれました。 教員公募の書類に「有期雇用のポストでも産休・育休がとれる」「産休・育休の期間があることは評価の際に考慮される」などを明記することを提案したら、それはすぐに書いてもらえました。 あとは、私個人としてということではなく、研究科全体でいろいろな議論があって、2020年に「ハラスメントのない数理、数学科を」という宣言文ができました。どのセミナー室にも貼ってあります。「属性にかかわらず、個人として尊重されることは基本的価値」とし、ハラスメントは「この基本的価値を損なうもの」と位置付け、それを防ぐための対策を講じます、と宣言するものです。 それで、具体的に何ができるか、ということを皆さんで話し合って、「数理なんでも相談コーナー」というのも始めました。大学全体の学生相談所はもちろんあるんですけれど、学生としては数理科学研究科の先生に聞いてほしいという思いもあると思うので、ウェブ上で匿名でも相談を申し込めるフォームを作りました。教員5人が担当しています。 (佐々田槙子氏の略歴はリンク先参照)』、「数学科」は女性が理系で最も選び易いと思っていたが、想像以上に壁が厚いことを初めて知った。今後の活躍を期待したい。

なお、「エッフェル姉さん」については8月19日、国内政治情勢で取上げた。
タグ:PRESIDENT ONLINE 山崎 雅弘氏による「「男女平等は反道徳の妄想である」自民党の女性議員がそんな“女性を貶める暴言”を繰り返す根本原因 ナチス・ドイツの女性加害者との共通点」 山崎雅弘『この国の同調圧力』(SB新書) 「一般的にレイプ被害や爆撃の被災などの「戦争の犠牲者」として語られることの多い女性の中にも冷酷な「加害者」が存在した事実と、なぜ当該の女性たちはそのような行動をとったのかという構造について考察する内容でした」、興味はますます深まった。 「自らの手でユダヤ人を殺すことによって「〔自分は女性だが〕男性と同じくらいに有能だと証明したかった」という彼女の行動は、当時のドイツ社会を支配した心理的圧力に、自らの意思で同調したのだと言える」、なるほど。 「みんなもそうしているから自分もそうした」という、集団内で「みんな」が行っている行動への同調という弁明です」、なるほど。 「ナチスのホロコーストが、あれほど大規模かつ組織的に実行された背景には、同調圧力という我々の身近な問題とも繋がる、心理的な動機も存在していたのです」、その通りだ。 「エルナ・ペトリ」氏を「杉田水脈衆議院議員」に重ね合わせるとはさすがだ。 「杉田氏」は「衆議院本会議で「伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等」や「男女平等は、絶対に実現し得ない、反道徳の妄想」などと発言」、その意味は「男尊女卑な政党で評価されるための“迎合”」のようだ。 「男性の方が女性より優位だという前提の男尊女卑が支配する政党の中で、女性の国会議員が「自分の有能さや存在価値を男たちに認めさせる」にはどうするのが一番効果的なのか、杉田議員は考えたのかもしれません」、なかなかの悪女のようだ。 「自民党の議員として自らの「女性差別」の暴言を撤回せず、謝罪もせずに居直り続けた杉田水脈議員は、男尊女卑の価値観を共有する集団内での地位向上と引き換えに、人間として大事な何かを自ら捨ててしまったのではないか」、同感である。 AERAdot「女性数学者38歳が東大数理科学研究科にもたらした変化 「数学の魅力をたくさんの女子へ 第17回 数学者 佐々田槙子さん(38) 科学に魅せられて~女性研究者に聞く仕事と人生」 興味深そうだ。 「「男女共同参画のイベント」だったら来なかった人たちが研究集会の中の1時間だったので出てくれて、「お互いにどう考えているかが聞けて良かった」「初めて同じ分野の研究者とこうした話ができた」「またこのような機会がほしい」といった感想をもらいました。それで、数学の話とダイバーシティーなどの話を一緒にやる談話会を提案したら、ほかの世話人もいいねと言ってくれて、「おいでMath談話会」が始まりました」、なるほど。 「「数理女子」のページをちゃんとプロに作ってもらったらいいと思いついた。当時の研究科長に相談したらOKが出たので、プロのデザイナーにお願いして、コンセプトなど時間をかけて話し合って、今のウェブページができました」、なかなか巧みな上司操縦法だ。 「数学科」は女性が理系で最も選び易いと思っていたが、想像以上に壁が厚いことを初めて知った。今後の活躍を期待したい。
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スポーツ界(その36)(高校陸上の星 ドルーリー選手の無断撮影相次ぐ ネットで自宅特定の動きも 弁護士「抑止力がない」、夏の甲子園「丸刈りでない」慶應高校”103年ぶりの快挙”が伝える「大きな変化」 子育てアップデート102 丸刈りと高校球児、慶応高の“美白王子”丸田湊斗選手の活躍で「ニベア」の日焼け止めが話題 担当者は「まさか」と驚き) [社会]

スポーツ界については、本年7月19日に取上げた。今日は、(その36)(高校陸上の星 ドルーリー選手の無断撮影相次ぐ ネットで自宅特定の動きも 弁護士「抑止力がない」、夏の甲子園「丸刈りでない」慶應高校”103年ぶりの快挙”が伝える「大きな変化」 子育てアップデート102 丸刈りと高校球児、慶応高の“美白王子”丸田湊斗選手の活躍で「ニベア」の日焼け止めが話題 担当者は「まさか」と驚き)である。

先ずは、8月20日付け弁護士ドットコム「高校陸上の星、ドルーリー選手の無断撮影相次ぐ ネットで自宅特定の動きも、弁護士「抑止力がない」」を紹介しよう。
https://www.bengo4.com/c_18/n_16403/
・『陸上女子のドルーリー朱瑛里選手(岡山県立津山高1年)に注目が集まっている。今年1月におこなわれた都道府県対抗女子駅伝で17人抜きの走りをみせ、区間新記録を達成。初の全国高校総合体育大会(インターハイ)でも、女子1500メートルで3位に入り、「陸上界の新星」と取り上げられている。 一方で、プライバシーや肖像権に関する問題も起きている。過度な報道や無断撮影に不安を感じるとして、2月にはコメントを発表して大会を休場した。ドルーリー選手の代理人である作花知志弁護士は言う。 「1月の駅伝後に取材が殺到し、自宅付近の練習風景を無断で掲載されたり、友人の家にまで取材がいったりするようになりました。当時は中学生でしたし、怖かっただろうと思います。親権者の依頼を受け、2月の大会を欠場するとともに、プライバシーや肖像権を守ってほしいというコメントを私のほうから発表しました」(作花弁護士) 競技中のドルーリー選手を延々と撮ってネットにアップしている人もいた。また、ネットのまとめサイトや掲示板には、自宅の場所がわかるような情報や写真が掲載されて、作花弁護士が10件近く削除要請をおこなったという』、「ドルーリー選手」は確かにネットで大騒ぎされるに値するかわいさだが、「自宅の場所がわかるような情報や写真が掲載」というのは明らかに行き過ぎだ。
・『スポーツ紙が取材に殺到、オリンピックへの期待も  一体なぜ、ここまで注目が集まったのか。ドルーリーさんを複数回取材したという記者はこう話す。 「ドルーリーさんが17人抜きをした大会の前に、全国高校サッカー選手権で岡山学芸館高が初優勝したり、津山出身のお笑いコンビ『ウエストランド』がM-1グランプリで優勝したりして、『岡山旋風』の流れがありました。それもあって、より話題性が高まったんです。その後、普段なら来ないだろうスポーツ紙が、地元の大会の取材に来るようになりました」(記者) もちろん、実力も折り紙つきだ。今回のインターハイ(全国高校総体)も現場で見ていたという前述の記者はこう話す。 「女子1500メートル決勝は、高校1年生の歴代最高となる記録でしたし、伸び代しかありません。最後のスパートで加速したときには、観客からもどよめきと声援が出ていましたね。未来のオリンピック選手として期待されていますし、今後も大会の結果次第ではフィーバーが続くでしょう」(記者)』、「女子1500メートル決勝は、高校1年生の歴代最高となる記録でしたし、伸び代しかありません。最後のスパートで加速したときには、観客からもどよめきと声援が出ていましたね。未来のオリンピック選手として期待されていますし、今後も大会の結果次第ではフィーバーが続くでしょう」、これでは騒ぐなという方が無理が多い。
・『インターハイでも不審な撮影  一方で、アスリートをめぐっては、競技に取り組む選手たちを性的な意図を持って撮影する「アスリート盗撮」が問題となっている。今回のインターハイでも、警察に引き渡した事例があった。 全国高校総体・札幌市実行委員会の陸上担当によると、保護者でも関係者でもない人が不特定多数の女性選手を撮影していたという。 本部で事情を聞いたところ、他県の大会でも運営から指導を受けていることがわかり、警察に引き渡した。その後、インターハイに来る前にも、近隣のJR駅構内で盗撮をしていたことが警察で発覚したという。 インターハイでは、各審判員や本部役員がスタンドに目を配り、不審者と思われる人物がいれば声かけをしたり、スタンドに通報用本部直通QRコードを貼り、観客にも情報提供を呼びかけたりする対策をとったという。 このようなアスリート盗撮は、着衣の上からの撮影のため、7月に新設された「撮影罪」の対象にはならない。ただ、こうした撮影行為の規制についても検討するよう附帯決議で盛り込まれた。 作花弁護士は「都道府県の迷惑防止条例の適用はあるものの、刑が軽く抑止力にならない。もし今後も立法されない場合には、国会が法律を制定しないその立法不作為が、憲法に違反しているとして、何人かのアスリートが原告になって裁判を起こすことも手だ」と話している』、「アスリート盗撮は、着衣の上からの撮影のため、7月に新設された「撮影罪」の対象にはならない。ただ、こうした撮影行為の規制についても検討するよう附帯決議で盛り込まれた』、「アスリート盗撮」を実効性ある形で規制する法改正が必要なようだ。

次に、8月21日つけFRauが掲載したジャーナリストの島沢 優子氏による「夏の甲子園「丸刈りでない」慶應高校”103年ぶりの快挙”が伝える「大きな変化」 子育てアップデート102 丸刈りと高校球児」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/115059?imp=0
・『災害級の猛暑の中で開催された2023年夏の甲子園「全国高等学校野球選手権大会」。 熱中症予防のために5回にクールダウンタイムを設けるなど、新たなルールも組み込まれた。その一方で、甲子園文化がアップデートされつつあるようだ。 スポーツや教育の現場を長く取材してきたジャーナリストの島沢優子さんが伝える。 島沢優子さん連載「子育てアップデート~子どもを伸ばす親の条件」これまでの記事はこちら』、興味深そうだ。
・『「丸刈りでない高校」3校が準々決勝に  夏の甲子園  第105回全国高校野球選手権記念大会)で準々決勝進出を果たした8校のうち3校が「丸刈りでない」ことが話題になった。神奈川県代表の慶應義塾高等学校(慶応)と茨城の土浦日本大学高等学校(土浦日大)、そして大谷翔平を生んだ岩手の花巻学院花巻東高等学校(花巻東)である。調べてみると、昨夏のベスト8校に丸刈りではない学校はゼロ。報じた記事には4千件近いコメントが寄せられたが「丸刈りはやめて自由にすればいい」との意見が多かったと感じる。 テレビでも多くの人が視聴する夏の甲子園。長髪だからダメだなんて思わないのではないだろうか  そして慶応は8月19日の沖縄尚学高校戦、6回に打者10人の猛攻で7対2と逆転勝ち。実に103年ぶりの4強を決めた。土浦日大もこれに続いた』、「準々決勝進出を果たした8校のうち3校が「丸刈りでない」、「昨夏」は「ゼロ」からはずいぶん進歩したものだ。
・『「坊主にして出直せ!」  この状況、昨今注目されている「ブラック校則」と類似していないだろうか。下着の色指定や髪の黒染め強要など、今現在の社会通念に照らすと合理性を欠く内容なのに、規律を維持する方法として長年採用されてきた。それが世の中の注目を浴びたことで、昨年度は都立高校が5項目の全廃を決め男子生徒のツーブロックなどはOKになった。 実はこの理不尽な校則に最も多いのが、頭髪に関する規制だ。だからなのか、高校野球でも、これまで当然のように頭髪規制が敷かれ、いたるところに丸刈り信仰が散見できた。強豪校は丸刈り、髪を伸ばしている学校は弱小といった古いイメージが根強いうえ、丸刈りでない学校が負けると甲子園で「坊主にして出直せ!」とヤジが飛ぶという。 さらにいえば、試合に負けたら、罰として五厘にしろと監督から命じられると聞いた学校はひとつや二つではない。生徒たちは「髪を切れば気合が入って次は勝てる」という何の根拠もない理由付けを黙って受け入れていた。 果たして、丸刈りにどのくらい教育的メリットがあるのだろか。 大人たちは「髪型で野球をするわけではない」というけれど、教育的な視点や時代との適合性の面から思考する必要があるのではないか』、「強豪校は丸刈り、髪を伸ばしている学校は弱小といった古いイメージが根強いうえ、丸刈りでない学校が負けると甲子園で「坊主にして出直せ!」とヤジが飛ぶという。 さらにいえば、試合に負けたら、罰として五厘にしろと監督から命じられると聞いた学校はひとつや二つではない。生徒たちは「髪を切れば気合が入って次は勝てる」という何の根拠もない理由付けを黙って受け入れていた。 果たして、丸刈りにどのくらい教育的メリットがあるのだろか。 大人たちは「髪型で野球をするわけではない」というけれど、教育的な視点や時代との適合性の面から思考する必要があるのではないか」、その通りだ。
・『髪型ひとつ決められないのは「主体的学び」か  公益財団法人日本高等学校野球連盟(高野連)は「日本学生野球憲章」で、以下のようにうたっている。 「国民が等しく教育を受ける権利をもつことは憲法が保障するところであり、学生野球は、この権利を実現すべき学校教育の一環として位置づけられる。この意味で、学生野球は経済的な対価を求めず、心と身体を鍛える場である」 野球は学校教育の一環であるとするならば、その内容はその時代を生き抜く子どもに寄り添ったものである必要がある。思考停止を招く要素が少しでもあってはならないだろう。そのあたりをくみ取っているからこそ、文部科学省でも以前から「主体的な学び」を掲げているではないか。個人的には、髪型ひとつ決めさせないで主体的学びとは言えないだろうと思う。 よって球児の丸刈りに、上述した「坊主にして出直せ」「負けたら五厘にしろ」のように、誰かから何かを強制される受け身の文化を感じる。この文化という面で考えると、慶応、土浦日大、花巻東の3校に共通するのは「主体性を重視した指導」だ。自己決定力や自主自律を育てようとしている』、「思考停止を招く要素が少しでもあってはならないだろう。そのあたりをくみ取っているからこそ、文部科学省でも以前から「主体的な学び」を掲げているではないか。個人的には、髪型ひとつ決めさせないで主体的学びとは言えないだろうと思う」、その通りだ。
・『少子化だけで説明できないほどの「野球人口」の減少  少子化だけで説明できないほどの「野球人口」の減少  先ごろプロ野球の若手選手に対し研修を行う機会があったが、周囲の大人たちは彼らの主体性の無さを嘆いていた。もちろん全員ではないが主体性が育まれているかに関して、私から見ても疑問符が付いた。 このことは誰よりも指導者が気づいているようだ。 高野連は今年6月、全国の加盟校硬式野球部を対象に、5年ごとに行う「高校野球実態調査」の結果を発表した(99.2%に相当する3788校が回答)。「頭髪の取り決め」が丸刈りの学校は約26.4%。わずか5年前の約76.8%に比べると大幅に減り、髪型自由の学校が急増している。 背景には、今回ベスト8入りした3校のような「丸刈りにしなくても強い学校」の影響があるに違いない。今夏は宮城県予選で敗れたが、春のセンバツに出場した東北高校なども、昨年就任した佐藤洋監督が「髪型は自由」と生徒に任せている。 もうひとつ、競技人口減少への危機感も手伝って大人たちが部員集めのために「脱・丸刈り」へ舵を切ったとも考えられる。日本高野連によると、全国の高校の硬式野球部員は2022年度で13万1259人。17年度に比べ約3万人減で9年連続減った。少子化による自然現象では説明できないダウンだ』、「頭髪の取り決め」が丸刈りの学校は約26.4%。わずか5年前の約76.8%に比べると大幅に減り、髪型自由の学校が急増している」、なるほど。
・『「少年野球のところから変えたい」  一方で、この日本の野球危機を実感している指導者や、プロ野球の育成関係者やスカウトらはSNSで警鐘を鳴らしたり、不適切指導の改善のためにセミナーを開くなど力を尽くしている。そのひとりが、「一流のスポーツマンのこころ」と銘打つ講義で、一流アスリートになるための心得をのべ6万人超に伝えてきた、スポーツ原論の専門家である高橋正紀・岐阜協立大学経営学部教授(高橋の「高」は本来ははしご高)だ。 同大学でサッカー部総監督と野球部部長を兼任。ゼミの卒業生がコーチを務める少年軟式野球の強豪、北名古屋ドリームスで2016年から定期的にセミナーをしている。指導者に向けても行っている。 「高校球児を育成する少年野球のところから変えたいと思ってやっている。少年のカテゴリーはまだまだ少ないが、高校野球は随分変わってきた印象がある」と話す。日本スポーツマンシップ協会副会長を務める関係で、同協会の研修会で慶応の森林監督とも数年前から面識がある。 「エンジョイベースボールを掲げていたし、学ぼうという姿勢が見えた。今回の甲子園での選手の姿や顔つきを見ていても、腹の底から楽しんでいることがわかる。ピンチになっても目が輝いていて、どうやって跳ね返してやろうか?と考えているように見える。こういうチームがいくつも勝ち進み新しい風を入れてくれるのは、野球界にとって非常にいいことではないか」と話す。 どんなことでも、技術向上のためのトレーニングなど辛いことはある。「スポーツを楽しむ」ために「楽なこと」ばかりであるはずもない。しかし髪の毛は技術向上に影響するのだろうか』、「慶応」は「エンジョイベースボールを掲げていたし、学ぼうという姿勢が見えた。今回の甲子園での選手の姿や顔つきを見ていても、腹の底から楽しんでいることがわかる。ピンチになっても目が輝いていて、どうやって跳ね返してやろうか?と考えているように見える。こういうチームがいくつも勝ち進み新しい風を入れてくれるのは、野球界にとって非常にいいことではないか」、なるほど。
・『何のために野球をやるのか  慶応だけでなく、花巻東、土浦日大の指導スタイルとマネージメントは、時代に沿ったチーム文化の観点からみても「永久持続性のあるチーム作り」だと高橋教授は言う。なぜならば「新しい価値観を持った保護者が子どもを送り込むからです。早かれ遅かれ古いものは新しいものと入れ替えられますから」(高橋教授)。 そのような親に育てられた子どもたちなので、多くが主体性や自己決定力が養われている。チーム文化を醸成しやすいとも言えるだろう。 高校野球はいま、変わりつつある。新たな価値観を注入する人たちには「異業種」監督も目立つ。主軸を占めていた高校教員ではなく、小学校教員の森林監督、東北の佐藤監督は元読売ジャイアンツのプロ選手など、ある種の異星人たちがイノベーションを起こしている。 佐藤監督は「幸せになるために野球をやる」と話していた。「何のために野球をやるか?」と選手にも問うそうだ。そのようなスポーツのとらえ方を考えながら、甲子園を観ている』、「高校野球はいま、変わりつつある。新たな価値観を注入する人たちには「異業種」監督も目立つ。主軸を占めていた高校教員ではなく、小学校教員の森林監督、東北の佐藤監督は元読売ジャイアンツのプロ選手など、ある種の異星人たちがイノベーションを起こしている」、今後の変化が楽しみだ。

第三に、8月23日付けAERAdot「慶応高の“美白王子”丸田湊斗選手の活躍で「ニベア」の日焼け止めが話題 担当者は「まさか」と驚き」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/articles/-/199423?page=1
・『甲子園に“ハンカチ”以来の「王子」が降臨した。慶応義塾高校(神奈川)の丸田湊斗選手が、「美白王子」「慶応のプリンス」と呼ばれ注目を集めている。SNS上では、彼の白い肌やイケメンぶりが絶賛され、「慶応の丸田くん野球やってんのに色白すぎ」「たしかにプリンス感満載。イケメンかつモデル体形」などのコメントが並ぶ。 外見だけでなく、選手としての能力も折り紙付きだ。地方大会から打ちまくり、甲子園でもこれまで4試合に出場し、打率は4割超え。長打力も兼ね備え、3つの盗塁を決めるなど、慶応高を103年ぶりの決勝まで導いた立役者と言っていいだろう。 快挙達成まであと一歩に迫った慶応高だが、丸田選手がインタビューで語った“白さの理由”も話題になっている。 「焼けたら赤くなるだけだし、ヒリヒリして痛くて…。母にもずっと日焼け止めを塗れって言われていた。日焼けはやけどなので、そこに疲労回復が使われるから、日焼け止めはしっかり塗るようにしている」(東スポWEBより) 昔の高校野球のイメージとは正反対の発言に時代の流れを感じるが、このインタビューでは、彼が「ニベア花王」のニベアの日焼け止めを使っていることも明かしており、それも注目を集めている』、「焼けたら赤くなるだけだし、ヒリヒリして痛くて…。母にもずっと日焼け止めを塗れって言われていた。日焼けはやけどなので、そこに疲労回復が使われるから、日焼け止めはしっかり塗るようにしている」、なるほど。
・『「試合を見ていて『お肌がキレイだな』と思っていたら、まさかニベアの日焼け止めを使ってくれていたとは……」 と喜びを語るのは同社ブランドマネージャーの中平美和子さん。 「近年、日焼け止めが若い世代に広まってきているのを実感しています。高校生の息子の周りでも、お母さんに勧められて日焼け止めを使う男の子も増えてきているようです」(中平さん) 同社の調査によると、2022年の男性の日焼け止め使用率は10代~60代で約15%だが、10代は21%と他の年代よりも高いという。10代の19年の使用率は約12%であったため、3年で倍近くに増加している。 また、使用頻度を比べると、2~3日に1回以上使用しているのが10代~60代の男性では平均46%で、20代でも45%なのに対し、10代では72%だったという。 同社研究所グループマネージャーの淵江悟さんは、日焼け止めの効果をこう話す。 「『皮膚は人間の最大の臓器』と言われているように、皮膚が日焼けで炎症を起こすと、炎症性の物質が血管やリンパ管を通して身体中に運ばれ、疲労やダメージが蓄積すると考えられています。そうするとリカバリーに時間とエネルギーが必要になるので、丸田選手が言っていたように、日焼け止めを塗ることはパフォーマンスを維持する上でも効果があると言えます」』、「『皮膚は人間の最大の臓器』と言われているように、皮膚が日焼けで炎症を起こすと、炎症性の物質が血管やリンパ管を通して身体中に運ばれ、疲労やダメージが蓄積すると考えられています。そうするとリカバリーに時間とエネルギーが必要になるので、丸田選手が言っていたように、日焼け止めを塗ることはパフォーマンスを維持する上でも効果があると言えます」、なるほど。
・『効果的な使用法について淵江さんは、「運動をやっている方は、運動前に塗って、こまめに塗り直すのが良いと思います」と言う。 日焼け止めを含む男性化粧品の市場も年々拡大しており、インテージの調査によると、「男性の化粧品購入」の市場規模は、17年~22年の5年間で、408億円から513億円と1.25倍に伸びている。 世代・トレンド評論家の牛窪恵さんは「市場はこの10年、ほぼずっと右肩上がりで伸びています」と話す。 「私が草食系男子の取材をしていた08年頃から、進んだ男子は肌が日に焼けないようにとケアをしていましたが、近年、裾野が広がってきているのを実感します」 男性に日焼け止めが浸透してきた背景として、牛窪さんは「母親の影響がかなり大きい」と話す。確かに丸田選手もインタビューで母親の勧めで日焼け止めを塗るようになったと語っていた。 「いまの母親世代が、韓流ブームやジャニーズなどの影響で、いわゆる『きれいな男子』を日常的に目にしています。ですから、息子にもそうあってほしいと思い、スキンケアを勧めるケースが多いのです」 また、「女子の側の意識の変化も見逃せない」と牛窪さんは話す。) 牛窪さんが草食系男子の取材をしていた08年は、スキンケアなどをする男性に対して、女性はまだ否定的な見方をしていたという。それから10年以上がたった今は、変化が起きている。 「スキンケアに気を配る『きれいな男子』を好意的にとらえる女子が増え、こうした男子は将来設計がきちんとしているとプラスの評価をされるようになりました。『将来のシミやしわを気にして若いうちからケアする男子は、お金の使い方などもしっかりしているだろう』などと話すのです。また、丸田選手は都会的で洗練されたイメージがある『慶応ボーイ』なので、より前向きに評価されたと言えるかもしれません」 牛窪さんは、「これからは球児にも日焼け止めが必須の時代になる」と見る。 「日焼けはアレルギーのほか、皮膚がんのリスク、また体内に熱をこもらせると熱中症につながる可能性も指摘されているので、近い将来、水分補給と同じく、日焼け止めを塗ることも球児のデフォルトになっていくのではないでしょうか」 プレーでも、髪形でも、美肌でも(?)今年の甲子園の話題を牽引する慶応高。はたして、107年ぶりの栄冠に輝くことができるか』、「「スキンケアに気を配る『きれいな男子』を好意的にとらえる女子が増え、こうした男子は将来設計がきちんとしているとプラスの評価をされるようになりました。『将来のシミやしわを気にして若いうちからケアする男子は、お金の使い方などもしっかりしているだろう』などと話すのです」、「日焼けはアレルギーのほか、皮膚がんのリスク、また体内に熱をこもらせると熱中症につながる可能性も指摘されているので、近い将来、水分補給と同じく、日焼け止めを塗ることも球児のデフォルトになっていくのではないでしょうか」、かつては、夏は男は日焼けしたのが恰好いいとされていたのが、日焼けを回避するとは、時代も変わったものだ。
タグ:スポーツ界 (その36)(高校陸上の星 ドルーリー選手の無断撮影相次ぐ ネットで自宅特定の動きも 弁護士「抑止力がない」、夏の甲子園「丸刈りでない」慶應高校”103年ぶりの快挙”が伝える「大きな変化」 子育てアップデート102 丸刈りと高校球児、慶応高の“美白王子”丸田湊斗選手の活躍で「ニベア」の日焼け止めが話題 担当者は「まさか」と驚き) 弁護士ドットコム「高校陸上の星、ドルーリー選手の無断撮影相次ぐ ネットで自宅特定の動きも、弁護士「抑止力がない」」 「ドルーリー選手」は確かにネットで大騒ぎされるに値するかわいさだが、「自宅の場所がわかるような情報や写真が掲載」というのは明らかに行き過ぎだ。 「女子1500メートル決勝は、高校1年生の歴代最高となる記録でしたし、伸び代しかありません。最後のスパートで加速したときには、観客からもどよめきと声援が出ていましたね。未来のオリンピック選手として期待されていますし、今後も大会の結果次第ではフィーバーが続くでしょう」、これでは騒ぐなという方が無理が多い。 「アスリート盗撮は、着衣の上からの撮影のため、7月に新設された「撮影罪」の対象にはならない。ただ、こうした撮影行為の規制についても検討するよう附帯決議で盛り込まれた』、「アスリート盗撮」を実効性ある形で規制する法改正が必要なようだ。 FRaU 島沢 優子氏による「夏の甲子園「丸刈りでない」慶應高校”103年ぶりの快挙”が伝える「大きな変化」 子育てアップデート102 丸刈りと高校球児」 島沢優子さん連載「子育てアップデート~子どもを伸ばす親の条件」 「準々決勝進出を果たした8校のうち3校が「丸刈りでない」、「昨夏」は「ゼロ」からはずいぶん進歩したものだ。 「強豪校は丸刈り、髪を伸ばしている学校は弱小といった古いイメージが根強いうえ、丸刈りでない学校が負けると甲子園で「坊主にして出直せ!」とヤジが飛ぶという。 さらにいえば、試合に負けたら、罰として五厘にしろと監督から命じられると聞いた学校はひとつや二つではない。生徒たちは「髪を切れば気合が入って次は勝てる」という何の根拠もない理由付けを黙って受け入れていた。 果たして、丸刈りにどのくらい教育的メリットがあるのだろか。 大人たちは「髪型で野球をするわけではない」というけれど、教育的な視点や時代との適合性の面から思考する必要があるのではないか」、その通りだ。 「思考停止を招く要素が少しでもあってはならないだろう。そのあたりをくみ取っているからこそ、文部科学省でも以前から「主体的な学び」を掲げているではないか。個人的には、髪型ひとつ決めさせないで主体的学びとは言えないだろうと思う」、その通りだ。 「頭髪の取り決め」が丸刈りの学校は約26.4%。わずか5年前の約76.8%に比べると大幅に減り、髪型自由の学校が急増している」、なるほど。 「慶応」は「エンジョイベースボールを掲げていたし、学ぼうという姿勢が見えた。今回の甲子園での選手の姿や顔つきを見ていても、腹の底から楽しんでいることがわかる。ピンチになっても目が輝いていて、どうやって跳ね返してやろうか?と考えているように見える。こういうチームがいくつも勝ち進み新しい風を入れてくれるのは、野球界にとって非常にいいことではないか」、なるほど。 「高校野球はいま、変わりつつある。新たな価値観を注入する人たちには「異業種」監督も目立つ。主軸を占めていた高校教員ではなく、小学校教員の森林監督、東北の佐藤監督は元読売ジャイアンツのプロ選手など、ある種の異星人たちがイノベーションを起こしている」、今後の変化が楽しみだ。 AERAdot「慶応高の“美白王子”丸田湊斗選手の活躍で「ニベア」の日焼け止めが話題 担当者は「まさか」と驚き」 「焼けたら赤くなるだけだし、ヒリヒリして痛くて…。母にもずっと日焼け止めを塗れって言われていた。日焼けはやけどなので、そこに疲労回復が使われるから、日焼け止めはしっかり塗るようにしている」、なるほど。 「『皮膚は人間の最大の臓器』と言われているように、皮膚が日焼けで炎症を起こすと、炎症性の物質が血管やリンパ管を通して身体中に運ばれ、疲労やダメージが蓄積すると考えられています。そうするとリカバリーに時間とエネルギーが必要になるので、丸田選手が言っていたように、日焼け止めを塗ることはパフォーマンスを維持する上でも効果があると言えます」、なるほど。 「「スキンケアに気を配る『きれいな男子』を好意的にとらえる女子が増え、こうした男子は将来設計がきちんとしているとプラスの評価をされるようになりました。『将来のシミやしわを気にして若いうちからケアする男子は、お金の使い方などもしっかりしているだろう』などと話すのです」、 「日焼けはアレルギーのほか、皮膚がんのリスク、また体内に熱をこもらせると熱中症につながる可能性も指摘されているので、近い将来、水分補給と同じく、日焼け止めを塗ることも球児のデフォルトになっていくのではないでしょうか」、かつては、夏は男は日焼けしたのが恰好いいとされていたのが、日焼けを回避するとは、時代も変わったものだ。
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格差問題(その10)(女子大生の夢は世帯年収3000万 生きづらさ増す国と若者たちの苦悩。低学歴・低収入ほどたばこで病気に?喫煙が「格差問題」と化した理由) [社会]

格差問題については、本年3月22日に取上げた。今日は、(その10)(女子大生の夢は世帯年収3000万 生きづらさ増す国と若者たちの苦悩。低学歴・低収入ほどたばこで病気に?喫煙が「格差問題」と化した理由)である。

先ずは、3月1日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「女子大生の夢は世帯年収3000万 生きづらさ増す国と若者たちの苦悩」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00237/
・『「夢は35歳で、世帯年収3000万円になることなんです! だから、大企業にしか就活してません」 目をキラキラさせて“夢”を語るのは、現在、就活中の女子大学生だ。 世帯年収3000万円って? 共働きで稼いでも1人当たり1500万円の年収が必要になる。30代そこそこでそんな給料をくれるなんて、大企業の中でも限られていると思うのだが……』、「河合 薫氏」の記事の殆どは有料なので、紹介出来なかったが、これは数少ない無料記事だ。
・『リソース格差が世代を超えてつながっていく(学生「結構ありますよ~。IT(情報技術)系とか外資系とか」←断言! 河合「でも、倍率高いでしょ?」 学生「どうですかね~。でもやっぱり、人並みの生活したいですし~」←楽観 河合「ひ、人並みねぇ……。もし、大企業入れなかったら? 給料高い中小企業とか?」 学生「中小企業……(笑)。入れなかったら好きなことやります!」←自信たっぷり 河合「す、好きなこと。つまり、フリーランスとか、起業とか?」 学生「ですかね~。はい、好きなことやって、楽しく生活しま~す」←将来不安ゼロ ……すごい、というか、極端というべきか。 私も若い時には、かなりの夢見る夢子ちゃんではあったが、昭和おばさんは、久しぶりに面食らいました。 そこで、就活生と日常的に接している「ザ・昭和」の同世代に、このびっくり会話を話したところ、「結構いる、というか決して珍しくないよ」と。「若い世代の間の格差は想像以上に深刻で、気の毒なほど格差の固定化が進んでる」と教えてくれた。 私はこれまで繰り返し、格差問題や二極化に関して発信してきたし、中間層没落のリアルも取り上げてきた。だが、私の想像をはるかに超える局面に、日本社会は到達している“らしい”。 「中間層の没落」ではなく「中間層の消滅」。ハイソな生活をする若者と、野草で食をつなぐ学生である。 むろんここでの格差は、経済格差だけではない。 これもコラムでも繰り返し書いてきたけど、出自家庭格差、機会格差、学歴格差、希望格差などの様々な格差を意味し、「持てる者」は生きる上で必要なリソースを豊富に持つ一方、「持てない者」はリソースを獲得する機会すらない。両者の間には、チョモランマよりも高い壁が立ちはだかる。 ゆえにどんな家庭に生まれるか? で、子供が獲得できるリソースが決まり、リソース格差が経済格差へと世代を超えてつながっていくのである。 というわけで、今回は「格差の現在地」という、ちょっとばかり大きなテーマであれこれ考えてみようと思う。 まずは、冒頭の女子大生の「大企業がダメなら、好きなことをやる」という選択の心理から読み解いていきます』、「まずは、冒頭の女子大生の「大企業がダメなら、好きなことをやる」という選択の心理から読み解いていきます」、なるほど。
・『どうせ働くなら、好きなことやらなきゃね~  一体なぜ、彼女は「世帯年収3000万円が夢→3000万円稼げる大企業を目指す→内定もらえない」となったときに、少しランクを下げて、例えば「世帯年収1500万円なら実現しそうな会社」を目指そうと思わないのだろうか? 一体なぜ、「世帯年収3000万円のハイソな生活無理」となったときに、「好きな仕事に就く」と進路変更できるのだろうか? ……たぶん、何がなんでも「勝ち組」でいたいのだと思う。 彼女の「人並み」という言葉は「勝ち組の中の勝ち組」を意味し、その背後にあるのは「絶対に仲間や友人から見下されたくない」だ。 同じ大学で、同じような学生生活を送ってきた仲間の「下」になるのは、彼女にとっては「負け」。「世帯年収3000万円!」が「世帯年収1500万円」だと負け組になる。 しかし、「好きなことをやってる自分」になれば、「私はお金じゃないのよ。どうせ働くなら、好きなことやらなきゃね~」と豪語できる。これも彼女には「勝ち組」なのだ。 「勝つ見込みがなくなったら、同じ土俵に乗らない」が鉄則なのだろう。 ちなみに、30代の平均年収は435万円。男性474万円、女性377万円で、「300万~400万円未満」が最も多く、28.7%を占める。30代で「年収800万円以上」はわずか3.8%だ(資料:https://doda.jp/guide/heikin/age/#anc_age_02)。 30代男性・女性の平均年収(年収分布) 出所:doda「20歳~65歳の平均年収は? 平均年収ランキング」(年齢・年代別の年収情報)【最新版】(※2022年12月19日更新)) このように考えていくと、「30代前半で年収700万円ももらっている超エリート集団」の働く意欲が壊滅的に低くなっているのも、腑(ふ)に落ちる。自分が思い描いていた「成功のルート」から外れると、モチベーションが急落する(「目指せ窓際族! “働きたくない30代年収700万円エリート”増殖中」、https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00184/)。 頑張るエンジンを稼働するには、「仲間から羨望のまなざしを注がれる自分」じゃなきゃダメってこと。 「すごいよね~、世帯年収3000万円だって! 〇〇に住んでるんでしょ? いいなぁ~」 「いいよね~、好きなことを仕事にするって。かっこいいなぁ~」 といった具合に』、何やら恰好だけつけている感じだ。
・『「試験で失敗でもしたら」と、「推薦入学」  社会全体で見れば数%であっても、自分の周りにその数%に該当する人がいれば、「数%に入ってないと勝ち組」にはならない。 「勝ち組のギリギリのところでいいから勝ち組でいたい」が、昭和世代の思考とするなら、「超勝ち組じゃなきゃ意味がない」が、令和世代の思考だ。 「通知表をなくそう」「運動会で勝ち負けを争うのをやめよう」という教育を受けてきた世代が、「top of the top」という限られたパイを奪おうと競って、走り続けている。「競争させない教育の目的」は……果たしてなんだったのだろう。 これまでも日本の教育は「競争させないために取った施策が、逆に競争を加速させた」というあべこべを演じてきた。 「受験戦争」という言葉が使われ始めたのは1960年代だが、それを鎮火する目的で取り入れたのが偏差値だった。 ところが、偏差値に基づき大学を序列化したことで、「ちょっと頑張ればもう少し上に届くかも」と競争に参戦する人が増え、競争は激化。偏差値が競争を一層過熱させてしまったのだ。 「運良く競争に勝つ人」が出ると、もっと上にいきたい、もっといけるという感情がかき立てられる。これは「欲望の学校化」と呼ばれる現象で、競争社会を激化させる、人の心理状態を表すものだ。 昭和の時代は中学校が「欲望の学校化」の装置だった。その装置が「中高一貫校」により、小学校になり、幼稚園へと低年齢化している。 一方、少子化で定員割れを恐れる大学は、早い段階から学生を囲い込むようになった。近年急増している推薦入学制度も早期囲い込みが最大の目的だ。 「子供に苦労をさせたくない親たち」は、「幼稚園受験からだったらなんとかなるかもしれない」と“お受験”に躍起となり、「試験で失敗でもしたら」と、「推薦入学」を好む。) 「人生それぞれだよね~」だの、「色々な生き方をすればいいよね~」と言ってる大人たちが、大人側の勝手な都合で、「成功の(ように見える)ルート」を画一化させたのだ。 「子供に競争させたくない」と言ってる大人たちが、子供が競争せざるをえない状況に追い込んでいる。それが若者の格差を深刻にする、最大の原因といえよう』、「「人生それぞれだよね~」だの、「色々な生き方をすればいいよね~」と言ってる大人たちが、大人側の勝手な都合で、「成功の(ように見える)ルート」を画一化させたのだ。 「子供に競争させたくない」と言ってる大人たちが、子供が競争せざるをえない状況に追い込んでいる。それが若者の格差を深刻にする、最大の原因といえよう」、「大人側の勝手な都合で、「成功の(ように見える)ルート」を画一化させたのだ」、罪つくりなことだ。
・『心よりカネ、とにかくカネ  競争に勝った人は、価値ある人。 競争に負けた人は、価値なき人。 競争に参加しなかった人も、価値なき人。 競争社会ではただ単にお金を稼ぐ能力の違いだけで、人間の価値まで選別される。競争に勝てなかったというだけで、人間的にもダメなように扱われてしまうのだ。 そこにあるのは「カネ」。年収である。いい大学に入って、お金を他人よりたくさん稼げる能力がなきゃダメ。いくら稼ぐかじゃなくて、どれだけ人よりも多く稼ぐかが幸せへの道という、価値観を大人がつくってしまった。 おまけに人間には、自己の利益を最大限守りたいという欲求もあるため、ひとたび負け組の集団に属することになった人が、二度と自分たちの集団にはい上がってこられないような行動を無意識に取ることがある。自分が生き残るためには、他者を蹴落とすこともいとわない人間の心の奥に潜む、闇の感情が理性を凌駕(りょうが)するのだ。 「私」たち大人は、カネさえあれば常に人生が豊かになる、というほど人の心は簡単じゃないことを知っているはずなのに。心よりカネ、とにかくカネ、とカネの万能感を追い求めている。その末路が、若者の生きづらさ、だ。 内閣府が行った「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」(2018年度)には、大人都合の競争社会で傷つく若者の心情が垣間見られる結果がある(資料、https:///www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/ishiki/h30/pdf/s2-1.pdf)。 「自分自身に対して満足しているか?」という問いに、日本では「そう思う」と回答する若者が圧倒的に少なく、たったの10.4%。7カ国中、ビリだ。日本の次に低かったスウェーデンでも30.8%。ちなみにトップは米国で57.9%だった。 また、「今が楽しければよいと思う」との項目で、「そう思う」と「どちらかといえばそう思う」が合計60.4%と6割を超え、5年前の調査からは微増だった。 「今が楽しければよいと思う」 出所:内閣府「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」(2018年度) 「自分は役に立たないと強く感じる」は、半数以上の51.8%が「そう思う」「どちらかといえばそう思う」とし、こちらも前調査より増えた。 「自分は役に立たないと強く感じる」 出所:内閣府「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」(2018年度) 「子供の世界は大人社会の縮図」と言い続けてきたけど、「今」を生きる若者は、「今」の大人たちが若い頃には経験しなかった生きづらい社会を生きることを余儀なくされている。 繰り返しになるが、それをつくったのは「大人」だ』、「「今」を生きる若者は、「今」の大人たちが若い頃には経験しなかった生きづらい社会を生きることを余儀なくされている。 繰り返しになるが、それをつくったのは「大人」だ」、その通りだ。
・『「私」たちは、カネの万能感を信じ続けるのか?  私は大人が多様な社会、多様な生き方を表向きは礼賛しながらも、それを拒否したことが、子供たちの未来をなくしたと考えている。 むろん、これだけ賃金が上がらない、四六時中働いても「普通の生活すらできない」社会で生きる大人が、カネに絶対的価値を置くのも、ある意味においては理解できる。 しかし、本来、何に価値を置くかは人によって異なるものだ。 大人が人間の価値について、それぞれ自分なりの考えを持ち、他者には他者の価値観があることを受け入れて、他者を評価すれば、「格差社会」などというものは存在しなくなるのではないか。 例えば、うつ病になる人も、自殺をする人もいない、パプアニューギニアのカルリ族では、互いの価値観を認め合う文化が根付いているそうだ。 例えば「ブタ」がその人にとって、価値あるものだとしよう。すると、そのブタを失ったとき、その喪失感を部族全体で埋めるための儀式が行われる。 「あなたは大切なものを失ったのですね。そのことを私たちは分かっていますよ。物足りないかもしれないけれど、何とかあなたに開いた心の穴を埋める手伝いをさせてください」と、その人の価値観を受け入れるそうだ。 「Death of Despair=絶望死」という衝撃的な言葉で、中年の米国白人男性の自殺率と罹患(りかん)率の増加を説明した、ノーベル経済学賞受賞者のアンガス・ディートン博士と夫人のアン・ケース氏が行った調査で明かされたのは、賃金の低さ、すなわち貧困だけが「絶望死」の原因ではないという事実だった。 大学を出ている人と出てない人の間には、賃金のみならず、仕事、家庭、コミュニティーなど「生活世界」を分断する壁がいくつもあった。かつて非大卒の中年白人男性たちの「生活世界」に当たり前にあったものがなくなり、仕事の誇りや人生の意義を失い、生きる光が奪われていった。 そんな痛みのある人生から逃れるために、薬物やアルコールに溺れ、死に急ぐ人が量産されていったのだ。 この先も「私」たちは、カネの万能感を信じ続けるのか? 女子大生の「夢」は、そんな問いを突きつけている』、「この先も「私」たちは、カネの万能感を信じ続けるのか?」、「カネ」を尺度の基準にするのではなく、失われた自己肯定感を取り戻すようにすべきだ。

次に、3月9日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「低学歴・低収入ほどたばこで病気に?喫煙が「格差問題」と化した理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/319106
・『アメリカで盛り上がる「たばこ排除」、背景に貧困の連鎖(2月、「愛煙家」の皆さんの心をかき乱すような海外ニュースがまた飛び込んできた。 米疾病対策センター(CDC)の最新世論調査によれば、米国の成人の半数以上が全たばこ製品の販売禁止に賛成しているというのだ。 新型コロナウィルスの感染拡大でバタバタと人が亡くなっていた時も、「マスクをするもしないも個人の問題だろ」とオレ流を貫く人も多かった「自由と自己責任の国」で、なぜここまで明確なタバコ排除の声が盛り上がっているのか。 「体に悪い」という医学的根拠もさることながら、多くのアメリカ人が問題視しているのが、「貧しい人の健康を損わせて、さらに貧しくさせてしまう」という「格差拡大」の恐れがあるからだ。 実はアメリカのタバコ市場の約3分の1を占めている「メンソールたばこ」は、アフリカ系アメリカ人や低所得者層の喫煙率が非常に高い。これは「たまたまこの層にハマった」からではない。あえてターゲットにされているのだ。 「たばこ製品、特にメンソールたばこについては、若者や人種的・民族的少数者、低所得層、性的少数者に向けて偏った宣伝が行われていることが、研究で示されている」(CNN.co.jp 23年2月3日) また、この「メンソールたばこ」は多くの国で禁止されていることからもわかるように、一度吸ってしまうと、なかなかやめられないという高い中毒性がある。そこに加えて、未成年者が手を出しやすい。タバコは幼い頃から吸えば吸うほどヘビースモーカーになりやすいことがわかっているので、当然、健康を損なう人が増える。 ご存じのように、かの国は日本のように国民皆保険制度がないので、低所得者層が体を壊せば治療費でより貧しくなる。そして、そのような貧しい家庭の子どもが「かっこいい」とメンソールたばこに手を出して再び貧困へ…という感じで「貧困の連鎖」も指摘されている。つまり、アメリカでたばこ排除の動きが盛り上がっているのは、健康うんぬんもさることながら「格差問題」なのだ』、「アメリカでたばこ排除の動きが盛り上がっているのは、健康うんぬんもさることながら「格差問題」なのだ」、なるほど。
・『日本でも「格差」を理由にたばこ規制が進むおそれ  このような話を聞くと、「ま、日本はアメリカほどひどい格差はないから、今のところそんな“反たばこ”の世論にはならないだろ」とホッと胸をなで下ろす喫煙者も多いだろうが、これは対岸の火事ではない。 我が国でも遅かれ早かれ「貧しい人ほどたばこで健康を損ねる傾向があるので、格差をなくすためにたばこを規制せよ」という世論が盛り上がっていく可能性が高いのだ。 それがうかがえるのが、東北大学大学院歯学研究科の竹内研時准教授らのグループによる研究だ。竹内准教授らは20~69歳の男女約5000人を2017年~2020年にかけて追跡して、加熱式たばこによる受動喫煙への曝露状況が17年に4.5%だったものが、20年には10.8%となんと2.5倍になっていたことを明らかにした。これまで一般市民における、加熱式たばこの受動喫煙曝露の実態はわからなかったが、それを世界で初めて明らかにした研究だ。 実はこの研究には注目すべき点がもうひとつある。それは加熱式たばこの受動喫煙にさらされるリスクに「学歴」が関係しているということを明らかにした点だ。竹内准教授が言う。 「対象者を、中学・高校卒業者と、専門学校・短大・高専卒と、大学・大学院卒という3つのタイプの教育歴に分けて集計したところ、教育歴が短いグループ(中学/高校卒)は、教育歴の長いグループ(大学/大学院卒)に比べて、加熱式たばこによる受動喫煙への曝露リスクが約60%高いことが明らかになりました」 そもそも、なぜこのようなことを調べたのかというと、かねてから「紙巻きたばこ」ではこのような傾向があるということが指摘されていたからだ。 「以前から国内外のさまざまな研究で、教育歴が短い人ほど、紙巻きたばこの受動喫煙にさらされる割合が高いということがわかっています。そこで、加熱式たばこにも同じ傾向があるのか調べてみようと思ったんですが、そこである興味深いことがわかりました」(竹内准教授) 実は調査を開始した17年時点では、低学歴の受動喫煙曝露割合は5.4%で、高学歴は3.8%とそこまで大きな開きはない。しかし、翌年になると急に差が大きく開いた(18年時点で低学歴は10.2%、高学歴は5.5%)。 「加熱式たばこは全国のたばこ取扱店での販売が16年に始まったため、17年の段階ではまだ目新しかったとことに加え、従来の紙巻きたばこと比べ、吸うためのデバイスを購入する費用が余分にかかることから、教育歴が長く比較的金銭的に余裕のある人も先んじて購入し、いろんな場所で吸っていた可能性があります。その後、デバイスも求めやすい価格になって認知も広がったことで、徐々に教育歴の短い人のユーザーも増え、紙巻きたばこと同じ傾向におさまっていったと考えられます。つまり、これが喫煙というものに共通する特徴ではないでしょうか」(前出・竹内准教授)』、「受動喫煙曝露割合」は「18年時点で低学歴は10.2%、高学歴は5.5%」、「差が大きく開いた」、なるほど。
・『なぜ低学歴の人ほど受動喫煙にさらされるのか  なぜ低学歴の人ほど受動喫煙にさらされるリスクが高いのか。 「考えられる理由のひとつは労働環境の問題です。例えば、中学・高校卒の方は体力仕事や作業系の仕事に就くことが多く、そういう職場では受動喫煙防止対策がまだ定着していないケースも多いと考えられます。そのような職場で周囲が紙巻きたばこや加熱式たばこを吸っていた場合、学校を出たばかりの新社会人がたばこの煙を理由にその場を離れたり、自分の近くで吸わないようお願いすることは困難ではないでしょうか」(前出・竹内准教授) このような構造的な問題を示唆するデータもある。厚生労働省が習慣的に喫煙している人の割合を調べたのだが、19年度に喫煙している男性の割合を世帯年収別に見てみると、年収600万円以上が27.3%、年収400万円以上、600万円未満で29.4%、年収200万円未満では34.3%だった。年収が低くなるにつれて喫煙率が高くなっており、ワーキングプア男性の3人に1人はスモーカーなのだ。 低学歴の場合、どうしても低年収の職場で働くケースが多いことは否めない。低年収となると肉体労働や作業系の職場も多く、上司・先輩・同僚は喫煙者が多いという傾向があるので当然、受動喫煙リスクも高まりがちになってしまうというわけだ。 このような話を聞くと、愛煙家の皆さんは不快になるだろう。 「さっきから黙って聞いてりゃ、たばこを吸うと貧乏になるみたいな言い方じゃないか!オレの知っているヘビースモーカーは年収3000万だぞ」みたいに反論をしたくなる人もいるだろう。ただ、金持ちが他人に迷惑をかけず1日に1カートン吸おうが、そんな個別の話はどうでもいい。 筆者が懸念しているのは、貧しい人がたばこをスパスパ吸うことや、たばこを吸わない貧しい人が受動喫煙にさらされる傾向があるという事実によって、日本の格差がさらに広がってしまうことだ』、「貧しい人がたばこをスパスパ吸うことや、たばこを吸わない貧しい人が受動喫煙にさらされる傾向があるという事実によって、日本の格差がさらに広がってしまうことだ」、その通りだ。
・『喫煙すると健康にもキャリアにも悪影響、貧困に拍車  まず、喫煙はがんやCOPD(慢性閉塞性肺疾患)など病気を引き起こすことがわかっている。貧しい人がこれらの病気になれば当然、これまでのように働くことができなくなるので、収入はさらに少なくなってしまう。 また、このように病気にならずとも貧しさに拍車がかかってしまう恐れがある。キャリアアップが難しいからだ。 『喫煙後45分は「職場出禁」の有名企業も、たばこ臭さが会社に与える大損失』の中で詳しく解説をしたが、今、上場企業では喫煙がビジネスシーンでマイナスに働くということで続々と、社員に業務時間中の禁煙だけではなく、喫煙後45分間は職場に戻らないことまで推奨している。 愛煙家の皆さんには酷な話だが、自由の国アメリカでさえ排除論が高まっているように、これは世界的な潮流なので、もはやこの包囲網が緩くなるということはない。厳しくなっていく一方だ。 それはつまり、1時間おきに喫煙所に行ってスパスパやりながら仕事をするというワーキングスタイルに慣れている人は、これからかなり働ける場所が限定されていくということだ。当然、高収入を得られるような仕事へ転職をするハードルも上がっていく。 このような問題が深刻になっていけば、アメリカのような「貧困の連鎖」も増えていくだろう。低収入の喫煙者の家庭の子どもは幼い頃から受動喫煙にさらされているので健康を損ねやすい。また、家族の影響で自身も早い年齢から喫煙を開始する可能性も高い。つまり、「喫煙と貧困の連鎖」が続いていくのである。 このように喫煙がもたらす「格差拡大」が社会的に注目されるように、日本でも今のアメリカのように「たばこ製品販売禁止」に賛成する世論が盛り上がっていくかもしれない。 そこまでいかなくとも、低収入・低学歴の人ほど受動喫煙の被害にあうのを防ぐため、いっそのことあらゆる職場でたばこ禁止にしてしまえというような意見は出るだろう』、「喫煙がもたらす「格差拡大」が社会的に注目されるように、日本でも今のアメリカのように「たばこ製品販売禁止」に賛成する世論が盛り上がっていくかもしれない。 そこまでいかなくとも、低収入・低学歴の人ほど受動喫煙の被害にあうのを防ぐため、いっそのことあらゆる職場でたばこ禁止にしてしまえというような意見は出るだろう」、なるほど。
・『貧しくなればなるほど、喫煙にさらされ追い詰められる現代社会  今の受動喫煙防止対策は「ザル」なので、小さな会社では職場でまだスパスパ喫煙している人もいるし、飲食店も個人経営などでは、まだ普通に吸える。こういう会社や店は「そんなにタバコの煙が嫌なら来なきゃいい」みたいなことを言うが、低学歴・低収入の人や若者、女性などの弱い立場の人は「嫌なら断る」なんてできない。 やっとありつけた仕事という場合や、非正規雇用など雇用主に強く言えない立場なので、心の底では「タバコの煙なんて吸いたくねえよ」と思いながらも「たばこ?全然平気ですよ」なんて調子を合わせている。貧しくなればなるほど、生きていくために、自分の心を殺して誰かが吐いた煙を平気な顔をして吸い続けて、心身が不調になっているのだ。 「このような格差問題の対策をしていこうと考えた時にまず必要なのが“見える化”です。教育歴が短い人ほど受動喫煙リスクが高いという実態がわかれば、どういった人たちを守るための環境整備や注意喚起が必要なのかが見えてきます。今回の研究は、喫煙率を下げていく施策を考える上でも参考になると思います」(前出・竹内准教授) 今、多くの大企業では職場の禁煙は常識になりつつある。「健康経営」の観点から、社員の禁煙をサポートするような取り組みも進んでいる。 しかし、日本の全企業数の中で大企業が占める割合はわずか0.3%に過ぎない。ワーキングプアの3人に1人は喫煙者で、低学歴の人ほど受動喫煙にさらされている。日本人の「健康格差」は静かに、だが確実に進行しているのだ。 たばこの問題は「国民の健康」として語られることが多いが、そろそろアメリカのように「格差」の問題として考える時がきているのかもしれない』、「日本人の「健康格差」は静かに、だが確実に進行しているのだ。 たばこの問題は「国民の健康」として語られることが多いが、そろそろアメリカのように「格差」の問題として考える時がきているのかもしれない」、同感である。
タグ:(その10)(女子大生の夢は世帯年収3000万 生きづらさ増す国と若者たちの苦悩。低学歴・低収入ほどたばこで病気に?喫煙が「格差問題」と化した理由) 格差問題 日経ビジネスオンライン 河合 薫氏による「女子大生の夢は世帯年収3000万 生きづらさ増す国と若者たちの苦悩」 「河合 薫氏」の記事の殆どは有料なので、紹介出来なかったが、これは数少ない無料記事だ。 「まずは、冒頭の女子大生の「大企業がダメなら、好きなことをやる」という選択の心理から読み解いていきます」、なるほど。 何やら恰好だけつけている感じだ。 「「人生それぞれだよね~」だの、「色々な生き方をすればいいよね~」と言ってる大人たちが、大人側の勝手な都合で、「成功の(ように見える)ルート」を画一化させたのだ。 「子供に競争させたくない」と言ってる大人たちが、子供が競争せざるをえない状況に追い込んでいる。それが若者の格差を深刻にする、最大の原因といえよう」、「大人側の勝手な都合で、「成功の(ように見える)ルート」を画一化させたのだ」、罪つくりなことだ。 「「今」を生きる若者は、「今」の大人たちが若い頃には経験しなかった生きづらい社会を生きることを余儀なくされている。 繰り返しになるが、それをつくったのは「大人」だ」、その通りだ。 「この先も「私」たちは、カネの万能感を信じ続けるのか?」、「カネ」を尺度の基準にするのではなく、失われた自己肯定感を取り戻すようにすべきだ。 ダイヤモンド・オンライン 窪田順生氏による「低学歴・低収入ほどたばこで病気に?喫煙が「格差問題」と化した理由」 「アメリカでたばこ排除の動きが盛り上がっているのは、健康うんぬんもさることながら「格差問題」なのだ」、なるほど。 「受動喫煙曝露割合」は「18年時点で低学歴は10.2%、高学歴は5.5%」、「差が大きく開いた」、なるほど。 「貧しい人がたばこをスパスパ吸うことや、たばこを吸わない貧しい人が受動喫煙にさらされる傾向があるという事実によって、日本の格差がさらに広がってしまうことだ」、その通りだ。 「喫煙がもたらす「格差拡大」が社会的に注目されるように、日本でも今のアメリカのように「たばこ製品販売禁止」に賛成する世論が盛り上がっていくかもしれない。 そこまでいかなくとも、低収入・低学歴の人ほど受動喫煙の被害にあうのを防ぐため、いっそのことあらゆる職場でたばこ禁止にしてしまえというような意見は出るだろう」、なるほど。 「日本人の「健康格差」は静かに、だが確実に進行しているのだ。 たばこの問題は「国民の健康」として語られることが多いが、そろそろアメリカのように「格差」の問題として考える時がきているのかもしれない」、同感である。
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ハラスメント(その22)(歌舞伎界「世間離れした慣習」でエンタメ界に激震 「猿之助騒動」でスター誕生も映画は公開延期に、国連も調査「ジャニーズ問題」に企業はどう対応? CMスポンサー企業や日テレ 電通に尋ねた、ジャニーズ性加害問題 「国連が動いたからには…」と期待しても失望が待つ理由) [社会]

ハラスメントにつては、本年5月20日に取上げた。今日は、(その22)(歌舞伎界「世間離れした慣習」でエンタメ界に激震 「猿之助騒動」でスター誕生も映画は公開延期に、国連も調査「ジャニーズ問題」に企業はどう対応? CMスポンサー企業や日テレ 電通に尋ねた、ジャニーズ性加害問題 「国連が動いたからには…」と期待しても失望が待つ理由)である。

先ずは、本年6月4日付け東洋経済オンラインが掲載した日本女子大学教授の細川 幸一氏による「歌舞伎界「世間離れした慣習」でエンタメ界に激震 「猿之助騒動」でスター誕生も映画は公開延期に」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/676163
・『創業150周年と銘打った記念公演で賑わう日本橋浜町の明治座に突然の災難が降りかかった。4月、5月の記念公演は歌舞伎で、5月は「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」。役者名をタイトルに冠した公演で、さながら、歌舞伎版「ワンマンショー」といった感じだ。その市川猿之助が突然の休演となり、明治座は大混乱に陥った。 昼の部、夜の部の2部構成で、双方とも猿之助が主役を務める。昼の部は1979年に3代目猿之助(現・市川猿翁)初演で宝塚のスタイルを取り入れた歌舞伎レビュー「不死鳥よ 波濤を越えて―平家物語異聞―」、夜の部はやはり3代目猿之助が1984年に明治座で初演し、6役早替わり、宙乗りで知られる「御贔屓繫馬」(ごひいきつなぎうま)。歌舞伎界で集客力ナンバーワンとも言われる猿之助(澤瀉屋・おもだかや)ならではの公演だ。 事件が起きたのは5月18日。猿之助自身が体調不良で休みたいと劇場側に連絡したのが、18日朝。同日の昼の部は休演になったものの、夜の部は中村隼人(29歳、萬屋)の代役で公演を続けた。昼の部は翌19日も休演となるものの、20日からは市川團子(19歳、澤瀉屋)が代役を務めて公演を続行した』、「代役」で穴を開けなかったとはさすがだ。
・『堂々と代役を務めきった  結局28日の千秋楽まで、昼の部は團子、夜の部は隼人が猿之助の代役を務めきった。緊急事態にも動じず、主役不在の舞台で堂々と主役を務めた2人の演技が注目されることとなり、連日大入り状態となった。 実は、夜の部の「御贔屓繫馬」は千秋楽の28日には猿之助の役を隼人が演じることが予め決まっていた。猿之助の、若手に主役の機会を与えて実力をつけさせたいという思いからだ。したがって、急遽の猿之助休演でも隼人は演じる準備ができていたと思われる。 しかし、昼の部の「不死鳥よ 波濤を越えて」はそうした予定はなく、しかも團子は夜の部には出演していたが、昼の部は出演していなかった。にもかかわらず、緊急事態が起きた18日の翌々日の20日には47歳のベテラン猿之助の代役を若干19歳でみごとに務めたのだ。その雄姿が話題となり、チケットの人気が沸騰し、昼の部は完売となった。 隼人が代役を勤める夜の部も宙乗りに6役早替わりという澤瀉屋が得意とする観客サービスたっぷりの演目で、こちらもほぼ完売の状況となった。「顔よし、声よし、姿よし」と注目の隼人の宙乗りに観客は魅了された。) 歌舞伎界は、江戸時代の役者の身分制の影響が残る体質の古さが指摘され、それゆえの不祥事がたびたび報じられてきた。「名跡」を持つ役者の嫡男が「御曹司」として「お家芸」を継承し、経験(芸道精進)を経てその名跡も継承していく。そして、その名跡を柱として、門下の役者によって集団が形成され、市川團十郎家の「成田屋」や尾上菊五郎家の「音羽屋」などの屋号で呼ばれる。猿之助率いる「澤瀉屋」もそのひとつで、猿之助の名跡は大名跡とされている。 昭和の時代から、歌舞伎界では不倫や隠し子程度のことは問題視されることではなく、特段に珍しいことでもないとされた。ただ世間一般の感覚とはずれがあり、メディアで騒がれることも多い。現在の歌舞伎界を支える名跡の役者も親世代の破天荒な行いを見てきたからであろうか、不倫等に加えて、セクハラやパワハラ等のスキャンダルが報じられることがある。 團子の父は俳優香川照之(歌舞伎俳優名:市川中車。猿之助の従兄弟)だが、香川自身も不祥事でテレビ界から排除され続けているなかで、市川中車として歌舞伎の舞台には復帰し、今月の舞台にも息子の團子とともに出演している。これも歌舞伎界の不祥事に対する甘さだとする指摘が多い。 そうした中での「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」。人気の猿之助の公演ということもあり、チケットの販売状況は悪くはなかったが、完売というほどの状況ではなかった。そこに突然の事件で、公演中の主役が不在になった。だれもが公演継続は不可能と思うところだが、急遽代役を立てて公演が続けられた』、「歌舞伎界は、江戸時代の役者の身分制の影響が残る体質の古さが指摘され、それゆえの不祥事がたびたび報じられてきた。「名跡」を持つ役者の嫡男が「御曹司」として「お家芸」を継承し、経験(芸道精進)を経てその名跡も継承していく。そして、その名跡を柱として、門下の役者によって集団が形成され、市川團十郎家の「成田屋」や尾上菊五郎家の「音羽屋」などの屋号で呼ばれる。猿之助率いる「澤瀉屋」もそのひとつで、猿之助の名跡は大名跡とされている。 昭和の時代から、歌舞伎界では不倫や隠し子程度のことは問題視されることではなく、特段に珍しいことでもないとされた。ただ世間一般の感覚とはずれがあり、メディアで騒がれることも多い。現在の歌舞伎界を支える名跡の役者も親世代の破天荒な行いを見てきたからであろうか、不倫等に加えて、セクハラやパワハラ等のスキャンダルが報じられることがある」、なるほど。
・『代役を観たい客が殺到  一方で、こうした歌舞伎界の影の部分を引きずる慣習が魅力となっている面もある。チケットの規約には「公演中止以外は払い戻しは一切しない」とあるが、さすがに「猿之助奮闘公演」と銘打っていながら猿之助休演では、そうはいかないと考えたのであろう。明治座はチケットのキャンセルに応じる決定をした。キャンセルが相次いでも不思議ではないと思われたが、代役を見事に演じる團子と隼人が話題となり、その姿を観たい客が殺到し、客席は大盛り上がりとなった。 特に團子は、前述したように昼の部には出演していなかった。しかし、事態が起きた2日後には代役を演じ切った。香川照之の長男・政明で、澤瀉屋の名跡のひとつである市川團子を8歳で襲名し以降、猿之助のもとで歌舞伎俳優として経験を積んできた。 澤瀉屋の名跡・團子を名乗ること自体が、のちに猿之助を継承する可能性を自覚し、また世間にもそう思わせることとなり、それゆえに芸道精進してきたということであろう。父・照之も異例の46歳になって歌舞伎俳優となり市川中車を襲名したが、息子・團子の代役成功は、團子が猿之助を継ぐとの印象を世間に改めて認識させた。) 役者が休演しても代役がすぐに立てられ、興行は休演にならないということが歌舞伎ではよくある。歌舞伎界の役者全体が歌舞伎の継承という理想の下では家族のように芸の継承に協力し、御曹司たちは子どもの頃から歌舞伎座などの劇場で多くの時間を過ごし、所作やセリフ、長唄、義太夫などの音楽にどっぷり浸かった「英才教育」を受けているので、やり遂げてしまうのだ。 御曹司が家を継承するということは、出生で役者の道が決まり、逆に歌舞伎の名家に生まれてこなかった役者を排除するシステムのように映る。一方で御曹司にはそれが役者として小さいころから経験を積む機会を与え、幼心にもその責任と運命を自覚させる効果を持っている。 昨年11月、12月の2カ月間、歌舞伎座で市川團十郎白猿の襲名披露興行があったが、息子の市川新之助襲名も同時に行われた。わずか9歳の男の子が「外郎売(ういろううり)」、「毛抜」の舞台で主役を務めて話題となった。 また今年5月の歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」では、尾上菊五郎の孫で、フランス人の父と菊五郎の娘・寺島しのぶを母に持つ10歳の寺嶋眞秀の尾上眞秀襲名初舞台の演目「音菊眞秀若武者」で、眞秀は男役、娘役の2役を演じ切り、こちらも拍手喝采の舞台となった』、「役者が休演しても代役がすぐに立てられ、興行は休演にならないということが歌舞伎ではよくある。歌舞伎界の役者全体が歌舞伎の継承という理想の下では家族のように芸の継承に協力し、御曹司たちは子どもの頃から歌舞伎座などの劇場で多くの時間を過ごし、所作やセリフ、長唄、義太夫などの音楽にどっぷり浸かった「英才教育」を受けているので、やり遂げてしまうのだ」、「御曹司にはそれが役者として小さいころから経験を積む機会を与え、幼心にもその責任と運命を自覚させる効果を持っている」、なるほど。
・『現代的なシステムの導入も  歌舞伎は世界的に見てかなり異質の舞台芸術だ。歌舞伎の演目のひとつに「口上」がある。襲名披露興行等の記念興行で見られる演目で、要は役者たちの「ご挨拶」それだけである。役を演じるのではなく、役者が襲名等にあたっての抱負を語り、歌舞伎界の幹部たちがそれに応援等の挨拶をするだけのものだが、その様式美と出演者の豪華さが魅力であり、「役者の成長を楽しむ」という歌舞伎ならではの演目で、人気が高い。 家の芸を中心とする演劇が歌舞伎であり、したがって、世襲を基本としているが、江戸時代の役者の身分制をそのまま引きずっている訳ではない。そこには工夫や現代的なシステムの導入も見られる。 嫡男ができない名跡役者はいるし、また、いたとしても役者に向かなかったり、嫌がる場合もある。そのままではお家芸が途絶えてしまうので、養子や部屋子という形で、継承することがある。部屋子とは、部屋に預けられた子どもの役者だ。) 当代一の女形と言われる坂東玉三郎は14代目守田勘弥の部屋子となり、その後、養子となって5代目坂東玉三郎を襲名した。ラブリンの愛称までついている片岡愛之助は一般家庭に生まれ、子役として活躍するなかで13代目片岡仁左衛門に見いだされて片岡一門の部屋子となり、のちに2代目片岡秀太郎の養子となって、6代目片岡愛之助を襲名した。若い世代では、中村莟玉(かんぎょく)が4代目中村梅玉の養子、中村鶴松が18代目中村勘三郎の部屋子となり、歌舞伎俳優となっている。 これらは歌舞伎を生業とする家に生まれなかった子どもがその才を見いだされるケースだが、戦後は、一般家庭の子として生まれても歌舞伎俳優になれる制度も作られた。国立劇場などを運営する独立行政法人日本芸術文化振興会の国立劇場伝統芸能伝承者養成所だ。歌舞伎俳優養成コースがあり、1970年に始まった。応募資格は中学校卒業以上23歳までの男子で、研修期間は2年間だ。受講料無料、宿舎の貸与や補助もある。現在、約300人の歌舞伎俳優がいるが、約3分の1をここの卒業生で占める。 ただし、歌舞伎俳優として活躍するためにはそれだけでは不十分だ。いずれかの幹部俳優(旦那)に弟子入りして、芸名をもらう必要がある。また入門後、歌舞伎の世界の礼儀作法やしきたりなどに慣れ、セリフの無い役や立ち廻り、後見や付き人などとして役者修業をする。 このあたりが、歌舞伎以外の俳優の道と違うところだ。俳優や歌手、芸人も師匠の世話人や運転手を務めながら芸を磨いていくこともあるが、歌舞伎はそれが制度、慣習として徹底している。そこに上下関係、絆が生まれ、家族のような運命共同が築かれるが、信頼関係が崩れたときに「破門」となったり、ハラスメントが起こる可能性がある』、「戦後は、一般家庭の子として生まれても歌舞伎俳優になれる制度も作られた。国立劇場などを運営する独立行政法人日本芸術文化振興会の国立劇場伝統芸能伝承者養成所だ。歌舞伎俳優養成コースがあり、1970年に始まった。応募資格は中学校卒業以上23歳までの男子で、研修期間は2年間だ。受講料無料、宿舎の貸与や補助もある。現在、約300人の歌舞伎俳優がいるが、約3分の1をここの卒業生で占める。 ただし、歌舞伎俳優として活躍するためにはそれだけでは不十分だ。いずれかの幹部俳優(旦那)に弟子入りして、芸名をもらう必要がある。また入門後、歌舞伎の世界の礼儀作法やしきたりなどに慣れ、セリフの無い役や立ち廻り、後見や付き人などとして役者修業をする」、「上下関係、絆が生まれ、家族のような運命共同が築かれるが、信頼関係が崩れたときに「破門」となったり、ハラスメントが起こる可能性がある」、なるほど。
・『筆記・作文・実技の審査も  歌舞伎俳優が組織する日本俳優協会が名題資格審査(名題試験)を実施している。歌舞伎俳優の身分制は時代によって変遷してきているが、現在は「名題役者」と「名題下」に大別されている。名題役者という呼称は、江戸時代に、芝居小屋の正面に掲げられた名題看板(演目の題名を記した看板)の上部に、主要な役者の芸名と紋を載せたところから来たといわれている。 歌舞伎界に入門して10年以上で幹部俳優の推薦を受けた役者が、日本俳優協会の名題試験を受験することができる。筆記・作文・実技の審査に合格して「名題適任証」を取得する。) 興味深いのは、受験に旦那の推薦が必要とされ、また合格した場合も、あくまで適任であることの証に過ぎないということだ。実際に名題役者になるのには、「諸先輩やご贔屓、興行主など、関係方面の賛同を得て、名題昇進披露を行う必要があります」(Kabuki on the web)ということだ。幹部俳優を頂点とした家制度を骨格として現代的な制度を導入したシステムが現在の歌舞伎界なのだ。 しかしながら、前述のように世間の常識とは違う歌舞伎界の慣習がいまだに残っている。最近、ネット上では「歌舞伎界は『治外法権』」といった文言も見られる。テレビ業界だと、NHKは受信契約者の意向に敏感だし、民放はスポンサーの意向を気にする。不祥事を起こした役者をテレビ番組や広告で起用し続ければ、スポンサー企業のイメージダウンや不買運動の懸念があるからだ。 その点、演劇はお金を払って観たい人だけが観に来るので、ハードルは低いとされ、歌舞伎はさらに低い。それはそれで構わないと言えるが、猿之助の件では歌舞伎界以上に映画界が頭を抱えている。映画もお金を払って観るものだが、テレビ局やスポンサーとのつながりが深かったり、観衆の数が演劇とは圧倒的に違うので、世間の批判には演劇以上に敏感だ』、「映画もお金を払って観るものだが、テレビ局やスポンサーとのつながりが深かったり、観衆の数が演劇とは圧倒的に違うので、世間の批判には演劇以上に敏感だ」、なるほど。
・『歌舞伎俳優の起用に慎重になる?  猿之助は今月6月の歌舞伎座公演昼の部の「傾城反魂香」に出演予定であったが、中村壱太郎が代役に立てられ公演は行われている。代役さえ決まれば、興行は続けられるのが演劇の特徴だ。といっても主役級の役に急遽代役を立てることは容易ではないが、前述のとおり、歌舞伎俳優は世襲制の修業の中でそれができてしまうのだ。 一方、映画はたいへんだ。撮影途中や撮影後に主役級の役者に不祥事があれば、最悪、公開中止に追い込まれたり、撮り直しという事態になる。撮り直しも複数の役者が絡むシーンが多数あれば簡単ではない。猿之助は6月16日に公開予定だった映画『緊急取調室 THE FINAL』に内閣総理大臣役で出演していたが、東宝は公開延期を発表した。 近年、歌舞伎俳優が映画やテレビに起用される機会は多く、人気を博してきた役者も多い。それがまた歌舞伎への注目を集めることを期待する関係者も多いだろう。しかし、その流れが大きく変わることを予想する向きもある。 歌舞伎俳優のスキャンダルが「治外法権」で片づけられる時代ではなくなり、週刊誌も歌舞伎俳優を狙っているなかで、それがいつ表に出るか分からないとなると、テレビ局や映画会社は怖くて歌舞伎俳優の起用には慎重にならざるをえないということのようだ。 歌舞伎界の伝統が世界的にみて特異な演劇スタイルを形成し、家の芸を継承するなかで突然の事態でも代役を務め、観客を魅了する若手スターが登場しているが、一方で世間離れした振る舞いを続けていると、「コンプライアンス」が叫ばれる今日、歌舞伎界が世間からそっぽを向かれる可能性もある。歌舞伎界の大転換期かもしれない』、「歌舞伎界の伝統が世界的にみて特異な演劇スタイルを形成し、家の芸を継承するなかで突然の事態でも代役を務め、観客を魅了する若手スターが登場しているが、一方で世間離れした振る舞いを続けていると、「コンプライアンス」が叫ばれる今日、歌舞伎界が世間からそっぽを向かれる可能性もある。歌舞伎界の大転換期かもしれない」、同感である。

次に、8月5日付け東洋経済オンライン「国連も調査「ジャニーズ問題」に企業はどう対応? CMスポンサー企業や日テレ、電通に尋ねた」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/692491
・『「いち芸能事務所とわれわれだけの問題ではない。芸能業界に携わるすべての企業に救済措置を構築する責任があると言ってくれた」。かつてジャニーズ事務所に所属していた石丸志門氏は、そう言葉を絞りだした。 8月4日、石丸氏が副代表を務める「ジャニーズ性加害問題当事者の会」は、都内の日本記者クラブで会見を開いた。彼らが直前まで見入っていたのは、同じ場所で開かれた国連人権理事会「ビジネスと人権」作業部会の専門家による記者会見だった。 専門家は7月24日から訪日調査を実施。調査は技能実習生やジェンダーに関わる問題など広範囲に及んだ。ジャニーズ元社長の故・ジャニー喜多川氏による性加害問題も対象となった。被害者や事務所代表者に面談するなど、積極的に調査した』、「国連人権理事会「ビジネスと人権」作業部会の専門家」が「7月24日から訪日調査を実施。調査は技能実習生やジェンダーに関わる問題など広範囲に及んだ。ジャニーズ元社長の故・ジャニー喜多川氏による性加害問題も対象となった。被害者や事務所代表者に面談するなど、積極的に調査した」、「国連」がわざわざ乗り出したというのは、みっともない限りだが、日本社会が自浄能力を喪失しているのではやむを得ない。
・『「全企業で虐待に対応を」  「タレント数百人が性的搾取と虐待に巻き込まれるという、深く憂慮すべき疑惑が明らかになった」。作業部会のピチャモン・イェオパントン氏は、会見でそう指摘した。 そのうえで、「私たちはエンターテインメント業界の企業をはじめとして、日本の全企業に対し積極的に人権デューデリジェンスを実施し、虐待に対処するよう強く促す」と述べた。 イェオパントン氏は全企業が総点検し、対応する必要があると日本に突きつけたのだ。) 人権デューデリジェンスは、自社の活動が人権に負の影響を与えていないか、リスクを特定して対応する取り組みのことだ。自社事業だけでなく、取引先が抱える人権リスクについても丁寧に調べることが求められている。 このことは国連が2011年に採択した「ビジネスと人権に関する指導原則」に明記。日本政府も指導原則に則って2022年にガイドラインを策定した。 では、ジャニーズ問題において、企業はどう対応しているのか。ジャニーズタレントをCMに起用するスポンサー企業や広告代理店の電通、「24時間テレビ」でもジャニーズタレントを起用する日本テレビなどの8社に見解を尋ねた。 書面回答してもらう形でヒアリングした。「取引先企業で児童への性加害問題が起きたとした場合、自社が対応する必要のある人権問題として捉えるか」「性加害の問題についてジャニーズ事務所に問い合わせや確認を行ったか」などを質問した』、どんな「回答」だったのだろう。
・『対応の有無を明かした企業は少数  各社の見解は「性加害・性暴力を容認しない」という点ではそろっていた。だが、対応の有無まで明らかにしてくれたのは4社にとどまった(8社の回答詳細は4ページ目に掲載)。 そのうち、事務所に問い合わせや確認を行ったと答えたのは、損害保険大手の東京海上日動火災保険、日本テレビ、P&Gジャパン。次のようにコメントした。 「各種問い合わせを対面含めて実施している」(東京海上日動) 「弊社はジャニーズ事務所と双方のコンプライアンス担当者も含め、数回にわたり対話を行っている。同様の問題が二度と起きないよう強く求めている」(日本テレビ) 「弊社がビジネスパートナーに期待する基準への再認識を求めるべく、弊社よりジャニーズ事務所に本件の問い合わせを行うとともに、(遵守事項をまとめた)ガイドラインを再度共有している」(P&Gジャパン) 問い合わせ等は行っていないと答えたのは、飲料大手のアサヒグループホールディングスだ。「事務所の発表内容のとおり、ジャニー喜多川氏が故人であることからすべての事実を確認することが難しい状況のため。一方で、報道内容が事実であれば、誠に遺憾」とコメントした。 国連の指導原則にのっとれば、広告にジャニーズタレントを起用している企業は、「事務所に対して徹底的な事実調査等の要請を行い、合理的な範囲で外部への説明を行う責任を負っている」(オリック東京法律事務所の蔵元左近弁護士)。 ジャニー喜多川氏がすでに死去しているので事実確認が難しいというのも免罪符にならない。 「人権侵害があったという告発があった場合には、どのようなものであれ、それを真剣にとらえ、指導原則にのっとった形で適切な調査を行うことが重要」。作業部会のダミロラ・オラウィ議長は会見でそう述べた。 アサヒグループの対応は、指導原則の目指す姿と隔たりがあると言える。だが、対応の有無を明らかにしなかった企業と比べると、まだいい。それらの企業は、ステークホルダーへの説明責任を果たしていないばかりか、きちんとした人権対応をとる意思があるのかと問われかねない。 「黙殺は人権侵害に加担しているという認識が大きく欠如している。そこを抜本的に転換する必要がある」。人権問題に取り組むNGO「ヒューマンライツ・ナウ」で副理事長を務める伊藤和子弁護士は、そう指摘する』、「ジャニー喜多川氏がすでに死去しているので事実確認が難しいというのも免罪符にならない。 「人権侵害があったという告発があった場合には、どのようなものであれ、それを真剣にとらえ、指導原則にのっとった形で適切な調査を行うことが重要」。作業部会のダミロラ・オラウィ議長は会見でそう述べた」、「「黙殺は人権侵害に加担しているという認識が大きく欠如している。そこを抜本的に転換する必要がある」。人権問題に取り組むNGO「ヒューマンライツ・ナウ」で副理事長を務める伊藤和子弁護士は、そう指摘する」、その通りだ。
・『取引を止めればいいわけでもない  取引先企業は今後どうしていくべきなのか。タレントを自社広告に起用している企業であれば、契約満了を待って取引を停止するのがいいのか。ところが話はそう単純ではない。 取引停止は、問題が発生した企業を孤立させ、人権侵害の被害をかえって深刻化させる可能性があるからだ。あくまでも取引関係をテコにして問題解決へ影響力を行使することが、現在、企業の人権対応では求められている。 企業のサステナビリティ戦略を支援するオウルズコンサルティンググループの若林理紗氏は、一例として次のように提案する。 「人権状況の改善要請の例としては、独立性が担保された第三者による徹底的な調査や経営陣の刷新を含めたガバナンスの改善を要求するといったことが考えられる。それを契約更新の条件とし、1年後に改善が見られない場合には契約を終了するなど、段階的に取り組むことが望ましい」 今回のジャニーズ問題をもはや看過することは許されない。この問題に頬被りしてフェードアウトしたことが先例となれば、その企業にとっても大きな禍根を残しかねない。 国連の作業部会はさらなる情報収集を今後行う。日本政府や企業などに対する人権保護の提言を盛り込んだ最終報告書を2024年6月の人権理事会に提出するという。 日本政府は国際的な競争力強化に資すると「ビジネスと人権」を巡る政策を推進してきた。この問題をおろそかにすれば、「日本企業の人権対応に問題あり」との評価を海外から下されかねない。 「スポンサーの企業も、勇気や正義をもってよりよいクリーンな日本をつくってもらえれば」。当事者の会のメンバーの一人は、会見でそう訴えた。この声をどう受け止めるのか。取引関係にある企業も重大な岐路にあることを自覚すべきだ』、「取引停止は、問題が発生した企業を孤立させ、人権侵害の被害をかえって深刻化させる可能性があるからだ。あくまでも取引関係をテコにして問題解決へ影響力を行使することが、現在、企業の人権対応では求められている」、「人権状況の改善要請の例としては、独立性が担保された第三者による徹底的な調査や経営陣の刷新を含めたガバナンスの改善を要求するといったことが考えられる。それを契約更新の条件とし、1年後に改善が見られない場合には契約を終了するなど、段階的に取り組むことが望ましい」、なるほど。
・『東京海上日動は対面を含めて問い合わせを実施 これ以降は紹介を省略

第三に、8月10日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「ジャニーズ性加害問題、「国連が動いたからには…」と期待しても失望が待つ理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/327467
・『国連「メディアが加担」と指摘、スルーするマスコミ  「数百人が性的搾取と虐待に巻き込まれるという、深く憂慮すべき疑惑が明らかになったほか、日本のメディア企業は数十年にわたり、この不祥事のもみ消しに加担したと伝えられている」 8月4日、国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会の専門家2人は、日本のメディア企業の前でそのようにぶちまけた。 「人類史上最悪の性虐待事件」(元ジャニーズJr. 石丸志門氏の言葉)と呼ばれる、ジャニーズ事務所創業者・ジャニー喜多川氏の性加害が、ここまで表沙汰にならなかったのは、テレビ局、新聞社、レコード会社、芸能事務所、広告代理店など、あらゆるメディア企業が「共犯」だったと指摘したのである。 ついに国連まで動いたとなると、「これでマスコミとジャニーズ事務所の腐敗した構造が明らかになるぞ。ジュリー氏も“知らなかった”で逃げきれない」と淡い期待を抱く方も多いだろう。 だが、残念ながら、そういう核心的な話になる可能性は低い。 確かにここまで大事になれば、「ジャニーズ」という屋号を変えざるを得ないだろう。また、被害者に対して慰謝料など具体的な条件を提示していかなければいけないはずだ。 ただ、被害者たちが主張している、ジャニーズ事務所の組織的隠蔽やジャニー氏の犯罪の容認、アシストしていたエンターテイメント業界の悪習、メディア企業との癒着関係という深い話はスルーされ、トーンダウンしていくはずだ。 「国連が問題視して世界が注目しているのにそんなワケないだろ」とあきれる方も多いだろうが、実は日本では“国連が問題視したことは国民的議論が盛り上がらない”と相場が決まっているのだ。 なぜかというと、メディア企業が積極的に取り上げないからだ。今回のように会見を開けばその日くらいはトップニュースで扱う。しかし、それだけだ。 国連などから指摘を受けて、マスコミがキャンペーンを始めたとか、調査報道をするということはほとんどない。ひどい場合、「こんなもんは被害者ヅラする連中が国連に働きかけて騒いでいるだけで、報道する価値などない」という感じで、完全無視をする。 その代表が、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の拉致監禁問題だ』、「「こんなもんは被害者ヅラする連中が国連に働きかけて騒いでいるだけで、報道する価値などない」という感じで、完全無視をする」、やはり「共犯」のマスコミには多くを期待できないようだ。
・『信者を拉致監禁、国連の問題視もスルー  「何?旧統一教会は高額献金や霊感商法だけではなく、拉致監禁までしていたのか!こんな危険なカルトはさっさとつぶして日本から追い出せ!」と早とちりしてしまう人も多いだろうが、まったく逆で、旧統一教会の信者が拉致監禁の「被害」にあったという話だ。 旧統一教会から脱会させたいという家族が、キリスト教関係者や被害者救済を掲げる弁護士などからアドバイスを受けて信者を拉致して、マンションの一室などに閉じ込めて「もうあんな宗教やめます」と宣言をするまで監禁するというものだ。「被害者」は43年間で4300人と言われる。中には、12年5カ月もの間、監禁された後藤徹さんという人もいれば、監禁中に改宗を迫られて絶望のあまり自殺をしてしまう人までいた。 そんな拉致監禁問題を国連の自由権規約人権委員会というところが問題視し、2014年7月24日、最終報告書を公表して、日本政府に対して以下のように改善を勧告した。以下に引用しよう。 <21.委員会は,新興宗教への改宗者に対して,その家族の構成員が改宗離脱のために本人を拉致・監禁しているという報告について懸念を有する(2条,9条,18条,26条)。締約国は,すべての人に対し,自らの宗教若しくは信条を保持し,又はこれを選択する自由を強制的に侵害されない権利を保障するため,効果的な措置をとるべきである> これを受けて、大統領が聖書を手にして宣誓するほど「信仰」を重要視するアメリカも動いた。米国務省が「国際宗教の自由報告書」で拉致問題に言及したのだ。ちなみに、現在も米国大使館のホームページには以下のようなスタンスが表明されている。 <米国大使館は、統一教会に関する諸問題に注視し、国会議員、政府規制当局、同教会の活動により影響を受ける者、そして同教会代表者との連絡を維持し、あらゆる事案において信仰の自由の重要性を強調した>(信仰の自由に関する国際報告書(2022年版)-日本に関する部分) 冷静に考えれば当然だ。旧統一教会の信者には「人権」がある。しかも、その人たちが信じていることを「異端」「社会秩序を乱す」として、信仰心を捨てるまで拉致監禁で追いつめるというのは、遠藤周作の「沈黙」で描かれた隠れキリシタンへの拷問を彷彿とさせる。 しかし、日本の多くの人が拉致監禁問題を知らないことからもわかるように、日本のマスコミが、国連やアメリカの動きを大きく取り上げることはなかった。「完全無視」をしたメディア企業も多い。 平時は「人権を守れ!」「弱者を救え!」とお祭り騒ぎをする正義のマスコミとジャーナリストの皆さんは、なぜイデオロギー的に相性バツグンに見える国連からの「改善要求」をスルーしたのか』、何故なのだろう。
・『国連の「改善要求」、日本のマスコミにとってどうでもいいワケ  いろいろなご意見があるだろうが、実際にマスコミで働いていた経験のある立場で言わせていただくと、そのような話がマスコミにとって「どうでもいい」ということが大きい。 日本のジャーナリズム業界は「自分たちが設定したストーリーと矛盾のある話は報道する価値がない」という感じで目をそらして、「報道しない自由」を行使するクセが強いのだ。 一体どういうことかわかっていただくのに、うってつけのケースがある。2023年7月30日に開かれた「信者の人権を守る二世の会」主催の第3回公開シンポジウムだ。 これは旧統一教会の二世信者たちが集まってできたものだ。安倍晋三元首相殺害事件後に一部の脱会した二世や山上徹也被告ばかりが「二世のすべて」として報道され、深刻な人権侵害に陥っている問題について話し合うというものだ。 そのシンポジウムの中で、拉致監禁問題を取材しているノンフィクションライターの福田ますみ氏が、取材に訪れていたジャーナリストの鈴木エイト氏に対して、こんな質問をした。 「後藤徹さんも来ていますが、後藤さんは12年5カ月監禁されてました。それについて鈴木エイトさんは『ひきこもり』と言った。これはどうしてなんでしょうか」 すると、鈴木エイト氏は「どうでもいいです。ご自由に受け取ってください」と回答。さらに、その後SNSで「教団側からメディアへの質問の前提がおかしい」と言及した上で、ご自身の発言をこう補足した。(以下、一部引用) 「そんな反社会的団体からの脱会を望む家族と当該信者の話し合いを教団側が『拉致監禁だ!強制棄教だ!』と被害者面でアピールしているだけ。」 「そんな反社会的団体による『被害者アピール』は取り上げる価値もなく『どうでもいい』こと。」 「さすが、鈴木エイトさん!拉致監禁なんてマインドコントロールされている連中が被害者ヅラした自作自演だろ!」という声が多く聞こえてきそうだ。そう、日本のマスコミもまさしく同じ考えだ。 マスコミで働く人の多くは、拉致監禁問題というのは、教団が霊感商法など世間の批判をかわすため、洗脳をした信者たちに被害者ヅラでアピールをさせている、という「ストーリー」が骨の髄まで染みついている。だから、その「正しいストーリー」から逸脱する、信者が人権侵害にあったとか、信者がこんなにひどい目にあったなんて話は、報道する価値もない「どうでもいい」ことなのだ。 どうでもいいことなので、国連が騒ごうが、アメリカ政府が苦言を呈そうがスルーをするというわけだ』、私はこうした「鈴木エイト」氏の考え方に近い。
・『「どうでもいいことに頑張りますね」マスコミ関係者の嘲笑  なぜそんなことが断言できるのかというと、筆者も最近よくマスコミの知人から「どうでもいい」ということをよく言われるからだ。 実は筆者は「旧統一教会のフロント団体」と呼ばれる国際勝共連合を題材にしたドキュメンタリー「反日と愛国」を制作しており、最近その後編「愛国を信じる人々」を公開した。 「旧統一教会御用達ライター」とか「教団にいくらもらったんだ」とかボロカスに叩かれながらも、なぜこんなことをやっているのかというと、『旧統一教会フロント組織の「潜入ドキュメンタリー」を私が作った理由』の中でも説明したように、「報道がフェアではない」からだ。 あらゆるマスコミ、ジャーナリストの皆さんが「反日カルト」と批判しているわりに、当事者たちの「肉声」はほとんど紹介されていない。被害者救済にあたる弁護士や教団に強い恨みを抱く元信者などがほとんどで、現役信者たちの主張はほぼない。 ネットやSNSで教団を叩いている人たちも、実際に信者の皆さんと会って、討論をした結果、そういう憎しみを抱いているわけではない。鈴木エイト氏など一部のジャーナリストや弁護士の皆さんの「主張」をベースにした報道で憎悪を抱いている。これは、あまりにも一方的だ。 社会全体で叩いて教団を解散に追い込むにしても、当事者たちが今何を思い、何を考えて信仰や政治活動を続けているのかくらい耳を傾ける寛容さがあってもいいはずだ。 ただ、そんな話をすると多くの人から「どうでもいい」と笑われる。意外に思うかもしれないが、特にマスコミ関係者ほどその傾向は顕著だ。 例えば、ある全国紙記者には、筆者が信者たちの声を取材していると言うと「どうでもいいことに頑張りますね」とあきれられた。教団の不正やマインドコントロールを暴くのがジャーナリズムであって、頭のおかしい人たちの話など報道する価値もないというワケだ。 また、ある情報番組ディレクターからは、「信者の主張を報じたらカルトの被害者を増やすのかと敵を増やすので、教団の悪い話や内部のゴタゴタを報じた方がいいですよ」とアドバイスされた。  要するに、「旧統一教会=悪の組織」を叩く方が社会的なニーズもあるし、読者や視聴者の溜飲が下がるので、ビジネス的にそっちの方が美味しいですよ、とおっしゃっているのだ』、「「信者の主張を報じたらカルトの被害者を増やすのかと敵を増やすので、教団の悪い話や内部のゴタゴタを報じた方がいいですよ」とアドバイス」、はもっともだ。
・『都合のいい「ストーリー」以外を黙殺する記者クラブ  そういうマスコミ関係者の話を聞いているうちに、実は彼らが世間一般の人々よりも「ストーリー」に固執していることに気づいた。 「中立公平」とか「客観報道」とか言うわりに、「旧統一教会は反日カルト」「信者はマインドコントロールされているので話を聞いても無駄」という固定概念がビタッと定着していて、そこから1ミリでもズレた話は「どうでもいい」「ボツ!」と報道しない傾向がある。 「そんなのは貴様の勝手な妄想だ」というお叱りをマスコミ関係者から頂戴しそうだが、マスコミの皆さんが都合のいい「ストーリー」以外の話を黙殺するという問題を、わかりやすく示した実例がある。 記者クラブだ。 ご存じない人も多いだろうが、記者クラブとは世界でも珍しい日本独特のシステムで、政治や行政の取材を、特定のメディア企業の記者だけに限定できるというものだ。海外からは「癒着と不正の温床」と批判されてきた。たまに報じられる官僚のセクハラや、記者の過労死はこの閉鎖的な「ムラ社会」が影響している。 なので、ご多分に漏れず、記者クラブを国連も問題視していた。2016年、日本のマスコミを調査した国連の特別報告者、デビッド・ケイ氏が外国特派員協会で会見を行って、このような苦言を呈して「記者クラブ廃止」の必要性を訴えた。 <もし日本のジャーナリストが独立、団結、自主規制のためのプロフェッショナルなメディア横断組織をもっていたなら、政府の影響力行使に容易に抵抗することができたであろう。しかし、彼らはそうしない。いわゆる「記者クラブ」制度はアクセスと排除を重んじ、フリーランスやオンラインジャーナリズムに害を与えている>  だが、テレビや新聞で「記者クラブ」問題が扱われないことからもわかるように、マスコミはこの問題をスルーしている。なぜかというと「記者クラブは権力の不正を監視する素晴らしい制度」という自分たちの「ストーリー」と矛盾するからだ。 ジャニー氏の性加害も、もともとマスコミが望んでいた「ストーリー」ではない。だから、何十年もみんなで協力をして闇に葬ってきた。BBCという海外メディアが騒いだから渋々やっているだけで、できれば触れてほしくなかった。 ジャニーズという巨大なエンタメで稼ぐマスコミにとっては、この問題は本音を言えば今でも「報道する価値がない」「どうでもいい」ことなのではないか。 【訂正】記事初出時より以下の通り訂正します。 13段落目:旧統一教会から脱会させたいという家族の依頼を受けたキリスト教関係者、被害者救済を掲げる弁護士などが、信者を拉致して、→旧統一教会から脱会させたいという家族が、キリスト教関係者や被害者救済を掲げる弁護士などからアドバイスを受けて信者を拉致して、(2023年8月11日21:35 ダイヤモンド編集部)』、「記者クラブ」批判には同意するが、「ジャニーズという巨大なエンタメで稼ぐマスコミにとっては、この問題は本音を言えば今でも「報道する価値がない」「どうでもいい」ことなのではないか」、これでは「共犯」を認めるようなもので、同意できない。「ジャニーズという巨大なエンタメで稼「いでいたことは事実だが、そのために不都合な事実を無視したのは許されることではない。是々非々で報道すべきことは報道すべきだろう。
タグ:「国連人権理事会「ビジネスと人権」作業部会の専門家」が「7月24日から訪日調査を実施。調査は技能実習生やジェンダーに関わる問題など広範囲に及んだ。ジャニーズ元社長の故・ジャニー喜多川氏による性加害問題も対象となった。被害者や事務所代表者に面談するなど、積極的に調査した」、「国連」がわざわざ乗り出したというのは、みっともない限りだが、日本社会が自浄能力を喪失しているのではやむを得ない。 「役者が休演しても代役がすぐに立てられ、興行は休演にならないということが歌舞伎ではよくある。歌舞伎界の役者全体が歌舞伎の継承という理想の下では家族のように芸の継承に協力し、御曹司たちは子どもの頃から歌舞伎座などの劇場で多くの時間を過ごし、所作やセリフ、長唄、義太夫などの音楽にどっぷり浸かった「英才教育」を受けているので、やり遂げてしまうのだ」、 現在、約300人の歌舞伎俳優がいるが、約3分の1をここの卒業生で占める。 ただし、歌舞伎俳優として活躍するためにはそれだけでは不十分だ。いずれかの幹部俳優(旦那)に弟子入りして、芸名をもらう必要がある。また入門後、歌舞伎の世界の礼儀作法やしきたりなどに慣れ、セリフの無い役や立ち廻り、後見や付き人などとして役者修業をする」、「上下関係、絆が生まれ、家族のような運命共同が築かれるが、信頼関係が崩れたときに「破門」となったり、ハラスメントが起こる可能性がある」、なるほど。 どんな「回答」だったのだろう。 私はこうした「鈴木エイト」氏の考え方に近い。 旧統一教会から脱会させたいという家族が、キリスト教関係者や被害者救済を掲げる弁護士などからアドバイスを受けて信者を拉致して、マンションの一室などに閉じ込めて「もうあんな宗教やめます」と宣言をするまで監禁 「「黙殺は人権侵害に加担しているという認識が大きく欠如している。そこを抜本的に転換する必要がある」。人権問題に取り組むNGO「ヒューマンライツ・ナウ」で副理事長を務める伊藤和子弁護士は、そう指摘する」、その通りだ。 「ジャニーズという巨大なエンタメで稼「いでいたことは事実だが、そのために不都合な事実を無視したのは許されることではない。是々非々で報道すべきことは報道すべきだろう。 「「信者の主張を報じたらカルトの被害者を増やすのかと敵を増やすので、教団の悪い話や内部のゴタゴタを報じた方がいいですよ」とアドバイス」、はもっともだ。 「人権状況の改善要請の例としては、独立性が担保された第三者による徹底的な調査や経営陣の刷新を含めたガバナンスの改善を要求するといったことが考えられる。それを契約更新の条件とし、1年後に改善が見られない場合には契約を終了するなど、段階的に取り組むことが望ましい」、なるほど。 ダイヤモンド・オンライン 「「こんなもんは被害者ヅラする連中が国連に働きかけて騒いでいるだけで、報道する価値などない」という感じで、完全無視をする」、やはり「共犯」のマスコミには多くを期待できないようだ。 「ジャニー喜多川氏がすでに死去しているので事実確認が難しいというのも免罪符にならない。 「人権侵害があったという告発があった場合には、どのようなものであれ、それを真剣にとらえ、指導原則にのっとった形で適切な調査を行うことが重要」。作業部会のダミロラ・オラウィ議長は会見でそう述べた」、 対応の有無まで明らかにしてくれたのは4社にとどまった(8社の回答詳細は4ページ目に掲載) 東洋経済オンライン「国連も調査「ジャニーズ問題」に企業はどう対応? CMスポンサー企業や日テレ、電通に尋ねた」 「歌舞伎界は、江戸時代の役者の身分制の影響が残る体質の古さが指摘され、それゆえの不祥事がたびたび報じられてきた。「名跡」を持つ役者の嫡男が「御曹司」として「お家芸」を継承し、経験(芸道精進)を経てその名跡も継承していく。そして、その名跡を柱として、門下の役者によって集団が形成され、市川團十郎家の「成田屋」や尾上菊五郎家の「音羽屋」などの屋号で呼ばれる。 「御曹司にはそれが役者として小さいころから経験を積む機会を与え、幼心にもその責任と運命を自覚させる効果を持っている」、なるほど。 「映画もお金を払って観るものだが、テレビ局やスポンサーとのつながりが深かったり、観衆の数が演劇とは圧倒的に違うので、世間の批判には演劇以上に敏感だ」、なるほど。 「記者クラブ」批判には同意するが、「ジャニーズという巨大なエンタメで稼ぐマスコミにとっては、この問題は本音を言えば今でも「報道する価値がない」「どうでもいい」ことなのではないか」、これでは「共犯」を認めるようなもので、同意できない。 「代役」で穴を開けなかったとはさすがだ。 細川 幸一氏による「歌舞伎界「世間離れした慣習」でエンタメ界に激震 「猿之助騒動」でスター誕生も映画は公開延期に」 東洋経済オンライン 「歌舞伎界の伝統が世界的にみて特異な演劇スタイルを形成し、家の芸を継承するなかで突然の事態でも代役を務め、観客を魅了する若手スターが登場しているが、一方で世間離れした振る舞いを続けていると、「コンプライアンス」が叫ばれる今日、歌舞伎界が世間からそっぽを向かれる可能性もある。歌舞伎界の大転換期かもしれない」、同感である。 窪田順生氏による「ジャニーズ性加害問題、「国連が動いたからには…」と期待しても失望が待つ理由」 「戦後は、一般家庭の子として生まれても歌舞伎俳優になれる制度も作られた。国立劇場などを運営する独立行政法人日本芸術文化振興会の国立劇場伝統芸能伝承者養成所だ。歌舞伎俳優養成コースがあり、1970年に始まった。応募資格は中学校卒業以上23歳までの男子で、研修期間は2年間だ。受講料無料、宿舎の貸与や補助もある。 「取引停止は、問題が発生した企業を孤立させ、人権侵害の被害をかえって深刻化させる可能性があるからだ。あくまでも取引関係をテコにして問題解決へ影響力を行使することが、現在、企業の人権対応では求められている」、 猿之助率いる「澤瀉屋」もそのひとつで、猿之助の名跡は大名跡とされている。 昭和の時代から、歌舞伎界では不倫や隠し子程度のことは問題視されることではなく、特段に珍しいことでもないとされた。ただ世間一般の感覚とはずれがあり、メディアで騒がれることも多い。現在の歌舞伎界を支える名跡の役者も親世代の破天荒な行いを見てきたからであろうか、不倫等に加えて、セクハラやパワハラ等のスキャンダルが報じられることがある」、なるほど。 (その22)(歌舞伎界「世間離れした慣習」でエンタメ界に激震 「猿之助騒動」でスター誕生も映画は公開延期に、国連も調査「ジャニーズ問題」に企業はどう対応? CMスポンサー企業や日テレ 電通に尋ねた、ジャニーズ性加害問題 「国連が動いたからには…」と期待しても失望が待つ理由) ハラスメント
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大学(その12)(10兆円大学ファンドの「素人丸出し運用」に呆れる、警察上層部カンカン! 日大アメフト部薬物問題を仕切る元検事・澤田康広副学長の嘘八百) [社会]

大学については、本年5月11日に取上げた。今日は、(その12)(10兆円大学ファンドの「素人丸出し運用」に呆れる、警察上層部カンカン! 日大アメフト部薬物問題を仕切る元検事・澤田康広副学長の嘘八百)である。

先ずは、7月12日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家の山崎 元氏による「10兆円大学ファンドの「素人丸出し運用」に呆れる」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/325960
・『資産10兆円規模の「大学ファンド」が2022年度の運用実績で604億円の赤字を出したという。運用結果が時に赤字になるのは仕方ないが、大学ファンドの「素人丸出し」の運用方針には憤りを感じるとともに、呆れてしまった』、興味深そうだ。
・『10兆円の「大学ファンド」 運用実績が604億円の赤字に  科学技術振興機構(JST)は7月7日に資産規模10兆円の通称「大学ファンド」の2022年度の運用実績を発表した。604億円の赤字だという。率に直すとマイナス0.6%だ。損益計算書上の当期利益は742億円だが、23年3月末時点での含み損が1259億円に上った。 運用なので、結果が時にマイナスになる事態が生じるのは仕方がない。しかし、運用の中身を検討すると、「10兆円も抱え込んで、一体この人たちは何をするつもりなのか?」と憤りを感じた。 「素人丸出し」と言っては申し訳ないが、同ファンドは運用に対する根本的な考え方を変えた方がいい。 ちなみに、同日に発表された日本の公的年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の22年度の運用成績は、約2.9兆円の黒字で、運用資産はざっと200兆円あるので率にして1.5%のプラスだった。) さて、昨年度の運用を振り返る以前に、大学ファンドという構想自体に幾つか論点がある。 まず、国として教育に全力で投資することは結構なことだろう。日本の教育に対する対国内総生産(GDP)比の公的支出は他の経済協力開発機構(OECD)加盟諸国と比較して下位であるし、特に高等教育レベルへの支出は極端に小さい(19年で0.5%だ。米国で0.9%、ドイツで1.0%である)。 思うに、日本の国力を維持・強化するためには、教育に極端に傾斜した投資を国として行う以外に方法がない。10兆円が、ファンドでなく毎年の支出になれば、長期的には、防衛費支出の倍増よりもはるかに効果的な国防にさえなるのではないかと想像するのだが、さすがにそうもいかない。 では、規模を縮小して10兆円のファンドからの運用益を、例えば年間に3000億円、4000億円(それぞれ、運用利回りを3%、4%と想定)と想定し、これを戦略的に使おうという話はぐっと現実的になる。そして、その主な対象が「国際卓越研究大学(認定校の審査中)」に絞られることに異存はない。今や、多くの分野で「世界トップレベルの学問は海外で学んでください」とばかりに、研究と研究者の養成が海外の大学院にアウトソーシングされつつある。これは、国家として危機的な状況だ。 こうした戦略的な教育投資を国として行おうとする場合に、毎年の予算審議から切り離した別の財源を確保しておきたいという「大人の事情」は分からなくもない』、「戦略的な教育投資を国として行おうとする場合に、毎年の予算審議から切り離した別の財源を確保しておきたいという「大人の事情」は分からなくもない」、その通りだ。
・『本来「基金」の必要はない 民間の方が「よくできる」のでは?  ただし、経済的な合理性を考えると、「10兆円」を国民から召し上げて国が抱え込んで投資するのが最適だとは言い難い。例えば、「毎年3000億円、トップレベルの大学に助成する」と決めておいて、民間経済一般からその財源を調達する方法と比較した場合に、この「10兆円」はどこにあるのが効率的か? 10兆円分の資産運用が、国の手の中にある状態と、民間によってなされる状態と、どちらが優れているか、と考えてみてほしい。小泉純一郎内閣時代に「民間でできることは、民間で」というキャッチフレーズがあったが、投資は間違いなく「民間でできること」の一つだろう。むしろ「民間の方がよくできること」ではないかとも思われる。 例えば、民間企業の株主として議決権行使するのは、国がいいか、民間がいいか、と考えてみるといい。) また、そこで飯を食っている当事者がいるので大きな声では言いにくいが、ファンドには組織が付随していて、偉い人のいわゆる天下りの受け皿になるとともに職員を抱えるコストが発生している。 が言いたいか。わざわざ「大学ファンド」を作った以上、民間ではできないような運用を行ってこそ、その意味があるということだ』、「ファンドには組織が付随していて、偉い人のいわゆる天下りの受け皿になるとともに職員を抱えるコストが発生している・・・わざわざ「大学ファンド」を作った以上、民間ではできないような運用を行ってこそ、その意味があるということだ」、現実にはそんな意味はない。
・『大学ファンドの「素人丸出し」の運用方針  さて、「日本経済新聞」(7月7日)によると、大学ファンドの運用資産比率は、「グローバル債券」が55%、「グローバル株式」が17%だという。また、記事には「初年度は財政基盤の安定性を優先するためにリスクの高い資産の比率を低く抑えた」とある。 筆者は、この記事を見て絶望的な気持ちになった。 グローバル債券、グローバル株式で配分を考えているのは、グローバルに資金を運用している海外の有力大学の資産運用を意識したものだろう。これは良かろう。 しかし、なぜ、(1)債券を55%も持つ必要があり、(2)初年度は財政基盤の安定性を優先する必要があったのか、が意味不明だ。 同ファンドの22年「業務概況書」には、「運用元本の約9割が財政融資資金からの借り入れであり、自己資本比率が低い財務構造であることから、財政融資資金の償還や国際卓越研究大学等への長期的・安定的な助成に影響が出ないよう、リスクを低めにコントロールしたためです」との説明がある。 時によって変化するが外国債券は株式の半分くらいのリスクがあり、どのくらい安全運転になっているのかとも思うが、リスクに対する期待リターンの効率が致命的に悪い。最初から無駄なく運用して、資本が足りなくなりそうなら政府と話を付けるのがファンドのトップの役割だ。それにしても、一定のリスクは取っているわけで、その中身の大半がグローバル債券という運用センスには泣ける。 株式への投資比率を小さく抑えたのは、株価は変動が大きく、かつ分かりやすいので、注目を集めるに違いない初回、2回目辺りの運用成績で大きなマイナスを作る可能性を排除したかったためだろう。「気持ち」は分からなくもないが、気持ちで運用方針を左右していいのは、素人の世界までだ。 意思決定として見たときに、数カ月といえども機会損失は問題だ。基本ポートフォリオを作っているはずだから、その状態を速やかに達成すべきだった。 債券の55%と株式の17%を足しても100%に大幅に足りず、その他の資産構成がオルタナティブ投資0.6%、短期資産(預金等)27.6%となっているのは、基本ポートフォリオに沿った資産構成割合を10年以内のなるべく早期に実現するという方針であり、その途中であるためだ。しかしこの状態にあって既に55%もグローバル債券(主に外国債券)を持っている状態が、相当におかしい。資産運用の主旨は、適切にリスクを取ってリスクプレミアムを効率良く獲得することにある。) 主なリスクが為替リスクと金利変動になる外国債券に大きく傾斜した資産配分を作ったのは、いかなる理由に基づくものか理解しにくい。素人並みの「インカムゲイン狙い」ではないのか。 上昇しつつあった先進国の債券の利回りが魅力的に見えたのかもしれない。ところが、利回りは不幸にも「上昇しつつあった」ので、円安の環境にもかかわらず含み損が発生したのが、おおよその経緯だろう。どこかの地方銀行の有価証券運用のようだ』、「主なリスクが為替リスクと金利変動になる外国債券に大きく傾斜した資産配分を作ったのは・・・素人並みの「インカムゲイン狙い」ではないのか」、「上昇しつつあった先進国の債券の利回りが魅力的に見えたのかもしれない。ところが、利回りは不幸にも「上昇しつつあった」ので、円安の環境にもかかわらず含み損が発生」、「どこかの地方銀行の有価証券運用のようだ」、恥ずかしい限りだ。
・『日本の金融界でインカムゲインは「カモを釣る餌」  近年の円安気味な為替レートの推移に慣れていると、金利の高い国の外国債券の利回りが円ベースでも獲得可能に思えるのかもしれない。しかし、金利と為替の市場は原理的にはセットで動いており、見かけ上高い外貨の名目金利を円ベースでも高めの期待リターンだと見ることは危険だ。外国債券は長期的に「為替リスクがあるのに、期待リターンが高いとはいえないアセットクラス」である可能性が大きい。 今後、先進各国の利上げが終了すると、債券利回りが低下する(債券価格が上昇する)時期を迎える楽しみがあるが、同時にその環境は為替レートが円高に振れやすい状況でもある。「グローバル債券」は、気苦労の割にもうからないのではないか。同情を交えつつ忠告しておく。 推察するに、グローバル債券のインカムゲインが助成と組織運営の費用を賄う上で魅力的に見えたのではないか。ファンドの会計ルール上は、債券のクーポン収入や株式の配当は実現益の一部として「運用益」にカウントされて、債券・株式の価格下落があった場合は「含み損」として繰り越されるのだろう。売却益が出るかどうかは不確実だから、確実なインカム収入がほしい。いかにも愚鈍な素人が考えそうな運用方針だ。 過去を振り返ると、かつての生命保険会社の運用における「直利志向」を代表として、インカムゲインに対する過剰評価はプロ、アマを問わず日本の資産運用をゆがめてきた。個人投資家は「毎月分配型投資信託」のばかばかしさを思い出すといいし、機関投資家が個人よりも立派かというと、そうでもなかった。はっきり言うと、日本の金融の世界では「インカムゲインは、カモを釣る餌」なのだ。 為替リスクなしで安定的に稼げる円の金利が低いことは、半ば素人同然と思える大学ファンドの運用にはまことに気の毒なことだ。しかし、せっかく新しい資金を運用するのだから、会計ルールも含めて検討する必要があるかもしれないが、せめてインカムゲインにこだわるようなことのない、合理的な運用方針で運営できないものか』、「せっかく新しい資金を運用するのだから、会計ルールも含めて検討する必要があるかもしれないが、せめてインカムゲインにこだわるようなことのない、合理的な運用方針で運営できないものか」、その通りだ。
・『大学ファンドが本来やるべきは「リスクは大きく、組織は小さく」  国によって運営される大学ファンドにできて、民間にはできない運用は何だろうか? 本来、そのような運用をするのでなければ公的ファンドの意味がないことは、前述の通りだ。 極的には、民間にできないような運用なるものは存在しないかもしれないのだが、あえて言うなら、「10兆円で目一杯リスクを取って、損が出ても平然としている」リスク負担能力を発揮するなら、公的なファンドとして存在する意義があるかもしれない。 再び推察するに、グローバル債券とグローバル株式で運用を始めた人たちは、おそらく「オルタナティブ投資」にそこそこの資産を振り向けるつもりなのではないか。たぶん、資産の10%くらいを振り向けることを企んでいるのではないだろうか。実際、前出の「業務概況書」に描かれた、大学ファンドの基本ポートフォリオのイメージ図には、円グラフに十数パーセントほどの大きさで「オルタナティブ」と記されている。あくまでイメージであり、「実際の割合とは異なります」とあるが、「近からずとも遠からず」といったところだろう。 一口にオルタナティブ投資と言っても、インフラ投資やプライベートエクイティ投資からヘッジファンド、商品ファンドまで範囲が広いが、「相場(主に株価)の変動にかかわらず利益が追求できるとの建前がある」「時価評価されにくいので気が楽」「実質手数料が高いので、運用業者が丁寧にアプローチして来て気分がいい」といった心理的(で下らない)メリットが運用部隊にはある。 また、オルタナティブ運用を仕事にすることによって、それなりの人数のスタッフを抱える理由にもなる。 実は「オルタナティブも、カモの元」なのだが、すぐには立ち上がらないだろうから今は大目に見よう。オルタナティブ投資やキャッシュポジションその他の部分の上限を10%と見積もって、それ以外の部分のポートフォリオの完成を急ぐべきだ。 例えば「90%をグローバル株式」に投資するのはどうか。手段はインデックス運用100%でいい。 「9兆円も株式を持つのは怖い。大きな損が出たときの責任が持てない」というなら、そもそも10兆円が分不相応なのだ。5兆円なり、3兆円なり、枕を高くして眠ることができる金額にファンドを減額してもらえばいい。投資として無駄な資産を抱えてインカムゲインの中から助成金を出しつつ諸経費を賄おうなどという、非効率的で卑しいお金の持ち方をする必要は全くない。) ついでに言うと、ファンドが10兆円だろうと20兆円だろうと、公的年金基金のような大がかりな組織を持つ必要はない。日銀の上場投資信託(ETF)保有はもっと巨額だが、その管理のためだけに数十人単位の専門の組織があるとは聞いていない。期待値としてうまくいかなくて確実に手数料が高いのだから、アクティブ運用は必要ない。他の機関投資家でもうまくいっていない。 研究する価値があるとすれば、インデックス運用自体の改善だろう(現時点で、決して絶対的にベストなものではない。相対的にマシなだけだ)。運用資産のリスクは大きくても、運用の組織は小さくていい』、「オルタナティブ投資やキャッシュポジションその他の部分の上限を10%と見積もって、それ以外の部分のポートフォリオの完成を急ぐべきだ。 例えば「90%をグローバル株式」に投資するのはどうか。手段はインデックス運用100%でいい」、「運用資産のリスクは大きくても、運用の組織は小さくていい」、なるほど。
・『堂々とリスクを取りダメなら補填せよ  大学への助成は早い方がいいし、金額が大きい方がいいし、金額は安定している方がいいだろう。毎年3000億円、4000億円、と言いたいところだが、例えば「毎年2000億円助成する」と決めたらいい。利益が出たらその中から助成するなどという中途半端な姿勢は、国益に沿わない。 例えば、資産の90%をグローバル株式に投じて運用すると、「長い目で見た平均としては」年率2%(10兆円に対して、毎年2000億円)よりも高い運用利回りが期待できよう(そう思っているからこその大学ファンドなのだろうし)。短期的な変動は気にせずに、毎年2000億円をファンドから助成したらいい。 そのうちに、ファンドの資産額は10兆円を超えて成長していくことが期待できる。これが一つの場合であり、最もありそうなケースだ。 しかし、そうならない場合もあるだろう。例えば、世界の株価が2~3割下落して、資産が10兆円を大きく割り込むような事態があるかもしれない。そうした場合は、国家財政から補填する仕組み(多年度に分割してもいい)を作っておくことだ。ファンドの幹部がなすべき最大の仕事は、この仕組み作りだといっていい。 不運にして何度かの補填があった場合も、ファンドの職員は恥じる必要がない。あなた方が動じないでリスクを取り続けて大学に助成を続けたことが、大いに日本のためになっているのだから胸を張ったらいい。ケチな財政から有効なお金を引っ張ってくれたことに対して、物の分かる国民は感謝するはずだ。 やがて、ファンドは10兆円を大きく超えて育ち、過去の補填は「あの時は、世間が騒いで大変だったのだよ」という思い出話になるはずだ。 このとき、大学ファンドを評価する際のベンチマークは「全世界株式のインデックス」一本にするのがいいかもしれない。つみたてNISA(少額投資非課税制度)で全世界株式のインデックスファンドを持っている個人投資家がたくさんいるから、世間に理解者が多い。さて、大学ファンドは、果たして個人投資家の運用成績に勝てるだろうか。 現実の大学ファンドには「55%グローバル債券」などというあほうな方針をさっさと放棄して、10兆円を「直ちに」フル活用してもらいたい。国民に無駄な機会費用を払わせるな。 付け加えるが、運用に無駄があることの理由(言い訳)を制度に求めないでほしい。作りたての組織なのだから、運用にとって非合理的な仕組みは(例えば助成の原資のルール)、仕組みの方を修正すべきだし、そうしないとすれば、初期のメンバーの責任であり、この責任は重い。 「目を覚ませ、大学ファンド!」』、「大学ファンドを評価する際のベンチマークは「全世界株式のインデックス」一本にするのがいいかもしれない」、「現実の大学ファンドには「55%グローバル債券」などというあほうな方針をさっさと放棄して、10兆円を「直ちに」フル活用してもらいたい。国民に無駄な機会費用を払わせるな」、「「目を覚ませ、大学ファンド!」、同感である。

次に、8月10日付け日刊ゲンダイ「警察上層部カンカン! 日大アメフト部薬物問題を仕切る元検事・澤田康広副学長の嘘八百」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/327343
・『日大アメフト部の薬物汚染事件が思わぬ広がりを見せている。8日に林真理子理事長らと会見した競技スポーツ部担当の澤田康広副学長が横柄な態度で大炎上。世論の反発を買い、警察の虎の尾を踏み、内閣支持率下落に悶絶している岸田官邸にロックオンされたもようだ。この男、一体何者なのか。 135分に及んだ会見の主役は元検事の澤田氏だった。東京地検総務部副部長などを経て、宇都宮地検次席検事だった2018年3月末に退官。翌4月に日大法学部教授に転じ、20年4月から危機管理学部非常勤講師も務めている。 アメフト部の寮で見つかった乾燥大麻と覚醒剤成分を含む錠剤の説明で「パケ」「ブツ」「植物細片」などの専門用語を多用し、終始イラ立った口調でぬるい釈明を展開。日大側による所持品検査で薬物を発見してから警視庁に報告するまでの「空白の12日間」について、「警察から『大麻所持などの犯罪を認めた場合、自首をさせてほしい』と言われた」と強弁していた。 「当時の宇都宮地検は不祥事を抱えてはいましたが、地検の次席検事で退職するのは珍しい」(司法関係者)) 背任事件の流れで「日大のドン」と呼ばれた田中英寿前理事長らが去り、林体制となった昨年7月、澤田氏は副学長に就いた。 「各学部が提出した推薦者リストをもとに執行部が澤田氏を選定した。検事のノリが抜けないのか運動部に対して高圧的で、現場とずいぶん衝突していましたが、会見では矢面に立っていて感心した」(日大関係者) ところが、である。警視庁側は澤田氏らの主張を真っ向否定。時事通信によると、日大側が相談したのは薬物捜査に携わらない日大OBの警官で、警視庁幹部は「(自首させてほしいと)言うわけがない」と話したという』、「宇都宮地検次席検事だった2018年3月末に退官。翌4月に日大法学部教授に転じ、20年4月から危機管理学部非常勤講師も務めている」、卒業は日大法学部。記者会見では落ち着き払って取り仕切っていたが、後ろでみるように問題も多いようだ。
・『官邸も注視、木原疑惑の“犠牲”に  元東京地検公安部長の若狭勝弁護士はこう言う。 「副学長が会見で強調したように、逮捕された部員が所持していた乾燥大麻は0.019グラム。大麻所持の起訴の目安は0.5グラムです。覚醒剤については『おまけでもらった』との供述が報じられたのもポイント。白い粉末状であれば疑いを持ちやすいですが、錠剤はサプリメントに見えなくもなく、本人が認識せずに持っていた可能性は否定できない。いずれにせよ起訴は厳しい。日大側は部員や保護者からの訴訟リスクを恐れ、通報を躊躇したのではないか」) 澤田氏が薬物を保管した「空白の12日間」も波紋を広げている。薬物所持のほか、犯人隠避、証拠隠滅が疑われるからだ。 「警察に責任転嫁した発言に警視庁上層部はカンカン。官邸も飛びついて、徹底的にやれと檄を飛ばしたようです。澤田氏が告発されようものなら、身柄を取れる事案。澤田問題がはじければ、木原官房副長官をめぐる一連の問題が吹き飛びますから」(官邸事情通) 判断ミスの余波は計り知れない』、「澤田氏が薬物を保管した「空白の12日間」も波紋を広げている。薬物所持のほか、犯人隠避、証拠隠滅が疑われるからだ」、「「警察に責任転嫁した発言に警視庁上層部はカンカン」、「澤田氏が告発されようものなら、身柄を取れる事案・・・判断ミスの余波は計り知れない」、今後の展開が楽しみだ。
タグ:(その12)(10兆円大学ファンドの「素人丸出し運用」に呆れる、警察上層部カンカン! 日大アメフト部薬物問題を仕切る元検事・澤田康広副学長の嘘八百) 大学 ダイヤモンド・オンライン 山崎 元氏による「10兆円大学ファンドの「素人丸出し運用」に呆れる」 「戦略的な教育投資を国として行おうとする場合に、毎年の予算審議から切り離した別の財源を確保しておきたいという「大人の事情」は分からなくもない」、その通りだ。 「ファンドには組織が付随していて、偉い人のいわゆる天下りの受け皿になるとともに職員を抱えるコストが発生している・・・わざわざ「大学ファンド」を作った以上、民間ではできないような運用を行ってこそ、その意味があるということだ」、現実にはそんな意味はない。 「主なリスクが為替リスクと金利変動になる外国債券に大きく傾斜した資産配分を作ったのは・・・素人並みの「インカムゲイン狙い」ではないのか」、「上昇しつつあった先進国の債券の利回りが魅力的に見えたのかもしれない。ところが、利回りは不幸にも「上昇しつつあった」ので、円安の環境にもかかわらず含み損が発生」、「どこかの地方銀行の有価証券運用のようだ」、恥ずかしい限りだ。 「せっかく新しい資金を運用するのだから、会計ルールも含めて検討する必要があるかもしれないが、せめてインカムゲインにこだわるようなことのない、合理的な運用方針で運営できないものか」、その通りだ。 「オルタナティブ投資やキャッシュポジションその他の部分の上限を10%と見積もって、それ以外の部分のポートフォリオの完成を急ぐべきだ。 例えば「90%をグローバル株式」に投資するのはどうか。手段はインデックス運用100%でいい」、「運用資産のリスクは大きくても、運用の組織は小さくていい」、なるほど。 「大学ファンドを評価する際のベンチマークは「全世界株式のインデックス」一本にするのがいいかもしれない」、「現実の大学ファンドには「55%グローバル債券」などというあほうな方針をさっさと放棄して、10兆円を「直ちに」フル活用してもらいたい。国民に無駄な機会費用を払わせるな」、「「目を覚ませ、大学ファンド!」、同感である。 日刊ゲンダイ「警察上層部カンカン! 日大アメフト部薬物問題を仕切る元検事・澤田康広副学長の嘘八百」 「宇都宮地検次席検事だった2018年3月末に退官。翌4月に日大法学部教授に転じ、20年4月から危機管理学部非常勤講師も務めている」、卒業は日大法学部。記者会見では落ち着き払って取り仕切っていたが、後ろでみるように問題も多いようだ。 「澤田氏が薬物を保管した「空白の12日間」も波紋を広げている。薬物所持のほか、犯人隠避、証拠隠滅が疑われるからだ」、「「警察に責任転嫁した発言に警視庁上層部はカンカン」、「澤田氏が告発されようものなら、身柄を取れる事案・・・判断ミスの余波は計り知れない」、今後の展開が楽しみだ。
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