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日本の政治情勢(その18)(小田嶋氏:国会中継に見る与太話と馬鹿話の教訓) [国内政治]

日本の政治情勢については、3月10日に取上げた。今日は、(その18)(小田嶋氏:国会中継に見る与太話と馬鹿話の教訓)である。

コラムニストの小田嶋 隆氏が3月23日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「国会中継に見る与太話と馬鹿話の教訓」を紹介しよう。
・国会中継を見るのはいつも骨が折れる。 実態に即した言い方をするなら、見ていてうんざりするということでもある。 あるいは、国会中継は、一般人の視聴に耐え得るコンテンツではない、と言ったほうが正確かもしれない。
・実際、私は、これまで、生中継で流れている国会の答弁の様子を、30分間以上集中して視聴できたためしがない。 毎度、10分もたたないうちに忍耐が尽きて、テレビの電源スイッチを押してしまう。 画面がシュッと縮まって黒っぽい平面の中に消える瞬間(あ、ブラウン管時代の記憶です)、いまいましい蚊をたたきつぶした時に似た、かすかな達成感をおぼえる。国会中継に好ましいところがあるのだとすれば、そのポイントだけだ。
・質問のヌルさに腹を立てることもあれば、回答する官僚や大臣の言葉の使い方のデタラメさにいらいらすることもある。どっちにしても、30分だとか1時間みたいな単位の時間を、平常心で視聴し続けることは、自分にはできない。 あの中継は、見ている側の知性や思考力を刺激しない。 ただただこちらの負の感情を増幅するばかりだ。 だから、国会中継を見ている時の私は、ふだんの私より3割がた激発しやすい人間になってしまっている。
・というのも、互いに怒鳴り合う人間たちを観察している人間は、いつしか、怒鳴る言葉でしかものを考えることができなくなるものだからだ。 議員さんたちのアタマが心配だ。 あんなに怒鳴ってばかりいて、果たして論理的思考の習慣を失ってしまわないものだろうか。 私の見たところ、県立二番手校の野球部の補欠だって、ここ最近の議員たちに比べれば、もう少し落ち着いた声で野次を飛ばしている。議員の野次は、県予選レベルでも通用しない。それほどレベルが低い。
・もっとも、国会中継の映像がもたらす感情的頽廃の責任を議員の先生方の側にばかり求めるのはフェアな態度とはいえない。むしろ、審議の内容に集中できずにいる自分の側の怠惰や傲慢を反省するのが、マトモな大人の態度だろう。
・振り返ってみれば、私は、はるか50年前から、他人の話を聞くことが苦手な子供だった。 学校の授業も、だから常に苦痛だった。 進みの遅い授業に対しては 「わかってるよ。うっせえな」 と思ってたちまち退屈したし、かといって進み過ぎた授業には単純について行けなかった。
・そんなわけなので、私が好きだったのは、教師がとりとめのない雑談を展開するタイプの授業で、そのせいなのかどうか、学校を出て何十年もたつのに、いまだに幾人かの教師が授業の中で披露した無駄話や与太話のたぐいを記憶している。 自分の中に残った雑談の中には、のちのち、生きていくうえでの糧になった話もあるし、一番苦しかった時に勇気をもたらしてくれた言葉もある。
・そう考えてみると、これから先の困難な21世紀を生きる子供たちに必要なのは、カリキュラムに沿って適正な授業を推し進める教師よりも、むしろ魅力ある雑談を提供できる教師であるのかもしれない。 とはいえ、個人的な予測を述べるに、この先、雑談が面白いタイプの人間が教師を目指すのは、珍しいケースになっていくことだろう。なぜなら、子供たちにとって魅力的な雑談は、文部科学行政の目指すところとは乖離しているはずで、というよりも、文部科学官僚の抱く理想の生徒は、経団連ならびに産業界が期待する労働者像から逆算された極力無駄口を叩かないタイプの勤労専念者であるはずだからだ。
・話を元に戻す。 建前からすれば、自分たちの選んだ国の代表が国政について真剣な議論を戦わせている場である国会審議の中継放送を、退屈だとかくだらないとかいって貶めにかかっているさきほど来の私のものの言い方は、民主主義そのものを罵倒する態度だと言えなくもない。してみると、国会審議の質をどうこういう以前に、国会をテンからバカにしてかかっている私のような書き手の態度こそが、民主政治の進展にとって最も有害な天敵であるのかもしれない。
・つい3日ほど前、3月19日の参議院予算委員会で、自民党の和田政宗議員が、民主党政権で首相秘書官だった太田充理財局長に「安倍政権を貶めるために意図的に変な答弁をしているのか」と詰め寄る一幕があった(こちら)。
・当日のやり取りを、逐語的に記録した記事からの引用を以下に示す。 和田政宗議員は、太田理財局長に対してこう言ったことになっている。 「まさかとは思いますけども、太田理財局長は民主党政権時代の野田総理の秘書官も務めておりまして、増税派だから、アベノミクスをつぶすために、安倍政権を貶めるために、意図的に変な答弁をしているんじゃないですか?」 ごらんの通り。 あまりといえばあまりにトンデモな暴言だ。
・まさかとは思うが、和田議員はこんなバカな陰謀論を本気で信じているのだろうか。それとも、財務省の官僚を激高させて何らかの発言を引き出すために、あえて自分の考えとは違う憶測を並べ立てて相手を侮辱せんとしたのだろうか。 どっちにしても、ひどい質問だった。 当然、議場は荒れ、ネットは炎上し、一連の場面の録画は、その日の夜のテレビ各局のニュースで繰り返し再生された。そして、和田議員の当日の質問は、あたりまえの話だがスタジオに居合わせたすべての人間の失笑を買うことになった。
・由々しき事態だ。 質問がバカバカしいこと自体ももちろん嘆かわしい事実ではある。が、それ以上に、国会でこういうレベルの質問が発され、それが全国ネットで中継されたことの意味がバカにならない。 でもって、なんというのか、われわれは、 「国会ってもしかして、バカの集まりだったわけなのか?」 という、本来なら意識の上にのぼってきてはいけない質問に直面している次第なのだ。 「っていうか、このレベルのヤツが議員なのか?」 「うちの市議会以下じゃないか」 「いや、底辺校の生徒会とどっこいだぞ」 でも、現実に、その驚天動地のバカ質問は、テーブルの上に堂々と供されてしまったわけだ。
・質問を投げかけられた、太田理財局長は、 「いや、お答えを申し上げます。あの、私は、公務員としてお仕えした方に一生懸命お仕えするのが仕事なんで。それをやられるとさすがに、いくらなんでも、そんなつもりはまったくありません! それはいくらなんでも……それはいくらなんでも、ご容赦ください!」 と、いつもの冷静な姿とは違う、訴えかけるような口調で回答している。
・この時の太田氏の受け答えの様子も、当日夜のニュースにはじまって、翌日の各種情報番組で何度も何度もリピート再生されている。各局のワイドショーでリピート再生されたということは、それだけ衝撃度の高い映像だったということだ。 このことは、国会が「ネタ」化していることを意味している。
・明るい時間帯の情報番組の制作スタッフが金科玉条のごとくに重視している鉄則は、硬軟善悪上品下品を問わず、とにかく見て面白い映像を再生するところにある。 その意味で、和田議員と太田理財局長によるボケとツッコミのやりとりは、号泣議員の会見映像や虚言作曲家の弁明動画や、STAP細胞の不滅を訴える女性研究者のプレゼンVTRと同じく、人間の業の深さと愚かさを数秒の中に凝縮した極めて中身の濃いコンテンツだった。
・さて、われらが和田議員の質問は、過日、なぜなのか、公式の議事録から削除される運びになった。 伝えられているところによれば、発言について、19日の理事会で野党が「公僕への侮辱」と抗議し、これを受け、和田氏が削除することに同意したのだという(こちら)。 私は、この削除の意味をうまく自分に説明することができずにいる。
・発言に抗議した野党議員の言い分も、それを受けいれた和田議員の側の認識も、「議会人としてあり得べからざる発言だった」 ということなのだろうとは思う。 要するに、「ひどい言い方でした。取り消します」 ということではあるのだろう。ここまではわかる。 で、取り消されたことで、国会の品位は回復したのだろうか。   私は、そう思っていない。
・もし仮に和田議員の発言によって、国会の品位なり、良識の府たる参議院の尊厳なりが毀損されていたのだとすれば、それを回復するためには、発言を削除するだけでは足りない。 というよりも、発言を取り消すことは、国会の依って立つ基盤そのものを損なうことになる気がしている。 言論の府としての国会の権威と尊厳を防衛するためには、 「これこれこういう名前の議員によってこういう発言が為された」 いう事実を、むしろ太字で明記するくらいの勢いで記録してしかるべきだ。 で、しっかりと記録した上で、その発言が不適切だったというのなら、発言者が関係者に陳謝し、相応の懲罰なりを受けた上で、発言を撤回すればよろしい。そういう手順を踏まないと、発言の不適切さの意味そのものがはっきりしない。単に削除したのでは、もみ消したのとそんなに変わりがない。
・われわれが暮らしている普通の世界の日常では、発言を撤回することは、必ずしも、元の発言を記録から削除することを意味していない。 発言を撤回するためには、一定の手順を踏んで、正しくそれを取り消さなければならない。 まず、発言者は、自分の発言が間違いであったことを認めた上で謝罪し、罰を受けなければならない。そうやって自分の発言が無価値かつ有害で撤回に値するバカ発言であったことを認めたうえで、しかしなお、記録そのものは、「本人によって撤回された発言」という形でデータとして残されていなければならない。
・ところが、国会の記録を見ていると、彼らは、昨年の安倍総理による「立法府の長」発言もそうだが、事実誤認や不適切な表現を含んだ発言は、議事録からまるごと削除することで発言そのものを「なかったこと」にしてしまっている。 どうかしていると思う。
・国会議員だって人間である以上勘違いもすれば、言い過ぎることもあるだろう。 とすれば、国会の審議の中で筋の通らない話をする時もあれば、事実誤認に基づいて対話をかわしていることだって皆無ではないはずだ。 それらを、発言した通りに残さないで、何が議事録だというのだろうか。
・明らかな言い間違いであれ、国会の品位を貶める暴言であれ、発言は発言だし審議は審議だ。それらを残さないのなら、記録が記録である意味がない。 現在、国会では、行政文書の改竄が焦点になっている。  一度決裁された文書が官僚の手で事後的に書き換えられたことが発覚したこのたびの事態は、生きている人間の戸籍がある日書き換えられて死んでいることにされた事態とそんなに遠くない驚天動地のできごとだ。
・紙幣の額面がいつの間にか財布の中で書き換わっていたら信用経済もへったくれもなくなってしまうことは、誰が考えてもわかるはずのことなのだが、同様にして、行政官が行政文書を改竄することは、世界を世界たらしめているシステムというのかプラットフォームを破壊するという意味で、一種のテロ行為に近い。
・であるからして、今国会の審議は、いつにもまして重要なはずなのだ。 ところが、その文書改竄の原因だったり経緯だったりについて議論をすすめているはずの国会の議事録の中で、たしかに発言されていた言葉が、なぜなのか、なかったことにされている。
・国会審議の議事録から、不適切な言葉や間違った発言を改めようとする態度は、それはそれで、間違ったやりかただとは思わないが、元発言そのものを削除してなかったことにしてしまう発想は、国会を無謬の存在たらしめようとする意図以外からは出てこない考え方だと思う。 国会は無謬なのだろうか。 とんでもない。 無謬ところかバカ揃いだ。 少なくとも私はそう思っている。
・しかし、問題は、彼らがバカなことではない。 バカはおたがいさまだ。 バカな部分を多く併せ持った人間たちであるわれら国民の代表である限りにおいて、国会議員の中にも一定数のバカな議員は含まれていてしかるべきだし、マトモに見える議員の中にも一定量のバカな部分が含まれていることは決して異常なことではない。
・というよりも、バカであることそのものは決して致命的な問題ではないのだ。人間が人間であるという前提から当然の帰結として導かれる結果にすぎない。 問題は、国会が、バカであるにもかかわらず、自分たちのバカさを認めようとしていないことだ。 ぜひ、バカな審議の中のバカな発言を、きっちりと記録に残しておいてほしい。 おそらく、50年なり100年なりの時間が経過した後に読み返してみて、より多くの教訓を含んでいるのは、バカな発言の方だと思う。 「ああ、われわれの先人の中には、こんなにもバカな人がいたのか」 と、はるか未来の日本人がそう思って自らを省みる糧としてくれるのであれば、和田議員としても本望なのではあるまいか。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/032200136/?P=1

小田嶋氏が、 「学校を出て何十年もたつのに、いまだに幾人かの教師が授業の中で披露した無駄話や与太話のたぐいを記憶している」、という記憶力の良さには驚いた。 「質問のヌルさに腹を立てることもあれば、回答する官僚や大臣の言葉の使い方のデタラメさにいらいらすることもある」というのには、同感である。
「国会の記録を見ていると、彼らは、昨年の安倍総理による「立法府の長」発言もそうだが、事実誤認や不適切な表現を含んだ発言は、議事録からまるごと削除することで発言そのものを「なかったこと」にしてしまっている。 どうかしていると思う」というのはその通りだ。議事録はれっきとした公文書であり、削除は改竄に他ならない。改竄の是非が問われている国会の議事録が「改竄された」んぽでは、シャレにもならない。「国会を無謬の存在たらしめようとする意図」が仮にあったとしても、悪しき慣行だ。「ぜひ、バカな審議の中のバカな発言を、きっちりと記録に残しておいてほしい」というのは、まさに正論だ。
なお、明日8日から11日までは更新を休むので、12日にご期待を!
タグ:国会の記録を見ていると、彼らは、昨年の安倍総理による「立法府の長」発言もそうだが、事実誤認や不適切な表現を含んだ発言は、議事録からまるごと削除することで発言そのものを「なかったこと」にしてしまっている。 どうかしていると思う 単に削除したのでは、もみ消したのとそんなに変わりがない しっかりと記録した上で、その発言が不適切だったというのなら、発言者が関係者に陳謝し、相応の懲罰なりを受けた上で、発言を撤回すればよろしい 言論の府としての国会の権威と尊厳を防衛するためには、 「これこれこういう名前の議員によってこういう発言が為された」 いう事実を、むしろ太字で明記するくらいの勢いで記録してしかるべきだ 和田議員の質問は、過日、なぜなのか、公式の議事録から削除される運びになった 太田充理財局長に「安倍政権を貶めるために意図的に変な答弁をしているのか」と詰め寄る一幕 和田政宗議員 質問のヌルさに腹を立てることもあれば、回答する官僚や大臣の言葉の使い方のデタラメさにいらいらすることもある 国会中継 「国会中継に見る与太話と馬鹿話の教訓」 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 (その18)(小田嶋氏:国会中継に見る与太話と馬鹿話の教訓) 日本の政治情勢
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民主主義(その3)(強権政治家と独占企業家が牛耳る世界 民主主義と資本主義の危機、SNSが日本の政治に与える無視できない影響 大量の「機械的な投稿」が世論を歪めている、フェイスブック騒動、驚愕の「デジタル情報戦」 危機に直面する「民主的なプロセス」) [世界情勢]

民主主義については、1月2日に取上げた。今日は、(その3)(強権政治家と独占企業家が牛耳る世界 民主主義と資本主義の危機、SNSが日本の政治に与える無視できない影響 大量の「機械的な投稿」が世論を歪めている、フェイスブック騒動、驚愕の「デジタル情報戦」 危機に直面する「民主的なプロセス」)である。

先ずは、元日経新聞論説主幹でジャーナリストの岡部 直明氏が2月28日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「強権政治家と独占企業家が牛耳る世界 民主主義と資本主義の危機」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・グローバル化し急旋回する世界は、いま強権政治家と独占企業家に牛耳られようとしている。中国の習近平国家主席は任期撤廃によって3選に道を開いた。再選が確実なロシアのプーチン大統領、トルコのエルドアン大統領など世界のあちこちで強権政治家が幅を利かす。極右ポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭も加わって、中道政治は脇に追いやられる。一方で、グローバル経済は米国のアップル、アルファベット(グーグルの持ち株会社)、マイクロソフト、アマゾン、フェイスブックのIT(情報技術)ビッグ5が新市場を独占している。飛躍的な技術革新で巨大な富が集中する一方で、これまで経済発展の基盤になってきた中間層の衰退を招いている。「『中』の時代の終わり」は民主主義と資本主義の危機を告げている。
▽「中華覇権」へ習近平の野望
・中国共産党は国家主席の任期を連続して2期までとする規定を撤廃する憲法改正案を発表した。これによって、習近平国家主席は、3期目に入ることが可能になる。10年を超える長期政権に道を開いたことになる。独裁を阻止するための2期までの制限が破られたことで、習近平国家主席への権力集中は一段と進むことになる。とくに「反腐敗」で締め付けを強化すれば、反対勢力は沈黙せざるをえず、権力集中による強権化に拍車がかかることになる。
・習近平国家主席は自ら打ち出した広域経済圏構想「一帯一路」が当初、警戒的だった日米も含め国際社会の信認を一応得たことに自信を深めている。「一帯一路」構想そのものは、トランプ米大統領の登場で保護主義の風潮が広がるなかで、グローバル経済化の進展に貢献するようにみえるが、そこには「中国第一主義」の思考が潜んでいる。中国企業の受注が9割を占めるという調査もある。
・とくに、この構想が東シナ海、南シナ海からインド洋に広がる中国の海洋進出にからんでいるところに大きな問題がある。習近平国家主席は「海洋強国」をめざす方針を鮮明にしている。海外港湾30カ所の整備計画を打ち出しているが、情勢次第で軍事転用する構えである。
・こうした習近平路線がめざすのは「中華覇権」だろう。それは「海洋強国」として米国の覇権に挑戦しようとするものである。もちろん、そこには大きな矛盾がある。「海洋強国」と「人民元の国際通貨化」は相容れない。強権国家に、国際通貨の信認は得られないからだ。中国経済が「国家資本主義」のまま拡大することになれば、国際社会とのあつれきは深まるばかりだろう。
▽プーチン流拡張主義
・ロシアのプーチン大統領は3月の大統領選挙で「圧勝」するとみられている。2024年までの権力を掌握することになる。2000年以来、一貫して権力の座にあり続けることになる。この権力集中によって強権化がさらに進むはずだ。
・プーチン大統領はウクライナのクリミア併合、ウクライナ東部への介入などウクライナ危機を引き起こした。ウクライナの米欧接近に危機感を強めたためだが、国内の強固な基盤が介入に踏み切らせた。 さらに、欧州連合(EU)内の北欧諸国もロシアへの警戒を強めている。バルト3国だけでなく、スウェーデンやフィンランドでもロシアの拡張路線に警戒感が強く、北大西洋条約機構(NATO)への加盟も課題に浮上している。そうなれば、ロシアと北欧のあつれきは強まることになりかねない。
・プーチン大統領は中東でもパワーの空白をついて進出姿勢を取りつづけている。とりわけ戦乱が続くシリアのアサド政権との関係が深く、米欧との溝を深めている。中東危機が複雑化する大きな要因になっている。  問題は、こうした拡張主義をロシアの国内経済が支えられるかである。韓国ほどの経済規模で、資源国にすぎないロシアは経済危機に見舞われる危険がつきまとう。そこが中国との違いである。強権化するプーチン政権のもとでいまは封じ込まれているが、軍事拡張による国内経済のしわ寄せから国内の不満が噴出することも想定される。
▽エルドアンがもたらした亀裂
・トルコのエルドアン大統領も強権化が目立つ。EUへの加盟をめざすイスラム国家として、キリスト教社会とイスラム社会の橋渡し役として、さらには「文明の融合」の担い手として期待されたが、エルドアン大統領の強権化でEUとの亀裂は深刻化してきた。このままでは、EU加盟は頓挫しかねない情勢である。
・EUは2016年のトルコのクーデター失敗後のエルドアン政権の強権化に、神経をとがらせている。とりわけ言論統制に強く警告している。最近、拘束され続けていたドイツの特派員をようやく解放したが、言論統制に変わりはない。マクロン仏大統領はエルドアン大統領との会談で「民主主義とは法の支配を完全に守ることだ」と警告した。
・中東でも混乱の要因になっている。トルコ軍はシリア北部の米軍が支援するクルド人民兵組織を排除するため空爆と地上作戦を開始した。「地域パワー」として存在感を示そうというエルドアン戦略が、中東危機を一層、複雑化させている。
▽跋扈するグローバル独占企業
・国際政治の舞台で習近平、プーチン、エルドアンら「強権政治家」が台頭する一方で、グローバル経済では、米国のITビッグ5など独占企業が跋扈している。これら独占企業が巨大な資金力を背景に買収を繰り返し、人工知能(AI)など技術革新を先行させ、追随を許さない状況になっている。
・独創的な技術革新をテコに新興企業が次々に生まれるはずだった米国で起業の芽が摘み取られる。独占の弊害は明らかになっている。米国のITビッグ5はグローバル展開がめざましいだけに、独占の弊害は米国にとどまらず、グローバル経済全体を巻き込んでいる。 
▽EUは反独占に立ち上がったが
・跋扈するグローバル独占企業に対して、立ち上がったのはEUである。もともと欧州委員会の独禁当局は市場独占に監視の目を光らせ、EU域内外を問わず、カルテル行為などに巨額の罰金を科してきた。 それだけにとどまらず、個人データ保護を大幅に強化する新規制を実施する。欧州の消費者や従業員など個人データを保有したりEU域外に持ち出す企業に保護体制を整備するよう求め、違反には巨額の制裁金を科すというものだ。EUに進出する日本企業も対象にされるから、対応に追われているが、EUの規制強化は、データ覇権をめざす米ITビッグ5に照準を合わせている。ビッグデータ時代の米EUの攻防ともいえる。
・EUはグローバル独占企業への課税強化もめざしている。20カ国・地域(G20)はアマゾン・ドット・コムなど電子商取引業者に対する課税強化を打ち出そうとしているが、EU案がベースになっている。インターネットで国境を越えて売買される電子書籍などの利益には、各国が法人税をかけられないが、EU案は国ごとの売上高に課税するというものだ。この課税強化が実現すれば、グローバル独占企業の展開にもかなりの影響が出るだろう。 しかし、このEUの反独占の動きもG20全体の合意を取り付けられる保証はない。このままでは技術革新を先取りするグローバル独占企業は、さらに大きな影響力を発揮することになるだろう。
▽「グローバル独禁法」の制定を
・IT分野では「ウィナー・テイク・オール」(勝者総取り)が常識だという。しかし、これは健全な市場と資本主義の原則からはずれている。たしかに先行者利潤は認めなければ、独創的なイノベーションは生まれないが、「総取り」は行き過ぎである。小さな国家並みの資産を誇るグローバル企業家が当然のように巨額の寄付をするというのは、グローバル経済のゆがみを示している。
・各国ごとに富裕層への課税強化を進めるのは当然だが、それだけでは不十分だ。経済協力開発機構(OECD)が音頭を取って国境を越えた「グローバル独禁法」を制定すべきだろう。それこそがグローバル資本主義の健全な発展に資することになる。
▽「『中』の時代」をどう甦らせるか
・これ以上、強権政治家と独占企業家が世界を牛耳じり続けるのは危険である。世界が激変するなかで、民主主義のコストを支払わずに独裁的な決断をする強権政治は機能しやすい面があるだろう。グローバル経済の変化を先取りする決断は、サラリーマン経営者にはできず独占企業家ならできるかもしれない。しかし、その弊害もまた大きい。
・強権政治家とポピュリストのはざまで、苦闘する中道政治をどう復活させるか。資本主義の土台である中間層をどう復活させるか。「『中』の時代」をよみがえらせなければ、人類の知恵である民主主義と資本主義は空洞化しかねない。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071400054/022700055/?P=1

次に、ドイツ在住ジャーナリストの高松 平藏氏が2月27日付け東洋経済オンラインに寄稿した「SNSが日本の政治に与える無視できない影響 大量の「機械的な投稿」が世論を歪めている」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・2018年は、日本で10年ぶりに国政選挙や統一地方選挙といった「大型選挙」がない年となりそうだ。選挙があると政策議論が停滞しがちだが、一方で選挙報道の増加により国民の政治への関心が高まるというメリットもある。昨今では報道のみならず、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を介した政治的メッセージの発信も増えた。2010年末ごろから起こった中東の民主化運動「アラブの春」では、SNSが大きな役割を果たしたと言われる。
▽日本の選挙期間のツイッターを分析
・SNSが選挙に与える影響について、興味深い研究がある。ドイツのエアランゲン=ニュルンベルク大学日本学部教授、シェーファー・ファビアン博士は、「2014年の日本の衆議院議員総選挙で、政治的な意見やキーワードがどのように共有・拡散がされたか」について、短文投稿SNS、Twitterをもとにビッグデータ分析を行い、論文を発表した。
・その分析から、「あらかじめ設定された特定の単語を含む投稿を自動的にリツイート(再投稿)するプログラム『ボット』による大量の投稿があり、それらが結果的に言論の多様性を弱めるような働きをしているのではないか」とシェーファー教授は指摘する。
・読者諸氏にはTwitterのユーザーもいることだろう。Twitterを見ると、機械的に投稿されたとみられるツイートが多く目につくが、これは「ボット」によるものだ。 シェーファー教授は、電子化されたテキストがどのように運用されているかに焦点を当て分析を行う『コーパス言語学』の研究者らとチームを組み、2014年の衆議院議員総選挙中のTwitter上の投稿についての研究を行った。 さらに、「2013年当時は、日本でよりメジャーなSNSはFacebookではなくTwitterだった。また、Twitterに投稿されるテキストの量が世界で2番目に多い言語は日本語だった。ただ、日本語による投稿の多くはボットによるものと推測される」という。
▽ボットを操るのは見えない人間
・ある投稿を100回ツイートしろ、といったことをボットにさせるのは人間だ。だがどんな人物なのかは特定できないし、もちろん安倍政権関係者がボットを利用しているかどうかはわからない。「つまり、われわれは、ボットがどのように働いていたかという現象を事後的に見るしかない」(同氏)。
・極端な例をあげると、特定のある内容の投稿で1万回程度を数えるものがあったが、解析するとオリジナルは50ほど。ボットがオリジナルの投稿をそのまま、あるいは少し変更して1万回分リツイートしたわけだ。 こういったボットによる「活動」は近年増えている。たとえばトランプ大統領による頻繁なTwitter投稿はよく知られるところだが、投稿するやいなや、すぐに2万ぐらいの「いいね!」「リツイート」などの反応がある。「しかしボットによるものがかなりあると思う」(同氏)。
・さらにシェーファー教授はこう続ける。「ボットの機能は進化もしています。人間はオリジナルの投稿に反応するにしても、ある程度時間差が生じる。たとえば夜中に投稿されたものをリツイートするのは朝起きてからになる。また、人間はリツイートする時に少し文章を変えたり追加したりすることもある。ボットはそういう人間らしさを意図的に取り入れるようにもなっている」。
・実はドイツでも極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」に関して、SNSには同様の投稿があふれている。現地の報道では有権者への政治的影響を危惧している。 日本を見ると、たとえば、ここ数年で「反日」という言葉が随分ポピュラーになった。シェーファー教授はSNSでの投稿量が増えたことが大きな原因のひとつではないかと指摘する。「反日という言葉は、『A人は反日だ』『B党は反日だ』というように、人によって異なる対象に『反日』をつかっている。それらがボットで増幅され、投稿量がどっと増えた」。
・また、人間も深く考えることなく扇動的なフレーズを取り入れてネットに書き込んでいるという問題もある。たとえば、ある人物がネットに「反日」という言葉を何度も書き込み、気に入った投稿に対してほぼ反射的に「いいね」ボタンを押す。「反日」というメッセージが記号的に増幅され、人間がボット化しているといえる。 
・このように現在はSNS発の「ポピュラーな言葉」が存在する。かつては辞書に掲載されるか否かが「ポピュラーな言葉」の指標だった。「辞書への掲載基準は新聞での掲載実績などが根拠とされます。新聞には『編集』という主体的な行為があり、一種のフィルター機能が働いている。しかし、SNS発の言葉がポピュラー化するにあたってはフィルターがない。ボットはそれに加担している」とシェーファー教授は言う。
▽SNSがネットの役割を変えた
・インターネットは20世紀末に普及がはじまったが、当初は「知識の公共化」とか「国境を越えたコミュニケーション」や「グローバルな公共空間の構築」といった民主主義の進化に役立つものと期待された。 「人間によるコミュニケーションには決まった結果はない。もちろんそのせいで感情的になり、例えば殴り合うといったリスクもある。しかし、人間はコミュニケーションを続けることで学習できる。初期のインターネットではそういう方向でコミュニケーションが深化するのでは、という期待があった」(シェーファー教授)
・ところが今世紀に入り、SNSが普及すると状況は変わった。ネット空間は高度なアルゴリズムを伴うSNSのプラットフォームと化した。 「ここでは『いいね!』やリツイートなどを通じて、ユーザー同士がただ『つながっているだけ』という関係性の比重が高くなりました。そこへボットが特定の情報やフレーズの流通量を増やしてさらに極端な方向性を生む。しかも個人の検索履歴などをもとにその人に合った情報のみが提供されるため、情報や思想が偏り、情報社会の中で孤立する『フィルターバブル』に陥りかねない」とシェーファー教授は警鐘を鳴らす。そしてさらにこう続ける。
・「こうした現状を見ると、アイデアが偶然に生まれる可能性が低くなり、人々の考え方も狭めることにつながる。そんなふうに思えてなりません。今日、ネットは現実世界になくてはならないものになっているが、民主主義の健全性という点でいえば憂慮すべきだと思います」
https://toyokeizai.net/articles/-/210287

第三に、ロンドン在住フリーテレビディレクターの伏見 香名子氏が4月6日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「フェイスブック騒動、驚愕の「デジタル情報戦」 日本は大丈夫か?危機に直面する「民主的なプロセス」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・英データ分析会社が米フェイスブック上の個人情報を不正利用したとされる問題で、米大統領選に加えて、英国のEU(欧州連合)離脱を決めた国民投票との関連も疑われている。4月4日、フェイスブックは不正に取得された個人情報は最大で8700万人にのぼると発表。当初、不正取得は5000万人分の個人情報とされていた。「民主的なプロセス」が歪められるリスクに日本も無縁ではない。
・2016年、世界は2つの「民主的なプロセス」において、極右勢力の勝利に震撼した。トランプ大統領を選出した米大統領選と、EU(欧州連合)離脱を決めた英国民投票の結果である。しかし3月、これらの投票結果の正当性に対し、ここ英国では相次いで深刻な疑惑が持ち上がった。
・これら疑惑は、憲法改正における国民投票を模索している日本にとっても、決して無関係ではない。むしろ危機感を持って注視すべきスキャンダルであろう。巨額の資金とテクノロジーのノウハウ、また、個人情報へのアクセスを有する側が、選挙や国民投票などにおいて、思惑通りの政治的勝利を得る可能性を浮き彫りにしたからだ。
・この問題は、米大統領選で鍵となったといわれる英データ分析会社でリサーチ担当者として働いていた男性が告発を行い、彼の情報をもとに、調査報道に定評のある英オブザーバー紙およびガーディアン紙、英チャンネル4ニュース、米ニューヨーク・タイムズ紙が詳細を報じたものだ。告発者のクリストファー・ワイリー氏は3月27日、下院の特別委員会で、3時間半に及ぶ克明な証言を行っている。
・米英の企業や富豪、政治家など、いくつものプレイヤーが複雑に絡み合う疑惑を、ワイリー氏の証言および上記報道から読み解くと、概要はこうだ。 まず、米大統領選では、トランプ陣営を支えた「英データ分析会社・ケンブリッジ・アナリティカ(以下CA)」が、米フェイスブック上の実に5000万人分の個人情報を不正に取得したとし、その中から、まだ候補者を決めあぐねていた層、つまり、特定の「ターゲット」を検出した(フェイスブックは4月4日、CAが不正に取得していた個人情報は最大で8700万人にのぼると発表。また、全20億人のユーザー情報が不正利用されるリスクにさらされていたことも公表した。既に対策を講じ始めているという)。
・そして、その人たちの思考や思想など、個々人の心理プロファイリングを行い、その人たち向けの「カスタマイズされた情報」を意図的にフェイスブックのタイムラインなどに流し、投票結果を左右しようと試みた、というものだ。
・同様の手法は、英国のEU離脱を問う国民投票でも、CAとの関連があるといわれるカナダの企業、AIQによって行われたと指摘されているが、フェイスブックの情報がこちらでも流用されたのかは未だ不透明だ。ただし、AIQは、離脱派陣営の団体Vote Leaveから270万ポンド(約4億600万円)に及ぶ多額の報酬を得ており、これはVote Leaveの支出の実に40%に上ると報じられた。デジタル戦略の効果を測ることは容易ではないが、Vote Leaveのキャンペーン担当者は離脱決定後、AIQなしには「(勝利は)成し得なかった」と発言したと言われている。
・告発者のワイリー氏も特別委員会での証言で、このような「不正な行為」がなければ、EU離脱決定に際し、異なる結果であった可能性に言及した。 ワイリー氏の証言によれば、EU離脱を問う国民投票で、デジタル戦略によって有権者による実際の行動を転換させることに成功した率はおよそ5~7%であったという。離脱を問う投票では、離脱支持が52%、残留が48%と僅差だったことを考えると、効果は否定できないのではないか。
▽規制を回避し情報戦に資金を投入か
・CAのサイトには「データを利用したキャンペーン展開を行い、5大陸にまたがる100以上のキャンペーンを支援してきた。米国だけでも大統領選や議会選、州選挙における主要な役割を果たした」と明記されている。 ワイリー氏は特別委員会において、過去のナイジェリアの選挙戦などでCAやAIQが暗躍し、勝つためなら手段を選ばない同社の実態を証言した。事実、チャンネル4によるCAの幹部に対して行われたおとり取材の内容は、衝撃に満ちている。
・スリランカのある候補者の支援者に扮した「おとり」に対しある幹部は、CAが世界で最も巨大で影響力のある政治コンサルティング企業であり、「おとり」との「長期的で秘密の関係を」築きたいと電話で売り込んでいる。対立候補を徹底的に陥れるため、偽の贈賄現場を捏造してその模様を撮影する、また、女性を使ったいわゆる「ハニー・トラップ」を使うなど様々な策を、隠しカメラの前で堂々と披露した。別の幹部は、対立候補を陥れるためにはMI5やMI6の元情報部員まで投入できると述べた。
・更に、こうしたキャンペーンでは有権者の「希望や恐れ」を利用するものだと指摘し、「選挙戦を事実を持って戦ってもダメだ。つまるところ(人々の)感情が物を言う」とまで明言している。 本稿執筆現在(4月2日)、CAはこうした数々の疑惑に関して、不正を否定している。
・もう一つ、英国で問題になっているのはVote Leave側による国民投票法違反の疑いである。英国の国民投票法では規制の少ない日本のそれとは異なり、一つの団体が広告やキャンペーンに投じて良い資金の上限が700万ポンド(約10億円)と定められている。Vote Leaveは、その上限を超えた資金投入を行ったのではないかとの疑惑だが、からくりはこうだ。
・当時、EU離脱に賛同していた若い学生などが組織したボランティアグループBeLeave(ビリーブ)へ、投票数日前になって、突然62万5000ポンド(約9300万円)もの「寄付」がVote Leaveから行われた。しかし、交通費すら自腹を切って活動していた若者らにその金が配分されることはなく、なぜかほぼ全額が、この団体を通じ、彼らと全く関わりのなかったAIQ社に流れたと、ワイリー氏とは別の、BeLeaveで活動に携わった内部告発者により指摘された。
・つまり、すでにキャンペーンに投入して良い700万ポンドを使い果たしたVote Leaveは、BeLeaveを介して、上限を超えた63万ポンド近くもの金をAIQに流したのではないか、という疑いである。 ボランティアに参加した若者らはいずれも若く、彼らなりにEU離脱を支持する信念のもとに活動を行った。しかし彼らは現在、離脱派陣営のいわば「資金洗浄」に利用されたのではないか、との疑惑を抱いている。 
・この告発者は、今でも離脱を支持しているという。しかし、その「勝利」が不正に勝ち取ったものであるならば、国民投票という民主的なプロセスを踏みにじる行為であり、あってはならないことだと告発に踏み切った。疑惑に対し、離脱運動を主導したボリス・ジョンソン外相は「馬鹿げている」と一蹴し、その他関連を指摘されているVote Leaveの元関係者らも、次々に否定している。
・疑われている資金流用について、英ブルネル大学で政治学専門のジャスティン・フィッシャー教授はニューヨーク・タイムズ紙に対し、国民投票の際の選挙管理委員会による規制が「役立たず」であったと指摘している。離脱派、残留派にかかわらず、資金を有効に使うため、複数の団体が並行して活動を行い、上限を回避したのだという。
・国民投票法により、日本よりも明確な規制が存在すると言われてきた英国ですら、今回こうした重大な不正が疑われている。日本では憲法改正を議論すると同時に、あるいはそれより以前に、まずは今回英米で相次いだ事例を教訓として、各陣営が投じることを許される資金の上限や、デジタルを含む広告に関する規制、あるいは明確なガイドラインを策定し、厳格かつ有効な国民投票法を定めることが急務ではないだろうか。
▽情報戦略の本当の怖さ
・筆者はEU離脱を問う国民投票の際、地方の取材現場で、離脱派のキャンペーンを取り仕切っていた広告代理店関係者らに遭遇した。残留派、離脱派双方にこうしたキャンペーン担当の代理店やストラテジストが関与していたことは、「法律の範囲内であれば」本来は適正である。
・しかし、当時の離脱派のなりふり構わぬ移民・難民敵視のPR戦略はすさまじく、ついに投票直前、残留派の労働党女性議員の殺害(参照:英国の女性議員殺害が問う“憎悪扇動”の大罪)に至るまで、両陣営とも熱に浮かされたように互いへの攻撃を強め、深刻な社会の分断を招いた。その功罪は、投票が終わったあとも、離脱支持者による何ら罪のない移民や難民に対する苛烈なヘイト・クライムとして爪痕を残したことにもある。
・離脱派による怪しげかつ大々的な宣伝工作は、離脱決定の朝に行われた、当時の英国独立党(UKIP)ナイジェル・ファラージ党首によるインタビューに象徴されていた。 民放ITVテレビに生出演したファラージ氏はキャスターに「キャンペーン中の主張、現状EUに支払っている3億5千万ポンド(約530億円)の金は、本当に国民保健サービス(NHS)に投じると確約できるのですね」と問われ、「いや、できない」と、いともあっさり即答した。離脱派の象徴であった赤いキャンペーンバスにははっきりと「3億5千万ポンドをNHSに」と明記されていたにもかかわらず、である。
・NHSは近年、慢性的な財政難に見舞われ、医療の現場が混乱することもしばしばだ。高額な保険料を支払えず、プライベート医療を受けられない多くの、特に低所得層の人たちにとって、このレトリックが離脱を支持する理由として有効だったことは、想像に難くない。仮にこうした情報さえも、デジタル戦略で使用されていたとしたら、結果にどう影響しただろうか。
・当事者によるデマの垂れ流しは言うまでもなく言語道断であるが、一方の側の「デマ」や偏った主張を、デジタルを含む広告への多額の資金投入により「真実」として刷り込まれてしまう危険に、有権者はもっと敏感であるべきだろう。
・20年近く前になるが、ボスニア紛争報道で頻用された「民族浄化」というキーワードが、実はボスニア外相が、ある米国のPR会社に依頼した「情報戦略」だったという内容のドキュメンタリーが放送された。(NHKスペシャル「民族浄化 ユーゴ・情報戦の内幕」) ボスニアやコソボのイスラム系住民が、対立するセルビア人から一方的に迫害、虐殺され「民族が浄化された」という「物語」は、報道機関に拡散され、主力欧米メディアなどが大々的に取り上げた。
・当時、現在のようなSNS(交流サイト)を通じた情報ツールは存在せず、ましてやフェイク・ニュースなどの概念も存在しなかった。情報の拡散は、現在ほど容易ではなかったはずだ。それにもかかわらずこの紛争において、たった一つの民間PR会社により、ある特定の側(セルビア側)を世界的に孤立させる情報操作は、見事に成功したと言われている。
・広告会社などによる情報戦略は、圧倒的な財力を投じることにより、巧みに世論を左右することのできる強大なツールであろう。本来、国民全員に影響を及ぼす重大な意思決定プロセスに際し、財力のある片方だけが多額の資金を投じて一方的な世論形成を行うことは、選挙や国民投票などの民主的プロセスにおいて、あってはならないことだ。
・同時に、こうした思惑に惑わされず、適正な判断を行う知識を個々人が蓄え養うことも、氾濫する情報に対抗する有効な手段ではないだろうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/100500021/040400017/?n_cid=nbpnbo_mlpum

第一の記事で、 『世界は、いま強権政治家と独占企業家に牛耳られようとしている・・・極右ポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭も加わって、中道政治は脇に追いやられる。一方で、グローバル経済は・・・IT(情報技術)ビッグ5が新市場を独占・・・これまで経済発展の基盤になってきた中間層の衰退を招いている。「『中』の時代の終わり」は民主主義と資本主義の危機を告げている』、というのは、なかなか面白い分析だ。ただ、ITビッグ5については、最近、逆風が吹いて株価時価総額も大きく減少しているが、「『中』の時代の終わり」という大きな論旨そのものは正しいと思われる。 『これ以上、強権政治家と独占企業家が世界を牛耳じり続けるのは危険である・・・強権政治家とポピュリストのはざまで、苦闘する中道政治をどう復活させるか。資本主義の土台である中間層をどう復活させるか』、というのは確かに重要な課題だ。EUには頑張ってもらいたいところだ。
第二の記事で、 『「あらかじめ設定された特定の単語を含む投稿を自動的にリツイート(再投稿)するプログラム『ボット』による大量の投稿があり、それらが結果的に言論の多様性を弱めるような働きをしているのではないか」』、とのシェーファー教授の指摘はなるほどと納得させられた。 『特定のある内容の投稿で1万回程度を数えるものがあったが、解析するとオリジナルは50ほど。ボットがオリジナルの投稿をそのまま、あるいは少し変更して1万回分リツイートしたわけだ』、というボットの威力には改めて驚かされた。 『人間がボット化しているといえる』、とは上手い表現だ。 『個人の検索履歴などをもとにその人に合った情報のみが提供されるため、情報や思想が偏り、情報社会の中で孤立する『フィルターバブル』に陥りかねない」』、という弊害は由々しいものがある。 『今日、ネットは現実世界になくてはならないものになっているが、民主主義の健全性という点でいえば憂慮すべきだと思います』というは同感だが、本当に困った問題である。
第三の記事で、 『米大統領選では、トランプ陣営を支えた「英データ分析会社・ケンブリッジ・アナリティカ(以下CA)」が、米フェイスブック上の実に5000万人分の個人情報を不正に取得したとし、その中から、まだ候補者を決めあぐねていた層、つまり、特定の「ターゲット」を検出した・・・その人たちの思考や思想など、個々人の心理プロファイリングを行い、その人たち向けの「カスタマイズされた情報」を意図的にフェイスブックのタイムラインなどに流し、投票結果を左右しようと試みた』、 『同様の手法は、英国のEU離脱を問う国民投票でも、CAとの関連があるといわれるカナダの企業、AIQによって行われたと指摘・・・Vote Leaveのキャンペーン担当者は離脱決定後、AIQなしには「(勝利は)成し得なかった」と発言したと言われている』、などこうした不当な働きかけが、極めて大きな役割を果たしたようだ。 『本来、国民全員に影響を及ぼす重大な意思決定プロセスに際し、財力のある片方だけが多額の資金を投じて一方的な世論形成を行うことは、選挙や国民投票などの民主的プロセスにおいて、あってはならないことだ』、というのはその通りだ。ただ、 『同時に、こうした思惑に惑わされず、適正な判断を行う知識を個々人が蓄え養うことも、氾濫する情報に対抗する有効な手段ではないだろうか』、というのは「百年河清を待つ」ようなものではないだろうか。
タグ:その人たちの思考や思想など、個々人の心理プロファイリングを行い、その人たち向けの「カスタマイズされた情報」を意図的にフェイスブックのタイムラインなどに流し、投票結果を左右しようと試みた 5000万人分の個人情報を不正に取得したとし、その中から、まだ候補者を決めあぐねていた層、つまり、特定の「ターゲット」を検出した ケンブリッジ・アナリティカ EU(欧州連合)離脱を決めた英国民投票の結果 トランプ大統領を選出した米大統領選 個人情報は最大で8700万人 フェイスブック 「フェイスブック騒動、驚愕の「デジタル情報戦」 日本は大丈夫か?危機に直面する「民主的なプロセス」」 伏見 香名子 個人の検索履歴などをもとにその人に合った情報のみが提供されるため、情報や思想が偏り、情報社会の中で孤立する『フィルターバブル』に陥りかねない」 SNSがネットの役割を変えた ある人物がネットに「反日」という言葉を何度も書き込み、気に入った投稿に対してほぼ反射的に「いいね」ボタンを押す。「反日」というメッセージが記号的に増幅され、人間がボット化しているといえる あらかじめ設定された特定の単語を含む投稿を自動的にリツイート(再投稿)するプログラム『ボット』による大量の投稿があり、それらが結果的に言論の多様性を弱めるような働きをしているのではないか 2014年の日本の衆議院議員総選挙で、政治的な意見やキーワードがどのように共有・拡散がされたか」について、短文投稿SNS、Twitterをもとにビッグデータ分析 シェーファー・ファビアン博士 「SNSが日本の政治に与える無視できない影響 大量の「機械的な投稿」 東洋経済オンライン 高松 平藏 「『中』の時代」をどう甦らせるか 「グローバル独禁法」の制定を EUは反独占に立ち上がったが 跋扈するグローバル独占企業 エルドアンがもたらした亀裂 プーチン流拡張主義 「中華覇権」へ習近平の野望 「強権政治家と独占企業家が牛耳る世界 民主主義と資本主義の危機」 日経ビジネスオンライン 岡部 直明 (その3)(強権政治家と独占企業家が牛耳る世界 民主主義と資本主義の危機、SNSが日本の政治に与える無視できない影響 大量の「機械的な投稿」が世論を歪めている、フェイスブック騒動、驚愕の「デジタル情報戦」 危機に直面する「民主的なプロセス」) 民主主義
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ハラスメント(セクハラ・パワハラ・アカハラ)(その3)(伊調選手のパワハラ疑惑 師弟関係に潜む危険性、中年男の恋路を邪魔する「セクハラ」乱用社会、あなたのにおいもハラスメント 体臭から柔軟剤まで) [社会]

ハラスメント(セクハラ・パワハラ・アカハラ)については、昨年12月29日に取上げた。今日は、(その3)(伊調選手のパワハラ疑惑 師弟関係に潜む危険性、中年男の恋路を邪魔する「セクハラ」乱用社会、あなたのにおいもハラスメント 体臭から柔軟剤まで)である。

先ずは、スポーツライターの青島 健太氏が3月17日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「伊調選手のパワハラ疑惑、師弟関係に潜む危険性 難しいアスリートとコーチの別れ方」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・あまり取り上げたくない話だが、見過ごす訳にもいかない。これはスポーツ界だけのことではなく、上司と部下の関係や親子関係にも通じる問題が潜んでいると思うからだ。 女子レスリングの一件である。
・2004年のアテネから、北京、ロンドン、リオデジャネイロと五輪で4連覇を達成し、国民名誉賞も受賞した伊調馨選手(33歳)が、日本レスリング協会の栄和人強化本部長から繰り返しパワーハラスメントを受けていた…とされる問題だ。これについては、伊調選手の現状を心配したレスリング関係者が、代理人弁護士を通じて、内閣府の公益認定等委員会に告発状を出していたことが、2月末に分かった。
・私はテレビのオリンピック・キャスターとしてアテネ五輪を現地で取材していた。レスリング女子日本代表の栄監督や門下の吉田沙保里選手、伊調千春選手と伊調馨選手の姉妹やアニマル浜口さんの娘さん、浜口京子選手らと知り合ったのはそのころからである。
・この時の女子日本代表はすごかった。 アテネから正式種目になった女子レスリングだったが、4階級すべてでメダルを獲得し、吉田選手と伊調馨選手が金メダルに輝いた。その後、吉田選手は「金」「金」「金」「銀」と活躍を続け、伊調馨選手も「金」「金」「金」「金」と五輪4連覇を成し遂げた。 私は、栄監督と選手たちの蜜月を知っているだけに、この一報を聞いた時に、本当に信じられない思いでいっぱいだった。
▽どこで教え子や弟子と別れるか…
・それでも振り返れば、すべての始まりは、あの「アテネ」から…、ということになるのだろう。 まず言っておかなければならないことは、私はこの問題の是非を語るほど詳細な情報を持ち合わせていない。以前から両者を知っているだけに「なんでこうなってしまったのか」という残念な気持ちしかない。それでもこの一件を取り上げるのは、そこに潜む本質を考えて、今後の師弟関係に生かさなければと思ったからだ。
・始まりは「アテネ」から…と書いたが、きっかけとなった事件や出来事があった訳ではない。それはむしろ両者にとっておめでたい「勝利」から動き出していることだと思う。つまり金メダルの獲得である。 この一件が突きつけてくる本質は、功を為し自立しようとする選手(弟子)と、その選手を育ててきた指導者(師匠)が、その後、どう向き合っていったら良いのかということのように思える。
・五輪で金メダルを取った選手は、もはや国民的なスターであり、その時点で指導者からは、すでに独立した存在になっていると言えるだろう。メダルを取ったことで選手が、それまでの恩を忘れるということではない。大舞台で活躍した選手は、そうした経験を通じて指導者が思っている以上に成長していくのだ。またそうでなければ、その先の戦いで勝ち続けていくことはできないだろう。
・メダルや活躍の有無に関わらず、スポーツは自立した個人を打ち立てるために取り組むのだ…と言ってもいいかもしれない。 だから、誤解を恐れずに言えば、指導者の難しさと役目は、どこで教え子や弟子と別れるか…ということにある。それは選手にも同じことが言える。いつかは、それまでの教えを糧に、成長した自分を見せるためにも、様々なことから自立しなければならないのだ。
▽選手と指導者はお互い様の関係で
・その意味で、伊調馨選手の自立への歩みは、アテネで金メダルを取った時から始まっていたはずだ。伊調馨選手は、北京で2個目の金メダルを獲得した後、新しい練習環境を求めて愛知県から東京に練習拠点を移している。 告発状では、この後から栄氏のパワハラが始まったと指摘している。そうした圧力は、練習先の男性コーチにも及び、練習施設への出入りも禁じられたと主張している。
・言われているようなパワハラが、本当にあったのかどうか私には分からない。私の知る限り、栄氏はレスリングに対して誰よりも情熱を持った面倒見の良い指導者だ。だからこそ多くの門下生がメダリストになっている。 しかし、そんな選手たちもいつかは自立して栄氏の元を巣立っていかなければならない。気がかりなのは、そうした指導方針があったのかどうか、その一点だ。
・選手が活躍して有名になれるのは、指導者のおかげだ。これは上司と部下、親子関係にも言えることだろう。 しかし、その一方で、指導者が評価されるのも、選手が活躍してくれたおかげだ。部下や子どもが頑張ってくれたおかげで、上司や親にも注目が集まるのだ。
・そのお互い様(信頼関係)というバランスを忘れて、一方が自分の手柄(あるいは要求)ばかりを主張する時、両者の関係は崩れていく。 指導者がどこかで選手を解放して、独立した道を歩ませる。そのことを目標に、自立を喜べる指導者であったり、上司であったり、親であったりしなければいけない。
・選手の独立に腹を立てたり、部下の成果を自分の業績にしたり、いつまでも子どもから離れられない親であったり…、気を付けるべきことはそこにある。 この一件から、そんなことを感じる。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/122600093/031600060/?P=1

次に、健康社会学者の河合 薫氏が4月3日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「中年男の恋路を邪魔する「セクハラ」乱用社会 言葉で救われた女性は多いけれど…」を紹介しよう。
・今回は「やわネタ」でありそうで「深刻な問題」、「個人の問題」でありながら「社会問題」とも言える問題について考えてみようと思う。 「おい!何言ってるか分かんないぞっ! なんのテーマだ?!」 と憤っている人もいるかもしれませんが、私自身、この期に及んで「どうやって言葉を綴るべきか」悩んでいるので仕方がないのです。 っと、アレコレ前置きするより、さっさとお読みいただければ分かるので、まずは40代の独身男性の話をお聞きください。
・「私は母が早くにアルツハイマー型の認知症になってしまったので、母の面倒をみながら働いてきました。上司の理解もあり、地方や海外出張はテレビ会議などで免除してもらうなど、仕事と母の世話をなんとか両立してきました。プライベートな時間なんてないので、当然結婚はできません。なので、『生涯独身』を覚悟していたんです。
・ところが3年前に母が他界。お恥ずかしい話ではありますけど、パートナーが欲しくなりましてね……。平均寿命まで生きてもあと30年以上あるし、子どもが欲しいという気持ちもあります。 ただ、結婚紹介所などを利用するのは抵抗がある。自然とそういう形になればいいなぁ、と。この歳で図々しい話ですが、自然の流れでパートナーが見つかればいいと思っているんです。
・でもね、“自然の流れ”って、今のご時世、すごく難しいですよね? なんやかんや言っても、人間関係は仕事関係が中心になります。会社関係の女性だと、『セクハラになってしまうんじゃないか』って躊躇してしまうんです。
・コレ、言い方がスゴく難しいんですけど……、やっぱり男は単純だし、バカ。  私のように枯れた年齢になっても、女性の気持ちが全く分からない。食事に誘うのもセクハラになりそうだし、ものすごいコミュニケーション能力の持ち主じゃないと、難しいですよね。
・うちの会社は社内恋愛を禁止しているわけでもないし、社内結婚したカップルもいます。 ところが、「#me too」以降、会社も過敏になっていまして。ウワサになっただけで飛ばされるケースが出てきた。 しかも、たいがいは男性が左遷です。先日も、30代の女性が会社辞める理由を上司から聞かれ、『元カレの男性(社員)にセクハラされた』と答えたんですよ。 そしたら、その彼は大阪に異動になったんです。人事は、異動とセクハラ発言は関係ない、と説明していますが、実は彼女、ヘッドハンティングされて辞めるんです。そのことを会社に知られたくなくて、元彼をだしに使ったみたいなんです。
・まぁ、なんか情けない話をお聞かせしてすみませんね。私のような恋愛下手の人間は、いろんな意味で生きづらいのです。あ、こんな話を河合さんにすること自体セクハラになるんですかね? もし、ご気分悪くされたら申し訳ないです」 
・男性は某大企業に勤める40代のビジネスマンである。 こうやって文字にすると、“コミュニケーション力の低いオジサン”と思われてしまうかもしれない。だが、実際に会ってみると部下や上司たちとジョークを交えて話をしたり、乾杯の音頭のキレも良かったりするので、どちらかというと“コミュ力”は高いタイプである。 そう。実はコレ、講演会で講師に招かれ、その後に行なわれた宴会の席のおしゃべりのときに出てきた“お悩み相談”のひとつ。お酒も入り気が緩んだ(笑)ときの“告白”なのだ。
・と言っても、突然「相談に乗ってもらえますか?」と来たわけじゃない。たまたま数名の方たちと雑談している最中に、講演会の内容に関する話題になった(このときのテーマは『社員が能力を発揮できる職場』)。 「部下と良い関係を築くのが難しくなった」 「部下との程よい距離感が分からない」 「プライベートな話をどこまで突っ込んでいいのか……」 といった話に加え、 「こんなにセクハラ、セクハラって言われたら、社内結婚とか、なくなるよね」 「そうそう。生涯未婚率が上がっているのも分かるな」 「イケメン以外は、生きづらい世の中になってしまった」 「女性社員に絶対に言ってはいけない言葉を教えてほしい」 などなどセクハラ問題が、男と女の諸問題に広がっていき、「実はですね……」と件の男性のお悩み相談が始まった、というわけ。
・ふむ。「おい!河合薫に“結婚ネタ”相談してもムリだろ?」と脳内サルが冷笑しているのだが、自然な流れの結婚、すなわち恋愛結婚に関するちょっとばかりおもしろいデータがある。 1960年代、未婚女性1000人当たり30件という確率で発生していた「見合い結婚(親戚・上役などの紹介、結婚相談所含む)」は、2000年代には1000人当たり3件まで低下し、「まぁ、そうだろうね」って感じなのだが、恋愛結婚(見合い結婚以外)に関しては「へ?、そうなんだ?」という変化が起っていた。
・1960年代は未婚女性1000人に対し、35件という発生確率だったのが、1970年代には56件まで増加。ところが1980年代後半以降は、1000人当たり40件のレベルで推移していて、現在の恋愛結婚の発生率は、1960年代の水準とほとんど変わっていないのである。 ※対未婚者初婚率は、ある年に発生した初婚数を分子に、その年の未婚女性人口を分母にして算出。 出典:国立社会保障・人口問題研究所「職縁結婚の盛衰と未婚化の進展」
・データは5年おきに実施されている「出生動向基本調査」(国立保障・人口問題研究所)に基づき分析されたもので、1930年代から2002年のパネルデータが使用されている(「職縁結婚の衰退と未婚化の進展」岩澤ら 2005)。 今から10年以上前の分析ではある。 だが、これ以降恋愛結婚が増えるようなエポックメイキングな事は起こっていない。世話好きなオバさんが担っていた“見合い結婚”は、結婚相談所に加え婚活企業などが取って代わるようになったが、男と女が自然に恋に落ちる“恋愛市場”は、経済的にも、時間的にも厳しくなった。
・それに……昔は「社内結婚要員」として採用される、短大卒の“きれいな”女性が存在した(←もしかしてこの表現もセクハラ?)。 このご時世で、女性社員を寿退社候補のように扱ったらすぐに訴えられそうだが、良い・悪いは別にして、少なくとも20年くらい前までは「需要と供給」に則した雇用形態(←これで合ってる?)だったのである。 いずれにせよ、さまざまな状況から今の方が、恋愛結婚はもっと減っている可能性が高い。ふむ。おそらくきっと。かなりの確率で減っていると確信している。
・さらに、生涯未婚率が増加している背景にはこんな意見もある。 「上昇志向の高い女性が増える中、女性の高学歴化が進んだことによって、高学歴女性が求める相手の供給不足が生じている」(論文「日本の未婚化─結婚市場構造と結婚性向の変化の役割」より)。 供給不足、ね。なんとコメントしていいか分からないけど、「恋愛はしても結婚を必要としない」人が増えたことは確かだと思う。いずれにせよ、結婚を望む男性にとっては極めてセツナイ状況である。 加えて「やっぱり男は単純だし、バカ」(前述の男性のコメント)。
・私はかなり単純なので、席を譲ってくれたり、予定を聞かれただけで、「ん? 私に気がある?」などと幸せな気持ちになるが、男性の場合はそんな勘違いも許されないご時世だ。「なんかいい感じかも」と勘違いしてデートにでも誘おうものなら、翌日上司に呼ばれて注意されそうだし、女性社員たちから集中砲火を浴びる可能性もある。
・たびたび炎上している「やれたかも委員会」は、そんな男性の勘違いを女性がどう思っているかを検証する、ちょっとだけ問題満載の、下品で笑える設定の漫画である。 作者の吉田貴司さんが朝日新聞のインタビューで、 「男同士で話すと、『女の子にアプローチしないとダメ。女性を口説き落とすことこそが男らしい』という思い込みが強いと感じる。『男社会の中でよしとされている女性に対する男らしさ』がある」 と答えていたけど、確かにジェンダーステレオタイプは自分自身の言動も拘束し、とりわけ恋愛感情はそれを強化する。
・一昔前であれば、 「よし! ここで○○しないと男じゃない!」と行動を起こしても、 「何考えてるのよ!ただの仕事関係でしょ!(ビシッ)」と木っ端みじんにされて「ジ・エンド」で済んだ。 が、今は大問題に発展し、最悪の場合は仕事も失い、人生を棒に振ることにだってなりかねない。人を好きになるとか、ときめくという感情は人生を豊かにするリソースなのに……。
・改めて言うまでもなく、「セクハラ」や「#me too」といった新しい言葉が生まれるのは、その言葉がよく当てはまる問題があっちこっちで起こり、何らかの共通ワードが求められるからにほかならない。 「助けて!」とSOSを出したいのに、「そこに何もない」かのごとく無視され、「仕方がない」と諦めたり、泣き寝入りしたりしていた人たちを、共通ワードがあれば救うことができる。
・隠されていた問題が表面化すれば、無自覚の価値観が振りかざす、“刃”のストッパーにもなる。 しかしながら、この数年間に生まれたいくつもの“共通ワード”の中で、セクハラほど言葉が独り歩きし、拡大解釈されているものはないように思う。 「セクハラ」という言葉がなかったときには、受け入れられた相手の不器用さや勘違いが、「セクハラ」という言葉があることで、まるで犯罪者のごとく非難され、二人だけで完結していた問題が、場外の観客席から石を投げられる問題になった。
・そこにある問題を是正し、解決するために必然的に生まれた共通ワードで、問題は解決に向かうどころか新たな問題を生んだのでは? と思えてならないのである。 恋する男性の言動がセクハラ扱いされてしまうのは、広い意味で「コミュニケーションの不条理」である。コミュニケーションは、言葉のキャッチボールと言われるように、キャッチする側である受け手が、その意味を決める。
・つまり、「ボール選びやボールの投げ方」と同じくらい「ボールをキャッチする力」も必要不可欠である。ちょっとした勘違いの背後に潜む“心の声”を、くみ取る能力を高める作業も極めて重要である。 ところが時代の流れは「尊厳」「人権」という美しい言葉が大きくなり過ぎて、ボールをキャッチする力は問題にされない。
・繰り返すが、ホントにセクハラに悩む人たちが救われているのなら、それも致し方ないことなのかもしれない。 でも、ホントにセクハラに悩む人は減っているのか? ホントに人知れず涙している人は、救われているのだろうか? 誤解を恐れずに言わせてもらうと、自分の気に入らない男性の言動をすべて「セクハラ」にしてしまったり、自らの行いを正当化するために使われているのでは? と感じることが、ここ最近、ものすごく増えた。
・ホントにそれは上司の問題なのだろうか? と。 「あれってセクハラでしょ」と男性を糾弾することで、本来解決すべき問題がないがしろにされているのではないか、と。 ひょっとしたら、「残業の多さ」「仕事の要求度の高さ」「自分の意見が聞き入れられないことへのジレンマ」への不満かもしれないし、「自分のがんばりが認められない苛立ちかもしれない」……なんてことまで考えてしまうのだ。
・「#me too」で性的暴行や嫌がらせの糾弾が相次いでいることについて、カトリーヌ・ドヌーブさんが「性暴力は犯罪だ」とした上で、「しつこく、不器用でも、口説くのは罪ではない。口説く自由はある」と異論を唱え、仏紙ルモンドに約100人の連名で寄稿し、謝罪に追い込まれたことがあった。 仕事上の会食中にひざに触れる、キスを求める、性的な話をするといった行為だけで男性が罰せられ、職を失っている。弁解の機会もないまま性暴力を働いたのと同様に扱われている」(by カトリーヌ・ドヌーブ)
・この「膝に触れる、キスを求める、性的な話をする」というコメントの部分には「そ、そ、そ、それはちょっと!」と思ったけど、「不器用な男性」が生きづらくなったという一点には共感する。 恋愛問題だけに限らず、さまざまなシーンで、不器用な人たちが生きづらい世の中になってしまった。
・もうちょっとだけ、そう、ほんのちょっとでいいから言動の背後にある言葉にできない気持ちと、ちょっとだけ不器用な人たちを「もう~、しょ~がないな~」と笑い飛ばせる世の中になればいいのに、などと散りゆくサクラに語りかけるのであった。 最後に40代男性が勇気が出そうな相談が20代女性から寄せられたので是非、ご覧あれ。 ぬか喜びになるかもしれませんが……。 (このあとは、筆者の著作『他人をバカにしたがる男たち』のPR)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/040200153/?P=1

第三に、4月5日付け日経ビジネスオンライン「あなたのにおいもハラスメント 体臭から柔軟剤まで」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・嫌がらせを意味する「ハラスメント」の領域が広がりをみせている。最近、言葉として定着してきたのが「におい」によるハラスメント、通称「スメハラ」だ。体臭から柔軟剤まで原因は様々だが、サービス業を中心に企業も対策に動き始めた。 
・東京都港区にある「パナソニック東京汐留ビル」。パナソニックの営業部門や総務部門などが集結する東京の拠点で、昨年、風変わりな冊子が配布された。「汐留スタイルブック」。全26ページにわたって、ビジネスパーソンにふさわしい服装やマナーが列挙されている。 マナーブックを手に取った多くの従業員の目を引いたページがあった。 「社内で一番気になるもの、実は『ニオイ』でした」
・冒頭にこう記されたページには、同ビルに勤務する従業員に聞いた、職場で「気になる」項目が載っている(上の写真)。「タバコのニオイ」「汗のニオイ」「きつすぎる香水のニオイ」まで多岐にわたる。「どんなにキチンとした装いをしていても、ニオイで清潔感が損なわれ、悪いイメージを持たれてしまう可能性があります」と注意を促している。
・マナーブックを配布したのは、パナソニックで住宅関連事業を手掛けるエコソリューションズ(ES)社の総務部。同部の池田敬久主幹は「汐留ビルでは、エレベーター内で会話をしたり、TPOをわきまえない服装をしたりしている従業員が目立っていた。来客者からの苦情もあり、マナー改善が急務と判断して作成した」と語る。 作成過程で従業員から様々な声を集めたが、池田主幹にとっても、「におい問題」は予想外だったという。「同僚のにおいが耐えられない」。女性社員を中心に上がるこんな意見は1件や2件ではなかった。「皆、口にも出せず、耐えていたのか」。におい対策を促すページはこうして作られた。 
・セクハラ、パワハラならぬ「スメハラ」が、企業社会で注目されている。正確には、スメルハラスメント。においで周囲に不快な思いをさせることを指す。男性化粧品を手掛けるマンダムが昨年5月に働く男女約1000人に行った調査によると、6割超が同僚の体臭や口臭などのにおいが気になると回答。スメハラはすっかり言葉として定着しつつある。
▽体臭、口臭だけじゃない
・においは職場で最も気になるが、 最も言いづらい +職場で同僚などの容姿や身だしなみで「どうにかしてほしい」と思うこと +ビジネスシーンで他人のにおいは指摘しにくいか?  注:マンダム調べ、東京・大阪在住の男女1028人に対しインターネットで調査
・見逃せないのが、体臭や口臭だけでなく本来は「快適」であるはずのにおいにも「不快」と感じるビジネスパーソンが多い点だ。マンダムの調査では香水や化粧品は3割、柔軟剤や芳香剤は1割が気になると回答している。
・中でもやり玉に挙がるのが柔軟剤のにおい。2000年代半ばから米プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)の柔軟剤「ダウニー」の輸入品がヒットし、においを際立たせた商品投入が相次いだのがきっかけとされる。大同大学情報学部かおりデザイン専攻の光田恵教授は「社会が清潔になりゴミなどの不快なにおいが少なくなる一方で、これまで日本人が体感したことがない甘いにおいなどが登場し不快に感じる人が出てきたのでは」と指摘する。
・P&Gジャパンや花王などは、商品の背面やテレビCMなどで、においで不快になる恐れがあることを注意喚起しているとはいえ、「状況は劇的に改善したとはいえない」(業界関係者)。 読者の中には「たかがにおい、過剰反応だ」と思う人も多いだろう。確かにスメハラは、「セクハラやパワハラのように加害者側が認識できる行為ではなく自覚がない」(弁護士法人Proceedで代表を務める多田猛弁護士)。法律で定められているわけでもなく一概にセクハラと同列にはあつかえない。
・ただ、スメハラを気にする人たちが増えているのは紛れもない事実。ハラスメント防止の研修などを実施する一般社団法人、職場のハラスメント研究所(東京都文京区)の金子雅臣代表理事は、「スメハラという言葉を聞いたときに初めは冗談かと思ったが、相談数はここ2~3年で一気に増えた。中には会社を休職・退職する従業員も出てきている」と話す。前出の多田弁護士も「今後、スメハラ関連で従業員が会社を相手取って訴訟を起こす可能性は否定できない」と警鐘を鳴らす。
・スメハラが社会問題化する中、企業も真剣に受け止め始めている。マンダムが14年から企業を対象に無料で開催している「においケアセミナー」には応募が殺到している。これまで延べ50社3000人超のビジネスパーソンが、50代から本格化する加齢臭の発生原因や効果的な予防策についての講習を受けている。  実際に研修を受けた人材大手の担当者は、「服装や髪形同様、におい対策は身だしなみとして必要。新入社員研修に導入すべきかどうかを検討している」と話す。
▽犬型ロボットが体臭測定
・もっとも、スメハラで難しいのは自分自身のにおいにはなかなか気づかないこと。そんなにおいを気にしすぎる風潮を捉えて、個人向けのにおい測定器まで登場する。 北九州工業高等専門学校発ベンチャーのネクストテクノロジー(北九州市)が開発した犬型ロボット「はなちゃん」は、鼻先に付けたセンサーで体臭を3段階で判定。無臭に近いと「すり寄る」、少しにおうと「ほえるしぐさをする」、におうと横転して「気絶する」といった愛くるしいしぐさから人気を集めている。
・滝本隆代表は「13年に開発していた第1弾はそれほど注目されなかったが、わずか数年で状況が変わるとは」と驚きを隠さない。価格は3万5000円からと高額にもかかわらず「昨年12月の発売以来、高齢者を中心に問い合わせが多く、受注は好調だ」という。
・同分野には大手企業も参入。コニカミノルタが開発したスマートフォンと連動する体臭測定器「クンクンボディ」はネット上で開発資金を募るクラウドファンディングで約5000万円の資金調達に成功している。 具体的なスメハラ対策に乗り出す企業も出てきた。目立つのは小売りやサービスなどの接客業だ。社会全体がにおいに対して過敏になる中、客に不快感を与えることは業績悪化に直結しかねないからだ。
・たばこ臭や運転手の加齢臭など、かつては不快なにおいの代名詞だったタクシー業界でスメハラ対策に積極的なのが国際自動車だ。数年前から接客マナー向上へ対策を打ち出している。 その一つが、13年から始めた消臭スプレーの全運転手への配布だ。たばこや飲食、香水など乗客のにおいが車内に残った際に客席などに噴きかけることを奨励している。「わずかでもにおいがある市販の消臭スプレーでは不快に思う乗客もいるため、無臭を選んだ」(国際自動車の田中慎次取締役)
▽歯科検診で口臭予防
・16年には健康診断で口臭予防のための歯科検診を実施した。口臭測定で一定値を上回った従業員には、歯科医院への通院を促している。さらに、車内ににおいがこもりやすい夏と冬を中心にコールセンターから運転手に換気を呼びかけるほか、朝礼時には運転手同士で対面でのにおいチェックも実施する。
・健康診断での歯科検診はコスト増加につながる。そこまでして対策に取り組むのは「ライドシェア(相乗り)サービスの台頭や自動運転の開発加速などタクシー業界を取り巻く状況が厳しさを増しており、運転手を抱える現在のビジネスモデルで生き残るためには接客力を高めるしかない」(田中取締役)からだ。「乗客からのにおいに対するクレームは激減している」と言い、効果は徐々に出ているようだ。
・人事評価にまで踏み込んでスメハラ対策を行う企業も出てきた。 例えば、メガネ販売のオンデーズ(東京都品川区)。同社では15年に国内すべての従業員の服装規定に「におい」の項目を導入、16年からは人事評価に盛り込んだ。 服装規定に盛り込まれたにおいの対応項目は多岐にわたる。勤務中のたばこや香水の禁止、昼食後の歯磨き、口中清涼錠菓や消臭剤の使用だけではない。勤務前や勤務中のニンニクやニラなどにおいが強い料理を食べない、といった細かな対策までも指示する。店舗の裏にはこうした一連の体臭・口臭対策を羅列した用紙を張り出す徹底ぶりだ。対策を怠った従業員は、半年に1度の人事評価でマイナス査定につながることもあるという。
・導入したオンデーズの明石拡士執行役員は「確かに厳しいかもしれないし、実際にたばこのにおいが原因で人事評価が下がった従業員はいる」と打ち明ける。ただ「メガネ販売は顧客との距離が他のアパレルよりも近いだけに避けられない」と話す。
▽「本人には指摘しにくい」
・企業で徐々に進むスメハラ対策だが、製造業などは接客業ほど踏み込めていない。背景には、本人ににおいのくささを指摘しにくいことがある。先に紹介したマンダムの調査でも回答者の9割以上が、「指摘しにくい」としている。汐留スタイルブックににおい対策を盛り込んだパナソニックの池田主幹も「上司であっても、部下にさすがに面と向かって指摘はできないでしょう」と話す。
・指摘すること自体がハラスメントにもなりかねない。実際、職場のハラスメント研究所の金子代表理事は「上司からにおいの強さを指摘されたことで、『傷ついた』『職場でからかわれるようになった』といった相談も出てきている」と話す。
・企業はどこまで対応すべきなのか。多田弁護士は「服装規定なら問題はないが、においが原因で懲戒処分になるなどの規定を盛り込めば過剰反応になってしまう」と指摘する。一方で、「企業は従業員に対する職場環境の配慮義務がある」(多田弁護士)。 現代社会に浮上した新しいハラスメント。企業には慎重な対応が求められそうだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278202/040400084/?n_cid=nbpnbo_mlpum

第一の記事は、パワハラ疑惑自体ではなく、師弟関係を一般的に考察したものである。 『どこで教え子や弟子と別れるか…』、 『選手と指導者はお互い様の関係で』、などはよくよく考えてみれば、なかなか難しい問題である。ただ、伊調選手や栄氏がこれからどうするのかという点は気になる。
第二の記事では、河合氏はいつもの糾弾スタイルではなく、珍しく中年男性に同情的な珍しい記事だ。  「『#me too」以降、会社も過敏になっていまして。ウワサになっただけで飛ばされるケースが出てきた。 しかも、たいがいは男性が左遷です。先日も、30代の女性が会社辞める理由を上司から聞かれ、『元カレの男性(社員)にセクハラされた』と答えたんですよ。 そしたら、その彼は大阪に異動になったんです。人事は、異動とセクハラ発言は関係ない、と説明していますが、実は彼女、ヘッドハンティングされて辞めるんです。そのことを会社に知られたくなくて、元彼をだしに使ったみたいなんです』、とのエピソードは酷いが、最近ではありそうな話なのだろう。 『男と女が自然に恋に落ちる“恋愛市場”は、経済的にも、時間的にも厳しくなった』、 『「セクハラ」という言葉がなかったときには、受け入れられた相手の不器用さや勘違いが、「セクハラ」という言葉があることで、まるで犯罪者のごとく非難され、二人だけで完結していた問題が、場外の観客席から石を投げられる問題になった』、などの鋭い指摘はその通りだ。 『ほんのちょっとでいいから言動の背後にある言葉にできない気持ちと、ちょっとだけ不器用な人たちを「もう~、しょ~がないな~」と笑い飛ばせる世の中になればいいのに、などと散りゆくサクラに語りかけるのであった』、という不器用な中年男性に理解ある河合氏の見方は、全体としてみると残念ながら少数派なのだろう。
第三の記事のスメハラまでもが問題になるとは、住み難い社会になったものだ。確かに、夏の満員電車で隣に体臭のきつい人が来て耐え難い思いをした記憶もある。ただ、基本的には臭いの問題は、お互い様と我慢すべきことだと思う。国際自動車は、ハイヤー部門だけでなく、タクシー部門でもやっているのであれば、大したものだ。メガネ販売のオンデーズが、スメハラ対策をしているのは、顧客に不快感を与えないため当然のことだろう。いずれにしても、他人への要求だけが不当に大きくなる社会というのは、考えものだ。
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公務員制度(その1)(森友問題の病根は“狂った職場”で増殖する 同期の1割を死に追い詰める霞が関の見えないパワー、公務員の「劣化」が蝕む民主主義の根幹 再発防止に向け「公務員制度改革」が急務だ、「内閣人事局が“忖度”を生む元凶である」は本当か) [国内政治]

昨日の公文書管理・公開に関連して、今日は、公務員制度(その1)(森友問題の病根は“狂った職場”で増殖する 同期の1割を死に追い詰める霞が関の見えないパワー、公務員の「劣化」が蝕む民主主義の根幹 再発防止に向け「公務員制度改革」が急務だ、「内閣人事局が“忖度”を生む元凶である」は本当か)を取上げよう。

先ずは、健康社会学者の河合 薫氏が3月27日付け日経ビジネスオンラインに寄稿しいた「森友問題の病根は“狂った職場”で増殖する 同期の1割を死に追い詰める霞が関の見えないパワー」を紹介しよう(▽は小見出し、●、+は段落)
・今日3月27日は、学校法人「森友学園」への国有地売却に関する財務省決裁文書の改ざんで、当時理財局長だった佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問が行なわれる。 「ちゃんと行なわれるのか? 大丈夫なのか?」と、原稿を書きながら心配している(現在、24日土曜日)。 私だったらムリ。あそこまで露骨に“佐川事件”(by 自民党の西田昌司・参院議員)などと責任を押し付けられたら、参ってしまう。
・「ナニ善人ぶっているんだ! 財務省が悪いんだろう!」 とお叱りを受けるかもしれない。 でも、自民党の和田政宗・参院議員が太田充・理財局長に対して、「安倍政権をおとしめるため意図的に変な答弁をしているのか」と問い詰めた(太田氏は民主党政権時に野田佳彦元首相の秘書官を務めていた)ことに対し太田氏が 「いくら何でも、いくら何でも、……いくら何でも。……私は、公務員として、お仕えした方に一生懸命お仕えするのが、仕事なんで。それをやられるとさすがに。いくら何でも、それはいくら何でも、それはいくら何でもご容赦ください」 と抑え続けられた憤りを噴出させていたのを国会中継で見て、ナニかを感じずにはいられなかった(和田氏は批判を受けて後に発言を撤回)。
・公文書改ざんという問題の本質はさておき、彼ら官僚たちをあそこまでたらしめる“目に見えないパワー”とはナンなのか? 恐ろしくなってしまったのだ。 先週(3月22日)、「官僚のメンタル休職者は民間の3倍。国会対応、政治家の理不尽に翻弄される」という記事がSNS(交流サイト)上で話題になった(詳細はこちら。)
・内容をざっと紹介すると、 +メンタルヘルスで一カ月以上休職している国家公務員(精神及び行動の障害による長期病休者数調査、非常勤職員除く)が全職員の1.26%(全産業の同様の休職者の割合は0.4%)  +自殺者は毎年40人前後(過労自殺含む)  +年間の超過勤務の平均時間は全体で235時間、霞が関本省は366時間(人事院による)  など、官僚たちの過酷な職場状況を報じた。
・記事では、社員による企業の口コミサイトのコメントも掲載している。「財務省、経産省、国交省に対して、やりがいや人材育成を評価する口コミも多く、あくまで、過酷な職場に対する一部の意見」としつつも、描かれていたのは実に“乾き切った”当事者たちのリアルだった(以下、一部を抜粋)。
●国土交通省の「退職検討理由」に関する2016年7月の書き込みより 「観光庁にいた頃、年度末残業が200時間以上(毎日深夜帰宅、土日出勤)となった時、生理が止まった。仕事が面白く麻痺していたが、真剣に退職して実家に帰ろうと思った。(在籍3~5年、現職、新卒、女性)
●財務省の入省前に「認識しておくべき事」に関する書き込みより 「本当に日本の財政に関わっていきたいのか、それは自分を押し殺してでもやりたい事なのかよく考えるべき。予算策定時期には百時間超の超勤がザラにある部署も。(在籍5~10年、現職、新卒、男性)
●2017年5月の経産省の「モチベーション・評価制度」に関する書き込みより 「政治家の理不尽な要求で省全体で大騒ぎしているところなどを見ると情けなくなる。(課長補佐、在籍15~20年、退社済み、新卒、男性)
●国交省の「入社後のギャップ」に関する2016年10月の書き込みより 誰のために働いているのかわからなくなる。上司のためなのか、議員のためなのか。議員のために働いてそれが国のためになればよいが、政治家が腐敗しているため、そうはならない。だから辞めた。(総合職、在籍5~10年、退社済み、新卒、男性)
・200時間以上の残業、自分を押し殺す、政治家の理不尽な要求、誰のために働いているのか──。官僚への切符を手に入れたときに抱いていた崇高な気持ちは彼ら・彼女たちの心の中に残っていると信じたいが、日々の業務によって心身が蝕まれていく。 官僚たちの悲痛な実態に驚くとともに、暗澹たる気持ちになった。
・今からちょうど一年前の日経新聞でも「霞が関の明かりは消えず 官僚たちの長時間労働」という記事が掲載され、働き方改革との齟齬を指摘していたことがある(以下、日経新聞より)。
 +「旗振り役の経産省以外で真剣にプラミアムフライデーに取り組む官庁はない」「働き方改革の政策づくりに取り組んでいるのに、自分たちの職場の働き方改革はなかなか進まない」(by 経済官庁幹部)
 +「就職活動ではプライベートの充実や休暇が取れるかを優先した。官僚になることは考えなかった」(by 有名私大の学生)。
・どちらの記事も「不夜城」と揶揄される霞が関の内実を指摘したものだが、 彼らに長時間労働を強いる要因は何なのか? 何のために彼らはそこまで身を捧げるのか? ポジティブとネガティブな感情に翻弄され、心身を蝕むほど仕事にコミットさせる“パワーの正体”を、今回は考えてみようと思った次第だ。
・まずは、その手がかりになりそうな一本の論考を紹介する。 タイトルは「病める官僚たちー長時間労働・過労死・過労自殺」。執筆者は明治大学大学院政治経済学研究科長の西川伸一氏で、1999年12月刊行の『政経論叢』に掲載された。 1997年の2~3月に、西川氏は内閣法制局参事官経験者の履歴を調べるために、国会図書館の資料室で毎日、『官報』を閲覧。そんなある日、「官史死亡」なるものを見つけ、驚愕する(以下、論考より)。
・「総理府○官吏死亡 社会保障制度審議会事務局総務課長永瀬誠は、四月八日死亡  敬称も付けずくやみの言葉もなく、死亡月日と死亡の事実だけを伝える冷たく乾いた活字が並ぶ。永瀬誠氏は1968年に厚生省に入省し、84年9月から88年6月まで内閣法制局第四部参事官を務め、それ以降、総理府(現内閣府)に出向していた。享年46歳。
・内閣法制局参事官といえば、主要官庁の同期入社組のなかでも一番手、二番手が出向する「昇任」ポストである。その経験者、えり抜きのキャリア官僚の在職中の急逝。死の背後に何があったのか。彼らに無念さや残された遺族のことが私の頭をよぎった」(本文より) 
・そこで西川氏は、大蔵省(現財務省)キャリア出身で京都大学経済学部教授の吉田和男氏の著書『官僚崩壊』に書かかれていた次の一節を検証すべく、中央省庁の職場環境にメスを入れることになる。 「若い人でもたくさんの主査が在職の最中か直後に死んでいる。私の年次の近いところだけでも5人も死んでいる。この10年間ほどの年次の間に主査経験したものは50人ほどであるから、一割とはきわめて高い死亡率である」(by 吉田和男)
・論考は、「不夜城・大蔵省のうめき」「長時間労働の内実」「官僚たちの墓標」と3つの“カルテ”で構成。“数字”から浮かびあがるショッキングな実態、働く人たちの証言、さらには元官僚の小説などが記述されている(抜粋し要約)。
・【カルテ1 不夜城・大蔵省のうめき】
 +(査定案は)期限が切られているから、睡眠時間を犠牲にするしかない。一日の残業時間は7時間、月200時間超。退庁は1時、2時、徹夜もざら。土日も100%出勤。11月、12月はひと月の残業は300時間超。  +“バカ殿教育”と批判される地方の税務署長勤務から戻ってきた30代の課長補佐は、出世競争にしのぎを削る。認められるためには、仕事ぶりで自らをアピールするしかない。
 +1985年6月、30歳の課長補佐が庁舎から飛び降り自殺。92年に11月、33歳の課長補佐が横須賀の観音崎灯台から飛び込み自殺。97年8月、28歳の係長が省内のトイレで自殺。98年5月、28歳係長が大蔵省の寮で自殺。
 +98年には、金融機関をめぐる接待汚職事件の調査にからんだノンキャリの職員2名が自殺。
・【カルテ2 長時間労働の内実】
 +若手は「無定量、無制限」で使われる。「国会待機」中、質問内容を教えてくれない新人議員に「あなた1人のために、3000人が待機している」と苦言を呈したとの逸話あり。
 +残業手当ては実際の残業時間の4分の1程度。残りはサービス残業(予算で決められているため)。サービス残業を厭わない理由は「国家官僚としての使命感」と口を揃える。
 +より多く仕事して認められたい、目立ちたい。エリート意識に支えられた強い出世欲がある。
 +同期入社との出世競争に勝つために「入社後10年は朝帰り」
・【カルテ3 官僚たちの墓標】
 +「過労死問題」に取り組んでいた経済企画庁経済研究所の研究官が、97年に52歳の若さで過労死。
 +99年、環境庁(現環境省)の職員が過労死。環境庁の仕事は環境意識の高まりとともに激増するも職員数は80年の895人から微増の1020人(99年度)。
 +97年、8人の官僚が自殺を図る(1人は未遂)。半分は20代、30代のキャリア官僚。
 +98年、28歳の大蔵省キャリア係長が自殺。
 +99年1月、25歳の郵政省キャリア職員が自殺。同年8月、52歳の国税庁のキャリアが大蔵省4階から飛び降り自殺。
・【処方箋はあるか】 官僚たちの過労死問題は、+人員不足 +国会審議の質問取りや答弁作成になどが大きな負担 +本来政治家がやるべき仕事を、官僚たちがやりすぎ  に起因するとし、「政治主導は、議員の甘えと官僚側の過剰適応を招いている」と指摘。 その上で、西川氏は「業務量を減らす」ことと「増員する」ことの2点が解決策と提示した。 さらに、「意識が朦朧とした状態でまともな政策など考えられるわけがない。官僚側の意識改革が必要不可欠。自分たちの職場は“狂っている”ことを自覚せよ!」 と訴えている。
・……さて、いかがだろうか。 この論考が発表された1999年から20年近くの歳月を経て、“狂った職場”は正気に戻ったのだろうか。 「戻ってない」というのが私の見解である。むしろもっと“狂った”職場になっているのではあるまいか? そもそもサービス残業が日常茶飯事であるなら正確な労働時間など分かるわけがないし、国家公務員の数は、人口比で見ると1960年代以降横ばいで、職員数の適正化が行なわれているのかどうかも疑問である。
・奇しくも、冒頭で紹介した記事で、 誰のために働いているのかわからなくなる。上司のためなのか、議員のためなのか。議員のために働いてそれが国のためになればよいが、政治家が腐敗しているため、そうはならない。だから辞めた。(総合職、在籍5~10年、退社済み、新卒、男性)  とのコメントがあったが、政治家と官僚の関係性に影響を与える構造的な問題に加え、政治家の質も疑問だ。
・長時間労働に加え、仕事上のプレッシャー、過剰な業務、時間的切迫度など、さまざまなストレス要因が重なると、「生きる力」が萎えて、過労自殺に追い込まれることはこれまでに何回も指摘してきた。 以前、メンタルを低下させて休職中の人をインタビューしたときに、 「死にたいとか、死のうという気持ちを自覚したことは一度もなかった。なのに電車がホームに入ってきたときに飛び込みそうになった。近くにいた人が咄嗟にスーツのジャケットを引っ張って止めてくれたので九死に一生を得たけど、思い出すだけ恐ろしくなる」 と話してくれたことがある。
・官僚たちの「死」は、本人のエリート意識や出世欲と関係しているのだろうか?  「官僚は政治家に仕えて当然」という政治家の傲慢さが関係しているのではないか? はたまた一部のジャーナリストたちが指摘するように「官僚の質が低下」していることが関係しているのか? いずれにせよ「公務員として、お仕えした方に一生懸命お仕えする」ことと、言いなりになることは全く別だ。
・誰もが例外なく「認められたい」という欲求を持ち、権力(=パワー)ある人が、自分に利益をもたらしてくれることを知っているけど、その先あるのは……死。パワーなき末端の人たちの命が危険にさらされるのだ。  そういえば文部科学省の事務次官だった前川喜平氏が、加計学園問題を巡り記者会見を行なったとき、某政治コメンテーターが、 「政治家は国民に選ばれている、官僚は試験に受かっただけ。政治家の言うなりになって当然」 といった趣旨のコメントをしたことがあったが、こういった欺瞞を振りかざす限り、“病い”は治らない。むしろ、官僚たちを狂わせるパワーになる。 もし、予定どおり証人喚問が行なわれたなら、佐川氏には“狂った職場”の内実を語ってもらいたい、と個人的には思っているが(……ムリか?)。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/032600152/?P=1

次に、経済ジャーナリストの磯山 友幸氏が3月23日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「公務員の「劣化」が蝕む民主主義の根幹 再発防止に向け「公務員制度改革」が急務だ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽森友学園問題は「組織ぐるみの不正」
・森友学園への国有地売却問題は、財務省の指示による決裁文書の書き換えが明らかになるという驚愕の展開となった。多くの現役官僚や官僚OBは公文書改ざんについて、異口同音に「考えられない」「あり得ない話」と語る。まさに「一線を越えた不正」である。 
・財務省は佐川宣寿理財局長(当時)個人の不正に矮小化しようとしているように見える。だが、改ざん実行までには複数の幹部が関与しているのは明らかで、局長の指示を受けたからといって疑問を挟まずに不正の実行を部下に命令するのは明らかに「組織ぐるみの不正」だ。歴史的に大きな権力を持ち続けてきた財務省、そして財務官僚の目を覆わんばかりの「劣化」である。
・もちろん、背景に政治家の指示があったとか、政治家への「忖度」があったという「理由」があるのかもしれない。だが、それとこれとは別問題。政治家に言われれば、官僚はどんな不正でも行うのか。そんなことはあり得ない。
・組織的な公文書の改ざんは、民主主義の根幹を揺るがす。都合が悪くなったら過去の文書を書き換え、国会で嘘の答弁をする。そんなことを許すわけにはいかない。では、どうやって再発を防ぐか。 不正を働けば官僚個人も官僚機構も大きな損害を被るのだ、という事を全霞が関に理解させる必要がある。徹底的に問題を追及し、関与した幹部官僚は免職、天下りも許さない。財務省には解体的な出直しを求める。そして何より必要なのが「公務員制度改革」に再び本腰を入れて取り組むことだろう。
・「安倍内閣は役人に優しい内閣ですから」。この問題が発覚する直前、民主党政権で大臣を務めた野党の幹部がこう笑っていた。 民主党は「脱官僚依存」を公約の1つに掲げ、官僚主導から政治主導へと大きく舵を切ろうとした。ところがやり方が稚拙で、政務三役(大臣、副大臣、大臣政務官)の会議から官僚を「排除」するなど、「脱依存」の意味を履き違えた。結果、霞が関も猛烈に反発、官僚機構が「非協力」を決め込んだ。民主党政権の瓦解は、霞が関の消極的反乱が一因だったと見ることもできる。
▽天下りに「理解」を示した第2次安倍内閣
・2012年末に政権を奪還した第2次安倍内閣は、一転して「公務員に優しい」姿勢を取った。第1次安倍内閣は「公務員制度改革」に本腰を入れ、霞が関の反対を押し切って、2007年に国家公務員法改正案を国会で可決させた。各省庁による天下りの斡旋禁止と、年功序列の打破が柱だった。当時の安倍内閣の閣僚たちはこの改革で霞が関を敵に回したことが、わずか1年で内閣が崩壊することにつながったと考えた。第2次安倍内閣が官僚を味方に付ける政策を取ったのは、民主党の失敗だけではなく、第1次安倍内閣の失敗の反省でもあった。
・政府系金融機関の民営化はストップ、幹部への天下りにも安倍内閣は「理解」を示した。民主党政権で大幅にカットした公務員給与も元に戻し、それ以降も賃上げを容認している。公務員制度改革の司令塔だった「国家公務員制度改革推進本部」は2013年7月に「設置期限を迎えた」という理由で廃止された。 公務員制度改革を担うはずの担当大臣も目立たなくなった。第1次安倍内閣の時は担当大臣の名称は、「公務員制度改革担当」だったが、今は「国家公務員制度担当」と「改革」の文字が抜け落ちている。まさに「名は体を表す」だ。
・そんな中で、唯一改革が進んだと見られたのが「内閣人事局」である。霞が関の幹部官僚600人の人事を一元的に行う組織で、2014年5月に生まれた。それまでの幹部人事は各省庁がバラバラに行っていた。もちろん、内閣官房長官や所管の大臣も決裁するのだが、圧倒的に各省庁の事務次官が人事権を握っていた。
・「省益あって国益なし」。日本の官僚制度の弊害はしばしばこう言われてきた。内閣官房で幹部人事を一元的に行えば、内閣の方針に従って官僚機構が動くようになる。まさに「国益第一」の組織になるというのが狙いだった。当然、首相をトップとする「官邸主導」の体制を強化することになる。
・この内閣人事局は安倍内閣以前の公務員制度改革の中で設置が決まっていたものだが、「改革派」だった安倍氏が設置のタイミングで再び首相になっていたのは因縁である。 焦点は「局長人事」だった。内閣人事局長は官房副長官が兼ねることになっている。官房副長官は3人。衆議院議員から1人、参議院議員から1人、そして事務方のトップから1人である。内閣人事局の創設当時、霞が関の多くの官僚は当然、事務方の副長官が「局長」に就任すると思っていた。それが土壇場で政治家に差し代わる。安倍首相らの強い意向があったとされる。 初代内閣人事局長は加藤勝信副長官(現・厚生労働大臣)、2代目は萩生田光一副長官(現・自民党幹事長代行)が就いた。改革姿勢を示すことにつながったのは事実だ。
・財務省の決裁文書改ざん問題で、この「内閣人事局」を批判する声が霞が関の官僚から上がっている。政治家が人事権を握ったから、政治家への「忖度」が働くようになった、というのだ。確かに、幹部官僚が官邸の意向を気にするようになったのは事実だ。自省の事務次官よりも官邸の意向を重視する例も頻発している。だが、それは政治家への忖度というよりも、官邸に詰める幹部官僚の指示という色彩が強い。一部の重要な問題を除いて首相や官房長官が直接指示を発しているケースは多くない。
▽内閣人事局で起きた「大政奉還」
・それでも霞が関が「内閣人事局」のせいで政治家への忖度が働いていると言いたいのは、旧来の官僚主導に戻したいという思いなのだろう。 では、安倍内閣は内閣人事局を使って、人事権をフルに行使しているのかと言うとそうでもない。一部の人事に政治の意向が反映されているのは間違いないが、それは事務次官が人事を握っていた当時とあまり変わりはない。
・初代の内閣人事局長だった加藤氏は財務官僚出身で、官僚の話をよく聞いてくれる霞が関でも評判が良い政治家だ。 が、その内閣人事局長人事でも、安倍内閣は後退している。3代目に就いたのは杉田和博副長官。警察庁出身の官僚トップの副長官である。いわば政治家から官僚へ「大政奉還」が済んでいるのだ。2017年8月のことだ。
・今やるべきことは、むしろ政治家が官僚機構の人事権を握るための改革を進めることだ。国益第一で政策を遂行するために、幹部官僚600人の適材適所を行う。今は難しい降格などの異動も可能にすべきだ。降格ができない現状では、ポストがあかないため、なかなか抜擢人事や民間からの登用ができない。
・天下りも厳しく規制すべきだ。日本取引所グループには金融庁長官や財務省幹部が天下っているが、東芝の上場廃止を巡って自主規制法人が「甘い」決定を下した背景には天下り官僚による「主導」があった。官邸や経済産業省など霞が関の意向が反映されたと疑われている。
・東芝の粉飾決算については証券取引等監視委員会が、東京地検に刑事事件として立件するよう求めたが、一向に実現しなかった。これも委員会が独立性の低い組織で、自ら告発できないためだ。米国の証券監視委員会のような強力な捜査権限、告発権限を持った独立性の高い組織にする必要がある。公正取引委員会と同じ、いわゆる「3条委員会」である。だが、そうした制度改革に徹底して抵抗するのは金融庁や財務省。自分たちの権限やポストが減ることに抵抗しているのである。
・不正は徹底的に追及され、処罰されるべきだ。官僚組織による「忖度」を行わせないためには、政治や社会によるチェック体制を整える必要がある。不正を働いても絶対に得をしない体制を作るべきだ。 今回の決裁文書改ざんを許してはならない。財務省解体にまで踏み込むべきだ。その上で、政治家への「忖度」が働いたことに対する政治責任を取るべきだ。財務大臣が責任を取るのは当然である。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/238117/032200073/?P=1

第三に、官僚出身で室伏政策研究室代表の室伏謙一氏が4月4日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「内閣人事局が“忖度”を生む元凶である」は本当か」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・森友・加計学園問題で「忖度」という言葉が一躍話題となった。官邸の意向を官僚が忖度したのではないかという指摘だが、その「忖度」を生む元凶が内閣人事局の存在だと言われている。それは本当なのか。元官僚の筆者が解説する。
▽内閣人事局が「忖度」を生む元凶なのか
・森友学園問題、そして加計学園問題で「忖度」という言葉が一躍流行語のようになったのはご承知の通り。 森友問題における国有財産の売却に関する決裁文書の改ざんをめぐり、「財務省の担当職員が官邸の意向を『忖度』したのではないか」という疑惑から再び注目を集めることとなった「忖度」。ついには佐川元国税庁長官の国会への証人喚問にまで至ったが、「忖度」に関する新たな事実は得られなかった。 同時に、これは「忖度」がなかったということに関する新たな事実も得られなかったことも意味している。要するに真相はまだまだ「闇の中」ということである。
・さて、この「忖度」との関係で話題となっているのが内閣人事局であり、「この組織が『忖度』を生む元凶である」と指摘されるようになってきている。 その理由は、国家公務員の幹部人事を、官邸の下、内閣人事局に一元化したことで、人事への官邸の影響力が強くなり、官邸の意向を踏まえなければ出世できない、官邸の意向に反することをしようとすれば左遷される、そうしたことを懸念して国家公務員が官邸の意向に従順に従うに止まらず、それを先回りして過剰に「忖度」するようになった、といったものである。
・確かに、なんとなくその通りであるように聞こえるが、実際はどうなのだろうか? そもそも内閣人事局とはどのような組織で、どのような経緯で誕生したのか、そういったことを紐解き、整理していくと、この問いの解が導き出されるように思われる。
▽内閣人事局は「人と組織の主計局」
・内閣人事局とは、どのような組織なのか? 内閣人事局は、平成26年の第186回国会(常会)において可決・成立した国家公務員法等の一部を改正する法律において規定され、同年5月に設立された国家公務員の人事制度を所管する機関である。 「人事」とその組織名に付いてはいるが、民間企業の人事部のように一括採用を行うわけではなく(採用試験は人事院、採用は各府省)、国家公務員の人事制度の根幹である国家公務員法を所管して制度の企画立案を行う他、幹部公務員の人事の一元的管理や、公務員の給与制度、行政機関の組織や定員管理といったことを担っている。
・簡単に言えば、各府省の幹部人事、それに組織やその在り方、職員の数をどうするのか、給与の在り方をどうするのかといったことを一手に引き受け、担っている「強大な権限」を持つ組織ということである。 少し補足すると、まず幹部人事。この幹部というのは本省の部長や審議官以上の、指定職と言われる官職のことで、上は事務次官クラスや長官まで。その人事をどうするかをこの内閣人事局が担っているわけである。
・また、政策の企画立案、そして執行には予算とともに人と組織が不可欠であるが、国の行政機関については、組織や組織の定員は法令で定められていて、簡単に部や課といった組織を作ることもできなければ、人を増やすこともできない。新しい組織を作る場合や定員を増やす場合は、根拠となる法令の改正によって手当てすることになるが、その前提として内閣人事局による査定を経なければならず、ここで認められなければ、そもそも新しい組織を作ることも定員を増やすこともできない。
・内閣人事局は「人と組織の主計局」と言ってもいい側面も持っているのである。 また、内閣人事局はゼロからいきなりできた組織というわけではない。その前身は、人事院の一部、総務省行政管理局の査定(組織や定員の管理)部門、人事・恩給局の旧人事局関係部門であり、幹部人事に関する事務等が新たに設けられてはいるものの、基本的にはこれらが統合されてできたと言っていい。 別の言い方をすれば、分散していた国家公務員人事制度に関する組織および権限を、一つの組織に集中させ、強化したということである。
▽「忖度」を生むのは内閣総理大臣や官房長官との関係?
・これだけ読むと、単に役人が権限を強化しただけで、官邸への「忖度」とはなんら関係ないかのように思われてしまう。 だが「忖度」、それも過剰な「忖度」を生む原因とされているのは、内閣人事局と内閣、特に内閣総理大臣や官房長官との関係である。 幹部職員となるためには内閣総理大臣による適格性審査を経ることとされており、その結果、幹部職員として必要な「標準職務遂行能力」を有していると判断されれば、幹部候補者名簿に掲載される。
・この名簿から各府省の幹部が任命されることになる。「適格性審査」は随時行われるので、場合によっては幹部候補者名簿から外されるということも起こりうる。こうした内閣総理大臣の権限は内閣官房長官に委任することができる。各府省の人事権者は各大臣であるが、幹部職員の人事については内閣総理大臣および内閣官房長官と協議した上で行うこととされており、幹部人事は大臣の一存で決められない仕組みになっている。
▽問題とすべきは幹部職員の「位置付け」
・このように国家公務員の幹部人事については、微に入り細に入りと言っていいほど、内閣総理大臣や内閣官房長官が関与するようになっている。 そして、こうした事務を司るのが内閣人事局なのであるが、彼らが内閣総理大臣や内閣官房長官の意を汲み取って、ある意味「忖度」して業務を進めることはあったとしても、内閣人事局という「組織の存在自体」が幹部職員を含む国家公務員における「忖度」を生んでいるというのは、こうした仕組みを正しく押さえた上で考えれば、「議論の飛躍」と考えた方がいいように思う。
・むしろ問題とすべきは、内閣人事局という組織そのものではなく、国家公務員の幹部職員人事における内閣総理大臣等の「権限の在り方」であり、幹部職員の「位置付け」であろう。 そもそも、組織の名称や在り方はともかく、国家公務員人事制度を担当する部局や行政機関の機構・定員の査定を担当する部局を、一つにまとめようという動きは過去に何度かあった。それが紆余曲折を経てなんとかカタチになったのが内閣人事局である。
・国家公務員の立場からすると、指定職への昇任を考えれば、そのためには幹部候補者名簿に掲載されることが必要となれば、その判断をする内閣総理大臣や官房長官の目を気にするというのはある種当然のことである。 ただし、国家公務員が「上の目」を気にするというのは今に始まった話ではなく、昔からある話で、「公務員の習性」のようなものであると言っていいだろう(もちろん、そうしたことを嫌う幹部や上司というのも少なくなく、反論しなければ“馬鹿扱い”といった話もあるようだが…)。
・現状での幹部職員人事への内閣総理大臣等の関与は、そうした「公務員の習性」を逆手に取ったものと言えるかもしれないが、標準職務遂行能力なるものをメルクマールとして、「幹部職員として職責を担うのにふさわしいか否か」の判断まで内閣総理大臣の権限に係らしめるのは、「やりすぎである」との批判は免れえないだろう。
・もっとも、内閣人事局の設置を含む国家公務員制度改革は、元々は内閣としての政策の企画立案から執行までを効率的に行うのみならず、その効果を最大限発揮させることを企図して検討が進められてきたものであり、国家公務員の幹部職員人事について、内閣総理大臣がある程度強い権限を持つことについては、否定されるべきものではない。
・一方で、内閣とのある種の一体性を考えるのであれば、幹部職員はこれまでどおりの一般職ではなく、身分保障のない、各府省の人事から切り離された「特別職」とすべきであり、そうなれば職員自らがリスクを取ってその職に就くことになるため、「忖度」による弊害の生じる余地は限りなく小さくなるはずだ。 実際、例えばフランスの大臣官房の幹部職員はそうだし、日本でも、これまでに退路を絶って政務の総理秘書官や大臣秘書官(いずれも特別職)に自ら転じた例はある。 幹部職員を特別職とすることを含む国家公務員法の改正案を立案し、国会に提出したのはかつての民主党である。
・しかし、日本の国家公務員の幹部職員の人事制度では幹部職員は一般職であり、これまでの人事に内閣総理大臣等が強く関与するようになっただけのような形であれば、今後の自らの人事、処遇を懸念して、過剰な「忖度」や「忖度」による弊害が生じるのは「自明の理」とも言えるのではないか。
・「特定の組織」を悪者に仕立て上げるというのは世の常のようなところもあるが、つまるところ、「内閣人事局悪玉論」は的外れで、元凶ではないということであり、そこだけをあげつらっても国家公務員の「忖度」問題、過剰な「忖度」による弊害は解決しないだろう。 そもそも、それらを完全になくすことは不可能であろう。
・そうした前提に立って、現実的な視点から「忖度」による弊害が極力起こらないようにするためには、主要な幹部職員の特別職化や、特別職である幹部職員の人事を対象にした内閣総理大臣の権限の在り方の適正化等、国家公務員制度自体の見直しを考えるべきではないだろうか。
http://diamond.jp/articles/-/165626

第一の記事で、 『「官僚のメンタル休職者は民間の3倍。国会対応、政治家の理不尽に翻弄される」という記事・・・+自殺者は毎年40人前後(過労自殺含む)  +年間の超過勤務の平均時間は全体で235時間、霞が関本省は366時間(人事院による)・』、や主要省庁の口コミサイトのコメントも驚くほどの酷さだ。また、 『吉田和男氏の著書『官僚崩壊・・・「若い人でもたくさんの主査が在職の最中か直後に死んでいる。私の年次の近いところだけでも5人も死んでいる。この10年間ほどの年次の間に主査経験したものは50人ほどであるから、一割とはきわめて高い死亡率である」・・「不夜城・大蔵省のうめき」「長時間労働の内実」「官僚たちの墓標」と3つの“カルテ”』、も予想以上の酷さだ。ただ、 『国家公務員の数は、人口比で見ると1960年代以降横ばいで、職員数の適正化が行なわれているのかどうかも疑問である』、との指摘に対しては、職員数の問題ではなく、政治家への過剰サービスをどれだけ交通整理するかのマネジメントの問題だと思う。
第二の記事で、 『第2次安倍内閣が官僚を味方に付ける政策を取ったのは、民主党の失敗だけではなく、第1次安倍内閣の失敗の反省でもあった・・・唯一改革が進んだと見られたのが「内閣人事局」である』、というので、確かにそんなこともあったなと記憶が呼び覚まされた。 『不正は徹底的に追及され、処罰されるべきだ。官僚組織による「忖度」を行わせないためには、政治や社会によるチェック体制を整える必要がある。不正を働いても絶対に得をしない体制を作るべきだ』、との主張はその通りだ。
第三の記事で、 『内閣人事局は「人と組織の主計局」』、ではあるとはいっても、 『「内閣人事局悪玉論」は的外れで、元凶ではないということであり、そこだけをあげつらっても国家公務員の「忖度」問題、過剰な「忖度」による弊害は解決しないだろう。 そもそも、それらを完全になくすことは不可能であろう。 そうした前提に立って、現実的な視点から「忖度」による弊害が極力起こらないようにするためには、主要な幹部職員の特別職化や、特別職である幹部職員の人事を対象にした内閣総理大臣の権限の在り方の適正化等、国家公務員制度自体の見直しを考えるべきではないだろうか』、と主張しているが、違和感を感じる。というのも、公務員に求められる政治的中立性と、政治家との関係などをもっと深く検討することが先決だと思うからである。こうした角度からの分析が出てくれることを期待したい(ないものねだりになるかも知れないが)。
タグ:室伏謙一 第2次安倍内閣が官僚を味方に付ける政策を取ったのは、民主党の失敗だけではなく、第1次安倍内閣の失敗の反省でもあった 公務員に求められる政治的中立性と、政治家との関係 内閣人事局は「人と組織の主計局」 「「内閣人事局が“忖度”を生む元凶である」は本当か」 公文書管理・公開 「若い人でもたくさんの主査が在職の最中か直後に死んでいる。私の年次の近いところだけでも5人も死んでいる。この10年間ほどの年次の間に主査経験したものは50人ほどであるから、一割とはきわめて高い死亡率である」( 「病める官僚たちー長時間労働・過労死・過労自殺」 吉田和男氏の著書『官僚崩壊』 +自殺者は毎年40人前後(過労自殺含む) 「公務員の「劣化」が蝕む民主主義の根幹 再発防止に向け「公務員制度改革」が急務だ」 (その1)(森友問題の病根は“狂った職場”で増殖する 同期の1割を死に追い詰める霞が関の見えないパワー、公務員の「劣化」が蝕む民主主義の根幹 再発防止に向け「公務員制度改革」が急務だ、「内閣人事局が“忖度”を生む元凶である」は本当か) )、「官僚のメンタル休職者は民間の3倍。国会対応、政治家の理不尽に翻弄される」という記事がSNS(交流サイト)上で話題 磯山 友幸 唯一改革が進んだと見られたのが「内閣人事局」 メンタルヘルスで一カ月以上休職している国家公務員(精神及び行動の障害による長期病休者数調査、非常勤職員除く)が全職員の1.26%(全産業の同様の休職者の割合は0.4%) 西川伸一 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 公務員制度 内閣人事局で起きた「大政奉還」 河合 薫 「森友問題の病根は“狂った職場”で増殖する 同期の1割を死に追い詰める霞が関の見えないパワー」
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公文書管理・公開(その2)(公文書管理の専門家が問う「森友文書改ざんの根本にある問題」、この国のずさんすぎる「公文書管理」、陸自イラク派遣日報 “絶妙タイミング”で発見公表の狙い) [国内政治]

公文書管理・公開については、昨年8月5日に「公的情報管理・公開」として取上げた。今日は、タイトルを部修正した、(その2)(公文書管理の専門家が問う「森友文書改ざんの根本にある問題」、この国のずさんすぎる「公文書管理」、陸自イラク派遣日報 “絶妙タイミング”で発見公表の狙い)である。

先ずは、NPO法人情報公開クリアリングハウス理事長の三木 由希子氏が3月17日付け現代ビジネスに寄稿した「公文書管理の専門家が問う「森友文書改ざんの根本にある問題」 「異例」「特殊」で片付けてはいけない」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・森友文書の改ざん問題が連日大きなニュースとなっている。これを「異例」「特殊」とするかぎり、大問題の根っこは見えてこない――情報公開や公文書管理の数少ない専門家である、NPO法人情報公開クリアリングハウス理事長・三木由希子氏が、論点を整理するとともに今後必要とされる議論の方向性を示す。
▽なぜここまでの改ざんが行われたのか…
・財務省が、森友学園との契約に関連する決裁文書の「書き換え」をしていたことを認め、調査結果を3月12日発表した。 書き換えていたのは、森友学園との契約に際しての決議書(決裁文書)の一部である調書(契約の経緯等を説明したもの)と、書き換えた内容と不整合にならないよう関連する決裁文書の調書だ。
・調査結果は全部で80ページあり、昨年2月下旬から4月にかけて書き換えた決裁文書14件の特定と、どの部分を書き換えていたのかがわかる書き換え前と後の対照表が発表された。 調査は職員からの聞き取り、職場のパソコンに残っていたデータの精査、大阪地検の保管する文書の写しの提供を受けるなどで実施し、内容の異なる複数文書を確認したという(時事通信「価格交渉の記述削除=200項目超で改ざん-森友文書問題」2018年3月12日)。
・また、改ざん前の決裁文書が存在する可能性は、5日の段階で国土交通省から官邸に報告があり、菅官房長官は6日に報告を受け、安倍首相も承知していたと報じられた(朝日新聞「改ざんの可能性、事前把握認める 菅氏「首相も承知」」2018年3月15日)。
・その一方で、8日の時点で財務省は近畿財務局にあるとするコピーを国会に出したが、それは改ざん後の文書だった。 また、安倍首相は改ざんの報告を受けたのは11日と14日の参議院予算委員会で答弁し、改ざん文書の把握の時系列の情報も、刻々と変わっている。
・なぜ「改ざん」が行われたのかは、調査結果では示されていない。 結果公表後に、麻生財務大臣が理財局の一部の職員が行ったことと強調し、「佐川の国会答弁に合わせて書き換えたのが事実だ」「最終責任者は(当時)の理財局長の佐川だ」と話したと報じられている(毎日新聞「<森友文書改ざん>麻生氏「最終責任者は当時の佐川局長」」2018年3月12日)。
・安倍首相は12日午後の会見で、「なぜこんなことが起きたのか、全容を解明するため調査を進めていく」と述べており、今後、さらに調査することが表明されている。 両方の発言を踏まえると、先に辞任した佐川国税庁長官の理財局長時代の責任であることを軸に、調査が行われることになるのだろう。
・このままだと、調査を進める前から、最終責任者が決め打ちされた調査になりそうで、どの程度意味があるか大いに疑問だ。 財務省から独立した調査を行った方が、それなりの理解が得られる調査結果になるのではないかと思うが、残念ながらそうなりそうにもない。
・朝日新聞が3月2日に決裁文書の書き換えの可能性を報道してから10日目にして、ようやく財務省が改ざんを認めたわけだが、正直なところ、ここまで多くの文書と箇所で行っていたとは想像していなかった。 国会議員に提示を求められた決裁文書から、具体的な交渉経緯や案件の背景を主に削除しており、これが1年前に公開されていれば、森友学園問題はまったく違った展開になっていただろう。 結局、国会議員に改ざんした文書を提供してごまかしてきたことになる。 また、この1年の間に衆議院選挙もあった。森友学園問題の経緯を具体的に明らかになっていれば、情報を得て判断する機会が私たちにはあったはずだが、それが奪われたことになる。
▽改ざん問題と公文書管理法との関係
・財務省による決裁文書の改ざんは、やってはならないこととわかっていながらやったわけで、異例の事態だが、「異例」とだけしてしまうと、ひとつの特殊な事例で終わってしまう。 森友学園問題はこの問題として何らか始末をつける必要があるが、普遍的な問題・課題が何かも併せて考える必要があるので、少し整理してみたい。
・改ざん問題が明らかになって以来、公文書管理法との関係がたびたび論点として挙がっているが、この法律自体に改ざんを防止するための仕組みが用意されているわけではない。 電子行政文書については、改ざんが容易であるということもあり、情報セキュリティ対策として改ざん防止措置が求められているが、あくまで政府活動によって発生する行政文書を管理するための仕組みだ。
・目的としているのは、行政文書を通じて政府が説明責任を果たすということ。行政文書が発生したら、それがそのまま残っているのが当たり前というのが、この制度の前提になっている。 この関係をもう少しかみ砕くと、行政文書は政府活動の結果発生するものなので、政府活動の質が悪かったり、適切性や合理性に欠けたり、一般に理解を得られないようなものであると、その影響が避けられない。
・それが、なるべく記録しないようにしたり、短期間で廃棄しようとしたり、行政文書として保存せず個人メモとしたり、過剰に非公開にしたり隠ぺいしたりと、行政文書の質や管理や公開を通じて顕在化するという関係になる。 森友学園問題では、契約内容の妥当性が経緯から疑われれば、文書改ざんを引き起こす原因になる。
・そのため、情報公開法や公文書管理法にも問題があるが、それだけで解決しようとするのは無理がある。 政府活動の質や健全性を高める、適正性を確保し、政府が信頼されるための努力をすることが、遠回りのようで、政府の説明責任が行政文書によって果たされるためには必要になってくる。
・ ちなみに、よく日本の公文書管理法と比較されるアメリカの記録管理法体系では、日本でいう国立公文書館と内閣府を合わせた権限を持つ、国立公文書記録管理局(NARA)の権限が強力であることや規模が大きいことが指摘されているが、NARAが政府活動そのものを監督するわけではない。
・例えば、各連邦政府機関には総括監察官がおり、独立的な監察機能を担い、NARAも必要に応じて連携している。 また、公益通報者保護法、不正請求防止法のような仕組みや、議会による連邦政府機関の活動の監視、予算管理局による活動管理、強力な証拠開示手続など、記録管理とは別に政府活動の質や適正性、不正防止、問題の是正のための仕組みや責任が問われる仕組みがある。加えて、分厚い市民社会組織がある。
・だから問題がないというわけではなく、問題はあるが、政府活動の質を高め適正化を図り、責任を課す仕組みの中で、記録管理がより機能させられる一面があるだろう。 日本は、こうした政府活動の質を高める、適正化を図る、問題を是正するための仕組みや機能がぜい弱であり、ほとんどないと言ってもよい。
・森友学園問題で改ざんしたのも、もとをただせば貸付・売却契約に無理をしているから、あるいは一般に理解されないものであったからと考えると、決裁文書の扱いでその問題が顕在化したので、むしろ国有地処分の適正性を確保しないと、同じことが起こり得る構造が残る。
・決裁文書は、組織としての意思決定を行った証拠文書であるにもかかわらず、改ざんを行ったと思われる背景を制度面から推測すると、決裁文書の調書を廃棄ではなく改ざんとしたのは、ある種の「つじつま合わせ」という一面があるとみることもできる。
・財務省文書取扱規則は決裁文書について、「起案の趣旨、事案の概要及び起案に至るまでの経過を明らかにした要旨説明を案文の前に記載するとともに、重要と認められる部分又は問題点があるときは、要旨説明の中その他の適当な場所に明記する。」(13条3号)と定め、「決裁文書は、関係資料を一括し、容易に分離しないようとじる。」(13条7号)ともしている。 この種の規則は公文書管理法制定前からあるもので、以前から決裁文書には事案の概要と経過をつけ、一括して管理していることになっている。
・この事案の概要や経過を説明したものが、今回改ざんされた調書だ。規則で定められているので、調書を取り除くことはできないので、廃棄ではなく改ざんしたとも言えるだろう。
▽決裁文書は修正できないのか
・では、決裁文書は修正できないのかという質問もこの間、何度も受けてきた。 基本的には、組織として意思決定を終えているのでできないだろう。 可能性があるとすれば、例えば、経緯に誤字脱字など軽微な間違いがあったような場合は、紙文書であれば後から手書きで修正が施される程度のことはあるかもしれない。 また、電子決裁のシステムがあるが、そこで決裁してシステム的に管理されると、修正は簡単ではないはずだし、履歴が残る。
・重要な点に間違いがあれば、決裁のやり直しで、新たに起案がされて決裁を行わなければならないだろう。そうならないために、複数の職員が決裁手続では内容を確認し、確認後に押印していくことになる。 情報公開請求で公開される決裁文書には、担当者の起案内容に上司が手書きで修正が入れられているものもある。多くの手が入ると起案文書が見にくくなるので、こういう場合は清書をする手続が規則上設けられていたりする。
・だからこそ、今回の改ざん問題は、常識的にはあり得ないことが起こっているというほかない。 決裁文書の改ざんは、もっぱら情報を削除したものだ。 貸付や売却契約に至るまでの国会議員からの陳情、契約相手方の森友学園からの働きかけ、小学校の認可前からの交渉になった理由、土地の所有者である国土交通省とのやり取りなどの経緯、特例的な契約であることが調書から消えている。
・決定したことはわかるが、多くの具体的な経緯が削除されており、なぜこのような契約になったのかという本来の背景がほとんどわからなくなった。
・公文書管理法は、国会での法案修正で、意思決定だけでなく、意思決定の「過程」を合理的に跡付け検証できるよう文書の作成を義務づける規定になった。決定の結果だけでなく、その経緯が重要だからだ。 これを筆者なりに解釈すると、どのような経緯であったかは、決定の意味合いや意義、位置づけ、解釈に影響するので重要だということになる。 改ざんは、森友学園への貸付や売却契約の意味合いや位置づけを歪め、政府にとって都合のよいものに作り替えたことになる。
▽プロセスを検証する必要性
・ただ、今回は改ざんという極端な形で表れているため、ある意味わかりやすく顕在化しているが、政府にとって都合のよいように行政文書が作られることは、珍しいことではない。 政策決定の際に、決定の妥当性や正当性を示す資料や経緯は行政文書として比較的長期残されるが、異論や他の選択肢、決定とは異なる方向性を示すデータなどは、短期で廃棄されたり、決定過程の一連の文書として管理して残されないことは珍しくもない。
・何を残して残さないかという点では、常に情報が操作的に扱われる可能性はある。 どのようにプロセスが記録されるべきか、ということを試行錯誤しないと、例えば改ざんしないで済むように内容の薄い調書をつくる、というような形骸化、形式化を招くことになる。
・今回の改ざん問題では、誰が改ざんしたのかと、誰が指示したのか、そもそも指示があったのかが今後の一つの焦点になるだろう。 誰かに焦点化すると、それは近畿財務局の職員になるだろうし、指示をしたとすると理財局の誰かということになるだろう。
・しかし、改ざんは、当時の佐川理財局長や安倍首相の答弁とつじつまを合わせるために行われたとする報道もある。 前述の通り、麻生財務大臣は佐川氏の責任と決め打ちをしているようだが、昨年問題が表面化した際、財務省は契約経緯の詳細な調査をしようとせず、森友学園側から記録や情報などが出てくると、その範囲だけ確認して答弁をすることを繰り返してきた。
・少なくとも佐川氏が国会でそのような答弁を繰り返してきたのは、独断ではなく政治的にそれを良しとしてきたからに他ならない。 佐川氏や近畿財務局、理財局の職員にも問題はあることは間違いないが、職員にのみ責任を取らせるような結果になったら、それは政治が行政に守られている、あるいは政治が行政を盾にして保身を図っていることになる。 それは本末転倒だ。調査を指示しなかったことも、答弁内容を良しとしてきたことも、政治的責任の範囲だろう。
・また、刑事罰に該当するのかという焦点もある。筆者は刑法に専門的知見があるわけではないが、刑法の規定を見る限り、虚偽公文書作成等罪に該当する可能性は、完全に否定できないと思う。 刑法156条は、「公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書若しくは図画を作成し、又は文書若しくは図画を変造したときは、印章又は署名の有無により区別して、前二条の例による。」と定めていて、「行使の目的」には、虚偽の文書を真正のものと他人に認識させ、認識させ得る状態に置くことを指すようなので、該当するようにも読める。
・しかし、今回の改ざんは情報を削除していて、文書に虚偽を記載したわけではないので、これをどう判断するのかという問題になるだろう。 ただ、刑事罰に該当するかどうかにのみ焦点化すると、刑事罰に当たるか否かという狭い範囲で問題が追及されることになる。 刑事罰該当性はそれで追及されるべきだが、検察は犯罪か否かの捜査をして該当すれば起訴などするが、それ以上のことをするわけではない。
・政府は犯罪行為や違法でなければ何をしてもよいというものではなく、政府活動には適切性や正当性、妥当性が問われるからこそ、説明責任が求められている。 この視点からも森友学園問題と、その問題の発端である国有地処分の仕組みの適切性など、プロセスそのものを検証する必要があるし、そのプロセスが適切性を欠いていることが文書改ざんを引き起こしたのであれば、その問題を解決する必要がある。
▽決裁文書ではわからないこと
・ところで、今回の文書改ざんで削除された内容を見ると、特別に新しい事実が含まれているわけではない。 すでに、森友学園側から出ていたこと、昨年3月に明らかにされた鴻池参議院議員事務所の陳情整理報告書、大阪府の文書、今年1月になって一部が公開され、2月に追加で公開された近畿財務局内での法律相談書などからわかっていたことが多い。
・国会議員の名前や首相夫人の名前も削除されているが、これも新しい事実とまでは言えない。はたして大きなリスクを抱えてまで改ざんをしなければならないことだったのだろうか。 削除された箇所を通して、森友学園への国有地貸付・売却案件が政治案件であるという前提で処理が進められていたことは、よくわかる。
・2015年5月に貸付契約が締結されているが、それに先立ち2月の段階の特例承認の決裁文書の調書には、冒頭の事案の概要に「※本件は、平成25年8月、鴻池祥肇議員(参・自・兵庫)から近畿局への陳情案件」と書かれている。 鴻池議員陳情案件だという認識であったことは示され、複数の国会議員からの陳情、籠池氏が日本会議大阪代表・運営委員をはじめ諸団体に関与し、日本会議の説明の中で麻生財務大臣が特別顧問、安倍首相が副会長に就任していること、森友学園への国会議員の来訪状況がまとめられている。 資料からは、鴻池議員陳情案件として契約処理しているが、森友学園の背景から現政権と直結しているという認識を持っていたことまでは理解ができる。
・それではどこでどういう力が働いたのかまでは、今回出てきた決裁文書だけではわからない。 特に、最終段階で大幅な値引きをして売却するに至る部分は、森友学園側が損害賠償の可能性を出して交渉していたことがわかる記述が中心だ。 毎日新聞によると、約8億円の値引きの根拠となった地中の埋設物を実際より深くあると見せかける報告書を作成したと、業者が大阪地検に証言していることがわかったという。
・森友学園や近畿財務局側から促されたとも記事にあり(毎日新聞「森友「ごみ報告書は虚偽」 業者が証言「書かされた」」2018年3月16日)、徐々に何が起こっていたのかがわかるような情報が順次明らかにされつつある。 言い換えると、改ざん文書でも全貌がわからないわけだから、財務省が1年未満の保存期間であるから廃棄済だとする交渉記録が核心に迫る記録であるということになるだろう。
・これについても、先般自殺が報じられた近畿財務局の職員が残したメモに、「資料は残しているはずでないことはありえない」と書かれていたと報じられており(NHK「「森友」 自殺した職員がメモ 「自分1人の責任にされてしまう」」2018年3月15日)、まだ先のある話になりそうだ。
・ただ、改ざんされた決裁文書の調書に「※本件は、平成25年8月、鴻池祥肇議員(参・自・兵庫)から近畿局への陳情案件」と書かれているのを見ると、国有地処分には同様に政治家案件があるのではないかと思われる。 森友学園が特例、特殊とするとその範囲の議論に終わるが、この問題はもとは国有地の処分プロセスが適当かどうかという問題も含んでいることは、前述の通りだ。
・国有地処分には同様の政治家案件が相当あるとすると、森友学園問題の特殊性にだけ焦点が当たっている限りは、それ以外の案件に延焼しないで済むので好都合ということもあり得るのではないだろうか。 現在、財務省の財政制度審議会国有財産分科会で、公共随契を中心とする国有財産の管理処分手続等の見直しを検討している。1月19日の会議を最後に開催されていないが、こちらも注目していく必要がある。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54859

次に、専修大学人文・ジャーナリズム学科教授の山田 健太氏が3月31日付け現代ビジネスに寄稿した「この国のずさんすぎる「公文書管理」〜だから問題が繰り返される サービスから義務への転換が急務だ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・森友文書改ざんが大問題になっている。日本の情報公開・文書管理制度は現在どのような状態にあるのか? なぜ日本の政治家は「大事な情報」を残さないのか? 山田健太・専修大学教授(言論法/ジャーナリズム研究)が考察。
▽日本社会の行く末を占う大問題
・直接的には3月2日の朝日報道に始まった公文書改ざん・書き換え問題は、いまや大きな社会的話題になっている。 一方で、「佐川を呼んでもやっぱり何も出てこなかったじゃないか」「役人なんてどうせ文書を書き換えるのが仕事なんだから」「いまは盛り上がってるけど所詮は打ち上げ花火で、どうせあと1ヵ月もすればもとの鞘に戻るに決まってる」など、巷には<やっぱり>や<どうせ>の諦め感が強いのも、また事実だ。
・しかしこの問題は、こうした<訳知り顔>で終わらせてしまうには、あまりにももったいない。 しかも政局話ではなく、曰く付きの土地をめぐる日本維新の会等をめぐる政治の闇にどこまで迫れるのか、政権がここ15年着実進めて来た教育改革の象徴である愛国教育が、社会にどのような歪みを産んで来ているのか。  ――これらは単に森友学園の問題でも、首相夫人を通じ官邸に忖度があったのかどうかでは済まない、いまの日本社会の少なくとも政治選択の行く末を占う、大きな問題だからだ。
・そのとっかかりの一つが、佐川宣寿・前国税庁長官の国会喚問であったということにすぎない。 なぜ書き換えたのか、そもそもなぜ大幅値引きをしたのか、それらに官邸・政治家からの指示はあったのか、から解明が始まることもまた確かではある。 そして書き換えが自身の意図だとすれば、その直前の国会答弁でなぜ、相当にグレーな言い方で誤魔化そうとしたのか。
・少し古い言い方をあえて使うならば、公僕としての国家公務員であった者として、きちんと正直に語る必要があるのは言うまでもない。墓場に持って行くほどの秘匿すべき国家秘密があったとすれば、それはそれで由々しき問題である。 これらの解明は、喚問で終わったのではなく、まだ端緒についたばかりだ。
▽情報隠蔽体質を変えることができるか
・そしてもう一つの重要なポイントが、官僚による公文書の廃棄・改ざん体質や政治家の情報隠蔽体質を、ここで変えることができるのかどうかである。日本の民主主義を占ううえでは、この課題が一番重いとも言える。
・2001年に情報公開法が施行されたが、この法律は日本では稀有な市民発の立法である。公害や政治疑獄の根絶を願う多くの市民の熱い想いが、はじめは各地の条例に、そして最終的には法律として結実した。 知る権利が明文化されなかったり、適用除外の基準が曖昧であるなど、満点ではないものの、それなりに当時の世界標準の内容であったと言えよう。
・しかしそれから20年弱、社会環境も市民意識も大きく変わったものの法律は一度も改正されることなく、いまや世界の中で周回遅れの内容に成り下がっている。 そればかりか、ジャーナリズムや市民からの批判があるたびに、官公庁の対応はより巧妙に情報を隠す方向に働き、状況は悪化している側面も少なくない。今回は、その象徴的な事例でもあるのだ。
・そしてこうした広義の情報公開制度の、もう一つの柱である文書管理制度も不十分なままだ。 本来なら車の両輪である情報公開法から遅れること10年、2011年にようやく施行された公文書管理法。その冒頭に掲げられている「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用しうるものであることにかんがみ、国民主権にのっとり」法を定めるとの崇高な法目的とは、大きくかけ離れた運用実態が続いている。
・中央官庁の最近の行状だけでも、自衛隊の南スーダンPKO日報問題で、防衛省は貴重な記録をいとも簡単に廃棄し、また保有していることを国民の目から意図的に隠した。 厚労省は、労働関連一括法案の議論に都合の良い結果を導くため、公文書を作成する段階でデータを意図的に作っていたことが明らかになった。 明らかにケアレスミスを超える意図的なデータ操作であって、仮に違法でなくても法の趣旨に明確に反する文書管理だ。
・作る段階でも作った後も、役人は文書を正確に残すことよりも、自分たちの都合の良い文書にすることを考えている実態が浮かび上がってくる。
▽役人は公文書破棄に躊躇ナシ?
・そしてこれはいまに始まったことではない。 たとえば、1972年の沖縄返還に伴う日米両政府間の密約文書は、外務省が今後の外交交渉のためにも当然に保有し続ける必要がある文書であろうが、少なくとも2008年段階では廃棄されていることが明らかになっている。 実際、情報公開法が施行される2001年直前、そして公文書管理法が施行される2011年直前に、外務省、防衛省を始め、多くの省庁で大量の文書が廃棄されたことが確認されている。
・役人は、今も昔も重要な公文書を自らの保身のために廃棄することに、なんら躊躇がないかの態度を示し続けているということだ。 そこには、行政文書は国民共有の財産である、という意識は残念ながら見られない。
・もちろん、役人が自らの仕事を正当化するために、あるいはよりよく見せようとする気持ちがあるのは自然だ。 それが高じて、できれば隠したいと思うこともあるだろう。あるいは、たとえば会議記録の発言を、少し丸めて記述することもあるに違いない。 しかし、組織で仕事をする以上、記録を残すのは絶対であるし、可能な限り正確な記録を残すことは公務員としての義務である。
・したがって、一度確定させた記録(決裁文書)を自分たちの都合からあとで修正することはあってはならないし、ましてや勝手に捨てることは絶対に許されない行為であるはずである。 しかし、そうした基本動作が未だ理解されていないということになる。自分たちの行為をなかったことにすることは、後に、その行政の決定を見直したり、検証したりしようと思った際にも、その基礎資料が存在せず、意思決定過程が未来永劫わからないままという事態を招くからだ。
・これを逆に考えれば、いま官公庁が行政文書を残しているのは、自分たちの都合の良い情報の限り、自分たちの存在価値を示すためだからということになる。 したがって公文書管理法があろうとなかろうと関係なく、いらないと思えば捨てるし、必要と思えば書き換えるのだろう。 ただし、公務員の全てがそう考えているとは思わないし、むしろ大多数の公務員は、少なくとも決められたルールはキチンと守って仕事をしていると信じたい。
・そうであるからこそ、その最低限の歯止めのルール化が意味を持ってくる。何か問題が生じた際に、おかしいとの声をあげやすいような根拠規定ということだ。 さらに言うならば、行政機関(官)と政治家(政)の関係の透明性を高めるためにも、ルールを作ることは必要だし、それは行政への政治関与を衆人環視によりチェックする効果を生むはずだ。
・現行の規定では、極めて限定的な特殊な場合(「働きかけ」によって大臣に報告すべき特別な事情があった場合など)にのみ記録化することが義務付けされている。 今回の森友でも加計でも、国会議員の要請や、政務三役からの指示、さらには首相補佐官や参与、政務秘書官や首相夫人秘書などの行動記録が、公文書として残っていたら、様々な疑問は解決するはずだ。
・しかし、これらの記録はほぼ何一つ残っていないのである。働きかけがあったかどうかの記録はおろか、その行動記録さえも残されていない。 そしてこうした「残さないこと」は、政官の間では暗黙の了解よりも以前の当たり前のこととして慣習化されてきたわけで、だからこそ「残すルール化」はされてこなかった。 しかしまさにいま、その「当たり前」が問題とされ、根本から見直す必要性が問われている。
▽サービスなのか義務なのか
・しかし現実に立ち戻るならば、いま財務省をはじめ多くの官庁での実態は、公文書は国民の共有財産であり、その公開は当然の帰結という考え方とは、大きなズレが生じることになる。 すなわち、文書をきちんと残し、それを整理・分類して保存・保管し、国民の開示請求に誠実に応えてオープンにするという一連の所作は、本来の仕事ではないということになりかねないからだ。 別の言い方をするならば、庶民への施しとして、プラスアルファの仕事としてやっている余計なサービス、ということになる。
・このサービス意識を転換し、官庁には自らのやったことに対する説明責任があり、その記録を残し国民全体と共有することは義務であるとの意識になってもらわなければならない。 このサービスか義務かの差は行政全体を巣食っている極めて大きな問題である。中央官庁で昨年問題になった、通産省における各部屋の施錠問題も同じ発想があると思えるからだ。
・通産省はこれまで、各部屋のドアを原則開けたままにしていたが(多くの省庁は現在でも、開けっ放しか、少なくとも施錠はしていない)、現在では固く扉を締め施錠もし、勝手に入室できないようにルールを変更した。また、取材応対者を限定し、その応対記録を上官にあげることも通達している、とされる。
・こうした「情報コントロール」は職務上の秘密を保護する観点から当然というが、果たしてそうか。 もちろん、保安上でも秘密漏洩の防止のうえからも、一定の管理が必要な点は認められる。 しかし一律禁止をすることは、単に情報の漏えいを防ぐという意図を超え、情報のコントールを強化することで、すなわち「知らしむべし寄らしむべからず」の20世紀型行政国家の姿勢そのものであり、明らかな悪しき先祖返りと言えるだろう。
▽大事な情報は残さないという伝統
・こうした発想は例えば、記者会見をするかどうにも端的に現れる。多くの中央官庁では大臣等の定例会見を実施している。また、各地方自治体でも、首長の会見は定例もしくは報道機関側の要請に従うのが慣例だ。 しかしいま、そのルールが崩壊しつつある。 自治体の長は、自分が言いたいことを言うのが会見の場だと認識をし、記者に会いたくないときは開かない、質問は認めない、などの挙に出ることが少なくないからだ(例えばつい最近も、米軍基地建設で揺れる辺野古の地元である、名護市の新市長は定例記者会見を廃止した)。
・そしてこうした恣意的な会見開催の行動パターンは、自治体だけではなく首相自らが実行しているほか、各政党の党首や幹事長にも見られる状況だ。 ここには、記者会見は国民の知る権利を具現化する場であり、行政情報開示の観点から適切なタイミングで、国民(住民)の代表としての記者を前に、自ら施策を説明するのは法的義務であるとの意識は微塵も見られないと言うことになる。
・もちろん、日本では取材する権利の反射的なものとして、取材応諾義務が明示的に法律のなかで認められてはいない。 しかし一方で、取材の自由や知る権利が憲法上の権利として認容され、情報公開制度が整備される中で説明責任が明文化され、記者クラブの存在意義と機能・役割が判例上認められてきていることを鑑みれば、一定の条件はつくとしても事実上の応諾義務があると考えるのが自然である。
・むしろ、ない、あるいは制約があるというのであれば、それを立証するのは行政側の責任である。 そして同じ体質が政治家にも巣食っている。言いたくないこと、質問されたくないことがあるときは会見を開かない、大事な情報は残さないという伝統だ。
・実際、大事な会議ほど情報が残されない仕組みがある。例えば、閣議、皇室会議は議事要旨の公開はあっても、議事録の公開はないどころか、記録の存在すらないとされている。 同じく、安全保障会議も議事録を作成しない会議の1つであって、それらの理由は「大事な会議だから」だ。
・日本では、大事なことであればあるほど記録に残さない、国民に説明する必要はない、との政治家の思い込みが正当化され、社会慣習として定着しかかっているのである。 それゆえに今回の公文書の危機をきっかけに、こうした「誤った認識」を一掃し、真の開かれた政府を実現し、政治を国民の手に取り戻すことが必要だ。
・しかもそれはお題目ではなく、具体的な制度整備によって実現する必要があり、まずは目に見える問題である公文書の改ざんは絶対に許されないという、文書管理の基本から見直していかなければならない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55042

第三に、4月3日付け日刊ゲンダイ「陸自イラク派遣日報 “絶妙タイミング”で発見公表の狙い」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・稲田朋美元防衛相の国会答弁は「虚偽」だったということだ。小野寺五典防衛相は2日、政府がこれまで国会議員らに「存在しない」と説明していた陸上自衛隊のイラク派遣の日報の存在が確認されたことを明らかにした。 見つかったのは、2004~06年の派遣期間中に作成された計約1万4000ページ。昨年の南スーダン国連平和維持活動(PKO)日報の隠蔽問題を受けて調査した結果、陸上幕僚監部衛生部などで保存されていたことが確認された。
・日報は現地の情勢はもちろん、当時の陸自の動きなどを詳細に記した重要な“公文書”だ。この日報について、昨年2月の衆院予算委で、民進党の後藤祐一議員(現希望)が南スーダンPKO日報問題の関連で「イラクの派遣のときの日報が残っているかどうか」と質問。 これに対し、答弁に立った稲田氏は「お尋ねのイラク特措法に基づく活動の日報については、南スーダンPKOと同様の現地情勢や自衛隊の活動内容を記録した現地部隊の日報については、確認をいたしましたが、見つけることはできませんでした」とキッパリ言い切っていたのだ。
▽目的は改ざん疑惑打ち消し?
・小野寺大臣は「可能な限り捜したが、その時点では確認できず、不存在と回答していた」と説明し、稲田答弁に問題ナシみたいな口ぶりだったが冗談じゃない。これが許されるのであれば、都合の悪い資料はとりあえず「見つからない」と言ってシラを切り、ほとぼりが冷めた頃に「ありました」というインチキ答弁が続出しかねない。国会質疑は成り立たず、答弁内容そのものの信用性も失われてしまうだろう。
・不思議なのはなぜ、このタイミングでイラク派遣の日報発見が公表されたのかということだ。 実は小野寺大臣は、もうひとつ「重要」な内容に触れている。共産党の穀田恵二国対委員長が衆院外務委で指摘した、防衛省の内部文書をめぐる改ざん疑惑だ。統合幕僚監部が12年7月に作成した文書で、小野寺大臣は同じ表題の文書が2つ見つかったと公表したのだ。小野寺大臣は改ざんの意図は否定していたが、どうにも怪しい。
・「共産党が指摘した通りの同じ表題の2つの文書が見つかり、財務省に続いて防衛省でも……となれば政権はグダグダ。そこで、改ざん疑惑を打ち消すために『イラク日報が出てきた』と明かしたのではないか」(防衛省担当記者) 要するに今も防衛省の「隠蔽体質」は変わっていないということだ。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/226371/1

第一の記事で、 『調査を進める前から、最終責任者が決め打ちされた調査になりそうで、どの程度意味があるか大いに疑問だ。 財務省から独立した調査を行った方が、それなりの理解が得られる調査結果になるのではないかと思うが、残念ながらそうなりそうにもない』、確かに企業の不祥事では第三者委員会に調査させるのが一般化してきたが、政府部門ではまだのようだ。 『改ざん文書でも全貌がわからないわけだから、財務省が1年未満の保存期間であるから廃棄済だとする交渉記録が核心に迫る記録であるということになるだろう。 これについても、先般自殺が報じられた近畿財務局の職員が残したメモに、「資料は残しているはずでないことはありえない」と書かれていたと報じられており(・・・)、まだ先のある話になりそうだ』、まだ「先」が残されているのであれば、楽しみだ。
第二の記事はより本格的な分析だ。 『日本社会の行く末を占う大問題・・・これらは単に森友学園の問題でも、首相夫人を通じ官邸に忖度があったのかどうかでは済まない、いまの日本社会の少なくとも政治選択の行く末を占う、大きな問題だからだ』、と改竄や森友問題だけでなく、より根本的な問題が問われているとの指摘には、新鮮で説得的だ。 『役人は公文書破棄に躊躇ナシ?』、 『大事な情報は残さないという伝統・・・閣議、皇室会議は議事要旨の公開はあっても、議事録の公開はないどころか、記録の存在すらないとされている。 同じく、安全保障会議も議事録を作成しない会議の1つであって、それらの理由は「大事な会議だから」』、など隠蔽体質がここまで深く根付いているとの指摘は強烈だ。簡単な法制強化で済む話ではなさそうだが、それでも、一歩ずつでも前進していくべきだろう。
第三の記事で、 『統合幕僚監部が12年7月に作成した文書で、小野寺大臣は同じ表題の文書が2つ見つかったと公表したのだ。小野寺大臣は改ざんの意図は否定していたが、どうにも怪しい・・・改ざん疑惑を打ち消すために『イラク日報が出てきた』と明かしたのではないか』、こうなったら、イラク日報隠蔽問題と改竄問題も徹底的に究明すべきだろう。
タグ:共産党の穀田恵二国対委員長が衆院外務委で指摘した、防衛省の内部文書をめぐる改ざん疑惑だ。統合幕僚監部が12年7月に作成した文書で、小野寺大臣は同じ表題の文書が2つ見つかったと公表したのだ 目的は改ざん疑惑打ち消し? 「陸自イラク派遣日報 “絶妙タイミング”で発見公表の狙い」 日刊ゲンダイ 閣議、皇室会議は議事要旨の公開はあっても、議事録の公開はないどころか、記録の存在すらないとされている。 同じく、安全保障会議も議事録を作成しない会議の1つであって、それらの理由は「大事な会議だから」だ 大事な情報は残さないという伝統 役人は公文書破棄に躊躇ナシ? 情報隠蔽体質を変えることができるか 日本社会の行く末を占う大問題 「この国のずさんすぎる「公文書管理」〜だから問題が繰り返される サービスから義務への転換が急務だ」 山田 健太 情報公開法や公文書管理法にも問題があるが、それだけで解決しようとするのは無理がある。 政府活動の質や健全性を高める、適正性を確保し、政府が信頼されるための努力をすることが、遠回りのようで、政府の説明責任が行政文書によって果たされるためには必要になってくる 「公文書管理の専門家が問う「森友文書改ざんの根本にある問題」 「異例」「特殊」で片付けてはいけない」 現代ビジネス 三木 由希子 (その2)(公文書管理の専門家が問う「森友文書改ざんの根本にある問題」、この国のずさんすぎる「公文書管理」、陸自イラク派遣日報 “絶妙タイミング”で発見公表の狙い) 公文書管理・公開
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働き方改革(その14)(日本人が働き方改革で心がけるべき「助け合い成果主義」とは?、無責任トップがはびこる末の「息子の自殺」 電通や野村不動産だけが「異常な職場」じゃない、働き方改革「議論やり直すべき」 専門家はプロセス疑問視) [経済政策]

働き方改革については、3月2日に取上げたが、今日は、(その14)(日本人が働き方改革で心がけるべき「助け合い成果主義」とは?、無責任トップがはびこる末の「息子の自殺」 電通や野村不動産だけが「異常な職場」じゃない、働き方改革「議論やり直すべき」 専門家はプロセス疑問視)である。

先ずは、マイクロソフト シンガポール シニアマネジャーの岡田兵吾氏が3月9日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「日本人が働き方改革で心がけるべき「助け合い成果主義」とは?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽働き方改革議論で広まり始めた実力主義・成果主義への不安
・3月に入って早々、安倍首相が働き方改革関連法案の柱の1つだった「裁量労働制拡大」を法案から切り離し、今国会での成立を断念したニュースが話題を呼んだ。そのこともあり、いま巷では「働き方改革」の在り方が大きな話題になっている。
・「働き方改革」と言えば、日本ではよいイメージで捉えられることが多かったが、それが実現することによって生じる課題も多いということを、今回の裁量労働制を巡る議論は改めて世の中に問いかけた。 そんな「働き方改革」によって生じる課題の1つとして語られることが多くなったのが、「グローバル社会でスタンダードになっている個人主義・成果主義が日本企業に浸透することにより、職場に混乱が生じるのではないか」というものだ。働く時間・場所・方法などがより個人の裁量に委ねられるようになると、「自分の仕事が終わったら早々に帰る」「他人の仕事を手伝わない」といった、個人の成果や利益しか考えないビジネスパーソンが増えるのではないか、というのだ。そうした未来を憂慮する記事を目にすることもある。
・しかし、実際のグローバル社会の現場の様子は、そんな日本人の思い込みとはまったく異なっている。グローバル企業で働くビジネスパーソンがもし前述のような仕事のやり方をしようものなら、おそらくその人は一般スタッフ以上に昇進できないだろうし、最悪の場合クビになってしまうだろう。
・こうして偉そうに語る筆者も、実は以前はそんなことにまったく気がつかず、徹底した個人主義・成果主義こそがグローバルな働き方だと信じて、我が道を進んでいた。 シンガポールに転職したばかりの頃も、「自分がいかに素晴らしい経験をしてきて、特別なスキルを持っているか」を周囲に見せつけることばかりを気にかけながら働いていた。自分さえ評価してもらえたらいいと思っていたのだ。
・しかし、とりわけ筆者が現在勤めているマクロソフト・シンガポールでは、これはまったく意味のない行為でしかなかった。なぜなら転職採用であっても、人事部、上司になる人、同僚になる人、仕事の関係者、希望部署の大ボスと、職場のあらゆる立場の人たちと最低5回の面接を繰り返すので、採用が決まった時点で、すでに新しい職場の関係者に自分の能力を認められているからだ。
・それなのに入社してからも、ことあるごとに「自己アピール」を繰り返していると、新しい職場の人たちからは「付き合いにくい」「自分の領域を脅かす敵」などと思われてしまう。こうした人は、得てして自分の弱みを周囲に見せまいと見栄を張りたがるものだが、万一仕事で失敗してしまったとき、絶対に助けてもらえないだろう。一度も失敗せずに仕事を続けられる人間はいない。いくら個人主義・成果主義の世界といえども、いざというときに助けてもらえる環境づくりはリスク管理の側面からも必須になってくる。
・また、高い成果を目指す仕事となれば、同じ部署の同僚や他部署の関係者とワンチームになって働くことも多い。会社やチームにとっても利を生む行動こそが、大きな貢献を生み、結果として個人の高い評価につながるのだ。
・筆者がワンチームで周囲の人と助け合って働くようになったのは、シンガポールでは転職が多く、仕事自体もどんどん他国へ移管されることが日常茶飯事だったからだ。同じメンバーで同じ仕事を続けたいと思っても、自分ではコントロールできない外的要因で、チームの仕事がなくなることも多い。こうした流動的な環境下で生き残っていくには、チームで働ける間にベストな仕事をこなし、周囲の人と信頼や人脈を築き、次の仕事やポジションを確保できるよう助け合う必要があるのだ。
▽グローバル企業こそ お互いの文化や考えを尊重し合う
・シンガポールはアジアのハブと言われるように、マイクロソフト・シンガポールでもたくさんの異なる国籍のメンバーが働いている。シンガポールオフィスには、60ヵ国以上の国籍の人々が働いているし、筆者もいままでに15ヵ国の国籍のメンバーをマネージしてきている。
・このような多国籍メンバーと一緒に働くと、文化・価値観が違うので、どうしても受け入れ難い他者との確執が生じる。しかし確執は外国人だけでなく、日本人同士であっても生まれるものだ。他者と助け合いワンチームとなるなら、確執なく上手くやっていきたいと思うのは、グローバル社会でも同じだ。
・グローバル社会には、ちゃんと他者との確執を緩和してくれる言葉が存在する。「Assume Best」だ。「違っているから批判する」のではなく「相手には相手なりの考えがあってベストな対応を尽くしてくれている」といった意味合いの言葉だ。この言葉を聞いてから、筆者は人を批判するより先に「この人なりにベストな考えを言ってくれたのだろう」と感謝できるようになった。
・徹底した個人主義・実力主義のグローバル社会で生きる人々は、特別な価値観や文化を持っていても、個々の異なる文化や考えを尊重し合っているのだ。日本人同士であっても、他者との違いを尊重する働き方、人との接し方が求められることは同じなのだ。
▽筆者が「ジャパニーズ・エルビス」と外国人から呼ばれている理由
・くだらない例えだが、筆者は外国人から「ジャパニーズ・エルビス」と呼ばれることが多い。海外では「リーゼントヘア」という言葉が一般的でないので、筆者がエルビス・プレスリーに憧れて同じ髪型にしていると誤解されるのだ。いくら訂正しても、外国人は大ウケ、大喜びしてハイテンションで接してくるので、こちらの言い分を聞き入れてもらえない。
・筆者のリーゼントは、ゴッドファーザーや日本の任侠映画に出てくる男たちに感銘を受け、「男の生き様」を貫く覚悟で始めた髪型なので、まったくもって不本意に思う。しかし外国人の価値観では「リーゼント=エルビス」だから仕方がないため、あえて「ジャパニーズ・エルビス」と呼ばれることに甘んじている。
・これは異なる価値観を持つ両者の間で、どちらか一方がもう片方の価値観に合わせた例だが、仕事の現場なら、それぞれの違いを認め、考慮した上で、相手に合わせるのではなく共存・共栄することが重要だ。そして、仕事の目的を共有し合ったら、1人だけがヒーローとなるのではなく、ワンチームでヒーローになって輝くことが求められる。
▽1人だけ活躍するのではなく皆で輝くのが「グローバルの仕事」
・日本人だけとは言わないが、日本人は同一民族であっても、自分と他人を比較することが多いと思われる。自分だけが目立って成功することを考えるのではなく、各々がユニークに輝ける方法に、もっとこだわってみてはどうだろうか。そうすることで、あなた自身ばかりかあなたの周囲も輝き出し、互いに成長を助け合えるはずだ。
・シンガポールの小学校では「Everyone is special in their own way」(誰もが、それぞれ異なる魅力がある特別な存在である)と教えている。グローバル社会では、この言葉を基礎としているからこそ、異なるバックグランドの人たちが集まり、ダイバーシティの環境で仕事をし、ビジネスシーンを変えるようなイノベーションが生み出され続けているのだ。
・日本人は、「働き方改革」で個人主義、成果主義が浸透して職場が混乱するといったネガティブな意見に振り回されることなく、ビジネスは変化することで好転することも多いと前向きに捉えて欲しい。そして誰もが特別であることを理解する一方、これまで以上にワンチームで輝けるよう、周囲を巻き込み、ビジネスの可能性を最大化させることを願っている。 STAY GOLD!(注)  
(注)「いつまでも輝く」「輝き続ける」といった意味合いで用いられる言葉

次に、健康社会学者の河合 薫氏が3月13日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「無責任トップがはびこる末の「息子の自殺」 電通や野村不動産だけが「異常な職場」じゃない」を紹介しよう(+は段落)。
・いったい何人の尊い命が奪われれば、この国のお偉いさんは目を覚ますのか? いったい何組の家族が涙すれば、企業経営者は「自分の責任」を自覚するのか? いったい何故、メディアは不倫報道はしつこくやり続けるのに、過労自殺はあっさりとした扱いになるのか?
・感情的な書き出しになってしまった。 森友学園への国有地売却にからむ疑惑で財務省近畿財務局の男性職員が自殺していた事件も気になるところだが、今回注目したのは、野村不動産の50代の社員が過労自殺に追い込まれていた事件である。
・裁量労働制をめぐる国会での議論でも野村不動産の事件は取り上げられ、過労自殺の事実を厚労省が(事前に)「知っていたのか?いないのか?」という点ばかりにフォーカスが当たり、本質的なことがまるで議論されていない。とてもとても、残念に思っている。
・本来であれば「事前に知って」いようとも、「報告を受けてない」だろうと、これまで進めようとしていた事案を再考すべきだ。ところが、
 +1日の中で一定の休息時間を確保(インターバル制度)
 +労働時間の上限設定
 +2週間の休日
 +臨時の健康診断の実施
のいずれかひとつを実施、という「こんなのあったり前じゃん!」な健康確保措置の強化策でさえ、「裁量労働制を拡大しないのなら止めちゃお?!」とするというのだ。
・残念というか、悲しいというか。 今回の“事件”は、裁量労働制のそもそもの問題を解決する絶好のチャンスなのに…。 過労死や過労自殺という言葉は、死語にしなきゃいけないのに。 この国の“お偉いさんたち”が、過労死や過労自殺に正面から向き合う気がないことを痛感させられ、憤りを感じている。
・しかも、これは氷山の一角でしかない。 裁量労働制を違法に適用。その違法の末の過労自殺──。 本来なら企業が払うべき代償が、働く人の「命」にすり替わっている。 経営者の方にお聞きしたいです。 「あなたのお子さんが、勤め先の企業で違法労働を強いられ、命を絶ったときでも、『生産性を上げろ』と言い続けることができますか?」と。
・ということで、今回は「裁量労働制のホントの問題」について書きます。 では、まずは“事件”の概要から。  裁量労働制で働いていた野村不動産の男性社員(50代)が2016年9月に過労自殺していた。これを東京労働局が労災認定していたことが分かった。 男性は2017年末、野村不動産が「裁量労働制を違法に適用していたとして是正勧告を受けた」うちの一人で、“違法発覚”は、男性の家族が2017年春に労災を申請したのがきっけかだった。
・野村不動産は全社員約1900人のうち、約600人に裁量労働制を適用。課長代理級の「リーダー職」と課長級の「マネジメント職」に就く30~40代が中心で、その多くは営業戦略の企画・立案と現場での営業担当だとされている。
・過労自殺した野村不動産の男性社員は、転勤者の留守宅を一定期間賃貸するリロケーションの業務を担当し、東京本社勤務だった。 2015年秋ごろから長時間労働が続き、頻繁に休日出勤もするなど、ひと月の残業時間は180時間超。2016年春には、体調を崩して休職。その後、復職し、同年9月に自殺。入居者の募集や契約・解約、個人客や仲介業者への対応などにあたり、契約トラブルへの対応で顧客や仲介業者からの呼び出しに追われていたそうだ。
・現行では「営業職」は裁量労働制の対象から外れているので「違法」だが、今国会で先送りになった拡大が認められれば「合法」となる。 「法人である顧客の事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析を主として行うとともに、これらの成果を活用し、当該顧客に対して販売又は提供する商品又は役務を専ら当該顧客のために開発し、当該顧客に提案する業務(主として商品の販売又は役務の提供を行う事業場において当該業務を行う場合を除く)」(by 提出される“予定だった”法律案、該当記述は10ページ目)
・ちなみに、2016年には大手医療機器メーカーのメドトロニック(2度にわたる是正勧告)、2017年には損保ジャパン日本興亜で裁量労働制の違法適用が発覚している。 労働問題に詳しい弁護士さんや関係者に話を聞いたところ、 「国会に提出された裁量労働制拡大を先取り、違法適用している企業は多い。特に損害保険業界は実質的に導入している」とのこと。
・つまり、この国の経営者の中には、違法に残業労働をさせているだけではなく、端っから「労働基準法なんて関係ないね?」という人たちが一定数、存在しているのである。 裁量労働制拡大の議論が紛糾したときに 「いやいや、今のご時世『ブラック企業』なんてレッテル貼られたら人材確保できないから、法律を悪用する企業なんてないよ」 と豪語する人たちがいたけど、その方たちにこの事件の見解を伺ってみたい。
・改めて言うまでもなく、裁量労働制は「時間」ではなく「成果」で賃金を決める制度だ。そして、裁量制は本来「会社に行かなくてもいい自由」が認められている。 実は、ここにこそ「裁量労働制」の本質的な問題がある。 「結果を出さなきゃ」「良い仕事をしなきゃ」という思いが強くなればなるほど、人は自ら長時間労働する矛盾した心を持つ。仕事の要求とプレッシャーが高まるほど、“働き過ぎ”に過剰適応してしまうのだ。そして、必死になればなるほど視野狭窄になり、逃げ場を失っていく。
・仮にそのような状態に陥っても、「職場」にいれば救われるチャンスがある。 上司や同僚たちが、 「最近ちょっと根をつめ過ぎだぞ。休め」 とブレーキをかけてくれることもあれば、 「どうした? 何か問題があるのか?」 と手を差し伸べてくれることだってあるかもしれない。 優秀な上司であれば、 「ボク(ワタシ)があとの責任は持つから、これ以上、お客さんの無茶な要求に応える必要はない。断りなさい」とストップをかけてくれることだって期待できる。
・でも、裁量労働制という「好きな時に、好きな場所で働ける」環境が、その可能性のすべてを奪い去る。  そこに残るのは「上司からのプレッシャー」のみ。 「あれはどうなった?」 「まだ終わってないのか?」 「早く決めろ!」 「結果を出せ!」 etc etc……。
・疲れ果て、ギリギリの状態で踏ん張っている人には、上司の言葉や態度のすべてがプレッシャーとなる。いわゆる“パワハラ”。そう。パワハラによって、ますます窮地に追い込まれていくのである。 友人の突然の自殺をきっかけに実例を追い、“過労自殺”という言葉を作った川人博弁護士が、 「どの事例も、自殺の半年から1年前は長時間残業、休日出勤が繰り返されたことに加え、納期の切迫やトラブルの発生などにより精神的に追いつめられていた」(『過労自殺』より) と指摘する通り、過労自殺をなくすには、長時間労働の撲滅に加え、パワハラ規制が絶対的に必要なのだ。
・ところが日本には「パワハラ防止措置を義務付ける法律」が、存在しない。 厚生労働省では、2011年度からパワハラ対策の議論をスタートし、翌年にはワーキンググループを立ち上げ、パワハラ防止を法律に盛り込むことを訴え続けている。 ところが、企業側が反発しているのだ(以下は朝日新聞より引用)。
 +「上司が適正な指導すらためらってしまう懸念もある。まずはガイドラインで企業の自主的な取り組みを促すべき」(経団連 布山裕子労働法制本部上席主幹)
 +「ガイドラインが現実的な対応だ」(日本商工会議所 杉崎友則産業政策第二部副部長)
 +「大企業は法制化で画一的な対策を押しつけられていることに嫌悪感が強い。中小企業の経営層には『強めの指導が許されなければ、営業成績が落ちる』など心配する声がある」(労働ジャーナリスト 金子雅臣氏)
・なるほど。ガイドラインね。 指導、現実的、業績が落ちる、とのたまう方たちは、ワーキンググループが、2012年にパワハラを定義し、類型化した真意が分かっているのだろうか(こちら)。 「あなたたちの問題なんですよ」と経営者層に自覚してほしかったのですよ。 パワハラに悩み、傷つき、生きる力をも失った人たちに関わってきた専門家たちが、さまざまな角度から議論を重ねた結果、企業とそのトップが、「パワハラをなくそう!」と積極的に取り組むことが欠かせないと考えたからにほかならない。
・つまり、パワハラは個人だけの問題ではない。会社、すなわち環境の問題だ、と。 だからこそ、欧米には「パワハラを規制する法律」が存在し、企業に予防・禁止措置を課した厳しい規制を設けているのだ。 労働基準法を逸脱し過労自殺者を出した電通は、労働基準法違反罪に問われ50万円を支払った。過労自殺の背景にパワハラがあろうとも、それを罰する法律がない以上、たった50万円。それしかペナルティーは科せられないのである。
・「経営の足かせになる」「指導の支障になる」と反対しているトップたちに、ワーキンググループの思いは届いているのだろうか? ストレスの雨にびしょ濡れになっている社員には、『強めの指導』が刃と化し、生きる力まで奪っていくことを本当に分かっているのか。
・長時間労働は睡眠不足を招き、思考力の低下、注意力散漫をもたらす。自分でもどうにかしなきゃと思っているときに、上司からのプレッシャー(=パワハラ)がかかると、前しか見えなくなる。「成果さえ出せば、結果さえ出せばいい」と自己暗示をかければかけるほど、暗闇に入り込む──。
・繰り返すが、過労自殺のほとんどに「パワハラ」などのストレス要因が深く関係しているのは、まぎれもない事実なのだ。 そもそも裁量労働制は、「時間じゃなく成果」というけれど、「成果」で評価されるためには、「時間」で評価されていたとき以上に時間に拘束される。
・フリーランスの私は完全なる裁量労働制で働いているので、そのことを嫌と言うほど実感している。 朝4時にベッドから起きてそのままパソコンに向かい、深夜遅くまで仕事漬けになることもあれば、わずか5分のテレビ出演のために、1週間近くも時間をかけることもある。1000字ほどの原稿を書くために、何日間も時間を費やすことだってある。
・もちろん就業時間が決まっている会社員ではないので、真っ昼間に買い物に出かけたり、平日にゴルフに行ったりすることだって可能だ。だが、そういう自由な時間を持つことは、想像以上に難しい。そんな「自由」を満喫できているフリーランスなんて、本当に、マジで、稀な存在なのだ。
・突っ込みが入る前に自分で言っておきますけど、これは私の能力が不足していることが問題なのかもしれない。私は個人事業主なので、すべては自己責任。求められる成果を出せなければ、ジ・エンドとなっても仕方がない。仕事の「成果」で評価される働き方を選んだ以上、その仕事に投入した「時間」の多寡は他人には関係ない。
・だが、過労自殺した人たちが所属するのは、会社だ。会社員なのだよ。 会社=COMPANY(カンパニー)は、「ともに(COM)パン(Pains)を食べる仲間(Y)」こと。つまり、会社とは、「(食事など)何か一緒に行動する集団」であり、一緒にパンを食べる人に救われ、元気をもらい、「もう無理!」と思った時でも仲間がいれば、最後まで踏ん張れることもあるはずなのだ。
・その一緒にパンを食べる人とのつながりを育むのが、“時間”であり“空間”だ。 日本の会社には、ジョブディスクリプション(職務記述書)がない。 日本の会社は、たとえ社員がパワハラで死にいたろうとも罰する法律もない。 日本の会社の経営者の一部は、現在の労働基準法すら守っていない。
・今回は先送りになったとはいえ、こんな状況で裁量労働制も何もあったもんじゃないし、高度プロフェッショナル制度も時期尚早だ。 1週間当たりの労働時間を35時間に規制しながらも、職場のモラハラ(パワハラ)で過労自殺が問題になっているフランスでは、モラハラの被害者(労働者)は2つの形で会社に賠償要求することができる。 1つ目は、加害行為そのものに対する賠償。2つ目は、会社の予防義務違反に対する賠償である。つまり、「パワハラは職場の問題」という前提が存在しているのだ。
・一方、損害は、労働者側が証明しなくてはならないという点では、日本の労災裁判と同様である。だが、有罪の場合は、2年間の実刑判決か、最大3万ユーロ(約400万円)の罰金が科せられる。日本とは大きな違いだ。 現場あってこその企業であり、人あってこその経営なのに……
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/031200150/

第三に、3月26日付け日刊ゲンダイが掲載した労働研究者で法大教授の上西充子氏へのインタビュー「働き方改革「議論やり直すべき」 専門家はプロセス疑問視」を紹介しよう(▽は小見出し、Qは聞き手の質問、Aは上西教授の回答、+は回答内の段落)。
・一強に驕り、デタラメの限りを尽くしてきた安倍首相も、ついに虫の息だ。暗転の始まりは、働き方改革関連法案をめぐる国会審議だった。裁量労働制拡大について、データのインチキが発覚。法案から裁量労働制部分の全面削除に追い込まれたが、もともと8本の改正案を一本化したこの法案は問題だらけだ。
・「スーパー裁量労働制」とも呼ばれる高度プロフェッショナル制度(高プロ)は輪をかけて悪質な代物だし、残業時間の上限規制や同一労働同一賃金の実現にも穴がある。当初からこの法案の危険性を問題視していた労働研究者で法大教授の上西充子氏に聞いた。
▽「高プロ」の対象は全ホワイトカラー、週5日24時間働かせ放題
Q:問題となった「裁量労働者の労働時間は一般労働者よりも短い」という安倍首相の答弁は、厚労省の「平成25年度労働時間等総合実態調査」を根拠にしていた。その比較データの異常さを早くから指摘されていました。
A:見る人が見れば、明らかにあのデータはおかしかった。調査結果そのものではありませんし、公表されていない数字を引っ張り出して都合よく足し算し、本来比較すべきではないものを比べていたのです。裁量労働制の労働時間を短く見せかけるために、おかしな計算やおかしな比較をするなんて、やってはいけないこと。野党の追及にシラを切り通そうとしたのもア然でした。
Q:安倍首相は「(答弁案は)厚生労働省から上がってくる。それを参考にして答弁した」「担当相は厚生労働相だ。すべて私が詳細を把握しているわけではない」と釈明しました。
A:「働き方改革は一億総活躍社会実現に向けた最大のチャレンジ」と言って、今国会を「働き方改革国会」とまで名付けたのに無責任過ぎます。加藤厚労相は2016年8月から働き方改革担当相を務めていて、いまも兼務です。2人とも16年秋から17年春にかけて開かれた諮問会議「働き方改革実現会議」の主宰者なのに、どちらの答弁も不誠実ですよ。
+働き方改革はボロボロの法案です。だからこそ、ズル賢い一括法案という手法を使って国会に上げ、うわべを取り繕って聞き心地のいい言葉を繰り返して通そうとしたのでしょう。政府がデータ問題にこだわったことで狡猾さや悪質さが浮き彫りになりました。
Q:野党は、裁量労働制同様に長時間労働を助長するとして、高プロの削除も求めていますが、応じる気配はありません。
A:安倍首相は長時間労働の是正や同一労働同一賃金の実現を声高に訴えますが、本当にやりたいのは財界の要望である裁量労働制拡大と高プロ創設なんです。05年に経団連が提言した「ホワイトカラーエグゼンプション」が前身の高プロは、労働基準法の労働時間に関する規制をすべて外すもので、新たに残業の上限規制が設けられたとしても適用されません。
+「4週間を通じ4日以上かつ1年間を通じ104日以上の休日を与える」という健康確保措置が企業に義務付けられますが、1週間のうち休日を2日与えれば、残りの5日は24時間働かせ続けられるトンデモない制度です。
Q:適用されるのは年収1075万円以上の金融ディーラーなどの専門職で、対象は数%程度といわれています。
A:対象業務は法案成立後に省令で定められるものですし、年収要件は実績に基づきません。すでに1075万円以上を稼いでいるサラリーマンだけが対象になるわけではないのです。
Q:もっと年収の低い人も対象になる可能性があるということですか?
A:そうです。厚労省が昨年9月に発表した「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案要綱」では対象者をこう定義しています。 〈使用者との間の書面等の方法による合意に基づき職務が明確に定められていること〉 〈労働契約により使用者から支払われると見込まれる賃金の額を一年間当たりの賃金の額に換算した額が基準年間平均給与額の三倍の額を相当程度上回る水準として厚生労働省令で定める額以上であること〉
+ポイントは〈見込まれる〉と〈一年間当たりの賃金の額に換算した額〉というくだりです。年収ベースで1075万円以上の月収が見込まれれば、高プロの対象にすることができます。
▽1075万円以上の年収要件は「見込み」、1カ月契約もOK
Q:1075万円を12カ月で割ると月収約90万円です。雇用形態についてはどうですか?
A:有期契約にも適用できます。法案要綱には〈一年間当たりの賃金の額に換算した額〉としか書いていないので、月額90万円以上を支払えば1カ月の短期契約でもOK。1カ月契約のお試し雇用で激務をさせ、それに耐えられるか見極めてから契約期間を延長したり、正規採用に切り替える、なんてことも可能になります。
Q:そこまで幅広い解釈ができるとは思いませんでした。企業側にとって高プロは使い勝手がいい。
A:今だったら、そんな企業に出くわしたらみんな逃げ出すでしょう。安倍首相は高プロ対象者は「会社に対する交渉力が相当違う」と言っていますが、あらゆる企業が高プロを始めてしまったら逃げ場がなくなる。
Q:繁忙期の残業を過労死ラインの100時間未満まで認めるなど、残業時間の上限規制も抜け穴があります。
A:100時間は長すぎます。緩すぎる例外を設けたら、それが許される基準になりかねない。過労死問題に詳しい川人博弁護士も大反対していますよね。労災認定基準の80時間を超える時間外労働を認めたら、労災認定のハードルが上がり、損害賠償訴訟も難しくなる可能性がある。国がお墨付きを与えた格好になってしまいますから。
Q:同一労働同一賃金はどうですか。
A:法案要綱に「同一労働同一賃金」という言葉は入っていませんし、どれほど実現されるかは不透明です。正規雇用と非正規雇用では責任の度合いや配置転換の範囲が異なる点なども考慮されるので、実質的な賃金格差はあまり埋まらないのではないでしょうか。
Q:掛け声だけで何も変わらない?
A:変わる可能性があるのは手当の部分です。正規雇用者に交通費や食事手当を支給している場合は、非正規にも同額を支払いなさい、という流れになるでしょう。それがかえって手当の縮小を招く懸念もある。パートやアルバイトにも払う必要が生じるのなら、手当そのものをやめて両方ゼロで均等にしよう、食事手当分を失う正規雇用者には賃上げでフォローしましょう、と。そうなったら、非正規の処遇改善にはつながりません。
▽導入すべきは労働時間の客観管理とインターバル規制
Q:安倍政権のやることはアベコベばかりですね。本来目指すべき働き方改革はどんなものでしょうか。
A:労働時間の客観的管理とインターバル規制の導入は必須です。16年にまとめられた野党4党案にはこの2項目が入っていたのですが、政府の働き方改革法案ではまったく触れていません。労働時間の客観的管理がなされなければ、いくら上限を設けてもゴマカシはきく。裁量労働制や高プロのような例外を設けず、あらゆる人の労働時間把握をキチンと行い、適正な賃金支払いはもちろん、健康確保にも生かさなければなりません。
+EUでは「24時間につき最低連続11時間の休息時間」を義務化する「勤務間インターバル規制」を定めています。心身健康で仕事に打ち込み、労働生産性の高い高付加価値のある働き方をするには、毎日の休息確保が必要です。月ごとに残業時間の上限規制を設けるだけでは不十分なのです。
Q:今の法案ではまったくダメですね。
A:そもそも、働き方改革法案の政策プロセスの正当性にも疑問があります。公労使三者構成で労働行政を議論する労働政策審議会に諮られていますが、労働者代表委員は裁量労働制拡大も高プロも「認められない」としてきた。それがドタバタの中で「おおむね妥当」という答申に集約された経緯がある。労政審に差し戻し、一から議論をやり直すのが筋です
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/225610/1

第一の記事で、マイクロソフト シンガポール といえども、チームプレーが求められるようだ。 『グローバル社会には、ちゃんと他者との確執を緩和してくれる言葉が存在する。「Assume Best」だ。「違っているから批判する」のではなく「相手には相手なりの考えがあってベストな対応を尽くしてくれている」といった意味合いの言葉だ。この言葉を聞いてから、筆者は人を批判するより先に「この人なりにベストな考えを言ってくれたのだろう」と感謝できるようになった』、 『シンガポールの小学校では「Everyone is special in their own way」(誰もが、それぞれ異なる魅力がある特別な存在である)と教えている。グローバル社会では、この言葉を基礎としているからこそ、異なるバックグランドの人たちが集まり、ダイバーシティの環境で仕事をし、ビジネスシーンを変えるようなイノベーションが生み出され続けているのだ』、なるほど。しかし、日本企業とのギャップは大きく、グローバル化にはまだまだ課題がありそうだ。
第二の記事で、 『過労死や過労自殺という言葉は、死語にしなきゃいけないのに。 この国の“お偉いさんたち”が、過労死や過労自殺に正面から向き合う気がないことを痛感させられ、憤りを感じている』、というのには同感だ。 『「国会に提出された裁量労働制拡大を先取り、違法適用している企業は多い。特に損害保険業界は実質的に導入している」』、野村不動産だけでなく、かなり広がりがあるというのは、驚かされた。 『日本の会社は、たとえ社員がパワハラで死にいたろうとも罰する法律もない。 日本の会社の経営者の一部は、現在の労働基準法すら守っていない。 今回は先送りになったとはいえ、こんな状況で裁量労働制も何もあったもんじゃないし、高度プロフェッショナル制度も時期尚早だ』、というのも正論だ。
第三の記事で、 『「働き方改革は一億総活躍社会実現に向けた最大のチャレンジ」と言って、今国会を「働き方改革国会」とまで名付けたのに無責任過ぎます。加藤厚労相は2016年8月から働き方改革担当相を務めていて、いまも兼務です。2人とも16年秋から17年春にかけて開かれた諮問会議「働き方改革実現会議」の主宰者なのに、どちらの答弁も不誠実ですよ。 働き方改革はボロボロの法案です。だからこそ、ズル賢い一括法案という手法を使って国会に上げ、うわべを取り繕って聞き心地のいい言葉を繰り返して通そうとしたのでしょう。政府がデータ問題にこだわったことで狡猾さや悪質さが浮き彫りになりました』、 『労働時間の客観的管理とインターバル規制の導入は必須です。16年にまとめられた野党4党案にはこの2項目が入っていたのですが、政府の働き方改革法案ではまったく触れていません』、などの指摘は、政府の不誠実さを突いた正論だ。
タグ:「高プロ」の対象は全ホワイトカラー、週5日24時間働かせ放題 会社やチームにとっても利を生む行動こそが、大きな貢献を生み、結果として個人の高い評価につながるのだ マクロソフト・シンガポール 導入すべきは労働時間の客観管理とインターバル規制 グローバル企業こそ お互いの文化や考えを尊重し合う Everyone is special in their own way 河合 薫 日経ビジネスオンライン (その14)(日本人が働き方改革で心がけるべき「助け合い成果主義」とは?、無責任トップがはびこる末の「息子の自殺」 電通や野村不動産だけが「異常な職場」じゃない、働き方改革「議論やり直すべき」 専門家はプロセス疑問視) 「日本人が働き方改革で心がけるべき「助け合い成果主義」とは?」 「無責任トップがはびこる末の「息子の自殺」 電通や野村不動産だけが「異常な職場」じゃない」 野村不動産 50代の社員が過労自殺に追い込まれていた事件 裁量労働制 現行では「営業職」は裁量労働制の対象から外れているので「違法」だが、今国会で先送りになった拡大が認められれば「合法」となる 岡田兵吾 ダイヤモンド・オンライン 裁量労働制拡大について、データのインチキが発覚。法案から裁量労働制部分の全面削除に追い込まれたが、もともと8本の改正案を一本化したこの法案は問題だらけだ 上西充子 メドトロニック 損保ジャパン日本興亜 過労自殺をなくすには、長時間労働の撲滅に加え、パワハラ規制が絶対的に必要なのだ 働き方改革 裁量労働制の違法適用が発覚 職場のモラハラ(パワハラ)で過労自殺が問題になっているフランスでは、モラハラの被害者(労働者)は2つの形で会社に賠償要求することができる この国の経営者の中には、違法に残業労働をさせているだけではなく、端っから「労働基準法なんて関係ないね?」という人たちが一定数、存在しているのである 日刊ゲンダイ 「働き方改革「議論やり直すべき」 専門家はプロセス疑問視」
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アメリカ(除くトランプ)(その3)(2020年へ向けて 焦点は次世代と女性、ある女性ロビイストの憂鬱 なぜ米国は「ロビーの国」になったのか、なぜ米国でメガチャーチが増えているのか?) [世界情勢]

アメリカ(除くトランプ)については、昨年4月12日に取上げた。今日は、(その3)(2020年へ向けて 焦点は次世代と女性、ある女性ロビイストの憂鬱 なぜ米国は「ロビーの国」になったのか、なぜ米国でメガチャーチが増えているのか?)である。

先ずは、在米作家の冷泉彰彦氏が11月25日付けメールマガジンJMMに掲載した「「2020年へ向けて、焦点は次世代と女性」from911/USAレポート」を紹介しよう。
・前回のこの欄でお話しした「セクハラ疑惑」の連鎖は、止まる所を知らない感じになってきました。その前に、まず前回から継続しているストーリーとしては、12月12日投開票のアラバマ州における連邦上院議員の補選があります。保守票の基礎が固まっている同州では、ジェフ・セッションズ前議員が司法長官に転出した後の議席が、共和党のロイ・ムーア候補に継承されるのは既定路線と思われていました。
・ところが、そのムーア氏に関して『ワシントンポスト』紙が暴露した「未成年の女性に対する性的嫌がらせ」の疑惑については、続々と被害者が名乗り出る一方で、当初の記事では少女時代の写真だけが登場していた「当時14歳」の被害者がNBCテレビのライブ・インタビューに出てくるなど、疑惑はほぼ否定できない事態となっています。
・そんな中で、法律上この選挙に関しては「候補者の差し替えは不可能」である中で、保守州であるアラバマで、民主党のダグ・ジョーンズ候補が僅差でリード(リアル・クリア・ポリティクス調べの各種調査平均値で+0.8%、FOXニュース調査で+8.0%)しているようです。本稿の時点でもまだ投開票まで2週間と少しありますので、全く予断を許さない状況です。
・ちなみに、トランプ大統領の対応ですが、当初は「フェイクニュースだ」として一蹴しており、ムーア候補に関する新事実が次々に出てくる中でも「民主党員が上院議員になるよりはマシ」だとして、ムーア候補への投票を呼びかけています。ただ、報道のイメージとしては「真っ黒」になってきているムーア候補と並んでTVに映る事態は避けたいようで、「アラバマ入りして選挙運動に合流する」ことはしないそうです。
・常識的には、ここまで疑惑の濃くなった候補を大統領が「かばう」ということは、トバッチリが大統領まで行く可能性があるわけで、例えばトランプ一家の中でもイヴァンカ氏などは、「ムーア批判」を口にしています。ですが、大統領としては、あくまで党派的な抗争という文脈で、ムーア支持をして行くことであるならば、支持者離れの危険はないと判断しているようで、この構図はそのままに投票日まで行くのかもしれません。
・さて、この種のスキャンダルは、まず映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインへの告発から始まり、次いで俳優のケビン・スペイシーの問題へと連なっていったわけです。順番としては、次にロイ・ムーア候補の問題が来て、これでリベラルと保守の「痛み分け」という格好になったと思ったのです。 ですが、11月16日に暴露されたアル・フランケンの事件で、更に問題は深刻化しています。アル・フランケンという人は、1980年前後からNBCテレビの土曜深夜のお笑い番組『サタデー・ナイト・ライブ』に出演しており、時には脚本家として、時には自身がコメディアンとして登場する中で徐々に人気が出た人です。と言いますか、彼の人気がこの番組の歴史の一端を担って来たと言っても良いと思います。 
・その後、2008年の選挙で民主党からミネソタ州選出の連邦上院議員を目指して出馬、この年の選挙は僅差の勝利であったために、共和党陣営が敗北を認めず、州最高裁の審判を待つということになって就任が半年遅れとなったり、大変でした。ですが、再選を目指した2014年の選挙では党内の予備選では94%を制して問題なく本選へ進み、本選でも53.2%対42.9%で共和党のマイク・ファデン候補を下して再選されています。
・議会でのフランケンですが、党内左派のポジションを取るとともに、自分の政治家キャリアと同時にスタートしたオバマ政権の忠実なサポーターとして活躍していました。オバマが指名した2名の女性最高裁判事候補である、ケーガン判事、ソトマイヤー判事の上院での承認プロセスに関しては、2つのケースともに、その取りまとめ役を務めています。また、様々な論戦の機会において、政敵共和党のミッチェル院内総務とは対等に渡り合うなど、「喋りのプロ」としてのスキルを、そのまま議場で発揮しているという感がありました。
・非常に難しいのですが、このフランケン議員の立ち位置を日本の場合で考えてみれば、故大橋巨泉氏がサッサと辞めずに、8年以上参院議員をやって議院の中で存在感を発揮していたらというイメージか、あるいは、それ以上と思います。与党時代の民主党上院議員という国家権力の一端を担い、その重責を全うしていたのは事実だと思われるからです。
・実は、このフランケン議員の評判は、ここへ来て上昇中でした。「自分にも上院議員が務まった」ということを分かりやすく述べた自伝がベストセラーになっていましたし、トランプ現象のような「ポピュリズムの時代」を戦い抜けるような「大衆性」と「コミュ力」を持った稀有の政治家として、「2020年の大統領選への待望論」もかなりあったのです。
・このフランケン議員のスキャンダルですが、11年前の問題です。2006年に「USO」というNGOが実施した「戦地と本国をつなぐ兵士支援プロジェクト」に参加したフランケン(当時はまだ政治家ではなくコメディアン)は、イラク、アフガン、クエイトで米国の駐留軍に対する慰問活動を行っていました。その際に、漫談のコンビを組んでいたリーアン・ツイーデンという女性タレントを相手に、「無理にキスをした」とか「就寝中に胸を触られた」という問題が発生していたのです。
・このツイーデンという女性は、コメディアンというよりモデルで、「プレイボーイ」誌などにも登場した後に、スポーツ記者となって野球中継のレポーターなどをやっている人物です。11年前には、水着モデルというようなイメージであったようです。フランケンは、世代的に「そういう業界の人ならシャレで済むだろう」と思ったようで、ツイーデンの胸を触っている写真については、コメディアンの「シャレ」の一つという感じで、写真も撮っていたのです。
・ちなみに、問題の写真をよく見るとツイーデンは、防弾チョッキを着装したままで眠っており、フランケンは「硬い防弾チョッキの上から胸を触るのは、絵的には卑猥でも、実際は相手に何も気づかれない」ということ自体が「お笑いネタ」だとして、写真まで撮っていたのだと思われます。
・いずれにしても、確かに現在の価値観からしたら「アウト」であるわけで、ツイーデンは「多くの業界の女性たちが声を上げていくのに励まされて、自分も告発に踏み切った」としています。ただ、このツイーデンの場合は、共和党支持者であることから、ロイ・ムーアの問題への報復としての何らかの政治的力学の所産という可能性もあるわけですが、アウトはアウトであり、フランケンとしては「自分で写真を撮っている」こともあって、ひたすらに「平謝り」を続けて「議会の倫理委員会の結論を待っている」というのが現状です。
・このフランケンについては、ツイーデンの問題の直後に、「ハフィントンポスト」創業者で、女性の権利拡大の活動家でもあるアリアナ・ハフィントン氏の「お尻を触っている」写真が出回るという騒動もありました。これは完全にコメディアン・モードの「演技」としての写真であり、ハフィントン氏の側も同じスタジオ撮影の際に撮られたと思われる「ハフィントン氏がフランケン議員の首を絞めているシーン」を公開して、「お尻」バージョンの暴露が政治的なものであることを告発しています。
・そんなわけで、フランケン議員の問題に関しては現在の価値観としては「アウト」であるものの、世論調査をすると「即時辞任」と「今回は無罪放免」が伯仲しているのですが、そこへ飛び出したのが、超大物キャスターのチャーリー・ローズの問題です。
・チャーリー・ローズといえば、その名を冠した「チャーリー・ローズ・ショー」という対談番組を1991年から27年も続けたことで有名です。大きなテーブルの両側に向かい合って、ゲストと対峙し、真っ黒な背景に浮かび上がる両名が淡々と語るという密度の濃い対談番組であり、多くの著名な政治家、知識人、文化人が世界中から登場する極めて格式の高いものでした。米国を代表するTV番組と言っても過言ではなかったと思います。
・この番組の成功を受けて、CBSテレビから請われて2012年以降は朝のニュース番組である『CBSディス・モーニング』のアンカーもやっていたのでした。その知名度、権威、人気という面では、TVジャーナリズムの業界では傑出した存在でした。これも無理を承知で日本に当てはめれば、田原総一朗さんと筑紫哲也さんに黒柳徹子さんを足したような存在(プラス知的イメージを3割増し)というような存在感があったのです。
・ですが、11月20日から一斉にこのローズの「セクハラ問題」が発覚すると、その深刻さ、そして本人の「危機感や責任感のなさ」が社会に衝撃を与えることとなりました。例えば、ジャーナリズムの登竜門と思って彼のプロダクションにインターンなどで入ってきた若い女性たちを、自分の自宅兼オフィスに誘うと、シャワーから全裸で出てきて驚かせたり、猥褻な映画を流して面白がったりしていたのだというのです。
・その無神経さ、反省のなさにCBSも、「対談番組」を放映していたブルームバークやPBSはショックを受けてローズの番組の即刻打ち切り、そしてローズの即時解雇を決定しました。ですが、その後もローズはマンハッタンを飄々と歩きながら、メディアに捕まると「言われていることの全部が真実じゃない、俺はそんなに悪くない」などと居直っています。 この種の問題では、ディズニーのデジタルアニメ制作部門となっている「ピクサー社」の事実上の共同創業者である、ジョン・ラセターも告発されています。当面の問題は、やたらに女性に対して「ハグをした」というものですが、もっと悪い噂もあるようです。
・さて、こうした「セクハラ摘発」のトレンドは止まるところを知らない感じとなってきました。いい加減「もう沢山」という感じもありますし、特にムーア(共和党)とフランケン(民主党)の場合は、かなり政治的な暴露という感じもします。 ですが、前回のこの欄でも申し上げたように、これは明らかに「女性の権利をしっかりと確立する」という問題であり、同時に「フランケンやローズのような価値観の世代」に対する世代間闘争という意味合いも非常に濃厚に入っていると思います。
・ということは、これからの政局、特に「2020年の大統領選」を遠望した場合には、2つのキーワードが非常に重要ということが分かります。それは「女性」と「次世代」の2つです。 こうした観点で見た場合に、興味深い動きはチラホラと出てきています。例えば、ヒュレット・パッカード(HP)のメグ・ホイットマンCEOは、2018年の2月で退任すると表明しています。ホイットマン氏といえば、イーベイ社の事実上の創業者として同社を育て上げた経歴が有名ですが、同時に政治にも並々ならぬ意欲を持っており、2010年にはカリフォルニア州知事選に出馬して、現職のブラウン知事に敗れています。
・そのホイットマン氏は共和党員であり、トランプ大統領への批判者としても知られていることから、2018年2月というタイミングでHPを辞めるということは、2020年に向けて予備選で現職大統領を追放するべく始動するのではないか、などという憶測を早くも生んでいます。
・ホイットマン氏は、とにかく(日本で言う)ITの世界における成功者ですが、このテックの世界に関しては、11月22日にヒラリー・クリントン氏による「人類はAIの実用化に関して準備ができていない」と言うインタビュー記事が(「YAHOO」などで)配信されています。 この中でヒラリー氏は、「AIの危険性」についてビル・ゲイツ氏や、スチーブン・ホーキング博士が指摘をしているとした上で、「配車サービスや自動運転の普及によって多くの雇用が失われる」と言う、非常に保守的な観点からAIへの懸念を語っていました。勿論、必要な議論ですが、将来の地球社会を担っていく政治の野心があるのであれば、そのような古典的・保守的な観点からの批判で済ませることはできないはずで、やや失望させられたのも事実です。
・少なくとも、1992年(もう25年前になりますが)の選挙で、夫ビル・クリントンがアル・ゴアと組んで「情報ハイウェイ構想」をぶち上げてブッシュ・パパを打ち破ったこと、そして就任後のクリントン政権が、揺籃期のインターネットの普及のために、規制緩和を進めて行ったことを思うと、クリントン氏も既に過去の人になりつつあると言う感慨を抱かざるを得ません。
・そんな中で、次世代のリーダー候補としては、同じくテック業界の中から、フェイスブックのマーク・ザッカバーグ氏の存在が注目されるわけです。ですが、同氏に関しては、フェイスブックというプラットフォームが、ロシアによる「大統領選への介入」に利用されていたという疑惑への対応で忙殺されています。フェイスブック社としては、かなり厳格な「実名ポリシー」を運用していたこともあり、この種の国境を超えた違法行為のターゲットになることは想定していなかったようですが、いずれにしてもスキャンダルはスキャンダルであり、噂されていた民主党からの政界入りという動きは当面封印という格好です。
・いずれにしても、トランプ時代という「騒々しい時期」ということ、そしてその時期に「旧世代の価値観を持った人物が、セクハラを暴かれて続々と追放されている」ということ、その奥には、「女性」と「次世代」への待望論が渦巻いていると考えるべきと思います。いずれにしてもアメリカは「トランプの次の時代」への模索を始めているのだと思います。

次に、1月15日付け日経ビジネスオンライン「ある女性ロビイストの憂鬱 なぜ米国は「ロビーの国」になったのか」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・2017年末、1月29日号特集の取材で米国ワシントンに出張した。テーマは「ロビー活動」。実質3日間で13人の現役ロビイストを取材するという過酷スケジュールだったが、おかげで「ワシントン」という独特な地域について理解できるようになった。 シリコンバレーにベンチャーキャピタリストや起業家などが構成する独特のエコシステムがあるように、ワシントンにも全く形の異なるそれがある。その中で重要な役割を果たしているのがロビイストたちだ。
・ワシントンには無数のロビー事務所があり、そこにロビーを生業とするプロのロビイストたちが所属している。米国内はもちろん世界中の名だたる企業が彼らを雇い、自社や自社の属する業界が米国でバッシングされたり、不利な法案を成立されたりするのを防ぐ(逆に自社に有利な法案の成立を促す場合もある)活動を展開しているのだ。
▽ロビイストの多くは「元政府職員」
・そんなロビイストのほとんどは、ホワイトハウスや関連省庁に勤務していた元職員、あるいは大統領候補や知事候補の選挙を手伝っていた元スタッフ。前職の人脈をフル活用して現職の懐に入るので、国のトップである大統領からはあまりよく思われていない。 前大統領のバラク・オバマ氏もそうだったが、現大統領のドナルド・トランプ氏もまた「強烈なワシントン嫌い」として知られている。トランプ氏が大統領に就任した直後の17年1月28日、同氏は「政府職員は離職後5年間のロビー活動を禁止する。外国政府のためのロビー活動は期限なしで禁止する」との大統領令に署名した。
・ワシントンで取材して一番驚いたのは、ロビイストたちのトランプ氏を見る目が日本のそれとは全く異なることだった。記者が日本からトランプ氏を見ていた時は、「よっぽどの世間知らずか、よっぽど計算高い策士か……」などと漠然と予想していた。ワシントンの地を踏んで、あやふやだった「トランプ像」がよりリアルに見えてきた。 その実像は特集に取っておくこととして(ぜひお読みください!)、ここでは記者が取材したロビイストの中でも特に印象に残った、ある女性ロビイストについて取り上げたい。
▽ロビーをすることは「恥」なのか?
・彼女はトランプ氏が大統領選を戦っていた時、彼のスピーチのゴーストライターを務めていた人物だ。取材中も言葉(ワード)の選び方が秀逸で、それだけでも書き手としての能力の高さがうかがえた。 話が「なぜ米国でロビー活動が普及したか」について及ぶと、彼女は思い立ったようにこんな話を始めた。 「あたながもしアメリカで街行く人に『ロビイストのことをどう思う?』と聞いたら、きっとこんな反応が返ってくるでしょう。『(眉間にしわを寄せて)ウーム』」
・ネガティブなイメージを持たれているということだ。同様のイメージを持たれている職業として彼女は、「自動車の営業マン」「弁護士」「政治家」を挙げた(これらの職業そのものが悪いわけではなく、あくまで一般人の持つイメージだ)。
・日本でも、ロビー活動と聞くと、「どうせ政治家と癒着して自社の利益のためにズルしてるんでしょう?」と受け取られがちだ。同じような風潮がロビー先進国として知られる米国にもあるようだった。 「でもね」。彼女は、これだけは言わせてほしいとばかりに語気を強めた。 「私はロビイストという職業に誇りを持っているの」
▽米国からロビーがなくならない理由
・そこで彼女が持ち出したのが「First Amendment(アメリカ合衆国憲法修正第1条)」だった。1791年に採択された憲法修正(権利章典)に出てくる最初の条項で、米国議会に「宗教の自由」「表現の自由」「報道の自由」「平和的集会の権利」「政府へ懇願する権利(請願権)」を妨げる法律の制定を禁じている。記者も米国の大学でジャーナリズムを専攻していた時に授業で習ってから、大好きになった法律だ。
・彼女は言った。 「この何年もロビイストのスキャンダルばかりが報道されて、すっかり『卑怯な人たち』のイメージが付いてしまった。(あえて個人名は言わずに)現行の大統領も選挙戦の間は特に、ロビイストをあたかもワシントンの悪の象徴であるかのように言ってきた。個人的には、必要以上にロビイストという職業が汚されているように感じています」
・そんな彼のゴーストライターをしていたのだから、さぞ心の葛藤があっただろう。彼女は一気に続けた。  「でも、それは本当のロビイストの姿ではない。本来はFirst Amendmentに保証されている基本的人権を守る専門職なんです。請願権は、アメリカのデモクラシー(民主主義)を構成する重要な要素。私が言うとちょっと偏った意見になってしまうけれど、強く信じているのは、私たちのFirst Amendmentの一部である以上、請願権(right to petition)が無くなることはこれからも絶対にないということなんです」
・「請願のやり方は、時代と共に変わるかもしれない。でも、権利そのものはあり続ける。決して消えることはありません」 同じ言葉を繰り返しながら懸命に訴える彼女を見ていて、目頭が熱くなってしまった。
▽米国民にも忘れられかけている
・というのも記者は、この取材の直前、少しだけ時間が空いていたのでキャピトルヒル近くの「Newseum」という博物館に立ち寄っていた。報道(News)をテーマにしたワシントンらしい博物館(Museum)だ。 見学の子どもたちに混じって館内を歩いていると、First Amendmentに関する展示に出くわした。そこでは街頭インタビューの映像が流れていた。「First Amendmentの権利を全部、言えますか?」とインタビュアが聞くと、大抵の人が「宗教の自由」「報道の自由」までは出てくるのだが、「請願権」まで答えられる人はほぼいなかった。 博物館には「Fake News」(ウソのニュース)とメディアを痛烈に批判するトランプ氏に関する展示もあった。
▽言うべきことを言わない方が恥ずかしい
・こうした展示を見た直後の取材だったので、彼女の発言には重みを感じた。First Amendmentが200年以上も前に成立し、「国民が議会に物を言う権利」と共に歩んできた米国。ロビー活動は、本来は悪の象徴ではなく、基本的人権であり、民主主義を支える礎なのだ。だが、米国でビジネスを展開する日本の企業はもちろん、当の米国民ですら、その権利をないがしろにしつつある。それを彼女は記者に伝えたかったのだ。
・ワシントンの比喩としてよく使われる言葉にこんなものがある。 “If you are not at the table, you are on the menu” (発言のテーブルに着かなければ、食われるだけ)  ロビーをする(言うべきことを言う)ことは、何も恥ずかしいことではない。逆に言うべきことを言わないことを恥じるべきなのだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/221102/011200553/?P=1

第三に、3月23日付け日経ビジネスオンライン「なぜ米国でメガチャーチが増えているのか? 記事と動画で見る「キリスト教保守派のリアル」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・ドナルド・トランプが当選した2016年の大統領選で浮き彫りになったものは大きく言って2つある。ワシントンの政治家やグローバリゼーションに対する労働者の怒りの声と、東海岸や西海岸とは異なるもう一つのアメリカだ。リベラルな大都市と保守的な南部や中西部、そこに息づくもう一つのアメリカ――。今回は米国の政治や社会に隠然たる影響力を持つメガチャーチ(巨大教会)を見ていく。
・「私も科学者なので、キリストがどのように天地を創造したのかという点は大いに議論したい。だが、誰が天地を創ったのかというところはキリストだと確信している。ダーウィン主義は何もないところから生物が生まれたと考えるが、それが私には理解できないんだよ」 進化論について話を振ると、キリスト教福音派(エバンジェリカル)の牧師、ダン・ムントンはこう答えた。
・「科学者」と自身を規定したように、学生時代、ムントンは生物学の教師になろうと考えていた。だが、途中で神の存在に目覚め信仰の道に入る。その後、地元ミシガン州でスポーツを通して信仰を学ぶプロジェクトに関わり、その実績が評価されてヒューストン・ファースト・バプティスト教会のミニストリー(牧師の一種)になった。20年以上前のことだ。
・米南部に多いエバンジェリカルは進化論を否定している。聖書には神の言葉が書かれており、旧約聖書の天地創造説を事実とみなしているためだ。先のムントンも「神がすべてを創りたもうた」という立場だが、天地創造には順序があり、社会の中には一定の順序があるとも述べている。起源はともかく、生物が変化すること自体は受け入れているように見える。
▽米政治に影響力を持つ宗教勢力
・ムントンが所属するヒューストン・ファースト・バプティスト教会はヒューストン郊外にあるメガチャーチ。メガチャーチとは一度の礼拝に2000人以上集まる巨大な教会のことで、高い動員力と集金力を誇る。日曜の礼拝に7000~8000人を集めるヒューストン・ファースト・バプティスト教会は典型的なメガチャーチの一つだ。
・全米に1600ほどあるメガチャーチは、その大半がエバンジェリカルに属する。冒頭で述べたように、エバンジェリカルは聖書に書かれている内容を絶対視する点が特徴で、妊娠中絶や同性婚、進化論に否定的なスタンスを取る。東海岸や西海岸のリベラル層から見れば、ほとんど宇宙人に近いが、宗教離れが進む米国の中で信者を着実に増やしている。
・メガチャーチには拝金主義や商業主義という批判も根強く、ヒューストン・レイクウッド教会のカリスマ牧師、ジョエル・オースティンのようなセレブ牧師も存在する。教会は法人税が非課税のため、数千人の信者が寄付をしたり書籍を買えば間違いなく儲かる。それゆえに、「信仰を利用した金儲け」と冷めた目で見る米国人も多い。
・それでも、数の力を背景に共和党保守派や政権に隠然たる影響力を持っている。2016年の大統領選でトランプが勝利した背景には、民主党候補だったヒラリー・クリントンを嫌ったエバンジェリカルの支持があった。先日、逝去した著名福音派牧師のビリー・グラハムはリチャード・ニクソンなど歴代大統領の就任式で祈祷を担当している。
・「彼のやっていることには賛成できない部分もある。だが、総合的に言えば、理解できないことよりも理解できることの方が多い」とムントンは言う。物議を醸した在イスラエル米大使館のエルサレム移転でもエバンジェリカルは影響力を発揮したと言われている。聖書に基づき、神はエルサレムをユダヤ人に与えると考えていることが大きい。
・メガチャーチのスタイルは、一般にイメージされるような伝統的なプロテスタント教会とは様相が異なる。日曜の礼拝といえば、黒いガウンを着た牧師の説教を厳かに聞くという印象が強いが、言われなければ普通のゴスペルライブと大差ない。 2017年11月。午前11時から始まった礼拝もギターとドラムの生演奏で始まった。
・オープニングはゴスペルソングとして人気が高い『You Are Good』。演奏が始まると、それまではおとなしそうな印象だった周囲の人々がノリノリになって踊り始める。一見して熟年夫婦が多い印象だが、20代と思われる若者も少なくない。その後もゴスペルソングの『Glorious Day』や『It is Well with My Soul』など、礼拝のスタートからしばらくはひたすらライブである。
・それに続く洗礼式も演出が凝っている。ステージ情報の十字架にスポットライトが当たったと思うと父娘が登場、父親が娘の信仰を告白すると小さなプールに娘の身体を浸した。幼児洗礼を否定しているバプテスト派にとって洗礼式は礼拝の重要な構成要素だ。
▽メガチャーチは「ドラッグ」
・同教会のシニア牧師、グレッグ・マットの説教も従来の牧師のイメージとは違う。服装はセーター。ヘッドセットをつけて壇上を動き回る姿は企業のCEO(最高経営責任者)のプレゼンテーションに近い。 この日の説教は“God vs ROI”。「ルカによる福音書」に登場する「善きソマリア人」の例を引きつつ、信仰とは神を信じることであり、ROI(投資利益率)、すなわち見返りを求めるものではないということを力説していた。
・周囲を見ると、目をつむり祈りを捧げる人もいれば、熱心にメモを取る人、スマホをいじっている人など様々で、必ずしも熱心な信者ばかりが集まっているわけではないようだ。 メガチャーチを研究しているワシントン大学教授のジェームズ・ウェルマンはメガチャーチのムーブメントを「ドラッグ」と称している。 五感を刺激する演出やカリスマ牧師のメッセージ、仲間同士の一体感など、メガチャーチは参加者にパワフルな宗教体験を提供している。そういった儀式を通して、参加者はポジティブなエネルギーや多幸感を得る。それが、宗教離れが進む中でメガチャーチが伸びている理由だと語る。
・「あの規模になると、フットボールスタジアムと同じように数多くの精神的エネルギーが生み出される。ポジティブな気持ちを作り出し仲間と分かち合う。それが人々を魅了している」 
▽巨大な教会の中に無数の小さな教会
・そして、1時間半ほどの礼拝が終わると、参加者はそれぞれの“クラス”に別れていく。ヒューストン・ファースト・バプティスト教会は巨大な組織だが、信者一人ひとりとフェイス・トゥ・フェースのコミュニケーションが取れるよう、内部は信者の属性や興味などで細かく分かれているのだ。
・例えば、冒頭のムントンは独身者やバツイチなどが集まるクラスを担当している。独身の男女が集まるだけに結婚に対するニーズは強く、聖書勉強会だけでなくパーティやスポーツ大会など毎週のようにイベントを開催している。 「実はさっきまで結婚式に出ていた。年間100組の結婚式を司っている」
・取材で訪れた晩も、ムントンが主催するダンスパーティがヒューストン郊外のレストランで開かれていた。30歳から50歳までの男女がライブバンドの演奏に合わせてラインダンスを踊っている。最初はよそよそしい様子だったが、徐々に打ち解けていく姿は見ていて楽しい。 参加者は必ずしもヒューストン・ファースト・バプティスト教会の信者ではない。「普段は別の教会に行っています。今日ここに来たのは新しい人と出会えるのがいいと思って」。別の教会の信者だという女性はこう語った。
・「今は何もかもがデジタルになり、横に座っている人ともテキストで会話するような時代だ。だが、人間同士のリアルなつながりを求める人は増えている。教会の存在意義は今後さらに大きくなる」 そうムントンは予想する。一般的に家族を重視するエバンジェリカル。結婚すれば子供を作り、子供も教会に通わせる。単身者に出会いの場を作るという戦略は信者のニーズを満たすだけでなく、教会経営の持続性という面で見ても理にかなっている。
・グループは単身者だけでなく、「30代後半の既婚者」「56~75歳の既婚者」「男性」「幼稚園児」「小学生」など信者の属性に応じて細かく分かれている。その目的は「メガ」と「スモール」の両立だ。 マットのようなカリスマ牧師は対外的な顔として欠かせない。ただ、彼一人で全員の信者とコミュニケーションを取ることは不可能。そこで、50~100人ほどのグループに細分化して担当牧師を当てる。そうすれば、信者も小さな町の教会に通っているような感覚になる。巨大な教会の中に、小さな教会がたくさんあるというイメージだ。
・伝統的な教会が信者を減らす中でメガチャーチが拡大しているのはなぜか。一つの要因は人口動態の変化だ。 1960年代以降、南部で工業化が進展し、中西部や北部から大量の労働者が流れ込んだ。それに伴って郊外に住宅が広がっていく。その過程で、一部の教会が駐車場完備の大規模施設を建設、故郷の教会から切り離された人々を取り込んでいった。街の商店街が廃れる中で郊外型モールが急成長したのと同じ構図だ。
▽メガチャーチの主な“企業努力”
・もちろん、メガチャーチの“企業努力”もある。 週末に働く人のために、日曜の複数回の礼拝や土日・平日の礼拝を可能にしているメガチャーチは少なくない。子連れの信者のために託児所を置くのも当たり前だ。移民向けの英会話サービスや医療サービス、米国在住に必要なビザ取得のための法律相談を無償で提供しているところもある。プライマリケアだとしても、米国で無料の医療サービスは移民にとってとてつもなく大きい。
・テクノロジーの活用も積極的だ。ヒューストン・ファースト・バプティスト教会はクラスごとにフェイスブックやインスタグラムのグループがある。マットのスピーチもストリーミング動画としてすぐにホームページやフェイスブックにアップされていく。やっていることは普通の企業と変わらない。 メガチャーチが信仰よりも、貧困者支援やコミュニティとしての側面を強く打ち出しているという側面もある。
▽ヘロイン中毒者が感じた神の声
・オハイオ州コロンバスのメガチャーチ、ビンヤード・コロンバス教会は移民向けの英会話サービスや医療サービスに加えて、薬物中毒者向けの構成プログラムを提供している。製造業が衰退したオハイオ州はオピオイド(鎮痛剤)の乱用などドラッグ中毒が急増している。コミュニティの危機に対する教会としての対応だ。
・プログラムのリーダーを務めるブレット・ギャノンも元はドラッグ中毒だった。 コロンバスに生まれ育ったギャノンとドラッグの関わりは長い。母親のアル中をきっかけに7歳の時にマリファナを吸い始め、12歳でマリファナやコカインの売人になった。彼自身はコカインに手を出していなかったが、友人の自殺にショックを受けて17歳でコカインを始め、すぐにヘロインにハマっていった。 「それから2~3年間はほぼ毎日ヘロインを使っていた」
・途中、ヘロインをやめようと思ったことは何度もあった。大麻の栽培で刑務所に送られた時は「これでやめられる」と思ったが、それでもヘロインをやめることができなかった。そんなある日、アル中を克服した母親にどうやってやめたのかと尋ねた。すると、「ジーザスが効く」という。神に祈り、神を感じ、神と語り合うことでアルコールを欲しなくなったのだ、と。
・神の存在を大して信じていない私(篠原)によく分からない世界だが、彼の話によると、母親と聖書を読み、神の言葉を繰り返したことで、結果的にギャノンはヘロイン中毒を克服した。 「キリストは私の中から欲望を取り去ってくれた」 そのまま中毒死する人間も多い中でギャノンが社会復帰できたということは、プロセスはともかく確かにキリストが「効いた」のだろう。現在、ギャノンはリカバリープログラムのリーダーとして、自身の体験を中毒に苦しむ人々にシェアしている。
・「私たちが若い信者の獲得に成功しているのは貧困層を助けたり、社会正義について考える場を提供したり、人種を越えたつながりを提供したりしているからだと思う」 ビンヤード・コロンバス教会のシニア牧師、リッチ・ネイサンは語る。ミレニアル世代(1980年代前半から90年代半ばに生まれた世代)は一般的に社会問題に関心が強い一方で、妊娠中絶やLGBT(性的少数者)に対する宗教的保守層の考え方を敬遠する傾向にある。あえて宗教色を出さないことで、若者を惹きつけようとしているのだ。
・こういった戦略を可能にしているのは、やはりその規模だ。「メガチャーチは規模が大きいため、礼拝の時間帯や多様なプログラムなど多くの選択肢を提供できる」と米ハートフォード大学で牧師向けに宗教社会学を教えるスコット・サマは言う。
▽「無宗教」が増える米国
・別の要素として米国のプロテスタントがエンターテインメントの要素をそもそも持っているという点もあげられる。 米国の宗教史をひもとけば、メジャーリーガーから伝道師に転身したビリー・サンデーのように、信仰に目覚めた人々が話術を武器に伝道集会を開催、福音を広めてきた。サンデーについて言えば、壇上を跳んだりはねたり、今のメガチャーチの説教を超える激しさだったようだ。ラジオ伝道やテレビ伝道などテクノロジーを使ったマス伝道も早い段階で取り入れられている。もともとがエンターテインメントの一種だったと思えば、信者が過剰な演出を楽しむのは分からなくもない。
・このように、メガチャーチ拡大の要因はいろいろと考えられるが、メガチャーチ特有の軽さが今の時代にマッチしているのは間違いない。 「私が子供の頃は教会には正装していく必要がありました。よくタイツをはく、はかないで母とケンカしました。それに比べれば、今はだいぶカジュアルになっていると思います」 ダンスパーティに参加していた女性がこう語るように、メガチャーチに来る人の多くはカジュアルな服装だ。基本的に礼拝にいつ来ようが自由で、出戻りや過去の宗派も問わない。事実、取材ではカトリック教徒だったという信者が何人もいた。
・米ピューリサーチセンターによれば、金融危機前の2007年と2017年で無宗教と答えた米国人は16.1%から22.8%に増えた。神の存在は信じているが、教会には行かないという人も多い。だが、家庭や仕事、人間関係などで不安を抱える人はいつの時代にもいる。ライトなメガチャーチが拡大しているのは、そういう不安の受け皿になっているからだろう。
▽街は大きく変わったが、キリストのメッセージは不変
・ヒューストン・ファースト・バプティスト教会が大きく伸びた背景にも、都市の拡大や天災に伴う不安があった。 経済成長やシェールガス革命など過去20年でヒューストン都市圏に移り住む人は急増したが、2008年の金融危機や石油関連業界のリストラでヒューストンの地域社会は大きく揺れた。その間、「カトリーナ」(2005年)や「ハービー」(2017年)など巨大なハリケーンが幾度となくコミュニティに打撃を与えている。
・ヒューストン・ファースト・バプティスト教会のようなメガチャーチがそういった衝撃のバッファーになってきたことは間違いない。事実、昨年のハービー襲来の際に初期対応はその多くが教会の手によるものだった。 同教会は月100人のペースで参加者が純増している。巨大な礼拝場や信者を楽しませるプログラムを作るだけでなく、信者一人ひとりのニーズをどのように満たすか、地域コミュニティの課題にどう向き合うか、ということを真剣に考えてきた結果だろう。
・「この教会に加わった16年前から今日までヒューストンでは様々なことが起きた。キリストのメッセージは不変だが、われわれは現実の社会とつながっている。その中で専門性を持つ牧師を加えて変化してきた」 ヒューストン・ファースト・バプティスト教会の牧師の一人、ジェレル・アルテックはこう語る。
・これは全米に視点を広げても変わらない。ビンヤード・コロンバス教会のあるオハイオ州は製造業の衰退や移民の急増、家族の崩壊など様々な社会課題を抱えている。そういう問題が浮上するたびに、支援プログラムを拡充して社会に手を差し伸べてきた。
・伝統的な中小の教会が廃れていく一方で、社会のニーズに積極的に対応しようとしているメガチャーチ。貧弱なセーフティネットを教会が支えるという米国の構図は今に始まったことではないが、社会のゆがみが拡大する中でメガチャーチの果たしている役割は増している。コミュニティの相互扶助という本来の姿に戻りつつあるのであれば、それは歓迎すべき話だろう。
・もちろん、こういった善意は信者獲得の裏返しでもある。現場で取材した人々は一様にいい人たちだったが、私個人としては身内が新興宗教にハマった経験があるのでこの手の善意をストレートには信用しない。国全体で宗教離れが進んでいる中で、メガチャーチが社会を紡ぐ唯一の解だと言うつもりもない。
・そもそも、教会とは共同体に根ざしたもの。ショッピングモールよろしく広範囲から人を集めるメガチャーチはある意味でコミュニティから切り離されており、従来の教会とは本質的に異なっているようにも思える。 聖書の教えに頑なで米国の世論を二分化する一因であるメガチャーチとエバンジェリカル。だが、信者や教会を見ていくと、ライトであるがゆえに人々を惹きつけ、コミュニティを支えているという現実もある。彼らに米国全体の舫い直しは可能なのだろうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/030600209/030600003/

第一の記事での 『アラバマ州における連邦上院議員の補選』、の結果は、共和党のロイ・ムーア候補はやはりセクハラ疑惑がたたって敗北したようだ。民主党のアル・フランケン上院議員は、12月7日に辞任を表明したようだ。ただ、この11年前の事件はそれほど問題になる事件とは思えないが、一旦、バッシングの火がつくと消すのは難しいということなのかも知れない。 『「女性」と「次世代」への待望論が渦巻いていると考えるべきと思います。いずれにしてもアメリカは「トランプの次の時代」への模索を始めているのだと思います』、というのはその通りなのだろう。
第二の記事で、 『ロビイストの多くは「元政府職員」』、というのはなるほどである。ただ、 ロビイストは、 『本来はFirst Amendmentに保証されている基本的人権を守る専門職なんです。請願権は、アメリカのデモクラシー(民主主義)を構成する重要な要素』、とのロビイストの主張はやや我田引水的な印象を受けた。 『ロビー活動は、本来は悪の象徴ではなく、基本的人権であり、民主主義を支える礎なのだ』、との記者のコメントも、なんと簡単に丸め込まれたものだと、驚いた。
第三の記事で、 『「私も科学者なので』、とキリスト教福音派(エバンジェリカル)の牧師、ダン・ムントンが述べたというのは、単に『学生時代に・・・生物学の教師になろうと考えていた』、程度で科学者を名乗る厚顔ぶりに驚かされた。 ただ、 『メガチャーチのムーブメントを「ドラッグ」と称している。 五感を刺激する演出やカリスマ牧師のメッセージ、仲間同士の一体感など、メガチャーチは参加者にパワフルな宗教体験を提供している。そういった儀式を通して、参加者はポジティブなエネルギーや多幸感を得る。それが、宗教離れが進む中でメガチャーチが伸びている理由』、との説明は納得できた。 『巨大な教会の中に無数の小さな教会』、 『メガチャーチの主な“企業努力”』、などの仕組みの素晴らしさはさすが信者を増やしているだけある。 教会とは共同体に根ざしたもの。ショッピングモールよろしく広範囲から人を集めるメガチャーチはある意味でコミュニティから切り離されており、従来の教会とは本質的に異なっているようにも思える。 『聖書の教えに頑なで米国の世論を二分化する一因であるメガチャーチとエバンジェリカル。だが、信者や教会を見ていくと、ライトであるがゆえに人々を惹きつけ、コミュニティを支えているという現実もある。彼らに米国全体の舫い直しは可能なのだろうか』、我々としては遠くから注意深く眺めていく必要がありそうだ。
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