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災害(その13)(真っ赤に焼けた火石が直撃し 即死…浅間山が「大噴火」したときに起きた「おぞましい出来事」、597人のうち466人が死んだ…村を丸ごと破壊した「浅間山の大噴火」のおぞましき威力、浅間山の「想像を絶する大噴火」 それが江戸幕府に与えた「意外すぎる影響」をご存知ですか?、死者28名を出した《静岡県熱海市・土石流災害》…県は「天災だ」と結論付けるも 専門家と民間の原因究明チームが「人災だ」と県と市を提訴) [社会]

災害については、昨年3月28日に取上げた。今日は、(その13)(真っ赤に焼けた火石が直撃し 即死…浅間山が「大噴火」したときに起きた「おぞましい出来事」、597人のうち466人が死んだ…村を丸ごと破壊した「浅間山の大噴火」のおぞましき威力、浅間山の「想像を絶する大噴火」 それが江戸幕府に与えた「意外すぎる影響」をご存知ですか?、死者28名を出した《静岡県熱海市・土石流災害》…県は「天災だ」と結論付けるも 専門家と民間の原因究明チームが「人災だ」と県と市を提訴)である。

先ずは、本年2月25日付け現代ビジネス「真っ赤に焼けた火石が直撃し、即死…浅間山が「大噴火」したときに起きた「おぞましい出来事」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/106694?imp=0
・『荒れ狂う山  山はその晩から翌朝にかけて、ますます荒れ狂ったので、人々はついに家・家財をすてて逃げだしたが、まず二十四、五歳の男が、真っ赤に焼けた火石の直撃を受けて即死、人々の心はますます浮き足立った〉(大石慎三郎『天明の浅間山大噴火』52頁) 日本には、富士山、阿蘇山、御嶽山など、さまざまな火山が存在しています。こうした火山は、温泉など天然の恵みを私たちに与えてくれるのと同時に、地震や噴火といった災害をももたらします。 火山大国である日本では、つねに地震や噴火への備えが必要とされるわけですが、実際に火山が噴火したときになにが起きるのかについて、私たちは、なかなかリアリティを持つことができないのも事実です。 そこで注目したいのが、長野県と群馬県の境にある浅間山です。 浅間山は現在、活火山として、「噴火警戒レベル1」が設定されています。昨年9月には直下で火山性地震が観測され、気象庁が注意を呼びかけるという事態にもなっています。 と同時に、この山は、何度も噴火を繰り返してきた火山としても知られています。重要なのは、過去、浅間山が大爆発したときになにが起きたのかについて、かなり詳しい記録が残されているということです。 火山の脅威が荒々しく牙を剥いたとき、いったいなにが起きるのか——。現代の私たちにもそうした「リアル」をわかりやすく教えてくれるが、歴史学者である大石慎三郎氏による『天明の浅間山大噴火』です』、私が小学生のころ「浅間山」「噴火」で火山灰が東京にも薄っすら積もって驚かされた記憶がある。
・『「言語に絶す」  同書は、天明3(1783)年の大噴火の様子を詳しく伝えています。 同書によれば、噴火が始まったのは旧暦の4月の上旬。このとき中規模の噴火が起き、45日ほどの休止を経て、同5月下旬には2回目の爆発がありました。周囲には火山灰が降り積もり、馬に草をやるのにも苦労したという記録が残されています。 そして、6月18日には3回目の爆発が起きました。 やがて噴火の勢いは増していきます。浅間の北側にあった無量院という寺の住職は、 〈「二十八日には昼すぎになって近辺に砂が降り、同日の十二時ごろになって大爆発があり、大地がしきりに鳴動した。火口からの黒煙は以前より強くなり、山の中から赤い雷がしきりに走り出た。人々は身の毛もよだつほどで、見る者はおそろしさのあまりひや汗を流し、気絶せんばかりであった」〉(同書45頁) と書き残しています。 さらに旧暦7月6〜8日にかけて最後の爆発が起きますが、この3日間の被害は、「言語に絶す」ものだったとされます。 まず6日の夜から7日にかけては、火口から灼熱した大小の溶岩流が浅間北側の火口壁を越えて流出し、地表を覆ったそうです。前出の住職の手記には、 〈「七日、鳴音前日より百倍きびしく、地動くこと千倍也。これにより老若男女飲み食をわすれ、立たり居たり、身の置所なく、浅間の方ばかりながめ居り候ところ、山より熱湯湧出しおし下し、南木の御林見るうちに皆燃え尽くす」〉 といった状況がつづられています。犬や鹿といった野生動物が「燃死」したともあります』、200年以上昔とはいえ、相当凄い「噴火」だったようだ。
・『1.2mの灰が積もる  さらに同書は、浅間山の南側に位置し、のちにリゾート地となる軽井沢で、6〜8日の噴火の後になにが起きたのか、その被害の様子も描いています(以下の引用は、読みやすさのため改行の場所をあらためています)。 〈軽井沢では前日の大爆発で灰、軽石が四、五尺もつもり、道路と呑水用の水路が完全に埋ってしまった、そのため宿総出で様子入りの掘り浚(さら)えをはじめた。しかし、あとからあとから焼石・灰などが降ってくるため、用水の確保は徒労に終わった。 山はその晩から翌朝(八日)にかけて、ますます荒れ狂ったので、人々はついに家・家財をすてて逃げだしたが、まず二十四、五歳の男が、真っ赤に焼けた火石の直撃をうけて即死、人々の心はますます浮き立った〉 村の人たちは、夜具や鍋、ざる、すりばちなどを頭にかぶって南のほうへ逃げました。ところが、足洗いの桶などは、頑丈にできているにもかかわらず、火玉や焼石の直撃を受けると、その衝撃で底が抜けて、額や頭に傷をつくる人も多かったそうです。 結局、軽井沢では、1.2m程の灰や軽石が堆積、直径50cmもある焼けた石が降ってきて、あちらこちらで火事を起こしました。 182の民家のうち、火災で焼けたものが52戸、降り積もった軽石で22〜23戸が潰れたと言います。その後、9日、10日に雨が降り、雨水を吸った灰の重みで、潰れた家はついに82戸にもなったそうです。 幸いにも、人命の被害は一人で済みましたが、馬や牛が焼け死に、田畑も灰で埋まって使い物にならなくなったといいます。 噴火という災害がもたらす、人間の生活への巨大な打撃。同書ではさらに、浅間山の北側に位置する鎌原村という村について詳しく伝えています。この村では、火砕流によって村民597人のうち466人が死亡するという惨状となりました。 その事情については、【つづき】「597人のうち466人が死んだ…村を丸ごと破壊した「浅間山の火砕流」のおぞましき威力」で詳しくお伝えします』、「軽井沢では」「182の民家のうち、火災で焼けたものが52戸、降り積もった軽石で22〜23戸が潰れ、・・・その後、9日、10日に雨が降り、雨水を吸った灰の重みで、潰れた家はついに82戸にもなった」、「北側に位置する鎌原村」「では、火砕流によって村民597人のうち466人が死亡」、甚大な被害だ。

次に、この続きを2月25日付け現代ビジネス:学術文庫&選書メチエ編集部による「597人のうち466人が死んだ…村を丸ごと破壊した「浅間山の大噴火」のおぞましき威力」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/106693?imp=0
・『火砕流と粉体流  〈火口から約四キロ、標高差一一〇〇メートルおりた所で、毎秒一〇〇メートルから一五〇メートルあったろうと推定される火砕流が、途中の土砂・岩石などをも巻き込みながら、量と勢いをまして、あっという間に鎌原村を襲い……〉(大石慎三郎『天明の浅間山大噴火』58頁) これは、1783(天明3)年、旧暦の7月8日、浅間山が大爆発した直後に、浅間山麓にある鎌原村という村を襲った悲劇についての記述である。 この大爆発に至る、3ヵ月にわたる噴火は「天明の浅間山大噴火」としてよく知られている。 日本には、富士山、阿蘇山、御嶽山など、さまざまな火山が存在している。これらのうちには噴火のリスクをともなうものもあるが、実際に火山が噴火したときになにが起きるのかについて、私たちはなかなかリアリティを持つことができないのも事実だ。 そんななかにあって、私たちに生々しく、災害の恐ろしさを教えてくれるのが、過去の噴火、そして噴火による被害の記録である。 冒頭で引用したのは、歴史学者である大石慎三郎氏の著書『天明の浅間山大噴火』。同書は、天明の浅間山大噴火の様子を、現代の私たちにもわかりやすく、生々しく描き出している』、興味深そうだ。
・『噴火を眺めた見物客  1783年の4月上旬に浅間山の噴火は始まった。断続的に中規模の爆発がつづいていた。 周辺の村には火山灰や軽石がそうとうな高さに降り積もり、人々は、それらを処理する仕事に日々追われていた。 6月には大規模な噴火があった。周囲の村々には、やはり火山灰や軽石などの被害がつづいていた。 しかし、この噴火を楽しもうという者たちもいた。浅間山近くの人気の湯治場である草津温泉には、噴火を眺めようと、見物客が訪れるという状況だったのだ。浅間山頂からの明るい噴煙は、夜空を美しく染めていた。 ところが7月6日、状況が大きく変わる。 浅間山はさらなる大爆発を見せた。 湯治場の見物客もさすがにこの爆発にはおののいたのであろう、見物に出かける者はいなくなる。 そして7月8日、これまでにない大爆発が起きる。 『天明の浅間山大噴火』がとくにスポットを当てているのが、浅間山の北側に位置する鎌原村という村だ。この村は、冒頭で引用したように、8日の噴火の後、秒速100mを超えると考えられる火砕流……より正確には、その火砕流が引き起こした「粉体流」の被害を受けた。なお、火砕流とは、高温の火山灰や岩のかたまり、空気や水蒸気がまじりあい、猛スピードで山の斜面を駆け下りてくる現象のことだ。 〈火口から約四キロ、標高差一一〇〇メートルおりた所で、毎秒一〇〇メートルから一五〇メートルあったろうと推定される火砕流が、途中の土砂・岩石などをも巻き込みながら、量と勢いをまして、あっという間に鎌原村を襲い、余勢をかって現国鉄吾妻線万座・鹿沢口駅上の崖をこえて吾妻川になだれこんだ〉(同書58頁)』、「火砕流」の恐ろしさは、雲仙普賢岳の噴火や、さらにはイタリアのポンペイを火山灰の下に閉じ込めたベスビオスの噴火で鮮明な記憶となっている。
・『恐るべき死亡率  鎌原村の被害は非常に深刻かつ凄惨なものだった。一つの村で期待される収穫量を「村高」と呼ぶが、鎌原村は村高332石のうち、324石、つまり97%以上が犠牲となった。93軒あった家も、すべて埋め尽くされたという。 村民は597人いたうち466人、すなわち78.1%が死亡、生き残ったのは131人。馬は200頭いたうち170頭が犠牲になった。 さらに火砕流は、流れ込んだ先の吾妻川の流域と、その沿岸で大きな被害をもたらした。火砕流は川で冷えて固まって天然のダムとなり、やがて決壊する。吾妻川両岸には大量の水が流れ出し、その地域に被害を及ぼしていく。 〈それらの被害の実素は(中略)被害村総数五五、流死人一六二四人、流失家屋一一五一戸、田畑泥入被害五〇五五石となっている〉(同書60頁) 吾妻川は下流で利根川と合流するが、同書では、その付近での記録が以下のように引用されている。 〈利根川に黒色の泥水が押し寄せて来た。水中から煙が立ち上り、家屋や大木その他雑多なものが流れて来、その間には人馬が泥水に浮沈するのが見えた〉(同書61頁) 火砕流で堰き止められた巨大な川から大量の水が溢れ、あたりの家や人、家畜を飲み込み、すべてを押し流していく……巨大な噴火は、火砕流によって村を焼き尽くし、さらには水害を通して、1000人を優に超える犠牲を出したのである。 こうした災害についての生々しい記録、そしてそうした記録を丁寧に読み解く研究は、250年ほど後の時代を生きる私たちに、さまざまな教訓、そして、災害への対策のためのアイデアを与えてくれる。 災害への警戒感を抱くことの意義とともに、なにかを記録すること、その記録を読み解くことの重要性をもおしえてくれるように思える。 なお、天明の浅間山大噴火が、現在のリゾート地・軽井沢に及ぼした被害については「真っ赤に焼けた火石が直撃し、即死…浅間山が「大噴火」したときに起きた「おぞましい出来事」」の記事で詳しく解説している』、「災害についての生々しい記録、そしてそうした記録を丁寧に読み解く研究は、250年ほど後の時代を生きる私たちに、さまざまな教訓、そして、災害への対策のためのアイデアを与えてくれる。 災害への警戒感を抱くことの意義とともに、なにかを記録すること、その記録を読み解くことの重要性をもおしえてくれるように思える」、その通りだ。

第三に、この続きを2月25日付け現代ビジネス学術文庫&選書メチエ編集部による「浅間山の「想像を絶する大噴火」、それが江戸幕府に与えた「意外すぎる影響」をご存知ですか?」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/107051?imp=0
・『災害と政治  2011年3月11日に起きた東日本大震災。 この未曾有の大災害の後の日本の状況は、非常に印象的なものでした。原子力発電所の危険性/安全性をめぐって激しい議論が巻き起こり、ときにはそうした議論がSNS上で誹謗中傷合戦に発展することもあり、「人々の政治的な衝突」を目にする頻度が増したようにも思えます。 明確な影響関係があるかどうかはわかりませんが、2012年には民主党から自民党への政権交代が起き、大震災と政権交代とセットにして記憶されている方もいらっしゃるかもしれません。 どうやら巨大な災害は、政治のうえでの変化をも巻き起こす場合があるようです。 火山大国・地震大国・災害大国である日本に暮らす人々にとっては、今後、災害が起きた際にどのような政治的な変化が引き起こされるのかについて考えておくのも、無駄なことではないかもしれません。 そんなことを考える際に手助けとなるのが、過去の災害の記録です。 スポットを当てたいのは、1783(天明3)年に起きた浅間山の大噴火。長野県と群馬県の県境にあるこの活火山は、歴史上、何度も噴火を繰り返してきた山として知られます。 とりわけここで取り上げる「天明の大噴火」は、巨大な被害を巻き起こした噴火として記録されていますが、じつは、政治的に大きな変化を巻き起こした——江戸幕府/徳川政権に大きな影響を与えた——災害としても位置付けられています。 当時の事情について詳しく解説しているのが、日本近世史の研究者である大石慎三郎の『天明の浅間山大噴火』です。 同書をもとに経緯を見ていきましょう』、「天明の大噴火」が「江戸幕府/徳川政権に大きな影響を与えた」、とは興味深そうだ。
・『「昼間だというのに灰のために真っ暗」  ポイントは「降灰」(火山灰が降り積もること)です。天明の浅間山大噴火が始まった1783年の旧暦4月以降は、噴火にともなう降灰の被害が大きくなりました。同書はこのように書いています。 〈たとえば中山道深谷の宿で最後の大爆発の一日前の七日(編集部注:1783年旧暦の8月7日)の一時すぎに、すでにまだ昼間だというのに灰のために真っ暗になり、人々は手さぐりで、お互いに声をかけあって歩くほどであった〉(72頁) こうした降灰は、当然のことながら作物への影響を与えます。 〈これら降灰は、ちょうど成長期にあった農作物の葉面を覆ってその育成を妨げたのはもちろんである。のみならずそれらは、数年間にわたって成層圏に滞留して日光の照射を妨げた。 「癸卯(みずのとう・天明三年)以後三ヶ年、凶歳飢饉にして奥州一ヶ国の餓死人数凡(およそ)二百万人余」(『経世秘策』)といわれる天明の大飢饉は、冷害によるものであるが、その原因を百パーセント浅間山の火山灰のせいにするのは、もちろんできないが、その間に強い因果関係があったことは、気象学者をはじめ関連学者のひとしく認めるところである〉(75〜76頁) そして以下が重要な点、政治的な影響ですが、大石はこう続けます。) 〈ところで三年後に起こった田沼意次の没落(天明六年)は、天明の飢饉を契機に群発する一揆、打ちこわしにその原因があったことは周知のところである。またその三年後(一七八九)に起こったフランス大革命も、その数年前から続いた冷温と狭窄による社会不安を原因としているので、それはまさに浅間山のこの大噴火と関係ありとの議論が、昭和五十四年七月にイギリスで開催された「気候と歴史に関する国際会議」で行われたということが、それに出席した鵜川馨氏(立教大学教授)によって報告されている。 春秋の筆法をもってすれば、天明三年の浅間山大噴火は、田沼意次を失脚させ、マリー・アントワネットをギロチンにかけた、ともいうことになる〉(76頁) 天明の浅間山大噴火という災害は、間接的ではあるかもしれないが、田沼意次の失脚と、フランス革命という政治的な変化の引き金になったかもしれない……。 著者の大石慎三郎は、田沼意次の研究者としても知られていますが、著書『田沼意次の時代』などでは、田沼時代から、次を受け継ぐ松平定信の時代への変化は非常に大きいものだったと書いています。 たとえば田沼の時代に活躍した文人の大田南畝を例に、「田沼政権下の社会の幅の厚みを楽しみ、それに集まった文化人の一人だった南畝にとっては、松平定信政権下の水はことのほか冷たかったにちがいない」としています。) やや乱暴に言えば、比較的寛容で明るい雰囲気のある社会・政治から、より統制的で道徳的な社会・政治へと移り変わっていったということでしょうか。その裏には——間接的ではあるかもしれませんが——天明の浅間山大噴火という巨大な災害があったと言えるかもしれません。 大災害は、社会と、そしてそれと相互に規定し合う政治のあり方を大きく変えることもあるということを、同書は実際の例をもって教えてくれます。 なお、天明の浅間山大噴火のあとの、周辺地域の凄惨な被害については、〈真っ赤に焼けた火石が直撃し、即死…浅間山が「大噴火」したときに起きた「おぞましい出来事」〉の記事などで詳述しています』、「凶歳飢饉にして奥州一ヶ国の餓死人数凡(およそ)二百万人余」・・・といわれる天明の大飢饉は、冷害によるものであるが、その原因を百パーセント浅間山の火山灰のせいにするのは、もちろんできないが、その間に強い因果関係があった」、「間接的ではあるかもしれないが、田沼意次の失脚と、フランス革命という政治的な変化の引き金になったかもしれない」、「浅間山が「大噴火」」が地球規模の寒冷化をもたらしたとすれば、「フランス革命という政治的な変化の引き金になったかもしれない」、確かに「浅間山が「大噴火」」の影響はグローバルだったんかも知れない。さらに、火山の「大噴火」が、フィルターを詰まらせ、原発の冷却を困難にし、原発のメルトダウンをもたらす懸念もある。

第四に、3月25日付け現代ビジネス「死者28名を出した《静岡県熱海市・土石流災害》…県は「天災だ」と結論付けるも、専門家と民間の原因究明チームが「人災だ」と県と市を提訴」を紹介しよう。
・『熱海土石流災害、責任の所在はどこへ  28名の死者を出した静岡県熱海市の土石流災害から1年8ヵ月が経過したが、原因究明は終わっていない。県は「長雨による地下水量の増加で崩落が発生した」という「地下水説」を主たる原因と結論付けた。一方、犠牲者の遺族や被災者は「人災」だったと考え、静岡県や熱海市に対して損害賠償請求訴訟を起こしている。 3月31日には地質学者・塩坂邦雄氏と「熱海土石流原因究明プロジェクトチーム」の清水浩氏が『熱海土石流の真実』を上梓する。塩坂氏は専門家の立場から「造成で尾根が削られ、盛り土側に大量の雨水が流入した」という点を崩落の原因と分析。さらに清水氏は「太陽光発電施設などを含む行政対応の不備が違法行為を見逃すことにつながった」と指摘する。 本の発売日には、熱海市内の「起雲閣」で出版記念会が開かれる。静岡の政界関係者は「これが川勝平太県知事に対する反対運動の狼煙になるかもしれない」と話す。難題を突きつけて工事を中断させている「リニア中央新幹線問題」が象徴するように、川勝知事の「唯我独尊政治」には批判も多い。それが熱海土石流でも「県は悪くない」という結論につながったとして、反川勝派は批判する。「天災」と主張する県および県知事への反発は、大きなうねりとなるかもしれない』、3月16日付け日経新聞によれば、「熱海土石流「市に責任」 百条委が最終報告」、崩落した盛り土を含む土地の前所有者に対し、市が安全対策を強制する「措置命令」を出さなかったことについて、「命令を出すべきだった」などと指摘。当然の指摘だが、県や「市に責任」があるとなれば、「川勝知事」には不利な材料だ。 
タグ:「軽井沢では」「182の民家のうち、火災で焼けたものが52戸、降り積もった軽石で22〜23戸が潰れ、・・・その後、9日、10日に雨が降り、雨水を吸った灰の重みで、潰れた家はついに82戸にもなった」、「北側に位置する鎌原村」「では、火砕流によって村民597人のうち466人が死亡」、甚大な被害だ。 200年以上昔とはいえ、相当凄い「噴火」だったようだ。 私が小学生のころ「浅間山」「噴火」で火山灰が東京にも薄っすら積もって驚かされた記憶がある。 現代ビジネス「真っ赤に焼けた火石が直撃し、即死…浅間山が「大噴火」したときに起きた「おぞましい出来事」」 現代ビジネス:学術文庫&選書メチエ編集部による「597人のうち466人が死んだ…村を丸ごと破壊した「浅間山の大噴火」のおぞましき威力」 (その13)(真っ赤に焼けた火石が直撃し 即死…浅間山が「大噴火」したときに起きた「おぞましい出来事」、597人のうち466人が死んだ…村を丸ごと破壊した「浅間山の大噴火」のおぞましき威力、浅間山の「想像を絶する大噴火」 それが江戸幕府に与えた「意外すぎる影響」をご存知ですか?、死者28名を出した《静岡県熱海市・土石流災害》…県は「天災だ」と結論付けるも 専門家と民間の原因究明チームが「人災だ」と県と市を提訴) 災害 大石慎三郎氏の著書『天明の浅間山大噴火』 「火砕流」の恐ろしさは、雲仙普賢岳の噴火や、さらにはイタリアのポンペイを火山灰の下に閉じ込めたベスビオスの噴火で鮮明な記憶となっている。 「災害についての生々しい記録、そしてそうした記録を丁寧に読み解く研究は、250年ほど後の時代を生きる私たちに、さまざまな教訓、そして、災害への対策のためのアイデアを与えてくれる。 災害への警戒感を抱くことの意義とともに、なにかを記録すること、その記録を読み解くことの重要性をもおしえてくれるように思える」、その通りだ。 現代ビジネス学術文庫&選書メチエ編集部による「浅間山の「想像を絶する大噴火」、それが江戸幕府に与えた「意外すぎる影響」をご存知ですか?」 「天明の大噴火」が「江戸幕府/徳川政権に大きな影響を与えた」、とは興味深そうだ。 「凶歳飢饉にして奥州一ヶ国の餓死人数凡(およそ)二百万人余」・・・といわれる天明の大飢饉は、冷害によるものであるが、その原因を百パーセント浅間山の火山灰のせいにするのは、もちろんできないが、その間に強い因果関係があった」、「間接的ではあるかもしれないが、田沼意次の失脚と、フランス革命という政治的な変化の引き金になったかもしれない」、 「浅間山が「大噴火」」が地球規模の寒冷化をもたらしたとすれば、「フランス革命という政治的な変化の引き金になったかもしれない」、確かに「浅間山が「大噴火」」の影響はグローバルだったんかも知れない。 さらに、火山の「大噴火」が、フィルターを詰まらせ、原発の冷却を困難にし、原発のメルトダウンをもたらす懸念もある。 現代ビジネス「死者28名を出した《静岡県熱海市・土石流災害》…県は「天災だ」と結論付けるも、専門家と民間の原因究明チームが「人災だ」と県と市を提訴」 3月16日付け日経新聞によれば、「熱海土石流「市に責任」 百条委が最終報告」、崩落した盛り土を含む土地の前所有者に対し、市が安全対策を強制する「措置命令」を出さなかったことについて、「命令を出すべきだった」などと指摘。当然の指摘だが、県や「市に責任」があるとなれば、「川勝知事」には不利な材料だ。
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